心と体

2009年8月14日 (金)

お盆:墓参り:先祖供養:少子化:無縁墓:家の継承……かぁ、考えてみよう~産経新聞09年8月14日社説

 産経新聞09年8月14日朝刊の第2社説は<先祖供養/「家」の継承考える機会に>だった。この問題に正面から取り組んだ社説は珍しいと思う。
 読んでみる。
 <お盆のテレビニュースにはしばしば、墓参りをする家族連れの姿が映し出される。見ている者まで心の安らぐ思いがするのは、祖霊が慰められることへの幸福感のようなものが伝わってくるからだろう。>
 という書き出しで、
 <民俗学者の柳田国男が「われわれの祖霊が血すじの子孫からの供養を期待していた…」(「明治大正史/世相篇」)と書いたように、墓は恐らく、子孫らが参ってくれることを願って建立されるものに違いない。しかし現実には、子孫が絶えるなどして参り手のなくなった無縁墓が急増している。>
 柳田国男の「明治大正史 世相篇」は講談社学術文庫版を神保町の古書店で買ってきて読んだのだが、朝日新聞に連載された庶民の歴史だそうだ。ところが、それは新聞紙面から拾った題材でつくった歴史だ、というところが珍しい。そこで柳田が「新聞を読めば世相が分かると言うのは嘘だ。新聞は世の中に起きた変わったことしか報じない。当たり前の庶民の生活の姿はそのままでは載っていない」という趣旨のことを書いていたのが印象的だった。
 柳田のこの本は特に上巻が面白かった。その上巻の面白い中のひとつがこの先祖供養だったのではなかったか、と思うのだが。今、手元に本がないので確定的なことは言えないが。
 <この傾向は急激な少子化により、ますます顕著になっていくだろう。第一生命経済研究所が平成17年に発表した資料は、将来自分の墓が無縁墓になる可能性を感じている人がほぼ4人に1人、子供のいない人に限れば約半数にも上ると示した。>
 少子化である。少子化は一般的な国の傾向というだけでなく、身近な出来事として私たちの前に出現してきた。その一つが自分たちの死後の話だ。
 <核家族化の進行や若者の都会志向といった要因も無視できない。「平成20年国民生活基礎調査の概況」(厚生労働省)によると、65歳以上の者がいる世帯の22%は単独世帯だといい、平成元年調査時の14.8%と比べても、いかに急ピッチで“独居”高齢者が増えているかが分かる。>
 平成元年といえば1989年。平成20年は2008年。10年間で5ポイント増えたのか。これは急ピッチだ。
 <ただ無縁墓の増加を、先に挙げた少子化などの社会的要因につなげるだけでは、日本人として何か大切なものを見失うような気がしてならない。墳墓の地である「ふるさと」への愛着が薄れ、「家」や「祖霊」に対する意識も変容してしまった現代人の「心のかたち」にまで踏み込んで考える必要があるだろう。>
 なるほど、そこに誘導するのか。
 <戦後になって「家よりも個」の風潮が強まると、「家」の継承は大きな関心事でなくなり、情緒豊かな「家」のしきたりも忘れられていった。お年寄りの知恵を大事にするなど、大家族が一つ屋根の下で暮らしていた頃には当たり前だった世代間の相互理解という美風も失われようとしている。祖霊を供養するのは、わが身が先祖からの「命のつながり」によって生かされている事実を知ることでもある。自分の命の意味が分かれば、他者を労わる心も自然と湧いてくる。柳田は先著で「家永続の願い」とも書いた。せめてお盆の帰省時くらい「家の永続」に思いを巡らしてみるのも、よいのではないだろうか。>
 そうだなぁ、と思わず頷く内容だ。
 ではどうすればいいのか、となれば、難しいだろうが。

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2009年7月13日 (月)

臓器移植法改正A案が成立=解散前の異常な議員心理が原因だと~朝日新聞、読売新聞、毎日新聞ウェブ版から

 参院は選挙前のバタバタで良識を欠いてしまったようだ。臓器移植法が衆院通過と同じA案で成立してしまった。どうなるか、日本社会のアレルギーが今後噴出してくるのではないか、と想像している。
 読売新聞のネットHPは<脳死は「人の死」、改正臓器移植法が成立>で次のように報じた。
 <臓器移植法の改正をめぐり、脳死を「人の死」とすることを前提に臓器提供の年齢制限を撤廃する改正臓器移植法(A案)が13日午後、参院本会議で賛成多数で可決、成立した。>
 という前文。本来ならば1面トップだろうが、衆院解散日程が決まったために、これは各紙夕刊で1面2番手扱いになるだろう。
 <1997年に成立した現行法下では禁じられている15歳未満からの臓器提供に道が開かれることとなった。改正法は公布から1年後に施行される。採決は押しボタン方式で行われ、A案の投票結果は、賛成138、反対82だった。共産党を除く各党は党議拘束をかけず、各議員が個人の判断で投票した。>
 この票差は何なんだろう? 参院でも河野太郎氏が多数派工作をしたのだろうか?
 <改正法は「脳死は人の死」とする考えが「おおむね社会的に受容されている」との認識に立ち、臓器を提供する場合に限って脳死を人の死としている現行法の考え方を大きく変更するものだ。>
 社会的に受容されている、とは言えないのに。
 <現行では意思表示カードなど生前に本人が書面で同意していることを臓器提供の条件としているが、改正法は、本人の意思が明確でない場合は、家族の承諾により臓器提供ができる。また、現行制度は意思表示が可能な年齢を15歳以上としているが、改正法は意思表示を臓器提供の絶対的な条件に設定していないため、15歳未満でも家族の同意で臓器提供ができる。>
 この辺はどうでもいいのだ。
 <現行法が成立した1997年以降、国内での脳死臓器移植は81例だが、日本移植学会や患者団体などは、書面による本人の意思表示を求める臓器提供条件と、年齢制限によって、脳死臓器移植の機会が大きく狭められているとして法改正を求めていた。>
 これは経過説明部分。
 <臓器提供条件の緩和のほか、書面により親族への臓器の優先提供の意思を表示することができる規定も盛り込んだ。>
 これはどういう問題を生むのだろうか?
 <この日の参院本会議では改正法に先だって、改正法の骨格を維持しながら、脳死を現行法通り臓器移植時に限り「人の死」とする修正案が採決されたが、反対多数で否決された。またA案の対案として参院野党有志が提出した「子ども脳死臨調設置法案」は、先に採決された改正法が過半数の支持を得たため、採決されずに廃案となった。>
 修正案は否決されたのか。どうなっているのだろう?
◆朝日新聞
 朝日新聞も<「脳死は人の死」臓器移植法成立/A案、参院でも可決>のタイトルでネットにアップしていた。
 <「脳死は人の死」を前提に、本人の意思が不明な場合でも家族の承諾で0歳からの臓器提供を可能にする改正臓器移植法(A案)が13日、参院本会議で可決、成立した。施行は公布から1年後。現行法は臓器移植の場合に限って脳死を人の死と認めており、死の定義を大きく変えるとの懸念もある。1997年の同法制定後、改正は初めて。>
 という前文だ。
 <参院議員は現在241人。採決は押しボタン投票で行われ、欠席・棄権を除いたA案の投票総数は220(過半数111)、賛成138、反対82だった。野党有志が提出した子ども脳死臨調設置法案に賛成の共産党はA案に反対。他の主要政党は個人の死生観にかかわるとして党議拘束をかけずに採決に臨んだ。>
 過半数の数字などが詳しい。
 <A案に先立ち、「脳死は人の死」を臓器移植の場合に限ることを明記した修正A案も採決されたが、投票総数207、賛成72、反対135で否決された。子ども脳死臨調設置法案はA案成立により採決されないまま廃案となった。>
 この数字が意味するものを後で考えなければならない。
 <A案をめぐっては、「脳死は人の死」と法律で位置づけることが、移植医療以外の分野にどんな影響を与えるのかが議論の焦点となった。宗教団体や、脳死後も心臓が長期間動き続ける「長期脳死」の子どもがいる家族らの反対が根強く、参院では野党を中心に移植要件の緩和に慎重な議員から修正を求める声が相次いだ。>
 そうだったのだ。
 <そんななか、A案が過半数の支持を集めたのは、衆院解散・総選挙も絡んで政局の流動化が予想されることから、今国会での改正実現を優先する議員心理が働いたものとみられる。>
 やはりそうだったのか。国会の不作為を攻められては堪らない、という議員心理だ。
 <A案は2006年3月に中山太郎衆院議員(自民)らが提出した。親族へ臓器を優先的に提供することも認める。脳死からの臓器提供の機会が増えることを望む移植学会や患者団体が支持を働きかけ、衆院では263人(うち自民党が202人)の議員が賛成した。>
 中山太郎氏は確信犯だ。
 <臓器移植法は1997年10月に施行された。脳死からの臓器提供には、本人があらかじめ臓器提供の意思を書面で示し、家族も拒まないことが必要で、15歳未満からの提供は禁止されている。書面による意思表示は進まず、脳死からの臓器提供は12年間で81例にとどまっている。国内で移植を待つ待機患者が解消されない一方、世界保健機関(WHO)が渡航移植を規制する動きを見せたことから、今国会で改正論議が高まった。>
 ということ。
 つまり、衆院解散前の異常な議員心理がこのような結果を生んだ、という分析だった。だから、衆院は仕方ないにしても参院は慎重な審議をしてほしかったのだが。
◆毎日新聞
 毎日新聞のウェブ版も<臓器移植法/参院も「A案」で成立/「脳死は人の死」>というタイトルでアップしていた。鈴木直記者の署名記事だった。
 <臓器移植法改正案は13日午後、参院本会議で採決され、3法案のうち、脳死を一般的な人の死とする「A案」(衆院通過)が賛成138、反対82の賛成多数で可決、成立した。15歳未満の子どもの臓器提供を禁じた現行法の年齢制限を撤廃し、国内での子どもの移植に道を開くとともに、脳死を初めて法律で「人の死」と位置づけた。ただ、死の定義変更には強い慎重論が残る。このため、A案提出者は審議の中で「『脳死は人の死』は、移植医療時に限定される」と答弁し、配慮を示した。>
 答弁でどう言ったって仕方ない。誤魔化しだ。
 <現行法では15歳以上でないと臓器提供ができず、小児が自分のサイズにあう臓器の移植を受けるには渡航するしかない。だが、世界保健機関(WHO)は海外での移植の自粛を求める方向で、将来渡航移植の道が狭められるのは確実だ。1997年の法施行以降、国内の脳死移植は81件にとどまっており、A案は年齢制限の撤廃とともに脳死を人の死とすることで、臓器提供の機会拡大を目指す。>
 ひどい話だ。
 <臓器移植法の改正をめぐっては6月18日、衆院でA案が投票総数の6割の賛成で可決され、参院に送付された。しかし、A案に対し参院側は「移植の拡大は必要だが、死の定義変更には社会的合意がない」と考える議員も多い。このため、与野党の有志はA案を踏襲しつつ、脳死の定義は現行通りとする修正A案を提出した。>
 それだったのに。
 <一方、A案支持の中核議員は「脳死の位置づけを変えたらA案の意味がない」と修正を拒否し、A案派は分裂した。しかし「一般医療で脳死後の治療中止が広がりかねない」といった慎重論には配慮せざるを得ず提出者は新しい死の定義について「臓器移植法の範囲を超えて適用されない」と答弁した。>
 <A案への懸念は、本人の意思が不明でも家族の同意だけで臓器摘出ができる点にもある。臓器摘出後に本人が拒否していたと分かることも否定できない。成人より難しいとされる、子どもの脳死判定も課題となる。>
 脳死判定、どうするつもりなのか?
 <採決は修正A案、A案に続き、現行法の枠組みを残しながら子どもの臓器移植のあり方を1年かけて検討する「子ども脳死臨調設置法案」の順で行う予定だったが、修正A案が賛成72、反対135で否決後、A案が可決されたため、臨調設置法案は採決されなかった。臨調法案に賛成の共産党以外の各党は党議拘束をかけず、各議員が自らの死生観に基づいて投票した。>
 死生観に基づいた投票だったのか、多数派工作が行われたのか?

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2009年6月28日 (日)

日経新聞は醇風美俗は捨て去って少子化対策のために結婚制度を変えろ、と主張する。根拠は国際標準だそうだ:経団連新聞が何を言う”!~6月28日日経社説

 日経新聞が社説の中で行っている[チェンジ!少子化]キャンペーンの一環として6月28日に<日本の「結婚」は今のままでいいのか>を掲載していた。まあ、少子化問題を論じればここまで行くかなぁ、とは思っていたが、家庭の中にいきなり手を突っ込んでくる感じの見出しだったので、少し驚きながら読んでみた。
 <法的に結婚していない両親から生まれる「婚外子」の割合が欧米諸国で増え続けている。フランスでは、昨年生まれた赤ちゃんの53%が婚外子だった。2007年の統計をみても、スウェーデン55%、米国40%、ドイツ30%などとなっている。これに対し日本は2%と格段に低い。なぜか。少子化対策を考える時、婚外子やその背景にある結婚の多様化の問題を避けては通れない。>
 なるほど、結婚の形としての婚外子問題を論じるのか。
◆婚外子の相続差別放置
 <日本に婚外子が少ない一因は「非嫡出子(婚外子)の相続分を嫡出子の2分の1とする」という民法の規定にある。法務省によると、相続で婚外子が法的に差別されているのは日本とフィリピンぐらいという。この規定はかねて「法の下の平等」を定めた憲法14条に違反すると批判されてきた。法制審議会も1996年に規定を撤廃するよう答申を出している。しかし、最高裁大法廷が1995年に合憲の判断を下したこともあって、答申は13年間たなざらしになったままだ。政治の怠慢であり、異常なことである。>
 そういう経緯があったのか。
 <最高裁決定を読むと、非嫡出子を基本的に「既婚者が配偶者とは別の相手との間につくった子ども」ととらえている。法改正に自民党が動かないのも、家族の外にできた子と家族内の子には相続で差があって当然との意見が根強いからだ。>
 まあ、そうだと思うが。
 <しかし、大法廷の決定の時点ですでに15人の裁判官のうち5人が「違憲」だと厳しい意見を述べている。婚内子と婚外子で異なっていた戸籍や住民票への記載方法は改められ、記述上の区別はなくなった。婚外子の相続差別には、国連の規約人権委員会、子どもの権利委員会も撤廃を求める勧告を出している。>
 日本の醇風美俗を「国際標準に合致していない」という刀で切り捨てる論法はどうも好きになれないのだが。
 <そもそも、結婚していない両親の子どもを指す「非嫡出子」にあたる言葉は、差別的な意味があるとして国際的には死語になりつつある。民法の規定は、婚外子が社会的に差別される原因にもなっている。まず民法を改正する必要がある。>
 すべて国際標準ですか。
 <欧米で婚外子が増えているのは、法的な差別がなくなったから、だけではない。結婚とは別の形のカップルを法的に認める仕組みが生まれ、婚外子の概念そのものが変わったことが大きい。>
 結婚という形が古臭くなったと?
 <例えばスウェーデンにはサンボ(同せいの意)、フランスにはPACS(連帯市民協約)という仕組みがある。いずれも、結婚より緩やかな結びつきをカップルに認め、生まれた子どもには相続も含め婚内子とまったく同じ権利を与えている。男性が父親になるためには認知が必要だが、法の枠組みにしたがった同居という意味では結婚に近い。>
 まあ、よく調べていること。
 <スウェーデンではサンボがカップル全体の3分の1を占め、0~17歳の子どもの親の3割はサンボのカップルだ。スウェーデンでも晩婚化が進んでいるにもかかわらず出生率が上昇しているのは、サンボの間に出産するケースが多いためだ。フランスでは昨年、結婚が26万7000組、PACSが13万7000組だった。サルトルとボーボワールのように、かつて未婚のカップルは社会規範への異議、反抗ととらえられていた。もうそうした意識はない。>
 サルトルを出してくれば年寄りが納得すると思ったら大間違いなのだが。
 <こうした仕組みには、互いに相性を判断する「試行結婚」の意味合いがある。法律婚に比べ解消が簡単だからだ。婚外子の割合が増えたからといって、出生率が高まるとは必ずしも言えない。ただ、フランスの昨年の出生率は2.02、スウェーデンも1.91と先進国の中で高い。>
 出生率問題と事実婚問題は直接の関係化はないと思う。あくまで女性が出産しても安心して働ける環境を国と地方と企業が整備できるかどうか、が問題なのだ。そこに手をつけずに、民法をいじろうとする敗北主義は、いずれ、非正規動労者が全体の3分の1になったように、家というものを無力化し、子供の教育を無責任なものにするのではないか?
◆今も影落とす「家」制度
 <日本では婚外子の相続差別撤廃とセットで法制審が答申した選択的夫婦別姓制度の導入も実現していない。夫婦で別姓を名乗ると家族のきずなが弱まるという意見があるためだ。「家」を基本にした戦前の家族制度が今も影を落としている。>
 法制審議会がおかしいのだ。欧米かぶれの学者だけ集めても、日本の古層は分からないだろう。
 <2006年の内閣府の世論調査では、58%が婚外子を法律上不利に扱うことに反対しながら、民法の相続規定に対しては41%が「変えない方がよい」と答え、「相続額を同じにすべきだ」の25%を上回った。これも日本人の家族観、結婚観の表れである。>
 分かっているじゃないか。
 <結婚の形は国の文化や伝統、国民の価値観にかかわる問題だ。しかし、日本の国際結婚は1970年の5500組から2007年には4万組に増えた。日本人の価値観だけで結婚を考えることは、もう実情に合わない。>
 国際化が進んだのだから、慣習を変えろ、と。ちょんまげを落として、散切り頭にするのとはちょっと訳が違うのだが。
 <日本・東京商工会議所は少子化問題に対する提言の中で「伝統的な法律婚以外に事実婚や婚外子が受け入れられる社会のあり方について検討すべきだ」と訴えている。>
 企業の論理だろう。儲けに血眼になっている守銭奴らの言うことだけを聞けと言うのか?
 <日本の結婚のあり方が少子化の一因となり出生率上昇の妨げになっているとすれば、障害を取り除く必要がある。それは、婚外子の相続差別をなくさねば始まらない。>
 違うだろう。どうして国、企業の責任を書かないのだ。日経新聞は経団連新聞だから企業の代弁をしているのだろうが、ここまでいくと見苦しいぞ。

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2009年6月26日 (金)

鷲田清一氏の臓器移植問題の見解、勉強になった~「あらたにす」09年6月26日

 臓器移植問題は難しい。先に毎日新聞6月21日朝刊の[社説ウオッチング]で各社の社説を比較していたことを取り上げたが、その中で地方紙の社説が中央紙に比べて「脳死は人の死」という新しい「死の定義」を「時期尚早」とする論が多い、とあったことが印象に残っていた。

http://mainichi.jp/select/opinion/watching/news/20090621ddm004070026000c.html

 [社説ウオッチング]では、ニューヨークやワシントンD.Cのような開明派の都市と中部地区の保守の岩盤で大きく民意が違っているように、日本でも都市住民のテレビなどのマスメディアに影響されやすい、つまり、地域の絆から発想する地に足の着いていない国民と、いまだに地域的なコミュニティーが残る地域の国民との間に差があるのではないか、という仮説を提起していたのが面白かったのだが、朝日新聞、日経新聞、読売新聞3紙が共同運営するサイト[あらたにす]の<新聞案内人>は6月26日、哲学者で大阪大学総長の鷲田清一氏による<臓器移植法『改正』をめぐって>というコラムを掲載、考えさえる内容だった。

 鷲田氏らしく、死生観の問題正面から対峙し、法案の遅れは国会の責任だけでなく、国民の責任だが、時間を区切って拙速で決める問題ではない、と結論付けていた。正しい結論だと思う。

http://allatanys.jp/B001/UGC020005320090626COK00327.html

 鷲田論文を読んでみよう。

 <臓器移植法の改正が、衆議院で採決された。委員会での議論は9時間にも満たないものだったと聞く。あまりにも大きな問題がここには含まれており、ここで許される紙幅ではその全体について一つ一つ論じることはできないが、現時点でとにかく確認しておかねばならないと思われる点についてのみ記しておきたい。>

 そういうことだと思う。

 <今回改正されたのは、11年半前に採択された臓器移植法である。これはその3年後に「見直し」をするとしていたが、じつはその後現在までたなざらしにされてきたものである。その問題性については最後に書く。>

 そういうことだ。

 <今回の改正点でもっとも重要なことは、まず、「死の定義」が変更されたことである。現行法では、本人と家族の両方の同意があるときにかぎり、脳死となった人を死者とみなし、臓器を摘出できるとしている。これはつまり、移植を前提としたときのみ脳死は人の死とされるとするものである。しかも15歳未満の子どもからは臓器摘出できない。今回それが「改正」された。一律に「脳死を人の死とみなす」とされたのである。>

 今回の騒ぎのポイントである。

 <こうした「改正」を待望する背景には、移植待機患者をどのようにしたら解消できるかという問題がある。小児の場合には、現在のところ海外での渡航移植しか手がないということもその背後にある。臓器提供の条件の緩和ということが、現行法改正の主眼点になっているのには、こうした差し迫った事情がある。>

 客観的事情だ。

 <これに対して「改正」に慎重である人たち、あるいは反対する人たちが深く危惧するのは、技術的な問題と「そもそも」の問題とである。>

 二つの大きな問題があるのだ、と。

 <技術的な問題というのは、小児にはしばしば長期脳死というケースも見受けられ、実際の脳死判定が極めて難しいということである。これに論理的な問題をも付け加えるならば、仮にもし小児についても精確な脳死判定の方法が確立したとしても、それはあくまで「脳死状態」の確定にすぎず、それで「死」であるかどうかは別の問題である。>

 そういうことなのだ。判定だって人間がやること。一定の基準を作って、それに合致するかどうかを判定するのだが、あくまで今段階の科学技術をもとにやるのだから、10年後だったら「死」と判定されないものが「死」の判定を受けることだってある。

 <さらにここからは、技術的な問題を超えて次のような問題も出てくる。昨日まで元気だった小児が、事故や病気で突然、脳死状態になった場合に、果たして、その家族に冷静で沈着な判断ができるのかという、これまた大きな問題である。>

 ここである。新聞の社説や雑誌の論文でもあまり出てこなかった問題だが、もしかすると、最も大きな問題なのかもしれない、と思っている。

 <「そもそも」の問題というのは、他の患者からの臓器提供を期待する、つまりは他者の「死」を前提とするような医療が、そもそも医療として適切なものかどうかという問題である。実際、わが国の難病、心臓病、人工透析患者を救うには、それに見合う怖ろしい数の脳死者が必要となる。が、本当は交通事故の防止対策と、より充実した救急医療体制の確立によって、そうした脳死者の増加を(待望するのではなく)防ぐのも、わたしたちの社会に迫られたもう一つの課題であるはずである。>

 そうなのだ。人の「善」はその方向で進むべきである。

 <このように、一方には、何としてもこの人、この子の命を救いたいという、待ったなしの切なる要請がある。他方には、何としてもこの人、この子の死を、十分納得したうえで認めたいという思いがある。あるいは、納得できないまま、長期脳死状態にいる人の傍らで懸命に生きている家族の姿がある。臓器移植が医療の課題であるとしたら、それは、そもそもこうした二律背反に引き裂かれざるをえないものである。>

 臓器移植というのが適切な医療法なのか、とは書いていないが、その問題を突きつけているのだと思う。私は他人の死を待ち焦がれるような医療は人間性に反する欲望ギラギラの医療であり、それはもはや医療の名に値しないと思っているのだが。

 <言い換えると、それらは両立しがたい要請である。それはまず「時間がない」と「時間が要る」との背反だからである。それはまた、単なる臓器の問題ではなく、いずれも互いの要請に反する形で「だれ」という名を持ったかけがえのない存在を(それぞれ反対方向から)護ろうとしているからである。>

 脳死者だってかけがえのない存在なのだ、と。鷲田氏はそうはっきりとは書いていないが、視点は脳死者ではなく、その脳死者を慈しみ、思いやる他者に向かっている。脳死者の「死」がその他社をいかに悲しませるか、喪失がどのような思いを生むか、を考えているように思えるのだ。

 <臓器移植という先端医療は、このように二つの生命のどちらかを二者択一しなければならない状況を生み出している。あるいは「人としての幸福」への希求と「人としての尊厳」という倫理的要請とがここでは二者択一という対立関係に入っている、と言い換えてもよい。>

 そういうことなのだ。

 <臓器移植法改正の前と後にある二つの重大な問題を、次に指摘しておきたい。>

 として、

 <まず事後の問題として危ぶまれるのは、これにより脳死が一律に人の死とみなされることによって、今後、移植を前提にしない治療でも脳死判定し、死亡宣告できるという事態が起こりうるということである。人の死が法律によって規定されることによって、本来、こうした医療従事者のうちにあるはずのジレンマが解消されてしまわないかということを、わたしは怖れる。>

 これは大きな問題なのだ。

 <つまり、「このことで、失われゆくひとつの命が救われるのだからやむをえず」という、脳死者の臓器を待望してしまうまさにその苦渋がしだいに薄まり、「法律に則っているのだから問題はない」というふうに、その苦渋が免除され、「人としての尊厳」に無感覚になってしまいかねない、ということである。法律化されることによって、もやもやした倫理的な責めの意識が医療従事者からすっきり免除されることの方を、私は怖れる。>

 そこが問題なのだが、新聞記者には書けないことだったのだろう。ここまで踏み込んで書いていた社説はなかった。「死」が定義された瞬間から「死」は自分のものではなく、いわば国家に管理されたものになってしまう。

 <次に事前の問題としてわたしが指摘しておきたいのは、今回の衆議院での議論においては、現行法が制定されるまでの賛否両論の長い困難な議論が、十分に検証もしくは参照されなかったことである。これまで10年近く、現行法の「見直し」は放置されてきた。これが決定的な問題であろうと思う。>

 臓器移植法ができた時の苦渋。あれを思い出せ、と。[社説ウオッチング]にあったように、あの時から民意は大きくは動いていないのだ。

 <この議論には、そもそも先に触れたような二律背反が含まれている限り、全員が同意できる「正解」はあり得ない。あり得るとしたら、それは「納得」と言うしかないものである。>

 なるほど、「正解」ではなく「納得」しかないのか。そういう問題はあるだろう。離婚の例が出る。

 <例としては適切ではないかもしれないが、家裁の調停員をかつてやっていた知人の経験によれば、たとえば離婚の調停において、双方がそれぞれの言い分をとことんぶつけあって、「もう万策尽きた」「もうあきらめた」と観念したとき、まさにその時にかろうじて話し合いの道が開けるのだという。訴えあいのプロセス、議論のプロセスが尽くされて初め開けて来る道がある、と。「正解」がここに下りてくるというのではない。「理解できないけれど納得はできる」「解決にはならないけれど納得はできる」という事態が生まれるということである。>

 この辺、さすが哲学者だと思う。新聞記者にはこのような突き詰めたワーディングの追求はできなかっただろう。

 <「納得」ということは、果てしのない議論からどちらも最後まで降りなかった、逃げなかったということの確認の後にしか、生まれてこない。長くて苦しい議論、譲れない主張の応酬の果てに、そんな苦しい中で双方が最後まで議論の土俵から下りなかったことにふと思いが及ぶ瞬間に、初めて相手に歩み寄り、相手の内なる疼きを本当に聴くことができるようになる。>

 泥仕合をしないと、お互いを傷つけあい、罵り合って、自分の主張を泣き叫びながら声にしないと、納得は出てこないのだろう。

 <そういう「納得」をもたらすはずの時間、あるいはもたらすことに通じる時間を削除してきた。これがこのたびの「改正」に到るまでの、衆議院議員のみならず、わたしたち全員の、ほんとうの怠慢であったのではないだろうか。>

 さすがに哲学者という人種は考えが深いと思う。

 まずは参院で徹底審議をして、民主党や社民党の有志が主張するように脳死臨調を設ける、という方法が今のところ、無理のない道なのかもしれない。衆院解散で廃案になるのもやむを得ない。

 それにしても、[社説ウオッチング]にあったが、河野太郎氏らの多数派工作には驚いた。やるべきでないことをやった感じがしてならない。衆院議員一人一人が自分自身、深く考え、決断すべき問題に自民党総裁選並みの◎×方式で多数派工作していた、というのだから呆れてしまう。

 河野洋平衆院議長の花道として改正案を成立させたかった、という記事も散見された。「そんな問題じゃないだろう!」と思うのだが。

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2009年6月21日 (日)

臓器移植法案衆院可決の地方紙を含めた各紙社説まとめ~毎日新聞6月21日朝刊

 臓器移植法案が衆院本会議を通過した。毎日新聞が6月21日朝刊の大型コラム[社説ウオッチング]で<臓器移植法改正/毎日・朝日「参院で審議尽くせ」/読売・日経・産経はA案可決を積極評価>の見出しでまとめていた。小見出しは<多数派工作も>、<多くの地方紙は懐疑的>、<死生観、変化せず?>の三つだった。コピペしておく。

http://mainichi.jp/select/opinion/watching/news/20090621ddm004070026000c.html

 <臓器移植法改正4法案をめぐる採決が18日、衆院本会議で行われ、最初に採決された「A案」が可決された。現行法で禁止している15歳未満の子どもの臓器提供に道を開き、大人の場合も含めて家族の承諾があれば提供を可能にする内容で、脳死を人の死としとした。A案可決により、死の定義は変えずに、臓器提供可能な年齢を下げるB、D案や現行法の脳死判定条件を厳格化するC案は採決されなかった。棄権を決めた共産党以外は党議拘束を外し、麻生太郎首相、鳩山由紀夫・民主党代表が反対。小泉純一郎元首相や小沢一郎・民主党代表代行は賛成するなど判断が割れ、430人が投票した結果、賛成263、反対167(棄権・欠席47)だった。>

 ここまでは経過説明。

 <議員一人一人が信念で投票する、との建前だったが、A案提出者の河野太郎・自民党衆院議員が18日付のメールマガジンで「A案は、採決日が決まったときには、二百二十一までは本人確認がきちんとできていて、共産党が棄権するならば、あと何票必要というところまで落とし込んでいた。テレビや新聞が、連日のように四案とも過半数取れる見込みはないなどといっていたが、そんなことは最初から全くなかった」と勝利宣言したように、A案支持議員らの自民党総裁選並みの多数派工作の影響も少なくなかったようだ。>

 この多数派工作については各紙触れていたが、産経新聞と毎日新聞が詳しかった。

 <19日社説は「死生観を問われる難しい問題だが、これ以上、結論を先送りすることはできない」とする読売と日経、産経が積極評価派、「各案が十分に検討されたとはいえず、議員や国民の間に理解が行き渡っているとは思えない」とした毎日と朝日が慎重審議派と、一応は分類できる。しかし、各社とも本文は一本調子ではなく、衆院議員同様、死生観や幼い子の命の重さに悩んだ跡が見える。>

 一応は二分類できる、と。見出しだけ見ればそうだ。

 <積極評価派は①脳死を「人の死」とするのは世界保健機関(WHO)の指針や主要各国の臓器移植法とほぼ同じ②現行法が規定する臓器提供の条件が世界の中で突出して厳しいため法律施行約12年で脳死移植は81例にとどまり、毎年数千例の米国、数百例の欧州主要国と比べあまりにも少ない③多くの子どもが海外で移植を受けてきたが、外国頼みに国際的な批判も強く、WHOも渡航移植自粛を求める新指針を決めようとしている④3年後としていた現行法の見直し時期が過ぎて10年近く、これ以上の放置は許されない――などを理由にA案を評価した。>

 この「積極評価派」という言葉が適切かどうかも議論のあるところだろうが、一応は見出しで分けているのだろう。

 <慎重審議派は①本人同意を条件から外しても提供が確実に増えるとは限らない②子どもは脳死判定が難しい③親の虐待による脳死を見逃さないようにする課題が残る④親族に優先的に臓器提供できる規定は公平性の点で問題がある⑤医学の進歩で生まれた新しい死である脳死を法律で人の死と定めることの影響は多方面に及び、まだ国民的合意ができていない――などをあげ、参院でより良い法案に修正することを期待している。>

 この「慎重審議派」はまさしく参院で時間をかけて、ということ。衆院が解散された瞬間に廃案になるので、慎重審議派はもしかすると「廃案派」かもしれないが。

 <地方紙にはA案に懐疑的な社説が目立った。インターネットの各紙ホームページで見ると、<参院でこそ徹底論議を>(北海道新聞)、<国民合意へもっと議論を>(東奥日報)、<禍根残さぬ議論不可欠>(秋田魁)、<参院でさらに議論深めよ>(北日本新聞)、<参院はしっかり審議を>(岐阜新聞)、<議論は十分尽くされたか>(山陽新聞)、<まだ議論の余地がある>(中国新聞)、<国民の合意得る努力を>(南日本新聞)、<国民的なコンセンサスを>(琉球新報)などの見出しが並ぶ。>

 ここが今までの社説ウオッチングと比べてユニークなところだ。これも見出しをもとに区分しているのは在京紙の場合と同じなのだろう。

 <<ともかく一歩踏み出した>(西日本新聞)、<15歳未満に光は見えたが>(神戸新聞)との積極評価派もあるが、逆に<成立を急いでは禍根残す>の新潟日報は、わずか9時間という拙速の委員会審議は現行法を根幹から変えるのに不十分とし「国民合意のないまま、国会の多数決で死の定義を決めることには疑問がある」、「疑問を残したまま法が成立すれば大きな禍根を残す。参院ではゼロから徹底審議すべきだ」と結んでいた。<あまりに乱暴な改正だ>の信濃毎日新聞は「『脳死は人の死か』という命にかかわる重い問いを、あまりに乱暴に決めてしまった。とても納得できない」、「参院は法案の問題点を細部まで詰めて、修正を図るべきだ」と主張した。>

 怒っているような論調は何なのだろう? 生命についての議論が地方からでは見えにくい、ということもあるのか?

 <地方紙の分布を見る限り、保守性の強い旧来の地域コミュニティーが残る地域の新聞ほどA案への違和感が強いようにも見える。「海外依存からの脱却」などを前面に、積極推進派の日経など都会派新聞や都市部にターゲットを絞った新聞が「クリアできる」と判断した「国民合意」の一点について、地方紙が疑問を呈していると言えるかもしれない。18年前に出た岩波新書「医療の倫理」の中で京都大学医学部教授・倫理委員会初代委員長を歴任した星野一正氏は「人の死として社会が容認する死の定義は、国や社会によって異なってしかるべき」としたうえで、医学・医療技術の進歩で日本の社会的死生観、生命観が将来、急速に大きく変化する可能性を指摘。「それゆえ、死の現象などについての法制化は好ましくないと考える」と書いた。その後、臓器移植法が成立したものの、日本人の死生観はそれほど変化しなかったことを今回の法案採択への反応が示したのかもしれない。グローバル化した世界の中で生命倫理問題をどう考え、対処するか――。参院が大きな責任を負っていることは間違いない。>

 つまり、筆者は毎日新聞記者だから、やはり「慎重審議派」だ、ということなのか。

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2009年5月31日 (日)

坂村健・東大教授の新型インフル話、ためになった~毎日新聞5月31日朝刊[時代の風]

 毎日新聞5月31日朝刊2面コラム[時代の風]は坂村健・東大教授の<新型インフルエンザ騒ぎ/必要な多様性得られる>だった。先に新型インフルで役に立つ記事を二つ見つけた、と書いたが、これも新型インフルエンザについて、ちょっと違う視点から考えさせる記事だった。

 <5月はずいぶんと成田空港にお世話になった。ちょうど今回の新型インフルエンザ騒ぎが大きくなっていくのを成田で実感した形だ。>

 外国出張が多いIT学者だから、成田空港を利用するのか。

 <で、行った先の外国はどうだったかというと――これは最近よく報道されるようになったが――確かにマスクは全然していない。アジアはそれなりだが、ヨーロッパなどは全くしていないといっていい。その比較で言うなら、確かに日本は突出している。パリなどでは飛行機を降りた所に箱が置いてあって中に発熱時の連絡先の紙があるだけで、気がつかないと誰も取っていかないという「ゆるさ」だ。>

 マスクの話だった。

 <他国ではこんなに落ち着いているのに、日本は騒ぎ過ぎで恥ずかしい――というような文章も最近よく見かけるようになった。「大変だ」と脅したり「騒ぎすぎ」と水をかけたり、マスコミの時代の風もコロコロ変わって忙しいことだが、その状況を少し引いた目で見て感じたのは「これが国の文化の違いというものなんだな」ということだ。>

 なるほど、この辺から面白くなりそうだ。文化論、特に日本文化論は日本人が一番好きな分野なのだ。

 <一義的にはインフルエンザの話は科学の問題。しかし、たとえば、「コップに水がちょうど半分入っている」というのが科学とするなら、それを見て他の人に「もう半分しか残っていない」と伝えるか、「まだ半分ある」と伝えるかが文化なのだろう。>

 ものの見方、考え方の話だが、それが社会的なものの見方にまで発展した時に文化になる、ということか。

 <粗っぽく言えば、日本の文化――というか日本人が一番恐れるのは実際の「危険」ではなく、それに「未知の」がつくことの方だという気がする。普通の季節性インフルエンザが原因で命をなくす人は日本でも毎年1万人ぐらいいるらしいが、そちらは「既知の脅威」だから恐れない。>

 そういうことだろうなぁ。未知に対する恐れは異常に強い。徳川270年の鎖国後にケトウがやって来た時の騒ぎようったらなかった。

 <繰り返しになるが、だから日本のマスクは恥ずかしいといっているわけではない。家に入るとき土足で上がらないのも日本の文化なら、感染症流行時にマスクをしたくなるのも日本の文化だ。ニューヨーク・タイムズ電子版が「マスクに手洗い、日本は偏執狂」と書いたそうだが、「未知」でなく「敵」の脅威を感じたときの米国の対応も、米国以外からは「騒ぎすぎ」に感じられていた。しかしそれも、米国の文化と考えれば理解できなくもない。>

 ニューヨーク・タイムズも大したことないなぁ。

 <科学的に言うなら、文化というのは長いレンジの合理性を維持するためのシステムというとらえ方もできる。人間はつい短期間での合理性に流されやすいからだ。明治時代に西洋から「合理性」が入ってきたとき「鎮守の森」など開発禁忌の土地は非合理だからと開発したら、数年後に土砂崩れとか不作が起こったというような話がある。それは「鎮守の森」が、今の科学で見れば表土の保持など多くの長期の合理性を持っていたからだ。>

 いいことを言うなぁ。理性で割り切れないものがある、ということ。

 <当時はそれをエコロジーの言葉で説明できなかったから、「やっぱり祟りはおこる」として次代に継承した。高温多湿で人口密度も高いという日本の国土条件からして、清潔さを大切にする文化的システムは十分な長期の合理性を持つ。>

 なるほど。

 <さらに言えば、ニューヨーク・タイムズにはあきれられてしまった日本だが、米疾病対策センター(CDC)をはじめ、世界中の防疫関係者は日本にたまりつつある貴重なデータに高い関心を抱いているはずだ。現代の高度な科学技術を背景に新種パンデミックの過程をこれほどのバックアップ態勢と国民の合意のもとにデータ収集できるとは、とうらやましがられているぐらいかもしれない。>

 そうだろう、そうだろう。どんなもんだ、日本は偉いのだ!と少しは自慢してもいいかな?

 <また、日本自身にとってもこの経験は貴重だ。現場は優秀だが、初めての事態に適切に対応できる胆力と想像力を持った指揮官は少ないといわれる日本。米国ならぶっつけ本番で見事な危機管理ができるかもしれないが、日本にとっては予行演習が重要だ。逆にそれさえできれば、適切な対応を磨いていける。>

 いいところを突いている。指揮官不在とまでは言わないが、頼りない、不甲斐ない指揮官ばかりの国ですから。でも、そういう人にだっていいところはあるのです。

 <今回の件でさまざまなノウハウが現場から上がり、それはいつか来ると言われている強毒性鳥インフルエンザの変異など「本当の脅威」の時にきっと役に立つ。それで国としての抵抗力が増すなら、まさに今回の新型ウイルス騒ぎは日本という国にとっての生ワクチン接種。「マスクフィーバー」などの「副作用」は我慢の範囲だろう。>

 このくらいロングスパンでものを見ないと近視眼国民という国際的評価は覆らない。

 <抽象的な話をすれば、家畜などでよく知られているが、均質な集団は病原菌で簡単に全部がやられてしまう。生物が単細胞分裂という簡単な方法にとどまらず「性」という高コストなシステムを取り入れたのも、それによって生まれる多様性に防疫上のメリットがあるためという。だから、文化の多様性として、日本のように騒ぐ国と騒がない国のどちらもあってもいい。それによって人類全体としては必要な多様性が得られる。>

 この比喩からいうと、日本が生き残るのか、雑種国家アメリカが生き残るのか(シンボリックな譬えだが)ということになるが。

 <ところで私が海外でどうしていたかだが、文化は郷に入れば郷に従え。海外では、マスクをしていると感染者と思われて、かえって周囲がいやな目で見る。同調化圧力に弱い日本人としては当然マスクはすぐ外した次第(ちなみに、成田には律義に日本のマスク文化に合わせてくれる逆のアメリカ人もいた)。>

 そういう知恵が人間の無用な争いを防いできた。

 <航空会社や旅行会社の打撃も見ていてかわいそうになるぐらいだ。「未知」でもなくなってきたし、日本の文化からしてそろそろ「水に流す」頃合いかなとも感じている。>

 だから最近は<新型インフル、終息宣言いつ?>などという記事が散見されるようになっている。日本の新聞記事って本当に庶民感覚に忠実だから、笑っちゃう時も多い。まあ、健全なのだが。

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2009年5月20日 (水)

日本ではエボラ出血熱などのウイルス検査が出来ない!!:罷り通っている住民エゴ~「あらたにす」5月20日から

 朝日新聞、日経新聞と読売新聞の共同サイト[あらたにす]の<新聞案内人>に5月20日、(独)製品評価技術基盤機構理事長で東大名誉教授の安井至氏による<次なる感染症到来に備えは十分か>という論文が出ていた。これも新型インフルエンザ関連の記事では参考になる記事だったので、コピペしておこう。安井氏は物事の理非善悪をよく分かっている人のようで、特に文章の最後にある強毒性ウイルスの研究施設が周辺住民の反対で稼動していないため、エボラ出血熱などのウイルス研究が進んでいない、などという指摘は考えさせるものだった。

 強毒性インフルエンザやエイズ、エボラなどについては、事前にどれだけ研究できるか、が最大の勝負だ。それなのに、周辺住民のエゴに負けている、というのだ。複雑な事情があるのだろうとは思うが、こういう事態である。国は強権発動して研究を開始できないのだろうか?

 安井氏の論文を読んでみる。

 <とうとう日本は新型インフルエンザの大々的な感染国になってしまった。大型連休の前ぐらいから、新型インフルエンザの世界的な感染拡大が連日大きなニュースになっていた。患者数の増加速度が依然として大きいが、弱毒性ということもあって、世界的なパニックになっていないのは救いだろうか。>

 <今回のブタ起源のインフルエンザの流行に対して、どのような戦略で臨むのか、国によって大きな違いが見られた。最初の大量発症が起きたメキシコは、あまり戦略性がなかったように思われる上、感染者数、死亡者数のデータにも納得できない部分があるので除外するが、一般的に言って、欧米系の国では、日本で言う水際戦略を取る傾向が低かった。>

◆日・韓・中で採用「水際作戦」の結果は……

 <一方、アジアでは、日本だけでなく、韓国、中国も同様の水際戦略を採用した。>

 <この違いはどこにあるのだろうか。海が一応の国境になっているイギリスなどを除けば、欧州には国境はないに等しい。米国とカナダの間にも国境はないに等しい。一方、日本と韓国は、かなり厳密に定義できる国境がある。このような国の置かれた状況が、対応に違いを生んだのだろうか。>

 なるほど、韓国は分かるとしても、中国も日本と同じ対応を取っていた、というのが面白い。中国は結局、日本の真似をしているのではないか?

 <今回のような弱毒性のインフルエンザが、世界規模で感染が広まることが最初に起きることは想定外だったのだが、それを強毒性のインフルエンザの流行に対応するための良い学習の機会だと考えるべきだったのではないだろうか。>

 <そう考えれば、日本あるいは韓国のような水際作戦を行うことが、どれほど有効なのか、その労力はどのぐらいのものなのか、いわばその実証実験を行うことはかなり意味があったのではないかと思う。しかし、水際作戦はやはり難しいという結果を導いてしまったのは残念だった。>

 本当にそう思う。これだけグローバル化した世界では「鎖国」作戦が通用しない、ということをウイルスの世界で実証したようなものだからだ。潜伏期間が1週間ある、というのが盲点だった。日本に入ったときにはまだ何の症状も見せなかったのに、自宅で発熱して、という人がいたから大阪、神戸の大流行が起きた。例の飛行機に載っていた乗客とは別のルートでウイルス保有者が簡単に入国していた、ということだ。

 <国際機関であるWHO(世界保健機関)は水際作戦に対してあまり高い評価をしていない。それは、弱毒性という今回の新型インフルエンザの特性を十分に考慮すれば、それほど神経質になることはない、という立場だと思われる。たしかに、国境を閉鎖するといった対応にでる国があってはならないので、国際機関としての立場も理解できない訳ではない。>

 つまり、国際機関からすれば、弱小国で感染が出た場合、その国に入らず、その国からの人も入れず、となったら、その弱小国に壊滅的な被害が出ることを恐れているのだろう。国際機関とすれば当然の判断だが、日本人とすればまた別の判断がありえる、ということを言っているのだろう。

◆強毒性インフルやエボラ出血熱が来たら

 <いずれにしても、次に起こり得る強毒性のインフルエンザや、それ以外のエボラ出血熱のように致死率が非常に高い新興感染症を想定して、近未来戦略を早急に練り直しておく必要があるだろう。>

 その通りだ。

 <日本国内の体制を考えると、いくつか改善すべき点があるように思える。一つは、米国におけるCDC(Center for Disease Control=米疾病対策センター)のような強力な実務機関がないことである。国立感染症研究所は、その役割の第一項目に、「感染症に関わる基礎・応用研究」を掲げており、研究所的な色彩が強い。しかし、今回の新型インフルエンザでは、実務的な対応を担当していることもあって、職員は現時点で疲労困憊状態のようである。>

 毎日のように岡部さんがテレビや新聞に出ている。岡部さんだけでなく、実務部隊もフル回転しているのだろう。水際作戦をやるだけの人数がいなくなった、という政府の判断は正しい、とは思う。

 <実は、筆者が所属する製品評価技術基盤機構も、無害化され送られてくるウイルスの遺伝子解析の任務を分担している。強毒性への変異、あるいは、タミフル耐性ウイルスの発生などが起きることが怖いので、ウイルスの遺伝子レベルでの状況の把握が必要であり、特に、時間的にどのように変異するか、しっかりと見張る必要がある。>

 私たちが知らないところで、こういう地味な仕事がなされている。独立行政法人は税金泥棒だ、などと一概に言ってはならない、ということだろう。

 <もう一つの懸念事項は、これも体制に関わることであるが、もしもエボラ出血熱のような致死性が非常に高い感染症患者が出た場合、現在の日本は、そのウイルス検査を行う施設を持っていない国だということである。>

 ここは非常に大切なところだ、と思う。ウイルス検査ができなければ、アメリカなどへウイルスを運んで検査してもらうしかない。

 <国立感染症研究所の村山分室(東京都武蔵村山市)には、エボラウイルスなどを扱うことが可能なレベル、いわゆるBSL4(Biosafty Level 4)の施設がある。しかし、地域の反対によって現在BSL4施設としての運用を行えないでいる。このような検査施設に、病人が運び込まれる訳ではない。検体としての少量のウイルスが運び込まれるだけである。そして、遺伝子解析が可能になる。遺伝子解析とは何か、なぜそれが必要不可欠なのか。もしも解析が不可能に終わると、どのようなリスクがあるのか。このようなことについて、十分なリスクコミュニケーションが行われることが必須である。>

 まったく、住民運動の弊害だ。神奈川県で米軍基地に住宅を造ろうとしたら、周辺住民が反対したという話と共通点がある。迷惑施設を自分の家の近くに作ってはいやだ、というエゴ丸出しだ。そういう施設があるから、土地も安く手に入れたのではないか? 政府は国民の安全のために、即座に行政代執行でエボラ出血熱などの研究を開始する命令を出すべきだ。

 <いずれにしても、今後に向けて、体制の強化が必要である。各メディアにおいても、この問題について真剣な対応が切に望まれる。>

 その通りだ。マスメディアはこのような住民エゴを応援するケースが目立ち、全体のための行動、つまり「公共の福祉」をなおざりにする傾向がある。それは戦後民主主義の「負」の部分を引き摺っているからだ。マスメディア各社も責任ある公共圏の担い手としての自覚を持って、こうした住民の説得に一肌脱ぐべきではないか。

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2009年5月11日 (月)

臓器移植問題、毎日新聞の社説が良かった~各紙の4月末から5月11日までの社説

 5月11日の毎日新聞社説<臓器移植法改正/にわか勉強では困る>はまともな論だった、と思う。今の国会の臓器移植法改正の動きを冷静に分析し、「急ぐな」と提言しているのだ。

 その論拠は、

①世界保健機関(WHO)の移植指針改正の主眼は臓器売買にからむ「移植ツーリズム」の規制で、通常の渡航移植制限ははっきりしていないし、WHOの指針改正は1年先送りされる見通し。

②臓器移植法変更は人々の死生観や医療への信頼にかかわる重い課題で、国会議員が勉強不足のまま「一夜漬け」で採決すべきでない。

③現行法では脳死者からの臓器移植には本人と家族両方の同意が必要。長年の議論で「脳死は人の死」と考えない人にも配慮した内容。15歳未満の子供からは臓器摘出できない。河野太郎氏らの「A案」は脳死者を一律「死者」とみなし、年齢にかかわらず、本人が拒否していなければ、家族の同意で臓器を摘出できる内容だ。子供は大人より脳死判定が難しいとの指摘もあり、脳死の背景に虐待がないことをどう確かめるか、の課題も残る。

④「脳死は人の死」と考えない人も提供者となりうることを国民が受け入れるか、よく検討する必要がある。

⑤臓器提供同意可能年齢を12歳まで引き下げる「B案」や15歳未満は家族の同意で臓器提供可能とする「D案」もある。大人でも難しい問題を12歳の子供に決めさせられるのか。

 というものだった。全く同感である。

 わが意を得たり、と思った。

 というのは、それまで、各紙の臓器移植に関する社説は「何しろ困っているのだから早く決めろ」という乱暴な論が目立ったからだ。

◆読売新聞の大衆受けを狙った社説

 最近の例で言うと5月6日の読売新聞社説<臓器移植法改正/国内で完結すべき命のリレー>がそうだった。

 <日本国内で臓器移植を厳しく制限しながら、海外で臓器をもらう。身勝手な振る舞いと見られても、やむを得まい。5月中に世界保健機関(WHO)が「臓器移植は自国で完結させるべきだ」との指針を決定する。背景に日本の現状への批判が含まれている。この“外圧”を前に、国会は連休明けから臓器移植法改正案を本格的に審議することになった。採決の際には、与野党とも党議拘束をかけない見通しだ。国会議員一人ひとりが、脳死と移植医療をどう考えるか、重い問いと向き合わねばならない。>

 という書き出しを見れば分かるように、まず日本人が身勝手だ、それを是正する必要がある、という論理が先に来ている。

 <現行の臓器移植法は1997年10月に施行された。だが、11年半の間に行われた脳死移植は81例だ。米国では毎年数千例、欧州の主要国でも年間数百例の脳死移植があるのに、あまりに少ない。>

 と日本の異常さを国際比較の中で浮き彫りにする手口で論が進む。

 <欧米などでは、本人の意思が分からない場合は家族の同意で臓器提供が可能である。ところが日本では、まず本人がカードなど書面で提供意思を残していることが絶対条件だ。それでも家族が反対すれば移植はできない。提供意思の表示能力があるのは民法上15歳からとされるため、乳幼児は臓器の大きさが合わず、国内での移植はまず不可能だ。このため、多くの子どもが支援金を募り、海外で移植を受けてきた。大人も、中国で死刑囚から摘出したと見られる臓器の移植を受けるなどしている。WHOの指針により、こうした渡航移植は強く自粛を求められる。>

 何か日本人が「ベニスの商人」のシャイロック並みに描かれている。

 読売新聞の論説委員に訴えたい。今や日本の新聞の社説はすぐに各国語に翻訳され、内容次第ではインターネットで各国の一般人が閲読可能な状態になっている。このような書き出しの「国辱」ものの社説を反日中国人らは喜んで転電し、反日をあおるだろう。

 読売社説は国会の3案を説明し、

 <「人の死」における脳死の位置付けや、虐待されて脳死となった子どもを見分ける体制整備など、詰めるべき論点は多い。死生観の絡む、難しい問題である。だが、これからは海外で臓器がもらえなくなることははっきりしている。国内だけで命のリレーをどう形成するのか、もはや答えを先送りすることはできまい。>

 と、留保条件をおまけのように付けながら、早期採決を促しているのだ。論理的でないことこのうえない。詰めるべき点が多いのならば、宗教学者や宗教家、倫理学者、脳科学者、現場の医師、子供を脳死で失った親、わが子の臓器移植を待ち望む親らを集めた徹底討論をするなりして、論議を重ねるべきではないか。困っているのだから、基準を下げろ、国際基準に合わせろ、という論議は日本人の矜持を大切にする読売新聞の論説委員会とも思えぬ非論理的で粗すぎる論だ、と思う。

◆産経新聞も竹中平蔵氏と付き合ってからおかしくなった

 国粋主義者の集まりだったはずの産経新聞もこの問題では欧米中心のキリスト教的粗雑さを容認する主張をしていたので驚いた。4月21日「主張」(産経新聞の社説の呼び方)である。タイトルは<臓器移植法/ドナー増加を促す改正に>である。

 <長い間たなざらしにされてきた臓器移植法の改正案を成立させようとする機運がやっと盛り上がってきた。世界的なドナー(臓器提供者)不足の中で、移植する臓器がなく、命を失う患者が後を絶たない。人の生命にかかわる重要な法案だ。きちんと審議し、一刻も早く実現させるべきだ。>

 という前文を読むだけで、結論が見える。産経新聞はいつから「パンとサーカス」の新聞になり下がったのか、と溜息が出る。

 <日本は臓器移植法の施行(平成9年10月)後も脳死ドナーの数が異常に少なく、欧米の移植先進国に頼ってきた。とりわけドナーが15歳以上に限られる子供の場合は渡航移植しか術がない。このため国内外から「どこの国でもドナーが足りないのに外国に頼るのはおかしい」との批判が出ていた。>

 と、これも国際標準を批判の論拠にしているのは読売新聞と同じである。

 <改正案のひとつは脳死を人の死とし、ドナー本人が臓器の提供を拒否していない限り、家族の同意で提供できるようにする。この案だと、確実に脳死ドナーを増やすことはできるが、死生観の違いなどから脳死が一律に人の死となることに難色を示す意見もある。第2の案は、ドナーの生前の意思が確実に確認できなければ提供できないという現行法の枠組みは変えず、ドナーになる年齢を「15歳以上」から「12歳以上」に引き下げる案だ。脳死を臓器提供に限ることで、死生観をめぐる悩ましい問題は回避できる。しかし、ドナー増加には結びつきにくい。第3は、脳死判定基準を厳しくする移植慎重派による案だが、いま以上に脳死ドナーが減る。三つの法案の要素を取り込んだ第4案も検討されているが、妥協の産物になったのでは問題外だ。>

 というのが改正案への評価である。ドナー増加に結びつくのはA案だけだ、として、D案も否定する。

 <自分の心臓や肝臓、腎臓などの臓器を死後に無償で提供しようとする善意のドナーと、その臓器がなければ命を失う患者とを結び付けて支えるのが、臓器移植法の本来の姿だろう。ドナーの増加を無理なく促す改正となるように、国会で知恵を絞ってほしい。>

 この結論は逃げである。「ドナーの増加を無理なく促す」などときれいごとを言っているが、闇世界の臓器売買が増え、自己破産した人々が腎臓を売るはめになる、などの非人道的事件も増えかねない。

 こういう問題は副作用をきちんと議論してから実行すべきなのに、その部分を人情論だけですませれば、あとから大変なことが起きる。

 また、日本人の「日本人らしさ」を担保してきた死生観が変容しかねない大きな問題だ、という意識がなさ過ぎる。本当にあの産経新聞の社説なのか、と疑いたくもなる。

◆まともだった朝日新聞の社説

 朝日新聞は4月25日の社説<臓器移植/幅広い視野から合意点を>で、

 <臓器移植は、提供者の死を前提とする特殊な医療だ。私たち一人ひとりの死生観も絡む。幅広い観点から慎重に議論し、多くの人が納得できる答えを見つけてほしい。>

 というのが結論だろう。

 <現行法の基本を守りつつ、なんとか子どもの移植に道が開けないか、知恵を絞ってほしい。>

 として、

 <移植医は、日本の子どもが国内で移植を受けられないのは不公平という。小児科医は、子どもの場合、脳死の診断後に何カ月も生きたり脳の機能が回復したりする例もあり、判定は100%完全とは言い切れないと述べる。親が子どもの突然の死を受け入れるには時間がかかることも強調した。>

 と公平な書き方をして、

 <そのことをうかがわせる数字がある。心臓停止後にしても16歳未満の臓器提供は昨年がゼロ、その前の2年も1件ずつ。04年の5件が近年では最高だ。子どもの臓器提供は簡単には増えそうもない。>

 <一方、救急医は、脳死移植を認めつつ、救急現場の厳しい実情を訴えた。納得して臓器を提供できるには、最後まで救命の手立てが尽くされることが大前提だ。大人についても同じことが言える。救急現場の疲弊が、ここにも影を落としかねない。>

 <法の施行以来、脳死移植は81例にとどまる。世界的にもきわめて低い水準であることは間違いない。議論の盛り上がりは社会的合意づくりの好機である。真摯な意見調整を注目したい。>

 と結んでいた。

 朝日新聞もここでは良識を発揮している。少なくとも、読売新聞や産経新聞のように世論に阿って「急げ、急げ」とは言わなかった。

 4月23日の東京新聞社説は<臓器移植/渡航せずに済むように>で、ああでもない、こうでもない、と書いていた。そして、

 <脳死移植は第3者の死を前提にする特異な医療だけに、できるだけ多数の理解を得て進めたい。>

 と常識の線でまとめているのに、見出しは<渡航せずに済むように>である。ここに東京新聞の本音が見えるのではないか。つまり、最も考えていない社説だ、ということだろう。

 今国会では、結局、何もせずに終わるだろうし、結果的には毎日新聞の主張通りになる可能性が大きいとは思う。

◆河野太郎氏を当選させている神奈川のみなさん、考えてほしい

 しかし、河野太郎氏のような「日本の伝統」「日本人の心情」「日本の醇風美俗」を全く無視するアメリカ人のような人間が衆院議員をしていることが信じられない。神奈川県の選挙民は日本がアメリカの51番目の州になってもいいと思っているのだろうか?

 (追記)あとのエントリーでも書いたが、次の二つは是非モノだと思う。お勧めだ。

http://allatanys.jp/B001/UGC020005320090626COK00327.html

http://mainichi.jp/select/opinion/watching/news/20090621ddm004070026000c.html

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2009年5月 9日 (土)

新型インフルエンザ、参考になる記事を見つけた~5月9日朝刊日経新聞[大機小機]、朝日新聞[経済気象台]

 新型インフルエンザの記事でこの1週間、新聞はあふれかえっている。必要な情報だから掲載しているのだろうが、出てくるのは国立感染症研究所の岡部信彦・感染症情報センター長の細切れのコメントと世界保健機関(WHO)のマーガレット・チャン事務局長(61)の談話とケイジ・フクダ事務局長補佐代理(53)の記者会見内容くらいだ。細切れのニュースを見るよりかは、できれば彼らのまとまったインタビューでも読みたくなる。

 チャン氏は1994~2003年に香港政府衛生署長をつとめ、その最中に香港返還があり、新型肺炎(SARS)流行時には国家機密を盾に情報提供を渋った中国政府の壁を破れず、初動が遅れたと批判された。しかし、その苦境を生かす政治力があり、2006年のWHO事務局長選挙で元WHO西太平洋地域事務局長の尾身茂・自治医科大学教授(59)を破って就任したことはまだ記憶に新しい。

 フクダ氏は日本生まれ、子供の時に渡米し今は米国籍だそうだが、インフルエンザの専門家で2005年に米国疾病対策センター(CDC)からWHOに移ったWHOのインフルエンザ対策責任者。大阪市立大学客員教授を務め、日本語も聞き取れるそうだ。

 日本の新聞社はこの種の国際的な広がりを持った大事件に弱い体質を持っている。それは、セクショナリズムと記者クラブ制度の生んだ習性だ。

 朝日新聞、毎日新聞、読売新聞などでは昔は社会部が医療関係の現場取材を担当していたが、その後、日本の高度経済成長、国民の健康指向、戦争がなく病気が死因の主なものとなって、特にがんへの関心が高まり、その後の福祉国家化で医療予算などが膨張。国家財政が赤字となって予算がカットされるなど、国民医療問題が社会問題にとどまらず、大きな政治問題化した。年金財政の問題も露呈した。

 各社は程度の違いこそあれ、医療部とか科学部などのセクションを社会部から分離独立させ、専門記者を育てようとした。環境問題を一緒の部で抱える社もあれば、医療に特化する社もあるが、専門記者化がひとつの大きなトレンドだった。

 ところが、新聞社では社会部は社会面に責任を持ち、政治部は政治面に責任を持つという阿吽の呼吸がある。責任編集と言えば聞こえはいいが、セクショナリズムが働くとマイナスに働く。医療・科学部は少ない紙面に責任を持つので、人数も少なく、調査報道は得意だが、現場主義の事件には弱く、即応性に欠けるきらいがある。日々変わっていく、今回の新型インフルエンザのようなニュースに即時対応できる態勢が築かれていない。

 そのうえ、昔は厚生省担当記者だったのが、今は厚生労働省担当となったクラブ詰め記者は役所の発表を書き写す作業もしなければならず、人数に余裕のある社はいいが、そうでない社は記者の教養の補充がおろそかになる。

 こういうようなパンデミックまがいの事態が起きると、訳が分からないけど、あとから「お前はバカだ」と言われないように騒いでおこう、という気分が担当取材記者にも紙面編集担当記者にも起こる。そこで、大騒ぎする必要のない時に1面トップ記事がドーンと出ている、というようなチグハグなことが起きる。

 この2週間ほどの日本の新聞をみると、そんなチグハグさが目立った。それに、紙面を見ると、WHOや厚生労働省の言い分の垂れ流しが多い、ということも付け加えておこう。

 今回の「パンデミック」騒動をもう少し冷静に考え、今後、日本が取るべき政策を考えたい、という気分が強くなっていた。

◆日経[大機小機]は素晴らしかった

 そこで出合ったのが5月9日付日経新聞朝刊17面コラム[大機小機]だった。(カトー)氏は<慌てずパンデミック危機に備えよ>のタイトルで、面白い見方を紹介していた。(カトー)氏の言っている中からメモしておこう。

▽通常のインフルエンザでも日本で年間1万人近くの死者が出ている。危機を煽りすぎず、冷静に対処することが大切だ。

▽油断は禁物。もし、これで沈静化しても今年の冬に大流行の危険性もある。また、これから冬を迎える南半球からは目が離せない

公衆衛生は公共財の典型。政府の役割が大きく、責任も大きい。政府の対策のポイントを見直すべきだ。

▽いったん発生した後の対策は中央集権的な対応ではなく、分権的対応を基本とすべきだ。危機管理の観点からすれば、水際作戦で感染を完全に防げると思わないほうがいい。

発生後は現場の医療機関の対応がカギだ。現場への権限と責任の移譲の範囲を今のうちに決めておくべきだ

治安と水道、電力、金融といったライフラインを優先する。パンデミック(世界的大流行)は特に都市部や人口密集地で猛威を振るう。交通運輸機関が止まると大打撃を受ける。これについては経営破たんについても考慮しておくべきだ。

ワクチン・抗インフルエンザ剤作成に向けて国内製薬会社のインセンティブ増しておく必要がある。もともとワクチン製造はうまみが少ないため、製薬会社も力を入れていない

通常のインフルエンザでも死者が出るから、新型インフルエンザ対策とはトレードオフが生じる

危機が発生すると輸入頼ることはできないこうした状況では政府が補助金を出すか、あるいは高額で購入することを早急に考えるべきだ。関連して損害賠償の緩和という法的インセンティブ必要かもしれない。

▽リスク・コミュニケーションが重要。「手洗い、うがい、せきエチケット」といった基本的な習慣でかなりの予防が出来る。しかし、こういう助言は守られにくい。とりわけ集団行動を取りやすく、感染媒体になりやすい十代の少年少女たちにどう周知するか。彼らに優先的にワクチンを打てば、結果として多くの人命を救えるようになるかもしれない。

▽パンデミックとの戦いは長期にわたる。慌てず、手を打つことが肝要だ。

 以上である。ストンと腹に落ちた感じだ。

 十代の少年少女に優先的にワクチンを打つ理由をうまく考えているなぁ、と感心した。この視点は非常に大事だと思う。大流行が始まって、ワクチンは国民の半分にしか行き渡らない、というケースも十分に考えられるわけで、その時は時の政府は国家戦略を考えねばならなくなる。誰を生き残らせて、誰にはもしかしたら死ぬかもしれないリスクを与えるのか、という究極の選択である。

 この究極の選択は地域で輪切りに出来ない、男女で輪切りに出来ない、となると、世代か職業か、である。職業についてはすでに政府のマニュアルで治安にあたる公務員や医療関係者らを最優先することが決まっているのだが、その第1段が過ぎた後の第2段が究極の選択になる。ここで、老人にリスクを取らせるか、若者にリスクを取らせるかの選択を迫られる。若者を優先する理由として、私などは将来の日本を背負う世代を生き残らせるため、としか考えなかったのだが、(カトー)氏は頭がいい。感染リスクの高い若者に先にワクチンを打てば防御線になる、という理屈である。これは大賛成だ。

 このコラムで最もしびれたのは「輸入が出来なくなる」という文章だった。

 パンデミックのリスクを冷静に考えた場合、「貿易の保護主義反対」論では説明の付かない国家安全保障問題が出てくる、ということだ。どこの政府だってワクチンが足りなくなるリスクがある際に、外国に輸出しない。ワクチン製造は国家安全保障政策なのだ。

 (カトー)氏はこの問題の専門家なのか、ものすごく詳しい。それだけでなく、視野広く、いろいろな面に目配りしている。政府の中でもこういう人がいるのだろうか? たくさんものを教えられたコラムだった。

 是非、本物のコラムをお読みになることをお薦めします。

◆朝日の[経済気象台]は舛添厚労相をベタほめしていた

 同じ5月9日朝刊の朝日新聞[経済気象台]は(瞬)氏の<新型インフル流行と経済>のタイトルだった。

 こちらは前半は何を言っているのかよく分からなかったが、中盤は、

 <新型インフルエンザを水際で防ぐために、舛添早世労働相が取り組んだことにはいろいろの意見があるが、国全体に緊張感が行き渡り、この問題への対応は中小企業を含み進み始めている。>

 <これは政治の働きとは何か、ということに意志をもって応えた事例の一つとして、高く評価されてよい。諸外国に比べても日本政府の対応は素早く徹底している。そこには人の生命や人生を大切にする日本の精神風土も影響しているように思われる。>

 とベタ褒めなのだ。まあ、分からんでもない。新聞というものはすぐに「政府はけしからん」一色になるから、国際的に比較して、どれくらいの点数をつければいいか、の客観的な基準が見えなくなるきらいがある。だから、こういう記者クラブから離れた方々の声は貴重だと思う。しかし、まだ事情も分からないうちに、あのヒステリックな声で横浜市長を批判したり、と舛添氏が相当におかしなことをしていることも事実なのだが。

 (瞬)氏はこの政府の対応を評価する一方で、企業について

 <経営にとってはこれまで公益に応える責任感や思いやりなどは二の次と考えられてきたことの転換も起きる可能性がある。むしろ責任感や思いやりを土台としてこそ、環境の激しい変化に対して適切に判断や行動ができる、という発想に変わってゆくとするならば、この試練には想像以上に大切な意味があることになる。>

 という「教訓」を引き出そうとしている。

 まあ、そこまではないんじゃないの?と思うが、そうなってほしい、とは思う。

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2009年5月 8日 (金)

WHOの移植指針先送り、ホッとしたが、それにしても河野太郎氏は……毎日新聞、朝日新聞5月8日朝刊

 毎日新聞5月8日朝刊1面<「移植指針」先送り/WHO、インフル対策優先>はジュネーブ支局の澤田克己特派員の記事。世界保健機関(WHO)が今回総会で予定していた臓器移植の国内拡大を求めるガイドラインの採択を1年延期する、という内容だ。WHOの臓器移植問題のメンバーが新型インフルエンザ対策に関わるメンバーとほぼ同じであるため、あまりにも長い期間、総会で縛り付けておくと、新型インフルエンザ対策に遅れがでてはいけない、とチャン事務局長が決断したらしい。

 毎日新聞は<法改正目指す国会論議影響も>のベタ見出しで今国会で採択する予定の臓器移植法改正の動きに影響が出るだろう、と書いていた。そうなるだろう。

 国会で様々な意見が開陳されたことは以前、このブログにも毎日新聞の記事をコピペしておいたから、お分かりいただけると思うが、この国会での意見開陳はあっても、国民レベルで理解が進んだとは到底言えない状態ではないか、と思う。

 今まで厳しい規制があって臓器提供を申し出る人が少なかったから、海外で手術をする人が大多数だった日本にとって、「臓器は自国で調達せよ」というガイドラインは厳しいものである。人情から言えば、またどこかで抜け道を見つけて助かる命を助けるのが医者の仕事ではないか、という声が聞こえてきそうだ。

 そうなのかもしれない。その論を掲げる第一人者が河野太郎衆院議員だ。河野陽平衆院議長の長男で、大病をした議長のために自分の腎臓だかを移植してあげた、という美談の持ち主である。この人たちは「脳死が人の死」ということを法律に書け、と言っている。

 柳田邦夫氏の本を何冊か読んだが、果たして脳死を人の死と認めていいのかどうか、私は疑問だと思っている。脳死とは脳波が止まった状態である。科学的に、停止状態がどのくらいの長さ続くか、とか、何度検査する、とか決めているが、心臓が動いている人間を「死んだ」と決め付ける法律は日本人の感性にそぐわないのではなかろうか。

 朝日新聞は5月8日朝刊2面<臓器移植インタビュー/「脳死は人の死」明確に/A案を提案 河野太郎氏(自民)>のタイトルで写真つきでインタビューを掲載していた。南彰記者がインタビューアーだ。

 河野氏はここで予想通りの一点の曇りない話しぶりで、脳死を人の死とすべきだ、と話している。スカッとしているのが河野流なのだろうが、スカッとしている、ということは逆に言えば「単細胞」なので、いい意味でも悪い意味でも「坊ちゃん議員」、「二世議員」の特徴が最も顕著な人物なのだろう。

 河野氏の話の中で気になった点だけ書いておこう。

①現行法が国際基準から著しく逸脱している、という主張

 「国際基準」という言葉が出てくるところから、この人の頭の中が透けて見えるようだ。人の死という人生観、死生観、文化、伝統に最もかかわる部分でどうして「国際基準」が出てくるのだろうか? イスラム教が豚を食べないのは国際基準から外れているのか? 「国際基準」というのは今の世の中では「欧米基準」という意味しかないだろう。明治政府は徳川幕府の政治を転換して欧米に追いつこうとして、鹿鳴館をつくり、モノマネ外交を展開した。あの当時はそれも必要だった。欧米基準を満たしていないと認定されれば「野蛮」と分類され、帝国主義国に侵略されても文句が言えない時代だった。しかし、鹿鳴館時代はすぐさま反動に襲われる。国粋主義が台頭し、日本の伝統を墨守する勢力が出てきた。明治政府は欧化政策と伝統墨守政策の両にらみで国家を運営せざるを得なかった。

 日本は戦後もアメリカを見習って、日本の伝統を壊す作業を続けたが、その行き過ぎた欧米主義の欠陥がようやく露呈してきた。川端康成のノーベル賞受賞演説「美しい日本の私」は日本ナショナリズムのありようを世界に宣言した講演だった。

 そして今、アメリカが主導した金融資本主義が行き詰まり、日本的な循環社会が世界標準になるかどうか、の時代を迎えている。「世界標準」、「国際標準」というのは時代によって変わるのだ。今の臓器売買でも何でも強いものがやるのは許そう、という考えは欧米肉食社会の悪い部分だと思う。

 少なくとも日本では「分を知り」、「華美を求めず」、「天寿を全うする」ことが大切だ、という心情が大切にされてきた、と思う。

 臓器移植とはありていに言えば、他人の臓物を奪ってきて、自分の命を長らえさせる行為である。体にメスを入れることを先祖からの教えで拒否する人もいるだろうし、自分の子供だったら手足だけでなく、自分の心臓だってあげる、という親もいるだろうが、なぜ他人を助けるために臓物を奪われるのか、と釈然としない人だって多いはずなのだ。

 国際基準をかざして論破しようとするのは傲慢である。

②脳死を死ということを拒否できる、と言うが、錯乱している家族がそんな理性的対応が出来るか

 どっちを原則とし、どっちを例外とするか、は大切な話だ。すべての関連法を策定する際に、原則に準拠した法律になる。今は人の死を自然死、つまり心臓が止まった段階で死んだ、ということにしているので、相続にしてもその死を基準に動いている。しかし、脳死を死とすれば、社会のルールは激変する。

 大体、80歳で脳死となって生きている人はそう長くは生きないだろうからあまり問題ではないのだが、一番問題は若くして事故などで亡くなるケースだ。幼稚園で滑り台から落ちて打ち所が悪く、脳死した。しかし、心臓は動いている。この親に、医者は「脳死しました。あなたの娘さんは死にました」といって死亡診断書を出すように言ったとする。あなたの妻が半狂乱になって「そんなこと言ったってまだ心臓が動いているじゃないですか。何かのショックで脳だって動き出すかもしれません」と言ったら、あなたはどうするのだろう? 娘は死んだのだ、と割り切れるのだろうか? この時、忙しい医者が「まだ死んでない、と言えますよ」という適切なアドバイスをしなければ、娘は頬がピンク色のまま荼毘に付される。

 こんな事態がどこでも頻発するだろう、と想像するのだ。よほど強い意思を持った人でなければ拒否などできないだろう。アメリカの文化と違って日本の文化には「長いものには巻かれろ」文化があり、拒否ということはアメリカ人と違って大変な意志力が必要なのだ。河野氏はこのような文化面の日米の違いなど無視するだろうが。

③子供脳死臨調は必要ない、という断定

 本当にそうなのか? 柳田氏の著書には「脳死です」と言われて随分時間がたってから生き返った例を報告していた。人の死をフォーディズムのようなベルトコンベア的な考えで割り切ると、大変な禍根を残す。少なくとも宗教学者や心理学者、脳科学者、倫理学者らの徹底したオープンな議論が必要なのではないか。ただ、海外で調達できないから急ぐのだ、では通用しない。

④反対派が審議拒否してきたのは国の不作為

 河野氏のように一見人道的なように見える議論を展開して、反省のない人間が国会議員をやっていることが問題なのだ、と私は思っている。反対派がなぜ議論に応じていないのか知らないが、このような一方的な意見を認めさせるための議論だったら必要ないだろう。不作為というのは、もっと根本的なものではないか。

 人の臓器を使わずにip細胞を使って臓器移植意ができるように京大研究室に今の100倍の予算をつけるとか、東洋医学的な療法を研究するとか、国会議員だったら、そのような国家百年の大計を考えた議論をしてほしい。

 「困っている人をどうするのか」と恫喝するような議論に他人を巻き込むような強盗的な議論だけはやめてほしいと思う。

 と言っても河野氏には通じないだろう。父親が従軍慰安婦への国家関与を認め、あとで官房副長官が「あれは根拠がなかった」とばらしたように、韓国、中国への異常な阿りで生きている人物である。その息子も同じDNAを持っているらしい。

 ただ、日本人はアホではない。少しずつ学習している。河野一族がいかに信用できないか、分かってきている。次の総選挙で落とそうではないか。

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2009年4月22日 (水)

臓器移植問題と映画「豚を飼う授業」~毎日新聞4月21日夕刊、22日朝刊などから

 毎日新聞4月21日夕刊は1面トップ<臓器移植法改正案/緩和か厳格化か/「脳死」議論再び/衆院小委で参考人質疑>の見出しで論議を紹介した。コピペしておく。

 <議員立法で国会に提出されている三つの臓器移植法改正案について審査する衆院厚生労働委員会の小委員会が21日、開かれた。専門家ら6人が参考人として意見を述べ、質疑に応じた。現在認められていない14歳以下の子どもの心臓移植など脳死移植の増加を求める一方、脳死判定の難しさを指摘する意見や自己決定の尊重を求める立場からの反論が出された。参考人は意見陳述順に▽日本医科大病院の横田裕行副院長▽日本弁護士連合会人権擁護委員会の光石忠敬特別委嘱委員▽国立小児医療研究センターの雨宮浩名誉センター長▽大阪医大の田中英高准教授(小児科学)▽海外で心臓移植を受けた青山茂利さん▽日本宗教連盟の斎藤謙次幹事。それぞれ約15分ずつ意見を述べ、各党の代表者からの質問に答えた。>

 ということで、毎日新聞は22日朝刊でこの発言詳報を掲載していた。

 <改正案は①脳死を一律に人の死とし家族の同意があれば年齢を問わず臓器提供を容認(A案)②提供年齢を現在の15歳以上から12歳以上へ引き下げ(B案)③脳死の定義を厳格化(C案)の3案。>

 脳死とは、

 <脳の全機能が失われ、二度と回復しない状態。臓器移植法は臓器提供をする場合に限り、脳死を「人の死」とする。法的脳死判定基準(対象6歳以上)は①深い昏睡②瞳孔が開いたまま③脳幹反射の消失④平坦脳波⑤自発呼吸の消失――の5項目について6時間以上の間隔で2回判定することを求める。6歳未満は旧厚生省研究班が2回の判定間隔を24時間以上とする基準をまとめている。一方、脳死判定後も1カ月以上心臓が停止しない患者もみられ、判定の難しさを指摘する声が出ている。>

 とあった。この日の意見は、

 <雨宮氏はA案を支持する立場から「(内閣府調査では)6割を超える人が家族の同意で提供していいと考えている。家族の同意だけで臓器を提供できるのがグローバルスタンダード。国際事情で(海外での)小児の提供は極めて困難になる」と述べた。一方、光石氏は「A案は多くのレシピエント(臓器を受ける患者)の利益のために少数のドナー(臓器提供者)の犠牲はやむを得ないという考え方に基づいている。日弁連はC案を支持する」と反論した。田中氏は、脳死判定後も脳波が戻った長期脳死の例を紹介。「判定には限界があることを知ってもらった上で改正議論を進めてほしい」と訴えた。また、「虐待による小児の脳死例が見逃される」と懸念を表明した。斎藤氏は「宗教や文化などを踏まえ総合的に検討すべきだ」と批判した。>

 というものだった。

 毎日新聞22日朝刊掲載の詳報は次の通り。

◇横田裕行・日本医科大病院副院長

 <そもそも脳死判定は、臓器提供とは関係なく、患者を救命できるかどうか診断するための行為だ。現在の判定基準で、不可逆的な全脳機能の停止は判定できる。(脳の活動を判断する)脳血流検査は必須にすべきではない。一方、提供施設の負担は無視できない。人的支援があれば臓器提供に対応できる、という施設が多い。脳死判定から臓器提供まで約45時間もかかり、人手が切迫している現場では、日常診療に支障をきたす。法律が変わり提供が増えるのはいいことだが、今のままでは施設は破綻する。移植への信頼を裏切らない法律を作ってほしい。>

◇光石忠敬・日本弁護士連合会人権擁護委員会特別委嘱委員

 <臓器提供の増加を求める流れは、移植を受ける患者の利益のため臓器提供者を犠牲にしてもよいという考え方に基づく。だが、提供者の尊厳も患者同様に守られなければならない。現行法は自己決定の思想が前提であり、本人意思を不要とするのなら新法を作り直すべきだ。また、子どもの利益につながる親の代諾は認められるが、利益にならない代諾の権利は親も持てない。現行法にない組織、生体移植を盛り込み、自己決定を中心としたC案が一番いい改正案と思う。>

◇雨宮浩・国立小児医療研究センター名誉センター長

 <日本の臓器移植法の基準は極めて厳しい。提供は増えているが、最大で年13例に過ぎない。移植を望む多くの患者が亡くなっている。国際標準である家族による提供意思決定方式を取り入れるべきだ。このため、脳死を一律に人の死とし、家族同意で提供できるA案の施行をお願いしたい。各国も提供者不足が深刻で、今後の渡航移植は困難になると予想される。特に、国内で移植を受けられない小児が、公平に移植を受けられる法改正が必要だ。もし脳死判定を受けたくないと考える場合は断ることができ、それぞれの死生観にのっとった判断をすればいい。>

◇田中英高・大阪医大准教授(小児科学)

 <先週の日本小児科学会倫理委員会で、「脳死判定をしても100%脳機能が戻らないとは断言できない。意見表明ができない子どもの人権が損なわれる恐れがあり、A案には賛成できない」との合意がほぼ得られた。被虐待児のまぎれ込みを防ぐことは非常に難しく、小児の脳死判定には小児科医の7割が「不可能または分からない」と答えている。小児の脳死判定には限界がある。判定後に自発呼吸が戻るなど長期脳死の例もあり、小児科医は「自信を持った判定ができない」との不安を肌で感じている。その事実を広く国民に知ってもらいたい。>

◇米国で心臓移植を受けた青山茂利さん

 <1999年9月、45歳のとき突発性拡張型心筋症を発症し、余命3年と宣告された。自分のために家族を犠牲にできないと思い、渡航せず日本で提供を待つことにした。時間切れになれば潔く死のうと決めた。一方、「だれかの死を待つ」自分に苦しみ、希望がゼロではないことは絶体絶命よりつらかった。生きることをあきらめ、自分の気持ちを保った。ある日、車椅子に座る自分とは違い、米国で移植を受けて自分の足で立っている患者仲間と再会した。彼がまぶしく大きく見え、その夜は一睡もできなかった。渡航移植を決意し、米国で移植を受け、私の闘病生活が終わった。>

◇斎藤謙次・日本宗教連盟幹事

 <脳死移植は、個々人の死生観にかかわる重要な問題。医療現場の状況だけでなく、宗教、文化などを総合して検討すべきだ。社会的合意を得たうえでの改正を願いたい。脳死を人の死としてはならない。脳死では心臓が動き、温かい血液が流れている。日本人は心臓や呼吸が停止し、瞳孔が開くことを人の死として受容してきた。脳死を一律に人の死とする改正案は、将来に禍根を残す。他者の臓器摘出を前提にした医療は緊急避難的であり、普遍的とはいえない。過半数で決するのでなく、社会的合意ができるまで検討を重ねるよう求める。>

 難しい問題で、その後の動きもあるが、なかなか日本人がほぼ納得できるというような案ができる見通しはないのではないか。

◆映画「豚を飼う授業」

 思い出したのは当時、議論を呼んだ映画のことだった。

 桑畑四十郎という方がご自分のブログで、この映画を紹介しているので、彼の昨年11月23日のブログをコピペする。

http://ameblo.jp/kuwabatake/entry-10168904732.html

 <大阪の小学校での “豚を飼う授業” のお話。実話であるという点をしっかりふまえてご覧下さい。監督は、前田哲。原案(つまり、当事者の先生)は、黒田恭史。著書 「豚のPちゃんと32人の小学生」 があり、1993年にフジテレビの 「今夜は好奇心」 で放送されて、賛否両論を巻き起こしたそうです。出演は、妻夫木聡、甘利はるな、大杉漣、原田美枝子、田畑智子、戸田菜穂、ピエール瀧、その他たくさんの子供たち、豚。>

 というような紹介から始まって、

 <思ったより健全な映画に仕上がりました。“青少年映画審議会推薦” “日本PTA全国協議会特別推薦” “文部科学省選定” などというすごい肩書きがついているので 、家族揃って見ても大丈夫です。…俺的にはちょっと不満が残りますが。>

 と、この映画が文部科学省も認定した「良い子路線」であることを教えてくれる。そして、映画紹介だ。

 <6年生の担任を受け持つことになった新任教師・妻夫木先生は、いきなり教室に子ブタを持って登場。『…このブタをみんなで育てて、最後は食べようと思います。』 生徒たちは困惑するも、かわいいブタに魅せられ、一生懸命に世話をするようになる。食肉のつもりだったブタが、クラスのペットになってしまい…。>

 <本作は、食育という面と、人間と動物の関わり合いという面、ひいては人同士のつながりにまで波紋を広げていく。いやはや、ブタ一匹でここまでの騒動になるとは。Pちゃんもすごいプレッシャーですねえ。こんなに有名なブタも珍しいんじゃないでしょうか。まさに伝説のブタ。ブタだけに、“豚(トン)デモな授業” といったところですね。>

 <人生においては、答えのないことが実に多い。優等生は、答えを覚えておけば点は取れるが、社会に出るとそれだけではうまくいかない。相手や環境が変われば、それまでの常識はいとも簡単に覆される。そこで大事なのが、“考える力” なんです。あらゆる状況において、自分の頭で考えて、自分で行動を決めていく能力を磨く。それこそが、勉強する理由であると俺は思うんです。そしてそれは最終的に、自分の人生を生き抜いていく力になる。>

 <自分が小学生だった頃を考えても、彼らと同じ視点にはなれない。時代も環境も違うから。情報の洪水のような今の世の中において、正しい基準なんてもうないのかもしれない。誰かが何かを言えば、賛同する人も批判する人もいる。だけど、大切なのは志。黒田先生はいい授業をしたと思います。そしてそこにいた生徒達も、いい授業を受けたことを誇りに思って欲しいと思う。少なくとも、食べ物に感謝できる大人になっていることは間違いない。>

 <今どきの子供、今どきの大人。俺自身も、社会性に乏しい落ちこぼれのトンデモブロガーですが、みんなひっくるめて考えれば、いい悪いに差異はあまりないと思うんです。子供は決して純粋無垢じゃないし、大人も悪い人ばかりじゃない。子供が立派とか、先生が変だとかじゃなくて、この先生と生徒という “組み合わせ” が良かったんだと俺は思うんです。>

 <教える側と、学ぶ側。双方がしっかりしていれば、教材がトンデモであっても授業は成り立つ。逆に、トンデモな授業だからこそ面白いのだ。ここでしか学ぶことができない、貴重な時間を大切にして下さい。子供たちよ、しっかりがんばって、楽しく学んで下さい。>

 と論を展開されていた。

 私は最近、DVDを借りてきて観たのだが、見ていてイライラした。何という先生なのだ。先生としての自覚もないし、勝手なことをして学校全体に迷惑をかけて、と。しかし、観ているうちに気付いたのは、この映画はそのように観客をイライラさせたい映画だったのではないか、ということだった。

 桑畑四十郎さんが言うように、人生に簡単に◎×で決められることがらは多くない。その中で小異を捨てて大同についたり、迷ったりしながら人生を歩んでいくのだが、少なくとも「他人様に迷惑をかけてはいけない」とかの「道徳」は私の世代は親や学校の先生から叩き込まれていた。今はどうも違うようなのだ。どっちがいいのか、一概には言えないのだろうが、「道徳」を叩き込まれた世代からすると、電車を待つホームで列を作らずに割り込んで平気な若者や、肩がぶつかっても謝らない若者にイラつくこともある。

 この映画は映画でイライラさせることで、現実社会でのそんなイライラを鎮める効果を持っているのかもしれない。

 そして、本題である。

 この映画で豚を北朝鮮、卒業するから学校のどこかのクラスに譲って当然という児童たちを「飢え死にする人が可哀想だから援助しよう」といって、核開発を進める現状には黙ってしまう進歩的文化人、約束したのだから豚を殺して食べよう、という苦渋の決断をする児童は対北朝鮮強硬派なのか、と思ってみたりもした。別に北朝鮮の方々を愚弄する意味で例えたわけではないことを注記しておく。金正日総書記の独裁政治で人々は何も知らされていないのだから、余計に始末に悪いのだ。

 そして、脳死についてもこの児童の意見対立と同じだと思うのだ。

 どこに自分の立ち位置があるか、で言うことが違ってくる。

 欧米は一応、キリスト教文化圏としてのコンセンサスで「死」を見ていくだろうが、日本の八百万の神のいる列島ではどうなのだろうか、と。

 今の世の中で「モンスターペアレント」ではないが、勝手な人々が「何が悪いのか」と居直っているのを見ると、飼うときには「可愛いから」と飼い始め、卒業間じかになると「仲間だから殺すのは可哀想」と言う児童たちの精神構造、行動様式と同じであることに気付く。

 その精神をどのようにして「責任ある人間」にまでブラッシュアップするか、が問題だと思う。安倍晋三元首相の推進しようとした右傾教育路線だけでその目的が達成されるとは思わないが、そのブラッシュアップが終わらないと、脳死論議も勝手なことを言い合うだけで、哲学や宗教の深みに到達できないまま小手先の案でまとまる危険があると思うのだ。

 河野太郎氏のように、ブログを読むと訳の分からないことばかり書いてあり、勝手な論理満載。そのうえ、いつまでも日本人は自虐していろ、と言わんばかりの論理。日本人とも思えないような方なのだが、国会議員となっており、親子そろって一定の影響力を持っていることを考えると、この問題は一筋縄ではいかないだろう、とも思っている。

 功利主義と「あるべき」論と死生観と哲学。ベンサムとヘーゲルとカント。

 もっと勉強しないと分からないことが多いのだ、この世の中は。

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2009年3月17日 (火)

「山川草木が育んだ宗教観を死なせてはいけない」と久保田展弘氏~東京新聞3月17日夕刊

 東京新聞3月17日夕刊[生きる 心のページ]にアジア宗教・文化研究所代表の久保田展弘氏が<故郷に見えないカミ・仏/山川草木が育んできた宗教観こそ、出番のとき>の見出しで寄稿していた。全面的に賛成、というわけではないが、こういう故郷の森の持つ心の癒しという役割にまで踏み込まないと、あまりにもカサついてしまった日本人の心を癒すことはできないのか、と思った。

 その意味ではみのもんた氏が木曜日夜のテレビ番組で都道府県代表芸能人によるお国自慢番組を始めたことは評価できる、と思う。各地にある特産品を紹介しながら、その来歴にも触れる手法で、南北に長く、1億2000万人の人が住む日本列島のもつ表情をクローズアップして、現代の若者にも理解させるといういい手法だ、と思うのだ。

 久保田展弘氏は1941年東京都生まれ。早稲田大学卒。専門は比較宗教思想・文化論。主な著書は「インド聖地巡礼」(新潮社)、「さまよう死生観―宗教の力」(文春新書)、「役行者と修験道」(ウェッジ選書)、「原日本の精神風土」(NTT出版)など、とあった。

 久保田氏は「派遣切り」にあった40歳代の男性が「故郷へ帰りたいが、もっと厳しいしなあ」と呟いた言葉を噛み締めて思考を深めていく。

 <地方の現実は大都会やその近郊よりも厳しい。日本中に出現した大小の銀座通りとインフラ整備の拡大は、東京から全国各地へと、その道中に都会近郊のミニチュア的たたずまいを生み、この30年、急速に地方色を打ち消してきた。>

 この30年といえば、1979年からの30年だ。もう少しファジーに見ると、第2次石油ショックあたりからの時代だろうか。

 <それは、地方の都市化という外観の変化にとどまらない。文化の根っ子ともいうべき祭事・儀礼と一体のカミ・仏を祀る宗教施設の変貌、消失を強いてきたのである。都市を結ぶ幹線道路が山を削り、宅地造成が森をはらい、日本人の自然崇拝に根差したカミの認識を歴史遺産の向こうに追いやってきた。「故郷に帰りたいが、もっと厳しいしなあ」と呟いた男性の言う厳しさは、職の当てのない厳しさと、こころを癒してくれるはずのカミ・仏の見えない、故郷独特の山川草木の変貌を思い浮かべてのことでもあるだろう。日本人の霊魂観に根差したカミ・仏の気配を喪失した故郷へ帰る厳しさが、”派遣切り”という言いようを一層生々しく思い起こさせるとしたら、日本各地の都市化、インフラ整備、過剰で画一的な情報化とは何であったのかが、改めて問われなくてはならない。>

 ここが重要な指摘だ、と思う。宮崎駿監督の映画「となりのトトロ」は失われていく所沢の自然への追憶、オマージュだったらしいが、宮崎監督の一連の映画が日本人をひきつけてやまないのは、この自然と人間の近さだと思う。

 大木が語り、精霊が呟き、お化けが語る。現代に生きる我々は1億2000万人で生きているのではなく、過去の日本人たちに生かされており、子孫たちがまた我々の死後、日本人として、この素晴らしい自然と共生しながら生きていく。

 この「歴史的連続性」と「人間も自然の一部」という感覚が日本人をつくってきたし、久保田氏が言うように、その精神がアミニズムとでもいえそうな自然の中や人間をすぐに「カミ」にする心情、インドの仏ではない自分たちの先祖の分身としての「仏」を一体として敬う日本人の心情をつくってきた、と思う。

 <地方も東京・大阪のように都会になればいい。そのためには道路も商店街も変え、衣食住も都会にならうのだ。地方の活性化という名の下に多くが右へ倣えしたここには、おそらく地方独自の文化が何に根差し、それがどんな伝統を作り上げ、地に足の着いた意識・思想を育んできたのかという問いがなかった。日本人に特有の、共同意識の盛り上がりを乱すまいとする思いが、足元を問うことを拒ませたのだ。いやどこかに、地方色をとどめることが、都市化にも、企業誘致にもマイナスであるように思ってきたところがあった。>

  久保田氏は田中角栄元首相の日本列島改造論をシンボリックに取り上げる。

 <…あらためて私に、列島改造の進軍ラッパに始まる地方の大変貌が何をもたらし、何を失わせたかを問うことになった。>

 そして、日本における「故郷」の意味合いを次のように書く。

 <故郷の深い森がいのちの源泉であり、日本人のカミ・仏のありようを示す情報源であったこと、森とその気配が伝統文化の情報発信源であったことを忘れたとき、こころの荒廃がはじまったのではないか。そして同時に地方の衰退、意気消沈が日本という国の体力を急速に弱め、アジアの中の日本を見失わせている。>

 そして、山岳宗教の伝統の独自性とアジアとの共通性に触れ、それを認識することが大事だ、という。次の結びの文章も重要だ。

 <なぜ人は帰るべき故郷を求めるのか。それは故郷ということばがカミ・仏の気配を持つ山川草木、海が育んできた日本人の宗教観こそが、あらゆるものが対峙してやまない現代に、もっとも深い生命観に根差したメッセージを発し得ることを見逃してはならない。>

 秋葉原連続殺傷事件を「派遣切り」や携帯電話に頼って人間的ふれあいがない社会という切り口で語る人が多かったが、この「森の消失」こそが、現代人のこころの問題と深いところで繋がっているのかもしれない。

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2009年3月 2日 (月)

「リハビリ棄民」という「小泉人災」を告発する多田富雄氏の論は説得力がある~朝日新聞3月2日朝刊寄稿

 免疫学の世界的権威である多田富雄東大名誉教授が3月2日朝日新聞朝刊[私の視点]に寄稿していた。タイトルは<脳卒中患者/リハビリ医療を奪われた「棄民」>である。多田氏の論は水俣病の石牟礼道子氏との対談本の書評を書いたが、この寄稿を読むと、事態はますます悪化している、というのだ。小泉純一郎首相と竹中平蔵氏が推進してきた「小泉構造改革」の負の部分が否応なくクローズアップされてきた。

 多田氏について少し説明しておいたほうがいいだろう。またウィキペディアを参照させていただく。

 多田富雄(ただ・とみお)氏は1934年(昭和9年)3月31日、茨城県結城市生まれ。千葉大医学部卒後、千葉大医学部教授、東大医学部教授、東京理科大生命科学研究所所長を歴任。1971年に抑制T細胞を発見するなど免疫学者として活躍。詩人の多田不二を大叔父に持つ文筆家でもあり、自ら小鼓を打つ能の作者としても知られる。

 作品には脳死の人を主題にした『無明の井』、朝鮮半島から強制連行された人を主題とした『望恨歌』、アインシュタインの相対性理論を主題とした『一石仙人』、広島の被爆を主題とした『原爆忌』など。『免疫の意味論』(青土社、1993年)で大佛次郎賞、『独酌余滴』(朝日新聞社、1999年)で日本エッセイスト・クラブ賞、『寡黙なる巨人』(集英社、2007年)で小林秀雄賞を受賞。その他にも野口英世記念医学賞、朝日賞(1981年)、文化功労者(1984年)を受賞した。

 2001年に滞在先の金沢で脳梗塞となり、声を失い、右半身不随となるが、執筆意欲は衰えず、執筆活動を続けている。2006年4月から厚生労働省が導入した「リハビリ日数期限」制度につき、自らの境遇もふまえて「リハビリ患者を見捨てて寝たきりにする制度であり、平和な社会の否定である」と激しく批判、反対運動を行っている。2007年12月には『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』(青土社)を刊行。2007年には親しい多くの知識人とともに「自然科学とリベラル・アーツを統合する会」を設立、自ら代表を務める、とあった。

 私が読んだのは、石牟礼道子氏との往復書簡を一冊にまとめた『言魂』(藤原書店、2008)だった。

 朝日新聞の寄稿に戻る。[私の視点]の中で多田氏は次のような事実を明らかにしている。

▽日本リハビリテーション医学会の最近のアンケートで回復期リハビリ病棟の専門医の約2割が「患者を実際に選別している」と認め、約半数の医者が「その可能性がある」と答えた。選別しなければ病院の経営が成り立たないような制度が相次いで施行されたためだ。

▽発端は06年の診療報酬改定だった。政府は超高齢化社会に対応して社会保障費を増やすどころか削減し、脳卒中のため障害を負った患者のリハビリ医療を発症から起算して最高180日に制限した。これを機に脳卒中患者の苦しみは日を追って絶望的なものとなった。

▽日数制限の撤廃を求める署名は48万人に達したが、厚生労働省はそれを握り潰し、07年の異例の再改定では心筋梗塞などごく一部を日数制限から外して緩和したように見せかけただけだった。

▽逆に日数を超えてリハビリを続ければ、病院には低い診療報酬しか支払われないようになり、慢性期の脳卒中患者のリハビリ継続はますます難しくなった。

▽ことに救急車で運び込まれた重症の患者は発症日から60日以後は回復期リハビリ病棟に移ることもできなくなり、リハビリを始めることすらできない。初めから回復のチャンスが奪われてしまった。

▽08年10月からは治療結果による病院の”懲罰制”まで導入された。回復期リハビリ病棟に入院後180日以内に自宅やそれに準じる施設に退院した患者が6割を超えないと、病院に支払われる報酬が大幅に減額される。病院はノルマを達成するために、治療途中の患者を自宅に帰さなくてはならない。

▽そのためリハビリの期間は短くなり、治療半ばで中止させられる例も多い。中には点滴の管をつけたまま、自宅に退院させられる患者まで現れた。退院しても「老老介護」では、通院治療もままならない。

▽そのうえ、慢性期のリハビリは介護保険のデイケアでやれと言って、退院後の機能回復の機会を奪った。リハビリは患者の個別性に応じて行う専門的な医療であり、介護施設のデイケアなどでは対処できるものではない。

▽改善が目に見えないからといってリハビリを続けなけらば致命的な機能低下が起こることを無視した日数制限の結果、寝たきりになった人が幾人いることか。残った機能の維持こそ命を救い社会復帰させる医療なのに。

▽リハビリは単なる機能回復の訓練ではなく、社会復帰を含めた人間の尊厳を回復する医療なのである。患者や医師、リハビリ施設の職員たちから苦悩の声が上がっても、厚労省は言を左右に、医師や病院の責任にして自分たちの非を認めない。脳卒中患者を抜き打ち的に狙った迫害、としか言いようがない。

▽相次いだ制度の改悪によって、脳卒中の治療に熱心だった病院の収入は減り、重症の患者は初めから受け入れない傾向が生じた。そしてついには、患者の選別が起こってきた。これが「文明国」日本の現状だ。「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めた憲法25条は、脳卒中患者には当てはまらないとでもいうのだろうか。

▽リハビリをすれば社会復帰できたのに、寝たきりになった患者の人権はどうなるのか。最後の命綱を断ち切られて、命を落とした人に涙を注がないのか。この日本で、難民ではなく医療を奪われた棄民が発生したのだ。

▽リハビリ医療の度重なる制度改悪は、最弱者である患者の最後の希望を打ち砕き、医師や療法士のやる気をなえさせ、病院を疲弊させた。

▽医療は崩壊ではなく、破壊されたのだ。

▽最弱者を狙い撃ちにするような非人間的な精度は、即刻撤廃するべきである。

 以上である。途中からは、ほぼ原文のまま写してしまったが、多田氏の言葉は炎を上げて燃えるように熱く迫ってくる。小さな政府が必要だ、規制緩和だ、民間活力重視だ、ともてはやされた「小泉構造改革」の実態が嫌というほど描かれている。

 人間を大切にしない政治は政治ではない。

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2009年2月21日 (土)

「遅く考える」時間の大切さ:中山元氏の論に賛成~朝日新聞2月21日夕刊

 哲学者の中山元氏が朝日新聞2月21日夕刊文化面に寄稿していた。<言葉と思考 遅さの技法/朗読・翻訳 その豊穣な時間>のタイトルだ。短文だが、書いてある内容は滋味に富んでいる。今、政治家だけでなくマスメディア、思想家、文芸評論家たちを含めて言葉の軽さが問題になっている時、この「言葉」=「思想」を理解するために時間をかける、という「ゆっくり」のススメは貴重な提言ではないだろうか。

 中山氏はデリダ、フーコー、カントらの翻訳書が多いので、どちらかといえば翻訳家として知られているかもしれないが、その本質は現代が抱える諸問題をすべて自分の頭で考えて解いていく、という珍しい哲学者だと思っている。借り物の欧米思想を物差しのように当てて、計算機に頼るような真似は間違ってもしない人だから、安心して著書が読める。この記事で紹介されている「賢者と羊飼い」は読んだことがなかったが、哲学入門のような題名は忘れたが、分厚い文庫本を読んで感動したことを覚えている。

 寄稿に移ろう。中山氏はまず、

 <思考は言葉によって紡がれる。言葉にならない思考は、昨晩の夢のようなものであり、雰囲気としては残っていても、揺らいでいく。思考は言葉に定着させる必要がある。>

 <言葉のうちで思考は育ってゆく。蚕が糸を紡ぐように、思考は言葉を繭として、言葉のうちで育まれ、成長し、やがて羽ばたくようになる。思考は言葉の網の目のうちで息づく命のようなものだ。>

 と、「言葉」と「思考」との密接な関係に注目する。

 <だから他者の思考を理解するということは、そのひとの言葉のうちで呼吸している思考を理解するということだ。しかしただテクストを読んでいても、著者の思考の鼓動を感じ取れないことがある。優れたテクストの多くは長い時間をかけて書かれたものであるのに、読む者の目は、しばしばテクストの上を高速で滑走してしまうからである。>

 これは、いつも経験していることだ。

 <思考を読み解くためには、遅さというものが大切なのだ。テクストの背後と行の間を読み込み、その白紙の部分にみずからの思考を書き込みながら、長い時間を過ごす。著者との沈黙の対話のうちに過ごすこの時間は無駄ではない。それこそが豊穣な時間なのだ。>

 ここまで読んで、万歳をしたくなる。いつも、私はこのような新聞掲載の論文を読みながら、パソコンに手でキーボードを叩いて入力し、それへのコメントを短く書いているのだが、その行為をも意味ある行為だ、といってくれているような感じを受けるのだ。「読む」という作業は、今の忙しい時代、一人一人の心の中で、徐々に軽んじられてきているのではないか、と思うのだ。読んでも、たいしたことが出ていないな、とか、表題だけチェックして、自分の興味のある記事だけ熱心に読むが、それも、斜め読み。事実関係だけ知れば、あとは新聞を棄てる。そんな「読書」が今、一般的になってしまったのだ、と思う。しかし、思考の格闘をしなければ、本当の読書とはいえない、というのは正しいと思う。

 中山氏はこの「遅さ」を担保する方法として、テクストを朗読し、録音し、その自分の声の録音をじっと聞く。何度も聞くことによって、目と耳を通した他者の思考と対峙する、という。次第に自分の思考と絡み合ってくる。その生き物のような変化が微妙で深い、と書く。

 また、翻訳してみるのだ、という。これは誰にでもできることではないが、思わぬほど思考の道筋が見えてくるのだ、という。日本語のテクストだったら、覚束なくとも他の国の言葉に翻訳してみるのだ、という。

 <翻訳という営みでは、もとの言葉の網の目のうちに入りこみ、著者と同じようにその思考の鼓動を感じ取ろうとすることが、決定的に重要な意味を持つ。翻訳家というぼくの仕事では、どうしても肌の合わない文体の思想家のテクストを翻訳するときに苦しくなることがある。それは相手と思考を共有しにくいためなのだ。>

 なるほど、翻訳ねえ、できればいいのだけれども。

 <必要なのは、滑りすぎる目の速度から、どのようにして思考を「遅らせる」かということなのだ。>

 だから、すでに翻訳がある、例えばジョージ・オーウェルの「1984年」の原著をペンギンブックスで買って、自分だけで翻訳して読むのも価値があるのだ、という。それはそうだろう。

 <「遅く考える」時間をぼくにくれるのだ。>

 という方法を自分たちで見つけるしかないのだろう。ぼくは、このブログに、特に書評を書く時には、本の内容をなるべくエッセンスにして略述しているが、そういう略述する、という作業の中で著者と会話しているつもりだ。

 中山氏の深い思考と比べるのは牽強付会だろうが、各自自分の方法で「遅く考える」手段を見つけることが大切なのだろう。

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2009年2月18日 (水)

面白きこともなき世を面白く:高杉晋作=榊原英資=近藤勝重~毎日新聞2月18日夕刊から

 毎日新聞2月18日夕刊特集ワイド面に近藤勝重・専門編集委員の連載コラム[しあわせのトンボ]が載っていた。今回のテーマは<生き方再発見の時代>。読むとはなしに見ていたら、

 <先夜、MBSラジオの「ニュースレーダー」に旧大蔵省時代「ミスター円」で鳴らした早大教授、榊原英資氏が出演して、持論の円高国益論を語ったあと、こう続けた。

 円高は物が安く買えますから、庶民にはプラスなんです。食材を安く買って来て自分で料理するんですよ」

 自分で料理すれば節約もでき、達成感もあるわけで、ぼくは大いに共感した。

 氏は近著「榊原式スピード思考力」の中で今日の不透明な時代にふれて、<見方によってはチャレンジングな時代であるともいえます>と高杉晋作の有名な辞世の句「面白きこともなき世を面白く」を引いておられた。>

 という文章に目が行った。

 へぇー、知らなかった。榊原氏がラジオに出演していたんだぁ、と思って、その内容に私も共感した。

 ルービン元米財務長官の「強いドルは米国の国益」という意味での「円高国益論」とは違うと思うが、円高という現象、日本の国力の強さをある程度反映していることは間違いない。

 円キャリートレードに代表されるように、政府・日銀が政策として円安に誘導して弱い円が世界にばらまかれた。一時的には日本の輸出産業にプラスだったのだが、ツケは思ったより早く回ってきた。円キャリで世界にばら撒かれた円が世界の過剰流動性を作り出していたのだ。

 米住宅バブルの崩壊が世界金融危機にまで発展した理由は金融工学の異常な発達だけでなく、安い円=過剰流動性の創出が大きな原因だった、とは浜矩子氏もベストセラーの岩波新書で述べておられる通りだ。

 イタリアの通貨が円のようにリラ高になることはありえない。円は様々な政策手法の結果とはいっても、国際的な評価の元で円高になっている。だから、この円高を楽しもうよ、というのが榊原氏の提案なのだろう。

 ただ、そうは言っても「じゃあ日本は何で食っていけばいいのか」という強烈な反論が来る。そこで、榊原氏は近著の「メルトダウン」で農業の抜本改革を提案しているわけだ。

 コラムに戻ろう。

 <何かを得れば何かを失う。逆に何かを失えば何かを得る。得失は表裏一体、それは道理と言うべきで、世の中も大きくは得つつ失い、失いつつ得るということを繰り返しているのだろう。そうだとすると、考えようである。>

 この辺が近藤おじさんのコラムの真骨頂である。

 <目下の時代を、ただただ失う時代ととらえ絶望視する向きもあるようだが、人間としてのたしなみとか節度を再び得て、あるいは自然への謙虚さといった次代につながる価値を手に入れ、そこに新たな幸せが感じられるのなら、ことさら悲嘆にくれることもないのではなかろうか。>

 として、山歩きが趣味の夫婦の話を紹介し、

 <ヒルティの「幸福論」は、主としてキリスト教的倫理観を背景に仕事の価値が論じられている。ユングの「幸福の5条件」も、その一つに「朝起きた時、その日にやるべき仕事があること」とある。労働をおいては幸福感も乏しいだろう。そこに今日の雇用問題の深刻さもあるわけだが、一方で時代は働くとは?と再考をうながしているかもしれない。いずれ農林業など大地での労働は若い世代にも見直されるのではなかろうか。>

 と、近藤氏も農業に目を向ける。

 <いかに生きるか。おそらく今はめいめいが社会との関係を見つめ直し、自分にふさわしい生き方を再発見すべき時代であろう。面白くもない世に面白さを見つけ、またそのように見方を切り替えることができれば、大丈夫、何とかなるさと顔を上げて生きられそうに思えるのだが、どうだろうか。>

 大賛成だ。経済がシュリンクしたって、ある程度は当然という面もある。人口が減っているのだから、国のGDPは落ちるだろう。つまりマイナス成長である。でも、1人当たりGDPがそんなに落ちなければいいわけで、物差しを国のGDPだけに固定するものの見方が古くなっている、と思う。

 総幸福指数を基準にしろ、とは言わないが、いずれにしろ、現代経済学の限界論をもっと深めて、政府統計も徐々に変えていく時代になったのだ、と思う。

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2009年2月14日 (土)

「歯切れを悪くする」市民の役目:曽野綾子氏の34年前の論~産経新聞[昭和正論座]から

 曽野綾子さんの昔の論文を読んで、今も昔も同じだと思った。

 産経新聞2月14日朝刊[昭和正論座]の<矛盾と混とんは社会の摂理>である。昭和50年(1975年)1月3日掲載だ。論文を読む前に、当時がどんな時代だったかを見ておこう。

 1972年7月7日に成立した田中角栄内閣は日本列島改造論をひっさげて過疎と過密の同時解消を狙う。9月29日には訪中した田中首相と大平正芳外相が日中共同声明を出し、外交関係を樹立した。その前の佐藤栄作政権時の1971年8月15日にニクソン米大統領が金とドルの交換を一時停止するなどのドル防衛策を発表し、国際通貨体制は揺らぎ始めていた。1973年10月6日には第4次中東戦争が勃発。アラブ産油国が石油価格を上げ、輸出を制限したため、日本では11月16日から主婦がトイレットペーパーに群がる「狂乱物価」騒ぎが起きた。

 始まっていたインフレは列島改造論で加速され、石油値上げで油を注がれた。過剰流動性は地価を押し上げた。1974年の参院選挙は田中首相がヘリコプターで全国を飛びまわり、企業が自民党を推す「企業ぐるみ選挙」となったが、自民tの右派改選議席70に届かない62しか取れず、敗北。保革接近参院が出現した。8月15日には朴正煕大統領夫人が在日韓国人に狙撃され死亡。1973年8月8日に起きた金大中拉致事件の処理をめぐっても日韓が対立した。

 8月4日にはニクソン米大統領がウオーターゲート事件を引責辞任。5日にフォード大統領が就任した。文藝春秋11月号の立花隆論文などの田中金権批判が外国プレスの報道で火がつけられ、日本の新聞も報道。11月18日に現職大統領の初来日という記念すべきフォード米大統領来日をこなした後、田中首相は辞任表明。

 12月1日の椎名裁定で三木武夫氏が12月9日に首相になった。12月27日に通常国会が召集され、院の構成を決めて自然休会。1月中旬から再開される、その直前の1975年1月3日に掲載された論文である。

 曽野さんはこの当時から根性が座っていた。書き出しがいい。

 <年の初めに当たり、何を望むかと言われると、私は、ますます深く迷いたい、と思っている。などというと体裁はいいが、実は、昔から、私は何事につけても、なかなか本質が見えてこないので、それがよく見えるようになるまで、かなり長い時間、待たねばならぬことを何とかして正当化しようとしているのかも知れない。>

 である。相当に謙虚だが、「本質が見える」人などほとんどいないのだ。だから、曽野さんは時間がかかるけれども「私は本質が見えるようになるまで見続ける」と言っているのだ。

 交通戦争でトラックの運転者が加害者という論理、ヘドロを出す製紙会社が加害者、と割り切れない現実をあげ、加害者と被害者が大抵の場合重なっているという事実、その矛盾がまさに人生そのものだ、と書くのである。

 チクロという薬の発がん物質と認定されたり、また使用可能となったり、という歴史に触れながら、炎上したタンカーを沈没させようとして自衛艦から魚雷を撃ったが、一発で沈まなかったことなどの「矛盾」をあげていく。

 そして、本ボシである。田中角栄首相退陣に触れる。

 <クリーンな政治家が、田中内閣後にひとしきり望まれるようになった。もちろん、政治家といえども、私生活はきれいな方がいいだろう。しかし、本当にひたすらふるまいのきれいな政治家がもしあるとすれば、その人は恐らく国際社会で日本の国益になるような交渉はできまい。人間が、個人としても集団としても、あることを決定するまでには、決して単純ではない、複雑な配慮が必要になって来るからである。>

 曽野綾子氏の人間観察は透徹している。悪い人、いい人と単純に区分けできないこの世の仕組みを述べて、

 <私たち大部分の平凡な市民にとって、大切なことは、せめて軽挙妄動、即断をせぬことではないか、という気がしてならない。あらゆるものは毒を含み、すべての美と善は、醜と悪のうらうちによって支えられる面が必ずあるからである。>

 <一人の首相が全くきれいだったり、一人の総理が悪いことしかしなかった、というのは、むしろ人間性の面から見て、不可能なことなのである。>

 <この矛盾の中にただよっていると、本当に歯切れは悪くなる。しあkし、私は歯切れ悪くしていることが、むしろ一人の市民のささやかな役目のように思うのである。>

 立派な言説だ。先ほど歴史を見たように、この時期は「田中ケシカラン、三木は素晴らしい」とテレビも新聞も一斉に報道していた時期である。これだけのことを言える曽野綾子氏は腹が据わっている。

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2009年2月11日 (水)

亀井勝一郎氏が選んだ「心に沁みる名言」から

 44年前に読んだ本を開いたら、所々に赤線が引いてあった。亀井勝一郎監修「日本名言集~青春を生きる知恵」(青春新書、青春出版社、昭和36年12月30日発行、定価220円)で、昭和40年10月28日と買った日付を書き込んであった。あの転向文学者の亀井氏である。高校生の頃だから、そんな監修者の来歴も知らず、心の襞など想像のしようもなく、ただあの「大和古寺風物誌」を書いた人が選んだ名言だ、ということで読んだのだと思う。残念なことに、今になると、なぜその部分に赤鉛筆で線を引いたのか、の理由も線を引いた事実も覚えていない。心に響かなかったのかもしれない。

 当時は、大学受験のために受験勉強の日々を送っていた。私が通っていた都立の高校は一風変わっていて、理科系志向の生徒が多く、文科系志望者が小さくなっていた雰囲気もあった。物理・化学が苦手だった私は最初から文科系志望だったが、どんな勉強をしていたのかも、あまりに昔なのではっきりは覚えていない。

 ただ、社会的なものごとに関心が全くなかったことだけは覚えている。小説を読みまくっていた。そんな中の息抜きのつもりの一冊だったのだろう。

 パラパラとめくって、赤線を引いてある言葉を読むと、いいことが書いてあるので、幾つかメモしておこうと思った。もはや青春は遠く去り、いまさら「青春を生きる知恵」でもないもんだ、とは思う。この本は、そういう若者向けの本だったから、「老い」とか「病気」に関する言葉は意識しては拾っていないが、「人生」とか「生と死」とかの項目の中で幾つかは拾っている。亀井氏が50代半ばで読み込んだ本の中から選んだだけあって、言葉には亀井氏の思いが込められているようでもある。

分別過ぐれば大事の合戦は成し難し

 黒田孝高(くろだ・よしたか)「名将言行録」

 ウィキペディアによると、黒田孝高とは黒田 如水、通称黒田官兵衛のことだ。キリシタン大名として。ドン・シメオンという洗礼名も持っていたから、四つの名前で生きていた人だ。天文15年11月29日(西暦では1546年12月22日となる)、黒田職隆の嫡男として姫路生まれ。永禄10年(1567年)頃に家督を継ぎ姫路城代。永禄12年(1569年)、赤松政秀が足利義昭を抱える織田信長に属した池田勝正と別所安治の支援を受け、姫路城に3,000の兵を率いて攻め込んでくるが、300の兵で奇襲攻撃を仕掛け撃退した青山・土器山の戦いですでに天才ぶりを発揮している。

 その後、長篠の戦いで武田勝頼を破った信長の配下に入り、天正4年(1576年)には毛利は小早川隆景の水軍の将、浦宗勝を5000の兵で攻め込ませるが、英賀に上陸したところを孝高は500の兵で攻撃し退けた。1年間の捕虜生活で左脚関節に障害が残り、歩行がやや不自由になる。本能寺の変で信長が死んだことを知った孝高は秀吉に毛利輝元と和睦し、光秀を討つように献策し、中国大返しを成功させた。

 天正11年(1583年)の秀吉と柴田勝家との賤ヶ岳の戦い、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも参加。毛利との外交に手腕を発揮し国境線を確定し、実質的に秀吉配下に加えた。天正17年(1589年)、家督を長政に譲って隠居。文禄元年(1592年)から秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に参加、文禄2年(1593年)に石田三成と確執を生じ、秀吉の怒りを買って出家、中津城に引退した。

 慶長3年(1598年)8月に秀吉が死去すると如水は12月に上洛し、吉川広家に書状を書いた。

 <かようの時は仕合わせになり申し候。はやく乱申すまじく候。そのお心得にて然るべき候>

 如水は遠からず天下の覇権をめぐって大乱が起きると予想していた。慶長5年(1600年)、徳川家康らが会津の上杉景勝討伐のため東へ向かうと、7月17日(8月25日)石田三成らが家康の非を鳴らして挙兵し(西軍)、関ヶ原の戦いが起こった。嫡男・長政は家康の養女を正室として迎えていたことから秀吉の死去前後から家康に与し、豊臣恩顧の大名を多く家康方に引き込み後藤基次ら黒田軍の主力を率いて家康に同行、関ヶ原本戦で武功を挙げた。

 九州にいた如水は領内の百姓中心に9000人ほどの速成軍を作り上げ、9月13日(10月19日)、石垣原(現在の別府市)で大友義統軍と衝突、勝利した。合戦の後、長政は家康から勲功第一として筑前国名島(福岡)で52万3000石を与えられた。如水も中津城から福岡城に移り、政治に関与することなく慶長9年3月20日(1604年4月19日)、京都伏見藩邸にて死去。59歳。

 「名将言行録」には徳川秀忠が孝高を評した

 <今世の張良なるべし。>

 という言葉も残されている。

 また、秀吉が孝高を恐れたことを示す言葉として、

 <秀吉、常に世に怖しきものは徳川と黒田なり。然れども、徳川は温和なる人なり。黒田の瘡天窓は何にとも心を許し難きものなりと言はれしとぞ。>

 も名将言行録に残されている。ウィキペディアにはエピソードも豊富だ。

 秀吉が家臣に「わしに代わって、次に天下を治めるのは誰だ」と尋ねた。家臣たちは徳川家康や前田利家の名前を挙げたが秀吉は黒田官兵衛(孝高)を挙げ、「官兵衛がその気になれば、わしが生きている間にも天下を取るだろう」と言った。側近は「官兵衛殿は10万石程度の大名に過ぎませんが」と聞き返したところ、秀吉は「お前たちはやつの本当の力量をわかっていない。やつに100万石を与えたらとたんに天下を奪ってしまう」と言った。これを伝え聞いた官兵衛は身の危険を感じて隠居を申し出たという。文禄4年(1594年)の伏見の大地震の際、倒壊した伏見城に駆けつけたが、秀吉は同じ蟄居中の加藤清正の場合には賞賛したのに対し、如水に対しては「俺が死ななくて残念であったであろう」と厳しい言葉をかけたと言われている。

 晩年は家臣に対して冷たく振舞ったとされる。これは殉死者を出さないためとも、当主の長政に家臣団の忠誠を向けさせるためとも言われている。村重謀反のとき、信長は翻意するよう説得に向かった孝高が帰ってこないのは村重に寝返ったからだと判断し、人質として預けられていた長政を殺害するように命じた(村重と一緒に主君の小寺政職も裏切った事がこの疑念を助長している)。しかし重治(半兵衛)は密かに長政を匿った。このため、重治への感謝の気持を忘れないために黒田家は家紋に竹中家の家紋を用いた(この家紋とは黒餅の事を指す。黒餅とは石高の加増を願う家紋である)。遺訓は「人に媚びず、富貴を望まず」だった、と書いてあった。

 以上の基礎知識を学んだ後に、亀井氏の選んだ「 分別過ぐれば大事の合戦は成し難し」を見ると、黒田如水の生き方の何を若者に伝えたいのか、はなはだ分からなくなる。人生訓だったら、遺訓の

 <人に媚びず、富貴を望まず

 ではないか。

 亀井氏が選んだ徳川家康の遺訓はあまりにも人口に膾炙されているきらいはあるが、じっくり噛み締める価値がある言葉だ。

 <人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく心に望みおこらば困窮した時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基。怒は敵と思へ勝つ事ばかりを知って負くる事を知らざれば害その身に至る。おのれを責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより優れり。

 山岡宗八の「徳川家康」を昔、読んだ。あれは山岡宗八の家康だった。つまり、山岡宗八という人間がその大きさの家康を描いた小説だった。戦後の日本の荒廃の中、日本人に気概を持て、と発破をかけた小説だった、と思う。いろいろな小説家、歴史家が家康を描いているが、こうした本人の言葉を読むことの大切さは若者に伝えたいものだ。

 いろいろな読み方ができると思うが、私は「失敗しても諦めるな」、「成功してもいい気になるな」、「心を強く持ち、澄み渡らせよ」と言っているように思えた。どう受け取るかはそれぞれの勝手だ。

 <一時に怯懦の心を発作して終身の恥辱を帯ぶる勿れ

 乃木希典「訓示」

 この文を打ち込んでいて驚いた。「きょうだ」と打っても、「怯懦」が出てこないし、「まれすけ」と打っても「希典」が出てこないのだ。私はIMFスタンダードの入力方式にしているのだが、外国の製品だからなのか? 最近よく使われる日本語には不自由しないのだが、昔、と言ってもせいぜい明治時代の文を打とうとすると、すべて手書きのIMFパッドのお世話になるのも何だか情けなくなってきた。

 この言葉は微妙だ。何も知らない若者ならば、言葉通りに受け取るかもしれないが、私たちはすでに二〇三高地での乃木の失敗をしっているだけに、この言葉を見ると、複雑な思いが湧いてくるのだ。

 乃木を認める人びとと、「能力がなかったので、必要のない戦死者の山を築いた」と批判する司馬遼太郎のような人が今でも両派に分かれて論争している状況で、いわく言いがたいが、きっと乃木さんは<終身の恥辱>と思い込んでいたのだろう、と想像する。犬死のように戦死した兵士も痛ましいが、この乃木さんの言葉も痛ましい。

 しかし、あの戦いはせざるを得なかった戦いだったし、日本は国運を賭けて戦い、ロシアを破ることができたから、独立国として生き残れたのだと思う。あの場面で戦わなかった朝鮮は戦後処理で日本の保護国となり、その5年後に国としての体裁を失った。

 戦うべきときは戦わねばならない。しかし、戦いは戦死者だけでなく、生き残った人々の心にも死ぬまで残る恥辱を植えつける。

 <心なしと見ゆる者も、よき一言はいふものなり

 吉田兼好「徒然草」

 「おっさん、よく見てるね」と言いたくなるこの言葉、思わず笑ってしまった。

 市場原理主義の経済学者として政府の提灯持ちのような審議会で活躍しながら、市場中心の主流経済学が批判されると、すべて打っちゃって、「私は改心しました」とまたノコノコ出てくる人(面白い本だったのでたしか書評を書いたと思ったが)、朝のテレビのコメンテーターとして軽い言葉を毎日切り売りしてる人々、そして、旧社会党系の「北朝鮮は素晴らしい国だ」と言っていた人たち、韓国に頻繁にでかけては「独島(普通、日本人は竹島と言います)は韓国のものだ」と言い歩いている和田とかいう東大の先生……、顔が思い浮かんでしまって笑いが止まらなかった。

 彼らはきっと、「一時に怯懦の心を発作して終身の恥辱を帯ぶる勿れ」と思って、勇気を出して生きているのだろう。

 ちょっと理屈っぽいが、次の言葉を亀井氏が選んだのも面白かった。

 <政党には、党勢拡張、政権獲得などいう一種の病気がつきまとう。そのために、あるいは種々の不正手段に出たり、あるいは敵に向って進む勇気を失ったりすることがある。これを監視し激励するのが言論に従事する人々の責任でなければならぬ。

 犬養毅

 これもウィキペディアのお世話になろう。

 犬養 毅(いぬかい・つよし)、通称は仙次郎。号は木堂。1855年6月4日(安政2年4月20日)― 1932年5月15日。第29代の首相で立憲政友会第6代総裁。備中国賀陽郡庭瀬村(現・岡山市川入)に大庄屋 犬飼源左衛門の次男として生まれ、後に犬養と改姓した。一時二松学舎にも通い、最終学歴は慶應義塾退学。郵便報知新聞(後の報知新聞)記者として西南戦争に従軍。東海経済新報記者をへて、1882年(明治16年)、大隈重信が結成した立憲改進党に入党、活躍する。

 1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙で当選し、以後42年間で18回連続当選という、尾崎行雄に次ぐ記録を作る。1913年(大正2年)の第一次護憲運動の際は第3次桂内閣打倒に一役買い、尾崎行雄(咢堂)とともに「憲政の神様」と呼ばれた。しかし、当時所属していた立憲国民党は首相桂太郎の切り崩し工作により大幅に勢力を削がれ、以後犬養は辛酸をなめながら小政党を率いる。

 第2次護憲運動の結果成立した第1次加藤高明内閣(護憲三派内閣)で逓信相。小政党に限界を感じ、革新倶楽部を立憲政友会に吸収させ政界引退するが、世間は犬養の引退を許さず、岡山の支持者たちは勝手に犬養を立候補させ、衆議院選挙で当選させ続けた。政友会総裁の田中義一が没すると後継総裁をめぐって内紛が生じ、犬養は幹部に乞われて1929年(昭和4年)に第6代立憲政友会総裁に就任する。

 1930年(昭和6年)ロンドン海軍軍縮条約に統帥権干犯を絡めて、鳩山一郎とともに政府を攻撃した。これは軍部に統帥権を武器として使えることを教え、自らの死につながった。1931年(昭和6年)12月に立憲民政党(民政党)の若槻禮次郎内閣が崩壊したため、反対党の総裁である犬養に組閣の大命が降下、内閣総理大臣に就任する。世界恐慌、そして満州事変の最中という荒波の中の船出であった。大蔵大臣には高橋是清を任じ、組閣と同時に金輸出再禁止を行い積極財政をとるなど、不況対策に努めた。また、外務大臣には女婿の芳澤謙吉を任じることにより、軍部に左右されがちな外交政策をリードしようとした。犬養の就任後は桜田門事件、血盟団事件と不穏なテロ事件が相次ぎ、ファッショ排撃を訴えた犬養自身も5.15事件で、海軍将校の凶弾に倒れた。享年77歳。

 犬養には常に毀誉褒貶が付きまとった。第1次護憲運動では尾崎行雄とともに「憲政の神様」と崇められ、東京朝日新聞の記者だった中野正剛は

 <「咢堂が雄弁は珠玉を盤上に転じ、木堂が演説は霜夜に松籟を聞く」

 と評した。

 犬養の演説は理路整然としていて無駄がなく、聞く者の背筋が寒くなるような迫力があったという。

 その犬養が一旦藩閥政権である寺内内閣への内閣不信任案の共同提出を憲政会(桂に引き抜かれた元国民党議員が所属)に対して呼びかけながら、不信任案反対派の政友会と憲政会の足の引っ張り合いを皮肉って、政権を巡って右往左往する憲政会の態度を切って捨てて、そのまま衆議院解散に持ち込み、総選挙では孤立した憲政会に大打撃を与えた上で寺内正毅の要請を受けて寺内内閣の臨時外交調査会に入ったため、たちまち「変節漢」の悪罵を浴びた。その落差は大きい。

 その後も、山本権兵衛内閣や護憲三派による加藤高明内閣にも閣内協力をした。ただ、これだけで犬養を「変節漢」と呼ぶのはいささか酷かもしれない。犬養は普通選挙の実現をはじめ、経済的軍備論、南方進出論、産業立国論など独自の政策を温めていた。その実現のために、よりましと思われる政権に加わったとも解釈できる。

 明治の政界で隠然たる影響力を誇っていた山縣有朋が

 <「朝野の政治家の中で、自分の許を訪れないのは頭山満と犬養毅だけ」

 と語ったという話もある。同じように藩閥支配に敵意を抱きながら、原敬は山県に接近し、その力を利用して自らの勢力拡大を図った。一方で犬養はその道をたどらず、ほとんど少数政党に身を置いて苦労を重ねた。

 犬養は毒舌でも有名だった。親友の古島一雄は、犬養の毒舌がやたらに政敵を増やすのを見て「ご主人の出掛けに口を慎めと必ず言ってくれ」と夫人に頼んだほどである。これは、意志が強固で悪や卑劣を憎む犬養の性格からくるものからでもあったと思われる。

 私生活では全く無欲の人で、細かいことには無頓着だった。嫌いな食べ物が出ても文句を言わず、着せられる着物を黙って着ていた。議会事務局で働く少年が病気になると、自宅に引き取って学校に通わせるなど、困った人を見ると援助の手を差し伸べずにはいられないところもあった。

 宮崎滔天ら革命派の大陸浪人を援助し、宮崎に頼まれて中国から亡命してきた孫文や蒋介石、インドから亡命してきたラス・ビハリ・ボースらをかくまったこともあった。宮崎は当初、犬養が大隈重信寄りだったため警戒していたが、自宅で会ってみると、煙草盆片手にヒョロヒョロと出てきて、あぐらをかいて煙草を吸い全く気取らない。宮崎は直感的に「好きな人」と判断したという。ちなみに孫でエッセイストの安藤和津によると、ひどく女好きであったという。

 犬養が首相に就任したのは「憲政の常道」のルールが確立されていた上に、元老・西園寺公望は犬養が満州事変を中華民国との話し合いで解決したいとの意欲を持つことを評価して、昭和天皇に推薦したため。この時、犬養は数え年で77歳。新聞は「昭和の実盛」と書いた。白髪を黒く染めて戦った源平期の老武将斎藤実盛になぞらえたのだ。

 <情けは人のためならず>、 <禍福は糾へる縄の如し

 太平記

 この言葉は西欧の諺か何かの翻訳だ、と勘違いしていた。太平記だったとは……。

 <学者になる学問は容易なるも無学になる学問は困難なり

 勝海舟「海舟全集」

 勝はここで何を言わんとしているのか? ぼにゃり想像はできるが、本当にそうなのかどうか。「無学になる学問」の意味が分からないと、この言葉の深さは感じられない。

 <改めて益なきことは、改めぬをよしとするなり

 吉田兼好「徒然草」

 このへんになると、政治を思い出す。制度改革をやる時、民主主義国家では、このような言葉で野党が攻めてくるケースは多い。「益なし」なのか「益あり」なのかの論争になるのだが、未来の話をしているので、結局分からず、声の大きい人が言い勝ってしまう、というパターンだ。しかし、そうした政治的な使われ方をされる、という点を除いてこの言葉を虚心に読んだ時、「そうだなぁ」と頷くことが多いだろう。保守の保守たる所以を垣間見せる言葉なのかもしれない。

 <兵の勝敗は人にありて器(き)にあらず

 頼三陽「日本外史」

 これって、その通りなんだけど、先の戦争を少しでも知っている世代から見ると、誤読される危険性に目が行くのではないか。戦争に勝つか負けるか、は兵器のよさではなくどれだけ人的資源を有するかにかかっている、優秀な司令官、参謀をtkすあん擁していれば、少しぐらい軍備が劣っていても負けるものではない、という意味だろうと思う。

 先ほどの黒田如水ではないが、5000人の軍隊を500人でやっつけた歴史もある。ただ、逆に徹底的に軍備が劣っていて、後は人間魚雷と竹やりしかない、という時には、この言葉はあてはまらないのだ、ということを後世の日本人にしっかり伝えていくのが、先の世代の義務なのではないか、と思う。

 日本人って普段はそうでないのに、そういう時だけ、付け焼刃の精神論をぶって、竹やり精神を説くようだから。

 <古人の跡をもとめず古人のもとめたる所をもとめよ

 松尾芭蕉「風俗文選」

 そういうことだと思う。ケインズの講義録や著作の重箱の隅をつついて、合っている間違えている、などと論争し、現実を見ようとしなかったケインズ学派なるものもあったし、マルクスの心を無視して、「資本論」読みに没頭した学者は掃いて捨てるほどいた。しかし、彼等のやっていたことは違うんだよ、と丁寧に芭蕉が教えてくれている。

 <口に才ある者は多く事に拙なり

 伊藤東涯「間居筆録」

 これも、見た瞬間、笑ってしまった。昔、「君は新聞記者より、新聞話者が向いているね」という流行語がマスメディア関係者の中で流行したことがあった。今のように新聞記者が誰かれなくテレビのニュースショーにコメンテーターとして出演し、自分の得意分野でもないのに、知ったかぶりの知識をひけらかす、などということは、まだなかった時代のことである。新聞社では朝刊の出稿予定を編集局の会議で各部が報告しあう。それを当日の編集責任者がまとめる形で1面トップ記事や社会面トップ記事が決まるのが普通のスタイルだった。そして、この会議に出す出稿予定メニューを作るため、各部のデスクは記者がいる記者クラブに電話をしたり、政治部などの場合には国会記者会館に出向いて、各記者クラブのキャップから出稿予定を聞き取っていた。まだ、ネットなどない時代のことだから、パソコンを使った意思疎通ができず、アナログで動いていた。

 その聞き取りに答えるために、複数の記者がいる大クラブのキャップやサブキャップは若い記者たちから何を書くのか、聞いておく。発表モノだけでなく、調べて書く独自記事があれば、内容にまで突っ込んで話し合い、1面に出せるのか、中面でもトップにできるのか、付加価値を付けられるのか、応援の取材が必要かどうか、などを討議する。

 その時、本当に面白い話をする記者がいる。話をテープレコーダーに入れて、そのまま記事にしたら、読者が喜んで、洛陽の紙価もさぞかし上がるだろう、というドキドキワクワクの話も多い。「じゃあ書いてね、頼むね」と言い残して本社に帰り、期待して原稿を待つと、出てきた記事はありふれたただの原稿。話にあった面白いところが書いてない。「なぜ書かないのか」と電話で聞くと「まだ、そこのところは裏がとれていない」とか「ストレートに書くと○○政治家に迷惑がかかるので」などの言い訳が次から次に出てくる。

 そのことを思い出してしまったのだ。

 伊藤氏はまた違ったシチュエーションを考えて言ったのだろうが。

 <撃つべきの機は、その間に髪を容れず

 頼三陽「日本政記」

 これも頼三陽である。しかし、これも閑話休題だが、この頼三陽も変換できないのだ、このパソコンは。「らいさんよう」と打ち込むと「礼讃洋」と出てくる。仕方なしに「頼む」と打って「む」を消し、「三つ」と打って「つ」を消し、「太陽」と打って「太」を消している。だから、同じ文章に何度も出てくるとイライラする。コピペするのだが、めんどうで……。

 この言葉は大岡昇平の「俘虜記」を思い出させた。「撃つ」の意味は実は、頼と大岡とでは違っているのだが、若くて新米だと思われた米兵を撃てるのに撃たなかった大岡の迷いは頼が言っている「撃つべき機は、その間に髪を容れず」を実行できなかった近代人の迷いだった、とまあ、ありきたりなことを思ったのだ。間髪容れずにやらないといけない、という頼の「撃つ」は戦国大名が下克上を知ったときに、平定するとか、そういう意味だろうと思うのだが。

 <真(まこと)の善悪(よしあし)を云はば、鉄(くろがね)最も善(よろ)しく、銅(あかがね)これにつぎ、金(こがね)銀(しろがね)これにつぐべし

 権田直助「心の柱」

 鉄が一番だ。何にでも使える。銅は使い道は限られているが、銅だけにしかない使途もあり有用だ。それに比べて金銀は何に使うのか?

 貨幣、通貨という交換価値をこっちに置いておいて、使用価値だけで見れば、という話だろう。現実の世界ではそうはいかないから、非現実的でそれこそ「何の役にも立たない論」と言われてしまうかもしれないが、この発想は面白い。

 無人島に漂流した100人の男女が鉄と銅と金銀と何がほしいのか、聞かれてどう答えるだろうか? もしも、前の社会に戻るということを前提にすれば金銀だろう。たっぷり持って帰れば大金持ち。何でもできるから。しかし、その「何でもできる」というのは交換価値だ。無人島で畑を耕したり、家を建てる際には金銀よりは鉄が役立つ。使用価値がある。100年後、200年後、錬金術が成功して、誰でもどこででも金を作れるようになったら、金は一番先に人気をなくすのではないか。今は希少価値だから人気があるだけなのだから。

 人工ダイヤモンドがもう少し精密になって、天然と識別できなくなったら、天然ダイヤモンドの価格は暴落するだろう。ダイヤモンドも金も単に希少価値だから、価値がある。でも、鉄は違う。

 この論理って、ポスト資本主義を考える時、ブレイクスルーをもたらす一つのキーワードにならないかな?

 <生死は車の輪の如くにて、始りては終り、畢(おわ)りては始り、いつを始め、いつを畢(おわ)りともいふ事あるべからず

 水鏡

 この輪廻思想が日本独特の思想なのか、南方始原なのか知らないが、少なくとも一神教の西欧にはない思想だ。死を身近に感じ、恐れず、生と死との連続性を信じ……、といいことだらけのようだが、この死生観」が行き過ぎると「己を喪へる生は死よりも意義なし、己を喪はざる死は生よりも意義あり」(長谷川如是閑「如是閑語」)となってしまう。この考えだって本当は尊重されてしかるべきなのだが、これを東条英機のような輩が「戦陣訓」などに書き込んで、国民に押し付けると、「人命尊重をないがしろにした」などと批判されるようになってしまう。この西欧的な「人間主義」の限界が今回の世界同時不況や核支配の世界を生んだのだ、と思うのだが、人道主義の旗を高く掲げている方々にはこの理屈は通じないから、あまり言わない。

 <春くれて、後夏になり、夏はてて秋のくるにはあらず、春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気。草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下りよきざしつはるに堪へずして落つるなり、迎ふる気下にまうけたる故に、待ちとるついで甚だはやし。生老病死のうつり来る事、また是に過ぎたり。四季は猶定まれるついであり、死期はついでを待たず

 吉田兼好「徒然草」

 兼好法師らしい文章だが、デジタル的に、「はい、春は終わり、次は夏さ~ん」という具合に四季が移り変わるのではなく、春の中にも夏を含んでいる、という、当たり前のことを当たり前に書いていて、それが連綿と800年も読まれているというのは、書物、文字文明というものの危うさを吉田兼好がいみじくも言い当てている、その教訓を易しい言葉で警告しているからではないか。「春」t言えば、春を思う。その中に少しは夏を含むと知ってはいるものの、「春」と言われた瞬間、含まれている夏の要素がどこかに飛んでいってしまう。ただ単純な「春」だけになってしまい、平板なものとなる。でも、「春」には「冬」の名残もあるし、「夏」の先行指標も入っているんだよ、と常に思うべし、と。そういう理解をしないと、計量経済学が大失敗したように、言葉の魔法にかかって、人類は大失敗するよ、と兼好法師が教えてくれているのかもしれない。

 <神道に書籍なし。天地を以って書籍となし、日月を以って証明となす

 吉田兼好「神代上下鈔」

 これも兼好法師。ずっと後の時代、本居宣長は「吉凶(よしあし)き万(よろ)づの事を、あだし国にて、仏の道には因果とし、漢の道々には天命といひて、天のなすわざと思へり。これはみなひがごとなり」(『直毘霊』 )と、仏教、儒教なにするものぞ、神道だけが正しい、と言っているのだが、その神道が理論体系ではなく、日本列島の自然と人間の同一化の中にあることを示した輝く言葉だ。

 <口は禍の門なり、舌は禍の根なり

 十訓抄

 何か、そういうことだよなぁって納得する。最初のほうはよく知っていたが、後ろがあったんだ。

 <商人は死ぬまで金銀を神仏と尊ぶ。これが町人の真の道

 近松門左衛門

 なるほど。作品名は書いてないが、何かの人形浄瑠璃の中で登場人物に言わせているのだろう。本当に日本のシェイクスピアだ。この江戸爛熟期の文化人が見た商売道、アメリカのリーマンだ、ゴールドマン・サックスだ、という人たちと似てないか。あまりアメリカが特殊だとか、日本は違う、とか言わないほうがいいだろう。ギラギラした時代だってあったんだから。日本にも。ただ、江戸幕府という政治は腐敗していたかもしれないが、この商人資本主義が暴走するのを適度に押さえ込んでいた。今流に言えば、政治が機能していた。

 <思ふべし、人の身に止むを得ずしていとなむ所、第一に食物、第二に着る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三に過ぎず。飢えず、寒からず、風雨にをかされずして、閑(しずか)に過すを楽とす。ただし人皆病あり、病にをかされぬれば、其の愁忍びがたし。医療をわするべからず薬を加へて四の事、求め得ざるを貧しとす。此の四の外をもとめいとんむを驕(おごり)とす。四の事倹約ならば、誰の人か足らずとせむ

 吉田兼好「徒然草」

 またまた徒然草だが、内容がいいから、何度でも出てくる。衣食住に医療を加えて、貧困のメルクマールにしている。吉田兼好という人、本当にすごい人だなぁ、と思う。今、米国でも全員福祉はできていない。日本は医療保険制度で貧乏人でも薬をもらえるようになっているはずだ。実態はなかなか違うかもしれないのだが。しかし、兼好法師の言うとおりだろう。雨露を凌げる家があり、一日三食のご飯が食べられ、寒いときには厚着ができて、風邪を引いたり、お腹が痛かったら医者で薬をもらって直せる。ここまで過ごしやすい国に住んでいて何の文句があるんだい? と麻生首相に聞かれたら、何と答えよう。

 <災難にあふ時節には災難にあふがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候

 良寛

 何か鯰を素手で掴もうとしたら逃げられ、また掴もうとして……といった感じの禅問答の一部なのだろう。災難にあってわけが分からなくならずに、「これは災難だが、どんな災難なんだ」と冷静になっていろ、という教えなのか? 理解できないが、面白い言葉だ。

 <人生五十功なきを愧ず

 細川頼之

 何もいえねぇ、か。私はアラウンド還暦なのに、功なきもいいところですから。

 <年五十になるまで上手にいたらざらん芸をば捨つべきなり。励み習ふべき行末もなし

 吉田兼好「徒然草」

 何もそこまであけすけに言わなくとも。まだまだコツコツやろうと思っているのに、ダブルパンチを食らわされてしまった。

 <学をなすに三要あり、志なり、勤なり、好なり。

 伊藤東涯

 ここまできて、少しホッとする。

 <志を立つることは大にして高くすべし。小にしてひくければ、小成に安んじて成就しがたし。天下第一等の人とならんと平生志すべし。

 貝原益軒「大和俗調」

 私はもう手遅れだが、若い人にはいいアドバイスだと思う。

 このほか、吉田兼好の言葉で気に入ったのが幾つかあったが、書き写すのに疲れたので、この辺にしておく。面白かったのは、小林秀雄が「作品は自然の模倣を出られない」(「文学と自分」)と書き、松尾芭蕉が「心花にあらざる時は夷狄(いてき)にひとし、鳥獣に類す。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひて造化に帰れとなり」(「笈の小文」)と、いずれも人間と自然との融合に大きな価値を見出していることだ。やっぱり日本人だ、と思う。

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2009年2月 3日 (火)

仮面ライダーはセロトニン効果で変身した?~朝日新聞2月2日朝刊から

 朝日新聞2月3日朝刊社会面ハコ記事<無害バッタ ワルに変身/エサ減ると群れに→神経物質の濃度3倍/英豪チームが発表>に教わった。子どもの頃から、茶色っぽいバッタと緑色のバッタは別のバッタだ、と思っていたが、同じ種類だというのだ。戦闘モードのバッタが茶色で、のんびり型が緑色だ、と。セロトニンという物質がこの変化に関わっているということだった。これは驚き。「へぇー」である。

 写真が良かった。同じ形の緑色のバッタと茶色のバッタがにらめっこをしている。大きさも形も同じである。だけど、色が決定的に違う。

 子どもの頃から不思議だ、と思っていた。こういうふうに50~60年間不思議だと思っていたことが、科学の力で解明されることは日常的に行われているのだろう。たまたまバッタの記事を見つけたから溜息をついているだけで、例えば縄文時代と弥生時代、その後の古墳時代の前期については、最近の研究で、昔、中学・高校で教わったことが全く違ってきている。

 考えてみれば、アインシュタインが相対性原理を発見して、日本を訪れてからもう何年になるのだろうか? 私も含めて、いまだに相対性原理など知らない人間が多く、ニュートン力学の常識で育って死んでいく。

 その意味では、科学の発達とはいってもまだら模様を描くのだろうし、バッタの新発見だって、知らなければ知らないですむんだけど、常識というか、子ども時代からの不思議を解明してくれた、という驚きは深い。

 記事はワシントン支局の勝田敏彦記者が書いた。

http://www.asahi.com/science/update/0202/TKY200902020264.html

 <ふだんは無害なバッタの仲間が大群となって食害を起こすとき、神経系でセロトニンと呼ばれる物質の濃度が3倍に上昇していることがわかった。セロトニンは人間の脳にもあり、精神活動に影響する物質。ケンブリッジ大など英豪チームによる論文が、米科学誌サイエンスに掲載された。>

 という前文だ。

 <バッタの仲間サバクトビバッタは本来、単独行動を好む。しかしエサが少なくなると残ったエサを求めて集まり、大群となって農作物などを食い荒らしつつ移動し始める。途上国で食糧問題の原因の一つになっている。体色も緑から黒っぽく変わる「変身」は、お互いの体が接触するほど近くなると起きる。研究チームはバッタの後ろ脚の近くを刺激し、変身が2時間ほどで起きるのを確かめた。この時、神経系でセロトニンの濃度が3倍になった。セロトニンの作用を人工的に止めるとバッタは刺激しても変身しなかった。>

 セロトニンという薬はものすごい薬なんだなぁ、と。

 <研究チームの英オックスフォード大のマイケル・アンスティー博士は「ジキル博士とハイド氏のような変身の裏には、こんな変化が神経系にあった」と話す。セロトニンは動植物に広く存在する。人間ではうつなど精神疾患との関係もわかっており、セロトニンの再吸収を阻害する物質などが抗うつ薬として使われている。>

 そうか、抗うつ剤なのか。精神の力で変身できる、ということなのか? 仮面ライダーはバッタだった。あの変身もセロトニンだったりして。

 それは冗談だが、久々に心温まる面白い記事だった。

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今は「日本の旗艦」はトヨタなのだろう~毎日新聞2月3日朝刊「経済観測」+2月4日付訃報

 2月3日毎日新聞朝刊新経面[経済観測]は三連星さんの<トヨタは日本の旗艦か>だった。例の軍艦の隊列の中で司令塔となる艦である。

 日本海海戦の東郷平八郎とかいているが、この時の旗艦は「三笠」だったはずだ。スペインのトラファルガー岬沖でナポレオン軍率いるフランス・スペイン連合艦隊と戦った「トラファルガーの海戦」のイギリス海軍・ネルソン提督は敵の隊列を分断するため2列の縦隊で突っ込むネルソン・タッチという戦法を使ったことで有名だが、その時の旗艦は「ヴィクトリー」で、総勢27隻。ピエール・ヴィルヌーヴ率いるフランス・スペイン連合艦隊の旗艦は「ビューサントル」で総勢33隻だった。

 トラファルガーの教訓は数に勝っていたフランス・スペイン艦隊が寄せ集めで士気が低く、指揮命令系統がしっかりしていなかったことと、練度が低かったのに比べ、数で劣るネルソン軍は士気が高かった上に指揮命令系統がしっかりしており、多勢に無勢のはずが、チビがノッポをやっつけた、ということだろう。

 三連星さんは日本経済の旗艦は戦後復興期には八幡製鉄だった、という。何をするにも鉄だった、超重点産業であり、「鉄は国家」だった、という。その通りだ。傾斜生産方式で極貧国家の資源をすべて製鉄業と石炭産業に振り向けて、土台を築いた時期だった。

 高度経済成長期の旗艦は確かに見解が分かれるだろうが、三連星さんは日立製作所をあげている。

 <重電・軽電のバランスのとれた総合電機メーカーであり、売り上げは全機械産業のほぼ1割、日立を10倍すると日本産業が分かるといわれた。>

 なるほど。その時代、私はまだ経済にも政治にも興味がなく、毎日、少年マガジンと少年サンデーを読んで過ごしていたので、実感はないのだが、日立にもそういう輝ける時代があったのだ、と初めて知った。

 <そして今は、といえば10人中10人、トヨタ自動車を指すであろう。>

 そういうことなのだが、最近読んだ本か何かで「トヨタやホンダを日本の産業の代表と考えてはいけない。あれは世界産業だ」という説を読んで、「なるほど」と思ったことがあることを思い出した。三連星さんも同様のことは書いている。

 <20世紀は自動車の世紀といわれるが、その戦略産業の中、ビッグスリー、GMをおさえ世界一である。次世代カー、ハイブリッド開発でも先鞭をつけている。収益力、財務内容、いわゆるブルーチップの条件はすべてみな備えている。弱みと言えばあまりにもグローバル化して国内基盤がひ弱に見えることだ。もともと日本の自動車が国内ではどうしても500万台の販売のカベを突破できないのに生産は1000万台を超える。つくった半分は輸出しなければソロバンがとれぬ。世界不況の影響を全身に受け、為替1円、2円の円高は敏感に反応する。>

 だから、工場の海外移転を行い、為替リスクと貿易摩擦リスクを解消しようとしたが、それが国内産業の空洞化を生むという結果を生んだのは知っての通りだ。

 なお、ブルーチップとはおもにダウ工業株30種平均に採用されている代表的な米国企業の株式銘柄で、収益力や成長力で優れているもの、つまり優良銘柄の代名詞として使われる言葉らしい。

 三連星さんはコラムの結論で次のように書く。

 <その混乱を回避するためトヨタの決算は内部留保を超手厚く、労働分配率はじめ社外流出を極力抑え、保守的な決算である。一企業としてはそれもよし、だが、旗艦としてみると――不況ここから始まる。>

 内部留保と労働分配率の関係は一般人が考えるような単純なものではない、ということは最近、各紙が書き始めた。内部留保とは言ってもおカネの形で貯め込んでいるとは限らないのだ、という説である。それはそうなのだが、労働分配率が低いことは間違いない。

 三連星さんがいうようにグローバル企業の労働分配率は賃金の低い国の労働単価に引っ張られやすい。そこが一国経済で完結する国民経済理論で説明しきれないところなのだろう。輸出産業にこれ以上を望むのは無理なのかも知れない。

 つまり、内需主導の産業を育てるしかないのだ。戦後、傾斜生産方式で八幡製鉄を育てたように、そして、ジェトロと商社を先兵に日本製品を売り込み、輸出産業を育てたように、今は国内にデーンと基盤をおくことができる新産業を育成することに国家資源を注力すべき時なのではないか、と思うのだが。私見では農業の活性化がその一つの可能性だと思う。そういう産業が育てば、真の「旗艦」が生まれると思うのだ。

(2月4日追記)

 何も知らずに上記ブログを掲載させていただいたが、三連星さんがこのコラム執筆後、急性心不全で亡くなったことを2月4日毎日新聞朝刊で知った。神崎倫一(こうざき・りんいち)さんというお名前だった、と書いてあった。82歳とあった。随分とご年配だったのに、若々しいコラムだった。ご冥福をお祈りします。

 元東洋信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)取締役で[経済観測]に三連星として40年以上書き続けた、という。新経面に竹川正記記者の署名で追悼記事が出ていた。<「三連星」神崎倫一さん死去/庶民の視点忘れず>の見出しはその通りだと思う。

 東京帝大を出て1947年に野村證券に入社。同証券の社長、会長をつとめ「証券界のドン」と呼ばれた田淵節也氏と同期入社だったという。2人の共通の友人は「田淵氏は神崎氏の幅広い知識や生き様に敬意を持ち、神崎氏が東洋信託に転じ、コラムニストとして活躍し始めた後も親交を深めていた」という、とあった。

 <2日夕、毎日新聞の編集者と連絡を取って原稿をチェックした3日付の「経済観測」が絶筆となった。>

 これがその絶筆である。合掌。

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2009年1月26日 (月)

抗生物質は最後まで飲め、という警告:今後、重要な意味を持っているのでは~毎日新聞1月26日夕刊

 毎日新聞1月26日夕刊1面3段記事<抗生物質服用/4割 自己判断で中断/「耐性菌生む」専門家警告>はいい記事だった。風邪が流行る季節、医者で処方された薬の中に抗生物質が入っているケースが増えるだろうが、治ったと思って途中で飲むのをやめるケースが多いと思う。私も以前、そうしていた。余った抗生物質をとっておいて、後で医者に行かなくとも緊急の際に使える、と思っていた。

 ところが、表面上は治ったと思っても、まだ菌が完全に死んだわけではなく、抗生物質で不活性化していただけなので、抗生物質を飲むのをやめると、菌が活性化するだけでなく、菌が変化して、その抗生物質が効かない耐性菌になる、という怖い話をどこかで読んで、それからは処方された抗生物質はすべて飲みつくすようにしている。

 <感染症の治療に使われる抗生物質などの抗菌薬を処方された患者の4割が、途中で治ったと思い込んで服用をやめた経験があることが、製薬会社のファイザー(東京都)の調査で分かった。服用を中断すると、抗生物質が効かない耐性菌が生まれる危険があり、分析した渡辺彰・東北大教授(感染症学)は「自己判断で飲むのをやめるのは絶対に避けてほしい」と警告している。>

 が前文である。

 <昨年10月、インターネットで各都道府県の男女100人ずつ計9400人に調査したところ、40%に抗生物質の服用中止の経験があり、うち8割以上は「症状が改善された」と自己判断していた。薬が余った場合は、中止の経験がある患者の42%が「保存しておき同じ症状が出た時に再度使う」と答えた。中断すると、その後は薬の効きが悪くなるのを知っていたのは、半数以下の48%だった。渡辺教授によると、抗生物質は一度使ったら必要量を集中的に飲まないと、生き残った病原菌が耐性化して治療が難しくなる恐れがあるという。日本では中耳炎などを起こすインフルエンザ菌が耐性を持つ割合が急増している。>

 製薬会社がひも付きで研究させるデメリットが叫ばれて久しいが、このような「一般常識のウソ」を啓蒙するために、製薬会社がお金を使ってくれると助かる、と思う。

 日本では江戸時代から富山の薬売りの記憶が連綿と続き、置き薬的な薬に頼る風習が残っている。それに、この不況だ。また、診療費も本人自己負担3割となり、なかなか医者にかかるのもためらわれる人たちも多い、と思う。

 そうした人たちに「抗生物質は処方された分を完全に飲んで」と呼びかけ、浸透させるキャンペーンをぜひ進めてほしい。

 というのは、鳥インフルエンザの変種が中国で出てきて、死者が出た、という小さなニュースが新聞に出始めて、政府もワクチンの準備をしている、というのだが、薬の飲み方を間違えて、治るべきものが治らない、という悲惨な例を少しでもなくし、また、耐性菌が生まれて広がるのを防ぐのも地味ではあるが重要な仕事だと思うからだ。

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2009年1月22日 (木)

石井英夫さんの産経新聞退社の辞~産経新聞1月22日朝刊から

 「産経抄」を35年にわたって書き続けた石井英夫さんが昨年末で産経新聞社を退社したが、昨年暮れに退社に当たっての講演会を社内で開き、その発言のあまりに軽妙洒脱で、社内だけにとどめておくのがもったいない、ということで1月22日の朝刊1ページを使って特集をしていた。よくやった、と思う。この日は各紙(産経新聞もだが)オバマ大統領の就任演説のあれこれでページを総動員しており、他の社だったら、「この日は避けてくれ」と相成っていただろう、と思う。へそ曲がりの産経新聞ならではの配慮で清々しかった。

 見出しは<産経抄”毒”をきたせた35年 石井英夫さん退社の辞/炭殻の意気や此処に>で、<きのうのコラムはきょう忘れる>、<鳥の目と虫の目で見る>、<字引にない言葉にも美しい言葉が>が講演の中でのキーワードだ、として個別の見出しにしてあった。

 昭和30年、22歳で入社し札幌支局に赴任し、誕生日が1月2日なので、正月が来ると76になる、と言っている。今もう76歳である。

 入社以来53年間のモットーが道元「正法眼蔵」の言葉「花は愛惜に散る」だったそうだ。花も人も惜しまれているうちに散らないといけない、という意味だとか。

 見出しの「炭殻」は新人記者の時に仲良しだった北海道新聞の先輩記者Nさんがコップ酒を飲みながら「新聞記事というのは所詮、炭殻みたいなもんじゃねえか」と言ったことに由来する。石炭ストーブの燃えカスが炭殻で朝になれば棄てられてしまうが、一夜は人々を温めたんだ、というのである。そういう記事を書いたと思えば冥利に尽きるのではないか、と言うので「そうだ、そういう人々の心を一晩でも温める記事が書けたらなあと思って、それをモットーにもしてきた」と言う。

 その後日談が面白かった。東京に帰ってきた時、若い女性記者から「札幌に知っている人がいたら紹介して」と言われたのでNさんを紹介した。そうしたら、”道庁の顔役”などと言われていたN記者がその女性記者にほれてしまって、北大病院の看護婦長だった奥さんと別れて、その女性記者と一緒になりたいと言い出し、Nさんは間もなく焦がれ死にしちゃったんです、と。「人生の多くのことは、フロイトみたいですが、男と女のドラマに収斂していくんだということが、私のその後のコラム的人生観になってしまいました」と。

 どこまで本気で、どこからが冗談かが分からないところが抜群に面白い。茶化して、人の死を笑っても、その言葉の中に温かさがあるのが分かる。だから、加藤周一氏らの生硬な文章などにはないユーモアが漂ってくる。また、その裏の凛とした姿勢がうかがえる。

 コラムニストの酒飲み会の話も面白かった。朝日新聞の天声人語子らが「書いたコラムは書いた先から忘れるようにしている」という話で盛り上がっていた時、毎日新聞の社会部の名記者で当時、夕刊1面コラム[近事片々]を書いていた吉野正弘氏が「そうさ、吉原の女が通り過ぎてった男のことをいちいち覚えていられるかい」と言った話だ。吉原の女も俺たちも見過ぎ世過ぎ、手を替え品をかえ、枕をかえて、とにかく一度書いて出したのは、もう二度と書けません。一夜契った相手とは朝別れていくというのが、コラム屋の商売でして、と自分の商売を茶化しながら、「平成何年でしたか、暴走族に殴り殺されるという悲劇にあったんですけど」と吉野氏の最期に触れていた。この時だって見方によれば、人の死を笑っているのか、という丸山真男氏の弟子たち(?)のお叱りを受けそうだが、その言葉の裏にどれだけの無念さがあるのか、文章からだけでも分かる。

 文章というのは面白いものだ。人が分かる。人格が丸出しになる。石井さんという人格そのものが35年間の産経新聞の1面の顔だった、と思う。笑い、泣き、怒り、感激するその心が読者の心に大きく共鳴したのだと思う。

 ニューヨーク・タイムズにしてもフィナンシャル・タイムズにしても英エコノミストにしても、「このコラムニストの文章が読みたいから」と定期購読する読者がいるそうだ。日本でそういう求心力になっているコラムニストが石井さんの他に何人いるのだろう? 寂しい限りだ、と思う。

 石井さんの同業者へのアドバイスが書いてあった。東京オリンピックの前の年の昭和38年、1年間だけサンケイスポーツにいた時に今はない巨人軍の多摩川球場に取材に行ったら、牧野茂さんという守備の名コーチが信心にバッティングを教えていた。「王や長嶋だったら相手のピッチャーは魅せられたようにやつらの好きな球をなげてくるんだ。だけど、おまえたちは違う。とにかく徹底的にボールを選べ」「狙い球を絞ってジャストミートしろ」と教えていて、それには三つのコツがある、という。「それを徹底的に覚えておけ」と言う。バットを短く振れ、鋭く振れ、素直に振れ――と教えている、と。この三つを叩き込んでジャストミートすれば球は必ず野手と野手の間を抜いていくって教えている。

 <それを聞いて、こうすれば文章がうまくなるということと同じではなかろうかと。短く書く、鋭く書く、素直に書く。これをすれば、文章がうまくなるのではないかということを、自分に言い聞かせました。>

 これを忠実に守って、35年間の「産経抄」がある、というのだ。参考になる、というか、真似すべき極意だろう。

 千曲川の文化が「寛容の文化」。善光寺が宗派を選ばない。芭蕉が善光寺を通って、

 <月影や 四門四宗も ただ一つ>

 と詠んだ、という。千曲川の寛容文化は世界に誇れる、発信できる文化なのだ、と。

 アナウンサーの小川宏さんが12月中旬の産経新聞投書欄に亡くなって国民栄誉賞が決まった遠藤実さんの座右の銘「春の来ない冬はない」というのを投稿していたが、そういう目で、明るい紙面を作ってほしい、というのが石井さんからの産経新聞の後輩たちへの注文だった。

 いろいろ言われ、経営的には大変だとも思える産経新聞だが、石井さんの薫陶を受けた後輩たちが連綿と紙面をにぎわせれば、明るさを日本中に振りまくことができるのではないか。いつも暗い紙面を作るのを社是のようにしている朝日新聞や毎日新聞、東京新聞も石井さんを社にお呼びして、自社の中堅記者教育に役立てたらどうだろう。少しは紙面が明るくなるのではないだろうか。

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2008年12月31日 (水)

秋葉原事件と永山事件の共通点と相違点~見田宗介氏インタビュー(08年12月31日朝日新聞朝刊)

 朝日新聞12月31日朝刊3面[あしたを考える]に社会学者、見田宗介・東大名誉教授(71)のインタビューが掲載されていた。6月に秋葉原で起きた無差別殺傷事件の加藤智大被告(犯行当時25歳)と1968年に連続射殺事件を起こした永山則夫(当時19歳)の比較をして、現代を分析した論考だ。聞き手は四ノ原恒憲編集委員。

 見田宗介(みた・むねすけ)氏は東大教授から08年3月までは共立女子大教授。永山の事件を分析した73年発表の論考「まなざしの地獄」が今年書籍化されたそうだ。「現代社会の理論」「社会学入門」「気流の鳴る音」(真木悠介のペンネームで発表)などがある、とあったが、見田氏の著作は多い。僕も新書を何冊か持っている。

 見田氏は、

 <後から見れば、今年が戦後日本に何回かあった大きな転換点の一つになっているのでは、と考えています。そんな時代の問題点を、秋葉原の事件が鋭く表わしています。>

 と語り始める。見田氏が分析した1968年の永山事件の永山則夫と今回の加藤被告の共通点と相違点が面白い。以下、見田氏の分析のポイントを書いておこう。

 共通点は共に青森県出身の若者が東京で事件を起こしたこと。永山は中卒の集団就職で東京に来た。加藤も途中からアルバイト、派遣社員とそれぞれも時代の最底辺の労働を担っていた。当然、そこには貧困や差別、階級構造の問題がある。もっと重要なことは事件の核心がそんな問題にないことだ。貧困から逃れるのならば強盗も考えられるし、差別ならばある種の反体制行動もあるが、二つの事件は共に動機がとても分かりづらい。

 この分かりにくさがポイント。犯罪の核に「実存的」な生き方というか、アイデンティティーの問題が潜んでいる。だから、今回の事件の残酷さにもかかわらず、貧困層だけでなく若い正社員や大学生らからある種の共感がネットなどに寄せられたのだと思う。

 では決定的な違いは何か、というと「実存的」な核の中身が正反対だ。一つは未来の消滅だ。永山の場合、希望に胸を膨らませて上京してきた。東京での挫折の結果、次にアメリカに密航しようとして米軍基地に侵入するが、密航の夢は果たせず、犯行につながった。何か未来へのあこがれがあって、その可能性が遮断された瞬間に犯罪が起きる。永山は例外ではなく、1970年代くらいまでの若者のほとんどは中身様々だが今よりも素晴らしい未来があるということは前提になっていた。

 ところが加藤の場合は東京への憧れは最初から持っていない。「とりあえず安定した生活を」とアルバイトや派遣社員で国内を転々とした後、静岡で働いていて人々の注目を集める場所として東京を犯行場所に選んだだけだ。僕のゼミの学生の話をずっと聞いていても、夢や未来に対する想像力のスケールがどんどんしぼんで、現実的になっている。今、素晴らしい未来が必ず来ると思っている若者はほとんどいないのではないか。

 もう一つの違いは人々の「まなざし」だ。中卒、貧困家庭出身、青森弁など永山は世間の人々の「まなざし」が鳥もちのように纏わり付き、自由に生きることを許さなかったことに苦しんだ。ところが加藤の場合は反対で、いわば「まなざし」の不在の地獄だった。ネットにも書いているが、これまで自分は誰からも必要とされなかったと思い込む。犯行予告をしても誰からも相手にされない。「まなざし」の不在に耐え切れずに結局、加藤にとって一番注目されると思う秋葉原で犯行を通じて「僕はここに居るんだ」と叫ぶしかなかった。

 無視していじめる、という意味で「シカト」という言葉が広く世間で使われ始めたのが80年代からだと思うが、いまや日常語として定着してしまった。文学では当時、村上春樹が小説の中で「空気が薄い」という言葉を使っていた。

 大きく言うと「空気」が「濃い時代」と「薄い時代」がある。「濃い」というのは人と人の関係の中で愛情であれ関心であれ憎しみや干渉にしても他者との間に交わされる関心というか「気」が濃厚だという意味だ。そういう意味では永山の「濃い時代」から、現代は「薄い時代」にすっかり変わってしまったことを加藤の事件がよく表わしている。

 どちらがいい、というわけではないが、日本は戦前の「共同体」や戦時体制のような濃すぎる社会から戦後の近代化を経てだんだん薄くなってきたのだが、その結果、現代は「薄くなりすぎた」という問題が出てきた、ということだろう。

 僕はこれまで日本の戦後を

①敗戦から60年ごろまで…人々が「理想」に生きようとした「理想の時代」

②高度成長が完成した70年代前半までを「夢の時代」

③ポスト高度成長期の90年代前半までを、もうリアリティを愛さない「虚構の時代」

 と分析してきた。その後は何の時代か、とよく聞かれたが、

④「バーチャル(仮想)の時代」

 だと考えている。「虚構」という言葉には基本的にどこか否定的なイメージが付き纏っているが、「バーチャル」には何か「新しさ」というポジティブなイメージがある。電子メディアの発達で古典的な現実なんてものにとってかわって、バーチャルな世界だけで人間は幸せにやっていけるんだ、と多くの人々は思い込み、虚構に居直った時代、という意味だ。

 そういう視点から加藤がネットの中で自分と反対の立場にいて「敵」と考えた存在を「リア充」と呼んだことに興味を覚えた。生活や人間関係の「リアリティーが充実している人たち」の意味だ。敵は理想の裏返しでもある。加藤の犯罪は大変、この国に多い若者のリストカットと似ていると思った。腕を切ること自体の痛みや血が流れることで、生のリアリティーを得ようとする。共にリアリティーへの飢えでリストカットは自らの内側に向けられた無差別殺人なのかもしれない。

 そういう意味では「薄くなりすぎ」また、仮想世界に居直った「バーチャルな時代」の中で、リアリティーというか、古典的な現実への飢えがこの国に充満し始めたことが明らかになり、「バーチャルな時代」が臨界点に達したことを加藤の事件は象徴している。

 出口はあるのか、だが、例えば旅行会社の話で、最近の若い人たちはただの観光ツアーには興味はないが、現地の人の役に立つような活動が入ると人が集まるという。これも同じリアリティーの飢えだだ、人を殺したり自分を傷つけたりするのとは別の仕方で生きるリアリティーを充実する仕方を青年たちが見つけることができれば、もう一つ新しい時代が開かれると思う。

 以上がほぼ全文である。

 見田氏はじっくり考えているようだ。見田氏のような大きな輪郭で秋葉原事件を分析することが必要だ、と思う。永山死刑囚の死刑は1997年に執行された。もう11年前になるが、その名前は長く残る。不名誉な残り方だが、それは集団就職列車の記憶を伴った残り方で、言ってみれば「三丁目の夕陽」がプラスの面、永山がマイナスの面を象徴しているとも言える。必ずプラスの面もあればマイナスもある。

 その意味で加藤の事件は永山の事件ように記憶されないのだろうと思う。何年かたてば皆忘れ果てるのではないか。見田氏はネットで共感した若者が居た、と書いているが、それはごく一部だと思う。加藤は馬鹿だ、もう少し違った方法で生きたり死んだりできたのではないか、と思っている若者の方が圧倒的に多いと思う。

 空気の薄さは大問題だろう。この問題には今は立ち入らずにおく。

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2008年12月24日 (水)

秋葉原「心の闇」事件の遠因はニュースピーク、という鹿島茂氏のご託宣~12月24日毎日新聞朝刊から

 毎日新聞12月24日朝刊[引用句辞典 不朽版]で鹿島茂氏(仏文学者)は<ニュースピーク>を取り上げていた。「ニュースピーク」とは、知る人ぞ知るジョージ・オーウェルの近未来SF小説「1984年」の全体主義社会で住民たちが話す言葉である。と言ってもよく分からないので、もう少し作品そのものを説明しておかなければならないだろう。

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8) 1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

著者:ジョージ・オーウェル,新庄 哲夫,George Orwell
販売元:早川書房
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 となれば、やっぱりウィキペディアの出番だ。少し長めに引用する。(以下ウィキの引用を少し書き直したもの)

 <トマス・モア『ユートピア』、スウィフト『ガリヴァー旅行記』、ザミャーチン『われら』、ハクスリー『すばらしい新世界』などのディストピア(反ユートピア)小説の系譜を引く。スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描く。「1984年」は執筆された1948年の4と8を入れ替えたアナグラムで、当時の世界情勢そのものへの危惧を暗に示した。出版当初から冷戦下の英米で爆発的に売れ、同じ著者の『動物農場』やケストラーの『真昼の闇黒』などとともに反全体主義思想のバイブルとなった。あらゆる形態の管理社会を痛烈に批判した本作のアクチュアリティは、コンピュータによる個人情報の管理システムが整備されつつある現代においても、その輝きを全く失ってはいない。>

 <1950年代発生の核戦争を経て1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国が分割統治。紛争地域をめぐる戦争が絶えない。作品の舞台であるオセアニアでは思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビで屋内・屋外のほぼすべての行動を当局に監視されている。>

 <ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミス(39)は妻キャサリンとは別居中。真理省記録局の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した真理省創作局の同僚で青年反セックス連盟の活動員、ジューリア(26)から手紙で告白され、出会いを重ね、黒髪のグラマラスな女性と愛し合う。また、下町のチャリントン(63)の古物商店で隠れ家を提供されるが、実は年齢も60歳代ではなく、秘密警察の隊員だったが、ウィンストンは隠れ家でジューリアと過ごした。ウインストンは夢に度々出てくる真理省党内局の高級官僚の1人、オブライエンを自分の味方で話が分かる男と思い込み、現体制への疑問を告白。オブライエンは秘密結社『兄弟同盟』の一員であると名乗り、 エマニュエル・ゴールドスタイン(レフ・トロツキーがモデルでトロツキーの本名はブロンシュタイン)の禁書を渡すが、実はオブライエンはオセアニアの指導者、偉大なる兄弟(ビッグ・ブラザー=ヨシフ・スターリンがモデル)によって率いられる唯一の政党「党」に忠誠を尽くす男で、ウィンストンを騙す嘘だった。思わぬ人物の密告からこうした行為が明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、オブライエンによる尋問と拷問を受ける。彼は「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、心から党を愛しながら処刑(銃殺)される。>

 <オセアニアは旧アメリカ合衆国をもとに、南北アメリカおよび旧イギリス、アフリカ南部、オーストラリア南部(かつての英語圏を中心とする地域)を領有する。他の超大国はソ連をもとに欧州大陸からロシア極東にかけて広がるユーラシア(イデオロギーは「ネオ=ボリシェビキズム」)、旧中国や日本を中心に東アジアを領有するイースタシア(イデオロギーは「死の崇拝」あるいは「個の滅却」)。どの国も一党独裁体制であり、イデオロギーにもそれほど違いは無い。これら3大国は絶えず同盟を結んだり敵対しながら戦争を続けている。表向きは、各国とも世界支配のため他の大国を滅ぼすべく戦っているが、実際は世界を分割する3大国が結託し、労働力を浪費して富の増加による階級社会の不安定化や崩壊を防ぎ、支配と権力を半永久的に維持するために行っている永久戦争。3大国はどれも戦争で滅ぼすことは不可能である(オセアニアは海に守られているため、ユーラシアは国土が広大であるため、イースタシアは人口が多く勤勉であるため)。 北アフリカから中東、インド、東南アジア、北オーストラリア一帯は3大国が半永久的に争奪戦を繰り広げる紛争地域。>

 <「偉大なる兄弟」は国民が敬愛すべき対象であり、町中の到る所に「偉大なる兄弟があなたを見守っている」 (BIG BROTHER IS WATCHING YOU) という言葉とともに彼の写真が張られているが、正体は謎に包まれ実在すら定かでない。党の最大の敵は「人民の敵」ゴールドスタインで、国民は毎日、テレスクリーンを通して彼に対する「2分間憎悪」を行い、彼に対する憎しみを駆り立てる。テレスクリーンの登場により、全国民は党の監視下に置かれ、私的生活は存在しなくなっている。>

 <党のイデオロギーはイングソック(IngSoc、Ingland Socialism、つまりイングランド社会主義の略)と呼ばれる一種の社会主義。核戦争後の混乱の中、社会主義革命を通じて成立したようだが、誰がどのような経緯で革命を起こしたのかは、忘却や歴史の改竄により明らかではない。エマニュエル・ゴールドスタインのパンフレットによれば、そのイデオロギーの正体は「寡頭制的集産主義」とでも呼ぶべきもので、「社会主義の基礎となる原理をすべて否定し、それを社会主義の名の下におこなう」ことであるらしい。もとは社会主義運動の中から発したが、現在は中層階級が下層階級を味方につけて上層階級を倒す事態を永久に防ぎ、非自由と不平等を恒久的なものにすることを目的としている。>

 <党には中枢の党内局(inner party)と一般党員の党外局(outer party)がある。党内局員は黒いオーバーオールを着用し、貴族制的な支配階級(上層階級)で、世襲でなく能力によって選ばれ、テレスクリーンを消すことができる特権すらある。党外局員は青いオーバーオールを着る中間層(中層階級)で、党や政府の実務の大半をこなす官僚たち。党に関わりを持たない人々はプロレ(the proles、プロレタリア)と呼ばれ、人口の大半を占める被支配階級(下層階級)の労働者たち。娯楽(酒、ギャンブル、スポーツ、セックス、ほか「プロレフィード(Prolefeed)」と呼ばれる人畜無害な小説や映画、音楽など)がふんだんに提供されている。>

 <「戦争は平和である(WAR IS PEACE)」「自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)」「無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)」という党の三つのスローガンが至る所に表示されている。>

 <ニュースピーク (Newspeak、新語法)とは思考の単純化と思想犯罪の予防を目的として、英語を簡素化して成立した新語法。すべての言葉は意図的に政治的・思想的な意味を持たないようにされ、この言語が普及した暁には反政府的な思想を書き表す方法が存在しなくなる。ニュースピークは現代英語を必要最小限にまで簡略化することを目指し、現在では別々の言葉が似たような意味を持つという理由で統合され名詞や動詞の区別も接尾語により変化する。たとえばthought(思想[名詞])はニュースピークの文法ではthink(考える[動詞])で代用でき、speed(速さ[名詞])に形容詞をあらわす-fulや副詞をあらわす-wiseを加えることでそれぞれの品詞に自在に変化する。badをあらわすにはgoodに否定の接頭語un-をつけたungoodでこと足り、強意表現はplus-,doubleplus-といった接頭語をつけることで表現される。また、Minipaxなどのように略語を極端に採用しているが、これによって本来の語源を考えることなく、全く自動的に単語を話すことができる(これにはかつてソ連が「コミンテルン」などのような略語を多用したことの影響がある)。>

 <新語法(ニュースピーク)辞典が改定されるたびに語彙は減るとされている。それにあわせシェークスピアなどの過去の文学作品も書き改められる作業が進められている。改訂の過程で、すべての作品は政府によって都合よく書き換えられ、原形を失う。freeの意味も「free from ~」の意味しか残らず「政治的自由」「個人的自由」の意味は消滅しているなど変化しており、原文の意味を保って自由や平等を謳う政治宣言などをニュースピークに翻訳することは不可能になる。なお、ニュースピークという言葉自体が既にニュースピークである。本来、speakという単語に名詞としての用法は無い。>

 <ダブルシンク(doublethink、二重思考)とは1人の人間が矛盾した二つの信念を同時に持ち、同時に受け入れることができるという、オセアニア国民に要求される思考能力。現実認識を自己規制により操作された状態でもある。過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する。政府が過去を改竄し続けているのは、党員が過去と現在を比べることを防ぐため、そして何よりも党の言うことが現実よりも正しいことを保証するためである。党員は党の主張や党の作った記録を信じなければならず、矛盾があった時は「犯罪中止」により誤謬を見抜かないようにし、万一誤謬に気づいても「二重思考」で自分の記憶や精神の方を改変し、党の言うほうが正しいということを認識しなければならない。>

 <「古代の専制者は命じた。汝、するなかれと。全体主義者は命じた。汝、すべしと。我々は命じる、汝、かくなり、と」。オブライエンの言によれば、かつて専制国家は人々に対しさまざまなことを禁止していた。ソ連などは人々に理想を押し付けようとした。現在のオセアニアでは人々はニュースピークやダブルシンクを通じ認識が操作されるため、禁止や命令をされる前に、すでに党の理想どおりの考えを持ってしまっている。党の考えに反した者も、最終的には自由意思で屈服し、心から党を愛し、党に逆らったことを心から後悔しながら処刑される。>

 <「2足す2は5である」(2+2=5、Two plus two makes five)というフレーズはこの小説を象徴するフレーズの一つ。スミスは当初、党が精神や思考、個人の経験や客観的事実まで支配するということに嫌悪を感じて(「おしまいには党が2足す2は5だと発表すれば、自分もそれを信じざるを得なくなるのだろう」)自分のノートに「自由とは、2足す2は4だと言える自由だ。それが認められるなら、他のこともすべて認められる」と書く。後に愛情省でオブライエンに二重思考の必要性を説かれ拷問を受け、最終的にはスミスも犯罪中止と二重思考を使い、「2足す2は5である、もしくは3にも、同時に4と5にもなりうる」ということを信じ込むことができるようになる。>

 <ダブルスピーク(doublespeak、二重語法)とは矛盾した二つのことを同時に言い表す表現。「戦争は平和」・「真理省」のように、例えば自由や平和を表す表の意味を持つ単語で暴力的な裏の内容を表し、さらにそれを使う者が表の意味を自然に信じて自己洗脳してしまうような語法。他者とのコミュニケーションをとることを装いながら、実際にはまったくコミュニケーションをとることを目的としない言葉。実は作品には登場しない用語であるが、初版発刊後の1950年代に発生し一般化した言葉で、しばしば作品由来と考えられている。ニュースピークのB群語彙の定義におおむね影響を受けている。また、現実にある政策や婉曲話法などを批判的に言及する際に「二重語法」という言葉を使うことがある。たとえば事業の再構築を意味するリストラクチャリング(リストラ)を単に「従業員の大規模解雇」の意味に使用するなど。>

 という「1984年」をベースにした話である。

 見出しは<言葉の簡体化が導いた「心の闇」の大量発生>。

 毎日新聞コラムの鹿島氏の言説をほぼ全文引き写しながら、コメントを加えてみる。

 以下が本文である。

 <全体主義社会では、住民たちはニュースピークと呼ばれる簡易言語を話すようになるというエピソードがあったと思う。語彙の少ない簡易な表現ですべてコミュニケーションが成り立ってしまうのである。>

 として、

 <この未来予測は、少なくとも日本にかんする限り、見事に当たった。「ムカつく」「感動した」「泣ける」「KY(空気読めない)」etc。まさにニュースピークそのものである。それどころか、ニュースピークの首相まで現れ、マスコミでもニュースピーク派が多数派を占めるという状況が生まれてきている。全体主義社会ではないにもかかわず、である。>

 と小泉純一郎元首相の「ワンフレーズ・ポリティクス」を強烈に皮肉りながら、その小泉戦略に簡単に乗せられたマスコミ批判を繰り広げる。

 <では、なにゆえに、高度資本主義の社会で、このようなニュースピーク化現象が起きるのかと考えているときに、右の言葉に出合った。>

 右の言葉とは吉本隆明の次のフレーズである。

 <「社会が、ますます機能化と能率化を高度におしすすめてゆくとき、言葉は言葉の本質の内部では、ますます現実から背き、ますます現実からとおく疎遠になるという面をもつものであり、言語は機能化にむかえばむかうほど、この言語本質の内部での疎遠な面を無声化し、沈黙に似た重さをその背後に背負おうとする。つまり、コミュニケーションの機能であることを拒否しようとする」>(「自立の思想的拠点」徳間書店)

 鹿島氏が吉本説を解説する。

 <すなわち、社会が機能化と能率化を追求していくと、当然、言語もそれに伴って機能化・能率化する(つまりニュースピーク化する)わけだが、その一方で、個々の言葉は、現実から遠ざかるという指摘である。ソシュール理論のシニフィアン・シニフィエで言うと、シニフィアン(音声・文字記号)によって喚起されるシニフィエ(概念)の中で、その概念抽出のもとになる「現実」とのつながりが失われてしまっているということだ。吉本の言語理論なら、指示表示ばかりが前面に出て、自己表出が稀薄になることだ。>

 さあ、難しくなってきたぞ。でも、難しいのはここだけ。ぶっちゃけて言えば、どんどんと情報化が進めば、言葉が進化して、現実を表わさなくなる、ということではないか。

 <しかし、では、こうした現実から離れ、薄っぺらになったニュースピーク(機能化言語)を用いている人は、それによって、コミュニケーションがより円滑になっているのかといえば、そんなことはない。むしろ、逆であって、ニュースピークでは掬いきれずに残る感情と心理の余剰部分(自己表出部分)は、澱となって心の底に沈み、無声の言語、すなわち沈黙でしか表現できないものと化す。

 <その象徴が、殺人や傷害致死などの重大犯罪を犯して逮捕された少年・少女たちの口から漏れてくるあきれるような言葉の数々である。犯罪の動機というには、あまりにも幼稚で単純な言語! 「なぜ殺したのか?」「ムカついたから!」「なぜムカついたのか?」「無視されたから」「どのようなところで無視されたと感じたのか?」「わからない」これはつまり、「言語のコミュニケーション機能の拒否」である。>

 なるほど、やっぱりここに結び付けましたか。動機なき殺人、誰でもよかった、ムカついたから、などの供述を聞いても大人には理解できないから、何とか理解しようとして鹿島氏は言葉の面から切り込んだわけだ。

 <彼ら少年・少女(ときには中年・中女)はニュースピークを用いているからといって、感情や心の襞がないわけではないし、それを表出したいという願望がないわけではない(ニュースピークによるブログの繁盛を見よ)。ただ、困ったことに、ニュースピークでは、最も本質的な部分つまり、一番言いたいことが、沈黙という言語でしか語りえない構造になってしまっているのである。>

 分かりやすい。ここに持ってくるのに、ジョージ・オーウェルを使ったんですか。

 <なんというパラドックス。機能化・能率化を目指した社会は、機能化・能率化言語としてのニュースピークを生んだが、しかし、そのニュースピークは逆にコミュニケーション機能の喪失をもたらし、いわゆる、語りえない「心の闇」を大量発生させる結果となったのである。>

 この「心の闇」論。鹿島氏は半分おふざけで書いたかもしれないが、実際そういうことかもしれない、と思うのだ。語るべき言葉を持たない日本人たちが大量に生まれているのかもしれない。

 秋葉原事件をはじめとする殺伐とした事件を起こす容疑者たちの心は計り知れない。

 その心の中を語るべき言葉を持たないことが、逆に言えば問題の解決を妨げているのではないか、と思う。

 自分の頭の中でもいい、自分が何に対して怒っているのか、を言葉にして論理的に考えることができれば、突然噴き出す衝動的怒りの発作もある程度制御できるようになるだろう。

 その制御はオセアニアのビッグブラザーの洗脳によるダブルシンクではない。自分で紡ぎ出した言葉で自分で考えることで生み出させるものに違いない。

 ということは、テレビなどのステレオタイプ的言葉の押し付けがニュースピークの大き原因になっているのではないか、とも思えてくる。本当はテレビ、インターネットを含めた現代情報社会のありようだけでなく、家族制度や社会そのものの変化が原因なのだが、そこまで話を広げると収拾がつかなくなるので、とりあえず。

 <ところで、マルクスの指摘をまつまでもなく、言語のような上部構造は、経済という下部構造を、ある種の歪んだかたちで反映しているという。ならば、効率化・能率化を追い求めたあげくに自爆した経済を、これからの言語はどのようなかたちで反映することになるのだろうか? ニュースピークの解体だろうか、それともさらなるニュースピーク化の加速だろうか? こちらも予断を許さない状況になってきているようである。>

 なるほど、頭の切れる鹿島氏はそこまで言うか、と思う。なるほど、である。

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2008年12月12日 (金)

「伝統を切り捨てる天才」が閉塞感の原因~森本哲郎氏(83)インタビュー(毎日新聞12月12日夕刊)

 毎日新聞12月12日夕刊[特集ワイド この国はどこへ行こうとしているのか]は83歳の作家、森本哲郎氏のインタビュー。1925(大正14)年東京生まれ、東大哲学科卒、同大大学院社会学科修了。東京新聞を経て朝日新聞。学芸部員として世界各地を歴訪し、文明論、比較文化論の視点から記事を担当した。退社後の88~92年、東京女子大教授。主著に「文明の旅」「詩人 与謝蕪村の世界」「日本人の暮らしのかたち」。社会や日本文化などへの評論活動も、とあった。聞き手は坂巻士朗記者。

 森本氏の主な発言次の通り。

▽今ほど便利な時代はない。コンビニに行けば24時間、何でもそろう。本屋に出向かなくたってパソコンで注文すれば本を届けてくれる。友達の家を訪ねなくとも携帯のメールでピピッと連絡を取れば終わりです。だけど、今ほど閉塞感に満ちた時代はない。子供だったせいもあるが、戦前さえもまだ充実感があった。現代はものがたくさんあり、情報があふれかえって無力感が生まれている。便利なのに、決して豊かではない。何でもあるのに何か足りないという飢餓感をみんなが持っていると思うのです。

▽(閉塞感の土壌には何があるのか?)日本は伝統を切り捨てる天才です。何でも新しいもの、海の向こうからくるものを取り入れて、伝統というものは古臭いという一言で切り捨ててきました。文明開化は成功したといえる。因習にとらわれていたら、社会は進歩しないですから。ただ、伝統を捨ててしまっては歴史の教訓が生きないんです。戦後もそうです。日本の手本は米国だった。経済の先生は1903年に創業された自動車製造のフォード社。それから100年、アメリカは因習に縛られずに自由な天地を謳歌した。しかし、最初は健全だった自由主義、合理主義がどんどん進んでいき過度になった。大量に作って大量に消費するシステムだ。日本はこの60年あまり伝統を切り捨ててアメリカの猿真似をしてきたわけです。上っ面の同調化とでも言いますか。アメリカ式の自由主義、民主主義、合理主義を推し進めていった。アメリカのやり方を何でもありがたがるというのは、大いにマイナスだった。

▽まずは「アメリカなら何でもいい」から目を覚まさなければ。合理主義一辺倒、もうけ一辺倒になって、金にならなければ何もやらないって、そういうもんじゃない。物を次々買っても、狭い家に置く場所はない。じゃあ、テレビをもっと薄くしますか。きりがない。人間が生きるために、それほど多くの物はいらないですよ。

▽取材はマッカーサーの時代から。1951年4月、東京新聞の記者としてGHQのマッカーサー元帥が日本を離れる様子を見届けた。羽田空港に続く沿道にたくさんの人が詰め掛けていました。みんな涙を流して「さようなら」って手を振っていたね。当時の報道機関はマッカーサー元帥を恩人としてたたえた。新聞の使命は民主主義の確立である、とのGHQの方針で他社の記者とともに米国に招かれた。4ヶ月間、シカゴ、テキサスなど広く各地の新聞社を回り、取材活動をした。新聞報道は客観的でなければならないということを徹底して言われた。

▽今はテレビもインターネットもあるので、新聞が売れなくなったと聞く。確かに速報性では劣るけれども、権力に向かい合って主張すべきを主張し、キャンペーンを張る報道がないためではないか。売れないのは本来の姿勢を失っているからではないか。

▽世界中を旅して、あるとき、パリで急な雨に降られて広場のカフェを見つけて一休みしたが、「なるほど」と気づいた。ヨーロッパの建物には庇がない。雨宿りを許してくれる軒がないんです。窓はあまりに明るく、あまりに乾きすぎている。自然と人間が窓で対決している気さえした。しかし、日本の家屋も今や洋風になった。高度成長とともに、コンクリートの団地やマンションが増えた。戦前まで日本の家屋は自然と親しんでいた。縁側が住居と庭をつないでいた。ぼくの家も小さい庭があるけれども縁側がない。だから、ほとんど庭に出ることがない。縁側で子供が遊び、近所の人が腰掛けて話をすることもなくなった。自然が遠ざかり、人間的な温かみが切断されてしまった。

▽英国の動物行動学者、デズモンド・モリス(1929~)は「都会は今や人間の動物園だ」と言うんですね。食べ物はたっぷりあってそこそこ安全な場所に閉じ込められていると。まさにその通りだと思います。

▽一度手にした便利な生活を放り出すのはなかなか難しい。この国の行方は見えないなあ。過ぎたるは及ばざるがごとし、という格言がありました。腹八分目なんていうのも。つまり、抑制ですね。受け継がれてきた伝統や歴史という重みこそが、過剰を抑制してくれるのだと思います。

▽<なつかしき冬の朝かな。湯をのめば、湯気がやはらかに顔にかかれり。>ぼくの好きな石川啄木の歌です。26歳で亡くなった啄木には死の予感があったんでしょう。寒い朝、一杯の湯を飲もうとして、ふわっとほおに触れる湯気に、安らぎを感じた。幸せは遠くにあるんじゃない。ありふれた日常の中にあるんですね。

 森本氏の新潮選書が何冊か、私の書庫に眠っている。水道橋のいつも行く古書店で店頭の台で安売りしていたのを買ってきた。3、4冊になったか。今度読もう、今度読もう、と思いながらまだ読んでいない。今度読もう。

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厚労省幹部が「がん腎移植」の臨床研究認める~12月12日東京新聞から

 東京新聞12月12日朝刊[ニュースの追跡]<がん腎移植も臨床認める/「一歩前進」「まだ不安」/患者「法の運用指針に明記を」>が面白かった。

 病気腎移植をめぐり厚生労働省が12月11日、がんを切除(修復)した腎臓を含め、臨床研究を認める見解を示した、というニュースのインサイド・リポートである。つまり、万波医師の手術が日本の学会では異端扱いされ、排除されていたのだが、本家本元の米国の学会で鳴り物入りで誉めそやされた結果、いつも米国の顔色ばかり見ている厚生労働省が「これはヤバイことになった」と方針転換し始めた、という記事である。

 いかにも日本の木っ端役人らしい転身ぶりもおかしいが、もしも米国で認められなかったら万波医師の技術は埋もれてしまっていただろう。これを問題視し、ここまで漕ぎ着けた患者団体と、それに突き上げられて動いた超党派議員連盟「修復腎移植を考える超党派の会」の面々の努力がようやく少しだけ実った、ということだろう。

 万波氏の病気腎移植が問題になって2年余り、長らくストップしていた移植が研究という形ながら再開される可能性が出てきた、と書いてあった。リポートした片山夏子記者は前文を、

 <患者には「一歩前進」「まだ安心できない」との思いが交錯。今後、道はどこまで開けるのか。>

 と結んでいたが、ひどい話である。

 12月11日、東京・永田町の参院議員会館で議連の会合が開かれた。議連が病気腎移植を容認する見解をまとめて7カ月。再三、厚労省に今後についての見解を求めてきたが、なかなか明確な回答がなかった、という。

 会の冒頭、幹事長の衛藤晟一参議院議員(自民)が「患者が亡くなっている中で、半年以上、中途半端なまま。この間、説明したことが皆違う。どうなっているのか。きちんと書面にしてほしい」と詰め寄り、厚労省の担当審議官は「当初、われわれの説明が不十分な点があって混乱を招いた。われわれとしてはがんの修復腎も臨床研究の対象となるという見解」と明確に答えた、という。

 関連学会はがんを含めた病気腎移植について否定的な見解だ。議員らは厚労省が議連に示した一覧表に文句を付けた。担当課長は「この問題が起きた2年前の時点に比べ、今の医学界の常識は変わってきたように思う。2年前は医学的には認められなかったが、日本以外の国でも病気腎移植をしているし、がんは転移するのではないかということも言われていたが、新しい知見も出てきた」と発言したという。議連は厚労省が昨年7月に出した臓器移植法の運用指針を再改正するように求めた。また、臨床研究として移植を受ける際の保険適用を認めるかどうかについても回答を求め、年内にもう一度会合を開くことにした、という。

 病気腎移植を求める患者たちは12月10日、日本移植学会幹部を提訴したが、国については議連での回答を待つことにしている、という。原告の向田陽二さん(50)は「臨床研究でも認めたことは一歩前進。でもまだ安心できない」とコメント。原告団長の野村正良さん(59)は「今一つはっきりしない。運用指針をどう解釈するか説明していたが、文章化されたわけでもない。国を提訴する方針は今も変わっていない。次の会合での厚労省の対応を見て決めたい」と話している、とあった。

 そうかぁ。事態はここまで進んできたか。厚労省は自分たちの不明をわびて、一日も早く保険適用の治療を「臨床研究」ではなく、「治療」として認めるべきだ。

 この問題は以前、書評で詳しく書いたことがあったが、ようやく動き出したことは評価できるものの、何しろ遅い。それに、動き方が米国にらみで嫌らしい。日本の官僚も落ちたものだ、と思う。

 

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2008年12月 3日 (水)

山折哲雄氏の「散り際」「退き際」考…権力維持の知恵だった~毎日新聞12月3日夕刊から

 毎日新聞12月3日夕刊2面[特集ワイド]に山折哲雄氏(77)が<散り際の美学>について小松やしほ記者のインタビューに答えた記事が掲載されていた。面白かったのでメモしておく。

 山折氏は1931年米サンフランシスコ生まれ。国立歴史民俗博物館教授、白鴎女子短大学長、国債日本文化研究センター所長などを歴任。「近代日本人の宗教意識」など著書多数。近著に「信じる宗教、感ずる宗教」(中央公論新社)がる、と紹介してあった。

 最初から面白かった。記者が「散り際の美学」「退き際の美学」について聞こうとすると、山折氏は、

 <退き際、散り際というと、後ろに美学と付けたくなる心情は分かりますが、本来はそういうものではない。権力を維持する知恵なんです。王が死んで次の王が即位するまでの間に、何が問題になるか。一つは王権の正統性を何で保障するかということ、失敗すれば空位期間が発生する。それを避けるためにはどうするか。この二つです。(そこで考えた最高の知恵が)死んでも死んだことにしないこと。一番安全な方法は譲位です。生前に決めておく。余力を残して退くということです。そうすれば次の権力に対し口を出すことができる。>

 <定年とは、システマチックに身を退くということです。美学などというセンチメンタルなものは、入り込む余地はないわけです。>

 <見事ですね。小泉さんは、余力を残して退くということをよく知っていたんですよ。彼には大きな野心があるのかもしれません。後継を息子にしたのは、人物の卑小さを暴露したというところかな。>

 <(引退が美学と併せ語られるようになったのはいつからか?)やはり武士道ですね。平家物語に出てくる源氏方の武将で源頼政という人がいます。戦いに敗れ、宇治川で切腹するのですが、その前に歌を詠むんです。~埋木の花咲くこともなかりしに身のなるはてぞかなしかりける~(辞世の歌を詠み、西を向いて念仏を唱え、刀を腹に突き立てる。壮絶な死である。)これが武士の美しい死に際と、当時の人々には映った。歌を詠み、西方往生という信仰の心を持つ。それがこの世から退いていく時の心の作法、死ぬ作法です、覚悟の死が感動を与えるのです。>

 <その心がやがて、かの有名な良寛の歌へとつながっていく。~裏を見せ表を見せて散るもみぢ~散るという言葉が死と重なっている。彼の遺言のような歌にはこうあります。~形見とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみぢ葉~>

 <頼政にも良寛にも、我々が考えるセンチメンタルな意識などなかったと思う。あったのは死の作法、覚悟だったんじゃないかな。権力に恋々としてもいい。しがみつきたいと思う心があってもいい。でも、ギリギリのところであきらめ退いていかなければならない。その悔しさを、最後の場面でどこかに昇華してほしいんだよね。そうすれば、なるほどと人々にわかってもらえる。それが一言の言葉ですよ。>

 <安倍さん(晋三元首相)や福田さん(康夫前首相)に歌を作ってくれとは言いませんよ。言いませんが、辞めるときにああそうかと思わせるような一言がないよね。いかに今の日本の政治家に言葉がないか。我々の先祖は武人であろうと、歌人であろうと、きちんとした言葉を残して表舞台から去っている。言葉の貧しい民族じゃないんですよ。>

 <(いつから言葉が貧しくなったのか?)06年のトリノ冬季五輪の期間中、過去の日本選手の活躍を振り返る回想番組で1932年のロサンゼルス五輪で銀、36年のベルリンで金メダルの故前畑秀子選手が当時を振り返る映像が流れた。「母の言葉」を胸に、スタート台に「死ぬ覚悟」で立ち、号砲の直前、心の中で「神様」と叫んだ、と言っていた。前畑選手だけじゃない。どの選手も同じキーワードを支えにしていたのではないか。送り出す国民も、同じ感情を持っていたのではないか。今はそれが「自分らしく」「楽しく」「笑顔で」の三つに変わった。約70年の間に価値観の変化があったんだ。かつての日本人が使った言葉を、今は使わなくなった。言葉が薄くなったのか、生き方が薄いのか、と初めは考えて落ち込みました。だが、それでも金メダルを取っているじゃないか、と思い直した。彼らも心の奥底では、母の言葉を胸に刻み、死ぬ覚悟で、神様と叫んでいるかもしれない。大人の社会が聞こうとしていないのではないか。特に上っ面の言葉しか聞こうとしないマスコミの責任は重大です。プレッシャーがかからないようにという思いやりかもしれないけれど、それは甘やかしです。我々自身の価値観を封印してしまっている。それでだんだんと言葉を失い、政治家までが、退き際に本気で思いを述べることができなくなってしまった。

 <(やはり退き際には言葉が必要なのですか?)ただ美しい言葉を並べればいいというものではない。沈黙という姿勢もある。退き際というのは、新しく登場する人がいれば、去る人もいなければならない。それを制度としてどう調整するかということなのです。そこに美学をあてはめるのは、そうありたいという庶民の願望かもしれないね。>

 と言って、山折氏は最後に細川ガラシャの辞世の歌を紹介したそうだ。~ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ~。

 いい記事だと思う。毎日新聞夕刊の特集ワイドは時々このようないい記事が載るので目が離せない。

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2008年11月19日 (水)

宗教と「死生観」、団塊の世代と全共闘運動etc.…各紙の文化面などから

◆四谷怪談、イザナギ、イザナミ神話…生と死について

 東京新聞夕刊連載企画[生きる 心のページ]は地味だが、中高年にそれなりの固定読者を持っているのではないか? と推察させる記事である。最近の記事を見てみよう。

 8月26日、9月2日で上下で連載した[想像する死と無常]は㊤が<死後の救いを願わぬ現代人/生者の都合だけで完結>。㊦は<冷徹に生を洞察する眼差し/「私」見失った今こそ必要>。

 筆者は廣澤隆之・大正大学人間学部仏教学科教授、智山伝法院院長、八王子市・真言宗智山派浄福寺住職。1946年東京都生まれ。専門分野はインド大乗仏教教理学。著書に「図解雑学・仏教」(ナツメ社)や難しい名前の本がたくさんある。そうかぁ、この間、友人の父親の通夜で行ったお寺の住職さんだ。この人がお経を詠んでいた。

 内容は難しかった。約めて言えば、最近は身近な人が死ぬと甘く美しい思い出の世界に行き続ける、という考えが一般的になっているのだが、これは生きている「私」の都合を優先させ過ぎていないか? と問い、

 <生きるために不都合なものを抱え込み、死者との不条理な関係を生きることが見失われているのが現代の文化の特徴かもしれない。>

 と言うのだ。「千の風になって」の歌詞への批判である。

 <かつては、おどろおどろしい闇の世界から死者が私たちに語りかけてくることが想像されていた。それは数多くの謡曲でも、あるいは卑近な幽霊譚にも見られる。死者の世界を想像することは、生きている自分の根本を問いただすものであった。たとえば四谷怪談では自分の都合で身勝手な生活をする伊右衛門に貞淑な妻であった岩が復讐するのであるが、それは勧善懲悪的な道徳律であると同時に、死者との共存が見失われた生者の生存が危機的になるという宗教性を含みもっていた。>

 <死者の世界は生者によって身勝手に想像されるのではなく、深いところで生き方を支える死者と生者の共存が私たちの文化を伝統的に基礎づけていたのではあるまいか。私たちはそのことを凝視することなく、むしろ死を直視する文化を捨て、生きる者の都合のみで完結する消費文明を極端にまで推し進めてしまっている。しかも近代の文明は死の管理を徹底し、もはや死体を直視することもなく私たちは死を想像する。>

 として、清潔な病院での死、清められた身体、数日後に死体を火葬し、もはや死体を直視することがない現代では、

 <死が嫌悪すべき醜悪な様相をもって私たちに迫らなくなっているからこそ、私たちは死者との交わりを稀薄にしているのではないかと考えられる。>

 という。ここまでくると、イザナギ、イザナミを連想するだろう。著者はその話題に入る。

 <かつて人は死をまざまざと見なければならなかった。死体は硬直し、次第に腐爛し、むきだしの骨となる。このような死体を見た者は、けっして死者の世界を甘美なものとだけ想像することはできない。それはイザナギノミコトが黄泉の国に死んだ妻を訪うという神話にも見られる。かつて情愛で結ばれた甘美な思い出の中の死者への感情と、他方では現実の醜悪な死を忌避する感情、この背反する感情が同居するにしても、そこに生きる「私」を見つめることを神話は記述しない。死者を直視する「私」が生きることの意味を問う文化は、日本に仏教的無常観が伝えられて著しく展開する。>

 仏教の「無常観」を体得するために、釈迦は修行者に死体置き場で死体を直視するよう教えたのだという。そして、林の中で瞑想し、死体を思い浮かべるのだ、という。死体が硬直し、次第に斑点が浮かび、腐爛し、ついには犬やカラスなどによって死肉が食われて骨が散乱する。この過程をまざまざと直視し、林の中の瞑想でそれをありありと思い浮かべるのだ、という。次に自分の死体が同じように骨となって散乱するまでを思い浮かべる。そのようにして無常な身体への執着を離れるとき、修行者は真に無常を体得し、生きるためにかき立てられた欲望を抑制することができるようになる、というのだ。

 このような瞑想を「不浄観」といい、「無常観」の一つだそうだ。

 <きびしい実践による人間の生死への洞察が無常観なのである。このような洞察を抜きにして無常は知られない。このことを知らなければ私たちは無意味に生と死を繰り返すのみである。>

 ところが、次第に日本の文化の展開の中で死を凝視し生を洞察する態度が変容し、はかなく移ろうものへの詠嘆の感情によってイメージされる死が文学的に表現されることが多くなった、という。永遠に生きると思われた釈迦でも老いて死ぬという厳然たる事実を通した「諸行無常」のイメージと現世のはかなさが重ねあわされた詠嘆が「平家物語」だ、という。インド仏教とは違った傾向が日本仏教に浸透している証拠だ、と。「方丈記」もそうだ、と。

 <時間の流れを超えた来世に希望を託す浄土往生の宗教感情は、現世に生きることのむなしさをことさらに強調する情緒を強める。だが他方で、現世の享楽にこだわる文化も日本には根強い。現世に生きる価値にこだわりつつ、美文調の詠嘆が美化されると、死のイメージは自然の風物の中に溶け込み、稀薄になる。美しい自然の中で生きることを日本文化の特徴と見る傾向が強いが、そこには無常観のように冷徹に死と生を凝視することもなく、むしろ生と死の密接な関係を稀薄化する傾向もあわせもってしまっているのかもしれない。>

 <このことが現代の世相の中で問われる意義があると思う。欲望が渦巻く現世の中で感性に支配されて生きる人間的営みも、そして死後に思いをはせることも、究極的には死に行く存在として自分が今、ここに生きていることを凝視することにもとづく。死に向かって生き続ける「私」を洞察する冷徹な眼差しが現代にも必要なのではあるまいか。とりわけ、科学技術にもとづく消費文明が肥大化し、「私」が見失われ、生と死の共存する文化を失った現代においてこそ、このことを問い続ける必要があると思われる。そのことを一遍上人の次の一文が見事に教えているように思う。>

 として、

 <華麗を愛し月を詠ずる、やヽもすれば輪廻の業。仏をおもひ経をおもふ、ともすれば地獄の焔。>

 をあげていた。難しいが、何とか読み通した。生が死に向かっているものだ、ということをいつも意識せよ、というのか? 今一つ分からないのだが、何か大切な教えのようだ。

◆宗教を無視した政治分析はできない時代だ、ということ

 10月21日<仏教と社会参加/宗教抜きで政治は語れない>は東大大学院人文社会系研究科教授の末木文美士さん(59)だ。1949年甲府市生まれ。東大文学部印度哲学科卒。著書に「日本宗教史」(岩波新書)、「日本仏教の可能性」(春秋社)など多数、とあった。

 この中で末木氏は仏教界で最近、メディアに露出する僧侶が増えている、と書いている。神仏分離をもう一度考え直そう、と神道界・仏教界合同で「神仏霊場会」を結成して、仏教の僧侶が大挙して伊勢神宮に参詣したりした、と。

 このように目立つ行動、マスコミ受けを狙った行動が増えた背景には「葬式仏教」の衰退がある、という。

 <従来の檀家制度が急速に揺らぎ、形骸化した葬式仏教に頼っていたのでは仏教は衰退するという危機意識が強くなってきたという事情が挙げられるであろう。従来の葬式仏教は、死者儀礼と墓地管理に経済的な基盤を置くことによって定着していたが、祖先祭祀を継承する「家」の意識が弱まり、その上に少子高齢化の影響で墓地の維持さえままならなくなってきた。併せて伝統的な死生観も揺らいで、葬式は必ずしも仏教に頼る必要はないという風潮も広がりつつある。葬式仏教がなくなるわけではないが、それだけでない仏教の新しいイメージの創出が不可欠となってきている。>

 これは、社会現象として、今、進んでいることである。

 そして、末木氏はアメリカのキリスト教原理主義や中東を中心としたイスラム教原理主義などの宗教勢力の動きが政治にからんできたことから、社会の側でも宗教を無視できなくなってきている、という。

 <宗教抜きで国際政治は語れなくなった。

 というのだ。チベット問題にしても、中国専門家は宗教を知らないので、チベット問題の本質に迫れないし、靖国神社問題も政治・外交問題として扱ってきたが、靖国神社が宗教施設であるという根本のところが忘れられている、という。

 <大きな宗教団体を支持母体とする政党が政治の中核で活躍していながら、いまだに一種の宗教隠しがまかり通っている。

 として、<マスコミを使いながら社会の宗教アレルギーに挑戦しようというのであれば、仏教界の戦略もなかなか侮れないところがある。>

 と結んでいる。

 「心」という意味では朝日新聞9月12日夕刊<「心」を探る学生たち/心理学系の学科が大学で人気/いじめ・不登校・自傷…体験から内面に興味>という吉住琢二記者のまとめ記事もそれなりに面白かった。

 日経新聞9月10日夕刊文化面インタビュー<「人並み」という基準見失った現代/欲望の果て 行き止まり>は漫画家のしりあがり寿さんに文化部の白木緑記者がインタビューした。しりあがり氏は1958年静岡市生まれ。81年多摩美大卒。キリンビール入社、94年退社。81年「エレキな春」で漫画家に。代表作に「弥次喜多 in DEEP」「コイソモレ先生」など。

 ちょっと違う統計ものだが、読売新聞8月29日朝刊解説面<日本人の結婚観/格差拡大 影落とす/未婚増「経済力に自信ない」>は読売新聞世論調査結果の分析だが、なかなか結婚しない時代、という新しい現象にメスを入れた記事だった。

◆西部氏の全学連回顧

 朝日新聞8月5日夕刊[追憶の風景~東京拘置所]<思い切って退却決めた>は評論家の西部邁(にしべ・すすむ)氏。1939年北海道生まれ。社会経済学者、元東大教授。「表現者」顧問。「六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー」など著書多数。

 20歳の終わり頃、東大自治会委員長の時に首相だった岸信介が安保改定調印で訪米するのを阻止しようと全学連中央から動員がかかり、羽田に行ったが、学生が少なく、機動隊の前に一網打尽で初めて逮捕された、とか、巣鴨の拘置所生活を体験し、差し入れされた「資本論」を読んで、「こんなものがマルクス主義の聖典か、とがっくりきたので、拘置所を出る前に運動から離れることを決めていた、とかの若い頃の話。

◆全共闘シンポジウムなんて開いたんだ

 「心」とは直接は関係ないが、朝日新聞10月22日夕刊文化面<68年の「若者の異議申し立て」から40年/「反乱」に共感と違和感/時代の気分「似てきた」/「雰囲気だけ」「検証を」>は藤生京子記者の記事。

 見出しそのまんまの内容。9月下旬に立教大学で開かれた「1968+40 全共闘もシラケも知らない若者たちへ」と題したシンポジウムの紹介だ。パネリストで北大准教授(経済思想)の橋本努さん(40)は「全共闘の学生が口にした『自己否定』の動機に、親にほめられるために勉強してきた『いい子ぶりっこ』に自分を否定する願望があった。公害など資本主義のひずみが噴き出した高度経済成長時代に受けた『あしたのジョー』のように、展望もないまま『青春を燃やし尽くす』が全共闘の考える自由だったが、今の時代の気分は40年前と似てきている」と言う。

 「1968年」(ちくま新書)を書いた全共闘世代の文芸評論家、絓さんは「内ゲバや聨合赤軍事件へと至る挫折として語られてきた68年の経験がフェミニズム、環境問題の起点であり、現代史の転換点だ」と言う。このシンポは彼の主張を踏まえた討論だった。

 パネリストにはロスジェネ世代から鈴木謙介・国際大学GLOCOM研究員(32)も参加。アントニオ・ネグリらの「<帝国>」を翻訳した大阪府立大准教授の酒井隆史さん(43)はシアトルで99年に起きた反WTOの抗議行動以来、排除された人たちによる全く予測できない出来事が68年と連なる形で海外では続いている、と強調し、市民を巻き込めなかった日本の68年と今後の展望については自律した労働運動の必要性を言うにとどめた、という。内田樹・神戸女学院大学教授(58)は全共闘運動はただ時代のうねりの中に流されただけと批判的。「若い世代が関心を寄せている背景にはグローバリゼーションを含む『反米機運』の高まりを感じるが、それは雰囲気に過ぎない」と突き放す、という。

 全共闘世代のすぐ下で運動に懐疑的だったという御厨貴東大教授(57)はあまりにも語られぬまま忘れ去られていることに疑問を感じ、60年代論を執筆中だ、という。

◆団塊とジャネーの法則

 団塊の世代といえば、古い記事だが、日経新聞3月30日の[遠みち 近みち]で安岡崇志・特別編集委員が<団塊とジャネーの法則>という面白いコラムを書いていた。

 時間の長さの主観的評価は人の年齢の逆数に比例する、という経験則を心理学で「ジャネーの法則」というのだそうだ。メディア文化論が専門の稲増龍夫・法政大学教授に聞いた話だそうだが、山崎豊子原作「白い巨塔」のテレビドラマ新旧2シリーズのテンポの速さの大変な違いがある、という。同じ法廷シーン3分間で、画面を切り替えるカット数を計り演出のテンポを比べる。証言する主人公の顔をじっと映す1979年放映の旧シリーズは23カット。主人公、弁護士、傍聴人の表情をめまぐるしく追う2004年版は83カットだった、と。

 79年に25歳の人は新シリーズ放映時には50歳。ジャネーの法則に従えば、時間を2倍の速さに感じていたことになる。そこへもってきてセリフの速度が上がり、さらにカット数で3.6倍になる速いテンポで畳み掛けられては、たまったものではない、と書いている。

 稲増教授によると、極端にカット数が多いテレビドラマが初めて登場したのは2000年。1時間ドラマ1回分の総カット数は400台という常識を破り、700を大きく超えた「池袋ウエストゲートパーク」だった、という。テレビドラマのカット数はここ数年多くて800で安定している。300から400のゆったりしたものもある。棲み分けているのが現状だ、と稲増教授。

 稲増教授は「団塊世代なら、多少テンポの速いものにもついていける」と太鼓判を押している、というが。

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2008年11月16日 (日)

小室哲哉とカラオケ+安室奈美恵+山口百恵+太田裕美+手塚理美~新聞記事から

 小室哲哉氏の逮捕をはじめとした事件については書く気はなかった。今でも事件そのものをメモしておこうとは思わない。新聞を読んでも分からない部分が多すぎて、もう少し裏の面が分からないと、今の段階で書いておいても仕方ない、と今でも思っているからだ。でも、事件ではなく、小室の楽曲がなぜ流行したか、の音楽論が最近、新聞の文化面、娯楽面などに載るようになったので、小室氏の音楽について、少しメモしておこう。

 そんなことを思ったのは11月16日のスポニチ社会面連載[明るい明日を]で美輪明宏さんが<真理をバカにする者は滅びる>のタイトルで、小室哲哉氏の音楽を語っていたのを読んだからだ。「そうかぁ、美輪さんも歌手だったなぁ、美輪さんが言うのならば、やっぱり音楽評論家たちがいろいろと言っていることは本当なんだろう」と思ったのだ。

 美輪さんの若い頃の「ヨイトマケの歌」は力があった。うまかった。マイクなどなくても、劇場中に響き渡った。あの丸山明宏がこんな占い師になるとは当時想像もできなったが、今でも美輪氏をテレビで見ても嫌悪感はない。スカルノ夫人とか、安岡正篤の戸籍が入っていない後妻とか、化け物のような女がテレビを席巻しているが、美輪さんの場合、レベルが違う、という感じがしているのだ。

 美輪さんは小室容疑者の逮捕を「一つの音楽バブルが弾けたことの象徴」という。何がバブルだったのか? 美輪さんは小室容疑者がキーの高い歌を作ったのは商売上手だからだ、とも言う。どこが商売上手なのか?

 美輪さんは、

 <高い声がもてはやされるのは井上陽水やクリスタルキング、オフコースからでした。それが80年代のカラオケブームに乗って量産されるようになりました。カラオケで高いキーの曲を歌うと周りから「あの人はすごく高い声が出る」と尊敬されるのです。小室容疑者が作った曲はカラオケボックスで歌って踊って騒ぐためのものだったのです。>

 と、カラオケボックスの流行と小室サウンドとの関係について重要な指摘をする。そのうえで、

 <本来、高い声というのは不快音になりかねません。クラシックのソプラノのように発声が豊かできちんとしていれば良いのですが、そうでなければトタン屋根をガラスでひっかいている音のように感じます。歌っている本人は金切り声を上げて気持ちいいでしょうが聞かされる方は他人が吐き出す毒を耳に入れるわけですからたまりません。>

 トタン屋根をガラスでひっかく、という表現はユニークだが、どんな音がするのだろう? ガラスといえば、ガラス板を十円玉でひっかく音は想像するだけで気持ちが悪くなるが…。

 <もともと日本の歌謡界もビング・クロスビーやジョニー・ハートマンのように低音が良いとされていました。フランク永井さんの歌がヒットしたのは低音の魅力があったからです。森進一や青江三奈さんのようなハスキーな声がはやった時代もありましたが、石原裕次郎さんにしてもフォークソングにしてもニューミュージックにしてもみんな普通の声で快いメロディを歌っていました。小室容疑者の楽曲のブームが去り、最近になって秋川雅史の「千の風になって」がヒットしたのは高い声でギャーギャー叫ぶ文化を正統派に軌道修正しようという動きだったのです。>

 小室音楽に関する部分は以上である。あとはホリエモン、村上ファンド、亀田兄弟など、話は飛んでいく。音楽の話ではないが、小室容疑者の生き方については、以下のような「ご託宣」が下されている。

 <小室容疑者も同じですが、彼らに共通しているのは日本人独特の奥ゆかしさ、謙虚さ、たしなみ、程の良さといったものが欠如していることです。「金さえもうかればいい。奥ゆかしさなんて古い」ということでしょうが、人間が生きていくことに古いも新しいもありません。いくら今新しいといっても明日にはもう古くなるのです。真理というのは動かないものなのです。それをバカにする連中は必ず滅びます。>

 美輪明宏氏の言葉を読んで、小林秀雄の、芥川龍之介の皮相さを強烈に皮肉った「歴史と文学」(1941年4月)の次の言葉を思い出した。

 <日本の歴史が、自分の鑑とならぬような日本人に、どうして新しい創造があり得ましょうか。>

 「歴史と文学」には滋味深い言葉が多い。

 「歴史は決して繰り返さない。だからぼくらは過去を惜しむ」

 「『史観』は手段、道具に過ぎないのに、それを信じる人がいる」

 「史的唯物論などの近代合理主義史観は『人間がいなければ歴史はない』という大切なことを忘れている」

 「歴史事実とはかつて在っただけでは足りず、今もなおその出来事が在ることが感じられなければ仕方ない」

 「歴史は繰り返してくれれば、というはかない望みが『歴史の発展』という考え方を生んだ」

 「歴史の弁証法的発展という目笊で歴史の大海をしゃくって万人が等しく承認する厳然たる歴史事実というだぼはぜを得る」

 「現代の文学は心理とか性格だとかいう近代頭脳の発明にかかる幻の驚くべき氾濫と陳列とにより、人間の運命というものが、覆い隠されている」

 などである。これは小林の表現そのままの表現ではないが。ここは小林秀雄を論じる場ではないから、これ以上は触れないが、美輪の文章の中に小林と同じ魂を見る人もいるのではないか、と思う。でも、それもここのテーマではない。ここでは小室哲哉氏の音楽とカラオケの発展と流行歌の変遷を見てみたいのだ。

 「高音」というのが一つのキーワードだろう。

◆カラオケ用、芸術家じゃない~読売新聞解説面から

 この問題は11月5日読売新聞朝刊解説面に文化部の西田浩記者が<小室哲哉サウンド/カラオケ曲でヒット/音楽「大量消費時代」を体現>の見出しでうまくまとめていた。

 小室哲哉氏は作詞、作曲、編曲、歌手のプロデュースまで手掛け、90年代の音楽界に旋風を巻き起こしたが、当時、バブル経済は崩壊し、不況の真っ只中だが、CD市場は98年まで右肩上がりの成長が続いていた。その原動力となったのが10~20歳代の若者層に広がったカラオケ・ブームだった、という。

 カラオケで歌う曲を求め、熱心な音楽ファン以外もCDを購入。「歌いやすく上手に聞こえる」がヒットの重要な要素になり、業界でも「作り手が送り出したい音楽」よりも「聴き手が求める音楽」を制作するため、マーケッティング的な手法を導入。音楽市場の好況を背景に巨額の宣伝費を投入して次々と新人を売り出した。

 そうした時流を巧みにとらえたのが小室氏だった、という。西田氏が2001年に小室氏にインタビューした際に「僕は創作衝動だけでものを作る芸術家じゃない。受け手の反応は必ず計算する。最新の制作技術や音楽スタイルと大衆の仲人みたいな存在」と答えた、という。

 親しみやすい旋律に、シンセサイザーを軸とした華やかな音作り。ダンスビートを大胆に導入し、ダンスに興味を持つ層も取り込んだ。多くの亜流も生まれた。

 安室奈美恵さんやglobeをはじめとするJ-ポップの中国、台湾などアジア市場への進出にも貢献した、という。

 ここで音程の高い話が出てくる。

 <音楽評論家の富沢一誠さんは「彼の楽曲は全体に音程が高めで、歌うと高音を心地良く響かせられるように計算されている。育てた歌手は、自分の色に染められるアイドル的な存在が大半。逆に、確固たる表現スタイルを持ったアーティストの長所を引き出すすべは持ち合わせなかった。それが彼の限界だった」と指摘する。>

 そういうことなのだろう。西田記者は、

 <小室流が巷にあふれた分、反動で飽きられる宿命にあったと言えるだろう。勢いに陰りが見えた90年代末、代わって大きな人気を集めるようになったのが、曲作りも手掛ける宇多田ヒカルさんや椎名林檎さんら個性的なキャラクターだった。似通った作りの音楽が売れる時代は終わりを告げ、好みはより多様化していった。>

 と、音楽の好みの多様化現象を小室氏凋落の主な原因と結論づけていた。次の指摘も面白い。

 <98年をピークにCD市場もマイナスが続き、昨年の音楽ソフト生産額は全盛期の約6割にまで落ち込んだ。かつて、「カラオケで歌うため」「流行に遅れないため」といった動機でCDを買っていた、ファン以外の消費者が離れていった。「小室サウンド」のヒットを支えた大量宣伝の手法も難しくなった。>

 時代の流れだ、と単純にいう時に、これだけのデータが裏にある。大量宣伝の手法が難しくなったことについては、詳しい分析はなかった。

 音楽の大量消費時代が終わった時に、サザンオールスターズのようなカリスマ性に乏しい小室氏はファンの心をつなぎとめておくことができなかった、というのだ。

 安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATED?」(97年)は230万枚。globeの「DEPARTURES](96年)が229万枚、篠原涼子「恋しさと せつなさと 心強さと」(94年)が202万枚…など、当時は爆発的な売れ行きだった。今や夢幻、荒城の月である。

◆東京新聞[こちら特報部]の見方も同じだった

 東京新聞11月5日朝刊[こちら特報部]も小室容疑者を特集した。なぜ時代に愛され、時代に捨てられたのか? という疑問を解こう、という試みである。高音域に特徴がある小室サウンドは「TKサウンド」と呼ばれて、カラオケでもてはやされた、ともあった。

 この中では音楽評論家の反畑誠一さんの言葉が面白い。

 <「1990年代後半、速いテンポのダンスミュージックに乗せたギリギリの高音域の女性ボーカル―という新しいエンターテインメントで頂点に上り詰めた。東アジアにJ-POPがファッションとして広まるのに連動し、台湾、香港、中国にまで小室サウンドも広まった。(ところが21世紀に)ダンスミュージックと入れ替わりにR&Bがブームになっていった。でも彼は、より刺激的な音楽を創り出そうとし、2001年ごろから次は『トランス』(音楽ジャンルの一つ)がストライクゾーンだと言っていたが、そうではなかった。そのへんから”選球眼”が鈍るというか、大衆との間のズレが出てきたような気がする」>

◆毎日新聞夕刊は随分と情緒的な分析だった

 11月13日毎日新聞夕刊[特集ワイド]<「Jポップ」全盛期築いた小室哲哉の音楽/「90年愛」終幕の偶像>は小室氏の略歴を入れながら、小室氏の音楽を探った。

 音楽評論家の反畑誠一氏は「日本の音楽産業の盛り上がりと小室ブームは同じラインを描いている」と話している。「Jポップとは何か―巨大化する音楽産業」(岩波新書)の著者でジャーナリストの烏賀陽弘道氏は「リスナーの性別や年齢、居住圏をはっきり想定してから曲をつくっていたから売れた。(ターゲットは若い女性だが)聞く人が求めているものを曲に取り込んでいた。86年に渡辺美里さんに提供した『My Revolution』からその傾向は始まった。この曲は一人でも夢を追いかけようと呼びかける歌詞に軽快なテンポが合う。この年に男女雇用機会均等法が施行されたのも偶然ではない。男と対等の働き手として職場に送り込まれた女性への応援歌になっていた。90年代半ば、小室氏の視線の先には女子高校生がいた。コギャルという新語が流行った。小室さんやレコード会社は高校生たちがどんな歌詞にぐっとくるか、どのような衣装が人気かをきちんと調べていた。そういうマーケティングを曲作りに生かした」と話している。

 東京・原宿の女子高生中心のマーケティングリサーチ会社は89年創業で現在も1000人を超すモニターをネットワークしているが、ある取締役は「安室さんやtrfなど、小室さんがプロデュースした曲を視聴させたり、音楽ビデオを見せてアンケートを取っていました。今も、彼女たちの口コミは、はやり物への強い影響力がある」と話している。

 国内の音楽ソフト生産が最高になった98年、小室氏はアジア進出を目指して香港に総合音楽プロダクションを設立し、活動はピークを迎えたかに見えたが、この年、香港のベンチャー市場で株価が暴落し、巨額の負債を抱えた。烏賀陽さんは「そもそもアジアに進出するメリットはない」と言い切る。日本はアメリカに次ぐ世界第2の規模の音楽市場を持つが、中国、香港、台湾はそれぞれ日本の50分の1程度の規模しかないからだ、という。

 「少子化で小室さんのファン層だった若者人口が減った。といって、団塊の世代向けの曲は今更作れない。日本の購買層が少なくなり、海外に市場を探さざるを得なかったのかと思う」

 というのは反畑さんおコメントか。反畑さんは98年にデビューした宇多田ヒカルさんの影響が大きい、という。当時15歳、女子高校生世代で、宇多田さんの存在感は際立っていた、といい「宇多田さんの曲は若い女性の生活感にあふれた詞と自然に近い音でつくられていた。彼女のリズムアンドブルースが、デジタル音でできた小室さんのダンスミュージックに取って代わった。聞き手が刺激よりも安らぎを求め始めていたことに小室さんは気付かなかったのかもしれない」。

 最後に坂巻記者は、次のように総括していた。

 <テレビよりネットの時代。趣味の多様化、楽曲のダウンロードなどもあり、98年以降のCDなどの音楽ソフトの売り上げは減少傾向だ。その下降線は小室プロデューサーの衰退と重なる。90年代という時代をつかんだ男はいま、「音楽で再起したい」と話しているという。>

 結構説得力のある書き方だ、と思った。

◆安室奈美恵(31)は鮮やかに復活してきたのだが…

 朝日新聞10月30日夕刊芸能面<アムロ30代も刺激的/歌、衣装…自己像操り七変化>は97年頃、小室サウンドでヒットを連発した安室奈美恵が31歳になって小室哲哉プロデュース時代とは異なる音楽性・ビジュアルを打ち出し、2度目のピークを迎えようとしている、という内容だ。

 3月には3曲入りCD「60s70s80s」で9年ぶりにシングルチャート1位獲得だそうだ。7月発売のアルバム「ベスト・フィクション」は10年ぶりに100万枚突破だ、と。だから、安室奈美恵は10代、20代、30代と三つの年代でミリオンヒットを飛ばした日本初の歌手だそうだ。

 ここでは音楽評論家の萩原祐子さんの言葉が出てくる。引用する。

 <表現力がダントツ。痛みを知っているから優しくなれるとか、そんな生ぬるいものを超えている。90年代には小室哲哉やつんくなど旬のプロデューサーが仕掛けさえすればヒットするという幻想があったが、2001年に小室の手を離れたのを境に彼女はセルフプロデュースに能力を発揮し始めた。制作集団の見事な編成に、彼女のその時々の主張を感じる。03年のユニット「スイート・シーク」ではヒップホップのジブラやm-floのバーバルとも、いい化学反応が生まれた。詞も大部分はプロに任せている。自分で作詞しなければアーティストではないという呪縛にとらわれていないのも強み。>

 作家の柴崎友香さん(35)のカラオケで消費されることを拒むようなダンス音楽への挑戦にも潔さを感じる、というコメントは、同じダンス音楽でも小室哲也氏の目指すものとは逆のサウンドを目指している安室奈美恵の強さを感じさせる。

 記事を書いた藤崎昭子記者の、

 <「聖子ちゃん」の残像を求めるファンに応え続ける松田聖子も偉大だが、ときにムチを構えてファンのイメージを裏切り続けるところに、女子がほれる「安室ちゃん」の真価があるのかもしれない。>

 という言葉を読み、安室ファンなんだ、と納得いた。

 歌は世につれ、である。私のような団塊の世代にとっては実は小室哲哉サウンドは自分の青春時代とは無縁な音楽である。

 グループサウンズや山口百恵、せいぜいキャンディーズが同時代に少し引っかかっているかなあ、という程度の古い人間だから、こういう記事も自分の感性ではなく、平成音楽史の一幕として読んでしまいがちだが、実際にはこのサウンドを自分の人生に重ね合わせて生きている人間がたくさんいることを想像できなければ、こうした記事は無用の長物になってしまう。

◆山口百恵「横須賀ストーリー」の原点

 でも、やはり、私がシンクロできる記事と言えば東京新聞9月28日朝刊[東京歌物語 横須賀ストーリー]<スターの原点にじませ>など、自分の青春時代が甦る記事である。

 1972年12月、日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」に応募し、翌年5月に「としごろ」でデビュー、わずか7年半後の80年11月に俳優の三浦友和さんと結婚して引退した山口百恵と「横須賀ストーリー」の作詞者、阿木耀子の物語である。

 1976年6月発売で、オリコン1位を獲得、百恵の最大ヒット曲になった。

 記事には阿木氏の「年齢も違う百恵さんと唯一の共通項は横須賀だと思って、横須賀をテーマにタイトルから入ったんです」、「あのリンとした姿勢。百恵さんは時代が生んだ人だと思う。一作ごとに目を見張るほど歌が進化していき、大輪の花が開いていく過程は見事でした」という話が載っていた。

 記事は、

 <百恵引退から、すでに28年の月日がたつ。かつて、百恵が住んでいた三浦半島の丘の頂に立つ団地は今もある。周辺は歌詞にもある急な坂道が多く、宅地開発が急速に進んで一戸建てやマンションが目立つ。埋め立て地の平成町ができるまでは、丘の上からも遠くに海が見えた。>

 と百恵にちなんだ今の横須賀の変化を書き記す。

 今、横須賀市議で、当時は社会科の教師だった男性の「百恵さんはまじめで何事にも熱心な生徒さんでした」という言葉。また、同級生で市議の「端正できれいな顔立ちでしたが、歌手になると聞いた時はびっくり」という思い出話も、当時は百恵さんの心の琴線にまで触れることができなかった「周囲の人々」の見方を代表した言葉に過ぎない。

 記事の結びは、

 <すべての原点がこの街にあり、彼女が描く”横須賀ストーリー”の結末は「平凡で幸せな家庭」だったのだろう。四十九歳。長男は社会人、次男は大学生と二人の子供にも恵まれ、いまはキルト作家としても活躍している。>

 だった。お幸せに、である。

 東京新聞のこのページが好きなのは、[あの時代]として、その歌が流行した年の出来事をメモでまとめているところだ。ちなみに、この記事では1976年の出来事を次のようにまとめていた。

 <1月に周恩来・中国首相死去。鹿児島市立病院で五つ子誕生。2月にロッキード事件が発覚。その年「黒いピーナツ」「灰色高官」が流行語に。9月に毛沢東・中国国家主席死去。暮れには三木内閣総辞職、福田内閣成立。司馬遼太郎の「翔ぶが如く」がベストセラーに。映画「JAWS(ジョーズ)」が日本上陸し、大ヒットを記録した。>

 こうした簡単なメモは記憶をたどるよすがになる。

◆53歳になった太田裕美さんが輝いているわけ

 産経新聞9月30日[人、瞬間~あの曲]は太田裕美さん(53)の「木綿のハンカチーフ」を取り上げていた。1976年に大ヒットした、あの歌である。

 小学校3年からピアノ、中学・高校ではクラシック音楽を学び、自身もアルバムの作詞作曲に参加する太田は「木綿のハンカチーフ」が売れて、アイドル扱いされると、葛藤に悩んだ、という。

 常に新しい歌を作り、これこそ今の自分の歌だ、と思うのに、どこに行っても「木綿のハンカチーフを歌って」と言われるのに耐えられなかった、というのだ。それも、出産で歌手活動を抑えた時期を過ぎてライブを本格的に再開すると、吹っ切れた、という。

 「かつて自分が歌った自分の曲を愛着を持って聞いてくれる人がこんなにいるんだって身にしみるんです」という言葉に太田の成長があらわれている。「自分が歌手をしている限りは、持ち歌は自分の子供と一緒です。責任を持って歌わないと。歌を愛してくれた人に恩返ししないと。もう歌わないなんて、言っちゃいけないんですね」と。1974年の「雨だれ」がデビュー曲。1985年に結婚。2人の男の子の母親。今でも現役で、加藤和彦氏らとのライブが多いようだ。一回、聞きにいきたいなぁ。

◆47歳の手塚理美さんは高校2年(17)と中学1年(13)の兄弟の母

 日経新聞9月16日夕刊[こどもと育つ]に女優の手塚理美さん(47)が登場していた。

 歌手ではないが、小林亜星さんと一緒のコマーシャルで鉄棒にぶら下がった手塚さんに眩しい思いをした古いファンとしては、ここに加えて書いておこう。

 最近では「ALWAYS続・三丁目の夕日」に出ていた。俳優の真田広之さんと結婚したが、1997年に離婚。次男は父と暮らした記憶がない、という。子供の育て方についての話だから、内容はどうでもいい。だが、手塚さんの子供のころと同じ笑顔の写真が載っていたので、切り抜いておいた。

 ユニチカのマスコットガール時代だったか? たしか13歳だった、と思うのだが、小林亜星の大きなユーモラスな体型と手塚のこわれそうな小ささのコントラストが印象的で、いまだに手塚を見ると、あのCMを思い出す。34年前だったか?ということは1974年? もっと前だったか? 華がある女優ではないから、今主演しろといっても、なかなかだろうが、バイプレーヤーとして確固たる位置を占めているのだろう。

 と、何か変なおじさんの変な趣味にマッチする女性が何人か出てきた、という感じになってしまった。本当は日本音楽とアメリカ音楽と韓国の流行歌について、もう少し突っ込んだ話を書こうと思っていたのだが。反省。

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2008年11月12日 (水)

書評「医師の正義」白石拓著(+「中国で臓器移植仲介の日本人業者」読売新聞)

 「医師の正義」は宝島社刊で2008年7月16日第1刷発行、定価1143円+税。

 著者は白石拓氏。1959年生まれ。愛媛県出身、京都大学工学部卒。科学ジャーナリストとして活躍するかたわらノンフィクションも手掛ける。2002年より青森県内で広く実施されている「ABA小学生未来新聞を作ろうコンテスト」のインストラクター・審査委員をつとめる。近著に「あったか言葉とチクチク言葉」(宝島社08年)、「1万円の世界地図」(祥伝社新書07年)他がある。上記2書は本名(佐藤拓)で執筆。

医師の正義 医師の正義

著者:白石拓
販売元:宝島社
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 面白い本だ。倫理面での反発が強く、難しすぎてジャーナリズムが敬遠したり、新聞が誤解しっぱなしの問題を、当事者に取材することなどを通じて、問題の所在を分かりやすく説明してくれる本だ。

 四つの大テーマがある。①病腎移植問題②赤ちゃんポスト問題③代理出産問題④医療事故問題である。

 このテーマを聞いただけで「そんなテーマには触りたくない」と遠ざかる新聞記者やテレビ記者が多いと思う。

 日本人の中でコンセンサスがつくりにくい、当事者の利害が対立するだけでなく、思想信条や宗教にも関わってくる大問題だからだ。

 いずれの立場の言い分にも「正義」がありそうに見えるのが困るような問題なのだが、白石氏はその問題を腑分けして、読者に分かりやすく説明したうえで、あえて大胆に自分の見方を示している。それが潔くていい。

 ここでは第1のテーマだけ書いておく。読売新聞の記事との関連で急きょ、書こうと思ったので、他のテーマ、特に代理出産問題をはじめとした生殖医療には、本当はもっと面白い問題点もあるのだが、今はパスしておく。時間があったら、後で書き足す。

 病腎移植問題、つまり万波医師の問題は、新聞による知識しかなかったので、この本を読んで驚いた。今まで知っていたことがすべて否定されて、全く逆の考え方をするようになった。

 宇和島徳洲会病院の万波誠医師である。長時間インタビューで万波氏に心情とやってきた行為を語らせているだけでなく、万波氏の評価を他の専門家らに聞くことで客観的に語っているのがいい。

 病腎移植は英語では「レストア腎移植」というのだそうだ。日本語に訳せば「修復腎移植」である。

 2008年1月にはアメリカ・フロリダで開かれた全米移植外科学会・冬季シンポジウムで病腎移植の症例報告をした万波医師らの論文がベスト10論文の一つに選ばれ、万波医師は表彰され、招待講演を行った。論文は米医学誌「アメリカン・ジャーナル・オブ・ロラン誌プランテーション」4月号に掲載された。

 この高い評価の背景には世界中が移植臓器不足に悩んでいる現実がある、という。また、腎臓移植は人工透析よりも長生きできる。また、修復腎移植は生体腎移植や死体腎移植に比べてはるかに問題が少ない移植であること、万波医師らの症例ではその成績は死体腎移植に匹敵する、という。

 政治も動き始めた、という。超党派の国会議員でつくる「修復腎移植を考える超党派の会」(会長・杉浦正健元法相)が修復腎移植に賛同し、万波医師への行政処分にも異を唱え始めたのだ。

 日本では腎臓移植の平均待機年数は16年。人工透析が導入されて亡くなるまでの患者の平均寿命は8~9年なので、待っているうちに死んでしまう人が多いのだ。先進各国と比較すると、他国は人口100万人あたり軒並み日本の3.5~6.5倍もの腎臓移植手術を行っているのに、腎臓が足りない、という訴えは日本と同じだ、という。

 日本で腎臓移植を希望する待機患者は2008年1月31日現在で1万2075人だ、と。

 日本臓器移植ネットワークが稼動した1995年から2007年までのデータをもとに計算すると、08年1月現在に腎臓移植を希望している待機患者のうち運よく死体腎移植を受けられるのはわずか1.6%。100人に2人もいない。現行の臓器集めが破綻している。

 万波氏ら瀬戸内グループの修復腎移植はこのような絶望的な臓器不足から生まれた、という。「がんを切除しても、がんにかかった臓器を体に入れたくない」という患者が結構いて、その場合、本当はまだ使える臓器をバケツに入れて捨てている、という。それを使うようにした、ということだ。

 面白い指摘は次のような事実である。

 腎臓移植を待つ日本の患者の半数近くは糖尿病をを患っているため、平均寿命は8~9年しかない。人工透析の費用は一般に月40~60万円と非常に高額なのだが、透析には健康保険が適用され、他に特別な高額療養費の助成制度もあるので自己負担は通常月1~2万円ですむが、自治体によってはその1万円さえも助成してくれる制度もある。患者は非常に助かっている。とはいえ、このような助成制度は患者にはありがたいが、治療費は保険と公費でまかなわれ、全額が病院に支払われる。仮に透析患者1人当たりの費用を月50万円とすると、1年間で600万円。よって透析患者を50人抱える病院はそれだけで年間3億円の安定収入となる。それが患者が亡くなるまで保証されるので、透析は「金のなる樹」といわれている、という。だから、病院の医者は「移植を考えましょう」といわずに、「透析を」となるのだ、という。

 さらに、日本の人工透析医療費総額を600万円に患者数26万4473人を掛け算して求めると、およそ1兆6000億円だ、という。05年度の国民総医療費は33兆1000億円。うち歯科診療費と薬局調剤費を除く一般診療費は約25兆円。だから、人工透析費は一般診療費の7%をも占めるに至っている。そして毎年1万人分すなわち600億円ずつ増えており、医療財政に大きな負担になっている。

 腎臓移植を受けた場合の医療費は初年度こそ350~400万円かかるが、次年度以降は通院費が年間120~180万円で済む。ただし、これらの費用も人工透析同様、健康保険の適用などがあるため、自己負担はほとんどない。

 日本移植学会は2007年3月31日、日本臨床腎移植学会、日本泌尿器科学会、日本透析医学会と4学会合同で万波医師らの修復腎移植を批判した「病腎移植に関する学会声明」を発表し、その中で自分たちの業績を誇って見せたが、その業績が先進各国の3分の1にも達していないレベルだ。

 移植学会が行った修復腎移植を否定した調査についても広島大学名誉教授で病理学者の難波紘二誌(鹿鳴荘病理研究所長)によって批判されている。

 インタビューをみると、万波氏は本当に名誉欲も金銭欲もない飄々とした人物のようだ。こうしたブラックジャックのような人間を<悪の権化>のように報道し続けている大手マスコミは問題だ、と白石氏はマスコミを批判しているが、その通りだと思う。

 また、万波氏だけでなく、日本ではひそかにいろいろな病院で修復腎移植が行われていたらしい。ところが、その医師たちは沈黙を守り、万波氏を援護しなかったことも白石氏に男らしくない、と批判されている。

 そして、いよいよ話は渡航移植に及ぶ。読売新聞特ダネと関連しているのはこの部分である。

 「平成17年度 総括・分担研究報告書―渡航移植者の実情と術後の状況に関する調査研究」(主任研究者小林英司、06年3月)によると、06年3月時点で少なくとも522人が過去に渡航移植を受けたことが判明している、という。これは肝臓、心臓などを含めた数。腎臓移植では198人とされている。おしなべて斡旋者や紹介者、移植費用について語りたがらないが、多額の報酬が支払われているのは間違いない、という。中には非合法な臓器売買が存在するのも今や公然の秘密になっている、という。

 現在、日本では臓器売買は法律で固く禁じられている。しかし、なぜか海外で臓器を買って移植してくることが常態化している現状に政府は何も発言していない、国内で禁じていることを海外でやっているのに、たとえ、その国の法律に触れなかったにしても臓器を買う側の政府としての責任を感じているようしはない、と書いている。

 「自国患者の移植臓器は自国で調達する」ことは国際マナーだ、というのに、そういう指摘にも政府は知らん顔だ、と。

 そして<筆者はお金で臓器を取引することには反対の立場だ。>

 と、旗幟鮮明にする。現在日本全国で廃棄されている腎臓のうち移植に使えるものは2000個ある、という。これが捨てられずに移植手術に使われれば、移植者の数は一挙に10倍に跳ね上がる。

 医療行為とは何か?という哲学的な問いがある。

 病気を治すのが医療ならば、腎臓などの提供者の健康な体にメスを入れるのが本当に医療行為なのか、と。

 そして、親族間の生体腎移植は離婚、兄弟の仲たがい、家庭崩壊などの悲惨な結果を生みかねない、という。そうした問題ある生体腎移植禁止して、モラル面での問題のない修復腎移植を合法化すべきだ、というのが万波氏と著者の意見だ。

◆読売新聞11月12日朝刊の特ダネ

 そして、読売新聞11月12日朝刊1面と社会面トップを飾った特ダネである。<「中国で臓器仲介」聴取へ/邦人代表/営利目的の疑い>が1面。社会面は<臓器移植仲介「108人」/「中国 処罰法ない」/代表が正当性主張/中国側捜査協力 立件のカギ>だ。

 内容は大体想像できるようなものだった。

 中国政府がこの男を逮捕したのだが、臓器売買を禁じる法律がなかったので法人登記の業務範囲の逸脱など関係のない容疑に切り替え、懲役1年2カ月の判決。男は臭い飯を食い終わって、成田空港に日本に帰国してきたので、神奈川県警などが臓器移植法違反でその男を逮捕する、というものだ。

 今まで108人を斡旋したと、男は読売新聞記者に語った、という。きっかけは日本の友人が肝臓移植が必要になり、調べたら中国では多くの移植手術が行われていた。これだけのところならば、日本の患者も移植手術できるという前提でこの事業を開始した、と話している。

 この男は「日本では禁じられているが、中国では合法だ。何が悪い」という立場だそうだ。

 この業者だけでなく、フィリピンなど貧しい国に頻繁に出入りし、食うや食わずの人々に「腎臓は二つあり、ひとつ摘出ても大丈夫だから。高く買ってやる」と騙して腎臓を安く買い叩き、日本人などの臓器移植の材料として超高値で売りつけている悪人の闇ブローカーが結構多く暗躍している、と聞いたことがある。

 今回の逮捕が、「何もアクションを起こさない」と世界から批判されている日本政府(警察)が動き始めたことを示すものであれば、大きな意味を持つだろう。

 この男が言っている臓器移植の値段が注目だ。

 費用は手術代を含め腎移植が780万円以上、肝移植が1300万円以上だ、というのだ。

 これ以外に手数料を取っているのだろうし、詳細は今後、警察の調べで出てくるだろう。これが今の闇の臓器売買市場の国際相場なのかもしれない。

 他紙は12日夕刊で追いかけていた。

 病人とその家族には少しのやましさはあるものの、自分が犯罪を犯したという意識は全くない。それどころか、本音は「どうして悪いのか? 死ぬよりはいいだろう」という居直り(言葉が咽元まで出かかっても、普通はそれを飲み込んでしまうから他人には聞こえない)だろう。新聞も難病の子供を抱える両親が周囲の善意に支えられてアメリカに子供のために臓器移植に行く、とかの人情話を社会面で大きく扱って、お涙頂戴話を垂れ流してきた。

 部数拡張のために(?)そんな人気取りキャンペーンをやっている新聞にとって、「アメリカでの移植はいいが、中国やフィリピンでの金銭の絡んだ移植はいけない」と、正面切って言えないのかもしれない。そういう社説を堂々と掲げた新聞を見たことがない。「形式犯でも違法は違法だから、我慢しろ」と言えないのだ。つまり、それは「お前は死ね」と言っているのと、現時点では同じだからである。

 難しいのはこの島国では外国人にも腎臓が二つあること、外国人も同じように生きているということを、「同じおならをする人間」というレベル、「ニンニクを食べて口臭が臭かったり、水虫に悩まされている生きた人間」という自分の目線レベルで理解していないことだ。

 どこか、外人といえば青い目のお人形という意識とか、有色人種といえばちびクロサンボとか、ハリマオの脇役たちと同等レベルという意識しかないかもしれないのだ。もっと極端に言えば、エヴァンゲリオンでの地球防衛軍の敵たちと同じレベルでしか外国人、特に低開発国の人間を理解していないのかもしれないのだ。

 だから、食うものも食えずに腎臓を売るフィリピン人の若者がいても「大変だ。日本政府に言ってやめさせよう」というインセンティブが出てこない。その腎臓提供者に感情移入できない。

 もしも日本が何かのボタンの掛け違いで世界の極貧国に落ちぶれる場合(北朝鮮に原爆を5,6発落とされて、大都市がすべて壊滅する、とか、テロリストグループに狙われて天然痘が大流行して5000万人以上が死んでしまう、とか、アメリカに弓を引いた結果、保障占領されてしまって、経済状態を農業国レベルまで落とされてしまったり、とかの荒唐無稽な「パンデミック」が襲来しないとも限らない)、今度は逆に日本人の若者が自分の腎臓を金持ちで軍事大国である中国とアメリカの病人たちに売らなければならない境遇に身を落とさざるを得ないかもしれない。そうなれば、今のフィリピン人の境遇を想像すれば、将来の自分の姿が見えるのだ。

 しかし、そういう未来は誰も想像しようとせず「オレは極貧のフィリピン人や極貧の北朝鮮人とは違う」不安もなしに単純に思い込んでいるから、同情心がわかない。

 だから、「お金のある日本人が貧しい国で臓器を買ってくるのは仕方ないんじゃない? 自分はやらないけど、そういうことを必要とする人だっているだろう。何をやっても法律に触れさえしなければ自由でしょ」という、冷たい言説がまかり通っている。

 テレビのワイドショーレベルの言説は基本的にこの島国根性を原点にしたものだ。こういう風潮がまかり通る状況を「健康なナショナリズム」とはいわない、と思う。

 腐臭が漂う地獄の一歩手前の状況ではないか。「このような国際常識に反することを続けていると罰が当たる」と予言したくなる。

 最後は少しカッカしてしまったが、この問題。やっぱり難しい。

 オバマ氏がアメリカの多様性をアウフヘーベンして人種のモザイクから人種の坩堝にするのは相当な難事業だが、資本主義の「おかげ」に侵食され尽くした普通の日本国民の心に江戸時代の祖先が持っていた「良心」を取り戻させるのは、もっと難しいのではないか。

 日暮れて道遠し、だろうが、それでもボクはそんな日本人が好きなんだが…。

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2008年9月11日 (木)

汚染米拡大、民主党は参院閉会中審査で農水省の責任追及を+9月6日からの事故米報道の各紙比較

 9月11日朝刊各紙を見ると、大阪市の三笠フーズだけでなく、名古屋市の接着剤製造会社「浅井」と愛知県小坂井町の肥料製造販売会社「太田産業」も政府の契約で定められた用途以外に事故米を転売していたことが明るみに出た。農水省が10日、発表した。食品衛生法の残留基準を超える農薬メタミドホスに汚染された中国産のもち米も含まれている。

 テレビ、新聞とも、この「汚染米」に関するニュースは中途半端だ。これは、自民党総裁選でニュースの時間が取られ、汚染米を報じるニュースの枠が減っているということもあるだろうが、もっと構造的な問題は、三笠フーズの本社が大阪市で、各社は大阪社会部記者が中心となって取材しているはずだ。トラブルを引き起こした工場は福岡市にあり、立ち入り調査をしていたのも農水省とはいうものの、九州農政局福岡事務所で、この取材は西部本社か福岡総局になる。10日明らかになった名古屋など愛知県の2件は各社、名古屋本社が取材するだろう。そして、ウルグアイ・ラウンドの特例で日本が海外の米を輸入せざるを得なくなった経緯とその仕組みの取材は東京本社の経済部や政治経済部が中心となる。

 つまり、テレビも新聞も取材現場とその統括部署がバラバラだから、この事案をトータルに捉えて、問題点を指摘するのに時間がかかる。その証拠に、10日朝刊まで、各紙ともまだ農水省の責任問題を正面から取り上げていない。

 今、必死に取材している最中だろうから、数日中には構造的問題点が紙面化されてくるだろうが、国民としてはそんなに待てない。

 ことは一人一人の健康問題、有毒物質を意識しないで食べさせられているかどうか、の問題なのだ。

 親しい友人と話していても「なぜ有毒物質が入っている米をわざわざ輸入して、それを流通させるのだろう」「有毒物質が入っていると分かった時点で、輸出した国に返却できなかったのか」「それができなければ廃棄処分すべきではないか」「そもそも、農水省は検査を繰り返していてなぜ分からなかったのか」という疑問が次々提起される。

 政治や経済に関心のない人でも自分の健康に直結する問題では怒りを押さえ切れない様子だ。当然だと思う。

 福田康夫首相は消費者中心行政を実現するために野田聖子消費者行政担当相を置いたが、今回の問題でも農水省は野田大臣にきちんと報告していないらしい。

 いくら投げ出し総理とはいえ、福田康夫氏はまだ総理大臣なのである。国民の口に有毒物質が入らないようにする責任があるのではないか。

 その責任まで放棄して、口をつぐみ、麻生太郎氏ら5人の演説だけ国民に聞かせようとしているのかもしれないが、国民が知りたいのは、有毒物質の混じった食品はこれ以上ないのかどうか、どうしてこんなことが起きたか、である。遠大な政権構想ではない。

 民主党や社民党、共産党は総選挙準備に忙しくとも、早急に参院の閉会中審査を行い、農水省の役人を呼び出して、事実関係を追及すべきだ。テレビも総裁選報道もいいが、そうした国民の本当に知りたい国会審議を同時中継して国民に見せるべきだ。

 ウルグアイ・ラウンド受諾に際しての農水省の甘い見通し、見通し外れの困惑と隠蔽のための事故米こっそり売却、米流通部門の温存とそれに関与した農水省役人、天下り問題など、様々な構造的問題が明るみに出るだろう。

 そうすれば、今までとかっかりがなく、責任追及に及び腰だった報道機関も腰をすえて報道するようになると思う。

 政局より政策、明日の政策も大事だが、今の健康被害を防ぐ緊急政策はもっと大事である。民主党に行動を求めたい。

●●事故米食用転売報道の経緯~東京本社発行の最終版の各紙比較●●
★[9月6日(土)朝刊]~各紙の事件初報
 1面トップにしたのは朝日新聞<有害米 食用と偽る/大阪の業者/転売、菓子・焼酎に>、毎日新聞<事故米 食用に転売/メタミドホス残留/大阪の卸業者/03年度以降300㌧/農水省、流通状況を調査>、東京新聞<汚染米300㌧を食用転売/農薬やカビ毒残留/大阪の業者/農水省 回収指示、告発へ>。
 朝日新聞の前文は「農林水産省が5日、米販売会社「三笠フーズ」(大阪市北区)が工業用に限った用途で仕入れた「事故米」を食用と偽って転売していたと発表した、という内容。事故米からは中国製冷凍餃子による中毒事件でも問題になった有機リン系の農薬成分メタミドホスや、カビから発生し発がん性が指摘されている毒素のアフラトキシンB1が検出されている。同社の工場のある福岡県は食品衛生法(有害食品などの販売)に基づき回収命令を出した」という内容。
◆農水省の責任問題
 朝日新聞1面によると、「この問題は8月22日と27日に農水省の食品表示110番に『工業用米を食用に横流ししている』との通報があり、立ち入り調査で発覚した。三笠フーズの冬木三男社長が4日夜に食用として流通させていたことを認めたため、公表に踏み切った」とあった。
◆事故米 「ウルグアイ・ラウンド合意で日本が輸入を義務付けられた米の一部で、検査などで食用に適さないと判断された分。年間2000㌧程度あり、最近は17社が購入している。工業用のりの原料のほか、灰にして建設資材に使うこともある。1㌧当たり平均で6000円程度。輸入米は全体で現在、年間77万㌧にのぼる。国内の主要食の米価に影響しないよう倉庫に保管し、2~3年後に販売。みそ、焼酎、せんべいへの加工用が最も多く1㌧8万円程度で年間20~30万㌧が売却される。飼料用、外食用としても売られ、海外への援助用にも使われる」(朝日新聞1面<キーワード>から)。
 毎日新聞1面<ことば>では、「事故米とは、国が買い取って保管、販売する政府米(外国産を含む)のうち、水に濡れたりカビや基準値を超える残留農薬が検出されて食用に回せない米。工業用のりなど用途を限定して販売される。農水省によると03年度~08年7月に計約7400㌧を販売し、三笠フーズを含む計17社が購入した。価格は1㌔当たり10円前後で、せんべいや酒の原料として売られる食品加工用米の5分の1ほど」。
 朝日新聞よりも少し広く分類、国内産米まで含めている。
 今までの「事故米」の定義は毎日新聞が正しいのだろうが、今回問題になる「事故米」は朝日が書くウルグアイ・ラウンド米に限る、ということか。
◆メタミドホス 「殺虫剤などに使われ、摂取すると、神経に作用し下痢や嘔吐、寒気などを伴う急性中毒症状が出る。体重1㌔当たり約0.01㍉㌘で中毒を発症する。日本では使用が認められていない。昨年12月~今年1月にかけて、メタミドホスが混入した中国製冷凍餃子を食べた千葉、兵庫両県の3家族計10人が一時重体になるなどの中毒を起こした」(毎日新聞社会面)。
 産経新聞社会面は「野菜などでアブラムシなどの駆除に使われる有機リン系の殺虫剤。中国でも残留物による中毒被害が相次いだことから2007年から国内での使用、生産が禁止された。致死量は体重50㌔の成人で1.5㌘程度とされる」とあった。
 一方、朝日新聞社会面は「神経が異常に興奮状態となり、吐き気や発汗、瞳孔の縮小などの症状が現れる。ひどい時には呼吸障害から昏睡、死亡に至る。内閣府の食品安全委員会は体重50㌔の人の場合、0.15㍉㌘を一度に摂取すると健康被害が及ぶレベル(急性毒性)との見解を示している。ただ、揮発性が高いことや、今回は残留濃度が基準値の5倍程度と比較的低いことなどから、農水省は『健康被害はないと考える』としている」とすっかり国の言い分を信用した書き方だった。
◆アフラトキシン 「コウジカビから生まれるカビ毒の一種で、熱帯地域の土壌に普通に存在する。豆やトウモロコシなどの穀物に発生し、天然物として最も強力な発がん物質といわれ、長期間にわたって大量に摂取すると、肝臓がんになりやすいとsれる。日本では02年にイラン産ピスタチオナッツから繰り返し検出され、厚生労働省はイラン大使に改善を要請した」(毎日新聞社会面)。
 産経新聞社会面は「B1など複数の種類がある。1960年に英国で10万羽以上の七面鳥が死亡した事件をきっかけに発見された。70年代にインドで100人以上が肝炎のために死亡した事件や、ケニアでの急性中毒事件などがある。加熱処理しても毒性は消えない」とあった。
 一方、朝日新聞社会面は食品衛生の専門家の話として「DNAに直接作用し、主に肝細胞がんを引き起こす。多くの国で規制値が定められている。アフラトキシンB1を生むカビは熱帯地方や亜熱帯地方に生息する。主にナッツ類に発生するが、コメにはえる事例もあり、貯蔵条件が悪いと多発する」と書いたうえで「ただ、焼酎製造の専門家は『細菌や毒素が酒に混入する可能性は低いと思う』と指摘。焼酎づくりの過程でコメを洗い、蒸し、蒸留することによって化学物質や細菌、カビが出す毒素は揮発したり、洗い流されたりするためだという」と平静な対応を呼びかける内容となっている。
 朝日新聞社会面の大トッパンも<「カビ除けば安全」>。一報段階で朝日新聞がいかに腰が引けていたか、を象徴する記事だった。
★[9月6日(土)夕刊]~三笠フーズ社長が記者会見
 三笠フーズの冬木三男社長が6日午前、大阪市内で記者会見し、事故米を食用米と偽って転売していた問題で「私が転売を指示した。すべて私の責任」と不正への関与を認めた。転用は5~6年前から始め、事故米による健康被害の危険性を認識しながらも、安価な事故米を悪用して利ざや稼ぎを続けていたことを明かした。この中で10年ほど前、経営の苦しい九州の業者を買収してから事故米の取り扱いを開始。その後、経営が苦しくなったために「九州の工場の部下から食用への転用を提案された」「1㌔十数円で仕入れた事故米を30~50円で販売した。米粉にすると、さらに15円ほど高く売れた」と話し、不正発覚を防ぐため二重帳簿や記録の偽造も「私の指示」と語った、という(読売9月6日夕刊1面)。
 問題が発覚した5日には会社側は「(製造工場の責任者だった)前九州事務所長が独断でやった」と説明していたが、一転して本社が関与した組織ぐるみの不正だったことを明らかにした(日経新聞6日夕刊1面)。
 日経新聞社会面は「三笠フーズが2004年にアフラトキシンが検出されたベトナム産うるち米(約3.3㌧)を農水省から1万円で購入していたことが6日、分かった。……事故米の平均単価は1㌧あたり約6000円で、通常の輸入米の15分の1ほど。三笠フーズが購入したうるち米は1㌧あたり3000円で、事故米の中でも安い部類に入る」と書いた。
★[9月7日(日)朝刊]~農水省の検査の甘さが明るみに出た
 朝日新聞社会面<農水省を批判/野田担当相>は6日、神戸市で記者会見した野田聖子消費者行政担当相が事故米を偽って販売していたことについて「(農水省のチェックが)甘かったと思う。(食用に)使ってはならないとくくられているものなので、細心の注意を払うべきだった」と語った、という。
 読売新聞1面<農水省 検査日程、事前連絡>は「各地の農政事務所が管轄地域の購入業者から加工計画書の提出を受け、加工作業に立ち会って点検するほか、在庫量と加工数量、販売状況などを帳簿で確認する。しかし、抜き打ち検査や販売先の調査は規定になく、検査は事前に連絡された後行われていた。農水省は『抜き打ち検査をするなど厳しくしたい』と検査方法の見直しに着手した」という内容。この規定は「内規」だという。
 また、ここで、「農水省によると事故米とは」として、毎日新聞が書いたように、国内産米も含めて事故米だ、という定義を書いていた。
 読売新聞対社面<利ざや1500万円前後>は三笠フーズについて「転用が確実だと見られる約298㌧分の取引だけで、1500万円前後の差益を得ていた可能性があることが6日、分かった」と書いていた。この記事は事故米のレベルによって価格が違っている様子など詳しく分析してある。
 日経新聞社会面<社長ら幹部のみ把握>、<事故米購入16社緊急点検へ、農水省>は見出し通りの記事。産経新聞1面<汚染米/混入1割に抑制/三笠フーズ/発覚恐れ量調整>も隠蔽工作の手口だ。対社面<三笠フーズ汚染米/不正転売は430㌧/135㌧在庫/伝票上だけ業者経由>は複雑な流通経路について、実際に米が運ばれたのではなく、伝票上だけ売り買いされた形であった可能性に触れている。
★[9月8日(月)朝刊]~昨年1月にも内部告発があったが、見過ごしていた
 毎日新聞だけが<汚染米/関西の菓子会社にも/農水省が伝票把握>と1面トップ扱いだった。他紙の1面トップは<臨時国会冒頭解散へ>(朝日新聞)、米財務省のファニーメイなど2社救済(読売、日経)、産経は新たな北朝鮮による拉致疑惑浮上、東京は<大分県教委、6人採用取り消し>。各紙バラバラの1面だったが、この日は毎日新聞の奮闘ぶりが光った。
 毎日1面の内容は「三笠フーズから仲介業者、米穀店に転売された事故米が関西地区の米華メーカーや和菓子メーカーにも渡っている可能性が高いことが農水省の調べで分かった。これまで焼酎メーカーへの販売が分かっていたが、新たに菓子への使用の恐れが強まった。一方、粉処理をしていないもち米約135㌧が米穀店などに食用として残っていたことも判明。転売量は少なくとも約433㌧に上る」という内容だった。
 毎日新聞は3面[クローズアップ]もよくまとめてあった。
 <三笠フーズ事故米転売「やめられず」/「国策」の4分の1悪用し暴利/利ざや1㌧で7万9000円/輸入義務枠 加工用に流通/見逃した農水/事前に通告 ずさん検査>の見出しで、農水省のアホのような見逃しぶりを書いていた。ただ、内容を精査すると、ほぼ、今までに出てきたもののまとめ的な記事だともいえそうだ。
 [クローズアップ]で新しかったのは輸入規制強化部分だろう。
 「国は06年5月、残留農薬規制を強化した『ポジティブリスト制度』を導入。メタミドホスの基準値は0.01ppmで、それを超えると輸入できなくなった。今回、流通したメタミドホスに汚染された米は、規制前の03年度に輸入された。同制度が導入されてからは、事故米として扱われた」とあった。
 2006年度からは残留農薬の入った米は輸入できなくなった、という内容である。ミニマム・アクセス米でもこれは適用されるののだろうか?
 毎日新聞社会面<不正告発昨年も/農水省/調査で確認できず>は昨年1月に三笠フーズの不正を告発する複数の情報が農水省に寄せらてていたことが分かった、と特ダネ。これは夕刊で読売新聞が追いかけていた。
 「同省の対応を巡っては、今年8月中旬の検査でも不正を確認できなかったことが判明している」と書いた。
 「情報提供があったのは06年11月に東京農政事務所から購入した500㌧(550万円)に関する不正。『工業用のりに加工する名目だったが、食用に流通している』という趣旨の情報が2度にわたって同事務所に寄せられたという。農水省から連絡を受けた福岡、佐賀両農政事務所は1月31日~2月5日に調査を実施したが、同社の福岡と佐賀の倉庫に、落札した汚染米が保管されていたため、担当者は『転売はされていない』と判断した。同社に対し『食用に流用すると食品衛生法に罰則規定がある』と説明しただけで引き揚げた」という内容である。
 記事は続けて「結局、同社はこの後も汚染米転売を続行。農水省は今年8月中旬にも、福岡県筑前町の同社工場を検査しているが、この時も不正を見抜くことができなかった。同社は、のり用の加工作業を装うことで発覚を逃れていた」と書いていた。
 他紙は大体が、三笠フーズが中国産米のほぼ全量を食用転売していた、という問題に集中して書いていた。
★[9月8日(月)夕刊]~商社ルートで新たに740㌧判明+焼酎メーカー5社の名前
 <商社からも汚染米/三笠フーズ740㌧購入>(読売新聞1面)が新たに明らかになった。農水省が8日、発表したらしい。読売新聞1めんによると、「新たに判明したうち約6000㌧は、ネオニコチノイド系の殺虫剤「アセタミプリド」が基準値を超えて残留していたベトナム産米で「双日」が輸入し、九州の米穀卸会社を通じて三笠フーズに売却された。約140㌧は2005年度に輸入されたタイ米にカビが発生したため、住友商事が国から買い戻し、三笠フーズに売却された。これらの一部は、福岡、鹿児島、熊本県の焼酎メーカーに販売されたとみられる」と書いた。
 読売新聞対社面<汚染米転用 告発2回>は朝刊で毎日新聞が特ダネで書いた昨年の内部告発に関する記事。<農水省、見抜けず>の見出しが効いている。
 毎日新聞1面は<事故米購入16社転売有無を点検>は16社の社名をすべて書いていた。また、<転売先5社を公表>で、この5社の名前も書いていた。東京1面<焼酎5社公表>も業者名を書いていた。
★[9月9日(火)朝刊]~ウルグアイ・ラウンドの問題少しずつ報道始まる
 この日、最も読みたかった記事は東京新聞経済面トップのワッペン[ニュースQ&Å]<事故米流通チェック体制は/事前通告で見抜けず/農水省、今後は抜き打ち検討>だった。「政府が管理する米には2種類あり、一つは備蓄米で、これは主食用の国産銘柄米をJA経済連などから毎年30万㌧前後買っている。もう一つは世界貿易機関(WTO)の合意に基づいて輸入するミニマムアクセス(最低輸入量=MA)米。商社に買い入れを委託し、タイや中国、米国などから2007年度は約70万トンを輸入した。こちらは米華や米粉などの加工用がほとんどだ」とある。
 「政府は備蓄米もMA米も数年たった古い物から順に販売している。備蓄米の入札は年に数回、MA米は毎月1回行われる。入札できるのは処理能力や資本金などの基準を満たした登録業者だけだ」
 「事故米とは保管中にカビが生えたり、輸入時に残留基準を超える農薬が検出されたりした米のことだ。食用に使えないので、合板の接着剤など工業原料用や肥料用として売られる。運搬中に袋が破れた程度の『事故』なら加工用や飼料用に回るケースもあるが、まれだ」とあった。
 「Q:農薬に汚染された米なんて買わなければいいのに」という問いに「今回食用に転売された米の中に、残留基準を超えるメタミドホスが検出された輸入米があったけど、輸入当時はその基準がなかった。一昨年の制度改正で基準ができ、改めて検査したら基準値以上だったので事故米になったんだ」とあった。
 「Q:それで事故米はどうやって売るの」の質問に対しては「米を保管している農政局、農政事務所ごとに、事故米が発生したときだけ販売するんだ。1回の販売予定価格が50万円未満なら、業者から見積書を出してもらった上で随時契約できる。50万円以上は指名競争入札となる。MA米の落札価格が1㌔当たり80~100円程度なのに対し事故米はその10分の1程度だから、ほとんど随意契約だとみていい」とあった。
 「Q:三笠フーズは積極的に事故米を買っていたが?」に対し「過去5年間で発生した事故米計約7400㌧のうち、1779㌧を買ってトップだ。北海道から沖縄まで25都道府県で事故米を買い付けており、受け取りは運送会社に頼むなどしていたらしい」とあった。
 「Q:農水省はちゃんと定められた用途に使われているか、チェックできなかったのか」の質問に対しては「加工の現場に立ち会ったり、台帳を点検したりして流用がないか、確認している。三笠フーズにもこの5年で96回出向いた。ただ、事前に通告した上での調査なので、悪質な業者ならいくらでもごまかせる。今後は検査を抜き打ちで行うなど、監視体制を見直す方針だ」とあった。
 この<Q&A方式>は今まで読み飛ばした記事をまとめて読めるし、分かりやすいので、いい企画だと思う。
 読売新聞対社面<汚染米取引85社関与/千葉・茨城・静岡の業者も>が最もショッキングな内容だ。農水省調査で8日分かった、という形式の記事だ。東日本の米穀店などにも事故米が渡っていた、とあった。東京新聞対社面<汚染米流通/13府県、86業者に拡大/三笠フーズ/商社からも743㌧購入>もほぼ、同じ内容だった。
 毎日新聞社会面は<転売数回で「精米」>と何度もロンダリングする中で、事故米が精米に化けるシステムを追及したが、記事が浅かった。
 朝日新聞は対社面<事故米売却の制度見直しへ>のベタ記事だけ。政府が保管する事故米の全量売却も視野に入れている、と。
 日経社会面<転売情報昨年に把握/農水省、事実確認できず>も毎日新聞7日朝刊社会面の特ダネの後追い。
 産経新聞対社面<農水省「監視不十分だった」>は白須敏朗農水事務次官が「確実に(事故米を工業用に)加工する業者を探せないなら(事故米の)廃棄も検討する」と述べたことを書いていた。朝日新聞が匿名で書いていた記事内容と同じなので、朝日新聞は事務次官会見で記事化したと分かる。なぜ産経新聞のように書けないのか。朝日新聞はおかしい。
★[9月9日(火)夕刊]~時間経過でメタミドホスは毒性が薄れるのか?
 毎日新聞社会面は<事故米、検査時に工程偽装/三笠フーズ/のり用粉加工に>と<「美少年酒造」にも>。
 これまであまりいいところのなかった朝日新聞は社会面トップ<有害米 焼酎ブームに冷水/怒るメーカー・販売店>焼酎業者の怒りの声を特集。<九州の菓子メーカー納入>では中国のメタミドホス入りもち米が宮崎、熊本、鹿児島3県の菓子メーカーに納入されたことを特ダネ風に書いていた。<農水省、三笠フーズに違約金請求へ>も各紙書いていた。金を取ればいい、というものではないだろうが。
 読売新聞1面<汚染米、日本酒にも混入か/熊本のメーカー、出荷自粛>で「美少年酒造」では日本酒を造っており、その原料米に混入した疑いがある、という部分を見出しにしていた。日本酒は紙パックの日本酒「美少女」(1.8㍑)などだ、という。
 日経新聞は社会面<保管続け農薬薄める?/事故米、倉庫に1年以上>で「毒物に詳しい常石敬一・神奈川大教授は『メタミドホスは日光を浴びたり、空気に触れたりすると分解される性質がある。保管状況によるが、倉庫が密封されてなければ1年から1年半で人体に無害な水準まで濃度は薄まるのではないか』と話している」と書いていた。
★[9月10日朝刊]~佐賀の会社はダミーだった:三笠フーズの様々な手口
 毎日新聞が好調だ。殺虫剤メタミドホスの汚染米をすべて受け入れていたとされる佐賀県内の仲介業者が「工業用のり加工会社」を装ったダミー会社であることが分かった、という特ダネを社会面トップで扱った。三笠フーズは「のり原料」をこの仲介業者に出荷したとする書類を作成していたが、実際はのり加工は行われておらず、仲介業者に出荷したとする書類を作成していたが、実際にはのり加工は行われておらず、仲介業者の社長は毎日新聞の取材に「頼まれてやった」と偽装協力を認めた、という内容である。事故米取引であることを偽装するためにこの業者を利用したわけだ。
 各社、三笠フーズが全従業員100人を解雇したことを報じた。社員とパートを含む約100人だ。汚染米を出荷していた九州工場(福岡県筑前町)と炊飯工場の豊中ライスセンター(大阪府豊中市)の操業も停止した、と。
 朝日新聞は社会面トップ<農水省甘すぎた調査/事故米/96回偽装帳簿疑わず>で農水省の無策ぶり、無責任ぶりを突いた。ここで、毎日新聞の特ダネの昨年1月の内部告発に触れて、立ち入り調査したものの、二重帳簿になっていて不正を見抜けなかった、と書いている。
 面白かったのは朝日新聞社会面関連記事<三笠フーズ「共存共栄だった」>である。
 「三笠フーズは農水省にとって便利な存在だった。『農水省とは共存共栄でやってきた。向こうが困った時には少量でもすすんで買ってきた。買いませんか、と営業もしてくる』。三笠フーズのある社員はそう証言する」というのだ。
 「同社は過去5年間だけでも53回にわたって事故米を買い付けた。政府の販売全量の4分の1に達する。ほかに引き取り手のない事故米60㌔を極端に安い260円や300円で仕入れることもあった」。
 この差額が三笠フーズの稼ぎになっている。従業員を解雇して、退職金を今のうちに支払うことは従業員の生活保障のために許されるのだろうが、同様の小ずるい考えで、社長ら経営者の財産隠匿を許してはならないだろう。
 「なぜ農水省は食用にならない不良品を売りたがるのか。同省の担当者は『事故米といえども国費で購入した国の財産。価値のあるものは少額でも売らなければ無駄と指摘されかねない』と説明する」
 ウルグアイ・ラウンド合意の行政的手続きがどうなっているのか? 各社、もう少し経済部記者の取材が必要だろう。ほとんど実態が出てこない中で、この記事などは貴重な証言ではあるのだが。
 「事故米は、もともと政府のウルグアイ・ラウンドによって政府が輸入を義務付けられたミニマムアクセス(MA)米だ。保管料だけで年1㌧1万円っかるが、焼却するにしても焼却費1㌧1万円に加え運搬費がかかる」
 この数字は初耳。こういう数字が必要なのだ。
 「事故米の購入業者は全国で17社。北海道や中国地方には1社もない。ある農政事務所の職員は『どう考えても業者にとって損をする入札。来てください、とお願いしても三笠フーズしか来なかったこともある』と証言する」
 そういうことなのだろう。だから、農政局職員が偽装の事情を知っていながら、目をつぶっていた可能性は十分あるのだ。農水職員は要注意だ。
 読売新聞社会面は<三笠フーズ、検査前 汚染隠し/従業員証言/毎月、別の倉庫に/「混入担当1人だけ」>。第1倉庫、第2倉庫、第3倉庫があった、と。こんな大掛かりな偽装を許しておいた農水省の責任だよ、問題にすべきだ。
 日経新聞社会面は<事故米混入「国産」と偽装/三笠フーズ/酒造会社に販売>。ひどいねえ。
 産経新聞対社面は<仕入れ3円、販売70円/「三笠フーズ」汚染米商法/巨額の利ざや稼ぐ>でカネの話。東京新聞は1面トップで<汚染米、製菓36社に流通/農水省発表/一部すでに消費か>。社会面トップは<汚染米禍首都圏にも/焼酎人気に水差す/関係業者商品/相次ぐ撤去・回収>。
★[9月10日(水)夕刊]~転売は帳簿取引だけだった可能性も
 各紙とも1面トップは自民総裁選告示、5氏出馬。史上最多、麻生氏優位になどの見出しが乱舞する派手な扱いだった。
 朝日新聞は社会面トップ<事故米「国が購入促す」/複数業者/17社は転用否定>で、農水省側が業者に事故米を買うように持ち掛けていた、という業者の証言を掲載。奈良県の工業用のり製造販売業者、山形県内のコメ油製造業者、富山県内の中国製もち米で工業用のりをつくる業者、秋田県内の運送会社、松山市の肥料製造卸会社、新潟県の工業用のり製造販売会社が出てくる。よく取材した記事。農水省の責任問題に波及することを考えた記事だ。
 読売新聞も社会面トップで<汚染米取引帳簿だけ/佐賀の仲介業者/「三笠に頼まれた」>と、業界の負の部分を取り上げた。
 一方、毎日新聞は社会面トップは<新たな「顔」誰に>とご祝儀新聞。そこまで付き合わなくてもいいのに、とも思うが、いろいろ編集方針があるのだろうから。
 それに押されたのか、汚染米報道は社会面3段で<事故米販売/契約結ぶ時間を調整/北海道農政事務所/三笠に配慮>。お得意先の三笠フーズの都合に合わせて倉庫の在庫が都合いいときに契約を結んでいた、という話。そこまで配慮していた、つまり一体だった、ということだな。日経新聞、東京新聞も社会面トップで、自民党のお祭を一緒にはしゃいでいた。
★[9月11日(木)朝刊]~愛知の2社も不正転売していたことが分かった
 毎日新聞は1面トップで<事故米/愛知2社も転売判明/二重帳簿で検査逃れ>とベタ記事<農水省調査も不正見抜けず>。社会面トップ<転売 やはり他にも/事故米/浅井「経営厳しく」/「食用」目的は否定>と関連記事の4段見出し<「通帳」問い詰め白状/農政局「信用しすぎた」>。東京新聞も1面トップと社会面トップ。
 朝日新聞は社会面トップ<事故米転用 新たに2社/愛知/食用?米穀業者に/「会社苦しく」「不正認識」>で派手にやっていたが、1面トップは自民党総裁選。
 読売新聞が1面3段で本記を入れて、社会面と対社面の見開き展開したのに比べると、自民党批判をしていた朝日新聞が実は自民党を一番大切にしていることが透けて見えるようだ。というより、事故米問題の重要性を認識していないようだなあ、一連の報道を見た限りでは。
 日経新聞は社会面トップ扱い。驚くべきは産経新聞で、対社面のベタ扱い。<愛知の2社も/事故米販売>。いくらなんでも、これはないでしょう、産経さん。
★[9月11日(木)夕刊]~アサヒ芋焼酎に汚染米混入判明
 毎日新聞1面4段<アサヒ芋焼酎に汚染米/「かのか」など/9商品を自主回収>は三笠フーズからの不正転売の汚染米が鹿児島県の西酒造の焼酎の原酒用に使った米の中に入っていた、という話。。朝日新聞は対社面2段<焼酎65万本回収/アサヒビール/「かのか」など9種>と影響の多きさを見出しにした。くっつけてあるベタ記事<事故米の転売利ざや5倍超/三重業者連絡つかず>は浅井の話だ。
 読売も1面3段<アサヒ焼酎に汚染米/「かのか」など65万本回収>で、カラー写真付き。社会面トップ<汚染米問題/焼酎撤去「またか」/コンビニ、居酒屋困惑>で庶民目線で受け記事を書いていた。
 日経新聞は1面3段で本記。社会面3段<架空取引繰り返す>は例の佐賀の業者の話の追いかけだった。東京新聞は1面3段で本記を入れただけだった。
★[9月12日(金)朝刊]~汚染米が119施設の給食に使われていた 

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2008年8月30日 (土)

世界の動物は北を向いている~毎日新聞[余録]から

 毎日新聞8月30日朝刊[余録]が面白かった。

 <ドイツとチェコの研究グループが今週、論文誌に発表したデータは不思議だ。放牧中の牛がどんな方向を向いているか。世界各地で8500頭以上を調べると、多くが南北を向いていた。チェコで野生のシカ2900頭以上について、雪に残された「寝床」の跡などを調べた結果も同じで、多くが頭を北に向けていたというのだ。詳しく調べると、地図上の南北より地磁気の南北に同調していることもわかった。渡り鳥やコウモリが地磁気を感知することは知られているが、牛やシカもそうなのか。だとすると、私たちはどうなのか。>

 動物が地磁気を感知して、頭を北に向けて寝ている、というのだ。それだけでなく、昼間起きているときも、南北の線に沿って立っている、と。不思議な現象だ。

 死者を祀る際に、北枕にする風習は、この動物の習性と関係があるのかどうか? 「地脈」などを重視する「風水」は「オカルト」「似非科学」と切って捨てられていたが、何らかの科学的根拠があるのではないか? 牛やシカは体の中のどの部分の作用で北を向くのだろうか、それとも北極星を見るなど、視覚や聴覚を使って北を知るのだろうか?

 疑問は次々に湧いてくる。このような研究は、今までの「知」のレベルを引き上げる可能性を持っているのではないか。僕たちが「常識」と思っていることは、産業革命以来の常識に過ぎず、長く見てもルネサンス以来の常識だろう。その常識を生んだ枠組みへの疑問を大切にして、疑問が解ければ、本当の意味での「近代」から「ポストモダン」へのブレイクスルーが起きるのではないか?

 こんな夢想が広がる。

 そして、[余録]の次の文章も、さすが現代の科学者は違うなあ、という驚きを感じさせるものだった。

 <論文には別の驚きもある。研究に「グーグルアース」のデータが使われたことだ。衛星などで上空から写した写真を公開しているもので、自宅の屋根を見てみた人もいるだろう。そこからこんな成果を生み出したのは、発想の勝利というべきか。>

 身の周りにあれば、すべて研究材料に転化する。これも当然の話。性能がアップしたパソコン、インターネットを利用していない研究などもはや皆無ではないか。

 <グーグルアースの先には懸念もある。最近、議論を呼んでいるのはグーグルの「ストリートビュー」だ。上空からではなく、道路から撮影した写真がネット上に公開され、自宅や車、街の様子などがリアルにわかる。どうやって写しているのか、プライバシーが侵害されているのではないか、不安に思う人がいるのは当然だろう。>

 と、余録子はプライバシー侵害に懸念を表明しているが、この「便利さと怖さ」との二律背反はどこで折り合いをつければいいのか、当面は結論が出ないのではないか。

 <人間も地磁気を感知しているのか。南北を向いてすわっている時と東西を向いている時で脳波に違いがあるという報告もある。さまざまな場所で人間のデータを集めると、手がかりが得られるかもしれない。ただし、プライバシーは要注意だ。>

 人間も動物である以上、地磁気を感知できるのだろうが、その能力がどこまで落ちているのか。チンパンジーやゴリラと人間との比較などの数値が出たら、人間研究にとって新たな飛躍材料になりそうだ。

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2008年8月25日 (月)

北京五輪をどう報じたか~各紙コラムや総括記事+毎日新聞の鹿島茂氏のコラム

◆米国五輪放送事情

 第20回夏季オリンピック大会は8月24日夜、北京で閉会式が行われ、17日間の祭典の幕を閉じた。各紙は8月25日朝刊1面から社会面まで多くの面に、北京五輪総括記事が満載だった。競技・種目別の総括とか、大上段に振りかぶった社説のような「大きな物語」的な総括も、それはそれで大切だが、ここでは、視点を替えたコラムや小さい部分、普通は見えない部分にこだわった「総括」に注目してみよう。

 毎日新聞8月25日朝刊2面[発信箱]<北京五輪 米の総決算>で北米総局の坂東賢治記者は米国ではNBCがテレビ中継を独占し、夜のゴールデンタイムの放送を「トップ・スポーツ」と位置づけた水泳、陸上、体操、バスケット、ビーチバレーボールの5競技に集中していた、と書いていた。

 <テレビ向きで、米国選手が強く、視聴率が稼げるという理由だろう。放映権獲得に1000億円近くを投じたNBCが水泳の決勝を北京時間の午前(米国時間の夜)に行うよう圧力をかけた理由もよくわかる。米国のフェルプス選手の8冠挑戦が最大の売り物だったからだ。>

 坂東記者は今まで、五輪を日本で見ていたらしく、日本のテレビ観戦とアメリカでのテレビ観戦の比較が面白い。

 <他の人気競技では放送時間優先で生中継がないのにまいった。>

 というのだ。

 <ジャマイカのウサイン・ボルト選手の世紀の快走はどれも半日待ってようやく放送された。NBC系サイトでのネット中継もなく、待ちきれない人は動画投稿サイトなどでゲリラ的に見るしかなかったらしい。>

 動画投稿サイトはアメリカでそこまで活用されているのか。これも驚きだ。

 <フェルプス選手が期待どおりの活躍をしたこともあり、96年の米アトランタ五輪以来の高い視聴率を記録。大統領選を争うオバマ、マケイン両上院議員も巨費を投じ、五輪時間帯にテレビ広告を流した。NBCはしっかり元を取ったようだ。>

 とある。大統領選目前のアメリカ・メディア事情が目に浮かぶようだ。面白かったのは、結びの文章だった。

 <金メダル獲得数では中国の後塵を拝したが、あまり騒がれてはいない。日本を含め、世界的には金メダル獲得数順で国別ランキングを決めるのが一般的だが、米メディアは金銀銅のメダル獲得総数で順番を決めている。これなら米国はまだ世界一。自国の独自基準にこだわるところは中国とどっこいどっこいだ。>

 である。へえー、金メダルにこだわらないのか。それは北京五輪に限らず、今までもそうだったのだろうか? そうだろうなあ、とは思うのだが。今回、金メダル獲得数で中国に抜かれるのが分かっていて、今回だけ急にメダル総数での計算にに変えたら、視聴者だって何か言うだろうからなあ。

 こういう文化比較は面白い。日本での放送権料話は後で読売新聞で出てくる。

◆各国メダル獲得数

 金メダルだけが五輪ではない、のだが、国別メダル獲得数も気にはなる。一応、書いておこうか。毎日新聞25日朝刊2面の表を写したものだ。

                   金      銀     銅      計

①中国               51      21    28      100

②米国               36      38    36      110

③ロシア              23      21    28       72

④英国               19      13    15       47

⑤ドイツ              16      10     15       41

⑥豪州               14      10     8       46

⑦韓国               13      10     8       31

⑧日本                9      6     10       25

⑨イタリア              8      10     10      28

⑩フランス              7      16     17      40

⑪ウクライナ             7      5      15     27

⑫オランダ              7      5       4     16

⑬ジャマイカ             6      3       2     11

⑭スペイン              5      10      3      18

⑮ケニア               5       5      4      14

 あと話題になった国では、グルジアが3,0,3の6個。北朝鮮が2,1,3の6個。インドは1,0,2の3個。台湾は0.0,4の4個くらいか。合計で金メダルは302個、銀メダルは303個、銅メダルは353個授与された。授与されたメダルの合計個数は958だった。

◆大きな真実は往々にして小さな穴からのぞき見える

 朝日新聞8月25日朝刊1面コラム[天声人語]子は開花式の「フェイク?」を、閉会式後の新聞でまつぃても、ぶり返して批判していた。相当に腹に据えかねたのかな?

 「漢民族の子が扮した56民族の代表」「CGの花火映像」「口パクの歌」をあげて、

 <わけても口パクである。ある少女から「容姿」を、別の少女からは「声」を「いいとこ取り」するやり方には、「個の人格」を軽んじる危うさが透けていないか。「国益のため」という説明を聞くにつけ、国家主義の横顔が脳裏から消えやらない。>

 「国益」「国家主義」と朝日新聞が好きそうな言葉が並ぶ。

 <開閉会式の総監督を務めた張芸謀氏は、本紙との会見で「小さなことを意図的に拡大するのはよくない」と批判に異を唱えた。だが、大きな真実は往々にして、小さな穴からこそ、のぞき見えるものだ。>

 この「大きな真実は小さな穴からのぞき見える」って誰かの名言だったのかなあ、忘れてしまったけど、何か心に残る言葉だった。

 <ともあれ五輪は成功裏に幕を閉じた。17日間にわたった「お客さん用」の化粧を落として、中国は宴のあとの日常に戻る。化粧を落とした新たな表情は、大国としての自信を深めていることだろう。その「自信」の先行きに、隣人として目を凝らしたい。>

 という結びだった。1面の藤原秀人・中国総局長総括論文の見出しも<宴の後こそ向き合う時>。朝日は「宴」が好きだなあ。2面[時時刻刻]は<「成功」五輪遠い存在>の見出しで<チベット 僧に毎日「愛国主義教育」><ウイグル 「私たちに自由などない」><北京市民 「外出控えよう」標語>と北京五輪の「負の部分」を特集していた。

◆デモ申請77件、許可はゼロ

 読売新聞8月25日朝刊2面<デモ申請77件 許可ゼロ>は北京特派員の記事。

 北京五輪期間中に北京市内3カ所の公園内に限って認めるとされていたデモ行進は24日の閉幕日を迎えても1件も実施されないままに終わる見通しとなった、と書いていた。

 北京市公安局の18日の発表では今月1日以降、外国人3人を含む149人から77件のデモ申請があったが、1件も認められないまま、すべて取り下げられた、という。国境なき記者団(本部・パリ)によると、15人の中国人申請者が拘束されたという、とあった。

 朝日2面が特集した「負の側面」なんだけど、もっと大きなテロを封じ込められた北京共産党政権はホッと胸を撫で下ろしていることだろう。

◆5000年の歴史の中の17日間の「邯鄲の夢」、意義は大きい

 日経新聞8月25日朝刊1面コラム[春秋]は中国5000年の歴史を引き合いに出しながら、北京五輪の意義を説くスタイルだった。8月26日だったかの毎日新聞コラム[余録]も同じ手法を用いていたと思った。次のは日経の文章である。

 <中国は米国、ロシアに金メダル争いで圧勝し、愛国の胸は高まるばかりだろう。胡錦濤主席がいう「アヘン戦争以来、艱難辛苦の道を歩んできた」中華民族は一つの転機を迎える。一方、閉幕とともに不満が一気に噴き出す気配もある。これが現実だ。ギョーザ事件も少数民族の人権問題もすべて棚上げにしてきた。>

 <開会式で「朋あり遠方より来る……」と孔子の言葉で迎えた。その後、遠方の仲間は偽装五輪などと酷評した。論語はこのあとこう続く。「人知らずして慍(いか)らず、亦た君子ならず乎」(人から認められなくても腹を立てない、それこそ君子ではないか)と。中国が大人の国であれば早く変化の兆しを見せてほしい。>

 <冷厳な国際政治の現実はあるが、若いボランティアの多くは柔軟でしなやかだったと現地記者は伝える。神秘で異質な国も徐々に世界に扉を開いていくことだろう。中国5000年の歴史の中で17日間のこのスポーツの熱狂は「邯鄲の夢」のごときものだが、世界も中国も五輪によって互いを肌で知った意義は大きい。>

 悠久の歴史を世界に訴える中国に負けないように、孔子の言葉などを引いて、大きく構えたコラムだが、言わんとするところは良く分かる気がする。

◆中国メディアの五輪総括ぶりと日本の民放のうるさい中継ぶり

 朝日新聞8月25日夕刊1面は<五輪総括 自賛と自戒/中国メディア/当局の指導徹底>の見出しで北京特派員電がトップ記事。中国の新聞などが五輪をど総括したか、を見てみようという趣向である。

 <北京五輪の閉会式から一夜明けた25日の中国各紙は一斉に「過去に例をみない五輪」と成功を祝った。一方で、最多となった金メダル数については「冷静かつ理知的に見つめる必要がある」と呼びかける記事が目立つ。「肯定的かつ民族精神を高揚させる記事を書きながらも、過度にあおらないように」という五輪直前に中国当局から出された通達が色濃く反映されている。>

 <「五輪を通じて中国は世界と未曽有の親密な関係となり、新しい時代に突入した」――人民日報は1面に閉会式で手を振る胡錦濤国家主席の大きな2枚の写真を掲載し、共産党がもたらした成功であることをアピール。>

 <だが、世界中で話題になった開会式での少女の「口パク問題」など過剰演出や、会場周辺で取材中の外国人記者が相次いで拘束されたことは触れられていない。>

 <こうした報道の背景には、8月上旬、五輪批判を禁じてプラス面を強調するよう中国共産党中央宣伝部が各社幹部に指示した通達がある。…通達は「メダル数に固執したり予測したりする報道をするな」とも指示。世論形成に強い影響を持つネット上で獲得メダル数に関心が集まり、ナショナリズムが暴発することを恐れたためとみられる。>

 という内容である。謙虚に、謙虚に、と思いながら、紙面の端々から嬉しさがはみ出してくるような新聞だったのだろうなあ。

 朝日1面は<欧米は人権指摘>のベタ記事もつけており、米CNNの「言論の自由や政治的な抗議に対するスタンスに問題が残る」、英紙フィナンシャル・タイムズの中国当局がインターネットへの接続を制限したこと、デモを許可しなかったことを批判したことを取り上げた。

 しかし、この日の朝日新聞夕刊は、この1面記事よりも対社面の<識者の声>のほうが本音が見えて、面白かった。

 コラムニストの天野祐吉さんは

 <民放スタジオの狂想曲はひどかった。見ていれば分かることをいちいち言う。勝つと『ギャー』、負けると涙。競技の間は選手の汗と涙のビデオ>

 と、まずは民放批判をしている。民放アナウンサーの声、確かにうるさかったよなあ。

 また、天野さんは中国の人権問題について、

 <反対意見も分かるが、やらなかったら見えてこなかったことがたくさんある。テレビやウェブのおかげで、もう国威の発揚の道具にはならない。情報が流れるから問題をオープンにせざるを得なくなる。オリンピックもそういう時代になった>

 と話していた。この見解には賛成だがすぐに結論を出さず、じっくりと考える必要があると思う。

 中国社会に詳しい早稲田大学の園田茂人教授(比較社会学)は、

 <2億人強がネットで五輪を見た。ブログが炎上することもあるし、ネットでの世論調査もある。閉鎖されないよう、駆け引きしながら本音を出す。市民の成熟によって、世論形成のあり方も変わっていくだろう>

 と、五輪が中国社会を変える可能性あり、という前向きな捉え方。これが事実となればいい、と思うのだが。

◆日本の北京放送権料は198億円。バンクーバー冬季+ロンドン夏季五=325億円也

 読売新聞8月26日朝刊解説面<北京五輪のTV中継>で鈴木嘉一編集委員はテレビ中継で8日の開会式(37.3%)、日本が米国を破った21日のソフトボール決勝(30.6%)など、平均視聴率が20%を超えたのが15本(ビデオリサーチ調べ)だったとして、時差もあったが、前回のアテネ五輪は日本人選手が大活躍したのに、20%超えは7本だけだった。それに比べて、北京五輪の視聴率はすごい、という論調。NHKと民放で流した全番組の平均視聴率(10.7%)でもアテネを0.5ポイント上回った、という。

 NHKと民放が共同で取得した今大会の放送権料は1億8000万㌦(198億円)だった。

 その多くを負担するNHKはほとんど”五輪一色”に染まり、総合テレビ、衛星第一、衛星ハイビジョン、ラジオ第一に加え、時には教育テレビでも中継し、放送時間の合計は800時間に迫ったという。

 どうりで、いつどこのチャンネルを回しても五輪をやっていたわけだ。

 計173時間の放送を予定した民放は2局が同時間帯で別の競技・種目を中継する「2波出し」が前回の6回から10回に増えた、という。民放関係者は「営業的には競合を避けたいが、『生』を重視したから」と言っている、という。

 鈴木賢一・NHKスポーツ業務監理室長は「NHKと民放が五輪で生中継できる衛星回線は四つあり、今回はほぼフル稼働した。地上波と衛星放送の四つのチャンネルで、違う競技・種目をかなり生中継できた」と総括した。鈴木編集委員は「NHKと民放が視聴者の選択肢を広げた姿勢を歓迎したい」と評価した。

 2011年7月にはアナログ放送を終了し、完全移行する計画の地上デジタル放送にとっては2度目の夏季五輪だそうだが、この夏、デジタル対応の受信機は良く売れたそうだ。NHKは7月末でBSデジタル放送の普及が4000万件を突破し、地上デジタル放送は3757万件と推計しているそうだ。

 今大会は、全競技の国際映像が初めてハイビジョンで制作された。2006年から始まった携帯電話向けの地上デジタル放送「ワンセグ」のデータ放送で、五輪情報を提供した局もあるという。

 また、今大会では初めて五輪の映像がインターネットで国内に限り配信された。民放各局は共同の五輪動画サイトを開設し、5分以内に編集した競技・種目のハイライトを400本近く流した、という。人気種目に限らず、放送されにくいカヌーやセーリングなどの競技も取り上げたという。アクセス数は公表していないが、サイトではベスト5が1時間ごとに更新されたそうだ。

 NHKもホームページでニュース映像を配信し、動画へのアクセス数は110万を超え、「技術的には生中継も可能。今回は次の五輪をにらんで試験的に実施した」という。

 HNKと民放はすでに、10年のバンクーバー冬季五輪と12年のロンドン夏季五輪の放送権を325億円で一括契約、地上波テレビ・ラジオ、衛星放送、ネットの権利が含まれている、という。

 坂東記者のリポートにあったアメリカだけじゃあないんだ。足元の日本でも「五輪狂想曲」にならざるを得ない経営要請があったのだ、とシビアに資本主義の論理が分かる解説記事だった。

◆オリンピック選手の顔が幼く見えてしまったワケ~鹿島茂氏の分析

 面白かったのが毎日新聞8月27日朝刊文化面連載[引用句辞典 不朽版]<北京の「子供顔」>の鹿島茂氏の文章。

 見出しは<「自我パイ一人食い」という団塊世代の迷惑遺産>と、何やら見出しを見ただけでもそそられる。

 <「大塚 君(東浩紀)がよくいう小さな遊び場で、大人にならなくてもいいからっていうのは、それこそぼくたちの時代にもあったメッセージだよね。浅田彰の『逃走論』がある意味ではそうだったし、中森明夫たちが言っていることもそうだった。もっと言っちゃえば、それは団塊世代の思想だった。(中略)団塊世代も大人になりたくない大人たちだったから」(大塚英志+東浩紀の対談『リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか』講談社現代新書)>

 なるほど、これをまず引用してきたか。鹿島先生、さすがにいいところに目を付けておられる。

 <北京オリンピック・女子ソフトボールのテレビ中継で400球を投げぬいた上野投手の力投を見ながら、団塊世代以上の人は、昭和33年・日本シリーズの西鉄ライオンズ・稲尾、あるいは翌年の日本シリーズの南海ホークス・杉浦を想起したのではないだろうか?
 そうそう、昔の日本人には、たしかにこうした肉体の限界を越える超人的な「大人」がいたものだ。上野の顔は久しぶりに「鉄腕」という言葉を思い起こさせてくれた「大人顔」であった。>

 <半面、テレビ画面に映る日本人選手の顔が、種目・男女を問わず、ひどく幼く見えてしまったというのもまた事実である。これは私一人の思いすごしだろうか?>

 と、この問いが、北京五輪と今、最高に旬な本である「リアルのゆくえ」を結びつける結節点なのである。

 <どうも、そうとは思えない。欧米や中国の選手と比べて、日本人選手が例外的に若いというわけではないのに、日本人選手だけが特別に幼く、子供のように頼りなく見える。ごくわずかな例外を除いて、男も女もみんな「子供顔」なのである。>

 <かつて、マッカーサー元帥は離日後のアメリカ上院で、民主主義の成熟度に関して(ただし、好意的な意図のもとに)「アングロサクソン民族が45歳の大人だとすれば、日本人は12歳の子供だ」と発言して物議をかもしたが、この元帥の言葉を、ごく単純に肉体的、精神的成熟度と捉えた場合、それはそのまま21世紀の日本人に当てはまってしまうのではなかろうか?>

 なるほど、フンフン、それで…。

 <なぜなのだろう? なにゆえに、また、いつごろから、日本人は肉体的にも精神的にも大人になることを拒否して、子供のままであり続ける道を選んだのだろう?>

 名調子である。

 <思うに、原因は二つある。>

 そうか、二つか。

 <一つは、日本における高度資本主義の異常な発達。なぜ、高度資本主義が「日本人総子供化」の要因かといえば、それはマーケットの大半が子供(大人になりきれない大人)であれば、それだけ儲かるという原理が働いているからだ。>

 <商品に対する判断力をもった大人が消費者では、新しくて便利な商品の宣伝をしても、簡単には買ってもらえないが、消費者が子供なら、いくらでも宣伝に乗せることはできる。世の中に子供が増えれば増えるだけ、高度資本主義は儲かるような仕組みになっているのである。>

 売りつける対象とは確かに判断能力のない「子供」のままフリーズドライしておけば、物を売りやすいだろう。流行させれば買うのだから。

 <もう一つは、成熟に伴う責任を回避したいと願う人間がある時期を境に急激に増えてきたこと。その時期とは、これは自ら体験したことなのではっきりといえるが、団塊の世代の登場からである。>

 さあ、「団塊」責任論である。居住まいを正して読もうじゃないか。

 <思い出していただきたい。大学生になってもマンガを読む。背広のかわりにジーンズとTシャツを着る。結婚を回避して同棲を選ぶ。サラリーマンとなるよりも民芸品店(あるいはモダンジャズ喫茶)の主となる、等々、記録に残されている団塊世代の特徴は、いずれも成熟拒否のピーターパンたちの発したメッセージだったのだ。>

 ピーターパン症候群かぁ、懐かしい言葉がたくさん出てきます。

 <それは、自我というパイを家族、共同体と分かちあうことを前提とする日本人的な、いいかえれば大人的な生き方を、団塊世代がなによりも鬱陶しいと感じ、自我パイは全部一人で食べたいと思ったからにほかならない。>

 <もちろん、自我パイの一人食い(これは当時、「感性の無限の解放」などと呼ばれた)は共産主義ユートピアと同じくらいに不可能な絵空事なのだが、しかし、それは幻想であるだけに、後続世代に強い影響力を及ぼした。>

 <共産主義の幻はあとかたもなく消え去ったが、「自我パイ一人食い」幻想の方は消えるどころかますます強固なものとなり、その結果、気がついてみると、日本人は全員、自我パイは一人食いしていいと信じる「子供」と化していたのである。>

 随分とひねくれた文明論だな、これは。「自我パイ」の配分論って誰の論理なんだっけ?

 <オリンピック選手の子供顔を責めるのは酷である。彼らを子供顔にしたのは戦後の日本社会そのものなのだから。>

 と、まあ、”鹿島節”全開です。好きなテーマなので、読みながら、ついつい全文を引き写してしまいました。

 異論反論もあるし、「子供顔のせいだけじゃあないだろう」、と突っ込みを入れたくもなるが、こうした、ちょっとひねくれた分析というか、見方は、みんなが一点集中、蛸壺に入ろうとしている時には強烈な爆弾となって、理性を呼び戻してくれるきっかけになるかもしれない。

 このタイミングで東、大塚の対談本と北京五輪を結びつけた牽強付会さ。鹿島さんの精神力というか、体力はすごいと思う。こうした”斜め斬り”論文を新聞社の編集委員とか遊軍記者にももっともっと書いてほしかった。もっと読みたかった。野球選手、男子体操、柔道…みんな幼かったんだもん。ひ弱だったんだもん…。カッカしている時こそ、こうしたシラケさす論文が必要なのです。

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2008年8月23日 (土)

ひまつぶし…数字ナゾナゾ~何年か後に役に立つ(かもしれない)ミニ知識

◆16.8%増で1位
 日経新聞8月21日夕刊1面トップ<対中輸出額、対米上回る/戦後初/全体の黒字86%減/貿易統計7月>は財務省が21日発表した7月の貿易統計速報(通関ベース)で中国向けの輸出額が前年同期比16.8%増の1兆2864億円、米国向けの輸出額は11.5%減の1兆2763億円となり、中国向けが米国向けを戦後初めて上回った、中国が日本にとって最大の輸出相手国となった、という内容。
 香港・マカオも含めた中国圏向け輸出量は2007年5月から米国向けを上回っているが、今回は香港・マカオを除く中国向け輸出量で初めて中国向けが米国向けを超えた。中国向けは38カ月連続で増え、米国向けは11カ月連続で減った。米国向け輸出額が2桁減となったのは2カ月連続。円高による輸出価格下落が響いたが、輸出数量も3.4%減った、いう。
◆147.27㌦
 同じ日経新聞8月21日夕刊1面連載企画[記録に揺れる世界経済]㊤<原油や穀物 最高値/新興国の「食欲」旺盛>では北京五輪ならぬ経済分野での記録ラッシュぶりをまとめていた。
◇1バレル=147.27㌦ ニューヨーク原油先物市場のWTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)が7月前半に一時、史上最高値を更新した。原油価格が上昇トレンドをたどり始めた2003年から5年で5倍近く高騰した。
◇1ブッシェル=16.63㌦(大豆)国際指標となるシカゴ商品取引所で7月。トウモロコシは1ブッシェル=7.65㌦(6月)、小麦は1ブッシェル=13.345㌦(2月末)と相次いで最高値。中国やインドなど新興国の経済成長に伴う急激な需要拡大が背景にある。2008~2009穀物年度の小麦の世界需要は6億5000万㌧と過去4年間で7%増加。トウモロコシは8億㌧で同16%増を記録、大豆は2億3800万㌧で16%増だという。
◇1万1793(バルチック海運指数、5月に過去最高を記録)。鉄鉱石や石炭などを運ぶばら積み船の運賃のことだ。新興国の旺盛な「食欲」が資源の活発な荷動きを呼び込んだ、と分析していた。
◇1トロイオンス=1014.6㌦(ニューヨーク市場での金価格、3月に最高値)
◇1㌧=8940㌦(ロンドン市場での銅価格、7月に最高値)
 記事には資源、食料の高騰は世界中にインフレ懸念を引き起こし、特に発展途上国への影響が深刻であること、インド、インドネシア、フィリピンなどでは5、6月にガソリン価格引き上げへの抗議デモが頻発し、アフリカの一部やカリブ海のハイチなどでは食料高騰をめぐる暴動が起きている、とこれまでの経過をコンパクトにまとめてあった。
◆30円
 日経新聞8月22日夕刊1面企画[記録に揺れる世界経済]㊥は<30年ぶり物価高の波/食品軒並み、家計に影>だ。
 価格が安定していて「物価の優等生」といわれたブランド卵の価格が8月から1パックあたり30円程度上がった。「ブランド卵の値上げは初めて。トウモロコシを代表とする飼料価格の高騰などで「今は作れば作るほど赤字になるはず」(都内の鶏卵流通業者)。生産者の悲鳴があがった。」とあった。
 ▽モスフードバーガーは3月28日、モスバーガーを18年ぶりに7%値上げ▽明治乳業は4月1日、牛乳を30年ぶり4%値上げ▽ヒゲタ醤油は4月1日、しょうゆを18年ぶり12%値上げ▽オリジン東秀は4月28日、量り売り総菜を初めて13%アップ▽マルハニチロ食品は7月1日、ソーセージを15年ぶりに実質で12%上げ▽ハウス食品は8月18日、ククレカレーを18年ぶりに実質で5%上げ▽ポッカコーポレーションは10月1日、焼酎用レモンを初めて10%上げる予定――という一覧表が付いていた。
 CPIは6月、生鮮食品を除くベースで前年同月比1・9%アップ。伸び率は消費税率引き上げの時期を除くと15年6カ月ぶりの高さだ、と。ただ、記者は<景気の後退観測が出るなかでの値上げは、モノやサービスの価値を見直す機会。石油危機に始まり、プラザ合意に伴う円高、バブル後の不況。「かつてない」局面を乗り越える知恵が、成長の原動力となってきた。>と結んでいる。「頑張れ、日本企業!」か。
◆16.9%下落
 日経新聞8月23日夕刊1面企画[記録に揺れる世界経済]㊦<米指標不況期並み/住宅下落、景気に重し>で、スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が公表するケース・シラー住宅価格指数である。5月の米主要10都市の住宅価格の下落率が前年同期比16.9%と過去最大。前年比での値下がりは2007年1月以来17カ月連続だった。
 住宅価格の低迷の長期化は1990年8月~1992年2月の19カ月、1992年6月~1994年3月の22カ月以来、十数年ぶりで、米国民の脳裏からは住宅下落の記憶は薄れていたので、「米国の住宅価格は下がらない」という神話が信じられていた。しかし、当時の年間の最大値下がり率は1991年4月の6.3%だったから、今回の調整の大きさがはっきりする、という。
 住宅を担保に買い物をする人が多い米国では、住宅価格の下落が個人の生活を直撃。米家計部門が所有する住宅資産は約20兆㌦(約2200兆円)に上るので、2割その価値が下がれば、4兆㌦の”経済損失”になる、という。
 その他の米国での「記録」は次の通り。▽7月の住宅着工が17年ぶり低水準▽5月の消費者信頼感指数が16年ぶり低水準(コンファレンスボード調べ)▽6月の新車販売が15年ぶり低水準▽5月の米国可処分所得が減税効果で33年ぶり高い伸び▽GM株価が54年ぶり安値▽米、40年ぶりの「戦時政権交代」へ――という横組み表が付いていた。
◆10000時間
 日経新聞8月21日夕刊コラム[あすへの話題]で分子生物学者・福岡伸一さんが<10000時間>というタイトルで興味深い「時間」の話を書いていた。
 世界的コンクールで優勝するピアニスト、囲碁や将棋の名人たち、トップアスリートたちの多くは幼少時を起点として少なくとも10000時間、例外なくそのことだけに集中し、専心し、たゆま努力をしている、という調査結果がある、というお話である。10000時間というのは1日3時間練習したりレッスンを受けると1年に1000時間、それを10年にわたって休まず継続することだ、と。<その上に初めてプロフェッショナルが成り立つ。>というのだ。分子生物学者らしく、
 <DNAの中には、ピアニストの遺伝子も将棋の遺伝子も存在してはいない。DNAには、人を生かすための仕組みが書かれてはいるが、いかに活かすかについては一切記載はない。プロの子弟はしばしば同じ道を進むことが多く、それは一見、遺伝のように見える。けれどもおそらくそうではない。親はDNAではなく環境を与えているのだ。やはり氏より育ち。DNA研究者の偽らざる感慨である。>
 という結びには「なるほど」と思う。お茶の師匠の娘がお茶の師匠になり、歌舞伎の名門の子弟が歌舞伎上手になるのは、DNAではなく、親の居住まいを常に見ているからなのだろう。10000時間。3時間で10年間。5歳で始めると15歳で世界一流になれる、ということか。世のお母さん方の英才教育熱がもっと上がるかもしれないなあ。
◆400倍
 朝日新聞8月22日夕刊コラム[窓 論説委員室から]で辻篤子さんが<偶然の贈りもの>として「月より400倍大きい太陽が、ちょうど400倍遠くにある。月が太陽を完全に隠す皆既日食が見られるのは、この配置のおかげだ。」と書いていた。「自然が、私たち地球人に『黒い太陽』を見せる粋なはからいをしてくれたのか。中国西域のゴビ砂漠まではるばる出かけて見た今月1日の皆既日食が脳裏に浮かんだ。真珠色のコロナと、プロミネンスと呼ばれる紅色の炎に縁取られた黒い太陽は、同行した日食観測歴20回近いベテランもうなる美しさだった。」と。そして、衝撃的な話を教えてくれる。
 <もっとも、この幸運も永遠には続かない。月は毎年3㌢ほど、地球から遠ざかっているからだ。いずれ皆既日食は見られなくなる。せめてそれまでは、自然の贈りものを、たっぷり楽しみたい。>と。来年7月22日にはトカラ列島など南の島々で見られ、その後もほぼ3年に2回、地球のどこかで起きる、という。関東地方で見られるのは2035年だ、というのだが、後期高齢者になっていても元気であり、なおかつ、その日が晴れていれば長旅をしなくとも幸運に巡り合えそうだ。
◆1.5度
 読売新聞8月22日夕刊対社面<115年ぶり最低気温更新/稚内1.5%/8月>は北海道で22日、上空に冷たい空気が流れ込み、道北地方を中心に冷え込み、最低気温が稚内市沼川で1.5度を記録。日本気象協会北海道支社によると、1893年に帯広で観測した2.1度を下回り、道内の観測地点の8月の最低気温としては115年ぶりに記録を更新した、とあった。10月上旬から下旬並みの寒さ、だと。なお、東京・大手町の最低気温は平年を3.6度下回る20.5度と9月中旬並みの涼しさだったという。日本列島がいかに縦に長いか、こういうニュースを読むたびに想起させられる。
◆18億人
 毎日新聞8月3日朝刊1面[余録]に生命と水の切っても切れない関係、として次の数字が載っていた。
 <地球は太陽系の八つの惑星の中で唯一、大量の水をたたえている。その総量は約14億立方㍍に上る。地表の7割を海が占め、私たちの体も6~7割が水分でできているといわれる。まさに、生命をはぐくんできた「水の惑星」だ。>
 <生活に欠かせない淡水は全水量の2.5%に過ぎず、世界の人口がこのまま増加すると深刻な水不足に陥る恐れがある。人口が多いのに水が少ない地域もある。気候変動の影響も見逃せない。2025年には18億人が「絶対的水不足」にさらされるとの指摘もある>
 怖い話だ。日本は水がたくさんあるから、大丈夫と思っていても、どうもそうではないらしい。今、野菜や肉や原料の中に入っている水を日本は相当量輸入している。この輸入量を計算すると、結構怖くなるらしい。
◆1億1000万人
 日経新聞7月31日朝刊コラム[大機小機]は(三角)さん執筆。見出しは<人口政策不在の亡国>、見出しを見ただけで怖いのだが、内容もすごい。経済同友会元代表幹事の小林陽太郎氏が「世界の視界からニホンが消えていく。こうやって生きていくというメッセージがないから世界の人々の目に日本の姿が結実しない」と嘆いたそうだ。(三角)氏は「姿を描けぬ最大の理由は人口政策の不在だ」と断じる。そして、日本経団連会長を務め、小泉構造改革を支えたトヨタ自動車相談役の奥田碩氏の「今の人口をベースに、将来必要になってくる人口、年齢構成がどうあるべきかといった政策が日本にはない。このままでは本当に日本は沈む。日本人だけでやっていけるなど、全くもって精神主義的な話だ」という話を紹介。「実際、衆参両院のねじれで政治が機能不全に陥ったこの1年、人口・移民政策が議論されることはほとんどなかった」と書いている。
 そこで出てくるのがタイトルの数字だ。
 <インド15億9000万人、中国13億9000万人、米国4億人、ナイジェリア2億6000万人、ブラジル2億5000万人。国連の2050年人口推計だ。日本は現在より1600万人減って1億1000万人。50年にはトルコやイランも日本と肩を並べるまで人口を増やすと、この推計はみる。>
 というくだりだ。「人口は経済力の基本。米国は様々な社会問題を抱えながらも移民純増政策を続け、今も人口を毎年300万人程度増やしている。2年前の夏、シンガポール首相府でリー・シェンロン首相に会ったとき、『シンガポールでは毎年、3万から4万人の外国人が永住権を取得し、1万人が新たに市民権を得ている。移民政策は国家発展の土台だ』と熱っぽく話していた。」というエピソードを紹介。
 <シンガポールの人口はわずか440万人。未熟練外国人労働者に厳しい管理政策を取りつつも、所得や能力で一定条件を満たせば積極的に永住権や市民権を与えている。日本とシンガポールでは国情も経済規模も違うという声が聞こえてきそうだが、国際通貨基金(IMF)によると07年の1人当たり国内総生産(GDP)で日本はシンガポールに抜かれた。国民一人ひとりからみて、アジアで最も豊かな国は日本ではなくシンガポール。それが現実だ。>
 <人口政策は数だけでなはない。年齢や職種別の構成をどうするか。移民を増やすなら犯罪防止や教育など幅広い社会制度の変更もついてくる。だが人口政策が定まらなければ将来を見据えた社会保障や成長戦略の絵も描けない。1億人の老大国を覚悟するか回避するか。ここでの選択が日本の将来を左右する。>
 実は反論した部分がたくさんあるのだが、まあ、人口政策が大切であることは間違いない。ただ、そこに至る論議の過程で米国やシンガポールにはない「戦争後遺症」をどうクリアするか、が実は非常に大事な問題ではないか、と思うのだ。
◆781人
 移民政策といえば、1908年6月18日、笠戸丸が781人の移民を乗せてブラジル・サントス港に入港した。今年は日本からブラジルへの移民100年に当たり、この日、ブラジルで盛大な催しがあったそうだ。
 日経新聞7月26日夕刊1面コラム[あすへの話題]でエッセイストのゆたかはじめ氏が<大海原を越えて>のタイトルで書いていた。
 781人中325人は沖縄からの移民だった。沖縄本島中部の金武町には沖縄移民の父といわれる当山久三(といやま・きゅうぞう)氏の銅像が建っているそうだ。笠戸丸より早く1899年に初めて沖縄からハワイに移民を送り出し、移民先はその後、南米各地に及び、戦後アメリカ時代もずっと続いた、と。ハワイでの沖縄出身者の活躍は想像をはるかに超えるものがあった、と書いている。
 沖縄には貧しさゆえの要請など、経済的な要素も否定できないものの、海洋民族の血が騒いで、見知らぬ土地に勇躍挑む潔さがあったのだろう。
 これは日本人が移民に出た100年前の話。今論議すべし、と言っているのは外国人を日本に移民としていかに受け入れるか、の話。大きく時代が変わっているのである。

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2008年8月21日 (木)

大澤真幸、大澤信亮、東浩紀座談会<秋葉原事件と時代の感性>~毎日新聞夕刊から

 秋葉原の17人殺傷事件から2カ月、という節目で毎日新聞は8月20、21両日夕刊文化面に大澤真幸、大澤信亮、東浩紀3氏の座談会を連載した。秋葉原事件についてはいずれ、今までためておいた新聞の切り抜きなどを見直して「まとめ」を書こうと思っていたが、これもそれなりに力が入った連載だったので、あくまでこの記事に限定してコメントを付けた。連載の主な内容とコメントを記しておく。
◆3氏の略歴(紙面によると)
 大澤真幸氏 1958年生まれ。東大大学院博士課程修了。「ナショナリズムの由来」で毎日出版文化賞。今春「<自由>の条件」「不可能性の時代」「逆説の民主主義」を立て続けに刊行。
 大澤信亮氏 1976年生まれ。慶応大学大学院修士課程修了。若年層労働問題の雑誌「フリーターズフリー」「ロスジェネ」編集委員。「宮沢賢治の暴力」で新潮新人賞。
 東浩紀氏 1971年生まれ。東大大学院博士課程修了。東工大特任教授。批評誌「思想地図」編集委員。「存在論的、郵便的」でサントリー学芸賞。ほかに「ゲーム的リアリズムの誕生」など。
 生まれ年には注目しておこう。こうした社会問題では大澤真幸氏が座談会で言っているように、世代的差異が色濃く出るからだ。「ビートルズ世代」「東京オリンピック世代」など。ただ、大澤真幸氏は団塊の世代を「連合赤軍」世代であるかのように言うが、昔はこのような犯罪で世代を分けていなかったと思う。大型犯罪を時代の象徴として考えること自体、新しい傾向だ、ということも踏まえておきたい。
◆2日間の紙面の見出しを人物別に分類すると……
 見出しは、
 真幸氏<メディア上の議論少ない 「無名性」こそが苦しみ 共感だけで連帯できない>
 信亮氏<「誰でもいい」が共感呼ぶ 自己啓発で解決しない 既存システム根本の問題>
 東氏<労働運動の言葉届くか あきらめて主体は安定 愛の損失コストを下げよ>である。
 2カ月という時間の経過を咀嚼した議論ができたのかどうか。この内容ならば「事件後1カ月」時点でも話せたのではないか。2カ月という時間の経過は、もう少し世界状況まで含めて幅広く、なおかつ歴史的に奥深い議論を生むことができたのではないか、とも思うのだが、大事件を現代史に意味づけることが得意な3氏の議論を読みながら、その言葉を拾ってみよう。
◆メディア論・事件の位置付け論
 大澤真幸氏は秋葉原事件についてのマスメディア上での議論が比較的少なかった、90年代のオウム事件や酒鬼薔薇事件では、事件の不可解さからメディアはなぜ事件が起きたか、一所懸命考えたが、2000年前後から犯罪者への関心が急速に下がって「変な人はいる。それよりセキュリティーだ」となった。一方、ネットではものすごい議論がある、と言う。最後の締めとして、「一つの事件が事件以上のものになることがある。僕にとってはオウム事件がそういう意味を持ったし、団塊世代ならば連合赤軍だ。この事件は確実にある人々にとって出来事以上の出来事になると思う」と。
 東氏は「マスコミの言論が社会的包摂の機能を失っているのではないか。事件の意味を見出し、それに社会全体が共感して『異常者』を包摂する構図が信頼されなくなってきた」と分析する。また、「マスメディアの若者像は90年代半ば、援交少女の時代から凍結されている気がする。社会的に事件を包摂できない背景には、そういうマスコミの事情もあると思う。就職氷河期などで世代交代が進まなかった時期にネットが普及したから、ネットと従来のメディアとの関係が、世代間格差に重ね合わされている」と興味深い見方を披露。「今回の事件はタイミング的にもフリーター問題やロスジェネ論壇の盛り上がりと一致していた。象徴的な事件になるよう運命付けられていたと思う」と全体の議論を締めくくっている。
 信亮氏は「分かりやすい原因探しだけでなく、『原因を貧困に求めるな』とか『彼はオタクではなかった』とかの一見『冷静』な判断も一種の思考停止に見えてしまう。必要なのは語る側の内省だ」と話す。
◆「誰でもいい」と匿名性と非正規雇用労働者の労働運動
 東氏は「最近、通り魔事件のキーワードは『誰でもよかった』だが、精神科医の斎藤環氏がいうように被害者だけでなく加害者も誰でもよかったのではないか。『敵は貧困を生み出した経団連なりであるはずが、間違えて秋葉原に行った』という話ではない(この説は雨宮かりんがどこかに書いていた説)。むしろ匿名の誰でもいい加害者が匿名の誰でもいい被害者を殺すことでしか今の怒りは表現できない。その匿名性、あるいは無名性がネットで共感された」と。
 信亮氏は「『反貧困』の湯浅誠氏が言う五重の排除(教育、企業、家族、公的福祉、自分自身)でがんじがらめにとらわれている。その解除を目指すプレカリアート運動(フリーターや派遣など若年層の労働運動)の訴えが最も届けるべき典型的当事者である加藤容疑者に届かなかったことは深刻だ。『自分は被害者』『誰かのせいにしたい』ではない、一方で被害者であり同時に他方で加害者であるという二重性こそが当事者性だと思う」と。
 真幸氏は「ちょうど40年前の永山則夫事件と比較すると、まともな教育を受けられず4人を連続射殺し、獄中で勉強して『貧困による無知が自分の事件を生んだ』との結論に至った。恩師の見田宗介氏は『~からの疎外』の前提に『~への疎外』があると提唱した。

 永山には『~への疎外』があったが、加藤容疑者はそれからも疎外されていたのだろう。『~への疎外』があればまだまし。貧困は『富からの疎外』だが、豊かになりたいという気持ちは『富への疎外』であり、加藤容疑者にはそれがなかった。『~への疎外』の中にいれば、資本家を狙ってテロをする構図になるが、加藤容疑者にはそれすら成り立たない。彼の事件はテロとして失敗しているという意味でテロになっている」と。

 またまた難しそうな言葉を使っているので、頭の悪い私にはすぐには理解できないのだが、つづめて言えばこういうことか。

 永山は勉強してみたら、自分の無知さ加減を知り、事件についても客観的に認識できたが、加藤容疑者は勉強したのに、頭の中がグチャグチャになっていて、訳がわからなくなっていた、と。違うかな?

 東氏は「今の若者は地縁、血縁を意識しないから『自分が選べないもの』をあきらめて受容するという経験が少ない。ペンキ屋さんの息子がペンキ屋を継ぐしかなかったからペンキ屋になったのと違う。ネオリベラリズムによって社会の流動性が高まった結果だ。今の競争社会はギャンブル社会。スタートは同じだが、後はガラガラガシャーンで何人か抜けて残りが負け組みになる。こういう社会では無名性、匿名性の感覚が強くなるから、今回のような事件が共感される」と言う。
◆ではどうする?
 東氏が「僕は肯定しないけれど、無意識のうちに『対策』は生まれている。たとえば自分探しや自己啓発セミナーは『無名のあなた』に『本当の自分』を発見させる術だと言える」と2人から批判されることになる『自分探し』礼賛論をぶって「彼らに欠けているのは自分の人生を自分で引き受けること。自分が選択できないものを選択して、人間は主体を構成する。普通は地縁や血縁。本当はこの場所でこの時代にこの親に生まれたくなかった。でも、それを仕方ないと、いわばあきらめて主体は安定する。あきらめずには大人になれないのに、現代社会ではそのあきらめの回路がうまく働いていない」と主張する。
 そして、赤木智弘氏「『丸山真男』をひっぱたきたい」を、あれは「自分が正社員になれなかったのが耐えられないから世界をリセットしたい」という願望だ、として「正社員になれなかったのは運が悪かっただけかもしれない。不条理は修正する必要はあるが、他方で絶対にある程度の不条理が残るのも確か。その部分は世界の決定事項として引き受けるしかない」との重大発言をする。
 つまり、「お前ら、諦めろよ」と言っている。未練がましく、誰が悪い、彼が悪い、俺はもっとできるはずだ、俺は不当に低く評価されている、という怨念を忘れて、自己啓発セミナーに行きなさい、と勧めているように見える。
 他の2氏は「ではどうする?」という青少年対策、犯罪防止対策などについては、生産的な提言はしていなかったように思う。
 二日間の紙面を通読し、東氏の「諦めろ」論が突出した印象を受けた。
 「諦める」ことが必要なことは言を待たない。

 昔は「分相応」「分不相応」という言葉もあったが、戦後は「平等」が「何でも平等」「何でも一緒」「差異はいけない」と、どんどん拡大解釈され、その拡大解釈への批判を口にしづらい空気が支配する世の中になった。

 誰も「分相応」などという「差別的言辞」を使わなくなった。

 人間の可能性は無限大で、努力すれば大統領にもなれるし、ノーベル賞ももらえる、と「みんな」学校で教わり、「本当にそうかな?」と疑いながら、半分はそう信じながら長い間生きてきた。

 脱構築といい、ポストモダンと言われながら、こんな<戦後民主主義(この言葉が今も生きていること自体、面白いのだが)>が今でも人々の心の中に連綿と生き続けているのが現代の日本社会なのではないか、というのが私の感想だ。

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2008年8月15日 (金)

星野智幸氏「自殺という戦争」と8・15の戦没者310万人~東京新聞夕刊から

 東京新聞8月15日夕刊1面コラム[放射線]で作家の星野智幸氏が<自殺という戦争>というタイトルで書いていた。書き出しは次のような文章である。

 <終戦の日がお盆のさなかにあることにはいつも、巨大な追悼の意思が働いているような不思議な感慨を覚える。だが、近年は「終戦」という言葉が少し空しく感じられる。確かに爆撃などはないけれど、本当に平和なら、どうして年間3万人以上もの一般人が、自殺していくのだろうか。>

 63回目の終戦記念日。日本武道館では政府主催の全国戦没者追悼式が天皇、皇后両陛下をはじめ各界の代表や遺族ら約5700人が参列して行われた8月15日のコラムに「自殺」を持ってくるのは相当、自分自身にプレッシャーがかかったのではないか、と想像するのだが、星野氏は自殺者数を計算する。

 <10年連続で3万人超、合計30万人が自ら命を絶っている。一つの都市が消えたようなものだ。自殺志願者や未遂者を含めると、数は10倍にのぼるとも言われる。つまり、少なくとも300万人以上が死の瀬戸際まで追いつめられている社会なのだ。>

 星野さんの周囲ではこの5年で4人もの知人を自殺で失った、と書き、

 <自殺者の苦しみは、周囲の者に受け渡される。私は、戦時中に生き残った人が死者にやましさを覚える気持ちを、少し理解できるようになった。この感情は、死者が返らない以上、消えることはない。>

 と。この部分は戦没者の関係者らから反発を受ける部分なのではないか、と思うのだが、星野氏はあえて書き続ける。

 <300万人が、生きづらい社会から自らを消す代わりに、自分を追いつめた社会を壊す、つまり他人を破壊しようとしたら、どうなるか。その兆候は、無差別殺人の増加という形で現れている。現状ではこの傾向は強まるばかりだ。>

 そして、結びの文章は次のようになっている。

 <死者を追悼するとは、その苦しみを理解しようと努めることだ。今年のお盆には、身近で自殺した者たちの、表明されなかった言葉に耳を澄まそうと思う。>

 さあ、どう考えるか。

 自殺者年間3万人という異常事態が10年続いている、というニュースをテレビで見て、新聞で読んでもこのようなインパクトは受けないだろう。「何? 30万人都市が10年間で消えたのか」と改めて知らされることの重さ。考えるきっかけをくれたことは非常に有難いことだと思う。そして、自殺未遂者、自殺志願者まで視野に入れて、合計で300万人という数字を提示された時、自殺問題は単なる「他人の問題」から、日本社会の大きな問題に質的転換をきたすだろう。

 その想像力には「さすがに作家だ」と感心する。

 でも、「しかし」と思うのだ。

 日中戦争と第二次世界大戦の日本の軍人・軍属約230万人と民間人約80万人、合計約310万人といわれる戦没者の「死」と10年間の自殺者の「死」を同じ「死」だから、と同一レベルで論じていいのか? という根本問題があるように思うのだ。

 星野氏の考え方を延長すると、「戦争はまだ終わっていない」という主張に連なるかもしれないし、すべてを国家や社会の責任とする考え方に収斂されかねないのではないか、というおそれを感じるのだ。

 佐藤卓己・京大大学院准教授が様々な書物や論文で言っているように、8.15にすべてを収斂させることの意味合いはまた別に考えなければならないし、お盆と終戦の日を合致させた意味もまた別に考えるべきだろう。

 つまり、死者を追悼する、という「生者と死者」の一般的な哲学的関係論は戦争の死者という特殊な死者の問題とは別に論じるべきではないか、と思うのだ。

 まあ、目くじら立てることではないのだが、こうした論理の迷路のような話しぶりが沸騰していくと、思わぬところに議論が行きかねないので、一応は指摘しておこう。

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2008年8月13日 (水)

「若者異変」を批判する前に大人は自らを省みよう~この1年の論壇時評とコラムから

 秋葉原事件のスクラップ記事を整理しようと切り抜きの束を見返していたら、それよりもずっと前の切り抜きに目を奪われてしまい、「途中下車」してしまった。

 若者の心も病んでいるが、それ以前に、大人も変じゃないか、という現代日本人気質について、評論家や学者がいろいろ分析している記事がいくつか見つかったのだ。まず、それを整理、書き写すことから始めよう。

◆藤原新也氏は「戦争後遺症が過保護生む。自ら後遺症であることを自覚せよ」と提言する

 約1年前の新聞記事である。日経新聞2007年9月26日夕刊に写真家の藤原新也氏のインタビュー記事が載っていた。聞き手は文化部・海野太郎記者。<親も教師も・・・しかれない時代/戦争後遺症、過保護生む>の見出しで、

 <親が子をしかれない。教師が生徒をしかれない。”しかれない時代”は一過性か、構造問題か。社会批評に定評のある写真家の藤原新也さんに聞いた。>

 という前文。東京・渋谷近くに住む藤原さんは人込みに足を運ぶ機会も多いが、散策していて気になるのは若者より、むしろ中高年の振る舞いだ、という。藤原さんは1944年福岡県生まれ。東京芸大中退。1978年「逍遥游記」などで木村伊兵衛賞。82年「全東洋街道」で毎日芸術賞。代表作に「東京漂流」「メメント・モリ」「千年少女」など、とあった。

 <先日、駅のエスカレーターに乗っていたら、僕の前の男が、いきなり手のゴミを脇に投げ捨てたんだ。企業でいえば部長級だろう。頭にきたので大声で注意したら、彼は後ろを向いてニヤッと笑った。卑屈な顔で、見逃してくださいという感じでさ。僕は企業に詳しくないけど、社内と社外は彼らにとって別世界なのではないか。彼らには、社内の規律を守り利益を出すことこそが大事。囲いの中で育ったから、囲いが外れると節度をなくしてしまう。しかられても適当にごまかせばいいと考えてしまう。>

 <他人をしかるには、自分に厳しい必要がある。でも今の日本では、大人が自分を律することができない。日本は基本的に企業社会だが、企業では相互監視の中で生きているから、自分自身を律する必要がない。それを何十年も続けると、自分を律する方法が分からなくなるのだろう。>

 <消費社会の進展も、無視できない理由だと思う。消費社会では、消費者は王様なんです。恐らく教育にも、そんな思想が投影されている。保護者はコストを払い、先生を雇っていると考えている。ちょっとうるさい先生は、すぐヤリ玉に挙げられる。教師は足がすくんじゃうよね。>

 <身もふたもない言い方をすると、戦争以前に生まれた人には威圧感があったね。何か悪さをして、そういう大人が近くに来ると、思わず身がすくんだ。理屈じゃない。身体的な威圧感だった。>

 ここからが、いろいろ考えるべき事柄が詰まっている言葉が頻出する談話となる。私には言葉の宝石のようにも思えたのだが。

 <僕は、しかれない理由を突き詰めると、戦争体験に行き着くと思う。日本は戦争の結果、原爆を二個落とされ、多数の人が死んだ。こんな国はほかにない。日本人は戦争後遺症という、とてつもなく重い病を抱えている。>

 <その後遺症が平和主義と暴力否定を生んだ。これは正しい。絶対善。逆に言うと、僕らの戦後は絶対善に縛られてきた。もちろん、僕は戦争も暴力も嫌いだ。だが、その暴力否定が生活の細部にまで行き渡り、人を諭すため平手でたたくことも暴力といわれ、子供同士のけんかも否定されてしまう。こんな過保護な国も日本以外にはない。>

 <実は、僕らはそんな風潮がおかしいと気づいている。しかるという行為は、必ずしも論理で説き伏せるだけではない面を持っている。まず僕ら日本人は、戦争後遺症というトラウマを抱えていることを自覚すべきだと思う。治癒のためには、自分を知ることが必要なんです。>

 叱れない親、他人の子はもっと叱れない。そんな風潮が蔓延している。なぜこんな世の中になってしまったのだろう? ずっと疑問だったし、今でも結論は出ない。だから、藤原さんの説は大きなヒントになる。「そうかぁ、戦争後遺症かぁ……」と。

◆香山リカ氏は即断即決せず、じっくり論理的に考えて「キレない人間」になれ、と諭す

 日経新聞2008年3月13日夕刊には精神科医の香山リカさんのインタビューが掲載されていた。<大人もキレる時代 香山リカさんに聞く/理屈より情/若さ求め人格未成熟>の見出しだ。

 香山さんは精神科医、帝塚山学院大教授。1960年北海道生まれ。東京医科大卒。臨床経験を生かし、社会・文化批評を手掛け、現代人の”心の病”について洞察を続けている。著書に「なぜ日本人は劣化したか」「『悩み』の正体」など。2008年1月に「キレる大人はなぜ増えた」(朝日新書)を出版した、とあった。

 <イライラが高じて心の中に収めておくことができなくなり、あからさまに不快な表情を見せたり、暴言、暴力に及ぶ。そんな「キレる人」が増えている。香山さんも診察室でそうした例をよく見聞きするようになったという。>という前文で始まる。深堀純編集委員の記事だ。香山さんの話の内容を抜き書きする。

 <最近では分別のあるはずの大人、それもエリートといっていい人まで簡単にキレてしまう。そうさせる何かが起きていることは間違いありません。>

 <何か、は一つや二つでなく多くの要因が絡み合っているが、その一つに日本人が論理より情動に動かされやすくなったことがある。キレた人にその時のことを聞くと、たいていは「頭の中が真っ白になって……」と言います。興奮のあまり理性的に振る舞えない、言い換えれば情動をコントロールできなくなっているわけです。だから「こんなところで暴れたら周囲に迷惑もかけるし評価も下がる」といった適切な判断ができなくなる。>

 <それは日本人全体の傾向です。田中真紀子さんや小泉純一郎さんが人気を集めたように、理屈を尽くされるよりも情に訴えられた方が腑に落ちる。「真・善・美」より、「泣ける・笑える・感動できる」に価値を置く風潮が「キレる大人」が増える下地になっていると私は考えます。>

 <90年代以降、市場主義的、新自由主義的な考え方が浸透して日本の社会は大きく変わりました。主張しないのは負けだという風潮が急速に広がったのです。本当は何か言いたいところだけど場所や状況を考えて抑えるとか、相手に悪意がなさそうだから許すという寛容の精神が失われてしまった。自己主張したり、イエスノーをはっきり言うことは必要でも、論理的であることが大前提です。なのに日本人は声高に言うことと勘違いしてしまった。それも「キレる大人」が増えた一因でしょう。>

 <「エイジレス」とか「」エイジフリー」という言葉に代表される年齢に関する意識の変化もその一つです。急速に少子高齢化が進む中では、人々が年齢から解放されることは社会の要請です。女性がいくつになってもファッションに興味を持ったり、シニア世代の男性がスポーツカーを乗り回すことで初めて経済が成り立つからです。>

 <いくつになっても若い心を失わない「年甲斐のない大人」は、消費や文化の世界では望ましい存在ですが、それが人格まで「年甲斐なく」未成熟な大人を生んでしまった可能性はあります。五十代、六十代、あるいはそれ以上の人に「ファッションや好奇心は二十~三十代のままで。でも人格の成熟は年相応に」と望むこと自体、都合が良すぎたのかもしれません。>

 <大きな声や傲慢な態度は周りをねじ伏せる力を持つことがあります。するとそれを見て「キレれば周りは言うことを聞く」と思う人がいてもおかしくありません。「キレる大人」がさらなる「キレる大人」を生む連鎖を断ち切るには、即断即決、勝ち負けをその場で決める短期決戦型の発想を改め、多少時間がかかってもじっくり論理的に考えてみたり、その場で答えを求めず回答保留のまま検討を続けることなどにもう一度取り組んでみることが大切なのではないでしょうか。>

 キレない秘訣、キレた人への対処法については、

 <何より、外部の視線で自分を客観的に見直してみることです。自分にカメラが向けられているつもりで、どんな姿をさらすか想像してみるのです。するとかなり格好悪いことが分かります。理不尽な状況に巻き込まれても、法や警察に訴えるほどでもなければ、災難と思って忘れた方がいいこともあります。相手がキレているときは、一対一で巻き込まれないように気をつけるべきです。話を聞いてあげるに越したことはありませんが、「落ち着いたら聞こう」といって聞き入れられなければ、その場を去ったほうがいいでしょう。>

 以上である。なるほど、最後の忠告など、精神科医としての経験の重みを感じるひと言だ。香山さんの語り口がとても聞きやすいので、あえて要約することもないのだが、

①「真善美」より「泣ける・笑える・感動できる」に価値を置く風潮が「キレる大人」の一つの原因。

②市場主義的・新自由主義的考え方が浸透し、寛容の精神が失われ、何でも主張すればいいという風潮になった。それも論理的に、ではなく声高に、と誤解されたままで。

③エイジレスなど年齢に関する意識変化が成熟できない大人を生んだ。

④即断即決するのではなく、時間がかかってもじっくり論理的に考えよう。

⑤キレそうになったら、自分を外部の視線で見てみよう。キレた人とは一対一になって巻き込まれないように。

 ――というアドバイスだと思う。なるほど、言われてみれば当然というか、そうだなあ、という感じのことばかりだが、意識したことはなかった。意識して振る舞うことが大切なのだろう。

◆鷲田清一・大阪大学総長も「わかりやすく」の危うさを説く

 朝日新聞2008年8月4日朝刊[クロス×トーク]は鷲田清一大阪大学総長に政治学者の苅部直・東大教授が聞く、という形の対談。見出しは<「わかりやすく」の危うさは/いらだちや暴力性を感じる/「思考の熱狂」あおらないで>だ。

 鷲田氏は1949年京都市生まれ。大阪大学教授などを経て2007年から阪大総長。専門は哲学、倫理学。近年は現実社会の諸問題をその発生の現場から思考する「臨床哲学」を試みている。著書に「ちぐはぐな身体」「普通をだれも教えてくれない」「『聴く』ことの力」「『待つ』ということ」「思考のエシックス」など。苅部氏は1965年生まれ、東大教授。専門は日本政治思想史。著書に「丸山真男」「移りゆく『教養』」など、とあった。

 苅部氏が言っていたが、鷲田氏が初めて一般向けに書いた本が1989年の「モードの迷宮」だという。これは読んでみたい本だ。苅部氏はこの「一般向け」や「わかりやすい」をキーワードに、「わかりやすさ」を求める社会の危うさについて鷲田氏の見解を聞く。鷲田氏の発言からいくつかピックアップしておく。

 <小泉純一郎元首相が使う言葉は、国民の多くが日常の中で感じていたものです。その強度を上げて、ややこしいものは全部抜きにして、ドンと出す。ニュアンスや複雑さへの配慮をあえてせず、それが社会で受けるところに、何か人々の深いいらだちや暴力性の澱を感じます。じゃあ、わかっていたつもりのことが全部ちゃらになる、一から組み替えないといけないと突きつけられる、というわかりやすさも危ない。全部語り直すというのは、幼稚というか性急というか。世界を全部変えてしまおう、みたいな。……>

 <思考の熱狂をあおっちゃいけないんです。どんな時代でも、誰もが反対しにくい思想があると思うのですが、今ほどそれが並列でいっぱいある時代は珍しいのでは。エコっていうと反エコは言えないし、クールビズも私は抵抗したけどだめ。>

 <結論が出なくてもいい、出ないまま、それでも決定しなければならないのが私たちの社会生活だとすると、それをしばらく延期するところがあってもいい。気が晴れない、もやもやしている、そういう時に人は「わかりたい」って思うんだけど、「わかった!」っていうカタルシスを求めてしまうと、問題設定も答えも歪んでしまう。>

 <僕はよく「思考には溜めがいるんですよ」って言うんですが、ある人に「じゃあ溜めをつくるにはどうしたらいいのか」と聞かれました。「溜めをつくろう」というのは、そういう問い方はやめましょう、ということなんです。でも、わからないことに耐えられない。すべてが説明できるとは限らないという苦痛をヒリヒリと感じ、息を詰めていないといけないということもあるんです。わからないことへの感受性をどう持ち続けるか。>

 <僕らが生きている時代って「時を駆る」でしょ。あらかじめやっておくとか、先を読むとか。先に先に、という思考法です。でも、答えを急いで出さず、じっくり考えたり、寝かせたり。すぐにわかろうとしないで、機が熟するのをじっと待つ。それも大切じゃないでしょうか。>

 苅部氏は後書きで「機が熟する」というのは言葉をたどりながら、自分のなかに流れている時がじっくりと熟して、内容を腹の底から納得できるようになる。これが、「わかりやすい」表現の本当に大事なところなのだろう、と書いていた。

 相当にハイレベルな討論だが、私の頭で理解すれば、香山さんの「キレない」秘訣の一つである「即断即決せず、じっくり考える」に通底するのでは、と思うのだ。

◆杉田敦氏は論壇時評で「セキュリティー意識の怖さ」を分析する

 朝日新聞2008年3月27日夕刊[論壇時評]で政治学者の杉田敦氏は<セキュリティー 閉じこもらず、踏み出せるか>の見出しで過去1カ月の総合誌の論文などを批評しているのだが、その中で「世界」2008年4月号の生田武志の「学校で野宿者問題の授業を」という論文をもとに、次のように書いている。

 <近年、少年らによるホームレス(野宿者)への凄惨な襲撃事件が相次いだ。「社会のゴミを退治するという感覚だった」などと嘯く犯人らの偏見が、厳しい現実をふまえずに野宿者を怠け者として扱う大人たちの態度の反映であったことを生田武志は示す。実際に、生田の授業で野宿者と接することによって、子どもたちの偏見は払拭されていったが、一部の親や政治家からは、接触そのものを危険視し、妨害しようとする反応があったという。>

 <こうしたセキュリティー意識は、一般の人々の間に深く根を下ろしているが、それは現在の政治経済体制のあり方と無縁ではなかろう。そこでは連帯は無用であり、「雑音」や「異物」を排除し、周囲を蹴落とすことで、競争力を高め続けなければならないとされている。こうした体制下で疲弊しながらも、それに代わりうる選択肢が見えないという事情が、人々を頑なにしてしまっているのではないだろうか。>

 として、「フォーリン・アフェアーズ」2008年3・4月号のロバート・カトナー「コペンハーゲン合意」に紹介されたデンマーク・モデルがこの点で注目される、と書いている。

 <通常、競争と平等は二者択一的に捉えられるが、デンマークでは、グローバルな競争力を高めつつ、格差の小さい社会を実現しているというのである。「フレクシビリティー(柔軟性)」と「セキュリティー」を結びつけた造語「フレクシキュリティー」がこのシステムの中心にある。そこでは解雇は自由なので、雇用主は好況期には安心して採用できる。労働者は失業しても国による保障が一定期間あるし、スキルを高める制度の充実もあって、再雇用を見つけるのが容易なため、解雇を恐れる必要はない。こうして、労働市場の柔軟性と社会民主主義の安定性が両立するとされる。>

 ただ、こうしたシステムを全く違う出自を持った国に移植できるかどうかは、カトナー氏も慎重だ、と留保をつけている。杉田氏も「閉ざされた境界線の内部を最適化するモデルに過ぎない、という批判も可能であろう」と認めながら、「それでも、政策的な努力の積み重ねで、主権国家レベルとはいえ、せめぎ合う原理の調停が進んだとすれば、その意義は小さくない」として、「排他的セキュリティーに閉じこもることなく、『反乱』を待望するのでもなく、一歩を踏み出すことはできないか」と問いかけている。

 杉田氏の社会民主主義者としての面目躍如たる文章の結びだが、以前もどこかに書いたように、北欧型社会民主主義の出自には優生学的怪しさがつきまとっている。そうした考え方が日本人の国民性と合うのかどうか? 総合的に、それこそじっくりと考えて判断すべきことだろう。

(もう少し追加を書きます)

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2008年8月11日 (月)

森山良子さんの父はサンフランシスコ生まれの日系2世

 8月10日朝日新聞朝刊教育面連載[おやじのせなか]は歌手、森山良子さんが日本ジャズ界草分けの父、森山久氏を語っていた。1967年の「この広い野原いっぱい」のデビュー以来、森山のファンだが、父親については全く知らなかった。

 1910年サンフランシスコ生まれの日系2世で、23歳の時(1943年?)にトランペットを持って船に乗り、日本へ仕事に来て、終戦の翌年、一つ年上の兄が生まれた。そのころ、父はトランペットを吹くかたわら、米兵の通訳をしており、東京ローズの裁判にもかかわり、証言もしている、と。

 面白いのは、そういうことを森山が知ったのは10年ほど前、父が亡くなって後だった、というところだろう。

 「あったかくて、包容力がありました。私にはいつも『良子の好きなように、自分の思った通りにしなさい』と。ただ、歌に関してはしつこいくらい注意されました。小学校の時、コニー・フランシスが流行っていました。歌ってると父が『ハニー・カムヒア』って呼ぶんです。LとR、BとVを正しく発音できるまで言わされました。怒らないけど『違う。もう一回』『そうそう、その調子』って正しくできるまで何度も。でも、できた時はうれしい。『オーケー』とか『そうそう』って言われるのがうれしくて。」

 家にはいつも78回転のレコードやFENの音楽番組で、古き良き時代のアメリカの音楽が流れ、兄が23歳で亡くなった時にはあまりに衝撃が強くて白髪がいっぺんに増え片耳が聞こえなくなったこと、がんを患っても最期までユーモアを忘れなかったこと、亡くなって18年、いまでも父のDNAを受け継いでいるなって日々感じている、と。愉しいことが好き、お酒が好き、前向きで楽天的だsったが、それは2世特有のたくましさかな、と思う、と。

 「二つの祖国に揺れる心情を父は話さなかったけど」

 が結びの言葉である。

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 戦後の日本音楽が2世たちのジャズから始まった、とはよく聞く話だったが、1967年にデビューした森山のDNAがまさにこの戦後2世のDNAだったとは。そう分かると、何か森山の歌がより理解できる感じがする。心のこもったいい文章だ。

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2008年8月 8日 (金)

臓器移植とヒト胚研究~宗教・歴史・政治を背景に各国ごとのスタンス(毎日新聞、朝日新聞から)

◆毎日新聞8月8日の記事

 4月30日から3日間、トルコのイスタンブールで開いた国際移植学会で、日本を含む7カ国の移植専門家158人は「臓器移植は20世紀の医学的奇跡の一つだが、ドナー(臓器提供者)の人身売買や貧困者から臓器を買うための富裕国患者の海外渡航で臓器移植の功績が汚された。ドナーとレシピエント(移植を受ける患者)の安全と非倫理行為に関する基準と禁止を確保する透明性の高い監視システムが必要」などをうたったイスタンブール宣言を全会一致で採択した。

 毎日新聞8月8日朝刊くらし面連載企画<臓器移植:現状と課題>上はこの国際学会を詳述した。

 宣言案は当初、生体ドナー(臓器提供者)を「hero(英雄)」と看做すべき、と記されていたが、小林英司・自治医科大教授が「日本では生体ドナーはヒーローではない。heroic(高潔な)と修正を」と主張。日本の生体移植は主に家族、兄弟姉妹から提供され「英雄」表現はそぐわない。また、途上国での臓器売買への批判も込めた修正提言だった。各国は小林教授の提案に賛同し、文言は修正された、という。

 <全米臓器配分ネットワークによると、臓器移植の最初の成功例は米国で1954年に実施された腎臓移植とされる。日本では1997年の臓器移植法施行後、臓器の移植手術が計1万8196件(6月末現在)行われ、そのうち脳死移植は365件。移植待機患者はどこの国でも多いが、生体移植(腎臓、肝臓)への依存度は、フランスが1割未満、米国が約4割なのに日本は腎臓で8割以上、肝臓では99%を超え、その高さが目立っている。>

 国際移植学会が生体移植を問題視するのは、健康な人の体にメスを入れるからだ。また、移植を受けるために海外に行く「移植ツーリズム」が後を絶たず、その先には臓器売買もある。移植医の間で、生体ドナーを保護する取り組みを強化しないと、社会から移植への信頼が失われるとの懸念が強まり、迎えたのが今回の国際学会だった、という。

 宣言では、生体ドナーを保護するためドナーの意思を反映した選定方法や休業補償など総合的な保障制度作りが盛り込まれた。また、生体ドナーを「もう一人の患者」と位置づけ、各国が臓器提供の自給自足へ努力することを原則とした。さらに、フランスが2004年の生命倫理法改正で生体ドナーの術前検診と術後後遺症の有無、重症度記録制度を導入したことを参考に、生体移植のリスク明確化へ今後、国際的統一基準で生体ドナーのデータベース化を協議することにした、という。

 小林教授は今回の宣言について「国によって死や臓器提供に対する認識の違いがあるが、立場が異なる中、誰もが納得するものができた。非常に重要な宣言で、日本も必ず守ることが求められている」と語っている、とある。

 東京財団の橳島(ぬでしま)次郎・研究員の「健康な人の体にメスを入れる生体移植は医療倫理の根本に抵触する行為。欧米では生体移植は本来やるべきでないという意識が強い。今回の宣言も死後の提供を臓器移植の本道と位置づけている。日本では生体ドナーの健康状況の追跡がほとんど行われなかった。臓器移植法を改正し生体移植の続柄制限や実施後の記録制度を導入する必要がある」という談話も紹介し、日本が先進国の中で特殊なのだ、という視点が強調された記事になっている。

 インドやパキスタン、中国などでは、これまで事実上の臓器売買による移植が行われてきたが、中国は昨年、臓器売買を条例で禁し、外国人への移植を禁止。日本人など外国人への腎臓売買が横行してきたフィリピンでも今年、政府が外国人への腎臓移植を全面禁止した、という別稿もつけていた。

◆イスタンブール宣言の骨子は次の通り。(毎日新聞報道による)

 ▽臓器移植は、20世紀の医学的奇跡の一つ。しかし、ドナー(臓器提供者)の人身売買や、貧困者から臓器を買うために海外に赴く富裕国の患者の報告が寄せられ、臓器移植の功績が汚されてきた。▽ドナーとレシピエント(移植を受ける患者)の安全と、非倫理行為に関する基準と禁止を確保する透明性の高い監視システムが必要。▽死体からの臓器移植を始めたり、拡大する努力は、生体ドナーの負担を最小化するのに不可欠。▽レシピエントに有効な治療でも、生体ドナーに危害を加えるのは正当化されない。▽各国は国際組織などと協力し、臓器不足に対する包括事業を実施すべきだ。▽各国は国際基準(国際移植学会がこれまで出した勧告)に沿って死体や生体からの臓器摘出と移植医療を法制化し、実施すべきだ。▽臓器は国内で公平に配分されるべきだ。▽各国は臓器提供の自給自足を達成する努力をすべきだ。▽臓器取引と移植ツーリズムは、公平、正義、人間の尊厳を踏みにじるため禁止すべきだ。▽死体からの臓器提供を増やすため、政府は保健医療施設などと協力して適切な行動をとるべきだ。▽生体ドナーによる提供は高潔で栄誉あるものとみなされるべきだ。▽生体ドナーへのインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)では、心理的な影響を考慮すべきだ。医療と心理の両面で、短期的、長期的にケアする。▽臓器提供で生じた実費は、臓器に対する補償ではなく、レシピエントの治療費の一部である。

◆毎日新聞8月15日の記事

 ついでに、8月15日朝刊の企画下<「生体」依存度高い日本、法規制が急務 ドナーに精神的支援を>も一緒に書いておこう。

 2006年に愛媛県宇和島市の宇和島徳洲会病院で臓器売買事件、病気腎移植問題が発覚、生体移植に注目が集まったため、2007年秋に月刊誌「法律時報」9月号が「生体移植をめぐる法的諸問題」を特集した、という。編集部は「臓器移植法が1997年10月に施行され10年。法学者の間でも生体移植の法規制のあり方への問題が強まっていたため、特集を組んだ」という。

 日本で行われる臓器移植に占める生体移植の割合は高く、2006年の腎移植1136件のうち生体83%の939件。肝移植では508件中、生体は99%の503件、だという。臓器移植法は「臓器を死体から摘出すること」を「移植医療の適正な実施」と定め、生体移植に関する記述は一切ない。臓器売買事件を受け厚生労働省は昨年7月に「臓器移植法の運用に関する指針」を改正、生体移植の項目を新たに追加。臓器売買を禁止するため、本人確認の方法を細かく定めたが、生体移植そのものの規制には触れなかった、と書いてある。
 特集号に寄稿した岡上雅美・筑波大准教授(刑法)は「臓器移植法に生体移植の規定がないため、生体移植ではドナーの選定や実施が移植当事者の判断に任されている」と日本の現状を問題視する。

 レシピエント(移植を受ける患者)の苦悩も深い。約20年前にドナーの父親から生体腎移植を受けた東北地方の女性(49)は「健康なのに手術を受けてもらうのは何かあったらと不安でならなかった。手術後に対面し、お互いが元気だと知ったときは本当にうれしかった」と振り返る。医師らで作る日本肝移植研究会の調査によると、ドナーの3.5%に再手術が必要となるような大量出血などが発生。2003年には京都大病院で肝臓の一部を娘に提供した母親が死亡した。

 こうした実態を踏まえ研究会は2005年に移植施設に▽レシピエント死亡など、経過が思わしくなかった場合のドナーへの精神的な支援▽移植施設から離れた地域に転居した場合、診療を受けたりドナー同士が交流を続けられる病院間の「ドナー外来ネットワーク」の構築▽ドナー全員に「健康手帳」を発行し、その情報を定期的に登録する制度の拡充――など7項目の実施を提言。5月のイスタンブール宣言採択となる。

 日本移植学会は倫理指針を定め生体移植は「本来望ましくない。ドナーは6親等以内の血族と3親等以内の姻族に限定する」と定めているが、法的強制力がない。学会理事長の寺岡慧・東京女子医科大教授は「生体移植に何らかの法規制は必要。行政、患者団体と連携してドナーの安全性を高めたい」と話している、という内容だった。
 イスタンブール宣言など、日本の読者があまり知らない国際的視点が入った記事は役に立った。

 臓器移植、生殖医療問題は「生と死」そのものに関わる。各国で対応が大きく分かれているのが実情である。

◆朝日新聞8月8日の記事

 ちょうど朝日新聞8月8日朝刊科学面<ヒト胚研究に隔たり/「推進」英国と「禁止」ドイツ/EU共同歩調に妨げ/日本、クローン人間は禁止/宗教・歴史・政治事情が背景>というまとめ記事が出ていた。

 こちらはスペイン・バルセロナで7月に開かれた欧州最大の科学者会議「ユーロサイエンス・オープンフォーラム」の議論を紹介した記事だ。

 このフォーラムは欧州の統一的な研究体制を推進するため2004年にストックホルムで第1回会議を開催。2年ごとに開かれ、バルセロナ会議には約4000人が参加。幹細胞研究、地球温暖化対策、脳細胞などのテーマについて議論した、という。

 討論会のテーマが面白い。「英国VS.ドイツ 幹細胞研究をめぐる大論争」というタイトルだ、というのだ。ドイツは「胚保護法」でヒトの卵子や受精卵の研究利用を禁じているので、国内では受精卵からヒトの胚性幹細胞(ES細胞)を作製できず、核を抜いた未受精卵に体細胞の核を移植するクローン胚づくりも、実質的に不可能だ、という。国外でもヒトのES細胞研究にかかわると法律違反に問われる可能性があり「EUでの共同研究にも参加できない現実がある」というのだ。

 カトリックの影響もあって与党キリスト教民主同盟など複数の政党が受精卵の研究利用に否定的だからだそうだ。4月の幹細胞利用を定めた法律の改正で国外での研究は違反ではないとsれたが、法律にあいまいな部分があって、状況は大きくは変わっていない、という。国外からヒトES細胞を輸入して研究することは認められている、というが、国際的には理解されにくい。

 一方、英国の教授は牛の卵子にヒトの体細胞の核を移植する研究に欧州で初めて着手すると発表した、という。ヒト性融合胚と呼ばれ、中国、米国で研究報告があるが、日本でも認められていない。英国でも是非が大きな議論となったが、アルツハイマー病やパーキンソン病の患者の皮膚細胞の核を牛の卵子に移植する計画を2006年に申請し、1月に認められたが、「自然の摂理に反する」などと反対する国会議員が研究を禁じる法案を提出、5月に法案が否決され、やっと研究にゴーサインが出た、という。

 このヒト性融合胚からES細胞がつくれれば、「薬や治療法の開発につながる」と研究者は強調する。この教授らは2002年に英国で初めてヒトのES細胞の作製に成功したが、研究に積極的な英国でさえ研究用の卵子は「慢性的な不足状態」なので、動物の卵子利用に踏み切ることにしたという。

 山中伸弥・京大教授が体細胞から作った人工多能性幹細胞(iPS細胞)の登場で、流れが変わるのではないか、との質問にも、英国の教授は「まだ臨床応用までには時間がかかる。ES細胞の重要性は変わらない」と答えていた、という。

◆橳島次郎・東京財団研究員の話

 橳島次郎・東京財団研究員の話を朝日新聞も毎日新聞同様使っていた。この人がこの分野の第一人者なのだろう。「欧州の対立構造は昔からある。ドイツ以外でもイタリア、オーストリア、ポーランドなどは研究に抑制的、スウェーデン、スペイン、ベルギーは推進する側にいる。宗教的理由以外に、各国の歴史と政治事情が大きくかかわっている。英国は伝統的に科学の実用性を重視する現実的姿勢で一貫している。一方、ドイツはナチス時代の優生政策や人体実験への反省から、ヒトの受精卵や遺伝子を使う研究に強い抵抗がある。共通のルールをつくろうと、中間的立場のフランスが国際条約の策定などを通じて仲介役を果たしてきた。ドイツでも規制を緩和する法改正が実現するなど、妥協の動きもある。だが、対立が収斂していくのか、残ったままいくのかは、予断を許さない」との談話だ。

 一方、日本が法律で禁じているのはクローン人間づくりだけ。ES細胞の作製、研究利用には指針があり、研究機関の倫理委員会と国の2段階の審査を求めているそうだ。ヒトクローン胚については文部科学省の審議会が5月、難病治療のためのES細胞づくりが目的の場合のみ、作製を認める指針案をまとめた。卵子や受精卵の一般的な研究利用は指針を作成中だ。

 米国はブッシュ大統領がES細胞研究は受精卵を壊すとして反対し、2001年8月以降の新規細胞株を使う研究に連邦助成を禁じている。ただ、州や民間の資金による研究には適用されず、カリフォルニア州、マサチューセッツ州などは独自に研究を推進している、とあった。

  ヒト受精卵の研究利用をめぐる各国の法規制一覧表は分かりやすい。

                     ドイツ  イタリア  フランス  英国  日本  米国
研究目的の受精卵作製      ×     ×     ×     ○    △    △
廃棄受精卵利用ES細胞作製   ×     ×    ○     ○    ○    △
ヒトクローン胚作製          ×     ×    ×     ○    *    △

 (○は法律や指針で定める。×は法律で禁止。△は法律、指針による規制なし。*近く指針で認められる見通し)=欧州委員会の資料などから朝日新聞が作成した表だという。

 7日に読売新聞が特報し、毎日新聞も朝日新聞も8日の社会面では<インドで代理出産>の記事を大きく扱っていた。

 偶然だが、生殖医療問題である。

 日本人医師が自分の子どもがほしいからと、インド人の女性の卵子を使って、別のインド人女性の子宮に受精卵を入れる方式で赤ちゃんを生ませた。しかし、その医師の妻が赤ちゃん誕生前に離婚してしまった。インドでは両親がそろっていないと、代理出産を法的に認めないので、赤ちゃんが国外に出られず、日本に帰れない。このため、医師のお母さんが現地で赤ちゃんの面倒を見ているのだが、言葉も通じなく苦労している――という内容の記事だった。

 技術が発明されれば、それを利用しようとする人が必ず現れる。禁じても闇の世界に潜って、欲望を遂げようとするだろう。本当に難しい問題なのだ。

 ところで、実は米大統領選挙の隠れた、というか、国内での大きな争点はこの生殖医療問題なのではないか、と思うのだ。ブッシュ大統領が出てきた時もそうだった。もっと具体的に言えば、堕胎の是非を中心とした生殖問題だろう。

 日本はナチスの歴史もなく、カソリックの戒律もなく、どちらかと言えば英国に近いのだろうが、「731部隊の人体実験」などの忌まわしい歴史を自分たちの民族的歴史経験として血肉化していないせいだ、と批判された時に、日本人は論理的に説明できるのか。萎縮しないですむのかどうか。

 何だか日本人特有の「能天気さ加減」のような気がするのだが、この問題は、哲学的・倫理的側面をもう少し真剣に考えたほうがいいのではないか、と思う。

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2008年7月30日 (水)

書評 「言霊」「医療崩壊はこうすれば防げる」

 医療問題は難しい。
 なぜなら、お医者さんの懐の話、病院経営というお金の話が片方にあって、もう一方には患者を診る医者、病院という地域医療システムの問題があり、これが複雑に入り組みながら、訳の分からない制度を形作っているからだ。
 日々のニュースを見てもピンとこないのは、この複雑なシステムを日々の新聞は説明せず、新しく起きた現象だけを書いているため、それが全体の中でどんな意味を持つのか、理解しにくいのが理由だろう。
 批判されている後期高齢者医療制度にしても、国家財政建て直しのためには仕方ない、と思っている人も多い。「いや、国家財政はそんなに悪くないのに、財務省のキャンペーンに乗せられているだけ」と批判する人もいる。一方には一昔前の社民主義者のように「福祉を提供できないような国家は国家の名に値しない」と言い切る人もいる。
 でも、こうした論者は格好のいい総論は堂々と言えても、実際の現場を知らないとあって、各論に話が及ぶと話が急に曖昧になる。

苦海浄土―わが水俣病 (講談社文庫) 苦海浄土―わが水俣病 (講談社文庫)

著者:石牟礼 道子
販売元:講談社
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 水俣病の鎮魂として「苦海浄土」を書いた昭和2年生まれの石牟礼道子氏と「生命の意味論」など著書も豊富な昭和9年生まれの世界的免疫学者、多田富雄氏が交わした06年~08年の往復書簡10通を収めた「言霊」(藤原書店)が出版された。

言魂 言魂

著者:石牟礼 道子,多田 富雄
販売元:藤原書店
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 がんと闘う多田氏は書簡の中で何度も後期高齢者医療制度を批判し、「診療報酬改定により、リハビリを受けられなくなった鶴見和子さんが、それが大きな原因となって亡くなった。厚生労働省に殺された」と小泉純一郎元首相以来の構造改革路線を批判した。
 鶴見和子さんまでが後期高齢者医療制度の犠牲になった、と聞き胸塞がる思いだったのだが、最大の驚きは、この鶴見さんを殺したシステムが国会を通った法律ではなく、診療報酬改定という厚生労働省、つまり行政府だけの意思決定によるものだ、ということを初めて知ったことだった。

 「診療報酬改定」というので、お医者さんの給料に関するお金の話とばかり思っていたのだが、実はこれが患者が受けられる治療内容に密接にかかわっている、という事実を知らなかったのだ。
 後期高齢者医療制度は法律で決められ、国会の議決が必要だが、診療報酬改定には国会という歯止めがない。
 どの省庁でもそうなのだろうが、本来は法律で決めるべき内容を政令、省令、規則で決め、役人の都合のいいように差配しているのが今の日本というシステムなのだろう。
 人はいかに生きるべきか、を学ぼうとして読んだ「言霊」で思いもかけず医療問題に開眼したので、医療関係の一般向けの本を何冊か読んでみた。
 やはり、厚生労働行政の矛盾ばかりが目についた。

医療崩壊はこうすれば防げる! (新書y 197) 医療崩壊はこうすれば防げる! (新書y 197)

販売元:洋泉社
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 入門書の中では、済生会栗橋病院副院長兼外科部長でNPO法人医療制度研究会の代表理事を務める本田宏さんが編集、ご自分も執筆している「医療崩壊はこうすれば防げる!」(洋泉社、7月22日初版発行)が日本の医療が直面している問題を全般的にまとめていて、一番理解しやすかった。

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2008年7月24日 (木)

1978年7月25日、初の体外受精児ルイーズさん誕生~あれから30年~読売新聞から

 1978年7月25日、イギリスで世界初の体外受精児が誕生した。女児、ルイーズ・ブラウンさん(29)は一昨年、自然妊娠で出産し、「体外受精児は不妊になりやすい」という懸念を自ら払拭した。日本でも1983年10月14日に東北大学で第1例が誕生。体外受精で生まれた子が親になった例もあるという。

 読売新聞7月24日付朝刊解説面に木村達矢・科学部記者がまとめ記事を書いていた。

 国内初の体外受精児誕生の中心となった鈴木雅洲・スズキ記念病院院長の「当時は、生命への冒涜と強い批判を浴びたが、今や国が不妊患者に助成金を出す時代。天と地がひっくり返ったようだ」という言葉に30年の時代の変化がよく現れている。

 1989年12月25日には凍結受精卵による双子が東京歯科大市川総合病院(千葉県)で誕生。92年4月7日には現スズキ記念病院(宮城県)で日本初の顕微授精児誕生。98年6月5日には諏訪マタニティークリニック(長野県)で、第三者提供卵子による体外受精で双子の誕生が判明。2004年7月13日には日本産婦人科学会が着床前診断を初めて承認した。

 日本産婦人科学界によると、2006年に国内で実施された体外受精で生まれた子供は1万9587人。累計では17万4456人に達するという。不妊カップルには朗報となったが、体外受精児の健康への影響については30年たった今も議論が続いているそうだ。

 国内における生殖補助医療の規制は任意団体の日本産婦人科学界の会告(指針)が中心で、法的強制力がないため、夫婦以外の女性に妊娠・出産を依頼する代理出産や、第三者に卵子や精子を提供してもらう非配偶者間体外受精は、民間クリニックが独断で実施し続けている、という。

 この6月7日には、全国21の不妊治療クリニックで作る「日本生殖医療標準化機関(JISART)」が、友人や姉妹から提供された卵子を使って非配偶者間の体外受精を2例実施したことを明らかにした。非配偶者間体外受精に関する独自の指針も公表したが、背景には国の対応の鈍さがある、という。

 生殖補助医療に伴う生命倫理問題は、代理出産など新たな問題が浮上するたびに、学会や厚生労働省などが審議してきたため、体系的な国の生命倫理のルールは構築されていない。

 日本学術会議は生殖補助医療のルール作りについて、法務・厚生労働両大臣から依頼を受けたが、4月16日に代理出産を新法で原則禁止すべきだ、とする報告書をまとめ、国に提出するにとどまった、という。

 位田隆一京都大学教授(国際法)が「医師と患者の間の自己決定のみを重視する米国型の倫理観ではなく、社会的な影響を考慮した一定の歯止めが不可欠だ」として生殖補助医療に関連する人間の尊厳や、胚(受精卵)などの扱いを定めた生命倫理基本法の制定を提唱しているそうだ。英国やドイツなど欧州ではこうした法律が発効しているという。

 そこで木村記者は「代理出産などを受けるため海外渡航する患者が後を絶たない。生殖補助医療に関連する法整備も視野に入れ、恒常的な情報収集と各界の知恵を結集し議論する常設の公的機関が必要だ。これ以上、国は見てみぬ振りはできない」と結論付けている。

 難しい問題だ、という認識は政治家も官僚も医者も共通して持っている。

 ただ、政治家にしてみれば自分の支持者の間で意見が対立する問題で旗幟鮮明にすることのメリット、デメリットを考えれば、メリットがほとんどなく、確固たる支持者の中で離反者が現れかねない、というデメリットだけが頭に浮かぶだろうから、お得意の先送りを多用することになる。余程の社会問題にでもならなければ、政治家は動かないだろう。では、体外受精を望む人々が集まって一つの圧力団体を形成できるか、といえば、そうもできないだろう。アメリカのように宗教という視点から生殖補助医療に反対する勢力があれば、政治の争点になるが、日本では木村記者の主張に反して、まだまだ現状維持が続くのではなかろうか。

 そして、「家族制度」が姿形もなく崩壊して個人中心の社会が出現すれば、「私の勝手でしょ」とばかり、お金の力で何でもできるように流れていくのではないか、と想像するのだが、どうだろうか。

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2008年7月23日 (水)

書評 芳澤勝弘著「白隠禅師の不思議な世界」

 ウェッジ選書、2008年7月22日第1刷発行。

 奥付の著者紹介によると、芳澤勝弘氏は花園大学国際禅学研究所副所長・教授。同志社大学経済学部卒業、財団法人禅文化研究所主幹。白隠禅画・墨蹟の調査を主なフィールドワークとしている。学術的知見に裏打ちされたわかりやすい絵解きには定評がある、とあった。

白隠禅師の不思議な世界 (ウェッジ選書 33 地球学シリーズ) 白隠禅師の不思議な世界 (ウェッジ選書 33 地球学シリーズ)

著者:芳澤 勝弘
販売元:ウェッジ
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 第1部「禅と禅画―白隠とその禅画をめぐって」は松井孝則氏が主宰する「フォーラム地球学の世紀」での芳澤勝弘氏の講演がもとになっている。第2部は「鼎談 現代に問いかける禅」で芳澤氏と松井孝則・東大大学院新領域創成科学研究科教授(地球惑星物理学専攻)と合原一幸・東大生産技術研究所教授(カオス工学、数理工学、生命情報システム論専攻)が禅と脳、心の関係を話し合っている。

 1685年生まれの白隠禅師は臨済宗中興の祖としてその世界では有名らしいが、一般には知られていない。

 室町時代以降、形式のみが重視され、停滞していた「禅」に生き生きした命を吹き込み、日本独自の「禅」を確立しただけでなく、今や世界の「ZEN」となっている宗教「禅」の基礎を作った人物だ、という。

 本の中に白隠禅師の描いた禅画がいくつか挿絵として入っているのだが、メビウスの環のような空間の「ねじれ」を利用して、三次元でしか表現できないはずのものを二次元の紙の上で表現したり、絵の中の掛け軸を七福神が見ており、読者も一緒に見ることで、共視感を持たせるとか、斬新でユーモア一杯の禅画を見ることができる。

 白隠禅師は全国行脚している間に、禅の心を説明するために禅画を描き続けたそうだ。このため、今でも白隠禅師の禅画は各地に保存されている、という。

 本書は禅画を題材に、「禅とは何か」を解説する、という趣向なのだが、難しい原理は分からなくとも、白隠禅師の想像力にあふれた世界を堪能することはできる。第2部の地球物理学者、脳科学者との鼎談も、理科系の人たちが見たら、相当に面白いのだろうが、私には禅を脳の働きの話に矮小化する企画ではないか、としか思えなかった。つまり、第2部は話がかみ合っていない感じがする。でも、第1部だけでも、抜群に面白い。

 禅については、昔、理解できないながらも、鈴木大拙の本を読んだことがある。その解説だけで、禅の歴史を理解したつもりでいたが、この本を読んで「なるほど」という部分が多かった。

 禅が身近になった感じがした。

 昔の日本人は一所懸命、人間くさく生きていたのだなあ、さすがにご先祖様、今の日本人と同じように悩み、笑い、怒っていたのだなあ、と分かった。西洋文化、西洋史だけ学校で学べばいいというものではない、とつくづく思った。

 昔の日本人は欧州の偉人といわれる人たちに匹敵することを考え出していたし、その考えを禅画として残していたのだ。

 禅についてもう少し勉強したくなった。

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2008年7月 6日 (日)

心の栄養と<国民総幸福>

 6月30日付日経新聞夕刊コラム[あすへの話題]に丹羽宇一郎・伊藤忠商事会長が<経営の真髄>のタイトルで「経営の真髄は人をどう動かすかにかかっている」と書いていた。人を動かす要諦として丹羽氏は「認める」「任せる」「褒める」の三段階を心がけている、という。

人は仕事で磨かれる (文春文庫 に 15-2) 人は仕事で磨かれる (文春文庫 に 15-2)

著者:丹羽 宇一郎
販売元:文藝春秋
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 「人間はこの三段階がなければ動かない。とりわけ『認める』ことが大切だ。人が疎外感、孤独感を募らせれば、精神は簡単に壊れてしまう」と。人の精神はそんなに壊れやすいものなのか、疑問も残るが、そこで丹羽氏は「人は食事で体に栄養を与えるように、心にも栄養を与えることが欠かせない」というのだ。「心の栄養とは仕事、読書、人との交流などを通じて成功、失敗、感動、悲哀など成長の体験を重ねること」だそうだ。
 日経夕刊1面に週に一回ずつ連載したコラムが半年の満期となり、最終回で丹羽氏が最後の言葉として選んだのが「『心に栄養を与える』ことの大切さ」だった。
 国の地方分権推進委員会の委員長を務め、明治国家型官僚制度からの脱却を一歩でも進めようとしている丹羽氏は伊藤忠商事の社長になっても電車通勤を続けている人である。庶民の目線からずれたら、ものが歪んで見えるから、と思っているらしい。名古屋生まれの庶民派、現実主義者の経営者なので、「心」の問題をここまで考えているとは思わなかった。
 市場原理主義の横暴など、すべてがカネで割り切れると思っているような社会になってしまった影の部分が今、猛烈に出てきている。影響力の大きい経営者がこのように「心」の問題を考え始めたのは、時代の一側面なのだろうか。

女性の品格 (PHP新書) 女性の品格 (PHP新書)

著者:坂東 眞理子
販売元:PHP研究所
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親の品格 (PHP新書 495) 親の品格 (PHP新書 495)

著者:坂東 眞理子
販売元:PHP研究所
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 坂東真理子・昭和女子大学長は7月2日付東京新聞夕刊コラム[放射線]<七夕の夜には星を見よう>で「昼も欺く明るさの中で生活するのはいつまでも続けるべきではない。夏は暑く、冬は寒いように、昼は明るく、夜は暗くてもいいのではなかろうか」と書いていた。
 富山県立山町で生まれ育ち、夏の天の川、流れ星は坂東氏の子供時代の「身近な風物詩」だったが、「私の子どもたちは天の川も流れ星も日常生活では見たことがないという。星座や恒星も目立つものだけしか知らず、二等星以下は知らない」と書く。
 坂東家に限らず、今や都会っ子はみんなそうだろう。不夜城の都会生活を改めるため、坂東氏は七月七日の午後八時から十分間照明を消す運動の呼びかけ人の一人になった、という。
 日本人の心を平安に保ち、豊かに育ててくれた自然環境が日々消滅していくことに危機感を抱く人たちが増えている。

コンビニ ファミレス 回転寿司 (文春新書) コンビニ ファミレス 回転寿司 (文春新書)

著者:中村 靖彦
販売元:文藝春秋
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 7月1日付朝日新聞[天声人語]はコンビニの夜間営業に地球環境問題の観点から批判が出ていることを取り上げていた。
 「早じまいをしたところで冷蔵庫は止められない。それやこれやで、不夜城の派手さに比べれば、実際の効果はごく薄いという。明かりを消させても、それだけでは『ねらい撃ち』に終わってしまう。コンビニに限らず、少しずつでも便利さを捨てていく決意が誰にも必要だろう。素朴な時代に戻れるかどうかは心もとないけれど、今の暮らしにどっぷりでは地球が守れないのは、もう明らかなのだから」と。
 便利さ、つまり近代文明への批判的な眼差しが語られるようになって久しいが、この論も何か虚しい感じもする。ここではエネルギー問題を題材に現代と「素朴な時代」との対比をしているのだが、この虚しさがどこから来ているか、と言えば、ポストモダンの哲学が本来のポストモダンのライフスタイルを提示し切れず、考える葦たちが、方向音痴の彷徨い人になっているからだ。
 コンビニの深夜営業を制限するかどうか、は、朝日新聞7月5日夕刊コラム[窓]<コンビニ論争>で恵村順一郎論説委員が埼玉県や京都市で自治体と業界の対立が過熱気味だ、と書いている。
 大排気量の車がビュンビュン通るアメリカをさきごろ訪れたところ、夜遅くまで開いている店舗は、日本よりはるかに少なく、自動販売機も、めったに見かけなかった、という。「価値観、ライフスタイルが違うということだろう」と、お互いの違いを認めながら、コンビニ深夜営業問題の論争を「私たちの生活は今のままでいいのか。社会の、暮らしの豊かさって何だろう。そんなことを改めて考えてみる格好の素材になりうる」と歓迎している。
 実際に実行となれば、難問山積だろう。治安面でもコンビニが開いていたほうが安心、という住民が多いのかもしれない。「だれでもいいから殺したい」という犯罪者が現れた時、逃げ込める「お助け寺」は今のところ、数の少ない派出所ではなく、ほとんどの駅前にあるコンビニなのだろうから。
 だから、このコンビニ深夜営業問題は一つのシンボル論争と割り切ったほうがいいかもしれない。
 考えることはいいことだ。新しい地平が見えてくるかもしれないのだから。

ブータンに魅せられて (岩波新書 新赤版 1120) ブータンに魅せられて (岩波新書 新赤版 1120)

著者:今枝 由郎
販売元:岩波書店
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幸福大国ブータン―王妃が語る桃源郷の素顔 幸福大国ブータン―王妃が語る桃源郷の素顔

著者:ドルジェ・ワンモ・ワンチュック
販売元:日本放送出版協会
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 ブータンに「生き方」の一つの理想郷を見るのが作家の宮内勝典氏である。
 東京新聞6月13日夕刊コラム[放射線]<ブータンの夢>で、山手線の優先席前に老人4人が立っているのに誰も席を譲ろうとしない、という現場に居合わせた宮内氏は「何と冷たい国だろうか」と暗澹たる思いにかられ、数年前に訪れたブータンを思い出したという。
 GDP(国内総生産)ではなくGNH(国民総幸福)を目指そうという国家方針を持った小さな国である。
 「贅沢はできないけれど、だれも飢えていない。もの乞いもホームレスもいない。自殺や犯罪は皆無に等しく、学費、医療費は無料である」
 宮内氏が数年前に訪れた時の印象である。
 「青年海外協力隊の若者たちに会って確認したが、かれらも病院は無料だという。大家族で年寄りを大切にするから、だれも老後の心配などしていない」
 宮内氏は嘆く。
 「わたしたちは世界第二位の経済大国で暮らしているが、幸福感はほとんど何もない。一年に三万人以上、一日に八十数人が自殺していく。すでに資本主義の臨界点にさしかかったのか、なにかが間違っている。ブータンの雪山や稲の実り、暮らしぶりなど見つめていると、一周おくれのランナーが先頭を走るように、先進国の夢見る理想社会がひそかに実現されているのではないかとさえ思われてくる」
 ブータンという国には行ったことがないので、宮内氏の言を信ずるしかないが、明治初期までの日本のような田園風景、家庭の姿が今でも残っているのだろう、と想像する。そこでは、そんな風景にふさわしい「心」が今も連綿と育っているのかもしれない。

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2008年5月25日 (日)

書評 川越修・友部謙一編著「生命というリスク―二〇世紀社会の再生産戦略」

 法政大学出版局、2008年5月23日初版第1刷発行、定価3400円+税=3570円。

生命というリスク―20世紀社会の再生産戦略 生命というリスク―20世紀社会の再生産戦略

販売元:法政大学出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 2003年~2005年にかけて同志社大学を会場に7回、2005年4月から2006年9月にかけ同志社大学と慶応大学で7回の計14回開かれた「生命の比較社会史」研究会の報告、討議をもとにまとめた本で、「分別される生命ー二〇世紀社会の医療戦略」と2冊で1セットの形のようだ。編著者を紹介しておこう。

 川越修氏は1947年生まれ。同志社大学経済学部教授。専攻はドイツ近現代社会史。主な著書に「ベルリン 王都の近代―初期工業化・1848年革命」(ミネルヴァ書房、1989年)、「性に病む社会―ドイツ ある近代の軌跡」(山川出版社、1995年)、「社会国家の生成―20世紀社会とナチズム」(岩波書店、2004年)ほか。

 友部謙一氏は1960年生まれ。大阪大学大学院経済学研究科教授。専攻は数量経済史・日本経済史。主な著書に「前工業化期日本の農業経済―主体均衡と市場経済」(有斐閣、2007年)、「歴史人口学のフロンティア」(共編著、東洋経済新報社、2002年)ほか。

 内容は次の通り。

序章 生命リスクと20世紀社会 川越修

第1章 人口からみた生命リスク 友部謙一

第2章 乳幼児死亡というリスク 中野智世

第3章 農村における育産の「問題化」 吉長真子

第4章 戦時「人口教育」の再検討 高岡裕之

第5章 「生命のはじまり」をめぐるポリティクス 荻野美穂

第6章 出産のリスク回避をめぐるポリティクス 中山まき子

第7章 生命リスクと近代家族 川越修

 である。この中では特に、序章と高岡氏の第4章が参考になった。

 高岡裕之氏は1962年生まれ。関西学院大学文学部教授。専攻は日本近現代史。主な著書・論文に「資料集 総力戦と文化 第2巻 厚生運動・健民運動・読書運動」(編著、大月書店、2001年)、「医界新体制運動の成立―総力戦と医療・序説」(「日本史研究」424号、1997年12月)、「戦争と『体力』―戦時厚生行政と青年男子」阿部恒久ほか編「男性詞 モダニズムから総力戦へ」(日本経済評論社、2006年)ほか。

 序章で川越氏が本書の構成、狙いなどを書いている。

 生命リスクとは、新生児・乳幼児期や妊娠、出産、病気、加齢んどを契機に顕在化する生活、生存を不安定化させる身体をめぐる問題群とそれに対する社会の対応策を捉えるための仮説的な概念だ、という。

 現代日本における少子化・高齢化問題は、この生命リスクを回避するための20世紀社会の戦略の行き詰まりを示す問題として捉え直すrことができる、として、本書は19世紀末以降、今日にいたるまでの生命リスクをめぐる諸問題をドイツを参照軸にとりながら、妊娠・出産・乳幼児死亡という生命の再生産とそこに派生する衛星政策、人口政策、家族政策などのさまざまなポリティクスに的を絞って比較史的に考察したものだ、とあった。

 川越氏は2006年6月20日の政府決定「新しい少子化対策について」が「国民運動の推進」をキーポイントにしている、という内容の薄さを問題視、し「国民運動というあまりにも20世紀的な手法を通じて出産、育児をはじめとする生命をめぐる問題領域に政府の政策が持ち込まれる時に、一体何が起きるのだろうか? その結果生じる問題は新しい生命リスクを生むのだろうか?それとも20世紀社会にすでに存在していた既知の問題なのだろうか」と問いかける。

 そして、思考の補助線としてドイツの社会学者ウルリヒ・ベックの議論を持ち出す。

 ベックの議論は1986年の「危険社会」出版がチェルノブイリ原発事故の年に重なったことから、科学技術の高度化をめぐる問題という関連で注目されたが、その議論の射程は19世紀以来の近代社会の歩みを動態的かつ包括的にとらえようと多様な領域に及んでいる、として、ベックの議論を結構詳しく紹介している。

 ベックに関心があるので、その部分もダイジェストしておく。

 ベックによれば、<近代化>とは近代が内部化した伝統と外部化した自然という「対立物」を「呑み尽くす」ことによって近代そのものに行き着く連続的なプロセスであり、近代の持つこの動態の帰着点が「再帰的近代化」という概念でとらえられている、という。

 また、<リスク社会>とは近代が近代化した結果私たちが直面することになる既存の概念ではとらえられない、したがって予測不可能な問題に直面する社会状況を示す概念にほかならない、という。

 まず、「伝統社会の近代化」によって19世紀に「産業社会」が生成した(=「単純な近代化」)。20世紀への転換点ごろから都市への人口集中の加速化、人口転換といったいわゆる大衆社会化ないし福祉国家化に向けての動きが進行する。そして、第二次世界大戦後の「産業社会」の黄金期に「豊かな」社会が実現される中で、1960年代後半から70年代にかけて「産業社会の近代化」としての「再帰的近代化」に向けての動きが加速し、「リスク社会」の問題状況が表面化することになる。

 この「リスク社会」における中心的な問題は、「家族と職業」「科学と進歩への信仰」という「産業社会」の「座標軸」の「動揺」となって現れる。そのうち、前者の「家族と職業」いn揺らぎをもtらすことになるのが「個人化」の動きだ。

 「個人化」とは、豊かさの中で平等化という「近代の本質的要素」の追求というかたちをとって階級社会の解体と女性の教育水準の上昇および自らの職業キャリアの追求が進み、いわば近代社会がより近代的になることによって「リスク社会」が促される動きにほかならない。

 そして、こうした意味での「個人化」の帰結は、ベックによれば「産業社会」の根幹を成す性別役割分業にもとづく家族関係(日本では近代家族として概念化されている)において最も鋭い形で問題かされる。

 この意味では「リスク社会」における家族をめぐる問題状況は、19世紀以来の小家族が「脱伝統化」することによって派生したといえる。

 ベックのいう「科学と進歩への信仰」をめぐる問題を考えるさいに重要になるのが、議会制民主主義という制度的な枠組みの中で行われる「政治」とは区別された「サブ政治」という概念だ。

 <今世紀の最初の3分の2にあたる時期において実現した社会国家プロジェクトに逆行する動きが始まる。社会国家において政治が「介入国家」という潜在的権力を獲得したのだとすれば、いまや社会を形成する潜在的な可能性は政治システムから科学的=技術的=経済的近代化というサブ政治システムに移っている。>(「危険社会」382ページ)

 つまり「再帰的近代化」の生み出すリスクは、科学(および経済)の世界において、民主主義という近代の「本質的要素」に立った制度が働かない「サブ政治システム」の枠内で、さまざまな新しい試みがおこなわれ、それが「政治システム」を通じた改革などとは比べ物にならない大きな転換を社会にもたらすことかr生じるというのである。

 <(リスク社会を産業社会と異なったものとしている)中心的なポイントは、再帰的な近代化の過程で社会的な枠組みが根本的に変えられてしまうこと、つまり近代化のリスクが科学化を通じて剥き出しになることにある。>

 ベックによれば「政治の場合は議会における審議という煉獄の火をくぐり抜けなければ、実行への門は開かれない」のに対して、この制約から自由な「科学」が何をもたらすかを示す「極端な事例」を私たちは「サブ政治としての医学」に見出すことができる。

 <医学というサブ政治においては、「進歩」という論理が基本計画も実施計画もないまま制限範囲を越え出ることを可能にしている。試験管受精も最初は動物実験で試された。その場合、これがどこまで許されるのかについて議論することはもちろん可能である。しかし、人間への応用にさいしての最大の関門はこともなくクリアされてしまった。このリスクは、医学(医者)のリスクではなく、後の世代のリスクであり、われわれすべてのリスクであるにもかかwらず、完全に医療のサークルのなかだけで、しかもそこにおいて支配的な(世界的な)評価と競争という条件と圧力の下で、リスクを冒す決定を下すことが可能なのである。>

 では、なぜ医学の世界においてこうした状況が生じるのか。このような問いかけを発するとき、私たちは歴史と向き合うことになる。

 ベックは医者が特に合理的だったわけでもなく、「健康」というもっとも価値の高い財をうまく守ってきたからでもない。それはむしろ(20世紀への転換期における)専門職業化の成功の産物である、という。そして、この医者の専門職業化によって具体的に何が起きたか、ベックはこう言う。

 <医学は19世紀のヨーロッパにおいて、専門職業として発展を遂げ、人々の苦しみを技術的に除去し、それを職業上独占的に管理するようになった。病気と苦痛は、専門家に依存した他者による処置というかたちをとって制度としての医学に丸投げされ、兵舎化された「病院」で腑分けされ、患者は何も知らないまま、何らかの方法で医者によって「処置」されたのである。今日ではこれとはまったく逆に、いままで自分の病気に関して徹底的に無能者扱いされてきた患者たちは、彼らの病気に対し自分自身および家族、職場、学校、世論といったまったくその用意のない制度によって対応するよう求められている。急激に蔓延しつつある免疫不全エイズは、もっとも注目されているとはいえそのひとつの例に過ぎない。病気はまた診断の「進歩」の産物としても広がっていく。人々が自らどう感じているかとはまったく無関係に、ありとあらゆるものが現実にあるいは潜在的に「病気である」とされる。そうなるやふたたび「積極的な患者」像が持ち出され、患者は医者と連携し医学的に指定された病状に対して「医者と協議する」よう要求されるのである。>

 と、ここまで、相当の分量、ベックを引用をしながら、川崎氏は21世紀社会における新旧の生命リスクにどのように対処したらいいのか、を、ベックのいう「リスク社会」における最先端の問題領域とされていた、再生産をめぐるポリティクス(=妊娠・出産と乳幼児期、さらには再生産の基礎単位としての家族をめぐって発生する問題の解決を図る官僚及び専門職業集団とその問題を抱え込む当事者のあいだにおける、戦略、実践のぶつかり合いのプロセス)を歴史的に分断し、現代の生命をめぐる問題状況の歴史的起点を明らかにすること。これが本書の閣論文の共通課題となる、と書いている。

 面白かった第4章の説明に入ろう。

 「日中戦争の長期化・総力戦化」という時代状況の中で打ち出された「戦時人口政策」の「グランド・デザインとその史的文脈」を検討する。

 戦時人口政策とは長期の人口動態の統計的な認識に立ち導き出された「昭和35年(1960年)の内地人総人口を1億人にするという政策目標ち、戦時下の「『東亜共栄圏』『大東亜共栄圏』という支配権拡大政策」が「日本社会g直面していた農村社会の解体=工業化・都市社会化の動向」への「危機意識」によって「不可分一体のものとして」結合されたアマルガムにほかならない、というのが結論だ。

 昭和35年に1億人という戦時期の人口政策の基礎とされた数字は中川友長(人口問題研究所調査部長)が1941年に推計したもの。この41年方針は①だいとし=集中排除多極分散型社会②農業人口の確保のてめ、人口の4割を農業に③人口1億人は1400~1500万人の大東亜共栄圏への送出が前提だった。

 何か、時間がなくなってきたので、この辺でやめておく。後で、時間が出来た時には書き足そう。

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2008年3月 4日 (火)

書評 丹羽宇一郎著「人は仕事で磨かれる」」

 丹羽宇一郎著「人は仕事で磨かれる」(文春文庫、2005年2月に文芸春秋社から出た単行本の文庫化。2008年2月10日第1刷、定価580円)を読んだ。
 昨日、会社のビルの書店で見つけて買った。

人は仕事で磨かれる (文春文庫 に 15-2) 人は仕事で磨かれる (文春文庫 に 15-2)

著者:丹羽 宇一郎
販売元:文藝春秋
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 丹羽氏は現在、政府の地方分権審議会会長であり、他の審議会でも活躍し、日経新聞夕刊1面コラムも書いている旬の男である。その丹羽の半生の記であり、経営者としていかに矜持を持って生きてきたかの記録であり、若い人への伝言でもある。名古屋市生まれ、名古屋大学法学部卒業で60年安保で名古屋大学法学部自治会委員長として学生運動を熱心に行った男が伊藤忠に入社し、アメリカに行ったり、瀬島龍三氏と出会ったりしながら、人間の幅を広げていく。トップの心得が惜しげもなく出ているのがいい。
 社長時代も黒塗りのハイヤーを使わず、満員電車で通勤し、社長になるときには「6年でやめる」と宣言し、ファミリーマートへの出資では前代未聞の額を出し、不良債権処理でも驚くべき特損額を出し、トップの孤独な決断を次々実践した。
 面白いのは「原爆投下について日本人はおとなしすぎる。アメリカの投下決断の裏には人種差別があったのではないか。そうだとすれば許せない、とにずばり言うべきだ」と主張していること。ベトナムでの枯葉剤、イラクでの劣化ウラン弾、化学兵器使用と原爆投下を結びつける視点だ。「彼らのそうした一種の価値観にいざという時にはアンチテーゼを持って対応しなければならないと思う」という言葉は愛国的だ。それに続く「日本人としての自尊心や、過去の歴史に対する認識を明確に持っておく必要がある。アメリカに何でも追随すればいいというものではありません」という言葉(67ページ)もそうだ。「日本人はブランコが揺れすぎる」という国民性批判もそうした愛国心に基づいているので心から受け止められる。
 不良資産処理の鉄則(101ページ)、「資本主義の”業”をチェックしてきた社会主義がソ連崩壊でなくなり、資本主義の歯止めが無くなった。資本主義は暴走を続け、ついには崩壊する危険性を持っている」と分析し、徳川家康の「不自由を常と思えば不足なし」をあげ、社内でいつも言っている「クリーン、オネスト、ビューティフル」を紹介する。倫理観の骨格として武士道をあげる。今までの日本が勝ち取ってきた高度成長は決して一人でできたのではなく、政治・経済的に米国の庇護の下でできた。これが戦後日本の第一幕ならば、米国の国力が相対的に落ちた現在、戦後日本の第二幕が始まる、と。日本の中間層の崩壊に危機感を深め、消費税導入に反対し、金持ちから税金を取れ、という。
 後継者は「スキップワンジェネレーション」で若い社長を選んだ。社内で「有利子負債」という言葉を使わず、「借金」といい、「債権放棄」といわずに「借金棒引き」という。「仕事をしていく上では見える報酬(給料)と見えざる報酬(自分の成長)がある」。「人材と技術を持たない限り、21世紀の日本も、企業も長期的な繁栄はできない。特に人材だ」。「世の中は知の衰退の時代」。「エリートなき国は滅びる。エリートとは任芸西という観点から見て『選ばれた人』ということ。エリートはその地位に見合った責任と義務が生じる。これをノーブレス・オブリージュという。そもそもエリートは育てられるものではなく、自分で這い上がってきて、周囲からそう評価される人だ。我々にできることはエリートが這い上がってくるための土壌作りではないかと思っている」と。
 文庫版あとがきで丹羽は「人は仕事で磨かれ、読書で磨かれ、人で磨かれる。この三重奏だと思っています」と。若い人には「まず一歩を踏み出せ。自分のやりたいことが人に迷惑をかけず、法に反しないなら、何でもいいのです」と言っている。心して聞くべき言葉だろう。

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2007年12月27日 (木)

書評 石毛直道著「食事の文明論」

 中公新書、昭和57(1982)年1月25日発行、定価380円。水道橋の古書店で最近100円で購入した。新品同様だった。

 奥付によると、石毛直道氏は1937(昭和12)年千葉県生まれ、1963年京都大学文学部卒業、京都大学人文科学研究所助手、甲南大学助教授を経て、現在(82年現在ということ)国立民族学博物館教授。著書に「食生活を探検する」(文藝春秋)、「住居空間の人類学」(鹿島出版会)、「リビア砂漠探検記」(講談社)、「食卓の文化誌」(文藝春秋)、「食いしん坊の民族学」(平凡社)、「食物誌」(共著・中公新書)

食卓文明論 チャブ台はどこへ消えた?  /石毛直道/著 [本] 食卓文明論 チャブ台はどこへ消えた? /石毛直道/著 [本]
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 食事の文化誌であり、それを日本だけでなく世界の文明国に共通する点を炙り出して、文明論として語ろうとした論文だ。序章にあるように、雑誌「中央公論」1980年1月号に「ここまで来てしまった食の民主化」というタイトルで書いた論文をもとに書き下ろした、という。

 本は大体、読む前に目次を見ても分からないものだが、読み終わって目次を見直すと作者の書こうとしたこと、書こうとしたけれども書けなかったことなどが見えてきて、面白い。

 ということで、例によって目次を書き写しておく。

序章 視点

第1章 食事パターンの変化と米食

 食事の時▽飯は主食▽オカズ食いになった日本人

第2章 食事の快楽化

 ハレの日常化▽飲酒の変遷▽快楽の持続化現象▽不平等の上に成立した快楽

第3章 食事の原点

 食と性▽共食をする動物▽家族の起源と男女の分業▽食事作法の起源

第4章 食事と宗教

 神々との食事▽食事のタブーと宗教▽肉食の禁▽快楽を否定する大宗教

第5章 食事と医学・薬学

 香辛料は薬品▽医食同源▽宗教にとってかわった医学と栄養学

第6章 食の「民主化」

 料理屋の出現の意味するもの▽平等化した食の快楽▽国際間の不平等

第7章 食卓での分配法

 手食の文化▽ナイフ。フォーク・スプーン▽箸・椀・膳▽銘々膳の場▽公事から私事へ

第8章 食事文化の変容

 料理は文化を残す▽肉食にはじまる外来料理のとりこみ▽家庭料理化した洋食、中華▽外来料理受容に関するモデル▽オープン・システムの食事文化

第9章 家族の象徴としての食事

 家庭機能の外在化と食事の個人化▽食事が家族をささえる

 目次は以上である。

 簡単にダイジェストしておく。

 文化とは人間が自然界に対処しながら蓄積してきた、人間らしい行動様式。文化の最も個性的な部分は目に見えない精神の部分にあり、それぞれの民族の文化の奥深いところは、ものの感じ方や考え方などの文化的なくせ―価値観に代表される。

 きわめて個性的な価値観を内蔵し相対的にしかとらえられない個別的民族文化をいくつか束ねて眺めると共通の性格が浮かび上がる。そのような普遍的現象を眺めるのが文明のレベルで物事を考えることだ。

 中世のヨーロッパの農村部ではパンを焼くのは1週間に1度だった地方が多い。1カ月に1度しかパン焼きをしない地方もあった。保存食品であるから早くからパンつくりは家庭の台所から離れて、社会の側の施設であるパン屋に任せることができるようになった。

 飯の澱粉はパンに比べると「老化」の速度が早い。加熱することで消化しやすいアルファ化した澱粉が時間の経過とともにだんだん生来の澱粉の状態であるベーター澱粉に戻るため。この老化現象のために冷飯は不味くなる。

 現在(1980~82年ごろ)では自動炊飯器の普及によって、朝晩2回飯炊きをする家庭が多くなった。

 ひと昔前の大阪の船場あたりの大きな商家では飯炊きは昼だった。開店準備に忙しい朝は粥か茶漬けですませ、主人が付き合いで外食することが多い晩食は昼のあまりものの冷飯ですませた。昼食が家庭内の食事で一番重要であり、いいオカズをそろえるものだった。

 同じ大阪でも使用人のほとんどいない小売業の店などでは、主人が家族とそろって晩食をとり、その時には温かい飯と一日のうちで一番のご馳走が供されたという話もある。

 肉体労働に従う江戸の職人は朝に飯を詰め込んでおかないと仕事にならない。昼食は弁当ですませた。女子供は冷飯ですませ、晩にまた飯炊きをした。昔のサラリーマンである武士や昼間肉体労働に従う農家でも朝・晩2回飯炊きをすることが多かった。

 一日の食事における飯炊きの時は、職業差や地方差を持っていた。

 朝に必ず飯炊きをするようになったのは、官吏や事務所、工場勤めをする人々が多くなったことと、昼過ぎまで授業をする学校というものが現れたこと、すなわち、明治時代になって勤め人と学童に弁当を持たせてやるようになってからだ。会社、役所というものと義務教育の制度が全国の家庭に朝飯炊きする習慣を植え付けた。

 世界のほとんどの地域で1日3回食事をするようになったのは、つい近頃のことだ。1日に何回食べるべきか、ということは人体生理の問題ではなく、それぞれの社会の問題だ。

 狩猟・最終生活様式の民族では食事回数や時間は不規則なところが多い。人類は農業と牧畜という生活様式を採用することで計画的に食料を消費し、1日の食事回数や食事時間を定期的なものにすることが可能となった。農業社会・牧畜社会では1日2食の伝統を持っていたところが多い。

 近代化の胎動期になると日本でも西欧でもそれまで2食の習慣を残していたものから、全国民が3食をとるように変化する。日本も西欧もほぼ17~18世紀の同時期の出来事。近代は夜の生活が長くなる。3回に分けて食事を取らないと体が持たない。

 西欧では上流階級の晩の観劇の習慣が夜を長くしたといわれ、日本では灯火の普及で夜の生活が長くなった、といわれるが、それだけではない。近代化及び近代化の準備期は、それ以前の時代に比べて人間が長時間働かないとならない時代になった。労働強化の時代だ。西欧では産業革命で低賃金、長時間労働になった。長時間うんと働くようになったことが1日3食の最大の原因ではないか。

 朝食の飯を弁当に詰め、晩食が1日のうちで一番重要というサラリーマン型の1日の食事形式の枠は明治時代に国民文化として成立した。それに「質的変化をもたらしたのは第2次世界大戦後の高度経済成長とそれに伴う産業構造の変革だった。ここで日本は農業社会の生活様式を捨ててしまった。農家でも機械を使い、昔のような肉体を酷使する重労働がなくなったため、カロリー源としての澱粉を大量に摂取する必要がなくなった。体を構成する蛋白質食品隠食事の中心が移行した。

 昭和40年代から現在にいたるまでほぼ一貫して日本人の食生活においてカロリー源食品である澱粉性食品の消費量が減少し、蛋白質の摂取量が増加する傾向をたどっている。都市、農村をとわず日本人全体の共通の傾向。

 日本人にとって澱粉性食品の一番重要なものはコメだ。歴史を通じて為政者の最大の関心事はいかにコメの生産高を上げるかで、それが日本の農政の中心課題だった。そのことは昭和30年代まで続き、技術革新と手厚い米作保護政策で史上最高のコメの収穫が得られた、と農政関係者が喜んでいるうちに皮肉なことにコメの消費量は減り、余剰米がだぶつくようになった。

 コメさえ増産すれば食料問題は何とかなる、と思われていたのにも一理ある。コメは穀類の中でも人体を構成するのに必要な必須アミノ酸の種類と量に富んでいる。1日5合の飯と植物性蛋白質の多い大豆から作った味噌汁を食べていれば、カロリーと蛋白質は何とか補える。コメは文字通りの主食なのだ。

 小麦のパだけで人体維持に必要な必須アミノ酸を摂ろうとしたならば、1日3㌔近く食べなければならなくなる。カサ高いパンをそんなに食べることは不可能である。パン食地帯は牧畜地帯でもあり、乳搾りの慣行が分布している。栄養学的に言えば肉と乳製品によって、パンに足りない必須アミノ酸の補いをつける食事体系になっていた。西欧の農政はパンだけではなくて、乳と肉を供給することを考えねばならなかった。

 朝食、昼食がいわば経済戦争や受験戦争に追いまくられている日本人の戦陣食、という性格のもの。家族がそろう晩食には楽しみとしての食事の様相があらわれる。昔の晩食に比べ、オカズの種類も量も明らかに増加している。日本人はオカズ食いになった。胃袋の大きさは変わらないので、コメの量が減ったのは当然だ。

 近代になって成立した欧米の食事の形式では正式の宴会料理でもオードブル、スープ、魚料理、肉料理、サラダ、デザートといった具合にコースが決まっており、1回の食事に供される料理の品数は数種類以内に限られている。家庭での普段の晩食ならば、スープあるいはオードブルのどちらかと、肉料理1皿にそえたサラダ、デザートくらいですましてしまう。このような食事の形式の枠にとらわれているので、ご馳走を食べようと思っても、それは料理の品数を増やす方向を取らない。料理の品数は変わらずいn、料理の材料と技術の違いが普段の食事とご馳走の違いになる、という性格が強い。

 それに対して1回の食事に供される料理の品数が多ければ多いほどご馳走であると考えるのが日本人の食事観だ。品数をもって料理の格を決める。松定食と竹定食の違いは料理の質にあるのではなく、品数の差にすぎない。そこで、宴会料理には際限なく異なった料理が運ばれてくる。

 過去の民衆の生活で品数の多いご馳走を楽しむ機会は年中行事や結婚式、法事などのハレの日に限られていた。ハレの日とは労働をせずにハレ着を身にまとい、ハレの膳に向かう時である。自給自足的な生活をしていた田舎の村でのハレの日の献立を見ると豆腐料理、麺類、団子などの粉を使用した料理が多い。豆腐屋がなかった村では手間のかかる豆腐作りはハレの日くらいしか行われなかった。水車製粉が発達せず、手回しの石臼で粉作りをするのが普通だったので、労力のかかる粉製品の料理も普段の日の食卓には並ばない。作るのいn手間がかかり普段の日に「食べられない食品が姿を現す特徴を持つ。

 これに対して普段(ケの日)はいつも同じようなオカズを食べていた。今でこそ、居酒屋の「お袋の味」で酒を飲むが、毎日続いたら飽きるだろう。

 現代の日本の家庭の日常の晩食の食卓は、過去のハレの日のご馳走を「ケの日」である普段の食事としている。もともとハレの日の行事は個人的事柄ではなく、社会的な集団の行事だった。祭り、盆の行事に象徴されるように、ハレの日には神や祖先の霊である仏がこの世に来訪する時だった。ハレの日のご馳走は家庭を訪れる客や神仏と家庭が食事を共にするために作られた。現代の我々の食卓は、神仏不在の個人的な祭りを行っていることになる。

 柳田國男の「まれびと信仰」(客をあたかも神のように迎えてもてなす手続き)と飲酒の変遷。中世的宴会での酒の飲みまわしの形式→現代の「お流れ頂戴」。自分勝手に酒をついで飲むことは許されず、注ぐ人としての「お酌」がいることが必要になる。一座に杯がまわることが「一献」。式三献とは3回まわる儀式的な飲酒が行われる形式の宴会であることを意味する。

 一献ごとに供する酒のさかなを料理人がメモしたのを「献立」という。時には食物だけでなく、歌舞もさかなとされた。「さかなに一さし舞いをご覧に入れる」と。宴のい後半は無礼講となって、祭りで言えば直会の部分となる。参加者は酔いつぶれるまで飲む。あるいは酔ったふりをするのが礼儀だった。

 酒は麻酔薬の類のナルコティックスの一つ。日本の祭りの一連の手順の後半部に位置する神人共食の場である直会は酒を媒介としながら人間が神との交流をはかる手段の残存形態である。長い間、酒は一人で飲むものではなかった。独酌というのは明治、大正時代に発達した新しい風習である。

 社会階層の上の者、経済的に余裕のある人々の間から、宴会でない時でも酒を個人的に飲むことが行われるようになる。ハレの日常化の現象が進行した。

 飲酒が日常化するに従って、ほどほどのところでやめておくのみ方になってくる。酒とのほどほどの付き合いが日本で一般化したのは最近のことだ。

 酒の飲み方の流行で、世界的に水割りの流行があり、濃厚なウイスキーを水で環って飲むだけでなく、ブランデーも。新フランス料理は技巧を凝らした重い味のソースを使わず、素材そのものの味を生かして軽い味を楽しむ方向を目指すもの。

 80年代は軽さ、ライトの時代とさえ言われている。NHKの国民生活時間の調査で昭和40年までは国民1人1日あたりの食事時間は1時間10分台。昭和45年以後は1時間30分台まで長くなっている。快楽の持続化志向が日本人の食事にあらわれたことを物語る。

 世界の人口の4分の1は飢えている。その飢えている世界の各国から食物をかき集めて日本人の「食の民主化」が成立している。もともとは食の快楽を楽しむには強靭な精神が必要なことだった。

 「飢えた奴隷を酷使しながら、山海の珍味について語れる者が美食家の資格を持っていた。不平等の上に食事文化の洗練は築かれていた。飢える国々を冷ややかに眺めながら、日本は世界の中での美食国としての地位を確保していけるだろうか」というのが第2章の結論だった。

 人間としての「タブー」は食では人食い。性ではインセスト。食と性の快楽は反社会的側面を持つ。「食物の恨みは恐ろしい」というのは、分配の不平等が暴露された時のことを言っている。性の快楽の本質は美醜、年齢、性的能力、人格など人体そのものいn依存している。食物は対外に依存しているので、共同飲食によって同時に共通の体験をすることが可能だが、性は基本的に同時体験は2人でしかできない。だから、性の快楽のほうが食の快楽よりも公然と語ることが難しいという性格を持っている。

 食事を共にしても構わない人々の範囲。食事はコミュニケーション手段でもある。伊谷純一郎のn野生チンパンジー研究。人間は共食をする動物。その共食する人間の集団の最も基本的な単位であり、個人にとって常に食を分かち合う仲間とされるのは家族だ。

 人類学者のレヴィ=ストロース「結婚とは集団間で女を交換することであり」「人類の最初の交換物は女である」。今西錦司の家族の起源説。

 ニホンザルの「サルのシラミ取り」=グルーミング。見知らぬ相手が遭遇した時、攻撃性を緩和して争いを避ける手段。飲食物を友隠すること=人間のグルーミング。タバコ盆を客に出す、花魁が一口吸った吸いつけタバコのキセルを客に差し出す、江戸時代、客にすかさず茶を出す、付き合いの始めに一緒に酒を飲む。

 人間の食事は分かち合うもの。食事は個人的行動ではなく社会的行動であることが原則。食事を円滑に進めるために食事を共にする者同士の相互干渉を調節するルールが必要。これらのルールが儀礼化したものが食事作法だ。

 文明とはカレンダーを共有することだ。

 タブーの起源は、論理的な筋道での追求の届かない文化の深層に潜んでいるものが多い。タブーとはよそ者からは偏見の塊のように見える性質を持つ。タブーの果たしている重要な機能としてタブーの存在が結果としてタブーを共有する人々の集団を強化する役割を持っている、という点が上げられる。世界宗教といわれるものの食事に関するタブーも例外でない。イスラム暦の9月にあたる断食月の昼間は飲食しない、とか。

 ハーブとスパイス。カトリックにおける終油の秘跡、中世の伝染病予防としてのスパイス。

 医食同源の思想。

 洋食の広まりの歴史。『欧米の人々も欧米文明化した」はなるほどと思う。

 日本料理としてのカレーライス、トンカツ、カキフライ、串かつ、ラーメン。いずれも箸で食べられるように加工したもの。日本化。ご飯に合う。食事隠肉や油脂を取り入れることから始まった明治以来の日本の家庭料理は飯に合うものならば外来の料理をどんどん取り込んできたし、その傾向はまだまだ続きそうだ。

 この1世紀にわたって続いている日本人の家庭の食事文化の変動というものは、文明というものの挑戦に対して、日本的食事文化の中核である箸と茶碗を残しつつ、いかに応答していくかという過程において生じたものだ。

 家庭機能の外在化が進行している。外食。

 食の分配をめぐって成立した家族だが、産業社会の成立以来、家庭が生産の単位ではなくなり、人々が家庭を出て、社会の側で働くようになり、家庭には家事労働以外なくなった。第3次産業が発達し、大量消費社会時代に突入すると、家庭機能の外在化が著しくなる。育児やしつけま外部に任せ、育児の楽しい部分だけを家庭で教授するようになる。現代の我々の家庭には精神的な愛着の体系によって結合された集団単位としての意味くらいしかない。しかし、家庭が何とはなしに帰るべき場所となっていること。いまや共食することが家族という集団を維持する役割を担っている。

 と、以上が大体のダイジェスト。面白いのは、これが書かれたのが1980~82年であることだ。今から16~18年前、ざっと言えば約20年前の日本の分析である。外食までは出てくるが、子供たちの「個食」はまだ出てきていないし、パラサイトシングルという流れもまだ出てきていない。この時代から約20年――「いまや共食することが家族という集団を維持する役割を担っている」はずだったのいん、その「共食」まで怪しくなって、いよいよ「家族」「家庭」が流動化しているのが現在なのだろうか。

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2007年12月26日 (水)

書評 山極寿一著「暴力はどこからきたか~人間性の起源を探る」

 2007年12月25日第1刷発行。日本放送出版協会発行のNHKブックス。定価1019円。

 山極氏は霊長類社会生態学研究者。奥付の著者紹介や参考文献一覧によると、

 <1952年東京生まれ。京都大学大学院博士課程修了。理学博士。現在、京都大学大学院理学研究科教授。日本霊長類学会会長。専攻は霊長類社会生態学、人類進化論。長年にわたり、フィールドにて野生のニホンザル、チンパンジー、ゴリラの社会的行動の姿を追うとともに、その保護活動でも国際的に活躍する。>

 <著書に「ゴリラー森に輝く白銀の背」(平凡社)、「ゴリラとヒトの間」(1993年、講談社現代新書)、「家族の起源ー父性の登場」(1994年、東京大学出版会)「ゴリラ」(2005年、東京大学出版会)、「オトコの進化論ー男らしさの起源を求めて」(ちくま新書)、「父という余分なものーサルに探る文明の起源」(1997年、新書館)、「サルと歩いた屋久島」(山と渓谷社)、「ヒトはどのようにしてつくられたか」(2007年、岩波新書)ほか多数>

 2007年11月とある「おわりに」で、

 「この3週間、アフリカのガボンにあるムカラバ国立公園でニシローランドゴリラの調査に従事してきた。久しぶりに熱帯雨林を存分に味わった」

 とあった。

暴力はどこからきたか―人間性の起源を探る (NHKブックス 1099) 暴力はどこからきたか―人間性の起源を探る (NHKブックス 1099)

著者:山極 寿一
販売元:日本放送出版協会
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 山極氏の文章は分かりやすい。「おわりに」の続きの文章は次の通り。

 <まずものすごい湿気だ。湿度は常に100%で、ちょっとほっておくと何でもすぐにカビが生える。それに虫の襲来にいつも悩まされる。朝夕はブユ(ブヨ)、日中はツェツェバエ、夜は蚊が血を吸いにくる。森の中ではダニにたかられるし、ハエやハリナシバチもしつこくまとわりついてくる。こういう大小の虫たちをムアンズという虫払い棒でたたきながら森を歩いていると、人間はこれがいやで森を出たのではないかと思いたくなる。>

 <今は雨季の初めで、木々は赤い色をした新葉をつけている。まるで紅葉を見ているような気分になる。さまざまな果実が熟れ始め、森には甘い香りが漂っている。林床には赤や黄の果実が散乱し、動物たちの食べ跡が残っている。ゴリラの歯型のついた果実もあちこちでみつかり、彼らもこの贅沢なときを楽しんでいることがわかる。>

 要点を押さえた簡潔な文章と、事実に裏付けされた仮説が刺激的、魅力的だ。

 本書の内容を俯瞰してある「はじめに」の一部を書き写す。

 <そもそも霊長類の社会は他の哺乳類とは違う性質をもっている。それは、霊長類がまず樹上に生活空間を広げた、哺乳類としてはまれな存在だからである。私たち人間が世界を認知する能力も、仲間との間に起こす葛藤も、戦う能力も、すべて霊長類として進化した時代に身につけたものである。人間の争いの原因も、争いや和解の方法も、彼らから受け継いだ特徴の中にみつけることができるはずだ。>

 <毎年のように、霊長類の社会行動について新しい発見が報告されている。それらの最新の知見を取り入れながら、私はまだよくわかっていない人間社会の由来を考えてみようと思う。>

 本文は以下の構成だ。

第1章 攻撃性をめぐる神話

 ①人類の進化史と攻撃性(武器をもった猿人?、「血塗られた歴史」という物語、ローレンツの描く「人間性」)②狩猟仮説(狩猟民は攻撃的か、攻撃性は本能に直結しない、祖型人類は狩猟民か、人類が受け継いだものの探求)③暴力とは何か(暴力への愛憎、「キング・コング」という誤解、異種への攻撃性と同種への攻撃性、争いと暴力の原点を探る)

第2章 食が社会を生んだ

 ①生物がともに生きる意味(熱帯雨林に生きるということ、霊長類始まりの地、共生の森から、種子散布という戦略、霊長類と被子植物の共進化)②食べることによって進化した能力(ゴリラのグルメ、霊長類の始まりの姿、葉食を可能にするメカニズム、ヒトに受け継がれた類人猿の食性)③食物の違いがもたらすもの(霊長類だけがもつ特徴、食と体躯の多様な関係、食の相違が左右する社会構造)④二ッチとテリトリー(熱帯雨林は食物の宝庫か、鳥類のテリトリーと食虫類のテリトリー、単独行動ペア型テリトリー)⑤昼の世界が集団生活を生んだ(単独で暮らす夜行性のサルたち、群れを作る昼行性のサルたち、昼の世界がもたらすもの)⑥食物と捕食者の影響(真猿類は単独生活をしない、食物の質と分布が「群れ」を生むのか、身を守るために群れる)⑦食物をめぐる争いと社会性の進化(テリトリーから群れへ、優劣順位により争いを回避するニホンザル、スクランブルとコンテスト、二つの競合のかたち、食による社会理解の盲点)

第3章 性をめぐる争い
 ①インセストの回避と社会の進化(サルたちのインセスト回避、家族の起源)②ペア生活の進化(ペア生活のもたらす利益、テナガザルのペア生活、ペアと育児の関係)③メスがオスの共存を左右する(オスが単数の群れと複数の群れの違い、出産期間かメスの数か、性皮の有無が分けるもの、人間集団の性の不思議)④母系と父系(「血縁のないメス社会」という謎、ニホンザルの血縁関係、チンパンジーの社会性に迫る、群れを移籍するメスゴリラ、メスゴリラのいsかいとオスの仲裁、霊長類の母系と父系)⑤娘と息子のゆくえ(インセストの回避が霊長類の社会構造を動かす、DNAが明かすサルたちの血縁、チンパンジーとボノボの交尾回避、ゴリラの旅立ち、インセストタブーがもたらす共存)

第4章 サルはどうやって葛藤を解決しているか

 ①優劣順位とは何か(直線的に序列を決めるオスニホンザル、メスニホンザルの家系順位、群れの中の序列をどう読むか)②所有をめぐる争い(「先行者優先の原則」の混乱、序列意識の強いサルと弱いサル)③和解の方法(サルのさまざまな和解、チンパンジーは仲直りに積極的、「ホカホカ」で緊張を抑えるボノボたち、ゴリラが見つめ合う理由、仲裁と介入はどう違うのか、三角関係のもつれをゴリラはどう収めたか、弱者による仲裁)④食物を分配する類人猿(ゴリラたちの食卓、小さなゴリラが大きなゴリラをどかす、仲間に食物を乞うチンパンジー、ボノボの食物乞委は自己顕示なのか、類人猿以外のサルたちの分配、食物を分け与えるという戦略)⑤性の相手は分けられない(異性をめぐる争いに解決策はあるか、順位の低いオスほど交尾する?メスチンパンジーをめぐるオスたちの同盟、ボノボの不思議な発情、オスたちの共存、ボノボ・チンパンジー・ゴリラ、娘ゴリラと父親の別れ、DNAが明かす父親ゴリラと息子の関係)

第5章 暴力の自然誌ー子殺しから戦争まで

 ①子殺しと社会の変異(病理か必然か、子殺しを生む社会、メスゴリラが群れを出るとき、子殺しの有無が社会構造を変える、「子殺し」発生の波紋、交尾と授乳の衝突、父性という抑制装置、人間社会は性と暴力をコントロールしているか)②人間はどう進化してきたか(人類誕生の地から、初期人類とチンパンジーの違い、二足歩行と狩猟、脳の進化と肉食、食べられる獲物としての人類、森を出た人類・森に残った類人猿)③家族と不思議な生活史(二足歩行起源の諸説、二足歩行が生む分配、「多産」という人類の初期条件、人類と子殺し、祖型人類の社会構造を探る、インセストタブーが「家族」を生んだ、家族が分かち合うもの)④分かち合う社会(狩猟民の惜しみなき分配社会、贈与されるのは心理的負債か、「分け与える」ことと「分かり合う」ことは違う、類人猿と人類の分配の違い、食物のもつ社会的な力)⑤所有と家族の起源(家族という社会、歌は言語に先立つ)⑥戦いの本質とは何か(チンパンジーは戦争をするか、拡大した共同体のゆくえ、大量殺戮はなぜ生まれたのか、狩猟的空間認知と農耕的空間認知、起源への問いが戦争を呼ぶ、霊長類としての人類の可能性)

 以上が内容の概要だ。

 昔々のことだが、私が高校生の時だったか、伊谷純一郎著「ゴリラとピグミーの森」(岩波新書)を読んだ(と思う)。別の本だったかもしれないが、うろ覚えなので、それ以上は分からない。大人の読んでいる本を読みたくてチャレンジするために、学校近くの本屋で買っただけのことで、深い意味があったわけではない。

 その時には「ゴリラの話か」としか思わなかった。たしか、新書には珍しいゴリラの写真が何枚か載っていて、写真入りの新書は珍しいなあ、と思った、という他愛もないことしか覚えていない。

 実は霊長類学という日本で生まれた学問の第一人者が一般人向けに書いた本だ、などとは当時、知りようもなかった。

 伊谷さんには1954年の今西錦司編「高崎山のサル 日本動物記2」という著書もある、戦争直後から活躍した人だった、と今回、この本の「参考文献」欄で初めて知った。

 以下、本文の内容を大胆にダイジェストしたものだ。「であろう」とか「という説が有力だ」などは、すべて断定調にした。

 なお、このブログを読む方にお願いがあります。

 この文章は山極さんの書物そのものではないし、本の内容を誤解してダイジェストしたり、引用したりしている部分もあると思うので、くれぐれも山極さんの本の引用としては使わないで下さい。必ず、山極さんの本(このブログにアフィリエットとしてアップしてあります)を読んでください。

◆霊長類の誕生

 最初の霊長類が誕生したのは新世代初頭の今から6500万年前の北アメリカだった。当時は地球の陸地はローラシアとゴンドワナという大きな大陸に分かれており、現在の北アメリカはユーラシア、アフリカとともにローラシアの一部で、赤道近くに位置していた。南半球には現在のインド、オーストラリア、南アメリカからなる断片状のゴンドワナ大陸があった。

 気候は温暖で熱帯雨林がローラシア大陸を広く覆い、今から1億年前に被子植物が環境に合わせて多様に分化する「適応放散」を始め、それまで地球を覆っていた裸子植物を高緯度地帯に追いやった。3~4億年前に地球上に登場し、1億年前に多様化していた昆虫が花粉を運ぶことで、被子植物の繁栄を助けた。

 霊長類は食虫類から分化したので、最初の霊長類は樹上で昆虫を食していた。被子植物は横に枝を広げる性質があるので、地面に降りずに樹上を渡り歩くことができる「樹上の道」ができた。

 霊長類が地上に降りずに木から木へ移動することができるようになったことは、地上に住む捕食者から逃れるのに役立った。

 霊長類は虫だけでなく、花、葉、果実なども食べるようになり、植物を直接の食物資源として摂取、生活の場としても植物に依存するようになった。

◆熱帯雨林は共生系

 熱帯雨林は多様な生物によって成り立つ「共生系」であり、現在、熱帯雨林の面積は地球上の陸地の3%しかないが、そこにこれまで知られている生物140万種の中の50%以上がいる。その半分以上が昆虫だ。

 熱帯雨林の植物の90%は被子植物。多様な生物の宝庫である熱帯雨林は被子植物と昆虫によって支えられている。

 高さの違う樹木によって上中下といった階層構造が森林に発達し、多くの生態的地位(ニッチ)ができて、棲み分けが可能になった。

 昆虫類が運べるのは花粉くらいだったが、霊長類は大量に果実を飲み込み、時間をかけて消化した後に種子を糞に包んで落とすので、発芽に好条件だった。

 植物は霊長類が丸ごと飲み込むように、果肉と種子をはがれにくくした。オナガザルの仲間は頬袋を持ち、食べ物をその場で飲み込まず、いったん頬袋に入れて、あとで食べることができるようになったので、外敵から身を守れ、生き残る力が強くなり、他の霊長類はだんだん追いつめられ、種の数を減らした。

 人類に近い類人猿は頬袋を持っていない。しかし、変動の激しい昆虫類や、季節変化・年変化の大きい果実に比べて、熱帯雨林には常緑樹葉がふんだんにある。葉を食べるようになった霊長類は巨大な量の食物資源を手に入れ、体を大きくすることができた。

◆植物採取で体が大きくなった

 哺乳動物の基礎代謝量は体重の4分の3乗に比例するので、体重が重くなるほど必要なエネルギー量の比率は少なくてすむ。

 大量の食物資源を手に入れ大型化した葉食の霊長類は、大きな体ゆえのエネルギー効率の良さにより、さらに大型化。葉を食べる霊長類は昆虫だけを食べる霊長類よりも大型化した。

 類人猿は腸内にバクテリアを共生させ(後腸発酵)、食べた果実と葉を直腸に送り込み、ゆっくり腸内を移動させながらバクテリアによってセルロースを分解させる。葉を多く食べるゴリラなどは直腸が巨大になっている。

 人間もこのような類人猿の食性を受け継いでいる。未熟な果実が渋くて食べられないのは二次代謝物質に弱いため。甘い果実が大好きなのも完熟した果実しか食べないせいだ。

 昆虫食、果実食、葉食といった食性の違いによって、体の大きさ、咀嚼器官、消化システムが異なり、食物を探す時間や空間、年間に歩き回る行動域の広さ、食物を採食する場所への滞在時間、一日に移動する距離、集団の大きさなどに違いが出てきた。

 霊長類は手や足で物を握り、指先の触覚で物の硬さや形状を確かめるが、これは親指が少なくとも他の指の1本と向かい合い、手足の指のどれかに人間と同じような平爪がある。

 どの霊長類も鎖骨を持っている。これで垂直歩行時にバランスを取ることができるようになり、体の安定を保ったままで、手を自由に使えるようになった。

◆両目が前に並び、嗅覚よりも視覚が発達

 樹上生活は立体的に世界をながめる視覚を発達させ、この能力を高めるために目の位置が側面から前方へと移動し、鼻面が後退して両目の視野が大幅に重複し、視野にあるものの距離を目測できるようになった。

 嗅覚よりも視覚に頼ることが多くなった。色彩を感知することのない多くの哺乳類の中で、霊長類が色彩視を獲得したのは植物の有益な情報を利用するためだった。

 消化器系は主として昆虫や植物を消化するようにできている。肉食動物のように食べだめは利かない。毎日、食物を摂取し、消化する必要がある。これが、霊長類が一日のかなりの時間を採食に割く理由だ。

 昆虫や果実は1度に1カ所で得られる量が少ないので、広い範囲を探し回らなければならない。

 葉は狭い範囲で大量に得られるが、セルロースや二次代謝物質を分解するには時間がかかる。

 このため、昆虫や果実類を主とする霊長類は一日中食べ歩いていることが多いが、葉食の霊長類は食べた後にゆっくり休息を取る。朝方と夕方に採食の時間が集中し、正午近くは休息して消化にあてている。

 食物の違いは霊長類とネコ科動物の行動に決定的な影響を与えた。

 ネコ科動物は獲物さえあれば気候や植生の違いにはあまり影響を受けないから、トラやヒョウは熱帯雨林からシベリアの雪原やヒマラヤの高地まで分布している。

 狩りの経験と技術が生き残りにものを言うので、親は子どもに狩りを教えるし、個体が増えすぎると食物が足りなくなるので、厳格なテリトリーを守ることで知られている。

 一方、霊長類は食物とする植物の分布に大きく影響を受ける。植物の分布は気候によって決まるので、霊長類の分布も気候に左右される。

 霊長類はいまだに熱帯雨林を中心に分布しており、雪のある地方へ分布を広げたのはニホンザルなどわずかな種に過ぎない。

 しかし、霊長類は普通、100種類以上の植物のさまざまな部位を食べるので、お目当てが見つからなかったら、別の食物を食べればいいので、食物にあまり固執することはない。

◆熱帯雨林は食物の宝庫ではなかった

 食物連鎖の段階が上がると、動物の体の大きさは増大し、個体数は少なくなる。個体数を決定する要因はエネルギー収支だ。

 植物(生産者)は太陽エネルギーのせいぜい2%しか取り込めない。植物を食べる動物(一次消費者)は植物が取り込んだエネルギーの10%程度しか利用できない。さらに、それを食べる肉食動物(二次消費者)はその10%というように、入手エネルギーは急激に減っていく。これが食物連鎖の上部の動物の数が極端に少ない理由だ。

 ゲオルギー・ガウゼは「同じニッチ(生態的地位)には2種が共存することはない」という一般原則である「競争排除原則」を見つけた。自然界にはこのようにニッチを多様化することで、多種の動物を共存させる機構が備わっている。

 熱帯雨林に多種の生物が共存しているのも、この競争排除原則によるニッチ化が絶え間なく起きているせいだ。

 食虫類から分かれた霊長類が初めて進出した樹上で切り開いたニッチは鳥の領分だった。しかし、霊長類は鳥のように空を飛べないため、同種や異種の仲間との間で食物の配分を決める方策は、まず食虫類と同じように単独でテリトリーを構えるというものだった。

 鳥はオス、メスの番が単独行動ペア型のテリトリーを持つ。

 鳥類と霊長類の中間のツバイ目のツバイも単独行動ペア型のテリトリーを持つ。

 霊長類でも夜行性の小型の原猿類で虫をよく食べる種はメスもオスもテリトリーを構えることが多い。メガネザルはメスもオスも独自のテリトリーを構える種がある。

 これらの単独テリトリーは人間を含む類人猿にはほとんど見られない。最初の霊長類がテリトリーを構えていたとすると、それが変化したのは夜行性から昼の生活に移ってからだ。

 昆虫食から果実食、葉食への食性の変化、体重の増加がきっかけだった。

◆昼の生活への移行

 夜の生活は体格が小さく、単独生活か最小限の集団であるペア生活をするのに向いている。虫など分散している食物を利用し、行動圏をテリトリーとして防衛する傾向が強い。果実などと違って動く食物なので、ある範囲の空間を占有する方法が有効だからだ。これが成り立つのは、小さなテリトリーでも十分な食物が得られることが前提となる。

 一方、果実は得られる場所が決まっているが、季節によって得られる時期があり、広く分布している。果実を食物として取り入れる割合が高くなると、食べごろの果実のありかを視覚を用いて感知し、昼間に動くことが多くなる。

 広い範囲を動き回れば外敵に襲われる危険も増すので、昼間に行動するようになったのだろう。

 捕食を回避するために夜行性霊長類は単独で目立たないように行動する性質を進化させたが、昼行性の霊長類はこのような対捕食者対策をやめ、群れをつくることで捕食者の危険を減じようとした。捕食者をすばやく発見し、すばやく逃げる、という戦術だ。

◆性をめぐる葛藤

 人間以外の霊長類は異性をめぐる葛藤を4つの方法で解決しようと試みてきた。①テリトリーをもって離れあう②オスが単独でメスを囲い合う③優劣順位に応じて異性への接近権を認める④乱交を許す――の4つだ。

 ダーウィンは形質の変異を引き起こす要因を自然淘汰と性淘汰に分けた。

 性淘汰は異性をめぐる同性間の競合と、好ましい形質を異性が選択することによって起こる。

 集団生活をする霊長類では原猿類やペアを作る種を除き、オスがメスよりも大きく、派手な体色や形態上の特徴を持っている。だから、霊長類ではメスよりもオスに性淘汰が大きくかかっている。

 ニホンザルでは順位の高いオスよりも順位の低いオスのほうが交尾の回数が多い。メスがオスを選択している。

 メスは毎年違ったオスを選択している。優劣順よりも滞在年数の短いオスが子どもを残す傾向にある。

 ところが、DNA鑑定の結果、子どもの父は優位のチンパンジーが多いことが分かった。

 乱交的に見えているのは、優位なオスは妊娠する可能性の低い時期には他のオスの交尾を許しているためで、排卵日に近い発情メスとの交尾は優位なオスが独占しようとする傾向があるに違いない。

◆発情性比

 発情性比とは発情メス1匹に対する群れのオスの数。

 チンパンジーのメスは発情を同期させないので、発情性比は4.2。地域によっては12.3にもなる。ボノボのメスも発情を同期させないが、発情期間が長いので2.8ほど。発情期間が長いのはボノボのメスが授乳期間も発情するためだ。霊長類では普通、メスが授乳している間は発情も妊娠もしない。

 これは母乳の産出を促すプロラクチンというホルモンが発情ホルモンのエストロゲンの上昇を抑えるためだ。

 類人猿でもオランウータン、ゴリラ、チンパンジーのメスは授乳中発情することはない。

 類人猿は3~5年の長い授乳期間をもっているので、群れに複数のメスがいても発情するメスの数は少ない。

 ところが、ボノボのメスは授乳が始まってから1年もたつと、発情を再開する。同時に発情するメスの数も増えて発情性比が低くなる。ボノボではメスが繰り返し発情するため、オスが交尾を独占できず、乱交状態になる。

 メスとの交尾にはオス同士の優劣関係が反映されず、したがってオス同士の取引にも使えない。交尾をするかどうかは、オスとメスとの直接的な交渉による。だから、食物の分配をせがむメスが、あたかも取引のようにオスを交尾に誘う。

 チンパンジーでも強い乱交状態になることがある。

◆インセスト(近親相姦)タブー

 家族が人間の社会を特徴付けるものであること、それがインセストタブーによって成立していることを19世紀の人類学者たちが論じた。1877年に「古代社会」を著わしたルイス・モーガンは人類が親子兄弟の区別なく性行為を営む原始乱婚の状態から進化した、とみなした。やがて、親子の間、兄弟姉妹の間でインセストを禁止するようになり、現代の核家族のように性交渉を夫婦に限定するような親族関係が管制した、との説だった。

 しかし、インセストを回避する傾向は人間以外の動物にすでに具わっていた。1950年代初めに、それを日本の霊長類学者が発見し、モーガン説の誤りが分かった。

◆人間の家族はどのように成立したか

 では、人間の家族はどのように成立したのだろうか?

 すでにあったインセストを回避する性質を利用して家族は創設されたに違いない。人間の社会ではインセストの禁止が親子以外の近親間に適用されているからだ。人間の家族では母親と息子だけでなく、父親と娘、兄弟姉妹、さらに広い血縁までインセストが禁止されている。

 普段顔を合わせて暮らしていない親族にまでインセストが禁止されるのは心理的な機構では説明できない規範がそこにあるからだ。

 今西錦司氏は霊長類にまで遡って人間家族の起源を考え、外婚制(群れの外に番の相手を求めるシステム)、インセストタブー、男女の分業――という3条件がすでに人間以前の段階で成立していたとみた。

 人間の段階で初めて可能になったのは、複数の家族が集まって近隣関係を作り、上位の地域社会を形成するという条件だ。

 おそらく親子以外の血縁者にも性交渉や結婚を禁じるようにならなければ、こういった複数の家族が共存できるような社会はできなかったに違いない。

 インセストの回避をタブーという制度にしなければならなかったのは、このためである。

 人間は哺乳類としては初めて集団生活とペア生活が両立できる社会を作った。そのためにこそ、インセストの禁止によって性の競合を緩和する家族という形態が必要だったはずだ。

 おそらく霊長類にとってインセストの回避は性の競合を回避するためのものだったわけではなく、どちらかの性を分散させて、遺伝的な劣性を避ける機構だったはずである。人類はそれを社会的な目的のために利用したのである。

◆群れ社会からスタートして家族ができた

 人間の家族は、その始まりにおいて、ペア社会から生まれたものではない。

 群れがまずあり、そこに家族というペア社会を可能にする仕組みができたのだ。

 それは人間の男女の体格に比較的大きな差があることからも明らかである。集団生活する霊長類では一般に雌雄の体格差が大きく、ペア生活を送るのは、体格差のない種に限られている。

 ペアではない集団生活からどのようにしてペアに性交渉を限定するような家族が生まれたか、だが、そのプロセスにインセストの禁止が大きな働きをしているはずだ。

 霊長類の性の競合と社会構造、そしてインセストを回避する仕組みを比較しながら、それを考えてみよう。

 鳥やオオカミのペアのように雌雄が共同で子育てをする姿は霊長類には極めてまれだ。だが、霊長類にもオスが熱心に子育てする種がある。南米に生息する小型のタマリンやマーモセットである。

◆睾丸の大きさの比較

 また、単雄複雌と複雄複雌という構成の違いはオス間のメスをめぐる競合の違いを色濃く反映している。それには証拠があり、睾丸の大きさである。

 睾丸は精子を作る器官で、その大きさは精子の数に対応する。

 霊長類の種ごとにオスの体重と睾丸の重さの比率を比べると、複雄複雌の種のほうが単雄複雌の種より明らかに大きい。単雄複雌のゴリラのオスの睾丸は体重の0.02%しかないが、複雄複雌のチンパンジーは0.27%と10倍以上の大きな睾丸をもつ。

 1回の射精で放出する精子の量はゴリラで51万、チンパンジーで603万と、ほぼ睾丸の大きさに比例する。

 これは、ゴリラのオスは他のオスを排除して独占的にメスと交尾するのでわずかな精子で十分なのだが、チンパンジーのオスは複数のオスが同じメスと交尾するので、元気な精子をたくさん出して精子同士で競争させる必要があることを示している。

 1年のある時期に出産期が集中する理由は、食物環境が季節的に変化するためだ。雨季になると木々は一斉に芽吹き、タンパク質に富んだ新葉が食べられる。授乳が必要な霊長類はこの時期に出産期をあてて、子育てをするほうが季節によって変化する環境では適応的だろう。

 事実、もっとも高緯度に暮らすニホンザルは木々が芽吹く春に出産し、秋にメスたちが一斉に発情する。もちろん複雄複雌である。

 霊長類のメスの体には、オスとの交尾関係を決定する重要な性の特徴がある。

 それは性皮の存在だ。旧大陸に生息する真猿類(旧世界ザル)だけに進化した特徴で、原猿類や新世界ザルにはない。ヒト科ではチンパンジー属だけにある。オランウータンとヒトには欠落している。

 性皮が膨張する種は複雄複雌で、膨張しない種は単雄複雌の構成をもつことが多い。

◆性皮の有無の問題

 メスが性皮を膨張させる種は性皮をもたない種に比べて長く発情する。

 性皮をもたない種はメスが排卵日を含む2、3日しか発情しないので、交尾は妊娠に直結する可能性が高い。

 しかし、性皮を膨張させるメスは排卵日から遠く隔たった日にも発情傾向を示す。オスの精子は膣の中でせいぜい72時間しか活力をもたないので、排卵日から4日以上離れれば授精させることはできない。

 にもかかわらず、ヒヒ類もチンパンジーも毎周期2週間近くも性皮を膨張させる。

 これは明らかにメスが1頭のオスと独占的な交尾関係を結ばず、多くのオスと交尾することで生まれる子どもの父性を曖昧にしようとする戦略だと考えられている。

 オス同士が張り合ってメスと交尾する権利を独占しようとするのに対し、メスは性皮を膨張させて多くのオスを誘い、長期間にわたって交尾することで、どのオスにも繁殖成功の可能性を示唆する。こういったメスの行動によって、複数のオスが共存し、精子競争が高まって睾丸のサイズが大きくなった、と考えることができる。

 霊長類の群れ構成の進化を考える時、環境の季節性もメスの繁殖戦略もどちらも重要だ。

 ニホンザルやアカゲザルのように季節繁殖する種では、メスの性皮を膨張させなくとも複数のオスが乱交的な交尾をすることになる。一方、周年にわたって交尾する複雄群は、メスの顕著な発情兆候と長い発情によって形成され維持されている可能性が高い。

 では、この霊長類の特徴に照らし合わせると人間はどうなのか?  人間は不思議な特徴を併せ持っているのである。

◆人間の場合は?

 人間の男の睾丸はゴリラより大きく、チンパンジーより小さい。精子の密度もちょうど中間。この特徴は精子競争があるとも言えるし、ないとも言える。
 人間の女には性皮はなく、発情兆候は明らかでない。だが、性交渉が排卵の時期に限定されているわけではない。性交渉の頻度や出産の時期に季節による偏りがあるとも言えない。

 複数の男女が日常的に顔を合わす人間社会は、決してチンパンジーのような乱交を許す社会ではない。

 しかし、かといってゴリラのようにオスが配偶関係の独占を確立し合っている社会でもない。

 おそらく、そこに家族をつくった人間の不思議な性の特徴が隠されている。

◆母系と父系

 群れからオスかメスのどちらかが出て行く傾向は、インセストを避けるためである。どちらも出て行かなかったらインセストが必然的におきるからだ。

 霊長類では血縁関係を認知することよりも、親しい関係を作ることのほうが交尾の回避をもたらしている。ゴリラのオスは離乳期から思春期に至るまで熱心に子育てする。この「親しさ」が娘とのインセストを避けている。また、父と息子との間でのメスをめぐる争いを避けさせている。

 初期の人類がもし、類人猿と同じような父系的性格をもっていたならば、やはりインセストの起こる可能性が高かったに違いない。

 それを人類はインセストタブーという規範にして社会を作ったのだろう。なぜ、そんな規範が必要だったか?

 それはインセストの回避によって親子兄弟姉妹が性的な競合を減じて共存できるからだ。

 人間の社会におけるインセストの禁止は性的な競合を弱めるための仕組みだったのではないか。母親と息子、父親と娘、兄弟姉妹は異性でありながら、性行為をする間柄ではない。

 そのために、家族の一員が他の家族の一員と結ばれても、家族の絆は切れることはないし、家族間に性的葛藤が起こることもない。だからこそ、家族同士が連合することもできる。

 おそらく幼児期の世話を介して雌雄間の性的な関心を抑えるような霊長類の普遍的傾向は人間の社会ではインセストを防止するだけでなく、非性的な親和関係を作るように発達してきたに違いない。そして、それは異性間にも同性間にも家族の枠を超えて共存を促すような働きをもっている。

◆サルは食物をめぐる葛藤をふぉのように解決しているか?

 ニホンザルにとっては優劣関係が共存のためのルールだ。優劣関係とは一種のパワーゲームだ。オスの間には直線的な優劣関係がある。群れに共存するメスはいくつかの家系に分かれている。

 娘が母のすぐ下につくというルールができており、これが家系順位。ニホンザルのオスは群れが居心地悪ければ出て行けばいい。

 ここが父系社会に生きるチンパンジーと違うところだ。

 ニホンザルは食物を最初に取ったサルが自分のものとし、他のサルがそれを奪い取ることはない、という「先行保有者優先の原則」がある。ニホンザルには頬袋がある。

 けんかが起きた際の和解の方法もいろいろある。

 チンパンジーの仲間のボノボはメス同士が対面し、膨張した性皮を左右にこすり合わせるという変わった仲直り行動がある。これが「ホカホカ」だ。オス同士は対面して勃起したペニスを触れ合わせたり、逆に後ろを向いて尻を付け合ったりする。雌雄では交尾が起こる。ボノボは社会的緊張が高まると、性交渉によってそれを解消しようとする。

 ホカホカは群れに加入してきたばかりの新参メスと、長くその群れに滞在している古参メスとの間によく見られるという。移籍後の新しい群れで、メスはまず古顔の優位なメスとの間に葛藤を経験し、それを克服するために性を活用する。

◆見つめ合う和解

 ゴリラの場合は見つめ合うことで仲直りをすることが多い。子どもやメス同士のけんかに大人のオスが介入し、攻撃されたほうに加勢したり、どちらにも加勢せず、当事者の間に大きな体を割り込ませてうつぶせになる。これは明らかに仲裁である。大人の三角関係のけんかは他のオスなどが引き離し、けんかを仲裁する。弱者による仲裁の方法は間に割り込んで、相手をじっと見つめるやり方だ。

 食物の分配でも、ニホンザルは優劣関係に応じた占有権の確認でいさかいをおさめる。

 ゴリラは食物を前にして仲間との間に葛藤を覚えた場合、それを許容と共存の担保として利用、せっかく占有した採食場所を譲る。譲られたゴリラは恩を受けるのでお返しをする。ニホンザルでは相手に近づいて採食場所の譲渡を要求するのは必ず優位のサルだが、ゴリラは劣位のゴリラが優位のゴリラにお譲らせる。

 最優位のゴリラのオスは自分の地位を狙う第2位のオスには決して分配せず、自分と同盟関係にある下位のオスにだけ食物を取ることを許す。食物はオスの間の政治や求愛の道具として用いられている。なお、ゴリラが胸を叩くのは戦いそのものではなく、自己主張である。チンパンジーやボノボも食物を社会的な手段として用いて互いの関係を調整している。

◆マウンテンゴリラの子殺し

 新しいボスのオスは他のオスとの交尾で生まれた赤ちゃんを殺す。これは赤ちゃんがいるとメスの発情が始まらないため、発情を起こさせ、自分の子どもを作るため。

 子殺しの起こる種はメスが群れの外のオスと交尾しないという特徴がある。発情に季節性がなく、メスが一斉に発情しない、という特徴も子殺しが起こる種の特徴。

 子殺しが霊長類の社会性を作る大きな要因だとすれば、子殺しが起こらない種は二つの方法を取っている。①オスが子どもの父性を確認できるようにする方向性②父性を混乱させてどのオスにも父性があると思わせる方法――の二つだ。前者はオスがメスと独占的に交尾できる道へ、後者は完全な乱交へとつながる。

 チンパンジーの子殺しでは、殺した子どもをみんなで食べてしまう。

◆人間社会は性と暴力をコントロールしているか?

 人間の社会に起こる暴力や幼児への虐待は類人猿とは比べものにならないほど多様で複雑な人間関係が原因だが、その多くに性の問題がからんでいることは否定できない。

 子どもの死亡率はどの社会でも1歳までの乳幼児に高く、それから急速に減少するが、思春期に再び上昇する。

 乳児の志望は親の保護体制のほころびが原因だが、青年、特に男の子の死亡には過剰な自己主張が原因と考えられるものが少なくない。そこには性的なトラブルが影響を与えていることが多いのではないか、と考えられる。

 人間の社会はテナガザルやボノボのようには、それをうまく解決できないでいる。なぜなら、人間はテナガザルのようなペア社会も、ボノボのような乱交的な性関係も発達させなかったからだ。

 では人間はなぜ性をめぐる暴力を抑える社会をもつことができなかったのか?
 
◆二足歩行と狩猟~脳増大と肉食

 チンパンジーと人類の祖先が分岐してから、最初に現れた人類独自の特徴は直立二足歩行だった。

 700万年前のサヘラントロプスや600万年前のオローリンはすでに直立して歩いていた。

 240万年前に現れたホモ・ハビルスもその後に現れたホモ・エレクトスも肉食獣が食べ残した死肉を食べていた。彼らの顕著な特徴は肉食である。人間は脳を大きくするために肉食をした。

 チンパンジーは肉食をするといっても年間の食物の5%。熱帯地方の狩猟採集民は全食物の20~30%を肉が占める。極北のイヌイットはほとんどが肉か魚を食べている。

 人類は寒冷乾燥の季節が長い環境へ移住するに従って肉食の度合いを強め、肉食に適した消化管をもつようになった。

 脳は大変カロリーを食う器官だ。重さは体重の2%しかないのに、消費エネルギーは20%に達する。

 肉は果実の2倍以上、葉の10倍以上のカロリーがある。しかも、肉食によって消化管を小さくしたので、消化に費やすエネルギーを減らすことができ、そのエネルギーを脳へ回すことができた。

 なぜ大きな脳が必要だったか?

 いくつかある選択肢の一つで、現生人類ではない種では小さな脳と頑丈な顎をもって、エナメル質の厚い大きな臼歯で根や樹皮をかじって暮らしていた種もあった。

 人類はその道ではなく、脳を肥大化させた。アフリカのサバンナで多くの動物と共存しながら新しいニッチを開拓する過程で大きな脳が必要になったのだろう。

 初期人類の脳が大きくなったのは狩猟をするようになったからではない。40万年前から狩猟に武器を使用したが、武器は人間には向けられなかった。

 人間同士が武器で争うようになったのは1万年前に農耕が始まって以降だ。9000年前の遺跡から戦争に武器を使用した跡が見つかっている。

 長い間、人類は道具を武器として同種の仲間には向けてこなかった。食物を得るための道具、獲物を捕らえるための狩猟具と戦争をするための武器は全く別なのだ。

 ドナ・ハートとロバート・サスマンが「ヒトは食べられて進化した」で書いているように、人類は狩りをすることで進化したのではなく、捕食動物に狩られることによって進化した。

 逆の解釈が長く通じたのはキリスト教由来の「神の恩恵を失い、原罪を負った人間は捕食者としての本能を脳の拡大によって発揮した」という考えに影響されたからだ、と両氏は主張する。

◆家族と不思議な生活史~レヴィ=ストロースの仮説

 直立二足歩行によって自由になった手は食物を運ぶことに使われた。

 人類は食物をめぐる葛藤を優劣関係に回収しない類人猿の社会性を引き継いでいる。

 マントヒヒとは違った方法での共存関係が「インセストの禁止と食における共同」だった。

 家族はその結果として生まれた。家族は一つの独立した集団単位ではなく、インセスト禁止を介して他の家族と密接に繋がっている。

 クロード・レヴィ=ストロースら多くの人類学者が人間家族の条件にインセストタブーを挙げ、最も原初的な規範とみなしている理由はここにある。

 人間は性を家族内に閉じ込めたかわりに、食を公開して共同行為に発展させた。

 ブッシュマンもピグミーもみな、獲物を獲ってきた人間を英雄扱いせず、みんなで平等に食物を分配する。贈与することは相手に心理的負担を生じさせるので、分配はなるべく、無機的に行われる。分配された方はほとんど感謝の念も示さない。

 狩猟採集民の分配は、まず食物を「われわれ」のもとへ集めて、それを平等に分けるという行為。そこでは「所有」という意識を意図的に消そうという努力が見える。

 ボノボ、チンパンジーなど類人猿は分配をせがみ、せがまれ、葛藤する中で分け与える過程で、自分の中の他者と出会う。そして、他者への「共感」を生じる、という。言語によらない規範や自然制度につながる可能性がある。

 しかし、狩猟採集民の「共存のイデオロギー」は食物を介した二者間のコミュニケーションを否定しようとする。

 これは、彼らが人々の関係に及ぼす食物の影響力をよく知っているからだ。

 所有は物に所有者の人格を刻印する。いったん所有された食物は分配を介して食物と共に、いや食物が食べられた後も、与え手の存在を受け手に記憶させ続ける。二者間の特別な関係は共在の場を壊す危険を孕んでいる。

 狩猟採集活動によって食物を現場から引き離し、それを操作することができるようになった人間は、食物を政治的な手段にすることを自らに禁じたのである。

 人類の食生活の顕著な特徴はわざわざ食べ物を仲間のもとへ持ってきて食べるということだ。

 食物の分配が勝手に行われれば社会のルールが壊れるので、どの社会でも食物の分配には細かなルールやエチケットが課せられている。狩猟採集民はその影響を極度に抑えた社会をつくった。

 レヴィ=ストロースはインセストタブーを「集団間で女の交換による互酬性を実現させる制度」ととらえた。

 本来、所有の難しい性の相手を互酬性に基づく交換に用いて、その所有を共同体によって合意し、所有の生じやすい食を徹底的に分かち合うことによって葛藤を抑えたのである。

 それは複数の家族が集まってより大きな共同体を作るうえで不可欠なものだった。

 食を分かち合うことによって強化された結束力は無償で共同体に奉仕する行為を生み、大型の肉食動物が徘徊するサバンナで初期人類が生き抜く大きな原動力となったに違いない。

 人類が言語を持ったのはたかだか数万年前に過ぎない。

 その前の長い時代は、翻訳の必要もない歌や音楽が「われわれ意識」を強化する大きな手段だった。つまり、音楽は「われわれ意識」を強化する大きな手段になる、ということである。子守唄は世界中どこでも同じトーン、ピッチだという指摘もある。

◆戦いの本質とは何か~大量殺戮はなぜ生まれたのか

 共同体とは家族の延長であり、分かち合いの精神によって支えられた「まとまり」である。そのためにはお互いが顔や個性をよく知らないといけない。それが可能な数はだいたい150人が限度とされている。

 成員数の増加は互酬性を維持するための社会的コストを増す。

 戦いの規模や頻度が増したのは、人間が共同体の規模を広げようとしたからだ。

 共同体内部の互酬的な関係を維持するために、土地の拡大や富の蓄積が奨励され、他の共同体との軋轢を生み出した。

 農耕民の集団間暴力によって起こる死亡の発生率は、狩猟採集民の3倍にのぼるという指摘もある。

 なぜ、大量殺戮を辞さないほどの苛烈な戦争が人類に起こるようになったのか?

 それは言語の出現と土地の所有、そして死者につながる新しいアイデンティティーの創出によって可能になった、と私(山極氏)は考えている。

 言語は今、そこにない出来事や空想上の話を伝える機能がある。この機能によって言語はヴァーチャルな共同体を作り出した。

 国家や民族という幻想の共同体が人々の心に宿るようになった。

 1万年前の農耕の出現は人々の土地の利用法を劇的に変え、共同体内外の関係に大きな影響を与えた。

 収穫は労力に見合う報酬であり、仕事を分担しなかった者と平等に分かち合えるものであはない。

 そのため、土地の所有権を個人や集団に帰属させ、そこに投資をして利益を得る権利を明確にする必要がある。

 価値の高い土地を標識で囲って、他人が手を出せないようにした。人々の生活に境界が出現した。

 人々が先祖を崇拝し、家系図を大事にするのは、先祖を引き合いに出して土地の権利を守れるからだ。

 人間の社会では個人のアイデンティティーは親に、そして共同体につながっている。親や自分の属する共同体が犯した過ちを子孫である自分が償おうという気持ちをみると、人類のアイデンティティーの共通の特徴が分かる。

 親の恨み、親族の恨みを晴らすための戦争も起きる。祖先の悲願を達成したい思う心もここに宿る。

 家族を守るために戦ってきた男たちが、同じ精神を持って民族のために戦うことを要求される。

 食の共同と性のルールによって生まれた愛と奉仕の心は、その力が及ばない領域を支配する者たちによってすり替えられ、人々は戦争へと駆り立てられる。

◆他者への許容性を高め、可塑性を高める教育を

 人間の社会性を支えている根源的な特徴とは①育児の共同②食の公開と共食③インセストの禁止④対面コミュニケーション⑤第三者の仲裁⑥言語を用いた会話⑦音楽を通した感情の共有――などなどだ。

 霊長類から受け継ぎ、それを独自の形に発展させたこれらの能力を用いて、人類は分かち合う社会をつくった。それは決して権力者を生み出さない共同体だったはずだ。

 われわれはもう一度この共同体から出発し、上からではなく、下から組み上げる社会を作っていかなければならない。

 人類は狩りや肉食ではなく、共同の育児が教育の道を開いたに違いない。

 教育によって、人間の子どもたちは多様性と可塑性を身につけることができるようになった。それが共同体の境界を乗り越え、複数の共同体を行き来する能力を発達させた。

 人間が日常的に多様な集団に出入りして暮らすことができるのは、他者への許容性を高めるとともに、見知らぬ仲間のいる集団に即座に同化できる可塑性を広げることができたからだ。

 そこにこそ、ボーダレス時代を生き抜く秘訣が隠されていると私(山極氏)は思う。

 以上が本の粗筋である。

 自分の見解も書こうと思ったが、パソコンのキーボードで手が疲れて、これ以上、字を打ち込めなくなったので、今日は書評というよりも、本の内容紹介にとどめておく。

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2007年6月24日 (日)

岡崎久彦氏の<世代論>~読売新聞[地球を読む]から

  6月24日読売新聞朝刊大型コラム[地球を読む]で外交評論家の岡崎久彦氏が<世代論>を語っていた。<20代前半、期待の星/戦前・戦後教育が交錯>の見出しである。

 岡崎氏の世代区分けは次の通りだ。

①明治生まれの戦前世代(94歳以上)

 20歳の時が満州事変の翌年1932年なので、軍国主義時代の前に教育が終わった人々。昔の明治人の時代はもう終わっており、大正デモクラシーにどっぷり浸かっていた、古きよき時代の人々。開戦の時は30歳以上で、戦争指導の中堅幹部だった世代。その上の、戦争の大局を指導した高級幹部の世代はもう生きていない。

②大正生まれの世代(81歳~94歳)

 日本の伝統教育、教養の中でしっかり育った世代だが、召集令状が来たのは大正15年生まれまでだから、ちょうど兵隊の時代。その軍隊体験は、軍の中のエリートであったかどうかで異なり、また、その意味で、年齢が下ほど、戦争末期の敗戦時に、下級軍人として苦労した辛い経験がその戦争感に影響しただろう。

③昭和一桁生まれの世代(73歳~81歳)

 少なくとも小学校卒業、あるいは高等学校までは戦前教育を受けた世代。上の世代に戦争の空白があり、多くの逸材が失われたので、この世代は今でも政財界、言論界などで活躍する人が多い。

 また、この世代の半ばから上は、大正、明治生まれの人と同様に、いわゆる旧制高校を懐かしむ人もいる世代。(ここまでが岡崎氏が肌で分かる世代区分だそうだ)

④15年間の戦後教育第一世代(57歳~72歳)

 物心付いた頃以降、戦後教育を受けた世代。学校教育だけに限らず、マルキシズム、反戦平和主義の戦後マスコミの影響を強く受けた世代。

 終わりを57歳で区切ったのは、その直後の世代が大学に入った頃はもう大学紛争が終わり、一応無風状態になったから。つまり、大学時代を60年安保、70年安保闘争で過ごした全学連、全共闘世代。

 ただ、60年安保世代と70年安保世代とは違うという人もおり、また、70年安保世代がちょうど戦後のベビーブームによるいわゆる団塊の世代と重なるので、これを別に区分する考え方もありえよう。

 ⑤戦前教育第二世代(40歳前後~56歳)

 大学に入った時は政治的に無風時代。一種の空白が生じた時代。

 この世代の特徴は両親の少なくとも片方は戦前教育を受けた最後の世代であること。その意味で、その直後の、親も子も戦後教育しか知らない世代と区別した。ただ、親の年には幅があるので、下限を40歳前後とした。

⑥戦後教育第二世代(20代半ば~40歳前後)

 人口動態でいう団塊第二世代を含む世代。親も子も戦前教育から断絶した世代。

 戦後の偏向教育もそろそろ衰退の過程にあった時代に育ち、学校により教室によりバラつきがあり、個人の差が大きい。

 生まれは1960年代後半から70年代であるが、70年生まれ以降は自虐史観絶頂期の1985~2000年の頃に中等教育を受けている。

 また、その期間はまさにバブル絶頂の時代であり、全世代がバブル時代の物質的享楽の経験がある。

 誰もが楽天的で、金があろうがなかろうが週末ごとに家族旅行などを楽しんだ時代だという。

 親も子も戦前教育から断絶し、しかも物質的享楽を得た時代で、学校でも人格よりも能力が重んじられる風潮があったと聞く。

 まさにホリエモンの時代である。

 ただ、戦後教育第一世代は戦後思想で固まっているが、この第二世代になると、話すと「ああ、そうか」と考え直す柔軟性があるという。

 その中でもさらに1970年生まれを境として大学卒業時にバブル期だったか、日本が自信を失ったバブル崩壊後だったかかの二つの世代に分かれる。

⑦日本という国家、民族に自信を回復した新しい世代(20代前半以下)

 左翼史観、自虐史観の全面的な衰退期に教育を受け、大学卒業時に経済回復期にめぐりあった。日本という国の良さを論じられる時代になった。国家の品格といい美しい国というのもその余裕の表れだ。

 もはや、高度成長やバブルで浮ついていない一方、日本という国家、民族について自信を回復した新しい世代と考えて将来に期待したい。

 ただ、そのまた下20歳以下には、ゆとり教育で薄っぺらな教科書で育った世代があり、その知識、能力には問題があるという。ゆとり教育も戦後左翼思想の影響である。

 いつまで戦後が続くのであろうか、もうこれで終止符を打ってほしいと思う。

 以上がほぼ原文を引き写した岡崎氏の寄稿である。

 最後に岡崎氏は

 「これは全くの試論であるが、これをもう少し精緻に仕上げれば、政治動向分析にも使えるかもしれない」

 「一例として、今の世論調査分析は10年ごとに区切っていて、世代論による区分ではないが、それでも、戦前教育第二世代頃の年代の投票傾向は、その前と後の世代より保守的であったことを示す調査結果もあるらしい」

 と、この極めて良く出来た思い付きを政治動向分析に利用する誘惑にかられている気持ちを隠さない。

 また、この世代区分がよっぽど気に入ったらしく

 「知的所有権は主張しないから、これを叩き台にして、さらに聞き取り調査をして、修正版を作られることに何の異存もない」

 と書いていた。

 また、この区分を知人に話したら、区分について

 「70年安保闘争を経験した若者の多くが他の職が困難で教職につき、それが実力を持った80年代に、当時新たに始まった自虐史観教育の影響もあり、小中学の教育がそれまでより左傾した現象もあった」

 という話を聞いた、とも書いていた。

 まあ、今のところは軽い思い付きレベルなのだろうが、岡崎氏の言うように、社会状況と人の発育は深い関係がある。岡崎氏の世代区分は政治動向分析や社会意識分析に案外、有効なのかもしれない。

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2007年1月 6日 (土)

書評 轡田隆史「『考える力』をつける本2」

「考える力」をつける本―新聞・本の読み方から発想の技術まで (知的生きかた文庫) 「考える力」をつける本―新聞・本の読み方から発想の技術まで (知的生きかた文庫)

著者:轡田 隆史
販売元:三笠書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 昨日に続いて、今日は轡田隆史氏の「『考える力』をつける本2」(三笠書房、1997年9月第1刷、定価1238円+税)から心に残る文章などをピックアップ、書き写しておこう。

 大体が目次で分かるのが、この本のいいところだ。また、箇条書きしておく。

・考える前に「わかったつもり」になっていないか

 「わかる」よりも「わからない」ことの方が大切なのである。そもそも学問とは、「わかったこと」ではなく、「わからないこと」の集積なのだ。何が分からないかを明らかにしてゆくことが学問なのである。

 1996年度のノーベル文学賞受賞者でポーランドの女流詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカはストックホルムの式典における受賞記念講演で「どんな知識も、自分のなかから新たな疑問を生み出さなければ、すぐに死んだものになり、生命を保つのに好都合な温度を失ってしまいます。最近の、そして現代の歴史を見ればよくわかるように、極端な場合にはそういった知識は社会にとって致命的に危険なものにさえなり得るのです」と語った。

・「十を聞いて一を知る」くらいがちょうどいい

 記者として生きるとは、質問に生きることではないのか。sらにいうならば、生きるとは質問することではないのか。人に会う、とは、会って質問することではないのか。本を読む、とは、読みながら、文字に文章に、そして作者に対して、質問しつづけることではないのか。映画を見るとは、スクリーンを見つめながら、そこに踊る映像と音のすべてに、登場人物に、さらに作者に、質問しつづけることではないのか。そして、最後に、己自身に対して質問しつづけることではないのか。「なぜか?」と。

 職場でも教室でも、早のみ込みはケガのもとなのである。先刻語ったばかりの「わかったつもり」というやつだ。

 教室での質問に、学校の先生たちはどう答えてくれるのだろうか。先生の仕事とは、「教える」ことではなく、「質問に答える」ことであるという自覚はあるだろうか。

 (企業の不祥事の説明をする広報マンなど)ことと次第によっては、(質問されても)答えられないことがあっても当然。そんな場合、最も大切なのは、「なぜ答えられないか」を、説得力ある言葉で説明することだ。・・・道理のわかる記者ならば、それで一応は納得するはずである。わつぃ自身の経験からいっても、答えてくれないことよりも腹が立つのは、なぜ答えられないかを、しっかり説明できない人にぶつかったときだった。答えられないこと自体は、むしろあって当然なのだから。

 恥ずかしがらずに、悠々と、「十を聞く」記者のほうを信用したほうがいい。恥ずかしがらずに、悠々と、「十を聞く」人間になりたい。

・「素直に感動し、素直に疑問を抱く」ことの大切さ

 感動とは、喜び、悲しみ、怒りの、すべての領域にわたる、豊かでみずみずしいこころの動きを意味する。

 一般的には、残念ながら、成長とは、そのようなみずみずしさを次第に失ってゆくことなのである。一人の人間においても、社会全体においても同じだ。一個人が成長するに従ってみずみずしさを失ってゆくのと同じに、社会も時代が進むにつれて、みずみずしさを失ってゆくのである。なにごとについても、だんだんに感動しなくなってゆくのである。「考える力」とは、実は、「感動する力」なのである。だから、「考える力」は「知識の量」と必ずしも比例しない。場合によっては、量が増えることによって、「感動する力」は減る。それに応じて、「考える力」は弱くなってゆく。

 「考える力」をつけるためには、まず「感動する力」をつけなくてはならない。少年や少女たちには、おのずと感動する力が備わっているのだから、「感動する力」をつける、とは、少年少女のこころを、どう持続するかという問題なのである。

・「感動する力」と「自分を発見する力」

 自分のなかに残っているに違いない、素直さに感動し、それまで何も感じていなかった現象に疑問を抱く、子どものようなこころを再発見する。「考える力」とは、「自分を発見する力」でもあるのだ。

・自分の「怒り」の感情に、自分独自の名前をつけてみる

 己自身のかけがえのない「こころ」の働きを、ただの名詞、つまり、だれにとっても同じである、「怒り」「悲しみ」のような名前でくくってはならない。(宮沢賢治が妹トシを失った悲しみに作った詩「永訣の朝」を再掲し、)ここにあるのは「行動」の具体的な描写である。賢治は、「悲しさ」というような感想を述べはしない。自分自身の行動を、ひたすら客観的に描写してゆく。わたしたちは、「感想文病」にかかっている。この病の原因は、多分、学校の教育にあるだろう。小学校時代に、なにかといえば、感想文を書かされた思い出をお持ちの方は多いはずだ。夏休みの宿題の読書感想文、遠足の感想文……。賢治は、感想を述べようなどとは、けっしてしないのである。こころの動きが激しければ激しいほど、冷静であろうと努める。「主観」の激しさに比例するように「客観」の態度を強める。この場合に、「客観的」な態度とは、悲しんでいる自分自身を、自分自身の目で冷静に観察し、描写しようと努める態度をいう。そのようにありたい、と努めることは、自分の悲しみや怒りに対する「癒し」への道を開いてくれるだろう。「癒し」とは、ただの慰めではなくて、生きてゆくための勇気をかきたてる、新しい展望である。

・「客観的な見方」=「疑いの目」を持つ

 人間のひとつの本質である「好き嫌い」があるので、「客観的」に観察しても、なかなか「客観的」で「公平」な事実が現れてはくれないものである。

・「簡潔な言葉の組み合わせ」で意表を衝け!

・意味を考える前に伝わる文章の強さ

・「情緒的な言葉」が美しいと限らない

・主観的であることも、好き嫌いのあることも、恐れる必要はない

・「悪口は楽しい」と考えることができたら……

・「ものは考えよう」と発想できるか?

・「非難・小言・注意」の裏にあるものを読めるか

・「潔い」対応が、あなたの評価を決める!

・「認めている」からこそ、痛烈に批判する

・「批判」とは何かをしたことに対する「勲章」でる

・「なるほど」と思える箇所を、どれだけ見つけられるか

・意見の「やりあい」で受ける傷は快い

・「考える力」を鈍らせる四つの症状

 「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」いじける」+「ふてくされる」

・「それ面白いね!」と、すべてを肯定的にとらえられるか?

 「考える力」とは、自分一人だけで内向きに考えるのではなく、発想を転換し、気分を一新して、外に向かって一歩、踏み出すことでもある。

 以上、少し多すぎるほど書き抜いておいた。①でも人生処世訓のような言葉があったが、②にも処世訓が詰まっている。しかし、道学先生の処世訓ではないので、スカッとして、まあ、言うことを聞いてやろうか、という気持ちになる。

 ②も内容は面白いのだが、会社人間に役立つような内容が多い、と思った。轡田さんが会社の幹部研修とか新人研修に呼ばれて話すことが多いから、このような「組織と個人」のような話が多くなるのだろう。でも、面白いのだが。

 私にはやはり、①の文章の書き方が一番だった。例の「青空」の作文である。これには本当に目からうろこが落ちた。なるほど、文章のプロはこういうテクニックでコラムを書いているのだな、と秘訣を教わった気分になった。それと、索引の有効利用法。漱石全集、柳田國男全集の索引を自分の書き物のネタに困ったときの玉手箱に使っている文筆家が多い、というのは驚きだった。

 それと、②の精神的に負の状態に陥った際の脱出法、というか、社会的に落ち込んだときにどれだけ強い気持ちで立ち向かっていけるか、という話。つらい時こそ役立つ本になってくれるだろう。

 1日1冊という速読だったが、内容は心にすーと染み入った。筆者にお礼をいいたいくらいだ。

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2007年1月 5日 (金)

書評 轡田隆史「『考える力』をつける本」

「考える力」をつける本―新聞・本の読み方から発想の技術まで (知的生きかた文庫) 「考える力」をつける本―新聞・本の読み方から発想の技術まで (知的生きかた文庫)

著者:轡田 隆史
販売元:三笠書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 朝日新聞論説委員をしていた轡田隆史氏の「『考える力』をつける本」(三笠書房、1997年1月25日第1刷、定価1262円+税)と「『考える力』をつける本2」(同、97年9月10日第1刷、定価1238円+税)を古書店で買った。

 轡田さんは1936(昭和11)年東京生まれ。中学、高校から始めたサッカーを早大サッカー部で続け、Jリーグの川淵三郎チェアマンと一緒にプレーした根っからのスポーツマンで政経学部卒業後、1959年に朝日新聞入社。岩手県盛岡市が初任地で支局長の松本得三さんに薫陶を受けた、という。松本さんはクリスチャンで退職後がんに倒れたが、旧約聖書を原語で読みたいと上智大学に通ってヘブライ語の勉強を始め、ヘブライ語の先生のドイツ人が日本語で教えてくれるのが心苦しくてドイツ語の勉強もしたが、81年7月10日に66歳で逝去した、という。

 その松本さんが知人への最後の伝言とした言葉、旧約聖書・知恵の書13・7の「目にうつるものが まことに美しいから」が全編を貫くキーワードになる。

 「『考える』とは、結局は、人間として恥ずかしくない生き方を、どう選んだらいいのかという問題にゆきつくのであるらしい」というプロローグの言葉も全編の結論のようなものだろう。

 この本に感動したのは、このような結論も真っ当なのだが、考えるということを実例を示しながら教える、その姿勢だった。

 具体的なノウハウの一端を記しておく。

・スケッチブックは旅行の必需品。

 夏目漱石もスケッチブックを愛用し、「三四郎」の葬式の行列の描写は日記のスケッチを文章化したものだそうだ。「すべては、注意深い観察に始まる。問題は、観察の結果をどう記憶するかにある。素早いスケッチは、写真にまさる。・・・それは絵でありながら、すでに半ば『文章化』されているのである」

・どこにでも辞書を置いておこう。

 辞書を引くだけで終わるのではなく、読むことを楽しもう。

・索引を活用しよう。

 漱石全集の索引(岩波版全19巻の第19巻)、定本柳田國男集本巻31巻と別巻第5の総索引。作家、井上ひさしが「苦しいときの柳田頼み」と言っているそうだが、轡田氏もアイデアに苦しむと、この総索引にすがりつく、という。「総索引あっての柳田國男集ではないか」と。また、筑摩書房の明治文学全集全99巻の別冊総索引も総索引だけを独立のものとして使っている、という。

 大岡信「折々のうた」岩波新書も1992年までに10冊を数えるが、この10冊分について「総索引」が作られている、という。初句索引と作者略歴兼索引に分かれ、短いが適切な解説がほどこされている、と。戦後日本の生んだ最高の国語学者の一人である大野晋さんの書斎には索引だけで埋まっている大きな書棚があるという。源氏物語や今昔物語について先人が苦労してまとめた索引類だそうだ。

・大きく考えないほうが大きいことを理解しやすい

 観察は常に小さいもの、身近なものを出発点にすべきだ、司馬遼太郎の「愛蘭土紀行」など、観察は常に小さなもの、身近なものから始まる、と。

 海外旅行に出た時、わたしたちは、ともすれば目に見える形や動きから、日本との「同質性」ばかりを認めたがる傾向が強いが、見えないものとして働いている人間や社会の意識には、むしろ異質な部分のほうが多い。「同質性」を知って得るものはただの「安心」だが、「異質性」を知って得るものは「知」の楽しみである。・・・「同質性」と「異質性」のこのような混在こそ世界なのである。

・紋切り型の表現をやめよう

 うまく表現できないのは、うまく観察していなかったからなのだ。うまく観察しないままに表現しようとするから、紋切り型の既製品の言葉しか浮かんでこないのである。せっかく、ほんものの紅葉の中を歩いているのに、つくりものの言葉を用いながら観察しているからなのである。観察を妨げるものこそ、紋切り型の「考え方」、「ものの見方」、「言葉」だ。新聞記事に多い紋切り型表現の典型は「複雑な表情」というやつ。・・・と質問されて、首相は一瞬、複雑な表情を浮かべた、というようなあれだ。では、「複雑な表情」とはどんな表情なのか。この表現では、何ごとかを表現したようでいて、実は何も表現していないに等しいのである。しかも、首相の顔を見つめている記者は、「複雑な表情」という表現を思い浮かべた瞬間、表情そのものに対する鋭い観察を放棄してしまうのだ。

・「なぜ」こそ書くことの最も大切な原動力

 「なぜ」と問いかけつづけることによって、枝葉末節は整理されて、その底から、「考え」の本質ともいうべきものが、ゆっくりと姿を見せてくる。「考え方」とは、自らに「なぜ?」と問いかけながら深さを獲得してゆく方法ではなかったのか。多くを考えて、多くを捨てる。「考え方」とは、問いかけによる「削り方」なのである。

・「論理的」イコール「正しいこと」とは限らない

・無神経に「業界用語」を使う人間になるな

・「オリジナルとは、1%のひらめきと99%の伝統を学ぶ努力である」

・着想は三つ目が面白い

 たとえば「青空」という題が出て文章を書く際に思い出話である第1の着想を捨てる。青空の美しさを書くとき、一般的な美しさではなく、自分にとってかくも美しいのはなぜか、を問うのだ。あくまでも、自分との関係においてである。「なぜ?」をほかの言葉にいいかえるならば、「位置付け」でもいいだろう。自分の人生において、そのときの「青空」をどう位置づけるのか。そこを深く考え、「なぜ、なぜ」と自らに問いかけてゆくとき、あなたの思い出は、隣の人が書こうと考えている思い出とは違って、あなた自身の「思い出」になるはずである。なぜならば、自分自身に対する、「なぜ?」という問いかけの中にこそ、あなたが存在するからである。・・・平凡な体験であっても、「なぜ?」かを深く深く考えてゆこうとする筆者の精神の働きは、読む人に新鮮な印象を与えることになるはずである。これは己自身を厳しく、鋭く観察することに等しい。

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2007年1月 1日 (月)

21世紀のキーワードは「心」

 井上陽水氏の「心もよう」ではないが、「心」が21世紀のキーワードではないか、と思う。
 もの思い、胸騒ぎ、揺れる思い、心細い、胸塞がる、など大和言葉が似合う心の動きがある。

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 明治維新以来、日本は必死に西洋文明を取り入れた。
 福沢諭吉ら先人たちは西洋の事物、概念を漢語で言い換えてきたが、その翻訳の隙間から零れ落ちた砕片があったのではないか。
 日本人の心の原風景も西洋の言葉では言い表すことができない。近代合理主義と相容れないアミニズム的な何かが日本人の心にはありそうだから。
 そんな滓のようなものが積もり積もっって、シベリア出兵の失敗、満州事変以来の軍部独走、無謀な対英米戦争突入、敗戦、占領という結果になったのではないか、と想像したりする。
 戦後に生まれ、戦後民主教育を受けて育った私たち「団塊の世代」も今、高齢者と呼ばれる年齢になった。
 あくせく働いてきて、ふと自分の来し方を振り返ると、虚しい空間がポッカリ口を開けていることに気付き慄然としたことはないだろうか。
 私たちは青春時代、現在の自分たちを未来からの架空の視点で語り、懐かしむ歌を好んで歌っていたように思う。
 フォークソンググループ「風」の「二十二歳の別れ」やガロの「学生街の喫茶店」などだ。
 本物の回想ではなかったところがミソである。

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販売元:日本クラウン
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 あのころは未来を信じ、自分の心の平安を信じていたのだろうか?
 ポストモダンの思想状況はが袋小路に入ったまま「出口なし」のように見える。
 難しいことは哲学者に任せ、私は自分の心、記憶、個人史、喜怒哀楽にこだわりながら、来し方を見つめてみたい。
 と言っても、大層なことをするわけではない。
 日々の暮らしの中で感じたこと、思ったことを記すだけだ。

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