書評「若者のための政治マニュアル」山口二郎著(講談社現代新書)
2008年11月20日第1版第1刷発行、定価720円+税=756円。
224ページと薄い本で読みやすく、この種の本にしては安いのは、多くの若者に読んでほしいからか。
若手政治学者としもてはやされた山口二郎氏も執筆直前に50歳になった、と「あとがき」に書いてあった。
「私は団塊世代の無責任さが嫌いだが」とあるのも、そうだろうなぁ、と思う。若い頃は社会民主主義論など難しい用語を弄んでいた観もあったが、この本は非常に読みやすい。男子三日会わざれば…で、相当に人格の幅が広がったのかな(失礼!)。
| 若者のための政治マニュアル (講談社現代新書) 著者:山口 二郎 |
非正規労働者激増、ワーキングプアなど物言わぬ優しい若者たちに「もっと自己主張していいんだよ」と説く。難しい言葉を使わずに、内容を一定レベル以上に保ったのは山口氏の成熟の賜なのか。全10章だが、それぞれ「ルール」としている。これが山口氏の主張なので、ルール1~10まで書いておこう。
①生命を粗末にするな
イラクで人質になった若者3人への「自己責任論」の嵐の中で、山口氏は「あんなやつは死んで当然だから助けなくてよい」と言った政治家は絶対許さない、という。秋葉原事件など犯罪に対するのと同じ怒りを犯罪の原因である社会構造に向けるべきだ、という。総中流社会は社会的包摂の社会だったが、今は社会的排除の社会であり、変えなければいけない、と説く。
②自分が一番――もっとわがままになろう
政治は異なった利益の主張が様々に存在することが前提となっているのだから自分の権利を主張しよう、権利の主張が過剰なのではない。権利と特権を混同してはいけない、と。「和の政治」「あいまい決着」は対立点を隠し、政治を無意味にする、とし、みんなの権利が尊重される社会を作ろう、と説く。
「自信を持ってわがままになろう」という若者へのメッセージはいい言葉だ。
③人は同じようなことで苦しんでいるものだ、だから助け合える
リスクを個人が負うのか、社会で分かち合うのか、誰もが負うリスクは分かち合うべきだ、という。
ここで面白いのは自民党一党支配体制が続いたのは国民を包摂する様々な仕組みがあったことを説明していること。
日本の社会政策の規模は西ヨーロッパの国々と比べ小さいが民間企業単位のリスク社会化(長期安定雇用、健康保険)がある。これには会社に属する人を会社人間化させるデメリットもある。
また、官僚支配や政治腐敗とリスクカバーが結びついていたのも日本の大きな特徴だ。地方にとってほぼ唯一の産業である公共事業はただ単に切り捨てればいいというものではないが、建設会社の談合と官僚天下りがついて回る。それに、小売業、金融、輸送などの業界は護送船団方式で官庁が守り、弱い企業の落ちこぼれを救った。こうした業界保護と癒着が結びついた胡散臭さを伴ったのが日本型の特徴だ。
1980年代まではこの仕組みがうまく機能し、80年代半ばには「総中流時代」が形成された。90年代には政治家と官僚の腐敗が度を過ごし国民の我慢の限界を超えたこと、バブル崩壊と経済の長期停滞で税収減、財政悪化、リスク社会化のための財源不足、生活保護予算のカットなどが始まる。
グローバル化の進展で規制緩和、民営化が進み、労働規制までなくなった。人々は今までよりも大きなリスクにさらされたのに、改革という名の下にリスクを拡大する政策を人々は支持した。
④無責任でいいじゃないか
行政改革の基本構想を打ち出した90年代後半の行政改革会議最終答申、99年2月の経済戦略会議「日本経済再生への戦略」報告は他者あるいは社会からのサポートを受けることがモラルハザードと悪平等をもたらすので、倫理的に好ましくないという価値観が「正義」として語られている。
こういう議論は部分的に正しいことから出発してそれを過度に一般化して誰も反対できない「正論」を形成するというインチキだ、と激しい言葉で糾弾する。
90年代以降、バブルが弾け、経済全体に余裕がなくなった。アメリカにおける経済の発展のモデルを見て金持ちや強者はもっと遠慮しないで金を稼ぐことが倫理的にも許されるという信念を持つようになり、日本では経済界とアメリカかぶれの学者からなる政府の審議会がそのような考えを布教した。
自己責任論が小さな政府、冷淡な政府をもたらした。
オリックスの宮内義彦会長は派遣の全面解禁など雇用の規制緩和の旗を振った規制改革・民間開放推進会議議長を務め「北海道の人口は200万、300万人で十分だ」と発言した。今の人口は560万人だが、札幌で大体230万人。札幌以外は役所の経費が無駄だから人は住むな、ということ。こうした人に主導されて政治が行われた。
⑤頭のよい政治家を信用するな
マックス・ヴェーバーもいうように政治家に求められる資質は情熱、判断力、責任感。
国民が冷酷非情な小泉政治を支持したということは、面倒見としての政治を否定するという転換に踏み出したことだ。
今後、少数者や集団への利益配分が既得権として一切合財否定されるならば、公共の利益は何を意味するのか、と問いかける。
小泉改革から何年か経って人々は政治家に必要な条件について考え直しているようだ。鈴木宗男や亀井静香のほうが他者に対する共感能力では小泉やその手下よりもはるかに立派な政治家だ。
官僚という人種は既存の制度や法律を前提としてものを考え、あらゆる問題を既存の制度の枠組みの中で解決しようとする。それは決して悪いことではなく、官僚に求められる資質だ。官僚が杓子定規で保守的なのは仕方ない。
政治家こそ世の中の変化をしっかり見据え、既存の制度や法律のおかしなところを改めるべきだ。
政治家には細かい政策の知識は必要ない。どのような世の中に向けてどのような政策を作り出すかという意志こそ政治家にとって最も重要な資質だ。
有能だが大きな目標や志のない政治家と当面財源の当てはないがたとえばワーキングプアを撲滅するという大きな目標を持っている政治家と、「政治家としてどっち立派か」と問われれば、私は迷わず後者を選ぶ。多少荒唐無稽ではあっても志高く、目標を提示する政治家を大目に見てやる必要がある。
⑥あやふやな言葉を使うな、あやふやな言葉を使うやつを信用するな
ジョージ・オーウェル「1984年」のビッグブラザーの「戦争は平和である。自由は隷属である。無知は力である」。→ファシズムは言葉の崩壊から始まる。策略をもつ政治家は常に意味不明の言葉を流布させる。メディアの発達とイメージ操作。
⑦権利を使わない人は政治家からも無視される
戦後日本では60年安保のように若者こそ政治を動かしてきたのに、なぜ若者は今政治に無関心なのか?
政治教育がなってないからだ、という。文部科学省は政治に興味をなくさせ、権利行使をさせないような教育をしている。ディスカッションで政治を学ぶアメリカの高校とは大違いだ、と慨嘆する。
公明党が力を持っているのは創価学会全国800万世帯しかいないのに、投票に行くので、投票率が100%となり、投票率の低い選挙では公明党の1票の価値が高まるからだ、という。弱者はこの原理を利用すべきだ、という。
「公明党が影響力をもつということは、若者の利益を考える政治家が少ないということとコインの裏表だ」と言っているが、ここまで言うと、公明党に可哀相過ぎないか。
⑧本当の敵を見つけよう、仲間内のいがみ合いをすれば喜ぶやつが必ずいる
イタリアの政治学者ノルベルト・ボッビオは「近代政治において自由と平等が最も基本的な対立軸である」。
ロベール・ボワイエの「フォーディズム」。
コリン・クラウチの「デモクラシーの放物線」。
戦後日本の平和と繁栄は日本型フォーディズムの仕組みがもたらした。
政治的な差異が曖昧になったのは社会の安定や経済の繁栄の裏返し。
経済的飽和化と差異の消滅という政治状況は20世紀末から急速に崩れ始める。石油危機以降の成長の鈍化、経済グローバル化の進展、先進国における製造業から金融業、サービス業への産業構造のシフトなどが原因。
グローバルな市場の拡大でそれぞれの国内において労働力の供給主体としても、消費の主体としても、労働者をつなぎとめる必要がなくなり、必然的に平等化装置も必要とされなくなった。労働力は中国、インド、旧共産主義諸国などに行けばいくらでもいるので、国内の労働者に高い賃金を払う必要はない。先進国の人口が停滞する中で、製品も海外の消費者、特に中国やインドに売ればよいということになる。
富のヒエラルヒーが復活する新たな環境で、ヒエラルヒーを正当化する政治的圧力と平等を回復させようとする政治的圧力が対峙し、政治的対立軸が復活する展開が見られるようになる。
こうした平等を争点とした新たな対立構図の中で左派勢力は支持基盤拡大に取り組む。
ところがコリン・クラウチが「ポスト・デモクラシー」(青灯社、2007年)で分析しているように
▽最近の先進国のポスト・デモクラシーではポスト産業社会の帰結として現れた新たな中流・下流階層の人々が自らの利害や要求を政治的に主張する能力を失う
▽ビジネス、特にグローバルな市場で活動するビジネスの政治的な力が大幅に増加する
▽バランスを欠いた政治が出現する
――と指摘する。
非エリート市民がヒエラルヒーの縦の差異を政治的な差異として認識できなくなると時給800円のフリーターが月額150万円の六本木ヒルズに住む若手経営者を見ても敵と感じなくなる。そうした心理がもたらすのは諦めである。
政治階級は「分割統治」の原則を忠実に守っているので、正社員と非正規社員の確執とかを引き起こして、怒りが自分たちにこないようにする、という。この主張は「なるほど」と思った。
英国のブレアは「福祉から労働へ」のスローガンで社会福祉を社会に参画し自己実現を求めて働く人々を後押しする政策と位置づけた。これは見習うべきだ、と。
日本では保守政党の長期政権を支える仕組みの一部として平等化装置が確立された。ところが、規制緩和、市場開放が進み、「総中流社会」を支えた平等化装置は解体の一途をたどった。ところが、90年代は財政出動による景気対策が行われ、不平等が顕在化するまでタイムラグが存在した。
小泉改革は90年代以降の政治改革の文脈における政策転換の仕上げだった。「官と民」という差異化を首相が先頭に立って採用することで改革に対する世論の支持を動員した。「官と民」という偽りの対立軸の中で、「民」側には市民と大企業が入り、大企業は官からおいしいところを分捕った。弱者保護もしていた官はやせ細った。
⑨今を受け容れつつ否定する
理想主義と現実主義、エドマンド・バーク「フランス革命についての省察」(岩波文庫)。急進主義とエリート主義。
⑩当たり前のことを疑え
政治の進歩は当たり前のことを崩すことによって起こってきた。「当たり前」は国、時代によって全く異なる。政治のえこひいきを正当化する「社会的偏見」。「当たり前」を常にかき回そう。
以上が目次+@である。
面白かった。
たくさんの若い人に読んでほしいと思う。
私など、ここで批判されている飯尾潤氏の分析がある程度正しい、という見方なのだが、山口氏の大胆な分析も傾聴に値する。
ただ、やはり、昔日の社会党の理論ブレーンだけあって、「これは運動論だな」、というのが正直な感想だ。運動論でもいいのだが、限界があり、時代が変わったら通用しない。今の時代向けの寿命が短い論文かもしれないが、パンチがある。
この論にどれだけの若者が反応して、動き出してくれるのか。期待したい。
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