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2009年10月 8日 (木)

ファーイースタン・エコノミック・レビューへの挽歌、葬送行進曲、弔電~産経新聞09年10月8日

 産経新聞09年10月8日国際面に大きく<アジア高級誌 寂しい退場/ファーイースタン・エコノミック・レビュー廃刊>と載っていた。おっと、あの有名な雑誌もいよいよ廃刊か! びっくりして読んでみた。ネットで調べたら、も何度も出ているニュースらしい。これはニュースとしてではなく、事情に詳しい人による解説記事のようなものらしい。読んでみた。
 <アジアの実相を伝える必読誌として名をはせたファーイースタン・エコノミック・レビュー(FEER)が12月で廃刊になる。権力に敢然と立ち向かうその姿勢はジャーナリズムの鑑とされた。しかし、ダウ・ジョーンズ(DJ)が経営権を握って以来、編集方針の変更などから輝きを失っていた。巨大メディアの資本の論理に翻弄された末の寂しい退場である。>
 経営が替わると仕方ないのかね。
 <「数度にわたり活性化を試みたが、広告収入と読者の減少が続き、もはや持ちこたえられない」。DJは先月「熟慮の末の困難な決断」としてFEERの廃刊を宣言した。これを伝えた英エコノミスト誌は「記者の能力や政治・経済の分析ゆえに、とりわけ独裁者や大物経済人を立腹させることで畏敬された」と回顧した。FEERの発刊は1946年にさかのぼる。創業者はオーストリア出身の亡命ユダヤ人で、週刊のFEERを香港で旗揚げした。誌名に「エコノミック」とあるが、政治報道にも強かった。ベトナム戦争や中国の文化大革命では事実に基づく批判的な報道を展開し、誌価を高めた。第4代編集長のフィリップ・バウリング氏は「65年からの25年間が黄金期だった」と振り返る。>
 天安門事件ではすごかったのか?
 <FEERの強みは自前の強力な特派員網にあった。90年代初めまでにはアジア各国や米国などに20人以上の特派員を配置、通信社を除けば最強のアジア報道体制を擁した。シンガポールなどの強権国家とも切り結ぶその姿勢から、訴訟や発禁処分、記者の投獄など向こう傷も絶えなかった。「とてもわくわくさせるような職場」(バウリング氏)は多くの人材を輩出した。日米関係などに健筆を振るった粟野原奨氏はその一人だ。インド出身のナヤン・チャンダ氏も花形記者の一人だった。ベトナム戦争から中越戦争までインドシナ情勢を一貫して追い続け、その蓄積はインドシナ現代史のバイブルともいうべき名著「ブラザー・エネミー」となって結実した。>
 人材を育てたのだね。
 <FEERの隆盛は第3代編集長のデレク・デイビス氏の存在なしには語れない。64年から25年にわたり采配を振るい、高級総合雑誌としての名声と経営基盤を確立した。もともとは英国の外交官だったデイビス氏は任地のウィーンでピアノを学んでいた日本人女性と知り合い、結婚を決意する。しかし当時、英国の外交官は日本人との結婚を禁止されていた。このため氏は外務省を退職、FEERに加わった。後に妻となるこの女性との出合いがなければ、FEERの黄金期もなかったかもしれない。>
 面白いね。日本人女性が世界を変えたのか。
 <97年にはFEERは世界的な特報をものにした。ネイト・セイヤー記者によるポル・ポト氏の「発見」と単独会見である。カンボジアでの大虐殺の張本人とされるポト氏はそれまで20年近く生死さえ不明だった。しかし今にして思えば、これはFEERの最後の輝きだった。>
 すごいスクープだったね。
 <87年に経営権を完全に握ったDJの下で、ビジネス報道を重視し、読者に迎合するような内容へと変質、持ち前の牙が失われた。10年近く前に筆者がナヤン・チャンダ氏に会った際、「深掘りの政治記事を書くスペースが大幅に減ってしまった」と嘆いていたのを思いだす。経済報道主体への転換はアジア経済危機とITバブル崩壊の直撃を受けることになった。広告収入の落ち込みに伴い、DJは2001年にFEERと傘下のエイシアン・ウォールストリート・ジャーナル(AWJ)の編集部を統合、FEERの人員は大幅に縮小された。04年にDJはもっと大胆な合理化を断行する。FEERを月刊にし、学者や政治家などの外部寄稿家による論文集へと雑誌の性格をがらりと変えたのだ。FEERの名前こそ残ったが、この時点でFEERは死んだも同然だった。>
 そうだったのか、忙しくてきちっとフォローしていなかったが、そういう事情だったのか。2004年にねえ。
 <DJは先月のFEER廃刊の発表に際し、AWJなど傘下の他の媒体に経営資源を集中するための措置だと強調した。DJは現在はメディア界の帝王、ルパート・マードック氏率いるニューズ・コーポレーションの支配下にある。かつての名雑誌も巨大メディア帝国にとっては経営上の単なる捨て駒でしかなかった。>
 在バンコク・ジャーナリストの鈴木真氏による文章である。
 メディア・コングロマリットが世界の言論を牛耳るとどういうことが起きるのか、想像するだに怖くなるね。

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2009年9月28日 (月)

反小沢勢力のポチになるなよ!産経新聞!!~09年9月28日朝刊の不思議

 産経新聞09年9月28日朝刊総合面(5面)は奇妙な誌面だった。トップ記事は<視線の先は参院選/小沢氏、本格始動へ>。そして、2番手が<小沢氏帰国/?だらけ英国訪問/報道陣シャットアウト>。小沢一郎氏の「二重権力構図」という錆付いた古証文を取り出してきて、鳩山政権に打撃を与えたい気持ちは分からないではないが、何も政府の一員でもない幹事長がイギリスに行こうがフランスに行こうがいいじゃないか、と思うのだが。何か産経新聞、鳩山政権誕生でどこか歯車が狂ったとしか思えない紙面が出始めているのが気になる。もっと鷹揚に構えて、是々非々で臨めばいいと思うのだが。
 まずはトップ記事から。ネットでは<民主の小沢幹事長が本格始動へ 参院選に向けパワー全開>の見出しだった。坂井広志、山本雄史両記者の署名があった。
 <民主党の小沢一郎幹事長が10月から本格始動する。10月25日投開票の参院神奈川、静岡両補選への対応のほか、自民党との最終決戦となる来夏の参院選に向けて、同月下旬には地方行脚を開始する。一方、民主党内では、「政府」は鳩山由紀夫首相、「党」は小沢氏が担当するというすみ分けが出来上がっているが、小沢氏は国会対策を通じて政府へもにらみを利かせる仕組みも整えており、秋の臨時国会以降、小沢氏が陰になり日なたになり本来のパワーを全開させる局面がやってきそうだ。>
◇選挙対策に本腰
 <参院選まで残り約9カ月。民主党関係者によると、「小沢氏の頭の中は、すでに参院選のことでいっぱいだ」という。民主党の桜井充参院議員は鳩山政権発足翌日の17日、党本部を訪ね、小沢氏と面会した。「来年の参院選比例代表で出馬したいと言っている医療関係者がいます」。「本気ならおれが直接会うぞ」。民主党選対は10月に候補者の擁立方針を打ち出す予定で小沢氏も人材発掘を急いでいるのだ。小沢氏は10月中旬に自身が主宰する「小沢一郎政治塾」を開く。同塾は政治家の養成を直接の目的とはしていないが、すでに衆参で塾出身の国会議員は10人に上り、「政治家養成機関」になりつつある。小沢氏は、鳩山政権に対する有権者の最初の審判となる10月25日の参院補選も重視している。小沢氏は周辺に、「(新聞の)見出しは、勝っても小さいが、負けたら大きくなるぞ」と気合を入れている。>
◇国対掌握で発言力
 <16日の民主党本部8階の役員室――。側近議員が「政権交代してホッとしちゃいましたね」と思わず本音を漏らすと、小沢氏は「おーそうだな」と満足げな表情を浮かべた。上機嫌な小沢氏は、着々と17人の国会対策副委員長の人事を内定していった。内山晃氏、松木謙公氏、小宮山泰子氏、石関貴史氏…。小沢氏を支持する「一新会」の面々がズラリと並んだ。小沢氏側近の山岡賢次国対委員長の下で、国対副委員長たちは衆院の各常任委員会の筆頭理事を兼ねる。>
 <小沢氏は、政権発足当日の16日、首相官邸で開かれた与党3党首会談に同席した以外は、官邸に足を向けていない。政府を鳩山首相に任せきっているように見えるが、各委員会での法案審議の生殺与奪の権を持つ国対を通じ、小沢氏は政府にいつでも影響力を行使できる立場にいる。国対は新人教育にも当たる。10月下旬ごろから新人議員を10班以上に分けて、国対副委員長が講師となって国会や選挙のあり方などを指導し、「小沢イズム」をたたき込む構えだ。>
◇「小沢氏らしさ」
 <小沢氏は幹事長就任後、報道各社の要請にもかかわらず、記者会見に一度も応じていない。小沢氏が記者への応対を避ける傾向にあることは、これまでも指摘されており、ある意味では「小沢氏らしさ」が顔をのぞかせているとも言える。ただ、野党時代とは異なり、衆参合わせて400人以上の巨大与党を率いる幹事長だけに、説明責任の履行が求められそうだ。>
 <小沢氏は今後、参院民主党が研修会(10月6、7日)で参院幹事長などの人事を決めるのを受けて、幹事長代理などの党役員人事を発表する見通し。初会見は、その後になるとの見方がもっぱらだ。>
 以上がトップ記事である。まあ、小沢番記者による太鼓持ち記事なのか、裏に何らかの意図があるのか?
 そして、2番手の記事はネットでは<民主・小沢幹事長の英国訪問に乱れ飛ぶ憶測 真相は……>の見出し。
 <民主党の小沢一郎幹事長は27日、英国視察を終えて帰国した。ただ、小沢氏が訪問先で、具体的にどのような行動をしたのかは公表されていない。当初20日から6日間の日程だったのが「個人的に立ち寄るところがある」として2日間延期されたこともあって、謎に包まれた外遊となっている。>
 <帰国した小沢氏は27日、成田空港で記者団から声をかけられたが、無言で少しほほえんだだけだった。>
 <小沢氏の今回の英国訪問の目的は、党役員室によると「実務調査」。調査項目は①国会審議の方法と議会運営の在り方②選挙運動の規制と自由化③企業団体献金の禁止と個人献金の在り方④公務員制度改革に向けた環境整備――の4点で、面談対象は、労働党や保守党の事務局幹部、司法省など関係省庁の幹部らとしていた。側近の樋高剛衆院議員、党事務局員らが同行した。民主党は、報道各社には「純然たる実務調査であり、要人とは一切会談しないので、同行は募集しないし、現地での対応もいたしません」と、事実上の報道陣シャットアウトを「宣告」していた。>
 <小沢氏は英国訪問が多いことで知られる。平成5年から5年連続で訪英したほか、少なくとも11、12、16年にも訪問している。ただ、民主党では菅直人副総理・国家戦略担当相が6月に同じような目的で訪英しただけに、小沢氏がわざわざ出かけたことに首をかしげる向きも多い。帰国を2日遅らせた立ち寄り先も公表されていない。>
 <そこで政界でささやかれたのが、3年6月に狭心症で入院した小沢氏が「持病の狭心症の検査を兼ねて訪英したのだろう」(自民党閣僚経験者)という説。だが、具体的な証拠はない。このほか「羽を伸ばしに行った」(民主党中堅)との見方まで……。謎が謎を呼び、噂(うわさ)が独り歩きしている。>
 ここでようやく記事の意図が明白になる。狭心症、心筋梗塞の発作の可能性および治療の話である。
 小沢氏が代表だったころには「あの健康状態で総理大臣になれるのか」という自民党からのカウンター情報が永田町を駆け巡った。新聞記事にもなり、みな関心を持ったのだが、ちょうどうまい具合に秘書の逮捕があり、代表を降り、鳩山由紀夫新代表が総理大臣になったのだから、小沢氏にしてみれば万々歳だろう。少しくらい書かれても平気だとは思うのだが、こういう持って回った書き方しかできない日本の新聞はダメだな、と思った。
 反小沢勢力に尻尾を振っているだけじゃないか。
 しっかりせえ、産経新聞!!

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2009年8月18日 (火)

衆院選公示当日の09年8月18日の各紙社説を比較する~あ、あ、朝日は民主の応援団、産経新聞は自民党、旗幟鮮明はいいことなのか?

 09年8月18日は衆院選公示。となれば、この日の社説は決まりもの社説である。言論で勝負する新聞社とすれば、こういう時こそ、社説の一本も書かなければならないのだろう。各社の社説がほぼ同じことを書いている「金太郎飴」状態になっていないかどうか、どうでもいいことだけ書いて肝心な点を避けて通っていないか、など一応は読んで確かめてみよう。
◆◆読売新聞
 読売新聞は珍しく[6党党首討論/有権者の疑問に率直に答えよ]という短い社説だった。ということは、公示後に一本社説をぶち当ててくるつもりだろうか? 題材は日本記者クラブ主催による公示前の6党党首討論会である。
 <麻生首相は子ども手当など民主党公約の財源のあいまいさを突いた。公明党の太田代表は民主党の主張する今年度補正予算の「凍結」は景気回復の芽をつぶすと指摘した。当然の懸念だ。民主党の鳩山代表の説明は従来の域を出なかった。民主党は説得力のある具体的な財源策とともに景気対策の明示が必要だ。麻生首相は市場原理主義とは決別すると表明し、小泉構造改革がさまざまな「格差」をもたらしたことを認めた。小泉路線をどう修正するのかより分かりやすく説明することが肝要だ。年金、医療、介護など社会保障の制度改革をめぐって選挙後、与野党協議を行うことに麻生、鳩山両氏とも前向きな姿勢を示した。制度設計だけでなく財源となる消費税の扱いを含め超党派で協議を進めてもらいたい。>
 というのが党首討論に関するコメントである。まあ、短い字数でいうのだったらこんなものか。
 <今回の選挙は、自民・公明の連立政権の継続か、民主・社民・国民新の連立政権か、を選ぶ性格をもっている。その観点からすれば国家の基本政策にかかわる日米関係や対中国、北朝鮮などアジア外交、安全保障政策、憲法改正などが論じられなければならない。鳩山代表は党首討論で、社民党の福島党首から非核三原則を堅持するための法制化を求められて「検討」を表明した。鳩山代表は先に三原則を柔軟に運用するという今回とは逆の趣旨の発言をしている。福島党首はインド洋で給油活動を続ける海上自衛隊の即時撤退を主張し、ソマリア沖の海賊対策への自衛隊活用反対も明言した。いずれも、民主党とは異なる見解である。野党3党がまとめた衆院選に当たっての共通政策が外交・安保政策を棚上げにしたのも、こうした相違のためなのだろう。これで安定した連立政権が築けるとは到底思えない。>
 野党3党の共通政策って読んでみようと思って、まだ読んでいなかったのだが、安全保障・外交を除外しているんだったら読んでも仕方ないだろう。
◆◆日経新聞
 日経新聞社説は09衆院選/政策を問う/政権を選ぶ歴史的な選挙の幕が開く>というシリーズもののなかの重点社説という位置付けだ。
 <政権交代の是非が最大の焦点となる歴史的な衆院選が幕を開ける。>
 という前文の最後の言葉ですべて言い尽くしているのではないか。
 <かつての社会党など野党勢力が非力だったこともあり、衆院選はこれまで本来の機能である政権を選択する選挙になっていなかった。今回は有権者が政権を選ぶ事実上初めての選挙といえる。>
 とは今までの政権交代がなかった責任を社会党に押し付ける手前勝手な論法だ。マスメディアの責任はどうした!
 <2003年にマニフェスト(政権公約)が導入されてから、今回で3回目の衆院選だ。7月21日の解散日から投票日まで40日間という、現行憲法下で最長の期間になったこともあり、政権公約をめぐる論戦はすでに活発になっている。12日間の選挙戦で、国の将来像などを競う骨太の政策論争を期待したい。前回の05年の衆院選は、小泉純一郎首相が郵政民営化の是非の一点に争点を絞り込み、他の政策課題は脇に追いやられた。今回は自民、民主両党の政権公約を中心に子育て支援、農業政策、消費税など多岐にわたるテーマで論戦が行われている。衆院選の判断材料として政権公約はようやく定着してきた。>
 というのは歴史的な流れ。マニフェストももう3回目か。何か名前の付け方が悪かったのかどうか、いつまでたってもピンと来ない名前だ。
 社説は民主党のマニフェスト修正にけちをつける。
 <与党からの批判や各種団体の意見などを踏まえ、民主党は国と地方の協議の場の法制化などを追加したり、日米自由貿易協定(FTA)の記述を変更したりする政権公約の修正版を発表した。政権公約の修正自体は必ずしも悪いことではない。しかし今回の修正は、一部幹部だけでまとめた政権公約の中身が生煮えで、農業団体などからの批判を受けて慌てふためいたという印象が否めない。党内で十分に検討したうえで、もっと早い時期に原案を示すなど政権公約の作成手順を改善しなければならない。>
 民主党への注文だ。きっちり言っておくぞ、なのか。そして、日本記者クラブで行われた各党党首討論会について、
 <民主党の優勢が伝えられていることから、鳩山氏への質問が目立つ展開となった。>
 と断ったうえで、
 <麻生氏と公明党の太田昭宏代表は、民主党が政権公約に盛り込んだ子ども手当などの財源や、今年度補正予算を組み替える場合に削減する項目を示すよう求めた。鳩山氏は今回の討論でも具体的な削減内容を明らかにしなかったが、政権をとれば直ちに直面する補正予算の組み替え方針などは具体策を示して審判を仰ぐのが筋である。鳩山氏は自らの秘書が政治資金収支報告書の虚偽記載をした事実を認め、これがアキレスけんになっている。太田氏は、秘書が虚偽記載した場合に国会議員の公民権を停止する法改正への賛否をただしたが、鳩山氏は「民主党としても前向きに対処すべきと考えている」と答えた。>
 つまり、どうも日経新聞論説委員さんは鳩山氏への追及に余念がないようなのだ。
 <民主党は先に社民、国民新両党との共通政策を発表したが、安全保障政策に言及していないなど政権運営に不安を残す内容だった。17日の討論でも海上自衛隊によるインド洋上での給油活動からの撤退時期やソマリア沖の海賊対策への自衛隊派遣を巡り、鳩山氏と社民党の福島瑞穂党首の意見は食い違ったままだ。参院で安定的な勢力を確保するためには、自民、民主のどちらが第1党になっても連立は不可避の情勢だ。「建設的野党」の立場を打ち出した共産党を含め、各党は選挙後の連立政権に臨む基本方針を示して、有権者の判断を仰ぐ必要がある。>
 共産党を含め、というか。日経新聞=日本経団連新聞も随分とその性格を変えたものだ。
◆◆朝日新聞
 朝日新聞も日経新聞同様、一本社説だ。<総選挙公示/「09年体制」の幕開けを>である。
 <真正面から「政権交代」の是非を問う、歴史的な衆院総選挙がきょう公示される。自民党と社会党が産声をあげた1955年から半世紀余、日本では野党が選挙で第1党の座を奪い政権に就いたことは一度もない。政権交代といえば自民党内の総裁の交代。「55年体制」が崩れ連立政権が常態となった後もそれが基本的な常識だった。だが、健全な民主主義をつくるために2大政党による政権交代が望ましいという考え方は、実ははるか昔からあった。「議会政治の父」と呼ばれた尾崎行雄は1911(明治44)年に次のような一文を残している。「二大党対立で、英国流の憲政政治をやることも、左程難事ではあるまい……成っては敗れ、成っては敗れしているうちに、二大党対立の慣習が浸み込んで、終には純粋の二大党となり、憲政の運用是に妙を極むるに至る」。実際、昭和初期の約5年間、政友会と民政党の保守2大政党が政権を争った時期があった。激しい政争を経て軍部によって政党政治は結局、窒息させられていく。戦後の混乱期にもめまぐるしい政権交代の時代があった。>
 まあ、こういう歴史だ、といってもそうは間違えていないと思う。
 <最近では1993年にも政権交代があった。「非自民」連立による細川政権。第2党以下が寄り集まって第1党の自民党を下野させた異例の形だった。この政権が1年足らずで挫折したことが、村山連立政権で自民党を政権に復帰させ、以来、結果として本格的な政権交代を遠のかせることになる。>
 朝日新聞史観はつねにこうなのだ。細川政権は良かった。一歩進んだものだった。しかし、それが失敗して短期政権になり、自民党の復活を許したことが長期不安定自民政権の存続を許したのだ、という論法である。本当にそうなのか? 細川政権はつくるべき政権ではなかったのではないか。
 <東西冷戦下の繁栄に向かって、自民党は幅広い思潮と優れた官僚機構を抱え込み、対する野党は政権担当の意思も能力もなかった。しかし、そのことが日本の政治と行政に何をもたらしたか。>
 この後、後藤田氏の論になるのだが、この論旨もおかしい。高度経済成長時期の日本の統治機構は立派に機能していたのではないか? だが、世界が変化した。日本の変化が遅れたのではないか?
 <1988年に発覚したリクルート事件を受けて自民党で政治改革の旗を振った後藤田正晴元副総理はこう語っていた。「1党長期支配の下では腐敗、おごり、マンネリが避けがたい」「行政はあまりにも肥大化して能率が悪く、権力を背景にして既得権益を生み、国民の自由な活動の重荷になっている」。>
 これはこれで正しい指摘なのだが、この論説委員は細切れの言葉を取り出してきて並べるので、誤解を受けるのではないか、と思う。
 <その弊害を打ち破ろうと1994年に実現したのが衆院への小選挙区制導入を軸とする政治改革だった。後藤田氏の言葉を借りれば「与野党間で政権交代のある緊張した政治のシステムをつくる」ためである。それから15年。5回目の総選挙だ。>
 小選挙区制の弊害が言われて久しい。それだけに、小選挙区をいう時には後藤田氏の隠れ蓑を着るのか? 何か、すべて、虎の威を借りながらしかできないのか、と悲しくなる。しっかりせえ、朝日新聞論説委員!
 <政権交代の可能性が常に開かれた政治をつくる。政権を担える党が事実上自民党しかなかった55年体制に終止符を打つ。そんな「2009年体制」の幕を、今度の総選挙で切って落とすことができるかどうか。数々の政策課題の重さをも超える今回の選択の最大の意義はそこにある。>
 力むな、力むな。
 <政権党に重大な失政や魅力を欠くことがあれば、次の選挙でもう一方の政党に取り換える。そんな当たり前の原則をこの日本に定着させるのは、しかし、決して簡単な道程ではあるまい。内外ともに先を見通しにくい大転換期の中にあって、それに対応しきれない自民党長期政権の閉塞感は国民の間でかつてない広がりを見せている。だから民主党への支持が今のような高い数字を示しているのだろう。とはいえ首相が言うように、政権交代しても「明るい未来」がたちどころに訪れるはずもない。むしろ民主党には政権担当の経験がないだけに、一時的には混乱を招く可能性もある。>
 と今のうちに「ちゃんと指摘しといたからね」と言えるだけの指摘はしたふりをして、と。
 <民主党の「脱官僚」路線は機能するだろうか。子ども手当などマニフェストに掲げた新規政策の財源をひねり出すには、公共事業など他の予算を削る作業が伴う。それで不利益を被る人や団体の反発や抵抗に、民主党がたじろぐことはないか。自民、民主両党の政権公約の違いは分かっても、それぞれがよって立つ支持基盤や憲法、安全保障といった基本的な理念で、保守対リベラルというようなくっきりした対立軸が見えているわけではない。それどころか、似通った多様な主張が両党内に混在している。そのこともこの「政権選択選挙」を分かりにくくしている。小政党の主張をどうすれば反映できるかも課題だろう。そもそも2大政党の議席が拮抗すれば、敗者がばらけて勝者にすり寄る政党再編や離合集散、「大連立」のような動きもあり得るかもしれない。>
 何か、論理が滅茶苦茶になってきてないか。
 <だが、せっかくの2大政党・政権交代時代の流れを逆戻りさせることは許されない。政権党は日々の政治の中で自らの理念や存在理由を問い直し、政策を実現させていく。敗者は野党に徹し、「政権準備党」として次の総選挙に向けて自らを鍛え直すことがあくまで原則である。政権交代時代にふさわしい政党文化を日本でも育てなければならない。私たちはそのとば口にいる。政権交代がごく普通に繰り返される「2009年体制」の政治。30日の投票日、民意の力で新しい民主主義のページをめくりたい。>
 「許されない」などの高圧的な言葉遣いをいまだに平気でしているんだね、朝日新聞は。誰が許さない、というのか? 朝日新聞が許さないのか? だったら許さないことをやってやろうじゃないか、という天邪鬼だって出てこないとも限らない、と思うのだが。
◆◆毎日新聞
 毎日新聞の社説は<衆院選きょう公示/日本の未来を語れ>だ。
 <歴史的な選挙戦のスタートである。>
 として、
 <「歴史的」なのは、言うまでもなく政権選択の選挙だからだ。外国では選挙による政権交代は何ら珍しくない。しかし、日本では1955年の保守合同以来、もっぱら自民党を中心とする政治が続いてきた。その長期支配こそが日本の安定的な経済成長に役立ったという見方がある一方で、政治や官僚機構の「金属疲労」はもはや限界との声もある。いずれにせよ、日本独特の戦後体制について有権者の歴史観が問われる選挙でもあるはずだ。>
 この書き方だと1993~94年の騒ぎは何だったんだろう、とならないか。
 <しかし、17日に日本記者クラブで開かれた党首討論会を聞いて釈然としないものが残った。社会保障や雇用、子育てなど、暮らしに直結する問題を重点的に論じるのは当然だが、政権選択の判断材料はそれだけではない。外交や安全保障も含めて「日本をこういう国にしたい」という将来展望を国民にきちんと示すことも大切だ。>
 いいぞいいぞ、その通りだ。外交だ、安全保障だ。
 <そもそも各党のマニフェストが外交・安保に割いたスペースは少なく、党首討論会での議論も限られていた。大きな曲がり角の選挙なのに、曲がり角の先に将来の日本の姿が明確に見えてこないのが実情だろう。>
 ここで、筆者の癖なのだろうか、ケトウが出てくる。
 <米紙ロサンゼルス・タイムズの東京支局長を務めたサム・ジェームソンさん(73)は60年秋から半世紀近く日本に住んでいるが、今の日本人は60年代の「ハングリー精神」を失ったように見えるという。経済的な目標も低めに設定されているようで、日本はもっとやれるのに、というはがゆさを覚えるらしい。外交も同様だ。「相手が米国でも国連でも、反対されそうだと日本は提案しない傾向がある。たとえ反対されても継続してやることです。黙っていたら、日本の気持ちは同盟国の米国だって分かりませんよ」。前回総選挙で自民が大勝した2005年は日本が国連安保理の常任理事国入りを切望しながらよりによって米国の実質的な「ノー」で望みを絶たれた年でもあった。ジェームソンさんはそんな米国の態度を「同盟国の裏切り行為」と批判する一方で、最近の日本の防衛論議を憂慮する。「米国へ向かうミサイルを迎撃する能力があるのに日本がそうしないなら、日本は米国人の信頼を失い、日米同盟は実質的に終わるでしょう」。さらに現行の防衛分担を「米国は『危険、きつい、汚い』の3K、日本は『きれい、賢い、カッコいい』の3K」と表現し、手を汚すまいとする日本の姿勢に首をかしげる。日本の右派からもよく聞く主張ではあるが、知日派ジャーナリストの日本への憂いが伝わってくる。>
 残念ながらケトウの言う通りだ。毎日新聞には珍しい社説だな。産経新聞の社説を読んでいる気がしてきた。
 <日本の政治家や官僚が米国の顔色をうかがう傾向は昔から指摘されてきた。だが「対米追従」の実態とは何だろう。米国が有無を言わせず日本を従わせているのではなく、むしろ日本が自己規制や自縄自縛によって「思考停止」の状態に陥っているだけではないのかという指摘もある。だとすれば、米国自身が同盟国の助言を求めている昨今、「対米追従」に最も迷惑するのはオバマ政権、という逆説も成り立とう。この辺の問題を整理するのは大切である。表立った争点にはなっていないが、イラク戦争への対応も含めて「対米追従」への疑問は日本人の胸にわだかまり、各種選挙にも微妙な影響を与えてきた。マニフェストで自民は「日米同盟の強化」を、民主は「緊密で対等な日米同盟」をうたっているが、日米が率直に議論する同盟関係でなければ空疎な美辞麗句に終わってしまう。とりわけ今は日本が発言すべき時である。北朝鮮の核・ミサイルの脅威に対して日本には「ダモクレスの剣」にも似た不安が広がる。北朝鮮を念頭に置く敵基地攻撃や核武装をめぐる論争が起きているのも、そうした不安の反映だろうが、かといって非現実的な核武装などを論じても問題解決にはつながるまい。核をめぐる恐怖は60年代初頭、キューバ危機に直面した米国が一番よく承知していよう。時のケネディ大統領はソ連と談判してキューバから核ミサイルを撤去させた。だが、21世紀の東アジアに、北朝鮮の核兵器を廃棄に導く指導者(たち)が果たして現れるだろうか。厳しい局面にこそ冷静な議論が必要だ。今回の選挙では、あくまで生活上の諸問題が主な争点だが、日本は国際社会でどう生きていくかという、戦後の大きな懸案が改めて問われている。この歴史的な節目に当たり有権者は各党のマニフェストや論戦を吟味し、30日には貴重な一票を投じるべきである。>
 言っていることにほぼ賛成だ。キューバ危機だと思う。だから、キューバ危機なんだよ、と総理大臣がアメリカで言えばいい、と思う。それを言わないから誤解される。
◆◆産経新聞
 産経新聞は<「主張」。<衆院選公示/「国どうする」が不十分/政権交代論の危うさ直視を>である。政権交代って危ういんだよ、政権交代をしないほうがいいよ、安心できるよ、と言っているのだ。面白い社説だね。
 <第45回総選挙がきょう公示される。これからの日本丸の針路を決めるきわめて重要な選挙である。30日の投票まで、この国を誤りなく主導できる指導者と政党を、有権者は徹底的に吟味し、選び出さなければならない。その意味で、各党の代表は日本をどうするかという国のありようをあまり語っていない。きわめて残念である。政権交代の有無が最大の注目点となっているが、これは何かを実現するための手段でしかない。各党が訴えるべきは、日本が抱える内政外交の懸案をどう解決するかの処方箋だ。たとえば、ばらまき的な政策を続けることはできない。財源の確保とともに財政健全化の目標をどうするかだ。また、北朝鮮の核実験や弾道ミサイル発射を踏まえて、日米同盟が弱体化されても、日本の平和と安全が確保されるのかどうか。こうした基本的な問題への疑問にきちんと答えることが政権選択の前提であるはずだ。政権を担おうという自民、民主両党のさらなる努力と決断を強く求めたい。とくに政権政党となる可能性が出ている民主党は、こうした疑問に答えようとしていない。指摘されているのは、外交・安全保障政策の危うさや公約財源のあいまいさ、明確な経済成長戦略と財政健全化目標の欠落などだ。>
 まあ、そういうこと?
 <民主党はこれまでインド洋での海上自衛隊の補給支援や在日米軍駐留経費の日本側負担に関する特別協定などに反対してきた。さらに政権獲得後は「対等な日米関係」を現実の外交路線に採用しようとしている。補給支援は来年1月で終了させ、中長期的には沖縄の在日米軍基地の整理縮小を進めようという内容で、日米同盟の変質を招く政策判断といえる。同様の主張で反米姿勢を強める社民党との連立政権が樹立されれば、日米同盟関係への影響はさらに深刻化しよう。17日の日本記者クラブ主催の6党党首討論会では、麻生太郎首相と太田昭宏公明党代表が、細かい数字なども挙げながら、鳩山由紀夫民主党代表に公約財源をただした。鳩山氏は、自らは消費税率引き上げを4年間行わないと主張しながら、首相に対して来年中の税率引き上げを考えているかどうかを答えさせようとした。民主党の公約財源の説明はいまだに不十分だ。経済成長戦略についても、子ども手当などを家計支援策に位置付けているが、そのうちどれだけが消費に回るかの分析などはなく、内需拡大への効果は不透明だ。一方、自民党は今後の存続さえも危ぶまれる局面に立っていることを認識すべきだ。先月の東京都議選では大きく後退したが、自民党への逆風はさらに強まる様相を呈している。>
 くどい感じだ。
 <首相はこの日の党首討論で、米国に向けて北朝鮮から発射されたミサイルを日本が迎撃することなどに対し「北朝鮮という国が隣にある」ことを強調するとともに「安全保障の基盤を強化することは大事なことだ」と述べた。これまでの憲法解釈を変え、集団的自衛権の行使に踏み込む意欲を示したもので評価できるが、日本の国を守るという以上、行使に踏み切ることを明確にすべきである。そうした決意が欠けていることに国民の不満があり、指導力に疑問符が付けられているのではないか。自民党は日本の国益や国際的信用をどう維持し、国民の安全を高めていくかを、もっと具体的に示してほしい。そこに自民党の存在価値があるといえよう。現状のままでは国際社会での日本の存在が希薄化し、世界に対する日本の発信が止まる。改革が失速する内政と同様、外交面でも過去に後戻りすることが許される状況かどうか。一票を投じるまでの間、真剣に考えていきたい。>
 つまり、口先だけの民主党はダメだから自民党に投票しようと、とかなりのきつさで言っているわけだ。産経新聞的で面白かったが、それだけ。発展的な部分もなく、面白みがなかった。

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2009年8月 5日 (水)

「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書を取り上げた社説:朝日新聞・毎日新聞はどうして変革を恐れるのか? おかしいと思う~09年8月5日各紙社説

 「防衛計画の大綱」改定で有識者会議が麻生太郎首相に提出した報告書をめぐり報道各社は09年8月5日、社説で論評した。読売新聞、日経新聞、産経新聞は集団的自衛権見直しの提言を生かすべきだ、という趣旨。一方の朝日新聞、毎日新聞は集団的自衛権の見直しに慎重な姿勢を打ち出しており、いつもの2グループに分かれた形だ。

◆読売新聞の09年8月5日付社説

 読売新聞は第1社説<防衛有識者会議 大胆な提言を新大綱に生かせ>で扱った。

 <大胆かつ重要な提言が多数含まれている。>

 として、

 <国際的な安全保障環境が変化する中、日本の平和と安全を確保し続けるには、従来のタブーを排し、防衛政策や自衛隊の部隊編成・装備を見直すことが肝要だ。衆院選後の政権をどの政党が担うにせよ、年末に策定する予定の新防衛大綱に、この提言を極力反映させるよう努めるべきだ。>

 と好意的に評価している。どこを評価したのか、と言えば、

 <報告書は…米国の力が相対的に低下したとの現状認識を示し…日本や欧州諸国が共同で米国を補完し、国際的な安全保障問題の解決を目指す必要性を主張する。>

 として、

 <自衛隊が国際平和協力活動により積極的に参加するよう国連平和維持活動(PKO)の参加5原則の見直しやPKO協力法の改正を提唱した。国際テロや海賊の脅威に象徴されるように日本の安全は世界の平和と連動している。日本は国際社会による平和構築活動の一翼を担う責任がある。だが、日本の6月末のPKO参加人数は39人で、世界82位にすぎない。自衛隊の参加を増やすにはPKOの実態に即して柔軟に部隊を派遣する体制を整えることが大切だ。武器使用権限の拡大と、自衛隊の海外派遣に関する恒久法の整備にも取り組む必要がある。>

 と、まあ、ここまでは各社とも同じだろう。

 <報告書は集団的自衛権について米国に向かう弾道ミサイルの迎撃やミサイルを警戒する米軍艦船の防護を可能にするよう政府の憲法解釈の変更を求めた。4月の北朝鮮のミサイル発射時に自衛隊と米軍は共同対処した。日米同盟の信頼性を高めるには政府解釈の変更を急ぐべきだ。>

 と、ここが朝日新聞や毎日新聞と見解が分かれるところだ。

 <報告書は、敵基地攻撃能力の保有についても日米共同対処を前提に日本として適切な装備体系や運用方法、費用対効果を検討する必要性を強調している。米国の攻撃力を補完する形で、どんな役割分担が可能かを冷静に議論する意味は大きい。>

 あくまで日米軍事協調の下で自衛隊の戦闘能力を増やそう、というのだ。当たり前の話だろう。

 <武器輸出3原則について報告書は日本が装備品の国際的な共同開発・生産に参加できない問題を指摘し3原則の例外化を求めた。テロ・海賊対策支援目的の輸出の解禁も提唱した。日本が最新の軍事技術から取り残される事態は避けるべきだし、国際平和に寄与する武器輸出は容認するのが当然だろう。>

 これも当然の話だ。

◆日経新聞の社説

 日経新聞の第2社説は<党派超え防衛大綱に生かせ>だった。「党派を超え」と言っておかないと、民主党政権になった途端にゴミ箱に入れられたのでは堪らないからだろう。朝日新聞はゴミ箱に入れよ、というし、堪らんなぁ。

 <政府の「安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長・勝俣恒久東京電力会長)の報告書は、日本をとりまく安全保障環境に直視した問題提起を含んでいる。政府が年末にまとめる防衛計画の大綱の材料となる報告書である。どんな政権であれ、これらの提起を正面から受け止めざるを得ない。>

 としたうえで、

 <報告書は集団的自衛権をめぐる憲法解釈の変更、武器輸出三原則の緩和などを求める。日本の安全保障にとって不可欠な日米同盟の深化とともに、国際協力の質と量の充実のためとされる。私たちが指摘してきた問題意識とも共通する。集団的自衛権の解釈変更は①米国に向かうミサイルの迎撃②共同活動中の米軍艦船の防護③国連平和維持活動(PKO)での他国の要員の警護④PKOに参加する他国への補給などの後方支援――などを可能とするためとされる。日本のPKO参加数は主要国のなかで最低とされる。このため報告書は「他のG8諸国等と並ぶ応分の努力」を求める。報告書は武器輸出全般について抑制的な方針の堅持を主張する。しかし、現行の武器輸出三原則は最先端技術の獲得や日米防衛協力を妨げる面があるとし、見直しを求める。国際共同開発への参加で最先端技術を得るのは必要である。>

 これらが報告書が提示した現行防衛政策の見直しである。そして、日経新聞は、

 <安全保障政策のあり方は、政治的ではあるが、それが前提とする国際情勢は、日本の政権の枠組みの変化に影響される部分は、そう多くはない。日本周辺およびグローバルな情勢を現実的に分析すれば、懇談会の報告とおおむね似た内容になる。>

 と、基本認識はほぼ同じだとする。そのうえで、

 <1993年に発足した非自民の細川政権は防衛計画の大綱をまとめる材料づくりのために同様の有識者懇談会を設置した。懇談会は羽田政権を経て自民、社会、さきがけ3党連立による村山政権に報告書を提出し、村山政権の手で新たな防衛計画の大綱ができた。安全保障のために何を考え、何をすべきかは本来は党派的な作業ではない。右の例はその証明になる。30日の衆院選挙の結果、どのような政権ができても、この報告書を材料に党派を超えた議論がなされ、新たな大綱ができるのが望ましい。>

 と結んでいた。鳩山由紀夫政権ができることが確実視されている中で、この提言は重いと思う。村山政権が羽田政権からの引き継ぎ通りに防衛計画の大綱を作ったことなど、忘れていた。民主党はフラフラと腰が落ち着かないように見えるが、しっかりと集団的自衛権の解釈見直しに踏み込み、朝鮮半島問題や中国の軍拡問題に取り組んでほしいと思う。
 日経の社説は読売とほぼ同じ内容なのだが、読売より分かりやすかった。

◆産経新聞の主張

 産経新聞の社説(「主張」)は<安防懇報告書/専守防衛見直しは当然だ>だった。

 <麻生太郎首相の私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」の報告書は、年末に予定される「防衛計画の大綱」の改定に向け、日本の防衛の基本姿勢とされてきた専守防衛を見直すことを提言した。専守防衛とは憲法の理念にのっとった受動的な防衛戦略の姿勢とされる。具体的には①武力攻撃を受けたとき初めて防衛力を行使する②自衛のための必要最小限の防衛力の保持――をうたっている。だが、これでは、北朝鮮が核弾頭を搭載した弾道ミサイルを発射した場合、攻撃された後しか対応できない。日本の平和と安全は確保されないことになる。憲法9条の戦力不保持規定と結びつき、防衛政策を縛ってきた専守防衛を「今日の視点で検証する」のは当然だ。日本の防衛を具体的に考える上で「専守防衛という言葉が、自由な思考・発想を止めてしまう要因になっている」という報告書の指摘はその通りだ。専守防衛の姿勢が「日本は国際社会で何をするのか」についての説明になっていないという問題点も挙げている。これまで専守防衛は「聖域」とされてきたが、これを再検討して現実的な防衛政策を求めた提言を評価したい。その意味で50年以上前に決定され、国連外交の努力などを盛り込んだ「国防の基本方針」に代えて「安全保障政策の基本方針」を新たに定めるべきだとする主張もうなずける。>

 全面賛成である。

 <北の米国向けミサイルを迎撃するため、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更も求めた。ほとんど同じ考えを自民党はマニフェスト(政権公約)に掲げた。これらの問題を民主党はどう考えるのか。国を守る基本的な考え方を正面から論じ合うべきだ。また、中国の軍事力増強が地域の不安定要因になり得ると指摘した。中国海軍の活動を念頭に東シナ海など日本周辺海域で自衛隊が警戒監視などの日常的活動を続けることが、米軍との連携とともに重要な抑止力になると強調した意味は大きい。国際平和協力活動についても「G8(主要8カ国)に並ぶ応分の努力」を課した。これらの「役割の拡大」に対し、財政状況から防衛力の縮減・効率化を迫られてきたことについては「現状の水準が十分かどうかを検証すべきだ」と結論づけた。高まる脅威への万全な備えを強く求めたい。>

 民主党がこの提言を取り入れる形で防衛大綱つくりをできるかどうか。正念場だろうと思うが、今の民主党だと逃げるだろうなぁ。社民党との連立を考えれば、とか何とか言って。でも、民主党って本当に社民党と連立するつもりなのだろうか?

◆朝日新聞の社説

 朝日新聞の第2社説は<安保懇報告/憲法原則踏まえて論戦を>だった。

 <日本の安全保障をめぐる環境は激変しており、それに応じて防衛力のあり方を変えなければならない。専守防衛の原則にも整理が必要だ――。こんな内容の報告書を政府の「安全保障と防衛力に関する懇談会」がまとめ麻生首相に提出した。日本はどんな防衛力を持つべきか、その基本方針を定めた「防衛計画の大綱」を政府は年内に改定する予定だ。この報告書はそれに向けて有識者の意見を聞いたものだ。もっとも、今月末には総選挙が行われ、政権交代もありうる。報告書は自民党の防衛政策と重なる点も多く、民主党政権になれば棚上げにされる可能性も大きい。>

 はっきりしている。自分が反対だから、民主党に「ゴミ箱に入れろ」と言っているようなものだ。

 <報告書でまず目を引くのは、北朝鮮の弾道ミサイルに対応するためとして集団的自衛権をめぐる解釈の見直しを求めたことだ。具体的には▽北朝鮮から米国に向けて発射されたミサイルを、日本の自衛隊が迎撃できる▽ミサイル警戒にあたる米軍艦船を、日本が直接の攻撃を受けていなくても防護できる。この2点に道を開くべきだという。軍事技術の高度化で、従来の法的概念では対処しにくい問題が生じてきたのは確かだ。ただ、現在の技術の限界も含めて現実に即して運用を論議すべきであり、憲法上、行使できないとしている集団的自衛権の問題と関連づける必要があるとは思えない。より問題なのは「専守防衛」の原則について、その意味を明確にし、できることとできないことを整理すべきだと指摘した点だ。専守防衛の「語感」が日本防衛のためにどんな装備体系や部隊運用が必要かを自由に議論する妨げになっているというのが理由だという。これはあまりに短絡な主張ではないか。専守防衛は憲法9条のもとで自衛隊を持つにあたって、ゆるがせにできない原則である。報告書は「先制攻撃は憲法で禁じられているという基本は押さえつつ」としているが、自衛隊の果たせる役割を拡大したいという考え方だろう。ならば、どう広げるのかを具体的に指摘し、専守防衛原則との整合性を厳密に論じるべきだ。また、兵器の国際共同開発に日本企業も加われるよう、武器輸出3原則の緩和を提言した。防衛産業のビジネス拡大が絡む話だ。だが、平和国家としての日本のソフトパワーが損なわれるデメリットは小さくない。>

 全面否定じゃないか。朝日新聞はやっぱり「先祖帰り」してしまったようだ。そのうち「憲法9条改正断固反対」と叫び出すのだろう。どうしてそこまで頑なになってしまったのか? まだまだ若宮氏の影響力が強いのか?

 <報告書を受け取った麻生首相は、防衛に対する自民党の責任感を強調した。一方の鳩山民主党代表は「政権をとったら我々の視点で見直す」と述べた。だが、政権選択の総選挙で、安全保障政策があいまいなままではならない。憲法原則を含め、民主党の考えをはっきり聞かせてもらいたい。>

 この最後の「付け足し」がいかにも朝日新聞的で嫌らしい。

 一体どうやって日本を守ろうと考えているのか、朝日新聞こそ対案をキッチリ示すべきだろう、ここまで反対するのならば。

◆毎日新聞の社説

 毎日新聞の第2社説も<集団的自衛権/疑問残る「容認」の提言>という朝日新聞とよく似ている内容だった。

 <年末の「防衛計画の大綱」改定に向けて、政府の「安全保障と防衛力に関する懇談会」が報告書をまとめ、麻生太郎首相に提出した。集団的自衛権が行使できるよう政府の憲法解釈を変更するよう提言し、武器輸出三原則の緩和も求めている。政府は従来、憲法9条が許容する自衛権行使は日本を防衛する必要最小限度にとどめるべきで、集団的自衛権の行使はその範囲を超え、憲法上許されないとしてきた。報告書は、北朝鮮が米国に向けて発射したミサイル迎撃と、共同行動時の自衛隊による米艦船防護を可能とするための憲法解釈見直しを主張した。理由について報告書は①ミサイル防衛は日米連携で運用される②ハワイなどは日本が攻撃された時に米軍が来援する拠点である③対応できなければ日米同盟の信頼性が低下する――などと指摘、日本の安全のために見直しが必要だとしている。>

 その通りだ。

 <日米同盟は日本の安保政策の大きな柱であり、北朝鮮のミサイルなど脅威が多様化し、国際社会の共同対処が重視されるなど安保環境は変化している。報告書が指摘する2類型が日米同盟の効果的な維持に必要だとする政治的要請が強くなっているのは事実だろう。また、これらは集団的自衛権行使の限定されたケースにとどまっているとも言える。>

 何を言っているのかよく分からない。もっとズバリと書けばいい

 <が、疑問も残る。日米同盟の信頼性維持や米国への攻撃が日本の安全を脅かすというのが軍事的対応を認める理由とすれば、同様の論理で米同時多発テロのような米国への攻撃にも対応すべきだという議論に結びつく可能性がある。実際、北大西洋条約機構(NATO)加盟の英国などは集団的自衛権の行使としてアフガニスタン戦争に参加した。また政府の憲法解釈は長年にわたる国会論議の積み重ねの結果でもある。国の法体系の根幹である憲法の解釈は純粋に法理論上の問題という側面を持つ。安保環境の変化にとどまらず精緻な理論付けが必要だ。自民党は衆院選マニフェストで報告書の2類型を許容する方針を打ち出したが、民主党は触れていない。姿勢を明確にしてもらいたい。>

 国会答弁の積み重ねという従来の手法で通用しなくなったから、新たな方策を検討するんじゃなかったのか? 民主党にここで急に要望するのも何か変だ。何か、この社説って支離滅裂なんじゃないか?

 <一方、武器輸出三原則について報告書は、一国での開発では多額の経費がかかるなどと指摘し、最先端技術の取得や日米防衛協力の進展、国内防衛産業の育成への制約になれば防衛力低下につながると緩和を促した。しかし、日本が三原則などにより「(軍縮で)国際社会をリードできる立場にある」(外務省「日本の軍縮・不拡散外交」)のは事実だ。平和外交のよりどころを、コストなどを理由に「緩和」するのは違和感がある。現行通り、三原則の例外を個別に検討する方式が望ましい。>

 武器輸出三原則の見直しはすべきだ、と私は思う。外務省の軍縮パンフレットは日本をPRする一つのパンフだが、そのパンフによって日本の対外基本方針策定が縛られる、などというのは本末転倒も甚だしい。毎日新聞論説委員はもう少し武器輸出三原則のもたらした弊害を虚心坦懐に検証すべきではないか、と思う。

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2009年7月15日 (水)

朝日新聞社説は「北朝鮮貨物検査特別措置法案の廃案やむなし」だった:国益に反するのに~09年7月15日朝日新聞、読売新聞社説

 北朝鮮貨物検査特別措置法案が廃案になり、北朝鮮の船舶の検査が十分にできない事態になることが確定的だそうだ。読売新聞は09年7月15日の第1社説<問責決議可決/民主党は貨物法案を葬るのか>で民主党を批判していた。読んでみよう。
 <野党4党が衆院に提出した内閣不信任決議案は否決されたものの、麻生首相問責決議案は参院で可決された。野党は自らが問責した首相の下では国会審議に応じられないとして、衆参両院で全面的な審議拒否に入った。このままの状況が続けば21日にも予定される衆院解散で北朝鮮貨物検査特別措置法案など政府提出の17法案は廃案になる。児童ポルノ禁止法改正案のように与党と民主党が法案修正で合意目前だった議員立法も同様だ。>
 という状態になったのである。
 <民主党は貨物検査法案をこのまま廃案にしてよいと思っているのだろうか。法案が成立しないと北朝鮮に出入りする船舶への貨物検査や禁輸品の押収を海上保安庁や税関が実施できない状態が続くことになる。これらの措置は、北朝鮮に対する国連安全保障理事会の制裁決議に基づくものだ。民主党の鳩山代表は記者会見で法案の早期成立を是認する意向を示していた。民主党が掲げる国連中心主義にも合致する。法案に賛成するのが筋だろう。>
 この主張は正しいと思う。
 <民主党内には法案が海上自衛隊の派遣も可能にしているため、旧社会党系議員を中心に消極的な意見がある。法案への賛成は衆院選を前にして、社民党との選挙協力に悪影響が出ることを懸念したとの見方もある。国内法の不備を放置するツケが近い将来、民主党に回ってこないとも限らない。>
 民主党政権ができれば、すぐさまツケが回ってくるはずだ。
 <衆院選から数週間後の9月後半にニューヨークで国連総会、ピッツバーグで世界20か国・地域(G20)金融サミットが開かれる。日本の首相も出席しその場でオバマ大統領との日米首脳会談や胡錦濤国家主席との日中首脳会談が行われる可能性も高い。中国はじめ各国の首脳に対し制裁決議の厳格な履行を促し、北朝鮮に核廃棄を迫る国際包囲網の強化を訴える絶好の機会だ。衆院選で民主党が勝利し、政権交代が実現すれば「鳩山首相」の外交デビューとなる。その時、貨物検査法案が成立していなければ「鳩山首相」の訴えはまったく迫力を欠くものとなろう。民主党はそれでもよいのか。>
 そういう日程だ。民主党は自分で自分の首を絞めているとしか思えないのだが、理由はやはり社民党との選挙協力なのだろうか? だとしたら、考え違いも甚だしい、と言わざるを得ない。国益という政党を超えて守らねばならない至高の目標を犠牲にして政党の利害を優先していたら、ちょうど昭和初期の政党が政党の利害で軍部の統帥権干犯主張に与した二の舞いになるのではないか。右と左が入れ替わるだけで、構図は同じだ。
 <審議拒否の理由について、与党は鳩山代表の個人献金偽装問題を国会で追及されたくないからだと批判している。与党の批判の当否はともかく、民主党はやはり北朝鮮貨物検査法案の今国会での成立に協力すべきであろう。>
 という至極最もな主張だった。
◆朝日新聞は「廃案やむなし」論
 驚いたのは朝日新聞の社説が民主党の肩を持って「廃案やむなし」と結論付けていたことだった。見出しは<国会空転/解散予告の余計な空白>だ。
 読んでみよう。
 <麻生首相の異例の「解散予告」で、国会がなんとも間延びしたものになってしまった。与党は、来週早々といわれる衆院の解散まで粛々と法案審議をしようと言う。野党は内閣不信任案こそ衆院で否決されたものの、参院で首相問責決議を可決し、早く解散せよと迫って審議拒否に入った。与野党が合意しての「話し合い解散」ならば、法案を処理したうえでという運びになるのだろう。だが、今回は野党側の不信任案提出の動きに、首相が先手を打った。与野党が激しくぶつかり合うのは仕方ない成り行きだ。本来なら即解散で、選挙戦での激突となるのが普通である。解散までの1週間の国会空転はどうにも余計な空白と言うよりない。さらに8月30日という投票日は解散から「40日以内に」という憲法の規定いっぱいの設定だ。首相はこれまで総選挙先延ばしの理由として「政治空白は許されない」とあれほど言ってきたのに、わざわざ最も長い空白を設けざるを得なかった。東京都議選での惨敗ショックから立ち直るため日にちをあけたい。そんな与党の事情に屈したわけだが、何ともわかりにくい妥協劇だった。>
 まだるっこしい前文である。
 <野党の審議拒否で、北朝鮮制裁のために検討されてきた貨物検査特別措置法案は、解散とともに廃案になる。首相は安全保障にかかわる重大な法案なのにその審議を投げ出すとは「考えられない」と、民主党など野党への非難のトーンを上げている。だが、これは言いがかりに近い。首相自身が都議選直後の衆院解散を思い描いていたからだ。それが実現していれば特措法案がただちに廃案になることは承知していたはずだ。>
 麻生首相だって廃案を覚悟していたのだろう、だから民主党だけを責めるのはおかしい、という理屈だ。隣の男だって立小便をしただろう、その隣の男が道に犬の糞をさせたことだけを責めるのはおかしい、責めるな、と言うのに等しい。どっちも責められるべきだが、麻生首相は現実には都議選直後に衆院解散をしていないのだから、同列に比べること自体おかしい。政治は結果責任なのだ、ということを朝日新聞の論説委員は知らないのだろうか?
 <日本は国連安保理で貨物検査を含む制裁強化を主張した。決議を実行するための法整備は必要だが、今国会で断念することはやむを得まい。法案は海上検査の主体を海上保安庁とし「特別な事情がある場合」に海上自衛隊が限定的にかかわるとするなど、自衛隊を使うことに慎重な野党側にも配慮した内容になっている。それでも「特別な事情」とは具体的にどんな場合なのか、自衛隊はどんな活動が許されるのか、国会は関与しなくていいのかなど、多くの疑問点が残っている。十分な審議もせずに、解散前に駆け込みで処理するより、選挙後の国会で仕切り直しする方がいい。>
 結局、朝日新聞は自衛隊海外派遣はだめ、という原点に回帰してしまったのだろうか。
 <廃案になるのはこれだけではない。労働者派遣法改正案や障害者自立支援法改正案、児童ポルノ禁止法改正案など、国民生活にかかわる法案がいくつも消えてしまう。与野党協議が進んでいたものもあるだけに残念だが、総選挙後の新たな政権のもとで、よりよい内容をめざしたい。>
 朝日新聞の論説委員は読売新聞の社説を読んで勉強すべきだと思う。民主党政権の首相、つまり鳩山由紀夫首相が誕生する可能性が非常に高い中、今後の国際会議日程を考えれば、民主党首相はこのままでは国際会議で日本としての主張をできなくなるのではないか、と危惧されるのだ。
 その辺、もう少し大局的な視点で社説を書いてほしい、と要望したい。

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2009年6月26日 (金)

「台湾統治証言の歪曲番組で精神的苦痛」:NHKを8400人が集団提訴~産経新聞6月26日朝刊

 産経新聞6月26日朝刊1面トップは<NHKを8400人集団提訴/「番組で台湾統治証言 歪曲」精神的苦痛/責務見失う公共放送>だった。提訴記事と関連記事を一緒にした見出しのようだ。

 まず、本記部分を見てみよう。

 <NHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー アジアの“一等国”」に出演した台湾人や日台友好団体などから番組内容に偏向・歪曲があったと批判が相次いでいる問題で、視聴者約8400人が25日、放送法などに反した番組を見たことで精神的苦痛を受けたとして、NHKに計約8400万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。>

 <問題の番組は日本の台湾統治時代を取り上げたもので、4月5日に放送された。放送直後から「日本の台湾統治を批判するため、証言をねじ曲げている」などの批判が相次いだ。>

 <原告は訴状で番組について「取材に応じた台湾人の話を、一方的に都合良く編集して使っている」などと指摘。具体的には①台湾統治下の暴動を「日台戦争」と表現②「日英博覧会」でパイワン族の生活状況を実演紹介した企画を「人間動物園」と表現などを挙げ、番組にはやらせや事実の歪曲・捏造があり、放送法に違反する番組だった――などと主張している。原告には約150人の台湾人も含まれている。原告側は今後、出演した台湾人や友好団体の関係者の証人申請や出演者らがNHKに出した抗議文などの提出も検討している。また、東京、大阪、名古屋では放送に反発する地方議員や有識者ら有志が抗議デモを行った。>

 <NHK広報局は「訴状を受け取っていないのでコメントできない。番組の内容には問題がなかったと考えている」としている。>

 以下は[キーワード]的な言葉説明だ。

◆<「シリーズ・JAPANデビュー」=NHKによると、近代国家を目指し世界にデビューした日本がなぜ国際社会で孤立し敗戦を迎えたのかを考え、未来へのヒントを探るのが企画の狙い。テーマは「アジア」「天皇と憲法」「貿易」「軍事」の4つで、うち「アジアの“一等国”」は、その第1回。近代日本とアジアの原点を台湾統治に探る内容としている。>

 関連記事も多い。

 まずは同じ日の3面トップ<NHK集団提訴/「日台戦争」「人間動物園」負の側面強調/造語・異説 軸に構成>である。

 <集団訴訟が提起されたNHKスペシャル「シリーズ・JAPANデビュー アジアの“一等国”」。NHKはこれまで放送内容には問題はなく、偏向もしていないと強調している。しかし、8千人を超える原告の数は今も増え続けており、第2次提訴も検討されている。一体、番組のどこの部分が問題とされているのか。>

 という前文で、新聞には◆の小見出しは入っておらず、ネットだけに入っていた。

◆日台戦争

 <《日本軍に対し、台湾人の抵抗は激しさを増していきます。戦いは全土に広がり、のちに「日台戦争」と呼ばれる規模へと拡大していきます》>
 <台湾と日本の間に戦争の過去はない。出演した台湾人からも「先住民族の抵抗なら治安の悪化だ」「戦争は言い過ぎ。NHKの誤り」などと抗議があがっている。>
 <NHKは「日台戦争」という言葉について、日本の大学教授らが使っていると根拠を挙げた。しかし、「平成に入って用いられた造語。確かに『日台戦争』という言葉を一部の大学教授が使っているが原典は戦争の定義もしておらず、治安回復のための掃討戦に過ぎない」(日本李登輝友の会関係者)という。>

◆人間動物園

 <《イギリスやフランスは博覧会などで植民地の人々を盛んに見せ物にしていました。人を展示する「人間動物園」と呼ばれました》>

 <NHKは、1910年の日英博覧会のパイワン族の写真に、「人間動物園」の文字をかぶせた。フランスの学者、ブランシャール氏の共著「人間動物園」などを参考にしたという。>
 <しかし、当時イギリスやフランスでそうした言葉が使われていたのかどうかは明らかにしていない。また日英博覧会には、パイワン族だけでなく、日本の村やアイヌの村、力士も参加していた。>

 <これを今も栄誉としている村もあり、「日本政府がパイワン族の実演を『人間動物園』と呼んだことはない」(訴状)、「パイワン族に対する人権問題」(出演者)と訂正を求める声が出ている。>

 <番組放映放映直後から、「日本の台湾統治の悪い面ばかりを強調している」「明らかに制作者側の悪意が感じられる」などの声が続出。「後藤新平を弾圧差別の首謀者として描くなど総じて台湾統治の負の側面をことさらに強調しており、わが国を不当に貶めた番組」だという怒りも。>

◆経営委員からの疑義

 <NHKは膨大な資料と関係者への取材を踏まえた番組で事実に基づき、問題はないとホームページで説明している。しかし、5月26日のNHK経営委員会では小林英明委員(弁護士)が「日本と台湾の間に戦争がなければ、そのような内容を放送することは放送法に違反する」「学会で多数説でなく、少数説や異説なら、そう説明するのが正しい放送では?」と問う場面があった。>

 <日向英実放送総局長は「一説とは考えていない」と答え、多数説なのかは、次回へ持ち越されることになった。経営委員会内部では個別の番組の是非を論じるのを差し控える空気もあるようで、小林委員の意見に他委員が「そういう意見が経営とどう関係しているのですか」とクギを刺す一幕もあったという。>

 このほか、同じ3面には<パイワン族 質問状提出へ>の2段記事と<台湾民間団体がNHKに抗議書>のベタ記事がついていた。ベタ記事だけネットにあったのでコピペしておく。

 <【台北=山本勲】台湾の民間団体「友愛グループ(台北市、陳絢暉会長)」は22日、NHKのドキュメンタリー番組「アジアの“一等国”」(4月5日放映)がグループ関係者の発言を偏向報道したとして抗議と訂正を求める文書を福地茂雄会長あてに郵送した。友愛グループは戦前の台湾で日本語教育を受けた世代を中心に「美しく正しい日本語を台湾に残そう」との趣旨で1990年代初めに発足、勉強会などの活動を続けてきた。>

 <同グループによると、NHKはインタビューした元メンバーの柯徳三さんら友愛会関係者の発言中、日本を批判した部分だけを放映し台湾の人の心と日台関係を傷つけたという。>

 このほか、1面に安藤慶太記者の解説が掲載されていたが、ネットでみつからなかったので、書かない。

 大きな問題になってきたようだ。

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鷲田清一氏の臓器移植問題の見解、勉強になった~「あらたにす」09年6月26日

 臓器移植問題は難しい。先に毎日新聞6月21日朝刊の[社説ウオッチング]で各社の社説を比較していたことを取り上げたが、その中で地方紙の社説が中央紙に比べて「脳死は人の死」という新しい「死の定義」を「時期尚早」とする論が多い、とあったことが印象に残っていた。

http://mainichi.jp/select/opinion/watching/news/20090621ddm004070026000c.html

 [社説ウオッチング]では、ニューヨークやワシントンD.Cのような開明派の都市と中部地区の保守の岩盤で大きく民意が違っているように、日本でも都市住民のテレビなどのマスメディアに影響されやすい、つまり、地域の絆から発想する地に足の着いていない国民と、いまだに地域的なコミュニティーが残る地域の国民との間に差があるのではないか、という仮説を提起していたのが面白かったのだが、朝日新聞、日経新聞、読売新聞3紙が共同運営するサイト[あらたにす]の<新聞案内人>は6月26日、哲学者で大阪大学総長の鷲田清一氏による<臓器移植法『改正』をめぐって>というコラムを掲載、考えさえる内容だった。

 鷲田氏らしく、死生観の問題正面から対峙し、法案の遅れは国会の責任だけでなく、国民の責任だが、時間を区切って拙速で決める問題ではない、と結論付けていた。正しい結論だと思う。

http://allatanys.jp/B001/UGC020005320090626COK00327.html

 鷲田論文を読んでみよう。

 <臓器移植法の改正が、衆議院で採決された。委員会での議論は9時間にも満たないものだったと聞く。あまりにも大きな問題がここには含まれており、ここで許される紙幅ではその全体について一つ一つ論じることはできないが、現時点でとにかく確認しておかねばならないと思われる点についてのみ記しておきたい。>

 そういうことだと思う。

 <今回改正されたのは、11年半前に採択された臓器移植法である。これはその3年後に「見直し」をするとしていたが、じつはその後現在までたなざらしにされてきたものである。その問題性については最後に書く。>

 そういうことだ。

 <今回の改正点でもっとも重要なことは、まず、「死の定義」が変更されたことである。現行法では、本人と家族の両方の同意があるときにかぎり、脳死となった人を死者とみなし、臓器を摘出できるとしている。これはつまり、移植を前提としたときのみ脳死は人の死とされるとするものである。しかも15歳未満の子どもからは臓器摘出できない。今回それが「改正」された。一律に「脳死を人の死とみなす」とされたのである。>

 今回の騒ぎのポイントである。

 <こうした「改正」を待望する背景には、移植待機患者をどのようにしたら解消できるかという問題がある。小児の場合には、現在のところ海外での渡航移植しか手がないということもその背後にある。臓器提供の条件の緩和ということが、現行法改正の主眼点になっているのには、こうした差し迫った事情がある。>

 客観的事情だ。

 <これに対して「改正」に慎重である人たち、あるいは反対する人たちが深く危惧するのは、技術的な問題と「そもそも」の問題とである。>

 二つの大きな問題があるのだ、と。

 <技術的な問題というのは、小児にはしばしば長期脳死というケースも見受けられ、実際の脳死判定が極めて難しいということである。これに論理的な問題をも付け加えるならば、仮にもし小児についても精確な脳死判定の方法が確立したとしても、それはあくまで「脳死状態」の確定にすぎず、それで「死」であるかどうかは別の問題である。>

 そういうことなのだ。判定だって人間がやること。一定の基準を作って、それに合致するかどうかを判定するのだが、あくまで今段階の科学技術をもとにやるのだから、10年後だったら「死」と判定されないものが「死」の判定を受けることだってある。

 <さらにここからは、技術的な問題を超えて次のような問題も出てくる。昨日まで元気だった小児が、事故や病気で突然、脳死状態になった場合に、果たして、その家族に冷静で沈着な判断ができるのかという、これまた大きな問題である。>

 ここである。新聞の社説や雑誌の論文でもあまり出てこなかった問題だが、もしかすると、最も大きな問題なのかもしれない、と思っている。

 <「そもそも」の問題というのは、他の患者からの臓器提供を期待する、つまりは他者の「死」を前提とするような医療が、そもそも医療として適切なものかどうかという問題である。実際、わが国の難病、心臓病、人工透析患者を救うには、それに見合う怖ろしい数の脳死者が必要となる。が、本当は交通事故の防止対策と、より充実した救急医療体制の確立によって、そうした脳死者の増加を(待望するのではなく)防ぐのも、わたしたちの社会に迫られたもう一つの課題であるはずである。>

 そうなのだ。人の「善」はその方向で進むべきである。

 <このように、一方には、何としてもこの人、この子の命を救いたいという、待ったなしの切なる要請がある。他方には、何としてもこの人、この子の死を、十分納得したうえで認めたいという思いがある。あるいは、納得できないまま、長期脳死状態にいる人の傍らで懸命に生きている家族の姿がある。臓器移植が医療の課題であるとしたら、それは、そもそもこうした二律背反に引き裂かれざるをえないものである。>

 臓器移植というのが適切な医療法なのか、とは書いていないが、その問題を突きつけているのだと思う。私は他人の死を待ち焦がれるような医療は人間性に反する欲望ギラギラの医療であり、それはもはや医療の名に値しないと思っているのだが。

 <言い換えると、それらは両立しがたい要請である。それはまず「時間がない」と「時間が要る」との背反だからである。それはまた、単なる臓器の問題ではなく、いずれも互いの要請に反する形で「だれ」という名を持ったかけがえのない存在を(それぞれ反対方向から)護ろうとしているからである。>

 脳死者だってかけがえのない存在なのだ、と。鷲田氏はそうはっきりとは書いていないが、視点は脳死者ではなく、その脳死者を慈しみ、思いやる他者に向かっている。脳死者の「死」がその他社をいかに悲しませるか、喪失がどのような思いを生むか、を考えているように思えるのだ。

 <臓器移植という先端医療は、このように二つの生命のどちらかを二者択一しなければならない状況を生み出している。あるいは「人としての幸福」への希求と「人としての尊厳」という倫理的要請とがここでは二者択一という対立関係に入っている、と言い換えてもよい。>

 そういうことなのだ。

 <臓器移植法改正の前と後にある二つの重大な問題を、次に指摘しておきたい。>

 として、

 <まず事後の問題として危ぶまれるのは、これにより脳死が一律に人の死とみなされることによって、今後、移植を前提にしない治療でも脳死判定し、死亡宣告できるという事態が起こりうるということである。人の死が法律によって規定されることによって、本来、こうした医療従事者のうちにあるはずのジレンマが解消されてしまわないかということを、わたしは怖れる。>

 これは大きな問題なのだ。

 <つまり、「このことで、失われゆくひとつの命が救われるのだからやむをえず」という、脳死者の臓器を待望してしまうまさにその苦渋がしだいに薄まり、「法律に則っているのだから問題はない」というふうに、その苦渋が免除され、「人としての尊厳」に無感覚になってしまいかねない、ということである。法律化されることによって、もやもやした倫理的な責めの意識が医療従事者からすっきり免除されることの方を、私は怖れる。>

 そこが問題なのだが、新聞記者には書けないことだったのだろう。ここまで踏み込んで書いていた社説はなかった。「死」が定義された瞬間から「死」は自分のものではなく、いわば国家に管理されたものになってしまう。

 <次に事前の問題としてわたしが指摘しておきたいのは、今回の衆議院での議論においては、現行法が制定されるまでの賛否両論の長い困難な議論が、十分に検証もしくは参照されなかったことである。これまで10年近く、現行法の「見直し」は放置されてきた。これが決定的な問題であろうと思う。>

 臓器移植法ができた時の苦渋。あれを思い出せ、と。[社説ウオッチング]にあったように、あの時から民意は大きくは動いていないのだ。

 <この議論には、そもそも先に触れたような二律背反が含まれている限り、全員が同意できる「正解」はあり得ない。あり得るとしたら、それは「納得」と言うしかないものである。>

 なるほど、「正解」ではなく「納得」しかないのか。そういう問題はあるだろう。離婚の例が出る。

 <例としては適切ではないかもしれないが、家裁の調停員をかつてやっていた知人の経験によれば、たとえば離婚の調停において、双方がそれぞれの言い分をとことんぶつけあって、「もう万策尽きた」「もうあきらめた」と観念したとき、まさにその時にかろうじて話し合いの道が開けるのだという。訴えあいのプロセス、議論のプロセスが尽くされて初め開けて来る道がある、と。「正解」がここに下りてくるというのではない。「理解できないけれど納得はできる」「解決にはならないけれど納得はできる」という事態が生まれるということである。>

 この辺、さすが哲学者だと思う。新聞記者にはこのような突き詰めたワーディングの追求はできなかっただろう。

 <「納得」ということは、果てしのない議論からどちらも最後まで降りなかった、逃げなかったということの確認の後にしか、生まれてこない。長くて苦しい議論、譲れない主張の応酬の果てに、そんな苦しい中で双方が最後まで議論の土俵から下りなかったことにふと思いが及ぶ瞬間に、初めて相手に歩み寄り、相手の内なる疼きを本当に聴くことができるようになる。>

 泥仕合をしないと、お互いを傷つけあい、罵り合って、自分の主張を泣き叫びながら声にしないと、納得は出てこないのだろう。

 <そういう「納得」をもたらすはずの時間、あるいはもたらすことに通じる時間を削除してきた。これがこのたびの「改正」に到るまでの、衆議院議員のみならず、わたしたち全員の、ほんとうの怠慢であったのではないだろうか。>

 さすがに哲学者という人種は考えが深いと思う。

 まずは参院で徹底審議をして、民主党や社民党の有志が主張するように脳死臨調を設ける、という方法が今のところ、無理のない道なのかもしれない。衆院解散で廃案になるのもやむを得ない。

 それにしても、[社説ウオッチング]にあったが、河野太郎氏らの多数派工作には驚いた。やるべきでないことをやった感じがしてならない。衆院議員一人一人が自分自身、深く考え、決断すべき問題に自民党総裁選並みの◎×方式で多数派工作していた、というのだから呆れてしまう。

 河野洋平衆院議長の花道として改正案を成立させたかった、という記事も散見された。「そんな問題じゃないだろう!」と思うのだが。

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2009年6月21日 (日)

臓器移植法案衆院可決の地方紙を含めた各紙社説まとめ~毎日新聞6月21日朝刊

 臓器移植法案が衆院本会議を通過した。毎日新聞が6月21日朝刊の大型コラム[社説ウオッチング]で<臓器移植法改正/毎日・朝日「参院で審議尽くせ」/読売・日経・産経はA案可決を積極評価>の見出しでまとめていた。小見出しは<多数派工作も>、<多くの地方紙は懐疑的>、<死生観、変化せず?>の三つだった。コピペしておく。

http://mainichi.jp/select/opinion/watching/news/20090621ddm004070026000c.html

 <臓器移植法改正4法案をめぐる採決が18日、衆院本会議で行われ、最初に採決された「A案」が可決された。現行法で禁止している15歳未満の子どもの臓器提供に道を開き、大人の場合も含めて家族の承諾があれば提供を可能にする内容で、脳死を人の死としとした。A案可決により、死の定義は変えずに、臓器提供可能な年齢を下げるB、D案や現行法の脳死判定条件を厳格化するC案は採決されなかった。棄権を決めた共産党以外は党議拘束を外し、麻生太郎首相、鳩山由紀夫・民主党代表が反対。小泉純一郎元首相や小沢一郎・民主党代表代行は賛成するなど判断が割れ、430人が投票した結果、賛成263、反対167(棄権・欠席47)だった。>

 ここまでは経過説明。

 <議員一人一人が信念で投票する、との建前だったが、A案提出者の河野太郎・自民党衆院議員が18日付のメールマガジンで「A案は、採決日が決まったときには、二百二十一までは本人確認がきちんとできていて、共産党が棄権するならば、あと何票必要というところまで落とし込んでいた。テレビや新聞が、連日のように四案とも過半数取れる見込みはないなどといっていたが、そんなことは最初から全くなかった」と勝利宣言したように、A案支持議員らの自民党総裁選並みの多数派工作の影響も少なくなかったようだ。>

 この多数派工作については各紙触れていたが、産経新聞と毎日新聞が詳しかった。

 <19日社説は「死生観を問われる難しい問題だが、これ以上、結論を先送りすることはできない」とする読売と日経、産経が積極評価派、「各案が十分に検討されたとはいえず、議員や国民の間に理解が行き渡っているとは思えない」とした毎日と朝日が慎重審議派と、一応は分類できる。しかし、各社とも本文は一本調子ではなく、衆院議員同様、死生観や幼い子の命の重さに悩んだ跡が見える。>

 一応は二分類できる、と。見出しだけ見ればそうだ。

 <積極評価派は①脳死を「人の死」とするのは世界保健機関(WHO)の指針や主要各国の臓器移植法とほぼ同じ②現行法が規定する臓器提供の条件が世界の中で突出して厳しいため法律施行約12年で脳死移植は81例にとどまり、毎年数千例の米国、数百例の欧州主要国と比べあまりにも少ない③多くの子どもが海外で移植を受けてきたが、外国頼みに国際的な批判も強く、WHOも渡航移植自粛を求める新指針を決めようとしている④3年後としていた現行法の見直し時期が過ぎて10年近く、これ以上の放置は許されない――などを理由にA案を評価した。>

 この「積極評価派」という言葉が適切かどうかも議論のあるところだろうが、一応は見出しで分けているのだろう。

 <慎重審議派は①本人同意を条件から外しても提供が確実に増えるとは限らない②子どもは脳死判定が難しい③親の虐待による脳死を見逃さないようにする課題が残る④親族に優先的に臓器提供できる規定は公平性の点で問題がある⑤医学の進歩で生まれた新しい死である脳死を法律で人の死と定めることの影響は多方面に及び、まだ国民的合意ができていない――などをあげ、参院でより良い法案に修正することを期待している。>

 この「慎重審議派」はまさしく参院で時間をかけて、ということ。衆院が解散された瞬間に廃案になるので、慎重審議派はもしかすると「廃案派」かもしれないが。

 <地方紙にはA案に懐疑的な社説が目立った。インターネットの各紙ホームページで見ると、<参院でこそ徹底論議を>(北海道新聞)、<国民合意へもっと議論を>(東奥日報)、<禍根残さぬ議論不可欠>(秋田魁)、<参院でさらに議論深めよ>(北日本新聞)、<参院はしっかり審議を>(岐阜新聞)、<議論は十分尽くされたか>(山陽新聞)、<まだ議論の余地がある>(中国新聞)、<国民の合意得る努力を>(南日本新聞)、<国民的なコンセンサスを>(琉球新報)などの見出しが並ぶ。>

 ここが今までの社説ウオッチングと比べてユニークなところだ。これも見出しをもとに区分しているのは在京紙の場合と同じなのだろう。

 <<ともかく一歩踏み出した>(西日本新聞)、<15歳未満に光は見えたが>(神戸新聞)との積極評価派もあるが、逆に<成立を急いでは禍根残す>の新潟日報は、わずか9時間という拙速の委員会審議は現行法を根幹から変えるのに不十分とし「国民合意のないまま、国会の多数決で死の定義を決めることには疑問がある」、「疑問を残したまま法が成立すれば大きな禍根を残す。参院ではゼロから徹底審議すべきだ」と結んでいた。<あまりに乱暴な改正だ>の信濃毎日新聞は「『脳死は人の死か』という命にかかわる重い問いを、あまりに乱暴に決めてしまった。とても納得できない」、「参院は法案の問題点を細部まで詰めて、修正を図るべきだ」と主張した。>

 怒っているような論調は何なのだろう? 生命についての議論が地方からでは見えにくい、ということもあるのか?

 <地方紙の分布を見る限り、保守性の強い旧来の地域コミュニティーが残る地域の新聞ほどA案への違和感が強いようにも見える。「海外依存からの脱却」などを前面に、積極推進派の日経など都会派新聞や都市部にターゲットを絞った新聞が「クリアできる」と判断した「国民合意」の一点について、地方紙が疑問を呈していると言えるかもしれない。18年前に出た岩波新書「医療の倫理」の中で京都大学医学部教授・倫理委員会初代委員長を歴任した星野一正氏は「人の死として社会が容認する死の定義は、国や社会によって異なってしかるべき」としたうえで、医学・医療技術の進歩で日本の社会的死生観、生命観が将来、急速に大きく変化する可能性を指摘。「それゆえ、死の現象などについての法制化は好ましくないと考える」と書いた。その後、臓器移植法が成立したものの、日本人の死生観はそれほど変化しなかったことを今回の法案採択への反応が示したのかもしれない。グローバル化した世界の中で生命倫理問題をどう考え、対処するか――。参院が大きな責任を負っていることは間違いない。>

 つまり、筆者は毎日新聞記者だから、やはり「慎重審議派」だ、ということなのか。

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2009年6月13日 (土)

朝日新聞も産経、日経に同調し経団連の言い分を丸呑みする新聞になり下がったのか:「かんぽの宿」と鳩山邦夫総務相更迭~6月13日朝刊各紙社説

 「かんぽの宿」の杜撰売却など不透明な経営を繰り返す日本郵政の西川善文社長(70)の辞任を求め続ける鳩山邦夫総務相(60)を麻生太郎首相は6月12日、更迭した。後任には佐藤勉国家交換委員長の兼任を決めた。西川氏が鳩山氏に謝罪することで一件落着させようとした麻生首相の妥協案を鳩山氏が拒否し、2度の首相・総務省会談が決裂、このような結果になったのだ、という。

 複雑な問題だ。西川氏を辞任させること自体は麻生首相も内心では賛成だったのではないか、と思う。しかし、一連の騒動の中で、西川氏は小泉純一郎元首相が進めた郵政民営化のシンボル的存在として、小泉、竹中平蔵氏をはじめ中川秀直元自民党幹事長ら郵政民営化推進グループが「辞任絶対反対」の論陣を張り、総選挙を控えた自民党衆院議員らも「小泉改革後退」と批判され、票が逃げることを懸念し、小泉氏らの主張を暗に支持した。

 そういう雰囲気の中で下した決断だったのだが、いくら銀行マンとしては優秀かもしれないが、稀代の「悪人顔」で、かえるの面に小便をかけても気にしないのと同じように、何を聞かれても平気の平左を通す面の皮の厚さに一般国民は悪感情を持っていると思う。

 今後、民主党など野党は「かんぽの宿」問題などを国会で再度取り上げるだけでなく、西川氏の参考人招致などを繰り返し、小泉構造改革の虚妄を追及するだろう。

 麻生首相はあまりに小泉氏に気を遣いすぎた。せっかく経済財政諮問会議や安心社会実現会議で「小泉構造改革否定」の施策を提言し、自民党・政府の大きな政策転換をしようという時に、その出鼻をくじかれる出来事だった。

 すべてが衆院選に得か損かで判断される時期に突入している。永田町の勢力図だけ見れば、鳩山氏の首を取る、という結論はリーズナブルに見えるかもしれないが、それが麻生首相の人気をあげることに繋がるか、と言えば逆だろうと思う。

 各紙は6月13日の社説で鳩山更迭を取り上げたが、歯にものが挟まったような論が多かった。スパッと言い切れない部分が多かったのと、これまでの自社の社説との整合性を取らねばならないという要請の中で、歯切れのいい表現が出来なかったのだろう。だから、鳩山氏の提起した問題を正面から取り上げて論じた新聞は少なく、麻生首相の政治的責任論というどうでもいい話に逃げている社説が多かったのは残念だった。

 各紙の社説を簡単に見ていこう。

◆朝日新聞<総務相辞任/剣が峰に立った麻生政権>

 <鳩山氏の西川社長批判に火が付いて半年がたつ。日本郵政が社内手続きを経て続投方針を決めたのに、攻撃は激しくなるばかり。果ては鳩山氏と、兄が代表に就いた民主党との連携話までおもしろおかしく取りざたされるなど、社会的にも異様な注目を集める「事件」になっていた。>

 面白おかしく騒いだのは一部マスメディアだろう。

 <火事が広がっているのに火消しを決断できない。そんな首相の優柔不断は初めてではない。麻生内閣での閣僚辞任は3人目だが、中山成彬国土交通相の時も「もうろう会見」で辞めた中川昭一財務相の時もそうだった。鳩山氏は過去3回の自民党総裁選で首相の選挙対策本部長を務めた盟友である。それなのに首相の意に沿わせることができず、逆に政権の傷口を広げてしまった。党内基盤のもともと弱い麻生政権を支えてきたのは4年前の郵政総選挙で得た巨大議席だった。その首相の誤算は、郵政をめぐる党内対立の根深さを甘く見過ぎたことだった。>

 この最後のフレーズはいいところを突いていると思う。甘く見ていた、というか、こういう問題の調整に当たれる人物が政権にいなかった、ということだろう。

 <首相は2月「郵政民営化に賛成じゃなかった」と語り、4分社化の見直しにも言及した。首相就任以来、小泉元首相の改革路線に対する党内や社会の風当たりの強さを見て、ハンドルを戻そうとの思惑だったのだろう。>

 3分の1が非正規労働者などという小泉改革の影の部分をようやく理解し、小泉改革からの転換が必要になった、と世間の人々は認識し始めていた。そして、朝日新聞は西川氏の進退について、

 <この人事が首相に突きつけたのは、民営化を進めるのか後退させるのか、小泉路線を継続するのか見直すのか、基本的な態度の表明だった。この二つの潮流の両方に足をかけつつ、きたる総選挙に臨みたいと思い描いていた首相にとって、それは考えたくないことだったに違いない。>

 考えたくなかった、ではなく、調整役がいなかったお友達内閣の弱点がまた露呈した、ということだろう。

 <「かんぽの宿」をめぐる不適切な経過や郵便不正事件など、西川郵政にも問題はあった。だが、民営化が始まってまだ1年8カ月。色濃く残る官業体質を改革するには西川社長に頑張ってもらうしかない。首相がそう判断したとすれば理解できる。>

 すぐに理解しちゃうのね? 結局は朝日新聞は小泉路線賛成だったのだ。悪いものは悪い、となぜ言えないのか? 竹中氏に弱みを握られているのか?

 <だが、今回の混迷によって、郵政民営化の賛否を超えて、首相の求心力が決定的に弱ったのは間違いない。与党内では解散・総選挙の先延ばし論が広がる可能性がある。内閣改造や首相の交代を求める動きも出てきそうだ。国民の願いは、信頼できる、実行力のある首相であり、政権だ。内外を覆う危機の中で、いたずらな政権延命は願い下げにしたい。>

 結論部分では郵政民営化賛成論であることをいかに薄めるか、に腐心しながら首相の責任論に逃げている。こんなに逃げなくともいいのに。

 朝日新聞は安心社会実現の麻生公約も「小泉構造改革に反する」と批判するのだろうか? 論理的にはそうなるのだが、また世論動向だ何だかんだ、と理屈を付けて適当なことを書くのだろう。朝日新聞の社説なんてそんなものなのか?

◆毎日新聞<鳩山総務相更迭 政権の迷走は極まった>

 毎日新聞の書き出しはひどいよ。

 <迷走していた西川善文日本郵政社長の進退問題が12日、解決に向けてようやく動いた。麻生太郎首相は西川氏を当面続投させる考えを表明、続投に反対していた鳩山邦夫総務相を事実上更迭した。首相は「混乱が生じた印象を与えたのは遺憾。早急に解決されてしかるべきだと考えた」と語った。しかし、既に遅きに失したというべきだろう。>

 「遅きに失した」というのは何か? 読んでみると、①この日に至るまで煮え切らない態度を取ってきた首相の決断力の欠如が改めて明らかになった②首相は西川氏進退の最終判断を経営責任などを改めて検討し下す意向も示しなお分かりにくく、「決断」かどうか疑問――と書いている。

 しかし、毎日新聞がまともだ、と感じるのは次のような文章があるからだ。

 <そもそも問題の発端は今年1月、「かんぽの宿」の不透明な売却に鳩山氏が異論を唱え始めたことだ。その後、日本郵政関連では障害者団体向け割引制度を悪用する事件も発覚した。毎日新聞が指摘してきたように、西川氏の進退は、こうした問題に対する経営責任をどうとらえるかの観点から議論すべきだった。>

 その通りだ。

 <ところが、それをあいまいにし、首相も関係閣僚の調整に委ね続けているうちに、西川氏の進退問題は郵政民営化を積極的に推進するのか、そうでないのかという自民党内の積年の対決に発展してしまった。その意味では2005年の郵政選挙は一体何だったのか、今後、民営化をどう進めるのか、自民党全体としてきちんと総括し整理してこなかったツケが回ってきたともいえよう。>

 こういう論理展開をするから袋小路に入り込む。論理展開が間違えているのだ。

 <今回の件に関しては鳩山氏の主張に分があると考える国民は少なくないだろう。だが、鳩山氏も支持率低迷にあえぐ麻生首相に見切りをつけたのか、テレビカメラの前で持論は唱えるが、内閣や党を説得する努力に欠けていた面は否めない。結局、首相は鳩山氏に同調する形で西川氏を更迭した場合、党内の民営化推進派の反発を招くことを最も恐れたのではないか。視線は内向きだ。また鳩山氏によれば、首相は西川氏が鳩山氏に謝罪するという「妥協案」を示したという。仮にそんな手打ちのような方法で済むと考えていたとすれば国民を無視した話だ。日本郵政の一連の不祥事についてまず首相自身がどう考えているかを示さないと国民は納得しない。>

 そうだ。一連の不祥事を首相はどう考えているのか?

 <首相の決断力、統治能力の欠如に対しては与党内からも不満が噴出している。政権の立て直しのためではない。日本の政治を立て直すために一刻も早く衆院を解散し総選挙で国民の信を問うべきだと改めて指摘しておきたい。>

 ちょっとお、今更「一刻も早く衆院を解散し」はないでしょう。だって9月までにはやるんだから。そんなことより、小泉改革の影の部分についてなぜ書かないのか? 郵政民営化の負の部分をなぜ書かないのか? 朝日新聞のくだらない社説に比べればいいとは思うのだが、まだ中途半端だと思う。

◆読売新聞<鳩山総務相更迭/日本郵政は体制を一新せよ>

 <一連の不祥事に対する西川社長の経営責任が消えたわけではない。経営体制を一新して出直しを図るべきだ。>

 という主張は重いと思う。体制一新、つまり西川は辞めろと言っているのだ。さすが渡辺恒雄主筆が君臨する新聞だ。まともなことを書いている。

 <麻生首相も、総務省の業務改善命令に対する回答などをみて、西川社長再任の是非を最終判断する考えを示した。当然だろう。今回の問題の核心は「かんぽの宿」の不明朗な売却手続きなど不祥事が続発しているのに、西川社長が経営者としての責任を果たさなかったことにある。ところが、鳩山氏の発言が「罷免されても再任に反対する」とエスカレートするにつれ「社長を辞めさせれば郵政民営化が後退する」といった別次元の議論にすり替わってしまった。小泉元首相に近い中川秀直・自民党元幹事長から、首相が鳩山氏の肩を持つなら「本気で戦う」という発言まで飛び出すなど、党内抗争の兆しを見せ始めていた。首相が鳩山氏を更迭したのは、党内が混乱し、亀裂が一層拡大することを恐れたためだろう。しかし、不祥事に対する説明不足や経営責任を問う鳩山氏の主張には、肯ける部分が少なくない。鳩山氏の指摘に共感する人は多いのではないか。>

 毎日新聞の社説より分かりやすい。そういうことだ。

 そして、読売新聞が次のように実証的に西川氏の「犯罪」を書いていることに敬意を表する。

 <総務省は4月に日本郵政に業務改善命令を出した際、16項目にわたる疑問を突きつけている。「かんぽの宿の収益を改善してから入札すれば、売却額はもっと高くなったはず」「審査を担当した日本郵政の部長を、売却予定先が副社長に迎えると提案していた」――などだ。だが、日本郵政はこれらの指摘に、いまだ正式な回答や十分な説明をしていない。簡易生命保険金の不払い問題では、民間生保の不払い判明から4年も公表しなかった。民営化作業という内部事情を優先させた判断には「契約者第一」の視点が明らかに欠けていた。障害者向け割引制度を悪用した不正ダイレクトメール事件も、日本郵政の信頼を失墜させた。こうした不祥事についても、西川社長以下の現経営陣の責任は極めて重い。>

 これを熟読すれば、鳩山氏の主張がいかに正しかったか、分かるはずだ。そして、読売新聞の結びもいい。

 <今回、事態がここまでこじれたのは、首相が指導力を発揮せず、土壇場まで鳩山氏と西川社長の対立放置したためだ。首相は、西川社長の責任問題について、自ら明確な判断を示す必要がある。>

 麻生首相は西川社長を辞めさせろ、と言っているのだ。当然だ。加藤紘一氏が「喧嘩両成敗しかない」と言っていたが、鳩山邦夫氏だけを更迭したら、有権者は麻生首相が小泉構造改革を継承するのだろう、と誤解する。キチッと西川氏の首を取らないと麻生人気は回復しない。

◆日経新聞<鳩山氏更迭を民営化再加速につなげよ>

 この経団連応援新聞の社説は読まなくとも内容が分かる、というものだ。非正規労働者がいかに増えたって構わない、日本の輸出産業、製造業の生産性が高くなって国際競争力が強まれば、他はどうでもいい、というのが本音だからだ。

 <郵政民営化路線を後退させないために、私たちは西川氏の続投で、首相が早期に事態を収拾するよう求めてきた。もっと早く決断すべきだったが、鳩山氏の罷免も辞さぬ姿勢で収拾に動いた首相の判断は是とする。鳩山氏の更迭を契機に、民営化路線を再加速させる必要がある。>

 が変わらない主張である。

 そして、「かんぽの宿」については、

 <鳩山氏は日本郵政が宿泊施設「かんぽの宿」をオリックスに一括譲渡しようとした問題を「不正義」と批判し、西川氏の経営責任を追及してきた。しかし鳩山氏は西川氏を更迭させる明確な根拠を最後まで示さず、その主張に説得力はなかった。>

 「説得力なし」と一言で切り捨てるしかなかったのだろう。世間の思いがどうであろうと、大企業の経営者が考えるところを重視する日経経団連新聞の限界を露呈している。こういう問題が起きると、「やっぱり日経新聞というのは業界紙なのだ」という当たり前のことに気付かされて、朝日、毎日、読売との違いを再認識する。たまにこういう事件が起きるほうがいい。

 <年間50億円規模の赤字を出すかんぽの宿は、適切で公明な譲渡手続きを経て、できるだけ早く手放すことが最終的な国民の利益にかなう。民業圧迫を避ける意味でも、郵政事業から切り離すべきだろう。>

 1000万円の価値のある施設を国民の目の届かないところで1万円で早く売れ、と言っている。宮内氏などはこれを読んで万歳を叫んでいるだろう。

◆産経新聞<鳩山氏更迭 これで決着とは胸張れぬ>

 産経新聞は①首相の決断が遅すぎた②鳩山氏は所管大臣としてまず問題点の改善指導を優先すべきだった③郵政民営化は衆院選で国民の圧倒的な支持を受け法律で決まったのに、政官界の一部に西川氏を辞任させコントロールしやすい人物を次期社長に迎えて郵政民営化見直しの突破口にしたいとの思惑があった④首相は西川氏続投の理由を含め、民営化の基本認識を改めて明確にすべきだ――と主張している。

 民営化万歳新聞である。竹中平蔵氏を定期的コラムニストとして雇っている新聞である。国民の方を見ていないのか? あれだけ安全保障問題で頑張っているのに、国内の「生存のための安全保障」には興味がないとみえる。残念だ。

 以上、主要紙の社説をざっと見たが、まともだったのは読売新聞と毎日新聞だけ。朝日新聞までが日経新聞、産経新聞という「産業経済」系新聞の仲間入りをしてしまった。つまり、経済界に目を向けた業界紙の仲間入りをしてしまったようだ。日本のクオリティー・ペーパーは読売新聞と毎日新聞しかなくなってしまったのか。

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2009年6月 6日 (土)

敵基地攻撃論批判の朝日新聞社説は米国の植民地新聞のようだ~6月6日社説

 朝日新聞は6月6日朝刊社説<「北の核」と日本/味方を増やす防衛論議を>で北朝鮮の核開発に日本としてどう対応すべきか、難しい問題を正面から取り上げて論じていた。結論の可否はともかく、この堂々とした姿勢は好感できる。今後は、この社説への賛否の論議なども継続して紙面化してほしい、と要望しておこう。

 では社説を読んでみよう。

 <「北朝鮮のミサイル基地を攻撃する能力を持つべきだ」「米国に頼るだけの防衛でいいのか」「日本独自の早期警戒衛星を打ち上げよう」……。北朝鮮の核実験やミサイル発射を受けて、こんな主張が自民党ばかりか民主党内からも聞こえてくる。防衛大綱の見直しに絡んで、自民党国防部会の小委員会は集団的自衛権の行使容認や武器輸出3原則の緩和などを盛り込んだ提言をまとめた。日本の防衛政策の根幹を変えようという話がいくつも語られている。>

 朝日新聞の論説委員らが最近の永田町の動きをどう見ていたか、である。

 <以前から一部にくすぶっていた意見とはいえ、隣国の核実験という機に乗じるかのように、いとも軽々と噴き出したところに危うさを覚える。>

 この運動論的な書き方が気になるのだが、まあ目をつぶっておこう。

 <冷静に考えてみよう。たとえば他国のミサイル基地を攻撃するといっても、単純な話ではない。そもそも山中などに隠されたり、移動したりするミサイルの位置をどうやって把握するのか。日本攻撃の意図は確認できるのか。たとえ憲法問題を別にしても、軍事的な非現実性は明らかだろう。抑止力の向上にもつながるまい。逆に韓国や中国が日本に身構えるのは必至で、地域の軍拡や緊張を増すことになる。>

 この問題になると朝日新聞の論説委員たちは頭に血が上るのか、一気に論理的でなくなる。あれもこれも一緒くたに論じようとするから、一般庶民ならば扇動されるだろうが、少しでも論理的に考えようとする人たちは戸惑うのではないか。

 憲法違反問題を別にして考えているのは好感を持つ。ここで「9条の会」のような議論に陥ってしまうと、現実的な対応策は何も議論できなくなる、ということを朝日新聞論説委員会もやっと理解したようだ。

 しかし、敵基地攻撃論の危うさは朝日新聞が書いているような山岳地帯でどこに核があるか分からない、とか、中国、韓国が日本を怖がるというレベルではなく、敵基地攻撃というピンポイント攻撃は国際法的に言えば先制攻撃に他ならない、ということではないのか。

 それでもやむを得ず、自衛のために敵基地を攻撃せざるを得ない場合が出てくるかもしれない。しかし、その場合は敵は残る兵力を総動員して日本を攻撃、つまり反撃することを覚悟しなければならない。だから、戦略論的に言えば、敵基地攻撃とはいえ、先制攻撃の際の鉄則「敵の攻撃能力の9割を叩き潰せ」が可能な戦力を日本が持っているのかどうか、を考えないといけない、という点が敵基地攻撃論の最大の隘路だと思うのだ。そんな能力は逆立ちしたって日本にはないのだ。将来だって持てないだろう。

 その点に触れずに、情緒的な面ばかり強調するのは読者を惑わすものだ。

 <浜田防衛相は「単なる議論ならば国民の感情をあおるだけだ。冷静に対処すべきだ」と批判している。防衛政策通の石破農水相も「まことに現実的でない」と手厳しい。当然の反応だ。>

 浜田氏は敵基地攻撃論に批判的だ。なぜ批判的かといえば、私が先に書いたように非現実的なオプションだからだ。自衛隊員たちは戦略論を勉強しているから、理屈を知っており、この議論の危うさを理解しているのだ。その「常識」を浜田氏が代表してしゃべっているのだ。国民を不安にさせるからではない。議論をやめろ、とはさすがに浜田氏は言っていないはずだ。今まで議論すら封じてきたために、日本国民に国際常識である戦略的知識が全く欠如してしまったことが問題だからだ。何も知らせなくていい、というのは傲慢すぎる。

 昔は国民は威勢のいい新聞報道に踊らされ、真実を何も何も知らされていなかったから、日露戦争に勝ったのに、何故賠償をもらわないのだ、軟弱外交ではないか、と日比谷焼き討ち事件を起こした。太平洋戦争も新聞が大本営の嘘八百の発表を垂れ流したため、国民は騙された。

 新聞の役割は真実を国民に知らせることである。

 このような議論を封じるような書き方は言論の自己否定と言われても仕方ないだろう。この点は朝日新聞論説室に反省を求めたい。

 <北朝鮮の行動が極めて挑発的で、これまでの瀬戸際戦術の域を超えているのは確かだ。国連安全保障理事会を中心に国際社会が結束し、この暴走を止めなければならない。その作業がいま進行中だ。>

 これは客観認識として正しいだろう。

 <日本の安全をどう守るか。政治が担う最大の責任はここにある。米国との同盟を基軸にして、中国や韓国、ロシアなど近隣諸国との関係を安定させ、共存共栄の結びつきを深めていく。これが日本の安全保障の基本である。>

 随分と簡単に書いてくださっている。この問題だけで総合月刊誌、新刊書などが散々議論しているが、日米同盟をどう見るか、で意見は一致していないのが現状ではないか。ブッシュ政権のイラク戦争以降、単なる感情的な「反米」ではない、「離米」傾向の議論が多くなっているのも事実だと思う。

 日本の安全保障の基本をどこに置くか、そう簡単に数行で書けるものではないと思うが、こう書くのだったら、中国の軍拡、ロシアを含めた上海機構、米中「G2」と日米軍事同盟空洞化の兆し、「核の傘」が事実上効かなくなっている現状などを踏まえた論なのかどうかも聞きたいものだ。

 <日本国内の突出した議論は北朝鮮の脅威だけにあまりに目を奪われ、結果としてこの大事な連携を乱しかねないことが見えていないのではないか。>

 この論もおかしい。日本が核武装したり、攻撃能力を持つことを米国は常に潰してきたのだが、最近になって「日本が矛の仕事をすることを拒まない」と米高官がしゃべっている。オバマ米国の東アジア軍事戦略が今までの戦略からえ変化してきたのではないか? それをも踏まえた論なのか?

 <「いざというとき、米国は本当に日本を守ってくれるのか」。そんな不信を口にする向きさえある。イラクやアフガニスタンの戦争に消耗し、北朝鮮をめぐる軍事関与に二の足を踏むのではないか、という疑念かもしれない。>

 これは先ほど書いたことだ。クリントン米国務長官がことあるごとに「米国は日本を守る」といいながら、北朝鮮が核ノドンを持つことを許容しているのはなぜか? 朝鮮半島を非核地帯にする、などということは米国の戦略の中で大きな位置を占めていない。逆に北朝鮮との平和条約を締結すれば、朝鮮半島と日本への「核の傘」は否定される。朝日新聞をはじめとする平和勢力はそれでもいいのかもしれないが、このような弱肉強食の国際社会で核兵器に守られない国防が有効に機能するのだろうか? そういう「そもそも」論を議論すべき時だ、ということを朝日新聞には大きな声で訴えてほしかった。

 <だが、だから日本独自の軍事的備えを強めよという主張は、同盟の基盤である相互信頼をひび割れさせる。同盟をいかに確かなものにするかにこそ力を集中させるべき時なのに、これでは逆行だ。>

 アメリカ様の機嫌を損ねるな、というのか? あまりに植民地根性に染まりきっているのではないか。そうか、朝日新聞首脳陣はやっぱり、日本はアメリカの植民地だと思っていたのか。民族主義者の熱い血が流れているのか、と期待したが、がっかりだ。

 <北朝鮮の脅威が深刻であればあるほど、米国との信頼、近隣国との結束を固めるべきだ。視野の狭い、軽率な議論はいい結果を生まない。>

 そうではない。どの議論が視野が狭いのか、は議論してみなければ分からない。このような、自分に都合の悪い議論を「視野が狭い」と切り捨てる姿勢はファシズムに通じる、ということに早く気付いてほしい。

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2009年5月30日 (土)

大日本印刷のコングロマリット化:出版会の再編→地殻変動だそうだ~朝日新聞5月30日朝刊

 出版業界に地殻変動が起きているそうだ。初耳だった。朝日新聞が5月30日朝刊1面トップ<出版界地殻変動/ブックオフ株 3社が取得/印刷・出版・書店 一体化も/マンガ利益綱引き>と解説別稿<大日本印刷が主導>で詳しく報じていたので、コピペしておく。西秀治、竹端直樹、久保智祥3記者の名前が連記されていた。記者クラブに座っていて発表で書いた記事ではなく、足を使った記事なのだろう。
 <長引く不況の中、出版業界が激しく動いている。今月中旬、講談社、集英社、小学館の大手3社と大日本印刷グループが発表したブックオフ株の取得は長く両者が対立してきただけに、業界を驚かせた。筆頭株主となった大日本印刷は今回の提携を主導したほか主婦の友社や大手書店の丸善、ジュンク堂などを次々に傘下に置いている。今後新たな再編が生まれる可能性もある。>
 という前文からして驚きである。
 <出版社にとって新古書店のブックオフは新刊本が売れない一因で、作者への還元もしない「敵」だった。今回の資本参加について、ある中堅出版社の社長は「もうブックオフの好きにさせないということ」とみる。>
 <ブックオフは約900店舗を全国展開し、本の売り上げは年間220億円を超える。出版社側にはむしろ取り込むことで二次流通市場をコントロールしようという考えがある。大きな狙いは3社の売り上げが市場の6割強を占めるといわれるマンガ単行本(コミック)だ。2008年の新刊コミックの推定販売金額は2372億円。ブックオフのコミック販売額は90億円強だが、新刊本の定価に換算すると数百億円になる。>
 マンガがこんな大きな市場だったとは、知らなかった。
 <ブックオフ側も株取得を歓迎した。リーマン・ショック後に大株主の日本政策投資銀行系のファンドが株を手放そうとした時、取得を検討した中に新古書も扱う企業が含まれていた。業界の主導権を競争相手に握られたくなかったからだ。>
 お互い相思相愛だった、と。
 <だが、出版社とブックオフの思惑は早くもずれている。>
 というのだ。
 <講談社の森武文常務は「要請の第一がコミックを含めて価値を創造する者へのリターン。次の作品が生み出される世界を構築してくださいということ」と話す。ある出版社幹部からはブックオフの売値の1~2%程度を作者に還元することを求める声が上がっている。新刊が出たあと一定期間は店頭で売らないでほしいと要望も出そうだ。>
 当然の要望のように思えるが。
 <これに対しブックオフの佐藤弘志社長は慎重だ。「売値の1%でも小売業者にとって厳しい数字だが、それ以前に、中古本に著作権は及ばないと認識している。また、新刊本を一定期間売らないのは事実上無理」。一方で「出版社は定価のない自由価格本の販売にブックオフを使ってほしい。例えば洋服なら、デパートで売れ残ったらアウトレットに持って行く」と期待を込める。>
 ブックオフは本のアウトレットか。
 以下は別稿<大日本印刷が主導>である。
 <今回、出版3社にブックオフ株取得を打診したのは大日本印刷グループだった。大日本印刷は凸版印刷に匹敵する業界最大手で、年間売り上げは約1兆5848億円。これに対し出版物の販売金額は業界全体でも約2兆円だ。>
 <株取得発表の直前には主婦の友社との資本・業務提携を発表したほか、昨年から今年にかけて図書館流通センター、丸善、ジュンク堂を次々に子会社化している。来春をめどに持ち株会社を設立予定だ。出版の上流から下流まで押さえたことになる。>
 すごいコングロマリットだ。
 <「一人勝ちを狙った覇権主義」と冷ややかな声もあるが、一連の資本参加の指揮を執る森野鉄治常務は「我々の原点である出版業界を活性化させたい」と強調する。傘下企業がその「実験場」になる。>
 印刷会社が主導権を握った再編など考えてもみなかった。設置産業、設備産業で古臭いというイメージが強かったのだが。
 <例えば、丸善とジュンク堂には大日本印刷が開発中の顧客情報管理システムを導入し、どんなコンテンツが望まれるかを把握する。このデータは、主婦の友社が発行する出版物の企画に役立てる。>
 ハイテクを駆使する、つまり、人件費を削減するのか。
 <出版界はこれまで、出版社や、問屋にあたる大手取次会社主導で動いてきた。しかし、一連の再編劇では取次会社はかやの外に置かれている。取次会社の中には当初、大手3社のブックオフ株取得に警戒感や懸念を示したところもあった。返品された本を出版社が安値でブックオフに流したら不利益になるからだ。出版社側がそういうことにならないと説明したため、現在は静観の姿勢を取っている。>
 取次ぎというのは日販、東販などか。
 <大日本印刷の動きは出版不況への危機感から黒衣が表舞台に躍り出たように見える。業界には「大日本印刷はさらに巨大化するのではないか」という懸念もあるが、森野常務は「数ばかり増やしても仕方ない」。だが、最近では大日本印刷グループに対抗できるような書店連合や出版社の合従連衡のうわさ話が、業界内では具体名で語られるのが常になっている。>
 凸版印刷だって黙っていないだろう。

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2009年5月19日 (火)

「北ミサイル」朝日新聞外交・国際部長の思い上がりは「笑っちゃう」次元を超えている~朝日新聞5月19日朝刊

 朝日新聞5月19日朝刊[声]面に[紙面モニター⇔編集局:北朝鮮のミサイル]が掲載されていた。読者3人の声と沢村瓦・外交・国際エディターの署名論文という、紙面の上半分の3分の1くらいのスペースにコンパクトに収容した団地サイズのコーナーだ。

 だから、朝日新聞とすればそうは力を入れていないのだろうが、読者3人の投書を読んで驚いた。<北の真意に迫る多角的な取材を>を書いた神奈川県の八木寧子さんは新聞に求められるのは第一報後の解説や識者の多面的な受け止め方の紹介だ、という。これは正しいと思う。ただ、最後の「北朝鮮の真意に迫る多角的な取材と多様なオピニオンの抽出」というのはどういう意味なのだろうか? 社民党的な「少数者」、朝鮮総連のような「非差別者」の意見をきちんと載せろ、ということだったら、それはイカサマ民主主義だ、と言いたい。浅井基文氏のような意見の集団があり、その意見を聞くと金太郎飴のように同じ。これは自分の頭で考えているのではなく、イデオロギーをガソリンスタンドかどこかで注入されている、としか思えない。そうした北朝鮮のダミー会社員のような「意見」まで「多様」として掲載したら、朝日新聞の見識が疑われるだろう。

 宮城県の大塚正宸氏は<どう向き合うか具体論読みたい>で北朝鮮の瀬戸際外交なのだから「過剰に反応するのはまさに北朝鮮の思うつぼ。手練手管は通じないと思い知らせるためにも、冷静な対応が肝心」として、朝日新聞の「冷静」なお対応を評価し、「一部政治家がまたぞろ唱えている『日本核武装論』などは、聞き流しにせず、きちんと批判していくべきだ」と書いていた。

 私も大塚氏の意見の後半部分には賛成だ。前半の「冷静」に、というのは何を意味しているのか、分からないし、「過剰に反応しないで」というのは、それはそれで分かるのだが、北朝鮮が核搭載ノドンミサイルを1,2年後に開発するまで黙って待っていろ、と主張されているように聞こえるのは残念だ。後半部分で賛同する、と言ったのは、核武装論議をどんどんと朝日新聞でも取り上げればいい、ということだ。批判でもいいし、「賛成」でもいいが、何しろいまのメディア界を見ると、日本核武装論がまともに論議されていない。これはおかしい。憲法9条はわれわれ日本人が生きるためにみんなで作った最高法規だ、という建前がある以上、憲法9条はいつでも変えられる可能性を考えなければならないし、(私は改憲の必要は、今はないと思っているが)、それこそタブーなしに話し合わなければ、いざという時にまた「超法規的措置」で北朝鮮と戦争することになる。民主主義国家として不幸だと思う。議会制民主主義システムがいざという時に機能せず、昔は軍部に、今は自衛隊にすべてお任せ、というのでは、日本人は一体何なのか、ということになる。今のうちから国会、政府、マスコミできちんと核武装した北朝鮮にどう対処するか議論すべきだ、という意味で大塚さんの意見に賛成なのだ。どうも大塚さんは私と逆の方向を見ているようではあるが。

 奈良県の加藤有里さんは<朝鮮半島分断の歴史をまとめて>というタイトルで、北朝鮮がよく分からないから、朝鮮半島が分断された頃からの歴史、問題をまとめてくれ、それによって今の問題への理解を深めたい、という優等生の投書。日本の一部だった植民地朝鮮は1945年8月15日を境にソ連とアメリカの植民地になり、半分ずつの国家ができて、北の半分国家が朝鮮半島全部を支配したいから、と南半分に攻め入り、朝鮮半島最南端の釜山まで攻め込んだものの、マッカーサーが仁川上陸作戦を成功させて、北軍を挟み撃ち、やっつけた。マッカーサー軍は北軍を追って平壌を攻め落としたが、もっと北まで追ったら中共軍が出てきて、またマッカーサー軍は負けて、勝ったり負けたりを繰り返し、最終的に北緯38度線付近で線を引いて休戦ラインとした。だから、戦争はまだ続いているのだ、終わっていないのだ、という類の歴史のことだろうか? これだけのことを言うために朝日新聞はイデオロギーの粉をたくさんまぶし、日本軍国主義やアメリカの帝国主義への批判を上塗りして金日成、金正日親子は偉い、というトーンで書くだろう。それができない状況になると、韓国の軍事政権を貶して、金大中を異様に持ち上げる。池明観などというインチキ学者の談話なども入れてくるだろう。

 大体は読めているのですよ、加藤さん。新聞にそんなことを期待するよりかは、この前亡くなった神谷不二さんの中公新書「朝鮮戦争」でも古書店で探してきて読んだほうが余程ためになる、と思う。

 北朝鮮のミサイル発射に際して朝日新聞に寄せられた「声」の代表格を紹介しているようではあるのだが、ここで驚くのは朝日新聞の読者には北朝鮮はけしからん、という意見の方はいないように見えることだ。

 みな、一様に「冷静に」と訴え、北朝鮮にもそれなりの事情があるのだろうから、勉強したい、だから朝日新聞さん、もっと理性的に多様な見方を紹介する中で歴史の中での北朝鮮を教えてください、と朝日新聞に教えを乞うている。思想の乞食のように見える、と感じるのは私の見方が歪んでいるのだろうか?

 それは兎も角、みな安心しきっているようなのだ。北朝鮮は日本に核搭載ノドンは撃ち込まない、と信じ切っている。性善説なのだ。そして、将軍様への親近感なのか、拉致問題には一言も触れていない。これが朝日新聞の読者らしい。

 そして、そういう読者の声を受けた沢村国際部長の答えは敵基地攻撃や日本核武装得をするのは誰か、と問い、国防力の増強につなげたい一部の政治家たち。彼らの思惑通りに進めば、中国を刺激し、その軍拡路線に「正当性」を与えかねません。「日中」がきしむシナリオこそ、対「北」包囲網を崩したい北朝鮮の「思うつぼ」なので、私たちはいたずらに危機感をあおる報道を避けた、と白状している。

 面白い論理だ。すっと読むと、これでも論理的のように見えるから不思議だ。しかし、じっくりと考えてみよう。沢村氏には日本の安全保障、日本人の安全確保という視点が全く欠落していることが分かると思う。

 中国が原子力空母を作ったり、ICBMでアメリカと張り合うのは「仕方ない」けれども、朝日新聞はちゃんと批判しているからいいじゃないか、という大前提があって、中国をこれ以上批判したり、日本が「中国だってやっているんだから尖閣諸島を守るために原子力空日を持とう」などと議論すれば、中国様を刺激するからいけない、という主張なのだ。

 朝日新聞によると、中国の核兵器は安全な核兵器で日本には脅威にならないものらしい。しかし、そう見ていない国民の方が多いのだ。そういう「多様な見方」も朝日新聞できちんと紹介してほしいものだ、と思うが、そういう意見は「多様な」ではなく、「軍国主義的」で「抹殺すべき」意見らしく、朝日新聞に載ることはない。そういう朝日新聞的な世論操作を続けていて、最後に北朝鮮が核武装し、核で脅してきた時「日本政府の無策のせいだ」と真っ先に日本政府を批判してくれるのが天下の朝日新聞であることは目に見えている。

 無責任で時代がいかに変わっても、昔ながらの進歩的文化人を気取り、朝鮮総連と胡錦濤共産党グループに最大の敬意を示し、日本の天皇陛下を蔑むその汚らしい品性下劣さをこの小さなコーナーでもちらリズムで見せた、ということなだろう。

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2009年5月11日 (月)

笹川陽平氏のものの見方は常識的で参考になる~5月11日産経新聞[正論]

 産経新聞5月11日[正論]は笹川陽平・日本財団会長の<危機感あおる報道でいいのか>だった。面白かった。小見出しは<メディアは最大の権力>、<数字は一要素に過ぎない>、<大局欠く「小さな正義」>だった。

 <本紙6面の「from Editor」欄に3月末、「『自虐メディア』にグッバイ」と題する社会部長名の記事が掲載されていた。記事はメディアの役割が「健全な社会構築のための批判精神にある」としながらも、現状を「厭世感を漂わせるようなニュースの占有率が高いと思う」としたうえ、「人々が『ヨシ!』と奮起できるような記事を少しでも多くお届けしたい」と結んでいる。同感である。私は新聞をこよなく愛する立場から、1月の本欄で新聞が自虐的な悲観主義と決別するよう訴えた。日本をヨイショすべきだというのではない。ありのままの日本、等身大の日本を踏まえ、前向きの報道、問題提起、提案をしてほしいということだ。>

 賛成だ。特に朝日新聞はひどい。

 <世界は今、金融危機、同時不況の真っただ中にある。米国の一極支配が終焉しつつあり、新しい秩序の中での発言力確保に向けた各国の主張は激しさを増している。その一方で、わが国は相変わらず政治の混迷が続いている。政局が優先し景気・財政対策が後手に回れば国際社会の中での存在感は一層希薄になる。>

 政局優先報道が際立っていたのが、何と朝日新聞と産経新聞だった。小沢辞めろ、の大合唱は見ていて恥ずかしくなるものだった。

 <確固たる明日の日本を築くためには、劣化した政治の再生が不可欠であり、そのためにも世論形成に大きな影響力を持つメディアが変わる必要がある。メディアは今やその影響力の大きさから言って「第4権力」ではなく「最大の権力」である。役割と責任の重さが、あらためて自覚されなければならない。>

 そこまで大きいのか、とちょっと異論もあるが、基本は理解できる。政治だって世論調査にさゆうされているのだから。

 <例えば昨年秋以降の政治報道。私は東京都内で配達される日刊紙全紙に目を通すが、各紙とも政権交代に向けた与野党の駆け引き、解散時期をめぐる記事が大半を占めた。解散-総選挙が焦点であるのは否定しないが、有権者にとって何よりも必要なのは投票の際の判断材料である。>

 まさしくその通りだ。

 <不況が深刻化する複雑な国際社会の中で、巨額の財政赤字に直面する「日本丸」のかじ取りをどの政党、どの政治家に託すのか――。求められるのは与野党の景気対策の違い、財源面を含めた実現の可能性、問題点などを分かりやすく分析した記事である。>

 そうだと思う。

 <同じ意味で世論調査の扱いにも疑問を感じる。>

 ここが読みたかったのだ。

 <世論調査、とりわけメディアが行う政党や内閣支持率調査は数も多く、近年、政局ばかりか政権の存続をも左右する。新たなリーダー選びでも近年はキャリア、実績より世論調査の人気が先行する。指導者に国民の人気があった方がいいのは言うまでもない。しかし、これらの数字は政権や政治家の人気を占う一つの要素であっても、すべてではない。「支持率が20%を割り、政権は危険水域に」などと危機感をあおるメディアの報道に各党が一喜一憂する政治が果たして国民のためになるだろうか――。>

 もっと冷静な報道を、ということと、その「冷静さ」自体をメディアがもっと考えろ、という提言だろう。

 <数字がすべてとなれば、政治は腰を据えた長期政策論議より迎合主義に走りかねず、麻生首相と小沢・民主党代表の支持率を合わせても50%前後で低迷する現状では、だれが首相をやっても長持ちせず、政治は安定しない。>

 そういうことなのだ。麻生首相のホテルバー通いにけちを付け、冠漢字の読み間違いを大きく取り上げ、その一方では、G20提案で折角日本の提案が80%も採用されても、書かずに、けちつけの部分を重箱の隅まで探す、というさもしい態度の特派員を見ていると、笹川氏の見方は当然だと思う。

 <各種世論調査で政治に対する不信・不満が高い数字を占めているのも、本音が見えない政治の現実を反映した結果であり、これまでになく政治に対する国民の関心が高まっているのに、相変わらず投票率が低迷する政治の現状は危機的である。>

 本音をズバリといってくれる政治家を求めているのに、そういう政治家についてはメディアが法解釈を厳格化して引き摺り下ろす。こんなメディアは国を滅ぼしかねない、と私も思っている。

 <幕末から明治維新にかけてキラ星のごとく偉人が輩出したのは、有能な人物がたまたま揃っていたのではない。沸騰する時代の熱気がそれを可能にした。戦後のメディアは「庶民の声」を民意として最大限に尊重するが、庶民の声は「小さな正義」であっても時に大局を欠く。国づくりには小さな正義より大義を優先させなければならない局面もある。>

 そういうことだ。これを難しく言うと、人権中心主義の陥穽といえると思う。

 <同様に庶民感覚に照らした品行方正、清潔感だけでは時代が必要とする器の大きな政治家は育てられない。麻生首相も就任時、ホテルでの飲食が庶民感覚から離れていると批判されたが、リーダーに求めるべきは国をリードする気概、政策である。ホテルのバーで飲む一杯の酒で気力・体力が充実できるのなら大いに結構ではないか――。

 やはり、笹川氏も同じことを言っている。

 <私は1年の3分の1近くを途上国の現場で過ごす。その体験を踏まえれば、日本が世界で最も安全で豊かな国であるのは間違いないし、国民の大半も同じ認識を持っている。メディア関係者は自らが描く自虐的、悲観的な日本像と読者の認識に大きな落差があることを自覚してほしい。

 世界の現実を見ている人にこう言われているのだ。朝日新聞はいく反省してもらわないといけない。

 <記事を読むのは国内の読者に限らない。翻訳して各国に紹介され、日本を見る外国の目線にも反映する。それが政治、外交に影を落とし、国際社会での日本の地位、発言力にも影響する。>

 世界を考えながら書かねばならない時代であることは、記者一人一人に自覚してもらわないといけない。

 <世界が大きく変動する中、日本は国際社会の中で、いかなる存在であるべきか、難しい選択の時代を迎える。メディア関係者には、国民が自信と誇りを持って生きていくための建設的な記事を切に願いたい。>

 メディア各社、特に朝日新聞は記者教育に笹川氏を呼んで講演してもらったらどうなのだろうか?

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2009年5月10日 (日)

高坂氏のバランス感覚を朝日新聞は学ぶべきだ~産経新聞5月10日朝刊[昭和正論塾]から

 産経新聞5月10日朝刊[昭和正論座]は昭和50年(1975年)8月30日掲載の高坂正堯・京大教授による<自由を守る姿勢崩すな>だった。小見出しは<盛んなデタント論議の裏で>、<現状固定で不正認めるか>、<非寛容の圧力に屈する恐れ>、<共産主義者とつき合うには>である。

 (湯)氏が【視点】で言っているように、冷戦時代のデタント(緊張緩和)は西側が受け入れざるを得なかった妥協の産物だ。戦後ソ連が力ずくで領土と勢力圏を拡大したままの状態の固定だったからだ。高坂氏はそのような「強大な核大国相手とどうつきあうか」で、西側が悩んだ末に当面の危機を避け「事態の変更は長期的な課題」としたことに理解を示しながら、共産主義とはにこやかにつきあっても「彼らの自由の精神の欠如への厳しい批判」がなければならないと喚起している。(湯)氏は、

 <実際にいま、日本周辺を眺めれば、中国と北朝鮮があり、権威主義化したロシアもある。右手で握手しても、左手の棍棒は離せない。>と感想文を結んでいたが、34年前も今も変わらぬ真実である。主権国家という存在がある以上、パワーバランス外交は永遠に続く、ということなのだろう。

 高坂氏の34年前の論文を読んでみよう。

 <このところ、西欧とアメリカでは、デタントに関する論議がさかんである。その直接のきっかけになったのは、この夏全欧安保・協力会議が開催されるようになったことであった。当然、そうした外交の是非、あるいはその歴史的位置づけが問題とされることになった。そしてそこに、ソルジェニーツィンやサハロフなどソ連の知識人が、共産主義の脅威に対抗しようとしない「自由世界」の怠惰を責める論文を発表したことが花をそえ、一層議論が活発になったものである。私は、その論議を見て西欧とアメリカでは自由の精神が依然として生き続けているのを感じた。そして、日本がその点では、いささか頼りない存在であることを思わずにはいられなかった。>

 当時の雰囲気を思い出す。

 <というのは、西欧諸国の人々は全欧安保・協力会議に際して、現実の平和を手放しで讃えはしなかった。たとえば、西欧諸国の新聞における全欧安保・協力会議の扱いは決して派手ではなかった。そしてそれは、西欧の人々が、デタントや全欧安保・協力会議を、現実的に必要であり、またやむをえないことではあるが、それ以上のものではないとみなしていることを示唆するものであろう。>

 日本の「平和勢力」との大きな違いである。

 <実際、全欧安保・協力会議に至る一連の動きの成果は、結局のところ、欧州における現状の承認ということにつきる。8月1日に35カ国の首脳が署名した全欧安保・協力会議の最終文書には、現国境の不可侵性がうたわれており、そのことは第二次世界大戦後にソ連が領土を獲得したことを認めると共に、東西ドイツ分裂の固定化を意味する。もちろん、最終文書には内政不干渉の原則や技術的、文化的交流の促進など他の点がうたわれてはいる。しかし、ソ連はたとえば1968年のチェコスロバキア介入を内政干渉とは思っていないようだし、逆にソ連は西側諸国の人々がソ連国内の弾圧の問題を持ち出すと、内政不干渉の原則で対抗する。つまり、内政不干渉の原則をソ連はごく勝手に使う。>

 クマの論理である。

 <また、交流の増大は長期的には効果があっても短期的には大した効果はない。共産主義国では政府と共産党が、きわめて強い統制力を持っているからである。かくて、全欧安保・協力会議の最終文書から、現状の固定という事実が浮かび上がってくる。>

 ここで高坂氏が「長期的には効果があっても」と言っていることに注目したい。こんなに早く、とは思っていなかったかもしれないが、このデタントなどで東側に西側の情報が流れ始め、東側の民衆が西側の実態を知るチャンスとなり、それが1989年のベルリンの壁崩壊を最終的には招いたのだから。

 でも、この1975年時点から考えれば、まだ14年も先の話だ。本当に「長期的」な話だったのだ。

 <もっとも、それは平和の基礎である。昔から、現状の承認なしに平和はなかった。それ故、今回、東側と西側が相互に現状を認めあったことは、現実には小さくない意味を持っている。しかし、それがよいことかどうかは別問題である。少くとも、西側の人々は第二次世界大戦後の状況が小さくない不正を含むと考え、それ故にソ連と対立して来た。ソ連が大幅にその領土を拡げたことは、そうした不正のひとつだし、またソ連が東欧諸国に共産主義体制を押しつけ、そこをソ連の勢力圏としたこともそうである。大量の亡命者でつぶれようとした――したがって国民の支持を欠く――東ドイツを強引な形で維持し、東西ドイツの分裂を固定化したこともそうである。それにソ連内部では依然として激しい思想弾圧が存在するから(反体制知識人は逮捕されて収容所や精神病院に入れられるし、そこまで行かなくても、ときには職場から追放される)そうした状況をそのままにしておいて国際政治の現状を承認することは、不正なものを認めるということにもなる。>

 そういうことだ。そのジレンマが西側世界を苦しませた。

 <とは言え、ソ連は強大な国であるし、現在は核時代である。それ故、不正な状況を力ずくで変えようとしても、危険が大きいだけで無意味である。そんな訳で、西側の人々はいろいろ思い悩んだあげく、現状をひとまず承認して緊張を緩和し、好ましくない事態の変更は長期的な課題とすることにしたのであった。>

 妥協の産物に過ぎない、そこに変な幻想を抱くな、ということだ。

 <つまり、デタントは現実に平和を求める方策である。しかし、それですべての問題が片づいたわけではないことを西側の人々は知っている。言い換えれば、彼らは現実の平和というレベルでは現状を承認したが、より高次の正義というレベルでは、決して現状を承認してはいないのである。それは彼らが自由の精神に生きる以上、当然のことであろう。>

 自由が抑圧された国、ソ連をどう見るか。当時、日本社会党と共産党はこうしたソ連型社会主義に本質的な批判を手控えていた。

 <そして、この二つのレベルを分けて考えないところにこそ、私が日本に対して危惧の念を感ずる理由がある。その結果、まず、現実の平和の構造が見失われてしまう。>

 さあ、ここからが高坂氏の一番言いたいところなのだ。

 <デタントの基礎は、当事者の間の妥協と、力の均衡とである。東側と西側とは決してお互いの信頼の上に現実の平和を築いているわけではない。対立が残っていることを認識し、それ故、軍事的な備えをしながら、なお衝突を避けるべく努力しているのが、現在のデタントなのである。われわれがその点を見失うならば、いつか痛い目を見る事になるだろう。>

 肝心なところを見失うなよ、と。

 <より重要な危険は、少くとも現存する共産主義体制が自由を弾圧していることを忘れ、それと仲良くしてさえおればよいと考えることである。この際、人によっては、どうせ仲良くするのなら、相手の悪い点は忘れてしまった方がすっきりすると言うかも知れない。しかし、それは過度に他人に自らを合わせすぎるというものである。残念ながら、その例は多い。>

 相手の欠点に目をつぶっているうちに、欠点が見えなくなり、「痘痕も笑窪」になる。日本人のいいところでもあり、悪いところでもある。

 <国の内外において、日本のマスコミほど「自主規制」をする存在は珍しいというのが世界の常識である。相手の怒りそうなことは書かないという姿勢故に、ソ連や中国や北朝鮮の自由の欠如は、ほとんど報道されない。そして批判しても怒らない「寛容」な国や集団については、いくらでも批判するのだから、結局は非寛容な人々の圧力に屈しているわけである。>

 昔から日本のマスコミは同じような問題を内包していたのだ、とここで気付かされる。自由主義陣営の悪口は言うが、社会主義の悪口は書かない。

 韓国の悪口を散々書いて、北朝鮮の金日成独裁をほめそやしていた朝日新聞が代表例だ。当時の朝日新聞の縮刷版を見れば、いかにひどい新聞だったかは、一目瞭然だ。そういう「過去」の反省はしないのが朝日新聞の特徴らしい。今でも朝鮮総連や金正日の悪口はあまり見ない。また、金大中の悪口は書かないことにしているらしい。ひどい新聞だ。小沢一郎氏の悪口は書き放題らしいが。

 <一体、それで腹が立たないのであろうか。もしそうなら、彼らは自由の精神を真実には持っていないということであろう。というのは、自由は守るべきだから守るといった難かしいものというより、自由が犯されているのを見ると腹が立ってしかたがないというのが自由の精神の基礎だからである。それがなければ、日本の将来は不安である。>

 チベットを中国共産党が弾圧、抑圧していることについて朝日新聞の腰の引けた報道ぶりを見よ!

 <なぜなら、われわれは国の内外で共産主義者とつき合って行かなくてはならない。しかし共産主義には自由と両立しないところがある。ソ連や北朝鮮など現存の共産主義は言うまでもなく、ポルトガルの例を見ても、共産主義と自由は両立しないし、日本の共産党を見ても、いくつかの事例は共産党が自由を尊重しない恐れのあることを示している。>

 北朝鮮の政治など、批判を100回してもし足りないのに、朝日新聞にはなかなか批判記事が出てこない。出てくるのは、国民が食料不足で大変なのに、日本政府は食料を送らなくていいのか、とかの偏向報道である。

 <それ故、共産主義国や共産主義勢力とつき合うとき、現実にはにこやかにつき合っても、心の底には彼らの自由の精神の欠如への厳しい批判がなければ、結局、われわれは自由を失うであろう。自由の精神がないものとはつき合わないというのも、つき合う以上相手に自由の精神が無くても平気であるというのも、共に正しい態度ではない。>

 この高坂氏のバランス感覚を朝日新聞も学んでほしい。

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2009年4月30日 (木)

NHKの台湾ドキュメントの歪曲報道、産経新聞の湯浅氏の言い分が正しい~4月30日産経新聞コラム[くにのあとさき]から

 産経新聞4月30日朝刊1面コラム[くにのあとさき]で東京特派員・湯浅博氏は<歴史を歪曲する方法>のタイトルで、このNHKの放送を徹底批判していた。

 <右であれ左であれ「事実そのものを封ずる空気」というのは、いやなものである。とくに、歴史を扱うドキュメンタリー映像には何度もだまされてきたから、ハナから事実と思ってみないクセがついてしまった。哀しいことに。つい最近も、台湾情勢に関心がある人ならすぐに「変だな」とテレビの小細工に気づく番組がまたあった。日本が横浜開港から世界にデビューして150年間をたどるNHKの「シリーズ・JAPANデビュー」である。>

 という書き出しで、

 <その第1回放送『アジアの一等国』を再放送で見た。テーマは50年に及ぶ日本の「台湾統治」だから、制作者は植民地政策の悪辣さを暴き出すことに熱心だ。台湾人すべてを「漢民族」でくくるたぐいの荒っぽさが随所にあった。なにより『母国は日本、祖国は台湾』の著者、柯徳三さん(87)ら知日派台湾人が、筋金入りの反日家として登場したのには仰天した。日本人も驚いたが、本人はもっとビックリした。放映後、柯さんは担当ディレクターに「あんたの後ろには中共がついているんだろう」と文句をいったと後に語っている。>

 ひどい話だ。

 <異民族による台湾支配だったから、当時の柯さんらが差別を感じていたことは事実だ。番組でも「私のいとこのお姉さんが、日本人の嫁になって日本へ行ったけれどね、戸籍が入らん。こういうのが差別でしょう」と憤懣をぶつけた。柯さんはじめ、仲間の蒋松輝さん、藍昭光さんも差別されたときの悔しさを語っている。ただ「母国は日本」とまで公言している人々が、日本統治時代に関して洗脳、差別、恨みばかりを強調するだろうか。同じ疑問を感じた視聴者は多い。だが、NHKは「日本とアジアとの真の絆、未来へのヒントを見いだそうとしたものです」と無味乾燥な答えで押し切った。>

 NHKの体質なのか? NHKは組合が強いことと関係があるのか?

 <それならと、義憤に駆られた衛星放送の「日本文化チャンネル桜」はさっそく現地に飛んで、番組に出演した柯さんらを交えて座談会を開いた。藍さんは「終戦で台湾人による統治ができると考えた。だが、中国人がきて衛生、治安がでたらめになった。虐殺事件が起きて、戦前のよかった日本時代を思いだした」と語る。日本統治の良い面とは、教育、病院、鉄道などのインフラに集約できるという。柯さんは「日本統治の善しあしは半分半分なんです。NHKには両方をいった。日本人がいやがる部分はカットしていいよといったのに、逆に悪い面だけを放映した」という。そして冒頭の「後ろに中共がいるんだろう」との怒りにつながる。>

 「チャンネル桜」はいい仕事をしている。

 <制作者がシロをクロと言いくるめる番組をつくろうと思えば、取材対象の見解からクロばかりを抽出すれば事足りる。そこには、善意ある台湾人の複雑微妙な心理は配慮されない。歴史事実を歪曲してしまう古典的な手法である。>

 <昨年も、神社と戦争の結びつきを強調した映画に『靖国』があった。靖国神社のご神体は鏡と剣であり、どちらが欠けても成り立たない。だが、中国人監督は半分の剣だけを摘出して「武」のイメージを極大化した。90歳の刀匠が節目に登場するのはそれが理由だろう。刀匠から「事前説明とは違う」と抗議されると、監督は「政治の圧力か」とそらした。『アジアの一等国』であれ『靖国』であれ、「事実そのものを封ずる空気」はいやなものである。>

 湯浅氏の言う通りだろう。しかし、こういう問題こそNHKのお目付け機関が問題にすべきではないか。NHKが政治家に事前連絡したとかしないではなく、視聴者に嘘を伝えたか伝えなかったかのほうが余程重要だ。

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2009年4月17日 (金)

インチキ英国人記者の反日質問と石原知事の回答をわざわざ掲載する朝日新聞と東京新聞は東京五輪招致反対らしい~4月17日朝刊

 「書くな」と言うのではない。ただ、こういうことを書く時には見出しも正確に取り、誤解を与えないようにしてほしい、と思う。石原慎太郎・東京都知事がイギリス人記者の再三の掟破りの質問に渋々答えた内容である。日本の朝鮮植民地統治問題の質問だ。

 李明博・韓国大統領がタイの日韓首脳会談で麻生首相に告げたように、今年と来年は韓国にとって日韓問題は様々な記念日を迎える「微妙な季節」であり、ただでさえ反日運動が盛り上がりかねない。

 さらに、教科書問題や竹島問題の経験で学習したと思うが、韓国のメディアは日本の新聞が記事を掲載したことを「証拠」として、論じる癖がある。といっても分かりにくいかもしれないが、ちょうど日本のマスコミがニューヨーク・タイムズやフィナンシャル・タイムズの記事を引用して日本政府を批判するようなものだと思えばいいだろう。

 逆から見れば、韓国の一般民衆にとって日本はそれだけ大きな存在であり、その国の大メディアの権威は日本国内でよりも大きいかもしれない。なかなか、韓国メディアはそう書かないから分かりづらいが、実際はそうである。

 そこで、教科書問題などの際には朝日新聞と韓国の愛国主義的な新聞が共鳴しあって問題を大きくして、最終的には近隣条項が入ったり、村山談話ができたりした。

 朝日新聞の記者たちは「国のためにプラスだ」と思ってそのような行動をしたのだと信じている。決して売国的な動機で動いたわけではないと思うのだが、こうした言説は在米韓国人、在米中国人のコミュニティーに伝わって、増幅されて、それがカリフォルニア州発の動きとなって、米連邦政府の政策にまで影響してきたのが最近の特徴だと思う。

 だから、私個人とすれば、何もこんなことは書かなくてもいいじゃないか、と思うのだが「ニュースだから書くのだ」という反論もあるだろう。

 そうだったら、せめて、正確な見出しを付け、あらぬ誤解を広めないようにしてほしい、と念願している。

 結論から先に書いてしまったが、今回気になったのは4月17日の朝日新聞、東京新聞朝刊の社会面記事である。

 まず朝日新聞から見てみよう。

 見出しは<日本の韓国統治、公平と聞いた/石原知事、会見で発言>。対社面2段見出しだ。本文は次の通り。

 <2016年五輪の開催候補地視察で、東京を訪れている国際オリンピック委員会(IOC)評価委員会への説明をした石原慎太郎都知事は16日夜、都内で記者会見した。英国人記者から「知事は日本の朝鮮半島への行為を矮小化しているため開催地に選ばれるべきではないという、韓国での報道を知っているか」と問われ、「ヨーロッパの国によるアジアの植民地統治に比べ、日本の統治は公平だったと朴大統領(朴正熙・韓国元大統領)から聞いた」と述べた。>

 <石原知事は「日本の韓国の統治がすべて正しかったと言った覚えはまったくない」としたうえで、「日本のやったことはむしろ非常に優しくて公平なものだったということをじかに聞いた」と述べた。>

 これだけの記事なのだが、この英国人記者の質問というのも怪しい。韓国の反日団体とタイアップしての質問ではないか、とも疑える。大体、質問した記者の名前も出ていない。質問自体が誘導的である。韓国人記者が聞くのならともかく、余計なお世話である。こんな質問は「関係ない」としてノーコメントで通すほうがよかったのではないか、と思って他紙を見たら、東京新聞に少し詳しく掲載してあった。

 東京新聞は対社面4段<東京五輪/招致委『理解深まった』/IOC調査開始/環境対策など強調>という東京招致委員会の記者会見をメーンに、この記事に石原氏のポーズ写真を使って、その脇にハコ記事で<「韓国統治、欧州より公平」/石原知事、英記者に見解/招致委、質問遮る一幕も>が載っていた。招致委の記者会見は無難に日程をこなした、というだけの内容なので、やはり目はこのハコ記事にいってしまう。というか、このハコ記事を読ませたい、という意図が見え見えのつくりなのだ。

 このハコ記事では、

 <質問者がスポーツビジネスに関する記事をウェブサイトに執筆するカラム・マレイ記者(51)で「韓国のマスコミが、日本が朝鮮半島での残虐行為を否定しているため、(東京は)開催都市に選ばれないだろうと批判している」と述べ、石原知事の考えを聞いた。>

 と質問者の名前をあげている。

 <司会の五輪招致委員会の加治慶光氏が「五輪招致活動と関係のない質問はしないで」と遮ったが、マレイ記者は再度、質問した。>

 しっかり、遮ったのに、また質問したという。しつこい奴、というか、やはりそこには国際的な陰謀が見え隠れする。

 <石原知事は「韓国統治がすべて正しかったと言った覚えはない。tだ比較の問題だが、ヨーロッパの先進国によるアジアの植民地統治に比べ、日本のやったことはむしろ優しくて公平なものだったと朴(正煕)元大統領からじかに聞いた。韓国のある種の国民にとっては、朴さんの言葉は心情的に納得できず、特に若い世代には伝わりにくいメッセージだ」と述べた。>

 こういう内容の発言だったそうだ。

 <加治氏は「最初は政治的な質問に聞こえ、会見時間が短いことから遮る形となった。申し訳ない」と話した。>

 このコメントを見る限りでは、日本人記者たちは加治氏を責めたのだろうか? 何か情けなくなる記事である。

 こんな日本人記者しかいないから、反日イギリス人にいいようにやられるのだ。韓国のどんな新聞にどのような形でこのような論が出たのだろうか? マレイという記者はどんな記者なのか? 信用できる人物なのか? 何も分からない。

 このようなインチキ臭い人物の場違いな質問を大きく掲載するとどうなるか? 韓国のメディアは「石原妄言」と飛びついて大きく扱う→朝日新聞と東京新聞のソウル特派員がその報道をキャリーする→日本で「韓国で石原発言への反発強まる」の報道が出る、とすぐに予測できる。

 何度も書いているように韓国内は李明博大統領を筆頭とする自由民主主義勢力と、金大中、盧武鉉前元大統領らの「民主化勢力」とが拮抗して、勢力争いを展開している。その中で、盧武鉉氏の贈収賄罪が発覚し、盧武鉉逮捕も秒読みに入った。彼らの勢力の反撃材料とすれば「反日」しかないのだ。

 このような客観的な情勢分析が必要なのだと思う。

 ところが、日本の五輪招致に反対する勢力にすれば、こうした形で石原氏の名誉を汚すことで東京五輪をなき物に出来れば安いものだ、と思ったのだろう。浅はかな考えである。

 これは国家プロジェクトなのだ。麻生首相も出席した大イベントの締めくくりの記者会見ではなかったか。その場にこんなチンピラ記者をなぜ紛れ込ませるのか? 事務局のロジのミスだと思う。

 まあ、それは仕方ないにしても、朝日新聞と東京新聞は書かなくていい記事を書いて、国際的摩擦を増幅させようとしたことは非難されても仕方ないだろう。

 朝日新聞は背景説明がなく、しつこい質問に知事がいやいや答えていた、との真実が伝わらない。東京新聞の記事は「韓国統治、欧州より公平」が石原知事の見解である、という見出しだ。この見出しは事実誤認であり、訂正を出すべきだと思う。あくまで朴正煕元大統領がそう言った、ということを知事はしゃべっているのに、このような見出しをつければ、韓国の反日分子はここぞと引用してくるだろう。それとも、引用されたかったのだろうか?

 何でもかんでも「報道の自由」だと思ったら大間違いだ、と思う。民主主義は国民の節度の範囲内で成り立っている。その社会の目に見えない秩序こそ大切にすべきではないか。

 面白いのは、上記のような批判を慮ったのか朝日新聞は4月18日朝刊1面トップで<東京 周到アピール/16年五輪招致/人・カネ投入、視察順調>のまとめ記事を掲載。この中に<「視察は儀式>の小見出しで、海外メディアが東京を訪れたことを書いていた。ここでまた、件の記者が登場するのか、と意地悪く見ていたら、そうではなく、同じ英国人ながらモーリー・マイヤーズ氏という別のジャーナリストだった。何か、白人を見ると偉い人と思った終戦直後の感覚が朝日新聞にまだ残っているんじゃないのか? 別に白人だって同じ人間なのに、なぜ権威ある発言のように扱うのだろう。

 ただ、この扱いは石原慎太郎知事からこれ以上睨まれたくない、という朝日新聞の護身の記事だと見た。こんなどうでもいい記事を出すくらいだったら、あんね変な記事は載せなければいいのに、と思った。

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2009年4月14日 (火)

北ミサイル後の外交<敗戦>:中国の情報戦にやられた~日経3月30日朝刊、4月2日夕刊、毎日4月10日夕刊、読売12日朝刊、14日朝刊、朝日14日朝刊

 朝日新聞4月14日朝刊国際面<はしご外された日本/安保理交渉/議長声明で米中同調>はニューヨーク支局で国連本部を取材している松下佳世特派員の記事だ。面白かったのは、朝日新聞の記者とも思えない愛国心の強さが記事の端々から滲み出していることだった。
 まず前文である。
 <国連安全保障理事会が北朝鮮のミサイル発射非難の議長声明を採択する運びとなり、日本政府は「名より実」を取って強いメッセージの発信に成功したとしている。だが、交渉の過程で頼みの米国の態度は揺れ、最後は中国と結託。日本に新たな安保理決議を断念するよう迫る流れになり、米国に土壇場ではしごを外された形だ。>
 日米韓連携で北朝鮮に態度変化を迫り、一方で3カ国の連携強化で中ロの北朝鮮擁護姿勢を突き崩す、というのが今までの6カ国協議でのパターンだった。それが、肝心の米国が中国に擦り寄っているのだ、とはっきり書いている。その通りなのだが、「はしごを外した」とまで書いたのは松下特派員だけだろう。よくぞ書いた、という印象である。
 <高須幸雄国連大使は9日の安保理常任理事国との協議の後、記者団から日本のかたくなな態度を指摘されると珍しく声を荒らげた。「日本の立場を主張することが、なぜ生産的でないのか」>
 まさか、「日本は頑な過ぎるのでは?」と質問したのは朝日新聞ではないでしょうね。自分で質問しておいて、それを棚に上げる手法は今まで朝日新聞の十八番だったので、ちょっとだけ疑いが生じるのだが、そうではあるまい。
 <米国は日本とともに新決議採択を目指していたはずだった。ところが、この日の協議では議長声明を目指すことで中国と一致。米国の提案を下敷きに、中国の意向も反映した議長声明の素案がその場で示された。高須大使の声音には、米国へのいら立ちがにじんでいた。>
 さすが女性記者だなぁ、「声を荒げた」こととか、「いら立ちがにじんでいた」ことに神経がいくらしい。相当に感情移入した書き方である。
 <米国が方針転換の姿勢を見せたのは前日の8日。中国との2国間協議で、決議を受け入れさせるのは困難と判断。日韓に議長声明案を提示し、受け入れを求めた。関係筋によると日本は難色を示し、米国も理解。ウルフ米国連次席大使は、あくまで決議採択を目指す日本の姿勢について「それが適切だと信じている」とまで述べた。>
 経緯が詳しい。よく取材している。
 <ところが、わずか半日後には米中共作の議長声明の素案の存在が明るみに出た。>
 本当にそういう経緯だったならば、米国の裏切りだろう。
 <初日に強い口調で新決議採択を訴えた米国のトーンは、日を重ねるごとに後退。米国が議長声明での最終決着を念頭に置いていることは、日本側も承知していた。中ロの国連大使も8日には、議長声明なら受け入れるとの考えを相次いで公言。もともと決議へのこだわりが強くなかった英仏に異論はなく、日本の外堀は埋められていった。>
 外堀が埋まったのか。
 <13日に採択される予定の議長声明には、北朝鮮の発射に対する「決議違反」と「非難」、過去の決議履行の要求といった日本が新決議に盛り込みたかった内容がほとんど含まれている。このため、決議採択に否定的な中ロとの交渉に際し中身で譲れない一線を決め、最後に形式で妥協するという作戦が功を奏した、との見方もある。>
 私もそう見ている。
 <だが今回、米中が足並みをそろえ、日本は対外的に孤立を印象づける結果となった。2006年の北朝鮮のミサイル発射と核実験を受けて安保理が対応を協議した際には、日米そろって強硬姿勢で中国に妥協を迫り、二つの厳しい決議が採択された。その時の日米の一体感は今回、なかった。>
 そういうことでしょう。06年のブッシュ子政権ではまだ日米共同体意識があったのに、今はそれがなくなった、と。
 <オバマ米政権は対話による北朝鮮問題の解決を重視しており、その点で中国と思惑が一致する。今後、米中が協調姿勢を強めれば、日本としては「後ろ盾」の米国という北朝鮮への圧力のカードを1枚失うことになりかねない。>
 その通りなのだが、どうもそうばかりでもないようで、そこの判断が難しいらしい。米国は日米関係と米中関係を違うレベルの関係と見ているし、今の米国にはブッシュ子政権末期からの現象らしいが、中国を敵視し、潜在的脅威と見る識者が増えているようだ。
 たしかにクリントン国務長官やヒル氏のような「中国派」の勢いは盛んになったが、もう少し底流まで見ていかないと失敗しそうな感じもする。
◆読売新聞の麻生VS温家宝のし烈な遣り取りは読ませた
 読売新聞4月14日朝刊2面<首相「『違反』なければダメだ」/「議長声明」厳しい表現、中国に迫る>は日本の先を読んだ戦術について詳しく書いていた。麻生首相もよくやったじゃないか、と自国の首相を尊敬できる内容である。ここには書かれていないが、麻生首相や外務省幹部の心の中には当然、米国の裏切りは黒雲として存在していたはずだ。だkだらこそ、このような手段で、李明博大統領の手を借りて、内容で勝負に出たわけだ。
 米国が頼りにならないケースの日本外交のひとつのやり方を示したものだった、とも言えると思う。
 記事のエッセンスを書き写しておく。
 <麻生首相は4月11日にタイ・パタヤのホテルで行われた温家宝・中国首相との会談で「秋田や岩手をはじめ、ミサイルが頭上を越えて行った日本国民の気持ちを政治家として考えてほしい」と「決議」の採択を求めた。予定を上回る50分間に及ぶ会談で温家宝首相も折れずに、この後の日中韓首脳会談でもう一度話し合うことになった。>
 <3カ国会談では麻生首相は一転「議長声明」を受け入れる考えを示したうえで、「violation(違反)とかそういう言葉がなければダメだ」と迫った。「形式で妥協したことを武器に「内容」を厳しいものにする”条件闘争”を展開したわけだ。>
 <この直前に麻生首相と会い、腹合わせをしていた李明博大統領も同調した。温首相もついに「文言は専門家に任せよう」と折り合った。>
 <その後、麻生首相は帰国する政府専用機で、外務省から「『contravention』という言葉が取れた」と説明を受けた。首相が「どういう意味か」と聞くと、同省幹部は「条約などで『違反』という文脈で使われる言葉です」と説明した。「violation」よりはい表現だったが、首相は「それならいい」と答えた。>
 <首相は13日夜、首相官邸で記者団を前に、安保理がミサイル発射を非難する議長声明案に基本合意したことを「(決議)違反、それに対する非難、そして(制裁を盛り込んだ安保理決議の)履行、この三つがきちんとした形でまとまって出せるのはいいことだ。決議にするために言葉の内容を弱めるんだったら、この方がいい」と評価した。>
 と、事細かに描写している。こういうことだったら、この局面だけをとらえて「外交敗戦」というわけにはいかないのだろう。
 しかし、問題の根っ子は深いのだ。
◆森本敏・拓大教授のオバマ政権論(日経新聞[経済教室])
 森本敏・拓大教授(1941年生まれ、防衛大卒、外務省などを経て現職)が3月30日の日経新聞朝刊[経済教室]で<オバマ政権の優先課題/日本の協力余地大きく/戦略対話、政治・経済両面で/国際協調の枠組み主導を>でオバマ政権下の日米同盟のあり方を論じていたのが参考になりそうだ。
 森本氏は、
 <同盟国や友好国の協力を得て国際協調を図り、軍事力だけで問題解決する傾向にあったブッシュ前政権の対応>
 をオバマ政権は改め、スマートパワーという概念を採用した、として、
 <世界経済再生のための経済外交、テロや大量破壊兵器の拡散防止・核軍縮・アフリカ開発・気候変動・貧困対策などに重点をおいた政策を展開しつつある。>
 と見ている。そして、こうしたオバマ政権が重視する外交課題こそ日本がこの10年以上、最も力を入れて努力してきた方向だ、として、
 <いまや、こうした共通の優先課題に関して日米両国が力強い連帯と協力を進めるべき時期が到来している。>
 と説き、世界経済の約4割を占める日米両国が戦略的視野でグローバルな経済・政治問題への対処をリードしてこそ、両国の国益を追求することができ、国際社会で信頼され、尊敬される国にもなりうる、と断じている。
 そして、森本氏が座長を務めた国際経済交流財団の「新米国政権下の新たな日米関係の構築を提言する検討会」の報告書をもとに、次の提言をする。
①国際協調のためのグローバルガバナンスの主導権を日米で取れ
②アフリカ諸国への兵器輸出規制を日米が主導して働きかけるべきだ
③米国にとって日米同盟を活用したほうが米国の利益になる、と確信できる政策を取るべきだ
④具体的にはアフガン、パキスタンへの民生支援を積極的に行い
⑤米軍がアフガン、パキスタン作戦で支出する分の穴埋めとしてアジア太平洋で進む米軍再編の軽費分担の増額で賄う
⑥アジア太平洋における多国間協力や多国間枠組みの構築のため、日米が協力して主導的役割を果たす
⑦核削減のため米国にCTBT批准を働きかけ、日米で核抑止を維持しながら、NPTの目標である核軍縮を進め、懸念国の核開発を防止し拡散を止めるための協力を進めるべきだ
⑧具体的にはIAEAなどの検証機能を強化し、PSIを国際社会で制度化する
 このほか、保護主義の高まりに明確なメッセージを出す、米国の金融機関への公的資金注入を働きかける、地球環境問題で日米が協力して解決案を提示する――なども書いていた。
 つまり、北朝鮮の核問題もこうした大きな枠組みの中で真綿で首を絞めるようにやっていかなければ、解決しないだろう、という含意だろう。もう少し直截に北朝鮮問題に絡んだ森本氏の発言があったので、こちらも書き抜いておこう。
◆4月2日日経新聞夕刊の森本氏の<秘密保護法制に遅れ>も読ませた
 森本氏は4月2日日経新聞夕刊[永田町インサイド]<北朝鮮ミサイル発射準備進む/政府、問われる情報収集力>に短いインタビュー記事で登場していた。日本のインテリジェンスの課題を聞かれて、
①日本の情報機関は縦割り組織で、国として統一された組織活動ができるようになっていない。それぞれが持つ情報を上げるだけで、必要な指示も下りてこない。
②合同情報会議もおざなりだ。各省が機微に触れる情報を出すはずがない。情報は首相に直接、報告する。全体的な情報は共有されない。
③日本にも国家情報庁のような組織が必要だ。
④インテリジェンスの8割は情報手段で決まる。米国は嘘は言わないが、政策上の意図があって出す情報が多い。友好国に頼って情報収集していてはダメだ。中国に香港が返還されてから香港経由の情報はなくなった。かつて中国軍の情報は香港から入っていた。
⑤日本は秘密保護法が未整備だ。CIAは秘密保護の義務のない人間に情報は出さない。米国の同盟国で秘密保護法の対象になっていない外国の国会議員はいない。
⑥日本は極東の電波を傍受する能力は極めて高い。北朝鮮は有線のインフラが悪いので全土で無線を使っている。防衛省などはこれを分析している。大韓航空機事件の時も全部聞いていた。電波解析の積み上げの実績があるので、かなり特徴が分かる。だから米国との情報交換が成り立つ。
 などと話していた。日米同盟の強化の前には秘密保護法制定とか、国家情報庁設置など、やるべきことがある、という論である。
 この問題意識は毎日新聞4月4日朝刊コラム[近聞遠見]で岩見隆夫氏が<「情報小国」こそ脅威だ>のタイトルで同様の趣旨を書いていた。
 <脅威が発生するたびに「情報小国」を嘆き、脅威が収まると忘れてしまう。独立国にとって不可欠なものが、一つ抜け落ちている。慢性的な平和ボケだ。>
 という結びである。
 話があちこち飛んでしまったが、日米同盟が変質しているのではないか、という朝日新聞記者の問題意識を検証しようとして、少しオバマ政権の対日政策を見ていただけのことだ。
◆4月12日読売新聞朝刊の分析
 読売新聞4月12日朝刊は<対北 安保理議長声明案/米、一転中国と協力/日本、妥協は織り込み済み>も朝日新聞と同様の見方で、一連の日米中対応を振り返っている。
 <2006年の北朝鮮のミサイル発射と核実験のときは、日米の強硬姿勢で中国が譲歩を重ね、厳しい決議ができあがった。その図式は今はない。>
 という文章がすべてを言い尽くしている、と思う。そういうことなのだ。
 そして、その空気を読んでいた日本は先ほどの読売新聞の記事のように、それを織り込み済みとして、戦術的に対応、成功したということなのだろう。
◆4月10日毎日新聞夕刊のアンドリュー・ホルバート氏の話が示唆的だ
 4月10日毎日新聞夕刊ワイド特集面[北朝鮮「ミサイル発射」もっとクールでもよかった?]が面白かった。前田氏が登場し、伊豆見元・静岡県立大教授が登場し、もうひとり、スタンフォード日本センター所長のアンドリュー・ホルバート氏が出てきていたのだ。
 ホルバート氏は1946年ハンガリー生まれ。父がシベリア抑留から解放された1956年、一家でカナダに亡命。AP通信、米英紙の東京特派員などを経て、現在は東京経済大客員教授も務めている、と書いてあった。知日派の米文化人である。日本語はペラペラのはずだ。
 そのホルバート氏が<声高「迎撃」ポーズ、外交上は逆効果>のタイトルで、そのような内容をしゃべっているのだ。
 <日本政府の対応は、洗練されていたとは言えません。感情的に「迎撃、迎撃」とこぶしを振り上げ、たった一人で歌舞伎の決めポーズを取っているかのようでした。北朝鮮に圧力をかけているつもりだったのでしょうが、逆に国際社会で四面楚歌になる可能性さえあるのです。>
 という書き出しから、「おやおや」と思う。せっかく小泉元首相が訪朝したのに、
 <一部の政治家が反北朝鮮政策を声高に唱え始め、双方の関係は冷却化してしまいました。北朝鮮は悪で、日本は善の単純な構図ができた。ナショナリズムをあおるのに北朝鮮は「便利な敵」なわけですね。政治家は勇ましい姿を見せることが国民感情に応えることだという短絡的思考に陥りました。その延長の表れが、今回のミサイル騒動の「茶番劇」でしょう。>
 として、①敵視するだけでは成果はない②日本は国連決議にこだわり、突出したが、5カ国の足並みが乱れるほど金正日の思うつぼだ③5カ国が6カ国協議で北朝鮮を完全に包囲するしかないし、北の指導部はそれを最も懸念しているはずだ④国際社会では核の脅威を取り除くという目的に拉致という国内事情を優先させる日本の考え方は通用しない⑤感情的外交姿勢は国内では支持を得られるだろうが、今政府に求められているのは北朝鮮をテーブルに着かせて5対1の構図を作ることで、これこそが拉致解決を含めた長期的な国益だ⑥政治家はそういうビジョンを誠意を持って国民に示すべきだ――と書いている。
 つまり、日本をよく理解している層の中からもこのように突き放した意見が出てきているのが現状なのだ。その大きな米国世論の上にオバマ外交方針が築かれる。
 米国がこのように、選択肢を「話し合い解決」に一本化した原因は、
①イラン・イラク地域とアフガニスタン・パキスタン地域という2正面作戦を余儀なくされ、泥沼のような戦争からなかなか抜け出せず、兵力を極東に割けない。
②中国も韓国も北朝鮮の急激な崩壊を望んでいない。
③韓国の首都が38度線に並んだ多弾装短距離砲の人質になっている。
④北朝鮮はまだ核弾頭の小型化に成功しておらず、日本への安全保障上の脅威になっていない。
 ――などの複合的なものだと思う。
 特に中国の意向が強いのだろう。中国は北朝鮮崩壊後の朝鮮半島の米軍駐留を許すはずだが、その前には様々な手続きが必要で、その間は、北朝鮮に緩衝地帯として機能してほしい、という思いもある。また、国家財政の厳しい中で人民解放軍を中朝国境に貼り付けずにすみ、台湾海峡に集中できる状態を続けられれば、世界大不況下で助かる、という国家財政的な事情もあるだろう。
 つまり、中国も、米国も、韓国も強硬策を封じてしまったから、一見、北朝鮮主導で協議が進むしかなくなった、というのが現状なのだ。
 そして、先ほど書いたように、日本の脅威になっていないじゃないか、という思いが各国にはある。
 ところが日本にとってみれば、「ならず者国家」が核弾頭をもうすぐ持つかもしれない瀬戸際なのである。核実験を成功させた、といっても日本にはまだ脅威にはなっていない。それを日本まで運ぶ運搬手段がなければ脅威とはいえない。ただ、日本攻撃向けに開発したのではないか、という疑いさえあるノドンに小型核を積むことができるようになれば、日本でも金大中のような宥和型の首相しか登場出来なくなるだろう。さしずめ、河野洋平のような男が出てきて、笑顔の外交をしながら、北朝鮮の要求を次々きいてあげる、という状態になりかねないのだ。
 この日本の安全保障上の危機感を同盟国に分からせる努力が足りないのではないか、と思う。小泉氏は歴史に名前を残したいがために平壌に行っただけで、何の哲学があったわけではない。あの米国に顔を向け日本国民を苦しめた新自由主義政策を見ればよく分かるだろう。
 日本びいきの学者までがこんなことを言う時代になってしまった。
 やはり、日本に強力な政権がなく、漂流している間に国際情勢が動き、日本包囲網が徐々に敷かれてきたのかもしれない。
 日本には今こそ協力政権が必要だと思う。

 中国が「騒ぎ過ぎ」というキーワードを胡錦濤の口から出し、世界中に広めたのは戦略的に成功だったのだろう。日本は情報戦で負けたのだ。今はマスメディアまで中国の宣伝戦に便乗して「騒ぎ過ぎ」を自己批判している。もう少し自分の国の安全保障問題を真剣に考えてほしい。

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2009年4月 9日 (木)

前田哲男氏の「騒ぎ過ぎ」論は肝心な問題から逃げている:北朝鮮のミサイル発射~4月9日東京新聞夕刊

 朝日新聞と東京新聞を中心にこのところ、「北朝鮮問題で日本は冷静さを失っていた」などの識者を多用して、北朝鮮との宥和を目指す論調が目立ってきた。先のミサイル発射が結果的に無事日本列島を飛び越え、太平洋に着水したことから、「もともと日本への脅威などなかったのに、政府は騒ぎすぎた。その尻馬に乗って騒いだメディアはもっとけしからん」という調子である。今まで封印されてきた親北朝鮮の進歩派文化人がここぞとばかりに発言している。

 だが、本当にそうなのだろうか? 彼らの論調に共通する特徴がある。日本を狙っている数百発のノドン・ミサイルに小型核兵器搭載が可能になるかもしれない、という段階に北朝鮮の技術レベルが進み、一回一回のミサイル実験、核実験で得たデータで北朝鮮は確実に技術レベルを上げ、日本の安全保障を損なう方向に進んでいる、という事実を語らないのである。

 ノドン・ミサイルに核弾頭が搭載され、そのノドンが例えば10基いつも日本列島を狙っている状況を、彼らは想像できないのだろうか?

 いつもから念仏のように「対話をしろ」と言うが、国力特に軍事力という最大の後ろ盾を奪われている日本外交において北朝鮮との対話で核兵器をなくすことができるのだろうか? それは無理だと思う。彼らもそこは実現可能とは言わない。「長い時間がかかるプロセスだ」、「6カ国協議の枠組みを大切にするしかない」と言うだけである。

 ただ、彼らの発想そのものがおかしい、という事実には気付いていない。

 どういう点がおかしいか。つまり、日本という国がなくなってもいい、と考えているとしか思えないのだ。

 北朝鮮は金正日体制崩壊を防ぐために核開発をしている、という共通認識は持ってもいいだろう。つまり、国家安全保障論である。北朝鮮という国家のためだったらば、何でもする。そういう気違い国家が隣に存在する際に、どのように身を守るべきか?

 東京新聞4月9日夕刊文化面には軍事評論家の前田哲男氏の<対話チャンネル確保を/北朝鮮「ミサイル」騒動/恐怖心煽った情報伝達>の見出しで寄稿が載っていた。

 前田氏はこうした人々の代表のような人である。

 その論は、

①打ち上げられたのは人工衛星だった。ミサイルであると言うのならば、地球の重力を脱して宇宙に飛び出してしまう秒速7.9㌔を超えないように設計していたと(日本側が)証明する必要がある

②ミサイル技術の進歩と見れば確かに脅威だが、今回の「ミサイル」問題がPAC3を緊急配備するほどの差し迫った軍事的脅威であったとする理由にはならない

③ロケット打ち上げとミサイル打ち上げはもともと技術の両義性がある

④日本人の北朝鮮に対するイメージは反感と憎悪に染め上げられ「不審船」「拉致」「テポドン」の国であり、まったく信頼できない国だから、今回の衛星打ち上げにパニックともいえるような過剰反応を示した

⑤日本政府は民族的敵愾心とでもいえる北朝鮮への反感に応えるように破壊措置命令を発令してミサイル迎撃に備え、マスコミも自治体も政府が始めた「恐怖の伝言ゲーム」に加担した

⑥今の日朝間に最悪の事態を回避する対話のチャンネルも完全に断絶してしまったことが問題。チャンネルは確保されるべきだ

⑦今回の騒動は軍備拡張、軍事予算の増加をもくろみ、国民の北朝鮮に対する不信感を利用し、煽った情報操作の結果だった疑念が沸き起こる

 ――というものだった。

 また、

 <1962年のキューバ危機でケネディとフルシチョフは、核戦争の勃発という恐怖の深淵をのぞき込んだ。だからこそ、事件を教訓とし、国家を破局に向かわせないために両国首脳が直接対話するためのホットラインを設けたのだ。>

 と書いている.

 これは牽強付会もはなはだしい

 キューバ危機の真実は冷戦中にフルシチョフがケネディの宥和策の意図を読み違えて、キューバに核ミサイルを運んでも米国政府は容認するだろう、と勘違いしたことにある。ケネディ大統領は米国本土が核攻撃を受ける危険を断固排除した。世界が核戦争で破滅する危険と比較考量しても米国人の安全を守ったのだ。これがキューバ危機の真実である。

 都合のいい部分だけ引用するのではない。だいたい、進歩的文化人の論調はこのようなものなのだ。だから、彼らの「世界」(岩波書店が発行する月刊誌)などの論文を読む時には、心して、騙されないように丁寧に読まなければならない。

 キューバ危機から汲み取れる教訓はただ一つ。座して死を待つなかれ、である。目には目を、歯に歯を、である。

 黒井文太郎氏が最近、HPで書いているように、北朝鮮のような国家が核ミサイルのボタンを自由に操れるようになったら、日本は無理難題を断れなくなる。「東京に核ノドンを撃ちこむぞ」の脅しが効くからである。極端な話、毎年10兆円ずつのお金をよこせ、と言われて拒否できなくなったら、日本は北朝鮮の植民地である。

 前田氏らはそうなってもいい、と思っているのかどうか、本音を聞かせてほしいのだが、この話題では論争を避けて口をつぐむ。そして、在日の子供がチマチョゴリを切られた、とか、北朝鮮の学生が差別を受けた、とか、そういう話題の時だけ出てきて得意顔でしゃべる。

 社民党の国会議員もそうなのだが、彼らは日本人の安全はどうでもよく、在日の安全だけ守ればいい、と考えているのだろうか?

 対話のチャンネルを遮断しているのは北朝鮮である。この議論については「そうではない」と反論してくるようだが、国民を納得させうる反論を期待する。何といっても日本の脅威である北朝鮮の核兵器をなくすまで日本は国際的に孤立しようが何しようが、国民の安全のためにやらなければならないことは粛々とやらなければならないのだ。

 ただ、国際的に孤立するのは得策ではないし、北朝鮮ごとき存在のために日本が孤立という状況に追い込まれることはできれば避けたい。だから、どうするか、なのだが、基本はあくまで日本人の安全だ、とい原点を忘れない議論が求められると思う。

 「騒ぎ過ぎ」論は東京新聞と朝日新聞が競い合うように掲載しているが、米国人やヨーロッパの人々がいかに「騒ぎ過ぎ」と言っても、日本の安全保障では大きな、最大な問題なのだということを日本政府とマスメディアは根気よ説き続けるべきだと思う。

 キューバ危機の際のケネディ大統領の決断には当時、相当の反対論があった。米ソ核対立で世界を破滅させるな、という当然の反対論である。しかし、ケネディ大統領は正しいと信じたことをやりぬき、フルシチョフはケネディの本気度を見抜いてミサイルをキューバに運ぶことを諦めた。

 この教訓を生かそう。

 日本は本気で北朝鮮の核兵器を撤去したい。撤去しなければ、憲法を改正してでも日本の脅威である北朝鮮をやっつける、という本気が国際社会に伝わらなければ、米国はいつまでも「核拡散」防止だけに邁進するだろうし、効果のない6カ国協議で日本の手足を縛ろうとするだろう。

 日本に本格的な反米の動きが出る前に政府・国会はまず集団的自衛権行使の合憲という憲法解釈に踏み切り、その後、憲法で禁止されていない核武装の議論を本格的に行う準備をすべきだと思う。

 国際情勢は今、日本にとって未曾有の地点に来ている。米国の「核の傘」はすでに破綻している、ということを日本国民に分かりやすく説明しなければならない時期は近い、ということを政府は覚悟すべきだと思う。

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2009年4月 5日 (日)

江上剛氏の<マスコミが悪人つくる?>、よくぞ言った!+山口二郎氏のコラム~東京新聞4月5日朝刊[新聞を読んで]と[本音のコラム]から

 東京新聞4月5日朝刊オピニオン面[新聞を読んで]で作家の江上剛氏が<マスコミが悪人つくる?>と題してマスメディアの垂れ流し報道を強烈に批判していた。共感できる主張が多かった。抜き書きする。

 江上氏は「腹立ちの1カ月だった」と書き出す。東京新聞の社説で血液型性格診断ブームに警鐘を鳴らしているのに、同じ日の放送&芸能面で血液型本ブームに乗って発売されたDVDの宣伝のような紹介記事が出ていた、と。

 そして、

 <小沢一郎氏公設秘書逮捕の報道で「関係者」の発言が氾濫していることだ。この「関係者」とはいったい何者だ?>

 と切り込む。

 <私は、民主党や小沢一郎氏の支持者ではない。むしろ小沢氏が、巨額の政治資金を集め、なぜ自身の政治団体で不動産などを購入したのか、十分な説明をしてもらいたいと思っている立場だ。その立場をもってしても今回の「関係者」情報の垂れ流し的報道には、非常に不愉快な思いがした。>

 つまり、小沢氏の蓄財疑惑を疑っている立場の人なのだ、この江上氏は。その人ですら「おかしい」と思うような報道が続いていた、という。

 <かつて筆者は、旧第一勧銀総会屋事件において、自分の知らない情報がこれでもか、これでもかと報道され、追い詰められた恐怖を味わった。特捜検事に事情聴取された際、「なぜこんなにも情報が出るのか? あなた方が漏らしているのか?」と聞いたことがある。当然、「知りません」という回答だったが、許せないと思った。犯罪者かどうかは裁判を経ないと決まらない。それなのにマスコミ情報で極悪人にされてしまう。抵抗する手段も無い。この恐怖は、味わった者しか分からない。>

 そうだったのか。江上氏と聞いても思い出さなかったのだが。

 <もし「関係者」が特捜検事であれば、公務員による情報漏えいだ。年金情報を漏らした社会保険庁の職員が処分されたこともある。捜査情報を漏らす検事がなぜ問題にならないのか。>

 もっともである。社会保険庁が集める情報とレベルが段違いに違ってプライバシーそのものの情報が特捜検事の下に集まるのだから、その情報を漏らす=リークしたら罰せられて当然なのに、今まで罰せられた、という話を聞いたことがない。

 <重要なことに関しては、特捜部は記者会見で発表すべきだ。東京新聞には、ぜひそういう方向に誘導してもらいたい。国策捜査という言葉が頻繁に使われるようになった。権力に逆らえば、極悪人にされるかもしれないという恐怖が国民に浸透しているということであれば、大いに問題だ。>

 という内容である。

 佐藤優氏や鈴木宗男氏が著書で開陳しているように、東京地検特捜部は傾向捜査をする。江上氏のような論を大切に、各紙も東京新聞のように報じてほしい。

◆山口二郎氏の主張はもっときつかった

 同じ東京新聞4月5日朝刊特報面コラム[本音のコラム]で山口二郎・北大教授が<「正義の味方」の愚かさ>のタイトルで書いていたことも同じことだった。関係部分だけ書き抜いておく。

 「朝まで生テレビ」に出て小沢氏の問題を話したら、共産党の国会議員が検察の立件は100%正しいという前提を崩さず小沢氏の金権政治体質を批判しまくった、という。

 <それが官憲の弾圧と闘った輝かしい伝統を持つ共産党の議員が言うことか、と私は呆れ、がっかりした。敵対する政党が検察に弾圧されるのは、対決する側にとってはざまを見ろという感覚なのかもしれない。しかし、いまこそ政治家は党派を問わず、明日はわが身という感覚を持つべきである。共産党は言うに及ばず、今の与党だって、仮に政権交代が起これば、検察や警察の弾圧を受ける側に回るのである。本来は、民主党対検察ではなく、議会対検察という構図で、検察の責任を追及すべきである。>

 共産党の議員だって、最近は堕落しているのだ。

 <われわれは何よりも、検察が正義の体現者だという錯覚を捨てなければならない。検察も所詮は劣化した官僚組織である。個々の検事は組織内での栄達を図り、手柄を挙げようとし、正義という言葉をもてあそぶ。そうした検察官のシナリオを鵜呑みにして悪者を叩けば、当人は正義派を気取っていられるのだろうが、端からは何とも愚かに見えることを知るべきである。>

 きつい言葉だ。山口氏の言葉は時代とともにきつくなっている。

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2009年3月18日 (水)

政治不信を煽ってそんなに楽しいのだろうか? 朝日新聞はおかしい~3月18日朝刊世論調査記事から

 最近、朝日新聞がおかしい。今年に入って、その気持ちが強まっていたのだが、3月18日朝刊1面トップを見て、「これはどうしようもないなぁ」と思った。と同時に、なぜ「おかしい」と感じていたのか、の原因の一つも判明した。国民を煽っているのである。

 と言ってもチンプンカンプンだろうから、具体的に説明する。

 「おかしい」と思ったのは朝日新聞3月18日朝刊1面トップ<「政治大いに不満」60%/9割「民意反映ない」/本社世論調査>の記事だった。

 この見出しを見れば一目瞭然、「政治を信頼している人はいなくなったよ」というメッセージである。本文を読んでみよう。

 <いまの政治に大きな不満を抱く人が6割――。朝日新聞社が郵送で実施した全国世論調査(政治・社会意識基本調査)で、政治への不満は広がりとともに強さも顕著であることがわかった。「将来像を示していない」「国民の意思を反映していない」との意見がそれぞれ9割前後に達する。>

 という前文である。森山浩之さんという記者の名前が入っている。

 <調査は全国3千人を対象に、2月~3月中旬に実施した。有効回収率は79%。>

 は調査の方法だ。

 <政治満足度を4段階で聞くと、「満足」との意見は「ある程度」でも6%しかなく、「大いに」は1%だった。「大いに不満」は60%で「やや不満」が31%。調査方法は異なるが、似た質問をした安倍政権当時の2006年12月調査(面接)では、政治に「大いに不満」が27%、「ある程度不満」が45%だった。>

 つまり、国民が政治にフラストレーションを募らせているぞ、何とかせい、というのだろう。91%が何らかの不満を持っている、という。小泉政権では72%だったから、約20ポイント増えただろう、と。

 <一方で、政治への注目度は高く、「大いに関心がある」が31%、「ある程度関心がある」が48%と関心派が約8割を占める。関心が高い層ほど、政治への不満が強いという傾向もみられる。>

 クロス分析をしたのだろう。この後ろの文章はクロス分析をしないと出てこない。

 <不満の要因がうかがえるのは、将来像や民意の反映についての見方だ。いまの政治が「社会の将来像や道筋を示していない」と思う人が91%に達し、国民の意思を「反映していない」とみる人が「まったく」35%、「あまり」52%を合わせて87%に及ぶ。>

 今、政治家だけでなく、経済人や学者にしても5年先の見通しをしゃべれる人がどれだけいるのだろう? そんな時に「社会の将来像」を示せる、というのだったらば、ナチスのヒトラー並みの人物意外にいないのではないか。

 <政治家を「信頼していない」との意見は「まったく」21%、「あまり」57%を合わせ約8割。いまの政党に「期待しない」も61%だった。>

 期待しなくてもいいが、「期待していない」61%の人だって今度の総選挙では投票に行く人もいるだろう。本当に政党を信頼せず、期待しなかったら、ヒトラーが踊りあがって喜ぶ社会になる。朝日新聞はこの設問で「政党政治を否定する」という含意を込めたつもりだったのか?

 <政党への期待の低さは、今後望む政権の形にも表れている。「政界再編」などの選択肢も入れた四択で、どの形がいいかを聞くと、「自民党中心の政権」は11%しかなく、「民主党中心の政権」も15%にとどまった。「政界再編で新しい形」が46%で最も多く、「自民党と民主党の大連立政権」が19%だった。>

 これは各紙の世論調査の傾向と同じだと思う。それを「政党への期待の低さのあらわれ」と受け止める朝日新聞の受け止め方が間違っているのではないか。自民党の中に加藤紘一氏のようなリベラルもおり、森元首相のようなタカ派もいる。一方、民主党も菅氏のようなリベラルがいるかと思えば、前原元代表のようなタカ派もいる。その組み合わせをガラガラポンして、リベラル政党とタカ派政党に再編したらすっきりするだろう、とは誰でも思うことだ。それと「政党への期待」は直接つながらない。

 <通常の電話調査では、望む政権の形を「自民中心」「民主中心」の二択で尋ねており、今月7、8日の電話調査の結果は「自民中心」24%、「民主中心」45%と民主がかなり優位だった。回答の選択肢を広げた今回の調査結果からは、民主党政権が必ずしも強い支持を得ているのではないことが読み取れる。>

 そりゃあそうでしょう。小沢一郎代表の秘書の疑惑を東京地検特捜部のリーク通りに書き続けた新聞社がそういう民意を形成した、という反省は見えないようですが。

 <自民党と民主党の政策については、67%が「大きな違いはない」と考えており、民主党中心の政権に代わったら政治がどうなるかを聞くと、「よくなる」は19%で、「変わらない」が59%を占めた。>

 だから、今までの政権交代という国民の素朴な期待感を打ち壊したのが東京地検特捜部だったことは間違いないのですから。どうして朝日新聞は東京地検特捜部の「国策捜査」を正しいと思いますか、という設問を入れなかったのだろうか。

 強いものに擦り寄る朝日新聞は以前、権力を持った政治家に擦り寄りながら、国有地払い下げなどの利便を図ってもらっていたが、いまや政治家は使い捨て、国家権力の象徴のようになった検察権力にだけ阿るようになった、と見える。

 朝日新聞は1面トップの本記に加えて、6面1ページを全部使って、この調査の詳報と[質問と回答]を入れていた。見出しは<置き去られた民意/政治・社会意識調査/政治家の資質「専門性より国民感覚」/政党像「自・民 大差なし」67%/郵政選挙「よくなかった」62%/不満の中身「将来像示していない」91%/将来投資「医療・福祉へ」85%/格差社会「行き過ぎ」62%>である。ご丁寧に政策研究大学院大学の竹中治堅准教授の<自民と民主 真摯に政策競え>のインタビューがつけられていた。いつもの朝日新聞らしいこけおどしである。

 それはともかく、この記事で暗い気持ちになったのは、マスメディアの役割を吐き違えている記者が朝日新聞の論説委員会だけでなく、編集局の幹部まで思い違いをしていることがはっきりしたためだ。

 はっきり言って、この調査は意味がない。

 政治に不満があるのは当然なのだ。経済成長の時代は政治は不要だった。優秀な官僚が護送船団方式で輸出主導の国家を作り、維持した。それは冷戦崩壊までの話だった。ところが、冷戦崩壊でその日本が輸出立国で今まで通り生きていける条件が失われた。だから、日本は変わらざるを得なかった。

 そこで、中曽根政権から種々の改革に挑み、橋本政権の省庁再編で統治機構を改革。小泉政権がその果実を生かして、経済財政諮問会議をフル稼働させながら、改革を進めた。

 しかし、改革というものは今までの既得権を奪うものでもあり、弱者には厳しいものである。そこで、抜本改革の際には弱者保護のためのセーフティーネットがどうしても必要なのだが、そのセーフティーネットを用意せずに社会保障費削減、医療費削減、労働規制緩和を実施してしまったので、今、日本が閉塞状態になってしまった、と概観できると思う。

 そこで、小泉構造改革ではない本当の構造改革が必要になったのだが、それは農業改革などが中心にならざるを得ない。ところが農業の世界は農協という中間組織がすべてを牛耳っており、また、その組織は自民党の集票マシンでもあるから、改革は本当に難しい、ということだろう。

 論理的に考えれば分かることだ。そんな時代なのに、衆参両院の「ねじれ」で国会が機能しないから。法律が通らない。そこで「政治不信だ」となるのは短慮である。

 そういう時代だからこそ、どういう政治が望ましいのか、今の政治をどうすればいいのか、を聞くべきだろう。

 「政治不信」「政治に不満」が60%でも90%でも、国民は政治と付き合わなければならない。いいにせよ悪いにせよ、これが日本の政治であり、私たちが選んだ選良の行動なのだ。

 暗い見通し、「ダメだ」「ダメだ」の連発が最近の朝日新聞の紙面基調のように見える。

 そんなに国民の思想をファシズムの方向に流れさせたいのだろうか? この議院内閣制の政治をより良くしていくしか選択肢はないのではないか? そういう気持ちを持てば、自ずと設問の仕方は変わってくるものと思う。

 朝日新聞にまた失望した。

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2009年3月13日 (金)

ホワイトハウスのスピーチライターは地位が高い+オバマ人気に陰り~3月1日東京新聞朝刊、3月13日毎日新聞朝刊と中岡望氏のブログから

 マイケル・ガーソン氏が毎日新聞3月13日朝刊[世界の目]に<本性を見せ始めたオバマ政権>のタイトルで寄稿していた。英文で寄稿したものを花岡洋二記者が翻訳した、とある。肩書きは「米ワシントン・ポスト・コラムニスト」とあったのだが、誰だったかすぐには思い出せず、グーグルで検索してみたら、中岡望氏という方のブログにプロフィルが詳しく載っていた。

 まずは、中岡氏のコラムの関連部分を引用させていただく。

http://www.redcruise.com/nakaoka/?p=58

 中岡氏は日米首脳の演説内容の大きな違いとして、米国大統領の演説に名スピーチが多いのに、日本の首相演説には少ない。なぜか、と言えば米国ではスピーチライターが演説を書いているからだ、と言うのだ。

 第1期ブッシュ政権時のホワイトハウスのスピーチライターはデビッド・フラム氏というネオコン評論家で、1年強務め、辞任後に本を書き、その中で、ブッシュ政権の外交政策を象徴する言葉を自分が書いたと告白している、という。

 <締め切りが迫り、なんとか書き上げなければならないという切羽詰った状況に陥った彼に、一つの言葉が浮かんできます。それは「悪の枢軸」という言葉でした。英語では”Axis of Evils”です。書き上げた原稿は、大統領の政治顧問や国務省、国防総省のチェックを受けます。そのチェックを受けたフラムの原稿には、「悪の枢軸」という言葉は残っていました。その後、この言葉は頻繁に使われ、ブッシュ政権の外交政策を象徴する言葉になりました。>

 <「悪の枢軸」は、レーガン政権の「悪の帝国」とよく比較されます。自らもレーガンになりたいと願うブッシュ大統領にとって、「悪の枢軸」という言葉の響きは心地よいものだったかもしれません。レーガン政権の「悪の帝国」も、スピーチライターのマイケル・ジョーンズが書いたものです。ちなみに、アメリカ人に聞くと「枢軸」という言葉の響きは「帝国」という言葉の響きよりも厳しいものがあるそうです。ブッシュ政権は「悪の枢軸」として、イラク、北朝鮮、イランを上げています。これにリビアなどを加えて「悪者国家」あるいは「ならず者国家」と呼ばれています。いずれもテロ支援国であると見なされています。>

 知らなかった。面白い話である。あれだけ日本のメディアが多用した言葉はこの人たちが生み出していたというのだ。

 そして、ここからがマイケル・ガーソン氏に関する記述だ。

 <ブッシュ政権の首席スピーチライターは、マイケル・ガーソンです。彼は原理主義者といわれエバンジェリカル(福音派)のクリスチャンで、神学の研究者でもあります。そのため、ブッシュ大統領の演説の中に頻繁に聖書の言葉が引用されるのは、彼の影響があるためです。ブッシュ大統領は、彼の書く演説のスタイルとトーンを非常に気に入っていると言われます。ガーソンはブッシュ大統領の「コンパッショネート・コンサーバティズム(思いやりある保守主義)」の考えに強い共感を抱いていました。>

 ここまで詳しい説明を読んだ記憶がない。新聞は当時、こういうことを書いていたのだろうか? 書いていて、私が読み飛ばしただけかもしれないが、ブログのいいところは新聞と違って、後まで残り、今になって2005年の書き込みが読めることだ。

 <ホワイトハウスのスピーチライター室には常時5~6名のスタッフが働いています。第1期ブッシュ政権の演説を書いていたのがジョン・マッコーネルとマシュー・スカリーで、ブッシュ大統領はこの3人を”三位一体(Triune)”というニックネームを付けていたそうです。この3人は2000年の大統領選挙の時から、そのポストにいます。スカリーは昨年の夏に辞任しています。が、今回、ガーソンの辞任が決まりました。これによって、ブッシュ大統領の演説の内容のニュアンスが変わってくるかもしれません。>

 このブログ記事は2005年1月9日のものだから、リアルタイムで辞任の動きを書いている。

 <ガーソンのホワイトハウスにおける地位は、極めて重要なものでした。彼は、ホワイトハウスのコミュニケーション・ディレクターのダン・バーレットとオフィスの隣にあります。バーネットのオフィスはウエストウイングといわれる建物の2階の角にあります。そのオフィルを出たところは、レセプション・アリアとなっています。1階の南側の角にオバール・オフィス(大統領執務室)があり、重要なポストにある人物のオフィスは大統領執務室に近いところにあります。一番物理的に近い所にオフィスを持っているのは、報道担当補佐官のスコット・マクレランです。>

 <余談ですが、ホワイトハウスではスタッフの権力抗争が繰り広げられています。スタッフの序列を決めるのが、大統領との距離にあります。アポなしで大統領に会える人物ほど、ホワイトハウス内での序列は上なのです。たとえば、パウエル国務長官はアポなしでブッシュ大統領に会うことはできませんでした。だが、次期国務長官に使命されているライス補佐官はアポなしで大統領に会うことができる数少ないスタッフであるといわれています。ライスのオフィスの隣がチェイニー副大統領のオフィスです。ライスのオフィスは北側の角にあり、エレベーターの隣にあるチェイニー副大統領よりも良い場所にあるといえるかもしれません。ちなみに、首席スピーチライターを除くスピーチライターは、ホワイトハウスとは別の建物であるアイゼンハワー・エグゼクティブ・オフィス・ビルディングにあるオフィスにいます。

 相当に地位の高い人物だった、ということか。それにしても詳しい。大学で教えてもらった学生は得をしたな、という感じだ。こういう先生に教われば、躍動する米国政治が映像のように頭の中に刻み込まれるだろう。

 <ガーソンは、ブッシュ大統領の最も近い人物の一人であるマッコーネルとオフィスを共有しているのですから、影響力が極めて強い人物の一人でしょう。ちなみに大統領に最も近いスタッフとしては首席補佐官のアンドリュー・カードと、政治顧問のカール・ローブがいますが、マッコーネルもその中の一人と見られています。>

 こういうスタッフに関する情報を全く知らなかったのは不明のいたすところだ。オバマ政権のスタッフ情報を今後、集めることにしよう。

 <ガーソンの辞任で、今後、ブッシュ大統領の演説のトーンが変わってくるかもしれません。後任に選ばれたのは「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙の社説ページを書いてる編集者ウィリアム・マックガーンです。マックガーンは以前にもスピーチライターの職に就くようにブッシュ政権から要請されたことがありましたが、その時は断っています。今後は、マッコーネルとマックガーンが中心になって大統領の演説を書いていくことになります。ガーソンは昇進し、ホワイトハウスに残るのではないかといわれています。>

 <実は、ホワイトハウスのスピーチライターは、ある意味では、非常に魅力的なポストなのです。>

 <先に触れたフラムは、現在はネオコンの週刊誌「スタンダード・ウィークリー」などに寄稿し、評論家として高い評価を得ています。かつてのスピーチライターの中には、ネオコンに対抗する正統派保守主義者を自認するパット・ブキャナンは、ニクソン大統領のスピーチライターでした。「ニューヨーク・タイムズ」紙の名コラムニストのウィリアム・サファヤもホワイトハウスのスピーチライターでした。マーチン・カプランもフォード大統領のスピーチライターでした。ケネディ大統領のスピーチライターは、セオドーア・ソレンセンでした。レーガン大統領のスピーチライターはペギー・ヌーサンでした。ニューヨークの日本協会のジャパン・ソサエティ・フェローとして滞日経験もある知日派のジェームズ・ファローズもスピーチライターで、現在、雑誌「US News & World News」の出版者になっています。いずれもアメリカの知性を代表する一級の人物です。>

 <スピーチライター経験者はジャーナリストや評論家、学者として、その後も活躍しています。なお、ホワイトハウスにスピーチライターがいるように、各省の長官もそれぞれ独自のスピーチライターを抱えています。

 <日本では首相演説は各省のチェックを受け、最終的にまったく個性がなくなるのが普通です。首相個人の肉声や思想はまったく反映されません。味気ない役所の文章以上のものではありません。時々、首相が加筆したことが大きな話題になることから察すれば、状況は十分に想像できるでしょう。>

 <アメリカでも演説の内容は各省の責任者のチェックは受けますが、日本よりもはるかに大統領の思想や意識が反映したものになっています。アメリカ社会では演説を重要視する伝統があります。それは、ある意味では、言葉を大切にすることにも通じるのかもしれません。そんなアメリカ社会、ホワイトハウスの背景を知って大統領演説を聞くと、これから違った響きがあるかもしれません。大統領は年明けに議会に対して「一般教書演説(State of Union Speech)」をします。1年間の施政方針演説で、この演説を詳細に読み取ることで、政府の政策の方向を理解することができます。>

 思わぬ勉強をさせていただいた。2005年段階でこのように緻密なコラムをブログに書いている方がいるとは知らなかった。オバマ大統領の就任演説などを読む際の参考にすべきだろう。

 中岡望(なかおか・のぞむ)氏は1947年広島県生まれ。国際基督教大卒。東京銀行を経て73年東洋経済新報社に入社、編集委員などを務め2002年退社。81~82年フルブライト・ジャーナリスト、ハーバード大学ケネディ政治大学院のフェロー。93年、ハワイの大学院大学イースト・ウエスト・センターのジェファーソン・フェロー。2002~03年ワシントン大学(セントルイス)ビジティングスカラー。現在はフリージャーナリスト、様々なメディアに寄稿、本の執筆、講演活動を展開。また、国際基督教大学(ICU)、日本女子大学、武蔵大学の非常勤講師も務める。ICUでは「アメリカ文化研究」「現代アメリカ経済論」など学部、大学院で5コースを担当。日本女子大では「経済学概論」「比較社会論」を担当。武蔵大学では「アジア経済論」などを担当。著書に「アメリカ保守革命」(中公新書ラクレ)、訳書に「恐慌の罠―なぜ政策を間違えつづけるのか」(ポール・クルーグマン著)がある、とあった。

ブログを早速、「お気に入り」に入れさせていただいた。

◆毎日新聞は「ブッシュ前大統領のスピーチライター」と入れるべきだった

 さて、毎日新聞のガーソン氏のコラムである。

 オバマ政権のコテンパン批判なので、一体この人は何者なのか、と思ってブッシュ政権のスピーチライターだったら仕方ないな、と今思ったところだったのだが、彼が批判しているのは高額所得者への累進課税であり、株暴落で被害を被った富裕層からまたまたカネを毟り取るのか、という議論だ。医療保険改革も批判しているし、オバマ政権の莫大な公共投資による経済浮揚策にも「借金をだれが返すのか」と批判する。

 読んでいて、随分ととんでもないことを言う奴がワシントン・ポストにはいるんだなぁ、と思ったが、ワシントン・ポストは本当にこんな雑駁な論を掲載しているのだろうか?

 毎日新聞もせめて、ガーソン氏がブッシュ前政権のスピーチライターだったことを明記しておいてほしかった。そうすれば、何割か割り引いて読めるのだが、まともに読んで損をした感じだ。

◆東京新聞のジェラルド・カーティス氏の寄稿

 少し古くなるが、東京新聞3月1日(日)朝刊[時代を読む]に米コロンビア大学教授で東京新聞客員のジェラルド・カーティス氏が<オバマ氏への期待の危うさ>のタイトルで寄稿していた。

 <オバマ米大統領は就任後1カ月の間に総額7800億㌦(約75兆6000億円)に上る景気対策法を成立させ、銀行の不良資産処理への救済策を発表し、世帯の住宅差し押さえを回避するための支援策をまとめた。>

 の書き出しである。

 <議会の賛同を得るため、また、世界大恐慌以来とされる経済危機の悪化を防ぐには莫大な財政赤字もやむを得ないと国民に理解してもらうために、全力を尽くして説得に当たったのだった。>

 その通りだった。オバマ演説から、理想論が少なくなり、現実対処への苦しみを耐え忍ぼう、という論調が増えた時期だった。

 <だが、今後も高い国民の支持を得続けられるかどうかは分からない。支持率はすでに下落傾向にある。米CNNテレビが2月中旬に実施した調査では、オバマ大統領への支持率は67%だった。その11日前に行われた調査の76%に比べ低下している。>

 そうなのだ。「100日の蜜月」は遠い過去の話のようなのだ。

 <オバマ大統領はブッシュ時代に生じた問題の処理に当たっているが、今後半年ほどの間に、今はブッシュ大統領の問題と思われているものが、オバマ大統領自身の問題とされるようになるだろう。要するに、年末までに経済が回復をみせないなら、オバマ大統領に対する批判は強まっていくだろう。>

 タイム・リミットは年末なのか? そして、それは選挙民国民の忍耐の許容限度なのか?

 <多くの経済専門家は、議会が可決した景気対策法案は十分といえず、いずれオバマ大統領は追加支出を求めざるを得ないだろうとみている。だが、議会がこれに同調しない可能性は強い。>

 <経済危機に際して民主党と共和党が超党派の精神で協力するというオバマ大統領の希望は、実を結ばなかった。下院で共和党議員は一人も景気対策法に賛成せず、上院は3人の共和党議員が賛成しただけだった。次に採決が行われるとき、共和党と一緒に民主と運保守的な議員が反対に回れば、オバマ大統領の望む経済政策は取れなくなる。>

 議会という強い権力の存在は日本人が理解しがたいものでもある。

 <いずれにせよ、経済が好転しないなら、経済危機は政治危機を招く。ある意味で、米国はますます1990年代の日本に似てくる。違いは、米国が「失われた10年」になれば、それは米国だけでなく、世界にとっても「失われた10年」になるということだ。>

 カーティス氏の言う通りだろう。

 <イラク戦争での莫大な支出は、徐々に戦闘部隊が削減されることでかなりの程度、減少できるだろう。だが、この支出削減はアフガニスタンへの増派決定によって相殺される恐れがある。>

 <オバマ大統領はアフガンに駐留する米軍部隊3万6000人に加え、1万7000人の増派を命令し、アフガン・パキスタン国境のパキスタン側にいるタリバン勢力への空爆を拡大した。アフガン政策がうまくいかなけらば、オバマ大統領は米国民の批判に直面することになるだろう。>

 ここまで腹を括ったアフガン増派なのに、小沢一郎氏は「失敗することは間違いない」と発言した。その後の第7艦隊発言にしても、最近の小沢発言はオバマ米政権の「虎の尾」を踏む発言が目立っていた。謀略史観を取りたくはないが、東京地検特捜部が小沢氏の秘書を政治資金規正法違反の中の今まで適用したことのない手法で摘発した裏には米国を慮った日本のエスタブリッシュメント階級の強い意思があったのかもしれない。

 <オバマ大統領には決断力があり、閣僚や補佐官に有能な人材を集め、国民に希望を抱かせ、説得する能力がある。だが、統治を難しくする大統領と議会のチェック・アンド・バランスという政治システムの中にいる。また、最悪の経済状況と、一つは激化し一つは沈静化の兆候をみせる二つの戦争を戦う米国とに取り組まなければならない。>

 <オバマ大統領が成功するか否かには、全世界が利害関係を有している。オバマ氏はまれに見る魅力的な政治家であり、偉大な大統領になれる素質を持っていると思う。だが万一、オバマ大統領が多くの人々の期待に応えないとなれば、米国だけでなく、全世界が大きな代価を払うことになる。>

 以上である。これが3月1日の朝刊だから、カーティス氏は2月下旬に原稿を書いたのだろう。その後の変化も悪化一方である。

◆米エコノミスト49人調査で「オバマ、ガイトナーは落第」~毎日新聞

 ここでまた毎日新聞3月13日朝刊に戻る。経済面のハコ記事<オバマ大統領とガイトナー長官落第/エコノミスト49人/米紙調査>である。ニューヨーク発の時事通信の原稿で、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)が11日、景気回復に向けた米政府の取り組みについてエコノミストを対象に同紙が実施した最新調査で、オバマ大統領とガイトナー財務長官が「落第点」を取ったと報じた、とあった。

 記事によると、調査対象のエコノミスト49人中、過半数がオバマ政権の経済政策に不満を表明。大統領の「成績」は100点満点で平均59点財務長官は51点という厳しい評価が下された、とあった。バーナンキFRB議長は71点だった。

 <エコノミストたちは金融機関救済策の遅れを批判している。ブッシュ政権時の昨年12月調査では、オバマ政権の経済チームの方が優れているの回答が4分の3を占めたが、同紙は今回の結果について、見解の転換を示すものだとしている。>

 とあった。短い記事だが、ここにある「見解の転換」が重要なキーワードだろう。

 毎日新聞は追い打ちをかけるように同じ13日朝刊新経面の竹森俊平・慶応大学教授のインタビューで<米当局は判断誤った>を掲載している。これはリーマン・ブラザーズを破綻させた当時のポールソン財務長官の失敗を問題にし、「破綻させるべきではなかった」と批判しているkら、ブッシュ批判でもあるのだが、問題はオバマ経済チームがこのポールソン人脈とほぼ重なる人々を経済チームに抱え込んでいる、というか、経済チームの主流にしていることだ。

 先ほどの[世界の目]にしろ、毎日新聞は早くも「反オバマ」姿勢に切り替えたのだろうか?

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2009年2月26日 (木)

日米首脳会談の各社社説を比較してみると…:2月26日各紙

 日米首脳会談を各紙社説はどう取り上げたのか。2月26日の各紙社説を見てみよう。

◆日経新聞の社説は形式論に終始~かんぽの宿の敵をワシントンで討った

 日経新聞は<「日本の首相」とオバマ氏の会談だった>のタイトル。

 <オバマ大統領の最初の議会演説と重なり、米国内での関心は低く、対米国世論の観点からは最悪の時機だった。>

 と米国内の関心が低かった事実をあげ、

 <重要問題が包括的に議論された。首脳会談は、多かれ少なかれ外交当局の振り付けで動く。今回は準備期間が短かったにもかかわらず、両首脳がとりわけ振り付け通りに演じたようにみえる。>

 と、卒なくこなしたことに安堵感を表明しながら、

 <会談後、両首脳が記者団に話し合った内容を語る予定だったが、それもなかった。首相は記者団の前に現れたものの、大統領は姿を見せず、ホワイトハウスは本文21行の簡単な声明文を発表した。声明文の書き出しは「オバマ大統領は本日、日本の首相とグローバルな経済危機やその他の分野での二国間協力をめぐって詳細な協議をした」となっている。麻生首相というより「日本の首相」を迎えたという気持ちなのだろうか。>

 と「本論」に入っていく。

 <オバマ大統領は会談前の写真撮影の際に「日米の友情は極めて重要であり、それが首相に最初の外国高官として執務室を訪ねていただいた理由だ」と述べた。早期訪米を求めた麻生首相にこたえたことを強調したわけだ。ただし接遇全体を見れば、最初に訪れた外国首脳という儀礼重視で一貫しているわけでもない。>

 と厳しくなる。

 <政権が違うので単純比較はできないが、ブッシュ政権時代、小泉純一郎、安倍晋三両首相は、最初の訪問でキャンプデービッドに赴いた。福田康夫首相はブレアハウス(迎賓館)に泊まった。麻生首相はワシントン市内のホテルに宿泊した。>

 まあ、形式である。だから、

 <首脳会談は中身が重要であり、周辺的な問題を誇張するのは適切ではない。しかし今回は日米双方が最初の訪問者という儀礼的な意味を強調した。外交の世界は儀礼も重要だとすれば、過去の事例との比較は不可欠である。>

 と形式を比較する正当性を強調して、

 <外交は内政に影響する。内政で苦境にある麻生首相は一定の浮揚効果を期待して早期訪米を求めたのだろう。米側がそれを受けたのは中国を意識した結果ともいわれる。一方、内政も外交に影響する。麻生氏を日本の首相としては大切にもてなすが、政治家同士の個人的な関係を築く気持ちにならない――。日本の内政の現実を直視すれば、仮にオバマ大統領が、そう考えたとしても無理はない。>

 首脳会談の内容をコメントするのではなく、時間の短さ、米国メディアの無関心さを強調しているのは、仕方ないのかもしれないが、日経新聞がここまで先鋭的になっていたとは驚きだった。

 小泉純一郎氏や竹中平蔵氏の路線に忠実な日経新聞とすれば、小泉路線を壊す麻生首相、「かんぽの宿」で郵政民営化を引っ掻き回す鳩山邦夫氏とつるむ麻生首相を許せないのかもしれない。何しろ、朝日新聞が途中でひよってしまったので、「鳩山ケシカラン」論調は今や日経新聞だけとなり、それも次々新事実が出るたびに苦しくなっているのだから、江戸の敵を長崎で討ちたくなるのは分からなくもない。

 しかし、一国の首相の日米首脳会談である。この書き方はいかがなものか、と思う。

◆もっとひどかった東京新聞

 東京新聞は<日米首脳会談/得点期待の手法は古い>と貶す一方だった。

 <日本政府の期待の割にはアピール度を欠くオバマ米大統領との会談だった。初の招待者たる“栄誉”が唯一の成果なら、締まらない話だ。政権浮揚へ外交で得点を狙う手法が通用する時代ではない。>

 この社説は、これがすべてだろう。

 「対日重視の姿勢の表れ」と言っているが、「今回は、招待というよりも、日本外務省が頼み込んで、米側から呼んでもらったとみる方が実態に近いのではないか」とまで書くのだ。共同記者会見の見送りがその温度差を象徴しているかのようだ」とくる。

 <首相が一人寂しく「率直に話し合える、信頼できるリーダーだ」と、オバマ評を記者団に語ったのは、いささか奇妙に映った。>

 ここまで日本の首相を漫画にして何が面白いのだろう。こういう論調は麻生首相を貶めようとして、日本という国を貶めていることにもなりうる、ということに気付かないのだろうか。

 <政権浮揚のみにとらわれて外交カードを切れば、相手に足元を見られ、交渉の主導権を握られることになりかねない。日本はこうしたいのだという明確な意思なく、漫然と首脳外交を繰り返すことは本来、厳に慎むべきことである。>

 <内閣支持率が10%そこそこの政権の現状を考えれば、拙速外交を避けるべきなのは当然のことだ。首相の唐突な駆け足訪米にはそんな危惧がぬぐえない。>

 <今後も4月にロンドンでの金融サミット、5月にはプーチン・ロシア首相が来日するなど外交日程が予定されている。「外交の麻生」を自任する首相の、はやる姿勢が気になる。国益と切り離せない外交を、もしも延命の道具にするつもりならば、本末転倒だといわれても仕方ない。>

 「もしも延命の道具にするつもりならば」と書くことは、春秋の筆法ならずとも、筆者がそう思っているということである。ここまで自国の首相を悪し様に書く東京新聞論説委員会の良識を疑わざるをえない。

◆朝日新聞は冷静に淡々と…だから訴えるものがあった

 朝日新聞は<日米首脳会談―弱い首相の外交の軽さ>のタイトル。タイトルだけを見ると、麻生否定論と見えるが、内容はそうでもなかった。狡さである。

 <「これほど政権基盤が弱っている麻生首相に対米外交を任せられるのか」「米国はそんな首相をなぜ、ホワイトハウスに最初に招いたのか」。そうした疑問が少しも不思議でない状況の中で、オバマ大統領との初の首脳会談が実現した。>

 の書き出しがすべてを物語るのではないか。ただ、朝日新聞の狡ささのか、ためを作る見事さなのか、次のように続けるのだ。

 <とはいえ、会談にはそれなりの大きな意義があった。>

 である。その「大きな意義」とは①世界同時不況の中、経済規模世界1位、2位国のトップが協調を語った②8年ぶりの米大統領交代で国際政治の激変が予想され、主要国が外交を活発化、新しい流れに対応しようとしている中で日本も後れをとってはならず、「日米同盟は東アジアの安全保障の礎石」(オバマ大統領)という認識を土台に、さまざまな国際問題や地球環境対策などで協調していく方向となったのは出発点としてはいい――という2点だ。これは常識的な判断であり、うなずく人が多いだろう。そこを納得させておいて、本論に入るのが朝日新聞の「うまさ」だ。

 <それにしても、内閣支持率が極端に低迷し、与党の中からも退陣論が出ている「弱い首相」が、何より国家指導者としての存在感が問われる首脳外交をする違和感はぬぐいがたい。>

 である。

 日本側の強い要望で実現した会談だが、米側は麻生首相の窮状は承知しながら、大統領の最も重要な施政方針演説の日に会談日程を入れたのは、

 <首相が誰であれ「日本重視」で臨むというメッセージを、日本国民に送りたかったということに違いない。>

 と。これはそうだろう。

 <複数の米欧メディアは「たった1時間の会談のために1万1千㌔の長い旅」などと、首相の訪米を皮肉を交えて報じた。オバマ大統領との出会いを国内での人気挽回につなげたいというのが麻生首相の底意、と見立ててのことだろう。>

 欧米メディアに事寄せて言いたいことを書く、という従来から多用されているパターンだ。

 <来月早々には英国のブラウン首相が訪米する。国際経済やアフガン戦略などをめぐって欧州側で進む作戦づくりを踏まえ、米英の連携を協議する。4月初めの金融サミット(G20)に向けて、主要国首脳の駆け引きはいよいよ激しくなるだろう。それと比べ、麻生首相の今回の訪米がいかにも軽く扱われるのは悲しい。>

 そうなのだ。国民は軽んじられることを悲しんでいるのだ。だから、日本のメディアくらいは悲しい記事をあまり載せないでほしい。

 <近年、首脳外交の重要性はますます高まっている。その支えとなるのは国力であり、国を動かす首脳の力だ。国民の審判を避け続けた揚げ句、民意の支えを失いかけた政権がそれを成し遂げようとしても、もともと無理があるのだ。今回の訪米は、そのことを浮き彫りにした。>

 一歩下がって書いているのが印象的だ。ここで拳を振り上げるよりも、このような書き方の方が訴える力は強いのだと思う。

◆毎日新聞も「国民の支持の有無」を問題にしていたが、良識的だった

 毎日新聞の社説<日米首脳会談/外交は国民の支持あってこそ>も書き出しは、

 <麻生太郎首相とオバマ大統領の初の日米首脳会談は、同盟国として責任を共有していくことを確認する場となった。大統領は日米同盟を東アジアの安全保障の「礎石」と位置づけ、「私の政権が強化したいものだ」と述べた。「強化」とは、日米関係を2国間の問題だけでなく国際社会共通の課題に協調して取り組めるような関係に発展させたいという期待を込めたものだろう。世界的な経済・金融危機、テロとの戦い、深刻化する地球温暖化など各国が国境を超えて対処しなければならない課題が山積している。首相が口癖のように言う世界第1位、2位の経済大国の日米が手を携えなければならない時であるのは論をまたない。>

 と実質的な「成果」から書き始めた。

 <首脳会談で多くの時間を費やしたのは経済・金融問題だった。基軸通貨ドルの信認維持が重要との認識で一致し、保護主義に対抗することが日米の重大な責務であることを確認した。4月のロンドンでの第2回金融サミットへ協力を加速することでも一致した。日本は昨年10~12月期の実質成長率がマイナス12.7%(年率換算)を記録するなど不況の長期化が懸念されている。昨秋以降、事業規模75兆円、財政支出12兆円という3次にわたる景気対策を決定しているが効果は薄い。会談では大統領に内需拡大を求められた。>

 と客観的な叙述が続く。

 <首相は追加景気対策の早期実施という課題を背負わされたが、与野党対立の国会情勢では先行きは不透明だ。>

 <責任の共有という意味ではアフガニスタン安定化支援も重要な分野だ。首相はアフガンの隣国のパキスタン支援のための国際会議開催と、米国が進めているアフガン戦略見直し作業への日本参加の考えを伝えた。軍事的貢献ができない日本に対し大統領は開発や治安、インフラ整備などの分野での協力を求めた。日本は国際社会の一員としてアフガンの復興・安定に最大限の協力を行う必要がある。戦略見直し作業の中で、可能な有効策に知恵をしぼるべきだ。>

 ここまでは当然の日本の責務を書いており、異論は全くない。

 <麻生首相はオバマ大統領がホワイトハウスに招いた最初の外国首脳となった。クリントン国務長官が初の外遊先に日本を選んだのと合わせ、日本重視姿勢のあらわれといえよう。>

 ここまでも客観的な事実であろう。

 そして、最後の最後に言いたいことを言う。

 <しかし、共同記者会見や昼食会が行われなかったのは異例である。「首脳間の信頼関係をいかに築くかが一番大事」(河村建夫官房長官)としていた日本側の期待ははずれたようだ。米側のそっけない対応ぶりは、支持率低下に歯止めがかからず失速寸前の麻生政権の今後をにらんでのことかもしれない。「招待するのは個人ではなく日本の首相」(米国務省)と割り切っているのだろう。外交は国民の支持があってこそ推進できるものである。>

 最後の一言が見出しになっている。見出しがきつかったから、相当な内容かと思ったが、外交問題ではこのくらいの麻生批判にとどめておこう、という良識が働いているようだ。

◆麻生首相の個人の問題や政局に触れなかった読売新聞

 読売新聞社説のタイトルは<日米首脳会談/同盟強化に必要な能動的外交>だった。  <幅広い分野で重層的な協力を続けることが、日米同盟の強化にも大いに役立つだろう。>

 の書き出しだ。

 読売新聞は各紙の中で唯一、2月25日朝刊で首脳会談の内容を報じた。「述べる」「合意する」「一致する」という未来形で、きっちりと1面トップ<日米、経済対策で連携/首脳会談/「重層的な同盟」構築>と、キーワードである「重層的な同盟」という言葉もしっかり入れていた。なおかつ、3面[スキャナー]<日米首脳会談/厚遇見返り 日本に重責/米、国際貢献 拡大要求へ/個人的な信頼構築 二の次>と経済面<日米首脳会談/対話の枠組み探る>で重層的な解説も入れていた。

 <米大統領「日米同盟は礎石」/首脳会談/北ミサイルに懸念>で1面トップにした東京新聞と読売新聞を除けば、他紙は1面トップにはしていなかった。

 2月25日夕刊がオバマ米大統領の初の議会演説中心になるだろう、という予測があれば、読売新聞と東京新聞の選択は正しかった、と言えるのではないか。夕刊は日経新聞、東京新聞が日米首脳会談を1面トップにしていたが、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞はオバマ演説が1面トップ。朝日新聞、毎日新聞と夕刊を廃止した産経新聞は日米首脳会談を1面トップにすらしなかったことになる。

 読売新聞の社説は①オバマ政権は多国間協調外交を志向しており、日本は呼応して従来以上に能動的外交の必要あり②互いに信頼できるパートナーになる努力を重ねることが肝要③百年に一度の経済危機から早期に脱するには、世界1位と2位の経済大国による政策面での共同歩調が欠かせない④両国の国内経済の再生に加え、国際金融システムの安定と途上国支援にも力を入れることが大切⑤米国は今後、国際摩擦が生じないよう「バイ・アメリカン条項」の慎重運用が求められる⑥「テロとの戦い」は国際社会にとって避けて通れない重大問題。アフガンの治安回復に向け日本は500以上の学校や50の診療所を建設・修復したが、教育、医療、農業分野で培ったノウハウを活用して米国の新たな政策策定に積極関与し、資金、人的貢献の両面で応分の責任を担うべき⑦日米が中心となり、北朝鮮に対し、そうした強い姿勢をより明確に示すことが必要だ――と書いていた。

 ここには「弱い基盤の政権」とか、米メディアの無視とかはない。あくまで、日本の政権、政治に対する要望を書き連ねている。この姿勢が最も堂々としているのだろうが、あまりにそういう雑音をシャットアウトしていると、逆に白々しさが出てこないか、心配になる。

◆産経新聞は麻生首相の指導力に期待

 産経新聞は<日米首脳会談/同盟重視に行動で応えよ>で、

 <同盟を通じて米国の努力を支えることは日本の国益にもかなう。欧州の足並みがそろわない中で、アジアの日本が率先して米国と連携する明確な姿勢を世界にアピールした。日米を先導役に、協調して難題に取り組む機運を欧州や世界に広げていきたい。>

 と成果をアピールし、オバマ政権が日本を重視する理由として①4月の金融サミット(G20)に向け保護主義台頭を阻止し、ドルの信認を支えながら世界金融システムを立て直す②イラク撤退、北朝鮮、アフガン、イラン、中東問題など、米国だけでは解決できない課題に日本の協力を必要としているからだ、として、

 <麻生首相は「世界第1、第2の経済大国として世界経済回復に全力をつくす」と応じた。ミサイル発射準備を進める北朝鮮に厳しく警告し、核、拉致と合わせて日米が引き続き連携して立ち向かうことで一致したことも大切だ。>

 とした。また、

 <日本はアフガン・パキスタン特使を任命して、米国の包括戦略策定作業に参画する。4月にはパキスタン支援国会合を開催する。いずれも日本側からの建設的提案として米国も歓迎している。>

 としながら、

 <麻生首相は内政面で厳しい局面に置かれているが、日米同盟をより重層的なものに高めていくためには、こうした提案を今後も具体的に実行していくことが何よりも重要になる。日本が直面している課題はめじろ押しだ。米軍再編、海賊対策、集団的自衛権の問題などの宿題を片づけなければ、同盟の実効性は損なわれていく。同盟の強化と深化のために、首相が指導力をさらに発揮して国際社会の日本の活路を切り開いてもらいたい。>

 と首相の指導力発揮への期待感で終わっている。

 各社ともどう書くか、相当に悩んだ末の論説なのだろうが、こういう時こそ、どこに社のスタンスを置いているか、が分かって面白い。

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2009年2月24日 (火)

「新聞は愛国主義的である必要はない」とアマーティア・セン教授は言うが…朝日新聞2月24日朝刊インタビューから

 朝日新聞2月24日朝刊3面[あしたを考える]にアマーティア・セン米ハーバード大学教授のインタビューが載っていた。紙面の人物紹介にあるように1998年にノーベル経済学賞を受賞した1933年インド・ベンガル生まれの75歳の長老である。英ケンブリッジ大卒。「哲学や倫理学に根差す豊かな人間観を経済学に採り入れた。近著『アイデンティティーと暴力』では人々を宗教や文明で画一的に分類する考え方を批判、グローバル社会での人間のアイデンティティについて論じている」とあった。一部に熱狂的な「信者」を持つカリスマ的な学者でもある。

 これだけでは分かりにくいから、例によってウィキペディアのお世話になろう。

 <9歳の時、200万人を超える餓死者を出した1943年のベンガル大飢饉でセンの通う小学校に飢餓で狂った人が入り込み衝撃を受けた。この頃、ヒンズー教徒とイスラム教徒の激しい抗争で多数の死者も出た。「インドはなぜ貧しいのか」という疑問から経済学者となる決心をし、カルカッタ大学経済学部卒後、1959年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで博士号取得。「アダム・スミスとカール・マルクスに影響を受けた」という。コルカタ、デリー、オックスフォード、ハーバードの大学で教え、1997年から2004年までの間ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジの学寮長。2004年の1月にハーバード大学に戻った。経済の分配・公正と貧困・飢餓の研究における貢献で1998年にノーベル経済学賞、翌年にはインドの文民に与えられる最高の賞、バーラト・ラトナ賞を受賞。1994年アメリカ経済学会会長。>

 <センのミクロ経済学の視点から貧困のメカニズムを説明した研究は経済学に限らず社会科学全体に衝撃を与えた。特に途上国の購買力と飢餓の関係を説明した論文は尊敬と畏怖をもって経済学者達に迎えられた、なぜならば彼以前は貧困とは単純に生産性の問題だけだと考えられていたが、市場競争における市場の失敗によってもたらされた事を簡潔にそして明瞭に表してしまったからである。>

 <経済学において最も高度な数学を使う厚生経済学や社会選択理論においても牽引者適応選好や潜在能力(capability: ケイパビリティ)アプローチ、「人間の安全保障」などの概念は現在日本の高校公民授業で教えられることがある。>

 <センは経済学は数字だけを扱うのではなく、弱い立場の人々の悲しみ、怒り、喜びに触れることができなければそれは経済学ではないと主張した。「飼いならされた主婦、あきらめきった奴隷は、ほんの少しの幸せでも満足してしまう」とし、弱い立場の人々が潜在能力を生かし社会参加することを主張している。>

 <経済学は、「人はいかに生きるべきか」「人間にとっての善」という倫理学と工学の2つの大きく異なる起源から派生しているとされている。センは、前者を「モチベーションの倫理的な考え方」と呼び、後者を「それを達成するための手段」としている。センは、現状の経済学を批判するが、経済学のもつ分析力は否定せず、敬意を払っている。彼が取る分析手法は経済学の一般的テクニックに根ざしている。>

 <センのノーベル経済学賞受賞は「厚生経済学・社会的選択」での功績だが、彼の学説で最も有名な概念は「潜在能力。これは「人が善い生活や善い人生を生きるために、どのような状態にありたいのか、そしてどのような行動をとりたいのかを結びつけることから生じる機能の集合」としている。具体的には、「よい栄養状態にあること」「健康な状態を保つこと」から「幸せであること」「自分を誇りに思うこと」「教育を受けている」「早死しない」「社会生活に参加できること」など幅広い概念だ。そして「人前で恥ずかしがらずに話しができる」「愛する人のそばにいられる」も潜在能力の機能に含められるとしている。>

 <センの潜在能力アプローチを発展させたものが、国連開発計画(UNDP) の人間開発指数(HDI:Human Development Index)だ。HDIは、平均寿命、識字率、国民所得(一人当たりGDP)の3つの指標からなっている。最初、センは、1990年にパキスタンの経済学者マブーブル・ハックの提唱した生活の質や発展度合いを示す「シンプルな指標」であるHDIに難色を示した。その理由をセンは、「HDIの平均寿命・識字率・国民所得も手段であって、目的そのものではない。目的は、人それぞれ多様なものであり、社会的・文化的背景によって異なる」と述べている。しかし、最終的にはセンも同意し協力メンバーの一人となった。HDIは1993年から国連年次報告「人間開発報告書(HDR)」の中で国連開発計画によって毎年発表されている。現在では、経済中心のGDPに代わる人間性を加味した指標として日本政府も注目している。>

 <2001年1月、センと緒方貞子前国連難民高等弁務官を共同議長に「人間の安全保障委員会」が、日本政府とアナン国連事務総長のイニシアティブによって欧米とは別に創設された。同委員会は、2003年6月まで継続し、最終報告書を持って解散した。その後、「人間の安全保障ユニット」として国連人道問題調整部(OCHA)に移行し、日本政府は2006年度までに335億円を供出している。>

 <次のエピソードも面白かった。トリニティ・カレッジ学寮長時代、毎朝の『もっとも重要な仕事』だった英王室ゆかりの19世紀から動き続けている柱時計のぜんまいを巻くことを忘れてしまい、時計を止めてしまった。「どうせ私は植民地の人間だから。」(セン)。娘のナンダナー・セーンはセクシー女優としてインドで映画デビュー。大学生のとき、顔面がんになり、切除手術を受ける。アマルティアとは「永遠に生きる人」という意味。名付けたのはインドの詩聖と言われアジア人初のノーベル賞に輝いたラビンドラナート・タゴール。>

 <主な著書は、杉山武彦訳『不平等の経済論』(日本経済新聞社, 1977年)▽志田基与師監訳『集合的選択と社会的厚生』(勁草書房, 2000年)▽黒崎卓・山崎幸治訳『貧困と飢饉』(岩波書店, 2000年)▽大庭健・川本隆史訳『合理的な愚か者―経済学=倫理学的探究』(勁草書房, 1989年)▽鈴村興太郎訳『福祉の経済学―財と潜在能力』(岩波書店, 1988年)▽徳永澄憲・松本保美・青山治城訳『経済学の再生―道徳哲学への回帰』(麗澤大学出版会, 2002年)▽池本幸生・野上裕生・佐藤仁訳『不平等の再検討――潜在能力と自由』(岩波書店, 1999年)▽石塚雅彦訳『自由と経済開発』(日本経済新聞社, 2000年)▽大石りら訳『貧困の克服』(集英社[集英社新書], 2002年)▽細見和志訳『アイデンティティに先行する理性』(関西学院大学出版会, 2003年)▽佐藤宏・粟屋利江訳『議論好きなインド人―対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界』(明石書店, 2008年)▽『人間の安全保障』(集英社[集英社新書], 2006年)。共編著は水谷めぐみ・竹友安彦訳『クオリティー・オブ・ライフ―豊かさの本質とは』(里文出版, 2006年)など。>

 朝日新聞紙面に戻る。

 インタビューは英国のケンブリッジで大野博人特派員によって行われた。ハーバードの教授ではあるが、いつもはケンブリッジに住んでいるのか?

 記事の見出しは<市場依存 危機生んだ/国家の役割 否定は誤り/人間としての意識こそ重要>だった。

 気になった言葉を書き留めておく。

◆グローバル化そのものは「悪」ではない

 <グローバル化は多くの国にとって利益の源泉だ。明治以来、日本を豊かな国にしてきたのも一種のグローバル化だ。今の問題のほとんどはグローバル化自体よりも、ほかの事情による。政治力、所有物、経済手段などの巨大な不平等が世界に非対称性を生み出しているのだ。>

 <危機の原因もグローバル化そのものではなく、米国の経済管理の誤りだ。それが相互依存の進む世界に広がっていった。グローバル化はその過程を可能にし、早くした。>

◆新自由主義は市場万能主義という意味では非生産的な考え方

 <新自由主義という用語にはきちんとした定義がないが、もし市場経済に基礎を置くことを意味するだけなら、結構なことだ。市場経済はどこでも繁栄のもとなのだから。だが市場経済体制はいくつもの仕組みによって働いている。市場はその一つに過ぎない。なのに市場の利用だけを考え、国家や個人の倫理観の果たす役割を否定するなら、新自由主義は人を失望させる非生産的な考え方だということになる。>

◆政府の役割と市場の役割

 <(レーガン元米大統領が「政府は問題の解決策ではなく、政府こそが問題だ」と主張したが、それは)愚かしい。確かに政府が出しゃばり過ぎれば問題だ。改革開放前の中国などがその例だ。しかし、政府は解決でもある。国民皆保険制度を作るのは政府の役割だ。それは人々に幸福だけでなく自由をもたらす。健康でなければ、人は望むことも実現できない。識字教育だって公教育を通して実現される。国家の役割は社会の基盤を作る点で非常に大きい。

 <国家は金融機関の活動を抑制する点でも重要だ。早く金を儲けようとして市場を歪めるのを防がなければならない。米国は金融機関への規制をほとんど廃止したので、市場経済が混乱に陥った。

◆「規制緩和万能」という考え違い

 <規制緩和は非常によいことだと見られてきたが)その考え方には途方もない混乱があった。つまり市場はとても生産的だから、それ以外は何も要らないというのだ。市場に出来ることがあれば出来ないこともあるし、国家が引き受けるべきこともある。こんな基本的なことが無視されてしまった。背景に「国家は悪」という非常に強い右派の政治思想もあった。理論というより衝動みたいなもので、思い込んでいる人は正当化の理屈を後から考える。

 この部分は切り取って竹中平蔵氏にファックスしてあげたい。宮内義彦氏、小泉純一郎氏もだ。「規制緩和=善」というあまりにも単純な考え方、思想は危険だ。

◆問題解決にはグローバルな諸制度が必要

 <問題の解決には国家だけではなくグローバルな諸制度も必要だ。>

◆ナショナリズムとグローバルなアイデンティティー

 <(ただ、国家はナショナリズムのような帰属意識に訴えて人々を統合してきました、という質問に)ナショナリズムは有害なこともあるが役にも立つ。暴力が宗教的対立に起因する時、ナショナリズムは宗教を超えて人々を統合する力になる。インドは人口の80%がヒンドゥー教徒でイスラム教徒やキリスト教徒、シーク教徒などは少数派だ。それでも今、首相はシーク教徒だし、与党の党首はキリスト教徒だ。前任の大統領はイスラム教徒だった。これは人々が指導者たちをインド人と見るから実現した。ナショナリズムが宗教的アイデンティティーを圧倒し、人々の統合を進めたのだ。日本のナショナリズム第2次世界大戦では問題だったが、明治維新からの発展には国民統合が欠かせなかっただろう。>

 <(しかし、世界同時不況のような問題の解決にはナショナリズムは役立ちそうになく、逆に政治を保護主義に走らせる懸念もありますが、という質問に対し)今重要なのは国家や宗教を超えて人々を統合するグローバルなアイデンティティーだ。グローバルな諸制度を支えるためだけではない。現実に我々の行動が他者の生活に影響を及ぼすようになっているのだから、それにはまず、1人の人間が様々なアイデンティティーを持つことを認めなければならない。日本人で、ロンドン在住で、ジャーナリストでという具合に、人はいくつものアイデンティティーを持つ。居住地への愛着、母国への愛着、文化への愛着。どれも矛盾なく共存する。>

◆多様なアイデンティティーの並存を認める、ということ

 <(いずれも争いごとの原因となりそうですが、という質問に)争いごとは、様々なアイデンティティーの一つだけを特別視し、他を無視するから起きる。第1次世界大戦で争った欧州各国の人たちはみなキリスト教徒だし、ほかにも共通点は多かった。ところがナショナルアイデンティティーだけを特別視するから対立になった。第2次大戦でもナショナルアイデンティティーがほかを吹き飛ばした。最近の問題は宗教的アイデンティティーだ。イスラムのテロリストは宗教的帰属を強調するばかりか、ほかのアイデンティティーを否定する。>

◆人間としてのアイデンティティー

 <(とはいえ、国を超えて人々を統合するような市民意識は可能でしょうか、という質問に)グローバルなアイデンティティーは誰にもある。他者への基本的な同情心だ。道で転びそうになる人を見たら思わず支える。どこの国の人か、何教徒か、何語を話すか、助ける前に考えない。人間だからとしか言いようがない。人間としてのアイデンティティーとも言える。その理解を深めなければ。>

 <(どのようにして深めるのか、という質問に)教育が重要だ。学校教育だけではない。たとえばメディアどうニュースを伝えるか、どんな意見を紹介するか。それは教育的意味を持つ。>

 <(メディアもグローバル化しなければならないと言うのか?という質問に対して)新聞などはもっと自由になるべきだ。愛国主義的である必要はない自国の視点から離れた報道や論の展開は可能だ。友人の大江健三郎氏は、日本人であると同時にグローバルな普遍的人間でもある。知識人はこの二重の役割を担わなければならないが、それはメディアについても同じだ。

 「自国の視点から離れた報道」とは何を指しているのか? セン氏は多様なアイデンティティーの並存が今後のグローバル世界には必要、というが、その並存するアイデンティティーには重要度で違いがあるのではないか? 例えばゾルゲ事件でソ連に内通していたとされた知識人は祖国を裏切った。これは日本人というアイデンティティーとマルクス・レーニン主義というアイデンティティーの狭間に陥った知識人の大失敗だった、と思うのだが、その意味では祖国を裏切らない、というのは最低限必要な条件ではないのか? そうでなかったら、国家存亡のときに、そういう知識人は国を滅ぼす勢力になる。やはり、並存するアイデンティティには重要度で段階がある、と思う。

 問題は、メディアの役割、使命に関してである。メディア人こそ愛国者でなければならない、というのが基本だと思っている。ただ、戦時中の国家神道の神官のようにしろ、というのではない。世界の情勢を目を見開いて観察し、世界の趨勢を読み、日本という国家が、私たちの子々孫々が生き残るために今どうしたらいいか、を考えて発信するのがメディア人の役割だと思う。

 よく言われる話だが、ナショナルを抜きにしたインターナショナルはない、と思うからだ。根無し草は必ず、ずるい国家に利用される。スターリンに利用されたインターがいい例だった。

 大江健三郎氏はあくまで小説家だ。小説家と新聞記者を同一に論じることはできない、と思うのだが、どうだろうか?

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2009年2月23日 (月)

林香里さんの「中川番記者」論で思い出した奇妙な金丸辞任会見~「あらたにす」を読んで

 朝日新聞、読売新聞、日経新聞の共同サイト「あらたにす」に2月23日にアップされた林香里・東大大学院情報学環准教授の「『中川番』記者からも説明がほしい」を読み、「前にもこんな論を読んだことがあったなぁ」という既視感(デジャヴュ)に囚われた。

正確に言うとデジャヴュではない。

ウィキペディアで調べてみると、

<デジャヴュとは、その体験を「よく知っている」という感覚だけでなく、「確かに見た覚えがあるが、いつ、どこでのことか思い出せない」というような違和感を伴う場合が多い。「過去の体験」は夢に属するものであると考えられるが、多くの場合、既視感は「過去に実際に体験した」という確固たる感覚があり、夢や単なる物忘れとは異なる。過去に同じ体験を夢で見たという記憶そのものを、体験と同時に作り上げる例も多く、その場合も確固たる感覚として夢を見たと感じるため、たびたび予知夢と混同される事もあるが、実際にはそうした夢すら見ていない場合が多く、別の内容である場合も多い。>

とあり、超能力研究をしていたフランスの超心理学者・エミール・ブワラック がシカゴ大学在学中に執筆した「超心理学の将来」(1917年) の中で提唱した、とあった。

だが、私は似たような情景を思い出したのだ。

金丸信元自民党副総裁の辞任会見である。

17年も前の話だ。

1992年8月のことだったのだろう。

記憶があいまいだったから、手元にある飯尾潤・政策研究大学院大学教授の「政局から政策へ~日本政治の成熟と転換」(NTT出版、2008年3月刊)を見たら、その前後の動きが書いてあった。

政局から政策へ―日本政治の成熟と転換 (日本の〈現代〉 3) 政局から政策へ―日本政治の成熟と転換 (日本の〈現代〉 3)

著者:飯尾 潤
販売元:エヌティティ出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

少し同書の内容を写しておこう。

<大きな衝撃となったのは、1992年夏の東京佐川事件である。竹下派の会長だった金丸信が、東京佐川急便からの資金に関して、政治資金規正法違反を起こしていることがわかったのである。事柄自体は、政治献金を届けていなかったという形式的なもので、それほど大きな問題ではないとみえた。しかし、8月27日に、責任をとるとして、金丸は竹下派会長や議員職をはじめ公職から引退する。そのことで、これまで権力中枢を支えていた金竹小という指導部が崩壊したのである。>

<すでに、竹下と小沢の間は微妙になっており、それをつないでいた金丸の引退で、一挙に亀裂が走った。つまり、金丸側近の間でも、この機を利用して、小沢たちが世代交代をもくろんでいるという疑いを持つものが現れ、それまで金丸を通じて派閥の方針を左右してきた小沢への反発が一挙に噴出したのである。>

つまり、8月27日は最終的な場面である。その前に、副総裁辞任会見があったのではないか、と思う。新聞の縮刷版であとで確かめようと思うが、8月だったのではないか。

その記者会見は自民党本部の記者会見室で突然行われた。

そして、たしか、記者会見とはいうものの、派閥担当記者しか入れないような記者会見だったのではないか、と思う。メディアの業界用語で言う「懇談」と同種の発表形態である。「懇談」もメモを取って、そのまま主語を明らかにして書いていい懇談と、メモを取っていけない懇談、つまりオフレコ懇談があり、これは「自民党首脳は」などという記事になった。
 あの金丸会見は異様な会見だった。たしか幹事長室の事務方というよりも佐藤守良竹下派事務局長が仕切っていたのではないか、と思う。佐藤氏は小沢氏の側近だった。

その「記者会見」はいわば、身内記者を相手に金丸氏が文章を読み上げ、質問もある程度だけは受けたが、途中で打ち切られた。派閥記者たちは政治家にどれだけ食い込むかで能力を評価される。その仲良し記者が金丸の辞任会見を書く役割を担った。

当然、翌日の紙面について「甘い」という世評が盛り上がった。「こんなことで済ませるわけには行かない」という世論である。

そして、8月27日になだれこんだのだ、と思うのだが、こんなうろ覚えの出来事を思い出させてくれたのが林さんの文章だった。

林さんの今回の文章は非常に客観的でありながら、人間性の襞の部分を抉っていてすぐれている、と思う。

書き出しはこうである。

<日本では、仕事場とお酒の席の距離が近い。職場単位で飲みに行くことは珍しくないし、とくに長時間労働が常態化すればするほど、職場における仕事とお酒の相互浸透が進みやすい。そして、先輩、上司、顧客や取材先など、本来なら緊張感を持って接するべき相手も、お酒が入れば「飲み友だち」となって、ちょっぴり羽目をはずすことが許されるようにもなる。>

そして、

<どうやら、中川昭一前財務・金融相の身辺も、飲酒に対してかなり寛容な職場だったようだ。>

と中川氏の話に移るのだ。

<YouTubeで繰り返し記者会見の様子を見たが、とにかく驚くのは、中川氏の周辺の人間たちが、あの状態で大臣が記者会見に出席することを止めなかった(止められなかった)ことだ。あるいは、受け答えもままならぬ大臣の様子を見ても、「またいつものあれか」と見過ごすことができるぐらい、周りの感覚がマヒしていたのかもしれない。>

「周囲の人々」の中には当然、番記者も入っている。

<記者たちの側も、「国民の知る権利」を代行する職業として、中川氏に対してどこまで緊張感を示して向き合ってきたのだろうか。今回の中川氏の騒動は、記者会見とは、記者団に対してではなく、その向こうにいる国民に対して語りかけるものだという「会見」の本質的意義について、政府側も記者側もすっかり忘却していたことを窺わせる事件だった。>

 そういうことなのだ。政治家は「チンピラ」記者に話しかけるのではなく、その後ろに控える多くの国民に話しかけるのだ。記者は国民の代理人だ。あえて「チンピラ」と書いたのは、記者さんたちにはエリート意識だけでなく、そういう意識も少しは持っていただきたい、と思うからだ。

 <かねてからうわさになっていた中川氏の酒癖は、これまでは一部の週刊誌が報道する以外、「スキャンダル」にはならなかった。「夜討ち朝駆け」をしながら中川氏にぶら下がってきた記者たちなら、彼の行状を知らないはずはない。権力監視をするはずの記者たちによる日ごろからの「お目こぼし」が、あのような会見を招く遠因となったのではあるまいか。>

 これはどうだろうか? と思う点もある。新聞に書いても、ベタ記事にしかならなかったりしたのではないか、と思う。書いてはいたのだろう、と信じたい。

 <これまでのところ、中川氏本人はもちろん、首相の任命責任や記者会見出席を黙認した官僚たちの責任が追及されている。だが、私はぜひ、今回の外遊に同行していた記者たち、そして常日ごろから中川氏に張り付いているいわゆる「中川番記者」たちから、なぜこうなるまで彼の飲酒癖が問題にならなかったのか、その理由を聞いてみたいのである。>

 これは、その通りだと思う。説明責任、アカウンタビリティー能力は新聞社こそ問われるのだから。

 <結局、彼の飲酒癖が政治問題として取り上げられたのは、食事には必ずワインが振舞われるイタリアにおいてだった。「世界に醜態をさらした」と民主党の小沢党首は批判したが、永田町からは時差も文化差もある遠い異空間において、日本国大臣の真の姿が顕在化したことは象徴的だ。>

 本当に象徴的でした。ただ、日本のお酒文化を全否定したくない、とも思う。TPOをわきまえればいいのだ。変に萎縮する必要はないのだ。

 <G7という非日常の場が、エリート記者も官僚も総理大臣も目を背けてきた事実をしっかりとあぶり出してくれた。国際化が、こんなところにまで効用を発揮するのは、日本特有の現象かもしれない。>

  「非日常」ですか。それがグローバルというものですか?

 <実は、私はこの原稿の大部分をすでに1月18日の朝までに書き終えていた。読売新聞が1月17日の朝刊で、前日の中川氏の会見の惨状について一面で報道しなかったことがきっかけだった。これはいかなる価値判断によるものだったのだろうか、ということを問いたかったからである。>

 読売新聞の出遅れは確かに目立ったのだが、自社の記者がその場にいた、ということは相当に深刻だったのではないか、と思う。だからこそ、しゃらっと、その記者に「私が見た事実」を書かせればいいのだろう、と思うのだ。この点は林さんに大賛成だ。

 <しかし、振り返って問題の記者会見の扱いを時系列で比較すると、読売新聞だけでなく、各紙はすべて当初は「ちぐはぐな受け答え」「かみ合わない」「口調がはっきりしない」など、全体的に事件を控えめな表現で報道していた。ところが、その後、いったん世論の趨勢が中川氏批判へと流れ始めると、堰を切ったように彼の酒癖がもたらした過去の粗相が暴露されていった。>

 知っていて書かない、という日本の新聞の特徴ですか。信濃川河川敷問題を追及した文藝春秋の誌面を海外のメディアが報じ、その海外電の転電で日本のメディアが田中金脈を報じ始めた、という戦後日本の新聞の「原罪」をまた暴かれている感じがする。

 <さらに、病気だと弁明したにもかかわらず、会見後にバチカン博物館の見学をしていたとか、直前の日ロ財務相会談でも朦朧としていたとか、20日の時点になってもローマ外遊時の中川氏に関する「新」事実の続報が届く。結果的に、日本に住んでいる私たちは先週ずっと、テレビや紙面で中川氏の“宴のあと”におつきあいしなければならなかった。>

 先週は中川昭一氏の週だったのか? 実はそうでもなかったのですが。

 ヒラリー・クリントン米国務長官が来日し、インドネシア、韓国などを経て「本命」の中国で胡錦濤国家主席と会談した週でもあったし、ユジノサハリンスクに麻生太郎首相が行ってメドベージェフ・ロシア大統領と会談したり、何をトチ狂ったのか小泉純一郎元首相までがモスクワを訪問して北方領土の話をするかと思えば、「3分の2を使ったら衆院本会議を欠席する」とわめくなど、いろいろ楽しませてくれる話題にはこと欠かなかったと思いますが。

 <こうした経過を見ていると、普段、大臣のまわりには大勢の記者たちがぞろぞろと付いて回っている(少なくともテレビなどで見るとそう見える)にもかかわらず、いったい彼(女)たちはどのような方針で何を取材しているのか、国民が知るべきことを知らせていないのではないか、そんな不安が募ってくる。>

 日本のメディアの慣行、特に記者クラブ制度の問題がリンクしてくる。

 <日本の政治が低レベルだからといって、ジャーナリズムまで低レベルになる必要はどこにもない。だが、残念ながら、どこかでこの二つは共犯関係にありそうな、そんな予感を抱かせてしまう。今回の記者会見事件については、メディア側にも、国民に対していくばくかの説明をしてほしいと思うのだが、いかがだろうか。>

 その通りでしょう。つまり、形は違っても、17年前と何ら変わらないメディアの姿が見えた、ということかもしれない。業態変更など「外圧」がかからないとメディアも変われないのではないか、と最近、つくづく思っています。

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2009年2月22日 (日)

ヒラリー・クリントンの微笑の裏に見えた日本無視と中国重視~2月18、22日各紙社説から

 クリントン米国務長官がアジア歴訪の旅を終え、帰国した。各紙は2月18日付でクリントン来日の成果について一斉に社説を書き、22日にはそろってアジア歴訪の成果とオバマ外交に注文する社説を書いていた。

 18日と22日の社説を読んでみよう。

◆北問題で現実的指摘をした産経新聞社説

 産経新聞は18日の社説でまず日本を初の外遊先に選んだこと、横田滋さん夫妻ら拉致被害者家族と面会したこと、外相会談で『北朝鮮の核、ミサイル、拉致を包括的に解決する』との日本政府方針に沿って、日米韓の連携を強化することで一致したことを評価した。

 「今後は日本が各論で同盟国としての期待と責務に十分に応えていけるかが問われる」

 と日本政府への注文も忘れていない。

 22日は<北のミサイル 米は早急に包括政策示せ>というタイトルが示すように、北朝鮮のミサイル問題に関して米政府に強い対応を求めていた。

 「ミサイル問題は日米外相会談でも話し合われたが、クリントン長官は『われわれの関係のためにならない』などの弱いメッセージを示すにとどまった。オバマ大統領も就任後、北朝鮮政策については包括的かつ基本的な方針をいまだに明らかにしていない

 と不満をぶつける。

 「北朝鮮がミサイル実験を強行した場合、米国は…制裁を科すなどの強硬手段を取ることになろう」が、「対北朝鮮の基本政策や方針が存在しなければ基盤が脆弱で効果は期待できない」

 というのだ。

 そして、オバマ政権に①交渉の基礎を6カ国協議に置く時に米朝直接対話との関係は?②交渉による解決が優先か、圧力が重点か③北が核開発を放棄した場合の見返りや国交正常化プロセスは?④核危機以降の朝鮮半島の恒久和平体制をどう考えるか――などを明確にせよ、と要望した。

 「その上で、制裁などミサイル実験が強行された場合の対応を明確にし、日韓両国との連携強化を鮮明にすれば、さらにその重みと威圧感は増す」

 と言うのだ。

 「前任のブッシュ大統領は就任4カ月半後の2001年6月、前政権の方針を見直した上で、米朝2国間協議も含む包括政策を発表した。当時はウラン濃縮疑惑などが発覚する以前のことで、米朝関係も相対的に静かな時期だった。だが今は事態が切迫している。予告したことをほとんど強行してきた過去の行動パターンからみると、北朝鮮が近い将来、ミサイル実験を強行する可能性は高い。4カ月後などと悠長なことは許されない。景気対策など他の緊急課題があるにせよ、今こそオバマ政権は北朝鮮への強いメッセージを内外に鮮明にする時だ」という。

 指摘はもっともだ、と思う。

◆米中両国の安全保障対話の日本への影響を懸念する読売新聞社説

 読売新聞も18日の<米国務長官来日/戦略的に政策調整を深めよ>で日米両政府戦略対話、政策調整を深めよと注文。北朝鮮が発射準備の動きを見せている長距離弾道ミサイルについて「ミサイル発射は2006年10月の核実験後の国連安全保障理事会決議に違反し、追加制裁を招くなど、北朝鮮の利益にはならない。日米両国が、そうした明確なメッセージを発することが大事だ」と、より厳しいメッセージの必要性を訴えた。

 22日の社説<クリントン外交/米中対話の拡大をうたったが>では、

 「クリントン国務長官は『米国は、欧州に強いパートナーを必要としているように、アジアにも強いパートナーを求めている』と強調してきた。日韓両国との同盟関係を強化、発展させるのは当然ながら、同盟関係にないインドネシアや中国とも関係を深める方針だ」

 と書いた。

 「インドネシアは、オバマ大統領が少年時代を過ごした縁もある。世界最大のイスラム教徒人口を抱える国への訪問は、イスラム諸国に関係改善のメッセージを送る狙いもあったのだろう

 という指摘は頷ける。

 米中が「戦略経済対話」について、安全保障分野も取り込んだより包括的戦略対話に拡大することで合意したことについて、読売社説は

 「米中両国による安全保障分野での戦略対話は、日本の安全保障にも重大な影響をもたらす

 と注意を喚起する。

 また、

 「北朝鮮の核開発で核拡散は現実になった。オバマ政権は核不拡散でリーダーシップをとるためにも、核保有国の核軍縮を率先したい意向だ。ロシアだけでなく、軍拡路線の中国も引き込まなければ意味はない

 というのも現実的な見方だ。

 「米国の景気対策法に盛り込まれたバイ・アメリカン条項で中国製品が締め出されることになれば、経済摩擦は避けられまい。クリントン長官は『(人権問題によって)経済危機や気候変動、安全保障の議論が妨げられることはない』と述べた。だが、今年は天安門事件から20年、ダライ・ラマ亡命から50年になる。この節目をとらえ、民主化運動が高まる兆しがある。人権問題は、米中関係の火種である

 と、北朝鮮問題や戦略核軍縮問題でも中国を重視するオバマ政権という政権から見た中国の意義に詳しく触れた。暗に「人権問題無視」は許されない、とオバマ政権にもの申しているようだ。

 米国も世界金融危機の発端となっただけでなく、リーマン破たんで世界大不況へと深化するトリガーも引いてしまっただけあって必死だが、あちこちでリップサービスをしたツケは必ず米国に回ってくる。

◆沖縄海兵隊のグアム移転問題など現実的見方に徹した日経新聞社説

 日経新聞18日社説<複眼で日本を見る米政権>は「オバマ政権の高官は既にバイデン副大統領が欧州、ミッチェル特使が中東、ホルブルック代表が南アジアを訪問した。クリントン長官のアジア訪問は役割分担の一環ではある」として、「アジア重視」とはしゃぐなよ、と戒める。

 この見方に賛成だ。米オバマ政権の戦略の一環だからだ。クリントンはさすがにうまい。だけど、老けていてよかった。あれで、ファーストレディの時のような華やかさがあったら、日本ではもっと騒がれていただろうし、すっかりヒラリー魔術にからめとられていたかもしれない。

 この点で日本国民が中長期的に見て感謝しなくてはいけないのが中川昭一氏ではないか、と思う。まさか、中川氏が何も意図なくあんな無様な真似はするまい、と思っていたのだが、ヒラリーマジックの効果を消すため、自分がピエロになって、新聞の1面トップやテレビのニュースショーでヒラリーが出てこないように、ブロックしていてくれたのだろう。ヒラリーはもう少し、日本人に自分の旅を印象付けておかなければいけなかったのではないか。なにしろ、日本はイメージとのお付き合いに過ぎず、本当の「血族」としてのお付き合いは中国とらしいから。

 さすが愛国的情熱をもった中川さんだ。たいしたものだ。

 「クリントン氏自身は最初の訪問先に日本を選んだ点に象徴的な意味を込めた」が、これは「日本の歴代政権は共和党政権に親近感があり、民主党政権には警戒感があった。オバマ政権はそれを意識したのだろう。北朝鮮拉致被害者の家族との面談も含め、窮地にある麻生政権に対する政治的な助け舟を出した。首相は官邸で夕食会を開いて返礼した。首脳間では普通だが、閣僚に対しては異例である」

 と裏読みをする。こういう指摘が必要だが、さっき書いたように、ヒラリーの頭の中には日本国民にいい印象を与えることしかなかったのだと思う。実質的な話をするにも、あまりにも日本の関心と米国の関心は違い過ぎたし、米国と中国の関心はほぼ一致するのだから、日本は疲れておらず、まだ化粧ののりのいい旅の最初に寄って、笑顔を振りまいて、と、それで終わったのだと思う。本番は中国なのだから。

 沖縄海兵隊のグアム移転に関する協定については、

 「自民党、共和党政権下の2006年5月、外務、防衛閣僚による日米安全保障協議委員会(2プラス2)で合意した在日米軍再編に関する合意を協定にまとめたものであり、日本政府は今国会に提出し、承認を得る考えである。日米間の政治的合意を国会審議を経て法的合意に格上げするのは適切である。協定という名前の条約だから憲法61条により、国会の会期切れや衆院解散がない限り衆院の議決から30日後に国会の承認となり、参院で野党が多数を占める衆参ねじれ現象の影響を受けない。条約として発効すれば、衆院選挙の結果、民主党政権ができても、米側と交渉して改定しない限り、拘束される

 と書くのが日経新聞らしい。論理で詰める。

 そういうことなのだ。だから、小沢一郎民主党代表も安心して勝手な振る舞いが出来る。どんな振る舞いをしても反米にはならないからだ。民主党が阻止できる手続きだったら、小沢氏は相当深刻に悩んだかもしれないが、今回は口先で「反対」などと言ってもいい手続きだった、ということだ。ヒラリーにその意図は通じた、と思う。

 22日の社説<多様なアジアに米国はどう向き合うか>では、クリントン氏の13日のニューヨークのアジア・ソサエティーでの講演

 「アジアは技術革新や流行の最先端にある」

 に触れ、「アジアを一括して語るのは不可能ではないにせよ、歴訪した4カ国だけをとってもアジアの特徴はむしろ多様性と考えるのが正確だろう。日本は米国の同盟国であり、経済力は世界第2位だ。インドネシアは世界最大のイスラム国家であり、韓国は地球上で数少ない冷戦構造が残る分断国家だ。中国は世界最大の人口を抱え、共産党体制下で市場経済を進め、軍事的には米国に脅威を与えうる数少ない国である」と書く。

 ヒラリーはニューヨーク講演で、

 「ノーベル平和賞を受けたアウン・サン・スー・チーさんが自国で自由に生活できるように、北朝鮮の人々が自由に指導者を選べるように、チベット人、すべての中国人が迫害の恐怖なしに宗教の自由を享受できるように」

 と語ったそうだ。

 日経社説は「アジアの多様性に対する寛大な姿勢は重要だが、それはミャンマー、北朝鮮、中国などでの人権問題に目をつぶる意味ではないだろう。日本は経済、安全保障上の利益だけでなく、価値観も米国と共有する関係にある。『日米同盟が米国のアジア政策の要石』とされるのはこのためである。日本政府には、この点の感度も求められる

 と書いていた。

 つまり、米国よ、中国、北朝鮮の人権無視に目をつぶるな、日本政府は米国のそのような二重基準を許すな、という主張だ。極めて大切な指摘だと思う。

 しかし、きっとこの主張は無視されるだろう。また昔の話で恐縮だが、天安門事件に際し、欧米はG7サミットで中国制裁決議案を出そうとしたが、日本が必死に止めた経緯がある。日本政府は米国以上に中国の人権問題に不感症なのである。

日経新聞の論説室はこと「かんぽの宿」を除いてはいい線いっているのだが、なぜあの疑惑だらけの西川善文氏の組織を守ろうとするのだろうか? 郵政民営化はもう既定方針で、鳩山邦夫氏が何と言おうと、麻生首相が何を言おうが、民営化される。ただ、4分社化で今後の営業が成り立っていかない、と分かれば3分社化にすればいい。それをも「民営化つぶし」というのが分からない。

 竹中、小泉、西川、宮内各氏らの論にもならない論にどこまでも付き合おうということですか? もったいない、と思うのだが。国民はあれだけの疑惑の存在を知って、解明なしに先には進めないのだから。

◆中国批判を控える朝日新聞社説のごまかし

 朝日新聞は18日の社説<日米関係/首脳会談は組まれたが>で、まず

 「勘違いしてはいけないことがある。米国が日本を重視するということは、我々が『重視』という日本語から想像するような、日本に甘く、大切にしてくれるということではない。米国の利益や戦略のために、日本を活用していくというドライな側面もあるのだ。問われるのは、日本側が何を伝えるかである。会談を開くこと自体が目的であってはなるまい」

 と指摘していた。頷けるが、ことさら言われなくとも分かる当たり前のことだ。

  「忘れてはならないのは、グアムへの海兵隊の移転は、普天間飛行場の辺野古への移設が進むことが条件としてセットになっていることだ。肝心の沖縄の基地問題について、麻生政権には真剣に取り組む意欲が感じられない。地元との対話を促進しないことには、前に進めない問題だ」

 「アフガニスタンについても、日本はさらにどんな貢献ができるか。本来なら、野党も巻き込んで日本の役割を検討しなければならないが、麻生政権にはすでにその力がない」

 と書く。

 「首脳会談はよいが、伝えるべきメッセージは準備できるのか。弱い政権は外交交渉で譲歩を重ねて成果を取りつくろうことになりがちだ。結局、外交は内政の基盤があってこそである」

 と続くのだ。この社説は米政権への注文を語っているように見せて、結局は麻生内閣倒閣の話のようだ。いかにも朝日新聞らしい。

 22日の社説<クリントン歴訪/同舟相救う外交に注目>はどうか?

 「オバマ氏が子供時代を過ごしたインドネシアは、イスラム教徒が主体の東南アジアの大国。ブッシュ前政権の時代は、反米意識が強まっていた。ここで『イスラムと民主主義の共存』をたたえ、イスラム世界への融和的なメッセージを放った。韓国では、懸念が強まる北朝鮮のミサイル発射の動きに、韓国側とともに強く自制を求めた」

 というのはヒラリーを褒め過ぎているんじゃないか。

 朝日新聞社説の問題点はヒラリーが大統領夫人として95年に中国の人権問題を厳しく批判したことに触れ、なおかつヒラリーがニューヨーク講演で「同じ舟に乗っているときは、平和的に一緒に川を渡らなければならない」と中国の「孫子」から「同舟相救う」を引用して語ったことを紹介しながら、

 「大きな目標に向けての多国間協力の重要性を訴えたものだ。その裏には、アジアの地域協力が米国抜きに進んでは困るという警戒感もあるだろう。長官のいう舟には多くの国が乗り込んでいる。日米中や日米韓など様々な『協働』のあり方がありうる。知恵と力を出し合いたい」

 という部分だ。こんな卑屈な文章を最近読んだことがなかった。「米中二国間で何でも決めちゃおうよ」とヒラリーが言って、中国外相らがニコニコしながら頷いている姿が目に浮かぶ。

 なぜ朝日新聞はヒラリーの米中二国間交渉重視姿勢を正面から批判しないのか。なぜ、こんな卑屈なつくり笑いのような文章を書くのか。筆者は日本人として恥ずかしくないのだろうか。

 なにしろ、論理が全く一貫していない。いかにも中国好きの朝日新聞だ、と思う。このような腰の据わらない論説は付和雷同的、刹那的な世論を作り出す。害あって益なし、だと思う。

◆毎日新聞が最も注目したのは日米ではなく米中だったらしい

 毎日新聞は18日の社説<クリントン長官/日米対話の重層的展開を>で「クリントン長官が拉致問題を6カ国協議の一部と位置づけたことは評価したい。ブッシュ前政権は日本の反対を押し切って北朝鮮に対するテロ支援国家の指定を解除し、日本側に対米不信を残した。同長官がオバマ政権の高官として初めて拉致被害者家族と面会したのはそうした不信を解消したいという思いがあったからだろう。北朝鮮に対し拉致問題の解決を強く迫ってほしい」と要望したのは当然だ。

 また、22日の社説< 国務長官訪中/米中対話は内向きでなく>で目を剥いたのは

 「今回の歴訪で世界が最も注目したのは中国首脳との会談だ

 という指摘だった。

 「中国はいまやアジアで最も影響力のある国というだけではない。米国が金融危機を切り抜けるには、米国債の最大の保有国であり、世界一の外貨準備を持つ中国との協調が不可欠だ」

 という理由らしい。本当に筆者はそう思っているのかどうか? 日本訪問以上に中国訪問を記者は重要だと考えているのか? 日本人がそう考えているのならば、欧米の首脳がそう考えても仕方あるまい。日本を最初に訪問したことにどんな意味があったと思っているのか? 18日の社説の期待いっぱいの雰囲気とは随分違うではないか。

 「だが、その中国は核ミサイル搭載の原潜や空母の新造開発に力を入れ、米国の不安と疑念をつのらせる存在でもある。ブッシュ政権の時は、米国の財務長官と中国の副首相とが定期的に協議する『戦略経済対話』の枠組みを作っていた。オバマ新政権になってどのような対話の枠組みを作るかが、今回のクリントン長官訪中の課題だった。歴訪に先立ち長官は「同舟共済」(川を渡るには、心をあわせてボートをこがなくてはならない)という中国のことわざを引用し、米中協調を呼びかけた。アジア重視外交といっても、事実上、米国は中国を最も重要な外交の相手と見なすと宣言したのである」

 これは朝日新聞が引用していた孫子の言葉だ。

 米国は中国を「最も重要な外交の相手」と見ているのか? では、なぜ、まず中国を訪問しなかったのか? あまりに自分の国を卑下しすぎているのではないか? 自虐史観という言い方があるが、自虐論説ではいけないのではないか?

 「北京での一連の会談で、米中は閣僚級による経済対話、政治安保対話の二つの枠組みを作ることを決めた。バイデン副大統領と温家宝首相との定期協議というハイレベル対話の構想も流れていたが、クリントン長官が仕切る閣僚級対話に落ち着いた。また、台湾への武器売却で中断していた軍事交流についても再開が決まった。温暖化問題での対話にも合意した」

 これは事実だ。バイデンなんかに仕切らせてやるものか、私が仕切るのよ、と言ったか言わなかったか、ヒラリー流だ。中国重視は中国が膨大なドル、米国債を持っているからだろう。それが一番大きいと思う。ただ、ヒラリーは本当に中国が好きなのだが、オバマはどうか、分からない。今後のヒラリーの暴走を止めるのはオバマしかいないかもしれない。バイデンじゃあね。

 「だが、そのために米国が人権、民主化、チベット問題などで外交圧力を後退させたことは否定できない。譲歩だと批判がでている。また、長官が米中2国で世界の問題を解決できるかのような表現を時々使ったことも見逃せない点だ。米中外交だけではアジア重視外交にならない。米中協調という姿勢は歓迎する。しかしボートに乗っているのは米中だけではないことを両国は忘れないでもらいたい

 何をおずおず書いているのか。「批判が出ている」ではなく、毎日新聞の論説委員会としてきちんと批判すべきだろう。

 ヒラリーの中国重視はファーストレディー時代から有名だった。裏返せば「日本パッシング」である。当時、それが判明して日本中が騒いだ。今回はうまい具合に日本を重視するふりを見せながら、中国に擦り寄っていった。

 そのようなやり方を相手がしてきた場合、本音と建前をきちんとするのは弱者(核兵器も持たず、正式の軍隊だっていない)の義務である。ヒラリーの本音は中国重視であっても、麻生首相らにはそうは言えなかったのだろうし、何しろ、ヒラリーの思いはどうだったかは知らないが、最初の訪問国として日本を選び、25日に日米首脳会談もやる。

 一応、オバマは日本に敬意を払っているのだ。日本人には「チベットを弾圧し、国内の少数派を弾圧する共産党政権と『価値観』を同じくして語れるのだろうか?」と疑問に思っている人が多い。

 そういう日本人に「米国の本音はこうなんですよ」と本音を教えながら、建前として米国に価値観外交を迫る、くらいの文章を書けないのか。「日本人よ、浮かれるな」+「ヒラリーの微笑の裏に隠された日本無視を凝視せよ」と書くべきではないか、と思う。

 尖閣諸島の中国不法主張問題、両国間の歴史問題などに関して、オバマ政権は最終的に中国の肩を持つかもしれない、と腹を固める必要がある、と思っている。日本は日本人が守るしかないのだ。

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2009年2月20日 (金)

メディアの首相周辺疑惑報道と「新聞の品格」と言霊の大切さ~あらたにす、毎日新聞、日経新聞2月20日朝刊から

 今日は朝から砂を噛んだような嫌な感覚が体に染み付いたようで、雨が降っていることもあり、暗い一日となりそうだ。毎日新聞を読んだことが大きい。麻生太郎首相の政策秘書による「口利き」疑惑を1面トップと社会面トップで大々的に取り上げていた。贈収賄事件が発覚したのか、と驚いて読んだのだが、少なくとも刑法や刑事関係の特別法に違反した行為をしたわけではないようだ。それも、麻生氏が首相になる前の話。金銭授受も「ない」と言っており、それを突き崩す証言は掲載されていない。

 すべてを読んで感じたのは「あぁ、また”ケシカラン罪”で道義的な処罰を与えるのか」ということだった。新聞は正義を標榜する天下の公器だから、ジャーナリズム魂で政治家やその周辺の倫理性のなさを国民になりかわって処罰してやった、ということなのだろう。

 1面の記事にも社会面の記事にも毎日新聞が誇りにしている記者の署名が見当たらなかったのはどうしてだろう? これだけのことを書くのだから、堂々と自分の名前を明らかにすべきではないか、と思う。特に社会面のインタビューなど、誰が当事者にインタビューしたか、明らかにするのは「公器」の常識ではないだろうか?

 しかし、「砂を噛んだ」感覚の源泉はそんな細かいところではない。

 ちょうどこの日の「あらたにす」に哲学者の鷲田清一・大阪大学総長が「『品格』という言葉、そして言葉の品格」というタイトルで朝日新聞、日経新聞、読売新聞の紙面批評を書いているが、読んでみると、その中の幾つかの言葉が、まるで毎日新聞のこの記事を指しているのか、と思われたのだ。

 鷲田氏は、

 <苦手な言葉に「品格」というのがある。「品格」がきらいなのではなく、大声で言われる「品格」という言葉がきらいなのである。「国家の品格」に「女性の品格」。「品格」について語られる言葉にどれほどの品格があるか、それがつい気になる。>

 として、朝日新聞2月15日朝刊「耕論」の金田一秀穂氏の言葉と読売新聞2月19日朝刊掲載の北野武氏の言葉を引用していた。

 <金田一は言う。「品」も「格」も、地位の高さとか社会的な階層をさすものではない。「品格」は、「俗世間とは違った価値観を示す言葉」であって、だからもともと、「政治家とか実業家にはそぐわない」。そしてこう言葉を継ぐ。「いつの時代の流行語も、そのとき欠けているものを表している」。そういう意味では、いま「国家の価値が経済力でしか語られない」から、「品格」という言葉がその穴を埋めるべく呼び寄せられて、みずみずしく感じられたにすぎないのではないか、と。>

 そして、

 <最後は言語学者らしくこう締める。――「『品格のある日本語』というのは、借り物ではなく、自分が一番よく知っている言葉で語られるものですよね。方言なんかはとても品格がある」。ここのところ、つまり「品格」について語るその地声に言い及ぶところに、金田一の矜持が現われでているとおもう。>

 長く引用してしまったが、ここまでは前段である。

 私が感銘を受けたのは次の部分である。

 <自分について語る言葉が信用できるかどうかは、語られる自分に対してどれほどの距離がとれているかにかかっている。「離見の見」などと高尚なことを言わなくてもよい。何かについて語るとき、そのように語っている自分がどこから語りだしているのか、それについての明確な意識をもっているかどうかに、その言葉の誠はかかっている。>

 <何かについて語るとき、いつもどこか断片的であって、語りつくすことをしない。語りだすのは否応もなくつねに地上のどこかからであって、語りつくすというのは、自分がこの地上のどこでもないある特権的な場所に自分がいると錯覚することである。それこそ品格に欠けることである。>

 取材し執筆する記者、紙面化する編集者のスタンスに関して言えば、この「自分の言葉への責任」は大きな課題だと思う。

 鷲尾氏はまた、

 <これに対して、北野武は、品格から外れることに自己の品格を賭けるという、それこそ綱渡りをしてきた。>

 と言い、

 <自分が壊れる……。そういうあぶない場所に自分をもってゆきながら、かろうじて身を持す。ぎりぎりのところでみずからを揺さぶることのないひとに、「品」はぜったいに訪れない。「自分が壊れる」という、そういう危うさのなかに自分を置いたことのないひとの語り口に、わたしは「品格」を感じたことがない。>

 と、社会と自分とのギリギリの格闘を経験しない人への軽蔑を明らかにしている。ジョージ・オーウェルの『絞首刑』(小野寺健訳)の次の文章を引用したのもその「覚悟」を見たからだろう。

 <絞首台まではあと40ヤードくらいだった。わたしは自分の目の前を進んで行く囚人の、茶色い背中の素肌をみつめていた。腕を縛られているので歩きかたはぎごちないが、よろけもせず、あの、インド人特有の、決して膝をまっすぐ伸ばさない足どりで跳ねるように進んで行く。ひと足ごとに、筋肉がきれいに動き、一掴みの頭髪が踊り、濡れた小石の上に彼の足跡がついた。そして一度、衛兵に両肩をつかまれているというのに、彼は途中の水たまりをかるく脇へよけたのだ。>

 惰性で死刑執行を見届けようとしていた英植民地管理官がふとした死刑囚の動作で、その死刑囚が自分と同じ血が流れる、家族のいる人間だと思い知る重要な瞬間を描写した文章である。

 <オーウェルはこの情景を目にして、とっさにこう感じた。「その囚人が水たまりを脇へよけたとき、わたしはまだ盛りにある一つの生命を絶つことの深い意味、言葉では言いつくせない誤りに気がついたのだった」、と。「品格」のある文章というのは、例外なしに、空恐ろしいことを告げている。さりげなく、いとおしく、かろやかに。>

 麻生首相は今、四面楚歌だ。

 よもや、毎日新聞編集局が「あと一押しスキャンダルで攻めれば、総辞職するかもしれない。そうなれば毎日新聞が麻生首相の首を取ったことになる」というさもしい考えでこの記事を掲載したことはないだろう。

 しかし、今の永田町は異常事態なのだ。すべての政策が棚上げされ、すべてが政局の文脈で語られるようになってしまっている永田町的に言えば、「反麻生勢力」にとって都合のいい麻生攻撃材料にされるのではなかろうか。

 面白いのは今、反麻生勢力は民主党など野党だけではなく、自民党の小泉構造改革派が正面切って反麻生に転じたため、この記事を利用できる勢力、拍手を送る勢力は数の上では多数派かもしれない。

 しかし、「新聞の品格」という視点で見た場合、それでいいのだろうか? つまり、品がないのではないか、という疑問を読者に与えないだろうか。

 これは、先にも書いたが「ケシカラン罪」に過ぎない。

 この記事を読む限りでは刑事事件にもなりそうもない出来事を1面トップ、社会面トップでキャンペーンするというのは、社をあげて麻生政権と喧嘩する、という決意表明なのか?

 そうだとすれば、その心意気やよし、である。

 しかし、現下の情勢を鑑みれば、何か「水に落ちた犬は打て」のように感じる読者が少なくないのではないか、とも危惧する。

 なぜそのような受け止め方が出ると思うか、と言えば、それが、記事の内容の弱さ、記者の覚悟のなさ、事実としての可罰的違法性のなさ、などである。

 政治家に国民を先導する倫理性を求める、というのだろうか?

 この「事件」がどのような進展を見せるのか、注目しよう。

 ちょうどこの日、日経新聞が社説で<中正公平な報道への責任>を取り上げていたのが「奇妙な一致」のようでおかしかった。

 この社説自体は日経新聞の社員株主制度を巡る訴訟で、株式譲渡ルールは有効、と最高裁が判決を出したことに関するものだ。「報道の自由を守るため日刊新聞法に基づく現行のルールが必要だという日経の主張が認められた」というどちからといえば、業界ルールの話なのだが、次のような文章があったのが目を引いた。

 <私たちは言論報道機関としての社会的使命を改めて自覚し、社の理念どおり、中正公平な報道に徹していきたい。>

 <新聞事業の環境は厳しくなっている。インターネットの普及や景気悪化による広告収入の減少、若者の活字離れなどが原因だ。海外ではメディアの買収も増えた。この環境変化に対応して日経は経営改革を断行し、自由な報道の裏付けとなる健全な事業基盤の維持に努めている。こうしたなかで海外を含む外部の資本が入り込み報道を著しくゆがめるようでは困る。特に日経は経済情報が生命線だ。企業の大株主がいるために、その企業の公正な批判をできないといった事態を避けなければならない。日経の譲渡ルールの今日的な意味合いは増しており、その正当性が認められたのを歓迎したい。>

 <今回の判決を機に、民主主義と市場経済の擁護・発展のため、読者の期待にこたえて力を尽くす決意である。>

 喜びがあふれている、どちらかと言えば社内外の関係者向けの社説かもしれないが、「民主主義と市場経済の擁護・発展」など、各新聞社が使いそうな言葉に鷲田氏のいう意味合い、つまり「言霊」が宿っているかどうか、が問われている、と思う。

 社説などはどうでもいい。というと叱られそうだが、社説というのは人間の理性に訴えかける「論」だから、少しくらい間違えていても影響は小さい、という意味で言っている。

 しかし、1面トップと社会面トップのキャンペーン報道は一般読者の目を引く。

 今の時代は新聞記事とテレビのワイドショーとの相互連携も増えてきた。ワイドショーでキャスターが記事を面白おかしく紹介し、そのショーに新聞記者が出てコメントを言う、という連携である。

 お互い、自分の持つメディアに足りないものを補完できるメリットがある。新聞は多くの人に見てもらうことであり、テレビはしゃべる内容への権威付けだ。

 今朝はテレビのワイドショーを見なかったが、興味本位で取り上げたのだろうと推測できる。

 記事のトーンはこの秘書と元文部官僚は「悪」という暗黙の前提で書かれている。ちょうどテレビ朝日の夜のニュースショーの男性キャスターが「みなさん、どう思われますか」で、「悪い」と言う寸前に止めるという寸止め手法と同じではないか。

 麻生首相はこのような「スキャンダル」攻勢にもめげず踏みこたえるだろうと思う。踏みとどまって、何しろ第二次補正を上げ、本予算を成立させるのが最低限の首相の責任である。

 このような白黒はっきりしないような「疑惑」で「政局」が動くことだけは避けてほしい、と切に願っている。

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2009年2月 7日 (土)

北朝鮮が掘った韓国侵攻用トンネルを34年前に見たルポ~産経新聞2月7日[昭和正論座]村松剛氏

 産経新聞2月7日朝刊オピニオン面【昭和正論座】は文芸評論家の村松剛氏昭和50年(1975年)5月12日に掲載された論文の再掲だ。タイトルは<対韓侵攻 第2トンネルを見る>である。

 評論を現代の視点で解説する【視点】で(石)氏は、

 <1970年代半ば、朝鮮半島の南北軍事境界線の地下で北朝鮮が韓国への侵攻用に掘ったとみられるトンネルが相次いで発見された。日本のマスコミが大きく扱わなかったため、村松氏は直接現地へ行き、自分の目で確かめた結果をこの正論欄で詳しく報告した。>

 と経緯を説明し、

 <村松氏は、もしトンネルが発見されなかったら、「一時間に2万4000」の北朝鮮軍が韓国の国境守備隊を背後から急襲していた可能性を指摘した。本来、このようなことはマスコミの役目だ。日本の学者やジャーナリストの多くが韓国・朴正煕政権の強権的な手法を厳しく批判しながら、金日成政権の独裁政治にはほとんど目をつむっていた時代のことである。>

 と解説していた。

 今もこのマスメディアの思い込みは続いており、勝手な思い込みによる「善悪」の判断をしながら、それを隠して記事を書く、という「似非客観主義」が蔓延っているのは35年前と同じなのだ。そういう気持ちでこの論文を読んでみよう。

 <北朝鮮が韓国の国境内に向けて掘ったトンネルを、見せてもらった。対韓侵攻用の、トンネルである。日本ではマス・コミがあまり大きく扱わず、知る人も少ないように思われるので、あえていささか詳しく書いておく。トンネルはこれまでに2本発見されていて、ここにいうのは第2トンネルの方である。>

 【視点】で書いた通りのことを本人が書いている。場所はソウルから東北に100㌔㍍くらいの地点か、自動車とジープを乗り継ぎ2時間ばかり走ると、1950年の朝鮮戦争当時「鉄の三角地帯」と呼ばれた山あいの盆地に出たそうだ。有名な激戦地で、一つの町(鉄原)が戦火で跡形もなく消え茫々とした草原と化している、という。韓国語ではチョルウォンと読むのだろうか、鉄原という町が消えたような激戦地。兵どもの夢の跡である。

 <激しい戦いの跡は、この地域がいかに戦略上重要な意味をもっているかを物語る。その戦略上の要地の外れに、北側からのトンネルがもう少しで口を開こうとしていたのである。>

 やはり、戦略上の要地だった。

 <朝鮮半島のまんなかを平均4㌔㍍幅の非武装地帯が走り、そのまた中央に北朝鮮と韓国との境界線がある。トンネルは境界線の下をくぐって非武装地帯を抜け、韓国側の守備線にまで達していた。トンネルの高さは平均して2㍍30㌢くらい、幅は約3㍍だから、ジープは走行可能である。韓国軍の計算ではこれを通って1時間に2万4000の将兵が76㍉砲を積んだジープとともに地下から湧出できるという。>

 韓国軍はきちんと説明してくれていたのだ。当時は、これを掲載した産経新聞を読むしか、この実情を知ることはできなかったのだろうか?

 <非武装地帯の両側はこのあたりは丘陵のつらなりである。トンネルは地底深く掘られていて、丘の下では地表から300㍍以上にもなる。硬い花崗岩ばかりの土地であり、掘るのも大変だったろうが見つけた方も尋常の努力ではなかったと思う。>

 深さ300㍍! いかに計画的で、戦略的に掘られたものかが想像できる。

 <北朝鮮側は第1トンネルが発見されたときと同様に、掘ったのは自分たちではなく韓国である、と強弁した。しかしこれはどう見ても、無理な言い分であろう。そもそもトンネルの口が、韓国の前線内部にはないのである。>

 北朝鮮の手口は昔も今も変わっていない。「自分は悪くない」と言い続けるのだ。そして、証拠品を消し、証人を殺す作業を続けたのが北朝鮮の歴史だった。

 <地下で何ごとかが行われていることを察知した韓国軍が、アメリカから穿岩機を取り寄せ、国連軍の許可を得て非武装地帯(韓国寄り)に入って穴をあけ、小型カメラを地下深く降ろした。四十数回の試掘のうち、七つとか八つとかのカメラがトンネルの存在をとらえ、そこで本格的な穴掘りがはじまったのである。韓国側からのその探索用の穴の入口は、したがって非武装地帯にある。>

 よく気づいたものだ。

 <ヘルメットを借りて探索用の穴を降りてゆくと、トンネルの横っ腹に出る(深さはこのあたりで、地表から30㍍ほどである)。北朝鮮軍は探知されたことに気づき、内部に障害物を構築し地雷を埋伏して去った。韓国方向への行きどまりの岩面には、穿岩用のダイナマイトをつめこむ穴が20ばかりあけられたままになっている。>

 やることが一々汚い。

 今もそうであることは、最近の大韓航空機爆破事件の主犯女性の告発で分かる。北朝鮮はあの爆破事件を自分たちの犯行ではなく、韓国の仕業だ、と言いくるめようとしている、と告発したし、拉致被害者についても新たな証言をしていた。

 <「あと500㍍掘りすすめば平原(ピョンウォン)です」と、案内の韓国軍の師団長が説明してくれた。つまりもしも発見されずにトンネルの開穿が進行していたら、1時間に2万4000の兵力が大砲とともに500㍍先の平原部分に湧き出し、韓国の国境守備隊を背後から急襲していたことになる。北朝鮮の主席・金日成は、もし韓国内部で叛乱が起こったら、いつでも助けに行くと言明しているのである。

 金日成主席がそういう言葉を口にした裏付けがこのトンネルだった。北からの進軍にあわせて武装蜂起する内通者たちは当時、どの程度いたんどあろうか? 今では内通者たちが膨れ上がり、盧武鉉という大統領まで誕生してしまったほどだが。

 <この種のトンネルはぜんぶで10個程度掘りすすめられているだろうと、韓国の軍や政府首脳部の人びとはいう。第2トンネルについては、その全長は3500㍍に達し、たぶん1971年の暮ごろから掘り始められた、という説明だった。この説明が正確だとすれば、南北統一についての会談がはじまったのが1972年の夏だから、まさに協調会談最中に北朝鮮は地下に攻撃用トンネルを掘っていた計算である。>

 そういうことだ。右手で握手、左手にピストル、の世界。

 <世界を支配しているのは、依然として力である。北ベトナムの正規軍が南を攻撃し、ついにはサイゴンを陥落させたのはどう考えてもパリの平和協定違反だが、世界のどの国もあえてそれを問題にしようとはしないし、まして条約の履行を保障しようとはしない。(南には北の政治をきらって逃亡して来た100万の人びとがいたのである。彼らの運命は、どうなるのだろうか)>

 当時の国際情勢である。

 <ベトナムの次は韓国という不安の声は世上高く、事実、金日成主席はサイゴン政府の滅亡の直前に軍首脳をつれて北京に行っているのである。>

 金日成が輝いて見えた時代だったのだろう。というか、日本の進歩的文化人が勝手に「輝ける将軍」視して騒いでいた。勉強不足のメスメディアは進歩的文化人の掌の上で踊っていた。

 <連休を利用してのごく短い韓国旅行だったが、その間に朴大統領とも会って話を聞き、こちらの意見も率直に述べることができた。話の内容は別の機会に譲ることとして、大統領が淡々とした口調で説いたことも、南北間の緊張の高まりだった。>

 朴正煕大統領は日本が赤化した、と見ていたのだろう。陸軍士官学校でともに学んだ友人たちがたくさんいた。だから、政府の公式ルートとは別の人脈を持っていたので、日韓関係は表面上の大波にもかかわらず、基調は安定していた。しかし、日本は朴正煕に本当にすべき協力をしただろうか? 経済協力をしたことで許してもらうしかないだろう。それが「漢江の奇跡」を呼び起こしたのだから。

 <問題は、トンネルだけではないのである。北朝鮮はこれも韓国の首脳部の説明によれば、昨年の秋以来182㍉の長距離砲を三十数門ソ連から輸入し、国境近くの地下陣地に配備している。ソウルは国境から直線距離で40㌔㍍しかなく、砲弾は首都に届く。

 1974年だったのだ。米国はベトナムに足を取られて38度線どころではなかった時期だ。そして、韓国はソウルへの第一撃を怖がり、北朝鮮融和に動く国家になっていくのだ。この時はまだ違ったが、豊かになってそうなったのだ。

 <韓国はその経済をGNPの1人当たり500㌦にまでようやく引き上げた。北朝鮮はその気になれば長距離砲とミサイルとによって韓国経済の心臓部に打撃をあたえることも可能だろうし、また万一奇襲作戦でソウルを奪われれば、韓国は半身不随となる。韓国の総人口の半分近くがソウル周辺に集中している。韓国が緊張するのは当たりまえだろう。

 その通りだ。この時から、こういう警鐘を鳴らす人がいたこと自体うれしいが、産経新聞社を除く新聞社はすべて知っていて無視したわけだ。歴史の審判に耐えられない紙面を作っていた、ということだろう。

 <北朝鮮に関しては明るい面ばかりをもっぱら強調し、韓国の方は暗い独裁国としての面を強調する傾向が、最近のマス・コミには強い。まるで北朝鮮の独裁制や貧しさは忘れられているかのようで、これは均衡のとれた報道の態度とはいえない。半島の軍事的な緊張状況も、一衣帯水の日本に不思議なほど伝えられていない のである。>

 これは今も続くマスメディアの潮流である。

 <朝鮮半島の将来は、日本そのものの運命に結びついている。例えば釜山に赤旗がたち、そのうえ、仮にカムラン湾がソ連の軍港と化したとして、なお日本は今のままでいられるかどうか。それを思い、ここにありのままの見聞をしるした。>

 貴重な資料だと思う。この産経新聞のシリーズはいい企画だ。知らなかったこと、知ってはいたが十分ではなかったこと、知っていて誤解していたことを今の時点でもう一度考えるきっかけを作ってくれる。

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 各社の社説はおおむね順当だったと思うが……:麻生「民営化見直し」発言~2月7日朝刊から

 麻生太郎首相の「郵政民営化見直し」発言が永田町で騒ぎになっているそうだ。

 6日夜もTBSのニュースショーで男性キャスターがコメントしていたが、さすがに共同通信編集局長まで勤め上げた常識人だったから、その前の日のテレビ朝日のニュースキャスターのような変な決め付けはなく、首相の口の軽さ、立場をわきまえない考えのなさを批判しただけで、「小泉純一郎首相が3分の2の衆院議席を取った衆院総選挙の前提を覆す許しがたい発言。首相は解散・総選挙を」というようなテレビ朝日キャスターや日経新聞社説のような単純な決め付けがなかった。

 7日の各紙社説を見ると、東京新聞が日経新聞同様、衆院解散を求めた。毎日新聞は首相に衆院解散を迫っているようでもあり、言葉の軽さを咎めているようでもあり、どうとでも取れる鵺のような書き方をしていた。朝日新聞や民営化推進派の産経新聞は言葉の軽さの問題と見ていた。読売新聞はこの日は社説を書かなかった。

 衆院解散論を匂わせた(?)毎日新聞<郵政見直し/首相発言のあまりの軽さよ>から見ていこう。

 <郵政民営化関連法は、政府の郵政民営化委員会に対して3年ごとに民営化の進ちょく状況や経営形態を総合的に見直すよう求めており、今年3月がその期限に当たる>

 と事実関係をあげたうえで、

 <過疎地で簡易郵便局の閉鎖が相次ぐなどサービス低下が指摘されている。小泉内閣当時、説明されていたように、民営化で「すべてがバラ色」になったわけではないのは事実であり、何らかの見直しを進めていくのは当然だろう。>

 と見直しの必要性に理解を示す。

 <だが、看過できない問題がある。同法が閣議決定された05年春当時、麻生首相は小泉内閣の総務相だった。ところが衆院予算委でこの点をただされた首相は「私は郵政民営化に賛成じゃなかった」とあっけらかんと答弁。民営化担当ではなかったかとの指摘には「反対だったので(担当を)外されていた。ぬれぎぬを着せられると、おれもはなはだ面白くない」とまで語ったのだ。そこまで言うのなら、なぜ、当時、総務相を辞任するなどして体を張って反対しなかったのか。「私は反対だった」で済むと思っているとすれば、首相としてという以前に、政治家としてあまりに無責任だ。>

 と、麻生発言を批判している。麻生発言は批判されてしかるべきだ。こんな口の軽い、というか、物事の軽重の分からないことでは先が思いやられる、という趣旨には全く同感である。

 <思い起こしてみよう。確かに自民党には民営化反対の議員が多数いた。関連法はいったん参院本会議で否決。そこで当時の小泉純一郎首相は「民営化に賛成か反対かを国民に問いたい」と衆院を解散し、造反議員の自民党公認を認めず、「刺客候補」まで立てた。その結果、自民党は大勝し、公明党と合わせ3分の2を超える圧倒的多数の与党勢力を得た。麻生政権は今、その基盤に助けられてかろうじて維持されているのだ。まさか、それを忘れているのではなかろう。>

 ここは事実関係を書いているだけだが、昨日、日経新聞社説を批判した時に書いたように、小泉郵政選挙の公約である「郵政民営化」とその手段である「4分社化」をゴチャゴチャにとらえているのではないか、と誤解されかねない書き方でもある。

 <首相は国営に戻すつもりはないようだ。だが、4社体制を見直すというのは、従来方針の根幹にかかわる話だ。ならば、早急に衆院を解散し、民意を問い直すのが筋である。>

 ここで、突然、衆院解散が出てくる。やはり、衆院解散論ですか。これでは日経新聞と同じではないですか。

 <支持率低下に苦しむ中、首相や自民党の一部には民営化で離反した全国郵便局長会をはじめ関係団体との関係修復を図るねらいもあるようだ。民営化に反対し自民党を離れた国民新党などとの連携も期待しているのかもしれない。だとすればなおさら総選挙で路線変更を問い直すべきだ。>

 これが解散のすすめの根拠らしい。そんな政局的な物言いで議論をしようとしているのではないのに、どうしても視線はそっちに向いてしまうようですね。

 <首相にそんな覚悟があるとは思えない。国会答弁後、首相は記者団に対し今度は「(見直し)内容に私がこうしろああしろと言う立場にない」と述べた。答弁は単なる一個人の感想とでもいうのだろうか。発言の重さをまるで理解していないと見るほかない。>

 ここで、トーンはガクンと落ちる。一体、何を言いたいのか、最後の結論までくるとよく分からない社説だ。結論として「言葉の軽さ」を批判し、改めろ、というのならばいい、と思うのだが。やはり、どう捉えていいのか、論説委員会の中でもいろいろな意見が出たのではないか、と推測できる。

 朝日新聞は<「郵政」発言/麻生首相の見識を疑う>である。

  <そのころ麻生氏が郵政民営化に慎重だったのは事実だ。だが、麻生氏が今率いる自民党は、小泉元首相が「郵政民営化に賛成か反対か、国民に聞いてみたい」とぶち上げた05年の総選挙で大勝し、その遺産でかろうじて政権の命脈を保っている。衆院の再議決で野党優位の参院の結論を覆せるのも、そのおかげなのだ。それなのに、こともあろうに、自らに託された権力の最大の裏づけになっている郵政民営化について、反対だったと平然と言ってのける神経を疑う。>

 はその通りだ。そして、首相の4分社化への疑問提起について、

 <大がかりな制度変更だったから、不都合な点があれば手直しするのは当然のことだ。郵政民営化法には見直し規定がある。それに基づき、3月には政府の委員会が報告書をまとめる予定だ。自民党内にも、四つのうち郵便局会社と郵便事業会社との合併を求める声がある。国民を説得してそれを実現したいというのなら、ひとつの問題提起ではあったろう。だが、驚いたのはその夜、記者団に「(見直し)委員会の答えを受け取るのが私の立場。内容についてああしろこうしろなんていう立場にない」と語ったことだ。では、国会での答弁はいったい何だったのか。>

 と書く。つまり、毎日新聞や日経新聞の論理とは違い、麻生首相の4分社化見直しという問題提起自体はありうべし、と書いているのである。根本の修正になるのだから衆院を解散せよ、とは書かなかった。

 <いつもの迷走発言と片づけるにはことが重大すぎる。「かんぽの宿」の施設売却に待ったをかけた鳩山総務相は、きのうも首相の答弁に寄り添うように「国営には戻さないが、あとは聖域なく、すべて見直しの対象にする」と強調してみせた。深刻な不況のなかで、かつて圧倒的に世論に支持された小泉改革路線には強い逆風が吹く。その象徴である郵政民営化に、首相が距離を置くような発言を出したり、引っ込めたりする。それで自民党から離れた郵政票を取り戻し、世論の受けを狙っているとしたら、あまりにご都合主義である。これほどの基本政策で言葉をもてあそぶかのような首相の態度は、国のリーダーとしての見識を疑わせる。>

 寸止めである。今のケースでは最善の社説ではなかろうか。国のリーダーとしての見識の問題だ、と私も思う。

 そして産経新聞[主張]は<郵政民営化/見直すべきは改革の逆行>の見出しだ。

 <分社化による民営化は、そのために欠かせない基本手法である。見直すべきは改革の趣旨が十分踏まえられているかどうかであり、改革路線の後退につながるものであってはならない。>

 と民業圧迫などの弊害を除去するための改革という原点に逆行しないようにせよ、と注文をつける。産経新聞らしい主張である。

 首相は5日の衆院予算委員会での答弁で、「4つに分断した形が本当に効率としていいのか」と経営形態の見直しを示唆した。鳩山総務相もこれを受けて「国営に戻す以外はすべて対象」と、大幅な見直しを行う姿勢を強調した。具体的にどういうことか。

 <見直しを言うなら、郵便事業部門のリストラ不足や収益力強化などの課題とあわせ、民営化理念の徹底を図ることだろう。>

 もっとリストラしろ、という主張のようだ。世界同時不況でなかったら、私も全面賛成したいところだが、今は状況が悪すぎる。産経新聞は最後まで、

 <これでは国民も改革への逆行としか受け取れまい。>

 と一点集中で批判している。これも一つの見識だろう、とは思う。ただ、「100年に一度の不況」も考慮してください、としか言えない。

 東京新聞は<「郵政」発言/解せぬ首相の責任逃れ>で解散を求めた。

 <麻生首相の国会答弁が、政界だけでなく国民を戸惑わせている。郵政民営化に賛成ではなかった、政府が決めた当時の担当大臣は自分でなかった、と言う。理解に苦しむ。責任逃れではないか。>

 この書き出しがすべて、という社説だが、突然、最後に「衆院解散」が出てくるところは毎日新聞と同じだ。

 <結果の是非は別として、民営化路線を推進する最高責任者が、いまさら責任逃れするようでは、国民は何を信じればよいか。首相が民営化に疑問を持っているなら、解散・総選挙でその信念を語り、民意を聞くのが筋ではないか。>

 東京新聞も毎日新聞、日経新聞派だった。

 だが、「民営化に疑問をもっているなら」というのも随分とアバウトな表現だ。

 麻生首相の肩を持つわけではないが、首相は「郵政民営化をやめる」と言っているのではない。また、小泉「3分の2」議席は「4分社化」議席ではない。あくまで「郵政民営化」公約で勝ち取った議席だから、この社説も厳密性に欠ける、と言わざるを得ない。

 麻生首相の言葉の乱れを批判するのならば、各社の論説委員も自分の言葉の厳密性にもう少し注意したほうがいい、と思った。

 「あかさたなの執行実験場」さんの「いつから郵政民営化法の条文は教典になったんだ?」はしっかりしたまとめだった。

 http://sikkojikken.at.webry.info/200902/article_11.html

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2009年1月29日 (木)

麻生施政方針演説批判の社説が見落としていること~1月28日各紙から

 1月28日各紙朝刊を見て、半分は「こんなものだろうなぁ」と思いつつ、「それにしても」と呆れてしまった。麻生太郎首相と閣僚が27日に行った政府4演説をどう見るか、の論調である。今までの麻生首相の不甲斐ない姿をテレビでいやというほど見せ付けられている一般国民は辛口の批評にスカッと満足しただろうか? そうではないと思う。よく「国民は国民にあったトップしか得られない」と言うが、この場合、麻生批判とは日本国民批判でもある、という視点が筆者にあったのだろうか? 私は個人的には早急に衆院を解散し、総選挙で一日も早く民主党政権ができることが日本の最大の景気対策だ、と思っているのだが、それにしても、麻生批判と政府4演説批判を安易に混同し、東京新聞特報面のように「オバマは素晴らしい、麻生は馬鹿だ」といわんばかりの記事を見せ付けられると「違うんじゃないか」と言いたくなるのだ。

 その東京新聞1月29日朝刊[こちら特報部 日米演説の落差~政治を変える言葉の力]から見てみよう。右面と左面の見出しを比較して列挙する。

      右面                    左面

オバマ大統領 一人一人引き込む  麻生首相 組織が作るから没個性的

心打つ哲学示す             自己チューで総花的

冷静、リズム良く、間も絶妙      聴衆が何を求めているか ソニー創業者2氏がお手本

 思い込みで見出しを付けている、としか思えないような見出しが並ぶ。オバマ氏は「善」で麻生氏は「悪」と言わんばかりの二元論である。

 今読んでいる「大平正芳 『戦後保守』とは何か」(福永文夫著、中公新書、2008年12月20日発行、税込み882円)には池田勇人内閣を支えた前尾繁三郎、大平正芳、宮沢喜一3氏に共通する「保守主義」に対する見方を①保守主義は過去との連続性を保ち伝統と秩序を尊重し、その中でできるだけ徐々に不安と混乱を少なくして創造と進歩を目指す立場である②秩序を伴った自由と政治的平等を尊重する保守主義は、当然議会主義、民主主義を擁護し、常識と体験の上に立った中庸の道を歩む③古いというイメージを持たれる保守主義ではあるが、あくまで筋を通して、行政と立法の限界を十分考えながら合理主義に徹する――だった、と書いている。

大平正芳―「戦後保守」とは何か (中公新書) 大平正芳―「戦後保守」とは何か (中公新書)

著者:福永 文夫
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 大平正芳氏は政治に百点満点を求めてはいけない、やはり60点とか65点とかをとれば、まずまずじゃないか、という信念で政治に臨んだ、という。

 飯尾潤氏が「日本の統治構造~官僚内閣制から議院内閣制へ」(中公新書、2007年7月25日発行、税込み840円)で書いているように、今の日本の政治構造はまだまだ官僚支配が続いており、政治化主導でコースを変える、日本の針路を急カーブさせる構造にはなっていない。その中で歴代首相は官僚とうまくつきあったり(代表は田中角栄、竹下登両氏だろう)、官僚を脅したり(代表は佐藤栄作、中曽根康弘両氏だろう)しながら、何とか首相の求心力を増そうとしてきた。

日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書) 日本の統治構造―官僚内閣制から議院内閣制へ (中公新書)

著者:飯尾 潤
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 緊急避難的に首相になった麻生首相は党内の磐石の基盤もない。少数派閥の長というだけで、求心力はない。政治手法も粗い。欠点は山ほどある。それはテレビのニュースやワイドショーがつぶさに報じるとおりだ。

 しかじ、残念ながら日本国民である私たちが麻生太郎というような人物しか総理大臣にもてない、というのも現実である。そういう政治構造の中で生まれた政権なのだ。限界があることは誰もが十分に知っている。その限界、つまり麻生首相が実現可能な政策をどれだけ提示し、それをやり遂げるという強い決意があるかどうかをまずは見るべきではないか、と思うのだ。

 そして、米国の大統領就任演説と日本の総理大臣の国会施政方針演説の違いである。

 オバマ氏は就任演説で夢を語ることができた。米国大統領はオバマ氏だけでなく、ニクソン氏にしてもカーター氏にしてもレーガン氏にしても夢を語った。そして、就任当初の100日間は少なくともマスメディアは政権批判を手控えてきた、という「100日ルール」が暗黙のうちに定着している。つまり、オバマ氏は熱狂の中で選ばれた黒人大統領という人気者である自分から国民の熱を冷まし、現実の政治を始めるにあたっての理念をもう一度、演説で語ったに過ぎない。

 具体的な政策など語っていないのだ。ビッグ3を救済するのか、個別企業に国家資金を投入するのか、ドルを今後どうするのか、保護貿易の誘惑にどのように立ち向かうのか、などは今後出てくる話である。

 テレビの視聴率だけで話が終われば世話はない。ナチスのヒトラーだって人気者で、当時のワイマール共和国の腐敗・不正を断ち切り、真実のドイツ、強いドイツに回帰したいという国民の民主的な力で政権に就いたのだ。

 人気者は危ない。

 小泉純一郎元首相の再評価が盛んだ。今になって悪口ばかり言う人も出てきたが、小泉氏が市場原理主義者でなかったことはよく知っている。話下手だから、誤解を受けやすい人だった。自分で考えたのかブレーンが考えたのか、小泉構造改革の成果は誇っていい部分もたくさんある、とは思う。ただ、小渕恵三元首相がかねて言っていたように「雇用のミスマッチ」など、改革途上の必然的な痛みにどう対処するか、という大事な部分で弱い人たちの真の姿を見ていなかったのではないか、という疑念は付き纏う。

 「アーウー」と言っていた大平正芳氏が実は能弁な政治家だ、というのも、時間がたってから評価される。共産党の不和哲三氏が「演説や答弁からアーとウーを取り去ると、論理的な文章になっている」という趣旨の文を書いているが、大平氏は言葉を大切にした政治家だった、と今になって再評価されているのだ。

 20年後、30年後、オバマ氏が「ペラペラと燃えるかんな屑のような男」(女性政治家による中曽根康弘評)と言われないという保証はない。また、麻生首相の発言が案外まともだった、と再評価される時代が来ないとも限らないのだ。テレビのワイドショーで「麻生はダメだ」と「みんなが言っている」から、その時流に乗って麻生氏を取りあえず批判しておこう、というようなためにする批判はやめたほうがいい、と思う。

 東京新聞の見開き2ページは見苦しいほどにオバマ氏の演説を褒め上げ、麻生氏の演説をけなしているが、この筆者たちは本当に麻生演説を読んだのだろうか? 麻生演説は、その言葉遣いや内容とも、オバマ演説によく似ているのだ。朝日新聞社説はそれに一言だけ触れたものの、積極評価はしていない。東京新聞は社説も[こちら特報部]もオバマ氏との比較論に終始して、麻生馬鹿者論を展開する。何故なのだろうか? 演説を読んでいないのではないか、という疑念すらわいてしまう。

◆朝日、毎日、東京の社説と読売、日経、産経の社説のコントラスト

 [こちら特報部]は世の中の現象をすがめで見れば、というコンセプトの面だからある程度仕方ないのか、と諦めたのだが、驚いたのは朝日新聞、毎日新聞、東京新聞の社説だった。

 ここでも東京新聞社説<麻生演説/響かぬ「国民とともに」>だけは、結びで、

 <オバマ米大統領縁演説のようには聴く側の胸を打たなかったのは、国民の信任を得ていないことも関係しているのではないだろうか。>

 とオバマ演説と麻生演説の単純比較をしていた。面白がっている、としか思えない。さすがに朝日新聞と毎日新聞はそんな世間受けだけを狙ったような単純比較はしておらず、その意味では社説の品格は守れたのだろうが、内容が劣悪だった。

 「オバマ米大統領の演説を思い起こさせる」と一言書いていた朝日新聞社説は<麻生演説/信なき人の言葉の軽さ>で麻生首相の決意表明に対し「その言やよし」としながら、「では、衆参で多数派が異なる国会のねじれをどう克服して結論を出すつもりなのか」と切り込み、

 <首相の言葉がいま一つ胸に迫ってこないのは、信任の問題、つまり総選挙から逃げているからだ。まして小泉時代に得られた与党の議席数を使って押し通すというのでは、著しく説得力を欠く。>

 と結んでいる。

 毎日新聞社説<施政方針演説/「麻生シナリオ」がうつろに響く>も東京新聞、朝日新聞と同じトーンであり、いただけなかった。結びの言葉は東京、朝日とほぼ同じだ。

 <衆院選による首相自身への信任がやはり必要だ。民意の裏付けなきスピーチは、うつろに響くばかりである。>

 政治的正統性の問題、ハーバーマスが研究した領域の問題である。それはそうだ、そうなのだ。

 「だが、しかし」と言いたい。

 私だって早く解散してほしい。というか、追い込めない民主党を不甲斐なく思う。

 しかし、日本国憲法に規定された三権分立の規定の中で総理大臣は内閣不信任案が可決しなければ辞任しなくていいのだ。内閣不信任案が可決することは、今のように自公連立政権だけで衆院の3分の2を占めている現状ではほぼありえないだろう。いくら「政界一寸先は闇」とは言っても、解散総選挙が怖くて仕方ない自民党議員が大挙して内閣不信任案に賛成することはほぼ考えられない。

 となれば、4月までか9月までかはしらないが、麻生政権とお付き合いしなければならないのは日本国民の宿命なのだ。逆に言えば小泉純一郎氏のテレポリティクスに踊ってしまったマスメディアと国民の責任なのだ。3代続いて政治的信任を受けていない内閣が続くことも日本国憲法が想定している範囲内の事態なのだ。

 この辺を冷静に考えた時、メディアは実現可能性のほとんどない「早期解散せよ」だけ叫んでいても始まらないのではないか。例えば9月までまだ半年以上の時間がある。その間にスピードが大事といわれている大不況対策をどう進めるのか、麻生首相のリーダーシップを期待しながら、この半年に限った短期対策を野党も協力して遂行するように力づけるのが先ではないか。

 つまり、乱暴な比喩を言えば、60年安保後の社会党が「米軍基地反対」「自衛隊反対」で、いずれも憲法違反だという入り口論に終始し、国会で安全保障論争ができずに、日本政治の安全保障面の論争が深まらなかった時代が長かった。自民党分裂、細川連立政権への社会党参加、自社連立政権成立という過程を経て社会党が消滅して、ようやく安保論争は入り口論ではない個別具体論に移れた。「失われた10年」ならぬ、1960年からの「失われた30年」が日本の政治をどれだけ歪にしたか。朝日新聞、毎日新聞、東京新聞が入り口論で突っ張っている姿を見ると、その30年間の思いが甦るようだ。

 そう思いながら、読売新聞、日経新聞、産経新聞の社説を読んだら、こちらは麻生演説の内容を評価すべき部分は評価し、批判すべきは批判する、という是々非々の態度を貫いた立派な社説だった。

 産経新聞1面<首相施政方針演説 新しい秩序創りへ決意/虚飾排し矜持問う/「次の一手」明確に示せず>の石橋文登記者の解説が読ませた。

 <総文字数は8467字で、義父の鈴木善幸首相が昭和57年(1982年)の第96回通常国会で行った施政方針演説(約7400字)に次ぐ短さ。定番となっていた格言の引用もない。衆院選を意識し、民主党への挑発的な文言をちりばめた昨年9月の所信表明演説とは対照的な演説となった。>

 とあるだけでなく、

 <首相は、演説に並々ならぬ思い入れがあった。昨年末から構想をひそかに練り、前半の「目指すべき社会」は首相一人で起草し、推敲を続けたという。>

 として、首相が最も訴えたかったのは①日本人の矜持②真の保守だ、と解説している。「日本人の矜持」については、首相は日本の現状を「幕末~明治維新」「敗戦と戦後改革」に続く「3度目の変革期」と位置づけ「試練を乗り越えたときに人は成長し、混乱を乗り越えたときに社会は進歩する。危機は飛躍するための好機だ」と断じたが、それは

 <明治の元勲で高祖父の大久保利通、サンフランシスコ講和条約で日本の独立を果たした祖父で元首相の吉田茂と自らを重ねたのかもしれない。>

 とあったのには、「なるほど」と思った。麻生首相の心象風景である。大久保利通など、私たちにとれば古臭い薩摩閥の元凶、内務省をつくった男で、日本の官僚制の元祖くらいにしか思わないが、麻生氏は自分の近い先祖だ、と思っていあるのではないか、というのだ。そして吉田茂。つまり、2人とも先の二つの大変革の主人公だったので、自分も「第三の改革」で主人公としてやり遂げるのだ、という思いがあふれている、ということだろう。

 なぜめげないのか、なぜいつも前向きなのか、の一つの説明になっている。

 また、「真の保守」について麻生首相は「よき伝統を守り発展させるために改革する」ことが必要で、「新しい秩序創り」に着手するには「真の保守」の精神を貫かなければならない、と考えているのではないか、と見る。

 キーワードとしては「経済的繁栄と民主主義を希求する先に平和と幸福が必ず勝ち取れる」で、国民に「意思と覚悟」を求める、と。

 いい解説だと思うのだが、みのもんたさんらは無視するだろうなぁ。

 社説も産経新聞<施政方針演説/「国のかたち」を論じ合え>、読売新聞<施政方針演説/「政府の役割」を着実に果たせ>、日経新聞<首相は百年に一度の危機への構想を示せ>と、具体的な内容に立ち入っている。公明党のごり押しで定額給付金が第2次補正予算に入ったため、いかにも「バカな首相」という「アホ」イメージが付き纏うようになってしまったのかもしれないが、定額給付金部分を除いて演説を読んでみると、まともな演説だと思うし、3紙の社説はその意味では、ある程度「まとも」という前提に立ちながら、批判すべきを批判している。

 なにしろ、大不況と戦わなければならない。それにはスピードが第一だ。そして、アメリカ一国支配の終焉が見えてきた。そのため、日本は地域的防衛力を整えなければならなくなる。中国の軍拡だけでなく、今度はロシアまでがナショナリズムの発露なのか、経済的要因なのか、変な動きをし始めてきた。

 こうした動きを国会で虚心坦懐に論議してほしいし、麻生ダメ内閣にできるところまではやらせないと、本当に「日本パッシング」「日本ナッシング」論が現実になりかねない。

 各社の知性である論説委員の方々は「遊んでいる暇はないのだ」と、もう少し真剣に日本の現実と将来を見詰めて、子孫たちが日本列島に安心して住めるような方策を建議してほしい、と思う。

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2009年1月22日 (木)

各紙はオバマ演説をどう報じたか~1月22日各紙朝刊コラム、一般分析記事から

◆トマス・ペインの「危機」が原典だったって[産経抄]に教わった

 各紙1月22日朝刊はそろってオバマ米大統領の就任演説の分析に多くの紙面を割いていた。

 勉強になったのは産経新聞[産経抄]だ。

 <トマス・ペインといえば、アメリカ独立の機運を高めた『コモン・センス』の筆者として知られる。1776年に独立宣言が発布されると、ワシントン将軍のもとでイギリス軍と戦った。ところが、敗走につぐ敗走で士気が下がるばかり。そんななか書き上げた論文が『危機』だ。その年の暮れの吹雪の夜、ワシントン将軍は兵士たちを集めて、朗読するよう命令した。「酷寒のなか、希望と良識しか生き残れないとき…」。まもなくアメリカ軍は反攻に転じる。>

 独立戦争である。アメリカ人にしても歴史の彼方の話だろう。

 日本は徳川氏の江戸幕府の安永5年。上田秋成の「雨月物語」が刊行され、平賀源内がエレキテルを完成した。2年前に前野良沢、杉田玄白が墓場をあばき、死体を解剖して人体の組成を科学的に分析した「解体新書」を発行している。アメリカ独立戦争勃発は1775年4月。ワットが蒸気機関を完成した年だ。1776年にはアダム・スミスが「神の見えざる手」で有名な「国富論」を刊行した。天明の大飢饉よりも昔だし、寛政の改革よりも前、文化・文政の百花繚乱の江戸文化の華が咲く約40年前。

 明治維新の92年前である。「明治は遠くなりにけり」の約100年前の歴史である。随分と昔の故事を引っ張ってきたものだ。

 [産経抄]の続きを読む。

 <バラク・オバマ第44代大統領(47)も、就任演説の結び近くで『危機』を引用した。演説の名手は、100年に1度どころか建国以来の危機に際して、国民にあらためて団結の必要を訴えた。>

 というくだりである。そうだったのか。知らずに読んでいた。オバマ演説では最後の部分にこの言葉が出てくる。共同通信の日本語訳でコピペしておこう。

 <米国誕生の年、厳寒の中で、少数の愛国者の一団がいてつく川岸で消えそうなたき火のかたわらに寄り合った。首都は見捨てられ、敵は前進し、雪は血に染まった。独立革命の実現が不確かなときに、建国の父が次の言葉を人々に読むよう命じた。>

 この「建国の父」がジョージ・ワシントン将軍、つまり初代アメリカ大統領だったわけだ。

 <「希望と良識のみが生き残る酷寒の中、共通の敵にさらされた都市と地方は手を取り合ったと、将来、語られるようにしよう」>

 この文章がトマス・ペインの「危機」だったのだ。

 <米国よ。脅威に直面した苦難の冬において、時を超えるこの言葉を記憶にとどめよう。希望と良識を胸に抱き、いてつく流れに立ちはだかり、どんな嵐にも耐えてみせよう。子孫たちにこう言い伝えられるようにしよう。試練を与えられたとき、われわれは旅を途中で終えることを拒んだ。振り返ることも、くじけることもなかったのだと。そして地平線とわれわれにそそがれた神の慈悲を見据えながら、自由という偉大な贈り物を抱き、未来の世代に無事に届けたのだと。>

 これはオバマ演説の結び。結びに向けて米国民に耐乏生活と将来への希望と団結を訴える切り札として持ち出したのが「建国の父」ジョージ・ワシントンたちの行動と思いだったわけだ。つまり、オバマ氏の頭の中では現状変革は「第二の建国」と位置づけられているのだろう、と思う。

 [産経抄]の筆者は目のつけどころがいい。次の文章など、日本国民にちょっとした皮肉を言っている。この話は朝日新聞も演説全文のページで紹介し、毎日新聞は1面[余録]で取り上げていた。

◆深夜なのに視聴率が5.9%(関西では6,7%)

 <史上初の黒人大統領の演説集が人気を呼ぶ日本では、未明に放映された生中継の視聴率が6%近くに達するほど、演説の内容に関心が高まった。>

 そうなのだ。オバマ演説集がベストセラーになっている。未明に放映されたテレビ生中継を見た人がそんなに多かったとは。これは韓流ブームのぺ・ヨンジュン人気と変わらないのではないか、と私も突っ込みを入れてみたくなる。

 まあ、日本の政治家が期待できないから、アメリカの大統領に政治家の理想像を見ている、と皮肉る評論家が多いであろうと推測するが、あまりに日本の政治家を貶めないほうがいい、と私は思う。なお、視聴率について産経新聞の一般記事では、

 <21日未明にオバマ米大統領の就任式を中継したNHKの番組(総合テレビ)の視聴率は、関東地区が5.9%、関西地区が6.7%だったことが同日、ビデオリサーチの調査で分かった。前4週の同じ時間帯の平均視聴率は、それぞれ1.5%、1.6%で、深夜時間帯の硬派ニュースとしては非常に高い数字となった。>

 と書いてあった。関西の人たちは深夜テレビが好きなようだ。

 [産経抄]は続ける。

 <もっとも、「新しい責任の時代」を見出しに取った新聞各紙は、キャッチフレーズ探しに苦労したようだ。おなじみの「イエス・ウイ・キャン」も「チェンジ」も省かれていた。ワシントン駐在経験のある同僚記者は、「意識的に地味にしたのでは」との見方を示す。>

 <新大統領が直面するテロとの戦いや経済の立て直しといった問題は、いずれも成果が挙がるのに時間がかかる。期待が大きすぎると、仕事がやりにくいからだ。>

 <就任式の名演説といえば、誰もが故ケネディ元大統領を思い浮かべる。「自分が国に対して何ができるかを問え」と国民に呼びかけた本人は、自国をベトナム戦争の泥沼に引き入れたまま、2年10カ月後に凶弾に倒れた。「名演説だけが残る大統領にはならない」。新大統領は、こんな意志を示したのかもしれない。

 冷静である。ケネディの名演説は有名だが、ケネディの業績は誰も俎上にしない。つまり、産経抄子が言うように、格好のいいことは言ったが、ベトナム戦争の泥沼に自国を引きずり込み、アメリカ経済凋落のきっかけを作った張本人なのだから。キューバ危機への勇気ある対処はあったが、それだけだった気がする。

 そのケネディやリンカーンをあえて引用せず、トマス・ペインを引用した意味合いを産経抄子がうまく分析していた、と思う。

◆古森氏は会場の黒人の熱気にあてられたようだ

  また、産経新聞1面大型コラム<歴史の象徴が直面する危機>で古森義久・ワシントン駐在編集特別委員が、

 <選挙戦中はすっかり薄められていた人種がらみの要因がこの式典では力強く前面に出て……これほど参加者の規模が巨大で、これほど黒人の数が多い光景は目撃したことがなかった>

 と式典の熱気を書いていた。

 <零下7度の切るような寒気の中、未明からみなオバマ大統領の誕生を待ち受けた…熱心な参加者たちはどの方向をみても、アフリカ系米人とも呼ばれる黒人の老若男女が多数派を占めていた。>

 最初の4段落は黒人の話だけだ。

 <人種要因はオバマ陣営自身、選挙期間中はことさら薄めていた……就任式での黒人パワーの爆発するような発露が、いやでもオバマ大統領の人種的特徴の歴史的意義を明示したと感じさせられた。米国社会で奴隷とされ、参政権を奪われて差別された被迫害の歴史を持つ黒人が、ついに国家元首に選ばれたという事実が証する民主主義や人種融和の前進の意義である。>

 どうも古森氏は現地の熱気にあてられて人種問題をことさら大きく捉えたらしい。しかし、冷静な目も失っていない。

 <進路について新大統領は多数の「挑戦」や「危機」を列記して、もっぱら対応の難しさを強調することで一般の期待のレベルを引き下げようとするかにみえた。解決策については「責任の新時代」とか「平和の新時代」という標語での抽象的な構えをみせるにとどめ、具体策は示さない。就任演説は個々の政策よりも基本の姿勢の表明が主旨とはいえ、オバマ氏のこれまでの主要演説にくらべてずっと平板であり、聞く側を刺激し、鼓舞する内容のようには響かなかった。米国が内外で直面する現状はそれほどに厳しく、その米国を動かすオバマ大統領の立脚点も、もはや「変革」と「希望」を語ることだけではまったく対処できない真剣の実務の世界に入ったということであろう。>

 と書いているのだ。産経抄子の見方と同じである。「責任の新時代」という日本の新聞が飛びついたキャッチフレーズも「抽象的」とズバリ書いている。そういうことだ、と思う。

◆キャシアス・クレイの時代とオバマの父の時代

 朝日新聞[天声人語]も人種問題に焦点をあてていた。

 <モハメド・アリ氏の、選手時代の逸話を思い出した。まだカシアス・クレイの名前だった若いころ、ローマ五輪のボクシングで金メダルを獲得して意気揚々と帰郷した。祝賀会のあと友人とレストランに行った。だが「黒人はお断りだ」と追い払われる。彼は怒りに震えてメダルを川に投げ捨てた。

 この伝説は知らなかった。

 <脚色された「伝説」と言われもするが、オバマ大統領の生まれたころに黒人が置かれていた、隠れもない現実である。>

 として例の「つい60年ほど前はレストランで食事もさせてもらえなかったかもしれぬ父を持つ男がいま、あなた方の前に立っている」というオバマ演説を紹介する。

 <奴隷制以来の過酷な差別を思えば、「大統領になったことが最大の仕事」の声が上がるのもうなずける。それは、自由と平等をかかげた建国の理想の体現だった。>

 として、文章の最後にも、

 <歴史的な就任式にはアリ氏の姿もあったそうだ。メダルの一件以来、人生をかけて差別と闘ってきた人である。人種問題を乗り越え、さらなる困難に旅立つオバマ氏に、大きなエールを送ったに違いない。 >

 で締めていた。そして、さっきの文章の次は、

 <だがその「大仕事」はきのうで終わり、今日からは容赦のない現実が待つ。>

 と話題を転じるのだ。

 そうなのだ。昨日から書いているように、人種問題は大統領選に当選した時点で「終わった問題」。そして、

 <膨らむ期待は、世界に満ちる不平、不満、不幸の裏返しにほかならない。さらに不安、不信、そして不穏。「不」が渦巻く荒海への、いわば船出である。>

 なのである。

 <米国の大統領とは、多種多様な国民が、その時代に求める「かくあらねばならないアメリカ」の象徴といえる。首のすげかえといったお手軽な話ではない。そして期待の横で常に、失望が深々と口を開けている。>

 一般論を書いている。「首のすげ替えといったお手軽な話」は日本の政権交代のことを皮肉を込めて言っているのだろうが、そういう言い方が政治化蔑視を生み、政治不信を生むとは思わないのだろうか?

◆北朝鮮、アフガニスタン、パキスタン、ロシア、中国の受け止め方

 オバマ大統領演説全文を読みやすい形で1ページに収録していた東京新聞は国際面の3分の2を使い、[変化待ち望む世界]のタイトルで北朝鮮、イラン、アフガニスタン、中国などの受け止め方を特集していた。

 ついでに言えば、オバマ演説全文の扱いは各紙工夫をしていたが、読売新聞も1ページに英文と日本語訳を掲載したが、こちらは英語の教科書並みに英文の横に日本文をフレーズごとにまとめて載せて、英語の勉強が出来るようにしてあった。一番工夫が見られたのが読売新聞かもしれない。

 さて、東京新聞記事に戻る。注目の北朝鮮については、

 <朝鮮中央通信など北朝鮮メディアは21日、オバマ米大統領就任を即日、論評抜きで伝えた。ラヂオプレス(RP)によるとブッシュ前大統領の就任時は3日後、クリントン元大統領の際は2日後に報じており、関心の強さを示した。今後は「核兵器保有」の立場をより強く打ち出し、直接対話を通じた国交正常化交渉に本腰を入れる可能性が高い。>

 この点については読売新聞が国際面トップ<北、直接対話に期待/就任直後、異例の報道>で大きく取り上げていた。東京新聞に戻る。

 <「米国による核の脅威が除去され、南朝鮮(韓国)に対する米国の核の傘がなくなれば、わが方も核兵器が必要なくなる」。オバマ大統領就任を控えた13日、北朝鮮は外務省報道官の談話を通じ、今後の核交渉は米国との関係正常化とセットにして進める意思を強調した。>

 <韓国の政府系シンクタンク、統一研究院の朴英鎬・国際関係研究室長は「北朝鮮はオバマ大統領に直接対話への積極的な信号を送る一方で、自国が『核保有国』であるとの主張を既成事実化することを狙っている。関係正常化を達成する以前に、米国が想定する厳格な核検証に応じるつもりはなく、米朝間の交渉が簡単に前進することはないだろう」と予測している。>

 まあ、一般論しか書いてない。

◆事前に米韓で北朝鮮への特使派遣問題で詰めていたそうだ~朝日新聞

 朝日新聞は国際面<北朝鮮の米接近/警戒強める韓国>で少し踏み込んだ内幕を書いていた。

 韓国大統領府関係者が今月、オバマ政権の外交担当者らと面談し、米特使の北朝鮮派遣問題について「早期派遣は北に誤ったメッセージを与える」と主張して①核施設の無能力化など非核化第2段階の完了②米韓の事前協議――を前提にするよう求め、米側が「合理的な考えだ」(リーズナブル、とでも言ったのか?)と回答し、別のルートでも特使派遣は実現しても春以降になるとの見通しを韓国側に示した、とあった。

 おいおい、である。

 日本はそういう協議には参加していなかったのか。これもヒル氏の陰謀ではないのか? オバマ政権の外交担当者とは誰なのか? カート・キャンベル氏ならば、少なくとも日本の外務省か谷内氏にこの協議内容を伝えたと考えるのが普通だが、そうではなく、全く日本がパッシングされた形で進んでいるとしたら、これは由々しいことだ。

 朝日新聞の記事を少し写しておく。

 <オバマ政権の対北朝鮮政策は、クリントン元政権の関与政策(ペリー・プロセス)を引き継ぐとの見方が韓国では強い。韓国政府関係者は「対話が無理なら軍事行動も辞さない政策。どちらに進むのか注視するしかない」と語る。

 ペリー・プロセスか。何年か前、日本である新聞社主催のシンポジウムでペリー氏が北朝鮮の核施設をピンポイントで攻撃することもありうる、と話していたのを聞いたことがある。「本当かいな」と思ったが、あの時は韓国側の必死の説得で米国は路線変更をしたと覚えているのだが。

 朝日新聞記事は続けて、

 <北朝鮮は11月、訪米した李根外務省米州局長がオバマ氏陣営のアジア政策担当者と接触。様々な提案を行ったという。2月には朝鮮労働党傘下にある朝鮮アジア太平洋平和委員会の李種革・副委員長が訪米し、米国の朝鮮半島専門家と意見交換する方向で調整しているという。>

 と書いていた。北朝鮮も表面上は韓国を脅したり、忙しくしているが、水面下では実質的な会談を繰り返しているようだ。

 何か、何もやっていないのは日本だけではないか、と思えてきた。

 東京新聞の記事に戻る。

 アフガニスタンとパキスタンはブッシュ前政権の武力一辺倒から対話と掃討の「和戦両様」に政策転換するオバマ氏の姿勢を歓迎しているが、両国とも政権の求心力が低下、泥沼化の懸念は消えない、としている。

 一方、ロシアは年内に失効する米ロ第1次戦略兵器削減条約(START1)に代わる新条約にも意欲的な米新政権を静かに見守り、メドベージェフ大統領は「関係正常化を期待する」と述べたが、期待が裏切られたと判断すればロシアが再び「新冷戦も恐れぬ」姿勢で臨むことも考えられる、と書いている。どうも、ナショナリズムに目覚めたロシアは扱いにくい国に逆戻りしているようだ。

 中国は世界経済が悪化する中、対中貿易赤字を背景とした人民元レートの切り上げ圧力を警戒。人権やチベット問題など、中国側が「主権にかかわる」として譲歩できない問題についても、オバマ政権が是正を要求してくるかどうか関心を寄せる。台湾問題では米国の台湾向け武器売却に一貫して反対している。今後、こうした問題で米中間に摩擦が生じる可能性が焦点になる。中国人識者の多くは「中米関係は、比較的安定した関係が続いたブッシュ政権時と基本的に変化はない」とみている。金融危機克服やイランや北朝鮮の核問題など、ブッシュ政権が残した負の遺産を解決するためには、中国の協力が欠かせないというのが理由だ、と書いていた。

 すべて一般論だが、こういう機会に各国と米国との関係をおさらいしておくのも勉強になっていい。

◆日経新聞はバカ騒ぎにお付き合いしない新聞だった

 日本の新聞のバカ騒ぎをどこ知らぬ顔でわが道を行ったのが日経新聞だった。21日夕刊1面本記と2,3面見開きで十分書いた、という判断だろう、特集面もなく、まとまった記事もない。社説が目立った程度だった。

◆スタンリー・クレイマーの「招かれざる客」と40年間の変化

 読売新聞1面署名記事は岡本道郎アメリカ総局長論文<「黒人初」の次元超えて>だった。

 <1967年、ハリウッド社会派のスタンリー・クレイマー監督は、黒人エリート医師と白人女性との結婚話を描いた映画「招かれざる客」(邦題)で、米社会の人種差別に強烈な問題提起を行った。新聞社主でリベラルを自任する娘の父親が苦悩の末、結局結婚を認める物語なのだが、白人と黒人の結婚がなお全米16州で禁止されていた時代に、異人種間の初キスシーンも含め大きな衝撃を呼んだ。劇中、黒人俳優の草分け的存在、シドニー・ポワチエ演ずる医師が父親に子供について聞かれ答える場面がある。「彼女は、子供はみんな大統領になって、多人種の政権を作るって考えています」。42年後、このセリフは現実となった。ケニア人の黒人男性とカンザス州の白人女性との間に生まれたエリート政治家バラク・オバマ氏が、一気に権力の頂点ホワイトハウスの主となった。>

 なるほど、「招かれざる客」から入ったか。

 <初の黒人大統領。公民権運動の究極の到達点であり、米国の民主主義の輝きを示す人類史的出来事であることは論をまたない。だが、むしろ、わずか40年程度の時間の流れの中で、かつての不可能が可能になる――そんな米国のダイナミズムにこそ、凄みを感じる。今後、オバマ氏の言葉、行動すべてが「歴史」になる。では、歴史はオバマ大統領に何をさせようとしているのか。>

 「黒人大統領」という意味ではオバマ氏の今後の行動はすべて「初めて」尽くしであり、歴史になることは間違いないが、岡本氏がいうようにわずか40年前の「不可能」が「実現」してしまうダイナミックな社会が驚きだ。一体何なのだろう?

 岡本氏は米国健在論、衰退論がたたかわされている中、オバマ氏がいかに「漂う米国に適切な羅針盤を取り付け、その健全な再生に着手する」ことができるかが勝負だ、「失敗はそのまま、衰退論の定着につながる」と言う。

 <オバマ氏の最大の武器は、異論を持つ他者の意見に耳を傾け、「Yes We Can(我々はできるんだ)」の「We(我々)」の中に取り込んでいくマジックにも似た包容力にある。米国と世界の双方に役立つ、オバマ大統領の「We」をどこまで広げられるか。「黒人初」の次元を超え、真の偉大な大統領として歴史に刻まれるかどうかはそこにかかる。>

 と、書いていた。見出しからは相当期待したのだが、黒人大統領論から一歩も出ていなかったのは残念だった。

◆各紙の「識者の話」、そう目新しいものはなかったが……

 読売新聞は政治面トップで<オバマ政権/対北、米の軟化警戒/政府/早期首脳会談目指す>でオバマ政権に牽制球を投げていたのが目立つところか。

 識者談話も読ませる部分なのだが、大体、久保文明・東大教授(アメリカ政治専攻)、渡辺靖・慶大教授(アメリカ研究)が登場した新聞が多かった。久保氏は<党派超え、大局的視野>(読売)▽<価値観の転換見える>(朝日)など。渡辺氏は<派手さ抑え、現実直視>(読売)などの見出し。今の時点ではいくら専門家とはいえ、ジャーナリストと同じようなことしか言えないだろう。

 読売新聞は解説面を全部使って[変革 オバマ新政権と日米関係]の識者インタビュー特集をしていた。大沼保昭・東大教授(国際法専攻=62歳)、谷内正太郎・日本政府代表(早大客員教授、前外務事務次官=65歳)、ケント・カルダー米ジョンズ・ホプキンズ大学大学院東アジア研究センター所長(元駐日米大使館特別補佐官=60歳)といい顔触れをそろえていた。

 大沼保昭・東大教授(国際法専攻=62歳)の<多極の中での国際責任 双方に>の主張のポイントは

 <「チェンジ」の最も長期的で巨大な変化は、独善的普遍主義から多極の中の最有力国へという米国民の自己認識の変化だろう。この米国民の意識改革の端緒をつけることがオバマ政権の文明史的な課題となる。>

 だろう。「20世紀の米国は自分は国際ルールの外にいながら、他者にはルール順守を求めるリーダーだった」から、京都議定書、国連海洋法条約、女子差別撤廃条約、国際人権規約という「普遍的な条約に米国は入っていないのに、他国には法を守れ、ルールを守れ、と説教する」が、「21世紀の相対的最有力的国としての米国は、そうであってはならない」として、日本人は政治家、官僚、企業人、学者、ジャーナリストも一般市民も有人として米国民に率直にそう告げるべきだ、というのだ。

 <ただ、日本も自らが汗をかかなくては、説得力は生まれない。減少傾向が続いている政府開発援助(ODA)の増額はぜひとも必要だし、難民、外国人労働者、留学生などをもっともっと受け入れていくべきだ。これは少子化、高齢化に悩む日本自身の利益になることだ。>

 前半部分は賛成である。ODAを減らすということの意味合いを政府も政党ももっと考えるべきだ、と思う。軍事力で国際貢献できない日本の限られた有効なツールとしてのODAをもっともっと有効に活用すべきだ、と私も思う。

 ただ、後半部分は賛成しかねる。いわゆる「人の国際化」問題である。

 もしも「人の国際化」を徹底するとなれば、それは国民のある程度のコンセンサスができた後でなければならない、と思う。

 大沼氏は犯罪者らが日本に入り込む危険性を無視しているわけではないと思うが、日本人の生活のありよう(way of life)が大きく変化する、ということを考えなければならないと思うからだ。

 ただでさえ、木造で障子、縁側のあった日本家屋には住みにくくなってる。防犯的な意味合いもある。日本のこれまでの凶悪犯は家を壊して侵入するようなことはまれだったが、韓国の強盗団が日本にやってくるようになった後は、こういう手口も増えた。

 日本国民の「安心・安全」という政治が守るべきことと、国際的トレンドとしての「人の国際化」は折り合いをつけながら進めるべきだ、と思う。無闇矢鱈に開けばいい、というものではないだろう。

 下村治氏ではないが、政治が最も大切にしなければならないのは国民であり、国民経済だ、という基本中の基本を忘れないで対処してほしい。

 谷内正太郎・日本政府代表(早大客員教授、前外務事務次官=65歳)の<温暖化問題 積極姿勢に期待>は、

 <オバマ政権最大の課題は、現在の金融危機、景気後退への対応だろう。解決には3~4年を要し、任期一杯まで及ぶ非常に大きな問題だ。>

 と、金融危機を重く見る。そして、北朝鮮政策である。

 <北朝鮮施策の基本スタンスは前政権を引き継ぎ「対話と圧力」となるが、オバマ政権は、当面は「対話」をより重視し、実際の北朝鮮とのやり取りを通じて対話だけで本当に済むのかどうか検討していくことになるだろう。>

 と見通している。そして、

 <日本には「対話重視路線」を不安に思う向きもあるだろう。日本は日本の立場をきちんと説明し、米側の理解を求めるべきだが、米国の政策は結局、米国が判断するしかない。

 何か、諦めのような書き方なのが気になる。クリストファー・ヒルの後任の国務次官補(東アジア・太平洋担当)のカート・キャンベル元国防次官補代理について「非常に行動力があり、実務能力も高い。日本との関係も深いから大いに期待できる」と書いているが、どう期待すればいいのだろう。

 やはり、北朝鮮関係では日本は数年間、孤立無援の中での苦闘を強いられるのかもしれない。

 懸念するのは、そうした苦しい時期になると、「拉致問題は日朝国交正常化の障害物」などという北朝鮮シンパの学者やジャーナリストの声が大きくなることだ。北朝鮮の宣伝工作も巧妙化するだろう。

 テレビ・メディアが見識を持って、こういう場当たり的で国益にそぐわない声を遮断できるかどうか。ジャーナリストの矜持が問われる場面がくるだろう。

 そして、ケント・カルダー米ジョンズ・ホプキンズ大学大学院東アジア研究センター所長(元駐日米大使館特別補佐官=60歳)は<同盟 広い概念で追求を>の見出し。最近出した「日米同盟の静かなる危機」のダイジェストのようなものだった。

 内容を少し紹介する。

 <かつては米国にとってアジアで重要な国は日本しかなかったが、今や中国が台頭し、韓国も大きくなった。朝鮮半島も核問題を抱える。日米関係と競合する政策課題が複数ある。米国内のアジア系人口の割合も日系人は1960年頃から横ばいだが、70年代以降、韓国系、中国系が爆発的に増え、日系人を逆転している。日本は企業の米本社などがニューヨークに集まっているため、ワシントンにおける存在感は中韓のほうが日本より大きい。一般の日本国民はこうした構造的な問題を意識しないが、問題は我々が考えるよりも深刻だ。しかも、両国で政権交代があるとすれば、関係が不安定となり、問題はより大きくなる。>

 <「オバマ政権は中国重視ではないか」という懸念が日本にある。確かに「ジャパン・パッシング」(日本無視)は深刻な問題だ。しかし、それはオバマ大統領や政権幹部と日本との人脈の薄さによるものではなく、構造的なことが理由だと理解すべきだ。>

 この構造変化は日本人に理解されていない。

 だから米下院や上院に突然、日本非難決議などが出てびっくりする、というパターンが続いている。慰安婦決議案にしても、南京大虐殺にしても、こういう構造を知らないと対処法も編み出せないだろう。つまり、アジア系アメリカ人の中での韓国系、中国系の隊等である。これに加えて両国からの留学生が圧倒的に多い、つまり、日本からの米国留学生が少ない、ということも付け加えておいたほうがいいだろう。

 カルダー氏は日本が考えるべきこと、として「エネルギーと気候変動といったグローバルな問題が重要」言う。そして、安全保障分野については、

 <海賊問題でのシーレーン防衛がアフガニスタンよりも重要だ。中国が活動に加わる一方で、日本がやらないというのはいい考えではない。

 とシーレーン防衛に踏み出せ、と勧めるまた、

 <アフガンに関しては、米国と疎遠な隣国ウズベキスタンや周辺国を支援することが有効だ。アフガン本土の地方復興チーム(PRT)への協力も感謝されるだろう。

 と示唆する。

 そして、北朝鮮問題である。この部分は書き写しておこう。

 <北朝鮮問題では、政権についた米民主党は共和党より人権重視の傾向が強く、拉致問題を理解できる人が多い。これまで6カ国協議を担当してきたクリストファー・ヒル国務次官補が、日米関係を意識しなかったのははっきりしている。国務長官に指名されたクリントン氏は、地域全体の責任者と特定の問題の特使を分ける考えのようで、効率的になるだろう。>

 とヒル氏が日本嫌いだったことを露骨に書いている。その通りだったのだろう。なぜこのような男を東アジア・太平洋担当にしたのか。ブッシュ政権は本当に日本を考えていたのか? いろいろ疑問が出てくる。

 カルダー氏は、こうした米国政権交代に関する変化についていけない日本政治情勢を「日米関係にとって不幸だ」と懸念する。

 <特に米国の政治プロセスを考えると、政権が取り組む課題が選択される最初の1年半ぐらいがとても大事だ。>

 というのだが。谷内氏らがどこまでやってくれるのだろうか。

◆朝日新聞は同時通訳の鶴田知佳子・東京外大教授の話

 朝日新聞の識者コメントは鶴田知佳子・東京外国語大教授(同時通訳者)の<オバマ演説/希望を実感させる説得力>だった。

 <有名な「イエス・ウィ・キャン」は一度もなく、「チェンジ」も二度しか出てこなかった。しかし、変化、希望、団結という彼のキーワードは、その奥にこめられている。就任演説をひとことで言うなら「過去の成功体験を未来への希望へとつなごう」というものだ。…「安全と理想の二者択一を拒絶する」と語ったのは、ブッシュ政権に対する批判だろう。…彼の演説の一番の特徴は言葉の力そのものにある。選挙戦中の演説で、三つの疑問を示したあとに「答えは…」で始まる三つの文章を並べるなど、3回の繰り返しが特徴的だった。勝利宣言でも「新たにエネルギーを開発し、新たに雇用を作り出し、新たに学校を建てる」というように「新たに(ニュー)」を3回並べた。>

 <雄弁さと巧みなレトリックは、下手をすると大衆をあおるような演説になりがちだ。しかし彼の場合はそうはならない。語り口はクールであり、激高したり叫んだりすることはほとんどない。自己陶酔には陥らず、むしろ常に長州を見ている。抑制した話し方が、かえって説得力、信頼性を増している。>

 <初のアフリカ系大統領だが、黒人特有の発音やアクセントがない。インドネシアやハワイの学校で学んだり、カンザス州出身の白人の祖父母に育てられたりしたからだろう。高い教育を受けた知識人の英語だ。>

 <彼の演説に共通しているのは、この人についていけば明日は良くなると思わせる説得力、そして聞いている人たちを自分も統一体の一部と思わせる力だ。(CNNで)同時通訳をしながら、国家の指導者の言葉とはこういうものかと思った。>

 さすがに同時通訳者だけあって、細かいところから見ているのが印象的だった。

 毎日新聞は久保文明・東大教授(米国政治)、有賀夏紀・埼玉大教授(米国史)、本山美彦・大阪産業大学教授(世界経済論)の3人の談話が演説全文のページに載っていた。

 有賀夏紀・埼玉大教授(米国史)

 <驚いたのは、米国の多様な各宗教と並べて「無宗教者」を挙げたことだ。神を信じることを前提とする米国政治の伝統ではありえないことで、無神論者の存在を認めたのは大統領として初めてだ。勇気ある発言だ。

 という分析には驚いた。そうだったのか。こっちは仏教徒が無視されたことを悲しんでいただけだったのだが。

 本山美彦・大阪産業大学教授(世界経済論)の、

 <金融、経済分野に関して演説内容に具体性が乏しく、がっかりした。>

 というのは、米大統領の就任演説の意味合いを知らない人のコメントのようだった。ただ、次の分析は面白い。

 <世界的な金融危機の根本を作ったのはブッシュ政権ではなく、クリントン民主党政権だ。当時、財務長官を務めたロバート・ルービン氏が中心となって金融規制緩和を進めたためだ。演説では、そうした経緯に触れず、「原因は一部の人々の貪欲さと無責任さにある」という表現でごまかしてしまった。>

 として、経済関係閣僚にルービン派が多いことを問題視。厳しいのは、

 <就任式直後、ニューヨーク株式市場でダウ平均が急落したのも、投資家たちが「この政権は何もできない」と危惧をいだいたためだろう。>

 と書いたことだ。少しはほめているが、辛口の批評だ。このルービノミクス批判って、案外本ボシなのかもしれない、と思った。

◆毎日新聞の北朝鮮研究専門家へのインタビュー

 毎日新聞は国際面で韓国統一研究院北韓研究室長の崔鎮旭氏(49)のインタビューを入れていた。[識者に聞く①]とあるので、[荒波への船出]ワッペンのインタビュー編らしい。その1回目に北朝鮮問題を持っていたのだ。見出しは<核検証先送りなら摩擦も>だった。

 読んでみよう。

 崔氏はオバマ政権の対北朝鮮政策は①米朝間の直接対話を目指す包容政策②非核化での原則主義的な政策――の硬軟両面がある、と分析。北朝鮮がアメリカ、韓国にいろいろとモーションをかけているのはオバマ氏の原則主義に対抗して朝鮮半島の核は北朝鮮だけでなく、韓国が受けている米国からの「核の傘」も問われている、といっているのだ、と。

 今後の北朝鮮については、今は内部引き締めのために対外的に強いことを言っているが、オバマ政権の特使との対話が進展すれば4月頃には柔軟性を示す可能性もある、という。

 なるほど、なるほど。韓国の政権中枢に近い学者の考えはそういうものだろう。 

 いつもこの調子で「何月になれば」「何年たてば」で誤魔化されてきた。その間に北朝鮮が核兵器を着々と開発していた、という繰り返しだった。また、同じことを許そうというのか。日本人にはもう堪忍袋がなくなったから、緒は切れない。黙ってやり過ごすだけらしい。そのうちに北朝鮮さまから核戦争の脅しをかけられ、ごり押しの要求を呑むしかなくなる(かもしれない)。

 と、過激なことをいいたくなるような、生煮えのインタビューだった。

 社説も読もうかと思ったが、そうこうしているうちに夕刊が届く時間になったので、この辺でやめておく。

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石井英夫さんの産経新聞退社の辞~産経新聞1月22日朝刊から

 「産経抄」を35年にわたって書き続けた石井英夫さんが昨年末で産経新聞社を退社したが、昨年暮れに退社に当たっての講演会を社内で開き、その発言のあまりに軽妙洒脱で、社内だけにとどめておくのがもったいない、ということで1月22日の朝刊1ページを使って特集をしていた。よくやった、と思う。この日は各紙(産経新聞もだが)オバマ大統領の就任演説のあれこれでページを総動員しており、他の社だったら、「この日は避けてくれ」と相成っていただろう、と思う。へそ曲がりの産経新聞ならではの配慮で清々しかった。

 見出しは<産経抄”毒”をきたせた35年 石井英夫さん退社の辞/炭殻の意気や此処に>で、<きのうのコラムはきょう忘れる>、<鳥の目と虫の目で見る>、<字引にない言葉にも美しい言葉が>が講演の中でのキーワードだ、として個別の見出しにしてあった。

 昭和30年、22歳で入社し札幌支局に赴任し、誕生日が1月2日なので、正月が来ると76になる、と言っている。今もう76歳である。

 入社以来53年間のモットーが道元「正法眼蔵」の言葉「花は愛惜に散る」だったそうだ。花も人も惜しまれているうちに散らないといけない、という意味だとか。

 見出しの「炭殻」は新人記者の時に仲良しだった北海道新聞の先輩記者Nさんがコップ酒を飲みながら「新聞記事というのは所詮、炭殻みたいなもんじゃねえか」と言ったことに由来する。石炭ストーブの燃えカスが炭殻で朝になれば棄てられてしまうが、一夜は人々を温めたんだ、というのである。そういう記事を書いたと思えば冥利に尽きるのではないか、と言うので「そうだ、そういう人々の心を一晩でも温める記事が書けたらなあと思って、それをモットーにもしてきた」と言う。

 その後日談が面白かった。東京に帰ってきた時、若い女性記者から「札幌に知っている人がいたら紹介して」と言われたのでNさんを紹介した。そうしたら、”道庁の顔役”などと言われていたN記者がその女性記者にほれてしまって、北大病院の看護婦長だった奥さんと別れて、その女性記者と一緒になりたいと言い出し、Nさんは間もなく焦がれ死にしちゃったんです、と。「人生の多くのことは、フロイトみたいですが、男と女のドラマに収斂していくんだということが、私のその後のコラム的人生観になってしまいました」と。

 どこまで本気で、どこからが冗談かが分からないところが抜群に面白い。茶化して、人の死を笑っても、その言葉の中に温かさがあるのが分かる。だから、加藤周一氏らの生硬な文章などにはないユーモアが漂ってくる。また、その裏の凛とした姿勢がうかがえる。

 コラムニストの酒飲み会の話も面白かった。朝日新聞の天声人語子らが「書いたコラムは書いた先から忘れるようにしている」という話で盛り上がっていた時、毎日新聞の社会部の名記者で当時、夕刊1面コラム[近事片々]を書いていた吉野正弘氏が「そうさ、吉原の女が通り過ぎてった男のことをいちいち覚えていられるかい」と言った話だ。吉原の女も俺たちも見過ぎ世過ぎ、手を替え品をかえ、枕をかえて、とにかく一度書いて出したのは、もう二度と書けません。一夜契った相手とは朝別れていくというのが、コラム屋の商売でして、と自分の商売を茶化しながら、「平成何年でしたか、暴走族に殴り殺されるという悲劇にあったんですけど」と吉野氏の最期に触れていた。この時だって見方によれば、人の死を笑っているのか、という丸山真男氏の弟子たち(?)のお叱りを受けそうだが、その言葉の裏にどれだけの無念さがあるのか、文章からだけでも分かる。

 文章というのは面白いものだ。人が分かる。人格が丸出しになる。石井さんという人格そのものが35年間の産経新聞の1面の顔だった、と思う。笑い、泣き、怒り、感激するその心が読者の心に大きく共鳴したのだと思う。

 ニューヨーク・タイムズにしてもフィナンシャル・タイムズにしても英エコノミストにしても、「このコラムニストの文章が読みたいから」と定期購読する読者がいるそうだ。日本でそういう求心力になっているコラムニストが石井さんの他に何人いるのだろう? 寂しい限りだ、と思う。

 石井さんの同業者へのアドバイスが書いてあった。東京オリンピックの前の年の昭和38年、1年間だけサンケイスポーツにいた時に今はない巨人軍の多摩川球場に取材に行ったら、牧野茂さんという守備の名コーチが信心にバッティングを教えていた。「王や長嶋だったら相手のピッチャーは魅せられたようにやつらの好きな球をなげてくるんだ。だけど、おまえたちは違う。とにかく徹底的にボールを選べ」「狙い球を絞ってジャストミートしろ」と教えていて、それには三つのコツがある、という。「それを徹底的に覚えておけ」と言う。バットを短く振れ、鋭く振れ、素直に振れ――と教えている、と。この三つを叩き込んでジャストミートすれば球は必ず野手と野手の間を抜いていくって教えている。

 <それを聞いて、こうすれば文章がうまくなるということと同じではなかろうかと。短く書く、鋭く書く、素直に書く。これをすれば、文章がうまくなるのではないかということを、自分に言い聞かせました。>

 これを忠実に守って、35年間の「産経抄」がある、というのだ。参考になる、というか、真似すべき極意だろう。

 千曲川の文化が「寛容の文化」。善光寺が宗派を選ばない。芭蕉が善光寺を通って、

 <月影や 四門四宗も ただ一つ>

 と詠んだ、という。千曲川の寛容文化は世界に誇れる、発信できる文化なのだ、と。

 アナウンサーの小川宏さんが12月中旬の産経新聞投書欄に亡くなって国民栄誉賞が決まった遠藤実さんの座右の銘「春の来ない冬はない」というのを投稿していたが、そういう目で、明るい紙面を作ってほしい、というのが石井さんからの産経新聞の後輩たちへの注文だった。

 いろいろ言われ、経営的には大変だとも思える産経新聞だが、石井さんの薫陶を受けた後輩たちが連綿と紙面をにぎわせれば、明るさを日本中に振りまくことができるのではないか。いつも暗い紙面を作るのを社是のようにしている朝日新聞や毎日新聞、東京新聞も石井さんを社にお呼びして、自社の中堅記者教育に役立てたらどうだろう。少しは紙面が明るくなるのではないだろうか。

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2009年1月 8日 (木)

製造業派遣禁止に反対する日経新聞、産経新聞社説~1月8日紙面から

 日経新聞と産経新聞が8日付社説で労働者派遣法の対象から製造業を除外すべきだ、という舛添厚労相や民主党、社民党、共産党の考え方に反対する主張を打ち出した。それぞれ経団連応援新聞、産業経済新聞としての立場から致し方ない選択だったのだろうが、変革への意志が感じられないのは寂しい限りだった。明確に製造業を除外しべし、としている毎日新聞や東京新聞とのコントラストがくっきり浮かび上がった。

 日経新聞社説<雇用激震に備え短期・中長期の対策急げ>は、

 <製造業への労働者の派遣事業が解禁された2004年以降、各地の製造現場では直接雇用の期間工などを派遣に置き換える動きが広がった。舛添氏の考え方、野党の案ともに細部は不明だが、04年以前の状態に戻すことを狙っているようだ。>

 として、

 <この規制強化は労働市場を不安定にする副作用がある。工場側にとって派遣社員は直接雇用の期間工を雇うのに比べ社会保険手続きなどを派遣会社に任せられる利点がある。働く側から見ると派遣制度がないのと比べ雇われやすい。また、すぐに仕事に就けるなどの理由で自ら派遣での就労を希望する人も増えている。そうしたことを考えると多様な雇用形態を残しておくことが望ましい。>

 と主張するのだ。大雑把に言えば、その根拠は①労働市場が安定する②工場側の利点③働く側も職を得やすいメリットがあり、派遣希望者が増えている――というものだろう。①②は会社側の都合であり、③が労働者側のメリットだ、というのだ。だが、本当にそうなのだろうか? 最近の新聞で見る派遣労働者の訴えとあまりに乖離していないか? 誰だって望んで派遣労働をやりたくはないが、正社員として雇われないので、仕方なく派遣で働いているのだろう。そして、日経社説は続ける。

 <日雇い派遣を原則禁止するために政府が国会に出し継続審議になった法改正案も問題が多い。派遣失業者にとって、今のようなときこそ一日単位で仕事を見付けられる日雇い派遣はありがたいものではないか。>

 驚くべきことに、日雇い派遣も禁止すべきではない、という主張である。派遣労働者は1日単位の労働の切り売りが望ましい、とでも考えているのだろうか?

 そして、次のように言う。

 <規制強化に走るのは賢いやり方ではない。国が真っ先に取り組むべきなのは、財政資金や雇用保険に積み立てたお金をうまく使い、緊急避難的に仕事を提供したり失業者が次の職場を遅滞なく見付けられるよう職業訓練をしたりすることだ。>

 後半部分はその通りだ、と思う。職業訓練の充実が求められている。ただ、日経新聞らしいと思うのは、公共事業の前倒し執行を求めていることだ。

 <各地域の経済活性化につながる道路の整備などを厳選して事業家を急いでほしい。首都圏では羽田、成田空港への時間距離の短縮に役立つ交通網などが対象になる。>

 というのだ。リチャード・クー氏だったか、公共事業の効用を説いており、その通りだと思う部分も多いのだが、誰かが言っていたが、どの公共事業を選ぶか、という時に省庁の意見が反映されると、実は後が大変なのだ。地方自治体の後年度負担が膨らみ、地方財政を圧迫するのである。だから、極端なことを言えば、穴を掘って、その穴を埋めるような公共事業でもいいから害悪を垂れ流さない公共事業をすべきだ、という主張をした人がいた。そういうことだろ思う。成田、羽田へのアクセスなど、将来の維持費まで考えて言っているのだろうか? 疑わしいと思う。

 非正規雇用者の安全網の充実をせよ、という。まさしくその通りなのだ。雇用保険の適用対象を広げることと職業訓練が例示されている。教育の充実で誰もが手に職を持てば一時的に仕事からあぶれても苦労せずに次の仕事に就く機会が広がるので、そうした基盤整備を急げ、というのだが、抽象論である。

 最後には御手洗冨士夫・日本経団連会長が提案したワークシェアリングに触れ、正社員と非正規社員について「同一労働・同一賃金」原則を導入するように求めるなどしている。この部分を写しておこう。

 <企業が社員をどれだけ解雇しにくいかを経済協力開発機構が指数化したところ、日本は正規社員が手厚く守られている半面、非正規社員の保護の度合いは著しく低いという結果が出た。同一労働・同一賃金の原則とともに、この格差緩和も考えなければならない。どちらかといえば正規社員の既得権益維持に熱心な連合に意識改革を望みたい。>

 このOECD調査の話は日経新聞8日朝刊3面<製造業派遣見直しに溝/与党 業種規制強化に慎重/民主 禁止検討へ方針転換>につけた奥村茂三郎編集委員の解説記事<性急な規制は逆効果/安全網の拡充急務>で詳しく説明してあった。つまり、OECDの08年版対日経済審査報告で「日本の正規労働者と非正規労働者の賃金格差は生産性の差をはるかに上回っている」と指摘し、「デュアリズム(二極分化)」の拡大を懸念している、という。

 日経らしいと思う。社説で打ち出すだけでは言い足りないと思って、社説が2面に出る日の3面にこの記事を掲載し、社説を読む際の手引きにしている。奥村論文は趣旨が社説と同じだった。記事の中には八代尚宏・国際基督教大学教授の「昔も今も製造業は景気変動の影響を和らげるために非正規雇用を必要としている。規制緩和前に戻れば今度は請負や期間従業員が職を失いかねない」という談話を使っているが、この八代氏こそ規制緩和会議などで派遣労働法の製造業適用に動いた張本人だ。張本人にまでご登場j願ってものを言わせるくらいまで規制緩和グループの人材は枯渇してしまったのだろうか。

 いずれにしても苦しい論理だと思うのだが、この問題は各社の論説室、論説委員会ともすぐにハンドルを切る、というわけにはいかない一貫した姿勢があったのだろう、と思う。今までの主張と整合させながら、どのように対処するか、である。その意味で日経新聞は相当に苦しい中でこの結論を選択したのだろう、と想像する。派遣労働者らからのバッシングは覚悟の上なのだろう。というか、派遣労働者は日経新聞をとらないから、読者が減るわけでもない、と達観しているのかもしれない。

 そういう日経新聞のスタンスは一応理解するとして、貧乏だが志だけは高く産経新聞を読み続けよう、と考えているちょっと右翼チックな読者も翼下に抱える産経新聞が同じ日に<製造業派遣 規制強化は慎重な論議を>の社説を掲載したのは正直、意外だった。

 主張の内容は日経新聞とほ同じである。

 <規制緩和は、国際競争の激化でコスト削減を求められた企業側の事情が背景にある。企業は短い納期で多品種少量生産を要求されるようになった。ただ、これは労働者側にも雇用拡大という形でプラスになった。ここ数年の失業率は4%台と低い水準だ。それなのに、非正規雇用者の失業が拡大したから、製造業派遣を禁止すべきだというのは乱暴すぎるだろう。派遣労働者を雇えなくなれば、企業は直接雇用に頼らざるを得なくなる。それは、人件費の増加を招くため、企業側はかえって雇用を減らす方向に動く可能性が懸念される。また、柔軟な雇用調整ができなくなれば、日本企業は人件費の安い中国や東南アジアなどに生産をシフトすることも考えられる。それは、国内全体の雇用を減らし、失業率の上昇を招きかねない。製造業をめぐる喫緊の課題は、雇用の維持である。それを労使双方が認識した上で、正社員と非正規社員が一緒に仕事を分かち合うワークシェアリングを含め、さまざまな工夫を凝らしてほしい。>

 というのが最も言いたい部分だろう。ここでも御手洗氏のワークシェアリング論に逃げているが、日経が最後に注文していたように、ワークシェアリング論というのは、正規社員の給与を下げ、非正規社員の給与を増やせ、という論である。連合にゲタを預ける議論であり、民主党の支持組織をいじめる、という政治的効果はあるかもしれないが、実現可能性はほぼゼロだろう。企業単位の労組の集合体であるナショナル・センターの連合が各企業内労組にそんなマイナスを押し付けることはできっこない。

 産経新聞はどうしてこんな社説を掲載したのか? ただ単に自民党の麻生政権を応援し小沢氏の民主党に反対するためだったら寂しすぎる。

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2009年1月 1日 (木)

各紙の元旦社説、何だか「切れ不足」っていう感じがするのだが……

 元旦の新聞は分厚くてなかなか読み終わらない。全部読む必要はないのだが、どうしても全部のページを繰ってしまうので、時間がかかる。お屠蘇気分で読み始めると、案外まともなことが書いてあるので、居ずまいを正すこともある。というのも、各紙、元旦の社説は論説委員長が書いたり、と普段とは違った力を入れたものになっているからだ。本当はお屠蘇気分で読むのではなく、もう少し批判的に比較検討して読むべきなのだろうが、そんな気分的なゆとりもなく、気づいたことだけを書き留めておこう。

 「人間」をキーワードに大きな絵図面を示そうと努力していたのが朝日新聞と東京新聞だった。

 朝日新聞は<混迷の中で考える 人間主役に大きな絵を>である。「100年に一度の津波」とグリーンスパン前FRB議長は言うが、たじろぐな、と言う。どうしてか、と言えば日本は過去1世紀半近い間にそれこそ国がひっくり返る危機に2度も直面し、克服してきたからだ、というのだ。福沢諭吉の「一身にして二生を経るがごとし」の言葉を引用し封建の世と明治の文明開化を生きた先達に思いを馳せながら、軍国主義日本が滅び民主主義の申請日本を築いたのがわずか60年余り前だ、と思い起こさせる。「いずれの場合も、私たちは大規模な変革を通して危機を乗り越えた」と。そして、今直面している複合的な危機の克服は、

 <もういちど日本を作り直すくらいの大仕事になる。しかも、黒船や敗戦といった外からの力によることなく、みずから知恵と力で、この荷を背負わなければならない。>

 という。そして、

 <国民が望んでいるのは小手先の雇用や景気対策を超えた大胆なビジョンと、それを実行する政治の力だ。…将来を見据えた国づくりに集中して資源を投下し、雇用も創出する。そうしたたくましい政治が要るのだ。>

 として、

 <冷戦後の20年間、バブルの絶頂からこの不穏な年明けまで翻弄され続けた日本。有権者の視線はかつてなく厳しいはずだ。>

 でしめている。どっちにしろ9月までには解散・総選挙が来る。その時に、小さな政策ではなく、このように大胆な「転換」「を政党は示しなさい、という意味である。その政策の依って立つ土台を「人間尊重」に置け、と言っている。まあ、当たり前のことしか言っていないのだが、元旦だから、今までの主張を総括したのか。パンチはなかった。

 もう少しお勉強チックだったのが東京新聞<人間社会を再構築しよう 年のはじめに考える>だった。全労働者の3分の1の1700万人が非正規雇用、年収200万円以下の働く貧困層が1000万人。厚生労働省の昨年暮れの調査ではことし3月までに非正規労働の8万5000人が失職か失職見込み。わずか1カ月前の調査に比べ5万5000人も増え、歯止めがかからない、と暗い数字を並べて、ではどうしたらいいか、を考えるのだ。

 神野直彦・東大大学院経済学研究科・経済学部教授の「『希望の島』への改革」(NHKブックス)でスウェーデンの実践をモデルケースとして示している、として紹介している。神野氏は現在は重化学工業の時代が終わり情報・知識産業を基軸とした21世紀の新しい時代が始まろうとしている産業構造の大変革期で混迷と混乱の世紀転換期で、この「歴史の峠」は競争社会では越えられず、協力社会を築くことでやっと切り抜けられる、と主張している、という。希望の協力社会とは利他的行為が結局は自己の利益になるという協力の原理と思想が埋め込まれた社会だそうだ。神野氏は財政再建と景気回復の課題に挑み「ストロングウェルフェア(強力福祉)」を実現したスウェーデンに日本の未来を重ねているそうだ。人間の絆、愛情、思いやり、連帯感、相互理解が重んじられ生きていける社会だという。

 そして、激烈競争のグローバル世界で高福祉高負担国家が可能なのかどうか、は藤井威元駐スウェーデン大使が中央公論1月号「スウェーデン型社会という解答」で、日本の一般的な受け止め方には全く根拠がなく、適度な高負担を伴う高福祉システムの実現こそ最も望ましいと考えるに至った理由を詳述している、という。つまり、スウェーデン国民の税・社会保険負担(国民負担)は所得の7割にのぼるが、民主化された地方自治体が提供する親切安心充実の育児、教育、介護サービスは負担の重さを感じさせない。国民の需要は教師、介護士、保育士などの新たな雇用創出となり、失業や景気対策、地方間格差解消とさまざまな効果で国を元気づけているというのだ。そして、東京新聞社説は、

 <日本はどんな社会をめざすべきか。宗教や歴史、政府への信頼の度合いもあるでしょうがスウェーデン型は検討に値します。日本もまた結いの心や惻隠の情、相互扶助の文化と歴史の国だからです。>

 と言っている。2006年7月、OECDは日本が異様な格差社会で、母子家庭で悲惨さは先進国中最悪などと指摘した、という。企業が日本型経営を捨てた後、政府の小さな所得再配分機能だけが残った結果だった、と社説は言う。この社説も結論は同じだ。

 <「人間社会」の再構築は急務でわれわれも一歩を踏み出すべきです。そのためにはどんな社会をめざすのか、政治に何を求めるのか意思表示と政治への監視と参加がいります。>

 である。まあ、一般論で言えばそういうことでしょう。ただ、スウェーデン型社会は日本には向かないと僕は思っているのだが。

 毎日新聞は<09年チェンジ/日本版「緑のニューディール」を/環境の先導で成長を図れ>と「グリーン・ニューディール」をオバマノミクス(オバマ大統領の経済政策)の柱とするアメリカの向こうを張って環境先進国になれ、とすすめる。というのは、

 <時代は大きく転換しようとしている。米国発の世界不況が明らかにしたのは、実は資源・エネルギーの大量消費を前提とする成長モデルの破綻である。世界はそれに代わる新しい成長モデルを求めている。>

 ので、各国を上回る規模とスピードで環境革命を起こせ、というのだ。アメリカは10年で中東石油への依存を断ち切るために総額1500億㌦を投資、再生可能エネルギーの開発・不朽を推進し、これによって500万人の新規雇用創出を見込む。李明博大統領の韓国も「グリーン・グロース」(環境成長)戦略を掲げているそうだ。

 そして、社説は実用段階の太陽光発電と次世代自動車を飛躍的に普及させることを提案する。2兆円の定額給付金を中止してそれを太陽光発電に回し、学校には全国くまなく設置すればいい、という。太陽光発電の余剰電力を今よりも高く電力会社が買い取り、10年程度でもとがとれる制度にすれないい、という。自動車はすべての公用車をハイブリッドや電気自動車にする、と。このようなことを書いてはいるが、最後の結びは同じになる。

 <日本には資金もあれば知恵もある。しかし、政治が明快なビジョンと強いリーダーシップを欠いている。年頭に当たって、改めて早期に衆院を解散し総選挙を行うよう求めたい。新たな民意を得た政権が、日本版「緑のニューディール」に丈高く取り組むことを切望する。>

 である。やっぱり、麻生政権ではない政権にやらせようというのだ。結論は同じだった。

 毎日新聞は元旦に相当に力瘤を入れたのか、1面に菊池哲郎主筆の<人に優しい社会を>の論文も掲載してあった。朝日新聞、東京新聞の「人間」路線と同じである。

 1500兆円の個人金融資産に象徴される世界に冠たる資産と技術と経験をフル活用することが日本の世界に対する義務だ、という。2兆円のばらまきをやめて、全額投入してがん治療特効薬を開発する、次の産業である航空機開発や介護用ロボットを完成する、アジアの学術の中心都市を作るなどの有効なお金の使い方をしてくれ、と要望している。それによって生き甲斐を保証する雇用を創出して社会の安定をもたらすことが政治の基本中の基本だ、と。

 何しろ政治家が信用されていないのが一番の問題だから、全面的に底辺に横たわる政治家不信をまず払拭することが、多方面で求められる安心感の基本だ、と。結論は、

 <政治の最終目標は人に優しい経済社会を作ることです。それが今回アメリカ的価値観の崩壊からわれわれが学んだ教訓です。久々にみんなで新しい挑戦を始めようではありませんか。>

 である。何を言っているのか、よく分からない。総選挙で政権交代させよ、と言っているのか? それならばそれで、もう少し分かりやすく書いてほしい。政治家不信を払拭することなど金輪際できないのだ。それがどうして分からないのだろう? 政治かも人間なのだから、悪いこともする。利益誘導もするだろうし、たまにはセクハラもするかもしれない。だけど、政治家はそんなことよりも結果で判断すべきでないか。田中角栄が妾に事務所を任せておいて、家族と不仲になろうが、日本をいい方向に導けばいいのではないか。あまりに政治倫理ばかり強調すると、リクルート事件で総理候補がいなくなったように、日本の政治が壊れてしまうだろう。三木武吉の時代ではないから妾の人数で自慢しなくてもいいが、そういう骨太の考えがあったから、昔の政治記者は臍下の話を新聞に書かなかった。

 今はテレビのワイドショーや週刊紙が面白おかしく報じるから、有権者は知ってしまうだろうが、有権者が成熟すべきだと思う。所詮人間なのだから、欠点もある。その欠点を許容できるかどうか、もっと大きな希望を与えてくれそうな政治家なのかどうか、を判断するのは有権者だ。政治家への信頼の喪失などというパターン化した言語は見たくない、と思う。

 読売新聞社説<危機に欠かせぬ機動的対応/政治の態勢立て直しを>は面白くなかった。毎日新聞の菊池論文と同じように、日本の強みは1467兆円もの個人金融資産があることだ、として、このうち150兆円から170兆円が平均的な個人のライフサイクルから見て「余剰貯蓄」といえる、とNIRA試算をあげている。日銀はタンス預金だけでも30兆円、投資や利殖より安全を志向する当座・普通預貯金としてほぼ眠っている資金が120兆円ある、と見ているそうだ。こうした「眠れる資金」を有効活用して成長産業に振り向けるのが大きな政策課題だ、という。

 読売新聞の社説が面白くないのは麻生政権に早期解散を求めるスタンスではないからだ。何とか支えようとするから、論理的に矛盾をきたす。政治関連では小見出しが<「党益より国益」を>だ。何を遠慮しているのだろう。読売新聞世論調査でも麻生内閣支持率はせいぜい20%だったではないか。早期退陣要求をして、解散すべきだ、と書けないのか。そこがすべてだと思う。

 日経新聞社説は<危機と政府① 賢く時に大胆に、でも基本は市場信ぜよ>。迷っているなぁ、と思う。市場原理主義が否定され、規制の必要性が声高に言われているが、日経は一貫して規制緩和を支持している。小泉構造改革路線の応援団である。だから、今回も世界各国の金融危機対応策はあくまで「大胆に、しかし一時的に」だとして、自民党と役人の権限強化のためのバラマキが構造的にならないように念を押している。

 これは正論だと思う。日本人は極端にふれるから、規制緩和が必要だといえば、労働の規制緩和までしてしまうし、だめだ、となれば、本来は緩和すべき規制を残そうとする。判断能力がないのだ。だから、日経のように個別の問題におりてきて、規制の必要なもの、必要ないものを識別する態度は日本では必要なことだと思うのだ。特に、

 <医療、農業、教育、運輸など成長につながる多くの分野で、民間の力をいかすための改革が足踏みしている。この歩みはさらに遅れるのだろうか。>

 という危機意識は共有したい。緩和してはならないのは「人」に関する規制なので、経済的な規制はどんどん緩和すべきなのだ。ずるい役人に騙されるとろくなことはない。

 産経新聞は元旦の新聞から社説(産経の場合は「主張」)がなくなってしまった。1面に皿木喜久論説委員長の<年頭に:日本人の「流儀」にこそ活路>の社説っぽい論文が掲載されていた。社説の代替品だろうが、何を言っているのか分からないような論文だったので、コメントは差し控える。

 全紙見ても「何かなぁ」という感じだった。パッとしたものがない、というか、こんなもんなのだろう、というか、何か切れがない。もぞもぞしている感じだ。

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2008年12月31日 (水)

秋葉原事件と永山事件の共通点と相違点~見田宗介氏インタビュー(08年12月31日朝日新聞朝刊)

 朝日新聞12月31日朝刊3面[あしたを考える]に社会学者、見田宗介・東大名誉教授(71)のインタビューが掲載されていた。6月に秋葉原で起きた無差別殺傷事件の加藤智大被告(犯行当時25歳)と1968年に連続射殺事件を起こした永山則夫(当時19歳)の比較をして、現代を分析した論考だ。聞き手は四ノ原恒憲編集委員。

 見田宗介(みた・むねすけ)氏は東大教授から08年3月までは共立女子大教授。永山の事件を分析した73年発表の論考「まなざしの地獄」が今年書籍化されたそうだ。「現代社会の理論」「社会学入門」「気流の鳴る音」(真木悠介のペンネームで発表)などがある、とあったが、見田氏の著作は多い。僕も新書を何冊か持っている。

 見田氏は、

 <後から見れば、今年が戦後日本に何回かあった大きな転換点の一つになっているのでは、と考えています。そんな時代の問題点を、秋葉原の事件が鋭く表わしています。>

 と語り始める。見田氏が分析した1968年の永山事件の永山則夫と今回の加藤被告の共通点と相違点が面白い。以下、見田氏の分析のポイントを書いておこう。

 共通点は共に青森県出身の若者が東京で事件を起こしたこと。永山は中卒の集団就職で東京に来た。加藤も途中からアルバイト、派遣社員とそれぞれも時代の最底辺の労働を担っていた。当然、そこには貧困や差別、階級構造の問題がある。もっと重要なことは事件の核心がそんな問題にないことだ。貧困から逃れるのならば強盗も考えられるし、差別ならばある種の反体制行動もあるが、二つの事件は共に動機がとても分かりづらい。

 この分かりにくさがポイント。犯罪の核に「実存的」な生き方というか、アイデンティティーの問題が潜んでいる。だから、今回の事件の残酷さにもかかわらず、貧困層だけでなく若い正社員や大学生らからある種の共感がネットなどに寄せられたのだと思う。

 では決定的な違いは何か、というと「実存的」な核の中身が正反対だ。一つは未来の消滅だ。永山の場合、希望に胸を膨らませて上京してきた。東京での挫折の結果、次にアメリカに密航しようとして米軍基地に侵入するが、密航の夢は果たせず、犯行につながった。何か未来へのあこがれがあって、その可能性が遮断された瞬間に犯罪が起きる。永山は例外ではなく、1970年代くらいまでの若者のほとんどは中身様々だが今よりも素晴らしい未来があるということは前提になっていた。

 ところが加藤の場合は東京への憧れは最初から持っていない。「とりあえず安定した生活を」とアルバイトや派遣社員で国内を転々とした後、静岡で働いていて人々の注目を集める場所として東京を犯行場所に選んだだけだ。僕のゼミの学生の話をずっと聞いていても、夢や未来に対する想像力のスケールがどんどんしぼんで、現実的になっている。今、素晴らしい未来が必ず来ると思っている若者はほとんどいないのではないか。

 もう一つの違いは人々の「まなざし」だ。中卒、貧困家庭出身、青森弁など永山は世間の人々の「まなざし」が鳥もちのように纏わり付き、自由に生きることを許さなかったことに苦しんだ。ところが加藤の場合は反対で、いわば「まなざし」の不在の地獄だった。ネットにも書いているが、これまで自分は誰からも必要とされなかったと思い込む。犯行予告をしても誰からも相手にされない。「まなざし」の不在に耐え切れずに結局、加藤にとって一番注目されると思う秋葉原で犯行を通じて「僕はここに居るんだ」と叫ぶしかなかった。

 無視していじめる、という意味で「シカト」という言葉が広く世間で使われ始めたのが80年代からだと思うが、いまや日常語として定着してしまった。文学では当時、村上春樹が小説の中で「空気が薄い」という言葉を使っていた。

 大きく言うと「空気」が「濃い時代」と「薄い時代」がある。「濃い」というのは人と人の関係の中で愛情であれ関心であれ憎しみや干渉にしても他者との間に交わされる関心というか「気」が濃厚だという意味だ。そういう意味では永山の「濃い時代」から、現代は「薄い時代」にすっかり変わってしまったことを加藤の事件がよく表わしている。

 どちらがいい、というわけではないが、日本は戦前の「共同体」や戦時体制のような濃すぎる社会から戦後の近代化を経てだんだん薄くなってきたのだが、その結果、現代は「薄くなりすぎた」という問題が出てきた、ということだろう。

 僕はこれまで日本の戦後を

①敗戦から60年ごろまで…人々が「理想」に生きようとした「理想の時代」

②高度成長が完成した70年代前半までを「夢の時代」

③ポスト高度成長期の90年代前半までを、もうリアリティを愛さない「虚構の時代」

 と分析してきた。その後は何の時代か、とよく聞かれたが、

④「バーチャル(仮想)の時代」

 だと考えている。「虚構」という言葉には基本的にどこか否定的なイメージが付き纏っているが、「バーチャル」には何か「新しさ」というポジティブなイメージがある。電子メディアの発達で古典的な現実なんてものにとってかわって、バーチャルな世界だけで人間は幸せにやっていけるんだ、と多くの人々は思い込み、虚構に居直った時代、という意味だ。

 そういう視点から加藤がネットの中で自分と反対の立場にいて「敵」と考えた存在を「リア充」と呼んだことに興味を覚えた。生活や人間関係の「リアリティーが充実している人たち」の意味だ。敵は理想の裏返しでもある。加藤の犯罪は大変、この国に多い若者のリストカットと似ていると思った。腕を切ること自体の痛みや血が流れることで、生のリアリティーを得ようとする。共にリアリティーへの飢えでリストカットは自らの内側に向けられた無差別殺人なのかもしれない。

 そういう意味では「薄くなりすぎ」また、仮想世界に居直った「バーチャルな時代」の中で、リアリティーというか、古典的な現実への飢えがこの国に充満し始めたことが明らかになり、「バーチャルな時代」が臨界点に達したことを加藤の事件は象徴している。

 出口はあるのか、だが、例えば旅行会社の話で、最近の若い人たちはただの観光ツアーには興味はないが、現地の人の役に立つような活動が入ると人が集まるという。これも同じリアリティーの飢えだだ、人を殺したり自分を傷つけたりするのとは別の仕方で生きるリアリティーを充実する仕方を青年たちが見つけることができれば、もう一つ新しい時代が開かれると思う。

 以上がほぼ全文である。

 見田氏はじっくり考えているようだ。見田氏のような大きな輪郭で秋葉原事件を分析することが必要だ、と思う。永山死刑囚の死刑は1997年に執行された。もう11年前になるが、その名前は長く残る。不名誉な残り方だが、それは集団就職列車の記憶を伴った残り方で、言ってみれば「三丁目の夕陽」がプラスの面、永山がマイナスの面を象徴しているとも言える。必ずプラスの面もあればマイナスもある。

 その意味で加藤の事件は永山の事件ように記憶されないのだろうと思う。何年かたてば皆忘れ果てるのではないか。見田氏はネットで共感した若者が居た、と書いているが、それはごく一部だと思う。加藤は馬鹿だ、もう少し違った方法で生きたり死んだりできたのではないか、と思っている若者の方が圧倒的に多いと思う。

 空気の薄さは大問題だろう。この問題には今は立ち入らずにおく。

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2008年12月24日 (水)

秋葉原「心の闇」事件の遠因はニュースピーク、という鹿島茂氏のご託宣~12月24日毎日新聞朝刊から

 毎日新聞12月24日朝刊[引用句辞典 不朽版]で鹿島茂氏(仏文学者)は<ニュースピーク>を取り上げていた。「ニュースピーク」とは、知る人ぞ知るジョージ・オーウェルの近未来SF小説「1984年」の全体主義社会で住民たちが話す言葉である。と言ってもよく分からないので、もう少し作品そのものを説明しておかなければならないだろう。

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8) 1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

著者:ジョージ・オーウェル,新庄 哲夫,George Orwell
販売元:早川書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 となれば、やっぱりウィキペディアの出番だ。少し長めに引用する。(以下ウィキの引用を少し書き直したもの)

 <トマス・モア『ユートピア』、スウィフト『ガリヴァー旅行記』、ザミャーチン『われら』、ハクスリー『すばらしい新世界』などのディストピア(反ユートピア)小説の系譜を引く。スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描く。「1984年」は執筆された1948年の4と8を入れ替えたアナグラムで、当時の世界情勢そのものへの危惧を暗に示した。出版当初から冷戦下の英米で爆発的に売れ、同じ著者の『動物農場』やケストラーの『真昼の闇黒』などとともに反全体主義思想のバイブルとなった。あらゆる形態の管理社会を痛烈に批判した本作のアクチュアリティは、コンピュータによる個人情報の管理システムが整備されつつある現代においても、その輝きを全く失ってはいない。>

 <1950年代発生の核戦争を経て1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国が分割統治。紛争地域をめぐる戦争が絶えない。作品の舞台であるオセアニアでは思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビで屋内・屋外のほぼすべての行動を当局に監視されている。>

 <ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミス(39)は妻キャサリンとは別居中。真理省記録局の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した真理省創作局の同僚で青年反セックス連盟の活動員、ジューリア(26)から手紙で告白され、出会いを重ね、黒髪のグラマラスな女性と愛し合う。また、下町のチャリントン(63)の古物商店で隠れ家を提供されるが、実は年齢も60歳代ではなく、秘密警察の隊員だったが、ウィンストンは隠れ家でジューリアと過ごした。ウインストンは夢に度々出てくる真理省党内局の高級官僚の1人、オブライエンを自分の味方で話が分かる男と思い込み、現体制への疑問を告白。オブライエンは秘密結社『兄弟同盟』の一員であると名乗り、 エマニュエル・ゴールドスタイン(レフ・トロツキーがモデルでトロツキーの本名はブロンシュタイン)の禁書を渡すが、実はオブライエンはオセアニアの指導者、偉大なる兄弟(ビッグ・ブラザー=ヨシフ・スターリンがモデル)によって率いられる唯一の政党「党」に忠誠を尽くす男で、ウィンストンを騙す嘘だった。思わぬ人物の密告からこうした行為が明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、オブライエンによる尋問と拷問を受ける。彼は「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、心から党を愛しながら処刑(銃殺)される。>

 <オセアニアは旧アメリカ合衆国をもとに、南北アメリカおよび旧イギリス、アフリカ南部、オーストラリア南部(かつての英語圏を中心とする地域)を領有する。他の超大国はソ連をもとに欧州大陸からロシア極東にかけて広がるユーラシア(イデオロギーは「ネオ=ボリシェビキズム」)、旧中国や日本を中心に東アジアを領有するイースタシア(イデオロギーは「死の崇拝」あるいは「個の滅却」)。どの国も一党独裁体制であり、イデオロギーにもそれほど違いは無い。これら3大国は絶えず同盟を結んだり敵対しながら戦争を続けている。表向きは、各国とも世界支配のため他の大国を滅ぼすべく戦っているが、実際は世界を分割する3大国が結託し、労働力を浪費して富の増加による階級社会の不安定化や崩壊を防ぎ、支配と権力を半永久的に維持するために行っている永久戦争。3大国はどれも戦争で滅ぼすことは不可能である(オセアニアは海に守られているため、ユーラシアは国土が広大であるため、イースタシアは人口が多く勤勉であるため)。 北アフリカから中東、インド、東南アジア、北オーストラリア一帯は3大国が半永久的に争奪戦を繰り広げる紛争地域。>

 <「偉大なる兄弟」は国民が敬愛すべき対象であり、町中の到る所に「偉大なる兄弟があなたを見守っている」 (BIG BROTHER IS WATCHING YOU) という言葉とともに彼の写真が張られているが、正体は謎に包まれ実在すら定かでない。党の最大の敵は「人民の敵」ゴールドスタインで、国民は毎日、テレスクリーンを通して彼に対する「2分間憎悪」を行い、彼に対する憎しみを駆り立てる。テレスクリーンの登場により、全国民は党の監視下に置かれ、私的生活は存在しなくなっている。>

 <党のイデオロギーはイングソック(IngSoc、Ingland Socialism、つまりイングランド社会主義の略)と呼ばれる一種の社会主義。核戦争後の混乱の中、社会主義革命を通じて成立したようだが、誰がどのような経緯で革命を起こしたのかは、忘却や歴史の改竄により明らかではない。エマニュエル・ゴールドスタインのパンフレットによれば、そのイデオロギーの正体は「寡頭制的集産主義」とでも呼ぶべきもので、「社会主義の基礎となる原理をすべて否定し、それを社会主義の名の下におこなう」ことであるらしい。もとは社会主義運動の中から発したが、現在は中層階級が下層階級を味方につけて上層階級を倒す事態を永久に防ぎ、非自由と不平等を恒久的なものにすることを目的としている。>

 <党には中枢の党内局(inner party)と一般党員の党外局(outer party)がある。党内局員は黒いオーバーオールを着用し、貴族制的な支配階級(上層階級)で、世襲でなく能力によって選ばれ、テレスクリーンを消すことができる特権すらある。党外局員は青いオーバーオールを着る中間層(中層階級)で、党や政府の実務の大半をこなす官僚たち。党に関わりを持たない人々はプロレ(the proles、プロレタリア)と呼ばれ、人口の大半を占める被支配階級(下層階級)の労働者たち。娯楽(酒、ギャンブル、スポーツ、セックス、ほか「プロレフィード(Prolefeed)」と呼ばれる人畜無害な小説や映画、音楽など)がふんだんに提供されている。>

 <「戦争は平和である(WAR IS PEACE)」「自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)」「無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)」という党の三つのスローガンが至る所に表示されている。>

 <ニュースピーク (Newspeak、新語法)とは思考の単純化と思想犯罪の予防を目的として、英語を簡素化して成立した新語法。すべての言葉は意図的に政治的・思想的な意味を持たないようにされ、この言語が普及した暁には反政府的な思想を書き表す方法が存在しなくなる。ニュースピークは現代英語を必要最小限にまで簡略化することを目指し、現在では別々の言葉が似たような意味を持つという理由で統合され名詞や動詞の区別も接尾語により変化する。たとえばthought(思想[名詞])はニュースピークの文法ではthink(考える[動詞])で代用でき、speed(速さ[名詞])に形容詞をあらわす-fulや副詞をあらわす-wiseを加えることでそれぞれの品詞に自在に変化する。badをあらわすにはgoodに否定の接頭語un-をつけたungoodでこと足り、強意表現はplus-,doubleplus-といった接頭語をつけることで表現される。また、Minipaxなどのように略語を極端に採用しているが、これによって本来の語源を考えることなく、全く自動的に単語を話すことができる(これにはかつてソ連が「コミンテルン」などのような略語を多用したことの影響がある)。>

 <新語法(ニュースピーク)辞典が改定されるたびに語彙は減るとされている。それにあわせシェークスピアなどの過去の文学作品も書き改められる作業が進められている。改訂の過程で、すべての作品は政府によって都合よく書き換えられ、原形を失う。freeの意味も「free from ~」の意味しか残らず「政治的自由」「個人的自由」の意味は消滅しているなど変化しており、原文の意味を保って自由や平等を謳う政治宣言などをニュースピークに翻訳することは不可能になる。なお、ニュースピークという言葉自体が既にニュースピークである。本来、speakという単語に名詞としての用法は無い。>

 <ダブルシンク(doublethink、二重思考)とは1人の人間が矛盾した二つの信念を同時に持ち、同時に受け入れることができるという、オセアニア国民に要求される思考能力。現実認識を自己規制により操作された状態でもある。過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する。政府が過去を改竄し続けているのは、党員が過去と現在を比べることを防ぐため、そして何よりも党の言うことが現実よりも正しいことを保証するためである。党員は党の主張や党の作った記録を信じなければならず、矛盾があった時は「犯罪中止」により誤謬を見抜かないようにし、万一誤謬に気づいても「二重思考」で自分の記憶や精神の方を改変し、党の言うほうが正しいということを認識しなければならない。>

 <「古代の専制者は命じた。汝、するなかれと。全体主義者は命じた。汝、すべしと。我々は命じる、汝、かくなり、と」。オブライエンの言によれば、かつて専制国家は人々に対しさまざまなことを禁止していた。ソ連などは人々に理想を押し付けようとした。現在のオセアニアでは人々はニュースピークやダブルシンクを通じ認識が操作されるため、禁止や命令をされる前に、すでに党の理想どおりの考えを持ってしまっている。党の考えに反した者も、最終的には自由意思で屈服し、心から党を愛し、党に逆らったことを心から後悔しながら処刑される。>

 <「2足す2は5である」(2+2=5、Two plus two makes five)というフレーズはこの小説を象徴するフレーズの一つ。スミスは当初、党が精神や思考、個人の経験や客観的事実まで支配するということに嫌悪を感じて(「おしまいには党が2足す2は5だと発表すれば、自分もそれを信じざるを得なくなるのだろう」)自分のノートに「自由とは、2足す2は4だと言える自由だ。それが認められるなら、他のこともすべて認められる」と書く。後に愛情省でオブライエンに二重思考の必要性を説かれ拷問を受け、最終的にはスミスも犯罪中止と二重思考を使い、「2足す2は5である、もしくは3にも、同時に4と5にもなりうる」ということを信じ込むことができるようになる。>

 <ダブルスピーク(doublespeak、二重語法)とは矛盾した二つのことを同時に言い表す表現。「戦争は平和」・「真理省」のように、例えば自由や平和を表す表の意味を持つ単語で暴力的な裏の内容を表し、さらにそれを使う者が表の意味を自然に信じて自己洗脳してしまうような語法。他者とのコミュニケーションをとることを装いながら、実際にはまったくコミュニケーションをとることを目的としない言葉。実は作品には登場しない用語であるが、初版発刊後の1950年代に発生し一般化した言葉で、しばしば作品由来と考えられている。ニュースピークのB群語彙の定義におおむね影響を受けている。また、現実にある政策や婉曲話法などを批判的に言及する際に「二重語法」という言葉を使うことがある。たとえば事業の再構築を意味するリストラクチャリング(リストラ)を単に「従業員の大規模解雇」の意味に使用するなど。>

 という「1984年」をベースにした話である。

 見出しは<言葉の簡体化が導いた「心の闇」の大量発生>。

 毎日新聞コラムの鹿島氏の言説をほぼ全文引き写しながら、コメントを加えてみる。

 以下が本文である。

 <全体主義社会では、住民たちはニュースピークと呼ばれる簡易言語を話すようになるというエピソードがあったと思う。語彙の少ない簡易な表現ですべてコミュニケーションが成り立ってしまうのである。>

 として、

 <この未来予測は、少なくとも日本にかんする限り、見事に当たった。「ムカつく」「感動した」「泣ける」「KY(空気読めない)」etc。まさにニュースピークそのものである。それどころか、ニュースピークの首相まで現れ、マスコミでもニュースピーク派が多数派を占めるという状況が生まれてきている。全体主義社会ではないにもかかわず、である。>

 と小泉純一郎元首相の「ワンフレーズ・ポリティクス」を強烈に皮肉りながら、その小泉戦略に簡単に乗せられたマスコミ批判を繰り広げる。

 <では、なにゆえに、高度資本主義の社会で、このようなニュースピーク化現象が起きるのかと考えているときに、右の言葉に出合った。>

 右の言葉とは吉本隆明の次のフレーズである。

 <「社会が、ますます機能化と能率化を高度におしすすめてゆくとき、言葉は言葉の本質の内部では、ますます現実から背き、ますます現実からとおく疎遠になるという面をもつものであり、言語は機能化にむかえばむかうほど、この言語本質の内部での疎遠な面を無声化し、沈黙に似た重さをその背後に背負おうとする。つまり、コミュニケーションの機能であることを拒否しようとする」>(「自立の思想的拠点」徳間書店)

 鹿島氏が吉本説を解説する。

 <すなわち、社会が機能化と能率化を追求していくと、当然、言語もそれに伴って機能化・能率化する(つまりニュースピーク化する)わけだが、その一方で、個々の言葉は、現実から遠ざかるという指摘である。ソシュール理論のシニフィアン・シニフィエで言うと、シニフィアン(音声・文字記号)によって喚起されるシニフィエ(概念)の中で、その概念抽出のもとになる「現実」とのつながりが失われてしまっているということだ。吉本の言語理論なら、指示表示ばかりが前面に出て、自己表出が稀薄になることだ。>

 さあ、難しくなってきたぞ。でも、難しいのはここだけ。ぶっちゃけて言えば、どんどんと情報化が進めば、言葉が進化して、現実を表わさなくなる、ということではないか。

 <しかし、では、こうした現実から離れ、薄っぺらになったニュースピーク(機能化言語)を用いている人は、それによって、コミュニケーションがより円滑になっているのかといえば、そんなことはない。むしろ、逆であって、ニュースピークでは掬いきれずに残る感情と心理の余剰部分(自己表出部分)は、澱となって心の底に沈み、無声の言語、すなわち沈黙でしか表現できないものと化す。

 <その象徴が、殺人や傷害致死などの重大犯罪を犯して逮捕された少年・少女たちの口から漏れてくるあきれるような言葉の数々である。犯罪の動機というには、あまりにも幼稚で単純な言語! 「なぜ殺したのか?」「ムカついたから!」「なぜムカついたのか?」「無視されたから」「どのようなところで無視されたと感じたのか?」「わからない」これはつまり、「言語のコミュニケーション機能の拒否」である。>

 なるほど、やっぱりここに結び付けましたか。動機なき殺人、誰でもよかった、ムカついたから、などの供述を聞いても大人には理解できないから、何とか理解しようとして鹿島氏は言葉の面から切り込んだわけだ。

 <彼ら少年・少女(ときには中年・中女)はニュースピークを用いているからといって、感情や心の襞がないわけではないし、それを表出したいという願望がないわけではない(ニュースピークによるブログの繁盛を見よ)。ただ、困ったことに、ニュースピークでは、最も本質的な部分つまり、一番言いたいことが、沈黙という言語でしか語りえない構造になってしまっているのである。>

 分かりやすい。ここに持ってくるのに、ジョージ・オーウェルを使ったんですか。

 <なんというパラドックス。機能化・能率化を目指した社会は、機能化・能率化言語としてのニュースピークを生んだが、しかし、そのニュースピークは逆にコミュニケーション機能の喪失をもたらし、いわゆる、語りえない「心の闇」を大量発生させる結果となったのである。>

 この「心の闇」論。鹿島氏は半分おふざけで書いたかもしれないが、実際そういうことかもしれない、と思うのだ。語るべき言葉を持たない日本人たちが大量に生まれているのかもしれない。

 秋葉原事件をはじめとする殺伐とした事件を起こす容疑者たちの心は計り知れない。

 その心の中を語るべき言葉を持たないことが、逆に言えば問題の解決を妨げているのではないか、と思う。

 自分の頭の中でもいい、自分が何に対して怒っているのか、を言葉にして論理的に考えることができれば、突然噴き出す衝動的怒りの発作もある程度制御できるようになるだろう。

 その制御はオセアニアのビッグブラザーの洗脳によるダブルシンクではない。自分で紡ぎ出した言葉で自分で考えることで生み出させるものに違いない。

 ということは、テレビなどのステレオタイプ的言葉の押し付けがニュースピークの大き原因になっているのではないか、とも思えてくる。本当はテレビ、インターネットを含めた現代情報社会のありようだけでなく、家族制度や社会そのものの変化が原因なのだが、そこまで話を広げると収拾がつかなくなるので、とりあえず。

 <ところで、マルクスの指摘をまつまでもなく、言語のような上部構造は、経済という下部構造を、ある種の歪んだかたちで反映しているという。ならば、効率化・能率化を追い求めたあげくに自爆した経済を、これからの言語はどのようなかたちで反映することになるのだろうか? ニュースピークの解体だろうか、それともさらなるニュースピーク化の加速だろうか? こちらも予断を許さない状況になってきているようである。>

 なるほど、頭の切れる鹿島氏はそこまで言うか、と思う。なるほど、である。

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2008年12月21日 (日)

雇用に関する各社の社説比較~12月21日毎日新聞から

 毎日新聞の「社説ウオッチング」をコピペしておく。雇用の話である。12月17日、19日、20日の各紙社説の比較だが、結構違いが出てきている。見出しは<派遣法の見直しを――毎日◇「雇用対策法成立、今国会で」――朝日>である。

 <1年が早い。志位和夫・共産党委員長が衆院予算委員会で派遣労働者差別、雇用格差を追及、インターネット「2ちゃんねる」をはじめ若者から好意的な反響を受けたのは2月8日のこと、首相は福田康夫氏だった。9月に表面化した米金融危機があっという間に世界に広がり、「100年に一度」の不況が日本列島を襲い始めた。このままでは家と職を失ったまま越年する非正規労働者は相当数に上るという。志位氏が追及した時より、状況はさらに悪化している。>

 毎日新聞朝刊2面の山田孝男編集委員のコラムにもこの問題を取り上げていたことを思い出す。「蟹工船」がその後、ブームになったが、今年の最高の国会質問といえば、消えた年金問題を追及した民主党衆院議員か志位氏か、という争いになるくらいの立派な演説だったと思う。

 <志位質問を思い出させてくれたのが「労働者派遣法を抜本的に見直すことも緊急の課題だ」と書いた毎日社説(19日)だった。>

 <民主、社民、国民新の野党3党が共同提出した雇用対策関連法案が参院厚生労働委員会で可決されたが、与党の反対で成立の見通しが立たない現状について「野党3党案は与党案と重複した内容もある」「直ちに議論を始め、法案の成立を図ってもらいたい。生活ができないという失業者への生活支援金貸与や住宅対策はすぐにでも行うべきだ。雇用対策を来年の通常国会に先送りにしてはならない」と法案の年内成立を求めた。>

 この野党案は「成立しないことが分かっているのに、選挙目当てで出すのはけしからん」という声が自民党、公明党内だけでなく、「小沢嫌い」の有権者の間からも聞こえる。この法案採決時の混乱、いわゆる強行採決がいらぬ反発を呼んだことは間違いない。国会が機能していないから昔のようなシナリオを描いたきれいな国会運営というものがなくなった。スマートな姿は見ることができないが、おかげで政党間競争の実際の姿を見ることができる。国対政治というまやかしを剥ぎ取ってみれば、こんなものだろう。

 <この問題は朝日が17日に「法案に修正すべき点があるならば手直しして、会期末までに成立させるべきだ。政治は苦しむ国民を放置してはいけない」と書き、20日にも「大事なのは対策を実行に移すスピードであり、職を失った人々に早く手当てが届くことだ」と政府・与党の第2次補正先送り姿勢を批判していた。>

 朝日新聞の主張は参院での採決前だった。だから、強行採決という決着に、もう一度、話を繰り返す必要があったとみられる。

 <日経も19日「非正規労働者の失業保険の受給要件緩和や、再就職が困難な人への給付日数の延長など、与野党ともに必要と認め、かつ急がれる政策については今国会の会期内に審議を進められないものだろうか。国民の目線に立ちあらゆる可能性を探る必要がある」と求め、東京も「首相に決断を求めたい。評判の悪い定額給付金などを盛り込んだ二次補正のうち、雇用対策部分を取り出して今国会に提出することはできないものか。……与野党が雇用部分を速やかに処理する。それが政治の信頼回復への一歩である」と提案した。>

 <一方、産経は20日「より責めを負うべきは、政府の対応の遅れを浮き彫りにするねらいで法案を提出した民主党などだ。思惑を優先させ、話し合いを無視する民主党の対応は、共産党ですら批判している」と民主党批判に終始したが、小沢一郎・民主党代表からの党首会談呼びかけを麻生太郎首相が断ったことには触れずじまい。「与野党協議でより効果的な雇用対策の具体案をまとめることこそ、国会の責務ではないのか」とはいうものの他紙とニュアンスが違う。>

 産経新聞と読売新聞の立ち位置の変化はこれから、どう動くか定点観測するのも面白いだろう。というのは、麻生政権が3、4月までしか持たないだろうし、その後、総辞職というわけにはいかないだろうから、結局は衆院解散・総選挙となれば、今週刊誌などでしきりと喧伝されているように民主党中心の連立政権が誕生するのは間違いないだろうし、健康に気をつければ小沢一郎氏が強力な権力を持った首相として登場するだろう。その時、両紙が今の自民党よりの論調を貫くのか、民主に尻尾を振るのか。

 <毎日の19日社説は一歩踏み込んで「ハケン切り」の「元凶」である労働者派遣法の抜本見直しを求めた。「派遣法改正によって、04年に製造業派遣が解禁されて以降、もの作りの現場で正社員から派遣への切り替えが進んだ。しかし、不況となれば非正規社員は真っ先に解約され、ポイと捨てられた。非正規社員は『使い捨て』労働者だったことが、だれの目にも明らかになった」「製造業派遣の禁止や登録型派遣の是非をも含めて、派遣法を全面的に見直す時がきている」と提言したのだ。>

 <実は政府・自民党や財界でも雇用の規制緩和を見直す動きが始まっている。小泉純一郎首相時代の04年、労働者派遣法が改正され、製造業の派遣が解禁された。しかし、07年1月には安倍晋三首相が財界が求めた「ホワイトカラー・エグゼンプション(残業代ゼロ)」導入の労働基準法改正を非難の嵐の中で断念した。経済財政諮問会議や政府の規制改革会議がもくろんだ一層の労働規制緩和は抑え込まれた。逆に厚労省主導で最低賃金引き上げが行われるなど、労働規制緩和から強化へと「06年に潮目が変わった」(五十嵐仁・法政大学教授「労働再規制-反転の構図を読みとく」)という。>

 ここには書いていないが、五十嵐氏のこの本は面白い。審議会などを隠れ蓑に、オリックスの宮内義彦社長らがいかに暗躍したか、を学者の目で分析しているのだが、本によると宮内氏らは昔の財閥のような閨閥を作り始めているようでもある。何か「要注意」な人物たちが多いのだ。

 <日本経団連は昨年、賃上げ容認に転じたが、16日まとめた来年の春闘方針ではベア要求に答えなかった。雇用は「安定に努力」としたものの、具体策はなかった。労働分配率が6年連続で低下した中、連合は昨年の日本経団連の方針転換を受けて8年ぶりのベースアップ要求を目玉にしたが、深まる不況で「非正規社員は解雇し正社員だけ賃上げという構図に、違和感を覚える人も多いだろう」(読売)という国民感情も根強い。>

 連合も政治的センスゼロだなぁ。今のような行動をしていると、連合と日本経団連は共犯、といわれるだろう。

 <「全体の雇用を守ることで内需の崩壊をどう防ぐかが問われている」(朝日)、「労使も非正規労働者の解雇について条件や支援策に手を尽くすべきである」(日経)という意見が強まっている。本来は「政労使一体」での敏速な行動が今こそ求められるのだが、「機能マヒ」の麻生政権には何を言っても無駄なのだろうか。【紙面研究本部・長田達治】>

 と、まあ、サラッとではあるが、派遣労働の問題をある程度まとめてあったから、コピペしておく。そろそろ、いろいろな動きが出てくるだろう。年末を迎えるのだから。

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2008年12月 2日 (火)

森信茂樹教授の納税者番号導入提言と公務員の責任問題

 森信茂樹中央大学教授(58)が日経新聞12月2日[経済教室]で<求められる給付付き税額控除導入/「納税者番号」を前提に/社会保障と税一体で/勤労意欲と再配分を両立>のタイトルで今回の麻生政権の2兆円バラマキを批判、必要な世帯に行き渡るような政策を実行すべきだった、として、欧米で活用が進んでいる給付付き税額控除制度を導入するよう提言している。

 たしかに少子高齢化で国家資源が急減する中、貧困層など支援が必要な層に手厚く資源配分するには、今の縦割り行政を大胆に見直して内閣府などが社会保障も税も担当する必要があるのだろう。

 ただ、その時、森信氏も言うように納税者番号がないと効率的な行政はできない。というか、はっきり言って官庁は何もできなくなり、お手上げ状態になるだろう。所得の捕捉ができなければ減税もできず、給付の根拠も薄弱になるからだ。

 そこで古くて新しい「国民総背番号制」の問題が出てくる。

 「国家公務員は国家そのもの」(佐々木毅学習院大学教授)という矜持を持って行政運営に当たっている多くの公務員がいることは十分承知しているのだが、中には信用できない公務員もいるのは事実だ。そのうえ、社会保険事務所ぐるみの不正などが明らかになれば、公務員の信用はさらに地に落ちる。

 今のままの公務員に私たちのプライバシーを預けていいものか? と不安の念が生じるのはやむを得ないだろう。

 随分前の新聞だったが、住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)を合憲とした最高裁判決に関する各紙社説を比較した毎日新聞3月9日の社説ウオッチング<住基ネット判決 便利さと怖さの緊張感>が参考になる、と思う。

 「時代の要請にかなった」(産経)判決で「住基ネットを行政の効率化のためにもっと活用」(日経)し、政府・与党が導入を検討中の社会保障番号と「統合作業も進め」(産経)「議論を深め」(読売)「連携させ精度を高めることが新しい社会保障カードにも必要」(日経)というのが一般的な世論になりつつある、と書いている。

 住基ネットは自治体が管理する住民票情報をコンピューターで結ぶものだ。

 社説ウオッチングの内容をダイジェストする。.

 小渕恵三政権当時の1999年8月に住基ネット導入の改正住民基本台帳法が成立したが、日本弁護士連合会(日弁連)は参考人質疑で「住基ネットが定着すると住民票コードは各省庁や市町村が別々に保有する膨大な情報を集積する個人識別番号となり、国民総背番号制につながるおそれがある」と反対した。小渕首相は「個人情報保護法制の整備が住基ネット稼働の前提条件」と約束し、やっと改正法を成立させた。

 森喜朗政権は2001年3月、個人情報保護法案を閣議決定。政府・行政が持つ個人情報の使用統制から始まったはずの議論が民間の個人情報取扱事業者規制にすり替わり、報道の自由を脅かす内容となったため、猛反発を呼んだ。2001年4月就任の小泉純一郎首相は02年末に法案を廃案にした。しかし、01年9月の米同時テロと03年3月のイラク戦争開戦を受け、5月にはメディア規制部分を削除した新しい個人情報保護法が成立。6月には武力攻撃事態法など有事関連法も成立した。

 02年8月の住基ネット第1次稼働時に東京都杉並区、福島県矢祭町などが「住民のプライバシーが守れない」と不参加表明。個人情報保護法制の未整備が主な理由だったが、03年8月に住基ネットが本格稼働し、05年の個人情報保護法全面施行で政府は「住基ネットに反対する理由はなくなった」と主張した。

 しかし、大阪高裁は06年11月「防衛庁がかつて約800の自治体から自衛官にふさわしい人についての情報をもらっていたこと」(朝日)などを指摘、名寄せによる危険性にも着目、住基ネットに違憲判決を出した。

 一方、最高裁判決は①住基ネットの扱う情報は氏名、住所などで、個人の内面にかかわる秘匿性の高い情報ではない②住基ネットの仕組みに外部不正アクセスで情報が容易に漏えいする具体的危険はない③公務員による情報の目的外利用は懲戒処分や刑罰で禁止されている――として「プライバシー侵害の危険なし」と判断した。高裁判決前後も相次いだ住民票コードのネット大量流出や、他人になりすまして住基カードを不正取得し携帯電話の契約や銀行口座を開設するなどの不正行為は考慮されなかった。

 反対論の底にあるのは「自衛隊や刑務所、学校などでの情報流出があった。社会保険庁職員による年金記録ののぞき見もあった。公務員が不正利用をしないという保証はどこにもない」(東京)という公務員不信だ。だから「公務員に対しても個人情報保護について規定を強化」(毎日)することを求めている。

 そして、筆者は「情報化社会は便利だが、デジタルデータ化された個人情報は関門がなければバキュームのように国家に吸い上げられる。あれだけ個人情報を大切にする米国でも9.11後、国家が個人情報をやみくもに収集し、貧困層青年をイラクに送り込む資料にしたといわれる。便利に流されるのか、時にはやせ我慢をするのか、個人に覚悟を迫る時代である」と記事を結んでいた。

 3月の最高裁判決以降、年金記録問題が大きく燃え盛り、官僚不信が広がったが、逆にすべての情報をネットで結ぶ必要性も認識されてきたようにも見える。

 森信氏の言うことは正しいのだろう。

 ただ、今の公務員法のまま国民総背番号制を導入されてはたまらない、という国民の気分にも配慮してほしい、と思う。

 公務員は個人の責任を問われないのが一般的だ。公益に奉仕し、なおかつ上命下達の組織の中で動いているから、個人判断が問われることはない、という理屈らしい。

 しかし、一般企業がここ数年、コンプライアンスを重視し、社内統制も格段とレベルアップしているトレンドを知れば、公務員だけなぜそういう流れと無縁なのか、疑問が生じるだろう。

 公務員は個人責任を問われるべきだ。「天皇の官僚」だった明治憲法下の官僚制が敗戦後も生き残ったとしても、それを今こそ変革すべきではないか。

 その大変革は内閣の二つや三つが吹っ飛ぶ改革になるだろうから、大連立政権でも何でも強力な政治的リーダーシップを持った政権でなければ実行不可能だろう。

 その改革ができて初めて国民は総背番号制を受け入れると思うのだ。

 森信氏は朝日・日経・読売3紙が共同運営するネットの「あらたにす」で12月1日、「注目点満載の予算編成」という論文を掲載していた。

 人物紹介には、1950年広島県生まれ。73年京都大学法学部卒業後、大蔵省入省。英国駐在大蔵省参事(国際金融情報センターロンドン所長)、主税局調査課長、税制第二課長、主税局総務課長などを経て、99年大阪大学法学研究科教授。2003年東京税関長、05年財務総合政策研究所長、06年中央大学法科大学院教授、07年ジャパン・タックス・インスティテュート(japantax.jp)所長、東京財団上席研究員。この間、東京大学法学部客員教授、コロンビア・ロースクール客員研究員を歴任した。主な著書に『抜本的税制改革と消費税』(大蔵財務協会)、『日本が生まれ変わる税制改革』(中公新書ラクレ)、『わが国所得税課税ベースの研究』(日本租税研究協会)、『日本の税制』など、とあった。

 大蔵官僚出身だが、広い視野で国民負担問題を考えている人のようだ。

 ここでは、麻生首相の「地方へ1兆円」発言の迷走ぶりを批判している。

 <そもそも来年度から道路特定財源制度はなくなるのだから、「そこから1兆円」というような思考方法自体がおかしい、ということに気が付いていない。一般財源化するということは、揮発油税収が消費税や所得税と同じく一般会計に入り歳入予算となり、別途全体のバランスを考えながら歳出使途を決めることになるわけだが、揮発油税収から1兆円を地方へ、という発想は、いまだ目的税・特定財源制度を前提とした発想だ。>

 というのはその通りだ。面白かったのは、

 <気になるのは、マスコミは地方(というか地方分権)に甘いことだ。今回の「地方の一般財源として1兆円交付する」ことが、なんとなく肯定的にとらえられているが、談合、裏金、汚職、機能しない地方議会等々地方の問題は国の比ではない。分権し地方自治体に任せたら、それだけでうまくいくというのは幻想だ。任せていくしかない(地方分権)のであれば、規律や監視を厳しくする制度を併せ導入していくべきだろう。>

 というくだりだ。厳しいマスメディア批判であるが、その通りだろう。メディア関係者はもう少し勉強しなければならない。

 消費税問題に触れて、少しだけ社会保障と税の問題に触れているが、スタンスがぶれないのはいい。ただ、森信氏のようなプロフェショナルにも公務員の責任問題が大きな国民的反発の原因になっていること、何らかの対策を取らなければ、いずれ変な場面で爆発しかねないことを認識していただきたいものだ。

(12月14日追記)森信先生、コメントいただきありがとうございました。なかなか難しいでしょうが、年金問題にしても医療問題にしても、会社から追い出された若い非正規労働者たちが泊まるあてもなく街にあふれる年末年始を想像すると、「今を逃すと改革の機会が遠のく」などというような、いつもの言葉では足りない切迫したものを感じます。子々孫々、日本人として誇りを持って生きられる希望あふれる社会システムの制度設計をよろしくお願いします。頑張ってください。

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2008年12月 1日 (月)

田母神論文と朝日新聞

 朝日新聞は田母神論文を真摯に受け止め、社内で相当討議を重ねているのではないか。歴史的事実が間違えている、とか、自衛隊の隊員教育という問題ではなく、2度ほどこのブログに書いたように「では守るべき国とは何か」という根本の問題である。

 12月1日朝刊オピニオン面の大型コラム[風考計]で若宮啓文コラムニストがズバリ<自衛隊の君へ/守るべき「いい国」とは何か>のタイトルで論考している内容を見て、そう思った。

 朝日新聞は田母神論文が明らかになって、時間を置かずに秦氏に論文の歴史的事実の解釈について逐条的に正誤を聞き、完膚なきまでに粉砕した。しかし、それでは2チャンネルをはじめとする若者はなかなか納得しなかったし、田母神氏本人も産経新聞インタビューで堂々と主張を繰り返している。

 「なぜなのだ?」と朝日新聞社内では驚きが広がったかもしれない。正論を書いたのに、これ以上することがあるか、というため息が聞こえるようだ。それでも気を取り直したのか、11月24日、25日朝刊3面で続けて[検証・前空幕長論文の底流]を掲載し、㊤<自衛隊内潜む疎外感/半世紀「評価足らぬ」鬱屈/旧日本軍と連続性意識/幹部教育に校長独自色/田母神氏、異例の新講義>で自衛隊員の心の闇に迫ろうとし、㊦<政界 共感が見え隠れ/批判の比重「立場が問題」/制服人事に目届かず/「負の歴史」全否定は不健全」西原正・前防衛大学校長に聞く>で政治と自衛隊のシビリアンコントロール問題の現状分析を行った。

 そして、12月1日の若宮コラムである。

 若宮氏の結論は明白である。歴史的事実が間違えている、こんな誇大妄想のような歴史解釈を日本の軍トップがしているのかと世界は驚き日本を猜疑心で見るようになるだろう、という趣旨である。

 ただ、そこに苦渋に満ちながら、「守るべき『いい国』とは何か」というタイトルにもしている問いに対する答えも書いてある。では、どう書いてあるのか。まず、

 <国を愛すればこその国防だというのはよく分かる。>

 と、田母神氏の「日本がいい国だと思えなかったら、誰が命がけで国を守れようか」という言葉に共感する自衛隊員がいることにたいしての回答。若宮氏はそこで奇抜な論法を取る。2006年6月の天皇記者会見を引用したのだ。

 <日本では1930年から6年間に要人襲撃が相次いで首相と首相経験者の計4人が殺され、この時期に政党内閣が終わって言論の自由も失われた。そう指摘した天皇は「先の大戦に先立ち、このような時代があったことを多くの日本人が心にとどめ、そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていくことを信じています」と語ったのです。>

 という部分だ。この天皇発言に誰も異存はないだろう。よほどの軍国主義者でもない限り、5.15事件、2.26事件や桜会事件、血盟団事件のようなテロが横行する社会は二度とごめんだ、と思っている。これは常識なのだと思うのだが、頭のいい若宮氏は、こう続ける。

 <要人襲撃とは、軍人が起こした5.15事件や2.26事件などのこと。満州事変から発展した日中戦争や太平洋戦争も、こうした流れの上に行われたことを忘れまい、という自戒の言でしょう。>

 いつのまにか論点は誰もが納得するテロ問題ではなく、満州事変、日中戦争にうつっているのだ。そして、

 <天皇が日本を愛していないわけがない。かけがえのない国だと思えばこその痛恨の思いが見て取れます。田母神氏は、こうした軍人のテロやクーデターも外国の罠だったというのでしょうか。>

 この論点移動の巧みさは称賛してもいいだろうと思うのだが、決して論理的ではない。大体、軍人テロというが、2.26事件の思想的背景は北一輝であり、農本主義であり、その背景には政治の失敗で飢えた農民を頻出した東北地方などの悲劇があった。世界恐慌と金解禁問題など、日本の政党政治の失敗が社会不安を呼んだことも事実だったのだ。

 5.15事件、2.26事件についてこれ以上ここでは語らないが、天皇のテロル反対という言葉をここまで引っ張ってきて、田母神氏の歴史認識と対比する、というのは、「守るべき国とは何か」という田母神氏の問題提起に答えているように見えて、いつの間にか田母神氏の歴史認識批判になってしまっているのではないか。

 私は前にこのブログで2度ほど書いたように、田母神氏の歴史認識が幼稚で、陰謀史観、謀略史観に毒されたものだと思うから、この部分は別に天皇発言を引いてもらわなくとも、若宮氏の言う内容に賛成である。

 問題は「守るべき国」なのだが、天皇がかけがえのない国だと思えばこその痛恨の思いを表明したものだ、と若宮氏が受け取るのは勝手だが、それは個人の受けとり方の問題だろう。

 「かけがえのない国」とはどんな国なのか、その実体は何なのか、兵士が命を賭けてまで守るべき国とは何なのか、には若宮氏は答えていないのである。

 若宮氏は新聞の戦争責任にも触れながら、今の時代にそれを反省して紙面化していることをあげて、そういう検証作業の大切さを説く。この反省にも賛成だ。

 <いまの世にも問題は多く、腹の立つことばかりでも、戦争と弾圧の時代に比べれば余程よい社会に違いない。>

 と書いている。さらり、と書いているが、ここの部分が問題なのだと思う。「戦争と弾圧の時代」というが、いつからが「戦争と弾圧の時代」なのか、それは、日本人だけの責任なのか、誰の責任でいつ、どのようにそうなったのか、重大な問題なのに、このようにセンチメンタルに断定されても納得できない読者が多いのではないか。 

 たしかに敗戦直後には丸山真男氏ら「超国家主義思想」批判をはじめとして軍国主義批判が日本の論壇に跋扈し、「何でも軍人が悪い」という風潮が社会を支配したが、それだけではすまないのではないか、という再発掘の研究作業が近年進んでいる。そして、その中で軍に限らず、宮廷勢力や政治家の中でも責任をかぶるのを嫌がって占領軍の東京裁判にすべてを任せるという無責任な態度を取り、日本人の手による戦争責任明確化を避けてきたのは、それによって得する勢力の裏の働きがあったからではないか、という研究成果も出てきている。これは別に陰謀史観ではない。

 最近出た猪瀬直樹氏が1990年前後に行った対談をまとめた本の中で猪瀬氏や対談相手の江藤淳氏や高坂正尭氏らが言っているように、軍部が勝手に戦争を拡大したのではなく、新聞や本、小説で軍部の行動前に「日米もし戦わば」的なテーマが特集され、国民が熱狂したことが軍を突き動かした面が強くあったことも確かだ

 こういう様々な見方がある問題を勝手に断定して、その断定の上で論理を進める論理展開は信用できない、というのが一点。この断定の上で若宮氏は、

 <田母神氏は戦後50年の村山首相談話を目の敵にするけれど、反省すべきを反省し、謝罪もできる潔い国こそ、守るに値する「いい国」だと僕は信じます。>

 というのがこの大きな問いに対する若宮氏の答えである。反省して謝罪する国が「いい国」だ、と言うのだ。

 「謝罪すべきことは謝罪できる国」ならば国際社会に堂々と胸を張れるだろう、と私も思う。しかし、少なくとも「謝罪すべきではないことを謝罪している国」はみすぼらしいだけではないか。

 国際社会から「矜持もなければ、志もない国」と思われるのではないか。

 独断と偏見を言わせてもらえば、村山談話に縛られて、大きな発想ができなければ、21世紀の日本の生き残り策だって、縮こまった変なものしかできないだろう、と思うのだ。

 非核三原則が禁じる核兵器保有にしてもなぜオプションとして検討しないのか。検討すれば、現実的ではない、という結論が出るのは明らかなのに。

 また、米国や中国に上目遣いでお願いし、韓国や北朝鮮にいつも謝ってばかりいるよりも、大東亜共栄圏を考えた時代の思想潮流をもう一度検証し、アジア解放という理念が果たして当時の日本にあったのかどうか、有色人種の代表という視点があったのかどうか、きっちりと検証する中で、日本人の手でもう一度戦争責任を追及すべきだ、と思う。

 そこまでしなければ、抜本的な対策にはならないと思う。

 若宮氏のように逃げ腰で表面的な正義の論理を振りかざすだけで、自衛官というか軍人が「命を賭けて守るべき日本」を示しえた、と思っているのだろうか?

 朝日新聞が産経新聞と並んで田母神問題を追究し、問題解明に集中していることは非常にいいことだと思う。また、いろいろな言論が出ること自体、素晴らしいことだ、ということを大前提にしながら、以上を書いておきたい。

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2008年11月28日 (金)

米大統領の携帯メールは情報公開対象~朝日新聞11月28日朝刊国際面

 アメリカは徹底しているなぁ、と驚いた。朝日新聞11月28日朝刊国際面<携帯大好きオバマ氏、ピンチ/ホワイトハウス入り後/メール使用「can’t」?>という洒落た見出しのハコ記事。ニューヨークの真鍋弘樹特派員の記事だ。

 スマートフォン「ブラックベリー」を常に腰のベルトに装着し、暇があればメールをチェックしているオバマ氏がホワイトハウスに入るとメールが使えなくなる、という内容である。

 ハッキングされたり、電話機を紛失したりして外部に情報が漏れる恐れがあることに加え、アメリカでは法的に個人メールもすべて大統領の公式記録になるので、自由に削除もできず最終的には公開対象になるので、議会などの召還の対象にもなってしまう恐れがあるからだ、と書いてあった。

 このため、クリントン、ブッシュ両氏は大統領在職期間中、電子メールの使用を諦めていたという。オバマ氏も携帯を手放さざるを得なくなるのではないか、というのがもっぱらの見方だ、と結んであった。

 知らなかった。今、テレビドラマで少年ハッカー主演のドラマをやっているが、ハッカーはオバマ氏の携帯メールの中身までハッキングできる可能性があるらしい。

 ものすごい世の中になったんだな、と思う。

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2008年11月26日 (水)

デジタル情報が消えてしまう危機~日経新聞11月26日夕刊・青柳正規氏

 日経新聞11月26日夕刊文化面<情報のデジタル化危惧/記録媒体の限界認識を>は国立静養美術館の青柳正規(あおやぎ・まさのり)館長のインタビューだ。青柳氏は1944年生まれ、東大文学部卒業、東大教授を経て05年から美術館長。

 学術研究の成果などがデジタル保存されるようになったが、デジタル情報を読み取るには保存した時代のハードとソフトの両方の維持が必要で、ハードディスクを含めて書き込んだ情報がいつまで保持できるかの保証はない。このままいくと20年先、30年先にすべての情報が消えてしまう可能性もある、と非常に衝撃的な予測をする。

 複製をたくさん作って分散して安全を図ることと、紙の時代とは比べものにならないほど大量に生産される情報をこれまでの分類体系にどう合わせていくか、の二つを解決しないとメソポタミアや中国に始まった人類の知的蓄積を継承できない、というのだ。

 古いビデオテープの修復をしようとしても初期のものはほとんど不可能だ、という。テープはベースフィルムの上に接着剤を薄く塗り、さらにその上に磁気材料を重ねているが、接着剤の品質が変わり、古いテープになじまないのだ、という。これは国立美術館の一部門である東京国立近代美術館フィルムセンターで現実に起きている、と。

 大学の研究者が作ってきたデータベースは死屍累々だ、という。制作には補助金が出るが、デジタル情報だけで印刷物になっていないので多くの人の目に触れることもない。ある範囲に限定すれば、すべての情報がそこにあるか、世界一のレベルの情報があるデータベースは多くの人の目に触れることで更新されるが、更新されないデータベースは死んだも同然だ、というのだ。

 そして、大問題は日本で情報の保存についてほとんど議論されていないことだという。

 <今の情報化社会は、ガラスのハイヒールの上に乗っかっているような脆弱な状態にあることを共通認識にしなければいけない。インターネットがもともと軍事用のネットから発達したこともあって、欧米ではその危うさを認識し、いかに危機を回避するか真剣に議論されている。デジタル化の状況を横浜からサンフランシスコまでの船旅に例えれば、現在はまだ大島あたりを航行している段階だろう。戻ることはもうできないとしても、補給船を用意するとか、船がおかしくなったときの対応を今、考えておかなければならない。>

 という言葉は考えさせる。IT研究者が前のめりに研究するのはいいが、将来の活用法まで見通し、様々な分野の要素を取り入れる必要がある、弱点に目を向けないと失敗する、というのは本当だ。

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2008年11月21日 (金)

クロード・ルブラン氏とマイケル・オースリン氏が説く「アニメの限界」~8月4日朝日新聞、11月20日読売新聞や1年前の新聞など

 まず1年半前の記事から見る。朝日新聞2007年7月14日朝刊[世界発2007]のワッペンの付いたパリ沢村亙記者のまとめ記事<オタク文化 外交に一役?/和製アニメ・漫画 欧州席巻/政府、観光客誘致も狙う/中・韓、激しく追い上げ>である。

 <日本の漫画やアニメへの関心が欧州でうなぎ登りだ。6~8日にパリ郊外の国際展示場で開かれた欧州最大の漫画・アニメ紹介イベント「ジャパンエクスポ」には、過去最高の8万3000人が訪れた。和製ポップカルチャーを「ソフトパワー」の目玉にしたい日本政府もブームを後押しする。同様に「文化」を外交の柱に据える中国や韓国との競争も始まっている。>

 という前文。一覧表で次のように歴史を略述していた。

▽勃興期(70年代後半)=日本のテレビ番組がフランスの主要テレビに登場。「ゴルドラック」(邦題グレンダイザー)、「キャンディ・キャンディ」に人気沸騰。手塚治虫作品も紹介される。

▽冬の時代(80年代後半)=日本アニメ・バッシングが始まる。89年にロワイヤル氏(07年フランス大統領選候補)が和製アニメを「暴力的、女性差別的」と批判。地上波テレビから和製アニメがほとんど姿を消す。

▽コミック期(90年代前半)=アニメにかわってコミックに人気。ファン年齢層も20~30代にまで広がる。「AKIRA」「ドラゴンボール」は世界的ヒット。和製コミック専門店がパリに登場。

▽芸術志向と大衆路線(90年代後半以降)

97年=北野監督の「HANA-BI」がベネチア国際映画祭でグランプリ。フランスでもヒット。パリ日本文化会館が開館。

2000年=パリで第1回ジャパンエクスポ開催。3200人が集まった。「ポケモン」が世界的ブームに。

2002年=宮崎駿監督「千と千尋の神隠し」がベルリン国際映画祭で金熊賞受賞。

▽多様化の時代(2000年以降)=日本料理やJポップ、ファッション、テレビゲームなど関心が広がる。

2003年~=日本の漫画「ヒカルの碁」の影響で若者の間で囲碁ブーム。

2006年=「真の日本料理レストラン」認証制度がフランスで始まる。ジャパンエクスポに5万6000人集まる。

2007年=国際マンガフェスティバル(仏アングレーム)で水木しげる氏が最優秀賞を授賞。

 本文はこの一覧表の説明のようなものだ。アニメ主題歌から広がったJポップ(和製ポップ音楽)やロリータファッションなども広がっている、と。ドイツやイタリアでも漫画・アニメ発の日本文化への関心が広がっている、と書いていた。また、「米アニメが優勢だった英国でも5月のロンドンエクスポ」に2万人が集まった」と。

 この記事で、

 <日本に詳しいジャーナリストのクロード・ルブラン氏は「漫画やアニメは平和で文化が豊かな国という日本のプラスイメージに確実に貢献している。それには漫画文化の健全な発展が不可欠なだけに、日本の漫画誌の最近の不調が心配だ。日本政府の支援は遅すぎる印象もある」と指摘する。>

 と早くもルブラン氏に注目している。

 バブル崩壊後、日本経済への関心は急速に冷えたが、日本語を学ぶフランス人は約1万6000人で微増傾向で、それを支えるのが漫画・アニメだそうだ。だが、中国語が猛烈な勢いで追いつき、追い越しつつある、と。中学・高校では日本語の2倍以上の1万人が履修。中国語を教える小学校も15校にのぼる、と。フランス政府は日本語の代わりに中国語の教員資格を増やし、日本語クラスを縮小して中国語クラスを増やす学校もあり、日本語教育関係者は危機感を募らせている、という。

 それから約1年後の読売新聞2008年8月19日朝刊解説面では[「ジャパン・クール」活用]のタイトルで永原伸編集委員が<海外で人気 漫画・アニメ・若者ファッション/ビジネス化熱く議論を>の見出しで、

 <①日本の若者ファッションや漫画、アニメが「クール」だと海外で高い人気を得ている②海外での人気がビジネスと結びついておらず、産業力強化への取り組みが必要だ。>

 と説いていた。

 産業構造審議会の基本問題検討小委員会が最近まとめた報告書で、ジャパン・クールに多くの紙数を割いている、と。

 業界用語が面白い。赤文字系というのが「CanCam」「JJ」「ViVi」「Ray」などの女性向けファッション雑誌が扱うエレガントなカジュアル・ファッションで、これらの雑誌のタイトル文字が赤で印刷されていることが語源だ、という。ストリート系とは「自分らしさ」志向、ガーリー系は「カワイイ・カジュアル」志向のファッションを指すそうだ。これらの雑誌はすぐに中国語に翻訳され、中国内で販売されている。特に赤文字系の「Ray」、OL系の「ef」、赤文字系の「ViVi」、ガーリー系の「mina」の各中国版が人気で、この4誌だけで女性向けファッション誌全体の販売部数の55%を占めている、という。

 ところが、これほどの日本発ファッションの人気ぶりなのに、それが日本のアパレル業界の海外進出に結びついていない。同業界の輸出総額は韓国と比べて5分の1、中国と比べると実に150分の1にとどまる、と書いている。

 人気とビジネスとのギャップを埋める方策として報告書はアジアの消費者がどんなライフスタイルを好むかを分析した「アジア消費マップ」を作成するよう提唱しているそうだ。

 経済産業省の西山圭太・産業構造課長は「赤文字系、ガーリー系といったカテゴリーの一つひとつが若者たちの嗜好、ライフスタイルになっていることに着目したい。例えば、携帯電話。赤文字系ファッションを好む人たちは、そのファッションにあった携帯を持ちたがり、間違ってもストリート系にある携帯は買おうとしない。こうした消費者の嗜好をきめ細かく把握してマップを作成し、商品開発や営業に役立ててもらう。赤文字系の洋服、アクセサリー、携帯をセットで売り込むといった業種横断的な取り組みも可能になる」と説明しているそうだ。

 ジャパン・クールが注目されてかれこれ10年になるが、「日本のアニメで一番儲けているのはハリウッド」と揶揄されるように、自国の産業力に結びついてきたとは言いがたい、という。

 永原氏は人口減、高齢化進展で日本の労働者人口は徐々に減少、近い将来、経済成長著しい中国に世界第2の経済大国の地位を譲ることになるだろうが、ジャパン・クールは日本の産業力ひいては国力の維持・強化の有力な武器になりうるので、その活用法を政府任せにせず、民間を含めた「オールジャパン」で検討すべき課題だ、と書いていた。

 ところが、2008年8月4日朝日新聞朝刊[地球観察]でクロード・ルブラン氏は7月3日~6日の「ジャパンエキスポ」について書いている。

 <フランスでは今や日本のマンガは市場全体の約40%を占める。英BBCなどの08年の調査では日本が世界に良い影響を与えていると思う人は56%で、ドイツと並んでトップだった。>

 と書き、

 <この状況を見れば、日本はそこから実利を引き出し、自国の利益を守ったり、世界に言い分を聞かせたりすることができるのではないか、と思うかもしれない。02年2月、当時の小泉首相は日本の文化伝統を全世界に紹介することを打ち出し、日本が新しい外交の時代に入ったことを示そうとした。>

 <自衛隊のイラク派遣は同盟国である米国との協調をはっきりと示したが、自衛隊が使う給水車には人気アニメ「キャプテン翼」のステッカーが貼ってあった。「翼」は現地でも大人気で、自衛隊員が標的にならないよう装甲車の役目を果たしたのだ。今や日本政府はこうした「武器」をさらに効果的なものにする努力を惜しまない。>

 として、ジャパンエキスポへの力の入れよう、「本物」和食レストランの動きなどに触れる。

 <こうした対応は長期の投資のようなものだ。欧州でもアジアでも、若い世代はマンガやコンピューターゲームのキャラクターとともに成長し、いつかは国の運命をその手に握る。彼らはサルコジ大統領よりもずっと日本を考慮し、好意を持つだろう。相撲についてのサルコジ氏の発言を見れば、彼が日本をどう思っているかわかる。「ポマードで光ったまげをつけた肥満男の戦いなんかに、どうしたら魅了されるんだ? まったく知性のないスポーツだ」。04年、彼はそう言い放った。>

 <この発言や、欧米の首脳が日本に対して時折見せる尊大な行動は、日本の「イメージ作戦」の限界をよく表わしている。米国が北朝鮮のテロ支援国家指定を解除する手続きに入ったのを見れば、日本の国益がいかに無視されているかがわかる。

 <リアルな政治は、魔法の力を持つマンガのキャラクターよりずっと強大だ。それについてはジャパンエキスポに来た若者たちも、文句のつけようがない。>

 ルブラン氏はフランスのジャーナリストで1964年生まれ、フランス国立東洋言語文化学院で日本語を学ぶ。仏クーリエ・アンテルナシオナル誌副編集長を務める知日家、と紹介してあった。

◆アメリカ人は日本を子供向け異国情緒文化の発信地と見始めている

 このルブラン氏の発言と同趣旨ではないが、日本人に「あまりアニメに期待しないほうがいいよ」と呼びかけたのが読売新聞2008年11月20日[論点]のマイケル・オースリン氏だ。アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所研究員。元エール大学准教授、41歳。物凄く若い学者さんだ。知日派なのだろう。タイトルは<ポップカルチャー偏重/米の対日観 軽薄化の恐れ>である。

 過去200年以上にわたって日米は双方の文化に魅せられ、影響を与え合ってきた、として米国人が版画、生け花、仏教、儒教にまで関心を広めたこと、黒沢明の映画がジョージ・ルーカスに影響を与えたこと、庭園の美が全米に広がった。日本文化への関心は日米関係において重要な役割を果たしてきた。つまり、米国は日本を重大な国と受け止めてきた、というのが書き出し。

 しかし、今日の日米関係は劇的に変わった、という。過去10年ほど、米国人は日本文化を真剣に見つめるのをやめてしまった。代わりに、日本のアニメやポップカルチャーが人気を博し、日本を見つめる際に通すレンズとなった。米国の若者は黒澤映画の変わりにアニメを見るようになり、大学の中には源氏物語や安部公房の代わりにマンガを読ませるところも出てきた。言い過ぎかも知れないが、多くの米国人は日本を異国情緒に満ちた子供向け文化の発信地とみなすようになった、と書く。

 <何が起きたのだろうか。1990年代のバブル崩壊後、米国人は少しずつ、しかし確実に日本への興味を失った。いま、経済の超大国になると目されているのは中国だ。日本の政治的リーダーシップへの信頼は失われ、アジアで主導的な役割を演じると考える人はほとんどいない。米国の大学教授たちの中には、日本の国内政治やマクロ経済政策といった難しい課題ではなく、野球やアニメについて教える者も増えてきた。>

 この動きは日米の安全保障、経済関係には影響を与えないだろうが、米国での日本に関する焦点がポップカルチャーになったということは、米国人が日本の社会、経済、政治といったまじめな事項について話さなくなったことを意味する、という。

 <米国人の関心がポケモンに集まれば集まるほど、日本が今も東アジアで最古で最大、そして最も安定した民主国である事実は忘れられることになりそうだ。日本は世界第2位の経済国で巨額の対外援助を提供し、世界中で人道支援を実施しているというのに。>

 <さらに憂慮すべきは、米国で日本の言語、歴史、社会を理解する専門家の数がどんどん減っていることだ。大学でアニメの講座をとった学生たちが、日本を真剣な研究対象とみなす可能性は低い。日本といえばイチロー選手のことしか知らない米国人は、日本が日米同盟において偉大な役割を果たしている世界的大国と考えることはあるまい。米国の政策や米世論に影響を及ぼすことのできる日本専門家が米国にいなくなれば、将来、重大な問題が起きた時、米国が日本を緊密なパートナーとして頼りにする可能性は少なくなるだろう。>

 <私は日本のポップカルチャーに反対するものではない。ただ、深みのある長期的日米関係を、ポップカルチャーのみを基礎として築くことはできない。深い相互理解と相互への敬意がなくなれば、日米両国はアジアを発展させ、地域安保を維持し、自由主義を広めるパートナーの関係を維持することはできないだろう。>

 知日派の中にアメリカでもフランスでも、こうした見方が広がっていることは日本にとって危機ではないか。政治の論点が世界と同期していない、とは感じていたが、ここまで無視されるようになっていたとは。何もできずに竦んでいる政府や国会に任せず、国民が真剣に考える時なのだろう。

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2008年11月19日 (水)

宗教と「死生観」、団塊の世代と全共闘運動etc.…各紙の文化面などから

◆四谷怪談、イザナギ、イザナミ神話…生と死について

 東京新聞夕刊連載企画[生きる 心のページ]は地味だが、中高年にそれなりの固定読者を持っているのではないか? と推察させる記事である。最近の記事を見てみよう。

 8月26日、9月2日で上下で連載した[想像する死と無常]は㊤が<死後の救いを願わぬ現代人/生者の都合だけで完結>。㊦は<冷徹に生を洞察する眼差し/「私」見失った今こそ必要>。

 筆者は廣澤隆之・大正大学人間学部仏教学科教授、智山伝法院院長、八王子市・真言宗智山派浄福寺住職。1946年東京都生まれ。専門分野はインド大乗仏教教理学。著書に「図解雑学・仏教」(ナツメ社)や難しい名前の本がたくさんある。そうかぁ、この間、友人の父親の通夜で行ったお寺の住職さんだ。この人がお経を詠んでいた。

 内容は難しかった。約めて言えば、最近は身近な人が死ぬと甘く美しい思い出の世界に行き続ける、という考えが一般的になっているのだが、これは生きている「私」の都合を優先させ過ぎていないか? と問い、

 <生きるために不都合なものを抱え込み、死者との不条理な関係を生きることが見失われているのが現代の文化の特徴かもしれない。>

 と言うのだ。「千の風になって」の歌詞への批判である。

 <かつては、おどろおどろしい闇の世界から死者が私たちに語りかけてくることが想像されていた。それは数多くの謡曲でも、あるいは卑近な幽霊譚にも見られる。死者の世界を想像することは、生きている自分の根本を問いただすものであった。たとえば四谷怪談では自分の都合で身勝手な生活をする伊右衛門に貞淑な妻であった岩が復讐するのであるが、それは勧善懲悪的な道徳律であると同時に、死者との共存が見失われた生者の生存が危機的になるという宗教性を含みもっていた。>

 <死者の世界は生者によって身勝手に想像されるのではなく、深いところで生き方を支える死者と生者の共存が私たちの文化を伝統的に基礎づけていたのではあるまいか。私たちはそのことを凝視することなく、むしろ死を直視する文化を捨て、生きる者の都合のみで完結する消費文明を極端にまで推し進めてしまっている。しかも近代の文明は死の管理を徹底し、もはや死体を直視することもなく私たちは死を想像する。>

 として、清潔な病院での死、清められた身体、数日後に死体を火葬し、もはや死体を直視することがない現代では、

 <死が嫌悪すべき醜悪な様相をもって私たちに迫らなくなっているからこそ、私たちは死者との交わりを稀薄にしているのではないかと考えられる。>

 という。ここまでくると、イザナギ、イザナミを連想するだろう。著者はその話題に入る。

 <かつて人は死をまざまざと見なければならなかった。死体は硬直し、次第に腐爛し、むきだしの骨となる。このような死体を見た者は、けっして死者の世界を甘美なものとだけ想像することはできない。それはイザナギノミコトが黄泉の国に死んだ妻を訪うという神話にも見られる。かつて情愛で結ばれた甘美な思い出の中の死者への感情と、他方では現実の醜悪な死を忌避する感情、この背反する感情が同居するにしても、そこに生きる「私」を見つめることを神話は記述しない。死者を直視する「私」が生きることの意味を問う文化は、日本に仏教的無常観が伝えられて著しく展開する。>

 仏教の「無常観」を体得するために、釈迦は修行者に死体置き場で死体を直視するよう教えたのだという。そして、林の中で瞑想し、死体を思い浮かべるのだ、という。死体が硬直し、次第に斑点が浮かび、腐爛し、ついには犬やカラスなどによって死肉が食われて骨が散乱する。この過程をまざまざと直視し、林の中の瞑想でそれをありありと思い浮かべるのだ、という。次に自分の死体が同じように骨となって散乱するまでを思い浮かべる。そのようにして無常な身体への執着を離れるとき、修行者は真に無常を体得し、生きるためにかき立てられた欲望を抑制することができるようになる、というのだ。

 このような瞑想を「不浄観」といい、「無常観」の一つだそうだ。

 <きびしい実践による人間の生死への洞察が無常観なのである。このような洞察を抜きにして無常は知られない。このことを知らなければ私たちは無意味に生と死を繰り返すのみである。>

 ところが、次第に日本の文化の展開の中で死を凝視し生を洞察する態度が変容し、はかなく移ろうものへの詠嘆の感情によってイメージされる死が文学的に表現されることが多くなった、という。永遠に生きると思われた釈迦でも老いて死ぬという厳然たる事実を通した「諸行無常」のイメージと現世のはかなさが重ねあわされた詠嘆が「平家物語」だ、という。インド仏教とは違った傾向が日本仏教に浸透している証拠だ、と。「方丈記」もそうだ、と。

 <時間の流れを超えた来世に希望を託す浄土往生の宗教感情は、現世に生きることのむなしさをことさらに強調する情緒を強める。だが他方で、現世の享楽にこだわる文化も日本には根強い。現世に生きる価値にこだわりつつ、美文調の詠嘆が美化されると、死のイメージは自然の風物の中に溶け込み、稀薄になる。美しい自然の中で生きることを日本文化の特徴と見る傾向が強いが、そこには無常観のように冷徹に死と生を凝視することもなく、むしろ生と死の密接な関係を稀薄化する傾向もあわせもってしまっているのかもしれない。>

 <このことが現代の世相の中で問われる意義があると思う。欲望が渦巻く現世の中で感性に支配されて生きる人間的営みも、そして死後に思いをはせることも、究極的には死に行く存在として自分が今、ここに生きていることを凝視することにもとづく。死に向かって生き続ける「私」を洞察する冷徹な眼差しが現代にも必要なのではあるまいか。とりわけ、科学技術にもとづく消費文明が肥大化し、「私」が見失われ、生と死の共存する文化を失った現代においてこそ、このことを問い続ける必要があると思われる。そのことを一遍上人の次の一文が見事に教えているように思う。>

 として、

 <華麗を愛し月を詠ずる、やヽもすれば輪廻の業。仏をおもひ経をおもふ、ともすれば地獄の焔。>

 をあげていた。難しいが、何とか読み通した。生が死に向かっているものだ、ということをいつも意識せよ、というのか? 今一つ分からないのだが、何か大切な教えのようだ。

◆宗教を無視した政治分析はできない時代だ、ということ

 10月21日<仏教と社会参加/宗教抜きで政治は語れない>は東大大学院人文社会系研究科教授の末木文美士さん(59)だ。1949年甲府市生まれ。東大文学部印度哲学科卒。著書に「日本宗教史」(岩波新書)、「日本仏教の可能性」(春秋社)など多数、とあった。

 この中で末木氏は仏教界で最近、メディアに露出する僧侶が増えている、と書いている。神仏分離をもう一度考え直そう、と神道界・仏教界合同で「神仏霊場会」を結成して、仏教の僧侶が大挙して伊勢神宮に参詣したりした、と。

 このように目立つ行動、マスコミ受けを狙った行動が増えた背景には「葬式仏教」の衰退がある、という。

 <従来の檀家制度が急速に揺らぎ、形骸化した葬式仏教に頼っていたのでは仏教は衰退するという危機意識が強くなってきたという事情が挙げられるであろう。従来の葬式仏教は、死者儀礼と墓地管理に経済的な基盤を置くことによって定着していたが、祖先祭祀を継承する「家」の意識が弱まり、その上に少子高齢化の影響で墓地の維持さえままならなくなってきた。併せて伝統的な死生観も揺らいで、葬式は必ずしも仏教に頼る必要はないという風潮も広がりつつある。葬式仏教がなくなるわけではないが、それだけでない仏教の新しいイメージの創出が不可欠となってきている。>

 これは、社会現象として、今、進んでいることである。

 そして、末木氏はアメリカのキリスト教原理主義や中東を中心としたイスラム教原理主義などの宗教勢力の動きが政治にからんできたことから、社会の側でも宗教を無視できなくなってきている、という。

 <宗教抜きで国際政治は語れなくなった。

 というのだ。チベット問題にしても、中国専門家は宗教を知らないので、チベット問題の本質に迫れないし、靖国神社問題も政治・外交問題として扱ってきたが、靖国神社が宗教施設であるという根本のところが忘れられている、という。

 <大きな宗教団体を支持母体とする政党が政治の中核で活躍していながら、いまだに一種の宗教隠しがまかり通っている。

 として、<マスコミを使いながら社会の宗教アレルギーに挑戦しようというのであれば、仏教界の戦略もなかなか侮れないところがある。>

 と結んでいる。

 「心」という意味では朝日新聞9月12日夕刊<「心」を探る学生たち/心理学系の学科が大学で人気/いじめ・不登校・自傷…体験から内面に興味>という吉住琢二記者のまとめ記事もそれなりに面白かった。

 日経新聞9月10日夕刊文化面インタビュー<「人並み」という基準見失った現代/欲望の果て 行き止まり>は漫画家のしりあがり寿さんに文化部の白木緑記者がインタビューした。しりあがり氏は1958年静岡市生まれ。81年多摩美大卒。キリンビール入社、94年退社。81年「エレキな春」で漫画家に。代表作に「弥次喜多 in DEEP」「コイソモレ先生」など。

 ちょっと違う統計ものだが、読売新聞8月29日朝刊解説面<日本人の結婚観/格差拡大 影落とす/未婚増「経済力に自信ない」>は読売新聞世論調査結果の分析だが、なかなか結婚しない時代、という新しい現象にメスを入れた記事だった。

◆西部氏の全学連回顧

 朝日新聞8月5日夕刊[追憶の風景~東京拘置所]<思い切って退却決めた>は評論家の西部邁(にしべ・すすむ)氏。1939年北海道生まれ。社会経済学者、元東大教授。「表現者」顧問。「六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー」など著書多数。

 20歳の終わり頃、東大自治会委員長の時に首相だった岸信介が安保改定調印で訪米するのを阻止しようと全学連中央から動員がかかり、羽田に行ったが、学生が少なく、機動隊の前に一網打尽で初めて逮捕された、とか、巣鴨の拘置所生活を体験し、差し入れされた「資本論」を読んで、「こんなものがマルクス主義の聖典か、とがっくりきたので、拘置所を出る前に運動から離れることを決めていた、とかの若い頃の話。

◆全共闘シンポジウムなんて開いたんだ

 「心」とは直接は関係ないが、朝日新聞10月22日夕刊文化面<68年の「若者の異議申し立て」から40年/「反乱」に共感と違和感/時代の気分「似てきた」/「雰囲気だけ」「検証を」>は藤生京子記者の記事。

 見出しそのまんまの内容。9月下旬に立教大学で開かれた「1968+40 全共闘もシラケも知らない若者たちへ」と題したシンポジウムの紹介だ。パネリストで北大准教授(経済思想)の橋本努さん(40)は「全共闘の学生が口にした『自己否定』の動機に、親にほめられるために勉強してきた『いい子ぶりっこ』に自分を否定する願望があった。公害など資本主義のひずみが噴き出した高度経済成長時代に受けた『あしたのジョー』のように、展望もないまま『青春を燃やし尽くす』が全共闘の考える自由だったが、今の時代の気分は40年前と似てきている」と言う。

 「1968年」(ちくま新書)を書いた全共闘世代の文芸評論家、絓さんは「内ゲバや聨合赤軍事件へと至る挫折として語られてきた68年の経験がフェミニズム、環境問題の起点であり、現代史の転換点だ」と言う。このシンポは彼の主張を踏まえた討論だった。

 パネリストにはロスジェネ世代から鈴木謙介・国際大学GLOCOM研究員(32)も参加。アントニオ・ネグリらの「<帝国>」を翻訳した大阪府立大准教授の酒井隆史さん(43)はシアトルで99年に起きた反WTOの抗議行動以来、排除された人たちによる全く予測できない出来事が68年と連なる形で海外では続いている、と強調し、市民を巻き込めなかった日本の68年と今後の展望については自律した労働運動の必要性を言うにとどめた、という。内田樹・神戸女学院大学教授(58)は全共闘運動はただ時代のうねりの中に流されただけと批判的。「若い世代が関心を寄せている背景にはグローバリゼーションを含む『反米機運』の高まりを感じるが、それは雰囲気に過ぎない」と突き放す、という。

 全共闘世代のすぐ下で運動に懐疑的だったという御厨貴東大教授(57)はあまりにも語られぬまま忘れ去られていることに疑問を感じ、60年代論を執筆中だ、という。

◆団塊とジャネーの法則

 団塊の世代といえば、古い記事だが、日経新聞3月30日の[遠みち 近みち]で安岡崇志・特別編集委員が<団塊とジャネーの法則>という面白いコラムを書いていた。

 時間の長さの主観的評価は人の年齢の逆数に比例する、という経験則を心理学で「ジャネーの法則」というのだそうだ。メディア文化論が専門の稲増龍夫・法政大学教授に聞いた話だそうだが、山崎豊子原作「白い巨塔」のテレビドラマ新旧2シリーズのテンポの速さの大変な違いがある、という。同じ法廷シーン3分間で、画面を切り替えるカット数を計り演出のテンポを比べる。証言する主人公の顔をじっと映す1979年放映の旧シリーズは23カット。主人公、弁護士、傍聴人の表情をめまぐるしく追う2004年版は83カットだった、と。

 79年に25歳の人は新シリーズ放映時には50歳。ジャネーの法則に従えば、時間を2倍の速さに感じていたことになる。そこへもってきてセリフの速度が上がり、さらにカット数で3.6倍になる速いテンポで畳み掛けられては、たまったものではない、と書いている。

 稲増教授によると、極端にカット数が多いテレビドラマが初めて登場したのは2000年。1時間ドラマ1回分の総カット数は400台という常識を破り、700を大きく超えた「池袋ウエストゲートパーク」だった、という。テレビドラマのカット数はここ数年多くて800で安定している。300から400のゆったりしたものもある。棲み分けているのが現状だ、と稲増教授。

 稲増教授は「団塊世代なら、多少テンポの速いものにもついていける」と太鼓判を押している、というが。

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対米報道「される」「られる」やめろ!―石澤靖治教授提案は<その通り!>~読売新聞11月19日朝刊

 読売新聞11月19日朝刊文化面[メディア]に石澤靖治・学習院女子大学教授(メディア関係論)の<対米報道 受け身表現脱却を>が掲載されていた。同感したので、主張のあらましを書いておく。

 石澤氏はオバマ氏当選を伝えた各紙の日米関係の記事を見て「○○に対応を迫られる」というような表現が多いことを苦々しく思ったらしい。「受身の表現を多用すべきではない」とメディアに注文をつけている。

 「日本とアメリカの力関係を考えた場合に、アメリカのほうが上であることはことは言うまでもない」し、「アメリカで最高指導者の交代という出来事が起きれば、日本は必然的にその影響を受ける。したがって、『れる』『られる』という受け身にならざるを得ないのは確かである」が、「日本はそうした立場に安住して、これまで自らが主体的に働きかけるというよりも、むしろアメリカからの要請や圧力があった際に、嫌々ながら行動を起こすことが多かった。そして、それがアメリカ側からの信頼を損ねてきた」。「日本は自立した形でアメリカと接する時代になったと言われて久しい」が、「そのメンタリティーはあまり変わっていない」。

 「それを反映してか、従来の日米関係の報道で散見されたのは、『日本は○○への対応を背回れる』というような受け身の報道だった。報道する側が受け手の発想を前提としていることは事実だから、その報道は日本国民の感覚に対応したものだということもできる」。

 「メディアが受け手に従属するのか、あるいは主導するのかについては大きな議論があるが、日米関係報道はこの辺で『られる』型ではなく、『する』型に視点を変えるべきである」。

 「今後日本がいかに主体的に世界に、そしてアメリカにかかわっていくかによって、アメリカの対日姿勢も大きく違っていくはずだ」。

 「そうした転換を求められるのは、政府であり、国民であり、そしてメディアである」。

 書き出し以外はほぼ全文を書き写してしまったが、そういうことだ、と思う。

 学者の世界では今、少しずつ地殻変動が起きているようなのだ。アメリカを崇めるのではなく、現実の姿とそのよってきたる所以を解き明かそうという努力をする学者が増えているようなのだ。

 今、読み始めている菅英輝編著「アメリカの戦争と世界秩序」(法政大学出版局、2008年11月20日初版第1刷発行、定価3800円+税)は「なぜアメリカはリベラルな世界秩序を追求するため戦争という手段に訴えるのか!」という帯の文句そのままに、戦争ばかりしているアメリカと、口を付いて出る「自由、平等、民主主義」などの理念との大きなギャップについて、どうしてアメリカはこんな風になってしまったのか? それとも昔からこうだったのか? と多くの研究者が問いかける論文を書いているのだ。

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 その中で菅氏はリチャード・ストロキン「暴力を通じた再生~アメリカ人のフロンティア神話1600-1860」を引用しながら、アメリカ人がアメリカ先住民との戦争を通してアイデンティティーを形成していったこと、先住民を征服してゆく過程で「フロンティア神話」が形成されていったこと、フロンティアは「野蛮人」や暴力のイメージと結びつけられ、「野蛮人」とは共存できないという意識と、フロンティアという「野蛮人の土地」を文明の土地に変える行為がアメリカの再生や発展と結びつくという神話は、その後もアメリカ史の中で継承されてきたこと、そのことはベトナム戦争中にアメリカ兵がベトナムを「インディアンの国」、索敵撃滅作戦を「カウボウイとインディアンのゲーム」というイメージで語り、虐殺や虐待を繰り返したことなどをあげていた。

 今、こうした「暴力をきれいな理念で覆い隠した国」というアメリカの新しい顔も暴き出されようとしている。麻生首相のG20提言も今までの日本の首相提言から考えれば信じられないほどアメリカの低落現象を赤裸々に語るものとなっている。

 そんな中、過去の似たような会議などの記事が貼ってあるスクラップブックを見ながら、記事を書いている外務省記者クラブ(霞クラブ)や首相官邸記者クラブの面々の意識構造が問われている、というのが石澤教授の寄稿の言いたいことだろう。

 たしかに、日本政府が主体的に「こうする」と発信する情報が少ないことは、今までの日米関係がすべて受け身だったことの鏡像でもあるから、メディアだけ変わろうとしても、書くことがなくなってしまいかねない。

 でも、このような問題意識を常に持ち続ければ、少なくとも主体的な姿勢がにじんでくるだろう。そうなれば、G20終了後の総括記事で毎日新聞が「存在感なかった日本」と書いたようなステレオタイプの記事は減るだろう。そう期待したいものだ。

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2008年10月31日 (金)

半年前までは「JAPAiN」と言われていた…欧米知識人たちは当時はまだ、日本に頼ることになるとは思っていなかったんだろうなぁ~各紙の古い記事から

 昔の新聞スクラップを引っ張り出して読んでいたら、日経新聞2008年3月12日朝刊[海外論調]に英エコノミスト誌の「JAPiN(苦痛に満ちた日本)」という厳しい記事の抄訳が約1ページにわたって掲載されていた。「JAPAN」と「pain(苦痛)」を組み合わせた「苦しむ日本」くらいの意味の造語である。表紙には「Why you shoud be worried about the world’s second-biggest economy」と書いてある。ちょうど日銀総裁人事をめぐり政治が混迷を深めていた時期だった。

 抄訳でも相当に長い記事だから、本物は読むのに苦労するくらい長かったのだろう。

 前文は、

 <日本の「失われた10年」が亡霊のように米国を脅かしている。米国の住宅バブル崩壊の余波が各地の金融市場で実感される現在、日本の苦痛に満ちた経験から得られる教訓は何か、ということがよく話題になる。よくて景気の急減速、悪くすればリセッション(景気後退)に直面している先進各国は、日本の浮沈から何を学べるだろうか。>

 というものだった。

 記事の内容をざっと略述する。

 <日本の不動産・株式バブルが1990年に崩壊、最終的にGDPの約20%に相当する不良債権を生み出した。再び着実な成長を示すようになるまで、じつに12年かかっている。不良債権問題が解決し債務デフレは終わったと宣言できたのは、2005年になってからのことだ。だが今日でも、日本の名目GDPは90年代のピークを下回る。この事実は、失われた成長機会の多さを如実に物語っている。>

 として、当時の日本と現在の米国の間に金融危機が「実体」経済を脅かしているという共通点はあるものの、相違点の方が多い、として、

 <日本はいまだに心配の種である。他の富裕国が日本と同じ道を歩みかねないからではない。日本が世界第2の経済大国にもかかわらず問題の根本的な解決に取り組んでこなかったからだ。>

 と、日本の低迷ぶりを数字で明らかにする。米国のS&P500種株価指数は1999年のピークから8%下がっただけなのに、日本の日経平均株価は89年をピークに、現在は3分の1にまで下落し、商業用不動産価格でも日米の対比は同様に衝撃的だ、という。そして、

 <日本経済の停滞は政治家のせいである。現在の景気減速のスパイラルは、日本の構造的な欠陥をあらためて浮き彫りにした。数年前までは、多くの人が日本に期待をかけていた。経済力はまだ中国を上回り、超優良企業も少なくない。だから、米国が息切れしたときには世界経済の落ち込みを少しは埋め合わせてくれるだろうと考えていたのである。だが、もはやその期待はむなしい。生産性の低さは目を覆うばかりで、新規投資のリターンは米国の半分程度。消費は相変わらず元気がない。官僚は失態続きで経済を誤らせてきた。日本に必要なのは、市場を機能させ競争を促す改革である。それなくしては、経済はまたもや失望をもたらすだけだろう。>

 上の文章の下線部分に注目したい。当時のエコノミスト誌編集部だけの認識ではなく、欧米知識層はこのように見ていたのだろう。「日本頼むに足らず」である。そろそろ中国をG7に入れて、日本には外れてもらってもいいじゃないか、とか、日本はお金の蛇口を開けてくれる役割だけでいい、と思っていたのかもしれない。

 生産性の低さについては、その通りだろう。輸出で稼ぐ製造業は日本の産業構造では約20%しかないので、それ以外の農業、漁業、流通業、商業の生産性が低ければ日本全体の生産性は低く出るのは仕方ない。

 これは小泉構造改革が中途半端になってしまった(竹中平蔵氏はそう主張している)せいなのか、株式会社参入などの大胆な抜本策が必要(規制緩和を求める経済学者はこう言う)なのか、議論が分かれるが、どのみち、今の政策の延長ではこれ以上、生産性を高めることができないことは、エコノミスト誌の言う通りである。

 ただ、新規投資のリターンの日米比較は、「だから米国のリーマン・ブラザーズが破綻したんだよ」と、後知恵で答えてあげれば済むのではないか。

 エコノミスト誌の抄訳紹介を続けよう。

 日本の政治が2007年夏から混迷状態に陥っている、として2006年9月に小泉純一郎氏の後任として首相になった安倍晋三氏が2007年9月に退任。後継の福田康夫首相は求心力に乏しい。混迷が本格化したのは小沢一郎代表率いる民主党が2007年7月の参院選で大勝し、野党が過半数を握っているからだ、として、

 <民主党はいまや成長を目指す経済改革どころか、あらゆる政策協議を滞らせる力を持つに至った。>

 と、民主党はコテンパである。そして、

 <自民党の大島理森国対委員長は、外国人投資家が投げ売りに出たら、あっという間に日本は10年前と同じく誰からも相手にされなくなると指摘する>

 、と書いてあった。オイオイ大島、これは言い過ぎじゃなかったのか? よせばいいのに、とツッコミたくなるような正直な談話である。今更ながら、国益を考えて発言してほしいものだ。

 エコノミスト誌は太田弘子経済財政担当相の「もはや日本は経済は一流と呼ばれる状況ではない」発言も取り上げ

 <この認識は確かに正しいが、それにどう対処するかについては、残念ながら太田氏はほとんど語らなかった。>

 と書き、小見出しで<経済閣僚に失望>とつけていた。日本の生産性の低さについては、

 <低金利と輸出の好調に加え、経営者が株主に対して説明責任をほとんど負わない経営環境が過剰投資を生んだのかもしれない。大規模投資と低成長の結果、日本の投資に対するリターンは米国の半分だ。>

 と先ほどの論を繰り返す。原油高の中でも日本の輸出企業が高収益をあげているのがせめてもの救いだが、輸出が伸び悩ん時、内需で埋め合わせる環境ができていないことを、この時点で特筆したのはさすがである。個人消費が設備投資や輸出の伸びに追いついていない原因は企業にある、という。

 <企業が記録的な利益を計上しながら、賃上げの形で払い出さずに現金をためこんでいる、だから雇用は増えても賃金水準は上がっていない。>

 、と指摘している。そして、

 <政治家は企業が内部留保を増やすことに苦言を呈し、もっと賃金を上げるよう迫っている。だが企業が慎重なのは、政治家が無能で予測不可能なこととも無縁ではない。>

 ここまで言うか? 日本の有権者をバカにしていることになる、という事実にエコノミスト誌の記者は気づいているのだろうか?

 日本には根本的な経済改革が必要だ、という。例えば、として挙げている項目を見ると笑ってしまう。米国が日米構造協議で突きつけてきた対日要求そのものではないか。英エコノミスト誌も欧米勢力の代弁人なのか、という印象である。

 <外資規制の緩和、輸入食品の関税引き下げ、農業補助金の削減、貿易自由化の促進、外資系企業に対する税制優遇、企業を補助金漬けにしている制度の廃止、労働市場の流動性向上、財政規律の強化(現時点の累積財政赤字はGDPの約180%)、年金基金や保険会社の説明責任の強化、民営化の推進などだ。>

 もう、笑うしかない。必要な改革は当然含まれているが、それ以外では「第2の開国」を迫った米国の要求そのものだ。この改革要求の根拠としてあげているのが経済財政諮問会議の民間委員・伊藤隆敏東大教授が同会議が提唱した改革を実行した場合、日本は年2%の成長を達成できるが、しなければ1-1.4%程度の低成長にとどまる、との試算だった。そして、

 <日本は改革を断念したようだから、教授が正しければこれからは低成長しか期待できない。この責任は能力や先見性に欠ける政治指導者と、彼らが行う政治の混迷にある。>

 と言い切っていた。そして、第一の責任者は安倍前首相(この時はまだ前)、第二の責任者は自民党内で隠然たる勢力を誇る旧世代の大物たちだ、と書く。小泉・安倍時代は政策決定を首相官邸で行ったが、福田政権では決定権は派閥と長老たち、中でも中曽根康弘氏、森喜朗氏の手に戻った、という。

 <旧世代はクーデターに成功し、政治の主導権を取り戻した。構造改革は滞り、貿易障壁撤廃に向けた交渉にもブレーキがかかっている。財政均衡をめざす財政改革も先送りされた。ある改革派官僚は民営化や規制緩和を推進してきた官僚のやる気が低下していると言っている。政治家の機嫌を損ねかねないため、誰も怖くて小泉・安倍時代のように成長志向型の改革派提案できない。一方、政治家や古いタイプの官僚の間では外資を敵視する傾向が強まっている。>

 ちょっと漫画チックに割り切りすぎているが、内容は大雑把に言えば間違いではない、許容範囲内の見方だろう。そして、同誌は小沢氏に一貫性がないことも混迷を深めた一因であり、また、有権者にも責任があることを書いていた。

 3月時点ではヨーロッパのメディアはまだ自分の足元で火が燃え盛り、米国よりも大変なことになる、との見通しを持っていなかったことがよく分かる論調である。あの英エコノミスト誌にしてこうだったのだ。欧米の金融関係者、企業がある程度、日本の悲劇を学習しているから安心だ、と思っていたことは間違いないだろう。

 さて、英エコノミスト誌から半年も前に<無能で予測不可能>とけなされている日本の政治家はどうしようとしているのか? 麻生太郎首相は30日の記者会見で衆院解散先送りを匂わせた。バラマキ策を実行して、少しでもイメージアップをしてから解散というスケジュールらしいが、そんな悠長に日本の抜本改革を遅らせて、危機後の対応で日本は後れを取らないか? 心配である。

◆ドーア氏はコーポレートガバナンス批判

 欧米では相当にドラスティックな改革が進むだろう。東京新聞10月19日朝刊[時代を読む]でドナルド・ドーア・英ロンドン大学政治経済学院名誉客員が、

 <問題は、どうして金融業者が、規制を外させて、傍若無人の行動で、膨大な個人財産をつくることを許されたのか。どうして金融業会の政治支配力がそんなに増してきたのか。答えは、英米では過去30年、日本で10年、行われてきた、コーポレートガバナンス改革を通じて、実経済の経営者たちを圧倒する力を投資家が獲得したからだ。「会社は株主のもの。経営者の義務は、株主への還元の最大化に尽きる」という株主宗教はその思想的武器であった。>

 と、コーポレートガバナンス批判を展開しているが、これも先行き大きな議論になるかもしれない。ドーア氏は、

 <日本におけるその宗教の大教会は、東証、企業年金連合会、および経産省の企業価値研究会である。同研究会の大僧正、神田秀樹座長および副大僧正、研究会事務局長の新原浩郎課長が、最近の「商事法務」で、株主権力の主なテコである敵対的買収およびそれに対応する経営者のあるべき姿勢を説いている。公平無私の経営者。買収者か、現経営陣か、どちかが「企業の将来のキャッシュフローの割引現在価値」を最大化できるかを判断する株主。前者が後者に充実した、客観的な情報を与える。そのようなシナリオを描いている。現実は? 株の時価と、買収者が提供するプレミアムとを比べて、株を売って、会社と縁を切ってしまったほうが得かどうかを株主が決める。その現実から、ばかげたと言えるほどかけ離れたシナリオである。でも、宗教はもともと現実との調和は問題ではない。僧侶たちおよび権力者に都合がいいかどうかが問題である。>

 と、東証、経済産業省などの変なたくらみに釘を刺すのだが、この辺は細かすぎてよく分からない。ただ、コーポレートガバナンス一辺倒の風潮が是正されれば、日本の企業にとって朗報だろう。

◆入江ハーバード大名誉教授は「金融版WHO」提言

 朝日新聞10月19日朝刊[経済危機の行方]インタビューで入江昭ハーバード大名誉教授が「金融版WHOを作れ」と提案してるのも、今後のひとつの動きになるのかもしれない。入江氏は1934年生まれ。米国歴史学会会長もつとめ、歴史学、国際関係史専攻だ。発言は次の通り。

 <経済とは直接関係がないが、私は、国連の機関である世界保健機関(WHO)に注目している。WHOは80年、天然痘の撲滅を宣言した。20世紀の死者は3億人にも上るとされる。この数字は2度の世界大戦の議席者より多い。成功の要因は、イデオロギーや政治体制を超えて最高の専門家を集め、英知を絞ったことだ。冷戦時代も、ことWHOに関しては、ソ連と米国は協力した。今回の経済危機を受けて、経済なかんずく金融の世界でWHO的な存在を構築できれば、有効な解決策が出てくるのではないか、と考えている。>

 よく分からないが、面白いのではないか?

◆小林慶一郎氏は対処療法だが、新興国・産油国との新基金設立を提案

 朝日新聞10月18日朝刊[けいざいノート]<金融恐慌はとめられるか/市場の疑心暗鬼取り除け/新興・産油国と新基金を>で小林慶一郎・経済産業研究所上席研究員は、欧米を中心とした世界では三つのことを体系だって実施することが大切だ、として

①特別な検査当局を創設し、金融機関の不良資産を徹底的に厳格審査する。金融工学版のリバース・エンジニアリング(他者の製品を分解してその設計を分析する手法)で査定する

②特別な不良資産買い取り会社を創設し、厳格査定させた民間金融機関の不良債権を買い取る。その資産価値が安定したときを見計らってゆっくり試算を売却して処理する

③金融危機の処理コストはグローバルな金融市場が相手の場合、一国では一時的に負担できない場合がある。金融危機対策のコストが米国では200兆円を超えるという報道もある。巨額の金融対策費出費が続けば米財政への信頼が失われ、国債価格の下落(長期金利上昇)を招き、住宅ローンや中小企業借入金利が連動して上昇。その結果、公的資金で金融機関を救済しても、米国が深刻な不況となって金融危機が再発する負のスパイラルになりかねない。これを止めるため、豊富な外貨を持つ中国などの新興国や中東産油国などの資金を集めて、金融危機の処理に苦しむ国に一時的に危機対策の費用を融通することが有効。国対国で直接に融通するのは無理があるので、グローバルな政策協調の枠組みとして国債基金を創設し、これを経由して融通する。日本がG7で提案したIMFの新型融資と共通する発想だが、融通対象はむしろ米国など主要国も含めて考える必要がある。金利の低い国が国債を発行して資金を得て、それを基金経由で米国に貸し付ければ、全世界的にコストを劇的に軽減できる。

 という内容だ。これは今現在の対処療法だが。

◆伊藤元重東大教授は<円高は強い経済への試練>と言う

 読売新聞10月20日1面[地球を読む]<金融危機/負の連鎖なお懸念>で伊藤元重東大教授は次のように言う。

 <日本経済を取り巻く風景は大きく変わってきた。いろいろな変化があるが、とりあえず円高の動きをその象徴的な動きとして取り上げてみよう。>

 と前置きして、

 <円高は厳しい調整を日本経済に求めるものであるが、そもそも過度な円安によって日本の所得が非常に低くなっていたことを忘れてはいけない。円高で日本の輸出企業はいやおうなしにさらなるグローバル化を求められることになるだろうが、それは長期的には日本経済の強さにつながるはずである。円高によってパワーを増したジャパンマネー、すなわち企業と家計がもつ潤沢な資金をどう活用するのかは大きな課題である。>

 と書いている。真っ当な見方だ。

◆米国の危機は資本注入で問題解決とはならない、という厳しい見方

 日経新聞10月20日[経済教室]で大村敬一早稲田大学教授が①公的資金投入だけでは不良債権処理は進まない②預貸金利差による銀行支援、米国では難しい③株式資本の価値下落が流動性の危機を呼ぶ――と書いていた。大村氏は1949年生まれ、慶応大学博士課程修了、専門は金融論。著書「金融再生 危機の本質」で日本のバブル崩壊後の公的資金注入とその効果について検証した、という。

 大村氏の主張は、その検証で分かったこととして、日本は公的資金の注入が遅れたが、逆に遅れたために景気上昇期に注入することとなり、上昇の勢いを増すことができたのだが、米国はまだまだ下落する中での注入なので効果は非常に薄いだろう、という。<風邪のひきはじめにこそ資金注入をすべきだとの主張が見られるが、それなら市場にサプライズを与えるほどの巨額でなければならない。>というのだ。

 面白かったのは投資銀行論だ。

 <投資銀行は1933年銀行法で商業銀行から分離されたホールセール型の証券会社である。政府の保護から外れた代わりに商業銀行からの競争と当局の監視から免れ、産業金融の中核にのし上がることができた。しかし、1999年のグラム・リーチ・ブライリー法の成立で、銀行と証券の垣根は事実上撤廃され、預金という安定的で安価な調達手段を背景にして資本力で圧倒するシティ・グループやJPモルガン・チェースのようなユニバーサル型の商業銀行が投資銀行業務に参入して攻勢を強めていた。この対抗策として、既存の投資銀行は資産運用や取引規模を拡大すべく資本力をつけようと株式公開を始め、ゴールドマン・サックスもついに1999年5月に移行した。投資銀行は焦りすぎた。>

 <銀行が預金という決済手段で資金を集めるのに対して投資銀行は市場から直接調達する。以前は一般からではなくリスク許容度の高い富裕層からの私募中心で、投資銀行には規制と保護の必要性がないとされた。だが、投資銀行は業務拡大に伴い公開市場での増資による資金調達を本格化した。これは事業拡大を容易にした半面、市場で日々値洗いされるため、短期的な業績に振り回される結果を招いた。投資銀行が巨大な近視眼的投資ファンドと化した段階でその危機は始まっていた。

 <9月21日、ゴールドマン・サックスとモルガン・スタンレーの銀行持ち株会社転換が承認された。「自由」と引き換えにFRBの庇護、つまり緊急資金援助の権利を選択した。総合サービス型の大規模投資銀行は消滅し、ユニバーサルバンクに軍配が上がった。これで銀行と同様の規制を受けるため現状のような高いレバレッジファイナンスはできなくなり、レント(超過利潤)の消えた証券化業務も急速に正常化される。

 後でもう少し書き足すが、今はここまで。

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2008年10月30日 (木)

オプチミストとペシミストと昭和天皇の円高発言~毎日新聞10月28日[余録]と[牧太郎コラム]、29日[経済観測]より

 10月30日午後6時からの麻生首相記者会見をNHKテレビの同時中継で見た。世界同時株安にどう対処するか、考えられるすべての対策を寄せ集めた、と国民に訴えていた。2005年の小泉総選挙で勝ち取った衆院の議席を背景に、麻生内閣で金融危機を乗り切る、という決意を表明した記者会見だったのだろう。来年秋まで任期一杯やってやるぞ、と見せかけていたが、解散総選挙の時期については上手に質問をはぐらかすなど、巧妙なマスコミ対策も心得ているようだ。

 次いでNHK「クローズアップ現代」には平野前日銀政策委員が登場して、輸出企業は苦しいが、今まで円安とアメリカの好景気という二重の好環境に恵まれて稼ぎまくっていたのだ、というようなことを冷静に話していた。そして、この危機を乗り切ることが先決だが、それをしながら、日本が生き残るための新たな戦略を考えなければならない、と話していた(と思う)。その通りだろう。

 テレビを見ながら、古い新聞を整理していたら、10月28日毎日新聞朝刊、夕刊と29日朝刊に面白いコラムを見つけた。メモしておく。

 28日朝刊のは1面[余録]である。

 <コップに水が半分入っている。これを「まだ半分ある」というのがオプチミスト(楽天主義者)、「半分しかない」と思うのがペシミスト(悲観主義者)だ。>

 という書き出しで、ペシミストの名言を集めたE・マーカス編「心にトゲ刺す200の花束」(祥伝社)という本を紹介。バブル後の株価低迷期の日本で交わされたジョークには「さあ笑おう、今日は明日ほど悪くない」というのもあった、と書いていた。掲載日の28日は火曜日。コラムは27日の月曜日に書いたものだろう。週明け27日は東京株式市場がバブル後最安値を割り込んでおり、

 <市場はペシミストたちに埋め尽くされたかのようだ>

 とあった。そして、余録子は今度は「他人をほめる人、けなす人」(草思社)を取り上げる。

 <著者F・アルベローニがオプチミズムとペシミズムの違いは、人々の未来への不安や恐怖を介して広がる後者の異常な伝染力だと書いたのもうなずける>

 というのだ。そして、

 <ペシミズムの毒への免疫を作るには、不安や恐怖をはぐらかすユーモアやウィットに満ちたペシミストの名言を予防注射する手もある。「人生をそんなに深刻に考えるな。永久に続くもんじゃないんだから」(作者多数)>

 で結んでいた。

 あえて「明るく生きろ」「景気は機の持ちようだから」と書いていないが、「何とかなるからヒステリーにならないで」と、そういうことだろう。

 10月28日毎日新聞夕刊特集ワイド面の[牧太郎の大きな声では言えないが…]は見出しが<「恐れの連鎖」を断て!>と勇ましい。

 昭和天皇が1982年の春の園遊会で84年ロス五輪金メダリストとなる山下泰裕選手に「柔道は骨が折れますか?」と質問されて、山下選手がキョトンとした、とのエピソードを紹介している。

 その2年ほど前に山下選手は試合中に足を骨折しており、そのニュースを昭和天皇が覚えていたのかどうか、というのだ。昭和天皇の鍛え抜かれたユーモアセンスをうかがわせる小話だ、というわけだ。

 この10月23日の秋の園遊会では天皇は石井慧選手に「次の五輪も目指されるのですか?」と聞いたら、石井選手は「目指しません!」。天皇の「他の方向に?」の質問には「はい」と応えた。天皇はみんなが知りたかったことについて、石井クンに直撃インタビューを買って出てくれたようなものだ、というのである。

 そして、話題は世界金融危機に転じる。

 <世界金融危機。世界中が何かを「恐れ」ている。株を持っていない人まで「暴落」を恐れている。日本は円高に恐れをなしている。投資家の「恐れの連鎖」が市民社会にパニックを引き起こしかねない気配まである。>

 <1933年、ルーズベルトは大統領就任式で「本当に恐るべきものは”恐れ”そのものだ」と演説した。29年に始まった世界恐慌で金融システムは混乱し、このころ、失業率は25%。アメリカ人は彼を信じ「恐れの連鎖」を断ち切って、希望を取り戻した。

 <今、必要なのは石井クンのような「恐れを知らぬ度胸」ではないだろうか。天皇は図らずも?石井クンの「自信に満ち満ちた言葉」を引き出した。昭和天皇はかつて「円高は値打ちが上がることで結構なことではないか」と言われた。ピンチの後には必ずチャンスがやってくる。>

 である。

 昭和天皇の円高発言、知らなかった。それにしても石井クンはちょっとやりすぎだけど、堂々としていてすごい、と思って、あの時、テレビのニュースを見ていたことを思い出した。

 このコラムも読者に元気を与える「読むクスリ」だと思う。

 10月29日朝刊経済面コラム[経済観測]の筆者は童氏。見出しは<円高・原油安をどう見る>である。こっちは少し理屈っぽいが、重要な話なので、できれば全文を引き写そうか、と思う。

 <このところ経済について弱気を言う人が賢く見える雰囲気がある。エコノミストや市場関係者と称する人たちは、明るい話には目もくれず、弱い指標ばかりに注目して悪い悪いと騒いでいるきらいがあり、それによって世の中の雰囲気も悪くなるといった悪循環に陥りかねない。その最たるものは、為替相場をめぐる話である。確かに為替相場が昨今のように大きく変動するといろいろな影響が出るわけで、なるべく安定的であってほしいというのはわかる。しかし、為替が円高に振れると、即景気が悪くなるというのは果たして正しいのであろうか。>

 まさしく「そうだ」と叫びたくなるような専門家のご意見だ。

 <確かに輸出に多くを依存している自動車や電機の業界はそうであろう。しかし、原材料を輸入に頼っている業界や、消費関連から見れば、円高の方が収益的にもよいはずであるし、マクロ的に計算しても、最近では、円安よりも円高の方が、我が国からの富の流出は少なく済む。そう見てくると、円高イコール不況という過去の常識からそろそろ決別すべきではないか。>

 円高不況という観念は日本人を縛っています。

 <同じことは、原油をはじめとする海外原料品市況の動きについてもいえる。原油価格が140㌦まで上昇していく過程では、これに伴う物価上昇から消費が低迷すると大騒ぎしたことは記憶に新しいが、原油価格がその半分まで下がった点についてはあたかも無視しているような風情である。上昇の過程で値上げが遅れていたからこれからも末端消費価格はまだ上がるといった論調まであるが、おかしくないか。>

 <値上げが遅れたのは、それに見合う需要の強さがなかったわけで、原価が下がったらむしろスムーズに下がると見た方がよいのではないか。原油相場の下落は我が国経済にとってかなりの朗報であり、この点素直に認めるべきではないか。>

 そういうことだ。疲れたが、全文を書き写してしまった。

 今朝のスポニチで森永氏も言っているように来春からは物価が安くなる。ただ、タイムラグがあるので、来春まで待たねばならないが。そうした庶民生活の機微に触れる部分もできれば経済面であっても書いてほしかったのだが、無理な注文だろうか。

 でも、こういう記事がどんどん出てくることはいいことだ、と思う。しかし、今紹介したように、3本ともコラムニストとか、外部ライターばかり。経済面を埋める一般記事は、記者クラブ詰めの若い記者が株屋さんのあわてぶりを見て書いているためか、いつも「大変だぁ」の連発で日本が今にも沈没するような印象の記事が多くなる。本社のデスクレベルで少しはトーンを修正したらどうなのだろう?

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2008年10月27日 (月)

ホテルバーでの飲食を難詰する前にやることはあるはずだが…~新聞各紙への注文

 新聞各紙が麻生太郎首相について毎夜毎夜、高級ホテルのバーで葉巻を吸いながら、酒を飲んでいるのはけしからん、とそろって「ケシカラン罪」で”起訴”しているのを見て、実は「さもしいなぁ」という気がしていた。

 どうして、さもしい気がしたのか、私自身、どちらかといえば中の下程度の月給生活者なのに、おかしなことだ、と自分で自分の気持ちを不思議に思っていたのだが、毎日新聞10月27日朝刊を読んで、その解答らしきものが少しだけひらめいたので、書いておく。

 毎日新聞2面コラム[風知草]<アフター5の悩みごと>である。

 筆者の山田孝男専門編集委員は、

 <麻生の気分をめぐるこれらの逸話が映し出すものは、解散日程をめぐる麻生の逡巡と、資産家首相のアフター5という格好の話題に群がるメディアの天下太平である。>

 とやっぱり、こんな質問しかできない政治記者を「天下太平」と軽蔑しているようだ。

 そして、政治学者・高坂正尭氏が「宰相 吉田茂」で麻生首相の祖父、吉田茂元首相について述べた言葉をそのまま引用していた。

 「要するに、国民は白タビや葉巻や暴言などを通じて、彼が強い信念を持ち、変動する時代のなかで筋を通してきた人物であることを感じとり、そうした人物を必要としていると判断したのであった」

 である。山田氏のコラムの結語は、

 <麻生は民心をつかめるか。信念を明らかにする刻限が近づいている。>

 だったが、それはさておき、当時は吉田茂のワンマンぶりに対し、まだまだ高給取りであり、地位もプライドも高かった新聞社の政治記者がいつも噛み付いていた時代だった。いわゆる「大記者」が跋扈していた時代である。反吉田で党人派といわれた河野一郎氏らの大幹部政治家と談合し、吉田引き摺り下ろしを画策した記者もいた、と聞く。

 その当時の雰囲気を知って、高坂氏の文章を読むと、味わいが増すだろう。

 あれだけ嫌われながら、長期政権を保てたのは、「永田町の論理」ではあったものの、その裏には庶民たちの「嫌いだけども、子供たちの将来の生活のために、今は我慢しよう。吉田はけしからんが、東条よりかははるかにましだ」という諦念と期待感がないまぜとなった複雑な心理があったのだと思う。その点をリアリストである高坂氏が見事に見抜いて、ズバリと書いた点が、時代の波に流されない秀逸さだったのである。

 翻って、今の政治はどうなのだろうか。

 日本が今にも沈没するかのような経済週刊誌の広告が電車の中吊りや新聞広告で目に飛び込んでくる。テレビをつければ、株の値下がりと円高を騒ぎまくるキャスターの声がうるさい。

 本当にそうなのか? 少なくとも表面上だけ見ていては、誰も「本当はどうなのか」を考えていないように見える。

 円高だ。それも円独歩高である。確かに輸出産業を直撃しているし、その下請け企業も苦しい。政府は対策を取らねばならない。しかし、原油価格は下がっており、円の値打ちが上がったということは、原料価格がなお下がる、ということでもある。円高メリットを最大限生かすためには、東京外為・証券市場の拡充が不可欠でもある。

 「内需拡大が必要」「外需依存から内需への転換」と念仏のようにとなえているのに、具体策が出てこない。政府の対策を見れば、公共事業への依存ばかりが目立つ。なぜ、今、有効性が否定された公共事業なのか? それしかないから、仕方ないじゃないか、という回答が聞こえてきそうだが、そんなことはない。

 以前も書いたが、医者不足解消へ国費をつぎ込むべきで、少子化逆転へ女性の働きやすい環境を今年から整備すべきなのだ。そのための補正予算だったら、反対する政党が逆に批判されるだろう。即効性がない、という反論が出るかもしれないが、そんなことはない。

 と力説しても、そうはならない。

 この堂々巡りのイライラ感を解消してくれるのは麻生首相なのか? それとも、自民党政治では無理だから、混乱必至でも解散総選挙に突入して、がんを切除する荒療治が必要なのか? 

 本当に問われているのはそこの部分なのだと思うのだが、メディア、特に政治部記者にはその理屈が分かっていないのではないか? もともと政治記者は政局には強かったが、経済音痴がそろっているというから、そのような下世話な記事が中心になるのは、ある程度仕方ないのかもしれないが、もう少し中長期的視点でものを見ないと日本はもっともとおダッチロールする。

 その意味では日経新聞10月27日朝刊4面[世界この先 500年の歴史に学ぶ]は良かった。

 <16世紀~銀を制したスペイン>、<18世紀~「世界の工場」英国が君臨>、<20世紀~「米国の世紀」行く末は?>の項目別に<覇権国家の栄枯盛衰>を綴り、<画期的な発明・発見/社会に大きな変革>の記事では<時代切り開いた技術革新>を特集。それに今注目を集めている<バブル生成と崩壊>も1項目に入れて、長期的なスパンで1ページ特集を作っていた。読ませた。読者の思考を刺激して、新たな方策を考え出す糧にしようという発想が素晴らしかった。

 ポール・ケネディではないが、こういう危機の時代こそ、過去に学び、そこから教訓を得て、新たなパラダイムを創出すべきなのだ、と思う。「大国の興亡」だって、アメリカが沈んでいた時に、過去に学ぶために出版したんだったなぁ、と思い出したりした。

 麻生氏の毒にも薬にもならないプライベートの行動ぶりに一斉に注目して、紙面に大々的に掲載するよりは、このような前向きな特集をどんどん展開するよう、他紙にも望みたいものだ。

 それに、政治家って結果責任が問われるんでしょ?

 麻生政権って、できた時にはフラフラの、いわば、点滴を抜いたら死んでしまうような「選挙管理内閣」だったと思うのだけれども、そんな弱体政権にもかかわらず、麻生首相は本気で日本の危機管理をやろうとしているのか、できると信じているのか? それとも一連の言動は総選挙向けのパフォーマンスに過ぎないのか? その見極めこそ大事なのではないか。

 政治記者はそこに思い切り踏み込んで、麻生氏の本心と実現可能性を徹底的に抉り出してほしい。それが政治報道だと思うのだが。

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2008年10月17日 (金)

「馬食い家内が象になった」でいいじゃないか~パソコン誤変換を楽しもう+10月17日産経抄の沢村貞子さんの日常生活

 傑作だった。10月17日読売新聞朝刊[編集手帳]である。パソコンの誤変換で「うまくいかない画像サイズになった」が「馬食い家内が象になった」となってしまったことが、日本漢字能力検定協会が募った漢字変換ミスの年間賞に選ばれた、という内容である。

 <教えれば何でも覚えるが、文脈の流れを理解しない。「記憶力抜群のバカ」と呼んだ人がいるが、文章を作成する機械にはそういう面がある。>とあった。

 その通りなのだが、この種の論調にちょっとした違和感を覚えるのは、もともとワードプロセッサー機能なんて人間の自堕落な便利さ追求の果ての商品で、完全ではありえない、という真理がすっぽり抜け落ちているように思えるからだ。

 文章はボールペンで紙に書くのが一番だ、と思う。脳と手と指とが連動し、脳を適度に刺激し、記憶もリフレッシュされる。パソコンのワープロ機能が年々便利になり、変換も文節変換ができ、記憶能力まで持つようになったが、考えながら変換しているのではなく、使っている人間が判断するチャンスをまだ残している。

 これが、使う人間の特性を覚えて、単語の優先順位をパソコンが決めていく能力をフルに発揮し始めたら、逆に怖くないか。アマゾンのアフィリエイトでお薦めの本がパソコン画面に出てくるのも良し悪しだ、と思うのだ。

 機能的生活とは、別の選択肢を自然自然に排除する日常生活に甘んじることでもある。
 「今の思考の連続で思考を続けていいのですよ。それには、この本が参考になるでしょう」と薦められなくても、自分で本屋さんの店頭や新聞の読書欄、新聞や雑誌、出版社のPR誌で探す楽しみのほうを、私は大事にしたい。

 誤変換を「パソコンって変な奴だなぁ」と面白がる分にはいいのだが、あまり目くじら立てて怒ることはないと思うのだ。編集手帳子も別に目くじら立てているわけではないだろうが。

 日本人は昔から言葉の深みを川柳や和歌、狂歌などを中心に楽しんできた。

 誤変換をきっかけに、言葉の面白みに興味を持つ若者が増えてくれるといいと思う。

 新聞記者は入社早々、先輩から「紋切り型表現をつかうな」と教わる。

 朝日新聞8月18日[天使人語]に

 <駆け出し記者だった頃に厳しいデスクがいて、紋切り型の表現をすると怒られた。びっくりする様を「目を白黒」などもってのほか。「衝撃が走った」と書いた新米の背中に「衝撃」と大書した紙を張り、社内を走らせたという伝説も残した>

 とあった。

 紋切り型表現は最近ではワープロソフトのワードを使い「拝啓」と書き始めると、定例文として「敬具」までの紋切り型表現が次々出てくるサービスもある。

 自分で考えなくなる時代である。

 誤変換が自分で考える機会になれば、と思う。

 産経新聞10月17日[産経抄]も普通の人の普通の生活の大切さを説いていた。

 コラムをMSN産経コムからコピペしておく。

 <テレビドラマの祖母役で、かつお節を削りながら孫娘とあれこれ話すシーンがあった、と、女優の沢村貞夫がエッセー『わたしの献立日記』に書いている。収録が終わると、若い女優がため息をついて聞いてきた。「沢村さん、おうちでもこんなことをしているんですか?」。「そうね、よくやってるわ」「アラ、スーパーへ行けば、チャンと細かくしたものを袋に入れて売ってますよ、知らなかったんですか?」。沢村は、「知ってはいるけれど、使いたくない、とは言えなかった」という。確かにスーパーを見渡せば、便利な食材にことかかない。>

 そう、沢村さんは若い女優さんに、若い人の常識=テレビCMをアプリオリに信用する生活への疑いのない生活信条が間違っている、とは言えなかった。言ってもいいが、面倒だったのだろう。後で「あの婆さん、変わっているわよ」と陰口を叩かれるのがせいぜいだからだ。

 <冷凍野菜もそのひとつだ。たとえばインゲンだったら、筋を取る手間がいらず、そのまま切って、ゆでたり、炒めたりできる。必要なだけ袋から出せばいいから、少量使うときも重宝する。東京都八王子市の主婦が食べたその冷凍インゲンから、基準の3万4500倍という高い濃度の殺虫剤ジクロルボスが検出された。中国で製造されてから、日本の売り場に並ぶまで、何度も行われた検査をかいくぐってきた。ギョーザ中毒事件もまだ解明されていない。つまり今のところ、猛毒の混入を防ぐ手立てがないということか。>

 と、話は一転、インゲンになったので、これでまた世相批判で終わりか、と読むのをやめようか、と思ったら、違った。

 <女優業のかたわら、夫のために丹精込めた食事を作り続けた沢村は、冷凍庫を愛用した。といっても、中身はすべて手作りだった。ゴボウ、タケノコ、干しシイタケを細かくきざんで炒め、みりんやしょうゆでゆっくり煮込んだ自家製「すしの素」や、出盛りのグリーンピースをさっとゆがいて小分けしたものなど。とてもそこまではできない、という向きは、せめて市販の冷凍食品の袋を開いたら、においをかいでみる。こんなひと手間をかけて身を守るしかない。>

 「とてもそこまではできない」と思う前に、「やってやろうじゃないか」と思わないかなぁ。そう思う人が増えれば、都市近郊農家の野菜も売れるし、日本の農業も変わってくると思うのだが…。

 ワープロソフト頼り過ぎ、冷凍食品頼り過ぎ、すべて同じ根っ子のような気がする。便利さに慣れ過ぎて感覚が麻痺しているのだ。もう少し「不便さ」を楽しもうよ。

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2008年10月10日 (金)

朝日、毎日、日経3紙社説が追加経済対策に注文~真の景気対策は早期解散・総選挙なのに…

 10月10日各紙朝刊は不動産投資信託(Jリート)のニューシティ・レジデンス投資法人の民事再生法適用申請、G7を控えた米国のもたつきぶりなど、暗いニュースが目白押し。黒田東彦アジア開発銀行総裁の「アジアの金融機関はサブプライムローンをほとんど所有していないので、1997年のアジア通貨危機のような大混乱には陥らない」と語った都内での講演などは小さな扱いで、見落としてしまいそうだ。

 ただ、そんな中で朝日、毎日、日経が社説でさすが大新聞と褒めてもいいような論を展開していたのでメモしておく。いずれも麻生太郎首相の指示で自民党が検討を始めた第二次補正予算への注文。「選挙目当てのバラマキ型は百害あって一利なし」というような内容である。

 毎日新聞社説<追加経済対策/国民の先行き不安取り除け>は「景気の悪化を回避、あるいは緩和するため何らかの対策が必要なことは間違いない」としながら「押さえておかなければならないことは、経済の先行き不安を除去することだ。緊急対策がいう『安心実現』である。具体的には、年金や医療など社会保障制度の再構築、非正規労働の正規化や新規雇用の創出、賃金引上げなどである」とする。

 そして、「自民党内で議論されている追加対策の柱は、企業向けの投資減税、株式市場対策としての証券優遇税制拡充、高速道路通行料の1年間大幅引き下げ」として、各項目を検討。「これで日本経済は改善するのか。現状ではその効果は限定的と言わざるを得ない」と断定する。

 駄目な理由として、

①企業へのてこ入れで景気を良くするという、供給側に立った政策。企業の設備投資支援は最小限必要だが、需要が盛り上がらない中では供給過剰が拡大する

②需要拡大には短期的には安定雇用の確保・拡大や所得増が効果的で、根本的には先行き不安の払拭が必要であり、1年限りの定額減税より基礎年金の国庫負担引き上げを財源も挙げて確約することが有効

③雇用支援は緊急対策でも重要項目なのに具体性に欠けており、効果的施策を盛り込むことができるかどうかが焦点

④株価対策としての証券優遇税制拡充は筋違いで、税制に歪みをもたらす。株価が上がる保証などなく、結局は金持ち優遇になるだけだ

⑤高速道路通行料金の大幅引き下げは選挙対策色が強く、大衆迎合

 ――の各点を挙げていた。

 毎日新聞2面<追加経済対策/財源論置き去り/総選挙にらみ/首相「地方に配慮を」>では自民党の保利耕輔政調会長が9日の麻生首相との会談後、追加対策の歳出規模を「08年度補正予算案(1兆8000億円)を大きく上回る」と語った、とあった。

 財源としては国債償還に回す予定の国の財政投融資特別会計の余剰金約3兆円を定額減税と高速道路料金の大幅値下げに振り向ける案が浮上しているそうだが、それだけでは不足するうえに、年末には09年度からの基礎年金の国庫負担の3分の1から2分の1への引き上げ分の2兆3000億円の財源手当ても必要になり、また、景気悪化で08年度税収の大幅落ち込みが予想されるため、相当規模の赤字国債が避けられなくなるのではないか、と書いてあった。

 1997、98年の橋本龍太郎政権の苦い経験は「悪夢」「トラウマ」として与党幹部の頭にこびりついているだろう。大型景気対策になるのは間違いない。

 そんな現状を批判した毎日社説だった。

 しかし、雇用にしても医療、年金の拡充にしても効果が出るのは相当先の話だろう。麻生首相の言うような「壊滅状態の地方経済をどうしてくれる」という緊急対策を求める声をどう説得できるか、が難しいところだろう、と思う。

 もう少し深く考えると、毎日社説が主張するような正統的で構造改革的な手法は強い政権でしか実行できないのではないか、と思う。

 つまり、追加経済対策を行うにしても今の自公の漂流連立政権では無理だと思う。

 結局は、「政治は何もできない」という政治不信を払拭し、日本に新しい権力構造を現出させるためにも、早期解散、総選挙が唯一の景気対策という気がしてならない。

 社説紹介に戻ろう。

 朝日新聞社説<追加経済対策/「安全網」の再構築こそ>も基本的に毎日新聞社説と同じトーンだった。

 「麻生政権の考え方は、まず減税や公共事業など財政出動による旧来型の景気対策ありきと見受けられる」と批判。

 「公共事業や減税を大盤振る舞いした小渕内閣の路線へ、まるで逆戻りしたようだ。『困った時の常備薬』。そんな皮肉を言いたくもなる。バブル不況から脱出するために景気対策を連発した結果、国だけで550兆円もの国債残高が積み上がり、財政が身動きできなくなってしまった」とあの忌まわしい時代を思い起こさせる。

 550兆円である。その結果、ケインズ的手法が通じなかった、という苦い経験則を残しただけとなった。

 そして社説は「財政に余裕があるならまだ分かるが、使える財源はごく限られている。今回の不況はまだ始まったばかりで、先が長く底も深そうだ。なけなしの財源は、いちばん効果的なときに有効な方法で使わねば意味がない」と安易な財政出動という誘惑を一刀両断、斬り捨てている。

 「いま取り組むべきなのは、少子高齢化が本格化していくのに備えて、社会保障を組み替え、維持していくことではないか。『安全網』の再構築なしに国民の安心は得られない」という部分は毎日社説と同じ。

 「遠回りのように見えるが、それが結局は内需を充実させることにつながるに違いない」というのは、先ほどの「迂遠過ぎるではないか」という批判への回答にもなっている。

 朝日社説は民主党の前原誠司前代表が代表質問で主張した道路財源を社会保障に大胆に注ぎ込め、という論に賛成する。

 そのうえで、「金融危機のあおりで資金繰りが厳しくなってきた中小企業へ、信用保証で資金を回す。雇用確保や内需型への転換に努力する企業に対し、応援する政策も有効かもしれない」と具体策を提案していた。

 言いたいことは「薄く広く予算や減税をばらまくのではなく、効果があがりそうな分野へきめ細かく対策を打つ。そうした対策づくりを求めたい」という結論部分なのだろう。

 敗戦直後に片山連立内閣で経済安定本部が日本中の知性を集めて発足し、知恵を絞って、傾斜生産方式導入を決めた。庶民生活の困窮対策を一時的に置き去りにした製作だった。しかし、この将来を見据えた政策立案と実行が朝鮮戦争という「天佑」に恵まれたこともあって戦後復興を生んだ。

 いまこそ、その経験を生かす時だろう。日本中の知性が集結し、立場の違いを乗り越えて、日本の未来を見据えた骨太の政策を作るべき時だ、と思う。

 日経新聞社説<経済急変に政府・日銀は実効ある対策を>もトーンは同じだった。

 日経は金融政策にも言及し「日本の政策金利は年0.5%と非常に低いので金利を下げなかったのは理解できる。しかし金融・経済情勢が著しく悪化していくような場合には、一層の金融緩和策をためらうべきではない」と注文した。

 そのうえで、日経社説は「情勢をよく見て効果のある政策を選ぶべきだ。バブル崩壊後、公共事業中心に事業規模で合計約140兆円の経済対策を実施したが、あまり効果はなく、結局、金融機関への資本注入による不良債権処理が決め手となった」と昔を振り返る。

 追加対策として浮上している定額減税の具体化、設備投資減税、中小企業の資金繰り支援、新たな証券優遇税制については「ここで大切なのは一時的な需要の喚起・負担軽減に役立つだけでなく、中長期的な経済体質の改善や生産性向上につながる対策をとることだ」と、目先の対策を拒否。

 「たとえば農業や漁業の効率化に資するような形での補助金とか、地球温暖化対策に役立つ省エネ機器、太陽電池関連機器への補助、優良な中小企業への手厚い資金繰り支援などはやり方しだいでは意味があろう」と主張した。

 さすが日経新聞、産業の内容に関しては具体的できめ細かい。

 そのうえで、「半面、一時的な効果に限られる定額減税の規模は慎重に考えるべきだ。経済と財政の実情を考えるなら、効果の薄い政策に多額の資金を注ぎ込むのは裂けるべきである」と釘を刺していた。

 追加経済対策については新聞各紙は案外冷静だった。前のめりになっていなかったので安心した。

 熱狂が支配すると政府は判断を間違えるし、大衆民主主義的な「パンとサーカス」政策は結果として、ろくなものはない。

 今回の社説に直接関係はないが、コメの流通について触れておく。

 有毒物質が入った輸入米が日本国中に出回った事件は、早くも忘れ去られようとしているが、あの事件で一番驚いたのはコメの流通経路の複雑さだった。

 農水省の官僚は消費者に顔を向けずに、このような儲かりそうもない流通業者たちを温存しているのだ。

 村山・橋本政権で揺れた住専への公的資金投入問題では自民党が農家ではなく農協の幹部の顔色ばかりうかがっていることが明るみに出ていた。大きな社会的事象が起きるたびに、日本社会の隠された矛盾が明らかになるのだが、今回の有毒米事件が問いかけた課題を軽視してはならない。

 必要なことははっきりしている。

 この不必要な流通システムを簡略化し、構造改革することだ。

 そうすれば、農水省の役人も半分は不要になり、消費者行政の対応に異動させることができるだろう。

 時代の要請に応えられない霞が関システムを変えることができない自民党・公明党連立政権を早く終わらせ、政権交代させることが必要だ、という思いは有毒米事件で強まった。

 世界金融危機はグローバルな課題であり、日本も影響を蒙ることは間違いない。今後も苦しい状況が何度も出てくるだろう。しかし、これは不良債権処理を終えている日本にとって最大のチャンスであることも間違いない。

 こうした客観的状況を忘れずに、政治家は危機に前向きに対処してほしい。

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2008年10月 9日 (木)

新聞はどうして危機をあおるのか?~円高メリット、原油価格下落もきちんと報道を

 米国発世界金融危機、新聞はどうして「危機」をあおるのだろうか?

 最近、新聞紙面を見ていると、米国のサブプライムローンを発端とした金融危機の拡大について、連日のように世界金融危機が来る、世界恐慌が来るのではないか、と狼少年のように警告を発し続けているように見える。

 それはそれで一面では正しいのだが、もう少し冷静な報道も必要ではないか。

 例えば、円高が日本経済を直撃する、と恐怖心をあおり、相変わらずの「円高恐怖症」ぶりが目立つが、円高が進めば日本の価値が上がるのだから、いい面だって出てくるはずだ。

 なぜ、新聞はこのように悲観的なのだろうか? と考え、「新聞は商品であり、どんな読者も怒らせてはいけない、という経営方針からくる呪縛があるからではないか」と思うようになった。

 円高メリットを書いても、今、日本の財界や経済界で力を持っている人たちには他人事なのだが、円高デメリットは自分のこと、という企業が日本を引っ張っており、読者にしてもそういう企業に勤務していたり、付き合いがある人も多い。

 一方、円高にメリットを感じる人は今後、産業構造改革を起こして活躍する「一人前未満」の人々が多いはずである。

 本当は、そういう「一人前未満」の人々が輸出中心の産業構造をぶち壊して、アジアと日本、米国をうまく結びながら新しいパラダイムで新規産業を伸ばせれば、輸出産業の落ち込み分を十分カバーできるのだが、そうなると、今、実体権力を持っている人々が相対的に没落して、新しい権力者が生まれる。

 経済界における権力構造の転換である。

 昔の話だが、円高が急激に進んだ、と聞いた田中角栄首相の第一声は「燕の洋食器は大丈夫か」というものだった、という。

 今、権力を持っている政治家は自分を後援してくれている企業、個人を第一に考える。

 何だかんだ言っても、政治と官僚と業界の癒着は深層部分で続いているし、今の輸出型産業構造を本気で変えないと、これはなくならないかもしれない。

 政治家も経済官庁のトップも経団連トップも頭の中は輸出産業を中心とした日本の大企業の生き残りである。

 確かに大事なことだが、このために、経済の自然の流れを逆転させると、大きなツケが国民にかぶさってくる。

 1997、98年の日本経済破綻から実は日本は立ち直っていないのか? 

 竹森俊平氏は「1997年~世界を変えた金融危機」で日本経済は本格的に自力更生したのではなく、米経済の沸騰のおかげで輸出産業が盛況となり、外需で成長しただけだ、と喝破していた。今でもそうなのか? 日本経済の足腰はもう少し丈夫になったのではないか、と思うのだが。

 麻生首相はG7会合に出発する中川財務・金融担当相に対し、日本の公的資金投入の経験を詳しく教えてくるように指示したというが、これはその通りだと思う。さすがに橋本政権で日本が経済破綻した時の経済企画庁長官だけあって、10年前のことを覚えていたのだろうか? 今は欧州、米国とも日本の苦しかった経験を政策に生かす時だろう。

 それにしても、日本は昔のサミットでの「日独機関車論」ではないが、ヨタヨタしながらも、世界経済を引っ張っていく、というか、少なくとも他の主要国が間違った道に迷い込まないようにアドバイスする役目を背負わざるを得なくなっている。

 内海、黒田氏ら財務官経験者の「通貨マフィア」が繰り返し発言しているように、日本は自信を持って国際政治経済市場で日本的なやり方を掲げて「Show the Flag」すべきではないか。

 つまり、遠慮せずに日本の存在感を示すべき時だ、と思う。

 そのためにも、新聞は悲観論だけでなく、現状をきちんと分析して冷静な報道をしてほし。原油価格が下がっていること、国際的な穀物相場がある程度沈静化していることなども含め、米欧の苦境がいつどのように日本などアジアに波及すると見るのか、米金融危機のピークをいつと見るのか、などの見通しを含めて、当面は円高メリットも正当に評価しながら議論を展開してほしい。

 最近の朝日、毎日、読売の1面、2・3面、経済面の見出しを見返すと、悲観論のオンパレードみたいに見える。実際は[大波小波][経済観測]など、冷静な議論も紹介しているのだが、そうしたプロの議論は地味な扱いで、大きな扱いになるのは兜町の関係者のため息や繰り言が中心と見えるのだ。これには記者クラブ制度の悪影響もあるのかもしれない。もう少し冷静になってほしい、と、つくづく思う。

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2008年10月 6日 (月)

江副浩正氏の土地バブル論、言いたいことは何なんだろう?~朝日新聞10月6日朝刊[私の視点]

 懐かしい名前を見た。

 リクルート事件被告だった江副浩正氏である。

 朝日新聞10月6日朝刊OPINION面[私の視点]で<土地バルブ/不動産価格も「格差」の時代>のタイトルで寄稿していた。

 内容は国土交通省が発表した7月1日の基準地価を分析しながら、

①商業地がマイナス0.8%と2年ぶりに下落し、住宅地も17年連続の下落となり、マイナス1.2%と下げ幅が拡大し、不動産バブルが崩壊したこと

②不動産も選別の時代に入り、銀座は値下がりしていないのに、渋谷は値下がりしていること、

③住宅金融支援機構(旧住宅金融公庫)の「フラット35」という長期固定金利の住宅ローンが、同支援機構に40兆円弱の貸付残高があり、近く民営化されると政府の後ろ盾という「信用」「がなくなって、同機構が買い取ったり保証した住宅ローンの証券化商品に不安が生じ、「日本版サブプライムローン問題」が生じる懸念があること

 などをあげていたのが目立ったところ。

 分析としては、

 <今回の不動産バブルの崩壊は、景気循環的なものに加え、規制緩和、社会状況の変化による構造的な要因がある。これまでとは様相が異なり、谷が深いと思える。>

 の部分が言いたいことなのか? それも常識だと思うのだが。

 <「土地が足りなくなり、全国的に地価は上がる」という土地神話は通用しない時を迎えている。>

 が結びの言葉なのだが、何か常識的なことしか書いていない感じがする。

 せっかく江副さんが出てきたのだから、何故今書こうと思ったのか、リクルート事件当時の狂乱バブル時との比較などを実感的にしてほしかった。読んで得した、という感じがしなかったのが残念だった。

 と思ったら、同じ朝日新聞対社面の「AERA」の広告で<世界同時 地価「最終暴落」始まる/郊外マンション7割売れ残り/投げ売りの「限界マンション」とは/倒産続出、不動産業界は来年3月に地獄が来る/米国、英国、スペインも底なし/北欧でも>とおどろおどろしい文句が並んでいた。

 そうかぁ、「AERA」の宣伝用の寄稿だったのか!?

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2008年10月 2日 (木)

朝日、読売、日経の印刷相互委託:「あらたにす」以来の協力深化~10月2日東京新聞朝刊

 朝日新聞と読売新聞は10月2日朝刊1面にそろって社告を出し、印刷相互委託推進と、日経新聞を含めた3社の災害時の援助協定で合意した、と告知した。

 毎日新聞は無視していたが、東京新聞は2日朝刊対社面ベタ記事<日経、朝日、読売印刷を相互委託>で事実関係を報じ、産経新聞は2日朝刊経済面メモ扱いで掲載していた。

 東京記事を引用する。

 <日本経済新聞社、朝日新聞社と読売新聞グループ本社の全国紙3社は1日、新聞の印刷の相互委託や、共同配送の拡大などで連携を強化すると発表した。3社は災害時の援助協定を3月に結んだが、今回、通常時の協力体制も強化し、コストの低減を図る。>

 <具体的には、読売の香川県坂出市の工場に、朝日が2013年までに印刷を委託し、朝日の同県丸亀市の工場は閉鎖する。読売は11年ごろ、朝日の千葉県船橋市の工場に印刷を委託。他の地域でも、日経を含めた3社で印刷委託や共同配送を検討する。>

 <また、災害などで、3社のいずれかの新聞が発行できなくなった際、相互に印刷を代行するといった援助体制を、青森県弘前市の3社の工場で今年11月から始める。仙台地区など数カ所でも準備中という。>

 東京新聞の記事は以上だ。

 産経新聞の記事もほぼ同じ書き方なので、共同通信が配信した記事を使用した可能性が高い、と思われる。

 朝日社告では<朝日新聞の印刷工場は全国に24カ所あります。工場で障害が起きても、近くに日経や読売の工場があれば、代わりに印刷してもらうことが可能となります。今後、北海道や仙台市、名古屋市などでも、計画を進めていきます。>とあり、また、読売新聞との相互委託印刷は初めてで、印刷開始は2011年から13年を予定している、とあった。

 読売社告では<読売は千葉県と都内東部向けの新聞印刷を朝日新聞船橋工場に委託し、朝日は四国向けの新聞印刷を読売新聞坂出工場に委託します。双方とも2012年をめどに行います。両社が新聞の印刷を相互委託するのは初めてで、併せて両工場からの新聞の共同輸送に向けても協議します。>とあり、朝日新聞との間で今後、北海道、群馬県の工場で準備を進める、とあった。

 微妙に時期が違っていたりするのはご愛嬌か。

 朝日、読売、日経の「勝ち組」3社の共同行動が表面化したのは2007年10月1日にインターネット分野での共同事業と販売事業分野での業務提携に合意し、災害時等の新聞発行をめぐる相互援助覚書を締結した頃からだった。

 「あらたにす」ホームページによると、07年11月30日付で3社共同で民法上の任意組合「日経・朝日・読売インターネット事業組合」(長田公平理事長=日本経済新聞デジタルメディア社長)を設立。これを運営組合として、共同で2008年初めにインターネット事業を開始する、と書かれていた。

 <共同事業は、新聞社が発信する報道や解説、評論の価値をインターネットの世界でも高めるため、各社単独では展開できないサービスを提供します。3社の主要な記事や社説の読み比べができるサービスのほか、ネットの様々な技術を活用して、3社のニュースを共同で発信するためのツール等の提供も検討します。事業費は当面、数億円規模とし、3社が均等に負担します。>

 と、費用負担など経営上の諸問題がすでにクリアされていることも明かし、堂々の船出となるはずだった。

 ところが、この「あらたにす」サイトへのアクセスが伸びず、3社も困っている、という。

 しかし、この一見華やかな協力作業の裏で着々と実践的な協調体制作りが進められていた、ということだろう。

 「あらたにす」スタート時には「毎日新聞排除」「毎日潰し」など、毎日新聞社を仲間に入れなかった理由について様々な憶測を呼んだが、今回の相互印刷委託協力体制を見ると、新聞大手3社がカルテルを結び、必死で生き残りをはかろうとしている姿が浮かび上がる。

 広告収入減、部数減に直撃され、各紙とも経営は苦しい。

 グローバル・スタンダードになりつつある「米国型メディア・コングロマリット」として生き残る道を模索するには、今や新聞がテレビ局の軍門に下るか、外資を含めた他分野の経営者を迎えねばならず、プライドの高い新聞人にとっては、なかなか取りにくい選択肢だろう。

 それに、地上波デジタルへ移行時期が近づいており、新聞社系列の民放テレビ局の経営も万全ではない。

 3社は「インターネット全盛期の新聞」がいかに生き残れるか、という答えのない闇夜の航海に海図を持たずに出るに際し、まずは出費を抑える、という形で足腰を固め、当面の延命措置を取った、というところなのだろうか。真相は分からないが。

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2008年9月27日 (土)

街の監視カメラ、プラス評価が多いようだ~東京新聞9月27日夕刊から

 東京新聞9月27日朝刊[生活]面[私もひと言]欄で<街の監視カメラ>を取り上げていた。見出しは<気分的に安心/教育で抜本対策を>。前文は<防犯効果に期待する一方、プライバシーが気になる人も多いよう。>とまとめていた。

 50代の会社員男性は居住するマンションでいたずら防止のため2年前に監視カメラを設置。「今の世の中は何かにつけて危険。防犯かプライバシーか迫られたら防犯を選ぶ」。

 70代の無職男性はマンションのガラスドアが壊されて自転車が盗まれたため、監視カメラの設置を検討中。「ほかの手段が考えられず、防犯のためには必要だが、嫌な世の中になった」。

 30歳の主婦は「監視カメラがあれば気分的には安心。だが、いざ大きな事件が発生した時にしか役に立たず、犯罪の防止にはつながっていない。もっと活用の仕方を工夫してほしい」。

 60代の会社員男性は「監視カメラはプライバシーの侵害。見回りの人数を増やし、教育などで根底から解決しないと犯罪は減らないのでは」。

 70代の自営業男性は「地域防犯の基本は近所づきあいの緊密化だが、世の中が昔と変わっているので新しい方法もやむを得ない。監視カメラでプライバシーを侵害されたと感じたことは一度もないが、映像が悪用されないよう管理は厳重にすべきだ」。

 40代の会社員男性は「風景写真を表示できるインターネットのサービスで自宅を検索したら、車のナンバーまで読めたので削除してもらった。現場に行けば確認できる情報とはいえ、簡単に机上で見られることに怖さを感じる」。

 最後の声はグーグルのストリートビューに関する意見だったが、基本的に街頭の監視カメラに関しては肯定的な意見が多いようだ。僕らの目に見えるのは丸いガラスだけで、その中にカメラがあり、そのカメラが中央監視室につながっていたり、そうではなく、回し続けたカメラを後で時間を遡って見ることができるわけだが、その「裏」の部分は一般市民は見ることができないから、プライバシーが侵害されている、という実感がわかないのと、犯罪防止効果があることでプラス評価が多くなるのかもしれない。

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<鳥瞰図>を<とりあえず>と読む若い人+新聞OBによる政治家失言報道批判~各紙コラムと業界紙から

 読売新聞9月27日[編集手帳]が面白かった。

 歌人の鎌田弘子さんに、漢字の読み違えを詠んだ

 <鳥瞰図(ちょうかんず)を とりあえずと よむというを 一度(ひとたび)笑い たちまちさみし>

 という一首がある、と紹介したものだ。

 「あえて…する」の「あえて」は「敢て」で「瞰」に似ている。

 大所高所から見る、という意味の「鳥瞰図」と、目先の「とりあえず」の対比が面白い、とあった。

 若い「おバカ」タレントが並んで、クイズに答えるテレビ番組が結構人気だが、そんな番組でも取り上げているのだろうか。二十歳を超したくらいの女の子が「とりあえずぅ?」と語尾を上げながら答えている姿を想像すると、たしかに笑える。

 だが、鎌田さんは、笑ったあと、「たちまちさみし」なのである。

 日本語を大切にしたい、と真剣に思い続け、日常生活の中からきれいな日本語を紡ぎ出している歌人にしてみれば、あまりにも若い人(だけでなく、団塊の世代だってえばれないのだが)の国語能力の低下に寒々としたものを感じたのだろう。

 新聞コラムは、このあと一転、小泉政権論になるのだが、それはさて置き、このような読み間違い、結構あるのだろうなあ。

 同じ日の朝日新聞[天声人語]は舌禍で辞任した中山成彬国土交通相を取り上げた。

 中国の宋代の大詩人で政治家でもあった蘇軾(そしょく)は直言癖が災いしてか、たびたび遠方へ流されたりしたが、詩の一節に「自ら笑う、平生、口の為に忙なるを」と記したそうだ。口がもとで数々の面倒を起こしたのが自分でもおかしい、という意味だと中国文学の井波律子さんの著書にあった、と。中山氏の失言だけでなく、引退表明した小泉純一郎氏も「口の為に忙」な人だった、と半分こじつけていた。

 毎日新聞[余録]は中山氏辞任を皮肉るのに中国の格言を三つ出してきた。

 まずは、「禅譲」という言葉は中国の伝説の帝王が子ではなく有徳の者に帝位を譲った故事によるとして、その帝王の一人である舜(しゅん)は禹(う)への禅譲に際して「口は好(こう)を出(いだ)し戎(じゅう)を興(おこ)す」(口は友好をもたらすこともあれば、戦争を引き起こすこともあるといういましめ)と言って、政治に携わる者は言葉に気をつけるように諭した、とある。

 また、人のしゃべる言葉を兵事になぞらえた名言として「口は関なり、舌は兵なり、言を出して当たらざれば反(かえ)って自ら傷(そこ)なう」(説苑)を紹介している。口は関所で、舌はそこに詰める兵隊。口から出た言葉が不適切なら自分が傷つくのだから、慎重に話せ、という意味だそうだ。

 もう一つ紹介していたのが「乱の生ずる所は即ち言語を以って階を為す」(易経)。乱は言葉から始まる、という意味だそうだ。

 鎌田さんの「笑って、たちまち寂しくなる」気持ちに通じるのか通じないのか、分からないが、天声人語子の

 <それにしてもと思う。国会論戦などの肝心なメッセージはさっぱり胸に届かず、失言や放言、漫談まがいばかり記憶に残る。これは政治家の劣化か。それとも政治に娯楽を見いだした我々が、まじめな言葉には打てども響かなくなっているのか>

 という言葉が、なぜか気になった。

 実は、偶然目にした新聞業界の業界紙「新聞之新聞」10月6日号の1面コラム[ひろば]で元毎日新聞社専務の平野裕氏が<失言報道は自家撞着>のタイトルで新聞の政治家失言報道について相当にひどい言葉で批判を加えていたのを思い出したのだ。

 <…僅か五日後の辞任劇は全く後味が悪いものだった。最後に、日教組に悪態をつきながら引きずり下ろされる様に舞台を去って行く姿は見るにたえなかった。>

 <政治家の失言報道は新聞でいちばん嫌な記事である。政治家の軽率さというだけでない。言葉が仕事のジャーナリズムが人の断片的な言葉遣いをとらえて民衆の前にさらすという言論の自由の根幹に触れるものだからである。>

 と持論を展開し、話題は一転、平野氏が現役時代の得意分野だったロシアに移る。シベリアで服役中のかつての「石油王」が起こした仮釈放申請の裁判について、メドベージェフ大統領を気にしながらも、ロシアのメディアが「健闘した」報道ぶりだった、と褒め称えた。そして、

 <それに比べ、日本の新聞は内向き。その最たるものが、今回の中山国交相の失言による辞任劇だった。>

 と返す刀で日本の新聞の批判をしているのだ。

 <日本の現職閣僚の失言はある日突然起こる。ある閣僚がこんな怪しからんことを言ったと、発言した前後の事情説明も無く紙面に現われる。その後は、進退問題、総理の任命責任とあれよあれよという間にワンパターンで進行する。>

 <言葉遣いの曖昧さも全く気にすることなく記者たちは記事化し、編集者は紙面化する。>

 <一度記事化されると、失言は一人歩きして政局の渦中に巻き込まれ、新聞は報道に都合のいい談話を集めてフォローし、失言した政治家は弁明する心の余裕もなく、ごうごうたる雑音を浴び、進退窮まって辞任に追い込まれる。>

 <政治家は公人と言っても基本的人権はあるはずだ。世の中に完全無欠な人間なぞいない。誤った発言をすることだってある。謝って修正すれば許せばよいのに、誤報を訂正で済ます新聞が絶対に容赦しないのもおかしい。>

 <もう少しこの問題を掘り下げると、新聞にタブーがあるという。雑誌編集者の間では、新聞が書かないタブーの問題を意識して編集を心掛けているという話である。特定の問題について当たり障りのない報道を心掛けるというのがタブーであり、皆で渡ればの意識で、妙にそれが共通しているのも特徴と言える。>

 <そのタブーを破る発言をした人物に新聞が一斉に襲いかかり、「物言えば唇寒し」の心理にさせ、自由な言論を封殺するとすれば、ジャーナリズムの自家撞着という他ない。>

 という論理展開で、「ジャーナリズムの自家撞着」にたどり着く。「新聞の書かないタブー」問題の中に日教組批判が入っているのかどうか、はっきり書いていないから分からないが、前後から推測するに、そうであるようだ。平野氏の思考方式だから、もしかすると、部落開放同盟の加入者による不正や在日朝鮮・韓国人の利権問題など、あまり新聞が書かずに週刊誌が特報するような問題も「タブー」として考えているのかもしれない、と推察できる。

 平野氏の論は極端であり、物事の重要性のレベルを無視している、という点で与しないが、新聞のワンパターン化した政治家批判にも苦々しいものを感じる時があるのは事実だ。せめて、天声人語子がこの日書いたような<自分の足元を見つめる視線>、複眼の視点も併せ持ってほしい、と思う。

 10月1日産経新聞朝刊政治面コラム[政論探求]<「失言」騒動の危うさ>で花岡信昭・客員編集委員が平野氏と似たような論を展開していたが、同様に賛成できない論旨だった。

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2008年9月26日 (金)

麻生内閣支持率は森内閣並み~世論調査結果、9月26日各紙朝刊比較+朝日9月30日朝刊曽我豪氏コラム

 各紙が24、25両日行った世論調査結果が26日朝刊1面トップで報じられていた。注目は内閣支持率と政党支持率である。

 各紙の数字を並べてみよう。

               朝日    毎日    読売    日経    共同

内閣支持         48      45     49.5     53(29)  48.6

内閣不支持        36      27     33.4     40(63)  32.9

今比例区で自民党   36(28)           37.0      36     34.9(38.4)

今比例区で民主党   32(32)                   29.5     33     34.8(34.9)

自民党           34(29)   28(24)  37.4(43.4) 41(37)    37.0(36.8)

民主党           23(19)   22(24)  22.8(26.3) 31(30)      28.3(27.0)

公明党           3(2)    4(4)    3.1      4(3)       4.7

共産党           2(2)    3(3)    3.1      4(4)       2.4

社民党           1(1)    2(1)    1.8      2(2)       1.2

国民新党          0(0)    0(1)        0.2      1(0)       0.3

 (朝日の括弧内は9月11、12日調査。読売調査の政党支持率括弧内は自民党総裁選の告示直後に実施した緊急電話調査。)

◆選挙直前調査を比較すると、民主党の支持率が落ちていないのが特徴

 読売新聞3面は衆院解散直前の自民・民主両党の政党支持率と選挙結果の一覧表を掲載していた。

        支持率(%)            選挙結果

        自民  民主           自民  民主

2000年    34.2  9.6            233   127

2003年    39.2  8.5            237   177

2005年    34.1  11.6            296   113

           (2000年の民主党の支持率は自由党との合併前)

 これを見ると、民主党の政党支持率が従来の選挙では減っているのに、今回は減っていないのが最大の特徴なのだろう。

◆内閣支持率の意味するもの

 毎日調査で麻生内閣支持率は無党派層で33%にとどまった。

 朝日調査で内閣支持率は福田内閣後半に20%台に低迷したのに比べると大きく回復したが、安倍内閣発足時(2006年9月)の63%、福田内閣発足時(2007年9月)の53%を下回った。

◆歴代内閣発足直後の支持率比較

 毎日調査で最近の内閣の発足直後の支持率を比較していた。森内閣(2000年4月調査)支持40%、不支持24%。小泉内閣(2001年4月調査)支持85%、不支持5%。安倍内閣(2006年9月調査)支持67%、不支持16%。福田内閣(2007年9月調査)支持57%、不支持25%。麻生内閣(2008年9月調査)支持45%、不支持26%。だから、麻生内閣の支持率は森内閣並みということになる。

 読売調査でも内閣発足直後の支持率は1993年8月9日発足の細川が71.9%、1994年4月28日発足の羽田が56.8%、1994年6月30日発足の村山が37.0%。1996年1月11日発足の橋本が56.9%。1998年7月30日発足の小渕が33.1%。2000年4月5日発足の森が41.9%。2001年4月26日発足の小泉が87.1%。2006年9月26日発足の安倍が70.3%。2007年9月26日発足の福田が57.5%。2008年9月24日発足の麻生が49.5%。こちらも森内閣並みだ。

 日経調査でも安倍(71%)、福田(59%)に及ばない53%。不支持率が40%と福田内閣(27%)、安倍内閣(17%)に比べて際立って高い。

 共同調査では宮沢55.1と24.5.細川は75.7と12.7.羽田は51.6と31.3。村山33.2と52.1。橋本63.0と29.2。小渕31.9と59.3。森42.9と25.4。小泉86.3と6.0。安倍65.0と16.2。福田57.8と25.6だった。麻生は48.6と32.9で、やはり、森か羽田型といえそうだ。

 朝日調査では「仮に今投票するとしたら」として聞いた比例区の投票先は昨年12月からの調査で初めて自民が民主を上回った。選挙の鍵を握ると見られる無党派層では民主27%が自民17%をまだ上回っている。

◆望ましい政権の形は?

 「望ましい政権の形」は朝日調査で自民中心が39%(9月2、3日調査は32%)、民主中心40%(同41%)と伯仲した。読売調査では自民中心が46.9%、民主中心が35.6%。日経調査では「自民と民主の参加する連立政権」が50%で最も多く、「自民中心」と「民主中心」はいずれも19%だった。無党派層でも大連立が59%、自民中心13%、民主中心12%と、大連立への傾斜が目立った。共同調査では「自民中心」が今月は今月初めの前回調査より5.2ポイント減った38.1%。「民主中心」は2.1ポイント増えて43.8%。

◆「どちらが首相にふさわしい?」では圧倒的に麻生氏の勝ち、小沢氏の負け

 「麻生首相と小沢代表のどちらが首相にふさわしいか」では、朝日調査が麻生首相54%、小沢代表26%で、圧倒的に麻生氏。無党派層でも44%対22%で麻生首相に軍配が上がった。毎日調査でも麻生氏42%、小沢氏19%で、無党派層でも麻生首相34%、小沢氏10%と麻生首相が大きくリードした。麻生首相を選択したのは男女とも4割を超えたが、小沢氏は男性28%、女性14%と、女性の不人気が目立った。読売調査でも麻生氏53.6%、小沢氏25.9%。日経調査も麻生氏35%、小沢氏22%。民主党支持層でも「小沢氏がふさわしい」は53%にとどまった。共同調査でも麻生氏53.9%、小沢氏29.4%。

◆毎日新聞は「どちらに勝ってほしいか」を調査した

 毎日調査で「次期衆院選で自民党と民主党のどちらに勝ってほしいか」では5月調査で民主51%、自民24%と最大27ポイントの差がつくなど、常に民主がリードしてきたが、今回は自民41%、民主37%と初めて自民が逆転した。

 これで産経新聞を除く各紙調査結果が出た。毎日新聞では現場の政治記者は「自民党執行部が予想よりも低いので、早期解散に迷っている」と分析しているようだ。読売新聞は11月2日投票で一直線のようだ。

 しかし、26日朝刊には早速、中山成彬国交相の成田問題での「ごね得」発言が載っているように、時間がたてばたつほど、内閣のボロが出てくるので、思い切った早期解散・総選挙になるのではないか、と思う。やはり10月26日投票だろう。

(9月30日追加)

 朝日新聞9月30日朝刊政治面コラム[政態拝見]<総選挙前哨戦 争点設定の勝負が開幕>で曽我豪編集委員がこの世論調査について書いていた。引用する。

 <麻生内閣発足直後の世論調査は、まさに「現実」をどう見るかという教材である。政権交代への期待感は高く、麻生内閣の支持率も安倍、福田2代の内閣の発足時に及ばない。他方、どちらが首相にふさわしいかは麻生首相が小沢氏を大きく引き離し、総選挙の比例区投票先を聞けば自民党が民主党を逆転したのである。>

 この「現実」とは「ローマ人の物語」で塩野七生氏が引用したカエサルの言葉「多くの人は見たいと欲する現実しか見ていない」に出てくる「現実」である。

 <内閣をたたき、政権交代を最大の旗印にする民主党にすれば、これは勝機をもたらす「現実」だと思いたいだろう。いや、政権選択とは麻生・小沢の党首力勝負だ、それをテコに党を釣り上げるのだと狙う自民党からみれば、反転攻勢が実りつつある「現実」だと考えたくなっても不思議ではない。>

 と、両党の「現実」の見方を想像する。そして、

 <しかしこれはどちらの「現実」が正しいかの問題ではない。双方の選挙戦略とも一定の効果は生じつつあるが万全ではなく、つまり来る総選挙の帰趨を決する争点は何か、それ自体を奪い合う戦いが始まったという現実があるだけだ。いつも思うことだが、総体として政治の前に立ち現れる民意というのは何とも賢明で面白い。長所を伸ばし、短所を補え、と促す教師のようである。>

 つまり、この世論調査結果はどちらが有利と判定できる数字ではなく、見る人によってどうにでも見える数字だ、ということだろう。

 面白かったのは曽我氏が麻生首相が9月29日の所信表明演説で民主党の小沢一郎代表に五つもの質問をし、その答えを代表質問で出すよう迫ったことについて「その狙いはただひとつ、解散の大義を欲したものと考えるほかない」と書いていること。

 「解散の大義」なのだろうか? 凡人から見れば、単純に選挙活動を繰り広げているように見えたのだが。首相演説の格調も威厳もない。早く解散・総選挙を行って、国民の信を問うことだ。世界金融恐慌に本格対処するのは自民党政権なのか、民主党政権なのか? どっちにしても、官僚の小手先の対処法では通用しないレベルにきている。

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2008年9月24日 (水)

月刊誌相次ぎ休刊…雑誌冬の時代~9月の新聞各紙まとめ

 8月7日に「月刊現代」と「論座」の休刊について書いておいたが、その後も休刊旋風はおさまらず、雑誌不況が列島を覆いつくす勢いで進んでいる。各紙も文化欄を中心に現状、不況の原因、影響などをまとめていた。9月2日読売新聞朝刊から9月24日産経新聞朝刊までに掲載された主な記事の内容をざっとまとめておく。

 データ的に最もしっかりした記事は毎日新聞9月22日朝刊メディア面<部数 最大で8割減/06年に「休刊」が「創刊」上回る>(臺宏士記者)だろう。

◆雑誌発行部数のピークは1997年
 <日本雑誌協会によると、「月刊現代」「論座」「PLAYBOY日本版」のいずれも最近では最も発行部数が多かったのは98年で、それぞれ14万部、8万部、10万部。08年(4~6月の平均)は、8万3000部、1万7367部、5万5000部と大きく減らしている。98年は、各社が同協会に自己申告した部数で、08年は印刷工業会が証明した部数。また、休刊誌ではないが、「中央公論」(1887年12月創刊)も98年は9万部だったが、08年には4万1300部と半減した。出版科学研究所によると、月刊誌や週刊誌の販売高のピークは97年。以降は前年割れが続き、06年から雑誌の休刊点数が創刊点数を上回り始めたという。>

 (読売新聞9月2日朝刊メディア面<月刊「現代」「ROADSHOW]休刊>は、出版科学研究所の佐々木利春主任研究員の「かつては社の意見を発信する看板雑誌を『志』で出し続けてきたが、体力も広告収入も落ち込み、ラインアップを検討する時期に入ってきた」と話している。同研究所の調べで、雑誌の売り上げは1997年の1兆5644億円をピークに、2007年は1兆1827億円と10年連続で減少、07年の休廃刊誌は前年より3割増の218点と過去最悪だった、という。)

 この部分だけ読売新聞で、また毎日新聞の続きに戻る。

◆中小新刊書店の廃業が影響
 <日本雑誌協会の担当者は「雑誌の部数減には、駅前などに立地した中小新刊書店の相次ぐ廃業も影響している」と指摘する。新刊書店で構成する「日本書店商業組合連合会」の加盟社は98年4月に1万277店だったが、今年4月には5869店にまで落ち込んでいる。>

 <一方、雑誌広告費も減少している。電通が毎年調査している「日本の広告費」によると、98年は4258億円だたtが、06年は3887億円にまで縮小した。06年の広告費は、専門誌や地方誌を集計対象に加えれば4777億円と統計上は増加する。しかし、同じ基準で、07年には4585億円と減少に転じており、雑誌広告市場の縮小傾向に歯止めがかかっていない。06年はインターネット広告が4826億円で雑誌広告を追い抜き、07年は6003億円と大きく伸びた。出版科学研究所は「インターネットや携帯電話の普及を背景にライフスタイルが変わり、若い人は雑誌を最初の情報源と見ないようになった。どの雑誌も新規読者の獲得に苦戦し、読者は高齢化している。後から見ると今回の相次ぐ休刊は氷山の一角だったということにもなり得る」と分析する。>

 という記事だった。「ライフスタイルの変化」が最も大きな原因なのだろうが、その変化を呼び起こしたインターネットと携帯電話の影響の大きさには今更ながら驚くしかない。

◆総合月刊誌の採算ラインは5万~6万部
 同じ毎日新聞記事の別稿<月刊現代、論座、PLAYBOY…相次ぐ休刊/ノンフィクション存続に危機感>(鈴木英生記者)では①総合月刊誌の採算ラインは実売5万~6万部とされるが、論座ははるかに下回る2万部しか刷っていなかった。月刊現代は8万部。PLAYBOYはここ半年の平均部数が5万5000部。実売は最近、論座が1万部を、月刊現代も4万部をきることがあった②朝日新聞、講談社とも総合誌は社の論調を示す看板であり、単行本の書き手を確保する使命もあったので発行してきたが、社全体の不採算部門見直しでついに切られた③両社とも後継媒体を模索中で、朝日新聞は論壇系記事中心の別刷りを作成する案があり、講談社はノンフィクションの媒体を検討中だ、と書いていた。

◆「新潮45」は12月発売号からノンフィクションを軸に刷新
 「新潮45」は過去の事件の読み物中心だったが。部数は最盛期(2002年)の半分で約4万6000部だ、と。

◆「国家と個人の間にある『社会』の情報が失われる」~魚住昭氏インタビュー(聞き手は鈴木英生記者)

 毎日新聞の前掲記事の別稿。見出しは<「社会」の情報失われる>。月刊現代の休刊の影響を聞いている。魚住氏の発言を拾う。

▽月刊現代は、いわば戦後民主主義路線の雑誌。講談社は、戦争に協力した反省を込めていたのだと思う。その志が、経済的にもたなくなったのだろう。月刊現代の休刊で、講談社がアイデンティティーを失ってしまうことを恐れている。

▽(雑誌ジャーナリズムが担ってきた役割とは?)情報には、大きく分けて官の情報と民の情報がある。官の情報は精選され、すぐ記事にできる。民の情報は雑多だから記事化に手間がかかる。前者主体になりがちな新聞に対して、雑誌は公社を中心に伝えてきた。雑誌が衰退すれば、情報の多様性が失われる。官の情報は伝えられ続けるだろうし、ブログなどに私的な情報はあふれている。つまり、国家と個人の間にある、「社会」の情報が失われてしまう。

▽(雑誌が読まれなくなった原因は?)貧困の拡大も原因だと思う。雑誌にお金をかけられる人が減った。書き手の責任も大きい。本当に面白く、核心を突いた内容ならば売れたはずだ。

▽(業界の今後は?)今の流れが続けば、新人の書く場は失われ、ノンフィクションは、10、20年先、新聞記者など組織ジャーナリストの副業としてしか残らないだろう。現役の書き手としては、今後、月刊現代のような媒体が復活できるように、優れた作品を書くしかない。

 以上が毎日新聞メディア面の記事である。

◆主な雑誌の創刊と休刊一覧

 読売新聞9月6日朝刊解説面<月刊現代休刊へ>(文化部・川村律文記者)には「主な雑誌の消長」の年表が載っていて参考になった。朝日新聞9月13日文化面と9月24日産経新聞<eye>の表も付け加えておく。

朝日ジャーナル(朝日新聞社)1959年創刊 1992年休刊
マルコポーロ(文藝春秋)1991年創刊 1995年休刊
Views(講談社)1991年創刊 1997年休刊
ノーサイド(文藝春秋)1991年創刊 1996年休刊
BART(集英社)1991年創刊 2000年休刊
FOCUS(新潮社)1981年創刊 2001年休刊
噂の真相(噂の真相社)1979年創刊 2004年休刊
ダカーポ(マガジンハウス)1981年創刊 2007年休刊
主婦の友(主婦の友社)1917年2月創刊 2008年休刊 
PLAYBOYに本版(集英社)1975年3月創刊 2008年休刊
論座(朝日新聞社)1995年3月創刊 2008年休刊
月刊現代(講談社)1966年12月創刊 2008年休刊
ロードショー(集英社)1972年3月創刊 2008年休刊
広告批評(マドラ出版)1979年4月創刊 2008年休刊
週刊ヤングサンデー(小学館)1987年3月創刊 2008年休刊
ラピタ(小学館)1995年12月創刊 2008年休刊
Latta(小学館)2006年創刊 2008年休刊
Style(講談社)2001年9月創刊 2008年休刊
BOAO(マガジンハウス)2004年9月創刊 2008年休刊
KING(講談社)2006年9月創刊 2008年休刊
マガジンZ(講談社)1999年創刊 2008年休刊
GRACE(世界文化社)2007年3月創刊 2008年休刊
ビーイング(リクルート)1988年創刊 2008年休刊
Judy(小学館)1983年創刊 2008年休刊

 川村氏によると、月刊現代は編集者有志による「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」でも月刊誌としては最多の10回の受賞を誇る、という。講談社のノンフィクション担当編集者は「ノンフィクションに特化した雑誌として、ガラパゴス諸島の動物のように、特異な生態を維持してきた希少種」と話している、という。

 また、2006年12月から07年11月末まで、同社のコミック雑誌を除く雑誌売り上げは221億7000万円と、前年度を3.5%下回っており、他の雑誌の売り上げが低迷する中で「月刊現代」を支えることが難しくなっていた、という。

◆フリーのノンフィクション作家が育たなくなった
 川村氏の記事で面白かったのはいろいろな作者のコメントを取っていたこと。

 ノンフィクション作家の野村進氏は「ついに来るものが来たか、と感じた。私がデビューした80年代は新人でも単行本の初版は5000部だったが、現在では大宅壮一ノンフィクション賞の作家も初版4000部。ノンフィクション市場は厳しい」と。紀伊国屋書店のサイトによると、大宅賞でも62の受賞作のうち、吉田司さんの「下下戦記」など22作、講談社ノンフィクション賞でも受賞作52作品のうち15作が重版未定などの理由で入手不可となっている、という。

 作家の柳田邦男さんは「かつては雑誌に書くときでも、原稿用紙80枚から100枚ぐらいは書いていたが、90年代に入ってからは30枚から40枚になった。ノンフィクションの長期連載が好まれなくなってきた」と読者離れを指摘。「調査報道は若いライターや30代、40代の脂の乗り切った書き手でなければできない。それをバックアップするのは雑誌の役目」と強調。「インターネット上の情報は、断片的、表面的。深く掘り下げて、考えることが脆弱になる」と警鐘を鳴らす、という。

 川村氏は

 <左翼勢力の退潮とともに、権力を批判するようなノンフィクションは徐々に読まれなくなった。インターネットなど競合するメディアも増え、編集者から「今日の読者は本当に移り気で、腰を据えた調査報道に対して手応えが少なくなった」という嘆きも聞こえる。>
 <時間と資金をかけ、膨大な取材を積み重ねるノンフィクションは、編集者や編集部のサポートがあって成り立つ。近年、大手メディアに所属しながらノンフィクション賞を受けるケースが目立つのは、フリーの書き手が長期の取材に取り組む難しさの裏返しでもある。>と分析している。

◆インターネットのブログでは代替できない役割
 東京新聞9月12日朝刊<硬派月刊誌、相次ぎ休刊/論座なき現代に?/「ブログは受け皿にならない」>(文化部・中村陽子記者)で論座の薬師寺克行編集長は「世界がどこに向かうのか、長い目で考える機会を提供したいと思ってやってきた。だが、刹那的に楽しいものが売れる時代。雑誌としての役割を終えたと判断した」という。60万部台を維持している「文藝春秋」の飯窪成幸編集長は「編集側の理念だけでは、なかなか読んでもらえない。娯楽の要素も重視して、多様な興味に応えるつもりで作っている」と編集方針を話している、という。

 東京新聞らしく、佐藤卓己・京大准教授(メディア史専攻)の談話を使っていた。佐藤氏は「岩波書店の『世界』などは一種のブランドで、購読していることが自分たちのアイデンティティーとなる時代があった。80年代に若者だった新人類といわれる世代以降は、そのような原体験がない。読者の投稿を見てもわかるとおり、団塊より下の世代の読者が付かなかったのでは。(月刊誌は数多くあるが、)主義・主張を強く出し、似たような考えの人が買う専門誌的なものが多い。(インターネットのブログなどは)まだじっくりした議論ができているとは言えない。めまぐるしく過ぎ去っていく時間の流れから距離を置いて社会を考える媒体が、(月刊現代、論座)2誌のような月刊誌だった。本当の意味での意見を交わす場所がなくなるのは非常に寂しい」と話しているという。

◆編集者のスキルを失えば取り戻すのは難しいのだが…
 朝日新聞9月13日朝刊<月刊誌冬の時代>は高橋明男・月刊現代編集長と藤井真也・ロードショー編集長へのインタビューと雑誌に詳しい永江朗氏の分析が内容。西秀治記者と竹端直樹記者の連名記事だった。

 高橋編集長の話で身に沁みたのは「秋葉原の殺人事件も、次の事件があれば忘れ去られる。事件後すぐ用意した原稿が、発売段階では話題にもならなかった。自民党総裁選は22日に投開票ですが、月刊現代は21日が締め切り。紙面に反映できません。ネットを含めて情報の流れがすごく速いし、みんな移り気になった。月刊誌を腰を落ち着けて読む感覚がなくなった。ノンフィクションは編集者の力量が重要。スキルを失えば取り戻すのは難しい。そこを私は主張し、なくすべきではないと言ってきた。会社も社員の育成の場と分かっている。その上で今回はどうしようもないと。残念です」と語っている部分だ。「なるほど」と思うことが多い。

 また、ロードショーの藤井編集長はかつては映画スターの情報を届けるには「ロードショー」「スクリーン」がベストだったが、今や女性誌やフリーペーパー、インターネットなどあらゆる媒体が情報を提供するため、最近の誌面ではスターのファッションやライフスタイルなど女性誌的な内容も入れたが、差別化できなかった、と。映画会社からの広告も最近はテレビ中心でなかなか入らなかった、と。藤井氏の言葉で貴重なのは「存続するなら人員を最小限にし、部数を絞って本当にコアな人に向けたカルチャー誌しかない。狭いターゲットに当てる手法。そんな提案もしました。活字離れと言われますが、若い人でもすごく読む人がいるし、携帯小説もある。ただ、若い世代は情報にお金をかける必要がないと思っている。興味があっても立ち読みですます。女性誌は付録が豪華なときだけ買う。100万部雑誌のような大きなビジネスは難しい。市場は細分化してますから」という部分だろう。今後の雑誌の運命を見切っている感じだ。

◆永江氏は「次は週刊誌。勇気ある転進が必要な時代」とご託宣
 ライターで早稲田大学客員教授の永江氏は雑誌がこの世の春を謳歌する「雑誌バブル時代」が終わりを迎えた気がする、という。漫画も売り上げは落ち込んでいる。書店、特に小規模な街の本屋さんが減り続けることが痛手だ、と。

 <いまや大手を含め、出版社の経営基盤はもろい。伝統や、出版の意義がある雑誌でも、赤字を見過ごせなくなった。月刊誌の次は週刊誌の選別でしょう。雑誌も書籍も抱える日本型の「総合出版社」や、従来の雑誌ビジネスが限界なのかもしれません。米国では書籍と雑誌をつくる出版社は別々。販売ルートも、書籍は書店が売り、雑誌は定期購読化が進んで読者の手元に届くスタイルが主流です。日本の出版社は各社とも「後退戦」の最中。縮小しながら新しいビジネスモデルを模索する、上手な「後ずさり」の仕方が求められています。従来の読者層ではなく、若い世代向けに新ジャンルを開拓する。販売チャンネルを定期購読に絞る。無料誌やウェブマガジンに転進する。今後の出版業は、従来のビジネスモデルを捨てる勇気が必要かもしれません。>

 さすが雑誌業界に詳しいだけあって、言うことが鋭い。

 しかし、新聞業界だけでなく、雑誌業界の実情も聞きしに勝るひどさなのだなあ、と驚いた。

 産経新聞9月24日朝刊[eye]<雑誌不況底なし/ネット台頭 紙代も高騰>も出版業界の深刻な内幕に触れていた。

 このほど出揃った大手3社の決算によると、この10年間で、雑誌部門の売上高は講談社が31%、小学館が28%、集英社が22%減少。収入の柱は営業と販売だが、営業でも広告収入が06年、インターネットに抜かれた。追い打ちをかけたのが紙代の値上がりだという。燃料高などにより、原価が15%以上アップ。紙の種類によっては20%のコスト高になり、出版社も値上げせざるをえなくなり、月刊誌の平均価格は毎年3~4円ずつアップしてきたが、今年5、6月は昨年同月比で13円高になった、と。

 ある中堅出版社社長は「少しくらい定価を上げただけでは用紙の値上がり分を回収できない」と明かした、という話も紹介してあった。

 以上が9月24日までの大体の新聞記事のまとめだが、雑誌不況だけでなく出版不況全体を含めて、活字文化のある意味危機を迎えているような気もする。電子媒体さえあればいい、という時代がつい先まで来ているのだろうか?

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2008年9月19日 (金)

岡本行夫氏「アフガンから逃げるな」~産経9月19日朝刊寄稿と朝日新聞19日夕刊[窓]脇坂紀行氏コラム+読売21日朝刊アーミテージ氏寄稿

 岡本行夫(おかもと・ゆきお)氏は外交評論家。1945年11月23日生まれ。神奈川県出身。68年、一橋大学卒業後、外務省に入省し、北米第1課長などを歴任。91年に退官し「岡本アソシエイツ」を設立。橋本内閣で沖縄担当首相補佐官、小泉内閣で内閣官房参与、首相補佐官(イラク担当)を務める。国際問題の専門家として、政府関係機関や企業へのアドバイス、執筆、講演など幅広く活動。NPO法人「新現役ネット」理事長、立命館大学客員教授。

 産経新聞9月19日朝刊1面と2、3面は外交評論家の岡本行夫氏(62)による<アフガンから逃げるな>と題した特別寄稿を掲載していた。テロとの戦いの主戦場、アフガニスタンへの関与継続を訴えたもので、ものすごい長大論文である。全文をネットからコピペしてきた。考えさせるいい内容の論考だ。さすがに過去の日本外交の隘路、失敗に鑑みて、今選択すべき道を岡本氏なりに示している点でものすごく評価できる。

 この中で岡本氏はテレビキャスターに憤っていた。

 今年8月27日、アフガニスタンでHGO「ペシャワール会」の伊藤和也さんが遺体で発見された。ジャララバード近くで多くの村民に慕われながら農業指導を行っていた。この痛ましい殺害事件を報じた夜の報道番組の人気キャスターが「テロとの戦いのひどさ、これは一体なんだろうという気になります」とカメラに向かって深くうなずいたというのだ。

 <彼は、伊藤さんを殺したテロがひどいと言ったのではない。伊藤さんが殺されたのは米軍の誤爆などが原因である、だからテロと闘うことがひどいと言ったのだ。このキャスター氏は、イラクで自爆ボートを阻止して殉職した3人のアメリカ人の遺児たちに「お父さんはひどいことをしてくれた」と言うのだろうか。一部のマスコミは、秩序を維持する側と破壊する側のどちらを被害者、どちらを加害者と考えているのだろうか。何かがおかしい。>

 岡本氏は本文の書き出しで2004年4月24日真夜中の出来事を詳述している。

 <3隻の自爆ボートがイラクのバスラ沖合のオイルターミナルに突っ込んできた。1隻の行く手には、原油を積んだ28万㌧の超大型タンカー「高鈴」が停泊していた。間一髪のところで2隻のボートは多国籍軍に爆破され、「高鈴」は軽度の損傷で済んだ。しかしもう1隻のボートを阻止しようとしたアメリカ海軍と沿岸警備隊のぺルナセリ1等水兵(24)、ワッツ2等水兵(28)、ブルッケンタル3等水兵(24)は、ボートの自爆によって死亡した。3人とも、本国に幼い子供たちを残していた。2日後、国際テロ組織アルカイーダが犯行声明を出した。>

 という話である。続く話など、新聞で報道されなかったのが不思議なくらいの話である。

 <海上自衛隊の補給艦は、インド洋のソマリア沖に展開する多国籍艦隊に給油するのが任務だ。ソマリア沖では、日本の海運会社が所有したり管理したりする船舶に対する襲撃が頻発している。今年4月21日は巨大タンカー「高山」が襲われた。>

 <午前4時すぎ、サウジ西岸に向かっていた同船の4㌔先に現れて急速に接近してきた不審船は、ロケット弾と機関銃を撃ちこみながら「高山」に強制接舷しようと執拗に試みた。付近の海域に展開していた多国籍艦隊のドイツ軍艦「エムデン」が救難信号を受信し、「高山」と交信しながらただちに救出に向かった。常に多国籍軍の通信を傍受している襲撃者たちは、1時間後に逃亡した。8月23日、貨物船「AIZU(あいづ)」の前に現れた不審船は、6㌔に近づいたところで2隻の高速艇を降ろし襲撃を開始した。「AIZU」は何発も被弾しながら、多国籍艦隊へ非常信号を発信、襲撃母船はその通信を妨害し続けたが、結局1時間で去った。救難信号受信後、ヘリを含め多国籍艦隊の救援が到着するのが平均1時間後だからだ。そのほかにも、詳細は公表されていないが、昨年10月から「ゴールデンノリ」「ケミスタームーン」「ステラマリス」「アイリーン」というケミカルタンカーや貨物船が襲われた。その中には今なお捕らわれている船もある。以上の事案は日本関係船舶についてのみのものだ。全体ではおびただしい数の船が襲われている。報道されないが、襲撃者たちに拿捕された船は今年だけで18隻。今も捕らわれている船員は合計130人以上にのぼる。>

 こんなに襲撃事件があったのか。全く知らなかった。不明を恥じる。

 <海上自衛隊の補給艦は、多国籍艦隊の軍艦がいちいちペルシャ湾まで燃料補給に戻らなくて済むようにソマリア沖で洋上給油を続けている。安全ではあるが、高度な技術のいる仕事である。海上自衛隊の仕事ぶりは各国に称賛され、感謝されている。>

 国会で問題にしたアフガン燃料補給のイラクへの転用問題が大きく取り上げられたが、それ以上にこうした危険地帯で原油を調達せざるを得ない日本のエネルギー政策の脆弱さこそ問題視すべきだったのではないか、などと今更思う。岡本氏は続けて、

 <「高山」の救助に向かった「エムデン」も海上自衛隊の補給艦「おうみ」から燃料を補給されていた。多国籍艦隊は8月25日、ソマリア沖をMSPA(海上パトロール区域)に指定し、商船隊の防護体制を強化した。ドイツやデンマークなどは商船保護のための海軍増派を検討中と聞く。>

 燃料補給海域も非常に危険な海域となり、それだけに技術水準の高い自衛隊の活動は感謝されている、ということらしい。

 <小沢一郎氏はソマリア沖で活動する多国籍艦隊への給油活動は憲法違反だから中止せよと主張する。与党は衆議院での3分の2の再可決によってようやく補給艦をソマリア沖に戻したが、野党は再びの撤退を主張している。そうした撤退要求を聞いてテロリストや襲撃者たちはホッとするだろう。武力行使とは無縁の補給活動がどうして集団自衛権の行使なのか不可解だが、その前に小沢氏は、襲撃される日本関係船舶の人々に「オレたちは多国籍艦隊への支援を阻止するがオマエたちは多国籍艦隊に助けてもらえ」と言えるのだろうか。コトは、日本人が世界で肩身が狭くなるだけで済む話ではない。日本国家の在り方にかかわる問題である。自分は国際互助会からは抜けるが果実だけは食わせろ、というわけだ。危険はすべてほかの国が負担して日本人も安全に暮らせる世界を作ってくれと。>

 そういうことになる。日本の国家としてのあり方が問われる、と言えば少し大げさだけど、日本はタンカーへの自爆テロ攻撃を自衛しなければいけない、という論理にはなるだろう。この点、小沢一郎氏の主張はおかしいのか?

 <国際社会はテロに30年以上対決してきたが、9・11テロは防げなかった。その後も、欧州やアジアで一般人を標的とするテロが続いている。なぜか。近年のテロリストたちが、組織力と資金力を強化したうえ情報通信技術を多用し、破壊力を増しているからだ。教義も先鋭化している。ウサマ・ビンラーディンたちの目標は、文明社会自体の破壊にある。日本の好きな「平和的解決」になじむものではない。今も日本はウサマ・ビンラーディンの標的リストの中に入れられている。守る側は結局テロの根拠地に入っていかざるを得なくなった。それが世界のアヘンの93%を製造しアルカーイダとタリバンの拠点となっているアフガニスタンだ。テロはそこから発し、アジアに広がっている。もう一つのテロリストの温床が、無政府状態のアフリカ東部のソマリアだ。>

 アフガニスタンとソマリアの地政学的位置なのだ。

 <多国籍艦隊はその二つの地域の交流を遮断するためにソマリア沖に展開している。海上自衛隊が行っている洋上補給は、アメリカを支援するためのものではない。日本自身のためである。世界が安全にならなければ、日本だけ安全とはならないからだ。>

 なるほど、ソマリアという海域を選んだのはそういう理由だったのか。ようやく少しずつ理解できてきた。

 <日本人だけがテロの圏外に立つことはできない。1997年にはエジプトのルクソールで10人の日本人観光客がテロリストに殺された。9・11米中枢同時テロでは24人の日本人が世界貿易センタービルで殺された。逆にテロリストになったケースもある。岡本公三たち3人の日本人は、72年にテルアビブの空港で旅客など24人を殺害した。77年のダッカ事件もある。テロは国際的な広がりを持つ。>

 97年の観光客10人死亡、忘れていた、というか、記憶から飛んでしまっていた。日本の新聞はテロリストに対する継続した怒りがないし、被害者に対しても「運が悪かったね」で済ます部分があるのではないか。繰り返しの報道が少ないので、記憶から抹消されていく。

 <89年6月の天安門事件。学生たちと人民解放軍の衝突により北京が大混乱に陥る可能性がでてきた。そうなれば、邦人の緊急避難が必要になる。航空会社にその場合の救出を頼んだが、組合が「うん」と言ってくれない。そのとき外務省に勤務していた私は、やむなくアメリカに邦人救出の可能性を打診した。返事は直ちにきた。「最大限の協力をする。避難する人々を1カ所に集められるか?」。幸いこの計画はそれ以上具体化されずに済んだが、打てば響くようなアメリカ政府の対応に、彼らの使命感を教えられた。>

 これだ。海部内閣のイラクへの航空機や船舶派遣問題も労働組合の反対で難渋したという記憶がある。

 <日本でも強い使命感をもつ一線の公務員は少なくない。87年、イラン・イラク戦争の激化によりペルシャ湾航行が危険になった。民間船舶護衛のための多国籍艦隊を組織するので日本も参加してほしいとの要請がアメリカからきた。自衛艦派遣は政治的に無理だったが、海上保安庁が応えてくれた。日本船舶支援のためにペルシャ湾まで巡視船が出動する計画が作られたのである。海上保安官たちの決意は橋本龍太郎運輸大臣に伝わり、橋本氏は「自分が最初の巡視船に乗っていく」と言明した。中曽根康弘総理大臣も計画を了承した。主導するのは政治である。この計画は後藤田正晴官房長官の強い反対で消えたが、日本船舶を守るために1万2000㌔のかなたまで巡視船が出動する態勢が組まれた事実は残った。ホルムズ海峡を通って北上すればペルシャ湾、通らずに西進すればソマリア沖に到達する。>

 そうだったなぁ。思い出した。

 <自衛隊員も、命令さえ下れば士気は高い。ひとたび海外に派遣された隊員たちの使命感と仕事ぶりは、現地の称賛を浴びる。「自衛隊は危険のない場所にだけ行く」というのが、国会審議で確立された大原則だ。しかし国民全員が危険に近寄らないのでは、日本は国としてやっていけない。結果として、そのような地に行くのは、身を守る手段を持たない人々だけになる。>

 その通りだ。

 <アフガニスタンにはJICA(国際協力機構)やNGO(非政府組織)の日本人がいる。アフガニスタンで活動する各国の援助関係者の多くは、「PRT(地方復興チーム)」という仕組みの下で、自国の軍や警察によって守られている。27の国際チームがこうした方式で活動している。日本の専門家を警護するチームは、もちろん派遣されていない。バグダッドには外務省の職員がいる。危険なので自衛隊はいないから、日本大使館を守るのはイラク人のガードマンだ。バグダッドで自国の部隊が守っていない大使館は日本だけである。>

 何だか情けないなあ、日本の自衛隊が情けないのではなく、そこに行かせることができない政治が情けないのだが、そういう政治を選んでいる国民とマス・メディアの責任は大きいといわざるを得ないだろう。

 <援助関係者など100人の日本人が既に住んでいるアフリカのスーダンの首都ハルツームに2、3人の自衛官を派遣するための安全確認などの作業は大変で、大型の調査チームまで送られた。しかし、国連から要請を受けて半年近く、今も派遣は実現していない。海もそうだ。自衛艦隊がいなくなったあとも、日本商船はスエズ運河を通るためにソマリア沖を航行しなければならない。イラクでも、「高鈴」のあと日本のタンカーは依然として原油を積み込んでいる。積まなければ日本の石油が足りなくなる。国会が確保しようとするのは「国民の安全」ではなく、「自衛隊の安全」である。世界中にそんな国はない。かくて危険地域の分担は日本の場合、「丸腰チーム」の分担になる。>

 危険負担を丸腰チームだけが引き受ける。その部分は政治家もメディアも見て見ぬふり、か。

 <伊藤さんが殺されたため、アフガニスタンへの自衛隊派遣の可能性は無くなったという。世界には「同胞が殺されるようなところへは行けない」という国家と、「それなら同胞を守りに行く」という国家がある。日本には素晴らしいNGOメンバーたちがいる。彼らはアフガニスタンでも対人地雷を取り除き、農業灌漑を指導し、教育現場に携わり、医療を支援してきた。政府の後ろ盾もなく、公務員のような高い給料もなく、使命感だけで働いてきた。女性もいる。数年前、まだ日本政府職員が首都カブールの外に出られなかったころ、私はヘラートなどの遠隔地で何人かの日本人女性が活躍している様子を見た。イラクでも同様だった。>

 危険だから軍隊を出すのか、危険だから軍隊を行かせるわけに行かないのか、という問いは今の日本の政治の根源を突いている。というのは、何故行かせられないか、といえば、自衛隊員が死んだときの責任問題が面倒だからだ。政権が転覆するだろう、とは昔から言われた話だ。自衛隊員が国を守るために殉死することのできない国家。何故殉死できないのか? 守るべき国家ではないのか? 何を守るのか? 誰を守るのか? その点のコンセンサスができていないことが最も大きな問題だと思う。そして、軍隊の海外派兵にまとわりつく民族の不幸な記憶。侵略の歴史を国民的に総括していないから、海外派兵ができず、国際協調行動ができない、ということに尽きると思うのだ。

 <欧米政府は自国のNGOに手厚い保護と財政支援を与えているだけではない。外国NGOをも援助している。日本のNGOの中には、日本政府よりアメリカ政府から受けている予算のほうが多いところもある。日本政府のNGOへの支援は微々たるもので、ODA総額の0.2%が支出されているに過ぎない。アメリカのNGOに危険が迫れば、米軍のヘリが救出に来る。ヘリにはNGOのアメリカ人職員、次いで現地人職員の順で乗るから、日本のNGO職員までは無理だ。日本人は自前で脱出方法を用意しなければならない。政府はNGOに対して抜本的に支援を強化すべきだ。彼らがいざというときの脱出に必要な車両や無線機器などを購入できるように。世界のすみずみまで支援活動を強化することができるように。>

 そういうことなのか。いつもいつも米軍におんぶに抱っこはできない、と。

 <現在の世界の最大関心は、「本来のテロとの戦争」であるアフガニスタンだ。40の国々がカルザイ同国大統領の要請に基づいて軍隊や国境警備隊や警察を送り、国家再建に最も必要な「治安」の確保にあたっている。国際治安支援部隊(ISAF)には、各国から5万3000人が参加している。その中に日本の姿はない。「どうして来てくれないのか」と聞くアフガニスタン市民に、「そのかわり、僕たちがいるじゃないですか」と日本のNGOメンバーは答えるという。>

 <1992年、プノンペンで輝くような日本人青年に会った。カンボジアに平和をもたらす夢を語ったその青年は、「日本が国として何もできない分、僕たちが一生懸命やらなければいけないんです」と力を込めた。名前は中田厚仁といった。国連ボランティアとしてカンボジアの平和構築のため働いていた中田さんは、その翌年、ゲリラの銃弾に倒れた。>

 中田さんの死去、覚えている。

 <90年代に世界一と日本が胸を張っていた援助額は、その後4割も減少し欧米主要国の後ろに下がった。ODAの現場ではプロジェクトの打ち切りが続いている。重荷を背負うのは一線の援助関係者だ。カネが足りなくなった分、カネのかからない技術協力を行うJICAの職員や青年海外協力隊員に余分な負担がかかっていないか。予算査定で経済協力費を切り込めば、その分、現場に大きなしわ寄せがいく。政府が平和維持に参加しないこと、経済協力からも後退することが、心ある援助関係者やNGOを悲壮な使命感に駆り立てていないか。国家の責務を個人の善意と勇気に頼るのは、国家の怠慢である。>

 <世界が首をひねる理屈で、野党は補給艦をインド洋ソマリア沖から引き揚げようとしている。その時点で日本はテロとの戦いの最前線にはいっさい関与しなくなり、世界の互助会から抜けることになる。自国商船隊の保護任務すらほうりだして人任せにすることになる。91年の湾岸戦争への貢献をカネだけですませようとした日本は、世界の批判と冷笑を浴びた。今度はカネも出さない。昨年11月28日の本紙に記したように、自衛艦隊派遣のほかにも政治意思さえあればできることは多くある。>

 <しかし、やらない。われわれは首をすくめ、息をひそめて、テロリストや略奪者たちが日本人や船を襲撃しないようにと念じる国家になるのか。日本にだけは何の災厄もかからないようにと祈り続ける国家になるのか。テロリストや略奪者が憲法9条を読んで反省し、「今後は日本には手を出さない」と言ってくる日を信じるのか。>

 <世界各地で活動する青年協力隊員やNGOの人々を見ていると、日本がそのような国家に落ちなければならない必然性は見えない。日本には勇気と使命感を秘めた若者が多くいる。彼らにどのような国家を引き継げるのか。いまわれわれは、国の生きざまを選択する戦後最大の岐路にいるのではないか。>

 国の生きざまを選択する戦後最大の岐路で、偶然のように朝日新聞は9月19日夕刊2面コラム[窓 論説委員室から]で脇坂紀行氏が<アフガンの空気>のタイトルで、全く逆の主張をしていた。

 脇坂氏のコラムはJICA前アフガニスタン事務所長として2005年末から2年間、首都カブールに駐在した中原正孝氏の「タリバーンが放ったロケット弾は、コンクリートの構造物に当たるので、乾いた音がする。住民を道連れにする自爆テロは、濁った音に聞こえる」という生々しい言葉が導入部だ。

 9.11後の攻撃で崩壊したタリバーンが当時、勢力を取り戻していたそうだ。昼間は欧米軍がにらみをきかせているが、深夜や早朝、すきを突くようにタリバーンからの砲撃音が響いた、と。中原さんは50人前後のJICAの専門家やスタッフの安全の確保に神経をすり減らし、農業や首都再開発などの支援を進める際も郊外の現場に行くのは控え、移動には防弾車を使い、テロ情報を収集するために元米海兵隊員らを雇って全員が無線電話を使って行動した、という。

 ここからが脇坂氏の本領発揮だろう。

 <「民衆は親日的で、欧米と同じようには日本を見ていないはず」と中原さん。NGO「ペシャワール会」の伊藤和也さんの拉致殺害事件が起きた後もJICAは現地に踏みとどまるべきだと考えた。とはいえ、地方の治安状況はさらに悪化している。欧米軍の過剰攻撃によって民衆の犠牲者が増え、外国への敵意が高まっていることが気がかりだという。その敵意が日本に向かう恐れはないのか。「対テロ戦争」での日本の役割拡大を議論するにあたっては、そうした点もよく考えねばなるまい。>

 という結論である。

 つまり、日本は非武装で文民が協力しているのだから、攻撃されない。攻撃されたのは欧米軍の過剰攻撃で住民が外国人を憎むようになったからだ、という論理である。

 岡本氏の懸念について、完全に突き抜けているのである。

 「欧米との対テロ協調行動はしません」と宣言しているようなものなのだろう。それなら、それで一貫しているから、いいのだが、そうなると、タンカーの護衛とか、アルカイーダとの争い、もしも日本人が人質になった場合の対応など、国際協調はできなくなる、ということは覚悟してかからなければならない。中原氏がやったように、元米海兵隊員をカネで雇って、という方法なのか、自衛隊員を出すのか。中東の原油を輸入するタンカーをストップするわけにはいかないから、相当につらい選択肢ではあろう。

 しかし、産経新聞が満を持して掲載した岡本論文に、」このコラムをぶつけた朝日新聞の意図はいかに? 面白いけど、朝日紙面でももう少し突っ込んだ議論をしてほしい、と思う。

 読売新聞9月21日朝刊1~2面[地球を読む]はリチャード・アーミテージ元米国務副長官。<自衛隊アフガン派遣/支援継続、日本の責任>の見出しでアーミテージ氏の持論を展開していた。

 ここでは、

 <日本政府は、自衛隊のアフガン派遣を取りやめた。>

 <インド洋での海上自衛隊給油活動を支えるテロ対策特別措置法は、事実上、期限切れを迎える。このまま行けば日本の立場は、アフガニスタンの平和と繁栄の回復のために兵力で貢献している約40の国々とは、かけ離れたものになるだろう。>

 <根底には、アフガニスタンの未来は日本に深くかかわるものではないという考え方があるに違いない。>

 <国際社会は、宗教的過激派やアル・カイーダと戦っている。それは、アフガニスタンの未来のためだけでなく、世界中の国々の安全のためである。>

 <アフガニスタンの未来は、極めて具体的な形で、他の諸国の未来を左右するだろう。>として、パキスタン、インドという核保有国への影響の大きさを指摘。また、ウサマ・ビン・ラーディンの出生地サウジアラビアへの影響まで懸念している。

 <湾岸諸国が、その域外で台頭する過激主義に弱いことは、更に明白な懸念をもたらす。それは石油供給である。>

 <日本の政治家は、自衛隊の派遣に関して何もできない、お手上げだ、というしぐさをしている。私にはそれが、政治的意思の欠如を物語るものに見える。>

 <過去に承認済みのものを継続し、更に強化するよう促したい。それは、アフガニスタンとその関連作戦に、非戦闘・人道支援を提供することである。>

 <「小切手外交」には限界がある。>

 言葉を拾っただけだが、岡本氏の懸念したとおりのことを逆から言っている。難しい問題だ。

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2008年9月17日 (水)

芳賀綏・東工大名誉教授の事実誤認コラムを[正論]9月17日付に掲載した産経新聞の責任~、[黙然日記]は良かった

 産経新聞9月17日朝刊[正論]で芳賀綏・東京工業大学名誉教授の<雅量を欠くメディアの醜態>を読んだ。「メディア」とあったので、どんな内容か気になったので読んだのだが、その内容のあまりの出鱈目ぶりにびっくりした。

 何故雅量を欠くと考えたか、と言えば、「森喜朗元首相が歌舞伎を見に行く予定が知られただけでメディアは形相すさまじく、その圧力に阻まれて観劇もできなかった」、「現職首相がゴルフ三昧ではなく伝統の美の世界にもふれ、舞台に陶酔できて精神が潤えば明日の政治にプラスになる、と思ってみないとは、メディアの想像力の貧困か。”無用の用”の観念すらないのか」とある。これが腹を立てた大きな原因らしい。

 何だか、批判するのもかったるくなる文章なのだが、こういう文章を売り物コラムに使う産経新聞への批判として書いておく。

 そもそも芳賀綏って何者なのか、とグーグルで調べたら、国語学者だという。東工大の学生は理科さえできればいいのかもしれないが、こんな教授に習っていたら、頭の中がグチャグチャになってしまうのではないか。

 そういえば、後輩の1人が東工大の数学科卒業だったが、文章も滅茶苦茶、話もチンプンカンプンという男だった。もしかしたら、この教授の悪影響だったかもしれない。

 グーグルで調べていた時、[黙然日記]に同趣旨の芳賀氏批判が載っていた。<産経「正論」、なにがなんだか。>のタイトルで<17日付産経「正論」ですが、なにがなんだか、さっぱりわからない文章です。産経「正論」らしいといえばらしいのですが。>の書き出し。面白いので、コピペする。

 <なんだか知らないけど芳賀氏は、森元首相を礼賛しています。小泉礼賛ならまだわかりますが、なんでよりによって森元氏、じゃなかった森喜朗氏なのか、まずそこから不思議です。>

 <冒頭でチャーチルや吉田茂の逸話を紹介していますが、これが本筋と全然関係ありません。森氏が首相時代に歌舞伎観劇の予定を立てたらメディアに批判されて取りやめた、という一つのエピソードだけから延々と論を展開するのみで、「もし吉田が現職首相時代に観劇に行ったら」という、藁人形にもなっていない妄想を披露されたって、読んでいるほうが困ります。>

 <だいたい、後任者の小泉純一郎氏が首相当時にオペラを観劇したことをメディアが褒めそやした、という事実に自ら言及した時点で(芳賀氏はこれを勝手に例外扱いしていますが)、すべての論理が破綻しています。もちろん、森氏と小泉氏の個人的な人気の差が極端であったにしても、メディアがそれに迎合して同じ行動に非難と賞賛を使い分けていたことは、また別に論じるべき問題です。しかし、メディア批判を目的とした文章のはずなのに、この「正論」にはそういう視点もないわけです。>

 <さらに芳賀氏は、森氏の「神の国発言」問題に関して、攻撃したメディアは文化人類学などの知識がない、と決めつけていますが、これも凄まじいですね。「日本は八百万の神の国」あるいは単に「日本は神の(宿る)国」という発言だったら、誰も攻撃なんかしませんでした。「日本は天皇を中心とした神の国」という、国家神道を前提とした発言が問題とされたのであって、この発言の略称が「神の国発言」だったにすぎません。>

 <芳賀氏はこの「神の国発言」への攻撃を「無知・無思慮・無情操で見当違いの取材者群」によるものと断じていますが、芳賀氏こそ発言の具体的な内容と、国家神道が現代の政治でどう扱われているかについて、無知・無情操なのでしょう。そうでなければ、彼は無思慮であるか、政教分離原則を無視する思慮で事実を歪曲して伝えているか、いずれかということになります。>

 <最後は、「死に神」表現問題における素粒子子の弁解を取り上げていますが、どう見ても難癖です。素粒子子が「風刺は難しい」つまり「あれは諷刺としてレベルが低かった」と認めた文章に対して、「諷刺としてレベルが低いことを認識できていない」という非難を浴びせているのは、いったいどういうつもりなのか理解に苦しみます。「死に神」表現への批判は他にいくらでも切り口があるだろうに、なぜよりによっていちばん的はずれな方向から噛みつくのか、これはもう一種の才能ではないでしょうか。>

 <これだけ他人の文章を読解できず、他人に伝わる文章も書けない人から「人心の格調」だの「精神大国」だの言われたって、ちゃんちゃらおかしいや、ぐらいの感想しかありません。>

 という文章だった。言いたいことは大体言ってくれていた。私が言いたかったのは、事実誤認の学者の文章をそのまま掲載した産経新聞の責任問題である。

 産経新聞は石井さんが長く書いていた[産経抄]など、責任ある右派ジャーナリズムとして軽薄に流れる時代に抗し、骨太の主張を貫いてきた硬質のメディアだ、と尊敬しているだけに、このような事実誤認だらけのコラムの掲載には本当にがっかりした。産経新聞社は掲載を拒否すべきだったのではないか。

 阿部真之助、大宅壮一両氏を褒めちぎっている。大宅氏はさておき、阿部氏をはじめとした当時の政治評論家のいい加減さを忘れたわけではあるまい。吉田ワンマン攻撃をしたとはいえ、それは自民党支配というコップの中で反吉田勢力に乗ったまでのこと。長期腐敗構造を作った「戦犯」でもある。戦前の毎日新聞主筆としての仕事など、もっと「戦犯」である。「オレは野蛮人」と言えば、すべてが許されるというものではない。
 芳賀氏は結びで<日本社会全般が危機を肝に銘じ、人心の格調を高めてふくよかな精神大国を生むよすがとすべきではないか>と書いていたが、こういう空しい言葉で、権力者の責任回避を許し、ごまかしの歴史を許容する姿勢が今の日本音退廃を生んだのだ。一人ひとりが自らを振り返るとともに、権力者たちのあるべき姿を厳しく考え直すことから始めるべきなのではないか。

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2008年9月14日 (日)

書評「金正日の正体」重村智計著+姜英之拓大客員教授「エコノミスト」誌論文とネットでのインタビュー

 2008年8月20日第1刷発行定価756円。出版後ほどなく金正日総書記の健康異常報道が世界を駆け巡ったため、一躍注目されたが、その後の世界金融危機に目を奪われ、北朝鮮の核・拉致問題や6カ国協議、金正日氏の健康問題は影が薄くなってしまい、この本ももっと読まれるべき時に、忘れられようとしている。

金正日の正体 (講談社現代新書 1953) 金正日の正体 (講談社現代新書 1953)

著者:重村 智計
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 重村氏を嫌う人々からは「またバイアスの強い一面的な説か」というコメントしか聞けないだろうが、最近の北朝鮮の行動のブレが大きいこと、自暴自棄のような行動が目立つことを考慮すると、もしかすると、ここに書かれているような金正日氏の健康悪化がすでに相当に進んでいて、今や北朝鮮は事実上、朝鮮人民軍の幹部を中心としながらも、船頭の多い集団指導性に移行している可能性もあるのかなぁ、とも思える。

 重村氏の著書は今まで何冊も読んだが、この本は今までの本と違い、証言集の趣がある変わったつくりになっている。

 その証言が半端ではない。いわく、2000年初めから糖尿病悪化で車椅子生活をしている、1980年代から金正日氏の影武者(ダブル)がいて公式行事に本人の代わりに出てくる。1992年と93年に相次いで暗殺未遂事件が起きてからは、特に外での行事には本人は出てこない。2002年から2003年にかけてのいずれかの時に金正日氏が死亡した、という証言も出てきて、これにはそれなりの傍証も出てくる。

 平壌では現在、張成沢党行政部長、呉克烈党作成部長、李済剛組織指導部第一副部長、金永南最高人民会議常任委員長の四人の高官を中心とした四つの勢力が抗争を続けており、息子たちによる後継闘争を嫌った金正日氏が顕在だったら考えられないことだ、という。また、金正日氏の現地指導(地方視察)での随行者が2003年9月を境にガラリと変わり、朝鮮労働党幹部がいなくなって、人民軍の玄哲海総政治局組織副局長(大将)、朴在京総政治局組織副局長(大将)と軍幹部の李容哲党中央軍事委員、李明秀参謀部作戦局長の4人は常に同行している、というのだ。

 金日成主席の墓参も、あんなに親孝行の金正日総書記だったのに、2002年以降は党幹部らが一緒に墓参しなくなり、墓参回数も減ったという。

 細かいところは書かないが、相当の証言を集め、自分で裏を取ったことを書いているようだ。信用できる本だ、と思う。

 それだけにショックだったのが、1990年代まで日本の入管行政が北朝鮮については全く機能していなかった、という部分だった。

 1982年から金正日総書記が東京・赤坂に何度もマジックを見るなどの目的のために遊びに来ていたことも何人かの証言で間違いないようなのだ。

 この仰天行動がなぜできたのか? 万景峰号が新潟だけでなく各地に寄ることができて、そこの入国管理を入管の法務省職員ではなく、朝鮮総連がやっていた、というトンデモ行政が原因で、飛行機嫌いの金正日氏は万景峰号に乗ってやってきて、入管のチェックもなく不法入国できた違いない、という部分も説得力があった。

 だから、父親の行動を見ている長男の金正男氏が同じように不法入国してディズニーランドに頻繁に遊びに来ていた、ということだという。

 マスコミも大蔵省も法務省も朝鮮総連を怖がっていた時期が長かったのだ。朝鮮総連は部落解放同盟と並んで「タブー」扱いを受けていた。

 そういえば、とむしろ旗を押し立てて新聞社の前でスピーカーを全開にして抗議集会をしていたのを昔、見たことがあった。思い出した。随分前のことと思っていたが、90年代までは基本的にこのパターンが続いていたらしい。

 だから、万景峰号に積み込んで、日本の精密科学技術、核技術が北朝鮮に流れたり、覚せい剤が日本に密輸されたり、中には拉致犯罪に船が悪用されたこともあったかもしれない。

 このような治外法権のような法外な悪習が消えた(今でも完全には消えていないのだが)のは拉致事件が表面化して、拉致を続けた北朝鮮政権への国民的怒りが湧き上がってからだ。

 それまでは、政府もマスメディアもむしろ旗が怖くて、正面切って朝鮮総連に文句を言えなかった。それだけでなく、社会党の一部国会議員を中心とした勢力や重村氏が書いているように岩波書店の月刊誌などが朝鮮総連を後押しし、政府やマスコミに文句をつけていたのも忘れられない思い出だ。

 岩波「世界」文化人らは今では自分たちがしてきた犯罪的行動に口をぬぐっており、この無責任さはいかに日本の左翼が信用できないか、を示している。

 この延長上に金丸信元自民党副総裁と田辺誠社会党元委員長訪朝での「戦後の償い」共同声明がある、と重村氏は主張している。

 重村氏は以前から政府と政府の関係で日朝交渉をせよ、と主張しているが、この真意は日本政府は、金容淳党書記(統一戦線部部長)の工作機関や朝鮮総連という謀略・工作機関と交渉するのではなく、米国がやっているように、堂々と北朝鮮の外務省と交渉すべきだ、ということだ。

 重村氏が特ダネで書いたそうだが、金正日氏が朝鮮総連に指示を出したのに、総連が既得権益を守るために指示を守らず握りつぶしたことがあり、それを暴露された朝鮮総連は重村氏を脅したり、悪口を言いふらしたりしたが、効果はなかった、という。

 金正日氏の指示とは「日本ではチマチョゴリを着る必要はない。総連は北朝鮮の言うことをすべて鸚鵡返しに言うのではなく、北朝鮮と日本を橋渡しする役目を果たすべきだ。北朝鮮のために働きながら、総連が無視している愛国的在日朝鮮人を大切にしろ」というものだったという。しかし、総連はそういう指示が出たことを握りつぶし、下部に流さず、平壌にはくだkづあと実行できないことについての弁明を繰り返していた、と書いていた。

 重村氏は朝鮮総連が日本人の北朝鮮嫌いの原因を作っている、北朝鮮の正統な幹部たちはみな、礼儀正しくていい人なのに、総連が嘘をつき、犯罪的な行動をするので日本人は総連と北朝鮮が同じと思い込んで北朝鮮を嫌いになる、という。

 ただ、現在、日朝交渉の担当大使である宋日昊氏はもともと日本語通訳で工作機関「統一戦線部」の傘下にあったことから、生粋の外交官ではなく、発言を検証すると平気で嘘をつく工作機関の悪い部分を持っている、という。

 こんな平気で嘘をつくような男を対日交渉の窓口にすること自体、日本を馬鹿にしているのかどうか。

 重村氏が「あとがき」で書いているように、日本の朝鮮半島学者はテレビに出たり、シンポジウムに出てばかりで、本を書かないので、アメリカや韓国の学者、ジャーナリストから相手にされていないようなのだ。いい加減なことを言ってすんでいる場面ではそれでもいいが、朝鮮半島が激動の時期に入れば、そうはいかなくなる。

 もっと学問的に朝鮮半島を研究する若手研究者が育たないと、日本の朝鮮半島分析も遅れてしまうのだろう。

 「ジャーナリスト重村健在なり」を示した本だった。でも、こんな本を出すと、また朝鮮総連が怒るだろうなあ。よくここまで書けると思う。半端じゃないょ、この本は。

(追記)10月19日

◆姜英之拓殖大学客員教授の北朝鮮分析も重村氏の説の追認だった
 「終わる『金正日体制』~北朝鮮は『普通の国家』に回帰していく」(エコノミスト2008年10月28日号掲載の論文)は姜英之氏が書いたもの。重村氏の新著「金正日の正体」の金正日総書記重病説または死亡説を前提とした論である。基本的に重村説を是認する見方だ。

 言っていることはしっかりしている。

 面白かったのは、1997年に北朝鮮から韓国に亡命した黄長燁(ファン・ジャンヨプ)元朝鮮労働党書記が9月25日に「金総書記の健康状態が悪化したからといってクーデターが起こりうると見るのは、北朝鮮を本当に知らない見方だ」と発言したというところだった。新聞で見落としていた、というより、日本の新聞には載っていなかったのではないか? 姜英之氏は

 <北朝鮮は国民を強固に洗脳した「儒教社会主義」の宗教国家であり、軍部を中心として完全に統制・管理されている。そうした「唯一指導体制」の堅固さが過小評価されているというのだ。「その通りだろう。>と書いている。さらに、

 <9月15日、西側の重病説に反論するかのように平壌放送が「いかなる狂風が吹こうとも社会主義祖国を最後まで守る」と述べたのも、決して虚勢ととらえるべきではない。数百万人の人民が餓死しても体制擁護のため核開発を強行するのは、総書記個人の考えではなく、現体制に運命をかけた党・軍部指導部層の総意と見るべきで、総書記個人に異変が起きたからといって、軍の暴発や人民の暴動といった事態が容易に起きるとは考えにくいのである。>

 と、して、<いずれにせよ北朝鮮は、03年からか今夏からかはさておき、「金正日なき金正日体制」に入っているといえるのだ。>と書く。集団指導体制論である。ただ、死亡が確認されれば、跡目相続の争いになるだろうが、<父の絶大な信任の下に帝王学を早くから身につけていた総書記と比べれば、いずれも人物も力量ははるかに劣る。一時的に誰かが軍部や党に担がれることはあっても、実質的な「3代目の世襲」はないと見るほうが自然であろう、>と予測する。

 そして、「計画なき計画経済」(今村弘子・富山大教授の表現)も冷戦の遺物「先軍政治」も続かないという。

 金日成主席死亡後に当時の金泳三大統領は北朝鮮の崩壊=吸収統一を想定して、政府高官を東西統一間もないドイツに派遣して統一の過程を学ばせた。だが、北朝鮮は崩壊しなかった。その後の韓国は金大中、盧武鉉両政権が太陽政策で平和的な合意による統一を目指した。今、また韓国では北朝鮮の異変に対し「合意によらない統一」の可能性が再び出てきたとして吸収統一の準備をすべきだという声も出始めているが、早まってはいけない、として、統一コストやその効果、自国の国力をあらゆる側面から分析して朝鮮半島の将来像を冷静に見据えて判断すべきだ、という。

 北朝鮮はまたまた瀬戸際政策を取る可能性があるので日本も拉致問題にとらわれるあまりの近視眼的外交戦略では、北朝鮮の変化を見逃す恐れがある、として「長期的かつ複眼的な国家外交戦略」を打ち立てよ、と要望している。

 言っていることはまともだと思うが、姜英之氏とは何者あんおだ? 調べてみた。

◆姜英之氏インタビュー「アジア人としてアジアの架け橋として」。

 2007年5月30日ネットのオールアバウトの[韓国ネットビジネス事情]連載からコピぺ。略歴があった。

 姜英之(カン・ヨンジ)氏は1947年2月大阪市生まれの在日韓国人2世。1972年大阪市立大学経済学部卒業後、新聞・雑誌編集のかたわら、韓国経済を中心にアジア経済について研究・評論活動をおこなう。

 1991年6月、東アジア総合研究所設立、所長に就任(~現在)。1992年3月、「青丘文化賞」受賞。4月、早稲田大学現代政治経済研究所客員研究員。その後、民団新聞論説委員、在日韓国商工会議所諮問委員、在日韓国人文化芸術協会副会長、韓国民主平和統一諮問会議諮問委員(議長・金大中大統領)、在日韓国新聞協会理事を歴任。

 現在、神奈川大学非常勤教師、桜美林大学非常勤教師(韓国政治経済担当)、拓殖大学客員講師、韓国テクノマート理事兼東京事務所所長、韓国中小企業公団東京事務所アドバイザー。

 著書に『東アジアの再編と韓国経済』(社会評論社)、『アジアの新聞は何をどう伝えているか』(共著、ダイヤモンド社)、『「在日」から「在地球」へ』(共著、UGビジネスクラブ)、「韓国経済挫折と再挑戦 漢江の奇跡は二度起こるか」姜英之/編著。価格2,100円は<序章 先進国経済化をめざし50年/第1章 安定成長模索と金泳三政権の経済改革/第2章 変身する韓国財閥/第3章 早すぎたOECD加盟と「IMF危機」/第4章 金大中政権の経済改革と財閥解体/第5章 転換期を迎えた日韓経済協力>という構成。

 インタビューの前文<今回は日本と韓国のみならずアジアの架け橋として活躍されている姜英之(カン・ヨンジ)先生にお話を頂きました。姜先生は東アジア共同体構想という考えをもって、多くの経済人との交流や国家間の架け橋としての役割を精力的に行われている方です。特に姜先生は昨年5月に民団と朝総連の歴史的な和解というニュースが発表されたことがありましたが、その和解を導いた中心的な役割をなされたといいます。また新聞記者出身でもある姜先生は、平素から雑誌などでエコノミストとしてコラムの執筆活動を続けられている一方で教育、研究、実践面などで様々な顔をもたれて精力的に活躍されています。…>を見ると、いろいろ手広くやっているらしい。本文もコピペする。

◆Q:先生がアジアの橋渡しになろうと思ったきっかけは?

 姜氏:私は在日コリアンであったため日本と韓国との狭間で、幼いときから自分のアイデンティティーで悩んでいました。

 在日韓国人は日本で生まれたのに韓国人だということで差別を受けてきました。また日本と韓国という両方の属さないどっちつかずの状態だと思っていたことがありました。

 アイデンティティーに混乱がある時には人間というのはどっちつかずで不安定な状態が続くのです。ですから自分の視野がそういうところにありました。

 しかし、88年に中国の吉林省で200万人の在中朝鮮族が住んでいる状況を目の当たりにして自分の視野が開かれました。すなわち本国で生まれようが北朝鮮で生まれようが、日本で生まれようが、同じコリアンであるということです。

 相対的だということを、そこで気づかされたのです。そういう状況で自らを振り返ってみた時に、在日コリアンという私ではなくて「アジア人」なんだという発想がでてきたのです。

 ヨーロッパ人はヨーロッパ人という発想があるらしいんですよね。日本人はアジア人という発想は弱いでしょう?それは国境がそのように自分のアイデンティティーを狭めているんです。

 200年前、(日本人にも)日本人という考え方はなかったんです。藩という枠があったからです。例えば長州人という風にそこ(藩)から一歩も外へ出ることができなかったのです。だから長州という藩の中の人間集団という感じで日本人という発想がなかったのです。

 現在の日本人は日本、韓国、中国といった国境にこだわっているために、アジア人の一員であるということ(意識)が分からなくなっているんです。

 そういうわけで在日アジア人という発想にすればいいと思いました。アジアの人、つまり私の場合はたまたま日本にその生活や職場があるというだけでいいんだなと。

 今、日本という国の中にアジアができつつある。つまり日本にも中国人、韓国人が多く訪れています。アジアの中の日本ということで私を位置づけたのです。

◆Q:今は、インターネット時代つまりボーダレス時代になってきていて多少は人の意識も変わってきたと思いますが、先生の言われている「アジア共同体構想」という考えを実践していく上で、ご苦労されていることはありませんか。

 姜氏:苦労といえば、まず言語の問題、通訳を介しているのでコミュニケーションが十分にいかないということです。

 そして(国ごとに)生活風俗、風習が違うので考え方が違うことです。例えばシンポジウムなどでよく国際会議を行っているのですが、その地方に行く毎に国の習慣などが違いますので、やもすると対立が生じるという可能性があります。そうならないように理解するようにしなければなりません。

 モンゴルに行ったときに時間の観念が違うんです。12時から食事をする予定であったのに、食堂に行くといまから作りますという具合で結局食事ができあがったのは13時です。また同時通訳が必要だったので、現地の人にお願いしたのですが、準備できるといったのに普通の通訳がきたんです。通訳も同時通訳も同じだと思ったのでしょうね、突き詰めて考えないというか。

 東アジア共同体をつくるに当たって難しいのはそのあたりです。

◆Q:日韓のビジネスの面の違いはどういう点ですか?

 姜氏:韓国人は黒白がはっきりしています。

 それに対して日本人はそれがとても曖昧です。「前向きに検討します」という曖昧な返答をします。

 日本人は時間と金についてはしっかりとしていますが。態度については曖昧なんです。韓国人は態度ははっきりしている。

 もう一つは、トップダウンとボトムアップという意志決定の違いがあります。韓国は財閥中心であったり、オーナー会社が多いわけで近代化が遅れました。

 日本の大企業の場合はオーナー社長がいなくなった。この点が(過去においては)韓国経済の弱さと日本経済の強みだったのですが、グローバル時代になったので、今になっては韓国のスタイルは迅速に対応できるメリットを持つようになっています。

 ライフサイクルが早く、巨額な設備投資が必要な半導体の製造は受給関係や、迅速な判断が必要になります。韓国は大胆で早いというということです。

◆Q:日韓のそうした違いをうまく克服するにはどうしたらいいのでしょうか。

 姜氏:そのためには相手の長所、自分の短所を受け入れることが大切です。

 韓国は国民性の面でも下克上でなかなか人を信じない、会社を信じないところがあります。終身雇用制がないし、年功序列もないので会社中心主義もありません。

 そのため離職率がすごいんです。日本とは正反対です。

 また韓国は87年6月から民主主義が始まりました。わずか20年前です。

 日本は既に60年前から民主化になっているんです。

 この歴史が違います。この違いを皆さん理解していないんです。韓国と日本を平面に評価してしまう。だから何かうまくいかず問題が生じます。

 システム、マインド、歴史が違います。中でも最大の問題が労使問題です。

 韓国は労働者の力が強いのです。簡単に解決できません。またそれにプラスして戦前の歴史問題があります。それが(日韓関係が)うまくいかない理由です。

 米韓間では企業システムなどではうまくいきますが、労働問題のみでうまくいきません。歴史の問題がないのです。

◆Q:東アジア共同体、アジア経済ブロックをうまく実現させるためのポイントはあるのでしょうか。

 姜氏:世界は3つのブロック経済になっています。ヨーロッパ、アメリカ、アジアブロックです。アジアブロックの中では日韓中が東アジアの中心です。3カ国で世界の外貨準備高の90%程度にもなります。もちろん香港と台湾をいれるとですが。

 その3国が中心になって東アジア共同体を構築するための問題としては、一つ目は歴史問題があります。これを解決しなければなりません。

 そして二つめは中国の中華主義の克服。中国には‘中華帝国’という考えがあります。華人・華僑とか中国が支配権を持ちやすいのです。これを牽制していかなければなりません。最後にアメリカとの関わり方。

 アメリカがアジアから手を引かないのです。資源の問題、アジアにおける利権の問題などで中国とアメリカが将来激突する恐れが強いのです。

 その米中2国をけん制していく必要があります。

 中国の影響力が強いのは韓国。アメリカの影響が強いのは日本です。

 日本と韓国が仲良くする必要があります。日本がアメリカと組んで中国に対抗するというのはナンセンスです。どうして中国に勝てるでしょうか。

 中国は5000年の歴史があります。中国は眠っていただけで、今は起きてしまったので勝てるはずがありません。それを認めないといけません。

◆Q:先生は今後はどういう活動をなされる予定ですか。

 姜氏:今後も日本、韓国、アジアの架け橋を行いたいと思っています。

 そのためには韓国の経済が今一番危ないのです。

 韓国の技術の水準をもっと伸ばさないといけません。

 日本と手を組んで。技術の水準を伸ばしていかなければならないのです。

 そういうこともあり、講師をやりながら東アジア共同体のことを講義・研究し、実践で技術・経済交流、教育者の立場から人材を育成します。

 実践面では中小企業公団と韓国テクノマートで韓国の技術者を育てます。教育と研究と実践。この三つを成していくつもりです。

 質問者のあとがき:インタビューで感じたことは、グローバル時代に突入している現在、自分を日本という枠にとどめず、もっと広い視野を持つことが大切だと思いました。「国境の壁は心の壁と制度的な壁だ」の言葉が印象的でした。自分の枠を壊すには、まずは心の壁を壊すことが重要なのではないでしょうか。「(誰でも)自らを過小評価してはならない」つまり、過小評価するといつしか自分はそれだけの人間になってしまう、常に高いところに目標を置いて、それに向かって努力することが大切、今の自分の姿にとらわれるなというメッセージをくれました。(原文を少し脚色)

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2008年9月 9日 (火)

小沢一郎氏は悲運の政治家?~9月9日朝刊各紙+武村、屋山氏産経、御厨氏日経、上杉氏東京への寄稿かインタ

 本当に運の悪い人だと思う。党首選への立候補記者会見で本来ならば1面トップを飾るところを福田康夫首相の辞任記者会見に消されてしまい、無投票3選した日くらいは1面トップだろうと思っていたら、9月8日夕刊は北の湖相撲協会理事長の辞任表明がトップで、各紙小沢氏の記者会見は1面2番手。

 何か、小沢氏の人生そのものに見える。小沢氏が政権を取り、官僚政治を破壊することは、危険な選択肢だけど、もしかしたら、ここまで追い詰められてしまった今の日本政治に必要な荒療治かもしれない、と思うこともある。それにしても、人には運の良さ、悪さがある。小沢氏が「不運の人」ならば、日本を任せるわけにはいかない。日本が沈没するかどうかのギリギリの時、幸運な指導者に任せるのも、国民の見識だから。

 読売新聞の政治面に掲載された年表はここ20年の活動をうまくまとめていた。

★小沢一郎氏の足跡と発言~読売新聞9月9日朝刊より(少し付け加えた)

1989年8月 海部俊樹政権の自民党幹事長に就任。
1990年8月 イラクがクウェート侵攻。
 「現在の憲法体系の中でも国連への協力という枠内であるならば、自衛隊の派遣協力も可能。自衛隊の派遣で国連に協力する行為が集団的自衛権の行使という解釈は解釈論としておかしいし、イコールで結んだら、日本の国連での活動は最初からできない」(9月、自民党の全国研修会での発言)
1991年4月 東京都知事選敗北を引責、幹事長を辞任。
1991年6月 狭心症の発作を起こして日本医大に1カ月半入院。
1992年12月 竹下派分裂、羽田・小沢派を結成。
1993年2月 自民党の「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」(小沢調査会)が現憲法下でも自衛隊の国連軍参加は可能などとした提言を宮沢首相に答申。
1993年6月 自民党に在籍したまま宮沢喜一内閣不信任決議案に賛成。直後に自民党を離党し、新生党を結成して代表幹事に就任。宮沢首相は衆院を解散。
1993年6月 自衛隊と別個の常設国連待機軍の創設や消費税率引き上げなどを掲げた政策集「日本改造計画」を出版。
 「こと安全保障となると、にわかに憲法や法制度を口実にしたひとりよがりの理屈がまかり通り、何とか国際協調の責任と役割を回避しようとする。どの国よりも世界の平和と安定に貢献しなければならない立場の日本が、安全保障を国際貢献の対象分野から除外することなど許されるわけがない」「消費税の税率引き上げは最も合理的だ。現在3%である消費税の税率を、欧州諸国と米国の中間の10%とする」(同書)
1993年8月 非自民8会派連立の細川護煕内閣発足。
1994年6月 村山富市内閣の発足で初めて野党に。
1994年12月 新進党を結成、幹事長に就任。
1995年12月 新進党の党首公選で羽田孜前首相に圧勝し、党首に選出される。
1997年12月 新進党を解党。
 「お互いに新たな道を歩むことになった。私自身も実質的に党首は終わりだ。分党方針を確認すれば、あとは一人一人の判断だ」(両院議員総会で)
1998年1月 自由党を結成、党首に就任。
1999年1月 自民党(小渕恵三総裁=首相)との自自連立政権が発足。
 「今回の政策合意を本当に実行したら、革命に近い改革になる。こうなった以上は何が何でも小渕内閣を支えたい」(パーティーで)
1999年10月 公明党を加えた自自公連立政権(小渕首相)が発足。
2000年4月 自自公連立を離脱、再び野党に。
2003年9月 自由党を解党し、民主党と合併。
 「この挑戦に失敗すれば、日本の議会制民主主義の失敗ということになる」(記者会見で)
2003年12月 民主党代表代行に就任。
2004年5月 菅直人代表辞任に伴い、いったん代表選出馬を表明したが、自らの国民年金未加入問題により出馬を断念。
2004年11月 民主党副代表に就任。
2006年4月 偽メール問題で前原誠司代表が辞任したのを受けて実施された民主党代表選で菅直人氏を破り、代表に就任。
 「明日のため、私自身を、民主党を改革しなければならない。まず私自身が変わらなければならない。We must change to remain the same(現状にとどまるためにも、変わらなければならない)」(代表選での政見演説)
2006年4月 衆院千葉7区補選で勝利。
2006年9月 前原代表の残り任期満了に伴う代表選で無投票再選。
2007年2月 自らの資金管理団体の事務所費を公表。不動産12件の取得総額は約10億円に。
2007年7月 参院選で大勝し、民主党が参院第一党に。
2007年11月 福田康夫首相との党首会談で、自民党と民主党による連立政権構想を協議。民主党役員会で連立政権への参加を拒否され、代表職の辞意を表明したが慰留を受け、辞意を撤回。
 「迷惑をかけたことをおわびする。この体にもう一度むちを入れ、来たるべき衆院選に、私の政治生命のすべてをかけ、必ず勝利すると決意を新たにした。私は不器用で、口下手な東北気質で、どうしても説明不足になりがちだ」(両院議員総会で)
2007年11月 海上自衛隊のインド洋での給油活動が野党の反対で中断。
2008年4月 ガソリン税の暫定税率失効。後期高齢者医療制度を批判し、衆院山口2区補選で勝利。
2008年6月 福田康夫首相問責決議を参院で可決。
2008年9月 民主党代表選で小沢氏が無投票3選。
 「自民党中心の政権に終止符を打ち、国民生活第一の政治・行政を実現する最後の機会と思い、全力を尽くす」(3選後の記者会見で)

★小沢氏の4度の失敗~9月9日朝日新聞朝刊[政態拝見]星浩編集委員コラムから

 星氏の連載コラムの今回の見出しは<小沢氏の失敗 「5度目」か最後に「変身か」>だった。

 小沢一郎氏について、

 <これだけ失敗を重ねながら、復活してきた政治家も珍しい。……失敗は少なくとも4度ある。>

 と書いていた。4度の失敗とは何だろう?

①1993年に自民党を飛び出し、細川政権を樹立したが、連立仲間の社会党とうまくやれず、非自民政権は約10カ月で崩壊。消費税を7%に引き上げることも画策したが、猛反対に遭って撤回、政権を失速させた失敗。

②1994年に非自民勢力を結集して新進党を結成。95年の参院選では躍進したが、公明党系議員らとの摩擦が強まり、97年末にあえなく解党を宣言した失敗。

③自由党を率いていた1999年には自民党と連立政権を組み、窮地に立たされていた小渕恵三政権を救う結果に。2000年には自自連立を解消したが、自由党は分裂(一部は保守党となって、自民・保守・公明連立に残る)した失敗。

④2007年には福田康夫自民党との大連立にいったん合意したが、民主党幹部の反対で頓挫。辞意表明の後に慰留されて翻意した失敗。

 の四つだそうだ。

 ①は院内会派「改革」を社会党抜きで作ろうとして、社会党が怒ったのが直接の不仲のきっかけだが、今にして思えば、小沢氏は確信犯的に社会党を殺そうとしていたようにも思える。大体、冷戦崩壊で日本国内の冷戦構造の残滓であるソ連崇拝者たち=社会党は不要になったのだが、その残像が日本政治に悪影響を与えている、と思っていただろうから。

 ②はいまだに分からない。創価学会との微妙な関係だろう。

 ③は小沢氏の権力欲を利用してうまく釣り上げた野中広務氏の手練手管の勝利だろう。どこかで読んだが、自民党はもともと公明党との自公連立を考えていたが、あまりにも露骨なので、間に自由党を挟み、国民の目から自公連立を隠した、という評価がある。小沢氏は利用されたのだ。

 ④もよく分からない。当時は「大連立なんて大政翼賛会みたいなもの」と腹が立ったが、段々と、そうばかりとは言えないのではないか、と思ってきた。

 トロイの木馬方式を取らなければ、今の自民党権力は倒せない、と小沢氏が腹を決めた可能性もある。だが、党内で否定された。

 ここが小沢氏の人望のなさ、根回し下手のなせるわざで、いまだに「反小沢」なんて言っているのを見るたびに、「変わってないなあ」と思うのだ。

★中曽根康弘氏はテレビで小沢氏を麻生氏よりいい、と言っていた?~東京新聞政治特集面[政理整頓]谷政幸氏のコラムから

 9月9日東京新聞朝刊コラム[政理整頓]<卒寿の血も騒ぐ大政局>で谷政幸論説副主幹は1982年~87年まで首相を務めた卒寿の90歳になった中曽根康弘氏が3日の読売新聞、毎日新聞、4日の産経新聞で取り上げられ、引っ張りだこになっていることがいわば枕。本題はTBS「ニュース23」で中曽根氏が後藤キャスターに対して<おやっと思わす発言をした>という部分だろう。

 <小沢さんも二世だが幅の広い政治家になった、あの寡黙が凄みになっている、と。自民の後継総裁に本命視される麻生太郎氏の力量は祖父の吉田茂氏と比ぶべくもない、と言い放った。期待度の違いがわかる。>

 なるほど、そういう発言だったか。まあ、もう怖いものなしの中曽根さんだったらはっきりと自分の考えを言うだろうなあ、と思う。

 <恐らくこの人は、総裁選の先の総選挙と政界再編、たとえば大連立も、野党の党首をキーマンに、構想している。政権交代も排除していない。卒寿にして血が騒ぐ。そんな大政局なのである。>

 谷副主幹の政局の見立てだろう。中曽根氏はどこかの新聞のインタビューか座談会で「政権交代があっても仕方ない」のような発言、もっと言えば「一度は必要だ」というようなニュアンスの発言をしていた。それらを総合的に見て、こういう絵図面を描いたのだろう。

 中曽根政権末期に竹下登、安倍晋太郎、宮沢喜3氏がポスト中曽根を争った。竹下陣営で金丸信氏と「七奉行」が竹下政権実現を目指して永田町で暗躍した。昔ながらの義理と人情と金と票をフル動員した権力闘争だった。その「七奉行」の中心に小沢一郎氏がいた。中曽根氏hそんな若き日の小沢氏を知っているだけに、敵将とはいえ、成長ぶりを率直に認めたのだろう。

★「官邸崩壊」著者のフリージャーナリストの上杉隆氏は<自民下野>を予測していた~東京新聞9月9日朝刊のインタビュー

 「官邸崩壊」「ジャーナリズム崩壊」の著者でフリージャーナリストの上杉隆氏が東京新聞9月9日朝刊政治特集面[即興政治論]<不信極まり自民下野か>で清水孝幸記者の質問に答えていた。面白かったのは、

 <自民党は終わりじゃないですか。秘書や党職員も「次は小泉(純一郎元首相)さんが再登板しても勝てないのでは」というくらい危機感を強めています。自民党の政権担当能力への不信感は頂点に達しています。>

 <総選挙は政権担当能力はどちらにあるかという戦い。どちらにあるかということになれば、二度の政権投げ出しで、民主党にあるということになりますからね。>

 <次の民主党の選挙ポスターのキャッチフレーズは簡単ですね。「投げ出さない」とすればいい。それで勝ちじゃないですか。>

 <小沢さんも昨年、辞意表明しましたが、結局、撤回しました。おかげでトップの辞任は自民が2回、民主は1回。あの時、踏みとどまらせたことが、今となっては大きいですね。>

 これだけ読むと、相当投げやりに聞こえるし、実際、単純なことしか言っていないのだが、最近、上杉氏の予言はピタリと当たっている。それは、あまりひねって考えずに、ズバリ核心を突いて考えているからではないか。

 今回の単純な答えも、もしかしたら、有権者心理を見事に言い表わしているのかもしれない。「上杉恐るべし!」という結果になるのかどうか、面白い。

★産経新聞[私の小沢一郎論]初回は武村正義元官房長官

 産経新聞9月9日朝刊政治面[私の小沢一郎論]が随時掲載で始まっていた。初回は<小沢ー武村戦争>を闘った武村正義氏の寄稿。<国民には苦いことも言って>の見出しだ。

 細川護煕政権の官房長官だった武村氏が小沢氏の怒りを買って、小沢氏が首相公邸に細川首相を訪ねて「武村を切れ。そうじゃないとオレは協力せん」と荒っぽい言葉で言うと、建て付けの悪かった当時の公邸のドアをガシャーンと音を立てて閉めて帰って行き、驚いた細川首相がすぐに武村氏に電話して公邸に呼んだ話とか、秘話も語っているが、面白かったのは「小沢さんは自分が知らないうちにいろいろ決まっていると怒っていたそうです」という感想だ。小沢氏の怒りの原因すら当時の武村氏は知らなかったのか、と驚いた。非自民連立が早期に崩壊したわけである。

 2人の対立が決定的になったのが予算年内編成問題だった、という。小沢氏が斉藤次郎大蔵事務次官と相談して、予算編成は2月にずれ込んでもいいから、選挙制度改革を最優先しよう、と決めていたのに、それを知らなかった武村官房長官が「年内編成で頑張っていきたい」と発言したのに小沢氏がカチンときたらしい、と書いていた。これも「知らなかった」という話だ。なるほど、当時は噂に聞いただけだったが、相当にひどかったようだ。

 武村氏は先日、小沢事務所を訪ねて久しぶりに仲直りしたそうだ。自分を一度でも裏切った(と自分が認定した)人間は絶対に許さなかった小沢氏が過去の最大の喧嘩相手を許したのか、と「仲直り」ニュースを見た時、驚いた。

 武村氏も単純な「ムーミンパパ」じゃない。相当腹黒い人物だから、せっかくの会談で世間話をするだけはなかったようだ。小沢氏に注文をつけた、という。

 「短くても(民主党基軸の政権は)2、3年は持つように頑張ってくださいよ。選挙でお忙しいだろうけど、頭の半分は選挙、もう半分は選挙後の政権の政策を考えてください」と小沢氏に注文した、というのだ。

 武村氏はその注文の真意を紙面で説明している。

 民主党の参院選マニフェストで「消費税は上げない、新規施策の15兆円は歳出カットで捻出する」とあったが、大胆すぎる、自民党からバラマキと言われても仕方ない、もう少し政策を詰めてほしかった、という意味だった、というのだ。

 「国民には消費税も含めてもう少し苦いこともいってほしい」というのが、この寄稿で一番言いたかった言葉だろう。そして、二番目に言いたかった言葉は締めくくりの「諫言、忠告をしてくれる人を大事にして、そばに置くようにもしてほしいですね」だろう。特に最後の言葉は14年前のトラウマが書かせた文章だと思う。

★新たな政治の構築にはまず”戦後”という長い物語を終わらせるべきだ~御厨貴氏が日経新聞「経済教室」で

 日経新聞9月9日朝刊[経済教室―政治再生を問う]<戦後60年の惰性、決別急げ/全体見渡す「大政治」を/官僚優位では解決難しく>の見出しなのだが、眼目は、その部分ではないだろう。

 つまり、全くタイプの違う首相2人が相次いで政権を投げ出したことは、

 <六十余年の惰性から真の決別ができていない事実を如実に示す。新たな政治の構築には、まず”戦後”という長い物語を終わらせるべきだろう。すなわち戦後日本のソフト・ハード両面のインフラを素直に見直すことだ。>

 と、問題の根本を「戦後」を曖昧なままにしてきたこれまでのツケだ、と断じている。そして、

 <後ろを振り返るより、前を向き、あるべき21世紀の日本を議論すべしとの声はしきりだ。だが、過去と現在をきちんと総括しない限り、未来像は絵に描いたもちとなりかねない。しかも今や、未来へ向けても誰もが納得できる大きな物語は描き得ない。もしろ断片化された個人の周囲だけに仕切られた無数の小さな物語だけが散在するありさまだ。そうした、個々人の側が主体的に断片化された物語を、他の小さな物語と、もしつなぎうる契機があるとすれば、それは日本人の誰にとっても大きな叙事詩であり叙情詩だった”戦後”を終わらせる以外にはあり得ない。>

 と、個別争点をチマチマ話し合っても、「戦後」の総括がされていないと、またまた混迷に陥ってしまう、と注意喚起しているのだ。

 確かに、憲法改正問題がいつも論戦途中で尻切れトンボに終わっている原因は、日中戦争・太平洋戦争を日本人として総括し切れていないからだ。

 軍隊不信という父母・祖父祖母の記憶の継承を断ち切り、その「怨」が晴れなければ、いくら防衛庁が防衛省に昇格しても、自衛隊は日陰の存在のままだろう。

 軍隊・軍人が尊敬すべき存在だ、と心から思えなければ、怖くて憲法改正はできないだろう。戦争では敵に殺されたのではなく、日本の軍隊に殺された日本人がたくさんいるのだから。

 ソ連が不可侵条約を破って満州に侵入した時、その事実も知らされていなかった居留民多数をソ連の戦車の前に無防備で置き去りにして、軍人たちは自分の家族だけをそっくり列車に乗せて、一家揃っていち早く逃げ去った。守ってくれる軍隊がいなくなった居留民はソ連軍に残虐の限りを尽くされ、多くは死亡した。

 沖縄でも降伏を許されず、日本軍人に見殺しにされた一般民衆がいた。日本軍の幹部には米軍の捕虜になって命を取りとめた男もいた。

 そして、終戦に際しても、軍人や軍属の中の一部が軍用物資を私し、戦後、フィクサーや政治家、政商になった男たちがいた。

 日本人の不幸は、本来は尊敬して余りある「日本軍」を信用できないことだ。

 信用できるようにするには、終戦から何十年たった後でもいいから、軍人の非道行為を特定し、責任者を処分し、決着をつけるべきだ。

 中国だったら墓を暴いてでも復讐するだろうが、日本人はそこまではやらない。

 だが、悪人が知らんぷりしていることは許せない。勝者としての占領軍は敗者日本の指導者を極東軍事裁判(東京裁判)で裁いたが、日本人自身の手による裁きはまだ済んでいない。

 戦争を始めた責任者、途中で戦争をやめなかった責任者、敗戦に導いた責任者の特定と処断・総括が必要だ。

 自民党政府にはそうした「政治」は金輪際できない。今までできなかったのだから。政権交代すれば、そこまで進む可能性だけはある。

 御厨氏は「戦後」を終わらせる、というが、実は「戦争」を終わらせることこそ、今、緊急に求められていることなのだ。

★屋山太郎氏の官僚亡国論を寿ぐ~産経新聞「正論」から

 9月9日産経新聞朝刊[正論]は政治評論家の屋山太郎氏の<シリーズ福田首相退陣 公明の「減税」無理強いで嫌気>だった。

 福田康夫首相の政権放り投げが、健康が原因である意味やむを得なかった安倍晋三前首相の放り投げよりたちが悪いこと、これは政権政党の末期症状だ、と主張している。

 勉強になったのは<総選挙で勝つためには内閣支持率が35~40%必要>という指摘だ。経験則らしい。福田内閣改造はまぎれもなく森改造内閣だった、との指摘も鋭かった。森内閣は支持率一桁に落ちて辞めた内閣で、その森氏の発想通りにできた古臭い内閣の支持率は上がりっこない、という指摘もなるほど、と思った。

 屋山氏が注目するのが公務員改革である。

 先の通常国会で与野党協議の結果、公務員制度改革基本法が成立した。内閣人事局の設計図は1年以内に作る決まりだが、官僚の猛烈な巻き返しが起きているそうだ。

 麻生太郎氏は公務員改革に無関心で、官僚に思い通りにやられてしまうだろう。しかし、小沢一郎氏はそうではない、という。

 地方分権も21世紀の日本には必要だが、中央官僚が頑として改革を受け入れない。ここは、自民党の軟弱政治家ではなく、破壊力があって「官僚政治」批判者である小沢氏にぶち壊してもらおう、という趣旨に見えた。そうははっきりは書いていないが。

 ただ、小沢氏への注文もあった。15兆3000億円の新政策の財源を明らかにしていないことについての注文だ。統治機構に関わる荒療治をすれば捻出できるカネではあるが、そんなことは有権者には分かりにくいので、

 <時間軸を立て行程表を作って国民に示す必要がある。>

 という注文である。

 こう見ていくと、いろいろな人が小沢氏に消費税問題や新規施策の財源問題で同じ趣旨の注文をしているように見える。小沢氏は総選挙マニフェストで答えを出さないといけない。どういう答えが出てくるのだろうか。

★小沢代表の8日の3選後の記者会見(要旨)~毎日新聞9月9日朝刊政治面から

 <[冒頭発言]衆院選は目前に迫っており、一日の空白もなく代表の職責を全うし、準備に全力をあげる。明日から全国遊説を開始し、週内にも第1次公認候補を決定する。代表選公約の「基本政策案」を軸に早急に衆院選のマニフェストをまとめたい。「国民の生活が第一」の大原則で、年金、医療、子育て、雇用、農林漁業、中小企業などで日本型セーフティーネットを作る。明治以来の官僚を中心とする国の統治機構を全面的に改革し、国民自身が政治行政を担う仕組みに変えることで、財源も確保する。民主党は衆院選勝利に向けて一丸となり、全力で突き進む。

 [質疑応答]
 ――衆院選にどのような決意で臨むか。
 小沢氏 選挙の洗礼を経ずに、自民党内で政権がたらい回しされるのは3度目だ。我々に課せられた使命と責任は重い。何としても政権奪取できるよう全力で頑張りたい。

 ――自民党との違いは何か。
 小沢氏 自民党政権のトップが変わっても、政治行政の実態は官僚機構にすべて握られ、言うがままだ。官僚が選挙の洗礼も経ず、国民を無視した政治行政をやってきたために腐敗や税金の無駄遣いが生まれた。我々は、政治家自らが判断し、政策の決定・行政の執行に責任を持つが、自民党は旧来の官僚機構に乗っかっておんぶにだっこだ。民主党は「国民主導の政治」、自民党は「官僚主導の政治」だ。本来の議会制民主主義を実現したい。

 ――衆院選の目標と情勢評価は。
 小沢氏 本来の目標である過半数をまず(全国300の)小選挙区で獲得する。状況は大変厳しい。以前から「単なる雰囲気では勝てない」と口がすっぱくなるぐらい言い続けてきた。我々の主張を訴え続ければ、目的を達成できる可能性は十分ある。

 ――党役員人事をどうするか。
 小沢氏 21日の党大会で承認されるまで、とやかく言うべきでない。

 ――小沢氏の掲げる政策を実現する財源はどうするのか。
 小沢氏 「財源がない」という議論は「役所が作っている予算にまったく手を付けずに新しい政策を実行した場合、財源をどこから持ってくるのか」という議論だ。役所にマインドコントロールされていると言わざるを得ない。我々の政権では「国民のためにならない不要・無用の予算、税金の無駄遣いをやめる」という前提に立つ。きちんと精査すれば財源は十分にある。

 ――将来、消費税の増税を考えるか。
 小沢氏 現時点では我々の主張を満たす財源はある。将来今言ったような仕組みができれば、税負担を重くする必要はないと思うが、いろいろ全部やってみた上で、税制全体を考えていけばいい。

 ――省庁に100人以上の与党議員を配置するとしているが、その役割は。
 小沢氏 省庁に五つか六つの「局」があれば、1人で二つぐらいを担当し、その下に今で言う政務官を置く。英国では現実に行われている。

 ――政権交代に王手をかける局面に来た。
 小沢氏 「自民党では本当の世直しはできない」という思いで離党して15年経過した。ようやく多くの人が「自民党政権は国民に何の幸せももたらさない」と気付いてきたと思う。公正平等な社会だった日本が、格差の大きな社会になってしまった。あらゆる意味で富める者と貧しい者の格差が広がり、社会が崩壊するという危機感を持っている。自民党離党以来の集大成として、自民党政権に終止符を打ち、国民生活第一の政治を実現する。私にとっては最後の機会だと思い、全力を尽くす。

 ――元大蔵省財務官の榊原英資氏は「小沢代表が目指すのは革命だ」と言った。「革命」の言葉が保守的な日本人にどう映るか。官僚が抵抗勢力になる可能性はないか。
 小沢氏 私は「革命的改革」という言葉を使っている。明治以来百数十年の官僚機構を変えるという、決死の思いを表現しているつもりだ。官僚諸君は自分たちが政治行政すべてをやってきたかのような錯覚とうぬぼれにとらわれてきたが、最近は行政官と政治家の役割が違うことを認識してきている。我々が明確なビジョンと政策を示せば、心ある官僚諸君は必ず理解し、共に仕事してくれると自信を持っている。>

 以上である。分析記事やコラムは割と少な目なのだが、事実関係としての記者会見要旨などが充実してきたのが最近の毎日新聞政治面の特徴だ。この要旨も各紙に比べて最も充実していた。

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2008年9月 8日 (月)

細木数子氏の大相撲モンゴル巡業時、首相主催晩餐会での「国辱的」行状~東京新聞9月8日朝刊コラム+週刊文春9月11日号から

 9月8日東京新聞朝刊コラム[週刊誌を読む 9月1日~7日]<総裁選報道 騒ぎすぎ!?/福田首相辞任で政界激変>を見出しにつられて読んだところ、総裁選の話はさもありなん、という内容だったが、後半に書いてあった週刊文春9月11日号の<新聞・テレビが絶対報じない 細木数子・朝青龍モンゴル巡業の「国辱」>には驚いた。というか、腹が立った。

 このコラムは月刊「創」編集長の篠田博之氏が書いている、とあるのだが、篠田氏の言うとおりだと思った。東京新聞コラムを引用する。

 <8月下旬に行われた大相撲モンゴル巡業で国に帰った朝青龍に、以前から親しい細木数子さんが同行したらしいのだが、26日夜に行われた大統領晩餐会でとんでもない光景が目撃されたというのだ。記事によると「ど派手なピンクのスーツで」なぜか大統領の横に並んだ細木さんは、酒宴の終盤、「各テーブルを回って、力士たちにジャンケンでウォッカを一気飲みさせていたんです。ジャンケンで細木さんに勝つと日本円の現ナマ10万円の束をポンッと」(現役力士のコメント)渡していったという。>

 <そして記事はこう続く。「ちなみに、モンゴルの平均収入は日本円に換算して月約1万5000円から2万円だという。モンゴル人の年収を超える現ナマを大盤振る舞いした計算になる」>

 <あまりに恥ずかしい話だが、居合わせた日本のテレビは細木さんに口止めされ、報じなかったのだという。こういう話をスッパ抜けるのが週刊誌の真骨頂だ。>

 いくらなんでも、と思って週刊文春を見たら、38ページから40ページまで3ページを使って、写真もふんだんに入れていた。この部分は記事の後半で、「現役力士C」は続けて「ジャンケンで負けても、ウォッカを一気飲みすればポンッ。確か5、6回はやっていたんじゃないですかね」と続いていた。

 そして、モンゴル人の年収のくだりの後には

 <さすがに「これはまずい」と、相撲協会の巡業親方たちが、真っ青になって止めに入る。もちろん、日本のテレビクルーやカメラマンも、この現場をしっかり撮影していたのだが、「『この写真はさすがに使えないよなぁ』と話していたんです。内輪の飲み会でのことならまだしも、首相晩餐会でのことですからね。そうしたら、細木さん自ら、『絶対にこの写真は使うな』と報道陣に念を押してきた。現場にいたモンゴル人たちは、『日本ではよくあることなのか?』『首相の前であんなことができるなんて、あの人何者なんだ』と、怒りを通り越して呆れていましたよ」(現場に居合わせたカメラマン)>

 という文章が続いていた。そして、日本に帰国後、細木氏をこの件で取材したやり取りが続くのだが、その中でジャンケンについての細木氏の弁明はこうだった。

 <――首相晩餐会でジャンケン大会をしていたそうですね。>

 <あのねぇ! あなた方は前後の左右を全然知らないのよ! あの日は私は疲れてるから欠席したいっていうのを、向こうの首相と森元首相に招かれて席が用意してあるっていうんで行ったのよ。あの目立つ席に座りゃ、くったびれるんだ。>

 <でも行ってみたら、相撲取りもくたびれてるし、なんか晩餐会がものすごーく白けてたわけ。そこで森先生たちが退場しかかった頃、『朝青龍、力士もマスコミもみんなヘナってきてるよ。ちょっと盛り上げようと』って、各テーブルを回って”ジャンケンポン大会”をやっただけのことよ」>

 <――首相晩餐会で現金をバラまくのは、モンゴルでも常識に反するのでは?>

 <「……じゃあ、やらなきゃよかったよ。あんまりシラーっとした雰囲気だったから”ごっつぁん”でさあ。稀勢の里なんか喜んでねえ。お相撲さんが総立ちになって『俺も俺も』って、その雰囲気が珍しかっただけじゃないの。でも100万円なんて大げさです。四つのテーブルを回って全部で二十数万程出しただけよ」>

 <――力士が盛り上がったのはわかったが、モンゴルに対しては失礼ではないか。>

 <「そこまで規制しちゃいけないと思うよ。だから今の子供たちはおかしくなるんだ。ガス抜きさせなきゃ、相撲取りだっておかしくなるよ。『ガス抜きやるなよ清く正しく1、2、3』じゃあおかしくなるよ。>

 <今度の巡業、朝青龍はモンゴルと力士を喜ばせるために大変な苦労をしたんだよ。あんたたち、もっとあったかい記事を書きなさい。裁判官みたいなことやんない方がいいよ」>

 記事は<今回のモンゴル巡業では、このお方が日本の代表として、大統領や首相と同席していたのである。>と結んでいた。

 素晴らしいスクープ記事だ。森元首相が退席する頃、と微妙な言い回しをしているが、森氏がもしもこのことを見て見ぬふりをしていたのだったら、政治責任を問われなければならない事態だって考えうる。

 週刊文春は偉いが、情けないのは同行したテレビ局とスチールカメラマンの所属するマスメディアである。

 例えば、福田首相主催の晩餐会でアメリカの喜劇俳優がプロレスかアメフトの選手の間を回ってコインの表裏を当てるゲームをして、1人当たり1000㌦ずつポンッと手渡していたら、日本のマスコミは「なめるんじゃない、日本は植民地じゃないぞ」と怒り心頭だろう。

 それに怒らないマスメディアはもう日本のメディアではなく、アメリカのメディアだとしか言いようがないと思う。ジャーナリストにはまず愛国心が必要なのだ。その愛国心は偏狭なものであってはならず、他人の痛みを知ることのできる愛国心でなければならない。

 細木氏の傲慢な振る舞いを見たモンゴルの知識層やマスメディア関係者はどんな気持ちだったろう、と想像すると、いたたまれなくなる。

 「この婆あのために、日本との関係をギクシャクさせるのは得策ではない」と大人の判断をして我慢したのだと思うが、普通だったら、首相や大統領を侮辱したとして逮捕されてもおかしくない。モンゴル人は誇り高い人々なのだ。

 他人の痛みを分からないような人間が霊媒師だか何だか知らないが、テレビに出て偉そうにするな、と何故テレビ関係者は言わないのだろう。視聴率が稼げる老女だからじっと我慢しているのか? そんな我慢をするから、今の子供たちはおかしくなる。テレビはたまには清く正しい姿も子供たちに見せる義務があると思うのだが。

 本当に腹が立った。

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2008年9月 5日 (金)

パッシング、ミッシングと言うなかれ~福田辞任、外交への影響は?(毎日新聞、日経新聞から)

 毎日新聞9月5日朝刊オピニオン面[論点―福田政権が残した外交課題]で進藤榮一・筑波大名誉教授(国際政治経済)は<アジア外交の転機へ>として、福田首相は「「わずか1年弱の在任中に、ポスト冷戦後アジア外交の転機を着実に作り上げていた」として、その突然の退陣を惜しんでいだ。それはいいのだが、進藤氏の論文に「『ジャパン・ミッシング(日本見えず)』が、今、国際社会で日本を評する合言葉になっている」とか、「ジャパン・ミッシングを反転させジャパン・バニッシング(日本消滅)に至らせない唯一の道」などの言葉が頻出したのに違和感を持った。
 中国が力をつけてきて、米国の有力者が日本を通り越して直接中国を訪問する「ジャパン・パッシング」、日本の存在が見えない、まるで国際社会で日本がないような感じ、という「ジャパン・ナッシング」など、口の端にのぼりやすい言葉が一時流行した。何となしの雰囲気を表す言葉なので、寿命が尽きることなく、ミッシング、バニッシングに”進化”しつつあるようだ。
 それにしても、きちんとした国際政治学者だったら、そんなイメージだけで論じるのではなく、その言葉をもう一度ひっくり返して、言葉と現実とのギャップを示すか、言葉通りの”ミッシング”ぶりを分かりやすく説く努力をしてほしかった。
 本当に世界から笑いものにされているのか? と冷静な分析を書いたのが同じ毎日新聞5日朝刊の2面[発信箱]を書いていた福本容子・経済部記者だった。<それほど嘆くこともない>の見出し。情けない福田辞任記者会見について、
 <「こんな簡単に首相が辞めてしまうと世界から笑い者にされる」というコメントが産経新聞にあった。どんな笑い者になっているのだろう、と欧米メディアのニュースサイトをのぞいたら、「グスタフ(ハリケーン)」、米共和党副大統領候補ペイリン氏の長女17歳が妊娠、バンコクに非常事態宣言、グーグルが新サービス……話題にさえなっていない。無視された寂しさを覚えていると、英紙フィナンシャル・タイムズの社説に出くわし、そうか!と思った。>
 と書く。ロンドンだかどこだかで特派員経験がある記者で、英語が得意だから、英米の新聞が読める。福本氏によると、そのフィナンシャル・タイムズは、
 <首相がまた1人去っても、自民党政治は変わらない、という皮肉っぽい趣旨なのだが、「日本という国はすばらしくうまくいっている。優れた公共サービスにインフラ、低い犯罪率など他国の政治家が熱望してやまないものばかり」とある。首相が突然辞めても、昨年のように12日間、実質不在になっても、社会の安定が揺らいだり、通貨が暴落したりしない。我々が思うほど海外は日本の政治に関心がないのだが、それは、彼らにとって日本が相当な安全・安心の国であり、特段心配の必要なし、ということでもある。あとは、政治をちゃんとするだけなのだ。>
 と書いているのだ。海外事情に詳しい経済記者の分析だ。事実関係に間違いはないだろう。
 日本人は自虐的だから、昔から、こういう時は、欧米のジャーナリズムから批判してもらえば、何か安心していたのではないか。そんな「途上国心理」が「パッシング」「ナッシング」などの便利な言葉を流行させたのではないか、と思った。やはり、実際に海外の新聞をじっくり読んで、事実を書いてほしいのだ。
 同じ毎日新聞朝刊[論点]特集に話を戻す。
 草野厚・慶応大学教授(政策過程論)が寄稿した<存在感そぐ短命内閣>のほうがディテールの数字をあげて説得力があった。
 <国際社会での存在感が一層薄らぐ>のは、<次期首相は90年代以降12人目だ。首相が猫の目のように変わるイタリアの延べ11人を抜く。その間、米国は3人、英国は4人、独仏も3人だ>
 という数字の裏付けがあって初めて説得力を持つ。
 <資源小国日本が国際社会で生き残るための政策が手つかずだった>の後には、<市場の開放は進むどころか停滞気味だ。例えば現在の対日投資残高の対GDP比はわずか3%程度。これは、英国44.6%、ドイツ25.1%はもちろん、米国の13.5%にさえ大きく遅れている>
 と数字の裏付けがあった。これも「なるほど」と思う。
 毎日新聞[論点]で最も光ったのは数字的な話ではないが、大きな枠組み、構想の必要性を短い行数でまとめて提言していた田中均・日本国際交流センターシニアフェローの<米新政権と協議急げ>でだった。
 この中で田中氏は、
 <新しく選ばれる自民党の首相は時を浪費することなく、臨時国会の冒頭衆院を解散し、総選挙で国民の信を問う責務がある。国民の信任を受けた政権を一刻も早く成立させ、強力な施策を展開していくのが日本の政治指導者としての責務である。それだけ日本の危機は深刻である。>
 と、臨時国会冒頭解散の必要性を訴えた。なぜ冒頭解散か。
 <日本の国力は低下している。政治の混迷は国力の低下以上に国際社会での日本の影響力をそいでいる。国力以上の力を発揮するのが外交の力である。政治のポピュリズムに流される日本に強力な外交など望むべくもないし、1年程度で終了する政権が外交上の成果をあげるはずがない。>
 と、外交の力の源泉となる政治の安定の必要性を説いているのだ。
 そして、新しい政権が取り組まなければならない外交の中心課題は三つだ、として
 ①米国との関係の調整=今こそ日本は国連を中心とする集団的安全保障体制に参加すべく集団的自衛権の解釈の一部見直しをすべきだ
 ②東アジアとの関係の調整=中国やインドを巻き込んだ東アジアの安定的秩序の構築が日本の最大の課題。さまざまな多角的枠組みの創設に日本は主導権を取るべきだ
 ③朝鮮半島問題=拉致問題の解決を図る上でも日本は北朝鮮と平壌宣言に基づく包括的交渉を開始すべきだ――を提案している。
 先ほど問題視した「日本パッシング」という言葉が登場していたのが日経新聞9月5日朝刊1面企画[福田辞任ショック㊦]<日米同盟の劣化許されず>だった。秋田浩之編集委員は米ロ対立激化の中、日本の立ち位置が難しくなっている、として、次のようなエピソードを紹介している。
 <ロシアは硬軟両様で対日攻勢を強めつつある。「米国と中国が手を組み、日本をパッシングしようとしている。そうなれば、日ロが手を組むしかない」。ロシア外務省高官はこう語り、日米同盟に揺さぶりをかける。ロシアはエネルギー協力などで日本に秋波を送るが、「アジア方面の軍備増強も進めている」(日本の安保当局者)。一方、米英からは日本に対ロ連携を求める声が高まる。先月下旬に英国のウォレン駐日大使が福田首相を訪れ、ロシアに強硬姿勢で臨むよう促した。米ロ対立は日本の立ち位置を難しくする。>
 神経戦である。外交の現場はいつもこのような神経戦を繰り返しているのだ。秋田氏は自分の歴史認識を次のように書いていた。
 <資源を持たない日本は明治維新以来、当時の超大国と組むことによって国難を切り抜けた。日露戦争での日英同盟、米ソ冷戦における日米同盟はその成功例だ。逆に、米英中ソを敵に回し、自らが「帝国パワー」になろうとした第二次世界大戦では砕け散った。>
 今の「反米」世相への気遣いなのか、次のような文章も付け加えてはいるが。
 <何でも米国の言いなりになることが同盟強化の道筋ではない。だが、イラク戦争に反対した独仏やカナダもアフガンには派兵している。給油を続けるのか、代替案を探すのか。臨時国会は国際貢献に「ゼロ回答」で終わる結末にしてはならない。>
 「日本パッシング」などの言葉はこのように、諸外国にうまく使われるだけなのかもしれない。大体、言葉には霊力がある。うかつに口の端にのせれば、その言葉は独り歩きを始めかねない。福本記者のリポートをじっくり読んで、日本の実力に自信を持ち、政治の行く末を腰をすえて考えようではないか。総裁選の馬鹿騒ぎに忙殺されずに。

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2008年9月 2日 (火)

福田康夫首相辞任表明~各紙の社説、政治部長論文とコラム拝見+記者会見要旨

◆朝日新聞1面の星浩編集委員論文<野党に譲って民意を問え>

 朝日新聞は星浩編集委員の<野党に譲って民意を問え>論文を1面に出してきた。

 星氏は福田首相の退陣表明を<1年前の安倍首相の辞任表明のリプレーを見ているかのようだ>と形容しながら、<半世紀以上の政権運営の経験を持ち、しぶとさが身上のはずだったこの党としては、いかにもひ弱で無様な幕切れ>として<福田氏自身も自民党も、政治の難局を切り開く地力に欠けていることを示しただけ>、<この党の政権担当能力が衰弱していることを露呈した退陣劇>と分析した。

 そのうえで、<民主党に政権を譲り選挙管理内閣によって、衆院の解散・総選挙で民意を問う>、すなわち<国民の手に「大政奉還」して、新しい政治を築き上げる>ことを要望した。この辺は朝日らしい理想論だけど、①年金、医療など社会保障の不備②物価高③北朝鮮の核問題④ロシア・グルジア紛争などで聞こえてくる「新冷戦」の足音――の課題への対応に<政治は、真の再生に向けて動き出すべきである>というのは正論ではある。

◆朝日新聞社説<早期解散で政治の無理正せ>

 朝日新聞は社説<早期解散で政治の無理正せ>でも早期解散を要望していた。

 昨年7月の参院選大敗、衆参の多数派が逆転した「ねじれ国会」が出現、安倍晋三氏の突然の政権投げ出しで心ならずも政権を任された福田康夫首相が「ねじれ」打開のために乾坤一擲、仕掛けた小沢一郎・民主党代表と語らっての「大連立」構想が民主党内の反対で霧散した後、首相は他に打つ手もなく、追い込まれた。

 「大連立」失敗後、小沢民主党は早期解散・総選挙に狙いを絞ってインド洋での給油支援継続のための特措法案、ガソリン暫定税率の期限切れなどで福田政権と徹底的な対決路線を取る。首相は衆院の3分の2を超える与党多数を生かした「再可決」を3回も繰り返し、なんとかこの危機をしのいだが、再可決は衆院を通過してから60日間もの日数がかかるので、遅々として進まない政治という印象を与え、内閣支持率がじりじりと低下を続けた。再可決手法の限界を物語った。しかし、1カ月前には首相は内閣改造で自前の布陣を整えていた。

 と、ここまでの経緯は誰でも納得する部分だろう。これから先が「解釈」が入ることになる。

 <ここへきて首相が急に辞任を決断したのは、補給支援特措法の延長や消費者庁創設などに成立のめどが立たなくなったからだ。「平和協力国家」と「安心実現政権」を掲げる首相にとって、これらが頓挫すれば政権そのものが意味を失いかねない。決定的だったのは、与党である公明党からの思わぬ攻勢だった。来夏の東京都議選をにらんで早期解散に目を向ける公明党は、衆院再可決に待ったをかけた。世論の反発を買うという理由からだった。さらに、物価高や景気減速を受けた総合経済対策では、予算のばらまきにつながるとして渋る首相を押し切って定額減税を受け入れさせた。公明党の協力がない限り、衆院の再可決の道は閉ざされる。選挙になれば創価学会の支援なしには自民党の勝利はまったくおぼつかない。そんな事情が自民党内にも影響し、首相への大きな圧力になったのは間違いない。>

 つまり、福田首相の辞任原因について「公明党主犯説」を打ち出しているのだ。本当にそうなのか? いつの間にか、公明党は一国の首相を辞任させるだけの実力を蓄えてしまったのか?

 朝日新聞は続けて、<財政と安全保障の両面で政策の方向性を定められない。そんな福田政権のひ弱さがあらわになった。民主党、世論、そして公明党。首相を取り巻くこの包囲網が、首相のやる気を失わせたのは想像に難くない。>と書いている。そして、首相には打開の道はあった、予算案編成後の今年1月にも衆院解散・総選挙で政権の正統性を取り戻すことはできた、と書く。1月に衆院解散・総選挙をしていれば、3分の2の多数は失われていたから、給油継続もガソリン税も何もできなかっただろう。それでも「正統性が証明された」という儒教的な考えで、自民党内が持つのか? その前に福田首相の首はとんでいたのではないか。

 朝日社説は最後に<場合によっては、国民に痛みを強いる選択も避けられまい。民意を体した正統性のある政権を一日も早く日本に取り戻さなければならない。>と書いていた。消費税上げの勧めだろう。増税を国民に強いる政権に正統性が必要なことは言うまでもない。しかし、以前、消費税の歴史で書いたことがあるように、日本では大型間接税導入は政権にとって不幸な歴史の繰り返しとなっている。竹下政権のような強力内閣でなければ、消費税上げはできないのではないか。

◆毎日新聞1面は小松浩政治部長論文<信念なき政治の漂流>

 福田首相が自民党総裁選の候補者討論会で政治指導者にとって最も大事なことは何かと聞かれ、「出処進退」と答えたが、首相にとっての出処進退とは難局に当たって逃げ出すことだったのか、という強烈なパンチから始まる。安倍晋三氏との違いを記者会見で強調し、「無責任ではない」と強弁していたが、

 <安倍氏には、大腸の病気による体調不良という、あえてみじめな姿をさらさざるを得ない事情があった。だが、福田氏の政権投げ出しは、ある意味で、安倍氏以上に無責任のそしりを免れまい>と切り捨てる。<論議の空転が、そのまま指導者の退陣につながる例を、成熟した民主主義国家で見いだすことはむずかしい>からだ。

 <福田氏は「国民目線」の改革に力を尽くしたと力説したが、本気でこうした政策を実現しようとする熱意を、我々は最後まで感じることができなかった>は福田首相の資質論である。

 そして、<自民党がもはや、固い信念を持って国家を率いていこうとする指導者を持たず、ただ漂流するだけの現実をあからさまに物語る>という現状について、

 <自民党は、日米同盟に支えられた安全保障環境と、右肩上がりの経済成長下、パイの配分を采配する機能を果たすことで、長く政権を確保してきた。だが、国際政治も経済もそして国内社会の安定も、すべてが混とんとする中で、進むべき方向性を見失っているかのように見える>

 と自民党が時代から置いてけぼりを食っている、との認識を表明。大乱世に平凡な調整型の常識人を選ばざるを得なかった自民党の悲劇、そうしたリーダーしか持てない国民の悲劇を嘆いている。

◆毎日新聞社説<またも無責任な政権投げ出し/選挙管理内閣で直ちに解散を>

 早期解散論は朝日新聞と同じだが、こちらは、

 <安倍首相、福田首相ともに、そもそも首相就任後、衆院選で有権者の審判を受けずにきたことが、自信を持って政権運営できなかった大きな要因だったのだ。直ちに衆院を解散し、総選挙を行って有権者の審判を仰ぐべきである。新首相が決まったとしても、その内閣は、もはや選挙管理内閣と見なすべきだ>

 という主張。穏当だろう。「なぜ、この時期に」退陣表明か、の疑問への答えは、

 <要するに、野党が参院で過半数を占める「ねじれ国会」を理由に、政権運営が思うようにならないから、投げ出したということだろう。そして、福田内閣の支持率が低迷し続け、自民、公明両党内にも「福田首相の下では衆院選は戦えない」との声が次第に強まる中で、それに抗する気力も熱意もなかったというのが実相であろう>とあった。

 朝日新聞の「公明党主犯論」に比べると、毎日新聞は公明党要因をワンノブゼムにしているのが目立つところか。

◆毎日新聞1面コラム[余録]はマックス・ウェーバー「職業としての政治」を引用

 <ドイツの社会学者、マックス・ウェーバーの「職業としての政治」は現代の政治家と政治を学ぶ者に大きな影響を与えた講演である。…説かれているのは、宗教的・道徳的な心情だけではさばき切れない政治の結果責任の重さだ。そして政治の営みの本質を突いて述べている。「政治は、情熱と判断力を駆使し、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」。その政治は「一寸先は闇」の世界でもある。>

 として、福田首相の退陣表明に転ずる。

 <たぶん首相を問い詰めても、先日の小欄でふれたその座右の銘「行蔵は我に存す」――出処進退は自分のものとの言葉が返ってくるだけだろう。辞任が政治家として最善の決断と信じたのかもしれない。だが、それを受け止める国民の政治への不信と不安に思いは及ばなかったのか。「どんな事態に直面しても『それにもかかわらず!』と言い切る自信のある人間、そういう人間が政治への天職を持つ」というのも「職業としての政治」の言葉だ。首相の辞任表明にあぜんとする今、その名言を思い出すのもむなしい。>

 という結論である。岩波文庫の薄っぺらい本だが、時に応じて引用される。日本人が好きな昔々のドイツ人学者の代表作「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」より、少なくとも題名だけはもっと知られている本だろう。

◆読売新聞1面の赤座弘一政治部長論文<政治の責任自覚せよ>

 これも政権投げ出し批判に絞った論文。3年前に出版された対談本で福田首相が「4年堅持できないような人は(首相に)ならないほうがいいです。1年間を全力投球でやりますなんて言う人は駄目ですよ」と話していたことを紹介。<今となっては、その言葉も空しい>と書いていた。

◆読売新聞社説<政策遂行へ強力な体制を作れ>

 2007年9月12日の安倍前首相の突如の辞意表明。その直前、昨年7月の参院選での自民党惨敗、衆参ねじれ国会出現。福田首相は今年の通常国会で民主党の審議引き延ばし戦術に苦しみ、政策遂行に難渋し、揮発油税の暫定税率を維持するための税制関連法案の成立がずれ込み、ガソリン価格が短期間に乱高下するなど国民生活に混乱が生じた。

 日本銀行総裁の人事も政府が提案した人事案が参院で繰り返し否決され、日銀総裁が一時不在となるという失態を招いた――と過去を振り返る。

 そして、近く召集予定の臨時国会でも民主党などの激しい抵抗が予想されたうえ、福田首相は内閣支持率低迷にも苦しみ、内閣改造も政権浮揚の転機にならなかったうえ、早期の衆院解散・総選挙を念頭に、公明党などからも首相交代を促す発言も公然と出て、与党内にきしみが生じていた、と列挙。

 首相は道路特定財源の一般財源化や、北海道洞爺湖サミットを無難にこなすなど、一定の成果を上げたが、消費者庁の設置など「福田色」の政策は実現できず、政権は短命に終わった、と総括した。

 読売社説の特徴は、福田首相論は社説の半分のスペースで済ませ、後は麻生氏の話に転じているところだ。

 <福田首相の後任としては、自民党の麻生幹事長が最有力候補とされてきた>の書き出しで、麻生氏の政策が国民に十分知られていないこと、小泉構造改革を続けるのか、当面の景気浮揚を優先するのか、消費税率の引き上げの道筋をどうつけるのか、総裁選で明らかにせよ、というような論調だ。

 さすが、責任ある読売新聞の社論だなあ、と感心(?)したのが「海上自衛隊によるインド洋での給油活動を継続することは、本来、日本が国際社会による『テロとの戦い』の一翼を担うための最低限の責務」という部分だった。このために、自公関係の再構築を新執行部に求めている。主張がはっきりしている。民主党のことなど無視。自民党の再生を願う読売新聞の面目躍如か。

◆読売新聞1面コラム[編集手帳]は「憲政の父」尾崎行雄の和歌を紹介していた

 <「憲政の父」といわれた尾崎行雄の詠んだ歌がある。≪国よりも党を重んじ党よりも身を重んずる人のむれ哉≫。1950年(昭和25年)の作という。昨夜、福田首相の突然の辞意表明を聞き、一首を思い浮かべた>

 という書き出し。定型を打ち破っていて、読む気が起きる。

 <記者会見で幾つかの理由を挙げていたが、要するに「私が総理では自公両党の仲が保てないので…」というのだろう。内政、外交の懸案は横に置き、解散・総選挙の時期から逆算して「国よりも党を重んじた」印象は否めない。首相の椅子をおりるのだから身は重んじていませんよ――福田さんはそう言うかも知れない。そうか。政権を担ってからというもの、低姿勢の落ち着いた物言いに国民は触れこそすれ、泥まみれになって捨て身で語る首相の言葉を耳にしたことがない>

 公明党主犯説を匂わせている。

 <尾崎流の雄弁は求めぬまでも、背水の陣を敷いた人の血を吐くような肉声が聴きたかった。国民の多くは出処進退の潔さよりも、傷つくことを恐れた弱さを感じ取っていよう。尾崎は号を「咢堂」といった。意表をついた首相の辞意も確かに国会議事堂の内外を愕然とさせたが、号だけ「憲政の父」に似せても仕方がない。>

 ここまでくると駄洒落だけど。

◆日経新聞1面は田勢康弘・客員コラムニスト論文<麻生後継へ「あうんの呼吸」>

 田勢康弘さんは評論家でもあり、小説家でもある。福田首相とは政治家と記者の関係というよりは友人関係だ、と書いている。8月12日に首相公邸での福田首相と2時間の四方山話で田勢氏は首相が自分の手で衆院解散を打たずに、退陣するという印象を受けた、という。

 <それがこれほど早いとは思わなかったが、首相は「自分の使命は安定した政治を引き継ぐこと」と二度繰り返した>

 というのだ。次の文章は、政治記者、政治評論家として政治家と親友になったケースで、その相手の欠点、悪口を書かざるを得ない時に、どう書くか、のマニュアルにもなりそうな文章である。

 <首相就任当初、自分の役目は野党と話し合って国家の意思を決めることだ、と対話には自信がありそうだった。しかし小沢一郎民主党代表との「大連立」工作が頓挫し、方法はなくなってしまった。自ら指導者としての自分を「調整型」と語っていた首相にしてみれば、対決路線は取り得べくもない。やることなすことスピード感がなく映り、まるで他人事のようだ、何を考えているのかわからない、という批判が渦巻いた>

 しっかりと見ている。それも、直近で見ているから、ぶれない。でも、書くべきことは書く、という姿勢。なかなか真似できないが、真似したいものだ。

 <小泉純一郎元首相のパフォーマンスをいささか冷ややかな目で見ていた福田首相も、低下する内閣支持率に憔悴し、しまいにはあきらめてしまっていた>

 そうなんだろうなあ、あれだけ気位の高い人が自分の直接の責任ではないことで謝ったりするのは、相当に屈辱的だったのだろう。

 <何よりも大きかったのは、インド洋での給油活動を延長する法案が公明党の姿勢も絡み成立のメドさえ立たないことだ。これが退陣への引き金となった>

 やっぱり、公明党主犯説である。その基本、根本には給油法案があったわけだけど。

 となると、鈴木善幸首相の退陣表明を思い出す。日米同盟は軍事的意味を含まない、という発言をして米国政権を怒らせてしまった鈴木善幸首相は、泣く泣く首相の座を降り、中曽根康弘首相が中曽根=レーガンの「ロン・ヤス関係」を築いて日米関係を修復したことがあった。福田首相はもともと親中派であはあるが、官房長官も経験し、日米同盟の重要性は十分に認識している。「テロとの戦い」に参加できない日本を生んでしまば、取り返しがつかなくなる、という危機感、それに反対する公明党を許せない気持ち、などが交錯した末の決断だったのだろうか?

◆日経新聞1面コラム[春秋]は柔道の石井慧選手の「腹黒くない政治家」発言

 <「腹黒くないからこそ政治家として人気が出ないのかも」。北京五輪の柔道で金メダルを取った石井慧選手は、福田首相をそう評していた。「すごい純粋さが伝わってきました」。身体で感じ取った人物像は正しかったのかもしれない。>

 <石井選手は柔道の王道をゆく、日本の伝統武術の継承者とはみなされてこなかった。「きれいな一本勝ちが見たかったら体操を見ていればいい」「柔道はルールのあるケンカだ」。人気が沸騰したのは、優勝した後に痛快な名言が飛び出してからだ。たしかに、一瞬で投げ技を決める「日本柔道」の美しさはない。>

 <勝負師が首相の中に見た「純粋さ」とは、自分が過去に捨て去った感覚だったのではないか。国際化した現代柔道には、レスリングやモンゴル相撲など、世界のあらゆる格闘技の技が入り込んでいる。石井選手は優美さを追わず、勝つことだけにこだわる。試合前半に粘りに粘り、ひたすら相手の体力消耗を待つ。>

 <政局と共通する点は多い。選挙に勝利するには政策の説得力や一貫性より相手を追い詰める粘着力が「有効」で「効果」がある。ポイント制が柔道を変え、支持率の数字が政治を変えた。民主党の小沢代表が見事な一本を取ったわけではない。福田首相は技を仕掛ける間もなく、試合の途中で息が切れてしまった。>

 柔道と政治を題材にひねり出した文化論だ。落ち着いて時間があるときにじっくりと読んでみたい。

◆日経新聞社説社説<解散戦略描けず行き詰まった福田政権>

 <年末・年始の早期解散にかじを切った公明党は、福田政権に厳しい姿勢を鮮明にし始めた。首相と公明党との間では、臨時国会の召集時期や会期をめぐり不協和音が絶えなかった。…給油延長法案を成立させるには、衆院で3分の2以上の賛成で再可決するしか手はなかったが、公明党の協力を取り付けられぬまま、臨時国会に臨まざるを得ない状況だった。衆院解散で局面を打開することができない首相は早晩、退陣に追い込まれる可能性が高かったといえる。政治空白を最小限にとどめるために、国会召集前に辞意を固めた首相の判断は理解できる>

 というのが日経社説のエッセンスだ。朝日、毎日、読売と比較して面白かったのは、民主党内事情まで踏み込んで解説、党首選挙がなくなったことへの不満をぶちまけていることだった。

 <民主党の小沢一郎代表は記者会見で、党代表選への出馬を正式に表明した。告示日の8日に無投票三選が確定し、21日の臨時党大会で選出される見通しになっている。小沢氏は次期衆院選で民主党の首相候補になるが、党大会で政権構想のもとになる所信を発表する意向も示した。今回の代表選では有力な対抗馬と目された岡田克也、前原誠司両副代表らが相次いで不出馬を表明。出馬への意欲を示した野田佳彦広報委員長は、支持グループの中から反対論が出て、出馬を断念した。私たちは代表選で活発な政策論争をしたうえで、次期衆院選のマニフェスト(政権公約)を練り上げるよう求めてきた。党の存在感を高める絶好の機会を自ら封じてしまったことは遺憾である。>

 <自民党との対比においても、代表選が無投票で終わることは有権者にも物足りなさを残すに違いない。小沢氏は記者会見で次期衆院選の政権公約について、昨年の参院選の公約と「大筋の考え方は変わらない」と説明した。しかし参院選の公約は農業の戸別所得補償や子ども手当など総額15兆3000億円の新規施策の財源の大半を、行政の無駄を省くことで生み出すというもので、説得力に欠けた。その後、民主党はガソリンの暫定税率の廃止などの新たな施策を打ち出しており、党内からも財源の裏づけが不十分との批判が出ている。>

 <民主党政権ができれば、政権公約に沿って予算編成などに取り組むことになる。今後の政権公約づくりなどで、小沢氏はもっと政策を語るとともに、批判にも謙虚に耳を傾ける姿勢が必要だろう。参院選の政権公約を吟味したうえで、政策の優先順位などをはっきりさせる作業が不可欠だ。>

 結びはこうだ。

 <首相の退陣表明で衆院解散・総選挙は年内に行われる可能性が強まってきた。次期衆院選は文字通り政権選択をかけた歴史的な選挙となる。自民、民主両党は政権公約を示すことが急務であり、その中身が党の消長に直結する>

 まともな社説だ、と思う。

◆産経新聞社説<空白抑え強力な政権を/党離党略超えた政治に戻せ>

 ここでも、日経社説のように「小沢代表は国を語れ」と要望していた。インド洋での給油継続は読売の主張と同じ。

◆東京新聞1面の佐藤育男政治部長論文<信認得ない政権のもろさ>

 与党内で「福田首相では選挙が戦えない」との空気がまん延する中、臨時国会を前にして政権パートナーの公明党からさえ、総合経済対策などで無理難題を吹っかけられた。事にあたりたくとも、がんじがらめで身動きがとれなくなったというのが実情だろう、と相当に同情して書いていた。

◆東京新聞社説<二代続けて投げ出しか>と<小沢氏3選へ どう「変える」か鮮明に> 2本社説にしていたのは東京だけ。「福田」の見出しだけでは福田氏の戦術に乗ったことになる、と屁のつっぱりをして、2本に分け、小沢氏の見出しを取った、というところか。内容は1本社説にした新聞社とそう違わなかった。

 東京新聞は[こちら特報部]で太田誠一農林水産大臣を取り上げ<首相辞任に一役買った?>と特集していたのが、東京新聞らしくて面白かった。

◆福田康夫首相緊急記者会見要旨(2008年9月1日午後9時半、首相官邸記者会見場)

 朝日新聞のホームページに福田退陣記者会見の要旨がアップされていたので、ダウンロードした。

 <福田首相が1日夜に行った辞任会見の主な内容は次の通り。
 昨年、私は安倍前首相からバトンを引き継ぎ、9月26日に首相就任以来、1年たった。その間、参院選で与党が過半数割れをする状況の中、困難を承知でお引き受けを、ということだった。
 正直申しまして、最初から政治資金の問題、年金記録問題、C型肝炎問題、防衛省の不祥事等々、次から次へと積年の問題が顕在化してきた。こういうことに遭遇し、その処理に忙殺された。その中で将来を見据えながら、目立たなかったかもしれないが、誰も手を付けなかったような国民目線での改革に着手した。
 例えば、道路特定財源の一般財源化、消費者庁設置法のとりまとめ、国民会議を通じて社会保障制度の抜本見直し。最終決着はしていないが、方向性は打ち出せた。
 さらに今年に入ってからは経済・景気問題が大きな課題として浮上。ガソリンや食糧などの物価てみた。高騰に国民や農林漁業、中小企業、零細企業の皆さんが苦しむ中、何とかして強力な対策を作らなければいけないと思ったが、その態勢を整えることを目的に8月に改造を断行した。強力な布陣の下、先週金曜日に総合的な対策をとりまとめた。
 先の国会では民主党が重要案件の対応に応じず、国会の駆け引きで審議引き延ばしや審議拒否を行った。その結果、決めるべきことがなかなか決まらない。そういう事態が生じ、何を決めるにも時間がかかったということは事実だ。
 今、日本経済、国民生活を考えた場合、今度開かれる国会でこのようなことは決して起こってはならない。そのためにも体制を整えた上で国会に臨むべきであると考えた。国民生活のことを第一に考えるなら、今、政治の駆け引きで政治的な空白を生じる、政策実施の歩みを止めることがあってはならない。この際、新しい布陣の下に政策の実現を図ってまいらなければいけないと判断し、本日、辞任をすることを決意しました。
 まだ、経済対策や消費者庁設置法案のとりまとめ、国会の実質審議入りには時間があるこのタイミングを狙い、国民にも大きな迷惑はかからないというように考え、この時期を選んだ。次の自民党総裁の下により強力な態勢を敷いてもらい、国家国民のための政策実現に向け、邁進してもらうことを期待をしている。
 ――いつの段階で辞任を決断したか。安倍前首相も唐突に政権を投げ出したが、政治、政権に対する不信が巻き起こるのではないか。
 首相 安倍前首相のケースとは違うと思っている。安倍前首相は健康の問題があったが、私は目が見えにくかったということ以外、特別な問題はない。これは私がこれからの政治を考え、どうあるべきか、ということを考えた上で決断した。先週末に最終的な決断をした。
 ――新しい体制になれば、どのような点で今の事態を打開できると考えるのか。
 首相 自民党のことを申し上げて恐縮だが、総裁選をすることになると思う。そして新総裁が総理大臣の指名を受けるプロセスになると思っている。私が続けていくのと新しい人がやるのと、これは間違いなく違うと考えた。
 ――消費者庁、道路の成果は道半ば。(首相を)辞めること自体が政治的な空白を招くのではないか。
 首相 消費者庁は大体、法案がまとまった。次期首相がこのことを重要に考え、まとめてくださると期待している。私が続けて国会が順調にいけばいい。そういうことはさせないと野党が言っている限り、私の場合は内閣支持率の問題もあるかもしれないし、大変困難を伴うのではないかと思う。政治空白を作らないためには今が一番いい時期だ。新しい人に託した方がよりよいという判断をした。
 ――1日夕、(自民党の)麻生太郎幹事長と何を話したのか。麻生氏を総裁選で支援していくのか。
 首相 今日は麻生幹事長、町村官房長官に来ていただき、説明を申し上げた。自民党総裁選の日取りを決めていただきたいと麻生氏にお願いした。
 ――ねじれ国会で政策遂行が難航した。民主党の小沢代表におっしゃりたいことは。
 首相 ねじれ国会で大変苦労させられた。話し合いを受け付けてもらえなかったことが何回もあった。重要法案に限って聞く耳持たずということが何回もあった。小沢氏には「国のために、胸襟を開いて話しあいをする機会を持ちたかった」と申し上げたい。
 ――総理は1カ月前に自身の手で内閣を改造したばかり。臨時国会も迎えないうちに自ら辞職という形をとったことへの見解は。
 首相 (内閣改造後の)いろいろな状況、政治の状況がある。そういうことを勘案し、この臨時国会が少しでも順調にいくようにと考え、私自身でやるより、他の方にやっていただいた方がよりよくいくのではないか。国会に一番迷惑をかけない時期に私が表明することが一番いいのではないかと考え、この時期を選んだ。
 ――「首相の会見がひとごとに聞こえる」という話があった。政権への影響は。
 首相 順調にいけばいいですよ。それに越したことはない。しかし、私の先を見通すこの目の中には、決して順調ではない可能性がある。その状況で不測の事態に陥ってはいけない。「ひとごとのように」とおっしゃったが、私は自分自身を客観的に見ることができる。あなたと違う。そういうことです。>

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2008年8月31日 (日)

ストリートビューという新しい”恐怖”(?)~東京新聞30日こちら特報部、2日朝日新聞メディア欄、3日毎日夕刊コラム

 8月30日毎日新聞朝刊1面[余録]でストリートビューを取り上げていた、と昨日書いたが、同じ8月30日の東京新聞朝刊見開き特報面[こちら特報部]に<映像地図「ストリートビュー」の是非/ネットに自宅…見られる恐怖/プライバシー保護の強化カギ/低い認知度、使用は1人/米国では訴訟も/性犯罪など悪用が心配>の見出しで大々的に取り上げ、秋葉原、巣鴨とげ抜き地蔵、新橋での30人アンケート結果の一覧表までついていた。山川剛史、片山夏子記者の執筆だ。

 検索大手グーグルが8月5日から札幌、仙台、東京、横浜、京都、大阪など全国12都市の映像を公開している、とある。

 まずは、記事から離れて、自分の経験を書かさせていただく。

 インターネットでグーグルを出すと、最初のページの上のほうにストリートビューという文字が出てくるので、そこをクリックすると、幾つかの段階を経て地図が出てくる。検索の空欄に例えば、自宅の住所を地番まで打ち込んでリターンキーを叩くと、地図が出てきて、小さな人の形が出てくる。そこにある小さな文字のストリートビューを表示をまたクリックすると、別の少し小さな窓(ウインドウ)が開き、何とそこには自宅のカラー写真が現れる、という仕組みである。

 びっくりするのはマウス操作で画面を左右に動かすと、家の周囲360度がぐるりと見渡せ、上下動では地面から空までが出てくる。

 全く知らなかったのだが、余録を読んで自宅で実験して驚いた。

 女房に教えたら、びっくりして、「これじゃあ、プライバシーも何もないじゃない!」と最初は怒っていたが、そのうちに住所録を取り出してきて、自分の友人の地番を打ち込み、「ああ、本当に出るのね」などと感心したり、「この写真は洗濯物が干してあって、日差しが午後2時か3時。5軒先の家がまだ取り壊されていないので、4月か5月に写真を撮ったのね。いつ撮ったのかしら、気味悪いわねえ」など、非常に複雑な反応を見せていた。

 つまり、パソコンに不慣れな還暦前後の夫婦でも操作できる地図なのである。

 どうしてこんなものが出てきたのか? さあ、ここからは東京新聞の記事のダイジェストである。

◆8月30日東京新聞特報面の記事

 屋根の上にパノラマレンズを取り付けた自動車で各都市を数カ月かけてくまなく走り、撮りためた力作だ、とある。記事にあるように、写真の中の矢印をクリックすると、道を歩く感覚で写真が移動し、まるで、その道の左右を見ながらゆっくり歩いている感じだ。人が歩いていたり、自転車がいたり、家には花が咲いていたり、洗濯物も干してあれば、布団も干してある。

 <自宅では見られたくないものが写っていなくてほっとしたが、ガレージの自家用車の映像を同僚に見せると、「ナンバーは4●64だね」と言い当てられた。>

 つまり、そこまでの解像度はあるのである。学生アルバイト3人が秋葉原、巣鴨とげ抜き地蔵、新橋で30人にアンケートしたところ、遣ったことがあったのは1人だけ。知っているが使ったことはない、は4人。25人は「知らない」だった、という。

 知らない場所に行く前に映像を見ておけば迷いにくい、などプラス面を言う人もいるし、「犯罪者に情報を提供しているようなもの」と強硬な反対論もあった、という。単純な賛否は少なく、容認するにしても人の顔や家庭の生活状況を示す部分を見えなくするなどプライバシー保護強化を求める声が多かった、と書いてある。

 <グーグルは適切な対策を取っているのか。グーグルは広報資料で「個人情報保護に尽力」と強調。「公道から視覚的に見えるものだけを画像として使用し、識別可能な人の顔をぼかす技術が用いられ」「ユーザーが不適切と判断したイメージ(写真)は削除対象として警告できる」とする。>

 ということで、

 <ネットで自宅が見られることが怖いと感じた記者は29日、手順に従い、自宅の画像削除をメールで申し込んだ。「確認して対応します」の返信はすぐ来たが、夜になっても画像はそのまま。>

 何かひどいなあ、グーグルは。

 <数多くの窃盗事件を手がけてきた元警察官(61)は「ひったくりに好都合な場所の当たりを付けるなど悪用される可能性もある。性犯罪やストーカーの面でも心配だ。とにかく、(犯行を計画する人間にとって)その場に行って姿を見られる危険性がない。その点が大きい」と指摘する。>

 <ネット問題に詳しい元検事の落合洋司弁護士は「公道から見えるからといって、人は肖像権やプライバシー健を放棄しているわけではない」と説明する。>

 衝撃映像の削除問題など、ストリートビューとは直接関係のない議論を紹介した後で、落合氏の言葉がある。

 <「撮影対象は網羅的かつ広範囲で、不特定多数の人が見る。サービス自体に権利侵害のおそれがある。日本でも訴訟が起きる可能性が高い。利便性は高いが、最終的には国民がどんな考え方を持つかではないか」>

 <米国ではペンシルベニア州の夫妻が、プライバシーを侵害され、家の資産価値も下げられたとして2万5000㌦(約275万円)の損害賠償を求めた。こうした状況への対応も含め疑問に答えてもらおうと、グーグルに26日から再三、取材を申し込んでいるが、29日現在、何の音さたもない。>

 デスクメモで(剛)さんは<米国の訴訟では、グーグル側は「完全なプライバシーは存在しない」と反論。刺激された米国の団体が、ストリートビューなどを使いグーグル役員宅を突き止めたそうな。>と書いていた。

 グーグルの驚異的な発展の秘密を見た感じがする。つまり、法律で禁止されていなかったら何でもやっていい、という考え方で、従来のコミュニティー、共同体が暗黙の了解として守ってきたルールを大規模に無視して、それを商売にする、という手法である。

 プライバシー権など、侵害されたら脆いものだ。記事にもあったが、一度ネットに晒された画像は消去されても、コピーは生き残り、転々流通する。つまり、一度侵害されたら取り返しがつかないのがプライバシーである。

 グーグルに倫理を求めるのは八百屋で魚を求めるようなものだろうが、このような<共同体の暗黙のルール>を土足で踏みにじるグローバル資本主義の野蛮さは徹底的にお仕置きされねばならないのではないか、と思った。

◆9月2日の朝日新聞記事

 朝日新聞も福田首相退陣表明を報じた9月2日朝刊第3社会面[メディアタイムズ]<路上から見た画像、ネット上に/無断撮影 公表に波紋/「住宅街 画像削除を」/企業活動で活用例も/他社は目線から撮影>で特集していた。

 <道案内に便利だから、と不動産物件の紹介に活用する企業が登場した一方、写った人や住民のプライバシーを侵すとの批判も出ている>という価値中立的な前文。小堀龍之、松村北斗記者の署名記事だ。

 ここでも、止めておいた車のナンバーが読みとれ「気持ち悪いとしかいえません」という主婦の話。この主婦の場合は私道からの撮影で「公道」ではないので、削除要請している、と。また、自宅付近の路上や公園に子供が写っているのを見つけた主婦は画像削除を求め、ほどなく削除されたが、同じ場所を違う角度から見るとまた子供が写っていたので、近所の通学路上の子供の画像すべてを削除するよう求めたという。通行禁止と掲示された場所での撮影画像もある、と。

 <グーグル日本法人の広報担当者は「一部公道と私道の区別がつきづらいところで、誤って撮影している場所が確認されている」と認めたうえで「ユーザーからの連絡や当方の再確認によって、削除している」と説明している。本人から寄せられた自分の顔や自宅の削除依頼には応じ、本人以外からの顔やナンバーが見えるという連絡は「意見として伺い、ぼかしや削除をしている」という。>

 朝日新聞は一応、グーグル側から取材できていた。しかし、それならば、そもそもこのサービス自体がプライバシー侵害ではないか、との疑問をなぜぶつけなかったのだろうか? アメリカでの訴訟の話についてのコメントも取材したのだろうか?

 朝日新聞によると、ストリートビュー(SV)は屋根に柱を立てた車で1都市に数カ月かけて撮影した、と。SVはグーグル本社のある米国で昨春サービスが始まったものだそうだ。訴訟の経験から、日本版は最初から通行人の顔を自動的にぼかす仕組みを導入したが、看板の顔にぼかしが入る一方、人の顔や車のナンバーが判別できる画像もある、と書いている。

 朝日新聞は2氏の談話を掲載した。情報セキュリティに詳しい牧野二郎弁護士とIT産業に詳しい池田信夫・上武大教授だ。

 牧野氏のコメントは次の通り。

 <企業活動は反社会的でない限り自由が原則だが、SVは国民の平穏な生活を脅かし、プライバシー侵害のおそれがある。画像の利用目的を特定しないまま無断で撮影、公表している。社会的な利益にかなうとある程度認められている報道機関と違い、公道からの撮影でも侵害になりうる。自分の姿や家屋を将来にわたって撮影しないよう法的な制球も可能だろう。>

 池田氏のコメントは次の通り。

 <グーグルと写された当事者との問題で、気味が悪い人は削除要請すればよい。表現や報道の自由にかかわる問題で、グーグル批判を撮影や公表の規制につなげてはならない。>

 朝日新聞によると、グーグルだけでなく、他社も同様なサービスを開始しているそうだ。ヤフーは6月に東京23区内の駅の出入り口の画像を見られる機能を「ヤフー!地図」に追加した、という。NTTレゾナントも「グー地図」で2006年4月から約2000カ所の駅周辺の画像を提供している、という。「ロケーションビュー」のサイトでは、道路沿いを画像だけでなく動画でも見られるという。25地域が対象で、東京23区は道路の約8割に対応。昨年10月に公開、もとは公的機関向けに設計され、一般向けは画質を落として無料で提供しているといい、3社ともいまのところ、目立った苦情はないという、と書いていた。

 また、3社のカメラの高さは地上から約1.6~1.8㍍、人の目の高さだ。グーグルのカメラの高さは2.5㍍近くあり、塀の上から住宅の敷地内をのぞきこむような画像もある、という。ロケーションではカメラが高いほうがよく見えるが、プライバシー侵害に当たらないか、など事前に検討した、としている、と。3社は画像を社員らが目視で確認し、顔や車のナンバーを隠す処理をしたといい、自動処理するグーグルとの違いを強調している、という。

 朝日新聞にはグーグルの撮影車の写真が載っていた。この車を見つけたら要注意だな、と思ったが、すでに写真はアップされているし、どうしよう?

(9月3日追記)

 9月3日毎日新聞夕刊文化面[そのほかのニュース]欄は週刊誌の話題を掻い摘んで紹介するコーナーだが、週刊SPA!9月2日号「Googleマップの新サービス[ストリートビュー]の波紋」と週刊プレイボーイ9月1日号「発掘!「ストリートビュー」を先取りした国産ネット地図があった!」、FLASH9月2日号「苦情殺到!Google新サービスの『プライバシー侵害』問題画像」の三つの週刊誌の記事を紹介していた。

 SPA!では、自分の部屋の2階ベランダに干しておいた下着が写っていた、という同誌ライターの声を紹介。<路上でキスをしている高校生のカップルやラブホテルに入る男女の姿といった画像まで写りこんでいることもある。>には、思わず笑ってしまうが、ご当人には大変な事態だっただろうなあ、と推察する。

 また、FLASHでも、<この新サービスでは、無差別に撮影された「乳揉みカップル」「立ちション」の画像なども公開されている。ラブホテル前のカップルの画像には「この画像を見たときの2人の驚きはいかほどか…」とのキャプションがついている。>とあった。まあ、週刊誌だから、こんな書き方をしているけど、やはり、結構大きな問題ですよ、これは。

 さきほど、池田信夫さんのブログを拝見したが、朝日新聞のコメントのような突っ放したようなものの言い方はしていなかった。住基ネット問題の二の舞にならないように、とか、深い話をしており、グーグルの担当者が総務省でどんな話をしたか、とかやたら詳しい。専門的な知識を得たかったら、このような週刊誌ではなく、池田教授のブログを見たほうが役立ちそうだ。

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2008年8月29日 (金)

書評 小川浩、林信行著「アップルとグーグル」、ジェフリー・L・クルークシャンク著「ジョブズはなぜ天才集団を作れたか」

 「アップルとグーグル~日本に迫るネット革命の覇者」(小川浩、林信行著)。インプレスR&D、2008年4月21日初版第1刷発行、定価1890円。

「ジョブズはなぜ天才集団を作れたか」(ジェフリー・L・クルークシャンク著徳川家広訳)。講談社、2008年8月27日第1刷発行、定価1890円。

 この種の本は最近、ほとんど読んだことがなかったが、ちょっと勉強したくなって、集中的に何冊か読んだ中の1冊。

 1990年に東芝のハードディスクなしノートパソコンを買って、使い始め、その後、アップルの一体型マックとノートに買い替え、海外からカラー写真を、そのモノクロマックで日本に送って、なぜモノクロのパソコンでカラー写真を送れるのか、ずっと考えても分からなかったようなパソコン音痴なので、プログラム言語の本など高嶺の花で、せいぜいエクセルの使い方とか、その前にはMS-DOSの使い方などのハウツー本を読んだくらい。

 パソコンとかインターネットの本とはとんと縁がなかった、と言ってもいいだろう。

アップルとグーグル 日本に迫るネット革命の覇者 アップルとグーグル 日本に迫るネット革命の覇者

著者:小川 浩,林 信行
販売元:インプレスR&D
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 読んで、「目から鱗」の感じだった。

 アップルはスティーブ・ジョブズの家のガレージで創業し、グーグルはスタンフォード大学の構内で初期の検索サービスを開発後、このサービスに人気が出て事業化を考えてからは、現在グーグル副社長であるスーザン・ウォイッキの家のガレージを間借りして開発を行ったそうだ。両社はガレージ出身という共通項を持っている、と。両社はエンジニア系の人材を非常に優遇。フラットな組織で、あまり上下の階層はない、と。両社の社員食堂はシリコンバレーでも一、二を争うおいしさだ、ともあった。

ジョブズはなぜ天才集団を作れたか (講談社BIZ) ジョブズはなぜ天才集団を作れたか (講談社BIZ)

著者:ジェフリー・L・クルークシャンク
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 この辺のアップル社に関するディテールはさすがに「ジョブズは」のほうが詳しい。特に、スティーブ・ジョブズの人となりについては書き込んである。

 面白かったのは日本語版への序文「iポッドを生んだ戦略は、実は日本流」で著者が紹介したエピソードだ。

 <アップル創業期、アップル社が入居していた小さなビルにソニーアメリカ西海岸地域事務所が入っており、アップル社を創業した天才2人組の1人スティーブ・ジョブズはビルの反対側にあるソニーのオフィスにするりと入っては、ソニー製品の美しいデザインを五感で吸収する作業をほとんど日課としていたのだ。ソニー・デザインは素晴らしかった。すべてに一貫したテーマがあるように見えた。何もかもが大胆であるであると同時に、控え目だった。ソニー製品には、自信がみなぎって見えた。一言で言ってしまえば、ソニー製品はクールだったのである。>

 概略、こんな話だ。そして、

 <ジョブズはソニーの製品に対する姿勢を借りることにした。そして、これにドイツ流のデザイン精神を少々合わせて、まるで新しいタイプのコンピュータ会社を作ろうと考えたのだ。それから四半世紀を経た2001年10月21日に、ジョブズはソニーに「お礼参り」をする。当時、どこでも見かけられたソニーの携帯CDプレーヤー「ディスクマン」の市場を奪うことを念頭に置いてデザインされた小型のデジタル音楽プレーヤー「iポッド」を発売したのだ。>

 iポッドの根っこが日本とドイツの電子製品にあることは明らかだった、それが家電ショップのソニー製品売り場にあっても、誰も違和感も覚えなかっただろう、と。ウォークマンをはじめとする、当時すでに他社が発売していたデジタル音楽プレーヤーを少しだけ改良したもの。日本が得意な製品戦略を取った、と書いている。

 ジョブズはニューヨークの日本食レストランでそばのおいしさに目覚め、カフェマックのシェフを築地のそばうち教室に送って修業させたので、アップルのカフェマックの日本食そばは本格的だ、とあった。また、ジョブズは秋葉原好きだ、とも。

 難しいことはわからないが、どうも、今までだったら日本のホンダ、トヨタ、松下、ソニーなどの技術者が欧米の技術を使いやすく改良、小回りの効く会社組織のトップが決断して世界に通用する商品を供給してきた、その「日本方式」が根本的なところで真似されているように見える。

 シリコンバレーだって、羽田空港近くの中小工場の誇りを持った技術者(職人)集団のようなものだろう。ただ、決定的に違うのはコンピューター、インターネットを使いこなすかどうか、なのだろうが、そんなことは国家が本気になって職人さんたちに無料で職業訓練をして、ネットに通用するような技術開発を誘導すればよかっただけの話だろう。

 どうも、この2冊を読んで思ったのは、そのような日本の科学技術・応用技術対応の遅れだった。

 「ジョブズは…」は表紙の帯に<非エリートで二流エンジニア、最悪の上司にして壮大なビジョンで世界一の成功を収めた怪物経営者…「スティーブ・ジョブズの下で働くことは麻薬的な経験だった」。戦略なき「カウボーイ的組織」アップルが最もクールで革新的な企業になるまで>とあった。

 訳者のあとがきにもあるように、

 <革命的な製品/アイデアのパソコンを生み出した注目すべき会社が、手に負えない天才創業者を追い出し、経営のプロをCEOに据えて、いっそうの成長を遂げる。だが、逆境に遭遇して一時は倒産寸前の状態に陥る。窮地の会社員、ついに天才創業者が復帰して、際立った個性の魅力的な新製品群を生み出して大ヒットを飛ばし、再度最も注目される企業となった。>

 ジョブズの個性があまりに強いので、ジョブズ物語も面白いが、「アップルと…」の表紙帯にある

 <日本企業に足りないものすべてをこの2社が持っている>

 が、刺激的キャッチコピーではあるのだが、今、日本人が立ち止まって、じっくり考えるべき論点なのだろう。

 つまり、日本企業のふがいなさを嘆け、というのではなく、かといって「上げ潮派」エコノミストや政治家が言うように規制緩和の不十分さを咎めるのでもない。

 1980年代の最後にある意味では米国を抜いて経済パフォーマンス世界一になった日本が、「坂の上の雲」を見失い、目標喪失状態が約20年続いている、という異常さになるべく多くの人が早く気付き、新たな目標を見つけようと、前を向くことから始めないといけない、と思うのだ。

 落ち込みの原因をいつまでも探し続け、その落下のスパイラルの中で自分探しまで始まってしまったのが今のご時勢だが、こんなことを続けていると、第3、第4のアップル、グーグルが次々、日本の良さを生かした商売でのし上がり、新製品群の事実上の世界標準(デファクト・スタンダード)を奪っていってしまうだろうから。

 「アップルと…」で著者は「iフォン」とグーグルの「アンドロイド」が電話だけでなく、ネット家電やゲームソフト端末なども操作できる携帯端末のデファクト・スタンダードとなるだろう、と予測する。

 NTTドコモも仕方ない、と諦めているとか。パナソニック、富士通、NECなどは日本の携帯電話の特殊性を乗り越えて世界に飛躍するチャンスと見ているらしい。

 情けないけど、そういうことなんだろう。

 旧郵政省官僚だけが悪いのではない、NTTだけが悪いんじゃない、とは思うが、日本の特殊のルールでやっていけてしまう、日本という国の規模。これが韓国だったら国内需要だけでは利益が出ないから、最初から海外雄飛を考えた戦略を取るのだろうが、日本はある意味、恵まれ過ぎてているので、飛躍できないのだろう。

 そこまで見据えて、新成長戦略を考えないといけないのだろう。

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2008年8月27日 (水)

書評 ニコラス・ストレンジ著「グラフで9割だまされる~情報リテラシーを鍛える84のプレゼン」

 ランダムハウス講談社刊、2008年8月20日第1刷発行、定価1680円。

 著者、訳者紹介を写しておく。

 ニコラス・ストレンジ氏はフリーの経営コンサルタント。オックスフォード大学、ロンドン大学社会学部、フォンテンブローのINSEAD卒業。マッキンゼーでキャリアをスタートさせ、のちにインガソール・エンジニアーズのディレクターに就任。グラフィックス等についてのコンサルティング研修を国際的企業に向けて担当した。

 翻訳者の酒井泰介氏は近訳に「闘う胃袋」「戦略的イノベーション」(ランダムハウス講談社)、「ウォール街狂乱日記」(早川書房)、「最新・経済地理学」(日経BP社)、「マーケティング戦争」(翔泳社)がある。

グラフで9割だまされる 情報リテラシーを鍛える84のプレゼン グラフで9割だまされる 情報リテラシーを鍛える84のプレゼン

著者:ニコラス ストレンジ
販売元:ランダムハウス講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 訳者あとがきにあるように、先進国の戦後の死亡率の推移表をグラフに書くと、死亡率が年々下がっているので、右肩下がりになる。

 目盛りを工夫すれば、傾斜が急となり、医療技術の進歩や国民皆保険のありがたさを実感させるグラフになり、見た人に訴える力を持つ。

 しかし、「戦後」ではなく、もっと昔まで、例えば20世紀初頭まで時間軸に入れてみれば、前世紀半ばの抗生物質の発見・普及により感染症を抑制できるようになったことと、画像診断技術の普及の賜物で、戦後よりもずっと高率で死亡率の減少が見られる。だから、ここまで入れれば、国民皆保険や戦後医療技術の進歩のおかげという感想は薄れてくる。

 さらに時間を遡って過去3世紀のスパンで見れば、産業革命の成果で生活水準が上がったこと、上下水道が整備されたこと、そしてゴミの公的回収が始まったことで衛生環境や栄養状態が改善された結果、前2者よりももっと大きな減少率を記録していることが分かり、ここまで一緒にグラフに書き込むと、戦後の死亡率の改善など、傾きがあるのかないのか分からない程度になる、という。

 つまり、何を訴えるかを考えて、グラフの内容を選べば、客観的な装いをこらしながら、グラフ作成者の思うような主張ができることが多いのだ、という。

 総選挙が目前だ。与野党で財政赤字問題や年金、医療制度改革問題でグラフも多用されるだろうが、そのグラフがどういう意図で描かれたものなのか、プレゼンテーションする人の狙いは何かを考えながら、騙されないようにしないといけない。

 そんな思いにさせる本である。

 それにしても、英国人は洒落た題名をつけるものだ、と思う。内容はガチガチに真面目なのに。

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2008年8月26日 (火)

グルジア紛争の背景~日経新聞[大機小機]、産経新聞、東京新聞・堤未果氏コラムを読んで

 日経新聞8月26日朝刊コラム[大機小機]<「新冷戦」の正体>はロシアのグルジア侵攻への見方をちょっと変えてみよう、という提案である。

 <今回のグルジア紛争は米ロという冷戦時代の軸で見るより、ポスト冷戦の多極化を先導する欧州連合(EU)から眺めたほうが分かりやすい。>というのだ。

 ベルリンの壁崩壊翌月の1989年12月のマルタ会談でソ連のゴルバチョフ書記長とジョージ・H・W・ブッシュ米大統領(父ブッシュ)が冷戦終結を宣言した当時、ソ連はペレストロイカが行き詰まり経済が疲弊、超大国はおろか大国の地位さえ守れなくなっていた。それから2年後の1991年12月、ソ連は崩壊し、グルジアが独立した。

 ソ連崩壊2カ月後の1992年2月、欧州主要国はマーストリヒト条約に調印し、EU発足を決定した。狙いは①大欧州創造で米国一超大国構造に修正をかける②加盟国を東へ拡大しロシアの超大国返り咲きを阻止する――だった、とコラム筆者は書く。

 <当時、ブリュッセルで欧州委員会高官にどこまで東進するつもりか問うと「ウクライナ」と即答したのを思い出す。>

 という16年前のやり取りは貴重で鮮烈な経験だったのだろう。うかつにも、当時、そのような報道に接した記憶がない。もしかしたら、日本のマスメディアは、そういう視点の分析を怠っていたのではないか?

 <ロシアと地続きの国境を持つ14の国の中でもウクライナとグルジアはロシアにとって特別な意味を持つ。ウクライナは天然資源とともに広大な穀倉地帯を持ち、ロシアの台所的存在。グルジアは資源輸送の要衝。ともにEUと北大西洋条約機構(NATO)への加盟を目指しているといわれ、そうなればロシアは強大な統一市場と共通通貨を持つEUとほぼ全面的に「経済国境」を接することになる。ガス・石油の対EU供給交渉でも影響力の低下は避けられず、大国返り咲きの目標は遠のく。>

 よく知られたロシアの資源戦略である。このパイプライン問題は後ほど、産経新聞の記事をもとに見てみる。さらに筆者は、NATOを軍事的バックボーンとするEUは、旧ソ連のバルト3国を含む27カ国に加盟国を拡大。国内総生産(GDP)合計では既に米国を上回る、という基礎知識を書き、

 <ポスト冷戦のパワーポリティクスは経済圏の拡大競争であり、それを「新冷戦」と呼ぶなら、ロシアにとってグルジア侵攻は経済国境の防衛戦となる。>

 と、ズバリ、グルジア紛争の意味合いを断定する。誰しも「そればっかりじゃあないだろう」と突っ込みを入れたくなるところだ。

 ポスト冷戦が経済戦争であることは、ほとんどの識者が指摘することろであり、異存はないが、それを「新冷戦」とは呼ばないだろう、と思うからだ。それに、この経済の論理が最大の目的でロシアがグルジアに侵攻したのかどうか? まだ分からないことは多いのではないか、とも思う。

 筆者はロシアの必死さの裏に横たわっている経済事情について結びの文章で触れていた。

 <資源高で潤うロシア経済も先は見えない。エネルギーと軍事関連以外に強い国際競争力を持つ企業が育たず、外資導入による産業振興が命綱だが、グルジア紛争を受けロシア株と通貨ルーブルは下落、外資の資金逃避が鮮明だ。日本を含む海外マネーの動きもロシアけん制の一つの力になるかもしれない。>

 中東資源国では石油高で国家が潤っているのに、国内の産業構造転換に失敗する国が目立った。政治による資源再分配がうまく機能していないし、国民の勤労意欲を刺激できず、国民のやる気に直結していないから、富は偏在し、GDPは巨大でも、ソフト資源が貧しいままに放置されている下層階級の人々は、「幸福感」という恩恵を受けていない。

 石油価格高騰で富が膨れ上がっている現在のロシア社会も、多くの中東産油国と同じ構造なのだろうか?

 産経新聞26日朝刊1面トップ<グルジアめぐる対立の裏で……/露と欧米 資源争奪戦>は、グルジア紛争の資源争奪戦の側面をクローズアップさせた。グルジア南西部バトゥーミに入った遠藤良介特派員の記事である。

 記事はEU入りを目指すグルジアにとって、この紛争は、パイプラインがいつ何時ロシアに破壊されるか、運用停止に追い込まれるか分からない地政学的なもろさを明るみに出されたこと、またグルジアに期待していた欧米の資源戦略にとっても打撃となった紛争だった、と分析している。

 記事はまず、グルジア紛争の対立構図の裏には中央アジアやカスピ海沿岸国のエネルギー資源をめぐる欧米とロシアの激しい覇権争いがある、として

 ①アゼルバイジャンからトルコに抜けるBTC石油パイプライン(バクー~トビリシ~ジェイハン)とBTEガス・パイプライン(バクー~トビリシ~エルズルム)はロシアへの資源依存度を下げたい欧米が近年、グルジア経由のルートとして建設を主導したもの

 ②グルジアにはほかにも黒海沿岸に石油を搬出するバクー~スプサ・パイプラインが通り、鉄道での石油輸送も盛ん

 ③ソ連崩壊後、特に2004年にサーカシビリ政権が誕生して以降のグルジアでは、ロシアの頸木から脱しようとEUやNATO入りを目指す親欧米路線が「国民的総意」(専門家)

 ④グルジアが選んだのは欧米向けの経由国としての地位を固める戦略であり、欧米と利害が一致した

 ――と今までの経緯をまとめた。

 そして、今回、

 <グルジア側の情報ではロシア軍はパイプラインも空爆の標的とし、英国際石油資本のBP社はバクー~スプサやBTEパイプラインの運用停止に追い込まれた。鉄路も中部で鉄橋を爆破されて途絶え、石油を積み出す西部のポチ港はロシア軍が掌握している。>

 として<欧米にとり大打撃だ。>とリポートしている。

 記事によると、グルジア戦略・国際問題研究所のロンデリ所長は「ロシアは国際パイプラインの攻撃によって、エネルギー資源を独占するとの意図を鮮明にした」と分析しながら、「紛争を経て欧米諸国とグルジアの結束はますます強固になるだろう」と強気の姿勢を示した、という。

 グルジア政府はそう思いたいだろう。しかし、BP社が今回、パイプラインの運用停止を余儀なくされたように、<ロシアの柔らかい下腹>に位置する地政学的弱さを露呈したグルジアの価値はEUにとって相対的に低下したのではないか。グルジアのEU加盟は遠のいただろう。

 南オセチア自治州とアブハジア自治共和国の民族紛争、という視点も当然、忘れてはならない。

 今回の紛争は、まさに、それを錦の御旗にした紛争だったのだから。

 ロシアの平和維持軍駐留問題、緩衝地帯設置問題をめぐる交渉が大詰めを迎えているらしいが、屁の突っ張りにもならないようなグルジア軍の抵抗に欧米諸国はどこまで寄り添うつもりなのか? 「自由、民主。平等、博愛」での理念的支援はいいが、戦争に発展しかねない軍事支援に踏み切ることとは天と地との差がある。

 北京五輪の陰に隠れてドンパチを繰り広げ、閉会式終了後にはヤマ場を越している紛争は、近い将来、ロシアに有利な形で幕が引かれるかもしれない。

 この問題に、相変わらず鋭い突っ込みを入れたのが東京新聞8月24日朝刊[本音のコラム]<グルジア紛争報道>の堤未果氏だった。

 あの「ルポ 貧困大国アメリカ」(岩波新書)の筆者である。

 <米国在住のあるロシア系ジャーナリストは、グルジア擁護のCNNを筆頭に「独裁ロシアの復活」を煽る米国報道を懸念する。そこで触れられない事実、例えばサーカシビリ大統領が2004年就任から今までに軍事予算を30倍拡大