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2008年11月23日 (日)

田母神氏と22年前の藤尾正行氏の共通点+朝日新聞11月20日朝日新聞の林香里東大准教授論文への反論

 田母神論文で藤尾正行氏を思い出した。頑固一徹で、よく怒鳴るので、政治記者からは嫌われていた。読売新聞の記者出身とは思えないマスコミ嫌いだった。

 1986年7月22日、中曽根内閣の文部大臣就任記者会見からして異例だった。大体、新米の大臣が来ると役所は記者会見の想定問答を用意し、短い時間でレクチャーする。今までの行政の方向と逆のことを言ってもらっては困るからだ。

 もしも理解力に欠ける大臣が逆の方向の話をしたら、その後で事務次官か担当局長が「先ほど、大臣が○○と申し上げたのは、▽▽という意味です」と、全く逆の説明をして糊塗してきた。記者クラブというのはいいもので、そういう変な慣習を長い間受け入れてきた。

 大臣は1年でいなくなるが、役人は一生、その省で生活する、役人の言うことを聞いていたほうが今後、特ダネがもらえたり、と何かと便利だから、大臣の意思などはなから無視していたのだ。

 藤尾新大臣はこの慣習を破った。文部省が決めた秘書官候補者が持ってきたメモを見もせず、「オレはやりたいようにやる。役人の言うことは聞かない」と言い切ったのだ。当時、永田町には「藤尾氏は通産大臣になりたかったのに、軽量ポストの文部大臣にされたので、頭にきていた」という解説が流れたそうだ(2008年7月17日日経新聞夕刊[名言迷言])。

 藤尾氏は硬骨漢だ。誰が何と言おうと自分の信念を貫く。栃木2区という中選挙区で立候補、そのような性格だから選挙に強いはずがなく、落ちたり受かったりの繰り返しで、大臣初就任は遅かったが、自民党政調会長を3期務め、安倍晋太郎派幹部でもある党の重鎮、党内右派の有力者だった。

 1986年夏は中曽根康弘首相にとってわが世の春だった。金丸信・自民党幹事長と練りに練った衆参同日選挙を7月6日に実施、自民党が512議席中当日公認候補で300人、選挙後の追加公認した保守系無所属候補を入れると304議席というかつてない大量議席を獲得。参院選挙でも126議席中72議席を得て安定多数を確保。秋の自民党総裁任期切れを前に自民党は金丸氏を中心に総裁任期1年延長を決めた。得意絶頂の中曽根首相は夏の自民党軽井沢セミナーで「左のウイングを取り込んだ」と、胸を張った。その後できた内閣で藤尾氏が文部大臣に就任したのだ。

 世の中の空気は革新勢力の退潮を当然と受け止め、自分たちの賃金アップのためにストを繰り返す国鉄の労働組合を白眼視する世論が醸成されていた。中曽根内閣の国鉄民営化政策は臨調トップに「おかずは目刺し」という禁欲主義者の土光敏夫氏を持ってきた戦術もあいまって、国民の後押しするところとなった。それが、この自民党の歴史的大勝に現れていた。

 中曽根首相のお友達の文化人たちは「柔らかな個人主義」が日本に定着してきた(山崎正和氏)、「新中間大衆の時代」が来た(村上泰亮氏)などとこの勝利を意義づけたが、経済成長が国民意識を保守化させたことは事実だった。

 中曽根首相は国家主義者である。愛国心を持った国民が日本という国を愛し、豊かにしべきだ、と首相になるまえから考え、若い頃から憲法改正草案を練っていた人だ。靖国神社への参拝もそういう中、自然の流れで行われた。しかし、この参拝に中国、韓国から「A級戦犯を祀る神社に参拝するのはけしからん」というクレームがつく。

 すったもんだの末、86年は後藤田正晴官房長官が談話を出し、中曽根首相の公式参拝見送りを表明した。

 藤尾氏がほえまくったのはそんな時だった。先ほどの日経夕刊で紹介されたエピソードを中心に書いておこう。

 7月25日には復古調の記述が問題となっていた高校日本史教科書について「文句を言っている奴は世界史の中でそういったこと(侵略)をやったことがないのか」と発言して、韓国マスコミが一斉に「妄言」と非難した。

 月刊誌向けの8月21日のインタビューで藤尾文相は「東京裁判は一種の暗黒裁判」「日韓併合は形式的にも事実の上でも両国の合意の上に成立している」と語り、大問題に。9月に中曽根首相の訪韓を控えていた政府はこれ以上文相の失言を放置できなくなった。

 藤尾文相は9月8日の記者会見で発言の経緯や歴史観を繰り返し説明した。進退については「自ら辞めれば信念を変えることになる。罷免していただきたい」と言い張り、思想信条を原因に大臣の首を切る前例を作りたくなかった中曽根官邸と自民党執行部は、8日夜に中曽根首相、金丸副総理、竹下登幹事長、安倍晋太郎総務会長が首相官邸に藤尾文相を呼んで説得したが、文相は「信念は変わらない」と辞職に応じなかったので、在任50日で首切り(更迭)となった。

 「信念を曲げたくないので、自分では辞任できない」などの藤尾氏の行動パターンは今回、22年の歳月をタイムスリップしたかのよう、田母神氏に引き継がれた。信念の問題なのだ。

 しかし、86年の中曽根氏の「戦後政治の総決算」は憲法改正もできなかったし、教育改革も臨調方式の臨教審をつくってはみたものの、成果はほとんどない。つまり、新保守主義的改革、もっといえば戦前回帰的な改革は国民の心理的抵抗が強く、できないのが現状なのだ。

 この面で半歩進んだのが安倍晋太郎氏の子息、安倍晋三首相時代。教育基本法を改正し「国を愛する心」を条文化し、憲法改正のための国民投票の手続き法も成立させた。中曽根首相の問題提起から25年もかかってようやくここまでの改革ができた、という段階だ。藤尾氏や田母神氏の言う戦前回帰は今の大多数の日本人が生きている時代には日本人のコンセンサスにはならないだろう、と思う。ただ、「憲法9条を守ろう」ばかり言って、現実の脅威への対応をおろそかにすると、いざという時にその反動でどこまでも戦前・戦中に回帰する恐れがあるのではないか、とも思う。

 ほどほど、という言葉を忘れてしまったような最近の日本人にほどほどの愛国心、ほどほどの防衛力、ほどほどの個人主義と公共心を身につけてもらえるような、そんな政治とメディアの努力が必要なのではないか、と思う。

◆林東大准教授の「歴史認識というアジェンダの共有」問題

 朝日新聞11月20日朝刊[私の視点]に林香里・東大准教授(ジャーナリズム・マスメディア研究)が<田母神論文 政府は歴史認識を語れ>で麻生首相らが政府の歴史認識を語ることを避けており、メディアの多くもこれに引きずられてしまい、文民統制や任命責任などに重きを置いて報道してきたが、ことは思想や歴史観の問題であり、文民統制や任命責任という手続き論がすべてと簡単に片付けずにもっと深く語れ、と呼びかけていた。

 林氏の言いたいことが今一つよく分からないのだが、次の言葉がポイントのようだ。

 <歴史認識は、特別な政治的アジェンダ(議題)として政府と国民が認識を共有するべきだ。そのための努力を怠ってはならないという責任感が、政治家にもメディアにも欠落していないか。>

 首相が率先して田母神氏の主張に反論し、政府が毅然とした姿勢を示すことで文民統制をより強固にできる、とも書いている。ただ、何をもって政府の歴史認識とするのだろうか。村山談話が今のところ最新の歴史に関する政府見解だと思うのだが、麻生首相も他の自民党・政府要人も「村山談話は維持する」と話している。それ以上のどのような歴史認識を語れと言っているのか、よく分からない。

 それに、メディアは…というが、朝日新聞は田母神論文について逐条的に学者の反論を載せ、事実関係が誤っている、と指摘していたが、細かい話が多く、なかなか全部読むという人はいなかったのではないか、と思う。

 林氏のいう「歴史認識」とは何なのか? 特別な政治アジェンダとして政府と国民が共有するとはいっても、ご存知の通り、満州事変、日中戦争、太平洋戦争については戦争責任からして国民的コンセンサスはできていない。このため、戦後60年の年に読売新聞がその歴史を大型企画で振り返り、どの時点だったら戦争を防げたのか、誰がそれをサボったのか、ポイント・オブ・ノーリターンを探す旅を連載したのだが、私から見れば尻切れトンボで終わっている。

 これは仕方ないことで、明治憲法の規定をそのまま読めば、昭和天皇の戦争責任を避けては通れず、そこに触れない戦争責任論はいずれも中途半端に終わる運命にあるからだ、と思う。近衛文麿が昭和天皇に譲位を申し出て断られ、そのせいで近衛はGHQと宮廷の連合軍にしてやられて、最終的に自殺したのあ、と解釈している。

 天皇の戦争責任は本島長崎市長が表明して右翼に命を狙われたように、発言すること自体命がけである。だから、誰も発言しない。そして、戦前の軍部批判だけがいつまでも残る、という悪循環が繰り返されている。

 過去、かくありせば、は歴史の語り方ではないのだろうが、昭和天皇が敗戦直後に譲位し、平成天皇が即位していれば、徳川慶喜が謹慎ですんだように、誰も昭和天皇を処刑しようとはしなかった、と思う。かえすがえすも残念なのだが、それが違う歴史になって戦後が始まってしまったのだから、仕方ない。

 そんな歴史の闇の部分を抱えながら高度経済成長、バブル崩壊と過ごしてきた戦後日本で、政府と国民が特別な政治的アジェンダとして歴史認識を共有するなどということはできない相談なのではないか。

 基本的に中国に批判されるから、とか、韓国が怒るからというような問題ではなく、ことは日本国内の60年以上積み重ねられてきた「本音」と「建前」の二重構造の問題だと思うのだが、どうなのだろうか。

 林氏のいうようにスッキリ割り切りたいのは誰でも同じだろうとは思うのだが。

 それに、もう一点、林氏の論文に意見を言いたいのは、田母神氏は細かい歴史的事実の真偽をいかにあげつらっても何も痛痒を感じないのではないか、ということだ。田母神氏の言いたいのは「守るべき祖国、愛する祖国のために命を賭けて戦う」将兵が感じている「自虐史観」への反感を代弁したことだろうと思う。自虐が韓国、中国を尊敬し、ということではないことは十分理解するが、自分が生命をかけて守る国がくだらない国だ、ということは軍人には許せないのではないか、と思うのだ。

 この問題は重要だと思う。ここを解決しないと、いかに文民統制を強化しても、仕方ないのではないか、と思う。それに、歴史認識の政府と国民の共有というのは、信教の自由、思想の自由を押し潰しかねない危険な匂いのする言葉だ、ということも注意喚起しておきたい。

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