思想・哲学

2009年8月25日 (火)

<「戦後日本」の新たな自画像>という問題意識は面白い:分水嶺は保守VS.革新ではないと思うのだが…酒井哲哉・東大教授の寄稿~読売新聞09年8月25日

 久しぶりに文化欄で面白い記事を見つけた。読売新聞09年8月25日朝刊コラム[ワールドスコープ]の酒井哲哉・東大教授(日本政治史)が書いた<「戦後日本」新たな自画像を>である。ビートルズの「When I‘m Sixty-Four(64歳になったら)」を思い出させてくれるイントロからして楽しい。いい曲だった。落ち着いた曲調、のんびりした雰囲気。ジョンが歌ったていたのだろうか? と思い出したところで、「戦後日本は今夏で64歳である」とくる。

 <64歳の日本は、何を歌えばよいのだろう。私達はいま、どのような戦後史の自画像をもてばよいのだろうか。>

 と問いかけて前文を終わっている。つまり、これがこのエッセイのテーマなのだ。論理の運びも面白いし、言葉遣いも「ホー」という表現が案外多かったから、ここからは全文を書き写す。面倒だが、こういう寄稿はインターネットにアップされていないので、仕方ない。

 <戦後思想史は知っているようで知らない分野である。まずそれは学校で教わらない歴史である。若者の多くは、丸山真男や小林秀雄の名前さえ聞いたことがないかもしれない。より年長の世代にとって、戦後は保革の対立構図で理解される歴史である。「護憲」対「改憲」、「平和主義」対「日米安保」という図式は間違いではないが、歴史の複雑さを伝えない。保革対立の古典的構図が崩れた現在、このような図式からこぼれてしまう問題群に目を向ける必要がある。>

 歯切れのいい文章である。丸山真男氏は中学か高校で「であることとすること」くらいは習うのではないか、と思ったのだが、それは昔で、今はカリキュラムが変わり、教えていないのだろうか。小林秀雄氏は昔は、中学の国語の教科書に出てきたものだった。今は出てこないのかな? 随分と変わったのだろう。もっと上の世代というと私も含めてもらっているのだろうが、その世代には「戦後」は「保革対立」の歴史だった、と。思想史というジャンルでものを見ようとしていることを忘れてはいけない。あくまで思想という問題に絞って考えた場合、ということなのだろう。

 しかし、それでも「保守VS.革新」という区分けは1989年のベルリンの壁崩壊後は通用しづらくなっているのではないか。冷戦崩壊後、思想史的に考え直せば「あれがターニングポイントだった」という時点を各自持っているはずだ。高度成長とか、それこそ60年安保とか東京五輪とかテレビの発達とか。92、93年ころからの政治思想史の流れで言えば、それは「保守対革新」ではなく、「ハイポリティクスVS.開発政治」や「自民党=社会党55年体制=親米保守VS.アジアに開かれた新しい保守」などの区分けも可能かもしれない。

 <保革のイデオロギー構図が固定化したのは、60年安保前後である。それ以前はもっと入り組んだ構図があった。まず占領期には、保守政権とともに、片山・芦田内閣という中道左派政権が存在した。また平和論においても、現実主義は軽視されたわけでは必ずしもなかった。試みに当時の丸山真男の論説を再読してみればよい。そこでしばしば強調されているのは、悪をなし得る人間性への着眼である。政治は人間を「問題的な存在」として扱わざるを得ないという発想は、丸山の思想の根底にある。そもそもファシズムと戦争を経験した世代が、お目出度い楽観論者である訳はないだろう。>

 なるほど。丸山真男は単なる平和ボケの象牙の塔学者ではなかった、と。

 <従って、60年安保後の論壇が、「理想主義」対「現実主義」という形で平和論を定式化したのは不幸なことであった。のみならず、それ以前は中道左派政権を支えるべき理念であった民主社会主義も、「保守」の議論と見做されるようになった。このように半ば以降の日本の保守主義は、本来「革新」の議論であった主張を包摂する形で成立している。さらにそれは、60年代末の新左翼の産業社会批判をも部分的に取り込んだ。80年代にポストモダン論が、しばしば保守の論客から取り上げられたのは象徴的である。>

 この「ねじれ」というか、保守のバキュームカーのようなキャッチオール的曖昧さはいろいろな論者がそれぞれの言葉を尽くしながら説明してきたものだ。ただ、この「理想主義]対「現実主義」という分水嶺を不幸というが、それはいかがか。

 全面講和か部分講和か。日米安保には賛成か反対か。四つの組み合わせができて、政治勢力の合従連衡が進み、この大波をかいくぐった後には統一社会党結成、保守合同に向かって動きが加速するのではないか。その時に、現実政治の舞台である国会や討論会で「理想論を言っても始まらないじゃないか。もっと現実的になれ」という批判が一方から出され、逆からは「憲法前文、国連憲章の理想に反する行為は将来に禍根を残す」という論が出されて、この論議はどこまで行っても平行線だったのだ。

 あの時代、「理想主義]対「現実主義」という分水嶺以外、考えつかなかったのは致し方ないのではないか、と思うのだが。

 <今夏の政治劇が示すのは、ある時期まで保革対立の前提をなすものと信じられてきた要素が、もはや単純には維持できなくなったという現実である。だがそこから、過去の歴史や思想に学ぶものがないと考えるのは短絡すぎだろう。64歳の人生には、理想と現実がまだら模様になった知恵の集積がある筈である。「保守の中の革新」そして「革新の中の保守」という入り組んだ系譜から、新たな戦後日本の自画像が描かれるべきだろう。>

 酒井さんという方はこういう考え方をする人なのか。襞の部分が面白い感じだ。

 ウィキペディアによると、酒井哲哉氏は1958年4月27日生まれ、51歳。日本の政治学者で専門は日本政治外交史、国際関係思想史、外交論。

 福岡県出身。東京大学法学部卒業後、同大学院法学政治学研究科修士課程修了。同大法学部助手、北海道大学法学部助教授を経て現在は東京大学大学院総合文化研究科教授。

 著書に『大正デモクラシー体制の崩壊―内政と外交』(東京大学出版会、1992年)▽『近代日本の国際秩序論』(岩波書店、2007年)。

 編著に『岩波講座「帝国」日本の学知①「帝国」編成の系譜』(岩波書店、2006年)があるそうだ。

 論文は▽「『9条=安保体制』の終焉―戦後日本外交と政党政治」『国際問題』372号(1991年)▽「戦後外交論における理想主義と現実主義」『国際問題』432号(1996年)▽「戦後思想と国際政治論の交錯―講和論争期を中心に」『国際政治』117号(1998年)▽「後藤新平論の現在―帝国秩序と国際秩序」『環』8号(藤原書店、2002年)▽「国際関係論と『忘れられた社会主義』―大正期日本における社会概念の析出状況とその遺産」『思想』945号(2003年)▽「戦間期日本の国際秩序論」『歴史学研究』794号(2004年)▽「国際政治論のなかの丸山眞男―大正平和論と戦後現実主義のあいだ」『思想』988号(2006年)▽「国際秩序論と近代日本研究」『レヴァイアサン』40号(2007年)▽「社会民主主義は国境を越えるか?─国際関係思想史における社会民主主義再考」『思想』1020号(2009年)。

  単行本所収論文で新しいのは「近代日本外交史」李鍾元・田中孝彦・細谷雄一編『日本の国際政治学④歴史の中の国際政治』(有斐閣, 2009年)とあった。随分と細かくアップしている人がいるんだなぁ、びっくりした。

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2009年8月 9日 (日)

時流に阿っていた石川達三の軍国主義批判、産経新聞批判が納得されていた時代もあった~産経新聞09年8月9日[昭和正論座]

 産経新聞の[昭和正論座]が面白いのは昔、「当然だろう」と思われていたような言説に対し、右派(?)文化人がいちゃもんをつけるコーナーが「正論」だったように思うのだが、34、35年経つと、その「当たり前」だったはずの論がいかにお粗末で時流に阿っていたものだったか、がはっきり分かるからだ。今回の石川達三氏の「正論」批判がそれに当たるだろう。

 産経新聞09年8月9日朝刊オピニオン面の[昭和正論座]だ。

 この紙面の別項[視点]で(石)氏が、

 <日本ペンクラブ会長だった石川達三氏が「新潮」昭和51年新年号で産経新聞のオピニオン雑誌『正論』50年9月号の特集「日本の防衛力総点検」を「核武装までも暗に力説」、「サンケイ新聞(当時)はいつから軍国主義的になったのか」などと批判した。これに対する西氏の反論である。西氏は特集にある米の政治学者の論文や日本の外交評論家の自衛隊体験記などを精読した結果、軍国主義的な論調はどこにもなく「石川氏はよく読んでいないのではないか」と疑問を提起した。石川氏は昭和31年、ソ連や中国を訪問後「共産国家に自由はある」などと両国を賛美した作家として知られる。>

 と石川氏を茶化して書いていたが、石川氏は当時はものすごい権力を持っていた作家だった。

 いわゆる文壇の実力者である。今だったら誰なのだろう? 丸谷才一氏あたりを想像すればいいのかもしれない。そういう実力者らしく、「新潮」編集部に頼まれて書いたのか、自分で怒りに任せて書いたのか知らないが、「正論」攻撃をしたのだそうだ。

 1976年新年号というから、1975年の冬には原稿を書いていたのだろう。

 筆者は西義之・東大教授でこの「正論」自体は昭和50年(1975年)12月19日掲載だ。見出しは<雑誌「正論」批判、石川達三氏に反論>で、小見出しは≪ショッキングな正論批判≫、≪お門違いの「軍国主義化」≫、≪核武装暗に力説も間違い≫、≪アレルギーどころか妄想≫だった。

 本文を読んでみよう。

 <なにげなく近着の新年号「新潮」のページをめくっていると、作家・石川達三氏のつぎのような文章があった。>

 <「サンケイ新聞出版局は去年あたりから『正論』という綜合雑誌を出している。その九月号は(日本の防衛力総点検)という特集を組んでいるが、その内容をざっと見ると、要するに日本の防衛力あるいは戦力を増大させろという論調である。のみならず核武装までも暗に力説しているようなところもあるそれが全頁をあげて、何か人心を戦備に駆り立てるような語調であって、私は少なからず驚いた」>

 石川達三は中谷巌氏に似ているのかもしれない。じっくりと自分の頭で考えることができないから、自分が属している共同体の怒り、喜び、悲しみなどの感情を自分が代わって表現する、言葉を替えて言えば自分の考えではなく「みんな」の考えを表現することに巧みだった作家だ。だから戦争中は「風にそよぐ葦」「生きている兵隊」などと兵隊シリーズを書き続け、戦後「戦犯じゃないか」と責められると、今度は日本民主主義の旗手として反軍国主義の急先鋒のような論を書く。つまりお先棒担ぎがうまい人なのだ。

 言っては悪いが、中谷巌氏にもそういう気配がある。気をつけてほしい。

 石川氏は1975年秋から冬にかけてこの文章を書いたのだろうが、1975年という年はどういう年だったか、もう一度おさらいをしておこう。日本の首相は三木武夫。佐藤栄作長期政権の1972年7月5日に開いた自民党第27臨時大会で田中角栄を新総裁に選出、7月7日に第1次田中角栄内閣が成立した。この年の9月1日にハワイでニクソン大統領と日米首脳会談。9月29日には日中共同声明を発表して日中国交回復。これにより日台条約は失効した。72年11月には衆院解散、12月総選挙。72年は2月に浅間山荘事件とニクソン訪中・上海米中共同コミュニケ。4月に外務省公電漏洩事件もあった。

 1973年は1月27日にパリで米国、南北ベトナムと臨時革命政府の4者がパリで和平協定・議定書に調印、法的には1946年の第1次インドシナ戦争以来27年間も続いていた戦争は終わった。しかし、これは米国がベトナムから撤兵するという儀式に過ぎず、南北ベトナムの戦争は続き、最終的には北ベトナムによる吸収合併となる。73年8月8日には金大中拉致事件。9月11日にはチリで軍部のクーデターが発生、アジェンデ大統領は大統領官邸で自殺した。10月10日には田中・ブレジネフの日ソ首脳会談で平和条約締結に関する共同声明を発表した。

 1973年10月6日、エジプト軍はスエズ東岸へシリア軍はゴラン高原へ進撃しイスラエルと交戦、10月13日にはサウジアラビアが参戦したことでアラブ側は10カ国が参戦した。10月16日にはOPEC湾岸6カ国が原油公示価格を70%値上げ。10月17日にはOAPEC生産削減と供給制限(石油戦略)を決定。18日にはサウジアラビアが原油の対米・オランダ輸出禁止。OAPEC諸国が追随した。10月21日の国連安保理の中東戦争に関する米ソ共同提案の12時間以内の現状停戦を採択し、22日にイスラエルとエジプトが受諾。23日にはシリアも受諾したが、PLOは戦闘継続を宣言した。

 これが第4次中東戦争と石油ショックである。ローマ・クラブは10月24日開いた東京大会で「成長の限界」を打ち出し、21世紀の大破局を避けるには「ゼロ成長」が必要だ、というショッキングな提言をした。11月には日本のスーパーからトイレットペーパーが主婦の買い占めでなくなる、というトイレットペーパー騒ぎが起き、驚くべき「狂乱物価」。田中角栄首相の日本列島改造論で土地投機に注ぎ込まれていたカネが悪性インフレを起こした。田中首相は政敵の福田赳夫氏を蔵相に起用し、物価沈静化を図った。

 1974年1月の田中首相の東南アジア5カ国歴訪ではタイ、インドネシアで反日デモ、日本製品ボイコットにあった。「日本経済帝国主義の侵略に反対」という主張で日本への恨みがこもる東南アジアという現実に「豊かな社会」の日本人は戸惑った。

 1974年7月7日の参院選挙は「企業ぐるみ選挙」で自民党敗北。8月15日には朴正煕大統領が在日韓国人に狙撃され、大統領夫人が死去。日韓関係が緊張した。10月初旬発売の文芸春秋11月号に田中角栄金脈批判が掲載され、最初、日本の新聞は無視しようとしたが、米国の新聞などが報じたため一斉に報じ、自民党内からも田中批判が噴出。11月18日のフォード米大統領が現職の米大統領として初来日したのを置き土産に田中首相は11月26日に辞意を表明。12月1日に椎名自民党副総裁が三木武夫を新総裁に推薦する、という「椎名裁定」を出して、12月9日に三木内閣が成立した。

 とまあ、そういうことで、佐藤内閣から田中内閣を経て三木内閣に至ったのだ。そういう時代の話である。

 <そして石川氏は言う。「サンケイ新聞はいつから軍国主義的になってきたのか。それとも産業界が戦争を待望しているので、それを反映しているのか。いずれにせよこの雑誌を見ると、原爆の悲惨な経験などは夙に忘れているとしか思われない」>

 <ここまででも中々ショッキングな発言であるが、石川氏は「この雑誌のような言説がくり返しくり返し流布されているうちに軍国主義は育てられて行くのだ」と言い、最後を「私は『正論』のような雑誌がそのような悪質な報道の最初の杭をここに打ち立てるのではないかと恐れるのだ」と結んでいる。>

 <私は「少なからず」どころか、大変びっくりした。私の承知しているかぎり、新聞「正論」と雑誌「正論」とは編集の主体もちがい、雑誌のほうは新聞「正論」のいくつかを転載しているが独自の編集をしているようである。私は正直言って(雑誌一般の熱心な愛読者でないせいもあり、自分のが転載されることが少ないせいもあって)雑誌「正論」をあまり読んでいない。この九月号も全く読んでいなかったのだが、「サンケイ新聞が軍国主義的になってきた」ということでは、新聞「正論」の執筆者の一人としても聞きずてにはできないので、私は大急ぎで雑誌「正論」九月号をさがし出して精読してみた。以下はその感想である。>

 <軍国主義的論調にみちあふれ「全頁をあげて、何か人心を戦備に駆り立てる」勇ましいラッパでも鳴りひびいていると思ってこの雑誌を手にした私は拍子抜けしてしまった。石川氏はべつの雑誌を読んだのではあるまいか、と思ったほどである。モーゲンソーが核兵器を論じているが、これは米ソの問題であり、例の自衛隊クーデター論文というのは国会でとりあげられた例の事件であり、解説者は「かりそめにもクーデター研究などやれば、かえって共産革命をつけ入らせることになるだけだろう」と警告しさえしているし、加瀬英明氏の自衛隊体験記も、駄目だと思っていた自衛隊も案外やっているという、見直した報告である。「非常事態発生! 陸海空自衛隊はかく戦う」という架空のルポは結局、日本の自衛力がどの程度かということを素人にも分るようにお話にまとめたものにすぎない。納税者(タクスペイヤー)として、このくらいの知識はあってもよかろう。石川氏はむかしの「日米もし戦わば――」などを連想したらしいが、よく読んでいないのではないか? 私があえて石川氏の「サンケイ新聞、軍国主義化」発言の根拠を推測するとすれば、おそらく「日本は核武装すべきか--生存のための研究会」という論文一篇によるのではないかと考える。>

 <さてこの論文であるが、この研究会は実は文芸春秋七月号に「楽園は終った」という安全保障論を書いて、国際的に「センセーションを巻き起こした」会らしく、この「楽園は終った」も私はいまはじめて探し出して読んだのだが、くらべてみると--国際的反響の大きさにびっくりしたのか――「正論」のほうはトーンダウンして、いわば二番煎じの感をまぬかれないものである。前者には、核武装のほうが安上りで、「ジェット機一機で住宅がどれだけ建つという素朴な庶民の声にも応えられることになる」とか「核武装を多くの選択(オプション)の一つとして持つべきことに、世論の注意を喚起したいのである」とかいう誤解をまねきそうな言葉があるが、雑誌「正論」のほうでは「われわれは核アレルギーを打破すべきことを主張しても、核武装すべきだとは主張していない」と強くことわっている。石川氏は「核武装までも暗に力説しているようなところもある」と言うが、むしろこれは「楽園は終った」のほうに当てはまるのではないか。>

 <もっともこの「生存のための研究会」が核武装は主張しないが、核アレルギーは打破すべきであるというとき、どの程度の核アレルギーを意味しているのか、私にもかならずしも明確ではない。日本共産党が抗議するような米軍の核模擬爆弾投下演習や、あるいは原潜寄港に対するアレルギー程度のことなのか、この会の主張の歯ぎれはよくない。この会がもっと防衛についての論議がおこることをすすめ、国民的合意がつくられることを提唱しているのはわるくないが、自衛隊違憲論や安保論争のレベルではなさそうなところにむずかしさがある。>

 <とにかく私の読んだかぎり、雑誌「正論」の防衛特集は、石川氏のいうように「全頁をあげて、何か人心を戦備に駆り立てるような語調」はなく「核武装までも暗に力説して」いるふうもない。むしろ新聞「正論」から高坂正堯氏の「核防批准のあるべき姿」が採られていて、その一節「逆に、日本は通常軍備による進攻に対しては、かなり守り易い存在である。なんといっても日本が島国であるという事実が大きいし、それに日本列島が細長いことなど、利用できる点がいくつもある。それ故、不幸にしてアメリカの『核のカサ』がなくなり、軍事的進攻の可能性が生じた場合においてさえ、日本の安全保障政策の第一の努力は軍事衝突を通常軍備のレベルに抑えることになければならない」と、きわめて理性的な判断も述べられている。ペンクラブの会長までしている石川氏がこういう判断もふくめて「サンケイ・軍国主義化」を言うのは困ったことである。>

 <私には見当もつかぬことだが「産業界が戦争を待望している」徴候がどこかにあるのだろうか? これではアレルギーどころか、妄想としか思えない。しかしいかに私が力説しても、妄想患者はどんな枯尾花をも幽霊に仕立てあげる傾きがあるから、「正論」がそんなに軍国主義の「悪質な報道の最初の杭」を打ち立てているかどうか、やはりその判断を冷静な読者諸氏にゆだねるほうが賢明かも知れない。>

 こう読んでみると、良識派の西氏の言い分が至極もっともような気がしてくる。時代というものは怖いものだ。当時はこの西氏の論は極右ととられたのかもしれない。そして、石川氏が「良識派」と見られたのだろう。

 現在の私たちを取り巻く環境で、同じようなことが進行している可能性がある。後世の歴史に耐えうるようなしっかりとした地に足をつけた思考をしたいものだ。

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2009年7月13日 (月)

臓器移植法改正A案が成立=解散前の異常な議員心理が原因だと~朝日新聞、読売新聞、毎日新聞ウェブ版から

 参院は選挙前のバタバタで良識を欠いてしまったようだ。臓器移植法が衆院通過と同じA案で成立してしまった。どうなるか、日本社会のアレルギーが今後噴出してくるのではないか、と想像している。
 読売新聞のネットHPは<脳死は「人の死」、改正臓器移植法が成立>で次のように報じた。
 <臓器移植法の改正をめぐり、脳死を「人の死」とすることを前提に臓器提供の年齢制限を撤廃する改正臓器移植法(A案)が13日午後、参院本会議で賛成多数で可決、成立した。>
 という前文。本来ならば1面トップだろうが、衆院解散日程が決まったために、これは各紙夕刊で1面2番手扱いになるだろう。
 <1997年に成立した現行法下では禁じられている15歳未満からの臓器提供に道が開かれることとなった。改正法は公布から1年後に施行される。採決は押しボタン方式で行われ、A案の投票結果は、賛成138、反対82だった。共産党を除く各党は党議拘束をかけず、各議員が個人の判断で投票した。>
 この票差は何なんだろう? 参院でも河野太郎氏が多数派工作をしたのだろうか?
 <改正法は「脳死は人の死」とする考えが「おおむね社会的に受容されている」との認識に立ち、臓器を提供する場合に限って脳死を人の死としている現行法の考え方を大きく変更するものだ。>
 社会的に受容されている、とは言えないのに。
 <現行では意思表示カードなど生前に本人が書面で同意していることを臓器提供の条件としているが、改正法は、本人の意思が明確でない場合は、家族の承諾により臓器提供ができる。また、現行制度は意思表示が可能な年齢を15歳以上としているが、改正法は意思表示を臓器提供の絶対的な条件に設定していないため、15歳未満でも家族の同意で臓器提供ができる。>
 この辺はどうでもいいのだ。
 <現行法が成立した1997年以降、国内での脳死臓器移植は81例だが、日本移植学会や患者団体などは、書面による本人の意思表示を求める臓器提供条件と、年齢制限によって、脳死臓器移植の機会が大きく狭められているとして法改正を求めていた。>
 これは経過説明部分。
 <臓器提供条件の緩和のほか、書面により親族への臓器の優先提供の意思を表示することができる規定も盛り込んだ。>
 これはどういう問題を生むのだろうか?
 <この日の参院本会議では改正法に先だって、改正法の骨格を維持しながら、脳死を現行法通り臓器移植時に限り「人の死」とする修正案が採決されたが、反対多数で否決された。またA案の対案として参院野党有志が提出した「子ども脳死臨調設置法案」は、先に採決された改正法が過半数の支持を得たため、採決されずに廃案となった。>
 修正案は否決されたのか。どうなっているのだろう?
◆朝日新聞
 朝日新聞も<「脳死は人の死」臓器移植法成立/A案、参院でも可決>のタイトルでネットにアップしていた。
 <「脳死は人の死」を前提に、本人の意思が不明な場合でも家族の承諾で0歳からの臓器提供を可能にする改正臓器移植法(A案)が13日、参院本会議で可決、成立した。施行は公布から1年後。現行法は臓器移植の場合に限って脳死を人の死と認めており、死の定義を大きく変えるとの懸念もある。1997年の同法制定後、改正は初めて。>
 という前文だ。
 <参院議員は現在241人。採決は押しボタン投票で行われ、欠席・棄権を除いたA案の投票総数は220(過半数111)、賛成138、反対82だった。野党有志が提出した子ども脳死臨調設置法案に賛成の共産党はA案に反対。他の主要政党は個人の死生観にかかわるとして党議拘束をかけずに採決に臨んだ。>
 過半数の数字などが詳しい。
 <A案に先立ち、「脳死は人の死」を臓器移植の場合に限ることを明記した修正A案も採決されたが、投票総数207、賛成72、反対135で否決された。子ども脳死臨調設置法案はA案成立により採決されないまま廃案となった。>
 この数字が意味するものを後で考えなければならない。
 <A案をめぐっては、「脳死は人の死」と法律で位置づけることが、移植医療以外の分野にどんな影響を与えるのかが議論の焦点となった。宗教団体や、脳死後も心臓が長期間動き続ける「長期脳死」の子どもがいる家族らの反対が根強く、参院では野党を中心に移植要件の緩和に慎重な議員から修正を求める声が相次いだ。>
 そうだったのだ。
 <そんななか、A案が過半数の支持を集めたのは、衆院解散・総選挙も絡んで政局の流動化が予想されることから、今国会での改正実現を優先する議員心理が働いたものとみられる。>
 やはりそうだったのか。国会の不作為を攻められては堪らない、という議員心理だ。
 <A案は2006年3月に中山太郎衆院議員(自民)らが提出した。親族へ臓器を優先的に提供することも認める。脳死からの臓器提供の機会が増えることを望む移植学会や患者団体が支持を働きかけ、衆院では263人(うち自民党が202人)の議員が賛成した。>
 中山太郎氏は確信犯だ。
 <臓器移植法は1997年10月に施行された。脳死からの臓器提供には、本人があらかじめ臓器提供の意思を書面で示し、家族も拒まないことが必要で、15歳未満からの提供は禁止されている。書面による意思表示は進まず、脳死からの臓器提供は12年間で81例にとどまっている。国内で移植を待つ待機患者が解消されない一方、世界保健機関(WHO)が渡航移植を規制する動きを見せたことから、今国会で改正論議が高まった。>
 ということ。
 つまり、衆院解散前の異常な議員心理がこのような結果を生んだ、という分析だった。だから、衆院は仕方ないにしても参院は慎重な審議をしてほしかったのだが。
◆毎日新聞
 毎日新聞のウェブ版も<臓器移植法/参院も「A案」で成立/「脳死は人の死」>というタイトルでアップしていた。鈴木直記者の署名記事だった。
 <臓器移植法改正案は13日午後、参院本会議で採決され、3法案のうち、脳死を一般的な人の死とする「A案」(衆院通過)が賛成138、反対82の賛成多数で可決、成立した。15歳未満の子どもの臓器提供を禁じた現行法の年齢制限を撤廃し、国内での子どもの移植に道を開くとともに、脳死を初めて法律で「人の死」と位置づけた。ただ、死の定義変更には強い慎重論が残る。このため、A案提出者は審議の中で「『脳死は人の死』は、移植医療時に限定される」と答弁し、配慮を示した。>
 答弁でどう言ったって仕方ない。誤魔化しだ。
 <現行法では15歳以上でないと臓器提供ができず、小児が自分のサイズにあう臓器の移植を受けるには渡航するしかない。だが、世界保健機関(WHO)は海外での移植の自粛を求める方向で、将来渡航移植の道が狭められるのは確実だ。1997年の法施行以降、国内の脳死移植は81件にとどまっており、A案は年齢制限の撤廃とともに脳死を人の死とすることで、臓器提供の機会拡大を目指す。>
 ひどい話だ。
 <臓器移植法の改正をめぐっては6月18日、衆院でA案が投票総数の6割の賛成で可決され、参院に送付された。しかし、A案に対し参院側は「移植の拡大は必要だが、死の定義変更には社会的合意がない」と考える議員も多い。このため、与野党の有志はA案を踏襲しつつ、脳死の定義は現行通りとする修正A案を提出した。>
 それだったのに。
 <一方、A案支持の中核議員は「脳死の位置づけを変えたらA案の意味がない」と修正を拒否し、A案派は分裂した。しかし「一般医療で脳死後の治療中止が広がりかねない」といった慎重論には配慮せざるを得ず提出者は新しい死の定義について「臓器移植法の範囲を超えて適用されない」と答弁した。>
 <A案への懸念は、本人の意思が不明でも家族の同意だけで臓器摘出ができる点にもある。臓器摘出後に本人が拒否していたと分かることも否定できない。成人より難しいとされる、子どもの脳死判定も課題となる。>
 脳死判定、どうするつもりなのか?
 <採決は修正A案、A案に続き、現行法の枠組みを残しながら子どもの臓器移植のあり方を1年かけて検討する「子ども脳死臨調設置法案」の順で行う予定だったが、修正A案が賛成72、反対135で否決後、A案が可決されたため、臨調設置法案は採決されなかった。臨調法案に賛成の共産党以外の各党は党議拘束をかけず、各議員が自らの死生観に基づいて投票した。>
 死生観に基づいた投票だったのか、多数派工作が行われたのか?

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2009年6月24日 (水)

ハル・ノートを唯唯諾諾受けて戦わず、今以上の経済敗戦を経験するより、戦って負けて良かった、と総括した江藤淳氏が没後10年だそうだ~SAPIO7月8日号特集から

 小学館の雑誌「SAPIO」の7月8日号の第2特集[歴史を振り返れば現代が見える]は<没後10年いま蘇る 江藤淳の「遺言」>。いろいろな人が書いていた。文芸評論家の富岡幸一郎氏の<もしも江藤淳が健在であれば現在の日本をどう批評しただろうか>にあるように江藤は平成11年(1999年)7月21日自殺した。没後10年だ。時代の精神も体現せず、個としての三島由紀夫は将来忘れられるだろうと思う。大江健三郎も逆の意味で、後世の人々に忘れられるだろう。しかし、江藤淳はアラウンド還暦の私が死んだ後も輝きを増すだろうと思う。なぜならば、本当の意味でのナショナリズムを自らの生き方で体現した男だからだ。

 そのナショナリズム、上質の、本物のナショナリズムは時代に受け入れられず、保守の論客と珍重されながらも、晩年は自らの主張とは全く逆の世相が深まり、日本のどうしようもなさを嘆きながら病魔に苦しみながら、自殺したのだろう。

 富岡の原稿には江藤の言葉が引用されていた。書き写そう。

 <人が死ぬ如く国も滅ぶのであり、何時でもそれは起こりうる。

 <人間は、言語以外によって、世界を把握することはできない。映像に意味を与えているのも言語であり、すべての現象を、我々は言語で区切って認識している。だから、言語、特に母国語の教育は重要なのだ。どういう言語の枠組みで何を見るかということがはっきり把握できていないと、初めから終わりまで二次元的な、ミミズがはっているような認識しかできない。だが、少なくとも三次元、時には四次元的な把握をしなければ、国家社会、あるいは国際社会のすべてをひっくるめた人類の将来など考えられない。

 <日米戦争を”世界最終戦”と規定したのが、稀代の戦略家石原莞爾のおかした最大の誤りだったと、私はこのごろ考えるようになった。それは”最終戦”ではなく、”持久戦”(中略)であり、消耗戦である。つまり、じつはそれは”終わりなき戦い”なのである。>

 遠藤浩一・拓殖大学教授の<「親米」に溺れず「反米」を煽らず江藤が説いた「他者としてのアメリカ」>には、1996年に橋本竜太郎首相とクリントン大統領による「日米安全保障共同宣言」が取り交わされた。冷戦終結を受けて、対ソ軍事同盟という意味合いが強かった日米安保をアジア・太平洋地区の脅威に対処する条約にする、という実質的な条約改定だった、として江藤が、

 <世界の中でもっともパワーバランスが流動化しているアジア・太平洋地域において、その流動的な情勢にクサビを撃ち込んだところに、この再認識の重要性がある。>

 としたうえで、しかし、それは、

 <北朝鮮からミサイルが飛んでこようが、中国が新たに開発したミサイルを能登沖に落とそうが、こうした核の脅威に対しては米軍が対応するということである。それは、いいかえれば、日本は今回の再認識において日本の安全をアメリカの核能力に託し続けるという選択をしたことになる。

 と13年前に早くも日本の安全保障の致命的欠点をぐさりと指摘していた、とある。今書かれたと言われたら信じてしまいそうだ。

 杉原志啓・学習院女子大学講師の<無謀と知りつつ起たねばならぬ「戦」があるー―西郷隆盛を通して訴えた立国の源泉たる「精神気魄」>も面白い論考だったが、この中でも江藤の言葉が出てくる。

 <ハル・ノートを、あのまま受け入れていれば戦争をしなくてすんだでしょう。しかし、受け入れていても、戦争をして全部敗けたと同じ結果になるだけです。戦争をしておいたために、まだ日本はもっているのです。そのことを絶対忘れてはいけない。

 敗戦必至の戦いに突き進んだ西郷について、

 <人間には、最初から「無謀」とわかっていても、やはりやらなければならぬことがあるからである。>

 そして、江藤は今や日本は内側から崩れていくようだ、として、

 <(その)崩壊と頽落を、死を賭してそれを防ごうとした者どもがいたという事実そのものによって、国の崩壊を喰い止めなければならない。何故なら、このようにして死んでいった人々の記憶は、かならず後世に残るからである。死者たちの記憶を留めた後世が、何らの記憶すら持たぬ後世とは違うことはいうまでもない。ならば後世の記憶となるために死のう。

 江藤は西郷が「今、国を守らなければ必ず国は滅びる」という精神気魄ゆえに戦に踏み切った、と書いている、というのが杉原氏の解釈である。江藤は大東亜戦争でまたまた爆発したこの「曲譜」を今の日本人が忘れ去っていること、いやむしろ、必死に忘れたがり、目をそむけようとしていることに怒る

 <国民の気概、国、国民は一体何を求めて生きるのか――という根本的な問いを忘れて久しい。経済は悪いが、国民みんなが小金持ちになり、全部寄せると千兆以上の資産がある。だが、精神はゼロ以下になった。これが国なのか、という根本的問題に直面している。

 つまり、ひたすら無事安寧を希う「精神はゼロ以下」の日本。「戦」の文字すら恐れ、忌避する日本。国がらみの人さらいにあってさえ、手も足も出さぬ、の日本。亡き坂本多加雄氏も「遺憾ながらこの人間の世には暴力をもってしか解決できない事柄がある。ところが戦後の日本人は、そうした『』非常の変』=『戦』への構えからして『ゼロ』なのだ」というのだ。

 そして、江藤が昭和53年(1988年)から文芸時評をやめ、占領軍による言論弾圧の研究に入る。これが江藤の歴史に残る仕事なのだと思う。巧妙に仕組まれたGHQの検閲。検閲されていたことすら知らずに、僕らは少年時代を過ごしたのだ。富岡氏が引き続き書いている。長いタイトルは<言語を奪い、文化を殲滅し、歴史を改竄した占領期の「閉ざされた言語空間」が今もこの国を支配している>である。

 富岡氏は「江藤淳が挑んだのは米国の占領政策の実態を改めて白日のもとに晒すことで戦後史を民主化の歴史として見るようなイデオロギーが徹底して偽物であり、日本人の自己欺瞞であることを暴き出すことであった」として、江藤氏の、

 <なぜ”戦後史”は”敗戦史”であってはいけないのか? そしてそれが敗戦史であれば、この歴史は、獲得したものの歴史というよりはむしろ喪失の歴史であり、建設の歴史というよりはむしろ崩壊の歴史としてとらえたほうが、一層正確な実像を表すのではないだろうか。

 戦後史を「喪失の歴史」「崩壊の歴史」として捉え直す時、初めて見えてくるものがある、それは戦後史がタブーとしてきた現実を明らかにすることだった、と富岡氏は書く。

 江藤氏の言葉のデフォルメだろうか。富岡氏は、

 「この『喪失の歴史』を日本人は直視せずに「『民主主義』と『自由』と『平和』という空虚な観念によってごまかし続けてきた。経済的繁栄という物質の虚構によって自らを欺き『戦後』体制によって利益を得てきた国内の様々な勢力は、このタブーをタブーとして意識化し自覚することを、あらゆる手段を講じて阻止してきた。政治・教育・文化等のあらゆる分野にわたる”戦後利得者”たちは『日本』が『日本でない国』となろうが一向に構わない。そして、その『利得の構造』は米ソ対立という冷戦構造によって支えられていた

 と書いている。江藤氏の著作に入れてもおかしくない文章だろう。

 この続きのように江藤は言う。

 <今日の日本に、あるいは”平和”もあり、”民主主義”も”国民主権”もあるといっていいのかも知れない。しあし、今日の日本に”自由”は依然としてない。言語をして、国語をして、ただ自然の儘にあらしめ、息づかしめよ。このことが実現できない言語空間に”自由”はあり得ないからである。

 <日本の読者に対して私が望みたいことは、次の一事を措いてほかにない。即ち人が言葉によって考えるほかない以上、人は自らの思惟を拘束し、条件づけている言語空間の真の性質を知ることなしには、到底自由にものを考えることができない、という、至極簡明な原則がそれである。

 これらの言葉は「閉ざされた言語空間」の中の言葉だ。

 「閉ざされた言語空間」は1989年文芸春秋刊。文春文庫になったが、品切れ中らしい。ちくま学芸文庫の「江藤淳コレクション1」には全文ではなく、抄録が載っているそうだ。

 昔の昔「1946年憲法ー―その拘束」は読んだと思うのだが、覚えていない。1980年文芸春秋刊だが、私は文春文庫版で読んだ。当時はあまり、そういう問題意識がなく、面白くなかったことを覚えている。

 江藤淳しの言葉は過激に聞こえても、それがナショナリズムだ。ナショナリズムを怖がりすぎるため、ナショナリズムを押さえつけすぎると、噴火した際のマグマはものすごく大きくなるのではないか。江藤の言う通り、日本は年々悪くなっていくようだ。末法の世の中がやってきたのか。

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2009年5月28日 (木)

中西寛氏が推薦する「ポスト冷戦後」論文~毎日新聞5月28日朝刊[論壇を読む]

 毎日新聞5月28日朝刊文化面[論壇を読む 5月]は京都大教授・中西寛氏による<20年の「ポスト冷戦」期/日本がとるべき政策は>だった。

 取り上げている論文は次の通り。

①「ポスト冷戦」の終わり(納家政嗣)=アステイオン70号
②「砂社会」ロシアの復活(袴田茂樹)=同上
③中国共産党政権の本質は何も変わらない(清水美和)=中央公論6月号
④平成皇室の「象徴力」とその危機(ケネス・ルオフ)=世界6月号

 最近、いろいろな紙面で「アステイオン」という雑誌が出てくるのだが、近くの本屋には置いていない。丸善にでも行かないとないのかもしれない。年に2回ほど出ている雑誌で、昔はTBSブリタニカが出していたが、売れなくて休刊していたと思った。1000円しない雑誌だから、買うのには抵抗感はないのだが、普通の本屋でも置いてほしい。

 中西氏の論を読もう。

 <今年はベルリンの壁が崩壊し、アメリカのブッシュ(父)大統領とソ連のゴルバチョフ書記長が冷戦の終結を高らかに謳ってから20年目になる。しかし、当時の希望に満ちた空気はほぼ一貫して裏切られ、現在は世界経済危機の中にある。今の我々の位置を理解する上で20年間の軌跡を振り返ることには意味があろう。>

 というのが中西氏の今回の論文を通底するであろう問題意識のようだ。

 <『アステイオン』は内外の政治学者、経済学者が冷戦終結後20年間の総括を試みた本格的な特集を組んだ。代表的な論考として国際政治学者の納家による①を紹介する。それによれば、過去20年間の「ポスト冷戦」期は、アメリカ発の新自由主義思想が普遍性のある価値ないしイデオロギーとして世界的に共有され、その一環として進められた市場経済の浸透や政府規制の緩和が格差の拡大、市場の暴走、テロなどの非対称的脅威といった諸問題を顕在化させる過程と捉えられる。現在はこうしたアメリカ主導の新自由主義に対する反省ないし反動の時期であり、政府規制の拡大やロシアの復活、中国などの新興国の台頭などといった国家の再評価の時代ではあるが、それは決して「ポスト冷戦」前の時代への逆行を意味するわけではなく、グローバリゼーションやその中でのアメリカの主導性は基本的に保たれる、という認識である。>

 これが「ポスト冷戦後」ということなのか。

 納家氏の論文を読んでいないので、何とも言えないが、少なくとも地政学者、戦略学者らによる「ポスト冷戦後」議論を取り込んだものになっていないと面白くはないのではないか、とも思った。

 読んだばかりの孫崎享氏を何度も引用してしまうのだが、「日米同盟の正体」(講談社新書)は冷戦後に対応する米世界戦略が1993、1994年ごろに策定され、その後、2001年の9.11を経て、より米国世界一極支配的戦略が色濃くなった、と見ていた。その延長線上に2005年の日米安保条約の実質的見直しがくる、という論だった。

日米同盟の正体~迷走する安全保障 (講談社現代新書) 日米同盟の正体~迷走する安全保障 (講談社現代新書)

著者:孫崎 享
販売元:講談社
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 また、経済学者たちも「帝国」概念を使う人、使わない人の差はあるが、米国中心のドル循環体制の成立と強化を分析する中で、ポスト冷戦後に迫ろうとしていた。

 当然、そういう議論を取り込んだ論文なのだろう。読んでみたいものだ。

 <袴田は②で冷戦のもう一方の当事者ロシアの側から過去20年を振り返る。ソ連崩壊後のロシアで知識人たちが主導した自由化、西側追随は1990年代を通じて幻滅へとつながり、一般国民の中に潜在していたナショナリズム、大国願望の復活に帰結して大国ロシアの復活を唱えるプーチン体制の強大化を支えた。しかし、メドベージェフとの二頭体制が始まった昨年、経済危機の開始によってロシアの自信は急速に崩壊し、ロシア独自の道への愛着と国際協調主義の間で戸惑いが広がりつつあると袴田は分析する。>

 この袴田茂樹・青山学院大学教授の分析は正しいと思う。戸惑いが広がって、世論が分裂するのか、プーチン―メドベージェフ双頭体制が求心力を持って統合を強化するのか、今年の大きな見所なのか? 日本にとっては、北方領土問題も絡んでくる。

 <社会主義体制の崩壊を経験したソ連東欧諸国に対し、中国は民主化運動を弾圧して体制の維持に成功し、グローバリゼーションの潮流に乗って世界的影響力を高めつつある。しかし、中国を観察し続けてきた清水は③で、天安門事件後20年を経て中国の悩みも深まっていることを指摘する。>

 清水美和氏は東京新聞の論説委員。今でも覚えているのは温家宝来日の前に光華寮裁判で最高裁が予想もしなかった時期に判決を下し、台湾の負け、中国(胡錦濤の中国)の勝ち、との裁きを出し、日を置かずに従軍慰安婦などの日本国への請求権を認めない、との判決を出し、各地裁、高裁で係争中の裁判の指針を出したことと、温家宝来日を結びつけて論じていたことだった。司法と行政の独立とは真っ向から対立するのだが、日本という国の国家意思を決める際に、最高裁事務局と外務省条約局とで続けられている水面下の接触が生きたケースだった、という趣旨だったと思う。

 相当詳しく取材している記者なのだなぁ、と舌を巻いたものだった。

 去年くらいに出たちくま新書の「『中国問題』の内幕」も面白かった。注目の中国分析家である。

「中国問題」の内幕 (ちくま新書) 「中国問題」の内幕 (ちくま新書)

著者:清水 美和
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 <天安門事件は改革開放の恩恵に恵まれなかった知識人、学生の不満が鄧小平と趙紫陽の路線対立に利用されて起きた事件だった。勝利した鄧小平とその継承者は体制批判の抑圧と市場開放の急進化を両立させる路線をとった。今や共産党は経済的特権集団となり、多くの知識人もそこにとり込まれたが、逆に労働者、農民の生活は困窮し、不満は鬱積している。今回の金融危機にあたって西側との協調を維持すべきか、中国独自の道を主張すべきか、潜在的な路線対立もほの見えるという。>

 中国共産党に入っている人は金持ちになり、非党員は金がない。不満も出てくるだろう、と思うが、その不満を情報統制と警察力で押さえつけられている、というのは驚くべきことだ、と思う。

 <20年前に繁栄の絶頂期にあった日本はバブル崩壊以降、経済的、政治的混迷が続いてきた。その間に大きく変化したのは天皇、皇室に対する国民の関心、発言のあり方である。④は外国人研究者の視点から天皇夫妻の「象徴」としての取り組みと、皇室が抱える課題を整理した好論文である。>

 これも読みたいが……。

 <他方、未来に向けて日本が国際政治上とるべき政策について論壇の議論は活気に乏しい。今号で休刊となる『諸君!』も過去を振り返るトーンが強い。櫻井孝昌『アニメ文化外交』(ちくま新書)は、日本外交のこのテーマでの取り組みを紹介していて興味深いが、今後予想される国際政治の荒波をアニメ外交だけでは乗り切れまい。近づく総選挙をきっかけに本格的な外交論議を期待したい。>

 中西氏の言う通り、アニメじゃないでしょ、麻生さん。

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2009年5月11日 (月)

臓器移植問題、毎日新聞の社説が良かった~各紙の4月末から5月11日までの社説

 5月11日の毎日新聞社説<臓器移植法改正/にわか勉強では困る>はまともな論だった、と思う。今の国会の臓器移植法改正の動きを冷静に分析し、「急ぐな」と提言しているのだ。

 その論拠は、

①世界保健機関(WHO)の移植指針改正の主眼は臓器売買にからむ「移植ツーリズム」の規制で、通常の渡航移植制限ははっきりしていないし、WHOの指針改正は1年先送りされる見通し。

②臓器移植法変更は人々の死生観や医療への信頼にかかわる重い課題で、国会議員が勉強不足のまま「一夜漬け」で採決すべきでない。

③現行法では脳死者からの臓器移植には本人と家族両方の同意が必要。長年の議論で「脳死は人の死」と考えない人にも配慮した内容。15歳未満の子供からは臓器摘出できない。河野太郎氏らの「A案」は脳死者を一律「死者」とみなし、年齢にかかわらず、本人が拒否していなければ、家族の同意で臓器を摘出できる内容だ。子供は大人より脳死判定が難しいとの指摘もあり、脳死の背景に虐待がないことをどう確かめるか、の課題も残る。

④「脳死は人の死」と考えない人も提供者となりうることを国民が受け入れるか、よく検討する必要がある。

⑤臓器提供同意可能年齢を12歳まで引き下げる「B案」や15歳未満は家族の同意で臓器提供可能とする「D案」もある。大人でも難しい問題を12歳の子供に決めさせられるのか。

 というものだった。全く同感である。

 わが意を得たり、と思った。

 というのは、それまで、各紙の臓器移植に関する社説は「何しろ困っているのだから早く決めろ」という乱暴な論が目立ったからだ。

◆読売新聞の大衆受けを狙った社説

 最近の例で言うと5月6日の読売新聞社説<臓器移植法改正/国内で完結すべき命のリレー>がそうだった。

 <日本国内で臓器移植を厳しく制限しながら、海外で臓器をもらう。身勝手な振る舞いと見られても、やむを得まい。5月中に世界保健機関(WHO)が「臓器移植は自国で完結させるべきだ」との指針を決定する。背景に日本の現状への批判が含まれている。この“外圧”を前に、国会は連休明けから臓器移植法改正案を本格的に審議することになった。採決の際には、与野党とも党議拘束をかけない見通しだ。国会議員一人ひとりが、脳死と移植医療をどう考えるか、重い問いと向き合わねばならない。>

 という書き出しを見れば分かるように、まず日本人が身勝手だ、それを是正する必要がある、という論理が先に来ている。

 <現行の臓器移植法は1997年10月に施行された。だが、11年半の間に行われた脳死移植は81例だ。米国では毎年数千例、欧州の主要国でも年間数百例の脳死移植があるのに、あまりに少ない。>

 と日本の異常さを国際比較の中で浮き彫りにする手口で論が進む。

 <欧米などでは、本人の意思が分からない場合は家族の同意で臓器提供が可能である。ところが日本では、まず本人がカードなど書面で提供意思を残していることが絶対条件だ。それでも家族が反対すれば移植はできない。提供意思の表示能力があるのは民法上15歳からとされるため、乳幼児は臓器の大きさが合わず、国内での移植はまず不可能だ。このため、多くの子どもが支援金を募り、海外で移植を受けてきた。大人も、中国で死刑囚から摘出したと見られる臓器の移植を受けるなどしている。WHOの指針により、こうした渡航移植は強く自粛を求められる。>

 何か日本人が「ベニスの商人」のシャイロック並みに描かれている。

 読売新聞の論説委員に訴えたい。今や日本の新聞の社説はすぐに各国語に翻訳され、内容次第ではインターネットで各国の一般人が閲読可能な状態になっている。このような書き出しの「国辱」ものの社説を反日中国人らは喜んで転電し、反日をあおるだろう。

 読売社説は国会の3案を説明し、

 <「人の死」における脳死の位置付けや、虐待されて脳死となった子どもを見分ける体制整備など、詰めるべき論点は多い。死生観の絡む、難しい問題である。だが、これからは海外で臓器がもらえなくなることははっきりしている。国内だけで命のリレーをどう形成するのか、もはや答えを先送りすることはできまい。>

 と、留保条件をおまけのように付けながら、早期採決を促しているのだ。論理的でないことこのうえない。詰めるべき点が多いのならば、宗教学者や宗教家、倫理学者、脳科学者、現場の医師、子供を脳死で失った親、わが子の臓器移植を待ち望む親らを集めた徹底討論をするなりして、論議を重ねるべきではないか。困っているのだから、基準を下げろ、国際基準に合わせろ、という論議は日本人の矜持を大切にする読売新聞の論説委員会とも思えぬ非論理的で粗すぎる論だ、と思う。

◆産経新聞も竹中平蔵氏と付き合ってからおかしくなった

 国粋主義者の集まりだったはずの産経新聞もこの問題では欧米中心のキリスト教的粗雑さを容認する主張をしていたので驚いた。4月21日「主張」(産経新聞の社説の呼び方)である。タイトルは<臓器移植法/ドナー増加を促す改正に>である。

 <長い間たなざらしにされてきた臓器移植法の改正案を成立させようとする機運がやっと盛り上がってきた。世界的なドナー(臓器提供者)不足の中で、移植する臓器がなく、命を失う患者が後を絶たない。人の生命にかかわる重要な法案だ。きちんと審議し、一刻も早く実現させるべきだ。>

 という前文を読むだけで、結論が見える。産経新聞はいつから「パンとサーカス」の新聞になり下がったのか、と溜息が出る。

 <日本は臓器移植法の施行(平成9年10月)後も脳死ドナーの数が異常に少なく、欧米の移植先進国に頼ってきた。とりわけドナーが15歳以上に限られる子供の場合は渡航移植しか術がない。このため国内外から「どこの国でもドナーが足りないのに外国に頼るのはおかしい」との批判が出ていた。>

 と、これも国際標準を批判の論拠にしているのは読売新聞と同じである。

 <改正案のひとつは脳死を人の死とし、ドナー本人が臓器の提供を拒否していない限り、家族の同意で提供できるようにする。この案だと、確実に脳死ドナーを増やすことはできるが、死生観の違いなどから脳死が一律に人の死となることに難色を示す意見もある。第2の案は、ドナーの生前の意思が確実に確認できなければ提供できないという現行法の枠組みは変えず、ドナーになる年齢を「15歳以上」から「12歳以上」に引き下げる案だ。脳死を臓器提供に限ることで、死生観をめぐる悩ましい問題は回避できる。しかし、ドナー増加には結びつきにくい。第3は、脳死判定基準を厳しくする移植慎重派による案だが、いま以上に脳死ドナーが減る。三つの法案の要素を取り込んだ第4案も検討されているが、妥協の産物になったのでは問題外だ。>

 というのが改正案への評価である。ドナー増加に結びつくのはA案だけだ、として、D案も否定する。

 <自分の心臓や肝臓、腎臓などの臓器を死後に無償で提供しようとする善意のドナーと、その臓器がなければ命を失う患者とを結び付けて支えるのが、臓器移植法の本来の姿だろう。ドナーの増加を無理なく促す改正となるように、国会で知恵を絞ってほしい。>

 この結論は逃げである。「ドナーの増加を無理なく促す」などときれいごとを言っているが、闇世界の臓器売買が増え、自己破産した人々が腎臓を売るはめになる、などの非人道的事件も増えかねない。

 こういう問題は副作用をきちんと議論してから実行すべきなのに、その部分を人情論だけですませれば、あとから大変なことが起きる。

 また、日本人の「日本人らしさ」を担保してきた死生観が変容しかねない大きな問題だ、という意識がなさ過ぎる。本当にあの産経新聞の社説なのか、と疑いたくもなる。

◆まともだった朝日新聞の社説

 朝日新聞は4月25日の社説<臓器移植/幅広い視野から合意点を>で、

 <臓器移植は、提供者の死を前提とする特殊な医療だ。私たち一人ひとりの死生観も絡む。幅広い観点から慎重に議論し、多くの人が納得できる答えを見つけてほしい。>

 というのが結論だろう。

 <現行法の基本を守りつつ、なんとか子どもの移植に道が開けないか、知恵を絞ってほしい。>

 として、

 <移植医は、日本の子どもが国内で移植を受けられないのは不公平という。小児科医は、子どもの場合、脳死の診断後に何カ月も生きたり脳の機能が回復したりする例もあり、判定は100%完全とは言い切れないと述べる。親が子どもの突然の死を受け入れるには時間がかかることも強調した。>

 と公平な書き方をして、

 <そのことをうかがわせる数字がある。心臓停止後にしても16歳未満の臓器提供は昨年がゼロ、その前の2年も1件ずつ。04年の5件が近年では最高だ。子どもの臓器提供は簡単には増えそうもない。>

 <一方、救急医は、脳死移植を認めつつ、救急現場の厳しい実情を訴えた。納得して臓器を提供できるには、最後まで救命の手立てが尽くされることが大前提だ。大人についても同じことが言える。救急現場の疲弊が、ここにも影を落としかねない。>

 <法の施行以来、脳死移植は81例にとどまる。世界的にもきわめて低い水準であることは間違いない。議論の盛り上がりは社会的合意づくりの好機である。真摯な意見調整を注目したい。>

 と結んでいた。

 朝日新聞もここでは良識を発揮している。少なくとも、読売新聞や産経新聞のように世論に阿って「急げ、急げ」とは言わなかった。

 4月23日の東京新聞社説は<臓器移植/渡航せずに済むように>で、ああでもない、こうでもない、と書いていた。そして、

 <脳死移植は第3者の死を前提にする特異な医療だけに、できるだけ多数の理解を得て進めたい。>

 と常識の線でまとめているのに、見出しは<渡航せずに済むように>である。ここに東京新聞の本音が見えるのではないか。つまり、最も考えていない社説だ、ということだろう。

 今国会では、結局、何もせずに終わるだろうし、結果的には毎日新聞の主張通りになる可能性が大きいとは思う。

◆河野太郎氏を当選させている神奈川のみなさん、考えてほしい

 しかし、河野太郎氏のような「日本の伝統」「日本人の心情」「日本の醇風美俗」を全く無視するアメリカ人のような人間が衆院議員をしていることが信じられない。神奈川県の選挙民は日本がアメリカの51番目の州になってもいいと思っているのだろうか?

 (追記)あとのエントリーでも書いたが、次の二つは是非モノだと思う。お勧めだ。

http://allatanys.jp/B001/UGC020005320090626COK00327.html

http://mainichi.jp/select/opinion/watching/news/20090621ddm004070026000c.html

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2009年5月 8日 (金)

WHOの移植指針先送り、ホッとしたが、それにしても河野太郎氏は……毎日新聞、朝日新聞5月8日朝刊

 毎日新聞5月8日朝刊1面<「移植指針」先送り/WHO、インフル対策優先>はジュネーブ支局の澤田克己特派員の記事。世界保健機関(WHO)が今回総会で予定していた臓器移植の国内拡大を求めるガイドラインの採択を1年延期する、という内容だ。WHOの臓器移植問題のメンバーが新型インフルエンザ対策に関わるメンバーとほぼ同じであるため、あまりにも長い期間、総会で縛り付けておくと、新型インフルエンザ対策に遅れがでてはいけない、とチャン事務局長が決断したらしい。

 毎日新聞は<法改正目指す国会論議影響も>のベタ見出しで今国会で採択する予定の臓器移植法改正の動きに影響が出るだろう、と書いていた。そうなるだろう。

 国会で様々な意見が開陳されたことは以前、このブログにも毎日新聞の記事をコピペしておいたから、お分かりいただけると思うが、この国会での意見開陳はあっても、国民レベルで理解が進んだとは到底言えない状態ではないか、と思う。

 今まで厳しい規制があって臓器提供を申し出る人が少なかったから、海外で手術をする人が大多数だった日本にとって、「臓器は自国で調達せよ」というガイドラインは厳しいものである。人情から言えば、またどこかで抜け道を見つけて助かる命を助けるのが医者の仕事ではないか、という声が聞こえてきそうだ。

 そうなのかもしれない。その論を掲げる第一人者が河野太郎衆院議員だ。河野陽平衆院議長の長男で、大病をした議長のために自分の腎臓だかを移植してあげた、という美談の持ち主である。この人たちは「脳死が人の死」ということを法律に書け、と言っている。

 柳田邦夫氏の本を何冊か読んだが、果たして脳死を人の死と認めていいのかどうか、私は疑問だと思っている。脳死とは脳波が止まった状態である。科学的に、停止状態がどのくらいの長さ続くか、とか、何度検査する、とか決めているが、心臓が動いている人間を「死んだ」と決め付ける法律は日本人の感性にそぐわないのではなかろうか。

 朝日新聞は5月8日朝刊2面<臓器移植インタビュー/「脳死は人の死」明確に/A案を提案 河野太郎氏(自民)>のタイトルで写真つきでインタビューを掲載していた。南彰記者がインタビューアーだ。

 河野氏はここで予想通りの一点の曇りない話しぶりで、脳死を人の死とすべきだ、と話している。スカッとしているのが河野流なのだろうが、スカッとしている、ということは逆に言えば「単細胞」なので、いい意味でも悪い意味でも「坊ちゃん議員」、「二世議員」の特徴が最も顕著な人物なのだろう。

 河野氏の話の中で気になった点だけ書いておこう。

①現行法が国際基準から著しく逸脱している、という主張

 「国際基準」という言葉が出てくるところから、この人の頭の中が透けて見えるようだ。人の死という人生観、死生観、文化、伝統に最もかかわる部分でどうして「国際基準」が出てくるのだろうか? イスラム教が豚を食べないのは国際基準から外れているのか? 「国際基準」というのは今の世の中では「欧米基準」という意味しかないだろう。明治政府は徳川幕府の政治を転換して欧米に追いつこうとして、鹿鳴館をつくり、モノマネ外交を展開した。あの当時はそれも必要だった。欧米基準を満たしていないと認定されれば「野蛮」と分類され、帝国主義国に侵略されても文句が言えない時代だった。しかし、鹿鳴館時代はすぐさま反動に襲われる。国粋主義が台頭し、日本の伝統を墨守する勢力が出てきた。明治政府は欧化政策と伝統墨守政策の両にらみで国家を運営せざるを得なかった。

 日本は戦後もアメリカを見習って、日本の伝統を壊す作業を続けたが、その行き過ぎた欧米主義の欠陥がようやく露呈してきた。川端康成のノーベル賞受賞演説「美しい日本の私」は日本ナショナリズムのありようを世界に宣言した講演だった。

 そして今、アメリカが主導した金融資本主義が行き詰まり、日本的な循環社会が世界標準になるかどうか、の時代を迎えている。「世界標準」、「国際標準」というのは時代によって変わるのだ。今の臓器売買でも何でも強いものがやるのは許そう、という考えは欧米肉食社会の悪い部分だと思う。

 少なくとも日本では「分を知り」、「華美を求めず」、「天寿を全うする」ことが大切だ、という心情が大切にされてきた、と思う。

 臓器移植とはありていに言えば、他人の臓物を奪ってきて、自分の命を長らえさせる行為である。体にメスを入れることを先祖からの教えで拒否する人もいるだろうし、自分の子供だったら手足だけでなく、自分の心臓だってあげる、という親もいるだろうが、なぜ他人を助けるために臓物を奪われるのか、と釈然としない人だって多いはずなのだ。

 国際基準をかざして論破しようとするのは傲慢である。

②脳死を死ということを拒否できる、と言うが、錯乱している家族がそんな理性的対応が出来るか

 どっちを原則とし、どっちを例外とするか、は大切な話だ。すべての関連法を策定する際に、原則に準拠した法律になる。今は人の死を自然死、つまり心臓が止まった段階で死んだ、ということにしているので、相続にしてもその死を基準に動いている。しかし、脳死を死とすれば、社会のルールは激変する。

 大体、80歳で脳死となって生きている人はそう長くは生きないだろうからあまり問題ではないのだが、一番問題は若くして事故などで亡くなるケースだ。幼稚園で滑り台から落ちて打ち所が悪く、脳死した。しかし、心臓は動いている。この親に、医者は「脳死しました。あなたの娘さんは死にました」といって死亡診断書を出すように言ったとする。あなたの妻が半狂乱になって「そんなこと言ったってまだ心臓が動いているじゃないですか。何かのショックで脳だって動き出すかもしれません」と言ったら、あなたはどうするのだろう? 娘は死んだのだ、と割り切れるのだろうか? この時、忙しい医者が「まだ死んでない、と言えますよ」という適切なアドバイスをしなければ、娘は頬がピンク色のまま荼毘に付される。

 こんな事態がどこでも頻発するだろう、と想像するのだ。よほど強い意思を持った人でなければ拒否などできないだろう。アメリカの文化と違って日本の文化には「長いものには巻かれろ」文化があり、拒否ということはアメリカ人と違って大変な意志力が必要なのだ。河野氏はこのような文化面の日米の違いなど無視するだろうが。

③子供脳死臨調は必要ない、という断定

 本当にそうなのか? 柳田氏の著書には「脳死です」と言われて随分時間がたってから生き返った例を報告していた。人の死をフォーディズムのようなベルトコンベア的な考えで割り切ると、大変な禍根を残す。少なくとも宗教学者や心理学者、脳科学者、倫理学者らの徹底したオープンな議論が必要なのではないか。ただ、海外で調達できないから急ぐのだ、では通用しない。

④反対派が審議拒否してきたのは国の不作為

 河野氏のように一見人道的なように見える議論を展開して、反省のない人間が国会議員をやっていることが問題なのだ、と私は思っている。反対派がなぜ議論に応じていないのか知らないが、このような一方的な意見を認めさせるための議論だったら必要ないだろう。不作為というのは、もっと根本的なものではないか。

 人の臓器を使わずにip細胞を使って臓器移植意ができるように京大研究室に今の100倍の予算をつけるとか、東洋医学的な療法を研究するとか、国会議員だったら、そのような国家百年の大計を考えた議論をしてほしい。

 「困っている人をどうするのか」と恫喝するような議論に他人を巻き込むような強盗的な議論だけはやめてほしいと思う。

 と言っても河野氏には通じないだろう。父親が従軍慰安婦への国家関与を認め、あとで官房副長官が「あれは根拠がなかった」とばらしたように、韓国、中国への異常な阿りで生きている人物である。その息子も同じDNAを持っているらしい。

 ただ、日本人はアホではない。少しずつ学習している。河野一族がいかに信用できないか、分かってきている。次の総選挙で落とそうではないか。

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2009年4月26日 (日)

山折哲雄氏の西欧文明批判と日本の生き方考~読売新聞4月26日朝刊[地球を読む]から

 4月26日読売新聞朝刊1、2面のコラム[地球を読む]の山折哲雄氏の<金融危機と宗教/無常観で冷静対処を/循環原則 生死も景気も>を興味深く読んだ。

 いろいろ書いているが、約めて言えば、欧米のユダヤ教、キリスト教は「無常」を理解せず拒否するので、「危機を乗り越えるための生き残り戦略」が最大関心事になり、無常というアジア的エートス(精神)ほど退嬰的で虚無的な思想はない、と考える。無常観が確固として存在した日本でもこのアングロサクソン流の生き残り戦略の傘の下にすっぽり包み込まれ、グローバリゼーションという名の戦略に加担することに日本人は夢中になりすぎたのではないか、という問いかけであり、世界経済危機も景気循環のひとつなのだから、冷静に対処しよう、という呼びかけである。なぜなら、「怒りの神も愛の神ももたないわれわれ自身のエートスが、世界からためされている」からだ、ということだと思う。

 通常の景気循環で説明が付かない世界経済危機とはいっても、たしかに栄えたものは滅び、繁栄は没落の一歩だし、そこであがいても、輪廻転生はすでに起きているので、新しい局面が開けるだけで、今までの繁栄そのものが続くというわけではない、という意味では山折氏のいう「景気循環の一つ」という捉え方は正しいと思う。多くの経済学者は「違う」と言うだろうが。

 <そもそも無常には、三つの考えが含まれている。この世に永遠なるものは、何一つ存在しない。形あるものは、必ず壊れる。人は生きて、やがて死ぬ。以上の3原則だ。これを否定することは誰もできないだろう。よほどのひねくれ者でないかぎり、まずは疑うことの出来ない客観的事実であるといっていい。>

 として、その客観的事実を認めるにしても、それを自己の血肉化しない文明としてユダヤ・キリスト教文明、アングロサクソンによって形成された西欧社会だ、というのだ。

 たしかに、今の日本ではこの無常観を抱きながら、グローバリズムという名の怪物と西欧と同じ土俵で戦うべきだ、とする論が蔓延っている。50年、100年に一度の暴風雨でも輪廻、景気循環に変わりはない、という言葉の意味合いは重いと思う。

 この景気循環という言葉を分かり易く言い換えれば「無常」だ、というのも分かる。

 山折氏のいうように、

 <景気循環=無常の原則に立って長期的な展望を持ち、この事態に冷静に対処するように努力していく>

 ことが今ほど求められている時はないのだろう、とは思う。

 ただ、逆に言えば、私はこの世界不況は「お祭り」ではないか、と思うのだ。

 「ええじゃないか」とか、「打ち壊し」とか、「徳政令」とか、つまり、今までのパラダイムを壊し、新しい地平が開ける瞬間でもありえる、ということだと思うのだ。今までの欧米文明のパラダイムが崩壊し、アジア的エートスを世界の人々に広げるチャンスかもしれない。

 山折氏のような論をもっと読みたい。

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2009年4月22日 (水)

臓器移植問題と映画「豚を飼う授業」~毎日新聞4月21日夕刊、22日朝刊などから

 毎日新聞4月21日夕刊は1面トップ<臓器移植法改正案/緩和か厳格化か/「脳死」議論再び/衆院小委で参考人質疑>の見出しで論議を紹介した。コピペしておく。

 <議員立法で国会に提出されている三つの臓器移植法改正案について審査する衆院厚生労働委員会の小委員会が21日、開かれた。専門家ら6人が参考人として意見を述べ、質疑に応じた。現在認められていない14歳以下の子どもの心臓移植など脳死移植の増加を求める一方、脳死判定の難しさを指摘する意見や自己決定の尊重を求める立場からの反論が出された。参考人は意見陳述順に▽日本医科大病院の横田裕行副院長▽日本弁護士連合会人権擁護委員会の光石忠敬特別委嘱委員▽国立小児医療研究センターの雨宮浩名誉センター長▽大阪医大の田中英高准教授(小児科学)▽海外で心臓移植を受けた青山茂利さん▽日本宗教連盟の斎藤謙次幹事。それぞれ約15分ずつ意見を述べ、各党の代表者からの質問に答えた。>

 ということで、毎日新聞は22日朝刊でこの発言詳報を掲載していた。

 <改正案は①脳死を一律に人の死とし家族の同意があれば年齢を問わず臓器提供を容認(A案)②提供年齢を現在の15歳以上から12歳以上へ引き下げ(B案)③脳死の定義を厳格化(C案)の3案。>

 脳死とは、

 <脳の全機能が失われ、二度と回復しない状態。臓器移植法は臓器提供をする場合に限り、脳死を「人の死」とする。法的脳死判定基準(対象6歳以上)は①深い昏睡②瞳孔が開いたまま③脳幹反射の消失④平坦脳波⑤自発呼吸の消失――の5項目について6時間以上の間隔で2回判定することを求める。6歳未満は旧厚生省研究班が2回の判定間隔を24時間以上とする基準をまとめている。一方、脳死判定後も1カ月以上心臓が停止しない患者もみられ、判定の難しさを指摘する声が出ている。>

 とあった。この日の意見は、

 <雨宮氏はA案を支持する立場から「(内閣府調査では)6割を超える人が家族の同意で提供していいと考えている。家族の同意だけで臓器を提供できるのがグローバルスタンダード。国際事情で(海外での)小児の提供は極めて困難になる」と述べた。一方、光石氏は「A案は多くのレシピエント(臓器を受ける患者)の利益のために少数のドナー(臓器提供者)の犠牲はやむを得ないという考え方に基づいている。日弁連はC案を支持する」と反論した。田中氏は、脳死判定後も脳波が戻った長期脳死の例を紹介。「判定には限界があることを知ってもらった上で改正議論を進めてほしい」と訴えた。また、「虐待による小児の脳死例が見逃される」と懸念を表明した。斎藤氏は「宗教や文化などを踏まえ総合的に検討すべきだ」と批判した。>

 というものだった。

 毎日新聞22日朝刊掲載の詳報は次の通り。

◇横田裕行・日本医科大病院副院長

 <そもそも脳死判定は、臓器提供とは関係なく、患者を救命できるかどうか診断するための行為だ。現在の判定基準で、不可逆的な全脳機能の停止は判定できる。(脳の活動を判断する)脳血流検査は必須にすべきではない。一方、提供施設の負担は無視できない。人的支援があれば臓器提供に対応できる、という施設が多い。脳死判定から臓器提供まで約45時間もかかり、人手が切迫している現場では、日常診療に支障をきたす。法律が変わり提供が増えるのはいいことだが、今のままでは施設は破綻する。移植への信頼を裏切らない法律を作ってほしい。>

◇光石忠敬・日本弁護士連合会人権擁護委員会特別委嘱委員

 <臓器提供の増加を求める流れは、移植を受ける患者の利益のため臓器提供者を犠牲にしてもよいという考え方に基づく。だが、提供者の尊厳も患者同様に守られなければならない。現行法は自己決定の思想が前提であり、本人意思を不要とするのなら新法を作り直すべきだ。また、子どもの利益につながる親の代諾は認められるが、利益にならない代諾の権利は親も持てない。現行法にない組織、生体移植を盛り込み、自己決定を中心としたC案が一番いい改正案と思う。>

◇雨宮浩・国立小児医療研究センター名誉センター長

 <日本の臓器移植法の基準は極めて厳しい。提供は増えているが、最大で年13例に過ぎない。移植を望む多くの患者が亡くなっている。国際標準である家族による提供意思決定方式を取り入れるべきだ。このため、脳死を一律に人の死とし、家族同意で提供できるA案の施行をお願いしたい。各国も提供者不足が深刻で、今後の渡航移植は困難になると予想される。特に、国内で移植を受けられない小児が、公平に移植を受けられる法改正が必要だ。もし脳死判定を受けたくないと考える場合は断ることができ、それぞれの死生観にのっとった判断をすればいい。>

◇田中英高・大阪医大准教授(小児科学)

 <先週の日本小児科学会倫理委員会で、「脳死判定をしても100%脳機能が戻らないとは断言できない。意見表明ができない子どもの人権が損なわれる恐れがあり、A案には賛成できない」との合意がほぼ得られた。被虐待児のまぎれ込みを防ぐことは非常に難しく、小児の脳死判定には小児科医の7割が「不可能または分からない」と答えている。小児の脳死判定には限界がある。判定後に自発呼吸が戻るなど長期脳死の例もあり、小児科医は「自信を持った判定ができない」との不安を肌で感じている。その事実を広く国民に知ってもらいたい。>

◇米国で心臓移植を受けた青山茂利さん

 <1999年9月、45歳のとき突発性拡張型心筋症を発症し、余命3年と宣告された。自分のために家族を犠牲にできないと思い、渡航せず日本で提供を待つことにした。時間切れになれば潔く死のうと決めた。一方、「だれかの死を待つ」自分に苦しみ、希望がゼロではないことは絶体絶命よりつらかった。生きることをあきらめ、自分の気持ちを保った。ある日、車椅子に座る自分とは違い、米国で移植を受けて自分の足で立っている患者仲間と再会した。彼がまぶしく大きく見え、その夜は一睡もできなかった。渡航移植を決意し、米国で移植を受け、私の闘病生活が終わった。>

◇斎藤謙次・日本宗教連盟幹事

 <脳死移植は、個々人の死生観にかかわる重要な問題。医療現場の状況だけでなく、宗教、文化などを総合して検討すべきだ。社会的合意を得たうえでの改正を願いたい。脳死を人の死としてはならない。脳死では心臓が動き、温かい血液が流れている。日本人は心臓や呼吸が停止し、瞳孔が開くことを人の死として受容してきた。脳死を一律に人の死とする改正案は、将来に禍根を残す。他者の臓器摘出を前提にした医療は緊急避難的であり、普遍的とはいえない。過半数で決するのでなく、社会的合意ができるまで検討を重ねるよう求める。>

 難しい問題で、その後の動きもあるが、なかなか日本人がほぼ納得できるというような案ができる見通しはないのではないか。

◆映画「豚を飼う授業」

 思い出したのは当時、議論を呼んだ映画のことだった。

 桑畑四十郎という方がご自分のブログで、この映画を紹介しているので、彼の昨年11月23日のブログをコピペする。

http://ameblo.jp/kuwabatake/entry-10168904732.html

 <大阪の小学校での “豚を飼う授業” のお話。実話であるという点をしっかりふまえてご覧下さい。監督は、前田哲。原案(つまり、当事者の先生)は、黒田恭史。著書 「豚のPちゃんと32人の小学生」 があり、1993年にフジテレビの 「今夜は好奇心」 で放送されて、賛否両論を巻き起こしたそうです。出演は、妻夫木聡、甘利はるな、大杉漣、原田美枝子、田畑智子、戸田菜穂、ピエール瀧、その他たくさんの子供たち、豚。>

 というような紹介から始まって、

 <思ったより健全な映画に仕上がりました。“青少年映画審議会推薦” “日本PTA全国協議会特別推薦” “文部科学省選定” などというすごい肩書きがついているので 、家族揃って見ても大丈夫です。…俺的にはちょっと不満が残りますが。>

 と、この映画が文部科学省も認定した「良い子路線」であることを教えてくれる。そして、映画紹介だ。

 <6年生の担任を受け持つことになった新任教師・妻夫木先生は、いきなり教室に子ブタを持って登場。『…このブタをみんなで育てて、最後は食べようと思います。』 生徒たちは困惑するも、かわいいブタに魅せられ、一生懸命に世話をするようになる。食肉のつもりだったブタが、クラスのペットになってしまい…。>

 <本作は、食育という面と、人間と動物の関わり合いという面、ひいては人同士のつながりにまで波紋を広げていく。いやはや、ブタ一匹でここまでの騒動になるとは。Pちゃんもすごいプレッシャーですねえ。こんなに有名なブタも珍しいんじゃないでしょうか。まさに伝説のブタ。ブタだけに、“豚(トン)デモな授業” といったところですね。>

 <人生においては、答えのないことが実に多い。優等生は、答えを覚えておけば点は取れるが、社会に出るとそれだけではうまくいかない。相手や環境が変われば、それまでの常識はいとも簡単に覆される。そこで大事なのが、“考える力” なんです。あらゆる状況において、自分の頭で考えて、自分で行動を決めていく能力を磨く。それこそが、勉強する理由であると俺は思うんです。そしてそれは最終的に、自分の人生を生き抜いていく力になる。>

 <自分が小学生だった頃を考えても、彼らと同じ視点にはなれない。時代も環境も違うから。情報の洪水のような今の世の中において、正しい基準なんてもうないのかもしれない。誰かが何かを言えば、賛同する人も批判する人もいる。だけど、大切なのは志。黒田先生はいい授業をしたと思います。そしてそこにいた生徒達も、いい授業を受けたことを誇りに思って欲しいと思う。少なくとも、食べ物に感謝できる大人になっていることは間違いない。>

 <今どきの子供、今どきの大人。俺自身も、社会性に乏しい落ちこぼれのトンデモブロガーですが、みんなひっくるめて考えれば、いい悪いに差異はあまりないと思うんです。子供は決して純粋無垢じゃないし、大人も悪い人ばかりじゃない。子供が立派とか、先生が変だとかじゃなくて、この先生と生徒という “組み合わせ” が良かったんだと俺は思うんです。>

 <教える側と、学ぶ側。双方がしっかりしていれば、教材がトンデモであっても授業は成り立つ。逆に、トンデモな授業だからこそ面白いのだ。ここでしか学ぶことができない、貴重な時間を大切にして下さい。子供たちよ、しっかりがんばって、楽しく学んで下さい。>

 と論を展開されていた。

 私は最近、DVDを借りてきて観たのだが、見ていてイライラした。何という先生なのだ。先生としての自覚もないし、勝手なことをして学校全体に迷惑をかけて、と。しかし、観ているうちに気付いたのは、この映画はそのように観客をイライラさせたい映画だったのではないか、ということだった。

 桑畑四十郎さんが言うように、人生に簡単に◎×で決められることがらは多くない。その中で小異を捨てて大同についたり、迷ったりしながら人生を歩んでいくのだが、少なくとも「他人様に迷惑をかけてはいけない」とかの「道徳」は私の世代は親や学校の先生から叩き込まれていた。今はどうも違うようなのだ。どっちがいいのか、一概には言えないのだろうが、「道徳」を叩き込まれた世代からすると、電車を待つホームで列を作らずに割り込んで平気な若者や、肩がぶつかっても謝らない若者にイラつくこともある。

 この映画は映画でイライラさせることで、現実社会でのそんなイライラを鎮める効果を持っているのかもしれない。

 そして、本題である。

 この映画で豚を北朝鮮、卒業するから学校のどこかのクラスに譲って当然という児童たちを「飢え死にする人が可哀想だから援助しよう」といって、核開発を進める現状には黙ってしまう進歩的文化人、約束したのだから豚を殺して食べよう、という苦渋の決断をする児童は対北朝鮮強硬派なのか、と思ってみたりもした。別に北朝鮮の方々を愚弄する意味で例えたわけではないことを注記しておく。金正日総書記の独裁政治で人々は何も知らされていないのだから、余計に始末に悪いのだ。

 そして、脳死についてもこの児童の意見対立と同じだと思うのだ。

 どこに自分の立ち位置があるか、で言うことが違ってくる。

 欧米は一応、キリスト教文化圏としてのコンセンサスで「死」を見ていくだろうが、日本の八百万の神のいる列島ではどうなのだろうか、と。

 今の世の中で「モンスターペアレント」ではないが、勝手な人々が「何が悪いのか」と居直っているのを見ると、飼うときには「可愛いから」と飼い始め、卒業間じかになると「仲間だから殺すのは可哀想」と言う児童たちの精神構造、行動様式と同じであることに気付く。

 その精神をどのようにして「責任ある人間」にまでブラッシュアップするか、が問題だと思う。安倍晋三元首相の推進しようとした右傾教育路線だけでその目的が達成されるとは思わないが、そのブラッシュアップが終わらないと、脳死論議も勝手なことを言い合うだけで、哲学や宗教の深みに到達できないまま小手先の案でまとまる危険があると思うのだ。

 河野太郎氏のように、ブログを読むと訳の分からないことばかり書いてあり、勝手な論理満載。そのうえ、いつまでも日本人は自虐していろ、と言わんばかりの論理。日本人とも思えないような方なのだが、国会議員となっており、親子そろって一定の影響力を持っていることを考えると、この問題は一筋縄ではいかないだろう、とも思っている。

 功利主義と「あるべき」論と死生観と哲学。ベンサムとヘーゲルとカント。

 もっと勉強しないと分からないことが多いのだ、この世の中は。

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2009年4月 1日 (水)

永井陽之助氏追悼文(中嶋嶺雄氏と粕谷一希氏)~3月19日読売新聞朝刊と4月1日毎日新聞朝刊の寄稿

 2008年12月30日に国際政治学者、永井陽之助氏が亡くなった。84歳だった。各紙は3、4月に追悼文を掲載していた。毎日新聞は4月1日朝刊で中嶋嶺雄・国際教養大学長の追悼文を掲載した。見出しは<永井陽之助氏をしのぶ/平和論に切り込んだ現実主義者>だった。文章を書き写しながら、読んでみよう。

◆中嶋嶺雄氏による追悼文

 <文学、哲学から物理学や精神医学にいたる豊饒な学識、坂口安吾や丸山真男、E・フロム、ハンナ・アーレント、エリック・ホッファーからD・リースマン、スタンレー・ホフマンにいたる知的系譜、研ぎ澄まされた文章と挑発的なレトリック、まさにわが国20世紀知識人の最も優れた到達点を示し続けた国際政治学の永井陽之助氏は昨年末に逝去されていた。大きな喪失である。>

 という書き出しである。知的系譜として出てきた名前は綺羅星のようだ。ただ、この名前で普通想像する系譜に脈絡がないところが面白い。「堕落論」以後、日本文化を追求し続けた坂口安吾。進歩的文化人の代名詞である丸山真男、「自由からの逃走」のエーリッヒ・フロム、私が尊敬するハンナ・アーレント。「孤独な群衆」のデービッド・リースマン。こういう人たちの論の中からステレオタイプでない魂の部分を引き出してきた、ということなのだろう。

 <私個人にとっても永井先生はかけがえのない存在であった。私の著書を引用されたからと名著『平和の代償』(中央公論社)を署名入りで贈ってくださったのが1967年初頭だったので、もう40年以上も前のことになる。同書は、氏が在米中に出会った1962年のキューバ危機に強い衝撃を受け、朝鮮戦争からべトナム戦争までを見据えて、核時代の日本外交の拘束と選択の有様を示した力作であった。平和論過剰のわが国の言論界にいわば現実主義の立場から切り込んだ挑戦である。>

 産経新聞のオピニオン面に当時の論を再掲しているが、当時の「平和の過剰」は今になるとはっきり分かる。

 <私が永井氏に最初にお会いしたのは1967年春、日米知識人会議への出席を松本重治氏から要請された、国際文化会館での準備会のときであった。ウイリアムズバーグで開かれたこの会議は日本側が笠信太郎、桑原武夫、永井道雄、加藤周一、坂本義和の各氏ら、米国側がD・リースマン、E・ライシャワー、ダニエル・ベル、スタンレー・ホフマン、R・スカラピーノ各氏らの錚々たる面々で、中国の文化大革命とべトナム戦争がテーマであった。この会議では私が最年少かつ最初の訪米だったので、会議の後に永井氏とワシントンDCやハーバード大学へご一緒させていただいた。>

 こういう右も左も同席する話し合いの場が昔はあったのだ。だから、論壇という存在も命を吹き込まれ続けたのだろう、と思う。

 <中国の文化大革命の余波は、まもなくわが国の大学紛争へと連なっていった。東大の安田講堂落城が注目されたけれど、実は東京教育大と東京外大の紛争も深刻で、やがて東京工業大へも波及していった。私は東外大の教授会代表委員として過激派学生と対決せざるを得なかったが、永井氏も東工大で人社系を代表する立場にあり、私の東外大での経験を東工大で講演したこともあった。この学園紛争を国際的視野で論じた書が『柔構造社会と暴力』(中公叢書)である。同じ中公叢書にはキッシンジャー外交や日中友好外交を批判的に論じた『多極世界の構造』、政治的資源としての「時間」を「非対称紛争」としてのベトナム戦争に当てはめて論じた『時間の政治学』がある。>

 大学紛争を中国の文化大革命と関連付けて論じるとは、いかにも中嶋氏らしいが、日本の若者の反乱は中国の毛沢東の復権闘争である文化大革命と比較するよりは、フランスの「若者の反乱」や米国のヒッピー運動との関連の強さを論じたほうがいいとは思う。

 <こうした旺盛な言論活動のなかでの学術的貢献が、永井主査による文部省科学研究費特定研究「国際環境の基礎的研究」であった。この共同研究は、国際的な冷戦研究として注目を集め、京都シンポジウムには世界第一線の学者が集まった。その成果が英文ではコロンビア大学出版会から出され、わが国では永井著『冷戦の起源』などの「叢書 国際環境」(中央公論社)となり、永井氏は日本国際政治学会理事長にも就任された。>

 この辺はさすがにインナーグループにいて、永井氏の近くで過ごした方の思い出話だ、と思う。参考になる。

 <当初は現実主義の立場から理想主義者の平和・安全保障論を鋭く批判した永井氏だったが、言論や政治に軍事優先傾向が強まるなかで氏は、主に岡崎久彦氏との論戦を意識して防衛論を『文藝春秋』に1年間連載、1984年度文春読者賞を得ている。>

 そうなのだ。永井陽之助氏の分かりにくさはこの辺にもあるのだ。

 <永井氏の1985年の東工大最終講義を巻頭にした『二十世紀の遺産』(文藝春秋)は、粕谷一希氏と私もお手伝いした浩瀚な編著であり、氏の人脈の広さを物語っている。そこに登場する高坂正堯氏も江藤淳氏もすでに亡く、神谷不二氏もつい最近、永井氏の後を追って急逝された。これらの方々は、佐藤栄作政権の時代以降、首席秘書官・楠田實氏のもとで日中関係や日米関係の方策を永井氏とともに提言した論客でもあった。永井氏が論じた軽武装・日米同盟重視の「吉田ドクトリンは永遠なれ」との見解が一部で誤読されてもいる昨今だけに、氏の一貫した警告を忘れてはなるまい。>

 そうかぁ、佐藤政権のブレーンだったのか。

 <なお永井氏は毎日新聞社アジア調査会アジア研究委員会の代表幹事としても貢献された。>

◆粕谷一希氏による追悼文

 永井氏の業績はあまりに幅広いので、なかなか一言では言えない、というのだろう。中嶋氏が共同作業をした、として名前を挙げていた評論家の粕谷一希氏も3月19日読売新聞文化面に<永井陽之助さん追悼/壮大・華麗な思考の社交家>のタイトルで追悼文を寄稿していた。「論壇で大活躍をしていた1970年当時の永井陽之助さん」のポーズ写真がついていた。

 粕谷氏は5、6年前まで中嶋氏、粕谷氏らとの勉強会に出てきたが、ある時からプッツリと外界との関係を断ち、我々とも連絡が取れなくなった、と書き出している。文化人の中にはそういう人が結構多いようだ。衰えた姿を他人に見せたくないのだろうか?

 粕谷氏は、

 <1960年代後半から70年代前半にかけて、永井さんの舌鋒は圧倒的な迫力を持ち、壮大・華麗な体系的思考を展開して、論壇の中心的存在となった。歴史畑出身の人が多かった政治学界で、政治理論、政治社会学、政治意識論などを専門とされた。キューバ危機で米ソの正面衝突を危ぶまれた米国での経験を機に、国際政治に関心を移していかれた。>

 と書く。「歴史畑出身」というのは日本政治思想史を専攻した丸山真男氏を考えれば分かりやすいだろう。

 <私は北大時代から、永井さんと接触があり、編集者として、当時流行だったD・リースマンとW・ミルズの比較論を「思想の科学」に掲載した。やがて高坂正尭、萩原延寿など、新しい感覚の欧米帰りとの交わりは、私にとって”職業上の青春”と言ってよい。原稿を読むたびに、読み手の私が興奮し、高揚し、新しい想念の刺激を受けた。「平和の代償」の諸論考は、文学的感性を刺激し、福田恒存は「論壇のバラバラ事件」と評し、三島由紀夫は即座に面会を申し込んだ。以後「柔構造社会と暴力」、「冷戦の起源」など、またアンソロジーの傑作「政治的人間」が当時の読書人の意識を変えた。永井政治学の魅力は斬新な理論的枠組みにあった。またヨーロッパの正統派、R・アロン、S・ホフマン、C・シュミットなどを深く読み込み、アメリカとヨーロッパの幸福な融合を自分のモノとしていた。>

 「壮大・華麗」の中身が語られている。

 <永井さんは警句とジョークを愛していて、若い女性とのたわいない会話を楽しんだ。読書はその合間に集中的にやるらしく、我々は社交人永井氏を存分に味わった。警句では、ビスマルクの「愚者は自分の経験に学び、賢者は他人の経験に学ぶ」という言葉を好み、つねにヒントにしていた。>

 なるほど、このビスマルクの言葉は深いなぁ。読書は他人の経験に学ぶ最たるもの。どれだけ深く読み込めるか、で他人の経験を自分の経験と同一化できるかどうか、決まるのだろう。

 <今日、社会科学者は政府の審議会のメンバーであり、大きな対立もなく、論壇も総合雑誌も影が薄くなった。細分化された思考はますます専門化し、素人には見えない世界になってしまった。永井政治学の壮大と華麗を想い起こすのも、今日の意識と言語とを省みるひとつの方法かもしれない。>

 いいことを言っている。さすが粕谷氏だ。細分化した「知」を再び総合化する大きな手段がヘーゲルなのではないか、と誰かが書いていたのを思い出したのだが、名前を思い出せない。

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2009年3月26日 (木)

佐藤優氏のテロリズム論と現代日本論~毎日新聞3月26日夕刊[中島岳志的アジア対談]より

 毎日新聞3月26日夕刊文化面[中島岳志的アジア対談]はゲストが作家の佐藤優氏とあって、期待して読んだ。期待に違わず面白かった。見出しは<高天原、『資本論』にインテリジェンス/保守が反貧困の論理を 中島さん/雨宮、勝間両氏に注目 佐藤さん>だった。鈴木英生記者は、

 <今回のゲストは作家で起訴休職中外務事務官の佐藤優さん。右の『正論』『諸君!』から左の『週刊金曜日』『情況』まで、膨大な数の雑誌に登場し、専門分野のロシアやインテリジェンス(特殊情報)、キリスト教に保守思想、マルクス主義まで縦横に論じている。中島岳志さんとも貧困問題や国際問題などで濃密な議論が交わされた。>

 と書いているが、見出しだけ見ても相当に幅広い話が出たようにみえる。

 面白そうな部分をピックアップして書き写しておく。

▽中島氏=最近、貧困問題を解決すべしとの政治的共通認識が一定程度はできたが、一部「保守」から労働運動などへの冷ややかな視線が出て来た。

▽佐藤氏=昨年来『中央公論』に雨宮処凛さん、『文芸春秋』に湯浅誠さんが登場した。日本の社会体制を強化し、資本主義を安定的に発展させる観点で貧困を考える流れが保守に出来てきたのはいい現象だ。むしろ、問題は保守、右翼の中の分断だ。近代保守主義の父、バークの根っこには中世の実念論があり、この論は日本の高天原と極めて近い。我々の背後には必ず形而上的、超越的なものがあるという感覚が一部保守や右翼層から失われたので、この層からものすごい罵倒やせん滅戦が生まれる。あれは、最悪のレーニン主義とでも言うべきものだ。

▽中島氏=保守は今こそ貧困問題を乗り越える論理を積極的に展開すべきだ。

▽佐藤氏=私は違う意見だ。貧困は保守ではなく、左翼・労働運動の課題で、保守はそれを邪魔しない形で関与すべきだ。今、思想的に新自由主義を乗り越えつつあるのは2人の女性。雨宮処凛さんは「生きさせろ」、最低限の人としての尊厳を維持させろと言う。映画「遭難フリーター」の監督で、派遣労働者でもある岩淵弘樹さんの昼食は80~100円。私のいた東京拘置所の方がずっといい。だから、企業は最低限、東京拘置所と同じ飯を保障せよと。東京拘置所でもウナギやビフテキは出るから。もう一人は勝間和代さん。彼女の著書を新自由主義的に勝つ自己啓発本とする理解は全く違う。彼女は、マルクスの『資本論』の論理だと熟練労働者にあたる。新自由主義者から「断る力」の発想は出てこない。彼女は余暇や生活領域を分けて残りで働き、その単価をどう上げるか考える。しかも印税の2割を難民支援などに寄付する。経済合理性を排している。それに対し資本家のマニュアルは『資本論』だ。資本主義システムが回るために必要な賃金の要素は三つある。まず、家を借り、服を買い、食事をして、ちょっとしたレジャーをするお金。第2は、家族を持ち、子供をつくり、教育を与えて立派な労働者にするまでの経費。独身者の結婚資金やデート資金もそこに入る。3番目、技術革新に対応する教育費。これが資本主義システムに不可欠だと、マルクスは資本家向けに言っている。今の日本は2、3番目が忘れられ、一つ目もぎりぎりに切りつめている。これでは資本主義そのものが崩壊する。その賃金は、端的に言えば暴力が水準を規定する。つまり、資本家の方が強いから、労働者が団結しない限り、資本主義システムは持たなくなる。組織された戦闘的な労働組合は資本主義の維持に必要だ。保守的で金のある人はその金を労働運動に出すか、労働運動が救い切れない、たとえば湯浅誠さんの活動に1万円、2万円を出す。こういうできるところからの再分配が、保守の仕事だと思う。ワンクッション、勝間さんみたいな位置の人を挟む必要もある。熟練工で年収1000万円を超す。でも、自分は労働者という意識を持ち、200万円は再分配に回す。そういうお金がプールされればいい。おさい銭箱方式だ。いくら入れても関係ない。神主たちが勝手に使うということで。

▽中島氏=その動機付けはどうやって作るのか?

▽佐藤氏=難しい。キリスト教の土壌があれば簡単だが。

▽中島氏=ナショナリズムはどうか?

▽佐藤氏=敵なしで築くナショナリズムがあり得るのか。敵のイメージで日本をまとめるなら中国や北朝鮮、ロシアでは無理。もっと強い敵を相手にしないと。反米ナショナリズムだ。それをやり切れるのか。

▽中島氏=しっかりした政府への信頼感という形でのナショナリズムは?

▽佐藤氏=無理だから、湯浅誠さんみたいな人が重要だ。東大法学部で大学院まで入ったわけだから競争社会に強い。でも、今の社会があまり良いとは思えなかったのだろう。こうした何人かの指導的キャラクターが、物語を作ってゆくのではないか。

▽中島氏=現状を戦前の世界恐慌ごろにたとえる人もいるが?

▽佐藤氏=もう少し前かな。

▽中島氏=1919年ごろか。戦後不況で労働運動や普選運動が高まった。渦中にいたのが21年に安田財閥の安田善次郎を殺した朝日平吾だ。うっ屈と社会状況が相まって安田を殺す。彼の影響で1カ月後、原敬が暗殺され、昭和維新テロの土台になる。この流れの前夜と似ている気がする。

▽佐藤氏=田母神俊雄さんみたいな明るいキャラだから、あの程度で済む。あの感覚は社会常識から突出していない。朝日平吾級の人や、もっとアジテーター的な力のある人が出てきたらどうなるか。

▽中島氏=昨年の元厚生事務次官殺傷事件でも……。

▽佐藤氏=官邸筋にも新聞社のデスクにも読者にも、「テロが起きてもおかしくない」「テロでもないと世の中は変わらない」という深層心理があったと思う。それを整理しないと。テロをする側から見れば、テロをされるヤツは悪いヤツとなるでしょう。でも、テロをするとその悪いヤツが被害者になって不必要な同情が集まる。また、国家はテロが起きると過剰な暴力でテロリストを抑える。一度堰を切って暴力を使うようになった国家はものすごく怖い。

▽中島氏=佐藤さんは国家機能強化とファシズムを結びつけないための思想的作業を重視している。その土台が崩れつつある。言論の文脈を抜いた一部に熱狂的な批判が起きる。似た現象が世界である。インドも昨年のムンバイのテロ以降、パキスタンへの中傷競争が激しい。

▽佐藤氏=心配なのは、小さな核がカシミールで爆発すること。死傷者の数にもよるが、各国がエゴイスティックになっている状況で大きな国際的反発が起きない危険性がある。そこで、核兵器のハードルが下がる。すると、各国がテロに過剰反応を起こす。9.11以降のテロに対する意識は、戦前の「コミンテルンの脅威」と同じだ。コミンテルンはネットワーク型組織で各国は脅威にならないでくれと交渉する相手国がなかったから、国内で「非国民」排除に向かった。9.11以降も交渉相手がいない。この状況はファシズムに結びつきやすい。イギリスあたりは多分、アフガニスタンにタリバンを含めた連立政府ができることを考えている。それでタリバン穏健派という認識の枠組みを作る。イギリスはかつてアイルランド紛争でテロ組織IRAの政治部門であるシンフェイン党に議席を与えた。取引できるゲームのルールを作ったらIRAはテロをやめた。こういう連立方程式を解くために地域と国際情勢、インテリジェンスの専門家が学際的に考えないといけない。

 以上である。

 ほぼ全文を書き写してしまった。

 やはり佐藤優氏の論理はすごい。

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2009年3月16日 (月)

若宮啓文氏の五百旗頭氏擁護は五百旗頭氏を利用する卑怯なやり方だ~朝日新聞3月16日朝刊[風考計]

 朝日新聞3月16日朝刊オピニオン面に「本社コラムニスト」の肩書きで若宮啓文氏が自分のコラム[風考計]に<防衛大学校/校長を悩ます「田母神」応援団>のタイトルで論文を掲載していた。

 朝日新聞のネット版で捜したが、若宮氏の最近の論文はアップされていないようだった。仕方なく、グーグルで検索し、他の方のブログに全文が転載されていたのをコピペしてきた。論文を読みながら、コメントしていきたい。

 <日本は蒋介石の手で日中戦争に引きずり込まれた被害者だし、日米戦争はルーズベルトの罠にはまったもの。だから日本は悪くないという論文で空幕長を解任された田母神俊雄氏は、あれから4カ月半、意気軒高のようだ。一部の月刊誌ではしきりに応援歌が歌われ、本人も講演などに引っ張りだこ。その近著を読んでみれば、相変わらず都合のよい史料の解釈が並び、ますます勇ましさが加わった。いまや右派論壇の救世主といった趣である。>

 この書き出しからして高慢さと偏見に満ち満ちていることが分かるだろう。アプリオリに「田母神=悪」と規定するそのやり方は戦時中の軍部の「お前は非国民だ」という規定に通じるものがある。新聞記者という職業が事実の積み重ねの中から真実を追求することに喜びを見いだす職業だとしたら、若宮氏はすでに新聞記者として失格だと思う。思い込みだけでこのような文章を書けるのは新聞記者の仕事ではないからだ。だからこそ、「コラムニスト」と名乗っているのだろうが、そうすると、このような思い込みと偏見だけで公の紙面を専有する人物に定期的に機会を与えている朝日新聞編集局の責任ということになる。

 <日本の侵略を謝罪して政府の外交基盤となった「村山首相談話」に真っ向挑戦しただけに、文民統制に反すると処分されたのだが、その開き直りには「文民にも村山談話を批判してきた政治指導者がいるのに」との思いがのぞく。さもありなん。その代表格といえる元首相の安倍晋三氏は月刊誌に登場して「田母神論文に対するマスコミの反応は常軌を逸する」と批判。できるなら村山談話を塗り替えて「安倍談話」を出したかったと無念を語った。もし安倍政権が続いていたら、今度の問題にどう対処したのだろう。>

 田母神憎しが安倍晋三憎しに転化する。これだっておかしな話だ。

 <2月19日に田母神氏を自民党本部に招いて話を聞いたのは「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」だ。この会の前身は安倍氏や中川昭一氏らが作ったもので、今の会長は中山成彬氏。彼もまた成田空港建設をめぐる「ゴネ得」発言や激しい日教組批判で麻生内閣の国交相を辞めた人だが、「空幕長の発言は村山談話を見直すいい機会だったのに、急に更迭されたのは大変残念」とホームページで熱いエールを送っている。>

 どこまで他人の思想を貶めれば気が済むのか。中山氏は大臣を辞めてケジメをつけたのに、その後まで貶める必要があるのか? 大臣を辞めたのだから発言はするな、ということなのか? 自分と違う主張を発信する人たちへのこのような攻撃的な書き方は朝日新聞の品格を疑わせるものだろう。

 <さて、その裏返しのように、いま田母神シンパの一部から激しい攻撃を受けているのが、防衛大学校の五百旗頭真校長だ。事件のすぐ後、毎日新聞のコラム「時代の風」(2008年11月9日)で田母神氏の処分を強く支持したことから標的となった。>

 これはベテランのジャーナリストがよく使う手である。自分の極端な物言いを正当化するために、世間で尊敬されている人物の言説を持ってきて、<自分=尊敬される人物>という構図を作る。そして、その人の言説を歪曲して紹介して、自分の支持を広げる、という手法である。ヒトラーなどが得意としたファシズムの手法だ。

 <コラムでは「軍人が自らの信念や思い込みに基づいて独白に行動することは、軍人が社会における実力の最終的所有者であるだけに、きわめて危険である」と書いて文民統制の重要さを説き、戦前の苦い教訓を挙げて自衛官に自重を求めた。長い歴史を考えると日本人は卓抜した能力がある立派な国民だが「その中での遺憾な局面が、あの戦争の時代」だったとして、今もその誤りを認められない人々を厳しく批判もした。>

 それだけじゃないのだ、五百旗頭氏の論文は。このブログの最後に参考に五百旗頭論文を付けておこう。虚心坦懐に読んでいただければ、これだけじゃないことを分かっていただけると思う。

 <神戸大教授だった五百旗頭氏は2006年夏に防大校長に登用された国際政治学者。故・高坂正垂京大教授の直系らしく柔らかな現実主義が持ち味だ。政府のアドバイザーとしても重用されてきたが、イラク戦争や首相の靖国参拝には反対だっただけに、選任した小泉首相の度量が話題になった。しかも、退任する小泉氏のメールマガジンに「小泉政治5年」寄稿を求められ、その外交を全体としてたたえつつも、米国のイラク戦争失敗や靖国参拝の深い傷を率直に盛り込んだ。それで構わないと言って平気で掲載した小泉氏には、思うところがあったのだろう。そういえば、小泉氏は村山談話の熱心な継承者でもあった。>

 小泉礼賛ですか。小泉=竹中路線に乗って、規制緩和を進めた朝日新聞の論説のトップが若宮氏だったことを今、思い出しました。

 <このメルマガに募っていた右派の不満に今度の件で火がついた。田母神氏が文民統制違反なら、首相の参拝などを非難し、新聞に勝手な持論を書く校長も同罪ではないか。そんな批判が表れ、田母神氏も「あの人はひどい」「おとがめなしは差別じゃないですか」と雑誌の対談で問題にした。>

 <確かに防大教授らも自衛官の身分をもつが、学者としての言論には自由があり制服組とは違うというのが政府見解で、中曽根内閣のころ非核三原則を批判した防大教授が不問に付されている。ましてメルマガは首相の注文だったし、コラム執筆も防衛省の許可を得ているから批判は筋違いだ。>

 若宮氏は五百旗頭氏を擁護しているように見せかけて、この問題をあぶりだして、公の場での論争にすることを企んでいるようだ。何しろ何の機会でもいいから、ちょっとでも「村山談話」を批判する勢力はこらしめてやろう、という魂胆なのだろう。

 <だが「校長罷免」の声はやまない。「反日」「媚中」「左翼」などの言葉が投げつけられ、周りの防大教授らにはメール攻勢もかけられる。そんな中、3月1日に大阪市で予定された関西防大0B会での五百旗頭氏の講演が中止に追い込まれた。防大OBを含む一部の活動家が抗議の電話をネットで呼びかけ、OB会長への直談判にも及んだ末である。混乱回避へのためとはいえ、中止を決めた会長は「敗北感」を口にする。>

 五百旗頭氏が批判されるという世情もおかしなものだが、「村山談話にあらずんば日本人に非ず」的な論調で、ナショナリズムの発露を封じ込めた朝日新聞には大きな責任があると思う。最近の毎日新聞は北朝鮮問題を見ても、日本人の安心・安全を最優先するという当たり前の路線に戻っているが、朝日新聞だけは北朝鮮批判を「悪」と思い込んでいるかのような紙面をいまだに作っている。この偏向路線の張本人が若宮氏だった。

 <もっとも2月22日に都内で行われた防大同窓会の総会では五百旗頭氏が防大教育の信念を語り、降りかかる火の粉を払って理解を得た。空自で田母神氏の先輩だった竹河内捷次会長(元統幕議長)は「先生の言動の一部分をとらえて攻撃する人もいるが、全体を見れば理解でき、尊敬もできる」ときっぱり語る。こんな空気こそ校長の大きな支えに違いない。>

 五百旗頭氏が問題ではなく、五百旗頭氏をこのような形で利用し、いかにも左翼の代表のように「使う」メディアに問題があるのです。

 <ところで「ルーズベルトの罠」に似た解説は靖国神社の遊就館にも展示されていたが、2007年に削られた。外交評論家の岡崎久彦氏が「知のモラルを欠く」として未熟な反米史観を廃せ」と産経新聞で唱えた(2006年8月)のがきっかけだ。米国からの批判もあってのことだが、それをむし返した田母神氏の感覚は、日米安保体制の要職にいた人とも思えない。>

 だから、前にも書いたが、田母神氏の論文の細かい部分をあげつらっても生産的でないと思う。田母神氏が全体として何を問題としていたのか、がここでは語られていない。田母神氏は北朝鮮が日本に核ミサイルを発射した時、日本はどう対処するか、を語り、今の日本は日米安保体制自体も整備不足で、自衛隊も独自で何もできないし、結局、地方都市が原爆を被爆する可能性がある、という危機感から論文を書いている。様々な論点を網羅しているものの、日本国民の安全保障問題への提起なのである。

 その部分を全く書かずに、日教組を苛めている勢力と同じだ、とか、田母神氏の論を矮小化するのに忙しい。そんなことばかりしているから、田母神氏支持勢力が増えているのだ、ということが分からないのだろうか?

 五百旗頭真・防衛大学校長が2008年11月9日付毎日新聞朝刊2面[時代の風]に寄稿した<文民統制の重要性/国、国民への「服従」は誇り>の論文をコピペする。

 よく読んでいただければ、若宮氏の引用した部分だけではない広い論点から論じていることが分かると思う。

 若宮氏らは五百旗頭氏の論点を絞り込むことで、いかにも「反田母神」の最右翼という雰囲気を作りたいのだろう。その背中に隠れて何かを言うのが一番気楽だから。しかし、そういうやり方を世間では「卑怯」という。

 以下が五百旗頭氏の論文の全文である。

 <田母神俊雄航空幕僚長が、戦争の過去について政府見解と異なる主張を公募懸賞論文に展開し、政府によって更迭された。>

 <制服自衛官は政治的問題につき政府の決定に服する責めを負う。もちろん制服を含め、誰しも自らの意見を持つことができる。しかし、個人の思想信条の自由と、職責に伴う義務とは別問題である。軍人が自らの信念や思い込みに基づいて独自に行動することは、軍人が社会における実力の最終的保有者であるだけに、きわめて危険である。それ故にすべての民主主義国にあって、軍人は国民によって選ばれた政府の判断に従って行動することが求められている。これがシビリアンコントロール(文民統制)である。>

 思想信条の自由にきちんとふれている。

 <航空幕僚長が官房長に口頭で論文を書き応募することを伝えたのみで、原稿を示すことなく、政府見解に反する主張を発表したことが明らかになったとき、防衛大臣は即日幕僚長の解任を決定した。>

 <これに関連して想起するのは、1928年の張作霖爆殺事件である。関東軍の河本大作参謀は、上司と政府の指示なく、独自の政治判断に基づき、現地政府のトップを爆殺した。それ自体驚くべき独断専行であるが、それ以上に重大であったのが軍部と政府がこの犯行を処罰しなかったことである。そのことが、軍人が国のためを思って行う下克上と独断専行はおとがめなしとの先例をなした。軍部に対するブレーキが利かないという疾患によって、日本は滅亡への軌道に乗った。シビリアンコントロールがいかに重要かを示す事例である。>

 張作霖事件を持ってきたことが田母神氏シンパを怒らせたのだろうか?

 <それを思えば、このたびの即日の更迭はシビリアンコントロールを貫徹する上で、意義深い決断であると思う。制服自衛官は、この措置を重く受け止めるべきである。>

 しかし、防衛大学校の校長とすれば、ここまで言うのは仕方ないだろう。防衛大学校の学生たちへの訓示でもあるのだから。

 <一部には解任措置だけでは不十分との主張もある。そうした新聞の一つは、筆を伸ばして「防衛大学校での教育」への疑念にまで言い及んだ。幕僚長が防大の卒業である以上、そうした疑念にも無理からぬ面もあろう。防大教育の実情について報告する義務を負っているものと解したい。>

 忘れてしまったが、これは朝日新聞批判ではなかったか? こういう部分を若宮氏は絶対書かない。

 <防大の創設は、このたびの論点となった戦争の過去と密接に関係している。ダレス特使の再軍備要求に抵抗した吉田茂首相であったが、防大の設立にはなみなみならぬ意欲を示し、「下克上のない幹部」をつくることを求めた。これを受けて槙智雄初代校長が民主主義時代にふさわしい幹部自衛官育成の精神とかたちを築いた。その教育方針は「広い視野、科学的思考、豊かな人間性」を培わんとするものであった。>

 <旧軍が、自国愛に満ちて独善に陥り、国際的視野を見失った過去、「大和魂さえあれば」とか、「竹やり三千本」の言葉に示される観念論・精神主義の過剰の中で成り立たない戦争にのめり込んだ過去、戦争への没頭の中で政府・大本営が他国民への惨禍と自国民への犠牲に鈍感となり、人間性豊かな自省を弱めてしまった過去、こうした過去の克服を期する指針であることは容易に解されよう。>

 極めてリーズナブルな論だ、と思う。

 <私が感心するのは、過去への反省に立つ指針が、同時に戦後の新しい時代への洞察とも結びついていた点である。「広い視野」は国際化が急速に進む戦後世界に、「科学的思考」は科学技術革命の爆発する時代に、「豊かな人間性」は民主主義社会において国民との共感が不可欠な時代に、それぞれ予言的なまでに適合しており、それゆえに今なお妥当性を失わないのである。>

 <槙校長の事跡と思想を展示する記念室をたまたま先日防大資料館内に開設したが、その中に「服従の誇り」という不思議な言葉がある。通常、服従は奴隷的であり、屈辱的である。個性の確立と自主自立こそが誇りであろう。槙校長は、国民と政府への自衛官の「服従」が、自発性に基づく積極的なものであり、それが国と国民に献身せんとする大義に発するものであるならば、立派に「誇り」たり得ることを、創立期の防大生に対して説いたのである。言い換えれば、槙校長はシビリアンコントロールを外力への服従としてではなく、自らの信条として内面化することを語りかけたのである。>

 この「服従の誇り」がテーマでもあり、シビリアンコントロールの説明でもある。

 <このたびのことがあって、私は防大における歴史教育の内容がどのようなものであるか、改めて調べてみた。あの戦争を賛美するような講義内容は、一般教授の「政治外交史」や「日本近現代史」にも、また制服の先輩教授が教える「日本戦史」などにもまったく見あたらなかった。すべてが資料根拠に忠実な実証研究のスタイルであった。むしろ実証を踏まえつつも、もう少し意味づけや斬新な解釈を打ち出していいのではないかと感じるような着実な傾向であった。>

 そうだろうと思う。

 <私自身も歴史家であるが、世界の中の日本を全体的に見れば、千年前に源氏物語を生み、非西洋世界の中で真っ先に近代化を成功させて西洋諸国と並び立つ国となり、戦後もまた、格差の最も少ない豊かな民主主義社会を築くなど、卓抜した能力を示してきた立派な国民だと考えている。その中での遺憾な局面が、あの戦争の時代であり、今なお誤りを誤りと認めることができずに精神の変調を引きずる人のいることであると考えている。>

 最後の「遺憾な局面が、あの戦争の時代であり、今なお誤りを誤りと認めることができずに精神の変調を引きずる人のいることであると考えている」は挑戦的な言葉だ。なぜ五百旗頭氏ともあろう方がこのような挑戦的な言葉を使ったのか、当時、首をひねった思い出があった。

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2009年3月14日 (土)

中谷巌氏の「ざんげ録」への意見表明、朝日新聞に載っていた~日経新聞3月11日夕刊の佐和隆光氏コラム、3月14日[大機小機]、朝日新聞文化面

 日経新聞3月14日朝刊[大機小機]は(盤側)さんの<「百年に一度」は天災用語>だった。今回の米国発金融危機を「百年に一度の危機」というが、これだと天災は百年に一度やってくる、というのと同じで諦めの気持ちを抱かせ、経済学無用論に結びつきかねない、と書き出す。なるほど、と思うが、(盤側)さんはこの言葉がもともとは前FRB議長の「百年に一度か五十年に一度の危機」という言葉から出ていることはご存意だとは思うが、あえて省略したのだろう。

 面白かったのが、次のくだりだ。

 <経済学者の中には「ざんげ録」のような”転向”の書物を刊行した人もいる。これを読むと、経済学はこんなに底の浅い信仰に似た感覚で世の中を動かしてきたのかと驚いてしまう。だが反省している以上、昔の主張か今の反省かのどちらかが正しいはずだ。反省しない経済学者は、一貫して正しいのか、一貫して間違っていたのか分からないので、全員がこの書物について意見を表明すべきである。>

 というくだりだ。

 実は、同じ3月14日の朝日新聞朝刊文化面<構造改革の旗手、行き過ぎた市場経済を批判/中谷巌氏「転向」の波紋/「正直」「責任は」賛否両論/「空気に過敏な論壇」>、<「人間、成長して意見変える」中谷氏に聞く>でこの(盤側)さんの疑問に答えようとしているのだ。こういうのを「阿吽の呼吸」とでも言うのだろうか。最近、朝日新聞・読売新聞・日経新聞の連携がつとに進んでいるやに聞くが、まさか連動していることはないとは思うのだが。

 朝日新聞の記事は思想、論壇を担当している藤生京子記者によるものだ。

 私もたしかこのブログで書評を書いたと思ったのだが、昨年12月に集英社インターナショナルから発売された「資本主義はなぜ自壊したのか」である。経済書としては異例の13万部のベストセラー記録を更新中だ、と書いてある。皆、怖い物見たさで買っているのか?

 本の内容は書評を見ていただくことにして、藤生記者がコメントを取った経済学者たちの反応を書き出しておこう。

◆中谷氏賛成派

▽土居丈朗・慶大准教授=日本人の気質に合った日本にふさわしい経済構造の構築を訴えかけている。(1月11日の読売新聞で好意的に論評)

▽伊東光晴・京大名誉教授=(自らの非を認めた)著者は正直である。(2月8日毎日新聞で皮肉を込めて)

◆中谷氏批判派(藤生記者は「経済は水物だけに主張の変更自体を否定する意見は少数派」と書いている)

▽松原隆一郎・東大教授=経済情勢が変わるくらいで、立場を簡単に変えるべきではない。(中谷氏はこれまでも日本的経営をめぐり自説を修正してきたが)時流を意識したとしか思えない。彼らの政策で首を吊った人もいるかもしれない。倫理的・道義的責任を自覚しているのか。

▽金子勝・慶大教授=根本的な一貫性がみえること、変える以上は大きな世界観で、独自の理論を示してほしい。

▽若田部昌澄・早大教授=経済学者なら、経済学的知見をもって語るべきだ。格差の原因も、経済学的に精査すべきだろう。(専門家から得た知識を援用して欧米の一神教思想との比較などを持ち出す中谷氏の手法への批判)

▽斎藤誠・一橋大教授=命がけのはずの「転向」や宗教的意味のある「懺悔」という言葉を大げさに使ってほしくない。(沈黙を促す)

▽橘木俊詔・同志社大教授=メディアでの発言をやめるくらいなら気骨を感じるのに、これではオピニオンリーダーが自由をエンジョイしただけ。

▽松井彰彦・東大教授=気になるのは、日本の論壇に、KYならぬ「空気を読みすぎる」傾向があること。例えば今こそ自由の価値とは何かの議論をすべきなのに、構造改革批判のムードに覆われてやりにくい気配を感じる」(藤生記者のコメントとして、「論壇の停滞が久しい中、経済論壇は、不景気で逆に活況を呈したといわれる。だが、経済紙で経済論壇の時評を担当している松井氏は、疑問も感じている。一つが論壇と学界が「水と油」の関係になってきていること。学界の最前線では、中谷氏が単純化するような野放図な市場主義が礼賛されてきたわけではないのに、学者が大学に閉じこもっていることもあって、研究知識の蓄積が論壇に反映されない。その構造こそが問題だという」と書いている。つまり、中谷氏の本は大げさでいい加減だ、と言わんばかりの書き方だった。)

▽浜矩子・同志社大教授=変えないこと、真理の前に謙虚であることとの間でバランスが不可欠で、そのうえで人々の側に立って臆せず発言すべきだ。(主張の変更が問題にされると、学者がますます発言しなくなる恐れもある、というコメントを藤生記者が書いた後に)

 藤生記者がまとめた中谷氏の主張の変遷もちょっと意地悪だが、この変化は随分とはっきりしている。1987年の「転換する日本企業」、1990年の「ジャパン・プロブレムの原点」などはまだ曖昧なのだが、1996年の「日本経済の歴史的転換」では「やさしい気持ちが全体の活力を奪い、日本経済を失速させている」と書いていたそうだ。

 つまり、温情あふれる日本的経営の否定論だ。ところが、2008年の「資本主義はなぜ自壊したのか」では、「グローバル資本主義や市場原理が本質的に個人と個人のつながりや絆を破壊し、社会的価値の破壊をもたらす『悪魔のシステム』である」と180度違う論を展開している。

 この文章を比較して読むと、中谷氏の言葉遣いが相当にセンセーショナルな言葉を多用していることが分かる。つまり、言葉がきついのだ。学問的留保などは全く考えていない、あっけらかんとした書き方だ。この人の性格なのだろう。

 中谷氏のインタビューは読まなくても見出しだけで内容が分かるし、書き写していたら、笑っちゃうので、書かない。

 以上が朝日新聞の区分けなのだが、どうも読み終えてみると、(盤側)さんが望んでいた意見表明とは違うようだ。(盤側)さんはそれぞれの経済学者やエコノミストが新自由主義的市場経済論をどう評価するか、を読みたかったのだろうし、私もそういう内容を読みたかったのだが、この意見表明は「転向」を批判するのか、「やむを得ない」とするか、の意見表明だったからだ。

 内容の比較はいずれ、東洋経済かエコノミストでやってほしい、と思う。期待しよう。

 そして、日経新聞[大機小機]に戻る。(盤側)さんは、中谷氏の「転向」を論じた後、

 <米国人は反省しない人たちだと思っていたら、さすがにオバマ新大統領は議会演説で、規制が問題に適切に対応できなかったと述べ、これが米国的な規制のあり方に関する問題であるとの認識を示した。加えて米国人は百年に一度の危機がなぜ米国発なのか自問する必要もあるだろう。>

 と書いていた。

 <米国は貯蓄金融機関(S&L)破綻危機に際して証券化という手法を開発したが、その住宅ローン危機を今回はさらに深刻な形で再現させた。LBO(借り入れで資金量を増やした買収)で散々使ったジャンク債の次は、今回の「ジャンク証券化商品」である。同じようなことを何度でも繰り返して、懲りることのない体質なのではないか。>

 として、

 <経済学者は相も変わらず「ゼロ金利にしたので、お金の流れがおかしくなった」などと論評している。だがお金が余ろうとどうだろうと「してはいけないことは、できない」となっていれば、お金の流れも違ったはずだろう。やはりルールを検証すべきだ。>

 野放図ではいけない、ということだ。そして、EUは米国式の野放図を許さない新しい規制のルールを4月2日のロンドンG20で発表するが、日本もこの会議にどういう姿勢で臨むのか、はっきりさせろ、と言う。

 <本当は今、日本で最も話題になっていなければならない問題なのだが。>

 という結びである。言外の政治批判なのだろう。検察批判なのかな? でも、論理展開が少し散漫だったが、(盤側)さんが何かに相当に怒っていることはよく分かった。誰だって怒りたくなるよね。

◆佐和隆光氏のコラムも面白かった

 これに関連してメモしておかねばならないのが佐和隆光氏の日経新聞3月11日夕刊1面コラム[あすへの話題]である。タイトルは<実務家と経済学者>だが、まさに、この学説と思想の問題を掘り下げている。

 書き出しはケインズの「いかなる知的影響からも無縁であると自ら信じている実務家たちも、過去のある経済学者の奴隷である」という少しショッキングな言葉の紹介だった。そして、佐和氏は

▽規制緩和・所得税減税・民営化→ミルトン・フリードマンの奴隷

▽世界不況下で金融緩和と財政出動を政府に求める→ケインズの奴隷

 という面白い組み合わせを披露する。そして、

 <多くの実務者を奴隷に従える「偉大」な経済学者といえば、アダム・スミス、ケインズ、マルクス、フリードマン、ガルブレイス、スティグリッツぐらいのものだろう。普通の経済学者は「偉大」な経済学者が創始した学派に属する。政財界の主流派の見解と合致する学派が、時の主流経済学の地位を占める。その意味では、普通の経済学者と実務家の関係は、ケインズの言う意味での主客の立場が転倒している。>

 と面白い説を展開するのだ。なるほど、言われてみればその通りだ。「主流経済学者」とか言うが、結局は経済財政諮問会議をはじめとする政府の政策形成に役立つ理論を提供する学者が「主流」で、そうでない学者はいまや経済論壇にも入れない悲哀を託っているわけだから。

 しかし、この「偉大」な経済学者の中にはもっと多くの人々が入るべきだ、とは思うのだが。特にジョーン・ロビンソンをなぜみんな忘れているのだろうか? 彼女の理論こそ、今のフリードマン理論が破綻した世の中で見直されてしかるべき理論ではないか、と思うのだが。

 続きを読もう。

 <米国の経済学者は、自由で競争的な市場を万能視する新古典派か、市場の不完全性を前提とするケインズ派か、そのいずれかに与するのかを、思想構造をも含めて選択している。>

 そういうことだ。その亜流こそが必要なのに。思想的な部分でも。

 <ところが、日本の経済学者の多くは、理論を支える思想構造には全く無頓着である。>

 ここが問題なのだ。

 <それにしても不思議なのは次の点だ。つい数ヶ月前までフリードマンを奉っていた日本の経済学者、経営者、政治家の多くが、世界同時不況の襲来後、今度はケインズの前にひれ伏すようになった。他方、昨年9月に金融安定法案を否決、12月に自動車産業救済法案を廃案に追い込んだ米上下両院議員の多くは、自由で競争的な市場の敗者を国が救済することを「否」とするフリードマンを奉り続ける。その首尾一貫性に対し、私は心より敬意を表したい。>

 以上である。つまり、日本では時流に阿るのが仕事のエコノミストだけでなく、本来は経済思想のバックボーンを持って論を立てなければならないはずの経済学者までもがバックボーンなしに口先で論をしゃべっていた、ということだろう。いい加減だ、といいたいわけだ。その通りだとは思うが、転換したこと自体は否定的に捉えなくてもいいとは思う。どのように転換したのか、できれば自分を含めた「大きな物語」を語れるような経済学者が宇沢弘文氏以外にも育ってほしい、と切に思っているのだが。

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2009年3月 4日 (水)

毎日新聞長期連載[40年前~<政治の季節>を再考する]が最終回~3月4日毎日新聞朝刊から

 毎日新聞の長期連載[40年前 <政治の季節>を再考する]は「団塊の世代」が20歳前後だった1967~69年の激動の時代を問い直すシリーズ。2007年4月から21回にわたり連載し、3月4日朝刊で最終回。今回はかつて全共闘にも参加した社会学者の橋爪大三郎氏明治以降の文化史に詳しい評論家の坪内祐三氏当時の映画事情を専門に研究する平沢剛氏の3世代の論客が「60年安保」との比較から、「50年後」への展望までを語った、という。近く単行本として刊行されるらしい。楽しみだ。

 平沢剛(ひらさわ・ごう)氏は1975年生まれ。明治学院大文学部卒。編著に『アンダーグラウンド・フィルム・アーカイブス』『ファスビンダー』『若松孝二 反権力の肖像』など。▽坪内祐三(つぼうち・ゆうぞう)氏は1958年生まれ。早大文学部卒。著書に『靖国』『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲り』『一九七二』『変死するアメリカ作家たち』『考える人』など。▽橋爪大三郎(はしづめ・だいさぶろう)氏は1948年生まれ。東大大学院博士課程修了。著書に『橋爪大三郎コレクション(全3巻)』『アメリカの行動原理』『冒険としての社会科学』など、と紹介されていた。

 記事の見出しは<座談会・シリーズを総括する/価値観・文化・生活…大きく転換/ヒントも残した全共闘―橋爪/思想・運動の実験あった―平沢/テレビが世界同時性生む―坪内>だった。

 いつものように、気になった発言を書き写しながら、コメントしていこう。

◆橋爪大三郎氏

▽第二次世界大戦後から現在まで、世界的には冷戦終結が大きな区切りだが、日本は60年代後半から70年代初めに区切りがある

 これを言う人が多いのだが、本当にそうなのか? 単なるノスタルジアではないのか? 区切りと言えるだけの客観的な事象が欠けている気がする。

▽音楽では66年に来日公演したビートルズが受け入れられ、大学生がジーンズを着て学生服は姿を消した。今も続く様々なことが初出し定着したのが40年前だった。

全共闘(全学共闘会議)は大学ごとにできた任意団体で、参加したのは大部分が一般学生。60年安保時の全学連(全日本学生自治会総連合)は街頭闘争で警官隊にぶつかり負けたが、全共闘は学内闘争で外から入ってきた機動隊に学内で負けたから、その後大学は正常化し授業が再開した。

▽戦後のベビーブーマーによってこの時期、世界で一斉に若者文化、カウンターカルチャー(対抗文化)が起こる。日本と欧州は左翼運動、社会主義の政治運動の性格が濃かったが、マルクス主義の影響がほとんどない米国はカウンター・カルチャーや反戦運動の側面が強かった

▽当時、団塊の世代の多くが左翼になったのは、資本主義に反対で、既成左翼の社共もダメと思っていたからで、全共闘から見ると社共、ソ連がダメなのは一国社会主義だから。

全共闘を含む新左翼は国際共産主義で世界連帯を唱えたから、どの外国も基本的には敵視しない。グローバル化が進まないうちから意識だけはそうなっていた。だからロックを聴いたりした。

▽総力戦だった20世紀前半の戦争と異なり、核兵器ができて限定戦争になると、ベトナム戦争のように正規軍が勝てるとは限らない。だが、戦争の勝ち負けとは無関係に冷戦の枠は維持され、日本はどうあがいてもその枠を左右できない無力感が冷戦期の日本の政治や外交につきまとった

最も現実的に考えることと最も空想的に考えることが等価になる感覚があり、全共闘的左翼の「結果無責任」につながったのかなと感じる。

▽「消費」概念ができた。60年前後の「三種の神器」(白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫)だとかなり気張って買う感じがあったが、「消費」は必要かどうかではなく個人の便益・効用に応じて自由にモノを選んで買うこと。衣食住すべてにわたって大きな変化が起こった。消費が出てくると同時に大衆も出てきた。

▽社会変化で発生した非合理的問題に対して、若者たちは街頭闘争参加などで政治を動かそうとしたが、政治というより運動だった。運動は半ば空振りに終わったが、半ばは時代を超えるヒントを残したかもしれない。今は当時の運動を冷静に評価できるようになったが、政治によって解決すべき構造的問題が出てきた。

◆坪内祐三氏

▽「1968年革命」という言い方がある。68~72年ごろにパラダイム・チェンジがあり、価値観や世界のあり方が変わったとよく言われるが、注意したいのは個別のテーマごとに考えると、全体の連関性が見えにくくなる点だ。

▽当時小学生だった自分の感覚で、69年1月に全共闘の東大安田講堂が落ちた後は、アポロ11号の月着陸(7月)、翌年の大阪万博での「月の石」展示と、時代は未来イメージに変わった。

60年安保は反米意識が強かったが、団塊の世代はベトナム戦争には反対だけどファッションや社会風俗の面ではアメリカ的なものを受け入れた。その米国に対する意識の分裂は興味深い。

世界同時性ではテレビの影響が大だ。ベトナム戦争にしても、テレビで放映されることによって戦争の悲惨さが人々に伝わった。キング牧師のデモ行進でも、暴力的に排除される時、大げさに転んで見せたりしたように、テレビを強く意識していた。メキシコ五輪の記憶が鮮明だが、衛星中継で海外の動きもリアルタイムで伝わるようになった。カラーテレビも出始めていた。

▽69年5月に東名高速道路が全通したが、マイカーが普及した時代でもあった。当時の少年雑誌で描かれる未来都市像には高速道路網が肯定的に描かれていた。

▽あと10年たって、68年から50年後になった時、どう論じられることになるか興味がある。今が歴史の大きな変動期だと思うからで、これから10年の変化を経た後に、68年がどういうイメージで見えるかを考えると面白い。

◆平沢剛氏

▽昨年、68年から40年後に際して海外で開かれたいくつかのシンポジウムに参加したが、日本では68年を振り返る機会がなかった。冷戦崩壊で共産主義、社会主義の失敗が強調されるが、今の金融危機の中、資本主義とは何だったのかも問い直す時代だ。68年前後に歴史的転換点があったとするならば多角的に読み直し、現在の観点から見つめ直す必要がある

▽「全共闘」「68年」のキーワードで語られる「大文字の歴史」に集約されがちだが、実際には「68年」的なものはヨーロッパでも日本でも70年代まで多様な形態で続いた。神話化した部分は検証し直さないといけない。

当時の理論や実践は、今の反グローバリズムの思想が訴える反権威主義、脱中心主義を予見的に提示した面もあった。評価は様々にあるとしても、巨大な思想・運動の実験が行われていたことは強調したい。

▽テレビに比べタイムラグはあっても、当時の映画にも世界的に共通の関心をもって結びついていく特徴が見られた。海外旅行に簡単には行けなかった時代に、国際問題に関心を持ち、盛んに考えたり分析したりしていた。

そのころ日本にもあった国際的な想像力を今、取り戻す必要も感じる。50~60年代には黒澤明や溝口健二ら巨匠の映画が日本という国民国家の芸術として評価を受けたが、この時期になると大島渚、吉田喜重、若松孝二の各氏など若い世代の作品が同時代の表現として評価されるようになった。映画や漫画、写真、美術といった単独のジャンルでは語れないようなジャンル横断性が生まれたのは文化史的にも特異だろう。

都市と農村の二項対立の失効があった。東京五輪(1964年)や大阪万博(70年)に伴う国土再開発が本格化し、高速道路をはじめ、均質化された日本の風景を準備することになった。今の日本の問題を分析するうえでも重要だ。

▽68年の運動には、今だからこそ見えるイメージも含まれている。構造的問題を分析しながら、あり得たかもしれない「可能性としての68年的なもの」がどこにあり、どう引き継いでいけるのかを冷静に考えなければならない。

 何か舌足らずな言葉が並んでいるようにも見えるが、様々な問題提起はされている。

 この68年問題は単純に人口論で見るとどうなるのか? 「団塊の世代」などと堺屋太一氏が名付けてしまったので、日本特有な現象のように見えるが、世界的に1945年は戦後の始まりだったわけで、出生率が一斉に上昇した。1945~1950年生まれの大群が今や還暦を迎えたので、高齢化の問題が出てきている。60年代後半から70年代前半はその世代が成人する時期だ。世界的に政治的思春期が来た、ということではないか。あまり秩序感覚もなく、思想への忠誠心もない大きな塊が大人になった時期、何があったのかである。

 このような社会学者の分析も議題設定には欠かせないが、やはり、経済の変化と政治の変化をもう少し精密に見る必要性があると思う。1968年は米国は実は経済的には困り始めていた時期で、71年には破綻するのだから。政治的には東西冷戦の諸相と日本の関連、それに中国を変数として入れないと見えてこない部分もあるだろう。

 その中での日本国民精神史である。

 でも、相当に面白かった企画だったことは間違いない。

 ついでに記事につけてあった年表を写しておく。

[政治の季節]年表

1966年5月 中国文化大革命始まる

 〃  6月 ビートルズ来日

 〃  7月 三里塚への空港設置を閣議決定

1967年4月 美濃部亮吉が東京都知事に当選

 〃  6月 自動車保有台数1000万台突破

 〃  8月 ASEAN発足▽公害対策基本法公布▽状況劇場が新宿で初のテント公演

 〃  10月 「オールナイトニッポン」放送開始▽ツイッギー来日

 〃  12月 佐藤首相が非核三原則を言明▽テレビ受信契約数2000万件突破

 〃     ATGと独立プロによる1000万円映画の製作が始まる

1968年1月 ドプチェクがチェコスロバキア共産党第1書記就任(プラハの春始まる)

 〃  4月 キング牧師が狙撃され死亡▽米コロンビア大をベトナム反戦学生が占拠

 〃  5月 パリ5月革命

 〃  7月 東大全共闘結成

 〃   8月 ソ連など5カ国軍がチェコスロバキアに侵入(チェコ事件)

 〃   10月 国際反戦デー(新宿騒乱)▽明治百年式典▽三島ら楯の会結成▽メキシコ五輪

 〃   12月 3億円事件

1969年1月 東大安田講堂攻防戦

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2009年2月24日 (火)

「新聞は愛国主義的である必要はない」とアマーティア・セン教授は言うが…朝日新聞2月24日朝刊インタビューから

 朝日新聞2月24日朝刊3面[あしたを考える]にアマーティア・セン米ハーバード大学教授のインタビューが載っていた。紙面の人物紹介にあるように1998年にノーベル経済学賞を受賞した1933年インド・ベンガル生まれの75歳の長老である。英ケンブリッジ大卒。「哲学や倫理学に根差す豊かな人間観を経済学に採り入れた。近著『アイデンティティーと暴力』では人々を宗教や文明で画一的に分類する考え方を批判、グローバル社会での人間のアイデンティティについて論じている」とあった。一部に熱狂的な「信者」を持つカリスマ的な学者でもある。

 これだけでは分かりにくいから、例によってウィキペディアのお世話になろう。

 <9歳の時、200万人を超える餓死者を出した1943年のベンガル大飢饉でセンの通う小学校に飢餓で狂った人が入り込み衝撃を受けた。この頃、ヒンズー教徒とイスラム教徒の激しい抗争で多数の死者も出た。「インドはなぜ貧しいのか」という疑問から経済学者となる決心をし、カルカッタ大学経済学部卒後、1959年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで博士号取得。「アダム・スミスとカール・マルクスに影響を受けた」という。コルカタ、デリー、オックスフォード、ハーバードの大学で教え、1997年から2004年までの間ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジの学寮長。2004年の1月にハーバード大学に戻った。経済の分配・公正と貧困・飢餓の研究における貢献で1998年にノーベル経済学賞、翌年にはインドの文民に与えられる最高の賞、バーラト・ラトナ賞を受賞。1994年アメリカ経済学会会長。>

 <センのミクロ経済学の視点から貧困のメカニズムを説明した研究は経済学に限らず社会科学全体に衝撃を与えた。特に途上国の購買力と飢餓の関係を説明した論文は尊敬と畏怖をもって経済学者達に迎えられた、なぜならば彼以前は貧困とは単純に生産性の問題だけだと考えられていたが、市場競争における市場の失敗によってもたらされた事を簡潔にそして明瞭に表してしまったからである。>

 <経済学において最も高度な数学を使う厚生経済学や社会選択理論においても牽引者適応選好や潜在能力(capability: ケイパビリティ)アプローチ、「人間の安全保障」などの概念は現在日本の高校公民授業で教えられることがある。>

 <センは経済学は数字だけを扱うのではなく、弱い立場の人々の悲しみ、怒り、喜びに触れることができなければそれは経済学ではないと主張した。「飼いならされた主婦、あきらめきった奴隷は、ほんの少しの幸せでも満足してしまう」とし、弱い立場の人々が潜在能力を生かし社会参加することを主張している。>

 <経済学は、「人はいかに生きるべきか」「人間にとっての善」という倫理学と工学の2つの大きく異なる起源から派生しているとされている。センは、前者を「モチベーションの倫理的な考え方」と呼び、後者を「それを達成するための手段」としている。センは、現状の経済学を批判するが、経済学のもつ分析力は否定せず、敬意を払っている。彼が取る分析手法は経済学の一般的テクニックに根ざしている。>

 <センのノーベル経済学賞受賞は「厚生経済学・社会的選択」での功績だが、彼の学説で最も有名な概念は「潜在能力。これは「人が善い生活や善い人生を生きるために、どのような状態にありたいのか、そしてどのような行動をとりたいのかを結びつけることから生じる機能の集合」としている。具体的には、「よい栄養状態にあること」「健康な状態を保つこと」から「幸せであること」「自分を誇りに思うこと」「教育を受けている」「早死しない」「社会生活に参加できること」など幅広い概念だ。そして「人前で恥ずかしがらずに話しができる」「愛する人のそばにいられる」も潜在能力の機能に含められるとしている。>

 <センの潜在能力アプローチを発展させたものが、国連開発計画(UNDP) の人間開発指数(HDI:Human Development Index)だ。HDIは、平均寿命、識字率、国民所得(一人当たりGDP)の3つの指標からなっている。最初、センは、1990年にパキスタンの経済学者マブーブル・ハックの提唱した生活の質や発展度合いを示す「シンプルな指標」であるHDIに難色を示した。その理由をセンは、「HDIの平均寿命・識字率・国民所得も手段であって、目的そのものではない。目的は、人それぞれ多様なものであり、社会的・文化的背景によって異なる」と述べている。しかし、最終的にはセンも同意し協力メンバーの一人となった。HDIは1993年から国連年次報告「人間開発報告書(HDR)」の中で国連開発計画によって毎年発表されている。現在では、経済中心のGDPに代わる人間性を加味した指標として日本政府も注目している。>

 <2001年1月、センと緒方貞子前国連難民高等弁務官を共同議長に「人間の安全保障委員会」が、日本政府とアナン国連事務総長のイニシアティブによって欧米とは別に創設された。同委員会は、2003年6月まで継続し、最終報告書を持って解散した。その後、「人間の安全保障ユニット」として国連人道問題調整部(OCHA)に移行し、日本政府は2006年度までに335億円を供出している。>

 <次のエピソードも面白かった。トリニティ・カレッジ学寮長時代、毎朝の『もっとも重要な仕事』だった英王室ゆかりの19世紀から動き続けている柱時計のぜんまいを巻くことを忘れてしまい、時計を止めてしまった。「どうせ私は植民地の人間だから。」(セン)。娘のナンダナー・セーンはセクシー女優としてインドで映画デビュー。大学生のとき、顔面がんになり、切除手術を受ける。アマルティアとは「永遠に生きる人」という意味。名付けたのはインドの詩聖と言われアジア人初のノーベル賞に輝いたラビンドラナート・タゴール。>

 <主な著書は、杉山武彦訳『不平等の経済論』(日本経済新聞社, 1977年)▽志田基与師監訳『集合的選択と社会的厚生』(勁草書房, 2000年)▽黒崎卓・山崎幸治訳『貧困と飢饉』(岩波書店, 2000年)▽大庭健・川本隆史訳『合理的な愚か者―経済学=倫理学的探究』(勁草書房, 1989年)▽鈴村興太郎訳『福祉の経済学―財と潜在能力』(岩波書店, 1988年)▽徳永澄憲・松本保美・青山治城訳『経済学の再生―道徳哲学への回帰』(麗澤大学出版会, 2002年)▽池本幸生・野上裕生・佐藤仁訳『不平等の再検討――潜在能力と自由』(岩波書店, 1999年)▽石塚雅彦訳『自由と経済開発』(日本経済新聞社, 2000年)▽大石りら訳『貧困の克服』(集英社[集英社新書], 2002年)▽細見和志訳『アイデンティティに先行する理性』(関西学院大学出版会, 2003年)▽佐藤宏・粟屋利江訳『議論好きなインド人―対話と異端の歴史が紡ぐ多文化世界』(明石書店, 2008年)▽『人間の安全保障』(集英社[集英社新書], 2006年)。共編著は水谷めぐみ・竹友安彦訳『クオリティー・オブ・ライフ―豊かさの本質とは』(里文出版, 2006年)など。>

 朝日新聞紙面に戻る。

 インタビューは英国のケンブリッジで大野博人特派員によって行われた。ハーバードの教授ではあるが、いつもはケンブリッジに住んでいるのか?

 記事の見出しは<市場依存 危機生んだ/国家の役割 否定は誤り/人間としての意識こそ重要>だった。

 気になった言葉を書き留めておく。

◆グローバル化そのものは「悪」ではない

 <グローバル化は多くの国にとって利益の源泉だ。明治以来、日本を豊かな国にしてきたのも一種のグローバル化だ。今の問題のほとんどはグローバル化自体よりも、ほかの事情による。政治力、所有物、経済手段などの巨大な不平等が世界に非対称性を生み出しているのだ。>

 <危機の原因もグローバル化そのものではなく、米国の経済管理の誤りだ。それが相互依存の進む世界に広がっていった。グローバル化はその過程を可能にし、早くした。>

◆新自由主義は市場万能主義という意味では非生産的な考え方

 <新自由主義という用語にはきちんとした定義がないが、もし市場経済に基礎を置くことを意味するだけなら、結構なことだ。市場経済はどこでも繁栄のもとなのだから。だが市場経済体制はいくつもの仕組みによって働いている。市場はその一つに過ぎない。なのに市場の利用だけを考え、国家や個人の倫理観の果たす役割を否定するなら、新自由主義は人を失望させる非生産的な考え方だということになる。>

◆政府の役割と市場の役割

 <(レーガン元米大統領が「政府は問題の解決策ではなく、政府こそが問題だ」と主張したが、それは)愚かしい。確かに政府が出しゃばり過ぎれば問題だ。改革開放前の中国などがその例だ。しかし、政府は解決でもある。国民皆保険制度を作るのは政府の役割だ。それは人々に幸福だけでなく自由をもたらす。健康でなければ、人は望むことも実現できない。識字教育だって公教育を通して実現される。国家の役割は社会の基盤を作る点で非常に大きい。

 <国家は金融機関の活動を抑制する点でも重要だ。早く金を儲けようとして市場を歪めるのを防がなければならない。米国は金融機関への規制をほとんど廃止したので、市場経済が混乱に陥った。

◆「規制緩和万能」という考え違い

 <規制緩和は非常によいことだと見られてきたが)その考え方には途方もない混乱があった。つまり市場はとても生産的だから、それ以外は何も要らないというのだ。市場に出来ることがあれば出来ないこともあるし、国家が引き受けるべきこともある。こんな基本的なことが無視されてしまった。背景に「国家は悪」という非常に強い右派の政治思想もあった。理論というより衝動みたいなもので、思い込んでいる人は正当化の理屈を後から考える。

 この部分は切り取って竹中平蔵氏にファックスしてあげたい。宮内義彦氏、小泉純一郎氏もだ。「規制緩和=善」というあまりにも単純な考え方、思想は危険だ。

◆問題解決にはグローバルな諸制度が必要

 <問題の解決には国家だけではなくグローバルな諸制度も必要だ。>

◆ナショナリズムとグローバルなアイデンティティー

 <(ただ、国家はナショナリズムのような帰属意識に訴えて人々を統合してきました、という質問に)ナショナリズムは有害なこともあるが役にも立つ。暴力が宗教的対立に起因する時、ナショナリズムは宗教を超えて人々を統合する力になる。インドは人口の80%がヒンドゥー教徒でイスラム教徒やキリスト教徒、シーク教徒などは少数派だ。それでも今、首相はシーク教徒だし、与党の党首はキリスト教徒だ。前任の大統領はイスラム教徒だった。これは人々が指導者たちをインド人と見るから実現した。ナショナリズムが宗教的アイデンティティーを圧倒し、人々の統合を進めたのだ。日本のナショナリズム第2次世界大戦では問題だったが、明治維新からの発展には国民統合が欠かせなかっただろう。>

 <(しかし、世界同時不況のような問題の解決にはナショナリズムは役立ちそうになく、逆に政治を保護主義に走らせる懸念もありますが、という質問に対し)今重要なのは国家や宗教を超えて人々を統合するグローバルなアイデンティティーだ。グローバルな諸制度を支えるためだけではない。現実に我々の行動が他者の生活に影響を及ぼすようになっているのだから、それにはまず、1人の人間が様々なアイデンティティーを持つことを認めなければならない。日本人で、ロンドン在住で、ジャーナリストでという具合に、人はいくつものアイデンティティーを持つ。居住地への愛着、母国への愛着、文化への愛着。どれも矛盾なく共存する。>

◆多様なアイデンティティーの並存を認める、ということ

 <(いずれも争いごとの原因となりそうですが、という質問に)争いごとは、様々なアイデンティティーの一つだけを特別視し、他を無視するから起きる。第1次世界大戦で争った欧州各国の人たちはみなキリスト教徒だし、ほかにも共通点は多かった。ところがナショナルアイデンティティーだけを特別視するから対立になった。第2次大戦でもナショナルアイデンティティーがほかを吹き飛ばした。最近の問題は宗教的アイデンティティーだ。イスラムのテロリストは宗教的帰属を強調するばかりか、ほかのアイデンティティーを否定する。>

◆人間としてのアイデンティティー

 <(とはいえ、国を超えて人々を統合するような市民意識は可能でしょうか、という質問に)グローバルなアイデンティティーは誰にもある。他者への基本的な同情心だ。道で転びそうになる人を見たら思わず支える。どこの国の人か、何教徒か、何語を話すか、助ける前に考えない。人間だからとしか言いようがない。人間としてのアイデンティティーとも言える。その理解を深めなければ。>

 <(どのようにして深めるのか、という質問に)教育が重要だ。学校教育だけではない。たとえばメディアどうニュースを伝えるか、どんな意見を紹介するか。それは教育的意味を持つ。>

 <(メディアもグローバル化しなければならないと言うのか?という質問に対して)新聞などはもっと自由になるべきだ。愛国主義的である必要はない自国の視点から離れた報道や論の展開は可能だ。友人の大江健三郎氏は、日本人であると同時にグローバルな普遍的人間でもある。知識人はこの二重の役割を担わなければならないが、それはメディアについても同じだ。

 「自国の視点から離れた報道」とは何を指しているのか? セン氏は多様なアイデンティティーの並存が今後のグローバル世界には必要、というが、その並存するアイデンティティーには重要度で違いがあるのではないか? 例えばゾルゲ事件でソ連に内通していたとされた知識人は祖国を裏切った。これは日本人というアイデンティティーとマルクス・レーニン主義というアイデンティティーの狭間に陥った知識人の大失敗だった、と思うのだが、その意味では祖国を裏切らない、というのは最低限必要な条件ではないのか? そうでなかったら、国家存亡のときに、そういう知識人は国を滅ぼす勢力になる。やはり、並存するアイデンティティには重要度で段階がある、と思う。

 問題は、メディアの役割、使命に関してである。メディア人こそ愛国者でなければならない、というのが基本だと思っている。ただ、戦時中の国家神道の神官のようにしろ、というのではない。世界の情勢を目を見開いて観察し、世界の趨勢を読み、日本という国家が、私たちの子々孫々が生き残るために今どうしたらいいか、を考えて発信するのがメディア人の役割だと思う。

 よく言われる話だが、ナショナルを抜きにしたインターナショナルはない、と思うからだ。根無し草は必ず、ずるい国家に利用される。スターリンに利用されたインターがいい例だった。

 大江健三郎氏はあくまで小説家だ。小説家と新聞記者を同一に論じることはできない、と思うのだが、どうだろうか?

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2009年2月21日 (土)

「遅く考える」時間の大切さ:中山元氏の論に賛成~朝日新聞2月21日夕刊

 哲学者の中山元氏が朝日新聞2月21日夕刊文化面に寄稿していた。<言葉と思考 遅さの技法/朗読・翻訳 その豊穣な時間>のタイトルだ。短文だが、書いてある内容は滋味に富んでいる。今、政治家だけでなくマスメディア、思想家、文芸評論家たちを含めて言葉の軽さが問題になっている時、この「言葉」=「思想」を理解するために時間をかける、という「ゆっくり」のススメは貴重な提言ではないだろうか。

 中山氏はデリダ、フーコー、カントらの翻訳書が多いので、どちらかといえば翻訳家として知られているかもしれないが、その本質は現代が抱える諸問題をすべて自分の頭で考えて解いていく、という珍しい哲学者だと思っている。借り物の欧米思想を物差しのように当てて、計算機に頼るような真似は間違ってもしない人だから、安心して著書が読める。この記事で紹介されている「賢者と羊飼い」は読んだことがなかったが、哲学入門のような題名は忘れたが、分厚い文庫本を読んで感動したことを覚えている。

 寄稿に移ろう。中山氏はまず、

 <思考は言葉によって紡がれる。言葉にならない思考は、昨晩の夢のようなものであり、雰囲気としては残っていても、揺らいでいく。思考は言葉に定着させる必要がある。>

 <言葉のうちで思考は育ってゆく。蚕が糸を紡ぐように、思考は言葉を繭として、言葉のうちで育まれ、成長し、やがて羽ばたくようになる。思考は言葉の網の目のうちで息づく命のようなものだ。>

 と、「言葉」と「思考」との密接な関係に注目する。

 <だから他者の思考を理解するということは、そのひとの言葉のうちで呼吸している思考を理解するということだ。しかしただテクストを読んでいても、著者の思考の鼓動を感じ取れないことがある。優れたテクストの多くは長い時間をかけて書かれたものであるのに、読む者の目は、しばしばテクストの上を高速で滑走してしまうからである。>

 これは、いつも経験していることだ。

 <思考を読み解くためには、遅さというものが大切なのだ。テクストの背後と行の間を読み込み、その白紙の部分にみずからの思考を書き込みながら、長い時間を過ごす。著者との沈黙の対話のうちに過ごすこの時間は無駄ではない。それこそが豊穣な時間なのだ。>

 ここまで読んで、万歳をしたくなる。いつも、私はこのような新聞掲載の論文を読みながら、パソコンに手でキーボードを叩いて入力し、それへのコメントを短く書いているのだが、その行為をも意味ある行為だ、といってくれているような感じを受けるのだ。「読む」という作業は、今の忙しい時代、一人一人の心の中で、徐々に軽んじられてきているのではないか、と思うのだ。読んでも、たいしたことが出ていないな、とか、表題だけチェックして、自分の興味のある記事だけ熱心に読むが、それも、斜め読み。事実関係だけ知れば、あとは新聞を棄てる。そんな「読書」が今、一般的になってしまったのだ、と思う。しかし、思考の格闘をしなければ、本当の読書とはいえない、というのは正しいと思う。

 中山氏はこの「遅さ」を担保する方法として、テクストを朗読し、録音し、その自分の声の録音をじっと聞く。何度も聞くことによって、目と耳を通した他者の思考と対峙する、という。次第に自分の思考と絡み合ってくる。その生き物のような変化が微妙で深い、と書く。

 また、翻訳してみるのだ、という。これは誰にでもできることではないが、思わぬほど思考の道筋が見えてくるのだ、という。日本語のテクストだったら、覚束なくとも他の国の言葉に翻訳してみるのだ、という。

 <翻訳という営みでは、もとの言葉の網の目のうちに入りこみ、著者と同じようにその思考の鼓動を感じ取ろうとすることが、決定的に重要な意味を持つ。翻訳家というぼくの仕事では、どうしても肌の合わない文体の思想家のテクストを翻訳するときに苦しくなることがある。それは相手と思考を共有しにくいためなのだ。>

 なるほど、翻訳ねえ、できればいいのだけれども。

 <必要なのは、滑りすぎる目の速度から、どのようにして思考を「遅らせる」かということなのだ。>

 だから、すでに翻訳がある、例えばジョージ・オーウェルの「1984年」の原著をペンギンブックスで買って、自分だけで翻訳して読むのも価値があるのだ、という。それはそうだろう。

 <「遅く考える」時間をぼくにくれるのだ。>

 という方法を自分たちで見つけるしかないのだろう。ぼくは、このブログに、特に書評を書く時には、本の内容をなるべくエッセンスにして略述しているが、そういう略述する、という作業の中で著者と会話しているつもりだ。

 中山氏の深い思考と比べるのは牽強付会だろうが、各自自分の方法で「遅く考える」手段を見つけることが大切なのだろう。

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2009年2月19日 (木)

[ナショナリズムと中間団体]に関する中島岳志、中野剛志両氏の対談~毎日新聞2月19日夕刊から

 毎日新聞2月19日夕刊文化面の連載[中島岳志的アジア対談]は評論家の中野剛志氏との対談でタイトルは<金融危機、保守と国家>だったが、議論がそうは深まっていないように思う。経済政策が今後、社民勢力も保守勢力も似たようなものになるだろう、というような話とナショナリズムの話。

 このナショナリズムに絞って、中野氏の経済ナショナリズム論をもう少し多面的に話し合ったほうが深まったのではないか、と思った。

 中野剛志(なかの・たけし)氏は経済産業省産業構造課課長補佐。1971年生まれ。東大卒。旧通産省入省後、英エディンバラ大大学院に留学。同大学院博士号取得。経産省新エネルギー対策課課長補佐などを経て現職。雑誌『表現者』などで論考を発表。著書に『国力論』『経済はナショナリズムで動く』と人物紹介してあった。中島岳志氏同様、西部邁氏に影響を受け「経済ナショナリズム」論を展開している、という。どちらかと言えば右派の若手論客らしい。

 対談記事の見出しは<中野さん 不況に対し構造改革でミス/中島さん 左派も賛成し違い不鮮明に>、<中野さん 経済政策はナショナリズム/中島さん 国が乗っ取ると暴力が加速>だった。今、「かんぽの宿」問題をめぐって問い直されている郵政民営化をはじめとする小泉構造改革の是非なども、もう少し突っ込んでほしかった。

 発言の中で面白い部分を書きとめておく。

▽中野氏 日本はバブル崩壊後の不況で民営化、規制緩和、小さな政府など新自由主義的構造改革を行った。手本は80年代の米英。当時の両国はインフレに悩み、緊縮財政、規制緩和、競争促進でデフレを起こし、価格上昇を止めようとした。日本の平成不況はデフレが懸念されたのにインフレ対策をした。初歩的なミスを10年以上続けた。

 そういう見方があるのか。知らなかった。視点を変えればそういう事実が見えるのか、これは勉強になった。

▽中野氏 欧米は今、金融規制を強化しようとしている。日本は平成不況の原因を金融ではなく産業構造や社会システムとして、金融市場を規制緩和し、米国型金融システムを導入しようとした。日本の構造改革は今の欧米と全く逆のことをやった。

 金融ビッグバンを平成大不況が顕在化する前に橋本政権で決めてあり、そのスケジュールに則って進めていた。当時は金融、特に世界的な過剰流動性が大きな原因だ、とは分からなかった。

▽中島氏 日本は、保守も「左派」もそれを推し進めた。保守と新自由主義に共通するのは「左派」的な理性で良き社会を設計するという設計主義への批判だが、保守は人知を超えた常識や経験知を重視し、新自由主義は市場に依拠する。

▽中野氏 米英保守が80年代、新自由主義に転じた理由は、その通りかもしれないが、日本の構造改革論者で伝統や地域社会を重視した人はいなく、レベルの低い議論だった。気になるのは「左派」だ。福祉国家で弱者への配慮を言っていた人たちがなぜ小さな政府で痛みを伴う改革に賛成したのか。マスメディアは右も左も団結して賛成した。メディアは戦後ずっと「軍国主義を反省して全体主義反対」と言っていた。なのに、全体主義的に構造改革に賛成した。

 このメディア批判は重要だと思う。確かに小泉構造改革に正面切って反対した社説はなかった。その当時の社説に対する反省の弁も見ていない。日本の論説は言いっ放し、書きっ放しの傾向があるのだろう。別に年がら年中反省していなくてもいいが、今のような節目に昔を振り返ることくらい、やってもらいたいものだ。

▽中島氏 人間の努力、英知で平等社会を実現できるとするのが「左派」の最大公約数的定義で、手段は二つ。国家を通してか、市民社会を通じてか。社民主義、社会主義と自立した個人の連帯で平等社会を実現する市民主義的な立場で、極端なのがアナキズムだ。この両者が勘違いした。社民主義者は政治改革を主張する延長線上で足元が見えなくなった。市民社会派は小さな政府は小さな権力になると思ったのではないか。

▽中島氏 今後、保守と社民の違いが経済政策ではよく分からなくなるだろう。財政出動をすべきとの点で同じになる。両者の違いは「中間団体」への認識の違いではないか。中野氏はナショナリズムが単なるステイティズム(国家主義)にならないよう家族や職業団体など中間的なものが必要だ、と強調するが、この中間団体を保守は自生的、歴史的なものと見て、社民は、人工的に作れると考える。

 この中島氏が紹介した中野氏の中間団体論は佐藤優氏も近著の「テロリズムの罠」で書いていた。人民の国民意識の高まりは国民史の中で再生された「想像上の共同体」(ベネディクト・アンダーソン)に至り、それが新しい集団的自己アイデンティティーの結晶化の核となる」ユルゲン・ハーバーマスの「他者の受容―多文化社会の政治理論に関する研究」からの引用で、(佐藤本右巻P100~)、佐藤氏は続けて雨宮処凛氏の思想に触れながら、国家に強制されない多層「社会」の必要性を強調し、ナショナリズムをファシズムや宗教原理主義と並べたf形で論じる、という離れ業を展開して、読者を惹き付けている。

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▽中島氏 保守とは自生的秩序をそのまま称揚するのではなく、何かを伝統として選び直す立場で、理想社会が実現不可能なら状況に応じた漸進的改革が必要と考える。

▽中野氏 左派にも過激な暴力革命論から漸進的な福祉国家論まである。保守も中間団体が壊れたら理性で計画的に作り直すが、その理性の根拠は良識や伝統、慣習に行き着くと保守は言う。左翼思想家にも似た議論をする人がいる。米国では共和主義が保守とされるが西欧の社民主義やマルクス主義論者には共和主義者が多い。結局、保守と「左派」を厳密に分類しても、あまり意味はないのかもしれない。

▽中野氏 国民国家が遂行する経済政策はすべてナショナリズムと無縁ではない。それ自体に善悪はないが、ナショナリズムは暴走の危険性もあり、それを防ぐには中間団体が大事だ。

▽中島氏 現実のナショナリズムの多くがステイティズムを含むから難しい。ナショナリズムはフランス革命のように主権を求める国民の要求として下から生じるが、内での同質化と外への排除が出る。それを国家が上から乗っ取り、権力的暴力が加速する。

▽中野氏 下からのフランス革命の結果はとても排他的だ。旧ユーゴスラビア、ルワンダなど下からの民主化で虐殺が起きた例は多い。むしろ上からできるのが、保守思想が好む国民国家のスタイルだ。王朝の下で暮らす人々が同じ国民となり、時間をかけて穏健に民主化する。たとえばイギリスだ。王朝がある限り暴力的な革命はない。国民が殺し合わないためには、王朝の権威をねつ造しても構わない。

▽中島氏 ナショナリズムは国民がそれをフィクションだと知りつつ引き受けて、初めて可能な概念だと思う。

▽中野氏 ナショナリズムがフィクションだと国民全体が知る必要はあるのか。知らないから排外的になるわけではない。ナショナリズムに限らず、仲間意識は排他性を伴うが、排他性にも限度がある。問題は排他と博愛ではなく極端か極端ではないかだ。「ナショナリズムは悪いことをしたから全否定」では「悪い大人がいるから大人は全員信用できない」という話。結局、物事の複雑さをとらえるためには、いろんな議論が必要だと思う。

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2009年2月14日 (土)

「歯切れを悪くする」市民の役目:曽野綾子氏の34年前の論~産経新聞[昭和正論座]から

 曽野綾子さんの昔の論文を読んで、今も昔も同じだと思った。

 産経新聞2月14日朝刊[昭和正論座]の<矛盾と混とんは社会の摂理>である。昭和50年(1975年)1月3日掲載だ。論文を読む前に、当時がどんな時代だったかを見ておこう。

 1972年7月7日に成立した田中角栄内閣は日本列島改造論をひっさげて過疎と過密の同時解消を狙う。9月29日には訪中した田中首相と大平正芳外相が日中共同声明を出し、外交関係を樹立した。その前の佐藤栄作政権時の1971年8月15日にニクソン米大統領が金とドルの交換を一時停止するなどのドル防衛策を発表し、国際通貨体制は揺らぎ始めていた。1973年10月6日には第4次中東戦争が勃発。アラブ産油国が石油価格を上げ、輸出を制限したため、日本では11月16日から主婦がトイレットペーパーに群がる「狂乱物価」騒ぎが起きた。

 始まっていたインフレは列島改造論で加速され、石油値上げで油を注がれた。過剰流動性は地価を押し上げた。1974年の参院選挙は田中首相がヘリコプターで全国を飛びまわり、企業が自民党を推す「企業ぐるみ選挙」となったが、自民tの右派改選議席70に届かない62しか取れず、敗北。保革接近参院が出現した。8月15日には朴正煕大統領夫人が在日韓国人に狙撃され死亡。1973年8月8日に起きた金大中拉致事件の処理をめぐっても日韓が対立した。

 8月4日にはニクソン米大統領がウオーターゲート事件を引責辞任。5日にフォード大統領が就任した。文藝春秋11月号の立花隆論文などの田中金権批判が外国プレスの報道で火がつけられ、日本の新聞も報道。11月18日に現職大統領の初来日という記念すべきフォード米大統領来日をこなした後、田中首相は辞任表明。

 12月1日の椎名裁定で三木武夫氏が12月9日に首相になった。12月27日に通常国会が召集され、院の構成を決めて自然休会。1月中旬から再開される、その直前の1975年1月3日に掲載された論文である。

 曽野さんはこの当時から根性が座っていた。書き出しがいい。

 <年の初めに当たり、何を望むかと言われると、私は、ますます深く迷いたい、と思っている。などというと体裁はいいが、実は、昔から、私は何事につけても、なかなか本質が見えてこないので、それがよく見えるようになるまで、かなり長い時間、待たねばならぬことを何とかして正当化しようとしているのかも知れない。>

 である。相当に謙虚だが、「本質が見える」人などほとんどいないのだ。だから、曽野さんは時間がかかるけれども「私は本質が見えるようになるまで見続ける」と言っているのだ。

 交通戦争でトラックの運転者が加害者という論理、ヘドロを出す製紙会社が加害者、と割り切れない現実をあげ、加害者と被害者が大抵の場合重なっているという事実、その矛盾がまさに人生そのものだ、と書くのである。

 チクロという薬の発がん物質と認定されたり、また使用可能となったり、という歴史に触れながら、炎上したタンカーを沈没させようとして自衛艦から魚雷を撃ったが、一発で沈まなかったことなどの「矛盾」をあげていく。

 そして、本ボシである。田中角栄首相退陣に触れる。

 <クリーンな政治家が、田中内閣後にひとしきり望まれるようになった。もちろん、政治家といえども、私生活はきれいな方がいいだろう。しかし、本当にひたすらふるまいのきれいな政治家がもしあるとすれば、その人は恐らく国際社会で日本の国益になるような交渉はできまい。人間が、個人としても集団としても、あることを決定するまでには、決して単純ではない、複雑な配慮が必要になって来るからである。>

 曽野綾子氏の人間観察は透徹している。悪い人、いい人と単純に区分けできないこの世の仕組みを述べて、

 <私たち大部分の平凡な市民にとって、大切なことは、せめて軽挙妄動、即断をせぬことではないか、という気がしてならない。あらゆるものは毒を含み、すべての美と善は、醜と悪のうらうちによって支えられる面が必ずあるからである。>

 <一人の首相が全くきれいだったり、一人の総理が悪いことしかしなかった、というのは、むしろ人間性の面から見て、不可能なことなのである。>

 <この矛盾の中にただよっていると、本当に歯切れは悪くなる。しあkし、私は歯切れ悪くしていることが、むしろ一人の市民のささやかな役目のように思うのである。>

 立派な言説だ。先ほど歴史を見たように、この時期は「田中ケシカラン、三木は素晴らしい」とテレビも新聞も一斉に報道していた時期である。これだけのことを言える曽野綾子氏は腹が据わっている。

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2009年2月13日 (金)

森達也氏のセキュリティ意識過剰論はおかしい!~毎日新聞2月13日夕刊[特集ワイド]から

 毎日新聞2月13日夕刊[特集ワイド~この国はどこへ行こうとしているのか]は作家の森達也さん(52)の<暴走防ぐ「違和感」>だった。森氏は1956年広島県生まれ、立教大卒業後、俳優などを経てテレビ番組製作会社に入り、数々のドキュメンタリーを手がける。自主制作した「A」(1998年)が話題となり、続編の「A2」(2001年)は山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員特別賞に。「放送禁止歌」「下山事件」「悪役レスラーは笑う」「死刑」など著書多数、と紹介してあった。

 <「最近、気づきませんか? 地下鉄の駅に張られた防犯カメラのステッカー、以前は『作動中』だったのが、いつの間にか『監視中』になっているんです。結構大きなことだと思うんですよ。『お前ら監視してるぞっ』と言っているわけですからね」>

 なるほど、気付かなかった。「監視中」かぁ。何か国家の暴力性を象徴するような言葉ですね。

 <「放送禁止歌」ではメディアの自主規制の問題からこの国の宿痾とでもいうべき差別問題に迫り、オウム真理教をテーマにしたドキュメンタリー映画「A」「A2」では異物を排除しないではいられない日本の社会を描いた。「死刑」問題もしかり……。誰もが見ているのに、気づかない、気づこうとしない禁忌領域に迫り、押しつけではなく自らが感じた「違和感」を提示して見せる。>

 というのは地の文で、隈本浩彦記者が書いている。禁忌など何か曰く言い難い言葉遣いをする記者だなぁ。

 <「よくコンビニとかにもぶら下がっていますけど、『特別警戒実施中』の看板。24時間、一年中なのに『特別』というのもおかしな話ですよね。セキュリティー意識が過剰なほど高まっている。その行き着く先は大きな悲劇のような感じがするんです」>

 「安全」「安心」と国家の問題を語るのか?

 <初の本格小説「東京スタンピード」を出版した。スタンピードとは群れが恐怖、興奮で一斉に暴走するさまを意味する。近未来の日本を舞台に、危機意識の高まりが虐殺事件を引き起こす群衆の「狂気」を描いた。執筆の動機は「福田村事件」だった。関東大震災の5日後の1923(大正12)年9月6日、千葉県東葛飾郡の利根川沿いの村で、香川県からやってきた行商人の一行9人が自警団に虐殺された事件だ。関東大震災では「朝鮮人が日本人を襲撃している」といううわさが流れ、朝鮮人、中国人それに社会主義者の6000人を超える人たちが自警団らによって惨殺されたことは比較的知られている。けれどもこの事件は日本人が日本人を襲っていた。四国の言葉が聞き慣れず、朝鮮人と思い込んだらしい。>

 と毎日新聞から出版された「東京スタンピード」の粗筋を書き、

 <「背景には過剰な危機管理意識があったと思います。当時、日本が朝鮮を植民地としたことで、多くの日本人は朝鮮人にいつ襲われるか分からないという恐怖感があった。そして震災。流言飛語のなかで自警団が結成され、自分たちから見て『異質』な人々を次々に襲い殺していった。重要なのは襲った側が『善』である点なんです。アウシュビッツにも行きましたが、当時のドイツ人すべてが邪悪だったわけではない。人はよこしまな欲望だけで大勢の人を殺すことはできません。セキュリティー意識、あるいは愛するものを守るという大義名分が高まったときに人は虐殺に走る。『悪』という存在に目を奪われがちですが怖いのは『善』だと思う。善の陶酔、善の暴走がスタンピードを起こす。関東大震災の自警団だって『善』と信じて虐殺に走ったんです」>

 なるほど、これが「森哲学」の一端ですか。悪は目に見えるし、制御できるが、善はみんなアプリオリに安心して従う。思考停止になる。そして、その結果、悪が行われる、ということだろう。

 <集団暴走を考えるきっかけはオウム真理教事件だった。>

 というのは記者のト書きである。

 <「オウムのドキュメンタリー作品(『A』『A2』)は、オウム施設の内側から日本社会がどう見えるのかということをテーマにすえました。警察の捜査、メディアの報道、市民の反応のどれをとっても『集団暴走』を感じた。オウムも同じですが、個としての考えは吹き飛んで周りに同調して一つの方向に突き進む。その怖さを知りました」>

 見ていないので何とも言えないが。

 <「A2」はオウム信者の退去を求める「善良」な市民をとらえているが、集団となって「異物」を排除しようとする姿は、関東大震災での自警団もかくやと思わせるほど日常から逸脱した雰囲気が漂う。そのオウム事件が起きた1995年を境に日本の社会は変調をきたしたと見る。>

 これも記者のト書き。「関東大震災の自警団もかくや」と書いているが、自分の家の隣にオウムのアジトがあったら、この記者はどうするのだろう。「オウムだっていい人がいるのだから。法律違反はしていないのだから」と日常生活を今まで通り続けることができるのだろうか? やはり、オウムは近くにいてほしくない集団ではないか。

 <「膨大な報道を通して更生できない邪悪な人間、組織が存在する、という刷り込みが徹底してなされたと思う。その結果、監視カメラなどの設置が進み、危機管理意識が高揚し、犯罪に対する厳罰感もどんどん進行している」>

 私もそんな「刷り込み」をされた一人に過ぎないのか?

 <死刑廃止論議はすっかりなりを潜め、それどころか死刑相当犯罪の時効廃止について論議されようとしている。>

 毎日新聞がキャンペーンしているのではないか。

 <もう一つ危惧するのは、同調圧力に弱く周りを気にしやすい国民性ゆえに、共同体への帰属意識が強い点だ。>

 それは昔の話だろう。今は異質な人間、「アトム化した個」がうじゃうじゃいるじゃないか。

 <「稲作、島国という条件が影響しているのでしょう。和を重んじる文化もある。今も同じです。仲間内で状況が読めないとKY(空気が読めない)と呼んで排除したりする。歴史問題で中国、韓国が反発するけど、集団化したときの日本人の怖さみたいなものを民族の記憶として継承しているのではないかと思う」>

 何か、このへんは薄べったい感じがするし、第一、牽強付会だ。

 <いま、この国を見渡せば、「100年に1度」の名のもとに派遣、正社員切りの動きが加速する。そう、あたかもスタンピードのように。>

 100年に一度の言葉と派遣切りとは直接関係ないだろう。100年に一度だから思い切り国費を使った経済対策をする。派遣切りはその前の小泉政権の申し子ではないか。混同している。

 <「断言」「反復」によって群衆は自覚的な個を喪失して扇動されると指摘したのは、フランスの社会心理学者のル・ボン(1841~1931年)。扇動者として想定したのは為政者で、ヒトラー、スターリンらの出現でその説は実証された。けれども今日、仕掛けるのは為政者ではなく無自覚なメディアではないか――。森さんはそう考える。>

 この辺のメディア批判は面白い。私もファシズムとメディアとの関係は研究したいテーマだ。

 <「メディアは過剰に危機をあおる傾向にあります。刺激的でないと視聴率はとれないし、読者も離れていく。だからますます扇情的にならざるを得ない。メディアが『断言』『反復』の危険な連鎖に陥っている。問題なのはメディアの無自覚性だと思うんです。『放送禁止歌』もそうだったんですが、だれも制限なんかしていないのにみんな勝手に放送してはダメだと思いこんでしまっている。思考が止まってしまっているんです。オーウェルの『1984年』(全体主義が支配する世界を描いた小説)で最高権力者として『ビッグブラザー』が設定されているが、最後まで姿を見せない。つまり実体がないものに、過剰な忖度で空白を埋め合わせているわけです」>

 そうかぁ、この人が「放送禁止歌」の研究をしていたんだっけ。「1984年」のビッグブラザーは今流行といっていい。

 次は記者のト書きだ。

 <果たして人ごとだろうか。おもしろい話を聞いた。モンゴルでは羊の群れに何頭かのヤギを放すという。群れへの依存度の高い羊は草を食べ尽くすとその場で立ちつくしてしまう。ヤギは違う。草がなくなれば別の場所に向かう。結果として羊も移動する。>

 これって有名な話なのかな? 前にも誰かに聞いたことがある。

 <「ヤギは群れようとしない。同調圧力に強い。摩擦を起こし足並みを乱すことで、破滅的な危機から群れを救っているわけです。私たちも同じですよ。個人が抱く『違和感』という『摩擦』が危機的な集団暴走を防ぐ」>

 牽強付会な比喩が始まる。 

 <東京メトロによると、防犯カメラのステッカーの表現が「作動中」から「監視中」に変わったのは北海道洞爺湖サミット前の昨年6月。けれども広報担当者は「聞かれるまで知らなかった」と話した。ふだん見ているのに、見えない、気づかない変化の積み重ねの先に控えているのは、どういう国のかたちなのだろうか。>

 と隈元浩彦記者は読者に問いかけて終わる。何かなぁ、テレビ朝日の夜のニュースショーの例の男性キャスターを思い出すので、こういうような問いかけは嫌いなんだけど。

 一読、違和感を覚えた。森氏の「人間主義」と日本人固有の「どうでもいい」感覚は合わないのではないか、と思うからだ。汎神論ではなく、一神教の考えだろう、森氏の言っていることは。人間中心主義、近代理性万能主義。それではうまくいかなかくなったから、日本の心を探そう、ということではないか。それとオウム真理教がどこで結びつくのか? 悪いものは悪いのではないか? ゴミ屋敷の主が森氏の隣に引っ越してきても文句一つ言わずにニコニコできるのか? という単純なことを問いたい。

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2009年2月12日 (木)

日本人の「初期設定」、国民合意がないのは昔からか?~内田樹氏の毎日新聞2月12日夕刊寄稿から

 毎日新聞2月12日夕刊文化面連載[水脈]に内田樹・神戸女学院大教授(フランス現代思想専攻)の<日本特殊論/他国と比較「だから、どうした」>が掲載されており、面白かったので書いておく。何が何だか分からないと思うので、第一段落を書き写しておこう。

 <「日本特殊論」という言説がある。任意の論件について「日本は他国とこう違う」ということおを列挙し、そこから「だからダメなんだ」と「だからよいのだ」と二種類のどちらかの言明を導くものである。私はそれ以外の第三の言明もあってよいのではないかと思う。「だから、どうした」である。>

 この文章を読めば、内田氏が他者に論争を挑もうとしているのが分かる。楽しい論争を、である。今、若者に抜群の人気の哲学者だという。論争相手には不足だろうが、一応、内田氏の論にコメントをつけながら読んでみる。

 まず内田氏はオバマ米大統領の就任演説について「アメリカ的なスピーチだと思った」として、

 <清教徒も、アフリカから連れてこられた奴隷たちも、西部開拓者も、アジアからの移民たちも、それぞれが流した汗や涙や血は、どれも今ここにいる「私たちのため」というものだったという国民の歴史の連続性が強調されていたからである。>

 <アメリカ人がアメリカ人であるのは、「かつてアメリカ人がそうであったようにふるまう」限りにおいてである。つまり、アメリカ人の国民性格はその建国のときに初期設定されている。だからもし、アメリカがうまくゆかないことがあったとしたら、それはその初期設定から「逸脱」したせいなのだ。彼らはそう考える。そういう場合には「初期設定に戻す」のである。(誤作動したコンピューターといっしょである。)>

 アメリカ人はリセットできる、という。ところが、日本人には立ち還るべき「初期設定」が一杯ありすぎて、どれが「初期設定」なのか、国民合意ができていない、というのだ。「敗戦」なのか「明治維新」なのか「天孫降臨」なのか、と。

 <だから、私たちは危機に際会したときに立ち還るべき原点を持たないのである。>

 という問題提起は重いと思う。

 <私たちがうるさく語り合うのは「アメリカではこうだが、日本ではこうだ」、「フィンランドではこうだが、日本ではこうだ」という類の他国との比較だけである。私たちには「時代を超えて継承されてきた国民性格」に基づいて、国民として果たすべきことを叙するという習慣がないのである。>

 これは、今の時代というか明治維新後を見ればその通りだと思う。特に戦後は「戦前、戦中はすべて悪だった」というGHQの史観を受け入れながら民主化が進んだこともあって、この考え方がほぼ日本を覆い尽くしている観がある。

 しかし、内田氏の次の言葉が挑戦的に聞こえるのだ。

 <私たちは「そういう国民」なのだ。私たちは「あるべき国民像」を、祖先たちの生き方を範とすることでなく、同時代の他国との比較でしか語れない国民なのである。それが「時代を超えて継承されてきた国民性格」であるなら、「それで何か問題でも?」と反問しつつ、その「同じ旅程」を私たちもたどる他ないだろう。>

 である。

 内田氏ほどの方だから、「反米」と「親米」、「鎖国」と「摂取」、「愛国」と「国際化」など対立する概念を一つの人格の中に持つ近代知識人の煩悶の歴史を知らないわけがないだろう。夏目漱石、和辻哲郎、柳田國男、小林秀雄、江藤淳各氏らの努力はまさにそこにあったわけだろう。

 だから、内田氏の言いたいことは軽佻浮薄で伝統の重みを全く理解できないマスメディアと文化人、学者や政治家への痛烈な批判なのだ、と理解している。

 内田氏は温故知新ができないことを「日本人の国民性格」というが、兼好法師や紫式部、親鸞や日蓮を見れば、あふれるほどの愛国心と伝統を大切に受け継ぎながら一部を壊し、新たに建てるという作業を繰り返してきたことが分かると思う。日本人の国民性を考えた時、決して、縦の思考(歴史的思考)ができずに平目のような横の思考(世界比較)だけで生きてきた民族とは思っていない。

 しかし、内田氏はそんなことは百も承知で言っているのだろう、と思う。内田氏が言うように他国比較を絶対である如く言う「文化人」「政治家」が多すぎるし、テレビメディアなどを通じて、相当の悪影響を日本国民に与えていると思う。「だから、どうした」の視点は非常に大切だ、と思う。

 特に外人による日本論、日本人論を有難がって拝聴し、神棚に祭り上げることだけはやめたほうがいい。最近の新聞でチャルマーズ・ジョンソンのインタビューが出ていた。例の日本異質論者だ。最近は日本の左翼と相性がいいようだが、そんな連中の片言隻句に一喜一憂することはやめよう。外人の話も日本人の話も同じ地平で見るようにすれば、違ったものが見えてくると思う。

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2009年2月11日 (水)

亀井勝一郎氏が選んだ「心に沁みる名言」から

 44年前に読んだ本を開いたら、所々に赤線が引いてあった。亀井勝一郎監修「日本名言集~青春を生きる知恵」(青春新書、青春出版社、昭和36年12月30日発行、定価220円)で、昭和40年10月28日と買った日付を書き込んであった。あの転向文学者の亀井氏である。高校生の頃だから、そんな監修者の来歴も知らず、心の襞など想像のしようもなく、ただあの「大和古寺風物誌」を書いた人が選んだ名言だ、ということで読んだのだと思う。残念なことに、今になると、なぜその部分に赤鉛筆で線を引いたのか、の理由も線を引いた事実も覚えていない。心に響かなかったのかもしれない。

 当時は、大学受験のために受験勉強の日々を送っていた。私が通っていた都立の高校は一風変わっていて、理科系志向の生徒が多く、文科系志望者が小さくなっていた雰囲気もあった。物理・化学が苦手だった私は最初から文科系志望だったが、どんな勉強をしていたのかも、あまりに昔なのではっきりは覚えていない。

 ただ、社会的なものごとに関心が全くなかったことだけは覚えている。小説を読みまくっていた。そんな中の息抜きのつもりの一冊だったのだろう。

 パラパラとめくって、赤線を引いてある言葉を読むと、いいことが書いてあるので、幾つかメモしておこうと思った。もはや青春は遠く去り、いまさら「青春を生きる知恵」でもないもんだ、とは思う。この本は、そういう若者向けの本だったから、「老い」とか「病気」に関する言葉は意識しては拾っていないが、「人生」とか「生と死」とかの項目の中で幾つかは拾っている。亀井氏が50代半ばで読み込んだ本の中から選んだだけあって、言葉には亀井氏の思いが込められているようでもある。

分別過ぐれば大事の合戦は成し難し

 黒田孝高(くろだ・よしたか)「名将言行録」

 ウィキペディアによると、黒田孝高とは黒田 如水、通称黒田官兵衛のことだ。キリシタン大名として。ドン・シメオンという洗礼名も持っていたから、四つの名前で生きていた人だ。天文15年11月29日(西暦では1546年12月22日となる)、黒田職隆の嫡男として姫路生まれ。永禄10年(1567年)頃に家督を継ぎ姫路城代。永禄12年(1569年)、赤松政秀が足利義昭を抱える織田信長に属した池田勝正と別所安治の支援を受け、姫路城に3,000の兵を率いて攻め込んでくるが、300の兵で奇襲攻撃を仕掛け撃退した青山・土器山の戦いですでに天才ぶりを発揮している。

 その後、長篠の戦いで武田勝頼を破った信長の配下に入り、天正4年(1576年)には毛利は小早川隆景の水軍の将、浦宗勝を5000の兵で攻め込ませるが、英賀に上陸したところを孝高は500の兵で攻撃し退けた。1年間の捕虜生活で左脚関節に障害が残り、歩行がやや不自由になる。本能寺の変で信長が死んだことを知った孝高は秀吉に毛利輝元と和睦し、光秀を討つように献策し、中国大返しを成功させた。

 天正11年(1583年)の秀吉と柴田勝家との賤ヶ岳の戦い、天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも参加。毛利との外交に手腕を発揮し国境線を確定し、実質的に秀吉配下に加えた。天正17年(1589年)、家督を長政に譲って隠居。文禄元年(1592年)から秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に参加、文禄2年(1593年)に石田三成と確執を生じ、秀吉の怒りを買って出家、中津城に引退した。

 慶長3年(1598年)8月に秀吉が死去すると如水は12月に上洛し、吉川広家に書状を書いた。

 <かようの時は仕合わせになり申し候。はやく乱申すまじく候。そのお心得にて然るべき候>

 如水は遠からず天下の覇権をめぐって大乱が起きると予想していた。慶長5年(1600年)、徳川家康らが会津の上杉景勝討伐のため東へ向かうと、7月17日(8月25日)石田三成らが家康の非を鳴らして挙兵し(西軍)、関ヶ原の戦いが起こった。嫡男・長政は家康の養女を正室として迎えていたことから秀吉の死去前後から家康に与し、豊臣恩顧の大名を多く家康方に引き込み後藤基次ら黒田軍の主力を率いて家康に同行、関ヶ原本戦で武功を挙げた。

 九州にいた如水は領内の百姓中心に9000人ほどの速成軍を作り上げ、9月13日(10月19日)、石垣原(現在の別府市)で大友義統軍と衝突、勝利した。合戦の後、長政は家康から勲功第一として筑前国名島(福岡)で52万3000石を与えられた。如水も中津城から福岡城に移り、政治に関与することなく慶長9年3月20日(1604年4月19日)、京都伏見藩邸にて死去。59歳。

 「名将言行録」には徳川秀忠が孝高を評した

 <今世の張良なるべし。>

 という言葉も残されている。

 また、秀吉が孝高を恐れたことを示す言葉として、

 <秀吉、常に世に怖しきものは徳川と黒田なり。然れども、徳川は温和なる人なり。黒田の瘡天窓は何にとも心を許し難きものなりと言はれしとぞ。>

 も名将言行録に残されている。ウィキペディアにはエピソードも豊富だ。

 秀吉が家臣に「わしに代わって、次に天下を治めるのは誰だ」と尋ねた。家臣たちは徳川家康や前田利家の名前を挙げたが秀吉は黒田官兵衛(孝高)を挙げ、「官兵衛がその気になれば、わしが生きている間にも天下を取るだろう」と言った。側近は「官兵衛殿は10万石程度の大名に過ぎませんが」と聞き返したところ、秀吉は「お前たちはやつの本当の力量をわかっていない。やつに100万石を与えたらとたんに天下を奪ってしまう」と言った。これを伝え聞いた官兵衛は身の危険を感じて隠居を申し出たという。文禄4年(1594年)の伏見の大地震の際、倒壊した伏見城に駆けつけたが、秀吉は同じ蟄居中の加藤清正の場合には賞賛したのに対し、如水に対しては「俺が死ななくて残念であったであろう」と厳しい言葉をかけたと言われている。

 晩年は家臣に対して冷たく振舞ったとされる。これは殉死者を出さないためとも、当主の長政に家臣団の忠誠を向けさせるためとも言われている。村重謀反のとき、信長は翻意するよう説得に向かった孝高が帰ってこないのは村重に寝返ったからだと判断し、人質として預けられていた長政を殺害するように命じた(村重と一緒に主君の小寺政職も裏切った事がこの疑念を助長している)。しかし重治(半兵衛)は密かに長政を匿った。このため、重治への感謝の気持を忘れないために黒田家は家紋に竹中家の家紋を用いた(この家紋とは黒餅の事を指す。黒餅とは石高の加増を願う家紋である)。遺訓は「人に媚びず、富貴を望まず」だった、と書いてあった。

 以上の基礎知識を学んだ後に、亀井氏の選んだ「 分別過ぐれば大事の合戦は成し難し」を見ると、黒田如水の生き方の何を若者に伝えたいのか、はなはだ分からなくなる。人生訓だったら、遺訓の

 <人に媚びず、富貴を望まず

 ではないか。

 亀井氏が選んだ徳川家康の遺訓はあまりにも人口に膾炙されているきらいはあるが、じっくり噛み締める価値がある言葉だ。

 <人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく心に望みおこらば困窮した時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基。怒は敵と思へ勝つ事ばかりを知って負くる事を知らざれば害その身に至る。おのれを責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるより優れり。

 山岡宗八の「徳川家康」を昔、読んだ。あれは山岡宗八の家康だった。つまり、山岡宗八という人間がその大きさの家康を描いた小説だった。戦後の日本の荒廃の中、日本人に気概を持て、と発破をかけた小説だった、と思う。いろいろな小説家、歴史家が家康を描いているが、こうした本人の言葉を読むことの大切さは若者に伝えたいものだ。

 いろいろな読み方ができると思うが、私は「失敗しても諦めるな」、「成功してもいい気になるな」、「心を強く持ち、澄み渡らせよ」と言っているように思えた。どう受け取るかはそれぞれの勝手だ。

 <一時に怯懦の心を発作して終身の恥辱を帯ぶる勿れ

 乃木希典「訓示」

 この文を打ち込んでいて驚いた。「きょうだ」と打っても、「怯懦」が出てこないし、「まれすけ」と打っても「希典」が出てこないのだ。私はIMFスタンダードの入力方式にしているのだが、外国の製品だからなのか? 最近よく使われる日本語には不自由しないのだが、昔、と言ってもせいぜい明治時代の文を打とうとすると、すべて手書きのIMFパッドのお世話になるのも何だか情けなくなってきた。

 この言葉は微妙だ。何も知らない若者ならば、言葉通りに受け取るかもしれないが、私たちはすでに二〇三高地での乃木の失敗をしっているだけに、この言葉を見ると、複雑な思いが湧いてくるのだ。

 乃木を認める人びとと、「能力がなかったので、必要のない戦死者の山を築いた」と批判する司馬遼太郎のような人が今でも両派に分かれて論争している状況で、いわく言いがたいが、きっと乃木さんは<終身の恥辱>と思い込んでいたのだろう、と想像する。犬死のように戦死した兵士も痛ましいが、この乃木さんの言葉も痛ましい。

 しかし、あの戦いはせざるを得なかった戦いだったし、日本は国運を賭けて戦い、ロシアを破ることができたから、独立国として生き残れたのだと思う。あの場面で戦わなかった朝鮮は戦後処理で日本の保護国となり、その5年後に国としての体裁を失った。

 戦うべきときは戦わねばならない。しかし、戦いは戦死者だけでなく、生き残った人々の心にも死ぬまで残る恥辱を植えつける。

 <心なしと見ゆる者も、よき一言はいふものなり

 吉田兼好「徒然草」

 「おっさん、よく見てるね」と言いたくなるこの言葉、思わず笑ってしまった。

 市場原理主義の経済学者として政府の提灯持ちのような審議会で活躍しながら、市場中心の主流経済学が批判されると、すべて打っちゃって、「私は改心しました」とまたノコノコ出てくる人(面白い本だったのでたしか書評を書いたと思ったが)、朝のテレビのコメンテーターとして軽い言葉を毎日切り売りしてる人々、そして、旧社会党系の「北朝鮮は素晴らしい国だ」と言っていた人たち、韓国に頻繁にでかけては「独島(普通、日本人は竹島と言います)は韓国のものだ」と言い歩いている和田とかいう東大の先生……、顔が思い浮かんでしまって笑いが止まらなかった。

 彼らはきっと、「一時に怯懦の心を発作して終身の恥辱を帯ぶる勿れ」と思って、勇気を出して生きているのだろう。

 ちょっと理屈っぽいが、次の言葉を亀井氏が選んだのも面白かった。

 <政党には、党勢拡張、政権獲得などいう一種の病気がつきまとう。そのために、あるいは種々の不正手段に出たり、あるいは敵に向って進む勇気を失ったりすることがある。これを監視し激励するのが言論に従事する人々の責任でなければならぬ。

 犬養毅

 これもウィキペディアのお世話になろう。

 犬養 毅(いぬかい・つよし)、通称は仙次郎。号は木堂。1855年6月4日(安政2年4月20日)― 1932年5月15日。第29代の首相で立憲政友会第6代総裁。備中国賀陽郡庭瀬村(現・岡山市川入)に大庄屋 犬飼源左衛門の次男として生まれ、後に犬養と改姓した。一時二松学舎にも通い、最終学歴は慶應義塾退学。郵便報知新聞(後の報知新聞)記者として西南戦争に従軍。東海経済新報記者をへて、1882年(明治16年)、大隈重信が結成した立憲改進党に入党、活躍する。

 1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙で当選し、以後42年間で18回連続当選という、尾崎行雄に次ぐ記録を作る。1913年(大正2年)の第一次護憲運動の際は第3次桂内閣打倒に一役買い、尾崎行雄(咢堂)とともに「憲政の神様」と呼ばれた。しかし、当時所属していた立憲国民党は首相桂太郎の切り崩し工作により大幅に勢力を削がれ、以後犬養は辛酸をなめながら小政党を率いる。

 第2次護憲運動の結果成立した第1次加藤高明内閣(護憲三派内閣)で逓信相。小政党に限界を感じ、革新倶楽部を立憲政友会に吸収させ政界引退するが、世間は犬養の引退を許さず、岡山の支持者たちは勝手に犬養を立候補させ、衆議院選挙で当選させ続けた。政友会総裁の田中義一が没すると後継総裁をめぐって内紛が生じ、犬養は幹部に乞われて1929年(昭和4年)に第6代立憲政友会総裁に就任する。

 1930年(昭和6年)ロンドン海軍軍縮条約に統帥権干犯を絡めて、鳩山一郎とともに政府を攻撃した。これは軍部に統帥権を武器として使えることを教え、自らの死につながった。1931年(昭和6年)12月に立憲民政党(民政党)の若槻禮次郎内閣が崩壊したため、反対党の総裁である犬養に組閣の大命が降下、内閣総理大臣に就任する。世界恐慌、そして満州事変の最中という荒波の中の船出であった。大蔵大臣には高橋是清を任じ、組閣と同時に金輸出再禁止を行い積極財政をとるなど、不況対策に努めた。また、外務大臣には女婿の芳澤謙吉を任じることにより、軍部に左右されがちな外交政策をリードしようとした。犬養の就任後は桜田門事件、血盟団事件と不穏なテロ事件が相次ぎ、ファッショ排撃を訴えた犬養自身も5.15事件で、海軍将校の凶弾に倒れた。享年77歳。

 犬養には常に毀誉褒貶が付きまとった。第1次護憲運動では尾崎行雄とともに「憲政の神様」と崇められ、東京朝日新聞の記者だった中野正剛は

 <「咢堂が雄弁は珠玉を盤上に転じ、木堂が演説は霜夜に松籟を聞く」

 と評した。

 犬養の演説は理路整然としていて無駄がなく、聞く者の背筋が寒くなるような迫力があったという。

 その犬養が一旦藩閥政権である寺内内閣への内閣不信任案の共同提出を憲政会(桂に引き抜かれた元国民党議員が所属)に対して呼びかけながら、不信任案反対派の政友会と憲政会の足の引っ張り合いを皮肉って、政権を巡って右往左往する憲政会の態度を切って捨てて、そのまま衆議院解散に持ち込み、総選挙では孤立した憲政会に大打撃を与えた上で寺内正毅の要請を受けて寺内内閣の臨時外交調査会に入ったため、たちまち「変節漢」の悪罵を浴びた。その落差は大きい。

 その後も、山本権兵衛内閣や護憲三派による加藤高明内閣にも閣内協力をした。ただ、これだけで犬養を「変節漢」と呼ぶのはいささか酷かもしれない。犬養は普通選挙の実現をはじめ、経済的軍備論、南方進出論、産業立国論など独自の政策を温めていた。その実現のために、よりましと思われる政権に加わったとも解釈できる。

 明治の政界で隠然たる影響力を誇っていた山縣有朋が

 <「朝野の政治家の中で、自分の許を訪れないのは頭山満と犬養毅だけ」

 と語ったという話もある。同じように藩閥支配に敵意を抱きながら、原敬は山県に接近し、その力を利用して自らの勢力拡大を図った。一方で犬養はその道をたどらず、ほとんど少数政党に身を置いて苦労を重ねた。

 犬養は毒舌でも有名だった。親友の古島一雄は、犬養の毒舌がやたらに政敵を増やすのを見て「ご主人の出掛けに口を慎めと必ず言ってくれ」と夫人に頼んだほどである。これは、意志が強固で悪や卑劣を憎む犬養の性格からくるものからでもあったと思われる。

 私生活では全く無欲の人で、細かいことには無頓着だった。嫌いな食べ物が出ても文句を言わず、着せられる着物を黙って着ていた。議会事務局で働く少年が病気になると、自宅に引き取って学校に通わせるなど、困った人を見ると援助の手を差し伸べずにはいられないところもあった。

 宮崎滔天ら革命派の大陸浪人を援助し、宮崎に頼まれて中国から亡命してきた孫文や蒋介石、インドから亡命してきたラス・ビハリ・ボースらをかくまったこともあった。宮崎は当初、犬養が大隈重信寄りだったため警戒していたが、自宅で会ってみると、煙草盆片手にヒョロヒョロと出てきて、あぐらをかいて煙草を吸い全く気取らない。宮崎は直感的に「好きな人」と判断したという。ちなみに孫でエッセイストの安藤和津によると、ひどく女好きであったという。

 犬養が首相に就任したのは「憲政の常道」のルールが確立されていた上に、元老・西園寺公望は犬養が満州事変を中華民国との話し合いで解決したいとの意欲を持つことを評価して、昭和天皇に推薦したため。この時、犬養は数え年で77歳。新聞は「昭和の実盛」と書いた。白髪を黒く染めて戦った源平期の老武将斎藤実盛になぞらえたのだ。

 <情けは人のためならず>、 <禍福は糾へる縄の如し

 太平記

 この言葉は西欧の諺か何かの翻訳だ、と勘違いしていた。太平記だったとは……。

 <学者になる学問は容易なるも無学になる学問は困難なり

 勝海舟「海舟全集」

 勝はここで何を言わんとしているのか? ぼにゃり想像はできるが、本当にそうなのかどうか。「無学になる学問」の意味が分からないと、この言葉の深さは感じられない。

 <改めて益なきことは、改めぬをよしとするなり

 吉田兼好「徒然草」

 このへんになると、政治を思い出す。制度改革をやる時、民主主義国家では、このような言葉で野党が攻めてくるケースは多い。「益なし」なのか「益あり」なのかの論争になるのだが、未来の話をしているので、結局分からず、声の大きい人が言い勝ってしまう、というパターンだ。しかし、そうした政治的な使われ方をされる、という点を除いてこの言葉を虚心に読んだ時、「そうだなぁ」と頷くことが多いだろう。保守の保守たる所以を垣間見せる言葉なのかもしれない。

 <兵の勝敗は人にありて器(き)にあらず

 頼三陽「日本外史」

 これって、その通りなんだけど、先の戦争を少しでも知っている世代から見ると、誤読される危険性に目が行くのではないか。戦争に勝つか負けるか、は兵器のよさではなくどれだけ人的資源を有するかにかかっている、優秀な司令官、参謀をtkすあん擁していれば、少しぐらい軍備が劣っていても負けるものではない、という意味だろうと思う。

 先ほどの黒田如水ではないが、5000人の軍隊を500人でやっつけた歴史もある。ただ、逆に徹底的に軍備が劣っていて、後は人間魚雷と竹やりしかない、という時には、この言葉はあてはまらないのだ、ということを後世の日本人にしっかり伝えていくのが、先の世代の義務なのではないか、と思う。

 日本人って普段はそうでないのに、そういう時だけ、付け焼刃の精神論をぶって、竹やり精神を説くようだから。

 <古人の跡をもとめず古人のもとめたる所をもとめよ

 松尾芭蕉「風俗文選」

 そういうことだと思う。ケインズの講義録や著作の重箱の隅をつついて、合っている間違えている、などと論争し、現実を見ようとしなかったケインズ学派なるものもあったし、マルクスの心を無視して、「資本論」読みに没頭した学者は掃いて捨てるほどいた。しかし、彼等のやっていたことは違うんだよ、と丁寧に芭蕉が教えてくれている。

 <口に才ある者は多く事に拙なり

 伊藤東涯「間居筆録」

 これも、見た瞬間、笑ってしまった。昔、「君は新聞記者より、新聞話者が向いているね」という流行語がマスメディア関係者の中で流行したことがあった。今のように新聞記者が誰かれなくテレビのニュースショーにコメンテーターとして出演し、自分の得意分野でもないのに、知ったかぶりの知識をひけらかす、などということは、まだなかった時代のことである。新聞社では朝刊の出稿予定を編集局の会議で各部が報告しあう。それを当日の編集責任者がまとめる形で1面トップ記事や社会面トップ記事が決まるのが普通のスタイルだった。そして、この会議に出す出稿予定メニューを作るため、各部のデスクは記者がいる記者クラブに電話をしたり、政治部などの場合には国会記者会館に出向いて、各記者クラブのキャップから出稿予定を聞き取っていた。まだ、ネットなどない時代のことだから、パソコンを使った意思疎通ができず、アナログで動いていた。

 その聞き取りに答えるために、複数の記者がいる大クラブのキャップやサブキャップは若い記者たちから何を書くのか、聞いておく。発表モノだけでなく、調べて書く独自記事があれば、内容にまで突っ込んで話し合い、1面に出せるのか、中面でもトップにできるのか、付加価値を付けられるのか、応援の取材が必要かどうか、などを討議する。

 その時、本当に面白い話をする記者がいる。話をテープレコーダーに入れて、そのまま記事にしたら、読者が喜んで、洛陽の紙価もさぞかし上がるだろう、というドキドキワクワクの話も多い。「じゃあ書いてね、頼むね」と言い残して本社に帰り、期待して原稿を待つと、出てきた記事はありふれたただの原稿。話にあった面白いところが書いてない。「なぜ書かないのか」と電話で聞くと「まだ、そこのところは裏がとれていない」とか「ストレートに書くと○○政治家に迷惑がかかるので」などの言い訳が次から次に出てくる。

 そのことを思い出してしまったのだ。

 伊藤氏はまた違ったシチュエーションを考えて言ったのだろうが。

 <撃つべきの機は、その間に髪を容れず

 頼三陽「日本政記」

 これも頼三陽である。しかし、これも閑話休題だが、この頼三陽も変換できないのだ、このパソコンは。「らいさんよう」と打ち込むと「礼讃洋」と出てくる。仕方なしに「頼む」と打って「む」を消し、「三つ」と打って「つ」を消し、「太陽」と打って「太」を消している。だから、同じ文章に何度も出てくるとイライラする。コピペするのだが、めんどうで……。

 この言葉は大岡昇平の「俘虜記」を思い出させた。「撃つ」の意味は実は、頼と大岡とでは違っているのだが、若くて新米だと思われた米兵を撃てるのに撃たなかった大岡の迷いは頼が言っている「撃つべき機は、その間に髪を容れず」を実行できなかった近代人の迷いだった、とまあ、ありきたりなことを思ったのだ。間髪容れずにやらないといけない、という頼の「撃つ」は戦国大名が下克上を知ったときに、平定するとか、そういう意味だろうと思うのだが。

 <真(まこと)の善悪(よしあし)を云はば、鉄(くろがね)最も善(よろ)しく、銅(あかがね)これにつぎ、金(こがね)銀(しろがね)これにつぐべし

 権田直助「心の柱」

 鉄が一番だ。何にでも使える。銅は使い道は限られているが、銅だけにしかない使途もあり有用だ。それに比べて金銀は何に使うのか?

 貨幣、通貨という交換価値をこっちに置いておいて、使用価値だけで見れば、という話だろう。現実の世界ではそうはいかないから、非現実的でそれこそ「何の役にも立たない論」と言われてしまうかもしれないが、この発想は面白い。

 無人島に漂流した100人の男女が鉄と銅と金銀と何がほしいのか、聞かれてどう答えるだろうか? もしも、前の社会に戻るということを前提にすれば金銀だろう。たっぷり持って帰れば大金持ち。何でもできるから。しかし、その「何でもできる」というのは交換価値だ。無人島で畑を耕したり、家を建てる際には金銀よりは鉄が役立つ。使用価値がある。100年後、200年後、錬金術が成功して、誰でもどこででも金を作れるようになったら、金は一番先に人気をなくすのではないか。今は希少価値だから人気があるだけなのだから。

 人工ダイヤモンドがもう少し精密になって、天然と識別できなくなったら、天然ダイヤモンドの価格は暴落するだろう。ダイヤモンドも金も単に希少価値だから、価値がある。でも、鉄は違う。

 この論理って、ポスト資本主義を考える時、ブレイクスルーをもたらす一つのキーワードにならないかな?

 <生死は車の輪の如くにて、始りては終り、畢(おわ)りては始り、いつを始め、いつを畢(おわ)りともいふ事あるべからず

 水鏡

 この輪廻思想が日本独特の思想なのか、南方始原なのか知らないが、少なくとも一神教の西欧にはない思想だ。死を身近に感じ、恐れず、生と死との連続性を信じ……、といいことだらけのようだが、この死生観」が行き過ぎると「己を喪へる生は死よりも意義なし、己を喪はざる死は生よりも意義あり」(長谷川如是閑「如是閑語」)となってしまう。この考えだって本当は尊重されてしかるべきなのだが、これを東条英機のような輩が「戦陣訓」などに書き込んで、国民に押し付けると、「人命尊重をないがしろにした」などと批判されるようになってしまう。この西欧的な「人間主義」の限界が今回の世界同時不況や核支配の世界を生んだのだ、と思うのだが、人道主義の旗を高く掲げている方々にはこの理屈は通じないから、あまり言わない。

 <春くれて、後夏になり、夏はてて秋のくるにはあらず、春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通ひ、秋は即ち寒くなり、十月は小春の天気。草も青くなり、梅もつぼみぬ。木の葉の落つるも、まづ落ちてめぐむにはあらず、下りよきざしつはるに堪へずして落つるなり、迎ふる気下にまうけたる故に、待ちとるついで甚だはやし。生老病死のうつり来る事、また是に過ぎたり。四季は猶定まれるついであり、死期はついでを待たず

 吉田兼好「徒然草」

 兼好法師らしい文章だが、デジタル的に、「はい、春は終わり、次は夏さ~ん」という具合に四季が移り変わるのではなく、春の中にも夏を含んでいる、という、当たり前のことを当たり前に書いていて、それが連綿と800年も読まれているというのは、書物、文字文明というものの危うさを吉田兼好がいみじくも言い当てている、その教訓を易しい言葉で警告しているからではないか。「春」t言えば、春を思う。その中に少しは夏を含むと知ってはいるものの、「春」と言われた瞬間、含まれている夏の要素がどこかに飛んでいってしまう。ただ単純な「春」だけになってしまい、平板なものとなる。でも、「春」には「冬」の名残もあるし、「夏」の先行指標も入っているんだよ、と常に思うべし、と。そういう理解をしないと、計量経済学が大失敗したように、言葉の魔法にかかって、人類は大失敗するよ、と兼好法師が教えてくれているのかもしれない。

 <神道に書籍なし。天地を以って書籍となし、日月を以って証明となす

 吉田兼好「神代上下鈔」

 これも兼好法師。ずっと後の時代、本居宣長は「吉凶(よしあし)き万(よろ)づの事を、あだし国にて、仏の道には因果とし、漢の道々には天命といひて、天のなすわざと思へり。これはみなひがごとなり」(『直毘霊』 )と、仏教、儒教なにするものぞ、神道だけが正しい、と言っているのだが、その神道が理論体系ではなく、日本列島の自然と人間の同一化の中にあることを示した輝く言葉だ。

 <口は禍の門なり、舌は禍の根なり

 十訓抄

 何か、そういうことだよなぁって納得する。最初のほうはよく知っていたが、後ろがあったんだ。

 <商人は死ぬまで金銀を神仏と尊ぶ。これが町人の真の道

 近松門左衛門

 なるほど。作品名は書いてないが、何かの人形浄瑠璃の中で登場人物に言わせているのだろう。本当に日本のシェイクスピアだ。この江戸爛熟期の文化人が見た商売道、アメリカのリーマンだ、ゴールドマン・サックスだ、という人たちと似てないか。あまりアメリカが特殊だとか、日本は違う、とか言わないほうがいいだろう。ギラギラした時代だってあったんだから。日本にも。ただ、江戸幕府という政治は腐敗していたかもしれないが、この商人資本主義が暴走するのを適度に押さえ込んでいた。今流に言えば、政治が機能していた。

 <思ふべし、人の身に止むを得ずしていとなむ所、第一に食物、第二に着る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三に過ぎず。飢えず、寒からず、風雨にをかされずして、閑(しずか)に過すを楽とす。ただし人皆病あり、病にをかされぬれば、其の愁忍びがたし。医療をわするべからず薬を加へて四の事、求め得ざるを貧しとす。此の四の外をもとめいとんむを驕(おごり)とす。四の事倹約ならば、誰の人か足らずとせむ

 吉田兼好「徒然草」

 またまた徒然草だが、内容がいいから、何度でも出てくる。衣食住に医療を加えて、貧困のメルクマールにしている。吉田兼好という人、本当にすごい人だなぁ、と思う。今、米国でも全員福祉はできていない。日本は医療保険制度で貧乏人でも薬をもらえるようになっているはずだ。実態はなかなか違うかもしれないのだが。しかし、兼好法師の言うとおりだろう。雨露を凌げる家があり、一日三食のご飯が食べられ、寒いときには厚着ができて、風邪を引いたり、お腹が痛かったら医者で薬をもらって直せる。ここまで過ごしやすい国に住んでいて何の文句があるんだい? と麻生首相に聞かれたら、何と答えよう。

 <災難にあふ時節には災難にあふがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。これはこれ災難をのがるる妙法にて候

 良寛

 何か鯰を素手で掴もうとしたら逃げられ、また掴もうとして……といった感じの禅問答の一部なのだろう。災難にあってわけが分からなくならずに、「これは災難だが、どんな災難なんだ」と冷静になっていろ、という教えなのか? 理解できないが、面白い言葉だ。

 <人生五十功なきを愧ず

 細川頼之

 何もいえねぇ、か。私はアラウンド還暦なのに、功なきもいいところですから。

 <年五十になるまで上手にいたらざらん芸をば捨つべきなり。励み習ふべき行末もなし

 吉田兼好「徒然草」

 何もそこまであけすけに言わなくとも。まだまだコツコツやろうと思っているのに、ダブルパンチを食らわされてしまった。

 <学をなすに三要あり、志なり、勤なり、好なり。

 伊藤東涯

 ここまできて、少しホッとする。

 <志を立つることは大にして高くすべし。小にしてひくければ、小成に安んじて成就しがたし。天下第一等の人とならんと平生志すべし。

 貝原益軒「大和俗調」

 私はもう手遅れだが、若い人にはいいアドバイスだと思う。

 このほか、吉田兼好の言葉で気に入ったのが幾つかあったが、書き写すのに疲れたので、この辺にしておく。面白かったのは、小林秀雄が「作品は自然の模倣を出られない」(「文学と自分」)と書き、松尾芭蕉が「心花にあらざる時は夷狄(いてき)にひとし、鳥獣に類す。夷狄を出で、鳥獣を離れて、造化にしたがひて造化に帰れとなり」(「笈の小文」)と、いずれも人間と自然との融合に大きな価値を見出していることだ。やっぱり日本人だ、と思う。

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2009年2月 9日 (月)

吉本隆明氏の内村剛介氏への追悼文、勉強になった~東京新聞2月9日夕刊から

 東京新聞2月9日夕刊文化面に[追悼・内村剛介さん]として吉本隆明氏が語った話を大日方公男記者がまとめた文章が掲載されていた。タイトルは<国家や主義に同化せず>。いい文章だった。内村氏はずっと以前、たしか「収容所」ものを1冊読んだだけで、ロシア学者だ、ということは知っていたものの、ご本人がどのような方か、は全く知らなかったが、吉本氏の文章を読み、その名前さながらの剛直さ、芯が通っている生き方に感動した。最近「内村剛介著作集」(恵雅堂出版)が出始めた、と書いてあり、読んでみたくなった。

  最初に内村氏の訃報を見てみよう。朝日新聞の記事がネットにあったので、コピペする。<評論家・元上智大教授の内村剛介さん死去>1月30日午後1時過ぎに配信された記事だ。

 <内村 剛介さん(うちむら・ごうすけ=評論家、ロシア文学者、元上智大教授、本名内藤操〈ないとう・みさお〉)が30日、心不全で死去、88歳。通夜は2月5日午後6時、葬儀は6日午前10時から東京都品川区西五反田5の32の20の桐ケ谷斎場で。喪主は長女冨永まなみさん。栃木県出身。ロシア文学研究とともに、シベリア抑留体験に基づく評論活動を展開した。著書に「生き急ぐ」「呪縛の構造」ほか。>

 随分と簡単な訃報だった。各社、訃報本記はこの程度の扱いだったのだろうか? と思って、ためしに毎日新聞のネットを見たら、詳しい訃報が出ていた。<内村剛介さん 88歳 死去=シベリア抑留…独自の思索ロシア文学者>とあって、

 <シベリア抑留体験を背景に社会や文学に対して独自の思索を進めた評論家でロシア文学者の内村剛介さんが30日、死去した。88歳。栃木県生まれ。元上智大教授。>

 までは同じ。その後に、

 <14歳で中国東北部に渡り、ハルビン学院などで学んだ。関東軍に徴用されたが、敗戦時にソ連軍に捕らえられ、以後1956年の帰国まで、約11年間にわたって、監獄や強制収容所で過ごした。帰国後は商社勤務の傍ら文筆活動を続ける。収容所で身につけたロシア語を基に、ロシア人の思考方法を深く洞察。ソ連国家を厳しく告発しスターリン批判を行った。同時に現代日本の思想の軽薄さについても警鐘を鳴らした。主な著書に「生き急ぐ」「呪縛の構造」「ドストエフスキー」「ソルジェニツィン・ノート」、訳書に「エセーニン詩集」など。>

 <抑留体験が原点>の小見出しがあって、

 <沼野充義・東京大教授(ロシア・東欧文学)の話 ロシア文学者の系譜で、批評家として自立した独特な人でした。原点にあったのはシベリアでの抑留体験。ソ連という巨大な怪獣のはらわたの中に入って地獄巡りをし、一対一で立ち向かった。反権威の人で若手には優しく目をかけてくださった。>

 と、識者の談話を入れていた。この扱いが正当だろう。それに比べると、朝日新聞は何か、不当に内村氏の業績を貶めている感じを受ける。

 毎日新聞記事で大体の輪郭を得た後、東京新聞夕刊に戻って、吉本氏の話を読んでみよう。

 <内村さんは日本の高等小学校を出てすぐ満州に渡り、後藤新平がつくった満州国立大学ハルピン学院でロシア語やロシア文学を学んで、優秀でしたから関東軍に軍属として徴用された。そして二葉亭四迷以来の、ロシア(ソ連)の文化を探求し、社会政治事情を調査する<ロシア学>を身につけた。

 満州育ちなのだ。

 <満州は多くの民族や移民がおり、ソ連と中国と日本の力が拮抗する面倒な場所でした。敗戦間際にソ連軍が侵攻し、内村さんも抑留され、シベリアの強制収容所を転々とした。関東軍の軍属でロシア語も堪能ですから、ソ連軍から見ると内村さんは最も目をつけるべき人間で、収容所よりも監獄生活が長かった。>

 そういう生活だった。

 <ロシア文学者の江川卓さんのような戦後に進歩派と呼ばれた知識人も抑留されており、多くはソ連と折り合いをつけて帰国しましたが、内村さんはソ連の共産主義体制に頑強に同化しなかった一人で、それが11年間という長い拘束につながったと思います。昨年出た陶山幾朗さんの「内村剛介ロングインタビュー」(恵雅堂出版)は、そういう生涯を完璧に近く丹念になぞっています。>

Book
内村剛介ロングインタビュー
販売元 恵雅堂出版
定価(税込) ¥ 2,940

 <かくのごとく僕は内村さんを、国家や主義に頑強に同化しない二葉亭につながる<ロシア学>の最後の学徒だととらえていました。彼らはロシアの風土や宗教や文芸、西洋的ロシアと東洋的ロシアの違いなどを探求し、それを日本に紹介した。それはレーニンの革命理論の中心をなす西洋的ロシアの教養や認識では包摂できないロシア像だったと思います。彼らに比べれば、戦後の日本共産党の同伴知識人のロシア認識も問題にならないと感じていました。>

 このへんから深い話になっていく。こういうインタビューものが楽しいのは、ロシアを論じる時に、こういうことを知っていて論じるのか、それとも、今の新聞や雑誌の表面的知識の継ぎはぎで論じるか、同じように見えても違う、と思うからだ。吉本氏の内村氏評価は確かに深い。

 <スターリニズムの毒が凝縮された強制収容所という場所で痛めつけられ、ようやく帰国してから、内村さんはわが身を絞るかのような発言を始めました。抑留中に日本の左翼のことも勉強したようで、帰国後に用心深く左翼知識人を歴訪した。「ソ連が死ぬか、俺が死ぬか」という思いで帰国した人の目に、僕らのような日本の発言者の姿は、お寒く写ったようでした。>

 内村氏はソ連との戦いに勝ったわけだ。

 <安保までは進歩的だった江藤淳が「小林秀雄」を書いて転身したような「一身にして二世を生きる」経験は認めなかったし、僕が埴谷雄高や花田清輝と付き合うのも内心は快く思わなかったようです。>

 江藤淳が進歩派だった、とは迂闊にも知らなかった。60年安保で相当数の文化人が転向したのか。埴谷、花田を認めない、というのは今の時代から見れば「了見が狭い」と言われるだろうが、内村氏にはそういう言い方は適切ではないだろう。

 <内村さんと初めて会ったのは1960年ごろ。僕が出していた「試行」に連載してもらい、ロシアについて僕は生き生きと教えられました。トルストイやドストエフスキーの小説の描写や会話はなぜごてごてと長いのかと聞くと、ロシア人は理屈が大好きで屁理屈でも徹底すれば納得してしまう、だから長弁舌になる、と解説してくれたのは内村さんが初めてでした。戦後すぐのドイツ政府はあれだけ敵対していたソ連に交渉して捕虜の返還を求めて了承された、と陶山さんのインタビューで言っています。ソ連が科学技術や文化をドイツに依拠していたからでしょうが、堂々とした理屈が正当であるなら彼らは無視しない。

 ここは非常に重要な部分だ。

 <僕はロシア人もアメリカ人も毅然とした態度と理屈で訴えていけば通ると思います。日本人もそうすれば占領も捕虜の問題も早く解決されたでしょうし、最近で言えばイラク派兵や三浦和義の裁判や疑惑の死の問題も、もっと正面から合理で臨むべきだと思います。戦後何十年もたっていますし、遠慮する必要はないですね。>

 日本人から「毅然さ」が失われてしまったことを嘆いているのだろう。内村氏の思想を借りて、吉本氏が自分の主張を展開している、と見たほうがいい。

 そうなのだ、と私も思う。

 すべて、堂々と正面から向かい合う、という態度が必要なのだ。すぐに「近隣条項」などと気を遣ったふりをするその偽善が国民も国際社会も嫌気がさしてきているのだ、と思う。幕末のちょんまげを結った訪米使節団は好奇心の強い米国民からバカにされず、歓迎を受け、幕末明治の日本人は来日した欧米人から、その礼儀作法などが絶賛された。

 <内村さんは自分一個で旧ソ連邦全体に向き合い、その姿勢は世界を見る時にはどれほど重要なことかを単身で示しました。

 以上である。心にしみる言葉が並んでいた。なぜ、日本人がこうなってしまったのか? 安倍元首相的な戦後否定しか解決策はないのか? 大平正芳が今生きていたら、どのような形で「古き良き日本の心」を取り戻そうとするのだろうか?

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2009年2月 7日 (土)

清張生誕百年=朝日新聞2月7日夕刊<清張なら「いま」どう描く>と毎日新聞朝刊の昨年10月からの長期連載の中の「点と線」

 松本清張生誕100年で新聞紙上にも清張に関する記事がよく掲載されるようになった。

◆朝日新聞2月7日文化娯楽面<清張なら「いま」どう描く>

 最近では毎日新聞朝刊文化面で昨年10月から連載している[清張とその時代 生誕百年]が面白いので、記事を切り抜いているが、今日2月7日の朝日新聞夕刊文化・娯楽面の<清張なら「いま」どう描く/バブル後に届く先見性と時代的限界/リアルな社会派始祖の視座>も難しい言葉を使っていて読みづらいが、内容は面白かった。

 結局、松本清張の時代、つまり戦前を引き摺り、戦争の生々しさが記憶に鮮明で、戦後のGHQの無理無体が許される時代には、犯罪が「貧しさ」から抜け出す、という動機で起こることが多かった、ということと、今ではそういう貧しさ、貧乏やそういう家に生まれたことへの卑下はほぼ消えたけれども、<人間が社会に承認されず、犯罪によって「成り上がる」ことすら不可能な社会>だ、というのだ。鳥居達也記者の解釈だ。秋葉原の無差別殺傷事件「アキバ事件」などを経た現代犯罪学的な見方なのだろうか。

 この記事に出てくる大澤真幸・京都大学教授(社会学)が「現実の向こう」などで清張論を展開していることは初めて知ったが、その大澤氏が、「砂の器」の「和賀」や「けものみち」の成沢民子、「黒革の手帖」の原口元子ら一見勝ち組的な生き方について「だが、その繁栄は、先の戦争(死者のまなざし)を棚上げして、米国流民主主義と経済市場主義に滑り込んだという思想的ごまかしを土台としていた」と言った、というのだが、文脈の中で、この言葉が浮いてしまっている。

 <清張は、和賀を大衆から遊離した前衛音楽家と設定することで、虚妄性を強調した。和賀を通じて、戦後日本社会の繁栄のもろさと危うさを暴いて見せたのだ。大澤教授は、そこに清張の先見性を見る。と、同時に「時代的制約」もあると話す。>

 大澤氏の言葉である。

 <「『砂の器』では多くの人が和賀を勝ち組とみなしていたが、80年代後半以降は、社会的成功やそれに基づく幸福がどこか底の浅いものであることをみんな知ってしまった。例えばホリエモンや小室哲哉の成功はどこかむなしい、というふうに。金融バブルがはじけた『ポスト虚構の時代』の今は、清張が鋭い洞察力を持って暴いた社会の虚妄性・欺瞞性は、犯罪を犯てでも隠すべきものどころか、自明の前提となった」>

 前半は分かるのだが、最後の部分で、なぜ隠したり、自明だったりするのか、がどうも分からない。何か論理の飛躍があるのではないか?

 鳥居記者は続けて、

 <加えて、「100年に一度の不況」下での格差の拡大。著書「新しい階級社会 新しい階級闘争」で橋本健二・武蔵大教授(理論社会学)は書く。「階級構造の底辺には『階級以下』の存在、つまり『アンダークラス』」が大規模に形成されていると。それは、ホームレスの支援活動を行っている湯浅誠氏が著書「反貧困」で、社会から排除された人間が「自分自身からの排除」に行き着いて暴発する可能性に言及した認識と重なる。>

 として、アキバが出てくるのだ。どうも理解できない。

 何か、清張を出汁に使って、現在の状況を大澤氏と湯浅氏に語らせただけのような気もするのだが、言おうとしていることは「清張の時代よりも良くなった、といわれるけど、そうじゃないんだ」ということだったのか? 何しろ考えさせる記事だった。

 そして、毎日新聞の連載だ。

◆毎日新聞の清張生誕百年連載=初回3回の「点と線」だけ取り上げる

 タイトル通り、2009年が松本清張の生誕100年にあたることから、今の時代から見直してみよう、という趣旨のようで、「点と線」、「小説 帝銀事件」、「「ゼロの焦点」などと続いている。「点と線」は上中下、2008年10月6日、13日、20日付の3回で、筆者は鈴木英生記者だ。

 上は<『点と線』/あさかぜ/感傷が見つけた「東京駅の4分間」>だった。

 <1957年の1月14日午後6時前後、東京駅15番線ホームに姿を見せた一組の男女。2人は6日後、福岡県の香椎海岸で死体となって見つかる。男性は汚職事件の渦中にあった××省課長補佐、佐山憲一、女性は東京・赤坂の料亭に勤める、お時。当初、心中に見えた2人の死は、××省汚職の隠ぺいが絡む殺人事件の線が濃くなってゆく。疑いの目は、同省出入り業者の安田辰郎に注がれた……。『点と線』は、言わずとしれた松本清張の初期代表作だ。57年2月から1年間、雑誌連載され、58年2月に単行本が出た。>

 元祖社会派推理小説だが、

 <今の視点では、経済白書が「もはや戦後ではない」とうたった時代の東京と地方の距離感がうかがえることも、興味深い。>

 と書いている。具体例は次のようなことらしい。

 <佐山とお時が乗ったのは1956年秋に登場した博多行き夜行特急「あさかぜ」。終点まで約17時間半は当時最速。事件を追う刑事の三原紀一は、博多まで20時間以上かかる急行を使った。博多まで「あさかぜ」3等寝台下段が3250円、急行は3等座席車で1790円。飛行機なら1万2600円かかり、大卒初任給とほぼ同額である。今春の大卒初任給は平均20万6969円で、57年の約16倍だが、夜行特急の料金はB寝台2万3040円と約7倍になっただけ。飛行機の割引料金は夜行より安く、所要時間1時間40分。>

 そして、

 <『点と線』の連載誌が『旅』だったことも興味深い。旅行が今よりはるかに大変だった当時、この作品は、読者に長距離を移動する興奮をバーチャルに与えていた。>

 なるほど、今だったらアテネで出逢った男女がニューヨークの投資銀行で仕事をして、香港で遊び、インドに旅行に行くようなものか。

 清張は、『点と線』連載の少し前まで朝日新聞社に勤め、53年に小倉から東京へ単身赴任。帰宅途中の東京駅で「この夜行列車に乗れば明日の昼には小倉の家族に会えるのだが」という感傷がホームでの4分間の目撃シーンを思いつく背景となった、という。

 <東京発の九州行き夜行は57年に8本あったが、今は「はやぶさ」と「富士」の2本だけ。「あさかぜ」は既に廃止された。9月のある日、「はやぶさ」に乗ってみた。東京―博多間は、かつてより1時間半だけ速い。乗った車両は、東京出発時点の客が4人で定員の1割強。小説では、佐山のポケットにあった食堂車の受取証が警察の疑問を呼び、殺人事件の捜査が始まるきっかけになった。今の「はやぶさ」に食堂車はなく、朝まで車内販売すら来ない。東京からの乗客は、全員が鉄道ファンだった。九州行き夜行は来春にすべて廃止となる。だから、廃止前に乗っておくのだという。>

 中は<『点と線』/香椎海岸/多喜二が殺された年、歩いた街>は<西鉄香椎駅で降りて、海岸の現場までは、歩いて十分ばかり>の遺体発見現場。今は変わってしまったのだ、という。

 今は福岡高速道のすぐ横にある川の南側とされ、作中では<石ころの多い広い海岸>とされたが、北側が後年埋め立てられて団地となったため、今の海岸線は、川より500㍍ほど奥にあり川は、両岸がコンクリートで固められて高速道と近くの国道3号の音が響いていたそうだ。そして、新しい海岸線は、『点と線』に出てくる<黒い岩肌のごつごつした>、<これはいかにも荒涼とした>場所ではなく、人工的に砂浜が作られ、海岸に沿った道に街路樹もあり、家族連れが散歩を楽しみ、遠くにはショッピングセンターやマンションが見えるような場所に変わっていた、という。

 <清張が香椎に遊んだのは1933年。貧しさの中、尋常小学校高等科を出て以来9年間、働き詰めだった。文壇デビューは、まだ17年も先だ。4年前は、友人がプロレタリア文学雑誌を購読したことに絡んで検挙された。>

 そういう時代だった。

 西鉄香椎駅とJR香椎駅前間は5分もかからない。西鉄香椎駅は2年前に建て替わり、JRも駅ビルが建ち、県内上位の乗降客数がある。駅前と海岸をつなぐ道の両脇は商店が建ち並び、歩道は大変な混雑。JRの駅前に、『点と線』で海岸へ向かう男女を目撃した店主のいた果物店が、今はたばこ店となって残る。店は40年ほど前に持ち主が変わった。今の店「恒久堂」の店主、大部慶金さんは当時、小学生だった。「道路は未舗装で、西鉄より海側は、小説通りのさみしいところでしたね。よく、通りで遊びました。にぎやかになったのは、団地ができて以降です」と振り返る、とあった。

 <清張がこの駅前にも来たであろうその年、プロレタリア文学作家、小林多喜二が警察に殺されている。それを思うと、『点と線』が、汚職の隠ぺいで殺された死体を香椎海岸へ置いたことに、評論家・小説家、伊藤整の、次の言葉も重なってくる。清張は、<プロレタリア文学が昭和初年以来企てて果たさなかった資本主義社会の暗黒の描出に成功>した(「『純』文学は存在し得るか」)。>

 そういう読み方もできるのか。勉強になる。

 下は<『点と線』/造船疑獄/踏み出せない憤り>。この回も記者は、時代を反映している部分をピックアップして訪問している。

 <『点と線』は、省庁の汚職を殺人事件の背景としている。この作品が書かれた1950年代、日本経済は戦後復興から高度成長への助走期間に入る。そして、似たような汚職が多発した。特に、54年の「造船疑獄」は、『点と線』を解説する際、しばしば引き合いに出されてきた。造船疑獄では、石川島重工社長の土光敏夫ら、政官財の計約70人が逮捕された。しかし、焦点だった佐藤栄作・自由党幹事長の逮捕は、犬養健法相の「指揮権発動」によって政治的に回避されてしまう。池田勇人・同党政調会長も無傷だった。>

 「点と線」の解説で造船疑獄が取り上げられているとは知らなかった。

 <「かわいそうなのは、その下で忠勤をはげんで踏台にされた下僚どもです」。『点と線』の最後で警視庁の刑事、三原紀一が、福岡県警の刑事に手紙を送る。現実の汚職で、事件解明の鍵となる<下僚ども>は、自殺する例が少なくなかった。造船疑獄でも、運輸省の課長補佐や石川島重工の取締役が自殺した。作中の三原は、××省課長補佐、佐山憲一が殺されて、「安堵の胸を撫でおろした佐山の上役はずいぶん多いでしょう」と、こぼす。>

 そういう意味で関連付けられているのか。分かった。

 <ところで「『清張以前・清張以後』という言葉がある」(『松本清張を読む』細谷正充著)。現実にあり得る犯罪をリアルに扱った作品群は、「それまで限られたマニアの読み物だったミステリーを、一般読者へと開放した」(同前)。つまり、『点と線』はプロレタリア文学を引き継ぐかのように社会悪をえぐった。しかも、社会派推理小説という新分野を広く認知させるほど、多くの読者を獲得した。ここで、そのわけを考えたい。>

 随分と学問的なのだ。

 <戦前のプロレタリア文学には、労働者の決起を促すという目的があった。だから、どうしても「希望」が描かれなければならなかった。『点と線』も社会悪を弾劾した。だが、その完全な排除は無理だという、ある種のあきらめをも描いたような面がある。このあきらめが、ポイントではないだろうか。たとえば、殺された佐山の上司や殺人の片棒を担いだはずの事務官は出世してゆく。それを見ても、三原は、<役所というものはふしぎなところですね>と記すことしかできない。この後味の悪さが、むしろ、作品に現実味を与え、読者の心をとらえたかに思える。北九州市立松本清張記念館の中川里志・学芸担当主任は「松本清張は、普通の庶民の視点で社会を見て、憤った。しかも、憤ってもその先に踏み出せない状況を描いたのです」。三原のセリフは、まさに、この状況を象徴しているだろう。>

 と一般論を書き、

 <造船疑獄で逮捕を免れた佐藤栄作と池田勇人は、後に首相となり、高度経済成長を推進した。汚職の温床でもあった政官財のトライアングルは、フル回転で成長を支えた。同じ疑獄で逮捕された土光敏夫は、80年代、臨時行政改革推進審議会会長などとして3公社民営化などを提言。高度成長期の枠組みを解体する、そのさきがけとなる。高度成長と土光臨調との間に、幾多の佐山憲一、清張の言う「気の小さい、善良な人間」がいたのではないか。造船疑獄と絡めて『点と線』を読み返すと、そんな思いにとらわれる。>

 と具体論を書いている。

 それが日本社会なのだ、と思う。「許す」というのとは違う何かがある。単純に「流される」というのともまた違うと思う。

 毎日新聞の連載は読みでがある。いずれ一冊の本にまとめてもらいたい。

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[古典の思想家 再注目―世界不況の経済学]藤生京子記者のまとめは役立った~朝日新聞2月7日朝刊から

 朝日新聞2月7日朝刊文化面[古典の思想家 再注目/世界不況の経済学]は世界不況を読み解くツールとしての現代経済学の有効性に疑問が呈された中で経済学の古典が注目されている、というまとめ記事だが、随分と幅広く取材しているらしく、参考になる見方を提示してくれていた。

 「国富論」で有名なアダム・スミス(1723~90)の「道徳感情論」に注目して、<他者への「同感」を社会秩序の要と説く思想の上に、最下層の人々の幸福を念頭におく経済理論が確立したと主張する>堂目卓生・大阪大教授の「アダム・スミス」は昨年暮れ、サントリー学芸賞を受賞し、6万2000部売れた、という。堂目さんの話を紹介している。

 <「といって、スミスは単に欲望の抑制を唱えた人ではありません。野心や虚栄の表れである競争意識が、経済的繁栄の源泉である点も認めた。だからこそ各人にフェアプレーの精神、内部の「公平な観察者」という基準を求めた点に光を当てました」>

 <企業人と話し、スミスへの関心は、危機意識と結びついていることを知った。政府の規制によらず、いかに我が身を律してコンプライアンス(法令順守)を実現するか。今の論壇に多い、構造改革か規制緩和反対かという分かりやすい図式を突破する道を、保守穏健派のスミスの知見に探ろうとしている。「うれしい発見でした」と堂目さん。>

 なるほど。そういう読み方をされていると知ればうれしくなる。私もいつも書いているように、構造改革は必要だが、それが即規制緩和全面賛成論に結びつくのはおかしい、という素朴な意見をどう理論化できるのか、興味があったのだが、企業人の中で、同じ意識を持ってスミスを読んでいる、というのは驚きでもある。

 昨年刊行が始まった「日経BPクラシックス」ではガルブレイス(1908~2006)、ドラッカー(1909~2006)、フリードマン(1912~2006)の「資本主義と自由」、ウェーバー(1864~1920)の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」も出す、と。

 「世界」2月号は日本総合研究所の寺島実郎氏がウェーバーと渋沢榮一(1840~1931)を評価している、という。また、「エコノミスト」2月3日号では神野直彦・東大教授が米国流の新自由主義に対抗する道として「働くための福祉」をめざす北欧モデルを示し、「創造的破壊」を提唱したシュンペーター(1883~1950)を参照した、と書いてあった。

 そして、本命登場だ。ケインズ(1883~1946)だ。

 <米国で大規模な財政出動が決まって以来、1929年の大恐慌後のニューディール政策に指針を与えた理論をめぐる議論が熱気を帯びている。>

 として、昨年「雇用、利子および貨幣の一般理論」(一般理論、岩波文庫)の新訳を出した間宮陽介・京大教授の考えとして、以下のように書いている。

 <不況の原因を需要不足に求め、失業が生じる構造の分析など現実感覚に富んだ「歯医者の経済学」を提示したケインズは一方で、数式を多用しない思想家でもあった。彼が呼び戻される背景には、「だれのための経済成長か」という問いが置き去りにされ、実証主義に偏る現代経済学への批判もあるのではないか。金融工学など、経済界の要請に応えたにすぎない――。>

 そして、同じ問題意識を間宮氏も共有している、という。間宮氏が勧めるのがケインズのほか、マルクス(1818~83)、ポランニー(1886~1964)、ベブレン(=ウェブレン、1857~1929)ら「異端の経済学者」だ、という。

 <例えばベブレンが20世紀初め、すでに金が金を生む、金儲けの手段としての企業のあり方を問い、現代を先取りしていたことは、あまり知られていない。>

 と書いてあった。

 <冷戦期のようなイデオロギー的な読み方も後退した。>

 という記述には複雑な思いがする。学者というだけでなく、ジャーナリズムがイデオロギー的な取り上げ方で論壇を形成してきたのが冷戦期だったからだ、と思うからだ。

 1月から春秋社でハイエク(1899~1992)全集の第二期の刊行が始まった、という。

 <自由の用語のために計画経済を批判、市場を信頼する「自生的秩序」を唱えて、フリードマンと同じ潮流とされることが多い人だが、訳者の一人で小樽商科大学教授の江頭進さんは反論する。>

 として、ハイエク擁護論を掲載している。

 <主張の根幹は、市場の価格調整機能を混乱させるすべての要因への批判だった。貨幣発行権を政府から取り上げようと提案したのも、貨幣供給が恣意的に統制されることへの警戒感があった。「逆説的ですが、金融資本が当局の制限を離れて独り歩きし、実物経済の価格にまで影響を及ぼす現状に、ハイエクは批判的だと思います」>

 そりゃあそうだろう。今、生きていたら、誰でも現状を「これでいい」とは言わない、という意味では。ただ、このハイエク擁護論は理屈になっていない。

 <どうやら特効薬はない資本主義の近未来。「経済学という教養」などの著書で社会倫理学という、いわば外野から発言してきた明治学院大教授の稲葉振一郎さんが指摘するように、公共政策と個人の生活をつなぐ回路が、人間社会を、深く多角的に洞察する古典の知見から見つかるかもしれない。>

 これが結びである。結びに稲葉氏をもってきたか。たしかに魅力的な論なのだ。私はNTT出版から出た何とかいう本を読んだが、大いにインスパイアされた覚えがある。

 しかし、ここまで書いてくれるのだったら、ケインズの異端の弟子である英国の女性経済学者、ジョーン・ロビンソン(Joan Violet Robinson, 1903~1983)にも触れてほしかった。彼女だけがハイエク、フリードマンと堂々四つに組んで、新自由主義批判を展開していた。弟子に宇沢弘文氏がいることでも知られるが、女性で唯一ノーベル経済学賞候補になったことでも有名な頑固ばあさんだ。マルクス経済学からイデオロギー的側面を取り除き、ケインズを超えたのではないか、と思っているのだが、そこまでの国際的評価はないのかなぁ。

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2009年1月22日 (木)

同心円と楕円:田中角栄と大平正芳考~1月22日日経新聞夕刊から

 日経新聞1月22日夕刊[永田町インサイド]の左脇の小さな連載コラム[明言迷言]は気に入った時だけ読んでいるが、今日のは[同心円でいこう 田中角栄元首相]と私にとっては生々しい言葉が歴史的な言葉に格上げされて出ていたので、読んでみた。見出しは<「鉄の軍団」終わりの始まり>である。

 1985年2月13日朝、竹下登蔵相(今の財務相に当たる)が東京都文京区目白台の私邸に田中角栄元首相を訪ね、「先日お話しした勉強会ができたのでご報告に来ました。色々ご心配、ご迷惑をおかけしました」と頭を下げた。それに対して田中元首相が言った言葉がこの「いや、いいんだ。とにかく同心円でいこうや」だった、と書いている。

 信濃川河川敷問題を追及されての首相辞任。復活を目指して田中派の膨張作戦を遂行し、巨大派閥を作り上げたが、米国議会で飛び出したSEC報告書でロッキード事件が明るみに出て、コーチャン証言などもあり、田中元首相は三木内閣時代に逮捕されてしまう。起訴され、一審有罪、控訴という段階で死去したのだったかどうか、記憶がもう曖昧になっている。なにしろ、膨張した田中派内の内輪もめが起きたのだ。大きな原因はマスメディアでいつもいつも「罪人の味方」「悪の仲間」と叩かれ、ほとほと嫌になっていたという底流があるのに、膨張作戦を挙行中の田中氏はそんなことにはお構いなく、他派からの鞍替え組みを重用したため、生え抜きが怒ったのだ。

 そして、金丸信、梶山静六、小沢一郎各氏を中心に「竹下を立たせよう」となって、「創政会」を秘密結社のように作って、それが将来、「経世会」に発展し、田中派を乗っ取る、という話である。

 すでに力関係は竹下氏が田中氏を上回っていた。というか、まだ政界への影響力は田中氏のほうが圧倒的に大きかったが、その影響力を支えていたのが数の力だったわけで、その数を侵食されたのは田中氏にとって致命的だった。こうならないように、早坂氏や秘書の佐藤女史を使って情報収集をしていたのだが、金丸グループはおやじさんのその心を知り抜いていたため、おやじに隠れて新グループを立ち上げる際には死ぬか、と思いながらやったそうだ。だから、グループができた時点で勝負はついていた。グループができた、ということはもう田中一人の力で百数十人が一糸乱れず動く集団ではなくなった、ということを意味したからだ。

 この「同心円でいこうや」は過大評価された言葉である。田中角栄氏としては「楕円でいい」とは口が裂けても言えなかったに違いない。しかし、「同心円」など、ありえるはずがない。同心円というのは同じ中心点があり、円が二つあっても三つあっても、中心は同じ、つまり、中心には常に田中角栄が座っている、という意味である。そうはならない。新グループを田中角栄が仕切れない以上、同心円ではありえないのに、この苦しい言葉「同心円」をあたかも新しい田中戦略かの如く解説していたのが当時のマスコミだった。

 早坂秘書が怖かったから、「田中角栄の影響力はこれで消えていく」と書けなかったのだろう、と推測するが、当時の政治記者はそんなレベルだったのだ。

 だから、この「同心円」と大平正芳の「楕円の哲学」の意味するもの、言葉の持つ深みは全く違う。

 ただ、新聞を見ながら、「同心円」と「楕円」の両方が思い浮かんだので、メモしておくだけだ。

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2009年1月16日 (金)

「日本は米国の属国なのに政治家は国民を誤魔化している」と75歳の岸田秀氏は言った~1月16日毎日新聞夕刊

 毎日新聞1月16日夕刊[特集ワイド~この国はどこへ行こうとしているのか]は精神分析者の岸田秀(きしだ・しゅう)氏(75)にインタビューしていた。もう75歳なのか、と少し驚く。

 <1933年香川県生まれ。早大文学部心理学専修卒。80年代初めにニューアカデミズムの旗手の一人として注目された。著書に「ものぐさ精神分析」(中公文庫)、「日本がアメリカを赦す日」(毎日新聞社)、「嘘だらけのヨーロッパ製世界史」、「『哀しみ』という感情」(以上、新書館)など。>聞き手は西和久編集委員だ。

 とあった。見出しは<対米の欺瞞 直視を>だ。岸田氏のデビューは70年代終わりの「唯幻論」だと書いてあった。注釈があり、

 <唯幻論とは「人間は本能の壊れた動物である」ことから、人間やその集団は、本能に代わる行動規範として自我や、自我を正当化するための「物語」といった幻想の体系を作り上げた、とする。>

 だった。何か吉本隆明に似ているような気がする。岸田氏の発言のいくつかをピックアップしておく。

▽日本社会と違って、米国は貧乏人に対して同情がない社会です。貧乏は自業自得と考えられ、格差が米国の強さを生むとさえ信じられています。

▽オバマ氏が失敗しても、白人支配は安全です。

▽大統領が黒人であるという看板を立てているだけで、白人大統領が行うのと同じことしかできないのではないか。スローガンの”CHANGE”は空念仏に終わるのでは。

▽ローマ帝国の歴史を思い起こしてほしい。ローマ帝国は4世紀の初め、それまで差別し虐殺してきたキリスト教徒を公認した。キリスト教を国教にし、皇帝が改宗したことで、ローマ帝国の崩壊が始まった。ローマ文明を支えてきた多神教が捨てられ、ローマ人貴族階級が支配権を失い、差別されてきたゲルマン人キリスト教徒が代わりに台頭して従来の体制を変革しようとしたからです。

▽ローマ帝国の先例が現代の米国にあてはまるかどうかは、もちろん分からないが、従来の支配構造に執着する白人層と、差別のない社会への希望を抱いた非白人層に分裂し、第二次南北戦争が起こりかねません。それを免れる唯一の道は米国を支配してきた白人層がその権力意識、差別意識を本当の意味で克服することだが、そんなことが果たして可能かどうか。

▽日本は政治が混乱しているが、日本という国をどのような基本原則で維持していくか、そのことに確信を持っている政治家がいないのが一つの原因です。戦後日本の政治はずっと国民に嘘をつき、誤魔化してきた。

近代日本は外国を崇拝しあこがれる外的自己と、外国を嫌い憎む誇大妄想的な内的自己とに分裂していた。とりわけ対米関係についてはペリーによって無理矢理開国させられて以来、分裂が極端に振れてきた。内的自己が高揚して真珠湾攻撃にいたり、戦後は外的自己がのさばっている。しかし、もう一方が消えてなくなったわけではない。

現在、日米はお互いに対等なパートナーと言っているが、これは嘘である。日本国内に米軍基地があり、日本の政府は常に米国の顔色をうかがっている。首相が交代するたびに米国へ参勤交代に行く。軍事的、政治的には属国なのだ。

現実には屈辱的な状況にありながら、プライドを保つために、戦後日本の政治は、対等だと言って誤魔化してきた。

▽こうした自己欺瞞のゆえに、日本の政治家は確信を持った政治ができないのではないか。現実を明らかにした上で、そこからどうすれば脱出できるかを考える。今がいいチャンスだと思うのですが。

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2009年1月12日 (月)

タイトルにつられて読んでみた:長谷川三千子氏の<ホントは怖い「多文化共生」>~産経新聞1月12日[正論]

 産経新聞1月12日の[正論は]埼玉大学教授・長谷川三千子氏の<ホントは怖い「多文化共生」>だった。「共生」はいいことでなかったの? と疑問を持って読み始めた。

 長谷川氏は▽2004年に内閣府が作った「共生社会政策担当」という部署が「共生社会」の実現を推進中▽総務省が06年に「多文化共生推進プログラム」を提言し、各自治体に多文化共生推進の大号令が下っている――と例示して、「共生」が今後流行のスローガンになるだろう、という。

 そして、この「共生」という言葉について、内閣府は意味不明で使っているが、総務省の「多文化共生推進プログラム」は狙いが明確で、近年の外国人定住者増加現象にともなって出てきた話だという、と書く。

 <このプログラム提言の立役者、山脇啓造先生は、多文化共生の発想は、外国人をいかにもてなすかという従来の「国際交流」とは違うのだと言って、こう説明しています――「今求められているのは、外国人を住民と認める視点であり」「同じ地域の構成員として社会参加を促す仕組みづくりである」。>

 ここからが長谷川氏らしくて面白い。

 < なるほど、これまで日本人は外国人のすることはみな「お客様」のすることとして大目に見てきたけれど、「住民」だとなればキッチリ地域のルールを守ってもらいましょう。日本語もしっかり覚えてもらって、「ニホンゴワカリマセーン」の逃げ得を許さない、ということですね、と思うとさにあらず。今後外国人の定住化がすすめば「『日本人』と『外国人』という二分法的な枠組み」それ自体を見直す必要が出てくるだろうという。その上で、「国籍や民族などの異なる人々が」「互いの文化的違いを認めあい、対等な関係を築こうとしながら、共に生きていくこと」が多文化共生だと山脇先生はおっしゃるのです。つまり、これから外国人定住者がふえつづければ、やがて日本文化は日本列島に存在する多くの文化の一つにすぎなくなる。そしてそれでよい、というのが「多文化共生」の考えだということになります。なんともどうも、怖ろしい話です。>

 そうきたか。

 <どうしてこんな話がまかり通ってしまったのか。おそらくその鍵は「共生」という言葉にあります。生物学では、異種の生物同士が同一の場所で互いに利益を与えたり害を与えたりしながら生きてゆくことを総称して「共生」と言うのですが、「共生」と聞くとわれわれはすぐ、アリとアリマキのような共利共生を思いうかべてしまう。だから「共生」イコールよいこと、というイメージが出来上がってしまうのです。>

 やはり、曖昧な言葉には注意せよ、ということになるだろう。1960年の「安保反対」も思想的には空虚な号令だった、ということが21世紀になってようやく理解される世の中だ。今から警告を発しておくことはいいことだ、とは思う。

 <しかし、実際の生物世界の共生は、互いに害を与え合うことすらある苛酷な現実そのものです。そして、それにもかかわらず、なんとか多種多様の生物たちがこの地球上を生き延びてこられたのは、そこに或る平和共存のメカニズムが働いているからであって、それが「棲み分け」なのです。>

 棲み分けと共生の違いかぁ、なるほど、そこに持って行ったか。これは理解できる議論だろう。

 <これは、かつて今西錦司さんが、同じ一つの川の中でも、流れの速いところ遅いところ、住む場所によってカゲロウの幼虫が違う体形をしていることから思い至った理論です。つまり生物たちはそれぞれ違った場所に適応し、棲み分けて、無用の争いや競争をさけているということなのです。実は人間たちも(カゲロウのように体形自体を変えることはできなくとも)多種多様な文化によって地球上のさまざまの地に適応し、棲み分けてきました。>

 そうです。今西さんの理論です。

 <それぞれの土地に合った文化をはぐくみ、そこに根づいて暮らす――これが人間なりの棲み分けシステムなのです。ところがいま、この平和共存のシステムは世界中で破壊されつつあります。日本に外国人定住者が増加しつつあるのも、そのあらわれの一つに他なりません。この事態の恐ろしさを見ようともせず、喜々として多文化共生を唱えるのは、偽善と言うほかないでしょう。>

 そこまで言うか、とも思うが、外国人労働者を安く使うことばかり考え、その社会的影響を軽視し続けてきた企業トップと政治家にはきっちりと考えてほしい問題ではある。

 鎖国しろ、と言っているのではない。だが、日本列島は日本人が住んでいる土地なのだから、日本語が通じる人たちが住み、その文化を繁栄させるような文化政策をこそ政治家は推進すべきだ、と思う。明治維新の欧化政策の反省をまじめに総括すればそうなる。

 ただ、長谷川教授のように全部ダメとは言えないとも思う。その辺、難しくてまだ詰めて考えてはいないのだが。

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2008年12月29日 (月)

「糞坊主」「悪党」オンパレードの座談会が最終回~12月29日聖教新聞

 会社の職場に聖教新聞が来るので、たまに目を通しているのだが、座談会が面白くて愛読している。

 12月29日の4面座談会[新時代を勝ち開け!]が86回目で「完」となっていたので、読んでしまった。

 この座談会はいつも面白いのだ。日蓮正宗のお坊さんの悪口とか、反創価学会のライターらへの悪口のオンパレードなのだが、その言葉遣いが宗教者にあるまじき猛烈な卑語が飛び出すので、「へぇ、ここまで言うのか……」と感心しながら読める。つまらない小説よりはドキドキさせられて、暇つぶしにはいい。

 この最終回は前半が創価学会の悪口を書いた週刊新潮と乙骨氏が最高裁判決で敗訴したことを受けての悪口三昧。後半は竹入 義勝元公明党委員長への悪口で終止していた。「あれっ」と思ったのは、創価学会と竹入氏が和解したのではなかったのか? と思っていたからだ。

 グーグルで調べたところ、どうも「和解」とは言っても部分的な和解のようなのだ。共同通信の12月4日配信記事が見つかったので、コピペしておく。

 見出しは<公明党が竹入氏と和解/「互いに誹謗中傷せず」>である。本文は、

 <公明党が竹入義勝元委員長に対し、党の資金を着服したとして550万円の損害賠償を求めた訴訟は4日、東京高裁(宗宮英俊裁判長)で和解が成立した。関係者によると、和解条項では「双方が相手方に違法な誹謗中傷をしないことを確約する」と明記。竹入氏が遺憾の意を表明すれば、請求棄却の1審判決に対する控訴を党が取り下げることが盛り込まれたという。>

 <公明党側は「竹入氏は委員長在任時の1986年6、7月ごろ、党の資金を着服し、百貨店で妻の指輪を購入した」などと主張していたが、今年3月の1審東京地裁判決は「当時は衆参同日選の最中で、竹入氏が百貨店で妻を伴って買い物をする余裕があったか疑わしい」と退けていた。竹入氏は67年2月から86年12月まで、公明党委員長を務めた。>

 というものだ。

 勘違いしていた。あくまで公明党と竹入氏の和解であり、それも「違法な誹謗中傷」をしないというだけで、合法的な誹謗中傷は許されており、なおかつ創価学会は訴訟の当事者ではないから、何も束縛されなかったのだ。知らなかった。

 またウィキペディアのお世話になろう。竹入氏の項目である。

 <1926年1月10日、長野県生まれ、政治大学校卒業。国鉄(現JR)勤務。59年4月、東京都文京区議会議員選挙に無所属(創価学会推薦)で立候補、当選。61年11月、公明政治連盟結成。63年4月、東京都議会議員選挙に北区から公明政治連盟で立候補、当選。64年11月17日、公明党結成、党副書記長就任。67年1月29日、第31回衆議院議員総選挙に旧東京10区(後の東京17区)から公明党公認で立候補、初当選(以降連続8回当選)。この選挙で公明党は25議席獲得し大躍進。>

 <67年2月、辻武寿氏(参院議員)退任にともない公明党委員長就任。党の衆院重視への転換を示す。69年に政治評論家の藤原弘達氏による公明党と創価学会の政教分離問題が表面化、竹入氏は田中角栄・自民党幹事長に問題解決を依頼、矢野絢也書記長と田中・藤原会談を見守った。71年6月27日、第9回参院選で公明党は得票を減らし敗北。72年、社会党の成田知巳、佐々木更三現元委員長らと中国訪問。日中国交正常化交渉の極秘下折衝、9月の田中首相訪中、国交正常化に貢献。12月10日の総選挙では公明党は29議席と完敗。75年には成田社会党委員長と初の社公党首会談、反自民で一致し選挙協力に発展。79年には佐々木良作・民社党委員長と公民連合政権構想に合意。79年10月7日の総選挙では社公・公民選挙協力が成功、自民大敗。80年1月に飛鳥田一雄・社会党委員長と社公連合政権構想に合意、共産党とは絶縁(革新ブロックの解消)。80年6月22日の衆参同日選挙は総選挙で50議席割れ、参院選では25議席割れの惨敗。84年の自民党総裁選挙で佐々木民社党委員長と「二階堂擁立」抗争に巻き込まれる。>

 <86年12月、各党の世代交代の中、委員長在職20年目を前に退任、党最高顧問に就任。90年、政界引退。97年、勲一等旭日大綬章を受章。>

 <98年に「公明党と創価学会が政教一致の関係にあった」と『朝日新聞』に「55年体制回顧録」を掲載。回顧録に学歴記述の矛盾などが見つかった。これを機に反創価学会の立場を鮮明にし、公明党、創価学会から除名処分を受けた。>

 <2006年5月19日、公明党は「内部調査により、竹入が公明党委員長在職中の1986年7月に自分の妻へ送った指輪の購入代金を公明党の会計から支出し着服横領した」として、総額550万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁判所に起こした。翌日には、創価学会の機関紙『聖教新聞』において提訴が大々的に報道され、提訴後も同紙には折に触れて横領を非難する記事が掲載された。>

 <08年3月18日、東京地裁は「党の会計から私的流用したとは認められない」として請求を棄却。判決文では「横領したという当時は衆参同日選の最中で、党トップの竹入氏が秘書や警護官もともなわずにデパートで夫婦そろって高価な指輪を購入するのは不自然」と指摘したうえで、購入した指輪の具体的な種類や形状が特定されていないことなどを理由に、流用の事実は認められないとした。>

 <公明党側は即日、東京高等裁判所に控訴。08年12月4日に「互いを誹謗中傷せず、竹入が遺憾の意を表明した場合は党側が控訴を取り下げる」との条件で和解が成立した。『聖教新聞』は着服横領提訴の判決が出るまでは着服横領を複数回1面トップに持ってくるほど大々的な報道を行っていたが、敗訴判決の事実および竹入氏との和解の内容を機関紙『聖教新聞』では公表していない(極小記事での扱い)。>

 この29日の座談会の見出しは<公明議員は立ち上がれ/支持者の期待に結果で応えよ/戸田先生「私利私欲の議員は叩き出せ」>である。

 見出しを見てびっくりはしない。

 いつものような「魔界」とかが出てくるほうがおどろおどろしくていいのになぁ、とは思うが、公明党も与党慣れしてきたし、あんまり常識を疑わせるような表現はできなくなったのだろうか? もう少しえげつないほうがいいのに。

 この座談会で面白いのは女性の言葉の汚さである。

 この日も三井婦人部長という方が「竹入は40年以上も有権者を騙し続けてきた。国民を欺き抜いてきた」と言えば、棚野男子部長は「こうした悪党が二度と出ないよう、竹入という嘘つき男を厳しく糾弾しておかなければならない。それが後世のためであると信ずる」という陸軍航空士官学校卒業生の言葉を紹介していた。

 竹入氏が陸軍航空士官学校に籍を置いたのかどうか、客観的に調べられないのかどうか。竹入氏も何か証拠を示せないのかどうか。

 というよりも、「犬神家の一族」ではないが、あの当時は何が何だか分からなくなっており、皆生きるのに必死で泥棒も殺人もなんでもやっていた時代じゃないか、と思うのだ。国敗れて山河あり、の時代だ。その時代の経歴詐称を今更持ってくるほうがどうかしているのだが、竹入氏ももしも嘘をついたとしたら、どうして嘘をついたのだろうか。分からないことが多いのだ。

 創価学会にしてみれば竹入氏や矢野絢也氏は目の上のたんこぶなのだろう。あまりにも秘密を知りすぎている。抹消したいだろうが、そうはいかないから、社会的に発言できない立場、または発言しても皆がまともに取り上げないようにしようと必死なのかもしれない。

 でも、創価学会はなぜそんなに必死なのだろう? 以前「創価学会の研究」を読んで書評にも書いておいたが、今や昔の日本と違って創価学会への負のイメージは相当になくなってきているだろうし、明るい話題も多くなっている。特に芸能界への大量進出で、テレビ画面で学会員の芸能人を見る機会が増えて、特に学会員だからといって忌避するような風潮はなくなった、と思うのだ。

 この日の新聞にも女優の本名陽子さん、歌手のカズン(漆戸啓さんと古賀いずみさん)のインタビューが出ているが、彼らが学会員だからといって差別されるようなことはないと思う。

 もう少し普通の宗教組織になってもいいのではないか、竹入、矢野氏ら反創価学会的人間はほうっておけばいいのではないか、とも思うのだが、そうはいかないのだろうか。

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2008年12月24日 (水)

長部日出雄氏の<真の独立><楕円と再生の思想>を読んで~日経新聞12月17、24日夕刊から

 日経新聞夕刊1面コラム[あすへの話題]は毎日欠かさず読む。12月17日の長部日出雄氏の[真の独立に向かって]に感動して感想を書いておこうか、と思ったのだが、「当方担当の最終回となる次週の本欄で述べたい」とあったので、今日の夕刊を首を長くして待っていたら、[楕円と再生の思想]というタイトルで長部コラムが掲載されていた。

 ということで、この2回のコラムを紹介しながら、ちょっとだけコメントしたいと思う。

 まず12月17日[真の独立に向かって]だ。「真の独立」という言葉を見て、「アメリカからの独立」を思い浮かべる人は多いだろう。まさに長部氏の書いているのはそのことだった。ただ、安全保障面での独立とか、政治面での独立ではなく、日本人の精神、心に関する「独立」である点が政治家や政治的学者と違うところだ。古くは江藤淳氏らの保守思想に連なる系譜と言っていいのだろう。

 長部氏には申し訳ないが、コメントを書く都合上、逐条的に書き写す。著作権上の問題が発生するのかもしれないが、どうか大目に見てください。

 <わが国の政治家の大半が、すっかり小粒になって、とても安心して国を任せられない状況になったのは、戦後のある時期からアメリカの属国の地位に甘んじて、自国を独立国として統治する経綸も矜持も必要とせずにやって来られたからである。国家の主権の正当な認識がなく、従ってそれを的確に行使する術に熟練する筈もなかった。>

 「戦後のある時期」について長部氏は2回のコラムで具体的に書いていないのだが、いつ頃なのだろうか? 外交文書公開で明らかになった佐藤栄作首相の日米首脳会談や米国防長官との会談での中国への核攻撃を米国に約束させる鬼気迫る交渉ぶりには頭が下がるが、こういう心根が責任ある政治家から失われたのはいつなのか? つまり、東久邇稔彦、幣原喜重郎、吉田茂は間違いなく国益を考えた政治をした。社会党の片山哲だって非武装中立なんて言わなかった。芦田均もある意味、国士だ。鳩山一郎の筋金入りの日本主義は米国に嫌われたほどだ。岸信介も個人的には嫌いだが、あれだけの反対の中、日米安保条約の改定をやり遂げたのは、当時の国益に沿っていただろう。池田勇人の高度経済成長は決して軟弱路線ではなかった。土性骨が座った国富政策だった。そして、佐藤栄作である。そこまでは何とか及第だと思う。

 そうすると、問題はその後だ。田中角栄はどうなのか? 金権腐敗のうえ、日本の航空政策を米国のロッキード社に売り渡し、ワイロをもらったかのように指弾され、名誉も奪われて失意の死を迎えた天才には国益観念があったのかどうか? 私には今コメントする能力がない。

 三木武夫という椎名裁定で図らずも総理大臣になって田中角栄逮捕のために暗躍したような男は保守政治家の風上にも置けない。失格間違いなしだ。小派閥の長で国民の支持ばかり気にしているから、重要な政策に腰を据えて取り組めない。GNP比1%枠とか、どんな意味があったのだろう。

 福田赳夫はアジアを向いていた。米国の核の傘の下にいるのは仕方ないと考えながら、日本はアジアで支持を広げなければ先細りになる、と具体的に動き始めたのは評価できる。ただ、この人も気が弱いのか、連続爆弾事件の犯人が牢屋から犯人を逃がすように要求した時「人命は地球より重い」とか言って、超法規的措置で犯人を釈放するなど、無原則極まりないことをやった。日本は国家ではない、という批判が上がったが、西欧的な「人間主義」がひねくれた形で導入されていた日本ではマスメディアがこの問題への深入りを避け、曖昧にされた。それが後々まで尾を引いて、最後には小泉首相時代の「自己責任論」に結びついたのだと思うのだが、どうも「地球より重い」人命などないし、「自己責任」は国家の責任放棄だ、という常識論が通じなくなっていたようだ。極端から極端に振れる日本人の悪い点をあますところなく露呈している。だから、福田氏だけを責めてはかわいそうかもしれないが、総理大臣というのは何を言われてもやるべきことはやらなければならないのだから、やはり、福田首相は失格だろう。

 大平首相は愚直な人だった。一般消費税をまじめに考えて導入しようとしたら、野党の集中砲火にあっただけでなく、福田氏との「40日抗争」で心身をすり減らし、病死した。憤死のようだった。正義派の国益重視派と言っていいだろう。

 鈴木善幸氏は暗愚の宰相と言われた理解能力に欠けた人間。田中角栄氏のロボットとしては便利だったというだけだが、やはり「日米同盟に軍事は含まない」などメチャクチャ過ぎる発言は最低だった。言うまでもなく失格だ。

 中曽根康弘氏は合格でいいだろう。

 竹下登氏も合格と言っていいのかどうか。消費税を導入して高齢化社会への対応を図ったことは立派だった。ただ、竹下、安倍晋太郎、宮沢喜一の大正生まれ3人、「安竹宮」は線が細く、政治信念の底の底を覗けば国家への不信が見て取れる。軍国主義日本によって死ぬ一歩手前まで行った年代だが、その上の世代のように自分の意思でコントロールできたのではなく、あくまで命令に従って黙々と死に向かって生きていた世代だ。自分の確固とした信念もない世代。竹下氏が「わしらは明治のじいさまと昭和の若者のつなぎの世代」と言っていたように、実際つなぎ世代でしかなかったし、そもそも戦争での死亡者が多く、人口構成で見てもこの世代は少ない。

 宇野宗佑、海部俊樹はロボット。コメントに値しない。宇野は竹下のダミー。海部は金丸のダミー。

 宮沢喜一は竹下のところで述べたとおり。宮沢回顧録で御厨貴氏らのインタビューに答えていろいろ言っていたが、印象に残ったのは決断できない官僚そのもの、という姿。自分では客観的に振り返っていたのだが、佐藤政権で沖縄返還を実現するためにも「糸と縄の取引」が必要になった時、佐藤氏は宮沢氏を通産相に据え、国内の調整と対米交渉を任せたのだが、国内調整が全くできず、つまり米国に何も回答できず、あきれた佐藤首相が通産相を田中角栄に替えて、打開したケースなどがそうだ。優柔不断で、政治家ではない。耳に優しいことは言えるが実行できないから政治家ではない。

 細川護煕、羽田孜、村山富市は前2者は小沢一郎氏のダミー。村山氏は自民党のダミーだったから、論外。

 橋本龍太郎は個人的には合格点をあげたいのだが、あまりにも細かいことを気にしすぎて大局を見ていなかった。だから、最終的に失敗した。省庁再編をやり遂げたり、経済財政諮問会議の枠組みを作るなどの改革は良かったが、厳密に考えれば、失格と言わざるを得ないだろう。

 小渕恵三氏も悩ましい。大平氏に似ているところがあり、バックにいた竹下氏がこのケースではロボットにするのではなく、小渕氏の手足として動くことで政権のために一肌脱いだことを考えれば、小渕+竹下=合格なのか?

 森喜朗氏は勿論不合格だろう。

 小泉純一郎は合格だろうか? いくら後世の史家が郵政民営化のインチキ振りを暴き、北朝鮮政策の失敗をあげつらっても、バブル崩壊で腑抜けになっていた日本国民に「構造改革をやれば少しは良くなる」という夢をバラまいたことは確かだ。だから、5年間という長期政権になった。しかし、その結果は企業だけ焼け太りして、国民はやせ細り、ワーキングプアが常態化した。アメリカ様の言うことは何でも聞くが、日本の国民の言うことは聞かない、という政治を見れば、失格に入れるしかないだろう。ここの判断は微妙である。何が国益なのか、厳密な論議が必要だろう。

 安倍晋三、福田康夫、麻生太郎は3人とも失格。

 と戦後の総理大臣を振り返れば、佐藤栄作までは何とか合格点をあげるとして、その後は大平、中曽根、竹下、小渕には合格点を与えても、田中角栄は?がつく。他の首相は不合格、となる。

 <この点においてはメディアと学者文化人の多くも似たようなもので、政治と経済において学ぶべき規範はことごとく欧米にあり、わが国に固有の伝統は押しなべて過去の遺物で、国際的な普遍性を欠いた誤謬と見做され、殆ど一顧もされなくなった。>

 そうなのだ。全くその通りなのだ。

 <だが、何よりもまずインターナショナリズムやグローバリズムを唱え、ある一元的な原理によってそれが実現できる、とする主張には気をつけたほうがいい。コミンテルンが人類に共通する理想として掲げたインターナショナリズムが、実はソ連の軍部と国家官僚層を掌握した指導者が独裁するクレムリン帝国主義の別名でしかなかったことは、既に白日のもとに曝された。自分たちの学説を、世界中全ての国に普遍妥当するものと信じたアダム・スミスに始まる古典派経済学の部分的で単純な拡大解釈によって「新古典派」あるいは「新自由主義」と称された学派の唱導したグローバリズムの実態が、砂上の楼閣を金殿玉楼に見せかけようとしたウォール街による金融帝国主義であったことも、今や大方の目に明らかになった。>

 しかし、長部氏はよくここまで思い切ったことを書いたなぁ、と溜息が出る。言っていることはその通りで、私も大賛成である。ただ、長部氏といえば、私も最近マックス・ウェーバーに関する新潮選書をパラパラと読んだばかりだが、欧米思想を肯定的に受け止めているのか、と誤解していた。そうではなかったのだ。

 コミンテルンの32年テーゼは日露戦争に負けたロシアがソ連と国名を変えた後も日本に対する怨念を持ち続け、復讐の機会をうかがい、日本弱体化のために日本共産党に強いた政策だった。国際共産主義運動のはずが、日本だけをターゲットにしたテーゼというのも後から考えればおかしな話だが、当時の共産党にはコミンテルンを批判的に見る視点がなかった。長部氏が言うように、肌の白い人間が言うことを金科玉条として、日本の伝統を馬鹿にしていた知識人の大失敗だ。この傾向は丸山真男以後の戦後知識人にも連綿と引き継がれている。

 こういう言説が公に出るようになったのは、世界金融危機のおかげなのかもしれない。

 <ソ連とアメリカの覇権が共に崩壊した今日、われわれは真の独立を目ざす道へ歩みださなければならない。そのさい何を軌範にすべきかについては、当方担当の最終回となる次週の本欄で述べたい。>

 として、次週の12月24日のコラム[楕円と再生の思想]になる。

 こちらは最近どこかで誰かが書いていた神仏習合の見直し論につながる「楕円の思想」だった。

 <「日本」という国家の原型は、古代史上最大の内乱であった「壬申の乱」によって生み出された。当方の考えるところ、これは唐風文化一辺倒の大友皇子を奉ずる近江朝廷と、国風文化を重んずる大海人皇子との戦いで、結果はご承知の通りである。では、勝利を収めて即位した天武天皇の治世が、こんどは国風を唯一絶対とする原理主義になったかといえば、決してそうではない。>

 長部日出雄氏は1934年9月3日青森県弘前市生まれ。故郷、津軽に関する小説、エッセイが多く、津軽出身の棟方志功、太宰治らの評伝も執筆している。ウィキペディアで略歴を見ると、1953年に早稲田大学文学部に入学、中退。57年、週刊読売記者。大島渚、永六輔、野坂昭如、筒井康隆、小林信彦らを一早く評価し、彼等と深く交友。退職し、雑誌『映画評論』編集者、映画評論家・ルポライターを経て作家。73年に『津軽じょんから節』と『津軽世去れ節』で直木賞受賞、とあった。「天皇はどこから来たか」(新潮社、1996年)、「反時代的教養主義のすすめ」(新潮社, 1999年)「二十世紀を見抜いた男 マックス・ヴェーバー物語」(新潮社, 2000年)、「天皇の誕生 映画的『古事記』」(集英社、 2007年)、「『古事記』の真実」(文藝春秋、2008年)という著作目録を見れば、私の勘違いで、実は日本の古典、古代への造詣が深かったことが分かった。

 <漢字と和語を綯い交ぜにして、話し言葉と書き言葉の双方の働きをそなえた「日本語」を最初に確立した「古事記」の口誦しながら、天武天皇は官寺の造営にも力を注いで、日本中の家々に異国の教えである仏教を浸透させた。このような原理主義者がどこにいるだろう。和語と漢字の見事な融合、神と仏の和らかな共存。世界に類のないこの二元の構造こそは、わが国の文化の最大の特徴で、壬申の乱が「日本」という国家の原型を生み出す基になった……というのは、そういう意味なのである。>

 なるほど、である。やはり古代史への造詣が深い。

 <異質で相反する要素の和らかな共存を図って、二つの焦点を持つ楕円形の国家を形成したい、というのが天武天皇の願った理想の和の国の姿であった。伊勢神宮において旧宮と新宮の敷地が隣接し、二十年毎に神儀(御神体)がその間を往復する……という奇跡的な遷宮制度の創始者も天武天皇である。希望を失って真っ暗闇と化した世の中に、ふたたび天照大御神が新たな光明をもたらす「天の岩屋戸」神話は、死と再生の劇であり、遷宮はその祭祀化なのである。この「楕円と再生の思想」こそ、日本を救う。ぼくはそう確信して疑わない。>

 そうなのだろう。明治維新の際に薩摩や長州の若手武士がこれらの国の物語を軽く扱い、国家神道化した。そして、戦争に負けた後、マッカーサーが神道指令で国家神道をやめさせた。その後の日教組の教育で神話が不当に弾圧された。

 今はじっと沈思黙考しながら、日本を再び考える人が増えることを望みたい。インターナショナリズムはナショナルを理解してはじめて理解できる、とはよく聞いた話だが、その通りだと思っている。長部氏が説くように、そろそろ虚心坦懐に日本を見詰め直そう。

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秋葉原「心の闇」事件の遠因はニュースピーク、という鹿島茂氏のご託宣~12月24日毎日新聞朝刊から

 毎日新聞12月24日朝刊[引用句辞典 不朽版]で鹿島茂氏(仏文学者)は<ニュースピーク>を取り上げていた。「ニュースピーク」とは、知る人ぞ知るジョージ・オーウェルの近未来SF小説「1984年」の全体主義社会で住民たちが話す言葉である。と言ってもよく分からないので、もう少し作品そのものを説明しておかなければならないだろう。

1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8) 1984年 (ハヤカワ文庫 NV 8)

著者:ジョージ・オーウェル,新庄 哲夫,George Orwell
販売元:早川書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 となれば、やっぱりウィキペディアの出番だ。少し長めに引用する。(以下ウィキの引用を少し書き直したもの)

 <トマス・モア『ユートピア』、スウィフト『ガリヴァー旅行記』、ザミャーチン『われら』、ハクスリー『すばらしい新世界』などのディストピア(反ユートピア)小説の系譜を引く。スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描く。「1984年」は執筆された1948年の4と8を入れ替えたアナグラムで、当時の世界情勢そのものへの危惧を暗に示した。出版当初から冷戦下の英米で爆発的に売れ、同じ著者の『動物農場』やケストラーの『真昼の闇黒』などとともに反全体主義思想のバイブルとなった。あらゆる形態の管理社会を痛烈に批判した本作のアクチュアリティは、コンピュータによる個人情報の管理システムが整備されつつある現代においても、その輝きを全く失ってはいない。>

 <1950年代発生の核戦争を経て1984年現在、世界はオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国が分割統治。紛争地域をめぐる戦争が絶えない。作品の舞台であるオセアニアでは思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、物資は欠乏し、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビで屋内・屋外のほぼすべての行動を当局に監視されている。>

 <ロンドンに住む主人公ウィンストン・スミス(39)は妻キャサリンとは別居中。真理省記録局の役人として日々歴史記録の改竄作業を行っていた。物心ついたころに見た旧体制やオセアニア成立当時の記憶は、記録が絶えず改竄されるため、存在したかどうかすら定かではない。スミスは古道具屋で買ったノートに自分の考えを書いて整理するという、禁止された行為に手を染める。ある日の仕事中、抹殺されたはずの3人の人物が載った過去の新聞記事を偶然に見つけたことで体制への疑いは確信へと変わる。「憎悪週間」の時間に遭遇した真理省創作局の同僚で青年反セックス連盟の活動員、ジューリア(26)から手紙で告白され、出会いを重ね、黒髪のグラマラスな女性と愛し合う。また、下町のチャリントン(63)の古物商店で隠れ家を提供されるが、実は年齢も60歳代ではなく、秘密警察の隊員だったが、ウィンストンは隠れ家でジューリアと過ごした。ウインストンは夢に度々出てくる真理省党内局の高級官僚の1人、オブライエンを自分の味方で話が分かる男と思い込み、現体制への疑問を告白。オブライエンは秘密結社『兄弟同盟』の一員であると名乗り、 エマニュエル・ゴールドスタイン(レフ・トロツキーがモデルでトロツキーの本名はブロンシュタイン)の禁書を渡すが、実はオブライエンはオセアニアの指導者、偉大なる兄弟(ビッグ・ブラザー=ヨシフ・スターリンがモデル)によって率いられる唯一の政党「党」に忠誠を尽くす男で、ウィンストンを騙す嘘だった。思わぬ人物の密告からこうした行為が明るみに出て、ジューリアと一緒にウィンストンは思想警察に捕らえられ、オブライエンによる尋問と拷問を受ける。彼は「愛情省」の101号室で自分の信念を徹底的に打ち砕かれ、党の思想を受け入れ、心から党を愛しながら処刑(銃殺)される。>

 <オセアニアは旧アメリカ合衆国をもとに、南北アメリカおよび旧イギリス、アフリカ南部、オーストラリア南部(かつての英語圏を中心とする地域)を領有する。他の超大国はソ連をもとに欧州大陸からロシア極東にかけて広がるユーラシア(イデオロギーは「ネオ=ボリシェビキズム」)、旧中国や日本を中心に東アジアを領有するイースタシア(イデオロギーは「死の崇拝」あるいは「個の滅却」)。どの国も一党独裁体制であり、イデオロギーにもそれほど違いは無い。これら3大国は絶えず同盟を結んだり敵対しながら戦争を続けている。表向きは、各国とも世界支配のため他の大国を滅ぼすべく戦っているが、実際は世界を分割する3大国が結託し、労働力を浪費して富の増加による階級社会の不安定化や崩壊を防ぎ、支配と権力を半永久的に維持するために行っている永久戦争。3大国はどれも戦争で滅ぼすことは不可能である(オセアニアは海に守られているため、ユーラシアは国土が広大であるため、イースタシアは人口が多く勤勉であるため)。 北アフリカから中東、インド、東南アジア、北オーストラリア一帯は3大国が半永久的に争奪戦を繰り広げる紛争地域。>

 <「偉大なる兄弟」は国民が敬愛すべき対象であり、町中の到る所に「偉大なる兄弟があなたを見守っている」 (BIG BROTHER IS WATCHING YOU) という言葉とともに彼の写真が張られているが、正体は謎に包まれ実在すら定かでない。党の最大の敵は「人民の敵」ゴールドスタインで、国民は毎日、テレスクリーンを通して彼に対する「2分間憎悪」を行い、彼に対する憎しみを駆り立てる。テレスクリーンの登場により、全国民は党の監視下に置かれ、私的生活は存在しなくなっている。>

 <党のイデオロギーはイングソック(IngSoc、Ingland Socialism、つまりイングランド社会主義の略)と呼ばれる一種の社会主義。核戦争後の混乱の中、社会主義革命を通じて成立したようだが、誰がどのような経緯で革命を起こしたのかは、忘却や歴史の改竄により明らかではない。エマニュエル・ゴールドスタインのパンフレットによれば、そのイデオロギーの正体は「寡頭制的集産主義」とでも呼ぶべきもので、「社会主義の基礎となる原理をすべて否定し、それを社会主義の名の下におこなう」ことであるらしい。もとは社会主義運動の中から発したが、現在は中層階級が下層階級を味方につけて上層階級を倒す事態を永久に防ぎ、非自由と不平等を恒久的なものにすることを目的としている。>

 <党には中枢の党内局(inner party)と一般党員の党外局(outer party)がある。党内局員は黒いオーバーオールを着用し、貴族制的な支配階級(上層階級)で、世襲でなく能力によって選ばれ、テレスクリーンを消すことができる特権すらある。党外局員は青いオーバーオールを着る中間層(中層階級)で、党や政府の実務の大半をこなす官僚たち。党に関わりを持たない人々はプロレ(the proles、プロレタリア)と呼ばれ、人口の大半を占める被支配階級(下層階級)の労働者たち。娯楽(酒、ギャンブル、スポーツ、セックス、ほか「プロレフィード(Prolefeed)」と呼ばれる人畜無害な小説や映画、音楽など)がふんだんに提供されている。>

 <「戦争は平和である(WAR IS PEACE)」「自由は屈従である(FREEDOM IS SLAVERY)」「無知は力である(IGNORANCE IS STRENGTH)」という党の三つのスローガンが至る所に表示されている。>

 <ニュースピーク (Newspeak、新語法)とは思考の単純化と思想犯罪の予防を目的として、英語を簡素化して成立した新語法。すべての言葉は意図的に政治的・思想的な意味を持たないようにされ、この言語が普及した暁には反政府的な思想を書き表す方法が存在しなくなる。ニュースピークは現代英語を必要最小限にまで簡略化することを目指し、現在では別々の言葉が似たような意味を持つという理由で統合され名詞や動詞の区別も接尾語により変化する。たとえばthought(思想[名詞])はニュースピークの文法ではthink(考える[動詞])で代用でき、speed(速さ[名詞])に形容詞をあらわす-fulや副詞をあらわす-wiseを加えることでそれぞれの品詞に自在に変化する。badをあらわすにはgoodに否定の接頭語un-をつけたungoodでこと足り、強意表現はplus-,doubleplus-といった接頭語をつけることで表現される。また、Minipaxなどのように略語を極端に採用しているが、これによって本来の語源を考えることなく、全く自動的に単語を話すことができる(これにはかつてソ連が「コミンテルン」などのような略語を多用したことの影響がある)。>

 <新語法(ニュースピーク)辞典が改定されるたびに語彙は減るとされている。それにあわせシェークスピアなどの過去の文学作品も書き改められる作業が進められている。改訂の過程で、すべての作品は政府によって都合よく書き換えられ、原形を失う。freeの意味も「free from ~」の意味しか残らず「政治的自由」「個人的自由」の意味は消滅しているなど変化しており、原文の意味を保って自由や平等を謳う政治宣言などをニュースピークに翻訳することは不可能になる。なお、ニュースピークという言葉自体が既にニュースピークである。本来、speakという単語に名詞としての用法は無い。>

 <ダブルシンク(doublethink、二重思考)とは1人の人間が矛盾した二つの信念を同時に持ち、同時に受け入れることができるという、オセアニア国民に要求される思考能力。現実認識を自己規制により操作された状態でもある。過去を支配する者は未来まで支配する。現在を支配する者は過去まで支配する。政府が過去を改竄し続けているのは、党員が過去と現在を比べることを防ぐため、そして何よりも党の言うことが現実よりも正しいことを保証するためである。党員は党の主張や党の作った記録を信じなければならず、矛盾があった時は「犯罪中止」により誤謬を見抜かないようにし、万一誤謬に気づいても「二重思考」で自分の記憶や精神の方を改変し、党の言うほうが正しいということを認識しなければならない。>

 <「古代の専制者は命じた。汝、するなかれと。全体主義者は命じた。汝、すべしと。我々は命じる、汝、かくなり、と」。オブライエンの言によれば、かつて専制国家は人々に対しさまざまなことを禁止していた。ソ連などは人々に理想を押し付けようとした。現在のオセアニアでは人々はニュースピークやダブルシンクを通じ認識が操作されるため、禁止や命令をされる前に、すでに党の理想どおりの考えを持ってしまっている。党の考えに反した者も、最終的には自由意思で屈服し、心から党を愛し、党に逆らったことを心から後悔しながら処刑される。>

 <「2足す2は5である」(2+2=5、Two plus two makes five)というフレーズはこの小説を象徴するフレーズの一つ。スミスは当初、党が精神や思考、個人の経験や客観的事実まで支配するということに嫌悪を感じて(「おしまいには党が2足す2は5だと発表すれば、自分もそれを信じざるを得なくなるのだろう」)自分のノートに「自由とは、2足す2は4だと言える自由だ。それが認められるなら、他のこともすべて認められる」と書く。後に愛情省でオブライエンに二重思考の必要性を説かれ拷問を受け、最終的にはスミスも犯罪中止と二重思考を使い、「2足す2は5である、もしくは3にも、同時に4と5にもなりうる」ということを信じ込むことができるようになる。>

 <ダブルスピーク(doublespeak、二重語法)とは矛盾した二つのことを同時に言い表す表現。「戦争は平和」・「真理省」のように、例えば自由や平和を表す表の意味を持つ単語で暴力的な裏の内容を表し、さらにそれを使う者が表の意味を自然に信じて自己洗脳してしまうような語法。他者とのコミュニケーションをとることを装いながら、実際にはまったくコミュニケーションをとることを目的としない言葉。実は作品には登場しない用語であるが、初版発刊後の1950年代に発生し一般化した言葉で、しばしば作品由来と考えられている。ニュースピークのB群語彙の定義におおむね影響を受けている。また、現実にある政策や婉曲話法などを批判的に言及する際に「二重語法」という言葉を使うことがある。たとえば事業の再構築を意味するリストラクチャリング(リストラ)を単に「従業員の大規模解雇」の意味に使用するなど。>

 という「1984年」をベースにした話である。

 見出しは<言葉の簡体化が導いた「心の闇」の大量発生>。

 毎日新聞コラムの鹿島氏の言説をほぼ全文引き写しながら、コメントを加えてみる。

 以下が本文である。

 <全体主義社会では、住民たちはニュースピークと呼ばれる簡易言語を話すようになるというエピソードがあったと思う。語彙の少ない簡易な表現ですべてコミュニケーションが成り立ってしまうのである。>

 として、

 <この未来予測は、少なくとも日本にかんする限り、見事に当たった。「ムカつく」「感動した」「泣ける」「KY(空気読めない)」etc。まさにニュースピークそのものである。それどころか、ニュースピークの首相まで現れ、マスコミでもニュースピーク派が多数派を占めるという状況が生まれてきている。全体主義社会ではないにもかかわず、である。>

 と小泉純一郎元首相の「ワンフレーズ・ポリティクス」を強烈に皮肉りながら、その小泉戦略に簡単に乗せられたマスコミ批判を繰り広げる。

 <では、なにゆえに、高度資本主義の社会で、このようなニュースピーク化現象が起きるのかと考えているときに、右の言葉に出合った。>

 右の言葉とは吉本隆明の次のフレーズである。

 <「社会が、ますます機能化と能率化を高度におしすすめてゆくとき、言葉は言葉の本質の内部では、ますます現実から背き、ますます現実からとおく疎遠になるという面をもつものであり、言語は機能化にむかえばむかうほど、この言語本質の内部での疎遠な面を無声化し、沈黙に似た重さをその背後に背負おうとする。つまり、コミュニケーションの機能であることを拒否しようとする」>(「自立の思想的拠点」徳間書店)

 鹿島氏が吉本説を解説する。

 <すなわち、社会が機能化と能率化を追求していくと、当然、言語もそれに伴って機能化・能率化する(つまりニュースピーク化する)わけだが、その一方で、個々の言葉は、現実から遠ざかるという指摘である。ソシュール理論のシニフィアン・シニフィエで言うと、シニフィアン(音声・文字記号)によって喚起されるシニフィエ(概念)の中で、その概念抽出のもとになる「現実」とのつながりが失われてしまっているということだ。吉本の言語理論なら、指示表示ばかりが前面に出て、自己表出が稀薄になることだ。>

 さあ、難しくなってきたぞ。でも、難しいのはここだけ。ぶっちゃけて言えば、どんどんと情報化が進めば、言葉が進化して、現実を表わさなくなる、ということではないか。

 <しかし、では、こうした現実から離れ、薄っぺらになったニュースピーク(機能化言語)を用いている人は、それによって、コミュニケーションがより円滑になっているのかといえば、そんなことはない。むしろ、逆であって、ニュースピークでは掬いきれずに残る感情と心理の余剰部分(自己表出部分)は、澱となって心の底に沈み、無声の言語、すなわち沈黙でしか表現できないものと化す。

 <その象徴が、殺人や傷害致死などの重大犯罪を犯して逮捕された少年・少女たちの口から漏れてくるあきれるような言葉の数々である。犯罪の動機というには、あまりにも幼稚で単純な言語! 「なぜ殺したのか?」「ムカついたから!」「なぜムカついたのか?」「無視されたから」「どのようなところで無視されたと感じたのか?」「わからない」これはつまり、「言語のコミュニケーション機能の拒否」である。>

 なるほど、やっぱりここに結び付けましたか。動機なき殺人、誰でもよかった、ムカついたから、などの供述を聞いても大人には理解できないから、何とか理解しようとして鹿島氏は言葉の面から切り込んだわけだ。

 <彼ら少年・少女(ときには中年・中女)はニュースピークを用いているからといって、感情や心の襞がないわけではないし、それを表出したいという願望がないわけではない(ニュースピークによるブログの繁盛を見よ)。ただ、困ったことに、ニュースピークでは、最も本質的な部分つまり、一番言いたいことが、沈黙という言語でしか語りえない構造になってしまっているのである。>

 分かりやすい。ここに持ってくるのに、ジョージ・オーウェルを使ったんですか。

 <なんというパラドックス。機能化・能率化を目指した社会は、機能化・能率化言語としてのニュースピークを生んだが、しかし、そのニュースピークは逆にコミュニケーション機能の喪失をもたらし、いわゆる、語りえない「心の闇」を大量発生させる結果となったのである。>

 この「心の闇」論。鹿島氏は半分おふざけで書いたかもしれないが、実際そういうことかもしれない、と思うのだ。語るべき言葉を持たない日本人たちが大量に生まれているのかもしれない。

 秋葉原事件をはじめとする殺伐とした事件を起こす容疑者たちの心は計り知れない。

 その心の中を語るべき言葉を持たないことが、逆に言えば問題の解決を妨げているのではないか、と思う。

 自分の頭の中でもいい、自分が何に対して怒っているのか、を言葉にして論理的に考えることができれば、突然噴き出す衝動的怒りの発作もある程度制御できるようになるだろう。

 その制御はオセアニアのビッグブラザーの洗脳によるダブルシンクではない。自分で紡ぎ出した言葉で自分で考えることで生み出させるものに違いない。

 ということは、テレビなどのステレオタイプ的言葉の押し付けがニュースピークの大き原因になっているのではないか、とも思えてくる。本当はテレビ、インターネットを含めた現代情報社会のありようだけでなく、家族制度や社会そのものの変化が原因なのだが、そこまで話を広げると収拾がつかなくなるので、とりあえず。

 <ところで、マルクスの指摘をまつまでもなく、言語のような上部構造は、経済という下部構造を、ある種の歪んだかたちで反映しているという。ならば、効率化・能率化を追い求めたあげくに自爆した経済を、これからの言語はどのようなかたちで反映することになるのだろうか? ニュースピークの解体だろうか、それともさらなるニュースピーク化の加速だろうか? こちらも予断を許さない状況になってきているようである。>

 なるほど、頭の切れる鹿島氏はそこまで言うか、と思う。なるほど、である。

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2008年12月19日 (金)

奥谷禮子ザ・アール社長の「派遣」論~朝日新聞12月19日朝刊から

 朝日新聞12月19日朝刊生活面[働く]で[派遣の行方]をテーマに2人のインタビューが掲載されていた。シリーズ7回目で、今回は脇田滋・龍谷大学教授と奥谷禮子ザ・アール社長だ。何かとお騒がせな奥谷氏が臆せずにインタビューに応じたのは立派だ、と思ったので、読んでみた。奥谷氏の言説の背後には小泉政権で単純労働にまで規制緩和を広げた新自由主義人脈が見え隠れするだろうし、今、こうした派遣社員大量解雇という事態で彼らがどういう思考をしているか知るよすがになるとも思ったからだ。

 聞き手は林恒樹記者。見出しは<「やる気」下支えを>である。奥谷氏の略歴を写しておく。1950年生まれ。日本航空勤務後、人材コンサルティング会社「ザ・アール」を設立。86年、経済同友会初の女性会員になり、現在は幹事、とあった。

 これじゃあ分からない。やっぱりウィキペディアの出番だ。部分的にコピペする。

 ウィキペディアによると、奥谷禮子氏の本名は米澤禮子で1950年4月3日兵庫県神戸市生まれ。奥谷姓は旧姓だ、という。甲南大学法学部卒業後、日本航空で国際線客室乗務員、VIPラウンジ勤務。退職後の1982年、同僚と人材派遣会社ザ・アールを設立。1986年には経済同友会初の女性会員の1人に選ばれた。同年から6年間、当時の堤清二セゾングループ代表との縁で、セゾングループが設立した人材派遣会社ウイル(現株式会社ミレニアムキャスティング)の社長を兼務。2002年5月には株式会社ローソンの社外取締役に就任。2006年1月には日本郵政の社外取締役に就任。

 そうかぁ、スッチーだったんだぁ。だから、年配の男性の心を捉えるのが上手で、成り上がってきたのか?(というのは言い過ぎだろうが……)。

 現職は日本郵政・ローソン・楽天野球団各社の経営諮問委員会委員、経済同友会幹事、独立行政法人国立新美術館運営協議会評議委員、神戸市市長諮問委員会委員、神戸市神戸経済特区研究会委員、WOWOW放送番組審議会委員。

 過去の公職は厚生労働省労働政策審議会臨時委員(労働条件分科会会員)、郵政省郵政審議会委員、内閣府未来生活懇談会委員、国土交通省交通政策審議会委員、通商産業省産業構造審議会委員、通商産業省航空機宇宙産業審議会委員、内閣府規制改革会議委員、公正取引委員会「21世紀にふさわしい競争政策を考える懇談会」会員。
 元経済同友会の代表幹事である牛尾治朗・ウシオ電機代表取締役会長(安倍晋三と姻戚関係。兄嫁の父)とは現在も親しくしている、という。小泉純一郎元首相と懇意。林真理子の「不機嫌の会」(林の小説「不機嫌な果実」に由来する)という夕食会に小泉、野田聖子、宮内義彦らとしばしば出席。郵政民営化に反対していた野田聖子と郵政社外取締役だった奥谷は親しかったが、2人を取り持つ関係として野田が米国アムウェイ本社社長の表敬訪問を受けるほどのアムウェイ擁護派であることが挙げられる。規制改革関連の審議会長を多数務めた宮内義彦とも懇意。

 「格差論は甘えです」と格差社会論そのものに否定的な人物の一人。2006年10月24日に開催された第66回労働政策審議会労働条件分科会に使用者側委員として参加し、過労死の問題について、「自己管理の問題。他人の責任にするのは問題(=自己責任論)」「労働組合が労働者を甘やかしている」と発言。さらに週刊東洋経済のインタビューで「労働基準監督署も不要」「祝日もいっさいなくすべき」と発言し論議を呼んだ、とあった。

 以上がウィキの情報である。ウィキには週刊東洋経済での発言が詳しく載っていたが、興味のある方は是非お読みいただきたい。

 朝日新聞のインタビューに戻る。全文を書き写しておこう。

 <派遣は雇用の創出に寄与している。日本では事業主の解雇規制が強すぎるので、正社員の採用には二の足を踏んでしまう。景気の悪化に伴って派遣社員の解雇が問題視されているが、派遣という働き方があったから雇用が創出されてきた。いま法規制を強めれば、1日単位の派遣でどうにか暮らせていた人までが失業状態に追い込まれてしまう。>

 この解雇規制の問題は派遣労働法導入の基礎となった考え方である。面白いもので、総評、同盟という二つの労働組合ナショナルセンターが強くなりすぎた。特に総評が政治ストまで始めて、同盟の企業内運命共同体的組合組織論を批判、戦闘的となり、社会党が常に支持母体である総評を援護。高度成長時代に労働分配率を上げるための春闘で高い賃上げを勝ち取るだけでなく、労働者を会社が首切りできないような労働法体系ができあがってしまったことは、奥谷氏の言う通りである。

 だから、円高不況など一連の景気変動に苦しんだ企業は柔軟な雇用形態を求めて政治を動かした。本来は強くなりすぎた組合の権限を弱める法改正をすべきだったのに、それは総評と社会党の既得権を傷つけることになるのでできず、今後就職する未成年に差別的労働を強いることで決着した。社会党も派遣労働法を潰そうという本格的な動きをしなかったし、総評も同盟も(その後継である連合も)自分たちは正社員だから痛くもかゆくもないので、座視していた。

 そして、派遣労働者がごくわずかの範囲で認められ、それが本格的になったのが小泉構造改革最中のことだった、というわけだ。

 つまり、派遣労働法改正の経緯を見れば、企業(日本経団連)と組合(連合)のナーナーでできたえいた、と理解すべきだと思う。連合が非正規従業員問題に少し関心を持ち出したのはせいぜいこの1、2年だ。それまでは正社員のことしか考えていなかったのだから。

 だから、奥谷氏のような言説がまかり通ったのだ、と思う。

 <働く側の意識が多様化する中で、多くの人は自分のライフスタイルに合わせて働き方を選んでいる。本当にどうしようもない働き方ならば、派遣社員がこれほど増えるはずがない。「日雇いや短期派遣は禁止せよ」「登録型もダメだ」と非難するのは誤りだ。>

 この働く人の意識の多様化、という言葉ほど便利なものはない。誰が好き好んで安い賃金で酷使される派遣労働者になりたいものか。

 <もちろん、高額の手数料(マージン)を取ったり、社会保障への加入を渋ったりする悪質な派遣会社は厳しく罰すればいい。だが一律の規制は弊害が大きい。政府は派遣法改正案のうち事前面接の解禁を除いた変更は見送り、派遣という働き方の自由度をより高めるべきだろう。>

 ここから奥谷氏は派遣会社の中にはいい会社も悪い会社もある、という論法でかわそうとする。「一律の規制は弊害が大きい」というのが一番いいたいことだろう。

 <その上で、意欲や向上心がある人に能力開発の機会を与えて支援する、訓練中の住居費や生活費を援助するなど「やる気」の下支えをしてほしい。やる気がない人まで救うのは税金の無駄だが、運悪く落ちこぼれた人に手を差し伸べるのは政府の大切な役割だ。>

 派遣は派遣で認めなさい。やる気のある人には政府で職業訓練をしなさい、と。

 <能力開発については派遣会社も担う必要がある。いかに付加価値をつけて質の高い人材に育て上げるか。私は教育こそが派遣会社が果たすべき社会的な責任であり、その責任から逃れようとする企業は、いずれ市場での競争の中で淘汰されると考えている。>

 ここは自分のPRのつもりなのだろう。「誰がお前なんかに教育されるものか」という派遣労働者の声が聞こえるようだ。「教育」をはき違えている。何を教育しようというのだろうか? 少なくともこの人には青少年を教育させたくないのだが。

 <85年の派遣法制定から20年あまり。法規制で押しとどめようとしても、働き方の多様化は今後も進んでいく。「雇用の原則は正社員」という幻想はもはや通用しない。>

 ここまで企業の中で派遣が定着したのだから、今更やめることはできない、と企業側の本音を代弁しているのだろう。

 <そうした中では、同一価値労働同一賃金という理念を実現することが大切だ。加えて、同一能力という考え方も欠かせない。同じ能力の人が同じ仕事をすれば同じ賃金を支払う。これこそが、目ざすべき「平等」の形ではないか。>

 この「同一労働同一賃金」という言葉を便利に使っているのだが、言葉の遊びだろう。ホワイトカラー・エグゼンプションを導入しようとする企業は「同一労働同一賃金」で働きの悪い正社員の給与を下げようとたくらんでいるとしか思えない。

 と、悪口ばかり書いてしまったが、今の企業の実情を見ると、仕事をしない、仕事ができない人も年功序列で若い人よりも高い賃金をもらっているケースはまだまだ多い。この弊害をなくすのは喫緊の課題だとは思うのだが、それと派遣労働是認とは話が違う。やはり派遣労働は高度に知的な職種にしか認めない、という形に戻すしかないのではないかと思う。それで企業の生産現場が日本から逃げ出し、海外に工場を作って海外生産拠点が中心になれば、それはそれでいいじゃないか。何も日本人労働者を嫌いな経営者に雇ってもらわなくとも、新しい産業を生み出せばいい。限りなく内需拡大に貢献しながら、輸出も視野に置くことができる産業。それは農業だと思う。農協という中間搾取組織を打ち破って早く農業分野の規制緩和を実行してほしい。そして、農家が自分勝手に好きなものを作れるようにしてほしい。無農薬でおいしい作物をきっと日本人は作るだろう。そうすれば金持ちになった中国やインドの上流階級は日本から輸入するだろう。

 奥谷氏らに代表される企業の労務屋の言うことを聞いていては日本が滅びる。

 私は個人的に法人は人ではない、と思っている。心がなくてなぜ人なのか? 法人擬制説をもう一度見直す中で、企業の社会的責任、企業の限界をきっちり議論する時が来ている気がする。政治献金も企業や「組合からのは禁止するのは当然だ。

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2008年12月12日 (金)

「伝統を切り捨てる天才」が閉塞感の原因~森本哲郎氏(83)インタビュー(毎日新聞12月12日夕刊)

 毎日新聞12月12日夕刊[特集ワイド この国はどこへ行こうとしているのか]は83歳の作家、森本哲郎氏のインタビュー。1925(大正14)年東京生まれ、東大哲学科卒、同大大学院社会学科修了。東京新聞を経て朝日新聞。学芸部員として世界各地を歴訪し、文明論、比較文化論の視点から記事を担当した。退社後の88~92年、東京女子大教授。主著に「文明の旅」「詩人 与謝蕪村の世界」「日本人の暮らしのかたち」。社会や日本文化などへの評論活動も、とあった。聞き手は坂巻士朗記者。

 森本氏の主な発言次の通り。

▽今ほど便利な時代はない。コンビニに行けば24時間、何でもそろう。本屋に出向かなくたってパソコンで注文すれば本を届けてくれる。友達の家を訪ねなくとも携帯のメールでピピッと連絡を取れば終わりです。だけど、今ほど閉塞感に満ちた時代はない。子供だったせいもあるが、戦前さえもまだ充実感があった。現代はものがたくさんあり、情報があふれかえって無力感が生まれている。便利なのに、決して豊かではない。何でもあるのに何か足りないという飢餓感をみんなが持っていると思うのです。

▽(閉塞感の土壌には何があるのか?)日本は伝統を切り捨てる天才です。何でも新しいもの、海の向こうからくるものを取り入れて、伝統というものは古臭いという一言で切り捨ててきました。文明開化は成功したといえる。因習にとらわれていたら、社会は進歩しないですから。ただ、伝統を捨ててしまっては歴史の教訓が生きないんです。戦後もそうです。日本の手本は米国だった。経済の先生は1903年に創業された自動車製造のフォード社。それから100年、アメリカは因習に縛られずに自由な天地を謳歌した。しかし、最初は健全だった自由主義、合理主義がどんどん進んでいき過度になった。大量に作って大量に消費するシステムだ。日本はこの60年あまり伝統を切り捨ててアメリカの猿真似をしてきたわけです。上っ面の同調化とでも言いますか。アメリカ式の自由主義、民主主義、合理主義を推し進めていった。アメリカのやり方を何でもありがたがるというのは、大いにマイナスだった。

▽まずは「アメリカなら何でもいい」から目を覚まさなければ。合理主義一辺倒、もうけ一辺倒になって、金にならなければ何もやらないって、そういうもんじゃない。物を次々買っても、狭い家に置く場所はない。じゃあ、テレビをもっと薄くしますか。きりがない。人間が生きるために、それほど多くの物はいらないですよ。

▽取材はマッカーサーの時代から。1951年4月、東京新聞の記者としてGHQのマッカーサー元帥が日本を離れる様子を見届けた。羽田空港に続く沿道にたくさんの人が詰め掛けていました。みんな涙を流して「さようなら」って手を振っていたね。当時の報道機関はマッカーサー元帥を恩人としてたたえた。新聞の使命は民主主義の確立である、とのGHQの方針で他社の記者とともに米国に招かれた。4ヶ月間、シカゴ、テキサスなど広く各地の新聞社を回り、取材活動をした。新聞報道は客観的でなければならないということを徹底して言われた。

▽今はテレビもインターネットもあるので、新聞が売れなくなったと聞く。確かに速報性では劣るけれども、権力に向かい合って主張すべきを主張し、キャンペーンを張る報道がないためではないか。売れないのは本来の姿勢を失っているからではないか。

▽世界中を旅して、あるとき、パリで急な雨に降られて広場のカフェを見つけて一休みしたが、「なるほど」と気づいた。ヨーロッパの建物には庇がない。雨宿りを許してくれる軒がないんです。窓はあまりに明るく、あまりに乾きすぎている。自然と人間が窓で対決している気さえした。しかし、日本の家屋も今や洋風になった。高度成長とともに、コンクリートの団地やマンションが増えた。戦前まで日本の家屋は自然と親しんでいた。縁側が住居と庭をつないでいた。ぼくの家も小さい庭があるけれども縁側がない。だから、ほとんど庭に出ることがない。縁側で子供が遊び、近所の人が腰掛けて話をすることもなくなった。自然が遠ざかり、人間的な温かみが切断されてしまった。

▽英国の動物行動学者、デズモンド・モリス(1929~)は「都会は今や人間の動物園だ」と言うんですね。食べ物はたっぷりあってそこそこ安全な場所に閉じ込められていると。まさにその通りだと思います。

▽一度手にした便利な生活を放り出すのはなかなか難しい。この国の行方は見えないなあ。過ぎたるは及ばざるがごとし、という格言がありました。腹八分目なんていうのも。つまり、抑制ですね。受け継がれてきた伝統や歴史という重みこそが、過剰を抑制してくれるのだと思います。

▽<なつかしき冬の朝かな。湯をのめば、湯気がやはらかに顔にかかれり。>ぼくの好きな石川啄木の歌です。26歳で亡くなった啄木には死の予感があったんでしょう。寒い朝、一杯の湯を飲もうとして、ふわっとほおに触れる湯気に、安らぎを感じた。幸せは遠くにあるんじゃない。ありふれた日常の中にあるんですね。

 森本氏の新潮選書が何冊か、私の書庫に眠っている。水道橋のいつも行く古書店で店頭の台で安売りしていたのを買ってきた。3、4冊になったか。今度読もう、今度読もう、と思いながらまだ読んでいない。今度読もう。

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2008年12月 6日 (土)

ハイデガー哲学の流行~日経新聞12月6日文化面に木田元氏の名前がない

 日経新聞12月6日朝刊文化面<激動の現代見直す視点/ハイデガー哲学色あせず/中堅・若手が研究リード/存在の根源問う>が載っていた。さすが日経、哲学までフォローしている、と少し驚いた。舘野真治・文化部記者の記事である。

 書き出しはこうだ。

 <20世紀を代表するドイツの哲学者、マルティン・ハイデガーの研究が熱を帯びている。40代前後の中堅・若手の著者刊行が相次ぐほか、新たな研究組織も発足。人間存在の本質を根底からとらえた巨人の思想は、金融危機など激動する世界情勢の中で輝きを増しているようだ。>

 1889年に生まれ、1976年に没したハイデガーは「存在と時間」などで「存在とは一体どのようなものなのか」という自明なようでいて実はとらえがたい根源的問題を徹底的に解き明かそうとし、逆に人間が本来は最も大切な存在論を忘れ、日常に埋没して世間に流されることを批判した、とも書く。

 記者が取材したのは9月20日から都内で開いた「ハイデガー・フォーラム」大会。2日間で延べ160人が出席、半数以上が一般参加だった、という。このフォーラムの第1回は2006年で今年が3回目。

 旗振り役の森一郎・東京女子大教授は「あえて学会という体裁にせずに誰でも参加できるようにした」という。

 出版も目立っている、として、いろいろ書いている。

 雑誌「理想」今年2月号で「ハイデガーという広場」特集。森教授も寄稿したと。森教授は1月に主にハイデガーを論じた単著「死と誕生」を出した。

 門脇俊介・東大教授は解説書「『存在と時間』の哲学1」を6月に出し、仲原孝・大阪市立大教授は研究書「ハイデガーの根本洞察」を6月に出した。フォーラム創設メンバーの一人の秋冨克哉・京都工芸繊維大学教授は05年に「芸術と技術 ハイデガーの問い」を出した。

 これまで日本のハイデガー研究を牽引してきたのは今年2月に亡くなった渡邊二郎・東大名誉教授ら1920~30年代生まれの重鎮だったが、彼らに教えを受けた世代がキャリアを積み、成果を出し始めた、という。森、秋冨氏はともに1962年生まれで40代半ば、まさに脂が乗りつつある、と書いている。このへんが書きたかったことなのかなぁ、とも思う。

 ドイツ現代思想が専門の北川東子・東大教授は「物事を突き詰めて考える姿勢、根本から問いを立てる力がすごい。世界を覆う金融危機など従来の常識では捉えきれない事態が次々と生じる中で既存の枠を飛び越える問いや思考法が求められている」と見ているそうだ。

 <現在、よく言及されているのは「技術」についての批判的な論考だ。ハイデガーの見方によれば技術は自然の様々な物を本来の在り方とは関係なく、何らかの目的に役立つ資源やエネルギーとしてとらえ、取り立て収奪する側面がある。人間自身も「人的資源」「臨床事例」などと呼ばれ、駆り立てられる。そうした流れに疑いを差し挟む思想は、技術による利便性の向上を当然とする現代的な考え方を見詰め直す契機になる。「大きな問題をその場しのぎではなく、深く思索する視点を与えてくれる」(森教授)。ただ、その議論は抽象度が高く、環境破壊などの個別事例にすぐ応用できるわけではない。ハイデガー自身も「哲学は本質的に時代向きではない」と公言。流行のように注目されることを嫌がった。「彼の思想を何かの問題に役立てようとすること自体がその内容に反する」(東大の石原孝二准教授)との声は根強い。それでもハイデガーの議論が示唆に富み、多くの人をひきつけるのは紛れもない事実。技術論にしても人間の存在を揺るがすという単純な疎外論には終わらない。例えば「存在論的メディア論」などの著書がある和田伸一郎・中部大学講師はハイデガーの技術論の肯定的な側面に着目。「携帯電話やインターネットなどの技術が、人減存在の本質を新しい形で引き出す可能性もある」との考えを示す。世界の中で開放的に、遠くにいる人にも配慮する在り方につながるとの見方だ。>

 少し長くなったが、これがどうも著者が今言いたいハイデガーと技術との新しい切り口の研究の「現時点」なのだろう、と思う。そして、

 <ハイデガー思想は「とてつもない広さと深さ」(北川教授)を持つが故に、こうした様々な議論をくみ出せる。技術論に限らず多義的な魅力を備える哲学者は、様々な難題に直面する現代人が立ち返る原点として注目され続けそうだ。>

 と結んでいた。

 不思議だったのはハイデガーと言えば木田元といわれるほど日本のハイデガー研究で有名な木田氏の名前が記事に一回も出てこないとだった。

木田元の最終講義  反哲学としての哲学 (角川ソフィア文庫) 木田元の最終講義 反哲学としての哲学 (角川ソフィア文庫)

著者:木田 元
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 2008年5月25日初版発行の「木田元の最終講義 反哲学としての哲学」(角川文庫、税込み660円)を読むと、1928年生まれの木田氏は海軍兵学校、山形県立農林専門学校を経て1950年に東北大学文学部哲学科に入学。同大学院哲学科・特別研究生課程に進学し、東北大学文学部助手、中央大学文学部専任講師、助教授を経て1972年に中央大学教授。99年に定年退職、名誉教授に就任した。「ハイデガーの思想」「ハイデガー『存在と時間』の構築」など既存のハイデガー解釈を一新した、というのが文庫本の人物紹介にあった。

 木田氏の最終講義は中央大学文学部で1991年1月23日に行われた「ハイデガーを読む」と1992年2月25日に中央大学人文科学研究所で行われた「哲学と文学~エルンスト・マッハをめぐって」があり、文庫本ではこれに<最終講義・補説>として「『存在と時間』をめぐる思想史」をつけてあり、素人にも分かりやすい。

 木田氏はハイデガーはソクラテス・プラトン・アリストテレス以前のギリシャに遡って哲学を考え直した、つまり、西洋哲学の見直しを行った、と見た。以下は文庫版のP52からの引用である。

 <西洋哲学史を見なおすといっても、ハイデガーが考えているのはなんとも思いきったことで、彼はプラトン/アリストテレスからヘーゲルにいたるまでの西洋哲学の全体が間違っていたのではないか、少なくともおかしな考え方、不自然な考え方だったのではないかと考えているのです。しかも<哲学>と呼ばれてきたこの不自然な考え方が、西洋文化経世の青写真の役割を果たしてきた、そのため、西洋文化が全体としておかしな方向に形成されることになった、とそんなふうに考えているらしいのです。>

 木田氏はこれはニーチェと同じ問題意識なのではないか、と言うのだ。一読、同感だったのだが、日経新聞の記事にある技術論の問題はこうした大きなパースペクティブで見れば、近代文明=西洋文化に内在する問題点だ、と言えるのではないか。

 というようなことを木田氏は考えさせてくれるのだから、こういう記事にも木田元氏の名前を入れてほしかったなぁ、と思う次第だ。日経新聞の夕刊1面コラム[あすへの話題]で定期的に寄稿しているし、日経文化部記者だって日常的に話を聞けるんじゃないのかな?

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2008年12月 3日 (水)

山折哲雄氏の「散り際」「退き際」考…権力維持の知恵だった~毎日新聞12月3日夕刊から

 毎日新聞12月3日夕刊2面[特集ワイド]に山折哲雄氏(77)が<散り際の美学>について小松やしほ記者のインタビューに答えた記事が掲載されていた。面白かったのでメモしておく。

 山折氏は1931年米サンフランシスコ生まれ。国立歴史民俗博物館教授、白鴎女子短大学長、国債日本文化研究センター所長などを歴任。「近代日本人の宗教意識」など著書多数。近著に「信じる宗教、感ずる宗教」(中央公論新社)がる、と紹介してあった。

 最初から面白かった。記者が「散り際の美学」「退き際の美学」について聞こうとすると、山折氏は、

 <退き際、散り際というと、後ろに美学と付けたくなる心情は分かりますが、本来はそういうものではない。権力を維持する知恵なんです。王が死んで次の王が即位するまでの間に、何が問題になるか。一つは王権の正統性を何で保障するかということ、失敗すれば空位期間が発生する。それを避けるためにはどうするか。この二つです。(そこで考えた最高の知恵が)死んでも死んだことにしないこと。一番安全な方法は譲位です。生前に決めておく。余力を残して退くということです。そうすれば次の権力に対し口を出すことができる。>

 <定年とは、システマチックに身を退くということです。美学などというセンチメンタルなものは、入り込む余地はないわけです。>

 <見事ですね。小泉さんは、余力を残して退くということをよく知っていたんですよ。彼には大きな野心があるのかもしれません。後継を息子にしたのは、人物の卑小さを暴露したというところかな。>

 <(引退が美学と併せ語られるようになったのはいつからか?)やはり武士道ですね。平家物語に出てくる源氏方の武将で源頼政という人がいます。戦いに敗れ、宇治川で切腹するのですが、その前に歌を詠むんです。~埋木の花咲くこともなかりしに身のなるはてぞかなしかりける~(辞世の歌を詠み、西を向いて念仏を唱え、刀を腹に突き立てる。壮絶な死である。)これが武士の美しい死に際と、当時の人々には映った。歌を詠み、西方往生という信仰の心を持つ。それがこの世から退いていく時の心の作法、死ぬ作法です、覚悟の死が感動を与えるのです。>

 <その心がやがて、かの有名な良寛の歌へとつながっていく。~裏を見せ表を見せて散るもみぢ~散るという言葉が死と重なっている。彼の遺言のような歌にはこうあります。~形見とて何残すらむ春は花夏ほととぎす秋はもみぢ葉~>

 <頼政にも良寛にも、我々が考えるセンチメンタルな意識などなかったと思う。あったのは死の作法、覚悟だったんじゃないかな。権力に恋々としてもいい。しがみつきたいと思う心があってもいい。でも、ギリギリのところであきらめ退いていかなければならない。その悔しさを、最後の場面でどこかに昇華してほしいんだよね。そうすれば、なるほどと人々にわかってもらえる。それが一言の言葉ですよ。>

 <安倍さん(晋三元首相)や福田さん(康夫前首相)に歌を作ってくれとは言いませんよ。言いませんが、辞めるときにああそうかと思わせるような一言がないよね。いかに今の日本の政治家に言葉がないか。我々の先祖は武人であろうと、歌人であろうと、きちんとした言葉を残して表舞台から去っている。言葉の貧しい民族じゃないんですよ。>

 <(いつから言葉が貧しくなったのか?)06年のトリノ冬季五輪の期間中、過去の日本選手の活躍を振り返る回想番組で1932年のロサンゼルス五輪で銀、36年のベルリンで金メダルの故前畑秀子選手が当時を振り返る映像が流れた。「母の言葉」を胸に、スタート台に「死ぬ覚悟」で立ち、号砲の直前、心の中で「神様」と叫んだ、と言っていた。前畑選手だけじゃない。どの選手も同じキーワードを支えにしていたのではないか。送り出す国民も、同じ感情を持っていたのではないか。今はそれが「自分らしく」「楽しく」「笑顔で」の三つに変わった。約70年の間に価値観の変化があったんだ。かつての日本人が使った言葉を、今は使わなくなった。言葉が薄くなったのか、生き方が薄いのか、と初めは考えて落ち込みました。だが、それでも金メダルを取っているじゃないか、と思い直した。彼らも心の奥底では、母の言葉を胸に刻み、死ぬ覚悟で、神様と叫んでいるかもしれない。大人の社会が聞こうとしていないのではないか。特に上っ面の言葉しか聞こうとしないマスコミの責任は重大です。プレッシャーがかからないようにという思いやりかもしれないけれど、それは甘やかしです。我々自身の価値観を封印してしまっている。それでだんだんと言葉を失い、政治家までが、退き際に本気で思いを述べることができなくなってしまった。

 <(やはり退き際には言葉が必要なのですか?)ただ美しい言葉を並べればいいというものではない。沈黙という姿勢もある。退き際というのは、新しく登場する人がいれば、去る人もいなければならない。それを制度としてどう調整するかということなのです。そこに美学をあてはめるのは、そうありたいという庶民の願望かもしれないね。>

 と言って、山折氏は最後に細川ガラシャの辞世の歌を紹介したそうだ。~ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ~。

 いい記事だと思う。毎日新聞夕刊の特集ワイドは時々このようないい記事が載るので目が離せない。

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2008年11月27日 (木)

秋山駿が語る「ドストエフスキーと現代」~日経新聞11月27日夕刊

 日経新聞11月27日夕刊[シニア記者がつくるこころのページ]に文芸評論家、秋山駿氏のインタビューが掲載されていた。<ドストエフスキーと現代/生きる意味求め読む/理由なき殺人の時代>のタイトルだ。

 秋山氏は1930年生まれ。少年時代からドストエフスキーを読み込んできた、という。16歳のとき、敗戦直後の混乱の中、どう生きるか分からず新宿の街を歩いていたら、青梅街道沿いの古書店で内田魯庵訳の「罪と罰」を見つけ、立ち読みしているうちにラスコーリニコフが自分を呼んでいるような高揚感を覚え、ほかの古書店で三笠書房の米川正夫訳「罪と罰」上巻を買って徹夜で読み、興奮して頭に血が上った感覚になった、という。下巻もすぐに探して読み、「地価生活者の手記」「白痴」「未成年」「カラマーゾフの兄弟」と立て続けに読んだ、と言っている。

 つまり、16歳にしてドストエフスキーに出会い、それだけ共鳴できた、というのだ。素晴らしい理解力だと思う。

 <生きていることにどういう意味があるか、自問自答する時代には必ずドストエフスキーが読まれるんです。最初のブームは内田魯庵訳「罪と罰」が出た明治20年代。北村透谷の「罪と罰」の評論が出るなど、ドストエフスキーのリアリズム文学に新しい文学を発見した。二度目のブームは敗戦直後。埴谷雄高「死霊」、椎名麟三「深夜の酒宴」、大岡昇平「俘虜記」、三島由紀夫「仮面の告白」などのドストエフスキーに影響された戦後文学が一斉に登場した。いまのブームは三度目。生きることの意味を探り始めた現代人がドストエフスキーを読んでいるのです。>

 「罪と罰」の中でドストエフスキーはラスコーリニコフが自問自答しながら歩く際の心の動きを詳しく描いているが、そういう描き方は日本文学にはなかった、という。ラスコーリニコフの日のあたらない部屋で金貸しの老女殺しの考えを生み出すが、

 <児童連続殺傷事件を起こした神戸の14歳の少年も「人間の壊れやすさを確かめるために聖なる実験をしました」とノートに記し、内部から凶行を宣言していた。「罪と罰」は「理由なき殺人」を描いたものだと思う。いま読まれているのも、秋葉原殺傷事件などの青年の「理由なき殺人」が頻発していることがあるだろう。>

 秋山氏は「罪と罰」で最も魅力的なのは娼婦にして聖女のソーニャがラスコーリニコフを再生へと導いていく過程、神の問題を描いた場面だ、という。

 <日本人は「神は死んだ」というニーチェの言葉をすぐに持ち出しますが、これは全く軽薄だと思いますね。今日の日本人が向き合わなくてはいけないのはむしろ、ラスコーリニコフのように神を探すことにあるでしょう。もっとも日本人にとってこれは難しい問題があります。神は、キリスト教の伝統のない日本人にjはなかなかなじめない。小林秀雄と正宗白鳥が、私とカトリック教徒の小川国夫が神をめぐって論争したのもそこから発しています。しかし、神は死んだと安易に断定することはできない。>

  秋山氏は日本文学になくドストエフスキーの文学にあるのが悪魔、悪の問題だという。「罪と罰」のスヴィドリガイロフ、「白痴」のラゴージン、「悪霊」のスタヴローギン、「カラマーゾフの兄弟」のイワンなどドストエフスキー作品には悪霊に取り付かれた人間、悪の化身たちが登場する。日本文学ではこうした真の悪人が登場しない。

 <ただ法律に背いたり、犯罪を犯すのではなく、悪魔が体内奥深くに眠っている人間。それが描かれているからこそ「カラマーゾフの兄弟」の父親殺しも、「悪霊」のリンチ殺人事件も生きてくる。さらに見逃せないのが男たちを破滅させる「カラマーゾフの兄弟」のグルーシェニカのような恐るべき美女たち。ボードレールの詩集「悪の華」とも重なる悪と美です。これこそ文学の魅力といえる。>

 ドストエフスキーの文学には酔っ払いなどこっけいな登場人物もいる、という。そして、

 <「カラマーゾフの兄弟」には諄々と道を説くゾシマ長老のような聖者が登場しますね。いまテロや殺人などが横行していますが、我々が求めているのは、ゾシマ長老のような人物だと思います。>

 でインタビューが終わっていた。78歳になっても矍鑠としている。秋山氏の評論は高校生時代に何か読んだのだけれども忘れた。ドストエフスキーを描いた「内部の人間」「神経と夢想~私の『罪と罰』」くらいは読んでみようかな。

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2008年11月19日 (水)

宗教と「死生観」、団塊の世代と全共闘運動etc.…各紙の文化面などから

◆四谷怪談、イザナギ、イザナミ神話…生と死について

 東京新聞夕刊連載企画[生きる 心のページ]は地味だが、中高年にそれなりの固定読者を持っているのではないか? と推察させる記事である。最近の記事を見てみよう。

 8月26日、9月2日で上下で連載した[想像する死と無常]は㊤が<死後の救いを願わぬ現代人/生者の都合だけで完結>。㊦は<冷徹に生を洞察する眼差し/「私」見失った今こそ必要>。

 筆者は廣澤隆之・大正大学人間学部仏教学科教授、智山伝法院院長、八王子市・真言宗智山派浄福寺住職。1946年東京都生まれ。専門分野はインド大乗仏教教理学。著書に「図解雑学・仏教」(ナツメ社)や難しい名前の本がたくさんある。そうかぁ、この間、友人の父親の通夜で行ったお寺の住職さんだ。この人がお経を詠んでいた。

 内容は難しかった。約めて言えば、最近は身近な人が死ぬと甘く美しい思い出の世界に行き続ける、という考えが一般的になっているのだが、これは生きている「私」の都合を優先させ過ぎていないか? と問い、

 <生きるために不都合なものを抱え込み、死者との不条理な関係を生きることが見失われているのが現代の文化の特徴かもしれない。>

 と言うのだ。「千の風になって」の歌詞への批判である。

 <かつては、おどろおどろしい闇の世界から死者が私たちに語りかけてくることが想像されていた。それは数多くの謡曲でも、あるいは卑近な幽霊譚にも見られる。死者の世界を想像することは、生きている自分の根本を問いただすものであった。たとえば四谷怪談では自分の都合で身勝手な生活をする伊右衛門に貞淑な妻であった岩が復讐するのであるが、それは勧善懲悪的な道徳律であると同時に、死者との共存が見失われた生者の生存が危機的になるという宗教性を含みもっていた。>

 <死者の世界は生者によって身勝手に想像されるのではなく、深いところで生き方を支える死者と生者の共存が私たちの文化を伝統的に基礎づけていたのではあるまいか。私たちはそのことを凝視することなく、むしろ死を直視する文化を捨て、生きる者の都合のみで完結する消費文明を極端にまで推し進めてしまっている。しかも近代の文明は死の管理を徹底し、もはや死体を直視することもなく私たちは死を想像する。>

 として、清潔な病院での死、清められた身体、数日後に死体を火葬し、もはや死体を直視することがない現代では、

 <死が嫌悪すべき醜悪な様相をもって私たちに迫らなくなっているからこそ、私たちは死者との交わりを稀薄にしているのではないかと考えられる。>

 という。ここまでくると、イザナギ、イザナミを連想するだろう。著者はその話題に入る。

 <かつて人は死をまざまざと見なければならなかった。死体は硬直し、次第に腐爛し、むきだしの骨となる。このような死体を見た者は、けっして死者の世界を甘美なものとだけ想像することはできない。それはイザナギノミコトが黄泉の国に死んだ妻を訪うという神話にも見られる。かつて情愛で結ばれた甘美な思い出の中の死者への感情と、他方では現実の醜悪な死を忌避する感情、この背反する感情が同居するにしても、そこに生きる「私」を見つめることを神話は記述しない。死者を直視する「私」が生きることの意味を問う文化は、日本に仏教的無常観が伝えられて著しく展開する。>

 仏教の「無常観」を体得するために、釈迦は修行者に死体置き場で死体を直視するよう教えたのだという。そして、林の中で瞑想し、死体を思い浮かべるのだ、という。死体が硬直し、次第に斑点が浮かび、腐爛し、ついには犬やカラスなどによって死肉が食われて骨が散乱する。この過程をまざまざと直視し、林の中の瞑想でそれをありありと思い浮かべるのだ、という。次に自分の死体が同じように骨となって散乱するまでを思い浮かべる。そのようにして無常な身体への執着を離れるとき、修行者は真に無常を体得し、生きるためにかき立てられた欲望を抑制することができるようになる、というのだ。

 このような瞑想を「不浄観」といい、「無常観」の一つだそうだ。

 <きびしい実践による人間の生死への洞察が無常観なのである。このような洞察を抜きにして無常は知られない。このことを知らなければ私たちは無意味に生と死を繰り返すのみである。>

 ところが、次第に日本の文化の展開の中で死を凝視し生を洞察する態度が変容し、はかなく移ろうものへの詠嘆の感情によってイメージされる死が文学的に表現されることが多くなった、という。永遠に生きると思われた釈迦でも老いて死ぬという厳然たる事実を通した「諸行無常」のイメージと現世のはかなさが重ねあわされた詠嘆が「平家物語」だ、という。インド仏教とは違った傾向が日本仏教に浸透している証拠だ、と。「方丈記」もそうだ、と。

 <時間の流れを超えた来世に希望を託す浄土往生の宗教感情は、現世に生きることのむなしさをことさらに強調する情緒を強める。だが他方で、現世の享楽にこだわる文化も日本には根強い。現世に生きる価値にこだわりつつ、美文調の詠嘆が美化されると、死のイメージは自然の風物の中に溶け込み、稀薄になる。美しい自然の中で生きることを日本文化の特徴と見る傾向が強いが、そこには無常観のように冷徹に死と生を凝視することもなく、むしろ生と死の密接な関係を稀薄化する傾向もあわせもってしまっているのかもしれない。>

 <このことが現代の世相の中で問われる意義があると思う。欲望が渦巻く現世の中で感性に支配されて生きる人間的営みも、そして死後に思いをはせることも、究極的には死に行く存在として自分が今、ここに生きていることを凝視することにもとづく。死に向かって生き続ける「私」を洞察する冷徹な眼差しが現代にも必要なのではあるまいか。とりわけ、科学技術にもとづく消費文明が肥大化し、「私」が見失われ、生と死の共存する文化を失った現代においてこそ、このことを問い続ける必要があると思われる。そのことを一遍上人の次の一文が見事に教えているように思う。>

 として、

 <華麗を愛し月を詠ずる、やヽもすれば輪廻の業。仏をおもひ経をおもふ、ともすれば地獄の焔。>

 をあげていた。難しいが、何とか読み通した。生が死に向かっているものだ、ということをいつも意識せよ、というのか? 今一つ分からないのだが、何か大切な教えのようだ。

◆宗教を無視した政治分析はできない時代だ、ということ

 10月21日<仏教と社会参加/宗教抜きで政治は語れない>は東大大学院人文社会系研究科教授の末木文美士さん(59)だ。1949年甲府市生まれ。東大文学部印度哲学科卒。著書に「日本宗教史」(岩波新書)、「日本仏教の可能性」(春秋社)など多数、とあった。

 この中で末木氏は仏教界で最近、メディアに露出する僧侶が増えている、と書いている。神仏分離をもう一度考え直そう、と神道界・仏教界合同で「神仏霊場会」を結成して、仏教の僧侶が大挙して伊勢神宮に参詣したりした、と。

 このように目立つ行動、マスコミ受けを狙った行動が増えた背景には「葬式仏教」の衰退がある、という。

 <従来の檀家制度が急速に揺らぎ、形骸化した葬式仏教に頼っていたのでは仏教は衰退するという危機意識が強くなってきたという事情が挙げられるであろう。従来の葬式仏教は、死者儀礼と墓地管理に経済的な基盤を置くことによって定着していたが、祖先祭祀を継承する「家」の意識が弱まり、その上に少子高齢化の影響で墓地の維持さえままならなくなってきた。併せて伝統的な死生観も揺らいで、葬式は必ずしも仏教に頼る必要はないという風潮も広がりつつある。葬式仏教がなくなるわけではないが、それだけでない仏教の新しいイメージの創出が不可欠となってきている。>

 これは、社会現象として、今、進んでいることである。

 そして、末木氏はアメリカのキリスト教原理主義や中東を中心としたイスラム教原理主義などの宗教勢力の動きが政治にからんできたことから、社会の側でも宗教を無視できなくなってきている、という。

 <宗教抜きで国際政治は語れなくなった。

 というのだ。チベット問題にしても、中国専門家は宗教を知らないので、チベット問題の本質に迫れないし、靖国神社問題も政治・外交問題として扱ってきたが、靖国神社が宗教施設であるという根本のところが忘れられている、という。

 <大きな宗教団体を支持母体とする政党が政治の中核で活躍していながら、いまだに一種の宗教隠しがまかり通っている。

 として、<マスコミを使いながら社会の宗教アレルギーに挑戦しようというのであれば、仏教界の戦略もなかなか侮れないところがある。>

 と結んでいる。

 「心」という意味では朝日新聞9月12日夕刊<「心」を探る学生たち/心理学系の学科が大学で人気/いじめ・不登校・自傷…体験から内面に興味>という吉住琢二記者のまとめ記事もそれなりに面白かった。

 日経新聞9月10日夕刊文化面インタビュー<「人並み」という基準見失った現代/欲望の果て 行き止まり>は漫画家のしりあがり寿さんに文化部の白木緑記者がインタビューした。しりあがり氏は1958年静岡市生まれ。81年多摩美大卒。キリンビール入社、94年退社。81年「エレキな春」で漫画家に。代表作に「弥次喜多 in DEEP」「コイソモレ先生」など。

 ちょっと違う統計ものだが、読売新聞8月29日朝刊解説面<日本人の結婚観/格差拡大 影落とす/未婚増「経済力に自信ない」>は読売新聞世論調査結果の分析だが、なかなか結婚しない時代、という新しい現象にメスを入れた記事だった。

◆西部氏の全学連回顧

 朝日新聞8月5日夕刊[追憶の風景~東京拘置所]<思い切って退却決めた>は評論家の西部邁(にしべ・すすむ)氏。1939年北海道生まれ。社会経済学者、元東大教授。「表現者」顧問。「六〇年安保 センチメンタル・ジャーニー」など著書多数。

 20歳の終わり頃、東大自治会委員長の時に首相だった岸信介が安保改定調印で訪米するのを阻止しようと全学連中央から動員がかかり、羽田に行ったが、学生が少なく、機動隊の前に一網打尽で初めて逮捕された、とか、巣鴨の拘置所生活を体験し、差し入れされた「資本論」を読んで、「こんなものがマルクス主義の聖典か、とがっくりきたので、拘置所を出る前に運動から離れることを決めていた、とかの若い頃の話。

◆全共闘シンポジウムなんて開いたんだ

 「心」とは直接は関係ないが、朝日新聞10月22日夕刊文化面<68年の「若者の異議申し立て」から40年/「反乱」に共感と違和感/時代の気分「似てきた」/「雰囲気だけ」「検証を」>は藤生京子記者の記事。

 見出しそのまんまの内容。9月下旬に立教大学で開かれた「1968+40 全共闘もシラケも知らない若者たちへ」と題したシンポジウムの紹介だ。パネリストで北大准教授(経済思想)の橋本努さん(40)は「全共闘の学生が口にした『自己否定』の動機に、親にほめられるために勉強してきた『いい子ぶりっこ』に自分を否定する願望があった。公害など資本主義のひずみが噴き出した高度経済成長時代に受けた『あしたのジョー』のように、展望もないまま『青春を燃やし尽くす』が全共闘の考える自由だったが、今の時代の気分は40年前と似てきている」と言う。

 「1968年」(ちくま新書)を書いた全共闘世代の文芸評論家、絓さんは「内ゲバや聨合赤軍事件へと至る挫折として語られてきた68年の経験がフェミニズム、環境問題の起点であり、現代史の転換点だ」と言う。このシンポは彼の主張を踏まえた討論だった。

 パネリストにはロスジェネ世代から鈴木謙介・国際大学GLOCOM研究員(32)も参加。アントニオ・ネグリらの「<帝国>」を翻訳した大阪府立大准教授の酒井隆史さん(43)はシアトルで99年に起きた反WTOの抗議行動以来、排除された人たちによる全く予測できない出来事が68年と連なる形で海外では続いている、と強調し、市民を巻き込めなかった日本の68年と今後の展望については自律した労働運動の必要性を言うにとどめた、という。内田樹・神戸女学院大学教授(58)は全共闘運動はただ時代のうねりの中に流されただけと批判的。「若い世代が関心を寄せている背景にはグローバリゼーションを含む『反米機運』の高まりを感じるが、それは雰囲気に過ぎない」と突き放す、という。

 全共闘世代のすぐ下で運動に懐疑的だったという御厨貴東大教授(57)はあまりにも語られぬまま忘れ去られていることに疑問を感じ、60年代論を執筆中だ、という。

◆団塊とジャネーの法則

 団塊の世代といえば、古い記事だが、日経新聞3月30日の[遠みち 近みち]で安岡崇志・特別編集委員が<団塊とジャネーの法則>という面白いコラムを書いていた。

 時間の長さの主観的評価は人の年齢の逆数に比例する、という経験則を心理学で「ジャネーの法則」というのだそうだ。メディア文化論が専門の稲増龍夫・法政大学教授に聞いた話だそうだが、山崎豊子原作「白い巨塔」のテレビドラマ新旧2シリーズのテンポの速さの大変な違いがある、という。同じ法廷シーン3分間で、画面を切り替えるカット数を計り演出のテンポを比べる。証言する主人公の顔をじっと映す1979年放映の旧シリーズは23カット。主人公、弁護士、傍聴人の表情をめまぐるしく追う2004年版は83カットだった、と。

 79年に25歳の人は新シリーズ放映時には50歳。ジャネーの法則に従えば、時間を2倍の速さに感じていたことになる。そこへもってきてセリフの速度が上がり、さらにカット数で3.6倍になる速いテンポで畳み掛けられては、たまったものではない、と書いている。

 稲増教授によると、極端にカット数が多いテレビドラマが初めて登場したのは2000年。1時間ドラマ1回分の総カット数は400台という常識を破り、700を大きく超えた「池袋ウエストゲートパーク」だった、という。テレビドラマのカット数はここ数年多くて800で安定している。300から400のゆったりしたものもある。棲み分けているのが現状だ、と稲増教授。

 稲増教授は「団塊世代なら、多少テンポの速いものにもついていける」と太鼓判を押している、というが。

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2008年11月14日 (金)

一票の格差を是正するな、という玉村豊男氏の提言の面白さ~日経新聞11月3日朝刊から

 ちょっと古いけれども面白い記事を見つけたのでメモしておく。

 日経新聞11月3日朝刊オピニオン面[インタビュー領空侵犯]のエッセイスト、玉村豊男さんの<一票の格差、是正は不要/弱った地方に配慮を>である。温厚な老人、という感じの玉村さんのポーズ写真付き。

 玉村さんは1945年東京生まれ。東大仏文科卒業。在学中にパリに留学。通訳、翻訳業を経て文筆業に。旅、食文化、田舎暮らしなどをテーマに執筆。1983年長野県軽井沢町、91年同東部町(現東御市)に移住、04年農園内にワイナリー開設、とあった。団塊の世代から見ると理想的な生活を実践している方のようだ。

 言っていることが面白い。「一票の格差」という日本人としての権利の中で最も尊重すべき選挙権を不平等にすべきだ、と言っている。

 これがどこかの馬の骨がブツブツ言っているだけならば無視すべきなのだろうが、パリにも住み、文化的・知的生活を送っている、それも温厚そうな人物が言っているのは何なのか、と読んでみたら、面白かったのだ。

 記者の「一票の格差」は憲法が定める法の下の平等に反するのではないか、との質問に玉村さんは、

 <心身に障害のある人と健常者に同じ条件を課して、社会活動をさせるのは平等とは言わないでしょう。ハンディのある人を皆で支え合うのが現代の平等だと思います。弱肉強食ではなく弱い者を思いやることで、初めて平等になります。都会に若者を送り続けてきた地方は今、ハンディを抱えているのです。>

 と話す。

 無理な論理であることは当人も重々承知しているだろう。でも、そう言わなければならないほど、今地方が疲弊しているのではないか。

 身障者の例を引いているが、これも賛否が分かれる場面であり、身障者が住みやすい社会、ユニバーサル社会という理想と現実との大きなギャップを乗り越えていくための運動論としては成り立つが、思想としては弱い。

 何が平等なのか、は「結果の平等」と「機会の平等」があって…、という原則論を十分理解したうえで、1970年前後の学生運動の闘士たちの言い分をいい大人が「そうだね、そうだね」と余裕を持って聞く対応をしないと、腹が立つ人もでてくるだろうが、あまりゴチゴチに考えずに、落語だと思えば、滋味が心に染み通る。

 「都会に若者を供給し続けてきた地方」をこのまま疲弊させ続けてもいいのか、という視点である。

 疲弊させないために玉村さんが考えていることは、

①小回りが利く小さな流通=地産地消

②農家への所得補償

③都会から地方へ人々が移住するよな政策の実行

 である。ただ、これらを声高に主張しても、誰も真面目に聞いてくれないから、過激に「一票の格差を残せ」と提案しているのだ、と私は理解した。

 私だって、地産地消とか移住インセンティブ政策などという活字があっても目を止めなかっただろう。その意味では読者1人の目を止めさせただけでも玉村さんの作戦は成功だったのではないか、と思う。

 地産地消についての玉村さんの発言をメモしておこう。

 <農協系流通に農家が依存していると、東御市でも高知のピーマンはAコープで買えても、地元産の野菜は買えないという奇妙なことが起きます。小回りのきく小さな流通=地産地消を後押しする必要があります。高齢者がせっかく作った作物も、軽トラックを持っていないので出荷できない。こうしたところの支援も必要です。欧州で実施されている農家への所得補償も役立つと思います。>

 その通りだ。

 すべての悪の元凶は農協だ、と思う。

 農協に限らず、農水省官僚と結びついている中間業者もそうなのだが、いろいろと目に見えない規制をかけ、互助とは名ばかりの集票マシーンになっており、その見返りに様々な名目の補助金や補助金もどきを手にしている。

 つまり、農家にとっても消費者にとっても、この中間部分がいろいろな改革の邪魔をしている「太い奴」なのだ。

 玉村さんのいう<農協に依存しない流通>はどうすれば広がるのか?

 最終的に農業への株式会社参入を認めないといけないのか? 私には分からないが、今のままでいいわけはない。

 円安を武器に海外でドルを稼いでいる輸出産業に依存して経済成長をする、という20世紀モデルは崩壊しつつある。

 円高を覚悟しなければいけない時代だ。

 円高時代の成長は内需に期待せざるを得ない。

 内需改革の最大の課題は農業ではないか。日本の農業は国際的に見れば、相当に進んいるのではないか。

 無農薬野菜を食べたい中国の大金持ちはわざわざ日本の野菜を空輸させて食べている、という。

 農業はカネになるし、輸出もできる。つまり、国富を生む可能性がある。

 それが農協などという前世紀の遺物がのさばっているので、農家が自由な農業を展開できず、足りない資本金を広く募ろうにも、株式会社との連携には法的規制がある。

 ここを改革しなければ、大袈裟に言えば21世紀の日本の存亡の危機になる、と思うのだ。

 そんな気持ちで玉村さんの話を読むと、いちいちうなずける。

 農家への所得補償だって、ある時期までの時限立法ならばいいのではないか、と思うのだが、農協を残したままでやったら一部の農協官僚と本物の農水官僚の利権を膨らませるだけに終わるだろう。

 移住のすすめも考えさせられた。団塊の世代→陶芸→南海の無人島で暮らす、などというイメージがあるかもしれないが、そんなことを実行するのはほんの一握りの人たちで、定年退職しても、東京にあるマイホームのローンをコツコツ払い続ける人がほとんどだろう。マイホームを買っていればまだいい方で、一生賃貸マンションの人だって少なくない。

 しかし、それでも、こういう人たちが本気で「地方に引っ越そう」と決心するには、相当のインセンティブがなければならないだろう。

 そのインセンティブが「一票の格差」であってはならない、とは思うのだが、消費税に差を付ける、とか、政治家が思いもしないような柔軟な発想は、さすが文筆業だ。固定観念を一度取り払ってものごとを基礎から考え直すkとは、頭のいい刺激になる。

 以上、ただの感想文である。

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2008年11月 4日 (火)

大嶽秀夫氏の現代政治学批判と佐々木毅氏の政党批判~「論座」10月号と「中央公論」11月号から

 「論座」2008年10月号は最終号だ。大嶽秀夫・同志社女子大現代社会学部教授と河野勝・早稲田大学政治経済学部教授の対談<政治学はどこまで現実政治にかかわるべきか>が面白かった。

 薬師寺克行編集長の司会で、広範囲にわたって現代政治と政治学について話し合っていた。

 そして、「中央公論」11月号<特集 政治崩壊>の<自己管理できない政党が日本を蝕んでいる>で佐々木毅・学習院大学法学部教授が日本政治への提言をしていた。

 二つをあわせ読むと、政治学者と現実政治へのかかわり方の実践モデルを見ている形になり、興味深かった。

 大嶽秀夫氏は1943年生まれ。京都大学法学部卒業後、東大大学院、シカゴ大学大学院を修了。法学博士。東北大教授などを経て京大教授。パリ政治学研究所客員教授、ハーバード大学客員教授などの務める。2007年、京大を定年退職し現職に。専門は政治過程論、日本政治研究。著書に「現代日本の政治権力・経済権力」「小泉純一郎 ポピュリズムの研究」「新左翼の遺産」ほか。

 河野勝氏は1962年生まれ。上智大学法学部を卒業後、イェール大学大学院、スタンフォード大学大学院を修了。政治学博士。ブリティッシュコロンビア大学助教授、青山学院大学助教授を経て2003年から現職。専門は政治経済学、政治行動論、政治制度論。東京財団比較制度研究所(VCASI)フェロー。著書に「Japan’s Postwar Party Politics」「制度」「社会科学の実験アプローチ」(共編・著)ほか。

 佐々木毅氏は1942年秋田県生まれ。東大法学部卒業、助手、助教授を経て教授。また同大学法学部長、総長を歴任。2005年より現職。「新しい日本をつくる国民会議」共同代表。著書に「いま政治に何が可能か」「プラトンの呪縛」など多数。

 対談はまず1987年に大嶽氏らが創刊した雑誌「レヴァイアサン」の狙いについての大嶽氏の話から始まる。

(大嶽秀夫氏の話)

 日本政治は70年代半ばに転機を迎えました。一つは防衛問題の周辺化です。それまでは防衛問題とそれをめぐる左右対立が日本の政治論争の中心だったのが、利益の政治、あるいはそれに対抗する改革の政治といったものが重要性を増したのです。一方、世界では同時期に新自由主義が台頭してきていた。そんな中で、イデオロギー的な争点だけを論じていることに意味がなくなったという感覚があったんでしょう。>

 と、大きな枠組みのとらえ方を披露した。そして、大嶽氏は、

 それまで、東大法学部を中心に「日本の政治は遅れており、その遅れた政治文化を背景に、再び軍国主義、ファシズム化に向かうのではないか」という戦後一貫した議論があった。しかし、そう主張する人たちは日本政治の研究者ではなく、政治史や政治思想史の専門家でした。彼らがいわば片手間に、日本政治について評論的なことを書くという雰囲気だった。

 と、学界の雰囲気を暴露する。そして、

 <私たちが「レヴァイアサン」を立ち上げたのは、そうした状況にある政治学に新潮流をつくろうと、創刊時のメンバーである私、村松岐夫、猪口孝の3人、そして1年後に加わった蒲島郁夫の4人とも東大法学部の教授でなかったのは非常に象徴的でした。猪口氏は東大だったけど、教養学部(駒場)の教授で、駒場は法学部と犬猿の仲だった。>

 <そもそも学界には、日本政治を研究するのはジャーナリストの仕事だという認識がありました。…大学では研究させない雰囲気に満ちていた。しかし、ジャーナリズムのほうではこの時期あたりから、かなりまとまった形で単行本などが出始めていました。(朝日新聞社の「自民党 保守権力の構造」などは族議員の実態がかなり詳しく書いてあった)学界にもかなり貢献できるものでした。だったら学者にもやれるはずだ、と。…「レヴァイアサン」にはジャーナリズムと対話ができる雑誌、という狙いが込められていた。>

 <しかしもう一方で、1975年を転機にして、学者が政治に対してものを言うのをやめる傾向が出てきた。哲学者なら哲学の分野に閉じこもるようになってきました。…各国ともよく似ていて、アメリカの水準の高いジャーナルに英語の論文を載せることが、専門家として認められ出世するうえで不可欠の条件になっている。必然的にみんなアメリカの知的流行に敏感になり、採用されやすいようなテーマで論文を書く傾向が強まりました。つまり、ビビッドでおもしろいテーマ、すなわち「政治的な」関心より、時々の学界の流行みたいなもの、「政治学的な」関心に左右されてしまっている。当然、ジャーナリズムとも切れてしまいます。東大の谷口将紀さんが「最近の政治学者はゲームをやるような感覚で政治を研究している。うまく自分のモデルに当てはまって、おもしろい枠組みで解釈できるかどうかが主たる関心になっている」と日本の現状を報告していましたが、別の意味でのタコ壷化とでも言ったらいいのかな、われわれが「レヴァイアサン」を出そうとしたときとちょうど反対の現象が生じているんじゃないかと思うんですよ。>

 <ただもう一方で、特にアジア、アフリカそれに東欧がそうですが、80年代後半以降、民主化をはじめ政治改革の波がワッと高まった。日本でも、デモクラシーの質を問うといったことが話題になりました。これにあわせるように、90年代初めから政治学者に改革のデザインを求める動きが出始めた。憲法体制や選挙制度をどうするかについて、学者の意見が求められるようになってきました。>

 <政治学が二極化しているんです。しかも私が見る限り、少なくとも後者について日本ではあまりいい提言がなされていない。予備知識もないまま、狭い制度論的な枠組みにおける仮説に過ぎないような話を、あたかもそういう考えに基づいてやれば政治がよくなるみたいな感じで言うだけで、すごくナイーブ。実態と離れた、実験室の中で考えたものをそのまま政治の世界に持ち込んだ、といった提言が多いんです。>

 <現代政治学の演繹的モデルの出発点は「囚人のジレンマ」という議論ですね。…そういう、まったくのフィクションであるモデルを、たとえば現実の米ソの核戦争にポンと適用する。モデルはあくまでモデルであって、国際政治の現実を見て帰納的につくったものじゃない。しかし、今の政治学界では現実に当てはまるかどうか検証するところまでいかなくとも、高度な数学的モデルをつくり、それが論理的に一貫しているかどうかで論文になってしまう。まさに”ゲーム”として政治学を楽しんでいる。>

 と、ここまで言うと、さすがに河野氏から、今は「囚人のジレンマ」で語ってみた、「チキンゲーム」で語った、という時代は政治学ではもう終わった、との意見が出たりsて、少しずつ軌道修正を図るうごきが出るが、大嶽先生、全くめげない。自論を滔滔と論じる。

 <政治学の領域は60年代末から70年代初めにかけて広がってきたはずなんですが、残念ながら今はあまり広がっていない。>

 <最初は誰かブレイクスルーする人がいる。たとえばダウンズという有名な政治学者がいます。彼が最初に、政党と有権者の関係についてのモデルをつくった。それを出発点に、どんどん広がっていったわけです。ある種の蓄積ですね。一定のパラダイムが展開され、緻密化されていって体系化する。>

 <「レヴァイアサン」世代の一つの特徴は、日本の政治はかなり普遍的なタームで語れるという考え方をしていることです。それまで、日本は非常に特殊で欧米の理論はあまり当てはまらない、という前提でやっていた。が、実際はそんなことないんですよ。ドイツやフランスの研究を見ても、自分たちのことを特殊だと思っている。つまり、どこの国の人も自分たちの国は特殊だと思っているんですね。日本だけがことさらに特殊かというとそんなことはなくて、ほかの国が特殊である程度に特殊なだけなんです。そう考えよう、というのが「レヴァイアサン」の基本的スタンスでした。>

 <私は経済学が数学畑の人に席巻されてしまったように、政治学も行くところまで行くんじゃないかと思っています。>

 <アメリカの大学は世界の公共財というか、いろいろな学者が集まってくる。かろうじてフランスあたりが頑張って、フーコーの伝統みたいなものをつくったりしていますが、知的世界においてはアメリカが圧倒的に支配している構造があると思います。>

 そして、ジャーナリズムへの苦言である。

 <ジャーナリズムはまず事実を報道してくれればいい。…生のデータを出してほしい。論評はしてもらわなくてもいいんです。それはこっちの仕事だから。世界がどっちに向いているかは、読んで考えることです。アメリカのフリージャーナリストの中には、1年ほどどこかのシンクタンクや大学にこもって取材したものをまとめて本にする人もいる。それはそれで非常にいいことだと思います。ただ、残念ながら日本人でそういうことをする人は、整理しないまま知っていることをすべて羅列しちゃうようなものを書く場合が多くて、ものすごく読みにくい。アメリカのジャーナリストはよく考えて勉強もし、何度も練り直していいものを書きますよ。そこまでやってくれれば、政治学者はその上に乗っかってさらに理屈を考えることができる。しかし、日本のジャーナリストたちがそれをやってくれないとなると、政治学者がそこまで首を突っ込まなければいけなくなってしまいます。>

 これは、本質的なジャーナリスト批判である。

 新聞記者が書いた小泉政権の本とか、安倍政権論、福田政権の本も出ているが、大嶽氏はどこの部分を「整理されていない」と言っているのか? もう少しこの部分を読みたかったのだが、議論はここでは深まらなかったのだが、具体的に言えば、飯尾潤氏の「政局から政策へ」を見ても、ジャーナリストがやるような時系列の整理を自分でしていたから、本来は、飯尾氏は「日本の統治構造」だけを書けばよかったのに、ジャーナリストがいい整理をしていなかったから、自分でやったのだ、ということかもしれない。

 この問題では河野氏も次のように言っている。

 <アメリカのジャーナリズムを見ていると、プロフェッショナリズムを持ってやっていると感じますが、何が日本のジャーナリズムのプロフェッショナリズムなのか、私には分からないところがあります。>

 という指摘だ。

 対談は若手政治学者への痛烈な激励の辞なのだが、日本の政治記者への強烈な不信任案でもある。ジャーナリストには耳が痛いだろう。

 一方、「中央公論」論文で佐々木氏は、次のような内容を書いている。

(佐々木毅氏名言集)

▽政治改革の中で誕生した細川政権から小泉政権の前までの間に、政党の解体が起こっていた。自民党は残ったが、新進党は解体され、社会党もいつの間にか消えてしまっていた。離合集散し、政党がすっかり信用を失ったという時代の後に出てきたのが小泉政権なのである。

▽小泉政権の登場時に首相公選論が出てきた。小泉自身が主張していた。これは政党政治の否定だ。現在は首相公選論が出てきた段階での政党の脆弱性、政党に対する不信感というところに問題が戻っている。

▽政党が自分たちの組織をしっかりマネジメントして、いいトップリーダーを提供して、そして少々支持率が下がってもこれを全力で支えるメカニズムを自ら作らねばならなかったのに、それを小泉純一郎という人に丸投げして、いわば地道な努力をしてこなかった。だかrだ、その後の政権は、野党の非協力や政策の行き詰まりもあったのは確かだが、本来支えるべき組織が全くその役割を果たせず、首相が八方塞になって立ち往生することになってしまうのである。

▽教育、仕事の仕方、人事の選抜などいくつかのことについては政党はしっかりした体制を整えていなければいけないのだが、現実は放任状態。一種の調和主義が日本の政党政治に抜きがたく存在している。手足は元気いいが、頭脳部分は空洞化する。中枢神経はできるだけ弱くしてみんな幸せにやろうという姿勢がちょっと目立つ。派閥のグリップが弱まった分だけ事態は悪化している可能性がある。

▽この観点に立つと、政官関係の問題がなぜこんなにだらだらと長い間続くのか非常にはっきりしてくる。政府という巨大な組織を管理するためには、まず管理者自身が自分を管理しなければならないが、自分を管理するという話を常に括弧の中に入れているものだから、1、2ヶ月は威勢のいいことを言っても、長い目で見れば結局はっきりした結果が見えてくる。自己管理しない人、自己管理できない組織がほかを統治しようとしても足元を見られてしまう。

▽その意味では政党の組織に遡った自己改革というかなり地道な話をもう少しまじめに行わなければ、事態は改善の方向に向かわない。総理大臣中心に政権党全体のサポートが集中している体制にはなっていない。十分な政策実行能力がある最高権力者を出せない政治はシステムとして終わる。

▽政治主導とは自己管理をできる政党が政府を管理すること。究極的には総理大臣が政策の方向性を基本的に見定めてやっていく体制のはずだが、その総理大臣にまで至る中間のステップや組織が実際には空洞化している。政府の運営はいわば砂の上に立っている状態。だから支持率が落ちるとストンと全部が落ちる。病理現象として深刻だ。

▽団塊世代の高齢化が進む。人口構成の中に大量の高齢者を抱えた社会がどうやって生きていくのか。若い人はどうやって食べたらいいのか。高齢者はどのような水準の社会サポートを予定して今後の人生設計をすべきか。本当にアメリカは大丈夫か。今、日本は多くの課題の解決に迫られている。「上げ潮」「バラマキ」「緊縮」などはすべて手段の話。手段を目的に取り違えた話をしている。出口の話を入り口でしているから、基本的に絶望感が漂う。まず国民の現実を見てもらいたい。国民はバラ色の話ではなくとも本当らしい話を聞きたがっている。

▽その意味で日本政府の衰えは深刻だ。政策の感度が国民が考えていること、大事だと思っていることから乖離している。日本の実情を本当に政治家は分かっているのか、という疑念を国民に抱かれたのは確かだ。

▽その原因の一つは、日本政府はいつの間にか東京における政府になってしまったことがある。東京のことしか分からない政治家が政府を動かしている。二世、三世問題というのは要するに東京育ちの人たちが集まって政治をやる、ということだ。官僚も二世、三世の世界。あらゆる組織がその傾向にある。これは、戦後日本の成功のある意味での帰結といえる。成功した親が子供もまた成功させようと同じことを繰り返す。この仕組みの中で日本政府も動いている。

▽それ以上に深刻なのは政治が政策に優先順位をつけることができなくなっていることだ。分配型というが、どこの政府も分配をしている。その優先順位で、国民の評価がシビアになってきて、国民の期待に応えていない。社会保障問題はシステムがおかしくなっており、その対策を行うことはおそらくナショナル・コンセンサスなのに、一体何をどこまでやるか、は意見がまちまち。いい量と介護と年金のどれを優先させるか、も極めて難しい問題だ。局あって省なしの厚生労働省の最たる問題だ。医療制度一つとっても、所得の問題あり、無保険者の出る可能性、病院をどうするか、と医療だけでも多くの複合的な問題がある。

政治のやるべきことは何よりも問題を整理することだ。つまり、何を優先させるのか、その中でも何をさらに優先させるのか、特に政権を握った政党に求められる必要な作業だ。さらに、その政策課題をどのようなスケジュールで誰が責任を持って行うかを決める必要がある。現実には政治が整理をしないで、最後の個別政策の話にあまりに熱中しすぎており、その結果、問題の本質がわけが分からなくなっている。私は整理をするということ、それ自体が権力行使だと考えているが、日本の政治は、この整理能力が機能していないのである。

▽立て直しのための一つの、しかも非常に重要な手がかりは、やはり選挙であると思う。政権が戦略本部というようなヘッドクオーターをつくり、その中に政治家で有為な、これぞと思う人材を入れ、政策の優先順位を決定するような仕組みが必要だ。

▽日本では小さい政府は弱い政府だと思われているがこの認識は間違いだ。

 以上、駆け足で書き出したが、こういう政治学者の提言を大嶽秀夫教授はどう聞くのだろうか? この文章が、佐々木教授の最も新しい月刊誌論文だ。イライラ感が漂うようだ。

 今回の麻生首相の解散先送り、佐々木教授はどう見るのだろうか?

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2008年11月 1日 (土)

書評「現代政治学の名著」佐々木毅編(中公新書)~相対的安定の中での根本に思いを馳せた政治学者たち

 1989年4月25日発行。古い本で定価が書いてあった表紙を棄ててしまったので、定価不明。実は、この本が出た時に勝って読んだのだが、その後、引越しをした時なのか、本がなくなっており、読みたいなぁ、と思いながら月日が過ぎていったのだが、神保町を歩いていたら、偶然、100円均一の新書本の一角で見つけたので、買ってきて読み返した。

 昔読んだ時はきっと忙しかったのだろう、と思うのだが、私はこの名著紹介の文章をすべて佐々木毅氏が書いたとばかり思い込んでいた。今回、読み返して、佐々木氏は「編集にあたって」の14ページ分しか書いていない、と知って驚いた次第だ。執筆陣を見ると、ワイマール体制末期の混乱を眼前に見ながら一気に書き上げられた20世紀の新しい政治権力の勃興と衰退を流麗に描いたメリアムの「政治権力:その構造と技術」は後年、「日本の統治構造」、「政局から政策へ―日本政治の成熟と転換」を書き上げた飯尾潤氏が担当し、ウォーラスの「政治における人間」とリップマンの「世論」は法政大学の杉田敦氏だった。20年前の本であり、政治学者たちの継続的な研究と時事問題への提言が持続的に行われていることが分かる小著だ。

 読み返したかったのは佐々木氏の「編集にあたって」と、リップマン「世論」、ウェーバー「職業としての政治」、アーレント「人間の条件」、丸山真男「現代政治の思想と行動」くらいだったのだが、時間があったので全部を読んだ。

 まず感じたのは時代の息吹である。佐々木氏が「編集にあたって」の最後に1989年1月と書いたように、この論文のほとんどが1988年に書かれた、と推測できる。今になって振り返れば、当時はバブル経済の全盛期で、日本人がいわれなき熱狂の中で「幸福感」を半ば強制されていた時代だった、と理解できるのだが、その時代に生きている人間にとっては、現在そのものであり、昨日の延長の今日が来て、明日につながるという時間のリアルな感覚の中で生活していたわけだから、バブルという認識もなく、東西冷戦の終結もまだ視野に入っていなかったわけだ。

 つまり、当時はバブル崩壊による日本の没落以前の幸福な時代で、日本では中曽根康弘長期政権が終わり、安倍晋太郎、竹下登、宮沢喜一の「安竹宮」3氏によるポスト中曽根争いが中曽根裁定によって終結、竹下政権が発足して、消費税導入騒ぎが起きていた時期だった。米国は恒常的な対日貿易赤字に苛立ち、日本への圧力を強め始めていたが、まだ構造協議などという言葉もなく、米ソ冷戦構図で世界はそれなりに安定していた。

 政治学はそのような安定時局の中、「政治とは何か」など、根本的な問題に取り組む余裕を持っていた。

 佐々木毅氏の「編集にあたって」から要点をピックアップしてみよう。

◆王者から転落した政治学

 <人々が政治について考え、判断する営みを離れた政治学というのはどこかおかしいのである。>

 <今日、政治学は社会科学の一つに過ぎない。しかしこうした学問分野を生み出したヨーロッパに即して見るならば、いまから二百年前には事情が全く違っていたことがわかる。きわめて単純な言い方をすれば、社会科学という概念が成立するためには社会という概念がまず成立していなければならないが、この社会という概念は―語としては古いが―近代世界に特有な概念である。もっと正確に言えば、近代において人間関係を包括する概念として初めて確固たる地歩を占めるに至ったのである。これに対してそれ以前にあっては、およそ政治的関係を離れた社会関係という発想は乏しく、従って政治学は久しく社会関係についてのほとんど唯一の学問としての地位を保持してきた。>

 <十九世紀以来の諸々の社会科学の成立や独立はそれまで社会関係についての唯一の学問であった政治学にとって、きわめて深刻な事態を招いた。…伝統的にはあらゆる社会現象は政治との関係で位置づけを与えられ、あるいは意味づけを与えられていたのに対し、いまや政治が他の社会現象によって説明され、あるいはそこから派生した世界と考えられるようになった。>

 経済という下部構造を重視したマルクス主義は有名だが、それ以外にも、心理学や計量経済学など、様々な学問による政治分析が盛んになったことを指している。

 <政治学は周囲の学問状況を見ながら、そのアイデンティティ・クライシスを克服すべく、腐心しなければならなくなった。…「政治とはいかなるものであるか」という問いは、こうした思想的背景において深刻な意味を持って登場する。>

 <政治そのものについての理解が必ずしも一定でなく、それ自体が「論争的」である。…どこかに一つの答があって、それを受け入れればすむといった生易しいものではない。…激しい戦乱と革命に満ちた二十世紀の政治の背後に、政治そのものについての理解や見方の深刻な違いが潜んでいたといってもいいのかもしれない。>

◆民主主義とは何か

 <近代において自然権の観念が成立し、人間の自由平等思想が確立することによって、民主主義は「多数者の支配」「貧しい者の支配」といった伝統的イメージに代わる新たな倫理的基礎を持つに至ったが、その制度化は遅々としていた。…理論的な困難と現実の抵抗を排除して民主主義が押しも押されぬ正統な政治体制として確立するには、第一次世界大戦の終結を待たなければならなかった。そして第二次世界大戦の結果、植民地の独立によって民主主義の権威は世界中に広がることになった。>

 <多くの国々が民主主義への信仰を表明すればするほど、一体、民主主義とは何かが明確でなくなっていった。…「民主主義とは何か」は正に二十世紀の最大の争点であって、今日なお、これをめぐって多くの血が流されている。そしてこれからもこの問題を考え、不明確な点を明らかにし、鋭い感覚を磨いていくことは依然として大切である。>

◆制度論から政治過程論へ、という流れ

 <二十世紀の民主主義論の大きなテーマの一つは、その現実の姿に肉薄し、問題点を指摘することにあった。民主主義は個々の人間の自由と尊厳を最大限に尊重する体制であって、一人の人間が支配するような体制とは違い、非常に複雑で微妙な条件によって支えられている。この条件の一つは政治の制度の在り方であり、権力分立や議院内閣制、大統領制、地方自治といった仕組みは繰り返し議論されてきた。…二十世紀の政治学の大きな特徴は、こうした制度論の伝統を批判し、それを動かす人間や実際の政治的決定の過程を分析することにあった。…この背後にあったのは、先に述べたような政治活動を見る視覚の変化―それを圧倒的に他に優位する社会活動と頭から考えるのでなく、他の社会活動の影響で動くものと考えるような見方への変化―であった。政治において政党のみならずさまざまな集団が大きな役割を果たすことが注目され、公式の制度の背後で進行している政治過程に政治学の目が注がれることになった。>

 この代表例がローウィ「自由主義の終焉」だという。

◆民主主義を支える人間の探求~世論政治

 <民主主義の姿を探求するというもう一つの作業は、それを支え、担う人間の状態へと向けられていった。民主主義は全ての人間に政治への参加を認めるが、はたして人間はこうした重大な責務を果たし得るような精神的条件をそなえているかという、民主主義にとって宿命的というべき問題が政治学の主題となったのであった。>

 この代表例がウォーラス「政治における人間性」で、ウォーラスは制度論に自らを限定するのは政治学の対象を不当に限定するものであるとの観点から、功利主義的伝統に埋没していた人間論を当時の心理学等の成果を動員して、徹底的に見直し、ある種の非合理的な人間の姿が浮かび上がった、という。これが、リップマン「世論」へと継承され、「世論の政治」としての民主主義がどのような人間的制約のもとに置かれているか、その問題点をこれほど雄弁に分析した作品は少ないであろう、と評価している。

◆エリート、権力、正統性

 <民主主義は政治的平等を大原則とする。これは歴史上、常に少数者が支配してきたという人類の体験からすれば、革命的なことを意味した。そして二十世紀の政治学はこの大原則と実際の政治との間で格闘を演じることになったが、そこから政治的不平等や権力、リーダーに対する鋭い分析が数多く出てきた。政治活動は個々バラバラの個人によって行われるのではなく、組織を通して行われるが、その中心的存在は政党である。政党論は政治学の一大テーマ。>

 政党論で参考にすべき学者としてミヘルス「政党の社会学」のほか、ノイマン、デュヴェルジェ、シャットシュナイダー、サルトーリをあげる。また、心理学を駆使してエリート=権力追求者論に独自の境地を切り開いたラスウェル「権力と人間」、メリアム「政治権力」をあげる。そして、

 <大いに注意すべきことは、エリート論にしろ政治権力論にしろ、これらは決して民主主義にとってどうでもよいという議論ではないことである。なぜならば、民主主義は一方で政治的平等を大原則としながらも、他方であくまで一つの政治支配の仕組みでもあるからである。従って、これら政治的に不平等な関係にかかわる議論をどのように取り扱うかはこれまた「民主主義とは何か」という問いと密接に関係する難問である。これは換言すれば、正統性の問題に他ならない。>

 として、ウェーバー「職業としての政治」、ローウィ「自由主義の終焉」、ハーバーマス「後期資本主義における正統化の諸問題」をあげていた。

 そして、丸山真男「現代政治の思想と行動」、辻清明「日本官僚制の研究」については、

 <日本での議論の原点を改めて確認したいと考えたからである。日本の政治をどのようにとらえ、判断するかは、われわれにとって最も大切な課題である。あるいはここにおいて、われわれの政治的思考の真価が問われるといっても過言ではない。…われわれの議論がつまらない道に迷い込んだり、木を見て森を見ないような状態に陥っていないか、反省する上でも大切な役割を果たしてくれよう。後から来る議論が常に良質であるとは限らないことは、二十世紀の歴史の与えた貴重な教訓であるからである。>

 と書いていた。佐々木氏はこのあと、リクルート事件で政治不信が極まり、自民党が分裂、細川護煕首相の非自民8会派連立政権成立や衆院への小選挙区制度導入で、その理論的な根拠を与える論文を発表するなど、現実政治にコミットし続けるが、その原点にはこのような思想があったのだ。

 ウェーバー「職業としての政治」は薄っぺらい岩波文庫で、構えて読まないと、感動を受けない本ではないか、と思うのだが、このような読書案内を何冊か読んだ後で、批判的に読み返すと、内容が血肉化される、と思う。ウェーバーの資本主義とプロテスタンティズムに関する分厚い本よりも、講演なので、読みやすいし。また、この本の後に出版されたアーレント論はいくつか読んだが、アーレントほど毀誉褒貶にさらされた政治学者はいないのではないか。ここでは相当に批判的にとらえているが、今の時代ならば、アーレントがポスト資本主義の論理構築に向けたブレイクスルーの糧になる、という可能性を秘めたとらえ方ができると思うのだが。

 古本だが、読み返すことはいいことだ。88年、89年当時を思い出した。

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2008年10月30日 (木)

坪井善明氏のホー・チ・ミン論+負の歴史逆転という発想~毎日新聞10月22日夕刊・中島岳志氏との対談から

 毎日新聞10月22日夕刊文化面[中島岳志的アジア対談]で坪井善明早稲田大学教授とのホー・チ・ミンをめぐる対談が掲載されていて、面白かった。2003年に札幌市長選に出馬、落選したベトナム政治・社会史専攻の大学教授である。著者紹介には、坪井氏は1948年生まれ、パリ大学で博士号取得、北大教授などを経て現職。著書に「ヴェトナム『豊かさ』への夜明け」(アジア・太平洋特別賞)、「ヴェトナム新時代」「YOSAKOIソーラン祭り」(共著)など、とあった。

 学究に籠ってヴェトナム研究に打ち込んでいるイメージが強かったが、どうしてどうして、ベトナムに興味を持ったのはベトナム反戦運動に参加してから、と普通の団塊の世代そのままの動機。「日本が近代をどう受容したかが私の基本テーマ」「日本の再生をベトナムを通して考えています」など、坪井氏の気持ちが分かって面白い。

 ホー・チ・ミンについて、坪井氏は「彼の主眼はあくまで独立だった。彼の有名な『独立と自由ほど尊いものはない』との言葉は、どう読んでもマルクス主義と無関係」、「独立の過程でも、ホー・チ・ミンはアメリカにとても期待していた」、「ホー・チ・ミンの共和主義は、まさにその民衆のナショナリズムです。同じアジアの社会主義でも、毛沢東は皇帝のように振る舞い、金日成は世襲王朝を作った。ホー・チ・ミンは彼らと違い、前王朝と同じ秩序を作る気がなかった」、「大切なのは、生活実感と政治思想をどう結ぶかです。2人(ホー・チ・ミンとガンジー)は、たとえ演技であっても、なるべく民衆のそばにいて、民衆の意志を結晶化させ、それを投げ返して広げた。いわば民衆のスピーカーだった」と社会主義者ホー・チ・ミンではなく、共和主義者ホー・チ・ミンを讃える。

 さらに坪井氏は「彼(ホー・チ・ミン)は、民衆の大乗仏教や道教的な信仰を尊重し、取り込まないと運動は作れないと自覚していました」とも言っている。

 そして、「ベトナムの心ある知識人は、今の一党独裁からの着地点をそこ(ホー・チ・ミンの共和主義)だと思っていますね。背景に、隣接する中国の問題がある。中国が強大になると、ベトナムは埋没する。中国に対抗することは、独立にかかわる問題です。中国より先に政治改革をして、国際社会の信頼を集めないといけない現実的な要請があります。次の2011年のベトナム共産党大会で、『ホー・チ・ミンの教え通り、多党制と共和制に戻す』という方針が出る現実的な可能性はかなり高いと思います」と話し、ベトナムの地政学的位置を重視し、それが政治変革を後押しする可能性に期待する。

 また、「ベトナムの世論調査では、75%が『平等でなくなるならば経済発展はしねくてもいい』と答える。ベトナムには、まだ共同体意識を通した本当の意味での『平等主義』が残っている。こうした『平等主義』が、結構、アジアにはある。そこも、ちゃんと拾っていかないといけないでしょう」と言うのが面白い。

 平等性の重視である。途上国における経済発展は中国がその典型だが、超金持ちと食うや食わずの貧困層への極端な二極分化を引き起こす。ベトナムの民衆がその事実を知っているとは思えないのだが、この75%という数字はベトナム民衆のメンタリティに温かいアジアの血を感じないわけにはいかない。

 日本とベトナムとの比較も興味深い論点だった。坪井氏は、「ベトナムでは、人々が宗教や文化、歴史を生活の中で生かしている。日本は、あまりに経済中心で、文化や歴史が飾りもの化、記号化している。これと、日本社会の劣化は、関係があるのでは」と問題提起する。宗教はさておき、文化、歴史と切り離された日常生活こそが、良かれ悪しかれ今の日本の特徴だと思うのだが、特に歴史を知らない、歴史を現在に生かさない、というのは日本人の特異な生き方だろう。

 坪井氏の発言の中で賛否両論あるだろうが、注目すべきは次の言葉だろう。

 <札幌市長選に出た時、フランスのナント市のことを考えました。昔、アメリカへの奴隷貿易の中継で栄えた街が、15年くらい前にそれを謝罪したんです。そして新たに、自らをアフリカとアメリカをつなぐ文化の交易地位置づけ直して、音楽会などを開いている。日本の地方も、直接、世界と文化的につながればいい。北海道も炭鉱で中国人を働かせたような負の歴史があります。それを逆転させて、日本社会を再生させられないかと思います。>

 <負の歴史逆転で日本再生を>の見出しがついていた。

 私も団塊の世代の一人として、今の政治の機能不全には世代的に責任を負う一人だと思っているのだが、なぜ日本の政治が機能不全になったまま起き上がれないのか、つらつら考えてみると、国民が官僚(政治学者は官僚を「国家」というらしいが)を信用していないという事実がコアにあると思われるのだ。

 なぜか? 反省がなく、責任を取らないからである。

 太平洋戦争の開戦責任、敗戦責任は日本では追及されていない。みんな極東軍事裁判で裁かれた、と思っているかもしれないが、あの東京裁判を裁いたのは戦勝国家であり、日本人は自分の手で裁いていない。空腹で政治どころではなかった時代に、東久邇内閣が「一億総懺悔」と宣言して、官僚政治的にはそれで終わったことになっているのである。

 それで一時的には誤魔化せたかもしれないが、この問題が高度経済成長を遂げた1970年代から何度もぶり返して、戦争責任問題として論壇で論議された。

 しかし、現実政治のアジェンダにはならず、村山政権の戦争責任宣言も周辺諸国への日本国としての謝罪、という顔の見えない行為に過ぎなかった。

 それも、日本国家が迷惑をかけた周辺国に謝っただけで、国民への謝罪はないし、誰が悪くて無謀な戦争に突入したのか、を究明し、その誰かを非難する決議をするという国家行政行為をいまだになしえていないのだ。

 戦後も官僚たちは国家行政組織法と各省庁の設置法に守られ、ミスをしても、個人的な責任を問われるケースは戦後せいぜい2、3回しかなかった、と思う。こうした「国家」のあり方が続く限り、国民は国家を信用しない。だから、スウェーデンやフィンランドのような福祉国家化への変革など、国家公務員の権限が強まる改革は望むべくもない。

 こうして、日本の様々な「行き詰まりを探っていくと、国家への不信というコアが出てくる。児玉誉士夫、田中角栄、小佐野賢治が旧軍の物資を掠め取り、それをもとに戦後、金を稼いでも、「too big too fail」で日本国家を守護する検察はメスを入れなかったのに、小さなこそ泥はどんどん捕まる。

 日本の末期的症状について、日本に居続けてもこのくらいの内容は考えることができるのだが、坪井氏には外からの視点で日本の近代化と戦後改革の問題点を斬ってほしい。どういう日本論が出てくるか、楽しみである。 

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2008年10月26日 (日)

書評「創価学会の研究」玉野和志著(講談社現代新書)

 2008年10月20日第1刷発行、定価756円。

創価学会の研究 (講談社現代新書 1965) 創価学会の研究 (講談社現代新書 1965)

著者:玉野 和志
販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 表紙裏の略歴によると、玉野和志(たまの・かずし)氏は1960年石川県金沢市生まれ、東京都立大学人文学部卒、東京大学大学院社会学研究科博士課程中退、東京都老人総合研究所、流通経済大学を経て、現在、首都大学東京人文科学研究科社会行動学専攻社会学分野教授、社会学博士、著書に「東京のローカル・コミュニティ」(東京大学出版会)、「実践社会調査入門」(世界思想社)、「近代日本の都市化と町内会の成立」(行人社)がある。

 講談社現代新書の10月の新刊4冊の中できっと一番売れているのではないか、と思ったのだが、案外、そうではないかもしれない。最近の傾向で「帯」が大きく、上5センチを除く表紙を覆っている作り。帯によると、

 <批判でも賞賛でもないはじめての学会論!/社会学者が知られざる実像に迫る!/なぜ日本社会は学会を嫌うのか。勤行、教学、折伏、財務―学会員の日常とは、保守化、巨大化した組織のゆくえは、>

 <現世的幸福の追求、強烈な上昇志向 日本社会は彼らをどう扱ってきたか>

 とあって、裏の帯に目次がそのまま出ている。なるほど、このような作りが今の新書の流行なのか。でも、帯の目次は詳しくないので、本物の目次を書き写しておく。

 はじめに

 1章 学会員たちの信仰生活

 1 学会員になるということ(P12)座談会に誘われて/入会の手続き/学会員であるということの証―勤行/勤行とお題目/勤行とお題目をめぐる教義/勤行とお題目の効用/会員としてのつとめ

 2 学会員たちのプロフィール(P30)ごく初期の会員―中村はつえさんの場合/学会を古くから知る会員―吉田幸夫さんの場合/二世の青年部会員―若松弘樹さんの場合

 3 「幸せにするシステム」(P46)幸せになれる宗教/「幸せにするシステム」としての勤行と座談会/「幸せにするシステム」としての教学/「幸せにするシステム」を必要とした人々/信仰にともなう軋轢/創価学会と日本社会の特質

 2章 創価学会の基礎知識

 1 創価学会の歴史(P58) 牧口常三郎と戸田城聖/上昇意欲に富んだ民衆にこたえる宗教

 2 日蓮と日蓮宗(P62) 日蓮の生涯/度重なる迫害と法難

 3 創価学会の組織(P67) 「機構」と「組織」/財務と供養

 4 創価学会と公明党(P73) 政界への進出

 5 創価学会バッシング(P76) 言論出版妨害事件/田中角栄と美空ひばり/創価学会側の対応/批判に共通するイメージ/共産党との確執と協定

 6 内部からの告発(P89) 創価学会の盗聴・諜報活動/宗門との確執―第一次宗門戦争/日蓮正宗からの分離―第二次宗門戦争

 3章 創価学会についての研究

 1 初期の創価学会研究(P102) 佐木秋夫、小口偉一『創価学会―その思想と行動』1957年/鶴見俊輔『折伏―創価学会の思想と行動』1963年

 2 学術的な研究と評価(P112) 村上重良『創価学会=公明党』1967年/鈴木広『都市下層の宗教集団』1963年、1964年/塩原勉『創価学会イデオロギー』1965年/梅原猛『創価学会の哲学的宗教的批判』1964年/ホワイト『創価学会レポート』1971年/杉森康二『研究・創価学会』1976年/谷富夫『聖なるものの持続と変容―社会学的理解をめざして』1994年/島田裕巳『創価学会』2004年

 3 海外における創価学会研究(P143) ウィルソン&ドベラーレ『タイム トゥ チャント―イギリス創価学会の社会学的考察』1997年/ハモンド&マハチェック『アメリカの創価学会―適応と転換をめぐる社会学的考察』2000年

 4章 創価学会の変化

 1 創価学会の変遷(P152) 会員数の推移/学会員維持の条件/学会員の社会的地位の上昇

 2 日蓮正宗からの分離(P161) 地域社会との関わり方の変化

 3 地域における自公連立(P166) 自民支持層との地位の接近

 4 公明党の政治的変遷(P169) 大組織に守られない労働者を組織/岐路と選択/一貫する反共と支配層への接近

 5 学会員の階層的地位の上昇(P175) 個人としての上昇か、階級としての向上か

 5章 これからの創価学会

 1 自民党との接近(P182) 小泉改革と創価学会の位置

 2 自民党とよく似た構造(P186) 同じ矛盾を内包

 3 自民党とよく似たトリック(P190) 田中角栄と池田大作/伝統と革新

 4 「ポスト池田」と日本の政治構造(P196) ヨーロッパにおける差別と平等の観念/福祉国家の崩壊と社会的な民主主義の模索/格差社会の新しいロジックを求めて

 あとがき(P206) 参考文献(P210)

 と、以上である。

 目次を見ただけでも大体の内容は推察できる。つまり、この本は「創価学会トンデモ本」ではなく、学問的に新興宗教としての創価学会とその政治結社として出発した公明党を分析しようとした本である。

 内容の略述は目次で終わらせて、あとはポイントだけ書き記す。

 特に玉野氏の大胆な仮説に相当感銘を受けたのだが、だったらどうなのか?と疑問を持った点が中心になる。

 ただ、最初に書いておかなければならないのは、「ちょっと羊頭狗肉じゃない?」という著者への文句というか、ないものねだりの注文である。

 というのは、玉野氏は、「はじめに」で、

 <創価学会の歴史の中には人々の誤解や中小を招くことがなかったわけではない。しかしその程度のことはある程度の組織であれば、どこにでもあることである。むしろ私はそれをことさらに問題視する日本の社会のほうに、あるおもしろさを感じたのである。人々はなぜ創価学会を嫌うのか。そこにわれわれ日本人と日本の社会を理解する鍵が隠されているように思えたのである。>(P3)

 と、この本を書くに至った問題意識を記している。また、

 <これまでの創価学会をめぐる多くの言説のように、教義の妥当性がどうとか、宗教思想としての深みをうんぬんすることよりも、創価学会が実は会員に対して毎日の具体的な行為を指し示し、そこに宗教的な信心の核心を置いてきた点にもっと注目すべきなのである。>(P27)

 <「幸せにするシステム」は、いったん学会員になった人にとってはきわめて頼りになるものであるが、外の世界の人々にとってはやはり気味の悪いものであることは否定できない。選挙のときや唱題会などで多くの会員が一心不乱に題目を唱える姿は、異様といえば異様である。罰が当たると脅すようなこともあっただろう。脱会者に対する監視やいやがらせ、元会員による告発も跡を絶たない。とりわけ他の宗教に対する不寛容な態度はしばしば問題にされるところである。>(P53)

 <それらはいずれも社会的に孤立した人々が内部の結束を固め、かつ外部に対してあきらめることなく、攻撃的なまでに積極的に働きかけるときに生じる「信仰ゆえの軋轢」と考えられる。>(P54)

 <ひょっとしたら、このようなふるまいがことさら軋轢をもたらすのは、日本という社会の持つ特質なのかもしれない。…イギリスやアメリカの創価学会では、むしろキリスト教的な厳格さとは異なった、創価学会の座談会などに見られるフランクな雰囲気に魅力を感じるという会員が多い。アメリカの研究では、過激なセクト主義的傾向の強かった新宗教運動の中で、アメリカ社会への柔軟な適応をはたした典型的な教団として創価学会が取り上げられている。他方、日本の社会が異なる文化や宗教を持つ外国人にとって、きわめて住みにくい場所であることは、つとに指摘されることである。>

 <いずれにせよ、日本の社会においては、創価学会のような、はっきりとした思想・信条のもとに社会的に結束した集団は何かと世間との間に軋轢をもたらすものなのである。それは不思議なことに、創価学会が最も激しく対立した労働組合や共産党と非常によく似ている。>(P55)

 <創価学会について論じる知識人たちの言説がつねに「遅れた庶民の意識」へと水路づけられていくことと対応している。そこで難詰されるのは、時代によって少しずつ内容を変えていくが、いずれも社会の底辺に位置する人々がやりそうなことなのである。創価学会はつねにそことのつながりを疑われていく。…つねにそのような位置に置いておくことで安心する「世論」とか、日本の社会はどのようなものだろう。筆者が創価学会を通して考えてみたいのは、実はこの問題なのである。>(P83)

 と、著者は本書の様々な箇所で違う表現をしながらも、同じような問題提起を繰り返している。

 つまり、もしかしたら、問題は創価学会にあるのではなく、創価学会を入り口で拒否する日本人の心にあるのではないか、という重要な問いかけなのだ。

 これは重要である。

 著者が書いているように、これはひとり創価学会にとどまらず、日本共産党への恐れと拒否感、少しレベルが違うが、田中角栄や美空ひばりを尊敬しつつ馬鹿にする心性とも通じているのだろうし、もしかすると、被差別部落差別意識や在日朝鮮人差別意識にもつながるものかもしれない。

 ここを突っ込んで分析してくれたのか、と思いきや、残念ながらこの問いに対する答えは最後まで書いてなかった。

 新書という枚数の制約があったのあろうが、いずれこの点についての著者の本格的研究を望みたい。

 それはさておき、著者の仮説で「なるほど」と思った部分をピックアップしておく。

◆創価学会問題は労働者階級の問題だ

 端的に書いてあったのは「あとがき」(P207)だが、その前にも何箇所かで同じような見解を述べている。

 <日本では、ヨーロッパのように労働者が自ら労働者階級に留まり、世代的に再生産していくことを望み、それゆえ労働者階級全体としての生活の保障と向上を求め、国家の法制度の中でそれを権利として獲得しようとする意味での労働運動が力を持つことはついぞなかった。そのような、アジアやアフリカの経験からすると、むしろヨーロッパに特異な現象が起きるためには不可欠な、中産階級=ミドルクラスの一部が労働者たちの生活と社会にある種のリスペクトを抱いて接近し、これと連帯するということが、日本ではついぞ確立することがなかったのである。>

 <日本の労働者は、知識層からの援軍も仲間との連帯もあてにせず、つねに激しい競争の中に身を捧げ、労働者としての生活から個人の努力だけで抜け出そうと努めてきた。それゆえ結果として貧しい生活から抜け出せなかったのはすべて自分が悪いのだと自らを責め、世間や国家に対して最低限の生活の保障すらも要求することをはばかってきたのである。その裏側には、確かにある程度の労働者が首尾よく中間層へと上昇することができたというある時期までの歴史的偶然が作用していた。創価学会に結集した人々は、そのような社会的地位の上昇を達成することのできた最後の労働者であると同時に、もはや上昇の道を望めなくなる最初の組織された労働者になるのかもしれない。>

 <そのときに、はたして中間層へと上昇した人々と、そうでない人々との間に、何らかの関係が構築できるのかできないのか、そのことが改めて問われてくる。これからおそらく避けることができなくなる日本における格差社会の固定化や移民の流入と定着を認めざるをえなくなる将来において、明らかに階層や民族の異なる人々がそれでも互いに誇りを失うことなく平等に暮らすための何らかの新しい思想が生み出されなければならない。そのときに、創価学会が培ってきた思想が、本当に取るに足りないものかどうかが試されるのである。>(以上、P207~209)

 著者は創価学会は高度経済成長が増殖させた宗教団体だ、と言う。

 農家の次男、三男が工業地帯や流通業、商業で工員、従業員となって都会に来る。

 身寄りもなければ、頼る人もいない。まず地域コミュニティがない。そんな時に、捨ててきた村落共同体の擬似集団としての創価学会が「座談会」などを通じて地方出身者の心に安心とやる気を出させた。

 かれら、小企業の従業員らは大手組合員や公務員らが組織する労働組合には入れなかった。本来は労働運動はこうした労働者を包摂すべきなのに、

 <社会党は大企業や官公庁の組織労働者を中心としているので、共産党、創価学会が特に支持者を奪い合うことになっていた。>(P86)

 というのだ。この部分は重要だと思うので、ちょっと長いが原文を引用しておく。その中では、中国共産党がなぜ創価学会を重視するか、著者なりのユニークな解答を出しているのが注目されるところだろう。

 <(公明党の中では)公明党の政治的位置は、ある意味では明確に規定されてきた。自民党が大資本や富裕層の利害を代表するのに対して、社会党は特権的な組織労働者を代弁するだけで、組合すら持たない大多数の中小零細企業の従業員や自営業者などの庶民は政治的に棄て置かれてきた。公明党はその庶民の声を国会に届けようとするものであると。それゆえ、当初、素人集団と揶揄された公明党が最初に存在感を示すのは、自民党から社会党に国会対策費の名目で流れるお金があるのではないかという告発であった。>

 <いわゆる左翼の人々はあまり認めたがらないが、日本の革新陣営の主力は組織労働者で、しかもそれは大企業と公務員の世界にしか存在していない。つまり本来の労働者階級というよりは、比較的恵まれた労働者のみが組織されたものなのである。

 <他方、本来の労働者というべき庶民の一部で比較的成功した自営業者は自民党が組織し、中小零細企業の労働者はわずかに共産党が組織していただけであった。だから、民商(民主商工会)を中心に共産党が躍進したことが自民党にとってはいちばんの脅威であったし、後に公明党と共産党が激しく対立することになるのもそのためである。>

 <これに対して、当時の社会党を中心とした革新勢力は、そのような中小零細自営の人々と比べるならば、考えられないほど安定的な雇用を保障されている公務員が、さらにスト権すらも獲得しようという闘争(「スト権スト」)に血道をあげていたのである。

 <この意味で、本来の労働者階級ともいうべき庶民を組織しつつあった創価学会を支持母体とする公明党が、いかなる政治的な位置を占めるかはきわめて重要な問題であった。事実、その後の日本の政治はよかれあしかれ公明党のふるまいにそって展開してきたと見ることもできる。とりわけ日本の保守勢力にとって、創価学会や公明党がどちらの立場に立つかは特別に注意を要する問題であった。>

 <本来の労働者階級を組織しつつも、社会党や共産党とは一線を画す「反共の砦」となるのか、はたまた社会党や共産党が組織している期間労働者や反体制的な知識人と結んで真に革命的な勢力を形作ってしまうのかは、国家権力や支配層にとってはのっぴきならない死活問題だったのである。>

 <だからこそ、言論出版妨害事件の際に自民党幹事長田中角栄はあそこまで竹入公明党委員長のために働いたのであり、池田大作によって主導された「創共協定」の存在が明らかになった時、公明党はある程度池田と創価学会に背いてまで、共産党との共闘がありえないことを保守勢力に対して確約しなければならなかったのである。

 <創価学会が日本において本来の労働者階級を組織した団体であったという、ここでの筆者の理解は、日本ではとうてい受け入れられるものではないだろう。しかし、中国の革命家たち(とりわけ周恩来)は早くから創価学会という団体に特別の注意を払い、社会党でも共産党でもなく、池田大作や公明党を頼ることが多かったのである。>(P169~171)

 こうした戦後の社会史は面白い。今までの有力な解釈は時代の変化の中で塗り替えられていく。もしかすると、著者の解釈は10年後、20年後の戦後社会史論で有力説になっているかもしれないなぁ。

 ここまで、相当に文字をパソコンに打ち込んだため、腕と手が疲れたので、後は、内容のダイジェストを項目だけに省略させてもらって、列挙しておく。

◆創価学会の初代会長の牧口氏の思想は新カント派の思想だ。

 真善美の「真」を除き「利」を入れた。牧口氏はもともとは学校の先生だったし、会も主に教師を中心とした勉強会だったが、太平洋戦争に至る過程の大政翼賛会運動や特高警察の弾圧の中であえなく組織は壊滅、牧口氏は獄死した。

 何とか生き残った戸田2代目会長は「学校の先生などのインテリは頼りにならない」と、底辺で這い蹲って暮らす真の労働者をターゲットに「幸福になれるシステム」で入会者を増やす方法論に転換した。

 だから、教義はもともとは日蓮宗から出た、というわけではない、新カント哲学なのだ。しかし、「真善美」の「真」が欠けてしまっているので、日蓮宗の法華経の教えで「真」を穴埋めしただけだった(?)。だから、日蓮正宗との絶縁に際しても、世間が思うよりはスムーズに進んだ、という。

◆牧口、戸田氏は世襲否定を何度も説いた。それに共鳴する信者が入信したケースもある。→ポスト池田って、子供ではないのか?

◆創価学会研究の白眉はホワイトの「創価学会レポート」なのだが、学会バッシングの嵐が吹き荒れる中、こうした学術研究は顧みられず、捨て置かれているのがもったいない。欧米での学術的研究の方が今は進んでいる。

◆能力はあっても経済的な事情から上の学校に進めなかった多くの人々にとって創価学会における「御書」を中心とした言語の修得を伴う教学のもった意味は大きく、学校PTAなどで、大学卒の先生や、上の女学校を出た他のお母さんたちとも気後れせず、平気で話せるようになった。これも創価学会が重視する「実利」の一つだ。(P33)

◆かつては「病人と貧乏人の集団」と言われたような異様な集団だったことは事実だが、高度経済成長の間、学会の教えを守って地道に働いた学会員が多く、豊かになった人も多い。今では会員は相当に階層的に上昇している、と推測されるが、データはない。

 なぜそう推測できるか、といえば、当時から上昇志向の強い人たちが集まっていたから、階層的に上昇できたという。

 今では公明党支持層(=創価学会員)は自民党支持層とそうは変わらない社会階層となっている、という。

 しかし、池田大作氏は創価学会のエリート集団化を嫌い、あくまで「庶民の創価学会」であることをレゾン・デートルにしている。

 そうしないと創価学会は変質してしまう、と池田氏には深い危機感があるようだ。しかし、これが国家公務員キャリアや弁護士、医者などのエリートたちと池田大作氏との軋轢を生んでいる、という。

 …などが主な内容だろうか。創価学会員の一日、とか、学会の組織なども詳しく書いてあった。少しロングスパンで創価学会を考えるには参考になる本だ。

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2008年8月30日 (土)

世界の動物は北を向いている~毎日新聞[余録]から

 毎日新聞8月30日朝刊[余録]が面白かった。

 <ドイツとチェコの研究グループが今週、論文誌に発表したデータは不思議だ。放牧中の牛がどんな方向を向いているか。世界各地で8500頭以上を調べると、多くが南北を向いていた。チェコで野生のシカ2900頭以上について、雪に残された「寝床」の跡などを調べた結果も同じで、多くが頭を北に向けていたというのだ。詳しく調べると、地図上の南北より地磁気の南北に同調していることもわかった。渡り鳥やコウモリが地磁気を感知することは知られているが、牛やシカもそうなのか。だとすると、私たちはどうなのか。>

 動物が地磁気を感知して、頭を北に向けて寝ている、というのだ。それだけでなく、昼間起きているときも、南北の線に沿って立っている、と。不思議な現象だ。

 死者を祀る際に、北枕にする風習は、この動物の習性と関係があるのかどうか? 「地脈」などを重視する「風水」は「オカルト」「似非科学」と切って捨てられていたが、何らかの科学的根拠があるのではないか? 牛やシカは体の中のどの部分の作用で北を向くのだろうか、それとも北極星を見るなど、視覚や聴覚を使って北を知るのだろうか?

 疑問は次々に湧いてくる。このような研究は、今までの「知」のレベルを引き上げる可能性を持っているのではないか。僕たちが「常識」と思っていることは、産業革命以来の常識に過ぎず、長く見てもルネサンス以来の常識だろう。その常識を生んだ枠組みへの疑問を大切にして、疑問が解ければ、本当の意味での「近代」から「ポストモダン」へのブレイクスルーが起きるのではないか?

 こんな夢想が広がる。

 そして、[余録]の次の文章も、さすが現代の科学者は違うなあ、という驚きを感じさせるものだった。

 <論文には別の驚きもある。研究に「グーグルアース」のデータが使われたことだ。衛星などで上空から写した写真を公開しているもので、自宅の屋根を見てみた人もいるだろう。そこからこんな成果を生み出したのは、発想の勝利というべきか。>

 身の周りにあれば、すべて研究材料に転化する。これも当然の話。性能がアップしたパソコン、インターネットを利用していない研究などもはや皆無ではないか。

 <グーグルアースの先には懸念もある。最近、議論を呼んでいるのはグーグルの「ストリートビュー」だ。上空からではなく、道路から撮影した写真がネット上に公開され、自宅や車、街の様子などがリアルにわかる。どうやって写しているのか、プライバシーが侵害されているのではないか、不安に思う人がいるのは当然だろう。>

 と、余録子はプライバシー侵害に懸念を表明しているが、この「便利さと怖さ」との二律背反はどこで折り合いをつければいいのか、当面は結論が出ないのではないか。

 <人間も地磁気を感知しているのか。南北を向いてすわっている時と東西を向いている時で脳波に違いがあるという報告もある。さまざまな場所で人間のデータを集めると、手がかりが得られるかもしれない。ただし、プライバシーは要注意だ。>

 人間も動物である以上、地磁気を感知できるのだろうが、その能力がどこまで落ちているのか。チンパンジーやゴリラと人間との比較などの数値が出たら、人間研究にとって新たな飛躍材料になりそうだ。

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2008年8月29日 (金)

秋葉原事件被害者を携帯写真で撮った人たちの心についての大澤真幸氏流解釈=東京新聞8月28、29日夕刊[論壇時評]から

 8月2日に<「左翼はなぜ勝てないのか」という大澤真幸氏の問い~東京新聞論壇時評から>で大澤氏を取り上げたが、月1回の[論壇時評]は今回、8月28、29両日の東京新聞夕刊文化面に<資本主義を超える普遍性を求めて>の共通タイトルで㊤㊦2回にわたって掲載されていた。

 ㊤<メタレベルの視点>の内容は次の通り。

◆資本主義を駆動した力には西洋的バイアスがかかっていた(地方的で普遍的)

 中国の経済成長、五輪成功は資本主義の圧倒的な普遍性を我々に印象付けた、本来は資本主義に対する代替的選択肢(オールタナティブ)として構想された社会主義の下でも資本主義は繁栄する、資本主義はその対抗馬である社会主義をも包摂できる中立的機構だ、と書き出している。マックス・ヴェーバーが資本主義の精神の起源にプロテスタントの倫理を見いだした研究の含意は資本主義を駆動した力には西洋的バイアスがかかっていた、ということで、そうなると、資本主義はきわめて地方的でありながら、同時に普遍的だということになる、と。

 そんな資本主義の行き詰まりを打破するにはどうしたらいいのか。

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 大澤氏はまず金子勝氏の「閉塞経済」(7月27日に[書評]で紹介)を取り上げ、金子氏の「資本主義の謎に迫るには主流派経済学は無効だ」という結論を紹介する。

 金子氏は、約40年前に世界は資本主義の第3段階に入った(第1段階は商業資本主義=遠隔地貿易=、第2段階は産業資本主義=土地と労働力の商品化=で、第3段階は金融資本主義=貨幣自体の商品化=)という。

 金融資本主義の下では、信用バブルとその崩壊が繰り返される。このような高次化した資本主義は階級的格差を拡大する。空間的格差だけでなく、年金の世代間格差や地球温暖化のように時間的格差も含まれる、と。

 金子氏はこの著しく不公正な格差・不平等に主流派経済学は原理的に言うべきものをもたない、そもそもなぜ格差がいけないのか、なぜ貧者を救済しなければいけないのか、という問いへの答えは出てこないと言う。

 それどころか、主流派経済学から導かれる政策は格差・不平等をむしろ大きくする傾向がある、と言い、この「無力」は私的所有に基づく市場という資本主義の前提をそのまま追認しているからだ、と主張する。

◆資本主義を相対化できる「正義」の観念が必要

 そこで、大澤氏は7月の[論壇時評]での結論と同じく、「不平等の問題を克服するには、結局、資本主義を超える―資本主義を一選択肢に過ぎないものとして相対化する―普遍性を有する正義の観念が必要だ」という結論に至る、という。

 大澤氏が注目するのは「at」での山下範久氏の連載「ポスト・リオリエント」である。

 これはA・G・フランクの「リオリエント」(藤原書店)の問題意識を受け継いだものだそうだ。連載2回目で、山下氏はメタ普遍性という概念を提起しているそうだ。

 かつての近世帝国(オスマン帝国、清帝国、ハプスブルグ帝国等)は、閉じられた―それゆえ包括的・普遍的な―<世界>という空間秩序の像を人々に与えたが、そうしたことが可能だったのは、イスラム教徒かキリスト教等といった具体的な内実を持つ普遍主義的な主張をメタレベルから管理し、整序するような視点が確立されていたからだ、という主張だ、とある。

 ㊦<古代ポリスの連帯に魅力>の内容は次の通り。

 7月号の「思想」で道徳的実在論を唱える倫理学者ジョン・マクダウェル氏が特集され、論文「徳と理性」が荻原理氏の解説論文とともに掲載されていた、という。

 道徳的実在論とは個々の状況の中で何をなすべきか、を意味する客観的な事実が存在するとみなす説だそうだ。抽象的過ぎて分かりにくいが、次の話で急に具体的になって分かりやすくなる。

◆開発と自然保護のどちらが大切か、を正確に見極める認知能力=徳

 つまり、開発が必要に見え、他方では自然保護が必要に見えているとき、どちらの事実がせり出しているか(重要か)を正確に見極める認知能力こそが徳だ、というのだ。熊本県のダム建設問題などを想像すれば、これは分かりやすい。そして、資本主義が侵食するのは、このような意味での「徳」ではないか、と大澤氏は問いかけるのだ。

 マクダウェル氏はアリストテレスの研究家。アリストテレスにとっての「徳」は中庸にある、といっているそうだ。

 「at」12号に掲載された柄谷行人氏の「共同体論」で「古代ギリシャの芸術や叙事詩が現在のわれわれにとってなお魅力的なのはなぜなのか」というマルクスの問いを引き継ぎつつ、時に成熟した大人ではなく、幼子がわれわれにとって模範になるのと同じような意味で、ギリシアのポリスが模範としての意義を持ちうる、と示唆しているそうだ。

 ポリスに模範としての魅力があるのは、それが高度に発達した文明だったからではなく、むしろ未開だからだというのだ。

 ポリスは原初的共同体(氏族社会)の性質を引き継いでいる。柄谷はこの「戦士共同体」に市場での繋がりに代わるもの、それを超えるものを見出そうとしているのではないか、というのが大澤氏の見解だ。

 それはどんな連帯の様式か? 鷲田清一氏が「論座」の<哲学の現場は言説が立ち上がる場所>で、当事者との「二・五人称」の関わり、ということを述べているらしい。

◆秋葉原事件で携帯写真を撮っていた第三者と一人称、二人称的心情の必要性

 <たとえば、秋葉原事件で、現場の被害者や救助者たちを囲んで、携帯電話で写真を撮ろうとしていた人々がいた。そこにあるのは、「第三者」としての(三人称の立場の)関わりである。普通、われわれは、現場から身を引く、このような第三者の中立的な立場にこそ、普遍的な言説は帰属すると考えている。>

 <しかし、人を相手にする真のプロは、第三者としての中立的な立場(三人称)と当事者との直接の関わり(二人称)の間に引き裂かれるような思いを抱く。>

 <たとえば報道写真家は、中立的な報告者に留まるか、現場の救助活動に身を投じるか煩悶する。すべての個別の状況から身を引き、それらを中立的に通覧し、記述するような第三者の立場は不可能なのだ。>

 ここに大澤氏の哲学的思考と現実との切り結びがあるのだろう。

 <この事実の中に、たとえば古代ギリシアという個別的・特異的な状況(一人称・二人称)が、同時に普遍的な模範(三人称)としての魅力をも持つという二重性の秘密も隠されている。>

 この結びの文章は、難しいのだが、他人の苦しみを肌で感じながら「見殺し」にする、という心が裂けそうな痛みを理解することの大切さは分かった。ジャーナリストの本でよく出てくる話だが、大澤氏はそれを理論的に裏付けたわけだ。

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2008年8月25日 (月)

北京五輪をどう報じたか~各紙コラムや総括記事+毎日新聞の鹿島茂氏のコラム

◆米国五輪放送事情

 第20回夏季オリンピック大会は8月24日夜、北京で閉会式が行われ、17日間の祭典の幕を閉じた。各紙は8月25日朝刊1面から社会面まで多くの面に、北京五輪総括記事が満載だった。競技・種目別の総括とか、大上段に振りかぶった社説のような「大きな物語」的な総括も、それはそれで大切だが、ここでは、視点を替えたコラムや小さい部分、普通は見えない部分にこだわった「総括」に注目してみよう。

 毎日新聞8月25日朝刊2面[発信箱]<北京五輪 米の総決算>で北米総局の坂東賢治記者は米国ではNBCがテレビ中継を独占し、夜のゴールデンタイムの放送を「トップ・スポーツ」と位置づけた水泳、陸上、体操、バスケット、ビーチバレーボールの5競技に集中していた、と書いていた。

 <テレビ向きで、米国選手が強く、視聴率が稼げるという理由だろう。放映権獲得に1000億円近くを投じたNBCが水泳の決勝を北京時間の午前(米国時間の夜)に行うよう圧力をかけた理由もよくわかる。米国のフェルプス選手の8冠挑戦が最大の売り物だったからだ。>

 坂東記者は今まで、五輪を日本で見ていたらしく、日本のテレビ観戦とアメリカでのテレビ観戦の比較が面白い。

 <他の人気競技では放送時間優先で生中継がないのにまいった。>

 というのだ。

 <ジャマイカのウサイン・ボルト選手の世紀の快走はどれも半日待ってようやく放送された。NBC系サイトでのネット中継もなく、待ちきれない人は動画投稿サイトなどでゲリラ的に見るしかなかったらしい。>

 動画投稿サイトはアメリカでそこまで活用されているのか。これも驚きだ。

 <フェルプス選手が期待どおりの活躍をしたこともあり、96年の米アトランタ五輪以来の高い視聴率を記録。大統領選を争うオバマ、マケイン両上院議員も巨費を投じ、五輪時間帯にテレビ広告を流した。NBCはしっかり元を取ったようだ。>

 とある。大統領選目前のアメリカ・メディア事情が目に浮かぶようだ。面白かったのは、結びの文章だった。

 <金メダル獲得数では中国の後塵を拝したが、あまり騒がれてはいない。日本を含め、世界的には金メダル獲得数順で国別ランキングを決めるのが一般的だが、米メディアは金銀銅のメダル獲得総数で順番を決めている。これなら米国はまだ世界一。自国の独自基準にこだわるところは中国とどっこいどっこいだ。>

 である。へえー、金メダルにこだわらないのか。それは北京五輪に限らず、今までもそうだったのだろうか? そうだろうなあ、とは思うのだが。今回、金メダル獲得数で中国に抜かれるのが分かっていて、今回だけ急にメダル総数での計算にに変えたら、視聴者だって何か言うだろうからなあ。

 こういう文化比較は面白い。日本での放送権料話は後で読売新聞で出てくる。

◆各国メダル獲得数

 金メダルだけが五輪ではない、のだが、国別メダル獲得数も気にはなる。一応、書いておこうか。毎日新聞25日朝刊2面の表を写したものだ。

                   金      銀     銅      計

①中国               51      21    28      100

②米国               36      38    36      110

③ロシア              23      21    28       72

④英国               19      13    15       47

⑤ドイツ              16      10     15       41

⑥豪州               14      10     8       46

⑦韓国               13      10     8       31

⑧日本                9      6     10       25

⑨イタリア              8      10     10      28

⑩フランス              7      16     17      40

⑪ウクライナ             7      5      15     27

⑫オランダ              7      5       4     16

⑬ジャマイカ             6      3       2     11

⑭スペイン              5      10      3      18

⑮ケニア               5       5      4      14

 あと話題になった国では、グルジアが3,0,3の6個。北朝鮮が2,1,3の6個。インドは1,0,2の3個。台湾は0.0,4の4個くらいか。合計で金メダルは302個、銀メダルは303個、銅メダルは353個授与された。授与されたメダルの合計個数は958だった。

◆大きな真実は往々にして小さな穴からのぞき見える

 朝日新聞8月25日朝刊1面コラム[天声人語]子は開花式の「フェイク?」を、閉会式後の新聞でまつぃても、ぶり返して批判していた。相当に腹に据えかねたのかな?

 「漢民族の子が扮した56民族の代表」「CGの花火映像」「口パクの歌」をあげて、

 <わけても口パクである。ある少女から「容姿」を、別の少女からは「声」を「いいとこ取り」するやり方には、「個の人格」を軽んじる危うさが透けていないか。「国益のため」という説明を聞くにつけ、国家主義の横顔が脳裏から消えやらない。>

 「国益」「国家主義」と朝日新聞が好きそうな言葉が並ぶ。

 <開閉会式の総監督を務めた張芸謀氏は、本紙との会見で「小さなことを意図的に拡大するのはよくない」と批判に異を唱えた。だが、大きな真実は往々にして、小さな穴からこそ、のぞき見えるものだ。>

 この「大きな真実は小さな穴からのぞき見える」って誰かの名言だったのかなあ、忘れてしまったけど、何か心に残る言葉だった。

 <ともあれ五輪は成功裏に幕を閉じた。17日間にわたった「お客さん用」の化粧を落として、中国は宴のあとの日常に戻る。化粧を落とした新たな表情は、大国としての自信を深めていることだろう。その「自信」の先行きに、隣人として目を凝らしたい。>

 という結びだった。1面の藤原秀人・中国総局長総括論文の見出しも<宴の後こそ向き合う時>。朝日は「宴」が好きだなあ。2面[時時刻刻]は<「成功」五輪遠い存在>の見出しで<チベット 僧に毎日「愛国主義教育」><ウイグル 「私たちに自由などない」><北京市民 「外出控えよう」標語>と北京五輪の「負の部分」を特集していた。

◆デモ申請77件、許可はゼロ

 読売新聞8月25日朝刊2面<デモ申請77件 許可ゼロ>は北京特派員の記事。

 北京五輪期間中に北京市内3カ所の公園内に限って認めるとされていたデモ行進は24日の閉幕日を迎えても1件も実施されないままに終わる見通しとなった、と書いていた。

 北京市公安局の18日の発表では今月1日以降、外国人3人を含む149人から77件のデモ申請があったが、1件も認められないまま、すべて取り下げられた、という。国境なき記者団(本部・パリ)によると、15人の中国人申請者が拘束されたという、とあった。

 朝日2面が特集した「負の側面」なんだけど、もっと大きなテロを封じ込められた北京共産党政権はホッと胸を撫で下ろしていることだろう。

◆5000年の歴史の中の17日間の「邯鄲の夢」、意義は大きい

 日経新聞8月25日朝刊1面コラム[春秋]は中国5000年の歴史を引き合いに出しながら、北京五輪の意義を説くスタイルだった。8月26日だったかの毎日新聞コラム[余録]も同じ手法を用いていたと思った。次のは日経の文章である。

 <中国は米国、ロシアに金メダル争いで圧勝し、愛国の胸は高まるばかりだろう。胡錦濤主席がいう「アヘン戦争以来、艱難辛苦の道を歩んできた」中華民族は一つの転機を迎える。一方、閉幕とともに不満が一気に噴き出す気配もある。これが現実だ。ギョーザ事件も少数民族の人権問題もすべて棚上げにしてきた。>

 <開会式で「朋あり遠方より来る……」と孔子の言葉で迎えた。その後、遠方の仲間は偽装五輪などと酷評した。論語はこのあとこう続く。「人知らずして慍(いか)らず、亦た君子ならず乎」(人から認められなくても腹を立てない、それこそ君子ではないか)と。中国が大人の国であれば早く変化の兆しを見せてほしい。>

 <冷厳な国際政治の現実はあるが、若いボランティアの多くは柔軟でしなやかだったと現地記者は伝える。神秘で異質な国も徐々に世界に扉を開いていくことだろう。中国5000年の歴史の中で17日間のこのスポーツの熱狂は「邯鄲の夢」のごときものだが、世界も中国も五輪によって互いを肌で知った意義は大きい。>

 悠久の歴史を世界に訴える中国に負けないように、孔子の言葉などを引いて、大きく構えたコラムだが、言わんとするところは良く分かる気がする。

◆中国メディアの五輪総括ぶりと日本の民放のうるさい中継ぶり

 朝日新聞8月25日夕刊1面は<五輪総括 自賛と自戒/中国メディア/当局の指導徹底>の見出しで北京特派員電がトップ記事。中国の新聞などが五輪をど総括したか、を見てみようという趣向である。

 <北京五輪の閉会式から一夜明けた25日の中国各紙は一斉に「過去に例をみない五輪」と成功を祝った。一方で、最多となった金メダル数については「冷静かつ理知的に見つめる必要がある」と呼びかける記事が目立つ。「肯定的かつ民族精神を高揚させる記事を書きながらも、過度にあおらないように」という五輪直前に中国当局から出された通達が色濃く反映されている。>

 <「五輪を通じて中国は世界と未曽有の親密な関係となり、新しい時代に突入した」――人民日報は1面に閉会式で手を振る胡錦濤国家主席の大きな2枚の写真を掲載し、共産党がもたらした成功であることをアピール。>

 <だが、世界中で話題になった開会式での少女の「口パク問題」など過剰演出や、会場周辺で取材中の外国人記者が相次いで拘束されたことは触れられていない。>

 <こうした報道の背景には、8月上旬、五輪批判を禁じてプラス面を強調するよう中国共産党中央宣伝部が各社幹部に指示した通達がある。…通達は「メダル数に固執したり予測したりする報道をするな」とも指示。世論形成に強い影響を持つネット上で獲得メダル数に関心が集まり、ナショナリズムが暴発することを恐れたためとみられる。>

 という内容である。謙虚に、謙虚に、と思いながら、紙面の端々から嬉しさがはみ出してくるような新聞だったのだろうなあ。

 朝日1面は<欧米は人権指摘>のベタ記事もつけており、米CNNの「言論の自由や政治的な抗議に対するスタンスに問題が残る」、英紙フィナンシャル・タイムズの中国当局がインターネットへの接続を制限したこと、デモを許可しなかったことを批判したことを取り上げた。

 しかし、この日の朝日新聞夕刊は、この1面記事よりも対社面の<識者の声>のほうが本音が見えて、面白かった。

 コラムニストの天野祐吉さんは

 <民放スタジオの狂想曲はひどかった。見ていれば分かることをいちいち言う。勝つと『ギャー』、負けると涙。競技の間は選手の汗と涙のビデオ>

 と、まずは民放批判をしている。民放アナウンサーの声、確かにうるさかったよなあ。

 また、天野さんは中国の人権問題について、

 <反対意見も分かるが、やらなかったら見えてこなかったことがたくさんある。テレビやウェブのおかげで、もう国威の発揚の道具にはならない。情報が流れるから問題をオープンにせざるを得なくなる。オリンピックもそういう時代になった>

 と話していた。この見解には賛成だがすぐに結論を出さず、じっくりと考える必要があると思う。

 中国社会に詳しい早稲田大学の園田茂人教授(比較社会学)は、

 <2億人強がネットで五輪を見た。ブログが炎上することもあるし、ネットでの世論調査もある。閉鎖されないよう、駆け引きしながら本音を出す。市民の成熟によって、世論形成のあり方も変わっていくだろう>

 と、五輪が中国社会を変える可能性あり、という前向きな捉え方。これが事実となればいい、と思うのだが。

◆日本の北京放送権料は198億円。バンクーバー冬季+ロンドン夏季五=325億円也

 読売新聞8月26日朝刊解説面<北京五輪のTV中継>で鈴木嘉一編集委員はテレビ中継で8日の開会式(37.3%)、日本が米国を破った21日のソフトボール決勝(30.6%)など、平均視聴率が20%を超えたのが15本(ビデオリサーチ調べ)だったとして、時差もあったが、前回のアテネ五輪は日本人選手が大活躍したのに、20%超えは7本だけだった。それに比べて、北京五輪の視聴率はすごい、という論調。NHKと民放で流した全番組の平均視聴率(10.7%)でもアテネを0.5ポイント上回った、という。

 NHKと民放が共同で取得した今大会の放送権料は1億8000万㌦(198億円)だった。

 その多くを負担するNHKはほとんど”五輪一色”に染まり、総合テレビ、衛星第一、衛星ハイビジョン、ラジオ第一に加え、時には教育テレビでも中継し、放送時間の合計は800時間に迫ったという。

 どうりで、いつどこのチャンネルを回しても五輪をやっていたわけだ。

 計173時間の放送を予定した民放は2局が同時間帯で別の競技・種目を中継する「2波出し」が前回の6回から10回に増えた、という。民放関係者は「営業的には競合を避けたいが、『生』を重視したから」と言っている、という。

 鈴木賢一・NHKスポーツ業務監理室長は「NHKと民放が五輪で生中継できる衛星回線は四つあり、今回はほぼフル稼働した。地上波と衛星放送の四つのチャンネルで、違う競技・種目をかなり生中継できた」と総括した。鈴木編集委員は「NHKと民放が視聴者の選択肢を広げた姿勢を歓迎したい」と評価した。

 2011年7月にはアナログ放送を終了し、完全移行する計画の地上デジタル放送にとっては2度目の夏季五輪だそうだが、この夏、デジタル対応の受信機は良く売れたそうだ。NHKは7月末でBSデジタル放送の普及が4000万件を突破し、地上デジタル放送は3757万件と推計しているそうだ。

 今大会は、全競技の国際映像が初めてハイビジョンで制作された。2006年から始まった携帯電話向けの地上デジタル放送「ワンセグ」のデータ放送で、五輪情報を提供した局もあるという。

 また、今大会では初めて五輪の映像がインターネットで国内に限り配信された。民放各局は共同の五輪動画サイトを開設し、5分以内に編集した競技・種目のハイライトを400本近く流した、という。人気種目に限らず、放送されにくいカヌーやセーリングなどの競技も取り上げたという。アクセス数は公表していないが、サイトではベスト5が1時間ごとに更新されたそうだ。

 NHKもホームページでニュース映像を配信し、動画へのアクセス数は110万を超え、「技術的には生中継も可能。今回は次の五輪をにらんで試験的に実施した」という。

 HNKと民放はすでに、10年のバンクーバー冬季五輪と12年のロンドン夏季五輪の放送権を325億円で一括契約、地上波テレビ・ラジオ、衛星放送、ネットの権利が含まれている、という。

 坂東記者のリポートにあったアメリカだけじゃあないんだ。足元の日本でも「五輪狂想曲」にならざるを得ない経営要請があったのだ、とシビアに資本主義の論理が分かる解説記事だった。

◆オリンピック選手の顔が幼く見えてしまったワケ~鹿島茂氏の分析

 面白かったのが毎日新聞8月27日朝刊文化面連載[引用句辞典 不朽版]<北京の「子供顔」>の鹿島茂氏の文章。

 見出しは<「自我パイ一人食い」という団塊世代の迷惑遺産>と、何やら見出しを見ただけでもそそられる。

 <「大塚 君(東浩紀)がよくいう小さな遊び場で、大人にならなくてもいいからっていうのは、それこそぼくたちの時代にもあったメッセージだよね。浅田彰の『逃走論』がある意味ではそうだったし、中森明夫たちが言っていることもそうだった。もっと言っちゃえば、それは団塊世代の思想だった。(中略)団塊世代も大人になりたくない大人たちだったから」(大塚英志+東浩紀の対談『リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか』講談社現代新書)>

 なるほど、これをまず引用してきたか。鹿島先生、さすがにいいところに目を付けておられる。

 <北京オリンピック・女子ソフトボールのテレビ中継で400球を投げぬいた上野投手の力投を見ながら、団塊世代以上の人は、昭和33年・日本シリーズの西鉄ライオンズ・稲尾、あるいは翌年の日本シリーズの南海ホークス・杉浦を想起したのではないだろうか?
 そうそう、昔の日本人には、たしかにこうした肉体の限界を越える超人的な「大人」がいたものだ。上野の顔は久しぶりに「鉄腕」という言葉を思い起こさせてくれた「大人顔」であった。>

 <半面、テレビ画面に映る日本人選手の顔が、種目・男女を問わず、ひどく幼く見えてしまったというのもまた事実である。これは私一人の思いすごしだろうか?>

 と、この問いが、北京五輪と今、最高に旬な本である「リアルのゆくえ」を結びつける結節点なのである。

 <どうも、そうとは思えない。欧米や中国の選手と比べて、日本人選手が例外的に若いというわけではないのに、日本人選手だけが特別に幼く、子供のように頼りなく見える。ごくわずかな例外を除いて、男も女もみんな「子供顔」なのである。>

 <かつて、マッカーサー元帥は離日後のアメリカ上院で、民主主義の成熟度に関して(ただし、好意的な意図のもとに)「アングロサクソン民族が45歳の大人だとすれば、日本人は12歳の子供だ」と発言して物議をかもしたが、この元帥の言葉を、ごく単純に肉体的、精神的成熟度と捉えた場合、それはそのまま21世紀の日本人に当てはまってしまうのではなかろうか?>

 なるほど、フンフン、それで…。

 <なぜなのだろう? なにゆえに、また、いつごろから、日本人は肉体的にも精神的にも大人になることを拒否して、子供のままであり続ける道を選んだのだろう?>

 名調子である。

 <思うに、原因は二つある。>

 そうか、二つか。

 <一つは、日本における高度資本主義の異常な発達。なぜ、高度資本主義が「日本人総子供化」の要因かといえば、それはマーケットの大半が子供(大人になりきれない大人)であれば、それだけ儲かるという原理が働いているからだ。>

 <商品に対する判断力をもった大人が消費者では、新しくて便利な商品の宣伝をしても、簡単には買ってもらえないが、消費者が子供なら、いくらでも宣伝に乗せることはできる。世の中に子供が増えれば増えるだけ、高度資本主義は儲かるような仕組みになっているのである。>

 売りつける対象とは確かに判断能力のない「子供」のままフリーズドライしておけば、物を売りやすいだろう。流行させれば買うのだから。

 <もう一つは、成熟に伴う責任を回避したいと願う人間がある時期を境に急激に増えてきたこと。その時期とは、これは自ら体験したことなのではっきりといえるが、団塊の世代の登場からである。>

 さあ、「団塊」責任論である。居住まいを正して読もうじゃないか。

 <思い出していただきたい。大学生になってもマンガを読む。背広のかわりにジーンズとTシャツを着る。結婚を回避して同棲を選ぶ。サラリーマンとなるよりも民芸品店(あるいはモダンジャズ喫茶)の主となる、等々、記録に残されている団塊世代の特徴は、いずれも成熟拒否のピーターパンたちの発したメッセージだったのだ。>

 ピーターパン症候群かぁ、懐かしい言葉がたくさん出てきます。

 <それは、自我というパイを家族、共同体と分かちあうことを前提とする日本人的な、いいかえれば大人的な生き方を、団塊世代がなによりも鬱陶しいと感じ、自我パイは全部一人で食べたいと思ったからにほかならない。>

 <もちろん、自我パイの一人食い(これは当時、「感性の無限の解放」などと呼ばれた)は共産主義ユートピアと同じくらいに不可能な絵空事なのだが、しかし、それは幻想であるだけに、後続世代に強い影響力を及ぼした。>

 <共産主義の幻はあとかたもなく消え去ったが、「自我パイ一人食い」幻想の方は消えるどころかますます強固なものとなり、その結果、気がついてみると、日本人は全員、自我パイは一人食いしていいと信じる「子供」と化していたのである。>

 随分とひねくれた文明論だな、これは。「自我パイ」の配分論って誰の論理なんだっけ?

 <オリンピック選手の子供顔を責めるのは酷である。彼らを子供顔にしたのは戦後の日本社会そのものなのだから。>

 と、まあ、”鹿島節”全開です。好きなテーマなので、読みながら、ついつい全文を引き写してしまいました。

 異論反論もあるし、「子供顔のせいだけじゃあないだろう」、と突っ込みを入れたくもなるが、こうした、ちょっとひねくれた分析というか、見方は、みんなが一点集中、蛸壺に入ろうとしている時には強烈な爆弾となって、理性を呼び戻してくれるきっかけになるかもしれない。

 このタイミングで東、大塚の対談本と北京五輪を結びつけた牽強付会さ。鹿島さんの精神力というか、体力はすごいと思う。こうした”斜め斬り”論文を新聞社の編集委員とか遊軍記者にももっともっと書いてほしかった。もっと読みたかった。野球選手、男子体操、柔道…みんな幼かったんだもん。ひ弱だったんだもん…。カッカしている時こそ、こうしたシラケさす論文が必要なのです。

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2008年8月24日 (日)

書評 谷徹、今村仁司、マーティン・ジェイほか著「暴力と人間存在」(筑摩書房)~「暴力的文化アイコンとしての『赤ずきん』物語」など収録

 2008年8月25日初版第1刷発行。定価3200円+税=3360円。帯には<社会に隠された暴力をあばき、その真相と本質を解明する>とある。表紙裏の宣伝文句は次のようなものだった。

暴力と人間存在 暴力と人間存在

著者:谷 徹,今村 仁司,マーティン・ジェイ
販売元:筑摩書房
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 <戦争・殺人・虐待・いじめ・DV……。あまりにも多様な暴力がわれわれの社会を脅かしている。いや、暴力は人間の生活全体のなかに住みついているのだ。暴力が人間の存在規定と不可分であることを疑う人はもはやいないだろう。とすれば暴力現象の解明は、その深さにおいて人間そのものの解明でもある。人間が人間として存在するかぎり、人間は暴力から完全に解放されることはないかもしれない。しかし、そうであるからこそ、暴力に適切に対応することが求められている。暴力の問題は、思想・倫理・法律・政治・文化・歴史・教育・心理・医療……など、きわめて広い領域に関わっている。しかも、すでに明るみに出された暴力だけでなく、これまで明るみに出ることのなかった暴力が、それらのいたるところに潜んでいるのである。本書は、こうしたさまざまな暴力の問題に取り組むために、可能なかぎり研究の領域を広げ、隠された暴力を掘り起こしながら、暴力現象の深層と本質を解明する。暴力と人間存在との関わりを理論的・実証的に考察した画期的成果。>
 谷徹氏によるまえがき、あとがきによると、2004年に今村仁司氏らが中心となって立ち上げた「暴力論研究会」は2007年度末までに計26回の研究会を重ね、その成果に基づいて本書ができた、ということだった。
 「2001年9月11日の同時多発テロで21世紀は幕を開けた。あまりにも多種多様な暴力が現出している。これらは人間存在には暴力が深く根付いていることを示しているものではないか」という認識で、人間研究としての暴力研究を続けたようだ。
 ところが、中心人物の今村氏が2007年に病に倒れ、永眠された。大著「社会性の哲学」を残すことができただけでも良かった、という。
 残念ながら、この本に入っている今村論文が難しすぎたので、この大著を読もうとは思わないが。
 たしか、今村さんといえば、最近、岩波書店から出た「岩波社会思想事典」の編集者だったのではないか、と思って、探してみたらやはりそうだった。
 思想史事典のはしがきでも、「誠に残念なことに、今村仁司氏は、2007年5月、本事典の完成を見ることなく、病に斃れられた。心より哀悼の意を示したい。そして、共同編者としては、本事典が、今村氏の御遺志に違わぬものになっていることをただ願うばかりである」とあった。共同編者は三島憲一、川崎修両氏だった。
 ちなみに、思想史事典の「暴力」項目は今村氏が書いており、「暴力と権力」「供犠(sacrifice)の暴力」「排除の暴力」の三つに分けて説明していた。短い説明なお出、余計分かりにくい感じがした。
 さて、「暴力と人間存在」に戻ると、幅広い分野の専門家がずらりと揃って、暴力を論じた論文が目一杯詰まっている感じである。
 難しくて分からない論文も多かったが、こういう業際的作業は「知」の総合化のために必要だろう。
 私のような専門知識のない素人がある程度読め、薄々でも理解できた論文だけあげておこう。
 著者たちはほとんど、立命館大学の学者さんたちである。谷さんの人脈なのだろうか。
▽谷徹「暴力論の基礎考察」
 暴力論を3分類する。
 ①社会論的暴力論(ソレル、ベンヤミン、アドルノとホルクハイマー、ジラール、今村仁司)…「社会」の成立要因の考察の中で暴力が問われる。
 ②心理学的暴力論(フロイト、ハーマン)
 ③現象学的暴力論(ハイデガー、アーレント、レヴィナス、デリダ)
 の三つである。
①社会論的暴力論
 ベンヤミンは暴力を、法がおのれを維持するために用いる「法維持的暴力」と法を初めて樹立する「法措定的暴力」の2種類に分ける。
 この二つは「神話的暴力」とされ、それを破壊するものとしての「神的暴力」を対置する。
 神話的暴力は権力に結びつき、神的暴力は法外な正義の支配・統制の可能性を開くことが重要とされる。
 神的暴力は「法」を超えた「正義」である。つまり、法自体が暴力(神話的暴力)であり、その法=暴力に支配された世界を、その外部の正義(神的暴力)と関連させることが重要だった。
 これはデリダが「もろもろの小文字の法を超えた大文字の法そのもの」を考えたのと同じ問題意識だ、とされる。
 フーコーにとっては「近代における権力」が最も重要な研究対象だった。
 しかし、フーコーの言う「権力」は独特の含意を持ち、それは「見る」とともに「知」あるいは「理性」と一体化している。
 フーコーは「臨床医学の誕生」で近代医学が死体を開いて見ることで、生命とそれに結びついている病の闇を光に曝す、つまり「見る」=「知」「理性」を育てた、と見る。伝統的に高級な感覚とされた「見る」は曝すものとして暴力的なのである、と。「見る」を高級と見ているかぎり、この暴力性は隠れている、という言葉にも含意がある。
 さらに、フーコーは「監獄の誕生」で、残酷な公開処刑(死)を人々に見せることによって自らを維持してきた王権的権力が変貌し、新たに、拡散した・ミクロの権力が「パノプティコン」(一望監視)型の「眼差し」(つまり「見る」こと)を張り巡らすことによって、いわば自発的に権力に服従する「主体=臣民}を形成するようになったことを示した。
 また、「見る」のみならず、「知」も人畜無害ではなく、権力による支配と結託しているのである。
 この支配の仕方で印象的なのは、それが(主体化=従属化)といういわば自主的な従属を示す概念で表現されたことであろう。「主従」が反転的に結びつくのである。主体を主体的と見ている限りでは、その従属性は隠されてしまう、とあった。つまり、なかなか見えない真実が多いのだなあ。
 さらに、フーコーは、「狂気の歴史」で、近代の理性が狂気を閉じ込めるという形で(いわば敵意を持って)排除したことも示した。
 そして、また「性の歴史」第1巻で、性の秘密を告白させる医学・精神医学の「知」がセクシュアリティなるものを形成して、それに反する性的異常なるものを排除し、そのことを通じて人間の生全体を支配・管理しつつ「生・権力」として機能するようになったことを示した。
②心理学的暴力論
 心理学的暴力論の典型はフロイトだ。フロイトは当初の「攻撃欲動」の理論から、「生の欲望(エロス)」と「死の欲望(タナトス)」の理論に進み、サディズム、マゾヒズムなどの概念を使って分析を進めた。
 エーリッヒ・フロムの「権威主義的人格」と「自由からの逃走」のプロセス分析。
 この心理学的暴力論では暴力被害者の心理も問われる。
 だが、暴力現象は総じて隠れる傾向を持つ。とりわけ性的事象が絡むと、この傾向はさらに強まる。
 J・ハーマン「心的外傷と回復」。トラウマ(心的外傷)と孤立無援化、解離=その事件の記憶を統合できなくなること。外傷的事件は被害者に他人や社会との「感情的紐帯」を引き起こし、他者との関係のうちで維持されている自己というものの構造を粉砕する。そして、世界の安全性の基礎的前提を破壊する。世界に対する基本的信頼がなくなる。
 通常、幼児は肯定的な自己像のうえにイニシアチブを取る能力を発達させるが、それの発達が不十分だと、その人は罪悪感と劣等感を起こしやすい、とハーマンは言う。
 しかるに、外傷的事件は、被害者をこうした状態に陥れる。そのことから、被害者は、被害者自身が悪いのだという感覚をもってしまう。こうして「離断」が生じる。
 さらに、長期の反復性外傷は「監禁状態」という条件によって生じる、とハーマンは言う。
 長期の監禁状態において加害者は被害者に加害者を尊敬するように、また感謝や愛情を表明するように要求し続ける。
 参照されるべき事象として、従軍慰安婦の場合、オウム真理教の場合などがあげられているが、実際の分析には入っていない。自分で考えてみろ、ということだろう。
③現象学的暴力論
 現象学的暴力論だ。フッサールでは暴力論まで進まなかったが、ハイデガーで根源的な経験における暴力とでもいったものが露わにされた。ハイデガーの暴力論はアーレントやレヴィナス、デリダを引きつけた。
 しかし、ハイデガーの「ポレモス」論はナチスの人種優越主義を止めることができなかった。
 ハイデガーのナチス加担責任問題である。ロゴス的収集とポレモス的闘争。「生」は「戦争で生き残ること」の単語と同根だった。ハンナ・アーレントの「暴力について」や、レヴィナスのハイデガー批判h、ハイデガーを基礎にしながら、それを批判的に乗り越える試みだった。
▽今村仁司「暴力以前の力 暴力の根源」は読んだが、難しくて全くチンプンカンプンだった。残念だが。
▽鳶野克己「暴力の教育的擬態を超えて――教育学的暴力研究における人間学的展開のために」
 これは、学校などでの「暴力反対」教育が児童・生徒に効果を表さない原因を探求する試み。
 教育とは、そもそも「望ましい人間の望ましい生き方」に向けて子どもに働きかける営みだから、親や教師にとっては、それを目指し、実現すべき価値的目標となる。
 その価値的目標を目指す営みは、到達度を測られ、評価される。
 評価とはある事象を特定の視点から当該の評価対象として位置づけ、基準に即してランク付けする作業だから、子どもも親も教師も、教育し教育されることを通して自分たちのうちに到達された成果としての「望ましさ」の度合いに応じて位階が与えられる。
 与えられた位階の違いは価値的な優劣と上下の差を意味する。
 したがって、教育は「望ましさ」という価値的目標を実現するために、その到達度を絶えず向上させていくことを迫られ求められる営みとなる。
 「望ましい」は強制になる。それが「教育に固有な暴力性」だ、というのだ。ただ、これも普段は隠れていて見えないので、生徒にも[親にも教師にも気付かれにくい。だから、教育に暴力が内在しているという認識がなくなり、「学校から暴力を追放しよう」という空虚なキャンペーンが繰り返されるのだ、と分析している。
▽福原浩之「暴力とその癒し――インナーチャイルド・メソッドの観点から」
 これは面白かった。実践論である。滝に打たれ、瞑想して、と、その山伏のような生活がうらやましい。
▽竹山博英「組織犯罪と暴力」
 これは風変わりな研究。イタリア・シチリア島のマフィアの歴史の研究である。マフィアが暴力を目的にしているのか、お金なのか、とか。シカゴ・マフィアのルーツがどのように誕生したか、よく分かった。読みやすいし、勉強になって面白かった。
▽服部健二「暴力・審判・救済――ヘーゲル哲学を参考に」
 これは精神障害者の犯罪を裁くことができるか、など非常に現代的問題を罪刑法定主義の父フォイエルバッハ(ヘーゲル学派のフォイエルバッハの父)とヘーゲル本人の思想を対比させながら考えたものだ。
 罪刑法定主義はもともと、「罪を憎んで人を憎まず」で、人を罰するのではなく、あくまで行為を、しかも有責の行為のみを罰しようとした思想。
 昔、聾唖者とかが責任能力なしとされ、それが徐々に改正された。日本の刑法でも1995年(平成7年)には阻却対象から外された経緯があり、今日、統合失調症といわれる精神障害者もそれと同じ可能性がある、とする。
 「内面を裁くのではなく、行為を裁く」という近代刑法の基本思想をある意味徹底しながら、精神障害者の場合も、その行為によって分節している自己があるのだ、と考えることができるのではないか、と問題提起するのである。
 <精神障害者を法的世界の正当な住民と認め、憲法に保証された裁判を受ける権利を認めることによって、ヘーゲルが目指したように、法の正義の回復と彼らあるいは彼女らの自己回復の機会も与えられるといえよう。そうしてはじめて、近代刑法の大きな問題点の一つが乗り越えられるのではないだろうか。>
 この視点は私には新鮮だった。どうして、あまり話題にならないのだろう? もっと主張、論争されてしかるべきではないか、と思うのだが。
 2003年7月に成立した「心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律」で精神科医に再犯の恐れがあるかどうか、の管理的判断まで求められるのは問題だとしていた。
▽ウェルズ恵子「暴力的文化アイコンとしての『赤ずきん』物語」
 この本で、これが一番面白かった。
 相当に長い論文だが、何しろテーマが赤ずきんちゃんである。グリム童話が有名だが、ウェルズ氏はそれ以前の民間伝承まで遡るとともに、最近の庄司薫の「赤ずきんちゃん気をつけて」や米国の映画まで引っ張り出してきて、時代と「赤ずきんちゃん」の消費のされ方、性的な表象なのか、暴力との関係がどうなっているのか、などをきめ細かに分析していく。
 学術論文を読んでいて「わくわくドキドキ」はほめ言葉ではないだろうが、まさに「わくわく」する論文。一般の単行本になっても、売れるのではないか。
 読んでいて、森鴎外「山椒大夫」を思い出してしまった。
 安寿と厨子王の物語だ。
 ハッピーエンドではない。母と安寿の悲劇があり、その対極としての厨子王の出世話がある。
 底流のテーマは権力と悪とセックスである。子供向けではセックスは隠されるのだが、子どもは心の中に疑問を持ち続け、大人の性への架け橋にもなりうる物語だ、と思っていたのだが、ウェルズ氏的に言えば、この物語も時代の中で改編されてきたのかもしれない。
 男性中心社会の成立とか、関係あるのだろうなあ。それに、山椒大夫とその仲間の「山賊」という職業も、後世に抽象化されただけで、当時は「山賊」だって、いいところをたくさん持っていたから、生き残れたのだろうし、とまあ、この論文はいろいろな連想を膨らまさせてもくれる。お薦めの論文である。
▽最後の三つの論文は難しいので、除外させてもらう。
 戦争からいじめまであらゆる「暴力」の学際的研究をまだ続けているそうだ。
 地味な研究だが、今や「戦争とは何か」「平和とは何か」「テロとは何か」「反テロ国際協力とは何か」が問われる時代である。本にあるとおり、人間と暴力が切っても切り離せないことが分かった、という。それが分かれば、分かるほど、その暴力をどうコントロールするか、が問われるのだから。貴重な研究をもっともっと続けてほしい。

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2008年8月21日 (木)

大澤真幸、大澤信亮、東浩紀座談会<秋葉原事件と時代の感性>~毎日新聞夕刊から

 秋葉原の17人殺傷事件から2カ月、という節目で毎日新聞は8月20、21両日夕刊文化面に大澤真幸、大澤信亮、東浩紀3氏の座談会を連載した。秋葉原事件についてはいずれ、今までためておいた新聞の切り抜きなどを見直して「まとめ」を書こうと思っていたが、これもそれなりに力が入った連載だったので、あくまでこの記事に限定してコメントを付けた。連載の主な内容とコメントを記しておく。
◆3氏の略歴(紙面によると)
 大澤真幸氏 1958年生まれ。東大大学院博士課程修了。「ナショナリズムの由来」で毎日出版文化賞。今春「<自由>の条件」「不可能性の時代」「逆説の民主主義」を立て続けに刊行。
 大澤信亮氏 1976年生まれ。慶応大学大学院修士課程修了。若年層労働問題の雑誌「フリーターズフリー」「ロスジェネ」編集委員。「宮沢賢治の暴力」で新潮新人賞。
 東浩紀氏 1971年生まれ。東大大学院博士課程修了。東工大特任教授。批評誌「思想地図」編集委員。「存在論的、郵便的」でサントリー学芸賞。ほかに「ゲーム的リアリズムの誕生」など。
 生まれ年には注目しておこう。こうした社会問題では大澤真幸氏が座談会で言っているように、世代的差異が色濃く出るからだ。「ビートルズ世代」「東京オリンピック世代」など。ただ、大澤真幸氏は団塊の世代を「連合赤軍」世代であるかのように言うが、昔はこのような犯罪で世代を分けていなかったと思う。大型犯罪を時代の象徴として考えること自体、新しい傾向だ、ということも踏まえておきたい。
◆2日間の紙面の見出しを人物別に分類すると……
 見出しは、
 真幸氏<メディア上の議論少ない 「無名性」こそが苦しみ 共感だけで連帯できない>
 信亮氏<「誰でもいい」が共感呼ぶ 自己啓発で解決しない 既存システム根本の問題>
 東氏<労働運動の言葉届くか あきらめて主体は安定 愛の損失コストを下げよ>である。
 2カ月という時間の経過を咀嚼した議論ができたのかどうか。この内容ならば「事件後1カ月」時点でも話せたのではないか。2カ月という時間の経過は、もう少し世界状況まで含めて幅広く、なおかつ歴史的に奥深い議論を生むことができたのではないか、とも思うのだが、大事件を現代史に意味づけることが得意な3氏の議論を読みながら、その言葉を拾ってみよう。
◆メディア論・事件の位置付け論
 大澤真幸氏は秋葉原事件についてのマスメディア上での議論が比較的少なかった、90年代のオウム事件や酒鬼薔薇事件では、事件の不可解さからメディアはなぜ事件が起きたか、一所懸命考えたが、2000年前後から犯罪者への関心が急速に下がって「変な人はいる。それよりセキュリティーだ」となった。一方、ネットではものすごい議論がある、と言う。最後の締めとして、「一つの事件が事件以上のものになることがある。僕にとってはオウム事件がそういう意味を持ったし、団塊世代ならば連合赤軍だ。この事件は確実にある人々にとって出来事以上の出来事になると思う」と。
 東氏は「マスコミの言論が社会的包摂の機能を失っているのではないか。事件の意味を見出し、それに社会全体が共感して『異常者』を包摂する構図が信頼されなくなってきた」と分析する。また、「マスメディアの若者像は90年代半ば、援交少女の時代から凍結されている気がする。社会的に事件を包摂できない背景には、そういうマスコミの事情もあると思う。就職氷河期などで世代交代が進まなかった時期にネットが普及したから、ネットと従来のメディアとの関係が、世代間格差に重ね合わされている」と興味深い見方を披露。「今回の事件はタイミング的にもフリーター問題やロスジェネ論壇の盛り上がりと一致していた。象徴的な事件になるよう運命付けられていたと思う」と全体の議論を締めくくっている。
 信亮氏は「分かりやすい原因探しだけでなく、『原因を貧困に求めるな』とか『彼はオタクではなかった』とかの一見『冷静』な判断も一種の思考停止に見えてしまう。必要なのは語る側の内省だ」と話す。
◆「誰でもいい」と匿名性と非正規雇用労働者の労働運動
 東氏は「最近、通り魔事件のキーワードは『誰でもよかった』だが、精神科医の斎藤環氏がいうように被害者だけでなく加害者も誰でもよかったのではないか。『敵は貧困を生み出した経団連なりであるはずが、間違えて秋葉原に行った』という話ではない(この説は雨宮かりんがどこかに書いていた説)。むしろ匿名の誰でもいい加害者が匿名の誰でもいい被害者を殺すことでしか今の怒りは表現できない。その匿名性、あるいは無名性がネットで共感された」と。
 信亮氏は「『反貧困』の湯浅誠氏が言う五重の排除(教育、企業、家族、公的福祉、自分自身)でがんじがらめにとらわれている。その解除を目指すプレカリアート運動(フリーターや派遣など若年層の労働運動)の訴えが最も届けるべき典型的当事者である加藤容疑者に届かなかったことは深刻だ。『自分は被害者』『誰かのせいにしたい』ではない、一方で被害者であり同時に他方で加害者であるという二重性こそが当事者性だと思う」と。
 真幸氏は「ちょうど40年前の永山則夫事件と比較すると、まともな教育を受けられず4人を連続射殺し、獄中で勉強して『貧困による無知が自分の事件を生んだ』との結論に至った。恩師の見田宗介氏は『~からの疎外』の前提に『~への疎外』があると提唱した。

 永山には『~への疎外』があったが、加藤容疑者はそれからも疎外されていたのだろう。『~への疎外』があればまだまし。貧困は『富からの疎外』だが、豊かになりたいという気持ちは『富への疎外』であり、加藤容疑者にはそれがなかった。『~への疎外』の中にいれば、資本家を狙ってテロをする構図になるが、加藤容疑者にはそれすら成り立たない。彼の事件はテロとして失敗しているという意味でテロになっている」と。

 またまた難しそうな言葉を使っているので、頭の悪い私にはすぐには理解できないのだが、つづめて言えばこういうことか。

 永山は勉強してみたら、自分の無知さ加減を知り、事件についても客観的に認識できたが、加藤容疑者は勉強したのに、頭の中がグチャグチャになっていて、訳がわからなくなっていた、と。違うかな?

 東氏は「今の若者は地縁、血縁を意識しないから『自分が選べないもの』をあきらめて受容するという経験が少ない。ペンキ屋さんの息子がペンキ屋を継ぐしかなかったからペンキ屋になったのと違う。ネオリベラリズムによって社会の流動性が高まった結果だ。今の競争社会はギャンブル社会。スタートは同じだが、後はガラガラガシャーンで何人か抜けて残りが負け組みになる。こういう社会では無名性、匿名性の感覚が強くなるから、今回のような事件が共感される」と言う。
◆ではどうする?
 東氏が「僕は肯定しないけれど、無意識のうちに『対策』は生まれている。たとえば自分探しや自己啓発セミナーは『無名のあなた』に『本当の自分』を発見させる術だと言える」と2人から批判されることになる『自分探し』礼賛論をぶって「彼らに欠けているのは自分の人生を自分で引き受けること。自分が選択できないものを選択して、人間は主体を構成する。普通は地縁や血縁。本当はこの場所でこの時代にこの親に生まれたくなかった。でも、それを仕方ないと、いわばあきらめて主体は安定する。あきらめずには大人になれないのに、現代社会ではそのあきらめの回路がうまく働いていない」と主張する。
 そして、赤木智弘氏「『丸山真男』をひっぱたきたい」を、あれは「自分が正社員になれなかったのが耐えられないから世界をリセットしたい」という願望だ、として「正社員になれなかったのは運が悪かっただけかもしれない。不条理は修正する必要はあるが、他方で絶対にある程度の不条理が残るのも確か。その部分は世界の決定事項として引き受けるしかない」との重大発言をする。
 つまり、「お前ら、諦めろよ」と言っている。未練がましく、誰が悪い、彼が悪い、俺はもっとできるはずだ、俺は不当に低く評価されている、という怨念を忘れて、自己啓発セミナーに行きなさい、と勧めているように見える。
 他の2氏は「ではどうする?」という青少年対策、犯罪防止対策などについては、生産的な提言はしていなかったように思う。
 二日間の紙面を通読し、東氏の「諦めろ」論が突出した印象を受けた。
 「諦める」ことが必要なことは言を待たない。

 昔は「分相応」「分不相応」という言葉もあったが、戦後は「平等」が「何でも平等」「何でも一緒」「差異はいけない」と、どんどん拡大解釈され、その拡大解釈への批判を口にしづらい空気が支配する世の中になった。

 誰も「分相応」などという「差別的言辞」を使わなくなった。

 人間の可能性は無限大で、努力すれば大統領にもなれるし、ノーベル賞ももらえる、と「みんな」学校で教わり、「本当にそうかな?」と疑いながら、半分はそう信じながら長い間生きてきた。

 脱構築といい、ポストモダンと言われながら、こんな<戦後民主主義(この言葉が今も生きていること自体、面白いのだが)>が今でも人々の心の中に連綿と生き続けているのが現代の日本社会なのではないか、というのが私の感想だ。

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2008年8月18日 (月)

書評 座談会/辻井喬・尹健次<戦後史のなかの日本>特集=戦後思想再考―「新しい戦争の世紀」から(神奈川大学評論創刊60号記念号より)

 たまに手に取る雑誌なのだが、1970~80年代の、あの問題意識がまだ生きている、というとアナクロニズムみたいだが、そうではなくて、真摯に物事にぶつかる姿勢がいい、と思える雑誌である。

 年3回しか出ないのだが、たとえば3月に出た59号は「特集=グローバル化とナショナル・アイデンティティ~未来のために」で京都大学の大沢真幸氏がトップの対談に出てくる。2007年11月の58号は「特集=ネクスト・ソサエティへ~希望格差社会を超えて」▽2007年7月の57号は「特集=『大きな物語』再論と知識人の役割~未来への思想のリレー」▽2007年3月の56号は「特集=日本近代<知>の巨人たち~時代に屹立する精神」▽2006年11月の55号は「特集=日本の文化と文学―移りゆくものを見つめて」▽2006年7月の54号は「特集=科学文明と魔術の森」、など特集のタイトルを見ただけで面白そうだ。

 神奈川大学評論編集専門委員会は後藤仁委員長と12人の委員からなるが、センスがいいのだろう。

 創刊60号記念号は冷戦が終わったものの、2001年9月11日の同時多発テロとそれへの報復としてのブッシュのアフガン、イラク戦争で幕を開けた「新しい戦争の世紀」に立って、今、「戦後思想」を振り返る、という趣向である。

 まずは辻井喬と尹健次の「対談:戦後史のなかの日本~アジアとつながる思想をめぐって」である。

 辻井喬氏は1927(昭和2)年生まれ。詩人・作家。「鷲がいて」「書庫の母」「新祖国論」「ポスト消費社会のゆくえ」(上野千鶴子氏との共著)など。読売新聞に週1回のペースで1ページの回想録を連載しており、人気抜群。セゾングループ総帥としての経営者の顔よりも、作家としての顔のほうが似合う。

 尹健次氏は1944(昭和19)年生まれ。思想史・日朝関係史専攻。「孤独の歴史意識」「現代韓国の思想」「『在日』を考える」「ソウルで考えたこと」「思想体験の交錯――日本・韓国・在日1945年以後」など。

 対談は尹氏が辻井氏に東大在学中の共産党細胞時代の真実を聞くところから始まる。辻井氏の発言には「立派だ」と思った言葉が多かった。抜き書きするが、分かりやすいように発言の前に見出し風のダイジェストを付け、尹氏の発言の前には★マークをつけておいた。

 (戦後の思想混乱のもとは終戦への言い換え) <無条件降伏を終戦といい替えたところから戦後の思想の混乱が始まっている、と私は思います・あれは敗戦で、したがって、日本の国の制度、組織がほんとうは全面的に変わったんですけども、それを何とか言葉でごまかして、民主主義体制は拒否できないが、それを形骸化しようという動きは最初から私はあったと思うんです。>

 「言い替え」の話である。敗戦を終戦と、だけではない。

 (民主主義「革命」はナショナルなものの取り返し運動) <マッカーサーという軍人がとにかく戦争をすることの好きな人で、彼が実権を持っていたために、かつての日本の指導者をまた活動できるようにした。その間にかつての日本の指導者は、本質的にはすっかり変わってしまって、アメリカの従属国のリーダーとしての姿勢を思想的にも持つようになっておりましたので、その結果として、抑え込まれたナショナリズムというものが地下水脈のように残ってしまった。そこへ、共産主義と、社会主義革命思想が入ってきました。自分のことで考えますと、その当時の大学などでの共産主義の運動のリーダーには、ずいぶん軍隊帰りの人が多かったですね。陸士、海兵、海経。その人たちは、いままでの指導者で戦争に負けたんだから、新しい指導者でナショナルなものを取り戻そうとしたわけです。それを「革命」といっていたというのが、いまから考えるとかなり強い要素だったではなかったのか。>

 属国のリーダーたちは旧体制でもリーダーだった。その下で実権はないのに、命を失いそうになって戦った青年たちが、失敗したリーダーたちを引きずり落とそうとしたのだが、老獪な連中は反省もせず、アメリカ権力に擦り寄って「ポチ」に成り果てただけでなく、日本国民すべてを「ポチ」にした。この怒りが安保闘争だし、反米闘争だったのだ、という主張である。

 (敗戦前の「愛国者」はインチキであること) <ドイツは国内で戦争責任の裁判を行っているんです。日本は行ってないですね。連合軍の裁判だけで済んだのだと認識しているわけです。ですから、私にとっては敗戦前の「愛国者」「民族主義者」、いずれも括弧付きです。これはたいしたことのない愛国者であり民族主義者だったんじゃないかと思うのです。と申しますのは、マッカーサーが日本をほんとうに使おうとして、追放を解除し、戦犯を釈放しますね。そのとき私は一人でもいいから「アメリカの命令で釈放されても私は活動する気にはなれない。こんな恥ずかしいことはない」といって自決でもするような元指導者がいたら、その人は本来の民族派だったなと思うのですが、みんな喜んで、尻尾を振ってノコノコ、巣鴨拘置所から出てきたわけです。それで偉そうな顔をするなというのは、恥の上塗りという言葉が日本にはありますけれども、マッカーサーの変節で、とにかく共産主義の防波堤に使おうとしているわけですから。それに尻尾を振って喜んでマッカーサーバンザイといって、総理にまでなったひともいるのでね。元をただせば、戦争責任をあいまいにしたからです。これが思想的な低俗化、堕落の根本原因だとぼくは思います。>

 戦争責任問題と、今の日本の行き詰まりをこのように鋭利に関連付ける言説はめったに見られなくなったなあ。でも、辻井氏の言うことはまったく正しい。

 (吉田茂の評価) <負けた国が軍隊を持ったら、いままでの歴史を見てもろくなことがないんです。戦争に勝った国の顎使に甘んじて一番危険なところへ負けた国の軍隊は派遣される。日本は戦争で経済もムチャクチャになり、この復興をすることが第一なので、何とか軍隊を持たないでいきたいというように吉田茂は考えたんですね。私は、リベラルなナショナリストという意味では吉田茂という人は存在意義があったと思いますね。>

 (新左翼の誕生) 辻井氏は「ところが」と言って、当時の「革新」はミソもクソも一緒にして、ソビエト体制に賛成か反対かで、ソ連体制に疑問を呈する奴は全部敵、反動分子としてしまったので、革新派は大衆からどんどん孤立した。しかし、大衆には「もう戦争は嫌だ」という気持ちが強かったので、拙劣で稚拙なスローガンしか言わないような革新派でも3分の1は取れた、といい、「そういう意味では60年安保、全国的な安保運動、これをどう評価するかも、日本の戦後史を考える上で大きな問題」という。しかし、いまだに60年安保の改定反対運動はどっちが勝ったか決着がついていない、という。いわゆる新左翼の一部の人が「あの時に全学連の学生が全員国会へ突入すれば勝てた」というのだそうだ。辻井氏は「これはアジア全体の情勢を何も見ていない。しかし、全学連の国会突入を阻止したのは共産党である、そういう平和ボケした共産党を叩き潰すのが本当の左翼の運動だ、と今も言っています。あの60年安保改定反対運動から新左翼が生まれてくるわけですね」と分析する。そして、次のように話す。

 (所得倍増反対に固執してしまった革新派) <ぼくはあのときには、安保改定反対運動派が勝ったと思っているんです。なぜならば内閣を辞めさせたわけですから。それから、イデオロギー闘争を放棄させた。もうイデオロギー闘争なんかしないで、とにかく所得倍増でいこうと。ぼくも大衆の一員として、所得が倍増になったらそのほうがいいなと思いましたし。ところが古い左翼もそうなんですけれども、所得倍増は嘘だ、騙されるなといって反対をするんですね。だけど、どんどん経済は発展していくわけです。そうすると、反対、反対といっていてもだんだん生活は、格差はもちろんその中で生まれていますが、向上し、そうなると旧革新系がだんだんやせていくのはやむを得ないいきさつだったと思います。>

 (ベトナム戦争は共産主義との戦争ではない) 辻井氏はベトナム戦争の時、アメリカ人が「ベトナムが共産化すればインドネシアもフィリピンも共産化する」というドミノ理論を言って「だから、アメリカは犠牲を覚悟の上でベトナムに兵隊を出している、真空状態にするわけにはいかない」と言うので、「ベトナムにはアメリカなんか及びもつかない長い生活の歴史があり、1500年は越えているだろう。その人たちにとってはアメリカがいようがいまいが、真空状態になるなんていうことはあり得ない。あなた方はアジア人を見損なっている」と主張した。「ベトナムの戦争は共産主義の戦争ではなく民族主義の戦争です。それをあえて共産主義の起こした戦争だ、と言い換えている。これはアメリカがおかしいんじゃないか、と言って、そこで徹底的にぼくは孤立しました」と話している。その日米経済人の会合で、辻井氏以外の日本の経営者はアメリカ人に同調したのだが、その原因について辻井氏は「変な国粋主義が15年間、事実上20年にわたり日本支配をし続けていた時代があって、敗戦のときにその歴史印決着をつけないできていますから、アレルギーがずっと残っていて、それは革新勢力をも非常に弱くしたと思っています。ベトナム戦争の時はほんとうにそれを痛切に感じました」と語っている。

 (市場原理主義について) <日本は取るべき道とは逆に行ってしまいました。大きく切り替えるべき時に自由競争原理主義のような、ヒットラーになり損ねたデマゴーグが出てきて、あれは決定的に日本を不幸にする道へ導くものです。分岐点を、悪いほうへわざと渡ってしまったと思うんです。中国はそういうことがないようにしてもらいたいと思います。>

 ★(尹氏の発言=日本の若者こそ日本政府に反日教育を受けている) <日本が謝罪・補償も何もしないなかで、何らかの拍子で中国で反日デモが起こると、あれは愛国教育、反日教育の結果だというんですけれども、2000万人もの人間が日本軍に殺されたという中国で、日本を恨みに思わないわけがないのであって、だから国内的要因がさまざまに複合的に絡み合っていたとしても、日本に対して怒るのはあたりまえです。それを日本のマスコミは「反日デモ」だといって難癖をつけて、その要因はといって、常に相手に罪を求めるわけですよね。それはおかしいわけです。私は日本の若者こそhんにち教育を受けていると思います。たまたま勝手に産み落とされて、自分が自覚しない間に教育を受けて日本人に仕立て上げられて、日本国民だといわれているその本人印、大学生に聞いてみると、自分の国の歴史を知らないですよ。日本国民として育てられて、日本国の近代、現代の歴史を知らされていないんですよ。これが反日教育でなくて何かというわけです。>

 (日本人が口を挟むべきでない朝鮮半島の統一問題) <ぼくは実を言うと朝鮮民主主義人民共和国にだけ行ってないんです。何遍も来てくれといわれました。なえぼくが行くんですかといったら、南北統一を進めたいから、北へ行って、統一をすべきだということをいってくれ、みたいなことをいわれました。社会党の幹部の人でしたが、ぼくはびっくりしました。社会党は歴史に対してそんな認識なのかと。そんな発言権が日本人にあると思っていることがまず基本的な間違いだと、ぼくは今でも思っています。統一をしたほうがいいにきまっているけれども。それは朝鮮半島に住む人々が話し合って決めるべきことで、わけても日本人は発言権がないんだと。日本の帝国主義がそういう歴史をつくったんだから、その恥ずべき事実を忘れてはいけないと、思わず声を荒げて議論したのをいま思い出しました。強いて言えば、国内問題、朝鮮半島に住む人の内部の問題なんです。>

 ★(出自に拘れ、と尹氏) 尹氏の「日本人の意識、日本のマスコミの中では、南北は完全に分離されたまま固定していますね」と鋭い観察の言葉。辻井氏も「そうでしょう。あれは不思議です。どうしてそんな感覚ができるのか」と答えている。言われてみれば、そうだなあ、と思う。別の国、と思っている。生まれて約60年、ずっとそうだった。尹氏は「もう少し日本人としての歴史的認識を持つべきであろうかと思います。森崎和江さんが去年お出しになった著作で、日本の女として一人前にんりたいから旅寝を重ねたとおっしゃっていますが、私は偉いと思うんです」といい、在日朝鮮人だけでなく、日本人も自分の出自、来歴に拘るべきだ、という。「出自、来歴は自分で選べないからこそ、それにこだわってこそ、やがては世界に通じる市民になれるはずです。その固有性を否定するとだめだ、、と思うのです」と。

 (アジアの近代の形) <日本の知識人が認識を曇らせてしまう一つの条件として、モダニズムの問題があると思うのです。つまり、韓国に近代があったか、中国に近代があったあk、というわけです。それがほんとうはとてもおかしな話で、では日本にはあったのか。そもそも近代、モダンというものは何なんだ、と。日本の知識人の場合はほとんどがヨーロッパ型近代という概念しかないわけです。ぼくはアジアのモダン、近代というのがなくてはならないのではないかと思うのです。というのいは現在アジアのほとんどの国が経済の発展過程に入りつつあります。経済は数字、GDPとして出てくる数字などでどれだけ大きくなったかを計ります。しかしヨーロッパ型の近代社会はなかなかできない。どうもアジア印はアジア流の近代というものがあるのではないか。…専制主義ではない秩序というか、近代秩序というものが構想されなければならないところへ来ているのではないでしょうか。>

 ★(尹氏=本文化論の危うさ、閉鎖性) 尹氏は「非ヨーロッパ的近代」といい、日本の場合にはアジアと繋がった意味での日本の近代化ということになるが、それがない、戦前は軍国主義できたし、思想哲学といえば京都哲学で近代の超克といって非ヨーロッパだけれども、ではアジアとつながっているか、というと、繋がっていない。そうすると日本主義、日本精神になる。日本精神の核はやはり天皇主義になる。日本が敗戦して、そこを反省すればよかったが、反省できないからアジアとつながらない。さらに日本が調子よくなると、ヨーロッパを排除して日本文化論になる、と「日本文化論」の閉鎖性、危うさを論じた。

 ★(尹氏=日本はアジア侵略を謝罪していない)<日本の国家、国家としての日本というのは、アジア侵略を謝罪していない。学生に聞くと、右翼の人と同じで何回謝罪すればいいのか、と言うが、一度もしていない。日本国憲法第41条に国会は国権の最高機関と書いてある。国権の最高機関は総理大臣ではないんです。天皇でもないし。都合のよいように、そのときどき、好きなことをいえばいいわけではないのです。日本の国会は一度も謝罪決議をしたことがないし、補償もしたことがない。何もしていないんです。これでアジアとつながろとうというのは無なんです。終戦50年決議もとんでもない決議だったし。あれは自分の責任をうやむやにする。そこがまずだめなんです。(もうちょっとはっりさせることは)自民党が許さない。そういう風に考えると、経済も大事ですが、文化が必要です。そして文化の前提として、歴史認識、謝罪、それをしなくてはいけないということになると思うのです・戦後日本で最大の問題はアジアの問題です。これはずっとつながっています。戦後六十数年たってまだやっているわけですからね。いつまでやるか。しかも若い人は何も知らないわけですから、これはもうどうにもならないですね。>

 (我がこととして天皇制のことを考える) <天皇制の問題って自分の問題なんです。我がこととして天皇制の問題を考えないと、知識として考えてもだめなんです。というのは、ユングではありませんが、集合的無意識という厄介なものがありまして、この力は大きいですね。どういうことかというと、たとえば昭和天皇が病気になったときに、ほとんど1カ月半ぐらい天皇の病気の話ばっかり。…病名すら発表しない。発表できないようなものだったら日ごろメディアだなんて威張るなといいたいんですけどもね。足だけは癌だということを最初にいったのかな。あれは不思議です。ぼくは日本は全然変わっていないという感じがした。>

 (朝鮮植民地統治は最悪の帝国主義だった) <朝鮮の問題は、植民地統治をした。しかも、あの支配はひどすぎます。日本の帝国主義というのは最も質の悪い帝国主義だったとぼくは思います。なぜそんないnもっとも質の悪い帝国主義になったかというと、国内での民衆支配の仕方も最も質が悪いからなんです。だから国内の問題と植民地支配の問題は共通している。ぼくは、差別されるほうの育ちですから、差別している奴は理屈ではなくて感覚的にだめなんです。それでも集合的無意識という問題には自分の問題としてぶつかります。>

 (批判者を失った資本主義の悪い面が出たイラク戦争) <「戦争」という言葉もよっぽど気をつけて使わないといけませんね。今世紀に入って起こっているのは、古い意味で戦争とは違うとぼくは思うのです。それをアメリカだけが古い意味の戦争にすりかえて、イラクを攻めたりしているんですが、あれは完全問題の本質を古い戦争にすりかえてやっている。反テロ戦争だという言い方をしますが、これはちょっと違う。現在は産業社会の堕落と、堕落することによってひどくなる資本主義、つまり批判者を失った資本主義の悪い面が出てきている。それに対する批判の一部がテロみたいな形で出現したのであって、イラク国家がアメリカと戦争をしようとしてやったものではありません。…日本がそれに追随しているというのはなんともお粗末な限りだけれども、あれは産業社会の否定的な側面をどうやって乗り越えるかという課題を間違えた形で出した。テロ自体はもちろんよくないんだけれども、昔の戦争と同じとは絶対いえない要素がある。だから、戦後思想という場合に、天皇制と朝鮮の問題を抜きにした日本の民主主義というのはかなり危ういものあよということなんですけrてども、その危うい民主主義思想でもって新しい戦争の時代に向かうと、これはちょっと危ないという感じがぼくはしています。>

 最後に辻井氏は新しいタイプの共同体、新しい国際的共同体を形成する必要がある、という。個人個人の夫婦間とか、家族間の共同体をベースにした、人権、平等、社会的意識みたいなものをはっきりした共同体を構想していくしか、今の状態を直していく方法はでてこないんjなないか、という。今の資本主義がこのまま進むとは考えられないが、オールタナティブは社会主義ではない。共同主義とでもいうようなものが必要だ、というのだ。グローバルに対する反グローバルを意識した共同体というようなものだ、という。

 酒井直樹氏「戦後史への疑問」、橘川俊忠氏「論壇時評 思想問題としての戦後」など、興味深い論文が多く、またの機会に書評を書くことにしよう。

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2008年8月13日 (水)

「若者異変」を批判する前に大人は自らを省みよう~この1年の論壇時評とコラムから

 秋葉原事件のスクラップ記事を整理しようと切り抜きの束を見返していたら、それよりもずっと前の切り抜きに目を奪われてしまい、「途中下車」してしまった。

 若者の心も病んでいるが、それ以前に、大人も変じゃないか、という現代日本人気質について、評論家や学者がいろいろ分析している記事がいくつか見つかったのだ。まず、それを整理、書き写すことから始めよう。

◆藤原新也氏は「戦争後遺症が過保護生む。自ら後遺症であることを自覚せよ」と提言する

 約1年前の新聞記事である。日経新聞2007年9月26日夕刊に写真家の藤原新也氏のインタビュー記事が載っていた。聞き手は文化部・海野太郎記者。<親も教師も・・・しかれない時代/戦争後遺症、過保護生む>の見出しで、

 <親が子をしかれない。教師が生徒をしかれない。”しかれない時代”は一過性か、構造問題か。社会批評に定評のある写真家の藤原新也さんに聞いた。>

 という前文。東京・渋谷近くに住む藤原さんは人込みに足を運ぶ機会も多いが、散策していて気になるのは若者より、むしろ中高年の振る舞いだ、という。藤原さんは1944年福岡県生まれ。東京芸大中退。1978年「逍遥游記」などで木村伊兵衛賞。82年「全東洋街道」で毎日芸術賞。代表作に「東京漂流」「メメント・モリ」「千年少女」など、とあった。

 <先日、駅のエスカレーターに乗っていたら、僕の前の男が、いきなり手のゴミを脇に投げ捨てたんだ。企業でいえば部長級だろう。頭にきたので大声で注意したら、彼は後ろを向いてニヤッと笑った。卑屈な顔で、見逃してくださいという感じでさ。僕は企業に詳しくないけど、社内と社外は彼らにとって別世界なのではないか。彼らには、社内の規律を守り利益を出すことこそが大事。囲いの中で育ったから、囲いが外れると節度をなくしてしまう。しかられても適当にごまかせばいいと考えてしまう。>

 <他人をしかるには、自分に厳しい必要がある。でも今の日本では、大人が自分を律することができない。日本は基本的に企業社会だが、企業では相互監視の中で生きているから、自分自身を律する必要がない。それを何十年も続けると、自分を律する方法が分からなくなるのだろう。>

 <消費社会の進展も、無視できない理由だと思う。消費社会では、消費者は王様なんです。恐らく教育にも、そんな思想が投影されている。保護者はコストを払い、先生を雇っていると考えている。ちょっとうるさい先生は、すぐヤリ玉に挙げられる。教師は足がすくんじゃうよね。>

 <身もふたもない言い方をすると、戦争以前に生まれた人には威圧感があったね。何か悪さをして、そういう大人が近くに来ると、思わず身がすくんだ。理屈じゃない。身体的な威圧感だった。>

 ここからが、いろいろ考えるべき事柄が詰まっている言葉が頻出する談話となる。私には言葉の宝石のようにも思えたのだが。

 <僕は、しかれない理由を突き詰めると、戦争体験に行き着くと思う。日本は戦争の結果、原爆を二個落とされ、多数の人が死んだ。こんな国はほかにない。日本人は戦争後遺症という、とてつもなく重い病を抱えている。>

 <その後遺症が平和主義と暴力否定を生んだ。これは正しい。絶対善。逆に言うと、僕らの戦後は絶対善に縛られてきた。もちろん、僕は戦争も暴力も嫌いだ。だが、その暴力否定が生活の細部にまで行き渡り、人を諭すため平手でたたくことも暴力といわれ、子供同士のけんかも否定されてしまう。こんな過保護な国も日本以外にはない。>

 <実は、僕らはそんな風潮がおかしいと気づいている。しかるという行為は、必ずしも論理で説き伏せるだけではない面を持っている。まず僕ら日本人は、戦争後遺症というトラウマを抱えていることを自覚すべきだと思う。治癒のためには、自分を知ることが必要なんです。>

 叱れない親、他人の子はもっと叱れない。そんな風潮が蔓延している。なぜこんな世の中になってしまったのだろう? ずっと疑問だったし、今でも結論は出ない。だから、藤原さんの説は大きなヒントになる。「そうかぁ、戦争後遺症かぁ……」と。

◆香山リカ氏は即断即決せず、じっくり論理的に考えて「キレない人間」になれ、と諭す

 日経新聞2008年3月13日夕刊には精神科医の香山リカさんのインタビューが掲載されていた。<大人もキレる時代 香山リカさんに聞く/理屈より情/若さ求め人格未成熟>の見出しだ。

 香山さんは精神科医、帝塚山学院大教授。1960年北海道生まれ。東京医科大卒。臨床経験を生かし、社会・文化批評を手掛け、現代人の”心の病”について洞察を続けている。著書に「なぜ日本人は劣化したか」「『悩み』の正体」など。2008年1月に「キレる大人はなぜ増えた」(朝日新書)を出版した、とあった。

 <イライラが高じて心の中に収めておくことができなくなり、あからさまに不快な表情を見せたり、暴言、暴力に及ぶ。そんな「キレる人」が増えている。香山さんも診察室でそうした例をよく見聞きするようになったという。>という前文で始まる。深堀純編集委員の記事だ。香山さんの話の内容を抜き書きする。

 <最近では分別のあるはずの大人、それもエリートといっていい人まで簡単にキレてしまう。そうさせる何かが起きていることは間違いありません。>

 <何か、は一つや二つでなく多くの要因が絡み合っているが、その一つに日本人が論理より情動に動かされやすくなったことがある。キレた人にその時のことを聞くと、たいていは「頭の中が真っ白になって……」と言います。興奮のあまり理性的に振る舞えない、言い換えれば情動をコントロールできなくなっているわけです。だから「こんなところで暴れたら周囲に迷惑もかけるし評価も下がる」といった適切な判断ができなくなる。>

 <それは日本人全体の傾向です。田中真紀子さんや小泉純一郎さんが人気を集めたように、理屈を尽くされるよりも情に訴えられた方が腑に落ちる。「真・善・美」より、「泣ける・笑える・感動できる」に価値を置く風潮が「キレる大人」が増える下地になっていると私は考えます。>

 <90年代以降、市場主義的、新自由主義的な考え方が浸透して日本の社会は大きく変わりました。主張しないのは負けだという風潮が急速に広がったのです。本当は何か言いたいところだけど場所や状況を考えて抑えるとか、相手に悪意がなさそうだから許すという寛容の精神が失われてしまった。自己主張したり、イエスノーをはっきり言うことは必要でも、論理的であることが大前提です。なのに日本人は声高に言うことと勘違いしてしまった。それも「キレる大人」が増えた一因でしょう。>

 <「エイジレス」とか「」エイジフリー」という言葉に代表される年齢に関する意識の変化もその一つです。急速に少子高齢化が進む中では、人々が年齢から解放されることは社会の要請です。女性がいくつになってもファッションに興味を持ったり、シニア世代の男性がスポーツカーを乗り回すことで初めて経済が成り立つからです。>

 <いくつになっても若い心を失わない「年甲斐のない大人」は、消費や文化の世界では望ましい存在ですが、それが人格まで「年甲斐なく」未成熟な大人を生んでしまった可能性はあります。五十代、六十代、あるいはそれ以上の人に「ファッションや好奇心は二十~三十代のままで。でも人格の成熟は年相応に」と望むこと自体、都合が良すぎたのかもしれません。>

 <大きな声や傲慢な態度は周りをねじ伏せる力を持つことがあります。するとそれを見て「キレれば周りは言うことを聞く」と思う人がいてもおかしくありません。「キレる大人」がさらなる「キレる大人」を生む連鎖を断ち切るには、即断即決、勝ち負けをその場で決める短期決戦型の発想を改め、多少時間がかかってもじっくり論理的に考えてみたり、その場で答えを求めず回答保留のまま検討を続けることなどにもう一度取り組んでみることが大切なのではないでしょうか。>

 キレない秘訣、キレた人への対処法については、

 <何より、外部の視線で自分を客観的に見直してみることです。自分にカメラが向けられているつもりで、どんな姿をさらすか想像してみるのです。するとかなり格好悪いことが分かります。理不尽な状況に巻き込まれても、法や警察に訴えるほどでもなければ、災難と思って忘れた方がいいこともあります。相手がキレているときは、一対一で巻き込まれないように気をつけるべきです。話を聞いてあげるに越したことはありませんが、「落ち着いたら聞こう」といって聞き入れられなければ、その場を去ったほうがいいでしょう。>

 以上である。なるほど、最後の忠告など、精神科医としての経験の重みを感じるひと言だ。香山さんの語り口がとても聞きやすいので、あえて要約することもないのだが、

①「真善美」より「泣ける・笑える・感動できる」に価値を置く風潮が「キレる大人」の一つの原因。

②市場主義的・新自由主義的考え方が浸透し、寛容の精神が失われ、何でも主張すればいいという風潮になった。それも論理的に、ではなく声高に、と誤解されたままで。

③エイジレスなど年齢に関する意識変化が成熟できない大人を生んだ。

④即断即決するのではなく、時間がかかってもじっくり論理的に考えよう。

⑤キレそうになったら、自分を外部の視線で見てみよう。キレた人とは一対一になって巻き込まれないように。

 ――というアドバイスだと思う。なるほど、言われてみれば当然というか、そうだなあ、という感じのことばかりだが、意識したことはなかった。意識して振る舞うことが大切なのだろう。

◆鷲田清一・大阪大学総長も「わかりやすく」の危うさを説く

 朝日新聞2008年8月4日朝刊[クロス×トーク]は鷲田清一大阪大学総長に政治学者の苅部直・東大教授が聞く、という形の対談。見出しは<「わかりやすく」の危うさは/いらだちや暴力性を感じる/「思考の熱狂」あおらないで>だ。

 鷲田氏は1949年京都市生まれ。大阪大学教授などを経て2007年から阪大総長。専門は哲学、倫理学。近年は現実社会の諸問題をその発生の現場から思考する「臨床哲学」を試みている。著書に「ちぐはぐな身体」「普通をだれも教えてくれない」「『聴く』ことの力」「『待つ』ということ」「思考のエシックス」など。苅部氏は1965年生まれ、東大教授。専門は日本政治思想史。著書に「丸山真男」「移りゆく『教養』」など、とあった。

 苅部氏が言っていたが、鷲田氏が初めて一般向けに書いた本が1989年の「モードの迷宮」だという。これは読んでみたい本だ。苅部氏はこの「一般向け」や「わかりやすい」をキーワードに、「わかりやすさ」を求める社会の危うさについて鷲田氏の見解を聞く。鷲田氏の発言からいくつかピックアップしておく。

 <小泉純一郎元首相が使う言葉は、国民の多くが日常の中で感じていたものです。その強度を上げて、ややこしいものは全部抜きにして、ドンと出す。ニュアンスや複雑さへの配慮をあえてせず、それが社会で受けるところに、何か人々の深いいらだちや暴力性の澱を感じます。じゃあ、わかっていたつもりのことが全部ちゃらになる、一から組み替えないといけないと突きつけられる、というわかりやすさも危ない。全部語り直すというのは、幼稚というか性急というか。世界を全部変えてしまおう、みたいな。……>

 <思考の熱狂をあおっちゃいけないんです。どんな時代でも、誰もが反対しにくい思想があると思うのですが、今ほどそれが並列でいっぱいある時代は珍しいのでは。エコっていうと反エコは言えないし、クールビズも私は抵抗したけどだめ。>

 <結論が出なくてもいい、出ないまま、それでも決定しなければならないのが私たちの社会生活だとすると、それをしばらく延期するところがあってもいい。気が晴れない、もやもやしている、そういう時に人は「わかりたい」って思うんだけど、「わかった!」っていうカタルシスを求めてしまうと、問題設定も答えも歪んでしまう。>

 <僕はよく「思考には溜めがいるんですよ」って言うんですが、ある人に「じゃあ溜めをつくるにはどうしたらいいのか」と聞かれました。「溜めをつくろう」というのは、そういう問い方はやめましょう、ということなんです。でも、わからないことに耐えられない。すべてが説明できるとは限らないという苦痛をヒリヒリと感じ、息を詰めていないといけないということもあるんです。わからないことへの感受性をどう持ち続けるか。>

 <僕らが生きている時代って「時を駆る」でしょ。あらかじめやっておくとか、先を読むとか。先に先に、という思考法です。でも、答えを急いで出さず、じっくり考えたり、寝かせたり。すぐにわかろうとしないで、機が熟するのをじっと待つ。それも大切じゃないでしょうか。>

 苅部氏は後書きで「機が熟する」というのは言葉をたどりながら、自分のなかに流れている時がじっくりと熟して、内容を腹の底から納得できるようになる。これが、「わかりやすい」表現の本当に大事なところなのだろう、と書いていた。

 相当にハイレベルな討論だが、私の頭で理解すれば、香山さんの「キレない」秘訣の一つである「即断即決せず、じっくり考える」に通底するのでは、と思うのだ。

◆杉田敦氏は論壇時評で「セキュリティー意識の怖さ」を分析する

 朝日新聞2008年3月27日夕刊[論壇時評]で政治学者の杉田敦氏は<セキュリティー 閉じこもらず、踏み出せるか>の見出しで過去1カ月の総合誌の論文などを批評しているのだが、その中で「世界」2008年4月号の生田武志の「学校で野宿者問題の授業を」という論文をもとに、次のように書いている。

 <近年、少年らによるホームレス(野宿者)への凄惨な襲撃事件が相次いだ。「社会のゴミを退治するという感覚だった」などと嘯く犯人らの偏見が、厳しい現実をふまえずに野宿者を怠け者として扱う大人たちの態度の反映であったことを生田武志は示す。実際に、生田の授業で野宿者と接することによって、子どもたちの偏見は払拭されていったが、一部の親や政治家からは、接触そのものを危険視し、妨害しようとする反応があったという。>

 <こうしたセキュリティー意識は、一般の人々の間に深く根を下ろしているが、それは現在の政治経済体制のあり方と無縁ではなかろう。そこでは連帯は無用であり、「雑音」や「異物」を排除し、周囲を蹴落とすことで、競争力を高め続けなければならないとされている。こうした体制下で疲弊しながらも、それに代わりうる選択肢が見えないという事情が、人々を頑なにしてしまっているのではないだろうか。>

 として、「フォーリン・アフェアーズ」2008年3・4月号のロバート・カトナー「コペンハーゲン合意」に紹介されたデンマーク・モデルがこの点で注目される、と書いている。

 <通常、競争と平等は二者択一的に捉えられるが、デンマークでは、グローバルな競争力を高めつつ、格差の小さい社会を実現しているというのである。「フレクシビリティー(柔軟性)」と「セキュリティー」を結びつけた造語「フレクシキュリティー」がこのシステムの中心にある。そこでは解雇は自由なので、雇用主は好況期には安心して採用できる。労働者は失業しても国による保障が一定期間あるし、スキルを高める制度の充実もあって、再雇用を見つけるのが容易なため、解雇を恐れる必要はない。こうして、労働市場の柔軟性と社会民主主義の安定性が両立するとされる。>

 ただ、こうしたシステムを全く違う出自を持った国に移植できるかどうかは、カトナー氏も慎重だ、と留保をつけている。杉田氏も「閉ざされた境界線の内部を最適化するモデルに過ぎない、という批判も可能であろう」と認めながら、「それでも、政策的な努力の積み重ねで、主権国家レベルとはいえ、せめぎ合う原理の調停が進んだとすれば、その意義は小さくない」として、「排他的セキュリティーに閉じこもることなく、『反乱』を待望するのでもなく、一歩を踏み出すことはできないか」と問いかけている。

 杉田氏の社会民主主義者としての面目躍如たる文章の結びだが、以前もどこかに書いたように、北欧型社会民主主義の出自には優生学的怪しさがつきまとっている。そうした考え方が日本人の国民性と合うのかどうか? 総合的に、それこそじっくりと考えて判断すべきことだろう。

(もう少し追加を書きます)

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2008年8月 8日 (金)

臓器移植とヒト胚研究~宗教・歴史・政治を背景に各国ごとのスタンス(毎日新聞、朝日新聞から)

◆毎日新聞8月8日の記事

 4月30日から3日間、トルコのイスタンブールで開いた国際移植学会で、日本を含む7カ国の移植専門家158人は「臓器移植は20世紀の医学的奇跡の一つだが、ドナー(臓器提供者)の人身売買や貧困者から臓器を買うための富裕国患者の海外渡航で臓器移植の功績が汚された。ドナーとレシピエント(移植を受ける患者)の安全と非倫理行為に関する基準と禁止を確保する透明性の高い監視システムが必要」などをうたったイスタンブール宣言を全会一致で採択した。

 毎日新聞8月8日朝刊くらし面連載企画<臓器移植:現状と課題>上はこの国際学会を詳述した。

 宣言案は当初、生体ドナー(臓器提供者)を「hero(英雄)」と看做すべき、と記されていたが、小林英司・自治医科大教授が「日本では生体ドナーはヒーローではない。heroic(高潔な)と修正を」と主張。日本の生体移植は主に家族、兄弟姉妹から提供され「英雄」表現はそぐわない。また、途上国での臓器売買への批判も込めた修正提言だった。各国は小林教授の提案に賛同し、文言は修正された、という。

 <全米臓器配分ネットワークによると、臓器移植の最初の成功例は米国で1954年に実施された腎臓移植とされる。日本では1997年の臓器移植法施行後、臓器の移植手術が計1万8196件(6月末現在)行われ、そのうち脳死移植は365件。移植待機患者はどこの国でも多いが、生体移植(腎臓、肝臓)への依存度は、フランスが1割未満、米国が約4割なのに日本は腎臓で8割以上、肝臓では99%を超え、その高さが目立っている。>

 国際移植学会が生体移植を問題視するのは、健康な人の体にメスを入れるからだ。また、移植を受けるために海外に行く「移植ツーリズム」が後を絶たず、その先には臓器売買もある。移植医の間で、生体ドナーを保護する取り組みを強化しないと、社会から移植への信頼が失われるとの懸念が強まり、迎えたのが今回の国際学会だった、という。

 宣言では、生体ドナーを保護するためドナーの意思を反映した選定方法や休業補償など総合的な保障制度作りが盛り込まれた。また、生体ドナーを「もう一人の患者」と位置づけ、各国が臓器提供の自給自足へ努力することを原則とした。さらに、フランスが2004年の生命倫理法改正で生体ドナーの術前検診と術後後遺症の有無、重症度記録制度を導入したことを参考に、生体移植のリスク明確化へ今後、国際的統一基準で生体ドナーのデータベース化を協議することにした、という。

 小林教授は今回の宣言について「国によって死や臓器提供に対する認識の違いがあるが、立場が異なる中、誰もが納得するものができた。非常に重要な宣言で、日本も必ず守ることが求められている」と語っている、とある。

 東京財団の橳島(ぬでしま)次郎・研究員の「健康な人の体にメスを入れる生体移植は医療倫理の根本に抵触する行為。欧米では生体移植は本来やるべきでないという意識が強い。今回の宣言も死後の提供を臓器移植の本道と位置づけている。日本では生体ドナーの健康状況の追跡がほとんど行われなかった。臓器移植法を改正し生体移植の続柄制限や実施後の記録制度を導入する必要がある」という談話も紹介し、日本が先進国の中で特殊なのだ、という視点が強調された記事になっている。

 インドやパキスタン、中国などでは、これまで事実上の臓器売買による移植が行われてきたが、中国は昨年、臓器売買を条例で禁し、外国人への移植を禁止。日本人など外国人への腎臓売買が横行してきたフィリピンでも今年、政府が外国人への腎臓移植を全面禁止した、という別稿もつけていた。

◆イスタンブール宣言の骨子は次の通り。(毎日新聞報道による)

 ▽臓器移植は、20世紀の医学的奇跡の一つ。しかし、ドナー(臓器提供者)の人身売買や、貧困者から臓器を買うために海外に赴く富裕国の患者の報告が寄せられ、臓器移植の功績が汚されてきた。▽ドナーとレシピエント(移植を受ける患者)の安全と、非倫理行為に関する基準と禁止を確保する透明性の高い監視システムが必要。▽死体からの臓器移植を始めたり、拡大する努力は、生体ドナーの負担を最小化するのに不可欠。▽レシピエントに有効な治療でも、生体ドナーに危害を加えるのは正当化されない。▽各国は国際組織などと協力し、臓器不足に対する包括事業を実施すべきだ。▽各国は国際基準(国際移植学会がこれまで出した勧告)に沿って死体や生体からの臓器摘出と移植医療を法制化し、実施すべきだ。▽臓器は国内で公平に配分されるべきだ。▽各国は臓器提供の自給自足を達成する努力をすべきだ。▽臓器取引と移植ツーリズムは、公平、正義、人間の尊厳を踏みにじるため禁止すべきだ。▽死体からの臓器提供を増やすため、政府は保健医療施設などと協力して適切な行動をとるべきだ。▽生体ドナーによる提供は高潔で栄誉あるものとみなされるべきだ。▽生体ドナーへのインフォームド・コンセント(十分な説明に基づく同意)では、心理的な影響を考慮すべきだ。医療と心理の両面で、短期的、長期的にケアする。▽臓器提供で生じた実費は、臓器に対する補償ではなく、レシピエントの治療費の一部である。

◆毎日新聞8月15日の記事

 ついでに、8月15日朝刊の企画下<「生体」依存度高い日本、法規制が急務 ドナーに精神的支援を>も一緒に書いておこう。

 2006年に愛媛県宇和島市の宇和島徳洲会病院で臓器売買事件、病気腎移植問題が発覚、生体移植に注目が集まったため、2007年秋に月刊誌「法律時報」9月号が「生体移植をめぐる法的諸問題」を特集した、という。編集部は「臓器移植法が1997年10月に施行され10年。法学者の間でも生体移植の法規制のあり方への問題が強まっていたため、特集を組んだ」という。

 日本で行われる臓器移植に占める生体移植の割合は高く、2006年の腎移植1136件のうち生体83%の939件。肝移植では508件中、生体は99%の503件、だという。臓器移植法は「臓器を死体から摘出すること」を「移植医療の適正な実施」と定め、生体移植に関する記述は一切ない。臓器売買事件を受け厚生労働省は昨年7月に「臓器移植法の運用に関する指針」を改正、生体移植の項目を新たに追加。臓器売買を禁止するため、本人確認の方法を細かく定めたが、生体移植そのものの規制には触れなかった、と書いてある。
 特集号に寄稿した岡上雅美・筑波大准教授(刑法)は「臓器移植法に生体移植の規定がないため、生体移植ではドナーの選定や実施が移植当事者の判断に任されている」と日本の現状を問題視する。

 レシピエント(移植を受ける患者)の苦悩も深い。約20年前にドナーの父親から生体腎移植を受けた東北地方の女性(49)は「健康なのに手術を受けてもらうのは何かあったらと不安でならなかった。手術後に対面し、お互いが元気だと知ったときは本当にうれしかった」と振り返る。医師らで作る日本肝移植研究会の調査によると、ドナーの3.5%に再手術が必要となるような大量出血などが発生。2003年には京都大病院で肝臓の一部を娘に提供した母親が死亡した。

 こうした実態を踏まえ研究会は2005年に移植施設に▽レシピエント死亡など、経過が思わしくなかった場合のドナーへの精神的な支援▽移植施設から離れた地域に転居した場合、診療を受けたりドナー同士が交流を続けられる病院間の「ドナー外来ネットワーク」の構築▽ドナー全員に「健康手帳」を発行し、その情報を定期的に登録する制度の拡充――など7項目の実施を提言。5月のイスタンブール宣言採択となる。

 日本移植学会は倫理指針を定め生体移植は「本来望ましくない。ドナーは6親等以内の血族と3親等以内の姻族に限定する」と定めているが、法的強制力がない。学会理事長の寺岡慧・東京女子医科大教授は「生体移植に何らかの法規制は必要。行政、患者団体と連携してドナーの安全性を高めたい」と話している、という内容だった。
 イスタンブール宣言など、日本の読者があまり知らない国際的視点が入った記事は役に立った。

 臓器移植、生殖医療問題は「生と死」そのものに関わる。各国で対応が大きく分かれているのが実情である。

◆朝日新聞8月8日の記事

 ちょうど朝日新聞8月8日朝刊科学面<ヒト胚研究に隔たり/「推進」英国と「禁止」ドイツ/EU共同歩調に妨げ/日本、クローン人間は禁止/宗教・歴史・政治事情が背景>というまとめ記事が出ていた。

 こちらはスペイン・バルセロナで7月に開かれた欧州最大の科学者会議「ユーロサイエンス・オープンフォーラム」の議論を紹介した記事だ。

 このフォーラムは欧州の統一的な研究体制を推進するため2004年にストックホルムで第1回会議を開催。2年ごとに開かれ、バルセロナ会議には約4000人が参加。幹細胞研究、地球温暖化対策、脳細胞などのテーマについて議論した、という。

 討論会のテーマが面白い。「英国VS.ドイツ 幹細胞研究をめぐる大論争」というタイトルだ、というのだ。ドイツは「胚保護法」でヒトの卵子や受精卵の研究利用を禁じているので、国内では受精卵からヒトの胚性幹細胞(ES細胞)を作製できず、核を抜いた未受精卵に体細胞の核を移植するクローン胚づくりも、実質的に不可能だ、という。国外でもヒトのES細胞研究にかかわると法律違反に問われる可能性があり「EUでの共同研究にも参加できない現実がある」というのだ。

 カトリックの影響もあって与党キリスト教民主同盟など複数の政党が受精卵の研究利用に否定的だからだそうだ。4月の幹細胞利用を定めた法律の改正で国外での研究は違反ではないとsれたが、法律にあいまいな部分があって、状況は大きくは変わっていない、という。国外からヒトES細胞を輸入して研究することは認められている、というが、国際的には理解されにくい。

 一方、英国の教授は牛の卵子にヒトの体細胞の核を移植する研究に欧州で初めて着手すると発表した、という。ヒト性融合胚と呼ばれ、中国、米国で研究報告があるが、日本でも認められていない。英国でも是非が大きな議論となったが、アルツハイマー病やパーキンソン病の患者の皮膚細胞の核を牛の卵子に移植する計画を2006年に申請し、1月に認められたが、「自然の摂理に反する」などと反対する国会議員が研究を禁じる法案を提出、5月に法案が否決され、やっと研究にゴーサインが出た、という。

 このヒト性融合胚からES細胞がつくれれば、「薬や治療法の開発につながる」と研究者は強調する。この教授らは2002年に英国で初めてヒトのES細胞の作製に成功したが、研究に積極的な英国でさえ研究用の卵子は「慢性的な不足状態」なので、動物の卵子利用に踏み切ることにしたという。

 山中伸弥・京大教授が体細胞から作った人工多能性幹細胞(iPS細胞)の登場で、流れが変わるのではないか、との質問にも、英国の教授は「まだ臨床応用までには時間がかかる。ES細胞の重要性は変わらない」と答えていた、という。

◆橳島次郎・東京財団研究員の話

 橳島次郎・東京財団研究員の話を朝日新聞も毎日新聞同様使っていた。この人がこの分野の第一人者なのだろう。「欧州の対立構造は昔からある。ドイツ以外でもイタリア、オーストリア、ポーランドなどは研究に抑制的、スウェーデン、スペイン、ベルギーは推進する側にいる。宗教的理由以外に、各国の歴史と政治事情が大きくかかわっている。英国は伝統的に科学の実用性を重視する現実的姿勢で一貫している。一方、ドイツはナチス時代の優生政策や人体実験への反省から、ヒトの受精卵や遺伝子を使う研究に強い抵抗がある。共通のルールをつくろうと、中間的立場のフランスが国際条約の策定などを通じて仲介役を果たしてきた。ドイツでも規制を緩和する法改正が実現するなど、妥協の動きもある。だが、対立が収斂していくのか、残ったままいくのかは、予断を許さない」との談話だ。

 一方、日本が法律で禁じているのはクローン人間づくりだけ。ES細胞の作製、研究利用には指針があり、研究機関の倫理委員会と国の2段階の審査を求めているそうだ。ヒトクローン胚については文部科学省の審議会が5月、難病治療のためのES細胞づくりが目的の場合のみ、作製を認める指針案をまとめた。卵子や受精卵の一般的な研究利用は指針を作成中だ。

 米国はブッシュ大統領がES細胞研究は受精卵を壊すとして反対し、2001年8月以降の新規細胞株を使う研究に連邦助成を禁じている。ただ、州や民間の資金による研究には適用されず、カリフォルニア州、マサチューセッツ州などは独自に研究を推進している、とあった。

  ヒト受精卵の研究利用をめぐる各国の法規制一覧表は分かりやすい。

                     ドイツ  イタリア  フランス  英国  日本  米国
研究目的の受精卵作製      ×     ×     ×     ○    △    △
廃棄受精卵利用ES細胞作製   ×     ×    ○     ○    ○    △
ヒトクローン胚作製          ×     ×    ×     ○    *    △

 (○は法律や指針で定める。×は法律で禁止。△は法律、指針による規制なし。*近く指針で認められる見通し)=欧州委員会の資料などから朝日新聞が作成した表だという。

 7日に読売新聞が特報し、毎日新聞も朝日新聞も8日の社会面では<インドで代理出産>の記事を大きく扱っていた。

 偶然だが、生殖医療問題である。

 日本人医師が自分の子どもがほしいからと、インド人の女性の卵子を使って、別のインド人女性の子宮に受精卵を入れる方式で赤ちゃんを生ませた。しかし、その医師の妻が赤ちゃん誕生前に離婚してしまった。インドでは両親がそろっていないと、代理出産を法的に認めないので、赤ちゃんが国外に出られず、日本に帰れない。このため、医師のお母さんが現地で赤ちゃんの面倒を見ているのだが、言葉も通じなく苦労している――という内容の記事だった。

 技術が発明されれば、それを利用しようとする人が必ず現れる。禁じても闇の世界に潜って、欲望を遂げようとするだろう。本当に難しい問題なのだ。

 ところで、実は米大統領選挙の隠れた、というか、国内での大きな争点はこの生殖医療問題なのではないか、と思うのだ。ブッシュ大統領が出てきた時もそうだった。もっと具体的に言えば、堕胎の是非を中心とした生殖問題だろう。

 日本はナチスの歴史もなく、カソリックの戒律もなく、どちらかと言えば英国に近いのだろうが、「731部隊の人体実験」などの忌まわしい歴史を自分たちの民族的歴史経験として血肉化していないせいだ、と批判された時に、日本人は論理的に説明できるのか。萎縮しないですむのかどうか。

 何だか日本人特有の「能天気さ加減」のような気がするのだが、この問題は、哲学的・倫理的側面をもう少し真剣に考えたほうがいいのではないか、と思う。

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2008年8月 7日 (木)

朝日新聞の月刊誌「論座」が休刊するという~毎日新聞夕刊から。その後「月刊現代」休刊も

 毎日新聞8月7日夕刊文化面に<論壇誌「論座」が休刊 「保守」批判、格差論などで影響力 朝日新聞の部門見直しで>の一般記事が掲載された。「論座」の休刊はこの記事で初めて知った。

 「9月1日発売の10月号で13年の歴史に幕を下ろす」とある。1995年3月創刊で「『イデオロギーではなく実証的な議論を重んじる』(薬師寺克行編集長)編集方針が『支持』され、ある程度の売れ行きを維持したが、印刷部数2万部は論壇誌の中でも少なめで、最近は実売が1万部を切ることもあったのだが、部数不振が直接の休刊理由ではないらしい」とある。

 <この種の雑誌の採算ラインは実売5万~6万部とされるが、既に多くの雑誌が割り込んでいる。論壇誌には社の姿勢を示す看板や単行本筆者の開拓といった役割もあり、『論座』も「完売しても赤字だが、それでも出す意義があるとされてきた」(関係者)。今回の休刊を薬師寺編集長は「新聞業界全体が右肩上がりとは言えない状況下で、論壇的な内容の新しい伝え方を模索しようとした結果だ」と語る。『論座』は論争的な側面も強く、保守系論壇誌の「過激化」や若者の「右傾化」が叫ばれた06年ごろは、当時の大島信三『正論』編集長(06年3月号)らが登場。06年2月号では読売新聞の渡辺恒雄主筆が若宮啓文・朝日新聞論説主幹(当時)と対談し「靖国批判」で一致した。>

 <若手論者の起用にも積極的だった。犯罪や治安問題の論客、芹沢一也氏や国家論の萱野稔人氏らが『論座』で知られるようになった。「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」(07年1月号)でデビューしたフリーライター、赤木智弘氏もこうした若手の一人。過激なタイトルで論争を巻き起こし、格差論に一石を投じた。>

 <中島岳志・北大准教授も「過激化する保守」批判と若手論者登用という二つの路線の交点で論壇に本格デビュー。中島准教授は「左右の壁だけでなく、論者と読者にある年齢層の壁も越えようとした。『論座』がなくなることで、論壇のたこつぼ化が進まないか心配だ」と言う。『論座』休刊が業界に与える影響は小さくなさそうだ。思想的に対極と見られがちな『正論』の上島嘉郎・編集長も「休刊は本当に残念。論壇の『面倒な』議論が避けられる傾向が、一般に広がりつつあることも休刊の原因ではないか。『明日は我が身』という危機感を持ち、深みのある議論に多くの人が振り向くよう努めたい」と話す。>

 というのが、少し縮めたが、記事の内容である。

 「文藝春秋」を読んでいれば、世界のことも世俗の事情も分かる、と思う人が多いのではないか。昔のように「文藝春秋」VS.「世界」という対立軸があった時代ではない。「中央公論」は読売新聞社に吸収され、時事問題の筆者は読売系文化人と読売新聞記者が多いし、「世界」は時事問題とはズレてきている、と思われている。最も読んでほしいのは学生世代だろうが、「世界」という名前も知らない学生が多くなっているのではないか。「文藝春秋」の一人勝ち、というのが単純な図式だろうし、それこそ保守化した日本をよく表している、と思う。

 それは、<右と左の交差点>という「論座」のコンセプトを無効化したのだろうか。それ以上に、「右でも左でもない」「わが祖国でもない」若者が増えてきたことが背景にあるのではないか。「坂の上の雲」を目指さない。大きなことは考えない。自分のことしか考えない若者がマスとなって増殖しているイメージが広がる。荒涼とした世界なのか、それとも団塊の世代の私にはその内実が見えないだけなのか?分からないことが多い。

(8月31日追記)

 朝日新聞8月31日朝刊対社面にベタ記事<「月刊現代」休刊へ 講談社>が出ていた。

 講談社が発行する総合雑誌「月刊現代」も年内に休刊する、という内容。日本雑誌協会によると発行部数は8万5833部(07年8月末までの1年間の平均)。1966年12月創刊。記事には、

 <長編ノンフィクションなど硬派な記事が柱で、近年ではノンフィクション作家・本田靖春さんの最後の連載「我、拗ね者として生涯を閉ず」などを掲載してきた。05年にはNHKの番組改変問題に関し、ジャーナリスト・魚住昭さんが執筆した「『政治介入』の決定的証拠」を載せた。>

 とあった。「論座」の1万部に比べれば売れていたのに、どうして……、と思うのだが、総合月刊誌冬の時代なんだなあ、と実感した。

(9月1日追記)

 毎日新聞9月1日朝刊文化面コラム[ノートから]に先に紹介した記事と同じ筆者の鈴木英生氏が<「『論座』の時代」とは>の見出しで、また「論座」問題を書いていたので、引き写しておこう。

 <ある若手政治学者は「周りが『論座』読者ばかりだから、実売部数が1万を切ることがあったとは、信じられない」と話していた。『論座』がここ数年、一部でかなり熱心な読者を得ていたのは、間違いない。「ここ数年」とは、小泉政権末期、06年からのほぼ2年半ほど。先日の文化面でも書いたとおり、「『過激な保守』批判」+「若年貧困層問題」+「若手論者発掘」の3本柱が支持されたようだ。>

 <ただし、「保守批判」は安倍政権崩壊以降、ネタとして成り立ちにくくなった。『論座』が批判した『諸君!』『正論』の部数減も著しいとか。「貧困問題」は『ロスジェネ』『フリーターズフリー』などを筆頭に「専門誌」が登場した。『論座』が得意だった思想・批評系論者の若手登用では、東浩紀、北田暁大両氏編集の『思想地図』が台頭した。こうして、『論座』のウリが失われてきた面もあるだろう。>

 <だが、これらだけでなく米国の雑誌『フォーリン・アフェアーズ』の翻訳など、相当に手触りの違う論文までも同時に載せていた。そこに、大きな意味があったのではないか。誌面構成で「異種格闘技」をすることで、特定の傾向ばかり好む「読者共同体」の枠を壊そうとしていたように思う。このことは、いくら強調してもしたりない。>

 と、夕刊記事と同様、様々な論調をごった煮のように取り込んだことへの賛辞が中心。結びは次のような夢物語だった。

 <ところで、『論壇の戦後史』(奥武則著、平凡社新書)は、サンフランシスコ講和条約から60年安保までを<『世界』の時代>、全共闘のころを<『朝日ジャーナル』の時代>と呼んだ。共に、戦後史の中で既にある程度の位置づけが確定した時代だろう。<『論座』の時代>というものがあるとしたら、それは後年、どう総括されているだろうか? 最近、そんなことをふと思うときがある。>

 <「論座」の時代>など、夢物語を語るのではなく、大塚英志、東浩紀著「リアルのゆくえ」(講談社現代新書)で東氏が指摘しているように、「論壇」が機能していない現状を冷静・真摯に分析するところから始めないと、<「○○」の時代>という古き良き時代を追い求めても幻しかつかめないだろう、と思うのだ。少し、厳しいかもしれないけど。

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2008年8月 2日 (土)

「左翼はなぜ勝てないのか」という大沢真幸氏の問い~東京新聞論壇時評から

 7月29、30両日の東京新聞朝刊文化面[論壇時評]で大沢真幸氏は「左翼はなぜ勝てないのか」という興味深いテーマを掲げていた。「秋葉原で17人を殺傷したKが派遣社員であったことから、若年労働市場における非典型労働者(アルバイト、契約社員などの非正規社員)や無業者の過酷な状況に、あらためて社会的注目が集まった。日本では、非典型労働者は、1990年代中盤より増え始め、不況を脱したとされる2000年代に入っても一向に減らず、むしろ増加の傾向にある」という前文である。

 本田由紀氏の「軋む社会」(双風社)は非典型労働者が労働市場で冷遇されているだけでなく、言説の水準でも否定的に意味づけられていることを問題視。「フリーター」「ニート」「パラサイトシングル」などの非典型労働者、無業者を指す語には、負の含みがあり、しばしば若者が非典型労働者化した原因を「甘え」「わがまま」など若者の心理的傾向や態度に帰着させ、彼らの周辺的地位を「自己責任化」してきたことを批判している、という。逆に言えば、非典型労働者の排除や周辺化の「責任」はトータルな社会構造にある、という。

 この論文を読み、大沢氏が抱いた疑問が「非典型労働者の増大はなぜ、左翼勢力の拡大につながらないのか?労働者の味方であるはずの左翼、なぜ、この機に、支持を拡大させられないのか?というものだった。

 「蟹工船」ブームは起きて左翼への期待は若干高まるが、

 <ネットなどに現れる若者の言動の圧倒的な主流の中では、広義の右翼的なものが蔓延しており、左翼は揶揄や嘲笑の対象である。秋葉原事件と関連させれば、疑問を次のように言い換えることができる。なぜ、犯人の怨みは、彼の雇用者や為政者に向かわず、「誰でもよい」という形で焦点を拡散させてしまうのか、と。>

 この問いに正面から取り組んでいるのが「超左翼マガジン」を謳う「ロスジェネ」の創刊である、という。

 <「ロスジェネ(ロストジェネレーション)とは、就職氷河期と言われた90年代に学校を卒業した、現在20代、30代の層、つまりフリーターやニートを大量に生んでいる世代である。この雑誌は、この世代の代弁者たらんとしている。編集委員の一人でもある大沢信亮は、端的に「左翼のどこが間違っているのか?」と題する短編小説の中で、答えを模索する。主人公「ぼく」は、ブログの中で、左翼の「ナルシスティックな自己欺瞞」を非難する。左翼の「『弱者好き』はほとんど病気」だと。どういうことか?>

 ここからが、胸を打つ、というか、「なるほど」と思った箇所である。

 <左翼は、「戦争被害者、在日外国人、女性、フリーター…」といった弱者を次々と見つけ出し、それら弱者に同情し、同時に弱者差別を批判する問題は、こうした弱者への同情が、常に「安全な場所」からのみ発せられているということである。自分自身は弱者の渦中に真に近づかない限りで、弱者の味方になろう、というわけである。「同情」が、むしろ、弱者との間の安全な距離を保障している。左翼は、弱者を「応援」することで、自分自身の善き心、麗しい魂を確認し、ナルシスティックに陶酔しているように見えるのだ。>

 ㊦ではこの左翼的ナルシシズムの典型をチベット騒乱をめぐる海外メディアの報道に見る。弱く善良なチベット人を中国政府が弾圧している、と。だが、そう批判する者のほとんどがチベットと中国の長い関係の歴史を知らない。1949年に中国に占領される前のちべっとのことを知らない。なぜ、僧侶が主に中国に抗議するのかわかってはいない、と書く。

 孫歌は「『総合社会』中国に向き合うために」(現代思想7月臨時増刊号)で善玉と悪玉の闘争という図式で中国社会を見るべきでない、と論したのも、問題にしたのもこのことだった、と。どちらかの陣営が一方的に善で、一方が悪だという決め付けは中国社会の複雑性・総合性を隠蔽することにしかならない、という主張だという。

 <西洋や日本の多くの人々がチベットに同情するのは、チベットに特別な宗教性や精神性を感じるからではないだろうか。つまり、そこには「資本主義の物質文明を超える精神性」という幻想が投影されているのだ。こうしてわれわれは資本主義という問題に行き着く。>と。

 そこで左翼の問題に立ち返る。この辺の論理の複雑さが大沢氏の特徴で、非常に分かりにくいから、私のように頭の悪い人間には一読では分からないことが多いのだが。

 <左翼を特徴付けるのは、普遍性への愛着である。だが、事態を複雑なものにしているのは、普遍性を真に社会的に実効的なものにした動因は、資本主義にこそある、という事実である。資本主義的な市場では、すべての事物が、使用価値としての多様性を超えて、貨幣で表現できるような抽象的な価値をもつ。同様に、すべての人が、具体的な個性を超えて、抽象的な労働力の主体としては同一である。こうした現実を背景にしてこそ、すべての個人は、抽象的な人権の主体としては平等だという普遍的な理念も説得力を持つ。>

 つまり、普遍性である。よく分からないけど。

 <今日、フリーターやニートの自尊心を傷つけているのは、彼らが、いつでも、誰とでも交換可能な小さな部品に過ぎない、という扱いを受けるからである。だが、これは、資本主義的な普遍化の作用のきわめて素直な実現にほかならない。左翼を困難に陥れている究極の原因は、結局、資本主義を上回る実効的な普遍性を提起できていないからである。>

 随分と大きく出たものだ。言いたいことはいろいろあるが、後でまとめて書こう。

 <資本主義のこうした容赦ない力を実感するためには、もう一度、中国に眼を向けるのがよい。>

 として、阿古智子「腐敗と格差の根源は何か」(ラチオ5号)で中国社会におけるきわめて不公正な司法制度の実態を自身の調査をもとに具体的に報告している。

 <普通、資本主義という経済は、民主的な体制とともにあるときだけ、自然で整合的に機能すると考えられてきた。しかし、中国の現状が教えることは、資本主義は、権威主義的な権力と結合しても問題なく動く機械だということだ。資本主義の普遍性は民主主義のそれを凌駕しているのである。この不気味な現実に、どう対抗したらよいのか。>

 これで㊤㊦論文が終わりである。大沢氏らしく、結論らしい結論はなく、自分への、そして読者への問いかけで終わっているのだが、どうも少し違うのではないか、という気がしてならないのだ。

 まず、プレカリアート問題が、いかにも資本主義の必然で「仕方ないんだ」的に扱われるのだが、そうではなく、資本主義を取りながら、なおかつ民主主義政体を取りながら、北欧諸国のような社会民主主義を取れば、再分配問題は大きく変わるのでないか。

 アメリカ的民主主義、「小さな政府」的な自己責任政府だけが民主主義政府ではない。ヨーロッパの実験にしても、国の主権を共通団体に一部移譲しながら、地球憲法的な考え方を重視して、個人の「生きる権利」を重視するものではないか。この部分を論じないで、議論がわき道に入っていないか。

 また、日本で左翼が振るわない理由としては、社会党の長期欺瞞政治や、共産党の抱える広がりのなさ、民主集中制、マスメディアの変化嫌い、「政権担当能力」重視の論調なども大きく影響しているだろうが、そもそも、日本では社会民主主義的なモデルが乏しく、有権者に社会民主主義への想像力が欠如していることが最も大きな問題ではないか。

 「ああ、こんなのもいいな」と思い、憧れれば、その方向に進むものだ。北欧民主主義にしても紹介される時にはいい部分しか紹介されていない、という歪みがある。実際には、北欧民主主義は「人間中心主義」なだけに、精神障害者差別など、いろいろな問題も抱えているらしい。もっとトータルな思考がほしいのだが、言語のバリアーが思いのほか大きく、海外の思潮がそのまま日本に紹介されず、紹介された時には、何らかの部分が紹介者によって捨象されているケースが多い。これも、日本で西洋的思考を試みる際の大きなネックになっているのではないか。

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2008年8月 1日 (金)

書評 「環境活動家のウソ八百」

 「環境活動家のウソ八百」(リッカルド・カショーリ、アントニオ・ガスパリ著、洋泉社、798円)を読んだ。

環境活動家のウソ八百 (新書y 198) 環境活動家のウソ八百 (新書y 198)

著者:リッカルド・カショーリ,アントニオ・ガスパリ
販売元:洋泉社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 「偽善エコロジーの本質を暴く!」という目立つ帯がついた新書である。翻訳した草笛伸子氏は環境問題の専門家なのか、訳語も適切だと思う。非常に読みやすかった。

 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」の中部大学総合工学研究所副所長の武田邦彦氏が推薦している。

環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks (024)) 環境問題はなぜウソがまかり通るのか (Yosensha Paperbacks (024))

著者:武田 邦彦
販売元:洋泉社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 環境保護運動の隠された目的が優生学と同じで優越者の子孫を残し、貧者、低開発国の人々の断種、人口減にあることを様々な資料をあげて主張した書だろう。

 この本を読んで、今までいいことだ、と思っていたバース・コントロールというものがいかがわしく思えてきた。

 これが本当ならば、一人っ子政策を続ける中国という国は最初から欧米帝国主義に思想闘争で負けているのか? 

 様々な疑問を起こしてくれる常識破りの本である。筆者が二人ともカソリックの大学の研究者であることを頭において読んだほうがいいだろう。

 つまり、一神教的な世界観が充満している本である。

 イスラムにしろ、カソリックにしろ、アミニズムへの憎しみがある。環境活動家の主張する「ガイア理論」が本当に汎神論的なものであるのであれば、逆に言えば日本や中国などアジア諸国の民衆は欧米出身思想である国際環境派の考え方、行動と手を携えられそうだ、とも思うのだが。

 まあ、じっくり読んだ本なので、じっくりと内容を書き出しておこう。

 主な内容は次の通りだ。

 ダーウィンの弟子が始めた優生学は世界の大富豪たちの後押しを受けながら、弱者、貧困層に子どもを生ませないバース・コントロール運動となって世界に広がり、ナチスの人種差別に好意的対応をしてきた。

 ナチスの敗北で優生学や人種優越論、大量断種政策の時代が終わったと思われていたのだが、実は優生学思想はロックフェラー財団などの応援を得て、「家族計画」「バース・コントロール運動」としてよみがえった。

 ここで編み出された論理が「持続可能な開発」「生活の質」という考え方だった。

 いかに人々に本人が気付かない自発的淘汰をさせることができるか、のキーワードだった。

 環境保護運動(エコロジー)もルーツは優生学に深く根差していた。「エコロジー」という言葉自体、ダーウィンの後継者で人種差別主義者のエルンスト・ヘッケルが作った。
 優生学運動と自然保護運動は歩調をそろえて成長した。

 各国の政府に大きな影響を与え始めたのは1965年、リンドン・ジョンソン米大統領が「人口抑制政策に投資する5㌦は100㌦の経済成長に匹敵する」というスローガンを打ち出したことだった。

 1950年代半ばに「人口爆弾」という小冊子を出してバース・コントロール運動とエコロジストたちの連携を目指した運動をしていたヒュー・ムーアの功績だった。

 ムーアらのIPPF(国際家族計画連盟)は国連にも食い込んだ。UNICEF(国連児童基金)も子どもたちの保護という本来の目的からフェミニズム運動の支援へと次第に活動の内容をシフトさせた。

 そして、1970年の「第1回アースデイ」では「人口は汚染する」という新しいスローガンを掲げ、環境保護団体など一般市民の心までとらえ、決定的な飛躍を遂げた。

 優生学がこれほど様々な形で成功をおさめた背景に北欧の社会主義運動が貢献していた。

 スウェーデンなどで強制断種が行われていることが暴露されたが、社会民主主義の政治家でノルウェーの元首相で当時は野党労働党の党首だったグロ・ハルレム・ブルントラントが1983年、ペレス・デ・クエヤル国連事務総長の要請を受けてWCED(環境と開発に関する世界委員会)委員長に就任した。

 1987年に出版されたブルントラント委員会最終報告書「地球の未来を守るために」は「持続可能な開発」という概念を初めて成文化した画期的な内容となった。

 この概念は新マルサス主義の理論をギュッと詰め込んだ「新マルサス主義の申し子」。人口増加が開発の遅れと環境破壊の元凶であると明文化された。

 この最終報告書の提言の一つが「環境をテーマにした世界規模の会議の開催」だった。

 これを受けて1992年、リオデジャネイロで国際会議が開かれた。その後、5年間連続して開催された国連の国際会議の始まりだった。

▽1993年 人権をテーマにしたウィーン会議
▽1994年 人口と開発をテーマにしたカイロ会議
▽1995年 社会開発をテーマにしたコペンハーゲン会議
▽1995年 女性をテーマにした北京会議
▽1996年 ハビタット(居住環境)をテーマにしたイスタンブール会議
▽1996年 食糧問題をテーマにしたローマ会議

 である。

 これらの会議において承認された一連の「行動計画」は持続可能な開発など、いくつかのインパクトある理念に基づいて作られた、いわば「世界憲法のようなもの」の成立につながっていく。

 その「世界憲法のようなもの」は今や多くの国々の法律を根底から変えさせるほどの影響力を持ってきた。

 欧州憲法の前文からは「持続可能な開発」の概念が明確に読み取れる。

 これらの会議に共通する「開発と環境」というテーマへの取り組みはまさにブルントラント委員会の報告書が意図していたものだった。

 その影響力は大きかった。国連関連機関の実質的影響力はここ数年、増してきている。

 世界銀行やIMF(国際通貨基金)を含む国際機関の財力を前にしては国際機関からの資金援助に頼る多くの国が言うことを聞かざるを得ない。今では世界銀行はバース・コントロールの導入・実行を交換条件にして借款、支援を行っている、というのだ。

 1992年のリオ会議では採択に失敗したものの、2000年3月、「地球憲章」が制定された。動物、植物同様人間も一括りの生命共同体に属する、という考えに基づいた一種の汎神論が特徴だ。

 順風満帆に見えた環境保護運動が挫折したのは2000年11月の米大統領選挙で急進的環境活動家でもあった民主党のアル・ゴア副大統領が共和党のジョージ・W・ブッシュ氏に敗れたことだった。

 ブッシュ大統領はただちにクリントン前大統領が進めていた妊娠中絶合法化の方針を撤回し、世界中で強制的なバース・コントロール・プログラムを展開しているという批判のあったUNFPAやIPPFのような国際団体への助成金も停止した。

 京都議定書の批准も拒否された。ヒト・クローンまで禁止する新しい大統領の確固たる姿勢に優生学活動の連携に混乱が生じた。

 2002年のヨハネスブルグ地球サミット(リオ+10=環境についてのカイロ国際会議で承認された行動計画の10年後の評価をするという意味)でグリーン(自然保護)運動の議事予定が実質的に封じ込められ、2004年の「カイロ+10」となるはずだった国際会議の開催を取りやめた。

 人口過剰への対応は1798年に「人口論」を書いたマルサス以来のことだ。

 人口は2-4-8ー16と等比級数的に増加するが、食物生産は1-2-3-4と等差級数的に増加するので、人間を養っていくための食糧の量を人間の数が上回る時代はとっくに訪れている、という主張である。

 1968年に「人口爆弾」という本を出版したスタンフォード大学のポール・エーリック教授ら新マルサス主義者は人口爆発の神話を世界に広めた。

 抑制不可能な人口増加が起きているという考えは1960年代から一般的になった。

 しかし、筆者は「これは事実ではない」という。

 実際には抑制不可能な人口増加という意味の人口爆発など過去にも現在も起きていない、というのだ。

 西暦900年から2000年の間に世界の人口は16億人から60億人になったが、それは人口の拡大に過ぎない、と。

 地球で人間が利用していない広大な地域があり、環境問題を解決するのに大切なのはバース・コントロールではなく、発展の手助けをすることだ、という主張である。

 資源は人間の創造力と技術によって作り出される、と。

 1972年、ローマクラブが「開発の限界」というレポートを出した。

 人類にとって致命的な危険が四つある、として

①人口爆発

②食糧不足

③資源の枯渇

④エネルギー危機

 をあげ、100年以内に人類は開発の自然限界に達すると予測し、的確な政策をもって介入しなければある日突然破滅的な衰退が訪れるであろう、と主張したのだ。

 ここで主張された「持続可能な開発」概念は定義が曖昧で、実証されたものではないのに、この本は世界に翻訳され、ベストセラーになり、世界の国々の開発政策、人口政策に大きく影響した。

 クオリティ・オブ・ライフ(生活の質)というもう一つの現代的概念も環境保護派に追い風となった。

 貧困層におけるバース・コントロール(消極的優生学)と先進国における人工授精やクローン(積極的優生学)は表裏一体、一つのメダルの表と裏だ、という。

 バチカン教皇庁は「持続可能な開発」という概念に対して一貫して警戒感をあらわにし、1994年には「先進国が自分たちの観点から他国に対して何が持続可能な開発なのかを決めるので、一種の新植民地主義だ」と厳しく批判する文書を発表している。

 もともと「持続可能な開発」という概念はイデオロギー的アプローチから生まれた概念である、と筆者は主張する。

 人口密度が高くなると開発が遅れるという主張は事実に反するのに、ブルントラント委員会が1989年の「人口と持続可能な開発に関するアムステルダム宣言」で使ったのを皮切りにその後の国連主催の国際会議において採択されたすべての宣言や行動計画のベースとなってしまった、というのだ。

 この概念は国際会議を重ねるごとに影響力を増し、ほかの概念まで表舞台に登場させることになる。

 「リプロダクティブ・ヘルスケア(妊産婦の健康管理)」「繁殖権」「予防原則」などだ。

 これらが「ユニバーサルな価値」とか「地球倫理」というより広範な概念を確立しようという流れの中で論じられている。この「地球倫理」確立のために世界の宗教界も協力を求められている。

 しかし、今後人類が進むべき道は、バース・コントロール、持続可能な開発ではなく、教育である、と筆者は主張する。

 ここに言う「教育」とは現実の世界へ歩みだすことができるように誘導すること、つまり、人々の精神が自由に向かって開かれていくように刺激することだ、という。

 予防原則についても筆者は厳しい批判を展開する。

 1980年代末、科学雑誌に載ったある記事がきっかけで、クロール浄水法ががんを誘発するのではないか、という疑惑が高まり、反対運動が起きた。

 WHO(世界保健機関)やIARC(国際がん研究機関)は「警戒を促すに足る証拠はない」と1991年にレポートしたのに、反対運動はおさまらず、この年、ペルー政府がクロール浄化を中止する決定をした。

 その結果、コレラが発生し、その後の5年間に100万人が発症し、1万人が亡くなった。

 電磁波の問題は今も進行中だ。

 最も有名なのがDDTの使用禁止だ。1870年に初めて合成され、70年後に殺虫効果があることが分かり、1944年、アメリカ陸軍がマラリア、チフスなど虫を介して伝染する病気の対策として使用が開始された。

 戦後は一般殺虫剤として農薬としても使われた。マラリアに対する効果は劇的だった。数年のうちにヨーロッパと北米でマラリアはほぼ全滅した。

 スリランカにおいては感染者が10年で300万人から7300人に減った。インドでは1951年から1961年の間に7500万人(内死亡者80万人)から5万人に減った。

 ところが1960年代になると、自然環境活動家、レーチェル・カーソンが出版した「沈黙の春」の影響が大きく、DDTを農薬として使用することによる環境への悪影響を懸念する声が猛然と上がるようになった。

 その後の科学的研究により、この主張には根拠がないことが分かったが、すでにDDTを犯人扱いするキャンペーンが世界的に展開されており、1972年にアメリカ環境庁はDDTの使用を禁止した。

 こうして人間の健康を守るために数百万のマラリアで死ぬ運命を余儀なくされた。

 スリランカでは1964年にDDTの使用が禁止されたが、5年もすると感染者は17人から50万人へと激増した。

 完全に消滅したと思われていた国々でもマラリアが復活し蔓延している。

 環境活動家は「温暖化のせいだ」と反論するが、「マラリアは熱帯性の病気だと誤解されているものの、そうではないから、環境活動家の主張は嘘だ」と著者はいう。

 遺伝子組み換えトウモロコシへの感情的反対を繰り返す環境保護活動家だが、遺伝子組み換えトウモロコシが水分の少ないアフリカで生育すれば、餓死は減るのだが、とも主張する。

 ここで著者は重要な事項について「一緒に考えよう」と問題提起する。

 新しい技術を現実生活に取り入れるべきか否か、といった場合の判断である。

 結論は「リスクと便益を天秤にかけて考えるべきだ」、ということだった。

 当然の主張だろうと思う。

 しかし、「現実はそうなっていない」というのが著者の見解だった。

 フランコ・バッタリャ教授は三つの優先原則を提案している。

①感情的な不安よりも科学的な分析を優先する

②政治的な合理性よりも科学的な合理性を優先する

③経済的利便性よりも環境保護を優先する

 ――である。

 これは現実に即した「予防原則」の再定義だろう、と著者は提案に同意する。

 そして、「そもそも二酸化炭素は果して気温に影響を与えるのか」という根本的な問いを出してくる。

 結論は科学的に証明されておらず、反論も多いということだった。

 だから「2008年から2012年の間に先進諸国が温室ガスを5%削減する」という京都議定書の科学的根拠はない、というのだ。

 著者は

「森林破壊は進んでいない」

「二酸化炭素のプラスの働き」

「種の消滅以上に新種発見が相次ぎ、地球上の種の数は増えている」

「増えすぎたホッキョクグマ」

「温暖化は種の繁栄を促進する」

「実際には起きていなかった絶滅(シーラカンスの場合)」

「遺伝子組み換え食品は危険ではない」

「バイオテクノロジーは世界の平和と発展に貢献できる」

「世界の大気はきれいになっている」

 などと環境活動家の「常識」を一つひとつ論破していく。

 また、ジェームズ・ラブロック氏が発案し、環境活動家が主張する「ガイア理論」がインチキだと説く。

 「エコ帝国主義」批判で面白いのは、著者2人がローマ法王庁の大学の教授であることとも関連しているが、欧米のキリスト教は人間中心主義であり、ガイア理論は人間も植物も動物も同一レベルだ、と主張していることだ(226ページ)。

 「ガイア理論は人間性の否定だ」というのだ。

 ここで、著者2人というか、バチカンのスタンスが明らかになる。そうなると、今までの衝撃的な事実暴露の意味合いも少しは疑ってかかりたくなる。

 「では人間とは何なのか? 精神病者、人工授精、借り腹、臓器移植、脳死、生死の問題をどう考えるのか」と問いかけたくなるのだ。

 なお、巻末におさめられた<グリーンピース、WWF、ワールドウォッチ研究所の資金源についてのリポート>は秀逸だった。

 新書版のわずか271ページの本だったが、内容は濃かった。読むのに3日間かかってしまったが、知的興奮を刺激される内容だったから、時間の無駄ではなかった。お薦めの一冊である。

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2008年7月23日 (水)

書評 芳澤勝弘著「白隠禅師の不思議な世界」

 ウェッジ選書、2008年7月22日第1刷発行。

 奥付の著者紹介によると、芳澤勝弘氏は花園大学国際禅学研究所副所長・教授。同志社大学経済学部卒業、財団法人禅文化研究所主幹。白隠禅画・墨蹟の調査を主なフィールドワークとしている。学術的知見に裏打ちされたわかりやすい絵解きには定評がある、とあった。

白隠禅師の不思議な世界 (ウェッジ選書 33 地球学シリーズ) 白隠禅師の不思議な世界 (ウェッジ選書 33 地球学シリーズ)

著者:芳澤 勝弘
販売元:ウェッジ
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 第1部「禅と禅画―白隠とその禅画をめぐって」は松井孝則氏が主宰する「フォーラム地球学の世紀」での芳澤勝弘氏の講演がもとになっている。第2部は「鼎談 現代に問いかける禅」で芳澤氏と松井孝則・東大大学院新領域創成科学研究科教授(地球惑星物理学専攻)と合原一幸・東大生産技術研究所教授(カオス工学、数理工学、生命情報システム論専攻)が禅と脳、心の関係を話し合っている。

 1685年生まれの白隠禅師は臨済宗中興の祖としてその世界では有名らしいが、一般には知られていない。

 室町時代以降、形式のみが重視され、停滞していた「禅」に生き生きした命を吹き込み、日本独自の「禅」を確立しただけでなく、今や世界の「ZEN」となっている宗教「禅」の基礎を作った人物だ、という。

 本の中に白隠禅師の描いた禅画がいくつか挿絵として入っているのだが、メビウスの環のような空間の「ねじれ」を利用して、三次元でしか表現できないはずのものを二次元の紙の上で表現したり、絵の中の掛け軸を七福神が見ており、読者も一緒に見ることで、共視感を持たせるとか、斬新でユーモア一杯の禅画を見ることができる。

 白隠禅師は全国行脚している間に、禅の心を説明するために禅画を描き続けたそうだ。このため、今でも白隠禅師の禅画は各地に保存されている、という。

 本書は禅画を題材に、「禅とは何か」を解説する、という趣向なのだが、難しい原理は分からなくとも、白隠禅師の想像力にあふれた世界を堪能することはできる。第2部の地球物理学者、脳科学者との鼎談も、理科系の人たちが見たら、相当に面白いのだろうが、私には禅を脳の働きの話に矮小化する企画ではないか、としか思えなかった。つまり、第2部は話がかみ合っていない感じがする。でも、第1部だけでも、抜群に面白い。

 禅については、昔、理解できないながらも、鈴木大拙の本を読んだことがある。その解説だけで、禅の歴史を理解したつもりでいたが、この本を読んで「なるほど」という部分が多かった。

 禅が身近になった感じがした。

 昔の日本人は一所懸命、人間くさく生きていたのだなあ、さすがにご先祖様、今の日本人と同じように悩み、笑い、怒っていたのだなあ、と分かった。西洋文化、西洋史だけ学校で学べばいいというものではない、とつくづく思った。

 昔の日本人は欧州の偉人といわれる人たちに匹敵することを考え出していたし、その考えを禅画として残していたのだ。

 禅についてもう少し勉強したくなった。

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2008年6月29日 (日)

書評 岡田斗司夫著「オタクはすでに死んでいる」

 岡田斗司夫著「オタクはすでに死んでいる」(新潮新書)を読んだ。2008年4月20日発行、定価714円。岡田氏は1958年大阪生まれ。85年、アニメ・ゲーム制作会社ガイナックスを設立、92年退社。大阪芸術大学客員教授。著書に「オタク学入門」「いつまでもデブと思うなよ」「『世界征服』は可能か?」など、とあったが、本文の最後に「付録」としてこれまで書いた本のダイジェストが掲載されていたので、書いておく。

オタクはすでに死んでいる (新潮新書 258) オタクはすでに死んでいる (新潮新書 258)

著者:岡田斗司夫
販売元:新潮社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 「ぼくたちの洗脳社会」(1995年)朝日文庫(1998年、収録)=「自分の気持ち至上主義」など、以後の岡田の著作はすべてこの理論がベース。

 「オタク学入門」(1996年)新潮文庫(2008年、収録)=「オタク」の発生や起源、それが現代社会に持つ意味などを解説。

 「フロン」(2001年)幻冬社文庫(2007年、収録)=「ぼくたちの洗脳社会」で予言された高度情報流通社会(いわゆるネット社会)が進むにしたがい、家族や恋愛の意味が変容する。すでに結婚制度や家族制度は破綻し、不良債権化している、という警告の書。

 「プチクリ」(2005年、幻冬舎)=「ぼくたちの洗脳社会」で予言されたネット社会がついに到来した。その中で個人はいかに生きるべきなのかを語る。

 「『世界征服』は可能か?」(2007年、ちくまプリマー新書)=なぜあらゆる政治批判や社会論は空回りするのか?「世界征服」という視点から政治や経営、人間関係までひとつの話題で結んだ挑戦作。

 「いつまでもデブと思うなよ」(2007年、新潮新書)=これまでの「社会はこのように変化する」を受けて、「では個人はどのように生きるのが経済的に得か」に焦点を絞って解説。ダイエットツールとしても使えるし、自己管理法としても役立つ本。

 以上が岡田氏個人が書いた自分の本の宣伝である。名前だけは知っているが、読んだことはなかった。

 秋葉原殺人事件があっただけに、「オタク」論は一度は読んでみたかったので手に取ったのだが、読んで「良かった」とか「そうなんだ」とかの感激はなかった。ただ、日本人が水着姿の少女を表紙にした雑誌を人前で恥ずかしげもなく見たり、持っていることは外国人にとっては信じられないことで、児童ポルノ愛好者と紙一重だ、と見られる、という指摘は「そんなもんか」と思ったが。

 また、少年マガジンや少年サンデーなど少年向け週刊誌の表紙がマンガやスポーツ選手ではなく、アイドルや歌手の少女になったのが1980年のことだった、との指摘も「へー」だった。

 1980年という年、もう少し広げれば80年代という時代はやっぱり何かおかしな時代だったのかもしれない。サブカルチャーの歴史の中ではいろいろともっともらしい説明がされているのだろうが……。

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2008年6月11日 (水)

書評 マイク・モラスキー著「その言葉、異議あり!」

 マイク・モラスキー著「その言葉、異議あり!~笑える日米文化批評集」(中公新書ラクレ)を読んだ。2007年11月10日発行、定価760円+税を最近、神保町で100円で購入。ちょっと見ただけで衝動買いをしてしまった。面白くなければ捨てようと思って。だから、家の書庫に放りっぱなしで、読み始めるのが遅かった。大して期待していなかったからだ。仕事が一段落したので、読み始めたら、何と面白くて止まらなくなってしまった。

 何が面白いか、と言って著者の博識と日本への愛情、日米文化比較の冷静な眼差しである。まず著者紹介をカバー裏から写しておく。

その言葉、異議あり!―笑える日米文化批評集 (中公新書ラクレ 260) その言葉、異議あり!―笑える日米文化批評集 (中公新書ラクレ 260)

著者:マイク・モラスキー
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 <マイク・モラスキー氏は1956年米国セントルイス市生まれ。70年代から延べ十数年にわたって日本に滞在。シカゴ大学大学院東アジア言語文明学科博士課程修了(日本文学で博士号)。現在、ミネソタ大学アジア言語文学科准教授。また、2007年9月から1年間、国際日本文化センター(京都)に招聘研究員として在籍し、「日本のジャズ喫茶文化」の研究に専念。「戦後日本のジャズ文化~映画・文学・アングラ」(青土社)で2006年度サントリー学芸賞(社会・風俗部門)を受賞。他の著書に「占領の記憶~戦後沖縄・日本とアメリカ」(鈴木直子訳、青土社)など。ジャズ・ピアニストとして日本のライブハウスに出演することもあり、2006年に初のCD(『Mike Molasky Trio-Live Back at Aketa!』)をアケタズ・ディスクより発売。趣味は路地裏の居酒屋探索のほかに将棋(居飛車党)、尺八(琴古流)、太極拳(陣式)。>

 変わった人であることは確かだが、言葉遊びだけでなく、小話などでピリッとわさびの効いた文明批評を展開している。

 貧しい白人への差別的な言葉「ホワイト・トラッシュ」が戦時中の「ナチ」と同様に、貧しい白人すべてを対象にした言葉ではないが、「ジャップ」はすべての日本人を対象にした言葉だった、という事実からアメリカをはじめとした白人社会の人種差別を透視する。

 あのジョン・ダワーの「容赦なき戦争ー太平洋戦争における人種差別」(平凡社ライブラリー、2001年)がこのような問題意識で第二次世界大戦中のアメリカの言説を分析した著作であることを初めて知った。

 差別用語を禁止すべきかどうか、という論争へのモラスキー氏の答えも面白い。

 「『差別用語』だからといってある表現を禁止する行為自体は怠け者のやり方だ。その単語に付着しているイデオロギーや、それが含む偏見的発想などをなるべく印象に残るような形で明るみに出せば、少なくとも良識ある人ならばもう少し自覚して使うようになることを期待できる」

 白人の肉体労働者を指す「レッドネック」(赤首)に関するジョークも面白い。日本ならば誰も怒らないジョークで殺人事件に発展することだってあり、逆に欧米の人々が当たり前だ、と思っていることが日本人にとって、ものすごい恥ずかしいことだってある。

 ニューヨーク市郊外で育ったユダヤ系アメリカ人レニー・ブルース(1925~66)とセントルイス出身のアフリカ系アメリカ人ディック・グレゴリー(1931~)のラディカル・コメディも社会風刺(social satire)や文化批評として受け取ったほうがいいジョークも少なくない、という。この2人の知的ジョークがたくさん紹介されており、参考になる。

 また、「日本はユニークだ」「日本語は難しすぎる」「日本は島国だから…」「農耕民族だから」「日本人は単一民族だ」という日本人の独善的思い込みが外国人から見るといかに変であるか、を徹底的に語る。

 今までモラスキー氏を知らなかったことを恥じ入る次第。こういう知的な親日派が増えることを望むばかりだ。

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2008年6月 7日 (土)

書評 佐高信・姜尚中著「日本論 増補版」

 佐高信×姜尚中著日本論 増補版」(角川文庫)を読んだ。2007年2月25日初版、08年5月15日第4版発行。定価540円。
 2004年2月に毎日新聞社から発行された単行本に加筆修正し、増補版として文庫化。単行本に2本が新たに加わった。最初の「語り下ろし『愛国の作法』をめぐって」(2006年12月8日、東京・山の上ホテルでの対談)と終章「精神の鎖国主義をどう脱却するか」(2004年3月16日、東京・青山ブックセンターで単行本「日本論」をめぐっての対談)である。今読み終えた。

日本論 増補版 (角川文庫 さ 41-5) 日本論 増補版 (角川文庫 さ 41-5)

著者:佐高 信,姜 尚中
販売元:角川書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 さまざまな論点が生のままの形で提示されており、<考えるためのヒント>という意味では宝の山ではないか。
 映画監督の伊丹万作氏が「戦争責任の問題」(大江健三郎編「伊丹万作エッセイ集」筑摩書房)で、「だまされていた」という便利な言葉で戦争の一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見て放った言葉を話題にしていた。
 「『だまされた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである」と。「被害者になることによって加害者であることを忘れる。被害者に逃げ込むことで自らの責任を免れようとする。そうした傾向に伊丹は鋭くメスを入れた」
 <はじめに>で佐高信氏が書いているエピソードである。
 佐高氏の政治家を判断する二つの基準の組み合わせ論。一番駄目な<ダーティーなタカ>は中曽根康弘氏、森喜朗氏。<クリーンなタカ>は小泉純一郎氏。<ダーティーなハト>が加藤紘一氏や田中真紀子氏。<クリーンなハト>は三木武夫氏と田中秀征氏、というのは直感で「そうか、そういう見方があるのか」と思わず笑ってしまった。。
 松下竜一氏のノンフィクション「砦に拠る」に描かれた下筌ダムの建設予定地に蜂ノ巣城を作った室原知幸氏のエピソード。
 ダム建設の説明不足に不審を抱き、山林大地主としての財力、全財産をつぎ込んで1959年から「蜂ノ巣城」を作って、ときの建設省と渡り合った。郷土熊本で今も評価は二分されている。地方の名望家が幕末以来大活躍している、という文脈で出てくる話だ。
 島崎藤村「夜明け前」の主人公、青山半蔵もそうだった。
 幕末の改革に夢を託して最後は裏切られていった赤報隊の相良総三を描いた岡本喜八監督の映画「赤毛」(1969年)も出てくる。
 今の日本の空気についての2人の言葉は面白かった。
 姜氏「今の日本の言語空間には何か目に見えない皮膜があって、その中で思考しているから、ものすごく悲観的なのです」
 佐高氏「久野収は戦争中に獄中に隔離される。当時『東京音頭』が流行っていたそうで、『ヤートナ、ソレ、ヨイヨイヨイ』というはやし言葉が監獄の中にまで聞こえてくると、『あぁ、自分はこうした庶民の獲得競争に負けたんだな』と思ったそうです」
 俗世間から隔絶しているような、いわゆる「進歩的文化人」はあまり好きになれないなあ、と思っていたのだが、口を衝いて出る言葉は鋭く、自分にからめるという意味で責任を自覚した発言をしている。右でも左でも誠実に思考の経過、悩みを表出できる人は信用できそうだ。
 また、佐高氏は日本語の「翻訳文化」の危うさについてるる述べる。
 「ベンヤミンにしても、彼が生きていた現実を批判していたわけですよね。その批判を、そのまま翻訳するわけでしょう。そうではなくて、私が言いたいのは、ベンヤミンの方法論を使って日本の現実を批判しろよ、ということです」
 姜氏も
 「ウェーバー学もベンヤミン学も結局、道として極めてしまう」と応じている。
 2人は五味川純平「人間の条件」が正当に論じられていない、と論壇を批判する。
 僕らには戦後のあの時代、エロ本がわりでもあった本だが、と言いながら。
 梶という人間一人にフォーカスした小説だ。一方、「戦争と人間」は群像劇。五味川の助手をしていたのが澤地久枝氏である。原作は三一新書で全18巻。伍代コンツェルンの総帥を滝沢修が演じた、と。当時の日本の中国や朝鮮半島をめぐる葛藤を背景に日本国内の財閥の御曹司その他様々な人間が登場して人間ドラマとして圧巻だった、という。
 というような話、政治の本筋とは関係ない話が面白いのだ。
 イラク戦争、アフガン戦争と日本外交、日本政治についての話も相当面白い。
 公費をつぎ込んだ日本長期信用銀行の杉浦敏介元会長に9億7000万円の退職金が支払われ、2億円返しただけ。7億7000万円はまだ返却されていない。日本債権銀行の頴川史郎元会長も6億円の退職金をもらった、という。それを返させてから公費を入れるべきだったのに、そうしなかった。「小泉、竹中は銀行家には大甘だよ」、という批判は貧乏人のひがみではなく、金融秩序の安定という美名の下、国民の税金をジャブジャブ注ぎ込んだ構造改革政治への本質的批判になっているのではないか。
 「正義と平和はどっちが大切か」
 姜氏が問いかける。「正義よりも平和が大切です。金大中元韓国大統領もそう思って南北交流をした」と。
 フランクルの「夜と霧」にも話は及ぶ。
 「嫌な歴史も抱きしめて歩むしかない、という覚悟が必要だ。韓国人にとって日本に植民地支配された歴史はそういう方法でしか癒されないだろう」
 と姜氏。そういう許容する範囲が日本の社会ではどんどん狭まっているのではないか、という懸念が出される。「糊代がどんどんなくなっていく」社会なのか。
 姜氏が「監視国家」論を取り上げる。「ガードマン国家」にしないようにするため、あらゆる手を打つべきだ、と。がんじがらめの「ガードマン国家」になったら、もう手遅れだよ、と。
 寺山修司の歌「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」はいろいろ考えさせる短歌である。

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2008年5月31日 (土)

書評 「ドキュメントゆきゆきて神軍」

 原一男・疾走プロダクション編著「ドキュメントゆきゆきて神軍」(井出孫六氏との対談も収録)(教養文庫、1994年9月30日初版第1刷97年6月30日第5刷発行。社会思想社、定価520円+税。
 今日、古書店で100円で買った。
 映画監督である原一男氏の「ゆきゆきて神軍」の製作エピソードである。原氏が主人公の奥崎健三氏の異常さをつぶさに観察する眼がいい。
 1987年に「ゆきゆきて神軍」が完成したのだ、と。映画を見ていないので、何ともいえないが、当時は相当に話題になったことだけは覚えている。文庫本の最後には「世界」1987年9月号から転載した井出孫六氏と原氏の対談「なぜ戦争にこだわり続けるのか」と原氏の妻・小林佐智子氏の「神戸の女神・奥崎謙三の妻シミズ」が収録されている。
 本文は「ゆきゆきて神軍製作ノート」と「採録シナリオ『ゆきゆきて神軍』」からなっているのだが、全体像を知るのには、井出氏との対談が分かりやすい。
 1969年1月2日、皇居の一般参賀が再開された。皇居の改造が完成して初めての参賀だったが、群衆の中から一人の男がパチンコ玉を天皇に向けて発射して、すぐに厚遇警察に取り押さえられた。テレビ、新聞の扱いは小さかったが、井出氏はものすごいショックを受けたという。勤めていた中央公論社の中央公論編集部に奥崎氏の裁判記録が届けられ、それは奥崎氏が自分で書いた冒頭陳述書で400字詰め原稿用紙で400~500枚の長文。
 井出氏「戦時中、ニューギニアの独立工兵連隊に従軍したこと、約1000人のうち生還したのはわずか36人だったという戦争体験。そして戦後、靖国神社で慰霊するということに虚しさ、空々しさを感じたこと、そこでどうしても自分のスタイルで戦友の慰霊をしたいとあれこれ考えた末に天皇に向けてパチンコ玉を撃つのが一番ふさわしかろうと決意を固めて皇居へ出かけた、と経緯が書いてあった。小学校の教育しか受けていない典型的な一般兵士がそういうことをした。知識を蓄えていた人たちが戦争をどう見たかは、戦後、小説や記録としていろいろ出ましたが、一般庶民の中から参加した兵士が独特な目で戦争を捉え直しているということに僕は大きな衝撃を受けます」
 そこで、井出は若干の解説をつけて三一書房から「ヤマザキ、天皇を撃て!」という題でこの冒頭陳述書を出版した。奥崎氏は「田中角栄を殺すために」という本を自費出版している。「宇宙人の聖書」という本もある。
 原氏の執念、奥崎氏の行動は現代にこんな物凄い執念に執り付かれた人がいるのか、と心底驚く。
 ニューギニア戦線での人肉食いの暴露も衝撃的だが、井出氏の対談での発言、特にこの対談時は戦後42年だったらしいが、「戦争の記憶と忘却」についての発言は重い。今でも日本人の心に突き刺さる。
 こういう種類の本が流行った時代だった、と簡単に割り切ってしまうこともできるだろうが、今も解決されていない問題のいかに多いことか。

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2008年5月25日 (日)

書評 川越修・友部謙一編著「生命というリスク―二〇世紀社会の再生産戦略」

 法政大学出版局、2008年5月23日初版第1刷発行、定価3400円+税=3570円。

生命というリスク―20世紀社会の再生産戦略 生命というリスク―20世紀社会の再生産戦略

販売元:法政大学出版局
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 2003年~2005年にかけて同志社大学を会場に7回、2005年4月から2006年9月にかけ同志社大学と慶応大学で7回の計14回開かれた「生命の比較社会史」研究会の報告、討議をもとにまとめた本で、「分別される生命ー二〇世紀社会の医療戦略」と2冊で1セットの形のようだ。編著者を紹介しておこう。

 川越修氏は1947年生まれ。同志社大学経済学部教授。専攻はドイツ近現代社会史。主な著書に「ベルリン 王都の近代―初期工業化・1848年革命」(ミネルヴァ書房、1989年)、「性に病む社会―ドイツ ある近代の軌跡」(山川出版社、1995年)、「社会国家の生成―20世紀社会とナチズム」(岩波書店、2004年)ほか。

 友部謙一氏は1960年生まれ。大阪大学大学院経済学研究科教授。専攻は数量経済史・日本経済史。主な著書に「前工業化期日本の農業経済―主体均衡と市場経済」(有斐閣、2007年)、「歴史人口学のフロンティア」(共編著、東洋経済新報社、2002年)ほか。

 内容は次の通り。

序章 生命リスクと20世紀社会 川越修

第1章 人口からみた生命リスク 友部謙一

第2章 乳幼児死亡というリスク 中野智世

第3章 農村における育産の「問題化」 吉長真子

第4章 戦時「人口教育」の再検討 高岡裕之

第5章 「生命のはじまり」をめぐるポリティクス 荻野美穂

第6章 出産のリスク回避をめぐるポリティクス 中山まき子

第7章 生命リスクと近代家族 川越修

 である。この中では特に、序章と高岡氏の第4章が参考になった。

 高岡裕之氏は1962年生まれ。関西学院大学文学部教授。専攻は日本近現代史。主な著書・論文に「資料集 総力戦と文化 第2巻 厚生運動・健民運動・読書運動」(編著、大月書店、2001年)、「医界新体制運動の成立―総力戦と医療・序説」(「日本史研究」424号、1997年12月)、「戦争と『体力』―戦時厚生行政と青年男子」阿部恒久ほか編「男性詞 モダニズムから総力戦へ」(日本経済評論社、2006年)ほか。

 序章で川越氏が本書の構成、狙いなどを書いている。

 生命リスクとは、新生児・乳幼児期や妊娠、出産、病気、加齢んどを契機に顕在化する生活、生存を不安定化させる身体をめぐる問題群とそれに対する社会の対応策を捉えるための仮説的な概念だ、という。

 現代日本における少子化・高齢化問題は、この生命リスクを回避するための20世紀社会の戦略の行き詰まりを示す問題として捉え直すrことができる、として、本書は19世紀末以降、今日にいたるまでの生命リスクをめぐる諸問題をドイツを参照軸にとりながら、妊娠・出産・乳幼児死亡という生命の再生産とそこに派生する衛星政策、人口政策、家族政策などのさまざまなポリティクスに的を絞って比較史的に考察したものだ、とあった。

 川越氏は2006年6月20日の政府決定「新しい少子化対策について」が「国民運動の推進」をキーポイントにしている、という内容の薄さを問題視、し「国民運動というあまりにも20世紀的な手法を通じて出産、育児をはじめとする生命をめぐる問題領域に政府の政策が持ち込まれる時に、一体何が起きるのだろうか? その結果生じる問題は新しい生命リスクを生むのだろうか?それとも20世紀社会にすでに存在していた既知の問題なのだろうか」と問いかける。

 そして、思考の補助線としてドイツの社会学者ウルリヒ・ベックの議論を持ち出す。

 ベックの議論は1986年の「危険社会」出版がチェルノブイリ原発事故の年に重なったことから、科学技術の高度化をめぐる問題という関連で注目されたが、その議論の射程は19世紀以来の近代社会の歩みを動態的かつ包括的にとらえようと多様な領域に及んでいる、として、ベックの議論を結構詳しく紹介している。

 ベックに関心があるので、その部分もダイジェストしておく。

 ベックによれば、<近代化>とは近代が内部化した伝統と外部化した自然という「対立物」を「呑み尽くす」ことによって近代そのものに行き着く連続的なプロセスであり、近代の持つこの動態の帰着点が「再帰的近代化」という概念でとらえられている、という。

 また、<リスク社会>とは近代が近代化した結果私たちが直面することになる既存の概念ではとらえられない、したがって予測不可能な問題に直面する社会状況を示す概念にほかならない、という。

 まず、「伝統社会の近代化」によって19世紀に「産業社会」が生成した(=「単純な近代化」)。20世紀への転換点ごろから都市への人口集中の加速化、人口転換といったいわゆる大衆社会化ないし福祉国家化に向けての動きが進行する。そして、第二次世界大戦後の「産業社会」の黄金期に「豊かな」社会が実現される中で、1960年代後半から70年代にかけて「産業社会の近代化」としての「再帰的近代化」に向けての動きが加速し、「リスク社会」の問題状況が表面化することになる。

 この「リスク社会」における中心的な問題は、「家族と職業」「科学と進歩への信仰」という「産業社会」の「座標軸」の「動揺」となって現れる。そのうち、前者の「家族と職業」いn揺らぎをもtらすことになるのが「個人化」の動きだ。

 「個人化」とは、豊かさの中で平等化という「近代の本質的要素」の追求というかたちをとって階級社会の解体と女性の教育水準の上昇および自らの職業キャリアの追求が進み、いわば近代社会がより近代的になることによって「リスク社会」が促される動きにほかならない。

 そして、こうした意味での「個人化」の帰結は、ベックによれば「産業社会」の根幹を成す性別役割分業にもとづく家族関係(日本では近代家族として概念化されている)において最も鋭い形で問題かされる。

 この意味では「リスク社会」における家族をめぐる問題状況は、19世紀以来の小家族が「脱伝統化」することによって派生したといえる。

 ベックのいう「科学と進歩への信仰」をめぐる問題を考えるさいに重要になるのが、議会制民主主義という制度的な枠組みの中で行われる「政治」とは区別された「サブ政治」という概念だ。

 <今世紀の最初の3分の2にあたる時期において実現した社会国家プロジェクトに逆行する動きが始まる。社会国家において政治が「介入国家」という潜在的権力を獲得したのだとすれば、いまや社会を形成する潜在的な可能性は政治システムから科学的=技術的=経済的近代化というサブ政治システムに移っている。>(「危険社会」382ページ)

 つまり「再帰的近代化」の生み出すリスクは、科学(および経済)の世界において、民主主義という近代の「本質的要素」に立った制度が働かない「サブ政治システム」の枠内で、さまざまな新しい試みがおこなわれ、それが「政治システム」を通じた改革などとは比べ物にならない大きな転換を社会にもたらすことかr生じるというのである。

 <(リスク社会を産業社会と異なったものとしている)中心的なポイントは、再帰的な近代化の過程で社会的な枠組みが根本的に変えられてしまうこと、つまり近代化のリスクが科学化を通じて剥き出しになることにある。>

 ベックによれば「政治の場合は議会における審議という煉獄の火をくぐり抜けなければ、実行への門は開かれない」のに対して、この制約から自由な「科学」が何をもたらすかを示す「極端な事例」を私たちは「サブ政治としての医学」に見出すことができる。

 <医学というサブ政治においては、「進歩」という論理が基本計画も実施計画もないまま制限範囲を越え出ることを可能にしている。試験管受精も最初は動物実験で試された。その場合、これがどこまで許されるのかについて議論することはもちろん可能である。しかし、人間への応用にさいしての最大の関門はこともなくクリアされてしまった。このリスクは、医学(医者)のリスクではなく、後の世代のリスクであり、われわれすべてのリスクであるにもかかwらず、完全に医療のサークルのなかだけで、しかもそこにおいて支配的な(世界的な)評価と競争という条件と圧力の下で、リスクを冒す決定を下すことが可能なのである。>

 では、なぜ医学の世界においてこうした状況が生じるのか。このような問いかけを発するとき、私たちは歴史と向き合うことになる。

 ベックは医者が特に合理的だったわけでもなく、「健康」というもっとも価値の高い財をうまく守ってきたからでもない。それはむしろ(20世紀への転換期における)専門職業化の成功の産物である、という。そして、この医者の専門職業化によって具体的に何が起きたか、ベックはこう言う。

 <医学は19世紀のヨーロッパにおいて、専門職業として発展を遂げ、人々の苦しみを技術的に除去し、それを職業上独占的に管理するようになった。病気と苦痛は、専門家に依存した他者による処置というかたちをとって制度としての医学に丸投げされ、兵舎化された「病院」で腑分けされ、患者は何も知らないまま、何らかの方法で医者によって「処置」されたのである。今日ではこれとはまったく逆に、いままで自分の病気に関して徹底的に無能者扱いされてきた患者たちは、彼らの病気に対し自分自身および家族、職場、学校、世論といったまったくその用意のない制度によって対応するよう求められている。急激に蔓延しつつある免疫不全エイズは、もっとも注目されているとはいえそのひとつの例に過ぎない。病気はまた診断の「進歩」の産物としても広がっていく。人々が自らどう感じているかとはまったく無関係に、ありとあらゆるものが現実にあるいは潜在的に「病気である」とされる。そうなるやふたたび「積極的な患者」像が持ち出され、患者は医者と連携し医学的に指定された病状に対して「医者と協議する」よう要求されるのである。>

 と、ここまで、相当の分量、ベックを引用をしながら、川崎氏は21世紀社会における新旧の生命リスクにどのように対処したらいいのか、を、ベックのいう「リスク社会」における最先端の問題領域とされていた、再生産をめぐるポリティクス(=妊娠・出産と乳幼児期、さらには再生産の基礎単位としての家族をめぐって発生する問題の解決を図る官僚及び専門職業集団とその問題を抱え込む当事者のあいだにおける、戦略、実践のぶつかり合いのプロセス)を歴史的に分断し、現代の生命をめぐる問題状況の歴史的起点を明らかにすること。これが本書の閣論文の共通課題となる、と書いている。

 面白かった第4章の説明に入ろう。

 「日中戦争の長期化・総力戦化」という時代状況の中で打ち出された「戦時人口政策」の「グランド・デザインとその史的文脈」を検討する。

 戦時人口政策とは長期の人口動態の統計的な認識に立ち導き出された「昭和35年(1960年)の内地人総人口を1億人にするという政策目標ち、戦時下の「『東亜共栄圏』『大東亜共栄圏』という支配権拡大政策」が「日本社会g直面していた農村社会の解体=工業化・都市社会化の動向」への「危機意識」によって「不可分一体のものとして」結合されたアマルガムにほかならない、というのが結論だ。

 昭和35年に1億人という戦時期の人口政策の基礎とされた数字は中川友長(人口問題研究所調査部長)が1941年に推計したもの。この41年方針は①だいとし=集中排除多極分散型社会②農業人口の確保のてめ、人口の4割を農業に③人口1億人は1400~1500万人の大東亜共栄圏への送出が前提だった。

 何か、時間がなくなってきたので、この辺でやめておく。後で、時間が出来た時には書き足そう。

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2008年5月24日 (土)

書評 梶山季之著「ルポ戦後縦断」

 梶山季之著「ルポ戦後縦断~トップ屋は見た」(岩波現代文庫、2007年9月14日第1刷、定価1050円)を読んだ。
 1986年年3月に徳間書店から刊行された。文庫版で「話題小説 皇太子の恋」を付した、との注釈があった。また、2007年5月20日に広島で開催されたシンポジウム「時代を先取りした作家 梶山季之を今見直す」での基調講演を抜粋、再構成した藤本義一「梶山先生の思い出」が付録としてついている。

ルポ戦後縦断―トップ屋は見た (岩波現代文庫 文芸 124)

著者:梶山 季之
販売元:岩波書店
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 表紙裏のダイジェスト宣伝文がこの本の性格を表しているので書き写しておく。
 「皇太子妃スクープ、売春防止法施行、蒸発人間、産業スパイ、国鉄鶴見事故、王子製紙争議、被爆者運動……、今では遠き彼方に過ぎ去ってしまった昭和30年代の世相を語る上で不可欠な主題を追跡した著者渾身のルポルタージュ選。戦後という現場で人々は何を思い、蠢いていたのか。週刊誌のトップ記事をスクープした『トップ屋』としてのしなやかで腰の強い取材力が渦中の人々と事件の真相に肉薄する」
 小説「皇太子の恋」を別として、15のルポを収録している。
 「赤線静かに潜航す~ステッキ・ガールという名の淑女たち」は昭和34年1月の文芸春秋に発表。昭和33年の売春防止法施行後8か月の34年1月に吉原などをルポしたものだ。浜松名物のステッキ・ガールというのはクラブに所属し、電話一本でバーや料亭に駆けつける女性たち。赤線の女たちが失業し、転職したのだが、職が長続きせず、舞い戻った後、ガールになった。売春防止法がザル法で管理売春をしている業者だけを罰するといいながら、取締りがいい加減だったから、青線が流行った。「パンマという名の新興芸者」など、性問題を骨太に描いている。
 「ストライキの果て~王子製紙のもたらしたもの」も面白かった。王子製紙の城下町、苫小牧市でおきた145日のストライキの話だ。昭和34年12月の文芸春秋に発表。エリート集団が慣れないストに突っ込んだ姿をシニカルに描く。町の人の視線も冷たいのがよく見える。労働運動史などを読むよりもずっと理解しやすい。
 「蒸発人間~この奇妙な家出人たちの心理と行動のナゾ」は昭和42年4月28日号の週刊読売に発表したもの。「組織が巨大になれば、疎外され無気力にある人間も出てくる」と。
 「産業スパイ~事実は小説よりも奇」は昭和37年5月の中央公論に発表。「黒の試走車」の関連話だ。
 「白い共産村~下着も共有の桃源郷」(昭和33年6月の文芸春秋)は一番面白かった。奈良県の天理教の盛んな村で天理教会のトップの堕落ぶりを告発する4家族は村八分にされる。4家族は土地を売り、最も悪い土地を買って集団生活を始め、だんだんと個人所有をなくし、「原始共産制」生活となっていく。混浴とか下着とか夜の生活とか、庶民の下世話な興味にも応えながら、その社会的な意味合いを鋭くルポしているのはさすがだ。
 「国有財産は誰のものか」(昭和40年7月の中央公論)も国有財産払い下げに関する話。さっと目を通しただけだが、昔も今も公務員と政治家と利権屋の結びつきは同じだ、ということを表しているのだろう。
 「不思議な官庁・通産省~業界の番人か」(昭和38年5月の中央公論)で
梶山が「通産人脈」をこの時期から書いているという驚き。
 「ブラジル”勝ち組”を操った黒い魔手~ユダヤ財閥の陰謀」は面白かった。ブラジルの勝ち組、負け組の争いということは聞いたことがあったが、こんなことだったのか、と。ユダヤ人の陰謀は触媒に過ぎなかったのではないかとも思える。人々の心にあった不安が弾けたのだろうし、情報遮断の恐ろしさも感じる。
 「彼らが成功する瞬間~関東大伸s内を生かした人々」(昭和38年9月の文芸朝日)は経済人の人物もの。これもまあまあ面白い。この時代だったら新鮮だったのだろうなあ、と想像する。今では経済についていろいろな人が書いているが。

 「財閥の争議委員たち~不死鳥を殺したかった」(昭和34年8月の文芸春秋)は面白かった。GHQによる財閥解体の内幕。アメリカで失業していた左派文化人たちが日本に乗り込んできて、財閥つぶしにやっきになる。弱かった安田財閥。こすっこく利を取ろうとした住友財閥。三井も潰え、残った三菱も解体されたが、日本の独立・主権回復後にまたひとつにまとまる、という話。エピソードも満載。考えさせる内容だった。
 「丸ビル物語~サラリーマンの故郷」(昭和33年5月の文芸春秋)もしっかりしたルポ。「丸の内」について今まで何も知らなかった、と思い知った。梶山氏に教えられた。面白かった。
 「朴大統領下の第二のふるさと~18年ぶりの韓国―それは懐かしいというよりも悲しいまでの”民族の悲劇”を私に痛感させた」(昭和39年2月の文芸春秋)は大宅壮一氏とともに韓国に行ったときの話。勉強になる。じっくりと見て、取材している。梶山氏の才能に驚く。
 「ヒロシマの五つの顔~あれから13年・死の影はまだ消えていない」(昭和33年8月の文芸春秋)もすばらしいルポだ。ケロイド少年・少女への一般人の差別、無関心さなどへの怒りが本から沸々と伝わってくる。
 こういう復刊は岩波だからできたのかもしれないが、本屋さんに古い文庫が消えている中で、優れた本はどんどん復刊してほしい。

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2008年5月11日 (日)

書評 貫成人著「真理の哲学」

 貫成人著「真理の哲学」(ちくま新書、2008年2月10日第1刷、定価777円)を読んだ。
 恥ずかしながら、今まで「言説」という言葉を日常的に使いながら、どこから出た言葉なのか知らなかった。この本で初めて知った。

真理の哲学 (ちくま新書 703) 真理の哲学 (ちくま新書 703)

著者:貫 成人
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 裏表紙によると、著者は1956年神奈川県生まれ。85年東大大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。現在、専修大学文学部教授。著書に「哲学マップ」(ちくま新書)、「経験の構造――フッサール現象学の新しい全体像」(勁草書房)、「哲学ワンダーランド」(PHP研究所)、「ニーチェ」「フーコー」「カント」「ハイデガー」(以上、青灯社)がある、という。
 最近たまに読んでいるフーコーの哲学の解説書の一冊である。
 「狂気の歴史」で理性の絶対的価値を否定し、「言葉と物」では人間の絶対性を否定。「監獄の誕生」では主体を、「性の歴史Ⅰ」では真理をめぐって絶対的価値の否定が行われた。
 そのフーコーの哲学を見ていくのに、ニーチェから入り、「超人」「力への意志」が解説され、次いでフッサールの現象学の説明にうつる。
 「ノエマの核」「ノエマ的意味」「志向性」などの述語を駆使しながら「他のまなざしの対象」となる「対象化されたわたし」という重要な部分に入り、「視野」「身体」「他我」が解説される。
 そして、メルロ・ポンティでは「知覚の現象学」を中心に、ゲシュタルト心理学を使った「鏡像段階」論の説明があり、<まなざし>の作用が説明される。そして、「キアスム」とメルロ・ポンティが重視した「肉」の説明に至る。
 その後、ようやく本命のミッシェル・フーコーが出てくる。
 「言葉と物」では言説の編成としての「エピステーメ」(各時代固有の「知の空間」)がキーワードとして出てくる。
 「監獄の誕生」「性の歴史Ⅰ」では「権力」がキーワードとなる。
 普通言われているのは死の恐怖によって服従を強いる「死の権力」なのだが、現在の我々の日常の隅々にまで浸透しているのは「生の権力」だ、という。
 生徒、兵士、工員一人ひとりについて能力、成績、成果などに関する報告が個別的になされ、必要に応じて処罰や報償が行われる。学校ではテストが行われ、生徒ごとの成績だけでなく、各自の学年における位置を示す「席次」が発表される。
 このシステムは国民全員を「個別化」し、「規格化」する装置で、「規律化」と呼ばれる力学が働いて、人々がこれを受け入れる、という。
 規律化は内面化された規範。「生の権力」とは近代国家のこういうメカニズムをいう。一見「権力」というにはふさわしくないように見えるが、「これが権力なのだ」と言うのだ。
 重要なのは「管理社会論」「監視社会批判」と「規格化」が全く別もの、という点。
 「生政治」。「真理」「制度」「支配」の三点セットをフーコーは「言説」と呼ぶ。<性の言説>の規格化について詳細な説明があり、福祉国家の意味合いが解説される。
 おまけとして、ドゥールーズとガタリの説の粗筋も説明されている。
 最後の章はウィトゲンシュタインなどの哲学である。
 ようやく「言説」という流行語の元を知ることができた。サルトルもこの言葉を使っているようだ。「エピステーメ」説が面白い。
 専門家の文章を読む楽しさは、ビシッと本質を言うので、分かりやすいというところだろう。時に間違えたり、方向が逆のケースもあるが。

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2008年5月 8日 (木)

書評 大屋雄裕著「自由とは何か~監視社会と『個人』の消滅」

大屋雄裕著「自由とは何か~監視社会と『個人』の消滅」(ちくま新書、2007年9月10日第1刷発行、定価735円)を読んだ。
 面白そうだ、と思って買ってきたものの、読まずにずっと置いておいたのだが、今度、憲法について何か書かなくてはいけなくなって、関連する(かどうかわからないが)本を読み漁った中の1冊だ。

自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書 680) 自由とは何か―監視社会と「個人」の消滅 (ちくま新書 680)

著者:大屋 雄裕
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


 面白かったのは上智大学のメディア論の権威、田島泰彦教授への批判だった。
 田島教授は監視カメラなど国民の安全を守るという目的でセキュリティが強化されていくことを「市民的法理の構造転換」と呼んで強く批判しているらしい。
 この態度を筆者は「田島は、国家と市民という二項対立でしか社会を見ておらず、共同体の危険性、あるいは個人が別の個人に対して危険を及ぼし得るということを完全に無視しているのだ」と批判。
 国家は個人の自由の守り手であると同時に最大の潜在的脅威でもある、としてこのような国家の二面性を「近代法の逆説」と呼んで、単純に割り切れないのだ、と主張している。
 100ページにある田島教授の「住基ネット批判」への反論も面白かった。
 住基ネットをキーとしてあらゆる情報が集積され、自分という存在が分析されていくという完全な監視への不安からの批判なのではないか、と見ている。
 コンビニのPOSレジが顧客層の分析に使われている。アマゾンのお気に入りもそうだ。膨大なデータから隠された関連を見つけ出す作業、データ・マイニング。ポイントカード、電子マネーはスーパーのレジとは違って個人別のデータを集積できる。顧客に合わせたマーケティングができる。
 ペンシルベニア大学コミュニティ学部教授だった社会学・政策学者のオスカー・ギャンディ氏は「パノプティコン的分類」と呼んでいる。イギリスのジェレミー・ベンサムが理想の監獄として構想した「一望監視装置」のことだ。
 このパノプティコンには近代的な権力の姿が示されていると見たのがフランスの哲学者、ミッシェル・フーコー。「監獄の誕生―監視と処罰」(新潮社、1977年)。
 アメリカの社会学者デービッド・ライアン「監視社会」(青土社、2002年)は監視社会の最大の問題はその中で個人の身体が消失していくことだ、と見た。
 アメリカの憲法学者ローレンス・レッシング「CODE―インターネットの合法・違法・プライバシー」(翔泳社、2001年)。社会生活の物理的につくられた環境をアーキテクチャと呼ぶ。「アーキテクチャの権力は我々がそれに気づくことなく、我々の行為に先立って事前に我々の行為を制約する」と。
 ドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは現代を「リスク社会」と位置づけた。「危険社会―新しい近代への道」(叢書ウニベルシタス、法政大学出版局、1998年)。
 イギリスの社会学者、アンソニー・ギデンズ「リスクと責任」。監視とそれによるリスクの排除は我々自身の欲望だった。
 メーガン法(米の幼女強姦殺人事件を機に成立した性犯罪者情報の公開法)の話も引用されている。
 事前の規制と事後の規制という仕切りで古典派刑法学派(罪刑法定主義)と近代派刑法学派(フランツ・フォン・リストなど)の教育刑論が論じられ、イタリア学派、ロンブローゾ「犯罪人論」まで持ち出している。ロシア刑法の話も。
 刑法40条改正(1955年の大改正)は聾唖者の責任能力を認めたものだが、その意味合いは……などなど。
 というような内容なのだが、クリアカットな結論が出ているわけではない。ただ、単純に割り切ってはだめだ、と言っているようにも見える。悩み自体を哲学だと見る立場から言えば、とても面白い本だと思う。

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2008年5月 7日 (水)

書評 ルドルフ・ヘス著「アウシュヴィッツ収容所」

 ルドルフ・ヘス「アウシュヴィッツ収容所」(講談社学術文庫、片岡啓治訳、1999年8月10日第1刷発行、99年12月15日第3刷発行。定価1326円)を読んだ。
 単行本として1972年にサイマル出版会から出版されたものを学術文庫化したものだ。アウシュヴィッツの収容所長だったヘスの手記。歴史的な価値というだけでは今更読む必要はないだろう、と思う。面白いのは訳者、片岡氏の前書きである。

アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫) アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)

著者:ルドルフ ヘス
販売元:講談社
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 「ヘスの恐ろしさ、そしてナチスの全行為の恐ろしさは、まさに、それが平凡な人間の行為だった、という点にこそある。どこにでもいる一人の平凡な人間、律儀な人間で、誠実でそれなりに善良で、生きることにも生真面目なそういう一人の平凡人が、こうした大量虐殺をもあえてなしうることは、誰でも画、あなたであり、私であり、彼であるような、そういう人物が、それをなしうるということにほかならないからだ。命令だったから、職務だったから、仕方なかったのだ、といういい方がある。……恐ろしさはまさに、人間が、それもごく当たり前の普通の人間が、職務、命令の名において、それをなしうる、というそのいことにある。しかも、その責めを問われれば、職務であり、命令だったから、ということで免責されるのならば、その行為の真の責任は誰のものとなるのだろうか」
 という文章だ。
 これは日本軍幹部の責任についても言えることではないか。狂人でもなく、普通の人間なのに南京大虐殺をした。米軍の広島、長崎への原爆投下もそうだ。遡れば日本軍の南京空爆に行き着く。陸軍に手柄を独占されていた海軍が手柄合戦の一環で市民に絨毯爆撃を繰り返した「戦略爆撃」である。米軍のルメイはこれを真似て東京空襲を繰り返した。ルメイを裁くのならば、日本の海軍もまず裁かれなければならない。
 どこかに出ていたが、殺人者と被害者との距離が心理的障壁を打ち破る、という。高高度からの爆撃は至近距離での撃ち合いと違って、人を殺す、という感覚、罪の意識が薄くなる、という説である。説というより、もう常識だけどね、
 ナチスのガス室についてはルドルフ・ヘスに限らず、小市民たちが日常業務と同じようにユダヤ人を殺しており、家に帰るとよきパパだった、という事実。
 人間という存在を考え直さざるを得なくさせる事実ではないか。

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2008年4月30日 (水)

日本は「ポストモダン」の実験室か+浅田彰氏近況~朝日、読売、日経新聞文化面から

◆浅田彰は今……ポストモダンを若者に語る(京都造形芸術大へ移籍)

 読売新聞4月30日朝刊文化面に<新天地は京都造形芸術大/浅田彰さん/「二項対立」をずらす哲学>と、浅田氏の大きなカラー写真付きの記事が出ていた。待田晋哉記者の署名記事だ。

 <ニューアカデミズム・ブームを起こした思想書「構造と力」から四半世紀。批評家の浅田彰さん(51)が、27年在籍した京大から所属を京都造形芸術大に移した。新たな環境で、現代とどう向き合おうとしているのか。>

 という前文である。4月15日の初講義の様子が描かれている。講座は学部生向けにカントをはじめ基本的な哲学や美学の概論を語る「芸術哲学」。京大ではいつまでも准教授だったが、こちらでは大学院長で迎えられた、と。「京大はかつて、一発ホームラン主義で人材を生むところがあった。だが、その雰囲気は薄れ、1.5流の学生が増えた」ことが新天地を選んだ理由、と語ったという。何だか、その言葉じゃあ、負け犬の遠吠えにも聞こえるけど……。

 <1983年の「構造と力」や翌年の「逃走論」は、ポストモダンの潮流をくむデリダやフーコーらフランス現代思想を縦横無尽に使い袋小路に陥った知から逃げ、戯れることを唱えた。>

 という待田記者の説明、分かるようで分からないのですが。

 <「当時は冷戦期で、新左翼の影響も残っていた。ドグマティック(教条主義的)に「総括せよ」などと迫る人の前では、そこから逃走し、逃げて戦うことが必要だった。ただ、あらゆる批判派ダサいと受け取る人がいたのは不幸だった。>

 何だ、やっぱり逃げていたのか、と突っ込みたくなる意気地なし路線の告白である。

 <ポストモダンのキーワードの一つは、「言葉/意味」「男/女」などの二項対立をずらして問題を考える「脱構築」(デリダ)だ。89年のベルリンの壁崩壊や91年のソ連消滅で東西冷戦が終わり、世界を覆った最大の二項対立「資本主義/社会主義」は解消された。>

 <だが、勝ち残った資本主義がグローバル化を進展させる一方で、フリーターやニートなど不安定な生活を送るプレカリアートと呼ばれる若者は増えた。「脆弱な条件で若者は確かに働いている。ただ単に「資本主義/プレカリアート」と新たな二項対立で物事を考えては過去の反復になる。さらなる脱構築が必要だ」と語る。「両極端に人々が揺れるのを躊躇させる、哲学の役割は高まっている」>

 浅田氏の言うことは24年前も今も同じなのだなあ。

 <では、社会を善くするにはどうすれば良いか。「『道徳的にこうだ』と強調するより『倫理的に格好悪いことはしない方がいい』とスタイルで訴えた方が、現実的に人々の心に届くだろう」と可能性を示した。>

 <難解な「構造と力」が15万部出たのも今は昔。哲学的な知への関心は薄れ、授業に出た男子学生は「浅田彰の名を知らない」と言った。一方で、例えば、「逃走論」は、当時流行したウォークマンに熱中する若者の姿にメディア社会の自閉性や画一性を見る。ネット社会が到来した今、指摘はより深刻となった。ニューアカは「現代の問題を先駆的に提示した」と評価する。若き日に「構造と力」などを発表した後は、雑誌「批評空間」の編集委員を柄谷行人さんと務め、対談で発言するような仕事が目立つ。大きな著作はない。>

 <「才能は全く及ばないが、若い時に著作を一冊だけ発表した哲学者のヴィトゲンシュタインにあこがれている。しかし、造形大でゼロから学生に話す中で、結果としてまとまった物が出来ればとも思っている」>

 あとは、京大を辞めて京都造形芸術大に転じた「賭け」的な行動の感想くらいだった。

 「浅田彰」ブランドはまだ生きているのか? それより、浅田氏の言っていたことは何だったんだろう?ニューアカデミズムとポストモダンと構造主義と、どう違うのか、同じなのか?疑問は膨らむばかりである。

 ただ、新聞の文化面の記事で読むことは非常にいいことだ。何百万読者が目を通す一般紙の記事では「通説」的な見解が中心となるから、安心して読み込めるわけだ。ちょっとは時代に遅れていても、確実さが新聞の取り柄だと思うからだ。

 朝日新聞も8月7日朝刊文化面<浅田彰氏は今/ポストモダン 若者に語る>で同様の内容を書いていた。小林正典記者の署名入り。ここでも、思想の流れをまとめていた。

 <80年代のニューアカデミズムブームもポストモダン思想も知らない学部生に、教室では「カントが『真善美』をバラバラにしたのが近代。それをもう一度シャッフルしてみる議論がポストモダン」などと説明してきた。万人が共有できる価値観は消失したという現状認識に立つポストモダン思想の本質を何とか伝えようと、10月からは中沢新一、柄谷行人、東浩紀氏らを招いて連続公開講座も開く。>

 として、この後に中沢氏の発言を紹介。

 <「オタク」や「オカルト」が市民権を得るのに、ポストモダンは一役買ったと言われる。「逃走論」が描いた自由で軽やかな若者像はフリーターを肯定し、社会格差を広げたという指摘もある。市場原理の重圧が当時以上に強まった中で生きる今の若者に、こうした言葉はどう響くだろうか。>と結んでいた。

◆日本は「ポストモダンの実験室」

 読売新聞4月29日朝刊文化面<日本は「ポストモダンの実験室」>はカンタン・コリーヌさんというフランス著作権事務所、翻訳家の寄稿らしい。

 「日本に思想家がいるんですか」と普段から尊敬しているフランスの出版社の編集長に真顔で質問された、という小話から入り、フランスにはほとんど日本の思想家は知られていないが、2月末に東浩紀氏の「動物化するポストモダン」(講談社現代新書)がフランス語訳され、出版されたこと。3月15日にはパリ日本文化会館でシンポジウム「マンガ60年後……」に東氏がパネリストとして招かれたこと、アニメ、マンガ、ゲーム、コスプレが流行するフランスで本場の「オタク文化」の特徴などの話はうけた、と言う。

 3月18日には「オタク文化とポストモダンの動物化」のタイトルで東氏の講演。デリダの専門家、マルク・クレポン氏が東氏の本を高く評価したという。

 フランス語の序文を書いた社会学者のM・マフェゾリ氏が「ヨーロッパは一時期、近代および個の実験室と言われたように、現代の日本はポストモダンの実験室として重要だ。オタク文化は現在起こりつつあるパラダイムの変化を啓発する現象として観察、理解できる。つまり西洋人にとってオタク文化を思考することは資本主義、科学技術社会の行方を考えることになる」という話をした、という。

 サルトルやデリダの国の評論家にここまで言われると、秋葉原のコスプレ少女はどうしていいか分からなくなるのでは、と余計な心配してしまうほどのベタほめ。結局、フランスではマンガ。アニメの日本文化が日本人が想像する以上に流行しているから、流行の仕掛け人的な扱いを受けたのか? 何かよく分からない。

◆新たな知識人像を目指し、論壇誌で議論進む

 朝日新聞4月22日朝刊文化面に<知の全体性への野望 善意の暴走抑制 希望への道をつくる/新たな知識人像探る/復権へ論壇から問題提起>の見出しで、藤生京子記者の署名記事が掲載されていた。

 <知識人とは何か。どんな役割を担うべきなのか。一見古めかしいテーマに正面から取り組む議論が、論壇誌などで目を引いている。絶滅危惧種とさえ呼ばれ存在感を失った時代に、新たなモデルを示そうとしている。>という前文で、

 <メディアで引っ張りだこの脳科学者、茂木健一郎さんは、近著「思考の補助線」(ちくま新書)で、冒頭から起こっている。現在の日本は「知のデフレ」が著しい。わかりやすさばかりが求められ、知識人もみっともなくサブカルチャーにおもねっているが、必要なのは「旧アカデミズムの大文字の概念」を再生させる情熱だと言う。>という書き出し。

 首都大学東京教授(社会学)の宮台真司さんも「現代」2月号に「出でよ、新しき知識人」と題する論文を寄せ、大衆を啓蒙する前衛=知識人という構図が消えた今、新たな知識人の役割は「善意のマッドサイエンティストの暴走」を抑えることだ、と言う。分野横断的な知性によって法制度を設計したり、人々の合意を促したりできる人物だ、という。「ここ数年はっきりしたのは、日本の知的空洞化。公的分野、知的分野に優秀な人材が集まらない。公的貢献とナショナルなものをつなぐ、エリート教育が必要」と。

 京大教授の大沢真幸さん。「神奈川大学評論」で知識人が社会を変える力があるような前提自体を疑う小林康夫東大教授に共感しながら、それでも大きな物語の不在に開き直らず、希望への道をつくることが大切だと説く。知識人の役割を「演じるべきだ」と。姜尚中東大教授は「AERA]3月31日号でネグりを「新たな知識人像」として命令でも指示でもなく、悩める人々にインスピレーションを与えるあり方がヒントになる、という。

 <共通するのは、サルトルや丸山真男ら”大知識人”のイメージを過去のものとし、自ら知識人と称することにも抵抗しつつ、あえて「ドン・キホーテ」(茂木さん)の役を引き受けようとする覚悟だ。>

 これらの知識人像に対して、藤生氏は全く逆の見方も提示する。この辺が新聞文化面のバランスのとれたところだ。

 <雑誌「SAGHT」編集長の渋谷陽一氏は知識人不在は普通の人にとってとりたてて問題なし、とする。映画監督の北野武氏が学者と遜色ない知性を発揮し、知識人の概念を一変させて以降、第2、第3のたけしが生まれている。ITの普及で、知的情報へのアクセスは学者の特権ではなくなった。「健全に相対化されているんじゃないですか」>という紹介は面白かった。そうか、北野武はもはや、そう見られているのか、と。

 <一橋大教授(医療人類学)の宮地尚子さんは、昨年出した「環状島=トラウマの地政学}(みすず書房)で、市民の教育レベルが上がり弱者が力をつけていけば、誰もが専門家と別の視点をもった新たな知識人になりうる、と指摘した。知の体系の外にあったジェンダー研究や、被害のトラウマを本人が分析する当事者研究の進展。知識人論は、知そのものを問い直す作業だという。>

 なぜ、この問題を今、取り上げたか、の問題意識について最後に説明があった。朝日新聞の論壇時評の「注目論文」で知識人問題を取り上げたフリーライターの永江朗さんは、かつての知識人は恵まれた出自への後ろめたさが社会に対する使命感につながったが、最近の若手研究者には、そうした葛藤のないことが気になっていたというが、9.11後の世界と日本の切迫した現実が、知識人の存在意義を再浮上させた。永江氏は「『知』をめぐる議論が成熟する中、論壇の中核世代から問題意識が出てきたのは時代の必然と思います」と言っているそうだ。

 これがまとめの文章だ。

 まさに、「新たな知識人像」をめぐる記事であるが、細分化された「知」の総合化と言ってもいいだろう。

◆ポストモダン問い直す~知の再構築、中堅らが主導

 ここまで書いたのだから、少し古いけれども、日経新聞3月1日文化面<知の再構築、中堅らが主導/ポストモダン問い直す/思想の力復権へ/抽象的思考を継承>も書き写しておこう。河野孝編集委員の執筆だ。

 <日本の現代思想が袋小路に陥ったという危機感から、知の再構築を目指す動きが相次いでいる。ポストモダンの中で育った中堅の研究者らが新たな思想誌を創刊するほか、「ポストモダンとは何だったのか」と問い直す本の刊行も続く。新たな思想状況が生まれつつあるのか。>という前文。

 4月に新思想誌「思想地図」(NHK出版)が発刊される、と。編集委員が批評家の東浩紀氏ら。1月下旬に東工大で開いた記念シンポジウムでは社会学者の北田暁大氏が司会。萱野稔人、白井聡、中島岳志各氏ら気鋭の論客がそろって議論した、という。600人以上が来場、大いに盛り上がったという。

 <東氏は「今の論壇は『今の僕の生活をどうしてくれる』というような、現実志向が強い性急な議論が席巻している。自分の立場をかっこ入れして、抽象的な思考ができる書き手が結集する場をちくり、若い世代につないでいきたい」と強調する。>

 <日本における思想の流行は、外国ではやっているからこれが最先端という形を繰り返してきた。日本では今、「これが流行の思想だという枠組みが壊れており、各自がそれぞれのキャリアで培った語彙を使って真剣に考える状況からスタートするしかない」という。>

 <しかし、ポストモダン的な状況では、社会が趣味の小さな共同体に断片化される傾向を示す。「思想誌発刊は趣味の共同体を横断する試みでもある。何よりも言論が先細っているという切迫した現実がある。>

 一方、仲正氏が「集中講義!」で思想本来の批判精神の再生を説いた。

 <仲正教授は「ブームが去っても、社会を分析する道具としての現代思想が不要になるわけではなく、今こそ有効である」と指摘。80年代の上昇気分では見えていなかった、ドゥルーズ、フーコー、デリダらが苦言を呈している部分を本気で考えるべきだという。例えば、フーコーの監獄の誕生を監視社会に単に結びつけるのではなく、人間は監視されている状況で初めて主体的にふるまう、というような視点などは重要とみる。>

 <「<ポストモダン>とは何だったのか」(PHP研究所)を本上まもるの筆名で書いた評論家の志紀島啓氏は、「一時の流行思想にすぎなかったと片付けていいのか。日本の思想空間において失われた重いものを復権するには、ポストモダン思想の再読以外にありえない」と述べる。志紀島氏の基本的立場は「現状変革の思想だったポストモダンは、動物化した人間の現状肯定になってしまった。ポストモダンは裏切られた」で、「成熟した近代の矛盾に対する安易な処方箋だった『癒し、オタク、オカルト』の三つを除去し、ポストモダン思想の中核にあるよいところは再発見されてしかるべきだ」と主張する。>

 <精神分析医の斎藤環氏は「ポストモダンは『主体』概念が無効になった時代。主体が未成熟な思春期が、人の一生の中でも最もポストモダン的な時期だ」と述べ、「思春期ポストモダン」(幻冬舎)の中で、若者を精神的症状を解明する。>

 <精神分析とポストモダンの語彙は関係が深い。「スキゾ(分裂型)・パラノ(偏執型)」が80年代を象徴したが、今は、重人格、解離性障害、ひきこもりなど多様な症状が顕在化している。とはいえ未成熟文化と密接なサブカルチャーが、アニメ、ゲームなどの形で日本の輸出文化を育てているという現実もある。>

 <「80年代モードは、90年代カルチャー、ゼロ年代カルチャーがその上に発展し、文化の底流として残っている。フランスの現代思想をバージョンアップして、若い世代に浸透さえる必要がある」と斉藤氏は語る。>

 <各氏に共通するのは、一時的流行とは別に、思想家の仕事の痕跡が確実に刻まれているという認識だ。ポストモダンの言葉にとらわれずにその痕跡を読み直し、抽象的な思考をいとわう継承してこそ、思想が本物の力を持つのであろう。>

 というのが記事本文のすべてだ。

 この記事の別稿<「大きな物語の終焉」/80年代にブーム>はポストモダンの言葉解説だ。

 <ポストモダンとは「大きな物語の終焉」というのが典型的な説明だ。マルクス主義のような壮大なイデオロギー体系は終わり、高度情報化社会において、記号や象徴を使った大量消費時代を背景に、断片化した社会状態を特徴とする。ポストモダンという言葉は1960年代、米国の若手芸術家や批評家らが使い、フランスに輸入sれてフーコー、ドゥルーズらの現代思想を形容するようになった。70年代末から80年代になると、「脱構築主義」を掲げたデリダの思想などが今度は米国に逆輸入され影響を与えた。>

 <日本では80年代、浅田彰著「構造と力」などに触発され、バブル期の高揚気分と重なり、ポストモダン・ブームが起きた。だが、90年代に入り、冷戦構造の終焉、バブル崩壊など世界状況が変化し、グローバリゼーションの進展で、次第に「ポストモダンは終わった」といわれるようになった。>

 <しかし、社会状況としてのポストモダン化は進んだ。「70年代以降の世界はすべてポストモダンである」という東浩紀氏は、「ポストモダン」を「近代」の後に来た新たな文化的複合体のことだととらえてはどうだろうか、と提言している。>

 少しは区分けと言葉の使われ方が分かってきた。

◆仲正昌樹さんの本から「ポストモダン」「ニューアカ」説明の一部分だけ紹介

集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス) 集中講義!日本の現代思想―ポストモダンとは何だったのか (NHKブックス)

著者:仲正 昌樹
販売元:日本放送出版協会
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 仲正昌樹金沢大学法学部教授(政治思想史・比較文学専攻)は2006年11月に出版した「集中講義! 日本の現代思想~ポストモダンとは何だったのか」(NHKブックス)で、「現代思想」というジャンルが日本ではっきりとした輪郭を獲得したのは「フランスの”現代思想”の動向に詳しい浅田彰の「構造と力」が十数万部のベストセラーになった1983年前後であろう、と浅田氏のエポックメイキングな立場を認めながら、

 「この時期は、戦後の日本において大きな位置を占めてきた、階級闘争史観を前提とするマルクス主義の影響が政治運動の面でもアカデミズムの面でも大きく後退し、大量消費社会の現実に対応する新しい思想の枠組みが求められていた。そこで、高度に発達・爛熟した資本主義社会の行方と、その中で生きる『人間』像の変容、過激な言い方をすれば、『人間の終焉』を論じるフランスの”現代思想”が”新しい時代”へのヒントを与えてくれるものとして新鮮に見えたわけである。……そういう意味で、浅田がある時期まで代表していた『現代思想』とは、日本の80年代的な社会・経済状況に対応する『80年代思想』であったと理解している人も少なくない」と書いている。

 仲正氏はさらに、浅田氏の「構造と力」について、ポスト全共闘・大量消費時代に生きる若者たちを取り巻く新しい”現実”をソフトでクールな文体で描き出している、として、本文は非常に難しく若者に理解できなかっただろうが、「序に代えて」は「中央公論」81年5月号に「千の否のあと大学の可能性を問う」の原題で掲載され、シラケ世代と言われていたポスト全共闘の若者の感性を平易な言葉で表現しており、この部分で多くの若者をひきつけたと思える、と推測している。

 「現代思想」についての仲正氏の分析が面白い。①自らを画期的な「世界観」として提示しようとしたマルクス主義などと違って、人間の「理性」に基づく「体系」的思考を信用せず、体系を回避する、つまり、次第に<脱・体系化もしくは脱・中心化していく傾向>②ストレートに解答に向かっていこうとせず、いつまでもダラダラと埒の明かない思索を続けるように見える、つまり、<最初から確信犯的に「解答」を放棄しているように見える>という特徴がある、というのだ。

 また、現代思想の三つの条件を

 ①「現代」とは「近代とは異なっている」「近代から逸脱している」ことも含意されており、80年代の日本の「現代思想」理論のほとんどはフランスやアメリカで「ポストモダニズム」と呼ばれたものと重なっている。それは首尾一貫した理論の構築を放棄している

 ②従来の”哲学・思想”という枠からかなり逸脱し、他の領域の知との境界線が曖昧になっている。哲学の核となるべき理性的主体自体が不確かになっているので、思想全体における哲学の地位が特権的なものであるとはもはや言えない

 ③アカデミズムの「内部」だけでなく、アカデミズムにとっての「外部」、とりわけジャーナリズムや各種芸術との相互乗り入れを進め、それに伴って自らの表現スタイルを脱アカデミズム化させていく

 ――として、このような「現代思想」の知的”実践”が「ニュー・アカデミズム(ニュー・アカ)」と呼ばれる、と書いている。後は本を読み返してみよう。

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2008年4月10日 (木)

書評:竹内洋著「社会学の名著30」、D・リースマン「二十世紀と私」

 竹内洋著「社会学の名著30」(ちくま新書、2008年4月10日第1刷発行、定価777円)。
 表紙裏の略歴によると、竹内氏は「1942(昭和17)年生まれ。京都大学教育学部卒業、同大学教育学研究科博士課程退学。京都大学大学院教育学研究科教授を経て現在、関西大学文学部教授、京都大学名誉教授。京都大学博士。専攻は歴史社会学、教育社会学。著書に「大学という病―東大紛争と教授辞職」(中公文庫)、「丸山真男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム」(中公新書)、「教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化」(同)、「日本の近代12 学歴貴族の栄光と挫折」(中央公論新社)、「立志・苦学・出世―受験生の社会史」(講談社現代新書)、「日本のメリトクラシー―構造と心性」(東京大学出版会)など多数。エッセイ・書評・評論でも活躍。」とあった。どちらかといえば、学歴社会分析の専門家のようだ。

社会学の名著30 (ちくま新書 718) 社会学の名著30 (ちくま新書 718)

著者:竹内 洋
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 30人の代表作を簡単に紹介して、コメントする、という形式。たしか「政治学の名著」では佐々木毅学習院大学教授がやっていたと思う。随分前に読んだことがある。
 といっても、こういうアラカルトの入門書は入門書とはいえ、自分の好みの、よく知っている学者もいるし、全く知らない学者もおり、それだけならいいのだが、嫌いな学者も入っていることがあるので、「読んだ」とは言っても、正確に言えば「ピックアップして読んだ」だけで、すべてを通読したわけではない。
 この本もそうだった。そもそも社会学という学問領域の区分自体、新しいので、昔は社会学という分類ではなかった学者が入っている。例えばマルクス・エンゲルス「共産党宣言」などだ。30冊の本の中で全く名前すら知らなかった本が随分あった。
 だから、すべてを書き出すのではなく、自分が気に入った本についての竹内氏のコメントだけを少しだけ書き出しておく。
★オルテガ・イ・ガセット「大衆の反逆」(原著刊行は1930年。ちくま学芸文庫、1995年。神吉敬三訳)=オルテガは1883~1955年。スペインの政治学者・社会学者・「大衆の反逆」は大衆の心性を抽出した大衆社会論の古典。
 竹内氏は「日本にのける群衆の発見」から話を始めている。
 1905年9月5日、日比谷公園の六つの入口は柵で打ち付けられ、警官が集結していた。日露講和条約(ポーツマス条約)で日本がロシアに勝ったのに賠償金も取れず、領土も取れなかったことに不満を抱いた人々が政府批判の国民大会の開催を予定していたが、政府によって集会が禁止されたため、開催予定場所が警官によって警備されていた。
 しかし、集会禁止を知らなかった人が全国から数万人集まり、投石をしながら警官を追い払って日比谷公園になだれ込み、万歳が絶叫され、花火が打ち上げられた。大会が挙行され、「挙国一致必ず屈辱的条約を破棄せんことを期す」などの決議が朗読され、拍手大喝采。解散後、激しい暴動が始まった。制止する警官との乱闘はもとより、御用新聞とされた国民新聞社の破壊、内務大臣官舎破壊などが続いた。騒乱は翌日も続き、東京の交番の7割以上が焼かれた。
 全国各地で「号外」が出され、「日比谷焼き討ち」事件が知らされた。群衆の恐ろしさと巨大なエネルギーが遍く知られることになった。「群衆」が発見された。この「群衆」の素顔が「平民」や「民衆」や「大衆」である、と書いてある。
 日本では「平民主義」(徳富蘇峰)や「民衆の時代」(大山郁夫)などで「平民」「民衆」の発見が先行したが、1923(大正12)年9月1日の関東大震災後、仏教用語で「大勢の僧」を意味する「大衆」が「マス」の訳語として登場した。ただし、大衆は平民や民衆よりも文化程度が高い都市中間階級を指示していた。その意味で大衆はモダン用語であった。普通選挙制の実現によって大衆政治が、またラジオや週刊誌などをつうじて大衆文化が、大量生産によって大衆消費が生まれ、大衆が前景化しはじめた、というのだ。
 日本近代の「大衆化現象」の説明である。
 実は、この辺については、百花繚乱、各説が乱れ飛び、定説はないに等しいのだが、竹内氏はこれを入口にして、同時代の欧米を見ようとする。
 6世紀から1800年までのヨーロッパの人口は1億8000万人を超すことはなかったが、1800年から1914年までの間に4億6000万人以上になった。いまやホテルは宿泊客で記者は旅行者で、映画や演劇には観衆が群がる。かつては少数者のためにとっておかれた最上の場所に大衆が躍り出た。オルテガはこうした大衆の誕生を、自由主義的デモクラシーと科学技術・産業主義による、という。
 オルテガは労働者であるから大衆だ、とか、貴族だから太守ではないではなく、精神の姿勢に大衆の特質を見た。「少数者」は自らに多くを求める人々であるのに対して「大衆」は風のまにまに漂う浮標のような人々。
 大衆は過去に対して何ら敬意を払わない。「凡俗な人間が、自分が凡俗であるのを知りながら、敢然と凡俗であることの権利を主張し、それをあらゆるところで押し通そうとする人々だという。ニーチェの言う「畜群」とほぼ同じ存在だ、という。
 竹内氏はオルテガの「喫茶店の会話から得られた結論を実社会に強制する」という一節を見て「ワイドショーのコメンテーターの紋切り型発言をなぞって社会問題や政治問題に一家言を持ち、しゃしゃり出る大衆を想起させるに十分だからである」と書いている。黴臭い学者ではなく、現実をきっちり見るのが好きな学者であるようだ。
 竹内氏の次の結論が勉強になる。
 <ただしオルテガが抽出した大衆像は、あくまでマックス・ウェーバーいうところの理念型である。理念型とは経験的実在を一定の観点から論理整合的に抽象化した論理的構成物でる。大衆の暴発形態である「群衆」と同じように、背伸びする「中間階級」(ブルデューいうところの文化的善意の人々)や公衆である「市民」、自足はしても高貴なものを引き摺り下ろすといった欲望とは無縁な「庶民」や「常民」(柳田國男)などもオルテガのいう「大衆」概念の近筋にある。オルテガの抽出した「大衆」を、いま触れたような近似概念の中で位置づけ、それらの相補・対抗関係を探っていくことによって、大衆社会の来し方行く末を辿ることができるのではあるまいか……。大衆の動員にあたってこれらの類型のうちある特定の類型が選択され、意味付与され使用されていく経緯について辿ることもできる。「市民」や「民衆」(運動)はもとより「プロレタリアート」や「無産階級」「人民」「臣民」、さらには「一般ピープル」といった言い方さえ、大衆争奪戦での表象闘争なのだから。>
★ディビッド・リースマン「孤独な群衆」(原著刊行は1950年。みすず書房、1964年、加藤秀俊訳)=リースマン(1909~2002年)米国の社会学者。「孤独な群衆」はアメリカ人の「社会的性格」の変化を平明闊達な文体で叙述した。
 竹内氏はどの本の紹介でもどう書き出すか、導入部で相当の工夫をしている。リースマンの場合はアメリカの社会学者が書いた本のヒット・チャート(ベストセラー・ランキング)だった。
 1995年までの集計。リストの上位にあって日本語の翻訳があるものを拾うと、次のようになるという。
スレイター「孤独の追求」(新泉社)50~75万部
ベラー「心の習慣」(みすず書房)とリプセット「政治的人間」(創元社)40~50万部
ホワイト「ストリート・コーナー・ソサエティ」(有斐閣)20~30万部
カンター「企業のなかの男と女」(生産性出版)15~20万部
ベッカー「アウトサイダーズ」(新泉社)とベル「脱工業化社会の到来」(ダイヤモンド社)10~15万部
 で、ランキングの断トツが本書で、刊行されたのが1950年だが、71年までに100万部を売り切った。1995年までに143万4000部になった、という。ベストセラーになったのは卓抜な題名と、華麗な文体と、1950年という早い段階でアメリカ人の社会的性格の変化の兆候を察知(副題は「アメリカ人の性格の変化」)したことと、そうした変化を歴史的段階論として体系的に提示したことになる、という。
 伝統社会、工業化社会、脱工業化社会の社会的性格をそれぞれ伝統指向型、内部指向型、他人指向型の三つの理念型で対応させている。「ポストモダン」という言葉は使っていないが、第3類型について、竹内氏は次のように書いている。
 <やがて第2の革命が起きる。第1次産業はいうまでもなく、第2次産業も減少し、第3次産業が増える時代になる。人々は物と胎対峙するなかで生きていかなければならない。物質的環境よりも人間環境が重要になる。「内部指向型」の進取の気性や頑張りがそれほど必要ではなくなり、生存において他者との折り合いが大きな課題になる。他者は友人や同僚、そしてマスメディアである。>
 竹内氏は、結びを次のように書いていた。
 <1980年代の日本でエッセイスト中森明夫によって発見され、命名された「おたく」は他人指向型社会の単なる不適応型なのか、それとも自律型なのだろうか。リースマンは他人指向型社会のなかでの自律型の形式について、仕事や遊びでの人格過剰化をひかえることからはじまるといっているが、「おたく」たちの他者への配慮のなさに自律型の可能性をみるべきだろうか。それとも不適応型を見るべきなのだろうか。おあく論を展開するためにも、本書は文明的スケールでのヒントをあたえてくれるはずである。>
 短い行数でうまくまとめている。起承転結の中に専門家でもニヤリとする話題を入れたり、と。しかし、逆に言えば、本当の意味での入門書ではないので、リースマンを知らない人には、何が何だか分からないのではないか、とも思うのだ。
 ここでは、リースマンの文章を「名文中の名文」のように書いているが、実は「孤独な群衆」は読みにくい本だ、と私は思う。というか、途中であきて放り投げてしまうのではないか、と危惧する。時代的な背景を考えた時、骨董品を鑑定する仕事に就いている人以外、読み進むのが苦労だと思うのだ。
 僕がつっかえつっかえでも読み終えたのは、実は「手引書」があったからだ。それは、リースマンが書いた「二十世紀と私」という中公新書である。1981年初めと2月の講演記録だ。「孤独な群衆」を書いて30年、その著者が自分の半生を語ったのだ。訳者は永井陽之助氏である。
 ここでリースマンペンシルベニア、フィラデルフィアでユダヤ系ドイツ移民の家に生まれ育ったが、幸福だったこと、アメリカの第1次大戦参戦でフランクフルト・ソーセージをホットドックと呼ぶようになったこと、人々がベートーベンを聴くのをやめたこと、学校でドイツ語の授業が中止になったことなどを思い出している。リースマンの父はフィラデルフィア・セントラル病院の内科部長だった。ハーバード大学時代は平和主義的傾向から第1次世界大戦の起源に関するあらゆる書物を読み漁ったという。大学4年生で友人とソ連内を旅行、長い汽車の旅で理想主義的なナチス党員に多数出会ったりした。また、この旅でソ連の体制のおかしさを実感した。
 アメリカの第2次世界大戦参戦では懐疑論者だったリースマンは孤立主義者のように参戦すればアメリカは半ファシズム=軍国主義国家になるのではないかと懸念することもなく、介入主義者のようにアメリカの参戦で戦争が実際に終結すると期待することもなかった。日本の真珠湾攻撃のときには日本人への悪感情がないということを示すために五番街の日本食レストランを訪ねたが、すでにFBIが閉鎖した後だった、とか、日系人の強制移住に反対し、終戦後もこの問題を追い続けて、日系人収容所、とりわけチュールレーク収容所での生活ぶりを明らかにしたロザリー・ハンキーの報告書の公表運動にも尽力した。
 リースマンの最大関心事は核戦争だった。核戦争をいかに防ぐか。SALTの充実を提言し、働きかえ続けた。朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機、とすべて政治的に動いている。行動する学者だ。その行動する学者が、社会学にのめり込むきっかけが心理学者ポール・ラザースフェルト教授が編み出した人間心理の質的な側面を量的に測定する方法だった、という。
 また、この講演でリースマンは「孤独な群衆」では余暇自体を意味あるものとして描いたが、その後、ダニエル・ベル教授「仕事とその不満」で「余暇はそれ自身、けっして意味のあるものとはなえりえないと信じており、今では私も意見に同意するようになった」と書いている。
 リースマンはロバート・マートン教授が豊かさの中でひそかに進行していた社会分化や格差の増大のに光を当てたことを紹介。ニューイングランドの小都市で後から入り込んできた人々が質的な豊かさを求めて小都市の書籍店、アート・スタジオ、室内楽団、アマチュア劇場などの発展に肩入れし、促進することになるのだが、ニューイングランドの多くの地方都市で落ち着きのないコスモポリタン市民への反発があるきっかけで噴出する。水道水にフッ素を入れる運動では頑迷に反対する。各地での小中学校の教科書問題など、ローカル派の反抗は専門家や高等教育を受けたコスモポリタン的市民たちを排撃する十字軍のような闘いとみられる、という。
 S/M・リプセット教授はこれらの反目を豊かな社会の帰結という。
 面白かったのは、リースマンが福音伝道派教会の信者が社会の底辺いn生きる人々だったのに、豊かになったら、底辺人の教会という性格が薄れ、反コスモポリタン派の後衛拠点として、豊かな資金源を持つ有力制度に変質した、という指摘である。この主語を「福音伝道教会」から「創価学会」に変えても、そのまま読めそうだ。
 その意味で、豊かな社会になった後、貧者向けの宗教だったものが、どう変質するか、も興味深い。
 創価学会は反グローバリズムの性格を持ってはいそうだ。決してグローバリズムではないと思うのだが。しかし、創価学会の政治部といえる公明党は1993年以来、与党のうまみをしってしまったからか、自民党政権の政策を一緒に実行する癖がついてしまった。日本の小企業や小規模流通業がまだまだ生きていけるから、まだ中途半端のままで大丈夫なのかもしれないが、もう少し亀裂が大きくなると、公明党=創価学会は政界再編を裏で操り、反グローバリズム的な政党作りを演出するかもしれない。
 まあ、いろいろと思い出話で構成しているのだから、歴史的にもwかりやすいし、読みやすいほんあのだが、絶版なのか、普通の本屋では見なくなった。私は100円均一の水道橋の古書店で買った。
 以上、リースマン。
 本来はユルゲン・ハーバーマス「公共性の構造転換」~コーヒー・ハウスからインターネットへ▽ミシェル・フーコー「監獄の誕生」~顔の見えない監視▽マーシャル・マクルーハン「メディア論」~メディアはメッセージである▽ジャン・ボードリヤール「消費社会の神話と構造」~どこまでも透明な根p・リアリティ▽カール・マンハイム「保守主義的思考」~保守主義は新思想▽ベネディクト・アンダーソン「想像の共同体」~ナショナリズムの誕生と伝播▽ウルリヒ・ベック「危険社会」~グローバル・クライシス、について、短くとも書いておこうと思っていたのだが、その時間がなくなったので、館内氏がキャッチフレーズ的に書いた一言だけをつけただけで、諦めよう。

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2008年1月31日 (木)

赦しと和解という重い課題について~東京新聞の大沢真幸論壇時評

 東京新聞1月31日朝刊文化面[論壇時評]は大沢真幸氏<ヨーロッパという希望/困難㊤  グローバル化の前触れに「包容力の限界」という壁>というまたまた分かりにくい見出し。

 大沢氏の論文には見出しを見ても分からずに、「一体どんな内容なんだろう?」とおそるおそるビックリ箱を開けるような楽しみ、ワクワク感がある。

 今回の論壇時評は㊤㊦なので、本来は㊦まで見なければいけないのだろうが、その論旨の中心点ではなさそうな部分に感動、というか、活字に目が行ってしまったので、書きとめておく。

 「赦し」である。ナチスの戦争責任問題などで以前よく見た言葉である。大沢氏が問題にしているのは先の戦争ではなく、もっと新しい問題だった。

 大沢氏らしく「ローカルな利害の間の、あるいはローカルな価値観の間の相克を超えて、グローバル化に即応し対抗しうる普遍性の域に達した思考を獲得するには、どうしたらよいのだろうか?」という問いから始まる。

 何なんだ?と思っていると、2004年10月に死去したジャック・デリダの生前最後の講演「赦し、真理、和解」が「別冊・環」13号に邦訳されていた、ときて、その内容の紹介から始まるのだ。南アフリカではアパルトヘイト(人種隔離)時代の人権侵害の真実を解明し、加害者と被害者の間の和解を促進するために真実和解委員会が設置された。被害者やその遺族は、悲惨な体験を委員会で訴え、加害者は、真実をすべて告白すれば恩赦を与えられた。

 この真実和解委員会については阿部利洋氏「紛争後社会と向き合う」(京大出版会)が詳しいそうだ。

 人種主義的な偏見に基づいて、自分を、あるいは自分の恋人や夫・妻を陵辱し、強姦し、殺害した加害者を赦すことはできるのか? これほど深い亀裂によって隔てられた両陣営の間に和解などありうるのか? 遠く南アフリカに足場を置いたこの問いは、「われわれ日本人」にも無縁ではない。同じ問いは、日本と、そのかつての植民地である韓国との間でも、あるいは日本がかつて侵略したアジア諸国との間でも、立てられるからである。

 デリダは、ツツ大司教が指揮する真実和解委員会のもとで、赦しがキリスト教化していると指摘し、この事実に限界と希望の両方を見ているようだ。キリスト教とは何か? 端的に言ってしまえば、それは西洋あるいはヨーロッパのことである。とすれば、「別冊・環」に載ったデリダの「希望のヨーロッパ」という講演とは全く異なった問題意識のもとで書かれている論文を、この文脈に置いて、共鳴させることもできなくはない。その論文とは「世界」2月号に載った赤木昭夫「アメリカ型グローバリゼーションの終焉」である。

 赤木の論文は純経済学的なもので、サブプライム・ローンの破綻がドル危機へと至るメカニズムを論じている。

 ここで大沢氏は「サブプライム問題はグローバル化の中心がアメリカからヨーロッパへと移行する前触れなのかもしれないのだ」と論じる。だから、ヨーロッパ、EUを見る必要がある、として庄司克宏「欧州連合」(岩波新書)を引用。EUの本質は複数の国家が共通の機関を設立して主権の一部を移譲し、共同行使する統治の様式にある、という。今、EUは包容力の限界に達しようとしているようにも見える、として、トルコ加盟問題に注目している。

 論点がバラけたまま、論文が終わっているので、広げきった「赦し、和解、真理」とEUをどう結びつけるのか、またまた見ものなのだが、この㊤だけでも、そして、バラけているままでも、十分に論点は出されている、と思う。

 デリダが関わった南アフリカの真実和解委員会はこのような結果を生んだのだろうが、果してボスニア・ヘルツェゴビナや旧ユーゴの人種抹殺問題をどう解決させるのか。

 日中間だって旧日本軍の遺棄化学兵器(毒ガス兵器)処理はまだ30万発残っており、日本が処理を進めている。韓国との間には竹島(独島)問題だけではなく、実はもっと重要な文化財持ち出し問題がある。それに、日本の植民地時代の所有権をどう判断するか、細かいところではまだ、確定していないことも多いはずだ。

 戦後62年、63年がたっても、まだ「戦後」なのだ。真実和解委員会は日本の戦後処理にこそ必要だったのではないか。公文書を全部燃やすような馬鹿なことを二度としないためにも。

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2008年1月17日 (木)

書評 「「現代日本人の意識構造」

 NHK放送文化研究所編「現代日本人の意識構造 第5版」(NHKブックス、2000年2月20日第1刷発行、定価970円+税)。
 水道橋の古書店で100円で買って、書庫に置いておいたのだが、政治のまとめを書くために3時間かけて読み終えた。
 まあ、世論調査の分析だから、そんなに面白いことはないのだが、世論調査時期が1973年から98年までと、ちょうど日本が古い体質から円高で新しい経済体制に移り変わる時期。この数字は今後も大いに参考にすることになりそうだ。
 特に内閣や当時の政治状況によって無党派層が増えていく様や、家庭、男女の役割分担論、仕事と生きがいなど、人間の内面にかかわる項目が多く、利用できそうだ。
 一番ハッとしたのは、個人の意識は変わらないのだ、ということ。
 年度によって意識が変わって見えるのは、世代が交代しているからだ、という指摘には目を開かされた。
 例えば1973年の調査では「団塊の世代」が多いので、平均年齢は約40歳だったが、1998年調査ではその「団塊の世代」が年を取ったので、平均年齢が48歳になっている。
 世代が入れ替わったうえに、平均年齢まで違ってきているのあ。
 母集団の変化は調査結果の記事を読んでも、記事の裏に隠れているので分からない。また、いつもは気にならないのだが、やっぱり世論調査のプロだけあって、見るべきところを見ているなあ、という感じがした。

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2007年12月26日 (水)

書評 山極寿一著「暴力はどこからきたか~人間性の起源を探る」

 2007年12月25日第1刷発行。日本放送出版協会発行のNHKブックス。定価1019円。

 山極氏は霊長類社会生態学研究者。奥付の著者紹介や参考文献一覧によると、

 <1952年東京生まれ。京都大学大学院博士課程修了。理学博士。現在、京都大学大学院理学研究科教授。日本霊長類学会会長。専攻は霊長類社会生態学、人類進化論。長年にわたり、フィールドにて野生のニホンザル、チンパンジー、ゴリラの社会的行動の姿を追うとともに、その保護活動でも国際的に活躍する。>

 <著書に「ゴリラー森に輝く白銀の背」(平凡社)、「ゴリラとヒトの間」(1993年、講談社現代新書)、「家族の起源ー父性の登場」(1994年、東京大学出版会)「ゴリラ」(2005年、東京大学出版会)、「オトコの進化論ー男らしさの起源を求めて」(ちくま新書)、「父という余分なものーサルに探る文明の起源」(1997年、新書館)、「サルと歩いた屋久島」(山と渓谷社)、「ヒトはどのようにしてつくられたか」(2007年、岩波新書)ほか多数>

 2007年11月とある「おわりに」で、

 「この3週間、アフリカのガボンにあるムカラバ国立公園でニシローランドゴリラの調査に従事してきた。久しぶりに熱帯雨林を存分に味わった」

 とあった。

暴力はどこからきたか―人間性の起源を探る (NHKブックス 1099) 暴力はどこからきたか―人間性の起源を探る (NHKブックス 1099)

著者:山極 寿一
販売元:日本放送出版協会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 山極氏の文章は分かりやすい。「おわりに」の続きの文章は次の通り。

 <まずものすごい湿気だ。湿度は常に100%で、ちょっとほっておくと何でもすぐにカビが生える。それに虫の襲来にいつも悩まされる。朝夕はブユ(ブヨ)、日中はツェツェバエ、夜は蚊が血を吸いにくる。森の中ではダニにたかられるし、ハエやハリナシバチもしつこくまとわりついてくる。こういう大小の虫たちをムアンズという虫払い棒でたたきながら森を歩いていると、人間はこれがいやで森を出たのではないかと思いたくなる。>

 <今は雨季の初めで、木々は赤い色をした新葉をつけている。まるで紅葉を見ているような気分になる。さまざまな果実が熟れ始め、森には甘い香りが漂っている。林床には赤や黄の果実が散乱し、動物たちの食べ跡が残っている。ゴリラの歯型のついた果実もあちこちでみつかり、彼らもこの贅沢なときを楽しんでいることがわかる。>

 要点を押さえた簡潔な文章と、事実に裏付けされた仮説が刺激的、魅力的だ。

 本書の内容を俯瞰してある「はじめに」の一部を書き写す。

 <そもそも霊長類の社会は他の哺乳類とは違う性質をもっている。それは、霊長類がまず樹上に生活空間を広げた、哺乳類としてはまれな存在だからである。私たち人間が世界を認知する能力も、仲間との間に起こす葛藤も、戦う能力も、すべて霊長類として進化した時代に身につけたものである。人間の争いの原因も、争いや和解の方法も、彼らから受け継いだ特徴の中にみつけることができるはずだ。>

 <毎年のように、霊長類の社会行動について新しい発見が報告されている。それらの最新の知見を取り入れながら、私はまだよくわかっていない人間社会の由来を考えてみようと思う。>

 本文は以下の構成だ。

第1章 攻撃性をめぐる神話

 ①人類の進化史と攻撃性(武器をもった猿人?、「血塗られた歴史」という物語、ローレンツの描く「人間性」)②狩猟仮説(狩猟民は攻撃的か、攻撃性は本能に直結しない、祖型人類は狩猟民か、人類が受け継いだものの探求)③暴力とは何か(暴力への愛憎、「キング・コング」という誤解、異種への攻撃性と同種への攻撃性、争いと暴力の原点を探る)

第2章 食が社会を生んだ

 ①生物がともに生きる意味(熱帯雨林に生きるということ、霊長類始まりの地、共生の森から、種子散布という戦略、霊長類と被子植物の共進化)②食べることによって進化した能力(ゴリラのグルメ、霊長類の始まりの姿、葉食を可能にするメカニズム、ヒトに受け継がれた類人猿の食性)③食物の違いがもたらすもの(霊長類だけがもつ特徴、食と体躯の多様な関係、食の相違が左右する社会構造)④二ッチとテリトリー(熱帯雨林は食物の宝庫か、鳥類のテリトリーと食虫類のテリトリー、単独行動ペア型テリトリー)⑤昼の世界が集団生活を生んだ(単独で暮らす夜行性のサルたち、群れを作る昼行性のサルたち、昼の世界がもたらすもの)⑥食物と捕食者の影響(真猿類は単独生活をしない、食物の質と分布が「群れ」を生むのか、身を守るために群れる)⑦食物をめぐる争いと社会性の進化(テリトリーから群れへ、優劣順位により争いを回避するニホンザル、スクランブルとコンテスト、二つの競合のかたち、食による社会理解の盲点)

第3章 性をめぐる争い
 ①インセストの回避と社会の進化(サルたちのインセスト回避、家族の起源)②ペア生活の進化(ペア生活のもたらす利益、テナガザルのペア生活、ペアと育児の関係)③メスがオスの共存を左右する(オスが単数の群れと複数の群れの違い、出産期間かメスの数か、性皮の有無が分けるもの、人間集団の性の不思議)④母系と父系(「血縁のないメス社会」という謎、ニホンザルの血縁関係、チンパンジーの社会性に迫る、群れを移籍するメスゴリラ、メスゴリラのいsかいとオスの仲裁、霊長類の母系と父系)⑤娘と息子のゆくえ(インセストの回避が霊長類の社会構造を動かす、DNAが明かすサルたちの血縁、チンパンジーとボノボの交尾回避、ゴリラの旅立ち、インセストタブーがもたらす共存)

第4章 サルはどうやって葛藤を解決しているか

 ①優劣順位とは何か(直線的に序列を決めるオスニホンザル、メスニホンザルの家系順位、群れの中の序列をどう読むか)②所有をめぐる争い(「先行者優先の原則」の混乱、序列意識の強いサルと弱いサル)③和解の方法(サルのさまざまな和解、チンパンジーは仲直りに積極的、「ホカホカ」で緊張を抑えるボノボたち、ゴリラが見つめ合う理由、仲裁と介入はどう違うのか、三角関係のもつれをゴリラはどう収めたか、弱者による仲裁)④食物を分配する類人猿(ゴリラたちの食卓、小さなゴリラが大きなゴリラをどかす、仲間に食物を乞うチンパンジー、ボノボの食物乞委は自己顕示なのか、類人猿以外のサルたちの分配、食物を分け与えるという戦略)⑤性の相手は分けられない(異性をめぐる争いに解決策はあるか、順位の低いオスほど交尾する?メスチンパンジーをめぐるオスたちの同盟、ボノボの不思議な発情、オスたちの共存、ボノボ・チンパンジー・ゴリラ、娘ゴリラと父親の別れ、DNAが明かす父親ゴリラと息子の関係)

第5章 暴力の自然誌ー子殺しから戦争まで

 ①子殺しと社会の変異(病理か必然か、子殺しを生む社会、メスゴリラが群れを出るとき、子殺しの有無が社会構造を変える、「子殺し」発生の波紋、交尾と授乳の衝突、父性という抑制装置、人間社会は性と暴力をコントロールしているか)②人間はどう進化してきたか(人類誕生の地から、初期人類とチンパンジーの違い、二足歩行と狩猟、脳の進化と肉食、食べられる獲物としての人類、森を出た人類・森に残った類人猿)③家族と不思議な生活史(二足歩行起源の諸説、二足歩行が生む分配、「多産」という人類の初期条件、人類と子殺し、祖型人類の社会構造を探る、インセストタブーが「家族」を生んだ、家族が分かち合うもの)④分かち合う社会(狩猟民の惜しみなき分配社会、贈与されるのは心理的負債か、「分け与える」ことと「分かり合う」ことは違う、類人猿と人類の分配の違い、食物のもつ社会的な力)⑤所有と家族の起源(家族という社会、歌は言語に先立つ)⑥戦いの本質とは何か(チンパンジーは戦争をするか、拡大した共同体のゆくえ、大量殺戮はなぜ生まれたのか、狩猟的空間認知と農耕的空間認知、起源への問いが戦争を呼ぶ、霊長類としての人類の可能性)

 以上が内容の概要だ。

 昔々のことだが、私が高校生の時だったか、伊谷純一郎著「ゴリラとピグミーの森」(岩波新書)を読んだ(と思う)。別の本だったかもしれないが、うろ覚えなので、それ以上は分からない。大人の読んでいる本を読みたくてチャレンジするために、学校近くの本屋で買っただけのことで、深い意味があったわけではない。

 その時には「ゴリラの話か」としか思わなかった。たしか、新書には珍しいゴリラの写真が何枚か載っていて、写真入りの新書は珍しいなあ、と思った、という他愛もないことしか覚えていない。

 実は霊長類学という日本で生まれた学問の第一人者が一般人向けに書いた本だ、などとは当時、知りようもなかった。

 伊谷さんには1954年の今西錦司編「高崎山のサル 日本動物記2」という著書もある、戦争直後から活躍した人だった、と今回、この本の「参考文献」欄で初めて知った。

 以下、本文の内容を大胆にダイジェストしたものだ。「であろう」とか「という説が有力だ」などは、すべて断定調にした。

 なお、このブログを読む方にお願いがあります。

 この文章は山極さんの書物そのものではないし、本の内容を誤解してダイジェストしたり、引用したりしている部分もあると思うので、くれぐれも山極さんの本の引用としては使わないで下さい。必ず、山極さんの本(このブログにアフィリエットとしてアップしてあります)を読んでください。

◆霊長類の誕生

 最初の霊長類が誕生したのは新世代初頭の今から6500万年前の北アメリカだった。当時は地球の陸地はローラシアとゴンドワナという大きな大陸に分かれており、現在の北アメリカはユーラシア、アフリカとともにローラシアの一部で、赤道近くに位置していた。南半球には現在のインド、オーストラリア、南アメリカからなる断片状のゴンドワナ大陸があった。

 気候は温暖で熱帯雨林がローラシア大陸を広く覆い、今から1億年前に被子植物が環境に合わせて多様に分化する「適応放散」を始め、それまで地球を覆っていた裸子植物を高緯度地帯に追いやった。3~4億年前に地球上に登場し、1億年前に多様化していた昆虫が花粉を運ぶことで、被子植物の繁栄を助けた。

 霊長類は食虫類から分化したので、最初の霊長類は樹上で昆虫を食していた。被子植物は横に枝を広げる性質があるので、地面に降りずに樹上を渡り歩くことができる「樹上の道」ができた。

 霊長類が地上に降りずに木から木へ移動することができるようになったことは、地上に住む捕食者から逃れるのに役立った。

 霊長類は虫だけでなく、花、葉、果実なども食べるようになり、植物を直接の食物資源として摂取、生活の場としても植物に依存するようになった。

◆熱帯雨林は共生系

 熱帯雨林は多様な生物によって成り立つ「共生系」であり、現在、熱帯雨林の面積は地球上の陸地の3%しかないが、そこにこれまで知られている生物140万種の中の50%以上がいる。その半分以上が昆虫だ。

 熱帯雨林の植物の90%は被子植物。多様な生物の宝庫である熱帯雨林は被子植物と昆虫によって支えられている。

 高さの違う樹木によって上中下といった階層構造が森林に発達し、多くの生態的地位(ニッチ)ができて、棲み分けが可能になった。

 昆虫類が運べるのは花粉くらいだったが、霊長類は大量に果実を飲み込み、時間をかけて消化した後に種子を糞に包んで落とすので、発芽に好条件だった。

 植物は霊長類が丸ごと飲み込むように、果肉と種子をはがれにくくした。オナガザルの仲間は頬袋を持ち、食べ物をその場で飲み込まず、いったん頬袋に入れて、あとで食べることができるようになったので、外敵から身を守れ、生き残る力が強くなり、他の霊長類はだんだん追いつめられ、種の数を減らした。

 人類に近い類人猿は頬袋を持っていない。しかし、変動の激しい昆虫類や、季節変化・年変化の大きい果実に比べて、熱帯雨林には常緑樹葉がふんだんにある。葉を食べるようになった霊長類は巨大な量の食物資源を手に入れ、体を大きくすることができた。

◆植物採取で体が大きくなった

 哺乳動物の基礎代謝量は体重の4分の3乗に比例するので、体重が重くなるほど必要なエネルギー量の比率は少なくてすむ。

 大量の食物資源を手に入れ大型化した葉食の霊長類は、大きな体ゆえのエネルギー効率の良さにより、さらに大型化。葉を食べる霊長類は昆虫だけを食べる霊長類よりも大型化した。

 類人猿は腸内にバクテリアを共生させ(後腸発酵)、食べた果実と葉を直腸に送り込み、ゆっくり腸内を移動させながらバクテリアによってセルロースを分解させる。葉を多く食べるゴリラなどは直腸が巨大になっている。

 人間もこのような類人猿の食性を受け継いでいる。未熟な果実が渋くて食べられないのは二次代謝物質に弱いため。甘い果実が大好きなのも完熟した果実しか食べないせいだ。

 昆虫食、果実食、葉食といった食性の違いによって、体の大きさ、咀嚼器官、消化システムが異なり、食物を探す時間や空間、年間に歩き回る行動域の広さ、食物を採食する場所への滞在時間、一日に移動する距離、集団の大きさなどに違いが出てきた。

 霊長類は手や足で物を握り、指先の触覚で物の硬さや形状を確かめるが、これは親指が少なくとも他の指の1本と向かい合い、手足の指のどれかに人間と同じような平爪がある。

 どの霊長類も鎖骨を持っている。これで垂直歩行時にバランスを取ることができるようになり、体の安定を保ったままで、手を自由に使えるようになった。

◆両目が前に並び、嗅覚よりも視覚が発達

 樹上生活は立体的に世界をながめる視覚を発達させ、この能力を高めるために目の位置が側面から前方へと移動し、鼻面が後退して両目の視野が大幅に重複し、視野にあるものの距離を目測できるようになった。

 嗅覚よりも視覚に頼ることが多くなった。色彩を感知することのない多くの哺乳類の中で、霊長類が色彩視を獲得したのは植物の有益な情報を利用するためだった。

 消化器系は主として昆虫や植物を消化するようにできている。肉食動物のように食べだめは利かない。毎日、食物を摂取し、消化する必要がある。これが、霊長類が一日のかなりの時間を採食に割く理由だ。

 昆虫や果実は1度に1カ所で得られる量が少ないので、広い範囲を探し回らなければならない。

 葉は狭い範囲で大量に得られるが、セルロースや二次代謝物質を分解するには時間がかかる。

 このため、昆虫や果実類を主とする霊長類は一日中食べ歩いていることが多いが、葉食の霊長類は食べた後にゆっくり休息を取る。朝方と夕方に採食の時間が集中し、正午近くは休息して消化にあてている。

 食物の違いは霊長類とネコ科動物の行動に決定的な影響を与えた。

 ネコ科動物は獲物さえあれば気候や植生の違いにはあまり影響を受けないから、トラやヒョウは熱帯雨林からシベリアの雪原やヒマラヤの高地まで分布している。

 狩りの経験と技術が生き残りにものを言うので、親は子どもに狩りを教えるし、個体が増えすぎると食物が足りなくなるので、厳格なテリトリーを守ることで知られている。

 一方、霊長類は食物とする植物の分布に大きく影響を受ける。植物の分布は気候によって決まるので、霊長類の分布も気候に左右される。

 霊長類はいまだに熱帯雨林を中心に分布しており、雪のある地方へ分布を広げたのはニホンザルなどわずかな種に過ぎない。

 しかし、霊長類は普通、100種類以上の植物のさまざまな部位を食べるので、お目当てが見つからなかったら、別の食物を食べればいいので、食物にあまり固執することはない。

◆熱帯雨林は食物の宝庫ではなかった

 食物連鎖の段階が上がると、動物の体の大きさは増大し、個体数は少なくなる。個体数を決定する要因はエネルギー収支だ。

 植物(生産者)は太陽エネルギーのせいぜい2%しか取り込めない。植物を食べる動物(一次消費者)は植物が取り込んだエネルギーの10%程度しか利用できない。さらに、それを食べる肉食動物(二次消費者)はその10%というように、入手エネルギーは急激に減っていく。これが食物連鎖の上部の動物の数が極端に少ない理由だ。

 ゲオルギー・ガウゼは「同じニッチ(生態的地位)には2種が共存することはない」という一般原則である「競争排除原則」を見つけた。自然界にはこのようにニッチを多様化することで、多種の動物を共存させる機構が備わっている。

 熱帯雨林に多種の生物が共存しているのも、この競争排除原則によるニッチ化が絶え間なく起きているせいだ。

 食虫類から分かれた霊長類が初めて進出した樹上で切り開いたニッチは鳥の領分だった。しかし、霊長類は鳥のように空を飛べないため、同種や異種の仲間との間で食物の配分を決める方策は、まず食虫類と同じように単独でテリトリーを構えるというものだった。

 鳥はオス、メスの番が単独行動ペア型のテリトリーを持つ。

 鳥類と霊長類の中間のツバイ目のツバイも単独行動ペア型のテリトリーを持つ。

 霊長類でも夜行性の小型の原猿類で虫をよく食べる種はメスもオスもテリトリーを構えることが多い。メガネザルはメスもオスも独自のテリトリーを構える種がある。

 これらの単独テリトリーは人間を含む類人猿にはほとんど見られない。最初の霊長類がテリトリーを構えていたとすると、それが変化したのは夜行性から昼の生活に移ってからだ。

 昆虫食から果実食、葉食への食性の変化、体重の増加がきっかけだった。

◆昼の生活への移行

 夜の生活は体格が小さく、単独生活か最小限の集団であるペア生活をするのに向いている。虫など分散している食物を利用し、行動圏をテリトリーとして防衛する傾向が強い。果実などと違って動く食物なので、ある範囲の空間を占有する方法が有効だからだ。これが成り立つのは、小さなテリトリーでも十分な食物が得られることが前提となる。

 一方、果実は得られる場所が決まっているが、季節によって得られる時期があり、広く分布している。果実を食物として取り入れる割合が高くなると、食べごろの果実のありかを視覚を用いて感知し、昼間に動くことが多くなる。

 広い範囲を動き回れば外敵に襲われる危険も増すので、昼間に行動するようになったのだろう。

 捕食を回避するために夜行性霊長類は単独で目立たないように行動する性質を進化させたが、昼行性の霊長類はこのような対捕食者対策をやめ、群れをつくることで捕食者の危険を減じようとした。捕食者をすばやく発見し、すばやく逃げる、という戦術だ。

◆性をめぐる葛藤

 人間以外の霊長類は異性をめぐる葛藤を4つの方法で解決しようと試みてきた。①テリトリーをもって離れあう②オスが単独でメスを囲い合う③優劣順位に応じて異性への接近権を認める④乱交を許す――の4つだ。

 ダーウィンは形質の変異を引き起こす要因を自然淘汰と性淘汰に分けた。

 性淘汰は異性をめぐる同性間の競合と、好ましい形質を異性が選択することによって起こる。

 集団生活をする霊長類では原猿類やペアを作る種を除き、オスがメスよりも大きく、派手な体色や形態上の特徴を持っている。だから、霊長類ではメスよりもオスに性淘汰が大きくかかっている。

 ニホンザルでは順位の高いオスよりも順位の低いオスのほうが交尾の回数が多い。メスがオスを選択している。

 メスは毎年違ったオスを選択している。優劣順よりも滞在年数の短いオスが子どもを残す傾向にある。

 ところが、DNA鑑定の結果、子どもの父は優位のチンパンジーが多いことが分かった。

 乱交的に見えているのは、優位なオスは妊娠する可能性の低い時期には他のオスの交尾を許しているためで、排卵日に近い発情メスとの交尾は優位なオスが独占しようとする傾向があるに違いない。

◆発情性比

 発情性比とは発情メス1匹に対する群れのオスの数。

 チンパンジーのメスは発情を同期させないので、発情性比は4.2。地域によっては12.3にもなる。ボノボのメスも発情を同期させないが、発情期間が長いので2.8ほど。発情期間が長いのはボノボのメスが授乳期間も発情するためだ。霊長類では普通、メスが授乳している間は発情も妊娠もしない。

 これは母乳の産出を促すプロラクチンというホルモンが発情ホルモンのエストロゲンの上昇を抑えるためだ。

 類人猿でもオランウータン、ゴリラ、チンパンジーのメスは授乳中発情することはない。

 類人猿は3~5年の長い授乳期間をもっているので、群れに複数のメスがいても発情するメスの数は少ない。

 ところが、ボノボのメスは授乳が始まってから1年もたつと、発情を再開する。同時に発情するメスの数も増えて発情性比が低くなる。ボノボではメスが繰り返し発情するため、オスが交尾を独占できず、乱交状態になる。

 メスとの交尾にはオス同士の優劣関係が反映されず、したがってオス同士の取引にも使えない。交尾をするかどうかは、オスとメスとの直接的な交渉による。だから、食物の分配をせがむメスが、あたかも取引のようにオスを交尾に誘う。

 チンパンジーでも強い乱交状態になることがある。

◆インセスト(近親相姦)タブー

 家族が人間の社会を特徴付けるものであること、それがインセストタブーによって成立していることを19世紀の人類学者たちが論じた。1877年に「古代社会」を著わしたルイス・モーガンは人類が親子兄弟の区別なく性行為を営む原始乱婚の状態から進化した、とみなした。やがて、親子の間、兄弟姉妹の間でインセストを禁止するようになり、現代の核家族のように性交渉を夫婦に限定するような親族関係が管制した、との説だった。

 しかし、インセストを回避する傾向は人間以外の動物にすでに具わっていた。1950年代初めに、それを日本の霊長類学者が発見し、モーガン説の誤りが分かった。

◆人間の家族はどのように成立したか

 では、人間の家族はどのように成立したのだろうか?

 すでにあったインセストを回避する性質を利用して家族は創設されたに違いない。人間の社会ではインセストの禁止が親子以外の近親間に適用されているからだ。人間の家族では母親と息子だけでなく、父親と娘、兄弟姉妹、さらに広い血縁までインセストが禁止されている。

 普段顔を合わせて暮らしていない親族にまでインセストが禁止されるのは心理的な機構では説明できない規範がそこにあるからだ。

 今西錦司氏は霊長類にまで遡って人間家族の起源を考え、外婚制(群れの外に番の相手を求めるシステム)、インセストタブー、男女の分業――という3条件がすでに人間以前の段階で成立していたとみた。

 人間の段階で初めて可能になったのは、複数の家族が集まって近隣関係を作り、上位の地域社会を形成するという条件だ。

 おそらく親子以外の血縁者にも性交渉や結婚を禁じるようにならなければ、こういった複数の家族が共存できるような社会はできなかったに違いない。

 インセストの回避をタブーという制度にしなければならなかったのは、このためである。

 人間は哺乳類としては初めて集団生活とペア生活が両立できる社会を作った。そのためにこそ、インセストの禁止によって性の競合を緩和する家族という形態が必要だったはずだ。

 おそらく霊長類にとってインセストの回避は性の競合を回避するためのものだったわけではなく、どちらかの性を分散させて、遺伝的な劣性を避ける機構だったはずである。人類はそれを社会的な目的のために利用したのである。

◆群れ社会からスタートして家族ができた

 人間の家族は、その始まりにおいて、ペア社会から生まれたものではない。

 群れがまずあり、そこに家族というペア社会を可能にする仕組みができたのだ。

 それは人間の男女の体格に比較的大きな差があることからも明らかである。集団生活する霊長類では一般に雌雄の体格差が大きく、ペア生活を送るのは、体格差のない種に限られている。

 ペアではない集団生活からどのようにしてペアに性交渉を限定するような家族が生まれたか、だが、そのプロセスにインセストの禁止が大きな働きをしているはずだ。

 霊長類の性の競合と社会構造、そしてインセストを回避する仕組みを比較しながら、それを考えてみよう。

 鳥やオオカミのペアのように雌雄が共同で子育てをする姿は霊長類には極めてまれだ。だが、霊長類にもオスが熱心に子育てする種がある。南米に生息する小型のタマリンやマーモセットである。

◆睾丸の大きさの比較

 また、単雄複雌と複雄複雌という構成の違いはオス間のメスをめぐる競合の違いを色濃く反映している。それには証拠があり、睾丸の大きさである。

 睾丸は精子を作る器官で、その大きさは精子の数に対応する。

 霊長類の種ごとにオスの体重と睾丸の重さの比率を比べると、複雄複雌の種のほうが単雄複雌の種より明らかに大きい。単雄複雌のゴリラのオスの睾丸は体重の0.02%しかないが、複雄複雌のチンパンジーは0.27%と10倍以上の大きな睾丸をもつ。

 1回の射精で放出する精子の量はゴリラで51万、チンパンジーで603万と、ほぼ睾丸の大きさに比例する。

 これは、ゴリラのオスは他のオスを排除して独占的にメスと交尾するのでわずかな精子で十分なのだが、チンパンジーのオスは複数のオスが同じメスと交尾するので、元気な精子をたくさん出して精子同士で競争させる必要があることを示している。

 1年のある時期に出産期が集中する理由は、食物環境が季節的に変化するためだ。雨季になると木々は一斉に芽吹き、タンパク質に富んだ新葉が食べられる。授乳が必要な霊長類はこの時期に出産期をあてて、子育てをするほうが季節によって変化する環境では適応的だろう。

 事実、もっとも高緯度に暮らすニホンザルは木々が芽吹く春に出産し、秋にメスたちが一斉に発情する。もちろん複雄複雌である。

 霊長類のメスの体には、オスとの交尾関係を決定する重要な性の特徴がある。

 それは性皮の存在だ。旧大陸に生息する真猿類(旧世界ザル)だけに進化した特徴で、原猿類や新世界ザルにはない。ヒト科ではチンパンジー属だけにある。オランウータンとヒトには欠落している。

 性皮が膨張する種は複雄複雌で、膨張しない種は単雄複雌の構成をもつことが多い。

◆性皮の有無の問題

 メスが性皮を膨張させる種は性皮をもたない種に比べて長く発情する。

 性皮をもたない種はメスが排卵日を含む2、3日しか発情しないので、交尾は妊娠に直結する可能性が高い。

 しかし、性皮を膨張させるメスは排卵日から遠く隔たった日にも発情傾向を示す。オスの精子は膣の中でせいぜい72時間しか活力をもたないので、排卵日から4日以上離れれば授精させることはできない。

 にもかかわらず、ヒヒ類もチンパンジーも毎周期2週間近くも性皮を膨張させる。

 これは明らかにメスが1頭のオスと独占的な交尾関係を結ばず、多くのオスと交尾することで生まれる子どもの父性を曖昧にしようとする戦略だと考えられている。

 オス同士が張り合ってメスと交尾する権利を独占しようとするのに対し、メスは性皮を膨張させて多くのオスを誘い、長期間にわたって交尾することで、どのオスにも繁殖成功の可能性を示唆する。こういったメスの行動によって、複数のオスが共存し、精子競争が高まって睾丸のサイズが大きくなった、と考えることができる。

 霊長類の群れ構成の進化を考える時、環境の季節性もメスの繁殖戦略もどちらも重要だ。

 ニホンザルやアカゲザルのように季節繁殖する種では、メスの性皮を膨張させなくとも複数のオスが乱交的な交尾をすることになる。一方、周年にわたって交尾する複雄群は、メスの顕著な発情兆候と長い発情によって形成され維持されている可能性が高い。

 では、この霊長類の特徴に照らし合わせると人間はどうなのか?  人間は不思議な特徴を併せ持っているのである。

◆人間の場合は?

 人間の男の睾丸はゴリラより大きく、チンパンジーより小さい。精子の密度もちょうど中間。この特徴は精子競争があるとも言えるし、ないとも言える。
 人間の女には性皮はなく、発情兆候は明らかでない。だが、性交渉が排卵の時期に限定されているわけではない。性交渉の頻度や出産の時期に季節による偏りがあるとも言えない。

 複数の男女が日常的に顔を合わす人間社会は、決してチンパンジーのような乱交を許す社会ではない。

 しかし、かといってゴリラのようにオスが配偶関係の独占を確立し合っている社会でもない。

 おそらく、そこに家族をつくった人間の不思議な性の特徴が隠されている。

◆母系と父系

 群れからオスかメスのどちらかが出て行く傾向は、インセストを避けるためである。どちらも出て行かなかったらインセストが必然的におきるからだ。

 霊長類では血縁関係を認知することよりも、親しい関係を作ることのほうが交尾の回避をもたらしている。ゴリラのオスは離乳期から思春期に至るまで熱心に子育てする。この「親しさ」が娘とのインセストを避けている。また、父と息子との間でのメスをめぐる争いを避けさせている。

 初期の人類がもし、類人猿と同じような父系的性格をもっていたならば、やはりインセストの起こる可能性が高かったに違いない。

 それを人類はインセストタブーという規範にして社会を作ったのだろう。なぜ、そんな規範が必要だったか?

 それはインセストの回避によって親子兄弟姉妹が性的な競合を減じて共存できるからだ。

 人間の社会におけるインセストの禁止は性的な競合を弱めるための仕組みだったのではないか。母親と息子、父親と娘、兄弟姉妹は異性でありながら、性行為をする間柄ではない。

 そのために、家族の一員が他の家族の一員と結ばれても、家族の絆は切れることはないし、家族間に性的葛藤が起こることもない。だからこそ、家族同士が連合することもできる。

 おそらく幼児期の世話を介して雌雄間の性的な関心を抑えるような霊長類の普遍的傾向は人間の社会ではインセストを防止するだけでなく、非性的な親和関係を作るように発達してきたに違いない。そして、それは異性間にも同性間にも家族の枠を超えて共存を促すような働きをもっている。

◆サルは食物をめぐる葛藤をふぉのように解決しているか?

 ニホンザルにとっては優劣関係が共存のためのルールだ。優劣関係とは一種のパワーゲームだ。オスの間には直線的な優劣関係がある。群れに共存するメスはいくつかの家系に分かれている。

 娘が母のすぐ下につくというルールができており、これが家系順位。ニホンザルのオスは群れが居心地悪ければ出て行けばいい。

 ここが父系社会に生きるチンパンジーと違うところだ。

 ニホンザルは食物を最初に取ったサルが自分のものとし、他のサルがそれを奪い取ることはない、という「先行保有者優先の原則」がある。ニホンザルには頬袋がある。

 けんかが起きた際の和解の方法もいろいろある。

 チンパンジーの仲間のボノボはメス同士が対面し、膨張した性皮を左右にこすり合わせるという変わった仲直り行動がある。これが「ホカホカ」だ。オス同士は対面して勃起したペニスを触れ合わせたり、逆に後ろを向いて尻を付け合ったりする。雌雄では交尾が起こる。ボノボは社会的緊張が高まると、性交渉によってそれを解消しようとする。

 ホカホカは群れに加入してきたばかりの新参メスと、長くその群れに滞在している古参メスとの間によく見られるという。移籍後の新しい群れで、メスはまず古顔の優位なメスとの間に葛藤を経験し、それを克服するために性を活用する。

◆見つめ合う和解

 ゴリラの場合は見つめ合うことで仲直りをすることが多い。子どもやメス同士のけんかに大人のオスが介入し、攻撃されたほうに加勢したり、どちらにも加勢せず、当事者の間に大きな体を割り込ませてうつぶせになる。これは明らかに仲裁である。大人の三角関係のけんかは他のオスなどが引き離し、けんかを仲裁する。弱者による仲裁の方法は間に割り込んで、相手をじっと見つめるやり方だ。

 食物の分配でも、ニホンザルは優劣関係に応じた占有権の確認でいさかいをおさめる。

 ゴリラは食物を前にして仲間との間に葛藤を覚えた場合、それを許容と共存の担保として利用、せっかく占有した採食場所を譲る。譲られたゴリラは恩を受けるのでお返しをする。ニホンザルでは相手に近づいて採食場所の譲渡を要求するのは必ず優位のサルだが、ゴリラは劣位のゴリラが優位のゴリラにお譲らせる。

 最優位のゴリラのオスは自分の地位を狙う第2位のオスには決して分配せず、自分と同盟関係にある下位のオスにだけ食物を取ることを許す。食物はオスの間の政治や求愛の道具として用いられている。なお、ゴリラが胸を叩くのは戦いそのものではなく、自己主張である。チンパンジーやボノボも食物を社会的な手段として用いて互いの関係を調整している。

◆マウンテンゴリラの子殺し

 新しいボスのオスは他のオスとの交尾で生まれた赤ちゃんを殺す。これは赤ちゃんがいるとメスの発情が始まらないため、発情を起こさせ、自分の子どもを作るため。

 子殺しの起こる種はメスが群れの外のオスと交尾しないという特徴がある。発情に季節性がなく、メスが一斉に発情しない、という特徴も子殺しが起こる種の特徴。

 子殺しが霊長類の社会性を作る大きな要因だとすれば、子殺しが起こらない種は二つの方法を取っている。①オスが子どもの父性を確認できるようにする方向性②父性を混乱させてどのオスにも父性があると思わせる方法――の二つだ。前者はオスがメスと独占的に交尾できる道へ、後者は完全な乱交へとつながる。

 チンパンジーの子殺しでは、殺した子どもをみんなで食べてしまう。

◆人間社会は性と暴力をコントロールしているか?

 人間の社会に起こる暴力や幼児への虐待は類人猿とは比べものにならないほど多様で複雑な人間関係が原因だが、その多くに性の問題がからんでいることは否定できない。

 子どもの死亡率はどの社会でも1歳までの乳幼児に高く、それから急速に減少するが、思春期に再び上昇する。

 乳児の志望は親の保護体制のほころびが原因だが、青年、特に男の子の死亡には過剰な自己主張が原因と考えられるものが少なくない。そこには性的なトラブルが影響を与えていることが多いのではないか、と考えられる。

 人間の社会はテナガザルやボノボのようには、それをうまく解決できないでいる。なぜなら、人間はテナガザルのようなペア社会も、ボノボのような乱交的な性関係も発達させなかったからだ。

 では人間はなぜ性をめぐる暴力を抑える社会をもつことができなかったのか?
 
◆二足歩行と狩猟~脳増大と肉食

 チンパンジーと人類の祖先が分岐してから、最初に現れた人類独自の特徴は直立二足歩行だった。

 700万年前のサヘラントロプスや600万年前のオローリンはすでに直立して歩いていた。

 240万年前に現れたホモ・ハビルスもその後に現れたホモ・エレクトスも肉食獣が食べ残した死肉を食べていた。彼らの顕著な特徴は肉食である。人間は脳を大きくするために肉食をした。

 チンパンジーは肉食をするといっても年間の食物の5%。熱帯地方の狩猟採集民は全食物の20~30%を肉が占める。極北のイヌイットはほとんどが肉か魚を食べている。

 人類は寒冷乾燥の季節が長い環境へ移住するに従って肉食の度合いを強め、肉食に適した消化管をもつようになった。

 脳は大変カロリーを食う器官だ。重さは体重の2%しかないのに、消費エネルギーは20%に達する。

 肉は果実の2倍以上、葉の10倍以上のカロリーがある。しかも、肉食によって消化管を小さくしたので、消化に費やすエネルギーを減らすことができ、そのエネルギーを脳へ回すことができた。

 なぜ大きな脳が必要だったか?

 いくつかある選択肢の一つで、現生人類ではない種では小さな脳と頑丈な顎をもって、エナメル質の厚い大きな臼歯で根や樹皮をかじって暮らしていた種もあった。

 人類はその道ではなく、脳を肥大化させた。アフリカのサバンナで多くの動物と共存しながら新しいニッチを開拓する過程で大きな脳が必要になったのだろう。

 初期人類の脳が大きくなったのは狩猟をするようになったからではない。40万年前から狩猟に武器を使用したが、武器は人間には向けられなかった。

 人間同士が武器で争うようになったのは1万年前に農耕が始まって以降だ。9000年前の遺跡から戦争に武器を使用した跡が見つかっている。

 長い間、人類は道具を武器として同種の仲間には向けてこなかった。食物を得るための道具、獲物を捕らえるための狩猟具と戦争をするための武器は全く別なのだ。

 ドナ・ハートとロバート・サスマンが「ヒトは食べられて進化した」で書いているように、人類は狩りをすることで進化したのではなく、捕食動物に狩られることによって進化した。

 逆の解釈が長く通じたのはキリスト教由来の「神の恩恵を失い、原罪を負った人間は捕食者としての本能を脳の拡大によって発揮した」という考えに影響されたからだ、と両氏は主張する。

◆家族と不思議な生活史~レヴィ=ストロースの仮説

 直立二足歩行によって自由になった手は食物を運ぶことに使われた。

 人類は食物をめぐる葛藤を優劣関係に回収しない類人猿の社会性を引き継いでいる。

 マントヒヒとは違った方法での共存関係が「インセストの禁止と食における共同」だった。

 家族はその結果として生まれた。家族は一つの独立した集団単位ではなく、インセスト禁止を介して他の家族と密接に繋がっている。

 クロード・レヴィ=ストロースら多くの人類学者が人間家族の条件にインセストタブーを挙げ、最も原初的な規範とみなしている理由はここにある。

 人間は性を家族内に閉じ込めたかわりに、食を公開して共同行為に発展させた。

 ブッシュマンもピグミーもみな、獲物を獲ってきた人間を英雄扱いせず、みんなで平等に食物を分配する。贈与することは相手に心理的負担を生じさせるので、分配はなるべく、無機的に行われる。分配された方はほとんど感謝の念も示さない。

 狩猟採集民の分配は、まず食物を「われわれ」のもとへ集めて、それを平等に分けるという行為。そこでは「所有」という意識を意図的に消そうという努力が見える。

 ボノボ、チンパンジーなど類人猿は分配をせがみ、せがまれ、葛藤する中で分け与える過程で、自分の中の他者と出会う。そして、他者への「共感」を生じる、という。言語によらない規範や自然制度につながる可能性がある。

 しかし、狩猟採集民の「共存のイデオロギー」は食物を介した二者間のコミュニケーションを否定しようとする。

 これは、彼らが人々の関係に及ぼす食物の影響力をよく知っているからだ。

 所有は物に所有者の人格を刻印する。いったん所有された食物は分配を介して食物と共に、いや食物が食べられた後も、与え手の存在を受け手に記憶させ続ける。二者間の特別な関係は共在の場を壊す危険を孕んでいる。

 狩猟採集活動によって食物を現場から引き離し、それを操作することができるようになった人間は、食物を政治的な手段にすることを自らに禁じたのである。

 人類の食生活の顕著な特徴はわざわざ食べ物を仲間のもとへ持ってきて食べるということだ。

 食物の分配が勝手に行われれば社会のルールが壊れるので、どの社会でも食物の分配には細かなルールやエチケットが課せられている。狩猟採集民はその影響を極度に抑えた社会をつくった。

 レヴィ=ストロースはインセストタブーを「集団間で女の交換による互酬性を実現させる制度」ととらえた。

 本来、所有の難しい性の相手を互酬性に基づく交換に用いて、その所有を共同体によって合意し、所有の生じやすい食を徹底的に分かち合うことによって葛藤を抑えたのである。

 それは複数の家族が集まってより大きな共同体を作るうえで不可欠なものだった。

 食を分かち合うことによって強化された結束力は無償で共同体に奉仕する行為を生み、大型の肉食動物が徘徊するサバンナで初期人類が生き抜く大きな原動力となったに違いない。

 人類が言語を持ったのはたかだか数万年前に過ぎない。

 その前の長い時代は、翻訳の必要もない歌や音楽が「われわれ意識」を強化する大きな手段だった。つまり、音楽は「われわれ意識」を強化する大きな手段になる、ということである。子守唄は世界中どこでも同じトーン、ピッチだという指摘もある。

◆戦いの本質とは何か~大量殺戮はなぜ生まれたのか

 共同体とは家族の延長であり、分かち合いの精神によって支えられた「まとまり」である。そのためにはお互いが顔や個性をよく知らないといけない。それが可能な数はだいたい150人が限度とされている。

 成員数の増加は互酬性を維持するための社会的コストを増す。

 戦いの規模や頻度が増したのは、人間が共同体の規模を広げようとしたからだ。

 共同体内部の互酬的な関係を維持するために、土地の拡大や富の蓄積が奨励され、他の共同体との軋轢を生み出した。

 農耕民の集団間暴力によって起こる死亡の発生率は、狩猟採集民の3倍にのぼるという指摘もある。

 なぜ、大量殺戮を辞さないほどの苛烈な戦争が人類に起こるようになったのか?

 それは言語の出現と土地の所有、そして死者につながる新しいアイデンティティーの創出によって可能になった、と私(山極氏)は考えている。

 言語は今、そこにない出来事や空想上の話を伝える機能がある。この機能によって言語はヴァーチャルな共同体を作り出した。

 国家や民族という幻想の共同体が人々の心に宿るようになった。

 1万年前の農耕の出現は人々の土地の利用法を劇的に変え、共同体内外の関係に大きな影響を与えた。

 収穫は労力に見合う報酬であり、仕事を分担しなかった者と平等に分かち合えるものであはない。

 そのため、土地の所有権を個人や集団に帰属させ、そこに投資をして利益を得る権利を明確にする必要がある。

 価値の高い土地を標識で囲って、他人が手を出せないようにした。人々の生活に境界が出現した。

 人々が先祖を崇拝し、家系図を大事にするのは、先祖を引き合いに出して土地の権利を守れるからだ。

 人間の社会では個人のアイデンティティーは親に、そして共同体につながっている。親や自分の属する共同体が犯した過ちを子孫である自分が償おうという気持ちをみると、人類のアイデンティティーの共通の特徴が分かる。

 親の恨み、親族の恨みを晴らすための戦争も起きる。祖先の悲願を達成したい思う心もここに宿る。

 家族を守るために戦ってきた男たちが、同じ精神を持って民族のために戦うことを要求される。

 食の共同と性のルールによって生まれた愛と奉仕の心は、その力が及ばない領域を支配する者たちによってすり替えられ、人々は戦争へと駆り立てられる。

◆他者への許容性を高め、可塑性を高める教育を

 人間の社会性を支えている根源的な特徴とは①育児の共同②食の公開と共食③インセストの禁止④対面コミュニケーション⑤第三者の仲裁⑥言語を用いた会話⑦音楽を通した感情の共有――などなどだ。

 霊長類から受け継ぎ、それを独自の形に発展させたこれらの能力を用いて、人類は分かち合う社会をつくった。それは決して権力者を生み出さない共同体だったはずだ。

 われわれはもう一度この共同体から出発し、上からではなく、下から組み上げる社会を作っていかなければならない。

 人類は狩りや肉食ではなく、共同の育児が教育の道を開いたに違いない。

 教育によって、人間の子どもたちは多様性と可塑性を身につけることができるようになった。それが共同体の境界を乗り越え、複数の共同体を行き来する能力を発達させた。

 人間が日常的に多様な集団に出入りして暮らすことができるのは、他者への許容性を高めるとともに、見知らぬ仲間のいる集団に即座に同化できる可塑性を広げることができたからだ。

 そこにこそ、ボーダレス時代を生き抜く秘訣が隠されていると私(山極氏)は思う。

 以上が本の粗筋である。

 自分の見解も書こうと思ったが、パソコンのキーボードで手が疲れて、これ以上、字を打ち込めなくなったので、今日は書評というよりも、本の内容紹介にとどめておく。

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2007年10月31日 (水)

「ファシズム期の日本人が持ったのと類似の矛盾」という大沢真幸氏の分析について

 東京新聞10月31日夕刊文化面[論壇時評]<歴史の新局面に入ったとは言うものの/ファシズム期と類似の矛盾>は社会学者で京都大学大学院教授である大沢真幸氏の論文である。「論座11月号」の小熊英二氏「戦後日本の社会運動―歴史と現在」と「思想10月号」の見田宗介氏「近代の矛盾の『解凍』」、それに単行本ハリー・ハルトゥーニアン「近代による超克」(岩波書店)を取り上げている。

 小熊論文は社会運動、労働運動の変遷をたどりながら日本の戦後史を振り返ったが、大沢氏はここに書かれた戦後のわずか60数年の人の一生にも満たない歴史の中で私たちがいかに多くのことを忘れているか、ということに注目する。現憲法が国会で成立した時、これに賛成したのは保守政党で、共産党は反対、社会党はしぶしぶ賛成という布置だった、と。自民党が改憲指向、革新側が護憲という今日イメージする対立構図の原型ができたのは1955年だったことを小熊論文は再確認し、この年が戦後社会運動史の第一の転換点だったとする、と。

 もう一つの転換点は1970年で、それまでの(既成政党に飽き足らなかった新左翼も含めて)基本的には教科書的マルクス主義、つまり下部構造(経済的な生産関係を変えればその時のみ社会のあり方がトータルに変わる、という考え方)に立脚していた。こういう左翼を小熊は今時のネットで流行している「薄甘いサヨク」と対比して「塩辛い左翼」と呼ぶ、と。塩辛い左翼の理論や感覚・体質に批判的な様々な「新しい社会運動」の端緒が70年代後半に集中している、と。

 「新しい社会運動」は、フェミニズム、少数民族問題、障害者問題、環境問題などのイシュー(論点)を扱い、少人数の有志による民主的な組織によって推進された。それらの運動は、塩辛い左翼の視野に入っていなかった問題を扱った意義を有するが、しかし、トータルな社会構造を分析し理解する理論・理念を持たないので、個別の課題のモグラたたき的な処理に終始せざるを得ない、と。

 現在拡がりつつあるプレカリアート(不安定な労働者)の運動は「新しい社会運動」の延長上にある、というのが小熊氏の見立てだ、と。それは、支持者に低所得者が多いことを別にすれば70、80年代の「新しい社会運動」という名の今では古い運動とあまり変わらない。それは、小さな勝利を地道に重ねる永遠のモグラたたきを続けるしかないだろう、という、少なくとも左翼にとっては、やや悲観的な見通しを持って論考が閉じられる、と。

 以上は大沢氏による小熊論文のダイジェストだ。

 「だが」として、大沢氏は小熊氏とは逆の見解を対比させる。それが見田論文である。

 以下は見田論文を大沢氏がダイジェストした内容だ。

 見田氏はNHK放送文化研究所が1973年以来定期的に行ってきた「日本人の意識」調査をもとに、大胆かつ説得的に人類史・文明史的な展望を導き出した、という。

 見田氏の主張は、社会意識の変化率が次第に小さくなっている=若い世代と古い世代の間の意識や価値観のギャップがどんどん大きくなっており、親子間の対話など成り立たないという通念があるが、調査データが示しているのは全く逆で、社会意識の世代間ギャップは小さくなっているのだ、と。戦争世代と団塊世代の親子に比べて、団塊世代と団塊ジュニアの親子の意識の差はずっと小さい、と。この事実から見田氏は1970年代以降、歴史は減速しつつある、と推論する。

 近代化は人間の歴史の沸騰期であり、この時、社会構造と意識が加速度的に変化した。しかし、見田氏の考えでは、高度成長はこの沸騰期の最終局面にあたり、今や、変化が緩やかな、脱近代の新局面へと、歴史は入ろうとしている。この新局面への移行を最もよく示しているのが「近代家父長制家族」のシステムの解体である、と。

 変化が緩やかになりつつある70年代以降にあって、ほとんど唯一、大きく変化したのは、ジェンダーや家族についての意識であることを調査は示している。このことは、全体として、近代家父長制家族(夫婦の間の性別役割分担を前提にした核家族)が揺らぎ、解体しつつあることを示している、と見田氏は解釈している。

 自由と平等は、近代が生み出した最も重要な理念である。だが、家父長制家族は、男女差別的で、この理念に反する。こうした矛盾が生ずるのは、見田氏によれば、近代社会が、人間の生と社会を、全体として生産主義的に合理化=手段化するものだからである。夫が経済的な生産活動に従事し、妻が銃後で支えるという分担は、生産主義的社会で「戦う家族」としては合理的である。

 しかし、生産主義を要請した近代の沸騰局面が終わりつつあるとしたらどうだろうか。近代社会の原的な理念(自由・平等)と近代社会の原則(生産主義的な合理化=手段化)の間の矛盾が解消されるということである。それゆえ、自由と平等の理念が、実質的に普遍化するための準備が今や整いつつあるはずだ、と見田氏が展望を語っている、と。

 そして、以下が二つの論文を読んでの大沢氏はまた疑問を持つ。

 社会の基本的な構造変化に着眼すれば、今や、普遍的な自由・平等の可能性が潜在しているのに、実際の社会運動のレベルでは、細かく、影響力の小さな勝利しか得られていない、ということである。どうしてこんな乖離が生じるのだろうか? という疑問である。

 その解答は書物の中から探すそうだ。ここで出てくるのが「近代による超克」である。

近代による超克 上―戦間期日本の歴史・文化・共同体 (1) 近代による超克 上―戦間期日本の歴史・文化・共同体 (1)

著者:ハリー・ハルトゥーニアン
販売元:岩波書店
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近代による超克―戦間期日本の歴史・文化・共同体 (下) 近代による超克―戦間期日本の歴史・文化・共同体 (下)

著者:梅森 直之,ハリー・ハルトゥーニアン
販売元:岩波書店
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 この書物は、ファシズム期の日本知識人の言説を分析しており、小熊・見田の論考とは全く主題を異にしている。だが、当時の知識人を、「真正な文化・伝統」へのオブセッション(強迫的執着)に導いていった要因についての考察は、われわれの現在を考える上でのヒントを与えてくれる。この浩瀚な書物の主張を思い切って要約してしまえば、知識人をファシズムへと走らせたのは、一種の「ないものねだり」、つまり、資本主義的な成長は欲しいが、それに伴う構造的不均衡や葛藤はいらないという要求である。

 もし、今日の社会が構造レベルですでに孕んでいる可能性(自由・平等の普遍化)と、現実のチマチマとした社会運動の間にギャップがあるのあとしたら、つまり、社会構造が宿している可能性をわれわれが十分に引き出せないのだとしたら、われわれの要求にも、ファシズム期の日本人が持ったのと類似の矛盾があるからではないか。「葛藤のない資本主義」という、ありえないものへの幻想があるからではないか。

 以上が全文である。

 要約して書き写そうとしたのだが、要約ができない文章だった。ということは、まだ大沢論文を理解していないからなのだろうなあ。

 しかし、分かりにくい文章だった。結局、どういうことなのだろう? もう少し説明がほしかったが、ほぼ1ページを使ってこのくらいなのだから、後は引用されている雑誌や単行本を読むしかなさそうだ。