ミッチーの息子が造反→父親ができなかった政界再編に挑むのか?
渡辺喜美元行革担当相が存在感を増している。
1952年、栃木県西那須野町(現那須塩原市)に生まれ早稲田大学政経学部と中央大学法学部を卒業。父親の渡辺美智雄元通産相・外相秘書官を経て1996年の衆院選に初当選以来当選4回、1998年の金融国会では塩崎元官房長官らとともに「政策新人類」として実質的な与野党折衝を担当。最近は麻生政権批判を続けていた。
渡辺氏は24日開いた衆院本会議で民主党が提出した「衆院解散要求決議案」に賛成投票したのだ。決議案自体は反対多数で否決されたが。この決議案提出は1989年以来。可決されても内閣不信任決議案と異なり法的拘束力はないあくまで政治的影響に限定した効力しか持たないのだが、結果的に渡辺氏の造反を呼んだことで、決議案提出は小沢一郎・民主党代表の思惑通りだったのではないか、と思う。
渡辺美智雄氏は最後の最後「決断できない男」の汚名を着てしまった。
というのは、非自民8会派連立の細川護煕政権が退陣表明した1994年、新生党の小沢代表幹事が渡辺美智雄氏を後継首相に擁立しようとした。条件は自民党離党だった。ミッチーは揺れた。断固たる信念で「百万人と雖も我行かん」の心意気があれば派閥の連中もついてきただろうが、親分が揺れていたから、渡辺派の国会議員たちは不安を募らせるようになり、野中広務氏らの切り崩しの前にあえなく「離党せず」の議員だらけになる。迷った挙句に渡辺氏は丸裸にされ、離党をあきらめ、小沢氏は第3の候補だった羽田孜氏を首相候補とする。しかし、大内啓吾民社党委員長が仕掛けた院内統一会派結成問題をきっかけに社会党が連立から離脱、羽田政権は最初から少数与党政権となり、短命となった。
実はミッチーと小沢氏の因縁はもっと前からできていた。宇野宗佑首相がリクルート、消費税、農産物自由化の3大暴風雨に加え、自身の女性問題をサンデー毎日に書かれて1989年の参院選に大敗、海部俊樹政権ができた。
逆転参議院をどう運営するか、自民党の小沢一郎幹事長は苦労した。公明党の市川書記長、民社党の米沢書記長と組んで自公民のパーシャル連合で凌いだのだが、90年末にイラクがクウェートに軍事侵攻した湾岸危機が91年には米国がイラクを攻撃する湾岸戦争に発展。日本の貢献をめぐり自衛隊派遣に消極的な海部首相と国連決議さえあれば積極的に出すべし論の小沢氏が対立。91年に疲れ果てた海部首相が衆院を解散しようとするが、金丸元副総裁率いる竹下派は解散を認めず、総辞職した。
そして、海部後継を竹下派で選ぶのだが、この時に評判の悪い「面接」事件が起きる。最終的に宮沢喜一氏が金丸氏の眼鏡にかない次期首相になったのだが、小沢氏は渡辺美智雄氏に入れ込んだ。渡辺氏は宮沢政権で副総理・外相として入閣、次期首相の本命というポジションにつけた。ミッチーは胆嚢胆管結石というが実際は胆嚢がんだったと思われるが、大病をする。宮沢政権は首相の政治改革に関する食言があだとなり、小沢・羽田グループが内閣不信任決議案に賛成するなどで不信任案が可決。衆院を解散した宮沢氏だったが、自民党は総選挙に敗北、細川政権ができた。
小沢氏はこの時の「友情」を覚えており、1994年のミッチー擁立劇につながったのだ。
ミッチーの決断の遅れがすべてだった。派閥の領袖としての責任感に加え、自らの健康問題が追い打ちしたため、ミッチーは小沢氏の提案をすぐには受けず、考え込んだのだ。テレビなどでは豪放磊落に見えるが、ミッチーは税理士だったことを見ても分かるように非常に繊細な神経を持っており、考え込むとなかなか結論が出てこない。
この逡巡が自民党主流派に切り崩しの時間を与えてしまい、孤立したミッチーが断念に追い込まれた、という経緯だった。喜美氏は秘書官として一番近くで父親の苦悩を見ており、父親の出処進退から学ぶものが多かったに違いない。
毎日新聞12月17日夕刊[特集ワイド]は渡辺喜美氏のインタビューを取り上げていた。ここで遠藤拓記者は、先だって行われた政治資金集めパーティーで渡辺氏が語った<政界再編が起こった場合、新党が生まれる三つの類型>を紹介していた。
①持ち株会社分社化型
かつて自民党が解党的出直しを迫られた1990年代前半の構想。地方や派閥ごとに党を作り、選挙後に親党へと再結集する。擬似新党だから政党の中身はあまり変わらない。
②協議離婚型
小選挙区制の下、特に野党でされた試み。メリットは次の結婚(再編)は誰とでも自由で、政党助成金など財産分与ができること。ただ、協議不調が多かった。
③裸一貫型
インパクトが大きく、大化けの可能性がある。覚悟のみでできる。ただ、参加者は少ない。ハイリスク・ハイリターン。
インタビューで喜美氏は「決断を迫られた時は『ミッチーならばどう考えるか』と思いを巡らせる」と言い、ミッチー語録の次の言葉を記者に紹介したそうだ。
「派閥の前に党がある。党の前に国家国民がある」
「道は近くにあり」
記者はミッチーが94年政局前に書いた「新保守革命」(共著、ネスコ)の次のフレーズを書いていた。
「現在の与党のバラバラぶりは論外だが、野党自民党も政策の基本理念において、かならずしも一枚岩ではなく、異なる理念の持ち主が混在している。…わたしたちの考えは、当然『公益重視派』だ。その目的のためには、まできの悪いカップルの協議離婚からはじめなくてはならない」
協議離婚型だ、と記者は判断しているのだが。
まあ、昔の話はいいとして、今回の喜美氏(ヨッシーと呼ぶらしい)の決断がどのくらいの広がりを見せるのか、期待してみてみよう。国会は第2次補正予算を提出しないまま事実上閉会してしまったし。自民党を誰が本格的に壊してくれるのだろう?
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