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2008年12月 5日 (金)

書評「日本の信義~知の巨人十人と語る」猪瀬直樹著+「共同研究『』冷戦以後」中曽根康弘ほか著

 発行は小学館。2008年6月9日初版第1刷発行、定価760円+税=798円。

 裏表紙の宣伝文句が本の内容をうまくエッセンスしているので、引用しておく。

 <「バブル崩壊前夜」から「失われた10年」なで。日本が大きく揺らいだその時代に、作家・猪瀬直樹が、江藤淳、会田雄次、吉本隆明、秦郁彦、高坂正尭、所功、山折哲雄、梅原猛、鶴見俊輔、阿川弘之という戦後日本を代表する思想界の十傑とともに日本を問うた貴重な対談集。「週刊ポスト」誌上で話題を呼んだ15話を選りすぐって新書化。対米関係、天皇制、日本人の宗教観、土地神話、戦後処理、経済復興など日本人と切り離すことのできないテーマについて、それぞれの専門化とともに挑んだ対談の内容は、日本人の精神史、国家観を探るうえで欠かせない。日本のゆくえを真剣に考えるための視座の数々と出会える一冊である。>

黒船の世紀―ガイアツと日米未来戦記 (日本の近代 猪瀬直樹著作集) 黒船の世紀―ガイアツと日米未来戦記 (日本の近代 猪瀬直樹著作集)

著者:猪瀬 直樹
販売元:小学館
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 うまい宣伝文句だと思う。実際、そういう読後感だった。「はじめに「」で猪瀬氏が書いているように、この対談自体、「黒船の世紀」の連載を始め、それに生かそうとして行ったものらしいが、会田雄次氏との87年12月の対談から2002年7月の阿川弘之氏との対談までの期間にこれらの対談が行われている。

 ということは、バブル景気華やかなりし頃の対談と、バブル崩壊後の対談だが、それは日本国内の話だ。

 世界的に見れば、ベルリンの壁が壊れ、米ソ冷戦が終結した前後という状況で、彼らが将来をどう見通したのか、過去の何をよすがに考えようとしていたのか、が分かる。

 以前、「共同研究『冷戦以後』」を読んだ。1992年2月1日第1刷で、私が買った本は3月20日第3刷。文藝春秋刊で定価は1800円(税込み)。著者は中曽根康弘、佐藤誠三郎、村上泰亮、西部邁の4氏だった。当時、忙しい仕事の合間に始終睡眠不足の頭で理解できたのかどうか分からないが、マーカーで線を引きながら87ページまで読んだ痕跡があった。

 92年2月刊の本だが[序 日本の使命]で(この文章の調子を見るに、中曽根氏が[序]を書いたのだと想像するが)「われわれは、約2年間、この問題を中心に論じ合ってきた」とあった。というと、90年2月前後から討論を繰り返した結果、満を持しての著述らしい。

 読み返して見ると、じっくりしたいい研究論文も入っているし、何度読み返してもまた違った面白さが出てくるタイプの本なのではないか、と思う。

 ただ、さすがに16年後に読み返すと、外れた予想もいっぱいあった。米国はブレトン・ウッズ体制を維持していくのに必要な経済上の世界的公共財を独力で提供する力を失ったので、米国のドルと日本の円、そしてドイツのマルクが世界のキー・カレンシーになりつつある、と書いているのが間違えた第一(P20)。

 ソ連崩壊で米ロが本格的な核兵器軍縮を始める、世界はいまや、大軍縮時代に入らなければならない、と書いているのは、私は実感がわかないが、それなりに根拠があったのだろうと思うが、今から考えると、間違いだ。

 また、衆院選挙制度については、比例代表並立制よりも「大統領的首相」がいい、と例を挙げて主張しているが、大統領制は議院内閣制よりは権力集中度合いが低いことは飯尾潤氏の中公新書「日本の統治構造」などを読んでも、今や政治学者の中では常識になっているのではないか。92年時点では、中曽根氏の持論である「大統領の方が首相よりも強い」という考えに引っ張られて、読者の素朴な思いに応えようとしているが、これも間違いではないか。

 なぜ長々と共同研究の話をするか、というと、この『「共同研究』には冷戦構造の終焉で日本がどんな場所におかれていると、いう考察が弱かった、と思っているからだ。

 西欧では冷戦崩壊がもたらす大きな変化について、本格的な研究が90年代に相次いだが、日本ではきっとこの本が一つの金字塔だろう、と思っていた。「それにしては仮説の立て方に大胆さが足りない」と昔読んだときに思ったのだ。

 ハンチントンの「文明の衝突」という予言は半分当たったが、日本の永田町では当時「西欧の冷戦は終わったが、北東アジアの冷戦はまだ終わっていない」という議論が中心だった、ように思う。1994年からの北朝鮮核危機がその極東特殊論をいかにも正統性のあるもののように見せたのではないか。

 しかし、冷戦崩壊とは今、目の前に戦術核の脅威が出てきた、というレベルとは違った出来事だったことは今や明白になっている。当時の日本ではそれが理解されなかったので、日本の針路の舵切りが遅れてしまったのではないか、と思っていたのだ。

 猪瀬氏の「日本の信義」(小学館)はまさに「共同研究』」(講談社)と同じ時代の識者のインタビューをまとめた本である。当時、不明な私は「黒船の世紀」も読んでいなかったし、総合雑誌の論壇にも無関心だったから、日本の思想の潮流を振り返るには役不足なのだが、少なくとも、今になって読んだこの本に出てくる識者たちのロングレンジのパースペクティブは見事だ、と思ったのだ。

 今の時代を分析するツールとして有効に利用できる論が山盛りだ、とも思う。

 本の内容を書くのは面倒になってきたので、一部分だけメモしておく。

 まず「黒船の世紀」は日露戦争後に全部で500あまりの「日米未来戦記」が出版され、ベストセラーになったこと、この「日米もし戦わば」の空気が少年層から大人までを支配し、その空気に乗って軍人が変なことを始める、という趣旨である。つまり、国民意識が先に日米戦争論に行ってしまい、軍事行動は後付けというもので、日米未来戦記の作者を含めたメディア関係者があおった結果、日米戦争に突入して行った面が強くあった、という主張が前面に出ているそうだ。「メディア関係者の責任は大きい」ということを実証的に書いているようだ(まだ読んでいないので詳しく分からないが、この本で猪瀬氏がそう紹介している)。

▽江藤淳氏

 <どんな親しい友人でもお互いに裏切りつつ付き合っているのかもしれない。友人であるということは、後ろを向いたときに刀で刺さないというだけの意味だと僕は思っています。その機微をお互いに知り合っているときにだけ友情が永続する。(略)いわんや国と国との関係であれば、(略)お互いに非難されることに耐えなきゃいけないということです。それから裏切られることにも耐えなければならない。だが自分は決して後ろを向いたときに刺さない、という点において裏切らない。それを日本が、今後30年間、堅持してごらんなさい。日本という国はなかなか大した国だと思われますよ。>p4

▽江藤淳氏<日露戦争では日本の軍人はプロとして西洋人の理屈と武器に対抗した。>p18

▽猪瀬氏<武士道が一つの国際法的秩序の受け皿になっていたということがいえますね。…それまでの日本の開戦の詔勅には「国際法にのっとり」と明記されていますね。ところが第2次大戦のときはそれを書いていないんですね。>p18

▽江藤氏<「およそ国際法の規範に反せざる限り、一切の手段を講じ」というのが、日清、日露、第1次世界大戦の宣戦の詔勅にはありますね。日米開戦のときに、この文言がなぜ入ってないのかということについては、僕は少し大げさにいうと30年来の疑問だったんだけれども、このごろちょっと分かってきた。…日本が大正から昭和になるときに、国際秩序のシステムが大きく変わります。もう少し特定していうとワシントン会議を経たころからロンドン軍縮条約を経るころまで、つまり大正10(1921)年から昭和4(1929)年ぐらいの間に、日本人が明治維新をやって国際社会に参加して以来、これが国際法だ、これが国際的秩序だと思ってきたことの文脈と違った文脈がにわかに展開されだした、ということに戸惑ったという面があると思う。…西欧において16世紀以来培われてきた国際法秩序と違う新しい秩序の文脈が始まった。それがアメリカ主導の国際社会なんですよ。大正10(1921)年から11(1922)年にかけてのワシントン会議、そこにおける太平洋に関する4国条約と支那に関する9国条約。それから昭和5(1930)年のロンドン軍縮条約。この二つによってそれまでの2国間条約ではなくて多国間協定による国際社会というものをアメリカが仮構した。そこで生まれた新しい国際法と称するものは、実は”アメリカの大義”だった。”アメリカの大義”が国際法であるならば、自分たちがこれほど尊重してきた国際法とは何であるかという気持ちが当時の日本人にはあったと思う。>p19

▽猪瀬氏<同じ気持ちが今回、サダム・フセインにもあったのでしょうかね。中東の秩序はアメリカの大義としての国際法では全く割り切れない。それは、オスマン・トルコを国際社会に取り込んで、国際法の対象にするかどうかというのが、19世紀の国際法学会における重大問題だったことからも分かりますね。>p20

▽江藤氏<アメリカは、ワシントン条約以降、「米国の大義が即国際法」という事実を積み重ねてきていると信じているに違いない。そこで「開戦の詔勅」に話をもどすと、そうしたアメリカの論理と、日本の言い分との間にどうしても妥協させることのできないものがあるから、戦争が始まった。だから詔勅に国際法遵守の1行が入らない結果になったのではないでしょうか。>p21

▽猪瀬氏<日本における”政治の喪失”はなにも今日はじまったことではない。昭和初期から満州事変に行く流れで、すでに日本は国家意思を喪失していたのではないかというのが僕の考えです。つまり、出先の軍隊を統制できない、国家の体をなしていない国家というのが昭和初期から始まった。まさに超国家主義と呼ぶしかない奇妙な事態になった。軍国主義という言葉だけでは説明できません。>p27

▽江藤氏<おっしゃるとおり。…あのころの政治過程を仔細に調べてみると、…国家意思の中心がどこにあるかわからない。…その当時の国益の中心がどこにあるかを正確に把握しているグループが政権を担当していない。…たとえば満州事変を例に取ると、満州の権益を守るためにどうしたらいいかという具体的なプランと、その事後処理の方策までを検討して持っていたのは石原莞爾だけです。彼は政府はおろか参謀本部のメンバーですらなく、関東軍参謀部の一作戦課長にすぎない。>p28

▽江藤氏<日本人が自分の身近な人間同士の間で信義を確認しあわない限り、アジアのどこにどういう謝り方をしようが、全然説得力がない。…これは日本人一人一人の生き方の問題だと思うんですよ。…一目置くということこそ人間同士の信義の回復のあらわれ方であって、謝れば一目置かれるとか謝ったら信用されるという意見には賛成できないんです。>p32

▽江藤淳氏<「太平洋戦争」という言葉が初めて日本人の耳目に触れたのは終戦から4ヵ月後の昭和20年12月8日です。この日、新聞社に紙が特配され、当時2ページしかなかった紙面が4ページになった。その内側の2ページと3ページの見開きに、占領軍の手になる「太平洋戦争史」が掲載されだしたんですね。…9月2日に降伏文書が調印されると、翌日から制度的にはアメリカの検閲当局が動き出しています。そして10月8日から、東京5紙の事前検閲も始まった。それが12月15日になって、「大東亜戦争」という呼称を今後禁止するというはっきりしたマッカーサー指令が出て、それ以後、今日にいたるまで「大東亜戦争」は採用されていないというのが現実です。>p38

▽猪瀬氏<日本がいつ「大東亜戦争」という呼称を決めたかというと、昭和16年の12月12日の閣議決定で、開戦の4日後ですね。>p39

▽江藤氏<その閣議決定は、今日にいたるまで取り消されていないんですよ。>p39

▽吉本隆明氏<60年安保というのは左翼的な国民運動と信じられていたけれども、ナショナリズムの運動だったんですね。…ナショナリズムの燃えカスが反米意識となり、左翼のイデオロギーを借りながら、基地反対闘争に向かい、60年安保まで続く。60年安保は敗北でしたが、気分としてはやっとアメリカに対するルサンチマン(怨念)が消えたんじゃないか。ちょうど力道山がシャープ兄弟をやっつけたように。>p66

▽吉本氏<猪瀬さんが橋川文三さんの仕事を引き継いでいることが、その分析で納得できました。僕が日本の左翼、戦後民主主義に対して違和感を持ったことの理由は、大きく言うと二つあったんですよ。一つには、彼らは、日本の侵略戦争の先兵になって死んだふつうの兵士たちを、まったくの「犬死に」のようにいう。それは、絶対に納得しないゾ。そんな評価しかできない左翼なんて成り立たないゾ。四六時中そう思っていた。…歴史的には侵略戦争でもあったけれど、末端兵士の意識にはアジア解放闘争でしたから。>p67

▽吉本氏<村山首相は自衛隊は合憲だといいました。憲法9条違反でないってね。これは重大なことですね。村山が首相として公式にそういい切ってしまえば、もうこれから公認政党は廃棄できないんですよ。村山は皮膜をまぶって、皮膜の中で口にしているんですけど、これはもう改憲されちゃったと同じなんです。左翼には、そういうところがついにわからないんです。…ここ1年、共産党をはじめとする左翼的と称する人々がなぜ小沢を蛇蝎のごとく罵倒し続けたのか? 冗談じゃないゾ。村山のほうがずっと反動的なんですよ。>p69

▽猪瀬氏<ジャーナリズムがより強い影響力を持つほど、危険な側面も増える。日本のジャーナリズムは、体質的にサラリーマン的だから、組織の論理に流されやすい。>p88

▽秦郁彦氏<現時点では戦前と反対で、カンボジアのPKO(国連の平和維持活動)についても士気を殺ぐ報道ばかり喜んで書き立てる傾向ですけれども、風向きが変わればすぐ逆のほうにいく可能性はあるでしょうね。>P88

▽高坂正尭氏<第二次世界大戦の不徹底性が戦後の冷戦構造をつくった。あのときの組み合わせに必然性があったとはいえんもの。かたや日中戦争があり日米戦争があった。ヨーロッパにも戦争があった。これ、みな個別の戦争ですよ。

▽高坂氏<ドイツにとってロシアは19世紀から一貫して最大の貿易相手国、お得意さんやった。それなのに…(戦争をした)。これはちっとも平和の保障にならないんだよ。モノ買わにゃいかんけれども…。モノ売ったり買ったりすることが、中身のあることとは限らんのだよ。>P107

▽高坂氏<どの国も自分が過去にやったことを反省しなきゃいけないとしても、全部悪かったという論理では生きていけない。日本人に酒呑んで訊いたら、絶対そういわへんで。ただ謝るというのはウソになる。でもな、逆にあれをやむを得ない自衛の戦争だったというのも強弁でな。強弁も困る。>P113

▽梅原猛氏<私がいいたいのは、2000年前に還る。人類のいちばん昔の原理に還れということですね。農耕牧畜文明以来、人類は豊かな富を持ったけれど、やはり間違っていた。農耕牧畜文明は必ず森をつぶして文明をつくってきた。その文明全体を反省しなきゃならない。>P146

▽秦氏<私は天皇制の最高の機能は赦すことだと思うんです。西欧型の社会では、責任がある者とない者を峻別し、悪魔と神の二元論的対立を背景に、徹底的に追及する精神的風土がある。だが、日本の場合は、天皇が責めるのではなく赦す役割を果たしてきた。赦すだけではなくて臣下の責任を自分が身代わりになってもいいという受け止め方ですからね。>P158

▽鶴見俊輔氏<明治天皇は自分が親しんできた女官など全部追い払われてしまって、肉を食べる訓練から始めて、やり直す。あれはよくやったと思います。>P177

▽猪瀬氏<「犬養首相を撃った三上卓(中尉)なんてのは、いよいよ対米戦争を終わらせるかどうかという時に裏で暗躍していた気配がある。…犯人は刑務所の中で先生扱いだったっていうのだから」という阿川弘之氏の言葉に対して、世論が同情的でしょ。メディアがいけない。>P199

▽阿川弘之氏<文士、新聞記者を含めてジャーナリズムの責任っていうのは非常に大きいですよ。>P208

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