文化・芸術

2009年8月14日 (金)

お盆:墓参り:先祖供養:少子化:無縁墓:家の継承……かぁ、考えてみよう~産経新聞09年8月14日社説

 産経新聞09年8月14日朝刊の第2社説は<先祖供養/「家」の継承考える機会に>だった。この問題に正面から取り組んだ社説は珍しいと思う。
 読んでみる。
 <お盆のテレビニュースにはしばしば、墓参りをする家族連れの姿が映し出される。見ている者まで心の安らぐ思いがするのは、祖霊が慰められることへの幸福感のようなものが伝わってくるからだろう。>
 という書き出しで、
 <民俗学者の柳田国男が「われわれの祖霊が血すじの子孫からの供養を期待していた…」(「明治大正史/世相篇」)と書いたように、墓は恐らく、子孫らが参ってくれることを願って建立されるものに違いない。しかし現実には、子孫が絶えるなどして参り手のなくなった無縁墓が急増している。>
 柳田国男の「明治大正史 世相篇」は講談社学術文庫版を神保町の古書店で買ってきて読んだのだが、朝日新聞に連載された庶民の歴史だそうだ。ところが、それは新聞紙面から拾った題材でつくった歴史だ、というところが珍しい。そこで柳田が「新聞を読めば世相が分かると言うのは嘘だ。新聞は世の中に起きた変わったことしか報じない。当たり前の庶民の生活の姿はそのままでは載っていない」という趣旨のことを書いていたのが印象的だった。
 柳田のこの本は特に上巻が面白かった。その上巻の面白い中のひとつがこの先祖供養だったのではなかったか、と思うのだが。今、手元に本がないので確定的なことは言えないが。
 <この傾向は急激な少子化により、ますます顕著になっていくだろう。第一生命経済研究所が平成17年に発表した資料は、将来自分の墓が無縁墓になる可能性を感じている人がほぼ4人に1人、子供のいない人に限れば約半数にも上ると示した。>
 少子化である。少子化は一般的な国の傾向というだけでなく、身近な出来事として私たちの前に出現してきた。その一つが自分たちの死後の話だ。
 <核家族化の進行や若者の都会志向といった要因も無視できない。「平成20年国民生活基礎調査の概況」(厚生労働省)によると、65歳以上の者がいる世帯の22%は単独世帯だといい、平成元年調査時の14.8%と比べても、いかに急ピッチで“独居”高齢者が増えているかが分かる。>
 平成元年といえば1989年。平成20年は2008年。10年間で5ポイント増えたのか。これは急ピッチだ。
 <ただ無縁墓の増加を、先に挙げた少子化などの社会的要因につなげるだけでは、日本人として何か大切なものを見失うような気がしてならない。墳墓の地である「ふるさと」への愛着が薄れ、「家」や「祖霊」に対する意識も変容してしまった現代人の「心のかたち」にまで踏み込んで考える必要があるだろう。>
 なるほど、そこに誘導するのか。
 <戦後になって「家よりも個」の風潮が強まると、「家」の継承は大きな関心事でなくなり、情緒豊かな「家」のしきたりも忘れられていった。お年寄りの知恵を大事にするなど、大家族が一つ屋根の下で暮らしていた頃には当たり前だった世代間の相互理解という美風も失われようとしている。祖霊を供養するのは、わが身が先祖からの「命のつながり」によって生かされている事実を知ることでもある。自分の命の意味が分かれば、他者を労わる心も自然と湧いてくる。柳田は先著で「家永続の願い」とも書いた。せめてお盆の帰省時くらい「家の永続」に思いを巡らしてみるのも、よいのではないだろうか。>
 そうだなぁ、と思わず頷く内容だ。
 ではどうすればいいのか、となれば、難しいだろうが。

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2009年8月 7日 (金)

<日本のイルカ漁「むごい」/米映画で物議>(読売新聞09年8月7日朝刊)は欧米文化至上主義者の戯言だが、無視できない。政府はきちんと文句を言うべきだ

 またまた腹の立つ記事を見つけた。記事自体の書き方やスタンスに腹を立てているのではない。米国人や豪州人の思い上がりに腹が立つのだ。
 読売新聞09年8月7日朝刊国際面のハコ記事<日本のイルカ漁「むごい」/米映画で物議>である。ロサンゼルス支局の飯田達人特派員の署名記事だが、◇がついているので、◇の後ろは和歌山支局の取材した内容だろう。
 記事を読んでみる。
 <日本の伝統的なイルカ漁で、漁師が多数のイルカを仕留めるシーンを収録した米ドキュメンタリー映画「入り江」(原題The Cove)がロサンゼルスとニューヨークで公開され「むごい秘密が暴かれた」(米有力紙)などと論議を呼んでいる。>
 という書き出しからして頭にきたのだが、続きを読もう。
 <映画の舞台は和歌山県太地町。イルカの知能が極めて高いことが強調され、米国人ダイバーが入り江に潜入し、隠しカメラを設置。漁師が大量のイルカを追い込み、モリで突き、海が血で染まるシーンが登場。上映は7月31日に始まり、ロサンゼルス・タイムズ紙は「虐殺の入り江」との見出しで映画を評価。ニューヨーク・タイムズ紙(7月31日付)も「海が血で染まり、(鑑賞者の)目は涙であふれる」とする評論を載せた。>
 こんな馬鹿な評論は無視しておけばいい、とおっしゃる方もいるとは思うが、これが動物愛護運動の現実である。地球上には様々な文化があり、日本のように自然と共生しながら、自然に感謝しながら生き物を食べて人間が生活するという生き方もあるし、欧米のキリスト教文化のように自然は人間とは敵対しており、征服する対象だ、として、その中で人間に近い動物たちを(偶然性が強く働くが)ピックアップして大切にする。それ以外の自然は無慈悲に切り倒したり、殺したりするという人間中心の一神教文化もある。
 そういうアジア的な多神教文化、死生観を真っ向から否定して「イルカを殺すのは悪い奴」「人道的に許せない」「鯨を食べるのは原始人」などという偏見を国際標準にしようとする欧米人の傲慢さをこれ以上許してはいけないと思う。
 北京五輪の際に(1988年のソウル五輪のときもそうだったが)犬の肉を食べるという中国、韓国の昔からの習慣をいかにも「文明人ではない」と断罪するような論調の欧米紙があり、お調子者の日本の新聞の中には、それに同調する論を掲載するところもあった。
 日本人はなぜ自分の頭でものごとを考える習慣をなくしてしまったのだろうか?
 イルカを大切にする人は勝手に大切にすればいいし、イルカを食べる人は食べればいい。犬を飼う人は飼えばいいし、犬を食べる人は食べればいい。簡単なことだ。なぜ人の嗜好の話を強制するのか? 
 ニューヨーク・タイムズやロサンゼルス・タイムズなどの記者がこんな記事を書いているとは、情けなくなる。米国では大学で何も教えないのか? 文化多元主義とかもう少し教えたほうがいいのではないか。
 欧米人中心の文化覇権主義など、20世紀にすでに終わってしまっている、という冷厳な事実を踏まえていない記者がいい加減なことを書いているだけなのだが、こういういい加減な記事で米国民の反日感情が強まるとすれば、看過出来ない。日本政府はここに書いたようなことを駐日米大使館や駐ワシントン日本大使館から米政府へのチャンネルできちんと抗議しておくべきだと思う。
 こういう問題は堂々と自国の主張をすべきなのだ。それを遠慮しておずおずしていたら、第1次世界大戦後のベルサイユ会議で西園寺公望らが人種差別撤廃を訴えて結局は容れられなかった時からの大東亜の努力が無駄になる。
 日本政府は心して取り組むべきだ。
     ◇
 <和歌山県太地町の三軒一高町長は「そういう映画が制作されていることも、撮影に来たことも知らなかった。作品を見ていないのでコメントのしようがない」と話している。ただ、同町の姉妹都市オーストラリア・ブルーム市には、姉妹関係解消への圧力がかかっているとの情報があるという。>
 自然愛好家とか昔のマルクス主義者の成れの果てだろうが、汚い奴らが多い。結局は盗撮しているのだろう。堂々と来い、と言ってやりたい。

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2009年8月 3日 (月)

中国で昔の漢字に戻す動きがある、と。日本は無理かも、と。さて、どうだろう?~09年8月3日[産経抄]

 産経新聞09年8月3日朝刊[産経抄]は「両岸」会議での漢字の話だ。
 <中国・共産党と台湾の中国国民党は2006年から「両岸(中台)経済貿易文化フォーラム」と称する会議を行っている。先月、中国湖南省で行われた第5回大会では、文化の接近がうたわれ、特にお互いの使う「漢字」の話題で、盛り上がったそうだ。中国では、もとの漢字を簡略した「簡体字」が使われている。新中国の成立後共産党が将来の漢字廃止をにらんで制定したものだ。一方台湾の漢字は「繁体字」という。といってもあくまで簡体字の側からの呼称で台湾の人たちは「正体字」と書く。従来の漢字に余計な手を加えずにいるのだから当然だ。>
 やはり、中国共産党の文化的劣等感から「漢字廃止」を念頭に置いた政策が結実したのが「簡体字」だったのか。
 <中台が経済的な結びつきを強めるなかで一時は、台湾への簡体字の浸透が問題になったことがある。最近では中国で漢字文化を尊重する機運の高まりから、繁体字を見直す動きが出てきた。パソコンの普及で、字画の多い漢字も瞬時に打ち出せるようになったことも大きい。>
 そうなるだろうなぁ。
 <中国文学者の高島俊男さんは以前から少なくとも中国社会の学術と商業の世界で「野暮で見苦しい」簡体字から「美しくてしゃれている」正体字に戻るのでは、と指摘してきた。「昔から学問と商賣とは中国の大黒柱」だからだ(『お言葉ですが…別巻2』連合出版)。>
 そういう流れになると思うが、中国共産党はどういう方向なのか?
 <中国と同じ時期に、やはり漢字の簡略化に踏み切った日本はどうか。「俺」を加えたが、「淫」は削除すべきだ。新しい漢字表の名称は、「基本」か「一般」か。文化審議会の委員会では「常用漢字表」の改定をめぐって、相変わらずこんな議論ばかりしている。もとの漢字、すなわち正字に戻せという声は、一部の文化人の主張にとどまっている。高島さんも「残念だが、もうダメだろう」とあきらめ顔のようだ。>
 簡単な字しか知らない人間がもう還暦を超えた。戦後のマッカーサーGHQ時代、その後の日教組全盛時代の教育を受けた年代がもう60歳を超しているのだ。今ならば間に合う、というようなことはないだろう。間に合うも間に合わないもない、断固やるのだ、という指導者が出てくれば改革はできるのだ。

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2009年6月28日 (日)

日経新聞は醇風美俗は捨て去って少子化対策のために結婚制度を変えろ、と主張する。根拠は国際標準だそうだ:経団連新聞が何を言う”!~6月28日日経社説

 日経新聞が社説の中で行っている[チェンジ!少子化]キャンペーンの一環として6月28日に<日本の「結婚」は今のままでいいのか>を掲載していた。まあ、少子化問題を論じればここまで行くかなぁ、とは思っていたが、家庭の中にいきなり手を突っ込んでくる感じの見出しだったので、少し驚きながら読んでみた。
 <法的に結婚していない両親から生まれる「婚外子」の割合が欧米諸国で増え続けている。フランスでは、昨年生まれた赤ちゃんの53%が婚外子だった。2007年の統計をみても、スウェーデン55%、米国40%、ドイツ30%などとなっている。これに対し日本は2%と格段に低い。なぜか。少子化対策を考える時、婚外子やその背景にある結婚の多様化の問題を避けては通れない。>
 なるほど、結婚の形としての婚外子問題を論じるのか。
◆婚外子の相続差別放置
 <日本に婚外子が少ない一因は「非嫡出子(婚外子)の相続分を嫡出子の2分の1とする」という民法の規定にある。法務省によると、相続で婚外子が法的に差別されているのは日本とフィリピンぐらいという。この規定はかねて「法の下の平等」を定めた憲法14条に違反すると批判されてきた。法制審議会も1996年に規定を撤廃するよう答申を出している。しかし、最高裁大法廷が1995年に合憲の判断を下したこともあって、答申は13年間たなざらしになったままだ。政治の怠慢であり、異常なことである。>
 そういう経緯があったのか。
 <最高裁決定を読むと、非嫡出子を基本的に「既婚者が配偶者とは別の相手との間につくった子ども」ととらえている。法改正に自民党が動かないのも、家族の外にできた子と家族内の子には相続で差があって当然との意見が根強いからだ。>
 まあ、そうだと思うが。
 <しかし、大法廷の決定の時点ですでに15人の裁判官のうち5人が「違憲」だと厳しい意見を述べている。婚内子と婚外子で異なっていた戸籍や住民票への記載方法は改められ、記述上の区別はなくなった。婚外子の相続差別には、国連の規約人権委員会、子どもの権利委員会も撤廃を求める勧告を出している。>
 日本の醇風美俗を「国際標準に合致していない」という刀で切り捨てる論法はどうも好きになれないのだが。
 <そもそも、結婚していない両親の子どもを指す「非嫡出子」にあたる言葉は、差別的な意味があるとして国際的には死語になりつつある。民法の規定は、婚外子が社会的に差別される原因にもなっている。まず民法を改正する必要がある。>
 すべて国際標準ですか。
 <欧米で婚外子が増えているのは、法的な差別がなくなったから、だけではない。結婚とは別の形のカップルを法的に認める仕組みが生まれ、婚外子の概念そのものが変わったことが大きい。>
 結婚という形が古臭くなったと?
 <例えばスウェーデンにはサンボ(同せいの意)、フランスにはPACS(連帯市民協約)という仕組みがある。いずれも、結婚より緩やかな結びつきをカップルに認め、生まれた子どもには相続も含め婚内子とまったく同じ権利を与えている。男性が父親になるためには認知が必要だが、法の枠組みにしたがった同居という意味では結婚に近い。>
 まあ、よく調べていること。
 <スウェーデンではサンボがカップル全体の3分の1を占め、0~17歳の子どもの親の3割はサンボのカップルだ。スウェーデンでも晩婚化が進んでいるにもかかわらず出生率が上昇しているのは、サンボの間に出産するケースが多いためだ。フランスでは昨年、結婚が26万7000組、PACSが13万7000組だった。サルトルとボーボワールのように、かつて未婚のカップルは社会規範への異議、反抗ととらえられていた。もうそうした意識はない。>
 サルトルを出してくれば年寄りが納得すると思ったら大間違いなのだが。
 <こうした仕組みには、互いに相性を判断する「試行結婚」の意味合いがある。法律婚に比べ解消が簡単だからだ。婚外子の割合が増えたからといって、出生率が高まるとは必ずしも言えない。ただ、フランスの昨年の出生率は2.02、スウェーデンも1.91と先進国の中で高い。>
 出生率問題と事実婚問題は直接の関係化はないと思う。あくまで女性が出産しても安心して働ける環境を国と地方と企業が整備できるかどうか、が問題なのだ。そこに手をつけずに、民法をいじろうとする敗北主義は、いずれ、非正規動労者が全体の3分の1になったように、家というものを無力化し、子供の教育を無責任なものにするのではないか?
◆今も影落とす「家」制度
 <日本では婚外子の相続差別撤廃とセットで法制審が答申した選択的夫婦別姓制度の導入も実現していない。夫婦で別姓を名乗ると家族のきずなが弱まるという意見があるためだ。「家」を基本にした戦前の家族制度が今も影を落としている。>
 法制審議会がおかしいのだ。欧米かぶれの学者だけ集めても、日本の古層は分からないだろう。
 <2006年の内閣府の世論調査では、58%が婚外子を法律上不利に扱うことに反対しながら、民法の相続規定に対しては41%が「変えない方がよい」と答え、「相続額を同じにすべきだ」の25%を上回った。これも日本人の家族観、結婚観の表れである。>
 分かっているじゃないか。
 <結婚の形は国の文化や伝統、国民の価値観にかかわる問題だ。しかし、日本の国際結婚は1970年の5500組から2007年には4万組に増えた。日本人の価値観だけで結婚を考えることは、もう実情に合わない。>
 国際化が進んだのだから、慣習を変えろ、と。ちょんまげを落として、散切り頭にするのとはちょっと訳が違うのだが。
 <日本・東京商工会議所は少子化問題に対する提言の中で「伝統的な法律婚以外に事実婚や婚外子が受け入れられる社会のあり方について検討すべきだ」と訴えている。>
 企業の論理だろう。儲けに血眼になっている守銭奴らの言うことだけを聞けと言うのか?
 <日本の結婚のあり方が少子化の一因となり出生率上昇の妨げになっているとすれば、障害を取り除く必要がある。それは、婚外子の相続差別をなくさねば始まらない。>
 違うだろう。どうして国、企業の責任を書かないのだ。日経新聞は経団連新聞だから企業の代弁をしているのだろうが、ここまでいくと見苦しいぞ。

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2009年4月 8日 (水)

天皇、皇后両陛下の結婚50年記者会見(4月8日)~産経新聞ネット版詳報と産経4月24日曽野綾子氏コラムから

 金婚式を前に天皇、皇后両陛下が4月8日、皇居・宮殿で記者会見し、結婚50年の心境をお話になった。産経新聞は4月10日、ネット版に記者会見全文をアップしていたので、詳しく読んでみた。

 4月24日産経新聞1面コラム[小さな親切大きなお世話]で作家の曽野綾子さんが<皇后陛下 卓抜な表現力>がこの記者会見の感想を書いていたが、本当に美智子皇后のウイットに富んだやりとりなど、このまま本にしてもいいような内容だった、と思う。

 産経新聞ウェブ版で会見を読んでみよう。

◆厳しい経済情勢、祝って頂くこと心苦しくも……

 <《問1》両陛下にお尋ねいたします。ご成婚の日から50年の月日が流れ、高度成長期からバブル崩壊、いくつもの自然災害や景気悪化など、世相、人の価値観も大きく変わる中、両陛下も皇室に新しい風を吹き込まれてきました。皇太子同妃両殿下として、天皇、皇后両陛下として夫婦二人三脚で歩んできたこの50年を振り返り、お二人で築き上げてきた時代にふさわしい新たな皇室のありよう、一方で守ってこられた皇室の伝統についてお聞かせいただくとともに、それを次世代にどう引き継いでいかれるのかもお聞かせください。>

 <《天皇陛下》私どもの結婚50年を迎える日も近づき、多くの人々からお祝いの気持ちを示されていることを、誠にうれしく、深く感謝しています。ただ、国民生活に大きく影響を与えている厳しい経済情勢の最中のことであり、祝っていただくことを心苦しくも感じています。>

 と天皇陛下は必ず、今の世の中の、それも恵まれない人々への配慮を口にする。どうも宮内庁の役人の言葉ではなく、ご自分の言葉でしゃべっているようなのだ。

 <顧みますと私どもの結婚したころは、日本が多大な戦禍を受け、310万人の命が失われた先の戦争から日本国憲法のもと、自由と平和を大切にする国として立ち上がり、国際連合に加盟し、産業を発展させて、国民生活が向上し始めた時期でありました。>

 「先の戦争」には必ず言及される。

 <その後の日本はさらなる産業の発展に伴って豊かになりましたが、一方、公害が深刻化し、人々の健康に重大な影響を与えるようになりました。また、都市化や海、川の汚染により、古くから人々に親しまれてきた自然は人々の生活から離れた存在となりました。>

 「故郷喪失」への天皇陛下の感慨が伝わってくる。

 <結婚後に起こったことで、日本にとって極めて重要な出来事としては、昭和43年(1968年)の小笠原村の復帰と、昭和47年(1972年)の沖縄県の復帰があげられます。両地域とも、先の厳しい戦争で日米双方で多数の人々が亡くなり、特に沖縄県では多数の島民が戦争に巻き込まれて亡くなりました。返す返すも残念なことでした。>

 小笠原諸島と沖縄復帰は天皇にとっても「戦争」が終わったことを実感させるものだったのだろう。

 <一方、国外では平成になってからですが、ソビエト連邦が崩壊し、より透明な平和な世界ができるとの期待が持たれましたが、その後、紛争が世界の各地に起こり、現在もなお多くの犠牲者が生じています。>

 冷戦崩壊を「平和の前進」と喜んだ当時の学者、政治家、文化人たちの思慮のなさをやんわりと皮肉っているのだろうか?

 <今日、日本では人々の努力によって都市などの環境は著しく改善し、また、自然環境もコウノトリやトキを放鳥することができるほど改善されてきましたが、各地で高齢化が進み、厳しい状況になっています。ますます人々が協力し合って、社会を支えていくことが重要になってきています。>

 「協力」がキーワードである。

 <私どもはこのように変化してきた日本の姿とともに過ごしてきました。さまざまなことが起こった50年であったことを改めて感じます。>

 <皇后は結婚以来、常に私の立場と務めを重んじ、また、私生活においては昭和天皇をはじめ私の家族を大切にしつつ、私に寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています。>

 <不幸にも若くして未亡人となった私の姉の鷹司神宮祭主のことは、いつも心にかけ、那須、軽井沢、浜名湖でよく夏を一緒に過ごしました。姉は自分の気持ちを外に表さない性格でしたが、ある時、昭和天皇から、私どもと大変楽しく過ごしたと聞いたがどのように過ごしたのか、というお話があったことがありました。皇后はきょうだいの中で姉だけを持たず、私との結婚で姉ができたことがうれしく、誘ってくれていたようなのですが、この時の昭和天皇が大変喜ばれた様子が今でも思いだされます。>

 美智子皇后の優しさはそのような形でも人をなごませていたのだなぁ、と初めて知った。

 <私ども二人は育った環境も違い、特に私は家庭生活をしてこなかったので、皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて、大勢の職員とともにする生活には、戸惑うことも多かったと思います。しかし、何事も静かに受け入れ、私が皇太子として、また、天皇として務めを果たしていく上に、大きな支えとなってくれました。>

 これは宮内庁職員と旧華族らのいじめ問題についてやんわりと語った、ということだろうか?

 <時代にふさわしい新たな皇室のありようについての質問ですが、私は即位以来昭和天皇をはじめ過去の天皇の歩んできた道にたびたびに思いを致し、また、日本国憲法にある「天皇は日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である」という規定に心を致しつつ、国民の期待に応えられるよう願ってきました。象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っています。なお、大日本帝国憲法下の天皇のあり方と、日本国憲法下の天皇のあり方を比べれば、日本国憲法下の天皇のあり方の方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います。>

 この言葉には驚いたが、うれしかった。「権威と権力の分離」ということを天皇皇后両陛下が十分に理解されていることが分かったからだ。

 <守ってきた皇室の伝統についての質問ですが、私は昭和天皇から伝わってきたものはほとんど受け継ぎ、これを守ってきました。この中には新嘗祭のように古くから伝えられてきた伝統的祭祀もありますが、田植えのように昭和天皇から始められた行事もあります。新嘗祭のように古い伝統のあるものはそのままの形を残していくことが大切と考えますが、田植えのように新しく始められた行事は、形よりはそれを行う意義を重視していくことが望ましいと考えます。従って現在、私は田植え、稲刈りに加え、前年に収穫した種もみをまくことから始めています。学士院賞や芸術院賞受賞者などを招いての茶会なども、皇后とともに関係者と話し合い、招かれた全員と話ができるように形式を変えました。短時間ではありますが、受賞者、新会員、皆と話をする機会が持て、私どもにとっても楽しいものになりました。>

 工夫をされていることが、よく分かって、微笑ましい。

 <皇室の伝統をどう引き継いでいくかという質問ですが、先ほど天皇のあり方として、その望ましいあり方を常に求めていくという話をしましたが、次世代にとってもその心持ちを持つことが大切であり、個々の行事をどうするかということは、次世代の考えに譲りたいと考えます。>

◆WBC、サムライ的で美しい強さを持って戦っておりました

 <《皇后さま》50年前、普通の家庭から皇室という新しい環境に入りましたとき、不安と心細さで心がいっぱいでございました。今日、こうして陛下のおそばで金婚の日を迎えられることを、本当に夢のように思います。結婚以来今日まで、陛下はいつもご自分の立場を深く自覚なさり、東宮でいらしたころには、将来の象徴として、後に天皇におなりになってからは、日本国、そして国民統合の象徴として、ご自分のあるべき姿を求めて歩んでこられました。こうしたご努力の中で、陛下は国や人々に寄せる気持ちを時とともに深められ、国の出来事や、人々の喜び、悲しみに、お心を添わせていらしたように思います。50年の道のりは長く、時に険しくございましたが、陛下が日々真摯に取るべき道を求め、指し示してくださいましたので、今日までご一緒に歩いてくることができました。陛下のお時代を共に生きることができたことを、心からうれしく思うと共に、これまで私の成長を助け、見守り、励ましてくださった、大勢の方たちに感謝を申し上げます。>

 一気に段落なしで繋げてしまったが、この部分は一気に読みたい。ここも美智子皇后の肉声である。

 <質問の中にある皇室と伝統、そして次世代への引き継ぎということですが、陛下はご即位に当たり、これまでの皇室の伝統的行事および祭祀とも、昭和天皇の御代のものをほぼ全部お引き継ぎになりました。また、皇室が過去の伝統とともに現代を生きることの大切さを深く思われ、日本各地に住む人々の生活に心を寄せ、人々とともに今という時代に丁寧にかかわりつつ、一つの時代を築いてこられたように思います。>

 「過去の伝統とともに現代を生きる」というのは何も皇室だけでなく、日本人すべてが思いを致さねばならないことがらだと思う。その先導役としての皇室が輝いている、ということだろう。

 <伝統とともに生きるということは、時に大変なことでもありますが、伝統があるために、国や社会や家がどれだけ力強く、豊かになれているかということに、気付かされることがあります。>

 「伝統」があるから日本人でいられるのだから。

 <一方で、型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名のもとで、古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません。>

 厳しいお言葉だ。何を想定されてこのようにおっしゃっているのか? 男女差別とか部落差別などの差別意識のことなのだろうか?

 <また、伝統には表に表れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その二つがともに継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います。>

 として、現代の話に。

 <WBCで活躍した日本の選手たちは、よろいも着ず、切腹したり、「ござる」とか言ってはおられなかったけれど、どの選手もやはりどこかサムライ的で美しい強さを持って戦っておりました。陛下のおっしゃるように、伝統の問題は、引き継ぐとともに、次世代に委ねていくものでしょう。>

 このユーモア。切腹、「ござる」などという言葉が自然に出てくるおおらかさ。美智子皇后の知性の輝きだろう。

 <私どもの時代の次、またその次の人たちが、それぞれの立場から、皇室の伝統にとどまらず、伝統と社会との問題に対し、思いを深めていってくれるよう願っています。>

 美智子皇后の仰る通りだと思う。皇室に限らないのだ。「伝統と社会」、「伝統と国家」、「伝統とグローバリズム」など、考えなければならないことはたくさんある。

◆結婚で開かれた窓から多くを吸収、今日の自分を作っていった……

 <《問2》両陛下にお尋ねします。お二人が知り合われてからこれまでにさまざまな言葉のやり取りがあったと思います。色々なエピソードが伝わっていますが、陛下はどのような言葉でプロポーズをされ、皇后さまは陛下にどのような言葉を伝えてご結婚を決意されましたか。銀婚式を前にした会見では、陛下は皇后さまに「努力賞」、皇后さまは陛下に「感謝状」をそれぞれ差し上げられたいと述べられましたが、改めてお互いに言葉を贈られるとすれば、どのような言葉になりますか。ご夫婦としてうれしく思われたこと、苦労されたこと、悲しまれたこと、印象に残った出来事、結婚されてよかったと思われた瞬間のこと、夫婦円満のために心掛けられたことなど、お伺いしたいことは多々ありますが、お二人の50年間の歩みの中でお心に残ったことについて、とっておきのエピソードを交えながらお聞かせください。>

 <《天皇陛下》私のプロポーズの言葉は何かということですが、当時、何回も電話で話し合いをし、ようやく承諾をしてくれたことを覚えています。プロポーズの言葉として一言で言えるようなものではなかったと思います。>

 外出がなかなかできない古い皇室の中で恋する皇太子が電話でしきりとプロポーズしていた姿を想像すると微笑ましい限りだ。

 <何回も電話で話し合いをし、私が皇太子としての務めを果たしていく上で、その務めを理解し、支えてくれる人がどうしても必要であることを話しました。承諾してくれたときは本当にうれしかったことを思いだします。>

 うれしかっただろうなぁ。

 <結婚50年にあたって贈るとすれば「感謝状」です。皇后は「この度も努力賞がいい」としきりに言うのですが、これは今日まで続けてきた努力をよみしての感謝状です。本当に50年間よく努力を続けてくれました。その間にはたくさんの悲しいことや辛いことがあったと思いますが、よく耐えてくれたと思います。>

 銀婚式の記者会見で皇后陛下が天皇陛下に「感謝状」を贈りたい、と言っていたのを先取りしてしまった感がある。

 <夫婦としてうれしく思ったことについての質問ですが、やはり第一に二人が健康に結婚50年を迎えたことだと思います。二人のそれぞれのあり方についての話し合いを含め、何でも二人で話し合えたことは幸せなことだったと思います。 皇后はまじめなのですが、面白く楽しい面を持っており、私どもの生活にいつも笑いがあったことを思いだします。また、皇后が木や花が好きなことから、早朝に一緒に皇居の中を散歩するのも楽しいものです。私は木は好きでしたが、結婚後、花に関心を持つようになりました。
 語らひを重ねゆきつつ気がつきぬわれのこころに開きたる窓
 婚約内定後に詠んだ歌ですが、結婚によって開かれた窓から、私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えます。終わりに私ども二人を50年間にわたって支えてくれた人々に深く感謝の意を表します。>

 健康で二人で50年を迎えることが出来たことへの素直な感謝にあふれているなぁ。

◆陛下が誠実で、謙虚で、寛容でいらしたことが何よりの支え

 <《皇后さま》たくさんの質問があって、全部はお答えできないかもしれません。とりわけ婚約のころのことは、50年を超す「昔、昔のお話」で、プロポーズがどのようなお言葉であったか、正確に思いだすことができません。>

 本当かな? 皇后陛下は生涯忘れていないと思うが。小泉信三氏のアドバイスとか、今はまだ心を整理してしゃべることができない、ということなのだろうか?

 <また、銀婚式を前にしてお尋ねのあった同じ質問に対してですが、このたびも私はやはり、「感謝状」を、何かこれだけでは足りないような気持ちが致しますが、心を込めて「感謝状」をお贈り申し上げます。>

 心を込めた感謝状、いいですね。

 <次の夫婦としてうれしく思ったこと。このようなお答えでよろしいのか……。嫁いで1、2年のころ、散策にお誘い頂きました。赤坂のお庭はクモの巣が多く、陛下は道々クモの巣を払うための、確か寒竹だったか、葉の付いた細い竹を2本切っておいでになると、その2本を並べてお比べになり、一方の竹を少し短く切って、渡してくださいました。ご自分のよりも軽く、少しでも持ちやすいようにと思ってくださったのでしょう。今でもその時のことを思いだすと、胸が温かくなります。>

 いいエピソードだ。

 <昭和天皇の崩御後、陛下はご多忙の日々の中、皇太后さまをお気遣いになり、さまざまに配慮なさるとともに、昭和天皇が未完のままお残しになったそれまでのご研究の続きをどのような形で完成し、出版できるか、また、昭和天皇の残されたたくさんの生物の標本をどうすればちりぢりに分散させず、大切にお預かりする施設に譲渡できるかなど、細やかにお心配りをなさいました。こうしたご配慮のもと、平成元年(1989年)の末には「皇居の植物」が、平成7年(1995年)には「相模湾産ヒドロ虫類」の続刊が刊行され、また、平成5年(1993年)には昭和天皇ご使用の顕微鏡やたくさんの標本類が国立科学博物館に、平成7年(1995年)には鳥類の標本が山階鳥類研究所に、それぞれ無事におさめられました。印象に残った出来事はという質問を受け、この時の記憶がよみがえりました。>

 なるほど、そういう経緯があったのか。

 <結婚してよかったと思った瞬間はという難しいお尋ねですが、もうエピソードはこれで終わりにさせていただいて、本当に小さな思い出を一つお話し致します。春、コブシの花が取りたくて、木の下でどの枝にしようかと迷っておりましたときに、陛下が一枝を目の高さまで降ろしてくださって、そこにほしいと思っていたとおりの美しい花がついておりました。うれしくて後に歌にも詠みました。歌集の昭和48年(1973年)のところに入っていますが、でも、このようにお話をしてしまいましたが、それまで一度も結婚してよかったと思わなかったということではありません。>

 皇后陛下らしい。

 <この50年間、陛下はいつも皇太子、また、天皇としてのお立場を自覚なさりつつ、私ども家族にも深い愛情を注いでくださいました。陛下が誠実で謙虚な方でいらっしゃり、また常に寛容でいらしたことが、私がおそばで50年を過ごしてこられた何よりの支えであったと思います。>

(注)皇后さまがお答えの中で指摘された和歌は次の通り。

 仰(あふ)ぎつつ花えらみゐし辛夷(こぶし)の木の枝さがりきぬ君に持たれて

◆結婚50年の人々、共通した経験をして今日に

 <《関連質問》ご結婚50年おめでとうございます。両陛下は4月10日、今年結婚50年を迎えられるご夫婦をお招きになって茶会を開かれます。これは両陛下のご発案と聞いておりますけれども、どのようなお気持ちでこの茶会を開かれたいと思われたのか、そこら辺のことをお聞かせいただけないでしょうか。>

 <《天皇陛下》もちろんこの100組の、結婚50年を迎える人々を呼ぶということには、二人の意思とともに宮内庁長官をはじめ、関係者の色々な尽力があったことと思います。ちょうど私どもが結婚してからの50年は、先ほどもお話ししましたように、さまざまな出来事の多い時だったと思います。結婚したころは必ずしも豊かでありませんでしたが、みな希望に満ちて未来に向かって進んでいったのではないかと思います。そして、その前の時代に戦争があり、その戦争の厳しい環境の中で、青少年時代を送ったことだと思います。このように、この結婚50年の人々はさまざまな、そして、共通した経験をして今日に至っていると思います。このたび、結婚50年に当たって、結婚50年を迎えられる人々をお招きしてこの茶会を催し、それぞれの皆さんがたどってきた道を話し合うということは、私どもにとっても意義深いことだと思いますし、また、お互いに話し合って楽しい一時になるのではないかと期待しています。>

 なるほど。

 <《皇后さま》いま陛下がすべてお話くださいました。私も当日を楽しみにしております。>

 蛇足だが、産経新聞4月24日朝刊のコラムの最後で曽野綾子氏は、

 <誰が何をしようが人間の権利だという放任の時代にあって、この記者会見の内容がどれだけ重く日本人の在り方を見せて衝撃的なもんだったか。それは政治を超えて政治的力を持ち、道徳を超えて深い徳性を考えさせるものであった。>

 と書き記していた。

 そこまで深く考えなかったのだが、言われればそういう感じがした。

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2009年4月 1日 (水)

永井陽之助氏追悼文(中嶋嶺雄氏と粕谷一希氏)~3月19日読売新聞朝刊と4月1日毎日新聞朝刊の寄稿

 2008年12月30日に国際政治学者、永井陽之助氏が亡くなった。84歳だった。各紙は3、4月に追悼文を掲載していた。毎日新聞は4月1日朝刊で中嶋嶺雄・国際教養大学長の追悼文を掲載した。見出しは<永井陽之助氏をしのぶ/平和論に切り込んだ現実主義者>だった。文章を書き写しながら、読んでみよう。

◆中嶋嶺雄氏による追悼文

 <文学、哲学から物理学や精神医学にいたる豊饒な学識、坂口安吾や丸山真男、E・フロム、ハンナ・アーレント、エリック・ホッファーからD・リースマン、スタンレー・ホフマンにいたる知的系譜、研ぎ澄まされた文章と挑発的なレトリック、まさにわが国20世紀知識人の最も優れた到達点を示し続けた国際政治学の永井陽之助氏は昨年末に逝去されていた。大きな喪失である。>

 という書き出しである。知的系譜として出てきた名前は綺羅星のようだ。ただ、この名前で普通想像する系譜に脈絡がないところが面白い。「堕落論」以後、日本文化を追求し続けた坂口安吾。進歩的文化人の代名詞である丸山真男、「自由からの逃走」のエーリッヒ・フロム、私が尊敬するハンナ・アーレント。「孤独な群衆」のデービッド・リースマン。こういう人たちの論の中からステレオタイプでない魂の部分を引き出してきた、ということなのだろう。

 <私個人にとっても永井先生はかけがえのない存在であった。私の著書を引用されたからと名著『平和の代償』(中央公論社)を署名入りで贈ってくださったのが1967年初頭だったので、もう40年以上も前のことになる。同書は、氏が在米中に出会った1962年のキューバ危機に強い衝撃を受け、朝鮮戦争からべトナム戦争までを見据えて、核時代の日本外交の拘束と選択の有様を示した力作であった。平和論過剰のわが国の言論界にいわば現実主義の立場から切り込んだ挑戦である。>

 産経新聞のオピニオン面に当時の論を再掲しているが、当時の「平和の過剰」は今になるとはっきり分かる。

 <私が永井氏に最初にお会いしたのは1967年春、日米知識人会議への出席を松本重治氏から要請された、国際文化会館での準備会のときであった。ウイリアムズバーグで開かれたこの会議は日本側が笠信太郎、桑原武夫、永井道雄、加藤周一、坂本義和の各氏ら、米国側がD・リースマン、E・ライシャワー、ダニエル・ベル、スタンレー・ホフマン、R・スカラピーノ各氏らの錚々たる面々で、中国の文化大革命とべトナム戦争がテーマであった。この会議では私が最年少かつ最初の訪米だったので、会議の後に永井氏とワシントンDCやハーバード大学へご一緒させていただいた。>

 こういう右も左も同席する話し合いの場が昔はあったのだ。だから、論壇という存在も命を吹き込まれ続けたのだろう、と思う。

 <中国の文化大革命の余波は、まもなくわが国の大学紛争へと連なっていった。東大の安田講堂落城が注目されたけれど、実は東京教育大と東京外大の紛争も深刻で、やがて東京工業大へも波及していった。私は東外大の教授会代表委員として過激派学生と対決せざるを得なかったが、永井氏も東工大で人社系を代表する立場にあり、私の東外大での経験を東工大で講演したこともあった。この学園紛争を国際的視野で論じた書が『柔構造社会と暴力』(中公叢書)である。同じ中公叢書にはキッシンジャー外交や日中友好外交を批判的に論じた『多極世界の構造』、政治的資源としての「時間」を「非対称紛争」としてのベトナム戦争に当てはめて論じた『時間の政治学』がある。>

 大学紛争を中国の文化大革命と関連付けて論じるとは、いかにも中嶋氏らしいが、日本の若者の反乱は中国の毛沢東の復権闘争である文化大革命と比較するよりは、フランスの「若者の反乱」や米国のヒッピー運動との関連の強さを論じたほうがいいとは思う。

 <こうした旺盛な言論活動のなかでの学術的貢献が、永井主査による文部省科学研究費特定研究「国際環境の基礎的研究」であった。この共同研究は、国際的な冷戦研究として注目を集め、京都シンポジウムには世界第一線の学者が集まった。その成果が英文ではコロンビア大学出版会から出され、わが国では永井著『冷戦の起源』などの「叢書 国際環境」(中央公論社)となり、永井氏は日本国際政治学会理事長にも就任された。>

 この辺はさすがにインナーグループにいて、永井氏の近くで過ごした方の思い出話だ、と思う。参考になる。

 <当初は現実主義の立場から理想主義者の平和・安全保障論を鋭く批判した永井氏だったが、言論や政治に軍事優先傾向が強まるなかで氏は、主に岡崎久彦氏との論戦を意識して防衛論を『文藝春秋』に1年間連載、1984年度文春読者賞を得ている。>

 そうなのだ。永井陽之助氏の分かりにくさはこの辺にもあるのだ。

 <永井氏の1985年の東工大最終講義を巻頭にした『二十世紀の遺産』(文藝春秋)は、粕谷一希氏と私もお手伝いした浩瀚な編著であり、氏の人脈の広さを物語っている。そこに登場する高坂正堯氏も江藤淳氏もすでに亡く、神谷不二氏もつい最近、永井氏の後を追って急逝された。これらの方々は、佐藤栄作政権の時代以降、首席秘書官・楠田實氏のもとで日中関係や日米関係の方策を永井氏とともに提言した論客でもあった。永井氏が論じた軽武装・日米同盟重視の「吉田ドクトリンは永遠なれ」との見解が一部で誤読されてもいる昨今だけに、氏の一貫した警告を忘れてはなるまい。>

 そうかぁ、佐藤政権のブレーンだったのか。

 <なお永井氏は毎日新聞社アジア調査会アジア研究委員会の代表幹事としても貢献された。>

◆粕谷一希氏による追悼文

 永井氏の業績はあまりに幅広いので、なかなか一言では言えない、というのだろう。中嶋氏が共同作業をした、として名前を挙げていた評論家の粕谷一希氏も3月19日読売新聞文化面に<永井陽之助さん追悼/壮大・華麗な思考の社交家>のタイトルで追悼文を寄稿していた。「論壇で大活躍をしていた1970年当時の永井陽之助さん」のポーズ写真がついていた。

 粕谷氏は5、6年前まで中嶋氏、粕谷氏らとの勉強会に出てきたが、ある時からプッツリと外界との関係を断ち、我々とも連絡が取れなくなった、と書き出している。文化人の中にはそういう人が結構多いようだ。衰えた姿を他人に見せたくないのだろうか?

 粕谷氏は、

 <1960年代後半から70年代前半にかけて、永井さんの舌鋒は圧倒的な迫力を持ち、壮大・華麗な体系的思考を展開して、論壇の中心的存在となった。歴史畑出身の人が多かった政治学界で、政治理論、政治社会学、政治意識論などを専門とされた。キューバ危機で米ソの正面衝突を危ぶまれた米国での経験を機に、国際政治に関心を移していかれた。>

 と書く。「歴史畑出身」というのは日本政治思想史を専攻した丸山真男氏を考えれば分かりやすいだろう。

 <私は北大時代から、永井さんと接触があり、編集者として、当時流行だったD・リースマンとW・ミルズの比較論を「思想の科学」に掲載した。やがて高坂正尭、萩原延寿など、新しい感覚の欧米帰りとの交わりは、私にとって”職業上の青春”と言ってよい。原稿を読むたびに、読み手の私が興奮し、高揚し、新しい想念の刺激を受けた。「平和の代償」の諸論考は、文学的感性を刺激し、福田恒存は「論壇のバラバラ事件」と評し、三島由紀夫は即座に面会を申し込んだ。以後「柔構造社会と暴力」、「冷戦の起源」など、またアンソロジーの傑作「政治的人間」が当時の読書人の意識を変えた。永井政治学の魅力は斬新な理論的枠組みにあった。またヨーロッパの正統派、R・アロン、S・ホフマン、C・シュミットなどを深く読み込み、アメリカとヨーロッパの幸福な融合を自分のモノとしていた。>

 「壮大・華麗」の中身が語られている。

 <永井さんは警句とジョークを愛していて、若い女性とのたわいない会話を楽しんだ。読書はその合間に集中的にやるらしく、我々は社交人永井氏を存分に味わった。警句では、ビスマルクの「愚者は自分の経験に学び、賢者は他人の経験に学ぶ」という言葉を好み、つねにヒントにしていた。>

 なるほど、このビスマルクの言葉は深いなぁ。読書は他人の経験に学ぶ最たるもの。どれだけ深く読み込めるか、で他人の経験を自分の経験と同一化できるかどうか、決まるのだろう。

 <今日、社会科学者は政府の審議会のメンバーであり、大きな対立もなく、論壇も総合雑誌も影が薄くなった。細分化された思考はますます専門化し、素人には見えない世界になってしまった。永井政治学の壮大と華麗を想い起こすのも、今日の意識と言語とを省みるひとつの方法かもしれない。>

 いいことを言っている。さすが粕谷氏だ。細分化した「知」を再び総合化する大きな手段がヘーゲルなのではないか、と誰かが書いていたのを思い出したのだが、名前を思い出せない。

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2009年3月21日 (土)

卑弥呼がお祈りに使った建物かもしれない:纒向遺跡の建物跡発掘~3月21日読売新聞朝刊から

 3月21日各紙朝刊は扱いの大小はあったものの、奈良県の纒向遺跡の重要施設の発掘を報じていた。

 東京新聞は対社面ハコ扱い<卑弥呼時代の重要施設か/3棟の建物跡 柵内外に整然と>の見出しで「纒向遺跡」の注釈をつけ、遺跡の写真と今回見つかった建物群を特記した[纒向遺跡の遺構配置図]や現地の地図などとともに掲載していた。

 読売新聞も対社面2段<邪馬台国畿内説の有力地 纒向遺跡/3世紀前半~中頃の建物跡>で写真付きの記事だった。

 古代のロマンを想起させる発見だと思う。

 読売新聞の記事をコピペしておく。

 <邪馬台国の最有力地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、女王・卑弥呼の時代にあたる3世紀前半~中頃の建物跡が、大規模な整地をしたうえで、柵で囲み、建物の方向をそろえるなど、計画的に整備されていたことがわかり、市教委が20日、発表した。この時期、こうした施設は他に見られないといい、専門家は「この地が邪馬台国とすれば、宮殿など中枢施設の一角だった可能性がある」と指摘している。>

 <1978年に出土し、神殿状とされた建物跡(約5㍍四方)や柵跡の周囲を発掘。この建物跡の東側で、三つ並んだ柱穴が新たに見つかり、南北6㍍以上の別の建物跡があったとみられる。柵は凸状に建物を囲み、南北23㍍以上、東西9㍍以上に延びることがわかった。付近は整地のため、広い範囲で盛り土をされていた。大規模な施設の西端にあたり、施設はさらに東に広がっているとみられる。>

 <また、1978年に今回の調査地より約5㍍西側で見つかった柱穴も柵の外にあった建物跡と判明。少なくとも3棟が柵を挟み、建物の北側の面をそろえて東西一列に並んでいたらしい。>
 <邪馬台国は3世紀後半の中国の史書「魏志倭人伝」に記された倭の中心地。卑弥呼が239年、中国・魏に使者を送った。所在地について畿内説と九州説に分かれて論争が続いており、九州説の研究者らは同書の記述から纒向遺跡は邪馬台国と無関係とみている。>

 <畿内説を唱える辰巳和弘・同志社大教授(古代学)の話「方位を意識して造られた建物や柵は中国的で、強力な支配者がいた証しの一つだ。卑弥呼が祭祀や政治を行った、最も重要な施設の一部だったのではないか」>

 畿内説は京都大学派が、九州説は東京大学派が主張していた。

 この発見で決め手が出たわけではないが、何となく畿内説の分が良くなった感じがするのだが、どうだろうか。

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2009年3月17日 (火)

「山川草木が育んだ宗教観を死なせてはいけない」と久保田展弘氏~東京新聞3月17日夕刊

 東京新聞3月17日夕刊[生きる 心のページ]にアジア宗教・文化研究所代表の久保田展弘氏が<故郷に見えないカミ・仏/山川草木が育んできた宗教観こそ、出番のとき>の見出しで寄稿していた。全面的に賛成、というわけではないが、こういう故郷の森の持つ心の癒しという役割にまで踏み込まないと、あまりにもカサついてしまった日本人の心を癒すことはできないのか、と思った。

 その意味ではみのもんた氏が木曜日夜のテレビ番組で都道府県代表芸能人によるお国自慢番組を始めたことは評価できる、と思う。各地にある特産品を紹介しながら、その来歴にも触れる手法で、南北に長く、1億2000万人の人が住む日本列島のもつ表情をクローズアップして、現代の若者にも理解させるといういい手法だ、と思うのだ。

 久保田展弘氏は1941年東京都生まれ。早稲田大学卒。専門は比較宗教思想・文化論。主な著書は「インド聖地巡礼」(新潮社)、「さまよう死生観―宗教の力」(文春新書)、「役行者と修験道」(ウェッジ選書)、「原日本の精神風土」(NTT出版)など、とあった。

 久保田氏は「派遣切り」にあった40歳代の男性が「故郷へ帰りたいが、もっと厳しいしなあ」と呟いた言葉を噛み締めて思考を深めていく。

 <地方の現実は大都会やその近郊よりも厳しい。日本中に出現した大小の銀座通りとインフラ整備の拡大は、東京から全国各地へと、その道中に都会近郊のミニチュア的たたずまいを生み、この30年、急速に地方色を打ち消してきた。>

 この30年といえば、1979年からの30年だ。もう少しファジーに見ると、第2次石油ショックあたりからの時代だろうか。

 <それは、地方の都市化という外観の変化にとどまらない。文化の根っ子ともいうべき祭事・儀礼と一体のカミ・仏を祀る宗教施設の変貌、消失を強いてきたのである。都市を結ぶ幹線道路が山を削り、宅地造成が森をはらい、日本人の自然崇拝に根差したカミの認識を歴史遺産の向こうに追いやってきた。「故郷に帰りたいが、もっと厳しいしなあ」と呟いた男性の言う厳しさは、職の当てのない厳しさと、こころを癒してくれるはずのカミ・仏の見えない、故郷独特の山川草木の変貌を思い浮かべてのことでもあるだろう。日本人の霊魂観に根差したカミ・仏の気配を喪失した故郷へ帰る厳しさが、”派遣切り”という言いようを一層生々しく思い起こさせるとしたら、日本各地の都市化、インフラ整備、過剰で画一的な情報化とは何であったのかが、改めて問われなくてはならない。>

 ここが重要な指摘だ、と思う。宮崎駿監督の映画「となりのトトロ」は失われていく所沢の自然への追憶、オマージュだったらしいが、宮崎監督の一連の映画が日本人をひきつけてやまないのは、この自然と人間の近さだと思う。

 大木が語り、精霊が呟き、お化けが語る。現代に生きる我々は1億2000万人で生きているのではなく、過去の日本人たちに生かされており、子孫たちがまた我々の死後、日本人として、この素晴らしい自然と共生しながら生きていく。

 この「歴史的連続性」と「人間も自然の一部」という感覚が日本人をつくってきたし、久保田氏が言うように、その精神がアミニズムとでもいえそうな自然の中や人間をすぐに「カミ」にする心情、インドの仏ではない自分たちの先祖の分身としての「仏」を一体として敬う日本人の心情をつくってきた、と思う。

 <地方も東京・大阪のように都会になればいい。そのためには道路も商店街も変え、衣食住も都会にならうのだ。地方の活性化という名の下に多くが右へ倣えしたここには、おそらく地方独自の文化が何に根差し、それがどんな伝統を作り上げ、地に足の着いた意識・思想を育んできたのかという問いがなかった。日本人に特有の、共同意識の盛り上がりを乱すまいとする思いが、足元を問うことを拒ませたのだ。いやどこかに、地方色をとどめることが、都市化にも、企業誘致にもマイナスであるように思ってきたところがあった。>

  久保田氏は田中角栄元首相の日本列島改造論をシンボリックに取り上げる。

 <…あらためて私に、列島改造の進軍ラッパに始まる地方の大変貌が何をもたらし、何を失わせたかを問うことになった。>

 そして、日本における「故郷」の意味合いを次のように書く。

 <故郷の深い森がいのちの源泉であり、日本人のカミ・仏のありようを示す情報源であったこと、森とその気配が伝統文化の情報発信源であったことを忘れたとき、こころの荒廃がはじまったのではないか。そして同時に地方の衰退、意気消沈が日本という国の体力を急速に弱め、アジアの中の日本を見失わせている。>

 そして、山岳宗教の伝統の独自性とアジアとの共通性に触れ、それを認識することが大事だ、という。次の結びの文章も重要だ。

 <なぜ人は帰るべき故郷を求めるのか。それは故郷ということばがカミ・仏の気配を持つ山川草木、海が育んできた日本人の宗教観こそが、あらゆるものが対峙してやまない現代に、もっとも深い生命観に根差したメッセージを発し得ることを見逃してはならない。>

 秋葉原連続殺傷事件を「派遣切り」や携帯電話に頼って人間的ふれあいがない社会という切り口で語る人が多かったが、この「森の消失」こそが、現代人のこころの問題と深いところで繋がっているのかもしれない。

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2009年3月 4日 (水)

毎日新聞長期連載[40年前~<政治の季節>を再考する]が最終回~3月4日毎日新聞朝刊から

 毎日新聞の長期連載[40年前 <政治の季節>を再考する]は「団塊の世代」が20歳前後だった1967~69年の激動の時代を問い直すシリーズ。2007年4月から21回にわたり連載し、3月4日朝刊で最終回。今回はかつて全共闘にも参加した社会学者の橋爪大三郎氏明治以降の文化史に詳しい評論家の坪内祐三氏当時の映画事情を専門に研究する平沢剛氏の3世代の論客が「60年安保」との比較から、「50年後」への展望までを語った、という。近く単行本として刊行されるらしい。楽しみだ。

 平沢剛(ひらさわ・ごう)氏は1975年生まれ。明治学院大文学部卒。編著に『アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス』『ファスビンダー』『若松孝二 反権力の肖像』など。▽坪内祐三(つぼうち・ゆうぞう)氏は1958年生まれ。早大文学部卒。著書に『靖国』『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』『一九七二』『変死するアメリカ作家たち』『考える人』など。▽橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう)氏は1948年生まれ。東大大学院博士課程修了。著書に『橋爪大三郎コレクション(全3巻)』『アメリカの行動原理』『冒険としての社会科学』など、と紹介されていた。

 記事の見出しは<座談会・シリーズを総括する/価値観・文化・生活…大きく転換/ヒントも残した全共闘―橋爪/思想・運動の実験あった―平沢/テレビが世界同時性生む―坪内>だった。

 いつものように、気になった発言を書き写しながら、コメントしていこう。

◆橋爪大三郎氏

▽第二次世界大戦後から現在まで、世界的には冷戦終結が大きな区切りだが、日本は60年代後半から70年代初めに区切りがある

 これを言う人が多いのだが、本当にそうなのか? 単なるノスタルジアではないのか? 区切りと言えるだけの客観的な事象が欠けている気がする。

▽音楽では66年に来日公演したビートルズが受け入れられ、大学生がジーンズを着て学生服は姿を消した。今も続く様々なことが初出し定着したのが40年前だった。

全共闘(全学共闘会議)は大学ごとにできた任意団体で、参加したのは大部分が一般学生。60年安保時の全学連(全日本学生自治会総連合)は街頭闘争で警官隊にぶつかり負けたが、全共闘は学内闘争で外から入ってきた機動隊に学内で負けたから、その後大学は正常化し授業が再開した。

▽戦後のベビーブーマーによってこの時期、世界で一斉に若者文化、カウンターカルチャー(対抗文化)が起こる。日本と欧州は左翼運動、社会主義の政治運動の性格が濃かったが、マルクス主義の影響がほとんどない米国はカウンター・カルチャーや反戦運動の側面が強かった

▽当時、団塊の世代の多くが左翼になったのは、資本主義に反対で、既成左翼の社共もダメと思っていたからで、全共闘から見ると社共、ソ連がダメなのは一国社会主義だから。

全共闘を含む新左翼は国際共産主義で世界連帯を唱えたから、どの外国も基本的には敵視しない。グローバル化が進まないうちから意識だけはそうなっていた。だからロックを聴いたりした。

▽総力戦だった20世紀前半の戦争と異なり、核兵器ができて限定戦争になると、ベトナム戦争のように正規軍が勝てるとは限らない。だが、戦争の勝ち負けとは無関係に冷戦の枠は維持され、日本はどうあがいてもその枠を左右できない無力感が冷戦期の日本の政治や外交につきまとった

最も現実的に考えることと最も空想的に考えることが等価になる感覚があり、全共闘的左翼の「結果無責任」につながったのかなと感じる。

▽「消費」概念ができた。60年前後の「三種の神器」(白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫)だとかなり気張って買う感じがあったが、「消費」は必要かどうかではなく個人の便益・効用に応じて自由にモノを選んで買うこと。衣食住すべてにわたって大きな変化が起こった。消費が出てくると同時に大衆も出てきた。

▽社会変化で発生した非合理的問題に対して、若者たちは街頭闘争参加などで政治を動かそうとしたが、政治というより運動だった。運動は半ば空振りに終わったが、半ばは時代を超えるヒントを残したかもしれない。今は当時の運動を冷静に評価できるようになったが、政治によって解決すべき構造的問題が出てきた。

◆坪内祐三氏

▽「1968年革命」という言い方がある。68~72年ごろにパラダイム・チェンジがあり、価値観や世界のあり方が変わったとよく言われるが、注意したいのは個別のテーマごとに考えると、全体の連関性が見えにくくなる点だ。

▽当時小学生だった自分の感覚で、69年1月に全共闘の東大安田講堂が落ちた後は、アポロ11号の月着陸(7月)、翌年の大阪万博での「月の石」展示と、時代は未来イメージに変わった。

60年安保は反米意識が強かったが、団塊の世代はベトナム戦争には反対だけどファッションや社会風俗の面ではアメリカ的なものを受け入れた。その米国に対する意識の分裂は興味深い。

世界同時性ではテレビの影響が大だ。ベトナム戦争にしても、テレビで放映されることによって戦争の悲惨さが人々に伝わった。キング牧師のデモ行進でも、暴力的に排除される時、大げさに転んで見せたりしたように、テレビを強く意識していた。メキシコ五輪の記憶が鮮明だが、衛星中継で海外の動きもリアルタイムで伝わるようになった。カラーテレビも出始めていた。

▽69年5月に東名高速道路が全通したが、マイカーが普及した時代でもあった。当時の少年雑誌で描かれる未来都市像には高速道路網が肯定的に描かれていた。

▽あと10年たって、68年から50年後になった時、どう論じられることになるか興味がある。今が歴史の大きな変動期だと思うからで、これから10年の変化を経た後に、68年がどういうイメージで見えるかを考えると面白い。

◆平沢剛氏

▽昨年、68年から40年後に際して海外で開かれたいくつかのシンポジウムに参加したが、日本では68年を振り返る機会がなかった。冷戦崩壊で共産主義、社会主義の失敗が強調されるが、今の金融危機の中、資本主義とは何だったのかも問い直す時代だ。68年前後に歴史的転換点があったとするならば多角的に読み直し、現在の観点から見つめ直す必要がある

▽「全共闘」「68年」のキーワードで語られる「大文字の歴史」に集約されがちだが、実際には「68年」的なものはヨーロッパでも日本でも70年代まで多様な形態で続いた。神話化した部分は検証し直さないといけない。

当時の理論や実践は、今の反グローバリズムの思想が訴える反権威主義、脱中心主義を予見的に提示した面もあった。評価は様々にあるとしても、巨大な思想・運動の実験が行われていたことは強調したい。

▽テレビに比べタイムラグはあっても、当時の映画にも世界的に共通の関心をもって結びついていく特徴が見られた。海外旅行に簡単には行けなかった時代に、国際問題に関心を持ち、盛んに考えたり分析したりしていた。

そのころ日本にもあった国際的な想像力を今、取り戻す必要も感じる。50~60年代には黒澤明や溝口健二ら巨匠の映画が日本という国民国家の芸術として評価を受けたが、この時期になると大島渚、吉田喜重、若松孝二の各氏など若い世代の作品が同時代の表現として評価されるようになった。映画や漫画、写真、美術といった単独のジャンルでは語れないようなジャンル横断性が生まれたのは文化史的にも特異だろう。

都市と農村の二項対立の失効があった。東京五輪(1964年)や大阪万博(70年)に伴う国土再開発が本格化し、高速道路をはじめ、均質化された日本の風景を準備することになった。今の日本の問題を分析するうえでも重要だ。

▽68年の運動には、今だからこそ見えるイメージも含まれている。構造的問題を分析しながら、あり得たかもしれない「可能性としての68年的なもの」がどこにあり、どう引き継いでいけるのかを冷静に考えなければならない。

 何か舌足らずな言葉が並んでいるようにも見えるが、様々な問題提起はされている。

 この68年問題は単純に人口論で見るとどうなるのか? 「団塊の世代」などと堺屋太一氏が名付けてしまったので、日本特有な現象のように見えるが、世界的に1945年は戦後の始まりだったわけで、出生率が一斉に上昇した。1945~1950年生まれの大群が今や還暦を迎えたので、高齢化の問題が出てきている。60年代後半から70年代前半はその世代が成人する時期だ。世界的に政治的思春期が来た、ということではないか。あまり秩序感覚もなく、思想への忠誠心もない大きな塊が大人になった時期、何があったのかである。

 このような社会学者の分析も議題設定には欠かせないが、やはり、経済の変化と政治の変化をもう少し精密に見る必要性があると思う。1968年は米国は実は経済的には困り始めていた時期で、71年には破綻するのだから。政治的には東西冷戦の諸相と日本の関連、それに中国を変数として入れないと見えてこない部分もあるだろう。

 その中での日本国民精神史である。

 でも、相当に面白かった企画だったことは間違いない。

 ついでに記事につけてあった年表を写しておく。

[政治の季節]年表

1966年5月 中国文化大革命始まる

 〃  6月 ビートルズ来日

 〃  7月 三里塚への空港設置を閣議決定

1967年4月 美濃部亮吉が東京都知事に当選

 〃  6月 自動車保有台数1000万台突破

 〃  8月 ASEAN発足▽公害対策基本法公布▽状況劇場が新宿で初のテント公演

 〃  10月 「オールナイトニッポン」放送開始▽ツイッギー来日

 〃  12月 佐藤首相が非核三原則を言明▽テレビ受信契約数2000万件突破

 〃     ATGと独立プロによる1000万円映画の製作が始まる

1968年1月 ドプチェクがチェコスロバキア共産党第1書記就任(プラハの春始まる)

 〃  4月 キング牧師が狙撃され死亡▽米コロンビア大をベトナム反戦学生が占拠

 〃  5月 パリ5月革命

 〃  7月 東大全共闘結成

 〃   8月 ソ連など5カ国軍がチェコスロバキアに侵入(チェコ事件)

 〃   10月 国際反戦デー(新宿騒乱)▽明治百年式典▽三島ら楯の会結成▽メキシコ五輪

 〃   12月 3億円事件

1969年1月 東大安田講堂攻防戦

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2009年2月21日 (土)

「遅く考える」時間の大切さ:中山元氏の論に賛成~朝日新聞2月21日夕刊

 哲学者の中山元氏が朝日新聞2月21日夕刊文化面に寄稿していた。<言葉と思考 遅さの技法/朗読・翻訳 その豊穣な時間>のタイトルだ。短文だが、書いてある内容は滋味に富んでいる。今、政治家だけでなくマスメディア、思想家、文芸評論家たちを含めて言葉の軽さが問題になっている時、この「言葉」=「思想」を理解するために時間をかける、という「ゆっくり」のススメは貴重な提言ではないだろうか。

 中山氏はデリダ、フーコー、カントらの翻訳書が多いので、どちらかといえば翻訳家として知られているかもしれないが、その本質は現代が抱える諸問題をすべて自分の頭で考えて解いていく、という珍しい哲学者だと思っている。借り物の欧米思想を物差しのように当てて、計算機に頼るような真似は間違ってもしない人だから、安心して著書が読める。この記事で紹介されている「賢者と羊飼い」は読んだことがなかったが、哲学入門のような題名は忘れたが、分厚い文庫本を読んで感動したことを覚えている。

 寄稿に移ろう。中山氏はまず、

 <思考は言葉によって紡がれる。言葉にならない思考は、昨晩の夢のようなものであり、雰囲気としては残っていても、揺らいでいく。思考は言葉に定着させる必要がある。>

 <言葉のうちで思考は育ってゆく。蚕が糸を紡ぐように、思考は言葉を繭として、言葉のうちで育まれ、成長し、やがて羽ばたくようになる。思考は言葉の網の目のうちで息づく命のようなものだ。>

 と、「言葉」と「思考」との密接な関係に注目する。

 <だから他者の思考を理解するということは、そのひとの言葉のうちで呼吸している思考を理解するということだ。しかしただテクストを読んでいても、著者の思考の鼓動を感じ取れないことがある。優れたテクストの多くは長い時間をかけて書かれたものであるのに、読む者の目は、しばしばテクストの上を高速で滑走してしまうからである。>

 これは、いつも経験していることだ。

 <思考を読み解くためには、遅さというものが大切なのだ。テクストの背後と行の間を読み込み、その白紙の部分にみずからの思考を書き込みながら、長い時間を過ごす。著者との沈黙の対話のうちに過ごすこの時間は無駄ではない。それこそが豊穣な時間なのだ。>

 ここまで読んで、万歳をしたくなる。いつも、私はこのような新聞掲載の論文を読みながら、パソコンに手でキーボードを叩いて入力し、それへのコメントを短く書いているのだが、その行為をも意味ある行為だ、といってくれているような感じを受けるのだ。「読む」という作業は、今の忙しい時代、一人一人の心の中で、徐々に軽んじられてきているのではないか、と思うのだ。読んでも、たいしたことが出ていないな、とか、表題だけチェックして、自分の興味のある記事だけ熱心に読むが、それも、斜め読み。事実関係だけ知れば、あとは新聞を棄てる。そんな「読書」が今、一般的になってしまったのだ、と思う。しかし、思考の格闘をしなければ、本当の読書とはいえない、というのは正しいと思う。

 中山氏はこの「遅さ」を担保する方法として、テクストを朗読し、録音し、その自分の声の録音をじっと聞く。何度も聞くことによって、目と耳を通した他者の思考と対峙する、という。次第に自分の思考と絡み合ってくる。その生き物のような変化が微妙で深い、と書く。

 また、翻訳してみるのだ、という。これは誰にでもできることではないが、思わぬほど思考の道筋が見えてくるのだ、という。日本語のテクストだったら、覚束なくとも他の国の言葉に翻訳してみるのだ、という。

 <翻訳という営みでは、もとの言葉の網の目のうちに入りこみ、著者と同じようにその思考の鼓動を感じ取ろうとすることが、決定的に重要な意味を持つ。翻訳家というぼくの仕事では、どうしても肌の合わない文体の思想家のテクストを翻訳するときに苦しくなることがある。それは相手と思考を共有しにくいためなのだ。>

 なるほど、翻訳ねえ、できればいいのだけれども。

 <必要なのは、滑りすぎる目の速度から、どのようにして思考を「遅らせる」かということなのだ。>

 だから、すでに翻訳がある、例えばジョージ・オーウェルの「1984年」の原著をペンギンブックスで買って、自分だけで翻訳して読むのも価値があるのだ、という。それはそうだろう。

 <「遅く考える」時間をぼくにくれるのだ。>

 という方法を自分たちで見つけるしかないのだろう。ぼくは、このブログに、特に書評を書く時には、本の内容をなるべくエッセンスにして略述しているが、そういう略述する、という作業の中で著者と会話しているつもりだ。

 中山氏の深い思考と比べるのは牽強付会だろうが、各自自分の方法で「遅く考える」手段を見つけることが大切なのだろう。

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2009年2月19日 (木)

[ナショナリズムと中間団体]に関する中島岳志、中野剛志両氏の対談~毎日新聞2月19日夕刊から

 毎日新聞2月19日夕刊文化面の連載[中島岳志的アジア対談]は評論家の中野剛志氏との対談でタイトルは<金融危機、保守と国家>だったが、議論がそうは深まっていないように思う。経済政策が今後、社民勢力も保守勢力も似たようなものになるだろう、というような話とナショナリズムの話。

 このナショナリズムに絞って、中野氏の経済ナショナリズム論をもう少し多面的に話し合ったほうが深まったのではないか、と思った。

 中野剛志(なかの・たけし)氏は経済産業省産業構造課課長補佐。1971年生まれ。東大卒。旧通産省入省後、英エディンバラ大大学院に留学。同大学院博士号取得。経産省新エネルギー対策課課長補佐などを経て現職。雑誌『表現者』などで論考を発表。著書に『国力論』『経済はナショナリズムで動く』と人物紹介してあった。中島岳志氏同様、西部邁氏に影響を受け「経済ナショナリズム」論を展開している、という。どちらかと言えば右派の若手論客らしい。

 対談記事の見出しは<中野さん 不況に対し構造改革でミス/中島さん 左派も賛成し違い不鮮明に>、<中野さん 経済政策はナショナリズム/中島さん 国が乗っ取ると暴力が加速>だった。今、「かんぽの宿」問題をめぐって問い直されている郵政民営化をはじめとする小泉構造改革の是非なども、もう少し突っ込んでほしかった。

 発言の中で面白い部分を書きとめておく。

▽中野氏 日本はバブル崩壊後の不況で民営化、規制緩和、小さな政府など新自由主義的構造改革を行った。手本は80年代の米英。当時の両国はインフレに悩み、緊縮財政、規制緩和、競争促進でデフレを起こし、価格上昇を止めようとした。日本の平成不況はデフレが懸念されたのにインフレ対策をした。初歩的なミスを10年以上続けた。

 そういう見方があるのか。知らなかった。視点を変えればそういう事実が見えるのか、これは勉強になった。

▽中野氏 欧米は今、金融規制を強化しようとしている。日本は平成不況の原因を金融ではなく産業構造や社会システムとして、金融市場を規制緩和し、米国型金融システムを導入しようとした。日本の構造改革は今の欧米と全く逆のことをやった。

 金融ビッグバンを平成大不況が顕在化する前に橋本政権で決めてあり、そのスケジュールに則って進めていた。当時は金融、特に世界的な過剰流動性が大きな原因だ、とは分からなかった。

▽中島氏 日本は、保守も「左派」もそれを推し進めた。保守と新自由主義に共通するのは「左派」的な理性で良き社会を設計するという設計主義への批判だが、保守は人知を超えた常識や経験知を重視し、新自由主義は市場に依拠する。

▽中野氏 米英保守が80年代、新自由主義に転じた理由は、その通りかもしれないが、日本の構造改革論者で伝統や地域社会を重視した人はいなく、レベルの低い議論だった。気になるのは「左派」だ。福祉国家で弱者への配慮を言っていた人たちがなぜ小さな政府で痛みを伴う改革に賛成したのか。マスメディアは右も左も団結して賛成した。メディアは戦後ずっと「軍国主義を反省して全体主義反対」と言っていた。なのに、全体主義的に構造改革に賛成した。

 このメディア批判は重要だと思う。確かに小泉構造改革に正面切って反対した社説はなかった。その当時の社説に対する反省の弁も見ていない。日本の論説は言いっ放し、書きっ放しの傾向があるのだろう。別に年がら年中反省していなくてもいいが、今のような節目に昔を振り返ることくらい、やってもらいたいものだ。

▽中島氏 人間の努力、英知で平等社会を実現できるとするのが「左派」の最大公約数的定義で、手段は二つ。国家を通してか、市民社会を通じてか。社民主義、社会主義と自立した個人の連帯で平等社会を実現する市民主義的な立場で、極端なのがアナキズムだ。この両者が勘違いした。社民主義者は政治改革を主張する延長線上で足元が見えなくなった。市民社会派は小さな政府は小さな権力になると思ったのではないか。

▽中島氏 今後、保守と社民の違いが経済政策ではよく分からなくなるだろう。財政出動をすべきとの点で同じになる。両者の違いは「中間団体」への認識の違いではないか。中野氏はナショナリズムが単なるステイティズム(国家主義)にならないよう家族や職業団体など中間的なものが必要だ、と強調するが、この中間団体を保守は自生的、歴史的なものと見て、社民は、人工的に作れると考える。

 この中島氏が紹介した中野氏の中間団体論は佐藤優氏も近著の「テロリズムの罠」で書いていた。人民の国民意識の高まりは国民史の中で再生された「想像上の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)に至り、それが新しい集団的自己アイデンティティーの結晶化の核となる」ユルゲン・ハーバーマスの「他者の受容―多文化社会の政治理論に関する研究」からの引用で、(佐藤本右巻P100~)、佐藤氏は続けて雨宮処凛氏の思想に触れながら、国家に強制されない多層「社会」の必要性を強調し、ナショナリズムをファシズムや宗教原理主義と並べたf形で論じる、という離れ業を展開して、読者を惹き付けている。

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▽中島氏 保守とは自生的秩序をそのまま称揚するのではなく、何かを伝統として選び直す立場で、理想社会が実現不可能なら状況に応じた漸進的改革が必要と考える。

▽中野氏 左派にも過激な暴力革命論から漸進的な福祉国家論まである。保守も中間団体が壊れたら理性で計画的に作り直すが、その理性の根拠は良識や伝統、慣習に行き着くと保守は言う。左翼思想家にも似た議論をする人がいる。米国では共和主義が保守とされるが西欧の社民主義やマルクス主義論者には共和主義者が多い。結局、保守と「左派」を厳密に分類しても、あまり意味はないのかもしれない。

▽中野氏 国民国家が遂行する経済政策はすべてナショナリズムと無縁ではない。それ自体に善悪はないが、ナショナリズムは暴走の危険性もあり、それを防ぐには中間団体が大事だ。

▽中島氏 現実のナショナリズムの多くがステイティズムを含むから難しい。ナショナリズムはフランス革命のように主権を求める国民の要求として下から生じるが、内での同質化と外への排除が出る。それを国家が上から乗っ取り、権力的暴力が加速する。

▽中野氏 下からのフランス革命の結果はとても排他的だ。旧ユーゴスラビア、ルワンダなど下からの民主化で虐殺が起きた例は多い。むしろ上からできるのが、保守思想が好む国民国家のスタイルだ。王朝の下で暮らす人々が同じ国民となり、時間をかけて穏健に民主化する。たとえばイギリスだ。王朝がある限り暴力的な革命はない。国民が殺し合わないためには、王朝の権威をねつ造しても構わない。

▽中島氏 ナショナリズムは国民がそれをフィクションだと知りつつ引き受けて、初めて可能な概念だと思う。

▽中野氏 ナショナリズムがフィクションだと国民全体が知る必要はあるのか。知らないから排外的になるわけではない。ナショナリズムに限らず、仲間意識は排他性を伴うが、排他性にも限度がある。問題は排他と博愛ではなく極端か極端ではないかだ。「ナショナリズムは悪いことをしたから全否定」では「悪い大人がいるから大人は全員信用できない」という話。結局、物事の複雑さをとらえるためには、いろんな議論が必要だと思う。

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2009年2月14日 (土)

「歯切れを悪くする」市民の役目:曽野綾子氏の34年前の論~産経新聞[昭和正論座]から

 曽野綾子さんの昔の論文を読んで、今も昔も同じだと思った。

 産経新聞2月14日朝刊[昭和正論座]の<矛盾と混とんは社会の摂理>である。昭和50年(1975年)1月3日掲載だ。論文を読む前に、当時がどんな時代だったかを見ておこう。

 1972年7月7日に成立した田中角栄内閣は日本列島改造論をひっさげて過疎と過密の同時解消を狙う。9月29日には訪中した田中首相と大平正芳外相が日中共同声明を出し、外交関係を樹立した。その前の佐藤栄作政権時の1971年8月15日にニクソン米大統領が金とドルの交換を一時停止するなどのドル防衛策を発表し、国際通貨体制は揺らぎ始めていた。1973年10月6日には第4次中東戦争が勃発。アラブ産油国が石油価格を上げ、輸出を制限したため、日本では11月16日から主婦がトイレットペーパーに群がる「狂乱物価」騒ぎが起きた。

 始まっていたインフレは列島改造論で加速され、石油値上げで油を注がれた。過剰流動性は地価を押し上げた。1974年の参院選挙は田中首相がヘリコプターで全国を飛びまわり、企業が自民党を推す「企業ぐるみ選挙」となったが、自民tの右派改選議席70に届かない62しか取れず、敗北。保革接近参院が出現した。8月15日には朴正煕大統領夫人が在日韓国人に狙撃され死亡。1973年8月8日に起きた金大中拉致事件の処理をめぐっても日韓が対立した。

 8月4日にはニクソン米大統領がウオーターゲート事件を引責辞任。5日にフォード大統領が就任した。文藝春秋11月号の立花隆論文などの田中金権批判が外国プレスの報道で火がつけられ、日本の新聞も報道。11月18日に現職大統領の初来日という記念すべきフォード米大統領来日をこなした後、田中首相は辞任表明。

 12月1日の椎名裁定で三木武夫氏が12月9日に首相になった。12月27日に通常国会が召集され、院の構成を決めて自然休会。1月中旬から再開される、その直前の1975年1月3日に掲載された論文である。

 曽野さんはこの当時から根性が座っていた。書き出しがいい。

 <年の初めに当たり、何を望むかと言われると、私は、ますます深く迷いたい、と思っている。などというと体裁はいいが、実は、昔から、私は何事につけても、なかなか本質が見えてこないので、それがよく見えるようになるまで、かなり長い時間、待たねばならぬことを何とかして正当化しようとしているのかも知れない。>

 である。相当に謙虚だが、「本質が見える」人などほとんどいないのだ。だから、曽野さんは時間がかかるけれども「私は本質が見えるようになるまで見続ける」と言っているのだ。

 交通戦争でトラックの運転者が加害者という論理、ヘドロを出す製紙会社が加害者、と割り切れない現実をあげ、加害者と被害者が大抵の場合重なっているという事実、その矛盾がまさに人生そのものだ、と書くのである。

 チクロという薬の発がん物質と認定されたり、また使用可能となったり、という歴史に触れながら、炎上したタンカーを沈没させようとして自衛艦から魚雷を撃ったが、一発で沈まなかったことなどの「矛盾」をあげていく。

 そして、本ボシである。田中角栄首相退陣に触れる。

 <クリーンな政治家が、田中内閣後にひとしきり望まれるようになった。もちろん、政治家といえども、私生活はきれいな方がいいだろう。しかし、本当にひたすらふるまいのきれいな政治家がもしあるとすれば、その人は恐らく国際社会で日本の国益になるような交渉はできまい。人間が、個人としても集団としても、あることを決定するまでには、決して単純ではない、複雑な配慮が必要になって来るからである。>

 曽野綾子氏の人間観察は透徹している。悪い人、いい人と単純に区分けできないこの世の仕組みを述べて、

 <私たち大部分の平凡な市民にとって、大切なことは、せめて軽挙妄動、即断をせぬことではないか、という気がしてならない。あらゆるものは毒を含み、すべての美と善は、醜と悪のうらうちによって支えられる面が必ずあるからである。>

 <一人の首相が全くきれいだったり、一人の総理が悪いことしかしなかった、というのは、むしろ人間性の面から見て、不可能なことなのである。>

 <この矛盾の中にただよっていると、本当に歯切れは悪くなる。しあkし、私は歯切れ悪くしていることが、むしろ一人の市民のささやかな役目のように思うのである。>

 立派な言説だ。先ほど歴史を見たように、この時期は「田中ケシカラン、三木は素晴らしい」とテレビも新聞も一斉に報道していた時期である。これだけのことを言える曽野綾子氏は腹が据わっている。

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2009年2月13日 (金)

森達也氏のセキュリティ意識過剰論はおかしい!~毎日新聞2月13日夕刊[特集ワイド]から

 毎日新聞2月13日夕刊[特集ワイド~この国はどこへ行こうとしているのか]は作家の森達也さん(52)の<暴走防ぐ「違和感」>だった。森氏は1956年広島県生まれ、立教大卒業後、俳優などを経てテレビ番組製作会社に入り、数々のドキュメンタリーを手がける。自主制作した「A」(1998年)が話題となり、続編の「A2」(2001年)は山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員特別賞に。「放送禁止歌」「下山事件」「悪役レスラーは笑う」「死刑」など著書多数、と紹介してあった。

 <「最近、気づきませんか? 地下鉄の駅に張られた防犯カメラのステッカー、以前は『作動中』だったのが、いつの間にか『監視中』になっているんです。結構大きなことだと思うんですよ。『お前ら監視してるぞっ』と言っているわけですからね」>

 なるほど、気付かなかった。「監視中」かぁ。何か国家の暴力性を象徴するような言葉ですね。

 <「放送禁止歌」ではメディアの自主規制の問題からこの国の宿痾とでもいうべき差別問題に迫り、オウム真理教をテーマにしたドキュメンタリー映画「A」「A2」では異物を排除しないではいられない日本の社会を描いた。「死刑」問題もしかり……。誰もが見ているのに、気づかない、気づこうとしない禁忌領域に迫り、押しつけではなく自らが感じた「違和感」を提示して見せる。>

 というのは地の文で、隈本浩彦記者が書いている。禁忌など何か曰く言い難い言葉遣いをする記者だなぁ。

 <「よくコンビニとかにもぶら下がっていますけど、『特別警戒実施中』の看板。24時間、一年中なのに『特別』というのもおかしな話ですよね。セキュリティー意識が過剰なほど高まっている。その行き着く先は大きな悲劇のような感じがするんです」>

 「安全」「安心」と国家の問題を語るのか?

 <初の本格小説「東京スタンピード」を出版した。スタンピードとは群れが恐怖、興奮で一斉に暴走するさまを意味する。近未来の日本を舞台に、危機意識の高まりが虐殺事件を引き起こす群衆の「狂気」を描いた。執筆の動機は「福田村事件」だった。関東大震災の5日後の1923(大正12)年9月6日、千葉県東葛飾郡の利根川沿いの村で、香川県からやってきた行商人の一行9人が自警団に虐殺された事件だ。関東大震災では「朝鮮人が日本人を襲撃している」といううわさが流れ、朝鮮人、中国人それに社会主義者の6000人を超える人たちが自警団らによって惨殺されたことは比較的知られている。けれどもこの事件は日本人が日本人を襲っていた。四国の言葉が聞き慣れず、朝鮮人と思い込んだらしい。>

 と毎日新聞から出版された「東京スタンピード」の粗筋を書き、

 <「背景には過剰な危機管理意識があったと思います。当時、日本が朝鮮を植民地としたことで、多くの日本人は朝鮮人にいつ襲われるか分からないという恐怖感があった。そして震災。流言飛語のなかで自警団が結成され、自分たちから見て『異質』な人々を次々に襲い殺していった。重要なのは襲った側が『善』である点なんです。アウシュビッツにも行きましたが、当時のドイツ人すべてが邪悪だったわけではない。人はよこしまな欲望だけで大勢の人を殺すことはできません。セキュリティー意識、あるいは愛するものを守るという大義名分が高まったときに人は虐殺に走る。『悪』という存在に目を奪われがちですが怖いのは『善』だと思う。善の陶酔、善の暴走がスタンピードを起こす。関東大震災の自警団だって『善』と信じて虐殺に走ったんです」>

 なるほど、これが「森哲学」の一端ですか。悪は目に見えるし、制御できるが、善はみんなアプリオリに安心して従う。思考停止になる。そして、その結果、悪が行われる、ということだろう。

 <集団暴走を考えるきっかけはオウム真理教事件だった。>

 というのは記者のト書きである。

 <「オウムのドキュメンタリー作品(『A』『A2』)は、オウム施設の内側から日本社会がどう見えるのかということをテーマにすえました。警察の捜査、メディアの報道、市民の反応のどれをとっても『集団暴走』を感じた。オウムも同じですが、個としての考えは吹き飛んで周りに同調して一つの方向に突き進む。その怖さを知りました」>

 見ていないので何とも言えないが。

 <「A2」はオウム信者の退去を求める「善良」な市民をとらえているが、集団となって「異物」を排除しようとする姿は、関東大震災での自警団もかくやと思わせるほど日常から逸脱した雰囲気が漂う。そのオウム事件が起きた1995年を境に日本の社会は変調をきたしたと見る。>

 これも記者のト書き。「関東大震災の自警団もかくや」と書いているが、自分の家の隣にオウムのアジトがあったら、この記者はどうするのだろう。「オウムだっていい人がいるのだから。法律違反はしていないのだから」と日常生活を今まで通り続けることができるのだろうか? やはり、オウムは近くにいてほしくない集団ではないか。

 <「膨大な報道を通して更生できない邪悪な人間、組織が存在する、という刷り込みが徹底してなされたと思う。その結果、監視カメラなどの設置が進み、危機管理意識が高揚し、犯罪に対する厳罰感もどんどん進行している」>

 私もそんな「刷り込み」をされた一人に過ぎないのか?

 <死刑廃止論議はすっかりなりを潜め、それどころか死刑相当犯罪の時効廃止について論議されようとしている。>

 毎日新聞がキャンペーンしているのではないか。

 <もう一つ危惧するのは、同調圧力に弱く周りを気にしやすい国民性ゆえに、共同体への帰属意識が強い点だ。>

 それは昔の話だろう。今は異質な人間、「アトム化した個」がうじゃうじゃいるじゃないか。

 <「稲作、島国という条件が影響しているのでしょう。和を重んじる文化もある。今も同じです。仲間内で状況が読めないとKY(空気が読めない)と呼んで排除したりする。歴史問題で中国、韓国が反発するけど、集団化したときの日本人の怖さみたいなものを民族の記憶として継承しているのではないかと思う」>

 何か、このへんは薄べったい感じがするし、第一、牽強付会だ。

 <いま、この国を見渡せば、「100年に1度」の名のもとに派遣、正社員切りの動きが加速する。そう、あたかもスタンピードのように。>

 100年に一度の言葉と派遣切りとは直接関係ないだろう。100年に一度だから思い切り国費を使った経済対策をする。派遣切りはその前の小泉政権の申し子ではないか。混同している。

 <「断言」「反復」によって群衆は自覚的な個を喪失して扇動されると指摘したのは、フランスの社会心理学者のル・ボン(1841~1931年)。扇動者として想定したのは為政者で、ヒトラー、スターリンらの出現でその説は実証された。けれども今日、仕掛けるのは為政者ではなく無自覚なメディアではないか――。森さんはそう考える。>

 この辺のメディア批判は面白い。私もファシズムとメディアとの関係は研究したいテーマだ。

 <「メディアは過剰に危機をあおる傾向にあります。刺激的でないと視聴率はとれないし、読者も離れていく。だからますます扇情的にならざるを得ない。メディアが『断言』『反復』の危険な連鎖に陥っている。問題なのはメディアの無自覚性だと思うんです。『放送禁止歌』もそうだったんですが、だれも制限なんかしていないのにみんな勝手に放送してはダメだと思いこんでしまっている。思考が止まってしまっているんです。オーウェルの『1984年』(全体主義が支配する世界を描いた小説)で最高権力者として『ビッグブラザー』が設定されているが、最後まで姿を見せない。つまり実体がないものに、過剰な忖度で空白を埋め合わせているわけです」>

 そうかぁ、この人が「放送禁止歌」の研究をしていたんだっけ。「1984年」のビッグブラザーは今流行といっていい。

 次は記者のト書きだ。

 <果たして人ごとだろうか。おもしろい話を聞いた。モンゴルでは羊の群れに何頭かのヤギを放すという。群れへの依存度の高い羊は草を食べ尽くすとその場で立ちつくしてしまう。ヤギは違う。草がなくなれば別の場所に向かう。結果として羊も移動する。>

 これって有名な話なのかな? 前にも誰かに聞いたことがある。

 <「ヤギは群れようとしない。同調圧力に強い。摩擦を起こし足並みを乱すことで、破滅的な危機から群れを救っているわけです。私たちも同じですよ。個人が抱く『違和感』という『摩擦』が危機的な集団暴走を防ぐ」>

 牽強付会な比喩が始まる。 

 <東京メトロによると、防犯カメラのステッカーの表現が「作動中」から「監視中」に変わったのは北海道洞爺湖サミット前の昨年6月。けれども広報担当者は「聞かれるまで知らなかった」と話した。ふだん見ているのに、見えない、気づかない変化の積み重ねの先に控えているのは、どういう国のかたちなのだろうか。>

 と隈元浩彦記者は読者に問いかけて終わる。何かなぁ、テレビ朝日の夜のニュースショーの例の男性キャスターを思い出すので、こういうような問いかけは嫌いなんだけど。

 一読、違和感を覚えた。森氏の「人間主義」と日本人固有の「どうでもいい」感覚は合わないのではないか、と思うからだ。汎神論ではなく、一神教の考えだろう、森氏の言っていることは。人間中心主義、近代理性万能主義。それではうまくいかなかくなったから、日本の心を探そう、ということではないか。それとオウム真理教がどこで結びつくのか? 悪いものは悪いのではないか? ゴミ屋敷の主が森氏の隣に引っ越してきても文句一つ言わずにニコニコできるのか? という単純なことを問いたい。

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2009年2月12日 (木)

日本人の「初期設定」、国民合意がないのは昔からか?~内田樹氏の毎日新聞2月12日夕刊寄稿から

 毎日新聞2月12日夕刊文化面連載[水脈]に内田樹・神戸女学院大教授(フランス現代思想専攻)の<日本特殊論/他国と比較「だから、どうした」>が掲載されており、面白かったので書いておく。何が何だか分からないと思うので、第一段落を書き写しておこう。

 <「日本特殊論」という言説がある。任意の論件について「日本は他国とこう違う」ということおを列挙し、そこから「だからダメなんだ」と「だからよいのだ」と二種類のどちらかの言明を導くものである。私はそれ以外の第三の言明もあってよいのではないかと思う。「だから、どうした」である。>

 この文章を読めば、内田氏が他者に論争を挑もうとしているのが分かる。楽しい論争を、である。今、若者に抜群の人気の哲学者だという。論争相手には不足だろうが、一応、内田氏の論にコメントをつけながら読んでみる。

 まず内田氏はオバマ米大統領の就任演説について「アメリカ的なスピーチだと思った」として、

 <清教徒も、アフリカから連れてこられた奴隷たちも、西部開拓者も、アジアからの移民たちも、それぞれが流した汗や涙や血は、どれも今ここにいる「私たちのため」というものだったという国民の歴史の連続性が強調されていたからである。>

 <アメリカ人がアメリカ人であるのは、「かつてアメリカ人がそうであったようにふるまう」限りにおいてである。つまり、アメリカ人の国民性格はその建国のときに初期設定されている。だからもし、アメリカがうまくゆかないことがあったとしたら、それはその初期設定から「逸脱」したせいなのだ。彼らはそう考える。そういう場合には「初期設定に戻す」のである。(誤作動したコンピューターといっしょである。)>

 アメリカ人はリセットできる、という。ところが、日本人には立ち還るべき「初期設定」が一杯ありすぎて、どれが「初期設定」なのか、国民合意ができていない、というのだ。「敗戦」なのか「明治維新」なのか「天孫降臨」なのか、と。

 <だから、私たちは危機に際会したときに立ち還るべき原点を持たないのである。>

 という問題提起は重いと思う。

 <私たちがうるさく語り合うのは「アメリカではこうだが、日本ではこうだ」、「フィンランドではこうだが、日本ではこうだ」という類の他国との比較だけである。私たちには「時代を超えて継承されてきた国民性格」に基づいて、国民として果たすべきことを叙するという習慣がないのである。>

 これは、今の時代というか明治維新後を見ればその通りだと思う。特に戦後は「戦前、戦中はすべて悪だった」というGHQの史観を受け入れながら民主化が進んだこともあって、この考え方がほぼ日本を覆い尽くしている観がある。

 しかし、内田氏の次の言葉が挑戦的に聞こえるのだ。

 <私たちは「そういう国民」なのだ。私たちは「あるべき国民像」を、祖先たちの生き方を範とすることでなく、同時代の他国との比較でしか語れない国民なのである。それが「時代を超えて継承されてきた国民性格」であるなら、「それで何か問題でも?」と反問しつつ、その「同じ旅程」を私たちもたどる他ないだろう。>

 である。

 内田氏ほどの方だから、「反米」と「親米」、「鎖国」と「摂取」、「愛国」と「国際化」など対立する概念を一つの人格の中に持つ近代知識人の煩悶の歴史を知らないわけがないだろう。夏目漱石、和辻哲郎、柳田國男、小林秀雄、江藤淳各氏らの努力はまさにそこにあったわけだろう。

 だから、内田氏の言いたいことは軽佻浮薄で伝統の重みを全く理解できないマスメディアと文化人、学者や政治家への痛烈な批判なのだ、と理解している。

 内田氏は温故知新ができないことを「日本人の国民性格」というが、兼好法師や紫式部、親鸞や日蓮を見れば、あふれるほどの愛国心と伝統を大切に受け継ぎながら一部を壊し、新たに建てるという作業を繰り返してきたことが分かると思う。日本人の国民性を考えた時、決して、縦の思考(歴史的思考)ができずに平目のような横の思考(世界比較)だけで生きてきた民族とは思っていない。

 しかし、内田氏はそんなことは百も承知で言っているのだろう、と思う。内田氏が言うように他国比較を絶対である如く言う「文化人」「政治家」が多すぎるし、テレビメディアなどを通じて、相当の悪影響を日本国民に与えていると思う。「だから、どうした」の視点は非常に大切だ、と思う。

 特に外人による日本論、日本人論を有難がって拝聴し、神棚に祭り上げることだけはやめたほうがいい。最近の新聞でチャルマーズ・ジョンソンのインタビューが出ていた。例の日本異質論者だ。最近は日本の左翼と相性がいいようだが、そんな連中の片言隻句に一喜一憂することはやめよう。外人の話も日本人の話も同じ地平で見るようにすれば、違ったものが見えてくると思う。

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2009年2月 9日 (月)

吉本隆明氏の内村剛介氏への追悼文、勉強になった~東京新聞2月9日夕刊から

 東京新聞2月9日夕刊文化面に[追悼・内村剛介さん]として吉本隆明氏が語った話を大日方公男記者がまとめた文章が掲載されていた。タイトルは<国家や主義に同化せず>。いい文章だった。内村氏はずっと以前、たしか「収容所」ものを1冊読んだだけで、ロシア学者だ、ということは知っていたものの、ご本人がどのような方か、は全く知らなかったが、吉本氏の文章を読み、その名前さながらの剛直さ、芯が通っている生き方に感動した。最近「内村剛介著作集」(恵雅堂出版)が出始めた、と書いてあり、読んでみたくなった。

  最初に内村氏の訃報を見てみよう。朝日新聞の記事がネットにあったので、コピペする。<評論家・元上智大教授の内村剛介さん死去>1月30日午後1時過ぎに配信された記事だ。

 <内村 剛介さん(うちむら・ごうすけ=評論家、ロシア文学者、元上智大教授、本名内藤操〈ないとう・みさお〉)が30日、心不全で死去、88歳。通夜は2月5日午後6時、葬儀は6日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主は長女冨永まなみさん。栃木県出身。ロシア文学研究とともに、シベリア抑留体験に基づく評論活動を展開した。著書に「生き急ぐ」「呪縛の構造」ほか。>

 随分と簡単な訃報だった。各社、訃報本記はこの程度の扱いだったのだろうか? と思って、ためしに毎日新聞のネットを見たら、詳しい訃報が出ていた。<内村剛介さん 88歳 死去=シベリア抑留…独自の思索ロシア文学者>とあって、

 <シベリア抑留体験を背景に社会や文学に対して独自の思索を進めた評論家でロシア文学者の内村剛介さんが30日、死去した。88歳。栃木県生まれ。元上智大教授。>

 までは同じ。その後に、

 <14歳で中国東北部に渡り、ハルビン学院などで学んだ。関東軍に徴用されたが、敗戦時にソ連軍に捕らえられ、以後1956年の帰国まで、約11年間にわたって、監獄や強制収容所で過ごした。帰国後は商社勤務の傍ら文筆活動を続ける。収容所で身につけたロシア語を基に、ロシア人の思考方法を深く洞察。ソ連国家を厳しく告発しスターリン批判を行った。同時に現代日本の思想の軽薄さについても警鐘を鳴らした。主な著書に「生き急ぐ」「呪縛の構造」「ドストエフスキー」「ソルジェニツィン・ノート」、訳書に「エセーニン詩集」など。>

 <抑留体験が原点>の小見出しがあって、

 <沼野充義・東京大教授(ロシア・東欧文学)の話 ロシア文学者の系譜で、批評家として自立した独特な人でした。原点にあったのはシベリアでの抑留体験。ソ連という巨大な怪獣のはらわたの中に入って地獄巡りをし、一対一で立ち向かった。反権威の人で若手には優しく目をかけてくださった。>

 と、識者の談話を入れていた。この扱いが正当だろう。それに比べると、朝日新聞は何か、不当に内村氏の業績を貶めている感じを受ける。

 毎日新聞記事で大体の輪郭を得た後、東京新聞夕刊に戻って、吉本氏の話を読んでみよう。

 <内村さんは日本の高等小学校を出てすぐ満州に渡り、後藤新平がつくった満州国立大学ハルピン学院でロシア語やロシア文学を学んで、優秀でしたから関東軍に軍属として徴用された。そして二葉亭四迷以来の、ロシア(ソ連)の文化を探求し、社会政治事情を調査する<ロシア学>を身につけた。

 満州育ちなのだ。

 <満州は多くの民族や移民がおり、ソ連と中国と日本の力が拮抗する面倒な場所でした。敗戦間際にソ連軍が侵攻し、内村さんも抑留され、シベリアの強制収容所を転々とした。関東軍の軍属でロシア語も堪能ですから、ソ連軍から見ると内村さんは最も目をつけるべき人間で、収容所よりも監獄生活が長かった。>

 そういう生活だった。

 <ロシア文学者の江川卓さんのような戦後に進歩派と呼ばれた知識人も抑留されており、多くはソ連と折り合いをつけて帰国しましたが、内村さんはソ連の共産主義体制に頑強に同化しなかった一人で、それが11年間という長い拘束につながったと思います。昨年出た陶山幾朗さんの「内村剛介ロングインタビュー」(恵雅堂出版)は、そういう生涯を完璧に近く丹念になぞっています。>

Book
内村剛介ロングインタビュー
販売元 恵雅堂出版
定価(税込) ¥ 2,940

 <かくのごとく僕は内村さんを、国家や主義に頑強に同化しない二葉亭につながる<ロシア学>の最後の学徒だととらえていました。彼らはロシアの風土や宗教や文芸、西洋的ロシアと東洋的ロシアの違いなどを探求し、それを日本に紹介した。それはレーニンの革命理論の中心をなす西洋的ロシアの教養や認識では包摂できないロシア像だったと思います。彼らに比べれば、戦後の日本共産党の同伴知識人のロシア認識も問題にならないと感じていました。>

 このへんから深い話になっていく。こういうインタビューものが楽しいのは、ロシアを論じる時に、こういうことを知っていて論じるのか、それとも、今の新聞や雑誌の表面的知識の継ぎはぎで論じるか、同じように見えても違う、と思うからだ。吉本氏の内村氏評価は確かに深い。

 <スターリニズムの毒が凝縮された強制収容所という場所で痛めつけられ、ようやく帰国してから、内村さんはわが身を絞るかのような発言を始めました。抑留中に日本の左翼のことも勉強したようで、帰国後に用心深く左翼知識人を歴訪した。「ソ連が死ぬか、俺が死ぬか」という思いで帰国した人の目に、僕らのような日本の発言者の姿は、お寒く写ったようでした。>

 内村氏はソ連との戦いに勝ったわけだ。

 <安保までは進歩的だった江藤淳が「小林秀雄」を書いて転身したような「一身にして二世を生きる」経験は認めなかったし、僕が埴谷雄高や花田清輝と付き合うのも内心は快く思わなかったようです。>

 江藤淳が進歩派だった、とは迂闊にも知らなかった。60年安保で相当数の文化人が転向したのか。埴谷、花田を認めない、というのは今の時代から見れば「了見が狭い」と言われるだろうが、内村氏にはそういう言い方は適切ではないだろう。

 <内村さんと初めて会ったのは1960年ごろ。僕が出していた「試行」に連載してもらい、ロシアについて僕は生き生きと教えられました。トルストイやドストエフスキーの小説の描写や会話はなぜごてごてと長いのかと聞くと、ロシア人は理屈が大好きで屁理屈でも徹底すれば納得してしまう、だから長弁舌になる、と解説してくれたのは内村さんが初めてでした。戦後すぐのドイツ政府はあれだけ敵対していたソ連に交渉して捕虜の返還を求めて了承された、と陶山さんのインタビューで言っています。ソ連が科学技術や文化をドイツに依拠していたからでしょうが、堂々とした理屈が正当であるなら彼らは無視しない。

 ここは非常に重要な部分だ。

 <僕はロシア人もアメリカ人も毅然とした態度と理屈で訴えていけば通ると思います。日本人もそうすれば占領も捕虜の問題も早く解決されたでしょうし、最近で言えばイラク派兵や三浦和義の裁判や疑惑の死の問題も、もっと正面から合理で臨むべきだと思います。戦後何十年もたっていますし、遠慮する必要はないですね。>

 日本人から「毅然さ」が失われてしまったことを嘆いているのだろう。内村氏の思想を借りて、吉本氏が自分の主張を展開している、と見たほうがいい。

 そうなのだ、と私も思う。

 すべて、堂々と正面から向かい合う、という態度が必要なのだ。すぐに「近隣条項」などと気を遣ったふりをするその偽善が国民も国際社会も嫌気がさしてきているのだ、と思う。幕末のちょんまげを結った訪米使節団は好奇心の強い米国民からバカにされず、歓迎を受け、幕末明治の日本人は来日した欧米人から、その礼儀作法などが絶賛された。

 <内村さんは自分一個で旧ソ連邦全体に向き合い、その姿勢は世界を見る時にはどれほど重要なことかを単身で示しました。

 以上である。心にしみる言葉が並んでいた。なぜ、日本人がこうなってしまったのか? 安倍元首相的な戦後否定しか解決策はないのか? 大平正芳が今生きていたら、どのような形で「古き良き日本の心」を取り戻そうとするのだろうか?

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2009年2月 7日 (土)

清張生誕百年=朝日新聞2月7日夕刊<清張なら「いま」どう描く>と毎日新聞朝刊の昨年10月からの長期連載の中の「点と線」

 松本清張生誕100年で新聞紙上にも清張に関する記事がよく掲載されるようになった。

◆朝日新聞2月7日文化娯楽面<清張なら「いま」どう描く>

 最近では毎日新聞朝刊文化面で昨年10月から連載している[清張とその時代 生誕百年]が面白いので、記事を切り抜いているが、今日2月7日の朝日新聞夕刊文化・娯楽面の<清張なら「いま」どう描く/バブル後に届く先見性と時代的限界/リアルな社会派始祖の視座>も難しい言葉を使っていて読みづらいが、内容は面白かった。

 結局、松本清張の時代、つまり戦前を引き摺り、戦争の生々しさが記憶に鮮明で、戦後のGHQの無理無体が許される時代には、犯罪が「貧しさ」から抜け出す、という動機で起こることが多かった、ということと、今ではそういう貧しさ、貧乏やそういう家に生まれたことへの卑下はほぼ消えたけれども、<人間が社会に承認されず、犯罪によって「成り上がる」ことすら不可能な社会>だ、というのだ。鳥居達也記者の解釈だ。秋葉原の無差別殺傷事件「アキバ事件」などを経た現代犯罪学的な見方なのだろうか。

 この記事に出てくる大澤真幸・京都大学教授(社会学)が「現実の向こう」などで清張論を展開していることは初めて知ったが、その大澤氏が、「砂の器」の「和賀」や「けものみち」の成沢民子、「黒革の手帖」の原口元子ら一見勝ち組的な生き方について「だが、その繁栄は、先の戦争(死者のまなざし)を棚上げして、米国流民主主義と経済市場主義に滑り込んだという思想的ごまかしを土台としていた」と言った、というのだが、文脈の中で、この言葉が浮いてしまっている。

 <清張は、和賀を大衆から遊離した前衛音楽家と設定することで、虚妄性を強調した。和賀を通じて、戦後日本社会の繁栄のもろさと危うさを暴いて見せたのだ。大澤教授は、そこに清張の先見性を見る。と、同時に「時代的制約」もあると話す。>

 大澤氏の言葉である。

 <「『砂の器』では多くの人が和賀を勝ち組とみなしていたが、80年代後半以降は、社会的成功やそれに基づく幸福がどこか底の浅いものであることをみんな知ってしまった。例えばホリエモンや小室哲哉の成功はどこかむなしい、というふうに。金融バブルがはじけた『ポスト虚構の時代』の今は、清張が鋭い洞察力を持って暴いた社会の虚妄性・欺瞞性は、犯罪を犯てでも隠すべきものどころか、自明の前提となった」>

 前半は分かるのだが、最後の部分で、なぜ隠したり、自明だったりするのか、がどうも分からない。何か論理の飛躍があるのではないか?

 鳥居記者は続けて、

 <加えて、「100年に一度の不況」下での格差の拡大。著書「新しい階級社会 新しい階級闘争」で橋本健二・武蔵大教授(理論社会学)は書く。「階級構造の底辺には『階級以下』の存在、つまり『アンダークラス』」が大規模に形成されていると。それは、ホームレスの支援活動を行っている湯浅誠氏が著書「反貧困」で、社会から排除された人間が「自分自身からの排除」に行き着いて暴発する可能性に言及した認識と重なる。>

 として、アキバが出てくるのだ。どうも理解できない。

 何か、清張を出汁に使って、現在の状況を大澤氏と湯浅氏に語らせただけのような気もするのだが、言おうとしていることは「清張の時代よりも良くなった、といわれるけど、そうじゃないんだ」ということだったのか? 何しろ考えさせる記事だった。

 そして、毎日新聞の連載だ。

◆毎日新聞の清張生誕百年連載=初回3回の「点と線」だけ取り上げる

 タイトル通り、2009年が松本清張の生誕100年にあたることから、今の時代から見直してみよう、という趣旨のようで、「点と線」、「小説 帝銀事件」、「「ゼロの焦点」などと続いている。「点と線」は上中下、2008年10月6日、13日、20日付の3回で、筆者は鈴木英生記者だ。

 上は<『点と線』/あさかぜ/感傷が見つけた「東京駅の4分間」>だった。

 <1957年の1月14日午後6時前後、東京駅15番線ホームに姿を見せた一組の男女。2人は6日後、福岡県の香椎海岸で死体となって見つかる。男性は汚職事件の渦中にあった××省課長補佐、佐山憲一、女性は東京・赤坂の料亭に勤める、お時。当初、心中に見えた2人の死は、××省汚職の隠ぺいが絡む殺人事件の線が濃くなってゆく。疑いの目は、同省出入り業者の安田辰郎に注がれた……。『点と線』は、言わずとしれた松本清張の初期代表作だ。57年2月から1年間、雑誌連載され、58年2月に単行本が出た。>

 元祖社会派推理小説だが、

 <今の視点では、経済白書が「もはや戦後ではない」とうたった時代の東京と地方の距離感がうかがえることも、興味深い。>

 と書いている。具体例は次のようなことらしい。

 <佐山とお時が乗ったのは1956年秋に登場した博多行き夜行特急「あさかぜ」。終点まで約17時間半は当時最速。事件を追う刑事の三原紀一は、博多まで20時間以上かかる急行を使った。博多まで「あさかぜ」3等寝台下段が3250円、急行は3等座席車で1790円。飛行機なら1万2600円かかり、大卒初任給とほぼ同額である。今春の大卒初任給は平均20万6969円で、57年の約16倍だが、夜行特急の料金はB寝台2万3040円と約7倍になっただけ。飛行機の割引料金は夜行より安く、所要時間1時間40分。>

 そして、

 <『点と線』の連載誌が『旅』だったことも興味深い。旅行が今よりはるかに大変だった当時、この作品は、読者に長距離を移動する興奮をバーチャルに与えていた。>

 なるほど、今だったらアテネで出逢った男女がニューヨークの投資銀行で仕事をして、香港で遊び、インドに旅行に行くようなものか。

 清張は、『点と線』連載の少し前まで朝日新聞社に勤め、53年に小倉から東京へ単身赴任。帰宅途中の東京駅で「この夜行列車に乗れば明日の昼には小倉の家族に会えるのだが」という感傷がホームでの4分間の目撃シーンを思いつく背景となった、という。

 <東京発の九州行き夜行は57年に8本あったが、今は「はやぶさ」と「富士」の2本だけ。「あさかぜ」は既に廃止された。9月のある日、「はやぶさ」に乗ってみた。東京―博多間は、かつてより1時間半だけ速い。乗った車両は、東京出発時点の客が4人で定員の1割強。小説では、佐山のポケットにあった食堂車の受取証が警察の疑問を呼び、殺人事件の捜査が始まるきっかけになった。今の「はやぶさ」に食堂車はなく、朝まで車内販売すら来ない。東京からの乗客は、全員が鉄道ファンだった。九州行き夜行は来春にすべて廃止となる。だから、廃止前に乗っておくのだという。>

 中は<『点と線』/香椎海岸/多喜二が殺された年、歩いた街>は<西鉄香椎駅で降りて、海岸の現場までは、歩いて十分ばかり>の遺体発見現場。今は変わってしまったのだ、という。

 今は福岡高速道のすぐ横にある川の南側とされ、作中では<石ころの多い広い海岸>とされたが、北側が後年埋め立てられて団地となったため、今の海岸線は、川より500㍍ほど奥にあり川は、両岸がコンクリートで固められて高速道と近くの国道3号の音が響いていたそうだ。そして、新しい海岸線は、『点と線』に出てくる<黒い岩肌のごつごつした>、<これはいかにも荒涼とした>場所ではなく、人工的に砂浜が作られ、海岸に沿った道に街路樹もあり、家族連れが散歩を楽しみ、遠くにはショッピングセンターやマンションが見えるような場所に変わっていた、という。

 <清張が香椎に遊んだのは1933年。貧しさの中、尋常小学校高等科を出て以来9年間、働き詰めだった。文壇デビューは、まだ17年も先だ。4年前は、友人がプロレタリア文学雑誌を購読したことに絡んで検挙された。>

 そういう時代だった。

 西鉄香椎駅とJR香椎駅前間は5分もかからない。西鉄香椎駅は2年前に建て替わり、JRも駅ビルが建ち、県内上位の乗降客数がある。駅前と海岸をつなぐ道の両脇は商店が建ち並び、歩道は大変な混雑。JRの駅前に、『点と線』で海岸へ向かう男女を目撃した店主のいた果物店が、今はたばこ店となって残る。店は40年ほど前に持ち主が変わった。今の店「恒久堂」の店主、大部慶金さんは当時、小学生だった。「道路は未舗装で、西鉄より海側は、小説通りのさみしいところでしたね。よく、通りで遊びました。にぎやかになったのは、団地ができて以降です」と振り返る、とあった。

 <清張がこの駅前にも来たであろうその年、プロレタリア文学作家、小林多喜二が警察に殺されている。それを思うと、『点と線』が、汚職の隠ぺいで殺された死体を香椎海岸へ置いたことに、評論家・小説家、伊藤整の、次の言葉も重なってくる。清張は、<プロレタリア文学が昭和初年以来企てて果たさなかった資本主義社会の暗黒の描出に成功>した(「『純』文学は存在し得るか」)。>

 そういう読み方もできるのか。勉強になる。

 下は<『点と線』/造船疑獄/踏み出せない憤り>。この回も記者は、時代を反映している部分をピックアップして訪問している。

 <『点と線』は、省庁の汚職を殺人事件の背景としている。この作品が書かれた1950年代、日本経済は戦後復興から高度成長への助走期間に入る。そして、似たような汚職が多発した。特に、54年の「造船疑獄」は、『点と線』を解説する際、しばしば引き合いに出されてきた。造船疑獄では、石川島重工社長の土光敏夫ら、政官財の計約70人が逮捕された。しかし、焦点だった佐藤栄作・自由党幹事長の逮捕は、犬養健法相の「指揮権発動」によって政治的に回避されてしまう。池田勇人・同党政調会長も無傷だった。>

 「点と線」の解説で造船疑獄が取り上げられているとは知らなかった。

 <「かわいそうなのは、その下で忠勤をはげんで踏台にされた下僚どもです」。『点と線』の最後で警視庁の刑事、三原紀一が、福岡県警の刑事に手紙を送る。現実の汚職で、事件解明の鍵となる<下僚ども>は、自殺する例が少なくなかった。造船疑獄でも、運輸省の課長補佐や石川島重工の取締役が自殺した。作中の三原は、××省課長補佐、佐山憲一が殺されて、「安堵の胸を撫でおろした佐山の上役はずいぶん多いでしょう」と、こぼす。>

 そういう意味で関連付けられているのか。分かった。

 <ところで「『清張以前・清張以後』という言葉がある」(『松本清張を読む』細谷正充著)。現実にあり得る犯罪をリアルに扱った作品群は、「それまで限られたマニアの読み物だったミステリーを、一般読者へと開放した」(同前)。つまり、『点と線』はプロレタリア文学を引き継ぐかのように社会悪をえぐった。しかも、社会派推理小説という新分野を広く認知させるほど、多くの読者を獲得した。ここで、そのわけを考えたい。>

 随分と学問的なのだ。

 <戦前のプロレタリア文学には、労働者の決起を促すという目的があった。だから、どうしても「希望」が描かれなければならなかった。『点と線』も社会悪を弾劾した。だが、その完全な排除は無理だという、ある種のあきらめをも描いたような面がある。このあきらめが、ポイントではないだろうか。たとえば、殺された佐山の上司や殺人の片棒を担いだはずの事務官は出世してゆく。それを見ても、三原は、<役所というものはふしぎなところですね>と記すことしかできない。この後味の悪さが、むしろ、作品に現実味を与え、読者の心をとらえたかに思える。北九州市立松本清張記念館の中川里志・学芸担当主任は「松本清張は、普通の庶民の視点で社会を見て、憤った。しかも、憤ってもその先に踏み出せない状況を描いたのです」。三原のセリフは、まさに、この状況を象徴しているだろう。>

 と一般論を書き、

 <造船疑獄で逮捕を免れた佐藤栄作と池田勇人は、後に首相となり、高度経済成長を推進した。汚職の温床でもあった政官財のトライアングルは、フル回転で成長を支えた。同じ疑獄で逮捕された土光敏夫は、80年代、臨時行政改革推進審議会会長などとして3公社民営化などを提言。高度成長期の枠組みを解体する、そのさきがけとなる。高度成長と土光臨調との間に、幾多の佐山憲一、清張の言う「気の小さい、善良な人間」がいたのではないか。造船疑獄と絡めて『点と線』を読み返すと、そんな思いにとらわれる。>

 と具体論を書いている。

 それが日本社会なのだ、と思う。「許す」というのとは違う何かがある。単純に「流される」というのともまた違うと思う。

 毎日新聞の連載は読みでがある。いずれ一冊の本にまとめてもらいたい。

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2009年1月27日 (火)

橋本治のゴミ屋敷物語が秀逸らしい~1月27日読売新聞朝刊、26日毎日新聞夕刊文化欄から

 「新潮」1月号の橋本治「巡礼」が面白いらしい。まだ本物を読んでおらず、2紙の文芸時評を読んだだけなのだが、テレビのワイドショーの格好の話題となっている「ゴミ屋敷」の主人公である老人たちの心象風景を想像を膨らませて書いた庶民の近代史となっている、というのだ。

 小説の内容を簡潔にまとめていたのが読売新聞の[2009文学1月]の文化部・山内則史記者だ。<「戦後」、何が失われたか/孤児、ゴミ屋敷に根付く記憶>の見出しを見ただけでも読みたくなる。山内氏は「群像」2006年6月号から2009年1月号まで連載、完結した宮本輝「骸骨ビルの庭」をメーンに取り上げ、その文脈の上で「巡礼」に言及している。「巡礼」の内容紹介を写しておこう。

 <橋本治(60)が「巡礼」(新潮)で焦点を当てたのは、近隣住民に迷惑を振りまき、ワイドショーの格好の餌食になっているゴミ屋敷。この屋敷の主である男の半生と救済が綴られる。国民学校高等科1年の時に終戦を迎えた彼の戦後は、荒物屋の跡取り息子として順調に進むかに見えたが、5歳の息子を小児がんで亡くし、それを機に姑と不仲だった妻が家を出たことから大きく狂い始める。その背後には、郊外に伸び拡がる鉄道での通勤、団地や新興住宅地の出現など、<雪崩を打つように変わって行った>時代の風景が、俯瞰するような視点から描き込まれている。大量生産・大量消費を「善」として突き進んだ社会の価値観から取り残された男。ゴミ屋敷は、物が人の欲望を上回り、暮らしの身の丈をも超えて増殖していった果ての、墓場のようでもある。>

 そして、山内記者は宮本氏が骸骨ビルの管理人(いわくありげな老人で、この小説の主人公というか舞台回し)と同じ1947年生まれ、橋本氏は48年生まれで、

 <世代と作品の関係は一概には言えないが、両氏が『戦後』を見据えた作品をこの時期に書いたことは、偶然の一致とは言い切れないのではないだろうか。>

 と戦後に生きてきた作家たちの自分探しの旅でもあっただろうことを書いている。

 毎日新聞夕刊[文芸時評]で文芸評論家の川村湊氏は<ゴミ屋敷に見る「近代日本」/戦後が失い、得たものとは>の見出しで「巡礼」について論文のほとんどを使って語っている。キーワードの一つが「荒物屋」だ。

 <「荒物屋」という商売自体が、死後だろう。乾物屋とか小間物屋などと同じように。そうした店で取り扱われていたものは、今ではすべてゴミとなってしまうようなものばかりだ。穴のあいたバケツ、バラバラになって竹箒、まさに瓦礫でしかない瓦、いずれ付喪神(古い器具、道具が妖怪となる)ともなりそうな品物ばかりだが、それらは棄てられて「ゴミ」となる。しかし、それは忠市(主人公)という、元荒物屋の跡継ぎだった老人にとっては「ゴミじゃない」のだ。>

 と書いた上で、川村氏はテレビカメラが大写しにして、近所の人の話を聞くが、まともな話は出てこない、それもそのはずで、近所の住民は昔のこの場所のことなど知らない人たちばかりだからだ、と言う。そして、

 <古い二階建ての荒物屋、そして瓦屋からゴミ屋敷への変貌は、昭和から平成へと移り変わる近過去の物語でありながら、永遠の相の下に見た「近代日本」の確かな肖像そのもののように思える。日本の「戦後」は何を失い、何を得てきたのか。そんなことさえ考えさせる。>

 救いの旅、巡礼での両手に指のないという障害を持つ女性とのちょっと変わった食事の場面、と川村氏は書いている。この場面も面白そうだが、さあ、「新潮」を買ってこよう。

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2009年1月12日 (月)

タイトルにつられて読んでみた:長谷川三千子氏の<ホントは怖い「多文化共生」>~産経新聞1月12日[正論]

 産経新聞1月12日の[正論は]埼玉大学教授・長谷川三千子氏の<ホントは怖い「多文化共生」>だった。「共生」はいいことでなかったの? と疑問を持って読み始めた。

 長谷川氏は▽2004年に内閣府が作った「共生社会政策担当」という部署が「共生社会」の実現を推進中▽総務省が06年に「多文化共生推進プログラム」を提言し、各自治体に多文化共生推進の大号令が下っている――と例示して、「共生」が今後流行のスローガンになるだろう、という。

 そして、この「共生」という言葉について、内閣府は意味不明で使っているが、総務省の「多文化共生推進プログラム」は狙いが明確で、近年の外国人定住者増加現象にともなって出てきた話だという、と書く。

 <このプログラム提言の立役者、山脇啓造先生は、多文化共生の発想は、外国人をいかにもてなすかという従来の「国際交流」とは違うのだと言って、こう説明しています――「今求められているのは、外国人を住民と認める視点であり」「同じ地域の構成員として社会参加を促す仕組みづくりである」。>

 ここからが長谷川氏らしくて面白い。

 < なるほど、これまで日本人は外国人のすることはみな「お客様」のすることとして大目に見てきたけれど、「住民」だとなればキッチリ地域のルールを守ってもらいましょう。日本語もしっかり覚えてもらって、「ニホンゴワカリマセーン」の逃げ得を許さない、ということですね、と思うとさにあらず。今後外国人の定住化がすすめば「『日本人』と『外国人』という二分法的な枠組み」それ自体を見直す必要が出てくるだろうという。その上で、「国籍や民族などの異なる人々が」「互いの文化的違いを認めあい、対等な関係を築こうとしながら、共に生きていくこと」が多文化共生だと山脇先生はおっしゃるのです。つまり、これから外国人定住者がふえつづければ、やがて日本文化は日本列島に存在する多くの文化の一つにすぎなくなる。そしてそれでよい、というのが「多文化共生」の考えだということになります。なんともどうも、怖ろしい話です。>

 そうきたか。

 <どうしてこんな話がまかり通ってしまったのか。おそらくその鍵は「共生」という言葉にあります。生物学では、異種の生物同士が同一の場所で互いに利益を与えたり害を与えたりしながら生きてゆくことを総称して「共生」と言うのですが、「共生」と聞くとわれわれはすぐ、アリとアリマキのような共利共生を思いうかべてしまう。だから「共生」イコールよいこと、というイメージが出来上がってしまうのです。>

 やはり、曖昧な言葉には注意せよ、ということになるだろう。1960年の「安保反対」も思想的には空虚な号令だった、ということが21世紀になってようやく理解される世の中だ。今から警告を発しておくことはいいことだ、とは思う。

 <しかし、実際の生物世界の共生は、互いに害を与え合うことすらある苛酷な現実そのものです。そして、それにもかかわらず、なんとか多種多様の生物たちがこの地球上を生き延びてこられたのは、そこに或る平和共存のメカニズムが働いているからであって、それが「棲み分け」なのです。>

 棲み分けと共生の違いかぁ、なるほど、そこに持って行ったか。これは理解できる議論だろう。

 <これは、かつて今西錦司さんが、同じ一つの川の中でも、流れの速いところ遅いところ、住む場所によってカゲロウの幼虫が違う体形をしていることから思い至った理論です。つまり生物たちはそれぞれ違った場所に適応し、棲み分けて、無用の争いや競争をさけているということなのです。実は人間たちも(カゲロウのように体形自体を変えることはできなくとも)多種多様な文化によって地球上のさまざまの地に適応し、棲み分けてきました。>

 そうです。今西さんの理論です。

 <それぞれの土地に合った文化をはぐくみ、そこに根づいて暮らす――これが人間なりの棲み分けシステムなのです。ところがいま、この平和共存のシステムは世界中で破壊されつつあります。日本に外国人定住者が増加しつつあるのも、そのあらわれの一つに他なりません。この事態の恐ろしさを見ようともせず、喜々として多文化共生を唱えるのは、偽善と言うほかないでしょう。>

 そこまで言うか、とも思うが、外国人労働者を安く使うことばかり考え、その社会的影響を軽視し続けてきた企業トップと政治家にはきっちりと考えてほしい問題ではある。

 鎖国しろ、と言っているのではない。だが、日本列島は日本人が住んでいる土地なのだから、日本語が通じる人たちが住み、その文化を繁栄させるような文化政策をこそ政治家は推進すべきだ、と思う。明治維新の欧化政策の反省をまじめに総括すればそうなる。

 ただ、長谷川教授のように全部ダメとは言えないとも思う。その辺、難しくてまだ詰めて考えてはいないのだが。

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2008年12月31日 (水)

秋葉原事件と永山事件の共通点と相違点~見田宗介氏インタビュー(08年12月31日朝日新聞朝刊)

 朝日新聞12月31日朝刊3面[あしたを考える]に社会学者、見田宗介・東大名誉教授(71)のインタビューが掲載されていた。6月に秋葉原で起きた無差別殺傷事件の加藤智大被告(犯行当時25歳)と1968年に連続射殺事件を起こした永山則夫(当時19歳)の比較をして、現代を分析した論考だ。聞き手は四ノ原恒憲編集委員。

 見田宗介(みた・むねすけ)氏は東大教授から08年3月までは共立女子大教授。永山の事件を分析した73年発表の論考「まなざしの地獄」が今年書籍化されたそうだ。「現代社会の理論」「社会学入門」「気流の鳴る音」(真木悠介のペンネームで発表)などがある、とあったが、見田氏の著作は多い。僕も新書を何冊か持っている。

 見田氏は、

 <後から見れば、今年が戦後日本に何回かあった大きな転換点の一つになっているのでは、と考えています。そんな時代の問題点を、秋葉原の事件が鋭く表わしています。>

 と語り始める。見田氏が分析した1968年の永山事件の永山則夫と今回の加藤被告の共通点と相違点が面白い。以下、見田氏の分析のポイントを書いておこう。

 共通点は共に青森県出身の若者が東京で事件を起こしたこと。永山は中卒の集団就職で東京に来た。加藤も途中からアルバイト、派遣社員とそれぞれも時代の最底辺の労働を担っていた。当然、そこには貧困や差別、階級構造の問題がある。もっと重要なことは事件の核心がそんな問題にないことだ。貧困から逃れるのならば強盗も考えられるし、差別ならばある種の反体制行動もあるが、二つの事件は共に動機がとても分かりづらい。

 この分かりにくさがポイント。犯罪の核に「実存的」な生き方というか、アイデンティティーの問題が潜んでいる。だから、今回の事件の残酷さにもかかわらず、貧困層だけでなく若い正社員や大学生らからある種の共感がネットなどに寄せられたのだと思う。

 では決定的な違いは何か、というと「実存的」な核の中身が正反対だ。一つは未来の消滅だ。永山の場合、希望に胸を膨らませて上京してきた。東京での挫折の結果、次にアメリカに密航しようとして米軍基地に侵入するが、密航の夢は果たせず、犯行につながった。何か未来へのあこがれがあって、その可能性が遮断された瞬間に犯罪が起きる。永山は例外ではなく、1970年代くらいまでの若者のほとんどは中身様々だが今よりも素晴らしい未来があるということは前提になっていた。

 ところが加藤の場合は東京への憧れは最初から持っていない。「とりあえず安定した生活を」とアルバイトや派遣社員で国内を転々とした後、静岡で働いていて人々の注目を集める場所として東京を犯行場所に選んだだけだ。僕のゼミの学生の話をずっと聞いていても、夢や未来に対する想像力のスケールがどんどんしぼんで、現実的になっている。今、素晴らしい未来が必ず来ると思っている若者はほとんどいないのではないか。

 もう一つの違いは人々の「まなざし」だ。中卒、貧困家庭出身、青森弁など永山は世間の人々の「まなざし」が鳥もちのように纏わり付き、自由に生きることを許さなかったことに苦しんだ。ところが加藤の場合は反対で、いわば「まなざし」の不在の地獄だった。ネットにも書いているが、これまで自分は誰からも必要とされなかったと思い込む。犯行予告をしても誰からも相手にされない。「まなざし」の不在に耐え切れずに結局、加藤にとって一番注目されると思う秋葉原で犯行を通じて「僕はここに居るんだ」と叫ぶしかなかった。

 無視していじめる、という意味で「シカト」という言葉が広く世間で使われ始めたのが80年代からだと思うが、いまや日常語として定着してしまった。文学では当時、村上春樹が小説の中で「空気が薄い」という言葉を使っていた。

 大きく言うと「空気」が「濃い時代」と「薄い時代」がある。「濃い」というのは人と人の関係の中で愛情であれ関心であれ憎しみや干渉にしても他者との間に交わされる関心というか「気」が濃厚だという意味だ。そういう意味では永山の「濃い時代」から、現代は「薄い時代」にすっかり変わってしまったことを加藤の事件がよく表わしている。

 どちらがいい、というわけではないが、日本は戦前の「共同体」や戦時体制のような濃すぎる社会から戦後の近代化を経てだんだん薄くなってきたのだが、その結果、現代は「薄くなりすぎた」という問題が出てきた、ということだろう。

 僕はこれまで日本の戦後を

①敗戦から60年ごろまで…人々が「理想」に生きようとした「理想の時代」

②高度成長が完成した70年代前半までを「夢の時代」

③ポスト高度成長期の90年代前半までを、もうリアリティを愛さない「虚構の時代」

 と分析してきた。その後は何の時代か、とよく聞かれたが、

④「バーチャル(仮想)の時代」

 だと考えている。「虚構」という言葉には基本的にどこか否定的なイメージが付き纏っているが、「バーチャル」には何か「新しさ」というポジティブなイメージがある。電子メディアの発達で古典的な現実なんてものにとってかわって、バーチャルな世界だけで人間は幸せにやっていけるんだ、と多くの人々は思い込み、虚構に居直った時代、という意味だ。

 そういう視点から加藤がネットの中で自分と反対の立場にいて「敵」と考えた存在を「リア充」と呼んだことに興味を覚えた。生活や人間関係の「リアリティーが充実している人たち」の意味だ。敵は理想の裏返しでもある。加藤の犯罪は大変、この国に多い若者のリストカットと似ていると思った。腕を切ること自体の痛みや血が流れることで、生のリアリティーを得ようとする。共にリアリティーへの飢えでリストカットは自らの内側に向けられた無差別殺人なのかもしれない。

 そういう意味では「薄くなりすぎ」また、仮想世界に居直った「バーチャルな時代」の中で、リアリティーというか、古典的な現実への飢えがこの国に充満し始めたことが明らかになり、「バーチャルな時代」が臨界点に達したことを加藤の事件は象徴している。

 出口はあるのか、だが、例えば旅行会社の話で、最近の若い人たちはただの観光ツアーには興味はないが、現地の人の役に立つような活動が入ると人が集まるという。これも同じリアリティーの飢えだだ、人を殺したり自分を傷つけたりするのとは別の仕方で生きるリアリティーを充実する仕方を青年たちが見つけることができれば、もう一つ新しい時代が開かれると思う。

 以上がほぼ全文である。

 見田氏はじっくり考えているようだ。見田氏のような大きな輪郭で秋葉原事件を分析することが必要だ、と思う。永山死刑囚の死刑は1997年に執行された。もう11年前になるが、その名前は長く残る。不名誉な残り方だが、それは集団就職列車の記憶を伴った残り方で、言ってみれば「三丁目の夕陽」がプラスの面、永山がマイナスの面を象徴しているとも言える。必ずプラスの面もあればマイナスもある。

 その意味で加藤の事件は永山の事件ように記憶されないのだろうと思う。何年かたてば皆忘れ果てるのではないか。見田氏はネットで共感した若者が居た、と書いているが、それはごく一部だと思う。加藤は馬鹿だ、もう少し違った方法で生きたり死んだりできたのではないか、と思っている若者の方が圧倒的に多いと思う。

 空気の薄さは大問題だろう。この問題には今は立ち入らずにおく。

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2008年12月24日 (水)

長部日出雄氏の<真の独立><楕円と再生の思想>を読んで~日経新聞12月17、24日夕刊から

 日経新聞夕刊1面コラム[あすへの話題]は毎日欠かさず読む。12月17日の長部日出雄氏の[真の独立に向かって]に感動して感想を書いておこうか、と思ったのだが、「当方担当の最終回となる次週の本欄で述べたい」とあったので、今日の夕刊を首を長くして待っていたら、[楕円と再生の思想]というタイトルで長部コラムが掲載されていた。

 ということで、この2回のコラムを紹介しながら、ちょっとだけコメントしたいと思う。

 まず12月17日[真の独立に向かって]だ。「真の独立」という言葉を見て、「アメリカからの独立」を思い浮かべる人は多いだろう。まさに長部氏の書いているのはそのことだった。ただ、安全保障面での独立とか、政治面での独立ではなく、日本人の精神、心に関する「独立」である点が政治家や政治的学者と違うところだ。古くは江藤淳氏らの保守思想に連なる系譜と言っていいのだろう。

 長部氏には申し訳ないが、コメントを書く都合上、逐条的に書き写す。著作権上の問題が発生するのかもしれないが、どうか大目に見てください。

 <わが国の政治家の大半が、すっかり小粒になって、とても安心して国を任せられない状況になったのは、戦後のある時期からアメリカの属国の地位に甘んじて、自国を独立国として統治する経綸も矜持も必要とせずにやって来られたからである。国家の主権の正当な認識がなく、従ってそれを的確に行使する術に熟練する筈もなかった。>

 「戦後のある時期」について長部氏は2回のコラムで具体的に書いていないのだが、いつ頃なのだろうか? 外交文書公開で明らかになった佐藤栄作首相の日米首脳会談や米国防長官との会談での中国への核攻撃を米国に約束させる鬼気迫る交渉ぶりには頭が下がるが、こういう心根が責任ある政治家から失われたのはいつなのか? つまり、東久邇稔彦、幣原喜重郎、吉田茂は間違いなく国益を考えた政治をした。社会党の片山哲だって非武装中立なんて言わなかった。芦田均もある意味、国士だ。鳩山一郎の筋金入りの日本主義は米国に嫌われたほどだ。岸信介も個人的には嫌いだが、あれだけの反対の中、日米安保条約の改定をやり遂げたのは、当時の国益に沿っていただろう。池田勇人の高度経済成長は決して軟弱路線ではなかった。土性骨が座った国富政策だった。そして、佐藤栄作である。そこまでは何とか及第だと思う。

 そうすると、問題はその後だ。田中角栄はどうなのか? 金権腐敗のうえ、日本の航空政策を米国のロッキード社に売り渡し、ワイロをもらったかのように指弾され、名誉も奪われて失意の死を迎えた天才には国益観念があったのかどうか? 私には今コメントする能力がない。

 三木武夫という椎名裁定で図らずも総理大臣になって田中角栄逮捕のために暗躍したような男は保守政治家の風上にも置けない。失格間違いなしだ。小派閥の長で国民の支持ばかり気にしているから、重要な政策に腰を据えて取り組めない。GNP比1%枠とか、どんな意味があったのだろう。

 福田赳夫はアジアを向いていた。米国の核の傘の下にいるのは仕方ないと考えながら、日本はアジアで支持を広げなければ先細りになる、と具体的に動き始めたのは評価できる。ただ、この人も気が弱いのか、連続爆弾事件の犯人が牢屋から犯人を逃がすように要求した時「人命は地球より重い」とか言って、超法規的措置で犯人を釈放するなど、無原則極まりないことをやった。日本は国家ではない、という批判が上がったが、西欧的な「人間主義」がひねくれた形で導入されていた日本ではマスメディアがこの問題への深入りを避け、曖昧にされた。それが後々まで尾を引いて、最後には小泉首相時代の「自己責任論」に結びついたのだと思うのだが、どうも「地球より重い」人命などないし、「自己責任」は国家の責任放棄だ、という常識論が通じなくなっていたようだ。極端から極端に振れる日本人の悪い点をあますところなく露呈している。だから、福田氏だけを責めてはかわいそうかもしれないが、総理大臣というのは何を言われてもやるべきことはやらなければならないのだから、やはり、福田首相は失格だろう。

 大平首相は愚直な人だった。一般消費税をまじめに考えて導入しようとしたら、野党の集中砲火にあっただけでなく、福田氏との「40日抗争」で心身をすり減らし、病死した。憤死のようだった。正義派の国益重視派と言っていいだろう。

 鈴木善幸氏は暗愚の宰相と言われた理解能力に欠けた人間。田中角栄氏のロボットとしては便利だったというだけだが、やはり「日米同盟に軍事は含まない」などメチャクチャ過ぎる発言は最低だった。言うまでもなく失格だ。

 中曽根康弘氏は合格でいいだろう。

 竹下登氏も合格と言っていいのかどうか。消費税を導入して高齢化社会への対応を図ったことは立派だった。ただ、竹下、安倍晋太郎、宮沢喜一の大正生まれ3人、「安竹宮」は線が細く、政治信念の底の底を覗けば国家への不信が見て取れる。軍国主義日本によって死ぬ一歩手前まで行った年代だが、その上の世代のように自分の意思でコントロールできたのではなく、あくまで命令に従って黙々と死に向かって生きていた世代だ。自分の確固とした信念もない世代。竹下氏が「わしらは明治のじいさまと昭和の若者のつなぎの世代」と言っていたように、実際つなぎ世代でしかなかったし、そもそも戦争での死亡者が多く、人口構成で見てもこの世代は少ない。

 宇野宗佑、海部俊樹はロボット。コメントに値しない。宇野は竹下のダミー。海部は金丸のダミー。

 宮沢喜一は竹下のところで述べたとおり。宮沢回顧録で御厨貴氏らのインタビューに答えていろいろ言っていたが、印象に残ったのは決断できない官僚そのもの、という姿。自分では客観的に振り返っていたのだが、佐藤政権で沖縄返還を実現するためにも「糸と縄の取引」が必要になった時、佐藤氏は宮沢氏を通産相に据え、国内の調整と対米交渉を任せたのだが、国内調整が全くできず、つまり米国に何も回答できず、あきれた佐藤首相が通産相を田中角栄に替えて、打開したケースなどがそうだ。優柔不断で、政治家ではない。耳に優しいことは言えるが実行できないから政治家ではない。

 細川護煕、羽田孜、村山富市は前2者は小沢一郎氏のダミー。村山氏は自民党のダミーだったから、論外。

 橋本龍太郎は個人的には合格点をあげたいのだが、あまりにも細かいことを気にしすぎて大局を見ていなかった。だから、最終的に失敗した。省庁再編をやり遂げたり、経済財政諮問会議の枠組みを作るなどの改革は良かったが、厳密に考えれば、失格と言わざるを得ないだろう。

 小渕恵三氏も悩ましい。大平氏に似ているところがあり、バックにいた竹下氏がこのケースではロボットにするのではなく、小渕氏の手足として動くことで政権のために一肌脱いだことを考えれば、小渕+竹下=合格なのか?

 森喜朗氏は勿論不合格だろう。

 小泉純一郎は合格だろうか? いくら後世の史家が郵政民営化のインチキ振りを暴き、北朝鮮政策の失敗をあげつらっても、バブル崩壊で腑抜けになっていた日本国民に「構造改革をやれば少しは良くなる」という夢をバラまいたことは確かだ。だから、5年間という長期政権になった。しかし、その結果は企業だけ焼け太りして、国民はやせ細り、ワーキングプアが常態化した。アメリカ様の言うことは何でも聞くが、日本の国民の言うことは聞かない、という政治を見れば、失格に入れるしかないだろう。ここの判断は微妙である。何が国益なのか、厳密な論議が必要だろう。

 安倍晋三、福田康夫、麻生太郎は3人とも失格。

 と戦後の総理大臣を振り返れば、佐藤栄作までは何とか合格点をあげるとして、その後は大平、中曽根、竹下、小渕には合格点を与えても、田中角栄は?がつく。他の首相は不合格、となる。

 <この点においてはメディアと学者文化人の多くも似たようなもので、政治と経済において学ぶべき規範はことごとく欧米にあり、わが国に固有の伝統は押しなべて過去の遺物で、国際的な普遍性を欠いた誤謬と見做され、殆ど一顧もされなくなった。>

 そうなのだ。全くその通りなのだ。

 <だが、何よりもまずインターナショナリズムやグローバリズムを唱え、ある一元的な原理によってそれが実現できる、とする主張には気をつけたほうがいい。コミンテルンが人類に共通する理想として掲げたインターナショナリズムが、実はソ連の軍部と国家官僚層を掌握した指導者が独裁するクレムリン帝国主義の別名でしかなかったことは、既に白日のもとに曝された。自分たちの学説を、世界中全ての国に普遍妥当するものと信じたアダム・スミスに始まる古典派経済学の部分的で単純な拡大解釈によって「新古典派」あるいは「新自由主義」と称された学派の唱導したグローバリズムの実態が、砂上の楼閣を金殿玉楼に見せかけようとしたウォール街による金融帝国主義であったことも、今や大方の目に明らかになった。>

 しかし、長部氏はよくここまで思い切ったことを書いたなぁ、と溜息が出る。言っていることはその通りで、私も大賛成である。ただ、長部氏といえば、私も最近マックス・ウェーバーに関する新潮選書をパラパラと読んだばかりだが、欧米思想を肯定的に受け止めているのか、と誤解していた。そうではなかったのだ。

 コミンテルンの32年テーゼは日露戦争に負けたロシアがソ連と国名を変えた後も日本に対する怨念を持ち続け、復讐の機会をうかがい、日本弱体化のために日本共産党に強いた政策だった。国際共産主義運動のはずが、日本だけをターゲットにしたテーゼというのも後から考えればおかしな話だが、当時の共産党にはコミンテルンを批判的に見る視点がなかった。長部氏が言うように、肌の白い人間が言うことを金科玉条として、日本の伝統を馬鹿にしていた知識人の大失敗だ。この傾向は丸山真男以後の戦後知識人にも連綿と引き継がれている。

 こういう言説が公に出るようになったのは、世界金融危機のおかげなのかもしれない。

 <ソ連とアメリカの覇権が共に崩壊した今日、われわれは真の独立を目ざす道へ歩みださなければならない。そのさい何を軌範にすべきかについては、当方担当の最終回となる次週の本欄で述べたい。>

 として、次週の12月24日のコラム[楕円と再生の思想]になる。

 こちらは最近どこかで誰かが書いていた神仏習合の見直し論につながる「楕円の思想」だった。

 <「日本」という国家の原型は、古代史上最大の内乱であった「壬申の乱」によって生み出された。当方の考えるところ、これは唐風文化一辺倒の大友皇子を奉ずる近江朝廷と、国風文化を重んずる大海人皇子との戦いで、結果はご承知の通りである。では、勝利を収めて即位した天武天皇の治世が、こんどは国風を唯一絶対とする原理主義になったかといえば、決してそうではない。>

 長部日出雄氏は1934年9月3日青森県弘前市生まれ。故郷、津軽に関する小説、エッセイが多く、津軽出身の棟方志功、太宰治らの評伝も執筆している。ウィキペディアで略歴を見ると、1953年に早稲田大学文学部に入学、中退。57年、週刊読売記者。大島渚、永六輔、野坂昭如、筒井康隆、小林信彦らを一早く評価し、彼等と深く交友。退職し、雑誌『映画評論』編集者、映画評論家・ルポライターを経て作家。73年に『津軽じょんから節』と『津軽世去れ節』で直木賞受賞、とあった。「天皇はどこから来たか」(新潮社、1996年)、「反時代的教養主義のすすめ」(新潮社, 1999年)「二十世紀を見抜いた男 マックス・ヴェーバー物語」(新潮社, 2000年)、「天皇の誕生 映画的『古事記』」(集英社、 2007年)、「『古事記』の真実」(文藝春秋、2008年)という著作目録を見れば、私の勘違いで、実は日本の古典、古代への造詣が深かったことが分かった。

 <漢字と和語を綯い交ぜにして、話し言葉と書き言葉の双方の働きをそなえた「日本語」を最初に確立した「古事記」の口誦しながら、天武天皇は官寺の造営にも力を注いで、日本中の家々に異国の教えである仏教を浸透させた。このような原理主義者がどこにいるだろう。和語と漢字の見事な融合、神と仏の和らかな共存。世界に類のないこの二元の構造こそは、わが国の文化の最大の特徴で、壬申の乱が「日本」という国家の原型を生み出す基になった……というのは、そういう意味なのである。>

 なるほど、である。やはり古代史への造詣が深い。

 <異質で相反する要素の和らかな共存を図って、二つの焦点を持つ楕円形の国家を形成したい、というのが天武天皇の願った理想の和の国の姿であった。伊勢神宮において旧宮と新宮の敷地が隣接し、二十年毎に神儀(御神体)がその間を往復する……という奇跡的な遷宮制度の創始者も天武天皇である。希望を失って真っ暗闇と化した世の中に、ふたたび天照大御神が新たな光明をもたらす「天の岩屋戸」神話は、死と再生の劇であり、遷宮はその祭祀化なのである。この「楕円と再生の思想」こそ、日本を救う。ぼくはそう確信して疑わない。>

 そうなのだろう。明治維新の際に薩摩や長州の若手武士がこれらの国の物語を軽く扱い、国家神道化した。そして、戦争に負けた後、マッカーサーが神道指令で国家神道をやめさせた。その後の日教組の教育で神話が不当に弾圧された。

 今はじっと沈思黙考しながら、日本を再び考える人が増えることを望みたい。インターナショナリズムはナショナルを理解してはじめて理解できる、とはよく聞いた話だが、その通りだと思っている。長部氏が説くように、そろそろ虚心坦懐に日本を見詰め直そう。

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秋葉原「心の闇」事件の遠因はニュースピーク、という鹿島茂氏のご託宣~12月24日毎日新聞朝刊から

 毎日新聞12月24日朝刊[引用句辞典 不朽版]で鹿島茂氏(仏文学者)は<ニュースピーク>を取り上げていた。「ニュースピーク」とは、知る人ぞ知るジョージ・オーウェルの近未来SF小説「1984年」の全体主義社会で住民たちが話す言葉である。と言ってもよく分からないので、もう少し作品そのものを説明しておかなければならないだろう。

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8) 1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

著者:ジョージ・オーウェル,新庄 哲夫,George Orwell
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 となれば、やっぱりウィキペディアの出番だ。少し長めに引用する。(以下ウィキの引用を少し書き直したもの)

 <トマス・モア『ユートピア』、スウィフト『ガリヴァー旅行記』、ザミャーチン『われら』、ハクスリー『すばらしい新世界』などのディストピア(反ユートピア)小説の系譜を引く。スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描く。「1984年」は執筆された1948年の4と8を入れ替えたアナグラムで、当時の世界情勢そのものへの危惧を暗に示した。出版当初から冷戦下の英米で爆発的に売れ、同じ著者の『動物農場』やケストラーの『真昼の闇黒』などとともに反全体主義思想のバイブルとなった。あらゆる形態の管理社会を痛烈に批判した本作のアクチュアリティは、コンピュータによる個人情報の管理システムが整備されつつある現代においても、その輝きを全く失ってはいない。>

 <1950年代発生の核戦争を経て1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国が分割統治。紛争地域をめぐる戦争が絶えない。作品の舞台であるオセアニアでは思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビで屋内・屋外のほぼすべての行動を当局に監視されている。>

 <ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミス(39)は妻キャサリンとは別居中。真理省記録局の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した真理省創作局の同僚で青年反セックス連盟の活動員、ジューリア(26)から手紙で告白され、出会いを重ね、黒髪のグラマラスな女性と愛し合う。また、下町のチャリントン(63)の古物商店で隠れ家を提供されるが、実は年齢も60歳代ではなく、秘密警察の隊員だったが、ウィンストンは隠れ家でジューリアと過ごした。ウインストンは夢に度々出てくる真理省党内局の高級官僚の1人、オブライエンを自分の味方で話が分かる男と思い込み、現体制への疑問を告白。オブライエンは秘密結社『兄弟同盟』の一員であると名乗り、 エマニュエル・ゴールドスタイン(レフ・トロツキーがモデルでトロツキーの本名はブロンシュタイン)の禁書を渡すが、実はオブライエンはオセアニアの指導者、偉大なる兄弟(ビッグ・ブラザー=ヨシフ・スターリンがモデル)によって率いられる唯一の政党「党」に忠誠を尽くす男で、ウィンストンを騙す嘘だった。思わぬ人物の密告からこうした行為が明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、オブライエンによる尋問と拷問を受ける。彼は「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、心から党を愛しながら処刑(銃殺)される。>

 <オセアニアは旧アメリカ合衆国をもとに、南北アメリカおよび旧イギリス、アフリカ南部、オーストラリア南部(かつての英語圏を中心とする地域)を領有する。他の超大国はソ連をもとに欧州大陸からロシア極東にかけて広がるユーラシア(イデオロギーは「ネオ=ボリシェビキズム」)、旧中国や日本を中心に東アジアを領有するイースタシア(イデオロギーは「死の崇拝」あるいは「個の滅却」)。どの国も一党独裁体制であり、イデオロギーにもそれほど違いは無い。これら3大国は絶えず同盟を結んだり敵対しながら戦争を続けている。表向きは、各国とも世界支配のため他の大国を滅ぼすべく戦っているが、実際は世界を分割する3大国が結託し、労働力を浪費して富の増加による階級社会の不安定化や崩壊を防ぎ、支配と権力を半永久的に維持するために行っている永久戦争。3大国はどれも戦争で滅ぼすことは不可能である(オセアニアは海に守られているため、ユーラシアは国土が広大であるため、イースタシアは人口が多く勤勉であるため)。 北アフリカから中東、インド、東南アジア、北オーストラリア一帯は3大国が半永久的に争奪戦を繰り広げる紛争地域。>

 <「偉大なる兄弟」は国民が敬愛すべき対象であり、町中の到る所に「偉大なる兄弟があなたを見守っている」 (BIG BROTHER IS WATCHING YOU) という言葉とともに彼の写真が張られているが、正体は謎に包まれ実在すら定かでない。党の最大の敵は「人民の敵」ゴールドスタインで、国民は毎日、テレスクリーンを通して彼に対する「2分間憎悪」を行い、彼に対する憎しみを駆り立てる。テレスクリーンの登場により、全国民は党の監視下に置かれ、私的生活は存在しなくなっている。>

 <党のイデオロギーはイングソック(IngSoc、Ingland Socialism、つまりイングランド社会主義の略)と呼ばれる一種の社会主義。核戦争後の混乱の中、社会主義革命を通じて成立したようだが、誰がどのような経緯で革命を起こしたのかは、忘却や歴史の改竄により明らかではない。エマニュエル・ゴールドスタインのパンフレットによれば、そのイデオロギーの正体は「寡頭制的集産主義」とでも呼ぶべきもので、「社会主義の基礎となる原理をすべて否定し、それを社会主義の名の下におこなう」ことであるらしい。もとは社会主義運動の中から発したが、現在は中層階級が下層階級を味方につけて上層階級を倒す事態を永久に防ぎ、非自由と不平等を恒久的なものにすることを目的としている。>

 <党には中枢の党内局(inner party)と一般党員の党外局(outer party)がある。党内局員は黒いオーバーオールを着用し、貴族制的な支配階級(上層階級)で、世襲でなく能力によって選ばれ、テレスクリーンを消すことができる特権すらある。党外局員は青いオーバーオールを着る中間層(中層階級)で、党や政府の実務の大半をこなす官僚たち。党に関わりを持たない人々はプロレ(the proles、プロレタリア)と呼ばれ、人口の大半を占める被支配階級(下層階級)の労働者たち。娯楽(酒、ギャンブル、スポーツ、セックス、ほか「プロレフィード(Prolefeed)」と呼ばれる人畜無害な小説や映画、音楽など)がふんだんに提供されている。>

 <「戦争は平和である(WAR IS PEACE)」「自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)」「無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)」という党の三つのスローガンが至る所に表示されている。>

 <ニュースピーク (Newspeak、新語法)とは思考の単純化と思想犯罪の予防を目的として、英語を簡素化して成立した新語法。すべての言葉は意図的に政治的・思想的な意味を持たないようにされ、この言語が普及した暁には反政府的な思想を書き表す方法が存在しなくなる。ニュースピークは現代英語を必要最小限にまで簡略化することを目指し、現在では別々の言葉が似たような意味を持つという理由で統合され名詞や動詞の区別も接尾語により変化する。たとえばthought(思想[名詞])はニュースピークの文法ではthink(考える[動詞])で代用でき、speed(速さ[名詞])に形容詞をあらわす-fulや副詞をあらわす-wiseを加えることでそれぞれの品詞に自在に変化する。badをあらわすにはgoodに否定の接頭語un-をつけたungoodでこと足り、強意表現はplus-,doubleplus-といった接頭語をつけることで表現される。また、Minipaxなどのように略語を極端に採用しているが、これによって本来の語源を考えることなく、全く自動的に単語を話すことができる(これにはかつてソ連が「コミンテルン」などのような略語を多用したことの影響がある)。>

 <新語法(ニュースピーク)辞典が改定されるたびに語彙は減るとされている。それにあわせシェークスピアなどの過去の文学作品も書き改められる作業が進められている。改訂の過程で、すべての作品は政府によって都合よく書き換えられ、原形を失う。freeの意味も「free from ~」の意味しか残らず「政治的自由」「個人的自由」の意味は消滅しているなど変化しており、原文の意味を保って自由や平等を謳う政治宣言などをニュースピークに翻訳することは不可能になる。なお、ニュースピークという言葉自体が既にニュースピークである。本来、speakという単語に名詞としての用法は無い。>

 <ダブルシンク(doublethink、二重思考)とは1人の人間が矛盾した二つの信念を同時に持ち、同時に受け入れることができるという、オセアニア国民に要求される思考能力。現実認識を自己規制により操作された状態でもある。過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する。政府が過去を改竄し続けているのは、党員が過去と現在を比べることを防ぐため、そして何よりも党の言うことが現実よりも正しいことを保証するためである。党員は党の主張や党の作った記録を信じなければならず、矛盾があった時は「犯罪中止」により誤謬を見抜かないようにし、万一誤謬に気づいても「二重思考」で自分の記憶や精神の方を改変し、党の言うほうが正しいということを認識しなければならない。>

 <「古代の専制者は命じた。汝、するなかれと。全体主義者は命じた。汝、すべしと。我々は命じる、汝、かくなり、と」。オブライエンの言によれば、かつて専制国家は人々に対しさまざまなことを禁止していた。ソ連などは人々に理想を押し付けようとした。現在のオセアニアでは人々はニュースピークやダブルシンクを通じ認識が操作されるため、禁止や命令をされる前に、すでに党の理想どおりの考えを持ってしまっている。党の考えに反した者も、最終的には自由意思で屈服し、心から党を愛し、党に逆らったことを心から後悔しながら処刑される。>

 <「2足す2は5である」(2+2=5、Two plus two makes five)というフレーズはこの小説を象徴するフレーズの一つ。スミスは当初、党が精神や思考、個人の経験や客観的事実まで支配するということに嫌悪を感じて(「おしまいには党が2足す2は5だと発表すれば、自分もそれを信じざるを得なくなるのだろう」)自分のノートに「自由とは、2足す2は4だと言える自由だ。それが認められるなら、他のこともすべて認められる」と書く。後に愛情省でオブライエンに二重思考の必要性を説かれ拷問を受け、最終的にはスミスも犯罪中止と二重思考を使い、「2足す2は5である、もしくは3にも、同時に4と5にもなりうる」ということを信じ込むことができるようになる。>

 <ダブルスピーク(doublespeak、二重語法)とは矛盾した二つのことを同時に言い表す表現。「戦争は平和」・「真理省」のように、例えば自由や平和を表す表の意味を持つ単語で暴力的な裏の内容を表し、さらにそれを使う者が表の意味を自然に信じて自己洗脳してしまうような語法。他者とのコミュニケーションをとることを装いながら、実際にはまったくコミュニケーションをとることを目的としない言葉。実は作品には登場しない用語であるが、初版発刊後の1950年代に発生し一般化した言葉で、しばしば作品由来と考えられている。ニュースピークのB群語彙の定義におおむね影響を受けている。また、現実にある政策や婉曲話法などを批判的に言及する際に「二重語法」という言葉を使うことがある。たとえば事業の再構築を意味するリストラクチャリング(リストラ)を単に「従業員の大規模解雇」の意味に使用するなど。>

 という「1984年」をベースにした話である。

 見出しは<言葉の簡体化が導いた「心の闇」の大量発生>。

 毎日新聞コラムの鹿島氏の言説をほぼ全文引き写しながら、コメントを加えてみる。

 以下が本文である。

 <全体主義社会では、住民たちはニュースピークと呼ばれる簡易言語を話すようになるというエピソードがあったと思う。語彙の少ない簡易な表現ですべてコミュニケーションが成り立ってしまうのである。>

 として、

 <この未来予測は、少なくとも日本にかんする限り、見事に当たった。「ムカつく」「感動した」「泣ける」「KY(空気読めない)」etc。まさにニュースピークそのものである。それどころか、ニュースピークの首相まで現れ、マスコミでもニュースピーク派が多数派を占めるという状況が生まれてきている。全体主義社会ではないにもかかわず、である。>

 と小泉純一郎元首相の「ワンフレーズ・ポリティクス」を強烈に皮肉りながら、その小泉戦略に簡単に乗せられたマスコミ批判を繰り広げる。

 <では、なにゆえに、高度資本主義の社会で、このようなニュースピーク化現象が起きるのかと考えているときに、右の言葉に出合った。>

 右の言葉とは吉本隆明の次のフレーズである。

 <「社会が、ますます機能化と能率化を高度におしすすめてゆくとき、言葉は言葉の本質の内部では、ますます現実から背き、ますます現実からとおく疎遠になるという面をもつものであり、言語は機能化にむかえばむかうほど、この言語本質の内部での疎遠な面を無声化し、沈黙に似た重さをその背後に背負おうとする。つまり、コミュニケーションの機能であることを拒否しようとする」>(「自立の思想的拠点」徳間書店)

 鹿島氏が吉本説を解説する。

 <すなわち、社会が機能化と能率化を追求していくと、当然、言語もそれに伴って機能化・能率化する(つまりニュースピーク化する)わけだが、その一方で、個々の言葉は、現実から遠ざかるという指摘である。ソシュール理論のシニフィアン・シニフィエで言うと、シニフィアン(音声・文字記号)によって喚起されるシニフィエ(概念)の中で、その概念抽出のもとになる「現実」とのつながりが失われてしまっているということだ。吉本の言語理論なら、指示表示ばかりが前面に出て、自己表出が稀薄になることだ。>

 さあ、難しくなってきたぞ。でも、難しいのはここだけ。ぶっちゃけて言えば、どんどんと情報化が進めば、言葉が進化して、現実を表わさなくなる、ということではないか。

 <しかし、では、こうした現実から離れ、薄っぺらになったニュースピーク(機能化言語)を用いている人は、それによって、コミュニケーションがより円滑になっているのかといえば、そんなことはない。むしろ、逆であって、ニュースピークでは掬いきれずに残る感情と心理の余剰部分(自己表出部分)は、澱となって心の底に沈み、無声の言語、すなわち沈黙でしか表現できないものと化す。

 <その象徴が、殺人や傷害致死などの重大犯罪を犯して逮捕された少年・少女たちの口から漏れてくるあきれるような言葉の数々である。犯罪の動機というには、あまりにも幼稚で単純な言語! 「なぜ殺したのか?」「ムカついたから!」「なぜムカついたのか?」「無視されたから」「どのようなところで無視されたと感じたのか?」「わからない」これはつまり、「言語のコミュニケーション機能の拒否」である。>

 なるほど、やっぱりここに結び付けましたか。動機なき殺人、誰でもよかった、ムカついたから、などの供述を聞いても大人には理解できないから、何とか理解しようとして鹿島氏は言葉の面から切り込んだわけだ。

 <彼ら少年・少女(ときには中年・中女)はニュースピークを用いているからといって、感情や心の襞がないわけではないし、それを表出したいという願望がないわけではない(ニュースピークによるブログの繁盛を見よ)。ただ、困ったことに、ニュースピークでは、最も本質的な部分つまり、一番言いたいことが、沈黙という言語でしか語りえない構造になってしまっているのである。>

 分かりやすい。ここに持ってくるのに、ジョージ・オーウェルを使ったんですか。

 <なんというパラドックス。機能化・能率化を目指した社会は、機能化・能率化言語としてのニュースピークを生んだが、しかし、そのニュースピークは逆にコミュニケーション機能の喪失をもたらし、いわゆる、語りえない「心の闇」を大量発生させる結果となったのである。>

 この「心の闇」論。鹿島氏は半分おふざけで書いたかもしれないが、実際そういうことかもしれない、と思うのだ。語るべき言葉を持たない日本人たちが大量に生まれているのかもしれない。

 秋葉原事件をはじめとする殺伐とした事件を起こす容疑者たちの心は計り知れない。

 その心の中を語るべき言葉を持たないことが、逆に言えば問題の解決を妨げているのではないか、と思う。

 自分の頭の中でもいい、自分が何に対して怒っているのか、を言葉にして論理的に考えることができれば、突然噴き出す衝動的怒りの発作もある程度制御できるようになるだろう。

 その制御はオセアニアのビッグブラザーの洗脳によるダブルシンクではない。自分で紡ぎ出した言葉で自分で考えることで生み出させるものに違いない。

 ということは、テレビなどのステレオタイプ的言葉の押し付けがニュースピークの大き原因になっているのではないか、とも思えてくる。本当はテレビ、インターネットを含めた現代情報社会のありようだけでなく、家族制度や社会そのものの変化が原因なのだが、そこまで話を広げると収拾がつかなくなるので、とりあえず。

 <ところで、マルクスの指摘をまつまでもなく、言語のような上部構造は、経済という下部構造を、ある種の歪んだかたちで反映しているという。ならば、効率化・能率化を追い求めたあげくに自爆した経済を、これからの言語はどのようなかたちで反映することになるのだろうか? ニュースピークの解体だろうか、それともさらなるニュースピーク化の加速だろうか? こちらも予断を許さない状況になってきているようである。>

 なるほど、頭の切れる鹿島氏はそこまで言うか、と思う。なるほど、である。

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2008年12月12日 (金)

「伝統を切り捨てる天才」が閉塞感の原因~森本哲郎氏(83)インタビュー(毎日新聞12月12日夕刊)

 毎日新聞12月12日夕刊[特集ワイド この国はどこへ行こうとしているのか]は83歳の作家、森本哲郎氏のインタビュー。1925(大正14)年東京生まれ、東大哲学科卒、同大大学院社会学科修了。東京新聞を経て朝日新聞。学芸部員として世界各地を歴訪し、文明論、比較文化論の視点から記事を担当した。退社後の88~92年、東京女子大教授。主著に「文明の旅」「詩人 与謝蕪村の世界」「日本人の暮らしのかたち」。社会や日本文化などへの評論活動も、とあった。聞き手は坂巻士朗記者。

 森本氏の主な発言次の通り。

▽今ほど便利な時代はない。コンビニに行けば24時間、何でもそろう。本屋に出向かなくたってパソコンで注文すれば本を届けてくれる。友達の家を訪ねなくとも携帯のメールでピピッと連絡を取れば終わりです。だけど、今ほど閉塞感に満ちた時代はない。子供だったせいもあるが、戦前さえもまだ充実感があった。現代はものがたくさんあり、情報があふれかえって無力感が生まれている。便利なのに、決して豊かではない。何でもあるのに何か足りないという飢餓感をみんなが持っていると思うのです。

▽(閉塞感の土壌には何があるのか?)日本は伝統を切り捨てる天才です。何でも新しいもの、海の向こうからくるものを取り入れて、伝統というものは古臭いという一言で切り捨ててきました。文明開化は成功したといえる。因習にとらわれていたら、社会は進歩しないですから。ただ、伝統を捨ててしまっては歴史の教訓が生きないんです。戦後もそうです。日本の手本は米国だった。経済の先生は1903年に創業された自動車製造のフォード社。それから100年、アメリカは因習に縛られずに自由な天地を謳歌した。しかし、最初は健全だった自由主義、合理主義がどんどん進んでいき過度になった。大量に作って大量に消費するシステムだ。日本はこの60年あまり伝統を切り捨ててアメリカの猿真似をしてきたわけです。上っ面の同調化とでも言いますか。アメリカ式の自由主義、民主主義、合理主義を推し進めていった。アメリカのやり方を何でもありがたがるというのは、大いにマイナスだった。

▽まずは「アメリカなら何でもいい」から目を覚まさなければ。合理主義一辺倒、もうけ一辺倒になって、金にならなければ何もやらないって、そういうもんじゃない。物を次々買っても、狭い家に置く場所はない。じゃあ、テレビをもっと薄くしますか。きりがない。人間が生きるために、それほど多くの物はいらないですよ。

▽取材はマッカーサーの時代から。1951年4月、東京新聞の記者としてGHQのマッカーサー元帥が日本を離れる様子を見届けた。羽田空港に続く沿道にたくさんの人が詰め掛けていました。みんな涙を流して「さようなら」って手を振っていたね。当時の報道機関はマッカーサー元帥を恩人としてたたえた。新聞の使命は民主主義の確立である、とのGHQの方針で他社の記者とともに米国に招かれた。4ヶ月間、シカゴ、テキサスなど広く各地の新聞社を回り、取材活動をした。新聞報道は客観的でなければならないということを徹底して言われた。

▽今はテレビもインターネットもあるので、新聞が売れなくなったと聞く。確かに速報性では劣るけれども、権力に向かい合って主張すべきを主張し、キャンペーンを張る報道がないためではないか。売れないのは本来の姿勢を失っているからではないか。

▽世界中を旅して、あるとき、パリで急な雨に降られて広場のカフェを見つけて一休みしたが、「なるほど」と気づいた。ヨーロッパの建物には庇がない。雨宿りを許してくれる軒がないんです。窓はあまりに明るく、あまりに乾きすぎている。自然と人間が窓で対決している気さえした。しかし、日本の家屋も今や洋風になった。高度成長とともに、コンクリートの団地やマンションが増えた。戦前まで日本の家屋は自然と親しんでいた。縁側が住居と庭をつないでいた。ぼくの家も小さい庭があるけれども縁側がない。だから、ほとんど庭に出ることがない。縁側で子供が遊び、近所の人が腰掛けて話をすることもなくなった。自然が遠ざかり、人間的な温かみが切断されてしまった。

▽英国の動物行動学者、デズモンド・モリス(1929~)は「都会は今や人間の動物園だ」と言うんですね。食べ物はたっぷりあってそこそこ安全な場所に閉じ込められていると。まさにその通りだと思います。

▽一度手にした便利な生活を放り出すのはなかなか難しい。この国の行方は見えないなあ。過ぎたるは及ばざるがごとし、という格言がありました。腹八分目なんていうのも。つまり、抑制ですね。受け継がれてきた伝統や歴史という重みこそが、過剰を抑制してくれるのだと思います。

▽<なつかしき冬の朝かな。湯をのめば、湯気がやはらかに顔にかかれり。>ぼくの好きな石川啄木の歌です。26歳で亡くなった啄木には死の予感があったんでしょう。寒い朝、一杯の湯を飲もうとして、ふわっとほおに触れる湯気に、安らぎを感じた。幸せは遠くにあるんじゃない。ありふれた日常の中にあるんですね。

 森本氏の新潮選書が何冊か、私の書庫に眠っている。水道橋のいつも行く古書店で店頭の台で安売りしていたのを買ってきた。3、4冊になったか。今度読もう、今度読もう、と思いながらまだ読んでいない。今度読もう。

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2008年12月 6日 (土)

ハイデガー哲学の流行~日経新聞12月6日文化面に木田元氏の名前がない

 日経新聞12月6日朝刊文化面<激動の現代見直す視点/ハイデガー哲学色あせず/中堅・若手が研究リード/存在の根源問う>が載っていた。さすが日経、哲学までフォローしている、と少し驚いた。舘野真治・文化部記者の記事である。

 書き出しはこうだ。

 <20世紀を代表するドイツの哲学者、マルティン・ハイデガーの研究が熱を帯びている。40代前後の中堅・若手の著者刊行が相次ぐほか、新たな研究組織も発足。人間存在の本質を根底からとらえた巨人の思想は、金融危機など激動する世界情勢の中で輝きを増しているようだ。>

 1889年に生まれ、1976年に没したハイデガーは「存在と時間」などで「存在とは一体どのようなものなのか」という自明なようでいて実はとらえがたい根源的問題を徹底的に解き明かそうとし、逆に人間が本来は最も大切な存在論を忘れ、日常に埋没して世間に流されることを批判した、とも書く。

 記者が取材したのは9月20日から都内で開いた「ハイデガー・フォーラム」大会。2日間で延べ160人が出席、半数以上が一般参加だった、という。このフォーラムの第1回は2006年で今年が3回目。

 旗振り役の森一郎・東京女子大教授は「あえて学会という体裁にせずに誰でも参加できるようにした」という。

 出版も目立っている、として、いろいろ書いている。

 雑誌「理想」今年2月号で「ハイデガーという広場」特集。森教授も寄稿したと。森教授は1月に主にハイデガーを論じた単著「死と誕生」を出した。

 門脇俊介・東大教授は解説書「『存在と時間』の哲学1」を6月に出し、仲原孝・大阪市立大教授は研究書「ハイデガーの根本洞察」を6月に出した。フォーラム創設メンバーの一人の秋冨克哉・京都工芸繊維大学教授は05年に「芸術と技術 ハイデガーの問い」を出した。

 これまで日本のハイデガー研究を牽引してきたのは今年2月に亡くなった渡邊二郎・東大名誉教授ら1920~30年代生まれの重鎮だったが、彼らに教えを受けた世代がキャリアを積み、成果を出し始めた、という。森、秋冨氏はともに1962年生まれで40代半ば、まさに脂が乗りつつある、と書いている。このへんが書きたかったことなのかなぁ、とも思う。

 ドイツ現代思想が専門の北川東子・東大教授は「物事を突き詰めて考える姿勢、根本から問いを立てる力がすごい。世界を覆う金融危機など従来の常識では捉えきれない事態が次々と生じる中で既存の枠を飛び越える問いや思考法が求められている」と見ているそうだ。

 <現在、よく言及されているのは「技術」についての批判的な論考だ。ハイデガーの見方によれば技術は自然の様々な物を本来の在り方とは関係なく、何らかの目的に役立つ資源やエネルギーとしてとらえ、取り立て収奪する側面がある。人間自身も「人的資源」「臨床事例」などと呼ばれ、駆り立てられる。そうした流れに疑いを差し挟む思想は、技術による利便性の向上を当然とする現代的な考え方を見詰め直す契機になる。「大きな問題をその場しのぎではなく、深く思索する視点を与えてくれる」(森教授)。ただ、その議論は抽象度が高く、環境破壊などの個別事例にすぐ応用できるわけではない。ハイデガー自身も「哲学は本質的に時代向きではない」と公言。流行のように注目されることを嫌がった。「彼の思想を何かの問題に役立てようとすること自体がその内容に反する」(東大の石原孝二准教授)との声は根強い。それでもハイデガーの議論が示唆に富み、多くの人をひきつけるのは紛れもない事実。技術論にしても人間の存在を揺るがすという単純な疎外論には終わらない。例えば「存在論的メディア論」などの著書がある和田伸一郎・中部大学講師はハイデガーの技術論の肯定的な側面に着目。「携帯電話やインターネットなどの技術が、人減存在の本質を新しい形で引き出す可能性もある」との考えを示す。世界の中で開放的に、遠くにいる人にも配慮する在り方につながるとの見方だ。>

 少し長くなったが、これがどうも著者が今言いたいハイデガーと技術との新しい切り口の研究の「現時点」なのだろう、と思う。そして、

 <ハイデガー思想は「とてつもない広さと深さ」(北川教授)を持つが故に、こうした様々な議論をくみ出せる。技術論に限らず多義的な魅力を備える哲学者は、様々な難題に直面する現代人が立ち返る原点として注目され続けそうだ。>

 と結んでいた。

 不思議だったのはハイデガーと言えば木田元といわれるほど日本のハイデガー研究で有名な木田氏の名前が記事に一回も出てこないとだった。

木田元の最終講義  反哲学としての哲学 (角川ソフィア文庫) 木田元の最終講義 反哲学としての哲学 (角川ソフィア文庫)

著者:木田 元
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 2008年5月25日初版発行の「木田元の最終講義 反哲学としての哲学」(角川文庫、税込み660円)を読むと、1928年生まれの木田氏は海軍兵学校、山形県立農林専門学校を経て1950年に東北大学文学部哲学科に入学。同大学院哲学科・特別研究生課程に進学し、東北大学文学部助手、中央大学文学部専任講師、助教授を経て1972年に中央大学教授。99年に定年退職、名誉教授に就任した。「ハイデガーの思想」「ハイデガー『存在と時間』の構築」など既存のハイデガー解釈を一新した、というのが文庫本の人物紹介にあった。

 木田氏の最終講義は中央大学文学部で1991年1月23日に行われた「ハイデガーを読む」と1992年2月25日に中央大学人文科学研究所で行われた「哲学と文学~エルンスト・マッハをめぐって」があり、文庫本ではこれに<最終講義・補説>として「『存在と時間』をめぐる思想史」をつけてあり、素人にも分かりやすい。

 木田氏はハイデガーはソクラテス・プラトン・アリストテレス以前のギリシャに遡って哲学を考え直した、つまり、西洋哲学の見直しを行った、と見た。以下は文庫版のP52からの引用である。

 <西洋哲学史を見なおすといっても、ハイデガーが考えているのはなんとも思いきったことで、彼はプラトン/アリストテレスからヘーゲルにいたるまでの西洋哲学の全体が間違っていたのではないか、少なくともおかしな考え方、不自然な考え方だったのではないかと考えているのです。しかも<哲学>と呼ばれてきたこの不自然な考え方が、西洋文化経世の青写真の役割を果たしてきた、そのため、西洋文化が全体としておかしな方向に形成されることになった、とそんなふうに考えているらしいのです。>

 木田氏はこれはニーチェと同じ問題意識なのではないか、と言うのだ。一読、同感だったのだが、日経新聞の記事にある技術論の問題はこうした大きなパースペクティブで見れば、近代文明=西洋文化に内在する問題点だ、と言えるのではないか。

 というようなことを木田氏は考えさせてくれるのだから、こういう記事にも木田元氏の名前を入れてほしかったなぁ、と思う次第だ。日経新聞の夕刊1面コラム[あすへの話題]で定期的に寄稿しているし、日経文化部記者だって日常的に話を聞けるんじゃないのかな?

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2008年12月 5日 (金)

きょうはモーツァルトが亡くなった日~毎日新聞12月5日朝刊[余録]

 毎日新聞12月5日朝刊1面コラム[余録]できょうがモーツァルトの命日であることを知った。享年35歳。若死にだが、今の平均寿命で考えないほうがいい。

 ウィキペディアを見たら、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart)は1756年1月27日、オーストリアの都市であるザルツブルクに生まれ、1791年12月5日にウィーンでレクイエムの作曲中に没したとあった。

 父は元々は哲学や歴史を修めるために大学に行ったが、途中から音楽家に転じたザルツブルクの宮廷作曲でヴァイオリニストのレオポルト・モーツァルト(Leopold Mozart)で、息子の天才を見出し、幼少時から音楽教育を与えた、という。

 つまり、特訓を受けた2世が後世に残る音楽を残した。

 モーツァルトと妻・コンスタンツェ(Constanze, 1762年 - 1842年)は4男2女がいたが4人は乳幼児のうちに死亡。成人したフランツ・クサーヴァー(Franz Xaver)は職業音楽家となり「モーツァルト2世」を名乗ったという。

 この人は3世である。

 なるほど、2世、3世という才能の伝承は必要なのだな、と思わすエピソードだ。

 [余録]は違った切り口で迫った。

 <「モオツァルトのかなしさは疾走する。涙は追ひつけない」とは小林秀雄の有名な言葉である。空の青さや海のにおいのように万葉の歌人が使い方をよく知っていた「かなし」にも通じるという(新潮社版小林秀雄全集「モオツァルト」)。こんなかなしさなら歓迎だろう>

 と、小林秀雄を持ってきたのだ。オッと思う。余録子はその後で、

 <だが、涙が追いつけないのはモーツァルトの名曲だけではあるまい。インドのムンバイで先月26日に起きた無差別テロの悲劇はどうだ。ホテルやレストランで楽しい夜を過ごしていた人々が理不尽にも殺された。駅やユダヤ教施設も襲われ死者は170人を超えた>

 <武装グループは笑いながら発砲し、息絶えた人の口に手投げ弾を押し込んでブービートラップ(罠(わな))にしたという。「5000人殺す予定だった」という供述もある。肌に粟(あわ)が生じるとはこのことだ>

 <数知れぬ遺族が涙を流した。容疑者らの身内も泣いただろう。が、人類のひとりとして事件を眺めると泣くに泣けない。01年の9.11テロの時のように「どうして世界はこんな冷血の集団を生み出してしまったのか」という悲しみだけが込み上げる>

 と世界のテロを取り上げる。「かなし」続きということだろう。そういう「かなし」の解釈もあっていいが、どうも私の感覚とは違うのだが。特に小林秀雄の「かなしさ」の解釈は余録子とは違うと思う。小林の「かなしみ」は解釈が難しいが人間の根源から来る。輪廻であり、自然の中で生きて死ぬ人間、誰にもある根源的な「かなしみ」だと思う。テロに「かなしみ」を重ねることは平均的知識人ならば当然なのかもしれないが、小林もモーツァルトも平均ではない、と思う。

 余録子はその後、またモーツァルトに戻る。

 <きょうはモーツァルトが亡くなった日だ。35歳で逝った大天才は晩年「ぼくはもう息もたえだえです。自分の才能を楽しむ前に死んでしまうのです」「誰も自分の命数を計れるものはなく、ひたすら諦めねばなりません」と記している。「モーツァルトの手紙」(吉田秀和編訳、講談社学術文庫)に収められた書簡だ。白鳥の歌となる「レクイエム」に取り組みつつ、迫りくる死を予感していたのだろう。>

 と書き、最後の結びが、

 <限りある命を大事にしたい。まして他人の命を銃弾や爆薬で奪うことは許されない。>

 という優等生の作文で終わっていた。

 別に「テロを批判するな」と言っているのではない。卑劣なテロは糾弾されるべきで、テロの根絶は必要だ、と私も思っている。しかし、生命のダイナモ、魂の輝きを曲に込めたモーツァルトの生涯とこれほどかけ離れた結論はないのではないか、と思うのだ。優等生であらねばならない新聞1面コラムでは仕方ないことなのだろうか。

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2008年12月 3日 (水)

山折哲雄氏の「散り際」「退き際」考…権力維持の知恵だった~毎日新聞12月3日夕刊から

 毎日新聞12月3日夕刊2面[特集ワイド]に山折哲雄氏(77)が<散り際の美学>について小松やしほ記者のインタビューに答えた記事が掲載されていた。面白かったのでメモしておく。

 山折氏は1931年米サンフランシスコ生まれ。国立歴史民俗博物館教授、白鴎女子短大学長、国債日本文化研究センター所長などを歴任。「近代日本人の宗教意識」など著書多数。近著に「信じる宗教、感ずる宗教」(中央公論新社)がる、と紹介してあった。

 最初から面白かった。記者が「散り際の美学」「退き際の美学」について聞こうとすると、山折氏は、

 <退き際、散り際というと、後ろに美学と付けたくなる心情は分かりますが、本来はそういうものではない。権力を維持する知恵なんです。王が死んで次の王が即位するまでの間に、何が問題になるか。一つは王権の正統性を何で保障するかということ、失敗すれば空位期間が発生する。それを避けるためにはどうするか。この二つです。(そこで考えた最高の知恵が)死んでも死んだことにしないこと。一番安全な方法は譲位です。生前に決めておく。余力を残して退くということです。そうすれば次の権力に対し口を出すことができる。>

 <定年とは、システマチックに身を退くということです。美学などというセンチメンタルなものは、入り込む余地はないわけです。>

 <見事ですね。小泉さんは、余力を残して退くということをよく知っていたんですよ。彼には大きな野心があるのかもしれません。後継を息子にしたのは、人物の卑小さを暴露したというところかな。>

 <(引退が美学と併せ語られるようになったのはいつからか?)やはり武士道ですね。平家物語に出てくる源氏方の武将で源頼政という人がいます。戦いに敗れ、宇治川で切腹するのですが、その前に歌を詠むんです。~埋木の花咲くこともなかりしに身のなるはてぞかなしかりける~(辞世の歌を詠み、西を向いて念仏を唱え、刀を腹に突き立てる。壮絶な死である。)これが武士の美しい死に際と、当時の人々には映った。歌を詠み、西方往生という信仰の心を持つ。それがこの世から退いていく時の心の作法、死ぬ作法です、覚悟の死が感動を与えるのです。>

 <その心がやがて、かの有名な良寛の歌へとつながっていく。~裏を見せ表を見せて散るもみぢ~散るという言葉が死と重なっている。彼の遺言のような歌にはこうあります。~形見とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみぢ葉~>

 <頼政にも良寛にも、我々が考えるセンチメンタルな意識などなかったと思う。あったのは死の作法、覚悟だったんじゃないかな。権力に恋々としてもいい。しがみつきたいと思う心があってもいい。でも、ギリギリのところであきらめ退いていかなければならない。その悔しさを、最後の場面でどこかに昇華してほしいんだよね。そうすれば、なるほどと人々にわかってもらえる。それが一言の言葉ですよ。>

 <安倍さん(晋三元首相)や福田さん(康夫前首相)に歌を作ってくれとは言いませんよ。言いませんが、辞めるときにああそうかと思わせるような一言がないよね。いかに今の日本の政治家に言葉がないか。我々の先祖は武人であろうと、歌人であろうと、きちんとした言葉を残して表舞台から去っている。言葉の貧しい民族じゃないんですよ。>

 <(いつから言葉が貧しくなったのか?)06年のトリノ冬季五輪の期間中、過去の日本選手の活躍を振り返る回想番組で1932年のロサンゼルス五輪で銀、36年のベルリンで金メダルの故前畑秀子選手が当時を振り返る映像が流れた。「母の言葉」を胸に、スタート台に「死ぬ覚悟」で立ち、号砲の直前、心の中で「神様」と叫んだ、と言っていた。前畑選手だけじゃない。どの選手も同じキーワードを支えにしていたのではないか。送り出す国民も、同じ感情を持っていたのではないか。今はそれが「自分らしく」「楽しく」「笑顔で」の三つに変わった。約70年の間に価値観の変化があったんだ。かつての日本人が使った言葉を、今は使わなくなった。言葉が薄くなったのか、生き方が薄いのか、と初めは考えて落ち込みました。だが、それでも金メダルを取っているじゃないか、と思い直した。彼らも心の奥底では、母の言葉を胸に刻み、死ぬ覚悟で、神様と叫んでいるかもしれない。大人の社会が聞こうとしていないのではないか。特に上っ面の言葉しか聞こうとしないマスコミの責任は重大です。プレッシャーがかからないようにという思いやりかもしれないけれど、それは甘やかしです。我々自身の価値観を封印してしまっている。それでだんだんと言葉を失い、政治家までが、退き際に本気で思いを述べることができなくなってしまった。

 <(やはり退き際には言葉が必要なのですか?)ただ美しい言葉を並べればいいというものではない。沈黙という姿勢もある。退き際というのは、新しく登場する人がいれば、去る人もいなければならない。それを制度としてどう調整するかということなのです。そこに美学をあてはめるのは、そうありたいという庶民の願望かもしれないね。>

 と言って、山折氏は最後に細川ガラシャの辞世の歌を紹介したそうだ。~ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ~。

 いい記事だと思う。毎日新聞夕刊の特集ワイドは時々このようないい記事が載るので目が離せない。

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2008年11月27日 (木)

秋山駿が語る「ドストエフスキーと現代」~日経新聞11月27日夕刊

 日経新聞11月27日夕刊[シニア記者がつくるこころのページ]に文芸評論家、秋山駿氏のインタビューが掲載されていた。<ドストエフスキーと現代/生きる意味求め読む/理由なき殺人の時代>のタイトルだ。

 秋山氏は1930年生まれ。少年時代からドストエフスキーを読み込んできた、という。16歳のとき、敗戦直後の混乱の中、どう生きるか分からず新宿の街を歩いていたら、青梅街道沿いの古書店で内田魯庵訳の「罪と罰」を見つけ、立ち読みしているうちにラスコーリニコフが自分を呼んでいるような高揚感を覚え、ほかの古書店で三笠書房の米川正夫訳「罪と罰」上巻を買って徹夜で読み、興奮して頭に血が上った感覚になった、という。下巻もすぐに探して読み、「地価生活者の手記」「白痴」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」と立て続けに読んだ、と言っている。

 つまり、16歳にしてドストエフスキーに出会い、それだけ共鳴できた、というのだ。素晴らしい理解力だと思う。

 <生きていることにどういう意味があるか、自問自答する時代には必ずドストエフスキーが読まれるんです。最初のブームは内田魯庵訳「罪と罰」が出た明治20年代。北村透谷の「罪と罰」の評論が出るなど、ドストエフスキーのリアリズム文学に新しい文学を発見した。二度目のブームは敗戦直後。埴谷雄高「死霊」、椎名麟三「深夜の酒宴」、大岡昇平「俘虜記」、三島由紀夫「仮面の告白」などのドストエフスキーに影響された戦後文学が一斉に登場した。いまのブームは三度目。生きることの意味を探り始めた現代人がドストエフスキーを読んでいるのです。>

 「罪と罰」の中でドストエフスキーはラスコーリニコフが自問自答しながら歩く際の心の動きを詳しく描いているが、そういう描き方は日本文学にはなかった、という。ラスコーリニコフの日のあたらない部屋で金貸しの老女殺しの考えを生み出すが、

 <児童連続殺傷事件を起こした神戸の14歳の少年も「人間の壊れやすさを確かめるために聖なる実験をしました」とノートに記し、内部から凶行を宣言していた。「罪と罰」は「理由なき殺人」を描いたものだと思う。いま読まれているのも、秋葉原殺傷事件などの青年の「理由なき殺人」が頻発していることがあるだろう。>

 秋山氏は「罪と罰」で最も魅力的なのは娼婦にして聖女のソーニャがラスコーリニコフを再生へと導いていく過程、神の問題を描いた場面だ、という。

 <日本人は「神は死んだ」というニーチェの言葉をすぐに持ち出しますが、これは全く軽薄だと思いますね。今日の日本人が向き合わなくてはいけないのはむしろ、ラスコーリニコフのように神を探すことにあるでしょう。もっとも日本人にとってこれは難しい問題があります。神は、キリスト教の伝統のない日本人にjはなかなかなじめない。小林秀雄と正宗白鳥が、私とカトリック教徒の小川国夫が神をめぐって論争したのもそこから発しています。しかし、神は死んだと安易に断定することはできない。>

  秋山氏は日本文学になくドストエフスキーの文学にあるのが悪魔、悪の問題だという。「罪と罰」のスヴィドリガイロフ、「白痴」のラゴージン、「悪霊」のスタヴローギン、「カラマーゾフの兄弟」のイワンなどドストエフスキー作品には悪霊に取り付かれた人間、悪の化身たちが登場する。日本文学ではこうした真の悪人が登場しない。

 <ただ法律に背いたり、犯罪を犯すのではなく、悪魔が体内奥深くに眠っている人間。それが描かれているからこそ「カラマーゾフの兄弟」の父親殺しも、「悪霊」のリンチ殺人事件も生きてくる。さらに見逃せないのが男たちを破滅させる「カラマーゾフの兄弟」のグルーシェニカのような恐るべき美女たち。ボードレールの詩集「悪の華」とも重なる悪と美です。これこそ文学の魅力といえる。>

 ドストエフスキーの文学には酔っ払いなどこっけいな登場人物もいる、という。そして、

 <「カラマーゾフの兄弟」には諄々と道を説くゾシマ長老のような聖者が登場しますね。いまテロや殺人などが横行していますが、我々が求めているのは、ゾシマ長老のような人物だと思います。>

 でインタビューが終わっていた。78歳になっても矍鑠としている。秋山氏の評論は高校生時代に何か読んだのだけれども忘れた。ドストエフスキーを描いた「内部の人間」「神経と夢想~私の『罪と罰』」くらいは読んでみようかな。

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2008年11月21日 (金)

クロード・ルブラン氏とマイケル・オースリン氏が説く「アニメの限界」~8月4日朝日新聞、11月20日読売新聞や1年前の新聞など

 まず1年半前の記事から見る。朝日新聞2007年7月14日朝刊[世界発2007]のワッペンの付いたパリ沢村亙記者のまとめ記事<オタク文化 外交に一役?/和製アニメ・漫画 欧州席巻/政府、観光客誘致も狙う/中・韓、激しく追い上げ>である。

 <日本の漫画やアニメへの関心が欧州でうなぎ登りだ。6~8日にパリ郊外の国際展示場で開かれた欧州最大の漫画・アニメ紹介イベント「ジャパンエクスポ」には、過去最高の8万3000人が訪れた。和製ポップカルチャーを「ソフトパワー」の目玉にしたい日本政府もブームを後押しする。同様に「文化」を外交の柱に据える中国や韓国との競争も始まっている。>

 という前文。一覧表で次のように歴史を略述していた。

▽勃興期(70年代後半)=日本のテレビ番組がフランスの主要テレビに登場。「ゴルドラック」(邦題グレンダイザー)、「キャンディ・キャンディ」に人気沸騰。手塚治虫作品も紹介される。

▽冬の時代(80年代後半)=日本アニメ・バッシングが始まる。89年にロワイヤル氏(07年フランス大統領選候補)が和製アニメを「暴力的、女性差別的」と批判。地上波テレビから和製アニメがほとんど姿を消す。

▽コミック期(90年代前半)=アニメにかわってコミックに人気。ファン年齢層も20~30代にまで広がる。「AKIRA」「ドラゴンボール」は世界的ヒット。和製コミック専門店がパリに登場。

▽芸術志向と大衆路線(90年代後半以降)

97年=北野監督の「HANA-BI」がベネチア国際映画祭でグランプリ。フランスでもヒット。パリ日本文化会館が開館。

2000年=パリで第1回ジャパンエクスポ開催。3200人が集まった。「ポケモン」が世界的ブームに。

2002年=宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」がベルリン国際映画祭で金熊賞受賞。

▽多様化の時代(2000年以降)=日本料理やJポップ、ファッション、テレビゲームなど関心が広がる。

2003年~=日本の漫画「ヒカルの碁」の影響で若者の間で囲碁ブーム。

2006年=「真の日本料理レストラン」認証制度がフランスで始まる。ジャパンエクスポに5万6000人集まる。

2007年=国際マンガフェスティバル(仏アングレーム)で水木しげる氏が最優秀賞を授賞。

 本文はこの一覧表の説明のようなものだ。アニメ主題歌から広がったJポップ(和製ポップ音楽)やロリータファッションなども広がっている、と。ドイツやイタリアでも漫画・アニメ発の日本文化への関心が広がっている、と書いていた。また、「米アニメが優勢だった英国でも5月のロンドンエクスポ」に2万人が集まった」と。

 この記事で、

 <日本に詳しいジャーナリストのクロード・ルブラン氏は「漫画やアニメは平和で文化が豊かな国という日本のプラスイメージに確実に貢献している。それには漫画文化の健全な発展が不可欠なだけに、日本の漫画誌の最近の不調が心配だ。日本政府の支援は遅すぎる印象もある」と指摘する。>

 と早くもルブラン氏に注目している。

 バブル崩壊後、日本経済への関心は急速に冷えたが、日本語を学ぶフランス人は約1万6000人で微増傾向で、それを支えるのが漫画・アニメだそうだ。だが、中国語が猛烈な勢いで追いつき、追い越しつつある、と。中学・高校では日本語の2倍以上の1万人が履修。中国語を教える小学校も15校にのぼる、と。フランス政府は日本語の代わりに中国語の教員資格を増やし、日本語クラスを縮小して中国語クラスを増やす学校もあり、日本語教育関係者は危機感を募らせている、という。

 それから約1年後の読売新聞2008年8月19日朝刊解説面では[「ジャパン・クール」活用]のタイトルで永原伸編集委員が<海外で人気 漫画・アニメ・若者ファッション/ビジネス化熱く議論を>の見出しで、

 <①日本の若者ファッションや漫画、アニメが「クール」だと海外で高い人気を得ている②海外での人気がビジネスと結びついておらず、産業力強化への取り組みが必要だ。>

 と説いていた。

 産業構造審議会の基本問題検討小委員会が最近まとめた報告書で、ジャパン・クールに多くの紙数を割いている、と。

 業界用語が面白い。赤文字系というのが「CanCam」「JJ」「ViVi」「Ray」などの女性向けファッション雑誌が扱うエレガントなカジュアル・ファッションで、これらの雑誌のタイトル文字が赤で印刷されていることが語源だ、という。ストリート系とは「自分らしさ」志向、ガーリー系は「カワイイ・カジュアル」志向のファッションを指すそうだ。これらの雑誌はすぐに中国語に翻訳され、中国内で販売されている。特に赤文字系の「Ray」、OL系の「ef」、赤文字系の「ViVi」、ガーリー系の「mina」の各中国版が人気で、この4誌だけで女性向けファッション誌全体の販売部数の55%を占めている、という。

 ところが、これほどの日本発ファッションの人気ぶりなのに、それが日本のアパレル業界の海外進出に結びついていない。同業界の輸出総額は韓国と比べて5分の1、中国と比べると実に150分の1にとどまる、と書いている。

 人気とビジネスとのギャップを埋める方策として報告書はアジアの消費者がどんなライフスタイルを好むかを分析した「アジア消費マップ」を作成するよう提唱しているそうだ。

 経済産業省の西山圭太・産業構造課長は「赤文字系、ガーリー系といったカテゴリーの一つひとつが若者たちの嗜好、ライフスタイルになっていることに着目したい。例えば、携帯電話。赤文字系ファッションを好む人たちは、そのファッションにあった携帯を持ちたがり、間違ってもストリート系にある携帯は買おうとしない。こうした消費者の嗜好をきめ細かく把握してマップを作成し、商品開発や営業に役立ててもらう。赤文字系の洋服、アクセサリー、携帯をセットで売り込むといった業種横断的な取り組みも可能になる」と説明しているそうだ。

 ジャパン・クールが注目されてかれこれ10年になるが、「日本のアニメで一番儲けているのはハリウッド」と揶揄されるように、自国の産業力に結びついてきたとは言いがたい、という。

 永原氏は人口減、高齢化進展で日本の労働者人口は徐々に減少、近い将来、経済成長著しい中国に世界第2の経済大国の地位を譲ることになるだろうが、ジャパン・クールは日本の産業力ひいては国力の維持・強化の有力な武器になりうるので、その活用法を政府任せにせず、民間を含めた「オールジャパン」で検討すべき課題だ、と書いていた。

 ところが、2008年8月4日朝日新聞朝刊[地球観察]でクロード・ルブラン氏は7月3日~6日の「ジャパンエキスポ」について書いている。

 <フランスでは今や日本のマンガは市場全体の約40%を占める。英BBCなどの08年の調査では日本が世界に良い影響を与えていると思う人は56%で、ドイツと並んでトップだった。>

 と書き、

 <この状況を見れば、日本はそこから実利を引き出し、自国の利益を守ったり、世界に言い分を聞かせたりすることができるのではないか、と思うかもしれない。02年2月、当時の小泉首相は日本の文化伝統を全世界に紹介することを打ち出し、日本が新しい外交の時代に入ったことを示そうとした。>

 <自衛隊のイラク派遣は同盟国である米国との協調をはっきりと示したが、自衛隊が使う給水車には人気アニメ「キャプテン翼」のステッカーが貼ってあった。「翼」は現地でも大人気で、自衛隊員が標的にならないよう装甲車の役目を果たしたのだ。今や日本政府はこうした「武器」をさらに効果的なものにする努力を惜しまない。>

 として、ジャパンエキスポへの力の入れよう、「本物」和食レストランの動きなどに触れる。

 <こうした対応は長期の投資のようなものだ。欧州でもアジアでも、若い世代はマンガやコンピューターゲームのキャラクターとともに成長し、いつかは国の運命をその手に握る。彼らはサルコジ大統領よりもずっと日本を考慮し、好意を持つだろう。相撲についてのサルコジ氏の発言を見れば、彼が日本をどう思っているかわかる。「ポマードで光ったまげをつけた肥満男の戦いなんかに、どうしたら魅了されるんだ? まったく知性のないスポーツだ」。04年、彼はそう言い放った。>

 <この発言や、欧米の首脳が日本に対して時折見せる尊大な行動は、日本の「イメージ作戦」の限界をよく表わしている。米国が北朝鮮のテロ支援国家指定を解除する手続きに入ったのを見れば、日本の国益がいかに無視されているかがわかる。

 <リアルな政治は、魔法の力を持つマンガのキャラクターよりずっと強大だ。それについてはジャパンエキスポに来た若者たちも、文句のつけようがない。>

 ルブラン氏はフランスのジャーナリストで1964年生まれ、フランス国立東洋言語文化学院で日本語を学ぶ。仏クーリエ・アンテルナシオナル誌副編集長を務める知日家、と紹介してあった。

◆アメリカ人は日本を子供向け異国情緒文化の発信地と見始めている

 このルブラン氏の発言と同趣旨ではないが、日本人に「あまりアニメに期待しないほうがいいよ」と呼びかけたのが読売新聞2008年11月20日[論点]のマイケル・オースリン氏だ。アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所研究員。元エール大学准教授、41歳。物凄く若い学者さんだ。知日派なのだろう。タイトルは<ポップカルチャー偏重/米の対日観 軽薄化の恐れ>である。

 過去200年以上にわたって日米は双方の文化に魅せられ、影響を与え合ってきた、として米国人が版画、生け花、仏教、儒教にまで関心を広めたこと、黒沢明の映画がジョージ・ルーカスに影響を与えたこと、庭園の美が全米に広がった。日本文化への関心は日米関係において重要な役割を果たしてきた。つまり、米国は日本を重大な国と受け止めてきた、というのが書き出し。

 しかし、今日の日米関係は劇的に変わった、という。過去10年ほど、米国人は日本文化を真剣に見つめるのをやめてしまった。代わりに、日本のアニメやポップカルチャーが人気を博し、日本を見つめる際に通すレンズとなった。米国の若者は黒澤映画の変わりにアニメを見るようになり、大学の中には源氏物語や安部公房の代わりにマンガを読ませるところも出てきた。言い過ぎかも知れないが、多くの米国人は日本を異国情緒に満ちた子供向け文化の発信地とみなすようになった、と書く。

 <何が起きたのだろうか。1990年代のバブル崩壊後、米国人は少しずつ、しかし確実に日本への興味を失った。いま、経済の超大国になると目されているのは中国だ。日本の政治的リーダーシップへの信頼は失われ、アジアで主導的な役割を演じると考える人はほとんどいない。米国の大学教授たちの中には、日本の国内政治やマクロ経済政策といった難しい課題ではなく、野球やアニメについて教える者も増えてきた。>

 この動きは日米の安全保障、経済関係には影響を与えないだろうが、米国での日本に関する焦点がポップカルチャーになったということは、米国人が日本の社会、経済、政治といったまじめな事項について話さなくなったことを意味する、という。

 <米国人の関心がポケモンに集まれば集まるほど、日本が今も東アジアで最古で最大、そして最も安定した民主国である事実は忘れられることになりそうだ。日本は世界第2位の経済国で巨額の対外援助を提供し、世界中で人道支援を実施しているというのに。>

 <さらに憂慮すべきは、米国で日本の言語、歴史、社会を理解する専門家の数がどんどん減っていることだ。大学でアニメの講座をとった学生たちが、日本を真剣な研究対象とみなす可能性は低い。日本といえばイチロー選手のことしか知らない米国人は、日本が日米同盟において偉大な役割を果たしている世界的大国と考えることはあるまい。米国の政策や米世論に影響を及ぼすことのできる日本専門家が米国にいなくなれば、将来、重大な問題が起きた時、米国が日本を緊密なパートナーとして頼りにする可能性は少なくなるだろう。>

 <私は日本のポップカルチャーに反対するものではない。ただ、深みのある長期的日米関係を、ポップカルチャーのみを基礎として築くことはできない。深い相互理解と相互への敬意がなくなれば、日米両国はアジアを発展させ、地域安保を維持し、自由主義を広めるパートナーの関係を維持することはできないだろう。>

 知日派の中にアメリカでもフランスでも、こうした見方が広がっていることは日本にとって危機ではないか。政治の論点が世界と同期していない、とは感じていたが、ここまで無視されるようになっていたとは。何もできずに竦んでいる政府や国会に任せず、国民が真剣に考える時なのだろう。

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2008年11月 5日 (水)

<フォークソングの時代>っていうと何か感じが違うんだけど…~毎日新聞11月5日朝刊文化面[40年前 <政治の季節>を再考する]+日経新聞[春秋]

 [40年前<政治の季節>を再考する]は毎日新聞朝刊文化面の月1回の連載企画。毎回、地味だが、内容は面白い。今回は<フォークソングの時代>がテーマで、音楽評論家の中村とうよう氏の寄稿と、フォークシンガー、高石ともや氏のインタビューと<フォークソング関連年表>からなり、1ページを切り抜いておけば、「あの時代が懐かしく甦る」(?)という趣向である。

 記事の前文は、

 <街頭に響いた若者の声は、デモ隊のシュプレヒコールだけではなかった。1960年代後半、反戦平和や自由を訴える歌詞を自作の曲に乗せギター一本で歌うフォークソングは、軽音楽の「革命」だった。多くの個性的な歌手が登場する一方、東京・新宿のフォーク集会には機動隊も導入された。雑誌『ニューミュージック・マガジン』を創刊(1969年4月)し、フォークのレコード化にも取り組んだ音楽評論家、中村とうようさんの寄稿と、「受験生ブルース」などで初期のブームを先導した歌手、高石ともやさんのインタビューで振り返る。>

 である。中村氏って名前だけは知っていたが、ポピュラー音楽評論家だったんだなぁ。知らなかった。

 中村氏寄稿の見出しは<「学生」と「関西」が二大勢力だった/新宿西口の集会で社会現象に>である。

 ダイジェストしながら、書き写そう。

◆団塊の世代がどこまで昔を懐かしむことができる文章か、は人によるかも…

 <ポピュラー音楽の世界で、フォークソングが初めて大きな注目を浴びたのは、キングストン・トリオの「トム・ドゥーリー」のヒットだ。1958年、アメリカのヒットチャートでトップになった。今からちょうど50年前だ。フォークソングつまり民謡は、もともとは民衆のあいだで自然に歌い継がれたものだったが、「トム・ドゥーリー」は古くから伝わった民謡がプロの手で化粧直し、商品化されてヒットしたもの。民謡とポピュラーソングの境界線にまたがる存在だった。この大ヒットで民謡風ポピュラーソングが次々生み出され、60年代にかけ大きな潮流に高まった。アメリカの流れが日本に波及し、日本独自のフォークソング・ブーム現象を引き起こした。>

 なるほど、そういうことだったのか。キングストン・トリオは日本ではそんなには流行しなかった、と思うのだが、好きな人たちには堪えられなかったのだろうなぁ。

 <1963年、ジョーン・バエズの「ドンナ・ドンナ」のLPが日本発売されたころにはアメリカでのフォーク・ブームの噂は一部の若者の関心を引き始め、ギターを弾きながらフォークソングを歌う学生グループの活動が急速に盛り上った。そんなアマチュアたちの間から出たマイク真木が「バラが咲いた」のヒットを放ったのが1966年4月。「黄色いさくらんぼ」などで知られる人気作曲家、浜口庫之助の作品だった。>

 1966年12月には高石友也デビュー。フォークルといえば、「イムジン河」が発売中止になったのが68年2月。このころはまだ朝鮮総連が飛ぶ鳥を落とす勢いで、無理難題を吹っかけては社会を混乱させていた時期だった。高石の「受験生ブルース」が同じ1968年2月。
 そうかぁ、「バラが咲いた」は浜口氏の作曲だったか。忘れていた。

 <間もなく東京の学生フォークと一味違う動きが、関西で起きた。高石友也や岡林信康たちが現実社会の問題をリアルに取り上げる歌を作り、その土壌から1967年12月に生まれた大ヒットが加藤和彦らフォーク・クルセダーズ(65年8月結成)の「帰ってきたヨッパライ」。1969年にはURC(アングラ・レコード・クラブの頭文字)というフォークソング商品化目的の日本初のインディーズ・レーベルが誕生した。>

 こういう寄稿でも岡林信康氏はなかなか名前を出しづらいのかなぁ。

 <アメリカでは既に1965年、フォークのトップスターとして人気最高だったボブ・ディランがエレキギターを使用したロックっぽい曲を試みていた。同様な歌で1968年に姿を現わしたのが遠藤賢司で、フォークとロックの境界を無意味化した。遠藤のレコードが出た1969年は日本のフォークソングの盛り上がりの頂点であり、分水嶺でもあった。>

◆ぼくにとっての60年代後半はビートルズとPPMとバエズとGSだった

 フォークとロックの融合かぁ、ピーター・ポール&マリーとか、ジョーン・バエズはこうした歴史には登場しないんだね。

 <1969年春から新宿西口の地下広場には、土曜日ごとにアマチュアのフォークシンガーが集まって自由に歌う、当時フォーク・ゲリラと呼ばれた集会が展開され、それを聞きに集まる人たちは最大で5000人とも1万人とも言われたが、5月に警視庁が「そこは広場ではなく道路だ」と道路交通法で集会を禁止。70年安保を境に「シラケ」という語が広くささやかれ、フォークソングの商品化が進み、72年1月に吉田拓郎(この時は平仮名のよしだたくろう、だった)の「結婚しようよ」がヒットしたころには、フォークソングはニューミュージックへ変質をとげた。>

 そういう流れとして整理できるのか。

 何か、団塊世代の青春史みたいだが、こんな薄っぺらいものだったかなぁ? もう少し思想があったような感じもするし、このフォークソングの大流行の一方ではザ・スパイダースやザ・タイガーズとかのグループサウンズ全盛期があったはずだ。フォークとグループサウンズがいつの間にか融合して、ニュー・ミュージックになった、という理解をしていたんだけど、違うのか?

 年表から補足すると、1972年2月には井上陽水「傘がない」が出ている。

 年表はなぎら健壱「日本フォーク私的大全」(ちくま文庫)などから作成した、と書いてあった。

◆何か時代が戻っちゃった感じがしたんだけど……高石氏インタビュー

 高石ともや氏のインタビューの見出しは<個人で世界と切り結ぶ 若者の「もがき方」認める空気があった 深夜放送のつながり、今も>である。高石氏は1941年生まれで、マラソンランナーとしても知られるそうだ。聞き手は大井浩一記者。

 高石氏は、60年代後半は個人で歌を作って世界と切り結ぶことができたまれな時代。その後はみんな売れなきゃいけないからレコード会社という企業、組織に走った。呼び名もニューミュージックに変わり、ヒットソングを歌うようになった。自分らしく歌えたら、それだけでいいという価値観は1969年で終わり。しかし、今から見ると70年以降しか目に入らない、と語る。

 また、京大のバリケードで歌ったり、べ平連(ベトナムに平和を!市民連合)に参加し新宿西口の反戦フォーク集会にも出た。あの時期、若者が若いなりのもがき方をするのを認める空気がまだ日本社会にあった。ギターで世界が変えられると思えた、と昔を懐かしんでいた。

 何か、今の新聞紙面に高石氏が出てきて、こういう話をされると、時代が戻っちゃったのかな、と変な感じもするんだけど…。彼の話に未来に向けてのどのような意味があるのだろう? 「この40年は夢だった」、なんて、冗談でも言わないでほしい、と思うのだが。

 やっぱり、貧乏な時代という連想から「山谷ブルース」→フォークソングということなのかなぁ? 分からないけど。読み終えても<フォークソングの時代>というより、フォークソングとGSの時代なのか、フォークとロックとGSの時代なのか、そんな感じがする。フォークソングだけを60年代後半に結びつける必然性は薄い、と思うのだが。

 日経新聞11月5日朝刊[春秋]に捕まった小室哲哉容疑者(49)が13年前に1世代上の歌手、吉田拓郎さん(62)に「あ、売れる方程式ですか? ”ディスコ、プラス、カラオケ割る二”なんですよ」と話し、吉田さんが「割っちゃうのがすごいよね、二で」と答えていたエピソード(「小室哲哉音楽対論2」)を紹介していた。

 春秋子は、

 <なるほど、この方程式を武器に売りまくったのか。振り返って売れ方のすさまじさに改めて驚いた。同時に二〇〇〇年代に入るとさっぱりだったのが意外だった。沖縄サミットのイメージソングを作ったのが二〇〇〇年。政治は周回遅れで流行に便乗するのが常だ。思えばこのころが人気の潮目だったのだろう。>

 と書いていた。吉田拓郎さんはこの時、皮肉交じりで「あなたは今が『食い時』だけど十年たったらまた会おう」と言っていたそうだ。吉田さんの慧眼なのか、単なる皮肉なのか、ポピュラー音楽の流行の儚さを見せつけた小室哲哉容疑者逮捕だった。

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2008年10月17日 (金)

「馬食い家内が象になった」でいいじゃないか~パソコン誤変換を楽しもう+10月17日産経抄の沢村貞子さんの日常生活

 傑作だった。10月17日読売新聞朝刊[編集手帳]である。パソコンの誤変換で「うまくいかない画像サイズになった」が「馬食い家内が象になった」となってしまったことが、日本漢字能力検定協会が募った漢字変換ミスの年間賞に選ばれた、という内容である。

 <教えれば何でも覚えるが、文脈の流れを理解しない。「記憶力抜群のバカ」と呼んだ人がいるが、文章を作成する機械にはそういう面がある。>とあった。

 その通りなのだが、この種の論調にちょっとした違和感を覚えるのは、もともとワードプロセッサー機能なんて人間の自堕落な便利さ追求の果ての商品で、完全ではありえない、という真理がすっぽり抜け落ちているように思えるからだ。

 文章はボールペンで紙に書くのが一番だ、と思う。脳と手と指とが連動し、脳を適度に刺激し、記憶もリフレッシュされる。パソコンのワープロ機能が年々便利になり、変換も文節変換ができ、記憶能力まで持つようになったが、考えながら変換しているのではなく、使っている人間が判断するチャンスをまだ残している。

 これが、使う人間の特性を覚えて、単語の優先順位をパソコンが決めていく能力をフルに発揮し始めたら、逆に怖くないか。アマゾンのアフィリエイトでお薦めの本がパソコン画面に出てくるのも良し悪しだ、と思うのだ。

 機能的生活とは、別の選択肢を自然自然に排除する日常生活に甘んじることでもある。
 「今の思考の連続で思考を続けていいのですよ。それには、この本が参考になるでしょう」と薦められなくても、自分で本屋さんの店頭や新聞の読書欄、新聞や雑誌、出版社のPR誌で探す楽しみのほうを、私は大事にしたい。

 誤変換を「パソコンって変な奴だなぁ」と面白がる分にはいいのだが、あまり目くじら立てて怒ることはないと思うのだ。編集手帳子も別に目くじら立てているわけではないだろうが。

 日本人は昔から言葉の深みを川柳や和歌、狂歌などを中心に楽しんできた。

 誤変換をきっかけに、言葉の面白みに興味を持つ若者が増えてくれるといいと思う。

 新聞記者は入社早々、先輩から「紋切り型表現をつかうな」と教わる。

 朝日新聞8月18日[天使人語]に

 <駆け出し記者だった頃に厳しいデスクがいて、紋切り型の表現をすると怒られた。びっくりする様を「目を白黒」などもってのほか。「衝撃が走った」と書いた新米の背中に「衝撃」と大書した紙を張り、社内を走らせたという伝説も残した>

 とあった。

 紋切り型表現は最近ではワープロソフトのワードを使い「拝啓」と書き始めると、定例文として「敬具」までの紋切り型表現が次々出てくるサービスもある。

 自分で考えなくなる時代である。

 誤変換が自分で考える機会になれば、と思う。

 産経新聞10月17日[産経抄]も普通の人の普通の生活の大切さを説いていた。

 コラムをMSN産経コムからコピペしておく。

 <テレビドラマの祖母役で、かつお節を削りながら孫娘とあれこれ話すシーンがあった、と、女優の沢村貞夫がエッセー『わたしの献立日記』に書いている。収録が終わると、若い女優がため息をついて聞いてきた。「沢村さん、おうちでもこんなことをしているんですか?」。「そうね、よくやってるわ」「アラ、スーパーへ行けば、チャンと細かくしたものを袋に入れて売ってますよ、知らなかったんですか?」。沢村は、「知ってはいるけれど、使いたくない、とは言えなかった」という。確かにスーパーを見渡せば、便利な食材にことかかない。>

 そう、沢村さんは若い女優さんに、若い人の常識=テレビCMをアプリオリに信用する生活への疑いのない生活信条が間違っている、とは言えなかった。言ってもいいが、面倒だったのだろう。後で「あの婆さん、変わっているわよ」と陰口を叩かれるのがせいぜいだからだ。

 <冷凍野菜もそのひとつだ。たとえばインゲンだったら、筋を取る手間がいらず、そのまま切って、ゆでたり、炒めたりできる。必要なだけ袋から出せばいいから、少量使うときも重宝する。東京都八王子市の主婦が食べたその冷凍インゲンから、基準の3万4500倍という高い濃度の殺虫剤ジクロルボスが検出された。中国で製造されてから、日本の売り場に並ぶまで、何度も行われた検査をかいくぐってきた。ギョーザ中毒事件もまだ解明されていない。つまり今のところ、猛毒の混入を防ぐ手立てがないということか。>

 と、話は一転、インゲンになったので、これでまた世相批判で終わりか、と読むのをやめようか、と思ったら、違った。

 <女優業のかたわら、夫のために丹精込めた食事を作り続けた沢村は、冷凍庫を愛用した。といっても、中身はすべて手作りだった。ゴボウ、タケノコ、干しシイタケを細かくきざんで炒め、みりんやしょうゆでゆっくり煮込んだ自家製「すしの素」や、出盛りのグリーンピースをさっとゆがいて小分けしたものなど。とてもそこまではできない、という向きは、せめて市販の冷凍食品の袋を開いたら、においをかいでみる。こんなひと手間をかけて身を守るしかない。>

 「とてもそこまではできない」と思う前に、「やってやろうじゃないか」と思わないかなぁ。そう思う人が増えれば、都市近郊農家の野菜も売れるし、日本の農業も変わってくると思うのだが…。

 ワープロソフト頼り過ぎ、冷凍食品頼り過ぎ、すべて同じ根っ子のような気がする。便利さに慣れ過ぎて感覚が麻痺しているのだ。もう少し「不便さ」を楽しもうよ。

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2008年9月27日 (土)

街の監視カメラ、プラス評価が多いようだ~東京新聞9月27日夕刊から

 東京新聞9月27日朝刊[生活]面[私もひと言]欄で<街の監視カメラ>を取り上げていた。見出しは<気分的に安心/教育で抜本対策を>。前文は<防犯効果に期待する一方、プライバシーが気になる人も多いよう。>とまとめていた。

 50代の会社員男性は居住するマンションでいたずら防止のため2年前に監視カメラを設置。「今の世の中は何かにつけて危険。防犯かプライバシーか迫られたら防犯を選ぶ」。

 70代の無職男性はマンションのガラスドアが壊されて自転車が盗まれたため、監視カメラの設置を検討中。「ほかの手段が考えられず、防犯のためには必要だが、嫌な世の中になった」。

 30歳の主婦は「監視カメラがあれば気分的には安心。だが、いざ大きな事件が発生した時にしか役に立たず、犯罪の防止にはつながっていない。もっと活用の仕方を工夫してほしい」。

 60代の会社員男性は「監視カメラはプライバシーの侵害。見回りの人数を増やし、教育などで根底から解決しないと犯罪は減らないのでは」。

 70代の自営業男性は「地域防犯の基本は近所づきあいの緊密化だが、世の中が昔と変わっているので新しい方法もやむを得ない。監視カメラでプライバシーを侵害されたと感じたことは一度もないが、映像が悪用されないよう管理は厳重にすべきだ」。

 40代の会社員男性は「風景写真を表示できるインターネットのサービスで自宅を検索したら、車のナンバーまで読めたので削除してもらった。現場に行けば確認できる情報とはいえ、簡単に机上で見られることに怖さを感じる」。

 最後の声はグーグルのストリートビューに関する意見だったが、基本的に街頭の監視カメラに関しては肯定的な意見が多いようだ。僕らの目に見えるのは丸いガラスだけで、その中にカメラがあり、そのカメラが中央監視室につながっていたり、そうではなく、回し続けたカメラを後で時間を遡って見ることができるわけだが、その「裏」の部分は一般市民は見ることができないから、プライバシーが侵害されている、という実感がわかないのと、犯罪防止効果があることでプラス評価が多くなるのかもしれない。

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<鳥瞰図>を<とりあえず>と読む若い人+新聞OBによる政治家失言報道批判~各紙コラムと業界紙から

 読売新聞9月27日[編集手帳]が面白かった。

 歌人の鎌田弘子さんに、漢字の読み違えを詠んだ

 <鳥瞰図(ちょうかんず)を とりあえずと よむというを 一度(ひとたび)笑い たちまちさみし>

 という一首がある、と紹介したものだ。

 「あえて…する」の「あえて」は「敢て」で「瞰」に似ている。

 大所高所から見る、という意味の「鳥瞰図」と、目先の「とりあえず」の対比が面白い、とあった。

 若い「おバカ」タレントが並んで、クイズに答えるテレビ番組が結構人気だが、そんな番組でも取り上げているのだろうか。二十歳を超したくらいの女の子が「とりあえずぅ?」と語尾を上げながら答えている姿を想像すると、たしかに笑える。

 だが、鎌田さんは、笑ったあと、「たちまちさみし」なのである。

 日本語を大切にしたい、と真剣に思い続け、日常生活の中からきれいな日本語を紡ぎ出している歌人にしてみれば、あまりにも若い人(だけでなく、団塊の世代だってえばれないのだが)の国語能力の低下に寒々としたものを感じたのだろう。

 新聞コラムは、このあと一転、小泉政権論になるのだが、それはさて置き、このような読み間違い、結構あるのだろうなあ。

 同じ日の朝日新聞[天声人語]は舌禍で辞任した中山成彬国土交通相を取り上げた。

 中国の宋代の大詩人で政治家でもあった蘇軾(そしょく)は直言癖が災いしてか、たびたび遠方へ流されたりしたが、詩の一節に「自ら笑う、平生、口の為に忙なるを」と記したそうだ。口がもとで数々の面倒を起こしたのが自分でもおかしい、という意味だと中国文学の井波律子さんの著書にあった、と。中山氏の失言だけでなく、引退表明した小泉純一郎氏も「口の為に忙」な人だった、と半分こじつけていた。

 毎日新聞[余録]は中山氏辞任を皮肉るのに中国の格言を三つ出してきた。

 まずは、「禅譲」という言葉は中国の伝説の帝王が子ではなく有徳の者に帝位を譲った故事によるとして、その帝王の一人である舜(しゅん)は禹(う)への禅譲に際して「口は好(こう)を出(いだ)し戎(じゅう)を興(おこ)す」(口は友好をもたらすこともあれば、戦争を引き起こすこともあるといういましめ)と言って、政治に携わる者は言葉に気をつけるように諭した、とある。

 また、人のしゃべる言葉を兵事になぞらえた名言として「口は関なり、舌は兵なり、言を出して当たらざれば反(かえ)って自ら傷(そこ)なう」(説苑)を紹介している。口は関所で、舌はそこに詰める兵隊。口から出た言葉が不適切なら自分が傷つくのだから、慎重に話せ、という意味だそうだ。

 もう一つ紹介していたのが「乱の生ずる所は即ち言語を以って階を為す」(易経)。乱は言葉から始まる、という意味だそうだ。

 鎌田さんの「笑って、たちまち寂しくなる」気持ちに通じるのか通じないのか、分からないが、天声人語子の

 <それにしてもと思う。国会論戦などの肝心なメッセージはさっぱり胸に届かず、失言や放言、漫談まがいばかり記憶に残る。これは政治家の劣化か。それとも政治に娯楽を見いだした我々が、まじめな言葉には打てども響かなくなっているのか>

 という言葉が、なぜか気になった。

 実は、偶然目にした新聞業界の業界紙「新聞之新聞」10月6日号の1面コラム[ひろば]で元毎日新聞社専務の平野裕氏が<失言報道は自家撞着>のタイトルで新聞の政治家失言報道について相当にひどい言葉で批判を加えていたのを思い出したのだ。

 <…僅か五日後の辞任劇は全く後味が悪いものだった。最後に、日教組に悪態をつきながら引きずり下ろされる様に舞台を去って行く姿は見るにたえなかった。>

 <政治家の失言報道は新聞でいちばん嫌な記事である。政治家の軽率さというだけでない。言葉が仕事のジャーナリズムが人の断片的な言葉遣いをとらえて民衆の前にさらすという言論の自由の根幹に触れるものだからである。>

 と持論を展開し、話題は一転、平野氏が現役時代の得意分野だったロシアに移る。シベリアで服役中のかつての「石油王」が起こした仮釈放申請の裁判について、メドベージェフ大統領を気にしながらも、ロシアのメディアが「健闘した」報道ぶりだった、と褒め称えた。そして、

 <それに比べ、日本の新聞は内向き。その最たるものが、今回の中山国交相の失言による辞任劇だった。>

 と返す刀で日本の新聞の批判をしているのだ。

 <日本の現職閣僚の失言はある日突然起こる。ある閣僚がこんな怪しからんことを言ったと、発言した前後の事情説明も無く紙面に現われる。その後は、進退問題、総理の任命責任とあれよあれよという間にワンパターンで進行する。>

 <言葉遣いの曖昧さも全く気にすることなく記者たちは記事化し、編集者は紙面化する。>

 <一度記事化されると、失言は一人歩きして政局の渦中に巻き込まれ、新聞は報道に都合のいい談話を集めてフォローし、失言した政治家は弁明する心の余裕もなく、ごうごうたる雑音を浴び、進退窮まって辞任に追い込まれる。>

 <政治家は公人と言っても基本的人権はあるはずだ。世の中に完全無欠な人間なぞいない。誤った発言をすることだってある。謝って修正すれば許せばよいのに、誤報を訂正で済ます新聞が絶対に容赦しないのもおかしい。>

 <もう少しこの問題を掘り下げると、新聞にタブーがあるという。雑誌編集者の間では、新聞が書かないタブーの問題を意識して編集を心掛けているという話である。特定の問題について当たり障りのない報道を心掛けるというのがタブーであり、皆で渡ればの意識で、妙にそれが共通しているのも特徴と言える。>

 <そのタブーを破る発言をした人物に新聞が一斉に襲いかかり、「物言えば唇寒し」の心理にさせ、自由な言論を封殺するとすれば、ジャーナリズムの自家撞着という他ない。>

 という論理展開で、「ジャーナリズムの自家撞着」にたどり着く。「新聞の書かないタブー」問題の中に日教組批判が入っているのかどうか、はっきり書いていないから分からないが、前後から推測するに、そうであるようだ。平野氏の思考方式だから、もしかすると、部落開放同盟の加入者による不正や在日朝鮮・韓国人の利権問題など、あまり新聞が書かずに週刊誌が特報するような問題も「タブー」として考えているのかもしれない、と推察できる。

 平野氏の論は極端であり、物事の重要性のレベルを無視している、という点で与しないが、新聞のワンパターン化した政治家批判にも苦々しいものを感じる時があるのは事実だ。せめて、天声人語子がこの日書いたような<自分の足元を見つめる視線>、複眼の視点も併せ持ってほしい、と思う。

 10月1日産経新聞朝刊政治面コラム[政論探求]<「失言」騒動の危うさ>で花岡信昭・客員編集委員が平野氏と似たような論を展開していたが、同様に賛成できない論旨だった。

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2008年9月24日 (水)

月刊誌相次ぎ休刊…雑誌冬の時代~9月の新聞各紙まとめ

 8月7日に「月刊現代」と「論座」の休刊について書いておいたが、その後も休刊旋風はおさまらず、雑誌不況が列島を覆いつくす勢いで進んでいる。各紙も文化欄を中心に現状、不況の原因、影響などをまとめていた。9月2日読売新聞朝刊から9月24日産経新聞朝刊までに掲載された主な記事の内容をざっとまとめておく。

 データ的に最もしっかりした記事は毎日新聞9月22日朝刊メディア面<部数 最大で8割減/06年に「休刊」が「創刊」上回る>(臺宏士記者)だろう。

◆雑誌発行部数のピークは1997年
 <日本雑誌協会によると、「月刊現代」「論座」「PLAYBOY日本版」のいずれも最近では最も発行部数が多かったのは98年で、それぞれ14万部、8万部、10万部。08年(4~6月の平均)は、8万3000部、1万7367部、5万5000部と大きく減らしている。98年は、各社が同協会に自己申告した部数で、08年は印刷工業会が証明した部数。また、休刊誌ではないが、「中央公論」(1887年12月創刊)も98年は9万部だったが、08年には4万1300部と半減した。出版科学研究所によると、月刊誌や週刊誌の販売高のピークは97年。以降は前年割れが続き、06年から雑誌の休刊点数が創刊点数を上回り始めたという。>

 (読売新聞9月2日朝刊メディア面<月刊「現代」「ROADSHOW]休刊>は、出版科学研究所の佐々木利春主任研究員の「かつては社の意見を発信する看板雑誌を『志』で出し続けてきたが、体力も広告収入も落ち込み、ラインアップを検討する時期に入ってきた」と話している。同研究所の調べで、雑誌の売り上げは1997年の1兆5644億円をピークに、2007年は1兆1827億円と10年連続で減少、07年の休廃刊誌は前年より3割増の218点と過去最悪だった、という。)

 この部分だけ読売新聞で、また毎日新聞の続きに戻る。

◆中小新刊書店の廃業が影響
 <日本雑誌協会の担当者は「雑誌の部数減には、駅前などに立地した中小新刊書店の相次ぐ廃業も影響している」と指摘する。新刊書店で構成する「日本書店商業組合連合会」の加盟社は98年4月に1万277店だったが、今年4月には5869店にまで落ち込んでいる。>

 <一方、雑誌広告費も減少している。電通が毎年調査している「日本の広告費」によると、98年は4258億円だたtが、06年は3887億円にまで縮小した。06年の広告費は、専門誌や地方誌を集計対象に加えれば4777億円と統計上は増加する。しかし、同じ基準で、07年には4585億円と減少に転じており、雑誌広告市場の縮小傾向に歯止めがかかっていない。06年はインターネット広告が4826億円で雑誌広告を追い抜き、07年は6003億円と大きく伸びた。出版科学研究所は「インターネットや携帯電話の普及を背景にライフスタイルが変わり、若い人は雑誌を最初の情報源と見ないようになった。どの雑誌も新規読者の獲得に苦戦し、読者は高齢化している。後から見ると今回の相次ぐ休刊は氷山の一角だったということにもなり得る」と分析する。>

 という記事だった。「ライフスタイルの変化」が最も大きな原因なのだろうが、その変化を呼び起こしたインターネットと携帯電話の影響の大きさには今更ながら驚くしかない。

◆総合月刊誌の採算ラインは5万~6万部
 同じ毎日新聞記事の別稿<月刊現代、論座、PLAYBOY…相次ぐ休刊/ノンフィクション存続に危機感>(鈴木英生記者)では①総合月刊誌の採算ラインは実売5万~6万部とされるが、論座ははるかに下回る2万部しか刷っていなかった。月刊現代は8万部。PLAYBOYはここ半年の平均部数が5万5000部。実売は最近、論座が1万部を、月刊現代も4万部をきることがあった②朝日新聞、講談社とも総合誌は社の論調を示す看板であり、単行本の書き手を確保する使命もあったので発行してきたが、社全体の不採算部門見直しでついに切られた③両社とも後継媒体を模索中で、朝日新聞は論壇系記事中心の別刷りを作成する案があり、講談社はノンフィクションの媒体を検討中だ、と書いていた。

◆「新潮45」は12月発売号からノンフィクションを軸に刷新
 「新潮45」は過去の事件の読み物中心だったが。部数は最盛期(2002年)の半分で約4万6000部だ、と。

◆「国家と個人の間にある『社会』の情報が失われる」~魚住昭氏インタビュー(聞き手は鈴木英生記者)

 毎日新聞の前掲記事の別稿。見出しは<「社会」の情報失われる>。月刊現代の休刊の影響を聞いている。魚住氏の発言を拾う。

▽月刊現代は、いわば戦後民主主義路線の雑誌。講談社は、戦争に協力した反省を込めていたのだと思う。その志が、経済的にもたなくなったのだろう。月刊現代の休刊で、講談社がアイデンティティーを失ってしまうことを恐れている。

▽(雑誌ジャーナリズムが担ってきた役割とは?)情報には、大きく分けて官の情報と民の情報がある。官の情報は精選され、すぐ記事にできる。民の情報は雑多だから記事化に手間がかかる。前者主体になりがちな新聞に対して、雑誌は公社を中心に伝えてきた。雑誌が衰退すれば、情報の多様性が失われる。官の情報は伝えられ続けるだろうし、ブログなどに私的な情報はあふれている。つまり、国家と個人の間にある、「社会」の情報が失われてしまう。

▽(雑誌が読まれなくなった原因は?)貧困の拡大も原因だと思う。雑誌にお金をかけられる人が減った。書き手の責任も大きい。本当に面白く、核心を突いた内容ならば売れたはずだ。

▽(業界の今後は?)今の流れが続けば、新人の書く場は失われ、ノンフィクションは、10、20年先、新聞記者など組織ジャーナリストの副業としてしか残らないだろう。現役の書き手としては、今後、月刊現代のような媒体が復活できるように、優れた作品を書くしかない。

 以上が毎日新聞メディア面の記事である。

◆主な雑誌の創刊と休刊一覧

 読売新聞9月6日朝刊解説面<月刊現代休刊へ>(文化部・川村律文記者)には「主な雑誌の消長」の年表が載っていて参考になった。朝日新聞9月13日文化面と9月24日産経新聞<eye>の表も付け加えておく。

朝日ジャーナル(朝日新聞社)1959年創刊 1992年休刊
マルコポーロ(文藝春秋)1991年創刊 1995年休刊
Views(講談社)1991年創刊 1997年休刊
ノーサイド(文藝春秋)1991年創刊 1996年休刊
BART(集英社)1991年創刊 2000年休刊
FOCUS(新潮社)1981年創刊 2001年休刊
噂の真相(噂の真相社)1979年創刊 2004年休刊
ダカーポ(マガジンハウス)1981年創刊 2007年休刊
主婦の友(主婦の友社)1917年2月創刊 2008年休刊 
PLAYBOYに本版(集英社)1975年3月創刊 2008年休刊
論座(朝日新聞社)1995年3月創刊 2008年休刊
月刊現代(講談社)1966年12月創刊 2008年休刊
ロードショー(集英社)1972年3月創刊 2008年休刊
広告批評(マドラ出版)1979年4月創刊 2008年休刊
週刊ヤングサンデー(小学館)1987年3月創刊 2008年休刊
ラピタ(小学館)1995年12月創刊 2008年休刊
Latta(小学館)2006年創刊 2008年休刊
Style(講談社)2001年9月創刊 2008年休刊
BOAO(マガジンハウス)2004年9月創刊 2008年休刊
KING(講談社)2006年9月創刊 2008年休刊
マガジンZ(講談社)1999年創刊 2008年休刊
GRACE(世界文化社)2007年3月創刊 2008年休刊
ビーイング(リクルート)1988年創刊 2008年休刊
Judy(小学館)1983年創刊 2008年休刊

 川村氏によると、月刊現代は編集者有志による「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」でも月刊誌としては最多の10回の受賞を誇る、という。講談社のノンフィクション担当編集者は「ノンフィクションに特化した雑誌として、ガラパゴス諸島の動物のように、特異な生態を維持してきた希少種」と話している、という。

 また、2006年12月から07年11月末まで、同社のコミック雑誌を除く雑誌売り上げは221億7000万円と、前年度を3.5%下回っており、他の雑誌の売り上げが低迷する中で「月刊現代」を支えることが難しくなっていた、という。

◆フリーのノンフィクション作家が育たなくなった
 川村氏の記事で面白かったのはいろいろな作者のコメントを取っていたこと。

 ノンフィクション作家の野村進氏は「ついに来るものが来たか、と感じた。私がデビューした80年代は新人でも単行本の初版は5000部だったが、現在では大宅壮一ノンフィクション賞の作家も初版4000部。ノンフィクション市場は厳しい」と。紀伊国屋書店のサイトによると、大宅賞でも62の受賞作のうち、吉田司さんの「下下戦記」など22作、講談社ノンフィクション賞でも受賞作52作品のうち15作が重版未定などの理由で入手不可となっている、という。

 作家の柳田邦男さんは「かつては雑誌に書くときでも、原稿用紙80枚から100枚ぐらいは書いていたが、90年代に入ってからは30枚から40枚になった。ノンフィクションの長期連載が好まれなくなってきた」と読者離れを指摘。「調査報道は若いライターや30代、40代の脂の乗り切った書き手でなければできない。それをバックアップするのは雑誌の役目」と強調。「インターネット上の情報は、断片的、表面的。深く掘り下げて、考えることが脆弱になる」と警鐘を鳴らす、という。

 川村氏は

 <左翼勢力の退潮とともに、権力を批判するようなノンフィクションは徐々に読まれなくなった。インターネットなど競合するメディアも増え、編集者から「今日の読者は本当に移り気で、腰を据えた調査報道に対して手応えが少なくなった」という嘆きも聞こえる。>
 <時間と資金をかけ、膨大な取材を積み重ねるノンフィクションは、編集者や編集部のサポートがあって成り立つ。近年、大手メディアに所属しながらノンフィクション賞を受けるケースが目立つのは、フリーの書き手が長期の取材に取り組む難しさの裏返しでもある。>と分析している。

◆インターネットのブログでは代替できない役割
 東京新聞9月12日朝刊<硬派月刊誌、相次ぎ休刊/論座なき現代に?/「ブログは受け皿にならない」>(文化部・中村陽子記者)で論座の薬師寺克行編集長は「世界がどこに向かうのか、長い目で考える機会を提供したいと思ってやってきた。だが、刹那的に楽しいものが売れる時代。雑誌としての役割を終えたと判断した」という。60万部台を維持している「文藝春秋」の飯窪成幸編集長は「編集側の理念だけでは、なかなか読んでもらえない。娯楽の要素も重視して、多様な興味に応えるつもりで作っている」と編集方針を話している、という。

 東京新聞らしく、佐藤卓己・京大准教授(メディア史専攻)の談話を使っていた。佐藤氏は「岩波書店の『世界』などは一種のブランドで、購読していることが自分たちのアイデンティティーとなる時代があった。80年代に若者だった新人類といわれる世代以降は、そのような原体験がない。読者の投稿を見てもわかるとおり、団塊より下の世代の読者が付かなかったのでは。(月刊誌は数多くあるが、)主義・主張を強く出し、似たような考えの人が買う専門誌的なものが多い。(インターネットのブログなどは)まだじっくりした議論ができているとは言えない。めまぐるしく過ぎ去っていく時間の流れから距離を置いて社会を考える媒体が、(月刊現代、論座)2誌のような月刊誌だった。本当の意味での意見を交わす場所がなくなるのは非常に寂しい」と話しているという。

◆編集者のスキルを失えば取り戻すのは難しいのだが…
 朝日新聞9月13日朝刊<月刊誌冬の時代>は高橋明男・月刊現代編集長と藤井真也・ロードショー編集長へのインタビューと雑誌に詳しい永江朗氏の分析が内容。西秀治記者と竹端直樹記者の連名記事だった。

 高橋編集長の話で身に沁みたのは「秋葉原の殺人事件も、次の事件があれば忘れ去られる。事件後すぐ用意した原稿が、発売段階では話題にもならなかった。自民党総裁選は22日に投開票ですが、月刊現代は21日が締め切り。紙面に反映できません。ネットを含めて情報の流れがすごく速いし、みんな移り気になった。月刊誌を腰を落ち着けて読む感覚がなくなった。ノンフィクションは編集者の力量が重要。スキルを失えば取り戻すのは難しい。そこを私は主張し、なくすべきではないと言ってきた。会社も社員の育成の場と分かっている。その上で今回はどうしようもないと。残念です」と語っている部分だ。「なるほど」と思うことが多い。

 また、ロードショーの藤井編集長はかつては映画スターの情報を届けるには「ロードショー」「スクリーン」がベストだったが、今や女性誌やフリーペーパー、インターネットなどあらゆる媒体が情報を提供するため、最近の誌面ではスターのファッションやライフスタイルなど女性誌的な内容も入れたが、差別化できなかった、と。映画会社からの広告も最近はテレビ中心でなかなか入らなかった、と。藤井氏の言葉で貴重なのは「存続するなら人員を最小限にし、部数を絞って本当にコアな人に向けたカルチャー誌しかない。狭いターゲットに当てる手法。そんな提案もしました。活字離れと言われますが、若い人でもすごく読む人がいるし、携帯小説もある。ただ、若い世代は情報にお金をかける必要がないと思っている。興味があっても立ち読みですます。女性誌は付録が豪華なときだけ買う。100万部雑誌のような大きなビジネスは難しい。市場は細分化してますから」という部分だろう。今後の雑誌の運命を見切っている感じだ。

◆永江氏は「次は週刊誌。勇気ある転進が必要な時代」とご託宣
 ライターで早稲田大学客員教授の永江氏は雑誌がこの世の春を謳歌する「雑誌バブル時代」が終わりを迎えた気がする、という。漫画も売り上げは落ち込んでいる。書店、特に小規模な街の本屋さんが減り続けることが痛手だ、と。

 <いまや大手を含め、出版社の経営基盤はもろい。伝統や、出版の意義がある雑誌でも、赤字を見過ごせなくなった。月刊誌の次は週刊誌の選別でしょう。雑誌も書籍も抱える日本型の「総合出版社」や、従来の雑誌ビジネスが限界なのかもしれません。米国では書籍と雑誌をつくる出版社は別々。販売ルートも、書籍は書店が売り、雑誌は定期購読化が進んで読者の手元に届くスタイルが主流です。日本の出版社は各社とも「後退戦」の最中。縮小しながら新しいビジネスモデルを模索する、上手な「後ずさり」の仕方が求められています。従来の読者層ではなく、若い世代向けに新ジャンルを開拓する。販売チャンネルを定期購読に絞る。無料誌やウェブマガジンに転進する。今後の出版業は、従来のビジネスモデルを捨てる勇気が必要かもしれません。>

 さすが雑誌業界に詳しいだけあって、言うことが鋭い。

 しかし、新聞業界だけでなく、雑誌業界の実情も聞きしに勝るひどさなのだなあ、と驚いた。

 産経新聞9月24日朝刊[eye]<雑誌不況底なし/ネット台頭 紙代も高騰>も出版業界の深刻な内幕に触れていた。

 このほど出揃った大手3社の決算によると、この10年間で、雑誌部門の売上高は講談社が31%、小学館が28%、集英社が22%減少。収入の柱は営業と販売だが、営業でも広告収入が06年、インターネットに抜かれた。追い打ちをかけたのが紙代の値上がりだという。燃料高などにより、原価が15%以上アップ。紙の種類によっては20%のコスト高になり、出版社も値上げせざるをえなくなり、月刊誌の平均価格は毎年3~4円ずつアップしてきたが、今年5、6月は昨年同月比で13円高になった、と。

 ある中堅出版社社長は「少しくらい定価を上げただけでは用紙の値上がり分を回収できない」と明かした、という話も紹介してあった。

 以上が9月24日までの大体の新聞記事のまとめだが、雑誌不況だけでなく出版不況全体を含めて、活字文化のある意味危機を迎えているような気もする。電子媒体さえあればいい、という時代がつい先まで来ているのだろうか?

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2008年9月13日 (土)

書評「対論 部落問題」組坂繁之、高山文彦著

 平凡社新書、2008年9月16日初版第1刷、定価756円。

対論部落問題 (平凡社新書 434) 対論部落問題 (平凡社新書 434)

著者:組坂 繁之,高山 文彦
販売元:平凡社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 <部落解放同盟トップリーダーの組坂氏と「水平記――松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年」や「エレクトラ――中上健次の生涯」といった破壊力のある作品を生み出してきた作家の高山氏が戦後の部落解放運動を検討し、あるべき今後のあり方を語り合った一冊>と出版社による宣伝文書にあった。

 <部落差別とは何か。人はなぜ差別をするのか――。同和対策事業特別措置法の廃止から数年が経ち、解放運動は今、大きな曲がり角を迎えている。運動の再構築を図る部落解放同盟の指導者と、人間存在の根源をみつけてきた作家が、差別の本質に向き合い、運動のこれからを語る。未だ残る部落差別に向き合うために、全国民必読の書!>というのが、表紙裏の宣伝文句。

 本の著者紹介によると、組坂繁之氏は1943(昭和18)年2月25日福岡県小郡市生まれ。大学卒業後、27歳で部落解放運動に入る。部落解放同盟福岡県連合会書記長、中央本部書記長を経て、98年に中央本部執行委員長に就任。2008年で5期11年目に入った。ほかに、世界人権宣言中央実行委員会副実行委員長、部落解放全国共闘会議議長、折尾愛真短期大学講師(非常勤)などを歴任。

 高山文彦氏は1958年宮崎県高千穂生まれ。2000年、「火花――北条民雄の生涯」(飛鳥新社、角川文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞。2008年、高千穂あまてらす鉄道株式会社代表取締役社長に就任。著書に「『少年A』14歳の正三」「水平記」(ともに新潮文庫)、「鬼降る森」(幻戯書房)、「エレクトラ」(文藝春秋)など、最新刊に「孤児たちの城」(新潮社)がある。

 最初、あまり読みたくなかった。いつもの部落解放ものなのか、「差別はいけない」と頭ごなしに説教を垂れる形の本なのか。そんな本など読みたくない、と思っていた。

 韓国の内政・人々の暮らしを紹介する本や、在日韓国人に関する本が昔、そうだった。

 麻布十番長坂交差点から川沿いに南に歩くと、二の橋か何かの橋の近くにあった大きなビルは昔、韓国大使館だったこともあるビルで、その当時は在日韓国居留民団の本部になっており(今でもそうかもしれないが、最近は行ってないので分からない)、当時、在日朝鮮・韓国人問題に興味を持っていたので、ビルを訪ねたことがあった。書籍がそろっていた部屋でいろいろと本や雑誌を見たのだが、皆同じ内容で、日本政府に選挙権を求めたり、法的地位に関する要望が前面に出された本がいろいろとあったのを覚えている。

 「ああ、権利要求ばっかりか」というのが、その時の感想だった。

 がっかりした。

 当時は1988年のソウル五輪はまだまだ先の話で、煙も立っていなかった。

 日本との格差はものすごく、韓国観光といえば男性によるキーセン観光が流行しており、日本の女性たちにとって韓国ときけば、男性天国、キーセン売春など汚らわしい印象がこびりついていた時代だった。

 そんな中でも韓国は高度経済成長を続け、ソウル市民は軍事政権の下ではあるが、少しずつ豊かな生活を楽しみ始め、日本にお追いつけるかもしれないという希望を上流層の一部だけでも抱き始めた頃だったと思う。

 そのような時代の息吹が民団で見た本には感じられなかった。

 それだけではなく、帰還船で在日朝鮮人が北朝鮮に帰っていった、その欺瞞を正面から突いた本もなかった。

 力道山や大山倍達ら在日韓国人の有名人に関する本もなく、すべてが在日朝鮮人の苦しみに関する本だけ。「苦しみだけじゃあないだろう。駅前の一等地を買い占めてパチンコ屋やサウナやキャバレーをやっている在日は可哀相なのか」とものすごい違和感があったのだ。

 実態を無視して理念だけを大声で叫ぶと、実態との解離が生じて、言葉が空しくなる。

 同じことは部落問題にも言えた。

 部落問題と聞いて思い出すのは白土三平の一連のサンカ漫画だ。サンカと被差別部落は違うかもしれないが、白土は天皇権力、武士権力と普通の人々、それも稲を栽培する農民と、それ以外の非農民など、あたかもマルクスの階級闘争史観のように非人の生活ぶりが図式のようではあるが、それなりに生き生きと描かれていた。

 それだけでなく、当時は、白土漫画の意味について朝日ジャーナルなどで評論家や学者が熱く語っていた時代だった。

 被差別部落問題も当時は実態を詳しく観察せずに、理念重視で「けしからん」と怒ったり、差別の不合理を嘆いたりしていた時代だったのではないか、と思う。

 しかし、僕らの世代は全共闘でゲバ棒を振り回した連中もいたが、翌月にはケロリとして就職試験を受けて一流企業に入っていたっけ。怒るといっても、怒る「ごっこ」を楽しんだんじゃないか、とあの時代の「いい加減さ」について今になって思うところもある。

 白土三平の一連のサンカ漫画を「ガロ」で見ながら、中世・近世の非農耕民の生き方はこんなものだろう、と想像した私にはリアルな「部落」への差別意識はない。

 私は東京で生まれ育ち、誰が部落出身なのか、どこが「部落」の地域なのか、に関する知識が全くない。日常的に部落差別をしたこともないし、具体的に想像できないのだ。

 関西や九州の部落差別の話を聞くとひどいことをするやつがいるなあ、と思う。

 逆に、部落解放同盟が行政での優遇を悪用して税金を騙し取っているというニュースを見れば、「解放同盟ってきれいごとを言っているけど、実態は利権集団ではないのか」と思ったり、まあ、そうではないことは知ってはいるのだが、そうも思いたくなる世相に嫌になる、という軽い人間だ。組織の関係者や非差別の当事者から見れば、ミーちゃんは―チャンの部類に入るだろう。

 この本は部落解放同盟の現職委員長と、部落解放運動の父と言われた松本治一郎の伝記を書いた作家の対談だから「結局は『部落解放同盟頑張れ』で終わるのではないか、宣伝用の文章を平凡社ともあろう出版社がよく出したなあ」と思ったくらいだった。だから、最初は読むつもりはなかった。

 読もうと思ったのは、<未だ残る部落差別に向き合うために、全国民必読の書!>と赤い大きな字で表紙裏に大書してあったからだ。

 単純な奴と思われるかもしれないが、「そうか、全国民必読の書と書いてあるのならば、読んでやろうじゃないか。それで下らない本だったら読者カードで文句を書いてやろう」くらいの気持ちで読み始めたである。

 組坂氏が生まれた小郡市の家の近くに太刀洗飛行場がり、1945年に爆撃を受けた。当時、太刀洗飛行場には航空廠があり、それから特攻機地の鹿児島県・鹿屋基地に行ったりしており、巨人軍の青田昇氏も太刀洗にいた、という。

 そういう時代の人が一方にいて、一方は僕よりも若い人である。

 話がかみ合わない部分も多かったし、対話の醍醐味である火花を散らす言葉が、思いもかけない深い洞察を生むという言霊の作用も見えなかったのは残念だった。

 「おわりに」で組坂氏が書いていたが、松本冶一郎を研究して伝記を書いたノンフィクション作家と話すことに躊躇したそうだ。松本氏という理想形を知っている人は当然、対談相手を松本氏と比較して見るから、今時点の組織や組坂氏の欠点ばかり見られるのではないか、と思ったらしい。それでも話し合って良かった、と思っている、と書いてあった。

 いくつか新しい知識は得られたが、それだけのことだった。残念だったのは、最近の国会で廃案になったり継続審議になっている人権擁護法案について対談で全く触れていなかったことだ。

 今最もホットな問題は人権擁護法案ではないのか。なぜ触れなかったのか?それとも、部落解放同盟が言う「人権」と、この「人権」とは関係がないのか? 人権という概念自体、欧米中心主義がもたらした「人間」概念から出ている日本国憲法で保障されている。「人権」「基本的人権」は、お二人が使っている意味以上に深く遡って考えるべきだろう。

 インドの仏教は少数派だが、ほとんどがアンタッチャブル=不可触賎民=アウトカーストだ、とは知らなかった。

 江戸時代、被差別部落民は「上見て暮らすな、下見て暮らせ」の鎮め石の役割を受け持ち、同時に百姓、町人の犯罪者の逮捕、護送、拷問、処刑など下級警察の役割も部落民に課していた。弱いもの同士をいがみ合わせるという分裂政策。あの時代は強引に取り締まるので、恨みは部落民に向かった。特にひどかったのが長崎の隠れキリシタン弾圧に部落民が使われたこと。隠れキリシタンの逮捕、拷問、それもすさまじい拷問を被差別部落の人々にやらせていた。黒瀬曻次郎「切腹」は島原の乱鎮圧後に初代の代官となった鈴木重成を主人公にした小説だが、鈴木は隠れキリシタンを単に弾圧したのではだめだ、と考え、坊さんだった兄の鈴木正三を領地に招く。感謝した人たちが正三神社を作った。鈴木重成は幕府に年貢の引き下げを直訴する。島原の乱というのは単なるキリシタン一揆ではなく、当時の藩主・松倉勝家農民からものすごく搾取したものだから、それに対する一揆でもあった。幕府に申告した石高は実際の収穫の倍以上だったとも言われている。だから、農民に対する収奪も激しくて、空に困って娘を遊郭に売らなければならないような、もう本当に苛斂誅求という状態で、それに耐えかねてキリシタンになって一揆に加わったという人もたくさんいたわけです。そうした事情を知った鈴木重成は2回江戸に直訴するが、幕府は石高を下げることを許可しない。最後の3回目に鈴木重成は江戸の自宅で諫死する。願いを聞き入れてもらうために切腹して、農民を救おうとした。素晴らしい人ですよ。また、この人は転びキリシタンの娘さんを嫁にもらう。転びキリシタンですから顔を焼かれて髪まで焼かれて、化r打中やけどだらけだったそうですが、その女性を嫁さんにするわけです。すごい人です。後に奉られるだけの人ではあったんですね。(組坂)

 だから、長崎では隠れキリシタンと被差別部落の人とはずっと仲が悪かった。(高山)

 長崎市長を4期務めた本島等さんが狙撃される少し前に部落解放同盟九州地方協議会主催の全九州研究集会を長崎でやった。そのとき、本島市長に講演してもらったら、彼はキリシタンで、明治政府が廃仏毀釈でキリシタン弾圧をしたときに、お祖父さんがやっぱり拷問を受けていて、片方の足が不自由だったらしいのです。自分の祖先がそういう弾圧の被害を受けたから、私にも差別問題を語る資格があると言われ、原爆や平和のことなどいろいろ話してもらいました。とても感動的な内容でした。そんなこともあり、最近はキリシタンの人たちとの関係もとてもよくなってきました。(組坂)

 大逆事件では熊野の新宮というところの一つの被差別部落が事件の舞台になりました。浄泉寺という大谷派の寺の住職、高木顕明が逮捕され、実刑になったわけですが、この方は新宮の部落のほとんどを檀家として見ておられた。貧しい人たちがどぶさらいや鼻緒のすげかえなどで稼いだ金の中から寄進してくれるので、彼は按摩を習って、それでお返ししようとしていた。その浄泉寺で談話会が催され、そこに幸徳秋水が着たり、大石誠之助が来たりしていたわけです。高木自信も「余が社会主義」という文章を書いていますが、彼は徹底した非暴力主義者なんですね。それでも天皇暗殺計画に加わったとして逮捕され、新宮の部落外の人々から石もて追われ、最後は恩赦が下って無期懲役となった。秋田監獄に移されたわけですが、奥さんがはるばる秋田まで訪ねてきて、このままではとても暮らしていけないので、とうとう娘を芸者置屋に身売りしたとなきながら言う。その後、高木顕明は絶望し、首をくくって死ぬんです。僕は「狂死」だと思うんですが、そういう悲劇が、中上健次が言うところの「路地」を舞台に起きている。(高山)

 被差別部落には浄土真宗信者が多い。

 「鼠浄土」「舌切り雀」は貧者が富者となる話。「竹取物語」は隼人の恨み節。隼人族のように中央の大和民族に滅ぼされた者、あるいは選民階級の差別されてきた者たちが日本の文化、伝承、芸能を作り上げてきたんでしょう。かぶき踊りの創始者、出雲阿国もそうですし、能の世阿弥なども中世賎民といわれている。(高山)

 この本の[注釈]は役立つ。特に人名事典的な内容は良かった。知っておくほうがいい人のファイルなどを写しておく。 

 上杉佐一郎(うえすぎ・さいちろう 1919~1996年)福岡県生まれ。1948年から部落解放運動に参加。63年に部落解放同盟中央執行委員、68年同書記長、82年中央執行委員長に就任、死去までその地位にあった。88年には「反差別国際運動」(IMADR)を組織して理事長を務めた。92年小郡市名誉市民。

 松本治一郎(まつもと・じいちろう 1887~1966年)福岡県生まれ。「解放の父」と呼ばれ「不可侵不可被侵」(侵さず侵されず)を心情とした部落解放運動家。戦前・戦後を通じて国会議員としても活動し、初代参院副議長。1922年3月、全国水平社が結成されると、その呼びかけに応じて運動を起こし、25年の全国水平社第4回大会で議長に就任。千円、2度にわたるでっち上げ事件(徳川公爵位辞退勧告闘争での暗殺未遂、福岡連隊爆破陰謀事件)によって、懲役刑を受ける。戦後は46年2月の部落解全国委員会(55年に部落解放同盟と改称)の結成以来、委員長を務め、最期までその地位にあった。世界の水平運動を提唱し、アジア・アフリカの被抑圧人民の解放にも尽力、日中友好協会の初代会長を務めるなど国際的にも活躍した。「社会運動派万年被告の覚悟でやれ」「命より長い刑期はない」が座右の銘。1948年1月、参議院副議長だった松本は通常国会開会式に臨席の天皇に対し、「カニの横ばい」式の拝謁を拒否、世間の耳目を集めた。この横ばい式拝謁は天皇に横顔を見せることを不敬とした旧憲法下帝国議会以来の慣習だったが、次の国会から改められた。

 楢崎弥之助(ならざき・やのすけ 1920~)福岡県生まれ。松本冶一郎の秘書を経て1960年の総選挙で福岡1区から衆院に初当選(左派社会党)。1977年に社会党を離党、翌年江田五月らと社会民主連合を結成し、初代書記長、副代表を歴任。安保・防衛問題などで爆弾質問で売り出し、「国会の爆弾男」の異名を取った。1996年に政界引退した。

 この本では事業法を推し進めようとした上杉佐一郎氏が松本冶一郎氏に相談に行ったら「事業法は解放運動を堕落させるから求めるな」と強く言われた、という。上杉は被差別部落を取り巻く環境の劣悪さを強調して必死に説得した、と。楢崎氏は著書に中で松本氏が「事業法は大きなカネが動くから利権や腐敗が必ず起きる。宣言法のような基本法でもいいのではないか」と言って、相当抵抗したとして、「そのときの上杉サアちゃんは鬼気迫るような表情で涙ながらに訴えた」と書いているという。それが最終的に松本氏を動かし「そのかわり変なことにはならないようにせいよ」と言われ、上杉委員長も「利権腐敗が起こらないようにするから」と約束して法案にゴーサインを出した、という。特別措置法が成立する前に松本冶一郎は死去した。

 中上健次(なかがみ・けんじ 1946~1992年)和歌山県生まれ。小説家。被差別部落という出自に向き合い、独自の世界を築いた。1975年発表の「岬」で芥川賞を受賞。

 西山廣喜(にしやま・こうき 1923~2005年)宮崎県生まれ。戦後、松本冶一郎の下で日本社会党結成に参画するが。1961年、右翼団体昭和維新連盟を結成する。右翼シンクタンク「日本政治文化研究所」の理事を務めるなど、裏から政財界に睨みを利かせ「最後のフィクサー」と呼ばれた。母が大逆事件に連座した大石誠之助(死刑執行される)の従姉妹で親戚同然の付き合い。また、大杉栄と伊藤野枝の遺児、伊藤ルイさんの面倒も見ている。伊藤野枝の実家が福岡で、玄洋社の代準介が甘粕正彦に会って残された遺児を福岡に連れて帰る。代は野枝の叔父になる。

 朝田善之助(あさだ・ぜんのすけ 1902~1983年)京都府生まれ。1922年3月の全国水平社創立大会に参加以後、解放運動に入る。1931年、「全水解消意見」を発表し、運動に衝撃を与えた。戦時中、松本冶一郎ら主流に対立し、水平社内の旧共産派と国策協力運動を企て、1940年に除名。戦後は解放運動再構築の中心となり「差別の本質」「差別の社会的存在意義」「社会意識としての差別観念」を解放同盟全国大会の議を経て定式化市し、朝田理論を確立した。67年から75年に中央執行委員長を務めた。30年代初頭の水平社解消運動は絶望から来る松本への裏切り行動だったが、これを先導したのが朝田だった。全国の水平社組織では荊冠旗(水平社旗)を焼く動きが強まり、福岡も焼かれそうになったときに、松本が金庫にしまって防いだが、この焼く勢力の中心が朝田。近衛体制ができて、みな「バスに乗り遅れるな」と一斉に体制翼賛運動に馳せ参じた中の解放同盟版。

 とまあ、<部落解放同盟のトップと大宅賞作家がすべてを語る!>の帯にしては不満が残る内容だった、というのが結論。

 入門書、基本書のつもりならば、基礎知識をもう少し入れてほしかった。歴史的事実を補強しながら、具体性も持たせて書いてほしかった。「現状を斬る」という趣向なら、同和不正の分析や人権擁護法案への対応をきちんと書いてほしかった。その意味でちょっと中途半端だったと思うが、読めばそれなりにためになる本だと思う。

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2008年9月 8日 (月)

細木数子氏の大相撲モンゴル巡業時、首相主催晩餐会での「国辱的」行状~東京新聞9月8日朝刊コラム+週刊文春9月11日号から

 9月8日東京新聞朝刊コラム[週刊誌を読む 9月1日~7日]<総裁選報道 騒ぎすぎ!?/福田首相辞任で政界激変>を見出しにつられて読んだところ、総裁選の話はさもありなん、という内容だったが、後半に書いてあった週刊文春9月11日号の<新聞・テレビが絶対報じない 細木数子・朝青龍モンゴル巡業の「国辱」>には驚いた。というか、腹が立った。

 このコラムは月刊「創」編集長の篠田博之氏が書いている、とあるのだが、篠田氏の言うとおりだと思った。東京新聞コラムを引用する。

 <8月下旬に行われた大相撲モンゴル巡業で国に帰った朝青龍に、以前から親しい細木数子さんが同行したらしいのだが、26日夜に行われた大統領晩餐会でとんでもない光景が目撃されたというのだ。記事によると「ど派手なピンクのスーツで」なぜか大統領の横に並んだ細木さんは、酒宴の終盤、「各テーブルを回って、力士たちにジャンケンでウォッカを一気飲みさせていたんです。ジャンケンで細木さんに勝つと日本円の現ナマ10万円の束をポンッと」(現役力士のコメント)渡していったという。>

 <そして記事はこう続く。「ちなみに、モンゴルの平均収入は日本円に換算して月約1万5000円から2万円だという。モンゴル人の年収を超える現ナマを大盤振る舞いした計算になる」>

 <あまりに恥ずかしい話だが、居合わせた日本のテレビは細木さんに口止めされ、報じなかったのだという。こういう話をスッパ抜けるのが週刊誌の真骨頂だ。>

 いくらなんでも、と思って週刊文春を見たら、38ページから40ページまで3ページを使って、写真もふんだんに入れていた。この部分は記事の後半で、「現役力士C」は続けて「ジャンケンで負けても、ウォッカを一気飲みすればポンッ。確か5、6回はやっていたんじゃないですかね」と続いていた。

 そして、モンゴル人の年収のくだりの後には

 <さすがに「これはまずい」と、相撲協会の巡業親方たちが、真っ青になって止めに入る。もちろん、日本のテレビクルーやカメラマンも、この現場をしっかり撮影していたのだが、「『この写真はさすがに使えないよなぁ』と話していたんです。内輪の飲み会でのことならまだしも、首相晩餐会でのことですからね。そうしたら、細木さん自ら、『絶対にこの写真は使うな』と報道陣に念を押してきた。現場にいたモンゴル人たちは、『日本ではよくあることなのか?』『首相の前であんなことができるなんて、あの人何者なんだ』と、怒りを通り越して呆れていましたよ」(現場に居合わせたカメラマン)>

 という文章が続いていた。そして、日本に帰国後、細木氏をこの件で取材したやり取りが続くのだが、その中でジャンケンについての細木氏の弁明はこうだった。

 <――首相晩餐会でジャンケン大会をしていたそうですね。>

 <あのねぇ! あなた方は前後の左右を全然知らないのよ! あの日は私は疲れてるから欠席したいっていうのを、向こうの首相と森元首相に招かれて席が用意してあるっていうんで行ったのよ。あの目立つ席に座りゃ、くったびれるんだ。>

 <でも行ってみたら、相撲取りもくたびれてるし、なんか晩餐会がものすごーく白けてたわけ。そこで森先生たちが退場しかかった頃、『朝青龍、力士もマスコミもみんなヘナってきてるよ。ちょっと盛り上げようと』って、各テーブルを回って”ジャンケンポン大会”をやっただけのことよ」>

 <――首相晩餐会で現金をバラまくのは、モンゴルでも常識に反するのでは?>

 <「……じゃあ、やらなきゃよかったよ。あんまりシラーっとした雰囲気だったから”ごっつぁん”でさあ。稀勢の里なんか喜んでねえ。お相撲さんが総立ちになって『俺も俺も』って、その雰囲気が珍しかっただけじゃないの。でも100万円なんて大げさです。四つのテーブルを回って全部で二十数万程出しただけよ」>

 <――力士が盛り上がったのはわかったが、モンゴルに対しては失礼ではないか。>

 <「そこまで規制しちゃいけないと思うよ。だから今の子供たちはおかしくなるんだ。ガス抜きさせなきゃ、相撲取りだっておかしくなるよ。『ガス抜きやるなよ清く正しく1、2、3』じゃあおかしくなるよ。>

 <今度の巡業、朝青龍はモンゴルと力士を喜ばせるために大変な苦労をしたんだよ。あんたたち、もっとあったかい記事を書きなさい。裁判官みたいなことやんない方がいいよ」>

 記事は<今回のモンゴル巡業では、このお方が日本の代表として、大統領や首相と同席していたのである。>と結んでいた。

 素晴らしいスクープ記事だ。森元首相が退席する頃、と微妙な言い回しをしているが、森氏がもしもこのことを見て見ぬふりをしていたのだったら、政治責任を問われなければならない事態だって考えうる。

 週刊文春は偉いが、情けないのは同行したテレビ局とスチールカメラマンの所属するマスメディアである。

 例えば、福田首相主催の晩餐会でアメリカの喜劇俳優がプロレスかアメフトの選手の間を回ってコインの表裏を当てるゲームをして、1人当たり1000㌦ずつポンッと手渡していたら、日本のマスコミは「なめるんじゃない、日本は植民地じゃないぞ」と怒り心頭だろう。

 それに怒らないマスメディアはもう日本のメディアではなく、アメリカのメディアだとしか言いようがないと思う。ジャーナリストにはまず愛国心が必要なのだ。その愛国心は偏狭なものであってはならず、他人の痛みを知ることのできる愛国心でなければならない。

 細木氏の傲慢な振る舞いを見たモンゴルの知識層やマスメディア関係者はどんな気持ちだったろう、と想像すると、いたたまれなくなる。

 「この婆あのために、日本との関係をギクシャクさせるのは得策ではない」と大人の判断をして我慢したのだと思うが、普通だったら、首相や大統領を侮辱したとして逮捕されてもおかしくない。モンゴル人は誇り高い人々なのだ。

 他人の痛みを分からないような人間が霊媒師だか何だか知らないが、テレビに出て偉そうにするな、と何故テレビ関係者は言わないのだろう。視聴率が稼げる老女だからじっと我慢しているのか? そんな我慢をするから、今の子供たちはおかしくなる。テレビはたまには清く正しい姿も子供たちに見せる義務があると思うのだが。

 本当に腹が立った。

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2008年8月31日 (日)

ストリートビューという新しい”恐怖”(?)~東京新聞30日こちら特報部、2日朝日新聞メディア欄、3日毎日夕刊コラム

 8月30日毎日新聞朝刊1面[余録]でストリートビューを取り上げていた、と昨日書いたが、同じ8月30日の東京新聞朝刊見開き特報面[こちら特報部]に<映像地図「ストリートビュー」の是非/ネットに自宅…見られる恐怖/プライバシー保護の強化カギ/低い認知度、使用は1人/米国では訴訟も/性犯罪など悪用が心配>の見出しで大々的に取り上げ、秋葉原、巣鴨とげ抜き地蔵、新橋での30人アンケート結果の一覧表までついていた。山川剛史、片山夏子記者の執筆だ。

 検索大手グーグルが8月5日から札幌、仙台、東京、横浜、京都、大阪など全国12都市の映像を公開している、とある。

 まずは、記事から離れて、自分の経験を書かさせていただく。

 インターネットでグーグルを出すと、最初のページの上のほうにストリートビューという文字が出てくるので、そこをクリックすると、幾つかの段階を経て地図が出てくる。検索の空欄に例えば、自宅の住所を地番まで打ち込んでリターンキーを叩くと、地図が出てきて、小さな人の形が出てくる。そこにある小さな文字のストリートビューを表示をまたクリックすると、別の少し小さな窓(ウインドウ)が開き、何とそこには自宅のカラー写真が現れる、という仕組みである。

 びっくりするのはマウス操作で画面を左右に動かすと、家の周囲360度がぐるりと見渡せ、上下動では地面から空までが出てくる。

 全く知らなかったのだが、余録を読んで自宅で実験して驚いた。

 女房に教えたら、びっくりして、「これじゃあ、プライバシーも何もないじゃない!」と最初は怒っていたが、そのうちに住所録を取り出してきて、自分の友人の地番を打ち込み、「ああ、本当に出るのね」などと感心したり、「この写真は洗濯物が干してあって、日差しが午後2時か3時。5軒先の家がまだ取り壊されていないので、4月か5月に写真を撮ったのね。いつ撮ったのかしら、気味悪いわねえ」など、非常に複雑な反応を見せていた。

 つまり、パソコンに不慣れな還暦前後の夫婦でも操作できる地図なのである。

 どうしてこんなものが出てきたのか? さあ、ここからは東京新聞の記事のダイジェストである。

◆8月30日東京新聞特報面の記事

 屋根の上にパノラマレンズを取り付けた自動車で各都市を数カ月かけてくまなく走り、撮りためた力作だ、とある。記事にあるように、写真の中の矢印をクリックすると、道を歩く感覚で写真が移動し、まるで、その道の左右を見ながらゆっくり歩いている感じだ。人が歩いていたり、自転車がいたり、家には花が咲いていたり、洗濯物も干してあれば、布団も干してある。

 <自宅では見られたくないものが写っていなくてほっとしたが、ガレージの自家用車の映像を同僚に見せると、「ナンバーは4●64だね」と言い当てられた。>

 つまり、そこまでの解像度はあるのである。学生アルバイト3人が秋葉原、巣鴨とげ抜き地蔵、新橋で30人にアンケートしたところ、遣ったことがあったのは1人だけ。知っているが使ったことはない、は4人。25人は「知らない」だった、という。

 知らない場所に行く前に映像を見ておけば迷いにくい、などプラス面を言う人もいるし、「犯罪者に情報を提供しているようなもの」と強硬な反対論もあった、という。単純な賛否は少なく、容認するにしても人の顔や家庭の生活状況を示す部分を見えなくするなどプライバシー保護強化を求める声が多かった、と書いてある。

 <グーグルは適切な対策を取っているのか。グーグルは広報資料で「個人情報保護に尽力」と強調。「公道から視覚的に見えるものだけを画像として使用し、識別可能な人の顔をぼかす技術が用いられ」「ユーザーが不適切と判断したイメージ(写真)は削除対象として警告できる」とする。>

 ということで、

 <ネットで自宅が見られることが怖いと感じた記者は29日、手順に従い、自宅の画像削除をメールで申し込んだ。「確認して対応します」の返信はすぐ来たが、夜になっても画像はそのまま。>

 何かひどいなあ、グーグルは。

 <数多くの窃盗事件を手がけてきた元警察官(61)は「ひったくりに好都合な場所の当たりを付けるなど悪用される可能性もある。性犯罪やストーカーの面でも心配だ。とにかく、(犯行を計画する人間にとって)その場に行って姿を見られる危険性がない。その点が大きい」と指摘する。>

 <ネット問題に詳しい元検事の落合洋司弁護士は「公道から見えるからといって、人は肖像権やプライバシー健を放棄しているわけではない」と説明する。>

 衝撃映像の削除問題など、ストリートビューとは直接関係のない議論を紹介した後で、落合氏の言葉がある。

 <「撮影対象は網羅的かつ広範囲で、不特定多数の人が見る。サービス自体に権利侵害のおそれがある。日本でも訴訟が起きる可能性が高い。利便性は高いが、最終的には国民がどんな考え方を持つかではないか」>

 <米国ではペンシルベニア州の夫妻が、プライバシーを侵害され、家の資産価値も下げられたとして2万5000㌦(約275万円)の損害賠償を求めた。こうした状況への対応も含め疑問に答えてもらおうと、グーグルに26日から再三、取材を申し込んでいるが、29日現在、何の音さたもない。>

 デスクメモで(剛)さんは<米国の訴訟では、グーグル側は「完全なプライバシーは存在しない」と反論。刺激された米国の団体が、ストリートビューなどを使いグーグル役員宅を突き止めたそうな。>と書いていた。

 グーグルの驚異的な発展の秘密を見た感じがする。つまり、法律で禁止されていなかったら何でもやっていい、という考え方で、従来のコミュニティー、共同体が暗黙の了解として守ってきたルールを大規模に無視して、それを商売にする、という手法である。

 プライバシー権など、侵害されたら脆いものだ。記事にもあったが、一度ネットに晒された画像は消去されても、コピーは生き残り、転々流通する。つまり、一度侵害されたら取り返しがつかないのがプライバシーである。

 グーグルに倫理を求めるのは八百屋で魚を求めるようなものだろうが、このような<共同体の暗黙のルール>を土足で踏みにじるグローバル資本主義の野蛮さは徹底的にお仕置きされねばならないのではないか、と思った。

◆9月2日の朝日新聞記事

 朝日新聞も福田首相退陣表明を報じた9月2日朝刊第3社会面[メディアタイムズ]<路上から見た画像、ネット上に/無断撮影 公表に波紋/「住宅街 画像削除を」/企業活動で活用例も/他社は目線から撮影>で特集していた。

 <道案内に便利だから、と不動産物件の紹介に活用する企業が登場した一方、写った人や住民のプライバシーを侵すとの批判も出ている>という価値中立的な前文。小堀龍之、松村北斗記者の署名記事だ。

 ここでも、止めておいた車のナンバーが読みとれ「気持ち悪いとしかいえません」という主婦の話。この主婦の場合は私道からの撮影で「公道」ではないので、削除要請している、と。また、自宅付近の路上や公園に子供が写っているのを見つけた主婦は画像削除を求め、ほどなく削除されたが、同じ場所を違う角度から見るとまた子供が写っていたので、近所の通学路上の子供の画像すべてを削除するよう求めたという。通行禁止と掲示された場所での撮影画像もある、と。

 <グーグル日本法人の広報担当者は「一部公道と私道の区別がつきづらいところで、誤って撮影している場所が確認されている」と認めたうえで「ユーザーからの連絡や当方の再確認によって、削除している」と説明している。本人から寄せられた自分の顔や自宅の削除依頼には応じ、本人以外からの顔やナンバーが見えるという連絡は「意見として伺い、ぼかしや削除をしている」という。>

 朝日新聞は一応、グーグル側から取材できていた。しかし、それならば、そもそもこのサービス自体がプライバシー侵害ではないか、との疑問をなぜぶつけなかったのだろうか? アメリカでの訴訟の話についてのコメントも取材したのだろうか?

 朝日新聞によると、ストリートビュー(SV)は屋根に柱を立てた車で1都市に数カ月かけて撮影した、と。SVはグーグル本社のある米国で昨春サービスが始まったものだそうだ。訴訟の経験から、日本版は最初から通行人の顔を自動的にぼかす仕組みを導入したが、看板の顔にぼかしが入る一方、人の顔や車のナンバーが判別できる画像もある、と書いている。

 朝日新聞は2氏の談話を掲載した。情報セキュリティに詳しい牧野二郎弁護士とIT産業に詳しい池田信夫・上武大教授だ。

 牧野氏のコメントは次の通り。

 <企業活動は反社会的でない限り自由が原則だが、SVは国民の平穏な生活を脅かし、プライバシー侵害のおそれがある。画像の利用目的を特定しないまま無断で撮影、公表している。社会的な利益にかなうとある程度認められている報道機関と違い、公道からの撮影でも侵害になりうる。自分の姿や家屋を将来にわたって撮影しないよう法的な制球も可能だろう。>

 池田氏のコメントは次の通り。

 <グーグルと写された当事者との問題で、気味が悪い人は削除要請すればよい。表現や報道の自由にかかわる問題で、グーグル批判を撮影や公表の規制につなげてはならない。>

 朝日新聞によると、グーグルだけでなく、他社も同様なサービスを開始しているそうだ。ヤフーは6月に東京23区内の駅の出入り口の画像を見られる機能を「ヤフー!地図」に追加した、という。NTTレゾナントも「グー地図」で2006年4月から約2000カ所の駅周辺の画像を提供している、という。「ロケーションビュー」のサイトでは、道路沿いを画像だけでなく動画でも見られるという。25地域が対象で、東京23区は道路の約8割に対応。昨年10月に公開、もとは公的機関向けに設計され、一般向けは画質を落として無料で提供しているといい、3社ともいまのところ、目立った苦情はないという、と書いていた。

 また、3社のカメラの高さは地上から約1.6~1.8㍍、人の目の高さだ。グーグルのカメラの高さは2.5㍍近くあり、塀の上から住宅の敷地内をのぞきこむような画像もある、という。ロケーションではカメラが高いほうがよく見えるが、プライバシー侵害に当たらないか、など事前に検討した、としている、と。3社は画像を社員らが目視で確認し、顔や車のナンバーを隠す処理をしたといい、自動処理するグーグルとの違いを強調している、という。

 朝日新聞にはグーグルの撮影車の写真が載っていた。この車を見つけたら要注意だな、と思ったが、すでに写真はアップされているし、どうしよう?

(9月3日追記)

 9月3日毎日新聞夕刊文化面[そのほかのニュース]欄は週刊誌の話題を掻い摘んで紹介するコーナーだが、週刊SPA!9月2日号「Googleマップの新サービス[ストリートビュー]の波紋」と週刊プレイボーイ9月1日号「発掘!「ストリートビュー」を先取りした国産ネット地図があった!」、FLASH9月2日号「苦情殺到!Google新サービスの『プライバシー侵害』問題画像」の三つの週刊誌の記事を紹介していた。

 SPA!では、自分の部屋の2階ベランダに干しておいた下着が写っていた、という同誌ライターの声を紹介。<路上でキスをしている高校生のカップルやラブホテルに入る男女の姿といった画像まで写りこんでいることもある。>には、思わず笑ってしまうが、ご当人には大変な事態だっただろうなあ、と推察する。

 また、FLASHでも、<この新サービスでは、無差別に撮影された「乳揉みカップル」「立ちション」の画像なども公開されている。ラブホテル前のカップルの画像には「この画像を見たときの2人の驚きはいかほどか…」とのキャプションがついている。>とあった。まあ、週刊誌だから、こんな書き方をしているけど、やはり、結構大きな問題ですよ、これは。

 さきほど、池田信夫さんのブログを拝見したが、朝日新聞のコメントのような突っ放したようなものの言い方はしていなかった。住基ネット問題の二の舞にならないように、とか、深い話をしており、グーグルの担当者が総務省でどんな話をしたか、とかやたら詳しい。専門的な知識を得たかったら、このような週刊誌ではなく、池田教授のブログを見たほうが役立ちそうだ。

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2008年8月30日 (土)

世界の動物は北を向いている~毎日新聞[余録]から

 毎日新聞8月30日朝刊[余録]が面白かった。

 <ドイツとチェコの研究グループが今週、論文誌に発表したデータは不思議だ。放牧中の牛がどんな方向を向いているか。世界各地で8500頭以上を調べると、多くが南北を向いていた。チェコで野生のシカ2900頭以上について、雪に残された「寝床」の跡などを調べた結果も同じで、多くが頭を北に向けていたというのだ。詳しく調べると、地図上の南北より地磁気の南北に同調していることもわかった。渡り鳥やコウモリが地磁気を感知することは知られているが、牛やシカもそうなのか。だとすると、私たちはどうなのか。>

 動物が地磁気を感知して、頭を北に向けて寝ている、というのだ。それだけでなく、昼間起きているときも、南北の線に沿って立っている、と。不思議な現象だ。

 死者を祀る際に、北枕にする風習は、この動物の習性と関係があるのかどうか? 「地脈」などを重視する「風水」は「オカルト」「似非科学」と切って捨てられていたが、何らかの科学的根拠があるのではないか? 牛やシカは体の中のどの部分の作用で北を向くのだろうか、それとも北極星を見るなど、視覚や聴覚を使って北を知るのだろうか?

 疑問は次々に湧いてくる。このような研究は、今までの「知」のレベルを引き上げる可能性を持っているのではないか。僕たちが「常識」と思っていることは、産業革命以来の常識に過ぎず、長く見てもルネサンス以来の常識だろう。その常識を生んだ枠組みへの疑問を大切にして、疑問が解ければ、本当の意味での「近代」から「ポストモダン」へのブレイクスルーが起きるのではないか?

 こんな夢想が広がる。

 そして、[余録]の次の文章も、さすが現代の科学者は違うなあ、という驚きを感じさせるものだった。

 <論文には別の驚きもある。研究に「グーグルアース」のデータが使われたことだ。衛星などで上空から写した写真を公開しているもので、自宅の屋根を見てみた人もいるだろう。そこからこんな成果を生み出したのは、発想の勝利というべきか。>

 身の周りにあれば、すべて研究材料に転化する。これも当然の話。性能がアップしたパソコン、インターネットを利用していない研究などもはや皆無ではないか。

 <グーグルアースの先には懸念もある。最近、議論を呼んでいるのはグーグルの「ストリートビュー」だ。上空からではなく、道路から撮影した写真がネット上に公開され、自宅や車、街の様子などがリアルにわかる。どうやって写しているのか、プライバシーが侵害されているのではないか、不安に思う人がいるのは当然だろう。>

 と、余録子はプライバシー侵害に懸念を表明しているが、この「便利さと怖さ」との二律背反はどこで折り合いをつければいいのか、当面は結論が出ないのではないか。

 <人間も地磁気を感知しているのか。南北を向いてすわっている時と東西を向いている時で脳波に違いがあるという報告もある。さまざまな場所で人間のデータを集めると、手がかりが得られるかもしれない。ただし、プライバシーは要注意だ。>

 人間も動物である以上、地磁気を感知できるのだろうが、その能力がどこまで落ちているのか。チンパンジーやゴリラと人間との比較などの数値が出たら、人間研究にとって新たな飛躍材料になりそうだ。

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2008年8月29日 (金)

書評 小川浩、林信行著「アップルとグーグル」、ジェフリー・L・クルークシャンク著「ジョブズはなぜ天才集団を作れたか」

 「アップルとグーグル~日本に迫るネット革命の覇者」(小川浩、林信行著)。インプレスR&D、2008年4月21日初版第1刷発行、定価1890円。

「ジョブズはなぜ天才集団を作れたか」(ジェフリー・L・クルークシャンク著徳川家広訳)。講談社、2008年8月27日第1刷発行、定価1890円。

 この種の本は最近、ほとんど読んだことがなかったが、ちょっと勉強したくなって、集中的に何冊か読んだ中の1冊。

 1990年に東芝のハードディスクなしノートパソコンを買って、使い始め、その後、アップルの一体型マックとノートに買い替え、海外からカラー写真を、そのモノクロマックで日本に送って、なぜモノクロのパソコンでカラー写真を送れるのか、ずっと考えても分からなかったようなパソコン音痴なので、プログラム言語の本など高嶺の花で、せいぜいエクセルの使い方とか、その前にはMS-DOSの使い方などのハウツー本を読んだくらい。

 パソコンとかインターネットの本とはとんと縁がなかった、と言ってもいいだろう。

アップルとグーグル 日本に迫るネット革命の覇者 アップルとグーグル 日本に迫るネット革命の覇者

著者:小川 浩,林 信行
販売元:インプレスR&D
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 読んで、「目から鱗」の感じだった。

 アップルはスティーブ・ジョブズの家のガレージで創業し、グーグルはスタンフォード大学の構内で初期の検索サービスを開発後、このサービスに人気が出て事業化を考えてからは、現在グーグル副社長であるスーザン・ウォイッキの家のガレージを間借りして開発を行ったそうだ。両社はガレージ出身という共通項を持っている、と。両社はエンジニア系の人材を非常に優遇。フラットな組織で、あまり上下の階層はない、と。両社の社員食堂はシリコンバレーでも一、二を争うおいしさだ、ともあった。

ジョブズはなぜ天才集団を作れたか (講談社BIZ) ジョブズはなぜ天才集団を作れたか (講談社BIZ)

著者:ジェフリー・L・クルークシャンク
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 この辺のアップル社に関するディテールはさすがに「ジョブズは」のほうが詳しい。特に、スティーブ・ジョブズの人となりについては書き込んである。

 面白かったのは日本語版への序文「iポッドを生んだ戦略は、実は日本流」で著者が紹介したエピソードだ。

 <アップル創業期、アップル社が入居していた小さなビルにソニーアメリカ西海岸地域事務所が入っており、アップル社を創業した天才2人組の1人スティーブ・ジョブズはビルの反対側にあるソニーのオフィスにするりと入っては、ソニー製品の美しいデザインを五感で吸収する作業をほとんど日課としていたのだ。ソニー・デザインは素晴らしかった。すべてに一貫したテーマがあるように見えた。何もかもが大胆であるであると同時に、控え目だった。ソニー製品には、自信がみなぎって見えた。一言で言ってしまえば、ソニー製品はクールだったのである。>

 概略、こんな話だ。そして、

 <ジョブズはソニーの製品に対する姿勢を借りることにした。そして、これにドイツ流のデザイン精神を少々合わせて、まるで新しいタイプのコンピュータ会社を作ろうと考えたのだ。それから四半世紀を経た2001年10月21日に、ジョブズはソニーに「お礼参り」をする。当時、どこでも見かけられたソニーの携帯CDプレーヤー「ディスクマン」の市場を奪うことを念頭に置いてデザインされた小型のデジタル音楽プレーヤー「iポッド」を発売したのだ。>

 iポッドの根っこが日本とドイツの電子製品にあることは明らかだった、それが家電ショップのソニー製品売り場にあっても、誰も違和感も覚えなかっただろう、と。ウォークマンをはじめとする、当時すでに他社が発売していたデジタル音楽プレーヤーを少しだけ改良したもの。日本が得意な製品戦略を取った、と書いている。

 ジョブズはニューヨークの日本食レストランでそばのおいしさに目覚め、カフェマックのシェフを築地のそばうち教室に送って修業させたので、アップルのカフェマックの日本食そばは本格的だ、とあった。また、ジョブズは秋葉原好きだ、とも。

 難しいことはわからないが、どうも、今までだったら日本のホンダ、トヨタ、松下、ソニーなどの技術者が欧米の技術を使いやすく改良、小回りの効く会社組織のトップが決断して世界に通用する商品を供給してきた、その「日本方式」が根本的なところで真似されているように見える。

 シリコンバレーだって、羽田空港近くの中小工場の誇りを持った技術者(職人)集団のようなものだろう。ただ、決定的に違うのはコンピューター、インターネットを使いこなすかどうか、なのだろうが、そんなことは国家が本気になって職人さんたちに無料で職業訓練をして、ネットに通用するような技術開発を誘導すればよかっただけの話だろう。

 どうも、この2冊を読んで思ったのは、そのような日本の科学技術・応用技術対応の遅れだった。

 「ジョブズは…」は表紙の帯に<非エリートで二流エンジニア、最悪の上司にして壮大なビジョンで世界一の成功を収めた怪物経営者…「スティーブ・ジョブズの下で働くことは麻薬的な経験だった」。戦略なき「カウボーイ的組織」アップルが最もクールで革新的な企業になるまで>とあった。

 訳者のあとがきにもあるように、

 <革命的な製品/アイデアのパソコンを生み出した注目すべき会社が、手に負えない天才創業者を追い出し、経営のプロをCEOに据えて、いっそうの成長を遂げる。だが、逆境に遭遇して一時は倒産寸前の状態に陥る。窮地の会社員、ついに天才創業者が復帰して、際立った個性の魅力的な新製品群を生み出して大ヒットを飛ばし、再度最も注目される企業となった。>

 ジョブズの個性があまりに強いので、ジョブズ物語も面白いが、「アップルと…」の表紙帯にある

 <日本企業に足りないものすべてをこの2社が持っている>

 が、刺激的キャッチコピーではあるのだが、今、日本人が立ち止まって、じっくり考えるべき論点なのだろう。

 つまり、日本企業のふがいなさを嘆け、というのではなく、かといって「上げ潮派」エコノミストや政治家が言うように規制緩和の不十分さを咎めるのでもない。

 1980年代の最後にある意味では米国を抜いて経済パフォーマンス世界一になった日本が、「坂の上の雲」を見失い、目標喪失状態が約20年続いている、という異常さになるべく多くの人が早く気付き、新たな目標を見つけようと、前を向くことから始めないといけない、と思うのだ。

 落ち込みの原因をいつまでも探し続け、その落下のスパイラルの中で自分探しまで始まってしまったのが今のご時勢だが、こんなことを続けていると、第3、第4のアップル、グーグルが次々、日本の良さを生かした商売でのし上がり、新製品群の事実上の世界標準(デファクト・スタンダード)を奪っていってしまうだろうから。

 「アップルと…」で著者は「iフォン」とグーグルの「アンドロイド」が電話だけでなく、ネット家電やゲームソフト端末なども操作できる携帯端末のデファクト・スタンダードとなるだろう、と予測する。

 NTTドコモも仕方ない、と諦めているとか。パナソニック、富士通、NECなどは日本の携帯電話の特殊性を乗り越えて世界に飛躍するチャンスと見ているらしい。

 情けないけど、そういうことなんだろう。

 旧郵政省官僚だけが悪いのではない、NTTだけが悪いんじゃない、とは思うが、日本の特殊のルールでやっていけてしまう、日本という国の規模。これが韓国だったら国内需要だけでは利益が出ないから、最初から海外雄飛を考えた戦略を取るのだろうが、日本はある意味、恵まれ過ぎてているので、飛躍できないのだろう。

 そこまで見据えて、新成長戦略を考えないといけないのだろう。

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2008年8月25日 (月)

北京五輪をどう報じたか~各紙コラムや総括記事+毎日新聞の鹿島茂氏のコラム

◆米国五輪放送事情

 第20回夏季オリンピック大会は8月24日夜、北京で閉会式が行われ、17日間の祭典の幕を閉じた。各紙は8月25日朝刊1面から社会面まで多くの面に、北京五輪総括記事が満載だった。競技・種目別の総括とか、大上段に振りかぶった社説のような「大きな物語」的な総括も、それはそれで大切だが、ここでは、視点を替えたコラムや小さい部分、普通は見えない部分にこだわった「総括」に注目してみよう。

 毎日新聞8月25日朝刊2面[発信箱]<北京五輪 米の総決算>で北米総局の坂東賢治記者は米国ではNBCがテレビ中継を独占し、夜のゴールデンタイムの放送を「トップ・スポーツ」と位置づけた水泳、陸上、体操、バスケット、ビーチバレーボールの5競技に集中していた、と書いていた。

 <テレビ向きで、米国選手が強く、視聴率が稼げるという理由だろう。放映権獲得に1000億円近くを投じたNBCが水泳の決勝を北京時間の午前(米国時間の夜)に行うよう圧力をかけた理由もよくわかる。米国のフェルプス選手の8冠挑戦が最大の売り物だったからだ。>

 坂東記者は今まで、五輪を日本で見ていたらしく、日本のテレビ観戦とアメリカでのテレビ観戦の比較が面白い。

 <他の人気競技では放送時間優先で生中継がないのにまいった。>

 というのだ。

 <ジャマイカのウサイン・ボルト選手の世紀の快走はどれも半日待ってようやく放送された。NBC系サイトでのネット中継もなく、待ちきれない人は動画投稿サイトなどでゲリラ的に見るしかなかったらしい。>

 動画投稿サイトはアメリカでそこまで活用されているのか。これも驚きだ。

 <フェルプス選手が期待どおりの活躍をしたこともあり、96年の米アトランタ五輪以来の高い視聴率を記録。大統領選を争うオバマ、マケイン両上院議員も巨費を投じ、五輪時間帯にテレビ広告を流した。NBCはしっかり元を取ったようだ。>

 とある。大統領選目前のアメリカ・メディア事情が目に浮かぶようだ。面白かったのは、結びの文章だった。

 <金メダル獲得数では中国の後塵を拝したが、あまり騒がれてはいない。日本を含め、世界的には金メダル獲得数順で国別ランキングを決めるのが一般的だが、米メディアは金銀銅のメダル獲得総数で順番を決めている。これなら米国はまだ世界一。自国の独自基準にこだわるところは中国とどっこいどっこいだ。>

 である。へえー、金メダルにこだわらないのか。それは北京五輪に限らず、今までもそうだったのだろうか? そうだろうなあ、とは思うのだが。今回、金メダル獲得数で中国に抜かれるのが分かっていて、今回だけ急にメダル総数での計算にに変えたら、視聴者だって何か言うだろうからなあ。

 こういう文化比較は面白い。日本での放送権料話は後で読売新聞で出てくる。

◆各国メダル獲得数

 金メダルだけが五輪ではない、のだが、国別メダル獲得数も気にはなる。一応、書いておこうか。毎日新聞25日朝刊2面の表を写したものだ。

                   金      銀     銅      計

①中国               51      21    28      100

②米国               36      38    36      110

③ロシア              23      21    28       72

④英国               19      13    15       47

⑤ドイツ              16      10     15       41

⑥豪州               14      10     8       46

⑦韓国               13      10     8       31

⑧日本                9      6     10       25

⑨イタリア              8      10     10      28

⑩フランス              7      16     17      40

⑪ウクライナ             7      5      15     27

⑫オランダ              7      5       4     16

⑬ジャマイカ             6      3       2     11

⑭スペイン              5      10      3      18

⑮ケニア               5       5      4      14

 あと話題になった国では、グルジアが3,0,3の6個。北朝鮮が2,1,3の6個。インドは1,0,2の3個。台湾は0.0,4の4個くらいか。合計で金メダルは302個、銀メダルは303個、銅メダルは353個授与された。授与されたメダルの合計個数は958だった。

◆大きな真実は往々にして小さな穴からのぞき見える

 朝日新聞8月25日朝刊1面コラム[天声人語]子は開花式の「フェイク?」を、閉会式後の新聞でまつぃても、ぶり返して批判していた。相当に腹に据えかねたのかな?

 「漢民族の子が扮した56民族の代表」「CGの花火映像」「口パクの歌」をあげて、

 <わけても口パクである。ある少女から「容姿」を、別の少女からは「声」を「いいとこ取り」するやり方には、「個の人格」を軽んじる危うさが透けていないか。「国益のため」という説明を聞くにつけ、国家主義の横顔が脳裏から消えやらない。>

 「国益」「国家主義」と朝日新聞が好きそうな言葉が並ぶ。

 <開閉会式の総監督を務めた張芸謀氏は、本紙との会見で「小さなことを意図的に拡大するのはよくない」と批判に異を唱えた。だが、大きな真実は往々にして、小さな穴からこそ、のぞき見えるものだ。>

 この「大きな真実は小さな穴からのぞき見える」って誰かの名言だったのかなあ、忘れてしまったけど、何か心に残る言葉だった。

 <ともあれ五輪は成功裏に幕を閉じた。17日間にわたった「お客さん用」の化粧を落として、中国は宴のあとの日常に戻る。化粧を落とした新たな表情は、大国としての自信を深めていることだろう。その「自信」の先行きに、隣人として目を凝らしたい。>

 という結びだった。1面の藤原秀人・中国総局長総括論文の見出しも<宴の後こそ向き合う時>。朝日は「宴」が好きだなあ。2面[時時刻刻]は<「成功」五輪遠い存在>の見出しで<チベット 僧に毎日「愛国主義教育」><ウイグル 「私たちに自由などない」><北京市民 「外出控えよう」標語>と北京五輪の「負の部分」を特集していた。

◆デモ申請77件、許可はゼロ

 読売新聞8月25日朝刊2面<デモ申請77件 許可ゼロ>は北京特派員の記事。

 北京五輪期間中に北京市内3カ所の公園内に限って認めるとされていたデモ行進は24日の閉幕日を迎えても1件も実施されないままに終わる見通しとなった、と書いていた。

 北京市公安局の18日の発表では今月1日以降、外国人3人を含む149人から77件のデモ申請があったが、1件も認められないまま、すべて取り下げられた、という。国境なき記者団(本部・パリ)によると、15人の中国人申請者が拘束されたという、とあった。

 朝日2面が特集した「負の側面」なんだけど、もっと大きなテロを封じ込められた北京共産党政権はホッと胸を撫で下ろしていることだろう。

◆5000年の歴史の中の17日間の「邯鄲の夢」、意義は大きい

 日経新聞8月25日朝刊1面コラム[春秋]は中国5000年の歴史を引き合いに出しながら、北京五輪の意義を説くスタイルだった。8月26日だったかの毎日新聞コラム[余録]も同じ手法を用いていたと思った。次のは日経の文章である。

 <中国は米国、ロシアに金メダル争いで圧勝し、愛国の胸は高まるばかりだろう。胡錦濤主席がいう「アヘン戦争以来、艱難辛苦の道を歩んできた」中華民族は一つの転機を迎える。一方、閉幕とともに不満が一気に噴き出す気配もある。これが現実だ。ギョーザ事件も少数民族の人権問題もすべて棚上げにしてきた。>

 <開会式で「朋あり遠方より来る……」と孔子の言葉で迎えた。その後、遠方の仲間は偽装五輪などと酷評した。論語はこのあとこう続く。「人知らずして慍(いか)らず、亦た君子ならず乎」(人から認められなくても腹を立てない、それこそ君子ではないか)と。中国が大人の国であれば早く変化の兆しを見せてほしい。>

 <冷厳な国際政治の現実はあるが、若いボランティアの多くは柔軟でしなやかだったと現地記者は伝える。神秘で異質な国も徐々に世界に扉を開いていくことだろう。中国5000年の歴史の中で17日間のこのスポーツの熱狂は「邯鄲の夢」のごときものだが、世界も中国も五輪によって互いを肌で知った意義は大きい。>

 悠久の歴史を世界に訴える中国に負けないように、孔子の言葉などを引いて、大きく構えたコラムだが、言わんとするところは良く分かる気がする。

◆中国メディアの五輪総括ぶりと日本の民放のうるさい中継ぶり

 朝日新聞8月25日夕刊1面は<五輪総括 自賛と自戒/中国メディア/当局の指導徹底>の見出しで北京特派員電がトップ記事。中国の新聞などが五輪をど総括したか、を見てみようという趣向である。

 <北京五輪の閉会式から一夜明けた25日の中国各紙は一斉に「過去に例をみない五輪」と成功を祝った。一方で、最多となった金メダル数については「冷静かつ理知的に見つめる必要がある」と呼びかける記事が目立つ。「肯定的かつ民族精神を高揚させる記事を書きながらも、過度にあおらないように」という五輪直前に中国当局から出された通達が色濃く反映されている。>

 <「五輪を通じて中国は世界と未曽有の親密な関係となり、新しい時代に突入した」――人民日報は1面に閉会式で手を振る胡錦濤国家主席の大きな2枚の写真を掲載し、共産党がもたらした成功であることをアピール。>

 <だが、世界中で話題になった開会式での少女の「口パク問題」など過剰演出や、会場周辺で取材中の外国人記者が相次いで拘束されたことは触れられていない。>

 <こうした報道の背景には、8月上旬、五輪批判を禁じてプラス面を強調するよう中国共産党中央宣伝部が各社幹部に指示した通達がある。…通達は「メダル数に固執したり予測したりする報道をするな」とも指示。世論形成に強い影響を持つネット上で獲得メダル数に関心が集まり、ナショナリズムが暴発することを恐れたためとみられる。>

 という内容である。謙虚に、謙虚に、と思いながら、紙面の端々から嬉しさがはみ出してくるような新聞だったのだろうなあ。

 朝日1面は<欧米は人権指摘>のベタ記事もつけており、米CNNの「言論の自由や政治的な抗議に対するスタンスに問題が残る」、英紙フィナンシャル・タイムズの中国当局がインターネットへの接続を制限したこと、デモを許可しなかったことを批判したことを取り上げた。

 しかし、この日の朝日新聞夕刊は、この1面記事よりも対社面の<識者の声>のほうが本音が見えて、面白かった。

 コラムニストの天野祐吉さんは

 <民放スタジオの狂想曲はひどかった。見ていれば分かることをいちいち言う。勝つと『ギャー』、負けると涙。競技の間は選手の汗と涙のビデオ>

 と、まずは民放批判をしている。民放アナウンサーの声、確かにうるさかったよなあ。

 また、天野さんは中国の人権問題について、

 <反対意見も分かるが、やらなかったら見えてこなかったことがたくさんある。テレビやウェブのおかげで、もう国威の発揚の道具にはならない。情報が流れるから問題をオープンにせざるを得なくなる。オリンピックもそういう時代になった>

 と話していた。この見解には賛成だがすぐに結論を出さず、じっくりと考える必要があると思う。

 中国社会に詳しい早稲田大学の園田茂人教授(比較社会学)は、

 <2億人強がネットで五輪を見た。ブログが炎上することもあるし、ネットでの世論調査もある。閉鎖されないよう、駆け引きしながら本音を出す。市民の成熟によって、世論形成のあり方も変わっていくだろう>

 と、五輪が中国社会を変える可能性あり、という前向きな捉え方。これが事実となればいい、と思うのだが。

◆日本の北京放送権料は198億円。バンクーバー冬季+ロンドン夏季五=325億円也

 読売新聞8月26日朝刊解説面<北京五輪のTV中継>で鈴木嘉一編集委員はテレビ中継で8日の開会式(37.3%)、日本が米国を破った21日のソフトボール決勝(30.6%)など、平均視聴率が20%を超えたのが15本(ビデオリサーチ調べ)だったとして、時差もあったが、前回のアテネ五輪は日本人選手が大活躍したのに、20%超えは7本だけだった。それに比べて、北京五輪の視聴率はすごい、という論調。NHKと民放で流した全番組の平均視聴率(10.7%)でもアテネを0.5ポイント上回った、という。

 NHKと民放が共同で取得した今大会の放送権料は1億8000万㌦(198億円)だった。

 その多くを負担するNHKはほとんど”五輪一色”に染まり、総合テレビ、衛星第一、衛星ハイビジョン、ラジオ第一に加え、時には教育テレビでも中継し、放送時間の合計は800時間に迫ったという。

 どうりで、いつどこのチャンネルを回しても五輪をやっていたわけだ。

 計173時間の放送を予定した民放は2局が同時間帯で別の競技・種目を中継する「2波出し」が前回の6回から10回に増えた、という。民放関係者は「営業的には競合を避けたいが、『生』を重視したから」と言っている、という。

 鈴木賢一・NHKスポーツ業務監理室長は「NHKと民放が五輪で生中継できる衛星回線は四つあり、今回はほぼフル稼働した。地上波と衛星放送の四つのチャンネルで、違う競技・種目をかなり生中継できた」と総括した。鈴木編集委員は「NHKと民放が視聴者の選択肢を広げた姿勢を歓迎したい」と評価した。

 2011年7月にはアナログ放送を終了し、完全移行する計画の地上デジタル放送にとっては2度目の夏季五輪だそうだが、この夏、デジタル対応の受信機は良く売れたそうだ。NHKは7月末でBSデジタル放送の普及が4000万件を突破し、地上デジタル放送は3757万件と推計しているそうだ。

 今大会は、全競技の国際映像が初めてハイビジョンで制作された。2006年から始まった携帯電話向けの地上デジタル放送「ワンセグ」のデータ放送で、五輪情報を提供した局もあるという。

 また、今大会では初めて五輪の映像がインターネットで国内に限り配信された。民放各局は共同の五輪動画サイトを開設し、5分以内に編集した競技・種目のハイライトを400本近く流した、という。人気種目に限らず、放送されにくいカヌーやセーリングなどの競技も取り上げたという。アクセス数は公表していないが、サイトではベスト5が1時間ごとに更新されたそうだ。

 NHKもホームページでニュース映像を配信し、動画へのアクセス数は110万を超え、「技術的には生中継も可能。今回は次の五輪をにらんで試験的に実施した」という。

 HNKと民放はすでに、10年のバンクーバー冬季五輪と12年のロンドン夏季五輪の放送権を325億円で一括契約、地上波テレビ・ラジオ、衛星放送、ネットの権利が含まれている、という。

 坂東記者のリポートにあったアメリカだけじゃあないんだ。足元の日本でも「五輪狂想曲」にならざるを得ない経営要請があったのだ、とシビアに資本主義の論理が分かる解説記事だった。

◆オリンピック選手の顔が幼く見えてしまったワケ~鹿島茂氏の分析

 面白かったのが毎日新聞8月27日朝刊文化面連載[引用句辞典 不朽版]<北京の「子供顔」>の鹿島茂氏の文章。

 見出しは<「自我パイ一人食い」という団塊世代の迷惑遺産>と、何やら見出しを見ただけでもそそられる。

 <「大塚 君(東浩紀)がよくいう小さな遊び場で、大人にならなくてもいいからっていうのは、それこそぼくたちの時代にもあったメッセージだよね。浅田彰の『逃走論』がある意味ではそうだったし、中森明夫たちが言っていることもそうだった。もっと言っちゃえば、それは団塊世代の思想だった。(中略)団塊世代も大人になりたくない大人たちだったから」(大塚英志+東浩紀の対談『リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか』講談社現代新書)>

 なるほど、これをまず引用してきたか。鹿島先生、さすがにいいところに目を付けておられる。

 <北京オリンピック・女子ソフトボールのテレビ中継で400球を投げぬいた上野投手の力投を見ながら、団塊世代以上の人は、昭和33年・日本シリーズの西鉄ライオンズ・稲尾、あるいは翌年の日本シリーズの南海ホークス・杉浦を想起したのではないだろうか?
 そうそう、昔の日本人には、たしかにこうした肉体の限界を越える超人的な「大人」がいたものだ。上野の顔は久しぶりに「鉄腕」という言葉を思い起こさせてくれた「大人顔」であった。>

 <半面、テレビ画面に映る日本人選手の顔が、種目・男女を問わず、ひどく幼く見えてしまったというのもまた事実である。これは私一人の思いすごしだろうか?>

 と、この問いが、北京五輪と今、最高に旬な本である「リアルのゆくえ」を結びつける結節点なのである。

 <どうも、そうとは思えない。欧米や中国の選手と比べて、日本人選手が例外的に若いというわけではないのに、日本人選手だけが特別に幼く、子供のように頼りなく見える。ごくわずかな例外を除いて、男も女もみんな「子供顔」なのである。>

 <かつて、マッカーサー元帥は離日後のアメリカ上院で、民主主義の成熟度に関して(ただし、好意的な意図のもとに)「アングロサクソン民族が45歳の大人だとすれば、日本人は12歳の子供だ」と発言して物議をかもしたが、この元帥の言葉を、ごく単純に肉体的、精神的成熟度と捉えた場合、それはそのまま21世紀の日本人に当てはまってしまうのではなかろうか?>

 なるほど、フンフン、それで…。

 <なぜなのだろう? なにゆえに、また、いつごろから、日本人は肉体的にも精神的にも大人になることを拒否して、子供のままであり続ける道を選んだのだろう?>

 名調子である。

 <思うに、原因は二つある。>

 そうか、二つか。

 <一つは、日本における高度資本主義の異常な発達。なぜ、高度資本主義が「日本人総子供化」の要因かといえば、それはマーケットの大半が子供(大人になりきれない大人)であれば、それだけ儲かるという原理が働いているからだ。>

 <商品に対する判断力をもった大人が消費者では、新しくて便利な商品の宣伝をしても、簡単には買ってもらえないが、消費者が子供なら、いくらでも宣伝に乗せることはできる。世の中に子供が増えれば増えるだけ、高度資本主義は儲かるような仕組みになっているのである。>

 売りつける対象とは確かに判断能力のない「子供」のままフリーズドライしておけば、物を売りやすいだろう。流行させれば買うのだから。

 <もう一つは、成熟に伴う責任を回避したいと願う人間がある時期を境に急激に増えてきたこと。その時期とは、これは自ら体験したことなのではっきりといえるが、団塊の世代の登場からである。>

 さあ、「団塊」責任論である。居住まいを正して読もうじゃないか。

 <思い出していただきたい。大学生になってもマンガを読む。背広のかわりにジーンズとTシャツを着る。結婚を回避して同棲を選ぶ。サラリーマンとなるよりも民芸品店(あるいはモダンジャズ喫茶)の主となる、等々、記録に残されている団塊世代の特徴は、いずれも成熟拒否のピーターパンたちの発したメッセージだったのだ。>

 ピーターパン症候群かぁ、懐かしい言葉がたくさん出てきます。

 <それは、自我というパイを家族、共同体と分かちあうことを前提とする日本人的な、いいかえれば大人的な生き方を、団塊世代がなによりも鬱陶しいと感じ、自我パイは全部一人で食べたいと思ったからにほかならない。>

 <もちろん、自我パイの一人食い(これは当時、「感性の無限の解放」などと呼ばれた)は共産主義ユートピアと同じくらいに不可能な絵空事なのだが、しかし、それは幻想であるだけに、後続世代に強い影響力を及ぼした。>

 <共産主義の幻はあとかたもなく消え去ったが、「自我パイ一人食い」幻想の方は消えるどころかますます強固なものとなり、その結果、気がついてみると、日本人は全員、自我パイは一人食いしていいと信じる「子供」と化していたのである。>

 随分とひねくれた文明論だな、これは。「自我パイ」の配分論って誰の論理なんだっけ?

 <オリンピック選手の子供顔を責めるのは酷である。彼らを子供顔にしたのは戦後の日本社会そのものなのだから。>

 と、まあ、”鹿島節”全開です。好きなテーマなので、読みながら、ついつい全文を引き写してしまいました。

 異論反論もあるし、「子供顔のせいだけじゃあないだろう」、と突っ込みを入れたくもなるが、こうした、ちょっとひねくれた分析というか、見方は、みんなが一点集中、蛸壺に入ろうとしている時には強烈な爆弾となって、理性を呼び戻してくれるきっかけになるかもしれない。

 このタイミングで東、大塚の対談本と北京五輪を結びつけた牽強付会さ。鹿島さんの精神力というか、体力はすごいと思う。こうした”斜め斬り”論文を新聞社の編集委員とか遊軍記者にももっともっと書いてほしかった。もっと読みたかった。野球選手、男子体操、柔道…みんな幼かったんだもん。ひ弱だったんだもん…。カッカしている時こそ、こうしたシラケさす論文が必要なのです。

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2008年8月24日 (日)

書評 谷徹、今村仁司、マーティン・ジェイほか著「暴力と人間存在」(筑摩書房)~「暴力的文化アイコンとしての『赤ずきん』物語」など収録

 2008年8月25日初版第1刷発行。定価3200円+税=3360円。帯には<社会に隠された暴力をあばき、その真相と本質を解明する>とある。表紙裏の宣伝文句は次のようなものだった。

暴力と人間存在 暴力と人間存在

著者:谷 徹,今村 仁司,マーティン・ジェイ
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 <戦争・殺人・虐待・いじめ・DV……。あまりにも多様な暴力がわれわれの社会を脅かしている。いや、暴力は人間の生活全体のなかに住みついているのだ。暴力が人間の存在規定と不可分であることを疑う人はもはやいないだろう。とすれば暴力現象の解明は、その深さにおいて人間そのものの解明でもある。人間が人間として存在するかぎり、人間は暴力から完全に解放されることはないかもしれない。しかし、そうであるからこそ、暴力に適切に対応することが求められている。暴力の問題は、思想・倫理・法律・政治・文化・歴史・教育・心理・医療……など、きわめて広い領域に関わっている。しかも、すでに明るみに出された暴力だけでなく、これまで明るみに出ることのなかった暴力が、それらのいたるところに潜んでいるのである。本書は、こうしたさまざまな暴力の問題に取り組むために、可能なかぎり研究の領域を広げ、隠された暴力を掘り起こしながら、暴力現象の深層と本質を解明する。暴力と人間存在との関わりを理論的・実証的に考察した画期的成果。>
 谷徹氏によるまえがき、あとがきによると、2004年に今村仁司氏らが中心となって立ち上げた「暴力論研究会」は2007年度末までに計26回の研究会を重ね、その成果に基づいて本書ができた、ということだった。
 「2001年9月11日の同時多発テロで21世紀は幕を開けた。あまりにも多種多様な暴力が現出している。これらは人間存在には暴力が深く根付いていることを示しているものではないか」という認識で、人間研究としての暴力研究を続けたようだ。
 ところが、中心人物の今村氏が2007年に病に倒れ、永眠された。大著「社会性の哲学」を残すことができただけでも良かった、という。
 残念ながら、この本に入っている今村論文が難しすぎたので、この大著を読もうとは思わないが。
 たしか、今村さんといえば、最近、岩波書店から出た「岩波社会思想事典」の編集者だったのではないか、と思って、探してみたらやはりそうだった。
 思想史事典のはしがきでも、「誠に残念なことに、今村仁司氏は、2007年5月、本事典の完成を見ることなく、病に斃れられた。心より哀悼の意を示したい。そして、共同編者としては、本事典が、今村氏の御遺志に違わぬものになっていることをただ願うばかりである」とあった。共同編者は三島憲一、川崎修両氏だった。
 ちなみに、思想史事典の「暴力」項目は今村氏が書いており、「暴力と権力」「供犠(sacrifice)の暴力」「排除の暴力」の三つに分けて説明していた。短い説明なお出、余計分かりにくい感じがした。
 さて、「暴力と人間存在」に戻ると、幅広い分野の専門家がずらりと揃って、暴力を論じた論文が目一杯詰まっている感じである。
 難しくて分からない論文も多かったが、こういう業際的作業は「知」の総合化のために必要だろう。
 私のような専門知識のない素人がある程度読め、薄々でも理解できた論文だけあげておこう。
 著者たちはほとんど、立命館大学の学者さんたちである。谷さんの人脈なのだろうか。
▽谷徹「暴力論の基礎考察」
 暴力論を3分類する。
 ①社会論的暴力論(ソレル、ベンヤミン、アドルノとホルクハイマー、ジラール、今村仁司)…「社会」の成立要因の考察の中で暴力が問われる。
 ②心理学的暴力論(フロイト、ハーマン)
 ③現象学的暴力論(ハイデガー、アーレント、レヴィナス、デリダ)
 の三つである。
①社会論的暴力論
 ベンヤミンは暴力を、法がおのれを維持するために用いる「法維持的暴力」と法を初めて樹立する「法措定的暴力」の2種類に分ける。
 この二つは「神話的暴力」とされ、それを破壊するものとしての「神的暴力」を対置する。
 神話的暴力は権力に結びつき、神的暴力は法外な正義の支配・統制の可能性を開くことが重要とされる。
 神的暴力は「法」を超えた「正義」である。つまり、法自体が暴力(神話的暴力)であり、その法=暴力に支配された世界を、その外部の正義(神的暴力)と関連させることが重要だった。
 これはデリダが「もろもろの小文字の法を超えた大文字の法そのもの」を考えたのと同じ問題意識だ、とされる。
 フーコーにとっては「近代における権力」が最も重要な研究対象だった。
 しかし、フーコーの言う「権力」は独特の含意を持ち、それは「見る」とともに「知」あるいは「理性」と一体化している。
 フーコーは「臨床医学の誕生」で近代医学が死体を開いて見ることで、生命とそれに結びついている病の闇を光に曝す、つまり「見る」=「知」「理性」を育てた、と見る。伝統的に高級な感覚とされた「見る」は曝すものとして暴力的なのである、と。「見る」を高級と見ているかぎり、この暴力性は隠れている、という言葉にも含意がある。
 さらに、フーコーは「監獄の誕生」で、残酷な公開処刑(死)を人々に見せることによって自らを維持してきた王権的権力が変貌し、新たに、拡散した・ミクロの権力が「パノプティコン」(一望監視)型の「眼差し」(つまり「見る」こと)を張り巡らすことによって、いわば自発的に権力に服従する「主体=臣民}を形成するようになったことを示した。
 また、「見る」のみならず、「知」も人畜無害ではなく、権力による支配と結託しているのである。
 この支配の仕方で印象的なのは、それが(主体化=従属化)といういわば自主的な従属を示す概念で表現されたことであろう。「主従」が反転的に結びつくのである。主体を主体的と見ている限りでは、その従属性は隠されてしまう、とあった。つまり、なかなか見えない真実が多いのだなあ。
 さらに、フーコーは、「狂気の歴史」で、近代の理性が狂気を閉じ込めるという形で(いわば敵意を持って)排除したことも示した。
 そして、また「性の歴史」第1巻で、性の秘密を告白させる医学・精神医学の「知」がセクシュアリティなるものを形成して、それに反する性的異常なるものを排除し、そのことを通じて人間の生全体を支配・管理しつつ「生・権力」として機能するようになったことを示した。
②心理学的暴力論
 心理学的暴力論の典型はフロイトだ。フロイトは当初の「攻撃欲動」の理論から、「生の欲望(エロス)」と「死の欲望(タナトス)」の理論に進み、サディズム、マゾヒズムなどの概念を使って分析を進めた。
 エーリッヒ・フロムの「権威主義的人格」と「自由からの逃走」のプロセス分析。
 この心理学的暴力論では暴力被害者の心理も問われる。
 だが、暴力現象は総じて隠れる傾向を持つ。とりわけ性的事象が絡むと、この傾向はさらに強まる。
 J・ハーマン「心的外傷と回復」。トラウマ(心的外傷)と孤立無援化、解離=その事件の記憶を統合できなくなること。外傷的事件は被害者に他人や社会との「感情的紐帯」を引き起こし、他者との関係のうちで維持されている自己というものの構造を粉砕する。そして、世界の安全性の基礎的前提を破壊する。世界に対する基本的信頼がなくなる。
 通常、幼児は肯定的な自己像のうえにイニシアチブを取る能力を発達させるが、それの発達が不十分だと、その人は罪悪感と劣等感を起こしやすい、とハーマンは言う。
 しかるに、外傷的事件は、被害者をこうした状態に陥れる。そのことから、被害者は、被害者自身が悪いのだという感覚をもってしまう。こうして「離断」が生じる。
 さらに、長期の反復性外傷は「監禁状態」という条件によって生じる、とハーマンは言う。
 長期の監禁状態において加害者は被害者に加害者を尊敬するように、また感謝や愛情を表明するように要求し続ける。
 参照されるべき事象として、従軍慰安婦の場合、オウム真理教の場合などがあげられているが、実際の分析には入っていない。自分で考えてみろ、ということだろう。
③現象学的暴力論
 現象学的暴力論だ。フッサールでは暴力論まで進まなかったが、ハイデガーで根源的な経験における暴力とでもいったものが露わにされた。ハイデガーの暴力論はアーレントやレヴィナス、デリダを引きつけた。
 しかし、ハイデガーの「ポレモス」論はナチスの人種優越主義を止めることができなかった。
 ハイデガーのナチス加担責任問題である。ロゴス的収集とポレモス的闘争。「生」は「戦争で生き残ること」の単語と同根だった。ハンナ・アーレントの「暴力について」や、レヴィナスのハイデガー批判h、ハイデガーを基礎にしながら、それを批判的に乗り越える試みだった。
▽今村仁司「暴力以前の力 暴力の根源」は読んだが、難しくて全くチンプンカンプンだった。残念だが。
▽鳶野克己「暴力の教育的擬態を超えて――教育学的暴力研究における人間学的展開のために」
 これは、学校などでの「暴力反対」教育が児童・生徒に効果を表さない原因を探求する試み。
 教育とは、そもそも「望ましい人間の望ましい生き方」に向けて子どもに働きかける営みだから、親や教師にとっては、それを目指し、実現すべき価値的目標となる。
 その価値的目標を目指す営みは、到達度を測られ、評価される。
 評価とはある事象を特定の視点から当該の評価対象として位置づけ、基準に即してランク付けする作業だから、子どもも親も教師も、教育し教育されることを通して自分たちのうちに到達された成果としての「望ましさ」の度合いに応じて位階が与えられる。
 与えられた位階の違いは価値的な優劣と上下の差を意味する。
 したがって、教育は「望ましさ」という価値的目標を実現するために、その到達度を絶えず向上させていくことを迫られ求められる営みとなる。
 「望ましい」は強制になる。それが「教育に固有な暴力性」だ、というのだ。ただ、これも普段は隠れていて見えないので、生徒にも[親にも教師にも気付かれにくい。だから、教育に暴力が内在しているという認識がなくなり、「学校から暴力を追放しよう」という空虚なキャンペーンが繰り返されるのだ、と分析している。
▽福原浩之「暴力とその癒し――インナーチャイルド・メソッドの観点から」
 これは面白かった。実践論である。滝に打たれ、瞑想して、と、その山伏のような生活がうらやましい。
▽竹山博英「組織犯罪と暴力」
 これは風変わりな研究。イタリア・シチリア島のマフィアの歴史の研究である。マフィアが暴力を目的にしているのか、お金なのか、とか。シカゴ・マフィアのルーツがどのように誕生したか、よく分かった。読みやすいし、勉強になって面白かった。
▽服部健二「暴力・審判・救済――ヘーゲル哲学を参考に」
 これは精神障害者の犯罪を裁くことができるか、など非常に現代的問題を罪刑法定主義の父フォイエルバッハ(ヘーゲル学派のフォイエルバッハの父)とヘーゲル本人の思想を対比させながら考えたものだ。
 罪刑法定主義はもともと、「罪を憎んで人を憎まず」で、人を罰するのではなく、あくまで行為を、しかも有責の行為のみを罰しようとした思想。
 昔、聾唖者とかが責任能力なしとされ、それが徐々に改正された。日本の刑法でも1995年(平成7年)には阻却対象から外された経緯があり、今日、統合失調症といわれる精神障害者もそれと同じ可能性がある、とする。
 「内面を裁くのではなく、行為を裁く」という近代刑法の基本思想をある意味徹底しながら、精神障害者の場合も、その行為によって分節している自己があるのだ、と考えることができるのではないか、と問題提起するのである。
 <精神障害者を法的世界の正当な住民と認め、憲法に保証された裁判を受ける権利を認めることによって、ヘーゲルが目指したように、法の正義の回復と彼らあるいは彼女らの自己回復の機会も与えられるといえよう。そうしてはじめて、近代刑法の大きな問題点の一つが乗り越えられるのではないだろうか。>
 この視点は私には新鮮だった。どうして、あまり話題にならないのだろう? もっと主張、論争されてしかるべきではないか、と思うのだが。
 2003年7月に成立した「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」で精神科医に再犯の恐れがあるかどうか、の管理的判断まで求められるのは問題だとしていた。
▽ウェルズ恵子「暴力的文化アイコンとしての『赤ずきん』物語」
 この本で、これが一番面白かった。
 相当に長い論文だが、何しろテーマが赤ずきんちゃんである。グリム童話が有名だが、ウェルズ氏はそれ以前の民間伝承まで遡るとともに、最近の庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」や米国の映画まで引っ張り出してきて、時代と「赤ずきんちゃん」の消費のされ方、性的な表象なのか、暴力との関係がどうなっているのか、などをきめ細かに分析していく。
 学術論文を読んでいて「わくわくドキドキ」はほめ言葉ではないだろうが、まさに「わくわく」する論文。一般の単行本になっても、売れるのではないか。
 読んでいて、森鴎外「山椒大夫」を思い出してしまった。
 安寿と厨子王の物語だ。
 ハッピーエンドではない。母と安寿の悲劇があり、その対極としての厨子王の出世話がある。
 底流のテーマは権力と悪とセックスである。子供向けではセックスは隠されるのだが、子どもは心の中に疑問を持ち続け、大人の性への架け橋にもなりうる物語だ、と思っていたのだが、ウェルズ氏的に言えば、この物語も時代の中で改編されてきたのかもしれない。
 男性中心社会の成立とか、関係あるのだろうなあ。それに、山椒大夫とその仲間の「山賊」という職業も、後世に抽象化されただけで、当時は「山賊」だって、いいところをたくさん持っていたから、生き残れたのだろうし、とまあ、この論文はいろいろな連想を膨らまさせてもくれる。お薦めの論文である。
▽最後の三つの論文は難しいので、除外させてもらう。
 戦争からいじめまであらゆる「暴力」の学際的研究をまだ続けているそうだ。
 地味な研究だが、今や「戦争とは何か」「平和とは何か」「テロとは何か」「反テロ国際協力とは何か」が問われる時代である。本にあるとおり、人間と暴力が切っても切り離せないことが分かった、という。それが分かれば、分かるほど、その暴力をどうコントロールするか、が問われるのだから。貴重な研究をもっともっと続けてほしい。

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2008年8月23日 (土)

ひまつぶし…数字ナゾナゾ~何年か後に役に立つ(かもしれない)ミニ知識

◆16.8%増で1位
 日経新聞8月21日夕刊1面トップ<対中輸出額、対米上回る/戦後初/全体の黒字86%減/貿易統計7月>は財務省が21日発表した7月の貿易統計速報(通関ベース)で中国向けの輸出額が前年同期比16.8%増の1兆2864億円、米国向けの輸出額は11.5%減の1兆2763億円となり、中国向けが米国向けを戦後初めて上回った、中国が日本にとって最大の輸出相手国となった、という内容。
 香港・マカオも含めた中国圏向け輸出量は2007年5月から米国向けを上回っているが、今回は香港・マカオを除く中国向け輸出量で初めて中国向けが米国向けを超えた。中国向けは38カ月連続で増え、米国向けは11カ月連続で減った。米国向け輸出額が2桁減となったのは2カ月連続。円高による輸出価格下落が響いたが、輸出数量も3.4%減った、いう。
◆147.27㌦
 同じ日経新聞8月21日夕刊1面連載企画[記録に揺れる世界経済]㊤<原油や穀物 最高値/新興国の「食欲」旺盛>では北京五輪ならぬ経済分野での記録ラッシュぶりをまとめていた。
◇1バレル=147.27㌦ ニューヨーク原油先物市場のWTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)が7月前半に一時、史上最高値を更新した。原油価格が上昇トレンドをたどり始めた2003年から5年で5倍近く高騰した。
◇1ブッシェル=16.63㌦(大豆)国際指標となるシカゴ商品取引所で7月。トウモロコシは1ブッシェル=7.65㌦(6月)、小麦は1ブッシェル=13.345㌦(2月末)と相次いで最高値。中国やインドなど新興国の経済成長に伴う急激な需要拡大が背景にある。2008~2009穀物年度の小麦の世界需要は6億5000万㌧と過去4年間で7%増加。トウモロコシは8億㌧で同16%増を記録、大豆は2億3800万㌧で16%増だという。
◇1万1793(バルチック海運指数、5月に過去最高を記録)。鉄鉱石や石炭などを運ぶばら積み船の運賃のことだ。新興国の旺盛な「食欲」が資源の活発な荷動きを呼び込んだ、と分析していた。
◇1トロイオンス=1014.6㌦(ニューヨーク市場での金価格、3月に最高値)
◇1㌧=8940㌦(ロンドン市場での銅価格、7月に最高値)
 記事には資源、食料の高騰は世界中にインフレ懸念を引き起こし、特に発展途上国への影響が深刻であること、インド、インドネシア、フィリピンなどでは5、6月にガソリン価格引き上げへの抗議デモが頻発し、アフリカの一部やカリブ海のハイチなどでは食料高騰をめぐる暴動が起きている、とこれまでの経過をコンパクトにまとめてあった。
◆30円
 日経新聞8月22日夕刊1面企画[記録に揺れる世界経済]㊥は<30年ぶり物価高の波/食品軒並み、家計に影>だ。
 価格が安定していて「物価の優等生」といわれたブランド卵の価格が8月から1パックあたり30円程度上がった。「ブランド卵の値上げは初めて。トウモロコシを代表とする飼料価格の高騰などで「今は作れば作るほど赤字になるはず」(都内の鶏卵流通業者)。生産者の悲鳴があがった。」とあった。
 ▽モスフードバーガーは3月28日、モスバーガーを18年ぶりに7%値上げ▽明治乳業は4月1日、牛乳を30年ぶり4%値上げ▽ヒゲタ醤油は4月1日、しょうゆを18年ぶり12%値上げ▽オリジン東秀は4月28日、量り売り総菜を初めて13%アップ▽マルハニチロ食品は7月1日、ソーセージを15年ぶりに実質で12%上げ▽ハウス食品は8月18日、ククレカレーを18年ぶりに実質で5%上げ▽ポッカコーポレーションは10月1日、焼酎用レモンを初めて10%上げる予定――という一覧表が付いていた。
 CPIは6月、生鮮食品を除くベースで前年同月比1・9%アップ。伸び率は消費税率引き上げの時期を除くと15年6カ月ぶりの高さだ、と。ただ、記者は<景気の後退観測が出るなかでの値上げは、モノやサービスの価値を見直す機会。石油危機に始まり、プラザ合意に伴う円高、バブル後の不況。「かつてない」局面を乗り越える知恵が、成長の原動力となってきた。>と結んでいる。「頑張れ、日本企業!」か。
◆16.9%下落
 日経新聞8月23日夕刊1面企画[記録に揺れる世界経済]㊦<米指標不況期並み/住宅下落、景気に重し>で、スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が公表するケース・シラー住宅価格指数である。5月の米主要10都市の住宅価格の下落率が前年同期比16.9%と過去最大。前年比での値下がりは2007年1月以来17カ月連続だった。
 住宅価格の低迷の長期化は1990年8月~1992年2月の19カ月、1992年6月~1994年3月の22カ月以来、十数年ぶりで、米国民の脳裏からは住宅下落の記憶は薄れていたので、「米国の住宅価格は下がらない」という神話が信じられていた。しかし、当時の年間の最大値下がり率は1991年4月の6.3%だったから、今回の調整の大きさがはっきりする、という。
 住宅を担保に買い物をする人が多い米国では、住宅価格の下落が個人の生活を直撃。米家計部門が所有する住宅資産は約20兆㌦(約2200兆円)に上るので、2割その価値が下がれば、4兆㌦の”経済損失”になる、という。
 その他の米国での「記録」は次の通り。▽7月の住宅着工が17年ぶり低水準▽5月の消費者信頼感指数が16年ぶり低水準(コンファレンスボード調べ)▽6月の新車販売が15年ぶり低水準▽5月の米国可処分所得が減税効果で33年ぶり高い伸び▽GM株価が54年ぶり安値▽米、40年ぶりの「戦時政権交代」へ――という横組み表が付いていた。
◆10000時間
 日経新聞8月21日夕刊コラム[あすへの話題]で分子生物学者・福岡伸一さんが<10000時間>というタイトルで興味深い「時間」の話を書いていた。
 世界的コンクールで優勝するピアニスト、囲碁や将棋の名人たち、トップアスリートたちの多くは幼少時を起点として少なくとも10000時間、例外なくそのことだけに集中し、専心し、たゆま努力をしている、という調査結果がある、というお話である。10000時間というのは1日3時間練習したりレッスンを受けると1年に1000時間、それを10年にわたって休まず継続することだ、と。<その上に初めてプロフェッショナルが成り立つ。>というのだ。分子生物学者らしく、
 <DNAの中には、ピアニストの遺伝子も将棋の遺伝子も存在してはいない。DNAには、人を生かすための仕組みが書かれてはいるが、いかに活かすかについては一切記載はない。プロの子弟はしばしば同じ道を進むことが多く、それは一見、遺伝のように見える。けれどもおそらくそうではない。親はDNAではなく環境を与えているのだ。やはり氏より育ち。DNA研究者の偽らざる感慨である。>
 という結びには「なるほど」と思う。お茶の師匠の娘がお茶の師匠になり、歌舞伎の名門の子弟が歌舞伎上手になるのは、DNAではなく、親の居住まいを常に見ているからなのだろう。10000時間。3時間で10年間。5歳で始めると15歳で世界一流になれる、ということか。世のお母さん方の英才教育熱がもっと上がるかもしれないなあ。
◆400倍
 朝日新聞8月22日夕刊コラム[窓 論説委員室から]で辻篤子さんが<偶然の贈りもの>として「月より400倍大きい太陽が、ちょうど400倍遠くにある。月が太陽を完全に隠す皆既日食が見られるのは、この配置のおかげだ。」と書いていた。「自然が、私たち地球人に『黒い太陽』を見せる粋なはからいをしてくれたのか。中国西域のゴビ砂漠まではるばる出かけて見た今月1日の皆既日食が脳裏に浮かんだ。真珠色のコロナと、プロミネンスと呼ばれる紅色の炎に縁取られた黒い太陽は、同行した日食観測歴20回近いベテランもうなる美しさだった。」と。そして、衝撃的な話を教えてくれる。
 <もっとも、この幸運も永遠には続かない。月は毎年3㌢ほど、地球から遠ざかっているからだ。いずれ皆既日食は見られなくなる。せめてそれまでは、自然の贈りものを、たっぷり楽しみたい。>と。来年7月22日にはトカラ列島など南の島々で見られ、その後もほぼ3年に2回、地球のどこかで起きる、という。関東地方で見られるのは2035年だ、というのだが、後期高齢者になっていても元気であり、なおかつ、その日が晴れていれば長旅をしなくとも幸運に巡り合えそうだ。
◆1.5度
 読売新聞8月22日夕刊対社面<115年ぶり最低気温更新/稚内1.5%/8月>は北海道で22日、上空に冷たい空気が流れ込み、道北地方を中心に冷え込み、最低気温が稚内市沼川で1.5度を記録。日本気象協会北海道支社によると、1893年に帯広で観測した2.1度を下回り、道内の観測地点の8月の最低気温としては115年ぶりに記録を更新した、とあった。10月上旬から下旬並みの寒さ、だと。なお、東京・大手町の最低気温は平年を3.6度下回る20.5度と9月中旬並みの涼しさだったという。日本列島がいかに縦に長いか、こういうニュースを読むたびに想起させられる。
◆18億人
 毎日新聞8月3日朝刊1面[余録]に生命と水の切っても切れない関係、として次の数字が載っていた。
 <地球は太陽系の八つの惑星の中で唯一、大量の水をたたえている。その総量は約14億立方㍍に上る。地表の7割を海が占め、私たちの体も6~7割が水分でできているといわれる。まさに、生命をはぐくんできた「水の惑星」だ。>
 <生活に欠かせない淡水は全水量の2.5%に過ぎず、世界の人口がこのまま増加すると深刻な水不足に陥る恐れがある。人口が多いのに水が少ない地域もある。気候変動の影響も見逃せない。2025年には18億人が「絶対的水不足」にさらされるとの指摘もある>
 怖い話だ。日本は水がたくさんあるから、大丈夫と思っていても、どうもそうではないらしい。今、野菜や肉や原料の中に入っている水を日本は相当量輸入している。この輸入量を計算すると、結構怖くなるらしい。
◆1億1000万人
 日経新聞7月31日朝刊コラム[大機小機]は(三角)さん執筆。見出しは<人口政策不在の亡国>、見出しを見ただけで怖いのだが、内容もすごい。経済同友会元代表幹事の小林陽太郎氏が「世界の視界からニホンが消えていく。こうやって生きていくというメッセージがないから世界の人々の目に日本の姿が結実しない」と嘆いたそうだ。(三角)氏は「姿を描けぬ最大の理由は人口政策の不在だ」と断じる。そして、日本経団連会長を務め、小泉構造改革を支えたトヨタ自動車相談役の奥田碩氏の「今の人口をベースに、将来必要になってくる人口、年齢構成がどうあるべきかといった政策が日本にはない。このままでは本当に日本は沈む。日本人だけでやっていけるなど、全くもって精神主義的な話だ」という話を紹介。「実際、衆参両院のねじれで政治が機能不全に陥ったこの1年、人口・移民政策が議論されることはほとんどなかった」と書いている。
 そこで出てくるのがタイトルの数字だ。
 <インド15億9000万人、中国13億9000万人、米国4億人、ナイジェリア2億6000万人、ブラジル2億5000万人。国連の2050年人口推計だ。日本は現在より1600万人減って1億1000万人。50年にはトルコやイランも日本と肩を並べるまで人口を増やすと、この推計はみる。>
 というくだりだ。「人口は経済力の基本。米国は様々な社会問題を抱えながらも移民純増政策を続け、今も人口を毎年300万人程度増やしている。2年前の夏、シンガポール首相府でリー・シェンロン首相に会ったとき、『シンガポールでは毎年、3万から4万人の外国人が永住権を取得し、1万人が新たに市民権を得ている。移民政策は国家発展の土台だ』と熱っぽく話していた。」というエピソードを紹介。
 <シンガポールの人口はわずか440万人。未熟練外国人労働者に厳しい管理政策を取りつつも、所得や能力で一定条件を満たせば積極的に永住権や市民権を与えている。日本とシンガポールでは国情も経済規模も違うという声が聞こえてきそうだが、国際通貨基金(IMF)によると07年の1人当たり国内総生産(GDP)で日本はシンガポールに抜かれた。国民一人ひとりからみて、アジアで最も豊かな国は日本ではなくシンガポール。それが現実だ。>
 <人口政策は数だけでなはない。年齢や職種別の構成をどうするか。移民を増やすなら犯罪防止や教育など幅広い社会制度の変更もついてくる。だが人口政策が定まらなければ将来を見据えた社会保障や成長戦略の絵も描けない。1億人の老大国を覚悟するか回避するか。ここでの選択が日本の将来を左右する。>
 実は反論した部分がたくさんあるのだが、まあ、人口政策が大切であることは間違いない。ただ、そこに至る論議の過程で米国やシンガポールにはない「戦争後遺症」をどうクリアするか、が実は非常に大事な問題ではないか、と思うのだ。
◆781人
 移民政策といえば、1908年6月18日、笠戸丸が781人の移民を乗せてブラジル・サントス港に入港した。今年は日本からブラジルへの移民100年に当たり、この日、ブラジルで盛大な催しがあったそうだ。
 日経新聞7月26日夕刊1面コラム[あすへの話題]でエッセイストのゆたかはじめ氏が<大海原を越えて>のタイトルで書いていた。
 781人中325人は沖縄からの移民だった。沖縄本島中部の金武町には沖縄移民の父といわれる当山久三(といやま・きゅうぞう)氏の銅像が建っているそうだ。笠戸丸より早く1899年に初めて沖縄からハワイに移民を送り出し、移民先はその後、南米各地に及び、戦後アメリカ時代もずっと続いた、と。ハワイでの沖縄出身者の活躍は想像をはるかに超えるものがあった、と書いている。
 沖縄には貧しさゆえの要請など、経済的な要素も否定できないものの、海洋民族の血が騒いで、見知らぬ土地に勇躍挑む潔さがあったのだろう。
 これは日本人が移民に出た100年前の話。今論議すべし、と言っているのは外国人を日本に移民としていかに受け入れるか、の話。大きく時代が変わっているのである。

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2008年8月21日 (木)

大澤真幸、大澤信亮、東浩紀座談会<秋葉原事件と時代の感性>~毎日新聞夕刊から

 秋葉原の17人殺傷事件から2カ月、という節目で毎日新聞は8月20、21両日夕刊文化面に大澤真幸、大澤信亮、東浩紀3氏の座談会を連載した。秋葉原事件についてはいずれ、今までためておいた新聞の切り抜きなどを見直して「まとめ」を書こうと思っていたが、これもそれなりに力が入った連載だったので、あくまでこの記事に限定してコメントを付けた。連載の主な内容とコメントを記しておく。
◆3氏の略歴(紙面によると)
 大澤真幸氏 1958年生まれ。東大大学院博士課程修了。「ナショナリズムの由来」で毎日出版文化賞。今春「<自由>の条件」「不可能性の時代」「逆説の民主主義」を立て続けに刊行。
 大澤信亮氏 1976年生まれ。慶応大学大学院修士課程修了。若年層労働問題の雑誌「フリーターズフリー」「ロスジェネ」編集委員。「宮沢賢治の暴力」で新潮新人賞。
 東浩紀氏 1971年生まれ。東大大学院博士課程修了。東工大特任教授。批評誌「思想地図」編集委員。「存在論的、郵便的」でサントリー学芸賞。ほかに「ゲーム的リアリズムの誕生」など。
 生まれ年には注目しておこう。こうした社会問題では大澤真幸氏が座談会で言っているように、世代的差異が色濃く出るからだ。「ビートルズ世代」「東京オリンピック世代」など。ただ、大澤真幸氏は団塊の世代を「連合赤軍」世代であるかのように言うが、昔はこのような犯罪で世代を分けていなかったと思う。大型犯罪を時代の象徴として考えること自体、新しい傾向だ、ということも踏まえておきたい。
◆2日間の紙面の見出しを人物別に分類すると……
 見出しは、
 真幸氏<メディア上の議論少ない 「無名性」こそが苦しみ 共感だけで連帯できない>
 信亮氏<「誰でもいい」が共感呼ぶ 自己啓発で解決しない 既存システム根本の問題>
 東氏<労働運動の言葉届くか あきらめて主体は安定 愛の損失コストを下げよ>である。
 2カ月という時間の経過を咀嚼した議論ができたのかどうか。この内容ならば「事件後1カ月」時点でも話せたのではないか。2カ月という時間の経過は、もう少し世界状況まで含めて幅広く、なおかつ歴史的に奥深い議論を生むことができたのではないか、とも思うのだが、大事件を現代史に意味づけることが得意な3氏の議論を読みながら、その言葉を拾ってみよう。
◆メディア論・事件の位置付け論
 大澤真幸氏は秋葉原事件についてのマスメディア上での議論が比較的少なかった、90年代のオウム事件や酒鬼薔薇事件では、事件の不可解さからメディアはなぜ事件が起きたか、一所懸命考えたが、2000年前後から犯罪者への関心が急速に下がって「変な人はいる。それよりセキュリティーだ」となった。一方、ネットではものすごい議論がある、と言う。最後の締めとして、「一つの事件が事件以上のものになることがある。僕にとってはオウム事件がそういう意味を持ったし、団塊世代ならば連合赤軍だ。この事件は確実にある人々にとって出来事以上の出来事になると思う」と。
 東氏は「マスコミの言論が社会的包摂の機能を失っているのではないか。事件の意味を見出し、それに社会全体が共感して『異常者』を包摂する構図が信頼されなくなってきた」と分析する。また、「マスメディアの若者像は90年代半ば、援交少女の時代から凍結されている気がする。社会的に事件を包摂できない背景には、そういうマスコミの事情もあると思う。就職氷河期などで世代交代が進まなかった時期にネットが普及したから、ネットと従来のメディアとの関係が、世代間格差に重ね合わされている」と興味深い見方を披露。「今回の事件はタイミング的にもフリーター問題やロスジェネ論壇の盛り上がりと一致していた。象徴的な事件になるよう運命付けられていたと思う」と全体の議論を締めくくっている。
 信亮氏は「分かりやすい原因探しだけでなく、『原因を貧困に求めるな』とか『彼はオタクではなかった』とかの一見『冷静』な判断も一種の思考停止に見えてしまう。必要なのは語る側の内省だ」と話す。
◆「誰でもいい」と匿名性と非正規雇用労働者の労働運動
 東氏は「最近、通り魔事件のキーワードは『誰でもよかった』だが、精神科医の斎藤環氏がいうように被害者だけでなく加害者も誰でもよかったのではないか。『敵は貧困を生み出した経団連なりであるはずが、間違えて秋葉原に行った』という話ではない(この説は雨宮かりんがどこかに書いていた説)。むしろ匿名の誰でもいい加害者が匿名の誰でもいい被害者を殺すことでしか今の怒りは表現できない。その匿名性、あるいは無名性がネットで共感された」と。
 信亮氏は「『反貧困』の湯浅誠氏が言う五重の排除(教育、企業、家族、公的福祉、自分自身)でがんじがらめにとらわれている。その解除を目指すプレカリアート運動(フリーターや派遣など若年層の労働運動)の訴えが最も届けるべき典型的当事者である加藤容疑者に届かなかったことは深刻だ。『自分は被害者』『誰かのせいにしたい』ではない、一方で被害者であり同時に他方で加害者であるという二重性こそが当事者性だと思う」と。
 真幸氏は「ちょうど40年前の永山則夫事件と比較すると、まともな教育を受けられず4人を連続射殺し、獄中で勉強して『貧困による無知が自分の事件を生んだ』との結論に至った。恩師の見田宗介氏は『~からの疎外』の前提に『~への疎外』があると提唱した。

 永山には『~への疎外』があったが、加藤容疑者はそれからも疎外されていたのだろう。『~への疎外』があればまだまし。貧困は『富からの疎外』だが、豊かになりたいという気持ちは『富への疎外』であり、加藤容疑者にはそれがなかった。『~への疎外』の中にいれば、資本家を狙ってテロをする構図になるが、加藤容疑者にはそれすら成り立たない。彼の事件はテロとして失敗しているという意味でテロになっている」と。

 またまた難しそうな言葉を使っているので、頭の悪い私にはすぐには理解できないのだが、つづめて言えばこういうことか。

 永山は勉強してみたら、自分の無知さ加減を知り、事件についても客観的に認識できたが、加藤容疑者は勉強したのに、頭の中がグチャグチャになっていて、訳がわからなくなっていた、と。違うかな?

 東氏は「今の若者は地縁、血縁を意識しないから『自分が選べないもの』をあきらめて受容するという経験が少ない。ペンキ屋さんの息子がペンキ屋を継ぐしかなかったからペンキ屋になったのと違う。ネオリベラリズムによって社会の流動性が高まった結果だ。今の競争社会はギャンブル社会。スタートは同じだが、後はガラガラガシャーンで何人か抜けて残りが負け組みになる。こういう社会では無名性、匿名性の感覚が強くなるから、今回のような事件が共感される」と言う。
◆ではどうする?
 東氏が「僕は肯定しないけれど、無意識のうちに『対策』は生まれている。たとえば自分探しや自己啓発セミナーは『無名のあなた』に『本当の自分』を発見させる術だと言える」と2人から批判されることになる『自分探し』礼賛論をぶって「彼らに欠けているのは自分の人生を自分で引き受けること。自分が選択できないものを選択して、人間は主体を構成する。普通は地縁や血縁。本当はこの場所でこの時代にこの親に生まれたくなかった。でも、それを仕方ないと、いわばあきらめて主体は安定する。あきらめずには大人になれないのに、現代社会ではそのあきらめの回路がうまく働いていない」と主張する。
 そして、赤木智弘氏「『丸山真男』をひっぱたきたい」を、あれは「自分が正社員になれなかったのが耐えられないから世界をリセットしたい」という願望だ、として「正社員になれなかったのは運が悪かっただけかもしれない。不条理は修正する必要はあるが、他方で絶対にある程度の不条理が残るのも確か。その部分は世界の決定事項として引き受けるしかない」との重大発言をする。
 つまり、「お前ら、諦めろよ」と言っている。未練がましく、誰が悪い、彼が悪い、俺はもっとできるはずだ、俺は不当に低く評価されている、という怨念を忘れて、自己啓発セミナーに行きなさい、と勧めているように見える。
 他の2氏は「ではどうする?」という青少年対策、犯罪防止対策などについては、生産的な提言はしていなかったように思う。
 二日間の紙面を通読し、東氏の「諦めろ」論が突出した印象を受けた。
 「諦める」ことが必要なことは言を待たない。

 昔は「分相応」「分不相応」という言葉もあったが、戦後は「平等」が「何でも平等」「何でも一緒」「差異はいけない」と、どんどん拡大解釈され、その拡大解釈への批判を口にしづらい空気が支配する世の中になった。

 誰も「分相応」などという「差別的言辞」を使わなくなった。

 人間の可能性は無限大で、努力すれば大統領にもなれるし、ノーベル賞ももらえる、と「みんな」学校で教わり、「本当にそうかな?」と疑いながら、半分はそう信じながら長い間生きてきた。

 脱構築といい、ポストモダンと言われながら、こんな<戦後民主主義(この言葉が今も生きていること自体、面白いのだが)>が今でも人々の心の中に連綿と生き続けているのが現代の日本社会なのではないか、というのが私の感想だ。

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2008年8月18日 (月)

書評 座談会/辻井喬・尹健次<戦後史のなかの日本>特集=戦後思想再考―「新しい戦争の世紀」から(神奈川大学評論創刊60号記念号より)

 たまに手に取る雑誌なのだが、1970~80年代の、あの問題意識がまだ生きている、というとアナクロニズムみたいだが、そうではなくて、真摯に物事にぶつかる姿勢がいい、と思える雑誌である。

 年3回しか出ないのだが、たとえば3月に出た59号は「特集=グローバル化とナショナル・アイデンティティ~未来のために」で京都大学の大沢真幸氏がトップの対談に出てくる。2007年11月の58号は「特集=ネクスト・ソサエティへ~希望格差社会を超えて」▽2007年7月の57号は「特集=『大きな物語』再論と知識人の役割~未来への思想のリレー」▽2007年3月の56号は「特集=日本近代<知>の巨人たち~時代に屹立する精神」▽2006年11月の55号は「特集=日本の文化と文学―移りゆくものを見つめて」▽2006年7月の54号は「特集=科学文明と魔術の森」、など特集のタイトルを見ただけで面白そうだ。

 神奈川大学評論編集専門委員会は後藤仁委員長と12人の委員からなるが、センスがいいのだろう。

 創刊60号記念号は冷戦が終わったものの、2001年9月11日の同時多発テロとそれへの報復としてのブッシュのアフガン、イラク戦争で幕を開けた「新しい戦争の世紀」に立って、今、「戦後思想」を振り返る、という趣向である。

 まずは辻井喬と尹健次の「対談:戦後史のなかの日本~アジアとつながる思想をめぐって」である。

 辻井喬氏は1927(昭和2)年生まれ。詩人・作家。「鷲がいて」「書庫の母」「新祖国論」「ポスト消費社会のゆくえ」(上野千鶴子氏との共著)など。読売新聞に週1回のペースで1ページの回想録を連載しており、人気抜群。セゾングループ総帥としての経営者の顔よりも、作家としての顔のほうが似合う。

 尹健次氏は1944(昭和19)年生まれ。思想史・日朝関係史専攻。「孤独の歴史意識」「現代韓国の思想」「『在日』を考える」「ソウルで考えたこと」「思想体験の交錯――日本・韓国・在日1945年以後」など。

 対談は尹氏が辻井氏に東大在学中の共産党細胞時代の真実を聞くところから始まる。辻井氏の発言には「立派だ」と思った言葉が多かった。抜き書きするが、分かりやすいように発言の前に見出し風のダイジェストを付け、尹氏の発言の前には★マークをつけておいた。

 (戦後の思想混乱のもとは終戦への言い換え) <無条件降伏を終戦といい替えたところから戦後の思想の混乱が始まっている、と私は思います・あれは敗戦で、したがって、日本の国の制度、組織がほんとうは全面的に変わったんですけども、それを何とか言葉でごまかして、民主主義体制は拒否できないが、それを形骸化しようという動きは最初から私はあったと思うんです。>

 「言い替え」の話である。敗戦を終戦と、だけではない。

 (民主主義「革命」はナショナルなものの取り返し運動) <マッカーサーという軍人がとにかく戦争をすることの好きな人で、彼が実権を持っていたために、かつての日本の指導者をまた活動できるようにした。その間にかつての日本の指導者は、本質的にはすっかり変わってしまって、アメリカの従属国のリーダーとしての姿勢を思想的にも持つようになっておりましたので、その結果として、抑え込まれたナショナリズムというものが地下水脈のように残ってしまった。そこへ、共産主義と、社会主義革命思想が入ってきました。自分のことで考えますと、その当時の大学などでの共産主義の運動のリーダーには、ずいぶん軍隊帰りの人が多かったですね。陸士、海兵、海経。その人たちは、いままでの指導者で戦争に負けたんだから、新しい指導者でナショナルなものを取り戻そうとしたわけです。それを「革命」といっていたというのが、いまから考えるとかなり強い要素だったではなかったのか。>

 属国のリーダーたちは旧体制でもリーダーだった。その下で実権はないのに、命を失いそうになって戦った青年たちが、失敗したリーダーたちを引きずり落とそうとしたのだが、老獪な連中は反省もせず、アメリカ権力に擦り寄って「ポチ」に成り果てただけでなく、日本国民すべてを「ポチ」にした。この怒りが安保闘争だし、反米闘争だったのだ、という主張である。

 (敗戦前の「愛国者」はインチキであること) <ドイツは国内で戦争責任の裁判を行っているんです。日本は行ってないですね。連合軍の裁判だけで済んだのだと認識しているわけです。ですから、私にとっては敗戦前の「愛国者」「民族主義者」、いずれも括弧付きです。これはたいしたことのない愛国者であり民族主義者だったんじゃないかと思うのです。と申しますのは、マッカーサーが日本をほんとうに使おうとして、追放を解除し、戦犯を釈放しますね。そのとき私は一人でもいいから「アメリカの命令で釈放されても私は活動する気にはなれない。こんな恥ずかしいことはない」といって自決でもするような元指導者がいたら、その人は本来の民族派だったなと思うのですが、みんな喜んで、尻尾を振ってノコノコ、巣鴨拘置所から出てきたわけです。それで偉そうな顔をするなというのは、恥の上塗りという言葉が日本にはありますけれども、マッカーサーの変節で、とにかく共産主義の防波堤に使おうとしているわけですから。それに尻尾を振って喜んでマッカーサーバンザイといって、総理にまでなったひともいるのでね。元をただせば、戦争責任をあいまいにしたからです。これが思想的な低俗化、堕落の根本原因だとぼくは思います。>

 戦争責任問題と、今の日本の行き詰まりをこのように鋭利に関連付ける言説はめったに見られなくなったなあ。でも、辻井氏の言うことはまったく正しい。

 (吉田茂の評価) <負けた国が軍隊を持ったら、いままでの歴史を見てもろくなことがないんです。戦争に勝った国の顎使に甘んじて一番危険なところへ負けた国の軍隊は派遣される。日本は戦争で経済もムチャクチャになり、この復興をすることが第一なので、何とか軍隊を持たないでいきたいというように吉田茂は考えたんですね。私は、リベラルなナショナリストという意味では吉田茂という人は存在意義があったと思いますね。>

 (新左翼の誕生) 辻井氏は「ところが」と言って、当時の「革新」はミソもクソも一緒にして、ソビエト体制に賛成か反対かで、ソ連体制に疑問を呈する奴は全部敵、反動分子としてしまったので、革新派は大衆からどんどん孤立した。しかし、大衆には「もう戦争は嫌だ」という気持ちが強かったので、拙劣で稚拙なスローガンしか言わないような革新派でも3分の1は取れた、といい、「そういう意味では60年安保、全国的な安保運動、これをどう評価するかも、日本の戦後史を考える上で大きな問題」という。しかし、いまだに60年安保の改定反対運動はどっちが勝ったか決着がついていない、という。いわゆる新左翼の一部の人が「あの時に全学連の学生が全員国会へ突入すれば勝てた」というのだそうだ。辻井氏は「これはアジア全体の情勢を何も見ていない。しかし、全学連の国会突入を阻止したのは共産党である、そういう平和ボケした共産党を叩き潰すのが本当の左翼の運動だ、と今も言っています。あの60年安保改定反対運動から新左翼が生まれてくるわけですね」と分析する。そして、次のように話す。

 (所得倍増反対に固執してしまった革新派) <ぼくはあのときには、安保改定反対運動派が勝ったと思っているんです。なぜならば内閣を辞めさせたわけですから。それから、イデオロギー闘争を放棄させた。もうイデオロギー闘争なんかしないで、とにかく所得倍増でいこうと。ぼくも大衆の一員として、所得が倍増になったらそのほうがいいなと思いましたし。ところが古い左翼もそうなんですけれども、所得倍増は嘘だ、騙されるなといって反対をするんですね。だけど、どんどん経済は発展していくわけです。そうすると、反対、反対といっていてもだんだん生活は、格差はもちろんその中で生まれていますが、向上し、そうなると旧革新系がだんだんやせていくのはやむを得ないいきさつだったと思います。>

 (ベトナム戦争は共産主義との戦争ではない) 辻井氏はベトナム戦争の時、アメリカ人が「ベトナムが共産化すればインドネシアもフィリピンも共産化する」というドミノ理論を言って「だから、アメリカは犠牲を覚悟の上でベトナムに兵隊を出している、真空状態にするわけにはいかない」と言うので、「ベトナムにはアメリカなんか及びもつかない長い生活の歴史があり、1500年は越えているだろう。その人たちにとってはアメリカがいようがいまいが、真空状態になるなんていうことはあり得ない。あなた方はアジア人を見損なっている」と主張した。「ベトナムの戦争は共産主義の戦争ではなく民族主義の戦争です。それをあえて共産主義の起こした戦争だ、と言い換えている。これはアメリカがおかしいんじゃないか、と言って、そこで徹底的にぼくは孤立しました」と話している。その日米経済人の会合で、辻井氏以外の日本の経営者はアメリカ人に同調したのだが、その原因について辻井氏は「変な国粋主義が15年間、事実上20年にわたり日本支配をし続けていた時代があって、敗戦のときにその歴史印決着をつけないできていますから、アレルギーがずっと残っていて、それは革新勢力をも非常に弱くしたと思っています。ベトナム戦争の時はほんとうにそれを痛切に感じました」と語っている。

 (市場原理主義について) <日本は取るべき道とは逆に行ってしまいました。大きく切り替えるべき時に自由競争原理主義のような、ヒットラーになり損ねたデマゴーグが出てきて、あれは決定的に日本を不幸にする道へ導くものです。分岐点を、悪いほうへわざと渡ってしまったと思うんです。中国はそういうことがないようにしてもらいたいと思います。>

 ★(尹氏の発言=日本の若者こそ日本政府に反日教育を受けている) <日本が謝罪・補償も何もしないなかで、何らかの拍子で中国で反日デモが起こると、あれは愛国教育、反日教育の結果だというんですけれども、2000万人もの人間が日本軍に殺されたという中国で、日本を恨みに思わないわけがないのであって、だから国内的要因がさまざまに複合的に絡み合っていたとしても、日本に対して怒るのはあたりまえです。それを日本のマスコミは「反日デモ」だといって難癖をつけて、その要因はといって、常に相手に罪を求めるわけですよね。それはおかしいわけです。私は日本の若者こそhんにち教育を受けていると思います。たまたま勝手に産み落とされて、自分が自覚しない間に教育を受けて日本人に仕立て上げられて、日本国民だといわれているその本人印、大学生に聞いてみると、自分の国の歴史を知らないですよ。日本国民として育てられて、日本国の近代、現代の歴史を知らされていないんですよ。これが反日教育でなくて何かというわけです。>

 (日本人が口を挟むべきでない朝鮮半島の統一問題) <ぼくは実を言うと朝鮮民主主義人民共和国にだけ行ってないんです。何遍も来てくれといわれました。なえぼくが行くんですかといったら、南北統一を進めたいから、北へ行って、統一をすべきだということをいってくれ、みたいなことをいわれました。社会党の幹部の人でしたが、ぼくはびっくりしました。社会党は歴史に対してそんな認識なのかと。そんな発言権が日本人にあると思っていることがまず基本的な間違いだと、ぼくは今でも思っています。統一をしたほうがいいにきまっているけれども。それは朝鮮半島に住む人々が話し合って決めるべきことで、わけても日本人は発言権がないんだと。日本の帝国主義がそういう歴史をつくったんだから、その恥ずべき事実を忘れてはいけないと、思わず声を荒げて議論したのをいま思い出しました。強いて言えば、国内問題、朝鮮半島に住む人の内部の問題なんです。>

 ★(出自に拘れ、と尹氏) 尹氏の「日本人の意識、日本のマスコミの中では、南北は完全に分離されたまま固定していますね」と鋭い観察の言葉。辻井氏も「そうでしょう。あれは不思議です。どうしてそんな感覚ができるのか」と答えている。言われてみれば、そうだなあ、と思う。別の国、と思っている。生まれて約60年、ずっとそうだった。尹氏は「もう少し日本人としての歴史的認識を持つべきであろうかと思います。森崎和江さんが去年お出しになった著作で、日本の女として一人前にんりたいから旅寝を重ねたとおっしゃっていますが、私は偉いと思うんです」といい、在日朝鮮人だけでなく、日本人も自分の出自、来歴に拘るべきだ、という。「出自、来歴は自分で選べないからこそ、それにこだわってこそ、やがては世界に通じる市民になれるはずです。その固有性を否定するとだめだ、、と思うのです」と。

 (アジアの近代の形) <日本の知識人が認識を曇らせてしまう一つの条件として、モダニズムの問題があると思うのです。つまり、韓国に近代があったか、中国に近代があったあk、というわけです。それがほんとうはとてもおかしな話で、では日本にはあったのか。そもそも近代、モダンというものは何なんだ、と。日本の知識人の場合はほとんどがヨーロッパ型近代という概念しかないわけです。ぼくはアジアのモダン、近代というのがなくてはならないのではないかと思うのです。というのいは現在アジアのほとんどの国が経済の発展過程に入りつつあります。経済は数字、GDPとして出てくる数字などでどれだけ大きくなったかを計ります。しかしヨーロッパ型の近代社会はなかなかできない。どうもアジア印はアジア流の近代というものがあるのではないか。…専制主義ではない秩序というか、近代秩序というものが構想されなければならないところへ来ているのではないでしょうか。>

 ★(尹氏=本文化論の危うさ、閉鎖性) 尹氏は「非ヨーロッパ的近代」といい、日本の場合にはアジアと繋がった意味での日本の近代化ということになるが、それがない、戦前は軍国主義できたし、思想哲学といえば京都哲学で近代の超克といって非ヨーロッパだけれども、ではアジアとつながっているか、というと、繋がっていない。そうすると日本主義、日本精神になる。日本精神の核はやはり天皇主義になる。日本が敗戦して、そこを反省すればよかったが、反省できないからアジアとつながらない。さらに日本が調子よくなると、ヨーロッパを排除して日本文化論になる、と「日本文化論」の閉鎖性、危うさを論じた。

 ★(尹氏=日本はアジア侵略を謝罪していない)<日本の国家、国家としての日本というのは、アジア侵略を謝罪していない。学生に聞くと、右翼の人と同じで何回謝罪すればいいのか、と言うが、一度もしていない。日本国憲法第41条に国会は国権の最高機関と書いてある。国権の最高機関は総理大臣ではないんです。天皇でもないし。都合のよいように、そのときどき、好きなことをいえばいいわけではないのです。日本の国会は一度も謝罪決議をしたことがないし、補償もしたことがない。何もしていないんです。これでアジアとつながろとうというのは無なんです。終戦50年決議もとんでもない決議だったし。あれは自分の責任をうやむやにする。そこがまずだめなんです。(もうちょっとはっりさせることは)自民党が許さない。そういう風に考えると、経済も大事ですが、文化が必要です。そして文化の前提として、歴史認識、謝罪、それをしなくてはいけないということになると思うのです・戦後日本で最大の問題はアジアの問題です。これはずっとつながっています。戦後六十数年たってまだやっているわけですからね。いつまでやるか。しかも若い人は何も知らないわけですから、これはもうどうにもならないですね。>

 (我がこととして天皇制のことを考える) <天皇制の問題って自分の問題なんです。我がこととして天皇制の問題を考えないと、知識として考えてもだめなんです。というのは、ユングではありませんが、集合的無意識という厄介なものがありまして、この力は大きいですね。どういうことかというと、たとえば昭和天皇が病気になったときに、ほとんど1カ月半ぐらい天皇の病気の話ばっかり。…病名すら発表しない。発表できないようなものだったら日ごろメディアだなんて威張るなといいたいんですけどもね。足だけは癌だということを最初にいったのかな。あれは不思議です。ぼくは日本は全然変わっていないという感じがした。>

 (朝鮮植民地統治は最悪の帝国主義だった) <朝鮮の問題は、植民地統治をした。しかも、あの支配はひどすぎます。日本の帝国主義というのは最も質の悪い帝国主義だったとぼくは思います。なぜそんないnもっとも質の悪い帝国主義になったかというと、国内での民衆支配の仕方も最も質が悪いからなんです。だから国内の問題と植民地支配の問題は共通している。ぼくは、差別されるほうの育ちですから、差別している奴は理屈ではなくて感覚的にだめなんです。それでも集合的無意識という問題には自分の問題としてぶつかります。>

 (批判者を失った資本主義の悪い面が出たイラク戦争) <「戦争」という言葉もよっぽど気をつけて使わないといけませんね。今世紀に入って起こっているのは、古い意味で戦争とは違うとぼくは思うのです。それをアメリカだけが古い意味の戦争にすりかえて、イラクを攻めたりしているんですが、あれは完全問題の本質を古い戦争にすりかえてやっている。反テロ戦争だという言い方をしますが、これはちょっと違う。現在は産業社会の堕落と、堕落することによってひどくなる資本主義、つまり批判者を失った資本主義の悪い面が出てきている。それに対する批判の一部がテロみたいな形で出現したのであって、イラク国家がアメリカと戦争をしようとしてやったものではありません。…日本がそれに追随しているというのはなんともお粗末な限りだけれども、あれは産業社会の否定的な側面をどうやって乗り越えるかという課題を間違えた形で出した。テロ自体はもちろんよくないんだけれども、昔の戦争と同じとは絶対いえない要素がある。だから、戦後思想という場合に、天皇制と朝鮮の問題を抜きにした日本の民主主義というのはかなり危ういものあよということなんですけrてども、その危うい民主主義思想でもって新しい戦争の時代に向かうと、これはちょっと危ないという感じがぼくはしています。>

 最後に辻井氏は新しいタイプの共同体、新しい国際的共同体を形成する必要がある、という。個人個人の夫婦間とか、家族間の共同体をベースにした、人権、平等、社会的意識みたいなものをはっきりした共同体を構想していくしか、今の状態を直していく方法はでてこないんjなないか、という。今の資本主義がこのまま進むとは考えられないが、オールタナティブは社会主義ではない。共同主義とでもいうようなものが必要だ、というのだ。グローバルに対する反グローバルを意識した共同体というようなものだ、という。

 酒井直樹氏「戦後史への疑問」、橘川俊忠氏「論壇時評 思想問題としての戦後」など、興味深い論文が多く、またの機会に書評を書くことにしよう。

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2008年8月17日 (日)

口パク、「56民族の子」は嘘・・・北京五輪開会式の過剰演出はフェイクなのか

 北京五輪開会式の「やり過ぎ」がいろいろ話題になっている。
 まず、8日夜の開会式で雨が降らなかったのは「中国当局がロケット1000発余を発射し、接近してきた雨雲を散らすことに成功した可能性があることが9日分かった。新華社電が伝えた」(日経8月9日夕刊対社面<雨雲を散らすロケット発射? 開会式、新華社報道>)というもの。
 日経は続けて「新華社電によると、北京市気象当局は8日、北京市内の南西から開会式が開かれる国家体育館(愛称・鳥の巣)がある北東方向に雨雲が接近しつつあると察知。同日夕以降、ヨウ化銀を含んだ小型ロケット1041発を市内21ヵ所から発射し、鳥の巣上空に雲が到達する前に、郊外で雨を降らせたという」と書いている。
 フーン、白髪三千条の世界だな、これは。「ここまでやるか」、とは思うが、ここは素直に中国の科学技術の素晴らしさと科学を日常生活や政治にすぐさま取り入れることのできる柔軟さに敬服すべきだろう。何しろ、祝賀ムードに沸く中国では開会式のテレビ視聴率が83.6%を記録した、と国際オリンピック委員会(IOC)が発表したそうで、中国内で8億4000万人が最終走者が宙に舞うなどした祭典の映像にくぎ付けになったというのだ。「IOCは「驚くべき数字」と表現している」と朝日新聞11日付朝刊対社面が報じていた。中国共産党にしたら絶対に失敗できない世紀の事業だったのだ。雨を移動させるくらい、何ともなかったのかもしれない。
 この雨、なぜ中国当局がそこまで神経質になったのか、と疑問だったのだが、朝日新聞12日夕刊対社面<「足跡花火」実はCG映像 五輪開会式>を読んで納得した。
 <国際オリンピック委員会は12日の会見で、北京五輪の開会式で花火がテレビ放映された際、巨人の足跡を表現した花火は、開会式以前に打ち上げられた花火の映像を使っていたことを明らかにした。地元紙の報道によると、過去の映像をコンピューター・グラフィックス(CG)の技術を使って組み合わせたという>
 という前文である。
 <この花火は、第29回の五輪にちなんで、巨人が北京市南部から天安門広場を通り、開会式会場の国家体育場(愛称・鳥の巣)に向かって29個の大きな足跡を刻むという演出。花火は実際に打ち上げられたが、航空管制があり、撮影も角度の問題から難しいことから、最初の28歩、55秒間は過去の映像を使うことに決めた。最後の1歩は、鳥の巣から打ち上げられた実際の花火を使ったという。>
 <報道によると、北京五輪の映像効果担当者らが認めた。CGを駆使した花火の特殊映像は約1年かけて準備したものだったという。>
 <北京の五輪関係者は「生中継する際、失敗しないため合成映像を使うことは普通にあることだ」と話した。>
 という内容。中国はここでも素晴らしい技術を駆使していたのだ。ただ、どのように夜空に映したかは知らないが、雨が降ったら失敗していただろう。実際の花火だったら、雨の中でもきれいに花開くが、CGはそうはいかないからだ。なるほど、このために雨を消すロケットを打ち上げたのか、と納得したのだ。
 しかし、それだけではなかった。今度は「口パク」疑惑である。
 毎日新聞13日朝刊対社面<豪華開会式「過剰演出」あちこちに/9歳少女の歌は「口パク」/実は別の7歳が……>は北京発の共同通信電を使い、以下のように報じた。
 <北京五輪開会式で、中国国旗が五輪メーン会場の国家体育場(愛称・鳥の巣)に入る際、9歳の少女が革命歌曲を歌う場面が、実際は別の7歳の少女が歌った「口パク」だったことが12日分かった。中国の通信社、中国新聞社が同日伝えた。音楽を担当した作曲家、陳其鋼氏は「国家利益のためだ」と説明しているが、国内からも批判の声が出ている。>
 <革命歌曲「歌唱祖国」を歌った画面が放映されたのは林妙可さん(9)。大舞台の緊張をはねのけ、お下げ髪で笑顔を絶やさずに歌う様子がメディアで反響を呼び「微笑の天使」と大きく取り上げられた。ところが、実際に歌っていたのは北京大付属小学校1年の楊沛宜さん(7)だった。林さんが事前に声の差し替えがあると知っていたかどうかは不明。楊さんは「開会式で自分の声が出ただけで満足」とコメントした。>
 読売14日付朝刊対社面は<開会式の歌は「口パク」 「容姿抜群」「歌声抜群」2人組み合わせる>ともっとどぎつい見出し。
 <インターネット掲示板などでは、子供に「口パク」させたことや、容姿で子供をふるいにかけたことへの非難が続出した。楊さんは中国メディアの取材に、「自分の声が流れただけで満足です」と答えているという。>
 と、中国人もこの演出を問題視している、と書いた。
 さすがにここまでくると、各紙のコラムニストもほっておかない。
 朝日新聞14日「天声人語」は野口みずき選手の欠場を惜しみながら、一転「政治が絡む五輪には虚実が交じる。特に北京の開会式は『虚』の世界だった」として、次のように書いた。
 <千発もの「消雨弾」が雲に撃ち込まれ、花火の映像は一部CG、美少女の独唱は口パクだった。裏で歌ったのは、見た目は及ばぬが声は一番とされた別の少女である。音楽総監督は「国益を考えた」と明かした>
 野口みずきさんの欠場という決断は「実」そのものだったのに、その反対に、中国の「虚」が目立つ、と。
 中国共産党もあわてたらしい。毎日新聞15日朝刊社会面<「口パク」報道禁止令 北京共産党委>は北京発の共同通信電で、共産党のアタフタぶりを以下のように伝えている。
 <中国メディア関係者は14日、開会式で少女が革命歌曲を歌う場面が別の少女の”口パク”だった問題について、共産党の北京市委員会宣伝部から同日、報道しないよう通知があったことを明らかにした。口パク問題に対し国際的な批判が集まる中、国内でも否定的な意見が多く、メディアの報道を禁止して共産党や北京五輪組織委員会への批判が広がるのを抑えるのが狙いとみられる。>
 朝日新聞15日付朝刊は1面、2面で中国当局によるメディア規制について特集した。
 <北京五輪開幕直前の8月上旬、中国当局が国内メディア各社に対し、五輪期間中の独自取材を厳しく規制し、違反には廃業や罰金などの処分を科すとする内部通達を出していたことが明らかになった。中国当局はメディアへの開放度をアピールしているが、足元では引き締めを強めていた。>
 という1面前文で、中国共産党中央宣伝部がマスコミ各社に出した通達の内容を詳述している。インターネット掲示板への「国家の利益に反する意見」の書き込みの削除も徹底するよう、指示している、というのだ。2面[時時刻刻]の見出しを見ただけでもすごい。<中国国内メディア規制/五輪報道がんじがらめ/独自取材に高額罰金/「ナショナリズムあおれ」指示/記者証、国営2社に9割/地方紙「自国で取材できぬとは」>である。中国のニュースメディアは「共産党ののどと舌」と言われ、党や政府の方針を伝えることが第一の役割とされる、とある。新聞は約2000紙あり、最近は大衆紙が急増していると。豊かになれば時間もできるし、スキャンダルや下世話な話題が掲載された紙面を読みたくなるのだろう。日本だってそうだった。テレビは2006年現在でチャンネル数は全部で2983ある、と。この他にインターネットのニュースサイトがあるから、中国共産党がいくら人海戦術で規制しようとしてもなかなか難しいのだろう。
 毎日新聞16日朝刊[余録]も1950年代に毛沢東の指導の下に進められた大躍進政策のPRのために、中国農村のびっしり密集して植えられた稲の上に子供が乗っている写真がトリックだったこと、大躍進はさんたんたる失敗で多数の餓死者を出す大凶作を招いたが、そんなトリックも交えた情報操作を民衆動員に利用してきた中国政治だった、と振り返り、やおら五輪開会式の様々なトリックを取り上げる。
 <内外で物議をかもすことになったのが開会式の演出のトリックだ▲ことは少女による革命歌曲の歌唱が、実は別の少女の歌声だったという「口パク」の一件だ。言ってみればそれだけの話だが、少女らの心を傷つけたであろうこの演出が、共産党幹部の指示によるとの報道や、国家利益を考慮した措置だったとの説明がなされれば論議も起ころう▲欧米のメディアは中国当局の”偽装”を批判し、国内のネットでも「人々の感情をもてあそんだ」などといった非難が出た。広がる騒ぎに、とうとう共産党の北京市委員会は口パク問題についての国内メディアの報道を禁止してしまったのだ▲結局、口パク騒動が浮き彫りにしたのは、演出の細部からその報道まで政治的に統制された五輪の舞台裏だ。躍動する人間の美と真実とをたたえる五輪の成功は、統制の稲束の上ではなく自由な報道と言論の上で実現してほしい>
 日本人ならば当然言いそうな内容である。欧米のメディアもこのような見方で一致しているのだろう。

 さらに15日には「民族偽装」問題まで持ち上がった。

 北京五輪組織委員会が15日、開会式で「中国の56民族を代表する」と紹介した民族衣装の子どもたちのうち、少数民族の子どもは少数で、ほとんどが漢族の子どもが少数民族の衣装を着ていた、と発表した。まあ、漢族は人口の92%を占める多数派だから、目くじら立てなくても、とも思うのだが、配布資料にも「中国の56民族から56人」とあり、これもフェイクだ、とされて、各紙とも16日朝刊で目立つ扱いをした。

 もはや、日本の新聞社会面は「中国フェイクばかばかし五輪」のお笑いショーのようになってきた。
 そんな中で、東京新聞16日夕刊1面<「偽装」続々/五輪開会式 花火の次は口パク/一部では「一般的な演出」/中国の「慣れ」指摘も>はこの問題を少し突き放したスタンスで、なるべく客観的に扱おうと努力した記事だった。
 最後に(北京・共同)とあるので、共同通信社の北京特派員がまとめた記事のようだ。
 口パク問題から入っている。
 開会式の音楽を担当した中国の著名作曲家、陳其鋼氏が「仕方がなかった。(共産党)中央政治局指導者の意見があった」として、リハーサルを見た党指導部の指示で、画面の少女と違う少女の声を充てたことを北京のラジオ局に”告白”した、という。
 <北京五輪組織委員会の孫偉徳新聞宣伝副部長も「責任者が最高の組み合わせを選んだ」と説明した、と。しかし、一人の少女が歌ったと信じ、華やかな開会式に目を見張った世界の観衆は「フェイク(偽装)」(英紙)に一杯食わされた格好だ。>
 ところが、東京新聞のすごいところは、
 <一方、中国国内では、口パクや花火の合成映像について「結果的にすばらしい演出。何を目くじら立てるのか」(二十代の映像編集者)との声も。公安関係者は「中国の大きな大会での演出では”口パク”は一般的。批判する人は中国の国情を知らない」と反発。さらに「外国メディアは中国に対し(おとしめようとの)意図があり警戒しなければならない」(北京の大学教授)と「ナショナリズム」の影もちらつく。>
 と、深い取材の成果を紙面化していることだ。さらに、
 <中国社会の「偽装慣れ」を指摘する声も。北京の大学教授はウェブ雑誌への論文で「学歴、証明書、数字、ニュースーー。あらゆる分野で毎日のように偽造が行われている」とし「事件は国の恥。国家のメンツと偽造が中華民族を滅ぼす」と懸念を示した。>
 と、”良心派”の声も紹介。
 <反響の大きさを気にした中国当局は”口パク”など偽装に関する報道を控えるようメディアに指示。国内での報道はほとんど消えた。陳氏のインタビューも一部ウェブサイトに転載後、削除。北京のフリー記者は「当局者はニュースと宣伝の境界が分からなくなっている」と批判。中国電媒大学の宮承波教授(メディア論)も「開会式は映画ではないのだから偽装はせず真実に重きを置くべきだった」と指摘した。中国誌の幹部は「昔ながらのばからしいやり方を国際的な大イベントでやったから海外から批判を浴びた。中国国内では何も驚くことではない。個人の尊厳を無視し党のメンツを優先させる共産党の古い体質がそのまま表れた」と話す。>
 と、様々な立場の中国人の見方を紹介した。結びの言葉は次の通り。
 <国を挙げての「政治運動」(反体制活動家)の側面を持ち一つのミスも許されない五輪。「世界の祭典」であるはずの開会式は「中国の祭典」の振り付けにこだわり、「一つの世界」のスローガンと裏腹に中国の異質さを世界に印象づけてしまった。>
 この記事にめぐりあって、ようやく読みたい記事が出てきた感じがした。
 そうなのだ。欧米の反応は聞かなくても分かっている。そのような欧米の反応を一般の中国人、特に知識階級の人やエリート層はどうとらえているのか? ただ単にナショナリズムで固まるだけなのか? それとも世界の常識を知ることができるのか? という疑問に少しは答えようとしているのだ。
 東京五輪で日本人はアメリカ人だけでなく、欧州の人々を現実に見て、世界の常識が日本の常識と同じではないことに気付いた。ソウル五輪で、それまで情報過疎地帯に置かれていたことすら知らなかった韓国の人たちが世界を知った。中国の人々にとっては今回が世界を知るチャンスになる。
 その意味では欧米や日本の常識と違うから、というだけの理由で真正面から非難するよりも、このように多面的な見方を紹介しながら「変化」を期待したほうが生産的ではないか、と思うのだが。

 (追記)2008年8月19日

 朝日新聞18日夕刊総合面[窓~論説委員室から]<北京と東京、五輪の空>で伊藤智章氏が1964年の東京五輪当時の大気汚染のほうが今の北京の大気汚染よりもひどかったのではないか、という環境問題の論客、中西準子さんの話を書いていた。三菱総研、国立環境研究所などの資料を見ても44年前の東京は今の北京に比べ二酸化硫黄濃度が1.5倍。一酸化炭素は2倍以上。浮遊粒子状物質もほぼ同じレベルだった、と。

 そして、当時は高度経済成長真っ盛りで池袋に住んでいた中西さんは空気が悪くて咳き込んだり、汚れた川に近づけなかったりした思い出があるというが、伊藤氏の思い出の東京五輪は澄んだ青空の開会式に代表され、輝ける成功体験の印象が強かった、という。

 <一方で、海外からの批判も気にして自動車や工事の規制までする、いまの中国をいくぶんこっけいにみている気がする。本当は日本こそ、五輪のときから公害対策を本格化させるべきだったのに。>

 <中西さんも「自分たちが通り過ぎた時代を忘れ、いまの感覚だけでモノをみている」と現在の風潮を気にしていた。>

 と、ここで、朝日新聞の論説委員の中からも東京五輪、北京五輪の時代状況を冷静に比較するコラムが出てきた。メダル争い報道に一服感が出たので、ようやく「考えた記事」が出始めたのかもしれない。

 この日の朝日新聞夕刊社会面トップは開会式・閉会式の総監督である張芸謀(チャン・イーモウ)氏との単独会見を掲載、<口パク演出「私が決めた」「五輪刺激に交流進めば」>の見出しで、口パクは許容範囲内だが、西側メディアの批判は気にしない、というインタビュー内容を載せていた。

 読売新聞18日夕刊1面トップは<中国「金」に熱狂>と、残り1週間の折り返し地点を過ぎ、金メダル数で中国が35と二位の米国19個に16個の差をつけていることを報じ「テレビは画面下に、頻繁に国別メダル数を流し、メダリストを総動員して称賛する番組も放映されている」と。日本が初参加したストックホルム五輪(1912年)からアテネまでに獲得した金メダル総数114個。中国はアテネまで112個で、11日には「日本が過去に獲得した金メダル数を抜いた」の報道もあったという。相当に日本を意識してくれているだなあ、と何かうれしくなる記事だ。朝日も1面で<金メダル中国独走>を載せていた。

 ところが、中国の五輪特需は期待外れだという。日経新聞18日夕刊1面<中国、五輪特需意「期待外れ」/家電販売やホテルの集客伸びず/景気一段と減速も>と日経らしいトップ記事。競技観戦用の需要増が見込まれていた液晶テレビなど家電製品が鈍く、ホテルの集客数も期待した水準に達していない、と。本当ならば、五輪後の景気後退期の落ち込みがひどくなるのか?

 18日夕刊各紙は陸上110㍍障害で劉翔選手の棄権を報じた。中国の「英雄」が脚の故障で競技直前というか、フライングやり直しの時点で「走れない」と棄権したのだ。読売新聞19日朝刊国際面<棄権の劉翔ネットで袋だたき/「逃げ劉」「脱走兵め」>には驚いた。中国のインターネットが18日、劉翔選手を罵倒する声であふれかえった、というのだ。

 <国民の期待を一身に集めた英雄が、転落した瞬間、無数の”つぶて”を浴びた。>

 <「この脱走兵め」「意気地なし」「13億人を傷つけた。新記録だ」……大手サイト掲示板に殺到する万単位の書き込み。多くが怒っている。ライバルの強さを知る中国国民はもともと金メダルは難しいと見ていたが、こんな形での敗北は想定外だった。「逃げ劉」―-四川大地震で生徒を放って校舎から逃げた教師と同じ呼び方がすぐに広がった。>

 <「がっぽりもうけて最後はこれか」というカネ絡みの批判も非常に多い。超格差社会の特徴だ。中国誌によると、CMで引っ張りだこの劉翔選手は昨年、推定6000万~7000万元(約9億6000万~11億2000万円)の収入があった。>

 と、連綿と悪口の紹介があり、最後の締めは、次の文章だった。

 <沸騰する掲示板にこんな書き込みがあった。「異常な社会だ。非常に多くの中国人が、責任と義務を他人に押しつけようとし、その人が成功すれば天まで持ち上げる。そのかわり、失敗すれば地獄に落とす」>

 これも中国社会の一面である。

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2008年8月14日 (木)

書評 近藤健著「反米主義」

 講談社現代新書、2008年8月20日第1刷発行、定価777円。

反米主義 (講談社現代新書 1956) 反米主義 (講談社現代新書 1956)

著者:近藤 健
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 本の著者紹介によると、近藤健氏は1933年生まれ、国際基督教大学卒業、毎日新聞社入社後、サイゴン特派員、ワシントン特派員、外信部長、ワシントン士局長、論説委員などを務める。退社後は国際基督教大学教授、愛知学院大学教授を務める。専門はアメリカ研究。著書に「もうひとつの日米関係」(ジャパン・タイムズ)、「アメリカの内なる文化戦争」(日本評論社)などがある。
 新書でわずか254ページの本なのに、内容は濃密だ。「反米主義」の定義論から始まって、「アメリカニズム」とは何か、を説き、世界のアメリカニゼーションが文化の押し付けなのかどうか、を論じ、最後に日本の「反米」「日米関係」の表層と水面下の無意識にまで迫る遠大なテーマを論じようとしている。
◆結論は自分探し
 著者の結論は「はじめに」にある<アメリカの時代が終わりつつあることは事実である。だが、アメリカが覇権国の座を降りたとしても、「混み合った場所」としてのアメリカは、世界の縮図であることに変わりない。混み合ってくるにつれて、純粋、固有を主張して迫られる文化変容に抵抗する勢力が台頭することも、また自然である。反米主義現象はこうした葛藤と矛盾のはけぐちである側面も見逃せない。それは、混み合った場所化する世界での自分探しなのである>の部分なのだろう。異文化接触の度合いが強まって、その密度も濃くなっている現在、世界はエドワード・W・サイードのいう「混み合った場所」になりつつあり、雑種化が進んでいる、という基本認識がある。そして、アメリカは移民国家で建国以来たえず異質の文化を受け入れ、そのたびに人種、民族、宗教などをめぐる葛藤を繰り返しつつ統合を保ってきた。多文化社会であるとともに雑種文化化が進んでいる社会でもあり、多くの矛盾を抱えた社会でもある、としたうえで、「いま世界各地で起こっている人種、民族、宗教をめぐる混乱、偏見、闘争は、アメリカの経験してきた、またいまだに経験しつつある、葛藤と矛盾であるといえるのではないだろうか」と言う。だから、<混み合った場所化する世界での自分探し>なのだ、という。サイードを知らないと理解できないような難しい内容を「はじめに」から読まされるので、非常にしんどいのだが、読み続ける。
◆反米主義の5タイプ
 「反米主義」という「反○主義」の形で他国を呼ぶことはない。つまり、アメリカだけが特殊なのだ。
 反米主義のタイプ分けを見てみると、まず「アメリカ一極支配への抵抗」がある、という。国際政治における権力をめぐる反米主義である。シラク仏大統領の多極的世界秩序構想は基底にドゴール主義(ゴーリズム)がる。フランスの人口学者エマニュエル・トッドが「帝国以後―アメリカ・システムの崩壊」でアメリカは1945年―65年の間は真の帝国だったが、それ以後は自ら帝国の位置から降りたとし、ヨーロッパ連合(EU)・ロシア・日本・アメリカという5大パワーの多極世界の到来を予測している。トッドは2006年10月30日の朝h子音分で軍事同盟から解放され対米従属から脱して多極世界の1極となるために「日本も核を持て」と勧めている。
 次に「アメリカへの生理的嫌悪」、アメリカ嫌いである。これもフランスが多く「犬はアメリカに来ると鳴かなくなる」「アメリカの生物はヨーロッパのそれと比べて劣っている」といった独立以前からのアメリカ嫌いの言説がある。アメリカにもフランス嫌いが多く、アメリカ連邦議会が議会食堂で出されるフレンチ・フライを「フリーダム・フライ」と呼ぶようにさせた、とか。
 第3のタイプが文化的反米主義。世界のマクドナルド化、ディズニーランド化、コカ・コーラ化といわれるアメリカ生活様式の浸透によるライフスタイルの画一化によって自らの文化が破壊されるという恐れだ。文化的アイデンティティーの危機である。アメリカは第2次世界大戦後にIMFと世界銀行を創設したブレトンウッズ体制という国際経済秩序をつくった。対ソ冷戦とともに集団安全保障条約や二国間の条約網による安全保障体制を構築し、その維持と西側諸国の復興のために巨額の経済援助、軍事援助を行ったが、その援助が文化的浸透を伴った。米軍の海外中流や援助とともにコーラやハンバーガーがアメリカの雑誌、映画が持ち込まれた。終戦直後にはフランスで「コカ・コーラにサンチーム貨を入れると溶ける」というまことしやかな話が流布された。この文化的反米主義はアメリカへの文化的軽蔑と表裏一体の関係にある。保守派の論客西部邁は「反米という作法」でいつごろからか日本が芸術にしても芸能にしてもアメリカ的なものにすっかりすり寄ってしまったが、僕らの若い頃はアメリカ的なものといえば二流三流のものが多いというのが暗黙の了解だった、と書いているそうだ。シンクレア・ルイスが1930年にアメリカ人として初めてノーベル文学賞を受賞したのも、小説「本町通り」「バビット」などがアメリカ中流社会の個性を欠く大勢順応主義と生活スタイルの画一性、無思慮な商業主義を痛烈に皮肉り、当時のヨーロッパ人が抱いていた標準的なアメリカ批判を表現していたからだ、といわれているそうだ。
 第4のタイプは内部からの反米主義で「内なる反米主義」といわれるようだ。過去におけるネイティブアメリカンの虐殺や国内の人種差別はアメリカが民主主義の手本などと言えるものではない、という内在的アメリカ批判であり、この種の異議申し立てに対してはしばしば「非アメリカ(アンアメリカン)」のレッテルを貼る。これは戦前日本の「非国民」「それでもお前は日本人か」という表現を思い出させる表現だそうだ。特に反戦行動は政府や戦争支持者から「非アメリカ」の言葉を浴びせられることが多いのだという。しかし、こうした異議申し立てはアメリカ民主主義の復元力の源となっている、という。アメリカの人権無視、二枚舌を攻撃する格好の材料となったヴェトナム戦争時のソンミ事件、イラク戦争時のアブグレイブ事件は、アメリカの主流ジャーナリズムが暴露した。9・11テロ後、そうした異議を非愛国的とする風潮が一時席巻したが、その後、ブッシュ政権とその政策批判・非難、不法行為の暴露の書物が多く出た。イギリスの政治学者ハロルド・ラスキは「アメリカン・デモクラシー」(1948年)で「アメリカの自己批判を逆用して、これをアメリカ芸術の妥当性否定の道具とすることは、ヨーロッパにとっては素晴らしい否定の技巧であった」と皮肉っているそうだ。
 第5のタイプは「反資本主義としての反米主義」で、これが言葉の本来の意味の「反米主義」だという。アメリカの明示的な原理原則の拒否、あるいはアメリカン・システムそのもの、アメリカニズムといわれるものの拒否であり、それに代わるしすてむを提示するイズム、イデオロギーだ、といい、オサマ・ビン・ラディンのイスラーム原理主義もここに入る。
◆アメリカニズムとは
 反米主義理解のためのアメリカニズムは歴史的、思想史的にとらえなければならない、としていおりろな見方を紹介する。
 アメリカの著名な社会学者シーモア・リプセット「アメリカ例外論」は「アメリカのイデオロギーは五つの言葉で表現できる。すなわち、自由、平等主義、個人主義、ポピュリズム、レッセフェール」とある、という。独立初期に民主政治を指す言葉としてポピュラー・ガヴァンメントを使ったように、ここで言うポピュリズムは民主主義の意味で使っている、という。このアメリカ的価値観の普遍性の提唱に異議があるとすれば、それは歴史的、文化的経緯を無視して内政干渉や力によってまでも価値実現をはかるというようなプロセスについてであり、アメリカが自由平等を十全に実現したかのような言辞を弄し、アメリカが民主主義のすべてであって他はアメリカを見習うべきであるというようなヒューブリスともいうべきおごりと傲慢な姿勢に対してである。
 古矢旬・北海道大学教授(現東大教授)の「アメリカニズム―『普遍国家』のナショナリズム」(東京大学出版会、2002年)はアメリカニズムを「アメリカ人一般の国民生活を根本的に規定し、結果としてアメリカの国民社会全体を方向付けてきた特殊な価値観やものの見方」と定義。19世紀のアメリカニズムの特徴はヨーロッパのような腐敗や失敗の過去を欠き、すべて新しくやり直しのできる新世界であり、人類の希望なのだという自己イメージにあるという。20世紀のアメリカニズムの特徴はフォーディズムという先駆性にある、とする。20世紀アメリカを特色付けるのはアメリカの例外性ではなくアメリカの先駆性だった。その先駆性こそ「大量化」現象だった、という。
 佐伯啓思・京大教授の「『アメリカニズム』の終焉」増補版(TBSブリタニカ、1998年)で佐伯氏は20世紀になって国際的なリーダーシップはイギリスからアメリカに移ったが、アメリカのリーダーシップいんは19世紀のイギリスには見られなかった独特の点があり、その一つはウィルソン大統領の理想主義外交に現れた国際社会における道義的義務という観念であり、もう一つは「モノによるデモクラシー」というやり方だ、として20世紀のアメリカニズムの特徴を「モノによるデモクラシー」ととらえる。「モノのデモクラシー」を実現する上で最も重要なものが大量生産・大量消費の方式であるフォーディズムをあげる。大量生産が実現されるには大量消費がなければならない。そのために必要なのが生産性に見合って賃金を引き上げることによって労働者の生活水準向上―大量生産―生産性向上―賃金向上という好循環をもたらすフォーディズムである。フォーディズムの功績は「労働者」というカテゴリーよりも「消費者」というカテゴリーを重視したことにある、とする。
 しかし、佐伯氏はアメリカの力の相対的な衰退、冷戦構造崩壊後のグローバリズムという経済構造の変化、資本主義の変質などによって、市場経済・自由競争というリベラリズムとデモクラシーが分裂し、リベラル・デモクラシーの普遍性を主張できなくなったと言う。「リベラリズム、キャピタリズム、デモクラシーといった価値の衰退、あるいはこの三者の優雅な結合の崩壊」つまり「アメリカニズムの崩壊」であるという議論だ、という。
 そして、近藤氏はこのように20世紀のアメリカニズムの中核が大量生産・大量消費という産業資本主義システムだとすれば、それが生み出す資本主義文化への異議、拒絶は反米主義の中核と捉えることもできる、という。
 アメリカの割賦販売の発展は1910年ごろに自動車金融専門の会社が設立されるなど自動車産業と密接な関係があるという。1920年代に自動車産業が成熟し、鉄鋼生産の20%、ゴムの80%、板ガラスの75%を消費する一大工業部門となってGMの販売戦略とともに一般化した。それが「いますぐ買いなさい。支払いは後で」(Buy Now,Pay Lattr)のキャッチ・コピーだ。これが家具や家電製品そのほかの高価な消費財にまで普及し、大量消費社会へと進んだ。
 フォードに始まって広告と分割払いという消費者信用とに支えられた大量生産・大量消費システムは大恐慌、第二次世界大戦を経て世界に普及した。
 オランダの碩学で歴史家のヨハン・ホイジンガは1918年に「アメリカ文化論―個人と大衆」(翻訳は世界思想社、1989年)を著し、個人主義的組織、組織化された個人主義をアメリカの特徴とし、それが資本主義的株式会社の発展と生産工程の機械化を促したと見る。さらに現代の知的な糧である新聞が「広く行き渡るほど、そしてその内容が網羅的であるほど、その機械的な読まれ方は、均一化と水平化の効果を生むのに一役買う」し、映画は「既存の低俗な嗜好を、人気取りの、卑俗なほどロマンチックな、扇情的な、ぞっとするような、どたばた喜劇的な嗜好へと推し進めてゆき、次に、この嗜好に満足しきった状態を機械的にばらまく」と、アメリカの発達するマス・メディアの役割をけなす。個性を殺す知的機械化の危険性を説くのである。
 第一次世界大戦後のアメリカを見直す必要性を説いたのはフランスの地理学者、社会学者であるアンドレ・シーグフリードは1927年に「アメリカ青年期に達す」でヨーロッパはもはや世界の推進力ではない、と書いた。
 当時の日本のアメリカ論。軍事評論家、池崎忠孝。ジャーナリストの清沢洌。
 世界を覆う大量消費文化批判。仏ル・モンド紙の外報部長クロード・ジュリアンが1968年「アメリカとは何か」。
 ボン生まれでその後英国に帰化した経済学者E・F・シューマッハー「スモール・イズ・ビューティフル」を書き、人間中心の経済学を説いたのは1973年。
 大量消費文化の抑制に宗教的倫理観を求める声はアメリカの社会学者ダニエル・ベルが1976年「資本主義の文化的矛盾」で、節制よりも浪費の奨励というアメリカニズムで豊かさで豊かさを作り出したアメリカ社会には「物質的豊かさは道徳的に正しい」という社会的コンセンサスが生まれてしまった。そして、失われた個人と社会、公正と効率、平等と自由のバランスを回復するために、「公共家族」という概念を打ち出し、宗教の重要性を説いた。
 →市場原理主義の暴走→アメリカン・スタンダードの強制→多様な資本主義(第3の道)=コミュニタリアリズム(共同体主義)
 ブーメラン、ロハスのアイロニー、イーグルの影、ハリウッドはアメリカ化の先兵か?、アメリカ新保守主義の思考、メディア帝国主義、巨大なメディア複合体、メディアの操作能力、「ダラス」はどう見られたか、文化の強制は成功し得ない、「ヨーロッパのアメリカ化とは神話である」、文化の主体的選択、戦後日本の選択、新しい文化を創造する契機、雑種文化の国、「混み合った場所」、イラク侵攻のダメージ、アメリカは嫌いでもアメリカ人は好き、アメリカの終焉、内省の書としての「大国の興亡」(1987年)、軍事基地帝国、ユーラシアなしではやっていけない、経済的衰退と文化的征服。
 と小見出しを拾ってみた。
◆日本人が見るアメリカ
 そして、最終章が日本とアメリカの関係である。
 人種主義という通奏低音、日米関係至上主義者の失言(中曽根、梶山の人種発言)、昭和天皇の独白(欧米列国の人種差別を戦争遠因とした天皇の認識)、黄禍論、排日運動、人種差別撤廃条項、山東省の利権、排日移民法と原爆投下、「帰化不能外国人」、内村・新渡戸のアメリカ批判、原爆投下と人種主義、原爆投下の鍵を握る人物(大統領補佐官から国務長官となったバーンズの役割)、ジョン・ダワー「人種偏見」でアジア・太平洋戦争は二次的とはいえ人種戦争だった、屈折した心理、=ヤイターUSTR代表は関税賦課を「米通商政策の水爆」ろ言った、「アジア主義」の気分、反西洋・反米という気分、他者としてのアジア、抵抗概念、「入亜」、福沢諭吉の「脱亜論」と「脱亜入欧」を結びつけるのは間違い=福沢は脱亜は一回しか使わず入欧は使ったことがない=実態は三酔人経綸問答の国権拡張主義者豪傑君と洋学紳士の問答の国粋と欧化の葛藤、「アジアの脱亜」、伝統への回帰という願望、「近代の超克」に漂う魅力、「最大の敵はアメリカニズム」、軽蔑のかたち、日米関係の呪縛、成熟の本当の中身、暖かい関係、アジア健忘症、「アメリカに手招きされてハイと立ち」、「眼を覚まさせられた」民衆、ねじれ、されどアメリカは好き、アムビヴァレントな態度、日本人の対米観、アメリカの衝撃。
 これも小見出しを拾った。
 大体、これで言い尽くせているかもしれない、とも思う。相当に内容がある本なので、まだ1回しか読んでないが、また読み返そうと思っている。

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2008年8月13日 (水)

「若者異変」を批判する前に大人は自らを省みよう~この1年の論壇時評とコラムから

 秋葉原事件のスクラップ記事を整理しようと切り抜きの束を見返していたら、それよりもずっと前の切り抜きに目を奪われてしまい、「途中下車」してしまった。

 若者の心も病んでいるが、それ以前に、大人も変じゃないか、という現代日本人気質について、評論家や学者がいろいろ分析している記事がいくつか見つかったのだ。まず、それを整理、書き写すことから始めよう。

◆藤原新也氏は「戦争後遺症が過保護生む。自ら後遺症であることを自覚せよ」と提言する

 約1年前の新聞記事である。日経新聞2007年9月26日夕刊に写真家の藤原新也氏のインタビュー記事が載っていた。聞き手は文化部・海野太郎記者。<親も教師も・・・しかれない時代/戦争後遺症、過保護生む>の見出しで、

 <親が子をしかれない。教師が生徒をしかれない。”しかれない時代”は一過性か、構造問題か。社会批評に定評のある写真家の藤原新也さんに聞いた。>

 という前文。東京・渋谷近くに住む藤原さんは人込みに足を運ぶ機会も多いが、散策していて気になるのは若者より、むしろ中高年の振る舞いだ、という。藤原さんは1944年福岡県生まれ。東京芸大中退。1978年「逍遥游記」などで木村伊兵衛賞。82年「全東洋街道」で毎日芸術賞。代表作に「東京漂流」「メメント・モリ」「千年少女」など、とあった。

 <先日、駅のエスカレーターに乗っていたら、僕の前の男が、いきなり手のゴミを脇に投げ捨てたんだ。企業でいえば部長級だろう。頭にきたので大声で注意したら、彼は後ろを向いてニヤッと笑った。卑屈な顔で、見逃してくださいという感じでさ。僕は企業に詳しくないけど、社内と社外は彼らにとって別世界なのではないか。彼らには、社内の規律を守り利益を出すことこそが大事。囲いの中で育ったから、囲いが外れると節度をなくしてしまう。しかられても適当にごまかせばいいと考えてしまう。>

 <他人をしかるには、自分に厳しい必要がある。でも今の日本では、大人が自分を律することができない。日本は基本的に企業社会だが、企業では相互監視の中で生きているから、自分自身を律する必要がない。それを何十年も続けると、自分を律する方法が分からなくなるのだろう。>

 <消費社会の進展も、無視できない理由だと思う。消費社会では、消費者は王様なんです。恐らく教育にも、そんな思想が投影されている。保護者はコストを払い、先生を雇っていると考えている。ちょっとうるさい先生は、すぐヤリ玉に挙げられる。教師は足がすくんじゃうよね。>

 <身もふたもない言い方をすると、戦争以前に生まれた人には威圧感があったね。何か悪さをして、そういう大人が近くに来ると、思わず身がすくんだ。理屈じゃない。身体的な威圧感だった。>

 ここからが、いろいろ考えるべき事柄が詰まっている言葉が頻出する談話となる。私には言葉の宝石のようにも思えたのだが。

 <僕は、しかれない理由を突き詰めると、戦争体験に行き着くと思う。日本は戦争の結果、原爆を二個落とされ、多数の人が死んだ。こんな国はほかにない。日本人は戦争後遺症という、とてつもなく重い病を抱えている。>

 <その後遺症が平和主義と暴力否定を生んだ。これは正しい。絶対善。逆に言うと、僕らの戦後は絶対善に縛られてきた。もちろん、僕は戦争も暴力も嫌いだ。だが、その暴力否定が生活の細部にまで行き渡り、人を諭すため平手でたたくことも暴力といわれ、子供同士のけんかも否定されてしまう。こんな過保護な国も日本以外にはない。>

 <実は、僕らはそんな風潮がおかしいと気づいている。しかるという行為は、必ずしも論理で説き伏せるだけではない面を持っている。まず僕ら日本人は、戦争後遺症というトラウマを抱えていることを自覚すべきだと思う。治癒のためには、自分を知ることが必要なんです。>

 叱れない親、他人の子はもっと叱れない。そんな風潮が蔓延している。なぜこんな世の中になってしまったのだろう? ずっと疑問だったし、今でも結論は出ない。だから、藤原さんの説は大きなヒントになる。「そうかぁ、戦争後遺症かぁ……」と。

◆香山リカ氏は即断即決せず、じっくり論理的に考えて「キレない人間」になれ、と諭す

 日経新聞2008年3月13日夕刊には精神科医の香山リカさんのインタビューが掲載されていた。<大人もキレる時代 香山リカさんに聞く/理屈より情/若さ求め人格未成熟>の見出しだ。

 香山さんは精神科医、帝塚山学院大教授。1960年北海道生まれ。東京医科大卒。臨床経験を生かし、社会・文化批評を手掛け、現代人の”心の病”について洞察を続けている。著書に「なぜ日本人は劣化したか」「『悩み』の正体」など。2008年1月に「キレる大人はなぜ増えた」(朝日新書)を出版した、とあった。

 <イライラが高じて心の中に収めておくことができなくなり、あからさまに不快な表情を見せたり、暴言、暴力に及ぶ。そんな「キレる人」が増えている。香山さんも診察室でそうした例をよく見聞きするようになったという。>という前文で始まる。深堀純編集委員の記事だ。香山さんの話の内容を抜き書きする。

 <最近では分別のあるはずの大人、それもエリートといっていい人まで簡単にキレてしまう。そうさせる何かが起きていることは間違いありません。>

 <何か、は一つや二つでなく多くの要因が絡み合っているが、その一つに日本人が論理より情動に動かされやすくなったことがある。キレた人にその時のことを聞くと、たいていは「頭の中が真っ白になって……」と言います。興奮のあまり理性的に振る舞えない、言い換えれば情動をコントロールできなくなっているわけです。だから「こんなところで暴れたら周囲に迷惑もかけるし評価も下がる」といった適切な判断ができなくなる。>

 <それは日本人全体の傾向です。田中真紀子さんや小泉純一郎さんが人気を集めたように、理屈を尽くされるよりも情に訴えられた方が腑に落ちる。「真・善・美」より、「泣ける・笑える・感動できる」に価値を置く風潮が「キレる大人」が増える下地になっていると私は考えます。>

 <90年代以降、市場主義的、新自由主義的な考え方が浸透して日本の社会は大きく変わりました。主張しないのは負けだという風潮が急速に広がったのです。本当は何か言いたいところだけど場所や状況を考えて抑えるとか、相手に悪意がなさそうだから許すという寛容の精神が失われてしまった。自己主張したり、イエスノーをはっきり言うことは必要でも、論理的であることが大前提です。なのに日本人は声高に言うことと勘違いしてしまった。それも「キレる大人」が増えた一因でしょう。>

 <「エイジレス」とか「」エイジフリー」という言葉に代表される年齢に関する意識の変化もその一つです。急速に少子高齢化が進む中では、人々が年齢から解放されることは社会の要請です。女性がいくつになってもファッションに興味を持ったり、シニア世代の男性がスポーツカーを乗り回すことで初めて経済が成り立つからです。>

 <いくつになっても若い心を失わない「年甲斐のない大人」は、消費や文化の世界では望ましい存在ですが、それが人格まで「年甲斐なく」未成熟な大人を生んでしまった可能性はあります。五十代、六十代、あるいはそれ以上の人に「ファッションや好奇心は二十~三十代のままで。でも人格の成熟は年相応に」と望むこと自体、都合が良すぎたのかもしれません。>

 <大きな声や傲慢な態度は周りをねじ伏せる力を持つことがあります。するとそれを見て「キレれば周りは言うことを聞く」と思う人がいてもおかしくありません。「キレる大人」がさらなる「キレる大人」を生む連鎖を断ち切るには、即断即決、勝ち負けをその場で決める短期決戦型の発想を改め、多少時間がかかってもじっくり論理的に考えてみたり、その場で答えを求めず回答保留のまま検討を続けることなどにもう一度取り組んでみることが大切なのではないでしょうか。>

 キレない秘訣、キレた人への対処法については、

 <何より、外部の視線で自分を客観的に見直してみることです。自分にカメラが向けられているつもりで、どんな姿をさらすか想像してみるのです。するとかなり格好悪いことが分かります。理不尽な状況に巻き込まれても、法や警察に訴えるほどでもなければ、災難と思って忘れた方がいいこともあります。相手がキレているときは、一対一で巻き込まれないように気をつけるべきです。話を聞いてあげるに越したことはありませんが、「落ち着いたら聞こう」といって聞き入れられなければ、その場を去ったほうがいいでしょう。>

 以上である。なるほど、最後の忠告など、精神科医としての経験の重みを感じるひと言だ。香山さんの語り口がとても聞きやすいので、あえて要約することもないのだが、

①「真善美」より「泣ける・笑える・感動できる」に価値を置く風潮が「キレる大人」の一つの原因。

②市場主義的・新自由主義的考え方が浸透し、寛容の精神が失われ、何でも主張すればいいという風潮になった。それも論理的に、ではなく声高に、と誤解されたままで。

③エイジレスなど年齢に関する意識変化が成熟できない大人を生んだ。

④即断即決するのではなく、時間がかかってもじっくり論理的に考えよう。

⑤キレそうになったら、自分を外部の視線で見てみよう。キレた人とは一対一になって巻き込まれないように。

 ――というアドバイスだと思う。なるほど、言われてみれば当然というか、そうだなあ、という感じのことばかりだが、意識したことはなかった。意識して振る舞うことが大切なのだろう。

◆鷲田清一・大阪大学総長も「わかりやすく」の危うさを説く

 朝日新聞2008年8月4日朝刊[クロス×トーク]は鷲田清一大阪大学総長に政治学者の苅部直・東大教授が聞く、という形の対談。見出しは<「わかりやすく」の危うさは/いらだちや暴力性を感じる/「思考の熱狂」あおらないで>だ。

 鷲田氏は1949年京都市生まれ。大阪大学教授などを経て2007年から阪大総長。専門は哲学、倫理学。近年は現実社会の諸問題をその発生の現場から思考する「臨床哲学」を試みている。著書に「ちぐはぐな身体」「普通をだれも教えてくれない」「『聴く』ことの力」「『待つ』ということ」「思考のエシックス」など。苅部氏は1965年生まれ、東大教授。専門は日本政治思想史。著書に「丸山真男」「移りゆく『教養』」など、とあった。

 苅部氏が言っていたが、鷲田氏が初めて一般向けに書いた本が1989年の「モードの迷宮」だという。これは読んでみたい本だ。苅部氏はこの「一般向け」や「わかりやすい」をキーワードに、「わかりやすさ」を求める社会の危うさについて鷲田氏の見解を聞く。鷲田氏の発言からいくつかピックアップしておく。

 <小泉純一郎元首相が使う言葉は、国民の多くが日常の中で感じていたものです。その強度を上げて、ややこしいものは全部抜きにして、ドンと出す。ニュアンスや複雑さへの配慮をあえてせず、それが社会で受けるところに、何か人々の深いいらだちや暴力性の澱を感じます。じゃあ、わかっていたつもりのことが全部ちゃらになる、一から組み替えないといけないと突きつけられる、というわかりやすさも危ない。全部語り直すというのは、幼稚というか性急というか。世界を全部変えてしまおう、みたいな。……>

 <思考の熱狂をあおっちゃいけないんです。どんな時代でも、誰もが反対しにくい思想があると思うのですが、今ほどそれが並列でいっぱいある時代は珍しいのでは。エコっていうと反エコは言えないし、クールビズも私は抵抗したけどだめ。>

 <結論が出なくてもいい、出ないまま、それでも決定しなければならないのが私たちの社会生活だとすると、それをしばらく延期するところがあってもいい。気が晴れない、もやもやしている、そういう時に人は「わかりたい」って思うんだけど、「わかった!」っていうカタルシスを求めてしまうと、問題設定も答えも歪んでしまう。>

 <僕はよく「思考には溜めがいるんですよ」って言うんですが、ある人に「じゃあ溜めをつくるにはどうしたらいいのか」と聞かれました。「溜めをつくろう」というのは、そういう問い方はやめましょう、ということなんです。でも、わからないことに耐えられない。すべてが説明できるとは限らないという苦痛をヒリヒリと感じ、息を詰めていないといけないということもあるんです。わからないことへの感受性をどう持ち続けるか。>

 <僕らが生きている時代って「時を駆る」でしょ。あらかじめやっておくとか、先を読むとか。先に先に、という思考法です。でも、答えを急いで出さず、じっくり考えたり、寝かせたり。すぐにわかろうとしないで、機が熟するのをじっと待つ。それも大切じゃないでしょうか。>

 苅部氏は後書きで「機が熟する」というのは言葉をたどりながら、自分のなかに流れている時がじっくりと熟して、内容を腹の底から納得できるようになる。これが、「わかりやすい」表現の本当に大事なところなのだろう、と書いていた。

 相当にハイレベルな討論だが、私の頭で理解すれば、香山さんの「キレない」秘訣の一つである「即断即決せず、じっくり考える」に通底するのでは、と思うのだ。

◆杉田敦氏は論壇時評で「セキュリティー意識の怖さ」を分析する

 朝日新聞2008年3月27日夕刊[論壇時評]で政治学者の杉田敦氏は<セキュリティー 閉じこもらず、踏み出せるか>の見出しで過去1カ月の総合誌の論文などを批評しているのだが、その中で「世界」2008年4月号の生田武志の「学校で野宿者問題の授業を」という論文をもとに、次のように書いている。

 <近年、少年らによるホームレス(野宿者)への凄惨な襲撃事件が相次いだ。「社会のゴミを退治するという感覚だった」などと嘯く犯人らの偏見が、厳しい現実をふまえずに野宿者を怠け者として扱う大人たちの態度の反映であったことを生田武志は示す。実際に、生田の授業で野宿者と接することによって、子どもたちの偏見は払拭されていったが、一部の親や政治家からは、接触そのものを危険視し、妨害しようとする反応があったという。>

 <こうしたセキュリティー意識は、一般の人々の間に深く根を下ろしているが、それは現在の政治経済体制のあり方と無縁ではなかろう。そこでは連帯は無用であり、「雑音」や「異物」を排除し、周囲を蹴落とすことで、競争力を高め続けなければならないとされている。こうした体制下で疲弊しながらも、それに代わりうる選択肢が見えないという事情が、人々を頑なにしてしまっているのではないだろうか。>

 として、「フォーリン・アフェアーズ」2008年3・4月号のロバート・カトナー「コペンハーゲン合意」に紹介されたデンマーク・モデルがこの点で注目される、と書いている。

 <通常、競争と平等は二者択一的に捉えられるが、デンマークでは、グローバルな競争力を高めつつ、格差の小さい社会を実現しているというのである。「フレクシビリティー(柔軟性)」と「セキュリティー」を結びつけた造語「フレクシキュリティー」がこのシステムの中心にある。そこでは解雇は自由なので、雇用主は好況期には安心して採用できる。労働者は失業しても国による保障が一定期間あるし、スキルを高める制度の充実もあって、再雇用を見つけるのが容易なため、解雇を恐れる必要はない。こうして、労働市場の柔軟性と社会民主主義の安定性が両立するとされる。>

 ただ、こうしたシステムを全く違う出自を持った国に移植できるかどうかは、カトナー氏も慎重だ、と留保をつけている。杉田氏も「閉ざされた境界線の内部を最適化するモデルに過ぎない、という批判も可能であろう」と認めながら、「それでも、政策的な努力の積み重ねで、主権国家レベルとはいえ、せめぎ合う原理の調停が進んだとすれば、その意義は小さくない」として、「排他的セキュリティーに閉じこもることなく、『反乱』を待望するのでもなく、一歩を踏み出すことはできないか」と問いかけている。

 杉田氏の社会民主主義者としての面目躍如たる文章の結びだが、以前もどこかに書いたように、北欧型社会民主主義の出自には優生学的怪しさがつきまとっている。そうした考え方が日本人の国民性と合うのかどうか? 総合的に、それこそじっくりと考えて判断すべきことだろう。

(もう少し追加を書きます)

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2008年8月12日 (火)

演説サルCMは人種差別か? 朝日新聞メディア面から

 朝日新聞12日朝刊第3社会面[MediaTimesメディアタイムズ]<演説サルCM1ヵ月で打ち切り/差別か過剰反応か/オバマ氏連想 ネットで騒ぎ/人種問題 日米で意識に違い>はコクのある記事だった。

 昨年、国内の携帯電話市場に13年ぶりに新規参入したイー・モバイル(東京都港区)が米国の広告会社にCM製作を頼み、1月からのCMで採用していたマスコットキャラクターのニホンザル「ハヤハヤ君」を使ったCMを作成、5月下旬に放映を始めた。

 背広を着たニホンザルが携帯電話を片手に選挙演説風に壇上から「イー・モバイルにチェンジ!」と呼びかける。盛り上がる人間の聴衆。画面には英語で大きく<CHANGE>の文字が浮かび上がる。

 5月下旬の放映開始直後から「人種差別ではないか」という書き込みがインターネットのブログに幾つも登場。CMが大手動画投稿サイトに投稿され、話題になり始めた。

 <会社側は最初、気付かなかったというが、アフリカ系や非白人をサルにたとえるのは、欧米では一種の人種差別ととられることが一般的。日本人の蔑称にも使われることがある。06年の米中間選挙では、相手陣営の有色人種の男性を『マカカ(サル)』と呼んだ共和党候補の映像が動画投稿サイトに流れ、敗退につながったことがある。>

 <ネット上の騒ぎにまず海外メディアが注目。いち早く6月23日付で報じた英紙デーリー・テレグラフ(ウェブ版)は差別との見方にふれる一方、このサルはもともと企業マスコットであり、差別意図が見られない点も指摘した。>

 <しかし3日後、日本在住のアフリカ系外国人グループの代表者から、イー・モバイル社に「日本人にはピンと来ないかもしれないが、不快だ」との抗議が寄せられたという。抗議はこの1件だったが、同社は重く受け止め、翌27日にCMをストップ。雑誌広告やJR駅構内の看板広告も7月中旬までに打ち切った。今後はチェック態勢をより強化するという。>

 <イー・モバイルの広報担当者は「結果的に不快な思いをさせたことに対しては申し訳ない。日光東照宮の三猿や孫悟空など、日本・アジア文化ではサルは高貴かつ知的で、人間に近い動物。人種差別とは考えなかった」と説明。抗議した人にも、その点は理解してもらったという。>

 ここまでが本記である。

 <人種問題 日米で意識に違い>はこのCM打ち切りに関する賛成、反対の論を紹介したものだ。

 賛成の最初は米ニューヨーク在住のフリージャーナリスト佐久間裕美子さんで、6月中旬、自分のブログに「誰も止めなかっただろうか」と書き込み、このブログが転載されて、問題が広がったらしい。

 また、ロバート・キャンベル東大大学院教授(日本文学)も「普段から本や新聞を読んでいれば差別と分かるはず。厳しく言えば、教養が足りない」と言い、岩倉具視の使節団報告「米欧回覧実記」(1878年=明治11年=刊)に、黒人をサルに例えた記述が登場するといい、日本社会でも早くから知られていた問題ではないかと指摘。イー・モバイルの対応を評価しながら「日本語を使う人は日本人だけではないし、ネット社会は国境もない。悪意がなければよいのか。人種問題を考えるチャンスにしてほしい」と語っている、という。

 一方、CM打ち切りは行き過ぎとの見方は民間調査会社「CM総合研究所」の関根建男代表。「日本の消費者からは好感度を獲得している。もう少しゆとりを持ってよいのでは」と主張している、と書いている。

 非常に面白い問題だ。お笑い番組で、オバマ氏に扮したお笑いタレントが顔に墨を塗って、くだらない話をした後に「チェンジ」と言って笑いを取る手法もいずれ禁止されてしまうのか? ソウル五輪、北京五輪と続く「犬鍋禁止」措置に通じるものがあるし、日本人が好む鯨食問題にもつながる問題でもある。

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2008年8月11日 (月)

森山良子さんの父はサンフランシスコ生まれの日系2世

 8月10日朝日新聞朝刊教育面連載[おやじのせなか]は歌手、森山良子さんが日本ジャズ界草分けの父、森山久氏を語っていた。1967年の「この広い野原いっぱい」のデビュー以来、森山のファンだが、父親については全く知らなかった。

 1910年サンフランシスコ生まれの日系2世で、23歳の時(1943年?)にトランペットを持って船に乗り、日本へ仕事に来て、終戦の翌年、一つ年上の兄が生まれた。そのころ、父はトランペットを吹くかたわら、米兵の通訳をしており、東京ローズの裁判にもかかわり、証言もしている、と。

 面白いのは、そういうことを森山が知ったのは10年ほど前、父が亡くなって後だった、というところだろう。

 「あったかくて、包容力がありました。私にはいつも『良子の好きなように、自分の思った通りにしなさい』と。ただ、歌に関してはしつこいくらい注意されました。小学校の時、コニー・フランシスが流行っていました。歌ってると父が『ハニー・カムヒア』って呼ぶんです。LとR、BとVを正しく発音できるまで言わされました。怒らないけど『違う。もう一回』『そうそう、その調子』って正しくできるまで何度も。でも、できた時はうれしい。『オーケー』とか『そうそう』って言われるのがうれしくて。」

 家にはいつも78回転のレコードやFENの音楽番組で、古き良き時代のアメリカの音楽が流れ、兄が23歳で亡くなった時にはあまりに衝撃が強くて白髪がいっぺんに増え片耳が聞こえなくなったこと、がんを患っても最期までユーモアを忘れなかったこと、亡くなって18年、いまでも父のDNAを受け継いでいるなって日々感じている、と。愉しいことが好き、お酒が好き、前向きで楽天的だsったが、それは2世特有のたくましさかな、と思う、と。

 「二つの祖国に揺れる心情を父は話さなかったけど」

 が結びの言葉である。

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 戦後の日本音楽が2世たちのジャズから始まった、とはよく聞く話だったが、1967年にデビューした森山のDNAがまさにこの戦後2世のDNAだったとは。そう分かると、何か森山の歌がより理解できる感じがする。心のこもったいい文章だ。

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2008年8月 9日 (土)

北京五輪開幕と各紙大型コラムについての短評

 8月8日午後8時8分(日本時間9時8分)、第29回夏季オリンピック北京大会の開会式が北京市北部の国家体育場(愛称は鳥の巣)で始まった。テレビの同時中継で見ていたが、中国お家芸の人海戦術とCGなどを多用した豪華な式典だった。

 過去最多の204カ国・地域から1万1193人の選手が参加した。3万発の花火が祭典の始まりを告げ、フィールドに白く光る五つの輪が浮かび上がり、悠久の歴史と現代の躍進、平和を連想させる演出が続いた。約1時間後に選手入場。日本選手団は卓球の福原愛選手が旗手をつとめた。中国選手団の中には四川大地震でがれきの下から脱出して級友を助けた「英雄少年」の一人、四川省の小学2年、林浩君(9)がいた。聖火の点火者は元体操中国代表の五輪金メダリスト、李寧氏(44)、ワイヤにつり下がり、会場の垂直の壁を走った。参加国・地域は前回アテネ五輪の202を上回った。

 9日付各紙朝刊で最も読みやすかったのは日経新聞社会面、大島三緒編集委員の<北京発熱 東京はどこへ>というコラムだった。

 五輪開幕を目前にした北京で

 「しゃべる怒鳴る叫ぶ。食べて飲んで笑う。しゃべって食べて飲む。おーい服務員! 呼ばれた方も負けてはいない。しゃべる怒鳴る叫ぶ。」

 という光景がいたるところで見られる、と書く。

 「すさまじいエネルギー。国民性だけではあるまい。何という体温の高さだろう。」

 と呆然とするような感銘を受け、

 「発熱。たしかにこの街は発熱している。それを引き起こしたのは五輪という魔物だ。空港ターミナル、高速道路、地下鉄、どれも狂おしいほどの勢いで姿を現した。」

 と言う。うん、そうだ、そうだ。

 「今日より明日はきっと良くなる。魔物は人々に希望をもたらし、実感もまた与えてきた。」

 夫婦で年収10万元(約150万円)ほどの中流世帯がひしめいている北京市北部の巨大団地で37歳のある住民は「給料は10年前の7倍。徐々に家具や家電をそろえ、部屋の模様替えをして、やっとここまできました」と言い、「もう満足?」という質問に「まさか。まだまだですよ」と。そう書いてはないが、きっとギラギラした目をしているのだろう。

 「部屋は買ったときの3倍に高騰した。しかし都心のマンションに住み替えるとなるととても足らないという。まだまだ、欲しいものがあるのだ。」

 この書き出しからたった42行の短い記事の中に今の中国の人心の特徴が凝縮されているように見える。いろいろと書きたい要素を捨てたところに成り立つシンプルさが目立つ文章だ。文章は1988年のソウル五輪の回想に転じる。

 「ちょうど20年前、やはり五輪を迎えて高揚のただ中にあった韓国・ソウルを思い出す。郊外の団地に住む若いサラリーマン夫婦は苦労して分譲の一戸を手に入れたばかりだった。『海外旅行に行きたい。庭付きの家に住みたい。会社での地位が欲しい』。ソウルも目まぐるしく変容していた。人々はモーレツに働き、あれをこれを夢見て、また夜を日に継いで働いた。欲しいものがあったのだ。」

 そして、もっと昔。そう、日本の44年前の話だ。

 「日本も記憶を持っている。1964年東京。アジアで初の五輪だ。『てんやわんやの狂騒』とは開高健の名コメントだが、地下鉄も高速道路も新幹線も死にものぐるいの突貫工事で生まれた。まさに狂騒の時代だった。都会は至るところが掘り返され、交通事故は激増し、川はよどみ空はくすんでいた。それでもみんな、欲しいものがあった。農村からの出稼ぎ労働者が、集団就職の若者が東京をつくった。」

 高度経済成長時代、植木等が「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌った、エネルギーあふれた時代の表情が思い浮かぶ。

 「魔物に魅入られた歴史と現在を持つ東アジアの三都。もちろん単純な比較は禁物だろう。明日の北京は中国はどこへ、と問われれば誰もが答えに窮する。格差、環境汚染、テロ。そして社会主義国家という現実――。とはいえ、都市には膨大な中間層が育ち、欲しいものを求めてやまぬ人々が無数にいる。そんな北京の雑踏に旅人は戸惑う。男も女も、しゃべって怒鳴って叫んで食べて飲んでいる。」

 うまいねえ。社会部遊軍記者の鑑のような文章だ。そして、一転、今の日本を斬る。

 「さて、そういう国の五輪を見つめる日本である。何という体温の低さだろう。厄介な事件が多々あるにせよ観光客は大きく減り、まなざしは冷ややかだ。七日に飛んだ日航のチャーター便は搭乗率が33%だった。」

 「競技への関心は抱いても、その舞台への好奇心はソウル五輪の韓国ブームと比してもずっと薄い。1964年ははるか遠景となり、東京への再招致機運も低調だ。欲しいものを見いだせないニッポン人の虚無感を物語っているのだろうか。」

 「それでも、五輪である。この祭典はじつに様々なものを見せてくれる。発熱と狂騒はかなたに過ぎ去った日本社会だが、北京のそれが私たちの失った何かを教えてくれるかもしれない。そう思い直してみようか。」

 「奥林匹克。漢字でオリンピックをこう表す。思えば古代からあまたの文物が渡来し、今も文字を共有する地の五輪だ。少し、熱くなってもいい。」

 昨年1月、朝日新聞論説委員だった轡田隆史氏の文章の書き方についての本の内容を書き留めておいたが、轡田氏はこの文章をどう評するだろう。

 誰もがテレビで開会式を見ている。その翌日、読者は自分が見た映像の意味合いを知ろうと新聞を手にする。その時、社会部編集委員が44年前の東京の世相を思い出させながら、ソウル五輪の取材経験にも触れ、今の北京の庶民のギラギラした欲望に満ちた目を描く。「発熱」「体温」と「魔物」がキーワードだ。

 中国中間層の純粋なまでの生への欲望を見て、軽蔑の念は沸かなかった。日本人に失われた活気に眩しさを感じるくらいだった。そういう感情を読者に呼び起こさせる優れたコラムだった、と言ってはほめすぎだろうか。

 読売新聞朝刊2面は中国総局長が<独裁下の「平和の祭典」>と題したコラムを書いており、ソウル五輪開会式の瞬間、板門店にいたが、何も起こらなかった、という20年前の取材経験を紹介している。

 「前年11月、北朝鮮が五輪阻止を狙って大韓航空機を爆破した。五輪開会時の最前線を見ようと思ったのだった。」

 ソウルは「厳戒五輪」という点では今回と同じだったが、今回ほどの圧迫感はなく、

 「むしろ、ソウル五輪では、当時は韓国と国交のなかった中ソ、東欧諸国も参加し、社会には弾むような感じがあった。おそらく北京とソウルの違いの背景には『独裁』かどうかがある」

 というのが、筆者が最も書きたかったポイントなのではないか。しかし、そう割り切ること、つまり頭で現実を整理してしまうことと、実際の中国中間層の現世的な欲望にギラギラした目を具体的に描くことでは、訴求力の違いは言うまでもない。

 朝日は1面から2面にかけての外岡秀俊編集員のコラム<百年の夢 中国貫徹/心にメダル 被災者も>が売り物だろう。「中国百年の夢」といわれるこの五輪がなぜ「百年の夢」なのか、を丁寧に説明している。1932年のロス五輪に初出場した陸上選手の劉長春の話である。

 「日本は建国宣言したばかりの「満州国」代表として、大連生まれの劉を送ろうとした。五輪を通して満州を世界に認めさせるためだ。劉は拒み、ただ一人の中華民国選手として大会に臨んだ。だが、22日間の船旅ですっかり体力を使い果たし、予選落ちの苦杯をなめた。」

 「北京五輪開幕の3日前、大連で銅像が公開された。除幕式に出た三男の劉鴻亮さん(76)は今年3月、聖火リレー16番目の走者としてオリンピアを走った。四男の劉鴻図さん(63)も先月17日、瀋陽の第1走者を務めた。」

 淡々と劉氏に関する動きを報告する。今年5月には映画「たった一人の五輪」も公開された、という。この劉さんに関する動きがコラムのメーンテーマだ。

 1面コラムだけあっていい表現もある。

 「北京は故宮を中心とする南北の縦軸に沿って街ができた。皇帝の権力の絶大さを示す中軸線だ。この線を北に延ばしたところに位置する競技場『鳥の巣』は、隆盛な経済力を背に『帝国』の威光を目指す象徴となるのか。世界に開かれた中国への序章を示すのか。それを占う大会でもある。」

 続きの2面では四川大地震被災者のドラマに絞った。そして結びの文章は次のようなものだった。

 「被災地には、気力、体力の限界をかけて生き延びた無数のドラマがある。脚光を浴びることはない。だが被災者一人ひとりが心に、自分だけのメダルを持っている。」

 実際の被災者や、劉さんの関係者に取材、生の声で構成しているのだが、その構成が理知に傾いていないか。理想論を聞かされているようだ。「それはよございましたね」という以上の感想が沸かないのだ。

 こうした大イベントを丸ごと意味づけ、書くコラムの難しさだろう。

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2008年8月 8日 (金)

臓器移植とヒト胚研究~宗教・歴史・政治を背景に各国ごとのスタンス(毎日新聞、朝日新聞から)

◆毎日新聞8月8日の記事

 4月30日から3日間、トルコのイスタンブールで開いた国際移植学会で、日本を含む7カ国の移植専門家158人は「臓器移植は20世紀の医学的奇跡の一つだが、ドナー(臓器提供者)の人身売買や貧困者から臓器を買うための富裕国患者の海外渡航で臓器移植の功績が汚された。ドナーとレシピエント(移植を受ける患者)の安全と非倫理行為に関する基準と禁止を確保する透明性の高い監視システムが必要」などをうたったイスタンブール宣言を全会一致で採択した。

 毎日新聞8月8日朝刊くらし面連載企画<臓器移植:現状と課題>上はこの国際学会を詳述した。

 宣言案は当初、生体ドナー(臓器提供者)を「hero(英雄)」と看做すべき、と記されていたが、小林英司・自治医科大教授が「日本では生体ドナーはヒーローではない。heroic(高潔な)と修正を」と主張。日本の生体移植は主に家族、兄弟姉妹から提供され「英雄」表現はそぐわない。また、途上国での臓器売買への批判も込めた修正提言だった。各国は小林教授の提案に賛同し、文言は修正された、という。

 <全米臓器配分ネットワークによると、臓器移植の最初の成功例は米国で1954年に実施された腎臓移植とされる。日本では1997年の臓器移植法施行後、臓器の移植手術が計1万8196件(6月末現在)行われ、そのうち脳死移植は365件。移植待機患者はどこの国でも多いが、生体移植(腎臓、肝臓)への依存度は、フランスが1割未満、米国が約4割なのに日本は腎臓で8割以上、肝臓では99%を超え、その高さが目立っている。>

 国際移植学会が生体移植を問題視するのは、健康な人の体にメスを入れるからだ。また、移植を受けるために海外に行く「移植ツーリズム」が後を絶たず、その先には臓器売買もある。移植医の間で、生体ドナーを保護する取り組みを強化しないと、社会から移植への信頼が失われるとの懸念が強まり、迎えたのが今回の国際学会だった、という。

 宣言では、生体ドナーを保護するためドナーの意思を反映した選定方法や休業補償など総合的な保障制度作りが盛り込まれた。また、生体ドナーを「もう一人の患者」と位置づけ、各国が臓器提供の自給自足へ努力することを原則とした。さらに、フランスが2004年の生命倫理法改正で生体ドナーの術前検診と術後後遺症の有無、重症度記録制度を導入したことを参考に、生体移植のリスク明確化へ今後、国際的統一基準で生体ドナーのデータベース化を協議することにした、という。

 小林教授は今回の宣言について「国によって死や臓器提供に対する認識の違いがあるが、立場が異なる中、誰もが納得するものができた。非常に重要な宣言で、日本も必ず守ることが求められている」と語っている、とある。

 東京財団の橳島(ぬでしま)次郎・研究員の「健康な人の体にメスを入れる生体移植は医療倫理の根本に抵触する行為。欧米では生体移植は本来やるべきでないという意識が強い。今回の宣言も死後の提供を臓器移植の本道と位置づけている。日本では生体ドナーの健康状況の追跡がほとんど行われなかった。臓器移植法を改正し生体移植の続柄制限や実施後の記録制度を導入する必要がある」という談話も紹介し、日本が先進国の中で特殊なのだ、という視点が強調された記事になっている。

 インドやパキスタン、中国などでは、これまで事実上の臓器売買による移植が行われてきたが、中国は昨年、臓器売買を条例で禁し、外国人への移植を禁止。日本人など外国人への腎臓売買が横行してきたフィリピンでも今年、政府が外国人への腎臓移植を全面禁止した、という別稿もつけていた。

◆イスタンブール宣言の骨子は次の通り。(毎日新聞報道による)

 ▽臓器移植は、20世紀の医学的奇跡の一つ。しかし、ドナー(臓器提供者)の人身売買や、貧困者から臓器を買うために海外に赴く富裕国の患者の報告が寄せられ、臓器移植の功績が汚されてきた。▽ドナーとレシピエント(移植を受ける患者)の安全と、非倫理行為に関する基準と禁止を確保する透明性の高い監視システムが必要。▽死体からの臓器移植を始めたり、拡大する努力は、生体ドナーの負担を最小化するのに不可欠。▽レシピエントに有効な治療でも、生体ドナーに危害を加えるのは正当化されない。▽各国は国際組織などと協力し、臓器不足に対する包括事業を実施すべきだ。▽各国は国際基準(国際移植学会がこれまで出した勧告)に沿って死体や生体からの臓器摘出と移植医療を法制化し、実施すべきだ。▽臓器は国内で公平に配分されるべきだ。▽各国は臓器提供の自給自足を達成する努力をすべきだ。▽臓器取引と移植ツーリズムは、公平、正義、人間の尊厳を踏みにじるため禁止すべきだ。▽死体からの臓器提供を増やすため、政府は保健医療施設などと協力して適切な行動をとるべきだ。▽生体ドナーによる提供は高潔で栄誉あるものとみなされるべきだ。▽生体ドナーへのインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)では、心理的な影響を考慮すべきだ。医療と心理の両面で、短期的、長期的にケアする。▽臓器提供で生じた実費は、臓器に対する補償ではなく、レシピエントの治療費の一部である。

◆毎日新聞8月15日の記事

 ついでに、8月15日朝刊の企画下<「生体」依存度高い日本、法規制が急務 ドナーに精神的支援を>も一緒に書いておこう。

 2006年に愛媛県宇和島市の宇和島徳洲会病院で臓器売買事件、病気腎移植問題が発覚、生体移植に注目が集まったため、2007年秋に月刊誌「法律時報」9月号が「生体移植をめぐる法的諸問題」を特集した、という。編集部は「臓器移植法が1997年10月に施行され10年。法学者の間でも生体移植の法規制のあり方への問題が強まっていたため、特集を組んだ」という。

 日本で行われる臓器移植に占める生体移植の割合は高く、2006年の腎移植1136件のうち生体83%の939件。肝移植では508件中、生体は99%の503件、だという。臓器移植法は「臓器を死体から摘出すること」を「移植医療の適正な実施」と定め、生体移植に関する記述は一切ない。臓器売買事件を受け厚生労働省は昨年7月に「臓器移植法の運用に関する指針」を改正、生体移植の項目を新たに追加。臓器売買を禁止するため、本人確認の方法を細かく定めたが、生体移植そのものの規制には触れなかった、と書いてある。
 特集号に寄稿した岡上雅美・筑波大准教授(刑法)は「臓器移植法に生体移植の規定がないため、生体移植ではドナーの選定や実施が移植当事者の判断に任されている」と日本の現状を問題視する。

 レシピエント(移植を受ける患者)の苦悩も深い。約20年前にドナーの父親から生体腎移植を受けた東北地方の女性(49)は「健康なのに手術を受けてもらうのは何かあったらと不安でならなかった。手術後に対面し、お互いが元気だと知ったときは本当にうれしかった」と振り返る。医師らで作る日本肝移植研究会の調査によると、ドナーの3.5%に再手術が必要となるような大量出血などが発生。2003年には京都大病院で肝臓の一部を娘に提供した母親が死亡した。

 こうした実態を踏まえ研究会は2005年に移植施設に▽レシピエント死亡など、経過が思わしくなかった場合のドナーへの精神的な支援▽移植施設から離れた地域に転居した場合、診療を受けたりドナー同士が交流を続けられる病院間の「ドナー外来ネットワーク」の構築▽ドナー全員に「健康手帳」を発行し、その情報を定期的に登録する制度の拡充――など7項目の実施を提言。5月のイスタンブール宣言採択となる。

 日本移植学会は倫理指針を定め生体移植は「本来望ましくない。ドナーは6親等以内の血族と3親等以内の姻族に限定する」と定めているが、法的強制力がない。学会理事長の寺岡慧・東京女子医科大教授は「生体移植に何らかの法規制は必要。行政、患者団体と連携してドナーの安全性を高めたい」と話している、という内容だった。
 イスタンブール宣言など、日本の読者があまり知らない国際的視点が入った記事は役に立った。

 臓器移植、生殖医療問題は「生と死」そのものに関わる。各国で対応が大きく分かれているのが実情である。

◆朝日新聞8月8日の記事

 ちょうど朝日新聞8月8日朝刊科学面<ヒト胚研究に隔たり/「推進」英国と「禁止」ドイツ/EU共同歩調に妨げ/日本、クローン人間は禁止/宗教・歴史・政治事情が背景>というまとめ記事が出ていた。

 こちらはスペイン・バルセロナで7月に開かれた欧州最大の科学者会議「ユーロサイエンス・オープンフォーラム」の議論を紹介した記事だ。

 このフォーラムは欧州の統一的な研究体制を推進するため2004年にストックホルムで第1回会議を開催。2年ごとに開かれ、バルセロナ会議には約4000人が参加。幹細胞研究、地球温暖化対策、脳細胞などのテーマについて議論した、という。

 討論会のテーマが面白い。「英国VS.ドイツ 幹細胞研究をめぐる大論争」というタイトルだ、というのだ。ドイツは「胚保護法」でヒトの卵子や受精卵の研究利用を禁じているので、国内では受精卵からヒトの胚性幹細胞(ES細胞)を作製できず、核を抜いた未受精卵に体細胞の核を移植するクローン胚づくりも、実質的に不可能だ、という。国外でもヒトのES細胞研究にかかわると法律違反に問われる可能性があり「EUでの共同研究にも参加できない現実がある」というのだ。

 カトリックの影響もあって与党キリスト教民主同盟など複数の政党が受精卵の研究利用に否定的だからだそうだ。4月の幹細胞利用を定めた法律の改正で国外での研究は違反ではないとsれたが、法律にあいまいな部分があって、状況は大きくは変わっていない、という。国外からヒトES細胞を輸入して研究することは認められている、というが、国際的には理解されにくい。

 一方、英国の教授は牛の卵子にヒトの体細胞の核を移植する研究に欧州で初めて着手すると発表した、という。ヒト性融合胚と呼ばれ、中国、米国で研究報告があるが、日本でも認められていない。英国でも是非が大きな議論となったが、アルツハイマー病やパーキンソン病の患者の皮膚細胞の核を牛の卵子に移植する計画を2006年に申請し、1月に認められたが、「自然の摂理に反する」などと反対する国会議員が研究を禁じる法案を提出、5月に法案が否決され、やっと研究にゴーサインが出た、という。

 このヒト性融合胚からES細胞がつくれれば、「薬や治療法の開発につながる」と研究者は強調する。この教授らは2002年に英国で初めてヒトのES細胞の作製に成功したが、研究に積極的な英国でさえ研究用の卵子は「慢性的な不足状態」なので、動物の卵子利用に踏み切ることにしたという。

 山中伸弥・京大教授が体細胞から作った人工多能性幹細胞(iPS細胞)の登場で、流れが変わるのではないか、との質問にも、英国の教授は「まだ臨床応用までには時間がかかる。ES細胞の重要性は変わらない」と答えていた、という。

◆橳島次郎・東京財団研究員の話

 橳島次郎・東京財団研究員の話を朝日新聞も毎日新聞同様使っていた。この人がこの分野の第一人者なのだろう。「欧州の対立構造は昔からある。ドイツ以外でもイタリア、オーストリア、ポーランドなどは研究に抑制的、スウェーデン、スペイン、ベルギーは推進する側にいる。宗教的理由以外に、各国の歴史と政治事情が大きくかかわっている。英国は伝統的に科学の実用性を重視する現実的姿勢で一貫している。一方、ドイツはナチス時代の優生政策や人体実験への反省から、ヒトの受精卵や遺伝子を使う研究に強い抵抗がある。共通のルールをつくろうと、中間的立場のフランスが国際条約の策定などを通じて仲介役を果たしてきた。ドイツでも規制を緩和する法改正が実現するなど、妥協の動きもある。だが、対立が収斂していくのか、残ったままいくのかは、予断を許さない」との談話だ。

 一方、日本が法律で禁じているのはクローン人間づくりだけ。ES細胞の作製、研究利用には指針があり、研究機関の倫理委員会と国の2段階の審査を求めているそうだ。ヒトクローン胚については文部科学省の審議会が5月、難病治療のためのES細胞づくりが目的の場合のみ、作製を認める指針案をまとめた。卵子や受精卵の一般的な研究利用は指針を作成中だ。

 米国はブッシュ大統領がES細胞研究は受精卵を壊すとして反対し、2001年8月以降の新規細胞株を使う研究に連邦助成を禁じている。ただ、州や民間の資金による研究には適用されず、カリフォルニア州、マサチューセッツ州などは独自に研究を推進している、とあった。

  ヒト受精卵の研究利用をめぐる各国の法規制一覧表は分かりやすい。

                     ドイツ  イタリア  フランス  英国  日本  米国
研究目的の受精卵作製      ×     ×     ×     ○    △    △
廃棄受精卵利用ES細胞作製   ×     ×    ○     ○    ○    △
ヒトクローン胚作製          ×     ×    ×     ○    *    △

 (○は法律や指針で定める。×は法律で禁止。△は法律、指針による規制なし。*近く指針で認められる見通し)=欧州委員会の資料などから朝日新聞が作成した表だという。

 7日に読売新聞が特報し、毎日新聞も朝日新聞も8日の社会面では<インドで代理出産>の記事を大きく扱っていた。

 偶然だが、生殖医療問題である。

 日本人医師が自分の子どもがほしいからと、インド人の女性の卵子を使って、別のインド人女性の子宮に受精卵を入れる方式で赤ちゃんを生ませた。しかし、その医師の妻が赤ちゃん誕生前に離婚してしまった。インドでは両親がそろっていないと、代理出産を法的に認めないので、赤ちゃんが国外に出られず、日本に帰れない。このため、医師のお母さんが現地で赤ちゃんの面倒を見ているのだが、言葉も通じなく苦労している――という内容の記事だった。

 技術が発明されれば、それを利用しようとする人が必ず現れる。禁じても闇の世界に潜って、欲望を遂げようとするだろう。本当に難しい問題なのだ。

 ところで、実は米大統領選挙の隠れた、というか、国内での大きな争点はこの生殖医療問題なのではないか、と思うのだ。ブッシュ大統領が出てきた時もそうだった。もっと具体的に言えば、堕胎の是非を中心とした生殖問題だろう。

 日本はナチスの歴史もなく、カソリックの戒律もなく、どちらかと言えば英国に近いのだろうが、「731部隊の人体実験」などの忌まわしい歴史を自分たちの民族的歴史経験として血肉化していないせいだ、と批判された時に、日本人は論理的に説明できるのか。萎縮しないですむのかどうか。

 何だか日本人特有の「能天気さ加減」のような気がするのだが、この問題は、哲学的・倫理的側面をもう少し真剣に考えたほうがいいのではないか、と思う。

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2008年8月 7日 (木)

朝日新聞の月刊誌「論座」が休刊するという~毎日新聞夕刊から。その後「月刊現代」休刊も

 毎日新聞8月7日夕刊文化面に<論壇誌「論座」が休刊 「保守」批判、格差論などで影響力 朝日新聞の部門見直しで>の一般記事が掲載された。「論座」の休刊はこの記事で初めて知った。

 「9月1日発売の10月号で13年の歴史に幕を下ろす」とある。1995年3月創刊で「『イデオロギーではなく実証的な議論を重んじる』(薬師寺克行編集長)編集方針が『支持』され、ある程度の売れ行きを維持したが、印刷部数2万部は論壇誌の中でも少なめで、最近は実売が1万部を切ることもあったのだが、部数不振が直接の休刊理由ではないらしい」とある。

 <この種の雑誌の採算ラインは実売5万~6万部とされるが、既に多くの雑誌が割り込んでいる。論壇誌には社の姿勢を示す看板や単行本筆者の開拓といった役割もあり、『論座』も「完売しても赤字だが、それでも出す意義があるとされてきた」(関係者)。今回の休刊を薬師寺編集長は「新聞業界全体が右肩上がりとは言えない状況下で、論壇的な内容の新しい伝え方を模索しようとした結果だ」と語る。『論座』は論争的な側面も強く、保守系論壇誌の「過激化」や若者の「右傾化」が叫ばれた06年ごろは、当時の大島信三『正論』編集長(06年3月号)らが登場。06年2月号では読売新聞の渡辺恒雄主筆が若宮啓文・朝日新聞論説主幹(当時)と対談し「靖国批判」で一致した。>

 <若手論者の起用にも積極的だった。犯罪や治安問題の論客、芹沢一也氏や国家論の萱野稔人氏らが『論座』で知られるようになった。「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」(07年1月号)でデビューしたフリーライター、赤木智弘氏もこうした若手の一人。過激なタイトルで論争を巻き起こし、格差論に一石を投じた。>

 <中島岳志・北大准教授も「過激化する保守」批判と若手論者登用という二つの路線の交点で論壇に本格デビュー。中島准教授は「左右の壁だけでなく、論者と読者にある年齢層の壁も越えようとした。『論座』がなくなることで、論壇のたこつぼ化が進まないか心配だ」と言う。『論座』休刊が業界に与える影響は小さくなさそうだ。思想的に対極と見られがちな『正論』の上島嘉郎・編集長も「休刊は本当に残念。論壇の『面倒な』議論が避けられる傾向が、一般に広がりつつあることも休刊の原因ではないか。『明日は我が身』という危機感を持ち、深みのある議論に多くの人が振り向くよう努めたい」と話す。>

 というのが、少し縮めたが、記事の内容である。

 「文藝春秋」を読んでいれば、世界のことも世俗の事情も分かる、と思う人が多いのではないか。昔のように「文藝春秋」VS.「世界」という対立軸があった時代ではない。「中央公論」は読売新聞社に吸収され、時事問題の筆者は読売系文化人と読売新聞記者が多いし、「世界」は時事問題とはズレてきている、と思われている。最も読んでほしいのは学生世代だろうが、「世界」という名前も知らない学生が多くなっているのではないか。「文藝春秋」の一人勝ち、というのが単純な図式だろうし、それこそ保守化した日本をよく表している、と思う。

 それは、<右と左の交差点>という「論座」のコンセプトを無効化したのだろうか。それ以上に、「右でも左でもない」「わが祖国でもない」若者が増えてきたことが背景にあるのではないか。「坂の上の雲」を目指さない。大きなことは考えない。自分のことしか考えない若者がマスとなって増殖しているイメージが広がる。荒涼とした世界なのか、それとも団塊の世代の私にはその内実が見えないだけなのか?分からないことが多い。

(8月31日追記)

 朝日新聞8月31日朝刊対社面にベタ記事<「月刊現代」休刊へ 講談社>が出ていた。

 講談社が発行する総合雑誌「月刊現代」も年内に休刊する、という内容。日本雑誌協会によると発行部数は8万5833部(07年8月末までの1年間の平均)。1966年12月創刊。記事には、

 <長編ノンフィクションなど硬派な記事が柱で、近年ではノンフィクション作家・本田靖春さんの最後の連載「我、拗ね者として生涯を閉ず」などを掲載してきた。05年にはNHKの番組改変問題に関し、ジャーナリスト・魚住昭さんが執筆した「『政治介入』の決定的証拠」を載せた。>

 とあった。「論座」の1万部に比べれば売れていたのに、どうして……、と思うのだが、総合月刊誌冬の時代なんだなあ、と実感した。

(9月1日追記)

 毎日新聞9月1日朝刊文化面コラム[ノートから]に先に紹介した記事と同じ筆者の鈴木英生氏が<「『論座』の時代」とは>の見出しで、また「論座」問題を書いていたので、引き写しておこう。

 <ある若手政治学者は「周りが『論座』読者ばかりだから、実売部数が1万を切ることがあったとは、信じられない」と話していた。『論座』がここ数年、一部でかなり熱心な読者を得ていたのは、間違いない。「ここ数年」とは、小泉政権末期、06年からのほぼ2年半ほど。先日の文化面でも書いたとおり、「『過激な保守』批判」+「若年貧困層問題」+「若手論者発掘」の3本柱が支持されたようだ。>

 <ただし、「保守批判」は安倍政権崩壊以降、ネタとして成り立ちにくくなった。『論座』が批判した『諸君!』『正論』の部数減も著しいとか。「貧困問題」は『ロスジェネ』『フリーターズフリー』などを筆頭に「専門誌」が登場した。『論座』が得意だった思想・批評系論者の若手登用では、東浩紀、北田暁大両氏編集の『思想地図』が台頭した。こうして、『論座』のウリが失われてきた面もあるだろう。>

 <だが、これらだけでなく米国の雑誌『フォーリン・アフェアーズ』の翻訳など、相当に手触りの違う論文までも同時に載せていた。そこに、大きな意味があったのではないか。誌面構成で「異種格闘技」をすることで、特定の傾向ばかり好む「読者共同体」の枠を壊そうとしていたように思う。このことは、いくら強調してもしたりない。>

 と、夕刊記事と同様、様々な論調をごった煮のように取り込んだことへの賛辞が中心。結びは次のような夢物語だった。

 <ところで、『論壇の戦後史』(奥武則著、平凡社新書)は、サンフランシスコ講和条約から60年安保までを<『世界』の時代>、全共闘のころを<『朝日ジャーナル』の時代>と呼んだ。共に、戦後史の中で既にある程度の位置づけが確定した時代だろう。<『論座』の時代>というものがあるとしたら、それは後年、どう総括されているだろうか? 最近、そんなことをふと思うときがある。>

 <「論座」の時代>など、夢物語を語るのではなく、大塚英志、東浩紀著「リアルのゆくえ」(講談社現代新書)で東氏が指摘しているように、「論壇」が機能していない現状を冷静・真摯に分析するところから始めないと、<「○○」の時代>という古き良き時代を追い求めても幻しかつかめないだろう、と思うのだ。少し、厳しいかもしれないけど。

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2008年8月 6日 (水)

広島平和宣言とドキュメンタリー映画「アメリカばんざい」+石川水穂氏の広島平和宣言批判

 8月6日(水)の63回目の広島原爆の日に広島市中区の平和記念公園で午前8時から平和記念式典が行われた。戦争体験の風化が言われ、「平和の大切さをいかに伝承していくか」が真剣に論議されている。

 8月6日朝日新聞夕刊対社面に<米兵「その後」見えた貧困/ドキュメンタリー映画監督・藤本さん/「戦争の入り口と出口」描く>という見出しのハコ記事が出ていた。東京中野区のポレポレ東中野で上映中だそうだ。藤本幸久さん(54)が1年7カ月かけて撮影した映画。帰国しても仕事がなく、PTSDに悩まされたり、ホームレスになった兵士もいる。そのから見えるのは米国社会を覆う貧困と格差だ、と。

 ニューヨークの貧しい地域で育ち、大学に進学したが、学費が払えず海軍へ行ったパブロさんはアフガニスタン攻撃で多くの市民が犠牲になったことを知り、アラビア海への派遣を拒んで除隊になり、今はNGOで働きながら、高校生たちらに軍隊を志願しないように訴えている、と。母子家庭に育ったダレルさんは家族を養う金に困り、砲兵隊としてイラクへ派遣させられた。「襲撃されたら居合わせたもの全員を殺せ」と教えられ、次第に心を病んでいく。今も他人との接触の多い仕事は長続きしない。――など、映画では戦争で傷ついた様々な人々がカメラの前でそれぞれの思いを語っている。

 ブートキャンプと呼ばれる新兵教育訓練所の場面が挿入され、到着した新兵たちは家族に電話をかける。壁に掲げた「せりふ」以外は話してはならない。「今着きました。食べ物は送らないで。ありがとう。さようなら」。とまどう若者たちを教官が怒鳴りつける、と。

 藤本さんは2005年には米軍基地建設が進められようとしている沖縄・辺野古や米軍の射爆場に近い韓国・梅香里で反対運動をする人々を描いた「Marines Go Home」を作り注目された、という。辺野古の撮影時に少年のような兵士を見かけ、帰国した後に彼らはどうなっているのだろうか?と。それを見なければ戦争は描けない、と渡米7回計200日、見えてきたのが米国の戦争を底辺で支える「貧しさ」だった、という

 まさしく堤未果「ルポ貧困大国アメリカ」(岩波新書)の映画版だ。

 8.6と8.9と8.15――「8月ジャーナリズム」が続く。「またか」と思わせてはジャーナリズムの敗北だろう。このような、昔にも今にも通底している問題点を抉る努力が若者に対する伝承を応援するのだ、と思う。

 平和記念式典で秋葉忠利広島市長が読み上げた「平和宣言」は次の通りだ。

 年末の大統領選挙をにらみ、原爆を落とした国、アメリカに「反核の大統領を当選させて」と訴えたのが大きなポイントだ、と思う。

 <平均年齢75歳を超えた被爆者の脳裡に、63年前がそのまま蘇る8月6日が巡って来ました。「水を下さい」「助けて下さい」「お母ちゃん」――被爆者が永遠に忘れることのできない地獄に消えた声、顔、姿を私たちも胸に刻み、「こんな思いを他の誰にもさせない」ための決意を新たにする日です。

 しかし、被爆者の心身を今なお苛む原爆の影響は永年にわたり過小評価され、未だに被害の全貌は解明されていません。中でも、心の傷は深刻です。こうした状況を踏まえ、広島市では2カ年掛けて、原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行います。

 そして、この調査は、悲劇と苦悩の中から生まれた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みをも私たちに教えてくれるはずです。

 昨年11月、科学者や核問題の専門家などの議論を経て広島市がまとめた核攻撃被害想定もこの真理を裏付けています。

 核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶です。

 だからこそ、核不拡散条約や国際司法裁判所の勧告的意見は、核軍縮に向けて誠実に交渉する義務を全ての国家が負うことを明言しているのです。さらに、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者たちさえ、核兵器のない世界の実現を繰り返し求めるまでになったのです。

 核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。

 地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不拡散条約は190カ国が批准、非核兵器地帯条約は113カ国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出した核廃絶決議は170カ国が支持し、反対は米国を含む3カ国だけです。今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。

 多数派の意思である核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、世界の2368都市が加盟する平和市長会議では、本年4月、核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。

 核保有国による核兵器取得・配備の即時停止、核兵器の取得・使用につながる行為を禁止する条約の2015年までの締結など、議定書は核兵器廃絶に至る道筋を具体的に提示しています。目指すべき方向と道筋が明らかになった今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。

 対人地雷やクラスター弾の禁止条約は、世界の市民並びに志を同じくする国々の力で実現しました。また、地球温暖化への最も有効な対応が都市を中心に生まれています。市民が都市単位で協力し人類的な課題を解決できるのは、都市が世界人口の過半数を占めており、軍隊を持たず、世界中の都市同士が相互理解と信頼に基づく「パートナー」の関係を築いて来たからです。

 日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の出発点とも言えます。

 我が国政府には、その憲法を遵守し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果たすことを求めます。

 さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、また原爆症の認定に当たっても、高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を要請します。

 また来月、我が国で初めて、G8下院議長会議が開かれます。開催地広島から、「被爆者の哲学」が世界に広まることを期待しています。

 被爆63周年の平和記念式典に当たり、私たちは原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の市民と共に、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽くし行動することをここに誓います。
 2008年(平成20年)8月6日  広島市長  秋葉忠利>

 (追記=8月9日)

 産経新聞8月9日朝刊オピニオン面<土曜日に書く>で石川水穂論説委員が<現実に目を背けた平和宣言>の見出しで、秋葉市長の平和宣言を批判していた。

 眼目は前文の締めにある「今年も、昨年と同様、北朝鮮の核には全く言及がなかった」だろう。

 旧社会党出身の秋葉市長はこれまでも北の核への言及を避けてきた、とある。昨年の原爆の日は北の核実験(一昨年10月)の後だったにもかかわあらず、平和宣言はそれに触れず、「憲法遵守」と「米国批判」を強調した、と書いている。また、北の核開発が明らかになった直後の2002年10月に米の大学で行った「広がる核の脅威」と題する講演でも、米の各政策への非難に終始し、北の核には触れなかった、という。

 <長崎の田上富久市長が昨年8月9日の平和宣言で新たに核兵器を保有した北朝鮮などの国名を挙げ、北の核廃棄に向けた6カ国協議での「ねばり強い努力」を訴え、昨年4月に凶弾に倒れた伊藤一長前市長も、平和宣言で北の核に言及することを忘れなかった。これが被爆地の首長として当然の対応であろう。>

 <日本にとって、当面する最大の脅威は北の核だ。それを取り上げない広島の平和宣言は、あまりにも現実と遊離している。>

 というのである。

 また、1994年10月の米朝枠組み合意成立で産経新聞が「この『合意』を素直に喜んでいいものだろうか」(10月19日付主張)と疑問を呈したのに、朝日新聞は「難航してきた米朝交渉が妥結を見たことは、金(正日)書記が対話と協調の路線で指導力を発揮していることを間接的に証明している」(同日付社説)と、また毎日新聞は「米朝両国が公式外交文書に調印することは、北朝鮮にとっては金正日書記の後継体制発足を飾る、歴史的な合意である」(同日付社説)と米朝合意を高く評価していたが、

 <金正日氏(現・総書記)への期待が裏切られたことは、その後の朝鮮半島の歴史が証明している。北はもらうものだけをもらい、秘かに核開発を続けていた。金正日体制への甘い期待は禁物である。>と、14年前の紙面を持ち出しながら、朝日、毎日批判を展開していた。

 その後のプレスコードをめぐる米国の原爆報道介入や米国の戦争責任検証問題も、大切な問題だと思う。戦後の同時代で隠されてしまった事実であるため、当時を生きた人々の記憶にはない事実だ。だから、意識的に勉強しないと知る機会がなかなかない。知らせる努力はマス・メディアが率先してすべきだろう。

 それにしても、石川氏に言われるまでもなく、「広島宣言」で秋葉市長は北朝鮮やパキスタンの核に触れるべきだった。なぜ触れなかったのだろう? 石川氏の言うように旧社会党的体質から「北朝鮮批判はしない」とイデオロギー的に決めているのだとすれば、それは改めてもらわないといけない。まあ、全文を読んでもそうした問題意識が沸き上がらなかった私自身、反省しているのだが。

 ただ、何度も書いているように、北朝鮮の核兵器が日本にとって本当に「脅威」なのかどうか、はもう少しギリギリの検証を含めて、正確に書くべきではないか、とも感じた。原爆を開発したことは確かだろうが、運搬手段としてのミサイルへの搭載ができるほどの小型化に成功していない、というのが一般的な見方ではないのか? それとも、石川氏は「搭載可能」という確定情報を持っているのだろうか?

 また、北朝鮮を含めた核保有国全部に核廃棄を求めるのは被爆国日本の使命だが、其の中でも日本に2度も原爆を投下、核戦争を戦ってしまった米国への指弾は別格で行わねばならないのではないか。その米国は今でも世界最大の核大国なのだから。

 だから、米国批判を徹底的に行い、返す刀で北朝鮮などの核を批判する、という対応が素直ではないか、と思うのだが。

 なお、各紙9日夕刊掲載の長崎平和宣言(田上富久市長朗読)には次のくだりがあった。

 <日本政府は朝鮮半島の非核化のために、国際社会と協力して北朝鮮の核兵器の完全な廃棄を強く求めていくべきです。>

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2008年8月 2日 (土)

「左翼はなぜ勝てないのか」という大沢真幸氏の問い~東京新聞論壇時評から

 7月29、30両日の東京新聞朝刊文化面[論壇時評]で大沢真幸氏は「左翼はなぜ勝てないのか」という興味深いテーマを掲げていた。「秋葉原で17人を殺傷したKが派遣社員であったことから、若年労働市場における非典型労働者(アルバイト、契約社員などの非正規社員)や無業者の過酷な状況に、あらためて社会的注目が集まった。日本では、非典型労働者は、1990年代中盤より増え始め、不況を脱したとされる2000年代に入っても一向に減らず、むしろ増加の傾向にある」という前文である。

 本田由紀氏の「軋む社会」(双風社)は非典型労働者が労働市場で冷遇されているだけでなく、言説の水準でも否定的に意味づけられていることを問題視。「フリーター」「ニート」「パラサイトシングル」などの非典型労働者、無業者を指す語には、負の含みがあり、しばしば若者が非典型労働者化した原因を「甘え」「わがまま」など若者の心理的傾向や態度に帰着させ、彼らの周辺的地位を「自己責任化」してきたことを批判している、という。逆に言えば、非典型労働者の排除や周辺化の「責任」はトータルな社会構造にある、という。

 この論文を読み、大沢氏が抱いた疑問が「非典型労働者の増大はなぜ、左翼勢力の拡大につながらないのか?労働者の味方であるはずの左翼、なぜ、この機に、支持を拡大させられないのか?というものだった。

 「蟹工船」ブームは起きて左翼への期待は若干高まるが、

 <ネットなどに現れる若者の言動の圧倒的な主流の中では、広義の右翼的なものが蔓延しており、左翼は揶揄や嘲笑の対象である。秋葉原事件と関連させれば、疑問を次のように言い換えることができる。なぜ、犯人の怨みは、彼の雇用者や為政者に向かわず、「誰でもよい」という形で焦点を拡散させてしまうのか、と。>

 この問いに正面から取り組んでいるのが「超左翼マガジン」を謳う「ロスジェネ」の創刊である、という。

 <「ロスジェネ(ロストジェネレーション)とは、就職氷河期と言われた90年代に学校を卒業した、現在20代、30代の層、つまりフリーターやニートを大量に生んでいる世代である。この雑誌は、この世代の代弁者たらんとしている。編集委員の一人でもある大沢信亮は、端的に「左翼のどこが間違っているのか?」と題する短編小説の中で、答えを模索する。主人公「ぼく」は、ブログの中で、左翼の「ナルシスティックな自己欺瞞」を非難する。左翼の「『弱者好き』はほとんど病気」だと。どういうことか?>

 ここからが、胸を打つ、というか、「なるほど」と思った箇所である。

 <左翼は、「戦争被害者、在日外国人、女性、フリーター…」といった弱者を次々と見つけ出し、それら弱者に同情し、同時に弱者差別を批判する問題は、こうした弱者への同情が、常に「安全な場所」からのみ発せられているということである。自分自身は弱者の渦中に真に近づかない限りで、弱者の味方になろう、というわけである。「同情」が、むしろ、弱者との間の安全な距離を保障している。左翼は、弱者を「応援」することで、自分自身の善き心、麗しい魂を確認し、ナルシスティックに陶酔しているように見えるのだ。>

 ㊦ではこの左翼的ナルシシズムの典型をチベット騒乱をめぐる海外メディアの報道に見る。弱く善良なチベット人を中国政府が弾圧している、と。だが、そう批判する者のほとんどがチベットと中国の長い関係の歴史を知らない。1949年に中国に占領される前のちべっとのことを知らない。なぜ、僧侶が主に中国に抗議するのかわかってはいない、と書く。

 孫歌は「『総合社会』中国に向き合うために」(現代思想7月臨時増刊号)で善玉と悪玉の闘争という図式で中国社会を見るべきでない、と論したのも、問題にしたのもこのことだった、と。どちらかの陣営が一方的に善で、一方が悪だという決め付けは中国社会の複雑性・総合性を隠蔽することにしかならない、という主張だという。

 <西洋や日本の多くの人々がチベットに同情するのは、チベットに特別な宗教性や精神性を感じるからではないだろうか。つまり、そこには「資本主義の物質文明を超える精神性」という幻想が投影されているのだ。こうしてわれわれは資本主義という問題に行き着く。>と。

 そこで左翼の問題に立ち返る。この辺の論理の複雑さが大沢氏の特徴で、非常に分かりにくいから、私のように頭の悪い人間には一読では分からないことが多いのだが。

 <左翼を特徴付けるのは、普遍性への愛着である。だが、事態を複雑なものにしているのは、普遍性を真に社会的に実効的なものにした動因は、資本主義にこそある、という事実である。資本主義的な市場では、すべての事物が、使用価値としての多様性を超えて、貨幣で表現できるような抽象的な価値をもつ。同様に、すべての人が、具体的な個性を超えて、抽象的な労働力の主体としては同一である。こうした現実を背景にしてこそ、すべての個人は、抽象的な人権の主体としては平等だという普遍的な理念も説得力を持つ。>

 つまり、普遍性である。よく分からないけど。

 <今日、フリーターやニートの自尊心を傷つけているのは、彼らが、いつでも、誰とでも交換可能な小さな部品に過ぎない、という扱いを受けるからである。だが、これは、資本主義的な普遍化の作用のきわめて素直な実現にほかならない。左翼を困難に陥れている究極の原因は、結局、資本主義を上回る実効的な普遍性を提起できていないからである。>

 随分と大きく出たものだ。言いたいことはいろいろあるが、後でまとめて書こう。

 <資本主義のこうした容赦ない力を実感するためには、もう一度、中国に眼を向けるのがよい。>

 として、阿古智子「腐敗と格差の根源は何か」(ラチオ5号)で中国社会におけるきわめて不公正な司法制度の実態を自身の調査をもとに具体的に報告している。

 <普通、資本主義という経済は、民主的な体制とともにあるときだけ、自然で整合的に機能すると考えられてきた。しかし、中国の現状が教えることは、資本主義は、権威主義的な権力と結合しても問題なく動く機械だということだ。資本主義の普遍性は民主主義のそれを凌駕しているのである。この不気味な現実に、どう対抗したらよいのか。>

 これで㊤㊦論文が終わりである。大沢氏らしく、結論らしい結論はなく、自分への、そして読者への問いかけで終わっているのだが、どうも少し違うのではないか、という気がしてならないのだ。

 まず、プレカリアート問題が、いかにも資本主義の必然で「仕方ないんだ」的に扱われるのだが、そうではなく、資本主義を取りながら、なおかつ民主主義政体を取りながら、北欧諸国のような社会民主主義を取れば、再分配問題は大きく変わるのでないか。

 アメリカ的民主主義、「小さな政府」的な自己責任政府だけが民主主義政府ではない。ヨーロッパの実験にしても、国の主権を共通団体に一部移譲しながら、地球憲法的な考え方を重視して、個人の「生きる権利」を重視するものではないか。この部分を論じないで、議論がわき道に入っていないか。

 また、日本で左翼が振るわない理由としては、社会党の長期欺瞞政治や、共産党の抱える広がりのなさ、民主集中制、マスメディアの変化嫌い、「政権担当能力」重視の論調なども大きく影響しているだろうが、そもそも、日本では社会民主主義的なモデルが乏しく、有権者に社会民主主義への想像力が欠如していることが最も大きな問題ではないか。

 「ああ、こんなのもいいな」と思い、憧れれば、その方向に進むものだ。北欧民主主義にしても紹介される時にはいい部分しか紹介されていない、という歪みがある。実際には、北欧民主主義は「人間中心主義」なだけに、精神障害者差別など、いろいろな問題も抱えているらしい。もっとトータルな思考がほしいのだが、言語のバリアーが思いのほか大きく、海外の思潮がそのまま日本に紹介されず、紹介された時には、何らかの部分が紹介者によって捨象されているケースが多い。これも、日本で西洋的思考を試みる際の大きなネックになっているのではないか。

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2008年8月 1日 (金)

書評 「環境活動家のウソ八百」

 「環境活動家のウソ八百」(リッカルド・カショーリ、アントニオ・ガスパリ著、洋泉社、798円)を読んだ。

環境活動家のウソ八百 (新書y 198) 環境活動家のウソ八百 (新書y 198)

著者:リッカルド・カショーリ,アントニオ・ガスパリ
販売元:洋泉社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 「偽善エコロジーの本質を暴く!」という目立つ帯がついた新書である。翻訳した草笛伸子氏は環境問題の専門家なのか、訳語も適切だと思う。非常に読みやすかった。

 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」の中部大学総合工学研究所副所長の武田邦彦氏が推薦している。

環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks (024)) 環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks (024))

著者:武田 邦彦
販売元:洋泉社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 環境保護運動の隠された目的が優生学と同じで優越者の子孫を残し、貧者、低開発国の人々の断種、人口減にあることを様々な資料をあげて主張した書だろう。

 この本を読んで、今までいいことだ、と思っていたバース・コントロールというものがいかがわしく思えてきた。

 これが本当ならば、一人っ子政策を続ける中国という国は最初から欧米帝国主義に思想闘争で負けているのか? 

 様々な疑問を起こしてくれる常識破りの本である。筆者が二人ともカソリックの大学の研究者であることを頭において読んだほうがいいだろう。

 つまり、一神教的な世界観が充満している本である。

 イスラムにしろ、カソリックにしろ、アミニズムへの憎しみがある。環境活動家の主張する「ガイア理論」が本当に汎神論的なものであるのであれば、逆に言えば日本や中国などアジア諸国の民衆は欧米出身思想である国際環境派の考え方、行動と手を携えられそうだ、とも思うのだが。

 まあ、じっくり読んだ本なので、じっくりと内容を書き出しておこう。

 主な内容は次の通りだ。

 ダーウィンの弟子が始めた優生学は世界の大富豪たちの後押しを受けながら、弱者、貧困層に子どもを生ませないバース・コントロール運動となって世界に広がり、ナチスの人種差別に好意的対応をしてきた。

 ナチスの敗北で優生学や人種優越論、大量断種政策の時代が終わったと思われていたのだが、実は優生学思想はロックフェラー財団などの応援を得て、「家族計画」「バース・コントロール運動」としてよみがえった。

 ここで編み出された論理が「持続可能な開発」「生活の質」という考え方だった。

 いかに人々に本人が気付かない自発的淘汰をさせることができるか、のキーワードだった。

 環境保護運動(エコロジー)もルーツは優生学に深く根差していた。「エコロジー」という言葉自体、ダーウィンの後継者で人種差別主義者のエルンスト・ヘッケルが作った。
 優生学運動と自然保護運動は歩調をそろえて成長した。

 各国の政府に大きな影響を与え始めたのは1965年、リンドン・ジョンソン米大統領が「人口抑制政策に投資する5㌦は100㌦の経済成長に匹敵する」というスローガンを打ち出したことだった。

 1950年代半ばに「人口爆弾」という小冊子を出してバース・コントロール運動とエコロジストたちの連携を目指した運動をしていたヒュー・ムーアの功績だった。

 ムーアらのIPPF(国際家族計画連盟)は国連にも食い込んだ。UNICEF(国連児童基金)も子どもたちの保護という本来の目的からフェミニズム運動の支援へと次第に活動の内容をシフトさせた。

 そして、1970年の「第1回アースデイ」では「人口は汚染する」という新しいスローガンを掲げ、環境保護団体など一般市民の心までとらえ、決定的な飛躍を遂げた。

 優生学がこれほど様々な形で成功をおさめた背景に北欧の社会主義運動が貢献していた。

 スウェーデンなどで強制断種が行われていることが暴露されたが、社会民主主義の政治家でノルウェーの元首相で当時は野党労働党の党首だったグロ・ハルレム・ブルントラントが1983年、ペレス・デ・クエヤル国連事務総長の要請を受けてWCED(環境と開発に関する世界委員会)委員長に就任した。

 1987年に出版されたブルントラント委員会最終報告書「地球の未来を守るために」は「持続可能な開発」という概念を初めて成文化した画期的な内容となった。

 この概念は新マルサス主義の理論をギュッと詰め込んだ「新マルサス主義の申し子」。人口増加が開発の遅れと環境破壊の元凶であると明文化された。

 この最終報告書の提言の一つが「環境をテーマにした世界規模の会議の開催」だった。

 これを受けて1992年、リオデジャネイロで国際会議が開かれた。その後、5年間連続して開催された国連の国際会議の始まりだった。

▽1993年 人権をテーマにしたウィーン会議
▽1994年 人口と開発をテーマにしたカイロ会議
▽1995年 社会開発をテーマにしたコペンハーゲン会議
▽1995年 女性をテーマにした北京会議
▽1996年 ハビタット(居住環境)をテーマにしたイスタンブール会議
▽1996年 食糧問題をテーマにしたローマ会議

 である。

 これらの会議において承認された一連の「行動計画」は持続可能な開発など、いくつかのインパクトある理念に基づいて作られた、いわば「世界憲法のようなもの」の成立につながっていく。

 その「世界憲法のようなもの」は今や多くの国々の法律を根底から変えさせるほどの影響力を持ってきた。

 欧州憲法の前文からは「持続可能な開発」の概念が明確に読み取れる。

 これらの会議に共通する「開発と環境」というテーマへの取り組みはまさにブルントラント委員会の報告書が意図していたものだった。

 その影響力は大きかった。国連関連機関の実質的影響力はここ数年、増してきている。

 世界銀行やIMF(国際通貨基金)を含む国際機関の財力を前にしては国際機関からの資金援助に頼る多くの国が言うことを聞かざるを得ない。今では世界銀行はバース・コントロールの導入・実行を交換条件にして借款、支援を行っている、というのだ。

 1992年のリオ会議では採択に失敗したものの、2000年3月、「地球憲章」が制定された。動物、植物同様人間も一括りの生命共同体に属する、という考えに基づいた一種の汎神論が特徴だ。

 順風満帆に見えた環境保護運動が挫折したのは2000年11月の米大統領選挙で急進的環境活動家でもあった民主党のアル・ゴア副大統領が共和党のジョージ・W・ブッシュ氏に敗れたことだった。

 ブッシュ大統領はただちにクリントン前大統領が進めていた妊娠中絶合法化の方針を撤回し、世界中で強制的なバース・コントロール・プログラムを展開しているという批判のあったUNFPAやIPPFのような国際団体への助成金も停止した。

 京都議定書の批准も拒否された。ヒト・クローンまで禁止する新しい大統領の確固たる姿勢に優生学活動の連携に混乱が生じた。

 2002年のヨハネスブルグ地球サミット(リオ+10=環境についてのカイロ国際会議で承認された行動計画の10年後の評価をするという意味)でグリーン(自然保護)運動の議事予定が実質的に封じ込められ、2004年の「カイロ+10」となるはずだった国際会議の開催を取りやめた。

 人口過剰への対応は1798年に「人口論」を書いたマルサス以来のことだ。

 人口は2-4-8ー16と等比級数的に増加するが、食物生産は1-2-3-4と等差級数的に増加するので、人間を養っていくための食糧の量を人間の数が上回る時代はとっくに訪れている、という主張である。

 1968年に「人口爆弾」という本を出版したスタンフォード大学のポール・エーリック教授ら新マルサス主義者は人口爆発の神話を世界に広めた。

 抑制不可能な人口増加が起きているという考えは1960年代から一般的になった。

 しかし、筆者は「これは事実ではない」という。

 実際には抑制不可能な人口増加という意味の人口爆発など過去にも現在も起きていない、というのだ。

 西暦900年から2000年の間に世界の人口は16億人から60億人になったが、それは人口の拡大に過ぎない、と。

 地球で人間が利用していない広大な地域があり、環境問題を解決するのに大切なのはバース・コントロールではなく、発展の手助けをすることだ、という主張である。

 資源は人間の創造力と技術によって作り出される、と。

 1972年、ローマクラブが「開発の限界」というレポートを出した。

 人類にとって致命的な危険が四つある、として

①人口爆発

②食糧不足

③資源の枯渇

④エネルギー危機

 をあげ、100年以内に人類は開発の自然限界に達すると予測し、的確な政策をもって介入しなければある日突然破滅的な衰退が訪れるであろう、と主張したのだ。

 ここで主張された「持続可能な開発」概念は定義が曖昧で、実証されたものではないのに、この本は世界に翻訳され、ベストセラーになり、世界の国々の開発政策、人口政策に大きく影響した。

 クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)というもう一つの現代的概念も環境保護派に追い風となった。

 貧困層におけるバース・コントロール(消極的優生学)と先進国における人工授精やクローン(積極的優生学)は表裏一体、一つのメダルの表と裏だ、という。

 バチカン教皇庁は「持続可能な開発」という概念に対して一貫して警戒感をあらわにし、1994年には「先進国が自分たちの観点から他国に対して何が持続可能な開発なのかを決めるので、一種の新植民地主義だ」と厳しく批判する文書を発表している。

 もともと「持続可能な開発」という概念はイデオロギー的アプローチから生まれた概念である、と筆者は主張する。

 人口密度が高くなると開発が遅れるという主張は事実に反するのに、ブルントラント委員会が1989年の「人口と持続可能な開発に関するアムステルダム宣言」で使ったのを皮切りにその後の国連主催の国際会議において採択されたすべての宣言や行動計画のベースとなってしまった、というのだ。

 この概念は国際会議を重ねるごとに影響力を増し、ほかの概念まで表舞台に登場させることになる。

 「リプロダクティブ・ヘルスケア(妊産婦の健康管理)」「繁殖権」「予防原則」などだ。

 これらが「ユニバーサルな価値」とか「地球倫理」というより広範な概念を確立しようという流れの中で論じられている。この「地球倫理」確立のために世界の宗教界も協力を求められている。

 しかし、今後人類が進むべき道は、バース・コントロール、持続可能な開発ではなく、教育である、と筆者は主張する。

 ここに言う「教育」とは現実の世界へ歩みだすことができるように誘導すること、つまり、人々の精神が自由に向かって開かれていくように刺激することだ、という。

 予防原則についても筆者は厳しい批判を展開する。

 1980年代末、科学雑誌に載ったある記事がきっかけで、クロール浄水法ががんを誘発するのではないか、という疑惑が高まり、反対運動が起きた。

 WHO(世界保健機関)やIARC(国際がん研究機関)は「警戒を促すに足る証拠はない」と1991年にレポートしたのに、反対運動はおさまらず、この年、ペルー政府がクロール浄化を中止する決定をした。

 その結果、コレラが発生し、その後の5年間に100万人が発症し、1万人が亡くなった。

 電磁波の問題は今も進行中だ。

 最も有名なのがDDTの使用禁止だ。1870年に初めて合成され、70年後に殺虫効果があることが分かり、1944年、アメリカ陸軍がマラリア、チフスなど虫を介して伝染する病気の対策として使用が開始された。

 戦後は一般殺虫剤として農薬としても使われた。マラリアに対する効果は劇的だった。数年のうちにヨーロッパと北米でマラリアはほぼ全滅した。

 スリランカにおいては感染者が10年で300万人から7300人に減った。インドでは1951年から1961年の間に7500万人(内死亡者80万人)から5万人に減った。

 ところが1960年代になると、自然環境活動家、レーチェル・カーソンが出版した「沈黙の春」の影響が大きく、DDTを農薬として使用することによる環境への悪影響を懸念する声が猛然と上がるようになった。

 その後の科学的研究により、この主張には根拠がないことが分かったが、すでにDDTを犯人扱いするキャンペーンが世界的に展開されており、1972年にアメリカ環境庁はDDTの使用を禁止した。

 こうして人間の健康を守るために数百万のマラリアで死ぬ運命を余儀なくされた。

 スリランカでは1964年にDDTの使用が禁止されたが、5年もすると感染者は17人から50万人へと激増した。

 完全に消滅したと思われていた国々でもマラリアが復活し蔓延している。

 環境活動家は「温暖化のせいだ」と反論するが、「マラリアは熱帯性の病気だと誤解されているものの、そうではないから、環境活動家の主張は嘘だ」と著者はいう。

 遺伝子組み換えトウモロコシへの感情的反対を繰り返す環境保護活動家だが、遺伝子組み換えトウモロコシが水分の少ないアフリカで生育すれば、餓死は減るのだが、とも主張する。

 ここで著者は重要な事項について「一緒に考えよう」と問題提起する。

 新しい技術を現実生活に取り入れるべきか否か、といった場合の判断である。

 結論は「リスクと便益を天秤にかけて考えるべきだ」、ということだった。

 当然の主張だろうと思う。

 しかし、「現実はそうなっていない」というのが著者の見解だった。

 フランコ・バッタリャ教授は三つの優先原則を提案している。

①感情的な不安よりも科学的な分析を優先する

②政治的な合理性よりも科学的な合理性を優先する

③経済的利便性よりも環境保護を優先する

 ――である。

 これは現実に即した「予防原則」の再定義だろう、と著者は提案に同意する。

 そして、「そもそも二酸化炭素は果して気温に影響を与えるのか」という根本的な問いを出してくる。

 結論は科学的に証明されておらず、反論も多いということだった。

 だから「2008年から2012年の間に先進諸国が温室ガスを5%削減する」という京都議定書の科学的根拠はない、というのだ。

 著者は

「森林破壊は進んでいない」

「二酸化炭素のプラスの働き」

「種の消滅以上に新種発見が相次ぎ、地球上の種の数は増えている」

「増えすぎたホッキョクグマ」

「温暖化は種の繁栄を促進する」

「実際には起きていなかった絶滅(シーラカンスの場合)」

「遺伝子組み換え食品は危険ではない」

「バイオテクノロジーは世界の平和と発展に貢献できる」

「世界の大気はきれいになっている」

 などと環境活動家の「常識」を一つひとつ論破していく。

 また、ジェームズ・ラブロック氏が発案し、環境活動家が主張する「ガイア理論」がインチキだと説く。

 「エコ帝国主義」批判で面白いのは、著者2人がローマ法王庁の大学の教授であることとも関連しているが、欧米のキリスト教は人間中心主義であり、ガイア理論は人間も植物も動物も同一レベルだ、と主張していることだ(226ページ)。

 「ガイア理論は人間性の否定だ」というのだ。

 ここで、著者2人というか、バチカンのスタンスが明らかになる。そうなると、今までの衝撃的な事実暴露の意味合いも少しは疑ってかかりたくなる。

 「では人間とは何なのか? 精神病者、人工授精、借り腹、臓器移植、脳死、生死の問題をどう考えるのか」と問いかけたくなるのだ。

 なお、巻末におさめられた<グリーンピース、WWF、ワールドウォッチ研究所の資金源についてのリポート>は秀逸だった。

 新書版のわずか271ページの本だったが、内容は濃かった。読むのに3日間かかってしまったが、知的興奮を刺激される内容だったから、時間の無駄ではなかった。お薦めの一冊である。

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2008年7月25日 (金)

書評 鈴木邦男著「愛国の昭和」

 <日本で最もリベラルな男が衝く日本人の「愚」><「滅びの美学」で平和の歴史は打ち砕かれた!!>の帯につられて鈴木邦男著「愛国の昭和~戦争と死の七十年」(講談社2008年7月24日第1刷発行、定価1575円)を読んだ。理論右翼「一水会」創始者の新右翼の代表的存在、として知られるが、1943年生まれだから、もう65歳になるのか、と少し感慨を抱きながら読み始めたのだが、率直に言って瑞々しい若さが充満した本である。

愛国の昭和―戦争と死の七十年 愛国の昭和―戦争と死の七十年

著者:鈴木 邦男
販売元:講談社
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 母親が熱心な「生長の家」信者だったので、鈴木氏は「生長の家」の講習会、錬成会に行かされ、1960年頃、高校生だった鈴木氏は参加した錬成会で大逆事件の時に明治天皇が詠んだという「罪あらば我をとがめよ天つ神 民は我が身の生みし子なれば」を知る。しかし、この歌が実在しなかったかもしれない、と後で知る。

 早大政経時代、全共闘の学生と毎日、論争し、殴り合いをしながら、明治維新の志士を気取っていたが、職業右翼を軽蔑していた。卒業後、1970年に産経新聞記者となるが、1972年に一水会を創設、1973年に退社。プロ右翼となる。

 学生時代を含めて右翼生活40年、60冊以上の本を書いてきたが、この本は全く違う、という。今までは結論が分かっていたものを書いていた。プロパガンダだったが、この本は自分の疑問にどう答えるか、の苦悶の跡を記したものだからだ。

 今、鈴木氏は河合塾コスモと日本ジャーナリスト専門学校で週1回ずつ現代文、基礎教養ゼミ、時事問題を教えているそうだ。講師仲間、現代文の牧野剛先生、漢文の武内龍介先生によく教えてもらっている。こうした外部の人たちの協力がそのまま本の内容に生きているのが特徴で、理論ではなく、自分の心への回答であるから、読んでいて面白い。

 キーワードは「玉砕」「神風」「切腹」「自決」「散華」「英霊」。誰も批判できない存在=神になった<特攻>。今までアプリオリに尊敬、崇拝してきたこれらの概念、実態をタブーなしに腑分けする作業がこの本の内容になっている。一億人を死に導こうとした「呪文」の徹底解剖である。死を煽る「滅びの美学」の愚かさ、という表現が出てくる。安倍晋三前首相時代の復古ムードに代表される右寄り路線がまたまた愚かな「滅びの美学」を振りかざした戦争への道に繋がりかねない、という危機感がこの本を書かせたようだ。

 三島由紀夫の切腹の話、特攻隊の少年兵の中には悪い人もいたという話、日本はもともと戦争嫌いの国だったという話。荒削りだが、これまでの自分を否定しながら、新しい地平に向かっていく若々しい思想の闘争の記録として読めば、非常に面白い。

殉国と反逆―「特攻」の語りの戦後史 (越境する近代 3) 殉国と反逆―「特攻」の語りの戦後史 (越境する近代 3)

著者:福間 良明
販売元:青弓社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 福間良明著「殉国と反逆~『特攻』の語りの戦後史」(青弓社、2007年7月27日第1刷、定価3570円)は戦後の「特攻」のイメージの変遷をめぐる「”殉国”のメディア史」。特に特攻隊遺稿集の出版、その映画化がどのような状況で、何を切り捨てながら行われたか、国民はそのどこに興味を持ったか、を1953年の「雲ながるる果てに」、1967年の「あゝ同期の桜」、1968年の「人間魚雷」、1974年の「あゝ決戦航空隊」などの作品を題材に分析したものである。学術的な論文らしいが、サブカルチャーの読み物を読んでいるようで、非常に面白い。

 佐藤卓己・京大准教授が2007年8月5日付読売新聞書評欄で書いているように、鶴田浩二という元特攻隊と勘違いされていた俳優が主演した映画に熱狂した戦無世代は鶴田が元整備兵だったと知っても何も問題にせず、鶴田=特攻隊のイメージを持ち続け、鶴田が出演した任侠路線の映画も見ていた。

 そして、全共闘世代は任侠の世界に憧れる。福間氏が注目する<任侠と特攻の接点>である。

 本文中で安田武が「”他人の死から深い感銘を受ける”というのは、生者の傲岸な退廃である」と言うのだが、佐藤氏は書評でそこに注目し、肝に銘じるように、というのだ。

 何か散漫な文章になってしまったが、戦後、右も左も一貫して特攻隊を話題にしてきた。それを鈴木氏が特攻隊に関するものはもう読みたくないし、書きたくない、と言っているのが注目される。表象文化論的なとらえ方をしてみても、特攻隊を取り上げた瞬間から批判できない部分が立ちはだかり、結果、特攻思想容認への道を歩みかねない、という危惧からだろうと想像する。福間氏や佐藤氏のメディア論が持つ危険性を鈴木氏は直感的に鋭く指摘しているのではないか。

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2008年7月23日 (水)

書評 芳澤勝弘著「白隠禅師の不思議な世界」

 ウェッジ選書、2008年7月22日第1刷発行。

 奥付の著者紹介によると、芳澤勝弘氏は花園大学国際禅学研究所副所長・教授。同志社大学経済学部卒業、財団法人禅文化研究所主幹。白隠禅画・墨蹟の調査を主なフィールドワークとしている。学術的知見に裏打ちされたわかりやすい絵解きには定評がある、とあった。

白隠禅師の不思議な世界 (ウェッジ選書 33 地球学シリーズ) 白隠禅師の不思議な世界 (ウェッジ選書 33 地球学シリーズ)

著者:芳澤 勝弘
販売元:ウェッジ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 第1部「禅と禅画―白隠とその禅画をめぐって」は松井孝則氏が主宰する「フォーラム地球学の世紀」での芳澤勝弘氏の講演がもとになっている。第2部は「鼎談 現代に問いかける禅」で芳澤氏と松井孝則・東大大学院新領域創成科学研究科教授(地球惑星物理学専攻)と合原一幸・東大生産技術研究所教授(カオス工学、数理工学、生命情報システム論専攻)が禅と脳、心の関係を話し合っている。

 1685年生まれの白隠禅師は臨済宗中興の祖としてその世界では有名らしいが、一般には知られていない。

 室町時代以降、形式のみが重視され、停滞していた「禅」に生き生きした命を吹き込み、日本独自の「禅」を確立しただけでなく、今や世界の「ZEN」となっている宗教「禅」の基礎を作った人物だ、という。

 本の中に白隠禅師の描いた禅画がいくつか挿絵として入っているのだが、メビウスの環のような空間の「ねじれ」を利用して、三次元でしか表現できないはずのものを二次元の紙の上で表現したり、絵の中の掛け軸を七福神が見ており、読者も一緒に見ることで、共視感を持たせるとか、斬新でユーモア一杯の禅画を見ることができる。

 白隠禅師は全国行脚している間に、禅の心を説明するために禅画を描き続けたそうだ。このため、今でも白隠禅師の禅画は各地に保存されている、という。

 本書は禅画を題材に、「禅とは何か」を解説する、という趣向なのだが、難しい原理は分からなくとも、白隠禅師の想像力にあふれた世界を堪能することはできる。第2部の地球物理学者、脳科学者との鼎談も、理科系の人たちが見たら、相当に面白いのだろうが、私には禅を脳の働きの話に矮小化する企画ではないか、としか思えなかった。つまり、第2部は話がかみ合っていない感じがする。でも、第1部だけでも、抜群に面白い。

 禅については、昔、理解できないながらも、鈴木大拙の本を読んだことがある。その解説だけで、禅の歴史を理解したつもりでいたが、この本を読んで「なるほど」という部分が多かった。

 禅が身近になった感じがした。

 昔の日本人は一所懸命、人間くさく生きていたのだなあ、さすがにご先祖様、今の日本人と同じように悩み、笑い、怒っていたのだなあ、と分かった。西洋文化、西洋史だけ学校で学べばいいというものではない、とつくづく思った。

 昔の日本人は欧州の偉人といわれる人たちに匹敵することを考え出していたし、その考えを禅画として残していたのだ。

 禅についてもう少し勉強したくなった。

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2008年6月29日 (日)

書評 岡田斗司夫著「オタクはすでに死んでいる」

 岡田斗司夫著「オタクはすでに死んでいる」(新潮新書)を読んだ。2008年4月20日発行、定価714円。岡田氏は1958年大阪生まれ。85年、アニメ・ゲーム制作会社ガイナックスを設立、92年退社。大阪芸術大学客員教授。著書に「オタク学入門」「いつまでもデブと思うなよ」「『世界征服』は可能か?」など、とあったが、本文の最後に「付録」としてこれまで書いた本のダイジェストが掲載されていたので、書いておく。

オタクはすでに死んでいる (新潮新書 258) オタクはすでに死んでいる (新潮新書 258)

著者:岡田斗司夫
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 「ぼくたちの洗脳社会」(1995年)朝日文庫(1998年、収録)=「自分の気持ち至上主義」など、以後の岡田の著作はすべてこの理論がベース。

 「オタク学入門」(1996年)新潮文庫(2008年、収録)=「オタク」の発生や起源、それが現代社会に持つ意味などを解説。

 「フロン」(2001年)幻冬社文庫(2007年、収録)=「ぼくたちの洗脳社会」で予言された高度情報流通社会(いわゆるネット社会)が進むにしたがい、家族や恋愛の意味が変容する。すでに結婚制度や家族制度は破綻し、不良債権化している、という警告の書。

 「プチクリ」(2005年、幻冬舎)=「ぼくたちの洗脳社会」で予言されたネット社会がついに到来した。その中で個人はいかに生きるべきなのかを語る。

 「『世界征服』は可能か?」(2007年、ちくまプリマー新書)=なぜあらゆる政治批判や社会論は空回りするのか?「世界征服」という視点から政治や経営、人間関係までひとつの話題で結んだ挑戦作。

 「いつまでもデブと思うなよ」(2007年、新潮新書)=これまでの「社会はこのように変化する」を受けて、「では個人はどのように生きるのが経済的に得か」に焦点を絞って解説。ダイエットツールとしても使えるし、自己管理法としても役立つ本。

 以上が岡田氏個人が書いた自分の本の宣伝である。名前だけは知っているが、読んだことはなかった。

 秋葉原殺人事件があっただけに、「オタク」論は一度は読んでみたかったので手に取ったのだが、読んで「良かった」とか「そうなんだ」とかの感激はなかった。ただ、日本人が水着姿の少女を表紙にした雑誌を人前で恥ずかしげもなく見たり、持っていることは外国人にとっては信じられないことで、児童ポルノ愛好者と紙一重だ、と見られる、という指摘は「そんなもんか」と思ったが。

 また、少年マガジンや少年サンデーなど少年向け週刊誌の表紙がマンガやスポーツ選手ではなく、アイドルや歌手の少女になったのが1980年のことだった、との指摘も「へー」だった。

 1980年という年、もう少し広げれば80年代という時代はやっぱり何かおかしな時代だったのかもしれない。サブカルチャーの歴史の中ではいろいろともっともらしい説明がされているのだろうが……。

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2008年6月11日 (水)

書評 マイク・モラスキー著「その言葉、異議あり!」

 マイク・モラスキー著「その言葉、異議あり!~笑える日米文化批評集」(中公新書ラクレ)を読んだ。2007年11月10日発行、定価760円+税を最近、神保町で100円で購入。ちょっと見ただけで衝動買いをしてしまった。面白くなければ捨てようと思って。だから、家の書庫に放りっぱなしで、読み始めるのが遅かった。大して期待していなかったからだ。仕事が一段落したので、読み始めたら、何と面白くて止まらなくなってしまった。

 何が面白いか、と言って著者の博識と日本への愛情、日米文化比較の冷静な眼差しである。まず著者紹介をカバー裏から写しておく。

その言葉、異議あり!―笑える日米文化批評集 (中公新書ラクレ 260) その言葉、異議あり!―笑える日米文化批評集 (中公新書ラクレ 260)

著者:マイク・モラスキー
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 <マイク・モラスキー氏は1956年米国セントルイス市生まれ。70年代から延べ十数年にわたって日本に滞在。シカゴ大学大学院東アジア言語文明学科博士課程修了(日本文学で博士号)。現在、ミネソタ大学アジア言語文学科准教授。また、2007年9月から1年間、国際日本文化センター(京都)に招聘研究員として在籍し、「日本のジャズ喫茶文化」の研究に専念。「戦後日本のジャズ文化~映画・文学・アングラ」(青土社)で2006年度サントリー学芸賞(社会・風俗部門)を受賞。他の著書に「占領の記憶~戦後沖縄・日本とアメリカ」(鈴木直子訳、青土社)など。ジャズ・ピアニストとして日本のライブハウスに出演することもあり、2006年に初のCD(『Mike Molasky Trio-Live Back at Aketa!』)をアケタズ・ディスクより発売。趣味は路地裏の居酒屋探索のほかに将棋(居飛車党)、尺八(琴古流)、太極拳(陣式)。>

 変わった人であることは確かだが、言葉遊びだけでなく、小話などでピリッとわさびの効いた文明批評を展開している。

 貧しい白人への差別的な言葉「ホワイト・トラッシュ」が戦時中の「ナチ」と同様に、貧しい白人すべてを対象にした言葉ではないが、「ジャップ」はすべての日本人を対象にした言葉だった、という事実からアメリカをはじめとした白人社会の人種差別を透視する。

 あのジョン・ダワーの「容赦なき戦争ー太平洋戦争における人種差別」(平凡社ライブラリー、2001年)がこのような問題意識で第二次世界大戦中のアメリカの言説を分析した著作であることを初めて知った。

 差別用語を禁止すべきかどうか、という論争へのモラスキー氏の答えも面白い。

 「『差別用語』だからといってある表現を禁止する行為自体は怠け者のやり方だ。その単語に付着しているイデオロギーや、それが含む偏見的発想などをなるべく印象に残るような形で明るみに出せば、少なくとも良識ある人ならばもう少し自覚して使うようになることを期待できる」

 白人の肉体労働者を指す「レッドネック」(赤首)に関するジョークも面白い。日本ならば誰も怒らないジョークで殺人事件に発展することだってあり、逆に欧米の人々が当たり前だ、と思っていることが日本人にとって、ものすごい恥ずかしいことだってある。

 ニューヨーク市郊外で育ったユダヤ系アメリカ人レニー・ブルース(1925~66)とセントルイス出身のアフリカ系アメリカ人ディック・グレゴリー(1931~)のラディカル・コメディも社会風刺(social satire)や文化批評として受け取ったほうがいいジョークも少なくない、という。この2人の知的ジョークがたくさん紹介されており、参考になる。

 また、「日本はユニークだ」「日本語は難しすぎる」「日本は島国だから…」「農耕民族だから」「日本人は単一民族だ」という日本人の独善的思い込みが外国人から見るといかに変であるか、を徹底的に語る。

 今までモラスキー氏を知らなかったことを恥じ入る次第。こういう知的な親日派が増えることを望むばかりだ。

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2008年6月 9日 (月)

書評 加藤秀俊著「取材学」

 加藤秀俊著「取材学」(中公新書)を読んだ。1975年10月25日初版で93年3月10日発行の25版を最近、神保町の古書店で100円で買ったが、それを一日がかりで読了した。定価は680円+税。
 インターネット全盛前の本だ。学者、学生、研究者、ジャーナリストがしなければならない資料集めの適切な方法、など実際に役立つノウハウの集積という感じの本だ。「百科事典の索引を利用しない(できない)研究者は半人前だ」というような書き方。索引の大切さを説くのは加藤氏だけではないが、「なるほど」と思う部分が多い。
 面白かったのは、インタビュー取材でテープレコーダーを使うケースの心得だ。相手に断ってから使うべきで、「この部分はオフレコだよ」と言われたら、テープを止めてメモもしないのが作法だ、という主張である。
 ジャーナリストは「知る権利」というが、取材されるほうにも「知らせない権利」がある、というのがその理由である。
 なるほどなあ、と思うのだが、朝日vsNHKで有名になった「言った」「言わない」論争は実は朝日新聞記者が隠れて(相手の許可を得ないで)テープを取っていたので、朝日新聞は強気な対応をしていたのだが、テープに取られたNHK幹部も隠しテープを朝日新聞が公表するわけに行かないだろう、という読みで、「言っていない」と突っ張ったから、論争は藪の中に入ってしまった、というのが真相らしい。
 汚職などの公務員犯罪の関係者はテープに取られていると分かったら、しゃべらなくなるだろうが、その言った内容を正確に伝えなくてはならないケースもある。そこで、朝日新聞は実は以前から現場の運用で、隠しテープを使っている、という噂話もある。他の新聞社でもやっている記者はやっているのだろう。
 加藤氏が新聞記者をはじめとするメディア関係者の心得として「謙虚であれ」と言うのは、その通りだが、実際にどのように運用すべきか、は日本新聞協会で四角四面なルールを決めればいい、という話ではないだろう。この部分は本のP114.
 このテープ問題は、この本でも何度も繰り返し論じられている。P107、P133、P176。
 報道するときに新聞紙面に実名を登場すべきか仮名にすべきか、については178ページに加藤氏の説が開陳されている。
 随分と昔の本なのだが、インターネット全盛時代の今でも考えさせる問題提起が多く、参考になった。

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2008年6月 7日 (土)

書評 佐高信・姜尚中著「日本論 増補版」

 佐高信×姜尚中著日本論 増補版」(角川文庫)を読んだ。2007年2月25日初版、08年5月15日第4版発行。定価540円。
 2004年2月に毎日新聞社から発行された単行本に加筆修正し、増補版として文庫化。単行本に2本が新たに加わった。最初の「語り下ろし『愛国の作法』をめぐって」(2006年12月8日、東京・山の上ホテルでの対談)と終章「精神の鎖国主義をどう脱却するか」(2004年3月16日、東京・青山ブックセンターで単行本「日本論」をめぐっての対談)である。今読み終えた。

日本論 増補版 (角川文庫 さ 41-5) 日本論 増補版 (角川文庫 さ 41-5)

著者:佐高 信,姜 尚中
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 さまざまな論点が生のままの形で提示されており、<考えるためのヒント>という意味では宝の山ではないか。
 映画監督の伊丹万作氏が「戦争責任の問題」(大江健三郎編「伊丹万作エッセイ集」筑摩書房)で、「だまされていた」という便利な言葉で戦争の一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見て放った言葉を話題にしていた。
 「『だまされた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである」と。「被害者になることによって加害者であることを忘れる。被害者に逃げ込むことで自らの責任を免れようとする。そうした傾向に伊丹は鋭くメスを入れた」
 <はじめに>で佐高信氏が書いているエピソードである。
 佐高氏の政治家を判断する二つの基準の組み合わせ論。一番駄目な<ダーティーなタカ>は中曽根康弘氏、森喜朗氏。<クリーンなタカ>は小泉純一郎氏。<ダーティーなハト>が加藤紘一氏や田中真紀子氏。<クリーンなハト>は三木武夫氏と田中秀征氏、というのは直感で「そうか、そういう見方があるのか」と思わず笑ってしまった。。
 松下竜一氏のノンフィクション「砦に拠る」に描かれた下筌ダムの建設予定地に蜂ノ巣城を作った室原知幸氏のエピソード。
 ダム建設の説明不足に不審を抱き、山林大地主としての財力、全財産をつぎ込んで1959年から「蜂ノ巣城」を作って、ときの建設省と渡り合った。郷土熊本で今も評価は二分されている。地方の名望家が幕末以来大活躍している、という文脈で出てくる話だ。
 島崎藤村「夜明け前」の主人公、青山半蔵もそうだった。
 幕末の改革に夢を託して最後は裏切られていった赤報隊の相良総三を描いた岡本喜八監督の映画「赤毛」(1969年)も出てくる。
 今の日本の空気についての2人の言葉は面白かった。
 姜氏「今の日本の言語空間には何か目に見えない皮膜があって、その中で思考しているから、ものすごく悲観的なのです」
 佐高氏「久野収は戦争中に獄中に隔離される。当時『東京音頭』が流行っていたそうで、『ヤートナ、ソレ、ヨイヨイヨイ』というはやし言葉が監獄の中にまで聞こえてくると、『あぁ、自分はこうした庶民の獲得競争に負けたんだな』と思ったそうです」
 俗世間から隔絶しているような、いわゆる「進歩的文化人」はあまり好きになれないなあ、と思っていたのだが、口を衝いて出る言葉は鋭く、自分にからめるという意味で責任を自覚した発言をしている。右でも左でも誠実に思考の経過、悩みを表出できる人は信用できそうだ。
 また、佐高氏は日本語の「翻訳文化」の危うさについてるる述べる。
 「ベンヤミンにしても、彼が生きていた現実を批判していたわけですよね。その批判を、そのまま翻訳するわけでしょう。そうではなくて、私が言いたいのは、ベンヤミンの方法論を使って日本の現実を批判しろよ、ということです」
 姜氏も
 「ウェーバー学もベンヤミン学も結局、道として極めてしまう」と応じている。
 2人は五味川純平「人間の条件」が正当に論じられていない、と論壇を批判する。
 僕らには戦後のあの時代、エロ本がわりでもあった本だが、と言いながら。
 梶という人間一人にフォーカスした小説だ。一方、「戦争と人間」は群像劇。五味川の助手をしていたのが澤地久枝氏である。原作は三一新書で全18巻。伍代コンツェルンの総帥を滝沢修が演じた、と。当時の日本の中国や朝鮮半島をめぐる葛藤を背景に日本国内の財閥の御曹司その他様々な人間が登場して人間ドラマとして圧巻だった、という。
 というような話、政治の本筋とは関係ない話が面白いのだ。
 イラク戦争、アフガン戦争と日本外交、日本政治についての話も相当面白い。
 公費をつぎ込んだ日本長期信用銀行の杉浦敏介元会長に9億7000万円の退職金が支払われ、2億円返しただけ。7億7000万円はまだ返却されていない。日本債権銀行の頴川史郎元会長も6億円の退職金をもらった、という。それを返させてから公費を入れるべきだったのに、そうしなかった。「小泉、竹中は銀行家には大甘だよ」、という批判は貧乏人のひがみではなく、金融秩序の安定という美名の下、国民の税金をジャブジャブ注ぎ込んだ構造改革政治への本質的批判になっているのではないか。
 「正義と平和はどっちが大切か」
 姜氏が問いかける。「正義よりも平和が大切です。金大中元韓国大統領もそう思って南北交流をした」と。
 フランクルの「夜と霧」にも話は及ぶ。
 「嫌な歴史も抱きしめて歩むしかない、という覚悟が必要だ。韓国人にとって日本に植民地支配された歴史はそういう方法でしか癒されないだろう」
 と姜氏。そういう許容する範囲が日本の社会ではどんどん狭まっているのではないか、という懸念が出される。「糊代がどんどんなくなっていく」社会なのか。
 姜氏が「監視国家」論を取り上げる。「ガードマン国家」にしないようにするため、あらゆる手を打つべきだ、と。がんじがらめの「ガードマン国家」になったら、もう手遅れだよ、と。
 寺山修司の歌「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」はいろいろ考えさせる短歌である。

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2008年5月31日 (土)

書評 「ドキュメントゆきゆきて神軍」

 原一男・疾走プロダクション編著「ドキュメントゆきゆきて神軍」(井出孫六氏との対談も収録)(教養文庫、1994年9月30日初版第1刷97年6月30日第5刷発行。社会思想社、定価520円+税。
 今日、古書店で100円で買った。
 映画監督である原一男氏の「ゆきゆきて神軍」の製作エピソードである。原氏が主人公の奥崎健三氏の異常さをつぶさに観察する眼がいい。
 1987年に「ゆきゆきて神軍」が完成したのだ、と。映画を見ていないので、何ともいえないが、当時は相当に話題になったことだけは覚えている。文庫本の最後には「世界」1987年9月号から転載した井出孫六氏と原氏の対談「なぜ戦争にこだわり続けるのか」と原氏の妻・小林佐智子氏の「神戸の女神・奥崎謙三の妻シミズ」が収録されている。
 本文は「ゆきゆきて神軍製作ノート」と「採録シナリオ『ゆきゆきて神軍』」からなっているのだが、全体像を知るのには、井出氏との対談が分かりやすい。
 1969年1月2日、皇居の一般参賀が再開された。皇居の改造が完成して初めての参賀だったが、群衆の中から一人の男がパチンコ玉を天皇に向けて発射して、すぐに厚遇警察に取り押さえられた。テレビ、新聞の扱いは小さかったが、井出氏はものすごいショックを受けたという。勤めていた中央公論社の中央公論編集部に奥崎氏の裁判記録が届けられ、それは奥崎氏が自分で書いた冒頭陳述書で400字詰め原稿用紙で400~500枚の長文。
 井出氏「戦時中、ニューギニアの独立工兵連隊に従軍したこと、約1000人のうち生還したのはわずか36人だったという戦争体験。そして戦後、靖国神社で慰霊するということに虚しさ、空々しさを感じたこと、そこでどうしても自分のスタイルで戦友の慰霊をしたいとあれこれ考えた末に天皇に向けてパチンコ玉を撃つのが一番ふさわしかろうと決意を固めて皇居へ出かけた、と経緯が書いてあった。小学校の教育しか受けていない典型的な一般兵士がそういうことをした。知識を蓄えていた人たちが戦争をどう見たかは、戦後、小説や記録としていろいろ出ましたが、一般庶民の中から参加した兵士が独特な目で戦争を捉え直しているということに僕は大きな衝撃を受けます」
 そこで、井出は若干の解説をつけて三一書房から「ヤマザキ、天皇を撃て!」という題でこの冒頭陳述書を出版した。奥崎氏は「田中角栄を殺すために」という本を自費出版している。「宇宙人の聖書」という本もある。
 原氏の執念、奥崎氏の行動は現代にこんな物凄い執念に執り付かれた人がいるのか、と心底驚く。
 ニューギニア戦線での人肉食いの暴露も衝撃的だが、井出氏の対談での発言、特にこの対談時は戦後42年だったらしいが、「戦争の記憶と忘却」についての発言は重い。今でも日本人の心に突き刺さる。
 こういう種類の本が流行った時代だった、と簡単に割り切ってしまうこともできるだろうが、今も解決されていない問題のいかに多いことか。

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2008年5月26日 (月)

書評 大崎正瑠著「韓国人とつきあう法」

 大崎正瑠著「韓国人とつきあう法」(ちくま新書)を読んだ。1998年6月20日第1刷発行。定価660円+税。古書店で100円で買った。
 著者は「1944年北海道生まれで慶応大学商学部卒業後、ビジネス界で実務を経験し、その後、早稲田大学大学院修士課程修了。現在、大妻女子大英文学科教授。ビジネス・コミュニケーション専攻。日本コミュニケーション学会理事。「コミュニケーション」「文化」の視点から社会やビジネスを研究する。また海外40カ国におよぶ訪問・滞在に基づき日本の外から日本を眺める。著書に「ビジネス・コミュニケーション論」(西田書店)、「ビジネスレターの英語」荒武出版)ほか」と著者紹介にあった。奇人変人の部類に入る人なのか、一見ビジネスマンで、その実、ロマンあふれる文学者なのか? 七色仮面のような人物ではないか、と想像しながら読み始めた。
 読了した感想は、韓国の専門家でない世界の言葉の専門家というか、いろいろな外国語がしゃべれる人が日韓の歴史をそれなりに研究して、パターン化された基礎知識なしに今後の日韓のあるべきコミュニケーションを語っているところが面白い、ということか。
 日本と韓国の「ディスコミュニケーション」(うまくコミュニケーションできないこと)を「似ているけれども違う」点の解明から説き起こそうとする点は、相当に面白い。日韓における「孝」の意味の違い、とか実践的知識に基づく韓国論だ。情緒については「わび」「さび」「もののあはれ」⇔「恨(ハン)=フランス語のルサンチマン的なもの」とか。ハン・プリの解説もある。
 「言語メッセージはデジタル、非言語メッセージはアナログ」という言葉、言語学者には常識なのかもしれないが、なるほどと思う。
 91ページにある「日本語の成立」に関する図が分かりやすかった。
 日本語は視覚型言語である。漢字という文字情報を補助手段として使っているから。日本語はテレビ型言語。表音文字を使うヨーロッパ語などの言語はラジオ型言語、と言語学者の鈴木孝夫氏の説だそうだ。
 日本語は発音の種類が少なく、また視覚型言語なので、日本人は微妙な発音を区別し聞き分ける能力が著しく退化している、という。これが外国語習得にはマイナスに響く。
 韓国語の<反切表(パンジョンピョ)>も入っていた。
 韓国語には受動態、使役、謙譲表現がない。→「サピア・ウォーフの仮説」(言語が人間の認知および思考の様式を決定する)がここにも現れている、という。一般に日本語は内向的な言語、韓国語は外向的な言語といわれる。
 韓国語には「ヨク」と言って、相手を罵倒する表現がものすごく多い、という。悪口である。「お前の母さん出べそ」みたいな他愛ない悪口から、性的悪口に至るまで、日本以外ではいろいろな種類の悪口があるのに、日本語になぜか少ない。なぜ少ないのか? と著者は考える。そこで「江戸時代の切り捨て御免のご法度社会ではその前に切り捨てられていたからではないか」という仮説を立てるのだ。日本語が特殊で悪口が少なすぎるので、この構図は<日本語VS日本語以外>という構図だ、と分析している。
 人と人のコミュニケーションで対人的な距離のとり方について、密着距離、固体距離、社会距離、公衆距離という分け方がある、という。この辺はコミュニケーション論専門家ならではの論で、面白い。
 職場は日本ではどちらかといえば「ケ(日常)」の世界だが、韓国では「ハレ(祭り=非日常)」の世界だ、と。
 日韓国際結婚の比較、問題点についての論考も面白い。
 黒田さんら韓国専門家の著書は当たり前のように面白いのだが、この本は「あれっ」という驚くべき発見、斬新なアイデアがいろいろ出てくる。暇つぶしにはいい一冊だ。

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2008年5月25日 (日)

書評 川越修・友部謙一編著「生命というリスク―二〇世紀社会の再生産戦略」

 法政大学出版局、2008年5月23日初版第1刷発行、定価3400円+税=3570円。

生命というリスク―20世紀社会の再生産戦略 生命というリスク―20世紀社会の再生産戦略

販売元:法政大学出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 2003年~2005年にかけて同志社大学を会場に7回、2005年4月から2006年9月にかけ同志社大学と慶応大学で7回の計14回開かれた「生命の比較社会史」研究会の報告、討議をもとにまとめた本で、「分別される生命ー二〇世紀社会の医療戦略」と2冊で1セットの形のようだ。編著者を紹介しておこう。

 川越修氏は1947年生まれ。同志社大学経済学部教授。専攻はドイツ近現代社会史。主な著書に「ベルリン 王都の近代―初期工業化・1848年革命」(ミネルヴァ書房、1989年)、「性に病む社会―ドイツ ある近代の軌跡」(山川出版社、1995年)、「社会国家の生成―20世紀社会とナチズム」(岩波書店、2004年)ほか。

 友部謙一氏は1960年生まれ。大阪大学大学院経済学研究科教授。専攻は数量経済史・日本経済史。主な著書に「前工業化期日本の農業経済―主体均衡と市場経済」(有斐閣、2007年)、「歴史人口学のフロンティア」(共編著、東洋経済新報社、2002年)ほか。

 内容は次の通り。

序章 生命リスクと20世紀社会 川越修

第1章 人口からみた生命リスク 友部謙一

第2章 乳幼児死亡というリスク 中野智世

第3章 農村における育産の「問題化」 吉長真子

第4章 戦時「人口教育」の再検討 高岡裕之

第5章 「生命のはじまり」をめぐるポリティクス 荻野美穂

第6章 出産のリスク回避をめぐるポリティクス 中山まき子

第7章 生命リスクと近代家族 川越修

 である。この中では特に、序章と高岡氏の第4章が参考になった。

 高岡裕之氏は1962年生まれ。関西学院大学文学部教授。専攻は日本近現代史。主な著書・論文に「資料集 総力戦と文化 第2巻 厚生運動・健民運動・読書運動」(編著、大月書店、2001年)、「医界新体制運動の成立―総力戦と医療・序説」(「日本史研究」424号、1997年12月)、「戦争と『体力』―戦時厚生行政と青年男子」阿部恒久ほか編「男性詞 モダニズムから総力戦へ」(日本経済評論社、2006年)ほか。

 序章で川越氏が本書の構成、狙いなどを書いている。

 生命リスクとは、新生児・乳幼児期や妊娠、出産、病気、加齢んどを契機に顕在化する生活、生存を不安定化させる身体をめぐる問題群とそれに対する社会の対応策を捉えるための仮説的な概念だ、という。

 現代日本における少子化・高齢化問題は、この生命リスクを回避するための20世紀社会の戦略の行き詰まりを示す問題として捉え直すrことができる、として、本書は19世紀末以降、今日にいたるまでの生命リスクをめぐる諸問題をドイツを参照軸にとりながら、妊娠・出産・乳幼児死亡という生命の再生産とそこに派生する衛星政策、人口政策、家族政策などのさまざまなポリティクスに的を絞って比較史的に考察したものだ、とあった。

 川越氏は2006年6月20日の政府決定「新しい少子化対策について」が「国民運動の推進」をキーポイントにしている、という内容の薄さを問題視、し「国民運動というあまりにも20世紀的な手法を通じて出産、育児をはじめとする生命をめぐる問題領域に政府の政策が持ち込まれる時に、一体何が起きるのだろうか? その結果生じる問題は新しい生命リスクを生むのだろうか?それとも20世紀社会にすでに存在していた既知の問題なのだろうか」と問いかける。

 そして、思考の補助線としてドイツの社会学者ウルリヒ・ベックの議論を持ち出す。

 ベックの議論は1986年の「危険社会」出版がチェルノブイリ原発事故の年に重なったことから、科学技術の高度化をめぐる問題という関連で注目されたが、その議論の射程は19世紀以来の近代社会の歩みを動態的かつ包括的にとらえようと多様な領域に及んでいる、として、ベックの議論を結構詳しく紹介している。

 ベックに関心があるので、その部分もダイジェストしておく。

 ベックによれば、<近代化>とは近代が内部化した伝統と外部化した自然という「対立物」を「呑み尽くす」ことによって近代そのものに行き着く連続的なプロセスであり、近代の持つこの動態の帰着点が「再帰的近代化」という概念でとらえられている、という。

 また、<リスク社会>とは近代が近代化した結果私たちが直面することになる既存の概念ではとらえられない、したがって予測不可能な問題に直面する社会状況を示す概念にほかならない、という。

 まず、「伝統社会の近代化」によって19世紀に「産業社会」が生成した(=「単純な近代化」)。20世紀への転換点ごろから都市への人口集中の加速化、人口転換といったいわゆる大衆社会化ないし福祉国家化に向けての動きが進行する。そして、第二次世界大戦後の「産業社会」の黄金期に「豊かな」社会が実現される中で、1960年代後半から70年代にかけて「産業社会の近代化」としての「再帰的近代化」に向けての動きが加速し、「リスク社会」の問題状況が表面化することになる。

 この「リスク社会」における中心的な問題は、「家族と職業」「科学と進歩への信仰」という「産業社会」の「座標軸」の「動揺」となって現れる。そのうち、前者の「家族と職業」いn揺らぎをもtらすことになるのが「個人化」の動きだ。

 「個人化」とは、豊かさの中で平等化という「近代の本質的要素」の追求というかたちをとって階級社会の解体と女性の教育水準の上昇および自らの職業キャリアの追求が進み、いわば近代社会がより近代的になることによって「リスク社会」が促される動きにほかならない。

 そして、こうした意味での「個人化」の帰結は、ベックによれば「産業社会」の根幹を成す性別役割分業にもとづく家族関係(日本では近代家族として概念化されている)において最も鋭い形で問題かされる。

 この意味では「リスク社会」における家族をめぐる問題状況は、19世紀以来の小家族が「脱伝統化」することによって派生したといえる。

 ベックのいう「科学と進歩への信仰」をめぐる問題を考えるさいに重要になるのが、議会制民主主義という制度的な枠組みの中で行われる「政治」とは区別された「サブ政治」という概念だ。

 <今世紀の最初の3分の2にあたる時期において実現した社会国家プロジェクトに逆行する動きが始まる。社会国家において政治が「介入国家」という潜在的権力を獲得したのだとすれば、いまや社会を形成する潜在的な可能性は政治システムから科学的=技術的=経済的近代化というサブ政治システムに移っている。>(「危険社会」382ページ)

 つまり「再帰的近代化」の生み出すリスクは、科学(および経済)の世界において、民主主義という近代の「本質的要素」に立った制度が働かない「サブ政治システム」の枠内で、さまざまな新しい試みがおこなわれ、それが「政治システム」を通じた改革などとは比べ物にならない大きな転換を社会にもたらすことかr生じるというのである。

 <(リスク社会を産業社会と異なったものとしている)中心的なポイントは、再帰的な近代化の過程で社会的な枠組みが根本的に変えられてしまうこと、つまり近代化のリスクが科学化を通じて剥き出しになることにある。>

 ベックによれば「政治の場合は議会における審議という煉獄の火をくぐり抜けなければ、実行への門は開かれない」のに対して、この制約から自由な「科学」が何をもたらすかを示す「極端な事例」を私たちは「サブ政治としての医学」に見出すことができる。

 <医学というサブ政治においては、「進歩」という論理が基本計画も実施計画もないまま制限範囲を越え出ることを可能にしている。試験管受精も最初は動物実験で試された。その場合、これがどこまで許されるのかについて議論することはもちろん可能である。しかし、人間への応用にさいしての最大の関門はこともなくクリアされてしまった。このリスクは、医学(医者)のリスクではなく、後の世代のリスクであり、われわれすべてのリスクであるにもかかwらず、完全に医療のサークルのなかだけで、しかもそこにおいて支配的な(世界的な)評価と競争という条件と圧力の下で、リスクを冒す決定を下すことが可能なのである。>

 では、なぜ医学の世界においてこうした状況が生じるのか。このような問いかけを発するとき、私たちは歴史と向き合うことになる。

 ベックは医者が特に合理的だったわけでもなく、「健康」というもっとも価値の高い財をうまく守ってきたからでもない。それはむしろ(20世紀への転換期における)専門職業化の成功の産物である、という。そして、この医者の専門職業化によって具体的に何が起きたか、ベックはこう言う。

 <医学は19世紀のヨーロッパにおいて、専門職業として発展を遂げ、人々の苦しみを技術的に除去し、それを職業上独占的に管理するようになった。病気と苦痛は、専門家に依存した他者による処置というかたちをとって制度としての医学に丸投げされ、兵舎化された「病院」で腑分けされ、患者は何も知らないまま、何らかの方法で医者によって「処置」されたのである。今日ではこれとはまったく逆に、いままで自分の病気に関して徹底的に無能者扱いされてきた患者たちは、彼らの病気に対し自分自身および家族、職場、学校、世論といったまったくその用意のない制度によって対応するよう求められている。急激に蔓延しつつある免疫不全エイズは、もっとも注目されているとはいえそのひとつの例に過ぎない。病気はまた診断の「進歩」の産物としても広がっていく。人々が自らどう感じているかとはまったく無関係に、ありとあらゆるものが現実にあるいは潜在的に「病気である」とされる。そうなるやふたたび「積極的な患者」像が持ち出され、患者は医者と連携し医学的に指定された病状に対して「医者と協議する」よう要求されるのである。>

 と、ここまで、相当の分量、ベックを引用をしながら、川崎氏は21世紀社会における新旧の生命リスクにどのように対処したらいいのか、を、ベックのいう「リスク社会」における最先端の問題領域とされていた、再生産をめぐるポリティクス(=妊娠・出産と乳幼児期、さらには再生産の基礎単位としての家族をめぐって発生する問題の解決を図る官僚及び専門職業集団とその問題を抱え込む当事者のあいだにおける、戦略、実践のぶつかり合いのプロセス)を歴史的に分断し、現代の生命をめぐる問題状況の歴史的起点を明らかにすること。これが本書の閣論文の共通課題となる、と書いている。

 面白かった第4章の説明に入ろう。

 「日中戦争の長期化・総力戦化」という時代状況の中で打ち出された「戦時人口政策」の「グランド・デザインとその史的文脈」を検討する。

 戦時人口政策とは長期の人口動態の統計的な認識に立ち導き出された「昭和35年(1960年)の内地人総人口を1億人にするという政策目標ち、戦時下の「『東亜共栄圏』『大東亜共栄圏』という支配権拡大政策」が「日本社会g直面していた農村社会の解体=工業化・都市社会化の動向」への「危機意識」によって「不可分一体のものとして」結合されたアマルガムにほかならない、というのが結論だ。

 昭和35年に1億人という戦時期の人口政策の基礎とされた数字は中川友長(人口問題研究所調査部長)が1941年に推計したもの。この41年方針は①だいとし=集中排除多極分散型社会②農業人口の確保のてめ、人口の4割を農業に③人口1億人は1400~1500万人の大東亜共栄圏への送出が前提だった。

 何か、時間がなくなってきたので、この辺でやめておく。後で、時間が出来た時には書き足そう。

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2008年5月24日 (土)

書評 梶山季之著「ルポ戦後縦断」

 梶山季之著「ルポ戦後縦断~トップ屋は見た」(岩波現代文庫、2007年9月14日第1刷、定価1050円)を読んだ。
 1986年年3月に徳間書店から刊行された。文庫版で「話題小説 皇太子の恋」を付した、との注釈があった。また、2007年5月20日に広島で開催されたシンポジウム「時代を先取りした作家 梶山季之を今見直す」での基調講演を抜粋、再構成した藤本義一「梶山先生の思い出」が付録としてついている。

ルポ戦後縦断―トップ屋は見た (岩波現代文庫 文芸 124)

著者:梶山 季之
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 表紙裏のダイジェスト宣伝文がこの本の性格を表しているので書き写しておく。
 「皇太子妃スクープ、売春防止法施行、蒸発人間、産業スパイ、国鉄鶴見事故、王子製紙争議、被爆者運動……、今では遠き彼方に過ぎ去ってしまった昭和30年代の世相を語る上で不可欠な主題を追跡した著者渾身のルポルタージュ選。戦後という現場で人々は何を思い、蠢いていたのか。週刊誌のトップ記事をスクープした『トップ屋』としてのしなやかで腰の強い取材力が渦中の人々と事件の真相に肉薄する」
 小説「皇太子の恋」を別として、15のルポを収録している。
 「赤線静かに潜航す~ステッキ・ガールという名の淑女たち」は昭和34年1月の文芸春秋に発表。昭和33年の売春防止法施行後8か月の34年1月に吉原などをルポしたものだ。浜松名物のステッキ・ガールというのはクラブに所属し、電話一本でバーや料亭に駆けつける女性たち。赤線の女たちが失業し、転職したのだが、職が長続きせず、舞い戻った後、ガールになった。売春防止法がザル法で管理売春をしている業者だけを罰するといいながら、取締りがいい加減だったから、青線が流行った。「パンマという名の新興芸者」など、性問題を骨太に描いている。
 「ストライキの果て~王子製紙のもたらしたもの」も面白かった。王子製紙の城下町、苫小牧市でおきた145日のストライキの話だ。昭和34年12月の文芸春秋に発表。エリート集団が慣れないストに突っ込んだ姿をシニカルに描く。町の人の視線も冷たいのがよく見える。労働運動史などを読むよりもずっと理解しやすい。
 「蒸発人間~この奇妙な家出人たちの心理と行動のナゾ」は昭和42年4月28日号の週刊読売に発表したもの。「組織が巨大になれば、疎外され無気力にある人間も出てくる」と。
 「産業スパイ~事実は小説よりも奇」は昭和37年5月の中央公論に発表。「黒の試走車」の関連話だ。
 「白い共産村~下着も共有の桃源郷」(昭和33年6月の文芸春秋)は一番面白かった。奈良県の天理教の盛んな村で天理教会のトップの堕落ぶりを告発する4家族は村八分にされる。4家族は土地を売り、最も悪い土地を買って集団生活を始め、だんだんと個人所有をなくし、「原始共産制」生活となっていく。混浴とか下着とか夜の生活とか、庶民の下世話な興味にも応えながら、その社会的な意味合いを鋭くルポしているのはさすがだ。
 「国有財産は誰のものか」(昭和40年7月の中央公論)も国有財産払い下げに関する話。さっと目を通しただけだが、昔も今も公務員と政治家と利権屋の結びつきは同じだ、ということを表しているのだろう。
 「不思議な官庁・通産省~業界の番人か」(昭和38年5月の中央公論)で
梶山が「通産人脈」をこの時期から書いているという驚き。
 「ブラジル”勝ち組”を操った黒い魔手~ユダヤ財閥の陰謀」は面白かった。ブラジルの勝ち組、負け組の争いということは聞いたことがあったが、こんなことだったのか、と。ユダヤ人の陰謀は触媒に過ぎなかったのではないかとも思える。人々の心にあった不安が弾けたのだろうし、情報遮断の恐ろしさも感じる。
 「彼らが成功する瞬間~関東大伸s内を生かした人々」(昭和38年9月の文芸朝日)は経済人の人物もの。これもまあまあ面白い。この時代だったら新鮮だったのだろうなあ、と想像する。今では経済についていろいろな人が書いているが。

 「財閥の争議委員たち~不死鳥を殺したかった」(昭和34年8月の文芸春秋)は面白かった。GHQによる財閥解体の内幕。アメリカで失業していた左派文化人たちが日本に乗り込んできて、財閥つぶしにやっきになる。弱かった安田財閥。こすっこく利を取ろうとした住友財閥。三井も潰え、残った三菱も解体されたが、日本の独立・主権回復後にまたひとつにまとまる、という話。エピソードも満載。考えさせる内容だった。
 「丸ビル物語~サラリーマンの故郷」(昭和33年5月の文芸春秋)もしっかりしたルポ。「丸の内」について今まで何も知らなかった、と思い知った。梶山氏に教えられた。面白かった。
 「朴大統領下の第二のふるさと~18年ぶりの韓国―それは懐かしいというよりも悲しいまでの”民族の悲劇”を私に痛感させた」(昭和39年2月の文芸春秋)は大宅壮一氏とともに韓国に行ったときの話。勉強になる。じっくりと見て、取材している。梶山氏の才能に驚く。
 「ヒロシマの五つの顔~あれから13年・死の影はまだ消えていない」(昭和33年8月の文芸春秋)もすばらしいルポだ。ケロイド少年・少女への一般人の差別、無関心さなどへの怒りが本から沸々と伝わってくる。
 こういう復刊は岩波だからできたのかもしれないが、本屋さんに古い文庫が消えている中で、優れた本はどんどん復刊してほしい。

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2008年5月10日 (土)

書評 梶山季之著「黒の試走車」

 梶山季之著「黒の試走車」(岩波現代新書、2007年7月18日第1刷発行、定価1155円)を読んだ。
 もともとは1962年2月に光文社から出版された。裏表紙の著者紹介によると、梶山氏は1930年に植民地統治下の朝鮮・京城(現ソウル)生まれ。広島高等師範学校を卒業後上京し、「新思潮」の同人になる。後にライター生活に入り、「週刊文春」などでスクープ記事を連発し、トップ屋として令名をはせた。1962年に「黒の試走車」を発表、企業情報小説というジャンルを開拓して一躍流行作家になる。多くの分野にわたって膨大な作品を執筆したが、朝鮮・移民・原爆を描いた小説「積乱雲」の執筆の途上で取材先の香港で急死した、とある。
 佐野洋氏の解説にこの作品がどのようにできたか、が説明してあった。

黒の試走車 (岩波現代文庫 文芸 122) 黒の試走車 (岩波現代文庫 文芸 122)

著者:梶山 季之
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 1960年6月27日に週刊文春の田中健五氏が来訪、週刊文春が企画した「新人作家の連載競作」(1回18枚、5回で完結)にトップバッターとして参加してほしい、という誘いで、8月10日までに全部書いて渡してほしい、という。
 田中は海軍兵学校77期、佐野は海軍経理学校38期で、海軍用語で言う「コレス」(コレスポンデントの略で、同期として対応する者、の意味)。OKして他の作家の名前を聞いたら、多岐川恭、結城昌治、水上勉、梶山季之の名前があがったという。
 梶山氏がこの連載企画に応じて書いたのが、梶山氏としては最初の推理小説「朝は死んでいた」だった。週刊文春に60年10月から11月にかけて連載された。長編として単行本になったのは62年11月。2年かかっているが、この間、手がけたのが「黒の試走車」だった、というのだ。カッパ・ノベルスである。産業スパイ小説のはしりだった。
 「データが盛り込まれすぎて、読者がストーリーを追うのを邪魔している。余計なデータの少なくとも200枚分は捨てるべきだ」とカッパ・ノベルス編集長の伊賀弘三郎氏(後の祥伝社社長)に言ったら「読者のアンケートでは、データがいっぱい詰まっている点が従来の小説と違ってむしろ歓迎された」という説明を伊賀氏からされた、と佐野氏の弁である。「黒の試走車」は、この1作によっていきなり流行作家になった稀有な例だ、と佐野は書いている。
 佐野がしみじみとした回想を交えて書いているが、筋に関係ない部分、特にその時代の生活を表す部分、小説的には不要とも思われる部分が時代の雰囲気を後の時代の読者に伝えてくれている。
 「この小説が東京オリンピック前の日本を知るための手引きになることは断言できる」という佐野の言は正しいだろう。
 ストーリーも面白い。
 産声を上げたばかり、まだ世界に羽ばたく前の日本の自動車業界の内部を描いたものだからだ。特に日産、トヨタ、スバルの争いが面白おかしく書いてある。相当に取材しなければ分からないことが多いのだろう。主人公の会社はきっと日産だろう、と推測した。まだプリンスとの合併もないし、トヨタは田舎の自動車会社そのもので、トヨタ看板方式も確立されていない時代だったと思う。大阪ミナミ、東京の銀座の「夜の女」も登場、ゴルフ場での密談、業界紙記者の暗躍、産業スパイ部の新設など、ちょっと前まではよくあったスリリングな話が続く。
 ここに登場しないのは政治家と官僚とアメリカ人。
 つまり、自動車業界とその周辺に寄生する人々だけのインナーな話で、これだけ面白い小説ができていた。
 今では企業小説は腐るほど出ているし、城山三郎氏の著作など面白いものもあるが、二流、三流の小説も掃いて捨てるほどある。梶山作品を読み返して、問題意識の鋭さと小説の中での「無駄」な部分の面白さなどについて再考すべき時なのかもしれない。
 だからこそ、今、岩波が現代文庫の中の一冊として刊行したのだろう。

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2008年5月 8日 (木)

書評 大屋雄裕著「自由とは何か~監視社会と『個人』の消滅」

大屋雄裕著「自由とは何か~監視社会と『個人』の消滅」(ちくま新書、2007年9月10日第1刷発行、定価735円)を読んだ。
 面白そうだ、と思って買ってきたものの、読まずにずっと置いておいたのだが、今度、憲法について何か書かなくてはいけなくなって、関連する(かどうかわからないが)本を読み漁った中の1冊だ。

自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書 680) 自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書 680)

著者:大屋 雄裕
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 面白かったのは上智大学のメディア論の権威、田島泰彦教授への批判だった。
 田島教授は監視カメラなど国民の安全を守るという目的でセキュリティが強化されていくことを「市民的法理の構造転換」と呼んで強く批判しているらしい。
 この態度を筆者は「田島は、国家と市民という二項対立でしか社会を見ておらず、共同体の危険性、あるいは個人が別の個人に対して危険を及ぼし得るということを完全に無視しているのだ」と批判。
 国家は個人の自由の守り手であると同時に最大の潜在的脅威でもある、としてこのような国家の二面性を「近代法の逆説」と呼んで、単純に割り切れないのだ、と主張している。
 100ページにある田島教授の「住基ネット批判」への反論も面白かった。
 住基ネットをキーとしてあらゆる情報が集積され、自分という存在が分析されていくという完全な監視への不安からの批判なのではないか、と見ている。
 コンビニのPOSレジが顧客層の分析に使われている。アマゾンのお気に入りもそうだ。膨大なデータから隠された関連を見つけ出す作業、データ・マイニング。ポイントカード、電子マネーはスーパーのレジとは違って個人別のデータを集積できる。顧客に合わせたマーケティングができる。
 ペンシルベニア大学コミュニティ学部教授だった社会学・政策学者のオスカー・ギャンディ氏は「パノプティコン的分類」と呼んでいる。イギリスのジェレミー・ベンサムが理想の監獄として構想した「一望監視装置」のことだ。
 このパノプティコンには近代的な権力の姿が示されていると見たのがフランスの哲学者、ミッシェル・フーコー。「監獄の誕生―監視と処罰」(新潮社、1977年)。
 アメリカの社会学者デービッド・ライアン「監視社会」(青土社、2002年)は監視社会の最大の問題はその中で個人の身体が消失していくことだ、と見た。
 アメリカの憲法学者ローレンス・レッシング「CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー」(翔泳社、2001年)。社会生活の物理的につくられた環境をアーキテクチャと呼ぶ。「アーキテクチャの権力は我々がそれに気づくことなく、我々の行為に先立って事前に我々の行為を制約する」と。
 ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは現代を「リスク社会」と位置づけた。「危険社会―新しい近代への道」(叢書ウニベルシタス、法政大学出版局、1998年)。
 イギリスの社会学者、アンソニー・ギデンズ「リスクと責任」。監視とそれによるリスクの排除は我々自身の欲望だった。
 メーガン法(米の幼女強姦殺人事件を機に成立した性犯罪者情報の公開法)の話も引用されている。
 事前の規制と事後の規制という仕切りで古典派刑法学派(罪刑法定主義)と近代派刑法学派(フランツ・フォン・リストなど)の教育刑論が論じられ、イタリア学派、ロンブローゾ「犯罪人論」まで持ち出している。ロシア刑法の話も。
 刑法40条改正(1955年の大改正)は聾唖者の責任能力を認めたものだが、その意味合いは……などなど。
 というような内容なのだが、クリアカットな結論が出ているわけではない。ただ、単純に割り切ってはだめだ、と言っているようにも見える。悩み自体を哲学だと見る立場から言えば、とても面白い本だと思う。

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2008年5月 7日 (水)

書評 ルドルフ・ヘス著「アウシュヴィッツ収容所」

 ルドルフ・ヘス「アウシュヴィッツ収容所」(講談社学術文庫、片岡啓治訳、1999年8月10日第1刷発行、99年12月15日第3刷発行。定価1326円)を読んだ。
 単行本として1972年にサイマル出版会から出版されたものを学術文庫化したものだ。アウシュヴィッツの収容所長だったヘスの手記。歴史的な価値というだけでは今更読む必要はないだろう、と思う。面白いのは訳者、片岡氏の前書きである。

アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫) アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)

著者:ルドルフ ヘス
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 「ヘスの恐ろしさ、そしてナチスの全行為の恐ろしさは、まさに、それが平凡な人間の行為だった、という点にこそある。どこにでもいる一人の平凡な人間、律儀な人間で、誠実でそれなりに善良で、生きることにも生真面目なそういう一人の平凡人が、こうした大量虐殺をもあえてなしうることは、誰でも画、あなたであり、私であり、彼であるような、そういう人物が、それをなしうるということにほかならないからだ。命令だったから、職務だったから、仕方なかったのだ、といういい方がある。……恐ろしさはまさに、人間が、それもごく当たり前の普通の人間が、職務、命令の名において、それをなしうる、というそのいことにある。しかも、その責めを問われれば、職務であり、命令だったから、ということで免責されるのならば、その行為の真の責任は誰のものとなるのだろうか」
 という文章だ。
 これは日本軍幹部の責任についても言えることではないか。狂人でもなく、普通の人間なのに南京大虐殺をした。米軍の広島、長崎への原爆投下もそうだ。遡れば日本軍の南京空爆に行き着く。陸軍に手柄を独占されていた海軍が手柄合戦の一環で市民に絨毯爆撃を繰り返した「戦略爆撃」である。米軍のルメイはこれを真似て東京空襲を繰り返した。ルメイを裁くのならば、日本の海軍もまず裁かれなければならない。
 どこかに出ていたが、殺人者と被害者との距離が心理的障壁を打ち破る、という。高高度からの爆撃は至近距離での撃ち合いと違って、人を殺す、という感覚、罪の意識が薄くなる、という説である。説というより、もう常識だけどね、
 ナチスのガス室についてはルドルフ・ヘスに限らず、小市民たちが日常業務と同じようにユダヤ人を殺しており、家に帰るとよきパパだった、という事実。
 人間という存在を考え直さざるを得なくさせる事実ではないか。

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2008年4月30日 (水)

日本は「ポストモダン」の実験室か+浅田彰氏近況~朝日、読売、日経新聞文化面から

◆浅田彰は今……ポストモダンを若者に語る(京都造形芸術大へ移籍)

 読売新聞4月30日朝刊文化面に<新天地は京都造形芸術大/浅田彰さん/「二項対立」をずらす哲学>と、浅田氏の大きなカラー写真付きの記事が出ていた。待田晋哉記者の署名記事だ。

 <ニューアカデミズム・ブームを起こした思想書「構造と力」から四半世紀。批評家の浅田彰さん(51)が、27年在籍した京大から所属を京都造形芸術大に移した。新たな環境で、現代とどう向き合おうとしているのか。>

 という前文である。4月15日の初講義の様子が描かれている。講座は学部生向けにカントをはじめ基本的な哲学や美学の概論を語る「芸術哲学」。京大ではいつまでも准教授だったが、こちらでは大学院長で迎えられた、と。「京大はかつて、一発ホームラン主義で人材を生むところがあった。だが、その雰囲気は薄れ、1.5流の学生が増えた」ことが新天地を選んだ理由、と語ったという。何だか、その言葉じゃあ、負け犬の遠吠えにも聞こえるけど……。

 <1983年の「構造と力」や翌年の「逃走論」は、ポストモダンの潮流をくむデリダやフーコーらフランス現代思想を縦横無尽に使い袋小路に陥った知から逃げ、戯れることを唱えた。>

 という待田記者の説明、分かるようで分からないのですが。

 <「当時は冷戦期で、新左翼の影響も残っていた。ドグマティック(教条主義的)に「総括せよ」などと迫る人の前では、そこから逃走し、逃げて戦うことが必要だった。ただ、あらゆる批判派ダサいと受け取る人がいたのは不幸だった。>

 何だ、やっぱり逃げていたのか、と突っ込みたくなる意気地なし路線の告白である。

 <ポストモダンのキーワードの一つは、「言葉/意味」「男/女」などの二項対立をずらして問題を考える「脱構築」(デリダ)だ。89年のベルリンの壁崩壊や91年のソ連消滅で東西冷戦が終わり、世界を覆った最大の二項対立「資本主義/社会主義」は解消された。>

 <だが、勝ち残った資本主義がグローバル化を進展させる一方で、フリーターやニートなど不安定な生活を送るプレカリアートと呼ばれる若者は増えた。「脆弱な条件で若者は確かに働いている。ただ単に「資本主義/プレカリアート」と新たな二項対立で物事を考えては過去の反復になる。さらなる脱構築が必要だ」と語る。「両極端に人々が揺れるのを躊躇させる、哲学の役割は高まっている」>

 浅田氏の言うことは24年前も今も同じなのだなあ。

 <では、社会を善くするにはどうすれば良いか。「『道徳的にこうだ』と強調するより『倫理的に格好悪いことはしない方がいい』とスタイルで訴えた方が、現実的に人々の心に届くだろう」と可能性を示した。>

 <難解な「構造と力」が15万部出たのも今は昔。哲学的な知への関心は薄れ、授業に出た男子学生は「浅田彰の名を知らない」と言った。一方で、例えば、「逃走論」は、当時流行したウォークマンに熱中する若者の姿にメディア社会の自閉性や画一性を見る。ネット社会が到来した今、指摘はより深刻となった。ニューアカは「現代の問題を先駆的に提示した」と評価する。若き日に「構造と力」などを発表した後は、雑誌「批評空間」の編集委員を柄谷行人さんと務め、対談で発言するような仕事が目立つ。大きな著作はない。>

 <「才能は全く及ばないが、若い時に著作を一冊だけ発表した哲学者のヴィトゲンシュタインにあこがれている。しかし、造形大でゼロから学生に話す中で、結果としてまとまった物が出来ればとも思っている」>

 あとは、京大を辞めて京都造形芸術大に転じた「賭け」的な行動の感想くらいだった。

 「浅田彰」ブランドはまだ生きているのか? それより、浅田氏の言っていたことは何だったんだろう?ニューアカデミズムとポストモダンと構造主義と、どう違うのか、同じなのか?疑問は膨らむばかりである。

 ただ、新聞の文化面の記事で読むことは非常にいいことだ。何百万読者が目を通す一般紙の記事では「通説」的な見解が中心となるから、安心して読み込めるわけだ。ちょっとは時代に遅れていても、確実さが新聞の取り柄だと思うからだ。

 朝日新聞も8月7日朝刊文化面<浅田彰氏は今/ポストモダン 若者に語る>で同様の内容を書いていた。小林正典記者の署名入り。ここでも、思想の流れをまとめていた。

 <80年代のニューアカデミズムブームもポストモダン思想も知らない学部生に、教室では「カントが『真善美』をバラバラにしたのが近代。それをもう一度シャッフルしてみる議論がポストモダン」などと説明してきた。万人が共有できる価値観は消失したという現状認識に立つポストモダン思想の本質を何とか伝えようと、10月からは中沢新一、柄谷行人、東浩紀氏らを招いて連続公開講座も開く。>

 として、この後に中沢氏の発言を紹介。

 <「オタク」や「オカルト」が市民権を得るのに、ポストモダンは一役買ったと言われる。「逃走論」が描いた自由で軽やかな若者像はフリーターを肯定し、社会格差を広げたという指摘もある。市場原理の重圧が当時以上に強まった中で生きる今の若者に、こうした言葉はどう響くだろうか。>と結んでいた。

◆日本は「ポストモダンの実験室」

 読売新聞4月29日朝刊文化面<日本は「ポストモダンの実験室」>はカンタン・コリーヌさんというフランス著作権事務所、翻訳家の寄稿らしい。

 「日本に思想家がいるんですか」と普段から尊敬しているフランスの出版社の編集長に真顔で質問された、という小話から入り、フランスにはほとんど日本の思想家は知られていないが、2月末に東浩紀氏の「動物化するポストモダン」(講談社現代新書)がフランス語訳され、出版されたこと。3月15日にはパリ日本文化会館でシンポジウム「マンガ60年後……」に東氏がパネリストとして招かれたこと、アニメ、マンガ、ゲーム、コスプレが流行するフランスで本場の「オタク文化」の特徴などの話はうけた、と言う。

 3月18日には「オタク文化とポストモダンの動物化」のタイトルで東氏の講演。デリダの専門家、マルク・クレポン氏が東氏の本を高く評価したという。

 フランス語の序文を書いた社会学者のM・マフェゾリ氏が「ヨーロッパは一時期、近代および個の実験室と言われたように、現代の日本はポストモダンの実験室として重要だ。オタク文化は現在起こりつつあるパラダイムの変化を啓発する現象として観察、理解できる。つまり西洋人にとってオタク文化を思考することは資本主義、科学技術社会の行方を考えることになる」という話をした、という。

 サルトルやデリダの国の評論家にここまで言われると、秋葉原のコスプレ少女はどうしていいか分からなくなるのでは、と余計な心配してしまうほどのベタほめ。結局、フランスではマンガ。アニメの日本文化が日本人が想像する以上に流行しているから、流行の仕掛け人的な扱いを受けたのか? 何かよく分からない。

◆新たな知識人像を目指し、論壇誌で議論進む

 朝日新聞4月22日朝刊文化面に<知の全体性への野望 善意の暴走抑制 希望への道をつくる/新たな知識人像探る/復権へ論壇から問題提起>の見出しで、藤生京子記者の署名記事が掲載されていた。

 <知識人とは何か。どんな役割を担うべきなのか。一見古めかしいテーマに正面から取り組む議論が、論壇誌などで目を引いている。絶滅危惧種とさえ呼ばれ存在感を失った時代に、新たなモデルを示そうとしている。>という前文で、

 <メディアで引っ張りだこの脳科学者、茂木健一郎さんは、近著「思考の補助線」(ちくま新書)で、冒頭から起こっている。現在の日本は「知のデフレ」が著しい。わかりやすさばかりが求められ、知識人もみっともなくサブカルチャーにおもねっているが、必要なのは「旧アカデミズムの大文字の概念」を再生させる情熱だと言う。>という書き出し。

 首都大学東京教授(社会学)の宮台真司さんも「現代」2月号に「出でよ、新しき知識人」と題する論文を寄せ、大衆を啓蒙する前衛=知識人という構図が消えた今、新たな知識人の役割は「善意のマッドサイエンティストの暴走」を抑えることだ、と言う。分野横断的な知性によって法制度を設計したり、人々の合意を促したりできる人物だ、という。「ここ数年はっきりしたのは、日本の知的空洞化。公的分野、知的分野に優秀な人材が集まらない。公的貢献とナショナルなものをつなぐ、エリート教育が必要」と。

 京大教授の大沢真幸さん。「神奈川大学評論」で知識人が社会を変える力があるような前提自体を疑う小林康夫東大教授に共感しながら、それでも大きな物語の不在に開き直らず、希望への道をつくることが大切だと説く。知識人の役割を「演じるべきだ」と。姜尚中東大教授は「AERA]3月31日号でネグりを「新たな知識人像」として命令でも指示でもなく、悩める人々にインスピレーションを与えるあり方がヒントになる、という。

 <共通するのは、サルトルや丸山真男ら”大知識人”のイメージを過去のものとし、自ら知識人と称することにも抵抗しつつ、あえて「ドン・キホーテ」(茂木さん)の役を引き受けようとする覚悟だ。>

 これらの知識人像に対して、藤生氏は全く逆の見方も提示する。この辺が新聞文化面のバランスのとれたところだ。

 <雑誌「SAGHT」編集長の渋谷陽一氏は知識人不在は普通の人にとってとりたてて問題なし、とする。映画監督の北野武氏が学者と遜色ない知性を発揮し、知識人の概念を一変させて以降、第2、第3のたけしが生まれている。ITの普及で、知的情報へのアクセスは学者の特権ではなくなった。「健全に相対化されているんじゃないですか」>という紹介は面白かった。そうか、北野武はもはや、そう見られているのか、と。

 <一橋大教授(医療人類学)の宮地尚子さんは、昨年出した「環状島=トラウマの地政学}(みすず書房)で、市民の教育レベルが上がり弱者が力をつけていけば、誰もが専門家と別の視点をもった新たな知識人になりうる、と指摘した。知の体系の外にあったジェンダー研究や、被害のトラウマを本人が分析する当事者研究の進展。知識人論は、知そのものを問い直す作業だという。>

 なぜ、この問題を今、取り上げたか、の問題意識について最後に説明があった。朝日新聞の論壇時評の「注目論文」で知識人問題を取り上げたフリーライターの永江朗さんは、かつての知識人は恵まれた出自への後ろめたさが社会に対する使命感につながったが、最近の若手研究者には、そうした葛藤のないことが気になっていたというが、9.11後の世界と日本の切迫した現実が、知識人の存在意義を再浮上させた。永江氏は「『知』をめぐる議論が成熟する中、論壇の中核世代から問題意識が出てきたのは時代の必然と思います」と言っているそうだ。

 これがまとめの文章だ。

 まさに、「新たな知識人像」をめぐる記事であるが、細分化された「知」の総合化と言ってもいいだろう。

◆ポストモダン問い直す~知の再構築、中堅らが主導

 ここまで書いたのだから、少し古いけれども、日経新聞3月1日文化面<知の再構築、中堅らが主導/ポストモダン問い直す/思想の力復権へ/抽象的思考を継承>も書き写しておこう。河野孝編集委員の執筆だ。

 <日本の現代思想が袋小路に陥ったという危機感から、知の再構築を目指す動きが相次いでいる。ポストモダンの中で育った中堅の研究者らが新たな思想誌を創刊するほか、「ポストモダンとは何だったのか」と問い直す本の刊行も続く。新たな思想状況が生まれつつあるのか。>という前文。

 4月に新思想誌「思想地図」(NHK出版)が発刊される、と。編集委員が批評家の東浩紀氏ら。1月下旬に東工大で開いた記念シンポジウムでは社会学者の北田暁大氏が司会。萱野稔人、白井聡、中島岳志各氏ら気鋭の論客がそろって議論した、という。600人以上が来場、大いに盛り上がったという。

 <東氏は「今の論壇は『今の僕の生活をどうしてくれる』というような、現実志向が強い性急な議論が席巻している。自分の立場をかっこ入れして、抽象的な思考ができる書き手が結集する場をちくり、若い世代につないでいきたい」と強調する。>

 <日本における思想の流行は、外国ではやっているからこれが最先端という形を繰り返してきた。日本では今、「これが流行の思想だという枠組みが壊れており、各自がそれぞれのキャリアで培った語彙を使って真剣に考える状況からスタートするしかない」という。>

 <しかし、ポストモダン的な状況では、社会が趣味の小さな共同体に断片化される傾向を示す。「思想誌発刊は趣味の共同体を横断する試みでもある。何よりも言論が先細っているという切迫した現実がある。>

 一方、仲正氏が「集中講義!」で思想本来の批判精神の再生を説いた。

 <仲正教授は「ブームが去っても、社会を分析する道具としての現代思想が不要になるわけではなく、今こそ有効である」と指摘。80年代の上昇気分では見えていなかった、ドゥルーズ、フーコー、デリダらが苦言を呈している部分を本気で考えるべきだという。例えば、フーコーの監獄の誕生を監視社会に単に結びつけるのではなく、人間は監視されている状況で初めて主体的にふるまう、というような視点などは重要とみる。>

 <「<ポストモダン>とは何だったのか」(PHP研究所)を本上まもるの筆名で書いた評論家の志紀島啓氏は、「一時の流行思想にすぎなかったと片付けていいのか。日本の思想空間において失われた重いものを復権するには、ポストモダン思想の再読以外にありえない」と述べる。志紀島氏の基本的立場は「現状変革の思想だったポストモダンは、動物化した人間の現状肯定になってしまった。ポストモダンは裏切られた」で、「成熟した近代の矛盾に対する安易な処方箋だった『癒し、オタク、オカルト』の三つを除去し、ポストモダン思想の中核にあるよいところは再発見されてしかるべきだ」と主張する。>

 <精神分析医の斎藤環氏は「ポストモダンは『主体』概念が無効になった時代。主体が未成熟な思春期が、人の一生の中でも最もポストモダン的な時期だ」と述べ、「思春期ポストモダン」(幻冬舎)の中で、若者を精神的症状を解明する。>

 <精神分析とポストモダンの語彙は関係が深い。「スキゾ(分裂型)・パラノ(偏執型)」が80年代を象徴したが、今は、重人格、解離性障害、ひきこもりなど多様な症状が顕在化している。とはいえ未成熟文化と密接なサブカルチャーが、アニメ、ゲームなどの形で日本の輸出文化を育てているという現実もある。>

 <「80年代モードは、90年代カルチャー、ゼロ年代カルチャーがその上に発展し、文化の底流として残っている。フランスの現代思想をバージョンアップして、若い世代に浸透さえる必要がある」と斉藤氏は語る。>

 <各氏に共通するのは、一時的流行とは別に、思想家の仕事の痕跡が確実に刻まれているという認識だ。ポストモダンの言葉にとらわれずにその痕跡を読み直し、抽象的な思考をいとわう継承してこそ、思想が本物の力を持つのであろう。>

 というのが記事本文のすべてだ。

 この記事の別稿<「大きな物語の終焉」/80年代にブーム>はポストモダンの言葉解説だ。

 <ポストモダンとは「大きな物語の終焉」というのが典型的な説明だ。マルクス主義のような壮大なイデオロギー体系は終わり、高度情報化社会において、記号や象徴を使った大量消費時代を背景に、断片化した社会状態を特徴とする。ポストモダンという言葉は1960年代、米国の若手芸術家や批評家らが使い、フランスに輸入sれてフーコー、ドゥルーズらの現代思想を形容するようになった。70年代末から80年代になると、「脱構築主義」を掲げたデリダの思想などが今度は米国に逆輸入され影響を与えた。>

 <日本では80年代、浅田彰著「構造と力」などに触発され、バブル期の高揚気分と重なり、ポストモダン・ブームが起きた。だが、90年代に入り、冷戦構造の終焉、バブル崩壊など世界状況が変化し、グローバリゼーションの進展で、次第に「ポストモダンは終わった」といわれるようになった。>

 <しかし、社会状況としてのポストモダン化は進んだ。「70年代以降の世界はすべてポストモダンである」という東浩紀氏は、「ポストモダン」を「近代」の後に来た新たな文化的複合体のことだととらえてはどうだろうか、と提言している。>

 少しは区分けと言葉の使われ方が分かってきた。

◆仲正昌樹さんの本から「ポストモダン」「ニューアカ」説明の一部分だけ紹介

集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス) 集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス)

著者:仲正 昌樹
販売元:日本放送出版協会
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 仲正昌樹金沢大学法学部教授(政治思想史・比較文学専攻)は2006年11月に出版した「集中講義! 日本の現代思想~ポストモダンとは何だったのか」(NHKブックス)で、「現代思想」というジャンルが日本ではっきりとした輪郭を獲得したのは「フランスの”現代思想”の動向に詳しい浅田彰の「構造と力」が十数万部のベストセラーになった1983年前後であろう、と浅田氏のエポックメイキングな立場を認めながら、

 「この時期は、戦後の日本において大きな位置を占めてきた、階級闘争史観を前提とするマルクス主義の影響が政治運動の面でもアカデミズムの面でも大きく後退し、大量消費社会の現実に対応する新しい思想の枠組みが求められていた。そこで、高度に発達・爛熟した資本主義社会の行方と、その中で生きる『人間』像の変容、過激な言い方をすれば、『人間の終焉』を論じるフランスの”現代思想”が”新しい時代”へのヒントを与えてくれるものとして新鮮に見えたわけである。……そういう意味で、浅田がある時期まで代表していた『現代思想』とは、日本の80年代的な社会・経済状況に対応する『80年代思想』であったと理解している人も少なくない」と書いている。

 仲正氏はさらに、浅田氏の「構造と力」について、ポスト全共闘・大量消費時代に生きる若者たちを取り巻く新しい”現実”をソフトでクールな文体で描き出している、として、本文は非常に難しく若者に理解できなかっただろうが、「序に代えて」は「中央公論」81年5月号に「千の否のあと大学の可能性を問う」の原題で掲載され、シラケ世代と言われていたポスト全共闘の若者の感性を平易な言葉で表現しており、この部分で多くの若者をひきつけたと思える、と推測している。

 「現代思想」についての仲正氏の分析が面白い。①自らを画期的な「世界観」として提示しようとしたマルクス主義などと違って、人間の「理性」に基づく「体系」的思考を信用せず、体系を回避する、つまり、次第に<脱・体系化もしくは脱・中心化していく傾向>②ストレートに解答に向かっていこうとせず、いつまでもダラダラと埒の明かない思索を続けるように見える、つまり、<最初から確信犯的に「解答」を放棄しているように見える>という特徴がある、というのだ。

 また、現代思想の三つの条件を

 ①「現代」とは「近代とは異なっている」「近代から逸脱している」ことも含意されており、80年代の日本の「現代思想」理論のほとんどはフランスやアメリカで「ポストモダニズム」と呼ばれたものと重なっている。それは首尾一貫した理論の構築を放棄している

 ②従来の”哲学・思想”という枠からかなり逸脱し、他の領域の知との境界線が曖昧になっている。哲学の核となるべき理性的主体自体が不確かになっているので、思想全体における哲学の地位が特権的なものであるとはもはや言えない

 ③アカデミズムの「内部」だけでなく、アカデミズムにとっての「外部」、とりわけジャーナリズムや各種芸術との相互乗り入れを進め、それに伴って自らの表現スタイルを脱アカデミズム化させていく

 ――として、このような「現代思想」の知的”実践”が「ニュー・アカデミズム(ニュー・アカ)」と呼ばれる、と書いている。後は本を読み返してみよう。

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2008年3月16日 (日)

書評 松原一枝著「幻の大連」

 松原一枝著「幻の大連」(新潮新書、2008年3月20日発行。定価735円)を読んだ。
 著者の松原さんは大正5年に山口県で生まれ、父の勤務先の大連で少女時代を過ごした人だ。

幻の大連 (新潮新書 255) 幻の大連 (新潮新書 255)

著者:松原 一枝
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

  張作霖爆殺事件が日本人の仕業ということを中国人たちは翌日には広く知っていた、とか、満州国誕生の裏で男装の麗人・川島芳子が李朝の皇后を上海から大連に連れてきたこと、元憲兵大尉甘粕正彦と船旅で一緒になった話、大連で起きた猟奇的殺人事件「児玉邸殺人事件」で医学博士の児玉が無罪になって一般人はもやもやしていたが、その児玉が新潟に帰って再婚したら直後に蓄膿症の手術失敗で43歳で死んで、著者の母が「いい気味ね」と言ったこと。

  馬賊のこと、小学生時代の日露戦争遺跡めぐり、家で使っていた中国人の下男が共産党の偉い人になっていて、良くしてくれたこと、などなど。面白い思い出話が満載だ。
 92歳の女性が書いたとは思えない本で、とても読みやすい。

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2008年3月 4日 (火)

書評 丹羽宇一郎著「人は仕事で磨かれる」」

 丹羽宇一郎著「人は仕事で磨かれる」(文春文庫、2005年2月に文芸春秋社から出た単行本の文庫化。2008年2月10日第1刷、定価580円)を読んだ。
 昨日、会社のビルの書店で見つけて買った。

人は仕事で磨かれる (文春文庫 に 15-2) 人は仕事で磨かれる (文春文庫 に 15-2)

著者:丹羽 宇一郎
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 丹羽氏は現在、政府の地方分権審議会会長であり、他の審議会でも活躍し、日経新聞夕刊1面コラムも書いている旬の男である。その丹羽の半生の記であり、経営者としていかに矜持を持って生きてきたかの記録であり、若い人への伝言でもある。名古屋市生まれ、名古屋大学法学部卒業で60年安保で名古屋大学法学部自治会委員長として学生運動を熱心に行った男が伊藤忠に入社し、アメリカに行ったり、瀬島龍三氏と出会ったりしながら、人間の幅を広げていく。トップの心得が惜しげもなく出ているのがいい。
 社長時代も黒塗りのハイヤーを使わず、満員電車で通勤し、社長になるときには「6年でやめる」と宣言し、ファミリーマートへの出資では前代未聞の額を出し、不良債権処理でも驚くべき特損額を出し、トップの孤独な決断を次々実践した。
 面白いのは「原爆投下について日本人はおとなしすぎる。アメリカの投下決断の裏には人種差別があったのではないか。そうだとすれば許せない、とにずばり言うべきだ」と主張していること。ベトナムでの枯葉剤、イラクでの劣化ウラン弾、化学兵器使用と原爆投下を結びつける視点だ。「彼らのそうした一種の価値観にいざという時にはアンチテーゼを持って対応しなければならないと思う」という言葉は愛国的だ。それに続く「日本人としての自尊心や、過去の歴史に対する認識を明確に持っておく必要がある。アメリカに何でも追随すればいいというものではありません」という言葉(67ページ)もそうだ。「日本人はブランコが揺れすぎる」という国民性批判もそうした愛国心に基づいているので心から受け止められる。
 不良資産処理の鉄則(101ページ)、「資本主義の”業”をチェックしてきた社会主義がソ連崩壊でなくなり、資本主義の歯止めが無くなった。資本主義は暴走を続け、ついには崩壊する危険性を持っている」と分析し、徳川家康の「不自由を常と思えば不足なし」をあげ、社内でいつも言っている「クリーン、オネスト、ビューティフル」を紹介する。倫理観の骨格として武士道をあげる。今までの日本が勝ち取ってきた高度成長は決して一人でできたのではなく、政治・経済的に米国の庇護の下でできた。これが戦後日本の第一幕ならば、米国の国力が相対的に落ちた現在、戦後日本の第二幕が始まる、と。日本の中間層の崩壊に危機感を深め、消費税導入に反対し、金持ちから税金を取れ、という。
 後継者は「スキップワンジェネレーション」で若い社長を選んだ。社内で「有利子負債」という言葉を使わず、「借金」といい、「債権放棄」といわずに「借金棒引き」という。「仕事をしていく上では見える報酬(給料)と見えざる報酬(自分の成長)がある」。「人材と技術を持たない限り、21世紀の日本も、企業も長期的な繁栄はできない。特に人材だ」。「世の中は知の衰退の時代」。「エリートなき国は滅びる。エリートとは任芸西という観点から見て『選ばれた人』ということ。エリートはその地位に見合った責任と義務が生じる。これをノーブレス・オブリージュという。そもそもエリートは育てられるものではなく、自分で這い上がってきて、周囲からそう評価される人だ。我々にできることはエリートが這い上がってくるための土壌作りではないかと思っている」と。
 文庫版あとがきで丹羽は「人は仕事で磨かれ、読書で磨かれ、人で磨かれる。この三重奏だと思っています」と。若い人には「まず一歩を踏み出せ。自分のやりたいことが人に迷惑をかけず、法に反しないなら、何でもいいのです」と言っている。心して聞くべき言葉だろう。

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2008年3月 3日 (月)

書評 佐高信「「現代を読む~100冊のノンフィクション」

 佐高信著「現代を読む~100冊のノンフィクション」(岩波新書、1992年9月21日第1刷、定価550円を古書店で100円で買った)を読了。
 16年前に佐高氏が「お薦めだ」と太鼓判を押した書である。当然、新しいノンフィクションは入っておらず、今となっては「なーんだ」という本もあるが、読むべきものも多い。何冊か書き留めておく。
・毎日新聞政治部「政変」(角川文庫)=三木指名劇をヴィヴィッドに描いた。椎名裁定後に中曽根が「保守本流の終焉だ。保守党には貯金がもうなくなった。そこで血液を入れ替えるということだよ」と言った、という部分は今読んでも考えさせる。佐高はよく見ている。
・松本重治著「上海時代」(中公文庫上中下)=昭和11年5月末に関東軍指令部参謀の田中隆吉は松本に「率直に言えば君と僕とは中国人を見る観方が根本的に違う。君は中国人を人間として扱っているようだが、僕は中国人を豚だと思っている」と言った、という衝撃的な部分を紹介している。あとがきで松本は「日本人は隣国人の気持ちをもっとよく理解してほしい」「東亜の一大悲劇たる日中戦争が惹き起こされた最大の原因が、当時の日本人の多くが、中国人の気持ちを理解し得なかったことにある」ことを痛感して”遺書”として書いた、と。
・伊藤昌哉著「自民党戦国史」(朝日文庫、上中下)=「田中角栄秘書の早坂茂三の本と違って、単なる内幕ものに堕していない。伊藤自身の人間的香気がそうさせなかったのだろう」というコメントが光る。
・木村迪夫著「ゴミ屋の記」(たいまつ新書、絶版)=ゴミ回収業者を馬鹿にして罵声を投げかけてやまない子どもたちとゴミ屋との奮戦記でもある、と。こんな子どもを育ててしまった現代消費文化を鋭く問い直している、という。内容は平凡かもしれないが、ここに大きな論点があるのではないか、と思う。
 ほかに高杉一郎「極光のかげに」(岩波文庫)、井出孫六「終わりなき旅」(岩波同時代ライブラリー)の紹介も面白かった。

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2008年1月31日 (木)

赦しと和解という重い課題について~東京新聞の大沢真幸論壇時評

 東京新聞1月31日朝刊文化面[論壇時評]は大沢真幸氏<ヨーロッパという希望/困難㊤  グローバル化の前触れに「包容力の限界」という壁>というまたまた分かりにくい見出し。

 大沢氏の論文には見出しを見ても分からずに、「一体どんな内容なんだろう?」とおそるおそるビックリ箱を開けるような楽しみ、ワクワク感がある。

 今回の論壇時評は㊤㊦なので、本来は㊦まで見なければいけないのだろうが、その論旨の中心点ではなさそうな部分に感動、というか、活字に目が行ってしまったので、書きとめておく。

 「赦し」である。ナチスの戦争責任問題などで以前よく見た言葉である。大沢氏が問題にしているのは先の戦争ではなく、もっと新しい問題だった。

 大沢氏らしく「ローカルな利害の間の、あるいはローカルな価値観の間の相克を超えて、グローバル化に即応し対抗しうる普遍性の域に達した思考を獲得するには、どうしたらよいのだろうか?」という問いから始まる。

 何なんだ?と思っていると、2004年10月に死去したジャック・デリダの生前最後の講演「赦し、真理、和解」が「別冊・環」13号に邦訳されていた、ときて、その内容の紹介から始まるのだ。南アフリカではアパルトヘイト(人種隔離)時代の人権侵害の真実を解明し、加害者と被害者の間の和解を促進するために真実和解委員会が設置された。被害者やその遺族は、悲惨な体験を委員会で訴え、加害者は、真実をすべて告白すれば恩赦を与えられた。

 この真実和解委員会については阿部利洋氏「紛争後社会と向き合う」(京大出版会)が詳しいそうだ。

 人種主義的な偏見に基づいて、自分を、あるいは自分の恋人や夫・妻を陵辱し、強姦し、殺害した加害者を赦すことはできるのか? これほど深い亀裂によって隔てられた両陣営の間に和解などありうるのか? 遠く南アフリカに足場を置いたこの問いは、「われわれ日本人」にも無縁ではない。同じ問いは、日本と、そのかつての植民地である韓国との間でも、あるいは日本がかつて侵略したアジア諸国との間でも、立てられるからである。

 デリダは、ツツ大司教が指揮する真実和解委員会のもとで、赦しがキリスト教化していると指摘し、この事実に限界と希望の両方を見ているようだ。キリスト教とは何か? 端的に言ってしまえば、それは西洋あるいはヨーロッパのことである。とすれば、「別冊・環」に載ったデリダの「希望のヨーロッパ」という講演とは全く異なった問題意識のもとで書かれている論文を、この文脈に置いて、共鳴させることもできなくはない。その論文とは「世界」2月号に載った赤木昭夫「アメリカ型グローバリゼーションの終焉」である。

 赤木の論文は純経済学的なもので、サブプライム・ローンの破綻がドル危機へと至るメカニズムを論じている。

 ここで大沢氏は「サブプライム問題はグローバル化の中心がアメリカからヨーロッパへと移行する前触れなのかもしれないのだ」と論じる。だから、ヨーロッパ、EUを見る必要がある、として庄司克宏「欧州連合」(岩波新書)を引用。EUの本質は複数の国家が共通の機関を設立して主権の一部を移譲し、共同行使する統治の様式にある、という。今、EUは包容力の限界に達しようとしているようにも見える、として、トルコ加盟問題に注目している。

 論点がバラけたまま、論文が終わっているので、広げきった「赦し、和解、真理」とEUをどう結びつけるのか、またまた見ものなのだが、この㊤だけでも、そして、バラけているままでも、十分に論点は出されている、と思う。

 デリダが関わった南アフリカの真実和解委員会はこのような結果を生んだのだろうが、果してボスニア・ヘルツェゴビナや旧ユーゴの人種抹殺問題をどう解決させるのか。

 日中間だって旧日本軍の遺棄化学兵器(毒ガス兵器)処理はまだ30万発残っており、日本が処理を進めている。韓国との間には竹島(独島)問題だけではなく、実はもっと重要な文化財持ち出し問題がある。それに、日本の植民地時代の所有権をどう判断するか、細かいところではまだ、確定していないことも多いはずだ。

 戦後62年、63年がたっても、まだ「戦後」なのだ。真実和解委員会は日本の戦後処理にこそ必要だったのではないか。公文書を全部燃やすような馬鹿なことを二度としないためにも。

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2008年1月17日 (木)

書評 「「現代日本人の意識構造」

 NHK放送文化研究所編「現代日本人の意識構造 第5版」(NHKブックス、2000年2月20日第1刷発行、定価970円+税)。
 水道橋の古書店で100円で買って、書庫に置いておいたのだが、政治のまとめを書くために3時間かけて読み終えた。
 まあ、世論調査の分析だから、そんなに面白いことはないのだが、世論調査時期が1973年から98年までと、ちょうど日本が古い体質から円高で新しい経済体制に移り変わる時期。この数字は今後も大いに参考にすることになりそうだ。
 特に内閣や当時の政治状況によって無党派層が増えていく様や、家庭、男女の役割分担論、仕事と生きがいなど、人間の内面にかかわる項目が多く、利用できそうだ。
 一番ハッとしたのは、個人の意識は変わらないのだ、ということ。
 年度によって意識が変わって見えるのは、世代が交代しているからだ、という指摘には目を開かされた。
 例えば1973年の調査では「団塊の世代」が多いので、平均年齢は約40歳だったが、1998年調査ではその「団塊の世代」が年を取ったので、平均年齢が48歳になっている。
 世代が入れ替わったうえに、平均年齢まで違ってきているのあ。
 母集団の変化は調査結果の記事を読んでも、記事の裏に隠れているので分からない。また、いつもは気にならないのだが、やっぱり世論調査のプロだけあって、見るべきところを見ているなあ、という感じがした。

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2007年12月27日 (木)

書評 石毛直道著「食事の文明論」

 中公新書、昭和57(1982)年1月25日発行、定価380円。水道橋の古書店で最近100円で購入した。新品同様だった。

 奥付によると、石毛直道氏は1937(昭和12)年千葉県生まれ、1963年京都大学文学部卒業、京都大学人文科学研究所助手、甲南大学助教授を経て、現在(82年現在ということ)国立民族学博物館教授。著書に「食生活を探検する」(文藝春秋)、「住居空間の人類学」(鹿島出版会)、「リビア砂漠探検記」(講談社)、「食卓の文化誌」(文藝春秋)、「食いしん坊の民族学」(平凡社)、「食物誌」(共著・中公新書)

食卓文明論 チャブ台はどこへ消えた?  /石毛直道/著 [本] 食卓文明論 チャブ台はどこへ消えた? /石毛直道/著 [本]
販売元:セブンアンドワイ ヤフー店
セブンアンドワイ ヤフー店で詳細を確認する

 食事の文化誌であり、それを日本だけでなく世界の文明国に共通する点を炙り出して、文明論として語ろうとした論文だ。序章にあるように、雑誌「中央公論」1980年1月号に「ここまで来てしまった食の民主化」というタイトルで書いた論文をもとに書き下ろした、という。

 本は大体、読む前に目次を見ても分からないものだが、読み終わって目次を見直すと作者の書こうとしたこと、書こうとしたけれども書けなかったことなどが見えてきて、面白い。

 ということで、例によって目次を書き写しておく。

序章 視点

第1章 食事パターンの変化と米食

 食事の時▽飯は主食▽オカズ食いになった日本人

第2章 食事の快楽化

 ハレの日常化▽飲酒の変遷▽快楽の持続化現象▽不平等の上に成立した快楽

第3章 食事の原点

 食と性▽共食をする動物▽家族の起源と男女の分業▽食事作法の起源

第4章 食事と宗教

 神々との食事▽食事のタブーと宗教▽肉食の禁▽快楽を否定する大宗教

第5章 食事と医学・薬学

 香辛料は薬品▽医食同源▽宗教にとってかわった医学と栄養学

第6章 食の「民主化」

 料理屋の出現の意味するもの▽平等化した食の快楽▽国際間の不平等

第7章 食卓での分配法

 手食の文化▽ナイフ。フォーク・スプーン▽箸・椀・膳▽銘々膳の場▽公事から私事へ

第8章 食事文化の変容

 料理は文化を残す▽肉食にはじまる外来料理のとりこみ▽家庭料理化した洋食、中華▽外来料理受容に関するモデル▽オープン・システムの食事文化

第9章 家族の象徴としての食事

 家庭機能の外在化と食事の個人化▽食事が家族をささえる

 目次は以上である。

 簡単にダイジェストしておく。

 文化とは人間が自然界に対処しながら蓄積してきた、人間らしい行動様式。文化の最も個性的な部分は目に見えない精神の部分にあり、それぞれの民族の文化の奥深いところは、ものの感じ方や考え方などの文化的なくせ―価値観に代表される。

 きわめて個性的な価値観を内蔵し相対的にしかとらえられない個別的民族文化をいくつか束ねて眺めると共通の性格が浮かび上がる。そのような普遍的現象を眺めるのが文明のレベルで物事を考えることだ。

 中世のヨーロッパの農村部ではパンを焼くのは1週間に1度だった地方が多い。1カ月に1度しかパン焼きをしない地方もあった。保存食品であるから早くからパンつくりは家庭の台所から離れて、社会の側の施設であるパン屋に任せることができるようになった。

 飯の澱粉はパンに比べると「老化」の速度が早い。加熱することで消化しやすいアルファ化した澱粉が時間の経過とともにだんだん生来の澱粉の状態であるベーター澱粉に戻るため。この老化現象のために冷飯は不味くなる。

 現在(1980~82年ごろ)では自動炊飯器の普及によって、朝晩2回飯炊きをする家庭が多くなった。

 ひと昔前の大阪の船場あたりの大きな商家では飯炊きは昼だった。開店準備に忙しい朝は粥か茶漬けですませ、主人が付き合いで外食することが多い晩食は昼のあまりものの冷飯ですませた。昼食が家庭内の食事で一番重要であり、いいオカズをそろえるものだった。

 同じ大阪でも使用人のほとんどいない小売業の店などでは、主人が家族とそろって晩食をとり、その時には温かい飯と一日のうちで一番のご馳走が供されたという話もある。

 肉体労働に従う江戸の職人は朝に飯を詰め込んでおかないと仕事にならない。昼食は弁当ですませた。女子供は冷飯ですませ、晩にまた飯炊きをした。昔のサラリーマンである武士や昼間肉体労働に従う農家でも朝・晩2回飯炊きをすることが多かった。

 一日の食事における飯炊きの時は、職業差や地方差を持っていた。

 朝に必ず飯炊きをするようになったのは、官吏や事務所、工場勤めをする人々が多くなったことと、昼過ぎまで授業をする学校というものが現れたこと、すなわち、明治時代になって勤め人と学童に弁当を持たせてやるようになってからだ。会社、役所というものと義務教育の制度が全国の家庭に朝飯炊きする習慣を植え付けた。

 世界のほとんどの地域で1日3回食事をするようになったのは、つい近頃のことだ。1日に何回食べるべきか、ということは人体生理の問題ではなく、それぞれの社会の問題だ。

 狩猟・最終生活様式の民族では食事回数や時間は不規則なところが多い。人類は農業と牧畜という生活様式を採用することで計画的に食料を消費し、1日の食事回数や食事時間を定期的なものにすることが可能となった。農業社会・牧畜社会では1日2食の伝統を持っていたところが多い。

 近代化の胎動期になると日本でも西欧でもそれまで2食の習慣を残していたものから、全国民が3食をとるように変化する。日本も西欧もほぼ17~18世紀の同時期の出来事。近代は夜の生活が長くなる。3回に分けて食事を取らないと体が持たない。

 西欧では上流階級の晩の観劇の習慣が夜を長くしたといわれ、日本では灯火の普及で夜の生活が長くなった、といわれるが、それだけではない。近代化及び近代化の準備期は、それ以前の時代に比べて人間が長時間働かないとならない時代になった。労働強化の時代だ。西欧では産業革命で低賃金、長時間労働になった。長時間うんと働くようになったことが1日3食の最大の原因ではないか。

 朝食の飯を弁当に詰め、晩食が1日のうちで一番重要というサラリーマン型の1日の食事形式の枠は明治時代に国民文化として成立した。それに「質的変化をもたらしたのは第2次世界大戦後の高度経済成長とそれに伴う産業構造の変革だった。ここで日本は農業社会の生活様式を捨ててしまった。農家でも機械を使い、昔のような肉体を酷使する重労働がなくなったため、カロリー源としての澱粉を大量に摂取する必要がなくなった。体を構成する蛋白質食品隠食事の中心が移行した。

 昭和40年代から現在にいたるまでほぼ一貫して日本人の食生活においてカロリー源食品である澱粉性食品の消費量が減少し、蛋白質の摂取量が増加する傾向をたどっている。都市、農村をとわず日本人全体の共通の傾向。

 日本人にとって澱粉性食品の一番重要なものはコメだ。歴史を通じて為政者の最大の関心事はいかにコメの生産高を上げるかで、それが日本の農政の中心課題だった。そのことは昭和30年代まで続き、技術革新と手厚い米作保護政策で史上最高のコメの収穫が得られた、と農政関係者が喜んでいるうちに皮肉なことにコメの消費量は減り、余剰米がだぶつくようになった。

 コメさえ増産すれば食料問題は何とかなる、と思われていたのにも一理ある。コメは穀類の中でも人体を構成するのに必要な必須アミノ酸の種類と量に富んでいる。1日5合の飯と植物性蛋白質の多い大豆から作った味噌汁を食べていれば、カロリーと蛋白質は何とか補える。コメは文字通りの主食なのだ。

 小麦のパだけで人体維持に必要な必須アミノ酸を摂ろうとしたならば、1日3㌔近く食べなければならなくなる。カサ高いパンをそんなに食べることは不可能である。パン食地帯は牧畜地帯でもあり、乳搾りの慣行が分布している。栄養学的に言えば肉と乳製品によって、パンに足りない必須アミノ酸の補いをつける食事体系になっていた。西欧の農政はパンだけではなくて、乳と肉を供給することを考えねばならなかった。

 朝食、昼食がいわば経済戦争や受験戦争に追いまくられている日本人の戦陣食、という性格のもの。家族がそろう晩食には楽しみとしての食事の様相があらわれる。昔の晩食に比べ、オカズの種類も量も明らかに増加している。日本人はオカズ食いになった。胃袋の大きさは変わらないので、コメの量が減ったのは当然だ。

 近代になって成立した欧米の食事の形式では正式の宴会料理でもオードブル、スープ、魚料理、肉料理、サラダ、デザートといった具合にコースが決まっており、1回の食事に供される料理の品数は数種類以内に限られている。家庭での普段の晩食ならば、スープあるいはオードブルのどちらかと、肉料理1皿にそえたサラダ、デザートくらいですましてしまう。このような食事の形式の枠にとらわれているので、ご馳走を食べようと思っても、それは料理の品数を増やす方向を取らない。料理の品数は変わらずいn、料理の材料と技術の違いが普段の食事とご馳走の違いになる、という性格が強い。

 それに対して1回の食事に供される料理の品数が多ければ多いほどご馳走であると考えるのが日本人の食事観だ。品数をもって料理の格を決める。松定食と竹定食の違いは料理の質にあるのではなく、品数の差にすぎない。そこで、宴会料理には際限なく異なった料理が運ばれてくる。

 過去の民衆の生活で品数の多いご馳走を楽しむ機会は年中行事や結婚式、法事などのハレの日に限られていた。ハレの日とは労働をせずにハレ着を身にまとい、ハレの膳に向かう時である。自給自足的な生活をしていた田舎の村でのハレの日の献立を見ると豆腐料理、麺類、団子などの粉を使用した料理が多い。豆腐屋がなかった村では手間のかかる豆腐作りはハレの日くらいしか行われなかった。水車製粉が発達せず、手回しの石臼で粉作りをするのが普通だったので、労力のかかる粉製品の料理も普段の日の食卓には並ばない。作るのいn手間がかかり普段の日に「食べられない食品が姿を現す特徴を持つ。

 これに対して普段(ケの日)はいつも同じようなオカズを食べていた。今でこそ、居酒屋の「お袋の味」で酒を飲むが、毎日続いたら飽きるだろう。

 現代の日本の家庭の日常の晩食の食卓は、過去のハレの日のご馳走を「ケの日」である普段の食事としている。もともとハレの日の行事は個人的事柄ではなく、社会的な集団の行事だった。祭り、盆の行事に象徴されるように、ハレの日には神や祖先の霊である仏がこの世に来訪する時だった。ハレの日のご馳走は家庭を訪れる客や神仏と家庭が食事を共にするために作られた。現代の我々の食卓は、神仏不在の個人的な祭りを行っていることになる。

 柳田國男の「まれびと信仰」(客をあたかも神のように迎えてもてなす手続き)と飲酒の変遷。中世的宴会での酒の飲みまわしの形式→現代の「お流れ頂戴」。自分勝手に酒をついで飲むことは許されず、注ぐ人としての「お酌」がいることが必要になる。一座に杯がまわることが「一献」。式三献とは3回まわる儀式的な飲酒が行われる形式の宴会であることを意味する。

 一献ごとに供する酒のさかなを料理人がメモしたのを「献立」という。時には食物だけでなく、歌舞もさかなとされた。「さかなに一さし舞いをご覧に入れる」と。宴のい後半は無礼講となって、祭りで言えば直会の部分となる。参加者は酔いつぶれるまで飲む。あるいは酔ったふりをするのが礼儀だった。

 酒は麻酔薬の類のナルコティックスの一つ。日本の祭りの一連の手順の後半部に位置する神人共食の場である直会は酒を媒介としながら人間が神との交流をはかる手段の残存形態である。長い間、酒は一人で飲むものではなかった。独酌というのは明治、大正時代に発達した新しい風習である。

 社会階層の上の者、経済的に余裕のある人々の間から、宴会でない時でも酒を個人的に飲むことが行われるようになる。ハレの日常化の現象が進行した。

 飲酒が日常化するに従って、ほどほどのところでやめておくのみ方になってくる。酒とのほどほどの付き合いが日本で一般化したのは最近のことだ。

 酒の飲み方の流行で、世界的に水割りの流行があり、濃厚なウイスキーを水で環って飲むだけでなく、ブランデーも。新フランス料理は技巧を凝らした重い味のソースを使わず、素材そのものの味を生かして軽い味を楽しむ方向を目指すもの。

 80年代は軽さ、ライトの時代とさえ言われている。NHKの国民生活時間の調査で昭和40年までは国民1人1日あたりの食事時間は1時間10分台。昭和45年以後は1時間30分台まで長くなっている。快楽の持続化志向が日本人の食事にあらわれたことを物語る。

 世界の人口の4分の1は飢えている。その飢えている世界の各国から食物をかき集めて日本人の「食の民主化」が成立している。もともとは食の快楽を楽しむには強靭な精神が必要なことだった。

 「飢えた奴隷を酷使しながら、山海の珍味について語れる者が美食家の資格を持っていた。不平等の上に食事文化の洗練は築かれていた。飢える国々を冷ややかに眺めながら、日本は世界の中での美食国としての地位を確保していけるだろうか」というのが第2章の結論だった。

 人間としての「タブー」は食では人食い。性ではインセスト。食と性の快楽は反社会的側面を持つ。「食物の恨みは恐ろしい」というのは、分配の不平等が暴露された時のことを言っている。性の快楽の本質は美醜、年齢、性的能力、人格など人体そのものいn依存している。食物は対外に依存しているので、共同飲食によって同時に共通の体験をすることが可能だが、性は基本的に同時体験は2人でしかできない。だから、性の快楽のほうが食の快楽よりも公然と語ることが難しいという性格を持っている。

 食事を共にしても構わない人々の範囲。食事はコミュニケーション手段でもある。伊谷純一郎のn野生チンパンジー研究。人間は共食をする動物。その共食する人間の集団の最も基本的な単位であり、個人にとって常に食を分かち合う仲間とされるのは家族だ。

 人類学者のレヴィ=ストロース「結婚とは集団間で女を交換することであり」「人類の最初の交換物は女である」。今西錦司の家族の起源説。

 ニホンザルの「サルのシラミ取り」=グルーミング。見知らぬ相手が遭遇した時、攻撃性を緩和して争いを避ける手段。飲食物を友隠すること=人間のグルーミング。タバコ盆を客に出す、花魁が一口吸った吸いつけタバコのキセルを客に差し出す、江戸時代、客にすかさず茶を出す、付き合いの始めに一緒に酒を飲む。

 人間の食事は分かち合うもの。食事は個人的行動ではなく社会的行動であることが原則。食事を円滑に進めるために食事を共にする者同士の相互干渉を調節するルールが必要。これらのルールが儀礼化したものが食事作法だ。

 文明とはカレンダーを共有することだ。

 タブーの起源は、論理的な筋道での追求の届かない文化の深層に潜んでいるものが多い。タブーとはよそ者からは偏見の塊のように見える性質を持つ。タブーの果たしている重要な機能としてタブーの存在が結果としてタブーを共有する人々の集団を強化する役割を持っている、という点が上げられる。世界宗教といわれるものの食事に関するタブーも例外でない。イスラム暦の9月にあたる断食月の昼間は飲食しない、とか。

 ハーブとスパイス。カトリックにおける終油の秘跡、中世の伝染病予防としてのスパイス。

 医食同源の思想。

 洋食の広まりの歴史。『欧米の人々も欧米文明化した」はなるほどと思う。

 日本料理としてのカレーライス、トンカツ、カキフライ、串かつ、ラーメン。いずれも箸で食べられるように加工したもの。日本化。ご飯に合う。食事隠肉や油脂を取り入れることから始まった明治以来の日本の家庭料理は飯に合うものならば外来の料理をどんどん取り込んできたし、その傾向はまだまだ続きそうだ。

 この1世紀にわたって続いている日本人の家庭の食事文化の変動というものは、文明というものの挑戦に対して、日本的食事文化の中核である箸と茶碗を残しつつ、いかに応答していくかという過程において生じたものだ。

 家庭機能の外在化が進行している。外食。

 食の分配をめぐって成立した家族だが、産業社会の成立以来、家庭が生産の単位ではなくなり、人々が家庭を出て、社会の側で働くようになり、家庭には家事労働以外なくなった。第3次産業が発達し、大量消費社会時代に突入すると、家庭機能の外在化が著しくなる。育児やしつけま外部に任せ、育児の楽しい部分だけを家庭で教授するようになる。現代の我々の家庭には精神的な愛着の体系によって結合された集団単位としての意味くらいしかない。しかし、家庭が何とはなしに帰るべき場所となっていること。いまや共食することが家族という集団を維持する役割を担っている。

 と、以上が大体のダイジェスト。面白いのは、これが書かれたのが1980~82年であることだ。今から16~18年前、ざっと言えば約20年前の日本の分析である。外食までは出てくるが、子供たちの「個食」はまだ出てきていないし、パラサイトシングルという流れもまだ出てきていない。この時代から約20年――「いまや共食することが家族という集団を維持する役割を担っている」はずだったのいん、その「共食」まで怪しくなって、いよいよ「家族」「家庭」が流動化しているのが現在なのだろうか。

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2007年12月26日 (水)

書評 山極寿一著「暴力はどこからきたか~人間性の起源を探る」

 2007年12月25日第1刷発行。日本放送出版協会発行のNHKブックス。定価1019円。

 山極氏は霊長類社会生態学研究者。奥付の著者紹介や参考文献一覧によると、

 <1952年東京生まれ。京都大学大学院博士課程修了。理学博士。現在、京都大学大学院理学研究科教授。日本霊長類学会会長。専攻は霊長類社会生態学、人類進化論。長年にわたり、フィールドにて野生のニホンザル、チンパンジー、ゴリラの社会的行動の姿を追うとともに、その保護活動でも国際的に活躍する。>

 <著書に「ゴリラー森に輝く白銀の背」(平凡社)、「ゴリラとヒトの間」(1993年、講談社現代新書)、「家族の起源ー父性の登場」(1994年、東京大学出版会)「ゴリラ」(2005年、東京大学出版会)、「オトコの進化論ー男らしさの起源を求めて」(ちくま新書)、「父という余分なものーサルに探る文明の起源」(1997年、新書館)、「サルと歩いた屋久島」(山と渓谷社)、「ヒトはどのようにしてつくられたか」(2007年、岩波新書)ほか多数>

 2007年11月とある「おわりに」で、

 「この3週間、アフリカのガボンにあるムカラバ国立公園でニシローランドゴリラの調査に従事してきた。久しぶりに熱帯雨林を存分に味わった」

 とあった。

暴力はどこからきたか―人間性の起源を探る (NHKブックス 1099) 暴力はどこからきたか―人間性の起源を探る (NHKブックス 1099)

著者:山極 寿一
販売元:日本放送出版協会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 山極氏の文章は分かりやすい。「おわりに」の続きの文章は次の通り。

 <まずものすごい湿気だ。湿度は常に100%で、ちょっとほっておくと何でもすぐにカビが生える。それに虫の襲来にいつも悩まされる。朝夕はブユ(ブヨ)、日中はツェツェバエ、夜は蚊が血を吸いにくる。森の中ではダニにたかられるし、ハエやハリナシバチもしつこくまとわりついてくる。こういう大小の虫たちをムアンズという虫払い棒でたたきながら森を歩いていると、人間はこれがいやで森を出たのではないかと思いたくなる。>

 <今は雨季の初めで、木々は赤い色をした新葉をつけている。まるで紅葉を見ているような気分になる。さまざまな果実が熟れ始め、森には甘い香りが漂っている。林床には赤や黄の果実が散乱し、動物たちの食べ跡が残っている。ゴリラの歯型のついた果実もあちこちでみつかり、彼らもこの贅沢なときを楽しんでいることがわかる。>

 要点を押さえた簡潔な文章と、事実に裏付けされた仮説が刺激的、魅力的だ。

 本書の内容を俯瞰してある「はじめに」の一部を書き写す。

 <そもそも霊長類の社会は他の哺乳類とは違う性質をもっている。それは、霊長類がまず樹上に生活空間を広げた、哺乳類としてはまれな存在だからである。私たち人間が世界を認知する能力も、仲間との間に起こす葛藤も、戦う能力も、すべて霊長類として進化した時代に身につけたものである。人間の争いの原因も、争いや和解の方法も、彼らから受け継いだ特徴の中にみつけることができるはずだ。>

 <毎年のように、霊長類の社会行動について新しい発見が報告されている。それらの最新の知見を取り入れながら、私はまだよくわかっていない人間社会の由来を考えてみようと思う。>

 本文は以下の構成だ。

第1章 攻撃性をめぐる神話

 ①人類の進化史と攻撃性(武器をもった猿人?、「血塗られた歴史」という物語、ローレンツの描く「人間性」)②狩猟仮説(狩猟民は攻撃的か、攻撃性は本能に直結しない、祖型人類は狩猟民か、人類が受け継いだものの探求)③暴力とは何か(暴力への愛憎、「キング・コング」という誤解、異種への攻撃性と同種への攻撃性、争いと暴力の原点を探る)

第2章 食が社会を生んだ

 ①生物がともに生きる意味(熱帯雨林に生きるということ、霊長類始まりの地、共生の森から、種子散布という戦略、霊長類と被子植物の共進化)②食べることによって進化した能力(ゴリラのグルメ、霊長類の始まりの姿、葉食を可能にするメカニズム、ヒトに受け継がれた類人猿の食性)③食物の違いがもたらすもの(霊長類だけがもつ特徴、食と体躯の多様な関係、食の相違が左右する社会構造)④二ッチとテリトリー(熱帯雨林は食物の宝庫か、鳥類のテリトリーと食虫類のテリトリー、単独行動ペア型テリトリー)⑤昼の世界が集団生活を生んだ(単独で暮らす夜行性のサルたち、群れを作る昼行性のサルたち、昼の世界がもたらすもの)⑥食物と捕食者の影響(真猿類は単独生活をしない、食物の質と分布が「群れ」を生むのか、身を守るために群れる)⑦食物をめぐる争いと社会性の進化(テリトリーから群れへ、優劣順位により争いを回避するニホンザル、スクランブルとコンテスト、二つの競合のかたち、食による社会理解の盲点)

第3章 性をめぐる争い
 ①インセストの回避と社会の進化(サルたちのインセスト回避、家族の起源)②ペア生活の進化(ペア生活のもたらす利益、テナガザルのペア生活、ペアと育児の関係)③メスがオスの共存を左右する(オスが単数の群れと複数の群れの違い、出産期間かメスの数か、性皮の有無が分けるもの、人間集団の性の不思議)④母系と父系(「血縁のないメス社会」という謎、ニホンザルの血縁関係、チンパンジーの社会性に迫る、群れを移籍するメスゴリラ、メスゴリラのいsかいとオスの仲裁、霊長類の母系と父系)⑤娘と息子のゆくえ(インセストの回避が霊長類の社会構造を動かす、DNAが明かすサルたちの血縁、チンパンジーとボノボの交尾回避、ゴリラの旅立ち、インセストタブーがもたらす共存)

第4章 サルはどうやって葛藤を解決しているか

 ①優劣順位とは何か(直線的に序列を決めるオスニホンザル、メスニホンザルの家系順位、群れの中の序列をどう読むか)②所有をめぐる争い(「先行者優先の原則」の混乱、序列意識の強いサルと弱いサル)③和解の方法(サルのさまざまな和解、チンパンジーは仲直りに積極的、「ホカホカ」で緊張を抑えるボノボたち、ゴリラが見つめ合う理由、仲裁と介入はどう違うのか、三角関係のもつれをゴリラはどう収めたか、弱者による仲裁)④食物を分配する類人猿(ゴリラたちの食卓、小さなゴリラが大きなゴリラをどかす、仲間に食物を乞うチンパンジー、ボノボの食物乞委は自己顕示なのか、類人猿以外のサルたちの分配、食物を分け与えるという戦略)⑤性の相手は分けられない(異性をめぐる争いに解決策はあるか、順位の低いオスほど交尾する?メスチンパンジーをめぐるオスたちの同盟、ボノボの不思議な発情、オスたちの共存、ボノボ・チンパンジー・ゴリラ、娘ゴリラと父親の別れ、DNAが明かす父親ゴリラと息子の関係)

第5章 暴力の自然誌ー子殺しから戦争まで

 ①子殺しと社会の変異(病理か必然か、子殺しを生む社会、メスゴリラが群れを出るとき、子殺しの有無が社会構造を変える、「子殺し」発生の波紋、交尾と授乳の衝突、父性という抑制装置、人間社会は性と暴力をコントロールしているか)②人間はどう進化してきたか(人類誕生の地から、初期人類とチンパンジーの違い、二足歩行と狩猟、脳の進化と肉食、食べられる獲物としての人類、森を出た人類・森に残った類人猿)③家族と不思議な生活史(二足歩行起源の諸説、二足歩行が生む分配、「多産」という人類の初期条件、人類と子殺し、祖型人類の社会構造を探る、インセストタブーが「家族」を生んだ、家族が分かち合うもの)④分かち合う社会(狩猟民の惜しみなき分配社会、贈与されるのは心理的負債か、「分け与える」ことと「分かり合う」ことは違う、類人猿と人類の分配の違い、食物のもつ社会的な力)⑤所有と家族の起源(家族という社会、歌は言語に先立つ)⑥戦いの本質とは何か(チンパンジーは戦争をするか、拡大した共同体のゆくえ、大量殺戮はなぜ生まれたのか、狩猟的空間認知と農耕的空間認知、起源への問いが戦争を呼ぶ、霊長類としての人類の可能性)

 以上が内容の概要だ。

 昔々のことだが、私が高校生の時だったか、伊谷純一郎著「ゴリラとピグミーの森」(岩波新書)を読んだ(と思う)。別の本だったかもしれないが、うろ覚えなので、それ以上は分からない。大人の読んでいる本を読みたくてチャレンジするために、学校近くの本屋で買っただけのことで、深い意味があったわけではない。

 その時には「ゴリラの話か」としか思わなかった。たしか、新書には珍しいゴリラの写真が何枚か載っていて、写真入りの新書は珍しいなあ、と思った、という他愛もないことしか覚えていない。

 実は霊長類学という日本で生まれた学問の第一人者が一般人向けに書いた本だ、などとは当時、知りようもなかった。

 伊谷さんには1954年の今西錦司編「高崎山のサル 日本動物記2」という著書もある、戦争直後から活躍した人だった、と今回、この本の「参考文献」欄で初めて知った。

 以下、本文の内容を大胆にダイジェストしたものだ。「であろう」とか「という説が有力だ」などは、すべて断定調にした。

 なお、このブログを読む方にお願いがあります。

 この文章は山極さんの書物そのものではないし、本の内容を誤解してダイジェストしたり、引用したりしている部分もあると思うので、くれぐれも山極さんの本の引用としては使わないで下さい。必ず、山極さんの本(このブログにアフィリエットとしてアップしてあります)を読んでください。

◆霊長類の誕生

 最初の霊長類が誕生したのは新世代初頭の今から6500万年前の北アメリカだった。当時は地球の陸地はローラシアとゴンドワナという大きな大陸に分かれており、現在の北アメリカはユーラシア、アフリカとともにローラシアの一部で、赤道近くに位置していた。南半球には現在のインド、オーストラリア、南アメリカからなる断片状のゴンドワナ大陸があった。

 気候は温暖で熱帯雨林がローラシア大陸を広く覆い、今から1億年前に被子植物が環境に合わせて多様に分化する「適応放散」を始め、それまで地球を覆っていた裸子植物を高緯度地帯に追いやった。3~4億年前に地球上に登場し、1億年前に多様化していた昆虫が花粉を運ぶことで、被子植物の繁栄を助けた。

 霊長類は食虫類から分化したので、最初の霊長類は樹上で昆虫を食していた。被子植物は横に枝を広げる性質があるので、地面に降りずに樹上を渡り歩くことができる「樹上の道」ができた。

 霊長類が地上に降りずに木から木へ移動することができるようになったことは、地上に住む捕食者から逃れるのに役立った。

 霊長類は虫だけでなく、花、葉、果実なども食べるようになり、植物を直接の食物資源として摂取、生活の場としても植物に依存するようになった。

◆熱帯雨林は共生系

 熱帯雨林は多様な生物によって成り立つ「共生系」であり、現在、熱帯雨林の面積は地球上の陸地の3%しかないが、そこにこれまで知られている生物140万種の中の50%以上がいる。その半分以上が昆虫だ。

 熱帯雨林の植物の90%は被子植物。多様な生物の宝庫である熱帯雨林は被子植物と昆虫によって支えられている。

 高さの違う樹木によって上中下といった階層構造が森林に発達し、多くの生態的地位(ニッチ)ができて、棲み分けが可能になった。

 昆虫類が運べるのは花粉くらいだったが、霊長類は大量に果実を飲み込み、時間をかけて消化した後に種子を糞に包んで落とすので、発芽に好条件だった。

 植物は霊長類が丸ごと飲み込むように、果肉と種子をはがれにくくした。オナガザルの仲間は頬袋を持ち、食べ物をその場で飲み込まず、いったん頬袋に入れて、あとで食べることができるようになったので、外敵から身を守れ、生き残る力が強くなり、他の霊長類はだんだん追いつめられ、種の数を減らした。

 人類に近い類人猿は頬袋を持っていない。しかし、変動の激しい昆虫類や、季節変化・年変化の大きい果実に比べて、熱帯雨林には常緑樹葉がふんだんにある。葉を食べるようになった霊長類は巨大な量の食物資源を手に入れ、体を大きくすることができた。

◆植物採取で体が大きくなった

 哺乳動物の基礎代謝量は体重の4分の3乗に比例するので、体重が重くなるほど必要なエネルギー量の比率は少なくてすむ。

 大量の食物資源を手に入れ大型化した葉食の霊長類は、大きな体ゆえのエネルギー効率の良さにより、さらに大型化。葉を食べる霊長類は昆虫だけを食べる霊長類よりも大型化した。

 類人猿は腸内にバクテリアを共生させ(後腸発酵)、食べた果実と葉を直腸に送り込み、ゆっくり腸内を移動させながらバクテリアによってセルロースを分解させる。葉を多く食べるゴリラなどは直腸が巨大になっている。

 人間もこのような類人猿の食性を受け継いでいる。未熟な果実が渋くて食べられないのは二次代謝物質に弱いため。甘い果実が大好きなのも完熟した果実しか食べないせいだ。

 昆虫食、果実食、葉食といった食性の違いによって、体の大きさ、咀嚼器官、消化システムが異なり、食物を探す時間や空間、年間に歩き回る行動域の広さ、食物を採食する場所への滞在時間、一日に移動する距離、集団の大きさなどに違いが出てきた。

 霊長類は手や足で物を握り、指先の触覚で物の硬さや形状を確かめるが、これは親指が少なくとも他の指の1本と向かい合い、手足の指のどれかに人間と同じような平爪がある。

 どの霊長類も鎖骨を持っている。これで垂直歩行時にバランスを取ることができるようになり、体の安定を保ったままで、手を自由に使えるようになった。

◆両目が前に並び、嗅覚よりも視覚が発達

 樹上生活は立体的に世界をながめる視覚を発達させ、この能力を高めるために目の位置が側面から前方へと移動し、鼻面が後退して両目の視野が大幅に重複し、視野にあるものの距離を目測できるようになった。

 嗅覚よりも視覚に頼ることが多くなった。色彩を感知することのない多くの哺乳類の中で、霊長類が色彩視を獲得したのは植物の有益な情報を利用するためだった。

 消化器系は主として昆虫や植物を消化するようにできている。肉食動物のように食べだめは利かない。毎日、食物を摂取し、消化する必要がある。これが、霊長類が一日のかなりの時間を採食に割く理由だ。

 昆虫や果実は1度に1カ所で得られる量が少ないので、広い範囲を探し回らなければならない。

 葉は狭い範囲で大量に得られるが、セルロースや二次代謝物質を分解するには時間がかかる。

 このため、昆虫や果実類を主とする霊長類は一日中食べ歩いていることが多いが、葉食の霊長類は食べた後にゆっくり休息を取る。朝方と夕方に採食の時間が集中し、正午近くは休息して消化にあてている。

 食物の違いは霊長類とネコ科動物の行動に決定的な影響を与えた。

 ネコ科動物は獲物さえあれば気候や植生の違いにはあまり影響を受けないから、トラやヒョウは熱帯雨林からシベリアの雪原やヒマラヤの高地まで分布している。

 狩りの経験と技術が生き残りにものを言うので、親は子どもに狩りを教えるし、個体が増えすぎると食物が足りなくなるので、厳格なテリトリーを守ることで知られている。

 一方、霊長類は食物とする植物の分布に大きく影響を受ける。植物の分布は気候によって決まるので、霊長類の分布も気候に左右される。

 霊長類はいまだに熱帯雨林を中心に分布しており、雪のある地方へ分布を広げたのはニホンザルなどわずかな種に過ぎない。

 しかし、霊長類は普通、100種類以上の植物のさまざまな部位を食べるので、お目当てが見つからなかったら、別の食物を食べればいいので、食物にあまり固執することはない。

◆熱帯雨林は食物の宝庫ではなかった

 食物連鎖の段階が上がると、動物の体の大きさは増大し、個体数は少なくなる。個体数を決定する要因はエネルギー収支だ。

 植物(生産者)は太陽エネルギーのせいぜい2%しか取り込めない。植物を食べる動物(一次消費者)は植物が取り込んだエネルギーの10%程度しか利用できない。さらに、それを食べる肉食動物(二次消費者)はその10%というように、入手エネルギーは急激に減っていく。これが食物連鎖の上部の動物の数が極端に少ない理由だ。

 ゲオルギー・ガウゼは「同じニッチ(生態的地位)には2種が共存することはない」という一般原則である「競争排除原則」を見つけた。自然界にはこのようにニッチを多様化することで、多種の動物を共存させる機構が備わっている。

 熱帯雨林に多種の生物が共存しているのも、この競争排除原則によるニッチ化が絶え間なく起きているせいだ。

 食虫類から分かれた霊長類が初めて進出した樹上で切り開いたニッチは鳥の領分だった。しかし、霊長類は鳥のように空を飛べないため、同種や異種の仲間との間で食物の配分を決める方策は、まず食虫類と同じように単独でテリトリーを構えるというものだった。

 鳥はオス、メスの番が単独行動ペア型のテリトリーを持つ。

 鳥類と霊長類の中間のツバイ目のツバイも単独行動ペア型のテリトリーを持つ。

 霊長類でも夜行性の小型の原猿類で虫をよく食べる種はメスもオスもテリトリーを構えることが多い。メガネザルはメスもオスも独自のテリトリーを構える種がある。

 これらの単独テリトリーは人間を含む類人猿にはほとんど見られない。最初の霊長類がテリトリーを構えていたとすると、それが変化したのは夜行性から昼の生活に移ってからだ。

 昆虫食から果実食、葉食への食性の変化、体重の増加がきっかけだった。

◆昼の生活への移行

 夜の生活は体格が小さく、単独生活か最小限の集団であるペア生活をするのに向いている。虫など分散している食物を利用し、行動圏をテリトリーとして防衛する傾向が強い。果実などと違って動く食物なので、ある範囲の空間を占有する方法が有効だからだ。これが成り立つのは、小さなテリトリーでも十分な食物が得られることが前提となる。

 一方、果実は得られる場所が決まっているが、季節によって得られる時期があり、広く分布している。果実を食物として取り入れる割合が高くなると、食べごろの果実のありかを視覚を用いて感知し、昼間に動くことが多くなる。

 広い範囲を動き回れば外敵に襲われる危険も増すので、昼間に行動するようになったのだろう。

 捕食を回避するために夜行性霊長類は単独で目立たないように行動する性質を進化させたが、昼行性の霊長類はこのような対捕食者対策をやめ、群れをつくることで捕食者の危険を減じようとした。捕食者をすばやく発見し、すばやく逃げる、という戦術だ。

◆性をめぐる葛藤

 人間以外の霊長類は異性をめぐる葛藤を4つの方法で解決しようと試みてきた。①テリトリーをもって離れあう②オスが単独でメスを囲い合う③優劣順位に応じて異性への接近権を認める④乱交を許す――の4つだ。

 ダーウィンは形質の変異を引き起こす要因を自然淘汰と性淘汰に分けた。

 性淘汰は異性をめぐる同性間の競合と、好ましい形質を異性が選択することによって起こる。

 集団生活をする霊長類では原猿類やペアを作る種を除き、オスがメスよりも大きく、派手な体色や形態上の特徴を持っている。だから、霊長類ではメスよりもオスに性淘汰が大きくかかっている。

 ニホンザルでは順位の高いオスよりも順位の低いオスのほうが交尾の回数が多い。メスがオスを選択している。

 メスは毎年違ったオスを選択している。優劣順よりも滞在年数の短いオスが子どもを残す傾向にある。

 ところが、DNA鑑定の結果、子どもの父は優位のチンパンジーが多いことが分かった。

 乱交的に見えているのは、優位なオスは妊娠する可能性の低い時期には他のオスの交尾を許しているためで、排卵日に近い発情メスとの交尾は優位なオスが独占しようとする傾向があるに違いない。

◆発情性比

 発情性比とは発情メス1匹に対する群れのオスの数。

 チンパンジーのメスは発情を同期させないので、発情性比は4.2。地域によっては12.3にもなる。ボノボのメスも発情を同期させないが、発情期間が長いので2.8ほど。発情期間が長いのはボノボのメスが授乳期間も発情するためだ。霊長類では普通、メスが授乳している間は発情も妊娠もしない。

 これは母乳の産出を促すプロラクチンというホルモンが発情ホルモンのエストロゲンの上昇を抑えるためだ。

 類人猿でもオランウータン、ゴリラ、チンパンジーのメスは授乳中発情することはない。

 類人猿は3~5年の長い授乳期間をもっているので、群れに複数のメスがいても発情するメスの数は少ない。

 ところが、ボノボのメスは授乳が始まってから1年もたつと、発情を再開する。同時に発情するメスの数も増えて発情性比が低くなる。ボノボではメスが繰り返し発情するため、オスが交尾を独占できず、乱交状態になる。

 メスとの交尾にはオス同士の優劣関係が反映されず、したがってオス同士の取引にも使えない。交尾をするかどうかは、オスとメスとの直接的な交渉による。だから、食物の分配をせがむメスが、あたかも取引のようにオスを交尾に誘う。

 チンパンジーでも強い乱交状態になることがある。

◆インセスト(近親相姦)タブー

 家族が人間の社会を特徴付けるものであること、それがインセストタブーによって成立していることを19世紀の人類学者たちが論じた。1877年に「古代社会」を著わしたルイス・モーガンは人類が親子兄弟の区別なく性行為を営む原始乱婚の状態から進化した、とみなした。やがて、親子の間、兄弟姉妹の間でインセストを禁止するようになり、現代の核家族のように性交渉を夫婦に限定するような親族関係が管制した、との説だった。

 しかし、インセストを回避する傾向は人間以外の動物にすでに具わっていた。1950年代初めに、それを日本の霊長類学者が発見し、モーガン説の誤りが分かった。

◆人間の家族はどのように成立したか

 では、人間の家族はどのように成立したのだろうか?

 すでにあったインセストを回避する性質を利用して家族は創設されたに違いない。人間の社会ではインセストの禁止が親子以外の近親間に適用されているからだ。人間の家族では母親と息子だけでなく、父親と娘、兄弟姉妹、さらに広い血縁までインセストが禁止されている。

 普段顔を合わせて暮らしていない親族にまでインセストが禁止されるのは心理的な機構では説明できない規範がそこにあるからだ。

 今西錦司氏は霊長類にまで遡って人間家族の起源を考え、外婚制(群れの外に番の相手を求めるシステム)、インセストタブー、男女の分業――という3条件がすでに人間以前の段階で成立していたとみた。

 人間の段階で初めて可能になったのは、複数の家族が集まって近隣関係を作り、上位の地域社会を形成するという条件だ。

 おそらく親子以外の血縁者にも性交渉や結婚を禁じるようにならなければ、こういった複数の家族が共存できるような社会はできなかったに違いない。

 インセストの回避をタブーという制度にしなければならなかったのは、このためである。

 人間は哺乳類としては初めて集団生活とペア生活が両立できる社会を作った。そのためにこそ、インセストの禁止によって性の競合を緩和する家族という形態が必要だったはずだ。

 おそらく霊長類にとってインセストの回避は性の競合を回避するためのものだったわけではなく、どちらかの性を分散させて、遺伝的な劣性を避ける機構だったはずである。人類はそれを社会的な目的のために利用したのである。

◆群れ社会からスタートして家族ができた

 人間の家族は、その始まりにおいて、ペア社会から生まれたものではない。

 群れがまずあり、そこに家族というペア社会を可能にする仕組みができたのだ。

 それは人間の男女の体格に比較的大きな差があることからも明らかである。集団生活する霊長類では一般に雌雄の体格差が大きく、ペア生活を送るのは、体格差のない種に限られている。

 ペアではない集団生活からどのようにしてペアに性交渉を限定するような家族が生まれたか、だが、そのプロセスにインセストの禁止が大きな働きをしているはずだ。

 霊長類の性の競合と社会構造、そしてインセストを回避する仕組みを比較しながら、それを考えてみよう。

 鳥やオオカミのペアのように雌雄が共同で子育てをする姿は霊長類には極めてまれだ。だが、霊長類にもオスが熱心に子育てする種がある。南米に生息する小型のタマリンやマーモセットである。

◆睾丸の大きさの比較

 また、単雄複雌と複雄複雌という構成の違いはオス間のメスをめぐる競合の違いを色濃く反映している。それには証拠があり、睾丸の大きさである。

 睾丸は精子を作る器官で、その大きさは精子の数に対応する。

 霊長類の種ごとにオスの体重と睾丸の重さの比率を比べると、複雄複雌の種のほうが単雄複雌の種より明らかに大きい。単雄複雌のゴリラのオスの睾丸は体重の0.02%しかないが、複雄複雌のチンパンジーは0.27%と10倍以上の大きな睾丸をもつ。

 1回の射精で放出する精子の量はゴリラで51万、チンパンジーで603万と、ほぼ睾丸の大きさに比例する。

 これは、ゴリラのオスは他のオスを排除して独占的にメスと交尾するのでわずかな精子で十分なのだが、チンパンジーのオスは複数のオスが同じメスと交尾するので、元気な精子をたくさん出して精子同士で競争させる必要があることを示している。

 1年のある時期に出産期が集中する理由は、食物環境が季節的に変化するためだ。雨季になると木々は一斉に芽吹き、タンパク質に富んだ新葉が食べられる。授乳が必要な霊長類はこの時期に出産期をあてて、子育てをするほうが季節によって変化する環境では適応的だろう。

 事実、もっとも高緯度に暮らすニホンザルは木々が芽吹く春に出産し、秋にメスたちが一斉に発情する。もちろん複雄複雌である。

 霊長類のメスの体には、オスとの交尾関係を決定する重要な性の特徴がある。

 それは性皮の存在だ。旧大陸に生息する真猿類(旧世界ザル)だけに進化した特徴で、原猿類や新世界ザルにはない。ヒト科ではチンパンジー属だけにある。オランウータンとヒトには欠落している。

 性皮が膨張する種は複雄複雌で、膨張しない種は単雄複雌の構成をもつことが多い。

◆性皮の有無の問題

 メスが性皮を膨張させる種は性皮をもたない種に比べて長く発情する。

 性皮をもたない種はメスが排卵日を含む2、3日しか発情しないので、交尾は妊娠に直結する可能性が高い。

 しかし、性皮を膨張させるメスは排卵日から遠く隔たった日にも発情傾向を示す。オスの精子は膣の中でせいぜい72時間しか活力をもたないので、排卵日から4日以上離れれば授精させることはできない。

 にもかかわらず、ヒヒ類もチンパンジーも毎周期2週間近くも性皮を膨張させる。

 これは明らかにメスが1頭のオスと独占的な交尾関係を結ばず、多くのオスと交尾することで生まれる子どもの父性を曖昧にしようとする戦略だと考えられている。

 オス同士が張り合ってメスと交尾する権利を独占しようとするのに対し、メスは性皮を膨張させて多くのオスを誘い、長期間にわたって交尾することで、どのオスにも繁殖成功の可能性を示唆する。こういったメスの行動によって、複数のオスが共存し、精子競争が高まって睾丸のサイズが大きくなった、と考えることができる。

 霊長類の群れ構成の進化を考える時、環境の季節性もメスの繁殖戦略もどちらも重要だ。

 ニホンザルやアカゲザルのように季節繁殖する種では、メスの性皮を膨張させなくとも複数のオスが乱交的な交尾をすることになる。一方、周年にわたって交尾する複雄群は、メスの顕著な発情兆候と長い発情によって形成され維持されている可能性が高い。

 では、この霊長類の特徴に照らし合わせると人間はどうなのか?  人間は不思議な特徴を併せ持っているのである。

◆人間の場合は?

 人間の男の睾丸はゴリラより大きく、チンパンジーより小さい。精子の密度もちょうど中間。この特徴は精子競争があるとも言えるし、ないとも言える。
 人間の女には性皮はなく、発情兆候は明らかでない。だが、性交渉が排卵の時期に限定されているわけではない。性交渉の頻度や出産の時期に季節による偏りがあるとも言えない。

 複数の男女が日常的に顔を合わす人間社会は、決してチンパンジーのような乱交を許す社会ではない。

 しかし、かといってゴリラのようにオスが配偶関係の独占を確立し合っている社会でもない。

 おそらく、そこに家族をつくった人間の不思議な性の特徴が隠されている。

◆母系と父系

 群れからオスかメスのどちらかが出て行く傾向は、インセストを避けるためである。どちらも出て行かなかったらインセストが必然的におきるからだ。

 霊長類では血縁関係を認知することよりも、親しい関係を作ることのほうが交尾の回避をもたらしている。ゴリラのオスは離乳期から思春期に至るまで熱心に子育てする。この「親しさ」が娘とのインセストを避けている。また、父と息子との間でのメスをめぐる争いを避けさせている。

 初期の人類がもし、類人猿と同じような父系的性格をもっていたならば、やはりインセストの起こる可能性が高かったに違いない。

 それを人類はインセストタブーという規範にして社会を作ったのだろう。なぜ、そんな規範が必要だったか?

 それはインセストの回避によって親子兄弟姉妹が性的な競合を減じて共存できるからだ。

 人間の社会におけるインセストの禁止は性的な競合を弱めるための仕組みだったのではないか。母親と息子、父親と娘、兄弟姉妹は異性でありながら、性行為をする間柄ではない。

 そのために、家族の一員が他の家族の一員と結ばれても、家族の絆は切れることはないし、家族間に性的葛藤が起こることもない。だからこそ、家族同士が連合することもできる。

 おそらく幼児期の世話を介して雌雄間の性的な関心を抑えるような霊長類の普遍的傾向は人間の社会ではインセストを防止するだけでなく、非性的な親和関係を作るように発達してきたに違いない。そして、それは異性間にも同性間にも家族の枠を超えて共存を促すような働きをもっている。

◆サルは食物をめぐる葛藤をふぉのように解決しているか?

 ニホンザルにとっては優劣関係が共存のためのルールだ。優劣関係とは一種のパワーゲームだ。オスの間には直線的な優劣関係がある。群れに共存するメスはいくつかの家系に分かれている。

 娘が母のすぐ下につくというルールができており、これが家系順位。ニホンザルのオスは群れが居心地悪ければ出て行けばいい。

 ここが父系社会に生きるチンパンジーと違うところだ。

 ニホンザルは食物を最初に取ったサルが自分のものとし、他のサルがそれを奪い取ることはない、という「先行保有者優先の原則」がある。ニホンザルには頬袋がある。

 けんかが起きた際の和解の方法もいろいろある。

 チンパンジーの仲間のボノボはメス同士が対面し、膨張した性皮を左右にこすり合わせるという変わった仲直り行動がある。これが「ホカホカ」だ。オス同士は対面して勃起したペニスを触れ合わせたり、逆に後ろを向いて尻を付け合ったりする。雌雄では交尾が起こる。ボノボは社会的緊張が高まると、性交渉によってそれを解消しようとする。

 ホカホカは群れに加入してきたばかりの新参メスと、長くその群れに滞在している古参メスとの間によく見られるという。移籍後の新しい群れで、メスはまず古顔の優位なメスとの間に葛藤を経験し、それを克服するために性を活用する。

◆見つめ合う和解

 ゴリラの場合は見つめ合うことで仲直りをすることが多い。子どもやメス同士のけんかに大人のオスが介入し、攻撃されたほうに加勢したり、どちらにも加勢せず、当事者の間に大きな体を割り込ませてうつぶせになる。これは明らかに仲裁である。大人の三角関係のけんかは他のオスなどが引き離し、けんかを仲裁する。弱者による仲裁の方法は間に割り込んで、相手をじっと見つめるやり方だ。

 食物の分配でも、ニホンザルは優劣関係に応じた占有権の確認でいさかいをおさめる。

 ゴリラは食物を前にして仲間との間に葛藤を覚えた場合、それを許容と共存の担保として利用、せっかく占有した採食場所を譲る。譲られたゴリラは恩を受けるのでお返しをする。ニホンザルでは相手に近づいて採食場所の譲渡を要求するのは必ず優位のサルだが、ゴリラは劣位のゴリラが優位のゴリラにお譲らせる。

 最優位のゴリラのオスは自分の地位を狙う第2位のオスには決して分配せず、自分と同盟関係にある下位のオスにだけ食物を取ることを許す。食物はオスの間の政治や求愛の道具として用いられている。なお、ゴリラが胸を叩くのは戦いそのものではなく、自己主張である。チンパンジーやボノボも食物を社会的な手段として用いて互いの関係を調整している。

◆マウンテンゴリラの子殺し

 新しいボスのオスは他のオスとの交尾で生まれた赤ちゃんを殺す。これは赤ちゃんがいるとメスの発情が始まらないため、発情を起こさせ、自分の子どもを作るため。

 子殺しの起こる種はメスが群れの外のオスと交尾しないという特徴がある。発情に季節性がなく、メスが一斉に発情しない、という特徴も子殺しが起こる種の特徴。

 子殺しが霊長類の社会性を作る大きな要因だとすれば、子殺しが起こらない種は二つの方法を取っている。①オスが子どもの父性を確認できるようにする方向性②父性を混乱させてどのオスにも父性があると思わせる方法――の二つだ。前者はオスがメスと独占的に交尾できる道へ、後者は完全な乱交へとつながる。

 チンパンジーの子殺しでは、殺した子どもをみんなで食べてしまう。

◆人間社会は性と暴力をコントロールしているか?

 人間の社会に起こる暴力や幼児への虐待は類人猿とは比べものにならないほど多様で複雑な人間関係が原因だが、その多くに性の問題がからんでいることは否定できない。

 子どもの死亡率はどの社会でも1歳までの乳幼児に高く、それから急速に減少するが、思春期に再び上昇する。

 乳児の志望は親の保護体制のほころびが原因だが、青年、特に男の子の死亡には過剰な自己主張が原因と考えられるものが少なくない。そこには性的なトラブルが影響を与えていることが多いのではないか、と考えられる。

 人間の社会はテナガザルやボノボのようには、それをうまく解決できないでいる。なぜなら、人間はテナガザルのようなペア社会も、ボノボのような乱交的な性関係も発達させなかったからだ。

 では人間はなぜ性をめぐる暴力を抑える社会をもつことができなかったのか?
 
◆二足歩行と狩猟~脳増大と肉食

 チンパンジーと人類の祖先が分岐してから、最初に現れた人類独自の特徴は直立二足歩行だった。

 700万年前のサヘラントロプスや600万年前のオローリンはすでに直立して歩いていた。

 240万年前に現れたホモ・ハビルスもその後に現れたホモ・エレクトスも肉食獣が食べ残した死肉を食べていた。彼らの顕著な特徴は肉食である。人間は脳を大きくするために肉食をした。

 チンパンジーは肉食をするといっても年間の食物の5%。熱帯地方の狩猟採集民は全食物の20~30%を肉が占める。極北のイヌイットはほとんどが肉か魚を食べている。

 人類は寒冷乾燥の季節が長い環境へ移住するに従って肉食の度合いを強め、肉食に適した消化管をもつようになった。

 脳は大変カロリーを食う器官だ。重さは体重の2%しかないのに、消費エネルギーは20%に達する。

 肉は果実の2倍以上、葉の10倍以上のカロリーがある。しかも、肉食によって消化管を小さくしたので、消化に費やすエネルギーを減らすことができ、そのエネルギーを脳へ回すことができた。

 なぜ大きな脳が必要だったか?

 いくつかある選択肢の一つで、現生人類ではない種では小さな脳と頑丈な顎をもって、エナメル質の厚い大きな臼歯で根や樹皮をかじって暮らしていた種もあった。

 人類はその道ではなく、脳を肥大化させた。アフリカのサバンナで多くの動物と共存しながら新しいニッチを開拓する過程で大きな脳が必要になったのだろう。

 初期人類の脳が大きくなったのは狩猟をするようになったからではない。40万年前から狩猟に武器を使用したが、武器は人間には向けられなかった。

 人間同士が武器で争うようになったのは1万年前に農耕が始まって以降だ。9000年前の遺跡から戦争に武器を使用した跡が見つかっている。

 長い間、人類は道具を武器として同種の仲間には向けてこなかった。食物を得るための道具、獲物を捕らえるための狩猟具と戦争をするための武器は全く別なのだ。

 ドナ・ハートとロバート・サスマンが「ヒトは食べられて進化した」で書いているように、人類は狩りをすることで進化したのではなく、捕食動物に狩られることによって進化した。

 逆の解釈が長く通じたのはキリスト教由来の「神の恩恵を失い、原罪を負った人間は捕食者としての本能を脳の拡大によって発揮した」という考えに影響されたからだ、と両氏は主張する。

◆家族と不思議な生活史~レヴィ=ストロースの仮説

 直立二足歩行によって自由になった手は食物を運ぶことに使われた。

 人類は食物をめぐる葛藤を優劣関係に回収しない類人猿の社会性を引き継いでいる。

 マントヒヒとは違った方法での共存関係が「インセストの禁止と食における共同」だった。

 家族はその結果として生まれた。家族は一つの独立した集団単位ではなく、インセスト禁止を介して他の家族と密接に繋がっている。

 クロード・レヴィ=ストロースら多くの人類学者が人間家族の条件にインセストタブーを挙げ、最も原初的な規範とみなしている理由はここにある。

 人間は性を家族内に閉じ込めたかわりに、食を公開して共同行為に発展させた。

 ブッシュマンもピグミーもみな、獲物を獲ってきた人間を英雄扱いせず、みんなで平等に食物を分配する。贈与することは相手に心理的負担を生じさせるので、分配はなるべく、無機的に行われる。分配された方はほとんど感謝の念も示さない。

 狩猟採集民の分配は、まず食物を「われわれ」のもとへ集めて、それを平等に分けるという行為。そこでは「所有」という意識を意図的に消そうという努力が見える。

 ボノボ、チンパンジーなど類人猿は分配をせがみ、せがまれ、葛藤する中で分け与える過程で、自分の中の他者と出会う。そして、他者への「共感」を生じる、という。言語によらない規範や自然制度につながる可能性がある。

 しかし、狩猟採集民の「共存のイデオロギー」は食物を介した二者間のコミュニケーションを否定しようとする。

 これは、彼らが人々の関係に及ぼす食物の影響力をよく知っているからだ。

 所有は物に所有者の人格を刻印する。いったん所有された食物は分配を介して食物と共に、いや食物が食べられた後も、与え手の存在を受け手に記憶させ続ける。二者間の特別な関係は共在の場を壊す危険を孕んでいる。

 狩猟採集活動によって食物を現場から引き離し、それを操作することができるようになった人間は、食物を政治的な手段にすることを自らに禁じたのである。

 人類の食生活の顕著な特徴はわざわざ食べ物を仲間のもとへ持ってきて食べるということだ。

 食物の分配が勝手に行われれば社会のルールが壊れるので、どの社会でも食物の分配には細かなルールやエチケットが課せられている。狩猟採集民はその影響を極度に抑えた社会をつくった。

 レヴィ=ストロースはインセストタブーを「集団間で女の交換による互酬性を実現させる制度」ととらえた。

 本来、所有の難しい性の相手を互酬性に基づく交換に用いて、その所有を共同体によって合意し、所有の生じやすい食を徹底的に分かち合うことによって葛藤を抑えたのである。

 それは複数の家族が集まってより大きな共同体を作るうえで不可欠なものだった。

 食を分かち合うことによって強化された結束力は無償で共同体に奉仕する行為を生み、大型の肉食動物が徘徊するサバンナで初期人類が生き抜く大きな原動力となったに違いない。

 人類が言語を持ったのはたかだか数万年前に過ぎない。

 その前の長い時代は、翻訳の必要もない歌や音楽が「われわれ意識」を強化する大きな手段だった。つまり、音楽は「われわれ意識」を強化する大きな手段になる、ということである。子守唄は世界中どこでも同じトーン、ピッチだという指摘もある。

◆戦いの本質とは何か~大量殺戮はなぜ生まれたのか

 共同体とは家族の延長であり、分かち合いの精神によって支えられた「まとまり」である。そのためにはお互いが顔や個性をよく知らないといけない。それが可能な数はだいたい150人が限度とされている。

 成員数の増加は互酬性を維持するための社会的コストを増す。

 戦いの規模や頻度が増したのは、人間が共同体の規模を広げようとしたからだ。

 共同体内部の互酬的な関係を維持するために、土地の拡大や富の蓄積が奨励され、他の共同体との軋轢を生み出した。

 農耕民の集団間暴力によって起こる死亡の発生率は、狩猟採集民の3倍にのぼるという指摘もある。

 なぜ、大量殺戮を辞さないほどの苛烈な戦争が人類に起こるようになったのか?

 それは言語の出現と土地の所有、そして死者につながる新しいアイデンティティーの創出によって可能になった、と私(山極氏)は考えている。

 言語は今、そこにない出来事や空想上の話を伝える機能がある。この機能によって言語はヴァーチャルな共同体を作り出した。

 国家や民族という幻想の共同体が人々の心に宿るようになった。

 1万年前の農耕の出現は人々の土地の利用法を劇的に変え、共同体内外の関係に大きな影響を与えた。

 収穫は労力に見合う報酬であり、仕事を分担しなかった者と平等に分かち合えるものであはない。

 そのため、土地の所有権を個人や集団に帰属させ、そこに投資をして利益を得る権利を明確にする必要がある。

 価値の高い土地を標識で囲って、他人が手を出せないようにした。人々の生活に境界が出現した。

 人々が先祖を崇拝し、家系図を大事にするのは、先祖を引き合いに出して土地の権利を守れるからだ。

 人間の社会では個人のアイデンティティーは親に、そして共同体につながっている。親や自分の属する共同体が犯した過ちを子孫である自分が償おうという気持ちをみると、人類のアイデンティティーの共通の特徴が分かる。

 親の恨み、親族の恨みを晴らすための戦争も起きる。祖先の悲願を達成したい思う心もここに宿る。

 家族を守るために戦ってきた男たちが、同じ精神を持って民族のために戦うことを要求される。

 食の共同と性のルールによって生まれた愛と奉仕の心は、その力が及ばない領域を支配する者たちによってすり替えられ、人々は戦争へと駆り立てられる。

◆他者への許容性を高め、可塑性を高める教育を

 人間の社会性を支えている根源的な特徴とは①育児の共同②食の公開と共食③インセストの禁止④対面コミュニケーション⑤第三者の仲裁⑥言語を用いた会話⑦音楽を通した感情の共有――などなどだ。

 霊長類から受け継ぎ、それを独自の形に発展させたこれらの能力を用いて、人類は分かち合う社会をつくった。それは決して権力者を生み出さない共同体だったはずだ。

 われわれはもう一度この共同体から出発し、上からではなく、下から組み上げる社会を作っていかなければならない。

 人類は狩りや肉食ではなく、共同の育児が教育の道を開いたに違いない。

 教育によって、人間の子どもたちは多様性と可塑性を身につけることができるようになった。それが共同体の境界を乗り越え、複数の共同体を行き来する能力を発達させた。

 人間が日常的に多様な集団に出入りして暮らすことができるのは、他者への許容性を高めるとともに、見知らぬ仲間のいる集団に即座に同化できる可塑性を広げることができたからだ。

 そこにこそ、ボーダレス時代を生き抜く秘訣が隠されていると私(山極氏)は思う。

 以上が本の粗筋である。

 自分の見解も書こうと思ったが、パソコンのキーボードで手が疲れて、これ以上、字を打ち込めなくなったので、今日は書評というよりも、本の内容紹介にとどめておく。

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2007年12月 6日 (木)

優秀な子を育てるフィンランドの教育~朝日新聞記事+関連新書内容

 国際的な学習到達度調査(PISA)の3回目の結果が12月4日、発表された。2000年の初回調査では日本がトップだったのだが、今回は10位にまで落ちた。逆に、初回から上位を確保していたフィンランドは今回、科学的リテラシー(応用力)が1位、数学的リテラシーと読解力が2位。最も順位が低かったのが初回の数学的リテラシーで4位というから、常にハイレベルの学力を保っている。日本の教育界では「フィンランドに学べ」とフィンランド化現象が起きている、と12月6日の朝日新聞朝刊[もっと知りたい]が伝えていた。

 <フィンランドの子なぜ優秀/自分で調べて解く教育方法/「読む」のが基本/歴史の年代出題なし>という見出しである。

競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功 (朝日選書) 競争やめたら学力世界一―フィンランド教育の成功 (朝日選書)

著者:福田 誠治
販売元:朝日新聞社
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 記事に付けられた横組み表によると、フィンランドは面積33.8平方㎞と日本よりっや小さい国土に、人口は528万人と福岡県よりもやや多いレベル。気温は首都ヘルシンキの12月の平均気温で-2.2度(札幌は-1度)。産業は携帯電話機世界最大手のノキアなどハイテク産業が急成長。有名人はシベリウス、ムーミン作者のトーベ・ヤンソン、弐日本の国会議員ツルネン・マルテイ、そしてサンタクロースだそうだ。

 フィンランド政府とともに高齢者福祉のプロジェクトを進める仙台市で市産業振興事業団の小笠原宏晃・プロジェクト推進室長は「教育はすべて無償だから、親の経済力によって勉強できないことがない。そういうこともつながっているんでしょうか。税金は高いですけど」。

 フィンランド在住9年目のヘルシンキ大学の研究員勝井久代さん(32)は「大学に入ってくる年齢も様々で、いろいろな生き方が許されている。それで個人の能力が伸びているようだ」。

 京都市立高倉小は今春、「読解」という新しい授業を始めた。絵地図や新聞記事など教員が選んだ独自教材のほか、フィンランドの国語教科書の翻訳も使う。

 神奈川県鎌倉市立御成中も昨年度から、新聞や理科のグラフから読み取れることを書いてまとめる表現力の指導に力を入れている。吉崎和俊校長は「PISAで、フィンランドの子は書いて間違えているのに、日本の子は書かないで間違ったことに、大きな課題を感じていた」。

 「北欧式」のキャッチコピーを使う家庭教師の派遣業者まで現れた、と。「詰め込み式ではなく、自分で調べて問題を解決する力を育てる教育方法に共感した」。

 東京のフィンランド大使館には「どんな教育制度なのか」「学校を視察したい」の教育関連の問い合わせが月数件ある、と。5月末開設した学習用サイト「プロジェクト・フィンランド」には、12月3日までに10万2千の訪問者(アクセス)があった、とも。

 「競争やめたら学力世界一~フィンランド教育の成功」(朝日選書)の著者、福田誠治・都留文科大教授はこうした現象に「成功しているのは、教師がすべて修士号を取得していて質が高く、同じ学校で長く勤務して責任を持たせているため」と苦言を呈する。真似るだけではだめ、教師の環境を整えることが第一だ、というのだ。

 ところが、当のフィンランドの有力紙ヘルシンギン・サノマットは5日付1面でPISAの結果を報じたが、「調査はアングロサクソン中心主義だ」「競争意識を鼓舞させてしまうのでは」という批判的な談話が、調査結果と同じくらいの面積を占めていた、とある。

 高校2年生の時に1年間留学した体験を「受けてみたフィンランドの教育」(文藝春秋)としてまとめた立教大2年の実川真由さん(19)は言う。宿題はそれほど出ないし、普段それほそ勉強している雰囲気もない。「なんで頭がいいのか」と今も感じる。勉強の質が違うのかもしれない。例えば、「勉強する」という言葉の代わりに「読む」をよく使う。「テスト前だから読まなくしちゃ」。分厚い本を何冊も読むことが要求され、テストではその知識に基づいて、エッセー(小論文)を書かせることが多い、と。暗記しなくてはいけないこともあるが、本を読んでいるうちに覚えてしまうらしい。英単語帳などは存在しないし、歴史の年代がテストに出ることもあり得ない、と。

受けてみたフィンランドの教育 受けてみたフィンランドの教育

著者:実川 真由,実川 元子
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 記事は以上だが、福岡県くらいの人口しかない国にノキアがある理由が少しは分かる。

 やっぱり、暗記教育はいけないのかなあ、と。でも、逆に暗記ではなく、じっくり読ませる、ということはアメリカなどの自己主張させる教育とは違っている、ということでもある。読書は同時代の人間だけでなく、すでに死去した偉人を含めて、先人の知恵を吸収する最も効果的な方法だ。「先生が教えてくれる」ではなく、自分で知識を得る、ということが大切だ、ということなのではないか。

 (追記)2008年8月16日記す。

 今井佐緒里編「ニッポンの評判~世界17カ国最新レポート」(新潮新書、2008年8月20日発行、735円)をパラパラ見ていたら、靴家さちこさんという1974年生まれのフリーライターが「ノキア社員が目撃した『傲慢な日本人』」としてフィンランドの人々が日本をどう見ているかを書いているのが役立った。

 靴家さんはタイで生活後、アメリカに留学し、99年にノキア・ジャパン入社、退社後にケラヴァ在住で永住予定だ、と。

 フィンランド人のノキア社員がノキア・ジャパン社員として日本に来た際に体験したカルチャーショック。個人的な原因もあるが、フィンランド人は玄関の外、社会は外向けの顔をして穏やかに謙虚に過ごす場なのに、日本人は自転車に乗りながら歌を歌うおばさん、独り言を言い続けるおじさん、などどんな人を見てもフィンランドだったら精神病の治療が必要な人に見えた、と。

 靴家さんは、しかし、フィンランド人は日本人の高い職業意識を高く評価している、と書いている。フィンランド人は子どものころから平等教育を受け、自己主張をすることが当たり前になっており、ヘルシンキ中央駅の有料トイレのカウンターのおばちゃんなど、あからさまに態度が悪く、やっすい給料相当の仕事ぶりで十分だろう、という態度を露骨に出して、隠さない人たちが多い、と書いている。「職業に貴賎なし」という心が失せてしまっている、と。

 だから、一面的に見て真似をしてもだめ。実際に行ってみて、じっくりと観察してからでないと、メリット、デメリットが分からない。

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2007年10月31日 (水)

「ファシズム期の日本人が持ったのと類似の矛盾」という大沢真幸氏の分析について

 東京新聞10月31日夕刊文化面[論壇時評]<歴史の新局面に入ったとは言うものの/ファシズム期と類似の矛盾>は社会学者で京都大学大学院教授である大沢真幸氏の論文である。「論座11月号」の小熊英二氏「戦後日本の社会運動―歴史と現在」と「思想10月号」の見田宗介氏「近代の矛盾の『解凍』」、それに単行本ハリー・ハルトゥーニアン「近代による超克」(岩波書店)を取り上げている。

 小熊論文は社会運動、労働運動の変遷をたどりながら日本の戦後史を振り返ったが、大沢氏はここに書かれた戦後のわずか60数年の人の一生にも満たない歴史の中で私たちがいかに多くのことを忘れているか、ということに注目する。現憲法が国会で成立した時、これに賛成したのは保守政党で、共産党は反対、社会党はしぶしぶ賛成という布置だった、と。自民党が改憲指向、革新側が護憲という今日イメージする対立構図の原型ができたのは1955年だったことを小熊論文は再確認し、この年が戦後社会運動史の第一の転換点だったとする、と。

 もう一つの転換点は1970年で、それまでの(既成政党に飽き足らなかった新左翼も含めて)基本的には教科書的マルクス主義、つまり下部構造(経済的な生産関係を変えればその時のみ社会のあり方がトータルに変わる、という考え方)に立脚していた。こういう左翼を小熊は今時のネットで流行している「薄甘いサヨク」と対比して「塩辛い左翼」と呼ぶ、と。塩辛い左翼の理論や感覚・体質に批判的な様々な「新しい社会運動」の端緒が70年代後半に集中している、と。

 「新しい社会運動」は、フェミニズム、少数民族問題、障害者問題、環境問題などのイシュー(論点)を扱い、少人数の有志による民主的な組織によって推進された。それらの運動は、塩辛い左翼の視野に入っていなかった問題を扱った意義を有するが、しかし、トータルな社会構造を分析し理解する理論・理念を持たないので、個別の課題のモグラたたき的な処理に終始せざるを得ない、と。

 現在拡がりつつあるプレカリアート(不安定な労働者)の運動は「新しい社会運動」の延長上にある、というのが小熊氏の見立てだ、と。それは、支持者に低所得者が多いことを別にすれば70、80年代の「新しい社会運動」という名の今では古い運動とあまり変わらない。それは、小さな勝利を地道に重ねる永遠のモグラたたきを続けるしかないだろう、という、少なくとも左翼にとっては、やや悲観的な見通しを持って論考が閉じられる、と。

 以上は大沢氏による小熊論文のダイジェストだ。

 「だが」として、大沢氏は小熊氏とは逆の見解を対比させる。それが見田論文である。

 以下は見田論文を大沢氏がダイジェストした内容だ。

 見田氏はNHK放送文化研究所が1973年以来定期的に行ってきた「日本人の意識」調査をもとに、大胆かつ説得的に人類史・文明史的な展望を導き出した、という。

 見田氏の主張は、社会意識の変化率が次第に小さくなっている=若い世代と古い世代の間の意識や価値観のギャップがどんどん大きくなっており、親子間の対話など成り立たないという通念があるが、調査データが示しているのは全く逆で、社会意識の世代間ギャップは小さくなっているのだ、と。戦争世代と団塊世代の親子に比べて、団塊世代と団塊ジュニアの親子の意識の差はずっと小さい、と。この事実から見田氏は1970年代以降、歴史は減速しつつある、と推論する。

 近代化は人間の歴史の沸騰期であり、この時、社会構造と意識が加速度的に変化した。しかし、見田氏の考えでは、高度成長はこの沸騰期の最終局面にあたり、今や、変化が緩やかな、脱近代の新局面へと、歴史は入ろうとしている。この新局面への移行を最もよく示しているのが「近代家父長制家族」のシステムの解体である、と。

 変化が緩やかになりつつある70年代以降にあって、ほとんど唯一、大きく変化したのは、ジェンダーや家族についての意識であることを調査は示している。このことは、全体として、近代家父長制家族(夫婦の間の性別役割分担を前提にした核家族)が揺らぎ、解体しつつあることを示している、と見田氏は解釈している。

 自由と平等は、近代が生み出した最も重要な理念である。だが、家父長制家族は、男女差別的で、この理念に反する。こうした矛盾が生ずるのは、見田氏によれば、近代社会が、人間の生と社会を、全体として生産主義的に合理化=手段化するものだからである。夫が経済的な生産活動に従事し、妻が銃後で支えるという分担は、生産主義的社会で「戦う家族」としては合理的である。

 しかし、生産主義を要請した近代の沸騰局面が終わりつつあるとしたらどうだろうか。近代社会の原的な理念(自由・平等)と近代社会の原則(生産主義的な合理化=手段化)の間の矛盾が解消されるということである。それゆえ、自由と平等の理念が、実質的に普遍化するための準備が今や整いつつあるはずだ、と見田氏が展望を語っている、と。

 そして、以下が二つの論文を読んでの大沢氏はまた疑問を持つ。

 社会の基本的な構造変化に着眼すれば、今や、普遍的な自由・平等の可能性が潜在しているのに、実際の社会運動のレベルでは、細かく、影響力の小さな勝利しか得られていない、ということである。どうしてこんな乖離が生じるのだろうか? という疑問である。

 その解答は書物の中から探すそうだ。ここで出てくるのが「近代による超克」である。

近代による超克 上―戦間期日本の歴史・文化・共同体 (1) 近代による超克 上―戦間期日本の歴史・文化・共同体 (1)

著者:ハリー・ハルトゥーニアン
販売元:岩波書店
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近代による超克―戦間期日本の歴史・文化・共同体 (下) 近代による超克―戦間期日本の歴史・文化・共同体 (下)

著者:梅森 直之,ハリー・ハルトゥーニアン
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 この書物は、ファシズム期の日本知識人の言説を分析しており、小熊・見田の論考とは全く主題を異にしている。だが、当時の知識人を、「真正な文化・伝統」へのオブセッション(強迫的執着)に導いていった要因についての考察は、われわれの現在を考える上でのヒントを与えてくれる。この浩瀚な書物の主張を思い切って要約してしまえば、知識人をファシズムへと走らせたのは、一種の「ないものねだり」、つまり、資本主義的な成長は欲しいが、それに伴う構造的不均衡や葛藤はいらないという要求である。

 もし、今日の社会が構造レベルですでに孕んでいる可能性(自由・平等の普遍化)と、現実のチマチマとした社会運動の間にギャップがあるのあとしたら、つまり、社会構造が宿している可能性をわれわれが十分に引き出せないのだとしたら、われわれの要求にも、ファシズム期の日本人が持ったのと類似の矛盾があるからではないか。「葛藤のない資本主義」という、ありえないものへの幻想があるからではないか。

 以上が全文である。

 要約して書き写そうとしたのだが、要約ができない文章だった。ということは、まだ大沢論文を理解していないからなのだろうなあ。

 しかし、分かりにくい文章だった。結局、どういうことなのだろう? もう少し説明がほしかったが、ほぼ1ページを使ってこのくらいなのだから、後は引用されている雑誌や単行本を読むしかなさそうだ。

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2007年10月30日 (火)

書評 鎌田慧著「非国民!?―法を撃つ人びと」

 鎌田慧(さとし)著「非国民!?――法を撃つ人びと」(岩波同時代ライブラリー、1990年3月9日第1刷発行、定価750円)を読んだ。
 もともと日本評論社刊「この国の奥深く」(1986年)を改題し加筆したもの、とある。
 家永三郎氏が解説を書いている。
 事件14件についての著者のたんねんで地道なルポルタージュを集めたものとある。
 1983年6月~85年10月号の「法学セミナー」に連載し、その後、単行本出版後の1987年5月号にこの書をめぐって催された座談会特集があって、家永氏らが話している、と。家永氏が解説に書いているが1986年9月29日の毎日新聞書評欄でこの本について「日本国憲法について、いま望みうる最高の教科書である」と評した、という。鎌田氏は1938年生まれ。早稲田大学文学部卒業。業界紙記者などを経てフリーのルポライターになった。
 題名が題名(非国民)なので、水道橋のいつもの古書店の百円均一の山の中に見つけて、つい買ってしまった。
 その時、最近口をきくようになった親爺が「非国民かあ、懐かしい言葉だねえ」とボソッと言っていたので、「また、この言葉が出てくるかも分からないし、嫌な世の中だね」と答えたけど、イラクで人質になった若者たちへの「自己責任」論によるバッシングも考えてみれば<非国民>扱いだったし、北朝鮮の立場に理解を示す学者への眼差しも<非国民>的な眼差しだった。
 最近はどうも日本国民がイライラしてきて、すぐに「非国民」と叫び出しそうで、ハラハラはしないけど、嫌な時代になったなあ、と思うことが多いのだ。
 だから、いつもの店で100円均一の棚で見つけてすぐに買ったんだけど、買ってよかった。
 まず、1970年代と80年代、特に70年代の時代の空気が立ち上ってきた感じがした。
 山口市の中谷康子さんによる「自衛官合祀拒否訴訟」。キリスト教徒で新道を拒否しているのに、殉職した夫を靖国神社に合祀された妻が国を相手取って合祀をやめろ、つまり合祀てつぢきの取り消し手続きをしろ、と訴えた訴訟だ。73年1月22日に訴えた。一審、二審とも山口さんの主張を認め、合祀の憲法違反を明記した。しかし、1988年6月の最高裁判決は国の勝訴となった。
 次は所得税の確定申告書の裏に1000円当たりの税金の使われ方が書いてあり、65円が「国を守るため」に使われている、とあったのに気付き、「戦争準備のために使われる税金は払えない」として「絶対平和・非暴力・無抵抗」をモットーとするメノナイト派の牧師の大野さんが税務署に行って「宗教的信念から、戦争準備のために使われる税金は払えません」と言って納付書を返したことが発端となった「良心的軍事費拒否訴訟」。
 1974年3月の話だ。税務署から帰って朝日新聞の読者欄に投稿したことからキリスト者の集まりで支援の輪が広がり、74年11月に「良心的軍事費拒否の会」を結成、75年3月に会員の11人が各地で軍事費不払いの申告をした。
 税務署は定期預金を差し押さえ、その満期を待って金利から徴収するという方法を取った。
 これに対し80年11月、会員22人が原告となって東京地裁に「軍事費不払い確認訴訟」を起こした。この本が書かれた90年時点で、まだ裁判は続行中だ、と。
 84年度の確定申告書の控え用紙に印刷されていた「国を守るため」の金額は歳出1000円当たり58円だった。82年が52円。83年が56円。85年は60円と予想される、という。
 1985年の防衛費が3兆1371億円と初めて3兆円の大台を超えた。
 前年度に比べ6.9%の増加(90年度は4兆円)、一方、社会保障費は2.7%しか伸びていない。バターを減らし大砲を増やす日本の現実を知ることをできる、と書く。
 1975年の軍事費は1兆3000億円だったから、この10年の間に2.5倍に増えた、と。「防衛予算をGNPの1%以内にする」という原則を1976年11月に三木内閣が閣議決定したが、中曽根康弘首相は「1%枠」を突破させた。そうした時代状況の中、「軍事費不払い確認訴訟」は憲法が侵食されていく危険な雰囲気に敏感になった人たちによる行動だった、と書く。
 次は指紋押捺拒否である。
 1980年11月18日、北九州市小倉に住む牧師の崔昌華(チョエ・チャンホア)さんが指紋押捺を拒否し、83年5月14日に市が外国人登録法違反で告発、83年11月16日に地検が起訴した。
 「78万人の在日外国人の1%の7800人が拒否したら、日本の裁判所はパンク状態になる」「外国人、在日朝鮮人の人権は考慮されていない」と。「外国人登録法の指紋に関する政令」が制定されたのは1955年3月だ、という。
 朝鮮戦争や東西対立、冷戦を理由として、在日朝鮮人政策が厳しくなった時代だったのだろう。
 81年1月9日には長女の善愛(ソンエ)さんが、1月12日には次女の善恵(ソンへ)さんが指紋押捺を拒否した。
 ソンへさんが14歳の誕生日を迎えて、指紋を取られるのを拒否した記者会見はチマ・チョゴリ姿で行われ、「私の友達は誰も指紋を取られていないのに、どうして私だけが取られるの」と訴えた。
 韓国マスコミには「ジャンヌ・ダルク」だとする激励の手紙も寄せられた、という。チョエさんは「関東大震災は続いている。パニックだったから殺したのではない。今でも日常的に殺している。就職差別が根強くある。朝鮮人名では日本では生きられない。それでも、たとえ殺されても韓国人として日本で生きる」と言う。
 18年前の現実だ。今は相当に改善されていると思うが。
 次がどぶろく裁判である。
 どぶろくを「濁酒」でなく、「密造酒」と書いた新聞の影響は大きく、「密造」の悪いイメージが一般化してしまったのだが、東北地方の子どもにとって「濁酒」は日常の身近なものだった、と鎌田氏は書く。
 千葉地裁で行われている「どぶろく裁判」は「酒を作って何が悪い」と主張した前田俊彦さん(74)を被告に1984年5月上旬から始まった訴訟だ、と。
 彼は酒を作ったから罰せられようとしたのではなく、所轄の税務署の許可を得ていないからなのだが、許可は一升瓶で換算して3万3000本もの大量生産をする業者でないと出ない、という。1989年12月に最高裁第1小法廷は「国の重要な財政収入である酒税の徴収を確保するため」に規則は必要だ、として「罰金30万円」の1、2審判決を支持、前田さんの上告を棄却した。
 次も東麦酒造事件。次が税関検閲違憲訴訟。大潟村訴訟。財田川事件再審と元判事の執念、札幌弁護士懲戒事件。
 成田空港代執行事件なんて、題名を見ただけでもしびれるねえ。
 1970年代そのものだ。読んでいると、あの時代の空気を吸っている自分がそのまま甦ってくるようだ。
 渋谷パレス座事件は労働争議。佐世保重工不当労働行為事件は労働組合にも裏切られた異端者のたった一人の戦い。三井三池CO訴訟も企業に妥協する組合の大勢に逆らって訴訟を起こした家族の話。伊方原発訴訟は原発立地の汚さを象徴する話だ。
 これだけ<非国民>を集めると、時代を象徴する本になる。それは主人公たちが決して非国民などではなく、律儀に自分の信念を曲げなかっただけの人たちなのだ。不器用な人たちなのだ。
 この本を読んで分かったこと。
 不器用な生き方をして、時代から取り残されると、日本では「非国民」と言われかねないから、いつも周囲の空気を読みながら、大勢に順応していなければならない。そうしていれば、日本全体が間違えたとしても「赤信号みんなで渡れば怖くない」だから、一人だけ浮き上がることはなく、世間の中で安心して生きられる、ということなのだ。
 鎌田は口先だけの無責任左翼だろうと思っていたので、食わず嫌いで本を読まなかったのだが、これを読んで見方が変わった。言っていることは正しいから。しかし、正しさだけで時代は切り開けないとも思うのだが、こうした生き方の人がいないと日本は滅ぶんだろうなあ。このような直言居士を大切にする社会でありたい。

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2007年10月29日 (月)

書評 戸田忠雄著「学校は誰のものか~学習者主権をめざして」

 戸田忠雄著「学校は誰のものか――学習者主権をめざして」(講談社現代新書、2007年9月20日第1刷発行、定価777円)を読了した。

学校は誰のものか──学習者主権をめざして (講談社現代新書) 学校は誰のものか──学習者主権をめざして (講談社現代新書)

著者:戸田 忠雄
販売元:講談社
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 この前読んだ「学校のモンスター」は父兄の変化を憂える教育者の本だったが、今度は教育への競争原理を入れよ、と主張する現場出身の民間教室代表による本だ。
 有名人らしく政府の審議会や雑誌の座談会にもよく出ている人らしい。
 <1937年神戸市生まれ、東北大学教育学部卒業。長野県の私立、公立学校の教師、公立高校校長、長野予備学校校長などを歴任。退職後は教育アナリストとして活躍。内閣府規制改革・民間開放推進会議専門委員(平成17、18年度)。現在はNPO法人XYサタデースクール代表。内閣府規制改革会議専門委員(教育・研究タスクフォース)。主な著書に「『ダメな教師』の見分け方」(ちくま新書)、「いま、『学校』から子どもを守るために親がで