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2008年10月26日 (日)

書評「創価学会の研究」玉野和志著(講談社現代新書)

 2008年10月20日第1刷発行、定価756円。

創価学会の研究 (講談社現代新書 1965) 創価学会の研究 (講談社現代新書 1965)

著者:玉野 和志
販売元:講談社
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 表紙裏の略歴によると、玉野和志(たまの・かずし)氏は1960年石川県金沢市生まれ、東京都立大学人文学部卒、東京大学大学院社会学研究科博士課程中退、東京都老人総合研究所、流通経済大学を経て、現在、首都大学東京人文科学研究科社会行動学専攻社会学分野教授、社会学博士、著書に「東京のローカル・コミュニティ」(東京大学出版会)、「実践社会調査入門」(世界思想社)、「近代日本の都市化と町内会の成立」(行人社)がある。

 講談社現代新書の10月の新刊4冊の中できっと一番売れているのではないか、と思ったのだが、案外、そうではないかもしれない。最近の傾向で「帯」が大きく、上5センチを除く表紙を覆っている作り。帯によると、

 <批判でも賞賛でもないはじめての学会論!/社会学者が知られざる実像に迫る!/なぜ日本社会は学会を嫌うのか。勤行、教学、折伏、財務―学会員の日常とは、保守化、巨大化した組織のゆくえは、>

 <現世的幸福の追求、強烈な上昇志向 日本社会は彼らをどう扱ってきたか>

 とあって、裏の帯に目次がそのまま出ている。なるほど、このような作りが今の新書の流行なのか。でも、帯の目次は詳しくないので、本物の目次を書き写しておく。

 はじめに

 1章 学会員たちの信仰生活

 1 学会員になるということ(P12)座談会に誘われて/入会の手続き/学会員であるということの証―勤行/勤行とお題目/勤行とお題目をめぐる教義/勤行とお題目の効用/会員としてのつとめ

 2 学会員たちのプロフィール(P30)ごく初期の会員―中村はつえさんの場合/学会を古くから知る会員―吉田幸夫さんの場合/二世の青年部会員―若松弘樹さんの場合

 3 「幸せにするシステム」(P46)幸せになれる宗教/「幸せにするシステム」としての勤行と座談会/「幸せにするシステム」としての教学/「幸せにするシステム」を必要とした人々/信仰にともなう軋轢/創価学会と日本社会の特質

 2章 創価学会の基礎知識

 1 創価学会の歴史(P58) 牧口常三郎と戸田城聖/上昇意欲に富んだ民衆にこたえる宗教

 2 日蓮と日蓮宗(P62) 日蓮の生涯/度重なる迫害と法難

 3 創価学会の組織(P67) 「機構」と「組織」/財務と供養

 4 創価学会と公明党(P73) 政界への進出

 5 創価学会バッシング(P76) 言論出版妨害事件/田中角栄と美空ひばり/創価学会側の対応/批判に共通するイメージ/共産党との確執と協定

 6 内部からの告発(P89) 創価学会の盗聴・諜報活動/宗門との確執―第一次宗門戦争/日蓮正宗からの分離―第二次宗門戦争

 3章 創価学会についての研究

 1 初期の創価学会研究(P102) 佐木秋夫、小口偉一『創価学会―その思想と行動』1957年/鶴見俊輔『折伏―創価学会の思想と行動』1963年

 2 学術的な研究と評価(P112) 村上重良『創価学会=公明党』1967年/鈴木広『都市下層の宗教集団』1963年、1964年/塩原勉『創価学会イデオロギー』1965年/梅原猛『創価学会の哲学的宗教的批判』1964年/ホワイト『創価学会レポート』1971年/杉森康二『研究・創価学会』1976年/谷富夫『聖なるものの持続と変容―社会学的理解をめざして』1994年/島田裕巳『創価学会』2004年

 3 海外における創価学会研究(P143) ウィルソン&ドベラーレ『タイム トゥ チャント―イギリス創価学会の社会学的考察』1997年/ハモンド&マハチェック『アメリカの創価学会―適応と転換をめぐる社会学的考察』2000年

 4章 創価学会の変化

 1 創価学会の変遷(P152) 会員数の推移/学会員維持の条件/学会員の社会的地位の上昇

 2 日蓮正宗からの分離(P161) 地域社会との関わり方の変化

 3 地域における自公連立(P166) 自民支持層との地位の接近

 4 公明党の政治的変遷(P169) 大組織に守られない労働者を組織/岐路と選択/一貫する反共と支配層への接近

 5 学会員の階層的地位の上昇(P175) 個人としての上昇か、階級としての向上か

 5章 これからの創価学会

 1 自民党との接近(P182) 小泉改革と創価学会の位置

 2 自民党とよく似た構造(P186) 同じ矛盾を内包

 3 自民党とよく似たトリック(P190) 田中角栄と池田大作/伝統と革新

 4 「ポスト池田」と日本の政治構造(P196) ヨーロッパにおける差別と平等の観念/福祉国家の崩壊と社会的な民主主義の模索/格差社会の新しいロジックを求めて

 あとがき(P206) 参考文献(P210)

 と、以上である。

 目次を見ただけでも大体の内容は推察できる。つまり、この本は「創価学会トンデモ本」ではなく、学問的に新興宗教としての創価学会とその政治結社として出発した公明党を分析しようとした本である。

 内容の略述は目次で終わらせて、あとはポイントだけ書き記す。

 特に玉野氏の大胆な仮説に相当感銘を受けたのだが、だったらどうなのか?と疑問を持った点が中心になる。

 ただ、最初に書いておかなければならないのは、「ちょっと羊頭狗肉じゃない?」という著者への文句というか、ないものねだりの注文である。

 というのは、玉野氏は、「はじめに」で、

 <創価学会の歴史の中には人々の誤解や中小を招くことがなかったわけではない。しかしその程度のことはある程度の組織であれば、どこにでもあることである。むしろ私はそれをことさらに問題視する日本の社会のほうに、あるおもしろさを感じたのである。人々はなぜ創価学会を嫌うのか。そこにわれわれ日本人と日本の社会を理解する鍵が隠されているように思えたのである。>(P3)

 と、この本を書くに至った問題意識を記している。また、

 <これまでの創価学会をめぐる多くの言説のように、教義の妥当性がどうとか、宗教思想としての深みをうんぬんすることよりも、創価学会が実は会員に対して毎日の具体的な行為を指し示し、そこに宗教的な信心の核心を置いてきた点にもっと注目すべきなのである。>(P27)

 <「幸せにするシステム」は、いったん学会員になった人にとってはきわめて頼りになるものであるが、外の世界の人々にとってはやはり気味の悪いものであることは否定できない。選挙のときや唱題会などで多くの会員が一心不乱に題目を唱える姿は、異様といえば異様である。罰が当たると脅すようなこともあっただろう。脱会者に対する監視やいやがらせ、元会員による告発も跡を絶たない。とりわけ他の宗教に対する不寛容な態度はしばしば問題にされるところである。>(P53)

 <それらはいずれも社会的に孤立した人々が内部の結束を固め、かつ外部に対してあきらめることなく、攻撃的なまでに積極的に働きかけるときに生じる「信仰ゆえの軋轢」と考えられる。>(P54)

 <ひょっとしたら、このようなふるまいがことさら軋轢をもたらすのは、日本という社会の持つ特質なのかもしれない。…イギリスやアメリカの創価学会では、むしろキリスト教的な厳格さとは異なった、創価学会の座談会などに見られるフランクな雰囲気に魅力を感じるという会員が多い。アメリカの研究では、過激なセクト主義的傾向の強かった新宗教運動の中で、アメリカ社会への柔軟な適応をはたした典型的な教団として創価学会が取り上げられている。他方、日本の社会が異なる文化や宗教を持つ外国人にとって、きわめて住みにくい場所であることは、つとに指摘されることである。>

 <いずれにせよ、日本の社会においては、創価学会のような、はっきりとした思想・信条のもとに社会的に結束した集団は何かと世間との間に軋轢をもたらすものなのである。それは不思議なことに、創価学会が最も激しく対立した労働組合や共産党と非常によく似ている。>(P55)

 <創価学会について論じる知識人たちの言説がつねに「遅れた庶民の意識」へと水路づけられていくことと対応している。そこで難詰されるのは、時代によって少しずつ内容を変えていくが、いずれも社会の底辺に位置する人々がやりそうなことなのである。創価学会はつねにそことのつながりを疑われていく。…つねにそのような位置に置いておくことで安心する「世論」とか、日本の社会はどのようなものだろう。筆者が創価学会を通して考えてみたいのは、実はこの問題なのである。>(P83)

 と、著者は本書の様々な箇所で違う表現をしながらも、同じような問題提起を繰り返している。

 つまり、もしかしたら、問題は創価学会にあるのではなく、創価学会を入り口で拒否する日本人の心にあるのではないか、という重要な問いかけなのだ。

 これは重要である。

 著者が書いているように、これはひとり創価学会にとどまらず、日本共産党への恐れと拒否感、少しレベルが違うが、田中角栄や美空ひばりを尊敬しつつ馬鹿にする心性とも通じているのだろうし、もしかすると、被差別部落差別意識や在日朝鮮人差別意識にもつながるものかもしれない。

 ここを突っ込んで分析してくれたのか、と思いきや、残念ながらこの問いに対する答えは最後まで書いてなかった。

 新書という枚数の制約があったのあろうが、いずれこの点についての著者の本格的研究を望みたい。

 それはさておき、著者の仮説で「なるほど」と思った部分をピックアップしておく。

◆創価学会問題は労働者階級の問題だ

 端的に書いてあったのは「あとがき」(P207)だが、その前にも何箇所かで同じような見解を述べている。

 <日本では、ヨーロッパのように労働者が自ら労働者階級に留まり、世代的に再生産していくことを望み、それゆえ労働者階級全体としての生活の保障と向上を求め、国家の法制度の中でそれを権利として獲得しようとする意味での労働運動が力を持つことはついぞなかった。そのような、アジアやアフリカの経験からすると、むしろヨーロッパに特異な現象が起きるためには不可欠な、中産階級=ミドルクラスの一部が労働者たちの生活と社会にある種のリスペクトを抱いて接近し、これと連帯するということが、日本ではついぞ確立することがなかったのである。>

 <日本の労働者は、知識層からの援軍も仲間との連帯もあてにせず、つねに激しい競争の中に身を捧げ、労働者としての生活から個人の努力だけで抜け出そうと努めてきた。それゆえ結果として貧しい生活から抜け出せなかったのはすべて自分が悪いのだと自らを責め、世間や国家に対して最低限の生活の保障すらも要求することをはばかってきたのである。その裏側には、確かにある程度の労働者が首尾よく中間層へと上昇することができたというある時期までの歴史的偶然が作用していた。創価学会に結集した人々は、そのような社会的地位の上昇を達成することのできた最後の労働者であると同時に、もはや上昇の道を望めなくなる最初の組織された労働者になるのかもしれない。>

 <そのときに、はたして中間層へと上昇した人々と、そうでない人々との間に、何らかの関係が構築できるのかできないのか、そのことが改めて問われてくる。これからおそらく避けることができなくなる日本における格差社会の固定化や移民の流入と定着を認めざるをえなくなる将来において、明らかに階層や民族の異なる人々がそれでも互いに誇りを失うことなく平等に暮らすための何らかの新しい思想が生み出されなければならない。そのときに、創価学会が培ってきた思想が、本当に取るに足りないものかどうかが試されるのである。>(以上、P207~209)

 著者は創価学会は高度経済成長が増殖させた宗教団体だ、と言う。

 農家の次男、三男が工業地帯や流通業、商業で工員、従業員となって都会に来る。

 身寄りもなければ、頼る人もいない。まず地域コミュニティがない。そんな時に、捨ててきた村落共同体の擬似集団としての創価学会が「座談会」などを通じて地方出身者の心に安心とやる気を出させた。

 かれら、小企業の従業員らは大手組合員や公務員らが組織する労働組合には入れなかった。本来は労働運動はこうした労働者を包摂すべきなのに、

 <社会党は大企業や官公庁の組織労働者を中心としているので、共産党、創価学会が特に支持者を奪い合うことになっていた。>(P86)

 というのだ。この部分は重要だと思うので、ちょっと長いが原文を引用しておく。その中では、中国共産党がなぜ創価学会を重視するか、著者なりのユニークな解答を出しているのが注目されるところだろう。

 <(公明党の中では)公明党の政治的位置は、ある意味では明確に規定されてきた。自民党が大資本や富裕層の利害を代表するのに対して、社会党は特権的な組織労働者を代弁するだけで、組合すら持たない大多数の中小零細企業の従業員や自営業者などの庶民は政治的に棄て置かれてきた。公明党はその庶民の声を国会に届けようとするものであると。それゆえ、当初、素人集団と揶揄された公明党が最初に存在感を示すのは、自民党から社会党に国会対策費の名目で流れるお金があるのではないかという告発であった。>

 <いわゆる左翼の人々はあまり認めたがらないが、日本の革新陣営の主力は組織労働者で、しかもそれは大企業と公務員の世界にしか存在していない。つまり本来の労働者階級というよりは、比較的恵まれた労働者のみが組織されたものなのである。

 <他方、本来の労働者というべき庶民の一部で比較的成功した自営業者は自民党が組織し、中小零細企業の労働者はわずかに共産党が組織していただけであった。だから、民商(民主商工会)を中心に共産党が躍進したことが自民党にとってはいちばんの脅威であったし、後に公明党と共産党が激しく対立することになるのもそのためである。>

 <これに対して、当時の社会党を中心とした革新勢力は、そのような中小零細自営の人々と比べるならば、考えられないほど安定的な雇用を保障されている公務員が、さらにスト権すらも獲得しようという闘争(「スト権スト」)に血道をあげていたのである。

 <この意味で、本来の労働者階級ともいうべき庶民を組織しつつあった創価学会を支持母体とする公明党が、いかなる政治的な位置を占めるかはきわめて重要な問題であった。事実、その後の日本の政治はよかれあしかれ公明党のふるまいにそって展開してきたと見ることもできる。とりわけ日本の保守勢力にとって、創価学会や公明党がどちらの立場に立つかは特別に注意を要する問題であった。>

 <本来の労働者階級を組織しつつも、社会党や共産党とは一線を画す「反共の砦」となるのか、はたまた社会党や共産党が組織している期間労働者や反体制的な知識人と結んで真に革命的な勢力を形作ってしまうのかは、国家権力や支配層にとってはのっぴきならない死活問題だったのである。>

 <だからこそ、言論出版妨害事件の際に自民党幹事長田中角栄はあそこまで竹入公明党委員長のために働いたのであり、池田大作によって主導された「創共協定」の存在が明らかになった時、公明党はある程度池田と創価学会に背いてまで、共産党との共闘がありえないことを保守勢力に対して確約しなければならなかったのである。

 <創価学会が日本において本来の労働者階級を組織した団体であったという、ここでの筆者の理解は、日本ではとうてい受け入れられるものではないだろう。しかし、中国の革命家たち(とりわけ周恩来)は早くから創価学会という団体に特別の注意を払い、社会党でも共産党でもなく、池田大作や公明党を頼ることが多かったのである。>(P169~171)

 こうした戦後の社会史は面白い。今までの有力な解釈は時代の変化の中で塗り替えられていく。もしかすると、著者の解釈は10年後、20年後の戦後社会史論で有力説になっているかもしれないなぁ。

 ここまで、相当に文字をパソコンに打ち込んだため、腕と手が疲れたので、後は、内容のダイジェストを項目だけに省略させてもらって、列挙しておく。

◆創価学会の初代会長の牧口氏の思想は新カント派の思想だ。

 真善美の「真」を除き「利」を入れた。牧口氏はもともとは学校の先生だったし、会も主に教師を中心とした勉強会だったが、太平洋戦争に至る過程の大政翼賛会運動や特高警察の弾圧の中であえなく組織は壊滅、牧口氏は獄死した。

 何とか生き残った戸田2代目会長は「学校の先生などのインテリは頼りにならない」と、底辺で這い蹲って暮らす真の労働者をターゲットに「幸福になれるシステム」で入会者を増やす方法論に転換した。

 だから、教義はもともとは日蓮宗から出た、というわけではない、新カント哲学なのだ。しかし、「真善美」の「真」が欠けてしまっているので、日蓮宗の法華経の教えで「真」を穴埋めしただけだった(?)。だから、日蓮正宗との絶縁に際しても、世間が思うよりはスムーズに進んだ、という。

◆牧口、戸田氏は世襲否定を何度も説いた。それに共鳴する信者が入信したケースもある。→ポスト池田って、子供ではないのか?

◆創価学会研究の白眉はホワイトの「創価学会レポート」なのだが、学会バッシングの嵐が吹き荒れる中、こうした学術研究は顧みられず、捨て置かれているのがもったいない。欧米での学術的研究の方が今は進んでいる。

◆能力はあっても経済的な事情から上の学校に進めなかった多くの人々にとって創価学会における「御書」を中心とした言語の修得を伴う教学のもった意味は大きく、学校PTAなどで、大学卒の先生や、上の女学校を出た他のお母さんたちとも気後れせず、平気で話せるようになった。これも創価学会が重視する「実利」の一つだ。(P33)

◆かつては「病人と貧乏人の集団」と言われたような異様な集団だったことは事実だが、高度経済成長の間、学会の教えを守って地道に働いた学会員が多く、豊かになった人も多い。今では会員は相当に階層的に上昇している、と推測されるが、データはない。

 なぜそう推測できるか、といえば、当時から上昇志向の強い人たちが集まっていたから、階層的に上昇できたという。

 今では公明党支持層(=創価学会員)は自民党支持層とそうは変わらない社会階層となっている、という。

 しかし、池田大作氏は創価学会のエリート集団化を嫌い、あくまで「庶民の創価学会」であることをレゾン・デートルにしている。

 そうしないと創価学会は変質してしまう、と池田氏には深い危機感があるようだ。しかし、これが国家公務員キャリアや弁護士、医者などのエリートたちと池田大作氏との軋轢を生んでいる、という。

 …などが主な内容だろうか。創価学会員の一日、とか、学会の組織なども詳しく書いてあった。少しロングスパンで創価学会を考えるには参考になる本だ。

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