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2008年9月 3日 (水)

福田辞任表明一夜明けて~各紙1面コラムと識者談話、中曽根元首相発言(毎日、読売、4日産経)など

◆福田首相の晴れ晴れとした笑顔に違和感が生じたのだが……

 福田康夫首相の1日夜の突然の辞任表明記者会見から一夜明けた2日の新聞の論調は先に簡単にまとめておいた。普通ならばこれですませてしまうのだが、今回は何か引っかかるものがあり、魚の小骨が喉に残っている感じがあるので、この問題から離れがたく、3日の新聞も熟読してしまった。

 各紙、2日夕刊から<麻生太郎氏本命、対抗は小池百合子氏か、野田聖子氏の出馬の可能性は?>など、すっかり自民党総裁選政局一色に染まりつつある。民主党の党首選が無投票になったこともあって、「民主党」の見出しが目立たないことこのうえない。

 大きな絵図面で言えば、今のところは「民主党の大イベントの効果を消して、自民党内のコップの中の嵐に報道を引きつける」という福田・麻生連合自民党軍のメディア戦略が勝利しているかのように見えるのだが、あくまで現段階で、ということであって、世間の雰囲気など大きな出来事が起きれば一夜で180度転換してしまうのだから、まだまだ総選挙の結果は分からない。

 喉に小骨が刺さったのは、福田首相の屈託のない笑顔をテレビや新聞で見てからである。なんであんなに明るくいられるの? 私には分からなかった。そこで、いろいろな識者の分析や見方を読んで納得しようと思って、3日の新聞を熟読吟味したのだ。もちろん、スカッとした解答が用意されていたわけではない。

 しかし、面白かったのは私と同じような感覚に襲われたのであろう人がいて、自分を納得させるがために、いろいろ理屈をつけて書いていたことだった。

◆松原隆一郎氏は普通の人々との考え方のズレを問題視

 朝日新聞9月3日朝刊オピニオン面[私の視点ワイド]<福田首相辞任>特集の松原隆一郎・東大教授(社会経済学専攻)の<国民とは違う「物語」語る>である。

 松原氏は福田氏の辞任の弁を聞いて、<ある意味でわかりやすいことを言っていると思った。それなりに合理性がある>と思った、と言う。つまり、

 <防衛省の不祥事、年金記録、後期高齢者の問題など、自分が起こしたのではない過去からの問題処理に追われ、やりたくもないことを押しつけられていた、ということだ。しかも「ねじれ国会」のもとでやらされた、それなのに批判された、という被害者意識が見える。当人のストーリーとしては冷静なんだと思う。>

 これが福田康夫氏の深層心理だ、というのだ。

 <ところが世間は違う。当初5割を超える支持があったのに、その後どんどん下がった。辞めるのかなと思っても辞めない。民主党との大連立に失敗し、党首討論では「かわいそうなぐらい苦労している」と政治家とは思えないような泣き言を言ったが、その時も期待を裏切って辞めなかった。>

 辞めるか、と世間の人たちが思っていても辞めない首相だった。

 <ひょっとして衆議院議員の任期満了の来年9月までやるんだろうか、と多くの人が思い始めた。主要国首脳会議(G8サミット)をこなし、内閣も改造した。いまや国民から見れば続ける方が合理性がある。それなのに、突然の辞任。首相の頭の中と国民の思うことが、あまりにも違う。>

 なるほど、そういうことか。頭の構造が違っているのだ。外界からの刺激にどう神経系が反応して、思考を形作るか、小泉純一郎元首相ではないが「人生それぞれ」なんだろうが、ここまで有権者と違っていると、宇宙人のようでもある。

 松原氏は<当人は自信満々だ>として、これだけ悪い政治状況の中でやることはやって、ベストの時期に辞めた、国民のためにいいことをした、そう思っているのではないか、と首相の心底を推量する。政策もおかしなことは言っていないが、それが国民に伝わっていない。表現力、アピールする力があまりにつたない、として、国民はいいタイミングで自分たちに関心のある政策を語ってほしい、メッセージは単純にしてほしい、と思っており、今なら貧困対策、医療問題を言ってほしい、と思っている、と。次の文章が松原氏の言いたいことだろう。

 <首相は「政治的駆け引きはいやだ」という意味のことを言った。ルールにそって粛々とやりたいということだろう。しかしそれでは政治家とは言えない。ルールを変えるのが政治家であり、駆け引きをわかりやすい言葉で国民に語るのが政治家だ。実行力とメッセージ伝達力、その両方が欠けていた。>

 政治家としての資質に欠けていた、ということかな、簡単に言えば。そして、次の文脈は私が嫌いな<空気を読む>という言葉をフル活用しているので、嫌なのだが、まあ言いたいことは分かる。

 <この政治状況で、自分が座っていることは国民に迷惑をかける、だから辞めようと考えたのではないか。それが彼の空気の読めなさであり、政治家として空気に表現を与えることができなかった。受け答えの運動神経とでもいえばいいのだろうか、その能力が低い。>

 空気は読めないほうがいい、と思う。空気を読もう、読もうとすると軽薄に流されるだけだから。それよりも、自分で感じた疑問をとことん、石頭と言われても頑固者と言われても追究し、解き明かす努力をする人が素晴らしいと思う。だから、この文脈だけは読まないでおこうとも、思うのだが、言いたいのは、<国民とは違う「物語」>を頭の中で描き、その物語の中で生きてきた福田康夫という人物が、有権者とのあまりの乖離に耐えられずに辞任することになった、ということだろう。

 だから、笑顔なんだ。だから、スカッとしているんだ、と私も納得して、喉の小骨が少し小さくなったような気がした次第です。

◆佐野真一氏「昭和の終わりとともに大きな何かが失われた」

 同じ朝日新聞[私の視点ワイド]ノンフィクション作家・佐野真一氏は<責任忘れた小粒な政治>で「またか、やれやれ」の理由①安倍前首相政権投げ出しのデジャブ②もはや家業となって流動性がなく、経済格差もあって社会の下のほうから政治を変える動きが出にくい、この国の政治の今後への思い――として、<本来なら人格に広がりや深みが出てくる年齢のリーダーたちが、他者の痛みに共感することもできず、自分の責任の重さを理解することもできない。>

 <現状を、自殺者10年連続3万人超を招くなどの<責任は政治家にある>のに、不感症が政治の世界に染みわたっている、政局の動向にしか関心を向けないメディアの責任も大きいが、政治家自身の小物ぶり、小粒化は否めない>

 と嘆く。面白かったのは佐野氏らしく、文明論を語っていることである。20年近く過ぎた平成時代の取材をして、松下幸之助、美空ひばり、手塚治虫といった国民的希望を語れる人たちが世を去った、ことをあげながら、

 <昭和の終わりとともに、大きな何かが失われた。だが、バブルのさなかにいた私たちはそのことに気づかず、「失われた10年」に意気消沈したまま、新たな希望を何も生み出せずにいる。>

 と書いていることだ。<希望を生み出すのは言葉だ。言葉は政治の武器でもある。>として、石橋湛山氏の言葉、オバマ氏の言葉の輝きを礼賛。<日本の次の政権の担い手は、人々に伝わる言葉を持てるだろう。>と結んでいるのだ。

◆浜矩子氏の「番頭+ドン・キホーテ」論にホホーッ

 同じ朝日新聞[私の視点]<民主主義わかっていない>の浜矩子・同志社大学教授(国際経済)も「背水の陣」内閣と言ってスタートした福田首相が突然辞任表明したのは「背水の陣」の言葉の意味を知らなかったと言わざるを得ない、として、<自民党が、真剣な言語的勝負の世界に身を置いたことがない政党であるからだ>と書いているのも、同じような問題意識だろう。

 浜氏の面白いところは新しい時代の宰相に必要な資質として番頭、ドン・キホーテをあげ、

 ドン・キホーテは①「自分さえよければいい」という考えから非常に遠い②他人依存が強い③腕力が弱くて④理念は高い人。ドン・キホーテはグローバルジャングルの砂漠化を防ぐ人だ、と。

 番頭は番頭外交を取り仕切る。大旦那が無茶なことを言うというと、「まあまあ」となだめ、若旦那が遊びほうけていたら、いさめる。叱るものは叱り、かばうものはかばう、という賢い番頭さんがグローバル時代には必要だ、というのだ。

 これは面白かった。福田さんが番頭かと思ったら、そうでなくてがっかりした、という落ちなのだそこで語ることは、自らの一身にかかわることではないか。

 読売新聞9月3日朝刊対社面[アングル サプライズ辞任]インタビューシリーズ第1回の藤原正彦さん(65)は<惜しむ声なし それが悲劇>の見出し。まあ、それだけの内容なのだが、真のリーダーに求められる条件を聞かれて①圧倒的な教養とそれに根差した大局観②いざとなったら国家のために命を投げ出す気概――をあげていることくらいか。

 日経新聞3日朝刊経済面[政治空白と日本経済]インタビューは伊藤元重・東大教授。<政策論争、5-10年先見て>の見出しで、福田政権では経済政策がのぼ足踏み状態だったことを嘆く。

 日本の直面する経済問題はいずれも大きく小手先で手当てできない。①消費税②中長期的に安心できる社会保障制度構築③日本を元気にする骨太の成長策――で、消費税論議も「景気が悪いから税率は上げられない」という議論ではなく、5~10年後を見据え、グローバル化の中で社会保障をしっかりやりながら、日本が強くなるための税体系を考えるべきだ、と言う。

 また、政府がまとめた総合経済対策を「ひと言で言えばコズメティック(うわべだけ)」と批判。むしろ、3~5年先を見据えたサプライサイド(供給面)の改革に力を注ぐべきだ、として1990年代後半の供給面の改革での成功例として、小渕内閣での不動産証券化、森内閣のNTTなどネットワークの開放によるブロードバンドの普及策がその後の経済成長の基礎を作った、と評価。現在も、例えば羽田空港の国際化加速や金融など、個別の業種ごとの先を見据えた改革を地道に進めることが必要だ、と書いていた。

 <世界が大きく変わる中で日本はいまだに内向きなのが気になる。日本の中だけで改革を考えていると縮み志向になってしまう。国内市場を相手にしている教育とか医療などの市場をアジアに広げていく政策を考えていくことなども一案だ。>

 というのが、伊藤氏の提言だった。

◆東京新聞3日朝刊メディア面:小泉時代の<切れ>はなかったが……

 東京新聞3日朝刊[放送・芸能]面<発信力弱かった福田首相>もそれなりに面白かった。

 大体、芸能面で政治問題をすぐに取り上げるというマインドがいい。小泉純一郎首相時代のワンフレーズ・ポリティクス批判にしても、各紙が政治面で取り上げる前に、この面でスポーツ新聞利用、報道番組ではなくワイドショーを重視した小泉政治の特徴を他紙に先駆けて分析した実績がある。

 政治と芸能、特にテレビとの関わりの分野は、東京新聞の独壇場である。

 今回は内容的にはたいしたことないが、政治アナリストの伊藤惇夫氏は

 <小泉政治は激辛料理。それに国民の下はまひしてしまった。『安倍中華』も『福田和食』も小泉政治に比べると味がしない>

 と、3人の現元総理を料理に例えて、エスプリの効いた言い回し。確かに、3氏の政治の一面を言い表しているのが面白い。

 音好宏・上智大学教授(メディア論)は、

 <福田首相はメディア受けは悪くない。…名脇役だったが、自分が主役になると、周りの役者が手薄。8月の改造で消費者行政担当相に野田聖子氏を起用するなどしたが、遅きに失した感がある>

 というコメント。きっと、あまり政治に詳しくない先生なのだと推察されるが、それだけに、この毒にも薬にもならないコメントの中にキラリと光る真実があることだってあるのだ。

◆中曽根康弘元首相は2世、3世政治家を批判し、公明党の重要性を強調(毎日新聞[座談会]と読売新聞インタビュー)

 毎日新聞9月3日朝刊24面[福田首相退陣緊急座談会]面は中曽根康弘元首相、御厨貴・東大教授、飯尾潤・政策研究大学院大教授の座談会。

 司会は毎日新聞編集局次長の倉重篤郎記者。ヨコ凸版見出しは<消えた粘りと凄み>だった。

 この座談会はいろいろな意味で画期的なのではないか、と思う。一つには、1ページ全面を使った特集面で、全面を縦3分割している組み方、つまりレイアウトである。満員電車に揺られながら、新聞を読まざるを得ないサラリーマンのために、すべてを縦に3分割すると、満員電車の中でも片手でうまく折り曲げながら、1ページすべてが何とか読めるようにした、ということだろう。

 何人かの友人に聞いたら、このページレイアウトは読みやすい、という話だった。ただ、できれば、この縦3分割だけでなく、新聞の下半分と上半分にも分ける、つまり、全部を6分割するほうが読みやすいんじゃないか、という贅沢な意見もあった。そんなこと言われても、作るほうは大変だろう。

 見出しは各氏ごとで、以下の通り。

 中曽根元首相<サラリーマン化した「首相」/政権交代で切磋琢磨を>

 御厨貴氏<小泉政治の呪縛を解け/小沢政、仕上げの時>

 飯尾潤氏<逃げ場のない次期総選挙/国民を巻き込んだ論戦を>

 中曽根元首相の発言で印象に残った部分は次の通りである。実は9月3日付読売新聞朝刊解説面も[談論 福田首相退陣]として、中曽根康弘氏、丹羽宇一郎氏、田中明彦氏のインタビューが掲載されており、そこの中曽根発言にあって、毎日新聞座談会にない部分もあるので、座談会の中曽根発言を補強する形で読売インタビューを付けておく。

 <最近の議員は首相をサラリーマンの一種と思っているのではないか。首相といえば昔は国家を背負う重大な責任を伴う仕事。非常に厳粛な存在で、国民もそう受け止めていた。ところが、1990年代以降、国民も政治家も首相に「高い地位のサラリーマン」みたいな印象を持つようになり、首相の地位に就く人自身もそう考えるようになってきた。だから、ぱっと首相になって、ぱっと辞めてしまう。>

 これは首相の人材論である。読売インタビューでは、この部分、敷衍して語っている。長めに引用しておこう。

 読売 <2代にわたり暫定短期政権が続いた。これは政党として、何か欠陥があるのではないか。つまり人材養成とか、人員の配置とか、人材の選び方等について、弱点があるのではないかと。(自民)党として点検をしてもらった方がいい。例えば池田勇人首相の場合、がんで入院して生命力もないという段階において、ぎりぎりまで耐え抜いて後継に佐藤栄作氏を指名した。そういう先輩の、政治家としての最後までの志、執念は参考になるのではないか。>

 読売 <次の自民党総裁にふさわしい人を考える時、最近の首相辞任の二つの例を、我々先輩の政治家から見ると、2世、3世は図太さがなく、根性が弱い。何となく根っこに不敵なものが欠けている感じがする。次の自民党総裁は根っこに不敵さを持ち、それに知性と見識を持っている人物を選ぶことが必要だ。>

 つまり、2世、3世政治家批判である。自分の長男をいつまでも参院議員にさせておき、首相を狙える衆院へと転じさせないのも、この2世批判の実践なのだろうか?

 <彼(与謝野馨経済財政担当相)は政策万能選手。国際関係における日本の立場も理解していますが、残念なのは社交性があまりなく、子分が少ないこと。政治家は国民を味方にしなければならず、それには政界の同志を味方につけないといけません。昔は総理・総裁になりたい人は同志を作ることから始めました。そうした努力よりもテレビのワイドショーに出る方を選ぶところに、今の政治の軽さが出ています。>

 ワイドショー政治批判。親分子分政治の必要性を訴える。

 <麻生という人は非常に国際通で庶民性もあり、冗談もうまい。得点でいうと高い。問題は明るい坊ちゃんかたぎであること。庶民の苦しみを知る渋く怖い存在の人がそばにいなければいけない。それが日本の政治の運命を決め、自民党の生命力を決める大事な要素でしょう。>

 小泉純一郎氏における飯島秘書官の存在がすぐに連想される。そういえば、中曽根首相当時の首相官邸には昔から中曽根氏を支えてきた上和田さんという秘書官がおり、雰囲気は飯島さんによく似ていた、と思う。

 <民主党を言う前に、自民党自身も解散・総選挙が一番怖い。そこを考えると、公明党との関係が非常に重要な要素となる。選挙後も手を握っていけるか。公明党の要求を自民党がのめるのか。自民党内部もかく乱され、かけらが出ないとも限らない。民主党内部にも波及して、やはりかけらが出る。解散の前後に、その可能性がないわけではない。公明党が選挙を通じてどのような作戦を立てるか、選挙後をどうもっていくか。よく対策を立てておかなければ自民、民主両党に影響が出ます。>

 公明党論である。読売では次のように言っていた。

 読売 <一番大きな問題は、衆院解散、総選挙を控えているということだ。その前哨戦としての臨時国会に臨むために、公明党との協力関係をまず確立することが第一の課題だ。福田内閣の末期の情勢を見ると、公明党との関係が非常に不調和になっている。公明党の方が解散を早目にやることと減税を要求してきて、内閣の調和が破れてきているのは、目に見えてきていた。こういう欠陥を意識して、公明党との間で、徹底的に政策について論議をして2日でも3日でもかけて、調和点を見いだして、作った以上は確固たる結束力を持つようにお互いが保証し合わなければいけない。そういう公明党との仕切り直しの問題が一つある。>

 そして、テロ対策特別措置法、北朝鮮に対する外交戦略などの国家的課題について、民主党と協調し合う隊形が必要だ、と主張。そうした政治の機微について両党の首脳間で事前調整を行う際、お互いが腹を分け合い協調するシステムを作るべきだ、としてそのためには第一に選挙を控えて、今は公明党ともっと強固になることが重要だ、と強調する。

 つまり、公明党が民主党へとなびく可能性を常に頭に入れながら、自民党の次期政権は公明党を大事に扱え、と注意しているのだ。

 1994年にできた衆院小選挙区比例代表制の選挙制度で、このような中間政党がヘゲモニーを握ることは想定外だったのではないか。しかし、創価学会というコアを持つ政党がその集票力を武器に2大政党の間で泳ぎ回る姿は、かつてのドイツの自由党を髣髴させる。ドイツでは「大連立」によって、その第3党の影響力を削いだのだ、と思うが。日本ではどうすrのだろうか。

 そして、注目していた衆院解散「時期」に関する発言である。読売インタビューでしゃべっていた。

 読売 <もう一つの問題は、臨時国会後、解散・総選挙をいつやるかという問題だ。これは公明党との間でも協議しなければならない。この問題については、連立政権を強化するため党首同士でよく打ち合わせをして、表に出す必要はないが、すき間が生じないようにしておく必要がある。解散・総選挙は、だいたい年末年始が適当だろうと思う。通常国会前、予算を組んだ状態で行うべきだ。>

 以前、福田内閣改造直後の読売新聞インタビューで「1カ月以内の衆院解散を」と発言した中曽根発言の意味合いについて考えたことがあったが、やはり、基本的には早期解散論でぶれていない。もっと早めろ、と言うのかと思っていたが、まあ順当なところだろう。

 そして、「日本沈没」への危機感表明。いつもの中曽根節だが、一応ダイジェストで書いておく。

 <自民党のみならず民主、公明両党も考えなければならないのは日本の世界的な地位が落ち続けていること。日本の諸条件の悪化をどう受け止め、上昇ラインに持っていくか。それが一番大事なポイントだ。自民党内で議論し、民主党や公明党の協力が必要であれば、皆で一緒に協力し合う。そういう国家本位に立った大局的な選挙対策を各党が考えてやるべき時でしょう。>

 <冷戦終結後、日本はバブル崩壊など下降期に入りました。10年間で10人の首相が出たが、小泉(純一郎元首相)君が5年間首相を務め、漂流を一時止めた。その後の2政権は在任期間がそれぞれ1年。漂流時代が再現されないか、の心配がなきにしもあらずです。現代は大きな転換期に入っています。明治維新、敗戦時の変革。21世紀に入ってからの日本も、同じ性格を持つぐらいの変革期です。その意味で、改革をしないと日本は外国より遅れてしまう。大きな流れをどう作るか政治家は考える必要があります。ある意味で、政権交代があったほうが元気が出てきます。切磋琢磨が激しくなりますから。>

 やはり、大勲位の発言は重い感じがする。

 (この部分9月4日追記)

 産経新聞9月4日朝刊1面に<首相退陣に寄せて/政治は軽いものではない>と題する中曽根康弘元首相の寄稿が掲載されていた。ほとんどは読売、毎日との重複だが、産経だけにしかない部分もある。その部分を追加しておく。

 首相の出処進退が軽くなったことを嘆き、マスコミに責任あり、と言っている部分と人脈くらいか。

 <これはジャーナリズムの問題も大きい。首相は国会で指名され、天皇陛下に任命される。憲法上、そういう重さで作られている。にもかかわらず、まるで普通の会社の社長の交代のように扱うから、政治家の心掛けも似たようなものになってきた。首相の職務の責任性を政治家もジャーナリズムも疎んじている。民主主義や日本の国家のあり方として、深く反省すべきだ。>

 <首相になって初めて分かるものだが、政治とはそんなに軽いものではないからだ。わたしは京都学派の猪木正道さん(政治学者)や高坂正堯さん(国際政治学者)らとよく話し合った。座禅を通じて無言の教えも受けてきた。>

 以上が追記である。以下は追記ではない本来部分です。

 ついでだから、学者さんたちの発言の要旨も書いておく。

 御厨氏の発言要旨は通り。

 <7月まで公明党は、自民党の一派閥のようにおとなしくしていましたが、今度は首相を辞めさせることまで行ってしまいました。公明党は、自分自身の働きで政局がどこまで進展するかは読んでいなかったと思います。公明党内には「民主党と組んでもいい」という話もあります。それは公明党が自ら政権を取ることは永遠にないことを意味します。常に連立相手を探すという、日本の議会制民主主義で特異な政党となっています。公明党自身にもこの問題を考えてもらわないと、危ないことになります。>

 <公明党は今、要求を吊り上げられると思っている。次の総裁選挙がどこまでのむかの問題だ。ただ、公明党もきちんと平場で議論をしていない。裏で吊り上げておいて、表は違うというのではまずい。そうなれば公明党自体が苦しくなる。総選挙の時期などは平場できちんと議論しておかないといけません。>

 <安倍さんもそうでしたが、内閣改造から数週間での退陣表明は、今まで考えられない事態です。内閣の改造は、政権を担う意欲を示しているわけですから。首相の座本当に劣化してきたのだと思います。>

 <マスコミの責任も大きいのです。これまでと同じように「勝ち馬待望論」に乗るのではなく。どれだけ立ち止まって考えるキャンペーンを張れるかが重要です。今の政治に迎合しないこと。マスコミも役割も果たさなければなりません。>

 飯尾教授の発言要旨は次の通り。

 <こうなった根本的な原因は、戦って権力を取る側面が希薄になっていることではないでしょうか。…解散・総選挙はできるかどうかではない。「国民がついてきてくれる」と信じて政治を行えば、国民に伝わって選挙も勝てるもの。メディアの世論調査の支持率ばかりと人ごとのように見ていては、うまくいきません。>

 <今の劣化は古いものが朽ちつつあるのです。取り繕うのではなく、少々荒っぽくとも前進しないといけない。日本は変革期にあります。後ろ向きでは、また自然に劣化してしまう。>

◆さあ、お待たせ!各紙1面コラムの競演。僕的には読売が優勝かな。

 そして、一夜明けて落ち着きと持ち前の好奇心を取り戻した各紙の1面コラムは辛辣で面白い表現が目立った。

 読売新聞3日朝刊[編集手帳]は、
 <小さな演芸場では昔、出演者の芸に客席が退屈しているとき、ある細工をした。係員が間違えたふりをして幕を1~2寸おろし、すぐに戻したという。終演が近いことを客に伝えて救いを与えたと、新内節の名人といわれた岡本文弥さんが随筆「芸渡世」に書いている。不評だからと高座を投げ出すのではなく、不評であっても高座を全うする、そのための細工である>
 と「不評」がキーワード。
 <福田内閣の人気は確かに、幕を1~2寸おろしていいほど低迷していたが、演目の半ばで「不評のようですね、じゃ、さよなら」と舞台をおりられては誰しも、木戸銭を返せ、となろう>
 そりゃそうだ、と思う。
 <発声の達人は息をすべて声に変え、ロウソクの前で歌っても炎は微動もしないという。ねじれ国会の難しさはあったにしても、ため息や吐息のみ多くして、国民に意思や決意を伝える声をついに持ち得なかった責任は、首相その人にある。みずからの息で、政権の炎を吹き消した。>
 たしかに怨み節とため息が目立った首相だったなあ。
 <次期首相に求められるのは何よりも、息をしっかり声にする能力だろうが、「美しい国」「安心実現」の演目二題を続けざまにしくじり、荒れた舞台である。誰にせよ、覚悟がいる。>
 編集手帳子に最近、冴えがなかったので、心配していた。紙面改革で文章の行数が変わってから元気がないように見えたのだ。しかし、今日の作品は最高だった。久しぶりにスカッとした。
 朝日新聞[天声人語]である。
 <運動会の季節、福田首相の辞任に「棒倒し」が浮かぶ。小沢民主党が揺さぶるのは当たり前だ。だが気がつけば、味方のはずの与党は、棒を守る手を休めている。休めるばかりか、揺さぶりをかける者までいる>
 なるほど、秋の運動会なので棒倒しできましたか。
 <〈みづすまし味方といふは散り易き〉鷹羽狩行。だれを味方として頼みうるか。深い孤立感と閉塞感があったのだろう。民意にもそっぽを向かれたきりだ。むざむざ倒される前に、というのが父親に続く「二代目宰相」の美学だったかもしれない。>
 二代目ですか。
 <執拗を嫌う淡泊さを、哲学者の和辻哲郎は名著『風土』で日本人の美質と見た。だが潔いあきらめは、時と場合によっては無責任の別名になる。自身が好んで口にした「国民の目線」から見れば、辞任は無責任と呼ぶほかはない。>
 そりゃあそうでしょう。
 <安倍前首相の辞任のとき、小欄は「平沼騏一郎を思い浮かべる」と書いた。戦前、「欧州の天地は複雑怪奇」と言い残して8カ月で政権を投げ出した人だ。今度は歴史をひもとく必要もない。1年に2度もの騒動は、世襲議員の多い政治のひ弱さを示して余りあろう。>
 2世批判、世襲議員批判になった。中曽根さんと連動しているようで。
 <佳境の米大統領選を思う。徹底的に吟味され、食うか食われるかの長丁場を経て権力の座につく。タフでなければ勝ち上がれない。そして、国民の投票で選ばれたという正統性に、4年の任期は支えられる。海の向こうの民主主義の光景に、わが政界をかえりみる。もうこれ以上、与党が民意を問わずに権力の座にしがみつくことはできまい。敵も味方もガラガラポンの解散・総選挙で、立てるべき「棒」を決めるのは国民である。>
 この場合、「棒」は首相のことか、首相がやり遂げようとする政策のことなのか? やっぱり首相をあらわしているのだろうなあ。
 日経新聞3日朝刊[春秋]である。
 <「行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張」。福田康夫首相が座右の銘とする勝海舟の言葉だ。行蔵とは出処進退の意で、世の称賛も悪口も我関せず、信ずる道を進むという意味合いになる。唐突な辞任を批判されても、我関せずだろうか。信念に従っても、政権が1年ももたないのでは言い訳もできない。>
 ここまではいつものパターン。
 <政界では今の季節に冬が訪れる。9月を起点にした安倍、福田の両首相とも9月に突然の退陣だ。かつて竹下政権から森政権まで14年間で10人の首相が交代した。5年5カ月の小泉政権を経て再び漂流する日本の政治は、世界にみすぼらしく映る。>
 そして、花森安治氏を持ってくる。政治家嫌いだったそうだ。
 <一世を風靡した「暮しの手帖」の名物編集長・花森安治は、政治家という存在に絶望したジャーナリストだった。政治家よ、で始まる文章に「じぶんだけの損得と名聞にとらわれて あなたといっしょに生きて暮している人たちの 苦しみを平気でふみにじっている」(花森安治の仕事)と嘆きをつづった。>
 <福田首相が主導した消費者庁設立はどうなるのか。「ぼくらの暮しは、けっきょく、ぼくらが守るより外にないのです」と花森の声が聞こえる。暮しの手帖の商品テストで「いちばん嫌いなのは、すぐこわれてダメになるものである」と言っている。1年で消え去る首相は、さぞかしこっぴどく批評されただろう。>
 この辺、初めて知った。知らないことを教えてくれるのは新聞のすごさだ。
 毎日新聞[余録]である。
<「政治とは可能性の芸術である」はドイツ統一を果たした鉄血宰相ビスマルクの言葉だ。これをもじって「政治は可能性の芸術ではない。悲惨なことと不快なことのどちらを選ぶかという苦肉の選択である」と述べたのは経済学者のガルブレイス氏だ。キューバ危機当時、ケネディ大統領への手紙に書いた言葉という。ビスマルクの名言についてはシラク仏前大統領も「政治は可能性の芸術ではない。必要なことを可能にする術である」と言っている(晴山陽一著「すごい言葉」文春新書)。>
 ここまでは晴山氏の本が種本か、それにしても博覧強記だなあ、と。
 <さて必要なことが可能にならないからだろうか。それとも悲惨なことも不快なこともどちらも選びたくなかったのか。驚きと共にいくつもの「?」を呼び起こした福田康夫首相の辞任表明である。だが一夜明ければ自民党内の関心はもうポスト福田レース一色に塗り替わっていた。すでに麻生太郎幹事長が総裁選出馬を表明し、小池百合子元防衛相も出馬に意欲を示すなど注目候補の動きも早い。自民党にとって総裁選とは今までの支持率低落をご破算にして新リーダーを有権者に売り込む「可能性の芸術」なのだろう。>
 と、自民党の狙いをズバリ指摘する。
 <だが国民もその総裁選で選ばれたトップが2年続けて政権を放り出したのを忘れるはずもない。それが何かの偶然でないのなら、現下のねじれ国会にあって「必要なことを可能にする術」を備えたリーダーが総裁選で生まれるとも思えない。今さら言うのも何だが、政治が行き詰まって可能性が失われたら、選挙で民意を問い、そこから新たな秩序を作るのが議会政治の基本である。与野党は悲惨でも不快でもない現実的選択肢を有権者にどう示すかに知恵をしぼる時だ。>
 真っ当な意見だけに、ひねりが少ないのが寂しい。もっと斜めから見てもいいのに。

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» 福田辞任 意見 [岩村明憲 紅白戦 タンパベイ・レイズ ]
福田首相が辞任中央日報福田首相はこの日午後9時30分、首相官邸で緊急記者会見を行い「自民党の新しい総裁と首相の体制で9月12日に予定されていた臨時国会に臨めるよう、首相を辞任することに決めた」と明らかにした。 前任者の安部晋三氏の突然の辞任で昨年9月26日...... [続きを読む]

受信: 2008年9月 3日 (水) 19時49分

» 福田 辞任 [ダガーナイフ 購入]
福田首相:退陣表明 突然の辞任、有権者「無責任過ぎる」 /埼玉【群馬】 福田首相辞任 一夜明け反応複雑福田首相:退陣表明 「やむなし」57人、「無責任だ」43人−−緊急アンケ /群馬 福田辞任表明一夜明けて〜コラムと識者談話から[watch][media][sankei]福田辞任・各紙社説読み比べ。福田辞任... [続きを読む]

受信: 2008年9月 3日 (水) 19時54分

» 爆音ドロップ [バンド怪鳥プリシラ号 ケンイチ(Gt)のおしゃべリズム]
『今昔物語 第8夜』なんかパッとしない、ジワっとした天気が続きますね。さて、今話題の次のニッポンのリーダー、今あがっている名前の人たちでいいのでしょうか?間接的ではなく、本当の意味で国民が成ってほしいニッポンのリーダーが選べる時代、生きている間にやっ ..... [続きを読む]

受信: 2008年9月 3日 (水) 23時12分

« 福田康夫首相辞任表明~各紙の社説、政治部長論文とコラム拝見+記者会見要旨 | トップページ | 横尾最高裁判事依願退官とヤミ専従41人減給と福田政局との関係~産経9月3日「正論」屋山太郎論文、読売9月3日夕刊、朝日9月4日夕刊、朝日・毎日9月12日朝刊から »