財政・社会保障

2009年3月18日 (水)

坂村健東大教授の国民カード構想は検討に値する+技術進歩と法の壁の問題も~3月18日産経新聞[正論]と3月22日毎日新聞朝刊[時代の風]

 産経新聞3月18日朝刊[正論]で坂村健・東京大学教授が<「住基」超える「国民」カードで>と題した寄稿を寄せていた。

 例の国民総背番号制問題の新提案である。

 私は住民基本台帳のネット化に最初、相当に疑問を持っていた。

 だが、国民情報のデジタル化ができないと、例えば貧困率調査すら正確な統計が出ないのではないか、税金の捕捉率にしても不公平がそのまま存続するのではないか、という「下から目線」問題でも限界が出てくること、そして、やはり使いたくない言葉ではあるが、国際競争力の面でも必要であるのではないか、と思い始めた。

 そこで様々な方々の提言を注意深く読んでいるのだが、この坂村氏の提言は国家公務員は悪いことをする、という「性悪説」に立ちながらも、カードを導入するにはどうしたらいいのか、という大きな意味での折衷案を提示しているので、貴重な提言だと思った。

 坂村論文は≪生き残りへのコスト削減≫、≪国・地方を超えたシステム≫、≪「上からの目線」を排除し≫の三つの小見出しをつけていた。これで大体、内容の想像がつくだろう。
 坂村論文を読んでみよう。

 <「業務の効率化」という言葉には、非人間的で抵抗があるという向きもあるかもしれない。しかし、極端な少子高齢化の進む日本では早晩、非効率な社会プロセスに人手を割いていられる余裕はなくなる。すべての社会プロセスにおいて、今まで以上の効率化を達成すること-それはいまや単なる努力目標でなく、日本が生き残るために避けて通れない段階にきている。>

 この問題意識に賛同する。

 <メーカーにとって利益を生む研究開発や製造業務が「プロフィット(収益)センター」であり、総務や管理など絶対必要ではあっても直接利益を生まない間接業務は「コストセンター」と呼ばれる。実は企業での情報化に欠かせないのがこの視点である。情報化の目的も結局のところ端的にいってコストセンターからの人員削減なのだ。その目標を見極めないと、大金をはたいて情報化しても何もメリットがない、ということになる。望ましいのは情報化によってコストセンターで余った人員をプロフィットセンターに回し、人切りはしないことだろうが、とにかく情報化した分の人的な合理化ができないのでは、単に情報化しただけで終わってしまう。>

 派遣切りは雇用のミスマッチを覆い隠してきた時代の矛盾が不況になって一挙に噴出したものだろう。雇用のミスマッチは①高度経済成長時代が終焉したのに、経済政策を輸出産業中心主義から変えなかった政府の怠慢②安易に労働者の派遣労働を解禁した経済界と政府の罪③教育などに起因した日本人の心情の変化――などが原因だと思うのだが、これを大きく転換するためには強い政府が必要で、その強い政府は思い切った転換をしなければならず、そのためにはデジタル情報が必要になる、と思うのだ。

 <日本にとっての最大のコストセンターは国、地方自治体を合わせた巨大な行政機構である。借金財政が高進する中で、その効率化は待ったなしだが、そこで思い浮かぶのは「住民基本台帳番号(住基カード)」の制度である。>

 <社会保険庁の杜撰な情報管理は「非効率」というより、まず「非常識」のレベルで弁護の余地はない。しかし、いまだに、年金や保険台帳の再構成作業が困難を極めているという話を聞く。米国の社会保障番号のような国民を特定できる番号制度なしに年金を管理するというのが、いかに大変かということは想像にかたくない。日本の住基カードの制度に反対した人たちの意図はいろいろだっただろう。だが、結局、住基カードについても法律でがんじがらめに利用目的を制限したがために結局、メリットが少なく、利用者は増えていない。その揚げ句、電子政府を目指すシステム構築にかけた予算も、毎年数百億といわれるメンテナンスコストも「壮大な無駄」といわれるようになってしまった。>

 そういうことだ。

 <しかし、スタート時の住基カード構想では、マルチアプリケーション(総合)ICカードとして、運転免許証から保険証まで多様な機能を一枚のカードに持たせるという夢が語られていたはずだ。たとえば、タバコ自販機用の成年証明カードなど、本来の構想通りの住基カードがあればそれを利用できた。定額給付金だって、皆が住基カードを持っていれば事務は恐ろしく簡単、低コストになる。一番合理的なのは、住基カードに関する規制を見直し、米国の社会保障番号のような多様な利用を可能にすることだ。そして住基カードを利用して効率的なワンストップサービスができるようにする。それによって国も自治体も超えた行政システムを再構築する。それが理想だと思う。>

 効率を考えればそういう発想になることは専門家が皆言っていることだ。

 <とはいっても、一度ケチがついて現行法律で縛られてしまった住基カードの多機能化を、いまさら復活するのは至難の業だろう。プライバシー的な問題だけを言うなら、住基カードを計画したころより情報技術も進歩しインターネットも普及した。この機会に、それに対応した最新のネットワーク対応ICカードの採用を提案したい。「住民基本台帳カード」というのも、いかにも行政側の管理のにおいがする「上から目線」を思わせるので、名称もこの機会に「国民サービスカード」と変える。プライバシーに最も気を使わないといけない「住民基本台帳番号」の露出は最小限とし、通常はサービスごとの利用者番号を発行する。その記録は各サービスのデータベースに分散し、すべてのサービスの利用者番号と住民基本台帳番号を一括記録しているのは各自のカードだけという構成にするのである。>

 名寄せを難しくすることで抵抗を排除しようという提案である。

 <住民基本台帳のときに言われた問題では、住基ネットの脆弱性のほかに「名寄せ」の問題があった。しかし、このような構成なら名寄せは非常に難しくなる。冒頭で述べたように、何より大事なことは「(国民サービスカードの導入で)何人の公務員、どの程度の行政予算を減らせるか」というコスト削減の目標を国民に提示することだ。技術ができる限りのことをしても、プライバシーにもセキュリティーにも完全はない。そのリスクを前提にしてもなお、日本が生き残るために、やらなければならない。そういう覚悟を示す時期に今や来ているのではないだろうか。>

 どこまで真剣に検討されるか、であろう。森信中央大学教授らの見解を聞いてみたい。私はこの辺が一つの折り合いを付ける落とし所ではないか、とも思うのだが。

 坂村氏は3月22日毎日新聞朝刊[時代の風]にも<技術の進歩に法の壁/制度革新で景気刺激>のタイトルで寄稿していた。同じ問題意識からの文章である。書き写しておこう。

 「検索エンジン」世界最大手のグーグルは1998年創業の米国のベンチャー企業で、成長に次ぐ成長であっという間に巨大になった。従業員は2万人で2008年売り上げは218億㌦。全世界で2億人が使っていると言われ、検索キーワードに関連した広告を表示するなど、新しいビジネスモデルで急成長を遂げた。インターネットによって生まれた最大の企業であり、この世界ではマイクロソフトでさえ太刀打ちできない、という書き出しである。

 <そういう話を聞くと「技術があるはずの日本で、なぜこのような新しい企業が生まれないのだ」と、いつも議論になる。しかし、答えは簡単。技術そのものより、技術が生む新しい可能性にチャレンジするのを支える社会の仕組みがない――という問題の方が日本では大きいからだ。具体的に言うと、法律や制度などが技術の進歩に全く追いついていないし、追いつけるようにもなっていない。>

 さあ、ここからズバリ本論に入る。

 <検索エンジンが典型だ。日本での検索エンジンの発展を阻んだ最も大きな障壁は著作権法だった。検索エンジンはネット上の情報を収集して、その後の検索を早くするために内部に索引を作る。そのときに相手の情報を複製する。ところが、現行の日本の著作権法では、無断で著作物をコピーすることは法律違反。いつ訴えられるかわからないとなると、ビジネス化にも躊躇する。そのため日本企業が開発した検索エンジンでも、エンジン自体はわざわざ海外に設置していた。その及び腰の結果、今や表面的には日本のもののように見えても中身のエンジンはグーグルのもの。日本の検索エンジン技術の系譜は途絶えてしまった。>

 ひどい話じゃないか。

 <この成り行きに、さすがにまずいと日本でも動きが出始めた。文部科学省が今国会に提出したデジタル時代の新しい著作権法改正である。これにより「インターネットで情報検索サービスを実施するための複製」は権利者の許諾なく行えるようになる。遅きに失したとはいえ、これは一歩前進だ。また、視覚障碍者に対して書籍を音声化したり、聴覚障碍者に対して映画に字幕をつけるようなことも、著作者の許諾無しに自由にできるようになる。今回の著作権法改正について、報道では「違法コンテンツのダウンロード禁止」ばかりに焦点をあてて取り上げているが、規制強化の裏に隠れたこれらの自由化の方が、将来的には大きな意味を持っているはずだ。>

 そういうことなのだ。マスメディアの意識が遅れていることが日本の技術革新の遅れに繋がっている。

 <ところで米国の著作権法はどうなっているかというと、報道や教育、調査研究等の公正な利用に関しては許諾無しで複製などを行えるフェアユース規定やインターネット業者の責任を限定するセーフハーバー(責任制限)条項などを、早いうちに用意していた。判例重視の英米法体系ともあいまって、新たな問題が生じても時間のかかる法改正によらずに裁判所の判断により物事が先に進められるようになっている。グーグルもユーチューブも当初広告などを取らず非ビジネスベースで開始した。そして、大きなユーザー層を確保し十分な投資を集め、法律スタッフなどの足腰を固めてからビジネス化にかかった。利益を出さないうちは、フェアユース規定などにより得られるフリーハンドを生かして果敢な技術トライアルができる方を重視したからだろう。>

 米国は国際ビジネスで勝利することを考えた戦略的法体系を持っている。

 <日本では法令重視の大陸法体系ということもあり、著作権法の除外にしようと思ったら、今回の改正のように「インターネット情報検索サービスのための複製は許す」と許される項目表――ポジティブリストを具体的に示さないといけない。ポジティブリストにない利用はすべて違反というわけだ。イノベーションが「予想外の革新」という側面を持つ以上、新たなサービスは常にリストにはないわけで違反となる。ポジティブリスト方式は本質的にイノベーションに向いていないのだ。そして、法改正には時間がかかるので、ポジティブリストは時代の進歩に常に追いつけない。そのため、非ポジティブリスト方式の日本版フェアユース規定を決めよう、という動きもある。>

 大陸法と慣習法の違いなのか。

 <制度革新によるイノベーションの例としては、ドイツで自然エネルギー発電の電力を電力会社に対し一般の電力の数倍の料金で買い取る義務を課したために、太陽電池設置数がたちまち日本を抜いてしまった例(差額は一般の電力料金に加算され国民全体で負担)や、やはりドイツでの古い自動車の買い替え補助など、多少バブリーな制度で副作用もあるらしいが、世界に広まっている。>

 ドイツも大陸法だ。日本はドイツの法体系を明治時代に取り入れた。そのドイツではブレイクスルーができているのに、日本ではできない、ということは大陸法であることだけが問題ではなさそうだ。

 <時代の風を生むのは技術だとしても、その風の向きを決めるのは社会制度。そして、日本が弱いのも技術ではなくその部分だ。景気刺激が最優先の今、世界がまねしたくなるような、新しい制度革新をいち早く日本から発信したいものである。>

 そのためには法制度の充実である。政局で足を引っ張るよりも、与野党の若手議員が集まって、このための法改正を真剣に考え、議員立法で突き抜けてほしいものだ。

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2009年3月 2日 (月)

「リハビリ棄民」という「小泉人災」を告発する多田富雄氏の論は説得力がある~朝日新聞3月2日朝刊寄稿

 免疫学の世界的権威である多田富雄東大名誉教授が3月2日朝日新聞朝刊[私の視点]に寄稿していた。タイトルは<脳卒中患者/リハビリ医療を奪われた「棄民」>である。多田氏の論は水俣病の石牟礼道子氏との対談本の書評を書いたが、この寄稿を読むと、事態はますます悪化している、というのだ。小泉純一郎首相と竹中平蔵氏が推進してきた「小泉構造改革」の負の部分が否応なくクローズアップされてきた。

 多田氏について少し説明しておいたほうがいいだろう。またウィキペディアを参照させていただく。

 多田富雄(ただ・とみお)氏は1934年(昭和9年)3月31日、茨城県結城市生まれ。千葉大医学部卒後、千葉大医学部教授、東大医学部教授、東京理科大生命科学研究所所長を歴任。1971年に抑制T細胞を発見するなど免疫学者として活躍。詩人の多田不二を大叔父に持つ文筆家でもあり、自ら小鼓を打つ能の作者としても知られる。

 作品には脳死の人を主題にした『無明の井』、朝鮮半島から強制連行された人を主題とした『望恨歌』、アインシュタインの相対性理論を主題とした『一石仙人』、広島の被爆を主題とした『原爆忌』など。『免疫の意味論』(青土社、1993年)で大佛次郎賞、『独酌余滴』(朝日新聞社、1999年)で日本エッセイスト・クラブ賞、『寡黙なる巨人』(集英社、2007年)で小林秀雄賞を受賞。その他にも野口英世記念医学賞、朝日賞(1981年)、文化功労者(1984年)を受賞した。

 2001年に滞在先の金沢で脳梗塞となり、声を失い、右半身不随となるが、執筆意欲は衰えず、執筆活動を続けている。2006年4月から厚生労働省が導入した「リハビリ日数期限」制度につき、自らの境遇もふまえて「リハビリ患者を見捨てて寝たきりにする制度であり、平和な社会の否定である」と激しく批判、反対運動を行っている。2007年12月には『わたしのリハビリ闘争 最弱者の生存権は守られたか』(青土社)を刊行。2007年には親しい多くの知識人とともに「自然科学とリベラル・アーツを統合する会」を設立、自ら代表を務める、とあった。

 私が読んだのは、石牟礼道子氏との往復書簡を一冊にまとめた『言魂』(藤原書店、2008)だった。

 朝日新聞の寄稿に戻る。[私の視点]の中で多田氏は次のような事実を明らかにしている。

▽日本リハビリテーション医学会の最近のアンケートで回復期リハビリ病棟の専門医の約2割が「患者を実際に選別している」と認め、約半数の医者が「その可能性がある」と答えた。選別しなければ病院の経営が成り立たないような制度が相次いで施行されたためだ。

▽発端は06年の診療報酬改定だった。政府は超高齢化社会に対応して社会保障費を増やすどころか削減し、脳卒中のため障害を負った患者のリハビリ医療を発症から起算して最高180日に制限した。これを機に脳卒中患者の苦しみは日を追って絶望的なものとなった。

▽日数制限の撤廃を求める署名は48万人に達したが、厚生労働省はそれを握り潰し、07年の異例の再改定では心筋梗塞などごく一部を日数制限から外して緩和したように見せかけただけだった。

▽逆に日数を超えてリハビリを続ければ、病院には低い診療報酬しか支払われないようになり、慢性期の脳卒中患者のリハビリ継続はますます難しくなった。

▽ことに救急車で運び込まれた重症の患者は発症日から60日以後は回復期リハビリ病棟に移ることもできなくなり、リハビリを始めることすらできない。初めから回復のチャンスが奪われてしまった。

▽08年10月からは治療結果による病院の”懲罰制”まで導入された。回復期リハビリ病棟に入院後180日以内に自宅やそれに準じる施設に退院した患者が6割を超えないと、病院に支払われる報酬が大幅に減額される。病院はノルマを達成するために、治療途中の患者を自宅に帰さなくてはならない。

▽そのためリハビリの期間は短くなり、治療半ばで中止させられる例も多い。中には点滴の管をつけたまま、自宅に退院させられる患者まで現れた。退院しても「老老介護」では、通院治療もままならない。

▽そのうえ、慢性期のリハビリは介護保険のデイケアでやれと言って、退院後の機能回復の機会を奪った。リハビリは患者の個別性に応じて行う専門的な医療であり、介護施設のデイケアなどでは対処できるものではない。

▽改善が目に見えないからといってリハビリを続けなけらば致命的な機能低下が起こることを無視した日数制限の結果、寝たきりになった人が幾人いることか。残った機能の維持こそ命を救い社会復帰させる医療なのに。

▽リハビリは単なる機能回復の訓練ではなく、社会復帰を含めた人間の尊厳を回復する医療なのである。患者や医師、リハビリ施設の職員たちから苦悩の声が上がっても、厚労省は言を左右に、医師や病院の責任にして自分たちの非を認めない。脳卒中患者を抜き打ち的に狙った迫害、としか言いようがない。

▽相次いだ制度の改悪によって、脳卒中の治療に熱心だった病院の収入は減り、重症の患者は初めから受け入れない傾向が生じた。そしてついには、患者の選別が起こってきた。これが「文明国」日本の現状だ。「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めた憲法25条は、脳卒中患者には当てはまらないとでもいうのだろうか。

▽リハビリをすれば社会復帰できたのに、寝たきりになった患者の人権はどうなるのか。最後の命綱を断ち切られて、命を落とした人に涙を注がないのか。この日本で、難民ではなく医療を奪われた棄民が発生したのだ。

▽リハビリ医療の度重なる制度改悪は、最弱者である患者の最後の希望を打ち砕き、医師や療法士のやる気をなえさせ、病院を疲弊させた。

▽医療は崩壊ではなく、破壊されたのだ。

▽最弱者を狙い撃ちにするような非人間的な精度は、即刻撤廃するべきである。

 以上である。途中からは、ほぼ原文のまま写してしまったが、多田氏の言葉は炎を上げて燃えるように熱く迫ってくる。小さな政府が必要だ、規制緩和だ、民間活力重視だ、ともてはやされた「小泉構造改革」の実態が嫌というほど描かれている。

 人間を大切にしない政治は政治ではない。

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2009年2月18日 (水)

面白きこともなき世を面白く:高杉晋作=榊原英資=近藤勝重~毎日新聞2月18日夕刊から

 毎日新聞2月18日夕刊特集ワイド面に近藤勝重・専門編集委員の連載コラム[しあわせのトンボ]が載っていた。今回のテーマは<生き方再発見の時代>。読むとはなしに見ていたら、

 <先夜、MBSラジオの「ニュースレーダー」に旧大蔵省時代「ミスター円」で鳴らした早大教授、榊原英資氏が出演して、持論の円高国益論を語ったあと、こう続けた。

 円高は物が安く買えますから、庶民にはプラスなんです。食材を安く買って来て自分で料理するんですよ」

 自分で料理すれば節約もでき、達成感もあるわけで、ぼくは大いに共感した。

 氏は近著「榊原式スピード思考力」の中で今日の不透明な時代にふれて、<見方によってはチャレンジングな時代であるともいえます>と高杉晋作の有名な辞世の句「面白きこともなき世を面白く」を引いておられた。>

 という文章に目が行った。

 へぇー、知らなかった。榊原氏がラジオに出演していたんだぁ、と思って、その内容に私も共感した。

 ルービン元米財務長官の「強いドルは米国の国益」という意味での「円高国益論」とは違うと思うが、円高という現象、日本の国力の強さをある程度反映していることは間違いない。

 円キャリートレードに代表されるように、政府・日銀が政策として円安に誘導して弱い円が世界にばらまかれた。一時的には日本の輸出産業にプラスだったのだが、ツケは思ったより早く回ってきた。円キャリで世界にばら撒かれた円が世界の過剰流動性を作り出していたのだ。

 米住宅バブルの崩壊が世界金融危機にまで発展した理由は金融工学の異常な発達だけでなく、安い円=過剰流動性の創出が大きな原因だった、とは浜矩子氏もベストセラーの岩波新書で述べておられる通りだ。

 イタリアの通貨が円のようにリラ高になることはありえない。円は様々な政策手法の結果とはいっても、国際的な評価の元で円高になっている。だから、この円高を楽しもうよ、というのが榊原氏の提案なのだろう。

 ただ、そうは言っても「じゃあ日本は何で食っていけばいいのか」という強烈な反論が来る。そこで、榊原氏は近著の「メルトダウン」で農業の抜本改革を提案しているわけだ。

 コラムに戻ろう。

 <何かを得れば何かを失う。逆に何かを失えば何かを得る。得失は表裏一体、それは道理と言うべきで、世の中も大きくは得つつ失い、失いつつ得るということを繰り返しているのだろう。そうだとすると、考えようである。>

 この辺が近藤おじさんのコラムの真骨頂である。

 <目下の時代を、ただただ失う時代ととらえ絶望視する向きもあるようだが、人間としてのたしなみとか節度を再び得て、あるいは自然への謙虚さといった次代につながる価値を手に入れ、そこに新たな幸せが感じられるのなら、ことさら悲嘆にくれることもないのではなかろうか。>

 として、山歩きが趣味の夫婦の話を紹介し、

 <ヒルティの「幸福論」は、主としてキリスト教的倫理観を背景に仕事の価値が論じられている。ユングの「幸福の5条件」も、その一つに「朝起きた時、その日にやるべき仕事があること」とある。労働をおいては幸福感も乏しいだろう。そこに今日の雇用問題の深刻さもあるわけだが、一方で時代は働くとは?と再考をうながしているかもしれない。いずれ農林業など大地での労働は若い世代にも見直されるのではなかろうか。>

 と、近藤氏も農業に目を向ける。

 <いかに生きるか。おそらく今はめいめいが社会との関係を見つめ直し、自分にふさわしい生き方を再発見すべき時代であろう。面白くもない世に面白さを見つけ、またそのように見方を切り替えることができれば、大丈夫、何とかなるさと顔を上げて生きられそうに思えるのだが、どうだろうか。>

 大賛成だ。経済がシュリンクしたって、ある程度は当然という面もある。人口が減っているのだから、国のGDPは落ちるだろう。つまりマイナス成長である。でも、1人当たりGDPがそんなに落ちなければいいわけで、物差しを国のGDPだけに固定するものの見方が古くなっている、と思う。

 総幸福指数を基準にしろ、とは言わないが、いずれにしろ、現代経済学の限界論をもっと深めて、政府統計も徐々に変えていく時代になったのだ、と思う。

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2009年1月15日 (木)

社会保障番号と納税者番号についての森信茂樹・中央大学法科大学院教授の提言~1月15日アラタニスより

 「あらたにす」のヒット数が少ないらしいが、私は毎朝チェックして、<新聞案内人>の提言を読むのを習慣としている。今朝の<新聞案内人>は以前、このブログにコメントをくれた森信茂樹・中央大学法科大学院教授の「『番号」の議論が始まる~社会保障番号と納税者番号」だったので興味深く読んだ。森信教授は「国民総背番号制」導入の検討を与党に強く求め、その視点を「行政の利便」ではなく、「弱者の保護」に転じるべきだ、と言っている。焦点のプライバシー保護との関係では会計検査院にチェック機能を持たせればどうか、という提言だった。

 基本的に賛成だが、いくつかコメントしたい。森信教授の文章を引用しながら見ていこう。

 <今年の政策課題のひとつは、社会保障番号や納税者番号といった番号制度について議論を深めることではなかろうか。>

 として、昨年11月の社会保障国民会議(座長・吉川洋東大教授)の最終報告書(「社会保障に関する情報・データの開示、国民一人一人のレベルで社会保障の給付と負担を分かりやすく示すための社会保障番号制」導入の必要性をうたう)▽12月24日閣議決定の「中期プログラム」(税制抜本改革の基本的方向性として、「納税者番号制度の導入の準備を含め、納税者の利便の向上と課税の適正化を図る」)▽直前決定の与党の税制改正大綱(「納税者番号制度については…社会保障番号との関係の整理等を含め…国民の理解を得て、早急かつ円滑な導入をめざすべきである。…与党内に納税者番号に関する検討会を立ち上げ、制度の導入に向けて精力的に議論を行うこととする」)を例示し、

 <これらを総合的に解釈すると、国民利便のために、社会保障番号の導入検討を進め、それを納税者番号の導入に続けていくということになる。>

 とまとめている。その通りだ。っして、番号制導入についての各紙社説のバラバラ具合に話を転じる。社説がバラバラということは、国民合意形成がなされていないことの一つの具体例だ。「社会保障カードと社会保障番号を導入するメリットは大きい」(読売2008年8月17日)▽「国民に役立つ社会保障番号の制度設計を」(日経07年6月22日)は積極導入論。一方、朝日社会保障番号の検討は、「混乱の中で拙速に決めることは避け、中期的な課題として検討すべきだろう」(07年6月29日)と消極論。

 <朝日の慎重論の背景には、「個人情報が一つの番号に整理され、国が情報を串刺しに管理することには、国民の抵抗感が強い」(同年7月15日)という懸念があるようだ。>

 という森信教授のお説通りだ。そして、政府・与党が番号制度に触らなかった理由は「朝日の社説にあるプライバシーの問題を乗り越える自信がないから」だろうこともお説ご尤もである。そして、提言になる。

 <私は、プライバシーへの懸念に対しては、プライバシー基本法の策定と政府の行動を監視する機構の設立(例えば会計検査院の機能拡充)で対応するセットで、まず国民の受益に直結した社会保障番号を導入し、次にそれを活用した納税者番号を導入することが必要だと考えている。プライバシーの問題に対しては、国民の漠たる不安を理由に議論そのものを避けるのではなく、突っ込んだ議論を行うべきだ。>

 と会計検査院の拡充をあげる。「国民のばくたる不安」なのだが、なぜ「ばくたる」なのか。はっきりとした理屈にならないが、何かおかしいのではないか、という感情だろう。私はこの「漠たる」が案外重要ではないか、根深いのではないか、と思っている。

 なぜならば、以前も書いたようにこの感情は戦中の軍人と「新官僚」中心の国家体制を憎む国民感情が現在の官僚不信につながっているのではないか、これは戦中世代が死に絶えても国民の記憶として長く残るのではないか、と思っているからだ。

 だから、実は会計検査院の機能強化という手段が国民に受け入れられるか、危惧するのだ。本来は国家公務員法と関連法を改正し、官僚個人の不法行為の責任も問われることを明記し、罰則も重くし、なおかつ情報公開を確立する。といっても、現時点での情報を公開すると新左翼系弁護士と共産党だけが利用するかもしれないので、福田康夫前首相が意欲を燃やしたように公文書公開制度の充実を図ることが大切だ、と思う。

 森信教授の文章の続きを見てみよう。 

 <これまでの納税者番号導入論が、適正課税の確保や徴税事務効率の向上といった、徴税側の理由に偏っていたのに対して、今後は、一定所得以下の人を対象とした給付付き税額控除のような新たな税制を導入する際の低所得者・家族単位の所得捕捉や、税制優遇のついたポータブル年金の管理といった、国民・納税者利便の立場からの検討を行うことだ。>

 という主張である。これにも賛成だ。「おためごかし」とか「目先を誤魔化すのか」などの批判がおきるかもしれないが、小手先ではなく、制度の根幹にこのような思想を置いておくことは大切だ、と思う。

 いずれにしろ、今年は番号制度の論議が本格化するだろう。その時に、官僚の誤魔化を排除して、官僚の責任の明確化ができるかどうか、が勝負だろうと思っている。

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2009年1月 9日 (金)

赤木智弘氏の「人間爆弾」のような衝撃的な発言~毎日新聞1月9日朝刊[論点]より

 1月9日付毎日新聞朝刊オピニオン面[論点]が面白かった。[2009年日本への提言]というお屠蘇原稿みたいな、気のないタイトルなのだが、人選が▽茂木健一郎氏(脳科学者。1962年生まれ。東京大大学院修了。理学博士。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー、東京工業大連携教授)▽赤木智弘氏(フリーライター。1975年生まれ。論文「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳、フリーター。希望は、戦争。」で話題に。著書「若者を見殺しにする国」)▽猪口孝氏(中央大教授=政治学=1944年生まれ。米マサチューセッツ工科大博士号取得。国連大上級副学長などを経て現職。今春、新設される新潟県立大学長に就任予定)の3人。

 年代も専攻も違う男性を揃え、何でも勝手なこと言ってよ、的な作りが目を引き、読んでみた。この欄の特徴で見出しが長い。この日も<生活を直撃する景気悪化、国の基盤を脅かす少子高齢化、財政悪化……。私たちにできることは>というものだった。そういうことをしゃべっている、ということだろう。

◆茂木健一郎・脳科学者は<内なる原理を磨こう>の見出し。

 <人間の脳は激動の時代乗り切る力持つ。他者と行き交う中で地道な自己省察を>という小タイトルがついている。

 <人間の脳は、長い進化の過程で、複雑に変化する環境に対して適応する能力を獲得してきた。神経細胞の結びつきが変わることで「習」が生じるが、そのプロセスは、永遠に完成形のない「オープン・エンド」なものである。どれほど激動の時代になったとしても、新しい状況に向き合う力を人間の脳は持っているはずなのである。>

 と脳科学者が混迷の経済とどうつながるか、を語った後に、

 <投資の現場では、しばしば「逆張り」ということが言われる。脳の学びのメカニズムを考えれば、逆張りの思想こそが時代にふさわしい。>

 と断言する。おやおや。大丈夫なのですか、そんなこと言って、と思うが、学者であり、政治家じゃないから何を言ってもフリーである。だが、

 <何の基盤もなしに時代の不確実性に立ち向かうのは難しい。脳の感情のシステムは半ば無意識のうちに「確実なこと」と「不確実なこと」のバランスシートを取ろうとする。「確実なこと」が積み上げられた分だけ「不確実なこと」に立ち向かう力を得られる。> として、

 <激動の時代であればこそ、自分の中で揺るぎない「プリンシプル」(原理)は何かということが問われる。どんな変化に巻き込まれても変わらぬプリンシプルがあれば、それを「安全基地」として時代の不確実性に立ち向かうことができるのである。>

 と話は進展する。

 <米国でオバマ氏の登場が米国社会に抱かせた希望は「すべての人は平等に創られている」という建国のプリンシプルに立脚しているからこそ、力強い。>

 として、「ひるがえって、日本のプリンシプルは何なのか? 私たちにとって、大切な価値とは何か?」と問う。

 <それは、日本という一国にだけ通じることではなくて、人類が共有できるものか? 不安のあまり、視野が狭くなったり、偽りの自負にとらわれていはしないか? 脳の中には、他人の行動と自分の行動を映し合う「ミラーニューロン」と呼ばれる神経細胞がある。世界に広く目を向け、時に異質な他者に向き合うことで、自らの内なるプリンシプルを磨く。激動の時代を切り抜ける知恵は、他者と行き交う中での地道な自己省察の中にしかない。

 とお利口さん的な結論になっているのは味気ないが、これを読んで「そうだ、ファイトだ!」と叫べる人が一人でも出てくれば、茂木氏も納得するだろう。

 ただ気になるのは「日本だけで通じる視野の狭いプリンシプル」を否定するのに急過ぎると、ナショナルなものが欠けた日本人が量産されるのではないか、という点である。

 茂木氏の言いたいことはそうではないだろう、と思う。ナショナルにきっちりと足を踏ん張った上で国際的に通じるプリンシプルをつかめ、と言っているのだと思う。しかし、前段を省くと、根無し草の薦めと勘違いする人が出てこないか、と思った。それだけが気になった。

赤木智弘氏は<格差問題解決へ一歩>の見出しだった

 前文的な小タイトルは<重視すべきはベアより非正規雇用処遇/立場ごとの利害を丁寧に読む言論必要>である。

 赤木氏の論文は連合批判から始まる。昨年12月2日の連合中央委で「1%ベア要求」の09年春闘方針を決めたが、これは「今後の貧困問題を考える上で、重大な転換点だった」という。

 <連合は07年以降、非正規雇用労働の問題を精力的に扱っていた。昨年4月には高木剛会長が「主犯は経営者、従犯は労働組合」だったと非正規労働問題に対し内省的な態度を示した。それが昨年末「派遣切り」が問題になり始めた重要な時期に、彼らはベア要求を大きく掲げたのだ。>

 この高木会長の発言は知らなかった。

 <わずかばかりの物価の上昇と、職を失えば社会からはじき出される非正規労働者の問題とでは重要度では比較にならない。自分たちが非正規問題の「従犯」だと認めるのならば、現状でまっ先に課題とすべきは、ベアなどではなく、まず非正規の処遇だろう。

 誰でもそう思う。

 <かつてバブルが崩壊したときに雇用確保のために就職氷河期世代を見殺しにしたのと同じことを、彼らが再びしているように思えてならない。>

 見殺し、という厳しい言葉が飛び出すにはそれなりの理由があったのだ。

 <私はまったく悲観していない。それどころか、不況になってくれて、よかったと思っている。それにより社会の大勢には、弱者に対する同情心などなかったということが、ハッキリ示されたのではないか。…原因が分かっていた方が治療はやりやすい。…今回の連合によるベア要求は、格差問題がけっして「労働者VS経営者」という二元論に納まる問題ではないということを明らかにした。今後、現状の立ち位置をうやむやにしたまま「正規も非正規も関係なく、一緒に闘うべきだ」と共闘を訴えるだけの言論は説得力を失うだろう。>

 派遣村の経験を超えて、このような言論が出てくるのか、と溜息が出る。

 <それに代わり、正規労働者、非正規労働者、そして経営者など、さまざまな立場の人たちの利害関係を丁寧に読み解き、答えを出すための言論が求められるはずだ。「正規労働者と非正規労働者が対立している」という当たり前の前提が共有される流れが生まれれば、問題解決に向けた大きな進歩となる。>

 そういうことだろうなぁ、と思う。ただ、赤木氏はそれを問題解決に向けたプラス面だと評価しているが、いわゆる左翼勢力の中には「労働者分断工作だ、敵は経営者と株主だ」と言う人もいる。赤木氏の論の方が分かりやすい。そっちに流れるのか。そうすると、結構大変なことになって、収拾がつかないかもしれない。

 <就職氷河期という人災から、はや15年がたち、当時22歳だった大学生たちは、すでに40歳を目前にしている。40代の人間が、よしんば安定した生活を得たとして、20代、30代に失った時間を取り戻すことは不可能だ。彼らに残された時間は絶望的に少ない。彼らを救うためには、不況をてこにして経済成長を絶対条件とする「戦後日本」の社会システムの膿を、この機会に徹底的に絞り出すしかない。

 2.26事件を起こした青年将校を思わせる思考法だ、と思う。「丸山真男をひっぱたきたい」と同じノリの発言だろう。赤木氏や雨宮処凛氏が「9条の会」などでする発言がどういうハレーションを起こすのか、注目していたい。

◆猪口孝氏の見出しは<全天候型の人育てよ>。小タイトルは<グローバル化で必要な基幹人材に変化/小さなものの尊さしみじみわかる年に>。

 県立大学学長になる、ということで、「くたばれ帝国大学」論を展開し、グローバル時代には江戸時代の藩校のような県立大学がいい、と言う。その理屈はちょっと突飛だが、東大、京大の凋落は事実だ。
 ただ、猪口氏自身、たしか東大卒業だったと思う。そういう人に「県立大学はどうか。今は、ほとんどないに等しい存在である。誰も注目していない。大型旅客機たる帝国大学にくらべれば、たんぽぽの綿毛一本である」とまで卑下されるいわれはないのではないか。何か、ギラギラしたものを感じるのは眇目の私だけだろうか。
 やはり、赤木氏のインパクトの強さは並みじゃない。
 これから本格的な不況がやってくる。「持てる者」が内向きに固まってしまえば、「持たざる者」の反乱は想像を超えた大きさで起きるのではないか。そんな不気味な地鳴りを聞いたような気がした。

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2009年1月 8日 (木)

製造業派遣禁止に反対する日経新聞、産経新聞社説~1月8日紙面から

 日経新聞と産経新聞が8日付社説で労働者派遣法の対象から製造業を除外すべきだ、という舛添厚労相や民主党、社民党、共産党の考え方に反対する主張を打ち出した。それぞれ経団連応援新聞、産業経済新聞としての立場から致し方ない選択だったのだろうが、変革への意志が感じられないのは寂しい限りだった。明確に製造業を除外しべし、としている毎日新聞や東京新聞とのコントラストがくっきり浮かび上がった。

 日経新聞社説<雇用激震に備え短期・中長期の対策急げ>は、

 <製造業への労働者の派遣事業が解禁された2004年以降、各地の製造現場では直接雇用の期間工などを派遣に置き換える動きが広がった。舛添氏の考え方、野党の案ともに細部は不明だが、04年以前の状態に戻すことを狙っているようだ。>

 として、

 <この規制強化は労働市場を不安定にする副作用がある。工場側にとって派遣社員は直接雇用の期間工を雇うのに比べ社会保険手続きなどを派遣会社に任せられる利点がある。働く側から見ると派遣制度がないのと比べ雇われやすい。また、すぐに仕事に就けるなどの理由で自ら派遣での就労を希望する人も増えている。そうしたことを考えると多様な雇用形態を残しておくことが望ましい。>

 と主張するのだ。大雑把に言えば、その根拠は①労働市場が安定する②工場側の利点③働く側も職を得やすいメリットがあり、派遣希望者が増えている――というものだろう。①②は会社側の都合であり、③が労働者側のメリットだ、というのだ。だが、本当にそうなのだろうか? 最近の新聞で見る派遣労働者の訴えとあまりに乖離していないか? 誰だって望んで派遣労働をやりたくはないが、正社員として雇われないので、仕方なく派遣で働いているのだろう。そして、日経社説は続ける。

 <日雇い派遣を原則禁止するために政府が国会に出し継続審議になった法改正案も問題が多い。派遣失業者にとって、今のようなときこそ一日単位で仕事を見付けられる日雇い派遣はありがたいものではないか。>

 驚くべきことに、日雇い派遣も禁止すべきではない、という主張である。派遣労働者は1日単位の労働の切り売りが望ましい、とでも考えているのだろうか?

 そして、次のように言う。

 <規制強化に走るのは賢いやり方ではない。国が真っ先に取り組むべきなのは、財政資金や雇用保険に積み立てたお金をうまく使い、緊急避難的に仕事を提供したり失業者が次の職場を遅滞なく見付けられるよう職業訓練をしたりすることだ。>

 後半部分はその通りだ、と思う。職業訓練の充実が求められている。ただ、日経新聞らしいと思うのは、公共事業の前倒し執行を求めていることだ。

 <各地域の経済活性化につながる道路の整備などを厳選して事業家を急いでほしい。首都圏では羽田、成田空港への時間距離の短縮に役立つ交通網などが対象になる。>

 というのだ。リチャード・クー氏だったか、公共事業の効用を説いており、その通りだと思う部分も多いのだが、誰かが言っていたが、どの公共事業を選ぶか、という時に省庁の意見が反映されると、実は後が大変なのだ。地方自治体の後年度負担が膨らみ、地方財政を圧迫するのである。だから、極端なことを言えば、穴を掘って、その穴を埋めるような公共事業でもいいから害悪を垂れ流さない公共事業をすべきだ、という主張をした人がいた。そういうことだろ思う。成田、羽田へのアクセスなど、将来の維持費まで考えて言っているのだろうか? 疑わしいと思う。

 非正規雇用者の安全網の充実をせよ、という。まさしくその通りなのだ。雇用保険の適用対象を広げることと職業訓練が例示されている。教育の充実で誰もが手に職を持てば一時的に仕事からあぶれても苦労せずに次の仕事に就く機会が広がるので、そうした基盤整備を急げ、というのだが、抽象論である。

 最後には御手洗冨士夫・日本経団連会長が提案したワークシェアリングに触れ、正社員と非正規社員について「同一労働・同一賃金」原則を導入するように求めるなどしている。この部分を写しておこう。

 <企業が社員をどれだけ解雇しにくいかを経済協力開発機構が指数化したところ、日本は正規社員が手厚く守られている半面、非正規社員の保護の度合いは著しく低いという結果が出た。同一労働・同一賃金の原則とともに、この格差緩和も考えなければならない。どちらかといえば正規社員の既得権益維持に熱心な連合に意識改革を望みたい。>

 このOECD調査の話は日経新聞8日朝刊3面<製造業派遣見直しに溝/与党 業種規制強化に慎重/民主 禁止検討へ方針転換>につけた奥村茂三郎編集委員の解説記事<性急な規制は逆効果/安全網の拡充急務>で詳しく説明してあった。つまり、OECDの08年版対日経済審査報告で「日本の正規労働者と非正規労働者の賃金格差は生産性の差をはるかに上回っている」と指摘し、「デュアリズム(二極分化)」の拡大を懸念している、という。

 日経らしいと思う。社説で打ち出すだけでは言い足りないと思って、社説が2面に出る日の3面にこの記事を掲載し、社説を読む際の手引きにしている。奥村論文は趣旨が社説と同じだった。記事の中には八代尚宏・国際基督教大学教授の「昔も今も製造業は景気変動の影響を和らげるために非正規雇用を必要としている。規制緩和前に戻れば今度は請負や期間従業員が職を失いかねない」という談話を使っているが、この八代氏こそ規制緩和会議などで派遣労働法の製造業適用に動いた張本人だ。張本人にまでご登場j願ってものを言わせるくらいまで規制緩和グループの人材は枯渇してしまったのだろうか。

 いずれにしても苦しい論理だと思うのだが、この問題は各社の論説室、論説委員会ともすぐにハンドルを切る、というわけにはいかない一貫した姿勢があったのだろう、と思う。今までの主張と整合させながら、どのように対処するか、である。その意味で日経新聞は相当に苦しい中でこの結論を選択したのだろう、と想像する。派遣労働者らからのバッシングは覚悟の上なのだろう。というか、派遣労働者は日経新聞をとらないから、読者が減るわけでもない、と達観しているのかもしれない。

 そういう日経新聞のスタンスは一応理解するとして、貧乏だが志だけは高く産経新聞を読み続けよう、と考えているちょっと右翼チックな読者も翼下に抱える産経新聞が同じ日に<製造業派遣 規制強化は慎重な論議を>の社説を掲載したのは正直、意外だった。

 主張の内容は日経新聞とほ同じである。

 <規制緩和は、国際競争の激化でコスト削減を求められた企業側の事情が背景にある。企業は短い納期で多品種少量生産を要求されるようになった。ただ、これは労働者側にも雇用拡大という形でプラスになった。ここ数年の失業率は4%台と低い水準だ。それなのに、非正規雇用者の失業が拡大したから、製造業派遣を禁止すべきだというのは乱暴すぎるだろう。派遣労働者を雇えなくなれば、企業は直接雇用に頼らざるを得なくなる。それは、人件費の増加を招くため、企業側はかえって雇用を減らす方向に動く可能性が懸念される。また、柔軟な雇用調整ができなくなれば、日本企業は人件費の安い中国や東南アジアなどに生産をシフトすることも考えられる。それは、国内全体の雇用を減らし、失業率の上昇を招きかねない。製造業をめぐる喫緊の課題は、雇用の維持である。それを労使双方が認識した上で、正社員と非正規社員が一緒に仕事を分かち合うワークシェアリングを含め、さまざまな工夫を凝らしてほしい。>

 というのが最も言いたい部分だろう。ここでも御手洗氏のワークシェアリング論に逃げているが、日経が最後に注文していたように、ワークシェアリング論というのは、正規社員の給与を下げ、非正規社員の給与を増やせ、という論である。連合にゲタを預ける議論であり、民主党の支持組織をいじめる、という政治的効果はあるかもしれないが、実現可能性はほぼゼロだろう。企業単位の労組の集合体であるナショナル・センターの連合が各企業内労組にそんなマイナスを押し付けることはできっこない。

 産経新聞はどうしてこんな社説を掲載したのか? ただ単に自民党の麻生政権を応援し小沢氏の民主党に反対するためだったら寂しすぎる。

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2009年1月 6日 (火)

「覇権」生んだ「派遣」の法的弱さ+年越し派遣村引越し+舛添発言~日経1月5日朝刊、毎日6日[経済観測]、朝日6日まとめ記事

◆日経新聞のQ&Aでお勉強

 日経新聞1月5日朝刊[MONDAY NIKKEI 法務]の[リーガル3分間ゼミ]に<Q派遣契約を中途解除された…/A「登録型」の法的立場弱く>という記事が掲載されていた。派遣契約の仕組み図付きである。

 日経のお得意な[ポイント]がついており、①派遣契約は派遣会社と派遣先の企業との企業間の契約②残った期間の賃金について派遣元への請求権はある――とあった。これだけでは分からないだろうが、記事は案外丁寧で、分かりやすかったので、理解した部分だけまとめておこう。

 まず、非正規労働者には派遣労働者と期間労働者がある。

 期間労働者(期間工)は企業と直接「有期雇用契約」を結んでいるため、労働契約法に基づき、契約期間中の解雇は、やむを得ない理由がある場合でなければ解雇できない。解雇する場合も正規雇用と同様、労働基準法に基づき、少なくとも30日前までの予告が必要とされている。

 一方、派遣労働者は派遣元である派遣会社と「有期労働契約」を結んでいる。派遣会社は派遣先企業と結ぶ「労働者派遣契約」に基づき派遣する。だから、派遣労働者と派遣先企業とは実際には直接の雇用関係はない。

 契約打ち切りについて厚生労働省は「法律上は派遣会社と派遣先企業との民事契約の問題」という。厚労省は派遣先企業に対して①派遣会社への事前通知②派遣労働者の就業斡旋――を求めているが、小川英郎弁護士は「派遣会社にとって派遣先は顧客なので、派遣切りをされても抗議しにくい」と指摘している、という。

 派遣労働者は「常用型」と「登録型」に分かれる。

 「常用型」は派遣会社と継続的な雇用関係があり、派遣先企業から契約解除されても派遣会社との雇用関係は継続する。解雇についても期間工同様に保護されている。

 しかし、派遣労働者の大部分は「登録型」だ。この「登録型」は労働者が希望と合う業務があった場合に派遣先企業で働くため、派遣先が契約解除すると、雇用関係を打ち切る派遣会社もある、と書いている。小川弁護士は「法的な立場は極めて弱いが、残りの期間の賃金について派遣元への請求権はある」と指摘しているという。

 「登録型」であっても派遣元に実態がなく、派遣先が労働条件を決めている場合などについては小川弁護士は「派遣先と労働協約が成立していたとみなすべきケースもある」とするが、裁判で争って派遣先との雇用関係を認められるようなケースはまれだそうだ。

 「登録型」でも①同じ派遣会社で1年以上反復継続して雇用②所定労働時間が週20時間以上――の場合は雇用保険の対象となるので、失業給付の受給資格があるかどうか確認したほうがいい、というアドバイスで記事が終わっている。

◆毎日新聞[経済観測](三連星さん)の視点はしっかりしている

 毎日新聞1月6日朝刊[経済観測]は三連星さんが<派遣が生んだ覇権>でワープロで「ハケン」を変換したら「覇権」が出てきたが、今後は「派遣」が出てくるようになるだろう、という話から始めている。僕の場合、最初から「ハケン」は「派遣」だった気がするが、それはいつも「派遣」の言葉を打ち込んでいるからなのだろう。初期化されたATOKやMSの辞書では、「覇権」の使用頻度が「派遣」より多い、と想定していたのは当然だと思う。今が異常なのだから。コラムであり、少し斜めからものを見ているが、それだけに真実に迫れる部分もあるだろう。面白いフレーズを写しておく。

 <派遣とは何ぞや。正社員ではない。アルバイト、パートタイマー、ちょっと違う。集団で派遣されるのだ。>

 と大雑把に摑む。そして、

 <まず人材派遣会社なるものがある。常時、数百人、数千年の待機労働者を抱えている。企業から「500人ほしい」「700人は」と要望があれば必要人員を派遣する。現代版「口入れ稼業」と思えばよい。>

 そうだ。現代版の口入れ稼業である。

 <そんな頭数だけで工場が動くのかの疑問には、機械化、オートメ化の普及で全員が精鋭の熟練工である必要はない。数週間の研修でリッパに補助工員はつとまる。急膨張する業種ではほとんどと言っていいほど派遣の助けを借りている。>

 そういうことなのだろう。やはり産業技術の高度化が影響していた。大きく言えば「フォーディズム」の流れだろう。

 <企業にすればコスト、人件費引き下げの効果は大きい。仕事は一人前とは行かず八掛け、七掛けかもしれぬが、社宅、家族手当、健康保険、企業年金は節約できる。フリンジ・ベネフィットの厚さは日本企業の特徴だから半減近い。

 そういうことだ。会社人間という微温的な環境に安住しているのは給与の高さだけではない。この「フリンジ・ベネフィット」が大きい。社宅に住めば月3万円で10万円相当の立派な家に住める。差額の7万円を貯蓄しておけば、定年退職までにはマイホームを手に入れるのも夢ではない。家族手当も大きい。子どもの教育には是非とも必要な手当てだ。健康保険は本人が支払う保険料と同額を会社が支払い続けている。企業年金は退職金とは別費目での退職後給付。厚生年金満額支給までのつなぎとして安心材料であるが、企業にとっては大きな出費だ。こういう目に見えない利益を従業員は得ている。しかし、派遣社員はこれを受けられない。社員食堂から締め出されたケースもあるという。社員食堂は一般の店よりも安く提供しているが、その差額を会社が補助しているからだ。

 <そして社員のみの労働組合とは縁が無く、連合幹部の景気のよい掛け声も素通りだ。なにより、首切り宣告は誰だって苦手だが、派遣会社の電話一本ですむ。客観的に見て、こんなに経営者に都合よく労働者に不利な雇用システムはめずらしい

 「連合は問題だ」とナショナル・センター批判をしたいのだが、もう一度立ち止まって考えてみれば、そもそもの連合の成り立ちから言って、「持てる者」の集合体だったわけだから、彼らに期待してもだめだ、ということだと分かる。

 同盟も総評も政治と密着しながら自分たちの賃上げをはじめとする権利獲得闘争を繰り広げてきた歴史を持つ。

 そのナショナル・センター同士が一緒になったのが連合である。

 アルバイトやパートは相手にしてなかった。また、あの時代はそれで十分だった(かどうかは議論が分かれるとしても、社会的な弱者集団スポイルという印象は与えなかった)のに、労働者派遣法改正で製造業派遣が認められてから、非正規労働者が全労働者の3分の1を占めるようになって、その連合というナショナルセンターの「持てる者」の集合体という性格が露わになってしまった。09年度運動方針を見ても分かるように、社会的弱者である非正規雇用問題よりも自分たちの生活レベルアップのための賃上げが重要なのだ。

 電話一本で雇用調整ができるシステム。それは経営者に楽をさせているだけでなく、連合所属の組合員にも「何年連続労働分配率が下がっているのはけしからん。経済成長の果実をおれたちにもよこせ」という都合のいい要求に使われて、差別されている。

 労働分配率が落ちているのは非正規雇用を大幅に増やしたためで、基本的には正社員の給与は下がっていないのだ。非正規社員という透明人間が一生懸命働いた分け前を経営者と連合所属組合員が貪り食っているマンガが頭に浮かぶ。人間性のかけらも見えない。

 <便利なものは普及する。日本経済のバックボーンともいえる自動車もいち早く派遣の利用に乗り出した。天下のビッグスリーを窮地に追い込んだわが日本車の覇権は不況の寒風にさらされている派遣社員の汗と涙の産物である。ワープロの変換エラーもそこまで読み込んではいないか。>

 と、これが締めの言葉である。この斜めから見る視点、ジャーナリストには大切な視点なのだと改めて思う。

◆「年越し派遣村」の引越しと舛添「派遣法見直し」発言

 実は労働者派遣法の問題が1月5日、6日と新聞で取り上げられているのは年末年始を日比谷公園で過ごした失職派遣労働者の数のあまりの多さに多くの日本人が驚き、舛添厚労相が1月5日の閣議後の記者会見ですでに国会に提出している労働者派遣法改正案の修正に前向きな考えを明らかにしたことが大きい。

 この発言を朝日新聞は1月5日夕刊1面トップ<派遣法改正案/厚労相、修正前向き/製造業の規制視野>で大きく扱った。この日は年を越した派遣村が撤収され、最終的に残った約500人が4施設に分散される日だった。日比谷公園に設置された「年越し派遣村」だったが、「派遣切り」などで仕事と家を失った人が続々日比谷公園に集まり、パンク状態となり、2日には隣にある厚生労働省ビルの講堂に約250人が移動した。労働組合や市民団体などでつくる実行委員会の想定の倍近い約300人が集まり、用意したテントが足りなくなったものだ。村長の湯浅誠・NPO法人自立生活サポートセンターもやい事務局長は2日夜の緊急記者会見で行政の対応の遅さを批判した。

 そして、5日の引越しである。舛添厚労相がものを言ったのには伏線がある。5日は各省庁の仕事始めで、講堂を使用する日だったのだ。厚労省が晴れ着の職員らが大講堂に集い、華やかなムードで年の初めを祝う日に、その行事のために大講堂を追い出される非正規労働失業者たち、というコントラスト。これが、頭がいいだけでなく感受性の鋭い舛添氏の心に相当の負荷を与えたことは想像に難くない。講堂は2日夜、厚労省が実行委員会に開放し、約250人が3日間宿泊し、雇用危機を象徴する場所となっていたのだ。

 そこで、舛添厚労相は閣議後の記者会見で「個人的には製造業にまで派遣労働を適用するのはいかがかと思う。多くの人が賛同するなら、その方向で(労働者派遣法の見直しを)検討しないといけない。国際競争で勝ち抜くために、派遣労働にしわ寄せがいくのは、豊かな社会とは言えない」と語った(毎日新聞夕刊より)のだ。同じ頃になるのだろうか、失業者たちはチャーターされたバスに乗り、中央区の閉校になった小学校2カ所や練馬区にある都の体育館、大田区にある都の労働者向け一時宿泊施設の4カ所の仮の宿に移ったという。

◆朝日新聞1月6日朝刊のまとめ記事も分かりやすかった

 しかし、舛添氏の発言はやはり、と言うべきか思い付きに過ぎず、内閣の総意にはならなかった。官房長官も記者会見で即座に舛添案を否定した。

 この経緯と底流は朝日新聞1月6日朝刊政策面<派遣法改正に是非論/製造業の規制急浮上/経済界は否定的 弾力性を重視>と関連記事<04年解禁後急速に増加/数カ月契約の「登録型」多数>に詳しかった。

 記事には経済界の本音がどんどん出てくる。匿名のコメントも多かったが、発言した企業幹部は人非人のようなことを言ってテロに襲われるとでも思って名前を出さなかったのだろうか。

 ある大手電機メーカー役員が製造業派遣が禁止された場合の影響について「雇用調整を弾力的にできなくなれば、日本メーカーは中国や台湾のメーカーにますます生産を委託するようになる。景気が回復しても国内に雇用は戻らないだろう」と話している。

 別の大手電機メーカーは「正社員を増やす方向で議論が進めば人件費の増加につながる」と心配しているそうだ。

 桜井正光・経済同友会代表幹事は派遣会社や請負会社などの製造現場での活用について「経営に柔軟性を与え、長い目で見て成長につながる。(規制強化を含む雇用形態の抜本的な見直しは)やるべきではない」。

 岡村正・日本商工会議所会頭は「企業は(労働)需給調整が可能となり、働く側には働き方の多様化というメリットがある」。

 御手洗冨士夫・日本経団連会長は朝日新聞のインタビューで「ここまで急激に(景気が)深い淵に落とし込まれるとは予測しておらず、一歩遅れた」として請負会社の支援を検討する意向を示した、とある。

 経団連で今春闘での経営側指針をまとめた大橋洋治・日本経団連副会長は5日の連合の新年交歓会で「雇用の維持拡大に労使間で真摯な協議を行うのが重要だ」と歩み寄りの姿勢を示した、とあった。

 以上が経済界の本音と建前である。本音も建前も「単純労働の派遣業除外などとんでもない」という点では一致している。

 本音はそうしないと中国、韓国、台湾に負けるから、安く使える人員が必要だ、ということ。本音を国民の前でベラベラしゃべるのはオリックスの宮内義彦氏とザアールの女社長に任せているようでもある。

 「悪者になってほしい。その代わり、商売のほうはきちんと面倒を見るから」とでも言われているのかどうか知らないが、経団連のお偉方はもう少し冷静な言葉で、だけど、厳しいことを言っているのだ。

 データ集のような別稿も勉強になった。

 <1985年に成立した労働者派遣法では当初、秘書や通訳などの専門業務に限って派遣を認めた。工場での作業が危険なため、派遣が認められなかった製造業も04年には解禁され、大手製造業の工場で派遣が急速に増加した。>

 <小泉政権の規制緩和の流れの中、政府は失業率の改善策として柔軟な雇用形態を求める経済界の要望を受け入れるかたちで解禁した。>

 <2007年度の製造業への派遣労働者は46万人で、前年度の約2倍に増えている。製造現場で働く人の多くは、派遣会社に登録し、数カ月程度の細切れ契約で働く「登録型派遣」が多い。いつ仕事を失うか分からない不安定雇用だとして、労働組合などが規制を求め続けてきた。共産、社民、国民新の野党各党も登録型の原則禁止を主張している。しかし、政府が昨秋の臨時国会に提出した派遣法改正案では、登録型は「労使双方にニーズがある」と規制を見送り、日雇い派遣の禁止にとどめた。民主党も根本的な規制には踏み込まず、「2カ月以内の派遣禁止」にとどめた法改正案を準備していた。>

 というのが今までの流れだ。

 <だが、景気の後退に伴って自動車など製造業で「派遣切り」が急速に進行。厚労省のまとめでは、昨年10月から今年3月までに職を失う非正規社員8万5000人のうち製造業が96%を占めた。>

 そして、

 <「派遣切り」などで仕事と住まいを失った人たちに、年末年始の寝場所と食事を提供する東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に約500人が集まり、世論の批判が急速に強まったことも、政治家の発言を後押しした。>

 <だが、製造業派遣を禁止すれば、メーカーは直接雇用や請負で対応せざるをえない。管理面で派遣より負担が大きくなるため、与党だけではなく、民主党内にも「規制を強めると雇用が減る可能性がある」と根強い慎重論がある。>

 <請負は派遣以上に法規制が不十分だとして、「働く側にもプラスにならない」と懸念する声もある。一方、もやいの湯浅誠事務局長は「職を失って苦しんでいる人は派遣だけではない」と請負や有期雇用を含む働き方全体を見直すべきだと指摘している。>

 と、以上なのだが、<労働者派遣法の規制緩和の動き>年表も勉強になる。

1985年 労働者派遣法制定

1986年 13業務を対象に派遣法施行

1996年 派遣対象を26業務に広げる

1999年 対象業務を原則自由化

2000年 正社員への道がある紹介予定派遣開始

2004年 上限1年で製造業派遣を解禁、制限期間を過ぎたとき派遣先企業に直接雇用の申し込み義務。

2007年 製造業派遣の制限期間を1年から3年に拡大

 である。

 「紹介予定派遣」などという分からない言葉も出てきた。

 この記事は相当に詳しくて参考になったのだが、視点が経済人と同じ目線になってしまっているのが気になる。若い記者は取材すれば取材対象に感情移入するからある程度はやむを得ないのだが、もう少し客観的に書いてほしかった。

 また、民主党の立場が微妙のようだが、こういう問題こそ小沢代表が乗り出してきて「製造業はダメだ」と一言言えばいいのではないか。先ほどから書いているように、日本経団連と連合は同じ鏡の裏表の関係にあるに過ぎない。その連合の代表者たちは自分たちの利益のパイを減らさないように、と経団連と同じことを言うのだろう。ここは剛腕、小沢代表の決断に待つしかない。決断してください、小沢さん。

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2008年12月27日 (土)

宮内義彦氏の言い分が分かった=全く反省なし~産経新聞12月26、27日[わが道わが友]より

 宮内義彦・オリックス会長が産経新聞経済面に[わが道わが友]のタイトルで連載寄稿していたのを26日、初めて知った。あの労働規制緩和の張本人、労働者派遣法の製造業への拡大という改正作業に大きく寄与した人物である。非正規雇用者の失業が相次いでいる時、どんな反省の弁を述べているか興味があったので読んでみると、全く期待外れで、「自分のやってきたことは正しい」の一点張りだったので驚いた。

 12月26日付は<規制改革に邁進も、道半ばの感>の見出し。「えっ」という感じだったが読んでみる。すると、次のような文章が目に飛び込んできた。

 <最近は規制改革に一段と逆風が吹いている。規制改革によって格差が生まれたなどという不思議な議論が繰り広げられている。規制改革は自由競争によって市場を広げ、生産力を上げるものであり、格差とは関係ない。格差というのは配分の問題であり、税制などを通じ、その社会にふさわしい制度作りをすべき政治の仕事のはずだ。>

 というのである。よくぞ言うも言ったり、である。

 僕も規制緩和にすべて反対、と言っているのではない。昔、後藤田正晴氏が中曽根内閣の総務庁長官だった頃、後藤田氏に「規制緩和って何なんですか?」と素朴な質問をしたことがあったのを思い出す。その時、後藤田氏は一呼吸置いて「強いものが勝つ、ということじゃろう」と答えた。当時は大店法などが話題となり「規制緩和」という言葉が出始めた頃で、後藤田氏の言っている意味がよく分からなかった。しかし、彼はきっと今の事態を見据えていたのではなかろうか。その後、規制緩和について何人かから話を聞いたことがあるが、そこで分かったことは、規制というのは官庁の縄張り争いに使われるし、役人が仕事をするふりをする材料として温存している面もあるが、大きく言えば弱者保護の規定だ、ということだった。

 それこそ、市場にすべてを任せれば、弱者は食い殺されるので、食い殺されないように国家が規制をかける、というのが規制本来のあり方だ、というのだった。そして、撤廃していい規制とは役割が終わって有名無実になっている規制であり、緩和していい規制はまだ議論はあるものの、成長産業を育て、ある程度の優勝劣敗をやむを得ないと社会が考える分野であることも知った。

 重要なのは社会的規制はかえって強化すべきだ、という意見を持っている官僚、自民党議員が多かったことだ。社会的規制の代表が労働規制である。労働基準法などの労働三法で保障されている人間の権利を具体化するのが法律と各省庁や地方自治体の政令、省令、条例だが、中曽根政権の1985年、すでに臨調路線で「国際化」「情報化」「高齢化」が日本の21世紀の3大問題だ、と打ち出していた。

 それに備えるために「増税なき財政再建」がキャッチフレーズとなり、中曽根内閣以降の内閣が無駄の排除、必要ない帰省の緩和に取り組んできた。規制緩和の出だしは行政改革だった。それが、いつの間にか「官から民へ」のキャッチフレーズとなり、人材派遣法ができて社会的規制の本丸である労働規制の緩和に風穴を開けた。

 しかし、当時はまだおとなしいもので、技能労働者に限っての緩和、人材派遣業を認めただけだった。単純労働者の人材派遣といえば、今では当たり前のようになっているが、当時はまだ、タコ部屋や炭鉱労働者の悲惨さが社会の記憶として残っており、「そんなことは認められない」という社会的コンセンサスがあった、と思う。

 すべてが変わったのはバブル崩壊だった。バブル崩壊のショックから立ち直れなかった日本の企業は原材料を安く仕入れ、賃金をカットしようとしたが、労組が強くなっていたため「賃下げ」がなかなかできない。このため、企業は工場を海外に移転させ、低賃金労働者を使って生産を始めた。

 円高局面になると、工場の海外移転は加速され、「このままでは日本は空洞化する」という恐れが出てきた。経団連や日経連は単純労働者の派遣解禁を求めた。そして、政府の審議会という隠れ蓑を使いながら、小泉政権はタブーだった単純労働の派遣解禁をしてしまった。この時に宮内義彦氏が審議会を仕切るなどして活躍したのだ。

 宮内氏の主張のどの点が間違えているか、指摘しよう。

 まずは「規制改革によって格差が生まれたなどという不思議な議論」という間違いである。宮内氏は「規制緩和」という言葉を巧みに避けて「規制改革」という中立的な言葉を使っているが、実は規制改革は規制強化もあれば規制緩和もあるのだが、宮内氏の主張は規制緩和・規制撤廃一色である。わざわざ「規制改革」という言葉を使うこと自体、自分たちのしようとしていることを誤魔化していると言われても仕方ないだろう。

 それはさて置き、派遣労働法を単純労働まで広げて派遣業の対象にしたことで、若年派遣労働者が大量に生まれたことは説明の要はないだろう。つまり、派遣法が単純製造業への派遣をそれまでのように禁止していれば、企業は海外に移転したかもしれないが、もしかすると何らかの工夫をして海外ではなく国内で正社員を食べさせる方策を考えたかもしれない。派遣法改正はそうした企業がくぐるべき道をバイパスして派遣社員を安く使うという安易な道に走らせた罪がある。派遣労働者は今、全労働者の3分の1を占めている。異常な状況が現出しているのだ。

 宮内氏は企業というものを何か本質で勘違いしているのではなかろうか。企業というのは人間がつくっているのだ。株式会社だから誰かが株を買わなければならないし、買ってもらうためには配当も出さなければならないだろう。しかし、企業は社員あっての企業である。アメリカの会社とは違うのだ。社員を大切にする伝統は日本企業の美点だった。

 松下幸之助氏が不況でも社員の首を切らなかったという話が美談として今でも語り継がれているのは、そうした企業人が尊敬されているからだ。

 社員の中で格差が生じるのはやむを得ないだろう。誰でもが取締役や社長になれるわけではないから、出世競争に脱落したり、というケースはどこでもありうる。ただ、それは同じ「社員」という枠内の話である。派遣労働者をロボットのようにこき使い、不況になれば「どうせ経済の景気調整弁だから」と否応なく「雇い止め」するような非人道的な経営は日本の伝統ではなかった。3分の1の非正規社員の給与が低いので、労働分配率が下がる。実は正社員の手取り給与はそうは減っていないのに、労働分配率が下がっているのは、そういう仕掛けなのだ。

 これを格差といわずして何というのか。

 「規制改革は自由競争によって市場を広げ、生産力を上げるものであり、格差とは関係ない」とは言えないのである。

 おかしかったのは「格差とは配分の問題であり、税制などを通じ、その社会にふさわしい制度作りをすべき政治の仕事のはずだ」という主張だ。派遣労働法の改悪が政治のやった最大の悪事だったことは明白なのではないか。規制緩和というのが経済人の仕事だと思っていたとしたら大いなる勘違いだ。重要な政治のイシューである。

 ここでも、使い慣れた「分配」という言葉を使わず、「配分」という何か学校給食の話であるかのような矮小化が見えるが、言葉の問題はさて置き、宮内氏は国家の役割を勘違いしている。国家は必要な規制をおこなう義務がある。荒れ狂う市場に任せておけないから、規制をするのである。市場は弱肉強食の世界である。例えば、農地も宅地もない、すべての土地の用途指定という規制を撤廃したらどうなるか。農地は消えるだろう。道路で時速何キロで走ってもいい、となれば交通事故死が急速に増えるだろう。農薬をどんどん使っていい、となれば有害農薬が食品に入るだろう。ニセ薬もOKとなれば、利く薬も効かない薬も出回って、どうなるのだろうか。医者も医師国家試験などナンセンスだ、となれば、どんな悪徳医師が出てくるか。

 これらは「社会的規制」と言われているものだ。労働法規もこれに準じる社会的規制である。経済的規制は大きな影響さえなければ緩和していいと思う。経済活動だからだ。でも、労働は人間そのものを対象とする。同じレベルで考えていいものではない。

 宮内氏は27日付第5回(最終回)<新しい価値生み出すのが使命>で今後の日本は輸出立国としては生きていけないのではないか、という。そして、内需を振興すべきだという。それには

 <日本のGDPの70%を占める第3次産業の生産性を上げるべきだという。これには私も全面的に賛成である。小売業やサービス業などの日本の第3次産業の生産性はアメリカの50%程度と極めて低い。この生産性を上げることで、国内市場を拡大できる。>

 というのだ。これはその通りだと思う。そして、そのためには

 <やはり規制改革、構造改革を進めて、新しい産業をつくり出していくことだ。日本には規制があるがために生まれていない産業がまだまだたくさんある。そうした規制を撤廃し、次々と新しいサービス産業が生まれるようにすることだ。>

 という。正しい、と思う。ただ、気をつけなければならないのは規制と一口に言っても緩和してはいけない社会的規制があることをいつも肝に銘じておくことだ。それがなく、すべての規制を緩和しようとすれば、弱者だけがいじめられる社会がくる。今もそうなのだが、今以上にひどい社会になってしまうことは目に見えている。

 ただ、聞き捨てならない話もしている。

 <1500兆円にのぼる個人金融資産も円高でドル換算の価値が上昇している。この個人金融資産を対外投資に振り向けていけば、輸出で稼げなくなった分を稼げるようになると思う。>

 という部分である。貿易収支が赤字、資本収支が黒字といういわゆる成熟した資本主義国家の道を歩めというのだろうが、これはそんなに簡単ではないし、リスクが大きい。米国発の金融危機を見たばかりではないか。グローバル化した金融の知識を国民に与えることからはじめないと、1500兆円などあっというまに紙くずになってしまう。

 以上、宮内氏へのエールだが、なるほど、宮内氏らのグループは経済的規制と社会的規制を混同しているので、日本人としての最低限の常識を欠いてしまったのか、と分かった次第だ。

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2008年12月12日 (金)

厚労省幹部が「がん腎移植」の臨床研究認める~12月12日東京新聞から

 東京新聞12月12日朝刊[ニュースの追跡]<がん腎移植も臨床認める/「一歩前進」「まだ不安」/患者「法の運用指針に明記を」>が面白かった。

 病気腎移植をめぐり厚生労働省が12月11日、がんを切除(修復)した腎臓を含め、臨床研究を認める見解を示した、というニュースのインサイド・リポートである。つまり、万波医師の手術が日本の学会では異端扱いされ、排除されていたのだが、本家本元の米国の学会で鳴り物入りで誉めそやされた結果、いつも米国の顔色ばかり見ている厚生労働省が「これはヤバイことになった」と方針転換し始めた、という記事である。

 いかにも日本の木っ端役人らしい転身ぶりもおかしいが、もしも米国で認められなかったら万波医師の技術は埋もれてしまっていただろう。これを問題視し、ここまで漕ぎ着けた患者団体と、それに突き上げられて動いた超党派議員連盟「修復腎移植を考える超党派の会」の面々の努力がようやく少しだけ実った、ということだろう。

 万波氏の病気腎移植が問題になって2年余り、長らくストップしていた移植が研究という形ながら再開される可能性が出てきた、と書いてあった。リポートした片山夏子記者は前文を、

 <患者には「一歩前進」「まだ安心できない」との思いが交錯。今後、道はどこまで開けるのか。>

 と結んでいたが、ひどい話である。

 12月11日、東京・永田町の参院議員会館で議連の会合が開かれた。議連が病気腎移植を容認する見解をまとめて7カ月。再三、厚労省に今後についての見解を求めてきたが、なかなか明確な回答がなかった、という。

 会の冒頭、幹事長の衛藤晟一参議院議員(自民)が「患者が亡くなっている中で、半年以上、中途半端なまま。この間、説明したことが皆違う。どうなっているのか。きちんと書面にしてほしい」と詰め寄り、厚労省の担当審議官は「当初、われわれの説明が不十分な点があって混乱を招いた。われわれとしてはがんの修復腎も臨床研究の対象となるという見解」と明確に答えた、という。

 関連学会はがんを含めた病気腎移植について否定的な見解だ。議員らは厚労省が議連に示した一覧表に文句を付けた。担当課長は「この問題が起きた2年前の時点に比べ、今の医学界の常識は変わってきたように思う。2年前は医学的には認められなかったが、日本以外の国でも病気腎移植をしているし、がんは転移するのではないかということも言われていたが、新しい知見も出てきた」と発言したという。議連は厚労省が昨年7月に出した臓器移植法の運用指針を再改正するように求めた。また、臨床研究として移植を受ける際の保険適用を認めるかどうかについても回答を求め、年内にもう一度会合を開くことにした、という。

 病気腎移植を求める患者たちは12月10日、日本移植学会幹部を提訴したが、国については議連での回答を待つことにしている、という。原告の向田陽二さん(50)は「臨床研究でも認めたことは一歩前進。でもまだ安心できない」とコメント。原告団長の野村正良さん(59)は「今一つはっきりしない。運用指針をどう解釈するか説明していたが、文章化されたわけでもない。国を提訴する方針は今も変わっていない。次の会合での厚労省の対応を見て決めたい」と話している、とあった。

 そうかぁ。事態はここまで進んできたか。厚労省は自分たちの不明をわびて、一日も早く保険適用の治療を「臨床研究」ではなく、「治療」として認めるべきだ。

 この問題は以前、書評で詳しく書いたことがあったが、ようやく動き出したことは評価できるものの、何しろ遅い。それに、動き方が米国にらみで嫌らしい。日本の官僚も落ちたものだ、と思う。

 

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2008年12月 2日 (火)

森信茂樹教授の納税者番号導入提言と公務員の責任問題

 森信茂樹中央大学教授(58)が日経新聞12月2日[経済教室]で<求められる給付付き税額控除導入/「納税者番号」を前提に/社会保障と税一体で/勤労意欲と再配分を両立>のタイトルで今回の麻生政権の2兆円バラマキを批判、必要な世帯に行き渡るような政策を実行すべきだった、として、欧米で活用が進んでいる給付付き税額控除制度を導入するよう提言している。

 たしかに少子高齢化で国家資源が急減する中、貧困層など支援が必要な層に手厚く資源配分するには、今の縦割り行政を大胆に見直して内閣府などが社会保障も税も担当する必要があるのだろう。

 ただ、その時、森信氏も言うように納税者番号がないと効率的な行政はできない。というか、はっきり言って官庁は何もできなくなり、お手上げ状態になるだろう。所得の捕捉ができなければ減税もできず、給付の根拠も薄弱になるからだ。

 そこで古くて新しい「国民総背番号制」の問題が出てくる。

 「国家公務員は国家そのもの」(佐々木毅学習院大学教授)という矜持を持って行政運営に当たっている多くの公務員がいることは十分承知しているのだが、中には信用できない公務員もいるのは事実だ。そのうえ、社会保険事務所ぐるみの不正などが明らかになれば、公務員の信用はさらに地に落ちる。

 今のままの公務員に私たちのプライバシーを預けていいものか? と不安の念が生じるのはやむを得ないだろう。

 随分前の新聞だったが、住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)を合憲とした最高裁判決に関する各紙社説を比較した毎日新聞3月9日の社説ウオッチング<住基ネット判決 便利さと怖さの緊張感>が参考になる、と思う。

 「時代の要請にかなった」(産経)判決で「住基ネットを行政の効率化のためにもっと活用」(日経)し、政府・与党が導入を検討中の社会保障番号と「統合作業も進め」(産経)「議論を深め」(読売)「連携させ精度を高めることが新しい社会保障カードにも必要」(日経)というのが一般的な世論になりつつある、と書いている。

 住基ネットは自治体が管理する住民票情報をコンピューターで結ぶものだ。

 社説ウオッチングの内容をダイジェストする。.

 小渕恵三政権当時の1999年8月に住基ネット導入の改正住民基本台帳法が成立したが、日本弁護士連合会(日弁連)は参考人質疑で「住基ネットが定着すると住民票コードは各省庁や市町村が別々に保有する膨大な情報を集積する個人識別番号となり、国民総背番号制につながるおそれがある」と反対した。小渕首相は「個人情報保護法制の整備が住基ネット稼働の前提条件」と約束し、やっと改正法を成立させた。

 森喜朗政権は2001年3月、個人情報保護法案を閣議決定。政府・行政が持つ個人情報の使用統制から始まったはずの議論が民間の個人情報取扱事業者規制にすり替わり、報道の自由を脅かす内容となったため、猛反発を呼んだ。2001年4月就任の小泉純一郎首相は02年末に法案を廃案にした。しかし、01年9月の米同時テロと03年3月のイラク戦争開戦を受け、5月にはメディア規制部分を削除した新しい個人情報保護法が成立。6月には武力攻撃事態法など有事関連法も成立した。

 02年8月の住基ネット第1次稼働時に東京都杉並区、福島県矢祭町などが「住民のプライバシーが守れない」と不参加表明。個人情報保護法制の未整備が主な理由だったが、03年8月に住基ネットが本格稼働し、05年の個人情報保護法全面施行で政府は「住基ネットに反対する理由はなくなった」と主張した。

 しかし、大阪高裁は06年11月「防衛庁がかつて約800の自治体から自衛官にふさわしい人についての情報をもらっていたこと」(朝日)などを指摘、名寄せによる危険性にも着目、住基ネットに違憲判決を出した。

 一方、最高裁判決は①住基ネットの扱う情報は氏名、住所などで、個人の内面にかかわる秘匿性の高い情報ではない②住基ネットの仕組みに外部不正アクセスで情報が容易に漏えいする具体的危険はない③公務員による情報の目的外利用は懲戒処分や刑罰で禁止されている――として「プライバシー侵害の危険なし」と判断した。高裁判決前後も相次いだ住民票コードのネット大量流出や、他人になりすまして住基カードを不正取得し携帯電話の契約や銀行口座を開設するなどの不正行為は考慮されなかった。

 反対論の底にあるのは「自衛隊や刑務所、学校などでの情報流出があった。社会保険庁職員による年金記録ののぞき見もあった。公務員が不正利用をしないという保証はどこにもない」(東京)という公務員不信だ。だから「公務員に対しても個人情報保護について規定を強化」(毎日)することを求めている。

 そして、筆者は「情報化社会は便利だが、デジタルデータ化された個人情報は関門がなければバキュームのように国家に吸い上げられる。あれだけ個人情報を大切にする米国でも9.11後、国家が個人情報をやみくもに収集し、貧困層青年をイラクに送り込む資料にしたといわれる。便利に流されるのか、時にはやせ我慢をするのか、個人に覚悟を迫る時代である」と記事を結んでいた。

 3月の最高裁判決以降、年金記録問題が大きく燃え盛り、官僚不信が広がったが、逆にすべての情報をネットで結ぶ必要性も認識されてきたようにも見える。

 森信氏の言うことは正しいのだろう。

 ただ、今の公務員法のまま国民総背番号制を導入されてはたまらない、という国民の気分にも配慮してほしい、と思う。

 公務員は個人の責任を問われないのが一般的だ。公益に奉仕し、なおかつ上命下達の組織の中で動いているから、個人判断が問われることはない、という理屈らしい。

 しかし、一般企業がここ数年、コンプライアンスを重視し、社内統制も格段とレベルアップしているトレンドを知れば、公務員だけなぜそういう流れと無縁なのか、疑問が生じるだろう。

 公務員は個人責任を問われるべきだ。「天皇の官僚」だった明治憲法下の官僚制が敗戦後も生き残ったとしても、それを今こそ変革すべきではないか。

 その大変革は内閣の二つや三つが吹っ飛ぶ改革になるだろうから、大連立政権でも何でも強力な政治的リーダーシップを持った政権でなければ実行不可能だろう。

 その改革ができて初めて国民は総背番号制を受け入れると思うのだ。

 森信氏は朝日・日経・読売3紙が共同運営するネットの「あらたにす」で12月1日、「注目点満載の予算編成」という論文を掲載していた。

 人物紹介には、1950年広島県生まれ。73年京都大学法学部卒業後、大蔵省入省。英国駐在大蔵省参事(国際金融情報センターロンドン所長)、主税局調査課長、税制第二課長、主税局総務課長などを経て、99年大阪大学法学研究科教授。2003年東京税関長、05年財務総合政策研究所長、06年中央大学法科大学院教授、07年ジャパン・タックス・インスティテュート(japantax.jp)所長、東京財団上席研究員。この間、東京大学法学部客員教授、コロンビア・ロースクール客員研究員を歴任した。主な著書に『抜本的税制改革と消費税』(大蔵財務協会)、『日本が生まれ変わる税制改革』(中公新書ラクレ)、『わが国所得税課税ベースの研究』(日本租税研究協会)、『日本の税制』など、とあった。

 大蔵官僚出身だが、広い視野で国民負担問題を考えている人のようだ。

 ここでは、麻生首相の「地方へ1兆円」発言の迷走ぶりを批判している。

 <そもそも来年度から道路特定財源制度はなくなるのだから、「そこから1兆円」というような思考方法自体がおかしい、ということに気が付いていない。一般財源化するということは、揮発油税収が消費税や所得税と同じく一般会計に入り歳入予算となり、別途全体のバランスを考えながら歳出使途を決めることになるわけだが、揮発油税収から1兆円を地方へ、という発想は、いまだ目的税・特定財源制度を前提とした発想だ。>

 というのはその通りだ。面白かったのは、

 <気になるのは、マスコミは地方(というか地方分権)に甘いことだ。今回の「地方の一般財源として1兆円交付する」ことが、なんとなく肯定的にとらえられているが、談合、裏金、汚職、機能しない地方議会等々地方の問題は国の比ではない。分権し地方自治体に任せたら、それだけでうまくいくというのは幻想だ。任せていくしかない(地方分権)のであれば、規律や監視を厳しくする制度を併せ導入していくべきだろう。>

 というくだりだ。厳しいマスメディア批判であるが、その通りだろう。メディア関係者はもう少し勉強しなければならない。

 消費税問題に触れて、少しだけ社会保障と税の問題に触れているが、スタンスがぶれないのはいい。ただ、森信氏のようなプロフェショナルにも公務員の責任問題が大きな国民的反発の原因になっていること、何らかの対策を取らなければ、いずれ変な場面で爆発しかねないことを認識していただきたいものだ。

(12月14日追記)森信先生、コメントいただきありがとうございました。なかなか難しいでしょうが、年金問題にしても医療問題にしても、会社から追い出された若い非正規労働者たちが泊まるあてもなく街にあふれる年末年始を想像すると、「今を逃すと改革の機会が遠のく」などというような、いつもの言葉では足りない切迫したものを感じます。子々孫々、日本人として誇りを持って生きられる希望あふれる社会システムの制度設計をよろしくお願いします。頑張ってください。

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2008年11月29日 (土)

書評「現代の貧困~ワーキングプア/ホームレス/生活保護」岩田正美著(ちくま新書)

 「現代の貧困~ワーキングプア/ホームレス/生活保護」岩田正美著(ちくま新書)は2007年5月10日第1刷発行。定価700円+税=735円。

現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書) 現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)

著者:岩田 正美
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 岩田氏は1947年生まれ中央大学大学院修了の社会福祉学博士。日本女子大教授。代表作は社会政策学会学術賞と福武直賞をダブル受賞した「戦後社会福祉の展開と大都市最底辺」(ミネルヴァ書房)。多くの著作あり。

 昨年7月8日日経新聞に掲載された駒村康平慶応大学教授の書評を見て、本は買っておいたのだが、読まずにいた。ようやく読み終わった。

 岩田氏の貧困論には相当啓発された。

 ワーキングプアという横文字が流行り、格差社会という無機質な言葉が流行する世の中だが、実は本当の「貧困」が現実として存在し、それを覆い隠そうとする無意識の操作が政治、行政、マスメディアぐるみで行われているので、その貧困が見えなくなっている、という指摘である。

 <格差論だけからは、積極的な解決策も、あるべき社会論も出てきにくい。>(P29)

 特に「なるほど」と思ったのは、貧困が騒がれだしても以前と比べてどれほどひどくなったか、のデータがないこと。つまり、かつては生活保護と同等の水準にある世帯の推計(低消費水準世帯推計)を国が行っていたが、1965年でストップし、その後は「貧困」の統計がないということだ。

 日本ではかなり長い間、生活保護受給者と人口の比率、つまり保護率が貧困の大きさを示す指標となっているが、生活保護の捕捉率の問題がある。

 貧困世帯が皆保護を受けているわけではないから。信頼できる国の統計がないが、生活保護基準を使った駒村康平氏と星野信也氏、OECD相対貧困基準(50%水準)を利用した西崎文平氏と岩田氏の推計の貧困者割合(いずれも家計簿方式で収支を把握する全国消費実態調査データを利用し、信頼度は高い)は約8%前後で一致している、という。

 この8%に国勢調査の一般世帯数を掛け合わせると2005年では390万世帯が貧困ということになる、という。

 生活保護の捕捉率は貧困世帯の約2割だ、とも書いてあった。OECDによる加盟国の貧困率の報告では日本の貧困率がの増加が強調されている。2000年の相対所得貧困世帯の割合の高いほうから5カ国示すと、①メキシコ20.3%②米国17.1%③トルコ15.9%④アイルランド15.4%⑤日本15.3%。OECD平均は10.4%だそうだ。それらの世帯の所得額と貧困ラインの所得との差(貧困ギャップ)では日本はメキシコ、米国に次いで3位。これは貧困の深さ、極貧度という側面から貧困の程度を測ったものだ。

 星野氏らの調査で日本の貧困の特徴は年齢の若い層と高齢者で数が多く、U字型を描くように貧困が分布している。単身世帯の貧困率が極めて高い。94年は単身世帯の4分の1強が貧困。就業しながら貧困なワーキングプアが単身女性で15%、女性世帯主世帯(多くはシングルマザー)で18%。

 先にデータの紹介をしてしまったが、岩田氏は格差と貧困を区別しない議論に警告を与える。

 貧困は「あってはならない」という価値観を伴った概念。格差は今あるもので、格差許容から許すまじまで、見方はいろいろだ、と。

 欧州では豊かな社会が実現した、といわれた80年代から「貧困」の再発見の努力が続き、それが政策に反映したが、日本では「総中流」時代に「貧困」はなくなった、と錯覚され、そのままアジェンダにのぼらなくなった、と。

 20世紀に入ろうとする頃にチャールズ・ブースがロンドンで行った貧困調査でロンドンの30.7%が貧困と判明。ヨーク市のチョコレート会社の御曹司シーボーム・ラウントリーが行った調査で27.84%が貧困と判明。ラウントリーは36年後に同様の調査を行い、31.1%。

 ラウントリーは「特別な熟練を持たない労働者の場合、失業しなくとも人生で3回貧困に陥る危険がある」と貧困と労働者家族のライフサイクルに関する有名なモデルに行き着いた。①自分が子供だった時代②結婚して子供を育てている時代③子供が独立し自分がリタイアした高齢期の3ステージだ。このモデルは年金や児童手当などの社会保障の基礎となった。また、生命保険会社が勧める生活設計などにも使われている。

 つまり、20世紀の貧困は19世紀にチャールズ・ディケンズによって描かれた大都市の貧民社会の貧困と違って工業社会のワーキングプアの問題であることが広く認識された。

 この認識から労働者にとっての貧困の予防策の体系化、年金や児童手当などを含む福祉国家の構想が生まれた。欧米では福祉国家が生まれた後もワーキングプアを含めた貧困を再発見する動きがあり、それが政治の焦点となって新しい福祉政策への転換が図られていった。米国ジョンソン大統領時代(1963~69年)の「貧困との戦争」宣言。同時期、英国でも貧困研究家ピーター・タウンゼントらが「貧困の再発見」といわれる調査結果を発表した。

 1980年代の欧米では「新しい貧困」の再発見に注目が集まった。

 80年代以降明確になったポスト工業社会とグローバリゼーションという新しい社会経済体制への移行の過程で非正規雇用が急増し、下請けなどアウトソーシングが拡大する過程で学校を出たばかり、またはそこから落ちこぼれた若年単身者の貧困、ファストフードや家事サービス、警備、娯楽サービスなどの新しいサービス産業に不安定な待遇で従事する女性、母子家庭、移民層の貧困層が発生した。

 新しい産業社会では金融や情報サービス産業で専門知識を武器に働く人々と「マクドナルド・プロレタリアート」と形容される安い賃金と不安定な雇用で働くサービス労働者に二極分化しつつある、という。

 欧州ではこの二極分化を「AチームとBチーム」「一流国民と二流国民」などと呼んでいるという。人々の目にはこれらの人々がまるで19世紀までのスラムの再現、「もう一つの社会」の出現のように映ったので、欧州ではこの新しい貧困を「社会的排除」、米国では「アンダークラス」と呼んでいるそうだ。

 これは従来の福祉国家の限界を示すものだ、としてポスト福祉国家の新たな理念の模索が始まった。特に、社会から排除された人々を再び社会に引き入れる「社会的包摂」という理念や、従来の所得補償中心の福祉から若年失業者を再び労働市場に参入させようとするワークフェア(労働機会の提供による福祉の実現)への転換の強調などが中心で、いずれもこの新しい貧困の克服が課題だ、としている。

 日本では欧米に10年遅れて格差社会に遭遇した。「マクドナルド・プロレタリアート」は日本のフリーターの姿だ。

 日本では貧困を忘れてしまった。岩田氏は、

 <貧困の再発見をしつこくやったか、きれいさっぱり忘れたかは、社会全体の豊かさとは実は関係ない。しつこくやったか、忘れたかの違いは豊かさの中に潜む貧困を再発見しようとする『目』や『声』が社会にあったかどうかにかかっているのではないか。>

 と書いている。また、自民党長期政権にマヒしている日本と違って、他の国では貧困の再発見が現政府の失敗をあげつらって政権交代に持ち込もうとする勢力が強いからだもいえる、としている。

 どこからが貧困なのか、が難しい。岩田氏は、

 <貧困の歴史は、この境界設定についての議論の歴史>

 という(P35)。

 タウンゼントの「社会的剥奪」、ラウントリーの生存費用をもととした絶対的貧困、タウンゼントの生活様式からの剥奪指標である相対的貧困の違い(P43)。

 ブラッドショーの貧困ラインの併用の提案(P46)

 日本は生活保護基準が貧困の境界として利用されている(P48)。1960年誕生の池田内閣が最低生活費水準のアップ受け入れ。1961年導入の新方式はエンゲル方式。朝日訴訟がきっかけとなって格差縮小方式に転換。現在は水準均衡方式。貧困ラインを大体一般の消費水準の6割前後に設定している。(P58)

 貧困のダイナミック分析(パネル調査)が欠かせないのに、日本は国が取り組まないので遅れている(P76)。

 日本のホームレスは現在、50代が中心だが、このままでは若年層のフリーターのホームレス化の危険性あり。(P152)

 第7章「どうしたらよいか」はじっくり読むべき部分だ。特に貧困対策は個人への優遇ではなく、社会的統合機能や連帯の回復機能という社会全体に役立つ政策だ、という提言は重いと思う。憲法14条とか15条を持ってきて、人権、最低限の生活という側面ばかり見る傾向があるが、貧困対策は社会の中で排除される部分を減らし、社会不安を除去する大きな手段だ、という論である。これは政府にも経済団体にも検討してほしい。

 社会的包摂政策は社会それ自体の救済のための政策だ、という言葉は重い。

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書評「若者はなぜ正社員になれないのか」川崎昌平著(ちくま新書)+「人生ゲーム」について

 川崎昌平氏の「若者はなぜ正社員になれないのか」(ちくま新書)を遅まきながら読んだ。2008年6月10日第1刷発行。定価700円+税=735円である。川崎氏は一種の変わり者、変人だと思う。しかし、そういう普通の人とちょっと違った変人が生きにくい世の中であることを実体験から書き記した本として面白く読ませてもらった。

若者はなぜ正社員になれないのか (ちくま新書) 若者はなぜ正社員になれないのか (ちくま新書)

著者:川崎 昌平
販売元:筑摩書房
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 なにしろエリートなのだ。1981年埼玉県三郷市生まれで東京藝術大学を卒業後、就職する気になれなかったので芸大大学院に結構な奨学金をもらいながら2年間通い、修士号を取得。ぶらぶらしていては何だから、と就職活動をしてみた、その記録である。26歳の経験だから、山口百恵の13歳とかひと夏の経験と違って分別があり、自分の行動に責任を取りながらの企業との一対一の勝負の記録である。たいしたもんだ、という思いと、芸大を出ているエリートだからできたんじゃないの? という僻目と両方ある。

 「知識無用の芸術鑑賞」「ネットカフェ難民」(いずれも幻冬舎新書)があり、川崎氏はすでに著述業で食っていけるのではないか、とも思う。日雇い労働に従事したり、ネットカフェで生活したことが自己形成に生きる人なんてそんなにいないと思う。そういう意味でも特殊ケースだろう。

 目次は定職がほしい▽とにかく落ち続ける▽「やりたいこと」が見つからない▽面接という名の地獄▽ハローワークへ行こう▽ウチで働いてみませんか?――である。川崎氏は温かく手を差し伸べてくれた企業にも入らなかった。自分の職業を物書きだ、と認識したからだろうが、この本の特徴はハウツーものにも使える、というところか。

 データとしても幾つか書いていた。

 文部科学省による学校基本調査の卒業生に占める就職も進学もしない者の割合(大学学部卒)の2004年データが約20%、およそ10万人いる、とか、厚生労働省と文部科学省の新規学卒就職率の推移で2005年3月卒の大学卒就職率が93.5%だったこと、就職率はあくまで就職を希望した人を分母にするのでこの数字に矛盾がないことなどを書いている。

 また、厚生労働省が発表した2007年版「労働経済の分析」で2006年時点のフリーターの総数は187万人であることも書いてある。白書によると、

 フリーターとは年齢15~34歳で男性は卒業者、女性は卒業者で未婚の者とし①雇用者のうち勤め先における呼称が「アルバイト」または「パート」である者②完全失業者のうち探している仕事の形態が「パート・アルバイト」の者③非労働力人口のうち希望する仕事の形態が「パート・アルバイト」で家事も就業内定もしていない「その他」のもの――である、としている。

 一方「ニート」に近い概念とされる「若年無業者」の定義は構成労働省によれば、「非労働力人口のうち、年齢15~34歳で家事も通学もしていない者」とされ、その総数は06年には62万人である、と。就業の意思の有無がフリーターとニートを分けるのだ、と書いている。今、合計すると日本には200万人に近い「正規雇用の職を持たない若者」がいるということになる。、とあるのはその通りだ。

 あとは統計ものの利用はなく、ほとんどが自分の経験を書いている。それは面白いが、一般化できない弱点はあるし、結局、川崎氏は就職したくなかったのだろう、と思うと、読み返す気力はわかない。

 でも、1981年生まれの川崎氏の日常生活で「へぇ」と思ったのはゲームである。生涯で一度だけプレイしたロールプレイングゲームが「ファイナルファンタジー5」で、小学校高学年だった、という。ゲーム下手でどうしてもラスボスが倒せず、ラスボスがいそうな画面にたどりつけずに、クラスメートに「ラスボスのところまでレベルを上げてゲームを進めてよ」と懇願した記憶がある、という微笑ましい話だ。

 川崎氏は「ファイナルファンタジー5」を面白いと感じた、という。

 「ゲームのシステムが非常に秀逸かつ魅力的だった」「楽しませてくれた最大のポイントは『ジョブ』というシステムにあった」という。「主人公たちは、敵をやっつけ、経験値をため、レベルを上げ、武器をより優れたものにしつつ、長い物語を進むわけだが、その過程で何らかの職業を選ぶことができるのである。『白魔道士』とか『魔法剣士』とか『薬師』とか、とにかく多様な職業が用意され、選んだジョブによって戦闘シーンのアクションや覚える必殺技、魔法などが異なり、すべてのバリエーションを味わおうと思ったら、どれほど時間を費やさねばならないのか、当時は想像もつかなかったくらいである」とある。

 約15年後に川崎氏はそのゲームのジョブ(職業)を思い返して、次のように書く。

 <ジョブはあくまでもジョブにすぎずワークではない、ということになる。「竜騎士」や「猛獣使い」といったジョブをまっとうするために主人公たちはゲーム世界に生きるのではなく、最終的な悪いボス(名前は忘れてしまった)を倒すという目的が存在するのである。つまり「ラスボス撃破、しかる後の平和な世界建設」(そんなような目的だった気がする)こそがワークであって、「狩人」というジョブになることはワークではないのである。>

 そして、川崎氏は「ジョブ」と「ワーク」の関係を「やりたいこと」というお題目が見えにくくしているのであはないか、と問う。「音楽」をやりたいから「ミュージシャン」になる、「小説」を書きたいから「小説家」になる、というような傾向は「ジョブ」と「ワーク」を同一化するあまり、どちらに重きを置くにせよ、本質から乖離する結果を助長するようにも思える、と。

 この推論自体、どうこう言いたくないし、そうだろうなぁ、と思うのだが、私がハッと思ったのは、川崎氏の年代はすでにこのような抽象的思考に入るきっかけをゲームが担っている、「気づき」の元までゲームになっている、という素朴な発見である。

 川崎氏はこの年代には珍しく(と言っていいのだろうと思うのだが?)ゲームをやっていない、という。唯一のゲーム経験が「ファイナルファンタジー5」だった、というのだから。その川崎氏にしてこうなのだから、ゲームに浸っている若者はもっとゲームの影響力が大きいのではないか、と思ったのだ。

◆ついでに「人生ゲーム」について

 朝日新聞11月24日朝刊<人生ゲーム40歳/発売は高度成長期/ルーレット、米国へのあこがれ/職種にアイドル歌手、転職もOK/オーダーメードも登場>でタカラトミーのボードゲーム「人生ゲーム」が日本で発売40年を迎えたことを特集していた。

 <ドル札を模した紙幣のやり取り、株への巨額の投資…。億万長者を夢見て、波乱万丈の人生が疑似体験できると、子供から大人まで幅広い支持を集めてきた。現在は6代目(スタンダード版)。企画版を含めると、総出荷総数は1200万台を超えたという。>

 という前文だ。原型は1960年に米国で発売された「THE GAME OF LIFE」で、世界21言語に訳され、日本版は68年9月に発売。「人生山あり谷あり」というような宣伝がテレビコマーシャルに流れた、とある。

 記事で小泉信一記者は、

 <この年、日本のGNPが世界2位になった。大阪万博を2年後にひかえ、列島が高度成長に沸いていた。それまで盤上のゲームといえば、いかに早くゴールをめざすかという「すごろく」のイメージが日本人には強かった。「サイコロの代わりのルーレットが画期的でした」と開発チーム。「ヨットを買う」「牧場の跡継ぎになる」などのマス目に書かれた指示も、米国の生活へのあこがれを感じさせた。初代と2代目は米国版の翻訳だったが、83年発売の3代目から日本独自の内容になる。アイドル歌手など当世風の職種も登場。世相を反映し、転職できるルール改正も盛り込んだ。マス目には「お世話になった人たちにお歳暮をおくる」など日本風の指示も登場した。>

 と説明していた。

 面白かったのは記事につけられた<マス目に書かれた代表的な言葉>である。

▽初代(1968年発売)火星から使者がきた

▽2代目(80年発売)エベレスト登山成功

▽3代目(83年発売)ノーベル賞を授賞する

▽4代目(90年発売)リハウスでリフレッシュ

▽5代目(97年発売)カラオケでストレス解消/インターネットで自分のホームページを作る

▽6代目(08年発売)恋人と三ツ星レストランに行く/ブログが書籍になり大ヒット!

 である。その時その時の世相にあった内容にしている。6代目は今年6月に発売されたそうだ。9歳以上としていた対象年齢を6歳以上にして字を大きくしたそうだ。タカラトミーは「不況の影響か、中高年世代が自宅で家族そろって遊ぶケースが最近多いのでは」と言っている、というが、こういうゲームは懐かしいし、いいゲームだった。一人で楽しむのではなく、何人かでワイワイ楽しみながらやるゲームはもっと流行ってほしい。

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2008年11月 6日 (木)

”Yes, we can !” オバマ氏のアメリカはどう変わるのか?~11月6日朝刊各紙寄稿、座談会、社説などから

 バラク・オバマ候補がマケイン候補を破って次期大統領を確実にした。11月6日朝刊各紙は1面から2、3、国際、経済、文化、社会面を総動員して「オバマのアメリカ」の意味を探っていた。

◆「オバマ勝利」というより「現状拒否」

 各紙共通した論点は今回の選挙結果が「オバマ勝利」というよりも「現状拒否」だった、という見方(朝日新聞1面加藤洋一アメリカ総局長)だった。白人たちが世論調査ではオバマ氏支持を表明しても、実際の投票行動では白人候補に入れるだろう、という「ブラッドリー効果」も今回は影響しないほどの怒涛の津波がアメリカを襲っていた。

 「クリントン前大統領がブッシュ氏に政権を渡した01年1月には、巨大な赤字が解消され財政は均衡していた。米国は世界唯一の超大国であり、翳りが現れる日など夢想だにしなかった。現在、財政赤字は過去最悪の4400億㌦、米国経済の債務総額はGDP(国内総生産)の3.5倍という臨界点に達した。個人資産の目減りを訴える市民は、底の見えない株価の暴落に不安を隠せない。消費は落ち込み、失業率は6.1%の高率でさらに上昇中、住宅ローン滞納による差し押さえが月30万件にも上り、債務不履行で家を失った世帯は、その危機にある市民を含め数百万に達するといわれる。一方、イラク戦争は泥沼にはまったまま撤退の見込みも見えない。アフガニスタンでの戦闘は激烈になるばかり。10月末には米軍がシリアへの越境攻撃に出た」(米ニューヨーク在住のジャーナリスト、青木冨貴子さん=朝日新聞「私の視点ワイドへの寄稿)。

 これに関連して毎日新聞2面では2008会計年度(07年10月~08年9月)の財政赤字は過去最大の4550億㌦に拡大、09年度の赤字は1兆㌦を上回る、との観測が出ている、と書き「大勝したオバマ氏といえども大盤振る舞いできるか」(双日総合研究所の吉崎達彦氏)と経済危機への抜本対策に疑問を呈する声を紹介していた。また、「財政赤字の膨張はドル暴落の危険もはらみ、小康状態を保っている金融危機が再び猛威を振るう恐れもある」と、毎日新聞の大好きな「危機報道」も付け加えていた。

 「約8割の米国民が『米国は悪い方向に向かっている』と感じているという。軍事力と経済力で他国を圧倒してきた超大国が、自信を喪失している。この閉塞感を打破して、新しくやり直したい。そんなリセット願望が若い世代を中心に共鳴し合い、雪だるま式に『オバマ現象』を膨らませていったのだろう。…大義なきイラク戦争は、4000人以上の米兵と多くのイラク国民を犠牲にしただけでなく、中東を混乱させ、米国の国際的な信用を失墜させた。…『強い米国』を掲げて軍事力を強化し、『小さな政府』路線を進めたレーガン政権以来、30年近くにおよぶ新自由主義の挫折といっていいだろう」(朝日新聞社説)。

 読売新聞解説面特集[識者座談会]で五十嵐武士東大教授は「ブッシュ大統領の支持率は、低いものだと23%ぐらい。支持率がこれほど低いのは1952年以来と言われている」とブッシュ批判票がオバマ氏に流れたという見方。

 柳井俊二元駐米大使も「私も今回はブッシュ批判、不信が表れたと思う。…最後は、共和党の経済政策失敗が決め手となった」。

 渡辺靖慶大教授は「オバマ陣営が党大会の指名受諾演説後に流したのは『オンリー・イン・アメリカ』という前回選挙でのブッシュ陣営のテーマソングだった。民主党が、細かいところで保守層への働きかけを怠らなかったのも勝因だ」と述べていた。

 毎日新聞[余録]によると、「オバモメンタム」という造語があるそうだ。オバマとモメンタム(はずみ、勢い)の合成語で、そのオバモメンタムを最後の圧勝まで強めたのは、金融・経済危機の中での「変化」のスローガンだろう、と書いていた。「オバモメンタム」って初めて聞いた。

◆傷ついた米国の修復望む国民が83%

 読売新聞1面企画[オバマのアメリカ㊤]<米国像の傷どう修復>は「米国民が次期大統領の外交で最も期待するのは、ブッシュ政権の8年間で傷ついた米国の評判の改善だ。シカゴ世界評議会の調査では、83%が最も重要な外交目標として挙げた」と、有権者が「失われたアメリカの威信」「傷ついたアメリカの威信」の回復を願っていた事実をあげていた。日本ではよく「外交は票にならない」といわれるが、このようにナショナル・アイデンティティーと結びついた外交戦略=国民をいかにグリップするかの政権戦略は選挙戦に大きく影響する。日本でも同じことだ、と思う。外交は票になる

 この企画では英BBCが22カ国で行った調査を引用していた。黒人のオバマ大統領が誕生すれば、米国への見方は「根本から変わる」との回答が46%に及んだ、というのだ。白人男性ばかりを大統領に選んできた米国社会に風穴を開けたオバマ氏が世界の「米国像」を大きく変えようとしている、というのだ。

◆オバマ勝利の背景に「四つのW」

 日経新聞[米大統領座談会]特集面で谷内正太郎前外務事務次官が面白い発言をしていた。

 <10月末に訪米した際、既にオバマ氏の勝利が濃厚だったが、背景には四つのWがあると言われていた。WAR(戦争)、WALL STREET(ウォール街)に端を発した金融混乱、ブッシュ大統領のミドルネームのW、既存の権力を象徴するWASHINGTON(ワシントン)への反感だ。これらの要因に加え、オバマ氏の個人的な資質も大きい。予備選でのヒラリー・クリントン氏との戦いを通じて成長したオバマ氏は経験不足の懸念を払拭し、多様性や寛容さを象徴する人物として国民の心をとらえた。>

◆オバマ氏とジェシー・ジャクソン氏との違い~「統合を守りながらの転換」の担い手

 生井英考・共立女子大教授(アメリカ研究)は朝日新聞文化面の寄稿<オバマ氏を選んだ米社会/自発的なまとまり求めて>で、いまから20年ほど前に民主党の黒人候補として初めて「可能性のある」存在だと評されたカリスマ的演説の名手、ジェシー・ジャクソン氏がオバマ氏の勝利宣言演説を聞きに来た聴衆の中にいて、米テレビがクローズアップして映していたことから論考に入る。

 <おそらく中継した米テレビ局のディレクターは、ともに「黒人」で「カリスマ性」があり「演説上手」といった数々の共通点を意識したのだろう。そして今回の選挙結果を見る海外のメディアの反応も、まずは「初の黒人大統領」という点に何よりも注目しているようだ。>

 である。だが、二人のカリスマ性と演説スタイルには実は違いの方が大きい、として、

 <その違いは単なる外見の差に帰着するのではなく、「いま」を見つめ「これから」にかける米国社会の意識や期待のあり方にも深く関わると思われるのだ。>

 と、その「違い」に着目した理由をあげた。その違いとは、

①ジャクソン氏は額に汗を浮かべ聴衆をあおる。ホット。オバマ氏は声を荒げず冷静沈着を貫きクール。もともと故キング師の直弟子で伝統的な黒人政治家・運動家の説法スタイルを通じて聴衆との驚異的な一体感を作り出すジャクソン氏。オバマ氏は話者の落ち着いた語りに励まされるように聴衆が盛り上がるスタイル。

②聴衆に向かって「You」を多用しながら、最後にくるりと裏返して「Yes,we can(そう、ぼくらにはやれる!)」と決めるのがオバマ流。ジャクソン氏は「We(我々)」を繰り返す。「我々はいつも働いた。それなのに貧しい」「我々はいつも働いた。それなのにいつも虐げられた」と、ジャクソン氏は「我々」とそれ以外を峻別する強烈な力を生み出すことでカリスマ性をはらむ。それは虐げられた人々を集合させる「負の引力」だが、オバマ氏は不特定多数の「あなた」に呼びかけることで「正の引力」を発揮する。

20世紀末から米国社会を悩ませてきた多文化主義(マルチ・カルチュラリズム)は人種・民族その他の個別的アイデンティティーを強調することでアメリカ社会を多元性・複数性へと解き放とうという運動で、もともとは差別撤廃を呼びかけるリベラリズムが生み出した思想だったが、現実には一部の過激勢力が白人優位の歴史的修正を頑強に主張したことで、リベラリズムとラディカリズムの亀裂を招き、90年代にはリベラル層のなかに保守化の嵐を呼び起こす一因になっていた。つまり、「我々」意識を頑なに主張する個々の集団があちこちから湧き出してきた結果、文化は拡散し、社会は分裂の危機に瀕しているという懸念と反発が起きてきたのだ。

④この懸念と反発が9.11同時多発テロの衝撃と重なって米国社会を愛国心一色へと強引に塗り潰す遠因ともなり、ネオコン(新保守主義)の支配を許す結果を招いた。ブッシュ時代の8年間を通じて保守勢力による「まとめられたアメリカ」に辟易した社会は「You」という呼びかけのもとで拡散と分裂に逆戻りしない自発的な「まとまったアメリカ」を希求し、期待しているようだ。

⑤リベラルの正念場は、まさにこれからである。

 以上が生井氏の主張のあらましだ。

 ぶっちゃけて言えば、オバマ氏は国民的統合ができる男だ、と白人たちも認め、「反ブッシュ」への転換の担い手として選んだ、ということだろう。それだけ嫌味のない男であるようだ。

◆ミックスサラダと人種のるつぼ

 この論に関しても読売新聞識者座談会の参会者はほぼ同様の見解。

 五十嵐武士氏は「オバマ氏は黒人として注目されたが、黒人という印象を持たない人がかなりいた。オバマが当選したのはエスニックとしてのアフリカ系を超えるところが評価されたのだと思う。公民権運動で黒人の権利を主張するタイプではなく、米国を全体としてまとめていこうというビジョンを持った人が、たまたま黒人だったということではないか」と、生井氏とほぼ同じ見解。

 柳井俊二氏は「もともと米国は人種のるつぼと言われているが、ミックスサラダのように実際には混ざっていないとも言われてきた。オバマ氏は、本来、理想とされてきた米国を体現する人物だという人もいる」と統合力を評価する。

 一方、渡辺靖氏はそうはいっても、ということで「人種に対するステレオタイプ、違和感がまだ残っている気がする。今後、米国はますます多様化する。共和党が党のアイデンティティー、支持基盤、戦略を、多様化する現実にどう対応させていくのか注目したい」と、逆に共和党の変化に注目していた。

◆パラダイムシフトが起きた

 日経新聞識者座談会で数土文夫・JFEホールディングス社長は、

 <ブッシュ政権にプラスの側面があったとすれば、パウエル、ライス両氏という二人の黒人(が要職に就くこと)に対するアレルギーを取り除いたことだ。今回の選挙は黒人か白人かという従来の区別ではなく(そういうことを言っている場合ではないという状況が生み出した)パラダイムシフトが起こった結果ともいえる。>

◆若者と黒人と未婚女性がオバマ支持…米TV各社出口調査分析など

 読売新聞国際面のワシントン小川聡特派員電は<若者、黒人オバマ支持/米TV各社出口調査/「反ブッシュ」マケイン氏直撃>で詳細なグラフ付きで投票分析を掲載していた。米テレビ各社が合同で行った出口調査(約1万7000人対象)の分析だ。記事の内容をメモしておく。

▽オバマ氏は18~29歳でマケイン氏の倍以上の支持を得たほか、30~44歳でも52%とマケイン氏を引き離した。

▽人種別では白人層でマケイン氏が10ポイント以上リードしたが、オバマ氏は黒人層を独占したほか、2004年の大統領選でブッシュ大統領の当選を支えた中南米系、アジア系でも約3分の2を固めて逆転した。(毎日新聞2面によると、投票者の74%を占めた白人票をオバマ氏43%、マケイン氏55%でほぼ分け合ったが、過半数を得て「人種統合」を印象付ける期待は外れた、とあった。)

▽オバマ氏は無党派層でマケイン氏に6ポイントの差を付けたほか、04年に投票しなかったと回答した人にうち71%の支持も得ており、従来の民主党の基盤ではない層の掘り起こしに成功した。

▽性別では男性は互角だったが、女性ではオバマ氏が12ポイント差でマケイン氏を大きくリードした。特に未婚女性の72%、働く女性の60%がオバマ氏に投票した。

▽所得別では、所得が低い層ほどオバマ氏に多く投票する傾向があり、年間所得が5万㌦未満の人の60%がオバマ氏を支持した。

▽ブッシュ大統領の仕事ぶりに「不満」とした約70%の人のうち、3分の2がオバマ氏に投票。4分の3の人が国が悪い方向に向かっていると考え、そのうち60%を超す人がオバマ氏に1票を投じた。

 また、読売新聞識者座談会の発言では次のような分析が出ていた。

 五十嵐武士教授は「民主党はインターネットを活用し、100㌦以下の献金を集める戦術で、草の根参加の新しい形態を生み出した」とし、柳井俊二氏は「新しいタイプの候補者が現れたのが特徴。オバマ氏がそうだったし、女性候補なども出た。米国社会は随分変わってきた。黒人候補は、差別されるというよりは、変化の象徴としてとらえられた」と指摘した。

 渡辺靖氏は「インターネットは政治のあり方を変えるという議論がされてきたが、今回の選挙ではネットが、テレビと同等か、それ以上の役割を果たした」としながらも「今回は米国の保守主義の強さも感じ取れた。大恐慌後の1932年の選挙で、民主党は共和党に約20ポイントの差を付けて勝利した。今回は、金融危機などこれだけの逆風が吹いたのに、マケイン氏は(得票率で6ポイント差に迫るなど)善戦した。支持率では一時、オバマ氏を上回りさえした」と述べている。

◆米国社会の成熟と移民急増が背景にある

 日経新聞3面<米国社会成熟/初の黒人大統領/移民急増が背景に>は米アリゾナ州フェニックスで中前博之特派員が書いた記事。

 記事によると黒人は米人口の13.5%を占める。しかし、選挙前の政治勢力では連邦下院議員は40人で約9%。上院議員は百人のうちオバマ氏だけ。50州のうり選挙で当選した知事はマサチューセッツ州のパトリック氏だけ。閣僚もライス国務長官1人だけ。毎日新聞1、2面の企画[オバマのアメリカ~変革への選択㊤]によると、米国勢調査局の予測で、白人人口は2042年に5割を切り、ヒスパニックや黒人など非白人層が多数派に転じる見通しだ、とあった。

 選挙区が小さい下院では黒人住民が多い地域で勝てるが、白人が多数派となる州単位の上院・知事選では黒人の当選は極端に難しい。ましてや全米が対象の大統領選では不可能とみられていた。唯一有望と言われたパウエル元国務長官は妻が暗殺を恐れて出馬を見送らせた、といわれている、と書いている。

 米国ではヒスパニック、アジア系などの住民が急増し、建国以来、多数を占める白人の比率が低下。選挙結果は1億人を超える非白人社会を刺激する可能性がある、ともあった。図に数字がでている。米国の人口構成だが、白人が1億9910万人で66.0%。アジア系が1520万人で5.0%。ヒスパニック系が4550人で15.1%。黒人は4070万人で13.5%。その他が0.4%だ、としてあった。2007年7月現在の数字だそうだ。

 だが、黒人の社会進出はまだ途上で、大手企業の経営者は少なく、失業率は白人の2倍以上だ、とあった。

 こういう現実が変化するのかどうか?

◆対日政策は激変しないだろうが、円高を積極的に生かす工夫が求められる

 読売新聞識者座談会で五十嵐武士氏は「金融問題などで日本の協力が必要になるなずだが、米中関係のほうがはるかに重要。日米同盟関係といっても米国に都合のいい重視になる可能性がある。日本の政局が不安定で、米国の新しい変化に対応できないことが最も難しいところだ」と悲観的な見方を示し、朝鮮半島問題ではクリストファー・ヒル東アジア担当国務次官補を留任させる可能性がある、と述べていた。

 柳井俊二氏は「中国と日本のどちらを取るか、という問題ではない。日米は民主主義、人権尊重、市場経済という基本的な価値観を共有した上での同盟関係だ。相手がどうするかを考えるより、日本としてどうするかが大事。次期政権に日本の考え方をよくインプットしていく必要がある」。

 渡辺靖氏は「地球温暖化やエネルギー問題、核不拡散などの取り組みで、日本と一緒にやっていけるパートナーだ。アフガニスタンへの増派で日本に積極的役割を求めてくるだろうが、日本の世論がどこまで米国を理解し、付き合っていけるかが課題になる」と意味深長な発言だ。

 オバマ氏が陸上自衛隊のアフガン派遣を正式に提案してきた時に、日本政府は断固断ることができるのかどうか? 憲法問題だけに、今の選挙管理的内閣では対応できず、立ち往生して、また政権放り出し→政局混乱という繰り返しになるのが落ちだろうか。そろそろ解散・総選挙をやらないと日本がもたなくなってしまうのに。

 ただ、日米経済関係について、日経新聞識者座談会の発言で気になる点もあった。

 谷内正太郎氏は「米国経済は底力がある。例えばクリントン政権時代は、移民の力が製造業を支えた。中国など新興大国の勃興で相対的にその地位が下がるかもしれないが、潜在能力はある」と、クリントン時代の成長の原動力に低賃金で働いた移民の力をあげたのが新鮮だった。

 また、田中明彦・東大教授は「今後は上下院とも民主党がコントロールする。米国が保護主義に走らないよう、日本も言うべきことは言わないとならない。オバマ政権が保護主義に向かう懸念はあり、深刻化する可能性も否定できない。ただ、日本より中国などアジア諸国の方が影響は大きいだろう。アジア全体が健全な状態であることが日本の国益だ。新政権発足後にアジア各国の経済が悪くならないように米国と連携の枠組みを作ることが必要。日本はオバマ政権が保護主義に向かわないように話し合い、パートナーになることが大切だ」と釘を刺していた。

 数土文夫氏も「上下両院を制した民主党は、シンプルで強い要求を日本政府に提示してくる可能性がある。きちんとした対話で応じられる体制を整える必要がある」と話していた。

 数土氏の発言で面白かったのは円高関連の発言だった。

 <日本の政治家は覚悟を決め、経済界も意見を統一し米国と対話することが重要だ。お互いがハードネゴーシエーション(厳しい交渉)を重ねることで解決の可能性を見いだせる。>

 <安易に円安を歓迎する日本側の傾向もよくない。日本企業が優れた知的財産や高い開発力を持っていることが、円高の要因になっている側面もある。円が強くなっても日本企業は環境対応の自動車など、オンリーワン製品を生み出せば高い競争力を保てる。それは金融商品でも同じだ。新たな価値を創造することは国益にもなるだろう。日本は自信を持って、米国と対等に話し合っていくことが大事だ。>

 まさしくそうだ。産業界からこのような提言がなされるとうれしくなる。

◆「米国に変革が到来」オバマ氏勝利演説の要旨

 最後に歴史に残るであろうオバマ氏の勝利演説が朝日コムにあったので、最初は全文をコピペしたのだが、どうも著作権法で全文をコピペしてブログに掲載するのは問題がある、という見解があるそうなので、ピックアップして、この論文の論旨に必要な部分だけアップしておく。

 もし、米国ではあらゆることが可能であるということを疑ったり、建国者の夢がまだ生きているのか疑問に思っていたり、米国の民主主義の力を疑ったりする人がいたら、こう言いたい。今夜が答えだと。我々は決して単なる個人の寄せ集めだったり、単なる青(民主党)の州や赤(共和党)の州の寄せ集めだったりではないというメッセージを世界に伝えた米国人の答えだ。私たちは今も、これからもずっとアメリカ合衆国だ。
 
何にもまして、この勝利が本当は誰のものかを私は決して忘れない。それは(米国民である)あなたたち、あなたたちのものなのだ。
 私は大統領の最有力候補であったことがなかった。十分な資金や多くの推薦と共に始めたわけではない。最初は資金も支持者も少なかった。
我々の選挙戦はワシントンの大会場ではなく、デモインの裏庭やコンコードの居間、チャールストンの玄関先で始まった。少ない貯金の中から5㌦、10㌦、20㌦を出してくれた、働く人々のおかげだ。
 力を増したのは、無気力な世代という神話をはねのけた若者たちが、家族から離れ、少ない報酬と睡眠時間の仕事をしてくれたからだ。寒さにも暑さにも負けず、全くの赤の他人の家をノックして回ってくれた、そう若くない人々からも力を得た。ボランティアとして集まって組織を作り、(リンカーン米大統領の言った
)「人民の人民による人民のための政治」は200年以上たっても滅びていないと証明した何百万人もの米国人から力を得た。これは、あなたたちの勝利だ。
 あなたたちは、これから待ち受けている膨大な課題を理解しているから行動したのだ。今夜は祝うにしても、明日から向き合う難題は我々の時代で最大級だ。(イラクとアフガニスタンの)二つの戦争、危機に直面した地球、今世紀最悪の金融危機……。
 我々は今夜、ここに集っていても、イラクの砂漠やアフガニスタンの山地で起床し、我々のために命の危険を冒している勇敢な米国人がいることを知っている。
 子供たちが眠りについた後も、多くの父親や母親が、住宅ローンや医療費、子供たちの大学の費用をどうやって工面したらいいか思い悩ませている。
 新たなエネルギーの開発、雇用の創出、学校の建設、脅威への対処、修復すべき同盟関係、といった課題が待っている。
 
道のりは長く、険しい。1年、あるいは(大統領任期の)1期(4年)の間には達成できないかも知れない。だが、私は今夜ほどそこに到達できるという希望を持てたことはない。
 
私は約束する。我々が、国民としてそこに到達することを。
 何よりも、あなたたちにこの国の再建に加わってもらいたい。
221年間米国がやってきた、ブロックやれんがを一つひとつ、硬くなった手で積み上げるという唯一のやり方で。
 この勝利だけが、我々が追い求める変革ではない。これは変革を行うためのチャンスに過ぎない。もし以前の状況に戻ってしまったら、変化は起きない。
 あなたたち抜きではできない。新しい奉仕、犠牲の精神抜きではできない。
 
仕事に取りかかり、より懸命に働き、そして互いに助け合えるよう、新しい愛国の精神、責任感の精神を呼び起こそう。
 今回の金融危機が何かを教えてくれたとしたら、
町の大通りが疲弊しているときにウォール街だけが栄えていることはできないということだと思いだそう。この国では、我々は一つの国家、つまり一つの国民として栄えたり衰退したりする。長い間この国の政治を害してきた狭量で未熟な党派主義に戻ろうという誘惑に耐えよう。初めて共和党からホワイトハウスに乗り込んだのは、この州の出身者だった。共和党は自立と個人の自由、国の団結という価値観に基づいて設立された。これらの価値観は我々も共有している。
 今夜、民主党は大きな勝利を得た。だがそれは、一定の謙虚さと、
我々の進歩を滞らせてきた分断状態を正常化しようという決意を伴うものだ。リンカーンは、我々以上に分裂していた国民に対し、「我々は敵ではなく友人なのだ」と語った。この世界を破壊しようとする者たち、我々はおまえたちを打ち負かす。そして、平和と安全を求める人々、我々はあなたがたを支援する。米国の(指導力の)灯台が今も明るく輝いているのか疑問に思っている人々よ。今夜、我が国の本当の強さが、武力や富の力ではなく、民主主義や自由、機会や希望といった絶えざる理想の力に由来することを改めて証明した。これが米国の真の才能だ。米国は変化できる。我々の団結は完遂できる。これまで成し遂げたことから、明日達成できること、そしてしなければならないことへの希望が生まれる。
 米国よ、我々はここまで来た。いろんなものを見てきた。だが、やるべきことはまだまだある。だから今夜、自らに問おう。我々の子どもたちは次の世紀を見られるのか。私の娘たちがアン・ニクソン・クーパーのように長生きできたら、どんな変化を見るのか。我々はどんな進歩を遂げているのか。これらの問いに我々が答える好機だ。
今は、我々の時代なのだ。人々に仕事を戻し、子どもたちに機会の扉を開こう。繁栄を再建し、平和の大義を推進しよう。アメリカン・ドリームを取り戻し、我々は一つであるという根本的真実を再確認しよう。希望を持つことは息するくらい当たり前だ。皮肉や懐疑心に出会ったり、「できやしない」という人に出会ったりしたら、米国民の精神を要約する不朽の信条で応えよう。「我々はできる」。

 (11月17日追記)

 見落としていたのだが、日経新聞11月6日朝刊に興味深い記事が掲載されたいた、と11月17日朝日新聞夕刊[池上彰の新聞ななめ読み]に載っていて、気付いた。孫引きになるが、書いておく。

 日経新聞朝刊国際面に<母が白人 オバマ氏なぜ『黒人』>という見出しの解説記事があった、と。父が黒人、母が白人のオバマ氏は「米国初の黒人大統領であるとともに、44番目の白人大統領とも言える」とあった、と。

 日経の記事によると、米国では国勢調査の際に「人種」を選ぶ。2000年の調査から「混血(マルチレイシャル)」という選択肢が登場したが、それ以前は、この選択肢がなかった、という。オバマ氏本人は演説などで自分のことを「黒人」だと主張しているので、表記も「黒人」になるのだそうだ。

 <米国では『ワン・ドロップ・ルール(一滴主義)』という考え方があり、少しでも黒人の血が入っていれば黒人とみなされた。最高裁は1967年に一滴主義を違憲と判断したが、その後も、色の黒い人はたとえ混血であっても「白人」を選択しづらい状況にある。

 池上氏は「米国の人種差別の歴史の見事な解説にもなっています」とベタ褒めだった。

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2008年10月20日 (月)

書評「20世紀末バブルはなぜ起こったか~日本経済の教訓」古野高根著(桜井書店)

 2008年11月5日初版発行、定価3675円。執念の本である。

20世紀末バブルはなぜ起こったか 日本経済の教訓

著者:古野 高根
販売元:桜井書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 古野氏は1938年福岡県生まれ。1962年東大経済学部卒業。住友銀行調査第二部長、取締役審査第二部長を経て、1990年以降住銀リース専務取締役、ティーケイビル社長等、現在はニチハ監査役。この間2004年放送大学修士(学術)、2007年東京経済大学博士(経済学)。論文に「景気循環の未決問題――加藤雅教授の遺したものは何か」(長島誠一と共同執筆)、「東京経済大学会誌」第249号、2006年3月。

 これも帯から紹介しておこう。

 <元金融マンが書いたバブル論! バブル経済を金融ビジネスの第一線で体験した著者が、渦中で感じた疑問に、5年余りの学究生活をへて自ら答える探求の書>

 <バブルについてはこの20年余、目先のことに追われ、マスコミの報道に振り回されて冷静に問題の本質を検討することがなされなかったのではないかとの思いが、筆者には強い。筆者は1980、90年代の金融機関に身をおき、渦中でバブルの形成と崩壊を眺める立場にあった。そこで強く感じたことは、センセーショナルなマスコミの報道とは異なり、経済の世界でなぜこのようなことが起こるのかという率直な疑問であった。>

 2番目の引用は「はじめに」のP4にある。P8に執筆経緯が書いてある。

 <大学卒業後40年余もの間、経済学から遠ざかっていたブランクを少しでも埋めるためには大学院で学びなおすしかないと感じた。たまたま2002年に開校した放送大学大学院に入学した。そこでは仕事を続けながら学ぶことが可能で、修士課程までは終了することがdきた。しかし放送大学には博士課程がなく、仕事のめどもつき始めていたので、改めて東京経済大学大学院経済学研究科の門をたたき、博士後期課程で研究を続ける機会を得ることができた。この間、最新の経済学の動向から論文作成のイロハまで懇切にご指導いただいた放送大学の林敏彦教授、坂井素思助教授、論文指導を通じてさらに幅の広いものの見方、考え方を親切にご指導いただいた東京経済大学の長島誠一教授には心からお礼申し上げます。同時に長島教授とともに論文の審査に当たられた東京経済大学の渡邊尚教授、江藤勝教授にも懇切な示唆、ご指導を頂いた。また論文作成の過程や完成後に与えられた発表の機会、大学院内の博士論文計画発表会、2度にわたる独占研究会での報告にご出席くださった先生方、経済理論学会での報告にコメンテーターをお引き受けくださった富山大学の星野富一教授には数え切れない貴重なご指導や助言を頂いた。改めて謝意を表したい。>

 本にまとめた喜びが誰にでも分かる、すがすがしい文章だ。

 住友銀行はバブルの時、三菱、三井を追いかけ追い抜くために銀行自身だけでなく、子会社を通じて、不動産を担保に無理な貸付を続け、特にイトマン関連では大きな疑惑が表面化したものの、大山鳴動してネズミ一匹の結末だったのではないか。

 古野氏は住友リースで危ない橋も渡らせられたのではないか。バブル崩壊の渦に巻き込まれた人たちは相当に痛めつけられた。具体的には知りようはないが、古野氏も相当に傷ついたのではなかろうか。そのトラウマを消すためにも、バブルの正体が知りたかったのではないか、と、そんな心理学者のような想像までしたくなるような、努力の日々が続いたのだと思う。

 P227からP263までの横組みの付録1<20世紀末バブル形成期における経済動向と論文・新聞報道>を読んで、苦労の大きさの一端を知ることができる。

 <1983年から90年までの景気動向、バブルに関連すると思われる主要経済雑誌、新聞の記事を参考までに一覧表とし、主要経済事件を併記する。新聞は日本経済(N)、朝日(A)、毎日(M)、読売(Y)の縮刷版によった。社説は紙名略号の後にEを付した。タイトルは記事の内容を簡潔・的確に表すために手を加えたものがある。なお、経済と記事の流れを鳥瞰できるように、参考文献一覧、本文脚注に掲げたものも重複掲載した。>

 の前書きをつけ、

 1983年1月24日OPEC総会・逆オイルショック/新聞=14日N今年は金余り相場/24日AE地価の軟化傾向。1月29日東洋経済、勝又寿良(記者)「土地神話は崩壊した」、2月5日東洋経済(社説)「地価安定時代に借家建設の促進を」…など、延々と続く。この一覧表を熟読すれば、当時の動きがすべて分かる。大変な力作なのである。

 「はじめに」で著者は

 <バブル形成期にはエコノミスト、経済学者の意識はきわめて希薄で、経済評論の世界でも1986年までは円高不況、大恐慌再来の可能性などにとらわれていた節がある。したがって株価・地価の高騰についても当初は「日本的経営」の勝利とか、「東京国際金融都市」とか、肯定的かつ楽観的な受け止め方が主流であった。一方、経営者の側では本格的な国際競争の時代、金融自由化の時代を迎えて、これまでの政策的庇護の下で国内シェア獲得にしのぎを削った時代から、国際的市場での収益競争の時代に入ったとの認識のもと、新しい収益機会を逃すまいとの意識が強かった。マスコミの財テクなどについての取り上げ方ももしろ肯定的ですらあった。円高不況対策としての内需拡大も、1987年2月の公定歩合2.5%への引き下げ、5月の6兆円の財政支出になると、資産価格への影響は決定的になる。その後、株価はタテホ化学工業の財テク失敗やブラック・マンデーなどでいったん反落し、地価は下落しなかったものの、議論の方向は犯人探しから政治問題化していった。>

 として、

 <吉野俊彦(「インフレの足音が聞こえる」エコノミスト1987年8月4日)は卸売物価指数、消費者物価指数にストック価格を加えた総合購買力指数を作ることを提案して、1987年8月時点で、これで見ればすでにインフレが進行中である、と物価動向とは別に資産価格の異常さに警告を発した(おそらくバブルを指摘した最初のエコノミストではなかったか?)。>

 と吉野氏の業績を高く評価。

 <バブル崩壊後も銀行不祥事の続発、証券損失補てん問題などのスキャンダルの追及に追われて、不動産融資問題の深刻さに対する継承は打たれなかった。>

 と書いている。

 著者は定義が揺れている「バブル」を再定義し、バブルの要因を解剖し、金融要因は首班ではなく従犯であった、との結論を出した。

 今後、古野氏が参加して、改めてバブル論の論争が起きれば、今後の経済学のためだけでなく、日本の現実政治にも大いに役立つだろう、と思う。

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2008年8月23日 (土)

ひまつぶし…数字ナゾナゾ~何年か後に役に立つ(かもしれない)ミニ知識

◆16.8%増で1位
 日経新聞8月21日夕刊1面トップ<対中輸出額、対米上回る/戦後初/全体の黒字86%減/貿易統計7月>は財務省が21日発表した7月の貿易統計速報(通関ベース)で中国向けの輸出額が前年同期比16.8%増の1兆2864億円、米国向けの輸出額は11.5%減の1兆2763億円となり、中国向けが米国向けを戦後初めて上回った、中国が日本にとって最大の輸出相手国となった、という内容。
 香港・マカオも含めた中国圏向け輸出量は2007年5月から米国向けを上回っているが、今回は香港・マカオを除く中国向け輸出量で初めて中国向けが米国向けを超えた。中国向けは38カ月連続で増え、米国向けは11カ月連続で減った。米国向け輸出額が2桁減となったのは2カ月連続。円高による輸出価格下落が響いたが、輸出数量も3.4%減った、いう。
◆147.27㌦
 同じ日経新聞8月21日夕刊1面連載企画[記録に揺れる世界経済]㊤<原油や穀物 最高値/新興国の「食欲」旺盛>では北京五輪ならぬ経済分野での記録ラッシュぶりをまとめていた。
◇1バレル=147.27㌦ ニューヨーク原油先物市場のWTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)が7月前半に一時、史上最高値を更新した。原油価格が上昇トレンドをたどり始めた2003年から5年で5倍近く高騰した。
◇1ブッシェル=16.63㌦(大豆)国際指標となるシカゴ商品取引所で7月。トウモロコシは1ブッシェル=7.65㌦(6月)、小麦は1ブッシェル=13.345㌦(2月末)と相次いで最高値。中国やインドなど新興国の経済成長に伴う急激な需要拡大が背景にある。2008~2009穀物年度の小麦の世界需要は6億5000万㌧と過去4年間で7%増加。トウモロコシは8億㌧で同16%増を記録、大豆は2億3800万㌧で16%増だという。
◇1万1793(バルチック海運指数、5月に過去最高を記録)。鉄鉱石や石炭などを運ぶばら積み船の運賃のことだ。新興国の旺盛な「食欲」が資源の活発な荷動きを呼び込んだ、と分析していた。
◇1トロイオンス=1014.6㌦(ニューヨーク市場での金価格、3月に最高値)
◇1㌧=8940㌦(ロンドン市場での銅価格、7月に最高値)
 記事には資源、食料の高騰は世界中にインフレ懸念を引き起こし、特に発展途上国への影響が深刻であること、インド、インドネシア、フィリピンなどでは5、6月にガソリン価格引き上げへの抗議デモが頻発し、アフリカの一部やカリブ海のハイチなどでは食料高騰をめぐる暴動が起きている、とこれまでの経過をコンパクトにまとめてあった。
◆30円
 日経新聞8月22日夕刊1面企画[記録に揺れる世界経済]㊥は<30年ぶり物価高の波/食品軒並み、家計に影>だ。
 価格が安定していて「物価の優等生」といわれたブランド卵の価格が8月から1パックあたり30円程度上がった。「ブランド卵の値上げは初めて。トウモロコシを代表とする飼料価格の高騰などで「今は作れば作るほど赤字になるはず」(都内の鶏卵流通業者)。生産者の悲鳴があがった。」とあった。
 ▽モスフードバーガーは3月28日、モスバーガーを18年ぶりに7%値上げ▽明治乳業は4月1日、牛乳を30年ぶり4%値上げ▽ヒゲタ醤油は4月1日、しょうゆを18年ぶり12%値上げ▽オリジン東秀は4月28日、量り売り総菜を初めて13%アップ▽マルハニチロ食品は7月1日、ソーセージを15年ぶりに実質で12%上げ▽ハウス食品は8月18日、ククレカレーを18年ぶりに実質で5%上げ▽ポッカコーポレーションは10月1日、焼酎用レモンを初めて10%上げる予定――という一覧表が付いていた。
 CPIは6月、生鮮食品を除くベースで前年同月比1・9%アップ。伸び率は消費税率引き上げの時期を除くと15年6カ月ぶりの高さだ、と。ただ、記者は<景気の後退観測が出るなかでの値上げは、モノやサービスの価値を見直す機会。石油危機に始まり、プラザ合意に伴う円高、バブル後の不況。「かつてない」局面を乗り越える知恵が、成長の原動力となってきた。>と結んでいる。「頑張れ、日本企業!」か。
◆16.9%下落
 日経新聞8月23日夕刊1面企画[記録に揺れる世界経済]㊦<米指標不況期並み/住宅下落、景気に重し>で、スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が公表するケース・シラー住宅価格指数である。5月の米主要10都市の住宅価格の下落率が前年同期比16.9%と過去最大。前年比での値下がりは2007年1月以来17カ月連続だった。
 住宅価格の低迷の長期化は1990年8月~1992年2月の19カ月、1992年6月~1994年3月の22カ月以来、十数年ぶりで、米国民の脳裏からは住宅下落の記憶は薄れていたので、「米国の住宅価格は下がらない」という神話が信じられていた。しかし、当時の年間の最大値下がり率は1991年4月の6.3%だったから、今回の調整の大きさがはっきりする、という。
 住宅を担保に買い物をする人が多い米国では、住宅価格の下落が個人の生活を直撃。米家計部門が所有する住宅資産は約20兆㌦(約2200兆円)に上るので、2割その価値が下がれば、4兆㌦の”経済損失”になる、という。
 その他の米国での「記録」は次の通り。▽7月の住宅着工が17年ぶり低水準▽5月の消費者信頼感指数が16年ぶり低水準(コンファレンスボード調べ)▽6月の新車販売が15年ぶり低水準▽5月の米国可処分所得が減税効果で33年ぶり高い伸び▽GM株価が54年ぶり安値▽米、40年ぶりの「戦時政権交代」へ――という横組み表が付いていた。
◆10000時間
 日経新聞8月21日夕刊コラム[あすへの話題]で分子生物学者・福岡伸一さんが<10000時間>というタイトルで興味深い「時間」の話を書いていた。
 世界的コンクールで優勝するピアニスト、囲碁や将棋の名人たち、トップアスリートたちの多くは幼少時を起点として少なくとも10000時間、例外なくそのことだけに集中し、専心し、たゆま努力をしている、という調査結果がある、というお話である。10000時間というのは1日3時間練習したりレッスンを受けると1年に1000時間、それを10年にわたって休まず継続することだ、と。<その上に初めてプロフェッショナルが成り立つ。>というのだ。分子生物学者らしく、
 <DNAの中には、ピアニストの遺伝子も将棋の遺伝子も存在してはいない。DNAには、人を生かすための仕組みが書かれてはいるが、いかに活かすかについては一切記載はない。プロの子弟はしばしば同じ道を進むことが多く、それは一見、遺伝のように見える。けれどもおそらくそうではない。親はDNAではなく環境を与えているのだ。やはり氏より育ち。DNA研究者の偽らざる感慨である。>
 という結びには「なるほど」と思う。お茶の師匠の娘がお茶の師匠になり、歌舞伎の名門の子弟が歌舞伎上手になるのは、DNAではなく、親の居住まいを常に見ているからなのだろう。10000時間。3時間で10年間。5歳で始めると15歳で世界一流になれる、ということか。世のお母さん方の英才教育熱がもっと上がるかもしれないなあ。
◆400倍
 朝日新聞8月22日夕刊コラム[窓 論説委員室から]で辻篤子さんが<偶然の贈りもの>として「月より400倍大きい太陽が、ちょうど400倍遠くにある。月が太陽を完全に隠す皆既日食が見られるのは、この配置のおかげだ。」と書いていた。「自然が、私たち地球人に『黒い太陽』を見せる粋なはからいをしてくれたのか。中国西域のゴビ砂漠まではるばる出かけて見た今月1日の皆既日食が脳裏に浮かんだ。真珠色のコロナと、プロミネンスと呼ばれる紅色の炎に縁取られた黒い太陽は、同行した日食観測歴20回近いベテランもうなる美しさだった。」と。そして、衝撃的な話を教えてくれる。
 <もっとも、この幸運も永遠には続かない。月は毎年3㌢ほど、地球から遠ざかっているからだ。いずれ皆既日食は見られなくなる。せめてそれまでは、自然の贈りものを、たっぷり楽しみたい。>と。来年7月22日にはトカラ列島など南の島々で見られ、その後もほぼ3年に2回、地球のどこかで起きる、という。関東地方で見られるのは2035年だ、というのだが、後期高齢者になっていても元気であり、なおかつ、その日が晴れていれば長旅をしなくとも幸運に巡り合えそうだ。
◆1.5度
 読売新聞8月22日夕刊対社面<115年ぶり最低気温更新/稚内1.5%/8月>は北海道で22日、上空に冷たい空気が流れ込み、道北地方を中心に冷え込み、最低気温が稚内市沼川で1.5度を記録。日本気象協会北海道支社によると、1893年に帯広で観測した2.1度を下回り、道内の観測地点の8月の最低気温としては115年ぶりに記録を更新した、とあった。10月上旬から下旬並みの寒さ、だと。なお、東京・大手町の最低気温は平年を3.6度下回る20.5度と9月中旬並みの涼しさだったという。日本列島がいかに縦に長いか、こういうニュースを読むたびに想起させられる。
◆18億人
 毎日新聞8月3日朝刊1面[余録]に生命と水の切っても切れない関係、として次の数字が載っていた。
 <地球は太陽系の八つの惑星の中で唯一、大量の水をたたえている。その総量は約14億立方㍍に上る。地表の7割を海が占め、私たちの体も6~7割が水分でできているといわれる。まさに、生命をはぐくんできた「水の惑星」だ。>
 <生活に欠かせない淡水は全水量の2.5%に過ぎず、世界の人口がこのまま増加すると深刻な水不足に陥る恐れがある。人口が多いのに水が少ない地域もある。気候変動の影響も見逃せない。2025年には18億人が「絶対的水不足」にさらされるとの指摘もある>
 怖い話だ。日本は水がたくさんあるから、大丈夫と思っていても、どうもそうではないらしい。今、野菜や肉や原料の中に入っている水を日本は相当量輸入している。この輸入量を計算すると、結構怖くなるらしい。
◆1億1000万人
 日経新聞7月31日朝刊コラム[大機小機]は(三角)さん執筆。見出しは<人口政策不在の亡国>、見出しを見ただけで怖いのだが、内容もすごい。経済同友会元代表幹事の小林陽太郎氏が「世界の視界からニホンが消えていく。こうやって生きていくというメッセージがないから世界の人々の目に日本の姿が結実しない」と嘆いたそうだ。(三角)氏は「姿を描けぬ最大の理由は人口政策の不在だ」と断じる。そして、日本経団連会長を務め、小泉構造改革を支えたトヨタ自動車相談役の奥田碩氏の「今の人口をベースに、将来必要になってくる人口、年齢構成がどうあるべきかといった政策が日本にはない。このままでは本当に日本は沈む。日本人だけでやっていけるなど、全くもって精神主義的な話だ」という話を紹介。「実際、衆参両院のねじれで政治が機能不全に陥ったこの1年、人口・移民政策が議論されることはほとんどなかった」と書いている。
 そこで出てくるのがタイトルの数字だ。
 <インド15億9000万人、中国13億9000万人、米国4億人、ナイジェリア2億6000万人、ブラジル2億5000万人。国連の2050年人口推計だ。日本は現在より1600万人減って1億1000万人。50年にはトルコやイランも日本と肩を並べるまで人口を増やすと、この推計はみる。>
 というくだりだ。「人口は経済力の基本。米国は様々な社会問題を抱えながらも移民純増政策を続け、今も人口を毎年300万人程度増やしている。2年前の夏、シンガポール首相府でリー・シェンロン首相に会ったとき、『シンガポールでは毎年、3万から4万人の外国人が永住権を取得し、1万人が新たに市民権を得ている。移民政策は国家発展の土台だ』と熱っぽく話していた。」というエピソードを紹介。
 <シンガポールの人口はわずか440万人。未熟練外国人労働者に厳しい管理政策を取りつつも、所得や能力で一定条件を満たせば積極的に永住権や市民権を与えている。日本とシンガポールでは国情も経済規模も違うという声が聞こえてきそうだが、国際通貨基金(IMF)によると07年の1人当たり国内総生産(GDP)で日本はシンガポールに抜かれた。国民一人ひとりからみて、アジアで最も豊かな国は日本ではなくシンガポール。それが現実だ。>
 <人口政策は数だけでなはない。年齢や職種別の構成をどうするか。移民を増やすなら犯罪防止や教育など幅広い社会制度の変更もついてくる。だが人口政策が定まらなければ将来を見据えた社会保障や成長戦略の絵も描けない。1億人の老大国を覚悟するか回避するか。ここでの選択が日本の将来を左右する。>
 実は反論した部分がたくさんあるのだが、まあ、人口政策が大切であることは間違いない。ただ、そこに至る論議の過程で米国やシンガポールにはない「戦争後遺症」をどうクリアするか、が実は非常に大事な問題ではないか、と思うのだ。
◆781人
 移民政策といえば、1908年6月18日、笠戸丸が781人の移民を乗せてブラジル・サントス港に入港した。今年は日本からブラジルへの移民100年に当たり、この日、ブラジルで盛大な催しがあったそうだ。
 日経新聞7月26日夕刊1面コラム[あすへの話題]でエッセイストのゆたかはじめ氏が<大海原を越えて>のタイトルで書いていた。
 781人中325人は沖縄からの移民だった。沖縄本島中部の金武町には沖縄移民の父といわれる当山久三(といやま・きゅうぞう)氏の銅像が建っているそうだ。笠戸丸より早く1899年に初めて沖縄からハワイに移民を送り出し、移民先はその後、南米各地に及び、戦後アメリカ時代もずっと続いた、と。ハワイでの沖縄出身者の活躍は想像をはるかに超えるものがあった、と書いている。
 沖縄には貧しさゆえの要請など、経済的な要素も否定できないものの、海洋民族の血が騒いで、見知らぬ土地に勇躍挑む潔さがあったのだろう。
 これは日本人が移民に出た100年前の話。今論議すべし、と言っているのは外国人を日本に移民としていかに受け入れるか、の話。大きく時代が変わっているのである。

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2008年8月22日 (金)

米韓同盟って今、どうなっているんだろう?~朝日新聞国際面<米韓同盟 悩める新時代>を読んで

米韓同盟って今どうなっているんだろう? 今後どうなるんだろう?
 朝日新聞22日朝刊国際面<米韓同盟 悩める新時代/合同演習 指揮・戦闘、韓国が前面/尾を引く牛肉問題/日韓防衛交流は歴史・政治が壁>を読んで、「そうだったんだ、忘れていたが、在韓米軍は指揮権を韓国軍に譲り渡すんだったんだ」と思い出した。前から引っかかっていた問題だ。
 2007年12月26日の日経新聞は12月17日に都内のホテルで開いた米戦略国際問題研究所(CSIS )と日経新聞共済シンポジウム「2008年大統領選と日米関係の行方」の内容を特集面2ページに掲載したが、その中で基調講演したジョン・J・ハレムCSIS所長(元国防副長官)が在韓米軍について話していたことを思い出したのだ。スクラップをひっくり返してみると、こう言っていた。
 「米韓両国は朝鮮半島有事の際の韓国軍の作戦統制権(指揮権)を在韓米軍かれあ韓国軍に移管することで合意した。私は米軍が半島から撤退する準備が整ってきたとみる。今後はアジアにおける米国の安全保障パートナーは日本だけになるのか。韓国と中国が連携するか。韓国が核開発に乗り出す可能性があるのか。こうした問題は日米関係にも直接影響を与えるので、幅広い議論を行う必要がある」
 という発言だ。
 このシンポジウムでの論議の大勢は春原剛編集委員が総括解説で書いているように「日米関係は冷戦終結直後のように『半ば漂流している状態』(マイケル・グリーンCSIS上級顧問=元米国家安全保障会議国家安全保障担当大統領特別補佐官兼アジア上級部長)に戻ってしまった。ブッシュ・小泉時代に拡がった『世界の中の日米同盟』のイメージとは裏腹に水面下で進んだ『同盟空洞化』現象がある。日米双方で知日派、知米派の衰退は止まらず、これに在日米軍基地再編問題、北朝鮮による核・ミサイル、拉致問題が拍車をかけた」という現状を米次期政権で打破できるか、どのようにブレイクスルーすればいいのか、というものだった。

 その中で、このハレム発言だけは突出しており、印象に残ったのだ。
 当然、韓国は盧武鉉時代であり、米国離れが進んだ印象が強い時期だった。しかし、李明博大統領になっても在韓米軍撤退問題、指揮権移譲問題の基本構図は同じであり、北朝鮮の「脅威」も昨年12月時点から現在まで基本線では変化はない。
 どうなっているのだろう? と何度か頭をよぎったのだが、そのままにしていたのだが、この記事を見て改めて考えた。
 22日付朝日新聞国際面記事の内容を少しメモしておく。
 8月18日~22日、韓国軍や在日・在韓米軍、米本土などの基地を回線で結び、韓国軍約5万6千人、米軍約1万人が参加した共同指揮所演習(CPX)を中心とした米韓合同訓練「乙支(ウルチ)フリーダムガーディアン」が行われた。米韓共同作戦「5027」に沿った北朝鮮による韓国侵攻を想定し①北朝鮮軍に戦争の兆候がある②ソウルへと南下する北朝鮮軍の防御③米韓両軍による反撃④平壌を占領――の4段階からなるが、今年は②までが対象で、重要な局面の戦闘をコンピューターで再現する「ウォーゲーム」(在韓米軍関係者)だ、という。
 その戦闘の指揮を今年から韓国軍がとる。最も犠牲者が出る陸上での戦闘も主に担うのだ、という。
 <在韓米軍主力の第2師団(1万4千人)は現在、軍事境界線近くにいるが、統制権が移る2014年4月にはソウル南方の平沢(ピョンテク)地区まで下がる。演習も、こうした状況を前提にして行われているという。>
 <ブッシュ政権が在韓米軍を世界各地に展開できるよう韓国側と協議を始めて5年あまり。当時3万7千人いた在韓米軍はすでに2万8千人に減った。ソウル・龍山基地にある米陸軍の第8軍司令部も2012年ごろまでにハワイの太平洋軍司令部内に移る見通しだ。韓国政府や専門家からは「在韓米軍の再編は仕上げに近づいた」との声も上がる。>
 というのが本記である。別稿にあるように、
 <統制権移管も在韓米軍削減も、米韓より南北の関係を重視した盧武鉉政権が進んで受け入れたものだ。李明博大統領を支持する保守層にはこうした動きを懸念する声が強い。
 だが合意を破棄すれば、在韓米軍の再編を進めたい米国の不興を買うことになる。
 米韓同盟を最も重視した李氏が選んだ方法は、合意を尊重する一方で米国に韓国防衛を改めて確約させるやり方だった。
 両政府は4月の首脳会談で、在韓米軍を世界各地に転戦させると同時に韓国防衛の重要性を確認する「米韓未来ビジョン」を夏の会談で発表することにした。しかし、今月6日の首脳会談での発表は先送りされた。「牛肉集会の後遺症」(韓国政府関係者)だった。……
 韓国は首脳会談に先立ってワシントンで開かれた米韓協議で在韓米軍駐留費の韓国分担分の引き上げも拒否した。引き上げ分で第2師団の移転費用を賄いたい米側の落胆は大きい。2008年末で合意している龍山基地の移転が12年以降にずれ込むのは決定的だ。>
 ところが、こうした朝鮮半島危機に関する米韓の行動は日本には一切知らされていない、という。記事でも「われわれの同盟国は米国だけだ」という韓国政府高官の言葉が紹介されているが、植民地支配の記憶が残る韓国にとって日本は依然潜在的脅威に映っている、というのだ。
 <米韓合同演習を視察した自衛官は一人もいない。1990年代後半から進んだ日本の有事法制整備は主に朝鮮半島有事を想定したが「肝心の米韓連合軍がどう動くかがはっきり分からない」(日本政府関係者)が現状だ。1993~94年の第1次北朝鮮核危機の際「5027」が米国の対韓配慮で日本に示されなかったことを教訓に、日韓の防衛交流は細々ながら続いてきたが、それすら2001年には歴史教科書問題の影響で韓国軍が海上自衛隊の艦隊訪問などを延期。日韓防衛会談も小泉元首相の靖国神社参拝で1年8カ月中断した。>
 <「未来志向の韓日関係」を掲げた李明博政権も例外ではなかった。7月30日、竹島周辺を韓国海軍の艦艇6隻がゆっくりと縦一列に行進し、上空を対潜哨戒機P3Cや主力戦闘機F15Kが飛行した。竹島問題の再燃を受け、韓国軍は1990年代からの「独島防護訓練」を初めて公開した。ただ、韓国軍は竹島問題を安全保障上の深刻な脅威と位置づけてはいない。「警備隊に代わって軍が独島に駐留すべきだ」との一部政界の要求に国防省は応じなかった。むしろ自衛隊と韓国軍は政治の波に影響されない安定した防衛交流をめざし、具体的な交流行事を約束する覚書を年内に交わす方向で調整している。>
 <「北韓(北朝鮮)との戦争になれば、日本は味方だと軍人はみな信じている。独島で争っている場合でなない」。盧政権で大統領府国防補佐官を務めた金煕相陸軍中将(予備役)はこう指摘する。竹島問題が覚書の交換に影響するのかどうか。両国の防衛関係者は固唾を呑んで政治の動きを見つめている。>

 朝日新聞紙面には2007年版防衛白書から抜き出した<軍事力比較>表が掲載されていたので、写しておく。

              北朝鮮        韓国       在韓米軍
総兵力         約110万人     約69万人     約2.8万人
陸軍兵力        約100万人     約56万人     約2万人
陸軍戦車       約3500両      約2330両     約110両
海軍艦艇       約640隻       約180隻     支援部隊のみ
海軍海兵隊                  約2.8万人
空軍作戦機      約590機       約600機     約60機
人口           約2311万人    約4860万人

 朝日新聞のまとめ記事で、一応は現在の状況は分かった。まあ、昨年から今年にかけて、大きな変化はない、ということだろう。となると、ハレム氏の言葉はいまだに不気味であり続ける。

 以前、黒井文太郎氏の本の内容を3回に分けて略述した時に、戦力比較を書き抜いておいたと思うのだが、

 <38度線沿いに北朝鮮軍が配置している多弾装ロケットがソウルを火の海にするおそれがある>

 という問題は、韓国内の状況がどのように変化しても、依然残ってしまう問題である、ということは変わらないだろう。

 その時にも考えたのだが、在韓米軍が平沢に移動すれば、北朝鮮の多弾装ロケットの射程から外れる、つまり、ロケット弾は米軍基地には届かなかったのではないか。通常兵器ならば米軍はそうは怯えないのだが、細菌兵器や化学兵器を搭載したロケットを恐れるのだと思う。何しろ距離が近いから、防御の準備ができないからだ。

 射程距離圏外、つまり安全圏に逃れれば、米軍の選択肢は広がるのではないか。あくまで論理的に頭で考えただけの話だが、米軍は「韓国は防衛する」と言いながら、北朝鮮によるソウルへの第一撃を「勝利のためには仕方ない犠牲」と、割り切るかもしれない。韓国政府は猛反対するだろうが、米軍は第一撃を織り込んで平壌政府を壊滅させる作戦も一つの選択肢として取り得る、ということになる。

 ここがポイントだと思う。

 ソ連が崩壊し、ロシアも理性を取り戻し、中国は国内の不安定化につながるような隣国での戦争を望んでいない。だから、朝鮮戦争当時とは状況は全く違う、ということはその通りだ。朝鮮戦争は米国がアジア防衛ラインから朝鮮半島を外す内容の声明を出し、それが金日成主席に「韓国に攻め込んでも米国は介入しないだろう」との誤解を与え、朝鮮戦争(祖国統一戦争)を決断させた、という説もある。

 状況が違うから、それと単純に比較するわけにはいかないことは言うまでもない。現実には、そんなことは、まずないだろうし、ありっこないと思う。しかし、48年前を知っている韓国の政治・軍事関係者にとっては、在韓米軍の削減・撤退は昔の忌まわしい記憶をフラッシュバックさせるような大きな不安材料になりうる要素なのではないか。

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2008年7月31日 (木)

書評 井堀利宏「『歳出の無駄』の研究」

 「『小さな政府』の落とし穴」(日本経済新聞出版社)で今の日本には消費税10%が必要であることを理論的に説明した井堀利宏・東大大学院経済学研究科教授が新刊「『歳出の無駄』の研究」(日本経済新聞出版社)を出したので、早速読んでみた。 

 一般向けに書かれた本なので、分かりやすい。

 まず、なぜ政府の歳出に無駄が多いのか、という本質的な問題だ。最大の原因は予算制度だという。4月から翌年3月までの単年度で仕切るシステムだから、予算が余っても翌年度に繰り越せない。民間企業ならば<利益=収入-費用>だから、費用のうち無駄な費用を削減すれば利益が増える。そのセクションの業績もアップする。だが、政府は利益を目標としないから、この等式が成り立たない。

「歳出の無駄」の研究 「歳出の無駄」の研究

著者:井堀 利宏
販売元:日本経済新聞出版社
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 井堀氏は<自分の仕事=歳出額=公共の福祉>という等式が成り立っている、と説く。歳出額の削減は仕事の評価が低下するという負のイメージで受け止められるので、年度末には予算を使い切るのだ、という。また、年度途中で編成される補正予算は「何に使うか(経費の内訳)」よりも「どれだけ使うか(経費の量)」にだけ関心が集まり、無駄の温床となる、という。内容がいかに無駄であっても公的需要を追加すれば、それだけGDPに反映する。つまり、景気対策の目標である成長率アップに寄与する計算になるので、物量主義がはびこる。

「小さな政府」の落とし穴―痛みなき財政再建路線は危険だ 「小さな政府」の落とし穴―痛みなき財政再建路線は危険だ

著者:井堀 利宏
販売元:日本経済新聞出版社
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 また「ソフトな予算制約」つまり、使えば使った分だけ補填してもらえる、という夢のようなシステムがあり、これが無駄の温床になっている、という。国が巨額の交付税や補助金を地方にバラまく。陳情すれば金が入るので、節約するという考えがなくなり、いかに国の金を分捕ってくるか、の競争になり、地方財政にはコスト意識が欠如しがちになる、という。

 電力、ガスなどの公益企業や公的金融機関などの政府関係機関も地域独占で営業することが政府によって認められており、料金が公定。赤字になれば料金を上げることができるので、努力して利益を出すよりも独立採算が維持できる程度に収益をあげるだけでいい。大幅黒字になっても株主にすべて配当するわけにはいかないので、贅沢な本社ビルを建てたり、従業員の福利厚生施設を充実したり、という部分に金を使う。

 これは80年代まで護送船団方式というがんじがらめの規制で保護されていた金融業界も同じだった、という。その業界に存在すること自体で利益が保証された。利害関係者の既得権である。これも国民から見れば無駄金である。

 ということで、国民は「官」の無駄には厳しい目を向けるが、無駄の規模が分かりづらいので、ついつい「無駄さえなくせば消費税増税は不要」というような主張に頷きたくなる。

 しかし、井堀氏は無駄には2種類あるという。

 誰が見ても無駄と感じる「絶対的無駄」(環境破壊を伴う宍道湖や諫早湾の干拓などのような、それ自体が地域住民にマイナスをもたらすような公共事業や過剰な公務員の福利厚生施設など)と便益よりもコストが大きい「相対的な無駄」(青函トンネルや整備新幹線などの公共事業や医療における過剰な検査・薬漬け、裕福な高齢者への公的年金給付、豊かな地域や人への補助金など)の二つである。

 絶対的な無駄は国・地方合わせて4~6兆円規模と推定。そのうち3~4兆円は削減可能かもしれない、という。つまり、絶対的な無駄が50~60兆円ある、という主張への反論である。相対的な無駄(多少は有益であっても、無駄といえる歳出)は国・地方合わせて15兆円規模だろうと推定するが、多くの利害関係者がいるので、この無駄の削除は多くの痛みを伴い、容易ではない。これに拘っていると、必要最小限の増税が先送りされることになり、将来世代は大きく損をする、という。

 そこで、井堀氏は大きく構える議論を仕掛ける。そもそも選挙の区割りが実情を反映していないので、第三者機関で「1票の格差」ができるかぎり1に近づくような改正を行い、できれば、地域代表的な議員だけでなく、世代代表的な要素を取り入れて若い人(将来を担う人)の代表をある程度の数、国会に送り込むことが必要だ、というのだ。

 政治は妥協の産物だから、たとえば道路特別会計にしても廃止には猛烈な抵抗があり、社会保障制度も後期高齢者にだけ目が行けば、若年世代の主張は反映されないし、将来の世代にツケを回しても、文句が出ない。そこで、「ツケ回しはするな」と主張できる勢力を国会に確保しておこう、という考えだ。

 本書の結論はそういうことなのだが、それを導き出すためのデータでいろいろ勉強させられた。

 経済的に恵まれていない人、地域から恵まれている人、地域への逆方向の再配分は不公平だ、という至極当然の主張の中で、所得、金融資産、住環境、教育水準、通勤時間、安全性など多くの指標で比較すると、千葉、埼玉よりも北陸三県のほうが恵まれているのに、再配分は逆方向になっている、という。

 平均的高齢者と平均的勤労者を比較すると、所得、資産など多くの指標で高齢者のほうが恵まれているのに、公的年金や医療保険を通じて勤労者から高齢者に再配分が行われているのも逆方向だ、というのだ。

 たしかに「常識」と実態がこれだけ乖離していることもあるのだ、と改めて気付いた。

 さらに「現在の日本の公的年金制度は建前としては積み立て方式であり、政府は巨額の積立金を保有しているが、実質的には賦課方式であり、働いている世代がそのときの老年世代を支える仕組みである。賦課方式は政府のみが行えるネズミ講である」という分析は納得できた。

 景気対策の大義名分で公共事業の無駄がはびこる理由も分析。「80年代以降の公共事業のかなりの部分は、生産性の観点よりも別の次元で(「政治的な」バイアスをもって)配分されてきた。そうした公共事業が景気対策の中心として既得権益化していったことが、90年代のわが国経済低迷の原因でもあり、また、この時期に財政赤字が累積していった背景でもある」という。

 井堀氏も言うように、ねじれ国会が出現して、道路特別会計の奇怪な金の使われ方が明るみに出たのはいいことだった。ねじれなければ、永遠に問題視されなかったかもしれない。

 もう1点は教育費だ。経済学者の中には公共事業への投資を抑制し、教育投資を増やせ、と主張する向きが多いのだが、井堀氏は「少子化で子供の数が減少している中で、教員数を大幅に増加させることにどれだけのメリットがあるのかは、重要な論点」として、受験戦争が過熱して、大学に入ると勉強しなくなる日本の教育システムの欠陥をあげて、「受験勉強の弊害を解決するためには、生産性と相関する学歴以外の情報をより安いコストで見つけること」が必要という。「単なる文教予算の増加は、相対的な無駄を拡大させる可能性が高い」と。大学などの高度な研究にはもっと評価システムの充実が必要だ、とも説く。

 驚くのは公務員の給料だ。地方公務員の中でも現業職員の給与が民間と比べ60%高かったりする。清掃職員、学校給食職員、用務員、電話交換手、守衛などの職業である。年収500~700万円もらっている、という。民間ならば200~400万円らしい。

 ただし、国際比較すると日本の公務員は少ない、と。人口1000人当たりの公的部門職員数比較では日本33.1人、ドイツ55.8人、アメリカ78.1人、イギリス79.5人、フランス87.6人だ、と。主要国の一般政府の雇用者報酬(公務員の人件費にほぼ相当、対GDP比、2004年)でも日本6.4%、ドイツ7.6%、アメリカ10.2%、イギリス10.8%、フランス13.3%だという。

 日本は先進国の中では最も公務員人件費、総定員が少ない国なのである。

 そして、「霞が関埋蔵金」批判。上げ潮派がうるさく言っているが、そんなことはない、と一刀両断に切り捨てている。

 ここらへんが小泉改革で活躍した元財務相官僚の高橋氏との違いだ。どっちが正しいのか、分析する立ち位置の問題なのではないか、と思えるのだが。

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2008年7月30日 (水)

書評 「言霊」「医療崩壊はこうすれば防げる」

 医療問題は難しい。
 なぜなら、お医者さんの懐の話、病院経営というお金の話が片方にあって、もう一方には患者を診る医者、病院という地域医療システムの問題があり、これが複雑に入り組みながら、訳の分からない制度を形作っているからだ。
 日々のニュースを見てもピンとこないのは、この複雑なシステムを日々の新聞は説明せず、新しく起きた現象だけを書いているため、それが全体の中でどんな意味を持つのか、理解しにくいのが理由だろう。
 批判されている後期高齢者医療制度にしても、国家財政建て直しのためには仕方ない、と思っている人も多い。「いや、国家財政はそんなに悪くないのに、財務省のキャンペーンに乗せられているだけ」と批判する人もいる。一方には一昔前の社民主義者のように「福祉を提供できないような国家は国家の名に値しない」と言い切る人もいる。
 でも、こうした論者は格好のいい総論は堂々と言えても、実際の現場を知らないとあって、各論に話が及ぶと話が急に曖昧になる。

苦海浄土―わが水俣病 (講談社文庫) 苦海浄土―わが水俣病 (講談社文庫)

著者:石牟礼 道子
販売元:講談社
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 水俣病の鎮魂として「苦海浄土」を書いた昭和2年生まれの石牟礼道子氏と「生命の意味論」など著書も豊富な昭和9年生まれの世界的免疫学者、多田富雄氏が交わした06年~08年の往復書簡10通を収めた「言霊」(藤原書店)が出版された。

言魂 言魂

著者:石牟礼 道子,多田 富雄
販売元:藤原書店
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 がんと闘う多田氏は書簡の中で何度も後期高齢者医療制度を批判し、「診療報酬改定により、リハビリを受けられなくなった鶴見和子さんが、それが大きな原因となって亡くなった。厚生労働省に殺された」と小泉純一郎元首相以来の構造改革路線を批判した。
 鶴見和子さんまでが後期高齢者医療制度の犠牲になった、と聞き胸塞がる思いだったのだが、最大の驚きは、この鶴見さんを殺したシステムが国会を通った法律ではなく、診療報酬改定という厚生労働省、つまり行政府だけの意思決定によるものだ、ということを初めて知ったことだった。

 「診療報酬改定」というので、お医者さんの給料に関するお金の話とばかり思っていたのだが、実はこれが患者が受けられる治療内容に密接にかかわっている、という事実を知らなかったのだ。
 後期高齢者医療制度は法律で決められ、国会の議決が必要だが、診療報酬改定には国会という歯止めがない。
 どの省庁でもそうなのだろうが、本来は法律で決めるべき内容を政令、省令、規則で決め、役人の都合のいいように差配しているのが今の日本というシステムなのだろう。
 人はいかに生きるべきか、を学ぼうとして読んだ「言霊」で思いもかけず医療問題に開眼したので、医療関係の一般向けの本を何冊か読んでみた。
 やはり、厚生労働行政の矛盾ばかりが目についた。

医療崩壊はこうすれば防げる! (新書y 197) 医療崩壊はこうすれば防げる! (新書y 197)

販売元:洋泉社
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 入門書の中では、済生会栗橋病院副院長兼外科部長でNPO法人医療制度研究会の代表理事を務める本田宏さんが編集、ご自分も執筆している「医療崩壊はこうすれば防げる!」(洋泉社、7月22日初版発行)が日本の医療が直面している問題を全般的にまとめていて、一番理解しやすかった。

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2008年7月28日 (月)

消費税導入と公約違反~大平政権から橋本政権まで

 竹下内閣が消費税を導入した時、最大野党は社会党だった。社会党は衆参両院で牛歩戦術を繰り広げ、「公約違反の消費税導入を許すな」と世論に訴えたが、自民党は数の力で押し切った。消費税法など税制改革関連法の成立は今から20年前の1988年12月24日、クリスマスイブだった。
 消費税法は89年4月1日に施行され、スーパーやコンビニでは表示価格に3%の消費税分を足さないと物やサービスが買えなくなった。
 「小学校1年生の息子が100円玉1枚を握りしめて鉛筆を買いに行ったのですが、商店主に『3円足りない』と断られ、泣きながら帰宅しました」、という類の”消費税都市伝説”が新聞紙面をにぎわせた。
 1円玉確保に奔走するスーパー、「弱い者いじめだ」と消費税分の受け取りを拒む“人情商店”……、様々なドラマを生んだ消費税。シャープ税制以来の直接税中心主義からの大転換だった。政府は「国際的平準化」など難しい言葉で導入理由を誤魔化していたが、毎年、黙っていても7兆円ずつの税収が入る打ち出の小槌を手に入れた、というのが真実だった。
 橋本政権は97年4月、消費税率を5%にアップ。毎年の収入は12~13兆円に膨らんだ。
 冒頭の社会党の牛歩戦術。当初はメディアの共感を呼んだが、そのうち、同じことしか言わなかったので飽きられ、時代遅れのような扱いを受けて敗北した。
 ただ、その主張は正しかった。
 1971年のニクソンショック、73年の石油ショック、70年代終盤の第2次石油ショック、と日本経済を襲った外圧のたびに、政府は公共事業を増やし、国家財政出動で景気を盛り上げようとした。財政赤字も膨らんだ。
 大蔵官僚出身で律儀なクリスチャンである大平正芳首相は79年、一般消費税導入を総選挙公約として発表。有権者の猛反発を食らって撤回したが、選挙に敗北。このため、福田赳夫氏との「40日抗争」に発展した。1980年の参院選前に野党が内閣不信任案を提出。自民党内抗争の結果、可決され、憲政史上初の衆参同日選挙に突入。大平首相は選挙途中、心労で倒れ、その後死去する。同日選は自民党の空前の大勝だった。
 後継の鈴木善幸首相は一般消費税が否定されたため、「増税なき財政再建」に取り組む。目刺しの食事で有名になった土光敏夫氏を会長に、大日本帝国陸軍参謀本部参謀の瀬島龍三氏を会長代理に臨時行政調査会を立ち上げ、増税する前にまずは行政の無駄排除、という手順で進めることとなった。
 そして、鈴木首相が米国の不興を買って突然辞任すると後継の中曽根康弘首相も土光臨調を活用して国鉄の分割民営化、電電公社民営化に成功する。
 米レーガン政権との蜜月状態も好感され、内閣支持率が高かった中曽根首相は1986年6月、衆参同日選挙に打って出る。選挙前に「大型間接税は導入しない」と何度も約束していたのだが、衆院で300議席を確保する圧勝に増長したのか、87年2月には通常国会に売上税法案を提出。野党だけでなく、世論から猛反発を受け、最終的に法案を廃案にした。総裁任期が1年延長されたのだが、この1年は売上税騒動で過ぎてしまった。
 売上税は食料品を非課税にするなど逆進性に配慮したが、同日選後、年末までのわずか5カ月で法案化したことから、自民党内の根回しも十分にはできず、党内の若手議員らからも反対論が噴出。「公約違反」の抗議の嵐はやまなかった。
 ポスト中曽根政局を制したのは竹下登だった。安倍晋太郎、宮沢喜一両氏と話し合いで中曽根首相の裁定に持ち込み、中曽根首相が竹下氏を後継に選んだ。87年11月、竹下政権が誕生した。
 なぜ竹下氏だったか。その後、中曽根氏は雑誌インタビューなどで「税制改革をやってくれるから」と語っている。消費税導入が後継指名の条件だった、というのだ。
 竹下内閣は88年7月に消費税法案を国会に提出。折から明るみに出たリクルート疑惑、農産物自由化と消費税の「3点セット」の逆風の中、88年12月24日、消費税法が成立。89年4月1日施行となった。
 公約違反で手に入れた衆参両院の多数議席をフル動員しての消費税法成立だった。
 「消費税」に「公約違反」の疑いが付きまとうのはこうした歴史を考えると仕方ないことだろう。
 <中曽根は総裁任期の1年延長を手にし、長期政権として国民の記憶に名を残した。竹下は短命政権に終わったが、大型間接税を実現したとして歴史に名を残した>(東京新聞07年1月30日付)というのが正統派の政治史研究者の見方なのかも知れないが、出生にまつわる疑惑は終生付きまとう。
 国税収入に占める消費税の割合は約20%で、所得税、法人税と並ぶ基幹税。消費税は1%あたり約2・5兆円の税収が見込まれるため、例えば税率を2%上げると約5兆円の増収が確保できるので、福田康夫政権でも消費税率10%と口にしたいのだろうが、口にできない理由がここにある。
 生まれた際の汚辱を有権者の記憶から消すことはできるのか?
 消費税は不幸な歴史を背負ってしまった。

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2008年4月13日 (日)

書評  姜尚中「「増補版日朝関係の克服克服」」

 姜尚中著「増補版 日朝関係の克服」(集英社新書、2007年5月22日第1刷。定価735円)を読んだ。
 2003年に出版した「日朝関係の克服」の増補版だから、本文のほとんどは2003年時点での話だ。前と後に2007年時点での分析が出ている。

日朝関係の克服―最後の冷戦地帯と六者協議 (集英社新書 (0390)) 日朝関係の克服―最後の冷戦地帯と六者協議 (集英社新書 (0390))

著者:姜 尚中
販売元:集英社
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 この本が唯一利用できるのは、朝鮮戦争から先の6カ国協議合意までの朝鮮半島の歴史をうまくまとめているからだ。和田春樹東大教授の「朝鮮戦争全史」(岩波書店、2002年)、「北朝鮮 遊撃隊国家の現在」(同)、ドン・オーバードーファーの「二つのコリア 国際政治の中の朝鮮半島」(共同通信社、2002年)など、進歩的な学者やジャーナリストの著作のエキスを並べた感じである。
 まあ、頭の整理にはいい本ではあるが、日朝関係の予想を含め、理想論的な見通しばかり見ていたら、未来を誤るのではないか、と思う。現実政治の厳しさを認識しながら、理想にどう近づくか、を考えるのが専門家の役目なのではないか、と思うのだが。

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2008年4月 6日 (日)

書評「国際金融ノート―BISの窓から」吉國眞一著(麗澤大学出版会)

 2008年3月17日第1刷発行、定価2520円。

国際金融ノート―BISの窓から 国際金融ノート―BISの窓から

著者:吉國 眞一
販売元:麗澤大学出版会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 [著者紹介]を写しておく。

 吉國眞一氏は1973年一橋大学経済学部卒業、同年日本銀行入行、ペンシルバニア大学留学、経済企画庁派遣、国際通貨基金(IMF)転出(理事代理)等を経て、国際局国際収支課長、同国際金融課長、同次長、ロンドン駐在参事を歴任。2001年7月日本銀行退職、国際決済銀行(BIS)Special Advisor就任、06年7月退任。同年10月新光証券株式会社シニアアドバイザー就任、現在に至る、とあった。本文に、本人がもう少し詳しく自分の経歴を書いていた。

 73年一橋大学卒業とサラリと書いてあった。つまり、1969年入学だから、東大入試がなかった年。その年の一橋大学は東大文科Ⅱ類(経済学部)志望者が京都大学経済学部と並んで第一志望とした大学だったように思う。その中で一橋に入学して、日銀に入行するコースを歩んだのだから、”石部金吉”的なエリートだろう、と想像して、パラパラと本を見てみたら、どうもお堅いだけの本ではなく、どちらかと言えば文学青年的な文章が並んでいたので、興味が湧いて最後まで読んでしまった。

 まずは外国為替貿易研究会刊行の雑誌「国際金融」2005年9月15日号に掲載したコラム「75周年を迎えたBIS」で、BIS(Bank for International Settlements:国際決済銀行)の歴史を書いていた。

 「BISとは」が分かりやすくまとめてあったので、その部分を概略だけ引き写しておこう。BIS規制くらいしか知らなかったから。

◆BISの歴史と日本

 <1930年に現在も本部所在地であるスイスのバーゼル市に設立され、国際金融機関としては最も古い歴史を持っている。BISの一つの特徴はIMFや世界銀行のような他の国際機関と異なり活動の源泉となる資金の拠出が各国政府でなく、中央銀行によって行われていること。日本は第一次世界大戦の戦勝国としてBISの設立に参加した7カ国の一つ。

 BIS設立の経緯として一般に説明されているのは第一次世界大戦の敗戦国ドイツの戦時賠償支払いを円滑に実行するために設立された、というもので、settlementsという言葉もそこから来ている。ただ、設立に関係した主要国中央銀行関係者の中には、これを単なる賠償支払い機関でなく、中央銀行間の国際的な協力の場として位置づけたいという意見を持つ向きが多かった。その結果、BISの定款には「中央銀行の協力推進」という目標が明記された。

 ドイツの賠償支払いはBISの活動開始直後、ドイツ経済の混乱からモラトリアムが発動されて意味を失い、その後は中央銀行の協力の場としての活動がBISの基本的な任務となっていった。同時にBISは多くの中央銀行からその外貨準備の一部を預かり、運用するという「中央銀行の銀行」としての業務を開始した。これは中央銀行に便宜を与えると同時に、自らの業務を通じて得る収益で日々の業務を賄えるようになり、BISが個別国政府などの干渉を受けない国際機関としての地位を確立することにも繋がった。

 BISは発足後まもなく加盟国の総裁が理事を務める月例の理事会が開催されるようになる。当時の交通事情を考えれば、各国の最高幹部が毎月顔を合わせるのは驚くべきことで、中央銀行首脳間にそういう緊密な関係が長期間築かれていたことが、後に欧州通貨統合にも大きく関わってくる。

 しかし、BISは第二次世界大戦の勃発によって困難な問題に直面する。「中立」を標榜し、戦争中もドイツの中央銀行ライヒス・バンク代表の出席を許していたBISは「ナチスに協力した」との批判を浴び、これはごく最近まで尾を引いた。

 これに加え、大戦の終了直前に開催されたブレトンウッズ会議で、戦後の世界経済を管理する国際機関としてIMFと世界銀行の設立が決定されたことで、BISの役割は終わったという声が高まった。

 結果的に、BISはそうした危機を乗り越えて存続した。これにはブレトンウッズ会議の英国代表であったケインズが貢献したといわれている。同時に、BISを高く評価していた中央銀行関係者の働きかけや、BISが中央銀行の銀行としての確固とした活動実績を持っていたことが大きな役割を果たしたというのがBISの歴史を出版したイタリアの経済史家、トニオロ教授の見解だ。

 1964年からは理事火の後に欧州(EC)の中央銀行総裁会議が開催されるようになり、BISはその事務局も提供した。ポンド危機やドル危機といったブレトンウッズ体制の動揺に際しては、BISの場で中央銀行幹部が緊密に協力し、時にはBIS自身による拠出も含めて短期の流動性支援を行い、また、スワップによる相互資金援助取決めを推進し、BISがそのクリアリング・ハウスとなるといった形で、対話の場を越えた具体的なオペレーションを展開していった。

 この間、日本は第二次世界大戦で敗戦国になったことでBISを脱退したが、日本銀行はさまざまな会議にオブザーバーとして出席するなどして着実に実績を積み上げた結果、1970年に再加盟を果たした。同年にオーストラリアの準備銀行も加盟し、戦後初めてアジア・太平洋の中央銀行がBISメンバーとなった。それ以前は、BISの加盟中央銀行30行のうちアメリカ以外はすべて欧州であり、この時期のBISは欧州の機関としての性格を色濃く持っていた。

 しかし、73年の変動相場移行により、BISは全く未知の領域に踏み出すことになる。変動相場の下でも、欧州諸国はドルに対して共同でフロートし、相互の為替相場を安定させるといった独自のアプローチを取り、79年には欧州通貨制度(EMS)を発足させた。EMSは、参加国の通貨を加重平均した欧州通貨単位(ECU)という通貨バスケットを創設し、BISはECUに関する決済事務の運営などを引き受けるといった形で欧州の中央銀行協力に一段と不覚関与することになった。

 そして、89年の「ドロール・レポート」で欧州通貨統合の具体的な青写真が示される。これ以降、ブラッセルのECにおける政治的イニシアチブとバーゼルのBISでの実務家レベルの作業が車の両輪となって、欧州通貨統合への知的インフラを構築することになった。

 1994年1月、バーゼルのBISの敷地内に「欧州通貨機構」(EMI)が設立された。11月にはフランクフルトに移転した。前BIS総支配人のランファルッシー氏が総裁となった。設立以来六十数年間、BISが続けてきた欧州の中央銀行協力の推進という役目は発展的に解消した。

 98年6月には欧州中央銀行(ECB)が活動を開始し、2002年、ユーロ銀行券の流通開始により欧州通貨統合が完成した。これを契機にBISの月例総裁会議は、欧州中央銀行での会議との重複を避けるため、1カ月おきに変更された。

 一方、ブレトンウッズ体制終了後、BISには新しい役割が課された。奇しくもそれは、変動相場移行の翌年に「バーゼル銀行監督委員会」(バーゼル委員会)が発足したことが契機。バーゼル委は国境を越えた銀行活動の監督について、母国当局とホスト国当局の責任分担を決めた「バーゼル・コンコーダット」の作成でその地位を確立した後、1988年に銀行の自己資本に関するバーゼル合意(BIS規制)を公表した。

 バーゼル合意はもともとはバーゼル委のメンバーであるG10諸国の国際的に活動する銀行を念頭においたものであったが、結果的に100を超える国で採用され、銀行監督に関するデファクト・スタンダード(世界標準)として定着した。

 さらにその根本にある、リスク・ベースの規制という思想は銀行監督の分野を超えて証券、保険等の監督にも適用するものとなった。

 2004年にはバーゼル合意の基本精神をより徹底的に追求し、金融機関の自主的なリスク管理の向上を目指したバーゼルⅡが6年を超える議論の末に公表されている。

 その後、保険監督や、預金保険に関する委員会の事務局(IAIS、IADI)もBIS内に設置され、その結果マドリッドに置かれた証券監督機構の事務局(IOSCO)も含め、関係者がバーゼルなどで頻繁に会合を行うようになった。

 こうした金融監督当局の会合には中央銀行以外の関係者も参加すると共に、既にBIS内にあった中央銀行レベルの金融システムや決済システムに関する委員会(CGHS、CPSS)等とも有機的に連携するようになった。

 こうしてBISの場で金融政策や為替政策と同様、金融システムの安定に関するいわゆるプルーデンス政策についても関係者の交流が活発になっていった。

◆バーゼル・プロセスとは?

 BISがよく使う「バーゼル・プロセス」という言葉は、このようにBISが対話の場としての知的インフラを提供する機能を指すものである。

 その後、上記金融システム安定に関するさまざまな委員会の関係者にIMF、世銀といった国際機関も加えた会合である金融安定化フォーラム(FSF)の事務局がBIS内に設置されたほか、銀行監督等のための研修センターである金融安定研究所(FSI)がBISとバーゼル委によって設立されるなど、バーゼル・プロセスは強化されてきた。このようにBISの活動は安定(stability)という言葉がキーワードとなっている。中央銀行の最大の責務である金融政策がもともと通貨価値の「安定」であることを考えれば、BISのSはstabilityのSと考える方が実情に合っているのかも知れない。

 また、こうした活動範囲の拡大に並行して、BISではホーム・ページ(www.bis.org)を通じる情報提供を強化するなど、よりグローバルでオープンな国際機関としての性格を強めてきたことも最近の特徴として指摘できるだろう。

 アジア通貨危機の1997年以降、アジア地域の通貨当局の間で金融協力のネットワークが強化された。アジア債券ファンド(ABF)は1991年に日銀の提唱で設立された東アジア・オセアニア中央銀行役員会議(EMEAP)によって2003年にEMEAP11カ国の中で債券市場の未発達な8カ国のドル建て債に投資するファンドとして発足した。05年には同8カ国の自国通貨建て債に投資するABF2が発足し、さらにABF2はアジアの市場で上場され、民間の投資家にも開放された。

 2005年には、ABF2の発足と共に政府レベルではASEAN+3によるスワップ取り決め(チェンマイ・イニシアティブ)の強化が合意され、年末には東アジア・サミットの開催が予定されるなど、アジアの金融協力が大きく進展した年として記憶されることとなろう。>

 以上が「BISの歴史」の部分だ。

◆BIS規制ではなく、バーゼル合意

 そして、次が「BIS規制」として知られる「バーゼル合意」である。BIS規制という言葉はバブル崩壊後の日本経済の苦境をもたらした元凶としてネガティブな意味で使われるケースが多いが、著者はこの名称は間違いだ、という。

 <BIS規制という表現自体に問題がある。正式名称は「自己資本の計測と基準に関する国際的統一化」であり、日本銀行や金融庁が使用する略称は「バーゼル合意」だ。BIS規制という言い方は二重の意味でミスリーディングである>

 と書いている。

 <銀行監督委員会(バーゼル委員会)の事務局はBISの中にあるが、事務局はあくまでたたき台を作っただけで、実際の合意はバーゼル委員会委員である各国中央銀行や銀行監督委員会の代表者の議論を反映したものだ。

 バーゼル合意の大きな特徴は規制権限を持った監督当局が一方的に決定し、強制力を伴って従わせるという旧来の銀行監督手法から訣別し、金融機関の自主性を最大限に尊重するというアプローチにあった。

 特に1996年のマーケット・リスクに関する内部モデル手法の導入から最近の抜本的見直し(バーゼルⅡ)に至る議論は、パブリック・コメントを通じて民間サイドの意見が大幅に取り入れられる中で、銀行監督に関するこれまでの常識を覆す革命的な内容を多く含むものとなっている。「BIS規制」というのは、そうしたバーゼル合意の本質をきちんと理解していれば出てくるはずのない言い回しではないだろうか。>

 1988年に導入されたBIS規制がバーゼルⅠだ。

 2007年から導入された新規制がバーゼルⅡと呼ばれるのが一般的だ、という。

 著者は「バーゼルⅡに関する五つの誤解」として、

①BIS規制という呼び方自体に問題が存在

②BIS規制は、邦銀の国際活動を抑制するために欧米政府によって「押し付けられた」

 (バーゼルⅡの議論が本格化したのは、いわゆる「外資ハゲタカ論」が台頭していた頃であり、それに便乗する形でこうした見方が改めてクローズアップされてきたのだろう、としている。しかし、バーゼルⅠの発端はバーゼル委内部での日米英3国代表の合意であり、「押し付けられた」「押し付けた」という議論をするなら、日本は「押し付けられた」ではなく、「押し付けた側」に属するべいだ、と。「押し付けられた」という発言をする資格があるのは金融危機を乗り越え国際金融界での存在感を高めながら、バーゼル委への参加を認められないことへの強い不満があるアジアの金融当局や金融機関だろう、としている。)

③個別国の事情を無視したBIS規制遵守のための「貸し渋り」が、日本経済の「失われた10年」をもたらした

 (90年代初めに商店主や中小企業経営者から「BIS規制のおかげでひどい目にあった」という話が聞かれた。当時多くの銀行が自己資本比率の8%われに苦しみ、銀行が取引先に厳しい対応を取る時に、これを説明理由に使ったケースが多かっただろう。しかし、86年の米英共同合意は日本に厳しい内容だったが、日本の当局は米英当局との3者交渉の中で邦銀の強い希望を背景に株式含み損の自己資本導入を認めさせることで、その内容を極めて寛大なものにすることに成功した。その結果、邦銀の融資姿勢は一段と積極化し、バブル経済の後押しをすることになった。そして、バブルが崩壊し、株価が急落すると、これが自己資本の低下→貸し渋り→企業の業績悪化→資産内容悪化→自己資本低下、という悪循環を招いて「失われた10年」の一因ともなった。つまり、BIS規制が日本経済にマイナスの影響を与えたのは、日本の事情が「無視された」からではなく「十分すぎるほど考慮された」からでもある、ともいえる。一方、BIS規制は当初の段階ではむしろ米銀を苦境に追い込み、その苦しみの中から自力で資本調達しつつ、新たなビジネス・モデルを模索したことが米銀の今日の成功に繋がった。結局、何が問題だったのか。株式含み損の資本算入自体が間違っていたわけではないだろう。それは当時邦銀が置かれた環境を考えれば決して不当な要求ではなかったし、ある意味で、その後主流となった時価会計の流れを先取りした主張だった。日本の通貨外交はその限りにおいて国益にそったものだったと評価してよい。しかし、本来は、その時点で価格変動の激しい株式を銀行が大量に保有することの意味を問い直すべきだったのだろう。

④新規制においても踏襲されている「8%」という数字に理論的、実践的根拠はない

 (この批判は金融専門家から多く聞かれる。必ずしも誤解とはいえない。しかし、注意しなければならないのは8%があくまで規制上の最低基準として示されたものであり、その裏にはそれぞれの銀行が自行の業務の特徴を踏まえた適切な自己資本比率を自ら把握しているはずであるという基本的思想がある。銀行経営の健全性確保のため本当に必要なのはそうしたeconomic capitalの概念を銀行の最高幹部がきちんと理解し、かつ組織的にその水準を定量化し、現実の自己資本や資産状況と照らし合わせることで経営状況をチェックしていくという「リスク管理」のプロセスだ。最低基準の設定はあくまで必要条件に過ぎないのである、と書いている。)

⑤新規制において証券化やヘッジ・ファンドの扱い等は複雑かつ厳し過ぎ、特に中小金融機関にとっては、高度な金融手法が事実上使用不可能になる

 これは、今になって後知恵で考えれば「良かったネ」と言われてもいい規定だろう。でも解説はこうなっている。

 (証券化資産やヘッジ・ファンドの項にはリスク・ウエイトが1250%といったケースがあり、標準的手法で不良企業向け貸し出しのウエイトが150%に止まっているのに比べ違和感を抱く向きもあろう。しかし、ここは「何のために資本を持つのか」という規制の原点に立ち返って考えるべきだ。リスクは組みかえられるのであり、高いリスク・ウエイトが課されれているのは、組み換えによりハイリスクの資産が集中していると見られる部分である。また、ヘッジ・ファンドの扱いを見れば分かるように、資産の中身が判明している限り原取引を上回るリスク・ウエイトが課されているわけではない。中身を理解せずに複雑な取引を行うのであれば、預金者の金をリスクにさらすのでなく、リスクを引き受けることを前提に株主から預かった資本を割り当てるのが筋だろう。折から「サブ・プライム」問題の深刻化に伴い証券化資産のリスクが大幅に過小評価されていたことが明らかになりつつある。バーゼルⅡにおける証券化の扱いは決して「厳し過ぎる」ものではなかった。)

 と、以上が基本知識に関する部分だ。

 吉國氏の文章が面白かったのは、「第4章 ためらいの経済学」以降だ。

 まず最初に明かされているグリーンスパン神話も面白かった。内容を書いておく。

 <1996年、A国の首都で行われた「システミック・リスク」に関する国際会議でのアラン・グリーンスパン神話の誕生を目撃した場面。当時、デリバティブは35歳以上では理解できない、という「35歳ルール」なる差別的な言葉が出ており、そんな生意気なデリバティブを駆使する「ウオール街のロケット・サイエンティスト」と呼ばれる怖いもの知らずの若者たちが出席した。主要国の中央銀行、民間金融機関、学界から関係者が出て、その若者たちはグリーンスパン氏の基調講演を薄ら笑いを浮かべながら聴いていた。「難しいことを言っているけど、部下の書いたものを読んでいるだけだ」と。講演が終わると、その中でもひときわ才気あふれるインベストメント・バンク(投資銀行)の女性が質問に立ち、Ffat tail,non-linealityといった業界用語を連発した。

 グリーンスパン氏のような立場の人に対してあまりに専門的過ぎると思われた。「多分あなたはこの質問の意味が分からないでしょう」とでも言いたげな表情だ。幾らなんでも失礼だと思ったその時、グリーンスパン氏は「お若いの、よくぞ聞いてくれました」とばかりに質問者を見ると、演壇の前を行きつ戻りつしながら大学の講義のような調子で回答を始めた。その内容は圧巻だった。極めて技術的な質問にきちんと答えた上、質問者の理解の浅さをやんわりとたしなめつつ、金融工学に関する持論を哲学的な深みにおいて説き来たり説き去ったのである。会場は静まり返り、質問者の顔がみるみる青ざめていった。突飛な連想ながら、筆者は上泉信綱に打ち据えられた若き日の柳生宗厳を思い浮かべていた。会場を去るロケット・サイエンティストの間からHe is great! incredible!といった言葉が期せずして漏れた…。…(2002年のコラムから)>

 こんな感じのコラムが「カルヴィンとレーニン」「金山と銀山」「日銀倫敦事務所100年」「蘇るロンバード街」「ランキン百年忌その他」「小説より奇なり(倫敦観劇事情)」「東京に国際金融機関を」「モーツアルトと通貨統合」「2002年ユーロの旅」「ユーロとともに去りぬ」まで続く。

 その後は香港などで働いていた際のコラムなど。結構知る人ぞ知るようなジョークとかが入っている。こっちのほうが面白いかもしれない。

 IMFについて。I’M Fired すなわち失業の代名詞だった。しかし、大統領が率先して改革の必要性を訴えた結果、国民もI’m fightingとやる気を出し、その結果経済も回復してI’m fineになった。(P115)

 ブルネイはイスラム原理主義の国だ。日本人には悪いイメージが起きるだろうが、「原理主義」と「原理主義過激派」は違う。ブルネイの街は安全で快適、「平和のブルネイ」だが、厳しい戒律を守っている、とおうこと。(P118)

 ソ連の強い影響下にあった民主化以前のモンゴルでは、チンギス・ハーンは祖国の英雄ではなく残虐非道な侵略者という「自虐史観」が教えられていた。(P130)

 など、味わい深い話も多い。地味だが、読んでコクのある本だ。

 

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