スポーツ

2009年8月14日 (金)

スポーツ小説の海老沢泰久氏死去、ご冥福をお祈りします~読売新聞09年8月14日朝刊

 驚いた。面識のある方ではないから、知らないのだが、以前から体調不良だったのか? 私と同い年の有名人が亡くなった、と報じる新聞記事をみてびっくりしている。

 読売新聞09年8月14日朝刊対社面2段<海老沢泰久さん死去/スポーツ小説、直木賞/59歳>である。

 本文を読むと、

 <スポーツ小説などを通し、信念を曲げずに生きる男の美学を描いた直木賞作家の海老沢泰久さんが13日、十二指腸がんで死去した。59歳だった。お別れの会は17日午前11時半、東京都大田区石川町2の5の2雪ヶ谷総合式場。喪主は妻、順子さん。茨城県生まれ。国学院大折口博士記念古代研究所に勤務する傍ら小説を執筆し1974年、「乱」で小説新潮新人賞を受賞。79年、広岡達朗氏をモデルにプロ野球の弱小チームを再生させた闘将のドラマを描いた「監督」が話題となった。その後も堀内恒夫氏、中嶋悟氏らを主人公に、野球やF1の世界を硬質な筆致でとらえた小説やノンフィクションを発表、88年「F1地上の夢」で新田次郎文学賞、94年、短編集「帰郷」で直木賞を受賞した。>

 だった。僕は海老沢氏の何を読んだのだろうか? 名前を覚えていた。

 ウィキペディアを見ると、詳しく出ていた。1950年1月22日、茨城県出身で國學院大學文学部卒だそうだ。主な作品が出ていた。

 ▽監督 新潮社 1979 のち文庫、文春文庫▽F2グランプリ 新潮社 1981.11 のち文庫、文春文庫▽球界裏の攻防 もうひとつのプロ野球 スポーツ・ノンフィクション 朝日新聞社 1983「球界裏の演出者たち」と改題、文庫▽スーパースター 文芸春秋 1983 のち文庫▽みんなジャイアンツを愛していた 新潮社 1983 のち文庫、文春文庫▽さびしい東京 講談社 1984 改題「さびしい恋人」文庫▽ただ栄光のために 堀内恒夫物語 新潮文庫 1985 のち文春文庫▽空を飛んだオッチ 角川書店 1985 のち文庫▽二重唱 集英社 1986 のち文春文庫▽F1地上の夢 朝日新聞社 1987 のち文庫▽F1走る魂 文芸春秋 1988 のち文庫▽夏の休暇 朝日新聞社 1989 のち文庫▽孤立無援の名誉 講談社 1989 のち文庫▽美味礼讃 文芸春秋 1992 のち文庫▽ヴェテラン 文芸春秋 1992 のち文庫▽帰郷 文芸春秋 1994 のち文庫▽快適な日々 早川書房 1994▽廃墟 福武書店 1994▽星と月の夜 集英社 1995 のち文庫▽満月空に満月 文芸春秋 1995 のち文庫▽人はなぜバーテンダーになるか ティビーエス・ブリタニカ 1996▽これならわかるパソコンが動く NECクリエイティブ 1997▽愚か者の舟 文藝春秋 1998▽男ともだち 講談社 1998▽ゴルフが好き 岡本綾子の生き方 毎日新聞社 1999▽オーケイ。 文藝春秋 2000▽暗黙のルール 新潮社 2000▽ぼくの好きなゴルフ 朝日新聞社 2001 のち文庫▽巨人がプロ野球をダメにした 講談社+α文庫 2001▽「読売巨人軍」の大罪 講談社+α文庫 2002▽青い空 幕末キリシタン類族伝 文藝春秋 2004 のち文庫▽サルビアの記憶 文藝春秋 2006▽彼女の哲学 光文社 2007▽無用庵隠居修業 文藝春秋 2008▽ふたりのプロフェッショナル ランダムハウス講談社文庫 2008▽ぼくたちのスコットランド紀行 ランダムハウス講談社文庫 2009。

 覚えている作品がない。海老沢氏の作品を読んだことはなかったのだろうか? というより、新聞や雑誌で名前を見て、寄稿だけを読んだのだろうか? 何か思い出せずにモヤモヤしている。

 でも、スポーツライターの方々はすごいと思う。テレビで同じ場面を見た次の日にスポーツ新聞で記事を読みたい、というのと、週刊誌のスポーツ記事を読みたくなるのと、また、単行本のスポーツノンフィクションを読みたくなる、という作品はそれぞれ、全く違うコンセプトで書かざるを得ないだろう。

 そういう書き方ができるだけでも素晴らしい(つまり、普通の人では絶対にできない)のだが、それが名文だったら、もう暗誦したくなるような気分にさせてくれる。

 60年前まで読まれた戦記ものがタブー視されている以上、人が戦闘能力、戦闘心を燃やして全力で戦う記録はスポーツくらいしかない、と長く言われてきた。その「戦記」作家はきっと、壮絶な最期だったのだろう。ご冥福をお祈りしたい。

| | コメント (0)

2008年9月 8日 (月)

細木数子氏の大相撲モンゴル巡業時、首相主催晩餐会での「国辱的」行状~東京新聞9月8日朝刊コラム+週刊文春9月11日号から

 9月8日東京新聞朝刊コラム[週刊誌を読む 9月1日~7日]<総裁選報道 騒ぎすぎ!?/福田首相辞任で政界激変>を見出しにつられて読んだところ、総裁選の話はさもありなん、という内容だったが、後半に書いてあった週刊文春9月11日号の<新聞・テレビが絶対報じない 細木数子・朝青龍モンゴル巡業の「国辱」>には驚いた。というか、腹が立った。

 このコラムは月刊「創」編集長の篠田博之氏が書いている、とあるのだが、篠田氏の言うとおりだと思った。東京新聞コラムを引用する。

 <8月下旬に行われた大相撲モンゴル巡業で国に帰った朝青龍に、以前から親しい細木数子さんが同行したらしいのだが、26日夜に行われた大統領晩餐会でとんでもない光景が目撃されたというのだ。記事によると「ど派手なピンクのスーツで」なぜか大統領の横に並んだ細木さんは、酒宴の終盤、「各テーブルを回って、力士たちにジャンケンでウォッカを一気飲みさせていたんです。ジャンケンで細木さんに勝つと日本円の現ナマ10万円の束をポンッと」(現役力士のコメント)渡していったという。>

 <そして記事はこう続く。「ちなみに、モンゴルの平均収入は日本円に換算して月約1万5000円から2万円だという。モンゴル人の年収を超える現ナマを大盤振る舞いした計算になる」>

 <あまりに恥ずかしい話だが、居合わせた日本のテレビは細木さんに口止めされ、報じなかったのだという。こういう話をスッパ抜けるのが週刊誌の真骨頂だ。>

 いくらなんでも、と思って週刊文春を見たら、38ページから40ページまで3ページを使って、写真もふんだんに入れていた。この部分は記事の後半で、「現役力士C」は続けて「ジャンケンで負けても、ウォッカを一気飲みすればポンッ。確か5、6回はやっていたんじゃないですかね」と続いていた。

 そして、モンゴル人の年収のくだりの後には

 <さすがに「これはまずい」と、相撲協会の巡業親方たちが、真っ青になって止めに入る。もちろん、日本のテレビクルーやカメラマンも、この現場をしっかり撮影していたのだが、「『この写真はさすがに使えないよなぁ』と話していたんです。内輪の飲み会でのことならまだしも、首相晩餐会でのことですからね。そうしたら、細木さん自ら、『絶対にこの写真は使うな』と報道陣に念を押してきた。現場にいたモンゴル人たちは、『日本ではよくあることなのか?』『首相の前であんなことができるなんて、あの人何者なんだ』と、怒りを通り越して呆れていましたよ」(現場に居合わせたカメラマン)>

 という文章が続いていた。そして、日本に帰国後、細木氏をこの件で取材したやり取りが続くのだが、その中でジャンケンについての細木氏の弁明はこうだった。

 <――首相晩餐会でジャンケン大会をしていたそうですね。>

 <あのねぇ! あなた方は前後の左右を全然知らないのよ! あの日は私は疲れてるから欠席したいっていうのを、向こうの首相と森元首相に招かれて席が用意してあるっていうんで行ったのよ。あの目立つ席に座りゃ、くったびれるんだ。>

 <でも行ってみたら、相撲取りもくたびれてるし、なんか晩餐会がものすごーく白けてたわけ。そこで森先生たちが退場しかかった頃、『朝青龍、力士もマスコミもみんなヘナってきてるよ。ちょっと盛り上げようと』って、各テーブルを回って”ジャンケンポン大会”をやっただけのことよ」>

 <――首相晩餐会で現金をバラまくのは、モンゴルでも常識に反するのでは?>

 <「……じゃあ、やらなきゃよかったよ。あんまりシラーっとした雰囲気だったから”ごっつぁん”でさあ。稀勢の里なんか喜んでねえ。お相撲さんが総立ちになって『俺も俺も』って、その雰囲気が珍しかっただけじゃないの。でも100万円なんて大げさです。四つのテーブルを回って全部で二十数万程出しただけよ」>

 <――力士が盛り上がったのはわかったが、モンゴルに対しては失礼ではないか。>

 <「そこまで規制しちゃいけないと思うよ。だから今の子供たちはおかしくなるんだ。ガス抜きさせなきゃ、相撲取りだっておかしくなるよ。『ガス抜きやるなよ清く正しく1、2、3』じゃあおかしくなるよ。>

 <今度の巡業、朝青龍はモンゴルと力士を喜ばせるために大変な苦労をしたんだよ。あんたたち、もっとあったかい記事を書きなさい。裁判官みたいなことやんない方がいいよ」>

 記事は<今回のモンゴル巡業では、このお方が日本の代表として、大統領や首相と同席していたのである。>と結んでいた。

 素晴らしいスクープ記事だ。森元首相が退席する頃、と微妙な言い回しをしているが、森氏がもしもこのことを見て見ぬふりをしていたのだったら、政治責任を問われなければならない事態だって考えうる。

 週刊文春は偉いが、情けないのは同行したテレビ局とスチールカメラマンの所属するマスメディアである。

 例えば、福田首相主催の晩餐会でアメリカの喜劇俳優がプロレスかアメフトの選手の間を回ってコインの表裏を当てるゲームをして、1人当たり1000㌦ずつポンッと手渡していたら、日本のマスコミは「なめるんじゃない、日本は植民地じゃないぞ」と怒り心頭だろう。

 それに怒らないマスメディアはもう日本のメディアではなく、アメリカのメディアだとしか言いようがないと思う。ジャーナリストにはまず愛国心が必要なのだ。その愛国心は偏狭なものであってはならず、他人の痛みを知ることのできる愛国心でなければならない。

 細木氏の傲慢な振る舞いを見たモンゴルの知識層やマスメディア関係者はどんな気持ちだったろう、と想像すると、いたたまれなくなる。

 「この婆あのために、日本との関係をギクシャクさせるのは得策ではない」と大人の判断をして我慢したのだと思うが、普通だったら、首相や大統領を侮辱したとして逮捕されてもおかしくない。モンゴル人は誇り高い人々なのだ。

 他人の痛みを分からないような人間が霊媒師だか何だか知らないが、テレビに出て偉そうにするな、と何故テレビ関係者は言わないのだろう。視聴率が稼げる老女だからじっと我慢しているのか? そんな我慢をするから、今の子供たちはおかしくなる。テレビはたまには清く正しい姿も子供たちに見せる義務があると思うのだが。

 本当に腹が立った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月25日 (月)

北京五輪をどう報じたか~各紙コラムや総括記事+毎日新聞の鹿島茂氏のコラム

◆米国五輪放送事情

 第20回夏季オリンピック大会は8月24日夜、北京で閉会式が行われ、17日間の祭典の幕を閉じた。各紙は8月25日朝刊1面から社会面まで多くの面に、北京五輪総括記事が満載だった。競技・種目別の総括とか、大上段に振りかぶった社説のような「大きな物語」的な総括も、それはそれで大切だが、ここでは、視点を替えたコラムや小さい部分、普通は見えない部分にこだわった「総括」に注目してみよう。

 毎日新聞8月25日朝刊2面[発信箱]<北京五輪 米の総決算>で北米総局の坂東賢治記者は米国ではNBCがテレビ中継を独占し、夜のゴールデンタイムの放送を「トップ・スポーツ」と位置づけた水泳、陸上、体操、バスケット、ビーチバレーボールの5競技に集中していた、と書いていた。

 <テレビ向きで、米国選手が強く、視聴率が稼げるという理由だろう。放映権獲得に1000億円近くを投じたNBCが水泳の決勝を北京時間の午前(米国時間の夜)に行うよう圧力をかけた理由もよくわかる。米国のフェルプス選手の8冠挑戦が最大の売り物だったからだ。>

 坂東記者は今まで、五輪を日本で見ていたらしく、日本のテレビ観戦とアメリカでのテレビ観戦の比較が面白い。

 <他の人気競技では放送時間優先で生中継がないのにまいった。>

 というのだ。

 <ジャマイカのウサイン・ボルト選手の世紀の快走はどれも半日待ってようやく放送された。NBC系サイトでのネット中継もなく、待ちきれない人は動画投稿サイトなどでゲリラ的に見るしかなかったらしい。>

 動画投稿サイトはアメリカでそこまで活用されているのか。これも驚きだ。

 <フェルプス選手が期待どおりの活躍をしたこともあり、96年の米アトランタ五輪以来の高い視聴率を記録。大統領選を争うオバマ、マケイン両上院議員も巨費を投じ、五輪時間帯にテレビ広告を流した。NBCはしっかり元を取ったようだ。>

 とある。大統領選目前のアメリカ・メディア事情が目に浮かぶようだ。面白かったのは、結びの文章だった。

 <金メダル獲得数では中国の後塵を拝したが、あまり騒がれてはいない。日本を含め、世界的には金メダル獲得数順で国別ランキングを決めるのが一般的だが、米メディアは金銀銅のメダル獲得総数で順番を決めている。これなら米国はまだ世界一。自国の独自基準にこだわるところは中国とどっこいどっこいだ。>

 である。へえー、金メダルにこだわらないのか。それは北京五輪に限らず、今までもそうだったのだろうか? そうだろうなあ、とは思うのだが。今回、金メダル獲得数で中国に抜かれるのが分かっていて、今回だけ急にメダル総数での計算にに変えたら、視聴者だって何か言うだろうからなあ。

 こういう文化比較は面白い。日本での放送権料話は後で読売新聞で出てくる。

◆各国メダル獲得数

 金メダルだけが五輪ではない、のだが、国別メダル獲得数も気にはなる。一応、書いておこうか。毎日新聞25日朝刊2面の表を写したものだ。

                   金      銀     銅      計

①中国               51      21    28      100

②米国               36      38    36      110

③ロシア              23      21    28       72

④英国               19      13    15       47

⑤ドイツ              16      10     15       41

⑥豪州               14      10     8       46

⑦韓国               13      10     8       31

⑧日本                9      6     10       25

⑨イタリア              8      10     10      28

⑩フランス              7      16     17      40

⑪ウクライナ             7      5      15     27

⑫オランダ              7      5       4     16

⑬ジャマイカ             6      3       2     11

⑭スペイン              5      10      3      18

⑮ケニア               5       5      4      14

 あと話題になった国では、グルジアが3,0,3の6個。北朝鮮が2,1,3の6個。インドは1,0,2の3個。台湾は0.0,4の4個くらいか。合計で金メダルは302個、銀メダルは303個、銅メダルは353個授与された。授与されたメダルの合計個数は958だった。

◆大きな真実は往々にして小さな穴からのぞき見える

 朝日新聞8月25日朝刊1面コラム[天声人語]子は開花式の「フェイク?」を、閉会式後の新聞でまつぃても、ぶり返して批判していた。相当に腹に据えかねたのかな?

 「漢民族の子が扮した56民族の代表」「CGの花火映像」「口パクの歌」をあげて、

 <わけても口パクである。ある少女から「容姿」を、別の少女からは「声」を「いいとこ取り」するやり方には、「個の人格」を軽んじる危うさが透けていないか。「国益のため」という説明を聞くにつけ、国家主義の横顔が脳裏から消えやらない。>

 「国益」「国家主義」と朝日新聞が好きそうな言葉が並ぶ。

 <開閉会式の総監督を務めた張芸謀氏は、本紙との会見で「小さなことを意図的に拡大するのはよくない」と批判に異を唱えた。だが、大きな真実は往々にして、小さな穴からこそ、のぞき見えるものだ。>

 この「大きな真実は小さな穴からのぞき見える」って誰かの名言だったのかなあ、忘れてしまったけど、何か心に残る言葉だった。

 <ともあれ五輪は成功裏に幕を閉じた。17日間にわたった「お客さん用」の化粧を落として、中国は宴のあとの日常に戻る。化粧を落とした新たな表情は、大国としての自信を深めていることだろう。その「自信」の先行きに、隣人として目を凝らしたい。>

 という結びだった。1面の藤原秀人・中国総局長総括論文の見出しも<宴の後こそ向き合う時>。朝日は「宴」が好きだなあ。2面[時時刻刻]は<「成功」五輪遠い存在>の見出しで<チベット 僧に毎日「愛国主義教育」><ウイグル 「私たちに自由などない」><北京市民 「外出控えよう」標語>と北京五輪の「負の部分」を特集していた。

◆デモ申請77件、許可はゼロ

 読売新聞8月25日朝刊2面<デモ申請77件 許可ゼロ>は北京特派員の記事。

 北京五輪期間中に北京市内3カ所の公園内に限って認めるとされていたデモ行進は24日の閉幕日を迎えても1件も実施されないままに終わる見通しとなった、と書いていた。

 北京市公安局の18日の発表では今月1日以降、外国人3人を含む149人から77件のデモ申請があったが、1件も認められないまま、すべて取り下げられた、という。国境なき記者団(本部・パリ)によると、15人の中国人申請者が拘束されたという、とあった。

 朝日2面が特集した「負の側面」なんだけど、もっと大きなテロを封じ込められた北京共産党政権はホッと胸を撫で下ろしていることだろう。

◆5000年の歴史の中の17日間の「邯鄲の夢」、意義は大きい

 日経新聞8月25日朝刊1面コラム[春秋]は中国5000年の歴史を引き合いに出しながら、北京五輪の意義を説くスタイルだった。8月26日だったかの毎日新聞コラム[余録]も同じ手法を用いていたと思った。次のは日経の文章である。

 <中国は米国、ロシアに金メダル争いで圧勝し、愛国の胸は高まるばかりだろう。胡錦濤主席がいう「アヘン戦争以来、艱難辛苦の道を歩んできた」中華民族は一つの転機を迎える。一方、閉幕とともに不満が一気に噴き出す気配もある。これが現実だ。ギョーザ事件も少数民族の人権問題もすべて棚上げにしてきた。>

 <開会式で「朋あり遠方より来る……」と孔子の言葉で迎えた。その後、遠方の仲間は偽装五輪などと酷評した。論語はこのあとこう続く。「人知らずして慍(いか)らず、亦た君子ならず乎」(人から認められなくても腹を立てない、それこそ君子ではないか)と。中国が大人の国であれば早く変化の兆しを見せてほしい。>

 <冷厳な国際政治の現実はあるが、若いボランティアの多くは柔軟でしなやかだったと現地記者は伝える。神秘で異質な国も徐々に世界に扉を開いていくことだろう。中国5000年の歴史の中で17日間のこのスポーツの熱狂は「邯鄲の夢」のごときものだが、世界も中国も五輪によって互いを肌で知った意義は大きい。>

 悠久の歴史を世界に訴える中国に負けないように、孔子の言葉などを引いて、大きく構えたコラムだが、言わんとするところは良く分かる気がする。

◆中国メディアの五輪総括ぶりと日本の民放のうるさい中継ぶり

 朝日新聞8月25日夕刊1面は<五輪総括 自賛と自戒/中国メディア/当局の指導徹底>の見出しで北京特派員電がトップ記事。中国の新聞などが五輪をど総括したか、を見てみようという趣向である。

 <北京五輪の閉会式から一夜明けた25日の中国各紙は一斉に「過去に例をみない五輪」と成功を祝った。一方で、最多となった金メダル数については「冷静かつ理知的に見つめる必要がある」と呼びかける記事が目立つ。「肯定的かつ民族精神を高揚させる記事を書きながらも、過度にあおらないように」という五輪直前に中国当局から出された通達が色濃く反映されている。>

 <「五輪を通じて中国は世界と未曽有の親密な関係となり、新しい時代に突入した」――人民日報は1面に閉会式で手を振る胡錦濤国家主席の大きな2枚の写真を掲載し、共産党がもたらした成功であることをアピール。>

 <だが、世界中で話題になった開会式での少女の「口パク問題」など過剰演出や、会場周辺で取材中の外国人記者が相次いで拘束されたことは触れられていない。>

 <こうした報道の背景には、8月上旬、五輪批判を禁じてプラス面を強調するよう中国共産党中央宣伝部が各社幹部に指示した通達がある。…通達は「メダル数に固執したり予測したりする報道をするな」とも指示。世論形成に強い影響を持つネット上で獲得メダル数に関心が集まり、ナショナリズムが暴発することを恐れたためとみられる。>

 という内容である。謙虚に、謙虚に、と思いながら、紙面の端々から嬉しさがはみ出してくるような新聞だったのだろうなあ。

 朝日1面は<欧米は人権指摘>のベタ記事もつけており、米CNNの「言論の自由や政治的な抗議に対するスタンスに問題が残る」、英紙フィナンシャル・タイムズの中国当局がインターネットへの接続を制限したこと、デモを許可しなかったことを批判したことを取り上げた。

 しかし、この日の朝日新聞夕刊は、この1面記事よりも対社面の<識者の声>のほうが本音が見えて、面白かった。

 コラムニストの天野祐吉さんは

 <民放スタジオの狂想曲はひどかった。見ていれば分かることをいちいち言う。勝つと『ギャー』、負けると涙。競技の間は選手の汗と涙のビデオ>

 と、まずは民放批判をしている。民放アナウンサーの声、確かにうるさかったよなあ。

 また、天野さんは中国の人権問題について、

 <反対意見も分かるが、やらなかったら見えてこなかったことがたくさんある。テレビやウェブのおかげで、もう国威の発揚の道具にはならない。情報が流れるから問題をオープンにせざるを得なくなる。オリンピックもそういう時代になった>

 と話していた。この見解には賛成だがすぐに結論を出さず、じっくりと考える必要があると思う。

 中国社会に詳しい早稲田大学の園田茂人教授(比較社会学)は、

 <2億人強がネットで五輪を見た。ブログが炎上することもあるし、ネットでの世論調査もある。閉鎖されないよう、駆け引きしながら本音を出す。市民の成熟によって、世論形成のあり方も変わっていくだろう>

 と、五輪が中国社会を変える可能性あり、という前向きな捉え方。これが事実となればいい、と思うのだが。

◆日本の北京放送権料は198億円。バンクーバー冬季+ロンドン夏季五=325億円也

 読売新聞8月26日朝刊解説面<北京五輪のTV中継>で鈴木嘉一編集委員はテレビ中継で8日の開会式(37.3%)、日本が米国を破った21日のソフトボール決勝(30.6%)など、平均視聴率が20%を超えたのが15本(ビデオリサーチ調べ)だったとして、時差もあったが、前回のアテネ五輪は日本人選手が大活躍したのに、20%超えは7本だけだった。それに比べて、北京五輪の視聴率はすごい、という論調。NHKと民放で流した全番組の平均視聴率(10.7%)でもアテネを0.5ポイント上回った、という。

 NHKと民放が共同で取得した今大会の放送権料は1億8000万㌦(198億円)だった。

 その多くを負担するNHKはほとんど”五輪一色”に染まり、総合テレビ、衛星第一、衛星ハイビジョン、ラジオ第一に加え、時には教育テレビでも中継し、放送時間の合計は800時間に迫ったという。

 どうりで、いつどこのチャンネルを回しても五輪をやっていたわけだ。

 計173時間の放送を予定した民放は2局が同時間帯で別の競技・種目を中継する「2波出し」が前回の6回から10回に増えた、という。民放関係者は「営業的には競合を避けたいが、『生』を重視したから」と言っている、という。

 鈴木賢一・NHKスポーツ業務監理室長は「NHKと民放が五輪で生中継できる衛星回線は四つあり、今回はほぼフル稼働した。地上波と衛星放送の四つのチャンネルで、違う競技・種目をかなり生中継できた」と総括した。鈴木編集委員は「NHKと民放が視聴者の選択肢を広げた姿勢を歓迎したい」と評価した。

 2011年7月にはアナログ放送を終了し、完全移行する計画の地上デジタル放送にとっては2度目の夏季五輪だそうだが、この夏、デジタル対応の受信機は良く売れたそうだ。NHKは7月末でBSデジタル放送の普及が4000万件を突破し、地上デジタル放送は3757万件と推計しているそうだ。

 今大会は、全競技の国際映像が初めてハイビジョンで制作された。2006年から始まった携帯電話向けの地上デジタル放送「ワンセグ」のデータ放送で、五輪情報を提供した局もあるという。

 また、今大会では初めて五輪の映像がインターネットで国内に限り配信された。民放各局は共同の五輪動画サイトを開設し、5分以内に編集した競技・種目のハイライトを400本近く流した、という。人気種目に限らず、放送されにくいカヌーやセーリングなどの競技も取り上げたという。アクセス数は公表していないが、サイトではベスト5が1時間ごとに更新されたそうだ。

 NHKもホームページでニュース映像を配信し、動画へのアクセス数は110万を超え、「技術的には生中継も可能。今回は次の五輪をにらんで試験的に実施した」という。

 HNKと民放はすでに、10年のバンクーバー冬季五輪と12年のロンドン夏季五輪の放送権を325億円で一括契約、地上波テレビ・ラジオ、衛星放送、ネットの権利が含まれている、という。

 坂東記者のリポートにあったアメリカだけじゃあないんだ。足元の日本でも「五輪狂想曲」にならざるを得ない経営要請があったのだ、とシビアに資本主義の論理が分かる解説記事だった。

◆オリンピック選手の顔が幼く見えてしまったワケ~鹿島茂氏の分析

 面白かったのが毎日新聞8月27日朝刊文化面連載[引用句辞典 不朽版]<北京の「子供顔」>の鹿島茂氏の文章。

 見出しは<「自我パイ一人食い」という団塊世代の迷惑遺産>と、何やら見出しを見ただけでもそそられる。

 <「大塚 君(東浩紀)がよくいう小さな遊び場で、大人にならなくてもいいからっていうのは、それこそぼくたちの時代にもあったメッセージだよね。浅田彰の『逃走論』がある意味ではそうだったし、中森明夫たちが言っていることもそうだった。もっと言っちゃえば、それは団塊世代の思想だった。(中略)団塊世代も大人になりたくない大人たちだったから」(大塚英志+東浩紀の対談『リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか』講談社現代新書)>

 なるほど、これをまず引用してきたか。鹿島先生、さすがにいいところに目を付けておられる。

 <北京オリンピック・女子ソフトボールのテレビ中継で400球を投げぬいた上野投手の力投を見ながら、団塊世代以上の人は、昭和33年・日本シリーズの西鉄ライオンズ・稲尾、あるいは翌年の日本シリーズの南海ホークス・杉浦を想起したのではないだろうか?
 そうそう、昔の日本人には、たしかにこうした肉体の限界を越える超人的な「大人」がいたものだ。上野の顔は久しぶりに「鉄腕」という言葉を思い起こさせてくれた「大人顔」であった。>

 <半面、テレビ画面に映る日本人選手の顔が、種目・男女を問わず、ひどく幼く見えてしまったというのもまた事実である。これは私一人の思いすごしだろうか?>

 と、この問いが、北京五輪と今、最高に旬な本である「リアルのゆくえ」を結びつける結節点なのである。

 <どうも、そうとは思えない。欧米や中国の選手と比べて、日本人選手が例外的に若いというわけではないのに、日本人選手だけが特別に幼く、子供のように頼りなく見える。ごくわずかな例外を除いて、男も女もみんな「子供顔」なのである。>

 <かつて、マッカーサー元帥は離日後のアメリカ上院で、民主主義の成熟度に関して(ただし、好意的な意図のもとに)「アングロサクソン民族が45歳の大人だとすれば、日本人は12歳の子供だ」と発言して物議をかもしたが、この元帥の言葉を、ごく単純に肉体的、精神的成熟度と捉えた場合、それはそのまま21世紀の日本人に当てはまってしまうのではなかろうか?>

 なるほど、フンフン、それで…。

 <なぜなのだろう? なにゆえに、また、いつごろから、日本人は肉体的にも精神的にも大人になることを拒否して、子供のままであり続ける道を選んだのだろう?>

 名調子である。

 <思うに、原因は二つある。>

 そうか、二つか。

 <一つは、日本における高度資本主義の異常な発達。なぜ、高度資本主義が「日本人総子供化」の要因かといえば、それはマーケットの大半が子供(大人になりきれない大人)であれば、それだけ儲かるという原理が働いているからだ。>

 <商品に対する判断力をもった大人が消費者では、新しくて便利な商品の宣伝をしても、簡単には買ってもらえないが、消費者が子供なら、いくらでも宣伝に乗せることはできる。世の中に子供が増えれば増えるだけ、高度資本主義は儲かるような仕組みになっているのである。>

 売りつける対象とは確かに判断能力のない「子供」のままフリーズドライしておけば、物を売りやすいだろう。流行させれば買うのだから。

 <もう一つは、成熟に伴う責任を回避したいと願う人間がある時期を境に急激に増えてきたこと。その時期とは、これは自ら体験したことなのではっきりといえるが、団塊の世代の登場からである。>

 さあ、「団塊」責任論である。居住まいを正して読もうじゃないか。

 <思い出していただきたい。大学生になってもマンガを読む。背広のかわりにジーンズとTシャツを着る。結婚を回避して同棲を選ぶ。サラリーマンとなるよりも民芸品店(あるいはモダンジャズ喫茶)の主となる、等々、記録に残されている団塊世代の特徴は、いずれも成熟拒否のピーターパンたちの発したメッセージだったのだ。>

 ピーターパン症候群かぁ、懐かしい言葉がたくさん出てきます。

 <それは、自我というパイを家族、共同体と分かちあうことを前提とする日本人的な、いいかえれば大人的な生き方を、団塊世代がなによりも鬱陶しいと感じ、自我パイは全部一人で食べたいと思ったからにほかならない。>

 <もちろん、自我パイの一人食い(これは当時、「感性の無限の解放」などと呼ばれた)は共産主義ユートピアと同じくらいに不可能な絵空事なのだが、しかし、それは幻想であるだけに、後続世代に強い影響力を及ぼした。>

 <共産主義の幻はあとかたもなく消え去ったが、「自我パイ一人食い」幻想の方は消えるどころかますます強固なものとなり、その結果、気がついてみると、日本人は全員、自我パイは一人食いしていいと信じる「子供」と化していたのである。>

 随分とひねくれた文明論だな、これは。「自我パイ」の配分論って誰の論理なんだっけ?

 <オリンピック選手の子供顔を責めるのは酷である。彼らを子供顔にしたのは戦後の日本社会そのものなのだから。>

 と、まあ、”鹿島節”全開です。好きなテーマなので、読みながら、ついつい全文を引き写してしまいました。

 異論反論もあるし、「子供顔のせいだけじゃあないだろう」、と突っ込みを入れたくもなるが、こうした、ちょっとひねくれた分析というか、見方は、みんなが一点集中、蛸壺に入ろうとしている時には強烈な爆弾となって、理性を呼び戻してくれるきっかけになるかもしれない。

 このタイミングで東、大塚の対談本と北京五輪を結びつけた牽強付会さ。鹿島さんの精神力というか、体力はすごいと思う。こうした”斜め斬り”論文を新聞社の編集委員とか遊軍記者にももっともっと書いてほしかった。もっと読みたかった。野球選手、男子体操、柔道…みんな幼かったんだもん。ひ弱だったんだもん…。カッカしている時こそ、こうしたシラケさす論文が必要なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月20日 (水)

1968 年8月20日「プラハの春」ソ連軍弾圧から40年~読売、産経新聞から

 8月20日は40年前にソ連軍がチェコスロバキアに侵攻した日だ。
 読売新聞20日朝刊国際面<苦い記憶 今も/「プラハの春」から40年/夜空に響く抵抗の歌>に関連記事が掲載されていた。

 [クリップ(ことば説明)]で「プラハの春」を「チェコスロバキアで1968年に盛り上がった民主化・自由化運動。ドプチェク共産党第一書記らが『人間の顔をした社会主義』を模索した。しかし、社会主義防衛を大義名分にワルシャワ条約機構軍が軍事介入。ドプチェク第一書記は失脚した」と、簡単に説明していた。ソ連を中核とするワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに侵攻し、民主化運動を鎮圧したのはちょうど40年前の1968年8月20日だった。

 読売新聞の記事に、
 <40年前の事件は今日のロシアによるグルジア侵攻とも対比され、にわかに注目されている。>
 とあるように、40年後のグルジアへのロシア軍事介入は、ソ連を中心としたワルシャワ機構軍が「プラハの春」を圧殺した忌まわしい記憶を世界の一定年代以上の人々から呼び覚ましつつある。
 読売記事は1968年の侵攻当時、人気絶頂の25歳アイドル歌手だったマルタ・クビショバさんが地下放送局で自分の名前にちなんだ「マルタの祈り」を歌い、電波にのせたことを紹介。65歳になったマルタさんは取材に対し「抗議を込めて急きょ作ってもらった曲。自分なりの抵抗だった」と振り返っている。
 記事を引き写す。
 <だが、間もなく成立した親ソ政権は「反革命勢力」弾圧に乗り出し、『マルタの祈り』は放送禁止になった。クビショバさんは捏造ポルノ写真をばらまかれ、音楽界を追放された。国営企業事務員として細々と暮らしていたクビショバさんは20年後、カムバックする。89年11月、プラハ中心部のバルコニーに、民主化運動を率いる劇作家ハベル氏(後の大統領)に促され立ち、数万の民衆の前で『マルタの祈り』を歌った。共産政権を崩壊させたビロード革命の勝利を決定付ける歌声だった。>
 軍事介入から20年、チェコスロバキアにようやく変化が現れた、というのだ。
 <プラハ大学哲学科のミシュラフ・ベドナル教授(59)は『チェコ国民はプラハの春の挫折を通して、共産主義にとりわけ深い不信感を持つに至った』と指摘し、それが、現トポラーネク政権の急進的な市場経済改革路線の根底にある、と話す。自由経済の下で、福祉予算が削られ格差も広がった。アパートで一人暮らしのマルタ・ヘンドリホバさん(88)は「毎月の薬代が大変。不自由だったけれど国がいろいろ面倒を見てくれた民主化以前の時代が懐かしくなることもある」と嘆息した。>
 心の傷跡である。共産主義への敵意が「公平な分配」という政策への嫌悪を生むのだろう。大きな政府で平等を目指して再分配を徹底するのが社会民主主義政権だろうが、北欧のような高負担高福祉政策は旧共産圏では逆に取りづらいのではないか、と思う。市場原理主義に近い「市場信仰」で経済政策を進めれば、国際資本に敗れるのは確実である。88歳の老婆の「不自由だったけど民主化以前が懐かしい」という感覚は国民の深層心理にあるものの、それが政策として実現するのは大変だろう。
 産経新聞も20日朝刊1面トップ<「プラハの春」弾圧から40年 今またグルジア/露 変わらぬ支配意識>と3面トップ<グルジア紛争「制限主権論」再び?/「イワンよ祖国へ帰れ」>でプラハ特派員の黒沢潤氏が長大論文を書き、3面にはモスクワの佐藤貴生特派員による<「侵攻」非難しない露国民>という別稿が付けられていた。
 文章もだが、最も懐かしかったのは3面の1968年のメキシコ五輪で跳馬の演技に挑むベラ・チャスラフスカさんの写真だった。
 ソ連からは若い選手が参加した。大人の色気を感じさせる美貌のチャスラフスカさんではあるが、技術点で負けるのではないか、と思った。でも、各国審判に「大国ソ連が小国チェコを蹂躙した」という2カ月前の記憶が鮮明だったのか、判官びいき判定のせいか、1964年の東京五輪に続き、彼女は優勝した。
 写真を見て「40年も前のことだったのか」と、改めて月日の流れの早さを感じる。「プラハの春の弾圧から40年」と言われても、感情は沸き上がらなかったのだが、「チャスラフスカの写真」は40年も昔の感情を甦らせてくれた。メキシコ五輪と、その前の東京五輪の2回の強烈な印象があったからだろうが、視覚に訴える写真・映像メディアの強さを証明するものでもある。
 なお、22日の読売新聞インターネット版には、
 <東京、メキシコ五輪金メダリスト、チェコスロバキア女子体操のベラ・チャスラフスカさん(66)が、21日発行のチェコ主要紙イドネスのインタビューで、40年前の民主化運動「プラハの春」がソ連軍侵攻で挫折した体験を踏まえ、ロシアのグルジア侵攻を「40年前とほとんど変わっていない」と非難した。プラハ在住のかつての体操の花は、元夫が息子の暴行で死亡した事件後、10年以上も世間と接触を絶っており、メディアへの登場は異例。チャスラフスカさんは、インタビューの中で、ソ連軍侵攻の2か月後、4種目で優勝したメキシコ五輪に「祖国の屈辱をはね返すため、最高の演技を誓って臨んだ」と述懐。表彰台ではソ連の選手に背を向けたが、「内心かわいそうと思った」と語った。>
 という記事がアップされていた。そういう事情だったのか、と初めて知った。
 閑話休題だった。本題に戻る。
 産経新聞によるとソ連の後継国ロシアによるグルジア軍事介入をプラハの市民たちは「あの日」と重ね合わせてみている、と書く。「弾圧を後に正当化した『ブレジネフ・ドクトリン』(制限主権論)という亡霊の復活とも受け取られており、チェコのみならず周辺の東欧・旧ソ連諸国をも震撼させている」が1面前文だ。
 記事によると、起訴休職外務事務官の佐藤優氏は「チェコスロバキアへの軍事侵攻に際し、ソ連は『社会主義共同体の利益に反する場合、個別国家の主権が制限されることがある』という『ブレジネフ・ドクトリン』を唱えた。今回のロシア軍のグルジア侵攻にあたって、『ネオ・ブレジネフ・ドクトリン』とでもいうべき制限主権論がロシアで頭をもたげている」と話している、と。ライス米国務長官が「ロシアはグルジアから撤退すべきだ。今はもはや1968年ではない」の言葉はプラハ市民の気持ちを代弁している、と。
 また、チェコでは最近、”運命の8”をテーマにしたテレビの歴史番組が盛況だそうだ。ナチス・ドイツの保護領となる契機になったミュンヘン協定締結の38年▽新生チェコスロバキア誕生の48年▽「プラハの春」の68年、だ。グルジア紛争の08年もチェコ人にとって「特別な年」になるだろう、と書く。
 チェコスロバキアに投入されたのは戦車6300両、兵員30万人。プラハに侵攻した戦車はラジオ局を急襲し、徒手空拳の市民にも襲いかかった。現場にいたプラハ歴史研究所のオルディッチ・トゥマ所長(56)は「恐れ、怒り、悲しみ、失望の四つを一度に味わった」と話している、という。市内では「イワン(ロシア男性の典型名)よ祖国へ帰れ」の怒号が沸き起こった、という。
 1968年1月に党第一書記に就任し、プラハの春をもたらしたドプチェク氏の元内政顧問、ミハル・ライマン氏(78)は「ソ連からの度重なる脅迫、言論・移動の自由の欠如に辟易していた」と証言したという。68年6月にはソ連音干渉に武力抵抗するとの挑発的な「二千語宣言」も民間から出され、有力者が署名。だが、こうした民主化の機運やソ連への抵抗は戦車に粉砕された。
 1977年に突然、劇作家ハベル氏らが人権擁護の「憲章77」を発表し、89年には無血民主革命の「ビロード革命」を完遂する。
 記事の結びの文章は次の通り。
 <「プラハの春」に若者たちが見いだした希望の芽を、無情にも踏みにじったソ連への報復ともいえた。グルジア紛争で見え隠れする制限主権論の亡霊は、ロシアに思わぬ”報復”をもたらすのだろうか。>
 つまり、産経新聞の記事は読売新聞の回顧記事レベルではなく、ロシアのグルジア介入という現時点の動きについて「どんな意図なのか」を探った、ギラギラした記事なのだ。
 グルジアとロシアに関しては「新ブレジネフ・ドクトリン」というイデオロギーがからむ問題ではなく、民族問題が占める比率が大きいようにも見える。グルジア問題については別に書こうと思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月17日 (日)

口パク、「56民族の子」は嘘・・・北京五輪開会式の過剰演出はフェイクなのか

 北京五輪開会式の「やり過ぎ」がいろいろ話題になっている。
 まず、8日夜の開会式で雨が降らなかったのは「中国当局がロケット1000発余を発射し、接近してきた雨雲を散らすことに成功した可能性があることが9日分かった。新華社電が伝えた」(日経8月9日夕刊対社面<雨雲を散らすロケット発射? 開会式、新華社報道>)というもの。
 日経は続けて「新華社電によると、北京市気象当局は8日、北京市内の南西から開会式が開かれる国家体育館(愛称・鳥の巣)がある北東方向に雨雲が接近しつつあると察知。同日夕以降、ヨウ化銀を含んだ小型ロケット1041発を市内21ヵ所から発射し、鳥の巣上空に雲が到達する前に、郊外で雨を降らせたという」と書いている。
 フーン、白髪三千条の世界だな、これは。「ここまでやるか」、とは思うが、ここは素直に中国の科学技術の素晴らしさと科学を日常生活や政治にすぐさま取り入れることのできる柔軟さに敬服すべきだろう。何しろ、祝賀ムードに沸く中国では開会式のテレビ視聴率が83.6%を記録した、と国際オリンピック委員会(IOC)が発表したそうで、中国内で8億4000万人が最終走者が宙に舞うなどした祭典の映像にくぎ付けになったというのだ。「IOCは「驚くべき数字」と表現している」と朝日新聞11日付朝刊対社面が報じていた。中国共産党にしたら絶対に失敗できない世紀の事業だったのだ。雨を移動させるくらい、何ともなかったのかもしれない。
 この雨、なぜ中国当局がそこまで神経質になったのか、と疑問だったのだが、朝日新聞12日夕刊対社面<「足跡花火」実はCG映像 五輪開会式>を読んで納得した。
 <国際オリンピック委員会は12日の会見で、北京五輪の開会式で花火がテレビ放映された際、巨人の足跡を表現した花火は、開会式以前に打ち上げられた花火の映像を使っていたことを明らかにした。地元紙の報道によると、過去の映像をコンピューター・グラフィックス(CG)の技術を使って組み合わせたという>
 という前文である。
 <この花火は、第29回の五輪にちなんで、巨人が北京市南部から天安門広場を通り、開会式会場の国家体育場(愛称・鳥の巣)に向かって29個の大きな足跡を刻むという演出。花火は実際に打ち上げられたが、航空管制があり、撮影も角度の問題から難しいことから、最初の28歩、55秒間は過去の映像を使うことに決めた。最後の1歩は、鳥の巣から打ち上げられた実際の花火を使ったという。>
 <報道によると、北京五輪の映像効果担当者らが認めた。CGを駆使した花火の特殊映像は約1年かけて準備したものだったという。>
 <北京の五輪関係者は「生中継する際、失敗しないため合成映像を使うことは普通にあることだ」と話した。>
 という内容。中国はここでも素晴らしい技術を駆使していたのだ。ただ、どのように夜空に映したかは知らないが、雨が降ったら失敗していただろう。実際の花火だったら、雨の中でもきれいに花開くが、CGはそうはいかないからだ。なるほど、このために雨を消すロケットを打ち上げたのか、と納得したのだ。
 しかし、それだけではなかった。今度は「口パク」疑惑である。
 毎日新聞13日朝刊対社面<豪華開会式「過剰演出」あちこちに/9歳少女の歌は「口パク」/実は別の7歳が……>は北京発の共同通信電を使い、以下のように報じた。
 <北京五輪開会式で、中国国旗が五輪メーン会場の国家体育場(愛称・鳥の巣)に入る際、9歳の少女が革命歌曲を歌う場面が、実際は別の7歳の少女が歌った「口パク」だったことが12日分かった。中国の通信社、中国新聞社が同日伝えた。音楽を担当した作曲家、陳其鋼氏は「国家利益のためだ」と説明しているが、国内からも批判の声が出ている。>
 <革命歌曲「歌唱祖国」を歌った画面が放映されたのは林妙可さん(9)。大舞台の緊張をはねのけ、お下げ髪で笑顔を絶やさずに歌う様子がメディアで反響を呼び「微笑の天使」と大きく取り上げられた。ところが、実際に歌っていたのは北京大付属小学校1年の楊沛宜さん(7)だった。林さんが事前に声の差し替えがあると知っていたかどうかは不明。楊さんは「開会式で自分の声が出ただけで満足」とコメントした。>
 読売14日付朝刊対社面は<開会式の歌は「口パク」 「容姿抜群」「歌声抜群」2人組み合わせる>ともっとどぎつい見出し。
 <インターネット掲示板などでは、子供に「口パク」させたことや、容姿で子供をふるいにかけたことへの非難が続出した。楊さんは中国メディアの取材に、「自分の声が流れただけで満足です」と答えているという。>
 と、中国人もこの演出を問題視している、と書いた。
 さすがにここまでくると、各紙のコラムニストもほっておかない。
 朝日新聞14日「天声人語」は野口みずき選手の欠場を惜しみながら、一転「政治が絡む五輪には虚実が交じる。特に北京の開会式は『虚』の世界だった」として、次のように書いた。
 <千発もの「消雨弾」が雲に撃ち込まれ、花火の映像は一部CG、美少女の独唱は口パクだった。裏で歌ったのは、見た目は及ばぬが声は一番とされた別の少女である。音楽総監督は「国益を考えた」と明かした>
 野口みずきさんの欠場という決断は「実」そのものだったのに、その反対に、中国の「虚」が目立つ、と。
 中国共産党もあわてたらしい。毎日新聞15日朝刊社会面<「口パク」報道禁止令 北京共産党委>は北京発の共同通信電で、共産党のアタフタぶりを以下のように伝えている。
 <中国メディア関係者は14日、開会式で少女が革命歌曲を歌う場面が別の少女の”口パク”だった問題について、共産党の北京市委員会宣伝部から同日、報道しないよう通知があったことを明らかにした。口パク問題に対し国際的な批判が集まる中、国内でも否定的な意見が多く、メディアの報道を禁止して共産党や北京五輪組織委員会への批判が広がるのを抑えるのが狙いとみられる。>
 朝日新聞15日付朝刊は1面、2面で中国当局によるメディア規制について特集した。
 <北京五輪開幕直前の8月上旬、中国当局が国内メディア各社に対し、五輪期間中の独自取材を厳しく規制し、違反には廃業や罰金などの処分を科すとする内部通達を出していたことが明らかになった。中国当局はメディアへの開放度をアピールしているが、足元では引き締めを強めていた。>
 という1面前文で、中国共産党中央宣伝部がマスコミ各社に出した通達の内容を詳述している。インターネット掲示板への「国家の利益に反する意見」の書き込みの削除も徹底するよう、指示している、というのだ。2面[時時刻刻]の見出しを見ただけでもすごい。<中国国内メディア規制/五輪報道がんじがらめ/独自取材に高額罰金/「ナショナリズムあおれ」指示/記者証、国営2社に9割/地方紙「自国で取材できぬとは」>である。中国のニュースメディアは「共産党ののどと舌」と言われ、党や政府の方針を伝えることが第一の役割とされる、とある。新聞は約2000紙あり、最近は大衆紙が急増していると。豊かになれば時間もできるし、スキャンダルや下世話な話題が掲載された紙面を読みたくなるのだろう。日本だってそうだった。テレビは2006年現在でチャンネル数は全部で2983ある、と。この他にインターネットのニュースサイトがあるから、中国共産党がいくら人海戦術で規制しようとしてもなかなか難しいのだろう。
 毎日新聞16日朝刊[余録]も1950年代に毛沢東の指導の下に進められた大躍進政策のPRのために、中国農村のびっしり密集して植えられた稲の上に子供が乗っている写真がトリックだったこと、大躍進はさんたんたる失敗で多数の餓死者を出す大凶作を招いたが、そんなトリックも交えた情報操作を民衆動員に利用してきた中国政治だった、と振り返り、やおら五輪開会式の様々なトリックを取り上げる。
 <内外で物議をかもすことになったのが開会式の演出のトリックだ▲ことは少女による革命歌曲の歌唱が、実は別の少女の歌声だったという「口パク」の一件だ。言ってみればそれだけの話だが、少女らの心を傷つけたであろうこの演出が、共産党幹部の指示によるとの報道や、国家利益を考慮した措置だったとの説明がなされれば論議も起ころう▲欧米のメディアは中国当局の”偽装”を批判し、国内のネットでも「人々の感情をもてあそんだ」などといった非難が出た。広がる騒ぎに、とうとう共産党の北京市委員会は口パク問題についての国内メディアの報道を禁止してしまったのだ▲結局、口パク騒動が浮き彫りにしたのは、演出の細部からその報道まで政治的に統制された五輪の舞台裏だ。躍動する人間の美と真実とをたたえる五輪の成功は、統制の稲束の上ではなく自由な報道と言論の上で実現してほしい>
 日本人ならば当然言いそうな内容である。欧米のメディアもこのような見方で一致しているのだろう。

 さらに15日には「民族偽装」問題まで持ち上がった。

 北京五輪組織委員会が15日、開会式で「中国の56民族を代表する」と紹介した民族衣装の子どもたちのうち、少数民族の子どもは少数で、ほとんどが漢族の子どもが少数民族の衣装を着ていた、と発表した。まあ、漢族は人口の92%を占める多数派だから、目くじら立てなくても、とも思うのだが、配布資料にも「中国の56民族から56人」とあり、これもフェイクだ、とされて、各紙とも16日朝刊で目立つ扱いをした。

 もはや、日本の新聞社会面は「中国フェイクばかばかし五輪」のお笑いショーのようになってきた。
 そんな中で、東京新聞16日夕刊1面<「偽装」続々/五輪開会式 花火の次は口パク/一部では「一般的な演出」/中国の「慣れ」指摘も>はこの問題を少し突き放したスタンスで、なるべく客観的に扱おうと努力した記事だった。
 最後に(北京・共同)とあるので、共同通信社の北京特派員がまとめた記事のようだ。
 口パク問題から入っている。
 開会式の音楽を担当した中国の著名作曲家、陳其鋼氏が「仕方がなかった。(共産党)中央政治局指導者の意見があった」として、リハーサルを見た党指導部の指示で、画面の少女と違う少女の声を充てたことを北京のラジオ局に”告白”した、という。
 <北京五輪組織委員会の孫偉徳新聞宣伝副部長も「責任者が最高の組み合わせを選んだ」と説明した、と。しかし、一人の少女が歌ったと信じ、華やかな開会式に目を見張った世界の観衆は「フェイク(偽装)」(英紙)に一杯食わされた格好だ。>
 ところが、東京新聞のすごいところは、
 <一方、中国国内では、口パクや花火の合成映像について「結果的にすばらしい演出。何を目くじら立てるのか」(二十代の映像編集者)との声も。公安関係者は「中国の大きな大会での演出では”口パク”は一般的。批判する人は中国の国情を知らない」と反発。さらに「外国メディアは中国に対し(おとしめようとの)意図があり警戒しなければならない」(北京の大学教授)と「ナショナリズム」の影もちらつく。>
 と、深い取材の成果を紙面化していることだ。さらに、
 <中国社会の「偽装慣れ」を指摘する声も。北京の大学教授はウェブ雑誌への論文で「学歴、証明書、数字、ニュースーー。あらゆる分野で毎日のように偽造が行われている」とし「事件は国の恥。国家のメンツと偽造が中華民族を滅ぼす」と懸念を示した。>
 と、”良心派”の声も紹介。
 <反響の大きさを気にした中国当局は”口パク”など偽装に関する報道を控えるようメディアに指示。国内での報道はほとんど消えた。陳氏のインタビューも一部ウェブサイトに転載後、削除。北京のフリー記者は「当局者はニュースと宣伝の境界が分からなくなっている」と批判。中国電媒大学の宮承波教授(メディア論)も「開会式は映画ではないのだから偽装はせず真実に重きを置くべきだった」と指摘した。中国誌の幹部は「昔ながらのばからしいやり方を国際的な大イベントでやったから海外から批判を浴びた。中国国内では何も驚くことではない。個人の尊厳を無視し党のメンツを優先させる共産党の古い体質がそのまま表れた」と話す。>
 と、様々な立場の中国人の見方を紹介した。結びの言葉は次の通り。
 <国を挙げての「政治運動」(反体制活動家)の側面を持ち一つのミスも許されない五輪。「世界の祭典」であるはずの開会式は「中国の祭典」の振り付けにこだわり、「一つの世界」のスローガンと裏腹に中国の異質さを世界に印象づけてしまった。>
 この記事にめぐりあって、ようやく読みたい記事が出てきた感じがした。
 そうなのだ。欧米の反応は聞かなくても分かっている。そのような欧米の反応を一般の中国人、特に知識階級の人やエリート層はどうとらえているのか? ただ単にナショナリズムで固まるだけなのか? それとも世界の常識を知ることができるのか? という疑問に少しは答えようとしているのだ。
 東京五輪で日本人はアメリカ人だけでなく、欧州の人々を現実に見て、世界の常識が日本の常識と同じではないことに気付いた。ソウル五輪で、それまで情報過疎地帯に置かれていたことすら知らなかった韓国の人たちが世界を知った。中国の人々にとっては今回が世界を知るチャンスになる。
 その意味では欧米や日本の常識と違うから、というだけの理由で真正面から非難するよりも、このように多面的な見方を紹介しながら「変化」を期待したほうが生産的ではないか、と思うのだが。

 (追記)2008年8月19日

 朝日新聞18日夕刊総合面[窓~論説委員室から]<北京と東京、五輪の空>で伊藤智章氏が1964年の東京五輪当時の大気汚染のほうが今の北京の大気汚染よりもひどかったのではないか、という環境問題の論客、中西準子さんの話を書いていた。三菱総研、国立環境研究所などの資料を見ても44年前の東京は今の北京に比べ二酸化硫黄濃度が1.5倍。一酸化炭素は2倍以上。浮遊粒子状物質もほぼ同じレベルだった、と。

 そして、当時は高度経済成長真っ盛りで池袋に住んでいた中西さんは空気が悪くて咳き込んだり、汚れた川に近づけなかったりした思い出があるというが、伊藤氏の思い出の東京五輪は澄んだ青空の開会式に代表され、輝ける成功体験の印象が強かった、という。

 <一方で、海外からの批判も気にして自動車や工事の規制までする、いまの中国をいくぶんこっけいにみている気がする。本当は日本こそ、五輪のときから公害対策を本格化させるべきだったのに。>

 <中西さんも「自分たちが通り過ぎた時代を忘れ、いまの感覚だけでモノをみている」と現在の風潮を気にしていた。>

 と、ここで、朝日新聞の論説委員の中からも東京五輪、北京五輪の時代状況を冷静に比較するコラムが出てきた。メダル争い報道に一服感が出たので、ようやく「考えた記事」が出始めたのかもしれない。

 この日の朝日新聞夕刊社会面トップは開会式・閉会式の総監督である張芸謀(チャン・イーモウ)氏との単独会見を掲載、<口パク演出「私が決めた」「五輪刺激に交流進めば」>の見出しで、口パクは許容範囲内だが、西側メディアの批判は気にしない、というインタビュー内容を載せていた。

 読売新聞18日夕刊1面トップは<中国「金」に熱狂>と、残り1週間の折り返し地点を過ぎ、金メダル数で中国が35と二位の米国19個に16個の差をつけていることを報じ「テレビは画面下に、頻繁に国別メダル数を流し、メダリストを総動員して称賛する番組も放映されている」と。日本が初参加したストックホルム五輪(1912年)からアテネまでに獲得した金メダル総数114個。中国はアテネまで112個で、11日には「日本が過去に獲得した金メダル数を抜いた」の報道もあったという。相当に日本を意識してくれているだなあ、と何かうれしくなる記事だ。朝日も1面で<金メダル中国独走>を載せていた。

 ところが、中国の五輪特需は期待外れだという。日経新聞18日夕刊1面<中国、五輪特需意「期待外れ」/家電販売やホテルの集客伸びず/景気一段と減速も>と日経らしいトップ記事。競技観戦用の需要増が見込まれていた液晶テレビなど家電製品が鈍く、ホテルの集客数も期待した水準に達していない、と。本当ならば、五輪後の景気後退期の落ち込みがひどくなるのか?

 18日夕刊各紙は陸上110㍍障害で劉翔選手の棄権を報じた。中国の「英雄」が脚の故障で競技直前というか、フライングやり直しの時点で「走れない」と棄権したのだ。読売新聞19日朝刊国際面<棄権の劉翔ネットで袋だたき/「逃げ劉」「脱走兵め」>には驚いた。中国のインターネットが18日、劉翔選手を罵倒する声であふれかえった、というのだ。

 <国民の期待を一身に集めた英雄が、転落した瞬間、無数の”つぶて”を浴びた。>

 <「この脱走兵め」「意気地なし」「13億人を傷つけた。新記録だ」……大手サイト掲示板に殺到する万単位の書き込み。多くが怒っている。ライバルの強さを知る中国国民はもともと金メダルは難しいと見ていたが、こんな形での敗北は想定外だった。「逃げ劉」―-四川大地震で生徒を放って校舎から逃げた教師と同じ呼び方がすぐに広がった。>

 <「がっぽりもうけて最後はこれか」というカネ絡みの批判も非常に多い。超格差社会の特徴だ。中国誌によると、CMで引っ張りだこの劉翔選手は昨年、推定6000万~7000万元(約9億6000万~11億2000万円)の収入があった。>

 と、連綿と悪口の紹介があり、最後の締めは、次の文章だった。

 <沸騰する掲示板にこんな書き込みがあった。「異常な社会だ。非常に多くの中国人が、責任と義務を他人に押しつけようとし、その人が成功すれば天まで持ち上げる。そのかわり、失敗すれば地獄に落とす」>

 これも中国社会の一面である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月10日 (日)

<東京から北京、「戦後」の終わり>~日経新聞2面コラム

 北京五輪に関するコラムは初日の日経新聞社会面の大型コラムを褒めたが、別の意味で日経新聞10日朝刊2面コラム[風見鶏]の中沢克二政治部次長の<東京から北京、「戦後」の終わり>と題したコラムは考えさせる内容だった。

 「アジアで初のオリンピックである1964年の東京五輪。ジェット機が大空に五色の雲の輪を描く華やかな開会式の映像が、日本の戦後復興の様子とともに世界に流れてから6日後、中国・新彊で不気味な雲が昇った。中華人民共和国はアジア唯一の核保有を宣言し、東京五輪に対抗した。」

 44年前のこと、忘れていた。そういうことだったんだなあ。

 「戦後19年。東京に向けてアジアを走り抜けた聖火は、先の戦争に絡み複雑な対日感情が残る地に、平和国家日本の戦後の歩みを印象付けた。ラングーン、バンコク、クアラルンプール、マニラ、香港、台北……。ただ、肝心の中国大陸は迂回する。」

 五輪と政治。東京新聞9日夕刊1面コラム[放射線]で酒井啓子・東京外語大大学院教授が書いていたことも思い出す。酒井氏は64年の東京五輪2年前に行われたインドネシアでのアジア競技大会でインドネシア政府がイスラエルの参加を拒否したため、IOCがインドネシアの五輪参加資格を停止したため、同じく反イスラエル姿勢を取るアラブ諸国の多くが五輪ボイコットを表明し、最終的にはボイコットは回避されたが、パレスチナ問題が影を落とした大会になった、と書いていた。

 さらに酒井氏によると、1972年ミュンヘン五輪は1967年の第3次中東戦争でアラブ側が大敗し、70年にはヨルダン政府がパレスチナゲリラを弾圧するという緊張のさ中の大会で、パレスチナゲリラがイスラエル選手村を襲撃。1980年のモスクワ五輪は前年のソ連軍のアフガン侵攻で西側諸国がボイコット。次の1984年ロサンゼルス五輪はソ連、東欧諸国がボイコットし、1988年のソウル五輪でようたく東西両陣営がそろって参加した。90年代の五輪ではソ連崩壊やユーゴ内戦で旧社会主義国の選手の凋落が目立った、という。

 このような外国のことは覚えていたのだが、肝心の日本の五輪について何故このように忘れているのだろうか?

 「10年ぶりに中国トップが来日した今年5月。『国民も戦後、努力して経済発展し、戦後が終わったと東京五輪開催で思った』。会談後、福田康夫首相は胡錦濤国家主席を前に『日本の戦後の終わり』として東京五輪を振り返った。」

 「当時の中国紙は核実験成功で埋まり、自国選手団がいない東京五輪の影さえない。『人民が勝ち取った偉大な成果。止めようとしても徒労に終わる』。中国の物言いは今の北朝鮮に似ている。日本人が戦後の終わりと感じた東京五輪。中国が蚊帳の外だったことは国交正常化後、歴史認識問題が延々と続く伏線になる。」

 福田首相の折角の挨拶が中国国民には通じない。中国人は東京五輪をほとんど知らないで育っている。これもショックな事実である。いろいろな事実を合わせれば、こういうことになるのだろうが、こう書いてもらわないと実感として分からない。

 「日本で『戦争への反省』の雰囲気が最も濃いのは50、60年代の東京五輪までだろう。日中の国交正常化と平和友好条約の締結は70年代だが、人的交流が深まるのは中国の『改革・開放』後の80年代。戦後政治の総決算を掲げる中曽根内閣が登場していた。」

 「中国側は平和国家として必死に努力した時代の日本を知らず、首相の靖国神社参拝など『反省しない日本』という印象を深める。世代交代した日本でも戦争は遠い過去になっていた。『いまさら反省といわれても』との反発が生まれ、負の連鎖が始まる。」

 「自明に見える『戦後日本の平和国家としての歩み』を中国が評価したのはなんと2年前だ。両首脳が署名した日中間の第4の政治文書『戦略的互恵関係の包括的推進に関する共同声明』への盛り込みは今年5月。中国はようやく『日本の戦後の終わり』を認めた。」

 日中の認識ギャップを生んだ大きな原因はこんなところにあったのだろう。ODAで日本が中国に寄贈した施設なのに、中国の国民が見える場所に「日本」の名前がない、など個々の事象は知っていたが、こうした大きな枠組みで示してもらうと、よく分かる。

 「東京五輪から40年以上もかかった遠因はアヘン戦争以来、列強に踏みにじられた中国独特の心の傷ともいえる。五輪開催で中国の長い戦後も終わり、日本の戦後の終わりを受け入れる自信と余裕が生まれた。」

 「5月と7月の胡主席来日の合間に東シナ海のガス田問題で合意し、両首脳は今回も北京で会った。『率直に何でも言い合える仲になりつつある。素晴らしい』。福田首相が自賛する蜜月。それはなんとしても五輪を成功させるため、日本を味方に引き込む必要があったからでもある。チベット問題での日本の態度は欧米ほど厳しくなかった。」

 「福田首相、ブッシュ大統領、プーチン・ロシア首相……。8日の開会式には中国の狙い通り、各国の首脳級がずらりと並んだ。」

 「五輪成功のための方便としての微笑外交――。とすれば揺り戻しもあり得る。最近、中国内で開かれた対日政策の検討会合。多くの有識者が『日本に譲歩し過ぎ』と批判し、外交当局者も説明に苦慮する場面があったという。問題は5月の共同声明に、日本の国連安保理常任理事国入りに道を開きかねない表現がある点や、ガス田合意などだった。」

 「問われるのは北京五輪後だ。ギョーザ問題を含め難題が残る。東京五輪から半世紀近く。やっと戦後を終えた両国は、首脳が頻繁に顔を合わせる対等な隣国関係づくりのスタート台に立ったにすぎない。」

 今の日中関係を考える時、このような歴史を踏まえたパースペクティブをいかに示せるか、で思考の深みが違ってくるのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年8月 9日 (土)

北京五輪開幕と各紙大型コラムについての短評

 8月8日午後8時8分(日本時間9時8分)、第29回夏季オリンピック北京大会の開会式が北京市北部の国家体育場(愛称は鳥の巣)で始まった。テレビの同時中継で見ていたが、中国お家芸の人海戦術とCGなどを多用した豪華な式典だった。

 過去最多の204カ国・地域から1万1193人の選手が参加した。3万発の花火が祭典の始まりを告げ、フィールドに白く光る五つの輪が浮かび上がり、悠久の歴史と現代の躍進、平和を連想させる演出が続いた。約1時間後に選手入場。日本選手団は卓球の福原愛選手が旗手をつとめた。中国選手団の中には四川大地震でがれきの下から脱出して級友を助けた「英雄少年」の一人、四川省の小学2年、林浩君(9)がいた。聖火の点火者は元体操中国代表の五輪金メダリスト、李寧氏(44)、ワイヤにつり下がり、会場の垂直の壁を走った。参加国・地域は前回アテネ五輪の202を上回った。

 9日付各紙朝刊で最も読みやすかったのは日経新聞社会面、大島三緒編集委員の<北京発熱 東京はどこへ>というコラムだった。

 五輪開幕を目前にした北京で

 「しゃべる怒鳴る叫ぶ。食べて飲んで笑う。しゃべって食べて飲む。おーい服務員! 呼ばれた方も負けてはいない。しゃべる怒鳴る叫ぶ。」

 という光景がいたるところで見られる、と書く。

 「すさまじいエネルギー。国民性だけではあるまい。何という体温の高さだろう。」

 と呆然とするような感銘を受け、

 「発熱。たしかにこの街は発熱している。それを引き起こしたのは五輪という魔物だ。空港ターミナル、高速道路、地下鉄、どれも狂おしいほどの勢いで姿を現した。」

 と言う。うん、そうだ、そうだ。

 「今日より明日はきっと良くなる。魔物は人々に希望をもたらし、実感もまた与えてきた。」

 夫婦で年収10万元(約150万円)ほどの中流世帯がひしめいている北京市北部の巨大団地で37歳のある住民は「給料は10年前の7倍。徐々に家具や家電をそろえ、部屋の模様替えをして、やっとここまできました」と言い、「もう満足?」という質問に「まさか。まだまだですよ」と。そう書いてはないが、きっとギラギラした目をしているのだろう。

 「部屋は買ったときの3倍に高騰した。しかし都心のマンションに住み替えるとなるととても足らないという。まだまだ、欲しいものがあるのだ。」

 この書き出しからたった42行の短い記事の中に今の中国の人心の特徴が凝縮されているように見える。いろいろと書きたい要素を捨てたところに成り立つシンプルさが目立つ文章だ。文章は1988年のソウル五輪の回想に転じる。

 「ちょうど20年前、やはり五輪を迎えて高揚のただ中にあった韓国・ソウルを思い出す。郊外の団地に住む若いサラリーマン夫婦は苦労して分譲の一戸を手に入れたばかりだった。『海外旅行に行きたい。庭付きの家に住みたい。会社での地位が欲しい』。ソウルも目まぐるしく変容していた。人々はモーレツに働き、あれをこれを夢見て、また夜を日に継いで働いた。欲しいものがあったのだ。」

 そして、もっと昔。そう、日本の44年前の話だ。

 「日本も記憶を持っている。1964年東京。アジアで初の五輪だ。『てんやわんやの狂騒』とは開高健の名コメントだが、地下鉄も高速道路も新幹線も死にものぐるいの突貫工事で生まれた。まさに狂騒の時代だった。都会は至るところが掘り返され、交通事故は激増し、川はよどみ空はくすんでいた。それでもみんな、欲しいものがあった。農村からの出稼ぎ労働者が、集団就職の若者が東京をつくった。」

 高度経済成長時代、植木等が「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌った、エネルギーあふれた時代の表情が思い浮かぶ。

 「魔物に魅入られた歴史と現在を持つ東アジアの三都。もちろん単純な比較は禁物だろう。明日の北京は中国はどこへ、と問われれば誰もが答えに窮する。格差、環境汚染、テロ。そして社会主義国家という現実――。とはいえ、都市には膨大な中間層が育ち、欲しいものを求めてやまぬ人々が無数にいる。そんな北京の雑踏に旅人は戸惑う。男も女も、しゃべって怒鳴って叫んで食べて飲んでいる。」

 うまいねえ。社会部遊軍記者の鑑のような文章だ。そして、一転、今の日本を斬る。

 「さて、そういう国の五輪を見つめる日本である。何という体温の低さだろう。厄介な事件が多々あるにせよ観光客は大きく減り、まなざしは冷ややかだ。七日に飛んだ日航のチャーター便は搭乗率が33%だった。」

 「競技への関心は抱いても、その舞台への好奇心はソウル五輪の韓国ブームと比してもずっと薄い。1964年ははるか遠景となり、東京への再招致機運も低調だ。欲しいものを見いだせないニッポン人の虚無感を物語っているのだろうか。」

 「それでも、五輪である。この祭典はじつに様々なものを見せてくれる。発熱と狂騒はかなたに過ぎ去った日本社会だが、北京のそれが私たちの失った何かを教えてくれるかもしれない。そう思い直してみようか。」

 「奥林匹克。漢字でオリンピックをこう表す。思えば古代からあまたの文物が渡来し、今も文字を共有する地の五輪だ。少し、熱くなってもいい。」

 昨年1月、朝日新聞論説委員だった轡田隆史氏の文章の書き方についての本の内容を書き留めておいたが、轡田氏はこの文章をどう評するだろう。

 誰もがテレビで開会式を見ている。その翌日、読者は自分が見た映像の意味合いを知ろうと新聞を手にする。その時、社会部編集委員が44年前の東京の世相を思い出させながら、ソウル五輪の取材経験にも触れ、今の北京の庶民のギラギラした欲望に満ちた目を描く。「発熱」「体温」と「魔物」がキーワードだ。

 中国中間層の純粋なまでの生への欲望を見て、軽蔑の念は沸かなかった。日本人に失われた活気に眩しさを感じるくらいだった。そういう感情を読者に呼び起こさせる優れたコラムだった、と言ってはほめすぎだろうか。

 読売新聞朝刊2面は中国総局長が<独裁下の「平和の祭典」>と題したコラムを書いており、ソウル五輪開会式の瞬間、板門店にいたが、何も起こらなかった、という20年前の取材経験を紹介している。

 「前年11月、北朝鮮が五輪阻止を狙って大韓航空機を爆破した。五輪開会時の最前線を見ようと思ったのだった。」

 ソウルは「厳戒五輪」という点では今回と同じだったが、今回ほどの圧迫感はなく、

 「むしろ、ソウル五輪では、当時は韓国と国交のなかった中ソ、東欧諸国も参加し、社会には弾むような感じがあった。おそらく北京とソウルの違いの背景には『独裁』かどうかがある」

 というのが、筆者が最も書きたかったポイントなのではないか。しかし、そう割り切ること、つまり頭で現実を整理してしまうことと、実際の中国中間層の現世的な欲望にギラギラした目を具体的に描くことでは、訴求力の違いは言うまでもない。

 朝日は1面から2面にかけての外岡秀俊編集員のコラム<百年の夢 中国貫徹/心にメダル 被災者も>が売り物だろう。「中国百年の夢」といわれるこの五輪がなぜ「百年の夢」なのか、を丁寧に説明している。1932年のロス五輪に初出場した陸上選手の劉長春の話である。

 「日本は建国宣言したばかりの「満州国」代表として、大連生まれの劉を送ろうとした。五輪を通して満州を世界に認めさせるためだ。劉は拒み、ただ一人の中華民国選手として大会に臨んだ。だが、22日間の船旅ですっかり体力を使い果たし、予選落ちの苦杯をなめた。」

 「北京五輪開幕の3日前、大連で銅像が公開された。除幕式に出た三男の劉鴻亮さん(76)は今年3月、聖火リレー16番目の走者としてオリンピアを走った。四男の劉鴻図さん(63)も先月17日、瀋陽の第1走者を務めた。」

 淡々と劉氏に関する動きを報告する。今年5月には映画「たった一人の五輪」も公開された、という。この劉さんに関する動きがコラムのメーンテーマだ。

 1面コラムだけあっていい表現もある。

 「北京は故宮を中心とする南北の縦軸に沿って街ができた。皇帝の権力の絶大さを示す中軸線だ。この線を北に延ばしたところに位置する競技場『鳥の巣』は、隆盛な経済力を背に『帝国』の威光を目指す象徴となるのか。世界に開かれた中国への序章を示すのか。それを占う大会でもある。」

 続きの2面では四川大地震被災者のドラマに絞った。そして結びの文章は次のようなものだった。

 「被災地には、気力、体力の限界をかけて生き延びた無数のドラマがある。脚光を浴びることはない。だが被災者一人ひとりが心に、自分だけのメダルを持っている。」

 実際の被災者や、劉さんの関係者に取材、生の声で構成しているのだが、その構成が理知に傾いていないか。理想論を聞かされているようだ。「それはよございましたね」という以上の感想が沸かないのだ。

 こうした大イベントを丸ごと意味づけ、書くコラムの難しさだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)