書評

2009年9月19日 (土)

書評「プレイバック1980年代」村田晃嗣著:池明観氏のインチキさ、核密約、冷戦崩壊…+吉崎達彦「1985年」

 水道橋駅近くのいつも立ち寄る小さな古書店の隣に少し大きい新刊と古書の双方を販売しているお店がある。丸沼書店という。日大法学部や経済学部の教科書を扱っているらしく、店内には難しそうな本がずらりと並んでいるのだが、このお店の店頭の100円バルクセールは今まで文庫本ばかりで面白みがないものだったが、最近、新書を置き出したので、俄然、チェックを入れるようになったのだが、早速、村田晃嗣著「プレイバック1980年代」(文春新書、2006年11月20日第1刷発行、890円+税)を100円で買ってしまった。倉庫から直接持ってきたのだろう、新本そのままの外観である。324ページの新書だから、結構読み応えがあり、1週間かけて読み終えた。

プレイバック1980年代 (文春新書) プレイバック1980年代 (文春新書)

著者:村田 晃嗣
販売元:文藝春秋
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 タイトルそのまま、1980年代に何が起きたか、を村田さんの目で切り取って料理し、提供している。

◆「はじめに」 本当に導入部。読まなくてもいい。

◆「出発点 1964年」 こういう本のお約束らしいが、1980年代に至る大事なエポックメイキングな年を二つピックアップした中の一つ。東京五輪の年だ。この章で、これも珍しくはないのだが、村田氏は戦後60年をライフ・サイクルになぞらえて15年ごとに区分していた。そして、

 <この時代区分は1947~49年に生まれた700万人近い「団塊の世代」のライフ・サイクルと重複する。青年期には学園闘争に狂騒し、壮年期にはバブル経済を謳歌し、初老期にリストラや出向、住宅ローン、家庭の不和に苦しみ、そして、2007年から大規模な定年退職を迎えるのである。>

 と私たちの世代(私は1950年の早生まれなので、自分では「団塊の世代」だ、と思っていたのだが、村田氏の区分によると対象外のようでもある。いつも、曖昧な年代なのだ)について約15歳年下の筆者がまとめてくれているのだ。こういう表現にぶち当たると、ちょっとこそばゆい感じがするのは、「まあ大体はその通りなんだけど、学園闘争に狂騒したのはほんの一部で、普通のノンポリは狂騒なんてしていなかったよ」とか「バブル経済を謳歌したというけど、たしかに会社で接待という名目でカネが使えたから、料亭に行ったことだってあるし、お客さんを招いたことにして、仲間内でおいしい酒を飲みに行ったこともあったけど、せいぜいそのくらいで、浮かれていたという記憶はないなぁ」とかの感想を持ってしまったりする。今時点のリストラ、出向、住宅ローンはまさしくその通りだけど。

 村田氏の区分は以下の通りだ。

①幼少期 敗戦から60年ごろまで。60年安保闘争は思春期の反抗に該当する。

②青春期 60年ごろから第1次石油ショックを経てベトナム戦争の終わる75年ごろまで。経済成長を基調とした性急な時代である。筆者の生まれた64年は、戦後社会の青春の真っ盛りであった。

③壮年期 75年ごろから90年ごろまで。70年代後半の不安定な助走期間を経て、本書のテーマである1980年代は、自信と元気に満ちた「保守」の時代となる。

④初老期 90年ごろから今日に至る。バブル後の「失われた十年」に苦しみ、ようやく再建に向かいつつある。

 この村田氏の区分を書き写していたら、同じ日に同じ店で買った吉崎達彦著「1985年」(新潮新書、2005年8月20日発行、定価680円+税)の区分を思い出した。

1985年 (新潮新書) 1985年 (新潮新書)

著者:吉崎 達彦
販売元:新潮社
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 <日本の国運における40年周期説>というもっともらしい名前がついている。

①1868年~1904年(明治維新から日露戦争まで)=上り坂

 欧米列強のアジア進出に危機感を抱いた日本が明治維新を行って富国強兵に努め、最後はロシアとの戦争に勝利するまで。その結果、日本派列強の一角を占めるが、国内的には目的を喪失した状態になる。

②1905年~1945年(日露戦争後から第2次世界大戦の終戦まで)=下り坂

 目標を失った日本が対外関係を悪化させ、中国戦線の泥沼に踏み込み、最後は米国との戦争に敗れるまで。国土は荒廃し、広大な領土を失い、日本は文字通りゼロからのスタートを余儀なくされる。

③1946年~1985年(戦後からプラザ合意まで)=上り坂

 敗戦でどん底に落ちた日本が経済の復興に専念し、見事に先進国入りを果たすまで。しかし、プラザ合意以後の円高に対応する過程でバブルが発生し、次の下り坂への道が開かれる。

④1986年~2025年?(バブル経済から??)=下り坂

 日本経済が順調だったのは戦後40年目の1985年くらいまでで、その後はバブルの発生と崩壊、不良債権問題、金融不安、デフレ経済、そして「空白の十年」と呼ばれる90年代の低成長期を迎える。プラザ合意は1㌦=250円だったのが一気に3年後には1㌦=120円になってしまった。

 とあり、

 <戦後日本経済の「上り坂」がいかにすさまじいものであったかを確認しておこう。35年間の間にGNPは80倍になり、1人当たりの国民所得は50倍になり、輸出は140倍、輸入は90倍になった。昨今の中国経済の成長がいかに目覚しいといっても、これほどではない。そして今日の中国の台頭が周囲の警戒を招いているのと同様に当時の世界で対日警戒論が生じたのは無理からぬことであった。>

 というのだ。1950年と1985年の数字比較である。この表も書き写しておこう。

<戦後経済の発達>

               1950年        1985年

国民総生産(GNP)   4兆円         317兆円     80倍

アメリカとの比較     26分の1        3分の1

1人当たりの国民所得  4万円         208万円     50倍

アメリカとの比較     14分の1        3分の2

鉄鋼生産         400万トン     1億1000万トン  30倍

自動車生産        7万台        1227万台  170倍

貿易額(輸出/輸入) 3000億円/3500億円 42兆円/31兆円 140倍/90倍

                (出展は「戦後50年の日本経済」勝又寿良、東洋経済新報社)

 以上、吉崎氏の著書に回り道した。

 村田氏の本に戻る。

◆性急で不安な時代 1970年代

 硬派から軟派まで細かい事象から大きな政治的、国際的事件まで拾っているだけに、深みがないのが惜しいのだが、結構忘れていたり、知らなかったことが出ていて面白い。気付いた点をメモしておこう。

1975年は敗戦30年目に当たったが、8月15日に三木武夫首相が靖国神社を「私的に」参拝した。現職首相による終戦記念日の参拝は初めて

 中曽根康弘首相の公式参拝だけがクローズアップされるが、「私的」も「公式」「もないだろう。首相になった政治家が靖国神社に参拝することの近隣諸国に与える影響を十分に理解したうえでの参拝だったのかどうか。特に、この三木武夫という信用できない政治家は自分の信念に基づいて行動するのではなく、必ず裏がある。つまり、靖国神社に参拝することで右翼勢力を慰撫、取り込もうとしたのだろう。

 三木の浅はかな行動が戦後30年閉じていたパンドラの箱の蓋を開け、その後の中曽根、小泉首相の参拝に結びつき、日中「不毛の5年間」を生んだ。三木の責任は重い昭和天皇はA級戦犯の合祀された靖国神社へは参拝しなかった。三木のようなバルカン政治家がルール違反をしてしまったのだ

▽1975年にフランスのランブイエで開催された第1回先進国首脳会議(サミット)が開かれ、三木首相が出席したが、村田氏は、

 <発案者のジスカールデスタン大統領は当初日本の参加を考えていなかったが、西ドイツのヘルムート・シュミット首相が強くそれを求めた。各国首脳がファースト・ネームで呼び合う中、日本の首相だけは「ミスター三木」と呼ばれたという。それでも日本派なんとか石油危機を乗り切って、ここにアメリカ、西ヨーロッパと並ぶ国際経済の一極として承認された。単なる先進国から責任ある経済大国へと、壮年期を歩みだしたわけである。>

 と書いている。

T・K生という匿名の韓国人著者による「韓国からの通信」(岩波新書)の問題

韓国からの通信―1972.11~1974.6 (岩波新書 青版 905) 韓国からの通信―1972.11~1974.6 (岩波新書 青版 905)

著者:T・K
販売元:岩波書店
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 <当時の韓国はしばしば独裁国家と形容され、そのイメージは今日の北朝鮮並みに暗かった。信じられないという向きには「T・K」という匿名の韓国人著者による「韓国からの通信」(岩波新書)をご覧いただきたい。そして、韓国に関する日本人一般の知識や理解は、お粗末なほど乏しかった。>

 前にも書いたかもしれないが、「民団新聞」2008年7月9日(水)3面の特集[韓国語版「韓国からの通信」出版を機に検証]<「T・K生」池明観氏の場合/韓国「民主人士」の不思議な北韓体制認識/「擁護」から一転して批判/”惨状”目撃、いたたまれず/「早くなくすべき体制」/「6・15」南側委員会の場合/統一へ「民主化」を不要視/「金日成民族」にも目つぶり>という多くの見出しが並ぶ紙面を思い出し、もう一度、スクラップブックを引っ張り出してきて、読んでみた。

 朴容正・編集委員による前文には、こうある。

 <「韓国からの通信」は当時、韓国の独裁体制を流言飛語の類まで引用、口を極めて攻撃した。その一方で北韓の独裁体制には批判的にならぬよう気を使い、時には弁護さえしていた。その結果、日本人の韓国認識、「韓国=悪」イメージ形成に大きな影響を与えた。現在のように南北関係が微妙な時ほど北韓認識が重要だ。韓国「民主人士」の北韓体制認識をあらためて見てみると…。>

 本文を見ると、<「世界」連載中は「国家テロ」を弁護>という小見出しが入った部分では1983年10月のビルマの首都ラングーン(現在はこの悪いイメージをぬぐい去るためかどうか、名前をそれぞれミャンマー、ヤンゴンと替えてしまった)で起きた北朝鮮の武装工作員による全斗煥大統領暗殺未遂事件(未遂とは言っても閣僚らが死亡した)について、北朝鮮は「韓国軍事政権の自作自演だ」と宣伝していたが、「T・K生」(池明観氏)は「世界」1983年12月号で、

 <彼(全斗煥)がすぐ北の仕業と決め付け、反共キャンペーンをやり出したから、これは彼自身が企んだことではないかという疑いが起こった。>

 <自分に批判的な連中をとりのぞき、北がこのように浸透しているのだと宣伝し恐怖雰囲気をつくろうとした、というのだ>

 <北がなしたことであるとしたら、それに対する責任の少なくとも一端は全政権にあるといわなければならない。>

 <(オリンピックをはじめ多くの国際会議のソウル誘致など)狂熱的に北を刺激し、愚かにも軍人的勝利感で自ら誇り、内政における黒星続きを覆い隠そうとした>

 と書いていた、とあった。また、1987年11月の大韓航空機爆破事件T・K生は「世界」88年2月号に北朝鮮によるものではなく、韓国の陰謀だ、と書いている。米国はこの事件を機に北朝鮮を「テロ支援国家」に指定したが、北朝鮮はラングーン事件も大韓航空機事件もいずれも「韓国当局のでっち上げた陰謀」と主張している。

 <T・K生は75年6月号で「北を非難することは今では彼(朴正煕大統領)を助けることになる」「北に対する非難や批判をわれわれは当分の間カッコに入れておかなければならない」と主張していた。しかし、韓国以上の「長期・軍事独裁体制」で同胞に対するテロまで強行した北韓当局に対する「非難や批判」は、結局、連載中(合計176回)の15年間、一度もなかった。>

 という朴氏のコメントは非常に重要だと思う。朴氏が丁寧に調べ上げたように、池氏は2003年7月に「T・K生は自分だ」と名乗り出て「北に対してかなり肯定的な文章が入っているのですが、それはそうすることによって北を動かしたいという気持ちがあったからです。いま考えると純真な話ですけどね」と「世界」2003年9月号のインタビューで語っているのだ、という。

 03年9月の毎日新聞への寄稿ではこの調子を維持したが、直後の03年9月15日の東京新聞のインタビューでは2003年3月末にKBS(韓国放送公社)理事長として平壌を訪問した時のことを想起しながら、それまでのトーンとは一転して「北の体制を国際的に保障することで、朝鮮半島に幸せがもたらされるとは考えられないのです」と述べ、「北の体制を限定的な形――核施設や権力中枢への(米国の)武力行使によって壊すしかないのか。/いくら限定的な攻撃でも、犠牲は伴う。犠牲が多く出るのは、私自身耐え難い。ただ、今の来たの現状からすれば、強硬策もやむを得ない。せいぜい考えられるのは…いかに犠牲を少なくするか。いかに非人間的にならずに現実に対応できるか…こんなジレンマに陥ったのは初めてです」としゃべっている。

 翌年2004年、韓国の「月刊中央」とのインタビュー(6月号掲載)ではさらに踏み込んで「北韓は一日も早くなくすべきだ」と明言した。「北韓は一日も早くなくすべき体制だ。北韓が現体制から漸進的に改善して良くなると期待することは考えられない」としゃべっている。朴編集員は

 <北韓独裁体制への言及と批判は、「韓国からの通信」連載終了から、実に15年後のことであった。>

 と書いていた。

 特集記事の左半分は当時の韓民統(韓国民主回復統一促進国民会議日本本部)が今、韓統連(在日韓国民主統一聯合)と改名して、いまだに金正日総書記万歳をいい続けていることへの批判に終始していた。批判は当然である。

 しかし、池明観という男は金大中、盧武鉉政権では重用されてKBSの理事長をしていたとは! 日本で言えばNHKである。こんないい加減な男がトップにいれば北朝鮮万歳路線に傾くのは仕方ないだろう。日本にいたときには女子大の教授だったと思ったが、韓国では翰林大学というところにいるらしい。こういう男を飼っている大学だ。よく覚えておこう。

 たしか、昨年7月25日に岩波書店から発行された「陸羯南~政治認識と対外論」(7600円+税)を書いた朴羊信氏も翰林大学校翰林科学院研究教授だったな。

陸羯南―政治認識と対外論 陸羯南―政治認識と対外論

著者:朴 羊信
販売元:岩波書店
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 こんなひどい男が当時の空気を作っていた。今では信じられないかもしれないが、韓国のイメージはキーセン観光(買春観光)で北朝鮮は社会主義の理想というイメージが植えつけられていた。北朝鮮の工作がうまかったのと、韓国内で文民らが軍人を一格下に見て馬鹿にしながら悪口を言って、その悪口を池のような無責任な「学者」が広げたため、村田氏が書いてるようにいびつな韓国像が日本で形成されてしまったのだ

 池氏の責任は非常に重い。しかし、問題は池氏の個人的な素質でこういう問題がおきたのではない、ということなのだ。岩波書店=朝日新聞=社会党左派=総評・自治労という人脈が北朝鮮のスパイとして動き回る中でこういう仕組みが出来上がったのだろう。つまり、今でも続いている話なのだ。

 私がいつも書いているように李明博政権を引き摺り下ろしたい勢力=金正日支持勢力が韓国内にほぼ2分の1いる。何か政権不祥事が起きればこの勢力が騒ぎ出し、米国や日本の「進歩的文化人」を動かしながら、またまた「空気」をつくるだろう。だかrふぁ、私達は日本人として、日韓の友好を未来まで続ける気持ちを持っている李明博政権を支えなければならないのだ。

▽80年は大平正芳首相の死去と7月17日の鈴木善幸首相就任。8月には全斗煥大統領就任。

▽81年は本の扉というか、「小説『なんとなく、クリスタル』を手にした田中康夫氏」のキャプションの写真を見ると「ヤッシー」の若い頃の写真があった。こう見ると、細川護煕元首相にも似ている。あの独特のうるさいしゃべりがなければ案外いい男なのかもしれない。そういえば、早稲田大学で9月16日に開かれたジャック・アタリ氏の講演会に来ていたなぁ。質問までしていたが、何を聞いているのか分からないような質問で、アタリ氏もぼんやりした答えをしていた。案外、IQは低いのかもしれない。

 1981年で見るべきは毎日新聞のスクープとなったライシャワー発言。伊藤正義外相が鈴木善幸首相のいい加減な発言を諌めるために辞任した翌5月18日の朝刊に掲載されていたそうだ。米国は核を持ち込んで寄港していたのだ、とライシャワー元駐日米大使が古森義久記者のインタビューに明確にしゃべった、というのである。核密約問題だ。

 85ページから86ページにかけては現在の核密約問題を考える際のいい基本資料になるだろう。

1982年では1月から極東有事研究が始まった、と。日本有事の担当は防衛省だが、極東有事は外務省なんだってさ。今「周辺事態」と騒いでいるが、これが今言われることのなくなった「極東有事」のことだ、とあった。このように、分かりやすい本である。

 82年のもうひとつのトピックは6月26日付各紙朝刊が報じた「侵略→進出」書き換えという誤報問題である。この誤報をきっかけに韓国、中国では「歴史問題」が歴史カードになってしまった。日本の戦後があまりにも目をつぶり、反省しなかったことはまず責められるベきだろう。だが、このような自虐的な誤報をなぜしたのか? 当時の文部省担当記者は譴責処分を受けたのかどうか? 当時の新聞などを見ても分からない。

▽「ロン・ヤス」時代の幕開け、と題された83年では、中曽根首相が訪韓より1年も前に韓国語を勉強し始めていた、というエピソードには驚いた。1年前からタイムスケジュールを考えていたのだね。(P124)

▽「オーウェルの予言」と題した1984年。1Q84という小説が売れているようだが、これはその本物の話だ。9月に全斗煥大統領が韓国大統領として初めて来日した。つまり、朴正煕大統領は大統領として来日していなかったんだ! 来たかっただろうに。

▽1985年は「転換期」というタイトル。ゴルバチョフの登場、プラザ合意、中曽根の8月15日の靖国神社参拝。

▽1986年は「大爆発と総決算」。大爆発は1月28日のスペースシャトル「チャレンジャー」爆発7人全員死亡と、4月26日のチェルノブイリ原発の4号炉爆発。総決算は衆参同日選挙の自民党圧勝と中曽根による「戦後政治の総決算」路線。国鉄分割民営化。前川レポートもあった。

 86年を振り返った時、思いがけないほど大きかったのがフィリピンの政変だ。村田氏の感覚の鋭さだと思う。

 反政府運動が高まる中で独裁者マルコス大統領は大統領選挙を繰り上げて151万票の大差で圧勝した。1983年に暗殺されたアキノ上院議員の未亡人コラソン・アキノが野党統一候補。不正選挙だった。アメリカ上院がまず声を上げ、これを受けてフィリピン軍部が叛旗を翻し民衆も蜂起した。レーガン米大統領もついに反共の友に引導を渡すしかなく、マルコス一家は米軍のヘリコプターでかろうじてマラカニアン宮殿を脱出し、ハワイに亡命する。こうして「コリー」ことアキノ夫人が大統領に就任した

 <このフィリピンでの政変は、同じ開発独裁の韓国にも波及し、全大統領は89年に大統領直接選挙を実施すべく、憲法改正を言明せざるをえなくなった。>

 これは知らなかった。不明を恥じている。

87年は「終わりの始まり」のタイトル。10月20日未明の中曽根裁定で竹下登が次期自民党総裁に決まるのだが、このことを中曽根氏が日記に書いているのだ、と。これも初めて知った。フーン。竹下氏を選んだ理由はこの日記を読むとよく理解できる(P147)。

 韓国の「6月抗争」で全斗煥を説得したのがガストン・シグール米国務次官補(東アジア太平洋担当)だったことも知らなかった。私はなんてものを知らないのだろう。しかし、12月の大統領選挙では金大中、金泳三が両方出たため、票が割れ、軍部出身の盧泰愚が当選した。

 ポール・ケネディ「大国の興亡」は誤訳が多すぎる、と村田氏は書いている。後にネオコン(新保守主義)に多大な影響を与えた政治哲学者アラン・ブルーム「アメリカン・マインドの終焉」。

▽1988年は「消費税、リクルートと『自粛』」。これは分かりやすい。そのまんまだ。

▽1989年は「昭和の終わりと冷戦の終焉」。1989年1月7日午前6時33分、天皇死去、享年87歳。この章は案外面白い。P298.P300はアルシュ・サミット

 <11月9日に東ドイツ政府が国民オ海外旅行と海外移住手続きの大幅な簡略化を決定。1961年以来東西ベルリンを遮断してきたベルリンの壁が事実上開放された。71年前に第1次世界大戦に敗れてドイツ帝国が崩壊した、ちょうどその日だった。……この11・9から世界はポスト冷戦の時代に入り、12年後の9.11にさらにポスト・ポスト冷戦の時代に突入することになる。>

 9.11をこのように位置づけるかどうかは疑問だが。

 P311からの<エピローグ――1980年代とは何であったのか>も分かりやすかった。読んで得する本だと思う。この本が100円? 出版社も大変だなぁ。

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2009年8月14日 (金)

書評「自民党抗争史~権力に憑かれた亡者たち」奥島貞雄著(中公文庫)

 中央公論新社から2006年8月に「自民党総裁選」と題して出版された単行本を改題して文庫化、2009年5月25日初版発行定価667円+税。奥島氏は古くからの自民党職員で「自民党幹事長室の30年」(中公文庫)で歴代自民党幹事長の品定めを行ったが、この本も主に幹事長室長として見た自民党内の政局模様を回想録風に綴ったものだ。

自民党抗争史―権力に憑かれた亡者たち (中公文庫) 自民党抗争史―権力に憑かれた亡者たち (中公文庫)

著者:奥島 貞雄
販売元:中央公論新社
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自民党幹事長室の30年 (中公文庫) 自民党幹事長室の30年 (中公文庫)

著者:奥島 貞雄
販売元:中央公論新社
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 実は図書館で「自民党幹事長室の30年」を借りて読んだことがあったが、記憶にないくらいで、あまり面白いとは感じなかったと思う。でも、今回続編が文庫化されたのを機に国会内の本屋で買ってきた。

 そして、通読したのだが、以前面白いと感じなかった原因らしきものが分かった。つまり、派閥担当政治記者の回想記と同じで、誰と誰が会った、ということが中心で政策や理想でガチンとぶつかって対立する、という血湧き肉踊るドラマがないのだ。それこそ、政治家は寝技をする汚い男たちと描かれる。どうしても自民党職員から見た政治家、という視点が邪魔になっている。

 では、なぜ今、書評を書く気になったのか、というと、日中国交正常化、日韓基本条約、日米安保条約など外交面での歴史を自民党事務方はどう見ていたか、という興味があったのが第一点。そして、この本の後ろにある年表が案外役立ちそうだったので、それをメモしておこう、と思っただけだ。

 外交問題をどうとらえているか、ではあまり期待したような独自性は見えない。ただ日中国交回復の前の「保利書簡」に関してすでによく知られた話であろうが、次のようなエピソードを紹介し、田川誠一氏を批判しているのが面白かった。

 昭和46(1971)年のことだ。6月17日に沖縄返還協定に調印したものの、7月にニクソン米大統領は突然の訪中を発表する。そして、8月15日にはニクソン大統領が突然「金・ドル交換停止、10%の輸入課徴金徴収」を柱とした新経済政策を発表。このニクソン・ショックで円はそれまでの1㌦=360円の固定相場から実質的な変動相場制へ移行し、輸出産業のウエートが高い日本経済に大打撃になった。

 佐藤栄作政権の最後の幹事長(46年7月~47年7月)は佐藤派の重鎮、保利茂だった。佐藤はニクソン訪中発表を見て中国に対して国交正常化に向けた意思表示をしたいと保利に指示して時の首相、周恩来宛のメッセージを作成させた。「保利書簡」である。誰がどうやって周恩来に届けるか、が問題だった。保利は日中国交回復に熱意を見せていた田川誠一が頭に浮かぶ。後に自民党を離れ、新自由クラブを結成して代表になる田川は松村謙三依頼の親中派で中国との独自ルートを築いていた。

 奥島氏は書簡の伝達役を仰せ使い、血記事本願寺で葬儀に列席中の田川氏に書簡を手渡した。だが、田川氏はこの依頼を受けなかった。奥島氏は「佐藤が嫌いなら政策もダメというのはわがままというしかない」と田川氏を切り捨てる。保利書簡を実際に周恩来に渡したのは「ストップ・ザ・佐藤」を唱えて革新都政を実現した美濃部亮吉東京都知事だった。結果的に佐藤在任中の国交回復はならなかったが、この時の田川の態度はいただけない。田川誠一、河野洋平などあの系統の政治家は何か最後の最後、信用できないところがあるのだが、その「信用できなさ」という感覚的なものを実体化したエピソードとして興味を持って読んだ。

 田中角栄氏のロッキード事件逮捕について米国陰謀説が今でも消えていないが、その陰謀説がどのように起きてきたのか、を書いてあるのも役立った。

 田原総一郎氏が「中央公論」1976年7月号の「アメリカの虎の尾を踏んだ田中角栄」で田中はアメリカ、ソ連抜きのアジア太平洋構想を持ち、同時に資源確保の自立外交をしようとしたため、アメリカによってスキャンダルを仕掛けられた、という。アジア太平洋構想にはオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、インドネシア、フィリピンなどが入り、資源とはアメリカのメジャーがすでに支配していた石油ではなくウランだった。それがアメリカの逆鱗に触れた理由だ、という内容だそうだ。(P81)

 ロッキード事件といえば昭和50(1975)年8月に三木武夫首相が訪米し、フォード大統領と会談した際、宮沢喜一外相、海部俊樹官房副長官が記者会見をしている時に自分が連れてきた外務省職員ではない通訳と一緒にフォード大統領と秘密会談をしており、この非公式会談でフォードの口から「田中のロッキード疑惑」について何らかの情報がもたらされていたのではないか、と奥島氏はその後思うようになった、と書いてある(P95)。昭和47(1972)年9月には田中は」首相として、同年2月に大統領が訪中を果たしたことに対抗するがごとき電撃的な日中国交回復を果たしたし、その前の自民党幹事長時代の昭和41(1966)年ごろには来日した米高官に「わが国には核兵器を持つ技術的能力も財力もある。今は持たないが、将来は持つかもしれない」と発言。奥島氏のアドバイスで報道陣には伏せられた、というので、この発言は表に出ていなかったようだが、米国はしっかりテイクノートしているだろうし、「田中=危険人物」というリストに入っていたのかもしれない。そういう状況を知ってか、三木首相のロ事件で政権延長を図る戦略はフォードとの秘密会談をしてまでも強められていたのだった。

 <自国にとって好ましくない政治家の息の根を完全に止めたい米国と、田中のスキャンダルは願ったりかなったりの三木。両者の利害は、少なくとも客観的には完全に一致するのである。>

 とある。もしも奥島氏が書いている通りだったら、三木武夫っていう男は政治家の風上にも置けない男だ。民族派の代表として日本の生き残りの道を探っていた田中を陥れて、米国に媚を売っていたのが三木だったとは!

 日韓基本条約についてももう少しエピソードを書いておいてほしかった。

 最後の年表だけでなく、今までの自民党総裁選挙の歴史についての年表も資料価値があると思う。

 ただ、こういう本を小説代わりに読んで、日本の政治を理解しようとすると、あまりに日本の政治がやせ細って見えるのではないか、と危惧する。日本だって、構想力豊かな政治化はたくさんいる。ただ、ミスマッチで、そういう政治家が政局の回しの舞台に出てこなかっただけだと思う。

 あまりにロジスティークばかりに気を遣う田中派・竹下派的な国対政治の権化のような政治ではなく、かといって小泉純一郎のような怨念政治でもなく、理想の松明を高く掲げて説明責任も果たすような政治家が増えることを期待しよう。

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2009年7月31日 (金)

書評「現場からの中国論~社会主義に向かう資本主義」大西広著(大月書店)+加々美光行・愛知大学現代中国学部教授<中国少数民族問題 その淵源と病理>(「東亜」09年8月号)

 「現場からの中国論~社会主義に向かう資本主義」という題名に惹かれて読んでみた。大西広氏という1956年京都府生まれの京都大学大学院経済学研究科教授が2009年7月21日に大月書店から出した本。定価は税込みで1890円だ。マルクス経済学者だ、と堂々としてるのがいい。

 <「実物経済」の強化の伴わない「金融経済」はいずれ破綻する。そして、これは元から分かっていたことである。いや、もっと正確に言えば、近代経済学者はアメリカ経済こそもっとも正しい経済のあり方だと思っていたのでこの経済破綻に戸惑っているが、マルクス経済学者には当たり前のことが生じたに過ぎない。そして、この結果、世界経済の中心はいよいよ中国を中心とする東アジアに移動することとなった。>(4ページ)

 というような現状認識ですべてを解き明かそうとする。

 中国経済の現状について失業者の騒乱とかの事件が報じられることについても、玩具企業や広東省など、低賃金労働集約型の輸出企業、特に対米輸出への依存度の高い企業の問題ではないか、これは中国経済の破綻の問題ではなく「アメリカ頼み」で生きていこうとする自体が間違えていることを示すもので、これは日本企業にも言えることだ、と厳しい。

 基本的に毛沢東を評価し、評判の悪い「大躍進」、「文化大革命」についても違う角度から焦点を当てることで、毛沢東の「近代」的な要素を抽出しようとする。つまり、毛沢東と鄧小平の共通点探しをしつこいくらいやっており、それはそれで逆転の発想的で面白いのだ。だから、今の中国についても共産党万歳となる。特に景気対策をベタ褒めし、地方政府までが景気対策を打ち出したので、中国が世界の牽引車になることは間違いない、と太鼓判を押している。

 内容は2008年1~9月に京都の地方紙「京都民報」に連載した内容をベースに付け加えた、とあった。

 そして、大西氏の論で最も違和感を覚えたのが少数民族問題についての文章だった。

①ウイグル族と漢族の間には言われているような制度的優遇策はなく、ウイグル人が一生懸命やらないのが漢族の商店が栄える原因だ。

②中国共産党が「漢族支配」を狙うはずがない。新疆ウイグル自治区やチベットがちゃんと中国の枠内にいさえすればそれでいいので、漢族が少数民族を支配することで問題が複雑化するのを恐れている。

③同じ少数民族でも企業家を輩出できる朝鮮族や満州族は問題ないが、できない民族には何かエンカレッジする仕組みを作らねばならない。回族(イスラム教徒だが中国人で中国語を話す人々)はそれなりにできており、問題ないだろう、という。

④チベットの民族問題は2006年夏のチベット鉄道開通で起きた。チベットの人口は280万人しかいないのに年間400万人の観光客が来るようになった。日本は人口約1億3000万人で毎年800万人前後の外国人を受け入れているが、この280万人と400万人という数字には驚く。そして、この観光業も漢人がうまくやっている。観光客にも便利な店になっているので、そっちに客は入る。チベット人のむさい店には客がなかなか入らない。でも、大西氏はここで”チベット人企業家”を成長させるために、漢族の進出に少しは制限を加えるべkぢあろう、と書いている。

⑤チベットは昔、解放前は農奴制でダライ・ラマはそれを許していた、と。ダライ・ラマ批判が相当にきつい。

◆加々美光行・愛知大学現代中国学部教授<中国少数民族問題 その淵源と病理>

 随分と新聞で読んでいる内容と齟齬があったので、にわかには信じられないなぁ、と思ったのだが、霞山会が出す雑誌「東亜」09年8月号に掲載された加々美光行・愛知大学現代中国学部教授の6月30日の霞山会での講演記録<中国少数民族問題 その淵源と病理>を読んで、論点が似ているのに驚いた。

 政教分離と政教一致の問題が大きい、というのだ。西欧はルター、カルバンの16世紀の宗教改革でカソリック支配が国家と宗教を合体させた政教合一体として存在した状況を突破し政教分離を近世以降確立させた。日本も織田信長が一向宗徒の大量虐殺、叡山、石山本願寺の焼き討ちで多くの僧侶を殺害し、仏教の政教合一体をぶち壊し、江戸期約300年に及ぶ社会の安定を呼び込んだ、と。明治維新は政教分離が一般的になった中、再び政教合一体として国家神道を作り上げた、幕末維新革命は宗教勢力の真空状態を突く新たな革命だった、新たに強力な政教合一体を組織し維新革命を成就するために大政奉還と王政復古を実現した、とある。しかし、そのことが日本に新たな軍国主義体制を作り出すことになり、戦後の民主化で真っ先に政教分離が行われた意味合いもそこにあった、と書いていた。

 こうして二つの例を見ると政教分離が当たり前のように見えるかもしれないが、アジアの民族と宗教を考える場合には、依然、強力な政教合一体が存在。第1次世界大戦を境にオスマントルコ帝国が崩壊した後のトルコ共和国の建国過程で初代大統領のケマル・アタチュルクがイスラムの政教分離を唯一実現した。しかし、他のアジア諸国を見ると、インドにおけるイスラムとヒンズーの宗教紛争が続いている。それは戦後すぐにパキスタンとインドの分裂という結果をもたらしたが、カシミール問題を含めて今日、両国内及び両国間の紛争の火種としてある。その対立が政治的軍事的対立であることはヒンズーとイスラムのどちらも政教合一体である事実を何よりも示す、という。ガンジーはその対立を克服し政教分離を実現しようとしたが、暗殺された。今日、スリランカで流血の事態がしばしば起きているが、これも仏教とヒンズー教の間の宗教紛争が大きな原因だ、と。

 そして、なぜ政教合一体が根強く残っているのか、を考え、

 <歴史的に政治的民族的抵抗がかつての植民地体制からの克服過程で必要とされた点が背景としてある。現在もアメリカの覇権主義的世界支配に対する異議申し立て、抵抗としての政治や武力を手放し得ないという背景もある。この点を見落として単純に政教合一体を批判することはできません。>

 と言う。そして、中国共産党政権はカソリック(天主教)とプロテスタントについてはほぼ自由な礼拝が認め、相当程度に宗教信仰の自由を許している。しかし、チベット仏教と新彊イスラムについては厳しい監視下に置いている。これはチベット仏教も新彊イスラムも政教合一体だからだ、と書いている。ここがポイントのようだ。

 欧米の人権批判には明らかに重大な見落としがある、という。欧米や日本の現状と中国やアジアの状況は同じではない。政教分離か政教合一体か、という根本問題がそこにある、と。

 つまり、もし仮に今、本願寺の門徒衆が政治集団として日本に存在していると考えた場合、自民党の支配などは一夜にして吹っ飛ぶ。しかし、門徒の信仰は徹底した政教分離となっているので、彼らがどこにお寺を建てようと、どこで宗教集会を開こうと日本の政治に危機をもたらさない。しかし、チベット仏教徒は違う。

 チベット仏教とは現在、中国全土で在家、出家を含めて1600万人いる。うち約600万人がチベット人。チベット自治区に約280万人のチベット人仏教徒が、自治区外にさらに約320万人にいる。それ以外の1000万人はチベット人ではなく、その多くは四川、雲南、内蒙古一帯の少数民族だ、という。また、漢民族のチベット仏教徒も増えていて、100万人ちょっと欠けるくらいいる。

 この1600万人のチベット仏教徒が仮に政治集団、政治結社になったと考えると、これは直ちに中国の政治を揺るがす巨大な政治勢力に変わる。

 今日の中国共産党の党員数は7000万人を優に超える世界最大のマンモス政党だが、その凝縮力、政治結社としての結束力は相当に弱体化している。これだけ巨大化すればそうなる必然性があるとも言えるし、7000万人を超える政治結社としての中国共産党がイデオロギー集団であるより極めて濃厚な利権集団に変わりつつあることも大きな理由だ。これに対して、仮に1600万人のチベット仏教徒の政治結社が存在するとその結束力は極めて強く、たちどころに中国共産党支配を揺るがせる。新疆ウイグル自治区のイスラム教についても同じことが言える、という。

 ここでも回教イスラムが出てくる。中国西北地域の寧夏回族自治区を中心に全国に存在する回族ムスリムについては今世紀初頭までは政教合一体だったが、中国共産党の呼びかけに応じる形で政教合一性を相当程度克服し、今はほぼ政教分離体と言える状況にある、と。従って回族ムスリムに関しては宗教信仰の自由が相当程度認められている、とも書いてある。

 つまり、政教分離さえしてしまえば共産党にとって怖くないのだ、ということだろう。

 そして、ダライ・ラマの特殊性として現実主義者がトップとしていただくだけでなく、ダライ・ラマと政治路線で対立するチベット独立過激派もダライ・ラマに対する崇拝はびくともしない、と言うのだ。つまり、政教合一を主張する過激派にとっても政教分離を説くダライ・ラマが信仰の対象なのだ。

 そして、1980年代に胡耀邦総書記が中国の宗教政策に先鞭をつけた。82年文書は宗教信仰の自由を保障するため宗教集団に政教分離を求め、政治活動、反政府活動を行わないことを求めたが、これは片手落ちだった。というのは本来、国家と宗教主づ案双方が政教分離の義務を負う双務性が原則。だから、本来ならば国家のチベット仏教や椅子レムへの干渉も排除されねばならないが、82年文書にはそういう文言が全くなかった。国家が無制限かつ一方的に宗教集団の政治活動特に反政府活動を監視監督する側面だけ書かれた片務的なものになっていたのが82年文書の限界だった。

 84年にゴルバチョフが登場し、ペレスイトロイカを開始する。87年12月のINF全廃条約に結びつくデタントが欧州で起きる。平和の機運が強く表れる。デタントを背景にダライ・ラマは1988年のストラスブールの欧州議会の演説で初めて独立要求を放棄しかつ非暴力主義を唱えた。このことの持つ意味は非常に大きく、88年から現在にいたるまでダライ・ラマの考え方は一歩一歩成長を遂げてきている。全く変わらない、というのではない。

 中国政府のダライ・ラマ評価は間違えている。ダライ・ラマの主張を時代とともに仔細に追い、今日に至るダライ・ラマの位置を確認すると、ダライ・ラマは「自分は観音の化身であることを辞めてもいい」と、大きな一歩を踏み出している。つまり、観音の化身である以上、自分が政教合一の象徴であるしかない、と気付いたダライ・ラマがそう言い出した、というのだ。

 2007年に伊勢神宮をダライ・ラマが参拝した時にはっきりと、次のダライ・ラマはもはやチベット暦や宣託や予言によって生まれ変わりを選出するやり方を取ることなく、ローマ法王庁がやっている法王選出の方式のコンクラーベ、高い位置の枢機卿たちが何日もかけて討論し、最適なローマ法王を選ぶ方式をとってもいい、ダライ・ラマ制度を今後も存続させるかどうかは、これからもう一回根本的に考え直してもいいとすら言っている。

 問題はこのように政教分離を主導しようとする人々がダライ・ラマの周辺だけに限られていることだ。また、大乗仏教でありながら密教であるチベット仏教は様々な神々が大日如来を中心に集う。その中の憎悪の神、シャクデンを信仰する一派がいる。戦闘の神であもり、独立過激派にとって重要な働きをしていた。ダライ・ラマの存在そのものに疑問を持ち始めてもいるらしい。

 昨年3月のチベット騒乱が起きたが、中国政府は対応が難しい。ダライ・ラマも難しい。お互い譲ることのできない一線を持っているからだ。

 そこで、中国政府に要望だが、ダライ・ラマを「ペテン師」とだけ片付ける主張で交渉を中断するやり方はあまりにも粗雑過ぎる解決法だ、として、加々美氏は、

 <将来的にチベット、新彊イスラムを含め民族問題が、中国国家の屋台骨あるいは根幹を揺るがす時が来る可能性もあると思っております。>

 と結んでいた。結論の部分で大西氏と少しずれてきたが、事実の位置付けは似たようなものだった。やはり、政教分離か政教合一体か、は大きな問題のようだ。ついつい暴動というと民族問題に目が行ってしまうが、そこに宗教を見る視点も大事にしなければいけないようだ。

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2009年7月21日 (火)

書評「日本人と『死の準備』~これからをより良く生きるために」山折哲雄著(角川SSC新書)~改正臓器移植法反対鮮明

 角川SSC新書の新刊「日本人と『死の準備』~これからをより良く生きるために」(山折哲雄著、定価798円、2009年7月25日第1刷発行)を読んだ。2部構成の本で、第1部が山折氏の「日本人と『死の準備』」。第2部は人生80年時代にどのような死に支度をするのか、いろいろな分野の人の話を集めたもの。

日本人と「死の準備」―これからをより良く生きるために (角川SSC新書) 日本人と「死の準備」―これからをより良く生きるために (角川SSC新書)

著者:山折 哲雄
販売元:角川SSコミュニケーションズ
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 山折氏の見方は一貫している。人生50年時代の「死生観」が今や雲散霧消する時代。この死生観は「働いて働きづめに働いた後は死ぬんだ」というメッセージだった、という。ところが、いつの間にか我々は人生80年の時代を迎え、働き尽くめの50年が過ぎても、そのあとに更に20年、30年の時間が横たわっており、その20年、30年は必ずしも順風満帆の旅というわけにはいかない。病と老いという高波や嵐が待っている時代になった。生と死との間にそれが不意に割り込んできて、我が物顔に振る舞うことになった、と。そこで、人生50年型とは違った新型の人生モデルを創らねばならないのではないか、という問題意識で書いた本だという。人生80年というのは死に支度の時代に入ったこと、その天の声は遠からず死に化粧の段階が来ると囁いている、と。

 そうなると、「人生80年の時代には言ったのだから、これからはさらに人生90年、人生100年時代がやってくるぞ」という景気のいい掛け声が必ず聞こえてくるだろうが、そういう人の後にくっついていくよりは、やはり人生80年は死に支度だ、と思う、と言う。

 土屋文明の<百年はめでたしめでたしわれにありては生きてきたなき百年なりき>

 良寛の<かたみとて何か残さん春は花夏ほととぎす秋はもみじば>

 をあげていた。こういう死生観、死に支度について書くのだそうだ。

 山折氏の分は80ページまでで、その後の部分は他の方の講演記録なのだが、山折氏のわずか80ページは内容が濃い。親殺し子殺し、無差別殺人などの多発する世の中を見て、

 <個や個性という普遍的な価値観と、日本の伝統社会に生き続けて来た「ひとり」という言葉の持つ価値観が切り離されたっま、我々はそれを結びつけようとはしなかった。その果てに、いつの間にか今日の若者たちが一人であることの恐怖を語るようになってしまったのである。明らかに戦後60年の教育に重大な欠陥があったとしか思えない。……(凶悪な事件続発を)ネット社会の影響であるとか、格差社会の影響によるとか、いろいろな言説が説かれているが、言葉で説明することは空しい。果たしてそれでいいのかという疑問も湧き上がってくる。言葉のないところで何かを模索し始めなければならない。そういう時代になったのかもしれない。>

 と書く。そして、ヒンズー教徒は最期を迎えるとガンジス川中流域の聖地ベナレスにやってきて、最期の日々をそこで過ごし、死んだ後は川岸で火葬され、骨灰が眼前のガンジス川に流される、と。これがヒンズー教徒の間で日常的に見られる死者の野辺の送りだそうだ。死者を看取るための小屋が川岸に建ち並び、これは「平和の館」という。ここには医者も宗教家も入れず、本人と家族だけが最期の時を過ごすという。最後の最後、体をさするだけがケアの唯一の手段という人々も多いそうだ。

 釈迦が子どもを捨てた伝説。その子に「悪魔」という名を付けた、と。仏教の発生は29歳で家族を捨てて家出して35歳で悟りを開くまでの6年間の釈迦のエゴイスティックな姿と捨てられた子どもの関係、父と子の関係から始まったのではないか、という。釈迦の10人の弟子の10番目の多聞こそ、釈迦の子ラーフラの悩みを聞き、悟りに導いたキーマンではないか、とも書いている。

 キリスト教は父と子の関係ではなく、母と子の関係。それもマリアとキリストという近親相姦的な関係が濃密に教義に関連している、と見る。

 インド人の考えていた乾燥しきったインドの大地の仏教とモンスーン地帯の日本の仏教では基本が違う、とも。和辻哲郎の「風土」の分類を応用して、日本人の「しめやかな激情」という特徴を浮かび上がらせる。

 面白いのは次の「ノアの方舟」の解釈である。この生き残り神話はやがて西欧でサバイバル・セオリーというべき理論の生みの親になる。なぜなら、この考え方はユダヤ・キリスト教社会の歴史を貫き生き続けた選民思想や進化思想を産出して止まなかったからだ、とされる。それだけではなく、それは人間いかに生きるべきかという哲学・論理的命題の根幹を支え、さらには今日の政治・経済理論における土台を形づくってきたのだ、という。

 タイタニック号の悲劇も参照され、そして、ついにP50で脳死問題に入っていく。

 <むろんここでいう生き残りの戦略は、現代医療の現場にも息づいている。脳死によって死につく者と、臓器の移植によって生の世界に復帰する者を選別する、生命操作のテクノロジーのことだ。>

 という書き出しで、この進化論、選民思想から発展した系統には1992年のリオデジャネイロの「地球環境サミット」で取り上げられた「持続可能な開発」提言も入るのだ、という。山折氏は触れていなかったが、ナチスに利用された優生学も当然この系統に入るだろう。

 こういう大きな西洋思想の流れに対峙できるものは何か? と問いかけ、

 <人類がもしもノアの大洪水のような危機に襲われ、その大多数が死滅する運命を免れないと分かったとき、「われもまた死に赴こう」と決断する選択肢である。わずかな生き残りへの可能性を拒否して、死の運命を甘受する多数の側に身を寄せようとする生き方だ。そのような決断の根底にあるものが仏教の無常という認識ではなかったか、と私は思う。この世の中に存在するもので永遠なるものは一つもない。形あるものは必ず滅する。生きる者また死を免れることはできない。ブッダの簡明な無常観である。生き残ることの限界をわきまえたモラルである。先のサバイバル・セオリーに対する無常セオリーといっていいだろう。この無常の原理は、何人も否定できない真理性を備えている点で、思想における一般相対性理論と称してみてもいいかもしれない。>

 と書く。この論理が改正臓器移植法反対に結びつく理論として応用されるのだ。

 <さて問題は我々自身の今日における運命である。眼前に迫り来るグローバリゼーションの大波に抗して立ち続けようとするとき、すでに我々自身があのサバイバル・セオリーに雁字搦めになっている自画像が見えてくる。ところが、その時代の絶大な風圧の下に思い屈しているとき、我々の意識の奥底からはあの無常セオリーの旋律が聞こえてはこないか。その相反する旋律が今後果たして調和する二重奏を生み出していくのか、それとも自動機械人形のようなぎくしゃくした狂想曲を奏でることに終わるのか、我々は今、まさに正規の分岐点に立たされていると思わないわけにはいかないのである。>

 そして、山折氏は「もしも日本の万葉時代の古代人が現代に甦ったとしたら、臓器移植という先端医療を受け入れたのではないか、と私は思う。どうぞ、どうぞといって、あれこれの自分の臓器の提供を申し出たのではないだろうか」とも書く。曲球だ。万葉人は死んだ後の遺体は魂の抜け殻と思っているから、そう言うだろう、というのだ。万葉人は肉体と魂は別物と考えていた。霊肉二元論の立場を取っていた。そこで山折氏は、

 <古代の万葉人たちと現代の臓器移植に携わる医師たちの間にはその点で極めて親縁な関係が認められると言っていいだろう。けれども残念ながら、比較が可能なのはそこまでである。なぜなら今日の医師たちは死者の死の時点を「脳死」というように厳密な一点に絞り込んでいるのに対して、万葉人は死の時点をそんなにあっという間の事柄に限定してしまうことなど思いも及ばないことだったからである。>

 として、<もがり>の大切さ、古代人にとって一種の<臨死体験>の期間だったこと、などをあげて「カンニバリズム(人肉食)」、大岡昇平の「野火」、武田泰淳の「ひかりごけ」について考察した後、

 <脳死者の臓器を移植して生き延びようとする我々の行為は、どこか民俗社会によく見出されるカンニバリズムの光景を思い出させると思わずにはいられない。>

 と書いているのだ。この文章はドキッとする。臓器移植という医療システムに付き纏う厭らしさ、不透明さ、粘々した感触は人間の肉体まで取引材料にしようという「ベニスの商人」のシャイロック的な西欧文明の汚らしさがその問題でクローズアップされるからだろう。日本人の古代からの死生観とは全く適合しない、一神教のグロテスクな思想なのだ。

 そして、

 <世代を超えて継承されてきた死の作法という、それこそ人間の「尊厳」にとってもっとも欠かすことのできない伝統が、しだいに空中分解をとげていくだろうと思わないわけにはいかなかったからだ。たとえば、脳死判定などという法的・医学的手続きがある。その手続きが厳密に行われている時、家族はどこで何をしている のか。何ができるのか。どのような時間を過ごし、どのような場所で死に行く者を看取るのか。そういう重大な問題が全く等閑に付されている。それが丸っきり闇に包まれている。ほとんど議論さえなされていない。それに代わって聞こえてくるのは、遺族(家族)のプライバシーとか、それを報道する側のパブリシティとかいう観念的な言葉ばかりである。それらの軽薄な言葉の群れは死に行く者、死者を看取る者の心中に土足で踏み込んで来る舌足らずな観念語にしか私には見えないのである。>

 とズバリ書いている。

 最も大切な部分を全く議論せずに「衆院解散で廃案になったら国会の責任と言われる」という強迫観念だけでA案に賛成した参院議員が多かっただろう。残念だ。彼らにこそ、この山折氏の論を読ませたい。善意という美名でドナーカードへの登録を増やそうとしている。それをしたいという人がやる分には何も反対はしないが、山折氏のように一切自分の臓器は提供しないぞ、と考える人だって多いだろう。そういう人にとって、「脳死は人の死」という悪法は施行前に廃止法案を提出、成立させなければならない、と考える人もいるだろうが、その声は結集されないだろう。日本が高度資本主義国家だからだ。日経新聞をはじめとした資本家のイデオローグが逆戻りを許さないだろう。日本はそこまで変質してしまったのだ。

 山折氏の危機感が分かろうというものだ。

 この本は薄っぺらいが、第2部の中でも役に立つ論文が多く、一読をお薦めしたい。

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2009年7月17日 (金)

書評「日中2000年の不理解」王敏著+呉善花氏にゴーストライター疑惑?

 王敏氏の「日中2000年の不理解」(朝日新書、2006年10月30日第1刷、756円)を読んだ。約3年前の本。朝日親書が創刊された第1弾でものすごい数の親書が出て、その中では姜尚中著「愛国の作法」とこの本が気になっていたのだが、そう思っただけで買わずにいたのだが、どこかのブックフェアで安く売っていた(たしか200円くらい)ので、買ったのだが、そのまま積ん読のままだった。書庫の本の入れ替えをしようと親書の棚を見て、「ああ、この本読んでなかったなぁ」と思って、読んだのだった。もっと早く読まなかったのを後悔した。面白かった。一口にいってしまえば、日中韓の比較文化論ということになるのかもしれないが、日本に対する理解が日本生まれでない外国人にしてはものすごく深い、とびっくりしたのだ。

日中2000年の不理解―異なる文化「基層」を探る (朝日新書) 日中2000年の不理解―異なる文化「基層」を探る (朝日新書)

著者:王 敏
販売元:朝日新聞社
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 本の奥付によると、王敏さんは1954年中国本土の河北省生まれで大連外国語学院日本語学部卒業後、四川外国語学院大学院を修了し、お茶の水大学で博士号を取得。法政大学国際日本学研究所教授、上海・同済大学客員教授だ、とある。主な著作は「中国人の愛国心―日本人とは違う五つの思考回路」、「謝々!宮沢賢治」ほか多数と。中国・優秀翻訳賞、山崎賞、岩手日報文学賞賢治賞を受賞しているそうだ。

 王敏氏は本当に多くの本を出している。有名人で、講演に引っ張りだこのようなのだが、この本一冊を読んだんだけでその理由が分かる気がする。今の日本人があまりしなくなってしまった日本の古典文学などからのエッセンスの抽出という作業で、非常に小技の効いたいい手法を駆使して、説得力のある文体で一冊の本の統一性を持たせて書き切っているのである。つまり、他人の説、論をつまみ食いして継ぎ足して自分の論にする、という最近の日本人の若手研究者の陥りがちな欠陥をくぐり抜け、自分の論を展開しているから読んでいて惹き込まれるし、読後感がいい。それと、日本人に自信を持たせる内容だから右系のナショナリストも新左翼系のナショナリストも読んで違和感がないだろうと思う。そういう本である。

 粗筋を書くのはやめる。というか、粗筋のない本である。

 王敏さんのいわんとすることを一言で要約して言えば、日本人の特質はアミニズム、シャーマニズムに通じる<自然と人間の一体化>であり、儒教道徳は日本人の日常生活の規範になっていない。日本人はもっと縄文古層の清々しさ、自然融合、感覚的納得感を重視しする。一方、西欧の人々はキリスト教という自然を敵対者とする一神教を日常生活の規範として重んじるから、ダメなものはダメ、となる。この「ダメなものはダメ」はユダヤ教にもイスラム教にも通じるだけでなく、実は中国文明のコアである儒教も一神教的な「ダメなものはダメ」の教義で、妥協を許さないのだ、という。

 つまり、世界の先進文明の中で日本だけが唯一、固い中心をもたない分明だ、という分析である。

 中国が儒教文化とは聞いていたが、共産党支配の中国では儒教は廃れているのだろう、と勝手に想像していたのだが、この本を読んで見方が変わった。中国の儒教一神教体質は西欧の一神教体質に似ており、政治行動でも実は、中国と米国は分かりあえる部分が多く、よほど意識的にうまくやらないと、日本が弾き出されるのだ、ということ、そうは書いていないが、実はそういうことが著者のメッセージであり、愛する日本、日本人への忠告、警鐘なのだろう、と思った。

 日本人の感性重視とか動物を人間同様に大切にする、とかは他の本にもあるし、にお本人にとってそう目新しい説ではないだろう。

 注目したのは王敏さんが中国人のメンタリティーをきっちりと分析してくれたことだ。韓国人も同様だ、という。小中華であり、韓国知識人の自慢は中国以上に儒教を血肉化、内在化しているという自負である。だから、中国人と韓国人のエリート、インテリは同じようなメンタリティーを持っていて、日本人には本当のところは理解できないだろう、という説である。

 例えば韓流ドラマ「チャングムの誓い」は2005年からNHKで放映され、韓流ブームのピークを作ったが、王敏さんは「チャングムの誓い」は中国人と日本人とで違う見方をされただろう、と推測する。

 宮廷女官であったチャングムは陰謀で奴婢にされたうえに離島だった済州島に島流しされた。宮廷に戻る再起の道が医女になることだと知ると、人並み以上の精進を積み、天分もあって島民に認められるほどの医術の基礎を身に付けた。その時、倭寇の一団が済州島を襲った。倭寇の頭領が急病にかかり治療を受けさせるのが目的の来襲だった。倭寇はチャングムが医女見習いと知り、治療せよと迫る。拒むチャングムに倭寇は「拒むなら一人ずつ島民の命を奪う」と脅す。チャングムはやむなく未熟な腕だが懸命に治療する。頭領は具合が良くなり帰っていく。危機を脱した後、済州島の役所は「憎むべき倭寇を治療した行為は許されない」という処分を下し、チャングムは逮捕される。

 さあ、どう見るだろうか? 王敏さんが書いている通り、普通の日本人だったら、急病で困っている敵将を治療するのは日本の戦国時代では美談だったくらいで、「了見の狭い役人だなぁ」という感想を持つ方が多いと思う。ところが中国人も韓国人も感じ方が違うのだ、という。「無慈悲な権力者」と見るのではなく、大義を重視する儒教の教えそのままの筋書きだと思うのだ、というのだ。王敏さんんもそう感じた、という儒教的生き方ではいかなる脅迫にさらされても敵に協力すると「不義」とされるのだ、という。例外を認めないのだ、というのだ。日本人には不条理でも儒教に基づくと条理になる、と。つまり、自分の身を捨てても信念は曲げてはいけないということが個人の人生観から国家・世界観にわたって変わらない中国人の判断基準になっているのだ、というのだ。

 10年間続いた文化大革命についても今でこそ中国政府は行き過ぎがあった、と認めているが、時代精神として毛沢東に忠実な「革命派」が「実権派」に不義の烙印を押して容赦なく追い詰めた。「実権派」に寛容であれば庶民も不義とされて糾弾されるので、厳しい追及に耐えかねて自殺する人が相次いだのだ、という。文革の暴走は「不義」糾弾を名分にしたことを抜きには考えられない、と王敏氏はいうのだ。

 王敏氏はこのような例をたくさん散りばめながら、立論を進めるのだが、なるほど、と思う。中国も韓国もギリギリの交渉では譲らない。なぜか、と思ったが、そういうことだったのか、と今までの疑問がコトンと腑に落ちたのだ。なぜあんなに原理原則論にこだわるのだろうか、と思っていたケースも多かったが、中国、韓国という身近な2国が儒教の国だったために、それこそ「日韓」「日中」の誤解、不理解が積み重なり、日本人の心に不信感が積み重なってきたのだろう。逆にいえば中国人、韓国人は日本も当然儒教的な価値観を持っているだろうと思うと、全くそうでないので日本人を理解できず、無視したり、反日ぼ動きになって表れるのだ。

 王敏さんは日本人が日本人の良さ、特性を知らなさ過ぎる、として、日本人がこの意味で特殊であることをきちんと知り、外からの誤解を解くよう努力しないといけない、というのだ。

 王さんの読書量の多さに圧倒された。勉強家である。この古典の引用がいいところでズバリ、ズバリと決まるので説得力がある。

◆呉善花さんを思い出した…何か懐かしいなぁ

 王敏さんの2歳年下だが、ほとんど同年の韓国出身の日本評論家に呉善花(オ・ソンファ=普通はソナと聞こえる)氏がいる。王さんの本を読んで昔、呉さんの本を何冊も買ってきて読んだことを思い出した。

 呉さんは1956年済州島生まれ、大東文化大卒、東京外国語大学地域研究研究科修士課程修了で、今は拓殖大学国際学部教授。東京外大在学中に韓国人ホステスのルポ『スカートの風(チマパラム)』を出版。『続 スカートの風』『新 スカートの風』。『「日帝」だけで歴史は語れない』、『攘夷の韓国 開国の日本』(山本七平賞受賞)などがある。

スカートの風―日本永住をめざす韓国の女たち (角川文庫) スカートの風―日本永住をめざす韓国の女たち (角川文庫)

著者:呉 善花
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続 スカートの風―恨(ハン)を楽しむ人びと (角川文庫) 続 スカートの風―恨(ハン)を楽しむ人びと (角川文庫)

著者:呉 善花
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新・スカートの風―日韓=合わせ鏡の世界 (角川文庫) 新・スカートの風―日韓=合わせ鏡の世界 (角川文庫)

著者:呉 善花
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 韓国のテレビが呉氏を徹底取材した特別番組を作成、放映した。

 驚くべき内容で、本はすべてゴーストライターが書き、1991年には日本に帰化していた、というのだ。この経緯を詳しくまとめたブログがあった。

http://list.jca.apc.org/public/aml/2006-September/008975.html

 内容をかいつまんで書いておこう。

 実業家の清塚誠氏は上野の韓国クラブ「ニュー太陽」に遊びに行った時、ホステスとして働いていた呉氏と出会った。才色兼備の彼女を秘書として雇い、日本の大学へ入学させた。呉氏は清塚氏と同棲する。日本ペンクラブ会員になり、卒業後も日本に在留できるビザを得るため本を出そうとしたが、日本語が下手で出版社がOKせず出版社が代筆ライターを世話し『スカートの風』ができあがった。本のネタの7割は清塚氏が運営する韓国語学校で彼が授業中に生徒の眠気覚ましに面白おかしく語った韓国クラブのホステスにまつわる話など。原稿の代筆を請け負った韓国人は、出版直後に良心が痛み身を引いたが、二人目の代筆ライターは在日韓国人三世の女性で、代筆は何人もいると証言した。拓殖大学日本文化研究所長の井尻千男氏の推薦で同大学の国際開発学部教授に就任した。韓国MBC取材陣は1991年6月11日に日本国籍を取得し、韓国の戸籍から除籍された事実を突き止めた、というような内容だ。

 呉氏を非難中傷するブログだったが、呉氏によって新しい韓国の魅力に触れた日本の男性も多かったのではないか、と想像するので、ここに書いてあることが事実だったら「えっ?」という感じではあるが、それで呉氏を嫌いになったり、怨んだりはしないだろう。呉氏が女性として魅力があるかどうかは件の清塚誠氏に聞いてみないと分からないのだろうが、そのくらいのたくましさがある女性、大歓迎というくらい鷹揚な日本人男性が増えているのではないか、とも思う。

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2009年5月 8日 (金)

書評 望田幸男著「二つの戦後・二つの近代~日本とドイツ」(ミネルヴァ書房)

 MINERVA歴史・文化ライブラリー15巻目の望田幸男著「二つの戦後・二つの近代~日本とドイツ」(ミネルヴァ書房、2009年3月10日初版第1刷発行、定価2940円)を読んだ。

二つの戦後・二つの近代―日本とドイツ (MINERVA歴史・文化ライブラリー) 二つの戦後・二つの近代―日本とドイツ (MINERVA歴史・文化ライブラリー)

著者:望田 幸男
販売元:ミネルヴァ書房
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 1931年生まれ、京大文学部史学科卒業で一貫してドイツ近現代史を比較歴史学の手法で研究してきた著者が自分史を交えて、一般読者にも分かりやすい形で日本とドイツの近代史論争の歴史を解説した本だ。

 大学者先生の本格的な研究書をコメントする力もないし、批判的に読解する能力もないのだが、なにしろ分かりやすくて、何か書き留めておきたくなったので、読書ノートとして、気に入った部分や覚えておきたい部分などを抜き書きしておく。

 まずは目次を見ると大体のことが分かると思うので、目次を写しておこう。

序章 戦後と「近代史」――個人史によせて

第1章 「戦後の近代史」

 第1節 「新しい主役」のイニシアチブ――戦後日本

 第2節 正統史学における「過去への問い」――戦後ドイツ

第2章 日本における「戦後の近代史」のゆらぎ

 第1節 「戦後の近代史」のゆらぎ

 第2節 「もうひとつの近代史」への試み

第3章 ドイツにおける「社会史」と「特有の道」論

 第1節 ドイツ社会史への道

 第2節 「ドイツ特有の道」をめぐって

第4章 「もうひとつのドイツ近代史像」の試み

 第1節 ユンカーから教養市民層へ、そして資格社会へ

 第2節 「近代=資格社会」論のケーススタディー

終章 「比較の歴史学」への道

あとがき

 である。このケーススタディーはあまりに専門的だったので、読み飛ばしたことを告白しておく。ところどころに入っているコラムが、また面白かった。

 では、内容を抜き書き、というか、メモしておこう。

アメリカ・イギリス・フランスなどの戦勝国の場合には、戦後は単に戦前・戦時の「あと」の時期であった。しかし、敗戦国日本にとっては、同じ敗戦国ドイツとともに、政治体制のみか、価値観から生活スタイルに至るまで変わり、いわば「生まれ変わった」という独自の意味を持っていた。このことは、戦後の政治・社会とともに、知的風土にまで深く刻印されていき、この意味で「戦後」の政治・社会とか、「戦後」の思想・文化とか、さらには「戦後」の歴史学とか、あえて「戦後の…」という問題が提示されたのである。(P2)

 60年代、70年代の本には「戦後…」という題名を冠したものが多かった気がする。世界中みなそういうことか、と当時は単純に思っていたのだが、そうではなかった、ということ。日本では「戦後思想の原点」とかが問題になったのに、アメリカでは戦前・戦中と戦後が連続していた、ということで、アメリカやイギリスの国民は「戦後」の意味を深く考えずに済んだ、ということのようだ。今になってそう教われば「なるほど」と思うのだが、高校生、大学生、就職してすぐだった当時はそんなことを考えもせず、特殊という意識もなかったと思う。

▽(終戦直後)当時、日本史においては講座派マルクス主義が主導的位置を占めていたが、西洋史分野では「大塚史学」がそびえていた。これは大塚久雄を頂点とする「比較経済史学」を標榜する流れで、ジャーナリズムの世界では、マルクスとウェーバーが「大塚史学の二つの魂」などと言われていたが、一方の軸足をマルクスに依拠していた点で、「大塚史学」は戦後の思想・論壇の状況においては講座派と同じフロントに立っていた。そこでは世界の資本主義の歴史的発展において、その波頭に立っていたイギリスの近代化が語られ、そのコインの裏側としてドイツ・日本の後進性が批判されるという構図が展開されていた。そして軍国主義の日本とナチスのドイツは、それぞれがたどってきた後進的で非民主的な近代に胚胎したものとされた。いや、そもそも日本にもドイツにも「真の近代」は存在しなかったのだ、といわれていたのである。(P4)

 思い込みは怖い。戦争直後はこういう直感のような感覚が学問の入口だけでなく、その後の学問の進行方向を決めてしまった。「日本は悪い。明治維新はイギリスの民主主義革命とは違う」と生半可な知識で学校の教師らが学生、生徒に教えこんだ。その教えられた生徒の世代が私たちの世代だった。

▽こうした考え方は、敗戦直後の知識人の多くをとらえていた発想が歴史学の分野に投影したものであった。丸山真男の「日本知識人論」の用語で言えば「悔恨共同体の形成」であった。それは、軍国主義の支配を成就させ、戦争と侵略の道を許したことに、戦後、「悔恨と自己批判」の思いを抱いていた知識人共通の心情を表現したものであった。いうまでもなく、この「悔恨共同体」の最前線には丸山とその学派も立っていた。ともあれ、このような意味での「悔恨」という心情と感性に満ちた「近代史」が、戦後の私を包んでいた知的雰囲気であった。(P4)

 60年代、70年代、アプリオリにそういう立場に立って、説を展開する論者の本をよく読んだものだった。多くは岩波新書だった。望田氏は「感性」と「心情」という言葉で表現しているが、今になって読み返せば、論理的な言説と言うよりも、感情を文章にしたものだった。言われているように丸山真男は学者ではなく、ジャーナリストだった、ということなのかもしれない。

▽もうひとつの学問潮流は、論壇やマスコミなどで「新京都学派」と呼称されていたものである。この「学派」の歴史学グループは、京都大学人文科学研究所の河野健二、上山春平、飯沼二郎らを中心とした流れである。このグループの考え方は、論点は多岐にわたるが、せんじつめていえば、講座派や「大塚史学」の「明治維新=絶対主義」説に反対し、「明治維新=ブルジョア革命」説の立場であったといえよう。(P7)

 飯沼二郎氏の軍隊研究は岩波現代文庫だかで読んで、その緻密さに驚いた記憶がある。河野健二氏はフランス革命だったかを岩波新書で書いていたと思った。上山春平氏もそういう流派だったのか。日本研究者、日本文化研究者だと思っていた。学問の世界は難しい。でも、この新京都学派って魅力的だと思う。

▽西ドイツでは、日本と違って敗戦によって歴史学界の「代表選手」に交代は見られず、戦前・戦中の主流=正統史学が戦後もその位置を維持し続けていた。日本では「戦後の近代史」=「悔恨の近代史」が「ゆらぎ」ないし退潮し始めた頃、西ドイツの新たな潮流=「ドイツ社会史」が登場してきた。(P8)

戦後の「悔恨の近代史」は、日本において戦争と侵略の軍部独裁を許したことに対する反省と自己批判の表現であったが、それはコインの表裏の関係で、近代化のモデルとして英仏など西欧への「希望」と「憧れ」に結びついていた。したがって「悔恨の共同体」のゆらぎとそれからの離反の流れは、60年代から胚胎したが、そこでは近代西欧に対する価値評価の相対的低下を、多かれ少なかれ伴っていた。そして、かつての植民地領有諸国に対する批判と追及のまなざしも込められている場合もあったし、さらには現代が「近代の爛熟」の果てに「近代の負の側面」を露呈してきたとも考えられた。(P10)

 ところが望田氏はこの「希望としての西欧」は簡単には放棄できないのではないか、と考えた、という。何か、ここは難しい。よく考えると、ここは望田氏の「9条の会」的な「論理ではない」感情の問題なのかもしれない、とも思う。論理でない、ということはこの問題で説得できない、しにくい、ということを表している。まあ、この問題は今はスルーしておこう。問題はドイツと日本の近現代史なのだから。

 コラム[講座派・労農派論争(日本資本主義論争)](P21)も面白かった。ここで、寺出道雄氏の「知の前衛たち」が取り上げられていた。このブログで以前、書評を書いた本である。マルクス主義者たちの話である。マルクス主義者たちを門前払いのように否定し去るのはよくないと思っている。あくまで、イデオロギーで批判するのではなく、その人の行動について批判したい、と思っている。

戦後日本で第一次世界大戦後のドイツ・ワイマール共和国に関して強い知的関心が寄せられたのも、戦後日本における民主主義への危機感が背後にあった。ドイツ史上、初めて訪れた議会制民主主義がわずか14年間でナチスによって打倒されたという「悲劇」は、日本において最初の議会制民主主義の未来に思いを馳せたとき、他国の出来事とは思われなかったからである。(P29)

 この「日本において最初の議会制民主主義」という認識が正しいかどうか、である。これは戦前の議会はあくまで明治天皇制への協賛機関に過ぎないという見方からくる表現だろうが、議会だけが法律を制定できたのは昔の議会も今の議会も同じだ。ただ、昔は法律と同じような効力を持つ勅令で政治ができたから、議会が今に比べて軽かった、ということは言える。しかし、一応は新聞も出ていたし、表現の自由はあったから、勅令政治を貫徹しようとすれば、名望家たちの反乱が起きる可能性もあった。無理はできなかったはずだ。だから、戦前も議会制民主主義は機能していたのだ。そういう見方が今の歴史学界の主流だと思うのだが。

フリードリッヒ・マイネッケは、ビスマルクの中に政治と軍事と倫理との均衡を見て、それが崩れていく中にナチス・ヒトラーに至る「ドイツの悲劇」を見出している。いわば彼は、ヒトラー・ナチスとは明確に一線を画する保守良識派ともいうべきスタンスを取っていた。…マイネッケにとっては「古き良きドイツ」の精神的伝統があり、それがヒトラー主義によって破壊されたが、未来への展望としてはその精神的伝統を再生させるという考えなのである。…三島憲一「戦後ドイツ」が明らかにしているように、古き良きドイツへの思い入れによって、ナチス・ドイツという忌まわしい過去を忘却させようとするものであった。「ヒトラーのドイツ」という悪評を「ゲーテのドイツ」というイメージでぬぐい清めようとしたのだ。(P36~P38)

戦後ドイツ―その知的歴史 (岩波新書) 戦後ドイツ―その知的歴史 (岩波新書)

著者:三島 憲一
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戦争責任・戦後責任―日本とドイツはどう違うか (朝日選書) 戦争責任・戦後責任―日本とドイツはどう違うか (朝日選書)

著者:粟屋 憲太郎,三島 憲一,望田 幸男,田中 宏,広渡 清吾,山口 定
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 マイネッケは偉大だった。

▽ナチス・ヒトラーには必ずしも同調したわけではなかった歴史学界主流が存在し、それが戦後も健在であったことは、日本との違いを鮮明にするが、同時に戦後日本の「悔恨の共同体」に匹敵するものは不在であったといえよう。そうだとすると戦後、時を追って明らかになった「戦慄すべきホロコースト」という巨大な暗黒の真実を前にした時、ドイツ正統史学の歴史的思考では、思想的にも社会的にも対応できず、いつの日かドイツにも「悔恨の共同体」の登場は不可避であったといわざるをえない。(P38)

 マイネッケたちの理論をもう少し柔軟にする道はなかったのだろうか?

▽戦後日本との相違として忘れてはならないのは、ワイマール共和国の存在である。わずか14年間でナチス国家に取って代わられたとはいえ、当時の世界資本主義諸国の中で抜きん出て高度な議会制民主主義が開花したことは、西ドイツにおける再建にあたって、まったく新たな体制作りというよりも、「ワイマールへの復帰」という見地も生み出したのである。…(ドイツの教育制度が戦前のままだったことを説明し)この点、日本における教育体制が戦前・戦中と戦後との非連続ないし切断の論理で貫かれたのと照応している。…西ドイツの歴史的思考においては、戦前は全面否定の対象ではなく、ナチス以前の時代の中に、戦後にも再生させるべき「古き良きドイツ」が存在したのである。(P41)

 これは大きいだろう。日本は戦前の価値観を全否定してしまった。

 だから、その後、安倍晋三氏のような論者が出てくる。日本の「全否定」に内在的論理が乏しく、GHQの指令で現実政治面の改革と歴史理論の変更がどんどん進められた。

 いけいけどんどんだったから、戦後改革はGHQに背中を押されて、すんなり進んだ。しかし、新しい革袋を埋める酒(精神)が用意できなかった。

 日本人の心は終戦直後も経済復興時も、基本的には戦前と同じだった。なぜか。いろいろな見方があるだろうが、基本的には国民性が大きいと思う。それだけでなく、共産中国の成立と朝鮮戦争を契機に進んだ政治面の「逆コース」で戦前の価値観を何が何でも否定するという風潮がピタリとやんだのが大きかっただろう。では「逆コース」以降、「戦後思想」が死んだか、と言えばそうではなかった。「新しい酒が新しい革袋に注ぎ込まれないままに終わってしまった」という進歩主義者からの批判はないものねだりだったが、ある意味では正しい部分はあったと思う。いい加減で転向してしまったので、その変化が一般国民に周知徹底しなかった。いつも知らないうちに変わっているのが日本の変化の形だ。みんなが分かる形で変化したのは明治維新と敗戦くらいだろう。

▽ドイツ人現代史研究者S・コンラートは…西ドイツ初期の場合よりも、戦後日本における戦前・戦中の分析は、はるかに批判的なものであった、と言う。…丸山真男の強迫観念的とも思える関心は、もっぱら日本社会の異常な側面に向けられたのであった。これに対して西ドイツでは文化的遺産はたいてい価値豊かな伝統の貯蔵庫とみなされ、その伝統はファシズムの克服を可能にするものであった。…西ドイツでは60年代、70年代初頭に「社会史派」が登場してくるまで、ナチズムの長期的・構造的原因の探求は少数派的立場にとどまっていた。これに対し日本では戦争とファシズムに至った100年間にわたる誤れる発展という発想は支配的な見解であり、大多数の歴史家たちは、日本近代化の構造的欠陥とその不幸な帰結を確信していた、とコンラートは書いている。(P43)

 コンラートの言う通りだろう。丸山真男は一種の強迫観念症のフェティシストだろう。その本質は「軍人は嫌いだ」だろう。学問は虚飾を取り除いていくと「好き」「嫌い」に還元できるのかもしれない。

▽講座派的近代史が「揺らぎ」を見せるのは、1955・56年に相次いで日本共産党第6回全国協議会(6全協)における方針転換で、それまでの極左冒険主義に対する自己批判が行われたこと、フルシチョフによるスターリン批判、ハンガリーにおける反ソ暴動に対するソ連の軍事介入、こうした内外の社会主義の現実における「負」の激動が背景にあったのは間違いない。しかし、それにもまして「ゆらぎ」の内在的な決定的な要因は、日本経済における農村の変貌と資本主義経済の復興、高度成長に対する理論的対応力を欠いていたことであった。(P50)

 講座派的考え方では三位一体論(寄生地主制、専制的天皇制、独占資本)の2本の支柱が基本的に崩れると独占資本(資本主義)それ自体も崩壊に瀕してこなければならないのに、資本主義は強化の道を歩んでいる、おかしい、ということで、内外の出来事以上に、このテーゼが現実適応できなくなったことから「戦後の近代史」=「悔恨の近代史」の学問的再検討を促した、という。そこで農村の変貌と資本主義の発展という現実にアクセントをおいた発想や歴史意識が出てきて、1956年の松下圭一氏の「大衆国家の成立とその問題性」などで大衆社会論が出て、論争となり、1958年には上山春平氏の明治維新ブルジョア革命論が出る。1960年には吉岡昭彦氏の産業革命論が出る。1961年にはライシャワー氏の近代化論が広まる、と年代を追って解説していた。

 そして、美濃部達吉の天皇機関説の説明。これはゲオルグ・イェリネックの国家法人説を日本に適応したものだ、と。

 面白かったのは、

<政治過程>→<政治構造>→<政治体制>という論。

 <政治構造>は名望家民主主義的政治構造(近代)大衆民主主義的政治構造(現代)に分かれる、という。この名望家の時代には金と地位のある人による政治だったから、政治にブレは少なかったが、大衆民主主義時代に入ると、ブレが多くなる。望田氏は<議会内紛争>から<議会の内外における相克>へと一変した、という。

 望田氏の「歴史の到達点をどこに置くか」という問いも面白かった。3ケースをあげていた。

昭和期の軍部独裁の確立と戦時体制を「歴史の到達点」におけば、明治維新以来、専制天皇制の確立から大正デモクラシーを一時期の間奏曲にして一路、軍部支配と戦争への道を失踪したという歴史像が点滅する。

敗戦時を「到達点」におけば「どうして軍部支配と戦争への道を阻止し得なかったのか」という「悔恨の心情」に裏打ちされつつも①と同じ歴史像ができる。

戦後民主主義の確立と資本主義経済の高度化を「到達点」におけば、大正デモクラシーに「顕在化」した「歴史の可能性」が軍部支配と戦争の中に閉ざされていたが、敗戦と共に新たな発展を見て、今日に至った、という歴史像が構想可能だ、というのである。

 私は③の変形型も構想可能ではないか、と思うのだ。大正デモクラシーは本当に明るかった。戦前はセピア色の時代ではなかった。日本人が力いっぱい生きた時代だった、と思う。ただ、経済政策の失敗と外交の失敗で二進も三進もいかなくなり、議会政治が自分で匙を投げたのではないか、と思うのだ。

 軍部という造語で陸海軍の権力奪取を描くが、軍部がなぜ民衆の支持を得たか、と言えば、新聞だけでなくラジオが普及し、「パンとサーカス」政治が始まっており、民衆は貧しい農民の味方(と錯覚してしまうだけの根拠を持っていた)軍幹部に議会の代わりをさせようと考えた。新聞記者はその時代、今と比べ物にならない文化人、インテリで金持だったが、その影響力を持っている新聞記者も議会を馬鹿にして軍に肩入れしていた。敗戦後、軍は解体され、新聞記者らは「軍が悪かった」と今はすでにない組織にすべての責任をなすりつけた。

 東条英機のような木端役人のような軍人だけではなかった。もっと責任感もあり、一身に恥を引き受けることのできる軍人もいたのに、木端役人が最高指導者となり、日本を破滅させた。

 軍人の権力は軍人が望んで取ったというよりは、世間の空気が軍人に冠を戴冠したと見たほうが現実的ではないか、とも思う。

 これを「一億総懺悔」に結びつけてほしくはないが。

 望田氏がE・H・カーの「歴史は過去と現在の対話」という言葉を引きながら、「到達した現在の様相によって過去の相貌も異なって映ってくる」と言っているのは面白い。

歴史とは何か (岩波新書) 歴史とは何か (岩波新書)

著者:E.H. カー
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 歴史は変化するのだ。2009年で考える歴史と1994年に考えた歴史では違っている。これは当たり前で、全然変わらないのはイデオロギーであり、学問ではない、と思う。

 ドイツの歴史学界は1961年にハンブルク大学のフリッツ・フィッシャーが「世界強国への道」を書いて、大論争になって様相を変える。フィッシャーは第一次世界大戦を通じて侵略主義的併合主義という戦争目的を一貫して追求したと書いたので、それまでのビスマルク偉人説の正統派歴史学者が大反発した、という。この時代の侵略性がヒトラーの侵略につながったのだ、と。

 正統史学はこれまでドイツに一方的な戦争責任はない、というところをレゾンデートルにしていたが、それが崩れた。

 つまり、非連続論という主流が連続論の挑戦を受けた

 正統史学のパラダイムは「外政の優位だった。国家間の対峙という国際的な場において指導的政治家の営みに焦点をおき、しかもその営みの底流を流れる政治的精神史を重視する。

 これに対し「ドイツ社会史」は「内政の優位国内の政治的社会的諸勢力の対抗、葛藤のダイナミズムから国際外交を説明し、しかも政治の基底を流れる社会・経済的メカニズムの解明を重視する、という。(P91)。

 そこで望田氏は政治的社会的後進性の連続性の中でのナチス台頭というドイツ社会史悔恨の共同体の日本の戦後近代史の相似を取り上げている。そういえば、似ている。

 ところが、このドイツ社会史が日本に紹介されたのは60年代の経済成長期を体験するなかで「戦後の近代史」=「悔恨の近代史」の再検討やそれからの離反が進行する時期に当たっていた。西ドイツは日本の「悔恨の近代史」を20余年遅れて追いついてきたのだが、この受容時期が問題となった、という。

 ドイツ社会史の中で特筆すべきなのが「ドイツ特有の道」論争だ。近代ドイツは工業化したにもかかわらず、政治・社会の民主化が遅れた、という議論だ。望田氏が書いているように、これは講座派・労農派の明治維新はブルジョア革命かどうかという論争、戦後の近代史における明治維新絶対主義説と新京都学派の明治維新ブルジョア革命説の対立とまさしくパラレルの議論が相当に遅れて出てきたのだ。

 望田氏は「ドイツ特有の道」論争はドイツ近代とイギリス近代をどう比較するかの方法論をめぐる論争に他ならない、と喝破する。比較の一方を「正常」として、他方を「異常」とする方法が適切かどうか、である。多元主義が適切だろうと思うのだが。

 苦しくなったドイツの学者の中からはナチスとスターリン独裁などを比較して「ナチスだけではない」と主張する学者も現れたが、ユルゲン・ハーバーマスはこれを「歴史の修正論者」として厳しく批判した。そこで、「ドイツ社会史」における「特有の道」論は主張に道義性を帯びざるをえなくなり、日本における「戦後の近代化」=「悔恨の近代史」の「悔恨」よりも重い意味を持つ「贖罪」に至る、という。

 しかし、こんな息の詰まるようなことばかりしていたら人間は鬱病になって死んでしまう。H・A・ヴィングラーは2000年、「西方への長い道」(邦訳は「自由と統一への長い道」で2008年刊)で「特有の道」論の相対化を図る。90年の統一ドイツの実現という「現実」がこのジャンプを可能にした、と、つづめていえば、そういうことが118までに書いてある。

自由と統一への長い道〈1〉ドイツ近現代史 1789‐1933年 自由と統一への長い道〈1〉ドイツ近現代史 1789‐1933年

著者:ハインリヒ・アウグスト ヴィンクラー
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自由と統一への長い道〈2〉ドイツ近現代史1933‐1990年 自由と統一への長い道〈2〉ドイツ近現代史1933‐1990年

著者:ハインリヒ・アウグスト ヴィンクラー
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 ユンカー中心のドイツ史から資格社会へ、とか、少し難しいのでパスする。

 結論部分で望田氏は比較歴史学の大切さを何度も訴える。「単数の対象だけでは見えてこないものを浮かび上がらせることが期待される」「ある単数の対象に関する『通念』を、他者と比較することによって再検討ないし相対化することをもたらす」ということだ。ただ、変な比較をするといけない、とも注意している。

 以上で粗筋を書いたが、何か大事なことを書き忘れている感じがする。

 この本を読んで感銘を受けたのだが、その感銘の部分がすっぽり抜け落ちてしまった感じがするのだ。

 つまり、それは望田氏は書かなかったことで、私が本からインスパイアされた部分だと思う。それは何か。たくさんあった気がするのだが、すぐには思い浮かばない。

 グーグルで著者の検索をしてみて、著者が北朝鮮をいじめるな、と主張している方だと知った。この本の主張から、どうしてそんな突飛な主張に結びつくのか、私には理解できないが、もしかすると、この辺がモヤモヤの原因だったのかもしれない。

 しかし、望田氏のこの歴史観を謙虚に読ませてもらった感想は、そんな北朝鮮問題や「9条の会」なおの問題とは別に、戦後日本の、というか、今の日本の可能性を十分に考えさせてくれる本だった。

 ドイツよりも先に反省し、村山談話も出したし、憲法9条も持っている。「これでまだ文句あるか」と言えるだけのことは十分したのだ。ドイツは東西ドイツの統一という機会にナチス問題をうやむやにしてしまった。ドイツがうやむやにできた最大の原因はフランスの協力だった。ビシー政権の苦い経験があり、パリ占領ではドイツ軍による強姦事件も頻発したにもかかわらず、独仏関係が修復できたのはなぜか? 逆に日韓関係はなぜこんなに仲が悪いのか?

 共産党に牛耳られていた時代の歴史観ではない、もっと自由な歴史観で虚心坦懐に考えてみる必要もあるのだろう。

 みなさまにも一読をお薦めしたい本だ。

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2009年1月26日 (月)

書評「アマテラスの誕生~古代王権の源流を探る」溝口睦子著(岩波新書)

 溝口睦子著「アマテラスの誕生~権の源流を探る」(岩波新書)は知的刺激を与えてくれるうえに読みやすい、いい本だった。

 2009年1月20日第1刷発行、定価740円+税=777円。

Book アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る (岩波新書 新赤版 (1171))

著者:溝口 睦子
販売元:岩波書店
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 溝口睦子氏は1931年長崎県生まれ。1958年東大文学部国文学科卒業。1976年学習院大学大学院人文科学研究科博士課程修了。2000年3月まで十文字学園女子大学教授。専攻は日本古代史、古代文学。著書に「日本古代氏族系譜の成立」(学校法人学習院、1982年)、「古代氏族の系譜」(吉川弘文館、1987年)、「王権神話の二元構造―タカムスヒとアマテラス―」(吉川弘文館、2000年)ほか、とあった。

 帯の文を書いておこう。

 <知られざる〈国家神〉の交代劇をめぐって 古代天皇制思想の核心に迫る>

 <日本の国家神(皇祖神)は、アマテラス(天照大神)であると、長い間信じられてきた。あらゆる学問分野の優れた研究者たちが、みなこぞってアマテラスを軸に、日本古代の思想や宗教に関する議論を組み立ててきている。…ところが実際に『古事記』『日本書記』などの古典を見てみると、実は、国家神は必ずしもアマテラスだけではないのである。(序章より)>

 である。そして、扉裏の内容紹介には、

 <戦前の日本で、有史以来の「国家神」「皇祖神」として奉じられた女神「アマテラス」。しかしヤマト王権の時代に国家神とされたのは、実は今やほとんど知る人のない太陽神「タカミムスヒ」だった。この交代劇はなぜ起こったのか、また、古代天皇制に意味するものは何か。広く北方ユーラシアとの関係を視野に、古代史の謎に迫る。>

 目次は次の通り。

序章

第一章 天孫降臨神話はいつ、どこから来たか

第二章 タカミムスヒの登場

第三章 アマテラスの生まれた世界――弥生に遡る土着の文化

第四章 ヤマト王権時代のアマテラス

第五章 国家神アマテラスの誕生――一元化される神話

終章

 である。面白いのは帯にある「組み立ててきている」の次にくる…で省略されている文章である。岩波新書だからきっと帯には使いたくなかったのだろう、と忖度するのだが、

 <たとえば丸山真男の「丸山真男講義録四」は、第二章で「古代王制のイデオロギー的形成」と題して、日本の古代王制の性格をさまざまな側面から詳細に論じているが、この講義の場合も「古事記」「日本書紀」に描かれたアマテラスが、もっぱら考察の中心である。>

 が省かれているのだ。そして、

 <ところが実際に「記紀」などの古典を見てみると、実は、国家神は必ずしもアマテラスだけではないのである。「記紀」の国家神にかかわる条文を二、三あげてみよう。>

 と続いているのだ。丸山真男という戦後の政治学界のカリスマが「古事記」「日本書紀」を読み込んでいなかった、と言っているようなものなので、帯にはしづらかったのだろう。

 と、丸山真男批判はそれくらいにして、内容を見てみよう。

 第一章で面白かったのは、天皇家(大王家)の先祖がどこから来たのか、を示す天孫降臨神話(と本来一体の神武東征神話)がどこから来たかを究明する前に当時の東アジアの情勢を説明していることだ。つまり、4世紀から5世紀前半にかけての東アジアが激しい動乱の中にあった、ということを詳しく教えてくれるのだ。

 中国は後漢のあと魏呉蜀の三国並立の時代を経て西晋王朝が立ったが、4世紀初頭に西晋が匈奴によって滅ぼされと、いわゆる「五胡十六国」の時代(304~439年)が幕を開ける。「五胡」とよばれる北方遊牧民が大量に中国大陸の北部地域(華北)に侵入して次々と国を建て、439年に鮮卑族が建てた北魏によって華北が統一されるまで約130年間もの長期にわたって興亡を繰り返した動乱の時代だ、と書いてある。

 この間、大量の遊牧民族の移動だけでなく遊牧民の支配下で強制移住をさせられたり、自ら難を避けて移住する漢人の移動も加わり、東アジアは民族の大移動期の様相を呈した、という。

 目の付けどころがいいなぁ、と思ったのは、

 <ほぼ同時期に、遊牧民フン族の侵入を機に始まったヨーロッパの民族大移動と、この東アジアの大移動は、深いところで関連している。>

 という説を紹介していることだ。ある意味、この時代は「新しい時代を生み出す揺籃期でもあった」というのも説得力のある説明だ。

 4、5世紀の東アジアというか朝鮮半島の付け根で大きく版図を広げていたのが高句麗だ。一方では高度な文字文化を持つ中国王朝と北西で接し、北東では匈奴以来の遊牧騎馬民族の国家とも接して深いつながりを持った。北方騎馬民族国家は文字をもたない国家だった。無文字社会がどこでもそうであるように、豊富な神話や伝承を持っていた。匈奴の国家形成にはスキタイの影響がある、といわれるように、ユーラシア大陸西方の黒海沿岸地域の文化や情報までつねに豊富に取り入れて独自の文化を形成していた民族だった、とある。

 高句麗は漢民族の文化と遊牧民の文化という二つの異質な文化と絶えず接触してそれらを融合させながら国家形成してきた。その高句麗から朝鮮半島南部の国々や倭はさまざまな形で大きく影響を受けた。この時期の高句麗はユーラシア大陸と朝鮮半島南部、日本列島を結ぶ文化の一大中継センターだった、と。わかりやすい説明だ。

 414年に建立された高句麗の好太王の碑の碑文は5世紀初頭ころの倭と高句麗との関係を語る第一級の史料だという。400年、404年に新羅で倭と高句麗が交わした激しい戦闘は史実だろう、という。

 4世紀前葉に高句麗は長く中国の植民地だった楽浪郡を滅ぼし(313年)、帯方郡もほぼ同時期、のちに百済となる伯済国を中心とした馬韓諸国の攻撃によって滅んで、朝鮮半島は初めて中国の支配から完全に解放された。「五胡十六国」の動乱で中国王朝が弱体化したためで、動乱の余波だ。

 ちょうどその頃から高句麗の王権は一段と強化され、半島南部では百済・新羅2国が台頭して国家形成を加速し始める。

 高句麗は4世紀前半、西晋に代わって遼東地域を支配下に置いた鮮卑族の国である前燕と四方で対峙。342年の戦いで手痛い敗北を喫し、前燕の朝貢国となる。その後、遼東の地域は439年に北魏によって華北が統一されるまで後燕・北燕そして高句麗へとめまぐるしく転変する。

 こういう情勢の中、高句麗は4世紀後半に入ると百済・新羅への侵攻を活発化させはじめる。百済の支配層は高句麗と同じく夫余から出たと称していたが、なぜか高句麗は百済を最も嫌っていた、という。百済は倭国に軍事的支援を求め、見返りに倭国は先進文物の供与を受ける、という関係が始まった。七支刀の贈与がそれを物語り、刀には369年から始まる61文字が象嵌されている。7世紀に百済が滅亡するまで倭国と百済の同盟関係は続く。

 高句麗と倭国はお互いにお互いを主敵として意識していた。この中で5世紀初頭の戦闘があった。

 4世紀末から5世紀初頭にかけて倭国の政権内部で大きな変動が起きていた。まだ倭国には文字文化がなかったから、この時代を記した倭国の史料はないが、考古学やのちの文献資料でその変動は間違いない、というのが通説だそうだ。

 その変化は倭の独自性の強い文化から朝鮮半島の影響の強い文化への劇的な変化だ、という。それまで全く見られなかった馬具が副葬されるようになり、武器・武具も騎馬戦向きのものに大きく変化したのが一つの特徴だという。もっと目立つ変化は王墓とみられる巨大古墳の設営地がこの間に奈良盆地から大阪平野に移動したこと。応神陵・仁徳陵とされる5世紀最大級の巨大古墳はそれまで王墓級の前方後円墳が長く営まれてきた奈良盆地を離れ、初めて大阪平野につくられた。倭政権の盟主権の移動を示す、と見る見解もある、と書いている。応神王朝論、河内政権論と呼ばれるもので、直木孝次郎氏は応神天皇以前は伝説の世だ、現実の世は応神から始まる、という考えが7世紀の氏族の代表者に共有されていた、と書いており、溝口氏も同意見だと書いている。

 そこで、溝口氏の推理が始まる。つまり、5世紀の初頭に幕末の黒船来航、唐・新羅連合軍に惨敗した663年の白村江の戦いと同じようなショックがあったのではないか、という仮説である。つまり、高句麗との戦いの敗戦ショックが抜本的な体制変革を引き起こすきっかけとなった、というものだ。

 そこで日本(というか、まだ倭国だったが)は高句麗に代表される北方騎馬民族の神話を輸入した、というのである。この神話こそ天孫降臨神話だった。だから、天孫降臨神話には高句麗の神話との共通点が多い、という。そこで最高神、皇祖神がタカミムスヒである。

 ところが、日本書紀、古事記とも、タカミムスヒを最高神とする記述はあるものの、もっと多い記述はアマテラスを最高神とする記述である。これはどうしてなおか、アマテラスとタカミムスヒとの関係はどうなっているのか、という疑問を解くのがこの本の醍醐味である。

 アマテラス、スサノヲは土着の弥生の神で、地方神だったのが、大化の改新以来の新しい国造りの中で最高神の変更が行われ、存在感の薄いタカミムスヒが長い年月をかけて消えていき、アマテラスが国家神、皇祖神となった、というのである。その裏には天智天皇、天武天皇兄弟2代にわたる新国家建設があった、というのが粗筋である。

 この兄弟の新国家建設については遠山美都男氏の「天皇誕生~日本書紀が描いた王朝交代」(中公新書、2001年)や「白村江~古代東アジア大戦の謎」(講談社現代新書、1997年)で読んだことがあるが、溝口氏の「アマテラス」の魅力は、大化の改新、壬申の乱以前の語られていない日本について大胆な仮説を打ち出していることだ。遠山氏はその後、「日本書紀は何を隠してきたか」(洋泉社新書Y、2001年)など、少し「面白路線」に突っ込んでしまった観もあるのが残念だが。

 「アマテラスの誕生」に戻ると、P103の「記紀神話はどのように形成されたか」でムスヒ系建国神話の成立とイザナキ・イザナミ系の成立に分けて、イザナキ・イザナミ系はインド、東南アジアなどの影響が色濃い、という。

 だから、太陽神であるアマテラスを祭る伊勢神宮が太平洋に面した伊勢にあるのもわかるし、海洋的世界観が色濃く、多神教の世界だ、という。

 海上遥かな「常世の国」信仰は、海洋民族ならではの信仰だし、今でも沖縄に残る「おもろ」の伝説も、この昔の神話を生々しく伝えるものだと思う。

 溝口氏は一般的な普遍神「天」の概念は遊牧民から移入するまで倭にはなかった、神様はみな同列で序列はなかった、という。七福神が宝船に乗ったり、天の岩戸伝説で神様たちが踊りまくってアマテラスが顔を出す光景とか、結構このイメージはふくらませることができる。

 そして5世紀初頭の国家形成の時に北方騎馬民族から政治制度や文物とともに神話まで取り入れ、その最高神として輸入したのがタカミムスヒだった。

 高句麗の最高神や新羅の最高神と同じになったのだが、地方豪族にはそのタカミムスヒ信仰は広がらず、天皇家とその側近の家系だけで拝んでいたようだ。国家に求心力を持たせる必要が出てきた時、結局、地方豪族に広く知られていた地方神であり太陽神であるアマテラスを最高神としてもってきて、タカミムスヒの代替として使った、というのだ。高天原神話が支離滅裂なのはこの接続のためだ、という。

 そして、アマテラスよりもスサノヲの存在感が大きいのはスサノヲが主人公だったからだ、と。そして、その子孫のオオクニヌシが本当の日本の最高神だったはずだ、と書いている。そうした神話が天皇家(大王家)支配のため(?)に変えられてしまう。

 この神話の簒奪というか、書き換えは文字のない時代のことだっただけに、証明が難しいのだろうが、この著述は何かしっくりとくる。コトンと胸に落ちる。

 面白いのは私が若い頃に習った「縄文時代」「弥生時代」の概念がいま、全く変わってしまったことだ。溝口氏によるとアマテラス、スサノヲ、オオクニヌシの神話は弥生時代の神話だ、という。そして弥生の日本人が原日本人だという。縄文はどうなったんだ、と思ってしまう。

 そこで、講談社学術文庫に入ったばかりの「日本の歴史」シリーズの「縄文時代」を読んでみたら、やはりその通りだった。つまり、縄文人をやっつけて朝鮮半島から来た弥生人がのしてくる、という私たちが子供のころ教わった歴史はどうも嘘臭くて、縄文人=弥生人だ、という説が今では通説になっている、と書いてあった。縄文と弥生の交代に人種的な切れ目がない、となると、昔言っていたのはこの4世紀末から5世紀にかけての大変革と縄文→弥生を混同しているのかもしれない。

 ただ、最終章近くに書いてあった内容で分からない部分があった。この大変化に際して朝鮮からの制度、神話などが入ってくるのだが、人はどの程度入ったのか、ということだ。

 もっといえば応神天皇、仁徳天皇前後の「倭の五王」の時代、天皇家が朝鮮半島からやってきた、つまり、高句麗との戦争で負けた倭が日本を占領されてしまい、高句麗の盟主本人なのか、盟主の子供らの中の一人が「天皇」として日本を支配しにきた、ということはなかったのだろうか、という疑問が浮かんできた。何らかの人的移動、交流がなければ、これだけ大量の神話、文化、技術が流入したことは考えにくいのではないか、と思うのだ。

 読みながら、自分で頭の中の年代がグチャグチャになってしまったことに気づいたので、今書いていることの中にも勘違いがあるかもしれないが、古代史はスリリングである。

 溝口氏が何度か触れているように、歴史の解釈は時代、時代に新たに行われる。

 今の行き詰まりの時代、日本の伝統の元の元まで遡って、自分たちのアイデンティティを求めるとき、明治維新のような変革が大化の改新と明治維新の2度だけではなく、国家形成の際にも大きな変革があった、神話すら創造していた、という仮説は面白い。

 大胆な仮説だけに、今の政治状況を想像しながら読むとものすごく面白く、元気が出てくる。日本人も捨てたもんじゃない、と思う。

 面白かった。あっという間に読み終えた。

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2009年1月20日 (火)

書評「早わかりサブプライム不況」中空麻奈著(朝日新書)

「早わかりサブプライム不況 『100年に一度』の金融危機の構造と実相」(中空麻奈著、朝日新書、2009年1月30日第1刷、定価735円)はその重厚な題名に似合わず、読みやすく、役に立つ本だった。

早わかりサブプライム不況 「100年に一度」の金融危機の構造と実相 (朝日新書) 早わかりサブプライム不況 「100年に一度」の金融危機の構造と実相 (朝日新書)

著者:中空 麻奈
販売元:朝日新聞出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 裏表紙の写真で見る限り、中空麻奈(なかぞら・まな)さんは髪の長い美人である。

 著者紹介には「BNPパリバ証券クレジット調査部長。1991年慶應義塾大学経済学部卒業。野村総合研究所に入社し米国経済担当のエコノミストに。97年野村アセットマネジメントに転籍して経済調査部で主に金融セクター、地方債、財投機関債などを担当するクレジットアナリスト。その後、モルガン・スタンレー証券で事業法人一般を担当。04年8月からJPモルガン証券に移り、クレジット調査部長として金融・事業法人全般をカバー。2008年10月から現職。金融・事業法人全般をカバーしている」とあった。女性だからか、年齢は書いていなかったが、38~40歳くらいだろう。いわゆる「できる女」の典型のような女性だと思うのだが、「はじめに」を読むと、「日々の私の生活を支えてくれている両親、愛する息子たち、そして夫、美和卓にも日ごろは言えない感謝の意を表したいと思います」とあり、男の子が2人以上いて、両親と同居している案外日本的な女性なのだ、と分かる。美和卓(みわ・たかし)氏は野村総合研究所の上級研究員だったと思うのだが、今は何をやっているのか知らない。野村総研時代に社内結婚したのだろう、と思う。

 あるホームページには、

 <93年から2年間郵政省郵政研究所出向。「わが国電気通信サービスの需要予測」(93年10月)、「わが国における電気通信インフラストラクチャア建設の計量経済分析」(94年7月)などの共同研究を郵政研究所より発表。02年総務省「IP化等に対応した電気通信分野の競争評価手法に関する研究会」委員。東洋経済や金融財政事情等にクレジット関連の論文を執筆。社団法人日本証券アナリスト協会検定会員。>

 とも書いてあった。まあ、関係ないことをズラズラ書いたが、美人だと気になるもので。

 さて、冗談はともかく、本の内容に入ろう。例によって表紙帯などの宣伝文句を写しておこう。

 <世界同時不況へ――日本を襲う津波の正体>

 <なぜリーマン・ブラザーズは破綻したのか。そもそもサブプライム問題とは何か。米国が震源地で「100年に一度」と言われる金融危機は、株大暴落を経て世界同時不況に発展しようとしている。危機が増殖していた時も、市場がパニックに陥った時も、常に日本マネーが狙われたのはなぜか。気鋭の証券アナリストが未曾有の危機の全貌をわかりやすく解説した決定版!>

 そして、<本書の内容>として、各章のタイトルが並んでいる。これも書いておこう。

第1章 世界一簡単に「サブプライム問題」を解説する

第2章 「金詰まり」のマグマが蓄積された

第3章 なぜリーマン・ブラザーズは破綻したのか

第4章 世界同時不況で起こること

第5章 世界は米国のために動いている?

第6章 日本はどこへ行く

 である。

 正直言ってサブプライムローン問題については少しは勉強してきたつもりだったし、入門書を今更読み直しても仕方ないか、と思いながら読み始めたのだが、外資系証券で「クレジットアナリスト」として「信用」の変化によって金融商品の価格が変わっていくことを観察し分析するのが生業というだけあって、経済学者の書いた解説書と違って生々しい話が多いうえに、これまで分からなかった内幕についてある程度確度の高い「噂話」を書いているのが非常に面白かった。

 また、日本への影響も歯に衣着せずに鋭角的に書いているので非常にビビッドに理解できた気がする。

 つまり、

 <サブプライム問題は「信用」がキーワードになった点でまさにクレジット市場発の世界不況といえます。>

 という、彼女の専門領域だっただけに、筆も生き生きしているのだろう。

 内容を書き留めておこう。▽印のないものは用語の解説など。▽をつけたのは内容の中で印象に残った部分をメモしたものだ。

 第1章では▽「証券化」とは何か▽証券化商品はなぜ腐ったのか▽銀行が巨額の損失を出した真相――の小見出しでサブプライム問題のお勉強。

 住宅ローンに関連してGSE(政府支援機関)という言葉が出てくる。

 また、「多くのローンを寄せ集めると、いわゆる『大数の法則』があてはまり、リスクが分散できる」として、この「大数の法則」を使ったのが保険事業だ、と教えてくれる。

 さらに、証券化商品といわれるためには「優先劣後構造」がないとだめ、という。これは一つの商品の中に「質」の違うものが混ざっていて、償還に際して優位なものと、それより劣後するものがあるという「建て付け」のことだそうだ。

 証券化商品の優良部分が「シニア債」、良部分が「メザニン債」、可部分が「エクイティ」と呼ばれていること。通常、金融界では価格は「スプレッド」という形式で表わし、これは銀行間取引の標準金利である「LIBOR」(ロンドン銀行間取引金利)にどれだけ上乗せ金利を支払わなければならないか、という観点で商品を評価するものだ、という。

 また「格付け」は債券の発行体などの3~5年後の支払い能力を予測して民間の格付機関が債券どとに付与するもの。

 一般的には信用力に基づいてトリプルA(AAA)からシングルC(C)まで19段階程度に分類され、トリプルB(BBB)以上ならば「投資適格」で、それに満たないダブルB(BB)以下は「ハイイールド」(クズのような債券という意味で「ジャンク債」とも呼ぶ)。

 証券化商品の2階建て、3階建て構造の説明も難しいが、分かった。

 米国の住宅ローンは「ノンリコース」が基本。

 これは住宅ローンが払えなくなると家を差し出すだけでいい、それ以上の負担を債務者が負うことはない、という制度。

 CDOは企業向けのローンや社債を組成した証券化商品。

 サブプライムローンの価格下がり始めて投資家が「やばい」と一斉に売りに走り、それがトレンドとなって、さらに値が下がったのは一種の「合成の誤謬」だ、と。

 これは一人ひとりの行動は理論的に正しくても、それが合成されたマクロの世界では意図しない結果が生じることを指す経済用語だそうだ。老後のために貯蓄を増やそうとして生活費を減らす家庭があれば、それ自体はその家庭にとって正しい選択だが、一部の家庭にとどまっていれば問題はないが、大半の家庭で同じことをすると国全体として消費が減って景気が悪くなる、というような現象を指すのだ、という。

▽サブプライムのロスだけに限れば、2007年の第4四半期がピークだった。

▽保有している資産が目減りした時、金融機関が行う会計処理の手法には主に2種類ある。例えば100の資産が50に目減りした時、「時価会計」に則って証券化商品の時価を50として再評価し、残りの50を損失として処理するやり方。もう一つは値下がりした資産を売却してしまうやり方。時価が50で足元を見られて40で売れば60の損失処理をする。前者が「評価損」で後者が「実現損」。

 評価損はその後にもっと目減りする恐れがあるが、実現損はその後いくらマーケットが混乱しても2度とその影響を受けなくて済む。

 普通ならば「実現損」を選ぶのではないか、と思うが、実はそうではなかった。実際に金融機関が選んだ損失処理スキームは「評価損」がメーンだった。「強制評価減」という既定があるが、これがあくまで資産の価格が半分になった場合で、なかなか一挙に半分にはならないので、これを使う必要がないケースが多いこと、価格下落が一時的で、その後上がるという期待があるので、資産を持ったまま値上がりを待つ、という雰囲気が強くなることから、こうした選択になる、という。

▽問題が起こった当初こそ価格は徐々に下がったが、途中からは「つるべ落とし」となり、最後は「価格のない世界」に突入した。そんな商品の買い手は現れない。

▽売ろうとするといかに買い叩かれるか、の実例はメリルリンチが公表した事例で分かる、という。

 メリルは証券化商品の一部をプライベート・エクイティ・ファンド(PEF:短期的なリターンを狙うヘッジファンドと違って、株式を買い取って長期間保有してリターンを狙う投資スタイルを取るファンド)に売却したが、簿価306億㌦相当のCDOを67億㌦で売却していた。その時点でメリルは時価を110億㌦と評価していたので、簿価の約2割、時価の61%、つまり半値に近い数字で買い叩かれた。そのうえ、メリルは買値の75%にあたる金額を相手のプライベート・エクイティ・ファンドに融資した。買い手が自分の懐から出したのは買値の25%にあたる16億7500万㌦に過ぎなかった、と書いている。

 ものすごい世界、ハゲタカ以上の食い合いが繰り広げられているのだ。

 第2章は▽「金余り」から信用収縮へ▽日本に見るリスクマネー撤退、三つのルート▽日本マネーに焦点が当てられた▽狙われる日本マネー PART1 急増したサムライ債――である。

 ここでも「クレジットクランチ(信用収=貸し渋り)」、「ユーフォリア(陶酔的熱狂)」、「過剰流動性」、「金利差(スプレッド)」、単位としてのbp(ベーシスポイントの略。ベーシスと読む。1bpは0.01%のこと)、安全なマーケットの状態を「なぎ」とよぶ、「質への逃避(flight to quality)」などの用語の解説が分かりやすい。

▽証券化商品が流行り始めた当初は比較的ノーマルな商品が多かった。投資家が群がると需要と供給の関係で証券化商品自体の価格が上がり、上がった分、投資家が期待するリターンが得られなくなる。そうなると、投資家のリターンを確保するために商品の質の変更が行われた。←なぜひどいことになったか、の一つの分かりやすい説明だ。

2007年8月9日のパリバ・ショックでサブプライムローンの商品化商品の危険性が一気に表面化した。その前から「やばそう」という空気があったために、誰もが何らの躊躇なくリスクを避けようと一斉に走り始めた。これが「質への逃避」。

▽信用収縮が起きると世の中にお金が出回らなくなる。「マネーは経済の血液」。流れが止まれば、あらゆる経済活動に支障が及ぶ。

銀行は自己資本の12.5倍までしか貸出できない。資産の目減りで自己資本が減ると、今貸している金を回収しないと12.5倍に収まらなくなるので、貸し剥がしが始まる。

▽日本国内の資金枯渇を招いたルートは①海外投資家の益出し②外資系金融機関の投資縮小③国内金融機関の投資見直し――の三つのルートがあった。①②で不動産価格が低迷したので、国内金融機関が不動産業界から資金を引き揚げた。消費者金融業界からも資金を引き揚げた。

▽マネーに色はないが、「出自」によってはっきりした特徴がある。アラブのオイルマネーは利にさとく、収益をあげることに躍起になり、すぐに引き揚げる。足が速い。日本マネーの特徴は利回りよりも安定性を重視すること。短期的リターンより中長期的に一定のリターンを求めることを好む腰の重いマネー。

▽ヨーロッパの銀行は日本マネーを調達しようと日本で円建て債券を発行。日本より利率が高いのでお金を集めることができた。これがサムライ債。大口だけでなく個人資産家の金も狙われて、円貨社債も発行されている。日本の個人マネーは「宝の山」なのだ。しかし、個人は「情報の非対称性」があるので、危ない橋を渡るべきではない。企業の安全性を社債の「品質」とすると、低い品質の社債を買ってしまう可能性は個人投資家の方がずっと高いから。

 第3章は▽米住宅金融公社救済、「空白の40日」の謎▽リーマンが破綻した本当の理由▽狙われる日本マネー PART2――である。ここは面白い。だけど、今の興味とは外れるのでスルーする。

 ただ、P130の一覧表は面白いと思う。証券業界への影響だ。日本では野村だけ残った。アメリカでもゴールドマン・サックスだけ残った。業界1位だけが残るという共通性を指摘しているのが興味深かった。

 第4章「世界同時不況で起こること」は▽CDSという「地雷原」▽米国の大底は2010年?▽日本を襲う地銀危機、底なし不況の入り口か――である。

 この中で注目は地銀、第二地銀の経営がやばい、という話だろう。

 全国で109行あって、08年9月中間決算で純利益が赤字になった銀行が33行あったという。地銀・第二地銀はサブプライム不況のもとになった証券化商品に手を出していたのだ。地銀の中にはGSE債を持っているところもあるそうだ。預証率が高すぎれば、自己資本を毀損する可能性が高まる。評価が下がると損失を計上せねばならず、その結果、自己資本が減って金融機関の体力が低下する。

 地銀・第二地銀の体力が低下してくると、再編問題が出てくる。経営体力が弱った銀行から再編に動き出すケースが出てくるだろう、と書く。そうなると、下位企業への金詰まりの伝播が09年に出てくる、という。列島総不況の始まりだ、と。

 第5章「世界は米国のために動いている?」は▽米国を支える三つのマネー▽ドルペッグ、”擬似ペッグ”、「52番目の州」……▽「信用マジック」がマネーを呼び込む――は面白い。そして、第6章「日本はどこへ行く」とあわせて、この外資系証券会社に勤めている女性が案外、日本という国を心から愛しているんじゃないか、と思った。そんな雰囲気が透けて見えた気がするのだが。

 「日本マネーが米国へ向かう理由」として①日本を代表する輸出産業の貿易決裁が圧倒的にドル建てで行われていること②太平洋戦争を戦った後の戦後60有余年に及ぶ日米両国の政治的関係――をあげ、「日本は米国の52番目の州」などと揶揄されていることまで書いている。この文章は学術的なくらい冷静だが、裏にはアメリカへの怒りがにじんでいる感じを受けた。

 また、米国は経常収支のうち貿易収支は赤字だが、所得収支が年々黒字を増やしているという魔法のタネはアメリカが基軸通貨国だから、と簡単明瞭に説明する。

 <ドル急落は避けられません。>

 と断言している。その時期が問題なのだが、そこまでは突っ込んでいない。しかし、そういう方向に進むことが確実となれば、日本政府の今後取るべき政策はおのずと明らかではないか。

 ということで、相当に勉強になった。

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2009年1月13日 (火)

書評「日本は悪くない 悪いのはアメリカだ」下村治著(文春文庫)

 下村治さんの「日本は悪くない 悪いのはアメリカだ」が文春文庫化された。2009年1月10日第1刷、定価552円+税。この本は昭和62年(1987年)4月、ネスコから単行本として刊行された。下村氏は平成元年(1989年)に亡くなっている。

日本は悪くない―悪いのはアメリカだ (文春文庫) 日本は悪くない―悪いのはアメリカだ (文春文庫)

著者:下村 治
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 今回の出版では文庫版序文を神谷秀樹氏が書き、解説を水木楊氏が書く、という重厚な化粧ぶりである。神谷氏は1953年東京生まれ。75年早大政経卒後住友銀行に入行。84年ゴールドマン・サックスに転職し以後ニューヨーク在住。92年にロバーツ・ミタニ・LLCを創業。著書に「強欲資本主義 ウォール街の自爆」(文春新書)、「ニューヨーク流たった5人の『大きな会社』」(亜紀書房)、「さらば強欲資本主義」(同)がある、と書いてあったがこの序文で、

 <下村が言っている経済の基本は「健全性」である。人も、国も、借金と浪費に依存し、砂上の楼閣を築くような経済運営をせず、身の丈にあった健全な生活をしなさい、と説く。数字を追いかける経済運営を戒め、縮小均衡すること、ゼロ成長時代に適応できる経済運営を考えなさいと説く。人口が減少し始め、資源に限りがあり、環境問題に配慮せずにいられない現代日本において、これは当たり前のことである。下村は「日本人が日本人であること」を止める必要など全くないと主張する。勤労に励み、物造りに精を出し、働いて得たお金を貯蓄に回す健全な価値観を尊重する。この価値観こそ日本人が今取り戻すべき最も重要なものであり、また欲を言えば筆者は日本人にこの価値観を世界に伝えて頂きたいとさえ希望する。>

 と書いている。これはほぼ、下村氏の本著の言いたいことだろう。

 また、「解説――恐るべき予言の書」で水木氏は、

 <およそ20年前に出版された本なのに、その先見性には驚愕すべきものがあるのだ。のみならず、これから起きることを予見している部分もある。>

 として、下村氏が昭和20年代から30年代、悲観的な経済見通しを展開する都留重人氏との論争の中で「日本経済についてありとあらゆる弱点を言いつのり、いまにも破局が訪れるような予言をする人々を見ていると、アンデルセンの醜いアヒルの子を思い出す。その人々は日本経済をアヒルか、アヒルの子と思っているのではないか。実際の日本経済は美しい白鳥となる特徴をいくつも備えているにもかかわらず」と批判した、という。

 水木氏は下村氏に事あるごとに話を聞いたというが、今の事態を下村氏ならばどう見るだろうか、と問う。そして、

 <では、日本はどうやって生きていけばいいのかかつて下村さんはぽつりとつぶやいたことがある。これからの日本は江戸時代のような姿になるのがいい。文化とか芸術とか教養に力を入れる時代になるべきだ」。それしか言わなかったのだから、下村さんがどのような具体的なイメージを描いていたかは分からない。だが、いたずらに拡大主義に走るのではなく、他国に過度に依存するわけでもなく、成熟した文化の上に立った、落ち着いた、大人の国を造ってほしいという願いであったろう。>

 と書いていた。

 下村氏の略歴は、

 <明治43年(1910年)佐賀県生まれだ。東京帝国大学経済学部を卒業後、大蔵省に入省。経済安定本部課長、日銀政策委員などを歴任。34年の退官後は日本開発銀行理事、日本経済研究所会長などを務める。国民所得倍増計画を唱えた池田勇人内閣では経済ブレーンとして高度経済成長の理論的支柱となり、また、48年の第1次石油ショック後はいち早くゼロ成長論を唱えるなど、旺盛な言論活動を展開。常に透徹した論理で日本の将来像を描き続けた、戦後を代表するエコノミストの一人。経済学博士。56年勲二等旭日重光章受章。平成元年没。下村治とその時代を描いた書籍に「危機の宰相」(沢木耕太郎)、「エコノミスト三国志」(水木楊)など。>

 とあった。

 下村氏の言いたいことは一言で言えば、国民経済を中心に考えろ、ということだろう。いくら経済がグローバル化しても国がある以上、1億数千万人の国民が仕事をしながら幸せに暮らす生活を守る義務を国は持っている、と。自由主義経済とかいうが、それは国民経済を守るための手段に過ぎない。すべての発想の原点を国民経済にせよ、ということだろう、と理解した。

 だから、中曽根政権の時の前川リポートなど我慢できないわけだ。「前川リポートは日本の健全性を捨てさせるものだ」と小見出しにしているが、

 <この(前川リポートの)勧告が言っていることは、われわれが明治以来百二十年にわたって日本の国民に十分な就業と所得の機会を与えるために続けてきた必死な努力が、現在の危機的な国際状況を引き起こした、といって全面否定しているのである。これは見当違いもはなはだしい。>

 といって、日本は構造的に輸出主導経済の国ではなく、1945年から1980年までは貿易黒字もたいしたことはなかったのに、この数年急増しただけで、これは構造的ではない、また、日本が失業輸出をしている、などと馬鹿なことをいうエコノミストがいるが失業輸出とは国内の失業をなくすために輸出ドライブをかけて外国の職を奪うもので、日本はそもそも失業がなかったのだから失業輸出ではない、という。また、日本の対米黒字の大きさだけを見てもだめで、米国の数字をみなければいけないが、日本の輸出増よりも大きな数字で米国の輸入が増えている。つまり、米国が国内産業の衰退で、国内では生産できずに外国の製品を買っているだけで、日本が輸出をやめれば、韓国や台湾からの輸出が増えるだけだ、と喝破している。

 前川リポートをめぐる論戦はものすごいものだったらしい。下村氏と小宮隆太郎氏がリポートを批判した。そうしたら、加藤寛・慶応大学教授、前川春雄前日銀総裁、鈴木孝信前日本経済研究センター事業部長らが前川リポート擁護の論陣を張り、それに反論を加えたというのだ。論点は輸出超過は日本人の貯蓄のし過ぎのせいかどうか、で、下村氏はどちらが原因で結果かは分からないのに、貯蓄犯人説に決め打ちするのはおかしい、と言うのに、論敵はその説を論破できないまま貯蓄犯人説を言い立て、前川リポートの線に沿って政策が進むのだ。

 下村氏のこの当時のレーガン政策批判、「アメリカ経済は破滅する」という危機感は結果的には空振りに終わったが、それは目くらましだったことが今回はっきりした。アメリカではやはり製造業は壊滅状態だったのだ。

 水木楊氏が言うように、下村氏の予言が注目されるのはそういう理由からである。下村氏の予言は時間を置いて、現実のものになる可能性があるのだ。

 その予言とは、このままの状態が続くとアメリカにある日本の資産は支払い停止を受けるに違いない、と言うのだ。これまでもアメリカは東ヨーロッパの国々に対して懲罰的にやったり、アラブの一部の国に対してやったりした実績があるそうだ。間髪をおかずに支払い停止にすればそれほど世界経済に混乱は起こらないが、貸している方は金融混乱が起きる、という。アメリカの経済がインフレになりそうだ、という心理が働けばドルを持っている人たちは一時的にでも他の通貨に換えようとし、そのためにドルの価値が下がる。もし、こういう心理が広く一般的なものになれば、それだけドルは急激に売られるようになり、一挙に崩落することになってしまう、と書いている。

 そして、投資家がドルの下落を恐れるようなインフレがいつ起こるかはわからない、というのだ。やばい時期になると、ある時に一気に来る、というのである。

 そこで、日米は縮小均衡せよ、という。アメリカは輸入を減らす。日本は輸出がガクンと減るから、生産を縮小し、自国の経済は自国で責任を持って安定させよ、というのだ。「世界同時不況を覚悟するしか解決の道はない」と30年前に書いていることは驚きだ。

 「アメリカは強い、という迷信を早く捨てよ」「個人生活は異常な膨張以前の姿に戻るだけだ」、「これまでの生活はレーガンが大きく振り込んだ余禄と思え」といい、そして、最後には「日本がアメリカに貸したカネは取り戻せない」と言うのだ。これはそういうことのようだ。

 下村氏の言い分を少し書いておこう。

 <もし本気になって日本が取り戻そうとすれば大混乱が起こるに違いない。したがって、最もスムーズな解決策は日本がある段階で貸し金を帳消しすることだ。返さないでも結構です、ということにするのが最も混乱が起こりにくい。混迷するのは日本の金融界だけだ。となれば、一番得するのはアメリカだ、ということになる。ただもうけである。放蕩の限りを尽くして、借金も棒引きなのだから。アメリカが自由世界を軍事的に支えているその報酬だと思って諦める以外にない。>

 <借金とか金融資産というものは本来そういうものである。われわれ日本人は通貨価値の安定について政府に信頼を置くように訓練されている。しかし、通貨価値の根底にあるものは今日では政府そのものなのである。世界の通貨秩序を支えているものは、それぞれの国の政府と中央銀行が節度ある経済運営でその通貨に価値を与えることである。それがくずれたときにその通貨は価値を失う。今日の通貨と金本位時代の通貨との違いはそこにある。アメリカが支払い停止に出た時、日本の金融界がせっせと貯め込んだ金融資産は無価値になってしまう。そのとき金融界に大きな混乱が起こることは避けられない。それどう乗り切るか、銀行などの経営者の腕の見せ所であるが、同時に日本政府としても十分に覚悟して対処しなければならない。>

 というくだりである。今後、こういう事態が来るのだろうか?

 下村氏の危惧は日本人の考え方に向けられている。「アメリカの占領政策の後遺症から抜けきれない日本人」という見出し通りの主張である。下村氏は戦後の占領軍の時代、占領軍に摺り寄り、仲間の日本人を売り渡していた志も何もない日本人をたくさん見てきただろう。その卑しい日本人が1987年時点でもたくさんいる、ということへの危惧である。

 日本国憲法、教育基本法、国語国字問題、すべてGHQが日本弱体化政策の置き土産なのに、戦後の日本はこの置き土産から出発せざるを得なかった。

 <占領時代の尾骶骨みたいなものは、現在でも残っている。>

 <その中でとくに、アメリカが期待した以上に日本の伝統否定、伝統的な価値否定、日本人の自尊心の否定といったことを推進してきたのが日教組なのである。>

 日教組が教育現場を支配して、教育が荒廃し、児童教育に空白が生じて日本人の考え方の弱さというものが生まれた、という。

 結びで下村氏は繰り返す。

 <忘れてならない基本的な問題は、日本の1億2000万人の生活をどうするか、よりよい就業の機会を与えるにはどうすべきか、という点なのである。>

 日本は加害者ではない。アメリカの理不尽な要求には反論せよ、と。当たり前のことを言っているに過ぎないのだが、その当たり前のことを今でも言える人は少ない。

 安い本だが、価値はものすごいと思う。こういう本を多くの人が読んでくれればいい、と思うのだが。

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2009年1月 9日 (金)

書評「世界経済危機 日本の罪と罰」野口悠紀雄著(ダイヤモンド社)

 野口悠紀雄著「世界経済危機 日本の罪と罰」(ダイヤモンド社、2008年12月11日第1刷発行、定価1575円)を読んだ。また帯の文句を写しておこう。<主犯アメリカに資金を供給し続けた”共犯者”日本。その結果として、この国を未曾有の大不況が襲う!輸出立国の崩壊で、本当の危機はこれから始まる。100年に1度とされる経済危機の本質は何か。その分析、今後の行方、そして今なすべき対策までを野口悠紀雄が緊急提言!いったい何が起きているのか?これからどうなるのか?この経済危機の本質を野口悠紀雄が解き明かす!>である。何か禍々しいぞっき本のようでもあるが、内容はしっかりしている。基本的には週刊ダイヤモンドに連載したコラムを集めて書き直した文章らしいが、ものすごく分かりやすい。

世界経済危機 日本の罪と罰 世界経済危機 日本の罪と罰

著者:野口 悠紀雄
販売元:ダイヤモンド社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 表紙裏にも宣伝文句が書いてある。<日本は、「アメリカ発金融危機」の被害者などではない。危機は世界的なマクロ経済の歪みが生んだものであり、日本はその中心に位置している。成長率がマイナス数%になるような、未曾有の大不況が日本を襲う。本書は、それに対する警告である。>

 何かノストラダムスの大予言のような宣伝文句だが、野口氏のファンには慣れっこなのかもしれない。

 この宣伝文句で野口氏の言いたいことは随分と表わされていると思う。例によって、内容で面白かった部分をピックアップしておく。

▽本書の目的は起こった事件を単に列挙するのではなく、分析を行うことだ。新聞や雑誌は生じた事件を報道はしているが、分析は必ずしも十分でない。(P6)

▽前FRB議長のアラン・グリーンスパンが「100年に1度の津波」と言うのはけっして誇張ではない。とくに、日本の立場から言うとそうなのである。(P11)

▽2002年以降の日本の景気回復は、対米輸出の増大と、異常な円安という持続不可能な二つの要因に支えられたものだった。日本の貿易黒字はゼロになる可能性がある。アメリカ以上に急激な日本の株価下落は輸出立国モデルの崩壊を知らせる市場のシグナルである。(P19)

▽「改革によって日本が変わった」という説明はまやかしに過ぎず、日本経済の実態は古いままだった。輸出増は、日本の輸出産業の真の競争力増強によって実現したものではなく、輸出量の拡大と円安によって日本の輸出産業の価格競争力が実力以上に高まったことによるものだった。(P29)

▽1990年代の世界経済の大きな変化の一つとして工業製品の価格低下がある。これは社会主義経済が崩壊し、また中国などの新興国が工業化し、低賃金労働の活用で工業生産ができるようになったからだ。この変化で最も大きな利益を受けたのはアメリカだ。アイルランド、イギリス、北欧諸国などもこの変化によって受益した。

▽1980年代以降の日本経済に生じた最も顕著な構造変化は輸入構造の変化だ。かつての日本経済は原材料を輸入して工業製品の生産を行い、これを輸出するという基本構造を持っていた。これを反映して80年代はじめまでは食料・原材料輸入が総輸入の約4分の3、製品輸入が約4分の1という構成だった。ところが90年代になってこれらがほぼ同比重となり、現在では製品輸入の方が多くなっている。しかし、日本は新興工業国の発展という大変化の利益を十分に享受できなかった。むしろ逆に新興工業国との競争によって国内産業が疲弊した。それは旧来型の産業構造にこだわったからだ。07年の夏ごろでも日本の株式指数が90年の4割にしかならなかったことがそれをよく示している。(P33)

▽古いタイプの産業を支えるために、金融緩和と円安政策が取られた。本当に必要な構造改革は産業構造の変革だったのに、近視眼的なバイアスのために、全く逆の経済政策が取られた。「小泉政権は改革を行った」というが、経済の面から見れば低金利と円安政策で古い産業構造を温存したのである。それだけではない。異常なマクロ政策が長期にわたって継続されたため、それを利用する国際的な投機が発生した。それは、日本から高金利通貨国への投資資金の移動だ。それが今回の金融危機の一つの原因になっている。株価下落の主要な原因は「無理のある円安をこれまで続けてきた」という日本側の事情なのである。しかし、そのバブルは崩れた。現在起こっているのはバブルがなければ実現していたであろう状態への回帰に過ぎない。(P34)

▽1990年代の日本の不良債権処理は極めて不透明なかたちで行われた。不況が続く限り、資本注入で不良債権問題は解決できない。(P45)

▽「投資銀行モデルの終焉」と言われるが、「ハイ・レバレッジのビジネスモデルの崩壊」だ。(P69)

▽サブプライム・ローン問題の本質は本来行われるべき「資産の価格付け」が行われず、似て非なる「格付け」に全面的に依存したことだ。分散投資で回避できるのは「個別リスク」であり「市場リスク」は回避できない。格付けによって住宅ローン証券化商品のリスクを完全に評価することはできない。本来ならファイナンス理論や金融工学を利用して投資対象のプライシングを行うべきだったが、それをしなかったことが問題だ。(P78)

▽アメリカの90年代以降の経常収支の赤字は80年代後半とは違ってストップがかからず拡大を続けた。「アメリカが経常赤字を続けられるのは国債基軸通貨であるドル紙幣をするだけで外国からモノを買えるからだ]という人がいるが、これは違う。これは「アメリカはシニョリッジ(通貨発行権)を持つ」というが、変動為替制度では仮にドルが外国通貨に対して減価すればいくらドル札を印刷しても赤字をファイナンスできない。アメリカが赤字をファイナンスできるのはアメリカへの資本流入があるからだ。(P91)

▽日米貿易不均衡が継続しうるのは何らかの理由で日本が強制されているからではなく、またアメリカの軍事力が強いからでもない。日本が円安政策を取ったのは主として輸出産業の利益のためだ。これは「資本取引を通じた黒字還流」だ。

▽1980年代後半以降、アメリカ経済の順調な成長に伴ってアメリカ人の生活が豊かになり、それが過剰消費を生み、経常収支の赤字増大につながった。そこには郊外の豪華な住宅に住み、自動車で遠距離を通勤するという生活スタイルがある。ガソリンの税が安い。住宅取得の減税も半端じゃない。日本の10倍以上だ。マクロ経済的な観点から見れば「アメリカのガソリンと乗用車の使用、住宅への支出が世界標準に比べて過剰」なのだ。(P94)

▽アメリカの赤字が大きくなりすぎるとその持続可能性に疑問が持たれる。これが「ドル暴落の危機」だ。20年以上も前にポール・クルーグマンが警告していた。しかし、グリーンスパンが自叙伝「波乱の時代」で書いたように、クルーグマン理論への反対論が相次ぎ、実際、アメリカは赤字をファイナンスしてきた。ハーバード大学の国際経済学者リチャード・クーパーやFRB議長のバーナンキは04年、05年ごろに「日本人は働いて得た黒字をアメリカ人の贅沢な生活を支えるために使ってしまったが、貯めた金の使い道はそれ以外なかったのだから仕方ない」という趣旨のことを言っていた。随分馬鹿にされたものだが、そういわれても仕方ない政策を日本は取ってきた。日本の輸出産業にとってそのような世界経済構造が望ましかったのである。だが、貯め込んだ経常収支黒字を国内のインフラ整備に回せばアメリカ並みの住宅環境を実現できたはずだ。そのような潜在的な経済力を持ちながら経常収支黒字を生活の豊かさを実現するために使えなかった。その理由は経済政策が貧困だったからだ。そして、今なお日本はその状況から脱していない。日本の産業構造が大きく変わらない限りアメリカに資金を提供し、そして円安を維持することによってしか日本の企業は生き延びられない。貿易黒字に頼った成長はできないことが明確になったのに、それからの脱却が大きな摩擦を伴うために現実にはほとんど実現不可能である。(P105)

▽アメリカでは住宅を担保に自動車ローンを組む消費者が多い。住宅価格が値上がりし金利が低下すると住宅ローンを借り替えて借入額を増やすだけで返済額はそのままで多額の現金が手に入る(キャッシュ・アウト借り換え)ので、その大部分が新車の購入に充てられた。こうして住宅価格上昇が自動車購入を増やした面が強かった。ところが住宅価格が下落を始めるとこの条件が一変する。ローン審査が厳しくなって信用収縮が生じる。これまで車を買えた人が買えなくなる。これまでの対象者の40%がローンの対象外になるといわれる。だから自動車購入が急激に落ちる。(P107)

▽アメリカの経常収支赤字が巨額である限り、次々にかたちを変えた金融危機が顕在化するだろう。そのたびに日本の株価が下がるだろう。(P121)

▽ドル買い介入が行われた時、それを非不胎化するために貨幣供給量の増加を放任する必要があり、したがって量的緩和政策が必要になる。2001年に導入された量的緩和政策はデフレに対処するためと表向きは説明されたが、真の目的は為替介入による貨幣供給量の増加を放置することだったと考えられる。「デフレ脱却のために金融緩和を行う」というのは、単に正当化のための説明に過ぎなかったのだ。(P133)

▽実質実効為替レートで見ると2000年以降の円安は異常なものだった。にもかかわらず円安が大きな問題にされなかったのは①人々はメインクレーとに注目して実質レートを見ないから②アメリカが脱工業化を実現して製造業の利害が政治に反映されなくなった――ためだ。この結果、古い産業構造が円安で利益を得た。(P140)

▽ドル建て資産の4分の1程度は円高によって失われた。日本の対外資産は07年末で640兆円あり、そのうちドル建てのものが証券投資と同じ比率(41%)あるとすると、損失は63兆円程度だ。ユーロに対しても円高になっているので、それを含めれば損失はもっと拡大する。IMFが08年10月3日に公表した推計によるとサブプライム関連の金融機関損失の総額は今後数年間で約143兆円と予測されており、日本が為替変動ですでにこうむった損失は半分近くになる。今後、ドル安がもっと進むとさらに減価する。この損失を取り戻すのは不可能だろう。これは「史上最大のデフォルト」つまり「踏み倒し」と呼ばれることがある。ドル資産に集中して投資していた日本が愚かだっただけである。(P146)

▽世界経済は大きな転換点だ。新興国の世界経済に与える影響がこれまでの「供給の増加」から「需要の増加」にシフトしている。そのため長期的には価格上昇圧力が働く。(P165)

▽金の価値を基準と考えれば、今までに生じたのは「ドルの減価」であり、原油も農産物もさして価格が上昇したわけではない。(P165)

▽鉄鋼産業は原材料価格の高騰のためむしろ円高で収益が増えるような構造になった。これまで輸出産業はおしなべて円安を望んでいたが、いまや資産価格の値上がりでその一枚岩的な構造は崩れた。(P167)

▽アメリカの経常収支赤字が解決しない限り、混乱は収まらず、しわ寄せは日本と中国に集中する。日本の貿易収支赤字転換は不可避だ。5%のマイナス成長もあり得る。中長期的に見てより大きな問題を抱えているのはアメリカよりもむしろ日本だ。これからの日本は制御不可能な事態に直面する可能性がある。(P194)

▽円高こそが経済成長の利益を日本人が享受するための自然なルートだ。円高は日本人の労働価値が高く評価されることだからだ。日本の中核産業である輸出産業は政治や世論に対する影響力が圧倒的に強い。それゆえ、日本は円安を望むバイアスを持っている。金融緩和、円安政策を進めようとする勢力を抑え、方針を変更させられるだけの声が国民から上がるかどうかが日本の将来を決める。(P239)

▽日本経済が今回の危機を乗り越えるには為替レートが60円台になっても収益が上がる産業構造をつくること。資本面で国際的に開かれた国とすることだ。モノの輸出ではなくカネの運用によって国を支えられる時代においてはファイナンスの手法を習得し、対外資産の収益率を高めることが重要な国民的課題だ。そのために必要なのは高度な金融専門家の養成だ。これは日本の高等教育の中で最も立ち遅れた分野だ。(P246)

 大体、以上が気づいた点だが、疑問点もあった。というのは野口氏は食料自給率アップは必要ない、食料を禁輸されるなどということはありえないのだから、農業を構造改革して輸入に頼ればいい、という。たしかに野口氏のいうようにカロリーベースの自給率という概念は異常に数字が低く出るかもしれないが、食糧安全保障という問題をまったく考慮しなくていいのだろうか? この部分の疑問は残った。

 難しい数式の勉強も出てきて、いい頭の体操になる本だ。

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2008年12月14日 (日)

書評「日中韓はひとつになれない」小倉紀蔵著(角川oneテーマ21)

 小倉紀蔵氏は京都大学大学院准教授。1959年東京生まれ、東大文学部ドイツ文学科卒業。電通勤務後勧告に留学、ソウル大学哲学科大学院博士課程単位取得。東海大助教授を経て現職。専門は韓国哲学。NHkテレビ・ラジオ「ハングル講座」講師。外務省「日韓友情年2005」実行委員をつとめる。著書に「韓国は一個の哲学である」(講談社現代新書)、「韓国語はじめの一歩」(ちくま新書)、「心で知る、韓国」(岩波書店)など。

日中韓はひとつになれない (角川oneテーマ21) 日中韓はひとつになれない (角川oneテーマ21)

著者:小倉 紀蔵
販売元:角川グループパブリッシング
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 小倉さんの著書は以前読んだと思ったのだが、著書ではなく月刊誌だったかもしれない。いずれにしても内容を覚えていない。朝鮮半島問題の著書を読む時、否応なく、著者のスタンスが問題になる。

パラパラとこの本を見たのだが、どうもユニークなものの見方をしており、単純に「親韓」「嫌韓」などと片付けられないタイプらしいので、じっくり読んでみた。

 ソウル大学か高麗大学か延世大学か梨花女子大かの語学堂で韓国語を勉強してからソウル大学の大学院に入ったのだろうと思うのだが、東大の独文、つまりドイツ語屋から韓国語学習というコースがあるのだろうか? もしかすると、ドイツも朝鮮半島も分断国家ということで共通していることに関係があるのかどうか。

 いずれにせよ、「マスコミの王者」といわれ、就職戦線でも一番人気の高い電通を辞めて留学するなど、半端じゃない韓国オタクなのだろう、と思う。

 この本の一貫したテーマというか、結論的な部分は日中韓中心の「東アジア共同体」を作るのは無駄骨折りだし、害あって益なしだから、「東アジア共同体創設には反対」、というところだろう。

 ここで面白いのは、声高に「東アジア共同体」論を唱える人には左翼が多いこと、その中には東アジアの伝統的な思想や東アジアの人々の生活などについて何も知らない人々がいること、そういうことに最初から関心を持っていない人もいること、日米関係の清算を企図したり日本の保守政治の不動特性を批判するという目的のために東アジアを手段として利用している人がいること――などを小倉氏が厳しく批判していることだ。

 <このタイプの「左」系東アジア共同体論者は、その表面上の道徳的な仮面とは逆に、内実は東アジア蔑視論者なのである。「東アジアをばかにするな!」と叫びたくなる。>

 と書いているのだ。

 東アジアの人々が克服すべきものとしてナショナリズム、エスノセントリズム(自民族中心主義)があり、歴史認識、領土問題も克服すべきだ、という文脈の中で小倉氏は、この英語でしか朝鮮半島のことを勉強していない人々が西欧と同じ論理で東アジアのナショナリズムを論じるので、ナショナリズムや歴史認識を議論すればするほど非生産的で無解答の袋小路に入り込んでしまう、と書いている。

 フェミニズムとかポストコロニアリズムというような理論的枠組みを日本人と韓国人の研究者が共有し、ある問題について同じように議論しようとしても議論は非生産的なままに終わるのだ、という。

 これは日本人の語る「ポストコロニアリズム」「フェミニズム」と韓国人の語る「ポストコロニアリズム」「フェミニズム」が中身が違う場合が多いからだ、という。面白い仮説である。そして、それはなぜか、というと、韓国の「ポストコロニアリズム」「フェミニズム」には性善説のフィルターがかかっているからだ、という。

 この辺、和田春樹氏らがすぐに思い浮かぶが、違うか?

 小倉氏は返す刀で「右」も「非倫理的だ」と斬る。

 <過去に日本が東アジアに対して行ったことは、決して隠蔽してはならず、事実を正確に確定して反省すべき点を反省し、二度とそのようなことが起こらぬよう、教育や制度をしっかりと構築しなくてはならない。歴史を隠蔽したり美化することが保守的な立場なのだと考えるなら、それは保守という思想に対する冒涜であろう。>

 これは従軍慰安婦問題、南京大虐殺問題などでのウルトラ右翼の「大虐殺はなかった」的な物言いへの批判だろう。

 田母神前空幕長の先だっての発言についても、この範疇に当てはまると小倉氏は判断するのだろう、と思う。

 だが、小倉氏が中国や韓国に謝罪だけしていればいい、と考えているのか、といえば、そうではないのだ。

 2005年2月に島根県議会で「竹島の日」制定決議案が可決され、韓国人の「国民感情」を逆なでしたこと、ソウルで高野紀元駐韓大使が「竹島は歴史的・法的に日本固有の領土」と発言したことが韓国国民の怒りを増幅させたことをケーススタディとしてあげいている。また、日本で人気の俳優、ペ・ヨンジュン氏が同年3月の記者会見でレポーターからこの問題を質問され、後日自分のホームページに「私に役目があるとしたら、国家や領土の線を引く言葉より、アジアの家族たちの心と心の線をつなぐこと」との発言をアップしてファンから圧倒的な支持を得たことも挙げている。

 そして、ペ・ヨンジュン氏のファンはこのペ氏の言葉の逆の方向に高野大使の発言があると認識し、「日本政府は韓国人を怒らせてひどい」と言っているらしいが、「それはおかしい」と言うのだ。

 <私も竹島は日本の領土だと考えている。その島に一方的に警備隊を常駐させ実効支配しているのは韓国の側である。むしろ日本の外務省はこのような韓国の振る舞いに対して極度に紳士的に対応している。それは一部の日本国民がもどかしくなるほど、韓国人の「国民感情」を刺激しないよう最大限に気を遣っているといってよいだろう。このことに関して、韓国側は全く聞く耳を持たないのである。百歩譲って、竹島の帰属があいまいであるなら、国際的なしかるべき場所(注:国際司法裁判所)できちんと議論をすればいいのに、韓国側はそれに応じようともしない。

 これが小倉氏の態度である。

 前にこのブログで若宮啓文・朝日新聞記者が竹島を韓国に譲渡すべきだ、と語っていたと書いたことがあるが、小倉氏もP130に若宮氏が2005年3月27日のコラム「風考計」で「竹島の問題で日韓が紛糾するのなら、いっそのこと日本が韓国にこの島を譲ってしまったらどうか」と書いたことを紹介している、と取り上げている。そして、自分(小倉氏)が講演に行った時に「韓流」好きの女性たちに「若宮氏の意見に賛成か」と聞くと3分の2は首を横に振る、これは全国どこでも同じような傾向だ、と書いていた。

 歴史教科諸問題でも面白いことを書いている。

 権五琦(グォン・オギ)元東亜日報社長、元副総理・統一相は2004年に出た若宮氏との共著「韓国と日本国」(朝日新聞社)で扶桑社の「新しい歴史教科書」(2001年刊のもの)を読んだ感想として「特に反発を感じませんでしたね」、「韓国だって本当は日本の教科書を非難できる筋合いではないんだ」「(この扶桑社の教科書には)韓国でも合併に一部のものが賛成していた、という記述がありましたね。『韓国人はみんな日本に抵抗した』と自慢したいのが韓国人の心情かもしれないが、本当はそうではないんだから、韓国人こそがこの教科書から学ぶべきだと思う」、「むしろ私は韓国人に『自虐のすすめ』をしたいくらい」と言っている、と書いてあった。そして、

 <歴史の問題に関しては、これまで韓国人が日本に対して多くの批判をしてきた。私たちはそれに対して感謝しなければならない。私たち自身によって気づかない、私たち自身の間違った姿。それを隣国の人々がきちんと指摘してくれたからこそ、私たちはよりまっとうな姿に近づくことができたのである。同じように、私たちは「韓国は正しく、小泉は間違っている」という図式を取り払い、韓国の間違っている点に関しては堂々と指摘してあげること、これが真の隣人のなすべきことなのではないだろうか。>

 と書いている。つまり、言うべきことは言え、ということだ。当たり前のことである。

 <東アジアの共通の古典として儒教を高く評価する人々もいるが、これもまた無知で危険な発想だといえる。「左」のように儒教を知らぬまま全否定するのも愚かなことだが、一部の「右」のように儒教を美しく誤解するのも危ないのである。儒教という巨大な思想をいかにして脱構築し、仏教や道家思想やシャーマニズムやアミニズムなどとともに再構築していくか、ということこそ、われわれに課せられたテーマなのである。>

 儒教の怖さを何度も繰り返し書いている。

 そのいい例が「性善説」だ。普段、「あいつは性善説なのか性悪説なのか」、などという風に使う言葉だが、この「俗流」の使用法は儒教の本来の意味ではない、と言う。

 性善説こそ自分勝手な論理である、というのだ。自分が善だから相手に注文を付けて、自分の思い通りにさせる論理だ、というのだ。儒教主義とはこのようにキリスト教原理主義的なこわさがあるというのだ。

 と、まあこの本のテーマからすれば周辺部分にあたるであろう部分かもしれない部分だけを要点筆記した。

 思想の問題を扱っているにしては不十分な点があるのではないか。

 主体思想が韓国の左翼勢力の中にどのように根付いたのか、その思想が韓国の保守思想を駆逐したやり方はどうだったのか、南北関係と対日関係、対中関係でそうした思想は外交交渉と戦略の中にどう生かされているのか、という切り口も見たかったのだ。新書はページ数に制限がるので、そこまで書き切れなかったのだろうが、次の機会に是非読んでみたい。

 また、著者も書いているように朝鮮半島の儒教思想については詳述してあって、少しは理解できるのだが、中国の儒教思想についてはほとんど書かれていない、別の機会に書くのだろうが、これは難しいだろうなあ、と思う。王朝交代とその王朝を支えるイデオロギーや思想の歴史など、様々な要素を盛り込まないと分からないからだ。

 でも、この本は帯に<日本人と中国人・韓国人の価値観のずれを問う>とあるように、それなりに問題点を明らかにしてあるので、参考になった。

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2008年12月 5日 (金)

書評「日本の信義~知の巨人十人と語る」猪瀬直樹著+「共同研究『』冷戦以後」中曽根康弘ほか著

 発行は小学館。2008年6月9日初版第1刷発行、定価760円+税=798円。

 裏表紙の宣伝文句が本の内容をうまくエッセンスしているので、引用しておく。

 <「バブル崩壊前夜」から「失われた10年」なで。日本が大きく揺らいだその時代に、作家・猪瀬直樹が、江藤淳、会田雄次、吉本隆明、秦郁彦、高坂正尭、所功、山折哲雄、梅原猛、鶴見俊輔、阿川弘之という戦後日本を代表する思想界の十傑とともに日本を問うた貴重な対談集。「週刊ポスト」誌上で話題を呼んだ15話を選りすぐって新書化。対米関係、天皇制、日本人の宗教観、土地神話、戦後処理、経済復興など日本人と切り離すことのできないテーマについて、それぞれの専門化とともに挑んだ対談の内容は、日本人の精神史、国家観を探るうえで欠かせない。日本のゆくえを真剣に考えるための視座の数々と出会える一冊である。>

黒船の世紀―ガイアツと日米未来戦記 (日本の近代 猪瀬直樹著作集) 黒船の世紀―ガイアツと日米未来戦記 (日本の近代 猪瀬直樹著作集)

著者:猪瀬 直樹
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 うまい宣伝文句だと思う。実際、そういう読後感だった。「はじめに「」で猪瀬氏が書いているように、この対談自体、「黒船の世紀」の連載を始め、それに生かそうとして行ったものらしいが、会田雄次氏との87年12月の対談から2002年7月の阿川弘之氏との対談までの期間にこれらの対談が行われている。

 ということは、バブル景気華やかなりし頃の対談と、バブル崩壊後の対談だが、それは日本国内の話だ。

 世界的に見れば、ベルリンの壁が壊れ、米ソ冷戦が終結した前後という状況で、彼らが将来をどう見通したのか、過去の何をよすがに考えようとしていたのか、が分かる。

 以前、「共同研究『冷戦以後』」を読んだ。1992年2月1日第1刷で、私が買った本は3月20日第3刷。文藝春秋刊で定価は1800円(税込み)。著者は中曽根康弘、佐藤誠三郎、村上泰亮、西部邁の4氏だった。当時、忙しい仕事の合間に始終睡眠不足の頭で理解できたのかどうか分からないが、マーカーで線を引きながら87ページまで読んだ痕跡があった。

 92年2月刊の本だが[序 日本の使命]で(この文章の調子を見るに、中曽根氏が[序]を書いたのだと想像するが)「われわれは、約2年間、この問題を中心に論じ合ってきた」とあった。というと、90年2月前後から討論を繰り返した結果、満を持しての著述らしい。

 読み返して見ると、じっくりしたいい研究論文も入っているし、何度読み返してもまた違った面白さが出てくるタイプの本なのではないか、と思う。

 ただ、さすがに16年後に読み返すと、外れた予想もいっぱいあった。米国はブレトン・ウッズ体制を維持していくのに必要な経済上の世界的公共財を独力で提供する力を失ったので、米国のドルと日本の円、そしてドイツのマルクが世界のキー・カレンシーになりつつある、と書いているのが間違えた第一(P20)。

 ソ連崩壊で米ロが本格的な核兵器軍縮を始める、世界はいまや、大軍縮時代に入らなければならない、と書いているのは、私は実感がわかないが、それなりに根拠があったのだろうと思うが、今から考えると、間違いだ。

 また、衆院選挙制度については、比例代表並立制よりも「大統領的首相」がいい、と例を挙げて主張しているが、大統領制は議院内閣制よりは権力集中度合いが低いことは飯尾潤氏の中公新書「日本の統治構造」などを読んでも、今や政治学者の中では常識になっているのではないか。92年時点では、中曽根氏の持論である「大統領の方が首相よりも強い」という考えに引っ張られて、読者の素朴な思いに応えようとしているが、これも間違いではないか。

 なぜ長々と共同研究の話をするか、というと、この『「共同研究』には冷戦構造の終焉で日本がどんな場所におかれていると、いう考察が弱かった、と思っているからだ。

 西欧では冷戦崩壊がもたらす大きな変化について、本格的な研究が90年代に相次いだが、日本ではきっとこの本が一つの金字塔だろう、と思っていた。「それにしては仮説の立て方に大胆さが足りない」と昔読んだときに思ったのだ。

 ハンチントンの「文明の衝突」という予言は半分当たったが、日本の永田町では当時「西欧の冷戦は終わったが、北東アジアの冷戦はまだ終わっていない」という議論が中心だった、ように思う。1994年からの北朝鮮核危機がその極東特殊論をいかにも正統性のあるもののように見せたのではないか。

 しかし、冷戦崩壊とは今、目の前に戦術核の脅威が出てきた、というレベルとは違った出来事だったことは今や明白になっている。当時の日本ではそれが理解されなかったので、日本の針路の舵切りが遅れてしまったのではないか、と思っていたのだ。

 猪瀬氏の「日本の信義」(小学館)はまさに「共同研究』」(講談社)と同じ時代の識者のインタビューをまとめた本である。当時、不明な私は「黒船の世紀」も読んでいなかったし、総合雑誌の論壇にも無関心だったから、日本の思想の潮流を振り返るには役不足なのだが、少なくとも、今になって読んだこの本に出てくる識者たちのロングレンジのパースペクティブは見事だ、と思ったのだ。

 今の時代を分析するツールとして有効に利用できる論が山盛りだ、とも思う。

 本の内容を書くのは面倒になってきたので、一部分だけメモしておく。

 まず「黒船の世紀」は日露戦争後に全部で500あまりの「日米未来戦記」が出版され、ベストセラーになったこと、この「日米もし戦わば」の空気が少年層から大人までを支配し、その空気に乗って軍人が変なことを始める、という趣旨である。つまり、国民意識が先に日米戦争論に行ってしまい、軍事行動は後付けというもので、日米未来戦記の作者を含めたメディア関係者があおった結果、日米戦争に突入して行った面が強くあった、という主張が前面に出ているそうだ。「メディア関係者の責任は大きい」ということを実証的に書いているようだ(まだ読んでいないので詳しく分からないが、この本で猪瀬氏がそう紹介している)。

▽江藤淳氏

 <どんな親しい友人でもお互いに裏切りつつ付き合っているのかもしれない。友人であるということは、後ろを向いたときに刀で刺さないというだけの意味だと僕は思っています。その機微をお互いに知り合っているときにだけ友情が永続する。(略)いわんや国と国との関係であれば、(略)お互いに非難されることに耐えなきゃいけないということです。それから裏切られることにも耐えなければならない。だが自分は決して後ろを向いたときに刺さない、という点において裏切らない。それを日本が、今後30年間、堅持してごらんなさい。日本という国はなかなか大した国だと思われますよ。>p4

▽江藤淳氏<日露戦争では日本の軍人はプロとして西洋人の理屈と武器に対抗した。>p18

▽猪瀬氏<武士道が一つの国際法的秩序の受け皿になっていたということがいえますね。…それまでの日本の開戦の詔勅には「国際法にのっとり」と明記されていますね。ところが第2次大戦のときはそれを書いていないんですね。>p18

▽江藤氏<「およそ国際法の規範に反せざる限り、一切の手段を講じ」というのが、日清、日露、第1次世界大戦の宣戦の詔勅にはありますね。日米開戦のときに、この文言がなぜ入ってないのかということについては、僕は少し大げさにいうと30年来の疑問だったんだけれども、このごろちょっと分かってきた。…日本が大正から昭和になるときに、国際秩序のシステムが大きく変わります。もう少し特定していうとワシントン会議を経たころからロンドン軍縮条約を経るころまで、つまり大正10(1921)年から昭和4(1929)年ぐらいの間に、日本人が明治維新をやって国際社会に参加して以来、これが国際法だ、これが国際的秩序だと思ってきたことの文脈と違った文脈がにわかに展開されだした、ということに戸惑ったという面があると思う。…西欧において16世紀以来培われてきた国際法秩序と違う新しい秩序の文脈が始まった。それがアメリカ主導の国際社会なんですよ。大正10(1921)年から11(1922)年にかけてのワシントン会議、そこにおける太平洋に関する4国条約と支那に関する9国条約。それから昭和5(1930)年のロンドン軍縮条約。この二つによってそれまでの2国間条約ではなくて多国間協定による国際社会というものをアメリカが仮構した。そこで生まれた新しい国際法と称するものは、実は”アメリカの大義”だった。”アメリカの大義”が国際法であるならば、自分たちがこれほど尊重してきた国際法とは何であるかという気持ちが当時の日本人にはあったと思う。>p19

▽猪瀬氏<同じ気持ちが今回、サダム・フセインにもあったのでしょうかね。中東の秩序はアメリカの大義としての国際法では全く割り切れない。それは、オスマン・トルコを国際社会に取り込んで、国際法の対象にするかどうかというのが、19世紀の国際法学会における重大問題だったことからも分かりますね。>p20

▽江藤氏<アメリカは、ワシントン条約以降、「米国の大義が即国際法」という事実を積み重ねてきていると信じているに違いない。そこで「開戦の詔勅」に話をもどすと、そうしたアメリカの論理と、日本の言い分との間にどうしても妥協させることのできないものがあるから、戦争が始まった。だから詔勅に国際法遵守の1行が入らない結果になったのではないでしょうか。>p21

▽猪瀬氏<日本における”政治の喪失”はなにも今日はじまったことではない。昭和初期から満州事変に行く流れで、すでに日本は国家意思を喪失していたのではないかというのが僕の考えです。つまり、出先の軍隊を統制できない、国家の体をなしていない国家というのが昭和初期から始まった。まさに超国家主義と呼ぶしかない奇妙な事態になった。軍国主義という言葉だけでは説明できません。>p27

▽江藤氏<おっしゃるとおり。…あのころの政治過程を仔細に調べてみると、…国家意思の中心がどこにあるかわからない。…その当時の国益の中心がどこにあるかを正確に把握しているグループが政権を担当していない。…たとえば満州事変を例に取ると、満州の権益を守るためにどうしたらいいかという具体的なプランと、その事後処理の方策までを検討して持っていたのは石原莞爾だけです。彼は政府はおろか参謀本部のメンバーですらなく、関東軍参謀部の一作戦課長にすぎない。>p28

▽江藤氏<日本人が自分の身近な人間同士の間で信義を確認しあわない限り、アジアのどこにどういう謝り方をしようが、全然説得力がない。…これは日本人一人一人の生き方の問題だと思うんですよ。…一目置くということこそ人間同士の信義の回復のあらわれ方であって、謝れば一目置かれるとか謝ったら信用されるという意見には賛成できないんです。>p32

▽江藤淳氏<「太平洋戦争」という言葉が初めて日本人の耳目に触れたのは終戦から4ヵ月後の昭和20年12月8日です。この日、新聞社に紙が特配され、当時2ページしかなかった紙面が4ページになった。その内側の2ページと3ページの見開きに、占領軍の手になる「太平洋戦争史」が掲載されだしたんですね。…9月2日に降伏文書が調印されると、翌日から制度的にはアメリカの検閲当局が動き出しています。そして10月8日から、東京5紙の事前検閲も始まった。それが12月15日になって、「大東亜戦争」という呼称を今後禁止するというはっきりしたマッカーサー指令が出て、それ以後、今日にいたるまで「大東亜戦争」は採用されていないというのが現実です。>p38

▽猪瀬氏<日本がいつ「大東亜戦争」という呼称を決めたかというと、昭和16年の12月12日の閣議決定で、開戦の4日後ですね。>p39

▽江藤氏<その閣議決定は、今日にいたるまで取り消されていないんですよ。>p39

▽吉本隆明氏<60年安保というのは左翼的な国民運動と信じられていたけれども、ナショナリズムの運動だったんですね。…ナショナリズムの燃えカスが反米意識となり、左翼のイデオロギーを借りながら、基地反対闘争に向かい、60年安保まで続く。60年安保は敗北でしたが、気分としてはやっとアメリカに対するルサンチマン(怨念)が消えたんじゃないか。ちょうど力道山がシャープ兄弟をやっつけたように。>p66

▽吉本氏<猪瀬さんが橋川文三さんの仕事を引き継いでいることが、その分析で納得できました。僕が日本の左翼、戦後民主主義に対して違和感を持ったことの理由は、大きく言うと二つあったんですよ。一つには、彼らは、日本の侵略戦争の先兵になって死んだふつうの兵士たちを、まったくの「犬死に」のようにいう。それは、絶対に納得しないゾ。そんな評価しかできない左翼なんて成り立たないゾ。四六時中そう思っていた。…歴史的には侵略戦争でもあったけれど、末端兵士の意識にはアジア解放闘争でしたから。>p67

▽吉本氏<村山首相は自衛隊は合憲だといいました。憲法9条違反でないってね。これは重大なことですね。村山が首相として公式にそういい切ってしまえば、もうこれから公認政党は廃棄できないんですよ。村山は皮膜をまぶって、皮膜の中で口にしているんですけど、これはもう改憲されちゃったと同じなんです。左翼には、そういうところがついにわからないんです。…ここ1年、共産党をはじめとする左翼的と称する人々がなぜ小沢を蛇蝎のごとく罵倒し続けたのか? 冗談じゃないゾ。村山のほうがずっと反動的なんですよ。>p69

▽猪瀬氏<ジャーナリズムがより強い影響力を持つほど、危険な側面も増える。日本のジャーナリズムは、体質的にサラリーマン的だから、組織の論理に流されやすい。>p88

▽秦郁彦氏<現時点では戦前と反対で、カンボジアのPKO(国連の平和維持活動)についても士気を殺ぐ報道ばかり喜んで書き立てる傾向ですけれども、風向きが変わればすぐ逆のほうにいく可能性はあるでしょうね。>P88

▽高坂正尭氏<第二次世界大戦の不徹底性が戦後の冷戦構造をつくった。あのときの組み合わせに必然性があったとはいえんもの。かたや日中戦争があり日米戦争があった。ヨーロッパにも戦争があった。これ、みな個別の戦争ですよ。

▽高坂氏<ドイツにとってロシアは19世紀から一貫して最大の貿易相手国、お得意さんやった。それなのに…(戦争をした)。これはちっとも平和の保障にならないんだよ。モノ買わにゃいかんけれども…。モノ売ったり買ったりすることが、中身のあることとは限らんのだよ。>P107

▽高坂氏<どの国も自分が過去にやったことを反省しなきゃいけないとしても、全部悪かったという論理では生きていけない。日本人に酒呑んで訊いたら、絶対そういわへんで。ただ謝るというのはウソになる。でもな、逆にあれをやむを得ない自衛の戦争だったというのも強弁でな。強弁も困る。>P113

▽梅原猛氏<私がいいたいのは、2000年前に還る。人類のいちばん昔の原理に還れということですね。農耕牧畜文明以来、人類は豊かな富を持ったけれど、やはり間違っていた。農耕牧畜文明は必ず森をつぶして文明をつくってきた。その文明全体を反省しなきゃならない。>P146

▽秦氏<私は天皇制の最高の機能は赦すことだと思うんです。西欧型の社会では、責任がある者とない者を峻別し、悪魔と神の二元論的対立を背景に、徹底的に追及する精神的風土がある。だが、日本の場合は、天皇が責めるのではなく赦す役割を果たしてきた。赦すだけではなくて臣下の責任を自分が身代わりになってもいいという受け止め方ですからね。>P158

▽鶴見俊輔氏<明治天皇は自分が親しんできた女官など全部追い払われてしまって、肉を食べる訓練から始めて、やり直す。あれはよくやったと思います。>P177

▽猪瀬氏<「犬養首相を撃った三上卓(中尉)なんてのは、いよいよ対米戦争を終わらせるかどうかという時に裏で暗躍していた気配がある。…犯人は刑務所の中で先生扱いだったっていうのだから」という阿川弘之氏の言葉に対して、世論が同情的でしょ。メディアがいけない。>P199

▽阿川弘之氏<文士、新聞記者を含めてジャーナリズムの責任っていうのは非常に大きいですよ。>P208

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2008年11月30日 (日)

書評「職業とは何か」梅澤正著(講談社現代新書)

 「職業とは何か」は講談社現代新書で2008年8月20日第1刷発行、定価700円+税=735円。

著者の梅澤正氏は1935年埼玉県生まれ、東大文学部社会学科卒、桃山学院大学、新潟大学、東京経済大学の教授を経て日本教育大学院大学客員教授、NPO邦人キャリア文化研究所理事長、産業社会学専攻(職業社会学、企業文化論、企業社会関係論)。著書に「人が見える企業文化」(講談社)など多数、とあった。

職業とは何か (講談社現代新書) 職業とは何か (講談社現代新書)

著者:梅澤 正
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 職業の中身の話はたくさん出てくるのだが、「職業とは何か?」という問いを日本ではほとんど誰も発してこなかった、という。2003年11月に発売され08年5月に123万部を突破した村上龍執筆・編集「13歳のハローワーク」(幻冬舎)では500の職業が登場し、その特性や従事する職業人の生き様が紹介されているが、「そもそも職業とは何か」が書かれていない、といい、日本では「職業とは何か」が突き詰めて考えられていないことこそが問題だ、と問題提起する。

 フランクリン・パーソンズが先駆者となった職業選択論についての話。1909年に出版された「職業の選択」が基本書らしい。パーソンズはキャリア理論の創始者として有名だそうだ。

 大学の就職支援活動についても批判的だ。学生に「やりたい職業は何か」と心理テストや適正テストを通じて探させるが、そのような内面を見つめるようなことはほどほどにしてほしい。本当に重要なのは刻々変化している社会の姿を学生一人ひとりが知ることだ、という。また、「職業が人を選ぶ」面があるのだから、自分がなりたい職業、という「青い鳥」だけ探していてもミスマッチになる、という。

 内面を見つめるより社会を、ということを言い換えると「内から外へ(インサイド・アウトサイド)ではなく、外から内へ(アウトサイド・インサイド)」ということになるらしい。「職業は社会が要請する仕事の中にこそある」という。なぜかといえば、やりたい仕事が生きがいのある仕事とは限らない。あいまいに「やりたい」仕事ではだめだ、というのだ。その職業をなぜやりたいのか、の意味づけをしっかりしていなければだめだ、と。なぜその職業をやりたいか、の根拠、理由、狙い、背景を学生が説明できなければならない、という。

 「こうすべきだ」という価値観が「やりたい」の引き金になっていればいい、とも。

 なぜなら、「こうすべきだ」の「べき」の場合には必ず論拠が明らかにされるからだ。「べき」からの発想、または「(こう)したい」に「べき」を重ね合わせた発想が職業選択には必要だ、という。「私は世界を、日本をこんな社会にしたい、そのためにはこんな職業につきたい」という思考の流れである。

 ベネッセの調査で小学生がなりたい職業は高い順に①サッカー選手②お菓子・ケーキ屋さん③野球選手④その他スポーツ選手⑤漫画家⑥学校の先生⑦学者・研究者⑧幼稚園教諭・保育士⑨医師⑩看護士。分野は違っても専門性が養成される職業への憧れが目立っている。サラリーマンは入っていない。

 しかし、高校から大学に進む中で職業の志望動機が大きく変わる。現実的になるのか、どうなのか?

 職業情報をチェックする(社会をよく知る)→キャリア情報(松下幸之助の偉人伝なども含む)を職業学習の教材として用いることは素晴らしい→会社と組織を見る目を養う、の順に進むべし、と。

 充実した人生を送るうえで職業は大きな役割を果たしている。職業を決めることと人生で何を実現したいかをセットで考える必要がある、と言う。

 マザー・テレサは宣教師になって生活の糧の保証ができて、安心して恵まれない人たちのためのボランティアができたそうだ。

 働き方と生き方につながりをつけるのが「キャリアデザイン」だそうだ。

 職業は人と社会とをつなぐもの。職業を社会的活動としてとらえるべきだ、という。

 夏目漱石「道楽と職業」(「私の個人主義」岩波文庫の中の一篇)の職業のとらえ方は流石だ、と言っていた。

 職業は社会の必要と個人の期待が合致して発生し、存続する。

 多能な人たちは多彩な肩書きを持つ、という。人の社会的な居場所は変化する(キャリアシフト、キャリアチェンジ)。リチャード・N・ボウルズは「あなたのパラシュートは何色?」で「マッチングゲームとしての職探し」と言っているという。

 職業は人生資源を獲得するための最良のチャンスだ。人生資源には経済財、知識財、関係財、威信財の四つがある、というが、経済財以外は非経済的資源であることに注目してほしい、という。

 今、日本では学生にコミュニケーション能力など基礎力を求めている。その中の「社会力」など、キーワードにまでなっているようだが、激動の時代、「プロ人材」、「プロフェッショナル」たちが求められている、という。

 人間力や社会力の必要性が強調されなければならないところに、日本における職業概念の希薄化を見る思いだ、と言っている。片方で人に優しい国づくりは必要だが、高度な専門性を視野に入れない職業能力論は大きな問題をはらんでいる、ともいう。

 「市民としての素養に支えられた高度の専門的知識と技術をそなえた職業人」が求められているという。

 「プロフェッショナル」は高度の倫理性も求められている。公共性のある職業だからだ。

 ハーバード大学のロバート・ライシュ教授は新しい職業分類として

①ルーティーン・プロダクション・サービス=定型作業

②インパースン・サービス=対人サービス

③シンボリック・アナリティック・サービス=観念や意味、精神が表象された符号を扱う職業で、深く物事を探求し、独創性の発揮を要請される専門的職業群

 ――を提案している。すべての職業が「サービス業」と分類されているのが特徴だ。

 「職業」を英語で言い表すと「オキュペーション」、「プロフェッション」、「ヴォケーション」、「ビジネス」、「トレード」といろいろあり、それぞれ内容が違う。

 古代中国では役人が果たす役割が「職業」、人民一般の業(民業)は「生業」といい、日本でも江戸時代までは「生業」という言葉が残ったが、今はすべて「職業」と呼ばれている、という。

 人生山あり谷あり、でもしかすると人生というか職業でリセットせざるを得ない時もあるだろうが、リセットする際にはリカレントが必要だ、と言っている。

 リカレントというのは生涯学習のようなものらしいが、自分が得てきた力を常に磨いておくことだろう。リセットは簡単に言えば転職だろう。「リカレントなしのリセットは砂上の楼閣だ」という言葉はその通りだろうと思う。

 以上のような内容の本だと思う。

 難しいことをたくさん書いてあるように思うのだが、では著者は「この一つ」と言えば、何を言おんとしているのか?

 専門性を身につけて、会社が潰れても、会社から出て行かざるを得なくなっても自分で道を切り拓けるようにせよ、というのか?

 たしかに、ライシュ氏の言うように、高度な専門性を持った人たちによって世の中が動かされ、あとはそのプロフェッショナルを管理する少数のジェネラリストしか必要なくなるという。あとの職業は派遣で十分ということらしい。

 怖い予測だが、そうなれば社会の二極分化が進む。その時、勝ち組に入るためにも専門性を身につけよ、というのだろうが、今大学院を出ても就職できない。ああいう、学問の世界でしか通用しないニセの専門性ではだめだ、ということなのだろうか。

 丁寧な論理展開であるが、逆に類書の引用が多すぎる感じがするので、私のような頭の悪い人間は頭の中で糸がグチャグチャにこんがらがった感じがするが、上記のようなことを言いたいのだろうと思って、大胆に書いておく。

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2008年11月29日 (土)

書評「現代の貧困~ワーキングプア/ホームレス/生活保護」岩田正美著(ちくま新書)

 「現代の貧困~ワーキングプア/ホームレス/生活保護」岩田正美著(ちくま新書)は2007年5月10日第1刷発行。定価700円+税=735円。

現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書) 現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)

著者:岩田 正美
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 岩田氏は1947年生まれ中央大学大学院修了の社会福祉学博士。日本女子大教授。代表作は社会政策学会学術賞と福武直賞をダブル受賞した「戦後社会福祉の展開と大都市最底辺」(ミネルヴァ書房)。多くの著作あり。

 昨年7月8日日経新聞に掲載された駒村康平慶応大学教授の書評を見て、本は買っておいたのだが、読まずにいた。ようやく読み終わった。

 岩田氏の貧困論には相当啓発された。

 ワーキングプアという横文字が流行り、格差社会という無機質な言葉が流行する世の中だが、実は本当の「貧困」が現実として存在し、それを覆い隠そうとする無意識の操作が政治、行政、マスメディアぐるみで行われているので、その貧困が見えなくなっている、という指摘である。

 <格差論だけからは、積極的な解決策も、あるべき社会論も出てきにくい。>(P29)

 特に「なるほど」と思ったのは、貧困が騒がれだしても以前と比べてどれほどひどくなったか、のデータがないこと。つまり、かつては生活保護と同等の水準にある世帯の推計(低消費水準世帯推計)を国が行っていたが、1965年でストップし、その後は「貧困」の統計がないということだ。

 日本ではかなり長い間、生活保護受給者と人口の比率、つまり保護率が貧困の大きさを示す指標となっているが、生活保護の捕捉率の問題がある。

 貧困世帯が皆保護を受けているわけではないから。信頼できる国の統計がないが、生活保護基準を使った駒村康平氏と星野信也氏、OECD相対貧困基準(50%水準)を利用した西崎文平氏と岩田氏の推計の貧困者割合(いずれも家計簿方式で収支を把握する全国消費実態調査データを利用し、信頼度は高い)は約8%前後で一致している、という。

 この8%に国勢調査の一般世帯数を掛け合わせると2005年では390万世帯が貧困ということになる、という。

 生活保護の捕捉率は貧困世帯の約2割だ、とも書いてあった。OECDによる加盟国の貧困率の報告では日本の貧困率がの増加が強調されている。2000年の相対所得貧困世帯の割合の高いほうから5カ国示すと、①メキシコ20.3%②米国17.1%③トルコ15.9%④アイルランド15.4%⑤日本15.3%。OECD平均は10.4%だそうだ。それらの世帯の所得額と貧困ラインの所得との差(貧困ギャップ)では日本はメキシコ、米国に次いで3位。これは貧困の深さ、極貧度という側面から貧困の程度を測ったものだ。

 星野氏らの調査で日本の貧困の特徴は年齢の若い層と高齢者で数が多く、U字型を描くように貧困が分布している。単身世帯の貧困率が極めて高い。94年は単身世帯の4分の1強が貧困。就業しながら貧困なワーキングプアが単身女性で15%、女性世帯主世帯(多くはシングルマザー)で18%。

 先にデータの紹介をしてしまったが、岩田氏は格差と貧困を区別しない議論に警告を与える。

 貧困は「あってはならない」という価値観を伴った概念。格差は今あるもので、格差許容から許すまじまで、見方はいろいろだ、と。

 欧州では豊かな社会が実現した、といわれた80年代から「貧困」の再発見の努力が続き、それが政策に反映したが、日本では「総中流」時代に「貧困」はなくなった、と錯覚され、そのままアジェンダにのぼらなくなった、と。

 20世紀に入ろうとする頃にチャールズ・ブースがロンドンで行った貧困調査でロンドンの30.7%が貧困と判明。ヨーク市のチョコレート会社の御曹司シーボーム・ラウントリーが行った調査で27.84%が貧困と判明。ラウントリーは36年後に同様の調査を行い、31.1%。

 ラウントリーは「特別な熟練を持たない労働者の場合、失業しなくとも人生で3回貧困に陥る危険がある」と貧困と労働者家族のライフサイクルに関する有名なモデルに行き着いた。①自分が子供だった時代②結婚して子供を育てている時代③子供が独立し自分がリタイアした高齢期の3ステージだ。このモデルは年金や児童手当などの社会保障の基礎となった。また、生命保険会社が勧める生活設計などにも使われている。

 つまり、20世紀の貧困は19世紀にチャールズ・ディケンズによって描かれた大都市の貧民社会の貧困と違って工業社会のワーキングプアの問題であることが広く認識された。

 この認識から労働者にとっての貧困の予防策の体系化、年金や児童手当などを含む福祉国家の構想が生まれた。欧米では福祉国家が生まれた後もワーキングプアを含めた貧困を再発見する動きがあり、それが政治の焦点となって新しい福祉政策への転換が図られていった。米国ジョンソン大統領時代(1963~69年)の「貧困との戦争」宣言。同時期、英国でも貧困研究家ピーター・タウンゼントらが「貧困の再発見」といわれる調査結果を発表した。

 1980年代の欧米では「新しい貧困」の再発見に注目が集まった。

 80年代以降明確になったポスト工業社会とグローバリゼーションという新しい社会経済体制への移行の過程で非正規雇用が急増し、下請けなどアウトソーシングが拡大する過程で学校を出たばかり、またはそこから落ちこぼれた若年単身者の貧困、ファストフードや家事サービス、警備、娯楽サービスなどの新しいサービス産業に不安定な待遇で従事する女性、母子家庭、移民層の貧困層が発生した。

 新しい産業社会では金融や情報サービス産業で専門知識を武器に働く人々と「マクドナルド・プロレタリアート」と形容される安い賃金と不安定な雇用で働くサービス労働者に二極分化しつつある、という。

 欧州ではこの二極分化を「AチームとBチーム」「一流国民と二流国民」などと呼んでいるという。人々の目にはこれらの人々がまるで19世紀までのスラムの再現、「もう一つの社会」の出現のように映ったので、欧州ではこの新しい貧困を「社会的排除」、米国では「アンダークラス」と呼んでいるそうだ。

 これは従来の福祉国家の限界を示すものだ、としてポスト福祉国家の新たな理念の模索が始まった。特に、社会から排除された人々を再び社会に引き入れる「社会的包摂」という理念や、従来の所得補償中心の福祉から若年失業者を再び労働市場に参入させようとするワークフェア(労働機会の提供による福祉の実現)への転換の強調などが中心で、いずれもこの新しい貧困の克服が課題だ、としている。

 日本では欧米に10年遅れて格差社会に遭遇した。「マクドナルド・プロレタリアート」は日本のフリーターの姿だ。

 日本では貧困を忘れてしまった。岩田氏は、

 <貧困の再発見をしつこくやったか、きれいさっぱり忘れたかは、社会全体の豊かさとは実は関係ない。しつこくやったか、忘れたかの違いは豊かさの中に潜む貧困を再発見しようとする『目』や『声』が社会にあったかどうかにかかっているのではないか。>

 と書いている。また、自民党長期政権にマヒしている日本と違って、他の国では貧困の再発見が現政府の失敗をあげつらって政権交代に持ち込もうとする勢力が強いからだもいえる、としている。

 どこからが貧困なのか、が難しい。岩田氏は、

 <貧困の歴史は、この境界設定についての議論の歴史>

 という(P35)。

 タウンゼントの「社会的剥奪」、ラウントリーの生存費用をもととした絶対的貧困、タウンゼントの生活様式からの剥奪指標である相対的貧困の違い(P43)。

 ブラッドショーの貧困ラインの併用の提案(P46)

 日本は生活保護基準が貧困の境界として利用されている(P48)。1960年誕生の池田内閣が最低生活費水準のアップ受け入れ。1961年導入の新方式はエンゲル方式。朝日訴訟がきっかけとなって格差縮小方式に転換。現在は水準均衡方式。貧困ラインを大体一般の消費水準の6割前後に設定している。(P58)

 貧困のダイナミック分析(パネル調査)が欠かせないのに、日本は国が取り組まないので遅れている(P76)。

 日本のホームレスは現在、50代が中心だが、このままでは若年層のフリーターのホームレス化の危険性あり。(P152)

 第7章「どうしたらよいか」はじっくり読むべき部分だ。特に貧困対策は個人への優遇ではなく、社会的統合機能や連帯の回復機能という社会全体に役立つ政策だ、という提言は重いと思う。憲法14条とか15条を持ってきて、人権、最低限の生活という側面ばかり見る傾向があるが、貧困対策は社会の中で排除される部分を減らし、社会不安を除去する大きな手段だ、という論である。これは政府にも経済団体にも検討してほしい。

 社会的包摂政策は社会それ自体の救済のための政策だ、という言葉は重い。

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書評「若者はなぜ正社員になれないのか」川崎昌平著(ちくま新書)+「人生ゲーム」について

 川崎昌平氏の「若者はなぜ正社員になれないのか」(ちくま新書)を遅まきながら読んだ。2008年6月10日第1刷発行。定価700円+税=735円である。川崎氏は一種の変わり者、変人だと思う。しかし、そういう普通の人とちょっと違った変人が生きにくい世の中であることを実体験から書き記した本として面白く読ませてもらった。

若者はなぜ正社員になれないのか (ちくま新書) 若者はなぜ正社員になれないのか (ちくま新書)

著者:川崎 昌平
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 なにしろエリートなのだ。1981年埼玉県三郷市生まれで東京藝術大学を卒業後、就職する気になれなかったので芸大大学院に結構な奨学金をもらいながら2年間通い、修士号を取得。ぶらぶらしていては何だから、と就職活動をしてみた、その記録である。26歳の経験だから、山口百恵の13歳とかひと夏の経験と違って分別があり、自分の行動に責任を取りながらの企業との一対一の勝負の記録である。たいしたもんだ、という思いと、芸大を出ているエリートだからできたんじゃないの? という僻目と両方ある。

 「知識無用の芸術鑑賞」「ネットカフェ難民」(いずれも幻冬舎新書)があり、川崎氏はすでに著述業で食っていけるのではないか、とも思う。日雇い労働に従事したり、ネットカフェで生活したことが自己形成に生きる人なんてそんなにいないと思う。そういう意味でも特殊ケースだろう。

 目次は定職がほしい▽とにかく落ち続ける▽「やりたいこと」が見つからない▽面接という名の地獄▽ハローワークへ行こう▽ウチで働いてみませんか?――である。川崎氏は温かく手を差し伸べてくれた企業にも入らなかった。自分の職業を物書きだ、と認識したからだろうが、この本の特徴はハウツーものにも使える、というところか。

 データとしても幾つか書いていた。

 文部科学省による学校基本調査の卒業生に占める就職も進学もしない者の割合(大学学部卒)の2004年データが約20%、およそ10万人いる、とか、厚生労働省と文部科学省の新規学卒就職率の推移で2005年3月卒の大学卒就職率が93.5%だったこと、就職率はあくまで就職を希望した人を分母にするのでこの数字に矛盾がないことなどを書いている。

 また、厚生労働省が発表した2007年版「労働経済の分析」で2006年時点のフリーターの総数は187万人であることも書いてある。白書によると、

 フリーターとは年齢15~34歳で男性は卒業者、女性は卒業者で未婚の者とし①雇用者のうち勤め先における呼称が「アルバイト」または「パート」である者②完全失業者のうち探している仕事の形態が「パート・アルバイト」の者③非労働力人口のうち希望する仕事の形態が「パート・アルバイト」で家事も就業内定もしていない「その他」のもの――である、としている。

 一方「ニート」に近い概念とされる「若年無業者」の定義は構成労働省によれば、「非労働力人口のうち、年齢15~34歳で家事も通学もしていない者」とされ、その総数は06年には62万人である、と。就業の意思の有無がフリーターとニートを分けるのだ、と書いている。今、合計すると日本には200万人に近い「正規雇用の職を持たない若者」がいるということになる。、とあるのはその通りだ。

 あとは統計ものの利用はなく、ほとんどが自分の経験を書いている。それは面白いが、一般化できない弱点はあるし、結局、川崎氏は就職したくなかったのだろう、と思うと、読み返す気力はわかない。

 でも、1981年生まれの川崎氏の日常生活で「へぇ」と思ったのはゲームである。生涯で一度だけプレイしたロールプレイングゲームが「ファイナルファンタジー5」で、小学校高学年だった、という。ゲーム下手でどうしてもラスボスが倒せず、ラスボスがいそうな画面にたどりつけずに、クラスメートに「ラスボスのところまでレベルを上げてゲームを進めてよ」と懇願した記憶がある、という微笑ましい話だ。

 川崎氏は「ファイナルファンタジー5」を面白いと感じた、という。

 「ゲームのシステムが非常に秀逸かつ魅力的だった」「楽しませてくれた最大のポイントは『ジョブ』というシステムにあった」という。「主人公たちは、敵をやっつけ、経験値をため、レベルを上げ、武器をより優れたものにしつつ、長い物語を進むわけだが、その過程で何らかの職業を選ぶことができるのである。『白魔道士』とか『魔法剣士』とか『薬師』とか、とにかく多様な職業が用意され、選んだジョブによって戦闘シーンのアクションや覚える必殺技、魔法などが異なり、すべてのバリエーションを味わおうと思ったら、どれほど時間を費やさねばならないのか、当時は想像もつかなかったくらいである」とある。

 約15年後に川崎氏はそのゲームのジョブ(職業)を思い返して、次のように書く。

 <ジョブはあくまでもジョブにすぎずワークではない、ということになる。「竜騎士」や「猛獣使い」といったジョブをまっとうするために主人公たちはゲーム世界に生きるのではなく、最終的な悪いボス(名前は忘れてしまった)を倒すという目的が存在するのである。つまり「ラスボス撃破、しかる後の平和な世界建設」(そんなような目的だった気がする)こそがワークであって、「狩人」というジョブになることはワークではないのである。>

 そして、川崎氏は「ジョブ」と「ワーク」の関係を「やりたいこと」というお題目が見えにくくしているのであはないか、と問う。「音楽」をやりたいから「ミュージシャン」になる、「小説」を書きたいから「小説家」になる、というような傾向は「ジョブ」と「ワーク」を同一化するあまり、どちらに重きを置くにせよ、本質から乖離する結果を助長するようにも思える、と。

 この推論自体、どうこう言いたくないし、そうだろうなぁ、と思うのだが、私がハッと思ったのは、川崎氏の年代はすでにこのような抽象的思考に入るきっかけをゲームが担っている、「気づき」の元までゲームになっている、という素朴な発見である。

 川崎氏はこの年代には珍しく(と言っていいのだろうと思うのだが?)ゲームをやっていない、という。唯一のゲーム経験が「ファイナルファンタジー5」だった、というのだから。その川崎氏にしてこうなのだから、ゲームに浸っている若者はもっとゲームの影響力が大きいのではないか、と思ったのだ。

◆ついでに「人生ゲーム」について

 朝日新聞11月24日朝刊<人生ゲーム40歳/発売は高度成長期/ルーレット、米国へのあこがれ/職種にアイドル歌手、転職もOK/オーダーメードも登場>でタカラトミーのボードゲーム「人生ゲーム」が日本で発売40年を迎えたことを特集していた。

 <ドル札を模した紙幣のやり取り、株への巨額の投資…。億万長者を夢見て、波乱万丈の人生が疑似体験できると、子供から大人まで幅広い支持を集めてきた。現在は6代目(スタンダード版)。企画版を含めると、総出荷総数は1200万台を超えたという。>

 という前文だ。原型は1960年に米国で発売された「THE GAME OF LIFE」で、世界21言語に訳され、日本版は68年9月に発売。「人生山あり谷あり」というような宣伝がテレビコマーシャルに流れた、とある。

 記事で小泉信一記者は、

 <この年、日本のGNPが世界2位になった。大阪万博を2年後にひかえ、列島が高度成長に沸いていた。それまで盤上のゲームといえば、いかに早くゴールをめざすかという「すごろく」のイメージが日本人には強かった。「サイコロの代わりのルーレットが画期的でした」と開発チーム。「ヨットを買う」「牧場の跡継ぎになる」などのマス目に書かれた指示も、米国の生活へのあこがれを感じさせた。初代と2代目は米国版の翻訳だったが、83年発売の3代目から日本独自の内容になる。アイドル歌手など当世風の職種も登場。世相を反映し、転職できるルール改正も盛り込んだ。マス目には「お世話になった人たちにお歳暮をおくる」など日本風の指示も登場した。>

 と説明していた。

 面白かったのは記事につけられた<マス目に書かれた代表的な言葉>である。

▽初代(1968年発売)火星から使者がきた

▽2代目(80年発売)エベレスト登山成功

▽3代目(83年発売)ノーベル賞を授賞する

▽4代目(90年発売)リハウスでリフレッシュ

▽5代目(97年発売)カラオケでストレス解消/インターネットで自分のホームページを作る

▽6代目(08年発売)恋人と三ツ星レストランに行く/ブログが書籍になり大ヒット!

 である。その時その時の世相にあった内容にしている。6代目は今年6月に発売されたそうだ。9歳以上としていた対象年齢を6歳以上にして字を大きくしたそうだ。タカラトミーは「不況の影響か、中高年世代が自宅で家族そろって遊ぶケースが最近多いのでは」と言っている、というが、こういうゲームは懐かしいし、いいゲームだった。一人で楽しむのではなく、何人かでワイワイ楽しみながらやるゲームはもっと流行ってほしい。

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2008年11月27日 (木)

書評「若者のための政治マニュアル」山口二郎著(講談社現代新書)

 2008年11月20日第1版第1刷発行、定価720円+税=756円。

 224ページと薄い本で読みやすく、この種の本にしては安いのは、多くの若者に読んでほしいからか。

 若手政治学者としもてはやされた山口二郎氏も執筆直前に50歳になった、と「あとがき」に書いてあった。

 「私は団塊世代の無責任さが嫌いだが」とあるのも、そうだろうなぁ、と思う。若い頃は社会民主主義論など難しい用語を弄んでいた観もあったが、この本は非常に読みやすい。男子三日会わざれば…で、相当に人格の幅が広がったのかな(失礼!)。

若者のための政治マニュアル (講談社現代新書) 若者のための政治マニュアル (講談社現代新書)

著者:山口 二郎
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 非正規労働者激増、ワーキングプアなど物言わぬ優しい若者たちに「もっと自己主張していいんだよ」と説く。難しい言葉を使わずに、内容を一定レベル以上に保ったのは山口氏の成熟の賜なのか。全10章だが、それぞれ「ルール」としている。これが山口氏の主張なので、ルール1~10まで書いておこう。

生命を粗末にするな

 イラクで人質になった若者3人への「自己責任論」の嵐の中で、山口氏は「あんなやつは死んで当然だから助けなくてよい」と言った政治家は絶対許さない、という。秋葉原事件など犯罪に対するのと同じ怒りを犯罪の原因である社会構造に向けるべきだ、という。総中流社会は社会的包摂の社会だったが、今は社会的排除の社会であり、変えなければいけない、と説く。

自分が一番――もっとわがままになろう

 政治は異なった利益の主張が様々に存在することが前提となっているのだから自分の権利を主張しよう、権利の主張が過剰なのではない。権利と特権を混同してはいけない、と。「和の政治」「あいまい決着」は対立点を隠し、政治を無意味にする、とし、みんなの権利が尊重される社会を作ろう、と説く。

 「自信を持ってわがままになろう」という若者へのメッセージはいい言葉だ。

人は同じようなことで苦しんでいるものだ、だから助け合える

 リスクを個人が負うのか、社会で分かち合うのか、誰もが負うリスクは分かち合うべきだ、という。

 ここで面白いのは自民党一党支配体制が続いたのは国民を包摂する様々な仕組みがあったことを説明していること。

 日本の社会政策の規模は西ヨーロッパの国々と比べ小さいが民間企業単位のリスク社会化(長期安定雇用、健康保険)がある。これには会社に属する人を会社人間化させるデメリットもある。

 また、官僚支配や政治腐敗とリスクカバーが結びついていたのも日本の大きな特徴だ。地方にとってほぼ唯一の産業である公共事業はただ単に切り捨てればいいというものではないが、建設会社の談合と官僚天下りがついて回る。それに、小売業、金融、輸送などの業界は護送船団方式で官庁が守り、弱い企業の落ちこぼれを救った。こうした業界保護と癒着が結びついた胡散臭さを伴ったのが日本型の特徴だ。

 1980年代まではこの仕組みがうまく機能し、80年代半ばには「総中流時代」が形成された。90年代には政治家と官僚の腐敗が度を過ごし国民の我慢の限界を超えたこと、バブル崩壊と経済の長期停滞で税収減、財政悪化、リスク社会化のための財源不足、生活保護予算のカットなどが始まる。

 グローバル化の進展で規制緩和、民営化が進み、労働規制までなくなった。人々は今までよりも大きなリスクにさらされたのに、改革という名の下にリスクを拡大する政策を人々は支持した。

無責任でいいじゃないか

 行政改革の基本構想を打ち出した90年代後半の行政改革会議最終答申、99年2月の経済戦略会議「日本経済再生への戦略」報告は他者あるいは社会からのサポートを受けることがモラルハザードと悪平等をもたらすので、倫理的に好ましくないという価値観が「正義」として語られている。

 こういう議論は部分的に正しいことから出発してそれを過度に一般化して誰も反対できない「正論」を形成するというインチキだ、と激しい言葉で糾弾する。

 90年代以降、バブルが弾け、経済全体に余裕がなくなった。アメリカにおける経済の発展のモデルを見て金持ちや強者はもっと遠慮しないで金を稼ぐことが倫理的にも許されるという信念を持つようになり、日本では経済界とアメリカかぶれの学者からなる政府の審議会がそのような考えを布教した。

 自己責任論が小さな政府、冷淡な政府をもたらした。

 オリックスの宮内義彦会長は派遣の全面解禁など雇用の規制緩和の旗を振った規制改革・民間開放推進会議議長を務め「北海道の人口は200万、300万人で十分だ」と発言した。今の人口は560万人だが、札幌で大体230万人。札幌以外は役所の経費が無駄だから人は住むな、ということ。こうした人に主導されて政治が行われた。

頭のよい政治家を信用するな

 マックス・ヴェーバーもいうように政治家に求められる資質は情熱、判断力、責任感。

 国民が冷酷非情な小泉政治を支持したということは、面倒見としての政治を否定するという転換に踏み出したことだ。

 今後、少数者や集団への利益配分が既得権として一切合財否定されるならば、公共の利益は何を意味するのか、と問いかける。

 小泉改革から何年か経って人々は政治家に必要な条件について考え直しているようだ。鈴木宗男や亀井静香のほうが他者に対する共感能力では小泉やその手下よりもはるかに立派な政治家だ。

 官僚という人種は既存の制度や法律を前提としてものを考え、あらゆる問題を既存の制度の枠組みの中で解決しようとする。それは決して悪いことではなく、官僚に求められる資質だ。官僚が杓子定規で保守的なのは仕方ない。

 政治家こそ世の中の変化をしっかり見据え、既存の制度や法律のおかしなところを改めるべきだ。

 政治家には細かい政策の知識は必要ない。どのような世の中に向けてどのような政策を作り出すかという意志こそ政治家にとって最も重要な資質だ。

 有能だが大きな目標や志のない政治家と当面財源の当てはないがたとえばワーキングプアを撲滅するという大きな目標を持っている政治家と、「政治家としてどっち立派か」と問われれば、私は迷わず後者を選ぶ。多少荒唐無稽ではあっても志高く、目標を提示する政治家を大目に見てやる必要がある。

あやふやな言葉を使うな、あやふやな言葉を使うやつを信用するな

 ジョージ・オーウェル「1984年」のビッグブラザーの「戦争は平和である。自由は隷属である。無知は力である」。→ファシズムは言葉の崩壊から始まる。策略をもつ政治家は常に意味不明の言葉を流布させる。メディアの発達とイメージ操作。

権利を使わない人は政治家からも無視される

 戦後日本では60年安保のように若者こそ政治を動かしてきたのに、なぜ若者は今政治に無関心なのか?

 政治教育がなってないからだ、という。文部科学省は政治に興味をなくさせ、権利行使をさせないような教育をしている。ディスカッションで政治を学ぶアメリカの高校とは大違いだ、と慨嘆する。

 公明党が力を持っているのは創価学会全国800万世帯しかいないのに、投票に行くので、投票率が100%となり、投票率の低い選挙では公明党の1票の価値が高まるからだ、という。弱者はこの原理を利用すべきだ、という。

 「公明党が影響力をもつということは、若者の利益を考える政治家が少ないということとコインの裏表だ」と言っているが、ここまで言うと、公明党に可哀相過ぎないか。

本当の敵を見つけよう、仲間内のいがみ合いをすれば喜ぶやつが必ずいる

 イタリアの政治学者ノルベルト・ボッビオは「近代政治において自由と平等が最も基本的な対立軸である」。

 ロベール・ボワイエの「フォーディズム」。

 コリン・クラウチの「デモクラシーの放物線」。

 戦後日本の平和と繁栄は日本型フォーディズムの仕組みがもたらした

 政治的な差異が曖昧になったのは社会の安定や経済の繁栄の裏返し。

 経済的飽和化と差異の消滅という政治状況は20世紀末から急速に崩れ始める。石油危機以降の成長の鈍化、経済グローバル化の進展、先進国における製造業から金融業、サービス業への産業構造のシフトなどが原因。

 グローバルな市場の拡大でそれぞれの国内において労働力の供給主体としても、消費の主体としても、労働者をつなぎとめる必要がなくなり、必然的に平等化装置も必要とされなくなった。労働力は中国、インド、旧共産主義諸国などに行けばいくらでもいるので、国内の労働者に高い賃金を払う必要はない。先進国の人口が停滞する中で、製品も海外の消費者、特に中国やインドに売ればよいということになる。

 富のヒエラルヒーが復活する新たな環境で、ヒエラルヒーを正当化する政治的圧力と平等を回復させようとする政治的圧力が対峙し、政治的対立軸が復活する展開が見られるようになる。

 こうした平等を争点とした新たな対立構図の中で左派勢力は支持基盤拡大に取り組む。

 ところがコリン・クラウチが「ポスト・デモクラシー」(青灯社、2007年)で分析しているように

▽最近の先進国のポスト・デモクラシーではポスト産業社会の帰結として現れた新たな中流・下流階層の人々が自らの利害や要求を政治的に主張する能力を失う

▽ビジネス、特にグローバルな市場で活動するビジネスの政治的な力が大幅に増加する

▽バランスを欠いた政治が出現する

 ――と指摘する。

 非エリート市民がヒエラルヒーの縦の差異を政治的な差異として認識できなくなると時給800円のフリーターが月額150万円の六本木ヒルズに住む若手経営者を見ても敵と感じなくなる。そうした心理がもたらすのは諦めである。

 政治階級は「分割統治」の原則を忠実に守っているので、正社員と非正規社員の確執とかを引き起こして、怒りが自分たちにこないようにする、という。この主張は「なるほど」と思った。

 英国のブレアは「福祉から労働へ」のスローガンで社会福祉を社会に参画し自己実現を求めて働く人々を後押しする政策と位置づけた。これは見習うべきだ、と。

 日本では保守政党の長期政権を支える仕組みの一部として平等化装置が確立された。ところが、規制緩和、市場開放が進み、「総中流社会」を支えた平等化装置は解体の一途をたどった。ところが、90年代は財政出動による景気対策が行われ、不平等が顕在化するまでタイムラグが存在した。

 小泉改革は90年代以降の政治改革の文脈における政策転換の仕上げだった。「官と民」という差異化を首相が先頭に立って採用することで改革に対する世論の支持を動員した。「官と民」という偽りの対立軸の中で、「民」側には市民と大企業が入り、大企業は官からおいしいところを分捕った。弱者保護もしていた官はやせ細った。

今を受け容れつつ否定する

 理想主義と現実主義、エドマンド・バーク「フランス革命についての省察」(岩波文庫)。急進主義とエリート主義。

当たり前のことを疑え

 政治の進歩は当たり前のことを崩すことによって起こってきた。「当たり前」は国、時代によって全く異なる。政治のえこひいきを正当化する「社会的偏見」。「当たり前」を常にかき回そう。

 以上が目次+@である。

 面白かった。

 たくさんの若い人に読んでほしいと思う。

 私など、ここで批判されている飯尾潤氏の分析がある程度正しい、という見方なのだが、山口氏の大胆な分析も傾聴に値する。

 ただ、やはり、昔日の社会党の理論ブレーンだけあって、「これは運動論だな」、というのが正直な感想だ。運動論でもいいのだが、限界があり、時代が変わったら通用しない。今の時代向けの寿命が短い論文かもしれないが、パンチがある。

 この論にどれだけの若者が反応して、動き出してくれるのか。期待したい。

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2008年11月24日 (月)

書評「人間通」谷沢永一著(新潮選書)

 谷沢永一著「人間通」新潮選書、2008年5月25日発行、定価1100円+税)。

人間通 (新潮選書) 人間通 (新潮選書)

著者:谷沢 永一
販売元:新潮社
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 1995年に新潮選書と慣行されたものに新潮文庫収録時(2002年)の対談を加え、新たに刊行した、とあった。

 谷沢永一氏は1929年大阪市生まれ、関西大学大学院博士課程修了、専門は書誌学、日本近代文学。関西大学文学部教授を経て現在名誉教授。評論家としても多方面で活躍中。主な著書に「紙つぶて(完全版)」「司馬遼太郎の贈りもの」「回想 開高健」「文豪たちの大喧嘩」「雑書放蕩記」「向学心」「冠婚葬祭心得」「聖徳太子はいなかった」など、とあった。

 誰に対しても遠慮せず、ズバリ斬り込む筆法はさすがだ。

 P125「侮蔑」と題するエッセイは谷沢の持論を代表しているだろうから、全文を写しておく。北村透谷の文章の中の安逸という文字は違う文字を使っているのだが、分かりづらいので、「安逸」にしてある。

 <自尊心に発する批判衝動の攻撃本能が、最後に行き着くところ、それは自分が生を享け育てられ守られている祖国、原因国民の一人として生活の日常を保護されている国家の、つまり自分が国籍を有する祖国の先祖であり同朋である国民の全員に対する血の通っている人間とは思えない冷酷な侮蔑となる。>

 <すなわち我が国民は愚かで鈍くて間抜けで幼稚な頓馬であり、彼らの蒙昧を見抜いた自分だけこそ英邁なのだとの言い立てである。>

 <明治二十六年十月、北村透谷は、明治の日本人を頭から見下して、「安逸は彼等の宝なり、遊情は彼等の糧なり」と罵った。>

 <その翌年、日清戦争、勝利は決定的であった。近代戦は総力戦である。国民を挙げての志気が勝ちを制したのである。戦争の目的はロシアの南下を阻止する防衛であった。>

 <白色人種の植民地侵略を黄色人種が世界史上はじめて食いとめたのである。>

 <その日本国民を安逸遊情と蔑んだ透谷の傲慢は常軌を逸していた。>

 <戦後の我が国では他国への批判を絶対に回避する卑屈が瀰漫している。その臆病が翻って物言わぬわが国民の先祖を攻め立てる内弁慶の七つ道具に転化した。>

 <終戦直後の当時は近代主義と呼ばれた一派にはじまり、昭和二十年代半ば以降は謂わゆる進歩的文化人が論壇を占拠し、日本の歴史を罪悪ばかりの暗黒に蠢く図柄として描き続けた。>

 <自分たちだけが優れた眼識を有するのだと誇示するために先祖と同朋を蔑み卑しめ指弾してやまぬ情熱は、自尊心の発作が歯止めを失った屈折と倒錯と卑屈の乱痴気騒ぎであった。>

 親友とは絶えざる気働き心尽くしの結果である、とか、嫉妬とは人の世を動かしている根元である、とか、精神の奥を揺さぶる言葉が96のエッセーにちりばめられている。

 付録の「人間通になるための百冊」も役に立つ。昔、感動した覚えがある林達夫「共産主義的人間」(中公文庫)やE・H・カー「歴史とは何か」(岩波新書)、H・ニコルソン「外交」(東京大学出版会)、D・ハルバースタム「ベスト&ブライテスト」(サイマル出版会)、岡田英弘「世界史の誕生」(筑摩書房)などが推薦図書にきっちり入っていたので、谷沢の「選球眼」を信用した。

 向井敏「文章読本」(文春文庫)、神田秀夫「古典一周」上下(明治書院)、三宅雪嶺「世の中」(実業之世界社)、渡部昇一「萬犬虚に吠える」(PHP文庫)、内藤湖南「日本文化史研究」上下(講談社学術文庫)、河盛好蔵「人とつき合う法」(新潮文庫)などは読みたい本だ。

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2008年11月20日 (木)

書評「結婚難民」佐藤留美著

 小学館101新書、2008年10月6日初版第1刷発行、定価700円+税。三浦展氏の推薦の言葉が帯にある。

結婚難民 (小学館101新書 3) 結婚難民 (小学館101新書 3)

著者:佐藤 留美
販売元:小学館
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 <佐藤留美(さとう・るみ)1973年東京都生まれ、青山学院大学卒業後、出版社勤務を経て2004年からフリー。20代、30代女性のライフスタイルに詳しく、また、同世代のサラリーマンの生活実感も取材テーマとする。雑誌「日経ビジネスアソシエ」週刊SPA!]などで取材・執筆を行うほか、単行本の企画や著者の代筆を務めることもあり、その中にはベストセラーも含まれる。2005年、企画編集事務所「ブックシェルフ」を設立し、代表取締役。本書は、実名で書いた初めての本である。>

 随分若い著者なのだなぁ、と思ったら、[おわりに]で自分で「本書は若輩者が挑戦した初めての本なので、多くの方の協力がなければ成り立ちませんでした」と殊勝に書いていた。「日刊ゲンダイ」に無署名で2008年5月17日付に書いた「結婚してはいけない10のオンナ」という記事がベースとなり、この記事はインターネットの検索ワードを入れると一時期は9万件くらいヒットする話題となり、賛否両論を巻き起こした、という。「本にすれば」という声に「女が女の悪口を言うみたいで嫌だな」という戸惑いもあったが、夫が「アンタのことについて書けばいいじゃん」と言ったので「あっ、そっか」と気が楽になって書いた、と楽屋話を書いていた。

 と、こんなことばかり書いていると「トンデモ本」みたいに思うかもしれない。たしかに、

 <家賃より高いブランド靴に散在する「ルブタン女」、若い男を食い散らして生気を吸い取る「クーガー女」、下手をすれば殺される!?「デートDV女」など、非常識な20代、30代女性が増殖中。1990年代以降の就職氷河期に社会に出て、自分に自信が持てないでいる「ロスジェネ世代」の男性たちは、これら「結婚してはいけない女たち」に近寄ってはならない!? 少子化・非婚化の背景を、最新の世相をもとに識者たちと分析しつつ、結婚の本来あるべき姿を考えた、「妙齢男」応援本!>

 という表紙裏の宣伝文句を読むと、何かちょっと胡散臭い感じがしないでもないのだが、この後半に書いてある「少子化・非婚化の背景を最新の世相をもとに分析」した部分が役に立つので、読んで得した感じなのだ。それに、いろいろとキャッチコピーのような言葉が並ぶが、それは本が売ればければならないから書いているだけだ、と思えばいいので、調査結果とかのデータを中心に負っていけば、今の時代の若者が見えてくるし、彼女の結論自体、常識的で、悪くはない、と思うのだ。

 ということで、著者の意図には反するだろうが、データを中心に書き留めておく。

▽ロスジェネ世代が就職活動をした1997~2003年の就職戦線の厳しさ。大卒求人倍率は1倍程度。2000年3月卒は過去最低の0.99倍。2009年3月卒は2.14倍の予想。

▽2007年の労働力調査で雇用者5147万人のうち非正規雇用は過去最高の1732万人と約3分の1。厚労省の「就業形態の多様化に関する総合実態調査」(04年7月)によると、全世代の非正規雇用者のうち20代は23.2%、30代は19.3%と、20・30代で42.5%を占める。

▽多様化調査によると、非正規雇用で月給10万円未満は37.2%。10万円以上20万円未満は40.8%。つまり、月給20万円未満が8割弱いる。

▽情報労連とNTT労組のアンケート調査(07年6~7月実施、中小企業の正社員1505人と週35時間以上働くフルタイムの非正社員1082人が回答)では正社員の平均年収は約370万円、非正社員は約191万円と正社員の約半分だった。非正社員はほとんどの場合、雇用保険にも厚生年金にも組合にも入れてもらえないので、いざという時に労災や失業保険がもらえない。社員食堂の割引、福利厚生施設が使えず、金は正社員以上にかかる。

▽日本で結婚適齢期といわれる20代中盤から30代中盤で男性の独身者比率が急増。2005年国勢調査では、25~29歳の男性の未婚率は72.6%。30~34歳男性でも47.7%と、実にこの世代の約半分の男性が結婚していない。この世代はちょうど就職活動時期が就職氷河期に重なってしまった「ロスト・ジェネレーション」、ロスジェネ世代。就職したくても就職できず、30歳前後まで一度も正社員になれずにきた非正規雇用労働者が約3割を占める。

▽2002年の総務省「就業構造基本調査」を利用して労働政策研究・研修機構が作成した調査報告によると、25~29歳男性で年収100万~159万円は15.3%が結婚している。年収150万円~199万円は17.4%。200万円~249万円は22.8%。年収と既婚未婚割合が比例する。

▽前述の情報労連とNTT労組のアンケート調査でも、30代男性の正社員は63.0%が既婚。非正規社員は45.6%が既婚。正社員か非正規社員で結婚に大きく影響している。

▽ブライダル雑誌「ゼクシィ」の2007年調査で結婚費用の平均は414万円。

▽橘木俊詔氏の「女女格差」調査結果。「一生結婚するつもりがない」人は、1982年に男性2.3%、女性4.1%。2005年が男性7.1%、女性5.6%。つまり、女性が結婚しなくなったのではなく、男性が結婚しなくなったのだ。また、「いずれ結婚するつもり」は男性が95.9%から87.0%と約9ポイント低下した。女性は94.2%から90.0%へ4.0ポイントの低下でしかない。実は女性よりも男性のほうに未婚、非婚志向が高まっている。

▽作家の城繁幸氏によると、上場企業で定年まで勤め上げた今65歳の男性は生涯賃金は3億円程度稼いだが、ロスジェネ世代は生涯賃金が5割程度減る。つまり、1億8000万円程度、ということか?

▽また城氏は2006年に読売新聞が行った上場企業人事担当者100人アンケート結果を引用し、40歳の時点で課長以上の管理職に昇進している人は26%、4人に1人しかいない。日本企業では課長になるのは何歳から何歳までと決まっているので、40歳を超えると現実的に一発逆転は無理で、管理職になれないということは、年齢給が毎年細々と上がる程度だから、年収はせいぜい700万円程度で頭打ち。各企業の人事は今、団塊の世代の退社を機に管理職ポストを整理する方向で、管理職ポストは今の4分の1程度に減るだろう。ある程度の企業だったらあった「部付き部長」とか「担当部長」といったラインに乗らない部下なし部長が年収1000万円を貰うという呑気な時代は過去のもので、今は7割の正社員が一生平で、生涯賃金は4割ダウン? 正社員の未来も決して明るくない、と言っている。

▽ロスジェネ世代の親は窮乏し、「パラサイト・シングル」はできなくなっている。これがロスジェネ世代の悲しさ。樋口美雄氏らの書いた本からの引用だが「パラサイト・シングルの親は高度経済成長期で雇用も安定しており、昇進も確保され、バブル期に退職しており、多額の退職金と、納付額に比べればはるかに多額な年金を受け取ることができた世代だ。それに対し、ロスジェネ世代の親は団塊の世代以降に相当し、90年代の平成デフレの時期に企業リストラや倒産などを経験し、すぐ上の戦前世代が得ていたような退職金や寛大な年金も受け取れないことがほぼ確実な状況にあるというのが現状」というような内容だ、と書いている(ちなみに「女性たちの平成不況―デフレで働き方、暮らしはどう変わったか」日本経済新聞社刊からの引用だそうだ)。

▽ロスジェネ男は団塊ジュニア世代とも重なっており、人口が多いため、何をするにも競争が多く、受験戦争で志望校に拒絶されたり、就職活動で何十社からも落とされたりして心が傷ついている。女性から断られると落ち込む。アダルトビデオやエロゲーなど「二次元の世界」にはまるのも無理からぬことだ、としている。

▽2007年厚労省調査でネットカフェ難民の73.2%は健康保険に加入していない。

▽森永卓郎氏は「日本では2002年1月から景気回復が始まり、名目GDPが14兆円増える一方、雇用者報酬は5兆円減った。大企業の役員報酬は1人当たり5年間で84%増えて、株主への配当も2.6倍になった」。

▽2006年7月のOECD対日経済審査報告で2000年時点の日本の相対的貧困率は加盟25カ国の中で5位の15.3%。18~65歳の生産年齢人口で見ると、データがある17か国中、日本はアメリカに次いで2位の13.5%。

▽OECDはその国の平均所得の半分が貧困ライン。日本では夫婦と子供1人の世帯で、手取りで年収240万円が貧困ライン。非正規雇用者はほとんどが貧困ラインに及ばない。

▽この流れと直接関係はないのだが、アメリカの社会学者ロバート・チャルディーニが「影響力の武器・第2版」(誠信書房)の中で「何人かの研究者(アメリカの社会心理学者)は、人気の高いメディアが非現実的な美しさをもつ人々(男優、女優、モデル)を載せることが原因で、現実に付き合う可能性がある身近な異性のルックスに私たちが満足できなくなってしまうことを警告している。たとえば、ある研究では性的魅力が誇張されたヌード写真(「プレイボーイ」誌や「プレイガール」誌にあるような)を見ると、自分の配偶者や恋人に満足できなくなることを明らかにしている」と解説している、というのは面白い。

 と、統計的な部分をピックアップしたが、最後まで読むと、著者の優しさにほろりとしそうになる部分もあり、面白い本だと思う。あまり、内容を全部書いてはいけないので、ここまでにしておくが、「金じゃない、人間的魅力だ」という発信は素晴らしいと思う。

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2008年11月12日 (水)

書評「医師の正義」白石拓著(+「中国で臓器移植仲介の日本人業者」読売新聞)

 「医師の正義」は宝島社刊で2008年7月16日第1刷発行、定価1143円+税。

 著者は白石拓氏。1959年生まれ。愛媛県出身、京都大学工学部卒。科学ジャーナリストとして活躍するかたわらノンフィクションも手掛ける。2002年より青森県内で広く実施されている「ABA小学生未来新聞を作ろうコンテスト」のインストラクター・審査委員をつとめる。近著に「あったか言葉とチクチク言葉」(宝島社08年)、「1万円の世界地図」(祥伝社新書07年)他がある。上記2書は本名(佐藤拓)で執筆。

医師の正義 医師の正義

著者:白石拓
販売元:宝島社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 面白い本だ。倫理面での反発が強く、難しすぎてジャーナリズムが敬遠したり、新聞が誤解しっぱなしの問題を、当事者に取材することなどを通じて、問題の所在を分かりやすく説明してくれる本だ。

 四つの大テーマがある。①病腎移植問題②赤ちゃんポスト問題③代理出産問題④医療事故問題である。

 このテーマを聞いただけで「そんなテーマには触りたくない」と遠ざかる新聞記者やテレビ記者が多いと思う。

 日本人の中でコンセンサスがつくりにくい、当事者の利害が対立するだけでなく、思想信条や宗教にも関わってくる大問題だからだ。

 いずれの立場の言い分にも「正義」がありそうに見えるのが困るような問題なのだが、白石氏はその問題を腑分けして、読者に分かりやすく説明したうえで、あえて大胆に自分の見方を示している。それが潔くていい。

 ここでは第1のテーマだけ書いておく。読売新聞の記事との関連で急きょ、書こうと思ったので、他のテーマ、特に代理出産問題をはじめとした生殖医療には、本当はもっと面白い問題点もあるのだが、今はパスしておく。時間があったら、後で書き足す。

 病腎移植問題、つまり万波医師の問題は、新聞による知識しかなかったので、この本を読んで驚いた。今まで知っていたことがすべて否定されて、全く逆の考え方をするようになった。

 宇和島徳洲会病院の万波誠医師である。長時間インタビューで万波氏に心情とやってきた行為を語らせているだけでなく、万波氏の評価を他の専門家らに聞くことで客観的に語っているのがいい。

 病腎移植は英語では「レストア腎移植」というのだそうだ。日本語に訳せば「修復腎移植」である。

 2008年1月にはアメリカ・フロリダで開かれた全米移植外科学会・冬季シンポジウムで病腎移植の症例報告をした万波医師らの論文がベスト10論文の一つに選ばれ、万波医師は表彰され、招待講演を行った。論文は米医学誌「アメリカン・ジャーナル・オブ・ロラン誌プランテーション」4月号に掲載された。

 この高い評価の背景には世界中が移植臓器不足に悩んでいる現実がある、という。また、腎臓移植は人工透析よりも長生きできる。また、修復腎移植は生体腎移植や死体腎移植に比べてはるかに問題が少ない移植であること、万波医師らの症例ではその成績は死体腎移植に匹敵する、という。

 政治も動き始めた、という。超党派の国会議員でつくる「修復腎移植を考える超党派の会」(会長・杉浦正健元法相)が修復腎移植に賛同し、万波医師への行政処分にも異を唱え始めたのだ。

 日本では腎臓移植の平均待機年数は16年。人工透析が導入されて亡くなるまでの患者の平均寿命は8~9年なので、待っているうちに死んでしまう人が多いのだ。先進各国と比較すると、他国は人口100万人あたり軒並み日本の3.5~6.5倍もの腎臓移植手術を行っているのに、腎臓が足りない、という訴えは日本と同じだ、という。

 日本で腎臓移植を希望する待機患者は2008年1月31日現在で1万2075人だ、と。

 日本臓器移植ネットワークが稼動した1995年から2007年までのデータをもとに計算すると、08年1月現在に腎臓移植を希望している待機患者のうち運よく死体腎移植を受けられるのはわずか1.6%。100人に2人もいない。現行の臓器集めが破綻している。

 万波氏ら瀬戸内グループの修復腎移植はこのような絶望的な臓器不足から生まれた、という。「がんを切除しても、がんにかかった臓器を体に入れたくない」という患者が結構いて、その場合、本当はまだ使える臓器をバケツに入れて捨てている、という。それを使うようにした、ということだ。

 面白い指摘は次のような事実である。

 腎臓移植を待つ日本の患者の半数近くは糖尿病をを患っているため、平均寿命は8~9年しかない。人工透析の費用は一般に月40~60万円と非常に高額なのだが、透析には健康保険が適用され、他に特別な高額療養費の助成制度もあるので自己負担は通常月1~2万円ですむが、自治体によってはその1万円さえも助成してくれる制度もある。患者は非常に助かっている。とはいえ、このような助成制度は患者にはありがたいが、治療費は保険と公費でまかなわれ、全額が病院に支払われる。仮に透析患者1人当たりの費用を月50万円とすると、1年間で600万円。よって透析患者を50人抱える病院はそれだけで年間3億円の安定収入となる。それが患者が亡くなるまで保証されるので、透析は「金のなる樹」といわれている、という。だから、病院の医者は「移植を考えましょう」といわずに、「透析を」となるのだ、という。

 さらに、日本の人工透析医療費総額を600万円に患者数26万4473人を掛け算して求めると、およそ1兆6000億円だ、という。05年度の国民総医療費は33兆1000億円。うち歯科診療費と薬局調剤費を除く一般診療費は約25兆円。だから、人工透析費は一般診療費の7%をも占めるに至っている。そして毎年1万人分すなわち600億円ずつ増えており、医療財政に大きな負担になっている。

 腎臓移植を受けた場合の医療費は初年度こそ350~400万円かかるが、次年度以降は通院費が年間120~180万円で済む。ただし、これらの費用も人工透析同様、健康保険の適用などがあるため、自己負担はほとんどない。

 日本移植学会は2007年3月31日、日本臨床腎移植学会、日本泌尿器科学会、日本透析医学会と4学会合同で万波医師らの修復腎移植を批判した「病腎移植に関する学会声明」を発表し、その中で自分たちの業績を誇って見せたが、その業績が先進各国の3分の1にも達していないレベルだ。

 移植学会が行った修復腎移植を否定した調査についても広島大学名誉教授で病理学者の難波紘二誌(鹿鳴荘病理研究所長)によって批判されている。

 インタビューをみると、万波氏は本当に名誉欲も金銭欲もない飄々とした人物のようだ。こうしたブラックジャックのような人間を<悪の権化>のように報道し続けている大手マスコミは問題だ、と白石氏はマスコミを批判しているが、その通りだと思う。

 また、万波氏だけでなく、日本ではひそかにいろいろな病院で修復腎移植が行われていたらしい。ところが、その医師たちは沈黙を守り、万波氏を援護しなかったことも白石氏に男らしくない、と批判されている。

 そして、いよいよ話は渡航移植に及ぶ。読売新聞特ダネと関連しているのはこの部分である。

 「平成17年度 総括・分担研究報告書―渡航移植者の実情と術後の状況に関する調査研究」(主任研究者小林英司、06年3月)によると、06年3月時点で少なくとも522人が過去に渡航移植を受けたことが判明している、という。これは肝臓、心臓などを含めた数。腎臓移植では198人とされている。おしなべて斡旋者や紹介者、移植費用について語りたがらないが、多額の報酬が支払われているのは間違いない、という。中には非合法な臓器売買が存在するのも今や公然の秘密になっている、という。

 現在、日本では臓器売買は法律で固く禁じられている。しかし、なぜか海外で臓器を買って移植してくることが常態化している現状に政府は何も発言していない、国内で禁じていることを海外でやっているのに、たとえ、その国の法律に触れなかったにしても臓器を買う側の政府としての責任を感じているようしはない、と書いている。

 「自国患者の移植臓器は自国で調達する」ことは国際マナーだ、というのに、そういう指摘にも政府は知らん顔だ、と。

 そして<筆者はお金で臓器を取引することには反対の立場だ。>

 と、旗幟鮮明にする。現在日本全国で廃棄されている腎臓のうち移植に使えるものは2000個ある、という。これが捨てられずに移植手術に使われれば、移植者の数は一挙に10倍に跳ね上がる。

 医療行為とは何か?という哲学的な問いがある。

 病気を治すのが医療ならば、腎臓などの提供者の健康な体にメスを入れるのが本当に医療行為なのか、と。

 そして、親族間の生体腎移植は離婚、兄弟の仲たがい、家庭崩壊などの悲惨な結果を生みかねない、という。そうした問題ある生体腎移植禁止して、モラル面での問題のない修復腎移植を合法化すべきだ、というのが万波氏と著者の意見だ。

◆読売新聞11月12日朝刊の特ダネ

 そして、読売新聞11月12日朝刊1面と社会面トップを飾った特ダネである。<「中国で臓器仲介」聴取へ/邦人代表/営利目的の疑い>が1面。社会面は<臓器移植仲介「108人」/「中国 処罰法ない」/代表が正当性主張/中国側捜査協力 立件のカギ>だ。

 内容は大体想像できるようなものだった。

 中国政府がこの男を逮捕したのだが、臓器売買を禁じる法律がなかったので法人登記の業務範囲の逸脱など関係のない容疑に切り替え、懲役1年2カ月の判決。男は臭い飯を食い終わって、成田空港に日本に帰国してきたので、神奈川県警などが臓器移植法違反でその男を逮捕する、というものだ。

 今まで108人を斡旋したと、男は読売新聞記者に語った、という。きっかけは日本の友人が肝臓移植が必要になり、調べたら中国では多くの移植手術が行われていた。これだけのところならば、日本の患者も移植手術できるという前提でこの事業を開始した、と話している。

 この男は「日本では禁じられているが、中国では合法だ。何が悪い」という立場だそうだ。

 この業者だけでなく、フィリピンなど貧しい国に頻繁に出入りし、食うや食わずの人々に「腎臓は二つあり、ひとつ摘出ても大丈夫だから。高く買ってやる」と騙して腎臓を安く買い叩き、日本人などの臓器移植の材料として超高値で売りつけている悪人の闇ブローカーが結構多く暗躍している、と聞いたことがある。

 今回の逮捕が、「何もアクションを起こさない」と世界から批判されている日本政府(警察)が動き始めたことを示すものであれば、大きな意味を持つだろう。

 この男が言っている臓器移植の値段が注目だ。

 費用は手術代を含め腎移植が780万円以上、肝移植が1300万円以上だ、というのだ。

 これ以外に手数料を取っているのだろうし、詳細は今後、警察の調べで出てくるだろう。これが今の闇の臓器売買市場の国際相場なのかもしれない。

 他紙は12日夕刊で追いかけていた。

 病人とその家族には少しのやましさはあるものの、自分が犯罪を犯したという意識は全くない。それどころか、本音は「どうして悪いのか? 死ぬよりはいいだろう」という居直り(言葉が咽元まで出かかっても、普通はそれを飲み込んでしまうから他人には聞こえない)だろう。新聞も難病の子供を抱える両親が周囲の善意に支えられてアメリカに子供のために臓器移植に行く、とかの人情話を社会面で大きく扱って、お涙頂戴話を垂れ流してきた。

 部数拡張のために(?)そんな人気取りキャンペーンをやっている新聞にとって、「アメリカでの移植はいいが、中国やフィリピンでの金銭の絡んだ移植はいけない」と、正面切って言えないのかもしれない。そういう社説を堂々と掲げた新聞を見たことがない。「形式犯でも違法は違法だから、我慢しろ」と言えないのだ。つまり、それは「お前は死ね」と言っているのと、現時点では同じだからである。

 難しいのはこの島国では外国人にも腎臓が二つあること、外国人も同じように生きているということを、「同じおならをする人間」というレベル、「ニンニクを食べて口臭が臭かったり、水虫に悩まされている生きた人間」という自分の目線レベルで理解していないことだ。

 どこか、外人といえば青い目のお人形という意識とか、有色人種といえばちびクロサンボとか、ハリマオの脇役たちと同等レベルという意識しかないかもしれないのだ。もっと極端に言えば、エヴァンゲリオンでの地球防衛軍の敵たちと同じレベルでしか外国人、特に低開発国の人間を理解していないのかもしれないのだ。

 だから、食うものも食えずに腎臓を売るフィリピン人の若者がいても「大変だ。日本政府に言ってやめさせよう」というインセンティブが出てこない。その腎臓提供者に感情移入できない。

 もしも日本が何かのボタンの掛け違いで世界の極貧国に落ちぶれる場合(北朝鮮に原爆を5,6発落とされて、大都市がすべて壊滅する、とか、テロリストグループに狙われて天然痘が大流行して5000万人以上が死んでしまう、とか、アメリカに弓を引いた結果、保障占領されてしまって、経済状態を農業国レベルまで落とされてしまったり、とかの荒唐無稽な「パンデミック」が襲来しないとも限らない)、今度は逆に日本人の若者が自分の腎臓を金持ちで軍事大国である中国とアメリカの病人たちに売らなければならない境遇に身を落とさざるを得ないかもしれない。そうなれば、今のフィリピン人の境遇を想像すれば、将来の自分の姿が見えるのだ。

 しかし、そういう未来は誰も想像しようとせず「オレは極貧のフィリピン人や極貧の北朝鮮人とは違う」不安もなしに単純に思い込んでいるから、同情心がわかない。

 だから、「お金のある日本人が貧しい国で臓器を買ってくるのは仕方ないんじゃない? 自分はやらないけど、そういうことを必要とする人だっているだろう。何をやっても法律に触れさえしなければ自由でしょ」という、冷たい言説がまかり通っている。

 テレビのワイドショーレベルの言説は基本的にこの島国根性を原点にしたものだ。こういう風潮がまかり通る状況を「健康なナショナリズム」とはいわない、と思う。

 腐臭が漂う地獄の一歩手前の状況ではないか。「このような国際常識に反することを続けていると罰が当たる」と予言したくなる。

 最後は少しカッカしてしまったが、この問題。やっぱり難しい。

 オバマ氏がアメリカの多様性をアウフヘーベンして人種のモザイクから人種の坩堝にするのは相当な難事業だが、資本主義の「おかげ」に侵食され尽くした普通の日本国民の心に江戸時代の祖先が持っていた「良心」を取り戻させるのは、もっと難しいのではないか。

 日暮れて道遠し、だろうが、それでもボクはそんな日本人が好きなんだが…。

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2008年11月 6日 (木)

書評「超大国アメリカの素顔」久保文明編著(ウェッジ選書)~「オバマの時代」を前に読み返した

 2007年7月25日第1刷発行、定価1400円+税=1470円。帯に「2時間で知るアメリカの実像! アメリカ社会の虚像と実像 政治、経済、軍事、宗教、医療。知られざる実態に日米比較から迫る!」とあるように、わずか244ページの薄い本で、なおかつ論文は176ページまでで、177ページから244ページまでは鼎談。

超大国アメリカの素顔 (ウェッジ選書 29 地球学シリーズ) 超大国アメリカの素顔 (ウェッジ選書 29 地球学シリーズ)

販売元:ウェッジ
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 普通だったら「お手軽本」のように見える構成なのだが、どうしてどうして、内容は濃い。というか、入門書とか、教科書的な書き方ではなく、必要な部分だけ書いてあるので、読みやすいのだ。その代わり、理論的に考えようとしたらば、この本だけでは不足で、専門書を読む必要がある。専門家の読書ならばそうだろうが、私にはこれで十分だ。

 [第1部 アメリカ社会の動き]は[第1章 政治~その特異な制度の成立過程と特徴および日本との違い]を久保文明氏が執筆。[第2章 軍事強国~技術の優位で強国となり、技術への固執が弱点の軍隊]は江畑謙介氏。[第3章 宗教と社会~なぜアメリカは、かくも宗教的なのか?]が森孝一氏。[第4章 医療~直面する諸課題からみた特質と現状]が天野拓氏の執筆。[第2部 座談会]は久保氏と小林慶一郎氏、渡辺靖氏の鼎談である。

 久保文明氏は1956年生まれ、東大法学部卒。コーネル大学・ジョンズホプキンズ大学客員研究員、慶応大学教授などを経て現職は東大教授。▽江畑謙介氏は1949年生まれ、上智大学理工学研究科博士後期課程修了。ストックホルム国際平和研究所客員研究員などを経て現職は拓殖大学海外事情研究所客員教授、軍事評論家。▽森孝一氏は1946年生まれ、同志社大学大学院神学研究科修士課程、バークレー神学大学大学院連合博士課程修了。専門はアメリカ宗教史。現職は同志社大学神学部教授、同大学一神教学際研究センター長。▽天野拓氏は1971年生まれ、慶応大学大学院法学研究科博士課程修了。専門は現代アメリカ政治、医療政策。現職は慶応大学法学部非常勤講師。▽小林慶一郎氏は1966年生まれ、東大大学院修士課程修了(工学修士)、シカゴ大学大学院博士課程修了(経済学Ph.D.)通産省を経て、現職は経済産業研究所上席研究員。▽渡辺靖氏は1967年生まれ、ハーバード大学大学院博士課程修了。Ph.D.。ケンブリッジ大学・オクスフォード大学客員研究員を経て、現職は慶応大学環境情報学部教授。専門は文化人類学、アメリカ研究。

 たしかに読みやすい。昨年8月21に意t読了とメモしてあった。それもあって、知っていることも多いのだが、「なるほど」と思って、今後も役に立ちそうな話だけピックアップして、メモしておこう。

◆ジャクソン大統領時代に始まった猟官制→今は政治任用制度

 アメリカと日本の政治制度で最も違うのは大統領制と議院内閣制の違いだが、それ以上に違っているとも言えるのが連邦制というシステムだ。

 連邦政府に与えられた権限はもともと内政では極めて限定されたものだったが、それが立法、司法、行政に分割され、さらに弱まっている。他の国ならば常識的に中央政府が担っている警察、裁判所なども州政府の責任となっている。結婚・離婚、死刑の有無。、教育制度、貧困対策、税金の水準などもすべて州政府の管轄である結果、恐るべき多様な制度が存在する。

 国の基本法で中央政府と下位政府との権限の分割が明確になされ、なおかつ下位政府に与えられた権限が非常に大きい。

 ということで、当初から弱体だった連邦政府の官僚制は、1829年から8年間、当時流行の普通選挙で当選したアンドリュー・ジャクソン大統領が連邦官僚制を特権階級から開放し、一般庶民(コモン・マン)のものにしようと、前大統領によって任命されていた連邦公務員を多数解雇。その後任に自分の支持者を任命した。

 これがその後、慣例となった猟官制である。学歴とか公務員経験を持たない人が多く任命され、アメリカでは「誰でも公務員になれる」という思想が育つ。

 しかし、素人行政の弊害が出て、議会は1883年にペンドルトン法で能力に基づいた資格任用制を導入し、政権交代ごとに解職されなくてすむ身分保障を多くの公務員に与えた。

 だが、今でもアメリカの連邦公務員は19世紀前半の猟官制の名残りで政治任用制度が続いている。日本の公務員でおよそ局長以上の職には大統領が自分の政党から起用する。政治任用制で任命される公務員は約3000人程度といわれる。現在は多くの場合、特定の政策の専門家が起用されている。シンクタンクの研究者であることも少なくない。

 だから、アメリカで「キャリア官僚」というと、定年まで働き続けられるプロパーの官僚を意味し、局長未満であることが多い。

 政治任用は大統領が任命するが、多くの職は上院での承認が必要。大統領が再選に失敗すると彼らはほぼ全員辞職することになる。大統領と一心同体。

 だから、日本のキャリア官僚のように「重大な政策判断の誤りをしておいて、一生居座る高級官僚」という例はあまり存在しない

 また、大学卒ですぐに官僚になる人はほとんどいない。社会の様々な場で様々な経験をした者が官僚制に集まってくる。その結果、組織運営の方法やノウハウであれ、政策の内容や執行方法であれ、民間の手法や発想、慣行がそのまま官庁に入り込んでくる。MBAや国際関係などでの修士号、博士号保持者も少なくない。

 日本のような天下り問題はあまり存在しない。だから、官僚組織の外側に政府補助金で支えられる特殊法人などを作ろうとする誘因を持たない。

 逆に慣行に対する敬意は小さく、短期的で目に見える成果を追い求めるので、朝令暮改になりやすい欠点がある。組織の記憶はキャリア官僚によって担われている。

 久保氏は「短所のない制度はない。すべての制度は一長一短である。ただし、概して、政策転換といった軸で評価すれば、アメリカの制度の方が優れているかもしれない」と言っている。なぜなら「国民としては、アメリカ型の制度の下では、複数の選択肢すなわち政策を経験した上で、どちらを好むかについて意見を表明することが可能になる。ただ一つの政策が継続され、それのみが正しいといわれ続けるよりはよいのではなかろうか」と書いている。

◆大統領制と議院内閣制

 大統領の任期は4年。現在は憲法修正によって再選は2期8年までと定められている。弾劾裁判制度はあるが、アメリカ大統領を解任するのは極めて困難。解任されても、政権そのものは続き、副大統領が大統領になるだけ。

 アメリカ大統領は野党が多数派であることが多い。1960年代末から見ても、1969~76年▽1981~92年▽1995~2000年▽2001~02年▽07~08年と、むしろ少数与党状態の方が長い。いわば、アメリカは「ねじれ」状態が一般化しているのだ。

 アメリカの政党は党の規律が弱いので、与党が上下両院で多数でも与党議員全員が大統領の方針を支持するとは限らない。与党議員からすれば議院内閣制と違い大統領をすべての法案で支えなくても政権が倒れる心配はないという心理が働く。

 最近の移民法案では与党共和党から大量の造反票が投じられて、ブッシュ大統領が強く成立を望んだ法案は不成立になった。

 また、連邦憲法の規定により、大統領、ホワイトハウス、内閣、行政部はいずれも法案を議会に提出できない。

 大統領は一般教書という形で議会に施政方針を説明できるが、これは法案ではない。議会の審議に参加する権利もない。

 法案提出権は議員に限られるため、審議も基本的に議員同士で行われる。行政部の人間は公聴会に呼ばれた時だけ、議員からの質問に答える形で発言できるだけ。

 このことは逆に言えば、大統領は日本や英国のように首相がずっと国会審議にはりつく必要もなく、野党議員からの厳しい質問にもさらされない、ということを意味する。

 立法との関係で大統領に与えられた重要な権限が拒否権だ。拒否権は議会が通過させた法案を不成立にする権限。議会は両院で出席議員の3分の2の特別多数で覆さない限り、拒否権が発動された法案を法律にできない。極めて巨大な権限だ。

 戦争に関しては連邦憲法は大統領を最高司令官であると明確に規定して大統領に戦争の指揮権を与えながら、開戦に関しては議会の決議を要求し、その権限を議会に与えた。したがって、制度的には議会は開戦を阻止できる。ただし、ただでさえ、9.11事件後で愛国的な雰囲気が強い中、またアフガニスタンでの軍事作戦に成功してブッシュ大統領に対する国民からの信頼が強い中、2002年10月のように、中間選挙直前に採決に持ち込まれると、野党議員ですら、正面から反対することに躊躇した。議会はイラク戦争阻止のための有効な壁となることはできなかった。

 大統領制にとって官僚制をコントロールするのはそれほど困難ではない。

 だが、日本の首相にとっては官僚ないし官僚制をどのように扱うかは常に困難な問題であり続けてきた。日本の政治では官僚制は一つの独自の勢力である、といっても過言ではない。世論にアピールするためにも歳出削減のためにも官僚の既得権を削減することは、最近の内閣が重視してきた政策項目だが、ここで成果をあげるのは、郵政改革のような成果はあるものの、しばしば官僚が激しく抵抗するので、容易ではない。

 アメリカ的感覚からすれば、首相は行政トップなのに、なぜ官僚が首相に抵抗するのか、と不思議だ。原因はまず首相にはホワイトハウスのスタッフのような直属の部下や組織がなく、政策形成も法案作成も官僚に依存することがあげられる。

 また、多くの議員は与野党を問わず官僚に直接依存し、あるいは官僚を通して配分される様々な補助金や事業、あるいはそこで決定される様々な規則や政策(規制や保護など)の受益者であるため、首相対官僚という状況においてしばしば官僚の応援団となる。また、首相の在任期間は普通あまり長くないため、長期戦に持ち込まれると、首相にとっての分の悪い戦いになってしまう。

 日米の違いは米国は行政権は大統領に属する日本は内閣に行政権が属し、内閣総理大臣(首相)ではない。アメリカでも内閣は存在するが、毎週閣議を開くわけではなく、ブッシュ政権では月1度程度。閣僚が全員勢ぞろいしてもあまり意味がないから集まらない。外交・安全保障関係の決定は大統領・副大統領と関係補佐官と関係する閣僚だけが集まる会議で行われる。経済関係も同様だ。この違いも大きい。

◆上院議員の任期は6年、下院議員は2年…上院の方が威信がある

 日本と違ってアメリカの議員は行政部の職を兼任できない。アメリカの議員は日本流で言う「大臣」になることを期待せず、当選を重ねる。「大臣病」もない。よい立法者になることに専念するだけだ。

 だが、行政職を兼任しないため、内向き、選挙区向きの銀が多い、という指摘もある。

 アメリカの議員は日本の議員が首相指名をするような形で大統領選出に関与できない。日本でも首相公選制に実施されれば、国会議員はアメリカと同じに首相選出に関与できなくなる。議員が権限を手放すわけだから、この改革実現が難しい理由だ。

 アメリカの議会及び議員は膨大な数のスタッフを擁している。下院議員で1人当たり16~18人程度の公設秘書がつく。ただし、選挙運動に使用することは禁じられている。上院議員の場合は選出された州の人口規模にもよるが、最も小さい州で下院議員と同数、最大で70人の公設秘書をもてる。公設秘書の重要な機能の一つはまさに法案を作成することだ。日本のように法案作成を役所が手伝ってくれないというか、役人が法案作成過程から排除されているから、膨大な秘書が必要なのだ。

 アメリカの政党には党首がいない。民主党、共和党とも全国委員長はいるが、党首としての権限は持たない。次期大統領選候補者というわけでもない。

 日米の政党で特に重要な違いは党の公認候補の決定方法。連邦上下両院や知事選では党の公認候補は予備選挙を通じて行わなければならない。ほとんどすべての州で州議会が決めた政党法で決まっている。アメリカの政党はあくまで自発的結社なのだが、他方で州政府の法律でがんじがらめに縛られ、いわば半官半民的存在になっている。

 アメリカでは有権者名簿に自分の名前が登載されるためには、自分から役所に出向いて手続きしなければならない。最近では郵送でもできる。多くの州では有権者登録の際にどの政党に所属するかを記載するように求めている。通常、民主党、共和党、その他の政党、そして無所属から選択する。その他の政党の場合はその政党の名前も書き込むことになる。これが党員になるための手続きだ。党費の納入も党員の推薦も不要だ。党員の権利としては党員しか予備選挙で投票できないという制度(閉鎖的予備選挙制度)を採用している州においては、自らの政党の予備選挙で投票する権利を獲得するが、義務はない。州によっては開放的予備選挙と呼ばれ、党員でなくとも投票できる予備選挙制度を採用しているが、そのような州では、党員の権利も非常に小さなものだ。

 肝心な点は予備選挙で勝利した候補が自動的に公認候補となることだ。党の幹部が口を挟む余地はほとんどない。党の指導部に批判的な候補が当選する場合もある。地域の価値観がそのまま反映した選挙結果になりがちだ。非常に保守的な南部では民主党においてもやや保守的な傾向を持つ候補が予備選挙で当選しやすい。逆にリベラルな傾向が強い北東部では共和党の予備選挙でリベラル派ないし中道穏健派の候補が善戦することが少なくない。このような地域に特殊な感情がそのっま政党の中に入っていきやすいのが予備選挙である。この結果、アメリカの二大政党には多様な勢力が浸透することになる。

 日本の政党幹部からすれば、公認候補を決定する権限を持たない政党指導部というのは想像を超えた世界だろう。

 主としてこの予備選挙制度のため、アメリカの政党は著しく求心力を欠いた組織となっている。日本の政党には党議拘束に反する投票をした議員に対して様々な制裁措置が存在する。最も重い処分は党からの除名だろう。

 しかし、アメリカでは政党に所属する手続きは有権者登録の際に政党所属の項目でチェックするだけだから、誰も阻止できない。次回の選挙で公認しないという措置も予備選挙でその候補が勝ってしまえば、それまでだ。

 この制度では公認候補の地位は政党幹部からいただくものではなく、自ら勝ち取るものだ。だから、現在、アメリカの政党は党議拘束をかけることもしない。

 かくしてアメリカの政党では指導部の権限はきわめて弱く、個々の議員は高い自立性を享受している。

 以下は軍事。

◆ブラック・バジェッド

 アメリカでは国民はもとより多くの議員にも知らされない「ブラック・バジェッド」がある。国家安全保障局(NSA)の予算には毎年30億㌦以上の「使途不明金」がある。その多くは偵察衛星や盗聴衛星などいまだに公式にはその存在を認めていない宇宙からの情報収集システムや「エシュロン」に代表される通信傍受解析システムなどの開発運用に使われているのではないか、と推測されているものの、実態は不明。

 しかし、アメリカでは完全に秘密に予算が使われているのではなく、上下両院の軍事委員会の委員長など少数の有力議員や関連する分野の議員にはこの秘密計画が報告される。議員も完全いn秘密を守る。米軍関係の秘密計画で議員から漏れた例はない。オフレコと言ってもすぐにマスメディアに漏らす日本とは大違いだ。その背後には日本は国民や議院に対して秘密保持の義務を課す秘密保護基本法がないという世界の中でも異例の国家である、という事情もある。

◆軍事における革命など

 軍事における革命(RMA)、ネットワーク・セントリック・ウォーフェアー(NCW)。情報技術を主体とした闘い方。このRNA/NCWの威力は1999年のNATOによるユーゴスラビア空爆、2001年からのアフガニスタンでの戦い、2003年からのイラク戦争(第一段階)で実証され、世界の軍隊が追随するようになった。

 非対称型(アシンメトリック)脅威。ネットへの攻撃など。人間による情報収集=HUMINT(ヒューマン・インテリジェンスの略)

 日本は国会における「宇宙の平和利用決議」以後、「平和利用」の定義も解釈も一定せず、安全保障分野における宇宙の利用が大きく遅れている。日本の宇宙利用のレベルはいわゆる先進国軍隊の中で最も低く、インドや中国にすら及ばない。

◆全世界的な米軍再編の背景

 グローバル・ポスチャー・レビュー(GPR)。その地域における安全保障(安定化)の役割をなるべくその地域の同盟国、友好国に担わせようという狙い。在外米軍部隊の配備、利用に必要な基地、施設の整備にはできるだけその国の財政負担い期待する、という公言していない含みもある。しかし、韓国のソウルの在韓米軍基地を南部の平沢(ピョンテク)に移設する経費の6割を韓国が負担するのは理屈が立つが、沖縄基地の米軍がグアムに移転する、グアムの基地建設費用を日本が財政措置するのは世界の歴史から見ても例がなく、法律的に妥当かどうかが問われる。

◆アメリカは宗教国家

 憲法を修正してでも公立学校に宗教教育を取り戻すべきだ、と考える人が8割近くいる。2003年ギャラップ調査結果。

 現代ドイツの神学者であるユーゲン・モルトマン氏は「アメリカは共通の過去を持っていないために、共通の未来についての意志を欠くと、昔の個別の民族的アイデンティティーへと逆行してしまう国である」と。

 過去を共有するものが民族。民族は人種と違い、過去(歴史と文化)によって創りだされるものだ。アメリカは移民による多民族国家だから「共通の過去」を持っていない。

 そのようなアメリカが国家として統合されるためには、民族(共通の過去)ではなく、「共通の未来」によるしかない。「共通の未来」は理念や理想として表現される。しなわち、それがアメリカにとってのナショナル・アイデンティティーである。

 アメリカを統合するための「共通の未来」(ナショナル・アイデンティティー)について明確に表現しているものが「独立宣言」である。

 1776年、イギリスからの独立革命のさなかに発表された「独立宣言」は、アメリカがなぜ独立しなければならなかったのか、アメリカは何のために国を造るのか(建国の理念)を世界と自国民に向けて表明するものだった。

 「独立宣言」の中心となるのは

 <すべての人間は神によって平等に造られ、一定の譲り渡すことのできない権利を与えられており、その権利のなかには生命、自由、幸福の追求が含まれている>

 である。アメリカの建国の目的は「すべての人間(「すべての国民」ではない)の基本的人権を実現するところにある。

 なぜ宗教的表現がなされたのか。「神によって」という超越的なものとの関係の中に国家としてのアメリカを位置づけることによって、国家としてのアメリカに「永続性」や「安定性」を与えようとしたのだろう。国家としてのアメリカにとっての「超越的なもの」それは「聖書の神」であった。

◆日本とアメリカの政教分離の違い

 政教分離を憲法に定めたのは人類史上、アメリカ合衆国が最初だった。アメリカ型の政教分離は「特定の教会(教団)と国家の分離」。公的領域においても宗教の自由な活動を認める。しかし、特定の宗教に特権を与えてはいけないという立場だ。フランス型の政教分離は「宗教と政治との分離」だ。

→アーリントン墓地と日本で検討している無宗教の公的施設との差

→日本は宗教行動の禁止。アメリカは特定の宗教・宗派を特別扱いすることを禁止する(国教の否定=政教分離)が、個々の宗教行動を尊重しようとする(信教の自由)。日米間には基本的人権としての「宗教を信じる権利」「信仰に基づいた行動を行う権利」についての開きがある、と書いている(P131)。

 長くなったので、医療と座談会は省略する。

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2008年11月 1日 (土)

書評「現代政治学の名著」佐々木毅編(中公新書)~相対的安定の中での根本に思いを馳せた政治学者たち

 1989年4月25日発行。古い本で定価が書いてあった表紙を棄ててしまったので、定価不明。実は、この本が出た時に勝って読んだのだが、その後、引越しをした時なのか、本がなくなっており、読みたいなぁ、と思いながら月日が過ぎていったのだが、神保町を歩いていたら、偶然、100円均一の新書本の一角で見つけたので、買ってきて読み返した。

 昔読んだ時はきっと忙しかったのだろう、と思うのだが、私はこの名著紹介の文章をすべて佐々木毅氏が書いたとばかり思い込んでいた。今回、読み返して、佐々木氏は「編集にあたって」の14ページ分しか書いていない、と知って驚いた次第だ。執筆陣を見ると、ワイマール体制末期の混乱を眼前に見ながら一気に書き上げられた20世紀の新しい政治権力の勃興と衰退を流麗に描いたメリアムの「政治権力:その構造と技術」は後年、「日本の統治構造」、「政局から政策へ―日本政治の成熟と転換」を書き上げた飯尾潤氏が担当し、ウォーラスの「政治における人間」とリップマンの「世論」は法政大学の杉田敦氏だった。20年前の本であり、政治学者たちの継続的な研究と時事問題への提言が持続的に行われていることが分かる小著だ。

 読み返したかったのは佐々木氏の「編集にあたって」と、リップマン「世論」、ウェーバー「職業としての政治」、アーレント「人間の条件」、丸山真男「現代政治の思想と行動」くらいだったのだが、時間があったので全部を読んだ。

 まず感じたのは時代の息吹である。佐々木氏が「編集にあたって」の最後に1989年1月と書いたように、この論文のほとんどが1988年に書かれた、と推測できる。今になって振り返れば、当時はバブル経済の全盛期で、日本人がいわれなき熱狂の中で「幸福感」を半ば強制されていた時代だった、と理解できるのだが、その時代に生きている人間にとっては、現在そのものであり、昨日の延長の今日が来て、明日につながるという時間のリアルな感覚の中で生活していたわけだから、バブルという認識もなく、東西冷戦の終結もまだ視野に入っていなかったわけだ。

 つまり、当時はバブル崩壊による日本の没落以前の幸福な時代で、日本では中曽根康弘長期政権が終わり、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の「安竹宮」3氏によるポスト中曽根争いが中曽根裁定によって終結、竹下政権が発足して、消費税導入騒ぎが起きていた時期だった。米国は恒常的な対日貿易赤字に苛立ち、日本への圧力を強め始めていたが、まだ構造協議などという言葉もなく、米ソ冷戦構図で世界はそれなりに安定していた。

 政治学はそのような安定時局の中、「政治とは何か」など、根本的な問題に取り組む余裕を持っていた。

 佐々木毅氏の「編集にあたって」から要点をピックアップしてみよう。

◆王者から転落した政治学

 <人々が政治について考え、判断する営みを離れた政治学というのはどこかおかしいのである。>

 <今日、政治学は社会科学の一つに過ぎない。しかしこうした学問分野を生み出したヨーロッパに即して見るならば、いまから二百年前には事情が全く違っていたことがわかる。きわめて単純な言い方をすれば、社会科学という概念が成立するためには社会という概念がまず成立していなければならないが、この社会という概念は―語としては古いが―近代世界に特有な概念である。もっと正確に言えば、近代において人間関係を包括する概念として初めて確固たる地歩を占めるに至ったのである。これに対してそれ以前にあっては、およそ政治的関係を離れた社会関係という発想は乏しく、従って政治学は久しく社会関係についてのほとんど唯一の学問としての地位を保持してきた。>

 <十九世紀以来の諸々の社会科学の成立や独立はそれまで社会関係についての唯一の学問であった政治学にとって、きわめて深刻な事態を招いた。…伝統的にはあらゆる社会現象は政治との関係で位置づけを与えられ、あるいは意味づけを与えられていたのに対し、いまや政治が他の社会現象によって説明され、あるいはそこから派生した世界と考えられるようになった。>

 経済という下部構造を重視したマルクス主義は有名だが、それ以外にも、心理学や計量経済学など、様々な学問による政治分析が盛んになったことを指している。

 <政治学は周囲の学問状況を見ながら、そのアイデンティティ・クライシスを克服すべく、腐心しなければならなくなった。…「政治とはいかなるものであるか」という問いは、こうした思想的背景において深刻な意味を持って登場する。>

 <政治そのものについての理解が必ずしも一定でなく、それ自体が「論争的」である。…どこかに一つの答があって、それを受け入れればすむといった生易しいものではない。…激しい戦乱と革命に満ちた二十世紀の政治の背後に、政治そのものについての理解や見方の深刻な違いが潜んでいたといってもいいのかもしれない。>

◆民主主義とは何か

 <近代において自然権の観念が成立し、人間の自由平等思想が確立することによって、民主主義は「多数者の支配」「貧しい者の支配」といった伝統的イメージに代わる新たな倫理的基礎を持つに至ったが、その制度化は遅々としていた。…理論的な困難と現実の抵抗を排除して民主主義が押しも押されぬ正統な政治体制として確立するには、第一次世界大戦の終結を待たなければならなかった。そして第二次世界大戦の結果、植民地の独立によって民主主義の権威は世界中に広がることになった。>

 <多くの国々が民主主義への信仰を表明すればするほど、一体、民主主義とは何かが明確でなくなっていった。…「民主主義とは何か」は正に二十世紀の最大の争点であって、今日なお、これをめぐって多くの血が流されている。そしてこれからもこの問題を考え、不明確な点を明らかにし、鋭い感覚を磨いていくことは依然として大切である。>

◆制度論から政治過程論へ、という流れ

 <二十世紀の民主主義論の大きなテーマの一つは、その現実の姿に肉薄し、問題点を指摘することにあった。民主主義は個々の人間の自由と尊厳を最大限に尊重する体制であって、一人の人間が支配するような体制とは違い、非常に複雑で微妙な条件によって支えられている。この条件の一つは政治の制度の在り方であり、権力分立や議院内閣制、大統領制、地方自治といった仕組みは繰り返し議論されてきた。…二十世紀の政治学の大きな特徴は、こうした制度論の伝統を批判し、それを動かす人間や実際の政治的決定の過程を分析することにあった。…この背後にあったのは、先に述べたような政治活動を見る視覚の変化―それを圧倒的に他に優位する社会活動と頭から考えるのでなく、他の社会活動の影響で動くものと考えるような見方への変化―であった。政治において政党のみならずさまざまな集団が大きな役割を果たすことが注目され、公式の制度の背後で進行している政治過程に政治学の目が注がれることになった。>

 この代表例がローウィ「自由主義の終焉」だという。

◆民主主義を支える人間の探求~世論政治

 <民主主義の姿を探求するというもう一つの作業は、それを支え、担う人間の状態へと向けられていった。民主主義は全ての人間に政治への参加を認めるが、はたして人間はこうした重大な責務を果たし得るような精神的条件をそなえているかという、民主主義にとって宿命的というべき問題が政治学の主題となったのであった。>

 この代表例がウォーラス「政治における人間性」で、ウォーラスは制度論に自らを限定するのは政治学の対象を不当に限定するものであるとの観点から、功利主義的伝統に埋没していた人間論を当時の心理学等の成果を動員して、徹底的に見直し、ある種の非合理的な人間の姿が浮かび上がった、という。これが、リップマン「世論」へと継承され、「世論の政治」としての民主主義がどのような人間的制約のもとに置かれているか、その問題点をこれほど雄弁に分析した作品は少ないであろう、と評価している。

◆エリート、権力、正統性

 <民主主義は政治的平等を大原則とする。これは歴史上、常に少数者が支配してきたという人類の体験からすれば、革命的なことを意味した。そして二十世紀の政治学はこの大原則と実際の政治との間で格闘を演じることになったが、そこから政治的不平等や権力、リーダーに対する鋭い分析が数多く出てきた。政治活動は個々バラバラの個人によって行われるのではなく、組織を通して行われるが、その中心的存在は政党である。政党論は政治学の一大テーマ。>

 政党論で参考にすべき学者としてミヘルス「政党の社会学」のほか、ノイマン、デュヴェルジェ、シャットシュナイダー、サルトーリをあげる。また、心理学を駆使してエリート=権力追求者論に独自の境地を切り開いたラスウェル「権力と人間」、メリアム「政治権力」をあげる。そして、

 <大いに注意すべきことは、エリート論にしろ政治権力論にしろ、これらは決して民主主義にとってどうでもよいという議論ではないことである。なぜならば、民主主義は一方で政治的平等を大原則としながらも、他方であくまで一つの政治支配の仕組みでもあるからである。従って、これら政治的に不平等な関係にかかわる議論をどのように取り扱うかはこれまた「民主主義とは何か」という問いと密接に関係する難問である。これは換言すれば、正統性の問題に他ならない。>

 として、ウェーバー「職業としての政治」、ローウィ「自由主義の終焉」、ハーバーマス「後期資本主義における正統化の諸問題」をあげていた。

 そして、丸山真男「現代政治の思想と行動」、辻清明「日本官僚制の研究」については、

 <日本での議論の原点を改めて確認したいと考えたからである。日本の政治をどのようにとらえ、判断するかは、われわれにとって最も大切な課題である。あるいはここにおいて、われわれの政治的思考の真価が問われるといっても過言ではない。…われわれの議論がつまらない道に迷い込んだり、木を見て森を見ないような状態に陥っていないか、反省する上でも大切な役割を果たしてくれよう。後から来る議論が常に良質であるとは限らないことは、二十世紀の歴史の与えた貴重な教訓であるからである。>

 と書いていた。佐々木氏はこのあと、リクルート事件で政治不信が極まり、自民党が分裂、細川護煕首相の非自民8会派連立政権成立や衆院への小選挙区制度導入で、その理論的な根拠を与える論文を発表するなど、現実政治にコミットし続けるが、その原点にはこのような思想があったのだ。

 ウェーバー「職業としての政治」は薄っぺらい岩波文庫で、構えて読まないと、感動を受けない本ではないか、と思うのだが、このような読書案内を何冊か読んだ後で、批判的に読み返すと、内容が血肉化される、と思う。ウェーバーの資本主義とプロテスタンティズムに関する分厚い本よりも、講演なので、読みやすいし。また、この本の後に出版されたアーレント論はいくつか読んだが、アーレントほど毀誉褒貶にさらされた政治学者はいないのではないか。ここでは相当に批判的にとらえているが、今の時代ならば、アーレントがポスト資本主義の論理構築に向けたブレイクスルーの糧になる、という可能性を秘めたとらえ方ができると思うのだが。

 古本だが、読み返すことはいいことだ。88年、89年当時を思い出した。

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2008年10月26日 (日)

書評「創価学会の研究」玉野和志著(講談社現代新書)

 2008年10月20日第1刷発行、定価756円。

創価学会の研究 (講談社現代新書 1965) 創価学会の研究 (講談社現代新書 1965)

著者:玉野 和志
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 表紙裏の略歴によると、玉野和志(たまの・かずし)氏は1960年石川県金沢市生まれ、東京都立大学人文学部卒、東京大学大学院社会学研究科博士課程中退、東京都老人総合研究所、流通経済大学を経て、現在、首都大学東京人文科学研究科社会行動学専攻社会学分野教授、社会学博士、著書に「東京のローカル・コミュニティ」(東京大学出版会)、「実践社会調査入門」(世界思想社)、「近代日本の都市化と町内会の成立」(行人社)がある。

 講談社現代新書の10月の新刊4冊の中できっと一番売れているのではないか、と思ったのだが、案外、そうではないかもしれない。最近の傾向で「帯」が大きく、上5センチを除く表紙を覆っている作り。帯によると、

 <批判でも賞賛でもないはじめての学会論!/社会学者が知られざる実像に迫る!/なぜ日本社会は学会を嫌うのか。勤行、教学、折伏、財務―学会員の日常とは、保守化、巨大化した組織のゆくえは、>

 <現世的幸福の追求、強烈な上昇志向 日本社会は彼らをどう扱ってきたか>

 とあって、裏の帯に目次がそのまま出ている。なるほど、このような作りが今の新書の流行なのか。でも、帯の目次は詳しくないので、本物の目次を書き写しておく。

 はじめに

 1章 学会員たちの信仰生活

 1 学会員になるということ(P12)座談会に誘われて/入会の手続き/学会員であるということの証―勤行/勤行とお題目/勤行とお題目をめぐる教義/勤行とお題目の効用/会員としてのつとめ

 2 学会員たちのプロフィール(P30)ごく初期の会員―中村はつえさんの場合/学会を古くから知る会員―吉田幸夫さんの場合/二世の青年部会員―若松弘樹さんの場合

 3 「幸せにするシステム」(P46)幸せになれる宗教/「幸せにするシステム」としての勤行と座談会/「幸せにするシステム」としての教学/「幸せにするシステム」を必要とした人々/信仰にともなう軋轢/創価学会と日本社会の特質

 2章 創価学会の基礎知識

 1 創価学会の歴史(P58) 牧口常三郎と戸田城聖/上昇意欲に富んだ民衆にこたえる宗教

 2 日蓮と日蓮宗(P62) 日蓮の生涯/度重なる迫害と法難

 3 創価学会の組織(P67) 「機構」と「組織」/財務と供養

 4 創価学会と公明党(P73) 政界への進出

 5 創価学会バッシング(P76) 言論出版妨害事件/田中角栄と美空ひばり/創価学会側の対応/批判に共通するイメージ/共産党との確執と協定

 6 内部からの告発(P89) 創価学会の盗聴・諜報活動/宗門との確執―第一次宗門戦争/日蓮正宗からの分離―第二次宗門戦争

 3章 創価学会についての研究

 1 初期の創価学会研究(P102) 佐木秋夫、小口偉一『創価学会―その思想と行動』1957年/鶴見俊輔『折伏―創価学会の思想と行動』1963年

 2 学術的な研究と評価(P112) 村上重良『創価学会=公明党』1967年/鈴木広『都市下層の宗教集団』1963年、1964年/塩原勉『創価学会イデオロギー』1965年/梅原猛『創価学会の哲学的宗教的批判』1964年/ホワイト『創価学会レポート』1971年/杉森康二『研究・創価学会』1976年/谷富夫『聖なるものの持続と変容―社会学的理解をめざして』1994年/島田裕巳『創価学会』2004年

 3 海外における創価学会研究(P143) ウィルソン&ドベラーレ『タイム トゥ チャント―イギリス創価学会の社会学的考察』1997年/ハモンド&マハチェック『アメリカの創価学会―適応と転換をめぐる社会学的考察』2000年

 4章 創価学会の変化

 1 創価学会の変遷(P152) 会員数の推移/学会員維持の条件/学会員の社会的地位の上昇

 2 日蓮正宗からの分離(P161) 地域社会との関わり方の変化

 3 地域における自公連立(P166) 自民支持層との地位の接近

 4 公明党の政治的変遷(P169) 大組織に守られない労働者を組織/岐路と選択/一貫する反共と支配層への接近

 5 学会員の階層的地位の上昇(P175) 個人としての上昇か、階級としての向上か

 5章 これからの創価学会

 1 自民党との接近(P182) 小泉改革と創価学会の位置

 2 自民党とよく似た構造(P186) 同じ矛盾を内包

 3 自民党とよく似たトリック(P190) 田中角栄と池田大作/伝統と革新

 4 「ポスト池田」と日本の政治構造(P196) ヨーロッパにおける差別と平等の観念/福祉国家の崩壊と社会的な民主主義の模索/格差社会の新しいロジックを求めて

 あとがき(P206) 参考文献(P210)

 と、以上である。

 目次を見ただけでも大体の内容は推察できる。つまり、この本は「創価学会トンデモ本」ではなく、学問的に新興宗教としての創価学会とその政治結社として出発した公明党を分析しようとした本である。

 内容の略述は目次で終わらせて、あとはポイントだけ書き記す。

 特に玉野氏の大胆な仮説に相当感銘を受けたのだが、だったらどうなのか?と疑問を持った点が中心になる。

 ただ、最初に書いておかなければならないのは、「ちょっと羊頭狗肉じゃない?」という著者への文句というか、ないものねだりの注文である。

 というのは、玉野氏は、「はじめに」で、

 <創価学会の歴史の中には人々の誤解や中小を招くことがなかったわけではない。しかしその程度のことはある程度の組織であれば、どこにでもあることである。むしろ私はそれをことさらに問題視する日本の社会のほうに、あるおもしろさを感じたのである。人々はなぜ創価学会を嫌うのか。そこにわれわれ日本人と日本の社会を理解する鍵が隠されているように思えたのである。>(P3)

 と、この本を書くに至った問題意識を記している。また、

 <これまでの創価学会をめぐる多くの言説のように、教義の妥当性がどうとか、宗教思想としての深みをうんぬんすることよりも、創価学会が実は会員に対して毎日の具体的な行為を指し示し、そこに宗教的な信心の核心を置いてきた点にもっと注目すべきなのである。>(P27)

 <「幸せにするシステム」は、いったん学会員になった人にとってはきわめて頼りになるものであるが、外の世界の人々にとってはやはり気味の悪いものであることは否定できない。選挙のときや唱題会などで多くの会員が一心不乱に題目を唱える姿は、異様といえば異様である。罰が当たると脅すようなこともあっただろう。脱会者に対する監視やいやがらせ、元会員による告発も跡を絶たない。とりわけ他の宗教に対する不寛容な態度はしばしば問題にされるところである。>(P53)

 <それらはいずれも社会的に孤立した人々が内部の結束を固め、かつ外部に対してあきらめることなく、攻撃的なまでに積極的に働きかけるときに生じる「信仰ゆえの軋轢」と考えられる。>(P54)

 <ひょっとしたら、このようなふるまいがことさら軋轢をもたらすのは、日本という社会の持つ特質なのかもしれない。…イギリスやアメリカの創価学会では、むしろキリスト教的な厳格さとは異なった、創価学会の座談会などに見られるフランクな雰囲気に魅力を感じるという会員が多い。アメリカの研究では、過激なセクト主義的傾向の強かった新宗教運動の中で、アメリカ社会への柔軟な適応をはたした典型的な教団として創価学会が取り上げられている。他方、日本の社会が異なる文化や宗教を持つ外国人にとって、きわめて住みにくい場所であることは、つとに指摘されることである。>

 <いずれにせよ、日本の社会においては、創価学会のような、はっきりとした思想・信条のもとに社会的に結束した集団は何かと世間との間に軋轢をもたらすものなのである。それは不思議なことに、創価学会が最も激しく対立した労働組合や共産党と非常によく似ている。>(P55)

 <創価学会について論じる知識人たちの言説がつねに「遅れた庶民の意識」へと水路づけられていくことと対応している。そこで難詰されるのは、時代によって少しずつ内容を変えていくが、いずれも社会の底辺に位置する人々がやりそうなことなのである。創価学会はつねにそことのつながりを疑われていく。…つねにそのような位置に置いておくことで安心する「世論」とか、日本の社会はどのようなものだろう。筆者が創価学会を通して考えてみたいのは、実はこの問題なのである。>(P83)

 と、著者は本書の様々な箇所で違う表現をしながらも、同じような問題提起を繰り返している。

 つまり、もしかしたら、問題は創価学会にあるのではなく、創価学会を入り口で拒否する日本人の心にあるのではないか、という重要な問いかけなのだ。

 これは重要である。

 著者が書いているように、これはひとり創価学会にとどまらず、日本共産党への恐れと拒否感、少しレベルが違うが、田中角栄や美空ひばりを尊敬しつつ馬鹿にする心性とも通じているのだろうし、もしかすると、被差別部落差別意識や在日朝鮮人差別意識にもつながるものかもしれない。

 ここを突っ込んで分析してくれたのか、と思いきや、残念ながらこの問いに対する答えは最後まで書いてなかった。

 新書という枚数の制約があったのあろうが、いずれこの点についての著者の本格的研究を望みたい。

 それはさておき、著者の仮説で「なるほど」と思った部分をピックアップしておく。

◆創価学会問題は労働者階級の問題だ

 端的に書いてあったのは「あとがき」(P207)だが、その前にも何箇所かで同じような見解を述べている。

 <日本では、ヨーロッパのように労働者が自ら労働者階級に留まり、世代的に再生産していくことを望み、それゆえ労働者階級全体としての生活の保障と向上を求め、国家の法制度の中でそれを権利として獲得しようとする意味での労働運動が力を持つことはついぞなかった。そのような、アジアやアフリカの経験からすると、むしろヨーロッパに特異な現象が起きるためには不可欠な、中産階級=ミドルクラスの一部が労働者たちの生活と社会にある種のリスペクトを抱いて接近し、これと連帯するということが、日本ではついぞ確立することがなかったのである。>

 <日本の労働者は、知識層からの援軍も仲間との連帯もあてにせず、つねに激しい競争の中に身を捧げ、労働者としての生活から個人の努力だけで抜け出そうと努めてきた。それゆえ結果として貧しい生活から抜け出せなかったのはすべて自分が悪いのだと自らを責め、世間や国家に対して最低限の生活の保障すらも要求することをはばかってきたのである。その裏側には、確かにある程度の労働者が首尾よく中間層へと上昇することができたというある時期までの歴史的偶然が作用していた。創価学会に結集した人々は、そのような社会的地位の上昇を達成することのできた最後の労働者であると同時に、もはや上昇の道を望めなくなる最初の組織された労働者になるのかもしれない。>

 <そのときに、はたして中間層へと上昇した人々と、そうでない人々との間に、何らかの関係が構築できるのかできないのか、そのことが改めて問われてくる。これからおそらく避けることができなくなる日本における格差社会の固定化や移民の流入と定着を認めざるをえなくなる将来において、明らかに階層や民族の異なる人々がそれでも互いに誇りを失うことなく平等に暮らすための何らかの新しい思想が生み出されなければならない。そのときに、創価学会が培ってきた思想が、本当に取るに足りないものかどうかが試されるのである。>(以上、P207~209)

 著者は創価学会は高度経済成長が増殖させた宗教団体だ、と言う。

 農家の次男、三男が工業地帯や流通業、商業で工員、従業員となって都会に来る。

 身寄りもなければ、頼る人もいない。まず地域コミュニティがない。そんな時に、捨ててきた村落共同体の擬似集団としての創価学会が「座談会」などを通じて地方出身者の心に安心とやる気を出させた。

 かれら、小企業の従業員らは大手組合員や公務員らが組織する労働組合には入れなかった。本来は労働運動はこうした労働者を包摂すべきなのに、

 <社会党は大企業や官公庁の組織労働者を中心としているので、共産党、創価学会が特に支持者を奪い合うことになっていた。>(P86)

 というのだ。この部分は重要だと思うので、ちょっと長いが原文を引用しておく。その中では、中国共産党がなぜ創価学会を重視するか、著者なりのユニークな解答を出しているのが注目されるところだろう。

 <(公明党の中では)公明党の政治的位置は、ある意味では明確に規定されてきた。自民党が大資本や富裕層の利害を代表するのに対して、社会党は特権的な組織労働者を代弁するだけで、組合すら持たない大多数の中小零細企業の従業員や自営業者などの庶民は政治的に棄て置かれてきた。公明党はその庶民の声を国会に届けようとするものであると。それゆえ、当初、素人集団と揶揄された公明党が最初に存在感を示すのは、自民党から社会党に国会対策費の名目で流れるお金があるのではないかという告発であった。>

 <いわゆる左翼の人々はあまり認めたがらないが、日本の革新陣営の主力は組織労働者で、しかもそれは大企業と公務員の世界にしか存在していない。つまり本来の労働者階級というよりは、比較的恵まれた労働者のみが組織されたものなのである。

 <他方、本来の労働者というべき庶民の一部で比較的成功した自営業者は自民党が組織し、中小零細企業の労働者はわずかに共産党が組織していただけであった。だから、民商(民主商工会)を中心に共産党が躍進したことが自民党にとってはいちばんの脅威であったし、後に公明党と共産党が激しく対立することになるのもそのためである。>

 <これに対して、当時の社会党を中心とした革新勢力は、そのような中小零細自営の人々と比べるならば、考えられないほど安定的な雇用を保障されている公務員が、さらにスト権すらも獲得しようという闘争(「スト権スト」)に血道をあげていたのである。

 <この意味で、本来の労働者階級ともいうべき庶民を組織しつつあった創価学会を支持母体とする公明党が、いかなる政治的な位置を占めるかはきわめて重要な問題であった。事実、その後の日本の政治はよかれあしかれ公明党のふるまいにそって展開してきたと見ることもできる。とりわけ日本の保守勢力にとって、創価学会や公明党がどちらの立場に立つかは特別に注意を要する問題であった。>

 <本来の労働者階級を組織しつつも、社会党や共産党とは一線を画す「反共の砦」となるのか、はたまた社会党や共産党が組織している期間労働者や反体制的な知識人と結んで真に革命的な勢力を形作ってしまうのかは、国家権力や支配層にとってはのっぴきならない死活問題だったのである。>

 <だからこそ、言論出版妨害事件の際に自民党幹事長田中角栄はあそこまで竹入公明党委員長のために働いたのであり、池田大作によって主導された「創共協定」の存在が明らかになった時、公明党はある程度池田と創価学会に背いてまで、共産党との共闘がありえないことを保守勢力に対して確約しなければならなかったのである。

 <創価学会が日本において本来の労働者階級を組織した団体であったという、ここでの筆者の理解は、日本ではとうてい受け入れられるものではないだろう。しかし、中国の革命家たち(とりわけ周恩来)は早くから創価学会という団体に特別の注意を払い、社会党でも共産党でもなく、池田大作や公明党を頼ることが多かったのである。>(P169~171)

 こうした戦後の社会史は面白い。今までの有力な解釈は時代の変化の中で塗り替えられていく。もしかすると、著者の解釈は10年後、20年後の戦後社会史論で有力説になっているかもしれないなぁ。

 ここまで、相当に文字をパソコンに打ち込んだため、腕と手が疲れたので、後は、内容のダイジェストを項目だけに省略させてもらって、列挙しておく。

◆創価学会の初代会長の牧口氏の思想は新カント派の思想だ。

 真善美の「真」を除き「利」を入れた。牧口氏はもともとは学校の先生だったし、会も主に教師を中心とした勉強会だったが、太平洋戦争に至る過程の大政翼賛会運動や特高警察の弾圧の中であえなく組織は壊滅、牧口氏は獄死した。

 何とか生き残った戸田2代目会長は「学校の先生などのインテリは頼りにならない」と、底辺で這い蹲って暮らす真の労働者をターゲットに「幸福になれるシステム」で入会者を増やす方法論に転換した。

 だから、教義はもともとは日蓮宗から出た、というわけではない、新カント哲学なのだ。しかし、「真善美」の「真」が欠けてしまっているので、日蓮宗の法華経の教えで「真」を穴埋めしただけだった(?)。だから、日蓮正宗との絶縁に際しても、世間が思うよりはスムーズに進んだ、という。

◆牧口、戸田氏は世襲否定を何度も説いた。それに共鳴する信者が入信したケースもある。→ポスト池田って、子供ではないのか?

◆創価学会研究の白眉はホワイトの「創価学会レポート」なのだが、学会バッシングの嵐が吹き荒れる中、こうした学術研究は顧みられず、捨て置かれているのがもったいない。欧米での学術的研究の方が今は進んでいる。

◆能力はあっても経済的な事情から上の学校に進めなかった多くの人々にとって創価学会における「御書」を中心とした言語の修得を伴う教学のもった意味は大きく、学校PTAなどで、大学卒の先生や、上の女学校を出た他のお母さんたちとも気後れせず、平気で話せるようになった。これも創価学会が重視する「実利」の一つだ。(P33)

◆かつては「病人と貧乏人の集団」と言われたような異様な集団だったことは事実だが、高度経済成長の間、学会の教えを守って地道に働いた学会員が多く、豊かになった人も多い。今では会員は相当に階層的に上昇している、と推測されるが、データはない。

 なぜそう推測できるか、といえば、当時から上昇志向の強い人たちが集まっていたから、階層的に上昇できたという。

 今では公明党支持層(=創価学会員)は自民党支持層とそうは変わらない社会階層となっている、という。

 しかし、池田大作氏は創価学会のエリート集団化を嫌い、あくまで「庶民の創価学会」であることをレゾン・デートルにしている。

 そうしないと創価学会は変質してしまう、と池田氏には深い危機感があるようだ。しかし、これが国家公務員キャリアや弁護士、医者などのエリートたちと池田大作氏との軋轢を生んでいる、という。

 …などが主な内容だろうか。創価学会員の一日、とか、学会の組織なども詳しく書いてあった。少しロングスパンで創価学会を考えるには参考になる本だ。

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2008年10月22日 (水)

書評「世界エネルギー市場~石油・天然ガス・原子力・新エネルギー・地球環境をめぐる21世紀の経済戦争」ジャン=マリー・シュヴァリエ著(作品社)

 2007年8月20日第1刷発行。定価2730円。増田達夫監訳、林昌宏訳。

世界エネルギー市場―石油・天然ガス・電気・原子力・新エネルギー・地球環境をめぐる21世紀の経済戦争 世界エネルギー市場―石油・天然ガス・電気・原子力・新エネルギー・地球環境をめぐる21世紀の経済戦争

著者:ジャン・マリー・シュヴァリエ
販売元:作品社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 昨年夏の本だが、今のエネルギー問題と環境問題を関連付けて考えるのに最適な本なので、内容をメモしておく。といっても、412ページの大著なので、粗筋を書く気力はないので、印象に残った部分だけを書き抜いておく。エネルギーの歴史、環境保護の歴史もコンパクトにまとめてあり、そのうえ、世界各地の紛争と資源との関連などにまで視野を広げているので、これだけ分厚い本になるのだろう。「ヨハネスブルクの方程式」とか「キルヒホッフの法則」など少しワクワクする話も入っており、著者の博学多才ぶりがうかがえる本である。

 自分の意見を書き連ねる前に、新聞各紙の書評のエッセンスを書きとめておこう。

 まずは日経新聞2007年9月16日朝刊読書欄の新刊紹介。見出しは<深い見識で問題を幅広く分析>だ。

 <エネルギー問題を幅広く分析した本だが、網羅的なものにありがちな底の浅さはまったくない。各章で深い見識に裏打ちされた分析が読める。例えば石油の埋蔵量に関して著者は「技術や価格に左右される弾力的なコンセプト」と埋蔵量が状況次第で大きく上積みされる可能性を指摘。そのうえで話題の「ピークオイル論(石油資源がまもなく尽き、生産が減少に転ずるとの見方)」について、資源の枯渇ではなく、代替エネルギー開発や環境制約で石油消費が先に減退すると断ずる。専門家が納得する議論を一般の読者にもわかりやすく、伝えている点が本書の特徴といえる。各章は「天然ガス、交渉という戦い」といった形で、「戦い」をキーワードに展開されている。資源国、企業、政府がより大きな利益のパイを求めて戦っているのがエネルギーと著者が考えているからだ。最近はやりの石油覇権といった薄っぺらな地政学ではなく、開発、生産から輸送、小売りまで各段階が利潤の分割競争を展開しているとの説明には納得がいく。エネルギーを利用した結果としての環境問題の深刻化への目線も高い。環境保全に向けた21世紀の戦いは金銭欲より倫理観、生産より生活の質に対する意志に動機づけられている、と著者は言う。エネルギー問題を考え直すのに最適な本だろう。>

 以上で全文である。相当に褒めまくっているが、一読、こう書きたくなる気持ちは分かる。

 東京新聞2007年10月7日読書欄の書評は松井賢一・龍谷大名誉教授が書き、見出しは<戦略の諸相を歴史的に考察>だった。文章を見てみると、出だしから、

 <第一次石油危機以前は、エネルギーという言葉自体一般的に使われていなかった。しかし、今や誰もがエネルギー問題を口にするようになった。ただ、その多くはマスコミが垂れ流す表面的な言説の受け売りである。>

 と、マスメディア批判である。

 <エネルギー問題は複雑かつきわめて重要な問題であり、論ずるにはそれなりの知識と世界観が求められる。本書は、そのような期待に応えられる専門家による、本格的なエネルギー問題の入門・解説書である。>

 そうかぁ、専門家はテレビなどでのお笑い系芸人が話す「エネルギー危機話」だけでなく、各新聞紙の社説の論調などにも不満を募らせていたのだなぁ、と思い知る。

 <著者は、エネルギーの世界を本書の原題(「エネルギーをめぐる壮絶な戦い」)にあるように、激しい戦いの場ととらえ、その戦いの諸相を歴史的に考察し、そこから得られる教訓を摘出している。そこでは、イラン・イラク戦争のような現実の戦いはもとより、中東におけるイギリスとアメリカの油田の奪い合い、エネルギーを取引する企業であったエンロン社の倒産などの、力や戦略的野望の絡み合いによる支配などが分析される。>

 と、東京新聞書評も松井名誉教授の評も「エネルギーの戦い」に注目している。著者が題名をそうつけたのだから、そうなのだろうけれども、どうも私の読後の印象とは違う感じがする。「戦い」「暗闘」本なら、最近日本人でも多くの研究者やルポライターが出版している。そういう「石油争奪」ものも結構リアルで詳しいのではないか、と思ってしまう。そうではなく、「エネルギーとは何か」、という問題に真摯に答えようとしている姿勢こそが読者を惹きつけるのではないか、と思うのだ。ただ、取り上げられている事例があまりにもヨーロッパに偏りすぎているので、少し分かりづらいところもある。松井氏の書評の続きを読もう。

 <本書の特徴は以下の3点にまとめられるであろう。>

 として、

 <第一の点は、エネルギー問題を、経済理論や、技術論に偏ることなく、政治的、社会的な考察も含め歴史的、総合的に論じていることである。読者は、エネルギーをめぐる壮大なドラマに圧倒されるであろう。>

 と書いている。ここがポイントのような気がする。

 <第二は、いわゆる市場万能性を信奉する自由主義経済学を批判し、規制も重視する考え方をもっていることである。著者は、市場の役割を過大評価した自由化に対する規制、炭化水素エネルギーや電気の供給の安全確保に関する規制などが必要であるとする。米英主導の市場原理主義に流されがちな日本には大切な指摘だと思われる。>

 これは著者はあまり声を大にしては言っていないが、読めばそういうことだ、と分かる点だろう。つまり、著者のスタンスだ。

 <第三の点は、エネルギー・経済・環境の調和を達成するために規制を国際的規模で導入する必要が出てきたという指摘である。>

 これも本の中で何度も出てくる主張ではあるが、国際的規制というよりも、環境に負荷のかかるエネルギー開発と経済成長と環境問題をいかに調和させるのか、という問題意識が強く、そのためには先進国のやるべきことがまだまだ多い、そこは自由放任ではなく、きちっとやらせるべきだ、という主張だと思ったのだが。

 <優れたエネルギー入門書であるとともに、専門家にとってもエネルギー問題への重要な情報と視座を与えてくれる書であり、一般の人々、専門家両者にお勧めしたい。>

 なるほど、そうですか。ここは素人の私にはコメントできない部分ではあるが、専門家がそう言うならばそうでしょう。一般読者にどんどん読んでもらいたい、という気持ちは私も同じだ。

 つまり、ユニークな本なのである。

 ということは、内容のピックアップに入る前に、そもそもこの著者は何者か、を説明しておかなければならないだろう。本には詳細な著者紹介が掲載されており、その上、林氏による「訳者あとがき」には「著者のジャン=マリー・シュヴァリエについて」という短文までついているので、適当に抜き書きする。

 <ジャン=マリー・シュヴァリエ氏は現在、エネルギー経済研究ではフランスきっての名門校であるパリ大学ドフィーヌ校の経済学部教授。同大学「エネルギー・資源地政学研究センター」(CGEMP)所長。石油に関してはおそらく世界で最も権威が高いシンクタンクである「ケンブリッジ・エネルギー研究所」パリ事務局長、フランス首相の諮問機関「経済分析審議会」(CAE)委員、電線・石油・天然ガス産業用ケーブルについての世界的な総合メーカー「Nexans」社役員などを務める。

 これまでには、フランス大手石油会社エルフ(現トタール)役員、世界銀行のエネルギー部門の責任者、パリ国立銀行(現BNPパリバ)の役員を歴任し、EU委員会や各国政府のエネルギー問題諮問委員なども務め、その功績により1998年「レジョンドヌール勲章」を受けた。まさに、市場の現場から、行政・政策の中枢までをも知り尽くした、ヨーロッパを代表するエネルギー問題の専門家。邦訳書に「石油危機時代――産油国・消費国・メージャー」(青山保・友田錫訳、サイマル出版会)。本書の序文は国際エネルギー機関(IEA)事務局長のクロード・マンディル氏が書いているが、IEA事務局はパリにあり、マンディル氏と著者は学友だ、という。>

 以上が本書の解説やあとがき、著者紹介にあったプロフィルだが、生年月日がないので、年齢は分からない。50代後半か60代なのだろう、と想像するが。

 しかし、キラ星のような経歴の人だなぁ。

 だから、新聞書評でも構えた褒め称え風の文章になってしまうのかもしれないなぁ。私は経歴欄があまりに長いので、見ないで本文を読んだので、先入観なく読めたのだが、「まともな本だ」「歴史がよく分かる」くらいで、そんなに偉い人が書いている、という印象なかった。ただ、略歴にも書評にもあるが、すべてにわたって詳しい、いろいろな情報を持っている人だ、とは思っていたが、この経歴を見て、情報が入りやすいポジションにいるから入ってきたのだ、と分かった。

 それでは、気づいた点だけピックアップしておく。

◆クロード・マンディルIEA事務局長の序文から

 まずは、クロード・マンディルIEA事務局長は「序文」で、シュヴァリエ氏のいう「エネルギーの世界は激しい戦いである」というテーゼがなぜ導き出されるか、について、

 <エネルギーの分野では、短期的ヴィジョンは長期的ヴィジョンと相反し、供給先の安全確保はコスト削減と相反する。環境保全と経済的効率性も相反し、エネルギー・ネットワークの確立は地域ごとのエネルギー確保という目標に相反する。市場の寡占化は「規制緩和市場」の理念と相反する。このように羅列した事項がエネルギー分野の特徴であるがゆえに、不確定性は増大する一方である。>

 として、科学技術的な不安定要因だけでなく、地質学的不安定要因、政治的不安定要因がある、として、その不安定性ゆえに「戦争」状態なのだ、と指摘する。また、

 <市場は不完全であり、また国家のみが、市場が国内の消費者に提供する選択肢の幅を決定できる立場にある。すなわち、エネルギー安定供給の水準のあり方、電力供給の中での原子力や再生可能エネルギーによる発電の割合をどのくらいにするかといったことや、貧困層に対して電力をどのように供給していくかといった問題の判断は、国家の役割である。>

 と、国家の役割が今後、さらに見直されてくることを明言しているのが面白かった。

◆序章 エネルギーをめぐる戦いの現場

 面白かったのは、他の本でもあるのだが、エネルギーの大雑把な歴史である。

 <1900年には世界人口16億人のエネルギー消費量は、石油換算で5億㌧だった。その100年後の現在、世界人口は5.6倍に増えた一方で、エネルギー消費量は100年前の18倍である90億㌧に達している。20世紀の特徴は、内燃機関、電力モーター、タービン、ターボジェットといった発動機の発展にある。…20世紀後半の30年間には、われわれの日常生活から生じる欲求を満たすために、電気は必要不可欠なものとなり、生活と密着したものとなった。20世紀前半からエネルギー源を確保することは経済活動を機能させるための戦略的課題となってきた。…毎年、石油から生じる利潤の総額は、フランスの国内総生産に等しいほどである。>

 この比較は他の本でも見たことがあるが、説得力がある。

 <21世紀初頭、世界の年間総エネルギー消費量は、石油に換算して(この単位を石油換算トンtoeという)およそ90億㌧である。世界総人口60億人であるから、1人当たり年間約1.6toeを消費していることになる。この大まかな計算は、著しい格差ならびに不平等を明らかに覆い隠すものである。アメリカは世界総人口の5%を占めるにすぎないが、世界のエネルギーの4分の1を消費している。アメリカ人1人当たりの年間エネルギー消費量は、石油換算で8㌧である。アメリカ人の平均所得に対してヨーロッパ人の所得は、その75%であるが、ヨーロッパでは、平均して1人当たりの年間エネルギー消費量は3.5㌧である。最貧国の1人当たりのエネルギー消費量は年間数百㌔㌘にすぎない。地球上で20億人近くの人々が電気やブタン、灯油といった石油製品などの近代的エネルギー源にアクセスできないでいる。

 <エネルギーに関する国際情勢は、三大化石燃料の動向に大きく影響されている。実際、一次エネルギー消費量の内訳は、石油が40%、石炭が25%、天然ガスが25%となっている。残りの10%が水力や原子力、また風力、太陽エネルギー、バイオマスといった再生可能エネルギーである。われわれのエネルギー消費の実に90%以上が、埋蔵されたエネルギーに依存しているということは驚くべきことである。>

 <1970年代に2度にわたる石油ショックを経験したが、再生可能エネルギーの消費割合はほとんど増えていない。…現在、世界で消費される石油の半分以上が、陸・海・空での輸送手段の燃料として使われている。需要と供給の関係に変化が見られないかぎり、短期的にこの構造に変化は起こらない。…海運輸送の38%は石油と石炭である。>

 <世界のエネルギー需要量は、現在から2030年までに1.7%の割合で増え続けると予想されている。>

 世界の人口の76%が居住する途上国では現在、世界のエネルギーの30%を消費しているが、2030年には50%近くを消費することになるであろうと予測されている。

 <IEAではインドや中国の目覚しい台頭により、エネルギー消費量は、この2カ国だけで2000年の12億toeから2030年には28億toeに上昇するのではないかと予想している。一方、OECD諸国の消費量は52億toeから71億toeに上昇すると予想している。言い換えればインドと中国の需要量の増加分は現在から2030年までの世界の需要増加分の半分近くを占めることになるであろうと予測している。>

 <大部分の専門家によれば、今後100年ぐらいは、化石燃料を十分に確保することができるとの意見で一致している。>

 <21世紀初頭の現在、予想される主な技術的問題点は①核分裂を利用した次世代原子炉の開発②燃料電池に使う水素燃料の開発③半世紀にわたって最も効率の良い未来エネルギー源となると一部では考えられてきた核融合の開発④電力輸送手段のための超伝導技術の応用――だが、いずれもいまだ技術的には実験段階で、どれ一つとして2030年までに実用段階に達するものはないとさえ考えられている。>

 <2001年9月11日に起こったアメリカ同時多発テロ事件以来、エネルギーに関する地政学的緊張感は、これまでになく高まっている。…このテロ事件、アフガニスタンやイラクでの戦争といった一連の事件により、世界でのテロや暴力の存在を再確認した。…豊かな先進国は不公平を是正するために多額の資金を拠出しているが、大きな変化はまったく見られない。アフリカや中東からインドネシアまでといった地域の人口の半分以上は20歳未満であり、こうした若者たちや、グローバリゼーションから疎外された者たちが、最も暗いシナリオの主人公となるおそれがある。これらの地域はイスラム圏であり、石油資源の60%が埋蔵されているが、彼らがイスラムの教えを誤って理解し、誤って解釈することにより、国内外において破壊行為の尖兵となるおそれがある。攻撃の対象となるのは、世界貿易センタービルといったグローバリゼーションを象徴する建物や、グローバリゼーションに屈した国内政治体制となることが予想される。>

 <こうしたシナリオを描くことにより、われわれは、生産体制・輸送手段・エネルギー消費といったことについて抜本的に再検討することができる。…たとえかなり割高ではあっても、まず、エネルギーを域内で調達することが一つの課題となり、国際輸送のあり方についても、再度、考察してみる必要があると思われる。>

 EU域内エネルギー調達へ向けた戦略が始動していると見たほうがいい。EUは、ここまで真剣にエネルギー問題を考えている。

 <「マーガレット・サッチャーの法則」(いかに準備万端でも想定外のことが起こる)>P37

 <「鉱山の論理」…石油・天然ガス・石炭採掘に当てはまる>P38

 <原油から精製された製品の国際市場価格は税込みで年間総額が2兆ユーロに達する。ここから総費用を引く。総費用額は約5000億ユーロ。総収入と総費用の差額である1兆5000億ユーロが原油から生じる余剰収益であり、これが世界の年間石油流動金融資産である。この余剰収益はフランスの国内総生産とほぼ同額であり、すなわち石油は世界第5位の経済大国であるフランスと同等の富を毎年生み出している。…「オイルマネー」…こうした超過利潤をめぐってしばしば地下資源の所有者である生産国、さまざまな流通経路に存在するエネルギー企業、税を徴収する消費国の政府という三つのグループが衝突している。エネルギーをめぐる壮絶な戦いとは超過利潤の創造・専有・保護・分配をめぐる戦いであり、この経済的ならびに金融的争点は、中東・ロシア・OPEC諸国・ギニア湾願書国といった数少ない地域に、国際エネルギー資源が集中していることから、政治的争点と密接な関係がある。>

 <また、エネルギーは経済力ならびに軍事力を決定する重要な要素であることから、各国政府は、エネルギー価格が高騰しようが、調達体制の安全を確保し、自国企業が外国のエネルギー源にアクセスできるよう取り計らう義務がある。各国政府は石炭・原子力・再生可能エネルギーといった国内エネルギー開発を推進し、財政支援することが求められている。エネルギー輸出国側の政府は、国会資源の採掘が国益と見合っているか、または、現政権の利益となっているか(こちらの場合の方が多いのであるが)見極めることが必要となっている。>

 <石油会社にとって、最優先事項は石油であり、その超過利潤は天然ガスから生じる超過利潤よりも格段に高い。>

 <フランスの歴史学者フェルナン・ブローデルは「未来の不確実性を占うためには、過去にさかのぼること」と述べている。>P69

◆第1章 これまでの戦い、そして歴史の教訓

 P75~P115までの短いページ数の中で、著者は要領よく石炭→石油→原子力の開発と紛争の歴史をまとめている。

◆第2章 エネルギー市場の自由化をめぐるヨーロッパの戦い

 P119~P165まで。ケインズ手法の限界などにも触れているが、面白いのは1968年5月のパリの学生・労働者の大規模反体制運動をひとつの節目と見ていること。「アンバンドリング」という魔法の言葉(P137)。ヴァリューチェーンの解体と再構築(P146)。

◆第3章 電力という新市場における戦い

 P169~P224。キルヒホッフの法則(P172)。

◆第4章 天然ガス、交渉という戦い

 P227~P272。

◆第5章 石油をめぐる永遠の戦い

 P275~P323。

◆第6章 21世紀の戦い―「ヨハネスブルグの方程式」

 P327~P368。ヨハネスブルグの方程式はP328。P334でエネルギー価格を上げて貧困者へは課税、補助金などで調整するシステムを提言。

◆解説「エネルギーをめぐる21世紀の課題と日本の役割」増田達夫

 P380~P407。これが短くてまとまっていて、ざっとした内容を読み返すには最適だと思う。

 内容が濃い本だ。昨年も1週間かけて読了した覚えがある。何度でもじっくり読む価値のある本なのだろう。残念ながら、日本ではこのように情報を持っていて、書けて、影響力もあるというエネルギー関係者を知らないから。やっぱり、アフリカを植民地にしていたフランスの伝統はあなどれないなぁ、とつくづく思った。

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2008年10月20日 (月)

書評「20世紀末バブルはなぜ起こったか~日本経済の教訓」古野高根著(桜井書店)

 2008年11月5日初版発行、定価3675円。執念の本である。

20世紀末バブルはなぜ起こったか 日本経済の教訓

著者:古野 高根
販売元:桜井書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 古野氏は1938年福岡県生まれ。1962年東大経済学部卒業。住友銀行調査第二部長、取締役審査第二部長を経て、1990年以降住銀リース専務取締役、ティーケイビル社長等、現在はニチハ監査役。この間2004年放送大学修士(学術)、2007年東京経済大学博士(経済学)。論文に「景気循環の未決問題――加藤雅教授の遺したものは何か」(長島誠一と共同執筆)、「東京経済大学会誌」第249号、2006年3月。

 これも帯から紹介しておこう。

 <元金融マンが書いたバブル論! バブル経済を金融ビジネスの第一線で体験した著者が、渦中で感じた疑問に、5年余りの学究生活をへて自ら答える探求の書>

 <バブルについてはこの20年余、目先のことに追われ、マスコミの報道に振り回されて冷静に問題の本質を検討することがなされなかったのではないかとの思いが、筆者には強い。筆者は1980、90年代の金融機関に身をおき、渦中でバブルの形成と崩壊を眺める立場にあった。そこで強く感じたことは、センセーショナルなマスコミの報道とは異なり、経済の世界でなぜこのようなことが起こるのかという率直な疑問であった。>

 2番目の引用は「はじめに」のP4にある。P8に執筆経緯が書いてある。

 <大学卒業後40年余もの間、経済学から遠ざかっていたブランクを少しでも埋めるためには大学院で学びなおすしかないと感じた。たまたま2002年に開校した放送大学大学院に入学した。そこでは仕事を続けながら学ぶことが可能で、修士課程までは終了することがdきた。しかし放送大学には博士課程がなく、仕事のめどもつき始めていたので、改めて東京経済大学大学院経済学研究科の門をたたき、博士後期課程で研究を続ける機会を得ることができた。この間、最新の経済学の動向から論文作成のイロハまで懇切にご指導いただいた放送大学の林敏彦教授、坂井素思助教授、論文指導を通じてさらに幅の広いものの見方、考え方を親切にご指導いただいた東京経済大学の長島誠一教授には心からお礼申し上げます。同時に長島教授とともに論文の審査に当たられた東京経済大学の渡邊尚教授、江藤勝教授にも懇切な示唆、ご指導を頂いた。また論文作成の過程や完成後に与えられた発表の機会、大学院内の博士論文計画発表会、2度にわたる独占研究会での報告にご出席くださった先生方、経済理論学会での報告にコメンテーターをお引き受けくださった富山大学の星野富一教授には数え切れない貴重なご指導や助言を頂いた。改めて謝意を表したい。>

 本にまとめた喜びが誰にでも分かる、すがすがしい文章だ。

 住友銀行はバブルの時、三菱、三井を追いかけ追い抜くために銀行自身だけでなく、子会社を通じて、不動産を担保に無理な貸付を続け、特にイトマン関連では大きな疑惑が表面化したものの、大山鳴動してネズミ一匹の結末だったのではないか。

 古野氏は住友リースで危ない橋も渡らせられたのではないか。バブル崩壊の渦に巻き込まれた人たちは相当に痛めつけられた。具体的には知りようはないが、古野氏も相当に傷ついたのではなかろうか。そのトラウマを消すためにも、バブルの正体が知りたかったのではないか、と、そんな心理学者のような想像までしたくなるような、努力の日々が続いたのだと思う。

 P227からP263までの横組みの付録1<20世紀末バブル形成期における経済動向と論文・新聞報道>を読んで、苦労の大きさの一端を知ることができる。

 <1983年から90年までの景気動向、バブルに関連すると思われる主要経済雑誌、新聞の記事を参考までに一覧表とし、主要経済事件を併記する。新聞は日本経済(N)、朝日(A)、毎日(M)、読売(Y)の縮刷版によった。社説は紙名略号の後にEを付した。タイトルは記事の内容を簡潔・的確に表すために手を加えたものがある。なお、経済と記事の流れを鳥瞰できるように、参考文献一覧、本文脚注に掲げたものも重複掲載した。>

 の前書きをつけ、

 1983年1月24日OPEC総会・逆オイルショック/新聞=14日N今年は金余り相場/24日AE地価の軟化傾向。1月29日東洋経済、勝又寿良(記者)「土地神話は崩壊した」、2月5日東洋経済(社説)「地価安定時代に借家建設の促進を」…など、延々と続く。この一覧表を熟読すれば、当時の動きがすべて分かる。大変な力作なのである。

 「はじめに」で著者は

 <バブル形成期にはエコノミスト、経済学者の意識はきわめて希薄で、経済評論の世界でも1986年までは円高不況、大恐慌再来の可能性などにとらわれていた節がある。したがって株価・地価の高騰についても当初は「日本的経営」の勝利とか、「東京国際金融都市」とか、肯定的かつ楽観的な受け止め方が主流であった。一方、経営者の側では本格的な国際競争の時代、金融自由化の時代を迎えて、これまでの政策的庇護の下で国内シェア獲得にしのぎを削った時代から、国際的市場での収益競争の時代に入ったとの認識のもと、新しい収益機会を逃すまいとの意識が強かった。マスコミの財テクなどについての取り上げ方ももしろ肯定的ですらあった。円高不況対策としての内需拡大も、1987年2月の公定歩合2.5%への引き下げ、5月の6兆円の財政支出になると、資産価格への影響は決定的になる。その後、株価はタテホ化学工業の財テク失敗やブラック・マンデーなどでいったん反落し、地価は下落しなかったものの、議論の方向は犯人探しから政治問題化していった。>

 として、

 <吉野俊彦(「インフレの足音が聞こえる」エコノミスト1987年8月4日)は卸売物価指数、消費者物価指数にストック価格を加えた総合購買力指数を作ることを提案して、1987年8月時点で、これで見ればすでにインフレが進行中である、と物価動向とは別に資産価格の異常さに警告を発した(おそらくバブルを指摘した最初のエコノミストではなかったか?)。>

 と吉野氏の業績を高く評価。

 <バブル崩壊後も銀行不祥事の続発、証券損失補てん問題などのスキャンダルの追及に追われて、不動産融資問題の深刻さに対する継承は打たれなかった。>

 と書いている。

 著者は定義が揺れている「バブル」を再定義し、バブルの要因を解剖し、金融要因は首班ではなく従犯であった、との結論を出した。

 今後、古野氏が参加して、改めてバブル論の論争が起きれば、今後の経済学のためだけでなく、日本の現実政治にも大いに役立つだろう、と思う。

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2008年10月18日 (土)

書評「虚構のインフレ~騙されないための裏読み経済学2009」上野泰也著(東洋経済新報社)

 2008年10月23日発行、定価1680円。

虚構のインフレ―騙されないための裏読み経済学2009 虚構のインフレ―騙されないための裏読み経済学2009

著者:上野 泰也
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 帯に「エコノミストランキング6年連続1位の著者が書き下ろした、日本経済の真の姿と、生活&資産を守るためのアドバイス。」「原油・穀物バブルの崩壊が始まる!日本がインフレにならない決定的な理由とは?この大局を見誤ると人生を見誤る!!」とあった。上野氏はそんなに人気のエコノミストらしい。ぜひ読みたくなった。

 先に上野氏の略歴を書いておこう。これが長いのだが、写しておく、

 <みずほ証券株式会社チーフマーケットエコノミスト。1963年生まれ。上智大学文学部史学科(西洋現代史専攻)卒。1986年、会見検査院入庁。1988年、富士銀行(現・みずほ銀行)入行。為替ディーラーを経て、為替・資金・債券の各セクションにてマーケットエコノミストを歴任。2000年、みずほ証券設立に伴い現職。債券(長期金利)、為替を中心としたスピードの感ある的確な経済予測には定評があり、「日経公社債情報」エコノミストランキングで02年~07年に6年連続1位を獲得するほか、「統計月報」(東洋経済新報社)05年度のマーケットのエコノミスト予想的中度で総合第1位を獲得するなど、投資家や市場関係者から高い評価を得ている。財務省主計局・税制問題研究会メンバー、内閣官房・市場動向研究会メンバー、参議院事務局・客員調査員他を歴任。またテレビ東京系列「ワールドビジネスサテライト土曜版」のコメンテーターを長く務めてきたほか、新聞・雑誌の連載執筆をこなすなど、幅広い分野で精力的に活躍している。著書に「デフレは終わらない」(東洋経済新報社)、「チーズの値段から未来が見える」(祥伝社)、共著に「日本経済入門」「経済・金融の論点99」(共にダイヤモンド社)、「投資家の予想形成と相場動向」(日経BP企画)などがある。>

 たしかにすごい経歴の人だなぁ。

 「デフレは終わらない~騙されないための裏読み経済学」(定価1680円)については、著者が「まえがきに代えて」で触れているが、2007年秋から年末にかけて執筆したが、その後、原油や穀物の国際市況が加速度的に続騰、「デフレは終わらない」という題名に「このタイミングでずいぶん度胸がありますね」と言われることもあった、と書いている。

 著者は六つの全国紙の記事で「インフレ」「デフレ」の言葉がどれほど使われたか、調べたところ、「デフレ」という言葉が多かったの印、2006年後半に「インフレ」が「デフレ」を上回った、という。レギュ―ラーガソリンの小売価格が1㍑=130円台に乗せていった時期と重なっている、と。07年後半には「インフレ」が「デフレ」の倍を超えた、と。さらに、2008年前半には「インフレ」が「デフレ」の4倍超に達したと。

 ただ、このガソリン、穀物高は国際市況の影響で上がっているだけで、それ以外の物価は「ゼロインフレ」だ、とする。米国、ユーロ圏、英国といった市場が「インフレ」を問題にしている国・地域がいずれも「コア」の消費者物価指数は低位安定を続けている、と。

 だから、G7を中心とした先進国の「インフレ」は根が生えた本物ではなく、また、中国のインフレも食品を除くと前年同月比で1~2%台だ、という驚きの数字をあげるのだ。

 今後、インフレが本物になるのは①人々の「期待インフレ率の上昇」(=広範な賃上げを消費者があきらめ的に受容するムードが広がること)②値上がりしたものを買うことができるような消費者側の「賃金・所得環境の改善」③消費者に直面している「企業の側の価格支配力」がおしなべて強いこと(=価格を引き上げても消費者の受容が逃げない需要環境があること)――の三つの条件が必要、と著者は考えている、という。

 そして、供給過剰で企業の価格支配力が弱いままであることなどから、「本物のインフレ」はまだ来ない、と結論付ける。

 自分でも書いているが、これは生活者の視点に立った分析だなぁ。すごい、と思う。初めてこういう論理のを読んだ。

 だから、日本の現実は「インフレ」ではなく、「原材料高不況」だ、と。ゆえに、最近よく聞く「スタグフレーション」(景気悪化とインフレ率加速が共存した状態)は針小棒大で、そんなものは怖くない、というのだ。

 1㌦=70㌦を超える原油価格は「バブル」なので、必ず崩壊する、と書いている。まったくその通りになった。ジョージ・ソロス、アラン・グリーンスパン、ビル・エモットの3人は原意価格がバブルでありいずれ崩壊する、と喝破していた、という。

 ここの部分は最近読んだ石油の本「オイル&マネー」と同じ見方だ。石油は世界に満ちたりており、現時点で原油は不足していない、というのも同じ見方だ。そして、「石油が枯渇する」と脅す「ピークオイル」説に惑わされるな、というのも同じ。そして①知性が苦情の「原油バブル」崩壊シナリオ②ドル安是正による「原油バブル」崩壊シナリオ③投資規制や介入による「原油バブル」崩壊シナリオをあげているが、今進んでいるのは③のシナリオだろう。

 著者のあくなき探究心を示しているのが「穀物バブル」崩壊シナリオまで書いていることだ。恐れ入った。

 さすがだ、と思ったのは、第3章の構成だ。「価格高騰が生み出す価格抑制の種~次々と生まれる「反作用」の萌芽」のタイトル。自動車が脱原油依存の取り組みをしており、太陽光発電、原子力発電、風力発電、「木質ペレット」などの例をあげて説明する。

 小麦の高騰ではコメの見直しが進んでいるらしい。小さなものだと馬鹿にしてはいけない、というのが著者の考えだそうだ。「塵も積もれば山となる」だという。

 そして、第4章。「『虚構のインフレ』を生き抜くヒント~生活設計&資産運用についてのアドバイス」で著者は生き生きと持論を展開する。「結局、『息苦しい』のは「なぜか?」と。生活防衛に、いつまで我慢すればいいのか、と怒る消費者、という設定では「収入面で稼ぎが少しでも増えることにつながるような前向きの努力を行うことを勧めたい」と、「攻撃は最大の防御」を提言する。

 インフレに強いといわれる株価だが、企業収益の改善なくして株価上昇はないし、バブル崩壊の様相を示している不動産も同じようにデフレは終わらない、という。日銀は利上げに動かないが、日本は高い技術力に活路がある、という内容である。

 端折って端折って書くと、味も素っ気もなくなるので、これ以上は書かないが、新聞などでは逆の内容が当たり前のように書かれている。サラッと書いてあるが、相当に大胆な説なのだ。

 この内容を面と向かって話されたら、説得力があるだろうなぁ、と思った。

 さすが、ナンバーワンである。今度は実際に話を聞いてみたい。

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書評「オイル&マネー~石油と金融の新たな構図」藤澤治、吉田健一郎著(エネルギーフォーラム)

 2008年10月13日初版第1刷、定価1995円。

オイル&マネー―石油と金融の新たな構図 オイル&マネー―石油と金融の新たな構図

著者:藤沢 治,吉田 健一郎
販売元:エネルギーフォーラム
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 藤澤氏の肩書きは、オイル・エコノミスト(FEアソシエイツ代表)。1943年東京生まれ、1965年一橋大学経済学部卒業。シェル石油入社。1972年マサチューセッツ工科大学、スローンスクールで経営学修士取得。1980~82年ロンドンのシェル石油本社勤務。1991年昭和シェル石油退社。サウジ・ペトロリアム・リミテッド副支社長(サウジ・アラムコの100%子会社)原油評価、オイル・アナリストとして日本の石油会社、オイルメジャー、産油国国営会社に合計43年間勤務。2008年3月退社。FEアソシエイツ設立代表及びファクツ・グローバル・エネルギー社(米国のオイルコンサルタント会社)の特別研究員。著書に「驚異の先読み術」(東洋経済新報社、1993年)、エネルギー関連雑誌に寄稿多数。

 吉田氏の肩書きは、みずほ総合研究所株式会社調査本部経済調査部シニアエコノミスト。1972年東京生まれ。1996年一橋大学商学部商学科卒業、富士銀行入社。1998年~同国際資金為替部為替対顧客ディーラー。2002年4月~みずほ銀行市場営業部為替対顧客ディーラー、04年4月~みずほ総合研究所調査本部市場調査部、08年9月~みずほ総合研究所調査本部経済調査部ロンドン出張所長。著書に「日本経済の明日を読む」(共著、東洋経済新報社、2007年)、「22歳からの日本経済入門」(共著、毎日新聞社、2007年)、日本経済新聞社、毎日新聞社、朝日新聞社等、エコノミスト誌、週刊ダイヤモンド等寄稿多数。NHK、テレビ東京、日経CNBC、BloombergTV等に出演。

 随分と長い自己紹介だった。

 この本の面白さは総合的に書いてあること。

 つまり、石油業界出身者の多いサプライ・ファンダメンタル派である藤澤氏と主にインベストメント・バンクや金融関係者の多い金融コモディティ派の吉田氏という、二つのオイル・アナリスト系列の流れにいる異色の2人が共著で書いたため、オイル・ピーク説などの解説もしっかりしているし、金融の面でも単なるサブプライム・ローンの影響で原油市場が影響された、とひと言で切り捨てずに、いろいろと分析し、もしも米国や英国が渋々ファンドマネーの先物市場への流入を規制した場合の影響など、多角的な分析ができていることだろう。

 大体が知っていることが多いが、よく整理されていることと、石油会社、石油業界の暗号のような言葉の解説があるので、新聞ではお目にかからないものの、雑誌などで専門的な言葉が出てきたときには辞書代わりに活用できる。

 常識として知っていなければならないことを何度も書いてくれているのも有難い。

 例えば、ニューヨーク商品取引所(NYMEX)の先物市場におけるWest Texas Intermediate(WTI)は世界の原油市場のメルクマールとして使われているが、このWTIの原油は日本にもアジアにも一滴も入ってきていないことなど、言われないと忘れてしまう。

 石油は有機起源説だけを覚えていたが、1870年代にロシアの化学者メンデレーエフが唱えた無機起源説(つまり、石油埋蔵量は無限にある!という学説)だって、まだ完全否定されていない、とか。ピーク・オイル論があまりにも世間に影響したから、心理的に市況を押し上げて原油高騰の基調低音になっているとか。

 特に、<うがった見方をする識者は、原油価格を上げるために、米国の油まみれのブッシュ政権やメジャーがピーク・オイル論を扇動したのではないかとしています。>などという表現がさらりと出てくるのも好ましい。

 1バレル=159リットル、1キロリットル=6.29バレル

 日本の2007年の原油輸入量は経済産業省の統計データで2億3882万2000キロリットル。

 中国、台湾、インドなどの統計では㌧で表現しているが、これを日量バレルに換算するには概算値として0.02を乗じて年間の日量ばれるに換算できることが業界では使われている、とか。

 日本のガソリン小売価格は先進国の中では米国に次いで安く、韓国では200円/リットルくらい。イギリス、フランスなどはもっと高い、と。

 エネルギーデータを読むときには松井賢一著「エネルギーデータの読み方使い方」(エネルギーフォーラム、1994年)が参考になるそうだ。

 財務省が毎月発表する原油輸入統計は整合性がないので、計算は経産省データを使うべし、と。

 経産省の「エネルギー需給統計月報」の速報値が確定値とどう違うのか、石油の場合は大きく違うので注意を、と。

 IEAやBP統計などと国際比較するときには日本の数字が大きくなっている不思議。在日米軍関係なども含むため、と。これは目からウロコだった。

 日本の石油精製会社は低公害の良品質石油を生産していると(サルファーフリー)。
 原油オプション取引の説明も分かりやすかった。コール・オプションは買う権利、プット・オプションは売る権利。和ゼロコスト・オプションは単体オプションを組み合わせてコスト(プレミアムの支払い)をゼロにするだけ。

 国債利回りと原油市場先物などを説明してくれる。この中で、

 名目金利=実質成長率+期待インフレ率(+プレミアム)

 などの数式も入ってきて、これも共著の有難さだろう。

 米国と欧州のインフレ率計算の違いがあり、米国FRBのコアインフレ率は原油価格が上昇してもインフレ率にすぐには反映されない。だから、EUはインフレ懸念で利上げ圧力が高まるのに、米国はノホホン、とか、知らなかった。結果的に利上げ期待が高まるユーロは買われやすいそうだ。

 イラン、イラクなどペルシャ湾の地政学的要素が原油価格に響くのは知っていた。意外だったのがナイジェリアの動乱の大きな影響。220万バレル/日の生産がOPECの生産枠で、生産能力は280万バレル/日あるのに、180万バレル/日の生産にダウンしているのが大きい、と。

 2006年の米原油価格高騰の真の原因は石油精製能力不足だった。今も、中国、インドと需要が増えたが、精製能力がついていっていない。

 現在の120ドル原油のサプライ・ファンダメンタルの要因では80~90ドルが適正値。あとの40~50㌦はカジノ化した先物市場の金融業者によって押し上げられている。経済産業省の「エネルギー白書」でも2007年末の90ドルのうち需給のファンダメンタルから乖離した分をプレミアムと定義し、30~40ドルがプレミアムと明確に書いている、という。

 代替エネルギーは5年くらいは、まだ代替できない、という。エタノールの失敗。

 バイオエタノールについて京都議定書でカーボン・ニュートラルとされたが、誤解があるという。トウモロコシを使ったエタノールの場合にはエタノールを生産するために消費したエネルギーは、エタノールが生み出すエネルギーを29%上回る、と東大名誉教授の石井吉徳氏の「エネルギーピークが来た」(日刊工業新聞社、2007年)に書いてある、と。

 ドイツではエタノールが古い車のエンジンの部品などを腐食させるので一時エタノールを販売中止にしたという。

 食糧問題もあるので、食糧問題とは関係ない廃材などからのセルロース起源バイオ燃料は?と考えても、技術的に大量生産までいっていないという。

 結論はどの本でも常識的なところに落ち着くのだが、日本の石油精製会社の今後への憂慮も深刻だ。

 この本の特徴を一口で言えば、「原油価格暴騰は機関投資家の巨額資金やヘッジファンドの投機資金が原油先物市場に流入したため。OPECですら1バレル=80㌦が適切という原油価格がなぜ異常高騰したか、一から分かりやすく解説した本で、石油問題の全体像が俯瞰できる。エネルギー問題の格好の入門書」というところか。

 読んで得した感じがした。

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2008年10月10日 (金)

書評「マネー敗戦」吉川元忠著(文春新書)~2010年の米国債償還、さあどうする?

 昔の本である。1998年10月20日第1刷発行、定価660円+税で693円。手元の本は1999年3月20日第11刷発行だった。当時は「マネー敗戦」が流行語になるほどよく売れた本だったが、吉川さんが亡くなったこともあって、今では古書店の100円均一に並んでいる。

マネー敗戦 (文春新書) マネー敗戦 (文春新書)

著者:吉川 元忠
販売元:文藝春秋
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 亡くなる前にはアメリカ陰謀論に加担しているのか、と思うくらいアメリカの影の力を大きく見ていた吉川さんだが、この本は非常に実証的な論理展開で、まともである。

 問題意識は一貫している。

 日本は世界の中心的債権国になったのに、大蔵省の役人と銀行が既得権益死守のため、円建て経済圏の拡大に踏み切らず、アメリカにその弱点を突かれて、国民の汗と涙の集積であるドル建て在米債権が減価して、国民の財産が半分以下に減ってしまった。この構造はまだ続いており、このままでは日本は「金融敗北」を繰り返すしかなくなっている、という結論である。

 一読、その通り、と思うのだが、もう少し、この論点について説明しておこう。

 世界史を紐解けば、世界には工業化による豊富な経常収支の黒字を対外投資に振り向け、世界の資本移動の中心軸になった国々があった。時代順にイギリス、アメリカ、日本。この3国は歴史上の「中心的債権国」または「中心的資本輸出国」といえる、と吉川さんは言う。

◆パクス・ブリタニカのもとでの「ビクトリア循環」は海運収入に支えられていた

 19世紀半ばに産業革命をほぼ完成した頃のイギリスはその圧倒的な経済力にもかかわらず貿易収支は終始赤字だった。

 イギリスの貿易構造はインドなどの植民地向けが輸出の3割近くを占め、また三角貿易などの複雑な仕組みもあったけれども、結局のところ再輸出を加えても製品輸出総額は輸入額の8割程度にすぎなかった。

 これは製造業の競争力に早くも黄信号が点り始めていたことを示しているが、マネー循環の立場から見れば、この赤字はイギリスが自国通貨のポンドを基軸通貨として国際的に散布するチャネルが満足に機能していた証しでもあった。

 イギリスの貿易赤字は20世紀に入ってからも続いたが、その間、経常収支ベースでは常に黒字であり、しかもその黒字幅は拡大基調にあった。

 それは、世界の商船隊の約3分の1を擁する大海運国として海運収入によって貿易赤字を生め、経常黒字を維持していた。

 しかも、この経常黒字はさらに海外への投資に向かい、その利子収入がもともと大きかった海運収入に加わり、経常収支の黒字を一層引き上げた。

 海外投資→利子収入による経常収支黒字増→海外投資という循環の中で、19世紀後半には黒字の雪だるま式増大の家庭が明確に見て取れるようになった。

◆イギリスの海外投資の隆盛の原因は内外金利差

 資本循環の面で「大西洋経済」を成立させていたイギリスの海外投資が隆盛を極めた原因は内外金利差だった。

 当時、アメリカ国債の長期金利はイギリスより高かった。これは海を隔てた国への投資がはらむ心理的リスク、債務不履行リスクを埋め合わせるためだったが、イギリスは「周辺部」の植民地をフルに利用して、リスクを軽減。

 基軸通貨ポンドを国際的に散布しては回収した。シティー(ロンドン金融市場)の中でもポンドの守護神であるイングランド銀行などが「世界の銀行」の一大インフラとして機能した。

 覇権国家の経済力はもっとも端的には国際マネー循環に現れる。世界経済をリードするマネー循環を形成し、その中心軸に位置できるか否か、そうした存在になるためには対外純資産を擁し、それを背景に自国通貨を基軸通貨として世界に信認させる必要がある。そうしてはじめてマネーはパワー性を発揮する。その意味でパクス・ブリタニカは極めて安定した基盤の上に成立していたし、世界派遣の一つの「理念型」を示している。これがイギリスの「ビクトリア循環」だ。(以上は本文のP14~18)

◆国際収支発展段階説

 19世紀末から国際経済学などで展開されてきた学説である。大債権国の対外(経常)収支や資本輸出はあるパターンをたどって進展する、という内容だ。

 どのような発展段階なのか?

 外国資本の流入で工業化を推進していた経常赤字国は経常収支の黒字化とともに債務の返済を始め、いずれ返済し終えると未成熟の債権国になる。

 やがて年を追うごとに増加する経常黒字がそのまま資本輸出に結びつき、やがては成熟債権国の段階に至る。

 しかし、成熟期は永遠には続かず、ピークを過ぎるとその後は経常収支の赤字化などによって債権を取り崩すようになる。

 債権が取り崩され、成熟債権国の看板を下ろした後は、おそらくは債権小国として生き残る道が想定されている、という段階を踏む考え方である。いろいろとバリエーションがあるらしいが、以上はその共通項だ、という。

 イギリスはこの「発展段階説」のモデルとなったもので、「ビクトリア循環」は成熟段階に至った後、第一次世界大戦をきっかけに変調をきたす、という。

◆第一次大戦はイギリスとドイツの金融覇権を争った戦争でもあった

 イギリスは新興工業国・ドイツと対決する連合国側の盟主として戦費を調達するためにアメリカなどから借り入れを行う一方、自らの購入してきた米国債や連合国側の保有する大量の債券類をニューヨーク市場などで売却した。

 さしもの対外資産も相当の侵食を余儀なくされ、イギリスの大債権国としての基盤を揺るがしたが、これに拍車をかけたのが1929年ウォール街の大暴落を契機とする世界恐慌であり、それに続く1930年代の世界経済の混乱だった。

 イギリスの中心的債権国としての地位は後退し、資本輸出の中心はアメリカに移る。

 こうして第二次世界大戦後はパクス・アメリカーナが確立する。

 それでも投資収益などの寄与によるイギリスの経常収支の黒字は驚くべきことに1986年まで崩れなかった。

 90年代に入って経常赤字国に転じることはあっても、債務の累計が長期にわたって資産残高を越えることはなく、イギリスは日本、ドイツに次ぐ世界第3位の純資産国(対外投資残高が債務残高を上回っている国)として踏みとどまっている。

 いかに19世紀からの対外投資が手厚かったかを物語るものだ。

◆パクス・アメリカーナの確立

 一方、鉄道建設などに主としてイギリスから大量の資本を導入していたアメリカは第一次世界大戦前には世界最大の工業国の地位を占め、大戦を契機に債権国、資本輸出国に変貌をとげていた。

 第一次世界大戦の圏外にあったことが幸いして、工業力を無傷のまま維持できたため、戦中から輸出を急増させ、ありあまる外貨で負債の償還や直接投資を行えた。

 1918年にはGNPの8%近い対外純資産を持つ。1930年には海外投資残高がイギリスとほぼ肩を並べ、その後は瞬く間に差を広げて「中心的資本輸出国」の座についた。

◆ケインズを破ったホワイ→ブレトンウッズ体制=金ドル本位制

 戦後のマネー秩序を決定するブレトンウッズ会議でイギリスは新たに国際決済同盟とその通貨単位である「バンコール」創設を打ち出すケインズ案を提案しドルの浮上を抑えようとしたが、アメリカはウォール街の利益を反映させ、基軸通貨ドルを前提にIMF(国際通貨基金)をアメリカの分身として生み出そうというホワイト案を打ち出し、イギリスとアメリカの戦いはアメリカの勝利に終わった。

 ただ、この時にはドルは中央銀行間では金とのリンクを維持するものとされ、これによって将来のドルの暴走に歯止めがかかるものとして了承された。

 金ドル本位制と呼ばれる変則的な金本位制を採用したのだが、フランスのドゴール大統領はフランスの保有するドルを一挙に金と交換するようアメリカに求めたことがある。

 アメリカに対するドゴールの嫌がらせで、アメリカは応じざるを得なかったが、これでアメリカの金保有の底が見えたとも言われている。

◆マーシャル・プランやアメリカの自由貿易主義選択は世界へのドルバラマキの道具

 すぐに基軸通貨交代が実現するわけではなかったが、アメリカはヨーロッパ復興援助のために130億㌦にのぼるマーシャル・プランを実施。ドル建てで行われたため、ドルがポンドを押しのけてヨーロッパに浸透するために活用された。

 パクス・ブリタニカの自由貿易体制の時代にアメリカは後発工業国家として19世紀以来、その巨大な市場を常に高率関税などで保護してきたが、この伝統的政策を転換し、国内市場の開放に踏み切った。

 第二次世界大戦後に成立するガット体制にアメリカの果たした役割は大きいが、アメリカは自由貿易主義を選択し、自ら求めて輸入増を志向したのは、ドルを海外に散布し、国際的なドル支配を打ち立てるためのコストでもあった。

◆60年代は資本輸出国アメリカの絶頂期:ヨーロッパでの反米感情

 やがて各国で戦後復興が進むとアメリカの次の戦略はドルによる対外投資だった。

 アメリカは60年代には資本輸出国として絶頂期を迎える。その中軸は直接投資。化学、石油、自動車などの生産、販売拠点をヨーロッパに移動させた。

 当時のヨーロッパ人に「アメリカの挑戦」(セルバン・シュレベール)と映り、少なからぬ脅威感を抱かせた。

◆スエズ運河派兵めぐり「英国債を売却するぞ」と脅したアメリカ

 対外債権が一定の政治力を生むことをアメリカはよく知っていた。

 1956年、エジプトのナセル大統領がスエズ運河国有化宣言にイギリスはフランス、イスラエルとともに、スエズ出兵、軍事干渉をしたが、アメリカは干渉に強硬に反対し、イギリスが応じなければ保有する英国債を売却する、と警告、英国は引き下がった。

 (これを読んで思い出したのは、アメリカが北朝鮮を金融鎖国したときの北朝鮮のあわてぶりだった。金融は国家安全保障上の有力な手段だ、とアメリカでは認識されているというが、中国やロシアもこの間の北朝鮮金融騒動を見れば、金融の安全保障上の重要性は認識したと思う。そこに気付かないのは残念ながら日本だけなのだろう)

◆戦後初めて貿易赤字になった1971年

 しかし、債券大国アメリカの覇権も長くは続かなかった。

 60年代に入ると、早くもアメリカからの資本流出が逆にドル不安を招く現象も発生。

 ケネディ大統領がドル防衛策を打ち出す。

 60年代後半にかけてはアメリカの貿易収支が黒字幅を狭め、1971年には戦後初めて貿易赤字を記録した。

◆1971年8月の「ニクソン・ショック」→短期間のスミソニアン体制→変動相場制へ

 1971年8月、ニクソン大統領は「新経済対策」を発表した。

 金・ドルの交換停止がメーンで、これ以後、ドルは金の束縛から逃れ、その価値の変動が世界経済を混乱させる独特の基軸通貨となった。

 世界経済は大混乱に陥った。ニクソン・ショックである。

 日本はフランスと違って保有ドルの金との交換を手控えていたのでダメージも大きかった。

 ドルが金という価値基準の裏付けを失ったため、スミソニアン体制という固定相場制への試みがわずかな期間で挫折すると、世界の通貨はたちまち変動相場制に移行した。

◆1980年代日本の失敗はドルの不安定さを認識しなかったこと

 ドルはもはや制度上は特別の通貨ではなかった。

 ただ、ドルに代わる基軸通貨が誕生することもなかったので、その後もいわば不安定な国債通貨として相対的な信認を受け続けたのだが、そのドルに対してあたかも金ドル本位制が健在であるかのように付き合ってしまったのが1980年代の「円」であった。

 もっとも、70年代はドルの価値の不安定さが露呈することなく過ぎていった。

 1973年には石油危機が世界を襲ったが、アメリカは石油消費量の半分を国産でまかない、産油国通貨だからドルは強い、と外国為替市場はアメリカ経済のファンダメンタルズ(基礎的条件)よりもそのことを評価した。

 また、ドルは「有事に強い」通貨としても評価され、相対的に上昇さえ見せた。

 ところがドル相場が安定していたのは1976年までで、70年代後半にはアメリカの経常収支の趨勢的な悪化が顕在化し、政府当局者の口先介入を契機にドルはたちまち下がり始める。

 その間、アメリカはついにベトナムで建国以来初めて敗戦を体験。

 79年にはイラン革命が発生し、これが第二次石油ショックとなって国際経済を揺るがすが、特にアメリカにとっては在イラン大使館人質事件という悪夢と重なり、政治的威信を傷つけることになった。

 さらにソ連によるアフガン侵攻でアメリカは冷戦下における西側の盟主としての政治的対応も迫られた。

 金ドル本位制放棄に始まる70年代は基軸通貨ドルにとっても波乱の10年間だったが、アメリカは政治的にもパクス・アメリカーナの維持再編に汲々としていた。

◆レーガノミックスの登場

 こうした背景の下、「強いアメリカ」を掲げる共和党のロナルド・レーガンが80年代の大統領として選ばれた。アメリカのマネー経済はレーガン政権の下、急激な変貌を遂げた。

 アメリカの経常収支は83年から赤字の拡大が目立ち、これを埋めるため、海外からの投資がさかんに行われ、資本の純輸入国になった。

 一般に経常赤字の国は赤字を埋めるための資本の流入を必要とする。

 それは直接投資を含めて広い意味での負債を増加させる。

 フローの受入超過が続くとストック面でも対外純資産、つまり「貯金」がその分だけ減る。これが続くといずれは「貯金」を使い果たし、その後は対外純債務だけが累積する。

 アメリカの対外純資産が規模として最大になったのは1981年の1400億㌦だった。

 その後、経常赤字の拡大が続き、84年には早くもほぼ「貯金」がゼロになり、その後は経常赤字を埋める資本流入がそのまま純債務として積み上げられ、世界最大の債務国が出現した。

 「国際収支の発展段階説」とあまりに異なっていっため、世界は当惑した。

 また、アメリカが必要とする資本輸入の規模の大きさにも世界は当惑した。

 経常赤字は86、87年には対GNP比で3%以上になった。

 世界最大の経済規模を持つ国がかくも大規模な資本輸入を必要とし、しかもなおドルが基軸通貨然として世界に流通している姿は世界経済にとって未体験ゾーンだった。

 アメリカの「中心的債権国時代」はせいぜい60年程度と、イギリスに比べればはるかに短かった。

 これは一つには対外純資産の厚みがかつてのイギリスに比べると意外に薄かったことにもよる。

 純資産額が世界最大だった81年でも対GNP比では4.6%にすぎず、経常収支の変化に対して脆弱な面があった。

 アメリカの経常収支は80年代初めまでは過去の直接投資の果実である利子・配当などの投資収益が貿易収支の赤字をカバーする形になっていたが、その投資収益も貿易収支の急激な悪化には勝てなかった。

 対日貿易赤字がその主たる原因としてクローズアップされた。(以上はP19~P32)

◆80年代「中心的資本輸出国」は日本だったが、基軸通貨は円でなくドルという異常さ

 アメリカは日本に対しては資本の輸入国であったが、中南米などに対しては資本輸出国として振る舞った。

 この奇妙な基軸通貨・ドルの流れをあるエコノミストは「帝国循環」と皮肉を込めて名付けた。本当の「帝国循環」はビクトリア循環である。

 1980年代の「中心的資本輸出国」はアメリカでもドイツでもなく、資本輸出国として70年代後半から急速に頭角を現した日本だった。

 もっとも、アメリカは日本から得た資金の一部を他国に散布しているので、日米を一国と考えればアメリカは引き続き中心的資本輸出国といえるのかもしれない。この着眼には、たいへん深い意味が含まれている。

 (この部分は非常に示唆的だ。日本がアメリカの州である、とか、植民地である、という主張=アメリカ陰謀論=に限りなく近づく主張になるからだろう、この本では吉川氏は深くは触れようとはしていない。)

 ビクトリア時代の基軸通貨はポンドイギリスは海外債券への投資をポンド建てで行い、その果実もポンドという自国通貨で得た。

 アメリカの中心的資本輸出国時代もやはり基軸通貨・ドルが資本循環の主役だった。

 ただ、80年代に始まる日本の中心的債権国時代のみ円建てではなく、主としてドル建てで行われている。

 歴史的に見て、これは異常な現象だ。

 ポイントはレーガン政権以降のアメリカのマネー戦略だった。

 それに日本がどのように対応し、その結果、無残な結末を迎えるに至ったか、が問題だ。(P33~34)

 ……以上、「序にかえて」と「第1章」の要約である。

 吉川氏がこの本で何を言おうとしているか、が大体書いてあるので、丁寧に写してみた。

 この歴史の概略を見ただけでも、日本の「円」が不当に貶められていたことが分かる。

 第2章以下は要点筆記するが、そこにはもっと具体的にクリントン政権のカンターUSTR代表とか、日本嫌いの人々がいかに無茶苦茶なことを言っていたか、が出てくる。

 ポイントだけを要点書き出しするが、醍醐味を味わうには吉川氏の本を読んでいただくしかない。

◎第2章「日米共同幻想 1980~1985」

 レーガン政権前期のドル高は日本発だった。ジャパン・マネーが集中的にドル買いに走った結果だった。(P39)

 世界経済のシンボル経済化(P40)

 為替取引における実需原則(P41)

 ディーリングにおける為替取引、投機的売買(P42)

 「マネー敗戦」の端緒、日本側の誤った一歩は80年代、対米貿易を中心として手にした膨大な貿易黒字、経常黒字でドルを買い支え、為替レートを捻じ曲げたこと(P43)。

 日本からアメリカへの資本流入はカーター時代の70年代末~80年代初頭の日米金利差に引かれて始まった。(P44)

 レーガン政権は双子の赤字で中長期の国債発行を急増させる→日本の生保など機関投資家が購入した。ジャパンマネーは全体の3~4割を占めた(P44)。

 1977年1月の欧州通貨制度(EMS)発足で西ドイツのアメリカ離れ。80年代初頭の高金利政策は西独から日本へアメリカ経済の支え役の交代の為に仕掛けられたというロバート・ギルビン・プリンストン大学教授(「国際関係の政治経済学」)の説も(P46)。

 ロン・ヤスの経済はズグニュー・ブレジンスキー「アメリッポン」説。(P49)

 80年代前半は「中心的債権国の交代」現象で戦後国際経済史に特筆されるべき5年間だった。日米が冷戦の占有という共同幻想でスムーズに交代が進行した。(P50)

◎第3章「国際政策協調の病理 1985~1990」

 邦銀は国内でカネをかき集め、短期ドル買い→6、7年ものの米国債を買うことで、利ざやを稼いだ。1984~の異常なドル高の背景。95年、不良債権に苦しむ邦銀は短期ドル買いに高金利を課された(ジャパン・プレミアム)…米欧の金融機関は返済期限の差を利用して利鞘を稼いでいた邦銀の弱点を狙った(P54)。

 稼いだ貿易黒字を米国に還流させ、米国はそのカネで好況を維持して日本の製品を買う→日本は自分のカネで自分の製品を買い、それを米国人に使わせた上に貿易黒字と呼んでいたようなものだ(P56)。

 1984年11月レーガン再選。1985年2月、資本市場重視派のリーガンから通商派のジェームズ・ベーカーに財務長官が交代。ベーカーはレーガノミックスを否定し、為替相場への協調介入をセットする。1985年9月プラザ合意で急速な円高。1987年2月、G7のルーブル合意(直前に1㌦=150円)。それまではベーカーやフレッド・バーグステン国際経済研究所長ら専門家の度重なるトークダウン(口先下げ介入)でドルが下がった。(P60)

 ポール・クルーグマン「貿易におけるヒステリシス」の仮説(P63)。クルーグマンとW・グリーンの「マサチューセッツ・アベニュー・モデル(MAモデル)」→クリントン政権の「円高カード」(思い切ったドル安による輸出攻勢)(P64)。

 プラザ合意で生じた日本の対外純資産の為替差損は約3.5兆円。(P70)

 日本からの巨額の対米投資がドル建てで行われていた(P71)。

 プラザ合意は対米徳政令。アメリカという債務者に元利払いの軽減を許した。ドル安誘導で①日本保有のドル資産の価値を殺ぎ②モノ経済面では米国輸出産業の競争力を増大させる→基軸通貨ドルの魔術(P72)。

 非ドル通貨国はできる限り自国通貨で対外経済関係を結ぶしか有効策はない。プラザ合意ではドル安への介入に最も協力的だったのは日本で「2割まではOK」と竹下蔵相は渋るドイツを後目に大見得を切ったと伝えられる。竹下氏は甘かった(P73)。

 プラザ合意後も機関投資家のジャパンマネーが米国に流れたわけは?(P74)

 86年2月の日米独協調利下げは一方的なアメリカの要請によるもので、ドルの悲惨な暴落を避けるための資金流入の手当て策。この時、FRB内で宮廷クーデターあり。(スーザン・ストレンジ「カジノ資本主義」岩波書店)。(P76)

 87年→89年5月まで2.5%という超低金利を続けたためバブルを呼び込んだ。円高不況は87年には回復、日本経済はプラザ合意以前の5%成長を取り戻していたのに。(P77)

 「大蔵省(MOF)はブッシュの選挙事務所」といわれた。プラザ合意後ドルはつるべ落としに下落し続け、87年にはブラック・マンデーというNY株式市場の暴落があり、ドルは一時120円まで下がったのに、日本の機関投資家がドル債券を買い続けた理由は大蔵省の行政指導。レーガンからブッシュへの共和党政権継続の成否をかけた大統領選間近な1988年3月、アメリカの債券市場は日本の機関投資家が年度明けにドル債を売りに出るのではないか、との噂で持ちきりだった。大蔵当局は債券市場の動揺を抑えようと日本の生命保険会社に「4月になっても債券を売るつもりがない」と声明を出すよう求めた。この声明を市場が信用していないと知ると、大蔵省の担当者が自ら市場関係者を回って声明の背後には大蔵省がいる、と強調した。さらに日銀は「保有する外貨準備の9割はドルで運用している」ことを公表し、市場の安定に努めた。9割といえばカナダの運用状況に匹敵する。(P80)

 バブル経済の発生…機関投資家にとってバブルの膨大な含み益は為替差損への隠れた緩衝装置(バッファ)だった。→88年7月のBIS規制の網にかからない生命保険会社(相互会社であり、株式会社ほどの規制を受けない)を使って、大蔵省が共和党のために工作した。(P82)

 1987年10月19日のブラック・マンデーと裁定取引。(P88とP121)

 ドル暴落、NY市場暴落を防ごうとした大蔵省の獅子奮迅の働き。①4大証券に東証を買い支えさせる②特金、ファントラにまで株を買わせる→「ドルを支える他に独自のマネー戦略を持たない日本」の姿を露呈した(P90)。

 60年代後半には米ドルの強力なサポーターだったドイツは70年代末にはアメリカ離れしていた→日本の突出振りがいやでも目に付く(P91)。

 NYのロックフェラーセンター買収「アメリカ人の魂を買った」との批判(P94)。

 88年7月G10決定のBIS規制(国際業務銀行の自己資本比率を8%以上とする)は日本の銀行の伸張を抑えようとしたアメリカの意図による。なぜ8%か。アメリカの銀行にはたやすくクリアでき、邦銀には難しい数字だった。他に合理的根拠はなかった。日本は銀行保有の株の45%を含み益として自己資本に算入することで妥協したが、ドイツは含み益の自己資本化を拒否。日本は当座はよかったが、バブル崩壊後に苦労する。BIS後、邦銀は国際融資に慎重になる。世界の円建て融資はゼロに近くなる。(P95)

 80年代の実体経済面での日米貿易戦争。裏では資本輸出国日本が為替リスクを負担するという奇妙な構造が莫大な為替差損を生み、日本経済を弱らせていた。マルク、ポンド、金などへとリスク分散をしなかった罪。(P99)

◎第4章「日米再逆転 1990~1995」

 17世紀オランダのチューリップ投機(P102)

 バブル経済を86年の「前川レポート」が打ち出した「内需主導型経済への転換」だと称賛したのが当時の主流的論調だった(P103)。

 エクイティ・ファイナンス(株の時価発行増資)など(P105)

 アメリカは日本の高株価のカギが①株式持合い(配当収入に関心のない株主の増加)②エクイティ・ファイナンスで利回り採算の悪さ、キャピタルゲイン増、株価上昇見込みという原因だと考え、この原因潰しをはかってきた。(P106)

 株式市場の水準を示す指標…日経平均は値動きが激しい。TOPIXは対象銘柄の株式総数まで考慮に入れるので、より実態に近い(P108)。

 1989年ジェームズ・ファローズ「日本封じ込め」。1989年秋、日米構造協議(SII)スタート(P111)。

 アメリカのメッセージ「日本の高株価を望んでいない」+アメリカは「土地戦略ノート」を用意していた(P114)。

 バブル経済の教訓…日本はマネー経済の成熟に失敗し、個人から企業への富の移動。国民除外。銀行は融資を地価の7~8割にとどめておけばよかった。調整はピークから2~3割下の水準が限界だったのに、やりすぎた。三重野氏は89年春の超低金利修正、89年10月、90年2月、8月と連続して公定歩合を上げて公定歩合を6%としたが、余りにも急ぎすぎた。90年4月には大蔵省が金融機関の総量規制を実施した。(P118)

 アメリカは政府部門の赤字増大による経常黒字縮小を狙った。日本は10年間で430兆円の公共事業を対米公約した。財政破綻の一つの原因。アメリカがSIIでバブル潰しを狙ったとしたら、それ自体は成功した。大蔵当局にはアメリカの態度はショックだったか? バブル崩壊の米証券仕掛け人説=米国が日本に無理やり許諾させた裁定取引をフルに使い、日本にまだ禁止規定がないことをいいことに、狙いすましてやった、という説はもっともらしい。ウォール街基準がここでも生きている。(P115とP121とP122)

 1991年湾岸戦争戦費のカラクリ。540億㌦の湾岸戦争戦費の国際支援が経常赤字をほとんど消してしまった。対イラク戦争で米軍が使用した武器弾薬類は、大部分がすでに予算処理されており、実際に経費として支出されたのは100億㌦以下だと推定されており、アメリカは国際的な政治力で500億㌦近い海外からの資金流入を確保した。(P126)

 クリントン政権の円高誘導戦略…フレッド・バーグステン「日本には自分の鍋で自分を煮させる」。93年4月の日米首脳会談でクリントンは「日本の黒字削減には円高が有効」と。ベンツェン財務長官「日本の黒字が世界の成長を阻害する」。→94年2月の日米包括協議決裂、クリントン大統領は「貿易戦争」を宣言。4月末にはカンターUSTR代表の強硬発言で円高→ドル全面安になり、アメリカはあわてた。(P128)

 バブル崩壊+円高で日本経済に大打撃(P130)。

 対米貿易黒字の内訳、勝ち組はハイテク産業だけだった。包括協議、日米貿易戦争、CIAの盗聴事件、自動車産業の米現地生産化。日本のモノづくり産業が受けたダメージは深刻だった(P134)。

 アメリカ産業にとってドル安は見えない補助金だった(P140)。

 財政健全化はレーガノミックスが10年後に生んだ成果ではなく、ドル安による「補助金」をアメリカが活用した結果だった(P142)。

 日銀の円売りドル買い介入でたまったドルで米国債を買い、米国民の財は株式市場に回すことができたため、米国の株式市場が活況を帯びた(P143)。

 平成大不況の原因の一つは不良債権問題だが、米国の円高誘導が及ぼした直接的影響はものすごく大きい。日本の高コスト構造が平成不況を生んだのではなく、円高デフレが大不況の原因だったことは購買力平価の比較で一目瞭然だ。円高ドル安の為替変動は日米間の所得の実質的移動を意味するP145)。

 日本の大不況時の財政出動効果なし、はケインズ政策の限界ではなく、手法が間違っていたため。ケインズは通貨の過大評価(過度の円高)がもたらす不況に対しては、まったく別の処方策を提示したであろう。(P148)

 日米構造協議による長期公共投資拡大公約は公共工事にかかわる政官業の利益集団のパワーを強化した。円の過大評価は日本の「土建国家」化を促した。(P151)

 日本は早い時期に円建ての投資環境を整備するべきだった。円建ての帝米と牛が多ければ、いたずらに米国が円高にする政策は取れなかったはずだ。(P152)

◎第5章「マネー敗戦 アジアへ 1995~」

 95年1月に金融市場に冷たいロイド・ベンツェンからウォール街出身のロバート・ルービンに財務長官が交代した。95年4月のG7「相場の変動を秩序ある形で反転させることが望ましい」声明→95年8月に榊原・サマーズで大規模介入。1=100円を回復、97年には120円を超えた。ルービン=グリーンスパン関係も重要。95年、10年ぶりに円高の時代が終わった(P157)。

 橋本デフレ。90年代後半の平成不況第2幕。16兆円の公共投資(景気対策)に市場は反応せず。95年9月~約3年間0.5%の公定歩合を続けた。年間約10兆円の金利所得が消えた。異常な低金利で国内資本が外国資産に向かった。再びアメリカの資本循環に組み込まれた日本。新「帝国循環」の時代。(P159)

 97年のアジア危機は米国に流入した資金の余剰分がアジアに還流したもの(P166)

 過度な円高(購買力平価に対して乖離が大きすぎる客観的基準で「過度」と見る)(P167)

 いままで投機資金が悪さをしていたヨーロッパ市場が統合され、悪さができなくなり、アジア市場が投機資金に狙われやすくなった(P171)。

 ルービンはタイ政府の通貨防衛策に反対し、ヘッジ・ファンドの味方をした(P172)。

 コロンビア大学のジャグディッシュ・バグワディ教授は「かつての軍産複合体ではなく、いまや財務省・ウォール街複合体が国際金融を取り仕切っている」と。(P173)

 1980年代のマハティールの東アジア経済協力体構想(EAEC)、ベーカー国務長官が宮沢首相に圧力をかけて断念させた。「EAECは太平洋を分断する。APECこそが双方の利益にかなう」と。(P174)

 日本の金融政策当局の不作為の罪(P178)

◎第6章 「鎖国の代償」

 1997年春の日産生命破綻の意味。一連の金融機関破綻と違い、円高により、持っていた米国債などが減価して破綻した。大蔵省の罪。大蔵省が負うべき責任は重い。(P180)

 大蔵省は金融業界への影響力を失うことをおそれ、銀行は既得権益を失うことを恐れ、「ドルの世界」をそのまま受け入れ続けることを選択した。これが日本の苦渋の原因だった(P184)。

 格付け機関の未発達(P192)

 ジャパンマネーの過度の対米還流を生み出したもの①日本の対米特殊ポジション②日本独自の経済社会制度(P194)

◆問題は2010年の米国債償還だ

 昔の本だが、最後の<終わりに キリギリスの「ニュー・エコノミー」>で吉川氏は

 「2010年には、奇しくも日本が80年代初めに大量購入したアメリカ国債(最長期・30年もの)が償還期を迎える。償還を受けて手にしたドルは、さて今度はどのような投資に振り向けられるだろうか。『償還』ではなく、大部分がドル債の単なる『乗り換え』になってしまっては、日本はドルの鎖の中に国富が流出する構造から永遠に抜けられないだろう。そうならないように、と願って筆者はこの一冊をまとめた」

 と書いてあった。問題は2010年なのである。まだ間に合うではないか。ちょうど10年前に書かれた本なのに、<死せる吉川、生ける財務省を動かす>となるかどうか?

 今の国際金融危機を理解するのに役立った気がした。読み直して良かった。

 自民党政権ではこのような大胆な金融政策の大転換は無理だろう。

 政権交代するしかないのだが、小沢民主党は財務相に擬せられる榊原英資氏を中心にどのような戦略を描いているのか? 

 乞うご期待、では済まされない、喫緊の課題である。

 できれば、総選挙の争点としてアジェンダ・セッティングすべきなのではないか、と思う。

 しかし、アメリカはこの問題を表面化させたメディアにも意地悪するのだろうなあ、と想像する。まして、当落が分かれる政治家に公約させることは期待できないだろう。

 反米的な政策を訴えて政権を取ると、その後の政権運営をアメリカに邪魔されるということもある。

 アメリカは気に食わない日本の政権を引き摺り下ろす、という噂もある。

 田中角栄の資源外交に腹を立てて、ロッキード事件で失脚させたというまことしやかな噂を信じる永田町関係者は今でもいる。

 細川護煕首相は日米首脳会談で「NO」と言った首相だったが、短命に終わった。

 まあ、最後の部分は与太話だが、金融危機の現象面だけに気を取られずに、もう少しロングスパンで見る努力をしてみよう。そうすると、違う風景が見えることもあるから。

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2008年10月 7日 (火)

書評「金融行政の敗因」西村吉正著(文春新書)~9年前の本。金融危機対処の参考に+東京新聞西村氏インタ

 10月6日のニューヨーク株式市場は金融危機を背景とした世界的な景気後退への懸念が強まり、ダウ平均株価(30種)は一時、2004年10月以来約4年ぶりに10000㌦を割り込んだ。2007年10月に付けた過去最高値(14164.53㌦)に比べて約3割下落した。同日のアジア、欧州の株式市場も軒並み下落し、米国発の金融危機は世界同時株安に発展した(読売新聞10月7日朝刊1面トップ前文)。東京市場も7日、日経平均が10000円を割った。

金融行政の敗因 (文春新書)

 サブプライム危機を発端とした米金融危機は米国だけでなく、欧州の金融機関の破綻を招いただけでなく、途上国経済などにも影響し始めている。

 新聞を読んでも、エコノミストや経済学者が目先のことしか話していない気がする。

 例えば、私が愛読している日経新聞[大波小波]。10月7日は六光星氏だったが、「未曾有の金融危機に世界が揺れている」として、過剰流動性を問題にしている。米国は中央銀行の力に頼り過ぎ、資金供給で輸血をしているが、病巣に直接働きかける力はないのに、膨大な資金提供は再びカネ余りを招き、資産バブル(通貨価値下落)の温床になる、と。一時しのぎが制御不能の怪物を作る繰り返しだ、という。

 「このままでは21世紀の世界は、物価も成長率も資産価格も過剰流動性の人質になってしまう」と危機感を訴え、アメリカはなぜかつての日本のようなデフレと流動性のワナにはまり、出口を見失う方向に進むのか、と悲鳴をあげる。

 申し訳ないが、今の危機の解決策を考える参考にならないと思うのだ。現象面の説明が中心で、その意味合いが述べられていないからだ。

 そこで、思い切って10年前の本を本棚から引っ張り出してきて、読み返した。

 住専問題の時に大蔵省銀行局長だった西村吉正・早稲田大学ビジネススクール教授が1999年10月20日第1刷で出した文春新書「金融行政の敗因」(定価710円+税金)を手にとってみた。

 バブル崩壊の際、政府内部で最も深く関わった、いわば「マネー敗戦」の”戦犯”である。自分でもミッドウェー海戦の司令官になぞらえていた。ひかれものの小唄だ、と切り捨ててもいいのだが、どうも内容が気になっていたので、もう一度きちんと付き合ってみたのだ。

 西村氏はその後も、金融に関する研究を続けている。この本は9年前に書かれたのだが、その時点での専門家の見解であることは間違いない。10年後に検証するのにふさわしい本だ、というだけでなく、現在の世界金融危機の中での日本のあり方を考える際に参考になるのではないか、と思って、読み返してみたのだ。

 本の裏表紙から西村氏の略歴を引き写しておく。

 1940年滋賀県生まれ。1963年東京大学法学部卒業。大蔵省入省後、経済企画庁課長、大阪税関長などを経て1989年から銀行局審議官、1992年財政金融研究所長、1994年銀行局長。1996年に退官後、スタンフォード大学特別客員研究員を経て現在、早稲田大学アジア太平洋研究センター教授。主な編著書に「復興と成長の財政金融政策」(大蔵省印刷局)、「世界の中心は回り持ち」(東洋経済新報社)など、とあった。

 9年前の情報だから、今は違うのでは? と思い、早稲田大学のホームページを見たら、次のように載っていた。コピペする。

 <現早稲田大学ビジネススクール教授である。早稲田のホームページによると、専門分野は金融論(特に金融制度)、経済政策論(特に財政、金融、行政)。

 講義科目は金融ビジネス概論、経営と経済・社会。

 1940年生まれ(滋賀県大津市)、東京大学法学部卒業、博士(学術、早稲田大学)、1963年 大蔵省(現、財務省)入省、1979年 欧州共同体(EC)日本政府代表部参事官、1984年 大蔵省主計局主計官(防衛予算担当)、1986年 経済企画庁総合計画局計画課長、1992年 大蔵省財政金融研究所長、1994年 大蔵省銀行局長、1996年 大蔵省退官、スタンフォード大学特別客員研究員、1997年~ 早稲田大学教授。

 主要著書一覧としては「日本の金融制度改革」(2003、東洋経済新報社)、「金融行政の敗因」(1999 文春新書)、「世界の中心は回り持ち」(1997 東洋経済新報社)、「復興と成長の財政金融政策」(編)(1994 大蔵省印刷局)、「金融危機再検証 今が好機」(2007 日本経済新聞「経済教室」)、「脱・脱亜入欧のすすめ」(2008 中央公論)、「日本人を値下げしよう」(2003 中央公論)。

 研究テーマは「規制緩和、市場化、グローバル化などの激流の中で変革を続ける金融システムの将来展望を探る。理論を踏まえつつ、かつ、現実の課題に応えられるように、21世紀の金融機関経営の構想を描く」とある。

 本人からのメッセージとしては「30年あまり公務員として日本政府(大蔵省、外務省、経済企画庁)で働いてきた。とりわけ住専問題などの金融機関の破綻処理を取り扱った銀行局長の時代には、印象に残る行政経験が数多くあった。このような経験を活かしながら、理論と実践の接点を探る研究・教育活動を進めたい」。

 プロジェクト研究はグローバル化時代の金融戦略の研究 [MBA] 、金融業務戦略指導[博士後期課程]>

 とあった。以上がホームページの情報だ。

 さて、「金融行政の敗因」の内容に移ろう。

◆バブルの最中はバブルと感じない

 まずバブルの発生・崩壊だ。「80年代後半から現在に至る資産価値(地価・株価など)の急激かつ大幅な上昇・下降の過程」(P12)。必ずしも経済の実態に即したものとは言えなかったという意味で、「特に大幅な下落が起きてから、この現象は苦渋を込めて『バブル』と呼ばれるようになった」(P13)とあるように、景気がよかった時は、バブルとは認識されていなかった。崩壊して、初めて「バブルだった」となる。いつの時代も同じだ。

 1980年代後半には日本を含め、アメリカ、イギリス、北欧、韓国、台湾など世界の各地において地価及び株価の上昇が見られたが、この共通の背景は

①1985年9月のプラザ合意後の各国の協調利下げ

②石油価格の下落

③マネーゲームの興隆、

 があった。しかし、内実は各国バラツキがある。日本同様に第二次世界大戦後、右肩上がりの経済発展を続けてきたドイツはバブルの発生・崩壊を経験しなかった。ドイツでは土地政策が確立し、土地が投機対象とされなかったこと、経済全般について対米依存度が日本ほど大きくなく、経済政策は対米協調より国内安定を優先する傾向が強かったためだそうだ。(P17)

 1980年代後半に日本で生じた資産価格の急激かつ大幅な上昇(バブル発生)の原因は、

①長期にわたる景気拡大や円高による国際的地位の上昇の過程で日本経済の先行きについて強気の期待が高まったこと

②歴史的な低金利やマネーサプライの高い伸びなど金融緩和が長期にわたるなど、マクロ経済政策に適切さを欠いたこと

③金融機関のリスク管理体制などの整備が不十分なまま、金融自由化が過度期を迎え、その中で金融行動が著しく活発となったこと

 ――の三つだった(P17)。

 1985年のプラザ合意による急激な円高が日本経済を襲い、円高不況が来るという危機感が列島を覆ったが、大きな混乱もなく乗り切った。不況感が急速に払拭され、非製造業のウェイトの高まりなどで多数の収益機会が生じた。相変わらず不況下の物価高(スタグフレーション)に苦しむ欧米先進国を尻目に日本の1人当たりGDPは世界最高水準に達し、キャッチアップの時代は終わった、と感じられた。

◆経営者の判断を誤らせたもの→結果は過剰投資

 このような予想を上回る契機の好調は経営者の判断を誤らせ、過剰投資を招く。

 「土地神話」は戦前には存在しなかった。高度経済成長により土地一単位当たりの生産性が大幅に上昇したうえ、人口の都市集中のため、特に大都市の地価は経済発展をはるかに上回る店舗で上昇。70年代以降、長者番付(個人申告所得ランキング)の上位を土地成金が独占したことを通じて土地神話がますます定着した。広範な人が土地は他の資産に比べて有利な商品であると信じていた。

 地価は戦後1回(1974年)しか下がったことはなく、これもオイルショック後の例外中の例外として無視された。「土地本位制度」がバブル発生の原因となり、崩壊後にそれが故に日本経済の心臓部にダメージを与えることになる(P22)。

◆規制緩和が悪いのか、政治家のリーダーシップのなさが悪いのか?

 80年代はサッチャー首相、レーガン大統領によって主唱された新保守主義の経済学と規制緩和が世界的に関心を呼び、日本でも中曽根政権がサッチャー・レーガン路線を踏襲し、1985年4月の国鉄の分割民営化が象徴だった。

 経済・社会の自由化、国際化は時宜にかなった政策目標だった。規制緩和による経済活性化は第二次石油ショック後の沈滞した雰囲気を明るくしたが、もしかすると、結局はバブル経済を推し進めることでより大きな傷跡を残す結果になったのか。それとも、竹下政権以降、短期間で政権交代を繰り返し大きな政策決定を実行する力が弱まった政治のリーダーシップの欠如が原因なのか。転換期にある日本経済の舵取りをすべき政治がこの時期、政治改革にかなりの力を吸収されたことも日本経済にとって不運だった(P23)。

 1985年に1人当たりGDPが11000㌦、アメリカが17000㌦だったのが、1990年には日本24000㌦、アメリカ22000㌦と逆転し、日本は主要国の中で1位となったが、これは為替レートの激動による数字の魔術、錯覚だ。円ベースで見ると、日本のGDPは85年に324兆円で、バブルを経て90年でも3割増の439兆円。これが実態であり、生活実感だ。これをドル建てで見ると、85年の1.45兆㌦が90年には2倍以上に増えて、3.10兆㌦になる。5年で倍増。外国人はドル建てで見るから日本の膨張ぶりにびっくりした。その様子を見て日本人(特に国際派や金融関係者)もすっかり自信をつけてしまったのではないか。

◆邦銀がアレヨアレヨで世界一になった日

 この頃、日本の金融業が国際金融市場で占める地位も急速に上昇。円高前の82年には日本で第1位(資産額)の銀行も世界では第8位だったが、プラザ合意による円高後の88年には資産額を4倍にして世界のトップバンクになってしまった。

 単純化すると不動産融資で2倍、円高で2倍、合わせて4倍ということだ。80年代後半には世界のベストテンを邦銀がほぼ独占する。この頃、BISがまとめた国際金融市場リポートでも85年以降、邦銀の海外資産は急拡大したものの、これは国内市場が未整備で国際市場に迂回した取引が多かったため、と分析している。邦銀の「オーバープレゼンス」(目立ちすぎ)も円高によるイリュージョンの要素が強かった。邦銀のランキングも実はソニーやトヨタをはじめとする製造業の実力で獲得した円の価値上昇(円高)の反映に過ぎなかった。金融行政にもその意識が足りなかった。

 それまでは前近代性と結びつけて考えられていた終身雇用制、メインバンク制度、株式の持ち合い、企業間の長期的信用取引関係などの慣習が「日本的経営」と称賛され、債権大国、資産大国、金融大国など「大国」という言葉が流行語となった。

◆流行語「大国」、昔は「一等国」

 19世紀末から20世紀初頭、日清・日露戦争に勝利した日本では「一等国」が流行語だった。このような大国化現象は急激な円高で計算上出現したバーチャルな産物だったから、バブル崩壊後、日本の金融が天国の高みから奈落の底に墜落したように悲観する必要はない。もともとそんなに高所にいたわけではない。今回のバブルは17世紀前半のオランダのチューリップ狂、1920年代のアメリカの大恐慌に先立つブーム、18世紀前半のイギリスの南海泡沫事件同様、急速な経済的興隆が人々の強気を産んだ例だ(P26)。

 今回の事例は日本を筆頭としたアジアの雁行経済発展国家群が挫折した20世紀末の事件として、欧米の人々の優越感をくすぐる格好の話題を提供した。世界史上今までに何度かあったイエロー・ぺリル(黄禍論)の一こまだが、この史劇は21世紀に中国が主役を引き継ぐことになり、まだ幕を閉じていない(P27)。

 80年代後半、日本の金融は大幅に緩和された。公定歩合は86年1月から87年2月までのほぼ1年間に5%から2.5%という史上最低の水準へと引き下げられた。この水準は89年5月に3.25%へと引き上げられるまで2年3カ月継続した。マネーサプライも87年度から90年度にかけて4年間連続して2桁増となるなど、量的にも大幅な緩和が行われた。

◆日本はなぜ金融引き締めが遅れたのか?

 87年10月のブラックマンデー(NY市場での株価暴落)後、アメリカでは88年3月に市中金利の高め誘導をした。8月には公定歩合を引き上げた。

 ドイツも88年7月と8月に公定歩合を引き上げた。

 しかし、日本では①円高の進捗②経常黒字と内需拡大要請③物価の安定という3要因の為に、金融引き締めが制約され、金融政策の転換は89年5月まで持ち越されてしまった。

 三重野日銀総裁(当時)は93年5月24日「金融財政」で「悔いが残るといった、その事態に対する最大の教訓は、やはり金融政策は消費者物価とか、卸売物価だけじゃなくて、資産価格についても十分目配りしていかなければならなかった、ということだ」と回想している。

 金融政策のみならず、経済政策発動のタイミングは極めて難しい。特に現状に満足しているときに、金融引き締めで国民の頭から水を掛けるということは、言うべくして難しいものだ。転換のターニングポイントとなる時点では、決定的な指標が出ているわけではない。

 政策決定者はよほどの見識と決断力と、そして確固たる地位が必要だ。このような意味で中央銀行の政治からの独立性が世界各国で尊重されている(P33)。

 日本は89年に入りドルが円に対し強含みに転じ、金融政策に対する為替面からの制約が小さくなった。一方、国内では人手不足と輸入物価上昇による国内物価上昇が懸念されるに至った。出稼ぎに来たイラン人が東京の街に目立つようになったのもこの頃だ。

◆「平成の鬼平」はやりすぎだったか?

 89年5月、公定歩合は2年3ヵ月ぶりに引き上げられ、以後90年8月までの計5回の引き上げで、その水準は短期間のうちに6%となった。当時の日銀総裁は「平成の鬼平」と称賛されたが、この急激な金利引き上げはあまりにも急激にブレーキをかけたものとして、後にはむしろ批判の対象となった(P34)。

 この頃の経済政策を巡り「財政再建を優先しすぎたため、金融政策に過度の負担がかかった」との見方がある。行政改革は当時の鈴木・中曽根内閣の最大の政治課題であった。財政政策と金融政策のポリシーミックスを決定する上で、一つの制約になった面があったことは否定できない(P36)。

 80年代に入って資金の需給関係に変化が生じていた。日本企業はオイルショック後の安定成長への移行に伴い、資産・負債の増加を抑える減量経営を志向。製造業の主要企業全体では内部資金化率が高まり、76年以降、全体としては設備投資資金を借入れに依存する必要がない状態になった。70年代半ばを転機に、製造業の金融機関借入金依存体質は急速に低下し、80年代に入ってからもこの傾向は続いた。80年代には書受け院形態での資金調達の自由化が進行し、これも銀行離れを促進した。

◆不動産投資が集中したワケ…財テクブーム

 銀行にとってはカネ余りになった。大企業が借りないため、ほとんどの銀行は一斉に配下のノンバンクも含め、不動産貸出に走った。金融緩和と預金金利自由化で資金が継続的に流入する環境に押し流されるように、銀行は「向こう傷は問わない」姿勢で貸し付けた。銀行はこの時期、審査部門を縮小した。

 80年代後半には企業は設備投資に加え、収益重視の観点から積極的な金融資産の運用である「財テク活動」を活発化させた。特に大企業は資金不足がkぅを大幅に上回る大量の資金を調達し積極的に金融資産を積み増す、いわゆる「両建て取引」を行った。85年から89年の間の企業の資金調達を見ると、エクイティ・ファイナンスを中心とする有価証券とCP発行が大幅に伸びたのが特徴だった。

 当時は、財テクに関心を持てない経営者は無能といわんばかりの罪深い経営書が数多く出版された(P47)。

 私(西村氏)は1986年~88年、経済企画庁で将来展望を作る作業をしたが、この4年間に個人消費や政府支出は25%程度しか伸びていないのに、民間設備投資と住宅投資は約60%伸びている。結局、バブル期といっても、実体経済面では民間の突出していただけで、通常の国民生活そのものは案外平静、平常だった(P49)。

 バブル崩壊過程で1㌦=79円の円高があった。アメリカは為替レートを貿易戦争の武器に使ったに過ぎないだろうが、この円高は予想以上の効果を及ぼし、日本経済は自壊した(P51)。←(これは非常にものすごい指摘だと思う。)

 前川リポート(1986年4月7日)の主張する経済構造改革が注目されたが、「内需主導型」が曲者で、内需主導型への経済構造変革を目指すべきだったのが、景気対策により内需振興を図ることにすり替わってしまった。もともと、高度経済成長時の日本は生活を豊かにするためにカネを使わず、ウサギ小屋に住んで、貧しい中でGDPを伸ばした。本来は国民生活の水準を上げておくべきだった(P53)。

 あの時期、日本の経済政策の思考方法・決定過程は予算編成に偏っていた。底では政策の主たる関心が国内の利害調整に埋没する状況で、政治も行政も世界の経済大国としての日本をたくみに運営する体制ができていなかった(P56)。

◆英エコノミスト誌の卓見

 英エコノミスト誌の「バブル崩壊論」の卓見(1990年12月)(P66)。

 世論はバブル潰しを喜んだ(P71)。

 日米の不良債権処理の違い。S&L程度と見たのが間違いだった(P86)。

 痛みを伴う政策の政治決断ができなかった。弱い政治(P89)。

 ジャパン・プレミアム問題(P134)。

 生保各社の経営を悪くした低金利(P138)。

 自民、社会、さきがけ連立政権での住専処理。最初は与党プロジェクトでリーズナブルな方法。途中から党幹部の担当となり、自民幹部はプロジェクトチームを無視し、農協向けの結論を出した。住専問題をハードランディングさせた原因は闇勢力が経済活動に現われ、銀行支店長殺人などを繰り返し、ソフトランディングでは闇社会の食い物にされる、という恐れがあったため(P145)。

◆吉冨勝氏の住専処理批判と反論

 吉冨勝氏による住専処理批判の詳細な説明とそれへの回答(P153)。

 1997年11月3日の三洋証券破綻→戦後初のコール市場でのデフォルト。11月17日拓銀破綻。11月24日山一証券自主廃業。11月26日德陽シティ銀行自主再建断念。11月28日財革法成立(P179)。

 梶山静六氏のイニシアチブで1998年2月16日金融安定化緊急措置法成立、預金保険法改正も。98年6月22日金融監督庁発足(海外市場では「ハシモト・リセッション」の批判起きる)(P187)。

 金融機能が円滑・有意義に活動するためには、金を貸したものよりも金を借りたものの方が相対的に良い結果を得られるという社会にすることが必要だ(P198)。

◆最終章は現在に生かすべき教訓が山盛りだ

 西村氏の卓見は第5章「金融行政の曲がり角」(P205~P252)を見れば、現在にも通じる骨太のものの見方として表れている。小見出しだけを拾っておく。

1 事前行政から事後行政へ(護送船団方式とは何だったのか/金融検査の本質と限界/信用の価値=BIS規制/経営者の責任追及問題)

2 金融の再編成(直間比率=銀行と証券=/土地本位制度の崩壊/一勧・富士・興銀/伝統的金融業と先端的金融業)

3 なぜこんなに時間がかかるのか(金融だけが原因なのか/人口の減少と国民の閉塞感/冷戦終結とデフレ/平和の逆配当/これからどうするのか)

◆米金融業のおさかしさ→現在の破綻の原因はここにある?

 世界的に活躍するアメリカの金融機関のROE(株主資本利益率)は14%以上ともいわれる。先進諸国の実体経済の成長率が2~3%のときに、金融機関だけが飛び抜けた利益を上げ続けることに納得できないのは、単なる感情論ではない。従来の金融行政は、伝統的な金融業を対象とし、どちらかといえば金融業の公共性・安定性を重視してきた。これに対し、ビッグバンなどという言葉に代表される最近恩金融論議や行政批判には、先端産業としての金融業の立ち後れに対する苛立ちがこもっている。この間には、案外深い川が流れているのではないだろうか(P234)。

◆高度成長とは将来の成長期待だった

 高度成長の時代とは、いま成長しているということよりも、将来も成長が続くという見通しの持てる時代、「将来性を買う時代」だった。将来性を買ったからこそ、地価は収益還元レベルを超えていた。そのうえさらに将来の発展を見込んで地価は上昇した。それに比して90年代になると、「現実を踏まえてその延長線を見つめる時代」になった。このような意識変革の最大の要因は20世紀末の日本が人口の屈折点に差し掛かっていることだ。租税負担の増加、年金財政の崩壊など国民の漠然たる将来への不安も根底には日本の社会が人口減少によって縮小均衡に向かうことを国民が感じているからだろう(P238)。

◆少子高齢化の影響が大きいこと

 第二次世界大戦が終わってまもない時期にベビーブームがあり、その直後、出席率は49年から59年のわずか10年間で4.32から2.04へと、世界的にも例を見ないほど急速に低下した。当時、それまでの「人ばかり多くて貧しい国」から脱却するための施策が成功したものと考えられた。

 しかし、人口の増加がわが国の成長・発展にとってむしろ原動力であったことを、今日、人口の屈折点に立って初めて痛感させられている。

 わが国の人口が減少した経験は約250年前、18世紀中期にまで遡る。徳川吉宗の時代であり、享保の改革はおそらく人口停滞によるデフレの時代に行われたのであろう。それでも約70年間の人口減少率は4.5%であるから、横ばいないしは微減というところである。それに比べると、今回の人口減少は厚生省人口問題研究所の推計によれば、今後約百年間で半数近くになってしまう。

 それに匹敵する減り方は、縄文時代中期から後期にかけて(4500年~3500年前)の約1000年間の動きまで遡るらしい。こう考えると、バブルの崩壊や総量規制と関係なく、日本の地価がここまで下がることは早晩、必然であったのだ。

 頭数が半分に減れば、1人当たりの土地は2倍に増える。また、わが国の高度経済成長が、キャッチアップの課程を終えればいずれ普通のスピードになることも、早くから認識されていた。モノも資本も自由に移動する時代になれば、土地の値段もまさにグローバル・スタンダードに近づくことは必然だったのである。

 地価だけがグローバル・スタンダードと無関係でいられるはずがない。日本だけに土地神話が存在することこそ、むしろ以上だったのである。しかし残念なことに高度経済成長を成し遂げた後は、わが国にはそういう大きな方向性について舵取りをする機能が欠けていたのだ。

 わが国の地価政策上、土地保有税が必要であることはすでに60年代半ばに各方面で主張されていた。それは人口が増加し、経済成長率の高い段階でこそ必要・有効なものだった。わが国の人口の減少が懸念され、ゼロ成長にあえぎはじめる時点になってやっと地価税が導入されたのは、誠に皮肉なことであった(P240)。

 冷戦の終結は、世界の人口の3分の1が市場経済に参入し、それだけモノ・労働力のバランスが変化したことを意味する。わが国も当然、この世界的な供給過剰の中にいる。さらに日本は円高に対応するため、安い土地や労働力を求めて現地生産を拡大し、その流れを加速した。デフレ経済は必然的である。

◆デフレ下では不良債権処理が進まない

 70年代後半から80年代初めにかけては、アメリカ経済は高インフレ・高金利に苦しんでいたので、日本にとって円高によるデフレ効果はむしろ喜ばしいことだった。ところが80年代半ばから90年代半ばになるとアメリカの物価が安定にしたにもかかわらず円が上昇し続けたために、わが国は世界的な風潮以上にデフレとなり、マクロ経済運営に大きな支障をきたすことになった(P242)。

 不良債権の処理にとって、デフレは最も不利な環境である。インフレは債権・債務の実質的価値を減らす。すなわち過去を清算し、既得権の重荷から解放する。インフレが老人や弱者に冷酷であるのはそのためであるが、そのことは同時に、現在の強者、新たに発展しようとするものの活動をし易くすることをも意味する。

 これに対しデフレは逆である。既得権益の価値を重くするから、社会の発展・前進の足かせとなる面がある。いま日本経済がしっぽを咥えて同じところをグルグル回っているのは、デフレという足かせをはめられていることも大きな原因となっている。日本は過去2度、終戦直後に不良債権問題があったが、銀行を救ったのは卸売物価が約60倍になった超インフレだった。列島改造時の不動産融資による不良債権も第一次オイルショック後の「狂乱物価」(卸売物価上昇率37%)によって軽減された(P243)。

◆冷戦終結の意味合い→安全保障を各国が自前で構築する時代

 冷戦の終結によって、安全保障問題を各国が自前で構築する必要が出てきた。いまさらながら日本の脆弱性・孤立性を痛感させられる。

 世界の人々も「日本経済の奇跡」の時代の敬意と警戒から解放され、日本の脆弱性、辺境性に気づいてしまった。最近における国際的な日本の地位の低下(ジャパン・バッシングやナッシングとか自嘲しているもの)は、このことを反映している。

 …象徴的に言うならば、ニューヨーク市場は「ドルと英語とペンタゴン」によって支えられている。東京市場は今のところ、そのすべてを欠いている。

 …「マネー敗戦」という意識から遅まきながら円の国際化論が最近勢いを増している。しかし、通貨の力は単なる「経済大国」では獲得・維持できない。円の国際化が何を意味するのかは人によって違うようだが、外国でお札が通用するようになるのは、東京市場の国際化などという生易しい話ではない。

◆憲法9条問題

 憲法9条の改正から始めなければならないことになる。冷戦の終結により、そういうことが明確になってしまった。経済大国とは「裸の王様」のことであった(P246)。

 日本が難問にぶつかるのは、むしろこれからである。ここ10年ばかりの経験はその予告編に過ぎない。人口の減少に対処するには、これから、社会の安定化活力か、の厳しい選択に迫られる。ヒトの輸入に踏み切るか。アメリカのように外から活力を無制限に入れるほど日本社会は強くないだろう。日本には日本のやり方がある。日本のやり方が欧米にも通用するという意味でのグローバル・スタンダードにならなかったとしても、それでやっていくほかない。できうえば、近隣にそれを共にする友人(中国、韓国)があったほうが良い(P249)。

◆高度成長の中に潜んでいた第二の敗戦の芽

 第一の敗戦後に実現した「日本経済の奇跡」の中でも、第二の敗戦の種は播かれていた。経済優先の高度成長である。やむを得ずこの路線を選択した吉田茂首相はこのことをおそらく自覚していたであろう。日本人はそのうち、これが世を忍ぶ仮の姿であることを忘れ、「町人国家論」を本気で信じてしまった。だからマネー敗戦を不本意と主張するならば、戦後の経済市場主義をも修正しなければならないことになる(P251)。

 以上が本書の内容である。

 新書の帯に<護送船団最後の指揮官元大蔵省銀行局長の告白的論考!>とあるが、いい内容である。9年前にここまで見通して、書いている。この10年、日本の政治・経済はこの時点と比べてどこまで進歩したのか、退歩したのか?

 その検証は別の機会にするとして、今日はここまで、と思ったが、東京新聞の昨年4月号に西村氏のインタビューがあり、ネットの東京新聞ホームページに保存してあったので、コピペしておく。

◆東京新聞2007年4月25日朝刊の西村吉正氏インタビュー記事(ネットからコピペ)

 東京新聞2007年4月25日付朝刊(ネットで見つけた)に[検証・拓銀破たん10年特別リポート]<①西村吉正・旧大蔵省銀行局長に聞く>があったので、ついでに、コピペして、貼り付けておく。

◎「正論」拓銀のみこむ 経営悪化なら厳正処理を

 <1997年11月17日、北海道拓殖銀行が破たんした。あの激震から10年が経過しようとする今、破たんの前年まで旧大蔵省銀行局長を務めた西村吉正・早稲田大学大学院商学研究科教授(66)に「拓銀はなぜつぶれたのか」をあらためて聞いた。元銀行行政のトップは、当時の国内を覆っていた強硬な構造改革路線に国内経済が落ち込んでいく局面が重なり、国の方針を存続ではなく破たんに向かわせたとみる。(経済部・沢田信孝)>

【96年夏まで】

◎中小行の処理で金融正常化できる

 <西村氏が銀行局長に就任したのは、自民、社会、新党さきがけ3党による村山富市連立内閣が発足した直後の1994年7月。96年7月に退任するまでの間、金融機関の破たん処理に道筋をつける一方で、住宅金融専門会社(住専)の不良債権問題の対応に追われた。ビルや土地を買いあさり、バブルを生み出した主役の一つである住専への公的資金投入は、その先にある問題、住専に巨額資金を貸し込んできた銀行の不良債権問題を国民に強く意識させることになった。

 ――当時、拓銀を含む金融機関経営に対する認識はどのようなものだったのでしょう。

 「銀行局長に就任し、金融機関の実情を知るに連れ、破たん処理は避けて通れないと強く感じました。ただ、その対象はあくまで中小金融機関でした。率直に言って、大手行まで破たん処理しなければならない状況だとは認識していなかった。バブルに踊った一部の中小金融機関を処理すれば、金融システムは健全化すると考え、94年12月から東京の2信組(東京協和、安全)、コスモ信組(東京)、兵庫銀行、木津信組(大阪)…と破たんさせた。私が局長時代、拓銀まで破たんするなどとは思いもしませんでした」

 ――しかし、そのころから週刊誌などの「拓銀危機報」道が徐々に盛り上がり始めました。

 「確かに拓銀と日債銀(日本債券信用銀行)に関心が集まり始めました。あのころの週刊誌は『拓銀を放っておいていいのか』『つぶさなくていいのか』と金融当局に要求を突きつけてくる感じでした。ただ、彼らも本当につぶれるかもしれないと思っていたら、ああいう書き立て方はしなかったでしょう。いざとなれば、大蔵省が救うに違いないと思っていたからこそ、無責任な内容になっていった。そんな状況ですから、外国人記者にまで、『大手21行は大丈夫か』と聞かれました。その記者は拓銀を念頭に置いていたのでしょうね。私は『日本の金融システムの崩壊につながる事態を防ぐのが、金融行政の責任者の役目だ』と答え、間接的な言い回しですが、『大手行はつぶさない』という政府方針を示したものです」

 ――拓銀にまで破たんが及ばないと考えた根拠は何だったのですか。

 「日本経済への自信です。日本は創意工夫によって、敗戦を克服し、オイルショックや、プラザ合意(85年)後の急激な円高も乗り切ってきました。95年当時、私たち行政当局はもちろん、国民全体にもまだ自分の国への自信が残っていた。バブルの後遺症を軽視したつもりはありませんが、弱い中小金融機関を破たんさせて不良債権処理すれば、景気が回復し、金融システムも正常化すると確信していたのです。拓銀が破たんする事態にまで経済状況の悪化が進むとは、考えられませんでした」>

【急転の97年】

◎時代の空気 生き残りの道狭めた

 <結局、拓銀に「退場」を宣告したのは大蔵省ではなく、「市場」だった。1997年11月3日、三洋証券が破たんし、コール市場(短期金融市場)で初の債務不履行が発生すると、拓銀への信用不安も一気に高まり、株価は額面割れ寸前に。コール市場では資金の貸し手が現れず、資金繰りに行き詰まった拓銀は同17日についに破たんした。さらに1週間後の同24日には、山一証券も自主廃業に追い込まれる。当時の首相は、故橋本龍太郎氏。金融改革や構造改革、行政改革などの6大改革を「火だるまになっても断行する」と宣言。それまでは当然のように受け止められていた大蔵省の「護送船団方式」が突然通用しなくなった、と西村氏は振り返る。

 ――西村さんが銀行局長を務めた96年半ばまでは大手行を破たんさせない方針だったのに、わずか1年半後に拓銀が破たんした理由をどうお考えですか。

 「私は96年から97年にかけての時期を『正論の時代』と命名したい。今や小泉純一郎前首相の専売特許のような構造改革ですが、初めて本気で『思い切った改革を実行しなければ日本の将来はない』と言い出したのは橋本龍太郎さんです。実際に(金融機関の規制緩和を進める)日本版ビッグバンなどの改革に取り組んだ。筋を曲げるのが嫌いな橋本さんは『正論の人』。国民も支持した。96年暮れから97年半ばまで橋本内閣の支持率は非常に高かったんです。そこに拓銀と山一証券の危機が浮上した」

 ――「正論路線」が拓銀を破たんさせたと…。

 「山一の場合は『飛ばし(損失隠し)』の発覚がきっかけでした。それ以前なら経営陣は処罰しても、証券市場をめちゃめちゃにしてはいけないという政治の自制が働き、会社を残す方向に進んだ可能性もあった。しかし、『厳正に処理することが日本の将来のため』という正論によって自主廃業に追い込まれた。拓銀もこうした空気の中で、生き残りの道が狭められた側面があったように思います。時代の空気と無関係に行政運営が行われることはあり得ません。それは非常に大きな要素、いや、すべてと言っていいほどの影響を持つものです」>

◆都銀ゆえのマイナス

 <――「正論の時代」ではなかったら、拓銀も存続できたということでしょうか。

 「難しいところです。経営難の金融機関を存続させるにしても、破たんさせるにしても、返すべき預金額と、不良化によって目減りした資産との差額は、税金などの公的資金で埋め合わせする点は変わりません。問題は、差額を税金で埋めて銀行を生かすか、銀行をつぶしてから税金で穴埋めするかの判断です」

 「当時は経済環境も悪化し、差額という穴がどんどん広がっていく状況にありました。仮に、行政当局が先に税金で穴埋めするという手段によって、拓銀を生かそうとしたとしましょう。当初は穴が1兆円だとみて埋めてみたが、2兆円、3兆円と広がっていく可能性が強い。そうなると追加支援が必要になり、拓銀は『不良債権を隠していたんじゃないか』と国民に疑われ、行政は『見込みが甘かった』と批判を浴びます。時の政権への打撃にもなりかねません。正論の時代だったからこそ、あの時期に拓銀が破たんしたとはいえますが、時代が拓銀存続を許したとして、その後もずっと行政が支え切れると判断したかどうかは微妙なところでしょう」

 ――道民には今も「拓銀は不良債権処理の実験場にされたのでは」「国に見捨てられた」という思いがあります。

 「それは断じてあり得ません。第三者の学者なら『実験してみたらどうだ』と言えるかもしれないが、大混乱が起きるのが明らかな実験をするなどというのは、行政や政治の責任ある立場の人間の発想ではありません。それでなくても、役人というのは思い切った措置を避けたがるものなのです。当時の行政当局は、ぎりぎりまで破たん回避の努力をしたと思う」

 「あえて言うなら、最終局面で拓銀の位置付けが北海道の地域経済にマイナスに作用したのかもしれません。拓銀がもっと小さな北海道の地方銀行だったら、北海道経済と拓銀の経営問題が1対1の重みのあるテーマとして議論されていたはずです。例えば(債務超過に陥り、2003年12月に一時国有化された)足利銀行が生き残ったのは、地域経済への影響が配慮された点が大きかった。正論の時代にあって、拓銀は『都市銀行』の看板を背負っていたがゆえに、地域の問題が後回しにされてしまった可能性もあります。これは私の推測にすぎませんが」>

【そして現在】

◎復活した大手行…サービスは低下

 <この10年間で、日本の金融秩序は一変した。かつて、大蔵省が「つぶさない」と明言した21の大手行は再編に次ぐ再編により、3大メガバンクを中心とする6グループに集約された。2001年4月には小泉純一郎政権が発足し、竹中平蔵金融相が「金融再生プログラム(竹中プラン)」を公表(02年10月)、大手銀行に05年3月末までに不良債権比率の半減を求めた。国内景気回復の追い風に支えられて目標は達成され、金融庁は同年5月に金融システム正常化を宣言した。拓銀破たんが残した教訓とは……。

 ――小泉・竹中改革への評価は。

 「ハードランディング論者と言われる竹中さんですが、政策的には実はソフトランディング路線でした。竹中さん以前の約10年で拓銀を含め180の金融機関が消えましたが、竹中さん以降は実質ゼロ。足利銀行もりそな銀行もつぶさなかった。金融システム崩壊の危険性をよく認識されていたと思います。それでも『改革者』の印象が強いのは、努力しない経営陣の首を飛ばすなど、銀行経営者に厳しい姿勢を示したからです。改革を掲げる小泉政権の維持に必要な演出で、役人にはできないことです。竹中さんは学者ながら、優れた政治家でもあった」

 ――拓銀危機の当時に竹中さんが指揮を執っていたとしたら…。

 「それでも拓銀は救えなかったでしょう。日本経済は02年1月から回復期に入りました。小泉政権の誕生とほぼ同時期です。こうなると金融機関を生かしておく方が悪影響は少ない。貸したお金が返ってきて、不良債権の穴がどんどん小さくなる。りそなグループの公的資金も戻る見通しです。竹中さんの手腕は評価しますが、日本経済の回復が大きく寄与したのです。とはいえ、不良債権処理に使われた90兆円の大半は金融機関が負担した。破たんせずに済んだ銀行も、高度成長期から蓄積した資産をすべて吐き出す痛みがあったことを忘れてはならないでしょう」

 ――拓銀破たんが残した最大の教訓は何だと考えますか。

 「何が、と問われると難しいですが、『金融機関もつぶれる』という認識ではないでしょうか。競争に負けると市場から退場しなければならないのが市場主義です。ところが大蔵省の護送船団方式の下、金融業界だけは、負けても退場しないのが当たり前だったのです。この価値観の下で、金利自由化や銀行の証券参入などの制度改革をやっても、どの銀行も率先して経営改善やサービス強化に取り組もうとはしません。ところが拓銀が破たんし『競争に負けると落ちこぼれるぞ』となった途端、金利自由化などの取り組みが表面化してきた。この10年で3大メガバンクに集約される大再編が起きたのも業界の意識改革があったからでしょう」

 ――一方でそうした金融業界の経営改善が預金者に十分に還元されているとは思えません。

 「メガバンクの寡占化を国民が認めたのは、経営安定と引き換えに優れたサービスと国際競争力向上を期待したからです。ところが、店や現金自動預払機(ATM)の数が減り、ATMの前にお客の長い行列ができている。同じ銀行の別の店に金を振り込んでも手数料が取られる。海外での活躍もほとんど聞かない。金融危機を教訓とした合理化を否定しませんが、規模が大きくなったのにサービスが低下している現状はおかしい」

 「メガバンクが北海道などの地方都市に営業攻勢をかけ、信金と客を奪い合っているのも問題です。メガバンクは地域の金融機関を追い込むために経営規模を拡大したわけではない。もっと国民の期待に応える事業を進めてほしい。それが拓銀破たんという痛みを無駄にしないことだと思うのです」

 以上である。残念ながら、米国のサブプライムローンに関する言及はなかった。

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2008年9月14日 (日)

書評「金正日の正体」重村智計著+姜英之拓大客員教授「エコノミスト」誌論文とネットでのインタビュー

 2008年8月20日第1刷発行定価756円。出版後ほどなく金正日総書記の健康異常報道が世界を駆け巡ったため、一躍注目されたが、その後の世界金融危機に目を奪われ、北朝鮮の核・拉致問題や6カ国協議、金正日氏の健康問題は影が薄くなってしまい、この本ももっと読まれるべき時に、忘れられようとしている。

金正日の正体 (講談社現代新書 1953) 金正日の正体 (講談社現代新書 1953)

著者:重村 智計
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 重村氏を嫌う人々からは「またバイアスの強い一面的な説か」というコメントしか聞けないだろうが、最近の北朝鮮の行動のブレが大きいこと、自暴自棄のような行動が目立つことを考慮すると、もしかすると、ここに書かれているような金正日氏の健康悪化がすでに相当に進んでいて、今や北朝鮮は事実上、朝鮮人民軍の幹部を中心としながらも、船頭の多い集団指導性に移行している可能性もあるのかなぁ、とも思える。

 重村氏の著書は今まで何冊も読んだが、この本は今までの本と違い、証言集の趣がある変わったつくりになっている。

 その証言が半端ではない。いわく、2000年初めから糖尿病悪化で車椅子生活をしている、1980年代から金正日氏の影武者(ダブル)がいて公式行事に本人の代わりに出てくる。1992年と93年に相次いで暗殺未遂事件が起きてからは、特に外での行事には本人は出てこない。2002年から2003年にかけてのいずれかの時に金正日氏が死亡した、という証言も出てきて、これにはそれなりの傍証も出てくる。

 平壌では現在、張成沢党行政部長、呉克烈党作成部長、李済剛組織指導部第一副部長、金永南最高人民会議常任委員長の四人の高官を中心とした四つの勢力が抗争を続けており、息子たちによる後継闘争を嫌った金正日氏が顕在だったら考えられないことだ、という。また、金正日氏の現地指導(地方視察)での随行者が2003年9月を境にガラリと変わり、朝鮮労働党幹部がいなくなって、人民軍の玄哲海総政治局組織副局長(大将)、朴在京総政治局組織副局長(大将)と軍幹部の李容哲党中央軍事委員、李明秀参謀部作戦局長の4人は常に同行している、というのだ。

 金日成主席の墓参も、あんなに親孝行の金正日総書記だったのに、2002年以降は党幹部らが一緒に墓参しなくなり、墓参回数も減ったという。

 細かいところは書かないが、相当の証言を集め、自分で裏を取ったことを書いているようだ。信用できる本だ、と思う。

 それだけにショックだったのが、1990年代まで日本の入管行政が北朝鮮については全く機能していなかった、という部分だった。

 1982年から金正日総書記が東京・赤坂に何度もマジックを見るなどの目的のために遊びに来ていたことも何人かの証言で間違いないようなのだ。

 この仰天行動がなぜできたのか? 万景峰号が新潟だけでなく各地に寄ることができて、そこの入国管理を入管の法務省職員ではなく、朝鮮総連がやっていた、というトンデモ行政が原因で、飛行機嫌いの金正日氏は万景峰号に乗ってやってきて、入管のチェックもなく不法入国できた違いない、という部分も説得力があった。

 だから、父親の行動を見ている長男の金正男氏が同じように不法入国してディズニーランドに頻繁に遊びに来ていた、ということだという。

 マスコミも大蔵省も法務省も朝鮮総連を怖がっていた時期が長かったのだ。朝鮮総連は部落解放同盟と並んで「タブー」扱いを受けていた。

 そういえば、とむしろ旗を押し立てて新聞社の前でスピーカーを全開にして抗議集会をしていたのを昔、見たことがあった。思い出した。随分前のことと思っていたが、90年代までは基本的にこのパターンが続いていたらしい。

 だから、万景峰号に積み込んで、日本の精密科学技術、核技術が北朝鮮に流れたり、覚せい剤が日本に密輸されたり、中には拉致犯罪に船が悪用されたこともあったかもしれない。

 このような治外法権のような法外な悪習が消えた(今でも完全には消えていないのだが)のは拉致事件が表面化して、拉致を続けた北朝鮮政権への国民的怒りが湧き上がってからだ。

 それまでは、政府もマスメディアもむしろ旗が怖くて、正面切って朝鮮総連に文句を言えなかった。それだけでなく、社会党の一部国会議員を中心とした勢力や重村氏が書いているように岩波書店の月刊誌などが朝鮮総連を後押しし、政府やマスコミに文句をつけていたのも忘れられない思い出だ。

 岩波「世界」文化人らは今では自分たちがしてきた犯罪的行動に口をぬぐっており、この無責任さはいかに日本の左翼が信用できないか、を示している。

 この延長上に金丸信元自民党副総裁と田辺誠社会党元委員長訪朝での「戦後の償い」共同声明がある、と重村氏は主張している。

 重村氏は以前から政府と政府の関係で日朝交渉をせよ、と主張しているが、この真意は日本政府は、金容淳党書記(統一戦線部部長)の工作機関や朝鮮総連という謀略・工作機関と交渉するのではなく、米国がやっているように、堂々と北朝鮮の外務省と交渉すべきだ、ということだ。

 重村氏が特ダネで書いたそうだが、金正日氏が朝鮮総連に指示を出したのに、総連が既得権益を守るために指示を守らず握りつぶしたことがあり、それを暴露された朝鮮総連は重村氏を脅したり、悪口を言いふらしたりしたが、効果はなかった、という。

 金正日氏の指示とは「日本ではチマチョゴリを着る必要はない。総連は北朝鮮の言うことをすべて鸚鵡返しに言うのではなく、北朝鮮と日本を橋渡しする役目を果たすべきだ。北朝鮮のために働きながら、総連が無視している愛国的在日朝鮮人を大切にしろ」というものだったという。しかし、総連はそういう指示が出たことを握りつぶし、下部に流さず、平壌にはくだkづあと実行できないことについての弁明を繰り返していた、と書いていた。

 重村氏は朝鮮総連が日本人の北朝鮮嫌いの原因を作っている、北朝鮮の正統な幹部たちはみな、礼儀正しくていい人なのに、総連が嘘をつき、犯罪的な行動をするので日本人は総連と北朝鮮が同じと思い込んで北朝鮮を嫌いになる、という。

 ただ、現在、日朝交渉の担当大使である宋日昊氏はもともと日本語通訳で工作機関「統一戦線部」の傘下にあったことから、生粋の外交官ではなく、発言を検証すると平気で嘘をつく工作機関の悪い部分を持っている、という。

 こんな平気で嘘をつくような男を対日交渉の窓口にすること自体、日本を馬鹿にしているのかどうか。

 重村氏が「あとがき」で書いているように、日本の朝鮮半島学者はテレビに出たり、シンポジウムに出てばかりで、本を書かないので、アメリカや韓国の学者、ジャーナリストから相手にされていないようなのだ。いい加減なことを言ってすんでいる場面ではそれでもいいが、朝鮮半島が激動の時期に入れば、そうはいかなくなる。

 もっと学問的に朝鮮半島を研究する若手研究者が育たないと、日本の朝鮮半島分析も遅れてしまうのだろう。

 「ジャーナリスト重村健在なり」を示した本だった。でも、こんな本を出すと、また朝鮮総連が怒るだろうなあ。よくここまで書けると思う。半端じゃないょ、この本は。

(追記)10月19日

◆姜英之拓殖大学客員教授の北朝鮮分析も重村氏の説の追認だった
 「終わる『金正日体制』~北朝鮮は『普通の国家』に回帰していく」(エコノミスト2008年10月28日号掲載の論文)は姜英之氏が書いたもの。重村氏の新著「金正日の正体」の金正日総書記重病説または死亡説を前提とした論である。基本的に重村説を是認する見方だ。

 言っていることはしっかりしている。

 面白かったのは、1997年に北朝鮮から韓国に亡命した黄長燁(ファン・ジャンヨプ)元朝鮮労働党書記が9月25日に「金総書記の健康状態が悪化したからといってクーデターが起こりうると見るのは、北朝鮮を本当に知らない見方だ」と発言したというところだった。新聞で見落としていた、というより、日本の新聞には載っていなかったのではないか? 姜英之氏は

 <北朝鮮は国民を強固に洗脳した「儒教社会主義」の宗教国家であり、軍部を中心として完全に統制・管理されている。そうした「唯一指導体制」の堅固さが過小評価されているというのだ。「その通りだろう。>と書いている。さらに、

 <9月15日、西側の重病説に反論するかのように平壌放送が「いかなる狂風が吹こうとも社会主義祖国を最後まで守る」と述べたのも、決して虚勢ととらえるべきではない。数百万人の人民が餓死しても体制擁護のため核開発を強行するのは、総書記個人の考えではなく、現体制に運命をかけた党・軍部指導部層の総意と見るべきで、総書記個人に異変が起きたからといって、軍の暴発や人民の暴動といった事態が容易に起きるとは考えにくいのである。>

 と、して、<いずれにせよ北朝鮮は、03年からか今夏からかはさておき、「金正日なき金正日体制」に入っているといえるのだ。>と書く。集団指導体制論である。ただ、死亡が確認されれば、跡目相続の争いになるだろうが、<父の絶大な信任の下に帝王学を早くから身につけていた総書記と比べれば、いずれも人物も力量ははるかに劣る。一時的に誰かが軍部や党に担がれることはあっても、実質的な「3代目の世襲」はないと見るほうが自然であろう、>と予測する。

 そして、「計画なき計画経済」(今村弘子・富山大教授の表現)も冷戦の遺物「先軍政治」も続かないという。

 金日成主席死亡後に当時の金泳三大統領は北朝鮮の崩壊=吸収統一を想定して、政府高官を東西統一間もないドイツに派遣して統一の過程を学ばせた。だが、北朝鮮は崩壊しなかった。その後の韓国は金大中、盧武鉉両政権が太陽政策で平和的な合意による統一を目指した。今、また韓国では北朝鮮の異変に対し「合意によらない統一」の可能性が再び出てきたとして吸収統一の準備をすべきだという声も出始めているが、早まってはいけない、として、統一コストやその効果、自国の国力をあらゆる側面から分析して朝鮮半島の将来像を冷静に見据えて判断すべきだ、という。

 北朝鮮はまたまた瀬戸際政策を取る可能性があるので日本も拉致問題にとらわれるあまりの近視眼的外交戦略では、北朝鮮の変化を見逃す恐れがある、として「長期的かつ複眼的な国家外交戦略」を打ち立てよ、と要望している。

 言っていることはまともだと思うが、姜英之氏とは何者あんおだ? 調べてみた。

◆姜英之氏インタビュー「アジア人としてアジアの架け橋として」。

 2007年5月30日ネットのオールアバウトの[韓国ネットビジネス事情]連載からコピぺ。略歴があった。

 姜英之(カン・ヨンジ)氏は1947年2月大阪市生まれの在日韓国人2世。1972年大阪市立大学経済学部卒業後、新聞・雑誌編集のかたわら、韓国経済を中心にアジア経済について研究・評論活動をおこなう。

 1991年6月、東アジア総合研究所設立、所長に就任(~現在)。1992年3月、「青丘文化賞」受賞。4月、早稲田大学現代政治経済研究所客員研究員。その後、民団新聞論説委員、在日韓国商工会議所諮問委員、在日韓国人文化芸術協会副会長、韓国民主平和統一諮問会議諮問委員(議長・金大中大統領)、在日韓国新聞協会理事を歴任。

 現在、神奈川大学非常勤教師、桜美林大学非常勤教師(韓国政治経済担当)、拓殖大学客員講師、韓国テクノマート理事兼東京事務所所長、韓国中小企業公団東京事務所アドバイザー。

 著書に『東アジアの再編と韓国経済』(社会評論社)、『アジアの新聞は何をどう伝えているか』(共著、ダイヤモンド社)、『「在日」から「在地球」へ』(共著、UGビジネスクラブ)、「韓国経済挫折と再挑戦 漢江の奇跡は二度起こるか」姜英之/編著。価格2,100円は<序章 先進国経済化をめざし50年/第1章 安定成長模索と金泳三政権の経済改革/第2章 変身する韓国財閥/第3章 早すぎたOECD加盟と「IMF危機」/第4章 金大中政権の経済改革と財閥解体/第5章 転換期を迎えた日韓経済協力>という構成。

 インタビューの前文<今回は日本と韓国のみならずアジアの架け橋として活躍されている姜英之(カン・ヨンジ)先生にお話を頂きました。姜先生は東アジア共同体構想という考えをもって、多くの経済人との交流や国家間の架け橋としての役割を精力的に行われている方です。特に姜先生は昨年5月に民団と朝総連の歴史的な和解というニュースが発表されたことがありましたが、その和解を導いた中心的な役割をなされたといいます。また新聞記者出身でもある姜先生は、平素から雑誌などでエコノミストとしてコラムの執筆活動を続けられている一方で教育、研究、実践面などで様々な顔をもたれて精力的に活躍されています。…>を見ると、いろいろ手広くやっているらしい。本文もコピペする。

◆Q:先生がアジアの橋渡しになろうと思ったきっかけは?

 姜氏:私は在日コリアンであったため日本と韓国との狭間で、幼いときから自分のアイデンティティーで悩んでいました。

 在日韓国人は日本で生まれたのに韓国人だということで差別を受けてきました。また日本と韓国という両方の属さないどっちつかずの状態だと思っていたことがありました。

 アイデンティティーに混乱がある時には人間というのはどっちつかずで不安定な状態が続くのです。ですから自分の視野がそういうところにありました。

 しかし、88年に中国の吉林省で200万人の在中朝鮮族が住んでいる状況を目の当たりにして自分の視野が開かれました。すなわち本国で生まれようが北朝鮮で生まれようが、日本で生まれようが、同じコリアンであるということです。

 相対的だということを、そこで気づかされたのです。そういう状況で自らを振り返ってみた時に、在日コリアンという私ではなくて「アジア人」なんだという発想がでてきたのです。

 ヨーロッパ人はヨーロッパ人という発想があるらしいんですよね。日本人はアジア人という発想は弱いでしょう?それは国境がそのように自分のアイデンティティーを狭めているんです。

 200年前、(日本人にも)日本人という考え方はなかったんです。藩という枠があったからです。例えば長州人という風にそこ(藩)から一歩も外へ出ることができなかったのです。だから長州という藩の中の人間集団という感じで日本人という発想がなかったのです。

 現在の日本人は日本、韓国、中国といった国境にこだわっているために、アジア人の一員であるということ(意識)が分からなくなっているんです。

 そういうわけで在日アジア人という発想にすればいいと思いました。アジアの人、つまり私の場合はたまたま日本にその生活や職場があるというだけでいいんだなと。

 今、日本という国の中にアジアができつつある。つまり日本にも中国人、韓国人が多く訪れています。アジアの中の日本ということで私を位置づけたのです。

◆Q:今は、インターネット時代つまりボーダレス時代になってきていて多少は人の意識も変わってきたと思いますが、先生の言われている「アジア共同体構想」という考えを実践していく上で、ご苦労されていることはありませんか。

 姜氏:苦労といえば、まず言語の問題、通訳を介しているのでコミュニケーションが十分にいかないということです。

 そして(国ごとに)生活風俗、風習が違うので考え方が違うことです。例えばシンポジウムなどでよく国際会議を行っているのですが、その地方に行く毎に国の習慣などが違いますので、やもすると対立が生じるという可能性があります。そうならないように理解するようにしなければなりません。

 モンゴルに行ったときに時間の観念が違うんです。12時から食事をする予定であったのに、食堂に行くといまから作りますという具合で結局食事ができあがったのは13時です。また同時通訳が必要だったので、現地の人にお願いしたのですが、準備できるといったのに普通の通訳がきたんです。通訳も同時通訳も同じだと思ったのでしょうね、突き詰めて考えないというか。

 東アジア共同体をつくるに当たって難しいのはそのあたりです。

◆Q:日韓のビジネスの面の違いはどういう点ですか?

 姜氏:韓国人は黒白がはっきりしています。

 それに対して日本人はそれがとても曖昧です。「前向きに検討します」という曖昧な返答をします。

 日本人は時間と金についてはしっかりとしていますが。態度については曖昧なんです。韓国人は態度ははっきりしている。

 もう一つは、トップダウンとボトムアップという意志決定の違いがあります。韓国は財閥中心であったり、オーナー会社が多いわけで近代化が遅れました。

 日本の大企業の場合はオーナー社長がいなくなった。この点が(過去においては)韓国経済の弱さと日本経済の強みだったのですが、グローバル時代になったので、今になっては韓国のスタイルは迅速に対応できるメリットを持つようになっています。

 ライフサイクルが早く、巨額な設備投資が必要な半導体の製造は受給関係や、迅速な判断が必要になります。韓国は大胆で早いというということです。

◆Q:日韓のそうした違いをうまく克服するにはどうしたらいいのでしょうか。

 姜氏:そのためには相手の長所、自分の短所を受け入れることが大切です。

 韓国は国民性の面でも下克上でなかなか人を信じない、会社を信じないところがあります。終身雇用制がないし、年功序列もないので会社中心主義もありません。

 そのため離職率がすごいんです。日本とは正反対です。

 また韓国は87年6月から民主主義が始まりました。わずか20年前です。

 日本は既に60年前から民主化になっているんです。

 この歴史が違います。この違いを皆さん理解していないんです。韓国と日本を平面に評価してしまう。だから何かうまくいかず問題が生じます。

 システム、マインド、歴史が違います。中でも最大の問題が労使問題です。

 韓国は労働者の力が強いのです。簡単に解決できません。またそれにプラスして戦前の歴史問題があります。それが(日韓関係が)うまくいかない理由です。

 米韓間では企業システムなどではうまくいきますが、労働問題のみでうまくいきません。歴史の問題がないのです。

◆Q:東アジア共同体、アジア経済ブロックをうまく実現させるためのポイントはあるのでしょうか。

 姜氏:世界は3つのブロック経済になっています。ヨーロッパ、アメリカ、アジアブロックです。アジアブロックの中では日韓中が東アジアの中心です。3カ国で世界の外貨準備高の90%程度にもなります。もちろん香港と台湾をいれるとですが。

 その3国が中心になって東アジア共同体を構築するための問題としては、一つ目は歴史問題があります。これを解決しなければなりません。

 そして二つめは中国の中華主義の克服。中国には‘中華帝国’という考えがあります。華人・華僑とか中国が支配権を持ちやすいのです。これを牽制していかなければなりません。最後にアメリカとの関わり方。

 アメリカがアジアから手を引かないのです。資源の問題、アジアにおける利権の問題などで中国とアメリカが将来激突する恐れが強いのです。

 その米中2国をけん制していく必要があります。

 中国の影響力が強いのは韓国。アメリカの影響が強いのは日本です。

 日本と韓国が仲良くする必要があります。日本がアメリカと組んで中国に対抗するというのはナンセンスです。どうして中国に勝てるでしょうか。

 中国は5000年の歴史があります。中国は眠っていただけで、今は起きてしまったので勝てるはずがありません。それを認めないといけません。

◆Q:先生は今後はどういう活動をなされる予定ですか。

 姜氏:今後も日本、韓国、アジアの架け橋を行いたいと思っています。

 そのためには韓国の経済が今一番危ないのです。

 韓国の技術の水準をもっと伸ばさないといけません。

 日本と手を組んで。技術の水準を伸ばしていかなければならないのです。

 そういうこともあり、講師をやりながら東アジア共同体のことを講義・研究し、実践で技術・経済交流、教育者の立場から人材を育成します。

 実践面では中小企業公団と韓国テクノマートで韓国の技術者を育てます。教育と研究と実践。この三つを成していくつもりです。

 質問者のあとがき:インタビューで感じたことは、グローバル時代に突入している現在、自分を日本という枠にとどめず、もっと広い視野を持つことが大切だと思いました。「国境の壁は心の壁と制度的な壁だ」の言葉が印象的でした。自分の枠を壊すには、まずは心の壁を壊すことが重要なのではないでしょうか。「(誰でも)自らを過小評価してはならない」つまり、過小評価するといつしか自分はそれだけの人間になってしまう、常に高いところに目標を置いて、それに向かって努力することが大切、今の自分の姿にとらわれるなというメッセージをくれました。(原文を少し脚色)

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2008年9月13日 (土)

書評「対論 部落問題」組坂繁之、高山文彦著

 平凡社新書、2008年9月16日初版第1刷、定価756円。

対論部落問題 (平凡社新書 434) 対論部落問題 (平凡社新書 434)

著者:組坂 繁之,高山 文彦
販売元:平凡社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 <部落解放同盟トップリーダーの組坂氏と「水平記――松本治一郎と部落解放運動の一〇〇年」や「エレクトラ――中上健次の生涯」といった破壊力のある作品を生み出してきた作家の高山氏が戦後の部落解放運動を検討し、あるべき今後のあり方を語り合った一冊>と出版社による宣伝文書にあった。

 <部落差別とは何か。人はなぜ差別をするのか――。同和対策事業特別措置法の廃止から数年が経ち、解放運動は今、大きな曲がり角を迎えている。運動の再構築を図る部落解放同盟の指導者と、人間存在の根源をみつけてきた作家が、差別の本質に向き合い、運動のこれからを語る。未だ残る部落差別に向き合うために、全国民必読の書!>というのが、表紙裏の宣伝文句。

 本の著者紹介によると、組坂繁之氏は1943(昭和18)年2月25日福岡県小郡市生まれ。大学卒業後、27歳で部落解放運動に入る。部落解放同盟福岡県連合会書記長、中央本部書記長を経て、98年に中央本部執行委員長に就任。2008年で5期11年目に入った。ほかに、世界人権宣言中央実行委員会副実行委員長、部落解放全国共闘会議議長、折尾愛真短期大学講師(非常勤)などを歴任。

 高山文彦氏は1958年宮崎県高千穂生まれ。2000年、「火花――北条民雄の生涯」(飛鳥新社、角川文庫)で大宅壮一ノンフィクション賞、講談社ノンフィクション賞を受賞。2008年、高千穂あまてらす鉄道株式会社代表取締役社長に就任。著書に「『少年A』14歳の正三」「水平記」(ともに新潮文庫)、「鬼降る森」(幻戯書房)、「エレクトラ」(文藝春秋)など、最新刊に「孤児たちの城」(新潮社)がある。

 最初、あまり読みたくなかった。いつもの部落解放ものなのか、「差別はいけない」と頭ごなしに説教を垂れる形の本なのか。そんな本など読みたくない、と思っていた。

 韓国の内政・人々の暮らしを紹介する本や、在日韓国人に関する本が昔、そうだった。

 麻布十番長坂交差点から川沿いに南に歩くと、二の橋か何かの橋の近くにあった大きなビルは昔、韓国大使館だったこともあるビルで、その当時は在日韓国居留民団の本部になっており(今でもそうかもしれないが、最近は行ってないので分からない)、当時、在日朝鮮・韓国人問題に興味を持っていたので、ビルを訪ねたことがあった。書籍がそろっていた部屋でいろいろと本や雑誌を見たのだが、皆同じ内容で、日本政府に選挙権を求めたり、法的地位に関する要望が前面に出された本がいろいろとあったのを覚えている。

 「ああ、権利要求ばっかりか」というのが、その時の感想だった。

 がっかりした。

 当時は1988年のソウル五輪はまだまだ先の話で、煙も立っていなかった。

 日本との格差はものすごく、韓国観光といえば男性によるキーセン観光が流行しており、日本の女性たちにとって韓国ときけば、男性天国、キーセン売春など汚らわしい印象がこびりついていた時代だった。

 そんな中でも韓国は高度経済成長を続け、ソウル市民は軍事政権の下ではあるが、少しずつ豊かな生活を楽しみ始め、日本にお追いつけるかもしれないという希望を上流層の一部だけでも抱き始めた頃だったと思う。

 そのような時代の息吹が民団で見た本には感じられなかった。

 それだけではなく、帰還船で在日朝鮮人が北朝鮮に帰っていった、その欺瞞を正面から突いた本もなかった。

 力道山や大山倍達ら在日韓国人の有名人に関する本もなく、すべてが在日朝鮮人の苦しみに関する本だけ。「苦しみだけじゃあないだろう。駅前の一等地を買い占めてパチンコ屋やサウナやキャバレーをやっている在日は可哀相なのか」とものすごい違和感があったのだ。

 実態を無視して理念だけを大声で叫ぶと、実態との解離が生じて、言葉が空しくなる。

 同じことは部落問題にも言えた。

 部落問題と聞いて思い出すのは白土三平の一連のサンカ漫画だ。サンカと被差別部落は違うかもしれないが、白土は天皇権力、武士権力と普通の人々、それも稲を栽培する農民と、それ以外の非農民など、あたかもマルクスの階級闘争史観のように非人の生活ぶりが図式のようではあるが、それなりに生き生きと描かれていた。

 それだけでなく、当時は、白土漫画の意味について朝日ジャーナルなどで評論家や学者が熱く語っていた時代だった。

 被差別部落問題も当時は実態を詳しく観察せずに、理念重視で「けしからん」と怒ったり、差別の不合理を嘆いたりしていた時代だったのではないか、と思う。

 しかし、僕らの世代は全共闘でゲバ棒を振り回した連中もいたが、翌月にはケロリとして就職試験を受けて一流企業に入っていたっけ。怒るといっても、怒る「ごっこ」を楽しんだんじゃないか、とあの時代の「いい加減さ」について今になって思うところもある。

 白土三平の一連のサンカ漫画を「ガロ」で見ながら、中世・近世の非農耕民の生き方はこんなものだろう、と想像した私にはリアルな「部落」への差別意識はない。

 私は東京で生まれ育ち、誰が部落出身なのか、どこが「部落」の地域なのか、に関する知識が全くない。日常的に部落差別をしたこともないし、具体的に想像できないのだ。

 関西や九州の部落差別の話を聞くとひどいことをするやつがいるなあ、と思う。

 逆に、部落解放同盟が行政での優遇を悪用して税金を騙し取っているというニュースを見れば、「解放同盟ってきれいごとを言っているけど、実態は利権集団ではないのか」と思ったり、まあ、そうではないことは知ってはいるのだが、そうも思いたくなる世相に嫌になる、という軽い人間だ。組織の関係者や非差別の当事者から見れば、ミーちゃんは―チャンの部類に入るだろう。

 この本は部落解放同盟の現職委員長と、部落解放運動の父と言われた松本治一郎の伝記を書いた作家の対談だから「結局は『部落解放同盟頑張れ』で終わるのではないか、宣伝用の文章を平凡社ともあろう出版社がよく出したなあ」と思ったくらいだった。だから、最初は読むつもりはなかった。

 読もうと思ったのは、<未だ残る部落差別に向き合うために、全国民必読の書!>と赤い大きな字で表紙裏に大書してあったからだ。

 単純な奴と思われるかもしれないが、「そうか、全国民必読の書と書いてあるのならば、読んでやろうじゃないか。それで下らない本だったら読者カードで文句を書いてやろう」くらいの気持ちで読み始めたである。

 組坂氏が生まれた小郡市の家の近くに太刀洗飛行場がり、1945年に爆撃を受けた。当時、太刀洗飛行場には航空廠があり、それから特攻機地の鹿児島県・鹿屋基地に行ったりしており、巨人軍の青田昇氏も太刀洗にいた、という。

 そういう時代の人が一方にいて、一方は僕よりも若い人である。

 話がかみ合わない部分も多かったし、対話の醍醐味である火花を散らす言葉が、思いもかけない深い洞察を生むという言霊の作用も見えなかったのは残念だった。

 「おわりに」で組坂氏が書いていたが、松本冶一郎を研究して伝記を書いたノンフィクション作家と話すことに躊躇したそうだ。松本氏という理想形を知っている人は当然、対談相手を松本氏と比較して見るから、今時点の組織や組坂氏の欠点ばかり見られるのではないか、と思ったらしい。それでも話し合って良かった、と思っている、と書いてあった。

 いくつか新しい知識は得られたが、それだけのことだった。残念だったのは、最近の国会で廃案になったり継続審議になっている人権擁護法案について対談で全く触れていなかったことだ。

 今最もホットな問題は人権擁護法案ではないのか。なぜ触れなかったのか?それとも、部落解放同盟が言う「人権」と、この「人権」とは関係がないのか? 人権という概念自体、欧米中心主義がもたらした「人間」概念から出ている日本国憲法で保障されている。「人権」「基本的人権」は、お二人が使っている意味以上に深く遡って考えるべきだろう。

 インドの仏教は少数派だが、ほとんどがアンタッチャブル=不可触賎民=アウトカーストだ、とは知らなかった。

 江戸時代、被差別部落民は「上見て暮らすな、下見て暮らせ」の鎮め石の役割を受け持ち、同時に百姓、町人の犯罪者の逮捕、護送、拷問、処刑など下級警察の役割も部落民に課していた。弱いもの同士をいがみ合わせるという分裂政策。あの時代は強引に取り締まるので、恨みは部落民に向かった。特にひどかったのが長崎の隠れキリシタン弾圧に部落民が使われたこと。隠れキリシタンの逮捕、拷問、それもすさまじい拷問を被差別部落の人々にやらせていた。黒瀬曻次郎「切腹」は島原の乱鎮圧後に初代の代官となった鈴木重成を主人公にした小説だが、鈴木は隠れキリシタンを単に弾圧したのではだめだ、と考え、坊さんだった兄の鈴木正三を領地に招く。感謝した人たちが正三神社を作った。鈴木重成は幕府に年貢の引き下げを直訴する。島原の乱というのは単なるキリシタン一揆ではなく、当時の藩主・松倉勝家農民からものすごく搾取したものだから、それに対する一揆でもあった。幕府に申告した石高は実際の収穫の倍以上だったとも言われている。だから、農民に対する収奪も激しくて、空に困って娘を遊郭に売らなければならないような、もう本当に苛斂誅求という状態で、それに耐えかねてキリシタンになって一揆に加わったという人もたくさんいたわけです。そうした事情を知った鈴木重成は2回江戸に直訴するが、幕府は石高を下げることを許可しない。最後の3回目に鈴木重成は江戸の自宅で諫死する。願いを聞き入れてもらうために切腹して、農民を救おうとした。素晴らしい人ですよ。また、この人は転びキリシタンの娘さんを嫁にもらう。転びキリシタンですから顔を焼かれて髪まで焼かれて、化r打中やけどだらけだったそうですが、その女性を嫁さんにするわけです。すごい人です。後に奉られるだけの人ではあったんですね。(組坂)

 だから、長崎では隠れキリシタンと被差別部落の人とはずっと仲が悪かった。(高山)

 長崎市長を4期務めた本島等さんが狙撃される少し前に部落解放同盟九州地方協議会主催の全九州研究集会を長崎でやった。そのとき、本島市長に講演してもらったら、彼はキリシタンで、明治政府が廃仏毀釈でキリシタン弾圧をしたときに、お祖父さんがやっぱり拷問を受けていて、片方の足が不自由だったらしいのです。自分の祖先がそういう弾圧の被害を受けたから、私にも差別問題を語る資格があると言われ、原爆や平和のことなどいろいろ話してもらいました。とても感動的な内容でした。そんなこともあり、最近はキリシタンの人たちとの関係もとてもよくなってきました。(組坂)

 大逆事件では熊野の新宮というところの一つの被差別部落が事件の舞台になりました。浄泉寺という大谷派の寺の住職、高木顕明が逮捕され、実刑になったわけですが、この方は新宮の部落のほとんどを檀家として見ておられた。貧しい人たちがどぶさらいや鼻緒のすげかえなどで稼いだ金の中から寄進してくれるので、彼は按摩を習って、それでお返ししようとしていた。その浄泉寺で談話会が催され、そこに幸徳秋水が着たり、大石誠之助が来たりしていたわけです。高木自信も「余が社会主義」という文章を書いていますが、彼は徹底した非暴力主義者なんですね。それでも天皇暗殺計画に加わったとして逮捕され、新宮の部落外の人々から石もて追われ、最後は恩赦が下って無期懲役となった。秋田監獄に移されたわけですが、奥さんがはるばる秋田まで訪ねてきて、このままではとても暮らしていけないので、とうとう娘を芸者置屋に身売りしたとなきながら言う。その後、高木顕明は絶望し、首をくくって死ぬんです。僕は「狂死」だと思うんですが、そういう悲劇が、中上健次が言うところの「路地」を舞台に起きている。(高山)

 被差別部落には浄土真宗信者が多い。

 「鼠浄土」「舌切り雀」は貧者が富者となる話。「竹取物語」は隼人の恨み節。隼人族のように中央の大和民族に滅ぼされた者、あるいは選民階級の差別されてきた者たちが日本の文化、伝承、芸能を作り上げてきたんでしょう。かぶき踊りの創始者、出雲阿国もそうですし、能の世阿弥なども中世賎民といわれている。(高山)

 この本の[注釈]は役立つ。特に人名事典的な内容は良かった。知っておくほうがいい人のファイルなどを写しておく。 

 上杉佐一郎(うえすぎ・さいちろう 1919~1996年)福岡県生まれ。1948年から部落解放運動に参加。63年に部落解放同盟中央執行委員、68年同書記長、82年中央執行委員長に就任、死去までその地位にあった。88年には「反差別国際運動」(IMADR)を組織して理事長を務めた。92年小郡市名誉市民。

 松本治一郎(まつもと・じいちろう 1887~1966年)福岡県生まれ。「解放の父」と呼ばれ「不可侵不可被侵」(侵さず侵されず)を心情とした部落解放運動家。戦前・戦後を通じて国会議員としても活動し、初代参院副議長。1922年3月、全国水平社が結成されると、その呼びかけに応じて運動を起こし、25年の全国水平社第4回大会で議長に就任。千円、2度にわたるでっち上げ事件(徳川公爵位辞退勧告闘争での暗殺未遂、福岡連隊爆破陰謀事件)によって、懲役刑を受ける。戦後は46年2月の部落解全国委員会(55年に部落解放同盟と改称)の結成以来、委員長を務め、最期までその地位にあった。世界の水平運動を提唱し、アジア・アフリカの被抑圧人民の解放にも尽力、日中友好協会の初代会長を務めるなど国際的にも活躍した。「社会運動派万年被告の覚悟でやれ」「命より長い刑期はない」が座右の銘。1948年1月、参議院副議長だった松本は通常国会開会式に臨席の天皇に対し、「カニの横ばい」式の拝謁を拒否、世間の耳目を集めた。この横ばい式拝謁は天皇に横顔を見せることを不敬とした旧憲法下帝国議会以来の慣習だったが、次の国会から改められた。

 楢崎弥之助(ならざき・やのすけ 1920~)福岡県生まれ。松本冶一郎の秘書を経て1960年の総選挙で福岡1区から衆院に初当選(左派社会党)。1977年に社会党を離党、翌年江田五月らと社会民主連合を結成し、初代書記長、副代表を歴任。安保・防衛問題などで爆弾質問で売り出し、「国会の爆弾男」の異名を取った。1996年に政界引退した。

 この本では事業法を推し進めようとした上杉佐一郎氏が松本冶一郎氏に相談に行ったら「事業法は解放運動を堕落させるから求めるな」と強く言われた、という。上杉は被差別部落を取り巻く環境の劣悪さを強調して必死に説得した、と。楢崎氏は著書に中で松本氏が「事業法は大きなカネが動くから利権や腐敗が必ず起きる。宣言法のような基本法でもいいのではないか」と言って、相当抵抗したとして、「そのときの上杉サアちゃんは鬼気迫るような表情で涙ながらに訴えた」と書いているという。それが最終的に松本氏を動かし「そのかわり変なことにはならないようにせいよ」と言われ、上杉委員長も「利権腐敗が起こらないようにするから」と約束して法案にゴーサインを出した、という。特別措置法が成立する前に松本冶一郎は死去した。

 中上健次(なかがみ・けんじ 1946~1992年)和歌山県生まれ。小説家。被差別部落という出自に向き合い、独自の世界を築いた。1975年発表の「岬」で芥川賞を受賞。

 西山廣喜(にしやま・こうき 1923~2005年)宮崎県生まれ。戦後、松本冶一郎の下で日本社会党結成に参画するが。1961年、右翼団体昭和維新連盟を結成する。右翼シンクタンク「日本政治文化研究所」の理事を務めるなど、裏から政財界に睨みを利かせ「最後のフィクサー」と呼ばれた。母が大逆事件に連座した大石誠之助(死刑執行される)の従姉妹で親戚同然の付き合い。また、大杉栄と伊藤野枝の遺児、伊藤ルイさんの面倒も見ている。伊藤野枝の実家が福岡で、玄洋社の代準介が甘粕正彦に会って残された遺児を福岡に連れて帰る。代は野枝の叔父になる。

 朝田善之助(あさだ・ぜんのすけ 1902~1983年)京都府生まれ。1922年3月の全国水平社創立大会に参加以後、解放運動に入る。1931年、「全水解消意見」を発表し、運動に衝撃を与えた。戦時中、松本冶一郎ら主流に対立し、水平社内の旧共産派と国策協力運動を企て、1940年に除名。戦後は解放運動再構築の中心となり「差別の本質」「差別の社会的存在意義」「社会意識としての差別観念」を解放同盟全国大会の議を経て定式化市し、朝田理論を確立した。67年から75年に中央執行委員長を務めた。30年代初頭の水平社解消運動は絶望から来る松本への裏切り行動だったが、これを先導したのが朝田だった。全国の水平社組織では荊冠旗(水平社旗)を焼く動きが強まり、福岡も焼かれそうになったときに、松本が金庫にしまって防いだが、この焼く勢力の中心が朝田。近衛体制ができて、みな「バスに乗り遅れるな」と一斉に体制翼賛運動に馳せ参じた中の解放同盟版。

 とまあ、<部落解放同盟のトップと大宅賞作家がすべてを語る!>の帯にしては不満が残る内容だった、というのが結論。

 入門書、基本書のつもりならば、基礎知識をもう少し入れてほしかった。歴史的事実を補強しながら、具体性も持たせて書いてほしかった。「現状を斬る」という趣向なら、同和不正の分析や人権擁護法案への対応をきちんと書いてほしかった。その意味でちょっと中途半端だったと思うが、読めばそれなりにためになる本だと思う。

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2008年9月 6日 (土)

書評 竹内宏著「エコノミストたちの栄光と挫折~路地裏の経済学 最終章」

 東洋経済新報社、2008年9月4日発行、定価2100円。

エコノミストたちの栄光と挫折 ─路地裏の経済学・最終章─ エコノミストたちの栄光と挫折 ─路地裏の経済学・最終章─

著者:竹内 宏
販売元:東洋経済新報社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 著者紹介によると竹内宏氏は1930年生まれ、静岡県清水市出身。東京大学経済学部卒業。日本長期信用銀行入社、同行専務取締役・調査部長、長銀総合研究所理事長などを経て、現在、竹内経済工房を主宰。この間、東京大学、武蔵大学、学習院大学、法政大学講師、静岡文化芸術大学特任教授を歴任。また、現在は静岡総合研究機構理事長、静岡新聞論説委員、価値総合研究所特別顧問としても活躍中。「路地裏の経済学」「路地裏の経済学 続」「国際版路地裏の経済学」「路地裏の中国経済」「各県別路地裏の経済学(全6冊)」「柔構造の日本経済」など、著書は80冊を超える。
 半世紀以上もエコノミストとして生活してきた著者によるちょっと風変わりな回想録で、自分を含めたエコノミストや学者、政治家、官僚がその時々の経済をどう見て、どう対応してきたのか、を数多くのエコノミストを登場させて描く経済人脈地図でもある。「えっ、あの人も昔、長銀調査部だったのか」という驚きがいたるところにあるのは私が素人だからだが、玄人が読めばもっと面白いだろう。
 ただ、残念なのは長銀が破綻し、無残に潰れる場面こそ日本経済のドラマのクライマックスなのだが、その当時、竹内氏はいわばあまりにも当事者であり過ぎたのか、逆に長銀本体からの情報途絶地点に隔離されていたせいか、バブル崩壊から金融破たんに至るダイナミックな動きの説明が少なかったのが意外だった。
 誰かに遠慮している、というわけではないことは、長銀企画部長として1989年に第6次長期経営計画をマッキンゼーに丸投げして作成し、無理やり投資銀行への変身を図ろうとした水上萬里夫氏が国際本部長に昇進し、その後、副総裁に昇進して、1993年には長銀総研の2代目社長に就任し、50人以上の大部隊である産業調査の研究員をアナリストに変えようとした。産業だけでなく企業ベースの調査もやれ、ということで、またまた波紋を呼んでいたところ、本体が崩れてゆき、最後には竹内氏すら月給10万円になっていまい、倒産したという。どうも、竹内氏の文章を読んだ限りでは、この企画部長経験者が長銀破綻の犯人の1人であることは間違いないようだ。
 そこまで個人名を挙げて糾弾しているのだから、バブルの発生と消滅に関してもう少し突っ込んだ分析が読みたかった、というのが偽らざる本心だ。
 バブル経済の発生についても日銀が金利水準を低い水準のままにした大きな原因はアメリカ経済への気の使い過ぎがあったことを批判するのではなかったのか、と思うのだが、その部分が薄い。
 この本の趣旨が戦後のエコノミストの活躍ぶりを描く、ということなので、仕方ない部分もあるが、逆に言えば、歯に衣着せずに物を言える竹内氏だから期待していたのだが。
 通読して一番面白かったのが最初の部分だった。
 戦後日本がどのように復興していくのか、の過程だ。
第1期 ルーツを探る(1945~49)
 第1章 エリートの温存(日本の解体、懺悔した人、活気付いた人、待機していたエリート、マル経と近経の協力)
 第2章 エコノミストの花開く(銀行救済の預金封鎖、軍需銀行・興銀の復活、吉田茂の学者好み、ケインジニアン石橋湛山、有沢広巳の仲間たち、新進エコノミストの群れ、ドッジの夢崩れる)
第2期 夢が広がる(1950~60)
 第3章 新しい国策銀行(興銀の統制経済論、長信銀の生存メカニズム、長銀に就職する)
 第4章 長銀・調査部の発足(屋根裏部屋、素人調査部、過大なノルマ、敗戦国日本の強さ、工場の現場、塩漬け組)
 第5章 新しい経済学に挑む(技術革新、単行本の生産、計量モデルに突き進む、産業組織論を学ぶ、玄人の興銀、素人の長銀、通産省担当)
 という部分である。
 どぎつい事実も出てくる。
 大蔵省の中核職員は徴兵を免れた。宮沢元首相は召集されたが、翌日解除になった。死ぬと国家にとってマイナスになる人は徴兵されなかった。一流学者も徴兵されなかった、という記述なども知る人ぞ知るだろうが、私は明示的には知らなかった。
 興銀は戦争責任を問われるべき国策銀行であり、かつ破綻寸前であったにもかかわらず、日本経済の再建を担う最も重要な産業銀行として再生する道が開けた。興銀スタッフの産業機関についても戦前と戦後が見事に連結した。
 <社会党の片山哲首相の内閣が1947年に発足した。国民が飢え、経済が危機にあるから、とにかく基礎物資の供給量を増やさなければならなかった。石炭、鉄鋼の次には米の生産量を増やすために肥料が必要であり、肥料の生産には電力がいる。片山内閣は、経済計画に力を入れた。経済計画の拠点は経済安定本部(安本)だった。GHQは政府の各省に分散していた経済行政を1ヵ所に集中して権限の強化を求めた。片山内閣は早速10の局からなる職員数2000人の巨大組織、経済安定本部を作った。>
 <経済安定本部は物資、資金、物価、労働に関する総合計画を立て、生産資材や食料の配給、物価政策の策定など、経済計画を企画・実施し、日本経済の生死を握る重要な官庁だった。民間企業、満鉄調査部、官庁、学会から一流の人材が集められた。大内兵衛、有沢広巳、中山伊知郎などの学者が教え子に働きかけたという。メンバーはまばゆいばかりの顔ぶれだ。戦時中に国内に温存されたエリートが総動員され、それに海外からの引き揚げ組が加わった。>
 として、和田博雄長官、勝間田清一秘書官。局長、課長クラスが都留重人、永野重雄、稲葉秀三、下村治、大川一司、工藤昭四郎、大来佐武郎、ヒラ職員には後藤誉之助、平田敬一郎、谷村裕、小倉武一、向坂正男、宍戸寿雄、宮崎勇、矢野智雄、宮下武平、小島英敏、小島正興。メンバーは若かった。トップの和田が45歳。稲葉、都留がそれぞれ40歳と35歳。大来は32歳。その他の大部分のメンバーは20代だった、という。
 <明治政府が発足した時のような若々しさだ。明治政府の中軸を担った人材は、松下村塾と薩摩藩の下加治屋町・郷中から出た。前者の代表は伊藤博文、山県有朋、前原一誠であり、後者の代表は西郷隆盛、大久保利通、大山巌、東郷平八郎である。彼らは小さな町内で一斉に育った。安本はその町内に似ている。危機意識とナショナリズムに燃えているグループの中にいると人間は育つのである>
 ここに最も感動した。
 この34ページは、これに続く部分もいい文章だ。
 若い人材が日本を築く。
 どうして今の日本ではこれができないのだろう。
 小沢一郎という人はもう67歳とかになってしまった。昔に比べて性格が丸くなり、凄みが消えたので、日本をどこまで改革できるのか、あまり期待そうもない、とも思うのだが、実は小沢氏が15年ほど前に首相になっていれば、この竹内氏の本のように若い人たちによる革命が起きたかもしれない。
 今は他に期待できる人はいないのではないか。
 知らないだけなのかもしれないが。
 長銀破綻に至る経緯は組織の肥大化と風通しの悪さだけでなく、上昇志向の強い権力亡者が組織内の知恵者に相談することなく、突っ走ったせいだった。今の日本の官僚システム、官僚と業界の癒着関係は大鉈を振るわなければ断ち切れない。
 明治維新と戦後の維新と平成の維新。やっぱり小沢なのか? 他に人はいないのだろうか?

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2008年8月29日 (金)

書評 小川浩、林信行著「アップルとグーグル」、ジェフリー・L・クルークシャンク著「ジョブズはなぜ天才集団を作れたか」

 「アップルとグーグル~日本に迫るネット革命の覇者」(小川浩、林信行著)。インプレスR&D、2008年4月21日初版第1刷発行、定価1890円。

「ジョブズはなぜ天才集団を作れたか」(ジェフリー・L・クルークシャンク著徳川家広訳)。講談社、2008年8月27日第1刷発行、定価1890円。

 この種の本は最近、ほとんど読んだことがなかったが、ちょっと勉強したくなって、集中的に何冊か読んだ中の1冊。

 1990年に東芝のハードディスクなしノートパソコンを買って、使い始め、その後、アップルの一体型マックとノートに買い替え、海外からカラー写真を、そのモノクロマックで日本に送って、なぜモノクロのパソコンでカラー写真を送れるのか、ずっと考えても分からなかったようなパソコン音痴なので、プログラム言語の本など高嶺の花で、せいぜいエクセルの使い方とか、その前にはMS-DOSの使い方などのハウツー本を読んだくらい。

 パソコンとかインターネットの本とはとんと縁がなかった、と言ってもいいだろう。

アップルとグーグル 日本に迫るネット革命の覇者 アップルとグーグル 日本に迫るネット革命の覇者

著者:小川 浩,林 信行
販売元:インプレスR&D
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 読んで、「目から鱗」の感じだった。

 アップルはスティーブ・ジョブズの家のガレージで創業し、グーグルはスタンフォード大学の構内で初期の検索サービスを開発後、このサービスに人気が出て事業化を考えてからは、現在グーグル副社長であるスーザン・ウォイッキの家のガレージを間借りして開発を行ったそうだ。両社はガレージ出身という共通項を持っている、と。両社はエンジニア系の人材を非常に優遇。フラットな組織で、あまり上下の階層はない、と。両社の社員食堂はシリコンバレーでも一、二を争うおいしさだ、ともあった。

ジョブズはなぜ天才集団を作れたか (講談社BIZ) ジョブズはなぜ天才集団を作れたか (講談社BIZ)

著者:ジェフリー・L・クルークシャンク
販売元:講談社
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 この辺のアップル社に関するディテールはさすがに「ジョブズは」のほうが詳しい。特に、スティーブ・ジョブズの人となりについては書き込んである。

 面白かったのは日本語版への序文「iポッドを生んだ戦略は、実は日本流」で著者が紹介したエピソードだ。

 <アップル創業期、アップル社が入居していた小さなビルにソニーアメリカ西海岸地域事務所が入っており、アップル社を創業した天才2人組の1人スティーブ・ジョブズはビルの反対側にあるソニーのオフィスにするりと入っては、ソニー製品の美しいデザインを五感で吸収する作業をほとんど日課としていたのだ。ソニー・デザインは素晴らしかった。すべてに一貫したテーマがあるように見えた。何もかもが大胆であるであると同時に、控え目だった。ソニー製品には、自信がみなぎって見えた。一言で言ってしまえば、ソニー製品はクールだったのである。>

 概略、こんな話だ。そして、

 <ジョブズはソニーの製品に対する姿勢を借りることにした。そして、これにドイツ流のデザイン精神を少々合わせて、まるで新しいタイプのコンピュータ会社を作ろうと考えたのだ。それから四半世紀を経た2001年10月21日に、ジョブズはソニーに「お礼参り」をする。当時、どこでも見かけられたソニーの携帯CDプレーヤー「ディスクマン」の市場を奪うことを念頭に置いてデザインされた小型のデジタル音楽プレーヤー「iポッド」を発売したのだ。>

 iポッドの根っこが日本とドイツの電子製品にあることは明らかだった、それが家電ショップのソニー製品売り場にあっても、誰も違和感も覚えなかっただろう、と。ウォークマンをはじめとする、当時すでに他社が発売していたデジタル音楽プレーヤーを少しだけ改良したもの。日本が得意な製品戦略を取った、と書いている。

 ジョブズはニューヨークの日本食レストランでそばのおいしさに目覚め、カフェマックのシェフを築地のそばうち教室に送って修業させたので、アップルのカフェマックの日本食そばは本格的だ、とあった。また、ジョブズは秋葉原好きだ、とも。

 難しいことはわからないが、どうも、今までだったら日本のホンダ、トヨタ、松下、ソニーなどの技術者が欧米の技術を使いやすく改良、小回りの効く会社組織のトップが決断して世界に通用する商品を供給してきた、その「日本方式」が根本的なところで真似されているように見える。

 シリコンバレーだって、羽田空港近くの中小工場の誇りを持った技術者(職人)集団のようなものだろう。ただ、決定的に違うのはコンピューター、インターネットを使いこなすかどうか、なのだろうが、そんなことは国家が本気になって職人さんたちに無料で職業訓練をして、ネットに通用するような技術開発を誘導すればよかっただけの話だろう。

 どうも、この2冊を読んで思ったのは、そのような日本の科学技術・応用技術対応の遅れだった。

 「ジョブズは…」は表紙の帯に<非エリートで二流エンジニア、最悪の上司にして壮大なビジョンで世界一の成功を収めた怪物経営者…「スティーブ・ジョブズの下で働くことは麻薬的な経験だった」。戦略なき「カウボーイ的組織」アップルが最もクールで革新的な企業になるまで>とあった。

 訳者のあとがきにもあるように、

 <革命的な製品/アイデアのパソコンを生み出した注目すべき会社が、手に負えない天才創業者を追い出し、経営のプロをCEOに据えて、いっそうの成長を遂げる。だが、逆境に遭遇して一時は倒産寸前の状態に陥る。窮地の会社員、ついに天才創業者が復帰して、際立った個性の魅力的な新製品群を生み出して大ヒットを飛ばし、再度最も注目される企業となった。>

 ジョブズの個性があまりに強いので、ジョブズ物語も面白いが、「アップルと…」の表紙帯にある

 <日本企業に足りないものすべてをこの2社が持っている>

 が、刺激的キャッチコピーではあるのだが、今、日本人が立ち止まって、じっくり考えるべき論点なのだろう。

 つまり、日本企業のふがいなさを嘆け、というのではなく、かといって「上げ潮派」エコノミストや政治家が言うように規制緩和の不十分さを咎めるのでもない。

 1980年代の最後にある意味では米国を抜いて経済パフォーマンス世界一になった日本が、「坂の上の雲」を見失い、目標喪失状態が約20年続いている、という異常さになるべく多くの人が早く気付き、新たな目標を見つけようと、前を向くことから始めないといけない、と思うのだ。

 落ち込みの原因をいつまでも探し続け、その落下のスパイラルの中で自分探しまで始まってしまったのが今のご時勢だが、こんなことを続けていると、第3、第4のアップル、グーグルが次々、日本の良さを生かした商売でのし上がり、新製品群の事実上の世界標準(デファクト・スタンダード)を奪っていってしまうだろうから。

 「アップルと…」で著者は「iフォン」とグーグルの「アンドロイド」が電話だけでなく、ネット家電やゲームソフト端末なども操作できる携帯端末のデファクト・スタンダードとなるだろう、と予測する。

 NTTドコモも仕方ない、と諦めているとか。パナソニック、富士通、NECなどは日本の携帯電話の特殊性を乗り越えて世界に飛躍するチャンスと見ているらしい。

 情けないけど、そういうことなんだろう。

 旧郵政省官僚だけが悪いのではない、NTTだけが悪いんじゃない、とは思うが、日本の特殊のルールでやっていけてしまう、日本という国の規模。これが韓国だったら国内需要だけでは利益が出ないから、最初から海外雄飛を考えた戦略を取るのだろうが、日本はある意味、恵まれ過ぎてているので、飛躍できないのだろう。

 そこまで見据えて、新成長戦略を考えないといけないのだろう。

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2008年8月27日 (水)

書評 ニコラス・ストレンジ著「グラフで9割だまされる~情報リテラシーを鍛える84のプレゼン」

 ランダムハウス講談社刊、2008年8月20日第1刷発行、定価1680円。

 著者、訳者紹介を写しておく。

 ニコラス・ストレンジ氏はフリーの経営コンサルタント。オックスフォード大学、ロンドン大学社会学部、フォンテンブローのINSEAD卒業。マッキンゼーでキャリアをスタートさせ、のちにインガソール・エンジニアーズのディレクターに就任。グラフィックス等についてのコンサルティング研修を国際的企業に向けて担当した。

 翻訳者の酒井泰介氏は近訳に「闘う胃袋」「戦略的イノベーション」(ランダムハウス講談社)、「ウォール街狂乱日記」(早川書房)、「最新・経済地理学」(日経BP社)、「マーケティング戦争」(翔泳社)がある。

グラフで9割だまされる 情報リテラシーを鍛える84のプレゼン グラフで9割だまされる 情報リテラシーを鍛える84のプレゼン

著者:ニコラス ストレンジ
販売元:ランダムハウス講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 訳者あとがきにあるように、先進国の戦後の死亡率の推移表をグラフに書くと、死亡率が年々下がっているので、右肩下がりになる。

 目盛りを工夫すれば、傾斜が急となり、医療技術の進歩や国民皆保険のありがたさを実感させるグラフになり、見た人に訴える力を持つ。

 しかし、「戦後」ではなく、もっと昔まで、例えば20世紀初頭まで時間軸に入れてみれば、前世紀半ばの抗生物質の発見・普及により感染症を抑制できるようになったことと、画像診断技術の普及の賜物で、戦後よりもずっと高率で死亡率の減少が見られる。だから、ここまで入れれば、国民皆保険や戦後医療技術の進歩のおかげという感想は薄れてくる。

 さらに時間を遡って過去3世紀のスパンで見れば、産業革命の成果で生活水準が上がったこと、上下水道が整備されたこと、そしてゴミの公的回収が始まったことで衛生環境や栄養状態が改善された結果、前2者よりももっと大きな減少率を記録していることが分かり、ここまで一緒にグラフに書き込むと、戦後の死亡率の改善など、傾きがあるのかないのか分からない程度になる、という。

 つまり、何を訴えるかを考えて、グラフの内容を選べば、客観的な装いをこらしながら、グラフ作成者の思うような主張ができることが多いのだ、という。

 総選挙が目前だ。与野党で財政赤字問題や年金、医療制度改革問題でグラフも多用されるだろうが、そのグラフがどういう意図で描かれたものなのか、プレゼンテーションする人の狙いは何かを考えながら、騙されないようにしないといけない。

 そんな思いにさせる本である。

 それにしても、英国人は洒落た題名をつけるものだ、と思う。内容はガチガチに真面目なのに。

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2008年8月24日 (日)

書評 谷徹、今村仁司、マーティン・ジェイほか著「暴力と人間存在」(筑摩書房)~「暴力的文化アイコンとしての『赤ずきん』物語」など収録

 2008年8月25日初版第1刷発行。定価3200円+税=3360円。帯には<社会に隠された暴力をあばき、その真相と本質を解明する>とある。表紙裏の宣伝文句は次のようなものだった。

暴力と人間存在 暴力と人間存在

著者:谷 徹,今村 仁司,マーティン・ジェイ
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 <戦争・殺人・虐待・いじめ・DV……。あまりにも多様な暴力がわれわれの社会を脅かしている。いや、暴力は人間の生活全体のなかに住みついているのだ。暴力が人間の存在規定と不可分であることを疑う人はもはやいないだろう。とすれば暴力現象の解明は、その深さにおいて人間そのものの解明でもある。人間が人間として存在するかぎり、人間は暴力から完全に解放されることはないかもしれない。しかし、そうであるからこそ、暴力に適切に対応することが求められている。暴力の問題は、思想・倫理・法律・政治・文化・歴史・教育・心理・医療……など、きわめて広い領域に関わっている。しかも、すでに明るみに出された暴力だけでなく、これまで明るみに出ることのなかった暴力が、それらのいたるところに潜んでいるのである。本書は、こうしたさまざまな暴力の問題に取り組むために、可能なかぎり研究の領域を広げ、隠された暴力を掘り起こしながら、暴力現象の深層と本質を解明する。暴力と人間存在との関わりを理論的・実証的に考察した画期的成果。>
 谷徹氏によるまえがき、あとがきによると、2004年に今村仁司氏らが中心となって立ち上げた「暴力論研究会」は2007年度末までに計26回の研究会を重ね、その成果に基づいて本書ができた、ということだった。
 「2001年9月11日の同時多発テロで21世紀は幕を開けた。あまりにも多種多様な暴力が現出している。これらは人間存在には暴力が深く根付いていることを示しているものではないか」という認識で、人間研究としての暴力研究を続けたようだ。
 ところが、中心人物の今村氏が2007年に病に倒れ、永眠された。大著「社会性の哲学」を残すことができただけでも良かった、という。
 残念ながら、この本に入っている今村論文が難しすぎたので、この大著を読もうとは思わないが。
 たしか、今村さんといえば、最近、岩波書店から出た「岩波社会思想事典」の編集者だったのではないか、と思って、探してみたらやはりそうだった。
 思想史事典のはしがきでも、「誠に残念なことに、今村仁司氏は、2007年5月、本事典の完成を見ることなく、病に斃れられた。心より哀悼の意を示したい。そして、共同編者としては、本事典が、今村氏の御遺志に違わぬものになっていることをただ願うばかりである」とあった。共同編者は三島憲一、川崎修両氏だった。
 ちなみに、思想史事典の「暴力」項目は今村氏が書いており、「暴力と権力」「供犠(sacrifice)の暴力」「排除の暴力」の三つに分けて説明していた。短い説明なお出、余計分かりにくい感じがした。
 さて、「暴力と人間存在」に戻ると、幅広い分野の専門家がずらりと揃って、暴力を論じた論文が目一杯詰まっている感じである。
 難しくて分からない論文も多かったが、こういう業際的作業は「知」の総合化のために必要だろう。
 私のような専門知識のない素人がある程度読め、薄々でも理解できた論文だけあげておこう。
 著者たちはほとんど、立命館大学の学者さんたちである。谷さんの人脈なのだろうか。
▽谷徹「暴力論の基礎考察」
 暴力論を3分類する。
 ①社会論的暴力論(ソレル、ベンヤミン、アドルノとホルクハイマー、ジラール、今村仁司)…「社会」の成立要因の考察の中で暴力が問われる。
 ②心理学的暴力論(フロイト、ハーマン)
 ③現象学的暴力論(ハイデガー、アーレント、レヴィナス、デリダ)
 の三つである。
①社会論的暴力論
 ベンヤミンは暴力を、法がおのれを維持するために用いる「法維持的暴力」と法を初めて樹立する「法措定的暴力」の2種類に分ける。
 この二つは「神話的暴力」とされ、それを破壊するものとしての「神的暴力」を対置する。
 神話的暴力は権力に結びつき、神的暴力は法外な正義の支配・統制の可能性を開くことが重要とされる。
 神的暴力は「法」を超えた「正義」である。つまり、法自体が暴力(神話的暴力)であり、その法=暴力に支配された世界を、その外部の正義(神的暴力)と関連させることが重要だった。
 これはデリダが「もろもろの小文字の法を超えた大文字の法そのもの」を考えたのと同じ問題意識だ、とされる。
 フーコーにとっては「近代における権力」が最も重要な研究対象だった。
 しかし、フーコーの言う「権力」は独特の含意を持ち、それは「見る」とともに「知」あるいは「理性」と一体化している。
 フーコーは「臨床医学の誕生」で近代医学が死体を開いて見ることで、生命とそれに結びついている病の闇を光に曝す、つまり「見る」=「知」「理性」を育てた、と見る。伝統的に高級な感覚とされた「見る」は曝すものとして暴力的なのである、と。「見る」を高級と見ているかぎり、この暴力性は隠れている、という言葉にも含意がある。
 さらに、フーコーは「監獄の誕生」で、残酷な公開処刑(死)を人々に見せることによって自らを維持してきた王権的権力が変貌し、新たに、拡散した・ミクロの権力が「パノプティコン」(一望監視)型の「眼差し」(つまり「見る」こと)を張り巡らすことによって、いわば自発的に権力に服従する「主体=臣民}を形成するようになったことを示した。
 また、「見る」のみならず、「知」も人畜無害ではなく、権力による支配と結託しているのである。
 この支配の仕方で印象的なのは、それが(主体化=従属化)といういわば自主的な従属を示す概念で表現されたことであろう。「主従」が反転的に結びつくのである。主体を主体的と見ている限りでは、その従属性は隠されてしまう、とあった。つまり、なかなか見えない真実が多いのだなあ。
 さらに、フーコーは、「狂気の歴史」で、近代の理性が狂気を閉じ込めるという形で(いわば敵意を持って)排除したことも示した。
 そして、また「性の歴史」第1巻で、性の秘密を告白させる医学・精神医学の「知」がセクシュアリティなるものを形成して、それに反する性的異常なるものを排除し、そのことを通じて人間の生全体を支配・管理しつつ「生・権力」として機能するようになったことを示した。
②心理学的暴力論
 心理学的暴力論の典型はフロイトだ。フロイトは当初の「攻撃欲動」の理論から、「生の欲望(エロス)」と「死の欲望(タナトス)」の理論に進み、サディズム、マゾヒズムなどの概念を使って分析を進めた。
 エーリッヒ・フロムの「権威主義的人格」と「自由からの逃走」のプロセス分析。
 この心理学的暴力論では暴力被害者の心理も問われる。
 だが、暴力現象は総じて隠れる傾向を持つ。とりわけ性的事象が絡むと、この傾向はさらに強まる。
 J・ハーマン「心的外傷と回復」。トラウマ(心的外傷)と孤立無援化、解離=その事件の記憶を統合できなくなること。外傷的事件は被害者に他人や社会との「感情的紐帯」を引き起こし、他者との関係のうちで維持されている自己というものの構造を粉砕する。そして、世界の安全性の基礎的前提を破壊する。世界に対する基本的信頼がなくなる。
 通常、幼児は肯定的な自己像のうえにイニシアチブを取る能力を発達させるが、それの発達が不十分だと、その人は罪悪感と劣等感を起こしやすい、とハーマンは言う。
 しかるに、外傷的事件は、被害者をこうした状態に陥れる。そのことから、被害者は、被害者自身が悪いのだという感覚をもってしまう。こうして「離断」が生じる。
 さらに、長期の反復性外傷は「監禁状態」という条件によって生じる、とハーマンは言う。
 長期の監禁状態において加害者は被害者に加害者を尊敬するように、また感謝や愛情を表明するように要求し続ける。
 参照されるべき事象として、従軍慰安婦の場合、オウム真理教の場合などがあげられているが、実際の分析には入っていない。自分で考えてみろ、ということだろう。
③現象学的暴力論
 現象学的暴力論だ。フッサールでは暴力論まで進まなかったが、ハイデガーで根源的な経験における暴力とでもいったものが露わにされた。ハイデガーの暴力論はアーレントやレヴィナス、デリダを引きつけた。
 しかし、ハイデガーの「ポレモス」論はナチスの人種優越主義を止めることができなかった。
 ハイデガーのナチス加担責任問題である。ロゴス的収集とポレモス的闘争。「生」は「戦争で生き残ること」の単語と同根だった。ハンナ・アーレントの「暴力について」や、レヴィナスのハイデガー批判h、ハイデガーを基礎にしながら、それを批判的に乗り越える試みだった。
▽今村仁司「暴力以前の力 暴力の根源」は読んだが、難しくて全くチンプンカンプンだった。残念だが。
▽鳶野克己「暴力の教育的擬態を超えて――教育学的暴力研究における人間学的展開のために」
 これは、学校などでの「暴力反対」教育が児童・生徒に効果を表さない原因を探求する試み。
 教育とは、そもそも「望ましい人間の望ましい生き方」に向けて子どもに働きかける営みだから、親や教師にとっては、それを目指し、実現すべき価値的目標となる。
 その価値的目標を目指す営みは、到達度を測られ、評価される。
 評価とはある事象を特定の視点から当該の評価対象として位置づけ、基準に即してランク付けする作業だから、子どもも親も教師も、教育し教育されることを通して自分たちのうちに到達された成果としての「望ましさ」の度合いに応じて位階が与えられる。
 与えられた位階の違いは価値的な優劣と上下の差を意味する。
 したがって、教育は「望ましさ」という価値的目標を実現するために、その到達度を絶えず向上させていくことを迫られ求められる営みとなる。
 「望ましい」は強制になる。それが「教育に固有な暴力性」だ、というのだ。ただ、これも普段は隠れていて見えないので、生徒にも[親にも教師にも気付かれにくい。だから、教育に暴力が内在しているという認識がなくなり、「学校から暴力を追放しよう」という空虚なキャンペーンが繰り返されるのだ、と分析している。
▽福原浩之「暴力とその癒し――インナーチャイルド・メソッドの観点から」
 これは面白かった。実践論である。滝に打たれ、瞑想して、と、その山伏のような生活がうらやましい。
▽竹山博英「組織犯罪と暴力」
 これは風変わりな研究。イタリア・シチリア島のマフィアの歴史の研究である。マフィアが暴力を目的にしているのか、お金なのか、とか。シカゴ・マフィアのルーツがどのように誕生したか、よく分かった。読みやすいし、勉強になって面白かった。
▽服部健二「暴力・審判・救済――ヘーゲル哲学を参考に」
 これは精神障害者の犯罪を裁くことができるか、など非常に現代的問題を罪刑法定主義の父フォイエルバッハ(ヘーゲル学派のフォイエルバッハの父)とヘーゲル本人の思想を対比させながら考えたものだ。
 罪刑法定主義はもともと、「罪を憎んで人を憎まず」で、人を罰するのではなく、あくまで行為を、しかも有責の行為のみを罰しようとした思想。
 昔、聾唖者とかが責任能力なしとされ、それが徐々に改正された。日本の刑法でも1995年(平成7年)には阻却対象から外された経緯があり、今日、統合失調症といわれる精神障害者もそれと同じ可能性がある、とする。
 「内面を裁くのではなく、行為を裁く」という近代刑法の基本思想をある意味徹底しながら、精神障害者の場合も、その行為によって分節している自己があるのだ、と考えることができるのではないか、と問題提起するのである。
 <精神障害者を法的世界の正当な住民と認め、憲法に保証された裁判を受ける権利を認めることによって、ヘーゲルが目指したように、法の正義の回復と彼らあるいは彼女らの自己回復の機会も与えられるといえよう。そうしてはじめて、近代刑法の大きな問題点の一つが乗り越えられるのではないだろうか。>
 この視点は私には新鮮だった。どうして、あまり話題にならないのだろう? もっと主張、論争されてしかるべきではないか、と思うのだが。
 2003年7月に成立した「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」で精神科医に再犯の恐れがあるかどうか、の管理的判断まで求められるのは問題だとしていた。
▽ウェルズ恵子「暴力的文化アイコンとしての『赤ずきん』物語」
 この本で、これが一番面白かった。
 相当に長い論文だが、何しろテーマが赤ずきんちゃんである。グリム童話が有名だが、ウェルズ氏はそれ以前の民間伝承まで遡るとともに、最近の庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」や米国の映画まで引っ張り出してきて、時代と「赤ずきんちゃん」の消費のされ方、性的な表象なのか、暴力との関係がどうなっているのか、などをきめ細かに分析していく。
 学術論文を読んでいて「わくわくドキドキ」はほめ言葉ではないだろうが、まさに「わくわく」する論文。一般の単行本になっても、売れるのではないか。
 読んでいて、森鴎外「山椒大夫」を思い出してしまった。
 安寿と厨子王の物語だ。
 ハッピーエンドではない。母と安寿の悲劇があり、その対極としての厨子王の出世話がある。
 底流のテーマは権力と悪とセックスである。子供向けではセックスは隠されるのだが、子どもは心の中に疑問を持ち続け、大人の性への架け橋にもなりうる物語だ、と思っていたのだが、ウェルズ氏的に言えば、この物語も時代の中で改編されてきたのかもしれない。
 男性中心社会の成立とか、関係あるのだろうなあ。それに、山椒大夫とその仲間の「山賊」という職業も、後世に抽象化されただけで、当時は「山賊」だって、いいところをたくさん持っていたから、生き残れたのだろうし、とまあ、この論文はいろいろな連想を膨らまさせてもくれる。お薦めの論文である。
▽最後の三つの論文は難しいので、除外させてもらう。
 戦争からいじめまであらゆる「暴力」の学際的研究をまだ続けているそうだ。
 地味な研究だが、今や「戦争とは何か」「平和とは何か」「テロとは何か」「反テロ国際協力とは何か」が問われる時代である。本にあるとおり、人間と暴力が切っても切り離せないことが分かった、という。それが分かれば、分かるほど、その暴力をどうコントロールするか、が問われるのだから。貴重な研究をもっともっと続けてほしい。

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2008年8月18日 (月)

書評 座談会/辻井喬・尹健次<戦後史のなかの日本>特集=戦後思想再考―「新しい戦争の世紀」から(神奈川大学評論創刊60号記念号より)

 たまに手に取る雑誌なのだが、1970~80年代の、あの問題意識がまだ生きている、というとアナクロニズムみたいだが、そうではなくて、真摯に物事にぶつかる姿勢がいい、と思える雑誌である。

 年3回しか出ないのだが、たとえば3月に出た59号は「特集=グローバル化とナショナル・アイデンティティ~未来のために」で京都大学の大沢真幸氏がトップの対談に出てくる。2007年11月の58号は「特集=ネクスト・ソサエティへ~希望格差社会を超えて」▽2007年7月の57号は「特集=『大きな物語』再論と知識人の役割~未来への思想のリレー」▽2007年3月の56号は「特集=日本近代<知>の巨人たち~時代に屹立する精神」▽2006年11月の55号は「特集=日本の文化と文学―移りゆくものを見つめて」▽2006年7月の54号は「特集=科学文明と魔術の森」、など特集のタイトルを見ただけで面白そうだ。

 神奈川大学評論編集専門委員会は後藤仁委員長と12人の委員からなるが、センスがいいのだろう。

 創刊60号記念号は冷戦が終わったものの、2001年9月11日の同時多発テロとそれへの報復としてのブッシュのアフガン、イラク戦争で幕を開けた「新しい戦争の世紀」に立って、今、「戦後思想」を振り返る、という趣向である。

 まずは辻井喬と尹健次の「対談:戦後史のなかの日本~アジアとつながる思想をめぐって」である。

 辻井喬氏は1927(昭和2)年生まれ。詩人・作家。「鷲がいて」「書庫の母」「新祖国論」「ポスト消費社会のゆくえ」(上野千鶴子氏との共著)など。読売新聞に週1回のペースで1ページの回想録を連載しており、人気抜群。セゾングループ総帥としての経営者の顔よりも、作家としての顔のほうが似合う。

 尹健次氏は1944(昭和19)年生まれ。思想史・日朝関係史専攻。「孤独の歴史意識」「現代韓国の思想」「『在日』を考える」「ソウルで考えたこと」「思想体験の交錯――日本・韓国・在日1945年以後」など。

 対談は尹氏が辻井氏に東大在学中の共産党細胞時代の真実を聞くところから始まる。辻井氏の発言には「立派だ」と思った言葉が多かった。抜き書きするが、分かりやすいように発言の前に見出し風のダイジェストを付け、尹氏の発言の前には★マークをつけておいた。

 (戦後の思想混乱のもとは終戦への言い換え) <無条件降伏を終戦といい替えたところから戦後の思想の混乱が始まっている、と私は思います・あれは敗戦で、したがって、日本の国の制度、組織がほんとうは全面的に変わったんですけども、それを何とか言葉でごまかして、民主主義体制は拒否できないが、それを形骸化しようという動きは最初から私はあったと思うんです。>

 「言い替え」の話である。敗戦を終戦と、だけではない。

 (民主主義「革命」はナショナルなものの取り返し運動) <マッカーサーという軍人がとにかく戦争をすることの好きな人で、彼が実権を持っていたために、かつての日本の指導者をまた活動できるようにした。その間にかつての日本の指導者は、本質的にはすっかり変わってしまって、アメリカの従属国のリーダーとしての姿勢を思想的にも持つようになっておりましたので、その結果として、抑え込まれたナショナリズムというものが地下水脈のように残ってしまった。そこへ、共産主義と、社会主義革命思想が入ってきました。自分のことで考えますと、その当時の大学などでの共産主義の運動のリーダーには、ずいぶん軍隊帰りの人が多かったですね。陸士、海兵、海経。その人たちは、いままでの指導者で戦争に負けたんだから、新しい指導者でナショナルなものを取り戻そうとしたわけです。それを「革命」といっていたというのが、いまから考えるとかなり強い要素だったではなかったのか。>

 属国のリーダーたちは旧体制でもリーダーだった。その下で実権はないのに、命を失いそうになって戦った青年たちが、失敗したリーダーたちを引きずり落とそうとしたのだが、老獪な連中は反省もせず、アメリカ権力に擦り寄って「ポチ」に成り果てただけでなく、日本国民すべてを「ポチ」にした。この怒りが安保闘争だし、反米闘争だったのだ、という主張である。

 (敗戦前の「愛国者」はインチキであること) <ドイツは国内で戦争責任の裁判を行っているんです。日本は行ってないですね。連合軍の裁判だけで済んだのだと認識しているわけです。ですから、私にとっては敗戦前の「愛国者」「民族主義者」、いずれも括弧付きです。これはたいしたことのない愛国者であり民族主義者だったんじゃないかと思うのです。と申しますのは、マッカーサーが日本をほんとうに使おうとして、追放を解除し、戦犯を釈放しますね。そのとき私は一人でもいいから「アメリカの命令で釈放されても私は活動する気にはなれない。こんな恥ずかしいことはない」といって自決でもするような元指導者がいたら、その人は本来の民族派だったなと思うのですが、みんな喜んで、尻尾を振ってノコノコ、巣鴨拘置所から出てきたわけです。それで偉そうな顔をするなというのは、恥の上塗りという言葉が日本にはありますけれども、マッカーサーの変節で、とにかく共産主義の防波堤に使おうとしているわけですから。それに尻尾を振って喜んでマッカーサーバンザイといって、総理にまでなったひともいるのでね。元をただせば、戦争責任をあいまいにしたからです。これが思想的な低俗化、堕落の根本原因だとぼくは思います。>

 戦争責任問題と、今の日本の行き詰まりをこのように鋭利に関連付ける言説はめったに見られなくなったなあ。でも、辻井氏の言うことはまったく正しい。

 (吉田茂の評価) <負けた国が軍隊を持ったら、いままでの歴史を見てもろくなことがないんです。戦争に勝った国の顎使に甘んじて一番危険なところへ負けた国の軍隊は派遣される。日本は戦争で経済もムチャクチャになり、この復興をすることが第一なので、何とか軍隊を持たないでいきたいというように吉田茂は考えたんですね。私は、リベラルなナショナリストという意味では吉田茂という人は存在意義があったと思いますね。>

 (新左翼の誕生) 辻井氏は「ところが」と言って、当時の「革新」はミソもクソも一緒にして、ソビエト体制に賛成か反対かで、ソ連体制に疑問を呈する奴は全部敵、反動分子としてしまったので、革新派は大衆からどんどん孤立した。しかし、大衆には「もう戦争は嫌だ」という気持ちが強かったので、拙劣で稚拙なスローガンしか言わないような革新派でも3分の1は取れた、といい、「そういう意味では60年安保、全国的な安保運動、これをどう評価するかも、日本の戦後史を考える上で大きな問題」という。しかし、いまだに60年安保の改定反対運動はどっちが勝ったか決着がついていない、という。いわゆる新左翼の一部の人が「あの時に全学連の学生が全員国会へ突入すれば勝てた」というのだそうだ。辻井氏は「これはアジア全体の情勢を何も見ていない。しかし、全学連の国会突入を阻止したのは共産党である、そういう平和ボケした共産党を叩き潰すのが本当の左翼の運動だ、と今も言っています。あの60年安保改定反対運動から新左翼が生まれてくるわけですね」と分析する。そして、次のように話す。

 (所得倍増反対に固執してしまった革新派) <ぼくはあのときには、安保改定反対運動派が勝ったと思っているんです。なぜならば内閣を辞めさせたわけですから。それから、イデオロギー闘争を放棄させた。もうイデオロギー闘争なんかしないで、とにかく所得倍増でいこうと。ぼくも大衆の一員として、所得が倍増になったらそのほうがいいなと思いましたし。ところが古い左翼もそうなんですけれども、所得倍増は嘘だ、騙されるなといって反対をするんですね。だけど、どんどん経済は発展していくわけです。そうすると、反対、反対といっていてもだんだん生活は、格差はもちろんその中で生まれていますが、向上し、そうなると旧革新系がだんだんやせていくのはやむを得ないいきさつだったと思います。>

 (ベトナム戦争は共産主義との戦争ではない) 辻井氏はベトナム戦争の時、アメリカ人が「ベトナムが共産化すればインドネシアもフィリピンも共産化する」というドミノ理論を言って「だから、アメリカは犠牲を覚悟の上でベトナムに兵隊を出している、真空状態にするわけにはいかない」と言うので、「ベトナムにはアメリカなんか及びもつかない長い生活の歴史があり、1500年は越えているだろう。その人たちにとってはアメリカがいようがいまいが、真空状態になるなんていうことはあり得ない。あなた方はアジア人を見損なっている」と主張した。「ベトナムの戦争は共産主義の戦争ではなく民族主義の戦争です。それをあえて共産主義の起こした戦争だ、と言い換えている。これはアメリカがおかしいんじゃないか、と言って、そこで徹底的にぼくは孤立しました」と話している。その日米経済人の会合で、辻井氏以外の日本の経営者はアメリカ人に同調したのだが、その原因について辻井氏は「変な国粋主義が15年間、事実上20年にわたり日本支配をし続けていた時代があって、敗戦のときにその歴史印決着をつけないできていますから、アレルギーがずっと残っていて、それは革新勢力をも非常に弱くしたと思っています。ベトナム戦争の時はほんとうにそれを痛切に感じました」と語っている。

 (市場原理主義について) <日本は取るべき道とは逆に行ってしまいました。大きく切り替えるべき時に自由競争原理主義のような、ヒットラーになり損ねたデマゴーグが出てきて、あれは決定的に日本を不幸にする道へ導くものです。分岐点を、悪いほうへわざと渡ってしまったと思うんです。中国はそういうことがないようにしてもらいたいと思います。>

 ★(尹氏の発言=日本の若者こそ日本政府に反日教育を受けている) <日本が謝罪・補償も何もしないなかで、何らかの拍子で中国で反日デモが起こると、あれは愛国教育、反日教育の結果だというんですけれども、2000万人もの人間が日本軍に殺されたという中国で、日本を恨みに思わないわけがないのであって、だから国内的要因がさまざまに複合的に絡み合っていたとしても、日本に対して怒るのはあたりまえです。それを日本のマスコミは「反日デモ」だといって難癖をつけて、その要因はといって、常に相手に罪を求めるわけですよね。それはおかしいわけです。私は日本の若者こそhんにち教育を受けていると思います。たまたま勝手に産み落とされて、自分が自覚しない間に教育を受けて日本人に仕立て上げられて、日本国民だといわれているその本人印、大学生に聞いてみると、自分の国の歴史を知らないですよ。日本国民として育てられて、日本国の近代、現代の歴史を知らされていないんですよ。これが反日教育でなくて何かというわけです。>

 (日本人が口を挟むべきでない朝鮮半島の統一問題) <ぼくは実を言うと朝鮮民主主義人民共和国にだけ行ってないんです。何遍も来てくれといわれました。なえぼくが行くんですかといったら、南北統一を進めたいから、北へ行って、統一をすべきだということをいってくれ、みたいなことをいわれました。社会党の幹部の人でしたが、ぼくはびっくりしました。社会党は歴史に対してそんな認識なのかと。そんな発言権が日本人にあると思っていることがまず基本的な間違いだと、ぼくは今でも思っています。統一をしたほうがいいにきまっているけれども。それは朝鮮半島に住む人々が話し合って決めるべきことで、わけても日本人は発言権がないんだと。日本の帝国主義がそういう歴史をつくったんだから、その恥ずべき事実を忘れてはいけないと、思わず声を荒げて議論したのをいま思い出しました。強いて言えば、国内問題、朝鮮半島に住む人の内部の問題なんです。>

 ★(出自に拘れ、と尹氏) 尹氏の「日本人の意識、日本のマスコミの中では、南北は完全に分離されたまま固定していますね」と鋭い観察の言葉。辻井氏も「そうでしょう。あれは不思議です。どうしてそんな感覚ができるのか」と答えている。言われてみれば、そうだなあ、と思う。別の国、と思っている。生まれて約60年、ずっとそうだった。尹氏は「もう少し日本人としての歴史的認識を持つべきであろうかと思います。森崎和江さんが去年お出しになった著作で、日本の女として一人前にんりたいから旅寝を重ねたとおっしゃっていますが、私は偉いと思うんです」といい、在日朝鮮人だけでなく、日本人も自分の出自、来歴に拘るべきだ、という。「出自、来歴は自分で選べないからこそ、それにこだわってこそ、やがては世界に通じる市民になれるはずです。その固有性を否定するとだめだ、、と思うのです」と。

 (アジアの近代の形) <日本の知識人が認識を曇らせてしまう一つの条件として、モダニズムの問題があると思うのです。つまり、韓国に近代があったか、中国に近代があったあk、というわけです。それがほんとうはとてもおかしな話で、では日本にはあったのか。そもそも近代、モダンというものは何なんだ、と。日本の知識人の場合はほとんどがヨーロッパ型近代という概念しかないわけです。ぼくはアジアのモダン、近代というのがなくてはならないのではないかと思うのです。というのいは現在アジアのほとんどの国が経済の発展過程に入りつつあります。経済は数字、GDPとして出てくる数字などでどれだけ大きくなったかを計ります。しかしヨーロッパ型の近代社会はなかなかできない。どうもアジア印はアジア流の近代というものがあるのではないか。…専制主義ではない秩序というか、近代秩序というものが構想されなければならないところへ来ているのではないでしょうか。>

 ★(尹氏=本文化論の危うさ、閉鎖性) 尹氏は「非ヨーロッパ的近代」といい、日本の場合にはアジアと繋がった意味での日本の近代化ということになるが、それがない、戦前は軍国主義できたし、思想哲学といえば京都哲学で近代の超克といって非ヨーロッパだけれども、ではアジアとつながっているか、というと、繋がっていない。そうすると日本主義、日本精神になる。日本精神の核はやはり天皇主義になる。日本が敗戦して、そこを反省すればよかったが、反省できないからアジアとつながらない。さらに日本が調子よくなると、ヨーロッパを排除して日本文化論になる、と「日本文化論」の閉鎖性、危うさを論じた。

 ★(尹氏=日本はアジア侵略を謝罪していない)<日本の国家、国家としての日本というのは、アジア侵略を謝罪していない。学生に聞くと、右翼の人と同じで何回謝罪すればいいのか、と言うが、一度もしていない。日本国憲法第41条に国会は国権の最高機関と書いてある。国権の最高機関は総理大臣ではないんです。天皇でもないし。都合のよいように、そのときどき、好きなことをいえばいいわけではないのです。日本の国会は一度も謝罪決議をしたことがないし、補償もしたことがない。何もしていないんです。これでアジアとつながろとうというのは無なんです。終戦50年決議もとんでもない決議だったし。あれは自分の責任をうやむやにする。そこがまずだめなんです。(もうちょっとはっりさせることは)自民党が許さない。そういう風に考えると、経済も大事ですが、文化が必要です。そして文化の前提として、歴史認識、謝罪、それをしなくてはいけないということになると思うのです・戦後日本で最大の問題はアジアの問題です。これはずっとつながっています。戦後六十数年たってまだやっているわけですからね。いつまでやるか。しかも若い人は何も知らないわけですから、これはもうどうにもならないですね。>

 (我がこととして天皇制のことを考える) <天皇制の問題って自分の問題なんです。我がこととして天皇制の問題を考えないと、知識として考えてもだめなんです。というのは、ユングではありませんが、集合的無意識という厄介なものがありまして、この力は大きいですね。どういうことかというと、たとえば昭和天皇が病気になったときに、ほとんど1カ月半ぐらい天皇の病気の話ばっかり。…病名すら発表しない。発表できないようなものだったら日ごろメディアだなんて威張るなといいたいんですけどもね。足だけは癌だということを最初にいったのかな。あれは不思議です。ぼくは日本は全然変わっていないという感じがした。>

 (朝鮮植民地統治は最悪の帝国主義だった) <朝鮮の問題は、植民地統治をした。しかも、あの支配はひどすぎます。日本の帝国主義というのは最も質の悪い帝国主義だったとぼくは思います。なぜそんないnもっとも質の悪い帝国主義になったかというと、国内での民衆支配の仕方も最も質が悪いからなんです。だから国内の問題と植民地支配の問題は共通している。ぼくは、差別されるほうの育ちですから、差別している奴は理屈ではなくて感覚的にだめなんです。それでも集合的無意識という問題には自分の問題としてぶつかります。>

 (批判者を失った資本主義の悪い面が出たイラク戦争) <「戦争」という言葉もよっぽど気をつけて使わないといけませんね。今世紀に入って起こっているのは、古い意味で戦争とは違うとぼくは思うのです。それをアメリカだけが古い意味の戦争にすりかえて、イラクを攻めたりしているんですが、あれは完全問題の本質を古い戦争にすりかえてやっている。反テロ戦争だという言い方をしますが、これはちょっと違う。現在は産業社会の堕落と、堕落することによってひどくなる資本主義、つまり批判者を失った資本主義の悪い面が出てきている。それに対する批判の一部がテロみたいな形で出現したのであって、イラク国家がアメリカと戦争をしようとしてやったものではありません。…日本がそれに追随しているというのはなんともお粗末な限りだけれども、あれは産業社会の否定的な側面をどうやって乗り越えるかという課題を間違えた形で出した。テロ自体はもちろんよくないんだけれども、昔の戦争と同じとは絶対いえない要素がある。だから、戦後思想という場合に、天皇制と朝鮮の問題を抜きにした日本の民主主義というのはかなり危ういものあよということなんですけrてども、その危うい民主主義思想でもって新しい戦争の時代に向かうと、これはちょっと危ないという感じがぼくはしています。>

 最後に辻井氏は新しいタイプの共同体、新しい国際的共同体を形成する必要がある、という。個人個人の夫婦間とか、家族間の共同体をベースにした、人権、平等、社会的意識みたいなものをはっきりした共同体を構想していくしか、今の状態を直していく方法はでてこないんjなないか、という。今の資本主義がこのまま進むとは考えられないが、オールタナティブは社会主義ではない。共同主義とでもいうようなものが必要だ、というのだ。グローバルに対する反グローバルを意識した共同体というようなものだ、という。

 酒井直樹氏「戦後史への疑問」、橘川俊忠氏「論壇時評 思想問題としての戦後」など、興味深い論文が多く、またの機会に書評を書くことにしよう。

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2008年8月14日 (木)

書評 近藤健著「反米主義」

 講談社現代新書、2008年8月20日第1刷発行、定価777円。

反米主義 (講談社現代新書 1956) 反米主義 (講談社現代新書 1956)

著者:近藤 健
販売元:講談社
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 本の著者紹介によると、近藤健氏は1933年生まれ、国際基督教大学卒業、毎日新聞社入社後、サイゴン特派員、ワシントン特派員、外信部長、ワシントン士局長、論説委員などを務める。退社後は国際基督教大学教授、愛知学院大学教授を務める。専門はアメリカ研究。著書に「もうひとつの日米関係」(ジャパン・タイムズ)、「アメリカの内なる文化戦争」(日本評論社)などがある。
 新書でわずか254ページの本なのに、内容は濃密だ。「反米主義」の定義論から始まって、「アメリカニズム」とは何か、を説き、世界のアメリカニゼーションが文化の押し付けなのかどうか、を論じ、最後に日本の「反米」「日米関係」の表層と水面下の無意識にまで迫る遠大なテーマを論じようとしている。
◆結論は自分探し
 著者の結論は「はじめに」にある<アメリカの時代が終わりつつあることは事実である。だが、アメリカが覇権国の座を降りたとしても、「混み合った場所」としてのアメリカは、世界の縮図であることに変わりない。混み合ってくるにつれて、純粋、固有を主張して迫られる文化変容に抵抗する勢力が台頭することも、また自然である。反米主義現象はこうした葛藤と矛盾のはけぐちである側面も見逃せない。それは、混み合った場所化する世界での自分探しなのである>の部分なのだろう。異文化接触の度合いが強まって、その密度も濃くなっている現在、世界はエドワード・W・サイードのいう「混み合った場所」になりつつあり、雑種化が進んでいる、という基本認識がある。そして、アメリカは移民国家で建国以来たえず異質の文化を受け入れ、そのたびに人種、民族、宗教などをめぐる葛藤を繰り返しつつ統合を保ってきた。多文化社会であるとともに雑種文化化が進んでいる社会でもあり、多くの矛盾を抱えた社会でもある、としたうえで、「いま世界各地で起こっている人種、民族、宗教をめぐる混乱、偏見、闘争は、アメリカの経験してきた、またいまだに経験しつつある、葛藤と矛盾であるといえるのではないだろうか」と言う。だから、<混み合った場所化する世界での自分探し>なのだ、という。サイードを知らないと理解できないような難しい内容を「はじめに」から読まされるので、非常にしんどいのだが、読み続ける。
◆反米主義の5タイプ
 「反米主義」という「反○主義」の形で他国を呼ぶことはない。つまり、アメリカだけが特殊なのだ。
 反米主義のタイプ分けを見てみると、まず「アメリカ一極支配への抵抗」がある、という。国際政治における権力をめぐる反米主義である。シラク仏大統領の多極的世界秩序構想は基底にドゴール主義(ゴーリズム)がる。フランスの人口学者エマニュエル・トッドが「帝国以後―アメリカ・システムの崩壊」でアメリカは1945年―65年の間は真の帝国だったが、それ以後は自ら帝国の位置から降りたとし、ヨーロッパ連合(EU)・ロシア・日本・アメリカという5大パワーの多極世界の到来を予測している。トッドは2006年10月30日の朝h子音分で軍事同盟から解放され対米従属から脱して多極世界の1極となるために「日本も核を持て」と勧めている。
 次に「アメリカへの生理的嫌悪」、アメリカ嫌いである。これもフランスが多く「犬はアメリカに来ると鳴かなくなる」「アメリカの生物はヨーロッパのそれと比べて劣っている」といった独立以前からのアメリカ嫌いの言説がある。アメリカにもフランス嫌いが多く、アメリカ連邦議会が議会食堂で出されるフレンチ・フライを「フリーダム・フライ」と呼ぶようにさせた、とか。
 第3のタイプが文化的反米主義。世界のマクドナルド化、ディズニーランド化、コカ・コーラ化といわれるアメリカ生活様式の浸透によるライフスタイルの画一化によって自らの文化が破壊されるという恐れだ。文化的アイデンティティーの危機である。アメリカは第2次世界大戦後にIMFと世界銀行を創設したブレトンウッズ体制という国際経済秩序をつくった。対ソ冷戦とともに集団安全保障条約や二国間の条約網による安全保障体制を構築し、その維持と西側諸国の復興のために巨額の経済援助、軍事援助を行ったが、その援助が文化的浸透を伴った。米軍の海外中流や援助とともにコーラやハンバーガーがアメリカの雑誌、映画が持ち込まれた。終戦直後にはフランスで「コカ・コーラにサンチーム貨を入れると溶ける」というまことしやかな話が流布された。この文化的反米主義はアメリカへの文化的軽蔑と表裏一体の関係にある。保守派の論客西部邁は「反米という作法」でいつごろからか日本が芸術にしても芸能にしてもアメリカ的なものにすっかりすり寄ってしまったが、僕らの若い頃はアメリカ的なものといえば二流三流のものが多いというのが暗黙の了解だった、と書いているそうだ。シンクレア・ルイスが1930年にアメリカ人として初めてノーベル文学賞を受賞したのも、小説「本町通り」「バビット」などがアメリカ中流社会の個性を欠く大勢順応主義と生活スタイルの画一性、無思慮な商業主義を痛烈に皮肉り、当時のヨーロッパ人が抱いていた標準的なアメリカ批判を表現していたからだ、といわれているそうだ。
 第4のタイプは内部からの反米主義で「内なる反米主義」といわれるようだ。過去におけるネイティブアメリカンの虐殺や国内の人種差別はアメリカが民主主義の手本などと言えるものではない、という内在的アメリカ批判であり、この種の異議申し立てに対してはしばしば「非アメリカ(アンアメリカン)」のレッテルを貼る。これは戦前日本の「非国民」「それでもお前は日本人か」という表現を思い出させる表現だそうだ。特に反戦行動は政府や戦争支持者から「非アメリカ」の言葉を浴びせられることが多いのだという。しかし、こうした異議申し立てはアメリカ民主主義の復元力の源となっている、という。アメリカの人権無視、二枚舌を攻撃する格好の材料となったヴェトナム戦争時のソンミ事件、イラク戦争時のアブグレイブ事件は、アメリカの主流ジャーナリズムが暴露した。9・11テロ後、そうした異議を非愛国的とする風潮が一時席巻したが、その後、ブッシュ政権とその政策批判・非難、不法行為の暴露の書物が多く出た。イギリスの政治学者ハロルド・ラスキは「アメリカン・デモクラシー」(1948年)で「アメリカの自己批判を逆用して、これをアメリカ芸術の妥当性否定の道具とすることは、ヨーロッパにとっては素晴らしい否定の技巧であった」と皮肉っているそうだ。
 第5のタイプは「反資本主義としての反米主義」で、これが言葉の本来の意味の「反米主義」だという。アメリカの明示的な原理原則の拒否、あるいはアメリカン・システムそのもの、アメリカニズムといわれるものの拒否であり、それに代わるしすてむを提示するイズム、イデオロギーだ、といい、オサマ・ビン・ラディンのイスラーム原理主義もここに入る。
◆アメリカニズムとは
 反米主義理解のためのアメリカニズムは歴史的、思想史的にとらえなければならない、としていおりろな見方を紹介する。
 アメリカの著名な社会学者シーモア・リプセット「アメリカ例外論」は「アメリカのイデオロギーは五つの言葉で表現できる。すなわち、自由、平等主義、個人主義、ポピュリズム、レッセフェール」とある、という。独立初期に民主政治を指す言葉としてポピュラー・ガヴァンメントを使ったように、ここで言うポピュリズムは民主主義の意味で使っている、という。このアメリカ的価値観の普遍性の提唱に異議があるとすれば、それは歴史的、文化的経緯を無視して内政干渉や力によってまでも価値実現をはかるというようなプロセスについてであり、アメリカが自由平等を十全に実現したかのような言辞を弄し、アメリカが民主主義のすべてであって他はアメリカを見習うべきであるというようなヒューブリスともいうべきおごりと傲慢な姿勢に対してである。
 古矢旬・北海道大学教授(現東大教授)の「アメリカニズム―『普遍国家』のナショナリズム」(東京大学出版会、2002年)はアメリカニズムを「アメリカ人一般の国民生活を根本的に規定し、結果としてアメリカの国民社会全体を方向付けてきた特殊な価値観やものの見方」と定義。19世紀のアメリカニズムの特徴はヨーロッパのような腐敗や失敗の過去を欠き、すべて新しくやり直しのできる新世界であり、人類の希望なのだという自己イメージにあるという。20世紀のアメリカニズムの特徴はフォーディズムという先駆性にある、とする。20世紀アメリカを特色付けるのはアメリカの例外性ではなくアメリカの先駆性だった。その先駆性こそ「大量化」現象だった、という。
 佐伯啓思・京大教授の「『アメリカニズム』の終焉」増補版(TBSブリタニカ、1998年)で佐伯氏は20世紀になって国際的なリーダーシップはイギリスからアメリカに移ったが、アメリカのリーダーシップいんは19世紀のイギリスには見られなかった独特の点があり、その一つはウィルソン大統領の理想主義外交に現れた国際社会における道義的義務という観念であり、もう一つは「モノによるデモクラシー」というやり方だ、として20世紀のアメリカニズムの特徴を「モノによるデモクラシー」ととらえる。「モノのデモクラシー」を実現する上で最も重要なものが大量生産・大量消費の方式であるフォーディズムをあげる。大量生産が実現されるには大量消費がなければならない。そのために必要なのが生産性に見合って賃金を引き上げることによって労働者の生活水準向上―大量生産―生産性向上―賃金向上という好循環をもたらすフォーディズムである。フォーディズムの功績は「労働者」というカテゴリーよりも「消費者」というカテゴリーを重視したことにある、とする。
 しかし、佐伯氏はアメリカの力の相対的な衰退、冷戦構造崩壊後のグローバリズムという経済構造の変化、資本主義の変質などによって、市場経済・自由競争というリベラリズムとデモクラシーが分裂し、リベラル・デモクラシーの普遍性を主張できなくなったと言う。「リベラリズム、キャピタリズム、デモクラシーといった価値の衰退、あるいはこの三者の優雅な結合の崩壊」つまり「アメリカニズムの崩壊」であるという議論だ、という。
 そして、近藤氏はこのように20世紀のアメリカニズムの中核が大量生産・大量消費という産業資本主義システムだとすれば、それが生み出す資本主義文化への異議、拒絶は反米主義の中核と捉えることもできる、という。
 アメリカの割賦販売の発展は1910年ごろに自動車金融専門の会社が設立されるなど自動車産業と密接な関係があるという。1920年代に自動車産業が成熟し、鉄鋼生産の20%、ゴムの80%、板ガラスの75%を消費する一大工業部門となってGMの販売戦略とともに一般化した。それが「いますぐ買いなさい。支払いは後で」(Buy Now,Pay Lattr)のキャッチ・コピーだ。これが家具や家電製品そのほかの高価な消費財にまで普及し、大量消費社会へと進んだ。
 フォードに始まって広告と分割払いという消費者信用とに支えられた大量生産・大量消費システムは大恐慌、第二次世界大戦を経て世界に普及した。
 オランダの碩学で歴史家のヨハン・ホイジンガは1918年に「アメリカ文化論―個人と大衆」(翻訳は世界思想社、1989年)を著し、個人主義的組織、組織化された個人主義をアメリカの特徴とし、それが資本主義的株式会社の発展と生産工程の機械化を促したと見る。さらに現代の知的な糧である新聞が「広く行き渡るほど、そしてその内容が網羅的であるほど、その機械的な読まれ方は、均一化と水平化の効果を生むのに一役買う」し、映画は「既存の低俗な嗜好を、人気取りの、卑俗なほどロマンチックな、扇情的な、ぞっとするような、どたばた喜劇的な嗜好へと推し進めてゆき、次に、この嗜好に満足しきった状態を機械的にばらまく」と、アメリカの発達するマス・メディアの役割をけなす。個性を殺す知的機械化の危険性を説くのである。
 第一次世界大戦後のアメリカを見直す必要性を説いたのはフランスの地理学者、社会学者であるアンドレ・シーグフリードは1927年に「アメリカ青年期に達す」でヨーロッパはもはや世界の推進力ではない、と書いた。
 当時の日本のアメリカ論。軍事評論家、池崎忠孝。ジャーナリストの清沢洌。
 世界を覆う大量消費文化批判。仏ル・モンド紙の外報部長クロード・ジュリアンが1968年「アメリカとは何か」。
 ボン生まれでその後英国に帰化した経済学者E・F・シューマッハー「スモール・イズ・ビューティフル」を書き、人間中心の経済学を説いたのは1973年。
 大量消費文化の抑制に宗教的倫理観を求める声はアメリカの社会学者ダニエル・ベルが1976年「資本主義の文化的矛盾」で、節制よりも浪費の奨励というアメリカニズムで豊かさで豊かさを作り出したアメリカ社会には「物質的豊かさは道徳的に正しい」という社会的コンセンサスが生まれてしまった。そして、失われた個人と社会、公正と効率、平等と自由のバランスを回復するために、「公共家族」という概念を打ち出し、宗教の重要性を説いた。
 →市場原理主義の暴走→アメリカン・スタンダードの強制→多様な資本主義(第3の道)=コミュニタリアリズム(共同体主義)
 ブーメラン、ロハスのアイロニー、イーグルの影、ハリウッドはアメリカ化の先兵か?、アメリカ新保守主義の思考、メディア帝国主義、巨大なメディア複合体、メディアの操作能力、「ダラス」はどう見られたか、文化の強制は成功し得ない、「ヨーロッパのアメリカ化とは神話である」、文化の主体的選択、戦後日本の選択、新しい文化を創造する契機、雑種文化の国、「混み合った場所」、イラク侵攻のダメージ、アメリカは嫌いでもアメリカ人は好き、アメリカの終焉、内省の書としての「大国の興亡」(1987年)、軍事基地帝国、ユーラシアなしではやっていけない、経済的衰退と文化的征服。
 と小見出しを拾ってみた。
◆日本人が見るアメリカ
 そして、最終章が日本とアメリカの関係である。
 人種主義という通奏低音、日米関係至上主義者の失言(中曽根、梶山の人種発言)、昭和天皇の独白(欧米列国の人種差別を戦争遠因とした天皇の認識)、黄禍論、排日運動、人種差別撤廃条項、山東省の利権、排日移民法と原爆投下、「帰化不能外国人」、内村・新渡戸のアメリカ批判、原爆投下と人種主義、原爆投下の鍵を握る人物(大統領補佐官から国務長官となったバーンズの役割)、ジョン・ダワー「人種偏見」でアジア・太平洋戦争は二次的とはいえ人種戦争だった、屈折した心理、=ヤイターUSTR代表は関税賦課を「米通商政策の水爆」ろ言った、「アジア主義」の気分、反西洋・反米という気分、他者としてのアジア、抵抗概念、「入亜」、福沢諭吉の「脱亜論」と「脱亜入欧」を結びつけるのは間違い=福沢は脱亜は一回しか使わず入欧は使ったことがない=実態は三酔人経綸問答の国権拡張主義者豪傑君と洋学紳士の問答の国粋と欧化の葛藤、「アジアの脱亜」、伝統への回帰という願望、「近代の超克」に漂う魅力、「最大の敵はアメリカニズム」、軽蔑のかたち、日米関係の呪縛、成熟の本当の中身、暖かい関係、アジア健忘症、「アメリカに手招きされてハイと立ち」、「眼を覚まさせられた」民衆、ねじれ、されどアメリカは好き、アムビヴァレントな態度、日本人の対米観、アメリカの衝撃。
 これも小見出しを拾った。
 大体、これで言い尽くせているかもしれない、とも思う。相当に内容がある本なので、まだ1回しか読んでないが、また読み返そうと思っている。

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2008年8月 1日 (金)

書評 「環境活動家のウソ八百」

 「環境活動家のウソ八百」(リッカルド・カショーリ、アントニオ・ガスパリ著、洋泉社、798円)を読んだ。

環境活動家のウソ八百 (新書y 198) 環境活動家のウソ八百 (新書y 198)

著者:リッカルド・カショーリ,アントニオ・ガスパリ
販売元:洋泉社
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 「偽善エコロジーの本質を暴く!」という目立つ帯がついた新書である。翻訳した草笛伸子氏は環境問題の専門家なのか、訳語も適切だと思う。非常に読みやすかった。

 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」の中部大学総合工学研究所副所長の武田邦彦氏が推薦している。

環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks (024)) 環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks (024))

著者:武田 邦彦
販売元:洋泉社
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 環境保護運動の隠された目的が優生学と同じで優越者の子孫を残し、貧者、低開発国の人々の断種、人口減にあることを様々な資料をあげて主張した書だろう。

 この本を読んで、今までいいことだ、と思っていたバース・コントロールというものがいかがわしく思えてきた。

 これが本当ならば、一人っ子政策を続ける中国という国は最初から欧米帝国主義に思想闘争で負けているのか? 

 様々な疑問を起こしてくれる常識破りの本である。筆者が二人ともカソリックの大学の研究者であることを頭において読んだほうがいいだろう。

 つまり、一神教的な世界観が充満している本である。

 イスラムにしろ、カソリックにしろ、アミニズムへの憎しみがある。環境活動家の主張する「ガイア理論」が本当に汎神論的なものであるのであれば、逆に言えば日本や中国などアジア諸国の民衆は欧米出身思想である国際環境派の考え方、行動と手を携えられそうだ、とも思うのだが。

 まあ、じっくり読んだ本なので、じっくりと内容を書き出しておこう。

 主な内容は次の通りだ。

 ダーウィンの弟子が始めた優生学は世界の大富豪たちの後押しを受けながら、弱者、貧困層に子どもを生ませないバース・コントロール運動となって世界に広がり、ナチスの人種差別に好意的対応をしてきた。

 ナチスの敗北で優生学や人種優越論、大量断種政策の時代が終わったと思われていたのだが、実は優生学思想はロックフェラー財団などの応援を得て、「家族計画」「バース・コントロール運動」としてよみがえった。

 ここで編み出された論理が「持続可能な開発」「生活の質」という考え方だった。

 いかに人々に本人が気付かない自発的淘汰をさせることができるか、のキーワードだった。

 環境保護運動(エコロジー)もルーツは優生学に深く根差していた。「エコロジー」という言葉自体、ダーウィンの後継者で人種差別主義者のエルンスト・ヘッケルが作った。
 優生学運動と自然保護運動は歩調をそろえて成長した。

 各国の政府に大きな影響を与え始めたのは1965年、リンドン・ジョンソン米大統領が「人口抑制政策に投資する5㌦は100㌦の経済成長に匹敵する」というスローガンを打ち出したことだった。

 1950年代半ばに「人口爆弾」という小冊子を出してバース・コントロール運動とエコロジストたちの連携を目指した運動をしていたヒュー・ムーアの功績だった。

 ムーアらのIPPF(国際家族計画連盟)は国連にも食い込んだ。UNICEF(国連児童基金)も子どもたちの保護という本来の目的からフェミニズム運動の支援へと次第に活動の内容をシフトさせた。

 そして、1970年の「第1回アースデイ」では「人口は汚染する」という新しいスローガンを掲げ、環境保護団体など一般市民の心までとらえ、決定的な飛躍を遂げた。

 優生学がこれほど様々な形で成功をおさめた背景に北欧の社会主義運動が貢献していた。

 スウェーデンなどで強制断種が行われていることが暴露されたが、社会民主主義の政治家でノルウェーの元首相で当時は野党労働党の党首だったグロ・ハルレム・ブルントラントが1983年、ペレス・デ・クエヤル国連事務総長の要請を受けてWCED(環境と開発に関する世界委員会)委員長に就任した。

 1987年に出版されたブルントラント委員会最終報告書「地球の未来を守るために」は「持続可能な開発」という概念を初めて成文化した画期的な内容となった。

 この概念は新マルサス主義の理論をギュッと詰め込んだ「新マルサス主義の申し子」。人口増加が開発の遅れと環境破壊の元凶であると明文化された。

 この最終報告書の提言の一つが「環境をテーマにした世界規模の会議の開催」だった。

 これを受けて1992年、リオデジャネイロで国際会議が開かれた。その後、5年間連続して開催された国連の国際会議の始まりだった。

▽1993年 人権をテーマにしたウィーン会議
▽1994年 人口と開発をテーマにしたカイロ会議
▽1995年 社会開発をテーマにしたコペンハーゲン会議
▽1995年 女性をテーマにした北京会議
▽1996年 ハビタット(居住環境)をテーマにしたイスタンブール会議
▽1996年 食糧問題をテーマにしたローマ会議

 である。

 これらの会議において承認された一連の「行動計画」は持続可能な開発など、いくつかのインパクトある理念に基づいて作られた、いわば「世界憲法のようなもの」の成立につながっていく。

 その「世界憲法のようなもの」は今や多くの国々の法律を根底から変えさせるほどの影響力を持ってきた。

 欧州憲法の前文からは「持続可能な開発」の概念が明確に読み取れる。

 これらの会議に共通する「開発と環境」というテーマへの取り組みはまさにブルントラント委員会の報告書が意図していたものだった。

 その影響力は大きかった。国連関連機関の実質的影響力はここ数年、増してきている。

 世界銀行やIMF(国際通貨基金)を含む国際機関の財力を前にしては国際機関からの資金援助に頼る多くの国が言うことを聞かざるを得ない。今では世界銀行はバース・コントロールの導入・実行を交換条件にして借款、支援を行っている、というのだ。

 1992年のリオ会議では採択に失敗したものの、2000年3月、「地球憲章」が制定された。動物、植物同様人間も一括りの生命共同体に属する、という考えに基づいた一種の汎神論が特徴だ。

 順風満帆に見えた環境保護運動が挫折したのは2000年11月の米大統領選挙で急進的環境活動家でもあった民主党のアル・ゴア副大統領が共和党のジョージ・W・ブッシュ氏に敗れたことだった。

 ブッシュ大統領はただちにクリントン前大統領が進めていた妊娠中絶合法化の方針を撤回し、世界中で強制的なバース・コントロール・プログラムを展開しているという批判のあったUNFPAやIPPFのような国際団体への助成金も停止した。

 京都議定書の批准も拒否された。ヒト・クローンまで禁止する新しい大統領の確固たる姿勢に優生学活動の連携に混乱が生じた。

 2002年のヨハネスブルグ地球サミット(リオ+10=環境についてのカイロ国際会議で承認された行動計画の10年後の評価をするという意味)でグリーン(自然保護)運動の議事予定が実質的に封じ込められ、2004年の「カイロ+10」となるはずだった国際会議の開催を取りやめた。

 人口過剰への対応は1798年に「人口論」を書いたマルサス以来のことだ。

 人口は2-4-8ー16と等比級数的に増加するが、食物生産は1-2-3-4と等差級数的に増加するので、人間を養っていくための食糧の量を人間の数が上回る時代はとっくに訪れている、という主張である。

 1968年に「人口爆弾」という本を出版したスタンフォード大学のポール・エーリック教授ら新マルサス主義者は人口爆発の神話を世界に広めた。

 抑制不可能な人口増加が起きているという考えは1960年代から一般的になった。

 しかし、筆者は「これは事実ではない」という。

 実際には抑制不可能な人口増加という意味の人口爆発など過去にも現在も起きていない、というのだ。

 西暦900年から2000年の間に世界の人口は16億人から60億人になったが、それは人口の拡大に過ぎない、と。

 地球で人間が利用していない広大な地域があり、環境問題を解決するのに大切なのはバース・コントロールではなく、発展の手助けをすることだ、という主張である。

 資源は人間の創造力と技術によって作り出される、と。

 1972年、ローマクラブが「開発の限界」というレポートを出した。

 人類にとって致命的な危険が四つある、として

①人口爆発

②食糧不足

③資源の枯渇

④エネルギー危機

 をあげ、100年以内に人類は開発の自然限界に達すると予測し、的確な政策をもって介入しなければある日突然破滅的な衰退が訪れるであろう、と主張したのだ。

 ここで主張された「持続可能な開発」概念は定義が曖昧で、実証されたものではないのに、この本は世界に翻訳され、ベストセラーになり、世界の国々の開発政策、人口政策に大きく影響した。

 クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)というもう一つの現代的概念も環境保護派に追い風となった。

 貧困層におけるバース・コントロール(消極的優生学)と先進国における人工授精やクローン(積極的優生学)は表裏一体、一つのメダルの表と裏だ、という。

 バチカン教皇庁は「持続可能な開発」という概念に対して一貫して警戒感をあらわにし、1994年には「先進国が自分たちの観点から他国に対して何が持続可能な開発なのかを決めるので、一種の新植民地主義だ」と厳しく批判する文書を発表している。

 もともと「持続可能な開発」という概念はイデオロギー的アプローチから生まれた概念である、と筆者は主張する。

 人口密度が高くなると開発が遅れるという主張は事実に反するのに、ブルントラント委員会が1989年の「人口と持続可能な開発に関するアムステルダム宣言」で使ったのを皮切りにその後の国連主催の国際会議において採択されたすべての宣言や行動計画のベースとなってしまった、というのだ。

 この概念は国際会議を重ねるごとに影響力を増し、ほかの概念まで表舞台に登場させることになる。

 「リプロダクティブ・ヘルスケア(妊産婦の健康管理)」「繁殖権」「予防原則」などだ。

 これらが「ユニバーサルな価値」とか「地球倫理」というより広範な概念を確立しようという流れの中で論じられている。この「地球倫理」確立のために世界の宗教界も協力を求められている。

 しかし、今後人類が進むべき道は、バース・コントロール、持続可能な開発ではなく、教育である、と筆者は主張する。

 ここに言う「教育」とは現実の世界へ歩みだすことができるように誘導すること、つまり、人々の精神が自由に向かって開かれていくように刺激することだ、という。

 予防原則についても筆者は厳しい批判を展開する。

 1980年代末、科学雑誌に載ったある記事がきっかけで、クロール浄水法ががんを誘発するのではないか、という疑惑が高まり、反対運動が起きた。

 WHO(世界保健機関)やIARC(国際がん研究機関)は「警戒を促すに足る証拠はない」と1991年にレポートしたのに、反対運動はおさまらず、この年、ペルー政府がクロール浄化を中止する決定をした。

 その結果、コレラが発生し、その後の5年間に100万人が発症し、1万人が亡くなった。

 電磁波の問題は今も進行中だ。

 最も有名なのがDDTの使用禁止だ。1870年に初めて合成され、70年後に殺虫効果があることが分かり、1944年、アメリカ陸軍がマラリア、チフスなど虫を介して伝染する病気の対策として使用が開始された。

 戦後は一般殺虫剤として農薬としても使われた。マラリアに対する効果は劇的だった。数年のうちにヨーロッパと北米でマラリアはほぼ全滅した。

 スリランカにおいては感染者が10年で300万人から7300人に減った。インドでは1951年から1961年の間に7500万人(内死亡者80万人)から5万人に減った。

 ところが1960年代になると、自然環境活動家、レーチェル・カーソンが出版した「沈黙の春」の影響が大きく、DDTを農薬として使用することによる環境への悪影響を懸念する声が猛然と上がるようになった。

 その後の科学的研究により、この主張には根拠がないことが分かったが、すでにDDTを犯人扱いするキャンペーンが世界的に展開されており、1972年にアメリカ環境庁はDDTの使用を禁止した。

 こうして人間の健康を守るために数百万のマラリアで死ぬ運命を余儀なくされた。

 スリランカでは1964年にDDTの使用が禁止されたが、5年もすると感染者は17人から50万人へと激増した。

 完全に消滅したと思われていた国々でもマラリアが復活し蔓延している。

 環境活動家は「温暖化のせいだ」と反論するが、「マラリアは熱帯性の病気だと誤解されているものの、そうではないから、環境活動家の主張は嘘だ」と著者はいう。

 遺伝子組み換えトウモロコシへの感情的反対を繰り返す環境保護活動家だが、遺伝子組み換えトウモロコシが水分の少ないアフリカで生育すれば、餓死は減るのだが、とも主張する。

 ここで著者は重要な事項について「一緒に考えよう」と問題提起する。

 新しい技術を現実生活に取り入れるべきか否か、といった場合の判断である。

 結論は「リスクと便益を天秤にかけて考えるべきだ」、ということだった。

 当然の主張だろうと思う。

 しかし、「現実はそうなっていない」というのが著者の見解だった。

 フランコ・バッタリャ教授は三つの優先原則を提案している。

①感情的な不安よりも科学的な分析を優先する

②政治的な合理性よりも科学的な合理性を優先する

③経済的利便性よりも環境保護を優先する

 ――である。

 これは現実に即した「予防原則」の再定義だろう、と著者は提案に同意する。

 そして、「そもそも二酸化炭素は果して気温に影響を与えるのか」という根本的な問いを出してくる。

 結論は科学的に証明されておらず、反論も多いということだった。

 だから「2008年から2012年の間に先進諸国が温室ガスを5%削減する」という京都議定書の科学的根拠はない、というのだ。

 著者は

「森林破壊は進んでいない」

「二酸化炭素のプラスの働き」

「種の消滅以上に新種発見が相次ぎ、地球上の種の数は増えている」

「増えすぎたホッキョクグマ」

「温暖化は種の繁栄を促進する」

「実際には起きていなかった絶滅(シーラカンスの場合)」

「遺伝子組み換え食品は危険ではない」

「バイオテクノロジーは世界の平和と発展に貢献できる」

「世界の大気はきれいになっている」

 などと環境活動家の「常識」を一つひとつ論破していく。

 また、ジェームズ・ラブロック氏が発案し、環境活動家が主張する「ガイア理論」がインチキだと説く。

 「エコ帝国主義」批判で面白いのは、著者2人がローマ法王庁の大学の教授であることとも関連しているが、欧米のキリスト教は人間中心主義であり、ガイア理論は人間も植物も動物も同一レベルだ、と主張していることだ(226ページ)。

 「ガイア理論は人間性の否定だ」というのだ。

 ここで、著者2人というか、バチカンのスタンスが明らかになる。そうなると、今までの衝撃的な事実暴露の意味合いも少しは疑ってかかりたくなる。

 「では人間とは何なのか? 精神病者、人工授精、借り腹、臓器移植、脳死、生死の問題をどう考えるのか」と問いかけたくなるのだ。

 なお、巻末におさめられた<グリーンピース、WWF、ワールドウォッチ研究所の資金源についてのリポート>は秀逸だった。

 新書版のわずか271ページの本だったが、内容は濃かった。読むのに3日間かかってしまったが、知的興奮を刺激される内容だったから、時間の無駄ではなかった。お薦めの一冊である。

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2008年7月31日 (木)

書評 井堀利宏「『歳出の無駄』の研究」

 「『小さな政府』の落とし穴」(日本経済新聞出版社)で今の日本には消費税10%が必要であることを理論的に説明した井堀利宏・東大大学院経済学研究科教授が新刊「『歳出の無駄』の研究」(日本経済新聞出版社)を出したので、早速読んでみた。 

 一般向けに書かれた本なので、分かりやすい。

 まず、なぜ政府の歳出に無駄が多いのか、という本質的な問題だ。最大の原因は予算制度だという。4月から翌年3月までの単年度で仕切るシステムだから、予算が余っても翌年度に繰り越せない。民間企業ならば<利益=収入-費用>だから、費用のうち無駄な費用を削減すれば利益が増える。そのセクションの業績もアップする。だが、政府は利益を目標としないから、この等式が成り立たない。

「歳出の無駄」の研究 「歳出の無駄」の研究

著者:井堀 利宏
販売元:日本経済新聞出版社
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 井堀氏は<自分の仕事=歳出額=公共の福祉>という等式が成り立っている、と説く。歳出額の削減は仕事の評価が低下するという負のイメージで受け止められるので、年度末には予算を使い切るのだ、という。また、年度途中で編成される補正予算は「何に使うか(経費の内訳)」よりも「どれだけ使うか(経費の量)」にだけ関心が集まり、無駄の温床となる、という。内容がいかに無駄であっても公的需要を追加すれば、それだけGDPに反映する。つまり、景気対策の目標である成長率アップに寄与する計算になるので、物量主義がはびこる。

「小さな政府」の落とし穴―痛みなき財政再建路線は危険だ 「小さな政府」の落とし穴―痛みなき財政再建路線は危険だ

著者:井堀 利宏
販売元:日本経済新聞出版社
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 また「ソフトな予算制約」つまり、使えば使った分だけ補填してもらえる、という夢のようなシステムがあり、これが無駄の温床になっている、という。国が巨額の交付税や補助金を地方にバラまく。陳情すれば金が入るので、節約するという考えがなくなり、いかに国の金を分捕ってくるか、の競争になり、地方財政にはコスト意識が欠如しがちになる、という。

 電力、ガスなどの公益企業や公的金融機関などの政府関係機関も地域独占で営業することが政府によって認められており、料金が公定。赤字になれば料金を上げることができるので、努力して利益を出すよりも独立採算が維持できる程度に収益をあげるだけでいい。大幅黒字になっても株主にすべて配当するわけにはいかないので、贅沢な本社ビルを建てたり、従業員の福利厚生施設を充実したり、という部分に金を使う。

 これは80年代まで護送船団方式というがんじがらめの規制で保護されていた金融業界も同じだった、という。その業界に存在すること自体で利益が保証された。利害関係者の既得権である。これも国民から見れば無駄金である。

 ということで、国民は「官」の無駄には厳しい目を向けるが、無駄の規模が分かりづらいので、ついつい「無駄さえなくせば消費税増税は不要」というような主張に頷きたくなる。

 しかし、井堀氏は無駄には2種類あるという。

 誰が見ても無駄と感じる「絶対的無駄」(環境破壊を伴う宍道湖や諫早湾の干拓などのような、それ自体が地域住民にマイナスをもたらすような公共事業や過剰な公務員の福利厚生施設など)と便益よりもコストが大きい「相対的な無駄」(青函トンネルや整備新幹線などの公共事業や医療における過剰な検査・薬漬け、裕福な高齢者への公的年金給付、豊かな地域や人への補助金など)の二つである。

 絶対的な無駄は国・地方合わせて4~6兆円規模と推定。そのうち3~4兆円は削減可能かもしれない、という。つまり、絶対的な無駄が50~60兆円ある、という主張への反論である。相対的な無駄(多少は有益であっても、無駄といえる歳出)は国・地方合わせて15兆円規模だろうと推定するが、多くの利害関係者がいるので、この無駄の削除は多くの痛みを伴い、容易ではない。これに拘っていると、必要最小限の増税が先送りされることになり、将来世代は大きく損をする、という。

 そこで、井堀氏は大きく構える議論を仕掛ける。そもそも選挙の区割りが実情を反映していないので、第三者機関で「1票の格差」ができるかぎり1に近づくような改正を行い、できれば、地域代表的な議員だけでなく、世代代表的な要素を取り入れて若い人(将来を担う人)の代表をある程度の数、国会に送り込むことが必要だ、というのだ。

 政治は妥協の産物だから、たとえば道路特別会計にしても廃止には猛烈な抵抗があり、社会保障制度も後期高齢者にだけ目が行けば、若年世代の主張は反映されないし、将来の世代にツケを回しても、文句が出ない。そこで、「ツケ回しはするな」と主張できる勢力を国会に確保しておこう、という考えだ。

 本書の結論はそういうことなのだが、それを導き出すためのデータでいろいろ勉強させられた。

 経済的に恵まれていない人、地域から恵まれている人、地域への逆方向の再配分は不公平だ、という至極当然の主張の中で、所得、金融資産、住環境、教育水準、通勤時間、安全性など多くの指標で比較すると、千葉、埼玉よりも北陸三県のほうが恵まれているのに、再配分は逆方向になっている、という。

 平均的高齢者と平均的勤労者を比較すると、所得、資産など多くの指標で高齢者のほうが恵まれているのに、公的年金や医療保険を通じて勤労者から高齢者に再配分が行われているのも逆方向だ、というのだ。

 たしかに「常識」と実態がこれだけ乖離していることもあるのだ、と改めて気付いた。

 さらに「現在の日本の公的年金制度は建前としては積み立て方式であり、政府は巨額の積立金を保有しているが、実質的には賦課方式であり、働いている世代がそのときの老年世代を支える仕組みである。賦課方式は政府のみが行えるネズミ講である」という分析は納得できた。

 景気対策の大義名分で公共事業の無駄がはびこる理由も分析。「80年代以降の公共事業のかなりの部分は、生産性の観点よりも別の次元で(「政治的な」バイアスをもって)配分されてきた。そうした公共事業が景気対策の中心として既得権益化していったことが、90年代のわが国経済低迷の原因でもあり、また、この時期に財政赤字が累積していった背景でもある」という。

 井堀氏も言うように、ねじれ国会が出現して、道路特別会計の奇怪な金の使われ方が明るみに出たのはいいことだった。ねじれなければ、永遠に問題視されなかったかもしれない。

 もう1点は教育費だ。経済学者の中には公共事業への投資を抑制し、教育投資を増やせ、と主張する向きが多いのだが、井堀氏は「少子化で子供の数が減少している中で、教員数を大幅に増加させることにどれだけのメリットがあるのかは、重要な論点」として、受験戦争が過熱して、大学に入ると勉強しなくなる日本の教育システムの欠陥をあげて、「受験勉強の弊害を解決するためには、生産性と相関する学歴以外の情報をより安いコストで見つけること」が必要という。「単なる文教予算の増加は、相対的な無駄を拡大させる可能性が高い」と。大学などの高度な研究にはもっと評価システムの充実が必要だ、とも説く。

 驚くのは公務員の給料だ。地方公務員の中でも現業職員の給与が民間と比べ60%高かったりする。清掃職員、学校給食職員、用務員、電話交換手、守衛などの職業である。年収500~700万円もらっている、という。民間ならば200~400万円らしい。

 ただし、国際比較すると日本の公務員は少ない、と。人口1000人当たりの公的部門職員数比較では日本33.1人、ドイツ55.8人、アメリカ78.1人、イギリス79.5人、フランス87.6人だ、と。主要国の一般政府の雇用者報酬(公務員の人件費にほぼ相当、対GDP比、2004年)でも日本6.4%、ドイツ7.6%、アメリカ10.2%、イギリス10.8%、フランス13.3%だという。

 日本は先進国の中では最も公務員人件費、総定員が少ない国なのである。

 そして、「霞が関埋蔵金」批判。上げ潮派がうるさく言っているが、そんなことはない、と一刀両断に切り捨てている。

 ここらへんが小泉改革で活躍した元財務相官僚の高橋氏との違いだ。どっちが正しいのか、分析する立ち位置の問題なのではないか、と思えるのだが。

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2008年7月30日 (水)

書評 「言霊」「医療崩壊はこうすれば防げる」

 医療問題は難しい。
 なぜなら、お医者さんの懐の話、病院経営というお金の話が片方にあって、もう一方には患者を診る医者、病院という地域医療システムの問題があり、これが複雑に入り組みながら、訳の分からない制度を形作っているからだ。
 日々のニュースを見てもピンとこないのは、この複雑なシステムを日々の新聞は説明せず、新しく起きた現象だけを書いているため、それが全体の中でどんな意味を持つのか、理解しにくいのが理由だろう。
 批判されている後期高齢者医療制度にしても、国家財政建て直しのためには仕方ない、と思っている人も多い。「いや、国家財政はそんなに悪くないのに、財務省のキャンペーンに乗せられているだけ」と批判する人もいる。一方には一昔前の社民主義者のように「福祉を提供できないような国家は国家の名に値しない」と言い切る人もいる。
 でも、こうした論者は格好のいい総論は堂々と言えても、実際の現場を知らないとあって、各論に話が及ぶと話が急に曖昧になる。

苦海浄土―わが水俣病 (講談社文庫) 苦海浄土―わが水俣病 (講談社文庫)

著者:石牟礼 道子
販売元:講談社
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 水俣病の鎮魂として「苦海浄土」を書いた昭和2年生まれの石牟礼道子氏と「生命の意味論」など著書も豊富な昭和9年生まれの世界的免疫学者、多田富雄氏が交わした06年~08年の往復書簡10通を収めた「言霊」(藤原書店)が出版された。

言魂 言魂

著者:石牟礼 道子,多田 富雄
販売元:藤原書店
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 がんと闘う多田氏は書簡の中で何度も後期高齢者医療制度を批判し、「診療報酬改定により、リハビリを受けられなくなった鶴見和子さんが、それが大きな原因となって亡くなった。厚生労働省に殺された」と小泉純一郎元首相以来の構造改革路線を批判した。
 鶴見和子さんまでが後期高齢者医療制度の犠牲になった、と聞き胸塞がる思いだったのだが、最大の驚きは、この鶴見さんを殺したシステムが国会を通った法律ではなく、診療報酬改定という厚生労働省、つまり行政府だけの意思決定によるものだ、ということを初めて知ったことだった。

 「診療報酬改定」というので、お医者さんの給料に関するお金の話とばかり思っていたのだが、実はこれが患者が受けられる治療内容に密接にかかわっている、という事実を知らなかったのだ。
 後期高齢者医療制度は法律で決められ、国会の議決が必要だが、診療報酬改定には国会という歯止めがない。
 どの省庁でもそうなのだろうが、本来は法律で決めるべき内容を政令、省令、規則で決め、役人の都合のいいように差配しているのが今の日本というシステムなのだろう。
 人はいかに生きるべきか、を学ぼうとして読んだ「言霊」で思いもかけず医療問題に開眼したので、医療関係の一般向けの本を何冊か読んでみた。
 やはり、厚生労働行政の矛盾ばかりが目についた。

医療崩壊はこうすれば防げる! (新書y 197) 医療崩壊はこうすれば防げる! (新書y 197)

販売元:洋泉社
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 入門書の中では、済生会栗橋病院副院長兼外科部長でNPO法人医療制度研究会の代表理事を務める本田宏さんが編集、ご自分も執筆している「医療崩壊はこうすれば防げる!」(洋泉社、7月22日初版発行)が日本の医療が直面している問題を全般的にまとめていて、一番理解しやすかった。

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2008年7月27日 (日)

書評「なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか」「金融vs.国家」「閉塞経済」

 サブプライム・ローンに関する本がいろいろ出てきて、読み比べると面白い。

■チャールズ・Rモリス著「なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか」(日本経済新聞出版社)

 チャールズ・Rモリス著「なぜ、アメリカ経済は崩壊に向かうのか」(日本経済新聞出版社)という刺激的なタイトルの本の原題は「1兆ドルの溶融」だ。

 IMFは米国の金融機関ローン、社債、今回のサブプライム金融危機の核心部分となった証券化市場などから発生しうる損失を合計すると9450億㌦にのぼる、という試算を公表している。

 モリス氏の穏当な試算でも1兆㌦を下回らない、として、これを題名にした。

 発売直後から全米ベストセラーになっただけあって、記述は具体的で、一読、青ざめる内容だ。

 面白いのは歴史家のアーサー・シュレジンジャー・シニアが指摘した「アメリカの政治がリベラル派と保守派が25~30年で交代するサイクルを描く」という説を紹介する。

 そして、今回のサブプライム金融危機が、この交代のタイミングに合っている、というのがモリス氏の主張だ。

 モリス氏は1999年に出版した著書「通貨、貪欲、リスク」で金融の世界のイノベーションが成功を収めるには、必ず暴落のサイクルを経て、限界とリスクを見極め、契約条件を厳しくし、規制の適切な役割を見つけ出さなければならない、と論じている。

 この本の面白いところは米国経済政策史としても傑出しているところだろう。

◆第1章「リベラリズムの死」

 1971年8月のニクソン大統領による減税、経済全体に及ぶ賃金と物価の統制、輸入課徴金の導入、ドルと金の交換停止というパッケージ政策で、インフレを心配することなく通貨供給量を増やすことができるようになり、米経済は再生する。

 OPEC各国は手元のドルが減価し、石油代金が目減りしたため、原油価格を引き上げる。この引き上げを行っても、金を基準にした場合、原油価格は維持できなかった、という。

 ゴリゴリの保守主義者であるニクソンが歴代大統領の中で最もリベラルな政策を取ったことも明らかにしている。

 そして、カーター大統領の無能ぶり。80年の大統領選挙でロナルド・レーガンが当選したことはケインズ型リベラリズムの終わりを示した、というところで第1章は終わっている。

◆第2章「ウォール街の新たな宗教」

 カーター時代の1979年に任命されたFRBのポール・ボルカー議長が断固たる決意と行動でインフレ退治に踏み切り、米国民がこの方針に従って我慢に我慢を重ねたのでインフレが終息した。

 レーガン時代の80年代にアメリカは乱暴なやり方ではあったが企業の大掃除をしたため、90年代に無駄が少なく生産性の高い経済に生まれ変わる土台が築かれた

 ビル・クリントン時代はゴールドマン・サックスのロバート・ルービンが国家経済会議担当大統領補佐官に就任。財政赤字を削減して金利を引き上げるという「ルービノミクス」を実施した。

 モリス氏はクリントン政権で3000億㌦を超す財政黒字を生んだ原因はルービノミクスではないという。

 ①ベビー・ブーマーが40、50代の働き盛りになって貯蓄が多くなった②アメリカの製造業で生産性ブームが起きた③この時期に花開いたパソコン、デジタル通信を活用できた④国防費が減少した――などが複合して効果を出したのが財政黒字の原因、と分析している。

◆第3章「バブルの国への道」

 1987年10月19日の株式市場の暴落(ブラック・マンデー)が新しいクオンツ商品「ポートフォリオ・インシュアランス」の暴走で引き起こされたこと、この内実は先物を使ったヘッジ戦略だったこと、を明らかにしている。

 1993年に設立されたロング・ターム・キャピタル・マネージメント(LTCM)はノーベル経済学賞学者らがパートナーとなった新金融商品で投資家たちを魅惑した。

 しかし、98年半ばのアジア金融危機に続き、ロシア政府の発行したユーロ債の価格が急落、LTCMが大量に買い付けた後、ロシア政府がデフォルト宣言し、LTCMが死んだ、という。

 LTCMのポジションは誰も予想できなかったほど巨額で1000億㌦を超え、資本はわずか10億㌦に減っていた。

 世界的な株価暴落を招くことを恐れたFRBは、商業銀行などの犠牲のうえでLTCMを救済した、というのが通説だ。

 しかし、本当はFRBは世界的な金融危機を恐れたのではなく、アメリカの金融の中枢ではごく小さなグループが何千億㌦もの資金を銀行から借り入れることができ、銀行も銀行規制当局も、そのグループがどれだけの金額を借りて何に使ったか全く知らなかった、という決定的なスキャンダルの表面化を恐れたためだろう、と書いている。

◆第4章「資金の壁」

 世界史上最大の不動産バブルを黙認したグリーンスパンFRB議長の責任に触れた。

◆第5章「ドルの津波」

◆第6章「大規模な清算」

◆第7章「勝者と敗者」

 この3章はサブプライムローン問題を中心に、原題の「1兆ドルの溶融」の説明だ。

◆第8章「均衡の回復」

 この最終章でモリス氏は金融を野放しにするのではなく、必要な規制をかけるべきだ、と主張する。

 「サブプライム金融危機と日本の今後」と題した解説で美和卓・野村證券シニアエコノミストが内容の要約をし、

 「サブプライム金融危機は、米国経済の決定的な凋落、さらには米ドル基軸通貨体制の終焉にまで繋がる危険性を孕んでいる」

 と、今では当たり前になった感想を書いていた。

金融vs.国家 (ちくま新書 724) 金融vs.国家 (ちくま新書 724)

著者:倉都 康行
販売元:筑摩書房
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■倉都康行著「金融vs.国家」(ちくま新書)

 同じ時期に出た倉都康行著「金融vs.国家」(ちくま新書)もほぼ同様の内容である。

 こちらは国際金融が大航海時代以来発展したことから説き起こし、金融市場が、もともとはキリスト教なり国家という権力、権威を後ろ盾に発展してきたことを強調する。

 そして、金融が軍事と並んで今でも国家権力の大きな戦略要素であることを説明する。

 そして、金融市場という枠組みでデファクト・スタンダードを握った国がいかに強いか、を説く。

 だから、大英帝国以来のイギリスのロンドンが国際金融市場たりえているので、今のままの東京では無理だ、という理屈である。

 アジア経済危機の際に日本が非公式に打診したAMF(アジア通貨基金)構想アジアの金融支配を邪魔されると邪推したアメリカの反対で公式に話題に上るまでもなく潰されたことは、国際金融の戦略的重要性を示したものだ、という。

 倉都氏は先進国が軒並み経済、金融の低迷にあえぐ今、日本が金融では比較優位に立っている、という。

 この機会を生かすには金融を国家プロジェクトとして捉え直し、官と民が共同で金融戦略の基礎研究を行う組織を作るなどして、アジア金融のインフラを設計するような「国際金融の胴元」へと踏み出せるかどうかが問われている、という。

 言いたいことは最後の文章だろう。

 <日本の『国際金融再チャレンジ』は英米と同じような金融センターをつくることではない。AMFの再挑戦を含め、50年後の世界の金融像を見据えてグランドデザインを描くことこそが、日本の理念と利益を同時達成する『金融の国益化』へとつながっていくのではないか。>

 倉都さんは東大経済学部卒業の専門家。欧米の金融業界を見て、物理、哲学、美術史などを大学や大学院で専攻して勉強してきた学生がそういう業界に入ってきているのに文化ショックを受けたそうだ。

 「日本も『専門バカ』ではない、幅広い人材が必要だ」という主張には全面的に賛成したい。

閉塞経済―金融資本主義のゆくえ (ちくま新書 (729)) 閉塞経済―金融資本主義のゆくえ (ちくま新書 (729))

著者:金子 勝
販売元:筑摩書房
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■金子勝著「閉塞経済ー金融資本主義のゆくえ」(ちくま新書)

 そして、同じちくま新書から「閉塞経済ー金融資本主義のゆくえ」を出した金子勝氏。テレビのコメンテーターとしておなじみの慶応大学教授である。

 金子氏は10年ごとのバブル崩壊を問題視しする。

 バブル崩壊は80年代の金融自由化後の出来事だということを注意喚起し、異端のケインジニアンといわれるハイマン・P・ミンスキーの「金融不安定性」理論を紹介して、なぜバブルが繰り返されるかを解明しようとする。

 新古典派経済学もケインズ主義経済学もバブルとその崩壊について合理的な説明ができなかった。

 ミンスキーはヘッジ金融→投機的金融→ポンツィ金融という「ミンスキー・サイクル」の中で必然的にバブルが生成・崩壊するというのだ。

 また、金融工学が発達し、金融革新が金融危機を作ってきた歴史を説得力を持って説明する。

 金子氏の本領発揮はその後に出てくる。

 日本のバブル崩壊過程の失敗についての記述である。

 日本のバブル崩壊後の処理での最大の失敗は銀行の経営責任、刑事責任を問わなかったことだ、というのだ。

 今回のサブプライム危機でFRBも禁断のノンバンク救済に手を染めてしまった。

 日本では1996年2月の住専への6850億円の公費投入に始まり、1999年3月には銀行経営者の責任を3年間棚上げして7.5兆円の公的資金を投入した。

 当時、アメリカの主張通りに金融機関を潰した挙句、アメリカに二束三文で買い叩かれた。

 今回のアメリカは日本に要求したのとは逆に、自国の金融機関がモラルハザードを起こそうとも潰さなかった、と怒りとともに書いている。

 そして、小泉純一郎、竹中平蔵、中川秀直、安倍晋三ら構造改革論者、上げ潮派のメチャクチャぶりを言葉を尽くして罵っている。

 インドの経済学者、アマルティア・センの「貧困と飢餓」(岩波書店)などを引いて、格差社会の克服策を考える。ここで一つのキーワードとなる「平等」という概念をじっくりと考える必要性を訴えている。

貧困の克服―アジア発展の鍵は何か (集英社新書) 貧困の克服―アジア発展の鍵は何か (集英社新書)

著者:アマルティア セン
販売元:集英社
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 岩波書店の本は見つからなかったが、集英社新書に上記のような本があるそうだ。

 3冊の内容紹介のようになってしまったが、つまり、言いたいことは3冊ともほぼ同じ問題意識で書かれており、「日本がいかにして対米追従から脱皮できるか、その際にどう進むかの針路がまだ分からないのが問題だ」と言っているように思った。

 3氏の言うとおりだろう、と思う。

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2008年7月25日 (金)

書評 鈴木邦男著「愛国の昭和」

 <日本で最もリベラルな男が衝く日本人の「愚」><「滅びの美学」で平和の歴史は打ち砕かれた!!>の帯につられて鈴木邦男著「愛国の昭和~戦争と死の七十年」(講談社2008年7月24日第1刷発行、定価1575円)を読んだ。理論右翼「一水会」創始者の新右翼の代表的存在、として知られるが、1943年生まれだから、もう65歳になるのか、と少し感慨を抱きながら読み始めたのだが、率直に言って瑞々しい若さが充満した本である。

愛国の昭和―戦争と死の七十年 愛国の昭和―戦争と死の七十年

著者:鈴木 邦男
販売元:講談社
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 母親が熱心な「生長の家」信者だったので、鈴木氏は「生長の家」の講習会、錬成会に行かされ、1960年頃、高校生だった鈴木氏は参加した錬成会で大逆事件の時に明治天皇が詠んだという「罪あらば我をとがめよ天つ神 民は我が身の生みし子なれば」を知る。しかし、この歌が実在しなかったかもしれない、と後で知る。

 早大政経時代、全共闘の学生と毎日、論争し、殴り合いをしながら、明治維新の志士を気取っていたが、職業右翼を軽蔑していた。卒業後、1970年に産経新聞記者となるが、1972年に一水会を創設、1973年に退社。プロ右翼となる。

 学生時代を含めて右翼生活40年、60冊以上の本を書いてきたが、この本は全く違う、という。今までは結論が分かっていたものを書いていた。プロパガンダだったが、この本は自分の疑問にどう答えるか、の苦悶の跡を記したものだからだ。

 今、鈴木氏は河合塾コスモと日本ジャーナリスト専門学校で週1回ずつ現代文、基礎教養ゼミ、時事問題を教えているそうだ。講師仲間、現代文の牧野剛先生、漢文の武内龍介先生によく教えてもらっている。こうした外部の人たちの協力がそのまま本の内容に生きているのが特徴で、理論ではなく、自分の心への回答であるから、読んでいて面白い。

 キーワードは「玉砕」「神風」「切腹」「自決」「散華」「英霊」。誰も批判できない存在=神になった<特攻>。今までアプリオリに尊敬、崇拝してきたこれらの概念、実態をタブーなしに腑分けする作業がこの本の内容になっている。一億人を死に導こうとした「呪文」の徹底解剖である。死を煽る「滅びの美学」の愚かさ、という表現が出てくる。安倍晋三前首相時代の復古ムードに代表される右寄り路線がまたまた愚かな「滅びの美学」を振りかざした戦争への道に繋がりかねない、という危機感がこの本を書かせたようだ。

 三島由紀夫の切腹の話、特攻隊の少年兵の中には悪い人もいたという話、日本はもともと戦争嫌いの国だったという話。荒削りだが、これまでの自分を否定しながら、新しい地平に向かっていく若々しい思想の闘争の記録として読めば、非常に面白い。

殉国と反逆―「特攻」の語りの戦後史 (越境する近代 3) 殉国と反逆―「特攻」の語りの戦後史 (越境する近代 3)

著者:福間 良明
販売元:青弓社
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 福間良明著「殉国と反逆~『特攻』の語りの戦後史」(青弓社、2007年7月27日第1刷、定価3570円)は戦後の「特攻」のイメージの変遷をめぐる「”殉国”のメディア史」。特に特攻隊遺稿集の出版、その映画化がどのような状況で、何を切り捨てながら行われたか、国民はそのどこに興味を持ったか、を1953年の「雲ながるる果てに」、1967年の「あゝ同期の桜」、1968年の「人間魚雷」、1974年の「あゝ決戦航空隊」などの作品を題材に分析したものである。学術的な論文らしいが、サブカルチャーの読み物を読んでいるようで、非常に面白い。

 佐藤卓己・京大准教授が2007年8月5日付読売新聞書評欄で書いているように、鶴田浩二という元特攻隊と勘違いされていた俳優が主演した映画に熱狂した戦無世代は鶴田が元整備兵だったと知っても何も問題にせず、鶴田=特攻隊のイメージを持ち続け、鶴田が出演した任侠路線の映画も見ていた。

 そして、全共闘世代は任侠の世界に憧れる。福間氏が注目する<任侠と特攻の接点>である。

 本文中で安田武が「”他人の死から深い感銘を受ける”というのは、生者の傲岸な退廃である」と言うのだが、佐藤氏は書評でそこに注目し、肝に銘じるように、というのだ。

 何か散漫な文章になってしまったが、戦後、右も左も一貫して特攻隊を話題にしてきた。それを鈴木氏が特攻隊に関するものはもう読みたくないし、書きたくない、と言っているのが注目される。表象文化論的なとらえ方をしてみても、特攻隊を取り上げた瞬間から批判できない部分が立ちはだかり、結果、特攻思想容認への道を歩みかねない、という危惧からだろうと想像する。福間氏や佐藤氏のメディア論が持つ危険性を鈴木氏は直感的に鋭く指摘しているのではないか。

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2008年7月23日 (水)

書評 芳澤勝弘著「白隠禅師の不思議な世界」

 ウェッジ選書、2008年7月22日第1刷発行。

 奥付の著者紹介によると、芳澤勝弘氏は花園大学国際禅学研究所副所長・教授。同志社大学経済学部卒業、財団法人禅文化研究所主幹。白隠禅画・墨蹟の調査を主なフィールドワークとしている。学術的知見に裏打ちされたわかりやすい絵解きには定評がある、とあった。

白隠禅師の不思議な世界 (ウェッジ選書 33 地球学シリーズ) 白隠禅師の不思議な世界 (ウェッジ選書 33 地球学シリーズ)

著者:芳澤 勝弘
販売元:ウェッジ
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 第1部「禅と禅画―白隠とその禅画をめぐって」は松井孝則氏が主宰する「フォーラム地球学の世紀」での芳澤勝弘氏の講演がもとになっている。第2部は「鼎談 現代に問いかける禅」で芳澤氏と松井孝則・東大大学院新領域創成科学研究科教授(地球惑星物理学専攻)と合原一幸・東大生産技術研究所教授(カオス工学、数理工学、生命情報システム論専攻)が禅と脳、心の関係を話し合っている。

 1685年生まれの白隠禅師は臨済宗中興の祖としてその世界では有名らしいが、一般には知られていない。

 室町時代以降、形式のみが重視され、停滞していた「禅」に生き生きした命を吹き込み、日本独自の「禅」を確立しただけでなく、今や世界の「ZEN」となっている宗教「禅」の基礎を作った人物だ、という。

 本の中に白隠禅師の描いた禅画がいくつか挿絵として入っているのだが、メビウスの環のような空間の「ねじれ」を利用して、三次元でしか表現できないはずのものを二次元の紙の上で表現したり、絵の中の掛け軸を七福神が見ており、読者も一緒に見ることで、共視感を持たせるとか、斬新でユーモア一杯の禅画を見ることができる。

 白隠禅師は全国行脚している間に、禅の心を説明するために禅画を描き続けたそうだ。このため、今でも白隠禅師の禅画は各地に保存されている、という。

 本書は禅画を題材に、「禅とは何か」を解説する、という趣向なのだが、難しい原理は分からなくとも、白隠禅師の想像力にあふれた世界を堪能することはできる。第2部の地球物理学者、脳科学者との鼎談も、理科系の人たちが見たら、相当に面白いのだろうが、私には禅を脳の働きの話に矮小化する企画ではないか、としか思えなかった。つまり、第2部は話がかみ合っていない感じがする。でも、第1部だけでも、抜群に面白い。

 禅については、昔、理解できないながらも、鈴木大拙の本を読んだことがある。その解説だけで、禅の歴史を理解したつもりでいたが、この本を読んで「なるほど」という部分が多かった。

 禅が身近になった感じがした。

 昔の日本人は一所懸命、人間くさく生きていたのだなあ、さすがにご先祖様、今の日本人と同じように悩み、笑い、怒っていたのだなあ、と分かった。西洋文化、西洋史だけ学校で学べばいいというものではない、とつくづく思った。

 昔の日本人は欧州の偉人といわれる人たちに匹敵することを考え出していたし、その考えを禅画として残していたのだ。

 禅についてもう少し勉強したくなった。

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2008年7月22日 (火)

書評「日本版サブプライム危機~住宅ローン破綻から始まる『過重債務』」

 石川和男・生駒雅・冨田清行著「日本版サブプライム危機~住宅ローン破綻から始まる『過重債務』」(ソフトバンク新書、2008年7月22日初版第1刷、定価730円+税)は題名の長い地味っぽい本だが、内容は良かった。

日本版サブプライム危機 住宅ローン破綻から始まる「過重債務」 (ソフトバンク新書 82) (ソフトバンク新書 82) 日本版サブプライム危機 住宅ローン破綻から始まる「過重債務」 (ソフトバンク新書 82) (ソフトバンク新書 82)

著者:石川 和男,生駒 雅,冨田 清行
販売元:ソフトバンククリエイティブ
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 通産省・経産省官僚からコンサルタントに転じた石川氏は「NPO法人女性自立の会」(有田宏美理事長)の顧問を務めており、多額の借金を抱えながら誰にも相談できず悩み苦しんでいる人々にカウンセリングを通して精神的支援をしているが、専門家の話で住宅ローンの返済に行き詰まったことがきっかけで多重債務に陥る人々が後を絶たない、と。せっかく買った家を手放したくないので、カードローンや闇金に手を出して、追い詰められるケースが多いというのだ。

 住宅ローンは批判できない別格官幣大社的扱いを受けているが、これだって借金なのだから、借りる人は十分注意して無理な返済プランは作らないように、また、万が一失敗してしまったら、返せない借金のために高利の別の借金をしてはいけない、銀行やNPOなどに相談しよう、という趣旨の啓蒙の書である。

 それはそれで住宅ローンの仕組みなどが分かって面白いのだが、最も役立ったのは住宅ローンの歴史詳述である。

 第2章「なぜ日本は住宅ローン天国だったのか」だ。戦後経済政策史の中で住宅政策がいかに便利に使われてきたか、特に住宅政策という当初の目的から、いつの間にか景気対策のための道具になってしまった、という分析である。これが面白い。

 戦後日本経済史は書く人の立場で微妙に違うのがいい。

 これは通産官僚や中小企業社長として見てきた同世代的戦後史にほかならないからだ。

 内容をなるべく詳しく紹介しておく。

 戦後の焼け跡闇市の時代、不足していた住宅戸数は400万戸を超えていた。政府は金融機関に長期・低利の住宅用貸付をさせようと考えたが、当時は産業金融分野への資金投入が優先されたため、難しく、政府は住宅資金専門の政府系金融機関設立を決めた。

 1950年に住宅金融公庫法が成立、住宅金融公庫(旧住宅公庫)が発足。当初の資本金は一般会計出資金50億円と米国対日援助見返資金86億円の計136億円だった。

 その後、資金の原資として1951年度から大蔵省資金運用部資金からの借入金があてられた。郵便貯金や公的年金積立金から預託された資金で、財投の根幹となるものだ。1955年度からは簡易保険積立金からの借入金が、1957年度からは外貨債の発行による収入などを原資とする産業投資特別会計出資金が追加された。

 ところが、旧住宅公庫設立当時は朝鮮戦争によって建築資材が高騰し、建築技術者や労働者も不足していたため、建てられる住宅の質は決して高いものではなかった。

 また、この時期、個人住宅の建設費に対する旧住宅公庫の貸付限度は75%という制約があり、25%(実質は約6割)の自己資金がなければ公庫資金は利用できなかった。いわゆる中流層向けの融資だった。

 大蔵省の資金運用部資金からの借入金の借入金利は6.5%だったが、個人には長期低利の貸出金利5.5%で貸し出したからいつも「逆鞘」が発生。当初は税金を投入して補填していた。

 景気後退の影響で1965年度補正予算で赤字国債を発行。金利収支差を補填するために財投資金からの利子補給方式が採られるようになった。

 この措置で当面の長期低利融資に必要な国費は圧縮できたが、1972年度以降、財投の金利自由化や金融引締めにより財投金利が上昇し(1980年に8.5%)、その分の逆鞘が広がったことや、景気対策により融資戸数が増加していったことから、その後の利子補給に必要な額が累積していくことになる。

 1981年に第二臨調発足。旧住宅公庫については第二次行革審で利子補給金の増加を是正するよう求められた。1981,1982年度から徐々に取り組み、1985年度からは貸付手数料を徴集することにした。その後の行財政改革、民営化の流れの中で2000年に「特殊法人等整理合理化計画」が閣議決定され、住宅ローンに参入したい民間金融機関に配慮するため、旧住宅公社について5年以内に直接融資を原則廃止する方向性が固まった。

 ところが、1980年代に入ると、日米貿易摩擦の激化から対外貿易不均衡是正のため、内需拡大への圧力が強まり、有力な手法として旧住宅公庫による融資が活用された。特に1985年に政府決定された「内需拡大のための対策」で特別割増貸付制度が創設された。融資額の増加を行うという1年間の時限立法だったが、その後、この制度住宅建設促進による景気対策の重要な手法となり、適用期限の延長、割増額引上げ、割増項目の追加などが行われた。

 このころになると、深刻な住宅不足という旧住宅公庫の発足当初の国内状況は一変していた。1988年度の住宅統計調査によると、全国の総住宅数は4201万戸で、総世帯数を420万戸上回り、1世帯当たり住宅数は1.11戸になった。

 1985年のプラザ合意以降、為替相場は円高基調となり、輸出の減少による不況(円高不況)が懸念されるようになると、政府は公定歩合を5%から段階的に2,5%に引き下げる強力な金融緩和政策を実施した。それが過剰流動性となり、不動産や株式の異常な高騰を呼び、いわゆるバブル景気が起きる。

 そして1989年からの金利上昇や旧大蔵省通達による土地関連融資への総量規制などが遠因となり、株価、地価とも急速に値下がりし、バブルが崩壊した。

 特別割増貸付制度を引っさげた旧住宅公庫はバブル崩壊後、景気対策の主要な担い手としての役割を演じる。経済波及効果の高い住宅建設を促すために、旧住宅公庫の割増額の引上げや融資条件の緩和が行われる。その一方では民間金融機関との協調や民間補完の観点から割増額の縮減なども実施された。

 これは、景気が悪化する一方で企業の資金調達が銀行借入(間接金融)から社債の発行等(直接金融)へシフトする動きが広がり、それまで企業を中心として融資を行ってきた民間金融機関が企業以外の新たな融資先として住宅ローンをターゲットにし始めたからだ。

 1994年の旧大蔵省通達により、住宅ローンの商品性と金利の自由化が進められ、民間金融機関による住宅ローンの貸出は大きく増加してきた。

 政府は1992年に「生活大国5ヵ年計画」を決定する。地下が依然として高水準であった東京など大都市圏においても勤労者世帯の平均年収の5倍程度の費用を目安として良質な住宅の取得が可能となることを目指すものだった。

 これを受けて旧住宅公庫は当初5年間の返済負担率を軽減するステップ償還制度を拡充した「ゆとり償還制度」を1993年度から開始した。その後、94年度、97年度、98年度など大型景気対策が繰り広げられながら、95年の「特殊法人の整理合理化について」、97年9月の「特殊法人等の整理合理化について」の二つの閣議決定で旧住宅公庫から民間への流れを加速させようとした。

 特にこの中の1997年実施の融資限度割合の撤廃は一定額以上の所得のある者に対して100%の融資を可能にする、つまり頭金なしという今では到底考えられない運用で2002年まで続けられたという。

 一方、民間住宅ローンは当初、全期間固定金利制だったが、昭和50年代に入って変動金利型住宅ローンが登場。短期預金を原資としていた民間金融機関は長期のローンを提供することにより金利変動リスクや流動性リスクをけいげんすることが可能となり、民間金融機関による住宅ローンは変動型が主流となった。

 貸付残高を見ても1965年度末で全国銀行・相互銀行合計で約460億円だったのが、1975年度末で7.4兆円、1981年度末は18.7兆円と急増している。

 民間金融機関の住宅ローンが低金利を追い風に安い金利で新しい商品を出すと、今まで住宅金融公庫から借りた人が借り換えを始めた。住宅公庫は資金運用部資金に早期返済できないため、その金利だけでも相当の負担となった。

 このように問題を抱えた旧住宅公庫は組織のあり方から議論されることとなり、2000年12月に閣議決定された「行政改革大綱」により特殊法人整理合理化を進めることが求められた。

 小泉政権時代から本格化した「官から民へ」の流れの中で、財投の入口の改革を象徴するのが郵政民営化であったとすれば、出口改革の本命が特殊法人k内閣だった。とりわけターゲットとして狙われたのが旧道路公団と旧住宅公庫だった。旧住宅公庫については2001年12月に閣議決定された「特殊法人等整理合理化計画」で組織を5年以内に廃止し、直接融資は原則的に廃止し、証券化支援事業を実施する独立行政法人を設置することが決まった。これを受けて2007年4月、住宅金融公庫は住宅支援機構に生まれ変わった。

 この証券化事業だが、米国のファニーメイ、フレディマック、ジニーメイをモデルにしたもの。住宅機構発足前の2003年から先行して業務を開始している。住宅機構が証券化支援事業として買い取る住宅ローン債権は「フラット35」という名称で知られている。

 住宅機構はこれまでに貸したローンの残高は引き継いだ。残高は45兆6801億円だが、このうち少なくない部分が不良債権化しているという。

 以上、住宅ローンの歴史の部分を書き抜いた。

 このほか、「実感なき好景気」についての解説も分かりやすかったし、経済統計をどのように理解するか、いい復習になった。

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2008年7月18日 (金)

書評 井上寿一「昭和史の逆説」など

 井上寿一「昭和史の逆説」(新潮新書)を読み、第4章「国民は<昭和デモクラシー>の発展に賭けた」に既視感があったので、書庫を探したら、坂野潤治「昭和史の決定的瞬間」(ちくま新書)に詳述してあった昭和11、12(1936、37)年のできごとをダイジェストで書いてることに気付いた。

昭和史の逆説 (新潮新書 (271)) 昭和史の逆説 (新潮新書 (271))

著者:井上 寿一
販売元:新潮社
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 井上の問題提起「私たちのこれまでの理解はつぎのとおりである。『満州事変と国際連盟脱退後の昭和前期日本は、何度となく訪れるテロとクーデターの危機、政党内閣の崩壊、軍部支配による民主主義の抑圧などによって戦争とファシズムの暗黒時代を迎えていた』。ところが、昭和11(1936)年2月20日の総選挙で前回5議席の無産政党は社会大衆党の18議席へと飛躍的拡大を遂げた。この年の2.26事件があったにもかかわらず、翌12(1937)年4月30日の総選挙では社会大衆党が37議席を獲得している。国民は、政党内閣崩壊後、1920年代のような2大政党制への復帰を望んでいなかった。民政党と社会大衆党とが中心となって社会民主主義的な改革を進め、それを政友会も支援するような、大連立の可能性に賭け金を置いたのである」がそれである。

 昭和6(1931)年9月18日の柳条湖の満鉄線路爆破事件で始まった満州事変、21日の朝鮮軍の満州への越境出動、24日の政府不拡大方針表明、10月17日の橋本欣五郎中佐ら軍部内閣樹立のクーデター計画である10月事件摘発。安達謙蔵内相の政友会・民政党協力内閣構想発表と辞職拒否による12月11日の民政党・若槻礼次郎内閣総辞職。政友会・犬養毅内閣成立。

 昭和7(1932)年になると2月9日に井上準之助前蔵相、3月5日に団琢磨・三井合名理事長をそれぞれ暗殺する血盟団事件。2月29日にリットン調査団が来日したのに、3月1日に満州国建国宣言。5月に入ると、海軍将校らが首相官邸を襲い、政友会の犬養毅首相を暗殺、政党内閣を崩壊に追い込んだ5.15事件を引き起こした。後継の斎藤実内閣は内田康哉外相が議会で「焦土外交」の決意を表明。10月1日に予定されたリットン調査団の日本政府への報告書通達を前にした9月15日に日本政府は日満議定書に調印し満州国を承認。国際的孤立を強めていた。

 昭和8(1933)年2月24日、国際連盟が撤退勧告案を42対1で可決。松岡洋右代表が退場する。3月27日には国際連盟脱退を通告。各紙は松岡帰国を英雄扱い。日本は国際連盟の枠組みを外れたが、米国も連盟に入っておらず、その後の日本は連盟外交ではなく、大国間のパワー外交を展開。5月31日には塘古停戦協定が成立し、長城以南に非武装地帯を設定、8月7日には日本軍が長城線に撤兵し満州事変は小康を得た。

 井上の描く第4章はここから始まっている。内田康哉に替わり斎藤内閣の外相に就任した広田弘毅が物語の主人公だ。

 斎藤内閣は帝人事件を引責、昭和8(1934)年7月3日に総辞職し、後継の岡田啓介内閣も広田外相を留任させる。10月1日に陸軍省が「国防の本義とその強化の提唱」と題したいわゆる「陸軍パンフレット」で広義国防を主張した。戦車などの充実という狭義国防ではなく、総力戦を戦うために必要な産業振興などを含めた国力アップを狙った陸軍統制派の主張だった。広田はソ連主敵論の皇道派を敵に回し、統制派と手を組んだ。統制派はソ連との戦争に備えるためには戦略的拠点・軍事資源供給地として満州国を確保するためならば対外関係の悪化も厭わなかった。蔵相の高橋是清が広田をバックアップした。

 政党の軍部批判がエスカレートし、政友会、民政党が急接近、満州事変時の協力内閣構想を超える2大政党の「大同団結」のムードが出てきた。

 ここで波乱の種を蒔いたのが菊池武夫貴族院議員だった。昭和10(1935)年2月18日の貴族院で美濃部達吉の天皇機関説を攻撃したのだ。坂野潤治氏によると、政友会が美濃部・天皇機関説を憎む理由は美濃部が以前は2大政党制のイデオローグとして、理論的支柱になっていたにもかかわらず、昭和8(1933)年から「議会に基礎を有する内閣といえば、今の議会においては言うまでもなく政友会内閣でなければならぬ。しかし政友会内閣が果して国難打開の重責に堪うるものとして国民の信頼を博しうるやといえば、それはきわめて疑わしい。・・・したがって、単純に立憲政治の常道に復するということだけでは、われわれは到底満足できない」(「議会政治の検討」)と政友会批判にとどまらず、議会に基礎を置く政党内閣制(立憲政治の常道)をも正面から批判。美濃部はかわりに議会を軽視した「円卓巨頭会議」構想を打ち出していた。各政党の首脳、軍部の首脳、実業界の代表、勤労階級の代表を集めて円卓会議を開き、国家の根本方針を決める、という構想である。戦前の日本では政府は国防と外交については議会に諮らなくてもいいことになっていたが、この構想はさらに「財政および経済」が議会の手から奪われることになり、議会制度そのものが否認されることになる。

昭和史の決定的瞬間 (ちくま新書) 昭和史の決定的瞬間 (ちくま新書)

著者:坂野 潤治
販売元:筑摩書房
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 坂野は「美濃部の天皇機関説がこのような職能代表制による議会否定の構想と結びついていた以上、政友会の「機関説排除、責任政治の確立」という新方針にも一理あり、一方的に美濃部が正しく、政友会が間違えていた、といばかりは言えない。美濃部達吉=天皇機関説=議会制民主主義の擁護者という戦後歴史学が信じてきた図式は、その当時の美濃部自身が否定していたのである」と書いている(16ページ)。

 そこで政友会は天皇機関説論争の政治的利用をもくろむ。

 というのは、300議席以上を確保したまま、野党的立場の政友会が政権にたどり着ける方法は一つだけしかなかったからだ。衆院解散、総選挙になれば、野党の政友会は議席を大きく減らすことは確実だったし、このまま岡田内閣が続けば任期満了総選挙になる。岡田内閣を総辞職に追い込み、政権をそのまま手に入れるには天皇機関説を利用するしかない。3月には国体明徴に関する決議案を可決。天皇機関説問題は広田ー林銑十郎陸相ラインを直撃した。8月12日、皇道派の相沢三郎中佐が永田軍務局長を惨殺するテロが起きる。

 機関説問題でも辞任しない岡田内閣に対し政友会は不信任決議案をぶつけた。

 岡田内閣は衆院を解散し、総選挙に臨む。

 昭和7(1932)年以来4年ぶりとなる昭和11(1936)年2月20日の総選挙の結果は民政党205(+78)、政友会171(-71)、社会大衆党18(+13)など無産政党22(+17)。

 井上は選挙結果の意味合いを次のように分析する。

 「昭和10年の政治に対する国民の判断は岡田の期待通りだった。政友会は機関説問題で難癖をつけて党利党略をむき出しの行動に出た。国民の答えは、総裁の落選、議席の半減だった。他方で国民は、岡田内閣の与党的な立場だった民政党に第1党の地位を与えるとともに、社会大衆党の躍進をもたらしている。国民は新しい政治の枠組みを求めていた。・・・国民が求めていたのは、民政党と社会大衆党とが提携して、社会民主主義的な改革を進める政党政治の枠組みである。国民は<昭和デモクラシー>の発展に賭けていた。」(112ページ)

 ところが、20日の投票日の6日後、2.26事件が発生する。青年将校の目的は統帥権を干犯する天皇機関説を打破することだった。反乱軍は<昭和デモクラシー>の側の政府要人を確実に排除していく。その先に皇道派トップを首班とする内閣の実現を予定していた。本格的クーデター計画だった。ところが、信頼する重臣を失った天皇の怒りは反乱軍鎮圧に乗り出す決意をもたらした。事件は4日目に解決する。反乱軍は国民が守ろうとしていた<昭和デモクラシー>を破壊しようとした。国民は反乱軍に冷淡だった。

 近衛文麿が後継就任を辞退したため、無傷の広田弘毅が暫定政権として首相に就任した。軍部の圧力が増していた。組閣名簿に横槍を入れてきた。国策要望もしてきた。広田は受け入れた。政党の枠を減らせという軍の要望は拒否した。

 議会勢力も昭和11年2月の総選挙で自信を回復していた。かつて幣原外交で鳴らした民政党がこの総選挙で大勝したことの意義は大きかった。陸軍の過大な軍拡要求に対して、戦争と侵略に反対する声が大政党の中でも強まってきた。2.26事件鎮圧後わずか3カ月で開かれた特別議会で民政党が陸軍に反撃した。5月7日、斎藤隆夫の粛軍演説。しかし、2月総選挙では「広義国防論」の社会大衆党も躍進し、議会では政友会、民政党の2大政党を「一部特権階級の利益だけを守り、国民大衆に背を向ける既成政党」と批判し、むしろ陸軍の国家改造への期待を鮮明にした。

評伝斎藤隆夫―孤高のパトリオット (岩波現代文庫 社会 154)

著者:松本 健一
販売元:岩波書店
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齋藤隆夫かく戦えり 齋藤隆夫かく戦えり

著者:草柳 大蔵
販売元:グラフ社
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 坂野氏の解説が面白い。この本が2004年2月10日に出版されていることを踏まえると、この社会大衆党の「改革路線」=「広義国防論」と小泉純一郎政権の「自衛隊イラク派遣」=構造改革の「ねじれ」は気になるが、次のような問題提起は重要だと思うのだ。

 「民政党の斎藤隆夫と社会大衆党の麻生久とに代表されるこの二つの立場は、『平和』と『改革』のどちらを重視するかという点で、今日のわれわれの悩みにも通じるものがある」

 「もちろん1936年と2004年とでは、『改革』の内容は正反対である。36年当時の『改革』は社会主義的であり、2004年現在のそれは『民営化』すなわち資本主義的である。しかし、『改革』に反対するいわゆる『抵抗勢力』が自衛隊のイラク派遣に反対している姿は、約70年前の斎藤隆夫が戦争に反対しながら社会改革に冷たかったのと類似している。反対に、構造改革の旗振り役の小泉首相が、自衛隊の派兵に一番積極的だったのは、社会大衆党の『広義国防論』を想起させる」

 68年前の対立図式と2004年の対立図式の最も大きな違いは、2004年は小泉首相が社会民主主義的な政治を崩壊させ、「民営化」という錦の御旗で財閥・大企業に最も都合のいい政治を展開させようとしているのに対し、68年前の社会大衆党は2大政党が切り捨てていた弱者を視野に入れた社会民主主義的政治を目指していたことだ。正反対であり、だからこそ、坂野氏も「改革の方向は反対だが」という留保条件を付けており、そのままパラレルに論じられる問題ではない。

 なおかつ、今の「構造改革派」対「社民主義派」の対立の図式は単純化が非常に難しい。政治学者にしても政治記者にしても政治家にしても、その分水嶺をうまく表現できていないように見えるだけに、坂野氏の仮説も一つ、検討してみるべき仮説なのだろう、と思うのだ。

 特に坂野氏にしても井上氏にしても、昭和11年2月20日の第19回総選挙で示された民意、昭和12年4月30日の総選挙で示された民意を重視する立場だ。これは戦後歴史学が見落としていた部分だ。満州事変以降の日本を「暗黒政治」と規定していた学説の間違いを指摘し、まだこの時代には日本が平和主義にUターンできる可能性を秘めていた、という事実を明らかにしたことの意味は大きいと思う。

 特に坂野氏が明らかにしているように、この時代の「改造」「中央公論」に相当激しい軍部批判が伏字なしで掲載されている。ということは、新聞がこの時代をどう報じていたか、が大きな問題として突きつけられている。新聞も同じように軍部批判をしていたのか? 編和を守ろうとしていたのか? それとも「広義国防論」だったのか? そして、2.26事件や青年将校、右翼のテロの原動力となっていた東北地方の農村の疲弊、娘の身売りなどに新聞はどのような対応をしていたのか? これは検証が必要だろう。

 歴史は広田弘毅内閣の昭和11(1936)年5月7日、2.26事件に怯えた政府が軍部大臣現役武官制復活を許したこと、昭和12(1937)年1月21日の衆議院で政友会の浜田国松議員が寺内寿一陸相と「腹切り」問答を繰り広げ、23日に広田内閣が閣内不一致で総辞職したこと、後継として朝鮮総督の宇垣一成に組閣の大命が降下したにもかかわらず、陸軍の反対で陸相を得られず断念、辞退したこと。

 宇垣は政友会、民政党両方の上に乗る形で協力内閣を目指していた。

 林銑十郎が組閣。予算案も増税案も両院を通過したにもかかわらず、衆議院の反省を求めるとして会期の最終日に衆院を解散(食い逃げ解散)。広義国防論を主張した社会大衆党は4月30日の第20回総選挙でも36議席に大躍進。国民の期待は民政党と社会大衆党による連立、社民主義政権であり、政友会・民政党の2大政党という古いリベラリズムではないことがますますはっきりした。

 坂野氏は「7月7日の日中戦争勃発から昭和20年8月の敗戦までの8年間と違って、その直前の2カ月強は社会民主主義の時代だった」と総括する。つまり、開戦前には4月の総選挙後も社会大衆党が地方選挙で躍進を続けていたのだ。

 当時は政治家、軍官僚、論壇人とも日中戦争に突入するという予感を誰も持っていなかった、と坂野は書く。驚くべきことだ。つまり、陸軍の中の二つの流れのうち、石原莞爾が牛耳る参謀本部は日中戦争を忌避しようとしていたのだが、東条の関東軍は中国への侵略を企んでおり、国内では参謀本部をウオッチしていたものの、関東軍の動きが死角に入っていた、という説明である。

 坂野氏の本はこの2年間の動きを詳述している。

 一方、井上氏の本はその後の動きを「第5章 戦争を支持したのは労働者、農民、女性だった」、「第6章 アメリカとの戦争は避けることができた」、「第7章 降伏は原爆投下やソ連参戦の前に決まっていた」で書いている。いずれも、戦後歴史学的「通説」批判が中心であり、面白い。

 また、稿を改めて紹介しよう。

日本憲政史 日本憲政史

著者:坂野 潤治
販売元:東京大学出版会
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2008年6月29日 (日)

書評 岡田斗司夫著「オタクはすでに死んでいる」

 岡田斗司夫著「オタクはすでに死んでいる」(新潮新書)を読んだ。2008年4月20日発行、定価714円。岡田氏は1958年大阪生まれ。85年、アニメ・ゲーム制作会社ガイナックスを設立、92年退社。大阪芸術大学客員教授。著書に「オタク学入門」「いつまでもデブと思うなよ」「『世界征服』は可能か?」など、とあったが、本文の最後に「付録」としてこれまで書いた本のダイジェストが掲載されていたので、書いておく。

オタクはすでに死んでいる (新潮新書 258) オタクはすでに死んでいる (新潮新書 258)

著者:岡田斗司夫
販売元:新潮社
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 「ぼくたちの洗脳社会」(1995年)朝日文庫(1998年、収録)=「自分の気持ち至上主義」など、以後の岡田の著作はすべてこの理論がベース。

 「オタク学入門」(1996年)新潮文庫(2008年、収録)=「オタク」の発生や起源、それが現代社会に持つ意味などを解説。

 「フロン」(2001年)幻冬社文庫(2007年、収録)=「ぼくたちの洗脳社会」で予言された高度情報流通社会(いわゆるネット社会)が進むにしたがい、家族や恋愛の意味が変容する。すでに結婚制度や家族制度は破綻し、不良債権化している、という警告の書。

 「プチクリ」(2005年、幻冬舎)=「ぼくたちの洗脳社会」で予言されたネット社会がついに到来した。その中で個人はいかに生きるべきなのかを語る。

 「『世界征服』は可能か?」(2007年、ちくまプリマー新書)=なぜあらゆる政治批判や社会論は空回りするのか?「世界征服」という視点から政治や経営、人間関係までひとつの話題で結んだ挑戦作。

 「いつまでもデブと思うなよ」(2007年、新潮新書)=これまでの「社会はこのように変化する」を受けて、「では個人はどのように生きるのが経済的に得か」に焦点を絞って解説。ダイエットツールとしても使えるし、自己管理法としても役立つ本。

 以上が岡田氏個人が書いた自分の本の宣伝である。名前だけは知っているが、読んだことはなかった。

 秋葉原殺人事件があっただけに、「オタク」論は一度は読んでみたかったので手に取ったのだが、読んで「良かった」とか「そうなんだ」とかの感激はなかった。ただ、日本人が水着姿の少女を表紙にした雑誌を人前で恥ずかしげもなく見たり、持っていることは外国人にとっては信じられないことで、児童ポルノ愛好者と紙一重だ、と見られる、という指摘は「そんなもんか」と思ったが。

 また、少年マガジンや少年サンデーなど少年向け週刊誌の表紙がマンガやスポーツ選手ではなく、アイドルや歌手の少女になったのが1980年のことだった、との指摘も「へー」だった。

 1980年という年、もう少し広げれば80年代という時代はやっぱり何かおかしな時代だったのかもしれない。サブカルチャーの歴史の中ではいろいろともっともらしい説明がされているのだろうが……。

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2008年6月28日 (土)

書評「低炭素化時代の日本の選択~環境経済政策と企業経営」一方井誠治著(岩波書店)

 2008年6月27日第1刷発行、定価2520円。

低炭素化時代の日本の選択―環境経済政策と企業経営 低炭素化時代の日本の選択―環境経済政策と企業経営

著者:一方井 誠治
販売元:岩波書店
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 一方井誠治氏は1974年東大経済学部卒業後、環境庁(現環境省)入庁。環境庁地球環境部企画課長、環境省大臣官房政策評価広報課長、財務省神戸税関長などを経て、現在、京都大学経済研究所先端政策分析研究センター教授。

 以前「環境活動家のウソ八百」(洋泉社)を読んで、すっかり環境保護活動に不信感を抱いてしまったのだが、そうも言っていられないか、と思い直してオーソドックスな環境の本を読んだ。キャリア官僚から大学教授というコースを歩んだ人にありがちな頭でっかちな議論だ、というのが読後の第一印象。

 ただ、一生懸命書いているのはよく分かるし、書いてあることはさすがに日本の環境行政を担ってきた人の手になるだけあって、整合性は取れている。

 著者はあとがきで、

 <企業でも個人でもそれなりに環境保全意識が高まってはいる一方で、なぜ、地球温暖化の進行が止まらないのであろうか。それは、やはり世界の社会経済システムが、現実の変化に、もはや十分に対応できなくなっているからに他ならない。その中でも、日本の社会経済システムは、EUなどと比べるとさらに対応が遅れているのが現状である。>

 <日本は…今後、柔軟な発想に基づく多くの革新的技術や新たなビジネスモデルの開発、ライフスタイルの創造が不可欠である。それは、現在の社会経済システムの的確な改編があってはじめて可能となるものである。そしてそれは経済の面から見ても日本が世界で生き残るためのほぼ唯一の道であり、理想論と現実論にともに対処しうる日本の進むべき道であると考える。>

 と書いている、これが結論だろう。

 ここに至る思考として、なぜEUは気候変動政策など環境政策が選挙の大きな争点となり、日本はならないのか? という疑問がある。例えばドイツをはじめとするEU各国で導入されている環境税(炭素税)の税収の多くの部分が企業の社会保障費負担への補助金として使われているので、企業にとって国内の排ガス削減対策を行うインセンティブがあるのに、日本は気候変動が「単品」で、そのようなインセンティブがないので、誰も本気では動かないためだ、と分析する。

 面白かったのがイースター文明の話だった。この世界では有名な話なのかもしれないが、私は初めて知った。

 この部分を写しておく。

 面積120平方㌔㍍、日本の小豆島より一回り小さい島で、南米西岸から3200㌔㍍、人間の住む最も近い島からでも2000㌔㍍離れた南太平洋の絶海の孤島。この島に5世紀ごろ、持ち込んだ鶏とサツマイモを食糧として人が住み着いた、と推測される。もともと火山島であるこの島ではサツマイモの栽培は比較的手がかからなかったことから、人々は島を覆っていた森林を伐採、利用しながら独特の巨石文明を築き上げたといわれる。しかし、人口がピークに達した16世紀の半ば頃までには島の森林はほとんど切り尽くされ、大きな船をつくることができなくなり、人々はこの島から出られなくなる。森林の枯渇は魚網などの道具の製作も困難にし、森林伐採による土壌の劣化なども加わって、食糧不足に陥り、ピーク時7000人といわれる人口を支えきれなくなったと推測されている。枯渇する資源をめぐり島内は恒常的な戦乱状態となり、たんぱく質の不足から食人も始まったとされる。島民自身もそれらの食糧不足の原因をおそらくは認識していたものと思われるが、結局、彼らは環境と自らの営みとの間の適切な均衡を維持できるような社会システムを作れないまま、300以上の未完成の石像を残して、その文明は崩壊した。18世紀のはじめに、西洋人が初めてこの島を訪れたとき、残された数百人の人々は洞窟や草葺の小屋で原始的な生活を送るような状態になっていたという。

 著者は森林の再生を維持できなかった森林の過剰利用による土壌劣化とそれによる食糧不足の事態と、現代の気候変動問題が引き起こすであろう事態の相似性に着目して、この話を持ってきているのだが、そういう難しい話はともかく、歴史として面白い、と思う。

 著者は京都議定書で決められた削減目標はまだ序の口で、今後もっと厳しい削減目標が押し付けられるのだから、日本は小手先ではなく、大きな政策転換で今の高度成長時代の生産―消費体系を大胆に変えよ、と提言するのだ。

 まさにおっしゃるとおり、だろうが、どのように着手するか、こういう問題こそ手順が大事なのではないか。

 今の政府の企業に関しては経団連任せ、国民レベルは国民運動、という発想で何もできないのは当たり前だが、欧州のようなクロスオーバーする税金などを入れる可能性があるのかどうか。

 少なくとも、族議員がいて、政官業のトライアングルがある限り無理だろう。

 大胆な発想を実行するには酒袋を変えるしかない。結局は政権交代だ、という話にならざるを得ないと思うのだ。

 だから、今のうちに民主党の面々に何をすべきか、官僚的な発想ではない、大胆な転換の勧めをすべきだと思う。そのご注進をするのが誰なのか、が問題ではあるけれども。

 書評に戻ると、京都議定書前後の事情やその後の世界の動きなどがコンパクトにまとめてあって、読みやすかった。しかし、やっぱり「エリート官僚の作文」臭が漂っているのは仕方ないか。

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2008年6月22日 (日)

書評 寺出道雄著「知の前衛たち~近代日本におけるマルクス主義の衝撃」

 ミネルヴァ書房、2008年6月30日初版第1刷発行、定価2520円。

 寺出道雄氏は1950年東京生まれ。74年慶応大学経済学部卒業、現在慶応大学経済学部教授。主要著作は著書が「資本蓄積論―歴史の中の経済」「資本主義分析の経済学」「山田盛太郎―マルクス主義者の知られざる世界」訳書が「中国の地方都市における信仰の実態―宣化市の宗教建造物全調査」。この本は<MINERVA歴史・文化ライブラリー>シリーズの第12巻。

 寺出氏の本を読んだのは初めてだったが、日本経済評論社「評伝 日本の経済思想」シリーズに「下村治」とか「大久保利通」とか結構面白い本がそろっていて、読んだことがあり、そのシリーズで寺出氏が山田盛太郎の評伝を書いていたことは知っていた。今回は、題名が気になったので本を手に取って、

「はしがき」の

 <マルクス主義は、日本人に、単に「思想」として受容されたのではない。それは、思想の根底にある「感情」――あるいは「心性」といってもよい――としても受容されたのである。とするならば、日本におけるマルクス主義とは、その近現代の思想の歴史のなかで、何よりも、人が思想と同時に感情を表出する装置であった文学――あるいは芸術一般――の流れのなかに位置づけられるべきなのではないのか。そして、そのことは、一見すると、抽象的な概念の論理的な操作によって、感情をではなく、純粋に思想を表出しようとしたかに見える、哲学者や社会科学者の仕事の多くについて考えるときにも、思いだされるべき視点なのではないか。>

 という部分を見て、面白いのではないか、と思った。

 本文をパラパラ拾い読みをすると、数式の入ったマルクス経済学の教科書みたいな部分もあり、チンプンカンプンな解説も入っていたのだが、一方で小林秀雄と中村光夫はマルクス主義文学論のどこが違うのか、とか、転向文学論など、経済学者の論文とは思えない内容が多かったので、「数式が分からなくても読めるかな」と恐るおそる読み始めたのだった。

 なお、ミネルヴァ書房のパブリシティでは、<鮮やかに解読された知のドラマ~知識青年の精神を鷲掴みにした思想の衝撃を、文学から社会科学まで鋭く柔らかく描く昭和精神史>という見出しに、

 <1920年代半ばから1930年代半ばにかけて、日本の知識青年の精神を鷲掴みにしたマルクス主義文学運動や日本資本主義論争に示される、文学・哲学から社会科学にわたるその衝撃の実相を、神原泰、高見順、蔵原惟人、三木清、山田盛太郎、柴田敬、小林秀雄、中村光夫などの思想的営為に即して明らかにする。鋭く柔らかくそして鮮やかに解読された昭和戦前期知のドラマ>という本文がついていたが、以下書いておくのは、ほとんどがこの中の小林秀雄と中村光夫の部分である。

知の前衛たち―近代日本におけるマルクス主義の衝撃 (MINERVA歴史・文化ライブラリー 12)

著者:寺出 道雄
販売元:ミネルヴァ書房
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 第一印象は狂っていなかった。理屈っぽいのは承知の上だったが、大正デモクラシー世代、その後の世代、そして戦後の焼け跡闇市を担った世代、などの思想・文学者レベルでの「世代論」が秀逸だった。

①「マルクス主義・モダニズム世代」の知識人

 19世紀の最後の年である1900(明治33)年と、その前後の数年の間に生まれた知識人たち。物心ついた時、日露戦争は終わっており、日本はひとまずの「一等国」になっていた。10代末から20代初頭に、本格的に思想形成を行おうとした時、第1次大戦は終わっており、世界は狭義の20世紀に突入。日本は戦後国際体制のもとで「一等国」としての地位をより確かなものとしていた。日本の「文明開化」の成果を最も円満に享受しえた世代だった彼らはマルクス主義かモダニズムによって日本の「文明開化の最後の段階」を狙った。「一等国」国民として欧米の新思潮を同時代的に直輸入することが可能とされたもとで、彼らの思想は「日本性」ないし「国粋性」とたいひされるものとしての「欧米性」ないし「国際性」を強く帯びていった。

 小林秀雄(1902~1983年)はフランス文学によって自己の思想形成を行ったものの、また、マルクスの熱心な読者ではあったものの、マルクス主義とモダニズムの双方に対する強固な批判者となっていった。「マルクス主義・モダニズム世代」の異端だった。1935年には「私小説論」発表。

②「遅れてきた青年の世代」の知識人

 明治の最後の年であり、大正の最初の年である1912(明治45・大正元)年と、その前後の数年の間に生まれた知識人たち。10代末~20代初頭に本格的に思想形成しようとした時、マルクス主義とモダニズムの双方はその影響力の頂点を迎えていた。彼らの世代のうちの知的に早熟な人々は、マルクス主義やモダニズムの影響を強く受けた。

 中村光夫(1911~1988年)はこの世代の1人。中村はフランス文学を学ぶ一方、マルクス主義者だった。しかし、かれはマルクス主義の影響を与えた世代の人ではなく、「マルクス主義・モダニズム世代」の人々によってマルクス主義の影響を与えられた世代の人。マルクス主義者としての思想はありきたりだったが、1933~34年にマルクス主義から離脱後の思考はマルクス主義受容世代の世代的特徴を示していた。それは日本におけるマルクス主義の歴史的な焼くありに関するアイロニックな視線が存在することだった。「日本の自然主義文学はブルジョア・プチブル文学ではなく、封建的な私小説と断じ、プロレタリア文学をいわば偽装したブルジョア文学と断じた。

 中野重治(1902年生まれ)はこの中村の論理や、これに類似した小林秀雄の論理に反駁したが、中野は小林が「私小説論」の中で転向文学の可能性に期待した、その転向文学者。転向文学は、良心の痛みを伴いながら、マルクス主義文学運動という小社会から切り離され、むき出しの個人とされた作家たちが、むき出しの個人から自らを何らかの共同性(革命運動の伝統=中野重治、市井の人々=武田麟太郎、日本の文学伝統=亀井勝一郎)に繋がらせようと動き出す。

 順序は逆になったが、寺出氏はマルクス主義とモダニズムが一見、対立しているように見えるものの、共通の時代的根っこを持っており、「マルクス主義・モダニズム世代」とくくれるのだ、と言う。

 なるほど、そうかっ、と思う。吉行淳之介の父、エイスケはモダニストでダダイスト、つまり新しもの好きな人だったのだが、これも明治時代の日本的自然主義否定という意味ではマルクス主義と同じではあるのだなあ、と。

 寺出氏は1898(明治31)年仙台市生まれで中央大学商科・東京外国語学校選科を経て、石油会社(日本石油・帝国石油)に勤務する一方、詩や絵を制作し、日本の前衛詩や前衛絵画運動の魁のひとりとなった神原泰氏をまず取り上げる。第二次世界大戦前の日本の未来主義研究の代表作「未来派研究」(イデア書院、1925年)などで有名な神原は今では半ば忘れられたマイナー・ポエトだが、村山知義とともいn第二次世界大戦前の日本におけるアヴァンギャルド芸術運動と左翼芸術運動の密接な関連を解き明かすためのキーパーソンの一人だ、という。

 大学は大正中期までは文字通り社会のエリート養成機関だったが、第一次世界大戦中の日本経済の発展の波を受けて1918(大正7)年、大学・専門学校。高等学校の増設が決定され、大正7年に5大学、学生9000人だったのが、昭和5年には46大学、69万6000人に急増している。大学はエリート養成機関であるとともいん、私的企業や官僚機構の組織の複雑化に伴って増大する新中間層(「サラリーマン」という和製英語が作られた)の養成機関としての性格を強めた。学生数増大で高学歴者は新たな一つの社会層、すなわち新中間層の中核をなすものとしての性格を持つことになった。高等教育機関印在籍する学生自身も一つの社会層をなすようになり、東大の新人会、早稲田の建設者同盟、野球の早慶戦の社会行事化まで、大学生がエリート性とともいnマス性を併せ持った一つの中間的な社会層として形成されていったことの象徴的な表現だった。

 高学歴者の増大は彼らの多くから純粋なエリート性を喪失させていった。そのことは、第一次世界大戦後の日本を次々襲った経済恐慌――1920(大正9)年の戦後恐慌▽1927(昭和2)年の金融恐慌▽1930(昭和5)年の昭和恐慌――のたびに高学歴者への労働需要が減少し、彼らが安定的な職業生活を脅かされることによって、明白なものになった。1930(昭和5)年の大学生の就職率は卒業後の5月時点で約39%。文字通り「大学は出たけれど」であり「背広を着た失業者」「の群れが生まれた。

 一方、1920年代の前半から30年代前半の時期は東京の「モダン都市」への変貌の時代だった。1923(大正12)年の関東大震災は東京に見られた江戸の名残を一掃した。その大震災からの復興は、都心の高層化と周辺の郊外化をもたらした。1925(大正14)年ころから、丸の内の高層化が進行。カジノ・フォーリー開業は1929(昭和4)年。ムーラン・ルージュの開業は1931(昭和6)年。1925(大正14)年にはラジオ放送が始まり、1929(昭和4)年には地下鉄が開業した。同じ29年にはトーキー初公開。円タクの一般化とあわせ、街頭や家庭の中に、普通の人々の目に見える形で「機械」が進出していった。

 当時の言い方いにょると、アーバニズム(都会主義)=現代都市への親和性▽メカニズム(機械主義)=機械および機械に擬制される事物そのものと、その運動への美への親和性。モダニズム文学=最初は新感覚派、続いて新興芸術派。

 横光利一はプロレタリア文学とモダニズム文学の双方は関東大震災の子だった。

 ……など、後は昭和の文化史が続く。建築の歴史など、面白いのだが、書くのが面倒だからやめる。蔵原惟人の美の理論、三木清のアントロポロギー(人間学)とイデオロギーの理論など、いろいろと文学、哲学、経済学の話があっちに行ってはこっといn戻る形式で続く。文学書を経済的いn読むという経験もなかったし、小林の「私小説論」をマルクス主義批判としての論理で読み込むとか、考えてもいなかったことをやっているので、知的興奮が引き起こされる。

 結局何が言いたかったんだろう? 最初に書いてあったように、「戦後のマルクス主義と比べ物にならないくらいの力があった戦前のマルクス主義全盛期は、実はモダニズム運動と同居していた」ということなのか? その辺、よく分からないのだが、小林秀雄「私小説論」の解剖など、いかにも知的なメスの入れ方、手捌きを見せてもらっただけでも、面白かった。

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2008年6月11日 (水)

書評 マイク・モラスキー著「その言葉、異議あり!」

 マイク・モラスキー著「その言葉、異議あり!~笑える日米文化批評集」(中公新書ラクレ)を読んだ。2007年11月10日発行、定価760円+税を最近、神保町で100円で購入。ちょっと見ただけで衝動買いをしてしまった。面白くなければ捨てようと思って。だから、家の書庫に放りっぱなしで、読み始めるのが遅かった。大して期待していなかったからだ。仕事が一段落したので、読み始めたら、何と面白くて止まらなくなってしまった。

 何が面白いか、と言って著者の博識と日本への愛情、日米文化比較の冷静な眼差しである。まず著者紹介をカバー裏から写しておく。

その言葉、異議あり!―笑える日米文化批評集 (中公新書ラクレ 260) その言葉、異議あり!―笑える日米文化批評集 (中公新書ラクレ 260)

著者:マイク・モラスキー
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 <マイク・モラスキー氏は1956年米国セントルイス市生まれ。70年代から延べ十数年にわたって日本に滞在。シカゴ大学大学院東アジア言語文明学科博士課程修了(日本文学で博士号)。現在、ミネソタ大学アジア言語文学科准教授。また、2007年9月から1年間、国際日本文化センター(京都)に招聘研究員として在籍し、「日本のジャズ喫茶文化」の研究に専念。「戦後日本のジャズ文化~映画・文学・アングラ」(青土社)で2006年度サントリー学芸賞(社会・風俗部門)を受賞。他の著書に「占領の記憶~戦後沖縄・日本とアメリカ」(鈴木直子訳、青土社)など。ジャズ・ピアニストとして日本のライブハウスに出演することもあり、2006年に初のCD(『Mike Molasky Trio-Live Back at Aketa!』)をアケタズ・ディスクより発売。趣味は路地裏の居酒屋探索のほかに将棋(居飛車党)、尺八(琴古流)、太極拳(陣式)。>

 変わった人であることは確かだが、言葉遊びだけでなく、小話などでピリッとわさびの効いた文明批評を展開している。

 貧しい白人への差別的な言葉「ホワイト・トラッシュ」が戦時中の「ナチ」と同様に、貧しい白人すべてを対象にした言葉ではないが、「ジャップ」はすべての日本人を対象にした言葉だった、という事実からアメリカをはじめとした白人社会の人種差別を透視する。

 あのジョン・ダワーの「容赦なき戦争ー太平洋戦争における人種差別」(平凡社ライブラリー、2001年)がこのような問題意識で第二次世界大戦中のアメリカの言説を分析した著作であることを初めて知った。

 差別用語を禁止すべきかどうか、という論争へのモラスキー氏の答えも面白い。

 「『差別用語』だからといってある表現を禁止する行為自体は怠け者のやり方だ。その単語に付着しているイデオロギーや、それが含む偏見的発想などをなるべく印象に残るような形で明るみに出せば、少なくとも良識ある人ならばもう少し自覚して使うようになることを期待できる」

 白人の肉体労働者を指す「レッドネック」(赤首)に関するジョークも面白い。日本ならば誰も怒らないジョークで殺人事件に発展することだってあり、逆に欧米の人々が当たり前だ、と思っていることが日本人にとって、ものすごい恥ずかしいことだってある。

 ニューヨーク市郊外で育ったユダヤ系アメリカ人レニー・ブルース(1925~66)とセントルイス出身のアフリカ系アメリカ人ディック・グレゴリー(1931~)のラディカル・コメディも社会風刺(social satire)や文化批評として受け取ったほうがいいジョークも少なくない、という。この2人の知的ジョークがたくさん紹介されており、参考になる。

 また、「日本はユニークだ」「日本語は難しすぎる」「日本は島国だから…」「農耕民族だから」「日本人は単一民族だ」という日本人の独善的思い込みが外国人から見るといかに変であるか、を徹底的に語る。

 今までモラスキー氏を知らなかったことを恥じ入る次第。こういう知的な親日派が増えることを望むばかりだ。

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2008年6月 9日 (月)

書評 加藤秀俊著「取材学」

 加藤秀俊著「取材学」(中公新書)を読んだ。1975年10月25日初版で93年3月10日発行の25版を最近、神保町の古書店で100円で買ったが、それを一日がかりで読了した。定価は680円+税。
 インターネット全盛前の本だ。学者、学生、研究者、ジャーナリストがしなければならない資料集めの適切な方法、など実際に役立つノウハウの集積という感じの本だ。「百科事典の索引を利用しない(できない)研究者は半人前だ」というような書き方。索引の大切さを説くのは加藤氏だけではないが、「なるほど」と思う部分が多い。
 面白かったのは、インタビュー取材でテープレコーダーを使うケースの心得だ。相手に断ってから使うべきで、「この部分はオフレコだよ」と言われたら、テープを止めてメモもしないのが作法だ、という主張である。
 ジャーナリストは「知る権利」というが、取材されるほうにも「知らせない権利」がある、というのがその理由である。
 なるほどなあ、と思うのだが、朝日vsNHKで有名になった「言った」「言わない」論争は実は朝日新聞記者が隠れて(相手の許可を得ないで)テープを取っていたので、朝日新聞は強気な対応をしていたのだが、テープに取られたNHK幹部も隠しテープを朝日新聞が公表するわけに行かないだろう、という読みで、「言っていない」と突っ張ったから、論争は藪の中に入ってしまった、というのが真相らしい。
 汚職などの公務員犯罪の関係者はテープに取られていると分かったら、しゃべらなくなるだろうが、その言った内容を正確に伝えなくてはならないケースもある。そこで、朝日新聞は実は以前から現場の運用で、隠しテープを使っている、という噂話もある。他の新聞社でもやっている記者はやっているのだろう。
 加藤氏が新聞記者をはじめとするメディア関係者の心得として「謙虚であれ」と言うのは、その通りだが、実際にどのように運用すべきか、は日本新聞協会で四角四面なルールを決めればいい、という話ではないだろう。この部分は本のP114.
 このテープ問題は、この本でも何度も繰り返し論じられている。P107、P133、P176。
 報道するときに新聞紙面に実名を登場すべきか仮名にすべきか、については178ページに加藤氏の説が開陳されている。
 随分と昔の本なのだが、インターネット全盛時代の今でも考えさせる問題提起が多く、参考になった。

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2008年6月 7日 (土)

書評 佐高信・姜尚中著「日本論 増補版」

 佐高信×姜尚中著日本論 増補版」(角川文庫)を読んだ。2007年2月25日初版、08年5月15日第4版発行。定価540円。
 2004年2月に毎日新聞社から発行された単行本に加筆修正し、増補版として文庫化。単行本に2本が新たに加わった。最初の「語り下ろし『愛国の作法』をめぐって」(2006年12月8日、東京・山の上ホテルでの対談)と終章「精神の鎖国主義をどう脱却するか」(2004年3月16日、東京・青山ブックセンターで単行本「日本論」をめぐっての対談)である。今読み終えた。

日本論 増補版 (角川文庫 さ 41-5) 日本論 増補版 (角川文庫 さ 41-5)

著者:佐高 信,姜 尚中
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 さまざまな論点が生のままの形で提示されており、<考えるためのヒント>という意味では宝の山ではないか。
 映画監督の伊丹万作氏が「戦争責任の問題」(大江健三郎編「伊丹万作エッセイ集」筑摩書房)で、「だまされていた」という便利な言葉で戦争の一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見て放った言葉を話題にしていた。
 「『だまされた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである」と。「被害者になることによって加害者であることを忘れる。被害者に逃げ込むことで自らの責任を免れようとする。そうした傾向に伊丹は鋭くメスを入れた」
 <はじめに>で佐高信氏が書いているエピソードである。
 佐高氏の政治家を判断する二つの基準の組み合わせ論。一番駄目な<ダーティーなタカ>は中曽根康弘氏、森喜朗氏。<クリーンなタカ>は小泉純一郎氏。<ダーティーなハト>が加藤紘一氏や田中真紀子氏。<クリーンなハト>は三木武夫氏と田中秀征氏、というのは直感で「そうか、そういう見方があるのか」と思わず笑ってしまった。。
 松下竜一氏のノンフィクション「砦に拠る」に描かれた下筌ダムの建設予定地に蜂ノ巣城を作った室原知幸氏のエピソード。
 ダム建設の説明不足に不審を抱き、山林大地主としての財力、全財産をつぎ込んで1959年から「蜂ノ巣城」を作って、ときの建設省と渡り合った。郷土熊本で今も評価は二分されている。地方の名望家が幕末以来大活躍している、という文脈で出てくる話だ。
 島崎藤村「夜明け前」の主人公、青山半蔵もそうだった。
 幕末の改革に夢を託して最後は裏切られていった赤報隊の相良総三を描いた岡本喜八監督の映画「赤毛」(1969年)も出てくる。
 今の日本の空気についての2人の言葉は面白かった。
 姜氏「今の日本の言語空間には何か目に見えない皮膜があって、その中で思考しているから、ものすごく悲観的なのです」
 佐高氏「久野収は戦争中に獄中に隔離される。当時『東京音頭』が流行っていたそうで、『ヤートナ、ソレ、ヨイヨイヨイ』というはやし言葉が監獄の中にまで聞こえてくると、『あぁ、自分はこうした庶民の獲得競争に負けたんだな』と思ったそうです」
 俗世間から隔絶しているような、いわゆる「進歩的文化人」はあまり好きになれないなあ、と思っていたのだが、口を衝いて出る言葉は鋭く、自分にからめるという意味で責任を自覚した発言をしている。右でも左でも誠実に思考の経過、悩みを表出できる人は信用できそうだ。
 また、佐高氏は日本語の「翻訳文化」の危うさについてるる述べる。
 「ベンヤミンにしても、彼が生きていた現実を批判していたわけですよね。その批判を、そのまま翻訳するわけでしょう。そうではなくて、私が言いたいのは、ベンヤミンの方法論を使って日本の現実を批判しろよ、ということです」
 姜氏も
 「ウェーバー学もベンヤミン学も結局、道として極めてしまう」と応じている。
 2人は五味川純平「人間の条件」が正当に論じられていない、と論壇を批判する。
 僕らには戦後のあの時代、エロ本がわりでもあった本だが、と言いながら。
 梶という人間一人にフォーカスした小説だ。一方、「戦争と人間」は群像劇。五味川の助手をしていたのが澤地久枝氏である。原作は三一新書で全18巻。伍代コンツェルンの総帥を滝沢修が演じた、と。当時の日本の中国や朝鮮半島をめぐる葛藤を背景に日本国内の財閥の御曹司その他様々な人間が登場して人間ドラマとして圧巻だった、という。
 というような話、政治の本筋とは関係ない話が面白いのだ。
 イラク戦争、アフガン戦争と日本外交、日本政治についての話も相当面白い。
 公費をつぎ込んだ日本長期信用銀行の杉浦敏介元会長に9億7000万円の退職金が支払われ、2億円返しただけ。7億7000万円はまだ返却されていない。日本債権銀行の頴川史郎元会長も6億円の退職金をもらった、という。それを返させてから公費を入れるべきだったのに、そうしなかった。「小泉、竹中は銀行家には大甘だよ」、という批判は貧乏人のひがみではなく、金融秩序の安定という美名の下、国民の税金をジャブジャブ注ぎ込んだ構造改革政治への本質的批判になっているのではないか。
 「正義と平和はどっちが大切か」
 姜氏が問いかける。「正義よりも平和が大切です。金大中元韓国大統領もそう思って南北交流をした」と。
 フランクルの「夜と霧」にも話は及ぶ。
 「嫌な歴史も抱きしめて歩むしかない、という覚悟が必要だ。韓国人にとって日本に植民地支配された歴史はそういう方法でしか癒されないだろう」
 と姜氏。そういう許容する範囲が日本の社会ではどんどん狭まっているのではないか、という懸念が出される。「糊代がどんどんなくなっていく」社会なのか。
 姜氏が「監視国家」論を取り上げる。「ガードマン国家」にしないようにするため、あらゆる手を打つべきだ、と。がんじがらめの「ガードマン国家」になったら、もう手遅れだよ、と。
 寺山修司の歌「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」はいろいろ考えさせる短歌である。

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2008年5月31日 (土)

書評 「ドキュメントゆきゆきて神軍」

 原一男・疾走プロダクション編著「ドキュメントゆきゆきて神軍」(井出孫六氏との対談も収録)(教養文庫、1994年9月30日初版第1刷97年6月30日第5刷発行。社会思想社、定価520円+税。
 今日、古書店で100円で買った。
 映画監督である原一男氏の「ゆきゆきて神軍」の製作エピソードである。原氏が主人公の奥崎健三氏の異常さをつぶさに観察する眼がいい。
 1987年に「ゆきゆきて神軍」が完成したのだ、と。映画を見ていないので、何ともいえないが、当時は相当に話題になったことだけは覚えている。文庫本の最後には「世界」1987年9月号から転載した井出孫六氏と原氏の対談「なぜ戦争にこだわり続けるのか」と原氏の妻・小林佐智子氏の「神戸の女神・奥崎謙三の妻シミズ」が収録されている。
 本文は「ゆきゆきて神軍製作ノート」と「採録シナリオ『ゆきゆきて神軍』」からなっているのだが、全体像を知るのには、井出氏との対談が分かりやすい。
 1969年1月2日、皇居の一般参賀が再開された。皇居の改造が完成して初めての参賀だったが、群衆の中から一人の男がパチンコ玉を天皇に向けて発射して、すぐに厚遇警察に取り押さえられた。テレビ、新聞の扱いは小さかったが、井出氏はものすごいショックを受けたという。勤めていた中央公論社の中央公論編集部に奥崎氏の裁判記録が届けられ、それは奥崎氏が自分で書いた冒頭陳述書で400字詰め原稿用紙で400~500枚の長文。
 井出氏「戦時中、ニューギニアの独立工兵連隊に従軍したこと、約1000人のうち生還したのはわずか36人だったという戦争体験。そして戦後、靖国神社で慰霊するということに虚しさ、空々しさを感じたこと、そこでどうしても自分のスタイルで戦友の慰霊をしたいとあれこれ考えた末に天皇に向けてパチンコ玉を撃つのが一番ふさわしかろうと決意を固めて皇居へ出かけた、と経緯が書いてあった。小学校の教育しか受けていない典型的な一般兵士がそういうことをした。知識を蓄えていた人たちが戦争をどう見たかは、戦後、小説や記録としていろいろ出ましたが、一般庶民の中から参加した兵士が独特な目で戦争を捉え直しているということに僕は大きな衝撃を受けます」
 そこで、井出は若干の解説をつけて三一書房から「ヤマザキ、天皇を撃て!」という題でこの冒頭陳述書を出版した。奥崎氏は「田中角栄を殺すために」という本を自費出版している。「宇宙人の聖書」という本もある。
 原氏の執念、奥崎氏の行動は現代にこんな物凄い執念に執り付かれた人がいるのか、と心底驚く。
 ニューギニア戦線での人肉食いの暴露も衝撃的だが、井出氏の対談での発言、特にこの対談時は戦後42年だったらしいが、「戦争の記憶と忘却」についての発言は重い。今でも日本人の心に突き刺さる。
 こういう種類の本が流行った時代だった、と簡単に割り切ってしまうこともできるだろうが、今も解決されていない問題のいかに多いことか。

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2008年5月26日 (月)

書評 大崎正瑠著「韓国人とつきあう法」

 大崎正瑠著「韓国人とつきあう法」(ちくま新書)を読んだ。1998年6月20日第1刷発行。定価660円+税。古書店で100円で買った。
 著者は「1944年北海道生まれで慶応大学商学部卒業後、ビジネス界で実務を経験し、その後、早稲田大学大学院修士課程修了。現在、大妻女子大英文学科教授。ビジネス・コミュニケーション専攻。日本コミュニケーション学会理事。「コミュニケーション」「文化」の視点から社会やビジネスを研究する。また海外40カ国におよぶ訪問・滞在に基づき日本の外から日本を眺める。著書に「ビジネス・コミュニケーション論」(西田書店)、「ビジネスレターの英語」荒武出版)ほか」と著者紹介にあった。奇人変人の部類に入る人なのか、一見ビジネスマンで、その実、ロマンあふれる文学者なのか? 七色仮面のような人物ではないか、と想像しながら読み始めた。
 読了した感想は、韓国の専門家でない世界の言葉の専門家というか、いろいろな外国語がしゃべれる人が日韓の歴史をそれなりに研究して、パターン化された基礎知識なしに今後の日韓のあるべきコミュニケーションを語っているところが面白い、ということか。
 日本と韓国の「ディスコミュニケーション」(うまくコミュニケーションできないこと)を「似ているけれども違う」点の解明から説き起こそうとする点は、相当に面白い。日韓における「孝」の意味の違い、とか実践的知識に基づく韓国論だ。情緒については「わび」「さび」「もののあはれ」⇔「恨(ハン)=フランス語のルサンチマン的なもの」とか。ハン・プリの解説もある。
 「言語メッセージはデジタル、非言語メッセージはアナログ」という言葉、言語学者には常識なのかもしれないが、なるほどと思う。
 91ページにある「日本語の成立」に関する図が分かりやすかった。
 日本語は視覚型言語である。漢字という文字情報を補助手段として使っているから。日本語はテレビ型言語。表音文字を使うヨーロッパ語などの言語はラジオ型言語、と言語学者の鈴木孝夫氏の説だそうだ。
 日本語は発音の種類が少なく、また視覚型言語なので、日本人は微妙な発音を区別し聞き分ける能力が著しく退化している、という。これが外国語習得にはマイナスに響く。
 韓国語の<反切表(パンジョンピョ)>も入っていた。
 韓国語には受動態、使役、謙譲表現がない。→「サピア・ウォーフの仮説」(言語が人間の認知および思考の様式を決定する)がここにも現れている、という。一般に日本語は内向的な言語、韓国語は外向的な言語といわれる。
 韓国語には「ヨク」と言って、相手を罵倒する表現がものすごく多い、という。悪口である。「お前の母さん出べそ」みたいな他愛ない悪口から、性的悪口に至るまで、日本以外ではいろいろな種類の悪口があるのに、日本語になぜか少ない。なぜ少ないのか? と著者は考える。そこで「江戸時代の切り捨て御免のご法度社会ではその前に切り捨てられていたからではないか」という仮説を立てるのだ。日本語が特殊で悪口が少なすぎるので、この構図は<日本語VS日本語以外>という構図だ、と分析している。
 人と人のコミュニケーションで対人的な距離のとり方について、密着距離、固体距離、社会距離、公衆距離という分け方がある、という。この辺はコミュニケーション論専門家ならではの論で、面白い。
 職場は日本ではどちらかといえば「ケ(日常)」の世界だが、韓国では「ハレ(祭り=非日常)」の世界だ、と。
 日韓国際結婚の比較、問題点についての論考も面白い。
 黒田さんら韓国専門家の著書は当たり前のように面白いのだが、この本は「あれっ」という驚くべき発見、斬新なアイデアがいろいろ出てくる。暇つぶしにはいい一冊だ。

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2008年5月25日 (日)

書評 川越修・友部謙一編著「生命というリスク―二〇世紀社会の再生産戦略」

 法政大学出版局、2008年5月23日初版第1刷発行、定価3400円+税=3570円。

生命というリスク―20世紀社会の再生産戦略 生命というリスク―20世紀社会の再生産戦略

販売元:法政大学出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 2003年~2005年にかけて同志社大学を会場に7回、2005年4月から2006年9月にかけ同志社大学と慶応大学で7回の計14回開かれた「生命の比較社会史」研究会の報告、討議をもとにまとめた本で、「分別される生命ー二〇世紀社会の医療戦略」と2冊で1セットの形のようだ。編著者を紹介しておこう。

 川越修氏は1947年生まれ。同志社大学経済学部教授。専攻はドイツ近現代社会史。主な著書に「ベルリン 王都の近代―初期工業化・1848年革命」(ミネルヴァ書房、1989年)、「性に病む社会―ドイツ ある近代の軌跡」(山川出版社、1995年)、「社会国家の生成―20世紀社会とナチズム」(岩波書店、2004年)ほか。

 友部謙一氏は1960年生まれ。大阪大学大学院経済学研究科教授。専攻は数量経済史・日本経済史。主な著書に「前工業化期日本の農業経済―主体均衡と市場経済」(有斐閣、2007年)、「歴史人口学のフロンティア」(共編著、東洋経済新報社、2002年)ほか。

 内容は次の通り。

序章 生命リスクと20世紀社会 川越修

第1章 人口からみた生命リスク 友部謙一

第2章 乳幼児死亡というリスク 中野智世

第3章 農村における育産の「問題化」 吉長真子

第4章 戦時「人口教育」の再検討 高岡裕之

第5章 「生命のはじまり」をめぐるポリティクス 荻野美穂

第6章 出産のリスク回避をめぐるポリティクス 中山まき子

第7章 生命リスクと近代家族 川越修

 である。この中では特に、序章と高岡氏の第4章が参考になった。

 高岡裕之氏は1962年生まれ。関西学院大学文学部教授。専攻は日本近現代史。主な著書・論文に「資料集 総力戦と文化 第2巻 厚生運動・健民運動・読書運動」(編著、大月書店、2001年)、「医界新体制運動の成立―総力戦と医療・序説」(「日本史研究」424号、1997年12月)、「戦争と『体力』―戦時厚生行政と青年男子」阿部恒久ほか編「男性詞 モダニズムから総力戦へ」(日本経済評論社、2006年)ほか。

 序章で川越氏が本書の構成、狙いなどを書いている。

 生命リスクとは、新生児・乳幼児期や妊娠、出産、病気、加齢んどを契機に顕在化する生活、生存を不安定化させる身体をめぐる問題群とそれに対する社会の対応策を捉えるための仮説的な概念だ、という。

 現代日本における少子化・高齢化問題は、この生命リスクを回避するための20世紀社会の戦略の行き詰まりを示す問題として捉え直すrことができる、として、本書は19世紀末以降、今日にいたるまでの生命リスクをめぐる諸問題をドイツを参照軸にとりながら、妊娠・出産・乳幼児死亡という生命の再生産とそこに派生する衛星政策、人口政策、家族政策などのさまざまなポリティクスに的を絞って比較史的に考察したものだ、とあった。

 川越氏は2006年6月20日の政府決定「新しい少子化対策について」が「国民運動の推進」をキーポイントにしている、という内容の薄さを問題視、し「国民運動というあまりにも20世紀的な手法を通じて出産、育児をはじめとする生命をめぐる問題領域に政府の政策が持ち込まれる時に、一体何が起きるのだろうか? その結果生じる問題は新しい生命リスクを生むのだろうか?それとも20世紀社会にすでに存在していた既知の問題なのだろうか」と問いかける。

 そして、思考の補助線としてドイツの社会学者ウルリヒ・ベックの議論を持ち出す。

 ベックの議論は1986年の「危険社会」出版がチェルノブイリ原発事故の年に重なったことから、科学技術の高度化をめぐる問題という関連で注目されたが、その議論の射程は19世紀以来の近代社会の歩みを動態的かつ包括的にとらえようと多様な領域に及んでいる、として、ベックの議論を結構詳しく紹介している。

 ベックに関心があるので、その部分もダイジェストしておく。

 ベックによれば、<近代化>とは近代が内部化した伝統と外部化した自然という「対立物」を「呑み尽くす」ことによって近代そのものに行き着く連続的なプロセスであり、近代の持つこの動態の帰着点が「再帰的近代化」という概念でとらえられている、という。

 また、<リスク社会>とは近代が近代化した結果私たちが直面することになる既存の概念ではとらえられない、したがって予測不可能な問題に直面する社会状況を示す概念にほかならない、という。

 まず、「伝統社会の近代化」によって19世紀に「産業社会」が生成した(=「単純な近代化」)。20世紀への転換点ごろから都市への人口集中の加速化、人口転換といったいわゆる大衆社会化ないし福祉国家化に向けての動きが進行する。そして、第二次世界大戦後の「産業社会」の黄金期に「豊かな」社会が実現される中で、1960年代後半から70年代にかけて「産業社会の近代化」としての「再帰的近代化」に向けての動きが加速し、「リスク社会」の問題状況が表面化することになる。

 この「リスク社会」における中心的な問題は、「家族と職業」「科学と進歩への信仰」という「産業社会」の「座標軸」の「動揺」となって現れる。そのうち、前者の「家族と職業」いn揺らぎをもtらすことになるのが「個人化」の動きだ。

 「個人化」とは、豊かさの中で平等化という「近代の本質的要素」の追求というかたちをとって階級社会の解体と女性の教育水準の上昇および自らの職業キャリアの追求が進み、いわば近代社会がより近代的になることによって「リスク社会」が促される動きにほかならない。

 そして、こうした意味での「個人化」の帰結は、ベックによれば「産業社会」の根幹を成す性別役割分業にもとづく家族関係(日本では近代家族として概念化されている)において最も鋭い形で問題かされる。

 この意味では「リスク社会」における家族をめぐる問題状況は、19世紀以来の小家族が「脱伝統化」することによって派生したといえる。

 ベックのいう「科学と進歩への信仰」をめぐる問題を考えるさいに重要になるのが、議会制民主主義という制度的な枠組みの中で行われる「政治」とは区別された「サブ政治」という概念だ。

 <今世紀の最初の3分の2にあたる時期において実現した社会国家プロジェクトに逆行する動きが始まる。社会国家において政治が「介入国家」という潜在的権力を獲得したのだとすれば、いまや社会を形成する潜在的な可能性は政治システムから科学的=技術的=経済的近代化というサブ政治システムに移っている。>(「危険社会」382ページ)

 つまり「再帰的近代化」の生み出すリスクは、科学(および経済)の世界において、民主主義という近代の「本質的要素」に立った制度が働かない「サブ政治システム」の枠内で、さまざまな新しい試みがおこなわれ、それが「政治システム」を通じた改革などとは比べ物にならない大きな転換を社会にもたらすことかr生じるというのである。

 <(リスク社会を産業社会と異なったものとしている)中心的なポイントは、再帰的な近代化の過程で社会的な枠組みが根本的に変えられてしまうこと、つまり近代化のリスクが科学化を通じて剥き出しになることにある。>

 ベックによれば「政治の場合は議会における審議という煉獄の火をくぐり抜けなければ、実行への門は開かれない」のに対して、この制約から自由な「科学」が何をもたらすかを示す「極端な事例」を私たちは「サブ政治としての医学」に見出すことができる。

 <医学というサブ政治においては、「進歩」という論理が基本計画も実施計画もないまま制限範囲を越え出ることを可能にしている。試験管受精も最初は動物実験で試された。その場合、これがどこまで許されるのかについて議論することはもちろん可能である。しかし、人間への応用にさいしての最大の関門はこともなくクリアされてしまった。このリスクは、医学(医者)のリスクではなく、後の世代のリスクであり、われわれすべてのリスクであるにもかかwらず、完全に医療のサークルのなかだけで、しかもそこにおいて支配的な(世界的な)評価と競争という条件と圧力の下で、リスクを冒す決定を下すことが可能なのである。>

 では、なぜ医学の世界においてこうした状況が生じるのか。このような問いかけを発するとき、私たちは歴史と向き合うことになる。

 ベックは医者が特に合理的だったわけでもなく、「健康」というもっとも価値の高い財をうまく守ってきたからでもない。それはむしろ(20世紀への転換期における)専門職業化の成功の産物である、という。そして、この医者の専門職業化によって具体的に何が起きたか、ベックはこう言う。

 <医学は19世紀のヨーロッパにおいて、専門職業として発展を遂げ、人々の苦しみを技術的に除去し、それを職業上独占的に管理するようになった。病気と苦痛は、専門家に依存した他者による処置というかたちをとって制度としての医学に丸投げされ、兵舎化された「病院」で腑分けされ、患者は何も知らないまま、何らかの方法で医者によって「処置」されたのである。今日ではこれとはまったく逆に、いままで自分の病気に関して徹底的に無能者扱いされてきた患者たちは、彼らの病気に対し自分自身および家族、職場、学校、世論といったまったくその用意のない制度によって対応するよう求められている。急激に蔓延しつつある免疫不全エイズは、もっとも注目されているとはいえそのひとつの例に過ぎない。病気はまた診断の「進歩」の産物としても広がっていく。人々が自らどう感じているかとはまったく無関係に、ありとあらゆるものが現実にあるいは潜在的に「病気である」とされる。そうなるやふたたび「積極的な患者」像が持ち出され、患者は医者と連携し医学的に指定された病状に対して「医者と協議する」よう要求されるのである。>

 と、ここまで、相当の分量、ベックを引用をしながら、川崎氏は21世紀社会における新旧の生命リスクにどのように対処したらいいのか、を、ベックのいう「リスク社会」における最先端の問題領域とされていた、再生産をめぐるポリティクス(=妊娠・出産と乳幼児期、さらには再生産の基礎単位としての家族をめぐって発生する問題の解決を図る官僚及び専門職業集団とその問題を抱え込む当事者のあいだにおける、戦略、実践のぶつかり合いのプロセス)を歴史的に分断し、現代の生命をめぐる問題状況の歴史的起点を明らかにすること。これが本書の閣論文の共通課題となる、と書いている。

 面白かった第4章の説明に入ろう。

 「日中戦争の長期化・総力戦化」という時代状況の中で打ち出された「戦時人口政策」の「グランド・デザインとその史的文脈」を検討する。

 戦時人口政策とは長期の人口動態の統計的な認識に立ち導き出された「昭和35年(1960年)の内地人総人口を1億人にするという政策目標ち、戦時下の「『東亜共栄圏』『大東亜共栄圏』という支配権拡大政策」が「日本社会g直面していた農村社会の解体=工業化・都市社会化の動向」への「危機意識」によって「不可分一体のものとして」結合されたアマルガムにほかならない、というのが結論だ。

 昭和35年に1億人という戦時期の人口政策の基礎とされた数字は中川友長(人口問題研究所調査部長)が1941年に推計したもの。この41年方針は①だいとし=集中排除多極分散型社会②農業人口の確保のてめ、人口の4割を農業に③人口1億人は1400~1500万人の大東亜共栄圏への送出が前提だった。

 何か、時間がなくなってきたので、この辺でやめておく。後で、時間が出来た時には書き足そう。

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2008年5月24日 (土)

書評 梶山季之著「ルポ戦後縦断」

 梶山季之著「ルポ戦後縦断~トップ屋は見た」(岩波現代文庫、2007年9月14日第1刷、定価1050円)を読んだ。
 1986年年3月に徳間書店から刊行された。文庫版で「話題小説 皇太子の恋」を付した、との注釈があった。また、2007年5月20日に広島で開催されたシンポジウム「時代を先取りした作家 梶山季之を今見直す」での基調講演を抜粋、再構成した藤本義一「梶山先生の思い出」が付録としてついている。

ルポ戦後縦断―トップ屋は見た (岩波現代文庫 文芸 124)

著者:梶山 季之
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 表紙裏のダイジェスト宣伝文がこの本の性格を表しているので書き写しておく。
 「皇太子妃スクープ、売春防止法施行、蒸発人間、産業スパイ、国鉄鶴見事故、王子製紙争議、被爆者運動……、今では遠き彼方に過ぎ去ってしまった昭和30年代の世相を語る上で不可欠な主題を追跡した著者渾身のルポルタージュ選。戦後という現場で人々は何を思い、蠢いていたのか。週刊誌のトップ記事をスクープした『トップ屋』としてのしなやかで腰の強い取材力が渦中の人々と事件の真相に肉薄する」
 小説「皇太子の恋」を別として、15のルポを収録している。
 「赤線静かに潜航す~ステッキ・ガールという名の淑女たち」は昭和34年1月の文芸春秋に発表。昭和33年の売春防止法施行後8か月の34年1月に吉原などをルポしたものだ。浜松名物のステッキ・ガールというのはクラブに所属し、電話一本でバーや料亭に駆けつける女性たち。赤線の女たちが失業し、転職したのだが、職が長続きせず、舞い戻った後、ガールになった。売春防止法がザル法で管理売春をしている業者だけを罰するといいながら、取締りがいい加減だったから、青線が流行った。「パンマという名の新興芸者」など、性問題を骨太に描いている。
 「ストライキの果て~王子製紙のもたらしたもの」も面白かった。王子製紙の城下町、苫小牧市でおきた145日のストライキの話だ。昭和34年12月の文芸春秋に発表。エリート集団が慣れないストに突っ込んだ姿をシニカルに描く。町の人の視線も冷たいのがよく見える。労働運動史などを読むよりもずっと理解しやすい。
 「蒸発人間~この奇妙な家出人たちの心理と行動のナゾ」は昭和42年4月28日号の週刊読売に発表したもの。「組織が巨大になれば、疎外され無気力にある人間も出てくる」と。
 「産業スパイ~事実は小説よりも奇」は昭和37年5月の中央公論に発表。「黒の試走車」の関連話だ。
 「白い共産村~下着も共有の桃源郷」(昭和33年6月の文芸春秋)は一番面白かった。奈良県の天理教の盛んな村で天理教会のトップの堕落ぶりを告発する4家族は村八分にされる。4家族は土地を売り、最も悪い土地を買って集団生活を始め、だんだんと個人所有をなくし、「原始共産制」生活となっていく。混浴とか下着とか夜の生活とか、庶民の下世話な興味にも応えながら、その社会的な意味合いを鋭くルポしているのはさすがだ。
 「国有財産は誰のものか」(昭和40年7月の中央公論)も国有財産払い下げに関する話。さっと目を通しただけだが、昔も今も公務員と政治家と利権屋の結びつきは同じだ、ということを表しているのだろう。
 「不思議な官庁・通産省~業界の番人か」(昭和38年5月の中央公論)で
梶山が「通産人脈」をこの時期から書いているという驚き。
 「ブラジル”勝ち組”を操った黒い魔手~ユダヤ財閥の陰謀」は面白かった。ブラジルの勝ち組、負け組の争いということは聞いたことがあったが、こんなことだったのか、と。ユダヤ人の陰謀は触媒に過ぎなかったのではないかとも思える。人々の心にあった不安が弾けたのだろうし、情報遮断の恐ろしさも感じる。
 「彼らが成功する瞬間~関東大伸s内を生かした人々」(昭和38年9月の文芸朝日)は経済人の人物もの。これもまあまあ面白い。この時代だったら新鮮だったのだろうなあ、と想像する。今では経済についていろいろな人が書いているが。

 「財閥の争議委員たち~不死鳥を殺したかった」(昭和34年8月の文芸春秋)は面白かった。GHQによる財閥解体の内幕。アメリカで失業していた左派文化人たちが日本に乗り込んできて、財閥つぶしにやっきになる。弱かった安田財閥。こすっこく利を取ろうとした住友財閥。三井も潰え、残った三菱も解体されたが、日本の独立・主権回復後にまたひとつにまとまる、という話。エピソードも満載。考えさせる内容だった。
 「丸ビル物語~サラリーマンの故郷」(昭和33年5月の文芸春秋)もしっかりしたルポ。「丸の内」について今まで何も知らなかった、と思い知った。梶山氏に教えられた。面白かった。
 「朴大統領下の第二のふるさと~18年ぶりの韓国―それは懐かしいというよりも悲しいまでの”民族の悲劇”を私に痛感させた」(昭和39年2月の文芸春秋)は大宅壮一氏とともに韓国に行ったときの話。勉強になる。じっくりと見て、取材している。梶山氏の才能に驚く。
 「ヒロシマの五つの顔~あれから13年・死の影はまだ消えていない」(昭和33年8月の文芸春秋)もすばらしいルポだ。ケロイド少年・少女への一般人の差別、無関心さなどへの怒りが本から沸々と伝わってくる。
 こういう復刊は岩波だからできたのかもしれないが、本屋さんに古い文庫が消えている中で、優れた本はどんどん復刊してほしい。

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2008年5月11日 (日)

書評 貫成人著「真理の哲学」

 貫成人著「真理の哲学」(ちくま新書、2008年2月10日第1刷、定価777円)を読んだ。
 恥ずかしながら、今まで「言説」という言葉を日常的に使いながら、どこから出た言葉なのか知らなかった。この本で初めて知った。

真理の哲学 (ちくま新書 703) 真理の哲学 (ちくま新書 703)

著者:貫 成人
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 裏表紙によると、著者は1956年神奈川県生まれ。85年東大大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、専修大学文学部教授。著書に「哲学マップ」(ちくま新書)、「経験の構造――フッサール現象学の新しい全体像」(勁草書房)、「哲学ワンダーランド」(PHP研究所)、「ニーチェ」「フーコー」「カント」「ハイデガー」(以上、青灯社)がある、という。
 最近たまに読んでいるフーコーの哲学の解説書の一冊である。
 「狂気の歴史」で理性の絶対的価値を否定し、「言葉と物」では人間の絶対性を否定。「監獄の誕生」では主体を、「性の歴史Ⅰ」では真理をめぐって絶対的価値の否定が行われた。
 そのフーコーの哲学を見ていくのに、ニーチェから入り、「超人」「力への意志」が解説され、次いでフッサールの現象学の説明にうつる。
 「ノエマの核」「ノエマ的意味」「志向性」などの述語を駆使しながら「他のまなざしの対象」となる「対象化されたわたし」という重要な部分に入り、「視野」「身体」「他我」が解説される。
 そして、メルロ・ポンティでは「知覚の現象学」を中心に、ゲシュタルト心理学を使った「鏡像段階」論の説明があり、<まなざし>の作用が説明される。そして、「キアスム」とメルロ・ポンティが重視した「肉」の説明に至る。
 その後、ようやく本命のミッシェル・フーコーが出てくる。
 「言葉と物」では言説の編成としての「エピステーメ」(各時代固有の「知の空間」)がキーワードとして出てくる。
 「監獄の誕生」「性の歴史Ⅰ」では「権力」がキーワードとなる。
 普通言われているのは死の恐怖によって服従を強いる「死の権力」なのだが、現在の我々の日常の隅々にまで浸透しているのは「生の権力」だ、という。
 生徒、兵士、工員一人ひとりについて能力、成績、成果などに関する報告が個別的になされ、必要に応じて処罰や報償が行われる。学校ではテストが行われ、生徒ごとの成績だけでなく、各自の学年における位置を示す「席次」が発表される。
 このシステムは国民全員を「個別化」し、「規格化」する装置で、「規律化」と呼ばれる力学が働いて、人々がこれを受け入れる、という。
 規律化は内面化された規範。「生の権力」とは近代国家のこういうメカニズムをいう。一見「権力」というにはふさわしくないように見えるが、「これが権力なのだ」と言うのだ。
 重要なのは「管理社会論」「監視社会批判」と「規格化」が全く別もの、という点。
 「生政治」。「真理」「制度」「支配」の三点セットをフーコーは「言説」と呼ぶ。<性の言説>の規格化について詳細な説明があり、福祉国家の意味合いが解説される。
 おまけとして、ドゥールーズとガタリの説の粗筋も説明されている。
 最後の章はウィトゲンシュタインなどの哲学である。
 ようやく「言説」という流行語の元を知ることができた。サルトルもこの言葉を使っているようだ。「エピステーメ」説が面白い。
 専門家の文章を読む楽しさは、ビシッと本質を言うので、分かりやすいというところだろう。時に間違えたり、方向が逆のケースもあるが。

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2008年5月10日 (土)

書評 梶山季之著「黒の試走車」

 梶山季之著「黒の試走車」(岩波現代新書、2007年7月18日第1刷発行、定価1155円)を読んだ。
 もともとは1962年2月に光文社から出版された。裏表紙の著者紹介によると、梶山氏は1930年に植民地統治下の朝鮮・京城(現ソウル)生まれ。広島高等師範学校を卒業後上京し、「新思潮」の同人になる。後にライター生活に入り、「週刊文春」などでスクープ記事を連発し、トップ屋として令名をはせた。1962年に「黒の試走車」を発表、企業情報小説というジャンルを開拓して一躍流行作家になる。多くの分野にわたって膨大な作品を執筆したが、朝鮮・移民・原爆を描いた小説「積乱雲」の執筆の途上で取材先の香港で急死した、とある。
 佐野洋氏の解説にこの作品がどのようにできたか、が説明してあった。

黒の試走車 (岩波現代文庫 文芸 122) 黒の試走車 (岩波現代文庫 文芸 122)

著者:梶山 季之
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 1960年6月27日に週刊文春の田中健五氏が来訪、週刊文春が企画した「新人作家の連載競作」(1回18枚、5回で完結)にトップバッターとして参加してほしい、という誘いで、8月10日までに全部書いて渡してほしい、という。
 田中は海軍兵学校77期、佐野は海軍経理学校38期で、海軍用語で言う「コレス」(コレスポンデントの略で、同期として対応する者、の意味)。OKして他の作家の名前を聞いたら、多岐川恭、結城昌治、水上勉、梶山季之の名前があがったという。
 梶山氏がこの連載企画に応じて書いたのが、梶山氏としては最初の推理小説「朝は死んでいた」だった。週刊文春に60年10月から11月にかけて連載された。長編として単行本になったのは62年11月。2年かかっているが、この間、手がけたのが「黒の試走車」だった、というのだ。カッパ・ノベルスである。産業スパイ小説のはしりだった。
 「データが盛り込まれすぎて、読者がストーリーを追うのを邪魔している。余計なデータの少なくとも200枚分は捨てるべきだ」とカッパ・ノベルス編集長の伊賀弘三郎氏(後の祥伝社社長)に言ったら「読者のアンケートでは、データがいっぱい詰まっている点が従来の小説と違ってむしろ歓迎された」という説明を伊賀氏からされた、と佐野氏の弁である。「黒の試走車」は、この1作によっていきなり流行作家になった稀有な例だ、と佐野は書いている。
 佐野がしみじみとした回想を交えて書いているが、筋に関係ない部分、特にその時代の生活を表す部分、小説的には不要とも思われる部分が時代の雰囲気を後の時代の読者に伝えてくれている。
 「この小説が東京オリンピック前の日本を知るための手引きになることは断言できる」という佐野の言は正しいだろう。
 ストーリーも面白い。
 産声を上げたばかり、まだ世界に羽ばたく前の日本の自動車業界の内部を描いたものだからだ。特に日産、トヨタ、スバルの争いが面白おかしく書いてある。相当に取材しなければ分からないことが多いのだろう。主人公の会社はきっと日産だろう、と推測した。まだプリンスとの合併もないし、トヨタは田舎の自動車会社そのもので、トヨタ看板方式も確立されていない時代だったと思う。大阪ミナミ、東京の銀座の「夜の女」も登場、ゴルフ場での密談、業界紙記者の暗躍、産業スパイ部の新設など、ちょっと前まではよくあったスリリングな話が続く。
 ここに登場しないのは政治家と官僚とアメリカ人。
 つまり、自動車業界とその周辺に寄生する人々だけのインナーな話で、これだけ面白い小説ができていた。
 今では企業小説は腐るほど出ているし、城山三郎氏の著作など面白いものもあるが、二流、三流の小説も掃いて捨てるほどある。梶山作品を読み返して、問題意識の鋭さと小説の中での「無駄」な部分の面白さなどについて再考すべき時なのかもしれない。
 だからこそ、今、岩波が現代文庫の中の一冊として刊行したのだろう。

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2008年5月 8日 (木)

書評 大屋雄裕著「自由とは何か~監視社会と『個人』の消滅」

大屋雄裕著「自由とは何か~監視社会と『個人』の消滅」(ちくま新書、2007年9月10日第1刷発行、定価735円)を読んだ。
 面白そうだ、と思って買ってきたものの、読まずにずっと置いておいたのだが、今度、憲法について何か書かなくてはいけなくなって、関連する(かどうかわからないが)本を読み漁った中の1冊だ。

自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書 680) 自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書 680)

著者:大屋 雄裕
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 面白かったのは上智大学のメディア論の権威、田島泰彦教授への批判だった。
 田島教授は監視カメラなど国民の安全を守るという目的でセキュリティが強化されていくことを「市民的法理の構造転換」と呼んで強く批判しているらしい。
 この態度を筆者は「田島は、国家と市民という二項対立でしか社会を見ておらず、共同体の危険性、あるいは個人が別の個人に対して危険を及ぼし得るということを完全に無視しているのだ」と批判。
 国家は個人の自由の守り手であると同時に最大の潜在的脅威でもある、としてこのような国家の二面性を「近代法の逆説」と呼んで、単純に割り切れないのだ、と主張している。
 100ページにある田島教授の「住基ネット批判」への反論も面白かった。
 住基ネットをキーとしてあらゆる情報が集積され、自分という存在が分析されていくという完全な監視への不安からの批判なのではないか、と見ている。
 コンビニのPOSレジが顧客層の分析に使われている。アマゾンのお気に入りもそうだ。膨大なデータから隠された関連を見つけ出す作業、データ・マイニング。ポイントカード、電子マネーはスーパーのレジとは違って個人別のデータを集積できる。顧客に合わせたマーケティングができる。
 ペンシルベニア大学コミュニティ学部教授だった社会学・政策学者のオスカー・ギャンディ氏は「パノプティコン的分類」と呼んでいる。イギリスのジェレミー・ベンサムが理想の監獄として構想した「一望監視装置」のことだ。
 このパノプティコンには近代的な権力の姿が示されていると見たのがフランスの哲学者、ミッシェル・フーコー。「監獄の誕生―監視と処罰」(新潮社、1977年)。
 アメリカの社会学者デービッド・ライアン「監視社会」(青土社、2002年)は監視社会の最大の問題はその中で個人の身体が消失していくことだ、と見た。
 アメリカの憲法学者ローレンス・レッシング「CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー」(翔泳社、2001年)。社会生活の物理的につくられた環境をアーキテクチャと呼ぶ。「アーキテクチャの権力は我々がそれに気づくことなく、我々の行為に先立って事前に我々の行為を制約する」と。
 ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは現代を「リスク社会」と位置づけた。「危険社会―新しい近代への道」(叢書ウニベルシタス、法政大学出版局、1998年)。
 イギリスの社会学者、アンソニー・ギデンズ「リスクと責任」。監視とそれによるリスクの排除は我々自身の欲望だった。
 メーガン法(米の幼女強姦殺人事件を機に成立した性犯罪者情報の公開法)の話も引用されている。
 事前の規制と事後の規制という仕切りで古典派刑法学派(罪刑法定主義)と近代派刑法学派(フランツ・フォン・リストなど)の教育刑論が論じられ、イタリア学派、ロンブローゾ「犯罪人論」まで持ち出している。ロシア刑法の話も。
 刑法40条改正(1955年の大改正)は聾唖者の責任能力を認めたものだが、その意味合いは……などなど。
 というような内容なのだが、クリアカットな結論が出ているわけではない。ただ、単純に割り切ってはだめだ、と言っているようにも見える。悩み自体を哲学だと見る立場から言えば、とても面白い本だと思う。

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2008年5月 7日 (水)

書評 ルドルフ・ヘス著「アウシュヴィッツ収容所」

 ルドルフ・ヘス「アウシュヴィッツ収容所」(講談社学術文庫、片岡啓治訳、1999年8月10日第1刷発行、99年12月15日第3刷発行。定価1326円)を読んだ。
 単行本として1972年にサイマル出版会から出版されたものを学術文庫化したものだ。アウシュヴィッツの収容所長だったヘスの手記。歴史的な価値というだけでは今更読む必要はないだろう、と思う。面白いのは訳者、片岡氏の前書きである。

アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫) アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)

著者:ルドルフ ヘス
販売元:講談社
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 「ヘスの恐ろしさ、そしてナチスの全行為の恐ろしさは、まさに、それが平凡な人間の行為だった、という点にこそある。どこにでもいる一人の平凡な人間、律儀な人間で、誠実でそれなりに善良で、生きることにも生真面目なそういう一人の平凡人が、こうした大量虐殺をもあえてなしうることは、誰でも画、あなたであり、私であり、彼であるような、そういう人物が、それをなしうるということにほかならないからだ。命令だったから、職務だったから、仕方なかったのだ、といういい方がある。……恐ろしさはまさに、人間が、それもごく当たり前の普通の人間が、職務、命令の名において、それをなしうる、というそのいことにある。しかも、その責めを問われれば、職務であり、命令だったから、ということで免責されるのならば、その行為の真の責任は誰のものとなるのだろうか」
 という文章だ。
 これは日本軍幹部の責任についても言えることではないか。狂人でもなく、普通の人間なのに南京大虐殺をした。米軍の広島、長崎への原爆投下もそうだ。遡れば日本軍の南京空爆に行き着く。陸軍に手柄を独占されていた海軍が手柄合戦の一環で市民に絨毯爆撃を繰り返した「戦略爆撃」である。米軍のルメイはこれを真似て東京空襲を繰り返した。ルメイを裁くのならば、日本の海軍もまず裁かれなければならない。
 どこかに出ていたが、殺人者と被害者との距離が心理的障壁を打ち破る、という。高高度からの爆撃は至近距離での撃ち合いと違って、人を殺す、という感覚、罪の意識が薄くなる、という説である。説というより、もう常識だけどね、
 ナチスのガス室についてはルドルフ・ヘスに限らず、小市民たちが日常業務と同じようにユダヤ人を殺しており、家に帰るとよきパパだった、という事実。
 人間という存在を考え直さざるを得なくさせる事実ではないか。

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2008年4月20日 (日)

書評 与謝野馨著「堂々たる政治」(新潮新書)

 2008年4月20日発行。定価714円。与謝野氏初の著書だそうだ。

堂々たる政治 (新潮新書 257) 堂々たる政治 (新潮新書 257)

著者:与謝野 馨
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 後藤田正晴、梶山静六、中曽根康弘の3人に政治を学んだ、といい3氏のエピソードを紹介している。
 面白かったのが小泉純一郎氏の言葉だ。「私の先輩たちは、肝心なときに人に相談して判断を間違ってきた。私は肝心なとき、絶対に人に相談しない。自分で決める」という言葉である。人に相談すると平均的な答しか返ってこない、ということが良く分かっていたのだ、という。
 <小泉氏ほど「自分で決める」という信念を強く持っている人はいないのは確かである>
 という与謝野氏の言葉はその通りだ、と思う。
 また、「小選挙区制度の恐ろしさ」としてカナダの与党が169議席から2議席になった、という極端な事例まで紹介していた。
 与謝野氏は昔から筋金入りの中選挙区論者だから。中選挙区の時代の東京1区。中曽根派の与謝野氏と福田派の古手議員が争い、たしか定数2だった。小選挙区になって、海江田万里氏と争うようになり、当選したり落ちたり。落ちても比例区で当選するシステムだからまあ、いいのだが、そのトラウマがあるのだろうか。
 昔、民社党委員長を務めた佐々木良作氏の話として、「新聞の社説の通りに政治をすると間違える」という言葉を載せていた。これは、その通りだと思う。
 <リーダーたるもの、世論と自分の判断が異なった場合、自らの判断のほうを取る覚悟がなければその座にあってはいけない>
 <考えの中心を他人の目にしてしまっては、取り返しのつかない失敗をしてしまう可能性がある>
 <政治家にとって一番大切なのは何か。それは、肝心なときにものを言い、肝心なときに行動することである。清潔であることでもないし、演説がうまいことでもない。そういう些末なことではなく、良い世の中を後の世に残そうという理想の下で、肝心なときにものを言い、行動すること>
 与謝野氏のいい点は、しっかりしていて、中心軸がぶれないところだろう。
 昔は頭はいいが、しっかりした信念はない人かと思っていた。梶山氏や中曽根元首相の政策ブレーンが一番似合う、と思っていたのだ。年月が人を成長させただけでなく、がんを克服して、思い切りが良くなったようだ。性格も明るくなったようだ。この本の中でも書いているが、太平洋戦争への反省など、自民党政治家の良心的部分を代表している、と言ってもいいのかもしれない。
 <日本人が熱狂の中で決めたことは大抵間違っている>
 <どうして日本人はあんなばかな戦争をやったのか。昭和10年代の政治家はほとんどイメージが残っていない。ほんのわずかな例外を除けば、政治家が肝心なときに何の発言も行動もしていない。その当時の政治家がお粗末だった証拠だ。政治家は細かいことをちまちまやっているような職業ではなくて、普段は遊んでいてもいいし、昼寝していてもいいが、肝心なときは自分の責任で物事を判断するという気概を持っていなければいけない>
 という言葉の重さ。ずしんとくる。
 「格差」「公平」「平等」への考え方。市場原理主義批判。規制緩和への疑念。「2大政党制は理想か」の部分は中選挙区制度を理想とする与謝野氏ならではの考え方が示されている。「政治主導とは」もそうだ。
 勉強になったのは「国は巨大な割り勘組織」の項目だ。財政危機の問題であり、「上げ潮路線派」がいかにインチキか、与謝野理論で”完膚なきまで”論破されているのだ。「先進国中で一番役人の少ない国」、「財政における二つの無駄の形」、「霞が関埋蔵金などない」ときて、最後は政権構想といってもいいような「まっとうな日本」「温かさと改革は両立する」で終わる。
 政治家がチョコチョコっとまとめた本ではない。心のこもった本だ、という印象だった。
 さすが与謝野鉄幹と晶子の孫だなあ、と思う。だが、政治評論家としては「さすが」の人でも、政治家は実行して、結果を出してなんぼの世界だ。政治家の仲間づくりをしておらず、どちらかといえば、一匹狼で生きてきた人が、この本にあるような政治ができるのかどうか? 政治は立派な政治家がすべきものだが、また、決して一人ではできないものだから。そこが最後にはネックになるのではないか、と思うのだ。好きな政治家だけど。

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2008年4月16日 (水)

書評 半藤一利著「戦う石橋湛山~昭和史に異彩を放つ屈服なき言論(新装版)」(東洋経済新報社)

 2008年1月31日発行。2001年2月の「戦う石橋湛山 新版」の装丁を新たにし新装版として改めて刊行したもの。内容の加筆修正は行ってない、とある。旧版は1995年6月13日のあとがきがついており、95年に発行されたようだ。定価1890円。解説を櫻井よしこさんが書いていてびっくりしたのだが、長岡高校の先輩後輩の関係だ、とあって納得した。

戦う石橋湛山 新装版―昭和史に異彩を放つ屈伏なき言論 戦う石橋湛山 新装版―昭和史に異彩を放つ屈伏なき言論

著者:半藤 一利
販売元:東洋経済新報社
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 最初は石橋湛山元首相の偉人伝かと思い、読もうかどうか、少し敬遠気味だったのだが、読み始めてそうではないことがすぐに分かった。
 戦時下のマスコミ批判だった。真剣に読んだ。特に毎日新聞には厳しかった。ロンドン軍縮条約から満州事変の停戦までの期間を扱っている。この間の朝日新聞、毎日新聞など大マスコミの社説と石橋湛山の東洋経済への論文を対比しながら、軍部の動きや国際情勢を解説し、「大マスコミが政府を満州事変に追い込んでいった」過程を検証している。
 湛山がいかに普通の知識人と違っていたか、よく分かる本だった。
 しかし、話には聞き、ある程度は知っているつもりだったが、当時の新聞社の責任の大きさには心底驚いた。
 満州事変開戦が第一のポイント、支那事変(日中戦争)開戦が第二のポイント。太平洋戦争開戦が第三のポイント、と大雑把に分けてみても、その都度、新聞は軍部の尻を押したと言われてもしかたないだろう。
 その前の日露戦争後のポーツマス条約締結で、ロシアから賠償を取れなかった、と騒擾が起きたが、そのきっかけを作ったのも新聞だった。
 年表も役に立つ。

新装版を出してもらってよかった、読んでよかった、と思う一冊だ。若い人、学生さんにお薦めしたい。

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2008年4月14日 (月)

書評 松本太著「ミサイル不拡散」

 松本太著「ミサイル不拡散」(文春新書、2007年1月20日第1刷発行、定価840円)を読んだ。
 著者は1965年生まれ、1987年に外務省1種試験合格。88年東大教養学部アジア科卒業後外務省入省。中近東第1課課長補佐、内閣官房安全保障・危機管理室参事官補佐、OECD代表部一等書記官、総合外交政策局不拡散・KEDO担当企画官を歴任。現在、国際協力銀行参事役(外務省より出向中)。専門分野は中東、イスラム、テロ、大量破壊兵器およびミサイル問題。国際輸出監理レジーム会合およびHCOCに日本代表として出席、という略歴。エリート外交官である。

ミサイル不拡散 (文春新書 551) ミサイル不拡散 (文春新書 551)

著者:松本 太
販売元:文藝春秋
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 ミサイルには国際的な規制がほとんどない、という。
 通常兵器であり、各国の国防に密接に結びついているので、規制のしようがないそうだ。しかし、ミサイルの長距離化で「距離」という防御の道具が消えた。このため、今までだったら地域大国の横暴に備えればよかった各国は地球の裏側からの攻撃にも身構えることになり、国防費は膨れ上がる。
 特に9・11後の世界ではテロリズムを警戒。テロ勢力がミサイルを持つことへの恐怖が膨れ上がっている、という。
 携帯式ミサイルは中東で使われており、中距離ミサイルもイラク、イラン、シリアが北朝鮮から導入した技術で性能のいいものを作っているという。ミサイル技術の移転だ。
 貧乏国家の北朝鮮がなぜこんな高度な技術を手に入れたのか? 不思議に思っていたのだが、韓国との経済戦争に負けた北朝鮮がアメリカとの外交交渉だけに絞って、その手段としてミサイルを開発したこと、最初はソ連と中国から技術をもらったこと、ミサイルの高度化でイランなどへ輸出するようになって、1989年からはパキスタンのカーン・コネクションを利用してミサイル技術と核開発技術とのバーターが進んだこと、などが説得力を持って書かれている。
 ミサイルの種類とか、ミサイルに関する国際機関とか、歴史とか基礎がすべて載っており、参考文献もネットのURLをはじめ豊富なので、身近に置いておく参考書に最適だ。

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2008年4月13日 (日)

書評  姜尚中「「増補版日朝関係の克服克服」」

 姜尚中著「増補版 日朝関係の克服」(集英社新書、2007年5月22日第1刷。定価735円)を読んだ。
 2003年に出版した「日朝関係の克服」の増補版だから、本文のほとんどは2003年時点での話だ。前と後に2007年時点での分析が出ている。

日朝関係の克服―最後の冷戦地帯と六者協議 (集英社新書 (0390)) 日朝関係の克服―最後の冷戦地帯と六者協議 (集英社新書 (0390))

著者:姜 尚中
販売元:集英社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 この本が唯一利用できるのは、朝鮮戦争から先の6カ国協議合意までの朝鮮半島の歴史をうまくまとめているからだ。和田春樹東大教授の「朝鮮戦争全史」(岩波書店、2002年)、「北朝鮮 遊撃隊国家の現在」(同)、ドン・オーバードーファーの「二つのコリア 国際政治の中の朝鮮半島」(共同通信社、2002年)など、進歩的な学者やジャーナリストの著作のエキスを並べた感じである。
 まあ、頭の整理にはいい本ではあるが、日朝関係の予想を含め、理想論的な見通しばかり見ていたら、未来を誤るのではないか、と思う。現実政治の厳しさを認識しながら、理想にどう近づくか、を考えるのが専門家の役目なのではないか、と思うのだが。

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2008年4月10日 (木)

書評:竹内洋著「社会学の名著30」、D・リースマン「二十世紀と私」

 竹内洋著「社会学の名著30」(ちくま新書、2008年4月10日第1刷発行、定価777円)。
 表紙裏の略歴によると、竹内氏は「1942(昭和17)年生まれ。京都大学教育学部卒業、同大学教育学研究科博士課程退学。京都大学大学院教育学研究科教授を経て現在、関西大学文学部教授、京都大学名誉教授。京都大学博士。専攻は歴史社会学、教育社会学。著書に「大学という病―東大紛争と教授辞職」(中公文庫)、「丸山真男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム」(中公新書)、「教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化」(同)、「日本の近代12 学歴貴族の栄光と挫折」(中央公論新社)、「立志・苦学・出世―受験生の社会史」(講談社現代新書)、「日本のメリトクラシー―構造と心性」(東京大学出版会)など多数。エッセイ・書評・評論でも活躍。」とあった。どちらかといえば、学歴社会分析の専門家のようだ。

社会学の名著30 (ちくま新書 718) 社会学の名著30 (ちくま新書 718)

著者:竹内 洋
販売元:筑摩書房
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 30人の代表作を簡単に紹介して、コメントする、という形式。たしか「政治学の名著」では佐々木毅学習院大学教授がやっていたと思う。随分前に読んだことがある。
 といっても、こういうアラカルトの入門書は入門書とはいえ、自分の好みの、よく知っている学者もいるし、全く知らない学者もおり、それだけならいいのだが、嫌いな学者も入っていることがあるので、「読んだ」とは言っても、正確に言えば「ピックアップして読んだ」だけで、すべてを通読したわけではない。
 この本もそうだった。そもそも社会学という学問領域の区分自体、新しいので、昔は社会学という分類ではなかった学者が入っている。例えばマルクス・エンゲルス「共産党宣言」などだ。30冊の本の中で全く名前すら知らなかった本が随分あった。
 だから、すべてを書き出すのではなく、自分が気に入った本についての竹内氏のコメントだけを少しだけ書き出しておく。
★オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」(原著刊行は1930年。ちくま学芸文庫、1995年。神吉敬三訳)=オルテガは1883~1955年。スペインの政治学者・社会学者・「大衆の反逆」は大衆の心性を抽出した大衆社会論の古典。
 竹内氏は「日本にのける群衆の発見」から話を始めている。
 1905年9月5日、日比谷公園の六つの入口は柵で打ち付けられ、警官が集結していた。日露講和条約(ポーツマス条約)で日本がロシアに勝ったのに賠償金も取れず、領土も取れなかったことに不満を抱いた人々が政府批判の国民大会の開催を予定していたが、政府によって集会が禁止されたため、開催予定場所が警官によって警備されていた。
 しかし、集会禁止を知らなかった人が全国から数万人集まり、投石をしながら警官を追い払って日比谷公園になだれ込み、万歳が絶叫され、花火が打ち上げられた。大会が挙行され、「挙国一致必ず屈辱的条約を破棄せんことを期す」などの決議が朗読され、拍手大喝采。解散後、激しい暴動が始まった。制止する警官との乱闘はもとより、御用新聞とされた国民新聞社の破壊、内務大臣官舎破壊などが続いた。騒乱は翌日も続き、東京の交番の7割以上が焼かれた。
 全国各地で「号外」が出され、「日比谷焼き討ち」事件が知らされた。群衆の恐ろしさと巨大なエネルギーが遍く知られることになった。「群衆」が発見された。この「群衆」の素顔が「平民」や「民衆」や「大衆」である、と書いてある。
 日本では「平民主義」(徳富蘇峰)や「民衆の時代」(大山郁夫)などで「平民」「民衆」の発見が先行したが、1923(大正12)年9月1日の関東大震災後、仏教用語で「大勢の僧」を意味する「大衆」が「マス」の訳語として登場した。ただし、大衆は平民や民衆よりも文化程度が高い都市中間階級を指示していた。その意味で大衆はモダン用語であった。普通選挙制の実現によって大衆政治が、またラジオや週刊誌などをつうじて大衆文化が、大量生産によって大衆消費が生まれ、大衆が前景化しはじめた、というのだ。
 日本近代の「大衆化現象」の説明である。
 実は、この辺については、百花繚乱、各説が乱れ飛び、定説はないに等しいのだが、竹内氏はこれを入口にして、同時代の欧米を見ようとする。
 6世紀から1800年までのヨーロッパの人口は1億8000万人を超すことはなかったが、1800年から1914年までの間に4億6000万人以上になった。いまやホテルは宿泊客で記者は旅行者で、映画や演劇には観衆が群がる。かつては少数者のためにとっておかれた最上の場所に大衆が躍り出た。オルテガはこうした大衆の誕生を、自由主義的デモクラシーと科学技術・産業主義による、という。
 オルテガは労働者であるから大衆だ、とか、貴族だから太守ではないではなく、精神の姿勢に大衆の特質を見た。「少数者」は自らに多くを求める人々であ