日記・コラム・つぶやき

2009年10月31日 (土)

言葉の力  (20091031)

言葉の力

 議論を呼んでいたバラク・オバマ米大統領へのノーベル平和賞授賞について、ノーベル賞委員会(ノルウェー)のヤーグラン委員長が「授賞を2、3年後に延ばせば手遅れになる。オバマ氏一人ですべての事ができるわけではない。世界のすべての人が助けなければならない」などと語っていた。朝日新聞10月31日朝刊のインタビュー記事だ。

 「米国大統領を選べば論争になると分かっていた。しかし、オバマ氏は世界の問題の解決に新しい道筋を示した。それを支持したかった」という。核なき平和への希求である。先進各国の人々に共通した願いなのkもしれない。

 アメリカの現職大統領にノーベル平和賞を与えるということ。

 委員会決定に際しての障害はどんなものだったのか、にも触れていた。

 ①いろいろな議論があり、最後は全会一致で決めた。つまり、相当な反対論があった、ということだろう。

 ②アフガン問題は全委員が懸念し「アフガンは米国だけの問題だ」という委員もいたが、アフガンは全世界で解決すべき問題という認識になった、という

 ③現職の米大統領に与えること自体への懸念も出た。だが、論争にならない人にばかり授与すれば賞の価値は減じる。過去、最も賛否が分かれた授賞が最も成功している。ソ連のゴルバチョフ大統領への授与の時は「委員会は狂った」と非難されたが、われわれは正しかった

 ――というような内容である。

 ヤーグラン氏の「『オバマ氏は言葉だけだ』と言う人もいるが、言葉を過小評価してはいけない。言葉は時に危険だが、時に人に希望を与え、その希望が物事を良い方向に変える」という言葉が面白くて、久しぶりにパソコンに書き込んでおこうか、と思ったのだが、なかなか書くべき言葉が見つからない。

 もしかするとオバマ大統領は高い塀の上を歩いていて、失敗して内側に落ちると「あいつは口先だけの政治家だよ」非難され、と軽蔑される政治家だと思う。日本ではもっと露骨に「巧言令色 少なし仁」という言葉で雄弁の徒を斬り捨ててきた。だが、今の時代は「不言実行」ではだめなんだ、あくまで世論政治だから世論にアピールしなけりゃいけないんだ、ということか。

 10月25日の読売新聞[地球を読む]で英国の歴史家、ポール・ケネディ氏が平和賞について「業績より約束を重視したのか」としながら、ノーベル委員会の迷走に焦点を当てているのは、現実主義者の一般的な受け止め方の典型例だと思う。

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2009年8月30日 (日)

投票所は芋洗いだった:お年寄りが黙々と「民主党」と書いているのだろう……09年8月30日午後1時半過ぎ

 投票日の09年8月30日の午後1時過ぎにネットをみたら、読売新聞HPに<投票率21.37%、0.76上昇…午前11時>という記事が出ていた。もう少ししたら正午現在のが出ると思う。

 読売新聞の記事は以下の通り。

 <総務省が発表した午前11時現在の投票率は21.37%で、前回2005年を0.76ポイント上回っている。今回の衆院選に立候補しているのは小選挙区選(定数300)に1139人、全国11ブロックの比例選(同180)に235人(小選挙区との重複立候補者を除く)の計1374人。有権者は小選挙区選と比例選の2票を持ち、小選挙区選は候補者名を、比例選は政党名を書いて投票する。今回は自民、公明両党の連立政権を継続させるのか、民主党を中心とする新政権が誕生するのか、「政権選択」が最大の焦点となる。投票は午後8時までに締め切られ、即日開票される。31日未明には大勢が判明する見通しだ。>

 ネットを見たのは、近くの小学校の投票所に今、行ってきたのだが、人の多さにびっくりしたからだ。

 地域にもよるだろうし、時間帯にもよるのだろうが、私の地区はもともと高齢化が進んでいる都心のエアポケットで、この日も年配者の姿が目立ったなぁ。

 この年配者たちが民主党の候補者の名前を書き、比例区でも民主党の名前を書くのか、と思って70代、80代のお年寄りの顔を眺めた。

 穏やかな顔の年寄りが多い。内心は自民党政府の政策に怒っているのだろうか? 後期高齢者制度を廃止させ、公務員の首を切ってもらおう、と素朴に民主党の政策を信じているのだろうか?

 民主党を信じるのは勝手だし、今回の選挙ではマスメディアが一斉に「政権交代」選挙ということで走り始めており、政策比較というような「理屈」の世界の話ではなくなっている。

 「ええじゃないか」「おかげまいり」の世界が現出しているように思う。小沢さんのおかげで、ええじゃないか、と。

 そういえば、60年安保の時に総評の若手活動家だった伊藤茂氏の描いた絵図面通りにデモが膨らんでいったのに自分ながら驚いた、と眉毛が村山富一氏と並んで立派な伊藤氏が80年代に言っていたことがあったっけなぁ。

 夜の総選挙特番も結論が見えているのか? まだ表に出ていないが、マスコミ各社と政党本部には各社の出口調査の結果が回ってくるから、自民党幹事長室などにいれば、最新の情報に接することができる。まあ、星浩・朝日新聞編集委員が言うように「揺り戻しはない」のだろうし、特番など、見ても見なくても同じなのだろうが。

 さあ、どのチャンネルを見ようかな。今度はそのことで少し悩んでみようか。

 午後4時にネットでチェックしたところ、毎日新聞のHPに次の記事が出ていた。

 <午後2時現在の投票率は35.19%で前回(2005年)に比べて0.25ポイント上回っている。>

 まだまだ投票者は増えそうなのである。

 と思ったら、止まったね、午後4時には。

◆期日前投票が増えた、と読売新聞
 読売新聞は<期日前投票1398万人、前回の1.56倍>の記事をアップしていた。
 <総務省は30日、衆院選の期日前投票者数の最終結果を発表した。公示翌日の19日から29日までに期日前投票した人は1398万4866人で、前回2005年衆院選(896万2847人)に比べ、約1.56倍となり、国政選挙で過去最高を更新した。有権者に占める割合は13.40%と前回を4.70ポイント上回った。>
◆前回より数字が下がった
 <午後4時現在の投票率41.83%/前回下回る>という読売新聞フラッシュ。雨模様になってきたので、動きが止まったのか?本文は次の通り。   
 <衆院選の午後4時現在の投票率は41.83%。前回42.57%を下回る。>
 勢いがなくなっていったのか。

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2009年8月29日 (土)

自民、民主だけ扱って「あす投票」は公選法違反だろう?:老人票目当てのバラマキ策は見苦しい:若者が大切だろう~投票日前日のアラかんの感想

 昔ならば「あす投票」とかいって今朝の新聞でようやく各党同じスペースで読みたくもない記事を羅列し、「これが公選法の精神だ」とか言われて、読者も、そういう面白くもない新聞を拝み読んでいた時期があったと思う。
 どこが分岐点だったのだろう。この「各党平等」はいつの間にか消えてしまった。

 昨日(09年8月28日)夜、テレビ朝日の夜の情報番組を見ていたら、星浩朝日新聞編集委員が出てきて「今度の投票は一票で何度も楽しめる」とか言って、何を言っているのか、と思ったら、候補者を選ぶことができたうえで、政権の形を選べて、日本の総理大臣を選べるのだ、といけしゃあしゃあと喋っていた。

 公選法の規定はそうなったのか? 政党法はいつの間にか自民党と民主党しか政党と認めなくなったのか? 「みんなの党」だって政党じゃないのか? 国民新党は? 社民党は? そして、候補者の数だけで比較すれば共産党だってあるじゃないか、と星氏の話を聞きながら心底驚いた。大丈夫なのか、この男、公選法違反容疑で逮捕されないのか、と一瞬思ったものだ。

 こういう「2大政党」ブームは言うまでもなく1993、94年の選挙制度改革騒ぎの産物である。政界がゴチャゴチャしたのは事実だったが、それをいいことに野心家の学者たちが蠢き始め、小選挙区比例代表並立制を無理やり入れてしまった。

 日本の中選挙区制度という穏健な選挙制度は党派性に中立で、激変を緩和していたのだが、「かったるいじゃないか」「派閥の弊害が大きすぎる」などと難癖をつけられて廃棄されてしまった。

 一種のクーデターだった。

 この変化を促したもの、それが冷戦終結だったことは間違いないだろう。
 首相官邸に赤旗が立つ危険性が、建前だけだったかもしれないが、理論的にも消えてしまったのだ。だから、耐用年数が過ぎていたとはいえ、大事に使ってきた自民党・社会党の「国対政治」のカラクリもばらされてしまい、社会党の存在意義がない、と矮小な評価しかされなくなってしまった。

 あの時代の社会党評価はバイアスがかかり過ぎており、低すぎる。これからまた本格的な学問的追求が行われて、評価の見直しが進むと思う。

 しかし、学者が現実政治にコミットし始めると、こういう中途半端な評価が、ある時点での政治過程で固定されてしまう危険性が出てくる。

 それが小沢8党連立(細川政権)末期から羽田政権に移行する際の「改革」会派届け出騒ぎと社会党の与党離脱、社会党叩き、自社さ連立政権樹立、社会党の解体、社民党のミニ政党化を生んだのだろうと思う。

 明日は知ったかぶりの男どもや厚化粧のおばさん政治評論家が各テレビ局の特設スタジオを占領し、勝手なことを喋りまくるだろう。聞き流す方がいい。

 できれば、テレビなど切って、クラシックCDでも聞いて心静かに月曜日の新聞を待てばいいのだが、気になるのだったら、NHK衛星放送かCNNでも見ればいいんじゃないか。さすがに国際的に通用しない下手な議論は少ないだろうから。

 民主党政権を日本国民が選ぶというのならば、それでもいいさ。

 でもね、選んだらば、きちんと責任を持ってほしい。つまり、少しぐらい自分に都合が悪くても我慢して1年くらいはじっと見守るという姿勢を守ってほしい。

 いかにも「無党派層」って偉そうなんだけど、本当は公選法を改正して、税金を支払ったうえで選挙人登録をした人だけが選挙権がある、とすればいいと思う。そうしないと、いつもは何も考えないアホみたいな奴らだって同じ1票だ、ということで、徹底的な「パンとサーカス」政治が進むからだ。制度改革の際には、18歳選挙権にして、なおかつ、0歳でも選挙権を与える(0~17歳は親が代理投票)という制度も考えるべきだと思う

 私はアラウンド還暦で、あと数カ月で60歳だが、こんな年寄りはどうせすぐに死んでしまうのだからいいんだ。どうしても高齢化社会ということで候補者は票がたくさんある高齢者のほうを向きがちだ。だから「後期高齢者保健制度は廃止します」とか、財源も考えずにバラマキ政策を並べる。

 老人相手のバラマキをしたら、老人は少しはうれしいかもしれないが、老人の中には大金持ちも小金持ちもある。そういう自分で暮らしていける人になぜ大切な税金を「公平」にばら撒くのか? 

 そんな悪平等政策ではなく、若者の意見をもっともっと反映させた政策を遂行すべきなのだ。

 生まれたばかりの赤ちゃんだって、そうだ。

 榊原英資氏のように「国債は1000兆円まで大丈夫。財源は国債だ」とアホなことを言っているが、子孫の世代につけを残すという感覚がない。こういう人が民主党政権の政権アドバイサーになりそうなご時世だから、30年後、40年後の時代に中堅となる赤ちゃんにも代理でいいから選挙権を与えておくべきだ、という極論も真剣に検討すべきだと思う。

 もうジジイは気にしなくてもいいんだ。死ねばいいんだから。今のように若者を大切にしない日本なんて、滅びていくだけだろう。私たちは何年、何十年後に死んでも「子孫たちが元気で生きているのだ」と安心して死にたい。昭和元禄を楽しんだ老人たちは今、子孫が元気に日本列島で生き続けられるような準備をすべきなのではないか。もう、自分の欲望の充足はいい加減にしようよ。

 我慢とか中庸とか、日本語から消えてしまった言葉を思い出そう

 投票日前日の感想。一応書いておく。さて、誰に投票しようか、一日、じっくり考えよう。疲れるなぁ。

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2009年6月29日 (月)

天下の読売新聞に[アラ還]の大見出しが…~読売新聞6月29日朝刊

 読売新聞6月29日朝刊[くらし]面の料理をテーマにした人間ドラマもの[お品書き]は秋元順子さんの<カレイの煮付け>。見出し<アラ還の星 輝きの源>が大きな文字で目に飛び込んできた。

 <大人の恋をテーマにした歌謡曲「愛のままで…」で、61歳にして昨年末の紅白歌合戦に出場を果たした。紅白初出場歌手としては史上最年長。>

 という書き出しで、

 <「愛のままで…」は70万枚を超えるヒットになり、今や「アラ還の星」といわれる。「アラ還」とはアラウンド還暦(60歳前後)の意。>

 と、大見出しの説明がある。「アラ還」も大新聞が大見出しにするくらいに一般的になったようだ。最近、新聞コラムなどでたまに目にすることもある。

 随分前のことだが、朝日新聞夕刊2面(今は紙面改革で2面ではなくなっているが)の[窓 論説委員室から]という小さなコラムで女性記者が[アラ還]を取り上げ、「ネットのグーグルなどでアラ還で検索すると面白いよ」と読者に教えていたのが、大新聞でまともに「アラ還」を取り上げていた最初だったかもしれない。

 まあ、私は自分が60歳直前とあって「アラウンドフォーティー」=「アラフォー」からの連想で「アラ還」として、漢字が入ると面倒だから、「アラかん」という名前にしたのだが、この名前も独占していては申し訳ない感じになってきた。何かの機会にもう少し違った名前にしてみようか。

 読売新聞を見た感想である。

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2009年4月22日 (水)

臓器移植問題と映画「豚を飼う授業」~毎日新聞4月21日夕刊、22日朝刊などから

 毎日新聞4月21日夕刊は1面トップ<臓器移植法改正案/緩和か厳格化か/「脳死」議論再び/衆院小委で参考人質疑>の見出しで論議を紹介した。コピペしておく。

 <議員立法で国会に提出されている三つの臓器移植法改正案について審査する衆院厚生労働委員会の小委員会が21日、開かれた。専門家ら6人が参考人として意見を述べ、質疑に応じた。現在認められていない14歳以下の子どもの心臓移植など脳死移植の増加を求める一方、脳死判定の難しさを指摘する意見や自己決定の尊重を求める立場からの反論が出された。参考人は意見陳述順に▽日本医科大病院の横田裕行副院長▽日本弁護士連合会人権擁護委員会の光石忠敬特別委嘱委員▽国立小児医療研究センターの雨宮浩名誉センター長▽大阪医大の田中英高准教授(小児科学)▽海外で心臓移植を受けた青山茂利さん▽日本宗教連盟の斎藤謙次幹事。それぞれ約15分ずつ意見を述べ、各党の代表者からの質問に答えた。>

 ということで、毎日新聞は22日朝刊でこの発言詳報を掲載していた。

 <改正案は①脳死を一律に人の死とし家族の同意があれば年齢を問わず臓器提供を容認(A案)②提供年齢を現在の15歳以上から12歳以上へ引き下げ(B案)③脳死の定義を厳格化(C案)の3案。>

 脳死とは、

 <脳の全機能が失われ、二度と回復しない状態。臓器移植法は臓器提供をする場合に限り、脳死を「人の死」とする。法的脳死判定基準(対象6歳以上)は①深い昏睡②瞳孔が開いたまま③脳幹反射の消失④平坦脳波⑤自発呼吸の消失――の5項目について6時間以上の間隔で2回判定することを求める。6歳未満は旧厚生省研究班が2回の判定間隔を24時間以上とする基準をまとめている。一方、脳死判定後も1カ月以上心臓が停止しない患者もみられ、判定の難しさを指摘する声が出ている。>

 とあった。この日の意見は、

 <雨宮氏はA案を支持する立場から「(内閣府調査では)6割を超える人が家族の同意で提供していいと考えている。家族の同意だけで臓器を提供できるのがグローバルスタンダード。国際事情で(海外での)小児の提供は極めて困難になる」と述べた。一方、光石氏は「A案は多くのレシピエント(臓器を受ける患者)の利益のために少数のドナー(臓器提供者)の犠牲はやむを得ないという考え方に基づいている。日弁連はC案を支持する」と反論した。田中氏は、脳死判定後も脳波が戻った長期脳死の例を紹介。「判定には限界があることを知ってもらった上で改正議論を進めてほしい」と訴えた。また、「虐待による小児の脳死例が見逃される」と懸念を表明した。斎藤氏は「宗教や文化などを踏まえ総合的に検討すべきだ」と批判した。>

 というものだった。

 毎日新聞22日朝刊掲載の詳報は次の通り。

◇横田裕行・日本医科大病院副院長

 <そもそも脳死判定は、臓器提供とは関係なく、患者を救命できるかどうか診断するための行為だ。現在の判定基準で、不可逆的な全脳機能の停止は判定できる。(脳の活動を判断する)脳血流検査は必須にすべきではない。一方、提供施設の負担は無視できない。人的支援があれば臓器提供に対応できる、という施設が多い。脳死判定から臓器提供まで約45時間もかかり、人手が切迫している現場では、日常診療に支障をきたす。法律が変わり提供が増えるのはいいことだが、今のままでは施設は破綻する。移植への信頼を裏切らない法律を作ってほしい。>

◇光石忠敬・日本弁護士連合会人権擁護委員会特別委嘱委員

 <臓器提供の増加を求める流れは、移植を受ける患者の利益のため臓器提供者を犠牲にしてもよいという考え方に基づく。だが、提供者の尊厳も患者同様に守られなければならない。現行法は自己決定の思想が前提であり、本人意思を不要とするのなら新法を作り直すべきだ。また、子どもの利益につながる親の代諾は認められるが、利益にならない代諾の権利は親も持てない。現行法にない組織、生体移植を盛り込み、自己決定を中心としたC案が一番いい改正案と思う。>

◇雨宮浩・国立小児医療研究センター名誉センター長

 <日本の臓器移植法の基準は極めて厳しい。提供は増えているが、最大で年13例に過ぎない。移植を望む多くの患者が亡くなっている。国際標準である家族による提供意思決定方式を取り入れるべきだ。このため、脳死を一律に人の死とし、家族同意で提供できるA案の施行をお願いしたい。各国も提供者不足が深刻で、今後の渡航移植は困難になると予想される。特に、国内で移植を受けられない小児が、公平に移植を受けられる法改正が必要だ。もし脳死判定を受けたくないと考える場合は断ることができ、それぞれの死生観にのっとった判断をすればいい。>

◇田中英高・大阪医大准教授(小児科学)

 <先週の日本小児科学会倫理委員会で、「脳死判定をしても100%脳機能が戻らないとは断言できない。意見表明ができない子どもの人権が損なわれる恐れがあり、A案には賛成できない」との合意がほぼ得られた。被虐待児のまぎれ込みを防ぐことは非常に難しく、小児の脳死判定には小児科医の7割が「不可能または分からない」と答えている。小児の脳死判定には限界がある。判定後に自発呼吸が戻るなど長期脳死の例もあり、小児科医は「自信を持った判定ができない」との不安を肌で感じている。その事実を広く国民に知ってもらいたい。>

◇米国で心臓移植を受けた青山茂利さん

 <1999年9月、45歳のとき突発性拡張型心筋症を発症し、余命3年と宣告された。自分のために家族を犠牲にできないと思い、渡航せず日本で提供を待つことにした。時間切れになれば潔く死のうと決めた。一方、「だれかの死を待つ」自分に苦しみ、希望がゼロではないことは絶体絶命よりつらかった。生きることをあきらめ、自分の気持ちを保った。ある日、車椅子に座る自分とは違い、米国で移植を受けて自分の足で立っている患者仲間と再会した。彼がまぶしく大きく見え、その夜は一睡もできなかった。渡航移植を決意し、米国で移植を受け、私の闘病生活が終わった。>

◇斎藤謙次・日本宗教連盟幹事

 <脳死移植は、個々人の死生観にかかわる重要な問題。医療現場の状況だけでなく、宗教、文化などを総合して検討すべきだ。社会的合意を得たうえでの改正を願いたい。脳死を人の死としてはならない。脳死では心臓が動き、温かい血液が流れている。日本人は心臓や呼吸が停止し、瞳孔が開くことを人の死として受容してきた。脳死を一律に人の死とする改正案は、将来に禍根を残す。他者の臓器摘出を前提にした医療は緊急避難的であり、普遍的とはいえない。過半数で決するのでなく、社会的合意ができるまで検討を重ねるよう求める。>

 難しい問題で、その後の動きもあるが、なかなか日本人がほぼ納得できるというような案ができる見通しはないのではないか。

◆映画「豚を飼う授業」

 思い出したのは当時、議論を呼んだ映画のことだった。

 桑畑四十郎という方がご自分のブログで、この映画を紹介しているので、彼の昨年11月23日のブログをコピペする。

http://ameblo.jp/kuwabatake/entry-10168904732.html

 <大阪の小学校での “豚を飼う授業” のお話。実話であるという点をしっかりふまえてご覧下さい。監督は、前田哲。原案(つまり、当事者の先生)は、黒田恭史。著書 「豚のPちゃんと32人の小学生」 があり、1993年にフジテレビの 「今夜は好奇心」 で放送されて、賛否両論を巻き起こしたそうです。出演は、妻夫木聡、甘利はるな、大杉漣、原田美枝子、田畑智子、戸田菜穂、ピエール瀧、その他たくさんの子供たち、豚。>

 というような紹介から始まって、

 <思ったより健全な映画に仕上がりました。“青少年映画審議会推薦” “日本PTA全国協議会特別推薦” “文部科学省選定” などというすごい肩書きがついているので 、家族揃って見ても大丈夫です。…俺的にはちょっと不満が残りますが。>

 と、この映画が文部科学省も認定した「良い子路線」であることを教えてくれる。そして、映画紹介だ。

 <6年生の担任を受け持つことになった新任教師・妻夫木先生は、いきなり教室に子ブタを持って登場。『…このブタをみんなで育てて、最後は食べようと思います。』 生徒たちは困惑するも、かわいいブタに魅せられ、一生懸命に世話をするようになる。食肉のつもりだったブタが、クラスのペットになってしまい…。>

 <本作は、食育という面と、人間と動物の関わり合いという面、ひいては人同士のつながりにまで波紋を広げていく。いやはや、ブタ一匹でここまでの騒動になるとは。Pちゃんもすごいプレッシャーですねえ。こんなに有名なブタも珍しいんじゃないでしょうか。まさに伝説のブタ。ブタだけに、“豚(トン)デモな授業” といったところですね。>

 <人生においては、答えのないことが実に多い。優等生は、答えを覚えておけば点は取れるが、社会に出るとそれだけではうまくいかない。相手や環境が変われば、それまでの常識はいとも簡単に覆される。そこで大事なのが、“考える力” なんです。あらゆる状況において、自分の頭で考えて、自分で行動を決めていく能力を磨く。それこそが、勉強する理由であると俺は思うんです。そしてそれは最終的に、自分の人生を生き抜いていく力になる。>

 <自分が小学生だった頃を考えても、彼らと同じ視点にはなれない。時代も環境も違うから。情報の洪水のような今の世の中において、正しい基準なんてもうないのかもしれない。誰かが何かを言えば、賛同する人も批判する人もいる。だけど、大切なのは志。黒田先生はいい授業をしたと思います。そしてそこにいた生徒達も、いい授業を受けたことを誇りに思って欲しいと思う。少なくとも、食べ物に感謝できる大人になっていることは間違いない。>

 <今どきの子供、今どきの大人。俺自身も、社会性に乏しい落ちこぼれのトンデモブロガーですが、みんなひっくるめて考えれば、いい悪いに差異はあまりないと思うんです。子供は決して純粋無垢じゃないし、大人も悪い人ばかりじゃない。子供が立派とか、先生が変だとかじゃなくて、この先生と生徒という “組み合わせ” が良かったんだと俺は思うんです。>

 <教える側と、学ぶ側。双方がしっかりしていれば、教材がトンデモであっても授業は成り立つ。逆に、トンデモな授業だからこそ面白いのだ。ここでしか学ぶことができない、貴重な時間を大切にして下さい。子供たちよ、しっかりがんばって、楽しく学んで下さい。>

 と論を展開されていた。

 私は最近、DVDを借りてきて観たのだが、見ていてイライラした。何という先生なのだ。先生としての自覚もないし、勝手なことをして学校全体に迷惑をかけて、と。しかし、観ているうちに気付いたのは、この映画はそのように観客をイライラさせたい映画だったのではないか、ということだった。

 桑畑四十郎さんが言うように、人生に簡単に◎×で決められることがらは多くない。その中で小異を捨てて大同についたり、迷ったりしながら人生を歩んでいくのだが、少なくとも「他人様に迷惑をかけてはいけない」とかの「道徳」は私の世代は親や学校の先生から叩き込まれていた。今はどうも違うようなのだ。どっちがいいのか、一概には言えないのだろうが、「道徳」を叩き込まれた世代からすると、電車を待つホームで列を作らずに割り込んで平気な若者や、肩がぶつかっても謝らない若者にイラつくこともある。

 この映画は映画でイライラさせることで、現実社会でのそんなイライラを鎮める効果を持っているのかもしれない。

 そして、本題である。

 この映画で豚を北朝鮮、卒業するから学校のどこかのクラスに譲って当然という児童たちを「飢え死にする人が可哀想だから援助しよう」といって、核開発を進める現状には黙ってしまう進歩的文化人、約束したのだから豚を殺して食べよう、という苦渋の決断をする児童は対北朝鮮強硬派なのか、と思ってみたりもした。別に北朝鮮の方々を愚弄する意味で例えたわけではないことを注記しておく。金正日総書記の独裁政治で人々は何も知らされていないのだから、余計に始末に悪いのだ。

 そして、脳死についてもこの児童の意見対立と同じだと思うのだ。

 どこに自分の立ち位置があるか、で言うことが違ってくる。

 欧米は一応、キリスト教文化圏としてのコンセンサスで「死」を見ていくだろうが、日本の八百万の神のいる列島ではどうなのだろうか、と。

 今の世の中で「モンスターペアレント」ではないが、勝手な人々が「何が悪いのか」と居直っているのを見ると、飼うときには「可愛いから」と飼い始め、卒業間じかになると「仲間だから殺すのは可哀想」と言う児童たちの精神構造、行動様式と同じであることに気付く。

 その精神をどのようにして「責任ある人間」にまでブラッシュアップするか、が問題だと思う。安倍晋三元首相の推進しようとした右傾教育路線だけでその目的が達成されるとは思わないが、そのブラッシュアップが終わらないと、脳死論議も勝手なことを言い合うだけで、哲学や宗教の深みに到達できないまま小手先の案でまとまる危険があると思うのだ。

 河野太郎氏のように、ブログを読むと訳の分からないことばかり書いてあり、勝手な論理満載。そのうえ、いつまでも日本人は自虐していろ、と言わんばかりの論理。日本人とも思えないような方なのだが、国会議員となっており、親子そろって一定の影響力を持っていることを考えると、この問題は一筋縄ではいかないだろう、とも思っている。

 功利主義と「あるべき」論と死生観と哲学。ベンサムとヘーゲルとカント。

 もっと勉強しないと分からないことが多いのだ、この世の中は。

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2009年2月18日 (水)

面白きこともなき世を面白く:高杉晋作=榊原英資=近藤勝重~毎日新聞2月18日夕刊から

 毎日新聞2月18日夕刊特集ワイド面に近藤勝重・専門編集委員の連載コラム[しあわせのトンボ]が載っていた。今回のテーマは<生き方再発見の時代>。読むとはなしに見ていたら、

 <先夜、MBSラジオの「ニュースレーダー」に旧大蔵省時代「ミスター円」で鳴らした早大教授、榊原英資氏が出演して、持論の円高国益論を語ったあと、こう続けた。

 円高は物が安く買えますから、庶民にはプラスなんです。食材を安く買って来て自分で料理するんですよ」

 自分で料理すれば節約もでき、達成感もあるわけで、ぼくは大いに共感した。

 氏は近著「榊原式スピード思考力」の中で今日の不透明な時代にふれて、<見方によってはチャレンジングな時代であるともいえます>と高杉晋作の有名な辞世の句「面白きこともなき世を面白く」を引いておられた。>

 という文章に目が行った。

 へぇー、知らなかった。榊原氏がラジオに出演していたんだぁ、と思って、その内容に私も共感した。

 ルービン元米財務長官の「強いドルは米国の国益」という意味での「円高国益論」とは違うと思うが、円高という現象、日本の国力の強さをある程度反映していることは間違いない。

 円キャリートレードに代表されるように、政府・日銀が政策として円安に誘導して弱い円が世界にばらまかれた。一時的には日本の輸出産業にプラスだったのだが、ツケは思ったより早く回ってきた。円キャリで世界にばら撒かれた円が世界の過剰流動性を作り出していたのだ。

 米住宅バブルの崩壊が世界金融危機にまで発展した理由は金融工学の異常な発達だけでなく、安い円=過剰流動性の創出が大きな原因だった、とは浜矩子氏もベストセラーの岩波新書で述べておられる通りだ。

 イタリアの通貨が円のようにリラ高になることはありえない。円は様々な政策手法の結果とはいっても、国際的な評価の元で円高になっている。だから、この円高を楽しもうよ、というのが榊原氏の提案なのだろう。

 ただ、そうは言っても「じゃあ日本は何で食っていけばいいのか」という強烈な反論が来る。そこで、榊原氏は近著の「メルトダウン」で農業の抜本改革を提案しているわけだ。

 コラムに戻ろう。

 <何かを得れば何かを失う。逆に何かを失えば何かを得る。得失は表裏一体、それは道理と言うべきで、世の中も大きくは得つつ失い、失いつつ得るということを繰り返しているのだろう。そうだとすると、考えようである。>

 この辺が近藤おじさんのコラムの真骨頂である。

 <目下の時代を、ただただ失う時代ととらえ絶望視する向きもあるようだが、人間としてのたしなみとか節度を再び得て、あるいは自然への謙虚さといった次代につながる価値を手に入れ、そこに新たな幸せが感じられるのなら、ことさら悲嘆にくれることもないのではなかろうか。>

 として、山歩きが趣味の夫婦の話を紹介し、

 <ヒルティの「幸福論」は、主としてキリスト教的倫理観を背景に仕事の価値が論じられている。ユングの「幸福の5条件」も、その一つに「朝起きた時、その日にやるべき仕事があること」とある。労働をおいては幸福感も乏しいだろう。そこに今日の雇用問題の深刻さもあるわけだが、一方で時代は働くとは?と再考をうながしているかもしれない。いずれ農林業など大地での労働は若い世代にも見直されるのではなかろうか。>

 と、近藤氏も農業に目を向ける。

 <いかに生きるか。おそらく今はめいめいが社会との関係を見つめ直し、自分にふさわしい生き方を再発見すべき時代であろう。面白くもない世に面白さを見つけ、またそのように見方を切り替えることができれば、大丈夫、何とかなるさと顔を上げて生きられそうに思えるのだが、どうだろうか。>

 大賛成だ。経済がシュリンクしたって、ある程度は当然という面もある。人口が減っているのだから、国のGDPは落ちるだろう。つまりマイナス成長である。でも、1人当たりGDPがそんなに落ちなければいいわけで、物差しを国のGDPだけに固定するものの見方が古くなっている、と思う。

 総幸福指数を基準にしろ、とは言わないが、いずれにしろ、現代経済学の限界論をもっと深めて、政府統計も徐々に変えていく時代になったのだ、と思う。

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2008年11月16日 (日)

小室哲哉とカラオケ+安室奈美恵+山口百恵+太田裕美+手塚理美~新聞記事から

 小室哲哉氏の逮捕をはじめとした事件については書く気はなかった。今でも事件そのものをメモしておこうとは思わない。新聞を読んでも分からない部分が多すぎて、もう少し裏の面が分からないと、今の段階で書いておいても仕方ない、と今でも思っているからだ。でも、事件ではなく、小室の楽曲がなぜ流行したか、の音楽論が最近、新聞の文化面、娯楽面などに載るようになったので、小室氏の音楽について、少しメモしておこう。

 そんなことを思ったのは11月16日のスポニチ社会面連載[明るい明日を]で美輪明宏さんが<真理をバカにする者は滅びる>のタイトルで、小室哲哉氏の音楽を語っていたのを読んだからだ。「そうかぁ、美輪さんも歌手だったなぁ、美輪さんが言うのならば、やっぱり音楽評論家たちがいろいろと言っていることは本当なんだろう」と思ったのだ。

 美輪さんの若い頃の「ヨイトマケの歌」は力があった。うまかった。マイクなどなくても、劇場中に響き渡った。あの丸山明宏がこんな占い師になるとは当時想像もできなったが、今でも美輪氏をテレビで見ても嫌悪感はない。スカルノ夫人とか、安岡正篤の戸籍が入っていない後妻とか、化け物のような女がテレビを席巻しているが、美輪さんの場合、レベルが違う、という感じがしているのだ。

 美輪さんは小室容疑者の逮捕を「一つの音楽バブルが弾けたことの象徴」という。何がバブルだったのか? 美輪さんは小室容疑者がキーの高い歌を作ったのは商売上手だからだ、とも言う。どこが商売上手なのか?

 美輪さんは、

 <高い声がもてはやされるのは井上陽水やクリスタルキング、オフコースからでした。それが80年代のカラオケブームに乗って量産されるようになりました。カラオケで高いキーの曲を歌うと周りから「あの人はすごく高い声が出る」と尊敬されるのです。小室容疑者が作った曲はカラオケボックスで歌って踊って騒ぐためのものだったのです。>

 と、カラオケボックスの流行と小室サウンドとの関係について重要な指摘をする。そのうえで、

 <本来、高い声というのは不快音になりかねません。クラシックのソプラノのように発声が豊かできちんとしていれば良いのですが、そうでなければトタン屋根をガラスでひっかいている音のように感じます。歌っている本人は金切り声を上げて気持ちいいでしょうが聞かされる方は他人が吐き出す毒を耳に入れるわけですからたまりません。>

 トタン屋根をガラスでひっかく、という表現はユニークだが、どんな音がするのだろう? ガラスといえば、ガラス板を十円玉でひっかく音は想像するだけで気持ちが悪くなるが…。

 <もともと日本の歌謡界もビング・クロスビーやジョニー・ハートマンのように低音が良いとされていました。フランク永井さんの歌がヒットしたのは低音の魅力があったからです。森進一や青江三奈さんのようなハスキーな声がはやった時代もありましたが、石原裕次郎さんにしてもフォークソングにしてもニューミュージックにしてもみんな普通の声で快いメロディを歌っていました。小室容疑者の楽曲のブームが去り、最近になって秋川雅史の「千の風になって」がヒットしたのは高い声でギャーギャー叫ぶ文化を正統派に軌道修正しようという動きだったのです。>

 小室音楽に関する部分は以上である。あとはホリエモン、村上ファンド、亀田兄弟など、話は飛んでいく。音楽の話ではないが、小室容疑者の生き方については、以下のような「ご託宣」が下されている。

 <小室容疑者も同じですが、彼らに共通しているのは日本人独特の奥ゆかしさ、謙虚さ、たしなみ、程の良さといったものが欠如していることです。「金さえもうかればいい。奥ゆかしさなんて古い」ということでしょうが、人間が生きていくことに古いも新しいもありません。いくら今新しいといっても明日にはもう古くなるのです。真理というのは動かないものなのです。それをバカにする連中は必ず滅びます。>

 美輪明宏氏の言葉を読んで、小林秀雄の、芥川龍之介の皮相さを強烈に皮肉った「歴史と文学」(1941年4月)の次の言葉を思い出した。

 <日本の歴史が、自分の鑑とならぬような日本人に、どうして新しい創造があり得ましょうか。>

 「歴史と文学」には滋味深い言葉が多い。

 「歴史は決して繰り返さない。だからぼくらは過去を惜しむ」

 「『史観』は手段、道具に過ぎないのに、それを信じる人がいる」

 「史的唯物論などの近代合理主義史観は『人間がいなければ歴史はない』という大切なことを忘れている」

 「歴史事実とはかつて在っただけでは足りず、今もなおその出来事が在ることが感じられなければ仕方ない」

 「歴史は繰り返してくれれば、というはかない望みが『歴史の発展』という考え方を生んだ」

 「歴史の弁証法的発展という目笊で歴史の大海をしゃくって万人が等しく承認する厳然たる歴史事実というだぼはぜを得る」

 「現代の文学は心理とか性格だとかいう近代頭脳の発明にかかる幻の驚くべき氾濫と陳列とにより、人間の運命というものが、覆い隠されている」

 などである。これは小林の表現そのままの表現ではないが。ここは小林秀雄を論じる場ではないから、これ以上は触れないが、美輪の文章の中に小林と同じ魂を見る人もいるのではないか、と思う。でも、それもここのテーマではない。ここでは小室哲哉氏の音楽とカラオケの発展と流行歌の変遷を見てみたいのだ。

 「高音」というのが一つのキーワードだろう。

◆カラオケ用、芸術家じゃない~読売新聞解説面から

 この問題は11月5日読売新聞朝刊解説面に文化部の西田浩記者が<小室哲哉サウンド/カラオケ曲でヒット/音楽「大量消費時代」を体現>の見出しでうまくまとめていた。

 小室哲哉氏は作詞、作曲、編曲、歌手のプロデュースまで手掛け、90年代の音楽界に旋風を巻き起こしたが、当時、バブル経済は崩壊し、不況の真っ只中だが、CD市場は98年まで右肩上がりの成長が続いていた。その原動力となったのが10~20歳代の若者層に広がったカラオケ・ブームだった、という。

 カラオケで歌う曲を求め、熱心な音楽ファン以外もCDを購入。「歌いやすく上手に聞こえる」がヒットの重要な要素になり、業界でも「作り手が送り出したい音楽」よりも「聴き手が求める音楽」を制作するため、マーケッティング的な手法を導入。音楽市場の好況を背景に巨額の宣伝費を投入して次々と新人を売り出した。

 そうした時流を巧みにとらえたのが小室氏だった、という。西田氏が2001年に小室氏にインタビューした際に「僕は創作衝動だけでものを作る芸術家じゃない。受け手の反応は必ず計算する。最新の制作技術や音楽スタイルと大衆の仲人みたいな存在」と答えた、という。

 親しみやすい旋律に、シンセサイザーを軸とした華やかな音作り。ダンスビートを大胆に導入し、ダンスに興味を持つ層も取り込んだ。多くの亜流も生まれた。

 安室奈美恵さんやglobeをはじめとするJ-ポップの中国、台湾などアジア市場への進出にも貢献した、という。

 ここで音程の高い話が出てくる。

 <音楽評論家の富沢一誠さんは「彼の楽曲は全体に音程が高めで、歌うと高音を心地良く響かせられるように計算されている。育てた歌手は、自分の色に染められるアイドル的な存在が大半。逆に、確固たる表現スタイルを持ったアーティストの長所を引き出すすべは持ち合わせなかった。それが彼の限界だった」と指摘する。>

 そういうことなのだろう。西田記者は、

 <小室流が巷にあふれた分、反動で飽きられる宿命にあったと言えるだろう。勢いに陰りが見えた90年代末、代わって大きな人気を集めるようになったのが、曲作りも手掛ける宇多田ヒカルさんや椎名林檎さんら個性的なキャラクターだった。似通った作りの音楽が売れる時代は終わりを告げ、好みはより多様化していった。>

 と、音楽の好みの多様化現象を小室氏凋落の主な原因と結論づけていた。次の指摘も面白い。

 <98年をピークにCD市場もマイナスが続き、昨年の音楽ソフト生産額は全盛期の約6割にまで落ち込んだ。かつて、「カラオケで歌うため」「流行に遅れないため」といった動機でCDを買っていた、ファン以外の消費者が離れていった。「小室サウンド」のヒットを支えた大量宣伝の手法も難しくなった。>

 時代の流れだ、と単純にいう時に、これだけのデータが裏にある。大量宣伝の手法が難しくなったことについては、詳しい分析はなかった。

 音楽の大量消費時代が終わった時に、サザンオールスターズのようなカリスマ性に乏しい小室氏はファンの心をつなぎとめておくことができなかった、というのだ。

 安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATED?」(97年)は230万枚。globeの「DEPARTURES](96年)が229万枚、篠原涼子「恋しさと せつなさと 心強さと」(94年)が202万枚…など、当時は爆発的な売れ行きだった。今や夢幻、荒城の月である。

◆東京新聞[こちら特報部]の見方も同じだった

 東京新聞11月5日朝刊[こちら特報部]も小室容疑者を特集した。なぜ時代に愛され、時代に捨てられたのか? という疑問を解こう、という試みである。高音域に特徴がある小室サウンドは「TKサウンド」と呼ばれて、カラオケでもてはやされた、ともあった。

 この中では音楽評論家の反畑誠一さんの言葉が面白い。

 <「1990年代後半、速いテンポのダンスミュージックに乗せたギリギリの高音域の女性ボーカル―という新しいエンターテインメントで頂点に上り詰めた。東アジアにJ-POPがファッションとして広まるのに連動し、台湾、香港、中国にまで小室サウンドも広まった。(ところが21世紀に)ダンスミュージックと入れ替わりにR&Bがブームになっていった。でも彼は、より刺激的な音楽を創り出そうとし、2001年ごろから次は『トランス』(音楽ジャンルの一つ)がストライクゾーンだと言っていたが、そうではなかった。そのへんから”選球眼”が鈍るというか、大衆との間のズレが出てきたような気がする」>

◆毎日新聞夕刊は随分と情緒的な分析だった

 11月13日毎日新聞夕刊[特集ワイド]<「Jポップ」全盛期築いた小室哲哉の音楽/「90年愛」終幕の偶像>は小室氏の略歴を入れながら、小室氏の音楽を探った。

 音楽評論家の反畑誠一氏は「日本の音楽産業の盛り上がりと小室ブームは同じラインを描いている」と話している。「Jポップとは何か―巨大化する音楽産業」(岩波新書)の著者でジャーナリストの烏賀陽弘道氏は「リスナーの性別や年齢、居住圏をはっきり想定してから曲をつくっていたから売れた。(ターゲットは若い女性だが)聞く人が求めているものを曲に取り込んでいた。86年に渡辺美里さんに提供した『My Revolution』からその傾向は始まった。この曲は一人でも夢を追いかけようと呼びかける歌詞に軽快なテンポが合う。この年に男女雇用機会均等法が施行されたのも偶然ではない。男と対等の働き手として職場に送り込まれた女性への応援歌になっていた。90年代半ば、小室氏の視線の先には女子高校生がいた。コギャルという新語が流行った。小室さんやレコード会社は高校生たちがどんな歌詞にぐっとくるか、どのような衣装が人気かをきちんと調べていた。そういうマーケティングを曲作りに生かした」と話している。

 東京・原宿の女子高生中心のマーケティングリサーチ会社は89年創業で現在も1000人を超すモニターをネットワークしているが、ある取締役は「安室さんやtrfなど、小室さんがプロデュースした曲を視聴させたり、音楽ビデオを見せてアンケートを取っていました。今も、彼女たちの口コミは、はやり物への強い影響力がある」と話している。

 国内の音楽ソフト生産が最高になった98年、小室氏はアジア進出を目指して香港に総合音楽プロダクションを設立し、活動はピークを迎えたかに見えたが、この年、香港のベンチャー市場で株価が暴落し、巨額の負債を抱えた。烏賀陽さんは「そもそもアジアに進出するメリットはない」と言い切る。日本はアメリカに次ぐ世界第2の規模の音楽市場を持つが、中国、香港、台湾はそれぞれ日本の50分の1程度の規模しかないからだ、という。

 「少子化で小室さんのファン層だった若者人口が減った。といって、団塊の世代向けの曲は今更作れない。日本の購買層が少なくなり、海外に市場を探さざるを得なかったのかと思う」

 というのは反畑さんおコメントか。反畑さんは98年にデビューした宇多田ヒカルさんの影響が大きい、という。当時15歳、女子高校生世代で、宇多田さんの存在感は際立っていた、といい「宇多田さんの曲は若い女性の生活感にあふれた詞と自然に近い音でつくられていた。彼女のリズムアンドブルースが、デジタル音でできた小室さんのダンスミュージックに取って代わった。聞き手が刺激よりも安らぎを求め始めていたことに小室さんは気付かなかったのかもしれない」。

 最後に坂巻記者は、次のように総括していた。

 <テレビよりネットの時代。趣味の多様化、楽曲のダウンロードなどもあり、98年以降のCDなどの音楽ソフトの売り上げは減少傾向だ。その下降線は小室プロデューサーの衰退と重なる。90年代という時代をつかんだ男はいま、「音楽で再起したい」と話しているという。>

 結構説得力のある書き方だ、と思った。

◆安室奈美恵(31)は鮮やかに復活してきたのだが…

 朝日新聞10月30日夕刊芸能面<アムロ30代も刺激的/歌、衣装…自己像操り七変化>は97年頃、小室サウンドでヒットを連発した安室奈美恵が31歳になって小室哲哉プロデュース時代とは異なる音楽性・ビジュアルを打ち出し、2度目のピークを迎えようとしている、という内容だ。

 3月には3曲入りCD「60s70s80s」で9年ぶりにシングルチャート1位獲得だそうだ。7月発売のアルバム「ベスト・フィクション」は10年ぶりに100万枚突破だ、と。だから、安室奈美恵は10代、20代、30代と三つの年代でミリオンヒットを飛ばした日本初の歌手だそうだ。

 ここでは音楽評論家の萩原祐子さんの言葉が出てくる。引用する。

 <表現力がダントツ。痛みを知っているから優しくなれるとか、そんな生ぬるいものを超えている。90年代には小室哲哉やつんくなど旬のプロデューサーが仕掛けさえすればヒットするという幻想があったが、2001年に小室の手を離れたのを境に彼女はセルフプロデュースに能力を発揮し始めた。制作集団の見事な編成に、彼女のその時々の主張を感じる。03年のユニット「スイート・シーク」ではヒップホップのジブラやm-floのバーバルとも、いい化学反応が生まれた。詞も大部分はプロに任せている。自分で作詞しなければアーティストではないという呪縛にとらわれていないのも強み。>

 作家の柴崎友香さん(35)のカラオケで消費されることを拒むようなダンス音楽への挑戦にも潔さを感じる、というコメントは、同じダンス音楽でも小室哲也氏の目指すものとは逆のサウンドを目指している安室奈美恵の強さを感じさせる。

 記事を書いた藤崎昭子記者の、

 <「聖子ちゃん」の残像を求めるファンに応え続ける松田聖子も偉大だが、ときにムチを構えてファンのイメージを裏切り続けるところに、女子がほれる「安室ちゃん」の真価があるのかもしれない。>

 という言葉を読み、安室ファンなんだ、と納得いた。

 歌は世につれ、である。私のような団塊の世代にとっては実は小室哲哉サウンドは自分の青春時代とは無縁な音楽である。

 グループサウンズや山口百恵、せいぜいキャンディーズが同時代に少し引っかかっているかなあ、という程度の古い人間だから、こういう記事も自分の感性ではなく、平成音楽史の一幕として読んでしまいがちだが、実際にはこのサウンドを自分の人生に重ね合わせて生きている人間がたくさんいることを想像できなければ、こうした記事は無用の長物になってしまう。

◆山口百恵「横須賀ストーリー」の原点

 でも、やはり、私がシンクロできる記事と言えば東京新聞9月28日朝刊[東京歌物語 横須賀ストーリー]<スターの原点にじませ>など、自分の青春時代が甦る記事である。

 1972年12月、日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」に応募し、翌年5月に「としごろ」でデビュー、わずか7年半後の80年11月に俳優の三浦友和さんと結婚して引退した山口百恵と「横須賀ストーリー」の作詞者、阿木耀子の物語である。

 1976年6月発売で、オリコン1位を獲得、百恵の最大ヒット曲になった。

 記事には阿木氏の「年齢も違う百恵さんと唯一の共通項は横須賀だと思って、横須賀をテーマにタイトルから入ったんです」、「あのリンとした姿勢。百恵さんは時代が生んだ人だと思う。一作ごとに目を見張るほど歌が進化していき、大輪の花が開いていく過程は見事でした」という話が載っていた。

 記事は、

 <百恵引退から、すでに28年の月日がたつ。かつて、百恵が住んでいた三浦半島の丘の頂に立つ団地は今もある。周辺は歌詞にもある急な坂道が多く、宅地開発が急速に進んで一戸建てやマンションが目立つ。埋め立て地の平成町ができるまでは、丘の上からも遠くに海が見えた。>

 と百恵にちなんだ今の横須賀の変化を書き記す。

 今、横須賀市議で、当時は社会科の教師だった男性の「百恵さんはまじめで何事にも熱心な生徒さんでした」という言葉。また、同級生で市議の「端正できれいな顔立ちでしたが、歌手になると聞いた時はびっくり」という思い出話も、当時は百恵さんの心の琴線にまで触れることができなかった「周囲の人々」の見方を代表した言葉に過ぎない。

 記事の結びは、

 <すべての原点がこの街にあり、彼女が描く”横須賀ストーリー”の結末は「平凡で幸せな家庭」だったのだろう。四十九歳。長男は社会人、次男は大学生と二人の子供にも恵まれ、いまはキルト作家としても活躍している。>

 だった。お幸せに、である。

 東京新聞のこのページが好きなのは、[あの時代]として、その歌が流行した年の出来事をメモでまとめているところだ。ちなみに、この記事では1976年の出来事を次のようにまとめていた。

 <1月に周恩来・中国首相死去。鹿児島市立病院で五つ子誕生。2月にロッキード事件が発覚。その年「黒いピーナツ」「灰色高官」が流行語に。9月に毛沢東・中国国家主席死去。暮れには三木内閣総辞職、福田内閣成立。司馬遼太郎の「翔ぶが如く」がベストセラーに。映画「JAWS(ジョーズ)」が日本上陸し、大ヒットを記録した。>

 こうした簡単なメモは記憶をたどるよすがになる。

◆53歳になった太田裕美さんが輝いているわけ

 産経新聞9月30日[人、瞬間~あの曲]は太田裕美さん(53)の「木綿のハンカチーフ」を取り上げていた。1976年に大ヒットした、あの歌である。

 小学校3年からピアノ、中学・高校ではクラシック音楽を学び、自身もアルバムの作詞作曲に参加する太田は「木綿のハンカチーフ」が売れて、アイドル扱いされると、葛藤に悩んだ、という。

 常に新しい歌を作り、これこそ今の自分の歌だ、と思うのに、どこに行っても「木綿のハンカチーフを歌って」と言われるのに耐えられなかった、というのだ。それも、出産で歌手活動を抑えた時期を過ぎてライブを本格的に再開すると、吹っ切れた、という。

 「かつて自分が歌った自分の曲を愛着を持って聞いてくれる人がこんなにいるんだって身にしみるんです」という言葉に太田の成長があらわれている。「自分が歌手をしている限りは、持ち歌は自分の子供と一緒です。責任を持って歌わないと。歌を愛してくれた人に恩返ししないと。もう歌わないなんて、言っちゃいけないんですね」と。1974年の「雨だれ」がデビュー曲。1985年に結婚。2人の男の子の母親。今でも現役で、加藤和彦氏らとのライブが多いようだ。一回、聞きにいきたいなぁ。

◆47歳の手塚理美さんは高校2年(17)と中学1年(13)の兄弟の母

 日経新聞9月16日夕刊[こどもと育つ]に女優の手塚理美さん(47)が登場していた。

 歌手ではないが、小林亜星さんと一緒のコマーシャルで鉄棒にぶら下がった手塚さんに眩しい思いをした古いファンとしては、ここに加えて書いておこう。

 最近では「ALWAYS続・三丁目の夕日」に出ていた。俳優の真田広之さんと結婚したが、1997年に離婚。次男は父と暮らした記憶がない、という。子供の育て方についての話だから、内容はどうでもいい。だが、手塚さんの子供のころと同じ笑顔の写真が載っていたので、切り抜いておいた。

 ユニチカのマスコットガール時代だったか? たしか13歳だった、と思うのだが、小林亜星の大きなユーモラスな体型と手塚のこわれそうな小ささのコントラストが印象的で、いまだに手塚を見ると、あのCMを思い出す。34年前だったか?ということは1974年? もっと前だったか? 華がある女優ではないから、今主演しろといっても、なかなかだろうが、バイプレーヤーとして確固たる位置を占めているのだろう。

 と、何か変なおじさんの変な趣味にマッチする女性が何人か出てきた、という感じになってしまった。本当は日本音楽とアメリカ音楽と韓国の流行歌について、もう少し突っ込んだ話を書こうと思っていたのだが。反省。

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2008年11月 1日 (土)

書評「現代政治学の名著」佐々木毅編(中公新書)~相対的安定の中での根本に思いを馳せた政治学者たち

 1989年4月25日発行。古い本で定価が書いてあった表紙を棄ててしまったので、定価不明。実は、この本が出た時に勝って読んだのだが、その後、引越しをした時なのか、本がなくなっており、読みたいなぁ、と思いながら月日が過ぎていったのだが、神保町を歩いていたら、偶然、100円均一の新書本の一角で見つけたので、買ってきて読み返した。

 昔読んだ時はきっと忙しかったのだろう、と思うのだが、私はこの名著紹介の文章をすべて佐々木毅氏が書いたとばかり思い込んでいた。今回、読み返して、佐々木氏は「編集にあたって」の14ページ分しか書いていない、と知って驚いた次第だ。執筆陣を見ると、ワイマール体制末期の混乱を眼前に見ながら一気に書き上げられた20世紀の新しい政治権力の勃興と衰退を流麗に描いたメリアムの「政治権力:その構造と技術」は後年、「日本の統治構造」、「政局から政策へ―日本政治の成熟と転換」を書き上げた飯尾潤氏が担当し、ウォーラスの「政治における人間」とリップマンの「世論」は法政大学の杉田敦氏だった。20年前の本であり、政治学者たちの継続的な研究と時事問題への提言が持続的に行われていることが分かる小著だ。

 読み返したかったのは佐々木氏の「編集にあたって」と、リップマン「世論」、ウェーバー「職業としての政治」、アーレント「人間の条件」、丸山真男「現代政治の思想と行動」くらいだったのだが、時間があったので全部を読んだ。

 まず感じたのは時代の息吹である。佐々木氏が「編集にあたって」の最後に1989年1月と書いたように、この論文のほとんどが1988年に書かれた、と推測できる。今になって振り返れば、当時はバブル経済の全盛期で、日本人がいわれなき熱狂の中で「幸福感」を半ば強制されていた時代だった、と理解できるのだが、その時代に生きている人間にとっては、現在そのものであり、昨日の延長の今日が来て、明日につながるという時間のリアルな感覚の中で生活していたわけだから、バブルという認識もなく、東西冷戦の終結もまだ視野に入っていなかったわけだ。

 つまり、当時はバブル崩壊による日本の没落以前の幸福な時代で、日本では中曽根康弘長期政権が終わり、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の「安竹宮」3氏によるポスト中曽根争いが中曽根裁定によって終結、竹下政権が発足して、消費税導入騒ぎが起きていた時期だった。米国は恒常的な対日貿易赤字に苛立ち、日本への圧力を強め始めていたが、まだ構造協議などという言葉もなく、米ソ冷戦構図で世界はそれなりに安定していた。

 政治学はそのような安定時局の中、「政治とは何か」など、根本的な問題に取り組む余裕を持っていた。

 佐々木毅氏の「編集にあたって」から要点をピックアップしてみよう。

◆王者から転落した政治学

 <人々が政治について考え、判断する営みを離れた政治学というのはどこかおかしいのである。>

 <今日、政治学は社会科学の一つに過ぎない。しかしこうした学問分野を生み出したヨーロッパに即して見るならば、いまから二百年前には事情が全く違っていたことがわかる。きわめて単純な言い方をすれば、社会科学という概念が成立するためには社会という概念がまず成立していなければならないが、この社会という概念は―語としては古いが―近代世界に特有な概念である。もっと正確に言えば、近代において人間関係を包括する概念として初めて確固たる地歩を占めるに至ったのである。これに対してそれ以前にあっては、およそ政治的関係を離れた社会関係という発想は乏しく、従って政治学は久しく社会関係についてのほとんど唯一の学問としての地位を保持してきた。>

 <十九世紀以来の諸々の社会科学の成立や独立はそれまで社会関係についての唯一の学問であった政治学にとって、きわめて深刻な事態を招いた。…伝統的にはあらゆる社会現象は政治との関係で位置づけを与えられ、あるいは意味づけを与えられていたのに対し、いまや政治が他の社会現象によって説明され、あるいはそこから派生した世界と考えられるようになった。>

 経済という下部構造を重視したマルクス主義は有名だが、それ以外にも、心理学や計量経済学など、様々な学問による政治分析が盛んになったことを指している。

 <政治学は周囲の学問状況を見ながら、そのアイデンティティ・クライシスを克服すべく、腐心しなければならなくなった。…「政治とはいかなるものであるか」という問いは、こうした思想的背景において深刻な意味を持って登場する。>

 <政治そのものについての理解が必ずしも一定でなく、それ自体が「論争的」である。…どこかに一つの答があって、それを受け入れればすむといった生易しいものではない。…激しい戦乱と革命に満ちた二十世紀の政治の背後に、政治そのものについての理解や見方の深刻な違いが潜んでいたといってもいいのかもしれない。>

◆民主主義とは何か

 <近代において自然権の観念が成立し、人間の自由平等思想が確立することによって、民主主義は「多数者の支配」「貧しい者の支配」といった伝統的イメージに代わる新たな倫理的基礎を持つに至ったが、その制度化は遅々としていた。…理論的な困難と現実の抵抗を排除して民主主義が押しも押されぬ正統な政治体制として確立するには、第一次世界大戦の終結を待たなければならなかった。そして第二次世界大戦の結果、植民地の独立によって民主主義の権威は世界中に広がることになった。>

 <多くの国々が民主主義への信仰を表明すればするほど、一体、民主主義とは何かが明確でなくなっていった。…「民主主義とは何か」は正に二十世紀の最大の争点であって、今日なお、これをめぐって多くの血が流されている。そしてこれからもこの問題を考え、不明確な点を明らかにし、鋭い感覚を磨いていくことは依然として大切である。>

◆制度論から政治過程論へ、という流れ

 <二十世紀の民主主義論の大きなテーマの一つは、その現実の姿に肉薄し、問題点を指摘することにあった。民主主義は個々の人間の自由と尊厳を最大限に尊重する体制であって、一人の人間が支配するような体制とは違い、非常に複雑で微妙な条件によって支えられている。この条件の一つは政治の制度の在り方であり、権力分立や議院内閣制、大統領制、地方自治といった仕組みは繰り返し議論されてきた。…二十世紀の政治学の大きな特徴は、こうした制度論の伝統を批判し、それを動かす人間や実際の政治的決定の過程を分析することにあった。…この背後にあったのは、先に述べたような政治活動を見る視覚の変化―それを圧倒的に他に優位する社会活動と頭から考えるのでなく、他の社会活動の影響で動くものと考えるような見方への変化―であった。政治において政党のみならずさまざまな集団が大きな役割を果たすことが注目され、公式の制度の背後で進行している政治過程に政治学の目が注がれることになった。>

 この代表例がローウィ「自由主義の終焉」だという。

◆民主主義を支える人間の探求~世論政治

 <民主主義の姿を探求するというもう一つの作業は、それを支え、担う人間の状態へと向けられていった。民主主義は全ての人間に政治への参加を認めるが、はたして人間はこうした重大な責務を果たし得るような精神的条件をそなえているかという、民主主義にとって宿命的というべき問題が政治学の主題となったのであった。>

 この代表例がウォーラス「政治における人間性」で、ウォーラスは制度論に自らを限定するのは政治学の対象を不当に限定するものであるとの観点から、功利主義的伝統に埋没していた人間論を当時の心理学等の成果を動員して、徹底的に見直し、ある種の非合理的な人間の姿が浮かび上がった、という。これが、リップマン「世論」へと継承され、「世論の政治」としての民主主義がどのような人間的制約のもとに置かれているか、その問題点をこれほど雄弁に分析した作品は少ないであろう、と評価している。

◆エリート、権力、正統性

 <民主主義は政治的平等を大原則とする。これは歴史上、常に少数者が支配してきたという人類の体験からすれば、革命的なことを意味した。そして二十世紀の政治学はこの大原則と実際の政治との間で格闘を演じることになったが、そこから政治的不平等や権力、リーダーに対する鋭い分析が数多く出てきた。政治活動は個々バラバラの個人によって行われるのではなく、組織を通して行われるが、その中心的存在は政党である。政党論は政治学の一大テーマ。>

 政党論で参考にすべき学者としてミヘルス「政党の社会学」のほか、ノイマン、デュヴェルジェ、シャットシュナイダー、サルトーリをあげる。また、心理学を駆使してエリート=権力追求者論に独自の境地を切り開いたラスウェル「権力と人間」、メリアム「政治権力」をあげる。そして、

 <大いに注意すべきことは、エリート論にしろ政治権力論にしろ、これらは決して民主主義にとってどうでもよいという議論ではないことである。なぜならば、民主主義は一方で政治的平等を大原則としながらも、他方であくまで一つの政治支配の仕組みでもあるからである。従って、これら政治的に不平等な関係にかかわる議論をどのように取り扱うかはこれまた「民主主義とは何か」という問いと密接に関係する難問である。これは換言すれば、正統性の問題に他ならない。>

 として、ウェーバー「職業としての政治」、ローウィ「自由主義の終焉」、ハーバーマス「後期資本主義における正統化の諸問題」をあげていた。

 そして、丸山真男「現代政治の思想と行動」、辻清明「日本官僚制の研究」については、

 <日本での議論の原点を改めて確認したいと考えたからである。日本の政治をどのようにとらえ、判断するかは、われわれにとって最も大切な課題である。あるいはここにおいて、われわれの政治的思考の真価が問われるといっても過言ではない。…われわれの議論がつまらない道に迷い込んだり、木を見て森を見ないような状態に陥っていないか、反省する上でも大切な役割を果たしてくれよう。後から来る議論が常に良質であるとは限らないことは、二十世紀の歴史の与えた貴重な教訓であるからである。>

 と書いていた。佐々木氏はこのあと、リクルート事件で政治不信が極まり、自民党が分裂、細川護煕首相の非自民8会派連立政権成立や衆院への小選挙区制度導入で、その理論的な根拠を与える論文を発表するなど、現実政治にコミットし続けるが、その原点にはこのような思想があったのだ。

 ウェーバー「職業としての政治」は薄っぺらい岩波文庫で、構えて読まないと、感動を受けない本ではないか、と思うのだが、このような読書案内を何冊か読んだ後で、批判的に読み返すと、内容が血肉化される、と思う。ウェーバーの資本主義とプロテスタンティズムに関する分厚い本よりも、講演なので、読みやすいし。また、この本の後に出版されたアーレント論はいくつか読んだが、アーレントほど毀誉褒貶にさらされた政治学者はいないのではないか。ここでは相当に批判的にとらえているが、今の時代ならば、アーレントがポスト資本主義の論理構築に向けたブレイクスルーの糧になる、という可能性を秘めたとらえ方ができると思うのだが。

 古本だが、読み返すことはいいことだ。88年、89年当時を思い出した。

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2008年10月17日 (金)

「馬食い家内が象になった」でいいじゃないか~パソコン誤変換を楽しもう+10月17日産経抄の沢村貞子さんの日常生活

 傑作だった。10月17日読売新聞朝刊[編集手帳]である。パソコンの誤変換で「うまくいかない画像サイズになった」が「馬食い家内が象になった」となってしまったことが、日本漢字能力検定協会が募った漢字変換ミスの年間賞に選ばれた、という内容である。

 <教えれば何でも覚えるが、文脈の流れを理解しない。「記憶力抜群のバカ」と呼んだ人がいるが、文章を作成する機械にはそういう面がある。>とあった。

 その通りなのだが、この種の論調にちょっとした違和感を覚えるのは、もともとワードプロセッサー機能なんて人間の自堕落な便利さ追求の果ての商品で、完全ではありえない、という真理がすっぽり抜け落ちているように思えるからだ。

 文章はボールペンで紙に書くのが一番だ、と思う。脳と手と指とが連動し、脳を適度に刺激し、記憶もリフレッシュされる。パソコンのワープロ機能が年々便利になり、変換も文節変換ができ、記憶能力まで持つようになったが、考えながら変換しているのではなく、使っている人間が判断するチャンスをまだ残している。

 これが、使う人間の特性を覚えて、単語の優先順位をパソコンが決めていく能力をフルに発揮し始めたら、逆に怖くないか。アマゾンのアフィリエイトでお薦めの本がパソコン画面に出てくるのも良し悪しだ、と思うのだ。

 機能的生活とは、別の選択肢を自然自然に排除する日常生活に甘んじることでもある。
 「今の思考の連続で思考を続けていいのですよ。それには、この本が参考になるでしょう」と薦められなくても、自分で本屋さんの店頭や新聞の読書欄、新聞や雑誌、出版社のPR誌で探す楽しみのほうを、私は大事にしたい。

 誤変換を「パソコンって変な奴だなぁ」と面白がる分にはいいのだが、あまり目くじら立てて怒ることはないと思うのだ。編集手帳子も別に目くじら立てているわけではないだろうが。

 日本人は昔から言葉の深みを川柳や和歌、狂歌などを中心に楽しんできた。

 誤変換をきっかけに、言葉の面白みに興味を持つ若者が増えてくれるといいと思う。

 新聞記者は入社早々、先輩から「紋切り型表現をつかうな」と教わる。

 朝日新聞8月18日[天使人語]に

 <駆け出し記者だった頃に厳しいデスクがいて、紋切り型の表現をすると怒られた。びっくりする様を「目を白黒」などもってのほか。「衝撃が走った」と書いた新米の背中に「衝撃」と大書した紙を張り、社内を走らせたという伝説も残した>

 とあった。

 紋切り型表現は最近ではワープロソフトのワードを使い「拝啓」と書き始めると、定例文として「敬具」までの紋切り型表現が次々出てくるサービスもある。

 自分で考えなくなる時代である。

 誤変換が自分で考える機会になれば、と思う。

 産経新聞10月17日[産経抄]も普通の人の普通の生活の大切さを説いていた。

 コラムをMSN産経コムからコピペしておく。

 <テレビドラマの祖母役で、かつお節を削りながら孫娘とあれこれ話すシーンがあった、と、女優の沢村貞夫がエッセー『わたしの献立日記』に書いている。収録が終わると、若い女優がため息をついて聞いてきた。「沢村さん、おうちでもこんなことをしているんですか?」。「そうね、よくやってるわ」「アラ、スーパーへ行けば、チャンと細かくしたものを袋に入れて売ってますよ、知らなかったんですか?」。沢村は、「知ってはいるけれど、使いたくない、とは言えなかった」という。確かにスーパーを見渡せば、便利な食材にことかかない。>

 そう、沢村さんは若い女優さんに、若い人の常識=テレビCMをアプリオリに信用する生活への疑いのない生活信条が間違っている、とは言えなかった。言ってもいいが、面倒だったのだろう。後で「あの婆さん、変わっているわよ」と陰口を叩かれるのがせいぜいだからだ。

 <冷凍野菜もそのひとつだ。たとえばインゲンだったら、筋を取る手間がいらず、そのまま切って、ゆでたり、炒めたりできる。必要なだけ袋から出せばいいから、少量使うときも重宝する。東京都八王子市の主婦が食べたその冷凍インゲンから、基準の3万4500倍という高い濃度の殺虫剤ジクロルボスが検出された。中国で製造されてから、日本の売り場に並ぶまで、何度も行われた検査をかいくぐってきた。ギョーザ中毒事件もまだ解明されていない。つまり今のところ、猛毒の混入を防ぐ手立てがないということか。>

 と、話は一転、インゲンになったので、これでまた世相批判で終わりか、と読むのをやめようか、と思ったら、違った。

 <女優業のかたわら、夫のために丹精込めた食事を作り続けた沢村は、冷凍庫を愛用した。といっても、中身はすべて手作りだった。ゴボウ、タケノコ、干しシイタケを細かくきざんで炒め、みりんやしょうゆでゆっくり煮込んだ自家製「すしの素」や、出盛りのグリーンピースをさっとゆがいて小分けしたものなど。とてもそこまではできない、という向きは、せめて市販の冷凍食品の袋を開いたら、においをかいでみる。こんなひと手間をかけて身を守るしかない。>

 「とてもそこまではできない」と思う前に、「やってやろうじゃないか」と思わないかなぁ。そう思う人が増えれば、都市近郊農家の野菜も売れるし、日本の農業も変わってくると思うのだが…。

 ワープロソフト頼り過ぎ、冷凍食品頼り過ぎ、すべて同じ根っ子のような気がする。便利さに慣れ過ぎて感覚が麻痺しているのだ。もう少し「不便さ」を楽しもうよ。

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2008年9月27日 (土)

<鳥瞰図>を<とりあえず>と読む若い人+新聞OBによる政治家失言報道批判~各紙コラムと業界紙から

 読売新聞9月27日[編集手帳]が面白かった。

 歌人の鎌田弘子さんに、漢字の読み違えを詠んだ

 <鳥瞰図(ちょうかんず)を とりあえずと よむというを 一度(ひとたび)笑い たちまちさみし>

 という一首がある、と紹介したものだ。

 「あえて…する」の「あえて」は「敢て」で「瞰」に似ている。

 大所高所から見る、という意味の「鳥瞰図」と、目先の「とりあえず」の対比が面白い、とあった。

 若い「おバカ」タレントが並んで、クイズに答えるテレビ番組が結構人気だが、そんな番組でも取り上げているのだろうか。二十歳を超したくらいの女の子が「とりあえずぅ?」と語尾を上げながら答えている姿を想像すると、たしかに笑える。

 だが、鎌田さんは、笑ったあと、「たちまちさみし」なのである。

 日本語を大切にしたい、と真剣に思い続け、日常生活の中からきれいな日本語を紡ぎ出している歌人にしてみれば、あまりにも若い人(だけでなく、団塊の世代だってえばれないのだが)の国語能力の低下に寒々としたものを感じたのだろう。

 新聞コラムは、このあと一転、小泉政権論になるのだが、それはさて置き、このような読み間違い、結構あるのだろうなあ。

 同じ日の朝日新聞[天声人語]は舌禍で辞任した中山成彬国土交通相を取り上げた。

 中国の宋代の大詩人で政治家でもあった蘇軾(そしょく)は直言癖が災いしてか、たびたび遠方へ流されたりしたが、詩の一節に「自ら笑う、平生、口の為に忙なるを」と記したそうだ。口がもとで数々の面倒を起こしたのが自分でもおかしい、という意味だと中国文学の井波律子さんの著書にあった、と。中山氏の失言だけでなく、引退表明した小泉純一郎氏も「口の為に忙」な人だった、と半分こじつけていた。

 毎日新聞[余録]は中山氏辞任を皮肉るのに中国の格言を三つ出してきた。

 まずは、「禅譲」という言葉は中国の伝説の帝王が子ではなく有徳の者に帝位を譲った故事によるとして、その帝王の一人である舜(しゅん)は禹(う)への禅譲に際して「口は好(こう)を出(いだ)し戎(じゅう)を興(おこ)す」(口は友好をもたらすこともあれば、戦争を引き起こすこともあるといういましめ)と言って、政治に携わる者は言葉に気をつけるように諭した、とある。

 また、人のしゃべる言葉を兵事になぞらえた名言として「口は関なり、舌は兵なり、言を出して当たらざれば反(かえ)って自ら傷(そこ)なう」(説苑)を紹介している。口は関所で、舌はそこに詰める兵隊。口から出た言葉が不適切なら自分が傷つくのだから、慎重に話せ、という意味だそうだ。

 もう一つ紹介していたのが「乱の生ずる所は即ち言語を以って階を為す」(易経)。乱は言葉から始まる、という意味だそうだ。

 鎌田さんの「笑って、たちまち寂しくなる」気持ちに通じるのか通じないのか、分からないが、天声人語子の

 <それにしてもと思う。国会論戦などの肝心なメッセージはさっぱり胸に届かず、失言や放言、漫談まがいばかり記憶に残る。これは政治家の劣化か。それとも政治に娯楽を見いだした我々が、まじめな言葉には打てども響かなくなっているのか>

 という言葉が、なぜか気になった。

 実は、偶然目にした新聞業界の業界紙「新聞之新聞」10月6日号の1面コラム[ひろば]で元毎日新聞社専務の平野裕氏が<失言報道は自家撞着>のタイトルで新聞の政治家失言報道について相当にひどい言葉で批判を加えていたのを思い出したのだ。

 <…僅か五日後の辞任劇は全く後味が悪いものだった。最後に、日教組に悪態をつきながら引きずり下ろされる様に舞台を去って行く姿は見るにたえなかった。>

 <政治家の失言報道は新聞でいちばん嫌な記事である。政治家の軽率さというだけでない。言葉が仕事のジャーナリズムが人の断片的な言葉遣いをとらえて民衆の前にさらすという言論の自由の根幹に触れるものだからである。>

 と持論を展開し、話題は一転、平野氏が現役時代の得意分野だったロシアに移る。シベリアで服役中のかつての「石油王」が起こした仮釈放申請の裁判について、メドベージェフ大統領を気にしながらも、ロシアのメディアが「健闘した」報道ぶりだった、と褒め称えた。そして、

 <それに比べ、日本の新聞は内向き。その最たるものが、今回の中山国交相の失言による辞任劇だった。>

 と返す刀で日本の新聞の批判をしているのだ。

 <日本の現職閣僚の失言はある日突然起こる。ある閣僚がこんな怪しからんことを言ったと、発言した前後の事情説明も無く紙面に現われる。その後は、進退問題、総理の任命責任とあれよあれよという間にワンパターンで進行する。>

 <言葉遣いの曖昧さも全く気にすることなく記者たちは記事化し、編集者は紙面化する。>

 <一度記事化されると、失言は一人歩きして政局の渦中に巻き込まれ、新聞は報道に都合のいい談話を集めてフォローし、失言した政治家は弁明する心の余裕もなく、ごうごうたる雑音を浴び、進退窮まって辞任に追い込まれる。>

 <政治家は公人と言っても基本的人権はあるはずだ。世の中に完全無欠な人間なぞいない。誤った発言をすることだってある。謝って修正すれば許せばよいのに、誤報を訂正で済ます新聞が絶対に容赦しないのもおかしい。>

 <もう少しこの問題を掘り下げると、新聞にタブーがあるという。雑誌編集者の間では、新聞が書かないタブーの問題を意識して編集を心掛けているという話である。特定の問題について当たり障りのない報道を心掛けるというのがタブーであり、皆で渡ればの意識で、妙にそれが共通しているのも特徴と言える。>

 <そのタブーを破る発言をした人物に新聞が一斉に襲いかかり、「物言えば唇寒し」の心理にさせ、自由な言論を封殺するとすれば、ジャーナリズムの自家撞着という他ない。>

 という論理展開で、「ジャーナリズムの自家撞着」にたどり着く。「新聞の書かないタブー」問題の中に日教組批判が入っているのかどうか、はっきり書いていないから分からないが、前後から推測するに、そうであるようだ。平野氏の思考方式だから、もしかすると、部落開放同盟の加入者による不正や在日朝鮮・韓国人の利権問題など、あまり新聞が書かずに週刊誌が特報するような問題も「タブー」として考えているのかもしれない、と推察できる。

 平野氏の論は極端であり、物事の重要性のレベルを無視している、という点で与しないが、新聞のワンパターン化した政治家批判にも苦々しいものを感じる時があるのは事実だ。せめて、天声人語子がこの日書いたような<自分の足元を見つめる視線>、複眼の視点も併せ持ってほしい、と思う。

 10月1日産経新聞朝刊政治面コラム[政論探求]<「失言」騒動の危うさ>で花岡信昭・客員編集委員が平野氏と似たような論を展開していたが、同様に賛成できない論旨だった。

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2008年3月 4日 (火)

書評 丹羽宇一郎著「人は仕事で磨かれる」」

 丹羽宇一郎著「人は仕事で磨かれる」(文春文庫、2005年2月に文芸春秋社から出た単行本の文庫化。2008年2月10日第1刷、定価580円)を読んだ。
 昨日、会社のビルの書店で見つけて買った。

人は仕事で磨かれる (文春文庫 に 15-2) 人は仕事で磨かれる (文春文庫 に 15-2)

著者:丹羽 宇一郎
販売元:文藝春秋
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 丹羽氏は現在、政府の地方分権審議会会長であり、他の審議会でも活躍し、日経新聞夕刊1面コラムも書いている旬の男である。その丹羽の半生の記であり、経営者としていかに矜持を持って生きてきたかの記録であり、若い人への伝言でもある。名古屋市生まれ、名古屋大学法学部卒業で60年安保で名古屋大学法学部自治会委員長として学生運動を熱心に行った男が伊藤忠に入社し、アメリカに行ったり、瀬島龍三氏と出会ったりしながら、人間の幅を広げていく。トップの心得が惜しげもなく出ているのがいい。
 社長時代も黒塗りのハイヤーを使わず、満員電車で通勤し、社長になるときには「6年でやめる」と宣言し、ファミリーマートへの出資では前代未聞の額を出し、不良債権処理でも驚くべき特損額を出し、トップの孤独な決断を次々実践した。
 面白いのは「原爆投下について日本人はおとなしすぎる。アメリカの投下決断の裏には人種差別があったのではないか。そうだとすれば許せない、とにずばり言うべきだ」と主張していること。ベトナムでの枯葉剤、イラクでの劣化ウラン弾、化学兵器使用と原爆投下を結びつける視点だ。「彼らのそうした一種の価値観にいざという時にはアンチテーゼを持って対応しなければならないと思う」という言葉は愛国的だ。それに続く「日本人としての自尊心や、過去の歴史に対する認識を明確に持っておく必要がある。アメリカに何でも追随すればいいというものではありません」という言葉(67ページ)もそうだ。「日本人はブランコが揺れすぎる」という国民性批判もそうした愛国心に基づいているので心から受け止められる。
 不良資産処理の鉄則(101ページ)、「資本主義の”業”をチェックしてきた社会主義がソ連崩壊でなくなり、資本主義の歯止めが無くなった。資本主義は暴走を続け、ついには崩壊する危険性を持っている」と分析し、徳川家康の「不自由を常と思えば不足なし」をあげ、社内でいつも言っている「クリーン、オネスト、ビューティフル」を紹介する。倫理観の骨格として武士道をあげる。今までの日本が勝ち取ってきた高度成長は決して一人でできたのではなく、政治・経済的に米国の庇護の下でできた。これが戦後日本の第一幕ならば、米国の国力が相対的に落ちた現在、戦後日本の第二幕が始まる、と。日本の中間層の崩壊に危機感を深め、消費税導入に反対し、金持ちから税金を取れ、という。
 後継者は「スキップワンジェネレーション」で若い社長を選んだ。社内で「有利子負債」という言葉を使わず、「借金」といい、「債権放棄」といわずに「借金棒引き」という。「仕事をしていく上では見える報酬(給料)と見えざる報酬(自分の成長)がある」。「人材と技術を持たない限り、21世紀の日本も、企業も長期的な繁栄はできない。特に人材だ」。「世の中は知の衰退の時代」。「エリートなき国は滅びる。エリートとは任芸西という観点から見て『選ばれた人』ということ。エリートはその地位に見合った責任と義務が生じる。これをノーブレス・オブリージュという。そもそもエリートは育てられるものではなく、自分で這い上がってきて、周囲からそう評価される人だ。我々にできることはエリートが這い上がってくるための土壌作りではないかと思っている」と。
 文庫版あとがきで丹羽は「人は仕事で磨かれ、読書で磨かれ、人で磨かれる。この三重奏だと思っています」と。若い人には「まず一歩を踏み出せ。自分のやりたいことが人に迷惑をかけず、法に反しないなら、何でもいいのです」と言っている。心して聞くべき言葉だろう。

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2007年1月 1日 (月)

21世紀のキーワードは「心」

 井上陽水氏の「心もよう」ではないが、「心」が21世紀のキーワードではないか、と思う。
 もの思い、胸騒ぎ、揺れる思い、心細い、胸塞がる、など大和言葉が似合う心の動きがある。

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 明治維新以来、日本は必死に西洋文明を取り入れた。
 福沢諭吉ら先人たちは西洋の事物、概念を漢語で言い換えてきたが、その翻訳の隙間から零れ落ちた砕片があったのではないか。
 日本人の心の原風景も西洋の言葉では言い表すことができない。近代合理主義と相容れないアミニズム的な何かが日本人の心にはありそうだから。
 そんな滓のようなものが積もり積もっって、シベリア出兵の失敗、満州事変以来の軍部独走、無謀な対英米戦争突入、敗戦、占領という結果になったのではないか、と想像したりする。
 戦後に生まれ、戦後民主教育を受けて育った私たち「団塊の世代」も今、高齢者と呼ばれる年齢になった。
 あくせく働いてきて、ふと自分の来し方を振り返ると、虚しい空間がポッカリ口を開けていることに気付き慄然としたことはないだろうか。
 私たちは青春時代、現在の自分たちを未来からの架空の視点で語り、懐かしむ歌を好んで歌っていたように思う。
 フォークソンググループ「風」の「二十二歳の別れ」やガロの「学生街の喫茶店」などだ。
 本物の回想ではなかったところがミソである。

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 あのころは未来を信じ、自分の心の平安を信じていたのだろうか?
 ポストモダンの思想状況はが袋小路に入ったまま「出口なし」のように見える。
 難しいことは哲学者に任せ、私は自分の心、記憶、個人史、喜怒哀楽にこだわりながら、来し方を見つめてみたい。
 と言っても、大層なことをするわけではない。
 日々の暮らしの中で感じたこと、思ったことを記すだけだ。

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