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2008年12月

2008年12月31日 (水)

秋葉原事件と永山事件の共通点と相違点~見田宗介氏インタビュー(08年12月31日朝日新聞朝刊)

 朝日新聞12月31日朝刊3面[あしたを考える]に社会学者、見田宗介・東大名誉教授(71)のインタビューが掲載されていた。6月に秋葉原で起きた無差別殺傷事件の加藤智大被告(犯行当時25歳)と1968年に連続射殺事件を起こした永山則夫(当時19歳)の比較をして、現代を分析した論考だ。聞き手は四ノ原恒憲編集委員。

 見田宗介(みた・むねすけ)氏は東大教授から08年3月までは共立女子大教授。永山の事件を分析した73年発表の論考「まなざしの地獄」が今年書籍化されたそうだ。「現代社会の理論」「社会学入門」「気流の鳴る音」(真木悠介のペンネームで発表)などがある、とあったが、見田氏の著作は多い。僕も新書を何冊か持っている。

 見田氏は、

 <後から見れば、今年が戦後日本に何回かあった大きな転換点の一つになっているのでは、と考えています。そんな時代の問題点を、秋葉原の事件が鋭く表わしています。>

 と語り始める。見田氏が分析した1968年の永山事件の永山則夫と今回の加藤被告の共通点と相違点が面白い。以下、見田氏の分析のポイントを書いておこう。

 共通点は共に青森県出身の若者が東京で事件を起こしたこと。永山は中卒の集団就職で東京に来た。加藤も途中からアルバイト、派遣社員とそれぞれも時代の最底辺の労働を担っていた。当然、そこには貧困や差別、階級構造の問題がある。もっと重要なことは事件の核心がそんな問題にないことだ。貧困から逃れるのならば強盗も考えられるし、差別ならばある種の反体制行動もあるが、二つの事件は共に動機がとても分かりづらい。

 この分かりにくさがポイント。犯罪の核に「実存的」な生き方というか、アイデンティティーの問題が潜んでいる。だから、今回の事件の残酷さにもかかわらず、貧困層だけでなく若い正社員や大学生らからある種の共感がネットなどに寄せられたのだと思う。

 では決定的な違いは何か、というと「実存的」な核の中身が正反対だ。一つは未来の消滅だ。永山の場合、希望に胸を膨らませて上京してきた。東京での挫折の結果、次にアメリカに密航しようとして米軍基地に侵入するが、密航の夢は果たせず、犯行につながった。何か未来へのあこがれがあって、その可能性が遮断された瞬間に犯罪が起きる。永山は例外ではなく、1970年代くらいまでの若者のほとんどは中身様々だが今よりも素晴らしい未来があるということは前提になっていた。

 ところが加藤の場合は東京への憧れは最初から持っていない。「とりあえず安定した生活を」とアルバイトや派遣社員で国内を転々とした後、静岡で働いていて人々の注目を集める場所として東京を犯行場所に選んだだけだ。僕のゼミの学生の話をずっと聞いていても、夢や未来に対する想像力のスケールがどんどんしぼんで、現実的になっている。今、素晴らしい未来が必ず来ると思っている若者はほとんどいないのではないか。

 もう一つの違いは人々の「まなざし」だ。中卒、貧困家庭出身、青森弁など永山は世間の人々の「まなざし」が鳥もちのように纏わり付き、自由に生きることを許さなかったことに苦しんだ。ところが加藤の場合は反対で、いわば「まなざし」の不在の地獄だった。ネットにも書いているが、これまで自分は誰からも必要とされなかったと思い込む。犯行予告をしても誰からも相手にされない。「まなざし」の不在に耐え切れずに結局、加藤にとって一番注目されると思う秋葉原で犯行を通じて「僕はここに居るんだ」と叫ぶしかなかった。

 無視していじめる、という意味で「シカト」という言葉が広く世間で使われ始めたのが80年代からだと思うが、いまや日常語として定着してしまった。文学では当時、村上春樹が小説の中で「空気が薄い」という言葉を使っていた。

 大きく言うと「空気」が「濃い時代」と「薄い時代」がある。「濃い」というのは人と人の関係の中で愛情であれ関心であれ憎しみや干渉にしても他者との間に交わされる関心というか「気」が濃厚だという意味だ。そういう意味では永山の「濃い時代」から、現代は「薄い時代」にすっかり変わってしまったことを加藤の事件がよく表わしている。

 どちらがいい、というわけではないが、日本は戦前の「共同体」や戦時体制のような濃すぎる社会から戦後の近代化を経てだんだん薄くなってきたのだが、その結果、現代は「薄くなりすぎた」という問題が出てきた、ということだろう。

 僕はこれまで日本の戦後を

①敗戦から60年ごろまで…人々が「理想」に生きようとした「理想の時代」

②高度成長が完成した70年代前半までを「夢の時代」

③ポスト高度成長期の90年代前半までを、もうリアリティを愛さない「虚構の時代」

 と分析してきた。その後は何の時代か、とよく聞かれたが、

④「バーチャル(仮想)の時代」

 だと考えている。「虚構」という言葉には基本的にどこか否定的なイメージが付き纏っているが、「バーチャル」には何か「新しさ」というポジティブなイメージがある。電子メディアの発達で古典的な現実なんてものにとってかわって、バーチャルな世界だけで人間は幸せにやっていけるんだ、と多くの人々は思い込み、虚構に居直った時代、という意味だ。

 そういう視点から加藤がネットの中で自分と反対の立場にいて「敵」と考えた存在を「リア充」と呼んだことに興味を覚えた。生活や人間関係の「リアリティーが充実している人たち」の意味だ。敵は理想の裏返しでもある。加藤の犯罪は大変、この国に多い若者のリストカットと似ていると思った。腕を切ること自体の痛みや血が流れることで、生のリアリティーを得ようとする。共にリアリティーへの飢えでリストカットは自らの内側に向けられた無差別殺人なのかもしれない。

 そういう意味では「薄くなりすぎ」また、仮想世界に居直った「バーチャルな時代」の中で、リアリティーというか、古典的な現実への飢えがこの国に充満し始めたことが明らかになり、「バーチャルな時代」が臨界点に達したことを加藤の事件は象徴している。

 出口はあるのか、だが、例えば旅行会社の話で、最近の若い人たちはただの観光ツアーには興味はないが、現地の人の役に立つような活動が入ると人が集まるという。これも同じリアリティーの飢えだだ、人を殺したり自分を傷つけたりするのとは別の仕方で生きるリアリティーを充実する仕方を青年たちが見つけることができれば、もう一つ新しい時代が開かれると思う。

 以上がほぼ全文である。

 見田氏はじっくり考えているようだ。見田氏のような大きな輪郭で秋葉原事件を分析することが必要だ、と思う。永山死刑囚の死刑は1997年に執行された。もう11年前になるが、その名前は長く残る。不名誉な残り方だが、それは集団就職列車の記憶を伴った残り方で、言ってみれば「三丁目の夕陽」がプラスの面、永山がマイナスの面を象徴しているとも言える。必ずプラスの面もあればマイナスもある。

 その意味で加藤の事件は永山の事件ように記憶されないのだろうと思う。何年かたてば皆忘れ果てるのではないか。見田氏はネットで共感した若者が居た、と書いているが、それはごく一部だと思う。加藤は馬鹿だ、もう少し違った方法で生きたり死んだりできたのではないか、と思っている若者の方が圧倒的に多いと思う。

 空気の薄さは大問題だろう。この問題には今は立ち入らずにおく。

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2008年12月29日 (月)

「糞坊主」「悪党」オンパレードの座談会が最終回~12月29日聖教新聞

 会社の職場に聖教新聞が来るので、たまに目を通しているのだが、座談会が面白くて愛読している。

 12月29日の4面座談会[新時代を勝ち開け!]が86回目で「完」となっていたので、読んでしまった。

 この座談会はいつも面白いのだ。日蓮正宗のお坊さんの悪口とか、反創価学会のライターらへの悪口のオンパレードなのだが、その言葉遣いが宗教者にあるまじき猛烈な卑語が飛び出すので、「へぇ、ここまで言うのか……」と感心しながら読める。つまらない小説よりはドキドキさせられて、暇つぶしにはいい。

 この最終回は前半が創価学会の悪口を書いた週刊新潮と乙骨氏が最高裁判決で敗訴したことを受けての悪口三昧。後半は竹入 義勝元公明党委員長への悪口で終止していた。「あれっ」と思ったのは、創価学会と竹入氏が和解したのではなかったのか? と思っていたからだ。

 グーグルで調べたところ、どうも「和解」とは言っても部分的な和解のようなのだ。共同通信の12月4日配信記事が見つかったので、コピペしておく。

 見出しは<公明党が竹入氏と和解/「互いに誹謗中傷せず」>である。本文は、

 <公明党が竹入義勝元委員長に対し、党の資金を着服したとして550万円の損害賠償を求めた訴訟は4日、東京高裁(宗宮英俊裁判長)で和解が成立した。関係者によると、和解条項では「双方が相手方に違法な誹謗中傷をしないことを確約する」と明記。竹入氏が遺憾の意を表明すれば、請求棄却の1審判決に対する控訴を党が取り下げることが盛り込まれたという。>

 <公明党側は「竹入氏は委員長在任時の1986年6、7月ごろ、党の資金を着服し、百貨店で妻の指輪を購入した」などと主張していたが、今年3月の1審東京地裁判決は「当時は衆参同日選の最中で、竹入氏が百貨店で妻を伴って買い物をする余裕があったか疑わしい」と退けていた。竹入氏は67年2月から86年12月まで、公明党委員長を務めた。>

 というものだ。

 勘違いしていた。あくまで公明党と竹入氏の和解であり、それも「違法な誹謗中傷」をしないというだけで、合法的な誹謗中傷は許されており、なおかつ創価学会は訴訟の当事者ではないから、何も束縛されなかったのだ。知らなかった。

 またウィキペディアのお世話になろう。竹入氏の項目である。

 <1926年1月10日、長野県生まれ、政治大学校卒業。国鉄(現JR)勤務。59年4月、東京都文京区議会議員選挙に無所属(創価学会推薦)で立候補、当選。61年11月、公明政治連盟結成。63年4月、東京都議会議員選挙に北区から公明政治連盟で立候補、当選。64年11月17日、公明党結成、党副書記長就任。67年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に旧東京10区(後の東京17区)から公明党公認で立候補、初当選(以降連続8回当選)。この選挙で公明党は25議席獲得し大躍進。>

 <67年2月、辻武寿氏(参院議員)退任にともない公明党委員長就任。党の衆院重視への転換を示す。69年に政治評論家の藤原弘達氏による公明党と創価学会の政教分離問題が表面化、竹入氏は田中角栄・自民党幹事長に問題解決を依頼、矢野絢也書記長と田中・藤原会談を見守った。71年6月27日、第9回参院選で公明党は得票を減らし敗北。72年、社会党の成田知巳、佐々木更三現元委員長らと中国訪問。日中国交正常化交渉の極秘下折衝、9月の田中首相訪中、国交正常化に貢献。12月10日の総選挙では公明党は29議席と完敗。75年には成田社会党委員長と初の社公党首会談、反自民で一致し選挙協力に発展。79年には佐々木良作・民社党委員長と公民連合政権構想に合意。79年10月7日の総選挙では社公・公民選挙協力が成功、自民大敗。80年1月に飛鳥田一雄・社会党委員長と社公連合政権構想に合意、共産党とは絶縁(革新ブロックの解消)。80年6月22日の衆参同日選挙は総選挙で50議席割れ、参院選では25議席割れの惨敗。84年の自民党総裁選挙で佐々木民社党委員長と「二階堂擁立」抗争に巻き込まれる。>

 <86年12月、各党の世代交代の中、委員長在職20年目を前に退任、党最高顧問に就任。90年、政界引退。97年、勲一等旭日大綬章を受章。>

 <98年に「公明党と創価学会が政教一致の関係にあった」と『朝日新聞』に「55年体制回顧録」を掲載。回顧録に学歴記述の矛盾などが見つかった。これを機に反創価学会の立場を鮮明にし、公明党、創価学会から除名処分を受けた。>

 <2006年5月19日、公明党は「内部調査により、竹入が公明党委員長在職中の1986年7月に自分の妻へ送った指輪の購入代金を公明党の会計から支出し着服横領した」として、総額550万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に起こした。翌日には、創価学会の機関紙『聖教新聞』において提訴が大々的に報道され、提訴後も同紙には折に触れて横領を非難する記事が掲載された。>

 <08年3月18日、東京地裁は「党の会計から私的流用したとは認められない」として請求を棄却。判決文では「横領したという当時は衆参同日選の最中で、党トップの竹入氏が秘書や警護官もともなわずにデパートで夫婦そろって高価な指輪を購入するのは不自然」と指摘したうえで、購入した指輪の具体的な種類や形状が特定されていないことなどを理由に、流用の事実は認められないとした。>

 <公明党側は即日、東京高等裁判所に控訴。08年12月4日に「互いを誹謗中傷せず、竹入が遺憾の意を表明した場合は党側が控訴を取り下げる」との条件で和解が成立した。『聖教新聞』は着服横領提訴の判決が出るまでは着服横領を複数回1面トップに持ってくるほど大々的な報道を行っていたが、敗訴判決の事実および竹入氏との和解の内容を機関紙『聖教新聞』では公表していない(極小記事での扱い)。>

 この29日の座談会の見出しは<公明議員は立ち上がれ/支持者の期待に結果で応えよ/戸田先生「私利私欲の議員は叩き出せ」>である。

 見出しを見てびっくりはしない。

 いつものような「魔界」とかが出てくるほうがおどろおどろしくていいのになぁ、とは思うが、公明党も与党慣れしてきたし、あんまり常識を疑わせるような表現はできなくなったのだろうか? もう少しえげつないほうがいいのに。

 この座談会で面白いのは女性の言葉の汚さである。

 この日も三井婦人部長という方が「竹入は40年以上も有権者を騙し続けてきた。国民を欺き抜いてきた」と言えば、棚野男子部長は「こうした悪党が二度と出ないよう、竹入という嘘つき男を厳しく糾弾しておかなければならない。それが後世のためであると信ずる」という陸軍航空士官学校卒業生の言葉を紹介していた。

 竹入氏が陸軍航空士官学校に籍を置いたのかどうか、客観的に調べられないのかどうか。竹入氏も何か証拠を示せないのかどうか。

 というよりも、「犬神家の一族」ではないが、あの当時は何が何だか分からなくなっており、皆生きるのに必死で泥棒も殺人もなんでもやっていた時代じゃないか、と思うのだ。国敗れて山河あり、の時代だ。その時代の経歴詐称を今更持ってくるほうがどうかしているのだが、竹入氏ももしも嘘をついたとしたら、どうして嘘をついたのだろうか。分からないことが多いのだ。

 創価学会にしてみれば竹入氏や矢野絢也氏は目の上のたんこぶなのだろう。あまりにも秘密を知りすぎている。抹消したいだろうが、そうはいかないから、社会的に発言できない立場、または発言しても皆がまともに取り上げないようにしようと必死なのかもしれない。

 でも、創価学会はなぜそんなに必死なのだろう? 以前「創価学会の研究」を読んで書評にも書いておいたが、今や昔の日本と違って創価学会への負のイメージは相当になくなってきているだろうし、明るい話題も多くなっている。特に芸能界への大量進出で、テレビ画面で学会員の芸能人を見る機会が増えて、特に学会員だからといって忌避するような風潮はなくなった、と思うのだ。

 この日の新聞にも女優の本名陽子さん、歌手のカズン(漆戸啓さんと古賀いずみさん)のインタビューが出ているが、彼らが学会員だからといって差別されるようなことはないと思う。

 もう少し普通の宗教組織になってもいいのではないか、竹入、矢野氏ら反創価学会的人間はほうっておけばいいのではないか、とも思うのだが、そうはいかないのだろうか。

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2008年12月27日 (土)

宮内義彦氏の言い分が分かった=全く反省なし~産経新聞12月26、27日[わが道わが友]より

 宮内義彦・オリックス会長が産経新聞経済面に[わが道わが友]のタイトルで連載寄稿していたのを26日、初めて知った。あの労働規制緩和の張本人、労働者派遣法の製造業への拡大という改正作業に大きく寄与した人物である。非正規雇用者の失業が相次いでいる時、どんな反省の弁を述べているか興味があったので読んでみると、全く期待外れで、「自分のやってきたことは正しい」の一点張りだったので驚いた。

 12月26日付は<規制改革に邁進も、道半ばの感>の見出し。「えっ」という感じだったが読んでみる。すると、次のような文章が目に飛び込んできた。

 <最近は規制改革に一段と逆風が吹いている。規制改革によって格差が生まれたなどという不思議な議論が繰り広げられている。規制改革は自由競争によって市場を広げ、生産力を上げるものであり、格差とは関係ない。格差というのは配分の問題であり、税制などを通じ、その社会にふさわしい制度作りをすべき政治の仕事のはずだ。>

 というのである。よくぞ言うも言ったり、である。

 僕も規制緩和にすべて反対、と言っているのではない。昔、後藤田正晴氏が中曽根内閣の総務庁長官だった頃、後藤田氏に「規制緩和って何なんですか?」と素朴な質問をしたことがあったのを思い出す。その時、後藤田氏は一呼吸置いて「強いものが勝つ、ということじゃろう」と答えた。当時は大店法などが話題となり「規制緩和」という言葉が出始めた頃で、後藤田氏の言っている意味がよく分からなかった。しかし、彼はきっと今の事態を見据えていたのではなかろうか。その後、規制緩和について何人かから話を聞いたことがあるが、そこで分かったことは、規制というのは官庁の縄張り争いに使われるし、役人が仕事をするふりをする材料として温存している面もあるが、大きく言えば弱者保護の規定だ、ということだった。

 それこそ、市場にすべてを任せれば、弱者は食い殺されるので、食い殺されないように国家が規制をかける、というのが規制本来のあり方だ、というのだった。そして、撤廃していい規制とは役割が終わって有名無実になっている規制であり、緩和していい規制はまだ議論はあるものの、成長産業を育て、ある程度の優勝劣敗をやむを得ないと社会が考える分野であることも知った。

 重要なのは社会的規制はかえって強化すべきだ、という意見を持っている官僚、自民党議員が多かったことだ。社会的規制の代表が労働規制である。労働基準法などの労働三法で保障されている人間の権利を具体化するのが法律と各省庁や地方自治体の政令、省令、条例だが、中曽根政権の1985年、すでに臨調路線で「国際化」「情報化」「高齢化」が日本の21世紀の3大問題だ、と打ち出していた。

 それに備えるために「増税なき財政再建」がキャッチフレーズとなり、中曽根内閣以降の内閣が無駄の排除、必要ない帰省の緩和に取り組んできた。規制緩和の出だしは行政改革だった。それが、いつの間にか「官から民へ」のキャッチフレーズとなり、人材派遣法ができて社会的規制の本丸である労働規制の緩和に風穴を開けた。

 しかし、当時はまだおとなしいもので、技能労働者に限っての緩和、人材派遣業を認めただけだった。単純労働者の人材派遣といえば、今では当たり前のようになっているが、当時はまだ、タコ部屋や炭鉱労働者の悲惨さが社会の記憶として残っており、「そんなことは認められない」という社会的コンセンサスがあった、と思う。

 すべてが変わったのはバブル崩壊だった。バブル崩壊のショックから立ち直れなかった日本の企業は原材料を安く仕入れ、賃金をカットしようとしたが、労組が強くなっていたため「賃下げ」がなかなかできない。このため、企業は工場を海外に移転させ、低賃金労働者を使って生産を始めた。

 円高局面になると、工場の海外移転は加速され、「このままでは日本は空洞化する」という恐れが出てきた。経団連や日経連は単純労働者の派遣解禁を求めた。そして、政府の審議会という隠れ蓑を使いながら、小泉政権はタブーだった単純労働の派遣解禁をしてしまった。この時に宮内義彦氏が審議会を仕切るなどして活躍したのだ。

 宮内氏の主張のどの点が間違えているか、指摘しよう。

 まずは「規制改革によって格差が生まれたなどという不思議な議論」という間違いである。宮内氏は「規制緩和」という言葉を巧みに避けて「規制改革」という中立的な言葉を使っているが、実は規制改革は規制強化もあれば規制緩和もあるのだが、宮内氏の主張は規制緩和・規制撤廃一色である。わざわざ「規制改革」という言葉を使うこと自体、自分たちのしようとしていることを誤魔化していると言われても仕方ないだろう。

 それはさて置き、派遣労働法を単純労働まで広げて派遣業の対象にしたことで、若年派遣労働者が大量に生まれたことは説明の要はないだろう。つまり、派遣法が単純製造業への派遣をそれまでのように禁止していれば、企業は海外に移転したかもしれないが、もしかすると何らかの工夫をして海外ではなく国内で正社員を食べさせる方策を考えたかもしれない。派遣法改正はそうした企業がくぐるべき道をバイパスして派遣社員を安く使うという安易な道に走らせた罪がある。派遣労働者は今、全労働者の3分の1を占めている。異常な状況が現出しているのだ。

 宮内氏は企業というものを何か本質で勘違いしているのではなかろうか。企業というのは人間がつくっているのだ。株式会社だから誰かが株を買わなければならないし、買ってもらうためには配当も出さなければならないだろう。しかし、企業は社員あっての企業である。アメリカの会社とは違うのだ。社員を大切にする伝統は日本企業の美点だった。

 松下幸之助氏が不況でも社員の首を切らなかったという話が美談として今でも語り継がれているのは、そうした企業人が尊敬されているからだ。

 社員の中で格差が生じるのはやむを得ないだろう。誰でもが取締役や社長になれるわけではないから、出世競争に脱落したり、というケースはどこでもありうる。ただ、それは同じ「社員」という枠内の話である。派遣労働者をロボットのようにこき使い、不況になれば「どうせ経済の景気調整弁だから」と否応なく「雇い止め」するような非人道的な経営は日本の伝統ではなかった。3分の1の非正規社員の給与が低いので、労働分配率が下がる。実は正社員の手取り給与はそうは減っていないのに、労働分配率が下がっているのは、そういう仕掛けなのだ。

 これを格差といわずして何というのか。

 「規制改革は自由競争によって市場を広げ、生産力を上げるものであり、格差とは関係ない」とは言えないのである。

 おかしかったのは「格差とは配分の問題であり、税制などを通じ、その社会にふさわしい制度作りをすべき政治の仕事のはずだ」という主張だ。派遣労働法の改悪が政治のやった最大の悪事だったことは明白なのではないか。規制緩和というのが経済人の仕事だと思っていたとしたら大いなる勘違いだ。重要な政治のイシューである。

 ここでも、使い慣れた「分配」という言葉を使わず、「配分」という何か学校給食の話であるかのような矮小化が見えるが、言葉の問題はさて置き、宮内氏は国家の役割を勘違いしている。国家は必要な規制をおこなう義務がある。荒れ狂う市場に任せておけないから、規制をするのである。市場は弱肉強食の世界である。例えば、農地も宅地もない、すべての土地の用途指定という規制を撤廃したらどうなるか。農地は消えるだろう。道路で時速何キロで走ってもいい、となれば交通事故死が急速に増えるだろう。農薬をどんどん使っていい、となれば有害農薬が食品に入るだろう。ニセ薬もOKとなれば、利く薬も効かない薬も出回って、どうなるのだろうか。医者も医師国家試験などナンセンスだ、となれば、どんな悪徳医師が出てくるか。

 これらは「社会的規制」と言われているものだ。労働法規もこれに準じる社会的規制である。経済的規制は大きな影響さえなければ緩和していいと思う。経済活動だからだ。でも、労働は人間そのものを対象とする。同じレベルで考えていいものではない。

 宮内氏は27日付第5回(最終回)<新しい価値生み出すのが使命>で今後の日本は輸出立国としては生きていけないのではないか、という。そして、内需を振興すべきだという。それには

 <日本のGDPの70%を占める第3次産業の生産性を上げるべきだという。これには私も全面的に賛成である。小売業やサービス業などの日本の第3次産業の生産性はアメリカの50%程度と極めて低い。この生産性を上げることで、国内市場を拡大できる。>

 というのだ。これはその通りだと思う。そして、そのためには

 <やはり規制改革、構造改革を進めて、新しい産業をつくり出していくことだ。日本には規制があるがために生まれていない産業がまだまだたくさんある。そうした規制を撤廃し、次々と新しいサービス産業が生まれるようにすることだ。>

 という。正しい、と思う。ただ、気をつけなければならないのは規制と一口に言っても緩和してはいけない社会的規制があることをいつも肝に銘じておくことだ。それがなく、すべての規制を緩和しようとすれば、弱者だけがいじめられる社会がくる。今もそうなのだが、今以上にひどい社会になってしまうことは目に見えている。

 ただ、聞き捨てならない話もしている。

 <1500兆円にのぼる個人金融資産も円高でドル換算の価値が上昇している。この個人金融資産を対外投資に振り向けていけば、輸出で稼げなくなった分を稼げるようになると思う。>

 という部分である。貿易収支が赤字、資本収支が黒字といういわゆる成熟した資本主義国家の道を歩めというのだろうが、これはそんなに簡単ではないし、リスクが大きい。米国発の金融危機を見たばかりではないか。グローバル化した金融の知識を国民に与えることからはじめないと、1500兆円などあっというまに紙くずになってしまう。

 以上、宮内氏へのエールだが、なるほど、宮内氏らのグループは経済的規制と社会的規制を混同しているので、日本人としての最低限の常識を欠いてしまったのか、と分かった次第だ。

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2008年12月25日 (木)

「非正規社員削減の背景に企業行動の変化」という藤村博之氏の分析は当を得ているのではないか~読売新聞12月25日

 読売新聞12月25日朝刊解説面[論点]で藤村博之・法政大学大学院イノベーションマネジメント研究科教授(52、労使関係論専攻)が<非正規社員の削減/企業行動の変化 背景に>のタイトルで寄稿していた。もっともだ、と思える主張があったので、書き写しておく。

 藤村氏は日本型企業行動が変化したのはバブル崩壊後だ、という。つまり、1980年代までの日本企業は雇用を守ることに熱心だったが、それは一時的に需要が落ち込んでも1年半から2年すれば再び需要が上向くと予想できたから、次の需要拡大の波に備えるためには一定の余剰人員を抱えていた方が得になるという計算が働いていた、というのだ。

 ところがバブル崩壊後の不況は長期化し、いつになったら需要拡大の波が再来するのか分からなくなってしまった。我慢して余剰人員を抱えるという行動が合理的といえなくなってしまった、というのがベースの動きだという。

 そこに加えるに株式市場の制度変更が経営者の行動に大きな影響を与えた、というのだ。

 橋本龍太郎政権で始まった金融ビッグバンは日本の株式市場をアメリカ型に変えた。上場企業は四半期ごとに業績を開示することを求められ、短期の業績向上が意思決定の基準となった。以前は3~5年での利益最大化を実現すればよかったのに、今では毎年の最大化を求められる。経営者がこれを怠れば株主代表訴訟が待っている。「コスト削減で利益が出せたはずなのに、そうしなかったのはけしからん。会社に与えた損害を賠償せよ」と株主から訴えられる結果を招きかねないのだ、という。そこで、経営者は1年単位の利益最大化に奔走する。

 <非正規社員削減はこの文脈上で理解しなければならない。>

 というのが藤村氏の主張である。今までは労働規制法規の改悪だけが原因だと思っていたのだが、それにとどまらず、こうした周辺の事態変化が経営者のインセンティブを変えていたのだ。私はうかつにも知らなかった。

 <正社員の雇用保障にコストをかけることは株主に対して一定の申し開きが立つ。これに対し、非正規社員の雇用はもはや経営者にとって訴訟リスクを負ってまで守る対象ではなくなったのである。株式市場の制度変更による企業行動の変化が問題の根底にある点を見逃してはならない。>

 というのである。そして、非正規社員は企業から必要とされるよう自分で能力を高めておくことが最大の自衛策だという。また、国家として日本の強み、競争力の源泉である「ものづくり」を強化する制度の再構築が必要だ、と説いている。

 <中長期の視点で経営に臨む企業を応援する仕組み、言い換えれば、アメリカ型ではない日本型の株式市場をつくることが必要だ。これは政治に求められる課題である。>

 というのだ。これも正しいだろう。

 なるほど、と思うだけに、労働法規の改悪はやはりひどいことだった、と総括せざるを得ない。小泉政権で経済財政諮問会議や規制改革会議に巣食ったオリックスの宮内氏らの勢力が自分たちのために法制度をひん曲げてしまったツケが出ている。制度を変えれば、企業は低きにつく。当面は単純労働の人材派遣を禁止することから始めねばならないだろう。そして、その後、藤村氏の言うように格式会社制度の改正を行うことが求められているのだろう。

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自公政権の予算か民主党の予算か…「違いはない」と朝日新聞分析~12月25日朝刊

 朝日新聞12月25日朝刊3面[あしたを考える]は24日の政府予算案決定を受け、政府予算案と民主党の対案を比較した記事だ。結論を言えば「違いはない」ということに尽きそうだ。

 朝日記事を縮約しながら、各項目ごとに見ていこう。

 まずは社会保障。政府案は前年度当初比14%増の約24.8兆円を社会保障分野に配分している。民主党も「国民の生活が第一」だ。少子化対策では政府案は妊婦健診を14回無料化、出産時の育児一時金を増額。民主党も出産助成を拡大し「子ども手当て」を創設する。

 雇用対策は政府案が雇用保険料率を引き下げ、企業に当面の雇用を維持してもらう。同時に雇用保険の加入条件を現行の「1年以上の雇用の見込みがある人」から「6カ月以上」に拡大する。民主党は家を失った失業者に生活支援金を給付するなど、より失業者に手厚い制度だが、再就職への意欲をどう引き出すかが課題。この分野は理念というより選挙対策の色合いが濃い、と分析している。

 経済対策では政府案は1次、2次補正予算とあわせて10兆円超を経済対策につぎ込む。中小企業支援には力が入る。金融機関から融資を受ける際の信用保証協会を通じて国が返済を保証する枠を30兆円に設定した。家計向けでは2兆円の定額給付金を第2次補正に盛り込み、過去最大の住宅ローン減税や環境対応車向け減税でも景気浮揚を狙うという。

 民主党は道路特定財源の暫定税率の廃止が景気対策になると主張し、高速道路無料化で2兆円、暫定税率廃止で2.7兆円の経済効果を見込む。農林漁業者向けの戸別所得補償制度創設、中小企業予算も増やす。

 つまり、自公も民主もオバマが環境技術や新エネルギー技術への投資でエネルギー需要軽減による企業支援、新たな設備投資の喚起、雇用増などの経済構造の変化につながる新規施策がない。

 財源も似たり寄ったり。自公の埋蔵金頼みの財政運営を批判すべき民主党がやはり埋蔵金による支出に頼っている、と厳しい。

 こういう比較は大切だ。何か民主党の方が抜本的なものではないか、という幻想を持っていたが、同じとは。驚いてしまう。でも、仕方ないのだろうとは思うのだが。つまり、政権を取っている党と野党とでは情報の入り方が全く違い、同じ土俵で戦えないのが日本の現実だから。

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金英徹北朝鮮国防委員会政策室長という人物~12月25日毎日新聞朝刊から

 毎日新聞12月25日朝刊[世界の目]で張誠珉(チャン・ソンミン)青瓦台元国政状況室長が<開城工業団地を軍事基地に戻すな>のタイトルで寄稿していた。論旨から言って、金大中、盧武鉉政権当時の青瓦台高官ではないか。つまり、左翼だと思う。言っている内容はどうでもいいことなのだが、この中で北朝鮮の権力構図に触れた部分があるので、書きとめておく。

 言っていることは北朝鮮が韓国企業の進出する北朝鮮の経済特区・開城工業団地を段階的に閉鎖する動きを見せ、12月からは陸路通行を制限し、韓国側人員の出入りを半減させたが、これは朝鮮半島と北東アジアの平和構築に向けた流れに逆行するうんぬん、である。

 <開城工業団地が設置された場所は、北朝鮮が南側に銃口を向け軍事訓練をしていた基地だった。だが、韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日国防委員長による00年6月の第1回南北首脳会談合意に基づき、工業団地に変わった。緊張と敵対感が張り詰めていた戦場は、和解と共生意識があふれる市場になった。銃を溶かして鋤をつくったのだ。>

 この文章を読めば、事情を知らない人ならばものすごくいいことが行われた、と思うだろう。表面はそうでも、裏では現代グループが裏金を北朝鮮に渡したり、その代わりに利権を得たり、と相当に汚いことも行われていたし、金大中、盧武鉉政権当時の韓国は米国や日本を放り投げて北朝鮮の肩を持ち続けたことを忘れてはなるまい。その当時の青瓦台担当者の泣き言である。勝手に泣いていろ、なのだ。

 面白かったのは11月6日に南北将官級軍事会談の北側団長を務める金英徹(キム・ヨンチョル)中将が開城工業団地を視察した時のことだ。

 <生産継続を訴える韓国企業家に「もう方針は決まっている。話す必要がない」と語ったという。金中将は金正日国防委員長の側近とされ、残した名刺には「国防委員会政策室長」と書かれていた。金中将の発言は、委員長が閉鎖を決断したことを示唆した、とみられる。今月中旬に2度訪問した時には態度が少し軟化していたが「(開城工業団地は)岐路に立っている」と賃上げなど、労働環境改善の圧力をかけた。>

 という箇所が一つ。つまり、金英徹中将は金正日の側近だ、ということ。そして、

 <だが、今のところ閉鎖には至っていない。開城工業団地開設時の北朝鮮側責任者は張成沢(チャン・ソンテク)朝鮮労働党組織指導部第一副部長(当時)で、現在の責任者は金敬姫(キム・ギョンヒ)軽工業部長だ。金敬姫は金委員長の妹で、張成沢はその夫、つまり金委員長の妹婿だ。金委員長が脳卒中で倒れて以後、張成沢が政権の実質ナンバー2の位置におり同団地の閉鎖の動きを阻止しているのだろう。>

 という北朝鮮内の権力関係相関図である。

 張誠珉氏の意図は、北朝鮮のこの動きは日朝正常化やオバマとの核問題協議での否定的な連動につながる、として日米に働きかけることにあるようで、そんなデタラメは聞く必要もないのだが、この冷厳な権力相関図は頭に入れておく必要があるだろう。

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世界同時不況が在日韓国人商工会を直撃~民団新聞12月24日から

 在日本大韓民国民団機関紙である民団新聞12月24日号は1面トップ<同胞経済の苦境打開を/民団、韓信協、韓商、駐日銀行/結束して支援に動く>で世界同時不況の直撃を受けて倒産の危機に瀕している在日韓国人たちが多い、とリポートした。12月17日に都内のホテルで開いた在日韓国人信用組合協会(韓信協)、韓国金融機関の在日支店、在日韓国商工会議所(韓商)の代表らと民団の意見交換会が行われ、席上、苦境を訴える声が相次いだ、というのだ。

 <在日同胞経済の基幹産業である遊戯・飲食・スクラップ・土木建設などの経営難がかつてないほど厳しい。打開策を見いだそうと今回の会合の運びとなった。>

 とあるように、在日韓国人が携わる産業はパチンコ店経営、焼肉店経営、解体屋、土建屋などが多い。庶民は外食を控え、非正規社員たちの娯楽だったパチンコも行く金がなくなった青年が多く、解体作業や土木建設も本当に仕事がない、という状況は日本人でも在日韓国人でも同じだ。特に在日の人々はこういう業種が多いので、不況の直撃を受けている、ということのようだ。

 民団本部の鄭進団長は「中小・零細企業の多い在日同胞は運転資金の欠乏による倒産が急増している。同胞経済人と民族金融機関、そして本国の銀行は一蓮托生の関係にあり、運転資金の不足による黒字倒産だけはぜひとも避けるように努めてほしい」と呼びかけた、とある。韓信協会長も「この難局を在日同胞が一致団結して乗り越えなければならない。韓信協としても真剣だ」。韓商会長は「パチンコホールの廃業が相次いでいる。金融機関は企業にとっての動脈だ。どうすれば融資枠を拡大できるか、解決策をともに考えよう」と訴えたそうだ。

 麻生政権が取った新救済制度の説明があった。

 中小企業者の資金繰りを支援する「原材料価格の高騰対応等緊急保障制度」が10月31日から開始された、というのだ。食品製造業や飲食店、卸・小売り業など689業種を対象に無担保保証8000万円、信用保証協会の100%保証で2億円までの融資が可能という内容で、公的な緊急融資制度は製造業が優先され、同胞の業種にとってはハードルが高い、と悲観的な見通しを書いている。

 金が製造業にしか回らないのか。日本の新聞を読んでもなかなかその辺のニュアンスが分からないが、民団新聞は底辺からものを見ているので、実際のところが非常に分かりやすい。

 このため、民団は「韓信協がコンサルティング的な役割を担ってほしい」と要望、韓信協も「とにかく相談に来てほしい」として、「保証協会に何度も足を運ぶことで対応してくれるところもある」と努力を要請している。

 12月13日、日韓の通貨スワップ枠が130億㌦から300億㌦に拡大されたが、新韓銀行支店長は「日本とのスワップ取引が円とドルではなく、円とウォンの契約になるよう働きかけている。そうなれば、日本での資金調達に道が開き、ひいては在日同胞の融資に役立つ」と説明した、という。

 この部分って案外重要なところじゃないか、と思う。300億㌦まで枠を広げて、日本政府の説明ではできるだけドルではなく、円で融資する、と聞いているが、円とドルというのはどういう意味なのか?

 「ドルとウォンではなく、円とウォン」の間違いではないか、と思うのだが。ドルとウォンの交換では日本に円は逆流しないが、円とウォンならば韓国の銀行の日本支店で円を借りることができるようになるのかもしれない。そうすれば、資金繰りが助かる、ということなのだろう。なるほど、そういう効果もあったのか。知らなかった。

 民団は在日同胞の本国送金が通常の4倍(10月は12億㌦)に達し、韓信協組合の在日視点への資金協力が大きい、として「韓信協の会員組合と協調しながら融資枠を広げてほしい」と要請し、支店長は「新韓は在日がつくった。信組と協調融資をしたこともある。連携しながら歩んでいく」と強調した、という。これは例の日本の円でウォンを買うという動きのことなのか?

 新韓銀行(シンハンウネン)が実質、在日による設立だった、とは知らなかった。

 また、韓信協は本国からの支援金156億円について「日本の国債を担保にしているため、メリットが少ない。優先出資扱いにし、資本金増強に役立つように本国に強く要望したい」と表明し、民団団長が「来年は信組と民団の幹部が本国要路を訪問する機会をつくりたい」と語った、というのが記事の全貌である。

 苦しそうだなぁ。どこも大変なんだ、というのが感想です。

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2008年12月24日 (水)

長部日出雄氏の<真の独立><楕円と再生の思想>を読んで~日経新聞12月17、24日夕刊から

 日経新聞夕刊1面コラム[あすへの話題]は毎日欠かさず読む。12月17日の長部日出雄氏の[真の独立に向かって]に感動して感想を書いておこうか、と思ったのだが、「当方担当の最終回となる次週の本欄で述べたい」とあったので、今日の夕刊を首を長くして待っていたら、[楕円と再生の思想]というタイトルで長部コラムが掲載されていた。

 ということで、この2回のコラムを紹介しながら、ちょっとだけコメントしたいと思う。

 まず12月17日[真の独立に向かって]だ。「真の独立」という言葉を見て、「アメリカからの独立」を思い浮かべる人は多いだろう。まさに長部氏の書いているのはそのことだった。ただ、安全保障面での独立とか、政治面での独立ではなく、日本人の精神、心に関する「独立」である点が政治家や政治的学者と違うところだ。古くは江藤淳氏らの保守思想に連なる系譜と言っていいのだろう。

 長部氏には申し訳ないが、コメントを書く都合上、逐条的に書き写す。著作権上の問題が発生するのかもしれないが、どうか大目に見てください。

 <わが国の政治家の大半が、すっかり小粒になって、とても安心して国を任せられない状況になったのは、戦後のある時期からアメリカの属国の地位に甘んじて、自国を独立国として統治する経綸も矜持も必要とせずにやって来られたからである。国家の主権の正当な認識がなく、従ってそれを的確に行使する術に熟練する筈もなかった。>

 「戦後のある時期」について長部氏は2回のコラムで具体的に書いていないのだが、いつ頃なのだろうか? 外交文書公開で明らかになった佐藤栄作首相の日米首脳会談や米国防長官との会談での中国への核攻撃を米国に約束させる鬼気迫る交渉ぶりには頭が下がるが、こういう心根が責任ある政治家から失われたのはいつなのか? つまり、東久邇稔彦、幣原喜重郎、吉田茂は間違いなく国益を考えた政治をした。社会党の片山哲だって非武装中立なんて言わなかった。芦田均もある意味、国士だ。鳩山一郎の筋金入りの日本主義は米国に嫌われたほどだ。岸信介も個人的には嫌いだが、あれだけの反対の中、日米安保条約の改定をやり遂げたのは、当時の国益に沿っていただろう。池田勇人の高度経済成長は決して軟弱路線ではなかった。土性骨が座った国富政策だった。そして、佐藤栄作である。そこまでは何とか及第だと思う。

 そうすると、問題はその後だ。田中角栄はどうなのか? 金権腐敗のうえ、日本の航空政策を米国のロッキード社に売り渡し、ワイロをもらったかのように指弾され、名誉も奪われて失意の死を迎えた天才には国益観念があったのかどうか? 私には今コメントする能力がない。

 三木武夫という椎名裁定で図らずも総理大臣になって田中角栄逮捕のために暗躍したような男は保守政治家の風上にも置けない。失格間違いなしだ。小派閥の長で国民の支持ばかり気にしているから、重要な政策に腰を据えて取り組めない。GNP比1%枠とか、どんな意味があったのだろう。

 福田赳夫はアジアを向いていた。米国の核の傘の下にいるのは仕方ないと考えながら、日本はアジアで支持を広げなければ先細りになる、と具体的に動き始めたのは評価できる。ただ、この人も気が弱いのか、連続爆弾事件の犯人が牢屋から犯人を逃がすように要求した時「人命は地球より重い」とか言って、超法規的措置で犯人を釈放するなど、無原則極まりないことをやった。日本は国家ではない、という批判が上がったが、西欧的な「人間主義」がひねくれた形で導入されていた日本ではマスメディアがこの問題への深入りを避け、曖昧にされた。それが後々まで尾を引いて、最後には小泉首相時代の「自己責任論」に結びついたのだと思うのだが、どうも「地球より重い」人命などないし、「自己責任」は国家の責任放棄だ、という常識論が通じなくなっていたようだ。極端から極端に振れる日本人の悪い点をあますところなく露呈している。だから、福田氏だけを責めてはかわいそうかもしれないが、総理大臣というのは何を言われてもやるべきことはやらなければならないのだから、やはり、福田首相は失格だろう。

 大平首相は愚直な人だった。一般消費税をまじめに考えて導入しようとしたら、野党の集中砲火にあっただけでなく、福田氏との「40日抗争」で心身をすり減らし、病死した。憤死のようだった。正義派の国益重視派と言っていいだろう。

 鈴木善幸氏は暗愚の宰相と言われた理解能力に欠けた人間。田中角栄氏のロボットとしては便利だったというだけだが、やはり「日米同盟に軍事は含まない」などメチャクチャ過ぎる発言は最低だった。言うまでもなく失格だ。

 中曽根康弘氏は合格でいいだろう。

 竹下登氏も合格と言っていいのかどうか。消費税を導入して高齢化社会への対応を図ったことは立派だった。ただ、竹下、安倍晋太郎、宮沢喜一の大正生まれ3人、「安竹宮」は線が細く、政治信念の底の底を覗けば国家への不信が見て取れる。軍国主義日本によって死ぬ一歩手前まで行った年代だが、その上の世代のように自分の意思でコントロールできたのではなく、あくまで命令に従って黙々と死に向かって生きていた世代だ。自分の確固とした信念もない世代。竹下氏が「わしらは明治のじいさまと昭和の若者のつなぎの世代」と言っていたように、実際つなぎ世代でしかなかったし、そもそも戦争での死亡者が多く、人口構成で見てもこの世代は少ない。

 宇野宗佑、海部俊樹はロボット。コメントに値しない。宇野は竹下のダミー。海部は金丸のダミー。

 宮沢喜一は竹下のところで述べたとおり。宮沢回顧録で御厨貴氏らのインタビューに答えていろいろ言っていたが、印象に残ったのは決断できない官僚そのもの、という姿。自分では客観的に振り返っていたのだが、佐藤政権で沖縄返還を実現するためにも「糸と縄の取引」が必要になった時、佐藤氏は宮沢氏を通産相に据え、国内の調整と対米交渉を任せたのだが、国内調整が全くできず、つまり米国に何も回答できず、あきれた佐藤首相が通産相を田中角栄に替えて、打開したケースなどがそうだ。優柔不断で、政治家ではない。耳に優しいことは言えるが実行できないから政治家ではない。

 細川護煕、羽田孜、村山富市は前2者は小沢一郎氏のダミー。村山氏は自民党のダミーだったから、論外。

 橋本龍太郎は個人的には合格点をあげたいのだが、あまりにも細かいことを気にしすぎて大局を見ていなかった。だから、最終的に失敗した。省庁再編をやり遂げたり、経済財政諮問会議の枠組みを作るなどの改革は良かったが、厳密に考えれば、失格と言わざるを得ないだろう。

 小渕恵三氏も悩ましい。大平氏に似ているところがあり、バックにいた竹下氏がこのケースではロボットにするのではなく、小渕氏の手足として動くことで政権のために一肌脱いだことを考えれば、小渕+竹下=合格なのか?

 森喜朗氏は勿論不合格だろう。

 小泉純一郎は合格だろうか? いくら後世の史家が郵政民営化のインチキ振りを暴き、北朝鮮政策の失敗をあげつらっても、バブル崩壊で腑抜けになっていた日本国民に「構造改革をやれば少しは良くなる」という夢をバラまいたことは確かだ。だから、5年間という長期政権になった。しかし、その結果は企業だけ焼け太りして、国民はやせ細り、ワーキングプアが常態化した。アメリカ様の言うことは何でも聞くが、日本の国民の言うことは聞かない、という政治を見れば、失格に入れるしかないだろう。ここの判断は微妙である。何が国益なのか、厳密な論議が必要だろう。

 安倍晋三、福田康夫、麻生太郎は3人とも失格。

 と戦後の総理大臣を振り返れば、佐藤栄作までは何とか合格点をあげるとして、その後は大平、中曽根、竹下、小渕には合格点を与えても、田中角栄は?がつく。他の首相は不合格、となる。

 <この点においてはメディアと学者文化人の多くも似たようなもので、政治と経済において学ぶべき規範はことごとく欧米にあり、わが国に固有の伝統は押しなべて過去の遺物で、国際的な普遍性を欠いた誤謬と見做され、殆ど一顧もされなくなった。>

 そうなのだ。全くその通りなのだ。

 <だが、何よりもまずインターナショナリズムやグローバリズムを唱え、ある一元的な原理によってそれが実現できる、とする主張には気をつけたほうがいい。コミンテルンが人類に共通する理想として掲げたインターナショナリズムが、実はソ連の軍部と国家官僚層を掌握した指導者が独裁するクレムリン帝国主義の別名でしかなかったことは、既に白日のもとに曝された。自分たちの学説を、世界中全ての国に普遍妥当するものと信じたアダム・スミスに始まる古典派経済学の部分的で単純な拡大解釈によって「新古典派」あるいは「新自由主義」と称された学派の唱導したグローバリズムの実態が、砂上の楼閣を金殿玉楼に見せかけようとしたウォール街による金融帝国主義であったことも、今や大方の目に明らかになった。>

 しかし、長部氏はよくここまで思い切ったことを書いたなぁ、と溜息が出る。言っていることはその通りで、私も大賛成である。ただ、長部氏といえば、私も最近マックス・ウェーバーに関する新潮選書をパラパラと読んだばかりだが、欧米思想を肯定的に受け止めているのか、と誤解していた。そうではなかったのだ。

 コミンテルンの32年テーゼは日露戦争に負けたロシアがソ連と国名を変えた後も日本に対する怨念を持ち続け、復讐の機会をうかがい、日本弱体化のために日本共産党に強いた政策だった。国際共産主義運動のはずが、日本だけをターゲットにしたテーゼというのも後から考えればおかしな話だが、当時の共産党にはコミンテルンを批判的に見る視点がなかった。長部氏が言うように、肌の白い人間が言うことを金科玉条として、日本の伝統を馬鹿にしていた知識人の大失敗だ。この傾向は丸山真男以後の戦後知識人にも連綿と引き継がれている。

 こういう言説が公に出るようになったのは、世界金融危機のおかげなのかもしれない。

 <ソ連とアメリカの覇権が共に崩壊した今日、われわれは真の独立を目ざす道へ歩みださなければならない。そのさい何を軌範にすべきかについては、当方担当の最終回となる次週の本欄で述べたい。>

 として、次週の12月24日のコラム[楕円と再生の思想]になる。

 こちらは最近どこかで誰かが書いていた神仏習合の見直し論につながる「楕円の思想」だった。

 <「日本」という国家の原型は、古代史上最大の内乱であった「壬申の乱」によって生み出された。当方の考えるところ、これは唐風文化一辺倒の大友皇子を奉ずる近江朝廷と、国風文化を重んずる大海人皇子との戦いで、結果はご承知の通りである。では、勝利を収めて即位した天武天皇の治世が、こんどは国風を唯一絶対とする原理主義になったかといえば、決してそうではない。>

 長部日出雄氏は1934年9月3日青森県弘前市生まれ。故郷、津軽に関する小説、エッセイが多く、津軽出身の棟方志功、太宰治らの評伝も執筆している。ウィキペディアで略歴を見ると、1953年に早稲田大学文学部に入学、中退。57年、週刊読売記者。大島渚、永六輔、野坂昭如、筒井康隆、小林信彦らを一早く評価し、彼等と深く交友。退職し、雑誌『映画評論』編集者、映画評論家・ルポライターを経て作家。73年に『津軽じょんから節』と『津軽世去れ節』で直木賞受賞、とあった。「天皇はどこから来たか」(新潮社、1996年)、「反時代的教養主義のすすめ」(新潮社, 1999年)「二十世紀を見抜いた男 マックス・ヴェーバー物語」(新潮社, 2000年)、「天皇の誕生 映画的『古事記』」(集英社、 2007年)、「『古事記』の真実」(文藝春秋、2008年)という著作目録を見れば、私の勘違いで、実は日本の古典、古代への造詣が深かったことが分かった。

 <漢字と和語を綯い交ぜにして、話し言葉と書き言葉の双方の働きをそなえた「日本語」を最初に確立した「古事記」の口誦しながら、天武天皇は官寺の造営にも力を注いで、日本中の家々に異国の教えである仏教を浸透させた。このような原理主義者がどこにいるだろう。和語と漢字の見事な融合、神と仏の和らかな共存。世界に類のないこの二元の構造こそは、わが国の文化の最大の特徴で、壬申の乱が「日本」という国家の原型を生み出す基になった……というのは、そういう意味なのである。>

 なるほど、である。やはり古代史への造詣が深い。

 <異質で相反する要素の和らかな共存を図って、二つの焦点を持つ楕円形の国家を形成したい、というのが天武天皇の願った理想の和の国の姿であった。伊勢神宮において旧宮と新宮の敷地が隣接し、二十年毎に神儀(御神体)がその間を往復する……という奇跡的な遷宮制度の創始者も天武天皇である。希望を失って真っ暗闇と化した世の中に、ふたたび天照大御神が新たな光明をもたらす「天の岩屋戸」神話は、死と再生の劇であり、遷宮はその祭祀化なのである。この「楕円と再生の思想」こそ、日本を救う。ぼくはそう確信して疑わない。>

 そうなのだろう。明治維新の際に薩摩や長州の若手武士がこれらの国の物語を軽く扱い、国家神道化した。そして、戦争に負けた後、マッカーサーが神道指令で国家神道をやめさせた。その後の日教組の教育で神話が不当に弾圧された。

 今はじっと沈思黙考しながら、日本を再び考える人が増えることを望みたい。インターナショナリズムはナショナルを理解してはじめて理解できる、とはよく聞いた話だが、その通りだと思っている。長部氏が説くように、そろそろ虚心坦懐に日本を見詰め直そう。

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ミッチーの息子が造反→父親ができなかった政界再編に挑むのか?

 渡辺喜美元行革担当相が存在感を増している。

 1952年、栃木県西那須野町(現那須塩原市)に生まれ早稲田大学政経学部と中央大学法学部を卒業。父親の渡辺美智雄元通産相・外相秘書官を経て1996年の衆院選に初当選以来当選4回、1998年の金融国会では塩崎元官房長官らとともに「政策新人類」として実質的な与野党折衝を担当。最近は麻生政権批判を続けていた。

 渡辺氏は24日開いた衆院本会議で民主党が提出した「衆院解散要求決議案」に賛成投票したのだ。決議案自体は反対多数で否決されたが。この決議案提出は1989年以来。可決されても内閣不信任決議案と異なり法的拘束力はないあくまで政治的影響に限定した効力しか持たないのだが、結果的に渡辺氏の造反を呼んだことで、決議案提出は小沢一郎・民主党代表の思惑通りだったのではないか、と思う。

 渡辺美智雄氏は最後の最後「決断できない男」の汚名を着てしまった。

 というのは、非自民8会派連立の細川護煕政権が退陣表明した1994年、新生党の小沢代表幹事が渡辺美智雄氏を後継首相に擁立しようとした。条件は自民党離党だった。ミッチーは揺れた。断固たる信念で「百万人と雖も我行かん」の心意気があれば派閥の連中もついてきただろうが、親分が揺れていたから、渡辺派の国会議員たちは不安を募らせるようになり、野中広務氏らの切り崩しの前にあえなく「離党せず」の議員だらけになる。迷った挙句に渡辺氏は丸裸にされ、離党をあきらめ、小沢氏は第3の候補だった羽田孜氏を首相候補とする。しかし、大内啓吾民社党委員長が仕掛けた院内統一会派結成問題をきっかけに社会党が連立から離脱、羽田政権は最初から少数与党政権となり、短命となった。

 実はミッチーと小沢氏の因縁はもっと前からできていた。宇野宗佑首相がリクルート、消費税、農産物自由化の3大暴風雨に加え、自身の女性問題をサンデー毎日に書かれて1989年の参院選に大敗、海部俊樹政権ができた。

 逆転参議院をどう運営するか、自民党の小沢一郎幹事長は苦労した。公明党の市川書記長、民社党の米沢書記長と組んで自公民のパーシャル連合で凌いだのだが、90年末にイラクがクウェートに軍事侵攻した湾岸危機が91年には米国がイラクを攻撃する湾岸戦争に発展。日本の貢献をめぐり自衛隊派遣に消極的な海部首相と国連決議さえあれば積極的に出すべし論の小沢氏が対立。91年に疲れ果てた海部首相が衆院を解散しようとするが、金丸元副総裁率いる竹下派は解散を認めず、総辞職した。

 そして、海部後継を竹下派で選ぶのだが、この時に評判の悪い「面接」事件が起きる。最終的に宮沢喜一氏が金丸氏の眼鏡にかない次期首相になったのだが、小沢氏は渡辺美智雄氏に入れ込んだ。渡辺氏は宮沢政権で副総理・外相として入閣、次期首相の本命というポジションにつけた。ミッチーは胆嚢胆管結石というが実際は胆嚢がんだったと思われるが、大病をする。宮沢政権は首相の政治改革に関する食言があだとなり、小沢・羽田グループが内閣不信任決議案に賛成するなどで不信任案が可決。衆院を解散した宮沢氏だったが、自民党は総選挙に敗北、細川政権ができた。

 小沢氏はこの時の「友情」を覚えており、1994年のミッチー擁立劇につながったのだ。

 ミッチーの決断の遅れがすべてだった。派閥の領袖としての責任感に加え、自らの健康問題が追い打ちしたため、ミッチーは小沢氏の提案をすぐには受けず、考え込んだのだ。テレビなどでは豪放磊落に見えるが、ミッチーは税理士だったことを見ても分かるように非常に繊細な神経を持っており、考え込むとなかなか結論が出てこない。

 この逡巡が自民党主流派に切り崩しの時間を与えてしまい、孤立したミッチーが断念に追い込まれた、という経緯だった。喜美氏は秘書官として一番近くで父親の苦悩を見ており、父親の出処進退から学ぶものが多かったに違いない。

 毎日新聞12月17日夕刊[特集ワイド]は渡辺喜美氏のインタビューを取り上げていた。ここで遠藤拓記者は、先だって行われた政治資金集めパーティーで渡辺氏が語った<政界再編が起こった場合、新党が生まれる三つの類型>を紹介していた。

①持ち株会社分社化型

 かつて自民党が解党的出直しを迫られた1990年代前半の構想。地方や派閥ごとに党を作り、選挙後に親党へと再結集する。擬似新党だから政党の中身はあまり変わらない。

②協議離婚型

 小選挙区制の下、特に野党でされた試み。メリットは次の結婚(再編)は誰とでも自由で、政党助成金など財産分与ができること。ただ、協議不調が多かった。

③裸一貫型

 インパクトが大きく、大化けの可能性がある。覚悟のみでできる。ただ、参加者は少ない。ハイリスク・ハイリターン。

 インタビューで喜美氏は「決断を迫られた時は『ミッチーならばどう考えるか』と思いを巡らせる」と言い、ミッチー語録の次の言葉を記者に紹介したそうだ。

 「派閥の前に党がある。党の前に国家国民がある」

 「道は近くにあり」

 記者はミッチーが94年政局前に書いた「新保守革命」(共著、ネスコ)の次のフレーズを書いていた。

 「現在の与党のバラバラぶりは論外だが、野党自民党も政策の基本理念において、かならずしも一枚岩ではなく、異なる理念の持ち主が混在している。…わたしたちの考えは、当然『公益重視派』だ。その目的のためには、まできの悪いカップルの協議離婚からはじめなくてはならない」

 協議離婚型だ、と記者は判断しているのだが。

 まあ、昔の話はいいとして、今回の喜美氏(ヨッシーと呼ぶらしい)の決断がどのくらいの広がりを見せるのか、期待してみてみよう。国会は第2次補正予算を提出しないまま事実上閉会してしまったし。自民党を誰が本格的に壊してくれるのだろう?

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秋葉原「心の闇」事件の遠因はニュースピーク、という鹿島茂氏のご託宣~12月24日毎日新聞朝刊から

 毎日新聞12月24日朝刊[引用句辞典 不朽版]で鹿島茂氏(仏文学者)は<ニュースピーク>を取り上げていた。「ニュースピーク」とは、知る人ぞ知るジョージ・オーウェルの近未来SF小説「1984年」の全体主義社会で住民たちが話す言葉である。と言ってもよく分からないので、もう少し作品そのものを説明しておかなければならないだろう。

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8) 1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

著者:ジョージ・オーウェル,新庄 哲夫,George Orwell
販売元:早川書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 となれば、やっぱりウィキペディアの出番だ。少し長めに引用する。(以下ウィキの引用を少し書き直したもの)

 <トマス・モア『ユートピア』、スウィフト『ガリヴァー旅行記』、ザミャーチン『われら』、ハクスリー『すばらしい新世界』などのディストピア(反ユートピア)小説の系譜を引く。スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描く。「1984年」は執筆された1948年の4と8を入れ替えたアナグラムで、当時の世界情勢そのものへの危惧を暗に示した。出版当初から冷戦下の英米で爆発的に売れ、同じ著者の『動物農場』やケストラーの『真昼の闇黒』などとともに反全体主義思想のバイブルとなった。あらゆる形態の管理社会を痛烈に批判した本作のアクチュアリティは、コンピュータによる個人情報の管理システムが整備されつつある現代においても、その輝きを全く失ってはいない。>

 <1950年代発生の核戦争を経て1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国が分割統治。紛争地域をめぐる戦争が絶えない。作品の舞台であるオセアニアでは思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビで屋内・屋外のほぼすべての行動を当局に監視されている。>

 <ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミス(39)は妻キャサリンとは別居中。真理省記録局の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した真理省創作局の同僚で青年反セックス連盟の活動員、ジューリア(26)から手紙で告白され、出会いを重ね、黒髪のグラマラスな女性と愛し合う。また、下町のチャリントン(63)の古物商店で隠れ家を提供されるが、実は年齢も60歳代ではなく、秘密警察の隊員だったが、ウィンストンは隠れ家でジューリアと過ごした。ウインストンは夢に度々出てくる真理省党内局の高級官僚の1人、オブライエンを自分の味方で話が分かる男と思い込み、現体制への疑問を告白。オブライエンは秘密結社『兄弟同盟』の一員であると名乗り、 エマニュエル・ゴールドスタイン(レフ・トロツキーがモデルでトロツキーの本名はブロンシュタイン)の禁書を渡すが、実はオブライエンはオセアニアの指導者、偉大なる兄弟(ビッグ・ブラザー=ヨシフ・スターリンがモデル)によって率いられる唯一の政党「党」に忠誠を尽くす男で、ウィンストンを騙す嘘だった。思わぬ人物の密告からこうした行為が明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、オブライエンによる尋問と拷問を受ける。彼は「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、心から党を愛しながら処刑(銃殺)される。>

 <オセアニアは旧アメリカ合衆国をもとに、南北アメリカおよび旧イギリス、アフリカ南部、オーストラリア南部(かつての英語圏を中心とする地域)を領有する。他の超大国はソ連をもとに欧州大陸からロシア極東にかけて広がるユーラシア(イデオロギーは「ネオ=ボリシェビキズム」)、旧中国や日本を中心に東アジアを領有するイースタシア(イデオロギーは「死の崇拝」あるいは「個の滅却」)。どの国も一党独裁体制であり、イデオロギーにもそれほど違いは無い。これら3大国は絶えず同盟を結んだり敵対しながら戦争を続けている。表向きは、各国とも世界支配のため他の大国を滅ぼすべく戦っているが、実際は世界を分割する3大国が結託し、労働力を浪費して富の増加による階級社会の不安定化や崩壊を防ぎ、支配と権力を半永久的に維持するために行っている永久戦争。3大国はどれも戦争で滅ぼすことは不可能である(オセアニアは海に守られているため、ユーラシアは国土が広大であるため、イースタシアは人口が多く勤勉であるため)。 北アフリカから中東、インド、東南アジア、北オーストラリア一帯は3大国が半永久的に争奪戦を繰り広げる紛争地域。>

 <「偉大なる兄弟」は国民が敬愛すべき対象であり、町中の到る所に「偉大なる兄弟があなたを見守っている」 (BIG BROTHER IS WATCHING YOU) という言葉とともに彼の写真が張られているが、正体は謎に包まれ実在すら定かでない。党の最大の敵は「人民の敵」ゴールドスタインで、国民は毎日、テレスクリーンを通して彼に対する「2分間憎悪」を行い、彼に対する憎しみを駆り立てる。テレスクリーンの登場により、全国民は党の監視下に置かれ、私的生活は存在しなくなっている。>

 <党のイデオロギーはイングソック(IngSoc、Ingland Socialism、つまりイングランド社会主義の略)と呼ばれる一種の社会主義。核戦争後の混乱の中、社会主義革命を通じて成立したようだが、誰がどのような経緯で革命を起こしたのかは、忘却や歴史の改竄により明らかではない。エマニュエル・ゴールドスタインのパンフレットによれば、そのイデオロギーの正体は「寡頭制的集産主義」とでも呼ぶべきもので、「社会主義の基礎となる原理をすべて否定し、それを社会主義の名の下におこなう」ことであるらしい。もとは社会主義運動の中から発したが、現在は中層階級が下層階級を味方につけて上層階級を倒す事態を永久に防ぎ、非自由と不平等を恒久的なものにすることを目的としている。>

 <党には中枢の党内局(inner party)と一般党員の党外局(outer party)がある。党内局員は黒いオーバーオールを着用し、貴族制的な支配階級(上層階級)で、世襲でなく能力によって選ばれ、テレスクリーンを消すことができる特権すらある。党外局員は青いオーバーオールを着る中間層(中層階級)で、党や政府の実務の大半をこなす官僚たち。党に関わりを持たない人々はプロレ(the proles、プロレタリア)と呼ばれ、人口の大半を占める被支配階級(下層階級)の労働者たち。娯楽(酒、ギャンブル、スポーツ、セックス、ほか「プロレフィード(Prolefeed)」と呼ばれる人畜無害な小説や映画、音楽など)がふんだんに提供されている。>

 <「戦争は平和である(WAR IS PEACE)」「自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)」「無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)」という党の三つのスローガンが至る所に表示されている。>

 <ニュースピーク (Newspeak、新語法)とは思考の単純化と思想犯罪の予防を目的として、英語を簡素化して成立した新語法。すべての言葉は意図的に政治的・思想的な意味を持たないようにされ、この言語が普及した暁には反政府的な思想を書き表す方法が存在しなくなる。ニュースピークは現代英語を必要最小限にまで簡略化することを目指し、現在では別々の言葉が似たような意味を持つという理由で統合され名詞や動詞の区別も接尾語により変化する。たとえばthought(思想[名詞])はニュースピークの文法ではthink(考える[動詞])で代用でき、speed(速さ[名詞])に形容詞をあらわす-fulや副詞をあらわす-wiseを加えることでそれぞれの品詞に自在に変化する。badをあらわすにはgoodに否定の接頭語un-をつけたungoodでこと足り、強意表現はplus-,doubleplus-といった接頭語をつけることで表現される。また、Minipaxなどのように略語を極端に採用しているが、これによって本来の語源を考えることなく、全く自動的に単語を話すことができる(これにはかつてソ連が「コミンテルン」などのような略語を多用したことの影響がある)。>

 <新語法(ニュースピーク)辞典が改定されるたびに語彙は減るとされている。それにあわせシェークスピアなどの過去の文学作品も書き改められる作業が進められている。改訂の過程で、すべての作品は政府によって都合よく書き換えられ、原形を失う。freeの意味も「free from ~」の意味しか残らず「政治的自由」「個人的自由」の意味は消滅しているなど変化しており、原文の意味を保って自由や平等を謳う政治宣言などをニュースピークに翻訳することは不可能になる。なお、ニュースピークという言葉自体が既にニュースピークである。本来、speakという単語に名詞としての用法は無い。>

 <ダブルシンク(doublethink、二重思考)とは1人の人間が矛盾した二つの信念を同時に持ち、同時に受け入れることができるという、オセアニア国民に要求される思考能力。現実認識を自己規制により操作された状態でもある。過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する。政府が過去を改竄し続けているのは、党員が過去と現在を比べることを防ぐため、そして何よりも党の言うことが現実よりも正しいことを保証するためである。党員は党の主張や党の作った記録を信じなければならず、矛盾があった時は「犯罪中止」により誤謬を見抜かないようにし、万一誤謬に気づいても「二重思考」で自分の記憶や精神の方を改変し、党の言うほうが正しいということを認識しなければならない。>

 <「古代の専制者は命じた。汝、するなかれと。全体主義者は命じた。汝、すべしと。我々は命じる、汝、かくなり、と」。オブライエンの言によれば、かつて専制国家は人々に対しさまざまなことを禁止していた。ソ連などは人々に理想を押し付けようとした。現在のオセアニアでは人々はニュースピークやダブルシンクを通じ認識が操作されるため、禁止や命令をされる前に、すでに党の理想どおりの考えを持ってしまっている。党の考えに反した者も、最終的には自由意思で屈服し、心から党を愛し、党に逆らったことを心から後悔しながら処刑される。>

 <「2足す2は5である」(2+2=5、Two plus two makes five)というフレーズはこの小説を象徴するフレーズの一つ。スミスは当初、党が精神や思考、個人の経験や客観的事実まで支配するということに嫌悪を感じて(「おしまいには党が2足す2は5だと発表すれば、自分もそれを信じざるを得なくなるのだろう」)自分のノートに「自由とは、2足す2は4だと言える自由だ。それが認められるなら、他のこともすべて認められる」と書く。後に愛情省でオブライエンに二重思考の必要性を説かれ拷問を受け、最終的にはスミスも犯罪中止と二重思考を使い、「2足す2は5である、もしくは3にも、同時に4と5にもなりうる」ということを信じ込むことができるようになる。>

 <ダブルスピーク(doublespeak、二重語法)とは矛盾した二つのことを同時に言い表す表現。「戦争は平和」・「真理省」のように、例えば自由や平和を表す表の意味を持つ単語で暴力的な裏の内容を表し、さらにそれを使う者が表の意味を自然に信じて自己洗脳してしまうような語法。他者とのコミュニケーションをとることを装いながら、実際にはまったくコミュニケーションをとることを目的としない言葉。実は作品には登場しない用語であるが、初版発刊後の1950年代に発生し一般化した言葉で、しばしば作品由来と考えられている。ニュースピークのB群語彙の定義におおむね影響を受けている。また、現実にある政策や婉曲話法などを批判的に言及する際に「二重語法」という言葉を使うことがある。たとえば事業の再構築を意味するリストラクチャリング(リストラ)を単に「従業員の大規模解雇」の意味に使用するなど。>

 という「1984年」をベースにした話である。

 見出しは<言葉の簡体化が導いた「心の闇」の大量発生>。

 毎日新聞コラムの鹿島氏の言説をほぼ全文引き写しながら、コメントを加えてみる。

 以下が本文である。

 <全体主義社会では、住民たちはニュースピークと呼ばれる簡易言語を話すようになるというエピソードがあったと思う。語彙の少ない簡易な表現ですべてコミュニケーションが成り立ってしまうのである。>

 として、

 <この未来予測は、少なくとも日本にかんする限り、見事に当たった。「ムカつく」「感動した」「泣ける」「KY(空気読めない)」etc。まさにニュースピークそのものである。それどころか、ニュースピークの首相まで現れ、マスコミでもニュースピーク派が多数派を占めるという状況が生まれてきている。全体主義社会ではないにもかかわず、である。>

 と小泉純一郎元首相の「ワンフレーズ・ポリティクス」を強烈に皮肉りながら、その小泉戦略に簡単に乗せられたマスコミ批判を繰り広げる。

 <では、なにゆえに、高度資本主義の社会で、このようなニュースピーク化現象が起きるのかと考えているときに、右の言葉に出合った。>

 右の言葉とは吉本隆明の次のフレーズである。

 <「社会が、ますます機能化と能率化を高度におしすすめてゆくとき、言葉は言葉の本質の内部では、ますます現実から背き、ますます現実からとおく疎遠になるという面をもつものであり、言語は機能化にむかえばむかうほど、この言語本質の内部での疎遠な面を無声化し、沈黙に似た重さをその背後に背負おうとする。つまり、コミュニケーションの機能であることを拒否しようとする」>(「自立の思想的拠点」徳間書店)

 鹿島氏が吉本説を解説する。

 <すなわち、社会が機能化と能率化を追求していくと、当然、言語もそれに伴って機能化・能率化する(つまりニュースピーク化する)わけだが、その一方で、個々の言葉は、現実から遠ざかるという指摘である。ソシュール理論のシニフィアン・シニフィエで言うと、シニフィアン(音声・文字記号)によって喚起されるシニフィエ(概念)の中で、その概念抽出のもとになる「現実」とのつながりが失われてしまっているということだ。吉本の言語理論なら、指示表示ばかりが前面に出て、自己表出が稀薄になることだ。>

 さあ、難しくなってきたぞ。でも、難しいのはここだけ。ぶっちゃけて言えば、どんどんと情報化が進めば、言葉が進化して、現実を表わさなくなる、ということではないか。

 <しかし、では、こうした現実から離れ、薄っぺらになったニュースピーク(機能化言語)を用いている人は、それによって、コミュニケーションがより円滑になっているのかといえば、そんなことはない。むしろ、逆であって、ニュースピークでは掬いきれずに残る感情と心理の余剰部分(自己表出部分)は、澱となって心の底に沈み、無声の言語、すなわち沈黙でしか表現できないものと化す。

 <その象徴が、殺人や傷害致死などの重大犯罪を犯して逮捕された少年・少女たちの口から漏れてくるあきれるような言葉の数々である。犯罪の動機というには、あまりにも幼稚で単純な言語! 「なぜ殺したのか?」「ムカついたから!」「なぜムカついたのか?」「無視されたから」「どのようなところで無視されたと感じたのか?」「わからない」これはつまり、「言語のコミュニケーション機能の拒否」である。>

 なるほど、やっぱりここに結び付けましたか。動機なき殺人、誰でもよかった、ムカついたから、などの供述を聞いても大人には理解できないから、何とか理解しようとして鹿島氏は言葉の面から切り込んだわけだ。

 <彼ら少年・少女(ときには中年・中女)はニュースピークを用いているからといって、感情や心の襞がないわけではないし、それを表出したいという願望がないわけではない(ニュースピークによるブログの繁盛を見よ)。ただ、困ったことに、ニュースピークでは、最も本質的な部分つまり、一番言いたいことが、沈黙という言語でしか語りえない構造になってしまっているのである。>

 分かりやすい。ここに持ってくるのに、ジョージ・オーウェルを使ったんですか。

 <なんというパラドックス。機能化・能率化を目指した社会は、機能化・能率化言語としてのニュースピークを生んだが、しかし、そのニュースピークは逆にコミュニケーション機能の喪失をもたらし、いわゆる、語りえない「心の闇」を大量発生させる結果となったのである。>

 この「心の闇」論。鹿島氏は半分おふざけで書いたかもしれないが、実際そういうことかもしれない、と思うのだ。語るべき言葉を持たない日本人たちが大量に生まれているのかもしれない。

 秋葉原事件をはじめとする殺伐とした事件を起こす容疑者たちの心は計り知れない。

 その心の中を語るべき言葉を持たないことが、逆に言えば問題の解決を妨げているのではないか、と思う。

 自分の頭の中でもいい、自分が何に対して怒っているのか、を言葉にして論理的に考えることができれば、突然噴き出す衝動的怒りの発作もある程度制御できるようになるだろう。

 その制御はオセアニアのビッグブラザーの洗脳によるダブルシンクではない。自分で紡ぎ出した言葉で自分で考えることで生み出させるものに違いない。

 ということは、テレビなどのステレオタイプ的言葉の押し付けがニュースピークの大き原因になっているのではないか、とも思えてくる。本当はテレビ、インターネットを含めた現代情報社会のありようだけでなく、家族制度や社会そのものの変化が原因なのだが、そこまで話を広げると収拾がつかなくなるので、とりあえず。

 <ところで、マルクスの指摘をまつまでもなく、言語のような上部構造は、経済という下部構造を、ある種の歪んだかたちで反映しているという。ならば、効率化・能率化を追い求めたあげくに自爆した経済を、これからの言語はどのようなかたちで反映することになるのだろうか? ニュースピークの解体だろうか、それともさらなるニュースピーク化の加速だろうか? こちらも予断を許さない状況になってきているようである。>

 なるほど、頭の切れる鹿島氏はそこまで言うか、と思う。なるほど、である。

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2008年12月22日 (月)

中国核武装後の佐藤栄作・マクナマラ、佐藤・ジョンソン会談~12月22日毎日新聞・日経新聞朝刊

 12月22日朝刊各紙は22日付で外務省が公開した外交文書を大きく扱っていた。各紙が注目しているのが1965年1月12、13日にワシントンで行われた佐藤栄作首相とジョンソン大統領、マクナマラ国防長官との会談で中国が直前に行った核実験にどう対応するか、が詳しく話し合われていたことが初めて明らかになった。

 1965(昭和40)年1月13日に米国ワシントンで45分間行われた佐藤・マクナマラ会談が重要だ。日経新聞2面に主なやり取りが掲載されていたので転記しておく。転記部分は<>の中。

 <長官 中国の核爆発(核実験)の性格が問題で、今後2,3年でいかに発展するかは注目に値する。問題は日本が核兵器の開発をやるかやらないか。>

 毎日新聞特集面に、佐藤首相が訪米前の1964年12月29日、ライシャワー駐日米国大使と会談し「仏大使は中共が核武装を行っているのだから、日本も核武装すべきだと言ったので、日本はそのような問題でフランスの指図は受けないと言っておいた」と語ったエピソードが出てくる。1964年10月に中国が第1回原爆実験を行い、核保有国になった、という状況の変化があり、マクナマラ国防長官の端的な質問もその事態を踏まえた日本の対処方針を聞いたものだった。

 佐藤栄作日記第2巻212ページの12月29日(火)の項目には

 「萩原、中馬、小川半次等数氏来邸。何れも大臣候補の猟官運動か。十時からライシャワー大使と二時間懇談。更に東京会館で実業人と会談。四者懇談会。神田厚相、医療費の取り扱ひに就いて相談あり。AP、アメリカンマガジン等と会見。植村甲午郎、大野[勝巳]大使、椎名外相と会見。石井氏亦来りて渡米につき懇談。いヽ事だが余り変った意見はない。二十九日会に出席」

 とあった。前日、御用納めをすませており、公務が終わった普通の年ならば、少しは暇ができる季節である。1月の訪米を控えて、米メディアとの会見などを精力的にこなしている姿が浮かぶ。

 <首相 日本は核兵器の所有あるいは使用についてあくまで反対だ。技術的には核爆弾をつくれないことはないが、フランスのドゴール大統領のような考え方(独自の核兵器開発)は採らない。陸上への核兵器持込については発言に気を付けてほしい。もちろん、戦争になれば話は別で、米国が直ちに核による報復を行うことを期待している。その際、陸上に核兵器施設を造ることは簡単ではないかもしれないが、洋上のものならば、直ちに発動できるのではないかと思う。>

 ジョンソン米大統領との首脳会談(1965年1月12、13日の2回)で佐藤首相は「中共の核実験に拘わらず、日本国民の間には、日本は核兵器を保有せず、核兵器を使用するような事態の発生に対しても反対する空気が支配的である」と繰り返し国内事情を強調し「日本は核武装は行わず、米国との安全保障条約に依存するほかない。米国があくまで日本を守るとの保障を得たい」と訴え、ジョンソン大統領が「You have my assuarance」(あなたには私が保証します)と断言した、と毎日新聞特集面にあった。

 閑話休題。

 佐藤栄作日記の1月12日(火)も書き写しておこう。

 佐藤栄作日記第2巻222ページ。

 「昨夜は興奮の結果か、ねつき悪く、午前四時頃迄転々。八時過ぎ起される。午前はゆっくりして、十一時にホワイトハウスに出かける。ブレアHOUSEはすぐ前なので2分前に出発。儀仗兵の両わきにならぶ中を静かに車が進行。表玄関には大統領夫妻が勿論出迎え。そこで簡単なメッセーヂ、更に玄関わきに大統領と並んで一々握手をかわす。その後大統領が案内して執務室に入る。ケネディ当時のロッキングチェアーそのまヽ。短(単)刀直入に会談に入り、三八度線、形はともかく台湾、ベトナムも退かないとはっきり答へ、日本の防衛に任ずるから安心しろとすべて話はとんとん。沖縄、小笠原の墓参も、当方の云分を採用して何等心配はない。こんなに話がトントンに進んだのでびっくりした。別室即ち閣議室に出かけたが、その時はすでに五十分を経過して居た。別室の話は午後のラスク会談にゆづり、早々にきり上げる。プレスクラブに出かける。質問は余り気のきいたものにぶっつからず至極平凡。而して三時半のラスク会談では、まづ大成功としてほめてくれた。三時半からつっこんで中共、韓国、沖縄、小笠原、航空、漁業協定、短期農業移民等次々に重要な話をすヽめた。漁業だけは勉強がしてないとして後廻し、その他は当方の云分をきいてくれる様子。CIAの説明を一時間半ばかりきく。これはU2機並に衛星での写真撮影。案外きれいにうつるものだ。ソ連、中共の地上設備につき、詳細説明された。誠に驚き入る。八時から晩餐会。ジョンソン大統領のもてなしは、ほんとに気をつかったもの。その挨拶も非常によろしい。テンガロンハットを無心する。実際心から友人になれた様だ。午後零時すぎ帰宿。橋本君と電話連絡する。万事明日のコンミニケ待ち。」

 と、ここまで書けば日記の1月13日(水)も必要だろう。

 「ワシントン最後の日。マクナマラ国防長官と対談し、終わってアーリントン墓地に出かける。マ国防相とは初めての人。ワトソン弁務官の能吏な事や、国防予算等につき話が出たが、当方に指図する様な事はなかった。ア墓地は海軍少将の案内で無名戦士の墓(一次、二次、朝鮮戦役)に詣で、更に[ジョン・]ダレス氏の墓地、これにはダレス未亡人並にアレン・ダレス氏(ジョン・ダレスの弟でCIA長官)参拝。ケネディ永遠の火ともるリンカーンメモリアルに向った。景勝の地、花輪を捧げる。引続き白亜館に大統領を訪問、御別れと同時にコムニュケ作成、医療研究団の打合わせをする。更にテンガロンハットを得て御別を云ふ。玄関まで見送り、揃ってカメラに入る。至れり尽せりの感あり。国務省ラスク長官の午餐会、ジロン[米財務]長官と約十分会談。利子平衡税の問題は難行[航]の様子。食中ラスクと低声にかたる。沖縄はかへしてもいヽのだが、まだ中共が安心出来ぬ、国防は引きうけたと確信を得た。三時半記者会見、更にショーラムホテルで外人記者と会見、コムミニケについてなり。十三項目あるが何れに重点ありやに答へて、我方は沖縄、小笠原、双方は中国並びにベトナム、新しきものとして医療団の問題ありと。概して成功なりと各面の批評よろしい。大使館のパーテー。橋本と連絡をとる。椎名外相ロンドンに向ふ。」

 途中、ホノルルあたりで首脳会談が成功だった、という評価が日本国内でもっぱらだった、という便りを聞き、羽田空港にも大勢の出迎えが詰め掛けているのを見て「評判がいいとこんなものか」と書いているのは、岸内閣の安保改定を思い出してのことだろうか。天皇への報告も「大変熱心にきかれるので、一時間と十五分、大変な長説明となった。尚昨日は酒十本を下賜さる。その上今日は皇后様から御菓子をいたゞく。更に皇太子殿下のもとで記帳挨拶する」など、いたるところで褒められてまんざらでもない様子が日記から浮かんでくる。

 話を新聞記事に戻す。

 <長官 洋上のものについてはなんら技術的な問題はない。日本の政治的な空気も漸次変わるのではないか。>

 <首相 日本が核兵器を持たないことは確固不動の政策だ。防衛産業育成の問題があり、差し支えないものは日本でつくりたい。>

 毎日新聞特集面には、ただ、米国で公開済みの会議録では、この時の訪米で首相はラスク国務長官らに「個人的には、中国が核兵器を持つならば、日本も核兵器を持つべきであると考える」とも主張している、とあった。

 <長官 日本が防衛産業の(育成で)なし得る軍事的援助をアジア諸国に与えることはできないだろうか。>

 <首相 日本では宇宙開発のためのロケットを生産している。必要があれば軍用にも使うことができる。将来は人工衛星の開発にも進みたい。>

 今回公開された外交文書は1945~76年の225冊、約11万2000ページ。21回目となる今回は佐藤栄作首相の就任後発訪米(65年)や田中角栄首相の訪米(73年)記録などが対象で、キューバ危機(62年)での日本政府の対応をまとまえた文書も公開された。

 65年1月12,13日の佐藤訪米をもう少し見てみよう。毎日新聞特集面からである。

 まずは黒崎輝・立教大兼任講師(国際政治学)の話だ。「佐藤栄作までの戦後の首相は、大半が『核を持って当然』と思っていた節がある。他方で政治家の意思とは別に政府の現実的立場は整理されてきた。それを加速したのは中国の核開発だ。佐藤首相は核抑止力の必要性を強く感じたが、反核世論は無視できず、日米首脳会談で非核を明確にした。核拡散を危惧する米国も『核の傘』の提供を再確認した。こうした動きが非核三原則と核4政策へとつながった」と語っている。

 佐藤栄作首相の1965年の初訪米では、アメリカ統治下の沖縄、泥沼化する直前のベトナム情勢などでも意見交換がなされた。以下は毎日新聞特集面記事を書き写したものだ。

 <佐藤首相とジョンソン大統領の初会談では、米軍基地を残したままの沖縄返還という方向性が形成された。首相は在沖縄米軍の重要性を確認したうえで沖縄の施政権返還を訴えた。これを受け共同声明には「大統領は施政権返還に対する日本政府及び国民の願望に理解を示し」と、これまでで最も踏み込んだ文言が入った。>

 <65年1月12日の会談要旨によると、首相は「沖縄における米軍基地保持が極東の安全のため重要であると十分理解」と断言。そのうえで「施政権の返還は沖縄住民のみならず、全日本国民の強い願望」と強調した。「住民の協力を得ることが大局的には米国の利益とも合致」とたたみかけた。>

 <佐藤首相は首脳会談後の65年8月、沖縄を訪問して「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとって戦後は終わらないと改めてアピール。67年の首脳会談の共同声明には返還時期を「両3年内に合意するよう検討」との文言も盛り込まれた。1969年11月21日、佐藤・ニクソン両首脳は沖縄返還協定に調印した。>

 こうして書き写していると感慨が湧いてくる。佐藤首相は65年1月の初訪米できっかけを作り、それから約5年かけて沖縄返還を実現した。一政権でやり遂げる、という意思と実行力、と簡単に言うが、この時代でも5年かかっている。北方領土返還にしても北朝鮮との正常化にしても1年で交代する軟弱政権ではできない、といういい証拠なのではないか。

 <我部政明・琉球大教授(国際政治学)は「米国にとり、沖縄基地の重要性で日本側の言質を取るのは返還議論の大前提だった。1965年1月の会談で両国はようやく返還への話し合いの入り口に立った」と解説する。>

 そして、ベトナム戦争問題である。

 <佐藤首相は、ベトナム戦争で米国側に忠告していた。直後に米国は忠告を振り切ってベトナム戦争を泥沼化させていった。>

 <訪米前のライシャワー駐日米大使との会談で首相はこれは東洋と西洋の心理の相違であって、西洋の合理主義に基づいて『これ位は簡単だ』と言って一発やると危険なのであると安易な戦争拡大論を批判。「あの辺りには、前国民党軍人であった華僑もいることだから、彼らを第一戦に使うでもして、アメリカはゆっくり後に構えてやる位(ぐら)いがいいのではないか」などとアドバイスした。>

 <さらに「大東亜戦争」まで引き合いに出し、「日本が満州だけで満足していれば、あのような結果にはならなかったであろう。早く解決しようとあせったのが失敗であったと自戒を込めて米国の自制を促した。>

 <これらの発言は、米側にも強い印象を与えたらしい。首相の訪米中には、マクナマラ国防長官が意見を改めて聞いた。首相はベトコンの方はその土地に住んでいるのに、米軍はよそから入って行くのであるからそこに非常な困難があると改めて指摘。だがマクナマラ長官は東南アジア共産化の危機を強調した。会談の翌月、米国は北爆を開始して戦争は泥沼化し、10年後に北ベトナムが勝利した。>

 佐藤氏は「だから言わんこっちゃないだろう」と苦虫を噛み潰していたのかどうか。

 1962年のキューバ危機に関する外交文書も面白かった。

 <1959年の革命政権成立で冷戦の最前線となったキューバ。核戦争寸前まで緊張が高まったキューバ危機(62年)で、池田勇人首相はケネディ米大統領の対応を支持した。だが60年代初頭の外務省内部文書や電信には、米ケネディ政権の指導力への疑念や、同盟国と協議せずに対処した米国への不満が記録されている。>

 として、毎日新聞特集面は以下のように書いている。今回の外交文書公開は毎日新聞の独り勝ちではないか? 内容が一番良かった。どうしても毎日新聞からの引用が多くなる。

 <米国は1961年1月、キューバとの国交を断絶。同年4月15日、米国の支援を受けた亡命キューバ人部隊がカストロ政権転覆を目指してキューバに侵攻し、撃退される「ピッグズ湾事件」が発生した。>

 <外務省中南米課は4月21日付の「極秘」文書で失敗の原因を「米国の情勢判断の甘さと決断のタイミングの悪さ」と分析。5月11日付文書で「米国政府の言動には、国際政治上の指導力に不安を感じさせる点があり、わが国を含め自由諸国が国際政治上のパートナーとして米国の評価において、影響するところがあろう」とケネディ政権の指導力に疑問を呈している。>

 <1962年10月14日、ソ連によるキューバへのミサイル搬入を米偵察機が確認。大統領は海上封鎖を決め、10月22日夜、テレビ演説で「キューバ危機」発生を公表した。朝海浩一郎駐米大使から大平正芳外相あての10月22日付公電によると、米国が危機発生を日本に説明したのは大統領演説の45分前。日本はその2年前に安保条約を改正して米国との同盟を強化したが、何も知らされなかった。危機回避直後の10月30日、朝海大使から大平外相への公電には「同盟国がこぞって支持の態度を示したことは米国を力づけ、ソ連にある程度の印象を与えた」と判断の正しさを強調した。その一方で「一歩進めば核戦争となる措置を採用するについて、全く同盟国と協議しなかった」「最も近い英国にさえ、(中略)ゴア(英国)大使が『自分は数時間前に知らされていた』と述べていたにすぎず(中略)、日本も考えざるを得ない点かと思われる」と記した。>

 米国が本当に重要な政策決定を日本抜きで行うことは過去何度もあった。ニクソンショックが有名だが、今回の北朝鮮のテロ国家指定解除問題も日本は相談に預からずに、事後報告のような形で追認させられ、後味が悪かった。今後の朝鮮半島政策でも、米国は日本と相談するのではなく、中国と相談して決めるのだろう。北朝鮮の親である中国と韓国の親である米国、という構図だ。今の日本の国力では致し方ない、ということなのか?

 1973年の田中角栄首相訪米、ニクソン大統領との首脳会談はロッキード事件ばかりクローズアップされるが、実はいろいろと懸案があった。その辺も毎日新聞は詳しい。

 <1973年の田中角栄首相とニクソン米大統領の会談前に、朝鮮半島の緊張緩和を目指して中国とソ連が韓国、米国と日本が北朝鮮をそれぞれ承認する「package deal(一括取引)」案を日本政府は想定していた。キッシンジャー米国務長官が75年の国連総会で提唱したのと同内容で、日本は2年前から構想を練っていたことになる。会談前に作成された「総理発言要領案」で、米国から「『ソ連、中国の韓国承認』を問われた場合の回答」としてまとめられた。「北朝鮮の態度から見て当面はあまり期待できない」としながらも「長期的な方向」として、北朝鮮と韓国の承認に関する「一括取引」案のほか「朝鮮半島に関する何らかの国際的な枠組み作りを考えるべきかもしれない」と提案した。>

 南北同時承認などという案を当時、新聞でよく見かけたものだった。

 <田中首相訪米に際し、日本政府は米国メディア対応に細心の注意を払った。日本の対米貿易黒字は1972年は30億㌦を超える勢いとなった。芽生えつつある反日感情を収めようとする過剰なまでの姿勢がうかがえる。「シカゴには米国屈指の有力紙があり、首相は訪問日に必ず記者会見を開くように」「サンフランシスコ到着日にも、PR効果を一層高めるため記者会見を行うべきだ」。7月29日からの訪米を前に、在米日本大使館から指南電信が次々と届いた。米国人記者一人一人の性格や、どのテレビ番組に出演するのが効果的か、といった記述もある。ワシントンでの懇談会に出席する記者は、名前の横に「大物コラムニスト」「熱心だが小物」「近く訪日予定」など注意書きや、どの記者を優先するかも記されている。>

 どうでもよさそうに見えるかもしれないが、この外交文書は非常に重要だと思う。というのは、貿易黒字減らしが当時の日本の国策だったこと、内閣あげて米国の世論に気を配っていることはなぜ田中首相がニクソン大統領の提案を受けてロッキード社のトライスターを購入する約束をしたかの背景を説明してくれるからだ。

 私は田中角栄無罪説に肩入れするだけの理論武装を持っていないが、一国の総理大臣がカネで一国の航空政策を売るとはどうしても思えないのだ。田中角栄という異形の総理の人格的欠陥が産んだ冤罪なのか、米国の陥穽に嵌ったのか、何かあるのではないか、と思う。

 奇しくも12月22日毎日新聞朝刊社会面に<ロッキード事件で証言/コーチャン氏死去/94歳>の死亡記事が出ていた。田中元首相を有罪にしたコーチャン証言である。関係者はどんどん死んでいく。そして、歴史的事実は確定していくのだろうか。

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竹中平蔵氏の論文を読むと「もっともだ」と思うのだが~12月22日産経新聞朝刊

 どうも経済音痴に加えて高齢で忘れっぽいので、前に読んだ論文の内容をすぐに忘れて今読んだ論文を「そうだ、そうだ」「もっともだ」と思ってしまう傾向が強くなっているようだ。というのは、今まで幾つかの論文で小泉政権当時の竹中平蔵氏の経済政策の過ちの指摘を「そうだ、そうだ」と頷きながら読んだはずなのに、12月22日産経新聞朝刊1、2面の「竹中平蔵ポリシー・ウオッチ」を読むと、竹中氏の言っていることもほとんどが尤もだ、と思えたので、自分の理解力の不足と節操のなさにあきれている次第だ。

 これでも少しは批判的に読もうとしたのだが、竹中氏の文章は説得力がある。見出しは<最も失われた1年>である。「尤もだ」という感覚的理解を超えて、もう少し批判的に読み解いてみよう。

 何を書いているか、と言えば、麻生太郎首相が中期プログラムに「3年後の消費税増税」を書き込んだことがいけない、といい、このままでは①景気は回復せず②財政再建は遠のき③増税だけが残る、という誤った政策による三重苦に国民が苦しむのだ、というのだ。

 <不適切な経済政策が、いったんは復活した日本経済の蓄積を食いつぶしつつある。……1990年代の日本経済は失われた10年と呼ばれたが、平成20年秋に始まった麻生政権下での政策混乱が来年秋まで続けば、日本は「最も失われた1年」を経験するかもしれない。>

 ここまで読むと「尤もだ」と思う。でも、竹中氏に言われる筋合いはない、とも思う。竹中氏のいう三重苦について一つ一つ見ていこう。

 まず第一はこのままの政策では経済が回復しない、という点である。

 <一部の企業は、金融経済危機をエクスキューズ(言い訳)にして、日本から海外に大幅に活動拠点を移すのではないか。本格的な空洞化だ。構造改革が停滞したために規制緩和が進まず税率も高いままの日本からいかに撤退するか、グローバル企業はしたたかに考えていよう。>

 脅しである。竹中氏は小泉政権時代、経済が数字上回復したことに胸を張っているのだろうが、「実感なき景気回復」がもたらしたものは非正規労働者の大量発生と新規産業なし、という将来性のない産業構造だった。私は規制緩和を全面的に否定するつもりはない。不必要な経済的規制を撤廃または緩和して新規産業興隆のもとをつくるべきだ、と思う。しかし、小泉政権=竹中イズムが推進してきたものは経済的規制の緩和だけでなく、してはいけなかった社会的規制の緩和だった。「人」に関する規制、労働規制を緩和することの人間的悲惨さは小泉政権が終焉して2年後くらいから顕在化し、日本を荒ませた大きな原因だった、と総括され始めている。

 大企業は雇用の調整弁として非正規労働者を使い捨てし、その使い捨てで発生した社会的コストを国つまり、国民の税金に転化する方法を取った。気楽なものである。日本的企業経営が間違えていた、だから失われた10年が起きた。だから、日本の企業もアメリカの企業のようになろう、という、ただそれだけの哲学も何もない新自由主義的な企業行動を許してきた小泉政権が生み出した現実を見ながら、竹中氏は、

 <現状では、非正規雇用の問題ばかりが注目されるが、正規雇用の削減も進むと見る必要がある。>

 と言って、先ほどの海外拠点の話を書いているのだが、竹中氏にとっては非正規雇用問題というのはそんな軽い問題だったわけだ。

 しかし、これは根本的に間違っていると言わざるを得ない。法人税を高くすべきだと思う。日本で企業活動する以上、高い法人税を支払い、雇用も安定させるべきだと思う。それが嫌な企業はどんどん海外へ出て行けばいいのだ。そのかわり、そういう企業の作った製品を日本人が喜んで買うかどうかは分からない。今の法律がおかしいのは、日本でつくったか、海外で作ったか、原産地表示を義務化していないことだ。日本人が汗を流してつくった製品なのかどうか、はっきり表示すべきだ。

 そうすれば、中国製が安くとも、安心して食べられる日本製を買う消費者が増えるだろう。何度も書いているが、規制緩和は必要だ。どの分野かといえば、農業である。農業を規制緩和し、農地でどんどん作物をつくれるようにしなければならない。これに反対しているのは農協と自民党の農林族議員だ。彼らは既得権を失うのが怖いのだ。農業を農協以外に開放し、失業者もサラリーマンも農業をできるようにする。そして、高品質な農産物を輸出するようにすることが日本の21世紀戦略だ。そういう大きな絵を描かないで、小泉改革のようなチマチマした労働者いじめを今後も続けよ、という竹中氏はやはりおかしい。

 第2の問題は「財政再建が大きく遠のいた」ことだ、という。2011年のプライマリーバランス(基礎的財政収支)均衡目標が今壊れたことを批判しているのだが、これは当たらないだろう。小泉政権のプライマリーバランス目標はそれなりに評価すべきものだった、と思うのだが、今は世界各国のように財政出動が避けられない世界同時不況である。日本が全く財政出動しない、ということは世界第二の経済大国として国際的に許されるものではないだろう。

 <今回の予算編成で、基礎的赤字は再び13兆円へと拡大する。これまでの改革の成果は一気に食いつぶされることになる。>

 これは本当である。竹中氏が言うように過去5年間で基礎的収支は28兆円の赤字から8兆円の赤字に大きく改善してきた。本格的増税なしにこの改善を実現したことも確かだ。しかし、先ほど書いたように、日本の国際的責任という問題もある。

 ただ、竹中氏が書いている中で正しいと思うのは乗数効果のことである。

 <そもそも従来、開放経済の下では財政拡大は大きな効果を持たないことが知られてきた。財政で内需を増やしても、一方で金利上昇・通貨高・輸出減というメカニズムが働き、財政の効果がキャンセルアウトされるためだ。その中で日本は、ロジック(論理)を無視して常に財政拡大を指向してきた数少ない国だった。>

 小渕政権時の度重なる財政出動の効き目がなく、莫大な財政赤字を残し、小渕氏が「おれは借金大王だ」と自嘲気味に語った話を思い出すが、要は金の使い道の話だろう。公共事業や2兆円バラマキに使えば乗数効果も期待できず、泡と消えて、借金だけが残るが、制度的な改善に使えば金は生きる。職業訓練を大規模に実施し、失業者らの雇用の「ミスマッチ」を解消するような金の使い道ならば、即効性はないものの、将来に生きる金となるはずだ。麻生首相の対策ではまだまだそこが弱いことは確かだ。

 竹中氏は日銀を批判し、財政出動前に金融政策を発動すべきだった、というが、この1%、2%の金利変動は本当に効果があるものなのか。米国のダイナミックな金利政策は従来高金利だったから効果があるので、日本は限りなくゼロ金利に近いところで勝負してきたのだから、日銀に過度な期待をしても無駄だろう。

 そして、第3は「増税を行うことだけが明確にされている点」だそうだが、3年後の消費増税といっても景気が良くなれば、という条件付ではなかったか。

 竹中氏の結びの言葉には共感する。

 <日本経済の「最も失われた1年」を回避する正しい政治的リーダーシップが求められる。>

 つまり、麻生首相は早く退陣しろ、と言っているのだ。その通りだ。早く衆院解散・総選挙を行うべきだ。いつまで待っても景気の状況は好転しない。そんなことよりも解散だ。そうすれば、景気は気のものだから、景気が良くなるかもしれない。日本人は案外捨てたものじゃないから、そういう時には知恵を出すだろうと思うのだ。議会制民主主義が危機に瀕している、という実感はまだまだ有権者にはないだろう。とすれば、クーデターでも独裁でもない民主的政権交代で新しい政権が大胆な日本改造を行えばいい。繰り返すが、選挙権を持っていない大企業が何を考えていようが1票を行使できないのだから、恐れるに足らずだ。一番怖いのは1票を持つ有権者なのだ。大企業向けの言説だけを繰り返している竹中氏だが、たまには有権者向けにも語ってほしいものだ。

 と、結果的には相当に竹中氏批判の色が濃くなった。「もっともだ」と思って読んだ論文だったのだが……。

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2008年12月21日 (日)

雇用に関する各社の社説比較~12月21日毎日新聞から

 毎日新聞の「社説ウオッチング」をコピペしておく。雇用の話である。12月17日、19日、20日の各紙社説の比較だが、結構違いが出てきている。見出しは<派遣法の見直しを――毎日◇「雇用対策法成立、今国会で」――朝日>である。

 <1年が早い。志位和夫・共産党委員長が衆院予算委員会で派遣労働者差別、雇用格差を追及、インターネット「2ちゃんねる」をはじめ若者から好意的な反響を受けたのは2月8日のこと、首相は福田康夫氏だった。9月に表面化した米金融危機があっという間に世界に広がり、「100年に一度」の不況が日本列島を襲い始めた。このままでは家と職を失ったまま越年する非正規労働者は相当数に上るという。志位氏が追及した時より、状況はさらに悪化している。>

 毎日新聞朝刊2面の山田孝男編集委員のコラムにもこの問題を取り上げていたことを思い出す。「蟹工船」がその後、ブームになったが、今年の最高の国会質問といえば、消えた年金問題を追及した民主党衆院議員か志位氏か、という争いになるくらいの立派な演説だったと思う。

 <志位質問を思い出させてくれたのが「労働者派遣法を抜本的に見直すことも緊急の課題だ」と書いた毎日社説(19日)だった。>

 <民主、社民、国民新の野党3党が共同提出した雇用対策関連法案が参院厚生労働委員会で可決されたが、与党の反対で成立の見通しが立たない現状について「野党3党案は与党案と重複した内容もある」「直ちに議論を始め、法案の成立を図ってもらいたい。生活ができないという失業者への生活支援金貸与や住宅対策はすぐにでも行うべきだ。雇用対策を来年の通常国会に先送りにしてはならない」と法案の年内成立を求めた。>

 この野党案は「成立しないことが分かっているのに、選挙目当てで出すのはけしからん」という声が自民党、公明党内だけでなく、「小沢嫌い」の有権者の間からも聞こえる。この法案採決時の混乱、いわゆる強行採決がいらぬ反発を呼んだことは間違いない。国会が機能していないから昔のようなシナリオを描いたきれいな国会運営というものがなくなった。スマートな姿は見ることができないが、おかげで政党間競争の実際の姿を見ることができる。国対政治というまやかしを剥ぎ取ってみれば、こんなものだろう。

 <この問題は朝日が17日に「法案に修正すべき点があるならば手直しして、会期末までに成立させるべきだ。政治は苦しむ国民を放置してはいけない」と書き、20日にも「大事なのは対策を実行に移すスピードであり、職を失った人々に早く手当てが届くことだ」と政府・与党の第2次補正先送り姿勢を批判していた。>

 朝日新聞の主張は参院での採決前だった。だから、強行採決という決着に、もう一度、話を繰り返す必要があったとみられる。

 <日経も19日「非正規労働者の失業保険の受給要件緩和や、再就職が困難な人への給付日数の延長など、与野党ともに必要と認め、かつ急がれる政策については今国会の会期内に審議を進められないものだろうか。国民の目線に立ちあらゆる可能性を探る必要がある」と求め、東京も「首相に決断を求めたい。評判の悪い定額給付金などを盛り込んだ二次補正のうち、雇用対策部分を取り出して今国会に提出することはできないものか。……与野党が雇用部分を速やかに処理する。それが政治の信頼回復への一歩である」と提案した。>

 <一方、産経は20日「より責めを負うべきは、政府の対応の遅れを浮き彫りにするねらいで法案を提出した民主党などだ。思惑を優先させ、話し合いを無視する民主党の対応は、共産党ですら批判している」と民主党批判に終始したが、小沢一郎・民主党代表からの党首会談呼びかけを麻生太郎首相が断ったことには触れずじまい。「与野党協議でより効果的な雇用対策の具体案をまとめることこそ、国会の責務ではないのか」とはいうものの他紙とニュアンスが違う。>

 産経新聞と読売新聞の立ち位置の変化はこれから、どう動くか定点観測するのも面白いだろう。というのは、麻生政権が3、4月までしか持たないだろうし、その後、総辞職というわけにはいかないだろうから、結局は衆院解散・総選挙となれば、今週刊誌などでしきりと喧伝されているように民主党中心の連立政権が誕生するのは間違いないだろうし、健康に気をつければ小沢一郎氏が強力な権力を持った首相として登場するだろう。その時、両紙が今の自民党よりの論調を貫くのか、民主に尻尾を振るのか。

 <毎日の19日社説は一歩踏み込んで「ハケン切り」の「元凶」である労働者派遣法の抜本見直しを求めた。「派遣法改正によって、04年に製造業派遣が解禁されて以降、もの作りの現場で正社員から派遣への切り替えが進んだ。しかし、不況となれば非正規社員は真っ先に解約され、ポイと捨てられた。非正規社員は『使い捨て』労働者だったことが、だれの目にも明らかになった」「製造業派遣の禁止や登録型派遣の是非をも含めて、派遣法を全面的に見直す時がきている」と提言したのだ。>

 <実は政府・自民党や財界でも雇用の規制緩和を見直す動きが始まっている。小泉純一郎首相時代の04年、労働者派遣法が改正され、製造業の派遣が解禁された。しかし、07年1月には安倍晋三首相が財界が求めた「ホワイトカラー・エグゼンプション(残業代ゼロ)」導入の労働基準法改正を非難の嵐の中で断念した。経済財政諮問会議や政府の規制改革会議がもくろんだ一層の労働規制緩和は抑え込まれた。逆に厚労省主導で最低賃金引き上げが行われるなど、労働規制緩和から強化へと「06年に潮目が変わった」(五十嵐仁・法政大学教授「労働再規制-反転の構図を読みとく」)という。>

 ここには書いていないが、五十嵐氏のこの本は面白い。審議会などを隠れ蓑に、オリックスの宮内義彦社長らがいかに暗躍したか、を学者の目で分析しているのだが、本によると宮内氏らは昔の財閥のような閨閥を作り始めているようでもある。何か「要注意」な人物たちが多いのだ。

 <日本経団連は昨年、賃上げ容認に転じたが、16日まとめた来年の春闘方針ではベア要求に答えなかった。雇用は「安定に努力」としたものの、具体策はなかった。労働分配率が6年連続で低下した中、連合は昨年の日本経団連の方針転換を受けて8年ぶりのベースアップ要求を目玉にしたが、深まる不況で「非正規社員は解雇し正社員だけ賃上げという構図に、違和感を覚える人も多いだろう」(読売)という国民感情も根強い。>

 連合も政治的センスゼロだなぁ。今のような行動をしていると、連合と日本経団連は共犯、といわれるだろう。

 <「全体の雇用を守ることで内需の崩壊をどう防ぐかが問われている」(朝日)、「労使も非正規労働者の解雇について条件や支援策に手を尽くすべきである」(日経)という意見が強まっている。本来は「政労使一体」での敏速な行動が今こそ求められるのだが、「機能マヒ」の麻生政権には何を言っても無駄なのだろうか。【紙面研究本部・長田達治】>

 と、まあ、サラッとではあるが、派遣労働の問題をある程度まとめてあったから、コピペしておく。そろそろ、いろいろな動きが出てくるだろう。年末を迎えるのだから。

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2008年12月19日 (金)

奥谷禮子ザ・アール社長の「派遣」論~朝日新聞12月19日朝刊から

 朝日新聞12月19日朝刊生活面[働く]で[派遣の行方]をテーマに2人のインタビューが掲載されていた。シリーズ7回目で、今回は脇田滋・龍谷大学教授と奥谷禮子ザ・アール社長だ。何かとお騒がせな奥谷氏が臆せずにインタビューに応じたのは立派だ、と思ったので、読んでみた。奥谷氏の言説の背後には小泉政権で単純労働にまで規制緩和を広げた新自由主義人脈が見え隠れするだろうし、今、こうした派遣社員大量解雇という事態で彼らがどういう思考をしているか知るよすがになるとも思ったからだ。

 聞き手は林恒樹記者。見出しは<「やる気」下支えを>である。奥谷氏の略歴を写しておく。1950年生まれ。日本航空勤務後、人材コンサルティング会社「ザ・アール」を設立。86年、経済同友会初の女性会員になり、現在は幹事、とあった。

 これじゃあ分からない。やっぱりウィキペディアの出番だ。部分的にコピペする。

 ウィキペディアによると、奥谷禮子氏の本名は米澤禮子で1950年4月3日兵庫県神戸市生まれ。奥谷姓は旧姓だ、という。甲南大学法学部卒業後、日本航空で国際線客室乗務員、VIPラウンジ勤務。退職後の1982年、同僚と人材派遣会社ザ・アールを設立。1986年には経済同友会初の女性会員の1人に選ばれた。同年から6年間、当時の堤清二セゾングループ代表との縁で、セゾングループが設立した人材派遣会社ウイル(現株式会社ミレニアムキャスティング)の社長を兼務。2002年5月には株式会社ローソンの社外取締役に就任。2006年1月には日本郵政の社外取締役に就任。

 そうかぁ、スッチーだったんだぁ。だから、年配の男性の心を捉えるのが上手で、成り上がってきたのか?(というのは言い過ぎだろうが……)。

 現職は日本郵政・ローソン・楽天野球団各社の経営諮問委員会委員、経済同友会幹事、独立行政法人国立新美術館運営協議会評議委員、神戸市市長諮問委員会委員、神戸市神戸経済特区研究会委員、WOWOW放送番組審議会委員。

 過去の公職は厚生労働省労働政策審議会臨時委員(労働条件分科会会員)、郵政省郵政審議会委員、内閣府未来生活懇談会委員、国土交通省交通政策審議会委員、通商産業省産業構造審議会委員、通商産業省航空機宇宙産業審議会委員、内閣府規制改革会議委員、公正取引委員会「21世紀にふさわしい競争政策を考える懇談会」会員。
 元経済同友会の代表幹事である牛尾治朗・ウシオ電機代表取締役会長(安倍晋三と姻戚関係。兄嫁の父)とは現在も親しくしている、という。小泉純一郎元首相と懇意。林真理子の「不機嫌の会」(林の小説「不機嫌な果実」に由来する)という夕食会に小泉、野田聖子、宮内義彦らとしばしば出席。郵政民営化に反対していた野田聖子と郵政社外取締役だった奥谷は親しかったが、2人を取り持つ関係として野田が米国アムウェイ本社社長の表敬訪問を受けるほどのアムウェイ擁護派であることが挙げられる。規制改革関連の審議会長を多数務めた宮内義彦とも懇意。

 「格差論は甘えです」と格差社会論そのものに否定的な人物の一人。2006年10月24日に開催された第66回労働政策審議会労働条件分科会に使用者側委員として参加し、過労死の問題について、「自己管理の問題。他人の責任にするのは問題(=自己責任論)」「労働組合が労働者を甘やかしている」と発言。さらに週刊東洋経済のインタビューで「労働基準監督署も不要」「祝日もいっさいなくすべき」と発言し論議を呼んだ、とあった。

 以上がウィキの情報である。ウィキには週刊東洋経済での発言が詳しく載っていたが、興味のある方は是非お読みいただきたい。

 朝日新聞のインタビューに戻る。全文を書き写しておこう。

 <派遣は雇用の創出に寄与している。日本では事業主の解雇規制が強すぎるので、正社員の採用には二の足を踏んでしまう。景気の悪化に伴って派遣社員の解雇が問題視されているが、派遣という働き方があったから雇用が創出されてきた。いま法規制を強めれば、1日単位の派遣でどうにか暮らせていた人までが失業状態に追い込まれてしまう。>

 この解雇規制の問題は派遣労働法導入の基礎となった考え方である。面白いもので、総評、同盟という二つの労働組合ナショナルセンターが強くなりすぎた。特に総評が政治ストまで始めて、同盟の企業内運命共同体的組合組織論を批判、戦闘的となり、社会党が常に支持母体である総評を援護。高度成長時代に労働分配率を上げるための春闘で高い賃上げを勝ち取るだけでなく、労働者を会社が首切りできないような労働法体系ができあがってしまったことは、奥谷氏の言う通りである。

 だから、円高不況など一連の景気変動に苦しんだ企業は柔軟な雇用形態を求めて政治を動かした。本来は強くなりすぎた組合の権限を弱める法改正をすべきだったのに、それは総評と社会党の既得権を傷つけることになるのでできず、今後就職する未成年に差別的労働を強いることで決着した。社会党も派遣労働法を潰そうという本格的な動きをしなかったし、総評も同盟も(その後継である連合も)自分たちは正社員だから痛くもかゆくもないので、座視していた。

 そして、派遣労働者がごくわずかの範囲で認められ、それが本格的になったのが小泉構造改革最中のことだった、というわけだ。

 つまり、派遣労働法改正の経緯を見れば、企業(日本経団連)と組合(連合)のナーナーでできたえいた、と理解すべきだと思う。連合が非正規従業員問題に少し関心を持ち出したのはせいぜいこの1、2年だ。それまでは正社員のことしか考えていなかったのだから。

 だから、奥谷氏のような言説がまかり通ったのだ、と思う。

 <働く側の意識が多様化する中で、多くの人は自分のライフスタイルに合わせて働き方を選んでいる。本当にどうしようもない働き方ならば、派遣社員がこれほど増えるはずがない。「日雇いや短期派遣は禁止せよ」「登録型もダメだ」と非難するのは誤りだ。>

 この働く人の意識の多様化、という言葉ほど便利なものはない。誰が好き好んで安い賃金で酷使される派遣労働者になりたいものか。

 <もちろん、高額の手数料(マージン)を取ったり、社会保障への加入を渋ったりする悪質な派遣会社は厳しく罰すればいい。だが一律の規制は弊害が大きい。政府は派遣法改正案のうち事前面接の解禁を除いた変更は見送り、派遣という働き方の自由度をより高めるべきだろう。>

 ここから奥谷氏は派遣会社の中にはいい会社も悪い会社もある、という論法でかわそうとする。「一律の規制は弊害が大きい」というのが一番いいたいことだろう。

 <その上で、意欲や向上心がある人に能力開発の機会を与えて支援する、訓練中の住居費や生活費を援助するなど「やる気」の下支えをしてほしい。やる気がない人まで救うのは税金の無駄だが、運悪く落ちこぼれた人に手を差し伸べるのは政府の大切な役割だ。>

 派遣は派遣で認めなさい。やる気のある人には政府で職業訓練をしなさい、と。

 <能力開発については派遣会社も担う必要がある。いかに付加価値をつけて質の高い人材に育て上げるか。私は教育こそが派遣会社が果たすべき社会的な責任であり、その責任から逃れようとする企業は、いずれ市場での競争の中で淘汰されると考えている。>

 ここは自分のPRのつもりなのだろう。「誰がお前なんかに教育されるものか」という派遣労働者の声が聞こえるようだ。「教育」をはき違えている。何を教育しようというのだろうか? 少なくともこの人には青少年を教育させたくないのだが。

 <85年の派遣法制定から20年あまり。法規制で押しとどめようとしても、働き方の多様化は今後も進んでいく。「雇用の原則は正社員」という幻想はもはや通用しない。>

 ここまで企業の中で派遣が定着したのだから、今更やめることはできない、と企業側の本音を代弁しているのだろう。

 <そうした中では、同一価値労働同一賃金という理念を実現することが大切だ。加えて、同一能力という考え方も欠かせない。同じ能力の人が同じ仕事をすれば同じ賃金を支払う。これこそが、目ざすべき「平等」の形ではないか。>

 この「同一労働同一賃金」という言葉を便利に使っているのだが、言葉の遊びだろう。ホワイトカラー・エグゼンプションを導入しようとする企業は「同一労働同一賃金」で働きの悪い正社員の給与を下げようとたくらんでいるとしか思えない。

 と、悪口ばかり書いてしまったが、今の企業の実情を見ると、仕事をしない、仕事ができない人も年功序列で若い人よりも高い賃金をもらっているケースはまだまだ多い。この弊害をなくすのは喫緊の課題だとは思うのだが、それと派遣労働是認とは話が違う。やはり派遣労働は高度に知的な職種にしか認めない、という形に戻すしかないのではないかと思う。それで企業の生産現場が日本から逃げ出し、海外に工場を作って海外生産拠点が中心になれば、それはそれでいいじゃないか。何も日本人労働者を嫌いな経営者に雇ってもらわなくとも、新しい産業を生み出せばいい。限りなく内需拡大に貢献しながら、輸出も視野に置くことができる産業。それは農業だと思う。農協という中間搾取組織を打ち破って早く農業分野の規制緩和を実行してほしい。そして、農家が自分勝手に好きなものを作れるようにしてほしい。無農薬でおいしい作物をきっと日本人は作るだろう。そうすれば金持ちになった中国やインドの上流階級は日本から輸入するだろう。

 奥谷氏らに代表される企業の労務屋の言うことを聞いていては日本が滅びる。

 私は個人的に法人は人ではない、と思っている。心がなくてなぜ人なのか? 法人擬制説をもう一度見直す中で、企業の社会的責任、企業の限界をきっちり議論する時が来ている気がする。政治献金も企業や「組合からのは禁止するのは当然だ。

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2008年12月18日 (木)

北朝鮮テロ国指定解除で「米国を信頼」減る~読売・米ギャラップ調査(12月18日読売新聞朝刊から)

 読売新聞と米ギャラップ社が11月中旬に行った世論調査結果だ。読売新聞は11月14日~17日に20歳以上の有権者を対象に調査し有効回答数が1025人(男49%、女51%)。米ギャラップ社は11月14日~23日に18歳以上の有権者を対象に調査。有効回答数は1010人(男51%、女49%)。日米ともに全国の有権者を対象にコンピューターで無作為に作成した番号に電話をかけるRDD方式による電話聴取調査だ。

 読売新聞12月18日朝刊は1面トップ<「日米良好」最低の34%/日本側 金融危機など影響/本社・ギャラップ共同世論調査/オバマ政権で改善期待>で円グラフを入れながら、昨年39%だった「現在、日米関係を良いと思う」人が今回日本では34%に低下し、2000年以降で最低となった、と報じた。逆に米国では「良い」が昨年の46%から53%に増え、「悪い」は10%から9%に増えている。14、15面の分析も交えながらピックアップしておこう。

 <日米関係を「良い」とする人(日本)の割合は2001年から06年まではイラク開戦の03年を除いて50%前後を維持してきた。当時の小泉首相とブッシュ大統領との個人的な信頼関係が背景にあった。その後の安倍、福田両首相は首脳間の信頼関係を築く間もなく退陣した。このため日米関係の評価を定めることができず、『どちらとも言えない』と様子見する人が増えたようだ。

 お互いの国を信頼しているかどうかでも、日本で「米国を信頼している」は昨年の34%から32%に微減。一方、米国で「日本を信頼している」は昨年の61%から67%に5ポイントも伸びた。読売新聞は、

 <日本の対米意識悪化の背景には、対北朝鮮政策でのずれや金融危機の影響があると見られる。>

 と解説し、日本で「北朝鮮問題で日米は連携できている」と答えた人が16%にとどまり、「できていない」は77%にのぼった、というデータをあげた。米国では「連携できている」54%、「連携できていない」35%。

 <拉致問題に具体的進展がないまま、米国が北朝鮮に対するテロ支援国指定を解除したことへの不満がうかがえる。>

 <認識が異なる原因は、対北朝鮮政策の優先順位を見れば明らかだ。日米両政府が協力して取り組むべき課題(複数回答)のトップはともに「核兵器開発をやめさせること」(日本89%、米国90%)だった。日本では「日本人拉致事件の解決」87%、「ミサイル開発や発射をやめさせること」85%が続いた。米国は「ミサイル開発や発射の中止」86%、「米国と北朝鮮との国交の正常化」80%の順に多く、「日本人拉致事件の解決」は70%にとどまった。米国は10月、北朝鮮が中断していた寧辺の核施設の無能力化作業の再開を表明し、その検証作業などで合意に達したとして、テロ支援国指定を20年ぶりに解除した。米政府の判断を、日本側では「拉致問題が置き去りにされた」と受け止めているようだ。>

 と北朝鮮問題をめぐる日米ギャップを詳しく分析したのが秀逸だった。

 また、今回の金融危機については83%が「米国経済への信頼は低下した」と答え、米国への信頼度を引き下げる要因となったようだ、と書いている。

 日米国民の意識ギャップという面では、国際社会の「テロとの戦い」に日本が貢献しているかどうかで、日本では「貢献している」49%が「貢献していない」40%を上回っているのに、米国では「貢献している」45%よりも「貢献していない」49%が多い、というのも面白かった。

 つまり、12月17日にクウェート市郊外のアリ・アル・サーレム空軍基地で行われた航空自衛隊のイラク復興支援撤収式典後、最後まで現地に残っていたC130輸送機1機が隊員14人を乗せて日本に飛び立ち、最後の撤収部隊も来年3月には日本に戻る、という5年間にわたる国際貢献が1人の死者も出さずに終止符を打った節目の日に出た記事で、米国民のあまりに冷たい視線を再認識しなければならない、という紙面構成になっているのだ。読売新聞がこの日を選んで掲載したかどうかは知らないが、そういう象徴的な意味合いはあるだろう。

 14、15面の詳報の「テロとの戦い」を見てみる。

 日本の結果を支持政党別に見ると、自民党支持層では「貢献している」が65%。民主党支持層では「貢献している」46%、「貢献していない」47%で拮抗している、とある。無党派層も「貢献している」43%、「貢献していない」44%だ、と。これは面白いクロス集計だ。

 つまり、民主党支持者の中身が炙り出される。本来は小沢一郎党首らの唱える国際貢献論に積極的に賛同する層がもう少し多いのが理想なのだろうが、実際のところは旧社会党支持の旧総評系活動家などの影響力がまだまだ強いことを示している、と見ることができるのだ。無党派層とそう変わらない思考形態ともいえる。だから「風」に流されやすく、昔を振り返れば、大東亜共栄圏の大政翼賛会に労働者政党や労組が積極的に参加していったり、普段の帝国議会では無理な注文をしたり、という非現実的な姿が思い浮かぶ。戦後だって社会党の非武装中立論そのものを悪くいいたくはないが、有効期限が過ぎてからも非武装中立論一本で戦ってきて、裏では国対政治に精を出した社会党の姿がこの数字からまだ透かし見えるような気がするのだ。小沢党首も大変だろうなぁ、と思う。

 閑話休題はそこまでにして、設問は「日本がインド洋に海上自衛隊の艦船を派遣して多国籍軍の船に行っている給油活動を続けることに賛成か反対か」を聞いた。日本では「賛成」「反対」とも44%。米国では「賛成」59%、「反対」34%と給油活動継続を求める意見が多数だった。

 この数字にも少し驚いたのだが、米国ではもう少し圧倒的に日本に国際貢献を求めているのではないか、と想像していたのだが、そうではなく、34%の反対があったとは驚きだった。なぜ反対してるのかが知りたいところだ。

 自国にとって軍事的脅威となると思う国や地域(複数回答)を見る。

 日本は「北朝鮮」74.1%が最も多く、「中国」58.8%、「ロシア」43.1%などが続いたが、4位は何と「米国」で25.2%。5位は「中東」で24.8%だった。複数回答なので、反米ナショナリズム的な気分が「アメリカ憎し」的な選択を許したのかもしれないが、ちょっとびっくりだ。「ロシア」は3ポイント増えたが、「北朝鮮」は横ばいだった、という。

 米国では1位が「中東」76.2%、2位は「北朝鮮」65.2%、「中国」63.1%、「ロシア」59.8%、「ASEAN」33.8%と続く。「中国」が昨年より6ポイント増えたのが目立ち、「中東」「北朝鮮」は横ばいだった、という。記事は、

 <米国で最も多かった「中東」は日本では25%に過ぎず、昨年の34%からも減った。米国では「ロシア」は60%で昨年の45%から大幅に増えた。ロシアが8月にグルジアに侵攻し、紛争が勃発した影響があるようだ。>

 と解説していた。

 日本で「米国と中国のうち政治面で今後の日本にとってより重要になるのはどちらか」と聞いたところ「米国」が昨年の45%→今年46%。「中国」は34%→30%。日本国民のいじましいまでの米国頼みが見て取れる。一方、米国で同様に日本と中国について聞いたところ、「中国」が40%→51%。「日本」は39%→43%。経済面を聞くと日本では「中国」が62%→49%。「米国」が23%→33%。米国では「日本」が昨年と同じ32%。「中国」は49%→63%。つまり、米国で経済面では中国重視が急増している、ということ。この結果だけ見ると、日本はパッシングされそうだ。

 ただ、米国で現在の中国との関係を「良い」と見るのは昨年の30%→33%。「悪い」は17%→15%。「中国を信頼している」は昨年の36%→38%と微増。「信頼していない」も60%→62%に微増し、最高を記録した。

 <対中関係の評価や信頼度は「中国重視」の志向に追いついていないのが現状だ。>

 と分析している。

 日本では中国との関係が「良い」は昨年の31%→26%。「悪い」37%→41%。「中国を信頼している」は15%。「信頼していない」は77%で最高だった昨年の74%を上回った、という。

 <中国製冷凍ギョーザによる中毒や中国産食品から有毒物質検出などが対中意識を悪化さえたようだ。>

 と分析している。

 間違えて削除してしまったので、グーグルのキャッシュでコピペしておきました。

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2008年12月17日 (水)

「北朝鮮の核弾頭は20個以上」韓国国防委員長~読売新聞12月17日朝刊

 読売新聞12月17日朝刊国際面<「北の核弾頭20個以上」/韓国国防委員長/小型量産の可能性指摘>は座視できない情報だ。ソウル支局の浅野好春特派員の記事だ。

 金鶴松(キム・ハクソン)韓国国会国防委員会委員長が12月16日、ソウル市内で開かれた国防研究院主催の討論会で北朝鮮が保有する核爆弾(弾頭)の数について20個以上にのぼる可能性があるとの見方を示した、という内容である。

 情報ソースは聨合ニュースである。韓国の共同通信みたいな通信社で、日本の特派員は大体、この聨合ニュースを毎日チェックして、大きな記事だと思った時には直接、政府高官などに取材している。記事は、

 <聨合ニュースによると金委員長は「北朝鮮の核爆弾保有数について、米政府は7~8個、韓国政府は6~8個または5~7個とみているが、これは原料のプルトニウムの抽出量を42㌔㌘と推定し、1個当たり6~7㌔㌘使うと仮定したものだ」と指摘。その上で、「北朝鮮が1個につき2~3㌔㌘のプルトニウムが必要な小型核(弾頭)を開発していたら、20個以上を製造した可能性がある」と述べた。>

 <金委員長はさらに、北朝鮮核問題をめぐる6カ国協議の「政治合意」で「米韓が主張する6~8個の核弾頭を廃棄することはありうる」としながらも、「北朝鮮はそれ以外の核弾頭は絶対に放棄せず、体制が存在する以上、核保有国として残るだろう」と述べた。>

 と書いてある。不気味な内容である。黒井文太郎氏の著書の中にも書いてあったが、どれほどのプルトニウムを抽出したのかの検証ができていないから、可能性としてはありうる話なのだ。

 もっと問題なのは核弾頭の小型化である。核弾頭が小型化され、ノドン・ミサイルに搭載可能になったら日本の安全保障は根本から考え直さなければならなくなるのは今まで何度も書いた通りである。だから、日本はどうしても北朝鮮がミサイル搭載可能な小型核弾頭を開発する前に北朝鮮の核開発を止め、核廃棄にまで進ませないといけないのだ。

 それが、もしかすると小型化まで完成していたら…。日本にとって悪夢もいいところで、親北朝鮮政治家は今後、大手を振って「北朝鮮の言いなりになれ」と国民に呼びかけるかもしれない。

 国会の国防委員長という立場の政治家がどこまで真実に迫る情報を持っているのか疑問ではあるが、このような話が出てくること自体、気味が悪い。本当のところはどうなのであろうか?

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渡辺恒雄氏は只者ではない~文藝春秋09年1月号御厨教授インタビューから

 文藝春秋09年1月号[連続インタビュー 麻生総理の器を問う]が面白かった。中曽根康弘元首相、塩川正十郎元財務相の発言も味わいがあったが、老境にあるはずの渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆の発言は年齢を感じさせず、今でも大野伴睦時代同様、日本政治のフィクサーとして動いている現在進行形の「政治家」ナベツネの素顔を垣間見せてくれた。いつまでもナベツネではなかろう、とも思うのだが、この人を凌駕する人物がいない、という現実の裏返しでもあり、じっくり発言を聞いてみるしかないかもしれない。

 聞き手はいずれも御厨貴・東大教授だ。渡辺氏の主な発言を抜き書きする。

▽やっぱり、臨時国会での冒頭解散をやるしかなかったね。たとえ負けていたとしても、自民党が比較第一党になっていれば、大連立か中連立かあるいは小連立になるかわからんが、イニシアチブをとることはできたはず。自民も民主も単独過半数は無理ですからね。

▽麻生首相就任前に中川昭一氏から「解散をいつやるべきか」と相談された。僕は「所信表明が終わったらすぐやるべきだ。ここでためらったら碌なことがないよ」と言いました。その後は本当に碌なことがない。

▽(冒頭解散をしなかったのは)自民党が行った選挙区ごとの情勢調査の結果が極めて悪かったからでしょう。例えば、北海道では中川昭一さんと町村信孝さんしか当選せず、武部勤さんなど他の自民党候補は全部落ちてしまう。麻生さんの地元である福岡県でも、麻生さん以外は全部落ちるという予測が出た。山崎拓さんも鳩山邦夫さんも全部ダメだと。そんな予想が出ていたから、解散を先延ばしせざるをえなくなったんだ。そもそも解散とは、明治の昔から野党懲罰のためにやるものだった解散権を持っているのは総理大臣なんだから、負けると分かっているのにやるはずはない。もっともこの調査は、誰かの謀略によるニセモノで、与党過半数の勝機はあると、自民党四役の一人が言っていた。

 自民党や民主党が秘かに調査をして、その結果を見て分析するのは当たり前だが、最近はそのニセモノが出回っている、という話は聞いたことがある。自民党のある調査では小数点1桁までしか出ていないはずなのに、そのペーパーには小数点2桁まであったのでニセモノと分かった、とか。こうなると謀略戦のようで、たまらないだろうなぁ。

▽いま麻生さんはなるべく解散を先延ばしして、その間に景気対策を行い、民主党の敵失を待つという戦略なんじゃないのかな。…いずれにしろ、経済が悪い状態で選挙をしなければならない。自民党にとって、いい条件はなにもないね。(敵失とは)例えば、小沢さんが代表を辞任するとかね。小沢さんの健康不安説が燻っている中で、今も民主党内には小沢退陣論があるんですよ。もしそうなれば、民主党が今度は代表選をやるしかない。分裂含みになるかもしれない。実際、参議院民主党から渡辺秀央さんと大江康弘さんが飛び出して、無所属議員らと改革クラブを作った。今は西村真悟さんが加わって5人になり、政党助成金がもらえる政党になりましたね。それ以外にも、僕が聞くところによると、新たに参議院民主党を飛び出そうという動きもある。誰もが知っている議員が僕のところにやってきて「民主党が嫌になったから離党したい」と言うんだ。すぐに自民党には移れないから、新党を作ると。今3人集まっていると言っていたけどね。

 この辺がすごいと思う。大魚ではない小魚のような政治家の名前まですらすら出てくる。日々動いている永田町のリアルな動きに、ご老体が適切に対応している証拠なのだろう。読売新聞の政治部長の話も聞くだろうが、自分で取材するケースの方が圧倒的に多いのではなかろうか。政治が好きなのだ。好きこそものの、なのだろう。

▽昨年、大連立が失敗した時も小沢さんはいったんは代表を辞めると言ったのに、周りが必死になって慰留した。あの時慰留されなければ小沢さんは50人くらい引き連れて民主党を出ていたでしょう。そうなると民主党は万年野党のままだ。だから、菅直人さんや鳩山由紀夫さんは必死に「代表を辞めないでくれ」と懇願したんだ。あの時のしこりは、まだ民主党に残っている。

 そういうことなんだろうなぁ。それが政治のリアリズムだろう。

 徳島の当選5回、仙谷由人さんとか、個人的には正義派で、がんを克服してからのすごみと切れ味は自民党の総裁候補である与謝野馨さんと通じるところもあると思わせる人だが、こういう私の好きな「いい人」たちに限って「小沢嫌い」が徹底している。あの時、民主党幹部会が小沢提案の「大連立」でまとまるはずはなかったのだ。小沢氏は事前にそれを知っていたのだと思うのだが、そのへんはどうなっているんだろうか。ナベツネ氏もその辺の微妙な話は上手に避けている。

▽(自民党内も)中川秀直さんの一派などは完全に干されているしね。…ほかにも、加藤紘一さんや山崎拓さんなどは、麻生政権で何の役職ももらえず不満が高じている。彼らは民主党にパイプがある。

 これも的確な分析だろう。加藤紘一氏など、選挙管理内閣の首相は自分しかない、と思い込んでいるようだ。その話はよく聞く。

 以下の話は何と55年体制の誕生秘話的な話である。ナベツネ氏ならでは、というか、他の人では話しえない話だ。

▽1955年の保守合同の直前、鳩山一郎首相の「天の声解散」を受けて行われた2月の総選挙では、鳩山ブームに乗った民主党が124議席から185議席に躍進した。一方、吉田茂から緒方竹虎に総裁が代わっていた自由党は180から112議席に激減する。当時、兵庫県では自由党が八つ議席を持っていたのに、生き残ったのは淡路島出身の原健三郎だけ。今回も総選挙をやったら、自民党と民主党の間でそういう逆転現象が起きる可能性がある。何十年かに一回、そういう大逆転が起きるんだね。

 55年総選挙の教訓はもう少し勉強してみよう。さすがにナベツネさんは詳しい。

▽(今まさにそういう大逆転の周期に来ていると?)そう思うね。また、55年の選挙では、自由党と民主党以外に、左派社会党が89、右派社会党が67で、労働者農民党と共産党を加えれば162あった。彼らがキャスティング・ボードを握ったんだね。54年の年末に吉田内閣が総辞職したのを受けて行われた首班指名選挙では、左右社会党が鳩山に投票した。今でもよく覚えているが、あの時、緒方をはじめ自由党の面々は「社会党が憲法改正を主張していた鳩山に入れるはずがない。緒方に投票するはずだ」と前日の夜まで言っていた。僕ら新聞記者は、取材の結果、社会党が鳩山に入れるということはわかっていたんだけれどもね。社会党は鳩山に投票する代わりに、年明けの解散を民主党に約束させていたんだ。いわば、解散予約だ。その解散総選挙の結果、鳩山民主党はめでたく第一党になったんだけれども、今度はその社会党に裏切られる。首班指名では自由党も鳩山に入れたのですんなり決まったが、議長選挙では自由党と左右社会党が組んで、民主党の三木武吉の議長就任を阻止して。その結果、議長ポストは第二党の自由党、副議長も第四党の右派社会党から選出され、鳩山内閣はまったく議会運営ができなくなった。当時、自由党の国対委員長だったのが佐藤栄作で、国会の常任委員長も自由党が片っ端から取ったしね。まさに、昨年以降の野党多数の参議院で法案が全部つぶされちゃうようなもので、にっちもさっちもいかなくなった。そこで、鳩山一郎の盟友だった三木が、業を煮やして4月に保守合同を呼びかける。三木は右派と左派が合流して社会党政権ができることを恐れていたんだね。それで、自由党の大野伴睦と会談を重ね、それぞれの党内の反対論をねじ伏せながら、11月の保守合同を実現させていった。

 よく覚えているなぁ。そうかぁ、保守合同のそもそもは国会が機能しなくなったこと、国会運営を野党に奪われてしまったことがあったとは知らなかった。昔、升味準之助氏の政治史の本を読んだが、じっくり読まなかったので、保守合同は社会党政権への恐れからだ、とばかり思っていた。

▽(現在あの頃のような活力のある政治家はいますか?)いないですねえ。まあ、昨年の大連立を目指していた時の小沢さんにはその活力があったけどね。小沢さんは昨年7月の参議院選で勝ったけれども、衆議院選で民主党が大勝することはできないと考えていた。だから自民党との連立しかないと、僕にははっきり言っていたんだ。保守合同の時は三木や大野はそれぞれの党をまとめられたけれども、今回はそこまでできなかった。

▽(イザという時に力が足りなかったんですね?)そういうことでしょう。これは先ほど述べたキャスティング・ボード政治の問題とも関係するんだけど、保守合同の前年、緒方竹虎は「政局の安定が爛頭(らんとう)の急務である」という声明を出して保守新党結成を訴えていた。その中で「キャスティング・ボードによる諸修正は多数決政治の信条をあいまいにし、ややもすれば国会の運営を不明朗ならしむるところ、行く行く議院民主制に対する国民的信頼を薄くせんことを恐る」と書き、キャスティング・ボード政治、つまり第三党が政治を動かすことを厳しく批判していた。…保守合同はキャスティング・ボード政治を排することが一つの動機だったんだ。

 なるほど、キャスティング・ボード政治か。公明党ねえ…。ナベツネがなぜ公明党を嫌うか、という根本的な理由が今分かったような気がする。なるほどねぇ。

▽今話題になっている定額給付金にしても、あんな2兆円のバラマキなんて、僕は本当に世紀の愚策だと思っているんだけど、元はといえば公明党が定額減税をやれと自民党に要求したのが発端だ。まるで尻尾が胴体を振り回すかのように、自民党が公明党の言いなりになっている。キャスティング・ボード政治の最たるものだ

▽(ということは、昨年の大連立の動きの際に、小沢さんにもそうした動機づけがあったのですか?)小沢さんが、連立の条件として公明党を切れと言ったんだよ。だけれども、福田康夫さんはそれだけは呑めないと答えた。福田さんが僕に電話をかけてきて、「小沢さんを説得してくれ」と。そこで小沢さんに言ったら了解してくれた。まあ、これ以上は差し障りがあるから言えないが、いずれにしろ、あの時もう2、3人の実力政治家が協力してくれていたら、大連立はできたんだよ。そしたら、今のようなゴタゴタは何も起きていなくて、経済政策や社会保障の問題、消費税の問題だって、どんどん前に進んでいたはずなんだ。本当に悔やまれるね。

 やはり噂は本当だった、ということだろう。「公明党を切れ」。小沢一郎ならば言うだろう。しかし、まだ全部が明らかになっていないから分からないが、小沢氏が主導したのか、ナベツネ氏が主導したのか?

▽小選挙区というのは実は中選挙区よりぬるま湯で自民党を弱体化させたんだな。

▽僕は小泉さんが天下を獲る4ヶ月ほど前に彼とサシでメシを食ったんだ。その時、僕は「小泉さん、あんた勝ちそうだよ。天下を獲ったら何をやるんだ?」と聞いた。彼は「民主党と大連立をやる」とはっきり言ったんだ。ところが、総理になった後、そんなこと言った覚えがないと言い出して、やりあったことがある。僕は確かにそう聞いたんだがね。

▽まともな政治家なら大連立を考えるんだよ。この間、安倍晋三さんがこう言っていた。「今自民党の政治家は自分の選挙区に創価学会の票が2万票あるから、公明党と手を組めば単純に2万票増えると思っている。でも、そうすることで実は従来の自民党票の3万票が民主党に流れているんだ」。だから、自民党の中には、公明党との連立をやめたいという実力者もかなりいる

 このナベツネ発言でこの間の古賀誠・自民党選対委員長の公明党批判発言の底流が理解できた。そういう感情だったのか。

▽(民主党が第一党になった場合、小沢さんは総理になりますか?)小沢さんは体力的な問題があるからね。岡田克也さんや前原誠司さんとかがもう一度復活するんじゃないか。彼らは政策的にも自民党に近いし、民主党の若い人には財政や金融が分かる人もたくさんいる。

 ナベツネ氏はこの発言を繰り返している。小沢氏は「私は総理にはならない」とナベツネ氏に断言したんだろうし、今でもそう思っているんだろう。小沢氏の健康はそんなにひどい状態なのか? 無理をしすぎたのか?

▽自民党が比較第一党を取れない時は、潔く民主党に政権を渡し、そういう人たちにやってもらうしかないね。いずれにしろ、一度選挙をやってみないとね。選挙の前というのは政治家は動けないんだよ。…今度の選挙で負けた人たちは仕方がないからそこであきらめてもらう。勝ち残った人たちで、日本の政治をよくするための政界再編をやってもらうしかない。最初は連立でしょうが、最後には保守合同のようなこともあるかもしれない。

 ということは、断片的な話をつなぎ合わせると、次は岡田首相か前原首相だ、ということになるのかな。それでもいいと思う。

 でも、民主党はまた分裂もどきの騒動を起こすのではないか、とも思う。

 本音を言えば、もう衆院副議長の横路孝弘氏ら旧社会党系の議員たち、特に旧総評系議員には引退をしてもらいたい、と思う。

 安全保障問題で懸念がある親北朝鮮の議員たちは本来は民主党を離れればいいのだが、彼らは離党しないだろう。自民党の親北朝鮮議員もそうだ。彼らは選挙に強く、落選はしないから、である。

 総評系労組の支援を受ける左翼政治家は裏で北朝鮮系のパチンコ屋などの金銭援助をいまだに受けているのだろうか?

 いずれにしても、彼らの影響力を殺ぎ、政府の外交方針、安全保障政策決定には関与させないようにしないといけない、と思う。そうでなくても北朝鮮の核兵器の部品は日本から渡っているのだし、先日の共同通信のスクープによると、カーン博士のインタビューでパキスタンの核兵器開発でも日本製の機械が使われていた。

 親北朝鮮の大物議員だった野中広務氏は辞職した。北朝鮮利権を取り沙汰された武村正義氏もいなくなった。親北朝鮮ということでは加藤紘一氏とか、山崎拓氏がまだおり、一人は首相候補だという。永田町に今後も残ることは確かだろう。その残り方が問題だ、と思う。社民党的な反対勢力として残る分には問題ないけれども、権力中枢に入ってくると、日本の安全保障は大丈夫か、という問題が起きるのではないか。

 北朝鮮の対外政策がもっともっと頑なになり、6カ国協議に任せておけない状況になる可能性はある。また、そうした場合、オバマ新政権の政策が期待したようには日本に配慮せず中国と結んで、北朝鮮を適当に手なづけようとするかもしれない。つまり、日本にとって米国の核抑止力が事実上機能しない事態だって想定できる。その場合にどうするのか。

 案外、極東の異変はありうるのかもしれない、と思うのだ。今の北朝鮮、朝鮮半島には何でも起きうる。何が起きても対処できるように、今からきっちり準備しておかなければならない。結果として、平和裏に終わればいいが、そうでないケースまで想定して、準備しておかなければならないのではなかろうか。

 安全保障問題を考えた時、ナベツネ氏のような「心棒」が日本の政治には必要なのではないか、とも思ってしまう。そんなフィクサー政治でいいのか、これでは大野伴睦の時代と何も変わっていないじゃないか、とも考えてしまうのだが、申し訳ないが日本の今後を菅直人氏に任せるわけにはいかないだろう。

 団塊の世代の空虚さが、団塊世代から政治の担い手を出せずに、政治混迷を生んでいるのかもしれない。

 本来は「団塊」が実権を掌握して、「国際社会に伍して生きていける日本」に向けて「第3の革命」「第3の開国」を主導しなけばならなかったのだろうが、そんな根性を持続した「団塊」はいなかった、ということだろう。

 だから、ナベツネ氏のような後期高齢者世代や小沢氏のような団塊よりも上の世代にいまだに永田町を牛耳られている。というか、お任せしている。委ねている。仕方のないことなのだろう。団塊は華々しく活躍することもなく、このまま線香花火が消えるように高齢者になっていくのかなぁ。団塊世代って精神薄弱者なのだろうか? 分裂症なのか? 現実が見えないことは確かなようだ。それと自分勝手で公共性がない。全部自分のことです。

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2008年12月14日 (日)

佐々木毅教授の自民党下野のススメ~東京新聞12月14日朝刊から

 東京新聞12月14日朝刊[時代を読む]で佐々木毅・学習院大学教授が<政権担当能力の枯渇か>というタイトルで麻生首相の支持率ダウン、迷走ぶりを自民党の政権担当能力が落ちている証拠だ、として論じていた。

 佐々木氏は「自民党の政権担当能力の枯渇」の原因として①首相としての資質の問題②自民党のガバナンス(自己統治)体制の揺らぎ③政策面での難問――の3点をあげて分析していた。一つ一つ検討してみよう。

 まず首相としての資質の問題だ。失言が国民の失笑を買い、テレビのバラエティ番組の格好の話題づくりに貢献しているが、佐々木氏はそういう失言も問題だが、それ以上に

 <どのようにすれば統治は可能かということについて十分理解していないのではないかという点が最も深刻である。>

 と書く。

 <つまり、首相の指導力にしてもあくまで大きな仕組みを動かすことを通してのみ実現するのであって、そのことを熟考し、入念に準備することなしに物事は動かない。>

 というのである。麻生政権が発足した時、閣僚名簿を首相自身が読み上げていたのが印象的だった。自分でどんどんやろうとしているなぁ、と思った。今までは官房長官の仕事だった。後藤田正晴官房長官が中曽根政権で閣僚名簿を読み上げ、羽田孜氏の孜が読めず、「しゅう」と読んで、出身母体の田中派の面々から「派閥の同僚の名前くらい覚えておけ」と後で陰口を叩かれたなど、官房長官の初仕事はそれなりに緊張も伴っている。

 麻生首相は党運営など全く知らない河村氏を官房長官に抜擢したのだが、2カ月余たっても、河村氏の顔が見えてこない。つまり、各省庁の利害調整や自民党、公明党という与党と内閣との調整に河村氏が貢献した、という記事が見えない。

 首相は孤独である。自民党総裁を兼任しているのだが、党幹事長に任せるしかないから、党幹事長との意思疎通は非常に重要なのだが、幹事長には細田氏を起用した。派閥の領袖でもなく、寝技でのし上がってきた政治家でもなく、国対政治家でもない。どちらかと言えば政策好きの穏やかな人柄の政治家だ。押しは強くない。今、新聞記事を読む限りでは、自民党内の実権は国対委員長の大島氏と選対委員長の古賀氏が握っているように見える。では、その2人と首相とが頻繁に話し合っているか、というとそうではない。

 首相の近くにいるのは内閣官房の面々である。一番近いのが秘書官だが、麻生首相は今までの事務秘書官4人体制から5人体制に強化した。総務省から岡本全勝氏を持ってきたのだ。この岡本氏の存在感が政権発足当初は異様に目立った。今までの政権だったら財務省からの秘書官がまとめ役を務めるのだが、財務省からの浅川秘書官の影響はあまり見えない。

 どうもニューヨークでの金融サミットで発表した麻生プランは浅川氏がじっくり書き上げたものだったらしい。これ自体は非常に素晴らしい内容で、前にも書いたが、今までの首相発言と比較すると、米国の借金体質についてここまで名指しで批判した首相発言はなかった、と思う。しかし、帰国した首相はせっかくの麻生プランを生かせないまま、政治の焦点が別の議題に移ってしまった。この場合は「もったいない」のである。

 佐々木氏は以前も「1兆円」について最初の段階から疑問を呈していた。私はその意味を理解できず、「なぜ小さなことにこだわるのか」と批判的に書いてしまったのだが、この「1兆円」が佐々木氏の懸念通り迷走して、麻生首相の無能力さを露呈させる大きな要因となる。地方重視の総務省的バイアスが強い岡本氏主導の提言だったのだが、どうも今、霞が関では総務省は他の省庁から鼻抓み者になっているようで、総務省外し的な動きの中で、福田康夫前首相が国民に公約した道路特別会計の一般財源化が実質骨抜きされていく。こういう動きの中で麻生首相は自分の提案がことごとく無視されても最終的に自民党の決定に乗らざるを得ず、あやふやなままで決定されていく。与謝野経済財政担当相に指示するといっても、権限を与えていないから、与謝野氏にしても思い切ったことはできない。

 予算編成方針の閣議決定に至る経緯や与党税制改革大綱の決定に至る過程を見れば、麻生首相が無視され続けていることはよく分かる。今まで自公連立政権を支え続けた公明党が福田政権当時から距離を取り始め、最近では勝手な要求ばかりしている、という印象だ。新聞報道では「おれたちが作った政権だということを忘れたのか」と麻生首相が公明党委員長らに怒鳴りつけられたとあり、その報道を公明党は血相変えて否定していたが、どうも今の状況を見れば、あの報道はやっぱり正しかったのだろう、と思えるような力関係の変化である。

 そういう政治状況を振り返る時、佐々木教授の指摘の正しさは明白だ、と思う。麻生首相は政治に必要な根回しをせずに、手足のように使って政策実現に汗をかいてもらう官房長官、官房副長官、国対委員長、幹事長を使いこなしていない。自分で勝手なことを言って、それが党に否定されることばかり続けば、何も知らない国民だって不審に思い始めるだろう。

 第2点が自民党のガバナンス(自己統治)体制の揺らぎである。これは佐々木氏が書いているように、劇薬である小泉純一郎という人物を首相にした時点から予測されていたことでもある。小泉氏は「自民党をぶっこわす」と言って、本当に壊した。それまでの自民党の固い支持基盤だった郵便局長や農協の幹部、医者、歯医者が自民党から離れるようになった。そのかわりに一時的には無党派層を取り込み、大企業経営者の後押しで総選挙に勝った。首相主導体制は橋本龍太郎首相がつくり魂が入っていなかった経済財政諮問会議を政策決定の中心機関としてレベルアップすることで実現した。これを手助けしたのが慶応大学から助っ人に来た竹中平蔵氏だった。

 小泉―竹中コンビの規制緩和、構造改革は理念は間違えていなかったと思う。官から民へ、も必要な改革だったと思う。しかし、小渕恵三氏が首相当時しきりと「セイフティネット」の必要性を強調していたように、規制緩和によって強者がますます強くなり、弱者が滑り落ちる世の中では安全網の構築は欠かせない。つまり、規制緩和、構造改革を進める時に安易に新自由主義的な楽観論で進めるのではなく、「大きな政府」的なセイフティネットを構築しながら進めないと社会が壊れるのに、小泉―竹中ラインは安全網の構築をさぼった。これが最近の非正規雇用者3分の1、不況下で寒風吹きすさぶ中解雇される人が絶えない状況を作り出した。

 佐々木氏は小泉氏が郵政民営化などで与党内に深刻な摩擦、亀裂を生み、その修復をしないで小泉氏が辞めたため、安倍、福田、麻生3代の政権はその修復に追われており、修復は先が見えていないことを、

 <万事バラバラで収拾のつかない状態であった。>

 と表現。

 <麻生首相には政権をどう作り、どう運営するかが争点になっていることについて緊張感が乏しく、その証拠にマニフェストの名に値する政策課題の提示もほとんどなかった。これでは政権運営がなりたたない。>

 と分析している。マニフェストすら作れないのだ。

 第3点は、

 <政権を取り巻く環境の大きな変化の中で、小泉時代に積み上げられてきた政策と改革の遺産をどうするのか、見直すならばどう見直すのかという政策面での難問がある。>

 ということだそうだ。先走って第2点で書いたことだろう。

 <金融危機の到来はこの問題を曖昧のままにすることを許さなくなった。これをめぐって自民党内は割れ、郵政民営化見直し問題の浮上は対立を激化させた。数年間にわたって自民党に楽をさせてきた小泉路線が今度は党に重くのしかかることになった。>

 第2次補正予算の国会提出すらできない状況では何をかいわんや、だという趣旨である。そして、これら三つの要因が絡んで混迷の度を深めているのが今の状況だ、というのだ。そして、麻生首相の下では総選挙ができない、というのが自民党の総意であるとしてどうするか、といい、新しい首相を選んでも「仏の顔も三度まで」「もう沢山だ」という反応が出ることは確実なうえに、自民党が抱える問題が速やかに解決できるわけではない、として、

 <ギリギリのところまで突き詰めるバトルがなければ、ガバナンスの問題も小泉路線の問題もケリをつけることはできない。>

 という。そして、

 <その意味では自民党を救うのは下野しかないかもしれない。確かなことは、自民党よりも日本の政治の方が大事である、ということである。これを間違えてもらっては困る。>

 と結んでいる。

 「ギリギリのところまで突き詰めるバトル」は今までの派閥の争い、福田・大平の40日抗争のようなバトルとは違った形にならざるを得ない。派閥が溶解しはじめており、派閥領袖のグリップが弱まり、ほとんど掌握できない状態になっているからだ。では、新自由主義路線と「大きな政府」路線で分かれるか、と言えば、先ほど書いたように、本来、規制緩和や構造改革を進めるときには社会的規制を強めたり、緩和してはいけない規制をきちんと峻別する目が必要なので、その目を持っていれば別に「小さな政府」派でも「大きな政府」派でもいいと思うし、そう思う永田町住民が多ければ、これは分水嶺にはならないだろう。

 幸いなことに社会党が潰れたので、安全保障問題では政党間のコンセンサスが得やすいし、今政権交代しても何の問題もない。

 できれば、将来、どのような国をつくるのか、という骨太の政策で大きく二つに分かれればいいと思うのだが、どうなのだろう。やっぱり、自民党でバトルをして、新総裁・新首相を決めるのは無理なのではないか。

 となると、佐々木氏が勧める「下野」しかない。その方針が固まれば、政権亡者たちは自民党を離れて民主党に合流するかもしれない。図らずも政界再編ができるかもしれない。などと、来年の展開を考えると、鬼に笑われそうなので、このへんでやめておく。

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日中韓首脳会談、日中の鞘当て~12月14日各紙朝刊から

 麻生太郎首相、中国の温家宝首相と韓国の李明博大統領による初めての日中韓首脳会談(サミット)が12月13日、福岡県太宰府市の九州国立博物館で開かれ、3首脳は世界的な金融危機に共同で対処することや、北朝鮮の核問題で緊密に連携していくことなどで一致。サミットを定例化し、来年は中国、再来年は韓国で開催することで合意した。

 朝日新聞12月14日朝刊1面<初の日中韓サミット/金融連携強化で一致>によると、

 <3首脳は会談後、未来志向での包括協力をうたった3国間パートナーシップに関する共同声明に署名、このほか国際金融・経済に関する共同声明と政治、経済、環境保護など多岐にわたる協力を盛り込んだ行動計画、防災協力での合意を発表した。>

 とあり、

 <日中韓首脳会議は1999年以降、国際会議の際に計8回、開かれているが、独立した形は初めて。>

 だそうだ。

 アサヒ・コムに麻生首相記者会見全文があったので、見てみた。

 <3カ国の国内総生産(GDP)を足しますと、世界の16.7%になります。貿易額もほぼ同じ、16.6か16.7だと存じます。>

 <声明では3カ国協力の原則として、開放性、透明性、相互信頼、共益、共の利益です、共益、多様な文化の尊重をうたい、そして、未来志向で協力を進める決意を表明しました。>

 として、「主要な成果」を紹介した。その中で注目されるのが金融協力だろう。

 <3カ国は去る11月、ワシントンでの金融サミット、金融緊急サミットに参加をしております。その時の合意内容を着実に実現していくこと。また、金融市場安定化、国際金融市場安定のため、地域協力を強化することでも一致をいたしております。特に我々3首脳は、金融市場の安定に向けて、お互いに助け合うため、日本、韓国、中国と韓国の間でそれぞれ通貨を融通しあう、スワップ、通過の融通のことです、スワップ増額が今般決定されたことを歓迎しております。また、東アジア地域におきます通貨のセーフティーネットでありますチェンマイ・イニシアチブの強化や、またアジア開発銀行(ADB)の資本増強が必要との点でも一致しました。>

 また、質疑応答でも麻生首相は、

 <今、李明博大統領のお話にもありましたように、やっぱり今回の金融危機が、この3カ国の会談というものを促進させた面はあると思います>

 と、世界金融危機が3カ国の連携を促進した事情を語っている。

 朝日新聞2面によると、今回は夕食会を含めれば3首脳が4時間近く議論を交わした、という。朝日は中国系シンクタンク研究者の「どんなことがあってもトップが定期的に顔をつきあわせることが重要だ」というコメントを紹介している。

 そういうことなのだろう、と思う。

 英米仏独の連携がスムーズにいくのはG8サミット以外にも欧米首脳が顔を合わせる機会が多く、意思疎通ができやすい環境にあることがよく指摘されている。そういう環境をつくる、ということでは、3首脳の首脳会談定例化はいいことだろう。

 朝日が書いているように対韓金融支援では日中の鞘当てが表面化したらしい。

 <日中関係筋によると、韓国が日中に対し、通貨スワップの拡大への協力を呼びかけると、まず中国が内々に協力を伝えた。その動きを知った日本が追随したが、日韓間の通貨スワップ拡大のみが一部報道で表面化した。首脳会談当日にその目玉として発表する予定だったが、「日本先行」のイメージを避けたい中国側の反発で、1日前倒しで正式発表されたという。韓国とのスワップはこれまで、日本が130億㌦、中国が40億㌦だったが、今回の拡充で両国とも約300億㌦に。日中の経済力の差が急速に縮まる中、主導権争いはますます激化しそうな様相だ。>

 日経新聞の特ダネがいいように言い訳に使われているようだ。中国の大国意識、傲慢さが目立ったのだろう。尖閣諸島魚釣島近くの日本領海内での中国の海洋調査船侵入について温家宝首相は「釣魚島は古来、中国の固有の領土であることは明確だ」と突っぱねたうえに、東シナ海ガス田開発問題で麻生首相が「政治的合意を実施に移すための協議を早期に行いたい」と言っても「実務レベルで意思疎通を続けていきたい」と素っ気ない対応に終始した、という。

 朝日新聞は、

 <打開できない背景には日本の度重なる首相交代もある。…中国ではトップが重大な外交事項を決定することが多いが、中国共産党筋は「これだけ頻繁にパートナーに交代されると、腰を据えて交渉を進めることができない」とこぼす。>

 と中国側の肩を持つような書き方をしている。違うと思うのだが。中国はGDP急成長で自信をつけ、様々な交渉の相手は米国だけになっているのではないか。朝鮮半島や日本など周辺諸国は「属国」扱いされているのではないか、という印象を受けるのだ。中国の共産党政権がトップ決断をしても、日本の首相は与党と霞が関の上に立って決断していることは中国が一番よく知っていることだ。

 あまり「中国は善、日本は悪」的なことを書き続けると新聞として信用を失うのではないか、と思うのだが。

 それでも朝日新聞は政治面<尖閣 中国が強硬姿勢/ガス田条約協議に影響も>と読者に注意喚起していた。見出しが弱いが。

 読売新聞は2面<日中首脳会談/調査船侵入に抗議/麻生首相/ギョーザ事件解明要求>で事実そのものを見出しにした。

 日経新聞もほぼ同じ見出し。<関係改善踊り場>の解説を付けたうえで、別稿で<各国、脆弱な内政に課題>を持っており<懸案は踏み込めず>に終わったことをきっちり見出しにして書いていた。

 一方、毎日新聞は尖閣諸島、ガス田などの見出しもなく、何か「うまくいった」だけの印象を与えていたように見えたが、これは読者を誤らせるのではないか。

 昨日、日中韓に関する書評でも書いたが、3国はものすごく違う国で、東アジア共同体創設を企図して動けばマイナスの影響しかない、という著者の見識に同感なのだ。首脳会談定期化で、3国の誤解がこれ以上深まらないようにする、つまり、マイナスを深めないという消極的な効果しかない、と思って続けるしかないのではないか、と私は思っている。

 日本は普通の国ではないのだし、唯一誇れた経済力が黄昏れば、軍事力を背景に政治大国化を目指す中国の存在感が強まるのは当然で、その力関係を米国の存在を活かしながらどのようにコントロールするか、が今の日本に問われているのではないか、と思うからだ。

 「今の」日本と書いたのは、世界的な発明とかのブレイクスルーが日本発でできれば、状況は逆転するし、もしも日本が「普通の国」になれば、また状況は全く変わるからだ。今は冷戦崩壊後の変動が東アジアを大きく揺さぶっている時代だ。

 「北朝鮮があるから、東アジアの冷戦は続いている」などとアホなことを言わずに、政治家はきっちりと考えてほしい。

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書評「日中韓はひとつになれない」小倉紀蔵著(角川oneテーマ21)

 小倉紀蔵氏は京都大学大学院准教授。1959年東京生まれ、東大文学部ドイツ文学科卒業。電通勤務後勧告に留学、ソウル大学哲学科大学院博士課程単位取得。東海大助教授を経て現職。専門は韓国哲学。NHkテレビ・ラジオ「ハングル講座」講師。外務省「日韓友情年2005」実行委員をつとめる。著書に「韓国は一個の哲学である」(講談社現代新書)、「韓国語はじめの一歩」(ちくま新書)、「心で知る、韓国」(岩波書店)など。

日中韓はひとつになれない (角川oneテーマ21) 日中韓はひとつになれない (角川oneテーマ21)

著者:小倉 紀蔵
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 小倉さんの著書は以前読んだと思ったのだが、著書ではなく月刊誌だったかもしれない。いずれにしても内容を覚えていない。朝鮮半島問題の著書を読む時、否応なく、著者のスタンスが問題になる。

パラパラとこの本を見たのだが、どうもユニークなものの見方をしており、単純に「親韓」「嫌韓」などと片付けられないタイプらしいので、じっくり読んでみた。

 ソウル大学か高麗大学か延世大学か梨花女子大かの語学堂で韓国語を勉強してからソウル大学の大学院に入ったのだろうと思うのだが、東大の独文、つまりドイツ語屋から韓国語学習というコースがあるのだろうか? もしかすると、ドイツも朝鮮半島も分断国家ということで共通していることに関係があるのかどうか。

 いずれにせよ、「マスコミの王者」といわれ、就職戦線でも一番人気の高い電通を辞めて留学するなど、半端じゃない韓国オタクなのだろう、と思う。

 この本の一貫したテーマというか、結論的な部分は日中韓中心の「東アジア共同体」を作るのは無駄骨折りだし、害あって益なしだから、「東アジア共同体創設には反対」、というところだろう。

 ここで面白いのは、声高に「東アジア共同体」論を唱える人には左翼が多いこと、その中には東アジアの伝統的な思想や東アジアの人々の生活などについて何も知らない人々がいること、そういうことに最初から関心を持っていない人もいること、日米関係の清算を企図したり日本の保守政治の不動特性を批判するという目的のために東アジアを手段として利用している人がいること――などを小倉氏が厳しく批判していることだ。

 <このタイプの「左」系東アジア共同体論者は、その表面上の道徳的な仮面とは逆に、内実は東アジア蔑視論者なのである。「東アジアをばかにするな!」と叫びたくなる。>

 と書いているのだ。

 東アジアの人々が克服すべきものとしてナショナリズム、エスノセントリズム(自民族中心主義)があり、歴史認識、領土問題も克服すべきだ、という文脈の中で小倉氏は、この英語でしか朝鮮半島のことを勉強していない人々が西欧と同じ論理で東アジアのナショナリズムを論じるので、ナショナリズムや歴史認識を議論すればするほど非生産的で無解答の袋小路に入り込んでしまう、と書いている。

 フェミニズムとかポストコロニアリズムというような理論的枠組みを日本人と韓国人の研究者が共有し、ある問題について同じように議論しようとしても議論は非生産的なままに終わるのだ、という。

 これは日本人の語る「ポストコロニアリズム」「フェミニズム」と韓国人の語る「ポストコロニアリズム」「フェミニズム」が中身が違う場合が多いからだ、という。面白い仮説である。そして、それはなぜか、というと、韓国の「ポストコロニアリズム」「フェミニズム」には性善説のフィルターがかかっているからだ、という。

 この辺、和田春樹氏らがすぐに思い浮かぶが、違うか?

 小倉氏は返す刀で「右」も「非倫理的だ」と斬る。

 <過去に日本が東アジアに対して行ったことは、決して隠蔽してはならず、事実を正確に確定して反省すべき点を反省し、二度とそのようなことが起こらぬよう、教育や制度をしっかりと構築しなくてはならない。歴史を隠蔽したり美化することが保守的な立場なのだと考えるなら、それは保守という思想に対する冒涜であろう。>

 これは従軍慰安婦問題、南京大虐殺問題などでのウルトラ右翼の「大虐殺はなかった」的な物言いへの批判だろう。

 田母神前空幕長の先だっての発言についても、この範疇に当てはまると小倉氏は判断するのだろう、と思う。

 だが、小倉氏が中国や韓国に謝罪だけしていればいい、と考えているのか、といえば、そうではないのだ。

 2005年2月に島根県議会で「竹島の日」制定決議案が可決され、韓国人の「国民感情」を逆なでしたこと、ソウルで高野紀元駐韓大使が「竹島は歴史的・法的に日本固有の領土」と発言したことが韓国国民の怒りを増幅させたことをケーススタディとしてあげいている。また、日本で人気の俳優、ペ・ヨンジュン氏が同年3月の記者会見でレポーターからこの問題を質問され、後日自分のホームページに「私に役目があるとしたら、国家や領土の線を引く言葉より、アジアの家族たちの心と心の線をつなぐこと」との発言をアップしてファンから圧倒的な支持を得たことも挙げている。

 そして、ペ・ヨンジュン氏のファンはこのペ氏の言葉の逆の方向に高野大使の発言があると認識し、「日本政府は韓国人を怒らせてひどい」と言っているらしいが、「それはおかしい」と言うのだ。

 <私も竹島は日本の領土だと考えている。その島に一方的に警備隊を常駐させ実効支配しているのは韓国の側である。むしろ日本の外務省はこのような韓国の振る舞いに対して極度に紳士的に対応している。それは一部の日本国民がもどかしくなるほど、韓国人の「国民感情」を刺激しないよう最大限に気を遣っているといってよいだろう。このことに関して、韓国側は全く聞く耳を持たないのである。百歩譲って、竹島の帰属があいまいであるなら、国際的なしかるべき場所(注:国際司法裁判所)できちんと議論をすればいいのに、韓国側はそれに応じようともしない。

 これが小倉氏の態度である。

 前にこのブログで若宮啓文・朝日新聞記者が竹島を韓国に譲渡すべきだ、と語っていたと書いたことがあるが、小倉氏もP130に若宮氏が2005年3月27日のコラム「風考計」で「竹島の問題で日韓が紛糾するのなら、いっそのこと日本が韓国にこの島を譲ってしまったらどうか」と書いたことを紹介している、と取り上げている。そして、自分(小倉氏)が講演に行った時に「韓流」好きの女性たちに「若宮氏の意見に賛成か」と聞くと3分の2は首を横に振る、これは全国どこでも同じような傾向だ、と書いていた。

 歴史教科諸問題でも面白いことを書いている。

 権五琦(グォン・オギ)元東亜日報社長、元副総理・統一相は2004年に出た若宮氏との共著「韓国と日本国」(朝日新聞社)で扶桑社の「新しい歴史教科書」(2001年刊のもの)を読んだ感想として「特に反発を感じませんでしたね」、「韓国だって本当は日本の教科書を非難できる筋合いではないんだ」「(この扶桑社の教科書には)韓国でも合併に一部のものが賛成していた、という記述がありましたね。『韓国人はみんな日本に抵抗した』と自慢したいのが韓国人の心情かもしれないが、本当はそうではないんだから、韓国人こそがこの教科書から学ぶべきだと思う」、「むしろ私は韓国人に『自虐のすすめ』をしたいくらい」と言っている、と書いてあった。そして、

 <歴史の問題に関しては、これまで韓国人が日本に対して多くの批判をしてきた。私たちはそれに対して感謝しなければならない。私たち自身によって気づかない、私たち自身の間違った姿。それを隣国の人々がきちんと指摘してくれたからこそ、私たちはよりまっとうな姿に近づくことができたのである。同じように、私たちは「韓国は正しく、小泉は間違っている」という図式を取り払い、韓国の間違っている点に関しては堂々と指摘してあげること、これが真の隣人のなすべきことなのではないだろうか。>

 と書いている。つまり、言うべきことは言え、ということだ。当たり前のことである。

 <東アジアの共通の古典として儒教を高く評価する人々もいるが、これもまた無知で危険な発想だといえる。「左」のように儒教を知らぬまま全否定するのも愚かなことだが、一部の「右」のように儒教を美しく誤解するのも危ないのである。儒教という巨大な思想をいかにして脱構築し、仏教や道家思想やシャーマニズムやアミニズムなどとともに再構築していくか、ということこそ、われわれに課せられたテーマなのである。>

 儒教の怖さを何度も繰り返し書いている。

 そのいい例が「性善説」だ。普段、「あいつは性善説なのか性悪説なのか」、などという風に使う言葉だが、この「俗流」の使用法は儒教の本来の意味ではない、と言う。

 性善説こそ自分勝手な論理である、というのだ。自分が善だから相手に注文を付けて、自分の思い通りにさせる論理だ、というのだ。儒教主義とはこのようにキリスト教原理主義的なこわさがあるというのだ。

 と、まあこの本のテーマからすれば周辺部分にあたるであろう部分かもしれない部分だけを要点筆記した。

 思想の問題を扱っているにしては不十分な点があるのではないか。

 主体思想が韓国の左翼勢力の中にどのように根付いたのか、その思想が韓国の保守思想を駆逐したやり方はどうだったのか、南北関係と対日関係、対中関係でそうした思想は外交交渉と戦略の中にどう生かされているのか、という切り口も見たかったのだ。新書はページ数に制限がるので、そこまで書き切れなかったのだろうが、次の機会に是非読んでみたい。

 また、著者も書いているように朝鮮半島の儒教思想については詳述してあって、少しは理解できるのだが、中国の儒教思想についてはほとんど書かれていない、別の機会に書くのだろうが、これは難しいだろうなあ、と思う。王朝交代とその王朝を支えるイデオロギーや思想の歴史など、様々な要素を盛り込まないと分からないからだ。

 でも、この本は帯に<日本人と中国人・韓国人の価値観のずれを問う>とあるように、それなりに問題点を明らかにしてあるので、参考になった。

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2008年12月13日 (土)

公明党はどうしてしまったのか、消費税増税、なぜ認めない?

 12月13日朝日新聞朝刊3面<背水の「増税宣言」/「責任与党」を強調/首相、公明を牽制>を読んで複雑な思いに駆られた。麻生首相が12日、首相官邸で記者会見し新たな雇用・金融対策を盛り込んだ総事業規模23兆円の「生活防衛のための緊急対策」を発表したのだが、その際に「与党税制改正大綱の考え方の範囲内で11年度から消費税を含む税制抜本改革を実施したい」と明言、年内に策定する「中期プログラム」に将来の税制改革の道筋を明記する意向を表明したのに、公明党は大反対を続けている、という記事である。

 朝日新聞3面を読む限り、公明党の反対理由がよく分からないのである。首相は10月30日の記者会見で「3年後の消費増税」を明言した。この記者会見は公明党が強力に求めていた定額給付金を実施する、と明らかにした会見だ。バラマキ批判をかわすためにも、「今は世界金融危機で仕方ないが、3年後には消費税を上げて財政再建も考えている」という形で、無責任批判をかわす思惑もあったのだが、この記者会見直後から公明党内で「増税を言えば選挙に負ける」「首相はなぜ今消費税増税を口にするのか」という批判の声が相次いだそうだ。

 与党税制改正大綱決定のための最終調整が始まる前日の12月11日には首相から「中期プログラム」に消費税増税の3年後導入を入れるように指示された、と明かし、党税調に圧力をかけると、公明党が猛反発し、太田代表が自民党幹部に電話して12日に予定された補給支援特措法案など2法案の衆院再可決で「増税時期を明記すれば再議決に応じられないかもしれない」と脅した、という。11日夜の与党税調協議でも公明党は強硬で、景気が回復しなければ引き上げを見送るという「弾力条項」があっても、3年後の増税という数字が独り歩きするから、だめだ、と断固阻止の構えを崩さなかったのだ、という。朝日新聞は、

 <首相の狙いとは裏腹に逆に総選挙で民主党から「3年後の増税」を攻められると見て時期明示の撤回を迫った。>

 と書いている。結局、自民党側が折れて「3年後」を明記しないことになった。与謝野氏は税制改正大綱に不満で、中期プログラムへの明記は譲らない方針だが、閣議決定できるのかどうか、という疑問符で記事は終わっているのだ。

 責任政党としていかがなにか、というのが、この記事を読んだ感想だ。昔の公明党はこうではなかった。消費税を導入した竹下政権時代を思い起こしてほしい。所得、消費、資産にかかる税のバランス、直接税と間接税のバランスを考えても消費税は必要だ、と納得して、自公民の連携で社会党・共産党の牛歩戦術を乗り越えて導入したし、海部政権時代も国際貢献問題で自公民の連携で国民に不評な問題もクリアしてきた。

 選挙で票は減るだろう、とは思う。しかし、創価学会の会員たちによく説明して、金融危機が去った後には日本は国家として当たり前のことをしなければならない、と説得すべきなのではないか? きっちり説明して共感を得れば、そうは票は減らないのではないかと思う。なぜ票が減るかといえば、小泉構造改革を一緒に進めた公明党が庶民の代表でありながら、庶民に痛みを強いて大企業には甘い「改革」に目をつぶってしまったことが原因ではないか。

 公明党が今やるべきはセイフティネットづくりの制度設計を学者の力を借りて早急にまとめ、自民党に実行させることだ。それは必然的に内需型経済への転換を含む施策になるだろうし、今後の日本を主導するだろう。そんな期待が「庶民代表」の公明党にはかかっていることを忘れないでほしい。

 決して創価学会の党ではないのだ、ということを肝に銘じて国会で活躍してもらわなければ、公明党の存在意義は消えてしまうのではないか、と思う。内需型経済への転換は痛みを伴うが、これは創価学会が「絶対反対」という話ではないと思う。農業政策の転換も必要だし、そのへん、公明党は目先だけではなく、将来の日本を考えながら与党として頑張ってほしいのだが。

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2008年12月12日 (金)

「伝統を切り捨てる天才」が閉塞感の原因~森本哲郎氏(83)インタビュー(毎日新聞12月12日夕刊)

 毎日新聞12月12日夕刊[特集ワイド この国はどこへ行こうとしているのか]は83歳の作家、森本哲郎氏のインタビュー。1925(大正14)年東京生まれ、東大哲学科卒、同大大学院社会学科修了。東京新聞を経て朝日新聞。学芸部員として世界各地を歴訪し、文明論、比較文化論の視点から記事を担当した。退社後の88~92年、東京女子大教授。主著に「文明の旅」「詩人 与謝蕪村の世界」「日本人の暮らしのかたち」。社会や日本文化などへの評論活動も、とあった。聞き手は坂巻士朗記者。

 森本氏の主な発言次の通り。

▽今ほど便利な時代はない。コンビニに行けば24時間、何でもそろう。本屋に出向かなくたってパソコンで注文すれば本を届けてくれる。友達の家を訪ねなくとも携帯のメールでピピッと連絡を取れば終わりです。だけど、今ほど閉塞感に満ちた時代はない。子供だったせいもあるが、戦前さえもまだ充実感があった。現代はものがたくさんあり、情報があふれかえって無力感が生まれている。便利なのに、決して豊かではない。何でもあるのに何か足りないという飢餓感をみんなが持っていると思うのです。

▽(閉塞感の土壌には何があるのか?)日本は伝統を切り捨てる天才です。何でも新しいもの、海の向こうからくるものを取り入れて、伝統というものは古臭いという一言で切り捨ててきました。文明開化は成功したといえる。因習にとらわれていたら、社会は進歩しないですから。ただ、伝統を捨ててしまっては歴史の教訓が生きないんです。戦後もそうです。日本の手本は米国だった。経済の先生は1903年に創業された自動車製造のフォード社。それから100年、アメリカは因習に縛られずに自由な天地を謳歌した。しかし、最初は健全だった自由主義、合理主義がどんどん進んでいき過度になった。大量に作って大量に消費するシステムだ。日本はこの60年あまり伝統を切り捨ててアメリカの猿真似をしてきたわけです。上っ面の同調化とでも言いますか。アメリカ式の自由主義、民主主義、合理主義を推し進めていった。アメリカのやり方を何でもありがたがるというのは、大いにマイナスだった。

▽まずは「アメリカなら何でもいい」から目を覚まさなければ。合理主義一辺倒、もうけ一辺倒になって、金にならなければ何もやらないって、そういうもんじゃない。物を次々買っても、狭い家に置く場所はない。じゃあ、テレビをもっと薄くしますか。きりがない。人間が生きるために、それほど多くの物はいらないですよ。

▽取材はマッカーサーの時代から。1951年4月、東京新聞の記者としてGHQのマッカーサー元帥が日本を離れる様子を見届けた。羽田空港に続く沿道にたくさんの人が詰め掛けていました。みんな涙を流して「さようなら」って手を振っていたね。当時の報道機関はマッカーサー元帥を恩人としてたたえた。新聞の使命は民主主義の確立である、とのGHQの方針で他社の記者とともに米国に招かれた。4ヶ月間、シカゴ、テキサスなど広く各地の新聞社を回り、取材活動をした。新聞報道は客観的でなければならないということを徹底して言われた。

▽今はテレビもインターネットもあるので、新聞が売れなくなったと聞く。確かに速報性では劣るけれども、権力に向かい合って主張すべきを主張し、キャンペーンを張る報道がないためではないか。売れないのは本来の姿勢を失っているからではないか。

▽世界中を旅して、あるとき、パリで急な雨に降られて広場のカフェを見つけて一休みしたが、「なるほど」と気づいた。ヨーロッパの建物には庇がない。雨宿りを許してくれる軒がないんです。窓はあまりに明るく、あまりに乾きすぎている。自然と人間が窓で対決している気さえした。しかし、日本の家屋も今や洋風になった。高度成長とともに、コンクリートの団地やマンションが増えた。戦前まで日本の家屋は自然と親しんでいた。縁側が住居と庭をつないでいた。ぼくの家も小さい庭があるけれども縁側がない。だから、ほとんど庭に出ることがない。縁側で子供が遊び、近所の人が腰掛けて話をすることもなくなった。自然が遠ざかり、人間的な温かみが切断されてしまった。

▽英国の動物行動学者、デズモンド・モリス(1929~)は「都会は今や人間の動物園だ」と言うんですね。食べ物はたっぷりあってそこそこ安全な場所に閉じ込められていると。まさにその通りだと思います。

▽一度手にした便利な生活を放り出すのはなかなか難しい。この国の行方は見えないなあ。過ぎたるは及ばざるがごとし、という格言がありました。腹八分目なんていうのも。つまり、抑制ですね。受け継がれてきた伝統や歴史という重みこそが、過剰を抑制してくれるのだと思います。

▽<なつかしき冬の朝かな。湯をのめば、湯気がやはらかに顔にかかれり。>ぼくの好きな石川啄木の歌です。26歳で亡くなった啄木には死の予感があったんでしょう。寒い朝、一杯の湯を飲もうとして、ふわっとほおに触れる湯気に、安らぎを感じた。幸せは遠くにあるんじゃない。ありふれた日常の中にあるんですね。

 森本氏の新潮選書が何冊か、私の書庫に眠っている。水道橋のいつも行く古書店で店頭の台で安売りしていたのを買ってきた。3、4冊になったか。今度読もう、今度読もう、と思いながらまだ読んでいない。今度読もう。

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「チーム・オバマ」の産経新聞の分析が面白い~12月11、12日産経朝刊から

 産経新聞が12月11日から連載を始めた[「チーム・オバマ」を占う]が面白い。11日はワシントン駐在編集特別委員の古森義久氏が1面と国際面をつかって、<「変革」から「継続」>のタイトルで、オバマ新政権について「これではまるで第3次クリントン政権だ」と書いている。「変革(チェインジ)」が一夜にして「継続」になり、「反ワシントン」が「親ワシントン」に一変した、というのが次期政権の顔触れを見た首都ワシントンの評論家たちのコメントらしい。

 国防長官にブッシュ政権現職のロバート・ゲーツ氏(65)を、財務長官には現政権下の連邦政府機関であるニューヨーク連銀総裁のティモシー・ガイドナー氏(47)を任命した。ガイドナー氏はクリントン政権で国際金融担当財務次官を務めた人物だ。少なくとも国家安全保障と経済・財政政策に関しては「オバマ氏は当面、変革ではなく継続を選んだ」(長老政治評論家のデービッド・ブローダー氏)という反応が不満と安堵を錯綜させながら渦巻いた、と書いている。

 バラク・オバマ氏(47)が最初に発表した主要人事は大統領首席補佐官のラム・エマニュエル下院議員(49)起用。ワシントンの究極のインサイダーで、20代だった1980年代からワシントンで民主党の政治活動に身を投じ、クリントン政権の大統領上級顧問などを7年も務めた。この人事でオバマ氏の脱ワシントン宣言をいぶかる声が起きた、という。オバマ氏が政権引き継ぎチームの責任者に選んだジョン・ポデスタ氏も70年代からワシントンで民主党議員の補佐官やロビイストとして活動し、90年代はクリントン大統領の首席補佐官だった。

 象徴的なのがヒラリー・クリントン国務長官(61)の任命。商務長官に選ばれたビル・リチャードソン・ニューメキシコ州知事(61)もクリントン政権の国連大使。司法長官になる黒人のエリック・ホルダー氏(66)もクリントン政権の司法副長官だった。国家経済会議(NEC)委員長となるローレンス・サマーズ前ハーバード大学学長(54)はクリントン政権で財務長官を経験している。

 <上院で最もリベラルとされたオバマ氏の左傾の展望は表面にはなかなか出てこない。ヒラリー・クリントン氏がイラク攻撃に賛成していたように、次期政権に登用された人たちの軌跡は過激リベラル路線からはほど遠く見える。>

 とのコメントは産経新聞らしいが、本当にオバマ氏は何を考えているの? と聞きたくなる布陣である。古森氏の答えは次のようなものだった。

 <アフガニスタンなどでの対テロ戦争、イラクの平定と民主化の大詰め、そして米国自体の金融危機、経済不況と、差し迫る緊急課題の数々は次期政権にもまずは継続以外の選択を与えないからか。そのための民主党の人材と言えば、まずクリントン政権を支えた層に頼るほかないからか。あるいは上院での激しい左傾志向を大統領選ではすっかり隠したオバマ氏は、この種の変身こそが天性なのか。それとも多様な人材を使いこなし結局は自ら信じるリベラル政策を打ち出すのか。ワシントンではこの謎解きがまだその幕さえ開いていないせいか、なんとも落ち着かない日々が続くのである。>

 つまり、まだ何にも分からないよ、というのが現状らしい。

 面白かったのが2回目、12月12日朝刊国際面[「経験豊富」ルービン門下]である。田村秀男編集委員が書いているので、国際金融中心の記事になる。見出しは<オオカミ用いて危機退治>だ。破綻に追い込まれたウォール街のビジネス・モデルの創始者であるロバート・ルービン氏の弟子たちが次々政権入りして、財政・金融の責任者として危機打開に立ち向かう姿を「オオカミ用い」と表現しているところがいい。

 さすが田村氏だと思ったのは1930年代のフランクリン・ルーズベルト大統領の故事である。大恐慌の最中、不正が相次いで発覚した株式市場を取り締まるため証券取引委員会(SEC)を創設したが、その初代委員長にジョン・F・ケネディ大統領の実父故ジョセフ・ケネディ氏を起用したことだ。インサイダー取引など札付きの成り上がり者で国内には反対論が渦巻いていたが、ルーズベルト大統領は「オオカミ退治にはオオカミが最適。彼なら手口を熟知している」と意に介さなかった、という話だ。

 現在の日本だったら大変だろう。自衛隊の内幕を知り抜いている田母神氏を防衛相にしたようなもので、政権は潰れるかもしれない。公正、倫理などの基準が違うだけでなく、マスメディアの基準も違うのだろう、と思う。

 チーム・オバマの中枢がクリントン政権発足時の国家経済会議(NEC)議長、財務長官を歴任したロバート・ルービン氏(シティ・グループの経営執行委員会委員長)の旧部下が占める、という。財務長官になるティモシー・ガイトナー氏は財務省スタッフ時代にルービン氏と当時の財務副長官のローレンス・サマーズ氏に抜擢され、財務次官にまで上り詰めた。サマーズ氏は今回NES議長に就任する。

 <ルービン氏は…もともと証券大手ゴールドマン・サックスの共同議長だった。93年にクリントン政権入りすると証券化商品の保険となるデリバティブ(金融派生商品)の証券会社での店頭取引に道を開き、デリバティブの爆発的な増加に道を切り開いた。ゴールドマンを筆頭に米証券大手各社は焦げ付きリスクの高い低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)の証券化まで踏み込んだ。世界の余剰資金は米国市場に流れ込み、ウォール街がさらにそのドル資金を新興国などの市場に再分配する仕組みができあがった。証券化商品の不良債権化はリーマン・ブラザーズを破綻させ、デリバティブがらみの損失を表面化させ、世界の金融機関を震撼させ続けている。>

 と、ルービン氏の業績と見られてきたことが実はサブプライム問題に直結していたことを明確にしている。しかし、

 <バブルの後始末と規制強化の役割を担うこのチームは負い目を一切見せない。逆に金融市場からは「経験豊富さ」が評価される。>

 これはルーズベルト大統領のケネディ氏起用よりも劇薬なのかもしれないが、その劇薬ぶりに世界が気づかないのか、知っていて知らんふりをしているのか?

 <オバマ氏は年には念を入れた。金融界の最長老、81歳のポール・ボルカー元連邦準備制度理事会(FRB)議長を「経済回復諮問委員会」の初代委員長に選んだ。ボルカー氏はFRB議長時代、暴落危機にあったドルを強引なまでの高金利政策で回復させた「強いドル」の信奉者である。>

 81歳の象徴的人物まで出てきた。アメリカ人にとっては安心材料なのだろう。

 <米国にとっての時限爆弾は、危機対策のために巨大化した財政赤字と刷り放題のドル札である。借金国米国は自力ではドル相場をいずれ支えられなくなるとの見方が市場には根強い。90年代後半、日本のバブル崩壊時にルービン・チームは「日本は世界経済を危機にさらすつもりか」と、日本政府首脳を何度も怒鳴りつけ、対策を迫った。悪夢を思い出す日本政府要人の1人は「日本はいくら世界のためだといわれても米国のための現金自動支払機にはならない」と息巻く。だが、オバマ次期政権には圧倒的に高い国際的人気という追い風がある。それをバックにオバマ・チームは日本や中国など黒字国に米国債購入の攻勢をかけてくるに違いない。>

 そうかぁ、やっぱり「米国債を買え」なのか。

 <中国のほうは国内の景気対策に資金を優先的に回すため、新規の米国債購入には消極的だ。が、先のワシントンでの金融サミット(首脳会議)では「ユーロを基軸通貨に」というフランスのサルコジ大統領を「ノー」と一蹴した。ルービン氏は10年前のアジア通貨危機時に日本を突き放し中国の国際協調姿勢を高く評価した。今回も日本が渋れば「チャイナ・カード」を切りかねない。>

 そうだった。ルービン財務長官自身ではなくサマーズ財務副長官がよく日本に来ては大口をたたいていた。あの大口がハーバード流なのか。金融・財政のチーム・オバマは要注意だ。

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厚労省幹部が「がん腎移植」の臨床研究認める~12月12日東京新聞から

 東京新聞12月12日朝刊[ニュースの追跡]<がん腎移植も臨床認める/「一歩前進」「まだ不安」/患者「法の運用指針に明記を」>が面白かった。

 病気腎移植をめぐり厚生労働省が12月11日、がんを切除(修復)した腎臓を含め、臨床研究を認める見解を示した、というニュースのインサイド・リポートである。つまり、万波医師の手術が日本の学会では異端扱いされ、排除されていたのだが、本家本元の米国の学会で鳴り物入りで誉めそやされた結果、いつも米国の顔色ばかり見ている厚生労働省が「これはヤバイことになった」と方針転換し始めた、という記事である。

 いかにも日本の木っ端役人らしい転身ぶりもおかしいが、もしも米国で認められなかったら万波医師の技術は埋もれてしまっていただろう。これを問題視し、ここまで漕ぎ着けた患者団体と、それに突き上げられて動いた超党派議員連盟「修復腎移植を考える超党派の会」の面々の努力がようやく少しだけ実った、ということだろう。

 万波氏の病気腎移植が問題になって2年余り、長らくストップしていた移植が研究という形ながら再開される可能性が出てきた、と書いてあった。リポートした片山夏子記者は前文を、

 <患者には「一歩前進」「まだ安心できない」との思いが交錯。今後、道はどこまで開けるのか。>

 と結んでいたが、ひどい話である。

 12月11日、東京・永田町の参院議員会館で議連の会合が開かれた。議連が病気腎移植を容認する見解をまとめて7カ月。再三、厚労省に今後についての見解を求めてきたが、なかなか明確な回答がなかった、という。

 会の冒頭、幹事長の衛藤晟一参議院議員(自民)が「患者が亡くなっている中で、半年以上、中途半端なまま。この間、説明したことが皆違う。どうなっているのか。きちんと書面にしてほしい」と詰め寄り、厚労省の担当審議官は「当初、われわれの説明が不十分な点があって混乱を招いた。われわれとしてはがんの修復腎も臨床研究の対象となるという見解」と明確に答えた、という。

 関連学会はがんを含めた病気腎移植について否定的な見解だ。議員らは厚労省が議連に示した一覧表に文句を付けた。担当課長は「この問題が起きた2年前の時点に比べ、今の医学界の常識は変わってきたように思う。2年前は医学的には認められなかったが、日本以外の国でも病気腎移植をしているし、がんは転移するのではないかということも言われていたが、新しい知見も出てきた」と発言したという。議連は厚労省が昨年7月に出した臓器移植法の運用指針を再改正するように求めた。また、臨床研究として移植を受ける際の保険適用を認めるかどうかについても回答を求め、年内にもう一度会合を開くことにした、という。

 病気腎移植を求める患者たちは12月10日、日本移植学会幹部を提訴したが、国については議連での回答を待つことにしている、という。原告の向田陽二さん(50)は「臨床研究でも認めたことは一歩前進。でもまだ安心できない」とコメント。原告団長の野村正良さん(59)は「今一つはっきりしない。運用指針をどう解釈するか説明していたが、文章化されたわけでもない。国を提訴する方針は今も変わっていない。次の会合での厚労省の対応を見て決めたい」と話している、とあった。

 そうかぁ。事態はここまで進んできたか。厚労省は自分たちの不明をわびて、一日も早く保険適用の治療を「臨床研究」ではなく、「治療」として認めるべきだ。

 この問題は以前、書評で詳しく書いたことがあったが、ようやく動き出したことは評価できるものの、何しろ遅い。それに、動き方が米国にらみで嫌らしい。日本の官僚も落ちたものだ、と思う。

 

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2008年12月11日 (木)

ウォン安「泥沼」韓国を2.8兆円融通で助ける日本~日経新聞、東京新聞12月11日朝刊

 東京新聞12月11日経済面トップはトヨタ、スズキのニュースを押しのけて、<ウォン安韓国泥沼>の大展開だった。見出しは<為替利点 金融危機に完敗/輸出急減 車5社一斉減産>。ソウル支局の築山英司記者は記事にサムソン経済研究所の権純旴(クォン・スンウ)室長の<外債と外国人 ダブルの売り圧力>という談話をつけていた。「何しろひどい」という内容である。

 韓国の自動車メーカー5社の減産は今月から始まった、という。

 <最大手の現代自動車は工場の操業時間を大幅短縮。特に経営難に陥っている米ゼネラルモーターズ(GM)の韓国子会社GM大宇は来年1月4日まで1工場の操業を完全に中止。今月22日から2週間は全工場で生産を止める、とあった。韓国メディアによると減産規模は月平均の約4分の1に当たる7万~8万台とみられる。>

 と書いてあった。

 韓国は経済産業省と言わずに知識経済省というらしいが、その省が12月1日に発表した貿易統計によると、

 <11月の輸出額は前年同月比18.3%減の292億㌦と急落した、という。2桁の減少は約7年ぶり。最大貿易国の中国向けが同27.8%減と急減し、米国、日本向けも減少した。品目別では船舶が増加しただけで、コンピューター、家電が前年同月比50%以上減、自動車も13%下落し、輸出の主力業種が苦しい。>

 とある。待てよ、日本の製造業よりは健闘しているのではないか? 同じ苦しいとは言っても、ソニーやパナソニックと比べると安価だから、途上国でまだ売れているらしいから、日本企業よりはいいのだろう。

 <ウォンの対ドル相場は年初に比べ4割近く下落している。先月下旬には、1997年に発生したアジア通貨危機以来の1㌦=1500ウォン水準まで暴落した。ウォン安メリットを生かして増加が期待された輸出は失速。李允縞(金偏=イ・ユンホ)知識経済相は「世界の実体経済の需要が急減した影響だ」と分析。来年以降についても「相当期間楽観できない」と厳しい見通しを示す。>

 として、知識経済省の貿易政策官の「輸出失速は来年初めだと見ていたが、早く来た。各国の景気浮揚策がどれくらいの効果を生むかがかぎになる」と見ているそうだ。また、ジェトロソウルセンターの百本和弘副所長は「輸出減は韓国だけでなく新興国共通の悩みだ。97年の通貨危機は輸出の伸びで回復したが、今回は世界経済が良くならないと難しい」との話を紹介していた。

 また、権サムスン経済研究所室長はウォン安が止まらない理由を二つ挙げ、一つは金融機関が保有する短期外債が急増して国内のドルが不足、ウォン売りドル買い圧力が高まっていることだ、という。もう一つは世界金融危機のあおりで日本人を中心とする外国人投資家が韓国の株式市場で株を売り、資金を回収していることがウォン売り圧力になっている、と言う。権氏は、

 <11年前の12月、韓国はIMFから支援を受けたが、国民には(支援によって)失業率が高まり、実体経済が厳しくなったことにトラウマ(心的外傷)が残っている。強力な構造調整を前提にしたIMFの支援を政府が受け入れることはないだろう。11年前と現在の大きな違いは、一般企業や金融機関の健全性だ。企業の負債比率は約4分の1に減り、銀行の自己資本比率は最近11%台になった。建設業や造船業などに脆弱な部分はあるが、全体は11年前より、はるかに丈夫だ。外貨準備も十分にある。ウォン安はもう頂点付近といっていい。現在は金融危機に伴い世界で流動性確保の競争が起きている状況で、金融危機が解消すればウォン安も一転する。来年後半には1㌦=1000ウォン前後に戻すだろう。>

 と非常に楽観的で、なおかつ「外貨準備は十分あり、大丈夫」と言い切る。でも、実際は違うらしい。

 日経新聞12月11日朝刊1面トップ<ウォン安対策/韓国に2.8兆円融通/資金枠2倍に、日本政府方針/通貨危機を防止/中国も人民元供給拡大へ>である。ウォンと引き換えに円やドルを韓国に融通する通貨交換(スワップ)協定の資金枠を今の130億㌦(約1兆2000億円)から300億㌦(2兆8000億円)規模に拡大する方向で最終調整しており、13日に福岡県太宰府市で開く日中韓首脳会議で正式合意する、という内容である。

 サムスンはなぜ楽観的なことを言うのか? 日本に頭を下げることが嫌なのか? サムスンは違う、と言いたいのか? 理由は分からないが、李明博政権は日本と中国に頭を下げて「円と元を貸してください」と言ってきているのだ。中国らしいのは、日本が融通するのと同じ額を韓国に融通する、という対応。倭国が生意気な朝鮮半島金融植民地化を企てても、聞かないよ、中華の中心として属国の面倒を見るのは中国なのだ、という面子問題、大国意識がプンプン臭う。

 日経新聞はスワップ協定について詳しかった。引用させてもらう。

 <日韓が結んでいる現在の通貨交換協定には、中央銀行間でいつでもウォンと引き換えに円を融通する協定と、国際通貨基金(IMF)が緊急融資を発動するような「危機」時にドルを供給する協定の2種類がある。それぞれの枠は円が30億㌦分、ドルが100億㌦で、合わせて130億㌦相当になる。これを2.3倍に引き上げる方向だ。>

 2種類ある、とは言ってもずっと話題になってきたのはこの2国間のスワップのほうだろう。

 <今回、増枠するのは円・ウォンの交換枠が中心。韓国がいつでも円を調達できるように支援し、機動的な外貨資金繰りを可能にする。円資金の弾力的な融通でウォン安の裏にある外貨不足への市場の不安を和らげる。円を融通する枠を広げる結果、韓国側は日本から供給された円を市場で売ってドルを調達し、そのドルを原資にウォンを買い支える市場介入をすることも可能になる。その場合、円売り・ドル買いが発生し、急激な円高を防ぐ効果もある。>

 こういう仕組みらしい。日本にも円高防止メリットがある、というのだ。

 <韓国では世界的な金融危機に伴って海外からの投資資金が流出し、9月以降、ウォンが急落。対ドル相場は11月下旬に一時1㌦=1500ウォン台に乗せ、1997年から98年に起きた通貨危機以来の安値を記録した。対円でも1円=15ウォン台と、1年前の半値近い水準まで下落している。>

 やっぱりピークは11月下旬だったのだ。

 <韓国の通貨当局は為替市場でウォン買い・ドル売り介入を繰り返しているものの、ウォン安に歯止めがかかっていない。介入の原資となる外貨準備も11月末時点で、昨年末に比べ2割強減少。なお2005億㌦の残高があるものの、先行きを懸念する声がくすぶる。>

 ということらしい。米国とは10月下旬にFRBと300億㌦規模のスワップ協定を締結し、2度にわたって計70億㌦の米ドルを調達した、とあった。

 韓国の危機はやはり去っていなかったのだ。しかし、日本の金融当局がこうした措置を取ることは理解できるが、できれば政策のリンクが望ましいのではないか。

 米国は1985年ごろから日本に対し、貿易黒字解消問題と安全保障問題をリンクさせ、これがクリントン政権でも継承されてきた。ブッシュ政権になってその問題は消えたかに見えるが、水面下に潜っただけのようで、沖縄基地のグアム移転の費用負担などで時々表面化しては日米摩擦を呼んでいる。

 北朝鮮問題で韓国がブレないことを最低条件にしたいところだが、そこは中国。日本にそうさせないために、必ず一緒の行動をして韓国ににらみをきかしているし、韓国の国民性から言っても中国の言うことを聞く体質だから、この方法もあまり効果は生まないかもしれない。しかし、そうであればそうであるだけ、迂回作戦で同様の効果が生じるような智慧を使うべきだろう。 

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2008年12月10日 (水)

高杉良さんの怒りの論文、面白いんだけど…~「世界」2009年1月号

 「世界」2009年1月号に高杉良氏の「改めて問う、小泉―竹中路線とは何だったのか」が掲載されていて、あの高杉さんの論文だから、と思って読んでみたら、内容は激烈な竹中平蔵批判だった。高杉さんは1939年生まれで、たしか業界紙の記者から小説家になったと思う。

 論文の中で面白い部分を書き出しておく。

▽竹中は世界でも例のない、デフレ不況下の不良債権処理を強行し、金融庁の厳格検査ならぬ裁量行政、郵政民営化などで、日本国をどれほど地盤沈下させたか計り知れない。小泉―竹中路線によってもたらされた負の遺産が、国民に重くのしかかっている。小泉―竹中路線がまともな政治を行っていたなら、サブプライム住宅ローンで深手を負った欧米先進国に比べて、日本経済はもっともっと比較優位であり続けたと断言できる。<改革の手を緩めるな><構造改革総仕上げの年>などと主張し、小泉―竹中路線を支持し続けた日本経済新聞を始め、同路線に与したマスメディアの罪も深く重い。わけても竹中の市場原理主義をいまだに称賛し続けているニュースキャスターの田原総一郎の無自覚ぶり、無責任ぶりは言語道断だ。この人の独善、独断ぶりは常軌を逸している。

 小泉構造改革を新聞記者が批判するには、勉強が足りなかった、ということだろう。私はいまだに構造改革自体は評価できるのではないか、と思っている。最も悪かったのは公約だったセーフティーネット構築をさぼったことだろう。これが優先順位1位であるべきだった。セーフティーネットがないから、零れ落ちた人たちが浮かび上がれない。セーフティーネットと簡単に言うが、これは日本経団連を説得し、消費税率を上げ、財源を確保して、チャレンジして失敗した人にも人間としての尊厳をもちながら生活してもらう、という今の日本の「自己責任」とは全く逆の、どちらかといえばブレア英首相の「第三の道」に似たシステムだから、小泉首相には無理だったのだろうが、やはり、市場中心の規制緩和政策を大胆に入れる際には安全網は絶対に必要だった。単純労働者の外国人労働者入国許可とか、人材派遣業の単純労働解禁に合わせて導入すべきだった。

▽かつて財界総理と称された経団連(現日本経団連)の前会長、奥田碩トヨタ自動車相談役も、格差社会の助長に一役買った。中身空っぽの小泉構造改革をサポートし、高収益を誇ってきたトヨタ自動車は2008年下期(08年10月~09年3月)の単体営業損益で約1000億円の赤字が見込まれているという。…外需依存体質の産業構造を放置してきた失政が白日の下に晒されたのである。

 これは論理が飛んでいる、と思った。いいたいことは分かるが。

▽企業はリストラで、利潤を貪れることに味をしめた。大不況で失業者が街に氾濫すると予想される。人心荒廃ぶりは、スリ、強盗、かっぱらい――なんでもありだった戦後の混乱期を知り得ている私の目には、それに重なるほど無惨な状態と映る。ここまで壊れてしまった国を蘇生させるのは気が遠くなるほど困難だが、不可能とは思えない。百年一度の困難を克服するのは、経済がグローバル化した現在、独力ではあり得ないが、政治に思い切った転換が求められていることだけは確かである。いまこそ外需依存の産業構造を変換する好機と捉えて、叡智を結集すべき時ではなかろうか。

 民主党が政権を獲って、大胆な改革をするだけの力が残っているだろうか? 民主党内の旧社会党勢力を切らねばだめだろう。というのは再分配政策だけでなく、労働組合の自分だけよければいい、という身勝手な考え方にもメスを入れなければならないし、農協改革が必至だからだ。従来の利権構図の中に生きている人にとって革命と感じられるような政策でなければ2025年の日本は生き残れない。でも、小沢一郎氏にはそこまでの改革は無理なのではないか。残念ながら。でも、少なくとも安全保障問題では旧社会党抜きで堂々とした主張のできる国を取り戻さないと、国がメルトダウンしてしまうだろう。

▽実体経済でも我が国への影響が及び始めている。昨年まで我が国でも首都圏を中心に不動産バブルの様相を強めていたが、その主役はやはり米国の投資銀行であり、投資ファンドだ。金融危機により彼らの資金が枯渇、日本の不動産市場はあっという間に冷え込んでしまった。失われた10年の記憶が鮮明な日本の銀行は、瞬く間に不動産関連融資を極端に絞った。結果としてアーバンコーポレーションなど、上場している中堅不動産会社が、この半年でいくつも倒産に追い込まれている。…この部分でも銀行は不良債権を被ることになる。…日本の銀行は融資に慎重な姿勢に転じているようだ。その影響を真っ先に受けるのは、中小企業だろう。

 中小企業対策だが、これは大声では言えないが、構造改革すべき業界もあれば、ぜひとも残さなければならない業界もある。汚染米を流通させていた流通業者など、早く転業してもらわないといけない。

▽エコノミストのリチャード・クーが近著「日本経済を襲う二つの波」(徳間書店)で主張するように、中長期的な財政再建の必要性は否定し得ない。しかし、世界同時不況という危機的局面では積極的な財政政策による景気の下支えが避けられないのではないか。リチャード・クーは、従来からバランスシート不況下での低金利政策は効果がなく、極端な話、道路を掘って埋めるだけでも政府が需要を創出するという点で効果がある、と述べてきた。もちろんニーズのある、必要な社会インフラ整備への財政政策が望ましいことは言うまでもない。リチャード・クーの主張は…ケインズを想起させる。

 リチャード・クー氏の政策に賛成、と以前、このブログで書いておいた。

▽バーナンキ議長が財政出動の出動を訴えるまで切羽詰ったのだ。それにしても日本のマスコミの反応には、首を傾けたくなる。米国スタンダードに極めて弱い日本のマスコミは、これをバラマキとは一切表現しない。

 そうだと思う。日本のメディアは怖いのだ。自分たちが勉強していないから、知らないことは書かないし、世間の識者が言って初めて書く。文句を言われたら、その識者に聞けば答えが出てくるから。

▽小泉・竹中改革と言えば2002年の金融再生プログラムからスタートする。私はこのコンビをことあるごとに批判してきた。デフレ不況下に緊縮財政を断行し、挙句の果てに「厳格な資産査定」なる大銀行叩きという、歴史的暴挙を行った小泉―竹中をいまでも許すことはできない。…デフレ不況に不良債権処理を強引に進め、かつ緊縮財政を断行するという、でたらめな政策で、国内需要を根こそぎ破壊してしまったからだ。地方経済派回復のきっかけすらつかめず、格差社会が進んでいる。

 こんへんの経済理論は私には理解できない。

▽10月16日の日経朝刊に掲載された「経済教室」に、竹中は「信認危機克服への正念場」と題する論文を発表した。…竹中は90年代後半に顕在化した日本の金融危機を自ら主導した金融再生プログラム、厳格な資産査定により解決したとする。竹中が言う通り、りそな銀行への公的資金注入を契機に、日本の株価は反転上昇し、景気は回復軌道に乗ったように見える。すでに5年という時間が経過し、結果として大都市中心とはいえ景気が回復し、時の金融担当相が政策の正当性を主張すれば、大抵の人は信用してしまうだろう。しかし、銀行の不良債権問題解決と景気回復は直接リンクしていない。その証左に、景気が回復局面入りし、実感できるようになった2004年、2005年に至っても、企業の銀行借入総額は減少している。銀行の不良債権問題が企業への資金還流を阻害し、それが不況の原因だというのであれば、その解決によって銀行借入が増大する筈だ。景気回復下での銀行借入減少は、明らかにこの論理と矛盾している。銀行の不良債権は不況の結果であって、決して原因ではない。つまり不良債権問題は景気対策によって解決を図るべきであり、不況下における厳格な資産査定など愚の骨頂なのだ。

 この経済教室は私も読んだ。同じような内容の産経新聞への寄稿も読んだ。何となく説得力のある議論だ、と思って、もしかするとこのブログでも書いておいたかもしれない。

▽03年当時の株式市場ではメガバンクといえども政府が潰す可能性がある、という狂った政策に邁進する小泉―竹中への不信感から日本株は売却され、結局株主責任を問わない「りそな銀行への資本注入」に安心して、株価は底値を打ったのだ。もう少し穿った見方をすれば、竹中のメガバンク潰しを材料としたハゲタカ外資の日本株叩き売りと、りそな救済による買い戻しということか。

 ここまで読むと、やっぱり竹中氏の書いていることも全部間違いだ、ということではない、と分かって少しホッとする。りそな銀行を米国のハゲタカが買った値段が底値という意識を生み、それで回復した、と理解していたので、そうは認識は違っていない、ということ。

▽竹中が”政治屋”時代にさんざん甘い汁を啜り、私腹を肥やしたと勘ぐられても仕方がないのではないか。大学教授時代、毎年年末に住居を米国に移して、地方税逃れをやっていたらしいが、こうした人間性も、政策を語る資格以前の問題と言わざるを得ない。

 これはひどい。どう言い訳するのだろう。

▽文藝春秋7月号に「世界に猛毒をばらまく米国経済」と題するノーベル賞経済学者のジョセフ・E・スティグリッツのインタビュー記事が掲載された。…サブプライムの影響が相対的に小さい日本の株式市場が大きく下落していることを「小泉改革を停滞させていることで、外国の投資家が引き上げている」とする国内経済学者や元官僚の意見に対し、一刀両断に間違いだと明確に否定している。また、小泉改革の目玉である「郵政民営化」について、理解に苦しんだとさえ表わしている。民営化することで、危険な事業に手を出してリスクが増大し、パフォーマンスが落ちる可能性さえある。当時の小泉政権にとって、政治的な観点からは重大だったかもしれないが、経済的な側面からは重要視する課題ではなかった、と指摘している。

 スティグリッツ論文は読みたい。郵政民営化はもう一度考えてみる必要があるのか?

▽竹中と田原の対談集「先読み日本経済」(アスコム)が先ごろ上梓されたので、触れておく。読むに耐えない駄本である。読者は1ページで投げ出すだろう。

 まあ、誰も読まないと思うけど。

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2008年12月 9日 (火)

沢上篤人氏と三国陽夫氏の見方~日経新聞12月7日、東京新聞9日各朝刊から

 さわかみ投信社長の沢上篤人さんと三国事務所社長の三国陽夫さんがそれぞれインタビューや対談で今後の世界経済、日本経済について話していた。注目する2人の話なので、じっくり読んでみた。

 まずは日経新聞12月7日朝刊[サンデーニッケイ マネー生活]で大和総研専務の東英治さんとの対談に臨んだ沢上氏。長期投資家だけあって、話も5年、10年先を見据えた話が多い。発言要旨を書いておこう。

▽5年もたてば金融危機は終わっているはずだ。はっきりしているのは、今後、世界の人口が増えれば食べるものも着るものも間違いなく需要が増加し、経済が拡大すること。成長は「人間の数と欲の掛け算」だからだ。一時的には消費が落ち込み経営難に陥る企業もあるが、傷みが少ないところはすぐに浮上してくるのではないか。

▽(日本企業の強さ、競争力は失われたか?)コスト削減や在庫圧縮などに素早く着手したかどうかがものをいう。1㌦=80円超の円高になった1995年当時、下請け企業を切って海外に進出する大企業は批判されたが、そうしないと大企業自身も立ち行かなく恐れがあった。結果的に小さな雇用は切ったが、大きな雇用は守った。経営で大事なのは長期で考える視点だ。

▽株式市場は企業の利益成長に参加する行為。成長が期待できる株を安い時に買えば、急落を心配せずに済む。極論すれば銘柄選びはイメージで十分。20年先に社会に必要な企業かどうかという単純な理由で判断したほうがうまくいく。相場全体で見てはダメ。私たちはあくまで個別銘柄に投資している。

▽(下落局面で圧倒的に買い越しているのは個人投資家だ。大きな変化が始まっているのか?)新しい個人マネーの動きを感じる。金利が上がらず年金も不安で給与も下がる中では資産を預貯金に置いておく方がリスクであることを理解し始めた個人が動き出した。ツンドラのようだった預貯金がいよいよ溶け出した感覚だ。今のような局面で投資を始めて多少なりとも株価が回復すれば、彼らにとっては成功体験になる。注目すべきは30~40代。所得も資産も少ないが、投資について勉強する時間がある。日本が右肩上がりで成長してきた時代はそれに便乗していれば資産形成できたが、成熟経済の今は自分で判断してお金を運用しなければならない。富を蓄積するパターンは様変わりしている。

 沢上氏は以上である。なるほど、と思う。参考になった。

 そして、三国氏である。東大法学部を卒業し、1963年に野村證券に入社、退社後、75年に債権格付け会社「三国事務所」を設立。元経済同友会副代表幹事。著書「黒字亡国」など、一貫して日本経済の構造転換を主張している、という。新潟市出身の69歳。年を感じさせないエネルギッシュな方である。

 東京新聞12月9日経済面[経済縮小――識者に聞く]のワッペンシリーズの1人として出ている。主な発言次の通り。

▽米国は日本や中国政府が提供してくれていた”魔法の財布”をなくしてしまった。これまで米国経済は消費者がお金を使っても、戻ってくる、という経済原理で説明できないシステムで動いていた。米国の消費者は借金して住宅を買うと、一緒に自動車や家電も買う。自動車などを輸出している日本企業はもうかった。日本企業は代金として受け取ったドルを国内で使える円に換える必要があった。ところが外為市場でドルを売って円に換えると、円高ドル安になる。日本政府は輸出企業に打撃を与えないようにするため、円売りドル買いの市場介入を実施。特に2003年から04年にかけて大量の円売り介入を行った。

▽大量の円売り介入で巨額のドルを抱えた日本政府は運用のために米国債を大量に購入。その結果、米国には巨額のお金が再び流れ込み、米国の金利は低下した。低金利でお金が借りやすくなった米国の消費者はさらに消費できた。これが魔法の財布だった。

▽ところが住宅投資が膨らみ過ぎて06年にバブルが崩壊、住宅が値下がりし始めた。サブプライムローンの焦げ付きで巨額jな損失を抱えた金融機関の体力は急速に低下、米国民は借金で家やモノを買えなくなり、日本からの輸入は減少。米国に戻ってくるドルも急送に細った。世界の製品を一手に引き受けていた米国の消費者がお金を使えなくなって一気に世界経済が縮小している。

▽機関車である米国経済がエンジントラブルで止まってしまい、それに引っ張られていた日本経済もストップ寸前だ。本来、世界第2位の経済大国である日本は個人消費など内需でも経済が回る「自走式」経済に早く転換すべきだった。だが、政府は介入で安易なドル高円安の維持策に走り、対米輸出依存の経済構造を助長してしまった。

▽日米両国がもたれあったツケがいま噴出している。日本は今からでもでも円高を恐れなくてよい内需型の経済構造に転換すべきだ。それなら円高で輸入品の購買力が増し、国民もメリットを受けられる。産業機械など日本の技術力は高く、円高でさらに日本の産業の国際競争力が磨かれる可能性は高い。

▽短期間で急激に円高が進めば、日本経済は壊れてしまう。米国の問題は製造業が弱いため、輸出するモノがなく、輸入ばかりで構造的経常赤字になっていることだ。例えば、米国に円借款をして省エネ車などが生産できる設備を導入させてはどうか。米国が日本から産業機械を買えば、日本も潤う。第二次世界大戦後、米国は欧州が疲弊し、世界経済が回らなくなったため、マーシャルプランの下で欧州に融資や債権放棄して救済した。今後は米国を支える現代版マーシャルプランが必要だ。

 相変わらず分かりやすく、大胆なご意見である。両者とももっともだ、と思わせる何かを持っている。

 政府はまじめに検討したらどうだろう。アッそうか、もう財務省も経済産業省も麻生さんのためには本気で働かないんだったっけ。それもどうかと思うんだけど…。

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2008年12月 8日 (月)

麻生内閣支持率急落の衝撃~12月8日各紙朝刊から

 朝日新聞、毎日新聞、読売新聞と共同通信が12月6,7日(読売新聞は5~7日)行った全国世論調査結果が12月8日朝刊(共同通信は東京新聞)に一斉に掲載された。

 内閣支持率は共同が25%だったものの、毎日、読売が21%、朝日が22%と一気に「危険ライン」となった。

 各紙は「衆院選挙の顔」として選んだ総理大臣のあまりの不人気に動揺する自民党内の反応などをまじえて多くの面を使って分析していた。朝日新聞は9日朝刊に調査結果データを掲載している。

 福田内閣の世論調査結果についても各紙の結果を比較してみたが、今回も各紙の数字を並べて見てみよう。()内は前回調査結果の数字。前回調査は朝日新聞が11月8,9日▽毎日新聞が10月18,19日▽読売新聞が11月初め▽共同通信は11月8,9日。

※は朝日新聞の質問。毎日は「次の衆院選で自民党と民主党のどちらに勝ってほしいと思いますか」。読売新聞は「衆院選後の政権の枠組み」を聞き、「政界再編による新しい枠組みの政権」が1位で33%(+8)、2位は自民党と民主党による大連立政権の25%(-1)で、次が表の数字。 

                 朝日       毎日       読売       共同

内閣支持率        22%(37%)  21%(36%)  20.9%(40.5%) 25.5%(40.9%)

不支持           64%(41%)  58%(41%)  66.7%(+25)     61.3%(42.2%)

自民党支持        27%(30%)  23%(24%)  27.2%(32.4%)   28.9%(33.8%)

民主党支持        23%(24%)  24%(27%)  28.2%(23.4%)   28.7%(26.5%)

公明党支持        2%(4%)    5%(5%)    3.3%                  3.3%(3.5%)

共産党支持        2%(2%)    3%(3%)    3.4%                  4.9%(2.5%)

社民党支持        1%(1%)    1%(2%)    1.4%                  1.9%(3.0%)

支持政党なし       38%(33%)  37%(36%)  33.6%                30.4%(28.1%)

比例区投票自民に    28%(30%)   22%(25%)   24.2%(-8)        27.4%(33.6%)

比例区投票民主に    36%(33%)   36%(38%)   40.2%(+10)      38.3%(35.5%)

自民中心がいい※    29%(29%)   29%(36%)   12.2%                 33.1%(36.1%)

民主中心がいい※     43%(40%)   46%(48%)    20.8%                45.4%(43.2%)

首相適任は麻生      30%(49%)   19%(40%)   28.8%        33.5%(51.0%)

首相適任は小沢     35%(23%)   21%(18%)    36.4%        34.5%(24.4%)

 朝日新聞は1面本記の前文で「『選挙の顔』としての首相の優位性は完全に失われ、発足2カ月余りですでに政権末期の様相だ」と突き放した書き方をしていた。これは朝日新聞の麻生政権へのスタンスを表わすもので、1面の矢部丈彦記者の解説記事の大きな見出しがまさしく<一気に政権末期状態>だった。

 この解説で矢部氏は頼みの「党首力」でも小沢氏に逆転されたこと、「解散できない首相」に与党を束ねる力はなく、政権立て直しは極めて厳しい情勢だ、と見通しを書いた。首相周辺が「党首力の逆転は痛い」というのは本音だろう。しかし、麻生政権で「首相周辺」とは誰を指すのか? 岡本全勝氏なのか? 政治家に「周辺」というほど麻生氏に近い人はいなさそうだし、それが実は麻生政権の一番のネックではないか、と思っているのだが。

 矢部氏は、

 <「選挙の顔」たりえないのであれば、与党内で首相の存在理由はかすむ。解散権を事実上封じられ、求心力を取り戻すのは難しい。>

 として、「2次補正が成立するまで耐えるしかない」という首相側近の言葉を紹介し、「09年度予算編成や雇用対策など実績を積み上げることで反転攻勢をもくろむ」と一応は首相側の戦術を紹介しているのだが、何とも心もとない麻生さんだ。政権基盤の揺れで、

 <与党内では、09年度予算案と関連法案の成立を優先し、来春までは首相を支えざるを得ないとの見方が強い。逆に言えば、その後は「ポスト麻生」に向けた動きがありうるというわけだ。やはり自らの失言などで支持率が低迷した森元首相は01年、夏の参院選を控え、予算成立後の4月に退陣を正式表明した。閣僚の一人は現状を「森内閣の最後と似ている」と語る。ただ、ねじれ国会の下、政権崩壊のスピードは当時を上回る。総選挙を経ない4人目の首相を民意がどう受け止めるか。総裁を代える「擬似政権交代」で自民党が延命できる見通しはない。中川秀直元幹事長は7日のフジテレビの番組で「民意は政界全体がひっくり返るようなもの(再編)を臨んでいる」と指摘した。自民党自身も崖っぷちに立たされている。>

 というのが文章の結びである。中川秀直氏が言う通り、読売調査では自民中心、民主中心よりも政界再編や大連立を望む声が強い。国民の保守化を表わしているのだと思うが、無視できない民意ではある。

 朝日新聞はこの日、東大と朝日新聞との共同調査結果を1面、3面に入れた(<自民、弱まる改革志向>)ため、本格的分析は9日朝刊回しとなった。

 9日朝刊では1面<揺らぎ始めた「3分の2」/政権に見切り分派活動>で首相批判の急先鋒である渡辺喜美元行政改革担当相が12月8日開いたパーティーに自民党の中川秀直、小池百合子、民主党の枝野幸男、松本剛明氏らが駆けつけて、エールの交換をした話から入って、いかにも政界再編ムードがでてきたかのような書き方だったが、言うこととやることの間にどれほど大きな差があるか、は小沢氏が渡辺氏の父を総理候補に担ごうとして画策した時、最後の最後に渡辺美智雄氏がひよってしまった一例を挙げるだけでも十分だろう。

 しかし、1面の導入部はそうだったが、2面[時時刻刻]<再編論 自民争鳴/ベテラン勢も呼応/中堅・若手、公然と新党構想/給付金・道路財源審議が火種/造反の機会、何度も>は現実的な記事だった。1月中旬の第2次補正予算は衆院可決で30日後に自然成立するが、その関連法案は衆院通過後与野党逆転参院で採決されなければ60日後の「みなし否決」規定を援用して、3月中旬に衆院で3分の2の多数で再議決しなければならない。2月下旬ごろと予想される09年度予算にしても関連法案は同じ伝で4月下旬には3分の2の再可決が待っている。

 与党は3分の2以上の絶対多数を持っている、とはいえ、公明党がそっぽを向けば可決できない。また、自民党内の造反グループが17人以上反対に回れば3分の2に達せず、否決される。その瞬間、麻生政権の息の根が止まる、というわけだ。

 だから、厳しいヤマ場は3月中旬と4月下旬の2度来ることになる。ここで造反を16人以内に抑えないと、麻生政権は野垂れ死にする。

 毎日新聞は12月8日の社説で「支持率21%は政権を投げ出した福田前内閣の最低水準18%(今年5月)にほぼ匹敵する」としたうえで、「これまで『選挙より景気対策』との首相の姿勢に一定の理解を示した世論に変化が出ている点を重く受け止めたほうがいい。…迷走を続ける今の状況こそ政治空白だと少なからぬ国民が考えているからだろう」と分析して、

 <この際、与野党で一致できる経済対策を第2次補正に盛り込んで早急に成立させたうえで、解散し、有権者の信を仰ぐのが一番有効だと考える。>

 と話し合い解散を勧めていた。その通りだと思う。

 読売新聞はどちらかと言えば麻生政権を支えようとしてきたと思うのだが、この数字では支えきれず、厳しい見出しをつけていた。面白かったのは東京新聞。共同通信調査なのだが、対社面<内閣支持率急落/改革の痛み限界?/格差拡大/自民支持層「小泉離れ」>と4段見出しで受け記事を書いていたこと。もう政治面の話題ではなく、社会面の話題だ、という見切りは正しいのかもしれない。

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2008年12月 7日 (日)

「21世紀、日本文明の可能性」という特集と「オバマ氏に薦めたい本」~朝日新聞、日経新聞12月7日朝刊

 朝日新聞12月7日朝刊6面を見て驚いた。東京大学と朝日新聞の共同シンポ[21世紀、日本文明の可能性]というタイトルが目に飛び込んできたからだ。11月22日に東大安田講堂で同名のシンポジウムを開いた内容を詳報したもので、もっと詳しい内容はアサヒ・コムで掲載する、とい「お断り」もついていた。

 船橋洋一・朝日新聞主筆、藤原帰一・東大大学院法学政治学研究科教授(国際政治学、比較政治学専攻)、イアン・ニッシュ・ロンドン大学名誉教授(日英交渉史、極東外交史専攻)、ジョン・アイケンベリー・米プリンストン大学教授(国際政治学専攻)の各氏の基調演説が掲載され、まとめ的に水野孝昭論説委員が「議論を振り返って」を書いている。

 共通見出しは<「戦後の知恵」世界と共有を>で、水野氏の記事の見出しは<危機克服へ普遍ルール探る>だった。

 <オバマ新政権が発足する米国、経済発展著しい中国とインド。「大国」としての復権を目指すロシア。その中でユニークな文明を育み、敗戦と復興、高度成長という道を歩んできた日本は、どのような役割を果たすのか。>

 という前文がこのシンポジウムの基調になっているらしいのだが、論点が絞り込まれていない、ぼんやりしたものになっているため、言いたいことが分からない。だから、論者たちの意見もみなぼんやりしてしまった。

 最初「日本文明」と見てびっくりしたのは、この難しい論点にどのような切り口で迫ってくれるのだろうか、という期待もあったのだが、その意味では期待には応えてくれていない。

 船橋氏は「文明」を「利害が対立しかねない人間集団を律し、共生していくルール」だと言い、世界の普遍的な「共生のルール」をどう作るか、が問われており、金融、原子力、遺伝子組み換えなど一国の暴走がすぐに全世界に波及する時代においては、「世界的なシステムをつくる際には単なる国家ではなく文明的視点を見据える必要がある」「資源制約、有限な地球という文明の限界も頭に入れる必要がある」と説く。「共生のルール」のことを言いたいのか? もうひとつ分からない。このテーマ設定自体、船橋氏と藤原氏が考えたのだろうが、「日本文化」と違って「日本文明」としたのは、ハンチントン氏の文明の区分で日本を単一国家で単一文明を作り上げ、今でも永続している非常に珍しいケース、として取り上げられており、このハンチントン区分に少しは関連があるのだろう。

 船橋氏よりもっと分かりづらかったのが藤原氏だ。精神的な要因を大切にする、というか、後付の説明が多いのが特徴で、次のような説明をする。

 第2次世界大戦に敗戦→国民は「日本は後進国だ」というイメージを強く抱く→「先進国にならねばならない」という課題が生じる→高度経済成長→石油危機後は集団主義など従来「後進国」とされた日本的なものが「先進的」と読み替えられる→日本型経営とアジア型経営を結び付けて考える議論の展開→日本はアジアの中心で西欧的な価値とは異なる秩序を作る挑戦者、という議論→現在の日本は経済の負け組みで中国の台頭で日本は単独の先進経済ではなくなると「とてつもない日本」「日本もたいしたものだ」とえばる議論が誕生したが、「アジア」は入らず、控えめな議論だ――と、いうもの。

 従来の経済論壇の流れをポンチ絵のように分かりやすく整理した議論だが、後付けが過ぎないか。結局、藤原氏は自己愛の対象としての大国日本ではなく、今現にある大国日本をはっきり認識して国際秩序を維持するうえでの責任、役割を考えるべきだ、と言うのだ。日本の特徴を「戦後、単独主義に訴えなかった大国」といい、これが日本の発展の原因だったし、今後も「日本が世界文明の中核」とか「世界の中で独自の文明」などの言葉に酔うような単独主義を戒めている。「国際制度が機能するのは大国が単独行動を自制する時だ」というのが藤原氏の考えなのだろう。

 日米同盟を堅持しながら東アジアの政治・経済・文化的連携を深め、東南アジア(ASEAN)との連携にまで広げる、というようなことを考えているのかどうか。中国というアジアの盟主的な政治大国が2020年には誕生する可能性が高い。その時、朝鮮半島と日本が政治的独立性をどこまで維持できるのか、それはどのような方法で可能なのか、が問われているのだと思うのだ。日本が大国主義に陥る危険は少ないと思うが、中国が中華思想を剥き出しにして、無理難題を吹っかけてきた時、米国が頼るに足らずだたtら、日本はどうするのか? そういう疑問には全く答えていない。あまりにも綺麗ごと過ぎる、と思うのだが。

 アイケンベリー氏は米国務省政策企画スタッフ、カーネギー国際平和財団研究員などを歴任した人らしく、「リベラル文明」が今直面している課題を打破するためにも、米国だけでなく日本が責任を果たさなければならない、と主張する。「資本主義」「開かれた市場」「法の支配」「多国間主義」「文化の多元性」「普遍的な権利」がリベラル文明の中身だそうだ。つまりアメリカ第一主義の世界文明を没落させるな、と言っているに過ぎない。

 ニッシュ氏は日本政府にODA増額などを暗に求める。今後も日本が国連中心主義を貫いてほしい、という。「日米関係は、中国やインドという新興国との関係や、北朝鮮問題に照らして考えなくてはならない。米国と親しくしつつ、中国とは決してけんかをしてはならない」という。何を言わんとしているのか。あまりにも文章を短くしたために分かりにくくなったのか? 北朝鮮の核問題があるので米国の核の傘に頼りなさい、だけど中国を怒らせると大変だから少し気を遣ってオドオドしていなさい、と言うのか? よく分からない論だ。

 まとめを書いた水野氏は、

 <文明開化以来、日本は常に非欧米諸国の近代化のモデルだった。戦後も世界が求める魅力的な「メード・イン・ジャパン」を提供してきた。非軍事大国(グローバル・シビリアン・パワー)としての自信を持って「戦後文明」(船橋主筆)の知恵を各国と共有していきたい。討論を聞いて、そんな思いを強くした。>

 と文章を結んでいるのだが、これもよく分からない。つまり、憲法9条を守って、できれば、近隣諸国にも真似をしてもらおう、ということが言いたいのか? もう少しズバリと書いてもらわないと、頭の悪い私には理解できない。

 もやもやした感じの頭の中をスッキリさせてくれたのが日経新聞12月7日朝刊2面コラム[風見鶏]だった。伊奈久喜編集委員が<オバマ氏に薦めたい本>のタイトルで書いているのだが、こっちは誰に遠慮するでもなく、ズバリと「関与政策で北朝鮮が変わると考えるのはナイーブに過ぎる」「オバマ政権は30万人を奴隷にする北朝鮮の現状を座視しないと信じたい。状況はミャンマーより悪いのだから。確か『イエス・ウイ・キャン(そうだ。できるんだ)』だったはず」と書いている。日本にとっての北朝鮮の核武装の持つ意味合いをきちんと理解して、米次期政権に要望すべきを要望しているのだ。短いコラムではあるが、1ページを使った朝日新聞の特集面よりずっと内容が濃かった。

 ちなみに伊奈氏がオバマ次期大統領に読んでほしいのは半年前に邦訳が出た「収容所に生まれた僕は愛を知らない」(申東赫著)だった。

収容所に生まれた僕は愛を知らない 収容所に生まれた僕は愛を知らない

著者:申 東赫
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 26歳になったばかりの男性だが、北朝鮮の政治犯収容所で生まれ、2005年に収容所から脱出し、2月に中国に逃れ、06年に韓国に入国した人だ。コラムには本の内容も簡単に紹介してあるが、もうなくなっているのか、と思っていたひどいことがいまだに収容所で続けられていることを知ってショックを受けた。

 オバマ次期大統領は朝鮮労働党幹部らに騙される前にこの本を読んで勉強してほしいものだ。

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2008年12月 6日 (土)

ハイデガー哲学の流行~日経新聞12月6日文化面に木田元氏の名前がない

 日経新聞12月6日朝刊文化面<激動の現代見直す視点/ハイデガー哲学色あせず/中堅・若手が研究リード/存在の根源問う>が載っていた。さすが日経、哲学までフォローしている、と少し驚いた。舘野真治・文化部記者の記事である。

 書き出しはこうだ。

 <20世紀を代表するドイツの哲学者、マルティン・ハイデガーの研究が熱を帯びている。40代前後の中堅・若手の著者刊行が相次ぐほか、新たな研究組織も発足。人間存在の本質を根底からとらえた巨人の思想は、金融危機など激動する世界情勢の中で輝きを増しているようだ。>

 1889年に生まれ、1976年に没したハイデガーは「存在と時間」などで「存在とは一体どのようなものなのか」という自明なようでいて実はとらえがたい根源的問題を徹底的に解き明かそうとし、逆に人間が本来は最も大切な存在論を忘れ、日常に埋没して世間に流されることを批判した、とも書く。

 記者が取材したのは9月20日から都内で開いた「ハイデガー・フォーラム」大会。2日間で延べ160人が出席、半数以上が一般参加だった、という。このフォーラムの第1回は2006年で今年が3回目。

 旗振り役の森一郎・東京女子大教授は「あえて学会という体裁にせずに誰でも参加できるようにした」という。

 出版も目立っている、として、いろいろ書いている。

 雑誌「理想」今年2月号で「ハイデガーという広場」特集。森教授も寄稿したと。森教授は1月に主にハイデガーを論じた単著「死と誕生」を出した。

 門脇俊介・東大教授は解説書「『存在と時間』の哲学1」を6月に出し、仲原孝・大阪市立大教授は研究書「ハイデガーの根本洞察」を6月に出した。フォーラム創設メンバーの一人の秋冨克哉・京都工芸繊維大学教授は05年に「芸術と技術 ハイデガーの問い」を出した。

 これまで日本のハイデガー研究を牽引してきたのは今年2月に亡くなった渡邊二郎・東大名誉教授ら1920~30年代生まれの重鎮だったが、彼らに教えを受けた世代がキャリアを積み、成果を出し始めた、という。森、秋冨氏はともに1962年生まれで40代半ば、まさに脂が乗りつつある、と書いている。このへんが書きたかったことなのかなぁ、とも思う。

 ドイツ現代思想が専門の北川東子・東大教授は「物事を突き詰めて考える姿勢、根本から問いを立てる力がすごい。世界を覆う金融危機など従来の常識では捉えきれない事態が次々と生じる中で既存の枠を飛び越える問いや思考法が求められている」と見ているそうだ。

 <現在、よく言及されているのは「技術」についての批判的な論考だ。ハイデガーの見方によれば技術は自然の様々な物を本来の在り方とは関係なく、何らかの目的に役立つ資源やエネルギーとしてとらえ、取り立て収奪する側面がある。人間自身も「人的資源」「臨床事例」などと呼ばれ、駆り立てられる。そうした流れに疑いを差し挟む思想は、技術による利便性の向上を当然とする現代的な考え方を見詰め直す契機になる。「大きな問題をその場しのぎではなく、深く思索する視点を与えてくれる」(森教授)。ただ、その議論は抽象度が高く、環境破壊などの個別事例にすぐ応用できるわけではない。ハイデガー自身も「哲学は本質的に時代向きではない」と公言。流行のように注目されることを嫌がった。「彼の思想を何かの問題に役立てようとすること自体がその内容に反する」(東大の石原孝二准教授)との声は根強い。それでもハイデガーの議論が示唆に富み、多くの人をひきつけるのは紛れもない事実。技術論にしても人間の存在を揺るがすという単純な疎外論には終わらない。例えば「存在論的メディア論」などの著書がある和田伸一郎・中部大学講師はハイデガーの技術論の肯定的な側面に着目。「携帯電話やインターネットなどの技術が、人減存在の本質を新しい形で引き出す可能性もある」との考えを示す。世界の中で開放的に、遠くにいる人にも配慮する在り方につながるとの見方だ。>

 少し長くなったが、これがどうも著者が今言いたいハイデガーと技術との新しい切り口の研究の「現時点」なのだろう、と思う。そして、

 <ハイデガー思想は「とてつもない広さと深さ」(北川教授)を持つが故に、こうした様々な議論をくみ出せる。技術論に限らず多義的な魅力を備える哲学者は、様々な難題に直面する現代人が立ち返る原点として注目され続けそうだ。>

 と結んでいた。

 不思議だったのはハイデガーと言えば木田元といわれるほど日本のハイデガー研究で有名な木田氏の名前が記事に一回も出てこないとだった。

木田元の最終講義  反哲学としての哲学 (角川ソフィア文庫) 木田元の最終講義 反哲学としての哲学 (角川ソフィア文庫)

著者:木田 元
販売元:角川グループパブリッシング
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 2008年5月25日初版発行の「木田元の最終講義 反哲学としての哲学」(角川文庫、税込み660円)を読むと、1928年生まれの木田氏は海軍兵学校、山形県立農林専門学校を経て1950年に東北大学文学部哲学科に入学。同大学院哲学科・特別研究生課程に進学し、東北大学文学部助手、中央大学文学部専任講師、助教授を経て1972年に中央大学教授。99年に定年退職、名誉教授に就任した。「ハイデガーの思想」「ハイデガー『存在と時間』の構築」など既存のハイデガー解釈を一新した、というのが文庫本の人物紹介にあった。

 木田氏の最終講義は中央大学文学部で1991年1月23日に行われた「ハイデガーを読む」と1992年2月25日に中央大学人文科学研究所で行われた「哲学と文学~エルンスト・マッハをめぐって」があり、文庫本ではこれに<最終講義・補説>として「『存在と時間』をめぐる思想史」をつけてあり、素人にも分かりやすい。

 木田氏はハイデガーはソクラテス・プラトン・アリストテレス以前のギリシャに遡って哲学を考え直した、つまり、西洋哲学の見直しを行った、と見た。以下は文庫版のP52からの引用である。

 <西洋哲学史を見なおすといっても、ハイデガーが考えているのはなんとも思いきったことで、彼はプラトン/アリストテレスからヘーゲルにいたるまでの西洋哲学の全体が間違っていたのではないか、少なくともおかしな考え方、不自然な考え方だったのではないかと考えているのです。しかも<哲学>と呼ばれてきたこの不自然な考え方が、西洋文化経世の青写真の役割を果たしてきた、そのため、西洋文化が全体としておかしな方向に形成されることになった、とそんなふうに考えているらしいのです。>

 木田氏はこれはニーチェと同じ問題意識なのではないか、と言うのだ。一読、同感だったのだが、日経新聞の記事にある技術論の問題はこうした大きなパースペクティブで見れば、近代文明=西洋文化に内在する問題点だ、と言えるのではないか。

 というようなことを木田氏は考えさせてくれるのだから、こういう記事にも木田元氏の名前を入れてほしかったなぁ、と思う次第だ。日経新聞の夕刊1面コラム[あすへの話題]で定期的に寄稿しているし、日経文化部記者だって日常的に話を聞けるんじゃないのかな?

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柳美里さんの訪朝体験記に思う~週刊現代08年12月6日号

 在日韓国人で芥川賞を受賞した作家の柳美里さんが昨年10月、突然のように訪朝したのだ、という。朝鮮新報の朴日粉さんと一緒に出かけ、案内人の朴承一さんとの3人の会話を中心に、過ごした日々を思い入れたっぷりに書いていた。

 ちょうど週刊現代に連載小説を書いている最中だったからか、連載小説を載せながら、[緊急寄稿 わたしが見た、幻の祖国 北朝鮮]を上中下で連載、08年12月6日号はその中篇だった。<刻まれた、米軍の朝鮮民族大虐殺>という見出しがどぎつかったので手にとって見た。10月18日に訪れた平壌から南へ60㌔㍍離れた黄海南道信川の信川博物館訪問記が中心だ。

 <信川博物館には、1950年に米軍によって住民の4分の1にあたる3万5383人が殺害されたという信川大虐殺の証拠資料が展示されている。(1951年に信川大虐殺をモチーフにして、パブロ・ピカソが「朝鮮の虐殺」と題する作品を発表。「ゲルニカ」と並び評されることが多い反戦絵画です)>

 と書き、陰惨な展示品の説明。拷問が行われたという地下壕や人々を収容してガソリンをかけて焼き殺したという二つの弾薬庫に行く。ここで、

 <米軍はアウシュビッツを模したのではないか、と疑いが頭をもたげた。フランスのドキュメンタリー映画「敵こそ、我が友」は、驚くべき内容のドキュメンタリーだった。ナチス・ドイツ占領下のフランスでゲシュタポとして夥しい数のユダヤ人やレジスタンス活動家を拷問、殺害して<リヨンの虐殺者>の異名を持つクラウス・バルビーは、1947年にアメリカ陸軍情報部(CIC)に入隊し、反共運動専門の工作員としてナチの残党を集め、1987年にフランスで”人道に対する罪”で終身刑を宣告されるまでの五十数年間、世界各地でその腕を振るいつづけた――。>

 などと想像が膨らんだのだ、という。そして、偶然のように、信川を訪問した10月18日は信川に米軍が進攻した日だった、という。何か神かかったような”落ち”までついている。

 柳氏は朴案内員の「日本の報道は偏っているから……」と深い溜め息を吐いて「われわれ人民は決して裕福な暮らしをしているとは思っていません。<苦難の行軍>のときはほんとうに辛かった。でも、われわれ人民は歯を食い縛って耐えた。これからは経済を発展させて、人民ひとりひとりの暮らしを良くしていくんです」と語った話をそのまま書いていた。

 なぜ柳さんがここまで北朝鮮に思い入れたのか? その答えが次の文章だ。

 <この国で働いてもいないし、学んでもいないし、暮らしてもいない。だから、ほんとうの意味では、この国を知ることはできないのだと思う。けれど、知らない、では済まされない。わたしは、この国を、この国のひとびとを、知りたい、と思う。何故なら、わたしにとって、この国は祖国なのだから――。>

 ここに、この上中下連載の悲鳴のような文章のすべてが込められているような気がする。生まれをたどると南半分らしい。つまり、韓国出身なのだろうが、そこまで北朝鮮にこだわるのは柳さんの心の問題なのだろう。

 この衝撃的な文章を読み、私の主張と違う点が多いのだが、感心したのは柳さんの心をそこまで虜にした「祖国」という言葉である。

 ブラジル系日本人というか、ブラジル人だから、正確には日系ブラジル人も日系フィリピン人も日系アメリカ人も、このような柳さんのような熱い思いで日本を思うこともないだろうし、語ることもないのではないか。

 なぜ朝鮮半島出身の人々は国の外に出ても国との一体感を保ち続けていられるのか? なぜ日本では外に出たら「はい、さようなら」で縁が切れてしまうのか? それを考えてしまったのだ。

 柳さんは日本人にはなりたくないそうだ。この文章にも次のようなくだりがある。

 <次の総選挙で民主党が政権をとり、民主党が「北朝鮮」に対する追加制裁案として挙げている<在日朝鮮人の再入国禁止>(つまり、「北朝鮮」に行くのは自由だけど、日本には戻ってこれなくなるよ、ということです)が現実のものとなったら、日朝の離散家族を繋ぐ細い道が埋め立てられてしまう。それでも祖国に行きたい(行かなければならない)在日朝鮮人は、韓国国籍か日本国籍を取得して祖国を訪ねるか、あるいは、訪問者としてではなく移住者として朝鮮民主主義人民共和国に足を踏み入れるか、そのどちらかを選ばなければならなくなる。>

 民主党の北朝鮮制裁策を知らなかった。

 <いったい、だれに制裁を加えようとしているのか――、制裁を受けるひとりひとりの顔を想像してから決定を下してほしい、と切に願う。>

 北朝鮮シンパの在日の方々はそう言うだろうと思う。特に柳さんは偶然にも北朝鮮に親族を人質に取られていないそうだが、人質を取られている家族にとっては深刻な事態だろう、とは思う。ただ、これは日本人ではない外国人が言っている話だ。北朝鮮公民なのか、韓国公民なのかは分からないが、なにしろ日本人ではない。日本人になることを拒否している「私の祖国は北朝鮮」と言う女性の主張なのだ。

 民主党という政権交代可能な政党が成長してきて本当に良かった、と思っている。この中篇を読んだだけだが、柳さんは北朝鮮に拉致されて、どこかに収容されているはずの横田めぐみさんらへの共感が全くない。拉致事件などなかったかのように書いている。

 なぜ民主党が制裁を課さざるを得ないのか、その本質に目をつぶりながら、北朝鮮と北系の在日朝鮮人の利害関係ばかり主張しているのは、それは仲間内の話ならばいいが、一応は数十万部か数百万部売れている日本の週刊誌を使ってのキャンペーンだとしたら、少し人間の温かみに欠けるのではないだろうか。

 たしかに米軍は虐殺をしたかもしれない。広島、長崎には原爆を落として罪のない人々を虐殺したし、その前にはルメイの東京大空襲でどれだけ多くの庶民が犠牲になったか、柳さんは知っているだろう。

 何か、信川虐殺だけがすべてだ、というような書き方はおかしい、と思う。そもそも北朝鮮の金日成主席が韓国に軍を侵攻させたことが始まりだったのではないか。よもや、朝鮮戦争は米国の陰謀だった、などとは言わないと思うが、北朝鮮の軍事侵攻がなければ、米軍の村人殺害もなかっただろうし、大体、北朝鮮の人民軍が相当数の米兵を殺し、その北朝鮮兵が敗走した際に村人の中に隠れるという手法をとったのが米軍の村人殺害の原因としてあったはずではなかったか。

 あまりにも一面的な主張を3回も繰り返し、それを唯々諾々と掲載する講談社はどういう神経をしているのだろう。ちなみに後編の見出しは<板門店で語り合った祖国統一>だった。在日朝鮮人の主張、韓国に住んでいる韓国人の主張、そして北朝鮮に住んでいる人々の主張、それぞれに主張があるのは分かる。ただ、日本人にも主張はあり、朝鮮半島の方々の言い分だけを唯々諾々聞いているわけにはいかない。

 柳さんは北朝鮮が核兵器を開発していることをどう考えているのだろうか。米軍が核兵器を持っている限り仕方ない、というのならば、日本の核武装にも反対する論理的根拠はないと思う。もしもそうならば、柳さんは今後、日本核武装の有力な応援者として活躍するかもしれない。

 柳さんの文章自体はそれでいい、と思う。ただ、私が砂を噛むような思いをしたのは、売らんかな、で日本人としての愛国心もなく、垂れ流しで柳ルポを掲載して恬として恥じない講談社の週刊現代編集長の心根である。日本人が嫌いでもいいから、もう少し日本という祖国への愛をもってほしい。

 もしいかしたら、読者にそう思わせるために柳ルポを掲載したのかもしれない。ものすごい高等戦術を駆使して、日本人に愛国心を持たせようとしてくれた、と信じよう。

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正しい情報はネット時代、より入りにくくなっている~産経新聞12月6日[昭和正論座:高坂正尭氏論文再掲]

 新聞を毎日読んでいて楽しいのは、第一報のニュースを知らせる記事ではなく、いろいろとものを考えさせてくれる記事に出合った時だ。今朝(12月6日)の新聞など、朝日新聞と毎日新聞がそろって11月の米就業者が53万人減と34年ぶりの大幅悪化になった米労働省発表の雇用統計で1面トップを作り、読売新聞は千葉の5歳の保育園女児遺体事件で千葉県警東金署捜査本部が現場近くに住む若い男を死体遺棄容疑で事情聴取する、という特ダネ。日経は三菱商事がイオンの株5%を取得して筆頭株主になる見通しを書き、それぞれ読めばそれなりにためになるのかもしれないが、読む気にならない。

 パラパラと新聞をめくって目に飛び込んできたのは産経新聞オピニオン面[昭和正論座]だった。「正論」欄創設35周年で、当時掲載された「正論」を再掲しているのだが、今日は1974年5月3日掲載の高坂正尭・京大教授(当時の肩書き)である。

 <正しい情報確保の難しさ>のタイトル。ハルバースタム「ベスト&ブライテスト」の説明から入り、米国のエリートを集めたケネディ政権がベトナム戦争でなぜ泥沼の道に入り込んでしまったのか、それは現地の正確な情報が上に上がらなかったからだ、ということを書いている。当時はまだサイマル出版からの翻訳が出ていなかったらしく、高坂氏は「ハルバーシュトラムという新聞記者の書いた『もっとも明晰にして、秀れたるもの』(”The Best and The Brightest”)」と書いていた。

 <800ページを超す部厚な書物で、しかも、アメリカのベトナム政策という硬い問題を扱いながら、昨年アメリカのノン・フィクション部門のベストセラーの上位に座り続けただけのことはあると思った。ベトナム戦争という苦い経験をなめたアメリカ人にとっては、その内幕が判るということで興味深いものであったろうし、また、そこからいくつかの反省を引き出したことであろう。>

 と、アメリカでこの書物が売れた原因を推測しながら、

 <そして他国の経験ではあるけれども、ハルバーシュトラムの書物は、政治がなぜ失敗を犯すかについて、われわれにもいくつかの教訓を与えてくれる。その一つは、この書物の主要テーマであるけれども、いわば知性主義者の自信過剰の危険ということである。かなり前のことではあるが、多くの人々が覚えているように、ケネディ政権はハーバード大学などから、きわめて優秀な人材を登用した政権――すなわち、もっとも明晰にして、秀れたるものを集めた政権――であった。>

 それがベトナムという泥沼にのめりこんでいったのは、

 彼らが自信過剰になり、合理的な計算で世の中が動くと考えたことによるところが大きい。世の中は複雑で、その動きはつかみ難い。それに対し、いかに秀れていても知性は図式化し、単純化して、事態を把握する。それ故、知性の限界を忘れるとき、失敗がおこるのは自然であろう。>

 という高坂節が奏でられる。もうひとつの教訓は情報の誤りがあったことだ、という。ベトナムの実情がアメリカ政府の上層部に正確に伝わらなかったから、南ベトナム政権の弱体性、腐敗、不人気ぶりは現場にいるアメリカ人には判っていたのに、上にいくほどろ過されて、そういう部分が消えた。このため、ワシントンの決定は南ベトナム政府へのコミットメントを徐々に強める、という日本軍が犯した「逐次派兵」の過ちを犯したのだ、という主張である。「もうすぐ戦争は終わる」と宣言しながら、軍隊を派兵するのは、宣伝という意味合いもあっただろうが、基本的には状況を誤認していたためだと思われる、とする。

 いくら情報機関が発達しても、Aという情報と、それの正反対のBという情報のどちらが正しいかはなかなか判らない。判断が必要になるが、決断が嫌いな人が上にいると「もう少し事態を見守ろう」となって、ズルズルになるし、決断が好きなトップがいても、そういうトップにはその人が喜ぶ情報は入るが、不都合な情報は入りにくくなるので、危険だ、という。

 <情報に広く耳を傾けすぎることと、広く耳を傾けないことの二つの落とし穴にはまらずに歩むことは政治家にとって至難のわざである。しかし、それだからこそ、絶えず自戒することが必要なのだ。>

 という言葉は35年前の教訓とは思えない現代的意義を持っている。

 この情報確保の難しさと政治家の決断の失敗、と聞いて最初に思い出すのは橋本龍太郎首相の消費税率上げである。

 このブログでも何度か書いたかもしれないが、改革政権として省庁再編をなしとげ、金融ビッグバンを断行、村山政権が約束しておいた後始末として消費税の3%から5%へのアップを行ったのだが、ちょうど不況の影が日本列島を覆い、「失われた10年」のピークに差し掛かるころだったのに、その認識がなく、国民負担を急激に上げすぎたため、肺炎患者に冷や水をかける形となり、日本経済がしばらく立ち直れない複合病に冒されてしまったのだ。橋本首相周辺の「経企庁の数字に漏れがあったので、官邸は気づかなかった」という無念の言葉を思い出すが、結局、そうした必要な情報を首相に集約するシステムを作れずに、政治を進めていた今までの日本政治の病巣が一気に表面化したように思った。

 不況の深刻化に驚いた橋本首相は大型経済対策を決意、参院選の最中に追加で発言したため、公約との整合性をつかれ、立ち往生。1997年参院選で自民党が惨敗して、橋本首相は退陣。小渕恵三首相は自由党をダミーに、公明党を連立に引きずり込み、参院過半数を握ってようやく危機を脱したが、同じような事態は安倍晋三政権で繰り返され、この参院過半数割れの「ねじれ国会」は今も続き、国家の意思決定ができない状態が来年まで持ち越されそうなのだ。

 ベスト&ブライテストの問題は橋本政権当時よりも今の方がひどくなっている、と思う。

 塩崎元官房長官、安倍元首相、石原氏ら新人類は頭はいいかもしれないが、それこそエリートで、庶民生活を知らない。

 高坂氏がこの論文で引用したベテランの政治家サム・レイバーンがケネディ政権の若きエリートたちについて語った言葉が心に沁みる。

 <そうだね、彼らは全部君の言うように知性が秀れているかもしれない。けれど、彼らのうちただの一人も町役人の選挙に出て苦労していない。もし、そういうことがあたtら私はぞっと好感が持てるのだがね。>

 日本の新人類政治家は選挙の洗礼を受けているから、ケネディ政権のエリートたちと一緒にできない部分もあるだろうが、永田町の行動様式の中での『おれはエリートだ』という考え方が政治を誤らせるのではないか、と危惧するのだ。「情報」うんぬんの前段階の話である。政治家の資質について、もう一度マックス・ウェーバーを読み直してみよう。

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2008年12月 5日 (金)

米国の量的緩和は危険なのか~朝日新聞12月5日[経済気象台]

 朝日新聞12月5日朝刊証券面匿名コラム[経済気象台]で(千)氏が<危険な米国の量的緩和>のタイトルでバーナンキFRB議長が取っている量的緩和策に異論を唱えている。

 政策金利の目標1%を大幅に下回る金利を放置し、最大8000億㌦にのぼる直接的な金融商品買い取りで市場に大量の資金供給を図っている政策である。(千)氏も書いているように、大恐慌の研究者でもあるバーナンキ議長は大恐慌時の失敗はFRBがマネーサプライを増やさなかったことにある、と考え、ジャブジャブとお金を市場に出しているのだ。

 (千)氏はそれは新たなバブルを呼ぶだけだ、というのだが、グリーンスパン元議長が反省を込めて言っているように、バブル崩壊に対処し、また新たなバブルが生まれ…というサイクルは1971年のニクソンショック後、ほぼ10年ごとに起きている。ほかに適切な対処策がない限り、このジャブジャブ政策は必要悪だと思うのだが、違うのだろうか?

 「そもそも異常に高騰した価格が自律的に修正されようとするところへ、政府の介入で高止まりさせることが妥当かつ可能なのか」というが、自律的に下降するのを待っていたのでは、大手企業がどんどん倒産し、失業者が街にあふれ、社会不安が起きること危険があるから対策を取っていることは十分ご承知のうえでの立論だろう。

 たしかに、日本のバブル崩壊時には日銀は「対策の小出し」という大失敗をした。でも、国会でもみにもんで公的資金を入れ、銀行が倒産、国有化して、二束三文で米国の投資銀行に売った時点で、その売り渡し価格が事実上、底だ、という認識が広まって、回復の目処が見えてきたのではないか? 米国は今、当時の日本に比べれば相当に大規模でスピードを重視した対策を打っている、と思う。

 FRBの資産の急膨張にしても日銀やイングランド銀行だったら、大変なことになるだろうが、米国という世界標準の基軸通貨を持つ国は特殊なのではないか? つまり、各国しがらみでがんじがらめにされているから、ドル暴落を望まない。経済の世界では誰も望まないことは実現しない、ということだと思うのだが。

 素人経済議論なので、間違いも多いかもしれないが、言いたいのは、米国にしても日本にしても今は対策をスピーディーに大胆に展開する時だ、ということだ。

 麻生首相がぐずぐずしている二次補正、やっぱり年内に出すべきだと思う。

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書評「日本の信義~知の巨人十人と語る」猪瀬直樹著+「共同研究『』冷戦以後」中曽根康弘ほか著

 発行は小学館。2008年6月9日初版第1刷発行、定価760円+税=798円。

 裏表紙の宣伝文句が本の内容をうまくエッセンスしているので、引用しておく。

 <「バブル崩壊前夜」から「失われた10年」なで。日本が大きく揺らいだその時代に、作家・猪瀬直樹が、江藤淳、会田雄次、吉本隆明、秦郁彦、高坂正尭、所功、山折哲雄、梅原猛、鶴見俊輔、阿川弘之という戦後日本を代表する思想界の十傑とともに日本を問うた貴重な対談集。「週刊ポスト」誌上で話題を呼んだ15話を選りすぐって新書化。対米関係、天皇制、日本人の宗教観、土地神話、戦後処理、経済復興など日本人と切り離すことのできないテーマについて、それぞれの専門化とともに挑んだ対談の内容は、日本人の精神史、国家観を探るうえで欠かせない。日本のゆくえを真剣に考えるための視座の数々と出会える一冊である。>

黒船の世紀―ガイアツと日米未来戦記 (日本の近代 猪瀬直樹著作集) 黒船の世紀―ガイアツと日米未来戦記 (日本の近代 猪瀬直樹著作集)

著者:猪瀬 直樹
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 うまい宣伝文句だと思う。実際、そういう読後感だった。「はじめに「」で猪瀬氏が書いているように、この対談自体、「黒船の世紀」の連載を始め、それに生かそうとして行ったものらしいが、会田雄次氏との87年12月の対談から2002年7月の阿川弘之氏との対談までの期間にこれらの対談が行われている。

 ということは、バブル景気華やかなりし頃の対談と、バブル崩壊後の対談だが、それは日本国内の話だ。

 世界的に見れば、ベルリンの壁が壊れ、米ソ冷戦が終結した前後という状況で、彼らが将来をどう見通したのか、過去の何をよすがに考えようとしていたのか、が分かる。

 以前、「共同研究『冷戦以後』」を読んだ。1992年2月1日第1刷で、私が買った本は3月20日第3刷。文藝春秋刊で定価は1800円(税込み)。著者は中曽根康弘、佐藤誠三郎、村上泰亮、西部邁の4氏だった。当時、忙しい仕事の合間に始終睡眠不足の頭で理解できたのかどうか分からないが、マーカーで線を引きながら87ページまで読んだ痕跡があった。

 92年2月刊の本だが[序 日本の使命]で(この文章の調子を見るに、中曽根氏が[序]を書いたのだと想像するが)「われわれは、約2年間、この問題を中心に論じ合ってきた」とあった。というと、90年2月前後から討論を繰り返した結果、満を持しての著述らしい。

 読み返して見ると、じっくりしたいい研究論文も入っているし、何度読み返してもまた違った面白さが出てくるタイプの本なのではないか、と思う。

 ただ、さすがに16年後に読み返すと、外れた予想もいっぱいあった。米国はブレトン・ウッズ体制を維持していくのに必要な経済上の世界的公共財を独力で提供する力を失ったので、米国のドルと日本の円、そしてドイツのマルクが世界のキー・カレンシーになりつつある、と書いているのが間違えた第一(P20)。

 ソ連崩壊で米ロが本格的な核兵器軍縮を始める、世界はいまや、大軍縮時代に入らなければならない、と書いているのは、私は実感がわかないが、それなりに根拠があったのだろうと思うが、今から考えると、間違いだ。

 また、衆院選挙制度については、比例代表並立制よりも「大統領的首相」がいい、と例を挙げて主張しているが、大統領制は議院内閣制よりは権力集中度合いが低いことは飯尾潤氏の中公新書「日本の統治構造」などを読んでも、今や政治学者の中では常識になっているのではないか。92年時点では、中曽根氏の持論である「大統領の方が首相よりも強い」という考えに引っ張られて、読者の素朴な思いに応えようとしているが、これも間違いではないか。

 なぜ長々と共同研究の話をするか、というと、この『「共同研究』には冷戦構造の終焉で日本がどんな場所におかれていると、いう考察が弱かった、と思っているからだ。

 西欧では冷戦崩壊がもたらす大きな変化について、本格的な研究が90年代に相次いだが、日本ではきっとこの本が一つの金字塔だろう、と思っていた。「それにしては仮説の立て方に大胆さが足りない」と昔読んだときに思ったのだ。

 ハンチントンの「文明の衝突」という予言は半分当たったが、日本の永田町では当時「西欧の冷戦は終わったが、北東アジアの冷戦はまだ終わっていない」という議論が中心だった、ように思う。1994年からの北朝鮮核危機がその極東特殊論をいかにも正統性のあるもののように見せたのではないか。

 しかし、冷戦崩壊とは今、目の前に戦術核の脅威が出てきた、というレベルとは違った出来事だったことは今や明白になっている。当時の日本ではそれが理解されなかったので、日本の針路の舵切りが遅れてしまったのではないか、と思っていたのだ。

 猪瀬氏の「日本の信義」(小学館)はまさに「共同研究』」(講談社)と同じ時代の識者のインタビューをまとめた本である。当時、不明な私は「黒船の世紀」も読んでいなかったし、総合雑誌の論壇にも無関心だったから、日本の思想の潮流を振り返るには役不足なのだが、少なくとも、今になって読んだこの本に出てくる識者たちのロングレンジのパースペクティブは見事だ、と思ったのだ。

 今の時代を分析するツールとして有効に利用できる論が山盛りだ、とも思う。

 本の内容を書くのは面倒になってきたので、一部分だけメモしておく。

 まず「黒船の世紀」は日露戦争後に全部で500あまりの「日米未来戦記」が出版され、ベストセラーになったこと、この「日米もし戦わば」の空気が少年層から大人までを支配し、その空気に乗って軍人が変なことを始める、という趣旨である。つまり、国民意識が先に日米戦争論に行ってしまい、軍事行動は後付けというもので、日米未来戦記の作者を含めたメディア関係者があおった結果、日米戦争に突入して行った面が強くあった、という主張が前面に出ているそうだ。「メディア関係者の責任は大きい」ということを実証的に書いているようだ(まだ読んでいないので詳しく分からないが、この本で猪瀬氏がそう紹介している)。

▽江藤淳氏

 <どんな親しい友人でもお互いに裏切りつつ付き合っているのかもしれない。友人であるということは、後ろを向いたときに刀で刺さないというだけの意味だと僕は思っています。その機微をお互いに知り合っているときにだけ友情が永続する。(略)いわんや国と国との関係であれば、(略)お互いに非難されることに耐えなきゃいけないということです。それから裏切られることにも耐えなければならない。だが自分は決して後ろを向いたときに刺さない、という点において裏切らない。それを日本が、今後30年間、堅持してごらんなさい。日本という国はなかなか大した国だと思われますよ。>p4

▽江藤淳氏<日露戦争では日本の軍人はプロとして西洋人の理屈と武器に対抗した。>p18

▽猪瀬氏<武士道が一つの国際法的秩序の受け皿になっていたということがいえますね。…それまでの日本の開戦の詔勅には「国際法にのっとり」と明記されていますね。ところが第2次大戦のときはそれを書いていないんですね。>p18

▽江藤氏<「およそ国際法の規範に反せざる限り、一切の手段を講じ」というのが、日清、日露、第1次世界大戦の宣戦の詔勅にはありますね。日米開戦のときに、この文言がなぜ入ってないのかということについては、僕は少し大げさにいうと30年来の疑問だったんだけれども、このごろちょっと分かってきた。…日本が大正から昭和になるときに、国際秩序のシステムが大きく変わります。もう少し特定していうとワシントン会議を経たころからロンドン軍縮条約を経るころまで、つまり大正10(1921)年から昭和4(1929)年ぐらいの間に、日本人が明治維新をやって国際社会に参加して以来、これが国際法だ、これが国際的秩序だと思ってきたことの文脈と違った文脈がにわかに展開されだした、ということに戸惑ったという面があると思う。…西欧において16世紀以来培われてきた国際法秩序と違う新しい秩序の文脈が始まった。それがアメリカ主導の国際社会なんですよ。大正10(1921)年から11(1922)年にかけてのワシントン会議、そこにおける太平洋に関する4国条約と支那に関する9国条約。それから昭和5(1930)年のロンドン軍縮条約。この二つによってそれまでの2国間条約ではなくて多国間協定による国際社会というものをアメリカが仮構した。そこで生まれた新しい国際法と称するものは、実は”アメリカの大義”だった。”アメリカの大義”が国際法であるならば、自分たちがこれほど尊重してきた国際法とは何であるかという気持ちが当時の日本人にはあったと思う。>p19

▽猪瀬氏<同じ気持ちが今回、サダム・フセインにもあったのでしょうかね。中東の秩序はアメリカの大義としての国際法では全く割り切れない。それは、オスマン・トルコを国際社会に取り込んで、国際法の対象にするかどうかというのが、19世紀の国際法学会における重大問題だったことからも分かりますね。>p20

▽江藤氏<アメリカは、ワシントン条約以降、「米国の大義が即国際法」という事実を積み重ねてきていると信じているに違いない。そこで「開戦の詔勅」に話をもどすと、そうしたアメリカの論理と、日本の言い分との間にどうしても妥協させることのできないものがあるから、戦争が始まった。だから詔勅に国際法遵守の1行が入らない結果になったのではないでしょうか。>p21

▽猪瀬氏<日本における”政治の喪失”はなにも今日はじまったことではない。昭和初期から満州事変に行く流れで、すでに日本は国家意思を喪失していたのではないかというのが僕の考えです。つまり、出先の軍隊を統制できない、国家の体をなしていない国家というのが昭和初期から始まった。まさに超国家主義と呼ぶしかない奇妙な事態になった。軍国主義という言葉だけでは説明できません。>p27

▽江藤氏<おっしゃるとおり。…あのころの政治過程を仔細に調べてみると、…国家意思の中心がどこにあるかわからない。…その当時の国益の中心がどこにあるかを正確に把握しているグループが政権を担当していない。…たとえば満州事変を例に取ると、満州の権益を守るためにどうしたらいいかという具体的なプランと、その事後処理の方策までを検討して持っていたのは石原莞爾だけです。彼は政府はおろか参謀本部のメンバーですらなく、関東軍参謀部の一作戦課長にすぎない。>p28

▽江藤氏<日本人が自分の身近な人間同士の間で信義を確認しあわない限り、アジアのどこにどういう謝り方をしようが、全然説得力がない。…これは日本人一人一人の生き方の問題だと思うんですよ。…一目置くということこそ人間同士の信義の回復のあらわれ方であって、謝れば一目置かれるとか謝ったら信用されるという意見には賛成できないんです。>p32

▽江藤淳氏<「太平洋戦争」という言葉が初めて日本人の耳目に触れたのは終戦から4ヵ月後の昭和20年12月8日です。この日、新聞社に紙が特配され、当時2ページしかなかった紙面が4ページになった。その内側の2ページと3ページの見開きに、占領軍の手になる「太平洋戦争史」が掲載されだしたんですね。…9月2日に降伏文書が調印されると、翌日から制度的にはアメリカの検閲当局が動き出しています。そして10月8日から、東京5紙の事前検閲も始まった。それが12月15日になって、「大東亜戦争」という呼称を今後禁止するというはっきりしたマッカーサー指令が出て、それ以後、今日にいたるまで「大東亜戦争」は採用されていないというのが現実です。>p38

▽猪瀬氏<日本がいつ「大東亜戦争」という呼称を決めたかというと、昭和16年の12月12日の閣議決定で、開戦の4日後ですね。>p39

▽江藤氏<その閣議決定は、今日にいたるまで取り消されていないんですよ。>p39

▽吉本隆明氏<60年安保というのは左翼的な国民運動と信じられていたけれども、ナショナリズムの運動だったんですね。…ナショナリズムの燃えカスが反米意識となり、左翼のイデオロギーを借りながら、基地反対闘争に向かい、60年安保まで続く。60年安保は敗北でしたが、気分としてはやっとアメリカに対するルサンチマン(怨念)が消えたんじゃないか。ちょうど力道山がシャープ兄弟をやっつけたように。>p66

▽吉本氏<猪瀬さんが橋川文三さんの仕事を引き継いでいることが、その分析で納得できました。僕が日本の左翼、戦後民主主義に対して違和感を持ったことの理由は、大きく言うと二つあったんですよ。一つには、彼らは、日本の侵略戦争の先兵になって死んだふつうの兵士たちを、まったくの「犬死に」のようにいう。それは、絶対に納得しないゾ。そんな評価しかできない左翼なんて成り立たないゾ。四六時中そう思っていた。…歴史的には侵略戦争でもあったけれど、末端兵士の意識にはアジア解放闘争でしたから。>p67

▽吉本氏<村山首相は自衛隊は合憲だといいました。憲法9条違反でないってね。これは重大なことですね。村山が首相として公式にそういい切ってしまえば、もうこれから公認政党は廃棄できないんですよ。村山は皮膜をまぶって、皮膜の中で口にしているんですけど、これはもう改憲されちゃったと同じなんです。左翼には、そういうところがついにわからないんです。…ここ1年、共産党をはじめとする左翼的と称する人々がなぜ小沢を蛇蝎のごとく罵倒し続けたのか? 冗談じゃないゾ。村山のほうがずっと反動的なんですよ。>p69

▽猪瀬氏<ジャーナリズムがより強い影響力を持つほど、危険な側面も増える。日本のジャーナリズムは、体質的にサラリーマン的だから、組織の論理に流されやすい。>p88

▽秦郁彦氏<現時点では戦前と反対で、カンボジアのPKO(国連の平和維持活動)についても士気を殺ぐ報道ばかり喜んで書き立てる傾向ですけれども、風向きが変わればすぐ逆のほうにいく可能性はあるでしょうね。>P88

▽高坂正尭氏<第二次世界大戦の不徹底性が戦後の冷戦構造をつくった。あのときの組み合わせに必然性があったとはいえんもの。かたや日中戦争があり日米戦争があった。ヨーロッパにも戦争があった。これ、みな個別の戦争ですよ。

▽高坂氏<ドイツにとってロシアは19世紀から一貫して最大の貿易相手国、お得意さんやった。それなのに…(戦争をした)。これはちっとも平和の保障にならないんだよ。モノ買わにゃいかんけれども…。モノ売ったり買ったりすることが、中身のあることとは限らんのだよ。>P107

▽高坂氏<どの国も自分が過去にやったことを反省しなきゃいけないとしても、全部悪かったという論理では生きていけない。日本人に酒呑んで訊いたら、絶対そういわへんで。ただ謝るというのはウソになる。でもな、逆にあれをやむを得ない自衛の戦争だったというのも強弁でな。強弁も困る。>P113

▽梅原猛氏<私がいいたいのは、2000年前に還る。人類のいちばん昔の原理に還れということですね。農耕牧畜文明以来、人類は豊かな富を持ったけれど、やはり間違っていた。農耕牧畜文明は必ず森をつぶして文明をつくってきた。その文明全体を反省しなきゃならない。>P146

▽秦氏<私は天皇制の最高の機能は赦すことだと思うんです。西欧型の社会では、責任がある者とない者を峻別し、悪魔と神の二元論的対立を背景に、徹底的に追及する精神的風土がある。だが、日本の場合は、天皇が責めるのではなく赦す役割を果たしてきた。赦すだけではなくて臣下の責任を自分が身代わりになってもいいという受け止め方ですからね。>P158

▽鶴見俊輔氏<明治天皇は自分が親しんできた女官など全部追い払われてしまって、肉を食べる訓練から始めて、やり直す。あれはよくやったと思います。>P177

▽猪瀬氏<「犬養首相を撃った三上卓(中尉)なんてのは、いよいよ対米戦争を終わらせるかどうかという時に裏で暗躍していた気配がある。…犯人は刑務所の中で先生扱いだったっていうのだから」という阿川弘之氏の言葉に対して、世論が同情的でしょ。メディアがいけない。>P199

▽阿川弘之氏<文士、新聞記者を含めてジャーナリズムの責任っていうのは非常に大きいですよ。>P208

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きょうはモーツァルトが亡くなった日~毎日新聞12月5日朝刊[余録]

 毎日新聞12月5日朝刊1面コラム[余録]できょうがモーツァルトの命日であることを知った。享年35歳。若死にだが、今の平均寿命で考えないほうがいい。

 ウィキペディアを見たら、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)は1756年1月27日、オーストリアの都市であるザルツブルクに生まれ、1791年12月5日にウィーンでレクイエムの作曲中に没したとあった。

 父は元々は哲学や歴史を修めるために大学に行ったが、途中から音楽家に転じたザルツブルクの宮廷作曲でヴァイオリニストのレオポルト・モーツァルト(Leopold Mozart)で、息子の天才を見出し、幼少時から音楽教育を与えた、という。

 つまり、特訓を受けた2世が後世に残る音楽を残した。

 モーツァルトと妻・コンスタンツェ(Constanze, 1762年 - 1842年)は4男2女がいたが4人は乳幼児のうちに死亡。成人したフランツ・クサーヴァー(Franz Xaver)は職業音楽家となり「モーツァルト2世」を名乗ったという。

 この人は3世である。

 なるほど、2世、3世という才能の伝承は必要なのだな、と思わすエピソードだ。

 [余録]は違った切り口で迫った。

 <「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追ひつけない」とは小林秀雄の有名な言葉である。空の青さや海のにおいのように万葉の歌人が使い方をよく知っていた「かなし」にも通じるという(新潮社版小林秀雄全集「モオツァルト」)。こんなかなしさなら歓迎だろう>

 と、小林秀雄を持ってきたのだ。オッと思う。余録子はその後で、

 <だが、涙が追いつけないのはモーツァルトの名曲だけではあるまい。インドのムンバイで先月26日に起きた無差別テロの悲劇はどうだ。ホテルやレストランで楽しい夜を過ごしていた人々が理不尽にも殺された。駅やユダヤ教施設も襲われ死者は170人を超えた>

 <武装グループは笑いながら発砲し、息絶えた人の口に手投げ弾を押し込んでブービートラップ(罠(わな))にしたという。「5000人殺す予定だった」という供述もある。肌に粟(あわ)が生じるとはこのことだ>

 <数知れぬ遺族が涙を流した。容疑者らの身内も泣いただろう。が、人類のひとりとして事件を眺めると泣くに泣けない。01年の9.11テロの時のように「どうして世界はこんな冷血の集団を生み出してしまったのか」という悲しみだけが込み上げる>

 と世界のテロを取り上げる。「かなし」続きということだろう。そういう「かなし」の解釈もあっていいが、どうも私の感覚とは違うのだが。特に小林秀雄の「かなしさ」の解釈は余録子とは違うと思う。小林の「かなしみ」は解釈が難しいが人間の根源から来る。輪廻であり、自然の中で生きて死ぬ人間、誰にもある根源的な「かなしみ」だと思う。テロに「かなしみ」を重ねることは平均的知識人ならば当然なのかもしれないが、小林もモーツァルトも平均ではない、と思う。

 余録子はその後、またモーツァルトに戻る。

 <きょうはモーツァルトが亡くなった日だ。35歳で逝った大天才は晩年「ぼくはもう息もたえだえです。自分の才能を楽しむ前に死んでしまうのです」「誰も自分の命数を計れるものはなく、ひたすら諦めねばなりません」と記している。「モーツァルトの手紙」(吉田秀和編訳、講談社学術文庫)に収められた書簡だ。白鳥の歌となる「レクイエム」に取り組みつつ、迫りくる死を予感していたのだろう。>

 と書き、最後の結びが、

 <限りある命を大事にしたい。まして他人の命を銃弾や爆薬で奪うことは許されない。>

 という優等生の作文で終わっていた。

 別に「テロを批判するな」と言っているのではない。卑劣なテロは糾弾されるべきで、テロの根絶は必要だ、と私も思っている。しかし、生命のダイナモ、魂の輝きを曲に込めたモーツァルトの生涯とこれほどかけ離れた結論はないのではないか、と思うのだ。優等生であらねばならない新聞1面コラムでは仕方ないことなのだろうか。

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2008年12月 4日 (木)

「原油価格はもう上がらない」という石井彰氏の楽観論~毎日新聞12月4日夕刊

 毎日新聞12月4日夕刊[特集ワイド]で西和久記者が石井彰・石油天然ガス・金属鉱物資源機構首席エコノミストの「需給から見れば原油価格を再び1バレル=100㌦にしないシナリオがある」という楽観シナリオの根拠を聞いていて、面白かった。西記者が最後で述べているように、これはあくまで努力目標であり、需要・供給両面でそういう努力をすれば、という大前提がある話だったのだが、日本のエネルギー専門家の中では知られた石井彰氏の分析に興味があったので、全部読んでしまった。

 石井氏の楽観論の根拠はいくつかある。列挙しているので、それをピックアップすると、

①新油田の発見が相次いでいること=有望なのは2007年にブラジル沖で発見された深海油田だそうだ。最近、ブラジル政府はこの海域の期待埋蔵量を最大で800億バレルと発表している。その通りならば世界有数の大規模油田となる。そのほかにもここ数年で▽アフリカ・アンゴラ沖▽中国・渤海湾▽北極海▽カスピ海▽メキシコ湾の米国海域でそれぞれ大規模油田が新発見された、という。

②未開発油田(何年も前に発見されていながら全く手つかずだった大規模油田)=イラクではこれまで73の油田が見つかっているが、そのうち29油田が埋蔵量5億バレル以上の巨大油田。生産されているのは15油田に過ぎない。イラク政府は今年から来年にかけて新規開発の入札をする予定。

③コンデンセート(天然ガスの産出の過程で自然に液化する副産物)=成分がガソリンに近いため経済的に価値が高い。天然ガス生産増加に伴って増産される。カタールでは開発中の新規ガス田の生産が始まれば、同国の原油とコンデンセートを加えた生産量は2.5倍に拡大する。

④非在来型石油資源=カナダのオイルサンド。粘土の高い油分を含む砂岩層のこと。掘り出して油分を分離するのにコストがかかるが、究極可採埋蔵量1800億バレル(世界の原油埋蔵量は1兆2000億バレル)というから超巨大な”油田”。アルバータ州ではオイルサンド事業が動き出し、生産が始まっている。現在計画段階まで含めると50を超えるプロジェクトが立ち上がっており、日本企業も参加している。ベネズエラのオリノコ川北側に広がるオイルサンドは「オリノコタール」。こちらの究極可採埋蔵量は2300億バレルといわれる。「オイルシェール」は「油母」と呼ぶ炭化水素を多く含む堆積岩で熱分解によって合成石油を作ることができる。世界最大のオイルシェール鉱床のあるのは米国のロッキー山脈沿いの地域。採掘コストは技術革新で大幅に下がっており、生産実験がされている、という。

 以上のような要因でまだまだ石油やそれに類するものがあるのだから、というのが供給側の話。そして、需要側の話に移る。

 07年の前年比需要は中国4.1%増▽インド6.7%増など新興国全体で4.4%の伸びだったが、日本がマイナス3.5%だったのをはじめ、先進国(OECD諸国)ではマイナス0.9%。新興国の伸びは世界全体の需要を1.1%押し上げただけだった。

 また、電気自動車が流行し、家庭用電源から供給できる「プラグイン・ハイブリッド車」が増えれば、ガソリン需要は減る。2010年から市場投入されるだろうというのだ。普及すると米国のガソリン需要が最大で70%削減されるというリポートも出ているそうだ。

 日本の小型車だけでなく、欧州のディーゼル車も燃費がよく、米国では2020年までに大幅な燃費改善を義務付ける法律が昨年成立した。米国人の燃費のいい車への乗り換えが期待できるという。中国、インド、中東産油国ではガソリンなどの石油製品価格を国際価格よりも低く抑えて国が補助しているので、原油価格上昇が需要抑制につながらないのだが、政府の大きな財政負担となっており、そう長続きしないだろう、と見ている。

 2回の石油ショックで日本人は「石油価格は永遠に上がり続ける」と思ったので、石油会社は油田開発に励み、一般企業や消費者が省エネにいそしんだ結果、80年代以降、21世紀に入るまでの18年間、原油価格の上昇は抑えられた。このような努力を今後すれば、今のようなシナリオが実現する、という論だった。

 柴田明夫・丸紅経済研究所長は「これまで原油価格を上げてきた構造は少しも変わっていない。金融不安が峠を越せば、中国やインドの新興国は再び堅調な成長に戻る。また危機を避けるために各国中央銀行が供給したマネーが過剰流動性となって、いつ原油市場に流れ込んで来るかもしれない」と警告する。

 石井氏の見方も柴田氏の見方も正しいのだろうが、テレビのニュース風に言えば、どちらかが間違えている、ということになる。そして、こうした襞の部分が報道されずに悲観論、楽観論が流布されるのが一番警戒すべきことなのだろう。

 役に立つ記事だった。

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2008年12月 3日 (水)

NYで「失われた10年」日本論が人気だそうだ~日経新聞12月3日夕刊

 日経新聞12月3日夕刊コラム[ウォール街ラウンドアップ]<「失われた10年」日本論が人気>はそう内要のある記事ではないが、12月1日にNYで開催された外交問題評議会(CFR)の日米関係セミナーに140人が集まる盛況だったこと、この日、米経済専門チャンネルCNBCが「米国は1990年代の日本のような長期デフレに陥るか」というテーマで視聴者から意見を募ったら、「アメリカの社会には日本と違って多様性、開放性があるから大丈夫だ」という強気の楽観論があった一方で、「貯蓄不足によるアメリカ政府の資金調達コスト上昇」を懸念して弱気な声も出るなど、回答は様々だった、と書いていた。

 中には、財政出動を約束しているオバマ新政権に対して「乗数・雇用効果のある投資をすべきで、日本の財政政策での無駄遣いを反面教師にすべきだ」というシビアな意見も出たそうだ。筆者のニューヨーク、松浦肇特派員は「橋や道路投資など公共投資に注文が付いた」と書いているのだが、橋や道路を作れ、というのか、それとも日本のような無駄遣いになるから造らずに、もっと乗数効果のある投資をしろ、という注文なのかが分かりづらかった。

 また、GMなどへの支援には疑問をなげける意見が出ていた、という。

 「FRBの資産・負債急増に注目したドル安論に対し、アメリカ政府はマネーサプライが増えていないことを反論材料に使う。だが、GMなど個別企業支援は日本ですら踏み込まなかった禁じ手だ」

 というのが結びの言葉なのだが、これも分かりにくい。GM救済は結局、国民の反対でできなさそうだ、と示唆しているのだろうか。そうなれば、相当数の失業者が街にあふれる。アメリカは一体どうするつもりなのだろうか?

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機動戦士ガンダムは10㍍の人型兵器ありきで国家レベルの戦争の話が構想された…富野由悠季氏インタビューなど~読売新聞12月3日夕刊から

 読売新聞12月3日夕刊テレビ情報BOX欄である。<「ガンダム」元日に全43話/アニマックス/放映30周年を記念>という私よりも10歳以上若い人たちが喜びそうな記事を見つけた。ガンダムである。うちの20代の子供もガンダムを知っているから、相当に寿命が長いヒーローである。今回、CSのアニメ専門チャンネル「アニマックス」は元日の午前零時から午後9時半にかけて全43話を一挙放映する、というニュースである。

 ガンダム、と聞くとビクッとするのは、ガンダムに関するオタク的な文化論というか、今で言えばサブカルチャー論がもてはやされた時代があり、その時、面白そうだったが、私は見たことがなくて共感できなかったのが残念だ、という思いを今に引きずっていたので、今回「ガンダム」という言葉に即座に反応してしまったのだと思う。

 しかし、ウチの息子によれば、そう面白いものではないらしい。人によるのだろう。

 記事によれば「ガンダム」は1979年4月から1980年1月にかけてテレビ朝日系で放送されたが、視聴率がふるわなかった、という。しかし、ファンの間で徐々に評判が広がって「ガンプラ」といわれてガンダムのプラモデルが大ヒットした。劇場版アニメ3部作も公開され、一大ブームを巻き起こした、という。その後もシリーズが現在に至るまで制作されているが、今回放映されるのは「ファースト・ガンダム」と呼ばれる最初のシリーズだそうだ。

 この「アニマックス」って有料チャンネルなんだろうなぁ。そうでなかったr、すべてビデオにとってしまうのに。

 記事は、「それまで、アニメのロボットは子供向けヒーローという印象だったが、ガンダムではロボットを徹底的に兵器として描き、「モビルスーツ」と呼ばれるロボット同士の白兵戦に説得力を持たせた。こうした硬派なSF的な設定が高い年齢層にまでファンを広げる要因となった」とあった。そうかぁ、当時30歳そこそこだったが、その年代の中にもガンダムファンはいたのだろう。

 総監督を務めた富野は「10㍍を超える人型兵器にリアリティーを持たせるには、国家レベルの戦争しかないだろうと。そこから構想がスタートしました。SFッぽくなる可能性に懸けたんです」と振り返る、という。「ガンダムのリアリズムは”ウソ八百のリアリズム”。エンターテインメントなんです」という言葉がすんあり出てくるところを見ると、富野氏はようやく本音を誰はばかることなくしゃんべることができる立場になったように見える。10年前はまだ何かに遠慮していたのか、もったいをつけていたので、何か相当な思想的な背景があるのか、と思いながらインタビューを読んだことを思い出す。

 作品の大きな魅力になっているメカデザインを担当したのが「科学忍者隊がッチャマン」や「ヤッターマン」なども手掛けたデザイナーの河原邦男氏だそうで「この仕事は一生懸命やらないと食えない。当時はほかにも仕事を抱えていて、早く仕事を終わらせたかった、というのが本音でした」といっているそうだ。ガンダムのデザインについては提携する玩具メーカーなどからの注文も多かったが、「ジオン側のモビルスーツは『一つ目』という以外に注文がなく、自由にデザインさせてもらい、楽しかった」と話しているそうだ。

 キャラクターデザインと作画監督を務めた安彦良和氏はガンダムを語る上で欠かせない人で、現在はアニメ版のストーリーを基にしたコミック版「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」(角川書店)の執筆を続けているそうだ。

 アニメ版では紹介し切れなかったエピソードを補完したのがコミック版の特徴で、例えば、敵役として登場する「赤い彗星」ことシャア・アズナブルは、アニメ版では謎の多い人物だったが、コミック版では彼が「シャア」という名前を持つに至った経緯を「勝手に解釈して」描きこんでいるそうだ。

 安彦氏は「30年もたっているのが信じられない。当時は楽しくて仕方なかった。今でもガンダムを描いていると、若返った気がする」と話しているという。

 ガンダム自体、団塊の世代の僕らとは接点が非常に薄いし、この「核戦争後の社会」から今を発想する(?、そういう内容だったと思うのだが、僕何か勘違いしていて、もしかすると、それはエバンゲリオンだったかもしれない。何しろ、その区別もできない年代だから、許してください)という見方自体、広島、長崎の惨状を僕ら団塊の世代のような日教組教育万能時代ではない時代に教わってきた世代の目にはどう映ったのだろうか?

 ガンダムの漫画の構図自体は石の森正太郎の漫画のようにも見えるから、作画作者はなんらか石の森氏と関係があったのかどうか? など、私は知らないことばかりなのだ。

 でも、いえるのは、この「ガンダム」ですら、今やお蔵に入って、こうして時々甲羅干しされる時代に入ってしまったのだなぁ、という感慨である。

 いずれ、富野氏、安彦氏らの著作や関係書を読み込んで、自分の生活の中でのサブカルチャー史の中にきちんと位置づけたいと思っているのだが、それができるのはいつのことか。何しろ、今は時間がないので。

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山折哲雄氏の「散り際」「退き際」考…権力維持の知恵だった~毎日新聞12月3日夕刊から

 毎日新聞12月3日夕刊2面[特集ワイド]に山折哲雄氏(77)が<散り際の美学>について小松やしほ記者のインタビューに答えた記事が掲載されていた。面白かったのでメモしておく。

 山折氏は1931年米サンフランシスコ生まれ。国立歴史民俗博物館教授、白鴎女子短大学長、国債日本文化研究センター所長などを歴任。「近代日本人の宗教意識」など著書多数。近著に「信じる宗教、感ずる宗教」(中央公論新社)がる、と紹介してあった。

 最初から面白かった。記者が「散り際の美学」「退き際の美学」について聞こうとすると、山折氏は、

 <退き際、散り際というと、後ろに美学と付けたくなる心情は分かりますが、本来はそういうものではない。権力を維持する知恵なんです。王が死んで次の王が即位するまでの間に、何が問題になるか。一つは王権の正統性を何で保障するかということ、失敗すれば空位期間が発生する。それを避けるためにはどうするか。この二つです。(そこで考えた最高の知恵が)死んでも死んだことにしないこと。一番安全な方法は譲位です。生前に決めておく。余力を残して退くということです。そうすれば次の権力に対し口を出すことができる。>

 <定年とは、システマチックに身を退くということです。美学などというセンチメンタルなものは、入り込む余地はないわけです。>

 <見事ですね。小泉さんは、余力を残して退くということをよく知っていたんですよ。彼には大きな野心があるのかもしれません。後継を息子にしたのは、人物の卑小さを暴露したというところかな。>

 <(引退が美学と併せ語られるようになったのはいつからか?)やはり武士道ですね。平家物語に出てくる源氏方の武将で源頼政という人がいます。戦いに敗れ、宇治川で切腹するのですが、その前に歌を詠むんです。~埋木の花咲くこともなかりしに身のなるはてぞかなしかりける~(辞世の歌を詠み、西を向いて念仏を唱え、刀を腹に突き立てる。壮絶な死である。)これが武士の美しい死に際と、当時の人々には映った。歌を詠み、西方往生という信仰の心を持つ。それがこの世から退いていく時の心の作法、死ぬ作法です、覚悟の死が感動を与えるのです。>

 <その心がやがて、かの有名な良寛の歌へとつながっていく。~裏を見せ表を見せて散るもみぢ~散るという言葉が死と重なっている。彼の遺言のような歌にはこうあります。~形見とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみぢ葉~>

 <頼政にも良寛にも、我々が考えるセンチメンタルな意識などなかったと思う。あったのは死の作法、覚悟だったんじゃないかな。権力に恋々としてもいい。しがみつきたいと思う心があってもいい。でも、ギリギリのところであきらめ退いていかなければならない。その悔しさを、最後の場面でどこかに昇華してほしいんだよね。そうすれば、なるほどと人々にわかってもらえる。それが一言の言葉ですよ。>

 <安倍さん(晋三元首相)や福田さん(康夫前首相)に歌を作ってくれとは言いませんよ。言いませんが、辞めるときにああそうかと思わせるような一言がないよね。いかに今の日本の政治家に言葉がないか。我々の先祖は武人であろうと、歌人であろうと、きちんとした言葉を残して表舞台から去っている。言葉の貧しい民族じゃないんですよ。>

 <(いつから言葉が貧しくなったのか?)06年のトリノ冬季五輪の期間中、過去の日本選手の活躍を振り返る回想番組で1932年のロサンゼルス五輪で銀、36年のベルリンで金メダルの故前畑秀子選手が当時を振り返る映像が流れた。「母の言葉」を胸に、スタート台に「死ぬ覚悟」で立ち、号砲の直前、心の中で「神様」と叫んだ、と言っていた。前畑選手だけじゃない。どの選手も同じキーワードを支えにしていたのではないか。送り出す国民も、同じ感情を持っていたのではないか。今はそれが「自分らしく」「楽しく」「笑顔で」の三つに変わった。約70年の間に価値観の変化があったんだ。かつての日本人が使った言葉を、今は使わなくなった。言葉が薄くなったのか、生き方が薄いのか、と初めは考えて落ち込みました。だが、それでも金メダルを取っているじゃないか、と思い直した。彼らも心の奥底では、母の言葉を胸に刻み、死ぬ覚悟で、神様と叫んでいるかもしれない。大人の社会が聞こうとしていないのではないか。特に上っ面の言葉しか聞こうとしないマスコミの責任は重大です。プレッシャーがかからないようにという思いやりかもしれないけれど、それは甘やかしです。我々自身の価値観を封印してしまっている。それでだんだんと言葉を失い、政治家までが、退き際に本気で思いを述べることができなくなってしまった。

 <(やはり退き際には言葉が必要なのですか?)ただ美しい言葉を並べればいいというものではない。沈黙という姿勢もある。退き際というのは、新しく登場する人がいれば、去る人もいなければならない。それを制度としてどう調整するかということなのです。そこに美学をあてはめるのは、そうありたいという庶民の願望かもしれないね。>

 と言って、山折氏は最後に細川ガラシャの辞世の歌を紹介したそうだ。~ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ~。

 いい記事だと思う。毎日新聞夕刊の特集ワイドは時々このようないい記事が載るので目が離せない。

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2008年12月 2日 (火)

森信茂樹教授の納税者番号導入提言と公務員の責任問題

 森信茂樹中央大学教授(58)が日経新聞12月2日[経済教室]で<求められる給付付き税額控除導入/「納税者番号」を前提に/社会保障と税一体で/勤労意欲と再配分を両立>のタイトルで今回の麻生政権の2兆円バラマキを批判、必要な世帯に行き渡るような政策を実行すべきだった、として、欧米で活用が進んでいる給付付き税額控除制度を導入するよう提言している。

 たしかに少子高齢化で国家資源が急減する中、貧困層など支援が必要な層に手厚く資源配分するには、今の縦割り行政を大胆に見直して内閣府などが社会保障も税も担当する必要があるのだろう。

 ただ、その時、森信氏も言うように納税者番号がないと効率的な行政はできない。というか、はっきり言って官庁は何もできなくなり、お手上げ状態になるだろう。所得の捕捉ができなければ減税もできず、給付の根拠も薄弱になるからだ。

 そこで古くて新しい「国民総背番号制」の問題が出てくる。

 「国家公務員は国家そのもの」(佐々木毅学習院大学教授)という矜持を持って行政運営に当たっている多くの公務員がいることは十分承知しているのだが、中には信用できない公務員もいるのは事実だ。そのうえ、社会保険事務所ぐるみの不正などが明らかになれば、公務員の信用はさらに地に落ちる。

 今のままの公務員に私たちのプライバシーを預けていいものか? と不安の念が生じるのはやむを得ないだろう。

 随分前の新聞だったが、住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)を合憲とした最高裁判決に関する各紙社説を比較した毎日新聞3月9日の社説ウオッチング<住基ネット判決 便利さと怖さの緊張感>が参考になる、と思う。

 「時代の要請にかなった」(産経)判決で「住基ネットを行政の効率化のためにもっと活用」(日経)し、政府・与党が導入を検討中の社会保障番号と「統合作業も進め」(産経)「議論を深め」(読売)「連携させ精度を高めることが新しい社会保障カードにも必要」(日経)というのが一般的な世論になりつつある、と書いている。

 住基ネットは自治体が管理する住民票情報をコンピューターで結ぶものだ。

 社説ウオッチングの内容をダイジェストする。.

 小渕恵三政権当時の1999年8月に住基ネット導入の改正住民基本台帳法が成立したが、日本弁護士連合会(日弁連)は参考人質疑で「住基ネットが定着すると住民票コードは各省庁や市町村が別々に保有する膨大な情報を集積する個人識別番号となり、国民総背番号制につながるおそれがある」と反対した。小渕首相は「個人情報保護法制の整備が住基ネット稼働の前提条件」と約束し、やっと改正法を成立させた。

 森喜朗政権は2001年3月、個人情報保護法案を閣議決定。政府・行政が持つ個人情報の使用統制から始まったはずの議論が民間の個人情報取扱事業者規制にすり替わり、報道の自由を脅かす内容となったため、猛反発を呼んだ。2001年4月就任の小泉純一郎首相は02年末に法案を廃案にした。しかし、01年9月の米同時テロと03年3月のイラク戦争開戦を受け、5月にはメディア規制部分を削除した新しい個人情報保護法が成立。6月には武力攻撃事態法など有事関連法も成立した。

 02年8月の住基ネット第1次稼働時に東京都杉並区、福島県矢祭町などが「住民のプライバシーが守れない」と不参加表明。個人情報保護法制の未整備が主な理由だったが、03年8月に住基ネットが本格稼働し、05年の個人情報保護法全面施行で政府は「住基ネットに反対する理由はなくなった」と主張した。

 しかし、大阪高裁は06年11月「防衛庁がかつて約800の自治体から自衛官にふさわしい人についての情報をもらっていたこと」(朝日)などを指摘、名寄せによる危険性にも着目、住基ネットに違憲判決を出した。

 一方、最高裁判決は①住基ネットの扱う情報は氏名、住所などで、個人の内面にかかわる秘匿性の高い情報ではない②住基ネットの仕組みに外部不正アクセスで情報が容易に漏えいする具体的危険はない③公務員による情報の目的外利用は懲戒処分や刑罰で禁止されている――として「プライバシー侵害の危険なし」と判断した。高裁判決前後も相次いだ住民票コードのネット大量流出や、他人になりすまして住基カードを不正取得し携帯電話の契約や銀行口座を開設するなどの不正行為は考慮されなかった。

 反対論の底にあるのは「自衛隊や刑務所、学校などでの情報流出があった。社会保険庁職員による年金記録ののぞき見もあった。公務員が不正利用をしないという保証はどこにもない」(東京)という公務員不信だ。だから「公務員に対しても個人情報保護について規定を強化」(毎日)することを求めている。

 そして、筆者は「情報化社会は便利だが、デジタルデータ化された個人情報は関門がなければバキュームのように国家に吸い上げられる。あれだけ個人情報を大切にする米国でも9.11後、国家が個人情報をやみくもに収集し、貧困層青年をイラクに送り込む資料にしたといわれる。便利に流されるのか、時にはやせ我慢をするのか、個人に覚悟を迫る時代である」と記事を結んでいた。

 3月の最高裁判決以降、年金記録問題が大きく燃え盛り、官僚不信が広がったが、逆にすべての情報をネットで結ぶ必要性も認識されてきたようにも見える。

 森信氏の言うことは正しいのだろう。

 ただ、今の公務員法のまま国民総背番号制を導入されてはたまらない、という国民の気分にも配慮してほしい、と思う。

 公務員は個人の責任を問われないのが一般的だ。公益に奉仕し、なおかつ上命下達の組織の中で動いているから、個人判断が問われることはない、という理屈らしい。

 しかし、一般企業がここ数年、コンプライアンスを重視し、社内統制も格段とレベルアップしているトレンドを知れば、公務員だけなぜそういう流れと無縁なのか、疑問が生じるだろう。

 公務員は個人責任を問われるべきだ。「天皇の官僚」だった明治憲法下の官僚制が敗戦後も生き残ったとしても、それを今こそ変革すべきではないか。

 その大変革は内閣の二つや三つが吹っ飛ぶ改革になるだろうから、大連立政権でも何でも強力な政治的リーダーシップを持った政権でなければ実行不可能だろう。

 その改革ができて初めて国民は総背番号制を受け入れると思うのだ。

 森信氏は朝日・日経・読売3紙が共同運営するネットの「あらたにす」で12月1日、「注目点満載の予算編成」という論文を掲載していた。

 人物紹介には、1950年広島県生まれ。73年京都大学法学部卒業後、大蔵省入省。英国駐在大蔵省参事(国際金融情報センターロンドン所長)、主税局調査課長、税制第二課長、主税局総務課長などを経て、99年大阪大学法学研究科教授。2003年東京税関長、05年財務総合政策研究所長、06年中央大学法科大学院教授、07年ジャパン・タックス・インスティテュート(japantax.jp)所長、東京財団上席研究員。この間、東京大学法学部客員教授、コロンビア・ロースクール客員研究員を歴任した。主な著書に『抜本的税制改革と消費税』(大蔵財務協会)、『日本が生まれ変わる税制改革』(中公新書ラクレ)、『わが国所得税課税ベースの研究』(日本租税研究協会)、『日本の税制』など、とあった。

 大蔵官僚出身だが、広い視野で国民負担問題を考えている人のようだ。

 ここでは、麻生首相の「地方へ1兆円」発言の迷走ぶりを批判している。

 <そもそも来年度から道路特定財源制度はなくなるのだから、「そこから1兆円」というような思考方法自体がおかしい、ということに気が付いていない。一般財源化するということは、揮発油税収が消費税や所得税と同じく一般会計に入り歳入予算となり、別途全体のバランスを考えながら歳出使途を決めることになるわけだが、揮発油税収から1兆円を地方へ、という発想は、いまだ目的税・特定財源制度を前提とした発想だ。>

 というのはその通りだ。面白かったのは、

 <気になるのは、マスコミは地方(というか地方分権)に甘いことだ。今回の「地方の一般財源として1兆円交付する」ことが、なんとなく肯定的にとらえられているが、談合、裏金、汚職、機能しない地方議会等々地方の問題は国の比ではない。分権し地方自治体に任せたら、それだけでうまくいくというのは幻想だ。任せていくしかない(地方分権)のであれば、規律や監視を厳しくする制度を併せ導入していくべきだろう。>

 というくだりだ。厳しいマスメディア批判であるが、その通りだろう。メディア関係者はもう少し勉強しなければならない。

 消費税問題に触れて、少しだけ社会保障と税の問題に触れているが、スタンスがぶれないのはいい。ただ、森信氏のようなプロフェショナルにも公務員の責任問題が大きな国民的反発の原因になっていること、何らかの対策を取らなければ、いずれ変な場面で爆発しかねないことを認識していただきたいものだ。

(12月14日追記)森信先生、コメントいただきありがとうございました。なかなか難しいでしょうが、年金問題にしても医療問題にしても、会社から追い出された若い非正規労働者たちが泊まるあてもなく街にあふれる年末年始を想像すると、「今を逃すと改革の機会が遠のく」などというような、いつもの言葉では足りない切迫したものを感じます。子々孫々、日本人として誇りを持って生きられる希望あふれる社会システムの制度設計をよろしくお願いします。頑張ってください。

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2008年12月 1日 (月)

やっぱり韓国製造業はウォン安で輸出を伸ばしていた~日経新聞12月1日朝刊

 日経新聞12月1日朝刊アジア面[ダイジェスト]に<韓国製造業、輸出額25%増>の短信記事が載っていた。ソウル支局発だ。

 内容は、韓国証券先物取引所がまとめた韓国製造業の1-9月期の輸出額が224兆ウォン(約14兆5500億円)で、前年同月比25%増えた、という内容だ。売上高に占める輸出額の割合は同1ポイント上昇して60%になったそうだ。

 <急速に進んだウォン安が寄与したとみられる。>

 とあった。輸出額トップはサムスン電子の43兆9000億ウォン。1社で輸出額全体の20%を占めた、という。2位はLG電子(15兆9000億ウォン)、3位は現代自動車(13兆8000億ウォン)の順だった、というこれだけの記事だ。

 やっぱり、韓国の輸出産業、つまり製造業はウォン安を神風に世界にのしてくるのだろう。韓国政府が外貨準備が足りないとか心配しているけれども、これら輸出産業が稼いできたドルを借りれば心配はなくなるのではないか?

 急激で高レベルの円高に苦しむ日本の輸出産業=製造業から見れば「こんちくしょう」だろうが、世界的な構造調整が進んでいるので、ある程度は予測の範囲内だろう。それに前にも書いたが、サムソンにしろ韓国製造業が儲ければ、部品や工作機械を作っている日本の取り分も出てくる、という構造だから、サムソンがあまりのしてきて、日本のテリトリーにまで手を出さない限り、じっと見ているしかないかもしれない。

 中国が相当にやばくなっている、と同じ紙面に載っていた。<中国の抗議行動、都市部に拡大/失業など労働問題深刻/投資詐欺・警察不信も引き金/首都・北京にも波及>である。

 11月におきた中国のデモ・抗議行動を図で示しているが、その説明をピックアップすると、

▽北京で詐欺事件で数百人が北京市政府庁舎前で抗議行動。

▽龍(こざと篇あり)南で強制立ち退きに絡み約2000人が市政府庁舎を襲撃。

▽重慶でタクシー運転手がストライキ。スト破りのタクシーが襲われ暴動に。

▽深川(土篇あり)で検問所近くで男性が死亡した事件をうけ数千人が警察署を取り囲む。

▽東完(草冠あり)で解雇に伴う補償金が少ないと出稼ぎ労働者ら約500人が抗議行動。

 こうした中国の異変が日本だけでなく、中国依存度の高い韓国にボディブロウ的に効いていることは間違いなく、1-9月よりも10月以降の方が世界の景気は悪化しているので、果たして韓国製造業の輸出が今まで通り続くかどうかも分からない。

 しあkし、心配していた関係者はホッとしただろう。

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田母神論文と朝日新聞

 朝日新聞は田母神論文を真摯に受け止め、社内で相当討議を重ねているのではないか。歴史的事実が間違えている、とか、自衛隊の隊員教育という問題ではなく、2度ほどこのブログに書いたように「では守るべき国とは何か」という根本の問題である。

 12月1日朝刊オピニオン面の大型コラム[風考計]で若宮啓文コラムニストがズバリ<自衛隊の君へ/守るべき「いい国」とは何か>のタイトルで論考している内容を見て、そう思った。

 朝日新聞は田母神論文が明らかになって、時間を置かずに秦氏に論文の歴史的事実の解釈について逐条的に正誤を聞き、完膚なきまでに粉砕した。しかし、それでは2チャンネルをはじめとする若者はなかなか納得しなかったし、田母神氏本人も産経新聞インタビューで堂々と主張を繰り返している。

 「なぜなのだ?」と朝日新聞社内では驚きが広がったかもしれない。正論を書いたのに、これ以上することがあるか、というため息が聞こえるようだ。それでも気を取り直したのか、11月24日、25日朝刊3面で続けて[検証・前空幕長論文の底流]を掲載し、㊤<自衛隊内潜む疎外感/半世紀「評価足らぬ」鬱屈/旧日本軍と連続性意識/幹部教育に校長独自色/田母神氏、異例の新講義>で自衛隊員の心の闇に迫ろうとし、㊦<政界 共感が見え隠れ/批判の比重「立場が問題」/制服人事に目届かず/「負の歴史」全否定は不健全」西原正・前防衛大学校長に聞く>で政治と自衛隊のシビリアンコントロール問題の現状分析を行った。

 そして、12月1日の若宮コラムである。

 若宮氏の結論は明白である。歴史的事実が間違えている、こんな誇大妄想のような歴史解釈を日本の軍トップがしているのかと世界は驚き日本を猜疑心で見るようになるだろう、という趣旨である。

 ただ、そこに苦渋に満ちながら、「守るべき『いい国』とは何か」というタイトルにもしている問いに対する答えも書いてある。では、どう書いてあるのか。まず、

 <国を愛すればこその国防だというのはよく分かる。>

 と、田母神氏の「日本がいい国だと思えなかったら、誰が命がけで国を守れようか」という言葉に共感する自衛隊員がいることにたいしての回答。若宮氏はそこで奇抜な論法を取る。2006年6月の天皇記者会見を引用したのだ。

 <日本では1930年から6年間に要人襲撃が相次いで首相と首相経験者の計4人が殺され、この時期に政党内閣が終わって言論の自由も失われた。そう指摘した天皇は「先の大戦に先立ち、このような時代があったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています」と語ったのです。>

 という部分だ。この天皇発言に誰も異存はないだろう。よほどの軍国主義者でもない限り、5.15事件、2.26事件や桜会事件、血盟団事件のようなテロが横行する社会は二度とごめんだ、と思っている。これは常識なのだと思うのだが、頭のいい若宮氏は、こう続ける。

 <要人襲撃とは、軍人が起こした5.15事件や2.26事件などのこと。満州事変から発展した日中戦争や太平洋戦争も、こうした流れの上に行われたことを忘れまい、という自戒の言でしょう。>

 いつのまにか論点は誰もが納得するテロ問題ではなく、満州事変、日中戦争にうつっているのだ。そして、

 <天皇が日本を愛していないわけがない。かけがえのない国だと思えばこその痛恨の思いが見て取れます。田母神氏は、こうした軍人のテロやクーデターも外国の罠だったというのでしょうか。>

 この論点移動の巧みさは称賛してもいいだろうと思うのだが、決して論理的ではない。大体、軍人テロというが、2.26事件の思想的背景は北一輝であり、農本主義であり、その背景には政治の失敗で飢えた農民を頻出した東北地方などの悲劇があった。世界恐慌と金解禁問題など、日本の政党政治の失敗が社会不安を呼んだことも事実だったのだ。

 5.15事件、2.26事件についてこれ以上ここでは語らないが、天皇のテロル反対という言葉をここまで引っ張ってきて、田母神氏の歴史認識と対比する、というのは、「守るべき国とは何か」という田母神氏の問題提起に答えているように見えて、いつの間にか田母神氏の歴史認識批判になってしまっているのではないか。

 私は前にこのブログで2度ほど書いたように、田母神氏の歴史認識が幼稚で、陰謀史観、謀略史観に毒されたものだと思うから、この部分は別に天皇発言を引いてもらわなくとも、若宮氏の言う内容に賛成である。

 問題は「守るべき国」なのだが、天皇がかけがえのない国だと思えばこその痛恨の思いを表明したものだ、と若宮氏が受け取るのは勝手だが、それは個人の受けとり方の問題だろう。

 「かけがえのない国」とはどんな国なのか、その実体は何なのか、兵士が命を賭けてまで守るべき国とは何なのか、には若宮氏は答えていないのである。

 若宮氏は新聞の戦争責任にも触れながら、今の時代にそれを反省して紙面化していることをあげて、そういう検証作業の大切さを説く。この反省にも賛成だ。

 <いまの世にも問題は多く、腹の立つことばかりでも、戦争と弾圧の時代に比べれば余程よい社会に違いない。>

 と書いている。さらり、と書いているが、ここの部分が問題なのだと思う。「戦争と弾圧の時代」というが、いつからが「戦争と弾圧の時代」なのか、それは、日本人だけの責任なのか、誰の責任でいつ、どのようにそうなったのか、重大な問題なのに、このようにセンチメンタルに断定されても納得できない読者が多いのではないか。 

 たしかに敗戦直後には丸山真男氏ら「超国家主義思想」批判をはじめとして軍国主義批判が日本の論壇に跋扈し、「何でも軍人が悪い」という風潮が社会を支配したが、それだけではすまないのではないか、という再発掘の研究作業が近年進んでいる。そして、その中で軍に限らず、宮廷勢力や政治家の中でも責任をかぶるのを嫌がって占領軍の東京裁判にすべてを任せるという無責任な態度を取り、日本人の手による戦争責任明確化を避けてきたのは、それによって得する勢力の裏の働きがあったからではないか、という研究成果も出てきている。これは別に陰謀史観ではない。

 最近出た猪瀬直樹氏が1990年前後に行った対談をまとめた本の中で猪瀬氏や対談相手の江藤淳氏や高坂正尭氏らが言っているように、軍部が勝手に戦争を拡大したのではなく、新聞や本、小説で軍部の行動前に「日米もし戦わば」的なテーマが特集され、国民が熱狂したことが軍を突き動かした面が強くあったことも確かだ

 こういう様々な見方がある問題を勝手に断定して、その断定の上で論理を進める論理展開は信用できない、というのが一点。この断定の上で若宮氏は、

 <田母神氏は戦後50年の村山首相談話を目の敵にするけれど、反省すべきを反省し、謝罪もできる潔い国こそ、守るに値する「いい国」だと僕は信じます。>

 というのがこの大きな問いに対する若宮氏の答えである。反省して謝罪する国が「いい国」だ、と言うのだ。

 「謝罪すべきことは謝罪できる国」ならば国際社会に堂々と胸を張れるだろう、と私も思う。しかし、少なくとも「謝罪すべきではないことを謝罪している国」はみすぼらしいだけではないか。

 国際社会から「矜持もなければ、志もない国」と思われるのではないか。

 独断と偏見を言わせてもらえば、村山談話に縛られて、大きな発想ができなければ、21世紀の日本の生き残り策だって、縮こまった変なものしかできないだろう、と思うのだ。

 非核三原則が禁じる核兵器保有にしてもなぜオプションとして検討しないのか。検討すれば、現実的ではない、という結論が出るのは明らかなのに。

 また、米国や中国に上目遣いでお願いし、韓国や北朝鮮にいつも謝ってばかりいるよりも、大東亜共栄圏を考えた時代の思想潮流をもう一度検証し、アジア解放という理念が果たして当時の日本にあったのかどうか、有色人種の代表という視点があったのかどうか、きっちりと検証する中で、日本人の手でもう一度戦争責任を追及すべきだ、と思う。

 そこまでしなければ、抜本的な対策にはならないと思う。

 若宮氏のように逃げ腰で表面的な正義の論理を振りかざすだけで、自衛官というか軍人が「命を賭けて守るべき日本」を示しえた、と思っているのだろうか?

 朝日新聞が産経新聞と並んで田母神問題を追究し、問題解明に集中していることは非常にいいことだと思う。また、いろいろな言論が出ること自体、素晴らしいことだ、ということを大前提にしながら、以上を書いておきたい。

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