2007年12月25日第1刷発行。日本放送出版協会発行のNHKブックス。定価1019円。
山極氏は霊長類社会生態学研究者。奥付の著者紹介や参考文献一覧によると、
<1952年東京生まれ。京都大学大学院博士課程修了。理学博士。現在、京都大学大学院理学研究科教授。日本霊長類学会会長。専攻は霊長類社会生態学、人類進化論。長年にわたり、フィールドにて野生のニホンザル、チンパンジー、ゴリラの社会的行動の姿を追うとともに、その保護活動でも国際的に活躍する。>
<著書に「ゴリラー森に輝く白銀の背」(平凡社)、「ゴリラとヒトの間」(1993年、講談社現代新書)、「家族の起源ー父性の登場」(1994年、東京大学出版会)「ゴリラ」(2005年、東京大学出版会)、「オトコの進化論ー男らしさの起源を求めて」(ちくま新書)、「父という余分なものーサルに探る文明の起源」(1997年、新書館)、「サルと歩いた屋久島」(山と渓谷社)、「ヒトはどのようにしてつくられたか」(2007年、岩波新書)ほか多数>
2007年11月とある「おわりに」で、
「この3週間、アフリカのガボンにあるムカラバ国立公園でニシローランドゴリラの調査に従事してきた。久しぶりに熱帯雨林を存分に味わった」
とあった。
山極氏の文章は分かりやすい。「おわりに」の続きの文章は次の通り。
<まずものすごい湿気だ。湿度は常に100%で、ちょっとほっておくと何でもすぐにカビが生える。それに虫の襲来にいつも悩まされる。朝夕はブユ(ブヨ)、日中はツェツェバエ、夜は蚊が血を吸いにくる。森の中ではダニにたかられるし、ハエやハリナシバチもしつこくまとわりついてくる。こういう大小の虫たちをムアンズという虫払い棒でたたきながら森を歩いていると、人間はこれがいやで森を出たのではないかと思いたくなる。>
<今は雨季の初めで、木々は赤い色をした新葉をつけている。まるで紅葉を見ているような気分になる。さまざまな果実が熟れ始め、森には甘い香りが漂っている。林床には赤や黄の果実が散乱し、動物たちの食べ跡が残っている。ゴリラの歯型のついた果実もあちこちでみつかり、彼らもこの贅沢なときを楽しんでいることがわかる。>
要点を押さえた簡潔な文章と、事実に裏付けされた仮説が刺激的、魅力的だ。
本書の内容を俯瞰してある「はじめに」の一部を書き写す。
<そもそも霊長類の社会は他の哺乳類とは違う性質をもっている。それは、霊長類がまず樹上に生活空間を広げた、哺乳類としてはまれな存在だからである。私たち人間が世界を認知する能力も、仲間との間に起こす葛藤も、戦う能力も、すべて霊長類として進化した時代に身につけたものである。人間の争いの原因も、争いや和解の方法も、彼らから受け継いだ特徴の中にみつけることができるはずだ。>
<毎年のように、霊長類の社会行動について新しい発見が報告されている。それらの最新の知見を取り入れながら、私はまだよくわかっていない人間社会の由来を考えてみようと思う。>
本文は以下の構成だ。
第1章 攻撃性をめぐる神話
①人類の進化史と攻撃性(武器をもった猿人?、「血塗られた歴史」という物語、ローレンツの描く「人間性」)②狩猟仮説(狩猟民は攻撃的か、攻撃性は本能に直結しない、祖型人類は狩猟民か、人類が受け継いだものの探求)③暴力とは何か(暴力への愛憎、「キング・コング」という誤解、異種への攻撃性と同種への攻撃性、争いと暴力の原点を探る)
第2章 食が社会を生んだ
①生物がともに生きる意味(熱帯雨林に生きるということ、霊長類始まりの地、共生の森から、種子散布という戦略、霊長類と被子植物の共進化)②食べることによって進化した能力(ゴリラのグルメ、霊長類の始まりの姿、葉食を可能にするメカニズム、ヒトに受け継がれた類人猿の食性)③食物の違いがもたらすもの(霊長類だけがもつ特徴、食と体躯の多様な関係、食の相違が左右する社会構造)④二ッチとテリトリー(熱帯雨林は食物の宝庫か、鳥類のテリトリーと食虫類のテリトリー、単独行動ペア型テリトリー)⑤昼の世界が集団生活を生んだ(単独で暮らす夜行性のサルたち、群れを作る昼行性のサルたち、昼の世界がもたらすもの)⑥食物と捕食者の影響(真猿類は単独生活をしない、食物の質と分布が「群れ」を生むのか、身を守るために群れる)⑦食物をめぐる争いと社会性の進化(テリトリーから群れへ、優劣順位により争いを回避するニホンザル、スクランブルとコンテスト、二つの競合のかたち、食による社会理解の盲点)
第3章 性をめぐる争い
①インセストの回避と社会の進化(サルたちのインセスト回避、家族の起源)②ペア生活の進化(ペア生活のもたらす利益、テナガザルのペア生活、ペアと育児の関係)③メスがオスの共存を左右する(オスが単数の群れと複数の群れの違い、出産期間かメスの数か、性皮の有無が分けるもの、人間集団の性の不思議)④母系と父系(「血縁のないメス社会」という謎、ニホンザルの血縁関係、チンパンジーの社会性に迫る、群れを移籍するメスゴリラ、メスゴリラのいsかいとオスの仲裁、霊長類の母系と父系)⑤娘と息子のゆくえ(インセストの回避が霊長類の社会構造を動かす、DNAが明かすサルたちの血縁、チンパンジーとボノボの交尾回避、ゴリラの旅立ち、インセストタブーがもたらす共存)
第4章 サルはどうやって葛藤を解決しているか
①優劣順位とは何か(直線的に序列を決めるオスニホンザル、メスニホンザルの家系順位、群れの中の序列をどう読むか)②所有をめぐる争い(「先行者優先の原則」の混乱、序列意識の強いサルと弱いサル)③和解の方法(サルのさまざまな和解、チンパンジーは仲直りに積極的、「ホカホカ」で緊張を抑えるボノボたち、ゴリラが見つめ合う理由、仲裁と介入はどう違うのか、三角関係のもつれをゴリラはどう収めたか、弱者による仲裁)④食物を分配する類人猿(ゴリラたちの食卓、小さなゴリラが大きなゴリラをどかす、仲間に食物を乞うチンパンジー、ボノボの食物乞委は自己顕示なのか、類人猿以外のサルたちの分配、食物を分け与えるという戦略)⑤性の相手は分けられない(異性をめぐる争いに解決策はあるか、順位の低いオスほど交尾する?メスチンパンジーをめぐるオスたちの同盟、ボノボの不思議な発情、オスたちの共存、ボノボ・チンパンジー・ゴリラ、娘ゴリラと父親の別れ、DNAが明かす父親ゴリラと息子の関係)
第5章 暴力の自然誌ー子殺しから戦争まで
①子殺しと社会の変異(病理か必然か、子殺しを生む社会、メスゴリラが群れを出るとき、子殺しの有無が社会構造を変える、「子殺し」発生の波紋、交尾と授乳の衝突、父性という抑制装置、人間社会は性と暴力をコントロールしているか)②人間はどう進化してきたか(人類誕生の地から、初期人類とチンパンジーの違い、二足歩行と狩猟、脳の進化と肉食、食べられる獲物としての人類、森を出た人類・森に残った類人猿)③家族と不思議な生活史(二足歩行起源の諸説、二足歩行が生む分配、「多産」という人類の初期条件、人類と子殺し、祖型人類の社会構造を探る、インセストタブーが「家族」を生んだ、家族が分かち合うもの)④分かち合う社会(狩猟民の惜しみなき分配社会、贈与されるのは心理的負債か、「分け与える」ことと「分かり合う」ことは違う、類人猿と人類の分配の違い、食物のもつ社会的な力)⑤所有と家族の起源(家族という社会、歌は言語に先立つ)⑥戦いの本質とは何か(チンパンジーは戦争をするか、拡大した共同体のゆくえ、大量殺戮はなぜ生まれたのか、狩猟的空間認知と農耕的空間認知、起源への問いが戦争を呼ぶ、霊長類としての人類の可能性)
以上が内容の概要だ。
昔々のことだが、私が高校生の時だったか、伊谷純一郎著「ゴリラとピグミーの森」(岩波新書)を読んだ(と思う)。別の本だったかもしれないが、うろ覚えなので、それ以上は分からない。大人の読んでいる本を読みたくてチャレンジするために、学校近くの本屋で買っただけのことで、深い意味があったわけではない。
その時には「ゴリラの話か」としか思わなかった。たしか、新書には珍しいゴリラの写真が何枚か載っていて、写真入りの新書は珍しいなあ、と思った、という他愛もないことしか覚えていない。
実は霊長類学という日本で生まれた学問の第一人者が一般人向けに書いた本だ、などとは当時、知りようもなかった。
伊谷さんには1954年の今西錦司編「高崎山のサル 日本動物記2」という著書もある、戦争直後から活躍した人だった、と今回、この本の「参考文献」欄で初めて知った。
以下、本文の内容を大胆にダイジェストしたものだ。「であろう」とか「という説が有力だ」などは、すべて断定調にした。
なお、このブログを読む方にお願いがあります。
この文章は山極さんの書物そのものではないし、本の内容を誤解してダイジェストしたり、引用したりしている部分もあると思うので、くれぐれも山極さんの本の引用としては使わないで下さい。必ず、山極さんの本(このブログにアフィリエットとしてアップしてあります)を読んでください。
◆霊長類の誕生
最初の霊長類が誕生したのは新世代初頭の今から6500万年前の北アメリカだった。当時は地球の陸地はローラシアとゴンドワナという大きな大陸に分かれており、現在の北アメリカはユーラシア、アフリカとともにローラシアの一部で、赤道近くに位置していた。南半球には現在のインド、オーストラリア、南アメリカからなる断片状のゴンドワナ大陸があった。
気候は温暖で熱帯雨林がローラシア大陸を広く覆い、今から1億年前に被子植物が環境に合わせて多様に分化する「適応放散」を始め、それまで地球を覆っていた裸子植物を高緯度地帯に追いやった。3~4億年前に地球上に登場し、1億年前に多様化していた昆虫が花粉を運ぶことで、被子植物の繁栄を助けた。
霊長類は食虫類から分化したので、最初の霊長類は樹上で昆虫を食していた。被子植物は横に枝を広げる性質があるので、地面に降りずに樹上を渡り歩くことができる「樹上の道」ができた。
霊長類が地上に降りずに木から木へ移動することができるようになったことは、地上に住む捕食者から逃れるのに役立った。
霊長類は虫だけでなく、花、葉、果実なども食べるようになり、植物を直接の食物資源として摂取、生活の場としても植物に依存するようになった。
◆熱帯雨林は共生系
熱帯雨林は多様な生物によって成り立つ「共生系」であり、現在、熱帯雨林の面積は地球上の陸地の3%しかないが、そこにこれまで知られている生物140万種の中の50%以上がいる。その半分以上が昆虫だ。
熱帯雨林の植物の90%は被子植物。多様な生物の宝庫である熱帯雨林は被子植物と昆虫によって支えられている。
高さの違う樹木によって上中下といった階層構造が森林に発達し、多くの生態的地位(ニッチ)ができて、棲み分けが可能になった。
昆虫類が運べるのは花粉くらいだったが、霊長類は大量に果実を飲み込み、時間をかけて消化した後に種子を糞に包んで落とすので、発芽に好条件だった。
植物は霊長類が丸ごと飲み込むように、果肉と種子をはがれにくくした。オナガザルの仲間は頬袋を持ち、食べ物をその場で飲み込まず、いったん頬袋に入れて、あとで食べることができるようになったので、外敵から身を守れ、生き残る力が強くなり、他の霊長類はだんだん追いつめられ、種の数を減らした。
人類に近い類人猿は頬袋を持っていない。しかし、変動の激しい昆虫類や、季節変化・年変化の大きい果実に比べて、熱帯雨林には常緑樹葉がふんだんにある。葉を食べるようになった霊長類は巨大な量の食物資源を手に入れ、体を大きくすることができた。
◆植物採取で体が大きくなった
哺乳動物の基礎代謝量は体重の4分の3乗に比例するので、体重が重くなるほど必要なエネルギー量の比率は少なくてすむ。
大量の食物資源を手に入れ大型化した葉食の霊長類は、大きな体ゆえのエネルギー効率の良さにより、さらに大型化。葉を食べる霊長類は昆虫だけを食べる霊長類よりも大型化した。
類人猿は腸内にバクテリアを共生させ(後腸発酵)、食べた果実と葉を直腸に送り込み、ゆっくり腸内を移動させながらバクテリアによってセルロースを分解させる。葉を多く食べるゴリラなどは直腸が巨大になっている。
人間もこのような類人猿の食性を受け継いでいる。未熟な果実が渋くて食べられないのは二次代謝物質に弱いため。甘い果実が大好きなのも完熟した果実しか食べないせいだ。
昆虫食、果実食、葉食といった食性の違いによって、体の大きさ、咀嚼器官、消化システムが異なり、食物を探す時間や空間、年間に歩き回る行動域の広さ、食物を採食する場所への滞在時間、一日に移動する距離、集団の大きさなどに違いが出てきた。
霊長類は手や足で物を握り、指先の触覚で物の硬さや形状を確かめるが、これは親指が少なくとも他の指の1本と向かい合い、手足の指のどれかに人間と同じような平爪がある。
どの霊長類も鎖骨を持っている。これで垂直歩行時にバランスを取ることができるようになり、体の安定を保ったままで、手を自由に使えるようになった。
◆両目が前に並び、嗅覚よりも視覚が発達
樹上生活は立体的に世界をながめる視覚を発達させ、この能力を高めるために目の位置が側面から前方へと移動し、鼻面が後退して両目の視野が大幅に重複し、視野にあるものの距離を目測できるようになった。
嗅覚よりも視覚に頼ることが多くなった。色彩を感知することのない多くの哺乳類の中で、霊長類が色彩視を獲得したのは植物の有益な情報を利用するためだった。
消化器系は主として昆虫や植物を消化するようにできている。肉食動物のように食べだめは利かない。毎日、食物を摂取し、消化する必要がある。これが、霊長類が一日のかなりの時間を採食に割く理由だ。
昆虫や果実は1度に1カ所で得られる量が少ないので、広い範囲を探し回らなければならない。
葉は狭い範囲で大量に得られるが、セルロースや二次代謝物質を分解するには時間がかかる。
このため、昆虫や果実類を主とする霊長類は一日中食べ歩いていることが多いが、葉食の霊長類は食べた後にゆっくり休息を取る。朝方と夕方に採食の時間が集中し、正午近くは休息して消化にあてている。
食物の違いは霊長類とネコ科動物の行動に決定的な影響を与えた。
ネコ科動物は獲物さえあれば気候や植生の違いにはあまり影響を受けないから、トラやヒョウは熱帯雨林からシベリアの雪原やヒマラヤの高地まで分布している。
狩りの経験と技術が生き残りにものを言うので、親は子どもに狩りを教えるし、個体が増えすぎると食物が足りなくなるので、厳格なテリトリーを守ることで知られている。
一方、霊長類は食物とする植物の分布に大きく影響を受ける。植物の分布は気候によって決まるので、霊長類の分布も気候に左右される。
霊長類はいまだに熱帯雨林を中心に分布しており、雪のある地方へ分布を広げたのはニホンザルなどわずかな種に過ぎない。
しかし、霊長類は普通、100種類以上の植物のさまざまな部位を食べるので、お目当てが見つからなかったら、別の食物を食べればいいので、食物にあまり固執することはない。
◆熱帯雨林は食物の宝庫ではなかった
食物連鎖の段階が上がると、動物の体の大きさは増大し、個体数は少なくなる。個体数を決定する要因はエネルギー収支だ。
植物(生産者)は太陽エネルギーのせいぜい2%しか取り込めない。植物を食べる動物(一次消費者)は植物が取り込んだエネルギーの10%程度しか利用できない。さらに、それを食べる肉食動物(二次消費者)はその10%というように、入手エネルギーは急激に減っていく。これが食物連鎖の上部の動物の数が極端に少ない理由だ。
ゲオルギー・ガウゼは「同じニッチ(生態的地位)には2種が共存することはない」という一般原則である「競争排除原則」を見つけた。自然界にはこのようにニッチを多様化することで、多種の動物を共存させる機構が備わっている。
熱帯雨林に多種の生物が共存しているのも、この競争排除原則によるニッチ化が絶え間なく起きているせいだ。
食虫類から分かれた霊長類が初めて進出した樹上で切り開いたニッチは鳥の領分だった。しかし、霊長類は鳥のように空を飛べないため、同種や異種の仲間との間で食物の配分を決める方策は、まず食虫類と同じように単独でテリトリーを構えるというものだった。
鳥はオス、メスの番が単独行動ペア型のテリトリーを持つ。
鳥類と霊長類の中間のツバイ目のツバイも単独行動ペア型のテリトリーを持つ。
霊長類でも夜行性の小型の原猿類で虫をよく食べる種はメスもオスもテリトリーを構えることが多い。メガネザルはメスもオスも独自のテリトリーを構える種がある。
これらの単独テリトリーは人間を含む類人猿にはほとんど見られない。最初の霊長類がテリトリーを構えていたとすると、それが変化したのは夜行性から昼の生活に移ってからだ。
昆虫食から果実食、葉食への食性の変化、体重の増加がきっかけだった。
◆昼の生活への移行
夜の生活は体格が小さく、単独生活か最小限の集団であるペア生活をするのに向いている。虫など分散している食物を利用し、行動圏をテリトリーとして防衛する傾向が強い。果実などと違って動く食物なので、ある範囲の空間を占有する方法が有効だからだ。これが成り立つのは、小さなテリトリーでも十分な食物が得られることが前提となる。
一方、果実は得られる場所が決まっているが、季節によって得られる時期があり、広く分布している。果実を食物として取り入れる割合が高くなると、食べごろの果実のありかを視覚を用いて感知し、昼間に動くことが多くなる。
広い範囲を動き回れば外敵に襲われる危険も増すので、昼間に行動するようになったのだろう。
捕食を回避するために夜行性霊長類は単独で目立たないように行動する性質を進化させたが、昼行性の霊長類はこのような対捕食者対策をやめ、群れをつくることで捕食者の危険を減じようとした。捕食者をすばやく発見し、すばやく逃げる、という戦術だ。
◆性をめぐる葛藤
人間以外の霊長類は異性をめぐる葛藤を4つの方法で解決しようと試みてきた。①テリトリーをもって離れあう②オスが単独でメスを囲い合う③優劣順位に応じて異性への接近権を認める④乱交を許す――の4つだ。
ダーウィンは形質の変異を引き起こす要因を自然淘汰と性淘汰に分けた。
性淘汰は異性をめぐる同性間の競合と、好ましい形質を異性が選択することによって起こる。
集団生活をする霊長類では原猿類やペアを作る種を除き、オスがメスよりも大きく、派手な体色や形態上の特徴を持っている。だから、霊長類ではメスよりもオスに性淘汰が大きくかかっている。
ニホンザルでは順位の高いオスよりも順位の低いオスのほうが交尾の回数が多い。メスがオスを選択している。
メスは毎年違ったオスを選択している。優劣順よりも滞在年数の短いオスが子どもを残す傾向にある。
ところが、DNA鑑定の結果、子どもの父は優位のチンパンジーが多いことが分かった。
乱交的に見えているのは、優位なオスは妊娠する可能性の低い時期には他のオスの交尾を許しているためで、排卵日に近い発情メスとの交尾は優位なオスが独占しようとする傾向があるに違いない。
◆発情性比
発情性比とは発情メス1匹に対する群れのオスの数。
チンパンジーのメスは発情を同期させないので、発情性比は4.2。地域によっては12.3にもなる。ボノボのメスも発情を同期させないが、発情期間が長いので2.8ほど。発情期間が長いのはボノボのメスが授乳期間も発情するためだ。霊長類では普通、メスが授乳している間は発情も妊娠もしない。
これは母乳の産出を促すプロラクチンというホルモンが発情ホルモンのエストロゲンの上昇を抑えるためだ。
類人猿でもオランウータン、ゴリラ、チンパンジーのメスは授乳中発情することはない。
類人猿は3~5年の長い授乳期間をもっているので、群れに複数のメスがいても発情するメスの数は少ない。
ところが、ボノボのメスは授乳が始まってから1年もたつと、発情を再開する。同時に発情するメスの数も増えて発情性比が低くなる。ボノボではメスが繰り返し発情するため、オスが交尾を独占できず、乱交状態になる。
メスとの交尾にはオス同士の優劣関係が反映されず、したがってオス同士の取引にも使えない。交尾をするかどうかは、オスとメスとの直接的な交渉による。だから、食物の分配をせがむメスが、あたかも取引のようにオスを交尾に誘う。
チンパンジーでも強い乱交状態になることがある。
◆インセスト(近親相姦)タブー
家族が人間の社会を特徴付けるものであること、それがインセストタブーによって成立していることを19世紀の人類学者たちが論じた。1877年に「古代社会」を著わしたルイス・モーガンは人類が親子兄弟の区別なく性行為を営む原始乱婚の状態から進化した、とみなした。やがて、親子の間、兄弟姉妹の間でインセストを禁止するようになり、現代の核家族のように性交渉を夫婦に限定するような親族関係が管制した、との説だった。
しかし、インセストを回避する傾向は人間以外の動物にすでに具わっていた。1950年代初めに、それを日本の霊長類学者が発見し、モーガン説の誤りが分かった。
◆人間の家族はどのように成立したか
では、人間の家族はどのように成立したのだろうか?
すでにあったインセストを回避する性質を利用して家族は創設されたに違いない。人間の社会ではインセストの禁止が親子以外の近親間に適用されているからだ。人間の家族では母親と息子だけでなく、父親と娘、兄弟姉妹、さらに広い血縁までインセストが禁止されている。
普段顔を合わせて暮らしていない親族にまでインセストが禁止されるのは心理的な機構では説明できない規範がそこにあるからだ。
今西錦司氏は霊長類にまで遡って人間家族の起源を考え、外婚制(群れの外に番の相手を求めるシステム)、インセストタブー、男女の分業――という3条件がすでに人間以前の段階で成立していたとみた。
人間の段階で初めて可能になったのは、複数の家族が集まって近隣関係を作り、上位の地域社会を形成するという条件だ。
おそらく親子以外の血縁者にも性交渉や結婚を禁じるようにならなければ、こういった複数の家族が共存できるような社会はできなかったに違いない。
インセストの回避をタブーという制度にしなければならなかったのは、このためである。
人間は哺乳類としては初めて集団生活とペア生活が両立できる社会を作った。そのためにこそ、インセストの禁止によって性の競合を緩和する家族という形態が必要だったはずだ。
おそらく霊長類にとってインセストの回避は性の競合を回避するためのものだったわけではなく、どちらかの性を分散させて、遺伝的な劣性を避ける機構だったはずである。人類はそれを社会的な目的のために利用したのである。
◆群れ社会からスタートして家族ができた
人間の家族は、その始まりにおいて、ペア社会から生まれたものではない。
群れがまずあり、そこに家族というペア社会を可能にする仕組みができたのだ。
それは人間の男女の体格に比較的大きな差があることからも明らかである。集団生活する霊長類では一般に雌雄の体格差が大きく、ペア生活を送るのは、体格差のない種に限られている。
ペアではない集団生活からどのようにしてペアに性交渉を限定するような家族が生まれたか、だが、そのプロセスにインセストの禁止が大きな働きをしているはずだ。
霊長類の性の競合と社会構造、そしてインセストを回避する仕組みを比較しながら、それを考えてみよう。
鳥やオオカミのペアのように雌雄が共同で子育てをする姿は霊長類には極めてまれだ。だが、霊長類にもオスが熱心に子育てする種がある。南米に生息する小型のタマリンやマーモセットである。
◆睾丸の大きさの比較
また、単雄複雌と複雄複雌という構成の違いはオス間のメスをめぐる競合の違いを色濃く反映している。それには証拠があり、睾丸の大きさである。
睾丸は精子を作る器官で、その大きさは精子の数に対応する。
霊長類の種ごとにオスの体重と睾丸の重さの比率を比べると、複雄複雌の種のほうが単雄複雌の種より明らかに大きい。単雄複雌のゴリラのオスの睾丸は体重の0.02%しかないが、複雄複雌のチンパンジーは0.27%と10倍以上の大きな睾丸をもつ。
1回の射精で放出する精子の量はゴリラで51万、チンパンジーで603万と、ほぼ睾丸の大きさに比例する。
これは、ゴリラのオスは他のオスを排除して独占的にメスと交尾するのでわずかな精子で十分なのだが、チンパンジーのオスは複数のオスが同じメスと交尾するので、元気な精子をたくさん出して精子同士で競争させる必要があることを示している。
1年のある時期に出産期が集中する理由は、食物環境が季節的に変化するためだ。雨季になると木々は一斉に芽吹き、タンパク質に富んだ新葉が食べられる。授乳が必要な霊長類はこの時期に出産期をあてて、子育てをするほうが季節によって変化する環境では適応的だろう。
事実、もっとも高緯度に暮らすニホンザルは木々が芽吹く春に出産し、秋にメスたちが一斉に発情する。もちろん複雄複雌である。
霊長類のメスの体には、オスとの交尾関係を決定する重要な性の特徴がある。
それは性皮の存在だ。旧大陸に生息する真猿類(旧世界ザル)だけに進化した特徴で、原猿類や新世界ザルにはない。ヒト科ではチンパンジー属だけにある。オランウータンとヒトには欠落している。
性皮が膨張する種は複雄複雌で、膨張しない種は単雄複雌の構成をもつことが多い。
◆性皮の有無の問題
メスが性皮を膨張させる種は性皮をもたない種に比べて長く発情する。
性皮をもたない種はメスが排卵日を含む2、3日しか発情しないので、交尾は妊娠に直結する可能性が高い。
しかし、性皮を膨張させるメスは排卵日から遠く隔たった日にも発情傾向を示す。オスの精子は膣の中でせいぜい72時間しか活力をもたないので、排卵日から4日以上離れれば授精させることはできない。
にもかかわらず、ヒヒ類もチンパンジーも毎周期2週間近くも性皮を膨張させる。
これは明らかにメスが1頭のオスと独占的な交尾関係を結ばず、多くのオスと交尾することで生まれる子どもの父性を曖昧にしようとする戦略だと考えられている。
オス同士が張り合ってメスと交尾する権利を独占しようとするのに対し、メスは性皮を膨張させて多くのオスを誘い、長期間にわたって交尾することで、どのオスにも繁殖成功の可能性を示唆する。こういったメスの行動によって、複数のオスが共存し、精子競争が高まって睾丸のサイズが大きくなった、と考えることができる。
霊長類の群れ構成の進化を考える時、環境の季節性もメスの繁殖戦略もどちらも重要だ。
ニホンザルやアカゲザルのように季節繁殖する種では、メスの性皮を膨張させなくとも複数のオスが乱交的な交尾をすることになる。一方、周年にわたって交尾する複雄群は、メスの顕著な発情兆候と長い発情によって形成され維持されている可能性が高い。
では、この霊長類の特徴に照らし合わせると人間はどうなのか? 人間は不思議な特徴を併せ持っているのである。
◆人間の場合は?
人間の男の睾丸はゴリラより大きく、チンパンジーより小さい。精子の密度もちょうど中間。この特徴は精子競争があるとも言えるし、ないとも言える。
人間の女には性皮はなく、発情兆候は明らかでない。だが、性交渉が排卵の時期に限定されているわけではない。性交渉の頻度や出産の時期に季節による偏りがあるとも言えない。
複数の男女が日常的に顔を合わす人間社会は、決してチンパンジーのような乱交を許す社会ではない。
しかし、かといってゴリラのようにオスが配偶関係の独占を確立し合っている社会でもない。
おそらく、そこに家族をつくった人間の不思議な性の特徴が隠されている。
◆母系と父系
群れからオスかメスのどちらかが出て行く傾向は、インセストを避けるためである。どちらも出て行かなかったらインセストが必然的におきるからだ。
霊長類では血縁関係を認知することよりも、親しい関係を作ることのほうが交尾の回避をもたらしている。ゴリラのオスは離乳期から思春期に至るまで熱心に子育てする。この「親しさ」が娘とのインセストを避けている。また、父と息子との間でのメスをめぐる争いを避けさせている。
初期の人類がもし、類人猿と同じような父系的性格をもっていたならば、やはりインセストの起こる可能性が高かったに違いない。
それを人類はインセストタブーという規範にして社会を作ったのだろう。なぜ、そんな規範が必要だったか?
それはインセストの回避によって親子兄弟姉妹が性的な競合を減じて共存できるからだ。
人間の社会におけるインセストの禁止は性的な競合を弱めるための仕組みだったのではないか。母親と息子、父親と娘、兄弟姉妹は異性でありながら、性行為をする間柄ではない。
そのために、家族の一員が他の家族の一員と結ばれても、家族の絆は切れることはないし、家族間に性的葛藤が起こることもない。だからこそ、家族同士が連合することもできる。
おそらく幼児期の世話を介して雌雄間の性的な関心を抑えるような霊長類の普遍的傾向は人間の社会ではインセストを防止するだけでなく、非性的な親和関係を作るように発達してきたに違いない。そして、それは異性間にも同性間にも家族の枠を超えて共存を促すような働きをもっている。
◆サルは食物をめぐる葛藤をふぉのように解決しているか?
ニホンザルにとっては優劣関係が共存のためのルールだ。優劣関係とは一種のパワーゲームだ。オスの間には直線的な優劣関係がある。群れに共存するメスはいくつかの家系に分かれている。
娘が母のすぐ下につくというルールができており、これが家系順位。ニホンザルのオスは群れが居心地悪ければ出て行けばいい。
ここが父系社会に生きるチンパンジーと違うところだ。
ニホンザルは食物を最初に取ったサルが自分のものとし、他のサルがそれを奪い取ることはない、という「先行保有者優先の原則」がある。ニホンザルには頬袋がある。
けんかが起きた際の和解の方法もいろいろある。
チンパンジーの仲間のボノボはメス同士が対面し、膨張した性皮を左右にこすり合わせるという変わった仲直り行動がある。これが「ホカホカ」だ。オス同士は対面して勃起したペニスを触れ合わせたり、逆に後ろを向いて尻を付け合ったりする。雌雄では交尾が起こる。ボノボは社会的緊張が高まると、性交渉によってそれを解消しようとする。
ホカホカは群れに加入してきたばかりの新参メスと、長くその群れに滞在している古参メスとの間によく見られるという。移籍後の新しい群れで、メスはまず古顔の優位なメスとの間に葛藤を経験し、それを克服するために性を活用する。
◆見つめ合う和解
ゴリラの場合は見つめ合うことで仲直りをすることが多い。子どもやメス同士のけんかに大人のオスが介入し、攻撃されたほうに加勢したり、どちらにも加勢せず、当事者の間に大きな体を割り込ませてうつぶせになる。これは明らかに仲裁である。大人の三角関係のけんかは他のオスなどが引き離し、けんかを仲裁する。弱者による仲裁の方法は間に割り込んで、相手をじっと見つめるやり方だ。
食物の分配でも、ニホンザルは優劣関係に応じた占有権の確認でいさかいをおさめる。
ゴリラは食物を前にして仲間との間に葛藤を覚えた場合、それを許容と共存の担保として利用、せっかく占有した採食場所を譲る。譲られたゴリラは恩を受けるのでお返しをする。ニホンザルでは相手に近づいて採食場所の譲渡を要求するのは必ず優位のサルだが、ゴリラは劣位のゴリラが優位のゴリラにお譲らせる。
最優位のゴリラのオスは自分の地位を狙う第2位のオスには決して分配せず、自分と同盟関係にある下位のオスにだけ食物を取ることを許す。食物はオスの間の政治や求愛の道具として用いられている。なお、ゴリラが胸を叩くのは戦いそのものではなく、自己主張である。チンパンジーやボノボも食物を社会的な手段として用いて互いの関係を調整している。
◆マウンテンゴリラの子殺し
新しいボスのオスは他のオスとの交尾で生まれた赤ちゃんを殺す。これは赤ちゃんがいるとメスの発情が始まらないため、発情を起こさせ、自分の子どもを作るため。
子殺しの起こる種はメスが群れの外のオスと交尾しないという特徴がある。発情に季節性がなく、メスが一斉に発情しない、という特徴も子殺しが起こる種の特徴。
子殺しが霊長類の社会性を作る大きな要因だとすれば、子殺しが起こらない種は二つの方法を取っている。①オスが子どもの父性を確認できるようにする方向性②父性を混乱させてどのオスにも父性があると思わせる方法――の二つだ。前者はオスがメスと独占的に交尾できる道へ、後者は完全な乱交へとつながる。
チンパンジーの子殺しでは、殺した子どもをみんなで食べてしまう。
◆人間社会は性と暴力をコントロールしているか?
人間の社会に起こる暴力や幼児への虐待は類人猿とは比べものにならないほど多様で複雑な人間関係が原因だが、その多くに性の問題がからんでいることは否定できない。
子どもの死亡率はどの社会でも1歳までの乳幼児に高く、それから急速に減少するが、思春期に再び上昇する。
乳児の志望は親の保護体制のほころびが原因だが、青年、特に男の子の死亡には過剰な自己主張が原因と考えられるものが少なくない。そこには性的なトラブルが影響を与えていることが多いのではないか、と考えられる。
人間の社会はテナガザルやボノボのようには、それをうまく解決できないでいる。なぜなら、人間はテナガザルのようなペア社会も、ボノボのような乱交的な性関係も発達させなかったからだ。
では人間はなぜ性をめぐる暴力を抑える社会をもつことができなかったのか?
◆二足歩行と狩猟~脳増大と肉食
チンパンジーと人類の祖先が分岐してから、最初に現れた人類独自の特徴は直立二足歩行だった。
700万年前のサヘラントロプスや600万年前のオローリンはすでに直立して歩いていた。
240万年前に現れたホモ・ハビルスもその後に現れたホモ・エレクトスも肉食獣が食べ残した死肉を食べていた。彼らの顕著な特徴は肉食である。人間は脳を大きくするために肉食をした。
チンパンジーは肉食をするといっても年間の食物の5%。熱帯地方の狩猟採集民は全食物の20~30%を肉が占める。極北のイヌイットはほとんどが肉か魚を食べている。
人類は寒冷乾燥の季節が長い環境へ移住するに従って肉食の度合いを強め、肉食に適した消化管をもつようになった。
脳は大変カロリーを食う器官だ。重さは体重の2%しかないのに、消費エネルギーは20%に達する。
肉は果実の2倍以上、葉の10倍以上のカロリーがある。しかも、肉食によって消化管を小さくしたので、消化に費やすエネルギーを減らすことができ、そのエネルギーを脳へ回すことができた。
なぜ大きな脳が必要だったか?
いくつかある選択肢の一つで、現生人類ではない種では小さな脳と頑丈な顎をもって、エナメル質の厚い大きな臼歯で根や樹皮をかじって暮らしていた種もあった。
人類はその道ではなく、脳を肥大化させた。アフリカのサバンナで多くの動物と共存しながら新しいニッチを開拓する過程で大きな脳が必要になったのだろう。
初期人類の脳が大きくなったのは狩猟をするようになったからではない。40万年前から狩猟に武器を使用したが、武器は人間には向けられなかった。
人間同士が武器で争うようになったのは1万年前に農耕が始まって以降だ。9000年前の遺跡から戦争に武器を使用した跡が見つかっている。
長い間、人類は道具を武器として同種の仲間には向けてこなかった。食物を得るための道具、獲物を捕らえるための狩猟具と戦争をするための武器は全く別なのだ。
ドナ・ハートとロバート・サスマンが「ヒトは食べられて進化した」で書いているように、人類は狩りをすることで進化したのではなく、捕食動物に狩られることによって進化した。
逆の解釈が長く通じたのはキリスト教由来の「神の恩恵を失い、原罪を負った人間は捕食者としての本能を脳の拡大によって発揮した」という考えに影響されたからだ、と両氏は主張する。
◆家族と不思議な生活史~レヴィ=ストロースの仮説
直立二足歩行によって自由になった手は食物を運ぶことに使われた。
人類は食物をめぐる葛藤を優劣関係に回収しない類人猿の社会性を引き継いでいる。
マントヒヒとは違った方法での共存関係が「インセストの禁止と食における共同」だった。
家族はその結果として生まれた。家族は一つの独立した集団単位ではなく、インセスト禁止を介して他の家族と密接に繋がっている。
クロード・レヴィ=ストロースら多くの人類学者が人間家族の条件にインセストタブーを挙げ、最も原初的な規範とみなしている理由はここにある。
人間は性を家族内に閉じ込めたかわりに、食を公開して共同行為に発展させた。
ブッシュマンもピグミーもみな、獲物を獲ってきた人間を英雄扱いせず、みんなで平等に食物を分配する。贈与することは相手に心理的負担を生じさせるので、分配はなるべく、無機的に行われる。分配された方はほとんど感謝の念も示さない。
狩猟採集民の分配は、まず食物を「われわれ」のもとへ集めて、それを平等に分けるという行為。そこでは「所有」という意識を意図的に消そうという努力が見える。
ボノボ、チンパンジーなど類人猿は分配をせがみ、せがまれ、葛藤する中で分け与える過程で、自分の中の他者と出会う。そして、他者への「共感」を生じる、という。言語によらない規範や自然制度につながる可能性がある。
しかし、狩猟採集民の「共存のイデオロギー」は食物を介した二者間のコミュニケーションを否定しようとする。
これは、彼らが人々の関係に及ぼす食物の影響力をよく知っているからだ。
所有は物に所有者の人格を刻印する。いったん所有された食物は分配を介して食物と共に、いや食物が食べられた後も、与え手の存在を受け手に記憶させ続ける。二者間の特別な関係は共在の場を壊す危険を孕んでいる。
狩猟採集活動によって食物を現場から引き離し、それを操作することができるようになった人間は、食物を政治的な手段にすることを自らに禁じたのである。
人類の食生活の顕著な特徴はわざわざ食べ物を仲間のもとへ持ってきて食べるということだ。
食物の分配が勝手に行われれば社会のルールが壊れるので、どの社会でも食物の分配には細かなルールやエチケットが課せられている。狩猟採集民はその影響を極度に抑えた社会をつくった。
レヴィ=ストロースはインセストタブーを「集団間で女の交換による互酬性を実現させる制度」ととらえた。
本来、所有の難しい性の相手を互酬性に基づく交換に用いて、その所有を共同体によって合意し、所有の生じやすい食を徹底的に分かち合うことによって葛藤を抑えたのである。
それは複数の家族が集まってより大きな共同体を作るうえで不可欠なものだった。
食を分かち合うことによって強化された結束力は無償で共同体に奉仕する行為を生み、大型の肉食動物が徘徊するサバンナで初期人類が生き抜く大きな原動力となったに違いない。
人類が言語を持ったのはたかだか数万年前に過ぎない。
その前の長い時代は、翻訳の必要もない歌や音楽が「われわれ意識」を強化する大きな手段だった。つまり、音楽は「われわれ意識」を強化する大きな手段になる、ということである。子守唄は世界中どこでも同じトーン、ピッチだという指摘もある。
◆戦いの本質とは何か~大量殺戮はなぜ生まれたのか
共同体とは家族の延長であり、分かち合いの精神によって支えられた「まとまり」である。そのためにはお互いが顔や個性をよく知らないといけない。それが可能な数はだいたい150人が限度とされている。
成員数の増加は互酬性を維持するための社会的コストを増す。
戦いの規模や頻度が増したのは、人間が共同体の規模を広げようとしたからだ。
共同体内部の互酬的な関係を維持するために、土地の拡大や富の蓄積が奨励され、他の共同体との軋轢を生み出した。
農耕民の集団間暴力によって起こる死亡の発生率は、狩猟採集民の3倍にのぼるという指摘もある。
なぜ、大量殺戮を辞さないほどの苛烈な戦争が人類に起こるようになったのか?
それは言語の出現と土地の所有、そして死者につながる新しいアイデンティティーの創出によって可能になった、と私(山極氏)は考えている。
言語は今、そこにない出来事や空想上の話を伝える機能がある。この機能によって言語はヴァーチャルな共同体を作り出した。
国家や民族という幻想の共同体が人々の心に宿るようになった。
1万年前の農耕の出現は人々の土地の利用法を劇的に変え、共同体内外の関係に大きな影響を与えた。
収穫は労力に見合う報酬であり、仕事を分担しなかった者と平等に分かち合えるものであはない。
そのため、土地の所有権を個人や集団に帰属させ、そこに投資をして利益を得る権利を明確にする必要がある。
価値の高い土地を標識で囲って、他人が手を出せないようにした。人々の生活に境界が出現した。
人々が先祖を崇拝し、家系図を大事にするのは、先祖を引き合いに出して土地の権利を守れるからだ。
人間の社会では個人のアイデンティティーは親に、そして共同体につながっている。親や自分の属する共同体が犯した過ちを子孫である自分が償おうという気持ちをみると、人類のアイデンティティーの共通の特徴が分かる。
親の恨み、親族の恨みを晴らすための戦争も起きる。祖先の悲願を達成したい思う心もここに宿る。
家族を守るために戦ってきた男たちが、同じ精神を持って民族のために戦うことを要求される。
食の共同と性のルールによって生まれた愛と奉仕の心は、その力が及ばない領域を支配する者たちによってすり替えられ、人々は戦争へと駆り立てられる。
◆他者への許容性を高め、可塑性を高める教育を
人間の社会性を支えている根源的な特徴とは①育児の共同②食の公開と共食③インセストの禁止④対面コミュニケーション⑤第三者の仲裁⑥言語を用いた会話⑦音楽を通した感情の共有――などなどだ。
霊長類から受け継ぎ、それを独自の形に発展させたこれらの能力を用いて、人類は分かち合う社会をつくった。それは決して権力者を生み出さない共同体だったはずだ。
われわれはもう一度この共同体から出発し、上からではなく、下から組み上げる社会を作っていかなければならない。
人類は狩りや肉食ではなく、共同の育児が教育の道を開いたに違いない。
教育によって、人間の子どもたちは多様性と可塑性を身につけることができるようになった。それが共同体の境界を乗り越え、複数の共同体を行き来する能力を発達させた。
人間が日常的に多様な集団に出入りして暮らすことができるのは、他者への許容性を高めるとともに、見知らぬ仲間のいる集団に即座に同化できる可塑性を広げることができたからだ。
そこにこそ、ボーダレス時代を生き抜く秘訣が隠されていると私(山極氏)は思う。
以上が本の粗筋である。
自分の見解も書こうと思ったが、パソコンのキーボードで手が疲れて、これ以上、字を打ち込めなくなったので、今日は書評というよりも、本の内容紹介にとどめておく。
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