書評

2009年9月19日 (土)

書評「プレイバック1980年代」村田晃嗣著:池明観氏のインチキさ、核密約、冷戦崩壊…+吉崎達彦「1985年」

 水道橋駅近くのいつも立ち寄る小さな古書店の隣に少し大きい新刊と古書の双方を販売しているお店がある。丸沼書店という。日大法学部や経済学部の教科書を扱っているらしく、店内には難しそうな本がずらりと並んでいるのだが、このお店の店頭の100円バルクセールは今まで文庫本ばかりで面白みがないものだったが、最近、新書を置き出したので、俄然、チェックを入れるようになったのだが、早速、村田晃嗣著「プレイバック1980年代」(文春新書、2006年11月20日第1刷発行、890円+税)を100円で買ってしまった。倉庫から直接持ってきたのだろう、新本そのままの外観である。324ページの新書だから、結構読み応えがあり、1週間かけて読み終えた。

プレイバック1980年代 (文春新書) プレイバック1980年代 (文春新書)

著者:村田 晃嗣
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 タイトルそのまま、1980年代に何が起きたか、を村田さんの目で切り取って料理し、提供している。

◆「はじめに」 本当に導入部。読まなくてもいい。

◆「出発点 1964年」 こういう本のお約束らしいが、1980年代に至る大事なエポックメイキングな年を二つピックアップした中の一つ。東京五輪の年だ。この章で、これも珍しくはないのだが、村田氏は戦後60年をライフ・サイクルになぞらえて15年ごとに区分していた。そして、

 <この時代区分は1947~49年に生まれた700万人近い「団塊の世代」のライフ・サイクルと重複する。青年期には学園闘争に狂騒し、壮年期にはバブル経済を謳歌し、初老期にリストラや出向、住宅ローン、家庭の不和に苦しみ、そして、2007年から大規模な定年退職を迎えるのである。>

 と私たちの世代(私は1950年の早生まれなので、自分では「団塊の世代」だ、と思っていたのだが、村田氏の区分によると対象外のようでもある。いつも、曖昧な年代なのだ)について約15歳年下の筆者がまとめてくれているのだ。こういう表現にぶち当たると、ちょっとこそばゆい感じがするのは、「まあ大体はその通りなんだけど、学園闘争に狂騒したのはほんの一部で、普通のノンポリは狂騒なんてしていなかったよ」とか「バブル経済を謳歌したというけど、たしかに会社で接待という名目でカネが使えたから、料亭に行ったことだってあるし、お客さんを招いたことにして、仲間内でおいしい酒を飲みに行ったこともあったけど、せいぜいそのくらいで、浮かれていたという記憶はないなぁ」とかの感想を持ってしまったりする。今時点のリストラ、出向、住宅ローンはまさしくその通りだけど。

 村田氏の区分は以下の通りだ。

①幼少期 敗戦から60年ごろまで。60年安保闘争は思春期の反抗に該当する。

②青春期 60年ごろから第1次石油ショックを経てベトナム戦争の終わる75年ごろまで。経済成長を基調とした性急な時代である。筆者の生まれた64年は、戦後社会の青春の真っ盛りであった。

③壮年期 75年ごろから90年ごろまで。70年代後半の不安定な助走期間を経て、本書のテーマである1980年代は、自信と元気に満ちた「保守」の時代となる。

④初老期 90年ごろから今日に至る。バブル後の「失われた十年」に苦しみ、ようやく再建に向かいつつある。

 この村田氏の区分を書き写していたら、同じ日に同じ店で買った吉崎達彦著「1985年」(新潮新書、2005年8月20日発行、定価680円+税)の区分を思い出した。

1985年 (新潮新書) 1985年 (新潮新書)

著者:吉崎 達彦
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 <日本の国運における40年周期説>というもっともらしい名前がついている。

①1868年~1904年(明治維新から日露戦争まで)=上り坂

 欧米列強のアジア進出に危機感を抱いた日本が明治維新を行って富国強兵に努め、最後はロシアとの戦争に勝利するまで。その結果、日本派列強の一角を占めるが、国内的には目的を喪失した状態になる。

②1905年~1945年(日露戦争後から第2次世界大戦の終戦まで)=下り坂

 目標を失った日本が対外関係を悪化させ、中国戦線の泥沼に踏み込み、最後は米国との戦争に敗れるまで。国土は荒廃し、広大な領土を失い、日本は文字通りゼロからのスタートを余儀なくされる。

③1946年~1985年(戦後からプラザ合意まで)=上り坂

 敗戦でどん底に落ちた日本が経済の復興に専念し、見事に先進国入りを果たすまで。しかし、プラザ合意以後の円高に対応する過程でバブルが発生し、次の下り坂への道が開かれる。

④1986年~2025年?(バブル経済から??)=下り坂

 日本経済が順調だったのは戦後40年目の1985年くらいまでで、その後はバブルの発生と崩壊、不良債権問題、金融不安、デフレ経済、そして「空白の十年」と呼ばれる90年代の低成長期を迎える。プラザ合意は1㌦=250円だったのが一気に3年後には1㌦=120円になってしまった。

 とあり、

 <戦後日本経済の「上り坂」がいかにすさまじいものであったかを確認しておこう。35年間の間にGNPは80倍になり、1人当たりの国民所得は50倍になり、輸出は140倍、輸入は90倍になった。昨今の中国経済の成長がいかに目覚しいといっても、これほどではない。そして今日の中国の台頭が周囲の警戒を招いているのと同様に当時の世界で対日警戒論が生じたのは無理からぬことであった。>

 というのだ。1950年と1985年の数字比較である。この表も書き写しておこう。

<戦後経済の発達>

               1950年        1985年

国民総生産(GNP)   4兆円         317兆円     80倍

アメリカとの比較     26分の1        3分の1

1人当たりの国民所得  4万円         208万円     50倍

アメリカとの比較     14分の1        3分の2

鉄鋼生産         400万トン     1億1000万トン  30倍

自動車生産        7万台        1227万台  170倍

貿易額(輸出/輸入) 3000億円/3500億円 42兆円/31兆円 140倍/90倍

                (出展は「戦後50年の日本経済」勝又寿良、東洋経済新報社)

 以上、吉崎氏の著書に回り道した。

 村田氏の本に戻る。

◆性急で不安な時代 1970年代

 硬派から軟派まで細かい事象から大きな政治的、国際的事件まで拾っているだけに、深みがないのが惜しいのだが、結構忘れていたり、知らなかったことが出ていて面白い。気付いた点をメモしておこう。

1975年は敗戦30年目に当たったが、8月15日に三木武夫首相が靖国神社を「私的に」参拝した。現職首相による終戦記念日の参拝は初めて

 中曽根康弘首相の公式参拝だけがクローズアップされるが、「私的」も「公式」「もないだろう。首相になった政治家が靖国神社に参拝することの近隣諸国に与える影響を十分に理解したうえでの参拝だったのかどうか。特に、この三木武夫という信用できない政治家は自分の信念に基づいて行動するのではなく、必ず裏がある。つまり、靖国神社に参拝することで右翼勢力を慰撫、取り込もうとしたのだろう。

 三木の浅はかな行動が戦後30年閉じていたパンドラの箱の蓋を開け、その後の中曽根、小泉首相の参拝に結びつき、日中「不毛の5年間」を生んだ。三木の責任は重い昭和天皇はA級戦犯の合祀された靖国神社へは参拝しなかった。三木のようなバルカン政治家がルール違反をしてしまったのだ

▽1975年にフランスのランブイエで開催された第1回先進国首脳会議(サミット)が開かれ、三木首相が出席したが、村田氏は、

 <発案者のジスカールデスタン大統領は当初日本の参加を考えていなかったが、西ドイツのヘルムート・シュミット首相が強くそれを求めた。各国首脳がファースト・ネームで呼び合う中、日本の首相だけは「ミスター三木」と呼ばれたという。それでも日本派なんとか石油危機を乗り切って、ここにアメリカ、西ヨーロッパと並ぶ国際経済の一極として承認された。単なる先進国から責任ある経済大国へと、壮年期を歩みだしたわけである。>

 と書いている。

T・K生という匿名の韓国人著者による「韓国からの通信」(岩波新書)の問題

韓国からの通信―1972.11~1974.6 (岩波新書 青版 905) 韓国からの通信―1972.11~1974.6 (岩波新書 青版 905)

著者:T・K
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 <当時の韓国はしばしば独裁国家と形容され、そのイメージは今日の北朝鮮並みに暗かった。信じられないという向きには「T・K」という匿名の韓国人著者による「韓国からの通信」(岩波新書)をご覧いただきたい。そして、韓国に関する日本人一般の知識や理解は、お粗末なほど乏しかった。>

 前にも書いたかもしれないが、「民団新聞」2008年7月9日(水)3面の特集[韓国語版「韓国からの通信」出版を機に検証]<「T・K生」池明観氏の場合/韓国「民主人士」の不思議な北韓体制認識/「擁護」から一転して批判/”惨状”目撃、いたたまれず/「早くなくすべき体制」/「6・15」南側委員会の場合/統一へ「民主化」を不要視/「金日成民族」にも目つぶり>という多くの見出しが並ぶ紙面を思い出し、もう一度、スクラップブックを引っ張り出してきて、読んでみた。

 朴容正・編集委員による前文には、こうある。

 <「韓国からの通信」は当時、韓国の独裁体制を流言飛語の類まで引用、口を極めて攻撃した。その一方で北韓の独裁体制には批判的にならぬよう気を使い、時には弁護さえしていた。その結果、日本人の韓国認識、「韓国=悪」イメージ形成に大きな影響を与えた。現在のように南北関係が微妙な時ほど北韓認識が重要だ。韓国「民主人士」の北韓体制認識をあらためて見てみると…。>

 本文を見ると、<「世界」連載中は「国家テロ」を弁護>という小見出しが入った部分では1983年10月のビルマの首都ラングーン(現在はこの悪いイメージをぬぐい去るためかどうか、名前をそれぞれミャンマー、ヤンゴンと替えてしまった)で起きた北朝鮮の武装工作員による全斗煥大統領暗殺未遂事件(未遂とは言っても閣僚らが死亡した)について、北朝鮮は「韓国軍事政権の自作自演だ」と宣伝していたが、「T・K生」(池明観氏)は「世界」1983年12月号で、

 <彼(全斗煥)がすぐ北の仕業と決め付け、反共キャンペーンをやり出したから、これは彼自身が企んだことではないかという疑いが起こった。>

 <自分に批判的な連中をとりのぞき、北がこのように浸透しているのだと宣伝し恐怖雰囲気をつくろうとした、というのだ>

 <北がなしたことであるとしたら、それに対する責任の少なくとも一端は全政権にあるといわなければならない。>

 <(オリンピックをはじめ多くの国際会議のソウル誘致など)狂熱的に北を刺激し、愚かにも軍人的勝利感で自ら誇り、内政における黒星続きを覆い隠そうとした>

 と書いていた、とあった。また、1987年11月の大韓航空機爆破事件T・K生は「世界」88年2月号に北朝鮮によるものではなく、韓国の陰謀だ、と書いている。米国はこの事件を機に北朝鮮を「テロ支援国家」に指定したが、北朝鮮はラングーン事件も大韓航空機事件もいずれも「韓国当局のでっち上げた陰謀」と主張している。

 <T・K生は75年6月号で「北を非難することは今では彼(朴正煕大統領)を助けることになる」「北に対する非難や批判をわれわれは当分の間カッコに入れておかなければならない」と主張していた。しかし、韓国以上の「長期・軍事独裁体制」で同胞に対するテロまで強行した北韓当局に対する「非難や批判」は、結局、連載中(合計176回)の15年間、一度もなかった。>

 という朴氏のコメントは非常に重要だと思う。朴氏が丁寧に調べ上げたように、池氏は2003年7月に「T・K生は自分だ」と名乗り出て「北に対してかなり肯定的な文章が入っているのですが、それはそうすることによって北を動かしたいという気持ちがあったからです。いま考えると純真な話ですけどね」と「世界」2003年9月号のインタビューで語っているのだ、という。

 03年9月の毎日新聞への寄稿ではこの調子を維持したが、直後の03年9月15日の東京新聞のインタビューでは2003年3月末にKBS(韓国放送公社)理事長として平壌を訪問した時のことを想起しながら、それまでのトーンとは一転して「北の体制を国際的に保障することで、朝鮮半島に幸せがもたらされるとは考えられないのです」と述べ、「北の体制を限定的な形――核施設や権力中枢への(米国の)武力行使によって壊すしかないのか。/いくら限定的な攻撃でも、犠牲は伴う。犠牲が多く出るのは、私自身耐え難い。ただ、今の来たの現状からすれば、強硬策もやむを得ない。せいぜい考えられるのは…いかに犠牲を少なくするか。いかに非人間的にならずに現実に対応できるか…こんなジレンマに陥ったのは初めてです」としゃべっている。

 翌年2004年、韓国の「月刊中央」とのインタビュー(6月号掲載)ではさらに踏み込んで「北韓は一日も早くなくすべきだ」と明言した。「北韓は一日も早くなくすべき体制だ。北韓が現体制から漸進的に改善して良くなると期待することは考えられない」としゃべっている。朴編集員は

 <北韓独裁体制への言及と批判は、「韓国からの通信」連載終了から、実に15年後のことであった。>

 と書いていた。

 特集記事の左半分は当時の韓民統(韓国民主回復統一促進国民会議日本本部)が今、韓統連(在日韓国民主統一聯合)と改名して、いまだに金正日総書記万歳をいい続けていることへの批判に終始していた。批判は当然である。

 しかし、池明観という男は金大中、盧武鉉政権では重用されてKBSの理事長をしていたとは! 日本で言えばNHKである。こんないい加減な男がトップにいれば北朝鮮万歳路線に傾くのは仕方ないだろう。日本にいたときには女子大の教授だったと思ったが、韓国では翰林大学というところにいるらしい。こういう男を飼っている大学だ。よく覚えておこう。

 たしか、昨年7月25日に岩波書店から発行された「陸羯南~政治認識と対外論」(7600円+税)を書いた朴羊信氏も翰林大学校翰林科学院研究教授だったな。

陸羯南―政治認識と対外論 陸羯南―政治認識と対外論

著者:朴 羊信
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 こんなひどい男が当時の空気を作っていた。今では信じられないかもしれないが、韓国のイメージはキーセン観光(買春観光)で北朝鮮は社会主義の理想というイメージが植えつけられていた。北朝鮮の工作がうまかったのと、韓国内で文民らが軍人を一格下に見て馬鹿にしながら悪口を言って、その悪口を池のような無責任な「学者」が広げたため、村田氏が書いてるようにいびつな韓国像が日本で形成されてしまったのだ

 池氏の責任は非常に重い。しかし、問題は池氏の個人的な素質でこういう問題がおきたのではない、ということなのだ。岩波書店=朝日新聞=社会党左派=総評・自治労という人脈が北朝鮮のスパイとして動き回る中でこういう仕組みが出来上がったのだろう。つまり、今でも続いている話なのだ。

 私がいつも書いているように李明博政権を引き摺り下ろしたい勢力=金正日支持勢力が韓国内にほぼ2分の1いる。何か政権不祥事が起きればこの勢力が騒ぎ出し、米国や日本の「進歩的文化人」を動かしながら、またまた「空気」をつくるだろう。だかrふぁ、私達は日本人として、日韓の友好を未来まで続ける気持ちを持っている李明博政権を支えなければならないのだ。

▽80年は大平正芳首相の死去と7月17日の鈴木善幸首相就任。8月には全斗煥大統領就任。

▽81年は本の扉というか、「小説『なんとなく、クリスタル』を手にした田中康夫氏」のキャプションの写真を見ると「ヤッシー」の若い頃の写真があった。こう見ると、細川護煕元首相にも似ている。あの独特のうるさいしゃべりがなければ案外いい男なのかもしれない。そういえば、早稲田大学で9月16日に開かれたジャック・アタリ氏の講演会に来ていたなぁ。質問までしていたが、何を聞いているのか分からないような質問で、アタリ氏もぼんやりした答えをしていた。案外、IQは低いのかもしれない。

 1981年で見るべきは毎日新聞のスクープとなったライシャワー発言。伊藤正義外相が鈴木善幸首相のいい加減な発言を諌めるために辞任した翌5月18日の朝刊に掲載されていたそうだ。米国は核を持ち込んで寄港していたのだ、とライシャワー元駐日米大使が古森義久記者のインタビューに明確にしゃべった、というのである。核密約問題だ。

 85ページから86ページにかけては現在の核密約問題を考える際のいい基本資料になるだろう。

1982年では1月から極東有事研究が始まった、と。日本有事の担当は防衛省だが、極東有事は外務省なんだってさ。今「周辺事態」と騒いでいるが、これが今言われることのなくなった「極東有事」のことだ、とあった。このように、分かりやすい本である。

 82年のもうひとつのトピックは6月26日付各紙朝刊が報じた「侵略→進出」書き換えという誤報問題である。この誤報をきっかけに韓国、中国では「歴史問題」が歴史カードになってしまった。日本の戦後があまりにも目をつぶり、反省しなかったことはまず責められるベきだろう。だが、このような自虐的な誤報をなぜしたのか? 当時の文部省担当記者は譴責処分を受けたのかどうか? 当時の新聞などを見ても分からない。

▽「ロン・ヤス」時代の幕開け、と題された83年では、中曽根首相が訪韓より1年も前に韓国語を勉強し始めていた、というエピソードには驚いた。1年前からタイムスケジュールを考えていたのだね。(P124)

▽「オーウェルの予言」と題した1984年。1Q84という小説が売れているようだが、これはその本物の話だ。9月に全斗煥大統領が韓国大統領として初めて来日した。つまり、朴正煕大統領は大統領として来日していなかったんだ! 来たかっただろうに。

▽1985年は「転換期」というタイトル。ゴルバチョフの登場、プラザ合意、中曽根の8月15日の靖国神社参拝。

▽1986年は「大爆発と総決算」。大爆発は1月28日のスペースシャトル「チャレンジャー」爆発7人全員死亡と、4月26日のチェルノブイリ原発の4号炉爆発。総決算は衆参同日選挙の自民党圧勝と中曽根による「戦後政治の総決算」路線。国鉄分割民営化。前川レポートもあった。

 86年を振り返った時、思いがけないほど大きかったのがフィリピンの政変だ。村田氏の感覚の鋭さだと思う。

 反政府運動が高まる中で独裁者マルコス大統領は大統領選挙を繰り上げて151万票の大差で圧勝した。1983年に暗殺されたアキノ上院議員の未亡人コラソン・アキノが野党統一候補。不正選挙だった。アメリカ上院がまず声を上げ、これを受けてフィリピン軍部が叛旗を翻し民衆も蜂起した。レーガン米大統領もついに反共の友に引導を渡すしかなく、マルコス一家は米軍のヘリコプターでかろうじてマラカニアン宮殿を脱出し、ハワイに亡命する。こうして「コリー」ことアキノ夫人が大統領に就任した

 <このフィリピンでの政変は、同じ開発独裁の韓国にも波及し、全大統領は89年に大統領直接選挙を実施すべく、憲法改正を言明せざるをえなくなった。>

 これは知らなかった。不明を恥じている。

87年は「終わりの始まり」のタイトル。10月20日未明の中曽根裁定で竹下登が次期自民党総裁に決まるのだが、このことを中曽根氏が日記に書いているのだ、と。これも初めて知った。フーン。竹下氏を選んだ理由はこの日記を読むとよく理解できる(P147)。

 韓国の「6月抗争」で全斗煥を説得したのがガストン・シグール米国務次官補(東アジア太平洋担当)だったことも知らなかった。私はなんてものを知らないのだろう。しかし、12月の大統領選挙では金大中、金泳三が両方出たため、票が割れ、軍部出身の盧泰愚が当選した。

 ポール・ケネディ「大国の興亡」は誤訳が多すぎる、と村田氏は書いている。後にネオコン(新保守主義)に多大な影響を与えた政治哲学者アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」。

▽1988年は「消費税、リクルートと『自粛』」。これは分かりやすい。そのまんまだ。

▽1989年は「昭和の終わりと冷戦の終焉」。1989年1月7日午前6時33分、天皇死去、享年87歳。この章は案外面白い。P298.P300はアルシュ・サミット

 <11月9日に東ドイツ政府が国民オ海外旅行と海外移住手続きの大幅な簡略化を決定。1961年以来東西ベルリンを遮断してきたベルリンの壁が事実上開放された。71年前に第1次世界大戦に敗れてドイツ帝国が崩壊した、ちょうどその日だった。……この11・9から世界はポスト冷戦の時代に入り、12年後の9.11にさらにポスト・ポスト冷戦の時代に突入することになる。>

 9.11をこのように位置づけるかどうかは疑問だが。

 P311からの<エピローグ――1980年代とは何であったのか>も分かりやすかった。読んで得する本だと思う。この本が100円? 出版社も大変だなぁ。

| | コメント (0)

2009年8月14日 (金)

書評「自民党抗争史~権力に憑かれた亡者たち」奥島貞雄著(中公文庫)

 中央公論新社から2006年8月に「自民党総裁選」と題して出版された単行本を改題して文庫化、2009年5月25日初版発行定価667円+税。奥島氏は古くからの自民党職員で「自民党幹事長室の30年」(中公文庫)で歴代自民党幹事長の品定めを行ったが、この本も主に幹事長室長として見た自民党内の政局模様を回想録風に綴ったものだ。

自民党抗争史―権力に憑かれた亡者たち (中公文庫) 自民党抗争史―権力に憑かれた亡者たち (中公文庫)

著者:奥島 貞雄
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

自民党幹事長室の30年 (中公文庫) 自民党幹事長室の30年 (中公文庫)

著者:奥島 貞雄
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 実は図書館で「自民党幹事長室の30年」を借りて読んだことがあったが、記憶にないくらいで、あまり面白いとは感じなかったと思う。でも、今回続編が文庫化されたのを機に国会内の本屋で買ってきた。

 そして、通読したのだが、以前面白いと感じなかった原因らしきものが分かった。つまり、派閥担当政治記者の回想記と同じで、誰と誰が会った、ということが中心で政策や理想でガチンとぶつかって対立する、という血湧き肉踊るドラマがないのだ。それこそ、政治家は寝技をする汚い男たちと描かれる。どうしても自民党職員から見た政治家、という視点が邪魔になっている。

 では、なぜ今、書評を書く気になったのか、というと、日中国交正常化、日韓基本条約、日米安保条約など外交面での歴史を自民党事務方はどう見ていたか、という興味があったのが第一点。そして、この本の後ろにある年表が案外役立ちそうだったので、それをメモしておこう、と思っただけだ。

 外交問題をどうとらえているか、ではあまり期待したような独自性は見えない。ただ日中国交回復の前の「保利書簡」に関してすでによく知られた話であろうが、次のようなエピソードを紹介し、田川誠一氏を批判しているのが面白かった。

 昭和46(1971)年のことだ。6月17日に沖縄返還協定に調印したものの、7月にニクソン米大統領は突然の訪中を発表する。そして、8月15日にはニクソン大統領が突然「金・ドル交換停止、10%の輸入課徴金徴収」を柱とした新経済政策を発表。このニクソン・ショックで円はそれまでの1㌦=360円の固定相場から実質的な変動相場制へ移行し、輸出産業のウエートが高い日本経済に大打撃になった。

 佐藤栄作政権の最後の幹事長(46年7月~47年7月)は佐藤派の重鎮、保利茂だった。佐藤はニクソン訪中発表を見て中国に対して国交正常化に向けた意思表示をしたいと保利に指示して時の首相、周恩来宛のメッセージを作成させた。「保利書簡」である。誰がどうやって周恩来に届けるか、が問題だった。保利は日中国交回復に熱意を見せていた田川誠一が頭に浮かぶ。後に自民党を離れ、新自由クラブを結成して代表になる田川は松村謙三依頼の親中派で中国との独自ルートを築いていた。

 奥島氏は書簡の伝達役を仰せ使い、血記事本願寺で葬儀に列席中の田川氏に書簡を手渡した。だが、田川氏はこの依頼を受けなかった。奥島氏は「佐藤が嫌いなら政策もダメというのはわがままというしかない」と田川氏を切り捨てる。保利書簡を実際に周恩来に渡したのは「ストップ・ザ・佐藤」を唱えて革新都政を実現した美濃部亮吉東京都知事だった。結果的に佐藤在任中の国交回復はならなかったが、この時の田川の態度はいただけない。田川誠一、河野洋平などあの系統の政治家は何か最後の最後、信用できないところがあるのだが、その「信用できなさ」という感覚的なものを実体化したエピソードとして興味を持って読んだ。

 田中角栄氏のロッキード事件逮捕について米国陰謀説が今でも消えていないが、その陰謀説がどのように起きてきたのか、を書いてあるのも役立った。

 田原総一郎氏が「中央公論」1976年7月号の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」で田中はアメリカ、ソ連抜きのアジア太平洋構想を持ち、同時に資源確保の自立外交をしようとしたため、アメリカによってスキャンダルを仕掛けられた、という。アジア太平洋構想にはオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、インドネシア、フィリピンなどが入り、資源とはアメリカのメジャーがすでに支配していた石油ではなくウランだった。それがアメリカの逆鱗に触れた理由だ、という内容だそうだ。(P81)

 ロッキード事件といえば昭和50(1975)年8月に三木武夫首相が訪米し、フォード大統領と会談した際、宮沢喜一外相、海部俊樹官房副長官が記者会見をしている時に自分が連れてきた外務省職員ではない通訳と一緒にフォード大統領と秘密会談をしており、この非公式会談でフォードの口から「田中のロッキード疑惑」について何らかの情報がもたらされていたのではないか、と奥島氏はその後思うようになった、と書いてある(P95)。昭和47(1972)年9月には田中は」首相として、同年2月に大統領が訪中を果たしたことに対抗するがごとき電撃的な日中国交回復を果たしたし、その前の自民党幹事長時代の昭和41(1966)年ごろには来日した米高官に「わが国には核兵器を持つ技術的能力も財力もある。今は持たないが、将来は持つかもしれない」と発言。奥島氏のアドバイスで報道陣には伏せられた、というので、この発言は表に出ていなかったようだが、米国はしっかりテイクノートしているだろうし、「田中=危険人物」というリストに入っていたのかもしれない。そういう状況を知ってか、三木首相のロ事件で政権延長を図る戦略はフォードとの秘密会談をしてまでも強められていたのだった。

 <自国にとって好ましくない政治家の息の根を完全に止めたい米国と、田中のスキャンダルは願ったりかなったりの三木。両者の利害は、少なくとも客観的には完全に一致するのである。>

 とある。もしも奥島氏が書いている通りだったら、三木武夫っていう男は政治家の風上にも置けない男だ。民族派の代表として日本の生き残りの道を探っていた田中を陥れて、米国に媚を売っていたのが三木だったとは!

 日韓基本条約についてももう少しエピソードを書いておいてほしかった。

 最後の年表だけでなく、今までの自民党総裁選挙の歴史についての年表も資料価値があると思う。

 ただ、こういう本を小説代わりに読んで、日本の政治を理解しようとすると、あまりに日本の政治がやせ細って見えるのではないか、と危惧する。日本だって、構想力豊かな政治化はたくさんいる。ただ、ミスマッチで、そういう政治家が政局の回しの舞台に出てこなかっただけだと思う。

 あまりにロジスティークばかりに気を遣う田中派・竹下派的な国対政治の権化のような政治ではなく、かといって小泉純一郎のような怨念政治でもなく、理想の松明を高く掲げて説明責任も果たすような政治家が増えることを期待しよう。

| | コメント (0)

2009年7月31日 (金)

書評「現場からの中国論~社会主義に向かう資本主義」大西広著(大月書店)+加々美光行・愛知大学現代中国学部教授<中国少数民族問題 その淵源と病理>(「東亜」09年8月号)

 「現場からの中国論~社会主義に向かう資本主義」という題名に惹かれて読んでみた。大西広氏という1956年京都府生まれの京都大学大学院経済学研究科教授が2009年7月21日に大月書店から出した本。定価は税込みで1890円だ。マルクス経済学者だ、と堂々としてるのがいい。

 <「実物経済」の強化の伴わない「金融経済」はいずれ破綻する。そして、これは元から分かっていたことである。いや、もっと正確に言えば、近代経済学者はアメリカ経済こそもっとも正しい経済のあり方だと思っていたのでこの経済破綻に戸惑っているが、マルクス経済学者には当たり前のことが生じたに過ぎない。そして、この結果、世界経済の中心はいよいよ中国を中心とする東アジアに移動することとなった。>(4ページ)

 というような現状認識ですべてを解き明かそうとする。

 中国経済の現状について失業者の騒乱とかの事件が報じられることについても、玩具企業や広東省など、低賃金労働集約型の輸出企業、特に対米輸出への依存度の高い企業の問題ではないか、これは中国経済の破綻の問題ではなく「アメリカ頼み」で生きていこうとする自体が間違えていることを示すもので、これは日本企業にも言えることだ、と厳しい。

 基本的に毛沢東を評価し、評判の悪い「大躍進」、「文化大革命」についても違う角度から焦点を当てることで、毛沢東の「近代」的な要素を抽出しようとする。つまり、毛沢東と鄧小平の共通点探しをしつこいくらいやっており、それはそれで逆転の発想的で面白いのだ。だから、今の中国についても共産党万歳となる。特に景気対策をベタ褒めし、地方政府までが景気対策を打ち出したので、中国が世界の牽引車になることは間違いない、と太鼓判を押している。

 内容は2008年1~9月に京都の地方紙「京都民報」に連載した内容をベースに付け加えた、とあった。

 そして、大西氏の論で最も違和感を覚えたのが少数民族問題についての文章だった。

①ウイグル族と漢族の間には言われているような制度的優遇策はなく、ウイグル人が一生懸命やらないのが漢族の商店が栄える原因だ。

②中国共産党が「漢族支配」を狙うはずがない。新疆ウイグル自治区やチベットがちゃんと中国の枠内にいさえすればそれでいいので、漢族が少数民族を支配することで問題が複雑化するのを恐れている。

③同じ少数民族でも企業家を輩出できる朝鮮族や満州族は問題ないが、できない民族には何かエンカレッジする仕組みを作らねばならない。回族(イスラム教徒だが中国人で中国語を話す人々)はそれなりにできており、問題ないだろう、という。

④チベットの民族問題は2006年夏のチベット鉄道開通で起きた。チベットの人口は280万人しかいないのに年間400万人の観光客が来るようになった。日本は人口約1億3000万人で毎年800万人前後の外国人を受け入れているが、この280万人と400万人という数字には驚く。そして、この観光業も漢人がうまくやっている。観光客にも便利な店になっているので、そっちに客は入る。チベット人のむさい店には客がなかなか入らない。でも、大西氏はここで”チベット人企業家”を成長させるために、漢族の進出に少しは制限を加えるべkぢあろう、と書いている。

⑤チベットは昔、解放前は農奴制でダライ・ラマはそれを許していた、と。ダライ・ラマ批判が相当にきつい。

◆加々美光行・愛知大学現代中国学部教授<中国少数民族問題 その淵源と病理>

 随分と新聞で読んでいる内容と齟齬があったので、にわかには信じられないなぁ、と思ったのだが、霞山会が出す雑誌「東亜」09年8月号に掲載された加々美光行・愛知大学現代中国学部教授の6月30日の霞山会での講演記録<中国少数民族問題 その淵源と病理>を読んで、論点が似ているのに驚いた。

 政教分離と政教一致の問題が大きい、というのだ。西欧はルター、カルバンの16世紀の宗教改革でカソリック支配が国家と宗教を合体させた政教合一体として存在した状況を突破し政教分離を近世以降確立させた。日本も織田信長が一向宗徒の大量虐殺、叡山、石山本願寺の焼き討ちで多くの僧侶を殺害し、仏教の政教合一体をぶち壊し、江戸期約300年に及ぶ社会の安定を呼び込んだ、と。明治維新は政教分離が一般的になった中、再び政教合一体として国家神道を作り上げた、幕末維新革命は宗教勢力の真空状態を突く新たな革命だった、新たに強力な政教合一体を組織し維新革命を成就するために大政奉還と王政復古を実現した、とある。しかし、そのことが日本に新たな軍国主義体制を作り出すことになり、戦後の民主化で真っ先に政教分離が行われた意味合いもそこにあった、と書いていた。

 こうして二つの例を見ると政教分離が当たり前のように見えるかもしれないが、アジアの民族と宗教を考える場合には、依然、強力な政教合一体が存在。第1次世界大戦を境にオスマントルコ帝国が崩壊した後のトルコ共和国の建国過程で初代大統領のケマル・アタチュルクがイスラムの政教分離を唯一実現した。しかし、他のアジア諸国を見ると、インドにおけるイスラムとヒンズーの宗教紛争が続いている。それは戦後すぐにパキスタンとインドの分裂という結果をもたらしたが、カシミール問題を含めて今日、両国内及び両国間の紛争の火種としてある。その対立が政治的軍事的対立であることはヒンズーとイスラムのどちらも政教合一体である事実を何よりも示す、という。ガンジーはその対立を克服し政教分離を実現しようとしたが、暗殺された。今日、スリランカで流血の事態がしばしば起きているが、これも仏教とヒンズー教の間の宗教紛争が大きな原因だ、と。

 そして、なぜ政教合一体が根強く残っているのか、を考え、

 <歴史的に政治的民族的抵抗がかつての植民地体制からの克服過程で必要とされた点が背景としてある。現在もアメリカの覇権主義的世界支配に対する異議申し立て、抵抗としての政治や武力を手放し得ないという背景もある。この点を見落として単純に政教合一体を批判することはできません。>

 と言う。そして、中国共産党政権はカソリック(天主教)とプロテスタントについてはほぼ自由な礼拝が認め、相当程度に宗教信仰の自由を許している。しかし、チベット仏教と新彊イスラムについては厳しい監視下に置いている。これはチベット仏教も新彊イスラムも政教合一体だからだ、と書いている。ここがポイントのようだ。

 欧米の人権批判には明らかに重大な見落としがある、という。欧米や日本の現状と中国やアジアの状況は同じではない。政教分離か政教合一体か、という根本問題がそこにある、と。

 つまり、もし仮に今、本願寺の門徒衆が政治集団として日本に存在していると考えた場合、自民党の支配などは一夜にして吹っ飛ぶ。しかし、門徒の信仰は徹底した政教分離となっているので、彼らがどこにお寺を建てようと、どこで宗教集会を開こうと日本の政治に危機をもたらさない。しかし、チベット仏教徒は違う。

 チベット仏教とは現在、中国全土で在家、出家を含めて1600万人いる。うち約600万人がチベット人。チベット自治区に約280万人のチベット人仏教徒が、自治区外にさらに約320万人にいる。それ以外の1000万人はチベット人ではなく、その多くは四川、雲南、内蒙古一帯の少数民族だ、という。また、漢民族のチベット仏教徒も増えていて、100万人ちょっと欠けるくらいいる。

 この1600万人のチベット仏教徒が仮に政治集団、政治結社になったと考えると、これは直ちに中国の政治を揺るがす巨大な政治勢力に変わる。

 今日の中国共産党の党員数は7000万人を優に超える世界最大のマンモス政党だが、その凝縮力、政治結社としての結束力は相当に弱体化している。これだけ巨大化すればそうなる必然性があるとも言えるし、7000万人を超える政治結社としての中国共産党がイデオロギー集団であるより極めて濃厚な利権集団に変わりつつあることも大きな理由だ。これに対して、仮に1600万人のチベット仏教徒の政治結社が存在するとその結束力は極めて強く、たちどころに中国共産党支配を揺るがせる。新疆ウイグル自治区のイスラム教についても同じことが言える、という。

 ここでも回教イスラムが出てくる。中国西北地域の寧夏回族自治区を中心に全国に存在する回族ムスリムについては今世紀初頭までは政教合一体だったが、中国共産党の呼びかけに応じる形で政教合一性を相当程度克服し、今はほぼ政教分離体と言える状況にある、と。従って回族ムスリムに関しては宗教信仰の自由が相当程度認められている、とも書いてある。

 つまり、政教分離さえしてしまえば共産党にとって怖くないのだ、ということだろう。

 そして、ダライ・ラマの特殊性として現実主義者がトップとしていただくだけでなく、ダライ・ラマと政治路線で対立するチベット独立過激派もダライ・ラマに対する崇拝はびくともしない、と言うのだ。つまり、政教合一を主張する過激派にとっても政教分離を説くダライ・ラマが信仰の対象なのだ。

 そして、1980年代に胡耀邦総書記が中国の宗教政策に先鞭をつけた。82年文書は宗教信仰の自由を保障するため宗教集団に政教分離を求め、政治活動、反政府活動を行わないことを求めたが、これは片手落ちだった。というのは本来、国家と宗教主づ案双方が政教分離の義務を負う双務性が原則。だから、本来ならば国家のチベット仏教や椅子レムへの干渉も排除されねばならないが、82年文書にはそういう文言が全くなかった。国家が無制限かつ一方的に宗教集団の政治活動特に反政府活動を監視監督する側面だけ書かれた片務的なものになっていたのが82年文書の限界だった。

 84年にゴルバチョフが登場し、ペレスイトロイカを開始する。87年12月のINF全廃条約に結びつくデタントが欧州で起きる。平和の機運が強く表れる。デタントを背景にダライ・ラマは1988年のストラスブールの欧州議会の演説で初めて独立要求を放棄しかつ非暴力主義を唱えた。このことの持つ意味は非常に大きく、88年から現在にいたるまでダライ・ラマの考え方は一歩一歩成長を遂げてきている。全く変わらない、というのではない。

 中国政府のダライ・ラマ評価は間違えている。ダライ・ラマの主張を時代とともに仔細に追い、今日に至るダライ・ラマの位置を確認すると、ダライ・ラマは「自分は観音の化身であることを辞めてもいい」と、大きな一歩を踏み出している。つまり、観音の化身である以上、自分が政教合一の象徴であるしかない、と気付いたダライ・ラマがそう言い出した、というのだ。

 2007年に伊勢神宮をダライ・ラマが参拝した時にはっきりと、次のダライ・ラマはもはやチベット暦や宣託や予言によって生まれ変わりを選出するやり方を取ることなく、ローマ法王庁がやっている法王選出の方式のコンクラーベ、高い位置の枢機卿たちが何日もかけて討論し、最適なローマ法王を選ぶ方式をとってもいい、ダライ・ラマ制度を今後も存続させるかどうかは、これからもう一回根本的に考え直してもいいとすら言っている。

 問題はこのように政教分離を主導しようとする人々がダライ・ラマの周辺だけに限られていることだ。また、大乗仏教でありながら密教であるチベット仏教は様々な神々が大日如来を中心に集う。その中の憎悪の神、シャクデンを信仰する一派がいる。戦闘の神であもり、独立過激派にとって重要な働きをしていた。ダライ・ラマの存在そのものに疑問を持ち始めてもいるらしい。

 昨年3月のチベット騒乱が起きたが、中国政府は対応が難しい。ダライ・ラマも難しい。お互い譲ることのできない一線を持っているからだ。

 そこで、中国政府に要望だが、ダライ・ラマを「ペテン師」とだけ片付ける主張で交渉を中断するやり方はあまりにも粗雑過ぎる解決法だ、として、加々美氏は、

 <将来的にチベット、新彊イスラムを含め民族問題が、中国国家の屋台骨あるいは根幹を揺るがす時が来る可能性もあると思っております。>

 と結んでいた。結論の部分で大西氏と少しずれてきたが、事実の位置付けは似たようなものだった。やはり、政教分離か政教合一体か、は大きな問題のようだ。ついつい暴動というと民族問題に目が行ってしまうが、そこに宗教を見る視点も大事にしなければいけないようだ。

| | コメント (0)

2009年7月21日 (火)

書評「日本人と『死の準備』~これからをより良く生きるために」山折哲雄著(角川SSC新書)~改正臓器移植法反対鮮明

 角川SSC新書の新刊「日本人と『死の準備』~これからをより良く生きるために」(山折哲雄著、定価798円、2009年7月25日第1刷発行)を読んだ。2部構成の本で、第1部が山折氏の「日本人と『死の準備』」。第2部は人生80年時代にどのような死に支度をするのか、いろいろな分野の人の話を集めたもの。

日本人と「死の準備」―これからをより良く生きるために (角川SSC新書) 日本人と「死の準備」―これからをより良く生きるために (角川SSC新書)

著者:山折 哲雄
販売元:角川SSコミュニケーションズ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 山折氏の見方は一貫している。人生50年時代の「死生観」が今や雲散霧消する時代。この死生観は「働いて働きづめに働いた後は死ぬんだ」というメッセージだった、という。ところが、いつの間にか我々は人生80年の時代を迎え、働き尽くめの50年が過ぎても、そのあとに更に20年、30年の時間が横たわっており、その20年、30年は必ずしも順風満帆の旅というわけにはいかない。病と老いという高波や嵐が待っている時代になった。生と死との間にそれが不意に割り込んできて、我が物顔に振る舞うことになった、と。そこで、人生50年型とは違った新型の人生モデルを創らねばならないのではないか、という問題意識で書いた本だという。人生80年というのは死に支度の時代に入ったこと、その天の声は遠からず死に化粧の段階が来ると囁いている、と。

 そうなると、「人生80年の時代には言ったのだから、これからはさらに人生90年、人生100年時代がやってくるぞ」という景気のいい掛け声が必ず聞こえてくるだろうが、そういう人の後にくっついていくよりは、やはり人生80年は死に支度だ、と思う、と言う。

 土屋文明の<百年はめでたしめでたしわれにありては生きてきたなき百年なりき>

 良寛の<かたみとて何か残さん春は花夏ほととぎす秋はもみじば>

 をあげていた。こういう死生観、死に支度について書くのだそうだ。

 山折氏の分は80ページまでで、その後の部分は他の方の講演記録なのだが、山折氏のわずか80ページは内容が濃い。親殺し子殺し、無差別殺人などの多発する世の中を見て、

 <個や個性という普遍的な価値観と、日本の伝統社会に生き続けて来た「ひとり」という言葉の持つ価値観が切り離されたっま、我々はそれを結びつけようとはしなかった。その果てに、いつの間にか今日の若者たちが一人であることの恐怖を語るようになってしまったのである。明らかに戦後60年の教育に重大な欠陥があったとしか思えない。……(凶悪な事件続発を)ネット社会の影響であるとか、格差社会の影響によるとか、いろいろな言説が説かれているが、言葉で説明することは空しい。果たしてそれでいいのかという疑問も湧き上がってくる。言葉のないところで何かを模索し始めなければならない。そういう時代になったのかもしれない。>

 と書く。そして、ヒンズー教徒は最期を迎えるとガンジス川中流域の聖地ベナレスにやってきて、最期の日々をそこで過ごし、死んだ後は川岸で火葬され、骨灰が眼前のガンジス川に流される、と。これがヒンズー教徒の間で日常的に見られる死者の野辺の送りだそうだ。死者を看取るための小屋が川岸に建ち並び、これは「平和の館」という。ここには医者も宗教家も入れず、本人と家族だけが最期の時を過ごすという。最後の最後、体をさするだけがケアの唯一の手段という人々も多いそうだ。

 釈迦が子どもを捨てた伝説。その子に「悪魔」という名を付けた、と。仏教の発生は29歳で家族を捨てて家出して35歳で悟りを開くまでの6年間の釈迦のエゴイスティックな姿と捨てられた子どもの関係、父と子の関係から始まったのではないか、という。釈迦の10人の弟子の10番目の多聞こそ、釈迦の子ラーフラの悩みを聞き、悟りに導いたキーマンではないか、とも書いている。

 キリスト教は父と子の関係ではなく、母と子の関係。それもマリアとキリストという近親相姦的な関係が濃密に教義に関連している、と見る。

 インド人の考えていた乾燥しきったインドの大地の仏教とモンスーン地帯の日本の仏教では基本が違う、とも。和辻哲郎の「風土」の分類を応用して、日本人の「しめやかな激情」という特徴を浮かび上がらせる。

 面白いのは次の「ノアの方舟」の解釈である。この生き残り神話はやがて西欧でサバイバル・セオリーというべき理論の生みの親になる。なぜなら、この考え方はユダヤ・キリスト教社会の歴史を貫き生き続けた選民思想や進化思想を産出して止まなかったからだ、とされる。それだけではなく、それは人間いかに生きるべきかという哲学・論理的命題の根幹を支え、さらには今日の政治・経済理論における土台を形づくってきたのだ、という。

 タイタニック号の悲劇も参照され、そして、ついにP50で脳死問題に入っていく。

 <むろんここでいう生き残りの戦略は、現代医療の現場にも息づいている。脳死によって死につく者と、臓器の移植によって生の世界に復帰する者を選別する、生命操作のテクノロジーのことだ。>

 という書き出しで、この進化論、選民思想から発展した系統には1992年のリオデジャネイロの「地球環境サミット」で取り上げられた「持続可能な開発」提言も入るのだ、という。山折氏は触れていなかったが、ナチスに利用された優生学も当然この系統に入るだろう。

 こういう大きな西洋思想の流れに対峙できるものは何か? と問いかけ、

 <人類がもしもノアの大洪水のような危機に襲われ、その大多数が死滅する運命を免れないと分かったとき、「われもまた死に赴こう」と決断する選択肢である。わずかな生き残りへの可能性を拒否して、死の運命を甘受する多数の側に身を寄せようとする生き方だ。そのような決断の根底にあるものが仏教の無常という認識ではなかったか、と私は思う。この世の中に存在するもので永遠なるものは一つもない。形あるものは必ず滅する。生きる者また死を免れることはできない。ブッダの簡明な無常観である。生き残ることの限界をわきまえたモラルである。先のサバイバル・セオリーに対する無常セオリーといっていいだろう。この無常の原理は、何人も否定できない真理性を備えている点で、思想における一般相対性理論と称してみてもいいかもしれない。>

 と書く。この論理が改正臓器移植法反対に結びつく理論として応用されるのだ。

 <さて問題は我々自身の今日における運命である。眼前に迫り来るグローバリゼーションの大波に抗して立ち続けようとするとき、すでに我々自身があのサバイバル・セオリーに雁字搦めになっている自画像が見えてくる。ところが、その時代の絶大な風圧の下に思い屈しているとき、我々の意識の奥底からはあの無常セオリーの旋律が聞こえてはこないか。その相反する旋律が今後果たして調和する二重奏を生み出していくのか、それとも自動機械人形のようなぎくしゃくした狂想曲を奏でることに終わるのか、我々は今、まさに正規の分岐点に立たされていると思わないわけにはいかないのである。>

 そして、山折氏は「もしも日本の万葉時代の古代人が現代に甦ったとしたら、臓器移植という先端医療を受け入れたのではないか、と私は思う。どうぞ、どうぞといって、あれこれの自分の臓器の提供を申し出たのではないだろうか」とも書く。曲球だ。万葉人は死んだ後の遺体は魂の抜け殻と思っているから、そう言うだろう、というのだ。万葉人は肉体と魂は別物と考えていた。霊肉二元論の立場を取っていた。そこで山折氏は、

 <古代の万葉人たちと現代の臓器移植に携わる医師たちの間にはその点で極めて親縁な関係が認められると言っていいだろう。けれども残念ながら、比較が可能なのはそこまでである。なぜなら今日の医師たちは死者の死の時点を「脳死」というように厳密な一点に絞り込んでいるのに対して、万葉人は死の時点をそんなにあっという間の事柄に限定してしまうことなど思いも及ばないことだったからである。>

 として、<もがり>の大切さ、古代人にとって一種の<臨死体験>の期間だったこと、などをあげて「カンニバリズム(人肉食)」、大岡昇平の「野火」、武田泰淳の「ひかりごけ」について考察した後、

 <脳死者の臓器を移植して生き延びようとする我々の行為は、どこか民俗社会によく見出されるカンニバリズムの光景を思い出させると思わずにはいられない。>

 と書いているのだ。この文章はドキッとする。臓器移植という医療システムに付き纏う厭らしさ、不透明さ、粘々した感触は人間の肉体まで取引材料にしようという「ベニスの商人」のシャイロック的な西欧文明の汚らしさがその問題でクローズアップされるからだろう。日本人の古代からの死生観とは全く適合しない、一神教のグロテスクな思想なのだ。

 そして、

 <世代を超えて継承されてきた死の作法という、それこそ人間の「尊厳」にとってもっとも欠かすことのできない伝統が、しだいに空中分解をとげていくだろうと思わないわけにはいかなかったからだ。たとえば、脳死判定などという法的・医学的手続きがある。その手続きが厳密に行われている時、家族はどこで何をしている のか。何ができるのか。どのような時間を過ごし、どのような場所で死に行く者を看取るのか。そういう重大な問題が全く等閑に付されている。それが丸っきり闇に包まれている。ほとんど議論さえなされていない。それに代わって聞こえてくるのは、遺族(家族)のプライバシーとか、それを報道する側のパブリシティとかいう観念的な言葉ばかりである。それらの軽薄な言葉の群れは死に行く者、死者を看取る者の心中に土足で踏み込んで来る舌足らずな観念語にしか私には見えないのである。>

 とズバリ書いている。

 最も大切な部分を全く議論せずに「衆院解散で廃案になったら国会の責任と言われる」という強迫観念だけでA案に賛成した参院議員が多かっただろう。残念だ。彼らにこそ、この山折氏の論を読ませたい。善意という美名でドナーカードへの登録を増やそうとしている。それをしたいという人がやる分には何も反対はしないが、山折氏のように一切自分の臓器は提供しないぞ、と考える人だって多いだろう。そういう人にとって、「脳死は人の死」という悪法は施行前に廃止法案を提出、成立させなければならない、と考える人もいるだろうが、その声は結集されないだろう。日本が高度資本主義国家だからだ。日経新聞をはじめとした資本家のイデオローグが逆戻りを許さないだろう。日本はそこまで変質してしまったのだ。

 山折氏の危機感が分かろうというものだ。

 この本は薄っぺらいが、第2部の中でも役に立つ論文が多く、一読をお薦めしたい。

| | コメント (0)

2009年7月17日 (金)

書評「日中2000年の不理解」王敏著+呉善花氏にゴーストライター疑惑?

 王敏氏の「日中2000年の不理解」(朝日新書、2006年10月30日第1刷、756円)を読んだ。約3年前の本。朝日親書が創刊された第1弾でものすごい数の親書が出て、その中では姜尚中著「愛国の作法」とこの本が気になっていたのだが、そう思っただけで買わずにいたのだが、どこかのブックフェアで安く売っていた(たしか200円くらい)ので、買ったのだが、そのまま積ん読のままだった。書庫の本の入れ替えをしようと親書の棚を見て、「ああ、この本読んでなかったなぁ」と思って、読んだのだった。もっと早く読まなかったのを後悔した。面白かった。一口にいってしまえば、日中韓の比較文化論ということになるのかもしれないが、日本に対する理解が日本生まれでない外国人にしてはものすごく深い、とびっくりしたのだ。

日中2000年の不理解―異なる文化「基層」を探る (朝日新書) 日中2000年の不理解―異なる文化「基層」を探る (朝日新書)

著者:王 敏
販売元:朝日新聞社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 本の奥付によると、王敏さんは1954年中国本土の河北省生まれで大連外国語学院日本語学部卒業後、四川外国語学院大学院を修了し、お茶の水大学で博士号を取得。法政大学国際日本学研究所教授、上海・同済大学客員教授だ、とある。主な著作は「中国人の愛国心―日本人とは違う五つの思考回路」、「謝々!宮沢賢治」ほか多数と。中国・優秀翻訳賞、山崎賞、岩手日報文学賞賢治賞を受賞しているそうだ。

 王敏氏は本当に多くの本を出している。有名人で、講演に引っ張りだこのようなのだが、この本一冊を読んだんだけでその理由が分かる気がする。今の日本人があまりしなくなってしまった日本の古典文学などからのエッセンスの抽出という作業で、非常に小技の効いたいい手法を駆使して、説得力のある文体で一冊の本の統一性を持たせて書き切っているのである。つまり、他人の説、論をつまみ食いして継ぎ足して自分の論にする、という最近の日本人の若手研究者の陥りがちな欠陥をくぐり抜け、自分の論を展開しているから読んでいて惹き込まれるし、読後感がいい。それと、日本人に自信を持たせる内容だから右系のナショナリストも新左翼系のナショナリストも読んで違和感がないだろうと思う。そういう本である。

 粗筋を書くのはやめる。というか、粗筋のない本である。

 王敏さんのいわんとすることを一言で要約して言えば、日本人の特質はアミニズム、シャーマニズムに通じる<自然と人間の一体化>であり、儒教道徳は日本人の日常生活の規範になっていない。日本人はもっと縄文古層の清々しさ、自然融合、感覚的納得感を重視しする。一方、西欧の人々はキリスト教という自然を敵対者とする一神教を日常生活の規範として重んじるから、ダメなものはダメ、となる。この「ダメなものはダメ」はユダヤ教にもイスラム教にも通じるだけでなく、実は中国文明のコアである儒教も一神教的な「ダメなものはダメ」の教義で、妥協を許さないのだ、という。

 つまり、世界の先進文明の中で日本だけが唯一、固い中心をもたない分明だ、という分析である。

 中国が儒教文化とは聞いていたが、共産党支配の中国では儒教は廃れているのだろう、と勝手に想像していたのだが、この本を読んで見方が変わった。中国の儒教一神教体質は西欧の一神教体質に似ており、政治行動でも実は、中国と米国は分かりあえる部分が多く、よほど意識的にうまくやらないと、日本が弾き出されるのだ、ということ、そうは書いていないが、実はそういうことが著者のメッセージであり、愛する日本、日本人への忠告、警鐘なのだろう、と思った。

 日本人の感性重視とか動物を人間同様に大切にする、とかは他の本にもあるし、にお本人にとってそう目新しい説ではないだろう。

 注目したのは王敏さんが中国人のメンタリティーをきっちりと分析してくれたことだ。韓国人も同様だ、という。小中華であり、韓国知識人の自慢は中国以上に儒教を血肉化、内在化しているという自負である。だから、中国人と韓国人のエリート、インテリは同じようなメンタリティーを持っていて、日本人には本当のところは理解できないだろう、という説である。

 例えば韓流ドラマ「チャングムの誓い」は2005年からNHKで放映され、韓流ブームのピークを作ったが、王敏さんは「チャングムの誓い」は中国人と日本人とで違う見方をされただろう、と推測する。

 宮廷女官であったチャングムは陰謀で奴婢にされたうえに離島だった済州島に島流しされた。宮廷に戻る再起の道が医女になることだと知ると、人並み以上の精進を積み、天分もあって島民に認められるほどの医術の基礎を身に付けた。その時、倭寇の一団が済州島を襲った。倭寇の頭領が急病にかかり治療を受けさせるのが目的の来襲だった。倭寇はチャングムが医女見習いと知り、治療せよと迫る。拒むチャングムに倭寇は「拒むなら一人ずつ島民の命を奪う」と脅す。チャングムはやむなく未熟な腕だが懸命に治療する。頭領は具合が良くなり帰っていく。危機を脱した後、済州島の役所は「憎むべき倭寇を治療した行為は許されない」という処分を下し、チャングムは逮捕される。

 さあ、どう見るだろうか? 王敏さんが書いている通り、普通の日本人だったら、急病で困っている敵将を治療するのは日本の戦国時代では美談だったくらいで、「了見の狭い役人だなぁ」という感想を持つ方が多いと思う。ところが中国人も韓国人も感じ方が違うのだ、という。「無慈悲な権力者」と見るのではなく、大義を重視する儒教の教えそのままの筋書きだと思うのだ、というのだ。王敏さんんもそう感じた、という儒教的生き方ではいかなる脅迫にさらされても敵に協力すると「不義」とされるのだ、という。例外を認めないのだ、というのだ。日本人には不条理でも儒教に基づくと条理になる、と。つまり、自分の身を捨てても信念は曲げてはいけないということが個人の人生観から国家・世界観にわたって変わらない中国人の判断基準になっているのだ、というのだ。

 10年間続いた文化大革命についても今でこそ中国政府は行き過ぎがあった、と認めているが、時代精神として毛沢東に忠実な「革命派」が「実権派」に不義の烙印を押して容赦なく追い詰めた。「実権派」に寛容であれば庶民も不義とされて糾弾されるので、厳しい追及に耐えかねて自殺する人が相次いだのだ、という。文革の暴走は「不義」糾弾を名分にしたことを抜きには考えられない、と王敏氏はいうのだ。

 王敏氏はこのような例をたくさん散りばめながら、立論を進めるのだが、なるほど、と思う。中国も韓国もギリギリの交渉では譲らない。なぜか、と思ったが、そういうことだったのか、と今までの疑問がコトンと腑に落ちたのだ。なぜあんなに原理原則論にこだわるのだろうか、と思っていたケースも多かったが、中国、韓国という身近な2国が儒教の国だったために、それこそ「日韓」「日中」の誤解、不理解が積み重なり、日本人の心に不信感が積み重なってきたのだろう。逆にいえば中国人、韓国人は日本も当然儒教的な価値観を持っているだろうと思うと、全くそうでないので日本人を理解できず、無視したり、反日ぼ動きになって表れるのだ。

 王敏さんは日本人が日本人の良さ、特性を知らなさ過ぎる、として、日本人がこの意味で特殊であることをきちんと知り、外からの誤解を解くよう努力しないといけない、というのだ。

 王さんの読書量の多さに圧倒された。勉強家である。この古典の引用がいいところでズバリ、ズバリと決まるので説得力がある。

◆呉善花さんを思い出した…何か懐かしいなぁ

 王敏さんの2歳年下だが、ほとんど同年の韓国出身の日本評論家に呉善花(オ・ソンファ=普通はソナと聞こえる)氏がいる。王さんの本を読んで昔、呉さんの本を何冊も買ってきて読んだことを思い出した。

 呉さんは1956年済州島生まれ、大東文化大卒、東京外国語大学地域研究研究科修士課程修了で、今は拓殖大学国際学部教授。東京外大在学中に韓国人ホステスのルポ『スカートの風(チマパラム)』を出版。『続 スカートの風』『新 スカートの風』。『「日帝」だけで歴史は語れない』、『攘夷の韓国 開国の日本』(山本七平賞受賞)などがある。

スカートの風―日本永住をめざす韓国の女たち (角川文庫) スカートの風―日本永住をめざす韓国の女たち (角川文庫)

著者:呉 善花
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

続 スカートの風―恨(ハン)を楽しむ人びと (角川文庫) 続 スカートの風―恨(ハン)を楽しむ人びと (角川文庫)

著者:呉 善花
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

新・スカートの風―日韓=合わせ鏡の世界 (角川文庫) 新・スカートの風―日韓=合わせ鏡の世界 (角川文庫)

著者:呉 善花
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 韓国のテレビが呉氏を徹底取材した特別番組を作成、放映した。

 驚くべき内容で、本はすべてゴーストライターが書き、1991年には日本に帰化していた、というのだ。この経緯を詳しくまとめたブログがあった。

http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-September/008975.html

 内容をかいつまんで書いておこう。

 実業家の清塚誠氏は上野の韓国クラブ「ニュー太陽」に遊びに行った時、ホステスとして働いていた呉氏と出会った。才色兼備の彼女を秘書として雇い、日本の大学へ入学させた。呉氏は清塚氏と同棲する。日本ペンクラブ会員になり、卒業後も日本に在留できるビザを得るため本を出そうとしたが、日本語が下手で出版社がOKせず出版社が代筆ライターを世話し『スカートの風』ができあがった。本のネタの7割は清塚氏が運営する韓国語学校で彼が授業中に生徒の眠気覚ましに面白おかしく語った韓国クラブのホステスにまつわる話など。原稿の代筆を請け負った韓国人は、出版直後に良心が痛み身を引いたが、二人目の代筆ライターは在日韓国人三世の女性で、代筆は何人もいると証言した。拓殖大学日本文化研究所長の井尻千男氏の推薦で同大学の国際開発学部教授に就任した。韓国MBC取材陣は1991年6月11日に日本国籍を取得し、韓国の戸籍から除籍された事実を突き止めた、というような内容だ。

 呉氏を非難中傷するブログだったが、呉氏によって新しい韓国の魅力に触れた日本の男性も多かったのではないか、と想像するので、ここに書いてあることが事実だったら「えっ?」という感じではあるが、それで呉氏を嫌いになったり、怨んだりはしないだろう。呉氏が女性として魅力があるかどうかは件の清塚誠氏に聞いてみないと分からないのだろうが、そのくらいのたくましさがある女性、大歓迎というくらい鷹揚な日本人男性が増えているのではないか、とも思う。

| | コメント (0)

2009年5月 8日 (金)

書評 望田幸男著「二つの戦後・二つの近代~日本とドイツ」(ミネルヴァ書房)

 MINERVA歴史・文化ライブラリー15巻目の望田幸男著「二つの戦後・二つの近代~日本とドイツ」(ミネルヴァ書房、2009年3月10日初版第1刷発行、定価2940円)を読んだ。

二つの戦後・二つの近代―日本とドイツ (MINERVA歴史・文化ライブラリー) 二つの戦後・二つの近代―日本とドイツ (MINERVA歴史・文化ライブラリー)

著者:望田 幸男
販売元:ミネルヴァ書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 1931年生まれ、京大文学部史学科卒業で一貫してドイツ近現代史を比較歴史学の手法で研究してきた著者が自分史を交えて、一般読者にも分かりやすい形で日本とドイツの近代史論争の歴史を解説した本だ。

 大学者先生の本格的な研究書をコメントする力もないし、批判的に読解する能力もないのだが、なにしろ分かりやすくて、何か書き留めておきたくなったので、読書ノートとして、気に入った部分や覚えておきたい部分などを抜き書きしておく。

 まずは目次を見ると大体のことが分かると思うので、目次を写しておこう。

序章 戦後と「近代史」――個人史によせて

第1章 「戦後の近代史」

 第1節 「新しい主役」のイニシアチブ――戦後日本

 第2節 正統史学における「過去への問い」――戦後ドイツ

第2章 日本における「戦後の近代史」のゆらぎ

 第1節 「戦後の近代史」のゆらぎ

 第2節 「もうひとつの近代史」への試み

第3章 ドイツにおける「社会史」と「特有の道」論

 第1節 ドイツ社会史への道

 第2節 「ドイツ特有の道」をめぐって

第4章 「もうひとつのドイツ近代史像」の試み

 第1節 ユンカーから教養市民層へ、そして資格社会へ

 第2節 「近代=資格社会」論のケーススタディー

終章 「比較の歴史学」への道

あとがき

 である。このケーススタディーはあまりに専門的だったので、読み飛ばしたことを告白しておく。ところどころに入っているコラムが、また面白かった。

 では、内容を抜き書き、というか、メモしておこう。

アメリカ・イギリス・フランスなどの戦勝国の場合には、戦後は単に戦前・戦時の「あと」の時期であった。しかし、敗戦国日本にとっては、同じ敗戦国ドイツとともに、政治体制のみか、価値観から生活スタイルに至るまで変わり、いわば「生まれ変わった」という独自の意味を持っていた。このことは、戦後の政治・社会とともに、知的風土にまで深く刻印されていき、この意味で「戦後」の政治・社会とか、「戦後」の思想・文化とか、さらには「戦後」の歴史学とか、あえて「戦後の…」という問題が提示されたのである。(P2)

 60年代、70年代の本には「戦後…」という題名を冠したものが多かった気がする。世界中みなそういうことか、と当時は単純に思っていたのだが、そうではなかった、ということ。日本では「戦後思想の原点」とかが問題になったのに、アメリカでは戦前・戦中と戦後が連続していた、ということで、アメリカやイギリスの国民は「戦後」の意味を深く考えずに済んだ、ということのようだ。今になってそう教われば「なるほど」と思うのだが、高校生、大学生、就職してすぐだった当時はそんなことを考えもせず、特殊という意識もなかったと思う。

▽(終戦直後)当時、日本史においては講座派マルクス主義が主導的位置を占めていたが、西洋史分野では「大塚史学」がそびえていた。これは大塚久雄を頂点とする「比較経済史学」を標榜する流れで、ジャーナリズムの世界では、マルクスとウェーバーが「大塚史学の二つの魂」などと言われていたが、一方の軸足をマルクスに依拠していた点で、「大塚史学」は戦後の思想・論壇の状況においては講座派と同じフロントに立っていた。そこでは世界の資本主義の歴史的発展において、その波頭に立っていたイギリスの近代化が語られ、そのコインの裏側としてドイツ・日本の後進性が批判されるという構図が展開されていた。そして軍国主義の日本とナチスのドイツは、それぞれがたどってきた後進的で非民主的な近代に胚胎したものとされた。いや、そもそも日本にもドイツにも「真の近代」は存在しなかったのだ、といわれていたのである。(P4)

 思い込みは怖い。戦争直後はこういう直感のような感覚が学問の入口だけでなく、その後の学問の進行方向を決めてしまった。「日本は悪い。明治維新はイギリスの民主主義革命とは違う」と生半可な知識で学校の教師らが学生、生徒に教えこんだ。その教えられた生徒の世代が私たちの世代だった。

▽こうした考え方は、敗戦直後の知識人の多くをとらえていた発想が歴史学の分野に投影したものであった。丸山真男の「日本知識人論」の用語で言えば「悔恨共同体の形成」であった。それは、軍国主義の支配を成就させ、戦争と侵略の道を許したことに、戦後、「悔恨と自己批判」の思いを抱いていた知識人共通の心情を表現したものであった。いうまでもなく、この「悔恨共同体」の最前線には丸山とその学派も立っていた。ともあれ、このような意味での「悔恨」という心情と感性に満ちた「近代史」が、戦後の私を包んでいた知的雰囲気であった。(P4)

 60年代、70年代、アプリオリにそういう立場に立って、説を展開する論者の本をよく読んだものだった。多くは岩波新書だった。望田氏は「感性」と「心情」という言葉で表現しているが、今になって読み返せば、論理的な言説と言うよりも、感情を文章にしたものだった。言われているように丸山真男は学者ではなく、ジャーナリストだった、ということなのかもしれない。

▽もうひとつの学問潮流は、論壇やマスコミなどで「新京都学派」と呼称されていたものである。この「学派」の歴史学グループは、京都大学人文科学研究所の河野健二、上山春平、飯沼二郎らを中心とした流れである。このグループの考え方は、論点は多岐にわたるが、せんじつめていえば、講座派や「大塚史学」の「明治維新=絶対主義」説に反対し、「明治維新=ブルジョア革命」説の立場であったといえよう。(P7)

 飯沼二郎氏の軍隊研究は岩波現代文庫だかで読んで、その緻密さに驚いた記憶がある。河野健二氏はフランス革命だったかを岩波新書で書いていたと思った。上山春平氏もそういう流派だったのか。日本研究者、日本文化研究者だと思っていた。学問の世界は難しい。でも、この新京都学派って魅力的だと思う。

▽西ドイツでは、日本と違って敗戦によって歴史学界の「代表選手」に交代は見られず、戦前・戦中の主流=正統史学が戦後もその位置を維持し続けていた。日本では「戦後の近代史」=「悔恨の近代史」が「ゆらぎ」ないし退潮し始めた頃、西ドイツの新たな潮流=「ドイツ社会史」が登場してきた。(P8)

戦後の「悔恨の近代史」は、日本において戦争と侵略の軍部独裁を許したことに対する反省と自己批判の表現であったが、それはコインの表裏の関係で、近代化のモデルとして英仏など西欧への「希望」と「憧れ」に結びついていた。したがって「悔恨の共同体」のゆらぎとそれからの離反の流れは、60年代から胚胎したが、そこでは近代西欧に対する価値評価の相対的低下を、多かれ少なかれ伴っていた。そして、かつての植民地領有諸国に対する批判と追及のまなざしも込められている場合もあったし、さらには現代が「近代の爛熟」の果てに「近代の負の側面」を露呈してきたとも考えられた。(P10)

 ところが望田氏はこの「希望としての西欧」は簡単には放棄できないのではないか、と考えた、という。何か、ここは難しい。よく考えると、ここは望田氏の「9条の会」的な「論理ではない」感情の問題なのかもしれない、とも思う。論理でない、ということはこの問題で説得できない、しにくい、ということを表している。まあ、この問題は今はスルーしておこう。問題はドイツと日本の近現代史なのだから。

 コラム[講座派・労農派論争(日本資本主義論争)](P21)も面白かった。ここで、寺出道雄氏の「知の前衛たち」が取り上げられていた。このブログで以前、書評を書いた本である。マルクス主義者たちの話である。マルクス主義者たちを門前払いのように否定し去るのはよくないと思っている。あくまで、イデオロギーで批判するのではなく、その人の行動について批判したい、と思っている。

戦後日本で第一次世界大戦後のドイツ・ワイマール共和国に関して強い知的関心が寄せられたのも、戦後日本における民主主義への危機感が背後にあった。ドイツ史上、初めて訪れた議会制民主主義がわずか14年間でナチスによって打倒されたという「悲劇」は、日本において最初の議会制民主主義の未来に思いを馳せたとき、他国の出来事とは思われなかったからである。(P29)

 この「日本において最初の議会制民主主義」という認識が正しいかどうか、である。これは戦前の議会はあくまで明治天皇制への協賛機関に過ぎないという見方からくる表現だろうが、議会だけが法律を制定できたのは昔の議会も今の議会も同じだ。ただ、昔は法律と同じような効力を持つ勅令で政治ができたから、議会が今に比べて軽かった、ということは言える。しかし、一応は新聞も出ていたし、表現の自由はあったから、勅令政治を貫徹しようとすれば、名望家たちの反乱が起きる可能性もあった。無理はできなかったはずだ。だから、戦前も議会制民主主義は機能していたのだ。そういう見方が今の歴史学界の主流だと思うのだが。

フリードリッヒ・マイネッケは、ビスマルクの中に政治と軍事と倫理との均衡を見て、それが崩れていく中にナチス・ヒトラーに至る「ドイツの悲劇」を見出している。いわば彼は、ヒトラー・ナチスとは明確に一線を画する保守良識派ともいうべきスタンスを取っていた。…マイネッケにとっては「古き良きドイツ」の精神的伝統があり、それがヒトラー主義によって破壊されたが、未来への展望としてはその精神的伝統を再生させるという考えなのである。…三島憲一「戦後ドイツ」が明らかにしているように、古き良きドイツへの思い入れによって、ナチス・ドイツという忌まわしい過去を忘却させようとするものであった。「ヒトラーのドイツ」という悪評を「ゲーテのドイツ」というイメージでぬぐい清めようとしたのだ。(P36~P38)

戦後ドイツ―その知的歴史 (岩波新書) 戦後ドイツ―その知的歴史 (岩波新書)

著者:三島 憲一
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

戦争責任・戦後責任―日本とドイツはどう違うか (朝日選書) 戦争責任・戦後責任―日本とドイツはどう違うか (朝日選書)

著者:粟屋 憲太郎,三島 憲一,望田 幸男,田中 宏,広渡 清吾,山口 定
販売元:朝日新聞
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 マイネッケは偉大だった。

▽ナチス・ヒトラーには必ずしも同調したわけではなかった歴史学界主流が存在し、それが戦後も健在であったことは、日本との違いを鮮明にするが、同時に戦後日本の「悔恨の共同体」に匹敵するものは不在であったといえよう。そうだとすると戦後、時を追って明らかになった「戦慄すべきホロコースト」という巨大な暗黒の真実を前にした時、ドイツ正統史学の歴史的思考では、思想的にも社会的にも対応できず、いつの日かドイツにも「悔恨の共同体」の登場は不可避であったといわざるをえない。(P38)

 マイネッケたちの理論をもう少し柔軟にする道はなかったのだろうか?

▽戦後日本との相違として忘れてはならないのは、ワイマール共和国の存在である。わずか14年間でナチス国家に取って代わられたとはいえ、当時の世界資本主義諸国の中で抜きん出て高度な議会制民主主義が開花したことは、西ドイツにおける再建にあたって、まったく新たな体制作りというよりも、「ワイマールへの復帰」という見地も生み出したのである。…(ドイツの教育制度が戦前のままだったことを説明し)この点、日本における教育体制が戦前・戦中と戦後との非連続ないし切断の論理で貫かれたのと照応している。…西ドイツの歴史的思考においては、戦前は全面否定の対象ではなく、ナチス以前の時代の中に、戦後にも再生させるべき「古き良きドイツ」が存在したのである。(P41)

 これは大きいだろう。日本は戦前の価値観を全否定してしまった。

 だから、その後、安倍晋三氏のような論者が出てくる。日本の「全否定」に内在的論理が乏しく、GHQの指令で現実政治面の改革と歴史理論の変更がどんどん進められた。

 いけいけどんどんだったから、戦後改革はGHQに背中を押されて、すんなり進んだ。しかし、新しい革袋を埋める酒(精神)が用意できなかった。

 日本人の心は終戦直後も経済復興時も、基本的には戦前と同じだった。なぜか。いろいろな見方があるだろうが、基本的には国民性が大きいと思う。それだけでなく、共産中国の成立と朝鮮戦争を契機に進んだ政治面の「逆コース」で戦前の価値観を何が何でも否定するという風潮がピタリとやんだのが大きかっただろう。では「逆コース」以降、「戦後思想」が死んだか、と言えばそうではなかった。「新しい酒が新しい革袋に注ぎ込まれないままに終わってしまった」という進歩主義者からの批判はないものねだりだったが、ある意味では正しい部分はあったと思う。いい加減で転向してしまったので、その変化が一般国民に周知徹底しなかった。いつも知らないうちに変わっているのが日本の変化の形だ。みんなが分かる形で変化したのは明治維新と敗戦くらいだろう。

▽ドイツ人現代史研究者S・コンラートは…西ドイツ初期の場合よりも、戦後日本における戦前・戦中の分析は、はるかに批判的なものであった、と言う。…丸山真男の強迫観念的とも思える関心は、もっぱら日本社会の異常な側面に向けられたのであった。これに対して西ドイツでは文化的遺産はたいてい価値豊かな伝統の貯蔵庫とみなされ、その伝統はファシズムの克服を可能にするものであった。…西ドイツでは60年代、70年代初頭に「社会史派」が登場してくるまで、ナチズムの長期的・構造的原因の探求は少数派的立場にとどまっていた。これに対し日本では戦争とファシズムに至った100年間にわたる誤れる発展という発想は支配的な見解であり、大多数の歴史家たちは、日本近代化の構造的欠陥とその不幸な帰結を確信していた、とコンラートは書いている。(P43)

 コンラートの言う通りだろう。丸山真男は一種の強迫観念症のフェティシストだろう。その本質は「軍人は嫌いだ」だろう。学問は虚飾を取り除いていくと「好き」「嫌い」に還元できるのかもしれない。

▽講座派的近代史が「揺らぎ」を見せるのは、1955・56年に相次いで日本共産党第6回全国協議会(6全協)における方針転換で、それまでの極左冒険主義に対する自己批判が行われたこと、フルシチョフによるスターリン批判、ハンガリーにおける反ソ暴動に対するソ連の軍事介入、こうした内外の社会主義の現実における「負」の激動が背景にあったのは間違いない。しかし、それにもまして「ゆらぎ」の内在的な決定的な要因は、日本経済における農村の変貌と資本主義経済の復興、高度成長に対する理論的対応力を欠いていたことであった。(P50)

 講座派的考え方では三位一体論(寄生地主制、専制的天皇制、独占資本)の2本の支柱が基本的に崩れると独占資本(資本主義)それ自体も崩壊に瀕してこなければならないのに、資本主義は強化の道を歩んでいる、おかしい、ということで、内外の出来事以上に、このテーゼが現実適応できなくなったことから「戦後の近代史」=「悔恨の近代史」の学問的再検討を促した、という。そこで農村の変貌と資本主義の発展という現実にアクセントをおいた発想や歴史意識が出てきて、1956年の松下圭一氏の「大衆国家の成立とその問題性」などで大衆社会論が出て、論争となり、1958年には上山春平氏の明治維新ブルジョア革命論が出る。1960年には吉岡昭彦氏の産業革命論が出る。1961年にはライシャワー氏の近代化論が広まる、と年代を追って解説していた。

 そして、美濃部達吉の天皇機関説の説明。これはゲオルグ・イェリネックの国家法人説を日本に適応したものだ、と。

 面白かったのは、

<政治過程>→<政治構造>→<政治体制>という論。

 <政治構造>は名望家民主主義的政治構造(近代)大衆民主主義的政治構造(現代)に分かれる、という。この名望家の時代には金と地位のある人による政治だったから、政治にブレは少なかったが、大衆民主主義時代に入ると、ブレが多くなる。望田氏は<議会内紛争>から<議会の内外における相克>へと一変した、という。

 望田氏の「歴史の到達点をどこに置くか」という問いも面白かった。3ケースをあげていた。

昭和期の軍部独裁の確立と戦時体制を「歴史の到達点」におけば、明治維新以来、専制天皇制の確立から大正デモクラシーを一時期の間奏曲にして一路、軍部支配と戦争への道を失踪したという歴史像が点滅する。

敗戦時を「到達点」におけば「どうして軍部支配と戦争への道を阻止し得なかったのか」という「悔恨の心情」に裏打ちされつつも①と同じ歴史像ができる。

戦後民主主義の確立と資本主義経済の高度化を「到達点」におけば、大正デモクラシーに「顕在化」した「歴史の可能性」が軍部支配と戦争の中に閉ざされていたが、敗戦と共に新たな発展を見て、今日に至った、という歴史像が構想可能だ、というのである。

 私は③の変形型も構想可能ではないか、と思うのだ。大正デモクラシーは本当に明るかった。戦前はセピア色の時代ではなかった。日本人が力いっぱい生きた時代だった、と思う。ただ、経済政策の失敗と外交の失敗で二進も三進もいかなくなり、議会政治が自分で匙を投げたのではないか、と思うのだ。

 軍部という造語で陸海軍の権力奪取を描くが、軍部がなぜ民衆の支持を得たか、と言えば、新聞だけでなくラジオが普及し、「パンとサーカス」政治が始まっており、民衆は貧しい農民の味方(と錯覚してしまうだけの根拠を持っていた)軍幹部に議会の代わりをさせようと考えた。新聞記者はその時代、今と比べ物にならない文化人、インテリで金持だったが、その影響力を持っている新聞記者も議会を馬鹿にして軍に肩入れしていた。敗戦後、軍は解体され、新聞記者らは「軍が悪かった」と今はすでにない組織にすべての責任をなすりつけた。

 東条英機のような木端役人のような軍人だけではなかった。もっと責任感もあり、一身に恥を引き受けることのできる軍人もいたのに、木端役人が最高指導者となり、日本を破滅させた。

 軍人の権力は軍人が望んで取ったというよりは、世間の空気が軍人に冠を戴冠したと見たほうが現実的ではないか、とも思う。

 これを「一億総懺悔」に結びつけてほしくはないが。

 望田氏がE・H・カーの「歴史は過去と現在の対話」という言葉を引きながら、「到達した現在の様相によって過去の相貌も異なって映ってくる」と言っているのは面白い。

歴史とは何か (岩波新書) 歴史とは何か (岩波新書)

著者:E.H. カー
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 歴史は変化するのだ。2009年で考える歴史と1994年に考えた歴史では違っている。これは当たり前で、全然変わらないのはイデオロギーであり、学問ではない、と思う。

 ドイツの歴史学界は1961年にハンブルク大学のフリッツ・フィッシャーが「世界強国への道」を書いて、大論争になって様相を変える。フィッシャーは第一次世界大戦を通じて侵略主義的併合主義という戦争目的を一貫して追求したと書いたので、それまでのビスマルク偉人説の正統派歴史学者が大反発した、という。この時代の侵略性がヒトラーの侵略につながったのだ、と。

 正統史学はこれまでドイツに一方的な戦争責任はない、というところをレゾンデートルにしていたが、それが崩れた。

 つまり、非連続論という主流が連続論の挑戦を受けた

 正統史学のパラダイムは「外政の優位だった。国家間の対峙という国際的な場において指導的政治家の営みに焦点をおき、しかもその営みの底流を流れる政治的精神史を重視する。

 これに対し「ドイツ社会史」は「内政の優位国内の政治的社会的諸勢力の対抗、葛藤のダイナミズムから国際外交を説明し、しかも政治の基底を流れる社会・経済的メカニズムの解明を重視する、という。(P91)。

 そこで望田氏は政治的社会的後進性の連続性の中でのナチス台頭というドイツ社会史悔恨の共同体の日本の戦後近代史の相似を取り上げている。そういえば、似ている。

 ところが、このドイツ社会史が日本に紹介されたのは60年代の経済成長期を体験するなかで「戦後の近代史」=「悔恨の近代史」の再検討やそれからの離反が進行する時期に当たっていた。西ドイツは日本の「悔恨の近代史」を20余年遅れて追いついてきたのだが、この受容時期が問題となった、という。

 ドイツ社会史の中で特筆すべきなのが「ドイツ特有の道」論争だ。近代ドイツは工業化したにもかかわらず、政治・社会の民主化が遅れた、という議論だ。望田氏が書いているように、これは講座派・労農派の明治維新はブルジョア革命かどうかという論争、戦後の近代史における明治維新絶対主義説と新京都学派の明治維新ブルジョア革命説の対立とまさしくパラレルの議論が相当に遅れて出てきたのだ。

 望田氏は「ドイツ特有の道」論争はドイツ近代とイギリス近代をどう比較するかの方法論をめぐる論争に他ならない、と喝破する。比較の一方を「正常」として、他方を「異常」とする方法が適切かどうか、である。多元主義が適切だろうと思うのだが。

 苦しくなったドイツの学者の中からはナチスとスターリン独裁などを比較して「ナチスだけではない」と主張する学者も現れたが、ユルゲン・ハーバーマスはこれを「歴史の修正論者」として厳しく批判した。そこで、「ドイツ社会史」における「特有の道」論は主張に道義性を帯びざるをえなくなり、日本における「戦後の近代化」=「悔恨の近代史」の「悔恨」よりも重い意味を持つ「贖罪」に至る、という。

 しかし、こんな息の詰まるようなことばかりしていたら人間は鬱病になって死んでしまう。H・A・ヴィングラーは2000年、「西方への長い道」(邦訳は「自由と統一への長い道」で2008年刊)で「特有の道」論の相対化を図る。90年の統一ドイツの実現という「現実」がこのジャンプを可能にした、と、つづめていえば、そういうことが118までに書いてある。

自由と統一への長い道〈1〉ドイツ近現代史 1789‐1933年 自由と統一への長い道〈1〉ドイツ近現代史 1789‐1933年

著者:ハインリヒ・アウグスト ヴィンクラー
販売元:昭和堂
Amazon.co.jpで詳細を確認する

自由と統一への長い道〈2〉ドイツ近現代史1933‐1990年 自由と統一への長い道〈2〉ドイツ近現代史1933‐1990年

著者:ハインリヒ・アウグスト ヴィンクラー
販売元:昭和堂
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 ユンカー中心のドイツ史から資格社会へ、とか、少し難しいのでパスする。

 結論部分で望田氏は比較歴史学の大切さを何度も訴える。「単数の対象だけでは見えてこないものを浮かび上がらせることが期待される」「ある単数の対象に関する『通念』を、他者と比較することによって再検討ないし相対化することをもたらす」ということだ。ただ、変な比較をするといけない、とも注意している。

 以上で粗筋を書いたが、何か大事なことを書き忘れている感じがする。

 この本を読んで感銘を受けたのだが、その感銘の部分がすっぽり抜け落ちてしまった感じがするのだ。

 つまり、それは望田氏は書かなかったことで、私が本からインスパイアされた部分だと思う。それは何か。たくさんあった気がするのだが、すぐには思い浮かばない。

 グーグルで著者の検索をしてみて、著者が北朝鮮をいじめるな、と主張している方だと知った。この本の主張から、どうしてそんな突飛な主張に結びつくのか、私には理解できないが、もしかすると、この辺がモヤモヤの原因だったのかもしれない。

 しかし、望田氏のこの歴史観を謙虚に読ませてもらった感想は、そんな北朝鮮問題や「9条の会」なおの問題とは別に、戦後日本の、というか、今の日本の可能性を十分に考えさせてくれる本だった。

 ドイツよりも先に反省し、村山談話も出したし、憲法9条も持っている。「これでまだ文句あるか」と言えるだけのことは十分したのだ。ドイツは東西ドイツの統一という機会にナチス問題をうやむやにしてしまった。ドイツがうやむやにできた最大の原因はフランスの協力だった。ビシー政権の苦い経験があり、パリ占領ではドイツ軍による強姦事件も頻発したにもかかわらず、独仏関係が修復できたのはなぜか? 逆に日韓関係はなぜこんなに仲が悪いのか?

 共産党に牛耳られていた時代の歴史観ではない、もっと自由な歴史観で虚心坦懐に考えてみる必要もあるのだろう。

 みなさまにも一読をお薦めしたい本だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月26日 (月)

書評「アマテラスの誕生~古代王権の源流を探る」溝口睦子著(岩波新書)

 溝口睦子著「アマテラスの誕生~権の源流を探る」(岩波新書)は知的刺激を与えてくれるうえに読みやすい、いい本だった。

 2009年1月20日第1刷発行、定価740円+税=777円。

Book アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る (岩波新書 新赤版 (1171))

著者:溝口 睦子
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 溝口睦子氏は1931年長崎県生まれ。1958年東大文学部国文学科卒業。1976年学習院大学大学院人文科学研究科博士課程修了。2000年3月まで十文字学園女子大学教授。専攻は日本古代史、古代文学。著書に「日本古代氏族系譜の成立」(学校法人学習院、1982年)、「古代氏族の系譜」(吉川弘文館、1987年)、「王権神話の二元構造―タカムスヒとアマテラス―」(吉川弘文館、2000年)ほか、とあった。

 帯の文を書いておこう。

 <知られざる〈国家神〉の交代劇をめぐって 古代天皇制思想の核心に迫る>

 <日本の国家神(皇祖神)は、アマテラス(天照大神)であると、長い間信じられてきた。あらゆる学問分野の優れた研究者たちが、みなこぞってアマテラスを軸に、日本古代の思想や宗教に関する議論を組み立ててきている。…ところが実際に『古事記』『日本書記』などの古典を見てみると、実は、国家神は必ずしもアマテラスだけではないのである。(序章より)>

 である。そして、扉裏の内容紹介には、

 <戦前の日本で、有史以来の「国家神」「皇祖神」として奉じられた女神「アマテラス」。しかしヤマト王権の時代に国家神とされたのは、実は今やほとんど知る人のない太陽神「タカミムスヒ」だった。この交代劇はなぜ起こったのか、また、古代天皇制に意味するものは何か。広く北方ユーラシアとの関係を視野に、古代史の謎に迫る。>

 目次は次の通り。

序章

第一章 天孫降臨神話はいつ、どこから来たか

第二章 タカミムスヒの登場

第三章 アマテラスの生まれた世界――弥生に遡る土着の文化

第四章 ヤマト王権時代のアマテラス

第五章 国家神アマテラスの誕生――一元化される神話

終章

 である。面白いのは帯にある「組み立ててきている」の次にくる…で省略されている文章である。岩波新書だからきっと帯には使いたくなかったのだろう、と忖度するのだが、

 <たとえば丸山真男の「丸山真男講義録四」は、第二章で「古代王制のイデオロギー的形成」と題して、日本の古代王制の性格をさまざまな側面から詳細に論じているが、この講義の場合も「古事記」「日本書紀」に描かれたアマテラスが、もっぱら考察の中心である。>

 が省かれているのだ。そして、

 <ところが実際に「記紀」などの古典を見てみると、実は、国家神は必ずしもアマテラスだけではないのである。「記紀」の国家神にかかわる条文を二、三あげてみよう。>

 と続いているのだ。丸山真男という戦後の政治学界のカリスマが「古事記」「日本書紀」を読み込んでいなかった、と言っているようなものなので、帯にはしづらかったのだろう。

 と、丸山真男批判はそれくらいにして、内容を見てみよう。

 第一章で面白かったのは、天皇家(大王家)の先祖がどこから来たのか、を示す天孫降臨神話(と本来一体の神武東征神話)がどこから来たかを究明する前に当時の東アジアの情勢を説明していることだ。つまり、4世紀から5世紀前半にかけての東アジアが激しい動乱の中にあった、ということを詳しく教えてくれるのだ。

 中国は後漢のあと魏呉蜀の三国並立の時代を経て西晋王朝が立ったが、4世紀初頭に西晋が匈奴によって滅ぼされと、いわゆる「五胡十六国」の時代(304~439年)が幕を開ける。「五胡」とよばれる北方遊牧民が大量に中国大陸の北部地域(華北)に侵入して次々と国を建て、439年に鮮卑族が建てた北魏によって華北が統一されるまで約130年間もの長期にわたって興亡を繰り返した動乱の時代だ、と書いてある。

 この間、大量の遊牧民族の移動だけでなく遊牧民の支配下で強制移住をさせられたり、自ら難を避けて移住する漢人の移動も加わり、東アジアは民族の大移動期の様相を呈した、という。

 目の付けどころがいいなぁ、と思ったのは、

 <ほぼ同時期に、遊牧民フン族の侵入を機に始まったヨーロッパの民族大移動と、この東アジアの大移動は、深いところで関連している。>

 という説を紹介していることだ。ある意味、この時代は「新しい時代を生み出す揺籃期でもあった」というのも説得力のある説明だ。

 4、5世紀の東アジアというか朝鮮半島の付け根で大きく版図を広げていたのが高句麗だ。一方では高度な文字文化を持つ中国王朝と北西で接し、北東では匈奴以来の遊牧騎馬民族の国家とも接して深いつながりを持った。北方騎馬民族国家は文字をもたない国家だった。無文字社会がどこでもそうであるように、豊富な神話や伝承を持っていた。匈奴の国家形成にはスキタイの影響がある、といわれるように、ユーラシア大陸西方の黒海沿岸地域の文化や情報までつねに豊富に取り入れて独自の文化を形成していた民族だった、とある。

 高句麗は漢民族の文化と遊牧民の文化という二つの異質な文化と絶えず接触してそれらを融合させながら国家形成してきた。その高句麗から朝鮮半島南部の国々や倭はさまざまな形で大きく影響を受けた。この時期の高句麗はユーラシア大陸と朝鮮半島南部、日本列島を結ぶ文化の一大中継センターだった、と。わかりやすい説明だ。

 414年に建立された高句麗の好太王の碑の碑文は5世紀初頭ころの倭と高句麗との関係を語る第一級の史料だという。400年、404年に新羅で倭と高句麗が交わした激しい戦闘は史実だろう、という。

 4世紀前葉に高句麗は長く中国の植民地だった楽浪郡を滅ぼし(313年)、帯方郡もほぼ同時期、のちに百済となる伯済国を中心とした馬韓諸国の攻撃によって滅んで、朝鮮半島は初めて中国の支配から完全に解放された。「五胡十六国」の動乱で中国王朝が弱体化したためで、動乱の余波だ。

 ちょうどその頃から高句麗の王権は一段と強化され、半島南部では百済・新羅2国が台頭して国家形成を加速し始める。

 高句麗は4世紀前半、西晋に代わって遼東地域を支配下に置いた鮮卑族の国である前燕と四方で対峙。342年の戦いで手痛い敗北を喫し、前燕の朝貢国となる。その後、遼東の地域は439年に北魏によって華北が統一されるまで後燕・北燕そして高句麗へとめまぐるしく転変する。

 こういう情勢の中、高句麗は4世紀後半に入ると百済・新羅への侵攻を活発化させはじめる。百済の支配層は高句麗と同じく夫余から出たと称していたが、なぜか高句麗は百済を最も嫌っていた、という。百済は倭国に軍事的支援を求め、見返りに倭国は先進文物の供与を受ける、という関係が始まった。七支刀の贈与がそれを物語り、刀には369年から始まる61文字が象嵌されている。7世紀に百済が滅亡するまで倭国と百済の同盟関係は続く。

 高句麗と倭国はお互いにお互いを主敵として意識していた。この中で5世紀初頭の戦闘があった。

 4世紀末から5世紀初頭にかけて倭国の政権内部で大きな変動が起きていた。まだ倭国には文字文化がなかったから、この時代を記した倭国の史料はないが、考古学やのちの文献資料でその変動は間違いない、というのが通説だそうだ。

 その変化は倭の独自性の強い文化から朝鮮半島の影響の強い文化への劇的な変化だ、という。それまで全く見られなかった馬具が副葬されるようになり、武器・武具も騎馬戦向きのものに大きく変化したのが一つの特徴だという。もっと目立つ変化は王墓とみられる巨大古墳の設営地がこの間に奈良盆地から大阪平野に移動したこと。応神陵・仁徳陵とされる5世紀最大級の巨大古墳はそれまで王墓級の前方後円墳が長く営まれてきた奈良盆地を離れ、初めて大阪平野につくられた。倭政権の盟主権の移動を示す、と見る見解もある、と書いている。応神王朝論、河内政権論と呼ばれるもので、直木孝次郎氏は応神天皇以前は伝説の世だ、現実の世は応神から始まる、という考えが7世紀の氏族の代表者に共有されていた、と書いており、溝口氏も同意見だと書いている。

 そこで、溝口氏の推理が始まる。つまり、5世紀の初頭に幕末の黒船来航、唐・新羅連合軍に惨敗した663年の白村江の戦いと同じようなショックがあったのではないか、という仮説である。つまり、高句麗との戦いの敗戦ショックが抜本的な体制変革を引き起こすきっかけとなった、というものだ。

 そこで日本(というか、まだ倭国だったが)は高句麗に代表される北方騎馬民族の神話を輸入した、というのである。この神話こそ天孫降臨神話だった。だから、天孫降臨神話には高句麗の神話との共通点が多い、という。そこで最高神、皇祖神がタカミムスヒである。

 ところが、日本書紀、古事記とも、タカミムスヒを最高神とする記述はあるものの、もっと多い記述はアマテラスを最高神とする記述である。これはどうしてなおか、アマテラスとタカミムスヒとの関係はどうなっているのか、という疑問を解くのがこの本の醍醐味である。

 アマテラス、スサノヲは土着の弥生の神で、地方神だったのが、大化の改新以来の新しい国造りの中で最高神の変更が行われ、存在感の薄いタカミムスヒが長い年月をかけて消えていき、アマテラスが国家神、皇祖神となった、というのである。その裏には天智天皇、天武天皇兄弟2代にわたる新国家建設があった、というのが粗筋である。

 この兄弟の新国家建設については遠山美都男氏の「天皇誕生~日本書紀が描いた王朝交代」(中公新書、2001年)や「白村江~古代東アジア大戦の謎」(講談社現代新書、1997年)で読んだことがあるが、溝口氏の「アマテラス」の魅力は、大化の改新、壬申の乱以前の語られていない日本について大胆な仮説を打ち出していることだ。遠山氏はその後、「日本書紀は何を隠してきたか」(洋泉社新書Y、2001年)など、少し「面白路線」に突っ込んでしまった観もあるのが残念だが。

 「アマテラスの誕生」に戻ると、P103の「記紀神話はどのように形成されたか」でムスヒ系建国神話の成立とイザナキ・イザナミ系の成立に分けて、イザナキ・イザナミ系はインド、東南アジアなどの影響が色濃い、という。

 だから、太陽神であるアマテラスを祭る伊勢神宮が太平洋に面した伊勢にあるのもわかるし、海洋的世界観が色濃く、多神教の世界だ、という。

 海上遥かな「常世の国」信仰は、海洋民族ならではの信仰だし、今でも沖縄に残る「おもろ」の伝説も、この昔の神話を生々しく伝えるものだと思う。

 溝口氏は一般的な普遍神「天」の概念は遊牧民から移入するまで倭にはなかった、神様はみな同列で序列はなかった、という。七福神が宝船に乗ったり、天の岩戸伝説で神様たちが踊りまくってアマテラスが顔を出す光景とか、結構このイメージはふくらませることができる。

 そして5世紀初頭の国家形成の時に北方騎馬民族から政治制度や文物とともに神話まで取り入れ、その最高神として輸入したのがタカミムスヒだった。

 高句麗の最高神や新羅の最高神と同じになったのだが、地方豪族にはそのタカミムスヒ信仰は広がらず、天皇家とその側近の家系だけで拝んでいたようだ。国家に求心力を持たせる必要が出てきた時、結局、地方豪族に広く知られていた地方神であり太陽神であるアマテラスを最高神としてもってきて、タカミムスヒの代替として使った、というのだ。高天原神話が支離滅裂なのはこの接続のためだ、という。

 そして、アマテラスよりもスサノヲの存在感が大きいのはスサノヲが主人公だったからだ、と。そして、その子孫のオオクニヌシが本当の日本の最高神だったはずだ、と書いている。そうした神話が天皇家(大王家)支配のため(?)に変えられてしまう。

 この神話の簒奪というか、書き換えは文字のない時代のことだっただけに、証明が難しいのだろうが、この著述は何かしっくりとくる。コトンと胸に落ちる。

 面白いのは私が若い頃に習った「縄文時代」「弥生時代」の概念がいま、全く変わってしまったことだ。溝口氏によるとアマテラス、スサノヲ、オオクニヌシの神話は弥生時代の神話だ、という。そして弥生の日本人が原日本人だという。縄文はどうなったんだ、と思ってしまう。

 そこで、講談社学術文庫に入ったばかりの「日本の歴史」シリーズの「縄文時代」を読んでみたら、やはりその通りだった。つまり、縄文人をやっつけて朝鮮半島から来た弥生人がのしてくる、という私たちが子供のころ教わった歴史はどうも嘘臭くて、縄文人=弥生人だ、という説が今では通説になっている、と書いてあった。縄文と弥生の交代に人種的な切れ目がない、となると、昔言っていたのはこの4世紀末から5世紀にかけての大変革と縄文→弥生を混同しているのかもしれない。

 ただ、最終章近くに書いてあった内容で分からない部分があった。この大変化に際して朝鮮からの制度、神話などが入ってくるのだが、人はどの程度入ったのか、ということだ。

 もっといえば応神天皇、仁徳天皇前後の「倭の五王」の時代、天皇家が朝鮮半島からやってきた、つまり、高句麗との戦争で負けた倭が日本を占領されてしまい、高句麗の盟主本人なのか、盟主の子供らの中の一人が「天皇」として日本を支配しにきた、ということはなかったのだろうか、という疑問が浮かんできた。何らかの人的移動、交流がなければ、これだけ大量の神話、文化、技術が流入したことは考えにくいのではないか、と思うのだ。

 読みながら、自分で頭の中の年代がグチャグチャになってしまったことに気づいたので、今書いていることの中にも勘違いがあるかもしれないが、古代史はスリリングである。

 溝口氏が何度か触れているように、歴史の解釈は時代、時代に新たに行われる。

 今の行き詰まりの時代、日本の伝統の元の元まで遡って、自分たちのアイデンティティを求めるとき、明治維新のような変革が大化の改新と明治維新の2度だけではなく、国家形成の際にも大きな変革があった、神話すら創造していた、という仮説は面白い。

 大胆な仮説だけに、今の政治状況を想像しながら読むとものすごく面白く、元気が出てくる。日本人も捨てたもんじゃない、と思う。

 面白かった。あっという間に読み終えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月20日 (火)

書評「早わかりサブプライム不況」中空麻奈著(朝日新書)

「早わかりサブプライム不況 『100年に一度』の金融危機の構造と実相」(中空麻奈著、朝日新書、2009年1月30日第1刷、定価735円)はその重厚な題名に似合わず、読みやすく、役に立つ本だった。

早わかりサブプライム不況 「100年に一度」の金融危機の構造と実相 (朝日新書) 早わかりサブプライム不況 「100年に一度」の金融危機の構造と実相 (朝日新書)

著者:中空 麻奈
販売元:朝日新聞出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 裏表紙の写真で見る限り、中空麻奈(なかぞら・まな)さんは髪の長い美人である。

 著者紹介には「BNPパリバ証券クレジット調査部長。1991年慶應義塾大学経済学部卒業。野村総合研究所に入社し米国経済担当のエコノミストに。97年野村アセットマネジメントに転籍して経済調査部で主に金融セクター、地方債、財投機関債などを担当するクレジットアナリスト。その後、モルガン・スタンレー証券で事業法人一般を担当。04年8月からJPモルガン証券に移り、クレジット調査部長として金融・事業法人全般をカバー。2008年10月から現職。金融・事業法人全般をカバーしている」とあった。女性だからか、年齢は書いていなかったが、38~40歳くらいだろう。いわゆる「できる女」の典型のような女性だと思うのだが、「はじめに」を読むと、「日々の私の生活を支えてくれている両親、愛する息子たち、そして夫、美和卓にも日ごろは言えない感謝の意を表したいと思います」とあり、男の子が2人以上いて、両親と同居している案外日本的な女性なのだ、と分かる。美和卓(みわ・たかし)氏は野村総合研究所の上級研究員だったと思うのだが、今は何をやっているのか知らない。野村総研時代に社内結婚したのだろう、と思う。

 あるホームページには、

 <93年から2年間郵政省郵政研究所出向。「わが国電気通信サービスの需要予測」(93年10月)、「わが国における電気通信インフラストラクチャア建設の計量経済分析」(94年7月)などの共同研究を郵政研究所より発表。02年総務省「IP化等に対応した電気通信分野の競争評価手法に関する研究会」委員。東洋経済や金融財政事情等にクレジット関連の論文を執筆。社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。>

 とも書いてあった。まあ、関係ないことをズラズラ書いたが、美人だと気になるもので。

 さて、冗談はともかく、本の内容に入ろう。例によって表紙帯などの宣伝文句を写しておこう。

 <世界同時不況へ――日本を襲う津波の正体>

 <なぜリーマン・ブラザーズは破綻したのか。そもそもサブプライム問題とは何か。米国が震源地で「100年に一度」と言われる金融危機は、株大暴落を経て世界同時不況に発展しようとしている。危機が増殖していた時も、市場がパニックに陥った時も、常に日本マネーが狙われたのはなぜか。気鋭の証券アナリストが未曾有の危機の全貌をわかりやすく解説した決定版!>

 そして、<本書の内容>として、各章のタイトルが並んでいる。これも書いておこう。

第1章 世界一簡単に「サブプライム問題」を解説する

第2章 「金詰まり」のマグマが蓄積された

第3章 なぜリーマン・ブラザーズは破綻したのか

第4章 世界同時不況で起こること

第5章 世界は米国のために動いている?

第6章 日本はどこへ行く

 である。

 正直言ってサブプライムローン問題については少しは勉強してきたつもりだったし、入門書を今更読み直しても仕方ないか、と思いながら読み始めたのだが、外資系証券で「クレジットアナリスト」として「信用」の変化によって金融商品の価格が変わっていくことを観察し分析するのが生業というだけあって、経済学者の書いた解説書と違って生々しい話が多いうえに、これまで分からなかった内幕についてある程度確度の高い「噂話」を書いているのが非常に面白かった。

 また、日本への影響も歯に衣着せずに鋭角的に書いているので非常にビビッドに理解できた気がする。

 つまり、

 <サブプライム問題は「信用」がキーワードになった点でまさにクレジット市場発の世界不況といえます。>

 という、彼女の専門領域だっただけに、筆も生き生きしているのだろう。

 内容を書き留めておこう。▽印のないものは用語の解説など。▽をつけたのは内容の中で印象に残った部分をメモしたものだ。

 第1章では▽「証券化」とは何か▽証券化商品はなぜ腐ったのか▽銀行が巨額の損失を出した真相――の小見出しでサブプライム問題のお勉強。

 住宅ローンに関連してGSE(政府支援機関)という言葉が出てくる。

 また、「多くのローンを寄せ集めると、いわゆる『大数の法則』があてはまり、リスクが分散できる」として、この「大数の法則」を使ったのが保険事業だ、と教えてくれる。

 さらに、証券化商品といわれるためには「優先劣後構造」がないとだめ、という。これは一つの商品の中に「質」の違うものが混ざっていて、償還に際して優位なものと、それより劣後するものがあるという「建て付け」のことだそうだ。

 証券化商品の優良部分が「シニア債」、良部分が「メザニン債」、可部分が「エクイティ」と呼ばれていること。通常、金融界では価格は「スプレッド」という形式で表わし、これは銀行間取引の標準金利である「LIBOR」(ロンドン銀行間取引金利)にどれだけ上乗せ金利を支払わなければならないか、という観点で商品を評価するものだ、という。

 また「格付け」は債券の発行体などの3~5年後の支払い能力を予測して民間の格付機関が債券どとに付与するもの。

 一般的には信用力に基づいてトリプルA(AAA)からシングルC(C)まで19段階程度に分類され、トリプルB(BBB)以上ならば「投資適格」で、それに満たないダブルB(BB)以下は「ハイイールド」(クズのような債券という意味で「ジャンク債」とも呼ぶ)。

 証券化商品の2階建て、3階建て構造の説明も難しいが、分かった。

 米国の住宅ローンは「ノンリコース」が基本。

 これは住宅ローンが払えなくなると家を差し出すだけでいい、それ以上の負担を債務者が負うことはない、という制度。

 CDOは企業向けのローンや社債を組成した証券化商品。

 サブプライムローンの価格下がり始めて投資家が「やばい」と一斉に売りに走り、それがトレンドとなって、さらに値が下がったのは一種の「合成の誤謬」だ、と。

 これは一人ひとりの行動は理論的に正しくても、それが合成されたマクロの世界では意図しない結果が生じることを指す経済用語だそうだ。老後のために貯蓄を増やそうとして生活費を減らす家庭があれば、それ自体はその家庭にとって正しい選択だが、一部の家庭にとどまっていれば問題はないが、大半の家庭で同じことをすると国全体として消費が減って景気が悪くなる、というような現象を指すのだ、という。

▽サブプライムのロスだけに限れば、2007年の第4四半期がピークだった。

▽保有している資産が目減りした時、金融機関が行う会計処理の手法には主に2種類ある。例えば100の資産が50に目減りした時、「時価会計」に則って証券化商品の時価を50として再評価し、残りの50を損失として処理するやり方。もう一つは値下がりした資産を売却してしまうやり方。時価が50で足元を見られて40で売れば60の損失処理をする。前者が「評価損」で後者が「実現損」。

 評価損はその後にもっと目減りする恐れがあるが、実現損はその後いくらマーケットが混乱しても2度とその影響を受けなくて済む。

 普通ならば「実現損」を選ぶのではないか、と思うが、実はそうではなかった。実際に金融機関が選んだ損失処理スキームは「評価損」がメーンだった。「強制評価減」という既定があるが、これがあくまで資産の価格が半分になった場合で、なかなか一挙に半分にはならないので、これを使う必要がないケースが多いこと、価格下落が一時的で、その後上がるという期待があるので、資産を持ったまま値上がりを待つ、という雰囲気が強くなることから、こうした選択になる、という。

▽問題が起こった当初こそ価格は徐々に下がったが、途中からは「つるべ落とし」となり、最後は「価格のない世界」に突入した。そんな商品の買い手は現れない。

▽売ろうとするといかに買い叩かれるか、の実例はメリルリンチが公表した事例で分かる、という。

 メリルは証券化商品の一部をプライベート・エクイティ・ファンド(PEF:短期的なリターンを狙うヘッジファンドと違って、株式を買い取って長期間保有してリターンを狙う投資スタイルを取るファンド)に売却したが、簿価306億㌦相当のCDOを67億㌦で売却していた。その時点でメリルは時価を110億㌦と評価していたので、簿価の約2割、時価の61%、つまり半値に近い数字で買い叩かれた。そのうえ、メリルは買値の75%にあたる金額を相手のプライベート・エクイティ・ファンドに融資した。買い手が自分の懐から出したのは買値の25%にあたる16億7500万㌦に過ぎなかった、と書いている。

 ものすごい世界、ハゲタカ以上の食い合いが繰り広げられているのだ。

 第2章は▽「金余り」から信用収縮へ▽日本に見るリスクマネー撤退、三つのルート▽日本マネーに焦点が当てられた▽狙われる日本マネー PART1 急増したサムライ債――である。

 ここでも「クレジットクランチ(信用収=貸し渋り)」、「ユーフォリア(陶酔的熱狂)」、「過剰流動性」、「金利差(スプレッド)」、単位としてのbp(ベーシスポイントの略。ベーシスと読む。1bpは0.01%のこと)、安全なマーケットの状態を「なぎ」とよぶ、「質への逃避(flight to quality)」などの用語の解説が分かりやすい。

▽証券化商品が流行り始めた当初は比較的ノーマルな商品が多かった。投資家が群がると需要と供給の関係で証券化商品自体の価格が上がり、上がった分、投資家が期待するリターンが得られなくなる。そうなると、投資家のリターンを確保するために商品の質の変更が行われた。←なぜひどいことになったか、の一つの分かりやすい説明だ。

2007年8月9日のパリバ・ショックでサブプライムローンの商品化商品の危険性が一気に表面化した。その前から「やばそう」という空気があったために、誰もが何らの躊躇なくリスクを避けようと一斉に走り始めた。これが「質への逃避」。

▽信用収縮が起きると世の中にお金が出回らなくなる。「マネーは経済の血液」。流れが止まれば、あらゆる経済活動に支障が及ぶ。

銀行は自己資本の12.5倍までしか貸出できない。資産の目減りで自己資本が減ると、今貸している金を回収しないと12.5倍に収まらなくなるので、貸し剥がしが始まる。

▽日本国内の資金枯渇を招いたルートは①海外投資家の益出し②外資系金融機関の投資縮小③国内金融機関の投資見直し――の三つのルートがあった。①②で不動産価格が低迷したので、国内金融機関が不動産業界から資金を引き揚げた。消費者金融業界からも資金を引き揚げた。

▽マネーに色はないが、「出自」によってはっきりした特徴がある。アラブのオイルマネーは利にさとく、収益をあげることに躍起になり、すぐに引き揚げる。足が速い。日本マネーの特徴は利回りよりも安定性を重視すること。短期的リターンより中長期的に一定のリターンを求めることを好む腰の重いマネー。

▽ヨーロッパの銀行は日本マネーを調達しようと日本で円建て債券を発行。日本より利率が高いのでお金を集めることができた。これがサムライ債。大口だけでなく個人資産家の金も狙われて、円貨社債も発行されている。日本の個人マネーは「宝の山」なのだ。しかし、個人は「情報の非対称性」があるので、危ない橋を渡るべきではない。企業の安全性を社債の「品質」とすると、低い品質の社債を買ってしまう可能性は個人投資家の方がずっと高いから。

 第3章は▽米住宅金融公社救済、「空白の40日」の謎▽リーマンが破綻した本当の理由▽狙われる日本マネー PART2――である。ここは面白い。だけど、今の興味とは外れるのでスルーする。

 ただ、P130の一覧表は面白いと思う。証券業界への影響だ。日本では野村だけ残った。アメリカでもゴールドマン・サックスだけ残った。業界1位だけが残るという共通性を指摘しているのが興味深かった。

 第4章「世界同時不況で起こること」は▽CDSという「地雷原」▽米国の大底は2010年?▽日本を襲う地銀危機、底なし不況の入り口か――である。

 この中で注目は地銀、第二地銀の経営がやばい、という話だろう。

 全国で109行あって、08年9月中間決算で純利益が赤字になった銀行が33行あったという。地銀・第二地銀はサブプライム不況のもとになった証券化商品に手を出していたのだ。地銀の中にはGSE債を持っているところもあるそうだ。預証率が高すぎれば、自己資本を毀損する可能性が高まる。評価が下がると損失を計上せねばならず、その結果、自己資本が減って金融機関の体力が低下する。

 地銀・第二地銀の体力が低下してくると、再編問題が出てくる。経営体力が弱った銀行から再編に動き出すケースが出てくるだろう、と書く。そうなると、下位企業への金詰まりの伝播が09年に出てくる、という。列島総不況の始まりだ、と。

 第5章「世界は米国のために動いている?」は▽米国を支える三つのマネー▽ドルペッグ、”擬似ペッグ”、「52番目の州」……▽「信用マジック」がマネーを呼び込む――は面白い。そして、第6章「日本はどこへ行く」とあわせて、この外資系証券会社に勤めている女性が案外、日本という国を心から愛しているんじゃないか、と思った。そんな雰囲気が透けて見えた気がするのだが。

 「日本マネーが米国へ向かう理由」として①日本を代表する輸出産業の貿易決裁が圧倒的にドル建てで行われていること②太平洋戦争を戦った後の戦後60有余年に及ぶ日米両国の政治的関係――をあげ、「日本は米国の52番目の州」などと揶揄されていることまで書いている。この文章は学術的なくらい冷静だが、裏にはアメリカへの怒りがにじんでいる感じを受けた。

 また、米国は経常収支のうち貿易収支は赤字だが、所得収支が年々黒字を増やしているという魔法のタネはアメリカが基軸通貨国だから、と簡単明瞭に説明する。

 <ドル急落は避けられません。>

 と断言している。その時期が問題なのだが、そこまでは突っ込んでいない。しかし、そういう方向に進むことが確実となれば、日本政府の今後取るべき政策はおのずと明らかではないか。

 ということで、相当に勉強になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月13日 (火)

書評「日本は悪くない 悪いのはアメリカだ」下村治著(文春文庫)

 下村治さんの「日本は悪くない 悪いのはアメリカだ」が文春文庫化された。2009年1月10日第1刷、定価552円+税。この本は昭和62年(1987年)4月、ネスコから単行本として刊行された。下村氏は平成元年(1989年)に亡くなっている。

日本は悪くない―悪いのはアメリカだ (文春文庫) 日本は悪くない―悪いのはアメリカだ (文春文庫)

著者:下村 治
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 今回の出版では文庫版序文を神谷秀樹氏が書き、解説を水木楊氏が書く、という重厚な化粧ぶりである。神谷氏は1953年東京生まれ。75年早大政経卒後住友銀行に入行。84年ゴールドマン・サックスに転職し以後ニューヨーク在住。92年にロバーツ・ミタニ・LLCを創業。著書に「強欲資本主義 ウォール街の自爆」(文春新書)、「ニューヨーク流たった5人の『大きな会社』」(亜紀書房)、「さらば強欲資本主義」(同)がある、と書いてあったがこの序文で、

 <下村が言っている経済の基本は「健全性」である。人も、国も、借金と浪費に依存し、砂上の楼閣を築くような経済運営をせず、身の丈にあった健全な生活をしなさい、と説く。数字を追いかける経済運営を戒め、縮小均衡すること、ゼロ成長時代に適応できる経済運営を考えなさいと説く。人口が減少し始め、資源に限りがあり、環境問題に配慮せずにいられない現代日本において、これは当たり前のことである。下村は「日本人が日本人であること」を止める必要など全くないと主張する。勤労に励み、物造りに精を出し、働いて得たお金を貯蓄に回す健全な価値観を尊重する。この価値観こそ日本人が今取り戻すべき最も重要なものであり、また欲を言えば筆者は日本人にこの価値観を世界に伝えて頂きたいとさえ希望する。>

 と書いている。これはほぼ、下村氏の本著の言いたいことだろう。

 また、「解説――恐るべき予言の書」で水木氏は、

 <およそ20年前に出版された本なのに、その先見性には驚愕すべきものがあるのだ。のみならず、これから起きることを予見している部分もある。>

 として、下村氏が昭和20年代から30年代、悲観的な経済見通しを展開する都留重人氏との論争の中で「日本経済についてありとあらゆる弱点を言いつのり、いまにも破局が訪れるような予言をする人々を見ていると、アンデルセンの醜いアヒルの子を思い出す。その人々は日本経済をアヒルか、アヒルの子と思っているのではないか。実際の日本経済は美しい白鳥となる特徴をいくつも備えているにもかかわらず」と批判した、という。

 水木氏は下村氏に事あるごとに話を聞いたというが、今の事態を下村氏ならばどう見るだろうか、と問う。そして、

 <では、日本はどうやって生きていけばいいのかかつて下村さんはぽつりとつぶやいたことがある。これからの日本は江戸時代のような姿になるのがいい。文化とか芸術とか教養に力を入れる時代になるべきだ」。それしか言わなかったのだから、下村さんがどのような具体的なイメージを描いていたかは分からない。だが、いたずらに拡大主義に走るのではなく、他国に過度に依存するわけでもなく、成熟した文化の上に立った、落ち着いた、大人の国を造ってほしいという願いであったろう。>

 と書いていた。

 下村氏の略歴は、

 <明治43年(1910年)佐賀県生まれだ。東京帝国大学経済学部を卒業後、大蔵省に入省。経済安定本部課長、日銀政策委員などを歴任。34年の退官後は日本開発銀行理事、日本経済研究所会長などを務める。国民所得倍増計画を唱えた池田勇人内閣では経済ブレーンとして高度経済成長の理論的支柱となり、また、48年の第1次石油ショック後はいち早くゼロ成長論を唱えるなど、旺盛な言論活動を展開。常に透徹した論理で日本の将来像を描き続けた、戦後を代表するエコノミストの一人。経済学博士。56年勲二等旭日重光章受章。平成元年没。下村治とその時代を描いた書籍に「危機の宰相」(沢木耕太郎)、「エコノミスト三国志」(水木楊)など。>

 とあった。

 下村氏の言いたいことは一言で言えば、国民経済を中心に考えろ、ということだろう。いくら経済がグローバル化しても国がある以上、1億数千万人の国民が仕事をしながら幸せに暮らす生活を守る義務を国は持っている、と。自由主義経済とかいうが、それは国民経済を守るための手段に過ぎない。すべての発想の原点を国民経済にせよ、ということだろう、と理解した。

 だから、中曽根政権の時の前川リポートなど我慢できないわけだ。「前川リポートは日本の健全性を捨てさせるものだ」と小見出しにしているが、

 <この(前川リポートの)勧告が言っていることは、われわれが明治以来百二十年にわたって日本の国民に十分な就業と所得の機会を与えるために続けてきた必死な努力が、現在の危機的な国際状況を引き起こした、といって全面否定しているのである。これは見当違いもはなはだしい。>

 といって、日本は構造的に輸出主導経済の国ではなく、1945年から1980年までは貿易黒字もたいしたことはなかったのに、この数年急増しただけで、これは構造的ではない、また、日本が失業輸出をしている、などと馬鹿なことをいうエコノミストがいるが失業輸出とは国内の失業をなくすために輸出ドライブをかけて外国の職を奪うもので、日本はそもそも失業がなかったのだから失業輸出ではない、という。また、日本の対米黒字の大きさだけを見てもだめで、米国の数字をみなければいけないが、日本の輸出増よりも大きな数字で米国の輸入が増えている。つまり、米国が国内産業の衰退で、国内では生産できずに外国の製品を買っているだけで、日本が輸出をやめれば、韓国や台湾からの輸出が増えるだけだ、と喝破している。

 前川リポートをめぐる論戦はものすごいものだったらしい。下村氏と小宮隆太郎氏がリポートを批判した。そうしたら、加藤寛・慶応大学教授、前川春雄前日銀総裁、鈴木孝信前日本経済研究センター事業部長らが前川リポート擁護の論陣を張り、それに反論を加えたというのだ。論点は輸出超過は日本人の貯蓄のし過ぎのせいかどうか、で、下村氏はどちらが原因で結果かは分からないのに、貯蓄犯人説に決め打ちするのはおかしい、と言うのに、論敵はその説を論破できないまま貯蓄犯人説を言い立て、前川リポートの線に沿って政策が進むのだ。

 下村氏のこの当時のレーガン政策批判、「アメリカ経済は破滅する」という危機感は結果的には空振りに終わったが、それは目くらましだったことが今回はっきりした。アメリカではやはり製造業は壊滅状態だったのだ。

 水木楊氏が言うように、下村氏の予言が注目されるのはそういう理由からである。下村氏の予言は時間を置いて、現実のものになる可能性があるのだ。

 その予言とは、このままの状態が続くとアメリカにある日本の資産は支払い停止を受けるに違いない、と言うのだ。これまでもアメリカは東ヨーロッパの国々に対して懲罰的にやったり、アラブの一部の国に対してやったりした実績があるそうだ。間髪をおかずに支払い停止にすればそれほど世界経済に混乱は起こらないが、貸している方は金融混乱が起きる、という。アメリカの経済がインフレになりそうだ、という心理が働けばドルを持っている人たちは一時的にでも他の通貨に換えようとし、そのためにドルの価値が下がる。もし、こういう心理が広く一般的なものになれば、それだけドルは急激に売られるようになり、一挙に崩落することになってしまう、と書いている。

 そして、投資家がドルの下落を恐れるようなインフレがいつ起こるかはわからない、というのだ。やばい時期になると、ある時に一気に来る、というのである。

 そこで、日米は縮小均衡せよ、という。アメリカは輸入を減らす。日本は輸出がガクンと減るから、生産を縮小し、自国の経済は自国で責任を持って安定させよ、というのだ。「世界同時不況を覚悟するしか解決の道はない」と30年前に書いていることは驚きだ。

 「アメリカは強い、という迷信を早く捨てよ」「個人生活は異常な膨張以前の姿に戻るだけだ」、「これまでの生活はレーガンが大きく振り込んだ余禄と思え」といい、そして、最後には「日本がアメリカに貸したカネは取り戻せない」と言うのだ。これはそういうことのようだ。

 下村氏の言い分を少し書いておこう。

 <もし本気になって日本が取り戻そうとすれば大混乱が起こるに違いない。したがって、最もスムーズな解決策は日本がある段階で貸し金を帳消しすることだ。返さないでも結構です、ということにするのが最も混乱が起こりにくい。混迷するのは日本の金融界だけだ。となれば、一番得するのはアメリカだ、ということになる。ただもうけである。放蕩の限りを尽くして、借金も棒引きなのだから。アメリカが自由世界を軍事的に支えているその報酬だと思って諦める以外にない。>

 <借金とか金融資産というものは本来そういうものである。われわれ日本人は通貨価値の安定について政府に信頼を置くように訓練されている。しかし、通貨価値の根底にあるものは今日では政府そのものなのである。世界の通貨秩序を支えているものは、それぞれの国の政府と中央銀行が節度ある経済運営でその通貨に価値を与えることである。それがくずれたときにその通貨は価値を失う。今日の通貨と金本位時代の通貨との違いはそこにある。アメリカが支払い停止に出た時、日本の金融界がせっせと貯め込んだ金融資産は無価値になってしまう。そのとき金融界に大きな混乱が起こることは避けられない。それどう乗り切るか、銀行などの経営者の腕の見せ所であるが、同時に日本政府としても十分に覚悟して対処しなければならない。>

 というくだりである。今後、こういう事態が来るのだろうか?

 下村氏の危惧は日本人の考え方に向けられている。「アメリカの占領政策の後遺症から抜けきれない日本人」という見出し通りの主張である。下村氏は戦後の占領軍の時代、占領軍に摺り寄り、仲間の日本人を売り渡していた志も何もない日本人をたくさん見てきただろう。その卑しい日本人が1987年時点でもたくさんいる、ということへの危惧である。

 日本国憲法、教育基本法、国語国字問題、すべてGHQが日本弱体化政策の置き土産なのに、戦後の日本はこの置き土産から出発せざるを得なかった。

 <占領時代の尾骶骨みたいなものは、現在でも残っている。>

 <その中でとくに、アメリカが期待した以上に日本の伝統否定、伝統的な価値否定、日本人の自尊心の否定といったことを推進してきたのが日教組なのである。>

 日教組が教育現場を支配して、教育が荒廃し、児童教育に空白が生じて日本人の考え方の弱さというものが生まれた、という。

 結びで下村氏は繰り返す。

 <忘れてならない基本的な問題は、日本の1億2000万人の生活をどうするか、よりよい就業の機会を与えるにはどうすべきか、という点なのである。>

 日本は加害者ではない。アメリカの理不尽な要求には反論せよ、と。当たり前のことを言っているに過ぎないのだが、その当たり前のことを今でも言える人は少ない。

 安い本だが、価値はものすごいと思う。こういう本を多くの人が読んでくれればいい、と思うのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年1月 9日 (金)

書評「世界経済危機 日本の罪と罰」野口悠紀雄著(ダイヤモンド社)

 野口悠紀雄著「世界経済危機 日本の罪と罰」(ダイヤモンド社、2008年12月11日第1刷発行、定価1575円)を読んだ。また帯の文句を写しておこう。<主犯アメリカに資金を供給し続けた”共犯者”日本。その結果として、この国を未曾有の大不況が襲う!輸出立国の崩壊で、本当の危機はこれから始まる。100年に1度とされる経済危機の本質は何か。その分析、今後の行方、そして今なすべき対策までを野口悠紀雄が緊急提言!いったい何が起きているのか?これからどうなるのか?この経済危機の本質を野口悠紀雄が解き明かす!>である。何か禍々しいぞっき本のようでもあるが、内容はしっかりしている。基本的には週刊ダイヤモンドに連載したコラムを集めて書き直した文章らしいが、ものすごく分かりやすい。

世界経済危機 日本の罪と罰 世界経済危機 日本の罪と罰

著者:野口 悠紀雄
販売元:ダイヤモンド社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 表紙裏にも宣伝文句が書いてある。<日本は、「アメリカ発金融危機」の被害者などではない。危機は世界的なマクロ経済の歪みが生んだものであり、日本はその中心に位置している。成長率がマイナス数%になるような、未曾有の大不況が日本を襲う。本書は、それに対する警告である。>

 何かノストラダムスの大予言のような宣伝文句だが、野口氏のファンには慣れっこなのかもしれない。

 この宣伝文句で野口氏の言いたいことは随分と表わされていると思う。例によって、内容で面白かった部分をピックアップしておく。

▽本書の目的は起こった事件を単に列挙するのではなく、分析を行うことだ。新聞や雑誌は生じた事件を報道はしているが、分析は必ずしも十分でない。(P6)

▽前FRB議長のアラン・グリーンスパンが「100年に1度の津波」と言うのはけっして誇張ではない。とくに、日本の立場から言うとそうなのである。(P11)

▽2002年以降の日本の景気回復は、対米輸出の増大と、異常な円安という持続不可能な二つの要因に支えられたものだった。日本の貿易黒字はゼロになる可能性がある。アメリカ以上に急激な日本の株価下落は輸出立国モデルの崩壊を知らせる市場のシグナルである。(P19)

▽「改革によって日本が変わった」という説明はまやかしに過ぎず、日本経済の実態は古いままだった。輸出増は、日本の輸出産業の真の競争力増強によって実現したものではなく、輸出量の拡大と円安によって日本の輸出産業の価格競争力が実力以上に高まったことによるものだった。(P29)

▽1990年代の世界経済の大きな変化の一つとして工業製品の価格低下がある。これは社会主義経済が崩壊し、また中国などの新興国が工業化し、低賃金労働の活用で工業生産ができるようになったからだ。この変化で最も大きな利益を受けたのはアメリカだ。アイルランド、イギリス、北欧諸国などもこの変化によって受益した。

▽1980年代以降の日本経済に生じた最も顕著な構造変化は輸入構造の変化だ。かつての日本経済は原材料を輸入して工業製品の生産を行い、これを輸出するという基本構造を持っていた。これを反映して80年代はじめまでは食料・原材料輸入が総輸入の約4分の3、製品輸入が約4分の1という構成だった。ところが90年代になってこれらがほぼ同比重となり、現在では製品輸入の方が多くなっている。しかし、日本は新興工業国の発展という大変化の利益を十分に享受できなかった。むしろ逆に新興工業国との競争によって国内産業が疲弊した。それは旧来型の産業構造にこだわったからだ。07年の夏ごろでも日本の株式指数が90年の4割にしかならなかったことがそれをよく示している。(P33)

▽古いタイプの産業を支えるために、金融緩和と円安政策が取られた。本当に必要な構造改革は産業構造の変革だったのに、近視眼的なバイアスのために、全く逆の経済政策が取られた。「小泉政権は改革を行った」というが、経済の面から見れば低金利と円安政策で古い産業構造を温存したのである。それだけではない。異常なマクロ政策が長期にわたって継続されたため、それを利用する国際的な投機が発生した。それは、日本から高金利通貨国への投資資金の移動だ。それが今回の金融危機の一つの原因になっている。株価下落の主要な原因は「無理のある円安をこれまで続けてきた」という日本側の事情なのである。しかし、そのバブルは崩れた。現在起こっているのはバブルがなければ実現していたであろう状態への回帰に過ぎない。(P34)

▽1990年代の日本の不良債権処理は極めて不透明なかたちで行われた。不況が続く限り、資本注入で不良債権問題は解決できない。(P45)

▽「投資銀行モデルの終焉」と言われるが、「ハイ・レバレッジのビジネスモデルの崩壊」だ。(P69)

▽サブプライム・ローン問題の本質は本来行われるべき「資産の価格付け」が行われず、似て非なる「格付け」に全面的に依存したことだ。分散投資で回避できるのは「個別リスク」であり「市場リスク」は回避できない。格付けによって住宅ローン証券化商品のリスクを完全に評価することはできない。本来ならファイナンス理論や金融工学を利用して投資対象のプライシングを行うべきだったが、それをしなかったことが問題だ。(P78)

▽アメリカの90年代以降の経常収支の赤字は80年代後半とは違ってストップがかからず拡大を続けた。「アメリカが経常赤字を続けられるのは国債基軸通貨であるドル紙幣をするだけで外国からモノを買えるからだ]という人がいるが、これは違う。これは「アメリカはシニョリッジ(通貨発行権)を持つ」というが、変動為替制度では仮にドルが外国通貨に対して減価すればいくらドル札を印刷しても赤字をファイナンスできない。アメリカが赤字をファイナンスできるのはアメリカへの資本流入があるからだ。(P91)

▽日米貿易不均衡が継続しうるのは何らかの理由で日本が強制されているからではなく、またアメリカの軍事力が強いからでもない。日本が円安政策を取ったのは主として輸出産業の利益のためだ。これは「資本取引を通じた黒字還流」だ。

▽1980年代後半以降、アメリカ経済の順調な成長に伴ってアメリカ人の生活が豊かになり、それが過剰消費を生み、経常収支の赤字増大につながった。そこには郊外の豪華な住宅に住み、自動車で遠距離を通勤するという生活スタイルがある。ガソリンの税が安い。住宅取得の減税も半端じゃない。日本の10倍以上だ。マクロ経済的な観点から見れば「アメリカのガソリンと乗用車の使用、住宅への支出が世界標準に比べて過剰」なのだ。(P94)

▽アメリカの赤字が大きくなりすぎるとその持続可能性に疑問が持たれる。これが「ドル暴落の危機」だ。20年以上も前にポール・クルーグマンが警告していた。しかし、グリーンスパンが自叙伝「波乱の時代」で書いたように、クルーグマン理論への反対論が相次ぎ、実際、アメリカは赤字をファイナンスしてきた。ハーバード大学の国際経済学者リチャード・クーパーやFRB議長のバーナンキは04年、05年ごろに「日本人は働いて得た黒字をアメリカ人の贅沢な生活を支えるために使ってしまったが、貯めた金の使い道はそれ以外なかったのだから仕方ない」という趣旨のことを言っていた。随分馬鹿にされたものだが、そういわれても仕方ない政策を日本は取ってきた。日本の輸出産業にとってそのような世界経済構造が望ましかったのである。だが、貯め込んだ経常収支黒字を国内のインフラ整備に回せばアメリカ並みの住宅環境を実現できたはずだ。そのような潜在的な経済力を持ちながら経常収支黒字を生活の豊かさを実現するために使えなかった。その理由は経済政策が貧困だったからだ。そして、今なお日本はその状況から脱していない。日本の産業構造が大きく変わらない限りアメリカに資金を提供し、そして円安を維持することによってしか日本の企業は生き延びられない。貿易黒字に頼った成長はできないことが明確になったのに、それからの脱却が大きな摩擦を伴うために現実にはほとんど実現不可能である。(P105)

▽アメリカでは住宅を担保に自動車ローンを組む消費者が多い。住宅価格が値上がりし金利が低下すると住宅ローンを借り替えて借入額を増やすだけで返済額はそのままで多額の現金が手に入る(キャッシュ・アウト借り換え)ので、その大部分が新車の購入に充てられた。こうして住宅価格上昇が自動車購入を増やした面が強かった。ところが住宅価格が下落を始めるとこの条件が一変する。ローン審査が厳しくなって信用収縮が生じる。これまで車を買えた人が買えなくなる。これまでの対象者の40%がローンの対象外になるといわれる。だから自動車購入が急激に落ちる。(P107)

▽アメリカの経常収支赤字が巨額である限り、次々にかたちを変えた金融危機が顕在化するだろう。そのたびに日本の株価が下がるだろう。(P121)

▽ドル買い介入が行われた時、それを非不胎化するために貨幣供給量の増加を放任する必要があり、したがって量的緩和政策が必要になる。2001年に導入された量的緩和政策はデフレに対処するためと表向きは説明されたが、真の目的は為替介入による貨幣供給量の増加を放置することだったと考えられる。「デフレ脱却のために金融緩和を行う」というのは、単に正当化のための説明に過ぎなかったのだ。(P133)

▽実質実効為替レートで見ると2000年以降の円安は異常なものだった。にもかかわらず円安が大きな問題にされなかったのは①人々はメインクレーとに注目して実質レートを見ないから②アメリカが脱工業化を実現して製造業の利害が政治に反映されなくなった――ためだ。この結果、古い産業構造が円安で利益を得た。(P140)

▽ドル建て資産の4分の1程度は円高によって失われた。日本の対外資産は07年末で640兆円あり、そのうちドル建てのものが証券投資と同じ比率(41%)あるとすると、損失は63兆円程度だ。ユーロに対しても円高になっているので、それを含めれば損失はもっと拡大する。IMFが08年10月3日に公表した推計によるとサブプライム関連の金融機関損失の総額は今後数年間で約143兆円と予測されており、日本が為替変動ですでにこうむった損失は半分近くになる。今後、ドル安がもっと進むとさらに減価する。この損失を取り戻すのは不可能だろう。これは「史上最大のデフォルト」つまり「踏み倒し」と呼ばれることがある。ドル資産に集中して投資していた日本が愚かだっただけである。(P146)

▽世界経済は大きな転換点だ。新興国の世界経済に与える影響がこれまでの「供給の増加」から「需要の増加」にシフトしている。そのため長期的には価格上昇圧力が働く。(P165)

▽金の価値を基準と考えれば、今までに生じたのは「ドルの減価」であり、原油も農産物もさして価格が上昇したわけではない。(P165)

▽鉄鋼産業は原材料価格の高騰のためむしろ円高で収益が増えるような構造になった。これまで輸出産業はおしなべて円安を望んでいたが、いまや資産価格の値上がりでその一枚岩的な構造は崩れた。(P167)

▽アメリカの経常収支赤字が解決しない限り、混乱は収まらず、しわ寄せは日本と中国に集中する。日本の貿易収支赤字転換は不可避だ。5%のマイナス成長もあり得る。中長期的に見てより大きな問題を抱えているのはアメリカよりもむしろ日本だ。これからの日本は制御不可能な事態に直面する可能性がある。(P194)

▽円高こそが経済成長の利益を日本人が享受するための自然なルートだ。円高は日本人の労働価値が高く評価されることだからだ。日本の中核産業である輸出産業は政治や世論に対する影響力が圧倒的に強い。それゆえ、日本は円安を望むバイアスを持っている。金融緩和、円安政策を進めようとする勢力を抑え、方針を変更させられるだけの声が国民から上がるかどうかが日本の将来を決める。(P239)

▽日本経済が今回の危機を乗り越えるには為替レートが60円台になっても収益が上がる産業構造をつくること。資本面で国際的に開かれた国とすることだ。モノの輸出ではなくカネの運用によって国を支えられる時代においてはファイナンスの手法を習得し、対外資産の収益率を高めることが重要な国民的課題だ。そのために必要なのは高度な金融専門家の養成だ。これは日本の高等教育の中で最も立ち遅れた分野だ。(P246)

 大体、以上が気づいた点だが、疑問点もあった。というのは野口氏は食料自給率アップは必要ない、食料を禁輸されるなどということはありえないのだから、農業を構造改革して輸入に頼ればいい、という。たしかに野口氏のいうようにカロリーベースの自給率という概念は異常に数字が低く出るかもしれないが、食糧安全保障という問題をまったく考慮しなくていいのだろうか? この部分の疑問は残った。

 難しい数式の勉強も出てきて、いい頭の体操になる本だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月14日 (日)

書評「日中韓はひとつになれない」小倉紀蔵著(角川oneテーマ21)

 小倉紀蔵氏は京都大学大学院准教授。1959年東京生まれ、東大文学部ドイツ文学科卒業。電通勤務後勧告に留学、ソウル大学哲学科大学院博士課程単位取得。東海大助教授を経て現職。専門は韓国哲学。NHkテレビ・ラジオ「ハングル講座」講師。外務省「日韓友情年2005」実行委員をつとめる。著書に「韓国は一個の哲学である」(講談社現代新書)、「韓国語はじめの一歩」(ちくま新書)、「心で知る、韓国」(岩波書店)など。

日中韓はひとつになれない (角川oneテーマ21) 日中韓はひとつになれない (角川oneテーマ21)

著者:小倉 紀蔵
販売元:角川グループパブリッシング
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 小倉さんの著書は以前読んだと思ったのだが、著書ではなく月刊誌だったかもしれない。いずれにしても内容を覚えていない。朝鮮半島問題の著書を読む時、否応なく、著者のスタンスが問題になる。

パラパラとこの本を見たのだが、どうもユニークなものの見方をしており、単純に「親韓」「嫌韓」などと片付けられないタイプらしいので、じっくり読んでみた。

 ソウル大学か高麗大学か延世大学か梨花女子大かの語学堂で韓国語を勉強してからソウル大学の大学院に入ったのだろうと思うのだが、東大の独文、つまりドイツ語屋から韓国語学習というコースがあるのだろうか? もしかすると、ドイツも朝鮮半島も分断国家ということで共通していることに関係があるのかどうか。

 いずれにせよ、「マスコミの王者」といわれ、就職戦線でも一番人気の高い電通を辞めて留学するなど、半端じゃない韓国オタクなのだろう、と思う。

 この本の一貫したテーマというか、結論的な部分は日中韓中心の「東アジア共同体」を作るのは無駄骨折りだし、害あって益なしだから、「東アジア共同体創設には反対」、というところだろう。

 ここで面白いのは、声高に「東アジア共同体」論を唱える人には左翼が多いこと、その中には東アジアの伝統的な思想や東アジアの人々の生活などについて何も知らない人々がいること、そういうことに最初から関心を持っていない人もいること、日米関係の清算を企図したり日本の保守政治の不動特性を批判するという目的のために東アジアを手段として利用している人がいること――などを小倉氏が厳しく批判していることだ。

 <このタイプの「左」系東アジア共同体論者は、その表面上の道徳的な仮面とは逆に、内実は東アジア蔑視論者なのである。「東アジアをばかにするな!」と叫びたくなる。>

 と書いているのだ。

 東アジアの人々が克服すべきものとしてナショナリズム、エスノセントリズム(自民族中心主義)があり、歴史認識、領土問題も克服すべきだ、という文脈の中で小倉氏は、この英語でしか朝鮮半島のことを勉強していない人々が西欧と同じ論理で東アジアのナショナリズムを論じるので、ナショナリズムや歴史認識を議論すればするほど非生産的で無解答の袋小路に入り込んでしまう、と書いている。

 フェミニズムとかポストコロニアリズムというような理論的枠組みを日本人と韓国人の研究者が共有し、ある問題について同じように議論しようとしても議論は非生産的なままに終わるのだ、という。

 これは日本人の語る「ポストコロニアリズム」「フェミニズム」と韓国人の語る「ポストコロニアリズム」「フェミニズム」が中身が違う場合が多いからだ、という。面白い仮説である。そして、それはなぜか、というと、韓国の「ポストコロニアリズム」「フェミニズム」には性善説のフィルターがかかっているからだ、という。

 この辺、和田春樹氏らがすぐに思い浮かぶが、違うか?

 小倉氏は返す刀で「右」も「非倫理的だ」と斬る。

 <過去に日本が東アジアに対して行ったことは、決して隠蔽してはならず、事実を正確に確定して反省すべき点を反省し、二度とそのようなことが起こらぬよう、教育や制度をしっかりと構築しなくてはならない。歴史を隠蔽したり美化することが保守的な立場なのだと考えるなら、それは保守という思想に対する冒涜であろう。>

 これは従軍慰安婦問題、南京大虐殺問題などでのウルトラ右翼の「大虐殺はなかった」的な物言いへの批判だろう。

 田母神前空幕長の先だっての発言についても、この範疇に当てはまると小倉氏は判断するのだろう、と思う。

 だが、小倉氏が中国や韓国に謝罪だけしていればいい、と考えているのか、といえば、そうではないのだ。

 2005年2月に島根県議会で「竹島の日」制定決議案が可決され、韓国人の「国民感情」を逆なでしたこと、ソウルで高野紀元駐韓大使が「竹島は歴史的・法的に日本固有の領土」と発言したことが韓国国民の怒りを増幅させたことをケーススタディとしてあげいている。また、日本で人気の俳優、ペ・ヨンジュン氏が同年3月の記者会見でレポーターからこの問題を質問され、後日自分のホームページに「私に役目があるとしたら、国家や領土の線を引く言葉より、アジアの家族たちの心と心の線をつなぐこと」との発言をアップしてファンから圧倒的な支持を得たことも挙げている。

 そして、ペ・ヨンジュン氏のファンはこのペ氏の言葉の逆の方向に高野大使の発言があると認識し、「日本政府は韓国人を怒らせてひどい」と言っているらしいが、「それはおかしい」と言うのだ。

 <私も竹島は日本の領土だと考えている。その島に一方的に警備隊を常駐させ実効支配しているのは韓国の側である。むしろ日本の外務省はこのような韓国の振る舞いに対して極度に紳士的に対応している。それは一部の日本国民がもどかしくなるほど、韓国人の「国民感情」を刺激しないよう最大限に気を遣っているといってよいだろう。このことに関して、韓国側は全く聞く耳を持たないのである。百歩譲って、竹島の帰属があいまいであるなら、国際的なしかるべき場所(注:国際司法裁判所)できちんと議論をすればいいのに、韓国側はそれに応じようともしない。

 これが小倉氏の態度である。

 前にこのブログで若宮啓文・朝日新聞記者が竹島を韓国に譲渡すべきだ、と語っていたと書いたことがあるが、小倉氏もP130に若宮氏が2005年3月27日のコラム「風考計」で「竹島の問題で日韓が紛糾するのなら、いっそのこと日本が韓国にこの島を譲ってしまったらどうか」と書いたことを紹介している、と取り上げている。そして、自分(小倉氏)が講演に行った時に「韓流」好きの女性たちに「若宮氏の意見に賛成か」と聞くと3分の2は首を横に振る、これは全国どこでも同じような傾向だ、と書いていた。

 歴史教科諸問題でも面白いことを書いている。

 権五琦(グォン・オギ)元東亜日報社長、元副総理・統一相は2004年に出た若宮氏との共著「韓国と日本国」(朝日新聞社)で扶桑社の「新しい歴史教科書」(2001年刊のもの)を読んだ感想として「特に反発を感じませんでしたね」、「韓国だって本当は日本の教科書を非難できる筋合いではないんだ」「(この扶桑社の教科書には)韓国でも合併に一部のものが賛成していた、という記述がありましたね。『韓国人はみんな日本に抵抗した』と自慢したいのが韓国人の心情かもしれないが、本当はそうではないんだから、韓国人こそがこの教科書から学ぶべきだと思う」、「むしろ私は韓国人に『自虐のすすめ』をしたいくらい」と言っている、と書いてあった。そして、

 <歴史の問題に関しては、これまで韓国人が日本に対して多くの批判をしてきた。私たちはそれに対して感謝しなければならない。私たち自身によって気づかない、私たち自身の間違った姿。それを隣国の人々がきちんと指摘してくれたからこそ、私たちはよりまっとうな姿に近づくことができたのである。同じように、私たちは「韓国は正しく、小泉は間違っている」という図式を取り払い、韓国の間違っている点に関しては堂々と指摘してあげること、これが真の隣人のなすべきことなのではないだろうか。>

 と書いている。つまり、言うべきことは言え、ということだ。当たり前のことである。

 <東アジアの共通の古典として儒教を高く評価する人々もいるが、これもまた無知で危険な発想だといえる。「左」のように儒教を知らぬまま全否定するのも愚かなことだが、一部の「右」のように儒教を美しく誤解するのも危ないのである。儒教という巨大な思想をいかにして脱構築し、仏教や道家思想やシャーマニズムやアミニズムなどとともに再構築していくか、ということこそ、われわれに課せられたテーマなのである。>

 儒教の怖さを何度も繰り返し書いている。

 そのいい例が「性善説」だ。普段、「あいつは性善説なのか性悪説なのか」、などという風に使う言葉だが、この「俗流」の使用法は儒教の本来の意味ではない、と言う。

 性善説こそ自分勝手な論理である、というのだ。自分が善だから相手に注文を付けて、自分の思い通りにさせる論理だ、というのだ。儒教主義とはこのようにキリスト教原理主義的なこわさがあるというのだ。

 と、まあこの本のテーマからすれば周辺部分にあたるであろう部分かもしれない部分だけを要点筆記した。

 思想の問題を扱っているにしては不十分な点があるのではないか。

 主体思想が韓国の左翼勢力の中にどのように根付いたのか、その思想が韓国の保守思想を駆逐したやり方はどうだったのか、南北関係と対日関係、対中関係でそうした思想は外交交渉と戦略の中にどう生かされているのか、という切り口も見たかったのだ。新書はページ数に制限がるので、そこまで書き切れなかったのだろうが、次の機会に是非読んでみたい。

 また、著者も書いているように朝鮮半島の儒教思想については詳述してあって、少しは理解できるのだが、中国の儒教思想についてはほとんど書かれていない、別の機会に書くのだろうが、これは難しいだろうなあ、と思う。王朝交代とその王朝を支えるイデオロギーや思想の歴史など、様々な要素を盛り込まないと分からないからだ。

 でも、この本は帯に<日本人と中国人・韓国人の価値観のずれを問う>とあるように、それなりに問題点を明らかにしてあるので、参考になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月 5日 (金)

書評「日本の信義~知の巨人十人と語る」猪瀬直樹著+「共同研究『』冷戦以後」中曽根康弘ほか著

 発行は小学館。2008年6月9日初版第1刷発行、定価760円+税=798円。

 裏表紙の宣伝文句が本の内容をうまくエッセンスしているので、引用しておく。

 <「バブル崩壊前夜」から「失われた10年」なで。日本が大きく揺らいだその時代に、作家・猪瀬直樹が、江藤淳、会田雄次、吉本隆明、秦郁彦、高坂正尭、所功、山折哲雄、梅原猛、鶴見俊輔、阿川弘之という戦後日本を代表する思想界の十傑とともに日本を問うた貴重な対談集。「週刊ポスト」誌上で話題を呼んだ15話を選りすぐって新書化。対米関係、天皇制、日本人の宗教観、土地神話、戦後処理、経済復興など日本人と切り離すことのできないテーマについて、それぞれの専門化とともに挑んだ対談の内容は、日本人の精神史、国家観を探るうえで欠かせない。日本のゆくえを真剣に考えるための視座の数々と出会える一冊である。>

黒船の世紀―ガイアツと日米未来戦記 (日本の近代 猪瀬直樹著作集) 黒船の世紀―ガイアツと日米未来戦記 (日本の近代 猪瀬直樹著作集)

著者:猪瀬 直樹
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 うまい宣伝文句だと思う。実際、そういう読後感だった。「はじめに「」で猪瀬氏が書いているように、この対談自体、「黒船の世紀」の連載を始め、それに生かそうとして行ったものらしいが、会田雄次氏との87年12月の対談から2002年7月の阿川弘之氏との対談までの期間にこれらの対談が行われている。

 ということは、バブル景気華やかなりし頃の対談と、バブル崩壊後の対談だが、それは日本国内の話だ。

 世界的に見れば、ベルリンの壁が壊れ、米ソ冷戦が終結した前後という状況で、彼らが将来をどう見通したのか、過去の何をよすがに考えようとしていたのか、が分かる。

 以前、「共同研究『冷戦以後』」を読んだ。1992年2月1日第1刷で、私が買った本は3月20日第3刷。文藝春秋刊で定価は1800円(税込み)。著者は中曽根康弘、佐藤誠三郎、村上泰亮、西部邁の4氏だった。当時、忙しい仕事の合間に始終睡眠不足の頭で理解できたのかどうか分からないが、マーカーで線を引きながら87ページまで読んだ痕跡があった。

 92年2月刊の本だが[序 日本の使命]で(この文章の調子を見るに、中曽根氏が[序]を書いたのだと想像するが)「われわれは、約2年間、この問題を中心に論じ合ってきた」とあった。というと、90年2月前後から討論を繰り返した結果、満を持しての著述らしい。

 読み返して見ると、じっくりしたいい研究論文も入っているし、何度読み返してもまた違った面白さが出てくるタイプの本なのではないか、と思う。

 ただ、さすがに16年後に読み返すと、外れた予想もいっぱいあった。米国はブレトン・ウッズ体制を維持していくのに必要な経済上の世界的公共財を独力で提供する力を失ったので、米国のドルと日本の円、そしてドイツのマルクが世界のキー・カレンシーになりつつある、と書いているのが間違えた第一(P20)。

 ソ連崩壊で米ロが本格的な核兵器軍縮を始める、世界はいまや、大軍縮時代に入らなければならない、と書いているのは、私は実感がわかないが、それなりに根拠があったのだろうと思うが、今から考えると、間違いだ。

 また、衆院選挙制度については、比例代表並立制よりも「大統領的首相」がいい、と例を挙げて主張しているが、大統領制は議院内閣制よりは権力集中度合いが低いことは飯尾潤氏の中公新書「日本の統治構造」などを読んでも、今や政治学者の中では常識になっているのではないか。92年時点では、中曽根氏の持論である「大統領の方が首相よりも強い」という考えに引っ張られて、読者の素朴な思いに応えようとしているが、これも間違いではないか。

 なぜ長々と共同研究の話をするか、というと、この『「共同研究』には冷戦構造の終焉で日本がどんな場所におかれていると、いう考察が弱かった、と思っているからだ。

 西欧では冷戦崩壊がもたらす大きな変化について、本格的な研究が90年代に相次いだが、日本ではきっとこの本が一つの金字塔だろう、と思っていた。「それにしては仮説の立て方に大胆さが足りない」と昔読んだときに思ったのだ。

 ハンチントンの「文明の衝突」という予言は半分当たったが、日本の永田町では当時「西欧の冷戦は終わったが、北東アジアの冷戦はまだ終わっていない」という議論が中心だった、ように思う。1994年からの北朝鮮核危機がその極東特殊論をいかにも正統性のあるもののように見せたのではないか。

 しかし、冷戦崩壊とは今、目の前に戦術核の脅威が出てきた、というレベルとは違った出来事だったことは今や明白になっている。当時の日本ではそれが理解されなかったので、日本の針路の舵切りが遅れてしまったのではないか、と思っていたのだ。

 猪瀬氏の「日本の信義」(小学館)はまさに「共同研究』」(講談社)と同じ時代の識者のインタビューをまとめた本である。当時、不明な私は「黒船の世紀」も読んでいなかったし、総合雑誌の論壇にも無関心だったから、日本の思想の潮流を振り返るには役不足なのだが、少なくとも、今になって読んだこの本に出てくる識者たちのロングレンジのパースペクティブは見事だ、と思ったのだ。

 今の時代を分析するツールとして有効に利用できる論が山盛りだ、とも思う。

 本の内容を書くのは面倒になってきたので、一部分だけメモしておく。

 まず「黒船の世紀」は日露戦争後に全部で500あまりの「日米未来戦記」が出版され、ベストセラーになったこと、この「日米もし戦わば」の空気が少年層から大人までを支配し、その空気に乗って軍人が変なことを始める、という趣旨である。つまり、国民意識が先に日米戦争論に行ってしまい、軍事行動は後付けというもので、日米未来戦記の作者を含めたメディア関係者があおった結果、日米戦争に突入して行った面が強くあった、という主張が前面に出ているそうだ。「メディア関係者の責任は大きい」ということを実証的に書いているようだ(まだ読んでいないので詳しく分からないが、この本で猪瀬氏がそう紹介している)。

▽江藤淳氏

 <どんな親しい友人でもお互いに裏切りつつ付き合っているのかもしれない。友人であるということは、後ろを向いたときに刀で刺さないというだけの意味だと僕は思っています。その機微をお互いに知り合っているときにだけ友情が永続する。(略)いわんや国と国との関係であれば、(略)お互いに非難されることに耐えなきゃいけないということです。それから裏切られることにも耐えなければならない。だが自分は決して後ろを向いたときに刺さない、という点において裏切らない。それを日本が、今後30年間、堅持してごらんなさい。日本という国はなかなか大した国だと思われますよ。>p4

▽江藤淳氏<日露戦争では日本の軍人はプロとして西洋人の理屈と武器に対抗した。>p18

▽猪瀬氏<武士道が一つの国際法的秩序の受け皿になっていたということがいえますね。…それまでの日本の開戦の詔勅には「国際法にのっとり」と明記されていますね。ところが第2次大戦のときはそれを書いていないんですね。>p18

▽江藤氏<「およそ国際法の規範に反せざる限り、一切の手段を講じ」というのが、日清、日露、第1次世界大戦の宣戦の詔勅にはありますね。日米開戦のときに、この文言がなぜ入ってないのかということについては、僕は少し大げさにいうと30年来の疑問だったんだけれども、このごろちょっと分かってきた。…日本が大正から昭和になるときに、国際秩序のシステムが大きく変わります。もう少し特定していうとワシントン会議を経たころからロンドン軍縮条約を経るころまで、つまり大正10(1921)年から昭和4(1929)年ぐらいの間に、日本人が明治維新をやって国際社会に参加して以来、これが国際法だ、これが国際的秩序だと思ってきたことの文脈と違った文脈がにわかに展開されだした、ということに戸惑ったという面があると思う。…西欧において16世紀以来培われてきた国際法秩序と違う新しい秩序の文脈が始まった。それがアメリカ主導の国際社会なんですよ。大正10(1921)年から11(1922)年にかけてのワシントン会議、そこにおける太平洋に関する4国条約と支那に関する9国条約。それから昭和5(1930)年のロンドン軍縮条約。この二つによってそれまでの2国間条約ではなくて多国間協定による国際社会というものをアメリカが仮構した。そこで生まれた新しい国際法と称するものは、実は”アメリカの大義”だった。”アメリカの大義”が国際法であるならば、自分たちがこれほど尊重してきた国際法とは何であるかという気持ちが当時の日本人にはあったと思う。>p19

▽猪瀬氏<同じ気持ちが今回、サダム・フセインにもあったのでしょうかね。中東の秩序はアメリカの大義としての国際法では全く割り切れない。それは、オスマン・トルコを国際社会に取り込んで、国際法の対象にするかどうかというのが、19世紀の国際法学会における重大問題だったことからも分かりますね。>p20

▽江藤氏<アメリカは、ワシントン条約以降、「米国の大義が即国際法」という事実を積み重ねてきていると信じているに違いない。そこで「開戦の詔勅」に話をもどすと、そうしたアメリカの論理と、日本の言い分との間にどうしても妥協させることのできないものがあるから、戦争が始まった。だから詔勅に国際法遵守の1行が入らない結果になったのではないでしょうか。>p21

▽猪瀬氏<日本における”政治の喪失”はなにも今日はじまったことではない。昭和初期から満州事変に行く流れで、すでに日本は国家意思を喪失していたのではないかというのが僕の考えです。つまり、出先の軍隊を統制できない、国家の体をなしていない国家というのが昭和初期から始まった。まさに超国家主義と呼ぶしかない奇妙な事態になった。軍国主義という言葉だけでは説明できません。>p27

▽江藤氏<おっしゃるとおり。…あのころの政治過程を仔細に調べてみると、…国家意思の中心がどこにあるかわからない。…その当時の国益の中心がどこにあるかを正確に把握しているグループが政権を担当していない。…たとえば満州事変を例に取ると、満州の権益を守るためにどうしたらいいかという具体的なプランと、その事後処理の方策までを検討して持っていたのは石原莞爾だけです。彼は政府はおろか参謀本部のメンバーですらなく、関東軍参謀部の一作戦課長にすぎない。>p28

▽江藤氏<日本人が自分の身近な人間同士の間で信義を確認しあわない限り、アジアのどこにどういう謝り方をしようが、全然説得力がない。…これは日本人一人一人の生き方の問題だと思うんですよ。…一目置くということこそ人間同士の信義の回復のあらわれ方であって、謝れば一目置かれるとか謝ったら信用されるという意見には賛成できないんです。>p32

▽江藤淳氏<「太平洋戦争」という言葉が初めて日本人の耳目に触れたのは終戦から4ヵ月後の昭和20年12月8日です。この日、新聞社に紙が特配され、当時2ページしかなかった紙面が4ページになった。その内側の2ページと3ページの見開きに、占領軍の手になる「太平洋戦争史」が掲載されだしたんですね。…9月2日に降伏文書が調印されると、翌日から制度的にはアメリカの検閲当局が動き出しています。そして10月8日から、東京5紙の事前検閲も始まった。それが12月15日になって、「大東亜戦争」という呼称を今後禁止するというはっきりしたマッカーサー指令が出て、それ以後、今日にいたるまで「大東亜戦争」は採用されていないというのが現実です。>p38

▽猪瀬氏<日本がいつ「大東亜戦争」という呼称を決めたかというと、昭和16年の12月12日の閣議決定で、開戦の4日後ですね。>p39

▽江藤氏<その閣議決定は、今日にいたるまで取り消されていないんですよ。>p39

▽吉本隆明氏<60年安保というのは左翼的な国民運動と信じられていたけれども、ナショナリズムの運動だったんですね。…ナショナリズムの燃えカスが反米意識となり、左翼のイデオロギーを借りながら、基地反対闘争に向かい、60年安保まで続く。60年安保は敗北でしたが、気分としてはやっとアメリカに対するルサンチマン(怨念)が消えたんじゃないか。ちょうど力道山がシャープ兄弟をやっつけたように。>p66

▽吉本氏<猪瀬さんが橋川文三さんの仕事を引き継いでいることが、その分析で納得できました。僕が日本の左翼、戦後民主主義に対して違和感を持ったことの理由は、大きく言うと二つあったんですよ。一つには、彼らは、日本の侵略戦争の先兵になって死んだふつうの兵士たちを、まったくの「犬死に」のようにいう。それは、絶対に納得しないゾ。そんな評価しかできない左翼なんて成り立たないゾ。四六時中そう思っていた。…歴史的には侵略戦争でもあったけれど、末端兵士の意識にはアジア解放闘争でしたから。>p67

▽吉本氏<村山首相は自衛隊は合憲だといいました。憲法9条違反でないってね。これは重大なことですね。村山が首相として公式にそういい切ってしまえば、もうこれから公認政党は廃棄できないんですよ。村山は皮膜をまぶって、皮膜の中で口にしているんですけど、これはもう改憲されちゃったと同じなんです。左翼には、そういうところがついにわからないんです。…ここ1年、共産党をはじめとする左翼的と称する人々がなぜ小沢を蛇蝎のごとく罵倒し続けたのか? 冗談じゃないゾ。村山のほうがずっと反動的なんですよ。>p69

▽猪瀬氏<ジャーナリズムがより強い影響力を持つほど、危険な側面も増える。日本のジャーナリズムは、体質的にサラリーマン的だから、組織の論理に流されやすい。>p88

▽秦郁彦氏<現時点では戦前と反対で、カンボジアのPKO(国連の平和維持活動)についても士気を殺ぐ報道ばかり喜んで書き立てる傾向ですけれども、風向きが変わればすぐ逆のほうにいく可能性はあるでしょうね。>P88

▽高坂正尭氏<第二次世界大戦の不徹底性が戦後の冷戦構造をつくった。あのときの組み合わせに必然性があったとはいえんもの。かたや日中戦争があり日米戦争があった。ヨーロッパにも戦争があった。これ、みな個別の戦争ですよ。

▽高坂氏<ドイツにとってロシアは19世紀から一貫して最大の貿易相手国、お得意さんやった。それなのに…(戦争をした)。これはちっとも平和の保障にならないんだよ。モノ買わにゃいかんけれども…。モノ売ったり買ったりすることが、中身のあることとは限らんのだよ。>P107

▽高坂氏<どの国も自分が過去にやったことを反省しなきゃいけないとしても、全部悪かったという論理では生きていけない。日本人に酒呑んで訊いたら、絶対そういわへんで。ただ謝るというのはウソになる。でもな、逆にあれをやむを得ない自衛の戦争だったというのも強弁でな。強弁も困る。>P113

▽梅原猛氏<私がいいたいのは、2000年前に還る。人類のいちばん昔の原理に還れということですね。農耕牧畜文明以来、人類は豊かな富を持ったけれど、やはり間違っていた。農耕牧畜文明は必ず森をつぶして文明をつくってきた。その文明全体を反省しなきゃならない。>P146

▽秦氏<私は天皇制の最高の機能は赦すことだと思うんです。西欧型の社会では、責任がある者とない者を峻別し、悪魔と神の二元論的対立を背景に、徹底的に追及する精神的風土がある。だが、日本の場合は、天皇が責めるのではなく赦す役割を果たしてきた。赦すだけではなくて臣下の責任を自分が身代わりになってもいいという受け止め方ですからね。>P158

▽鶴見俊輔氏<明治天皇は自分が親しんできた女官など全部追い払われてしまって、肉を食べる訓練から始めて、やり直す。あれはよくやったと思います。>P177

▽猪瀬氏<「犬養首相を撃った三上卓(中尉)なんてのは、いよいよ対米戦争を終わらせるかどうかという時に裏で暗躍していた気配がある。…犯人は刑務所の中で先生扱いだったっていうのだから」という阿川弘之氏の言葉に対して、世論が同情的でしょ。メディアがいけない。>P199

▽阿川弘之氏<文士、新聞記者を含めてジャーナリズムの責任っていうのは非常に大きいですよ。>P208

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月30日 (日)

書評「職業とは何か」梅澤正著(講談社現代新書)

 「職業とは何か」は講談社現代新書で2008年8月20日第1刷発行、定価700円+税=735円。

著者の梅澤正氏は1935年埼玉県生まれ、東大文学部社会学科卒、桃山学院大学、新潟大学、東京経済大学の教授を経て日本教育大学院大学客員教授、NPO邦人キャリア文化研究所理事長、産業社会学専攻(職業社会学、企業文化論、企業社会関係論)。著書に「人が見える企業文化」(講談社)など多数、とあった。

職業とは何か (講談社現代新書) 職業とは何か (講談社現代新書)

著者:梅澤 正
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 職業の中身の話はたくさん出てくるのだが、「職業とは何か?」という問いを日本ではほとんど誰も発してこなかった、という。2003年11月に発売され08年5月に123万部を突破した村上龍執筆・編集「13歳のハローワーク」(幻冬舎)では500の職業が登場し、その特性や従事する職業人の生き様が紹介されているが、「そもそも職業とは何か」が書かれていない、といい、日本では「職業とは何か」が突き詰めて考えられていないことこそが問題だ、と問題提起する。

 フランクリン・パーソンズが先駆者となった職業選択論についての話。1909年に出版された「職業の選択」が基本書らしい。パーソンズはキャリア理論の創始者として有名だそうだ。

 大学の就職支援活動についても批判的だ。学生に「やりたい職業は何か」と心理テストや適正テストを通じて探させるが、そのような内面を見つめるようなことはほどほどにしてほしい。本当に重要なのは刻々変化している社会の姿を学生一人ひとりが知ることだ、という。また、「職業が人を選ぶ」面があるのだから、自分がなりたい職業、という「青い鳥」だけ探していてもミスマッチになる、という。

 内面を見つめるより社会を、ということを言い換えると「内から外へ(インサイド・アウトサイド)ではなく、外から内へ(アウトサイド・インサイド)」ということになるらしい。「職業は社会が要請する仕事の中にこそある」という。なぜかといえば、やりたい仕事が生きがいのある仕事とは限らない。あいまいに「やりたい」仕事ではだめだ、というのだ。その職業をなぜやりたいのか、の意味づけをしっかりしていなければだめだ、と。なぜその職業をやりたいか、の根拠、理由、狙い、背景を学生が説明できなければならない、という。

 「こうすべきだ」という価値観が「やりたい」の引き金になっていればいい、とも。

 なぜなら、「こうすべきだ」の「べき」の場合には必ず論拠が明らかにされるからだ。「べき」からの発想、または「(こう)したい」に「べき」を重ね合わせた発想が職業選択には必要だ、という。「私は世界を、日本をこんな社会にしたい、そのためにはこんな職業につきたい」という思考の流れである。

 ベネッセの調査で小学生がなりたい職業は高い順に①サッカー選手②お菓子・ケーキ屋さん③野球選手④その他スポーツ選手⑤漫画家⑥学校の先生⑦学者・研究者⑧幼稚園教諭・保育士⑨医師⑩看護士。分野は違っても専門性が養成される職業への憧れが目立っている。サラリーマンは入っていない。

 しかし、高校から大学に進む中で職業の志望動機が大きく変わる。現実的になるのか、どうなのか?

 職業情報をチェックする(社会をよく知る)→キャリア情報(松下幸之助の偉人伝なども含む)を職業学習の教材として用いることは素晴らしい→会社と組織を見る目を養う、の順に進むべし、と。

 充実した人生を送るうえで職業は大きな役割を果たしている。職業を決めることと人生で何を実現したいかをセットで考える必要がある、と言う。

 マザー・テレサは宣教師になって生活の糧の保証ができて、安心して恵まれない人たちのためのボランティアができたそうだ。

 働き方と生き方につながりをつけるのが「キャリアデザイン」だそうだ。

 職業は人と社会とをつなぐもの。職業を社会的活動としてとらえるべきだ、という。

 夏目漱石「道楽と職業」(「私の個人主義」岩波文庫の中の一篇)の職業のとらえ方は流石だ、と言っていた。

 職業は社会の必要と個人の期待が合致して発生し、存続する。

 多能な人たちは多彩な肩書きを持つ、という。人の社会的な居場所は変化する(キャリアシフト、キャリアチェンジ)。リチャード・N・ボウルズは「あなたのパラシュートは何色?」で「マッチングゲームとしての職探し」と言っているという。

 職業は人生資源を獲得するための最良のチャンスだ。人生資源には経済財、知識財、関係財、威信財の四つがある、というが、経済財以外は非経済的資源であることに注目してほしい、という。

 今、日本では学生にコミュニケーション能力など基礎力を求めている。その中の「社会力」など、キーワードにまでなっているようだが、激動の時代、「プロ人材」、「プロフェッショナル」たちが求められている、という。

 人間力や社会力の必要性が強調されなければならないところに、日本における職業概念の希薄化を見る思いだ、と言っている。片方で人に優しい国づくりは必要だが、高度な専門性を視野に入れない職業能力論は大きな問題をはらんでいる、ともいう。

 「市民としての素養に支えられた高度の専門的知識と技術をそなえた職業人」が求められているという。

 「プロフェッショナル」は高度の倫理性も求められている。公共性のある職業だからだ。

 ハーバード大学のロバート・ライシュ教授は新しい職業分類として

①ルーティーン・プロダクション・サービス=定型作業

②インパースン・サービス=対人サービス

③シンボリック・アナリティック・サービス=観念や意味、精神が表象された符号を扱う職業で、深く物事を探求し、独創性の発揮を要請される専門的職業群

 ――を提案している。すべての職業が「サービス業」と分類されているのが特徴だ。

 「職業」を英語で言い表すと「オキュペーション」、「プロフェッション」、「ヴォケーション」、「ビジネス」、「トレード」といろいろあり、それぞれ内容が違う。

 古代中国では役人が果たす役割が「職業」、人民一般の業(民業)は「生業」といい、日本でも江戸時代までは「生業」という言葉が残ったが、今はすべて「職業」と呼ばれている、という。

 人生山あり谷あり、でもしかすると人生というか職業でリセットせざるを得ない時もあるだろうが、リセットする際にはリカレントが必要だ、と言っている。

 リカレントというのは生涯学習のようなものらしいが、自分が得てきた力を常に磨いておくことだろう。リセットは簡単に言えば転職だろう。「リカレントなしのリセットは砂上の楼閣だ」という言葉はその通りだろうと思う。

 以上のような内容の本だと思う。

 難しいことをたくさん書いてあるように思うのだが、では著者は「この一つ」と言えば、何を言おんとしているのか?

 専門性を身につけて、会社が潰れても、会社から出て行かざるを得なくなっても自分で道を切り拓けるようにせよ、というのか?

 たしかに、ライシュ氏の言うように、高度な専門性を持った人たちによって世の中が動かされ、あとはそのプロフェッショナルを管理する少数のジェネラリストしか必要なくなるという。あとの職業は派遣で十分ということらしい。

 怖い予測だが、そうなれば社会の二極分化が進む。その時、勝ち組に入るためにも専門性を身につけよ、というのだろうが、今大学院を出ても就職できない。ああいう、学問の世界でしか通用しないニセの専門性ではだめだ、ということなのだろうか。

 丁寧な論理展開であるが、逆に類書の引用が多すぎる感じがするので、私のような頭の悪い人間は頭の中で糸がグチャグチャにこんがらがった感じがするが、上記のようなことを言いたいのだろうと思って、大胆に書いておく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月29日 (土)

書評「現代の貧困~ワーキングプア/ホームレス/生活保護」岩田正美著(ちくま新書)

 「現代の貧困~ワーキングプア/ホームレス/生活保護」岩田正美著(ちくま新書)は2007年5月10日第1刷発行。定価700円+税=735円。

現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書) 現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)

著者:岩田 正美
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 岩田氏は1947年生まれ中央大学大学院修了の社会福祉学博士。日本女子大教授。代表作は社会政策学会学術賞と福武直賞をダブル受賞した「戦後社会福祉の展開と大都市最底辺」(ミネルヴァ書房)。多くの著作あり。

 昨年7月8日日経新聞に掲載された駒村康平慶応大学教授の書評を見て、本は買っておいたのだが、読まずにいた。ようやく読み終わった。

 岩田氏の貧困論には相当啓発された。

 ワーキングプアという横文字が流行り、格差社会という無機質な言葉が流行する世の中だが、実は本当の「貧困」が現実として存在し、それを覆い隠そうとする無意識の操作が政治、行政、マスメディアぐるみで行われているので、その貧困が見えなくなっている、という指摘である。

 <格差論だけからは、積極的な解決策も、あるべき社会論も出てきにくい。>(P29)

 特に「なるほど」と思ったのは、貧困が騒がれだしても以前と比べてどれほどひどくなったか、のデータがないこと。つまり、かつては生活保護と同等の水準にある世帯の推計(低消費水準世帯推計)を国が行っていたが、1965年でストップし、その後は「貧困」の統計がないということだ。

 日本ではかなり長い間、生活保護受給者と人口の比率、つまり保護率が貧困の大きさを示す指標となっているが、生活保護の捕捉率の問題がある。

 貧困世帯が皆保護を受けているわけではないから。信頼できる国の統計がないが、生活保護基準を使った駒村康平氏と星野信也氏、OECD相対貧困基準(50%水準)を利用した西崎文平氏と岩田氏の推計の貧困者割合(いずれも家計簿方式で収支を把握する全国消費実態調査データを利用し、信頼度は高い)は約8%前後で一致している、という。

 この8%に国勢調査の一般世帯数を掛け合わせると2005年では390万世帯が貧困ということになる、という。

 生活保護の捕捉率は貧困世帯の約2割だ、とも書いてあった。OECDによる加盟国の貧困率の報告では日本の貧困率がの増加が強調されている。2000年の相対所得貧困世帯の割合の高いほうから5カ国示すと、①メキシコ20.3%②米国17.1%③トルコ15.9%④アイルランド15.4%⑤日本15.3%。OECD平均は10.4%だそうだ。それらの世帯の所得額と貧困ラインの所得との差(貧困ギャップ)では日本はメキシコ、米国に次いで3位。これは貧困の深さ、極貧度という側面から貧困の程度を測ったものだ。

 星野氏らの調査で日本の貧困の特徴は年齢の若い層と高齢者で数が多く、U字型を描くように貧困が分布している。単身世帯の貧困率が極めて高い。94年は単身世帯の4分の1強が貧困。就業しながら貧困なワーキングプアが単身女性で15%、女性世帯主世帯(多くはシングルマザー)で18%。

 先にデータの紹介をしてしまったが、岩田氏は格差と貧困を区別しない議論に警告を与える。

 貧困は「あってはならない」という価値観を伴った概念。格差は今あるもので、格差許容から許すまじまで、見方はいろいろだ、と。

 欧州では豊かな社会が実現した、といわれた80年代から「貧困」の再発見の努力が続き、それが政策に反映したが、日本では「総中流」時代に「貧困」はなくなった、と錯覚され、そのままアジェンダにのぼらなくなった、と。

 20世紀に入ろうとする頃にチャールズ・ブースがロンドンで行った貧困調査でロンドンの30.7%が貧困と判明。ヨーク市のチョコレート会社の御曹司シーボーム・ラウントリーが行った調査で27.84%が貧困と判明。ラウントリーは36年後に同様の調査を行い、31.1%。

 ラウントリーは「特別な熟練を持たない労働者の場合、失業しなくとも人生で3回貧困に陥る危険がある」と貧困と労働者家族のライフサイクルに関する有名なモデルに行き着いた。①自分が子供だった時代②結婚して子供を育てている時代③子供が独立し自分がリタイアした高齢期の3ステージだ。このモデルは年金や児童手当などの社会保障の基礎となった。また、生命保険会社が勧める生活設計などにも使われている。

 つまり、20世紀の貧困は19世紀にチャールズ・ディケンズによって描かれた大都市の貧民社会の貧困と違って工業社会のワーキングプアの問題であることが広く認識された。

 この認識から労働者にとっての貧困の予防策の体系化、年金や児童手当などを含む福祉国家の構想が生まれた。欧米では福祉国家が生まれた後もワーキングプアを含めた貧困を再発見する動きがあり、それが政治の焦点となって新しい福祉政策への転換が図られていった。米国ジョンソン大統領時代(1963~69年)の「貧困との戦争」宣言。同時期、英国でも貧困研究家ピーター・タウンゼントらが「貧困の再発見」といわれる調査結果を発表した。

 1980年代の欧米では「新しい貧困」の再発見に注目が集まった。

 80年代以降明確になったポスト工業社会とグローバリゼーションという新しい社会経済体制への移行の過程で非正規雇用が急増し、下請けなどアウトソーシングが拡大する過程で学校を出たばかり、またはそこから落ちこぼれた若年単身者の貧困、ファストフードや家事サービス、警備、娯楽サービスなどの新しいサービス産業に不安定な待遇で従事する女性、母子家庭、移民層の貧困層が発生した。

 新しい産業社会では金融や情報サービス産業で専門知識を武器に働く人々と「マクドナルド・プロレタリアート」と形容される安い賃金と不安定な雇用で働くサービス労働者に二極分化しつつある、という。

 欧州ではこの二極分化を「AチームとBチーム」「一流国民と二流国民」などと呼んでいるという。人々の目にはこれらの人々がまるで19世紀までのスラムの再現、「もう一つの社会」の出現のように映ったので、欧州ではこの新しい貧困を「社会的排除」、米国では「アンダークラス」と呼んでいるそうだ。

 これは従来の福祉国家の限界を示すものだ、としてポスト福祉国家の新たな理念の模索が始まった。特に、社会から排除された人々を再び社会に引き入れる「社会的包摂」という理念や、従来の所得補償中心の福祉から若年失業者を再び労働市場に参入させようとするワークフェア(労働機会の提供による福祉の実現)への転換の強調などが中心で、いずれもこの新しい貧困の克服が課題だ、としている。

 日本では欧米に10年遅れて格差社会に遭遇した。「マクドナルド・プロレタリアート」は日本のフリーターの姿だ。

 日本では貧困を忘れてしまった。岩田氏は、

 <貧困の再発見をしつこくやったか、きれいさっぱり忘れたかは、社会全体の豊かさとは実は関係ない。しつこくやったか、忘れたかの違いは豊かさの中に潜む貧困を再発見しようとする『目』や『声』が社会にあったかどうかにかかっているのではないか。>

 と書いている。また、自民党長期政権にマヒしている日本と違って、他の国では貧困の再発見が現政府の失敗をあげつらって政権交代に持ち込もうとする勢力が強いからだもいえる、としている。

 どこからが貧困なのか、が難しい。岩田氏は、

 <貧困の歴史は、この境界設定についての議論の歴史>

 という(P35)。

 タウンゼントの「社会的剥奪」、ラウントリーの生存費用をもととした絶対的貧困、タウンゼントの生活様式からの剥奪指標である相対的貧困の違い(P43)。

 ブラッドショーの貧困ラインの併用の提案(P46)

 日本は生活保護基準が貧困の境界として利用されている(P48)。1960年誕生の池田内閣が最低生活費水準のアップ受け入れ。1961年導入の新方式はエンゲル方式。朝日訴訟がきっかけとなって格差縮小方式に転換。現在は水準均衡方式。貧困ラインを大体一般の消費水準の6割前後に設定している。(P58)

 貧困のダイナミック分析(パネル調査)が欠かせないのに、日本は国が取り組まないので遅れている(P76)。

 日本のホームレスは現在、50代が中心だが、このままでは若年層のフリーターのホームレス化の危険性あり。(P152)

 第7章「どうしたらよいか」はじっくり読むべき部分だ。特に貧困対策は個人への優遇ではなく、社会的統合機能や連帯の回復機能という社会全体に役立つ政策だ、という提言は重いと思う。憲法14条とか15条を持ってきて、人権、最低限の生活という側面ばかり見る傾向があるが、貧困対策は社会の中で排除される部分を減らし、社会不安を除去する大きな手段だ、という論である。これは政府にも経済団体にも検討してほしい。

 社会的包摂政策は社会それ自体の救済のための政策だ、という言葉は重い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

書評「若者はなぜ正社員になれないのか」川崎昌平著(ちくま新書)+「人生ゲーム」について

 川崎昌平氏の「若者はなぜ正社員になれないのか」(ちくま新書)を遅まきながら読んだ。2008年6月10日第1刷発行。定価700円+税=735円である。川崎氏は一種の変わり者、変人だと思う。しかし、そういう普通の人とちょっと違った変人が生きにくい世の中であることを実体験から書き記した本として面白く読ませてもらった。

若者はなぜ正社員になれないのか (ちくま新書) 若者はなぜ正社員になれないのか (ちくま新書)

著者:川崎 昌平
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 なにしろエリートなのだ。1981年埼玉県三郷市生まれで東京藝術大学を卒業後、就職する気になれなかったので芸大大学院に結構な奨学金をもらいながら2年間通い、修士号を取得。ぶらぶらしていては何だから、と就職活動をしてみた、その記録である。26歳の経験だから、山口百恵の13歳とかひと夏の経験と違って分別があり、自分の行動に責任を取りながらの企業との一対一の勝負の記録である。たいしたもんだ、という思いと、芸大を出ているエリートだからできたんじゃないの? という僻目と両方ある。

 「知識無用の芸術鑑賞」「ネットカフェ難民」(いずれも幻冬舎新書)があり、川崎氏はすでに著述業で食っていけるのではないか、とも思う。日雇い労働に従事したり、ネットカフェで生活したことが自己形成に生きる人なんてそんなにいないと思う。そういう意味でも特殊ケースだろう。

 目次は定職がほしい▽とにかく落ち続ける▽「やりたいこと」が見つからない▽面接という名の地獄▽ハローワークへ行こう▽ウチで働いてみませんか?――である。川崎氏は温かく手を差し伸べてくれた企業にも入らなかった。自分の職業を物書きだ、と認識したからだろうが、この本の特徴はハウツーものにも使える、というところか。

 データとしても幾つか書いていた。

 文部科学省による学校基本調査の卒業生に占める就職も進学もしない者の割合(大学学部卒)の2004年データが約20%、およそ10万人いる、とか、厚生労働省と文部科学省の新規学卒就職率の推移で2005年3月卒の大学卒就職率が93.5%だったこと、就職率はあくまで就職を希望した人を分母にするのでこの数字に矛盾がないことなどを書いている。

 また、厚生労働省が発表した2007年版「労働経済の分析」で2006年時点のフリーターの総数は187万人であることも書いてある。白書によると、

 フリーターとは年齢15~34歳で男性は卒業者、女性は卒業者で未婚の者とし①雇用者のうち勤め先における呼称が「アルバイト」または「パート」である者②完全失業者のうち探している仕事の形態が「パート・アルバイト」の者③非労働力人口のうち希望する仕事の形態が「パート・アルバイト」で家事も就業内定もしていない「その他」のもの――である、としている。

 一方「ニート」に近い概念とされる「若年無業者」の定義は構成労働省によれば、「非労働力人口のうち、年齢15~34歳で家事も通学もしていない者」とされ、その総数は06年には62万人である、と。就業の意思の有無がフリーターとニートを分けるのだ、と書いている。今、合計すると日本には200万人に近い「正規雇用の職を持たない若者」がいるということになる。、とあるのはその通りだ。

 あとは統計ものの利用はなく、ほとんどが自分の経験を書いている。それは面白いが、一般化できない弱点はあるし、結局、川崎氏は就職したくなかったのだろう、と思うと、読み返す気力はわかない。

 でも、1981年生まれの川崎氏の日常生活で「へぇ」と思ったのはゲームである。生涯で一度だけプレイしたロールプレイングゲームが「ファイナルファンタジー5」で、小学校高学年だった、という。ゲーム下手でどうしてもラスボスが倒せず、ラスボスがいそうな画面にたどりつけずに、クラスメートに「ラスボスのところまでレベルを上げてゲームを進めてよ」と懇願した記憶がある、という微笑ましい話だ。

 川崎氏は「ファイナルファンタジー5」を面白いと感じた、という。

 「ゲームのシステムが非常に秀逸かつ魅力的だった」「楽しませてくれた最大のポイントは『ジョブ』というシステムにあった」という。「主人公たちは、敵をやっつけ、経験値をため、レベルを上げ、武器をより優れたものにしつつ、長い物語を進むわけだが、その過程で何らかの職業を選ぶことができるのである。『白魔道士』とか『魔法剣士』とか『薬師』とか、とにかく多様な職業が用意され、選んだジョブによって戦闘シーンのアクションや覚える必殺技、魔法などが異なり、すべてのバリエーションを味わおうと思ったら、どれほど時間を費やさねばならないのか、当時は想像もつかなかったくらいである」とある。

 約15年後に川崎氏はそのゲームのジョブ(職業)を思い返して、次のように書く。

 <ジョブはあくまでもジョブにすぎずワークではない、ということになる。「竜騎士」や「猛獣使い」といったジョブをまっとうするために主人公たちはゲーム世界に生きるのではなく、最終的な悪いボス(名前は忘れてしまった)を倒すという目的が存在するのである。つまり「ラスボス撃破、しかる後の平和な世界建設」(そんなような目的だった気がする)こそがワークであって、「狩人」というジョブになることはワークではないのである。>

 そして、川崎氏は「ジョブ」と「ワーク」の関係を「やりたいこと」というお題目が見えにくくしているのであはないか、と問う。「音楽」をやりたいから「ミュージシャン」になる、「小説」を書きたいから「小説家」になる、というような傾向は「ジョブ」と「ワーク」を同一化するあまり、どちらに重きを置くにせよ、本質から乖離する結果を助長するようにも思える、と。

 この推論自体、どうこう言いたくないし、そうだろうなぁ、と思うのだが、私がハッと思ったのは、川崎氏の年代はすでにこのような抽象的思考に入るきっかけをゲームが担っている、「気づき」の元までゲームになっている、という素朴な発見である。

 川崎氏はこの年代には珍しく(と言っていいのだろうと思うのだが?)ゲームをやっていない、という。唯一のゲーム経験が「ファイナルファンタジー5」だった、というのだから。その川崎氏にしてこうなのだから、ゲームに浸っている若者はもっとゲームの影響力が大きいのではないか、と思ったのだ。

◆ついでに「人生ゲーム」について

 朝日新聞11月24日朝刊<人生ゲーム40歳/発売は高度成長期/ルーレット、米国へのあこがれ/職種にアイドル歌手、転職もOK/オーダーメードも登場>でタカラトミーのボードゲーム「人生ゲーム」が日本で発売40年を迎えたことを特集していた。

 <ドル札を模した紙幣のやり取り、株への巨額の投資…。億万長者を夢見て、波乱万丈の人生が疑似体験できると、子供から大人まで幅広い支持を集めてきた。現在は6代目(スタンダード版)。企画版を含めると、総出荷総数は1200万台を超えたという。>

 という前文だ。原型は1960年に米国で発売された「THE GAME OF LIFE」で、世界21言語に訳され、日本版は68年9月に発売。「人生山あり谷あり」というような宣伝がテレビコマーシャルに流れた、とある。

 記事で小泉信一記者は、

 <この年、日本のGNPが世界2位になった。大阪万博を2年後にひかえ、列島が高度成長に沸いていた。それまで盤上のゲームといえば、いかに早くゴールをめざすかという「すごろく」のイメージが日本人には強かった。「サイコロの代わりのルーレットが画期的でした」と開発チーム。「ヨットを買う」「牧場の跡継ぎになる」などのマス目に書かれた指示も、米国の生活へのあこがれを感じさせた。初代と2代目は米国版の翻訳だったが、83年発売の3代目から日本独自の内容になる。アイドル歌手など当世風の職種も登場。世相を反映し、転職できるルール改正も盛り込んだ。マス目には「お世話になった人たちにお歳暮をおくる」など日本風の指示も登場した。>

 と説明していた。

 面白かったのは記事につけられた<マス目に書かれた代表的な言葉>である。

▽初代(1968年発売)火星から使者がきた

▽2代目(80年発売)エベレスト登山成功

▽3代目(83年発売)ノーベル賞を授賞する

▽4代目(90年発売)リハウスでリフレッシュ

▽5代目(97年発売)カラオケでストレス解消/インターネットで自分のホームページを作る

▽6代目(08年発売)恋人と三ツ星レストランに行く/ブログが書籍になり大ヒット!

 である。その時その時の世相にあった内容にしている。6代目は今年6月に発売されたそうだ。9歳以上としていた対象年齢を6歳以上にして字を大きくしたそうだ。タカラトミーは「不況の影響か、中高年世代が自宅で家族そろって遊ぶケースが最近多いのでは」と言っている、というが、こういうゲームは懐かしいし、いいゲームだった。一人で楽しむのではなく、何人かでワイワイ楽しみながらやるゲームはもっと流行ってほしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月27日 (木)

書評「若者のための政治マニュアル」山口二郎著(講談社現代新書)

 2008年11月20日第1版第1刷発行、定価720円+税=756円。

 224ページと薄い本で読みやすく、この種の本にしては安いのは、多くの若者に読んでほしいからか。

 若手政治学者としもてはやされた山口二郎氏も執筆直前に50歳になった、と「あとがき」に書いてあった。

 「私は団塊世代の無責任さが嫌いだが」とあるのも、そうだろうなぁ、と思う。若い頃は社会民主主義論など難しい用語を弄んでいた観もあったが、この本は非常に読みやすい。男子三日会わざれば…で、相当に人格の幅が広がったのかな(失礼!)。

若者のための政治マニュアル (講談社現代新書) 若者のための政治マニュアル (講談社現代新書)

著者:山口 二郎
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 非正規労働者激増、ワーキングプアなど物言わぬ優しい若者たちに「もっと自己主張していいんだよ」と説く。難しい言葉を使わずに、内容を一定レベル以上に保ったのは山口氏の成熟の賜なのか。全10章だが、それぞれ「ルール」としている。これが山口氏の主張なので、ルール1~10まで書いておこう。

生命を粗末にするな

 イラクで人質になった若者3人への「自己責任論」の嵐の中で、山口氏は「あんなやつは死んで当然だから助けなくてよい」と言った政治家は絶対許さない、という。秋葉原事件など犯罪に対するのと同じ怒りを犯罪の原因である社会構造に向けるべきだ、という。総中流社会は社会的包摂の社会だったが、今は社会的排除の社会であり、変えなければいけない、と説く。

自分が一番――もっとわがままになろう

 政治は異なった利益の主張が様々に存在することが前提となっているのだから自分の権利を主張しよう、権利の主張が過剰なのではない。権利と特権を混同してはいけない、と。「和の政治」「あいまい決着」は対立点を隠し、政治を無意味にする、とし、みんなの権利が尊重される社会を作ろう、と説く。

 「自信を持ってわがままになろう」という若者へのメッセージはいい言葉だ。

人は同じようなことで苦しんでいるものだ、だから助け合える

 リスクを個人が負うのか、社会で分かち合うのか、誰もが負うリスクは分かち合うべきだ、という。

 ここで面白いのは自民党一党支配体制が続いたのは国民を包摂する様々な仕組みがあったことを説明していること。

 日本の社会政策の規模は西ヨーロッパの国々と比べ小さいが民間企業単位のリスク社会化(長期安定雇用、健康保険)がある。これには会社に属する人を会社人間化させるデメリットもある。

 また、官僚支配や政治腐敗とリスクカバーが結びついていたのも日本の大きな特徴だ。地方にとってほぼ唯一の産業である公共事業はただ単に切り捨てればいいというものではないが、建設会社の談合と官僚天下りがついて回る。それに、小売業、金融、輸送などの業界は護送船団方式で官庁が守り、弱い企業の落ちこぼれを救った。こうした業界保護と癒着が結びついた胡散臭さを伴ったのが日本型の特徴だ。

 1980年代まではこの仕組みがうまく機能し、80年代半ばには「総中流時代」が形成された。90年代には政治家と官僚の腐敗が度を過ごし国民の我慢の限界を超えたこと、バブル崩壊と経済の長期停滞で税収減、財政悪化、リスク社会化のための財源不足、生活保護予算のカットなどが始まる。

 グローバル化の進展で規制緩和、民営化が進み、労働規制までなくなった。人々は今までよりも大きなリスクにさらされたのに、改革という名の下にリスクを拡大する政策を人々は支持した。

無責任でいいじゃないか

 行政改革の基本構想を打ち出した90年代後半の行政改革会議最終答申、99年2月の経済戦略会議「日本経済再生への戦略」報告は他者あるいは社会からのサポートを受けることがモラルハザードと悪平等をもたらすので、倫理的に好ましくないという価値観が「正義」として語られている。

 こういう議論は部分的に正しいことから出発してそれを過度に一般化して誰も反対できない「正論」を形成するというインチキだ、と激しい言葉で糾弾する。

 90年代以降、バブルが弾け、経済全体に余裕がなくなった。アメリカにおける経済の発展のモデルを見て金持ちや強者はもっと遠慮しないで金を稼ぐことが倫理的にも許されるという信念を持つようになり、日本では経済界とアメリカかぶれの学者からなる政府の審議会がそのような考えを布教した。

 自己責任論が小さな政府、冷淡な政府をもたらした。

 オリックスの宮内義彦会長は派遣の全面解禁など雇用の規制緩和の旗を振った規制改革・民間開放推進会議議長を務め「北海道の人口は200万、300万人で十分だ」と発言した。今の人口は560万人だが、札幌で大体230万人。札幌以外は役所の経費が無駄だから人は住むな、ということ。こうした人に主導されて政治が行われた。

頭のよい政治家を信用するな

 マックス・ヴェーバーもいうように政治家に求められる資質は情熱、判断力、責任感。

 国民が冷酷非情な小泉政治を支持したということは、面倒見としての政治を否定するという転換に踏み出したことだ。

 今後、少数者や集団への利益配分が既得権として一切合財否定されるならば、公共の利益は何を意味するのか、と問いかける。

 小泉改革から何年か経って人々は政治家に必要な条件について考え直しているようだ。鈴木宗男や亀井静香のほうが他者に対する共感能力では小泉やその手下よりもはるかに立派な政治家だ。

 官僚という人種は既存の制度や法律を前提としてものを考え、あらゆる問題を既存の制度の枠組みの中で解決しようとする。それは決して悪いことではなく、官僚に求められる資質だ。官僚が杓子定規で保守的なのは仕方ない。

 政治家こそ世の中の変化をしっかり見据え、既存の制度や法律のおかしなところを改めるべきだ。

 政治家には細かい政策の知識は必要ない。どのような世の中に向けてどのような政策を作り出すかという意志こそ政治家にとって最も重要な資質だ。

 有能だが大きな目標や志のない政治家と当面財源の当てはないがたとえばワーキングプアを撲滅するという大きな目標を持っている政治家と、「政治家としてどっち立派か」と問われれば、私は迷わず後者を選ぶ。多少荒唐無稽ではあっても志高く、目標を提示する政治家を大目に見てやる必要がある。

あやふやな言葉を使うな、あやふやな言葉を使うやつを信用するな

 ジョージ・オーウェル「1984年」のビッグブラザーの「戦争は平和である。自由は隷属である。無知は力である」。→ファシズムは言葉の崩壊から始まる。策略をもつ政治家は常に意味不明の言葉を流布させる。メディアの発達とイメージ操作。

権利を使わない人は政治家からも無視される

 戦後日本では60年安保のように若者こそ政治を動かしてきたのに、なぜ若者は今政治に無関心なのか?

 政治教育がなってないからだ、という。文部科学省は政治に興味をなくさせ、権利行使をさせないような教育をしている。ディスカッションで政治を学ぶアメリカの高校とは大違いだ、と慨嘆する。

 公明党が力を持っているのは創価学会全国800万世帯しかいないのに、投票に行くので、投票率が100%となり、投票率の低い選挙では公明党の1票の価値が高まるからだ、という。弱者はこの原理を利用すべきだ、という。

 「公明党が影響力をもつということは、若者の利益を考える政治家が少ないということとコインの裏表だ」と言っているが、ここまで言うと、公明党に可哀相過ぎないか。

本当の敵を見つけよう、仲間内のいがみ合いをすれば喜ぶやつが必ずいる

 イタリアの政治学者ノルベルト・ボッビオは「近代政治において自由と平等が最も基本的な対立軸である」。

 ロベール・ボワイエの「フォーディズム」。

 コリン・クラウチの「デモクラシーの放物線」。

 戦後日本の平和と繁栄は日本型フォーディズムの仕組みがもたらした

 政治的な差異が曖昧になったのは社会の安定や経済の繁栄の裏返し。

 経済的飽和化と差異の消滅という政治状況は20世紀末から急速に崩れ始める。石油危機以降の成長の鈍化、経済グローバル化の進展、先進国における製造業から金融業、サービス業への産業構造のシフトなどが原因。

 グローバルな市場の拡大でそれぞれの国内において労働力の供給主体としても、消費の主体としても、労働者をつなぎとめる必要がなくなり、必然的に平等化装置も必要とされなくなった。労働力は中国、インド、旧共産主義諸国などに行けばいくらでもいるので、国内の労働者に高い賃金を払う必要はない。先進国の人口が停滞する中で、製品も海外の消費者、特に中国やインドに売ればよいということになる。

 富のヒエラルヒーが復活する新たな環境で、ヒエラルヒーを正当化する政治的圧力と平等を回復させようとする政治的圧力が対峙し、政治的対立軸が復活する展開が見られるようになる。

 こうした平等を争点とした新たな対立構図の中で左派勢力は支持基盤拡大に取り組む。

 ところがコリン・クラウチが「ポスト・デモクラシー」(青灯社、2007年)で分析しているように

▽最近の先進国のポスト・デモクラシーではポスト産業社会の帰結として現れた新たな中流・下流階層の人々が自らの利害や要求を政治的に主張する能力を失う

▽ビジネス、特にグローバルな市場で活動するビジネスの政治的な力が大幅に増加する

▽バランスを欠いた政治が出現する

 ――と指摘する。

 非エリート市民がヒエラルヒーの縦の差異を政治的な差異として認識できなくなると時給800円のフリーターが月額150万円の六本木ヒルズに住む若手経営者を見ても敵と感じなくなる。そうした心理がもたらすのは諦めである。

 政治階級は「分割統治」の原則を忠実に守っているので、正社員と非正規社員の確執とかを引き起こして、怒りが自分たちにこないようにする、という。この主張は「なるほど」と思った。

 英国のブレアは「福祉から労働へ」のスローガンで社会福祉を社会に参画し自己実現を求めて働く人々を後押しする政策と位置づけた。これは見習うべきだ、と。

 日本では保守政党の長期政権を支える仕組みの一部として平等化装置が確立された。ところが、規制緩和、市場開放が進み、「総中流社会」を支えた平等化装置は解体の一途をたどった。ところが、90年代は財政出動による景気対策が行われ、不平等が顕在化するまでタイムラグが存在した。

 小泉改革は90年代以降の政治改革の文脈における政策転換の仕上げだった。「官と民」という差異化を首相が先頭に立って採用することで改革に対する世論の支持を動員した。「官と民」という偽りの対立軸の中で、「民」側には市民と大企業が入り、大企業は官からおいしいところを分捕った。弱者保護もしていた官はやせ細った。

今を受け容れつつ否定する

 理想主義と現実主義、エドマンド・バーク「フランス革命についての省察」(岩波文庫)。急進主義とエリート主義。

当たり前のことを疑え

 政治の進歩は当たり前のことを崩すことによって起こってきた。「当たり前」は国、時代によって全く異なる。政治のえこひいきを正当化する「社会的偏見」。「当たり前」を常にかき回そう。

 以上が目次+@である。

 面白かった。

 たくさんの若い人に読んでほしいと思う。

 私など、ここで批判されている飯尾潤氏の分析がある程度正しい、という見方なのだが、山口氏の大胆な分析も傾聴に値する。

 ただ、やはり、昔日の社会党の理論ブレーンだけあって、「これは運動論だな」、というのが正直な感想だ。運動論でもいいのだが、限界があり、時代が変わったら通用しない。今の時代向けの寿命が短い論文かもしれないが、パンチがある。

 この論にどれだけの若者が反応して、動き出してくれるのか。期待したい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月24日 (月)

書評「人間通」谷沢永一著(新潮選書)

 谷沢永一著「人間通」新潮選書、2008年5月25日発行、定価1100円+税)。

人間通 (新潮選書) 人間通 (新潮選書)

著者:谷沢 永一
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 1995年に新潮選書と慣行されたものに新潮文庫収録時(2002年)の対談を加え、新たに刊行した、とあった。

 谷沢永一氏は1929年大阪市生まれ、関西大学大学院博士課程修了、専門は書誌学、日本近代文学。関西大学文学部教授を経て現在名誉教授。評論家としても多方面で活躍中。主な著書に「紙つぶて(完全版)」「司馬遼太郎の贈りもの」「回想 開高健」「文豪たちの大喧嘩」「雑書放蕩記」「向学心」「冠婚葬祭心得」「聖徳太子はいなかった」など、とあった。

 誰に対しても遠慮せず、ズバリ斬り込む筆法はさすがだ。

 P125「侮蔑」と題するエッセイは谷沢の持論を代表しているだろうから、全文を写しておく。北村透谷の文章の中の安逸という文字は違う文字を使っているのだが、分かりづらいので、「安逸」にしてある。

 <自尊心に発する批判衝動の攻撃本能が、最後に行き着くところ、それは自分が生を享け育てられ守られている祖国、原因国民の一人として生活の日常を保護されている国家の、つまり自分が国籍を有する祖国の先祖であり同朋である国民の全員に対する血の通っている人間とは思えない冷酷な侮蔑となる。>

 <すなわち我が国民は愚かで鈍くて間抜けで幼稚な頓馬であり、彼らの蒙昧を見抜いた自分だけこそ英邁なのだとの言い立てである。>

 <明治二十六年十月、北村透谷は、明治の日本人を頭から見下して、「安逸は彼等の宝なり、遊情は彼等の糧なり」と罵った。>

 <その翌年、日清戦争、勝利は決定的であった。近代戦は総力戦である。国民を挙げての志気が勝ちを制したのである。戦争の目的はロシアの南下を阻止する防衛であった。>

 <白色人種の植民地侵略を黄色人種が世界史上はじめて食いとめたのである。>

 <その日本国民を安逸遊情と蔑んだ透谷の傲慢は常軌を逸していた。>

 <戦後の我が国では他国への批判を絶対に回避する卑屈が瀰漫している。その臆病が翻って物言わぬわが国民の先祖を攻め立てる内弁慶の七つ道具に転化した。>

 <終戦直後の当時は近代主義と呼ばれた一派にはじまり、昭和二十年代半ば以降は謂わゆる進歩的文化人が論壇を占拠し、日本の歴史を罪悪ばかりの暗黒に蠢く図柄として描き続けた。>

 <自分たちだけが優れた眼識を有するのだと誇示するために先祖と同朋を蔑み卑しめ指弾してやまぬ情熱は、自尊心の発作が歯止めを失った屈折と倒錯と卑屈の乱痴気騒ぎであった。>

 親友とは絶えざる気働き心尽くしの結果である、とか、嫉妬とは人の世を動かしている根元である、とか、精神の奥を揺さぶる言葉が96のエッセーにちりばめられている。

 付録の「人間通になるための百冊」も役に立つ。昔、感動した覚えがある林達夫「共産主義的人間」(中公文庫)やE・H・カー「歴史とは何か」(岩波新書)、H・ニコルソン「外交」(東京大学出版会)、D・ハルバースタム「ベスト&ブライテスト」(サイマル出版会)、岡田英弘「世界史の誕生」(筑摩書房)などが推薦図書にきっちり入っていたので、谷沢の「選球眼」を信用した。

 向井敏「文章読本」(文春文庫)、神田秀夫「古典一周」上下(明治書院)、三宅雪嶺「世の中」(実業之世界社)、渡部昇一「萬犬虚に吠える」(PHP文庫)、内藤湖南「日本文化史研究」上下(講談社学術文庫)、河盛好蔵「人とつき合う法」(新潮文庫)などは読みたい本だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月20日 (木)

書評「結婚難民」佐藤留美著

 小学館101新書、2008年10月6日初版第1刷発行、定価700円+税。三浦展氏の推薦の言葉が帯にある。

結婚難民 (小学館101新書 3) 結婚難民 (小学館101新書 3)

著者:佐藤 留美
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 <佐藤留美(さとう・るみ)1973年東京都生まれ、青山学院大学卒業後、出版社勤務を経て2004年からフリー。20代、30代女性のライフスタイルに詳しく、また、同世代のサラリーマンの生活実感も取材テーマとする。雑誌「日経ビジネスアソシエ」週刊SPA!]などで取材・執筆を行うほか、単行本の企画や著者の代筆を務めることもあり、その中にはベストセラーも含まれる。2005年、企画編集事務所「ブックシェルフ」を設立し、代表取締役。本書は、実名で書いた初めての本である。>

 随分若い著者なのだなぁ、と思ったら、[おわりに]で自分で「本書は若輩者が挑戦した初めての本なので、多くの方の協力がなければ成り立ちませんでした」と殊勝に書いていた。「日刊ゲンダイ」に無署名で2008年5月17日付に書いた「結婚してはいけない10のオンナ」という記事がベースとなり、この記事はインターネットの検索ワードを入れると一時期は9万件くらいヒットする話題となり、賛否両論を巻き起こした、という。「本にすれば」という声に「女が女の悪口を言うみたいで嫌だな」という戸惑いもあったが、夫が「アンタのことについて書けばいいじゃん」と言ったので「あっ、そっか」と気が楽になって書いた、と楽屋話を書いていた。

 と、こんなことばかり書いていると「トンデモ本」みたいに思うかもしれない。たしかに、

 <家賃より高いブランド靴に散在する「ルブタン女」、若い男を食い散らして生気を吸い取る「クーガー女」、下手をすれば殺される!?「デートDV女」など、非常識な20代、30代女性が増殖中。1990年代以降の就職氷河期に社会に出て、自分に自信が持てないでいる「ロスジェネ世代」の男性たちは、これら「結婚してはいけない女たち」に近寄ってはならない!? 少子化・非婚化の背景を、最新の世相をもとに識者たちと分析しつつ、結婚の本来あるべき姿を考えた、「妙齢男」応援本!>

 という表紙裏の宣伝文句を読むと、何かちょっと胡散臭い感じがしないでもないのだが、この後半に書いてある「少子化・非婚化の背景を最新の世相をもとに分析」した部分が役に立つので、読んで得した感じなのだ。それに、いろいろとキャッチコピーのような言葉が並ぶが、それは本が売ればければならないから書いているだけだ、と思えばいいので、調査結果とかのデータを中心に負っていけば、今の時代の若者が見えてくるし、彼女の結論自体、常識的で、悪くはない、と思うのだ。

 ということで、著者の意図には反するだろうが、データを中心に書き留めておく。

▽ロスジェネ世代が就職活動をした1997~2003年の就職戦線の厳しさ。大卒求人倍率は1倍程度。2000年3月卒は過去最低の0.99倍。2009年3月卒は2.14倍の予想。

▽2007年の労働力調査で雇用者5147万人のうち非正規雇用は過去最高の1732万人と約3分の1。厚労省の「就業形態の多様化に関する総合実態調査」(04年7月)によると、全世代の非正規雇用者のうち20代は23.2%、30代は19.3%と、20・30代で42.5%を占める。

▽多様化調査によると、非正規雇用で月給10万円未満は37.2%。10万円以上20万円未満は40.8%。つまり、月給20万円未満が8割弱いる。

▽情報労連とNTT労組のアンケート調査(07年6~7月実施、中小企業の正社員1505人と週35時間以上働くフルタイムの非正社員1082人が回答)では正社員の平均年収は約370万円、非正社員は約191万円と正社員の約半分だった。非正社員はほとんどの場合、雇用保険にも厚生年金にも組合にも入れてもらえないので、いざという時に労災や失業保険がもらえない。社員食堂の割引、福利厚生施設が使えず、金は正社員以上にかかる。

▽日本で結婚適齢期といわれる20代中盤から30代中盤で男性の独身者比率が急増。2005年国勢調査では、25~29歳の男性の未婚率は72.6%。30~34歳男性でも47.7%と、実にこの世代の約半分の男性が結婚していない。この世代はちょうど就職活動時期が就職氷河期に重なってしまった「ロスト・ジェネレーション」、ロスジェネ世代。就職したくても就職できず、30歳前後まで一度も正社員になれずにきた非正規雇用労働者が約3割を占める。

▽2002年の総務省「就業構造基本調査」を利用して労働政策研究・研修機構が作成した調査報告によると、25~29歳男性で年収100万~159万円は15.3%が結婚している。年収150万円~199万円は17.4%。200万円~249万円は22.8%。年収と既婚未婚割合が比例する。

▽前述の情報労連とNTT労組のアンケート調査でも、30代男性の正社員は63.0%が既婚。非正規社員は45.6%が既婚。正社員か非正規社員で結婚に大きく影響している。

▽ブライダル雑誌「ゼクシィ」の2007年調査で結婚費用の平均は414万円。

▽橘木俊詔氏の「女女格差」調査結果。「一生結婚するつもりがない」人は、1982年に男性2.3%、女性4.1%。2005年が男性7.1%、女性5.6%。つまり、女性が結婚しなくなったのではなく、男性が結婚しなくなったのだ。また、「いずれ結婚するつもり」は男性が95.9%から87.0%と約9ポイント低下した。女性は94.2%から90.0%へ4.0ポイントの低下でしかない。実は女性よりも男性のほうに未婚、非婚志向が高まっている。

▽作家の城繁幸氏によると、上場企業で定年まで勤め上げた今65歳の男性は生涯賃金は3億円程度稼いだが、ロスジェネ世代は生涯賃金が5割程度減る。つまり、1億8000万円程度、ということか?

▽また城氏は2006年に読売新聞が行った上場企業人事担当者100人アンケート結果を引用し、40歳の時点で課長以上の管理職に昇進している人は26%、4人に1人しかいない。日本企業では課長になるのは何歳から何歳までと決まっているので、40歳を超えると現実的に一発逆転は無理で、管理職になれないということは、年齢給が毎年細々と上がる程度だから、年収はせいぜい700万円程度で頭打ち。各企業の人事は今、団塊の世代の退社を機に管理職ポストを整理する方向で、管理職ポストは今の4分の1程度に減るだろう。ある程度の企業だったらあった「部付き部長」とか「担当部長」といったラインに乗らない部下なし部長が年収1000万円を貰うという呑気な時代は過去のもので、今は7割の正社員が一生平で、生涯賃金は4割ダウン? 正社員の未来も決して明るくない、と言っている。

▽ロスジェネ世代の親は窮乏し、「パラサイト・シングル」はできなくなっている。これがロスジェネ世代の悲しさ。樋口美雄氏らの書いた本からの引用だが「パラサイト・シングルの親は高度経済成長期で雇用も安定しており、昇進も確保され、バブル期に退職しており、多額の退職金と、納付額に比べればはるかに多額な年金を受け取ることができた世代だ。それに対し、ロスジェネ世代の親は団塊の世代以降に相当し、90年代の平成デフレの時期に企業リストラや倒産などを経験し、すぐ上の戦前世代が得ていたような退職金や寛大な年金も受け取れないことがほぼ確実な状況にあるというのが現状」というような内容だ、と書いている(ちなみに「女性たちの平成不況―デフレで働き方、暮らしはどう変わったか」日本経済新聞社刊からの引用だそうだ)。

▽ロスジェネ男は団塊ジュニア世代とも重なっており、人口が多いため、何をするにも競争が多く、受験戦争で志望校に拒絶されたり、就職活動で何十社からも落とされたりして心が傷ついている。女性から断られると落ち込む。アダルトビデオやエロゲーなど「二次元の世界」にはまるのも無理からぬことだ、としている。

▽2007年厚労省調査でネットカフェ難民の73.2%は健康保険に加入していない。

▽森永卓郎氏は「日本では2002年1月から景気回復が始まり、名目GDPが14兆円増える一方、雇用者報酬は5兆円減った。大企業の役員報酬は1人当たり5年間で84%増えて、株主への配当も2.6倍になった」。

▽2006年7月のOECD対日経済審査報告で2000年時点の日本の相対的貧困率は加盟25カ国の中で5位の15.3%。18~65歳の生産年齢人口で見ると、データがある17か国中、日本はアメリカに次いで2位の13.5%。

▽OECDはその国の平均所得の半分が貧困ライン。日本では夫婦と子供1人の世帯で、手取りで年収240万円が貧困ライン。非正規雇用者はほとんどが貧困ラインに及ばない。

▽この流れと直接関係はないのだが、アメリカの社会学者ロバート・チャルディーニが「影響力の武器・第2版」(誠信書房)の中で「何人かの研究者(アメリカの社会心理学者)は、人気の高いメディアが非現実的な美しさをもつ人々(男優、女優、モデル)を載せることが原因で、現実に付き合う可能性がある身近な異性のルックスに私たちが満足できなくなってしまうことを警告している。たとえば、ある研究では性的魅力が誇張されたヌード写真(「プレイボーイ」誌や「プレイガール」誌にあるような)を見ると、自分の配偶者や恋人に満足できなくなることを明らかにしている」と解説している、というのは面白い。

 と、統計的な部分をピックアップしたが、最後まで読むと、著者の優しさにほろりとしそうになる部分もあり、面白い本だと思う。あまり、内容を全部書いてはいけないので、ここまでにしておくが、「金じゃない、人間的魅力だ」という発信は素晴らしいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月12日 (水)

書評「医師の正義」白石拓著(+「中国で臓器移植仲介の日本人業者」読売新聞)

 「医師の正義」は宝島社刊で2008年7月16日第1刷発行、定価1143円+税。

 著者は白石拓氏。1959年生まれ。愛媛県出身、京都大学工学部卒。科学ジャーナリストとして活躍するかたわらノンフィクションも手掛ける。2002年より青森県内で広く実施されている「ABA小学生未来新聞を作ろうコンテスト」のインストラクター・審査委員をつとめる。近著に「あったか言葉とチクチク言葉」(宝島社08年)、「1万円の世界地図」(祥伝社新書07年)他がある。上記2書は本名(佐藤拓)で執筆。

医師の正義 医師の正義

著者:白石拓
販売元:宝島社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 面白い本だ。倫理面での反発が強く、難しすぎてジャーナリズムが敬遠したり、新聞が誤解しっぱなしの問題を、当事者に取材することなどを通じて、問題の所在を分かりやすく説明してくれる本だ。

 四つの大テーマがある。①病腎移植問題②赤ちゃんポスト問題③代理出産問題④医療事故問題である。

 このテーマを聞いただけで「そんなテーマには触りたくない」と遠ざかる新聞記者やテレビ記者が多いと思う。

 日本人の中でコンセンサスがつくりにくい、当事者の利害が対立するだけでなく、思想信条や宗教にも関わってくる大問題だからだ。

 いずれの立場の言い分にも「正義」がありそうに見えるのが困るような問題なのだが、白石氏はその問題を腑分けして、読者に分かりやすく説明したうえで、あえて大胆に自分の見方を示している。それが潔くていい。

 ここでは第1のテーマだけ書いておく。読売新聞の記事との関連で急きょ、書こうと思ったので、他のテーマ、特に代理出産問題をはじめとした生殖医療には、本当はもっと面白い問題点もあるのだが、今はパスしておく。時間があったら、後で書き足す。

 病腎移植問題、つまり万波医師の問題は、新聞による知識しかなかったので、この本を読んで驚いた。今まで知っていたことがすべて否定されて、全く逆の考え方をするようになった。

 宇和島徳洲会病院の万波誠医師である。長時間インタビューで万波氏に心情とやってきた行為を語らせているだけでなく、万波氏の評価を他の専門家らに聞くことで客観的に語っているのがいい。

 病腎移植は英語では「レストア腎移植」というのだそうだ。日本語に訳せば「修復腎移植」である。

 2008年1月にはアメリカ・フロリダで開かれた全米移植外科学会・冬季シンポジウムで病腎移植の症例報告をした万波医師らの論文がベスト10論文の一つに選ばれ、万波医師は表彰され、招待講演を行った。論文は米医学誌「アメリカン・ジャーナル・オブ・ロラン誌プランテーション」4月号に掲載された。

 この高い評価の背景には世界中が移植臓器不足に悩んでいる現実がある、という。また、腎臓移植は人工透析よりも長生きできる。また、修復腎移植は生体腎移植や死体腎移植に比べてはるかに問題が少ない移植であること、万波医師らの症例ではその成績は死体腎移植に匹敵する、という。

 政治も動き始めた、という。超党派の国会議員でつくる「修復腎移植を考える超党派の会」(会長・杉浦正健元法相)が修復腎移植に賛同し、万波医師への行政処分にも異を唱え始めたのだ。

 日本では腎臓移植の平均待機年数は16年。人工透析が導入されて亡くなるまでの患者の平均寿命は8~9年なので、待っているうちに死んでしまう人が多いのだ。先進各国と比較すると、他国は人口100万人あたり軒並み日本の3.5~6.5倍もの腎臓移植手術を行っているのに、腎臓が足りない、という訴えは日本と同じだ、という。

 日本で腎臓移植を希望する待機患者は2008年1月31日現在で1万2075人だ、と。

 日本臓器移植ネットワークが稼動した1995年から2007年までのデータをもとに計算すると、08年1月現在に腎臓移植を希望している待機患者のうち運よく死体腎移植を受けられるのはわずか1.6%。100人に2人もいない。現行の臓器集めが破綻している。

 万波氏ら瀬戸内グループの修復腎移植はこのような絶望的な臓器不足から生まれた、という。「がんを切除しても、がんにかかった臓器を体に入れたくない」という患者が結構いて、その場合、本当はまだ使える臓器をバケツに入れて捨てている、という。それを使うようにした、ということだ。

 面白い指摘は次のような事実である。

 腎臓移植を待つ日本の患者の半数近くは糖尿病をを患っているため、平均寿命は8~9年しかない。人工透析の費用は一般に月40~60万円と非常に高額なのだが、透析には健康保険が適用され、他に特別な高額療養費の助成制度もあるので自己負担は通常月1~2万円ですむが、自治体によってはその1万円さえも助成してくれる制度もある。患者は非常に助かっている。とはいえ、このような助成制度は患者にはありがたいが、治療費は保険と公費でまかなわれ、全額が病院に支払われる。仮に透析患者1人当たりの費用を月50万円とすると、1年間で600万円。よって透析患者を50人抱える病院はそれだけで年間3億円の安定収入となる。それが患者が亡くなるまで保証されるので、透析は「金のなる樹」といわれている、という。だから、病院の医者は「移植を考えましょう」といわずに、「透析を」となるのだ、という。

 さらに、日本の人工透析医療費総額を600万円に患者数26万4473人を掛け算して求めると、およそ1兆6000億円だ、という。05年度の国民総医療費は33兆1000億円。うち歯科診療費と薬局調剤費を除く一般診療費は約25兆円。だから、人工透析費は一般診療費の7%をも占めるに至っている。そして毎年1万人分すなわち600億円ずつ増えており、医療財政に大きな負担になっている。

 腎臓移植を受けた場合の医療費は初年度こそ350~400万円かかるが、次年度以降は通院費が年間120~180万円で済む。ただし、これらの費用も人工透析同様、健康保険の適用などがあるため、自己負担はほとんどない。

 日本移植学会は2007年3月31日、日本臨床腎移植学会、日本泌尿器科学会、日本透析医学会と4学会合同で万波医師らの修復腎移植を批判した「病腎移植に関する学会声明」を発表し、その中で自分たちの業績を誇って見せたが、その業績が先進各国の3分の1にも達していないレベルだ。

 移植学会が行った修復腎移植を否定した調査についても広島大学名誉教授で病理学者の難波紘二誌(鹿鳴荘病理研究所長)によって批判されている。

 インタビューをみると、万波氏は本当に名誉欲も金銭欲もない飄々とした人物のようだ。こうしたブラックジャックのような人間を<悪の権化>のように報道し続けている大手マスコミは問題だ、と白石氏はマスコミを批判しているが、その通りだと思う。

 また、万波氏だけでなく、日本ではひそかにいろいろな病院で修復腎移植が行われていたらしい。ところが、その医師たちは沈黙を守り、万波氏を援護しなかったことも白石氏に男らしくない、と批判されている。

 そして、いよいよ話は渡航移植に及ぶ。読売新聞特ダネと関連しているのはこの部分である。

 「平成17年度 総括・分担研究報告書―渡航移植者の実情と術後の状況に関する調査研究」(主任研究者小林英司、06年3月)によると、06年3月時点で少なくとも522人が過去に渡航移植を受けたことが判明している、という。これは肝臓、心臓などを含めた数。腎臓移植では198人とされている。おしなべて斡旋者や紹介者、移植費用について語りたがらないが、多額の報酬が支払われているのは間違いない、という。中には非合法な臓器売買が存在するのも今や公然の秘密になっている、という。

 現在、日本では臓器売買は法律で固く禁じられている。しかし、なぜか海外で臓器を買って移植してくることが常態化している現状に政府は何も発言していない、国内で禁じていることを海外でやっているのに、たとえ、その国の法律に触れなかったにしても臓器を買う側の政府としての責任を感じているようしはない、と書いている。

 「自国患者の移植臓器は自国で調達する」ことは国際マナーだ、というのに、そういう指摘にも政府は知らん顔だ、と。

 そして<筆者はお金で臓器を取引することには反対の立場だ。>

 と、旗幟鮮明にする。現在日本全国で廃棄されている腎臓のうち移植に使えるものは2000個ある、という。これが捨てられずに移植手術に使われれば、移植者の数は一挙に10倍に跳ね上がる。

 医療行為とは何か?という哲学的な問いがある。

 病気を治すのが医療ならば、腎臓などの提供者の健康な体にメスを入れるのが本当に医療行為なのか、と。

 そして、親族間の生体腎移植は離婚、兄弟の仲たがい、家庭崩壊などの悲惨な結果を生みかねない、という。そうした問題ある生体腎移植禁止して、モラル面での問題のない修復腎移植を合法化すべきだ、というのが万波氏と著者の意見だ。

◆読売新聞11月12日朝刊の特ダネ

 そして、読売新聞11月12日朝刊1面と社会面トップを飾った特ダネである。<「中国で臓器仲介」聴取へ/邦人代表/営利目的の疑い>が1面。社会面は<臓器移植仲介「108人」/「中国 処罰法ない」/代表が正当性主張/中国側捜査協力 立件のカギ>だ。

 内容は大体想像できるようなものだった。

 中国政府がこの男を逮捕したのだが、臓器売買を禁じる法律がなかったので法人登記の業務範囲の逸脱など関係のない容疑に切り替え、懲役1年2カ月の判決。男は臭い飯を食い終わって、成田空港に日本に帰国してきたので、神奈川県警などが臓器移植法違反でその男を逮捕する、というものだ。

 今まで108人を斡旋したと、男は読売新聞記者に語った、という。きっかけは日本の友人が肝臓移植が必要になり、調べたら中国では多くの移植手術が行われていた。これだけのところならば、日本の患者も移植手術できるという前提でこの事業を開始した、と話している。

 この男は「日本では禁じられているが、中国では合法だ。何が悪い」という立場だそうだ。

 この業者だけでなく、フィリピンなど貧しい国に頻繁に出入りし、食うや食わずの人々に「腎臓は二つあり、ひとつ摘出ても大丈夫だから。高く買ってやる」と騙して腎臓を安く買い叩き、日本人などの臓器移植の材料として超高値で売りつけている悪人の闇ブローカーが結構多く暗躍している、と聞いたことがある。

 今回の逮捕が、「何もアクションを起こさない」と世界から批判されている日本政府(警察)が動き始めたことを示すものであれば、大きな意味を持つだろう。

 この男が言っている臓器移植の値段が注目だ。

 費用は手術代を含め腎移植が780万円以上、肝移植が1300万円以上だ、というのだ。

 これ以外に手数料を取っているのだろうし、詳細は今後、警察の調べで出てくるだろう。これが今の闇の臓器売買市場の国際相場なのかもしれない。

 他紙は12日夕刊で追いかけていた。

 病人とその家族には少しのやましさはあるものの、自分が犯罪を犯したという意識は全くない。それどころか、本音は「どうして悪いのか? 死ぬよりはいいだろう」という居直り(言葉が咽元まで出かかっても、普通はそれを飲み込んでしまうから他人には聞こえない)だろう。新聞も難病の子供を抱える両親が周囲の善意に支えられてアメリカに子供のために臓器移植に行く、とかの人情話を社会面で大きく扱って、お涙頂戴話を垂れ流してきた。

 部数拡張のために(?)そんな人気取りキャンペーンをやっている新聞にとって、「アメリカでの移植はいいが、中国やフィリピンでの金銭の絡んだ移植はいけない」と、正面切って言えないのかもしれない。そういう社説を堂々と掲げた新聞を見たことがない。「形式犯でも違法は違法だから、我慢しろ」と言えないのだ。つまり、それは「お前は死ね」と言っているのと、現時点では同じだからである。

 難しいのはこの島国では外国人にも腎臓が二つあること、外国人も同じように生きているということを、「同じおならをする人間」というレベル、「ニンニクを食べて口臭が臭かったり、水虫に悩まされている生きた人間」という自分の目線レベルで理解していないことだ。

 どこか、外人といえば青い目のお人形という意識とか、有色人種といえばちびクロサンボとか、ハリマオの脇役たちと同等レベルという意識しかないかもしれないのだ。もっと極端に言えば、エヴァンゲリオンでの地球防衛軍の敵たちと同じレベルでしか外国人、特に低開発国の人間を理解していないのかもしれないのだ。

 だから、食うものも食えずに腎臓を売るフィリピン人の若者がいても「大変だ。日本政府に言ってやめさせよう」というインセンティブが出てこない。その腎臓提供者に感情移入できない。

 もしも日本が何かのボタンの掛け違いで世界の極貧国に落ちぶれる場合(北朝鮮に原爆を5,6発落とされて、大都市がすべて壊滅する、とか、テロリストグループに狙われて天然痘が大流行して5000万人以上が死んでしまう、とか、アメリカに弓を引いた結果、保障占領されてしまって、経済状態を農業国レベルまで落とされてしまったり、とかの荒唐無稽な「パンデミック」が襲来しないとも限らない)、今度は逆に日本人の若者が自分の腎臓を金持ちで軍事大国である中国とアメリカの病人たちに売らなければならない境遇に身を落とさざるを得ないかもしれない。そうなれば、今のフィリピン人の境遇を想像すれば、将来の自分の姿が見えるのだ。

 しかし、そういう未来は誰も想像しようとせず「オレは極貧のフィリピン人や極貧の北朝鮮人とは違う」不安もなしに単純に思い込んでいるから、同情心がわかない。

 だから、「お金のある日本人が貧しい国で臓器を買ってくるのは仕方ないんじゃない? 自分はやらないけど、そういうことを必要とする人だっているだろう。何をやっても法律に触れさえしなければ自由でしょ」という、冷たい言説がまかり通っている。

 テレビのワイドショーレベルの言説は基本的にこの島国根性を原点にしたものだ。こういう風潮がまかり通る状況を「健康なナショナリズム」とはいわない、と思う。

 腐臭が漂う地獄の一歩手前の状況ではないか。「このような国際常識に反することを続けていると罰が当たる」と予言したくなる。

 最後は少しカッカしてしまったが、この問題。やっぱり難しい。

 オバマ氏がアメリカの多様性をアウフヘーベンして人種のモザイクから人種の坩堝にするのは相当な難事業だが、資本主義の「おかげ」に侵食され尽くした普通の日本国民の心に江戸時代の祖先が持っていた「良心」を取り戻させるのは、もっと難しいのではないか。

 日暮れて道遠し、だろうが、それでもボクはそんな日本人が好きなんだが…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 6日 (木)

書評「超大国アメリカの素顔」久保文明編著(ウェッジ選書)~「オバマの時代」を前に読み返した

 2007年7月25日第1刷発行、定価1400円+税=1470円。帯に「2時間で知るアメリカの実像! アメリカ社会の虚像と実像 政治、経済、軍事、宗教、医療。知られざる実態に日米比較から迫る!」とあるように、わずか244ページの薄い本で、なおかつ論文は176ページまでで、177ページから244ページまでは鼎談。

超大国アメリカの素顔 (ウェッジ選書 29 地球学シリーズ) 超大国アメリカの素顔 (ウェッジ選書 29 地球学シリーズ)

販売元:ウェッジ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 普通だったら「お手軽本」のように見える構成なのだが、どうしてどうして、内容は濃い。というか、入門書とか、教科書的な書き方ではなく、必要な部分だけ書いてあるので、読みやすいのだ。その代わり、理論的に考えようとしたらば、この本だけでは不足で、専門書を読む必要がある。専門家の読書ならばそうだろうが、私にはこれで十分だ。

 [第1部 アメリカ社会の動き]は[第1章 政治~その特異な制度の成立過程と特徴および日本との違い]を久保文明氏が執筆。[第2章 軍事強国~技術の優位で強国となり、技術への固執が弱点の軍隊]は江畑謙介氏。[第3章 宗教と社会~なぜアメリカは、かくも宗教的なのか?]が森孝一氏。[第4章 医療~直面する諸課題からみた特質と現状]が天野拓氏の執筆。[第2部 座談会]は久保氏と小林慶一郎氏、渡辺靖氏の鼎談である。

 久保文明氏は1956年生まれ、東大法学部卒。コーネル大学・ジョンズホプキンズ大学客員研究員、慶応大学教授などを経て現職は東大教授。▽江畑謙介氏は1949年生まれ、上智大学理工学研究科博士後期課程修了。ストックホルム国際平和研究所客員研究員などを経て現職は拓殖大学海外事情研究所客員教授、軍事評論家。▽森孝一氏は1946年生まれ、同志社大学大学院神学研究科修士課程、バークレー神学大学大学院連合博士課程修了。専門はアメリカ宗教史。現職は同志社大学神学部教授、同大学一神教学際研究センター長。▽天野拓氏は1971年生まれ、慶応大学大学院法学研究科博士課程修了。専門は現代アメリカ政治、医療政策。現職は慶応大学法学部非常勤講師。▽小林慶一郎氏は1966年生まれ、東大大学院修士課程修了(工学修士)、シカゴ大学大学院博士課程修了(経済学Ph.D.)通産省を経て、現職は経済産業研究所上席研究員。▽渡辺靖氏は1967年生まれ、ハーバード大学大学院博士課程修了。Ph.D.。ケンブリッジ大学・オクスフォード大学客員研究員を経て、現職は慶応大学環境情報学部教授。専門は文化人類学、アメリカ研究。

 たしかに読みやすい。昨年8月21に意t読了とメモしてあった。それもあって、知っていることも多いのだが、「なるほど」と思って、今後も役に立ちそうな話だけピックアップして、メモしておこう。

◆ジャクソン大統領時代に始まった猟官制→今は政治任用制度

 アメリカと日本の政治制度で最も違うのは大統領制と議院内閣制の違いだが、それ以上に違っているとも言えるのが連邦制というシステムだ。

 連邦政府に与えられた権限はもともと内政では極めて限定されたものだったが、それが立法、司法、行政に分割され、さらに弱まっている。他の国ならば常識的に中央政府が担っている警察、裁判所なども州政府の責任となっている。結婚・離婚、死刑の有無。、教育制度、貧困対策、税金の水準などもすべて州政府の管轄である結果、恐るべき多様な制度が存在する。

 国の基本法で中央政府と下位政府との権限の分割が明確になされ、なおかつ下位政府に与えられた権限が非常に大きい。

 ということで、当初から弱体だった連邦政府の官僚制は、1829年から8年間、当時流行の普通選挙で当選したアンドリュー・ジャクソン大統領が連邦官僚制を特権階級から開放し、一般庶民(コモン・マン)のものにしようと、前大統領によって任命されていた連邦公務員を多数解雇。その後任に自分の支持者を任命した。

 これがその後、慣例となった猟官制である。学歴とか公務員経験を持たない人が多く任命され、アメリカでは「誰でも公務員になれる」という思想が育つ。

 しかし、素人行政の弊害が出て、議会は1883年にペンドルトン法で能力に基づいた資格任用制を導入し、政権交代ごとに解職されなくてすむ身分保障を多くの公務員に与えた。

 だが、今でもアメリカの連邦公務員は19世紀前半の猟官制の名残りで政治任用制度が続いている。日本の公務員でおよそ局長以上の職には大統領が自分の政党から起用する。政治任用制で任命される公務員は約3000人程度といわれる。現在は多くの場合、特定の政策の専門家が起用されている。シンクタンクの研究者であることも少なくない。

 だから、アメリカで「キャリア官僚」というと、定年まで働き続けられるプロパーの官僚を意味し、局長未満であることが多い。

 政治任用は大統領が任命するが、多くの職は上院での承認が必要。大統領が再選に失敗すると彼らはほぼ全員辞職することになる。大統領と一心同体。

 だから、日本のキャリア官僚のように「重大な政策判断の誤りをしておいて、一生居座る高級官僚」という例はあまり存在しない

 また、大学卒ですぐに官僚になる人はほとんどいない。社会の様々な場で様々な経験をした者が官僚制に集まってくる。その結果、組織運営の方法やノウハウであれ、政策の内容や執行方法であれ、民間の手法や発想、慣行がそのまま官庁に入り込んでくる。MBAや国際関係などでの修士号、博士号保持者も少なくない。

 日本のような天下り問題はあまり存在しない。だから、官僚組織の外側に政府補助金で支えられる特殊法人などを作ろうとする誘因を持たない。

 逆に慣行に対する敬意は小さく、短期的で目に見える成果を追い求めるので、朝令暮改になりやすい欠点がある。組織の記憶はキャリア官僚によって担われている。

 久保氏は「短所のない制度はない。すべての制度は一長一短である。ただし、概して、政策転換といった軸で評価すれば、アメリカの制度の方が優れているかもしれない」と言っている。なぜなら「国民としては、アメリカ型の制度の下では、複数の選択肢すなわち政策を経験した上で、どちらを好むかについて意見を表明することが可能になる。ただ一つの政策が継続され、それのみが正しいといわれ続けるよりはよいのではなかろうか」と書いている。

◆大統領制と議院内閣制

 大統領の任期は4年。現在は憲法修正によって再選は2期8年までと定められている。弾劾裁判制度はあるが、アメリカ大統領を解任するのは極めて困難。解任されても、政権そのものは続き、副大統領が大統領になるだけ。

 アメリカ大統領は野党が多数派であることが多い。1960年代末から見ても、1969~76年▽1981~92年▽1995~2000年▽2001~02年▽07~08年と、むしろ少数与党状態の方が長い。いわば、アメリカは「ねじれ」状態が一般化しているのだ。

 アメリカの政党は党の規律が弱いので、与党が上下両院で多数でも与党議員全員が大統領の方針を支持するとは限らない。与党議員からすれば議院内閣制と違い大統領をすべての法案で支えなくても政権が倒れる心配はないという心理が働く。

 最近の移民法案では与党共和党から大量の造反票が投じられて、ブッシュ大統領が強く成立を望んだ法案は不成立になった。

 また、連邦憲法の規定により、大統領、ホワイトハウス、内閣、行政部はいずれも法案を議会に提出できない。

 大統領は一般教書という形で議会に施政方針を説明できるが、これは法案ではない。議会の審議に参加する権利もない。

 法案提出権は議員に限られるため、審議も基本的に議員同士で行われる。行政部の人間は公聴会に呼ばれた時だけ、議員からの質問に答える形で発言できるだけ。

 このことは逆に言えば、大統領は日本や英国のように首相がずっと国会審議にはりつく必要もなく、野党議員からの厳しい質問にもさらされない、ということを意味する。

 立法との関係で大統領に与えられた重要な権限が拒否権だ。拒否権は議会が通過させた法案を不成立にする権限。議会は両院で出席議員の3分の2の特別多数で覆さない限り、拒否権が発動された法案を法律にできない。極めて巨大な権限だ。

 戦争に関しては連邦憲法は大統領を最高司令官であると明確に規定して大統領に戦争の指揮権を与えながら、開戦に関しては議会の決議を要求し、その権限を議会に与えた。したがって、制度的には議会は開戦を阻止できる。ただし、ただでさえ、9.11事件後で愛国的な雰囲気が強い中、またアフガニスタンでの軍事作戦に成功してブッシュ大統領に対する国民からの信頼が強い中、2002年10月のように、中間選挙直前に採決に持ち込まれると、野党議員ですら、正面から反対することに躊躇した。議会はイラク戦争阻止のための有効な壁となることはできなかった。

 大統領制にとって官僚制をコントロールするのはそれほど困難ではない。

 だが、日本の首相にとっては官僚ないし官僚制をどのように扱うかは常に困難な問題であり続けてきた。日本の政治では官僚制は一つの独自の勢力である、といっても過言ではない。世論にアピールするためにも歳出削減のためにも官僚の既得権を削減することは、最近の内閣が重視してきた政策項目だが、ここで成果をあげるのは、郵政改革のような成果はあるものの、しばしば官僚が激しく抵抗するので、容易ではない。

 アメリカ的感覚からすれば、首相は行政トップなのに、なぜ官僚が首相に抵抗するのか、と不思議だ。原因はまず首相にはホワイトハウスのスタッフのような直属の部下や組織がなく、政策形成も法案作成も官僚に依存することがあげられる。

 また、多くの議員は与野党を問わず官僚に直接依存し、あるいは官僚を通して配分される様々な補助金や事業、あるいはそこで決定される様々な規則や政策(規制や保護など)の受益者であるため、首相対官僚という状況においてしばしば官僚の応援団となる。また、首相の在任期間は普通あまり長くないため、長期戦に持ち込まれると、首相にとっての分の悪い戦いになってしまう。

 日米の違いは米国は行政権は大統領に属する日本は内閣に行政権が属し、内閣総理大臣(首相)ではない。アメリカでも内閣は存在するが、毎週閣議を開くわけではなく、ブッシュ政権では月1度程度。閣僚が全員勢ぞろいしてもあまり意味がないから集まらない。外交・安全保障関係の決定は大統領・副大統領と関係補佐官と関係する閣僚だけが集まる会議で行われる。経済関係も同様だ。この違いも大きい。

◆上院議員の任期は6年、下院議員は2年…上院の方が威信がある

 日本と違ってアメリカの議員は行政部の職を兼任できない。アメリカの議員は日本流で言う「大臣」になることを期待せず、当選を重ねる。「大臣病」もない。よい立法者になることに専念するだけだ。

 だが、行政職を兼任しないため、内向き、選挙区向きの銀が多い、という指摘もある。

 アメリカの議員は日本の議員が首相指名をするような形で大統領選出に関与できない。日本でも首相公選制に実施されれば、国会議員はアメリカと同じに首相選出に関与できなくなる。議員が権限を手放すわけだから、この改革実現が難しい理由だ。

 アメリカの議会及び議員は膨大な数のスタッフを擁している。下院議員で1人当たり16~18人程度の公設秘書がつく。ただし、選挙運動に使用することは禁じられている。上院議員の場合は選出された州の人口規模にもよるが、最も小さい州で下院議員と同数、最大で70人の公設秘書をもてる。公設秘書の重要な機能の一つはまさに法案を作成することだ。日本のように法案作成を役所が手伝ってくれないというか、役人が法案作成過程から排除されているから、膨大な秘書が必要なのだ。

 アメリカの政党には党首がいない。民主党、共和党とも全国委員長はいるが、党首としての権限は持たない。次期大統領選候補者というわけでもない。

 日米の政党で特に重要な違いは党の公認候補の決定方法。連邦上下両院や知事選では党の公認候補は予備選挙を通じて行わなければならない。ほとんどすべての州で州議会が決めた政党法で決まっている。アメリカの政党はあくまで自発的結社なのだが、他方で州政府の法律でがんじがらめに縛られ、いわば半官半民的存在になっている。

 アメリカでは有権者名簿に自分の名前が登載されるためには、自分から役所に出向いて手続きしなければならない。最近では郵送でもできる。多くの州では有権者登録の際にどの政党に所属するかを記載するように求めている。通常、民主党、共和党、その他の政党、そして無所属から選択する。その他の政党の場合はその政党の名前も書き込むことになる。これが党員になるための手続きだ。党費の納入も党員の推薦も不要だ。党員の権利としては党員しか予備選挙で投票できないという制度(閉鎖的予備選挙制度)を採用している州においては、自らの政党の予備選挙で投票する権利を獲得するが、義務はない。州によっては開放的予備選挙と呼ばれ、党員でなくとも投票できる予備選挙制度を採用しているが、そのような州では、党員の権利も非常に小さなものだ。

 肝心な点は予備選挙で勝利した候補が自動的に公認候補となることだ。党の幹部が口を挟む余地はほとんどない。党の指導部に批判的な候補が当選する場合もある。地域の価値観がそのまま反映した選挙結果になりがちだ。非常に保守的な南部では民主党においてもやや保守的な傾向を持つ候補が予備選挙で当選しやすい。逆にリベラルな傾向が強い北東部では共和党の予備選挙でリベラル派ないし中道穏健派の候補が善戦することが少なくない。このような地域に特殊な感情がそのっま政党の中に入っていきやすいのが予備選挙である。この結果、アメリカの二大政党には多様な勢力が浸透することになる。

 日本の政党幹部からすれば、公認候補を決定する権限を持たない政党指導部というのは想像を超えた世界だろう。

 主としてこの予備選挙制度のため、アメリカの政党は著しく求心力を欠いた組織となっている。日本の政党には党議拘束に反する投票をした議員に対して様々な制裁措置が存在する。最も重い処分は党からの除名だろう。

 しかし、アメリカでは政党に所属する手続きは有権者登録の際に政党所属の項目でチェックするだけだから、誰も阻止できない。次回の選挙で公認しないという措置も予備選挙でその候補が勝ってしまえば、それまでだ。

 この制度では公認候補の地位は政党幹部からいただくものではなく、自ら勝ち取るものだ。だから、現在、アメリカの政党は党議拘束をかけることもしない。

 かくしてアメリカの政党では指導部の権限はきわめて弱く、個々の議員は高い自立性を享受している。

 以下は軍事。

◆ブラック・バジェッド

 アメリカでは国民はもとより多くの議員にも知らされない「ブラック・バジェッド」がある。国家安全保障局(NSA)の予算には毎年30億㌦以上の「使途不明金」がある。その多くは偵察衛星や盗聴衛星などいまだに公式にはその存在を認めていない宇宙からの情報収集システムや「エシュロン」に代表される通信傍受解析システムなどの開発運用に使われているのではないか、と推測されているものの、実態は不明。

 しかし、アメリカでは完全に秘密に予算が使われているのではなく、上下両院の軍事委員会の委員長など少数の有力議員や関連する分野の議員にはこの秘密計画が報告される。議員も完全いn秘密を守る。米軍関係の秘密計画で議員から漏れた例はない。オフレコと言ってもすぐにマスメディアに漏らす日本とは大違いだ。その背後には日本は国民や議院に対して秘密保持の義務を課す秘密保護基本法がないという世界の中でも異例の国家である、という事情もある。

◆軍事における革命など

 軍事における革命(RMA)、ネットワーク・セントリック・ウォーフェアー(NCW)。情報技術を主体とした闘い方。このRNA/NCWの威力は1999年のNATOによるユーゴスラビア空爆、2001年からのアフガニスタンでの戦い、2003年からのイラク戦争(第一段階)で実証され、世界の軍隊が追随するようになった。

 非対称型(アシンメトリック)脅威。ネットへの攻撃など。人間による情報収集=HUMINT(ヒューマン・インテリジェンスの略)

 日本は国会における「宇宙の平和利用決議」以後、「平和利用」の定義も解釈も一定せず、安全保障分野における宇宙の利用が大きく遅れている。日本の宇宙利用のレベルはいわゆる先進国軍隊の中で最も低く、インドや中国にすら及ばない。

◆全世界的な米軍再編の背景

 グローバル・ポスチャー・レビュー(GPR)。その地域における安全保障(安定化)の役割をなるべくその地域の同盟国、友好国に担わせようという狙い。在外米軍部隊の配備、利用に必要な基地、施設の整備にはできるだけその国の財政負担い期待する、という公言していない含みもある。しかし、韓国のソウルの在韓米軍基地を南部の平沢(ピョンテク)に移設する経費の6割を韓国が負担するのは理屈が立つが、沖縄基地の米軍がグアムに移転する、グアムの基地建設費用を日本が財政措置するのは世界の歴史から見ても例がなく、法律的に妥当かどうかが問われる。

◆アメリカは宗教国家

 憲法を修正してでも公立学校に宗教教育を取り戻すべきだ、と考える人が8割近くいる。2003年ギャラップ調査結果。

 現代ドイツの神学者であるユーゲン・モルトマン氏は「アメリカは共通の過去を持っていないために、共通の未来についての意志を欠くと、昔の個別の民族的アイデンティティーへと逆行してしまう国である」と。

 過去を共有するものが民族。民族は人種と違い、過去(歴史と文化)によって創りだされるものだ。アメリカは移民による多民族国家だから「共通の過去」を持っていない。

 そのようなアメリカが国家として統合されるためには、民族(共通の過去)ではなく、「共通の未来」によるしかない。「共通の未来」は理念や理想として表現される。しなわち、それがアメリカにとってのナショナル・アイデンティティーである。

 アメリカを統合するための「共通の未来」(ナショナル・アイデンティティー)について明確に表現しているものが「独立宣言」である。

 1776年、イギリスからの独立革命のさなかに発表された「独立宣言」は、アメリカがなぜ独立しなければならなかったのか、アメリカは何のために国を造るのか(建国の理念)を世界と自国民に向けて表明するものだった。

 「独立宣言」の中心となるのは

 <すべての人間は神によって平等に造られ、一定の譲り渡すことのできない権利を与えられており、その権利のなかには生命、自由、幸福の追求が含まれている>

 である。アメリカの建国の目的は「すべての人間(「すべての国民」ではない)の基本的人権を実現するところにある。

 なぜ宗教的表現がなされたのか。「神によって」という超越的なものとの関係の中に国家としてのアメリカを位置づけることによって、国家としてのアメリカに「永続性」や「安定性」を与えようとしたのだろう。国家としてのアメリカにとっての「超越的なもの」それは「聖書の神」であった。

◆日本とアメリカの政教分離の違い

 政教分離を憲法に定めたのは人類史上、アメリカ合衆国が最初だった。アメリカ型の政教分離は「特定の教会(教団)と国家の分離」。公的領域においても宗教の自由な活動を認める。しかし、特定の宗教に特権を与えてはいけないという立場だ。フランス型の政教分離は「宗教と政治との分離」だ。

→アーリントン墓地と日本で検討している無宗教の公的施設との差

→日本は宗教行動の禁止。アメリカは特定の宗教・宗派を特別扱いすることを禁止する(国教の否定=政教分離)が、個々の宗教行動を尊重しようとする(信教の自由)。日米間には基本的人権としての「宗教を信じる権利」「信仰に基づいた行動を行う権利」についての開きがある、と書いている(P131)。

 長くなったので、医療と座談会は省略する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 1日 (土)

書評「現代政治学の名著」佐々木毅編(中公新書)~相対的安定の中での根本に思いを馳せた政治学者たち

 1989年4月25日発行。古い本で定価が書いてあった表紙を棄ててしまったので、定価不明。実は、この本が出た時に勝って読んだのだが、その後、引越しをした時なのか、本がなくなっており、読みたいなぁ、と思いながら月日が過ぎていったのだが、神保町を歩いていたら、偶然、100円均一の新書本の一角で見つけたので、買ってきて読み返した。

 昔読んだ時はきっと忙しかったのだろう、と思うのだが、私はこの名著紹介の文章をすべて佐々木毅氏が書いたとばかり思い込んでいた。今回、読み返して、佐々木氏は「編集にあたって」の14ページ分しか書いていない、と知って驚いた次第だ。執筆陣を見ると、ワイマール体制末期の混乱を眼前に見ながら一気に書き上げられた20世紀の新しい政治権力の勃興と衰退を流麗に描いたメリアムの「政治権力:その構造と技術」は後年、「日本の統治構造」、「政局から政策へ―日本政治の成熟と転換」を書き上げた飯尾潤氏が担当し、ウォーラスの「政治における人間」とリップマンの「世論」は法政大学の杉田敦氏だった。20年前の本であり、政治学者たちの継続的な研究と時事問題への提言が持続的に行われていることが分かる小著だ。

 読み返したかったのは佐々木氏の「編集にあたって」と、リップマン「世論」、ウェーバー「職業としての政治」、アーレント「人間の条件」、丸山真男「現代政治の思想と行動」くらいだったのだが、時間があったので全部を読んだ。

 まず感じたのは時代の息吹である。佐々木氏が「編集にあたって」の最後に1989年1月と書いたように、この論文のほとんどが1988年に書かれた、と推測できる。今になって振り返れば、当時はバブル経済の全盛期で、日本人がいわれなき熱狂の中で「幸福感」を半ば強制されていた時代だった、と理解できるのだが、その時代に生きている人間にとっては、現在そのものであり、昨日の延長の今日が来て、明日につながるという時間のリアルな感覚の中で生活していたわけだから、バブルという認識もなく、東西冷戦の終結もまだ視野に入っていなかったわけだ。

 つまり、当時はバブル崩壊による日本の没落以前の幸福な時代で、日本では中曽根康弘長期政権が終わり、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の「安竹宮」3氏によるポスト中曽根争いが中曽根裁定によって終結、竹下政権が発足して、消費税導入騒ぎが起きていた時期だった。米国は恒常的な対日貿易赤字に苛立ち、日本への圧力を強め始めていたが、まだ構造協議などという言葉もなく、米ソ冷戦構図で世界はそれなりに安定していた。

 政治学はそのような安定時局の中、「政治とは何か」など、根本的な問題に取り組む余裕を持っていた。

 佐々木毅氏の「編集にあたって」から要点をピックアップしてみよう。

◆王者から転落した政治学

 <人々が政治について考え、判断する営みを離れた政治学というのはどこかおかしいのである。>

 <今日、政治学は社会科学の一つに過ぎない。しかしこうした学問分野を生み出したヨーロッパに即して見るならば、いまから二百年前には事情が全く違っていたことがわかる。きわめて単純な言い方をすれば、社会科学という概念が成立するためには社会という概念がまず成立していなければならないが、この社会という概念は―語としては古いが―近代世界に特有な概念である。もっと正確に言えば、近代において人間関係を包括する概念として初めて確固たる地歩を占めるに至ったのである。これに対してそれ以前にあっては、およそ政治的関係を離れた社会関係という発想は乏しく、従って政治学は久しく社会関係についてのほとんど唯一の学問としての地位を保持してきた。>

 <十九世紀以来の諸々の社会科学の成立や独立はそれまで社会関係についての唯一の学問であった政治学にとって、きわめて深刻な事態を招いた。…伝統的にはあらゆる社会現象は政治との関係で位置づけを与えられ、あるいは意味づけを与えられていたのに対し、いまや政治が他の社会現象によって説明され、あるいはそこから派生した世界と考えられるようになった。>

 経済という下部構造を重視したマルクス主義は有名だが、それ以外にも、心理学や計量経済学など、様々な学問による政治分析が盛んになったことを指している。

 <政治学は周囲の学問状況を見ながら、そのアイデンティティ・クライシスを克服すべく、腐心しなければならなくなった。…「政治とはいかなるものであるか」という問いは、こうした思想的背景において深刻な意味を持って登場する。>

 <政治そのものについての理解が必ずしも一定でなく、それ自体が「論争的」である。…どこかに一つの答があって、それを受け入れればすむといった生易しいものではない。…激しい戦乱と革命に満ちた二十世紀の政治の背後に、政治そのものについての理解や見方の深刻な違いが潜んでいたといってもいいのかもしれない。>

◆民主主義とは何か

 <近代において自然権の観念が成立し、人間の自由平等思想が確立することによって、民主主義は「多数者の支配」「貧しい者の支配」といった伝統的イメージに代わる新たな倫理的基礎を持つに至ったが、その制度化は遅々としていた。…理論的な困難と現実の抵抗を排除して民主主義が押しも押されぬ正統な政治体制として確立するには、第一次世界大戦の終結を待たなければならなかった。そして第二次世界大戦の結果、植民地の独立によって民主主義の権威は世界中に広がることになった。>

 <多くの国々が民主主義への信仰を表明すればするほど、一体、民主主義とは何かが明確でなくなっていった。…「民主主義とは何か」は正に二十世紀の最大の争点であって、今日なお、これをめぐって多くの血が流されている。そしてこれからもこの問題を考え、不明確な点を明らかにし、鋭い感覚を磨いていくことは依然として大切である。>

◆制度論から政治過程論へ、という流れ

 <二十世紀の民主主義論の大きなテーマの一つは、その現実の姿に肉薄し、問題点を指摘することにあった。民主主義は個々の人間の自由と尊厳を最大限に尊重する体制であって、一人の人間が支配するような体制とは違い、非常に複雑で微妙な条件によって支えられている。この条件の一つは政治の制度の在り方であり、権力分立や議院内閣制、大統領制、地方自治といった仕組みは繰り返し議論されてきた。…二十世紀の政治学の大きな特徴は、こうした制度論の伝統を批判し、それを動かす人間や実際の政治的決定の過程を分析することにあった。…この背後にあったのは、先に述べたような政治活動を見る視覚の変化―それを圧倒的に他に優位する社会活動と頭から考えるのでなく、他の社会活動の影響で動くものと考えるような見方への変化―であった。政治において政党のみならずさまざまな集団が大きな役割を果たすことが注目され、公式の制度の背後で進行している政治過程に政治学の目が注がれることになった。>

 この代表例がローウィ「自由主義の終焉」だという。

◆民主主義を支える人間の探求~世論政治

 <民主主義の姿を探求するというもう一つの作業は、それを支え、担う人間の状態へと向けられていった。民主主義は全ての人間に政治への参加を認めるが、はたして人間はこうした重大な責務を果たし得るような精神的条件をそなえているかという、民主主義にとって宿命的というべき問題が政治学の主題となったのであった。>

 この代表例がウォーラス「政治における人間性」で、ウォーラスは制度論に自らを限定するのは政治学の対象を不当に限定するものであるとの観点から、功利主義的伝統に埋没していた人間論を当時の心理学等の成果を動員して、徹底的に見直し、ある種の非合理的な人間の姿が浮かび上がった、という。これが、リップマン「世論」へと継承され、「世論の政治」としての民主主義がどのような人間的制約のもとに置かれているか、その問題点をこれほど雄弁に分析した作品は少ないであろう、と評価している。

◆エリート、権力、正統性

 <民主主義は政治的平等を大原則とする。これは歴史上、常に少数者が支配してきたという人類の体験からすれば、革命的なことを意味した。そして二十世紀の政治学はこの大原則と実際の政治との間で格闘を演じることになったが、そこから政治的不平等や権力、リーダーに対する鋭い分析が数多く出てきた。政治活動は個々バラバラの個人によって行われるのではなく、組織を通して行われるが、その中心的存在は政党である。政党論は政治学の一大テーマ。>

 政党論で参考にすべき学者としてミヘルス「政党の社会学」のほか、ノイマン、デュヴェルジェ、シャットシュナイダー、サルトーリをあげる。また、心理学を駆使してエリート=権力追求者論に独自の境地を切り開いたラスウェル「権力と人間」、メリアム「政治権力」をあげる。そして、

 <大いに注意すべきことは、エリート論にしろ政治権力論にしろ、これらは決して民主主義にとってどうでもよいという議論ではないことである。なぜならば、民主主義は一方で政治的平等を大原則としながらも、他方であくまで一つの政治支配の仕組みでもあるからである。従って、これら政治的に不平等な関係にかかわる議論をどのように取り扱うかはこれまた「民主主義とは何か」という問いと密接に関係する難問である。これは換言すれば、正統性の問題に他ならない。>

 として、ウェーバー「職業としての政治」、ローウィ「自由主義の終焉」、ハーバーマス「後期資本主義における正統化の諸問題」をあげていた。

 そして、丸山真男「現代政治の思想と行動」、辻清明「日本官僚制の研究」については、

 <日本での議論の原点を改めて確認したいと考えたからである。日本の政治をどのようにとらえ、判断するかは、われわれにとって最も大切な課題である。あるいはここにおいて、われわれの政治的思考の真価が問われるといっても過言ではない。…われわれの議論がつまらない道に迷い込んだり、木を見て森を見ないような状態に陥っていないか、反省する上でも大切な役割を果たしてくれよう。後から来る議論が常に良質であるとは限らないことは、二十世紀の歴史の与えた貴重な教訓であるからである。>

 と書いていた。佐々木氏はこのあと、リクルート事件で政治不信が極まり、自民党が分裂、細川護煕首相の非自民8会派連立政権成立や衆院への小選挙区制度導入で、その理論的な根拠を与える論文を発表するなど、現実政治にコミットし続けるが、その原点にはこのような思想があったのだ。

 ウェーバー「職業としての政治」は薄っぺらい岩波文庫で、構えて読まないと、感動を受けない本ではないか、と思うのだが、このような読書案内を何冊か読んだ後で、批判的に読み返すと、内容が血肉化される、と思う。ウェーバーの資本主義とプロテスタンティズムに関する分厚い本よりも、講演なので、読みやすいし。また、この本の後に出版されたアーレント論はいくつか読んだが、アーレントほど毀誉褒貶にさらされた政治学者はいないのではないか。ここでは相当に批判的にとらえているが、今の時代ならば、アーレントがポスト資本主義の論理構築に向けたブレイクスルーの糧になる、という可能性を秘めたとらえ方ができると思うのだが。

 古本だが、読み返すことはいいことだ。88年、89年当時を思い出した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月26日 (日)

書評「創価学会の研究」玉野和志著(講談社現代新書)

 2008年10月20日第1刷発行、定価756円。

創価学会の研究 (講談社現代新書 1965) 創価学会の研究 (講談社現代新書 1965)

著者:玉野 和志
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 表紙裏の略歴によると、玉野和志(たまの・かずし)氏は1960年石川県金沢市生まれ、東京都立大学人文学部卒、東京大学大学院社会学研究科博士課程中退、東京都老人総合研究所、流通経済大学を経て、現在、首都大学東京人文科学研究科社会行動学専攻社会学分野教授、社会学博士、著書に「東京のローカル・コミュニティ」(東京大学出版会)、「実践社会調査入門」(世界思想社)、「近代日本の都市化と町内会の成立」(行人社)がある。

 講談社現代新書の10月の新刊4冊の中できっと一番売れているのではないか、と思ったのだが、案外、そうではないかもしれない。最近の傾向で「帯」が大きく、上5センチを除く表紙を覆っている作り。帯によると、

 <批判でも賞賛でもないはじめての学会論!/社会学者が知られざる実像に迫る!/なぜ日本社会は学会を嫌うのか。勤行、教学、折伏、財務―学会員の日常とは、保守化、巨大化した組織のゆくえは、>

 <現世的幸福の追求、強烈な上昇志向 日本社会は彼らをどう扱ってきたか>

 とあって、裏の帯に目次がそのまま出ている。なるほど、このような作りが今の新書の流行なのか。でも、帯の目次は詳しくないので、本物の目次を書き写しておく。

 はじめに

 1章 学会員たちの信仰生活

 1 学会員になるということ(P12)座談会に誘われて/入会の手続き/学会員であるということの証―勤行/勤行とお題目/勤行とお題目をめぐる教義/勤行とお題目の効用/会員としてのつとめ

 2 学会員たちのプロフィール(P30)ごく初期の会員―中村はつえさんの場合/学会を古くから知る会員―吉田幸夫さんの場合/二世の青年部会員―若松弘樹さんの場合

 3 「幸せにするシステム」(P46)幸せになれる宗教/「幸せにするシステム」としての勤行と座談会/「幸せにするシステム」としての教学/「幸せにするシステム」を必要とした人々/信仰にともなう軋轢/創価学会と日本社会の特質

 2章 創価学会の基礎知識

 1 創価学会の歴史(P58) 牧口常三郎と戸田城聖/上昇意欲に富んだ民衆にこたえる宗教

 2 日蓮と日蓮宗(P62) 日蓮の生涯/度重なる迫害と法難

 3 創価学会の組織(P67) 「機構」と「組織」/財務と供養

 4 創価学会と公明党(P73) 政界への進出

 5 創価学会バッシング(P76) 言論出版妨害事件/田中角栄と美空ひばり/創価学会側の対応/批判に共通するイメージ/共産党との確執と協定

 6 内部からの告発(P89) 創価学会の盗聴・諜報活動/宗門との確執―第一次宗門戦争/日蓮正宗からの分離―第二次宗門戦争

 3章 創価学会についての研究

 1 初期の創価学会研究(P102) 佐木秋夫、小口偉一『創価学会―その思想と行動』1957年/鶴見俊輔『折伏―創価学会の思想と行動』1963年

 2 学術的な研究と評価(P112) 村上重良『創価学会=公明党』1967年/鈴木広『都市下層の宗教集団』1963年、1964年/塩原勉『創価学会イデオロギー』1965年/梅原猛『創価学会の哲学的宗教的批判』1964年/ホワイト『創価学会レポート』1971年/杉森康二『研究・創価学会』1976年/谷富夫『聖なるものの持続と変容―社会学的理解をめざして』1994年/島田裕巳『創価学会』2004年

 3 海外における創価学会研究(P143) ウィルソン&ドベラーレ『タイム トゥ チャント―イギリス創価学会の社会学的考察』1997年/ハモンド&マハチェック『アメリカの創価学会―適応と転換をめぐる社会学的考察』2000年

 4章 創価学会の変化

 1 創価学会の変遷(P152) 会員数の推移/学会員維持の条件/学会員の社会的地位の上昇

 2 日蓮正宗からの分離(P161) 地域社会との関わり方の変化

 3 地域における自公連立(P166) 自民支持層との地位の接近

 4 公明党の政治的変遷(P169) 大組織に守られない労働者を組織/岐路と選択/一貫する反共と支配層への接近

 5 学会員の階層的地位の上昇(P175) 個人としての上昇か、階級としての向上か

 5章 これからの創価学会

 1 自民党との接近(P182) 小泉改革と創価学会の位置

 2 自民党とよく似た構造(P186) 同じ矛盾を内包

 3 自民党とよく似たトリック(P190) 田中角栄と池田大作/伝統と革新

 4 「ポスト池田」と日本の政治構造(P196) ヨーロッパにおける差別と平等の観念/福祉国家の崩壊と社会的な民主主義の模索/格差社会の新しいロジックを求めて

 あとがき(P206) 参考文献(P210)

 と、以上である。

 目次を見ただけでも大体の内容は推察できる。つまり、この本は「創価学会トンデモ本」ではなく、学問的に新興宗教としての創価学会とその政治結社として出発した公明党を分析しようとした本である。

 内容の略述は目次で終わらせて、あとはポイントだけ書き記す。

 特に玉野氏の大胆な仮説に相当感銘を受けたのだが、だったらどうなのか?と疑問を持った点が中心になる。

 ただ、最初に書いておかなければならないのは、「ちょっと羊頭狗肉じゃない?」という著者への文句というか、ないものねだりの注文である。

 というのは、玉野氏は、「はじめに」で、

 <創価学会の歴史の中には人々の誤解や中小を招くことがなかったわけではない。しかしその程度のことはある程度の組織であれば、どこにでもあることである。むしろ私はそれをことさらに問題視する日本の社会のほうに、あるおもしろさを感じたのである。人々はなぜ創価学会を嫌うのか。そこにわれわれ日本人と日本の社会を理解する鍵が隠されているように思えたのである。>(P3)

 と、この本を書くに至った問題意識を記している。また、

 <これまでの創価学会をめぐる多くの言説のように、教義の妥当性がどうとか、宗教思想としての深みをうんぬんすることよりも、創価学会が実は会員に対して毎日の具体的な行為を指し示し、そこに宗教的な信心の核心を置いてきた点にもっと注目すべきなのである。>(P27)

 <「幸せにするシステム」は、いったん学会員になった人にとってはきわめて頼りになるものであるが、外の世界の人々にとってはやはり気味の悪いものであることは否定できない。選挙のときや唱題会などで多くの会員が一心不乱に題目を唱える姿は、異様といえば異様である。罰が当たると脅すようなこともあっただろう。脱会者に対する監視やいやがらせ、元会員による告発も跡を絶たない。とりわけ他の宗教に対する不寛容な態度はしばしば問題にされるところである。>(P53)

 <それらはいずれも社会的に孤立した人々が内部の結束を固め、かつ外部に対してあきらめることなく、攻撃的なまでに積極的に働きかけるときに生じる「信仰ゆえの軋轢」と考えられる。>(P54)

 <ひょっとしたら、このようなふるまいがことさら軋轢をもたらすのは、日本という社会の持つ特質なのかもしれない。…イギリスやアメリカの創価学会では、むしろキリスト教的な厳格さとは異なった、創価学会の座談会などに見られるフランクな雰囲気に魅力を感じるという会員が多い。アメリカの研究では、過激なセクト主義的傾向の強かった新宗教運動の中で、アメリカ社会への柔軟な適応をはたした典型的な教団として創価学会が取り上げられている。他方、日本の社会が異なる文化や宗教を持つ外国人にとって、きわめて住みにくい場所であることは、つとに指摘されることである。>

 <いずれにせよ、日本の社会においては、創価学会のような、はっきりとした思想・信条のもとに社会的に結束した集団は何かと世間との間に軋轢をもたらすものなのである。それは不思議なことに、創価学会が最も激しく対立した労働組合や共産党と非常によく似ている。>(P55)

 <創価学会について論じる知識人たちの言説がつねに「遅れた庶民の意識」へと水路づけられていくことと対応している。そこで難詰されるのは、時代によって少しずつ内容を変えていくが、いずれも社会の底辺に位置する人々がやりそうなことなのである。創価学会はつねにそことのつながりを疑われていく。…つねにそのような位置に置いておくことで安心する「世論」とか、日本の社会はどのようなものだろう。筆者が創価学会を通して考えてみたいのは、実はこの問題なのである。>(P83)

 と、著者は本書の様々な箇所で違う表現をしながらも、同じような問題提起を繰り返している。

 つまり、もしかしたら、問題は創価学会にあるのではなく、創価学会を入り口で拒否する日本人の心にあるのではないか、という重要な問いかけなのだ。

 これは重要である。

 著者が書いているように、これはひとり創価学会にとどまらず、日本共産党への恐れと拒否感、少しレベルが違うが、田中角栄や美空ひばりを尊敬しつつ馬鹿にする心性とも通じているのだろうし、もしかすると、被差別部落差別意識や在日朝鮮人差別意識にもつながるものかもしれない。

 ここを突っ込んで分析してくれたのか、と思いきや、残念ながらこの問いに対する答えは最後まで書いてなかった。

 新書という枚数の制約があったのあろうが、いずれこの点についての著者の本格的研究を望みたい。

 それはさておき、著者の仮説で「なるほど」と思った部分をピックアップしておく。

◆創価学会問題は労働者階級の問題だ

 端的に書いてあったのは「あとがき」(P207)だが、その前にも何箇所かで同じような見解を述べている。

 <日本では、ヨーロッパのように労働者が自ら労働者階級に留まり、世代的に再生産していくことを望み、それゆえ労働者階級全体としての生活の保障と向上を求め、国家の法制度の中でそれを権利として獲得しようとする意味での労働運動が力を持つことはついぞなかった。そのような、アジアやアフリカの経験からすると、むしろヨーロッパに特異な現象が起きるためには不可欠な、中産階級=ミドルクラスの一部が労働者たちの生活と社会にある種のリスペクトを抱いて接近し、これと連帯するということが、日本ではついぞ確立することがなかったのである。>

 <日本の労働者は、知識層からの援軍も仲間との連帯もあてにせず、つねに激しい競争の中に身を捧げ、労働者としての生活から個人の努力だけで抜け出そうと努めてきた。それゆえ結果として貧しい生活から抜け出せなかったのはすべて自分が悪いのだと自らを責め、世間や国家に対して最低限の生活の保障すらも要求することをはばかってきたのである。その裏側には、確かにある程度の労働者が首尾よく中間層へと上昇することができたというある時期までの歴史的偶然が作用していた。創価学会に結集した人々は、そのような社会的地位の上昇を達成することのできた最後の労働者であると同時に、もはや上昇の道を望めなくなる最初の組織された労働者になるのかもしれない。>

 <そのときに、はたして中間層へと上昇した人々と、そうでない人々との間に、何らかの関係が構築できるのかできないのか、そのことが改めて問われてくる。これからおそらく避けることができなくなる日本における格差社会の固定化や移民の流入と定着を認めざるをえなくなる将来において、明らかに階層や民族の異なる人々がそれでも互いに誇りを失うことなく平等に暮らすための何らかの新しい思想が生み出されなければならない。そのときに、創価学会が培ってきた思想が、本当に取るに足りないものかどうかが試されるのである。>(以上、P207~209)

 著者は創価学会は高度経済成長が増殖させた宗教団体だ、と言う。

 農家の次男、三男が工業地帯や流通業、商業で工員、従業員となって都会に来る。

 身寄りもなければ、頼る人もいない。まず地域コミュニティがない。そんな時に、捨ててきた村落共同体の擬似集団としての創価学会が「座談会」などを通じて地方出身者の心に安心とやる気を出させた。

 かれら、小企業の従業員らは大手組合員や公務員らが組織する労働組合には入れなかった。本来は労働運動はこうした労働者を包摂すべきなのに、

 <社会党は大企業や官公庁の組織労働者を中心としているので、共産党、創価学会が特に支持者を奪い合うことになっていた。>(P86)

 というのだ。この部分は重要だと思うので、ちょっと長いが原文を引用しておく。その中では、中国共産党がなぜ創価学会を重視するか、著者なりのユニークな解答を出しているのが注目されるところだろう。

 <(公明党の中では)公明党の政治的位置は、ある意味では明確に規定されてきた。自民党が大資本や富裕層の利害を代表するのに対して、社会党は特権的な組織労働者を代弁するだけで、組合すら持たない大多数の中小零細企業の従業員や自営業者などの庶民は政治的に棄て置かれてきた。公明党はその庶民の声を国会に届けようとするものであると。それゆえ、当初、素人集団と揶揄された公明党が最初に存在感を示すのは、自民党から社会党に国会対策費の名目で流れるお金があるのではないかという告発であった。>

 <いわゆる左翼の人々はあまり認めたがらないが、日本の革新陣営の主力は組織労働者で、しかもそれは大企業と公務員の世界にしか存在していない。つまり本来の労働者階級というよりは、比較的恵まれた労働者のみが組織されたものなのである。

 <他方、本来の労働者というべき庶民の一部で比較的成功した自営業者は自民党が組織し、中小零細企業の労働者はわずかに共産党が組織していただけであった。だから、民商(民主商工会)を中心に共産党が躍進したことが自民党にとってはいちばんの脅威であったし、後に公明党と共産党が激しく対立することになるのもそのためである。>

 <これに対して、当時の社会党を中心とした革新勢力は、そのような中小零細自営の人々と比べるならば、考えられないほど安定的な雇用を保障されている公務員が、さらにスト権すらも獲得しようという闘争(「スト権スト」)に血道をあげていたのである。

 <この意味で、本来の労働者階級ともいうべき庶民を組織しつつあった創価学会を支持母体とする公明党が、いかなる政治的な位置を占めるかはきわめて重要な問題であった。事実、その後の日本の政治はよかれあしかれ公明党のふるまいにそって展開してきたと見ることもできる。とりわけ日本の保守勢力にとって、創価学会や公明党がどちらの立場に立つかは特別に注意を要する問題であった。>

 <本来の労働者階級を組織しつつも、社会党や共産党とは一線を画す「反共の砦」となるのか、はたまた社会党や共産党が組織している期間労働者や反体制的な知識人と結んで真に革命的な勢力を形作ってしまうのかは、国家権力や支配層にとってはのっぴきならない死活問題だったのである。>

 <だからこそ、言論出版妨害事件の際に自民党幹事長田中角栄はあそこまで竹入公明党委員長のために働いたのであり、池田大作によって主導された「創共協定」の存在が明らかになった時、公明党はある程度池田と創価学会に背いてまで、共産党との共闘がありえないことを保守勢力に対して確約しなければならなかったのである。

 <創価学会が日本において本来の労働者階級を組織した団体であったという、ここでの筆者の理解は、日本ではとうてい受け入れられるものではないだろう。しかし、中国の革命家たち(とりわけ周恩来)は早くから創価学会という団体に特別の注意を払い、社会党でも共産党でもなく、池田大作や公明党を頼ることが多かったのである。>(P169~171)

 こうした戦後の社会史は面白い。今までの有力な解釈は時代の変化の中で塗り替えられていく。もしかすると、著者の解釈は10年後、20年後の戦後社会史論で有力説になっているかもしれないなぁ。

 ここまで、相当に文字をパソコンに打ち込んだため、腕と手が疲れたので、後は、内容のダイジェストを項目だけに省略させてもらって、列挙しておく。

◆創価学会の初代会長の牧口氏の思想は新カント派の思想だ。

 真善美の「真」を除き「利」を入れた。牧口氏はもともとは学校の先生だったし、会も主に教師を中心とした勉強会だったが、太平洋戦争に至る過程の大政翼賛会運動や特高警察の弾圧の中であえなく組織は壊滅、牧口氏は獄死した。

 何とか生き残った戸田2代目会長は「学校の先生などのインテリは頼りにならない」と、底辺で這い蹲って暮らす真の労働者をターゲットに「幸福になれるシステム」で入会者を増やす方法論に転換した。

 だから、教義はもともとは日蓮宗から出た、というわけではない、新カント哲学なのだ。しかし、「真善美」の「真」が欠けてしまっているので、日蓮宗の法華経の教えで「真」を穴埋めしただけだった(?)。だから、日蓮正宗との絶縁に際しても、世間が思うよりはスムーズに進んだ、という。

◆牧口、戸田氏は世襲否定を何度も説いた。それに共鳴する信者が入信したケースもある。→ポスト池田って、子供ではないのか?

◆創価学会研究の白眉はホワイトの「創価学会レポート」なのだが、学会バッシングの嵐が吹き荒れる中、こうした学術研究は顧みられず、捨て置かれているのがもったいない。欧米での学術的研究の方が今は進んでいる。

◆能力はあっても経済的な事情から上の学校に進めなかった多くの人々にとって創価学会における「御書」を中心とした言語の修得を伴う教学のもった意味は大きく、学校PTAなどで、大学卒の先生や、上の女学校を出た他のお母さんたちとも気後れせず、平気で話せるようになった。これも創価学会が重視する「実利」の一つだ。(P33)

◆かつては「病人と貧乏人の集団」と言われたような異様な集団だったことは事実だが、高度経済成長の間、学会の教えを守って地道に働いた学会員が多く、豊かになった人も多い。今では会員は相当に階層的に上昇している、と推測されるが、データはない。

 なぜそう推測できるか、といえば、当時から上昇志向の強い人たちが集まっていたから、階層的に上昇できたという。

 今では公明党支持層(=創価学会員)は自民党支持層とそうは変わらない社会階層となっている、という。

 しかし、池田大作氏は創価学会のエリート集団化を嫌い、あくまで「庶民の創価学会」であることをレゾン・デートルにしている。

 そうしないと創価学会は変質してしまう、と池田氏には深い危機感があるようだ。しかし、これが国家公務員キャリアや弁護士、医者などのエリートたちと池田大作氏との軋轢を生んでいる、という。

 …などが主な内容だろうか。創価学会員の一日、とか、学会の組織なども詳しく書いてあった。少しロングスパンで創価学会を考えるには参考になる本だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月22日 (水)

書評「世界エネルギー市場~石油・天然ガス・原子力・新エネルギー・地球環境をめぐる21世紀の経済戦争」ジャン=マリー・シュヴァリエ著(作品社)

 2007年8月20日第1刷発行。定価2730円。増田達夫監訳、林昌宏訳。

世界エネルギー市場―石油・天然ガス・電気・原子力・新エネルギー・地球環境をめぐる21世紀の経済戦争 世界エネルギー市場―石油・天然ガス・電気・原子力・新エネルギー・地球環境をめぐる21世紀の経済戦争

著者:ジャン・マリー・シュヴァリエ
販売元:作品社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 昨年夏の本だが、今のエネルギー問題と環境問題を関連付けて考えるのに最適な本なので、内容をメモしておく。といっても、412ページの大著なので、粗筋を書く気力はないので、印象に残った部分だけを書き抜いておく。エネルギーの歴史、環境保護の歴史もコンパクトにまとめてあり、そのうえ、世界各地の紛争と資源との関連などにまで視野を広げているので、これだけ分厚い本になるのだろう。「ヨハネスブルクの方程式」とか「キルヒホッフの法則」など少しワクワクする話も入っており、著者の博学多才ぶりがうかがえる本である。

 自分の意見を書き連ねる前に、新聞各紙の書評のエッセンスを書きとめておこう。

 まずは日経新聞2007年9月16日朝刊読書欄の新刊紹介。見出しは<深い見識で問題を幅広く分析>だ。

 <エネルギー問題を幅広く分析した本だが、網羅的なものにありがちな底の浅さはまったくない。各章で深い見識に裏打ちされた分析が読める。例えば石油の埋蔵量に関して著者は「技術や価格に左右される弾力的なコンセプト」と埋蔵量が状況次第で大きく上積みされる可能性を指摘。そのうえで話題の「ピークオイル論(石油資源がまもなく尽き、生産が減少に転ずるとの見方)」について、資源の枯渇ではなく、代替エネルギー開発や環境制約で石油消費が先に減退すると断ずる。専門家が納得する議論を一般の読者にもわかりやすく、伝えている点が本書の特徴といえる。各章は「天然ガス、交渉という戦い」といった形で、「戦い」をキーワードに展開されている。資源国、企業、政府がより大きな利益のパイを求めて戦っているのがエネルギーと著者が考えているからだ。最近はやりの石油覇権といった薄っぺらな地政学ではなく、開発、生産から輸送、小売りまで各段階が利潤の分割競争を展開しているとの説明には納得がいく。エネルギーを利用した結果としての環境問題の深刻化への目線も高い。環境保全に向けた21世紀の戦いは金銭欲より倫理観、生産より生活の質に対する意志に動機づけられている、と著者は言う。エネルギー問題を考え直すのに最適な本だろう。>

 以上で全文である。相当に褒めまくっているが、一読、こう書きたくなる気持ちは分かる。

 東京新聞2007年10月7日読書欄の書評は松井賢一・龍谷大名誉教授が書き、見出しは<戦略の諸相を歴史的に考察>だった。文章を見てみると、出だしから、

 <第一次石油危機以前は、エネルギーという言葉自体一般的に使われていなかった。しかし、今や誰もがエネルギー問題を口にするようになった。ただ、その多くはマスコミが垂れ流す表面的な言説の受け売りである。>

 と、マスメディア批判である。

 <エネルギー問題は複雑かつきわめて重要な問題であり、論ずるにはそれなりの知識と世界観が求められる。本書は、そのような期待に応えられる専門家による、本格的なエネルギー問題の入門・解説書である。>

 そうかぁ、専門家はテレビなどでのお笑い系芸人が話す「エネルギー危機話」だけでなく、各新聞紙の社説の論調などにも不満を募らせていたのだなぁ、と思い知る。

 <著者は、エネルギーの世界を本書の原題(「エネルギーをめぐる壮絶な戦い」)にあるように、激しい戦いの場ととらえ、その戦いの諸相を歴史的に考察し、そこから得られる教訓を摘出している。そこでは、イラン・イラク戦争のような現実の戦いはもとより、中東におけるイギリスとアメリカの油田の奪い合い、エネルギーを取引する企業であったエンロン社の倒産などの、力や戦略的野望の絡み合いによる支配などが分析される。>

 と、東京新聞書評も松井名誉教授の評も「エネルギーの戦い」に注目している。著者が題名をそうつけたのだから、そうなのだろうけれども、どうも私の読後の印象とは違う感じがする。「戦い」「暗闘」本なら、最近日本人でも多くの研究者やルポライターが出版している。そういう「石油争奪」ものも結構リアルで詳しいのではないか、と思ってしまう。そうではなく、「エネルギーとは何か」、という問題に真摯に答えようとしている姿勢こそが読者を惹きつけるのではないか、と思うのだ。ただ、取り上げられている事例があまりにもヨーロッパに偏りすぎているので、少し分かりづらいところもある。松井氏の書評の続きを読もう。

 <本書の特徴は以下の3点にまとめられるであろう。>

 として、

 <第一の点は、エネルギー問題を、経済理論や、技術論に偏ることなく、政治的、社会的な考察も含め歴史的、総合的に論じていることである。読者は、エネルギーをめぐる壮大なドラマに圧倒されるであろう。>

 と書いている。ここがポイントのような気がする。

 <第二は、いわゆる市場万能性を信奉する自由主義経済学を批判し、規制も重視する考え方をもっていることである。著者は、市場の役割を過大評価した自由化に対する規制、炭化水素エネルギーや電気の供給の安全確保に関する規制などが必要であるとする。米英主導の市場原理主義に流されがちな日本には大切な指摘だと思われる。>

 これは著者はあまり声を大にしては言っていないが、読めばそういうことだ、と分かる点だろう。つまり、著者のスタンスだ。

 <第三の点は、エネルギー・経済・環境の調和を達成するために規制を国際的規模で導入する必要が出てきたという指摘である。>

 これも本の中で何度も出てくる主張ではあるが、国際的規制というよりも、環境に負荷のかかるエネルギー開発と経済成長と環境問題をいかに調和させるのか、という問題意識が強く、そのためには先進国のやるべきことがまだまだ多い、そこは自由放任ではなく、きちっとやらせるべきだ、という主張だと思ったのだが。

 <優れたエネルギー入門書であるとともに、専門家にとってもエネルギー問題への重要な情報と視座を与えてくれる書であり、一般の人々、専門家両者にお勧めしたい。>

 なるほど、そうですか。ここは素人の私にはコメントできない部分ではあるが、専門家がそう言うならばそうでしょう。一般読者にどんどん読んでもらいたい、という気持ちは私も同じだ。

 つまり、ユニークな本なのである。

 ということは、内容のピックアップに入る前に、そもそもこの著者は何者か、を説明しておかなければならないだろう。本には詳細な著者紹介が掲載されており、その上、林氏による「訳者あとがき」には「著者のジャン=マリー・シュヴァリエについて」という短文までついているので、適当に抜き書きする。

 <ジャン=マリー・シュヴァリエ氏は現在、エネルギー経済研究ではフランスきっての名門校であるパリ大学ドフィーヌ校の経済学部教授。同大学「エネルギー・資源地政学研究センター」(CGEMP)所長。石油に関してはおそらく世界で最も権威が高いシンクタンクである「ケンブリッジ・エネルギー研究所」パリ事務局長、フランス首相の諮問機関「経済分析審議会」(CAE)委員、電線・石油・天然ガス産業用ケーブルについての世界的な総合メーカー「Nexans」社役員などを務める。

 これまでには、フランス大手石油会社エルフ(現トタール)役員、世界銀行のエネルギー部門の責任者、パリ国立銀行(現BNPパリバ)の役員を歴任し、EU委員会や各国政府のエネルギー問題諮問委員なども務め、その功績により1998年「レジョンドヌール勲章」を受けた。まさに、市場の現場から、行政・政策の中枢までをも知り尽くした、ヨーロッパを代表するエネルギー問題の専門家。邦訳書に「石油危機時代――産油国・消費国・メージャー」(青山保・友田錫訳、サイマル出版会)。本書の序文は国際エネルギー機関(IEA)事務局長のクロード・マンディル氏が書いているが、IEA事務局はパリにあり、マンディル氏と著者は学友だ、という。>

 以上が本書の解説やあとがき、著者紹介にあったプロフィルだが、生年月日がないので、年齢は分からない。50代後半か60代なのだろう、と想像するが。

 しかし、キラ星のような経歴の人だなぁ。

 だから、新聞書評でも構えた褒め称え風の文章になってしまうのかもしれないなぁ。私は経歴欄があまりに長いので、見ないで本文を読んだので、先入観なく読めたのだが、「まともな本だ」「歴史がよく分かる」くらいで、そんなに偉い人が書いている、という印象なかった。ただ、略歴にも書評にもあるが、すべてにわたって詳しい、いろいろな情報を持っている人だ、とは思っていたが、この経歴を見て、情報が入りやすいポジションにいるから入ってきたのだ、と分かった。

 それでは、気づいた点だけピックアップしておく。

◆クロード・マンディルIEA事務局長の序文から

 まずは、クロード・マンディルIEA事務局長は「序文」で、シュヴァリエ氏のいう「エネルギーの世界は激しい戦いである」というテーゼがなぜ導き出されるか、について、

 <エネルギーの分野では、短期的ヴィジョンは長期的ヴィジョンと相反し、供給先の安全確保はコスト削減と相反する。環境保全と経済的効率性も相反し、エネルギー・ネットワークの確立は地域ごとのエネルギー確保という目標に相反する。市場の寡占化は「規制緩和市場」の理念と相反する。このように羅列した事項がエネルギー分野の特徴であるがゆえに、不確定性は増大する一方である。>

 として、科学技術的な不安定要因だけでなく、地質学的不安定要因、政治的不安定要因がある、として、その不安定性ゆえに「戦争」状態なのだ、と指摘する。また、

 <市場は不完全であり、また国家のみが、市場が国内の消費者に提供する選択肢の幅を決定できる立場にある。すなわち、エネルギー安定供給の水準のあり方、電力供給の中での原子力や再生可能エネルギーによる発電の割合をどのくらいにするかといったことや、貧困層に対して電力をどのように供給していくかといった問題の判断は、国家の役割である。>

 と、国家の役割が今後、さらに見直されてくることを明言しているのが面白かった。

◆序章 エネルギーをめぐる戦いの現場

 面白かったのは、他の本でもあるのだが、エネルギーの大雑把な歴史である。

 <1900年には世界人口16億人のエネルギー消費量は、石油換算で5億㌧だった。その100年後の現在、世界人口は5.6倍に増えた一方で、エネルギー消費量は100年前の18倍である90億㌧に達している。20世紀の特徴は、内燃機関、電力モーター、タービン、ターボジェットといった発動機の発展にある。…20世紀後半の30年間には、われわれの日常生活から生じる欲求を満たすために、電気は必要不可欠なものとなり、生活と密着したものとなった。20世紀前半からエネルギー源を確保することは経済活動を機能させるための戦略的課題となってきた。…毎年、石油から生じる利潤の総額は、フランスの国内総生産に等しいほどである。>

 この比較は他の本でも見たことがあるが、説得力がある。

 <21世紀初頭、世界の年間総エネルギー消費量は、石油に換算して(この単位を石油換算トンtoeという)およそ90億㌧である。世界総人口60億人であるから、1人当たり年間約1.6toeを消費していることになる。この大まかな計算は、著しい格差ならびに不平等を明らかに覆い隠すものである。アメリカは世界総人口の5%を占めるにすぎないが、世界のエネルギーの4分の1を消費している。アメリカ人1人当たりの年間エネルギー消費量は、石油換算で8㌧である。アメリカ人の平均所得に対してヨーロッパ人の所得は、その75%であるが、ヨーロッパでは、平均して1人当たりの年間エネルギー消費量は3.5㌧である。最貧国の1人当たりのエネルギー消費量は年間数百㌔㌘にすぎない。地球上で20億人近くの人々が電気やブタン、灯油といった石油製品などの近代的エネルギー源にアクセスできないでいる。

 <エネルギーに関する国際情勢は、三大化石燃料の動向に大きく影響されている。実際、一次エネルギー消費量の内訳は、石油が40%、石炭が25%、天然ガスが25%となっている。残りの10%が水力や原子力、また風力、太陽エネルギー、バイオマスといった再生可能エネルギーである。われわれのエネルギー消費の実に90%以上が、埋蔵されたエネルギーに依存しているということは驚くべきことである。>

 <1970年代に2度にわたる石油ショックを経験したが、再生可能エネルギーの消費割合はほとんど増えていない。…現在、世界で消費される石油の半分以上が、陸・海・空での輸送手段の燃料として使われている。需要と供給の関係に変化が見られないかぎり、短期的にこの構造に変化は起こらない。…海運輸送の38%は石油と石炭である。>

 <世界のエネルギー需要量は、現在から2030年までに1.7%の割合で増え続けると予想されている。>

 世界の人口の76%が居住する途上国では現在、世界のエネルギーの30%を消費しているが、2030年には50%近くを消費することになるであろうと予測されている。

 <IEAではインドや中国の目覚しい台頭により、エネルギー消費量は、この2カ国だけで2000年の12億toeから2030年には28億toeに上昇するのではないかと予想している。一方、OECD諸国の消費量は52億toeから71億toeに上昇すると予想している。言い換えればインドと中国の需要量の増加分は現在から2030年までの世界の需要増加分の半分近くを占めることになるであろうと予測している。>

 <大部分の専門家によれば、今後100年ぐらいは、化石燃料を十分に確保することができるとの意見で一致している。>

 <21世紀初頭の現在、予想される主な技術的問題点は①核分裂を利用した次世代原子炉の開発②燃料電池に使う水素燃料の開発③半世紀にわたって最も効率の良い未来エネルギー源となると一部では考えられてきた核融合の開発④電力輸送手段のための超伝導技術の応用――だが、いずれもいまだ技術的には実験段階で、どれ一つとして2030年までに実用段階に達するものはないとさえ考えられている。>

 <2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件以来、エネルギーに関する地政学的緊張感は、これまでになく高まっている。…このテロ事件、アフガニスタンやイラクでの戦争といった一連の事件により、世界でのテロや暴力の存在を再確認した。…豊かな先進国は不公平を是正するために多額の資金を拠出しているが、大きな変化はまったく見られない。アフリカや中東からインドネシアまでといった地域の人口の半分以上は20歳未満であり、こうした若者たちや、グローバリゼーションから疎外された者たちが、最も暗いシナリオの主人公となるおそれがある。これらの地域はイスラム圏であり、石油資源の60%が埋蔵されているが、彼らがイスラムの教えを誤って理解し、誤って解釈することにより、国内外において破壊行為の尖兵となるおそれがある。攻撃の対象となるのは、世界貿易センタービルといったグローバリゼーションを象徴する建物や、グローバリゼーションに屈した国内政治体制となることが予想される。>

 <こうしたシナリオを描くことにより、われわれは、生産体制・輸送手段・エネルギー消費といったことについて抜本的に再検討することができる。…たとえかなり割高ではあっても、まず、エネルギーを域内で調達することが一つの課題となり、国際輸送のあり方についても、再度、考察してみる必要があると思われる。>

 EU域内エネルギー調達へ向けた戦略が始動していると見たほうがいい。EUは、ここまで真剣にエネルギー問題を考えている。

 <「マーガレット・サッチャーの法則」(いかに準備万端でも想定外のことが起こる)>P37

 <「鉱山の論理」…石油・天然ガス・石炭採掘に当てはまる>P38

 <原油から精製された製品の国際市場価格は税込みで年間総額が2兆ユーロに達する。ここから総費用を引く。総費用額は約5000億ユーロ。総収入と総費用の差額である1兆5000億ユーロが原油から生じる余剰収益であり、これが世界の年間石油流動金融資産である。この余剰収益はフランスの国内総生産とほぼ同額であり、すなわち石油は世界第5位の経済大国であるフランスと同等の富を毎年生み出している。…「オイルマネー」…こうした超過利潤をめぐってしばしば地下資源の所有者である生産国、さまざまな流通経路に存在するエネルギー企業、税を徴収する消費国の政府という三つのグループが衝突している。エネルギーをめぐる壮絶な戦いとは超過利潤の創造・専有・保護・分配をめぐる戦いであり、この経済的ならびに金融的争点は、中東・ロシア・OPEC諸国・ギニア湾願書国といった数少ない地域に、国際エネルギー資源が集中していることから、政治的争点と密接な関係がある。>

 <また、エネルギーは経済力ならびに軍事力を決定する重要な要素であることから、各国政府は、エネルギー価格が高騰しようが、調達体制の安全を確保し、自国企業が外国のエネルギー源にアクセスできるよう取り計らう義務がある。各国政府は石炭・原子力・再生可能エネルギーといった国内エネルギー開発を推進し、財政支援することが求められている。エネルギー輸出国側の政府は、国会資源の採掘が国益と見合っているか、または、現政権の利益となっているか(こちらの場合の方が多いのであるが)見極めることが必要となっている。>

 <石油会社にとって、最優先事項は石油であり、その超過利潤は天然ガスから生じる超過利潤よりも格段に高い。>

 <フランスの歴史学者フェルナン・ブローデルは「未来の不確実性を占うためには、過去にさかのぼること」と述べている。>P69

◆第1章 これまでの戦い、そして歴史の教訓

 P75~P115までの短いページ数の中で、著者は要領よく石炭→石油→原子力の開発と紛争の歴史をまとめている。

◆第2章 エネルギー市場の自由化をめぐるヨーロッパの戦い

 P119~P165まで。ケインズ手法の限界などにも触れているが、面白いのは1968年5月のパリの学生・労働者の大規模反体制運動をひとつの節目と見ていること。「アンバンドリング」という魔法の言葉(P137)。ヴァリューチェーンの解体と再構築(P146)。

◆第3章 電力という新市場における戦い

 P169~P224。キルヒホッフの法則(P172)。

◆第4章 天然ガス、交渉という戦い

 P227~P272。

◆第5章 石油をめぐる永遠の戦い

 P275~P323。

◆第6章 21世紀の戦い―「ヨハネスブルグの方程式」

 P327~P368。ヨハネスブルグの方程式はP328。P334でエネルギー価格を上げて貧困者へは課税、補助金などで調整するシステムを提言。

◆解説「エネルギーをめぐる21世紀の課題と日本の役割」増田達夫

 P380~P407。これが短くてまとまっていて、ざっとした内容を読み返すには最適だと思う。

 内容が濃い本だ。昨年も1週間かけて読了した覚えがある。何度でもじっくり読む価値のある本なのだろう。残念ながら、日本ではこのように情報を持っていて、書けて、影響力もあるというエネルギー関係者を知らないから。やっぱり、アフリカを植民地にしていたフランスの伝統はあなどれないなぁ、とつくづく思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月20日 (月)

書評「20世紀末バブルはなぜ起こったか~日本経済の教訓」古野高根著(桜井書店)

 2008年11月5日初版発行、定価3675円。執念の本である。

20世紀末バブルはなぜ起こったか 日本経済の教訓

著者:古野 高根
販売元:桜井書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 古野氏は1938年福岡県生まれ。1962年東大経済学部卒業。住友銀行調査第二部長、取締役審査第二部長を経て、1990年以降住銀リース専務取締役、ティーケイビル社長等、現在はニチハ監査役。この間2004年放送大学修士(学術)、2007年東京経済大学博士(経済学)。論文に「景気循環の未決問題――加藤雅教授の遺したものは何か」(長島誠一と共同執筆)、「東京経済大学会誌」第249号、2006年3月。

 これも帯から紹介しておこう。

 <元金融マンが書いたバブル論! バブル経済を金融ビジネスの第一線で体験した著者が、渦中で感じた疑問に、5年余りの学究生活をへて自ら答える探求の書>

 <バブルについてはこの20年余、目先のことに追われ、マスコミの報道に振り回されて冷静に問題の本質を検討することがなされなかったのではないかとの思いが、筆者には強い。筆者は1980、90年代の金融機関に身をおき、渦中でバブルの形成と崩壊を眺める立場にあった。そこで強く感じたことは、センセーショナルなマスコミの報道とは異なり、経済の世界でなぜこのようなことが起こるのかという率直な疑問であった。>

 2番目の引用は「はじめに」のP4にある。P8に執筆経緯が書いてある。

 <大学卒業後40年余もの間、経済学から遠ざかっていたブランクを少しでも埋めるためには大学院で学びなおすしかないと感じた。たまたま2002年に開校した放送大学大学院に入学した。そこでは仕事を続けながら学ぶことが可能で、修士課程までは終了することがdきた。しかし放送大学には博士課程がなく、仕事のめどもつき始めていたので、改めて東京経済大学大学院経済学研究科の門をたたき、博士後期課程で研究を続ける機会を得ることができた。この間、最新の経済学の動向から論文作成のイロハまで懇切にご指導いただいた放送大学の林敏彦教授、坂井素思助教授、論文指導を通じてさらに幅の広いものの見方、考え方を親切にご指導いただいた東京経済大学の長島誠一教授には心からお礼申し上げます。同時に長島教授とともに論文の審査に当たられた東京経済大学の渡邊尚教授、江藤勝教授にも懇切な示唆、ご指導を頂いた。また論文作成の過程や完成後に与えられた発表の機会、大学院内の博士論文計画発表会、2度にわたる独占研究会での報告にご出席くださった先生方、経済理論学会での報告にコメンテーターをお引き受けくださった富山大学の星野富一教授には数え切れない貴重なご指導や助言を頂いた。改めて謝意を表したい。>

 本にまとめた喜びが誰にでも分かる、すがすがしい文章だ。

 住友銀行はバブルの時、三菱、三井を追いかけ追い抜くために銀行自身だけでなく、子会社を通じて、不動産を担保に無理な貸付を続け、特にイトマン関連では大きな疑惑が表面化したものの、大山鳴動してネズミ一匹の結末だったのではないか。

 古野氏は住友リースで危ない橋も渡らせられたのではないか。バブル崩壊の渦に巻き込まれた人たちは相当に痛めつけられた。具体的には知りようはないが、古野氏も相当に傷ついたのではなかろうか。そのトラウマを消すためにも、バブルの正体が知りたかったのではないか、と、そんな心理学者のような想像までしたくなるような、努力の日々が続いたのだと思う。

 P227からP263までの横組みの付録1<20世紀末バブル形成期における経済動向と論文・新聞報道>を読んで、苦労の大きさの一端を知ることができる。

 <1983年から90年までの景気動向、バブルに関連すると思われる主要経済雑誌、新聞の記事を参考までに一覧表とし、主要経済事件を併記する。新聞は日本経済(N)、朝日(A)、毎日(M)、読売(Y)の縮刷版によった。社説は紙名略号の後にEを付した。タイトルは記事の内容を簡潔・的確に表すために手を加えたものがある。なお、経済と記事の流れを鳥瞰できるように、参考文献一覧、本文脚注に掲げたものも重複掲載した。>

 の前書きをつけ、

 1983年1月24日OPEC総会・逆オイルショック/新聞=14日N今年は金余り相場/24日AE地価の軟化傾向。1月29日東洋経済、勝又寿良(記者)「土地神話は崩壊した」、2月5日東洋経済(社説)「地価安定時代に借家建設の促進を」…など、延々と続く。この一覧表を熟読すれば、当時の動きがすべて分かる。大変な力作なのである。

 「はじめに」で著者は

 <バブル形成期にはエコノミスト、経済学者の意識はきわめて希薄で、経済評論の世界でも1986年までは円高不況、大恐慌再来の可能性などにとらわれていた節がある。したがって株価・地価の高騰についても当初は「日本的経営」の勝利とか、「東京国際金融都市」とか、肯定的かつ楽観的な受け止め方が主流であった。一方、経営者の側では本格的な国際競争の時代、金融自由化の時代を迎えて、これまでの政策的庇護の下で国内シェア獲得にしのぎを削った時代から、国際的市場での収益競争の時代に入ったとの認識のもと、新しい収益機会を逃すまいとの意識が強かった。マスコミの財テクなどについての取り上げ方ももしろ肯定的ですらあった。円高不況対策としての内需拡大も、1987年2月の公定歩合2.5%への引き下げ、5月の6兆円の財政支出になると、資産価格への影響は決定的になる。その後、株価はタテホ化学工業の財テク失敗やブラック・マンデーなどでいったん反落し、地価は下落しなかったものの、議論の方向は犯人探しから政治問題化していった。>

 として、

 <吉野俊彦(「インフレの足音が聞こえる」エコノミスト1987年8月4日)は卸売物価指数、消費者物価指数にストック価格を加えた総合購買力指数を作ることを提案して、1987年8月時点で、これで見ればすでにインフレが進行中である、と物価動向とは別に資産価格の異常さに警告を発した(おそらくバブルを指摘した最初のエコノミストではなかったか?)。>

 と吉野氏の業績を高く評価。

 <バブル崩壊後も銀行不祥事の続発、証券損失補てん問題などのスキャンダルの追及に追われて、不動産融資問題の深刻さに対する継承は打たれなかった。>

 と書いている。

 著者は定義が揺れている「バブル」を再定義し、バブルの要因を解剖し、金融要因は首班ではなく従犯であった、との結論を出した。

 今後、古野氏が参加して、改めてバブル論の論争が起きれば、今後の経済学のためだけでなく、日本の現実政治にも大いに役立つだろう、と思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月18日 (土)

書評「虚構のインフレ~騙されないための裏読み経済学2009」上野泰也著(東洋経済新報社)

 2008年10月23日発行、定価1680円。

虚構のインフレ―騙されないための裏読み経済学2009 虚構のインフレ―騙されないための裏読み経済学2009

著者:上野 泰也
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 帯に「エコノミストランキング6年連続1位の著者が書き下ろした、日本経済の真の姿と、生活&資産を守るためのアドバイス。」「原油・穀物バブルの崩壊が始まる!日本がインフレにならない決定的な理由とは?この大局を見誤ると人生を見誤る!!」とあった。上野氏はそんなに人気のエコノミストらしい。ぜひ読みたくなった。

 先に上野氏の略歴を書いておこう。これが長いのだが、写しておく、

 <みずほ証券株式会社チーフマーケットエコノミスト。1963年生まれ。上智大学文学部史学科(西洋現代史専攻)卒。1986年、会見検査院入庁。1988年、富士銀行(現・みずほ銀行)入行。為替ディーラーを経て、為替・資金・債券の各セクションにてマーケットエコノミストを歴任。2000年、みずほ証券設立に伴い現職。債券(長期金利)、為替を中心としたスピードの感ある的確な経済予測には定評があり、「日経公社債情報」エコノミストランキングで02年~07年に6年連続1位を獲得するほか、「統計月報」(東洋経済新報社)05年度のマーケットのエコノミスト予想的中度で総合第1位を獲得するなど、投資家や市場関係者から高い評価を得ている。財務省主計局・税制問題研究会メンバー、内閣官房・市場動向研究会メンバー、参議院事務局・客員調査員他を歴任。またテレビ東京系列「ワールドビジネスサテライト土曜版」のコメンテーターを長く務めてきたほか、新聞・雑誌の連載執筆をこなすなど、幅広い分野で精力的に活躍している。著書に「デフレは終わらない」(東洋経済新報社)、「チーズの値段から未来が見える」(祥伝社)、共著に「日本経済入門」「経済・金融の論点99」(共にダイヤモンド社)、「投資家の予想形成と相場動向」(日経BP企画)などがある。>

 たしかにすごい経歴の人だなぁ。

 「デフレは終わらない~騙されないための裏読み経済学」(定価1680円)については、著者が「まえがきに代えて」で触れているが、2007年秋から年末にかけて執筆したが、その後、原油や穀物の国際市況が加速度的に続騰、「デフレは終わらない」という題名に「このタイミングでずいぶん度胸がありますね」と言われることもあった、と書いている。

 著者は六つの全国紙の記事で「インフレ」「デフレ」の言葉がどれほど使われたか、調べたところ、「デフレ」という言葉が多かったの印、2006年後半に「インフレ」が「デフレ」を上回った、という。レギュ―ラーガソリンの小売価格が1㍑=130円台に乗せていった時期と重なっている、と。07年後半には「インフレ」が「デフレ」の倍を超えた、と。さらに、2008年前半には「インフレ」が「デフレ」の4倍超に達したと。

 ただ、このガソリン、穀物高は国際市況の影響で上がっているだけで、それ以外の物価は「ゼロインフレ」だ、とする。米国、ユーロ圏、英国といった市場が「インフレ」を問題にしている国・地域がいずれも「コア」の消費者物価指数は低位安定を続けている、と。

 だから、G7を中心とした先進国の「インフレ」は根が生えた本物ではなく、また、中国のインフレも食品を除くと前年同月比で1~2%台だ、という驚きの数字をあげるのだ。

 今後、インフレが本物になるのは①人々の「期待インフレ率の上昇」(=広範な賃上げを消費者があきらめ的に受容するムードが広がること)②値上がりしたものを買うことができるような消費者側の「賃金・所得環境の改善」③消費者に直面している「企業の側の価格支配力」がおしなべて強いこと(=価格を引き上げても消費者の受容が逃げない需要環境があること)――の三つの条件が必要、と著者は考えている、という。

 そして、供給過剰で企業の価格支配力が弱いままであることなどから、「本物のインフレ」はまだ来ない、と結論付ける。

 自分でも書いているが、これは生活者の視点に立った分析だなぁ。すごい、と思う。初めてこういう論理のを読んだ。

 だから、日本の現実は「インフレ」ではなく、「原材料高不況」だ、と。ゆえに、最近よく聞く「スタグフレーション」(景気悪化とインフレ率加速が共存した状態)は針小棒大で、そんなものは怖くない、というのだ。

 1㌦=70㌦を超える原油価格は「バブル」なので、必ず崩壊する、と書いている。まったくその通りになった。ジョージ・ソロス、アラン・グリーンスパン、ビル・エモットの3人は原意価格がバブルでありいずれ崩壊する、と喝破していた、という。

 ここの部分は最近読んだ石油の本「オイル&マネー」と同じ見方だ。石油は世界に満ちたりており、現時点で原油は不足していない、というのも同じ見方だ。そして、「石油が枯渇する」と脅す「ピークオイル」説に惑わされるな、というのも同じ。そして①知性が苦情の「原油バブル」崩壊シナリオ②ドル安是正による「原油バブル」崩壊シナリオ③投資規制や介入による「原油バブル」崩壊シナリオをあげているが、今進んでいるのは③のシナリオだろう。

 著者のあくなき探究心を示しているのが「穀物バブル」崩壊シナリオまで書いていることだ。恐れ入った。

 さすがだ、と思ったのは、第3章の構成だ。「価格高騰が生み出す価格抑制の種~次々と生まれる「反作用」の萌芽」のタイトル。自動車が脱原油依存の取り組みをしており、太陽光発電、原子力発電、風力発電、「木質ペレット」などの例をあげて説明する。

 小麦の高騰ではコメの見直しが進んでいるらしい。小さなものだと馬鹿にしてはいけない、というのが著者の考えだそうだ。「塵も積もれば山となる」だという。

 そして、第4章。「『虚構のインフレ』を生き抜くヒント~生活設計&資産運用についてのアドバイス」で著者は生き生きと持論を展開する。「結局、『息苦しい』のは「なぜか?」と。生活防衛に、いつまで我慢すればいいのか、と怒る消費者、という設定では「収入面で稼ぎが少しでも増えることにつながるような前向きの努力を行うことを勧めたい」と、「攻撃は最大の防御」を提言する。

 インフレに強いといわれる株価だが、企業収益の改善なくして株価上昇はないし、バブル崩壊の様相を示している不動産も同じようにデフレは終わらない、という。日銀は利上げに動かないが、日本は高い技術力に活路がある、という内容である。

 端折って端折って書くと、味も素っ気もなくなるので、これ以上は書かないが、新聞などでは逆の内容が当たり前のように書かれている。サラッと書いてあるが、相当に大胆な説なのだ。

 この内容を面と向かって話されたら、説得力があるだろうなぁ、と思った。

 さすが、ナンバーワンである。今度は実際に話を聞いてみたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

書評「オイル&マネー~石油と金融の新たな構図」藤澤治、吉田健一郎著(エネルギーフォーラム)

 2008年10月13日初版第1刷、定価1995円。

オイル&マネー―石油と金融の新たな構図 オイル&マネー―石油と金融の新たな構図

著者:藤沢 治,吉田 健一郎
販売元:エネルギーフォーラム
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 藤澤氏の肩書きは、オイル・エコノミスト(FEアソシエイツ代表)。1943年東京生まれ、1965年一橋大学経済学部卒業。シェル石油入社。1972年マサチューセッツ工科大学、スローンスクールで経営学修士取得。1980~82年ロンドンのシェル石油本社勤務。1991年昭和シェル石油退社。サウジ・ペトロリアム・リミテッド副支社長(サウジ・アラムコの100%子会社)原油評価、オイル・アナリストとして日本の石油会社、オイルメジャー、産油国国営会社に合計43年間勤務。2008年3月退社。FEアソシエイツ設立代表及びファクツ・グローバル・エネルギー社(米国のオイルコンサルタント会社)の特別研究員。著書に「驚異の先読み術」(東洋経済新報社、1993年)、エネルギー関連雑誌に寄稿多数。

 吉田氏の肩書きは、みずほ総合研究所株式会社調査本部経済調査部シニアエコノミスト。1972年東京生まれ。1996年一橋大学商学部商学科卒業、富士銀行入社。1998年~同国際資金為替部為替対顧客ディーラー。2002年4月~みずほ銀行市場営業部為替対顧客ディーラー、04年4月~みずほ総合研究所調査本部市場調査部、08年9月~みずほ総合研究所調査本部経済調査部ロンドン出張所長。著書に「日本経済の明日を読む」(共著、東洋経済新報社、2007年)、「22歳からの日本経済入門」(共著、毎日新聞社、2007年)、日本経済新聞社、毎日新聞社、朝日新聞社等、エコノミスト誌、週刊ダイヤモンド等寄稿多数。NHK、テレビ東京、日経CNBC、BloombergTV等に出演。

 随分と長い自己紹介だった。

 この本の面白さは総合的に書いてあること。

 つまり、石油業界出身者の多いサプライ・ファンダメンタル派である藤澤氏と主にインベストメント・バンクや金融関係者の多い金融コモディティ派の吉田氏という、二つのオイル・アナリスト系列の流れにいる異色の2人が共著で書いたため、オイル・ピーク説などの解説もしっかりしているし、金融の面でも単なるサブプライム・ローンの影響で原油市場が影響された、とひと言で切り捨てずに、いろいろと分析し、もしも米国や英国が渋々ファンドマネーの先物市場への流入を規制した場合の影響など、多角的な分析ができていることだろう。

 大体が知っていることが多いが、よく整理されていることと、石油会社、石油業界の暗号のような言葉の解説があるので、新聞ではお目にかからないものの、雑誌などで専門的な言葉が出てきたときには辞書代わりに活用できる。

 常識として知っていなければならないことを何度も書いてくれているのも有難い。

 例えば、ニューヨーク商品取引所(NYMEX)の先物市場におけるWest Texas Intermediate(WTI)は世界の原油市場のメルクマールとして使われているが、このWTIの原油は日本にもアジアにも一滴も入ってきていないことなど、言われないと忘れてしまう。

 石油は有機起源説だけを覚えていたが、1870年代にロシアの化学者メンデレーエフが唱えた無機起源説(つまり、石油埋蔵量は無限にある!という学説)だって、まだ完全否定されていない、とか。ピーク・オイル論があまりにも世間に影響したから、心理的に市況を押し上げて原油高騰の基調低音になっているとか。

 特に、<うがった見方をする識者は、原油価格を上げるために、米国の油まみれのブッシュ政権やメジャーがピーク・オイル論を扇動したのではないかとしています。>などという表現がさらりと出てくるのも好ましい。

 1バレル=159リットル、1キロリットル=6.29バレル

 日本の2007年の原油輸入量は経済産業省の統計データで2億3882万2000キロリットル。

 中国、台湾、インドなどの統計では㌧で表現しているが、これを日量バレルに換算するには概算値として0.02を乗じて年間の日量ばれるに換算できることが業界では使われている、とか。

 日本のガソリン小売価格は先進国の中では米国に次いで安く、韓国では200円/リットルくらい。イギリス、フランスなどはもっと高い、と。

 エネルギーデータを読むときには松井賢一著「エネルギーデータの読み方使い方」(エネルギーフォーラム、1994年)が参考になるそうだ。

 財務省が毎月発表する原油輸入統計は整合性がないので、計算は経産省データを使うべし、と。

 経産省の「エネルギー需給統計月報」の速報値が確定値とどう違うのか、石油の場合は大きく違うので注意を、と。

 IEAやBP統計などと国際比較するときには日本の数字が大きくなっている不思議。在日米軍関係なども含むため、と。これは目からウロコだった。

 日本の石油精製会社は低公害の良品質石油を生産していると(サルファーフリー)。
 原油オプション取引の説明も分かりやすかった。コール・オプションは買う権利、プット・オプションは売る権利。和ゼロコスト・オプションは単体オプションを組み合わせてコスト(プレミアムの支払い)をゼロにするだけ。

 国債利回りと原油市場先物などを説明してくれる。この中で、

 名目金利=実質成長率+期待インフレ率(+プレミアム)

 などの数式も入ってきて、これも共著の有難さだろう。

 米国と欧州のインフレ率計算の違いがあり、米国FRBのコアインフレ率は原油価格が上昇してもインフレ率にすぐには反映されない。だから、EUはインフレ懸念で利上げ圧力が高まるのに、米国はノホホン、とか、知らなかった。結果的に利上げ期待が高まるユーロは買われやすいそうだ。

 イラン、イラクなどペルシャ湾の地政学的要素が原油価格に響くのは知っていた。意外だったのがナイジェリアの動乱の大きな影響。220万バレル/日の生産がOPECの生産枠で、生産能力は280万バレル/日あるのに、180万バレル/日の生産にダウンしているのが大きい、と。

 2006年の米原油価格高騰の真の原因は石油精製能力不足だった。今も、中国、インドと需要が増えたが、精製能力がついていっていない。

 現在の120ドル原油のサプライ・ファンダメンタルの要因では80~90ドルが適正値。あとの40~50㌦はカジノ化した先物市場の金融業者によって押し上げられている。経済産業省の「エネルギー白書」でも2007年末の90ドルのうち需給のファンダメンタルから乖離した分をプレミアムと定義し、30~40ドルがプレミアムと明確に書いている、という。

 代替エネルギーは5年くらいは、まだ代替できない、という。エタノールの失敗。

 バイオエタノールについて京都議定書でカーボン・ニュートラルとされたが、誤解があるという。トウモロコシを使ったエタノールの場合にはエタノールを生産するために消費したエネルギーは、エタノールが生み出すエネルギーを29%上回る、と東大名誉教授の石井吉徳氏の「エネルギーピークが来た」(日刊工業新聞社、2007年)に書いてある、と。

 ドイツではエタノールが古い車のエンジンの部品などを腐食させるので一時エタノールを販売中止にしたという。

 食糧問題もあるので、食糧問題とは関係ない廃材などからのセルロース起源バイオ燃料は?と考えても、技術的に大量生産までいっていないという。

 結論はどの本でも常識的なところに落ち着くのだが、日本の石油精製会社の今後への憂慮も深刻だ。

 この本の特徴を一口で言えば、「原油価格暴騰は機関投資家の巨額資金やヘッジファンドの投機資金が原油先物市場に流入したため。OPECですら1バレル=80㌦が適切という原油価格がなぜ異常高騰したか、一から分かりやすく解説した本で、石油問題の全体像が俯瞰できる。エネルギー問題の格好の入門書」というところか。

 読んで得した感じがした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月10日 (金)

書評「マネー敗戦」吉川元忠著(文春新書)~2010年の米国債償還、さあどうする?

 昔の本である。1998年10月20日第1刷発行、定価660円+税で693円。手元の本は1999年3月20日第11刷発行だった。当時は「マネー敗戦」が流行語になるほどよく売れた本だったが、吉川さんが亡くなったこともあって、今では古書店の100円均一に並んでいる。

マネー敗戦 (文春新書) マネー敗戦 (文春新書)

著者:吉川 元忠
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 亡くなる前にはアメリカ陰謀論に加担しているのか、と思うくらいアメリカの影の力を大きく見ていた吉川さんだが、この本は非