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2009年7月13日 (月)

都議選投票率の歴史~7月13日未明の朝日新聞、読売新聞HPから

 みんな面白がって投票に行ったんだなぁ。都議選の投票率が高かったんだってさ。7月12日夜から13日未明にかけての各紙のインターネット・ホームページにアップされた記事を眺めていたら、そんな記事が目に付いた。朝日新聞HPには<都議選の投票率は54.49%、10㌽超す伸び>という記事だ。
 <12日に投開票された東京都議選の確定投票率は54.49%で、前回投票率43.99%を10.50㌽上回った。政権交代が焦点となる衆院選の前哨戦となり、有権者の関心が高まったためとみられる。>
 という前文。
 <都議選の投票率は1959年の70.13%が最も高かった。議長選をめぐる汚職事件に伴う「黒い霧解散」を受け、1965年の都議選以降は統一地方選と時期がずれた。有権者の投票意識の低下もあり、投票率は低下傾向にある。>
 1959年つまり昭和34年というのは60年安保の前の年だ。今の天皇はが皇太子明仁だった昭和34年4月10日、正田美智子さんと結婚式を挙げた。美智子皇后である。今年、金婚のお祝いを同じ金婚の夫婦を皇居に招いて行ったが、あの当時の日本国民の熱狂は雅子さまの結婚どころではなかった。
 東京都の選挙はまだ統一地方選挙に入っており、都知事選も一緒に行われた。というか、都知事選が本命で、都議会は付録だった。安井誠一郎都知事が国政に転出したくて仕方ないのに3期もやらされて、3期目はもうやる気がなく、都庁の役人も腐敗し切っていた。自民党は60年安保を前に東京都知事を革新陣営に取られることだけは避けたかった。自民党は「勝てる候補」選びに入ったが、社会党は「今回は勝てるチャンスだ」と前回の昭和30年の知事選に出馬して負けた有田八郎氏(戦前の外相で元衆院議員)を担いだ。自民党の候補者選びは難航したが、東京オリンピック招致に尽力した東大医学部教授の東竜太郎氏を口説き落とした。昭和39年の東京五輪は東京人の誇りだったし、五輪に間に合わせるために新幹線と高速道路が突貫工事でできあがる。
 この都知事選は与野党激突の選挙となり、自民党の推す東氏が勝った。その時の都議会選挙の投票率が70%以上だったわけだ。都知事選と一緒でなければ、こんなに高くなんてならない。
 そうか。1965年の「黒い霧解散」って衆院解散ではなくて都議会の解散だったのか。これ以降、都議選は6月か7月実施となったわけだ。
 <しかし、国政選挙を控える都議選は投票率が高めになる傾向がある。1989年都議選は参院選の3週間前に実施され58.74%だった。消費税の導入やリクルート事件を受けての選挙だった。1993年都議選も衆院選の3週間前で日本新党ブームを受けて51.43%となり、参院選の前哨戦となった2001年都議選も50.08%だった。>
 1989年の都議選はパリのアルシュ・サミットより前だったかどうか、宇野宗佑首相の女性問題で自民党議員にはものすごい逆風が吹いたと思う。それに消費税、リクルート、農産物の市場開放が加わったのだからたまらない。この傾向が参院選につながり、宇野首相が辞めた。今回はこの58%には届かなかったし、事前投票が多くなったのも今回の特徴なのだろう。
 1993年の都議選は派手なパフォーマンスがうまい細川護煕氏の日本新党が出てきた選挙だ。ここで、どんな人間か全く分からないまま、落下傘候補であっても「日本新党」の候補者であれば投票する(つまり圧倒的ぶっちぎりで当選す)というマジックのようなことをテレビの開票速報で知った。2001年都議選というのは思い出せない。
 <半面、国政選挙がなかった1997年都議選は過去最低の40.80%で、2カ月後の郵政民営化の是非を問う衆院選が予測されなかった2005年都議選は43.99%にとどまった。>
 40%も44%も低いな。
 <今回は各主要政党が迫る衆院選の前哨戦と位置づけ、国政選挙並みの態勢をとった。党首や党幹部が連日、選挙区に入った。与党と野党の対決は石原都政をめぐる対決構図と重なったことも争点を明確にさせた。都選管は「2大政党が争う構図が有権者の関心と期待を高めたのでは」とみている。>
 何か最後の段落は論理的でないな。無理やりつけた蛇足みたいに思えるのだが。過去のことを知らせてくれただけでよかったのに。
◆都議会の新勢力
 朝日新聞の7月13日未明のネットHPには<都議選議席/民54、自38、公23、共8、ネ2、無2>という新勢力分野が載っていた。
 <東京都議会議員選挙(定数127)はすべての選挙区で当選者の顔ぶれが決まった。民主党が第1党に躍進し石原慎太郎知事を支えてきた自民、公明両党は過半数を獲得できなかった。政党別では民主が54議席(現有34議席)、自民が38議席(同48議席)、公明が23議席(同22議席)、共産が8議席(同13議席)、東京・生活者ネットワークが2議席(同4議席)、無所属が2議席(同3議席)だった。>
 あまり興味ないが、127議席の半分は63.5だから64議席が過半数で、自民38+公明23=61議席で3議席足りなかった。民主党は一気に20議席増やしたが、過半数には至っていない。野党が一気に過半数にいくのには普通の常識では考えられないことをしないといけないのだな。民主党は最後の最後に候補者を増やし、そういう人の中からも当選者を出した。風が吹くということはそういうことなのだろう。
◆公明は5連続の候補者全員当選(読売新聞7月13日零時過ぎ)
 <12日に投開票された東京都議選で、公明党は候補者全員の当選を確実にした。前回の当選者数と同じ23人を擁立し5回連続の全員当選を果たした。>
◆都議選敗北、過去の例→国政にも暗雲(読売新聞)
 <東京都議選と国政選挙が近接して行われた過去の例を見ると、都議選の選挙結果が国政選挙の「先行指標」となったケースが多い。都議選で自民党が都議会第1党の座から滑り落ちるのは、社会党に敗れた1965年以来44年ぶり。与野党では過去の例からも今回の厳しい結果がこの後の衆院選に影響を与えるのは避けられないとの見通しが強い。1989年の都議選は自民党が43議席で惨敗。消費税導入やリクルート事件の影響で、社会党が躍進した。続く参院選でも、同党が「マドンナ旋風」を起こし55年体制下で初めて参院で与野党が逆転。宇野首相が退陣に追い込まれた。1993年は6月に衆院で宮沢内閣不信任決議が可決され、衆院の解散直後に都議選が行われた。自民党は前回並みの44議席で苦戦。日本新党が改選前の2議席から20議席に伸ばした。衆院選でも「新党ブーム」は続き、新生党、日本新党、新党さきがけの3新党が計103議席を獲得。自民党は過半数に届かず宮沢首相は退陣し政権交代につながった。2001年の都議選は、同年4月に小泉内閣の発足後、初の大型選挙となり、小泉ブームに乗った自民党が改選前から5議席上積みした。参院選でも同党は改選前を上回る64議席を獲得。与党が過半数を維持した。>
◆自民・都連幹事長、26歳の民主新人に苦杯(読売新聞)
 <「1人区」では、自民の大物議員がバタバタと民主に敗れた。中央区で民主党新人の岡田真理子さん(55)に敗れた立石晴康さん(67)は8期目を目指したベテラン。午後9時過ぎ新富町の事務所で立石さんは「不徳の致すところ。申し訳ない」と疲れた表情で語った。国政の影響があったかを問われても「それは当然……」と言葉少なだった。千代田区では6期連続で議席を守り続けてきた自民党都連幹事長の内田茂さん(70)が約3週間前に立候補表明したばかりの民主、栗下善行さん(26)に苦杯。内田さんは午後10時過ぎ、同区内の事務所に姿を見せ、涙を浮かべる支持者を前に「皆さんの応援があったにもかかわらず大変申し訳ないことをした。責任はすべて私にある」とうつむき加減に話した。>
 この記事は大変面白い。3週間前だよ、3週間前! 風が吹けばベテランだって簡単に落ちてしまうのが都会の選挙だ。

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